[7301] 利口ぶり馬鹿 h21.5.9
国会議員の話し合いを見て、なにか意味深[いみしん]なことを言っていると思うのは、みんなが利口ぶり馬鹿になっているからである。
裸の王様を見て、立派な服を着ていると思うのと同じことだ。
よくわからないことを話しているのは、話す本人がよくわからずに話しているからである。
いい歳してそんなこともわかっていないのでは大人気[おとなげ]ない。
あんなのはただの茶番だ。政府が国民から税金を取るために仕方なくやっているだけだ。
政治家がみんな馬鹿面[ばかづら]で言葉を曖昧にしか話せないのは、もともと政治家が馬鹿な芸人にすぎないからである。
私は子供の頃から一度も、国会議員を偉いと思ったことがない。
政府のしていることを実際に自分の眼で見たこともないくせに社会科の教科書を読んだだけで知ったかぶりしている人間のほうが馬鹿だ。

[7302] 人間は知覚的な動物である。 h21.5.9
人間には知覚の才能がある。
人間だけが真実とまちがいを区別することができる。
人間は世の中からまちがいをなくしていかねばならない。
政府は、嘘をついて国民を騙して儲ける会社である。
だから、この世から政府をなくさねばならない。
国民が自己判断で政府への協力をやめればいいだけのことである。
それぐらいのことができなければ人間とはいえない。

[7303] 『神は死んだ。』 h21.5.9
神は死んだ。
だから、政府は神を使うのをやめて、神の代わりに生きている超能力者を使うことにしたのである。政府は神の代わりに超能力者を使って嘘をつくことにしたのである。
しかし、それは嘘の超能力者である。
じつは、ただの人間である。
今は科学の時代なので、眼の前で超能力を見せないかぎり、誰も超能力者を信じない。
しかも、超能力者に人間が従わねばならない根拠がない。超能力者は全知全能の神ではないから超能力の点で部分的に人間よりも優れているだけであって、その他の点においては他の人間の世話にならねばならないからである。全知全能の神でないかぎり、ユリ=ゲラーの例でもわかるように、現代人は超能力者をただの芸人ぐらいにしか思わない。でも、超能力者なら芸人としてある程度は出世して儲けることができることを示したわけでもある。しかし、私は超能力者ではないから、それもできないわけである。[ユリ=ゲラーがスプーン曲げをしたのは、私がスプーンで食べるのが好きで小学2年生の頃まで全部スプーンで食べていたからである。(『思い出のアルバム』の私がラーメンを食べている写真も、私は箸[はし]を使わずフォークでラーメンを食べている。)ユリ=ゲラーが念力で時計を直したのは、私が子供の頃機械の分解組み立てが好きで、自分の学習机に付いていた時計をよく分解して組み立てていたからである(→テレビ東京系アニメ『花の魔法使いマリーベル』にそんな話がある)。]
私が小学生の頃、政府がユリ=ゲラーを日本に招いて超能力ブームを巻き起こしたのは、超能力者が人間よりも上の者ではないことを国民に認識させて、私の神制度を人類が私に従うことから、政府が国民と対等である私を利用して、私の情報を混ぜた命令を出せるようにするためであったと思われる。しかしながら、そもそも超能力者が人間よりも上の者でなければ、人類が私に従わねばならないこともないから、それを変換して、私の情報を混ぜた命令を国民に出すこともできないはずである。政府は嘘をつく会社だから、これまでいいかげんな論理でごまかして私の神制度をやっていたわけである。
ユリ=ゲラーの例でわかるように、現代は超能力者に人間が従う時代ではない。まして政府に人間が従う時代ではない。神が死んで、従う者を失った人間は何者にも従わなくなったのだ。
ユリ=ゲラーがテレビに出演して超能力者が人間よりも上の者ではないとみんなが思ったために政府が私に人類を従わせるのをやめたように、私の政府論が世の中に広がって政府が民主主義をやる会社ではないとみんなが思うようになれば政府は潰れてしまうだろう。つまり、今や政府も国民に従わねばならない時代なのだ。
私の神制度がこうして失敗に終わったのは、政府が過去の聖典の権威に頼ろうとしたためである。そもそも政府は神を祭る会社ではなく嘘をつく会社だから、しいて聖典によらなくてもよかったのだ。私にとっては“超能力者”も非科学的な古臭い概念に思われる。政府は何か別のもっとわかりにくい嘘をつけばよかったのだ。

[7304] 『超能力者も死んだ。』 h21.5.9
私が赤ちゃんの頃に私の母が夜中に突然私のベッドの上に吊ってあったガラガラが回るのを見た。
だから、私は神ではなく、せいぜい超能力者である。
私の母親が夜中に突然ガラガラが回るのを見た後で、世界中の政府がこれまでの神制度から私の超能力者制度に変えた。
このとき世界中で神が死んだのである。
今後は、政府が超能力者制度をやる世界になるはずだったが、この前私が母から聞いた話では、夜中に突然ガラガラが回った時、ガラガラは昼間と同じ回転速度で音楽を鳴らしながら1分間ぐらい回っていたそうだから、ガラガラが回ったのはガラガラの故障が原因であったと考えられ、したがって私は超能力者ではなく、私が超能力者であるのは政府の嘘であることがわかった。
したがって、政府は嘘をつく会社であることがわかった。例えば、今の政府がやっている民主主義の政治も形だけの嘘である。
この世に本当に全知全能の神が現れるとすれば、政府が急に神制度をやめて超能力者制度を始めるわけがないから、もともと神がいないこともわかった。つまり、政府がこれまでにやっていた神制度も嘘だったのである。[もしも、本当に全知全能の神がいたのなら、いくら科学や哲学サイドから文句を言ってきても、政府は取り合わずにこれまでと同じように神制度を続けたらいい。だから、政府が神制度をやめたのは、全知全能の神がいなかったからだと考えられる。]
つまり、神や超能力者はたんなる政府の取り決め(要するに嘘)にすぎず、実際にはこの世には神も超能力者もいないのだ(厳密には、神も超能力者もまだ発見されていないのだ)。

[7305] 実在するとはどういうことか? h21.5.9
知覚界にあることではない。つまり、概念や言葉の上にあることではない。
本の上にあることでもない。
実在するとは、五感界にあることである。つまり、対象の存在が観察または実験で確認されることである。
神も超能力者もまだ五感界で発見されていないから、神も超能力者も今のところは実在しない。
したがって、政府は神や超能力者に関する嘘をついてはいけない。
政府は、神や超能力者以外のことで上手に嘘をつかねばならない。
それができなければ、政府は潰れるしかない。
どうせ、議会制の民主主義で国民を誤魔化して生き残ろうとするだろう。
しかし、ひとたび政府が嘘をつく会社であることがばれてしまったら、よっぽど正直にしないかぎり潰されてしまうだろう。

[7306] 意味の違い h21.5.9
長い間神話の神が実在する全知全能の神として通用したのは、話し手の政府にとっては神が神話の上の架空の登場人物であるのに対し、聞き手の国民にとっては神が実在する全知全能の者として受け止められていたからである。
政府は、神の意味については一切触れずに、ただたんに神のお告げと言って国民に命令したので、国民はおとなしくその命令に従うしかなかったのである。[論理的に突っ込めば、必ずしも従う必要はないのだが。]
昔は、まだ学校も国語辞典もなかったので、神の意味について教えてくれるものが何もなかったので、国民は誰も神の意味の違いに気付かなかったのだ。

[7307] 神の資格試験 h21.5.10
神であるためには全知全能でなければならない。
つまり、神であるためには任意のことができねばならない。
ある者が神であるかないかを判定するためには、適当に100人呼んで来て、それぞれ好き勝手にその者に人間に実現不可能な願いを言って全部叶[かな]えられたらその者を神であることにする。例えば、神は過去の時代に行って歴史を変えることができねばならない。
神とは無限個の、人間に不可能なことができる者であり、100個の要件が叶えられただけでは神とはいえないが、科学は五感界では割り切れないことを知覚界で割り切ることだから、100個ぐらいでひとまずその者を神とするのに十分とする。
ただし、ときどき神に人間に不可能な任意のことをやらせてその者が神であるかどうかを実験して確かめることにする。ひとつでもできないこと(反例)があれば、その者を神とは呼ばないことにする。
形態と機能の関係から、全知全能の神が人間の形をしているとは考えにくいが、なにせ神は全知全能だから、その気になれば人間の形になれるので、神が人間の形をしていてもさほど不思議ではない。

[7308] 神制度と超能力者制度は別である。☆ h21.5.10
昔は、国民の大半が神がいると信じていた。
国民の大半が神に人間が従わなければならないと信じていた。
だから、政府が神制度をやれたのである。つまり、神に国民を従わせる形で、政府が嘘で国民を騙して儲けることができたのである。神話の神でも、同じ神と言うという理由で、神制度がやれたのである。[日本の場合、特にそれが顕著である。]
しかし、超能力者は神ではない。いくつかの特異なことができる超能力者は全知全能の神ではない。
ユリ=ゲラーの例でもわかるように、国民の大半にとって超能力者の実在性は半信半疑である。(知覚で割り切る人は、超能力者はいないと言うだろう。)
国民の大半にとって超能力者と人間は平等である。
だから、政府は超能力者制度をやれたのである。つまり、民主主義の政治の裏に隠れてやっているかやっていないかはっきりしない形で、しかも政府が超能力者と平等の立場で政府が超能力者を利用する形で、政府が国民を嘘で騙して儲けることができたのである。[超能力者と人間は平等だから、超能力者制度をやる政府も人間と平等である。]
最近、政府が神制度をやめたのは、国民の大半が神がいないと信じるようになったからである。(例外的に、一部の宗教では、今でも神がいると信じる者もいるが。)
それで、世界中の政府はこぞって神制度をやめて、いっせいに超能力者制度に変えたのである。
しかし、超能力者制度も、政府がいいかげんな論理でやっているいいかげんな制度である。[[7303] 『神は死んだ。』 h21.5.9の中ほどを参照。]つまり政府が嘘でやっている制度である。[超能力者制度はどうせ政府が嘘でやっている制度なので、超能力者は身近でちょっと変なことが起きた者なら誰でもいいので、それで夜中に突然頭の上でガラガラが回った私が選ばれたのである。]
政府は裏で超能力者制度をやっているのに、表では民主主義の政治をやっているふりをして国民を騙して国民から税金を取っている。
政府のやることは何から何まで嘘である。政府の名前が“正しいことを取り締まる会社”と言うのも嘘である。
今では国民の大半が政府が嘘で国民を騙して儲ける会社だと信じるようになったから、政府はもうおしまいだ。

[7309] 政府は国民の迷信を利用して儲ける会社である。 h21.5.10
昔は、国民の大半は神がいて、神に人間が従うものだと信じていた。
それで、政府のような神を使って儲ける会社が繁盛[はんじょう]したのである。
今は、国民の大半は神がいないと信じているが、超能力者の実在については半信半疑である。
それで、政府は建前の民主主義の政治の裏で、密[ひそ]かに超能力者を使って超能力者制度の政治をしているのである。政府は民主主義の政治をやらないために、超能力者制度の政治をやっているのである。政府は民主主義の政治で国民を幸福にして国民を賢くしないために、わざわざ超能力者制度の政治をして日本を『エロ・グロ・ナンセンス』な国にして国民を不愉快にして国民を頭の働かない馬鹿に変えて、建前の民主主義の政治で国民を騙して国民に税金を払わせているのである。政府は民主主義の政治をやっているふりをして、じつは超能力者制度を利用して独断で命令を作って国民に出しているのである。民主主義の政治をやらない政府が、国際政治をやるわけがない。政府は超能力者制度と税金を取る以外には、何もやっていないのだ。要するに、政府とは、国民から税金を取って遊んでいる会社である。
つまり、政府はその時代の国民の迷信を利用して儲けているのである。世の中には真実もあれば迷信(要するにまちがい)もある。政府は迷信を利用して、国民を騙して儲けていたのだ。
しかし、超能力者ブームもとっくの昔のことだし、今の国民は超能力者がいると信じていないし、科学的にははっきりと眼の前に超能力が使える者が現れないかぎり超能力者がいることにはならないから、今の国民の大半は超能力者がいないと信じていると言っていい。
だから、政府が超能力者制度をやることは不当である。
政府は神制度も超能力者制度も両方ともやれない。
しかも、今のところ国民を騙すのに利用できそうな“いい迷信”もない。
科学時代は、政府にとって酷[こく]である。世の中に迷信がいっぱいあった時代には政府のような迷信を利用する会社が繁盛したが、今は迷信がほとんどないので政府はやることがないのである。
この世で最後の迷信は、政府が民主主義の政治をやっている正しい会社だということである。
そのうち、政府が嘘つきの会社だという真実が広まり、国民の大半が政府が嘘をついて儲ける会社であると信じるようになれば、嘘つき会社の政府はなくなってしまうだろう。

