[6401] 誰が悪いか? h21.1.23
神がいなければ神制度はやれない。
しかし、宗教における神の定義では論理的には神を特定の者に決めることはできない。
だから、最初に神を特定の者に決めた者に責任がある。
[6402] 信者は褒美[ほうび]をもらえるか? h21.1.23
宗教家が神を王であることにすれば、宗教家が神制によって自分が王になれるから、宗教家が国民に好き勝手な命令を出してその命令に逆らえば殺すぞと脅[おど]せば、宗教家が褒美を何もやらなくても国民はその命令に従わねばならないことになる。
つまり、宗教家は無償で国民を自分の命令に従わせることができる。[褒美をやると自分が損をすることになるから、ケチな宗教家が褒美をくれるわけがない。]
だから、信者は褒美を何ももらえない。あえて言えば、自分自身の命が褒美だ。[宗教家に働きが認められれば、国営の大学の研究室や半官半民の会社などに入れてくれるようである。]
神制があることは王制があるのと同じことだ。同様に、神制があることは戦争があるのと同じことだ。
[6403] 国民を信者に変える方法 h21.1.23
宗教家が神を王であることにすれば、宗教家が神制によって自分が王になれるから、宗教家が国民を自分の宗教に強制的に入れることができる。
こうして宗教家が自分の思い通りに動かせる軍団を容易に手にいれることができる。
[6404] 神はжЭЮфである。 h21.1.23
宗教家が神をжЭЮф(宗教家が作ったいまだかつてこの世にない地位)であることにすれば、宗教家が神制によって自分がжЭЮфになれるから、лбЩй(これまでにこの世の誰もしなかったこと)をやることができる。要するに、宗教家は何を仕出かすかわからない危険人物である。
実際に、宗教家は今もлбЩйして日本をメチャクチャな世界にしつつあるのだ。
[6405] どうして神制では日本がメチャクチャになるのか? h21.1.23
神制とは宗教家の独裁制にほかならない。なぜなら、宗教家が神のキャラクターを決めているからである。
ところで、人間が幸福になるためには、五感や知覚などによって実在を認識し、その認識と心が噛み合って実在を動かさなければならない。
しかし、神制では宗教家が架空の世界に行ってしまっていて、心が実在と噛み合っていないから、そんな心で実在を動かしても実在がメチャクチャにされるだけで、宗教家自身も幸福になれないし、他の人々も幸福になれない。
王様が勉強好きだと国がうまく治まるのは、王様が実在のことがよくわかっていて、王様の心が実在と噛み合って実在を動かしているからである。
神制では宗教家が王様になれるが、宗教家が勉強嫌いで実在がわかっていないから、国がうまく治まらないのである。
独裁者が馬鹿だとダメだ。
[6406] “従う”の意味 h21.1.23
宗教における“従う”の意味は、同じことをすることである。だから、神に従う宗教家が、神が嘘をついたことに従って宗教家も嘘をつくことができ、宗教家が嘘をついて神を王であることにすれば、宗教家が王である神に従って自分も王になれるのである。
しかし、この“従う”の用法は一般的ではない。例えば、社員が社長に従うのは、社員が社長の命令を聞くの意味であって、社長と同じことをすることではない。もし、社員が社長と同じことができるなら、社員が社長になれるからである。
人間にはない超能力の才能があるために人間よりも上の存在者とみなされる神に人間が従うのも、人間が神と同じことをするのではなく、人間が神の命令を聞くことではないだろうか?
それとも、神が生涯において一度でも「自分と同じことをしろ」と他人に命令したことがあったのだろうか?それなら、宗教家が神に“従って”神と同じことができてもおかしくはない。[私にもそんなことがあったかな?私が朝倉小学校1〜2年生のときクラスでやった伝言ゲームのことだろうか?]
たしかに私は伝言ゲームのときに他人に自分と同じことをさせたが、それは伝言ゲームのときであってそれ以外のときではない。
しかし、私は以前、時と場所をわきまえないことをしたことがあったし、ひとつのことを他のいろんなことに応用したこともあった。(概念的ですいません。)
だから、これまでに私がやってきたいろんなことを組み合わせれば、人間が神の命令を聞くことを、人間が神と同じことをすることにできるのである。
社長もこれではたまらないから、人類みな平等になって行ったのかもしれない。つまり、社員と社長は平等であり、社員が社長の命令を聞くのは、その報酬に社員が社長から給料をもらえるからである。ところが、人間がいくら神の命令を聞いても、その報酬に人間が神からは何ももらえない。だから、人間は神の命令を聞かないのではないだろうか?
やはり、“超能力の才能がある”ことは、“宗教家が原因がわからない”ことの言い換えにすぎないから、そもそも超能力者であるのかないのかすらわからないから、超能力者だと決めることができないはずである。わからないことはわからないままにしておくのが正解であり、無理にわかることにしてはいけない。原因不明の現象は原因不明のままにしておくべきであり、超能力のせいにするためにはもっと証拠が要る。例えば、私の母親の証言だけでは、私を超能力者とするには不十分である。
もっとも、神(超能力者)を人間よりも上の者だとすると、上のようにして人間が神(超能力者)と同じことをすることができ、つまり人間が神になれるわけであり、今の日本社会のように神すなわち人間よりも上の者がいっぱい現れて面倒なことになるから、思い切って『超能力者は人間と平等』と決め付けてしまうのも一法である。[十字架のペンダントをつけたり緑や青の服を着たり会社の名前に+や○や川を付けたりして自分が神制をやっていることを他人にわからせるようにしているのは、自分が人間よりも上の者であることを他人に教えるためである。/宗教家や信者が神の命令に従わないのは、宗教家や信者が神と同じく人間よりも上の者になっているからである。/でも、そういう世界は言葉の上だけで成り立っている世界にすぎない。脆[もろ]くて弱い世界にすぎない。だから、『剣はペンよりも強し』なのである。]
神(超能力者)と人間が平等になれば、宗教家(政治家)と人間も平等になるから、政治家が国民が幸福になる命令を国民に出さなければ従ってもらえないことになる。それが民主主義だ。
[6407] どんな者が宗教に入るのか? h21.1.23
人が宗教に入るのは、人間よりも上の者になるためである。
人間よりも上の者になって、ようやく人間と互角になる者が宗教に入るのだ。
[6408] 学問とは何か? h21.1.23
学問とは、暇があることである。
暇な時間を、考えることで有効に活用することが学問である。
[今の学問は学ぶだけで問うことがない。それでは学問とは言えない。]
[6409] 超能力者は人間よりも上の者か? h21.1.23
学者やスポーツ選手が人間よりも上の者でないのは、学者の考える才能やスポーツ選手の運動する能力が、多かれ少なかれ誰にでもあるからである。
これまでに超能力者と考えられた者の超能力は、超能力者にしかないと考えられてきたが、本当は多かれ少なかれ誰にでもあるのではないだろうか?[私は毎日テレパシーが聞こえるし、ときどき心が緊張したときラップ音を鳴らすことができる。]
超能力者はただ普通の人よりも超能力の才能が発達しているだけではないだろうか?[テレパシー能力が強くなると、頭の周りが光ったり離れた物が回せたりするのではないだろうか?]