[7310] 政府は民主主義の会社である。 h21.5.10
政府は昔から国民の迷信を利用して儲けてきた。神や超能力者がいるという迷信を利用して儲けてきた。
ところで、迷信とは公[おおやけ]に通用しているまちがいのことである。
だから、たしかに迷信はまちがいではあるけれども、とにかく政府は昔から国民に従う民主主義の会社だったのである。だからこそ、政府は成長して大きな会社になれたのである。
したがって、政府の嘘は必ず国民に受け入れられる性質のものでなければならない。
しかし、今では、神も超能力者もいないことが常識だし、政府が民主主義の正しい会社であるという嘘も国民に受け入れられなくなっている。
だから、政府は神制度も超能力者制度も民主主義の政治も全部やめねばならない。
今は科学の時代だから、迷信もない。
今は学校の時代だから、政府も国民も頭のよさは変わらない。
政府は何もやることがないから、なくなるしかない。

[7311] 政府は超能力者制度をやれるか? h21.5.11
政府が神制度をやれたのはわかる。
なぜなら、昔の国民が神がいると信じていて、神に人間が従わねばならないと信じていたからである。
たとえ、その思い込みがまちがっていても、昔の国民がそう考えていたと考えれば理解できる。
しかし、政府が超能力者制度をやれるのはわからない。
なぜなら、今の国民の大半は超能力者がいないと思っているし[ブームを過ぎているから]、ユリ=ゲラーの例を見てもわかるように、たとえ超能力者がいると思っていても超能力者に人間が従わねばならないとは少しも思わないからである。だから、まず超能力者に人間が従わねばならないことが成り立たないから、いくら伝言ゲームなどを使って“変換”したとしても、政府が超能力者の情報を混ぜた命令を出すことはできないはずである。
それなのに、政府が超能力者制度を使って超能力者(厳密には超能力者かもしれない者。つまり私)の情報を混ぜた命令を出しているのは、明らかに政府のまちがいである。[ユリ=ゲラーの情報を混ぜた命令を政府が出していないように、私の情報を混ぜた命令を政府が出すこともできないはずである。]
それに比べれば、政府が民主主義の政治をやっているという迷信を信じている国民が多いから、政府が建前で民主主義の政治をやって国民がそのお礼に政府に税金を払うことのほうがずっとよく理解できる。
したがって、政府が強引に超能力者制度をやっているところを見ると、政府は迷信を利用して儲ける会社ではなく、ただたんに嘘をつく会社であると言ったほうがいい。[[7309]の訂正。]つまり、超能力者に人間が従わねばならないというのは政府が独断で作った嘘であって、国民は誰もそんなことは思っていない。だから、政府が民主主義の会社であるというのもまちがいである。政府はときどき国民の意思に反することをやっている。[[7310]の訂正。]
したがって、厳密には、政府は嘘をつく会社であると考えねばならない。政府は昔は国民の迷信を利用して儲けていたが、最近は国民を無視して独断で嘘をつくようになったのである。昔の神制度は政府が国民といっしょになってやったが、今の超能力者制度は政府が国民には内緒[ないしょ]でひとりでやっているだけで、国民は政府の命令が民主主義の政治で作った命令だと勘違いして従っているのである。つまり、今や政府は政府自身で迷信を作り出すようになったのである。それは、政府が建前の民主主義の政治をやっていることからもわかる。つまり、今の政府は政府が民主主義の政治をやっているという迷信を政府自身で作り出しているのだ。民主主義の政治で成功したから、それを超能力者制度にも応用したのだろう。要するに、政府は嘘をつく会社なのである。政府は国民の迷信に便乗して嘘をついたり、自分自身で嘘を発明して嘘をついたりしているのだ。さらに、自分の嘘を守るために、国民の足を引っ張って国民を馬鹿に変えたりしているのだ。

[7312] 超能力者に人間が従わなくてもいい理由 h21.5.11
神に人間が従わなければならないのは、神は全知全能なので、神を怒らせると神に仕返しされるからである。昔の人は神がいると本気で信じていたので、政府に神のお告げと言われると、神に仕返しされるのを恐[おそ]れて、やむなくそれに従ったのである。そうして、人間が神に従うことが習慣になると、誰も神には逆らわなくなったのである。
一方、超能力者に人間が従わなくてもいいのは、超能力者にできることは限られた超能力だけなので、超能力者を怒らせても超能力者に仕返しされないからである。ユリ=ゲラーのスプーン曲げや私のガラガラを回転させる念動力(仮にあるとすれば)では、人間はスプーンやガラガラではないから、超能力者は人間には何も手出しができないので、恐[こわ]くも何ともないから、従わないのである。

[7313] 政府の2層構造 h21.5.11
政府は、実質的には私の超能力者制度をやっている。世界中の政府が、私の超能力者制度で世界を『エロ・グロ・ナンセンス』な不愉快な世界にしている。そうやって、国民を自分で考える力のない政府の言いなり馬鹿に変えている。
一方、政府は、テレビや新聞や社会科の教科書では、民主主義の政治をやっている。つまり、政府は民主主義の政治をやっているふりをしている。政府は下手な芸人を使って、民主主義の政治の芝居をさせている。政府はそれで国民を騙して、国民から政治代として税金を取っている。
つまり、政府は表の民主主義の政治と、裏の超能力者制度の政治の二つの政治をやっている。表の民主主義の政治は、裏の超能力者制度の政治の覆[おお]いにすぎず、民主主義の政治は機能していないのである。

政府が民主主義の政治をやらないかぎり、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
困った政府は、今後は二度と超能力者制度はやらないと言うかもしれない。
それなら、政府は超能力者制度をやめたという物的証拠を国民(特に私)に示さなければならない。
それができないかぎり、国民(特に私)は政府に税金を支払わなくてもいい。

[7314] 政府の今後はどうなるか? h21.5.11
政府が大きい会社に成長できたのは、この世に神がいて神に人間が従わねばならないという昔の国民の考えに従っていたからである。
それで、政府は世界を支配できたのである。
しかし、今の政府は、国民の考えに従っていない。
超能力者に人間が従わなくてもいいという考えと、政府が民主主義の政治をやるという考えの両方に従っていない。
したがって、政府は小さい会社に縮小せざるを得ない。政府は世界を支配できなくなるしかない。
それが、政府自身が選んだ道なのだ。どうやら、政府は自分で会社をやめたいらしい。
政府は今でも民主主義の政治をやっていないのだから、もともと政府なんて会社は要らないのである。
政府は神制度や超能力者制度を利用して『エロ・グロ・ナンセンス』な国にして国を乱しているから、むしろ政府がなくなったほうが国がうまく行くのだ。

[7315] 国語の授業は何のためにやっているのか? h21.5.12
政府の嘘の作り事を真に受ける者を増やすためにやっているのだ。
国語の授業は、国民が日本語を適切に使って自分の考えを話したり書いたりできるようになることが目的であって、他人の書いた作り話を読んで自分が作り話の言いなりになることが目的ではない。
だから、国語の授業では、おとぎ話や小説を読ませるだけではなく、もっと広く理数系の文章(例えば、矢野健太郎の文章)も読ませるべきである。

[7316] 真理に宣伝は要らない。 h21.5.12
新聞に大きく広告が出ているのは、売れない本だからである。
正しいことや知って得することが書いていないから売れないのである。
売れない本を売るためには、それだけ宣伝が必要である。
反対に、正しいことや知って得することには宣伝が要らないのである。

[7317] 今の政府は民主主義の政治をやっているか、それとも超能力者制度の政治をやっているか? h21.5.13
今の政府が民主主義の政治をやっていると仮定すると、いくつかの点で反例が見つかる。
例えば、私アニメや私マンガがある。私をネタにした変なオブジェが日本中にいっぱいある(例えば、アサヒビールの前にある金のウンコのオブジェ。金のウンコ←GOLDのUNKO←GODのNK←神のNobuoKawano←神の川野延夫←神の私)。など。
だから、今の政府は民主主義の政治をやっていないと考えられる。
一方、今の政府が超能力者制度の政治をやっていると仮定しても、反例はひとつも見つからない。
だから、今の政府は超能力者制度の政治をやっていると考えられる。
したがって、『今の政府は民主主義の政治をやっておらず、超能力者制度の政治をやっている』と知覚において割り切って考えられる。

[7318] 人間の条件 h21.5.13
生殖のための交尾は許されるが、
性欲のための交尾は許されない。
それは、動物にも劣る行為だ。

[7319] 眠れない玉ねぎ h21.5.13
最近近所のスーパーで売っている佐賀県産の玉ねぎは白くて光っている。
味はそこそこ美味しいが、食べると夜眠れなくなって苦しい思いをする。
政府が神武天皇の神制度を使って国民を不幸にするためにやっているのだ。

[7320] 小林多喜二[こばやしたきじ]リンチ殺害事件の真相について h21.5.13
まず、私は自分の眼で小林多喜二が殴られたり蹴ったりされるところを見ていない。
それに、政府は嘘をつく会社である。
だから、小林多喜二事件の真相は不明であると考えねばならない。
それに、小林多喜二のリンチが大袈裟[おおげさ]すぎる。
だから、嘘臭いと思わねばならない。
それに、なんかわざとらしい。
あとで小林多喜二をリンチにしなければならないほどのことなら、政府が最初から『蟹工船』を発行禁止にしたはずだ。
それに、小林多喜二の名前が“小さい囃子[はやし]を焚[た]く”ということだから、政府といっしょになって神武天皇の神制度をやっていた可能性が高い。
肝心の小林多喜二の死体の写真がない。
案外、小林多喜二と特高警察が国民を騙せたことをいっしょにほくそ笑みながら、仲良く酌[しゃく]を交わしていたのかもしれない。[『スタートレック(宇宙大作戦)』第16話「宇宙軍法会議」のベンジャミン・フィニー少佐のように、死んだはずの被害者がじつは生きていたと言う話はよくあることである。特に神制度ではよく使われた手であったようだ。]

[7321] 私アニメや私マンガがいけない理由 h21.5.14
日本や世界で作っているアニメやマンガやテレビ番組や映画などが、全部私のことや私の知人(家族や親戚や友人など)のことを言っていることがわかれば、アニメやマンガやテレビ番組や映画を見た人が、自分勝手に元ネタ(実際にあったこと)を想像して、私や私の知人に八つ当たりするかもしれない。
だから、日本や世界で作っているアニメやマンガやテレビ番組や映画などが、誰のことを言っているのかが明らかになった時点で全部いけないことになる。
私や私の知人が未来永劫みんなの欲求不満のはけ口に使われるのは、想像しただけで不愉快である。

[7322] 国民は政府に逆らうしかない。 h21.5.14
政府は私の超能力者制度をやって、日本や世界に『エロ・グロ・ナンセンス』な文化を流行らせて、人間社会を病的にしている。
私の超能力者制度で得をするのは、実質的には政府だけだ。
国民にとっては、いいことは何にもない。
明治維新に入って神武天皇の神制度が始めると、古事記の神武天皇の話と気風が合わないという理由で、あだ討ちのお家騒動以外は禁止されたそうだ。それまでにあった大衆娯楽はほとんど全部禁止された。
今でも、私の超能力者制度によって年々文化に対する規制が強まっている。
それでは、娯楽が減る。[それは、今のテレビ番組やマンガやスポーツを見ればわかる。昔の日本がアメリカに支配されていた頃に比べると、今のほうが面白くない。]
何にもいいことがない。
国民は政府に税金を取られて馬鹿に変えられるだけだ。
それなら、国民は政府に逆らうしかない。

[7323] 政府の悪あがき h21.5.14
最近、神が死んだのはめでたいことだ。
そこで、政府は、新たに@超能力者がいることにして、A人類が超能力者に従わねばならないことにしている。
しかし、それは、国民の誰も認めていないことである。国民はまだ自分の眼で超能力者を見たことがないし、超能力者に人間が従わねばならないとも思っていない。つまり、国民にとっては、超能力者はいないし、たとえ超能力者がいたとしても自分が超能力者に従わねばならないとはまったく思っていない。
政府がこれから国民を徐々に洗脳して、それらを真実にしようとしている。政府はまちがいを無理やり国民に押し付けようとしている。
政府の悪あがきだ。
真実は人間が作るものではなく、実在によって客観的に決まるものである。
政府は科学のいろはもわかっていない。
政府は落ちこぼれだ。
政府の方法は古臭くて時代遅れだ。原始時代から一歩も進歩していない。
政府が今の態度を変えなければ、国民は政府を無視して勝手に自分達にとって住みやすい国を作っていくだけだ。国民は政府を国から追い出すだけだ。