それなら、超能力者も学者やスポーツ選手と同じく、人間の中で優れた者であって、人間よりも上の者ではない。
だから、いまどき“人間よりも上の者”にこだわるほうが古いのである。
[6410] 宗教家の方法 h21.1.23
宗教家にとって超能力があるかないかなんてことはどうでもいい。だから、超能力者の決め方が、今日的には通用しない科学的に不十分ないい加減なものなのだ。
宗教家にとっては、ただ神制度を利用して自分が独断で法律や政令を作ったり国民に戦争させることが目的なのだ。
宗教家の方法など子供だましのチャチなものだ。つまり、超能力者は人間にはない超能力の才能があるから人間よりも上の者すなわち神と考えられ人間は神である超能力者に従わなければならないすなわち人間は神の命令を聞かねばならないが、まず神が「自分と同じことをしろ」と他人に命令したことを使って人間が神の命令を聞くことを人間が神と同じことをすることに変えて、それから神が嘘をついたことを使って自分も嘘をついて神を王や将軍にして、さらに自分が神と同じことをすることによって自分も王や将軍になって独断で法律や政令を作ったり国民に戦争させたりするのである。
これは笑い話ではなくて、政治家が実際に真剣にやっていることである。つまり、日本やアメリカの政治家の正体は宗教家なのだ。もしかしたら、全世界中の政治家が宗教家なのかもしれない。[アメリカの政治家が特にオープンなだけであって、ヨーロッパやその他の国の政治家も日本やアメリカと同じように神武天皇や私を神としているのかもしれない。]
しかし、この論法も、得られた証言や証拠だけでは特定の者を超能力者と決めるには不十分であったり、超能力者が人間よりも上の者である点が不明確であったりして今日的には成り立たないと思われる。
[6411] 浦島太郎 h21.1.23
宗教家が神制を使って政府で好き勝手に政治をやっていたら、国がメチャメチャになっていたことを喩えたおとぎ話である。
つまり、浦島太郎が宗教家で、亀が神で、竜宮城が政府で、浜辺の漁村が国である。
浦島太郎が玉手箱を開けると年寄りになる後日譚[ごじつたん]は、誰でも歳を取れば天皇制が何なのかわかることを言っているのだろう。
[6412] 歴史の教科書 h21.1.23
日本政府が国民に神制度を支持させる内容で固めている。
教科書をあんまり真に受けて神制度に賛成していると教養を疑われるぞ。
[6413] 日本神道のやり方 h21.1.23
日本神道は始めの頃は神武天皇を説教を説く貧乏人にして信者を集めて、
そのうち信者が集まったら神武天皇を王や将軍にして宗教家だけが儲かるようにする。
これでは信者が儲かりようがない。
[6414] キリストは人間である。 h21.1.24
現代においてはキリストは人間である。
キリスト教徒もキリストを人間として扱っている。
現代では、キリストが生きていた時代とは違って論理や科学知識があり合理的に物を見るから、キリストの後光はキリストの母親が見た錯覚だとわかっている。
現代では、キリストの母親が見た程度の超常現象では、神とすることができないのだ。
私の母親が見たことは、それほどの超常現象なのだろうか?
[6415] 見まちがいの才能 h21.1.24
私の母親の証言だけから私が超能力者であると結論できるとすれば、見まちがいがある度[たび]に超能力者が現れることになる。
私の母親のような見まちがいは、他にもたくさんあるはずだ。
私だけが超能力者というのはおかしい。
いわば、母親の『見まちがいの才能』であって、『見まちがいの才能』は多かれ少なかれ誰にでもあるはずだ。
だから、私の他にも超能力者はいっぱいいるはずであり、私だけを人間よりも上の者とすることは不当である。[[6409]参照。]
[6416] キリスト教はどうして人気があるのか? h21.1.24
キリスト教が人気があるのは、キリストのキャラクターの決め方がうまかったためであって、キリストの超能力のためではない。
現代では、誰も超能力を信じていない。キリストの超能力は話を面白くするための冗談にすぎない。
私に人気があるのも、私が超能力者であるからではなく、私の精神病論のためではないだろうか?
[6417] どうして政治家だけが超能力者を信じているか? h21.1.24
現代では、誰も超能力を信じていない。なぜなら、それは科学的常識に反するからである。
それなのに、政治家が超能力者を信じているのは、超能力者の神制を使って自分が王になったり将軍になったりするためである。
いくらお金が欲しいからといって泥棒や強盗をしてはいけないように、いくら王や将軍になりたいからといって超能力者を信じてはいけないのではないだろうか?
それに、政治家が科学的常識に反して特定の人間を勝手に悪魔(人間よりも下の者)であることにして殺されたりしては困る。
科学は万国共通だから、科学は世界法(国際法)だと考えられ、科学的常識を犯すことは世界法を犯したことになる。だから、政治家は犯罪者だ。
[6418] 女の病気 h21.1.24
私の母は3〜4日前に物がグルグル回って見えるめまいがして何度もゲエゲエ吐いたそうだ。医者に診てもらっても身体はどこも悪くなかったそうだ。
母の病気の原因は、私がなかなか高知に帰らないので、母の愛情が満足されずに気分が落ち込んでいたからだと考えられる。
私も医学生の頃、自分の知覚欲が満足できないでイライラして気分が落ち込んで苦しかったことがある。
男でも女でも、自分の感情が満足されないのはつらいものだ。
[6419] 政治家は超能力者がいると信じている。☆ h21.1.24
政治家は、超能力者の神制で自分が王や将軍になりたいために、超能力者がいると信じている。
宇宙は無限に広くてロマンがあるから、超能力者がいると信じることは許される。
しかし、私の母親の証言程度で私が超能力者と言えるなら、この世には超能力者がいっぱいいて、誰でも多かれ少なかれ超能力の才能があると考えられるから、学者やスポーツ選手が人間の中で優れた者であって人間よりも上の者ではないように超能力者も人間の中で優れた者であって人間よりも上の者ではない。[例えば、私が小学4〜5年生の頃母親の身体の周りが光っているのを見たから、私の母親も超能力者である可能性がある。]
だから、たとえ超能力者が実在するとしても、超能力者は人間よりも上の者すなわち神ではないから、政治家が超能力者を神とする神制によって王や将軍になることはできない。
もっとも、超能力者がいると信じることは許されるが、超能力者がいることを科学的に立証するためには証言だけでは不十分でもっとたくさんの物的証拠が必要である。
[6420] 天皇は何のためにいるか? h21.1.24