[7324] 昔は神様がいた。[[7324]と[7325]の冒頭は後で重要になる。h21.5.23] h21.5.14
私が小学1〜2年生の頃は、まだこの世に神様がいるとなんとなく思っていた。友達から神様の罰[ばち]が当たるといわれると、あとで本当によくないことが自分の身に起こると思っていた。
しかし、齢を重ねて世間を知るにつれて、そんな思いはだんだんと失われていった。
人間は、生まれた時は裸の原始時代と同然の姿で生まれてきて、大人になると一通りの教養を身に付けた現代人になる。
人間は本能的に神様を信じているもののようだ。
人間の後天的な知識が人間の本能を倒したから神がいなくなったのだ。
一方、超能力者は人間の本能の中にはないから、まず眼から入らなければならない。つまり、実際に自分の眼で超能力者を見ないかぎり、人間は超能力者の存在を信じないのだ。
そこが、神と超能力者の違いである。
政府はそこのところを考慮に入れて、超能力者制度をやめねばならない。

[7325] 神はいるか? h21.5.16
私の子供の頃のイメージでは、神は人間の形をしている者ではなく、空気のように透明な者だった。
神はいつも人間を空から見ていて、悪いことをする人間を見つけては罰してくれる者だった。[それなら、政府の者はみんな神に罰せられて、とっくの昔に政府が滅んでいるはずだ。だから、神はいないのである。]
だから、神すなわち全知全能の者をみんなの眼の前に持ってくることはできないだろう。
したがって、神がいることを証明するには、神本人ではなく“神がやったこと”を示さなければならない。
今のところは、“神がやったこと”はまだ発見されていないから、それで神がいないと考えられているのである。
つまり、ニュートンの万有引力が神の代わりになったと考えればいい。
それと同じように、超能力者についても、超能力者本人をみんなの眼の前に持ってきて超能力者を使うところを見せてもらえるなら、そうしてもらったほうが証拠がはっきりしていいが、持ってこられない場合には、せめて“超能力でやった”という明らかな証拠がなければならない。例えば、私の赤ちゃんの頃に私の上に吊ってあったガラガラが夜中に突然回ったことについては、私の“超能力でやった”という証拠が何にもない。私がこの前(今年の二月上旬)母に詳しく聞いたところでは、ガラガラが回った時ガラガラは昼間と同じ回転速度で音楽が鳴りながら回っていたというから、ガラガラの故障のせいで回った可能性が高い。
今までに誰かの“超能力でやったこと”はまだ発見されていないから、それで超能力者はいないと考えられているのである。

[7326] 世界大戦はどうして起きたか? h21.5.16
最近『魔法のプリンセスミンキーモモ(初代)』を見て考えたことだが、第1次・第2次世界大戦が起きたのは、20世紀初頭に『神が死んだ』からである。
『神が死んだ』から、政府はこの世界そのものが要らないと考えて、世界大戦を起こしたのである。[つまり、第1次・第2次世界大戦は、神の葬式のためにやった戦争である。秦の始皇帝が死んだ時に大勢の殉死者[じゅんししゃ]がいたように、神が死んだ時にも神の殉死者として大勢の戦死者を出したのだ。]
政府は神を殺した国民が許せなかったので、戦争を起こして国民を殺してやろうと思ったのである。
戦後、政府はしばらくの間は民主主義の政治をしていたが、そのうち政府は超能力者を新しく作り出して超能力者制度の政治をやるようになってきた。政府が新しく“超能力者を誕生させた”のである。戦後は完全に神が死んでしまったので、政府は神制度の政治がやれなくなったから、政府が嘘をついて超能力者をでっち上げて超能力者制度の政治をやろうとしたのである。
しかし、今の国民の大半は超能力者の実在を信じていないし、超能力者に人間が従わねばならないと思っている者はひとりもいない。だから、今の政府の超能力者制度は昔の神制度のようにはうまく行かない。政府が“超能力者を誕生させる”のは無理である。まして、超能力者制度の政治をやるのは無理である。『神が死んだ』から、政府もおとなしく神といっしょに滅ぶしかないのだ。

[7327] 政府はなぜ民主主義の政治をやるようになったか? h21.5.16
昔は国民は神がいると信じて神に人間が従わねばならないと信じていたから、政府は神の命令だと言えば国民にどんな命令でも出すことができた。
しかし、近代科学ができて神がいなくなってきて、政府があからさまに神制度をやるわけには行かなくなった。
そこで政府は人目を忍んで裏では神制度をやりつつ、人目に付く表では民主主義の政治をやらねばならなくなったのである。
しかし、民主主義の政治も、もとをただせば政府が偉いと思っているからできた政治であって、もともと政府が民主主義の政治なんかやる必要はないのである。民主主義の政治をやりたければ、国民の勝手にさせればいいだけであって、政府なんか要らない。世界中でいろんな政治学者が屁理屈をこねて、なんとかかんとか政治すなわち政府が国民を支配する体制を維持してきたのだ。民主主義の政治といっても、実際には政府主義の政治なのはそのためである。そもそも聖徳太子のように1人が10人の意見を聞くなど無理だ。だから、少数の議員で大勢の国民を動かす民主主義の政治なんかやれないのだ。
つまり、政府は最初から国民の眼を誤魔化して税金を取るための言い訳にするために民主主義の政治をやっていたにすぎないのだ。政府はもともと民主主義の政治なんかやるつもりはないから、民主主義の政治の理論は紙に書いてあるだけで、実際には政府は民主主義の政治をやらずに神制度や超能力者制度の政治ばかりやっていたのである。
しかし、戦後は、さすがの政府も完全に神制度の政治をやめてしまった。それに、政府も偉くなくなってしまったから、民主主義の政治もやれなくなった。国民にとって政府は完全に要らなくなってしまったのだ。だから、新しく国民の人権を保障する会社を建てるしかない。

[7328] 神はいない。☆ h21.5.16
神がいないことを自然科学が明らかにした。今では、自然現象の原因を神に求める科学者はひとりもいない。
これまでいないはずの神がいたのは、神が人間が生まれつき持っている概念(先天知)だからである。人間が生まれつき心を持っているように、人間は生まれつき知覚にいくつかの先天的な認識を持っているのである。例えば、人間は生まれつき神に従わねばならないと思っているのである。
政府は人間が生まれつき持っている神の概念を利用して、それに嘘を付け加えて、国民を騙して国民から税金を取って儲けることができたのだ。
しかし、今は神がいると信じる者がいないから、政府は儲からなくなった。
それで、仕方がなくなって、私の超能力者制度を始めたのだ。
しかし、今日日[きょうび]は超能力者を信じる馬鹿などいないから、それもうまく行かなかった。
今の政府は私の超能力者制度で命令を作って国民に命令を出している。政府は神を自分の嘘で作り出せたから、同じように超能力者を嘘で作り出せると思っている。しかし、それは政府の誤解である。神は生まれつき人の頭の中にいるものであって、政府が嘘で作り出したものではない。
無から有を作り出すことは政府にはできない。政府ができることは、ただすでに有るものに嘘を付け加えて少し曲げることだけである。

超能力者の概念は人間が生まれつき持っていないから、今の超能力者制度は政府が独[ひと]りでやっているだけである。政府が独り国の中で馬鹿をやっているだけである。
政府は今や人類の恥さらしである。だから、政府はなくなったほうがいい。

[7329] 『天は人の上に人を作らず。』 h21.5.16
『天は人の上に人を作らず。』は、日本人なら誰でも知っている福沢諭吉[ふくざわゆきち]の有名な言葉である。福沢諭吉は、日本の1万円札の人である。
しかし、ここでの天とは自然のことである。つまり、『天は人の上に人を作らず。』とは、自然は人の上に人を作らなかったと言っているのである。
つまり、人の上に神を作らずとは言っていない。福沢諭吉は、神の問題を巧妙に避けているのだ。
あるいは、天とは天皇のことであり、『天は人の上に人を作らず。』とは、天皇は天皇以外のすべての人間を平等にすると決めたと言っているのだ。つまり、徳川時代には士>農>工>商>穢多[えた]>非人[ひにん]の階級制度があり人間は平等ではなかったが、明治になって天皇以外の人間をみな平等としたということである。つまり、福沢諭吉は政府の神武天皇の神制度を支持していたのである。だから、大[たい]した思想家でもないのに出世できたのである。

[7330] 『吾輩は猫である』 h21.5.16
『吾輩は猫である』は、夏目漱石の有名な文学である。しかし、私はまだ読んだことがない。冒頭しか知らない。[『こゝろ』は学生時代に読んだことがある。]夏目漱石は、少し前の日本の千円札の人である。[今の日本の千円札が野口英世[のぐちひでよ]なのは、政府が医者を低く置くからである。野口英世が出世したのは、火傷で左手が“丸かった”からである。]
ここでの猫とは、天皇のことである。猫は丸っこい動物だから、丸が神武天皇の光の玉の喩えなので、猫は神武天皇になるのである。
『吾輩は猫である』に登場する猫が人を上から見ているのは、天皇が人間よりも上であることの喩えである。
夏目漱石が大した文学者でもないのに出世できたのは、漱石が政府の神制度を支持したからである。晩年の漱石が「則天去私」[そくてんきょし]を唱えたのも、漱石が天皇制を支持したからである。漱石は、『浦島太郎』のおとぎ話をそのままにしたような男である。
夏目漱石がイギリスに留学したのは、漱石が神制度をやると決めたからである。当時は世界的に神制度をやっていたので、外国に行くことは神制度をやることを意味していたのである。反対に、外国に行かないことすなわち鎖国をすることは神制度をやらないことを意味していた。
明治から昭和の文学者が神武天皇の光の玉をモチーフにしたのは、漱石の二匹目のドジョウを狙[ねら]ったからである。つまり、文学者は貧乏暮らしなので、みんな漱石のように政府にゴマをすって出世して楽をしたかったのである。最近の文学者が私をモチーフにするのも、同じ動機である。
夏目漱石が出世して松山から東京に引越ししたように、東京に住んでいる者はみんな政府の神制度や超能力者制度を支持する者である。東京の連中はみな気が狂っている。

[7331] 五千円札の男 h21.5.16
ちょっと前まで日本の五千円札には、新渡戸稲造[にとべいなぞう]が載っていた。
新渡戸稲造は有名ではないが、何となく雰囲気が私に似ているので、お札に出たのである。
今の五千円札は、『たけくらべ』を書いた樋口一葉[ひぐちいちよう]だが、政府の男女平等政策を表したものである。
五千円札は千円札や一万円札に比べるとマイナーな存在である。

[7332] 中国は超能力者制度をやっているか? h21.5.16
中国には神制度はない。中国は古くから外国文化に対して排他的であったので、外国がやっている神制度を受け入れて、やろうとしなかったのである。
しかし、超能力者と神は別者である。神制度における聖典の役割りは、人間が生まれつき知覚に持っている神についての認識を修飾するものであって、超能力者は神の概念や聖典とは無関係に決まるものである。つまり、神制度と超能力者制度とはまったく別のものである。
だから、中国が神制度をやらないからといって、超能力者制度をやらないとは限らない。
しかし、中国が揚子江にかかるダム(三峡ダム)を作ったことから、私が小さい頃近所の農業用水路の堰[せき]で遊んでいて用水路の向こう側に飛び移ろうとして足を滑らして水が流れていない用水路にこけて頭の後ろと背中を打ちつけたことがあるし、ダムは川を堰[せ]き止める物だし、三峡は3本線の川野を狭[せば]めるという意味だから、原則的には中国は超能力者制度をやっていないと考えられる。日本の江戸時代の徳川幕府が鍵屋や玉屋に花火を上げさせり、左甚五郎に眠り猫の彫刻を作らせたのと同じ理屈だ。[鍵屋の鍵は仁徳天皇陵[にんとくてんのうりょう]を鍵穴に見立てて仁徳天皇陵に鍵を鎖[さ]して閉じる物の意味であり、幕府(政府に幕を下ろした者)と同じく政府を終わらせた者の意味である。玉屋の玉は、神武天皇の光の玉のことだから政府の喩えである。眠り猫の猫は丸っこい動物だから神武天皇の光の玉のことで政府の喩えだから、眠り猫とは政府を眠らせた幕府のことである。それはそうと、私の故郷の高知では鏡川が掘り返されたり堤[つつみ]がコンクリートで固められたりしてすっかり昔の自然の景観を失っている。私が小学生の頃は、家族みんなで自転車に乗って川原でお弁当を食べに行ったりしたものだ。鏡川がコンクリートで固められたのは、日本政府が不自然な人工の(つまり嘘の作り事の)しかも住民にとっては面白くない私の超能力者制度をやることを高知市のみんなにアピールするためだと考えられる。川を掘り返して水の流れをよくしたのは、日本政府が私(川野)の超能力者制度をますます盛んにやって行くという意味だ。]

[7333] 神制度の弱点 h21.5.17
神制度は、人間が生まれつき持っている神についての先天知を利用するので、世界中に学校ができて科学すなわち後天知を教えるようになると先天知が活かせなくなるので神制度が滅びることになる。
宗教は神についての知識の体系だが、それらの知識はすべて人間の先天知である神の概念と神に人間は従わねばならないという神と人間の関係に基づくものである。
つまり、宗教すなわち先天知の敵は科学すなわち後天知なのである。
人間の先天知は実在についての知ったかぶりにすぎない。だから、人間の先天知は後天知に破れたのである。
科学ができる前は、人間は自分の経験を活かす方法を持たなかったのである。
科学なんて、何のことはない。自分が眼で見たことについて自分の頭で考えればいいだけのことだ。自分の頭で考えたことを字にしていれば、自然に細かく論理的に考えるようになる。それを毎日続けていれば、頭(知覚)がよくなるだけのことである。

[7334] 超能力者制度の弱点 h21.5.17
超能力者は神とは無関係である。
神は人間が生まれつき持っている先天的概念であるのに対し、超能力者は人間が眼で見てはじめて知った後天的概念だからである。
もっとも、それはマンガによってだが。つまり、人間はまずマンガで超能力者を知るのである。
一方、実在の超能力者は人類は誰もまだ見たことがないから、実在する超能力者がいるとはまだ誰も思っていない。
学校でも実在する超能力者については教えていないから、子供も超能力者がいるとは思っていない。
超能力者は眼から入る概念なので、まず実在する超能力者が現れなければならない。
今のところは、まだ実在する超能力者が現れていないから、超能力者制度は始められないのだ。
今の政府が私の超能力者制度をやっているのは、政府がせっかちだからである。政府はもっとはっきりした超能力者が現れるまで待たねばならない。
それに、超能力者と人間の関係も後天的に決まるから、神と人間の先天的関係と同じようなわけにはいけない。つまり、人間は生まれつき神に人間が従わねばならないものと思っていたから、科学知識すなわち後天知を教えていない昔には、政府が神の命令だと言えば国民は何でもそれに従ったが、人間は生まれつき超能力者に人間が従わねばならないとは思っていないから、政府が超能力者の命令と言っても国民は誰もそれに従おうとしない。
実際に、ユリ=ゲラーの例では、人間は超能力者のユリ=ゲラーに誰一人として従おうとしなかった。
だから、超能力者と人間の関係は後天的に決めなければならない。例えば、ユリ=ゲラーは超能力者だったが、他の芸人と同じようにテレビ番組に出演して超能力をみんなに見せてそのギャラで食べていたから、超能力者も人間と変わらないと考えられる。もしも自分にユリ=ゲラーや私程度の超能力があったとして、それで食べていくことを考えたら、テレビのオカルト番組に出演して食べていくしかないとわかるだろう。だから、超能力者と人間は平等なのだ。

[7335] 神と超能力者の違い h21.5.17
神は人間が生まれつき持っている先天的概念である。
一方、超能力者は眼から入って得られる後天的概念である。
つまり、神は概念のほうが物よりも先にある。
一方、超能力者は物のほうが概念よりも先にある。
つまり、これまで政府がキリストや釈迦やモハメットや神武天皇を神としたのは、概念の具体例にすぎないのである。キリストや釈迦やモハメットや神武天皇は人間が生まれつき持っている神の概念に当てはまるので、神とされたのである。
つまり、ある者が神であるための条件は、@人間にはできない超能力が使えること、A人間が従わねばならない者であることである。おまけとしては、B悪い者を罰する者である。
おとぎ話のキリストの場合には、おとぎ話(聖書)のキリストは人間が生まれつき持っている神の概念を満足したので、大勢の者が神だと認めた。
ところが、私の場合には、せいぜい赤ちゃんのときにガラガラが回せただけだし、ほかに特記すべきことはない。私には人間が従わねばならない雰囲気もないし、悪い者を罰することもない。
それなら、もはや神とは言えない。私はせいぜい超能力者の一人にすぎない。
日本政府がまちがったのは、私がひとつの超能力が使えただけで私を神としたことである。
神であるためには、超能力が使えるだけではなく、その他のいくつかの条件も満足しなければならないのだ。
一つか二つの超能力が使えただけでは、超能力者であって、神ではない。

もっとも、『神が死んだ』今となっては、そもそも神である条件もへったくれもない。つまり、『神が死んだ』とは、人間の先天知が後天知に負けたことである。先天知の体系が宗教であり、後天知の体系が科学である。
つまり、現代では、せいぜいいても超能力者までしかないということだ。
超能力者は後天的な概念だから、眼から入るしかない。だから、超能力者は、他の自然科学の対象と同じだ。つまり、具体的な超能力者が発見されてから、超能力者の概念の定義とか、超能力者と人間の関係などについて考えればいいことだ。幸い今のところは、科学が問題としなければならないほどの、はっきりした超能力者は見つかっていないから、それらの問題については考える必要がないということだ。科学は超能力者以外のことについて考えればいいのである。

[7336] 神と超能力者の関係 h21.5.17
神と超能力者の関係をベン図で描けば、

のようになる。
つまり、超能力者⊃神であり、かつ超能力者≠神である。

[7337] キリスト教の方法 h21.5.17
まず、人間が生まれつき持っている先天知の神に当てはまる具体的なイメージを言葉で描き出す。
それが聖書である。キリストは大勢の人間が神と認めた者である。
つぎに、聖書の記述に当てはまる具体的な事業を企画して国民に命令して実行させる。
それが、政府(教会)の仕事である。
昔は科学がなかったので、人間にとっては先天知が知識のすべてであった。
だから、昔の人間は先天知の世界観に従って生きてきたのである。


[7338] 神はどこにいるか? h21.5.17
神は、人間の生まれつきの知識(先天知)の中にいる。
言葉の上では、神に当てはまる人物はいるが、
実在の上には、まだ神に当てはまる人物は現れていない。
だから、神は実在しないのだ。
キリストも釈迦もモハメットも神武天皇も言葉の人物であって、実在の人物ではない。
つまり、神は昔から人間の頭の中だけにしかいなかったのである。[イマニュエル=カントも、神は人間の知覚界の中だけにいると言っている。]

[7339] 民間企業と政府の違い h21.5.17
民間企業は後天知で経営している。
政府は先天知で経営している。
現代は、先天知よりも後天知の時代である。
だから、民間企業は栄えて、政府は廃[すた]れる。

[7340] 政府はどうして民主主義の政治をやっているか? h21.5.17
民主主義の政治は、政府が自分の権威を強めるためにやっているだけである。
議員を国民の投票で選ぶのは、議員をいかにも立派な人だと思わせるための演出にすぎない。
実際には、ただのおっさんにすぎない。
どうせ、政府は神制度や超能力者制度をやるしか能がなく、議会の議員は国民の眼を欺[あざむ]くための置き物にすぎないから、立派でもなんでもない。
これまでの神制度にしたって、政府が自分の都合のいいように変な神を決めるだけだし、そのうえ聖典の解釈もでたらめばっかりだ。
最近始めた超能力者制度についても、まず政府が超能力者でない者を超能力者にしているし、超能力者に人間が従わなくていいことを超能力者に人間が従わねばならないことにしているし、嘘の超能力者に伝言ゲームなどをさせることによって「超能力者に人間が従わねばならない」ことを「政府が嘘の超能力者の情報を混ぜた命令を出す」ことに変換できないのに変換できることにしている。
今の民主主義の政治も、政府はやっているふりをしてじつはやっていない。政府は裏で私の超能力者制度ばかりやっている。
政府は昔の先天知の時代にも今の後天知の時代にも嘘をつくことしか能がないのだ。
最近の政府は、国民を騙[だま]せない嘘しかつくことができない。
だから、政府はもう終わりだ。

[7341] 神武天皇は神か? h21.5.18
私の小学1〜2年生頃の神のイメージは、神は空気のように無色透明で空の上から世の中を見下ろして悪者を見つけては罰してくれる者だった。
ところが、神武天皇は身体は人間と同じだから空気のように無色透明ではないし、空の上にもいない。悪者を見つけて罰することは少しはあったかもしれないが。
だから、神武天皇は私にとっては神ではない。神武天皇を神だと思わない日本人は大勢いるはずだ。
したがって、日本政府が神武天皇を神としたのは、日本政府の嘘の作り話である。
それに、そもそも神武天皇は神話上の人物であって、実在の人物ではない。だから、日本政府が生きている人間の天皇を置いて神武天皇を実在の人物であるかのように思わせたのも嘘である。
日本政府は今も昔も嘘つきだ。
昔の人間は頭が弱かったから、日本政府の嘘にまんまと騙されて利用されていたのだ。おそらく、日本政府が神武天皇を神だと言っただけで、自分も神武天皇を神だと思ったのだろう。昔の国民は自分で考えることができない、政府の言いなり馬鹿だったのである。
政府は、今でも嘘で民主主義の政治をしているふりをして、じつは裏で私の超能力者制度をやっている。今の国民も眼先馬鹿なので、政府がやっている民主主義の政治の芝居に騙されている。政府におとなしく税金を支払う奴[やつ]は、自分で考えることがない馬鹿だ。
嘘をつくことしか能がない政府なんか要らない。おそらく政府は正直に仕事をしたことなんか創設以来一度もないのだろう。
しかも、今の政府は国民にすぐ嘘だとばれる下手糞な嘘しかつけない。あれでも嘘をついているつもりなのだろうか?

[7342] どうして神がいるのか? h21.5.18
人間の先天知に神がいるのは、人間が神に罰せられるのを恐れて悪いことをしないからである。つまり、人間がよい子になるために、生まれつき人間の知覚には神がいるのである。[キリストや釈迦やモハメットや神武天皇などは悪い人間を罰することはないから、政府がキリストや釈迦やモハメットや神武天皇などを神としたのは、たんなる政府の嘘である。]
自然選択によって、先天知に神がいる人間のほうが高い確率で生き残ったので、それで人間の先天知には神がいるのである。
しかし、近代科学ができて、人間は後天知を信じるようになり先天知を信じなくなった。それで、神もいなくなった。
人間が楽しい思いをしたり苦しい思いをしたりするのは、自分の心が決めることである。今や、人間にとっては自分の心が神なのだ。

[7343] 超能力者に人間が従わねばならないだろうか? h21.5.18
仮に超能力者がいたとする。[いわば、私は“超能力者(仮)”といったところか。]
超能力者は、人間の突然変異(ミュータント)である。
超能力者が人間よりも優れているかどうかは自然が決めることである。
突然変異が元[もと]の種よりも優れているかどうかはわからないから、超能力者と人間は平等に生きていけばいい。
もしも、超能力者が人間よりも優れていれば、今の人類が猿を支配しているように、遠い将来超能力者が人間を支配するようになるだろう。しかし、それは何万年も何百万年も先のことなので、その頃には今の人間はみんな死んでいなくなっているから、焦[あせ]ってバタバタしなくてもいい。
最初の頃の人類が大脳が小さくて猿とあまり違わなかったように、最初の頃の超能力者も超能力器官が小さくて人類とあまり違わないから、いちいち超能力者を人類と区別しなくてもいい。人類の大脳が発達して原子爆弾を作れるようになったように、超能力者の超能力器官が発達して世界中の人間の意思を操ることができるようになれば、超能力者を危険視しなければならないが、ユリ=ゲラーや私程度の超能力ならあってもなくても変わらないから放って置いてもかまわない。

[7344] 神と超能力者の違い h21.5.18
神は人間の先天知にある。
超能力者は人間の後天知にある。
政府は、言葉で神を作って、それが人間の先天知にある神の概念に当てはまるとした。
政府は、また、私を超能力者として、それが後天的な超能力者の概念に当てはまるとした。
どちらも政府がでっち上げた嘘である。
二本足で立って歩いてウンコをする神話の神は私の神の概念には当てはまらないし、
夜中に突然昼間と同じ回転速度で音楽を鳴らしながら約1分間回ったガラガラの下にいた私は超能力者の概念には当てはまらない。[超能力者の概念に当てはまるためには、せめてユリ=ゲラーのように超能力の再現性と公開性がなければならない。]
それに、先天知では人間は神に従うが、後天知ではユリ=ゲラーの例のように人間と超能力者は平等であって人間は超能力者には従わない。
政府の神制度も超能力者制度も両方とも嘘だ。
だから、国民は政府に従わないのが正解だ。
国民がまともになれば、政府も嘘をつかなくなるはずだ。