天皇は、超能力者かもしれない神武天皇が実在したことを国民に眼で見てわからせるために居るのである。
しかし、超能力者かもしれない者は他にも大勢(推定100万人以上)いて[超常現象の記録は数え切れないほどあるはずだから、超能力者かもしれない者は大勢いることになる。]、極言すれば全人類が超能力者かもしれないから、神武天皇が超能力者かもしれないという理由で神武天皇を人間よりも上の者とすることはできない。
神武天皇は人間よりも上の者ではないから、もはや宗教家にとっては使い道がなく利用価値がないのである。
したがって、天皇は、天皇自身が自分の役職を勤めて食べて生きていくために居るのであって、他人のために居るのではない。
[6421] どうして人間は超能力者の命令を聞かねばならないか? h21.1.24
たとえ超能力者が実在したとしても、超能力の才能があるからといって、その者の命令を聞かねばならない道理はない。
人間が他人の命令を聞くのは、自分が幸福になる場合であって、超能力者の命令を聞いたからといって必ずしも自分が幸福になるとは限らないから、一概に超能力者の命令を聞かねばならないとはいえない。[人間は実在に従うと幸福になり実在に逆らうと不幸になる。正しい者に従えば心が実在と噛み合って幸福になるし、まちがった者に従うと心が実在と噛み合わなくなり不幸になる。だから、人間は正しい者に従い、まちがった者には従わないのだ。超能力者は正しい者とは限らないから、超能力者の命令は聞かなくてもいいのである。]
だから、人間は超能力者の命令を聞かなくてもよいのである。
したがって、[6410]の宗教家の論法はまちがっているから、宗教家は超能力者によって王や将軍になることはできない。
[6422] 神とは何か? h21.1.25
超能力者とは、その者の意思で当時の科学で理解できないことを起こした者である。
実際には、これまでには超能力者かもしれない者しか現れておらず、超能力者と断定できる者はこれまでには一人もいない。
超能力者かもしれない者は大勢いて、宗教家がその中から極少数の者を選んで神としているわけである。
つまり、神とは超能力者かもしれない者にほかならない。
神を人間よりも上の者とするのは、宗教家が神制を使って作った『余計な嘘』であって、実際には神とは超能力者かもしれない者にすぎない。人間が超能力者かもしれない者の命令を聞かねばならない道理はないから、宗教家の論法はそもそも成り立たない。つまり、宗教家の論法は最初からでっち上げなのである。昔はまだ論理がよくわかっていなかったから、宗教家がまちがいを犯したのだ。
[6423] 政教分離 h21.1.25
政治は実在の国を扱い、一方宗教は架空の世界を扱う。
実在の世界では真実しか通用しないが、架空の世界では嘘でも通用する。
例えば、キリストは、政治的にはイスラエルの国籍がある一人の個人だが、宗教的にはいろんな超能力を使う愛の道徳を説く十字架に磔にされた人間よりも上の者であり、場合によっては王や将軍にもなる。
実在の国と架空の世界を混ぜては危険である。
だから、政治と宗教は分かれねばならない。
[6424] 日本一郎(仮名) h21.1.25
日本一郎は架空の日本の神である。
日本一郎は貧しい家庭に生まれたが、努力して日本王と呼ばれる立派な人物になった。
光の玉とグルグル回る物体を使うのは許可するが、これ以上実在の神武天皇や私の個人情報を使ってはならない。
[6425] 聖書 h21.1.25
聖書はキリストの言行録でも思想書でもなく、キリスト教の宗教家が信者を獲得するために考えた空想の作り話である。
お金を持っているのは大人だから、大人向けに実話っぽく書かれている。
[6426] 科学と宗教 h21.1.25
科学とは嘘っぽい実話であり、
宗教とは実話っぽい嘘である。
だから、宗教が実在を扱ってはいけないのだ。
[徳川家康の言葉に、『誠らしき嘘はつくも、嘘らしき真を語るべからず。』というのがある。徳川家康は宗教家だったのだろうか?それとも、日本政府の誰かが徳川家康の言葉を変えたのだろうか?もしも、徳川家康が日本神道の宗教家だったとすれば、徳川幕府が天皇を江戸から追放しただけで殺さなかったことが理解できるし、300年後に日本神道が徳川幕府を倒して日本神道が一段と勢力を強めるために徳川幕府を作ったと考えることもできる。天皇制では国力が衰退するから[[6440]参照]、国力増強のために一時的に天皇制を休むために徳川幕府を作ったのかもしれない。徳川幕府が鎖国をしたのは、世界的な反宗教運動が日本に及ばないようにするためだったと考えられる。]
[6427] 実在の外に出る。 h21.1.25
科学は実話であり、宗教は嘘である。
宗教に入ることは実在の外に出ることである。
人間は実在に従えば幸福になり、実在に逆らえば不幸になる。[知覚が実話でできていると、人間の心は知覚に従うから、心が実在に従って、その心で実在を動かすから心と実在が噛み合ってうまく行くから幸福になる。反対に、知覚が嘘でできていると、心が実在から離れて、その心で実在を動かすから実在を破壊してメチャクチャにするだけで心が実在と噛み合わずうまく行かないから不幸になる。[4959]参照。]
だから、宗教に入ることは不幸になることである。
宗教はオナニーや麻薬のように、はじめの一時[いっとき]は快楽だが、時間がたてば心が実在の法則を犯して自分自身や他人を破壊して不幸の原因になるのだ。
[6428] どうして女はマンガを読まないのか? h21.1.25
女がマンガに弱いのは、女が眼で見て頭で考えない種族だからである。
女は眼で見たことをそのまま真に受ける習性があるので、マンガを読むと嘘を本気にして実行するので危ないのである。
女のマンガが面白くないのは、面白くすると嘘になってしまって、それを真似ると危ないからである。
男がマンガが読めるのは、頭の中で冗談と思いながら読めるからだが、いくら男でも読みすぎると危ないから、実際には男でも自分の安全のためにそれほど読みはしないのだ。
[6429] 宗教とマンガ h21.1.25
宗教は実話っぽい嘘である。
マンガは嘘っぽい嘘である。
実話っぽい嘘は実在と空想が混ざるので危険である。
嘘っぽい嘘のほうが実在と空想が分かれているので安全である。
[6430] 宗教家とは何か? h21.1.25