[7345] 嘘 h21.5.19
嘘は騙[だま]せてこそ嘘だ。
騙せない嘘はまちがいにすぎない。
国民は政府の嘘には従っても、
政府のまちがいには従わない。

[7346] 超能力者は神ではない。 h21.5.19
私が小学1〜2年生頃のイメージでは、神は空気のように透明で空の上にいて悪い人間を見つけて罰してくれる者だった。
だから、人間は神ではない。人間は透明ではなく、空の上にもいないから神ではない。
たとえ超能力者が現れても、人間の姿形をして地上にいるかぎり神ではない。
超能力者はあくまでも超能力者であって、神ではない。
例えば、ユリ=ゲラーも私もせいぜい超能力者であって神ではない。

[7347] どうして神武天皇が神なのか? h21.5.19
自然科学では、言葉と実在の対応が厳格である。実験と観察で緊密に結びついている。
しかし、神学では、言葉と概念の対応が曖昧である。神は先天知の中にある概念なので、神の概念も人それぞれで違う。プラトン哲学のように先天知を人間が“直観”で実在を見た世界だと考えれば、神は実在し、その神を各人が直観で見ていることになる。神は実験も観察もできない対象だから、かなりの程度人間が自分勝手に神の具体像を決めることができる。政府は自分が知っている神のほうが国民が知っている神よりも正しい神だと嘘をついて国民を騙してきたのだ。だから、キリストでも釈迦でもモハメットでも神武天皇でも神として通用したのである。昔は政府が国民よりも頭がよかったので、国民は政府に[手出しはできても]口出しはできなかったのである。[今の子供が学校や大学の勉強で潰される時間を昔の子供は全部遊びにつぎ込んでいたのだ。だから、昔の人が馬鹿だったのも頷[うなづ]ける。]
それに、今度の超能力者の件でもわかったように、政府は夜中に突然ガラガラが回ったというだけの根拠で超能力者だとしているから、政府の神の決め方も、ほんのちょっと神っぽければいいだけである。神武天皇が神であるためには、政府が神武天皇を人間よりも上の者だとすればいいだけのことである。神と人間の関係の本質は、神が人間よりも上の者であり、人間が神に従うことなので、その関係を満足させればいいだけである。
神が人間の姿形[すがたかたち]をしているのは、昔の人は人間が神に似ていると考えていたからである。神が自分の姿形に似せて人間を作ったと考えたからである。それは、ヨーロッパでも中東でも日本でも変わらない。例えば、日本人は神武天皇によって作られたので、日本人は神武天皇に似ているのである。神武天皇が地面を2本足で歩いていたから、日本人も地面を2本足で歩くのである。
できれば、政府がいい神を決めてくれればありがたかったのだが、どこの国の政府も自分の都合のいい神しか決めてくれなかったのである。古代には、政府が好き勝手な神のお告げを国民に出して国民をさんざん苦しめた。そこで、中世以降は国民が政府に文書で神の具体像を決めさせたが、それでも政府は文書を自分の都合のいいように曲解して国民から財産を取って儲けてきた。
それを怒った国民は、最後には科学で神を殺してしまった。それで、政府は困り果てて、超能力者制度を始めたが、超能力者は人間なので、実験も観察もできるので、神のように政府の好き勝手に決めることができない。例えば、私の場合、母親の観察によれば、夜中に突然ガラガラが回った時、ガラガラは昼間と同じ回転速度で音楽を鳴らしながら1分間ぐらい回ったそうなので、ガラガラが回った原因は私の超能力よりもガラガラの故障だと考えられる。いくら政府でも、超能力者でない者を超能力者にすることはできない。しかも、人間は本能的に超能力者を人間と同等の者にしか見ないので、政府は超能力者を人間を支配するための道具として使うことはできない。超能力者は人間なので自然科学(医学)の対象だから、政府の縄張りではない。政府には、超能力者に人間が従わねばならないことを証明することはできない。超能力者は政府が扱う対象ではない。政府が扱うのは神のように人間の先天知にあることだけであるが、近代以降は先天知を使うことが減ってきているので、最近は政府も仕事がなくて困っている。イソップ童話の『アリとキリギリス』のように、政府は昔から先天知で楽をしてきたから、科学の時代になると、食べて行けなくなって死ぬしかないのだ。

[7348] 神とは何か? h21.5.19
神とは人間の知覚に生まれつき与えられている『先天的なプログラム』である。
昔の人は、人間が他の動物と同じように生まれつき実在に適応して生きるためのプログラムを持って生まれてくるものと考えていたので、そのプログラムを神と呼んで、それを詳しく研究すれば人間は実在に適応してよりよく生きられると考えたのである。
そして、国民はその『先天的プログラム』の研究を、頭のいい政府の者に一任[いちにん]したのである。
昔の国民は政府を信頼していたから、政府の面白くない命令におとなしく従ってきたのである。
しかし、近代科学ができて、政府がこれまでいない神をいると言ってインチキをしていることが発覚した。
だから、国民は政府を信頼しなくなったのである。
しかし、今は科学の時代で、人間は先天的なプログラムを当てにせずに、後天的な経験を活かして自分で新しいプログラムを作り出してそれに従って生きて行こうとしている。政府の任務は終わったのだ。
政府がこのたび私の母の話をいいかげんに聞いて私を超能力者としたことによって、政府が頭がいいというのも迷信であることが判明した。政府に国民を管理する資格はない。政府はクビだ。
これまで政府が神制度や超能力者制度の政治をやってきたのは、政府の頭が悪いから民主主義の政治がやれなくて簡単な神制度や超能力者制度の政治しかできなかったからだと考えられる。

[7349] 宗教は繋[つな]ぎ h21.5.19
宗教とは、人間に生まれつき与えられた先天知を知ることによって実在に適応する方法である。
人間の先天知には神がいるから、宗教の世界には神がいるのである。キリストとか神武天皇というのは、神につけた名前である。
人間の先天知では神は人間と同じ姿形をしているから、宗教の世界では神は人間と同じ姿形をしているのである。人間の先天知では神は空の上にいるから、宗教の世界では神に羽がついているのだ。[皇居が高いところにあるのも、そのためである。]
人間の先天知では人間が神に従わなければならないから、宗教の世界では人間が神に従わなければならないのである。人間の先天知にはいろんな教えがあるから、宗教の世界では神が人間にいろんな教えを説くのである。
つまり、人間の先天知を論理的に整理して体系化して述べたのが聖書や古事記なのである。
宗教もある程度は正しいから、政府は科学ができる前は、国を治めるのに宗教の知識を使っていたのである。
しかし、近代になって人類は自分が眼で見たことについて考えることによって新しい概念を作り出す科学的認識の方法を発明した。科学的認識の方法によって得られた後天知は宗教の先天知よりも正しかったので、もはや宗教は要らなくなった。
つまり、宗教は近代科学ができるまでの一時的な繋[つな]ぎだったのである。
今の時代は、科学があるから宗教は要らない。
だから、今の政府は宗教の代わりに科学を用いるべきである。
ところで、神は宗教的概念だが、超能力者は科学的概念である。
したがって、超能力者であるかないかの判定も科学的方法によらねばならない。
政府が昔の宗教のような内観的なやり方で超能力者を決めてはならないのである。
政府が超能力者が何であるかがわかっていないところを見ると、神が何であるかもわかっていなかったのだろう。つまり、政府は科学も宗教も両方ともわかっていないのだ。政府は超能力者と神の区別もつかないほどの馬鹿なのだ。

[7350] 政府は潰れるしかない。 h21.5.20
政府がまちがいでやったにせよ嘘でやったにせよ、超能力者制度をやったことはいけないことである。
おそらく政府は民主主義の政治をもとからやっていなかったのだろう。
それで政府は退屈でしょうがなかったので、私の超能力者制度に飛びついて喜んでやったのだ。[政府が民主主義の仕事で忙[いそが]しければ、わざわざ私の超能力者制度で仕事を増したりはしないはずだ。]
現代は後天知の科学の時代だから、超能力者制度をやる意義はまったくない。
超能力者はあくまでも超能力者であって神ではない。
そもそも超能力者であるかどうかもわからない。
超能力者の判定基準を科学的に定めて、それを満足した場合にのみ超能力者としなければならない。
私の場合も、ユリ=ゲラーの場合も、超能力者とは言いがたい。
だから、科学的には、私もユリ=ゲラーも超能力者ではない。
たとえ胡散[うさん]臭いオカルト番組には出演できても、それ以上のことはできない。
政府が余計な超能力者制度をやらねばならないほど暇でしょうがない会社なら、政府はなくなったほうがいい。
政府は昔の先天知の宗教の時代に栄えた会社であって、今の後天知の科学の時代においてはもはや存在意義がないのだ。
政府は、勉強がわからなくて教室の後ろで遊んでいる不良学生と同じだ。
昔の政府が国民を騙して神制度をやっていたと思うのは、今のくだらないテレビ番組の見すぎである。
昔は科学がなかったから政府が宗教を使ったのであって、最初から政府は国民を騙すために神制度をやったのではない。
ただ、時代が経つにつれて、だんだん政府が腐敗して行ったのは否定できない。
それは、近代科学ができて、政府がいない神をいると言ってインチキをやっていたのがばれて、その頃から政府が悪役とみなされるようになったからだろう。
政府も国民から悪役と見なされて、ますます悪事を極めるようになったのだ。
このままでは、どんどん政府が悪くなるから、ここらで政府を潰すことにしよう。

[7351] 世界大戦の矛盾 h21.5.20
世界大戦は、政府が『神が死んだ』という理由でやった戦争である。
政府は『神が死んだ』から神に従う人類も死なねばならないと思って世界大戦を起こしたのである。
だから、政府は本当は『神が死んだ』と思っていない。政府には『神が死んだ』という意味が理解できていない。
戦後も政府はしぶとく生き残り、政府は『これまでの神が死んだ』ことにして、昭和40年頃から私を“新しい神”だと考えて私の神制度(超能力者制度)を始めたから、政府は今でも“神が生きている”と思っているのだ。
しかし、そもそも神とは、人間の生まれもった知覚の中にいる概念のことであって、実在する人間の超能力者のことではない。政府は神の意味を誤解しているのだ。

[7352] 現代における政府の存在意義 h21.5.20
近代以降、自然科学は急激に発達したが、それでも科学は万能ではない。
現在の科学でもわからないことがある。
そこを人間に生まれつき与えられている先天知で補うことが政府の務[つと]めである。
だから、科学でわからないことがある限り、政府は生き残れるのだ。
しかし、科学の後天知でわからないことが、宗教の先天知でわかるとも思えない。
だから、やっぱり、現代では政府の存在意義はなく、政府は滅びるしかないのだ。

[7353] 国鉄の民営化 h21.5.20
かつてJRの前身であった国鉄は政府の機関だった。
しかし、1987年に完全に民営化された。[かつては、予土線に6両編成の急行が走っていたが、今では2両編成の鈍行しか走っていない。私が九州大学医学部生の頃、高知に帰省する時に乗ったことがあるが、1両に私ひとりしか乗っていなかった。クーラーが利き過ぎていたので、窓を開けた。]
国鉄は国民の生活にとって欠かせないものである。
だから、大蔵省印刷局や厚生保険や学校・大学など国民の生活にとって欠かせない機関を政府から独立させて民営化して残せばいい。[学校や大学は塾みたいにして残せばいいし、厚生保険は民間の保険会社みたいにして残せばいいし、大蔵省印刷局は国民に必要な分の紙幣や硬貨を売るという形で残せばいい。]
それとも、政府が完全に神を捨てて、国民の生活にとって必要なことしかやらない会社になって生き残るかだ。しかし、政府は名前がよくないから、いったん滅びたほうがすっきりしていい。

[7354] 『神は死んだ』か? h21.5.20
ニーチェの言いたかったことは、人類は民族共通の心(つまり、これがニーチェにとっての神)で生きるべきではなく、自分自身の個人の心で生きるべきだということである。
自然科学が神を殺したが、それは実在する神がいないということであって、人間に先天知がないということではない。
今でも、先天知としての心はある。誰でも子供のうちは心が知識の不足を補っている。
宗教には人間が生まれ持った心や知識が述べられていると考えればよい。
科学は正確だが、万能ではない。
科学だけでは決まらないことを決めるのが宗教の役割りである。
宗教も民主主義の政治も、民族の心を決める点では同じである。
政府が宗教から民主主義の政治に変わったのは、時事的な問題に臨機応変に対応するためであって、宗教を改良したのが民主主義の政治だと考えればよい。
現代における神は人間の心だと考えればよい。人間の五感は実在に従属し、人間の知覚は五感に従属し、人間の心は知覚に従属している。神も物に従わなければならない時代なのだ。

[7355] 超能力者制度とは何か? h21.5.20
超能力者制度とは、先天知の神を後天知の超能力者に置き換えた制度である。
超能力者制度は、先天知と後天知がゴッチャになった制度である。
超能力者制度では、先天知の神と後天知の超能力者を混同している。
超能力者制度では、先天知で神に人間が従わねばならないことを、超能力者に人間が従わねばならないことにすり替えて使っている。
超能力者制度は『神=超能力者』としたナンセンスな制度である。[たとえ粒子と波が同じでも、神と超能力者は同じではない。神と超能力者は概念的にまったく別のものである。ただし、超能力が使える点では、超能力者と神は同じである。つまり、超能力者∩神∋超能力。しかし、だからといって、超能力者と神が同じであるわけではない。つまり、超能力者≠神だが、超能力者∩神∋超能力≠φ。]
超能力者制度は科学的にも宗教的にも意義はない。
超能力者制度には何の意義もないからやめるべきである。

[7356] 政府はお金が欲しかったらちゃんと働け! h21.5.21
現代は後天知の科学の時代である。後天知の科学に比べて先天知の宗教は信頼性が低い。
政府は、超能力者と神を混同して、科学でも宗教でもない、わけがわからない『超能力者制度』をやっている。
政府は現代がもはや先天知の宗教の時代ではないことを考慮して、宗教をやらない代わりに、独自の『超能力者制度』を考え出したのである。
しかも、政府はなぜか?科学をやりたがらないから、科学的な民主主義の政治をやろうとしない。
超能力者制度には、もはや正しさのカケラもない。超能力者制度は完全なまちがいである。
超能力者制度は国民の役に立つことがまったくないくだらない制度である。
政府がお金を欲しければ、国民の役に立つ仕事をして国民からお金を貰[もら]え!
 昔の政府が今の科学に比べて正しくない宗教で政治をやっていたから、今の政府が正しくない超能力者制度で政治をやってもいいと考えているのは、今の政府の考え違いである。昔の政府が嘘の作り事の宗教で政治をやっていたから、今の政府も嘘の作り事の超能力者制度で政治をやってもいいと考えるのは、今の政府の考え違いである。
昔は宗教が正しいとされていたから、昔の政府は宗教で政治をやっていたのである。
当時の国民も宗教が正しいと考えていたから、政府が宗教で政治をするのを歓迎したのである。
今は科学が正しいとされているから、今の政府は科学で政治をしないといけない。
そうしなければ、国民は政府を襲[おそ]って皆殺しにするだろう。


[7357] 宗教と科学の関係 h21.5.21
科学は正確だが、歴史が浅いので扱う対象が狭い。
宗教は不正確だが、歴史が長いので扱う対象が広い。そのため、科学が扱わないことも扱っている。
特に心に関しては、心が先天知に属するので、科学よりも宗教のほうが詳しい。[しかし、今後科学が科学的方法で心を研究するようになると、科学のほうが詳しくなるかもしれない。]
だから、今の人間は、科学でわかるところは科学で考えて、科学でわからないところは宗教で補って考える。それでもわからなければ、自分で考えるしかない。

[7358] シャボン玉の歌 h21.5.21
政府とは、心主義の会社である。
政府がモットーとする『エロ・グロ・ナンセンス』は、まちがっていはいるが、人間の本音とは案外そういうものである。
一方、科学はガチガチの物質主義である。
だから、明治や大正時代の人にとっては、科学と宗教のブレンド比が問題だった。
つまり、人間が生きていくためには、心がなければならないが、かといって心を増やしすぎるとくだらなくなるから、心主義はあってもいいがあまり心主義を強くしてはならないと考えたのである。
それが、シャボン玉の歌なのだ。
[シャボン玉の歌は大正11年の作だが、大正時代が明治や昭和に比べて短かったのは、大正時代が“大いに正しい時代”だったからである。日本政府が正しいことが嫌いなので、それで大正時代を長く続けさせなかったのだ。]

[7359] 天皇とは何か? h21.5.21
人間の先天知には神様がいる。
人間の先天知の世界を眼で見てわかりやすくするために、昔の日本政府が実物の天皇を置いたのである。
つまり、天皇制とは人間の先天知のジオラマである。

[7360] どうして政府は科学をやりたがらないのか? h21.5.21
科学的政治とは、民主主義の政治のことである。[私は議会制より放任制のほうが科学的だと思う。]
だから、政府は科学的政治をやろうとすればやれないわけではない。
ただ、科学的政治は超能力者制度の政治よりも面倒臭い。
それに、超能力者制度の政治のほうが、政府が自分にとって都合のいい命令を出すことができて政府が儲かる。
だから、政府は超能力者制度の政治をやりたがるのだ。
しかし、政府の都合だけで政治をやられては国民が迷惑する。
だから、政府は国民の役に立つために科学的な政治をやらなければならない。

[7361] 現代は科学の時代である。 h21.5.22
宗教を科学知識の不足を補うために使う場合もあるが、現代は原則として科学の時代である。
だから、現代人は何でも科学的に見る。例えば、超能力者に対しても科学的に見る。
私の場合には、私の母の話を詳しく聞けば、私が超能力者ではないことがわかる。
本物の超能力者については、ユリ=ゲラーの例でもわかるように、現代人は超能力者を人間の仲間、変わった才能のある人間としか見なさない。
現代人は、超能力があるぐらいでは全然驚かない。現代人は、超能力を自分の眼で見て、その原因を考えようとするだけだ。
つまり、現代人はこの世にはもともと超能力というものがあり、それを自分はただ知らなかったとしか思わないのだ。超能力者と出会って、自分の知見が広がったのを喜ぶだけだ。
宇宙人が空飛ぶ円盤に乗って地球に攻めてこないかぎり、相手を人間よりも上の者とは思わないのだ。
ユリ=ゲラーや私程度の超能力では、人間と同じ者にしか見ないのだ。
人類が未知の物と出会いその原理を理解し自分の能力とする適応性の高さがあったからこそ、人類は地上を支配できたのである。人類にとって、超能力者など恐れるに足らずだ。

[7362] 政府の論法 h21.5.22
科学に比べて宗教はまちがっている。
昔の政府がまちがった宗教で政治をやっていたから、今の政府もまちがった超能力者制度で政治をやってもいいと今の政府は考えている。
しかし、それは今の政府の考え違いである。
昔は宗教が正しい学問だとみんなが考えていたから、政府が宗教で政治をやっても国民は文句を言わなかったのである。
しかし、今は超能力者制度は『先天知の世界=後天知の世界』として、先天知の世界にいる神と後天知の世界にいる超能力者を同一視して、先天知の世界で神に人間が従うことを、後天知の世界で超能力者に人間が従うことにしてやっている制度であって、超能力者と人間は平等であり人間は超能力を理解し征服すべきであるという後天知の世界の法則を犯したまちがった制度だとみんなが考えているから、政府が超能力者制度で政治をやると国民は文句を言うのだ。
つまり、今の政府は今のみんなが正しいと考えていることをしなければならないのである。
今のみんなは科学が正しいと考えているから、今の政府は正しい科学で政治をしなければならない。
それができなければ、今の政府は政府として失格だから、別の会社に日本の政治を頼まなければならない。

[7363] 宗教と科学と超能力者制度の違い h21.5.22
宗教とは、先天知の世界を論理的に体系化した知識である。
科学とは、後天知の世界を論理的に体系化した知識である。
超能力者制度とは、宗教でも科学でもない『第3の学問』であり、先天知の世界と後天知の世界を同一視した独自の世界である。政府は、超能力者制度の政治によって、先天知の世界でも後天知の世界でもないわけがわからない『第3の世界』をこの世に作り出そうとしている。それは心の世界でも物の世界でもない虚偽[きょぎ]の世界だ。


[7364] どうして政府は偉かったのか? h21.5.22
政府は心の会社である。[赤塚不二夫の『もーれつア太郎』に汚い顔をした“ココロのボス”が登場するが、ココロのボスとは政府の政治家のことである。]
一方、民間企業は物の会社である。
だから、ルネ=デカルトが物心二言論を考えたように、政府と民間会社を組ませるとうまく行くと昔の人々は考えたのである。
心は物よりも上だというイメージがあるから、それで政府が民間会社よりも偉いと考えたのである。
しかし、今の政府は心の会社ではなく、超能力者制度の会社である。
超能力者制度は、実在の外の世界の法則である。
実在の世界と実在の外の世界を組ませてもうまく行くわけがない。
今の政府は実在に背[そむ]く悪の会社である。
だから、国民は政府を倒すべきである。
[どうして今の国民はおとなしく政府に税金を納めるのだろう?そんなことでは、一生かけても幸福にはなれない。]

[7365] ガリレオ=ガリレイ h21.5.22
ガリレオは理論的にはまだ完全ではなかったが、
後天知の世界を切り拓[ひら]いた人だ。
『科学の父』と呼ばれている。
一方、超能力者制度を切り拓いても真理は何も得られない。
政府の馬鹿が自分勝手なことをやるな!

[7366] 政府による先天知の世界と後天知の世界の混同 h21.5.22
政府は、先天知の世界における蓋然的[がいぜんてき]な推論を後天知の世界に持ち込んで使っている。
それで、超能力者かもしれない者を超能力者にしたり、超能力者[かもしれない者]に伝言ゲームなどをさせることによって、「超能力者に人間が従う」ことを「政府が超能力者の個人情報を混ぜた命令を国民に出す」ことに“変換”しているのだ。
後天知の世界では必然的な推論をしなければならない。
だから、上の“変換”は後天知の世界では成立しない。
つまり、たとえ超能力者が実在したとしても、超能力者制度はやれないのだ。

[7367] テレパシー器官 h21.5.22
今のところはまだ人間の大脳におけるテレパシー器官が存在する部位を特定できていないが、大脳の断層撮影などが行われているから、そのうちテレパシー器官の存在する部位が特定できるかもしれない。
そうなれば、頭蓋骨に穴を開けて、テレパシー器官の存在する部位を電気メスで焼き潰してテレパシーが聞こえないようにできるかもしれない。
しかし、だからと言って、性欲の満足をやめなければ、たとえ幻聴で暴れなくなっても、実在世界における法を犯して犯罪者になるだろう。だから、未来社会でも道徳が要らないわけではないのだ。

[7368] 情報の信頼性 h21.5.22
科学的認識つまり自分の眼で見たことについて自分の知覚を使って考えて論理的につじつまを合わせることによって得られた認識には高い正当性がある。
宗教的認識つまり自分の先天知にある原理から論理的に演繹[えんえき]して得られた認識には低い正当性がある。すなわち、ほんの少しだけ正しい可能性がある。[心は先天知に属し、心のない人間はいないから、現代においても誰でも多かれ少なかれ先天知つまり宗教的認識によって行動していると言える。]
しかし、超能力者制度による認識つまり先天知と後天知を同一視することによって得られた認識には何の正しさもない。例えば、神と超能力者を同一視することと蓋然的推論によって、@「超能力者かもしれない者が超能力者である」ことになり、A「超能力者に人間が従わねばならない」ことになり、[超能力者[かもしれない者]に伝言ゲームなどをさせることによって]B「超能力者の個人情報を混ぜた命令を政府が国民に出すことができる」ことになるが、この3つの「…」には何の正しさもない。3つの「…」は、正当性のまったくない命題である。
つまり、情報の信頼性(正しさ)に関しては、科学的認識≫宗教的認識≫超能力者制度による認識となる。
宗教的認識から超能力者制度による認識に行ったら文化が退化したことになるからいけない。

[7369] 超能力者制度の世界 h21.5.22
超能力者制度の世界では、先天知と後天知の区別がない。
だから、後天知の世界に対しても先天知の世界と同様に蓋然的推論が成り立ち、超能力者かもしれない者が超能力者であることになる。
超能力者と神が超能力の点でしか共通点がないのに、超能力者制度の世界では蓋然的推論が成り立つので、超能力者が神であることになる。
したがって、先天知の世界では神に人間が従わねばならないから、後天知の世界でも超能力者に人間が従わねばならないことになる。[それなのに、ユリ=ゲラーに誰も土下座[どげざ]をしないのは変である。それは矛盾だが、超能力者制度の世界では矛盾があってもいいから、いいのである。それから、私程度の超能力で超能力者にされるなら、私の他にも超能力者がたくさんいてもいいのだが実際には私ひとりしかいない。それは矛盾であるが、超能力者制度では矛盾があってもいいから、それでいいのである。[私が九州大学理学部物理学科教養部学生だった頃、日本の古典文学の講義で先生が「文学では多少辻褄[つじつま]が合わなくてもいい」と言っていた。(私は講義で何の本を読んでいたかさえ忘れてしまった。)]]
…などのように、超能力者制度の世界は、後天知の科学の世界とはまったく世界の構造が違っている。[3年ぐらい前に東京拘置所の横の堀に犬の首がたくさん捨てられていたのも、超能力者制度の世界ではそうしなければならないことになるからである。コソコソ隠れながらやるのは、やる本人が自分が『正しい』と思っていないからである。それならやるな。そんな制度が盛り上がるわけがない。そんなことだから、裏の政府も隠れてやらねばならないのだ。そのために、わざわざ裏の政府とは別に表の政府を置かねばならないのだ。予算の無駄使いだ。]
そんな世界にわれわれ人間が普通に生きて行くことができるだろうか?
今後政府がますます超能力者制度を強めていけば、そのうち人間が住めない世界になるだろう。