前置き『宇宙は相対性原理と不確定性原理の両方を満足するように作られている。量子力学で得られた法則は相対性原理を満足していないから、その法則を相対性原理を満足するように書き直せば、実在が見えてくる。逆に相対性理論で得られた法則は不確定性原理を満足していないから、その法則を不確定性原理を満足するように書き直せば、実在が見えてくる。そもそもアインシュタイン方程式(F’=m’a’)はニュートンの方程式(F=ma)を相対性原理を満足するように書き直したものであり、シュレーディンガー方程式(HΦ=ihΦ’)はニュートンの方程式(F=ma)を不確定性原理を満足するように書き直したものである。アインシュタイン方程式から有名な式『E=mc2』が出てきて原子爆弾や原子力発電所が作られたし、シュレーディンガー方程式からは『物質のエネルギー準位が跳び跳びになっている』ことが出てきてトランジスターや太陽電池などが作られたわけである。』
宗教家とは、“超能力者かもしれない者に人間が従わなければならない”つまり“超能力者かもしれない者の命令を人間が聞かねばならない”という根拠のないまちがいを信じている者である。
この世にはもともとそんなルールはないのに、宗教家が自分で勝手にそんなルールがあると思い込んでいるのだ。
つまり、宗教家は妄想狂である。
だから、宗教家に実在の世界を任[まか]せてはいけない。宗教家に政治家をやらせてはいけない。
宇宙は論理を満足するように作られているのに、宗教家の論法は論理を満足しないので、宗教家の論法は宇宙においては成り立たず、宗教家は宇宙の外に追放されねばならないのだ。
[6431] “超能力者かもしれない者”は人間よりも上の者ではない。 h21.1.25
宝石が石ころよりも価値があるのは、宝石がめったにないからである。
しかし、“超能力者かもしれない者”は宝石ほど珍しくはない。誰でも一生に一回は不思議な体験をするからである。
だから、超能力者かもしれない者は特別な価値があるとはいえない。
つまり、超能力者かもしれない者は人間よりも上の者ではない。
だから、宗教家が超能力者かもしれない者を神とすることはまちがっている。
本物の超能力者なら珍しいから人間よりも価値があるといえるだろう。
しかし、宝石が石ころに命令はしないから、本物の超能力者に人間が従わねばならないことはない。つまり、“価値がある”ことと“命令を聞かねばならない”こととは別ごとである。
[6432] “超能力者かもしれない者に人間が従わねばならない”法則は成り立たない。
h21.1.25
法則には必ずその根拠となる観察事実が必要である。何の根拠もない法則は検証によって確かめられないかぎり、法則としての資格がない。
宗教家が“超能力者かもしれない者に人間が従わねばならない”ルールがあると考えたのは、実際に昔の人がそうしていたからである。宗教家は昔の人がそうしていたのを自分の眼で見て、この世にはそういうルールがあると考えたのである。
しかし、それなら昔の人が天が動いていると考えていたからといって、いつまでも天が動いているとしなければならないことになる。
それが、地球が動いていることにできたのは、天が動いているとすることに何の根拠もないことを見抜いた学者がいたからである。
それなら、超能力者かもしれない者に人間が従わねばならないことにも何の根拠もないから、超能力者かもしれない者に人間が従わねばならないことはない。
実際に、超能力者かもしれない私がいくら宗教をやめろと言っても人間である宗教家がちっとも従わずに平気で宗教を続けている。反例が存在するから、この法則は成り立たない。
それに、私やキリストや釈迦や神武天皇やモハメット以外にも超能力者かもしれない者は大勢いて、彼らには人間が従っていないから、こんな法則はもともとないのである。
[6433] 幸福への道 h21.1.25
キリスト自身はどうでもいい。キリストの母親が見た幻覚なんかもどうでもいい。
キリスト自身はキリスト教を始めるきっかけを作っただけで、肝心なのは宗教家が作った架空のキリストのキャラクターである。聖書のキリストの言葉はキリスト自身が言った言葉ではなく、後世の宗教家が考えた臭い台詞[せりふ]である。
キリスト教が栄えるか否かは、架空のキリストのキャラクターの出来にかかっているので、キリスト教の財産はキリストではなくキリスト教の宗教家のものだと言ってもいい。[そのかわりキリストのプライバシーや名誉は守らなければならない。神に変態みたいなまねをさせて、それで宗教家が儲けるのはあんまりだ。]
ところで、われわれを幸福に導く者は、実在を知っている者である。実在についての知識を活かして作られた発明品を使うことによって、私たちは幸福に生きることができる。
ところが、宗教家は架空の神のキャラクターを考える才能があるだけで、実在を知っているわけではない。
宗教家が考えた架空の神のキャラクターに付き合っても、馬鹿馬鹿しいだけである。宗教は実話っぽい嘘であり、嘘の原理で実在を動かしても成功しないから、宗教の世界を学ぶのは時間の無駄である。つまり、キリストの教えや釈迦の教えはあたかも真理であるかのような嘘である。だから、いくらキリストや釈迦の教えを守っても成功しない。[神武天皇教に至っては、庶民には縁がなく政治家だけしか使えない。政治家は、キリスト教の信者がキリストの教えを真に受けているという理由で、神武天皇の伝記を使って自分が王や将軍になったつもりで独断で法律や政令を作ったり国民に戦争させたりするのだ。神武天皇教は政治家だけのためにある宗教なのである。もっとも、政治家全員がこんなことをやっているのではなく、日本神道に入っている政治家がやっているのだ。]
宗教は話自体を楽しむためにあるのであって、それを実在に応用するためにあるのではない。
だから、現代では宗教家にはマンガのキャラクターを考える以外には用はないのだ。
[6434] 外人の日本人観 h21.1.25
日本人全員が日本神道の信者である。なぜなら、日本政府の政治家にとっては自分の手足のように使える信者が多いほうが有利だから、神が嘘をついたことを使って、神制で[つまり、宗教家が嘘をついて神を王にして自分が独断で法律を作れるようにして]日本人全員を日本神道の信者にすることができるからである。
ところが、日本神道の信者、一般に宗教の信者は、嘘を信じて生きている吐き気のするようなくだらない連中である。
だから、外人は『日本人は早く死ね』と思っているに違いない。
[6435] 天皇は何のためにいるか?(その2) h21.1.26
天皇の祖先の神武天皇が日本の王だったと国民に思わせるためにいるのである。
日本初期の頃は神武天皇のキャラクターがまだ道徳を説く乞食[こじき]だったから、キリストや釈迦の子孫が絶えたように、神武天皇の子孫も絶えたはずである。今の天皇は、神武天皇のキャラクターを乞食から王に変えるために、神武天皇と血筋のつながりのない者がやっているのではないだろうか?
[6436] どうして超能力者かもしれない者が神なのか? h21.1.26
神とは人間よりも上の者という意味である。
宗教家は、超能力者かもしれない者に人間が従わなければならないと考えているから、超能力者かもしれない者の命令を人間が聞かねばならないことを何らかの方法で超能力者かもしれない者と同じことをしなければならないことに変えて、超能力者が上の者に従わなかったことがあることを使って都合のいい場合にだけ超能力者かもしれない者と同じことをしてもよいことにして、超能力者かもしれない者が生涯に一度でも嘘をついたことを使って自分も嘘をつけるので超能力者かもしれない者を人間よりも上の者すなわち神だと嘘をついたのである。
しかしながら、宗教家が超能力者かもしれない者に人間が従わねばならないと考えているのなら、超能力者かもしれない者は他にも大勢いるので、宗教家自身が自分で決めた決まりを守っていないことになるのでおかしい。だから、宗教家は最初から“超能力者かもしれない者に自分が都合がいい場合だけ従ってもいい”ことにしているのだろう。もちろん、それは実在の法則ではなく、たんなる宗教家の取り決めである。つまり、宗教家はあたかもそれが実在の法則であるかのような嘘をついていたにすぎない。要するに、はじめからほとんど全部が嘘なのだ。つまり、超能力者かもしれない者がいたことと超能力者かもしれない者のおおよその生没年と出身地と超能力者かもしれない者とされた根拠となる超常現象だけが本当で、その他は全部宗教家が考え出した嘘なのだ。
[6437] どうして宗教に入る人がいるか? h21.1.26
今でも宗教に入る人が絶えないのは、彼らがキリストや釈迦の話を実話だと考えているからである。キリストや釈迦の思想はキリストや釈迦自身の思想ではなく、後世のキリスト教や仏教の宗教家が考えた思想である。しかも、それらは真実の思想ではなく、嘘の思想である。空想世界を楽しむための雰囲気だけの思想であって、実在の世界に適用するための思想ではない。
日本政府の政治家が神武天皇や私の神制を使って独断で法律や政令を作ったり国民に戦争させたりするのも、彼らが神武天皇や私の話を実話だと考えているからである。[私の話がどんな話なのか私も知らないが。]
神についての話は実話ではなく、実話っぽい嘘である。
嘘の作り話に踊らされてはならない。
宗教に入る人は仕事や勉強で忙しすぎて、宗教について考える暇がなくて、神についての話が嘘であることに気づかなかったのだろうか?
しかし、世の中には自分で宗教について考えて神についての話が嘘だと気づいた人も大勢いるから、宗教家の作った嘘に騙[だま]されるほうが悪いのだ。
[6438] 論理性は実在性の必要条件である。 h21.1.26
ヘーゲルは『論理的なものは実在的であり、実在的なものは論理的である』と言って論理性が実在性の必要十分条件であるとしたが、これはまちがっている。
実在性を満足するには、他にニュートンの発見した力原理(運動の第3法則)やアインシュタインの発見した相対性原理やハイゼンベルクの発見した不確定性原理などを満足しなければならないからである。
だから、論理性は必要条件であって十分条件ではない。
宗教家の論法は論理性の必要条件を満足しないから[[6432]参照]、実在性がなく、宗教家の嘘の作り話にすぎない。
したがって、宗教家の作り話に騙されて宗教に入って宗教家に財産を奪われた者は、宗教家は[神についての話を]実話だと言っていないのだから、自分勝手に実話だと思って真に受けた信者のほうが悪いので、宗教家に文句は言えない。神制度を使った政治家は宗教家の嘘に騙されて仕事の上でありえないミスを犯したのだから、労働上の過失罪とみなされる。
[6439] 宗教は文学である。 h21.1.26
科学は実話である。
文学は嘘である。[マンガに描いていることをやったら犯罪になったからと言って、マンガ家が責任をとらねばならなくなったら大変である。]
宗教は実話っぽい嘘である。
だから、宗教は文学の一種である。
[6440] 嘘ではうまく行かない。 h21.1.26
科学は実話だから、科学を学ぶと心が実在と噛み合って心が実在に働きかけることによって生活水準が向上し、自分自身や他人を傷つけずに幸福な生活を送ることができる。
宗教は嘘だから、宗教を学ぶと心が実在と噛み合わなくなり心が実在に働きかけなくなって生活水準が衰退し、まちがいを犯して自分自身や他人を傷つけて不幸になりやすい。
嘘でうまく行くのは宗教家だけであって、その他の人間にとってはうまく行かないのだ。
[6441] 政治家はなぜ神制を使うのか? h21.1.26
政治家が神制を使うのは、政治家が神制を本気にしているからである。
神制が嘘だとわかっていたら、神制を使ったりしないはずである。
政治家にとっては神制が真実なのである。
政治家は勉強のしすぎで実在のことがわかっていないようだ。
神制はおとぎ話の世界の決まりであって、実在の社会の決まりではない。
そんな頭がおかしい政治家がいる日本の国会が嫌だし、そんな政治家を選んだ日本人も悪い。[人の頭の中は見えないからな。]
人類の中にそんな馬鹿がいるとは新発見だ。
[6442] 宗教団体とは何か? h21.1.26
宗教団体は嘘で成り立っている嘘で儲けている組織である。
宗教団体が真実で成り立ったり真実で儲けたりしてはいけないのだ。それが宗教団体の掟[おきて]だ。
だから、神の教えは真実であってはならないのだ。神の教えは真実ではないから、実在に適用してはいけないのである。
[6443] どうして科学と宗教を混ぜてはいけないか? h21.1.26
科学は真実であり、宗教は嘘である。
科学と宗教を混ぜると、T∧F=Fだから、宗教になる。
科学と宗教を混ぜると宗教になり嘘が強まるだけだから、科学と宗教を混ぜてはいけないのである。
[6444] どうしてズバリ言わないのか? h21.1.26
これまでに文学者や科学者が宗教を喩え話で伏せて攻撃するだけで、はっきり宗教がまちがっていると言えなかったのは、宗教の仕組みが詳しくわからなかったからである。宗教家がどのようにして神制度を成り立たせているかがわからなかったからである。
このたび私が[6406]や[6410]などでかなり詳しい考察をしたから、あとは誰でもわかるだろう。
[6445] どうして私は人前に出ないのか? h21.1.26
私が人前に出ると、本物の私が架空の私のキャラクターのイメージをぶち壊してしまうので、私を神とする宗教はすぐにつぶれてしまう。
だから、私が人前に出られないように、宗教家が私を精神分裂病に罹らせて出世させないようにしたのだと考えられる。
たとえ私が高1のとき精神分裂病に罹らなかったとしても、その後何らかの方法で私の出世を妨害して私を人前に出にくいようにさせたはずである。
[6446] 神制度の仕組み☆ h21.1.26
一見論理的であるかのようだが、それは宗教家が神制度があたかも自然科学のように論理的に成り立っている正当性のある制度であるとみんなに思わせるためである。