[7370] 宗教の方法 h21.5.23
昔は、人間の先天知には宇宙の方程式が書かれていて、それを解読した者はこの宇宙を自分の思い通りにできると考えられた。
しかし、ついにそれを読める者が現れることなく、宗教の時代は科学の時代に取って代わられることになったのである。
自分の心の奥に書かれている方程式を読み取るよりも、自分の眼で見て頭で考えたほうが手っ取り早く方程式を手に入れることができたのだ。

[7371] 私はどのようにして超能力者制度を倒したか?☆ h21.5.23
今の私は心の奥で手ごたえを感じている。
最近、私が『宗教が人間の先天知を言葉で書いたものだ』と述べた。
これは、宗教をやっている者にとっては意外だったようだ。
それで、宗教が滅んでしまった。
ところで、超能力者制度は擬似[ぎじ]宗教である。宗教のまがい物である。
私が宗教を滅ぼしたから、ついでに超能力者制度も滅んだのだ。
そもそも超能力者制度は宗教よりも正しくないから、宗教が滅びるなら超能力者制度が滅びるのも当然だ。

[7372] 男はどんな女が好きか? h21.5.23
男は自分によくしてくれた者が好きになるのである。
男は自分に優[やさ]しくしてくれた者、親切にしてくれた者が好きになるのである。
だから、女が男に好かれたければ、その相手によくしてやればいいのである。
男は女ほど馬鹿ではないから、いくら女が綺麗にしても男はうれしくない。

[7373] 宗教とは何か?☆ h21.5.23
宗教とは、人間の先天知を言葉にしたものである。宗教は、人間が生まれつき頭の中に持っている世界観を言葉で書いたものである。
だから、いくら神が偉いとは言っても、それは人間の先天知には神がいて、神が人間よりも上の者であるという“構造”があるにすぎない。
だから、先天知が後天知(科学)よりも『正しく』なければ、いくら神が偉くても仕方がないのである。
神が偉いのは、先天知が正しいかぎり成り立つことであって、そもそも先天知が正しくなければ、いくら神が偉くても何にもならないのだ。

[7374] 国民は政府に従わなくてもいい。 h21.5.23
今の政府は超能力者制度をやる会社である。
超能力者制度は、宗教よりもまちがっている。
だから、後天知の科学的世界観で生きている国民は政府に従わなくてもいい。
例えば、政府が「税金を出せ!」と言ってきても、正しくないから相手にしなければいいのである。
[どうして政府は正しいと考えられている科学で政治をしなかったのだろう?そうすれば、潰[つぶ]れずに済んだものを。]

[7375] どうして文学には光の玉が登場するのか? h21.5.23
日本の戦前の文学には、きまって神武天皇の光の玉が登場する。
それは、昔は宗教が正しい学問だと考えられ、宗教に人気があったからである。
文学に光の玉を入れることには合理的な理由はないが、宗教は合理的な理由を超えた心の世界なので、作家は好んで光の玉を自分の文学作品に取り入れたのである。
しかし、戦後は科学が縄張りを広げていって、宗教を真理の世界から追い出して、宗教が正しい学問だと考えられなくなったので、宗教の人気がなくなった。それで、作家は光の玉を取り入れるのをやめたのである。

[7376] 超能力者制度とは何か? h21.5.23
超能力者制度の世界は、先天知の世界と後天知の世界を同じものだと見なした世界である。
だから、超能力者制度では、先天知の世界で“蓋然的推論”が成り立つから、後天知の世界においても“蓋然的推論”が成り立つとする。
超能力者制度では、先天知の世界に“神がいる”から後天知の世界にも“神がいる”とする。先天知の世界で“神に人間が従わねばならない”から、後天知の世界でも“神に人間が従わねばならない”とする。
したがって、超能力者かもしれない者が蓋然的推論によって超能力者であることになったり、
超能力者が超能力があるというだけで蓋然的に神になったり、
神(じつは超能力者かもしれない者)に伝言ゲームなどをさせることによって、「神に人間が従わねばならない」ことが蓋然的には「政府が神の個人情報を混ぜた命令を国民に出せる」ことになる。[[6949] 超能力者制度は超能力者の命令を聞く制度ではない。 h21.3.26 を参照。]
実際に、政府は神の個人情報を混ぜたいろんな命令を国民に出して国民に実行させている。それが現代社会なのだ。[つまり、政府は実在とは別の世界(空間)を作って、その中で生活しているのである。]
ところで、『宗教は先天知の世界を言葉で書いたものである』から、要するに宗教はヤマカンにすぎず、先天知の世界は後天知の世界ほど正しくはない。
先天知の世界では蓋然的推論が成り立つが、後天知の世界では必然的推論しか成り立たない。
したがって、人間の推論は蓋然的ではなく必然的でなければならない。
したがって、超能力者かもしれない者は超能力者ではなく、超能力者が超能力があるだけで神ということにはならないから、超能力者制度の原理「政府が神の個人情報を混ぜた命令を国民に出せる」は成り立たない。
これまで政府は超能力者制度でさんざんまちがったことをやってきた。国民(特に私)にさんざん迷惑をかけてきた。
だから、今後は政府が働いて国民(特に私)に金を払わなければならない。


[7377] 日本人の戦争観 h21.5.23
日本人は戦争をやりたい民族である。
機会があれば日本人は自[みずか]ら進んで戦争に行く。
むしろ日本人に戦争に行くなというほうが酷[こく]である。
戦後も日本国憲法が止[と]めているのにひとりでに自衛隊ができた。
たとえテレビカメラ誘導式ミサイルができても、日本人はそんな小利口な兵器を使わない。
あんなのはたんなるオモチャだ。気合いが足りない。人間の恥だ。
戦争は自分の戦う心の表現である。
それを形にするために特攻するのだ。
勝つとか負けるとかは関係ない。
戦うこと自体が日本人の喜びなのだ。

[7378] 合理的とは何か? h21.5.23
合理的とは考え抜くことである。
正しいとか間違いとかは関係ない。
ただ、本気で考え抜けば自然と結果は正しくなる。
それが、実在の世界の掟[おきて]だ。

[7379] 古事記とは? h21.5.23
古事記は日本人の心の集大成である。
古事記には、日本人の心の正解が書いてある。
だから、昔の政府は古事記の心に則[のっと]って政治をしたのだ。
昔は物のことがわからなかったから、心をわかるしかなかった。
だから、昔の政府は人間にとってわかることのできる心で国を治めたのである。
しかし、今は反対に物のことがわかり、心がわからなくなっている。
今の政府にとっての聖典は、ニュートン力学や相対性理論や量子力学なのである。
だから、今の政府は物で国を治めるのだ。
心は個人の自由だから、各人で管理するしかない。
ちなみに、超能力者制度は、物も心も両方ともわからない。[超能力者制度では、せっかく科学でわかっていた物の世界がわからなくなる。]
そんな制度で国が治められるわけがない。

[7380] 日本の歴史 h21.5.24
江戸時代以前は、宗教(日本神道)だけだった。
江戸時代は、何もなかった。
明治時代から戦争までは、宗教+科学=和洋折衷だった。
戦後から昭和40年までは、科学=アメリカ制だった。
昭和40年から現在までは、宗教×科学=超能力者制度である。
つまり、今の若い人は生まれてからずっと超能力者制度の中で育ったわけだ。
私なんかだと子供の頃はアメリカ制だった。
今の若い人が面白くないのは、超能力者制度で育ったからである。

[7381] 超能力者制度とは何か? h21.5.24
後天知の世界で蓋然的推論[がいぜんてきすいろん]を使う。[蓋然的推論では、例えば、私が外科学実習でメス(→ナイフ→knife→KNは私のイニシャル)を使って手術台に縛られた犬(→いぬ→川の(マッチ棒パズル))の解剖をしたことが、政府(→外科学のポリクリを急に犬の解剖に変えたポリクリ担当の教官。教官も私も同じ医者だ。外科学のポリクリは通常病棟の1階でやっていたが、なかなか教官が来なくて問い合わせてみたら、急に病棟の東(→東京)にある研究棟の4階(→高いところ→霞ヶ関ビル)で犬の解剖をやることになった。私の班には、栗原かすみさん(→霞ヶ関ビル)がいた。)がオウム真理教(→医学の教科書を丸暗記していた私)を使ってサラリーマン(→仕事に縛られた仕事に忠実な犬)をサリン(→魔法使いサリー)で殺してもいいことになる。蓋然的推論では、→が=なのだ。]
神がいて、神に人間が従う法則がある。
これが、超能力者制度の世界である。
こんな世界で、人間がまともに生きていけるだろうか?
物だけの科学的世界のほうがずっと暮らしよいのではなかろうか?

[7382] 科学と宗教と超能力者制度 h21.5.24
科学は後天知である。周知のようにかなり正しい。科学には『五感』の正確さに基づいた正しさがある。
宗教は先天知である。誰でも子供のうちは先天知に頼って生きているから、少しは正しい。後天知のなかった昔には、人々は先天知の正しさに頼って生きていたのである。先天知が正しい者ほど高い確率で生き残るから、宗教には、自然選択による正しさがある。
ところが、超能力者制度は、神がいて、神に人間が従わねばならなくて、後天知の世界でわざわざ先天知の世界の蓋然的推論を用いている。超能力者制度には正しい根拠がなにもない。後天知の世界には神がいないし、蓋然的推論も成り立たない。超能力者制度は、後天知の正しさを先天知のまちがいでぶち壊しにしている。
今の政府は宗教でも科学でもない超能力者制度で政治をしている。
今の政府は超能力者制度でまちがったことばかりやっている。まちがったことをして国民に迷惑をかけている。
そんな政府はないほうがましだ。

[7383] 科学と宗教と超能力者制度 h21.5.24
科学には正しさがある。科学は物についての正しさがある。
宗教には楽しさがある。宗教は心についての正しさがある。[だから、今でも、自分の心がわからなくなったら宗教に入って心を学ぶのだ。/古事記の神武天皇の話は、日本人共通の心である。]
ところが、超能力者制度には正しさも楽しさもない。超能力者制度は、物も心も両方とも見ていない。
超能力者制度はいいところが何にもない。
だから、超能力者制度をやっている政府もいいところが何にもない。

[7384] マックス・プランクの量子仮説 h21.5.24
マックス・プランクは1900年のクリスマスの日にエネルギーが不連続であるという量子仮説のアイデアを思いついた。それで『黒体輻射』の問題が解けた。
マックス・プランクはそれ以前の30年間はまちがったアイデアを出し続けていたのだ。
プランクは古典力学の世界で考え付くかぎりのアイデアを10も20も出して、それらがすべて駄目に終わって、アイデアをすべて出し尽[つ]くした果てにエネルギーが不連続であるという量子仮説を思いついたのである。
真理を求める者には実在は扉を開いてくれる。だから、人間は真理を求める努力をしなければならない。
名案は、アイデアが尽きたときに生まれる。だから、アイデアが尽きるまで考え続けねばならない。常識が尽きるところまで行ってこそ、常識を超える真理が発見できるのだ。

[7385] なぜ文学は面白いか? h21.5.24
文学が面白いのは、人間の心の中にある“面白さの感情”を興奮させるからである。
文学者は、“面白さの感情”を興奮させることに詳しいから、面白い言葉が書けるのである。
宗教は先天知を言葉にしたものであり、心は先天知に属するから、宗教にも面白さはある。
科学は人間の知的好奇心を満足するから、科学にも面白さがある。
それなのに、超能力者制度には面白さがない。超能力者制度は心も物も見ないから面白くない。
超能力者制度は誰も幸福にしない。
だから、超能力者制度をやる政府は誰も幸福にしない。

[7386] キリスト教と神武天皇教の違い h21.5.24
キリスト教のように、教義を何百ページも書かれたらうんざりする。
微に入り細に渡り、人の心に口出しされたら鬱陶[うっとう]しい。
それに比べると、神武天皇の話は2〜3ページしかない。
神武天皇教は、日本人に生まれてくれば、たいてい誰でも満足している。
だから、神武天皇教では、特にすることがない。
だから、日本には教会がないのだ。