自然科学では最初の原理が真実だから結論も真実なのだが、神制度では最初の原理が宗教家の取り決めにすぎず嘘だから結論も嘘である。[取り決めの中にある“自分にとって都合のいい”とは、神制度がやりやすいつまり伝言ゲームをやらせたり上の者に従わなかったり嘘をついたり将来出世して人前に顔を出させないようにしやすかったりするなどの条件を満足すると言う意味である。もちろん、その他に宗教家の気まぐれもあるだろうが。]
神制度に使われた超能力者かもしれない者は神とされているが、神すなわち人間よりも上の者とは、宗教家が他人の目を欺[あざむ]くために作った『意味のない言葉』であって、神制度にとって必要ではない。
宗教家が王になって独断で作った法律や政令の内容がいちいち神に因んでいるのは、あたかも宗教家が神の命令で神制度をやっているかのように人々に思わせるためである。つまり、宗教家が自分の責任を神に擦[なす]り付けるための工夫である。
『人間は自分が幸福になることをする』から、宗教家が神制度をやろうとするのはわかるが、宗教家が独断で作った法律や政令は国民にとっては自分を幸福にするものではないから、国民は宗教家には従わない。
[6447] 浅野耕太のバカ h21.1.27
浅野耕太は私が小学生の頃私の向かい隣に住んでいたが、今は京都大学の助教授に出世している。
どうせ政治家の計らいで今の地位に就いたのだろう。
肩書きが偉いだけで、人間的にはクズだ。
[6448] 信者が悪い。☆ h21.1.27
宗教家は神についての話が実話だとは言っていない。宗教家は神についての話が嘘だと考えて宗教をやっている。だから、宗教家は正しい。マンガや小説だって、『この本は架空の作り話です』なんていちいち書いてくれていない。
それなのに、信者が勝手に神についての話が実話だと誤解して、神についての作り話を実在の世界の中で実行しているのだから、信者が悪い。
神制度を使っている政治家(つまり、日本神道に入っている政治家)は、神制度がまちがっているにもかかわらず神制度が正しいと考えて使っているのだから、政治家が悪い。政治家はこれまでに神制で何人も殺しているから、軽く死刑だ。[[6446]の図における“宗教家”を、一般に“信者”だと考えれば、信者が[自分に都合のいい]超能力者かもしれない者に従わなければならないことは信者の定義から正しいと考えられるが、そこから先の推論がまちがっている。もし、それが正しければ、前にも言った通り、会社のレクレーションで社長に伝言ゲームをさせれば、社員がどんな嘘でもつくことができて、例えば社員が社長になれるはずである。実際には、そんなことは成り立たないから、この推論は成り立たない。それに、そもそも『誰であろうと嘘をついてはいけない』。超能力者かもしれない者も嘘をついてはいけない。超能力者かもしれない者が嘘をついたからといって、その他の人間が嘘をついてもいいことにはならない。したがって、神制度の結論である『信者が嘘をつける』ことや『信者が王や将軍になれる』ことは成り立たない。論理的な制度でなければ実在的な制度ではない。神制度は論理的な制度ではないから、実在的な制度ではない。神制度とは正しい制度のようなまちがった制度なのだ。だから、神制度を使うのはまちがっている。それに、神制度の正体がたったそれだけのことだとわかってしまったら、みんな(とくに生活に困っている者)が神制度を使おうとするので世の中が大変なことになる。[神制度は免罪符のようなものだ。]だから、神制度を許してはならないのだ。]
神である架空の私についての話は私自身も知らない。それなのに、私の信者が私の神制をやっているのは、最近は神についての話を作らずに(ネタ切れ?)、直接に信者が神制度で嘘をついて自由にやっているからだろう。だから、私が生きているうちから私の宗教がやれたのだ。
[6449] キリスト教の信者について h21.1.27
キリスト教の信者は、キリストに従う者である。
キリストに従うとは、聖書に書いてあるキリストに従うことである。つまり、聖書に書いてあるキリストのやったことなら、信者は何をやってもいいということである。
聖書のキリストはいろんなことをしたから、広義に解釈すればかなりの範囲のことがやれるし、聖書のキリストが矛盾したことをしたなら、かなりメチャクチャなことがやれる。
最近の信者は、メチャクチャなことをやるためにキリスト教に入るようである。これでは、キリスト教というよりキリスト狂だ。
しかしながら、そもそも聖書のキリストは架空のキャラクターであって、聖書の話は嘘であり、嘘を実在に適用することはまちがっているから、信者が悪い。聖書は科学書のように実在に適用するためにあるのではなく、マンガのように読んで面白ければいいだけのものだから、聖書に書いてあることを実行してはいけない。聖書は憲法でも哲学書でもなく、マンガなのだ。
信者自身もマンガだからこの世界の中に存在していない。信者はこの世界の中に住んでいないから、信者に対してはこの世界の法律が適用されないので、信者の財産を奪っても信者を殺しても信者に対して何をやってもいいのだ。
[6450] ヘーゲル派 h21.1.27
私が九州大学医学部教養部にいた頃物理学の講義で用いた裳華房の『物理概論下巻』のコラムにオームの絵が載っていて、オームは金属の抵抗の法則『I=V/R』を発見したが、ヘーゲル派に攻撃されたために、一生小学校の教師をしなければならなかったと書かれていた。[Wikipedia参考。]
ニュートンはこの世界の運動を『F=ma』で説明したが、ヘーゲルは『正反合』で説明した。つまり、ニュートンは力(一般には論理)で運動が起こると考えたが、ヘーゲルは矛盾によって運動が起こると考えた。
ドイツでは過去一時的にヘーゲル派が勢力を持っていたために、オームは金属中の電子を玉として捉えてニュートン流の考えで金属の抵抗を説明したので、ヘーゲル派から攻撃されたのである。
私は実在が論理的にできていると考えるので、宗教の屁理屈(つまり神制度)は論理的ではないから実在世界の中では成り立たないと考える。
[6451] どうして私アニメは作られるのか? h21.1.27
残念なことに、日本人の多くは神制度がまちがっているにもかかわらずいまだにそれを正しい制度だと考えている。
だから、日本では神制度を使って作られた商品はよく売れる。
日本神道にとっての神は私だから、私に因んで作った商品はよく売れる。
だから、私アニメが作られているのである。
しかし、それは私のパブリシティー権を侵害したことになるから、本当はいけないことである。
[6452] 嘘をつく☆☆ h21.1.27
嘘をつくとは実在の外に出ることである。
『人間は実在の外に出てはいけない。人間が幸福に生きるためには実在の中にいなければならない。』ことが、神制度をも凌[しの]ぐこの世の至上原理である。
だから、超能力者かもしれない者が嘘をついて実在の外に出たからといって、信者が嘘をついてもいいことにはならない。
つまり、“信者が超能力者かもしれない者に従わねばならない(同じことをしなければならない)”とすることがまちがっている。それは一概に言えることではなく、超能力者かもしれない者が正しいことをした場合に限られる。
信者は“自分が超能力者かもしれない者に従わねばならない”ことを原理にしているが、そんな原理は架空の世界の原理だ。架空の世界の原理を実在の世界に適用することはできない。
ニュートンの運動方程式が相対性原理によって書き直されたように、神制度は実在性原理(人間が実在の中にいなければならないとすること)によって書き直されねばならない。つまり、信者が超能力者かもしれない者に従っていいのは正しい場合に限られる。[それなら、誰も神制度をやらないだろう。]あるいは聖書を実在世界に適用できないマンガと見なしたように、いっそのこと神制度を実在世界に適用できない架空の制度と見なして捨て去るかである。
[6453] 昔は神制度がなぜ正しかったのか? h21.1.28
昔は人間が素朴で良心的だった。昔はマンガやテレビがなかったので、昔の人の考えは実在的だった。
だから、みんなは超能力者かもしれない者がしたことの中で特に正しいことに従った。
だから、神制度がいい方向に作用して社会がうまく行っていたのである。
しかし、今は人間が捻[ひね]くれている。今は実在と架空の区別も定かではない者が増えている。
だから、今の人間が神制度を使うと、みんなは超能力者かもしれない者がしたことの中でまちがったこと(例えば、上の者に従わなかったことや、嘘をついたことなど)に従おうとする。
だから、今の時代は神制度が悪い方向に作用して社会がうまく行かないのである。
[6454] 人間が法則を決めることはできない。 h21.1.28
人間が勝手にニュートンの法則が相対性原理よりも上だと決めることはできない。そんなことをしたら、相対性原理がなくなってしまう。
それと同じように、人間が勝手に超能力者かもしれない者原理が実在原理よりも上だと決めることはできない。そんなことをしたら実在原理がなくなってしまう。
人間には実在の法則を決めるほどの資格はない。
人間は実在の中に生きていて、人間自身も実在の一部であって、実在の法則はあらかじめ決まっていて、それを人間が発見しそれに従うまでである。
[6455] 科学は宗教よりも強い。 h21.1.28
『実在に従う者が実在を支配できる。』(フランシス=ベーコン)
反対に、実在に従わなければ実在を支配できない。
宗教は実在に従わない生き方だから、実在を支配できない。
科学は実在を支配できるが、宗教は実在を支配できない。
だから、科学は宗教よりも強いのだ。
[6456] キリスト教はキリストの命令を聞くことではない。 h21.1.28
キリスト教がキリストの命令を聞くことなら、キリストが死んだ時点でキリスト教は終わるはずである。
ところが、キリスト教はキリストが死んだ後で始まった。
だから、キリスト教は信者がキリストの“命令を聞く”ことではなく、信者がキリストと“同じことができる”ことである。
実際には、架空のキリストのキャラクターと同じことを信者が実在世界の中でやってまちがいを犯しているだけである。
[6457] 超能力者かもしれない者原理はどうやって発見されたのか? h21.1.28
超能力者かもしれない者を見た昔の人が、ただなんとなく“人間は超能力者かもしれない者に従わねばならない”と考えただけのことである。
それで、その人が“超能力者かもしれない者に人間が従わなければならない”法則の発見者になってしまったのである。
それはずいぶん昔のことだったから、その法則を発見した人は名前さえ残っていない。
一時[いっとき]その法則は原理にまでなっていたが、今はもう原理とはいえない。
“超能力者かもしれない者に人間が従わなければならない”法則を発見した学者が馬鹿だったのだ。
[6458] 信者とは何か? h21.1.28
信者とは頭の中で“超能力者かもしれない者に人間が従わなければならない”原理を信じていて、そのまちがった原理を実在に適用して、実在世界の中でまちがいを犯している者である。
人間は神様とは違うから、世界を作ることはできない。
人間がまちがいを信じたからといって、まちがった世界を作れるわけではない。
まちがった原理を信じる者は、実在世界の中でまちがいを犯すだけである。
神制度で自由に嘘をつけるなら、信者をゴキブリということにして自由に殺してもいいことにするぞ。
[6459] 神に従ってはならない。 h21.1.28
宗教とは、架空の神のキャラクターや神制度を使うことによって実在の外に出ることである。
実在の外に出るといっても、実際には人間は実在の外には出られないから、たんに実在世界の中でまちがいを犯すだけである。
信者は、実在世界の中でまちがいを犯すことを神に従うと言い換えているだけのことである。
それなら、人間は実在世界の中でまちがいを犯してはならないから、神に従ってはならないのだ。
[6460] “超能力者かもしれない者に人間が従わなければならない”法則は必要な法則か?
h21.1.28
超能力者かもしれない者は、せいぜい超能力の才能に長けているだけで、それ以外の才能はたいしたことがない。
超能力の才能は他人が真似をすることはできない。
だから、超能力者かもしれない者に人間が従わなければならないとしても、とくに何も従うことがない。
だから、”超能力者かもしれない者に人間が従わねばならない”法則はなくてもかまわないのである。
[6461] オウム真理教事件 h21.1.28
オウム真理教地下鉄サリン事件は、オウム真理教が私の神制度によって起こした事件である。
日本政府がオウム真理教を罰したのは、オウム真理教が実在原理によって作られた法律を犯したから罰せられたのではなく、私が医学生の頃外科学のポリクリの時間に犬を殺したことを使って日本政府が私の神制度で罰したのである。
日本において日本の法律が機能していれば、わざわざ私に犬を殺させる必要はないはずである。
だから、日本においては日本の法律が機能していないと考えられる。
それは、日本政府が実在原理よりも超能力者かもしれない者原理に従う宗教機関だからである。
日本においては私の神制度が機能しているのみであり、日本の法律が機能していないから、日本政府が殺せるのは私が犬を殺したことによって日本神道の者だけであり、日本神道以外の者なら日本の法律を犯して何をやってもいいのである。だから、日本神道以外の者が日本政府の者を攻撃してもかまわないのである。[その場合には、リンカーン大統領やケネディ大統領暗殺事件のように加害者を裁けないから迷宮入りになって無罪になるはずである。]
[6462] 日本国民は神主義で生きていけない。 h21.1.28
私は、“超能力者かもしれない者”といちいち書くのが面倒臭くなったので、今後は短く“神”と書くことにする。ただし、ここでの神とは、超能力者かもしれない者のことであって、人間よりも上の者のことではない。
今のところ、架空の私のキャラクターは不定だが、将来もしかしたら架空の私のキャラクターは日本の王や将軍になっているかもしれない。
政治家は、架空の私のキャラクターに従って(真似をして)生きて行けるかもしれないが、その他の日本神道のザコの信者や日本神道に入っていない国民はいったい何の真似をして生きていけばいいのだろうか?
彼らが実在に従って生きて行くなら、政治家以外は実在主義で政治家だけが神主義の国ということになる。
それなら、政治家以外の者は政治家とは主義が違うから政治家の言うことに従わなくなるのではないだろうか?