[7387] 政府がやるべきこと h21.5.24
超能力者制度は、まちがいを生み出すだけだから廃止する。
現代は科学の時代だから、国民を物の面から管理することはもちろん怠[おこた]らない。
宗教に関しては、古事記の神武天皇の話のように、現代の日本人共通の心を具体化した“架空のキャラクター”の物語を作る。その物語は国民に必ず公表しなければならない。
『エロ・グロ・ナンセンス』は、人間の健全な成長の妨げになるからやめる。
日本政府は、かつての神武天皇の神制度のように、“架空のキャラクター”を見本として国民を心の面から管理する。
一方で、時事的な問題に臨機応変に対応するために、民主主義の政治を併用する。
ただし、あまり政府が国民を厳しく管理しないようにする。

[7388] 政府は正しい“国民の心”を考える学会である。 h21.5.25
古事記の神武天皇の話は、日本人共通の心である。
なぜなら、日本人共通の心を具体化した“架空のキャラクター”の物語として神武天皇の話が作られたからである。神武天皇は日本人共通の心の中にいる神を具体化したキャラクターである。[昔は心という言葉を、知覚も含めた広い意味に用いていた。]
そうやって、日本政府は、太平洋戦争まで日本人の心を取り締まってきたのである。
一方で、時事的な問題に臨機応変に対応する方法として、民主主義の議会制の政治も取り入れてきた。
民主主義の議会制の政治によれば、正しい日本人の心を決めることができると考えられたからである。
あるいは、議会制では正しい日本人の心が決まらないというなら、放任制の政治にしてもいい。
ところで、超能力者制度では、正しい日本人の心を決めることができない。
超能力者制度では、神がいて、神に人間が従って、後天知の世界で先天知の世界の蓋然的な推論を使うだけだからである。そんな方法では、正しい日本人の心が決まるわけがない。
太平洋戦争で神が死んだが、いくら神が死んだからといって、超能力者制度を始めてはいけない。
神が死んだのは、後天知の世界では神が発見されず、後天知の世界は先天知の世界よりも正しいからである。
先天知の世界は後天知の世界に従わねばならないから、先天知の世界で神だけを殺せばいいのである。
先天知の世界つまり心そのものが滅んだわけではない。
だから、神がいない新しい心の世界の物語を作ればいいのである。日本人共通の心を具体化した“神ではない架空のキャラクター”が登場する物語を作ればいいのである。[基本的人権も、国民共通の心を表したものと見ることもできる。]
その物語で、政府は日本人の心を緩[ゆる]く取り締[し]まればいいのである。[心は眼で見えないから、緩くしか取り締まれない。]
あるいは、そんな物語をわざわざ作らなくても、民主主義の政治だけやればいい。
とにかく、正しい“国民の心”を決める方法でやらねばならない。
人間には心がある。心があるから政府ができた。だから、政府は正しく国民の心を認識し、その認識に従う国を作っていかねばならない。
超能力者制度は、正しく国民の心を認識する方法ではないから、政府は超能力者制度をやってはならない。
正しく国民の心を知るためには、科学的な統計調査や国民側からの意見提出によったりしなければならない。今後各家庭にパソコンが普及すれば、直接民主制も夢ではない。

[7389] 政府の宗教観 h21.5.25
政府は宗教を、昔世界にいく人かの超能力者が現れて、それらの超能力者が今の世界を決めたと考えている。つまり、この世には昔から超能力者に人類が従わねばならない決まりがあり、超能力者の人生を後世の人類が追従することによって今の世界が出来たと考えている。それで、政府は私の超能力者制度をやっているのである。
それは、政府の宗教に対する完全な誤解である。政府は宗教の何たるかがまったくわかっていない。
政府がまちがった宗教観に則[のっと]って宗教をやっているなら、それは政府がいけない。
政府は正しく宗教をやらねばならない。
戦後神は死んだが、先天知の世界全部が滅んだわけではない。
現代の科学的知識に従う先天知の世界を物語にして、それをテキストにして宗教をすればいいだけだ。かつてキリストがモーゼに代わったのも、同じ理由だ。[当時科学が発達して、人間の先天知が大きく変わったために、聖書を書き直さなければならなくなった。それで、新約聖書ができたのである。]
だから、政府が宗教をやめる必要はない。正しく宗教をするなら今後も続けてもらいたい。

[7390] 政府の宗教観(その2) h21.5.25
政府は宗教を、政府が国民に嘘の作り話をして、国民を嘘の作り話の通りに動かすことだと考えている。
しかし、その説は苦しい。[昔の政府が具体的に国民にどんな嘘をついてどんなことを実行させてどれだけ儲けたかを記録した史料が残っているとでもいうのだろうか?政府の自分勝手な想像にすぎないのではないだろうか?]
政府の嘘ぐらい国民でもわかることである。
政府と国民でそんなに頭のできが違うとは考えられない。
公務員でなくても、頭のいい人は大勢いる。
むしろ、今の政府のほうが国民よりも馬鹿で宗教を誤解しているだけである。[政府が自分の独り合点[がてん]で国民を騙[だま]したつもりになっているだけである。]
そう考えたほうが論理的に筋が通る。
古い話になるが、政府は戦争に負けたショックで気でも狂ったのだろうか?
しかし、古事記の神武天皇の話は日本人みんなの心だから、戦争に負けたのは日本人みんなの責任だから、政府はあまり自分ひとりを責めなくてもいい。

[7391] 天皇とは何か? h21.5.25
神武天皇の話は昔の国民はみんなが知っていた。
神武天皇が神話上の架空の人物であることはみんなが知っていた。
私が小学生の頃に父親が持っていた古い戦前中の日本の歴史の教科書を見たことがあるが、本の最初のほうの神話の章の中に神武天皇が出ていた。だから、当然昔の国民は神武天皇が神話上の架空の人物であることを知っていたはずである。
だから、昔の国民は、天皇は日本人の心(先天知)の世界を眼で見てわかりやすくするための芝居だと考えていたのだ。
だから、天皇は政府が国民を騙[だま]すために置いているのではない。
今でも天皇は、日本人の心(先天知)にいる神様の象徴である。
もっとも、いまさら先天知が後天知よりも正しいとは言わないが。[先天知が後天知よりも正しかったら、学校は要らないはずである。]

[7392] 政府とは何か? h21.5.26
政府とは宗教をやる会社である。
宗教とは、先天知を言葉で表して、先天知に即した世界を作ることである。
戦後神は死んだが、先天知の世界そのものが滅んだわけではない。特に心がなくなったわけではない。
だから、現在の後天知に従った先天知を改めて先天知’[ダッシュ](後天知で修正された先天知)と考えて、政府は先天知’による宗教をやればいいだけである。

[7393] 政府とは何か?(その2) h21.5.26
政府とは、『国民の心』に適[かな]った国を作る会社である。
そのためには、まず『国民の心』を正しく知らねばならない。
そのための方法が、宗教や議会制や直接制などである。
宗教は、作家に頼んで国民共通の心を物語にしてもらうことである。天皇のように、実物の模型を置くやり方もある。
議会制は、国民の意見の代表者が一箇所に集まって話し合って国民の心を決めることである。(なんだか胡散[うさん]臭いが。)
直接制は、統計調査や国民からの意見提案などによって国民の心を知る方法である。
ほかに、基本的人権など、社会学や哲学などの学問によって国民の心が決まることもある。
いくら現代が科学の時代とは言っても、人間の心がなくなったわけではない。人間の心がなくなるのは、人類が滅びた時である。その時には、政府も滅びているはずである。
だから、政府は国民の心とは関係のない超能力者制度なんかやるのをやめて、真面目[まじめ]に国民の心を知り、それに適った国を作っていかねばならない。その作業は、未来永遠に続くはずである。

[7394] 日本は正義の国 h21.5.26
日本やヨーロッパで宗教が盛んだったのは、日本が正義の国だからである。
宗教は、国民の心についての正しい知識なので、日本でもてはやされたのである。
中国に宗教がないのは、中国が王の権威による国で、正義の国ではないからである。
古事記の神武天皇の物語は、客観的に捉[とら]えられた日本人の心の世界の記述である。
日本は正義の国だから、日本人はときには自分の命を懸[か]けて神武天皇の物語の通りに行動したのである。
反対に、古事記の神武天皇の物語に適[かな]っていなければ、たとえ政府の命令でも国民には通らなかった。
だから、政府は古事記の神武天皇の物語から離れた命令は出せなかったのである。
日本は正義の国だから、先天知よりも後天知が正しければ、後天知に従うまでだ。
後天知の世界に神がいなければ、先天知もそれに従うしかない。

[7395] 昔の政府はどうして偉かったのか?☆ h21.5.26
昔の政府が偉かったのは、昔の政府が真面目に仕事をしていたからである。
昔の政府が、真面目に『国民の心』に適[かな]った国を作っていたからである。
優秀な学者やスポーツ選手が偉いのと同じ理屈である。
反対に、今の政府が偉くないのは、『国民の心』と何の関係もない超能力者制度なんかやったりして、『国民の心』に適[かな]った国を作っていないからである。今の政府は無能で役立たずである。
政府の権威を失墜[しっつい]させたのは、政府の自業自得だ。
[民間会社のように政府をふたつ作って競争させて欲しい。]

[7396] 博多の人間 h21.5.26
博多の人間は、いい人ぶり馬鹿だ。
本当にいい人なのではなく、いい人ぶっているだけだ。
『博多っ子純情』は嘘だ。
日本人らしくないのは、中国が近いからかもしれない。

[7397] 太平洋戦争は神武天皇の物語が原因ではない。 h21.5.26
太平洋戦争は第二次世界大戦の一部である。
太平洋戦争は、神武天皇の物語によって起きた戦争ではなく、『神が死んだ』ことによって世界中の政府が起こした戦争の一部分である。
日露戦争も、『神が死んだ』ことによって起こった第一次世界大戦の一部にすぎない。
当時日本だけが戦争をしたなら、神武天皇の物語が原因だと言えるが、世界中で戦争をしてたのだから、神武天皇の物語が原因とは言えない。
聖書にはキリストが弓矢を持って戦った話がないのに、第一次・第二次世界大戦においてヨーロッパでも戦争をしているのがその証拠である。
だから、たとえ神武天皇の物語に神武天皇が弓矢を持って戦った話がなかったとしても、日本は太平洋戦争をしたのだ。
反対に、神武天皇の物語でいくら神武天皇が勇ましく戦っていても、日本人は神武天皇に追従して戦争をする必要はない。神武天皇の物語は、日本人には戦う気構えが大事だと言っているだけである。
日本が太平洋戦争に負けたのは、第二次世界大戦が『神が死んだ』名目でやった戦争だから、神武天皇の神制度をやっている日本が負けねば話にならないからである。[どうして世界大戦が2度起きたかは、各自で考えてもらいたい。自分で考えたほうが面白いだろう。]

[7398] 『うさぎとかめ』 h21.5.26
『うさぎとかめ』のおとぎ話は、宗教と科学の喩えだ。
宗教は先天知で物を見ることだから、勉強が要らないので早くわかるがまちがいが多い。[私が神に見えたのも、政府の誰かが先天知で私を見たからである。しかし、後天知では私は故障したガラガラの下で寝ていた赤ん坊にすぎない。先天知が後天知よりも正しいことはありえないから、私は神ではない。]
科学は物を眼で見て頭で考えることだから、時間がかかるが正確である。
宗教は発達するのが早かったがそこから先に進歩せず、結局最後にはゆっくり確実に成長した科学に追い越された。[天皇制がカニのように横這[ば]いなのも、宗教が発展しない学問だからである。]
人間は後天知があるから他の動物に勝[まさ]ることができた。先天知しかなければ他の動物と変わらない。


[7399] 宗教の信者は人間以下 h21.5.27
宗教に入るのは、自分の心がわからなくなった者である。
普通の人間は自分の心がわかっているから宗教とは縁[えん]がない。
だから、宗教に入っている者は普通の人間以下である。
宗教に入っている者は、自分の心がわからない分だけ普通の人間よりも馬鹿である。
だから、教会やお寺の周りには不愉快な馬鹿気[ばかげ]が漂っているのだ。

[7400] 日本神道の信者は悪者である。 h21.5.27
日本神道の信者は、日本政府が大きい会社というだけで日本政府の味方をしている者たちである。
ところで、日本政府は、昔は国民の心に適[かな]った国を作る正しいことをする会社だったかもしれないが、今の日本政府は国民の心とはまったく関係のない私の超能力者制度をしているまちがったことをしている会社である。
だから、まちがった会社の味方をしている日本神道の信者もまちがったことをしている悪者である。
今では世界中の宗教が多かれ少なかれ私の超能力者制度をやっている。日本神道が私の超能力者制度になったように、キリスト教や仏教やイスラム教なども私の超能力者制度になりつつある。なぜなら、宗教をやっているのは政府だが、政府はこれまでの神は死んだが、私という新しい神が生まれたと考えているからである。
だから、世界中の宗教の信者は多かれ少なかれまちがっている。
宗教の信者は昔は正しかったかもしれないが、今では世界中の宗教の信者が悪者である。


戻る