[6463] 政治家は神主義だけで生きていけるか? h21.1.28
人間が生きていくためにはいろんな法則に従わなければならない。
神がしたことの真似だけではとうてい生きていけない。
だから、政治家も神主義と実在主義の両方で生きていることになる。
ところで、神主義は実在から外に出るつまりまちがったことをするときに利用するから、神主義とは反実在主義である。
政治家は実在主義と反実在主義の両方で生きている矛盾した人間である。
政治家はアンビバレントで危険な存在だ。
政治家はいい歳になっても実在のことがわかっていない生涯未熟な人間だ。
[6464] 神主義は成立するか? h21.1.28
人間は神主義だけでは生きていけない。
神主義と実在主義の両方がなければ生きていけない。
ところで、神主義とは反実在主義だから、ひとりの人間の中に神主義と実在主義の両方があれば、神主義と実在主義とで打ち消しあって無になる。
だから、神主義は成立しないのである。
[6465] 神主義は成り立つか?(その2) h21.1.28
神主義とは反実在主義である。
実在の中で反実在主義は成り立たない。
[6466] 日本やアメリカはいまに潰れる。 h21.1.29
世界中の国はいまや実在主義の国なのに、
日本やアメリカだけが神主義すなわち反実在主義の国である。
世界中の国が正しいことをやっているのに、
日本やアメリカだけがまちがったことをやっている。
日本やアメリカは世界にとっていらない国である。
[6467] 私が日本を許すための条件 h21.1.29
1)私の哲学日記第1巻を私に戻すこと。
2)私アニメをこの世からなくしたという物的証拠を私に示すこと。
3)私の精神分裂病を治すこと。
以上の3つができないかぎり、私は日本を許さない。
[6468] 超能力者かもしれない者主義は要らない。 h21.1.29
超能力者かもしれない者主義は実在主義に従わなければならない。
でも、正しいことなら、強いて超能力者かもしれない者主義を採らなくても、実在主義で十分できる。
だから、超能力者かもしれない者主義は要らない。
[6469] 日本人は字面[じづら]だけしかわからない。 h21.1.29
これまで神主義が通用したのは、日本人が“字面”だけしかわからないからである。
神主義の“意味”を考えてみると、それが成り立たない主義であることが自[おの]ずからわかる。
日本人はもっと知覚を働かせて物事を見ないといけない。
つまり、日本人が帝国主義なのは日本人が馬鹿だからだ。
[6470] 実在あっての神 h21.1.29
神制度では、超能力者かもしれない者が嘘をついたりまちがいを犯したからといって信者が嘘をついたりまちがいを犯してもいいことになっている。[私もまちがいを犯したことは数え切れないほどある。]
しかし、嘘をついてもいいなら、超能力者かもしれない者が超能力者かもしれない者ではなかったことにできるから、神制度がやれないことになる。
実在あっての超能力者かもしれない者だから、やはり超能力者かもしれない者原理は実在原理に従わねばならない。だから、いくら超能力者かもしれない主義であっても実在には従わねばならず、嘘をついたりまちがいを犯したりしてはいけない。[[6468]に続く。]
嘘をついたりまちがいを犯すことが流行すると世の中が乱れるから、神制度はやってはいけない。
[6471] 南北問題 h21.1.29
北上するという言葉があるが、私のイメージでは北に行くことは下がることであり南に行くことは上がることである。
だから、北上[ほくじょう]という言葉は当たらない。私にとっては北下[ほくげ]だ。南下[なんか]は南上[なんじょう]だ。
そもそも北上[ほくじょう]南下[なんか]という言葉があるのは、政治家たちが北半球に住んでいる人間を南半球に住んでいる人間よりも優れた者に思わせるために作った言葉である。
政治家は、実在についての歪[ゆが]んだイメージを作ってそれを国民に植え付けて世の中を動かすのが仕事だ。要するに、政治家はあからさまでない嘘をつくのが仕事だ。宗教家とは、神専門の政治家なのだ。
[6472] どうして信者は神を混ぜるのか? h21.1.29
信者は神制度を使って嘘をついたりまちがいを犯したりするが、信者が嘘やまちがいに“神を混ぜる”(例えば、神武天皇なら光る玉に似た物を使ったり、私なら青や緑の物を使ったりする)のは、神制でやっていることをみんなに教えるためである。そうしなければ神制度でやっていることにならないからである。それが神制度の制約だからである。[最近、日本政府が神制度を使った信者を罰するようになったのは、私が外科学のポリクリ(臨床実習)で犬(犬←いぬ←川の(“ぬ”の左斜め線を“い”に移すと、“い”が“川”になり“ぬ”が“の”になる。)←川野(私の姓))を殺したからである。]
私アニメが“私を混ぜて”作られているのは、私アニメを作ることは本来私の人格権やパブリシティー権を犯すことなのに、神制でやったからいいとするためである。
文学に“神を混ぜる”のも、本来作り話をすることはいけないことだけれども、神制でやったのだから許されるとするためである。[私なら作り話をするぐらいなら許す。だから、文学に神を混ぜなくてもいい。ただし、本の扉の裏に、できれば『この話はフィクションです。』と一言[ひとこと]書いておいて欲しい。]
[6473] 宗教家はどうやって儲けているか? h21.1.29
架空の神武天皇の話は有名で日本人なら誰でも知っているが、架空の神武天皇のキャラクターが王や将軍であるため、それを使えるのは政治家だけである。
しかし、私の話は今のところまだできていなくて、架空の私のキャラクターも決まっていない。つまり、架空の私のキャラクターは今のところはまだ無名である。
だから、日本神道の信者が私の神制で嘘をついたりまちがい(犯罪)を犯そうとしても、どうしていいのかわからない。
ところが、宗教家は私の個人情報を詳しく知っている。
だから、宗教家が信者に私の個人情報をお金で売れば儲けることができる。
信者は大喜びで私の個人情報を宗教家から買って、それを使って嘘をついたり犯罪を犯したりして儲けている。
信者の被害にあった国民が損をして泣くだけである。
これでは、犯罪者天国日本だ。
しかし、最近は、神武天皇の神制でやった犯罪が有罪になるだけではなく、私の神制でやった犯罪も有罪になるから、信者諸君は注意しなければならない。
[6474] 超能力者かもしれない者は実在よりも上か下か?☆☆☆ h21.1.29
超能力者かもしれない者主義では、超能力者かもしれない者が「超能力者かもしれない者主義が成り立たない」と言ったら、超能力者かもしれない者に従う信者はとにかく超能力者かもしれない者主義をやめねばならないはずである。
だから、超能力者かもしれない者が「超能力者かもしれない者主義が成り立つ」と言わなければ、超能力者かもしれない者主義はやれないはずである。
しかしながら、超能力者かもしれない者は実在あっての超能力者かもしれない者であって、実在がなければ、そもそも超能力であるかないかの区別もないから、超能力者かもしれない者が実在よりも上に立つことはできない。
実際に、超能力者かもしれない者が実在の法則を変えることはできない。超能力者かもしれない者が生まれる前も生まれてからも死んでいなくなっても実在の法則はちっとも変わらないので、超能力者かもしれない者が実在を支配しているのではない。むしろ、超能力者かもしれない者は肉体の寿命が尽きて死ぬのだから、超能力者かもしれない者が実在に支配されていると見なすべきである。
超能力者かもしれない者は一種類の超常現象を起こすことしかできなかったのだから、超能力者かもしれない者が実在の法則を変えたというよりも、超能力者かもしれない者が実在の中にあるひとつの未知の力を使ったというべきであろう。もしも、超能力者かもしれない者が実在の法則を変えたのなら、次の日から物体の運動も社会の法律も変わっていなければならないが、とくにそのような様子は見られなかったから、おそらく実在の法則は何も変わっていないはずだ。
だから、たぶん超能力者かもしれない者は実在の下につかねばならないのだろう。
また、たとえ超能力者かもしれない者が実在の法則を変えたとしても、超能力者かもしれない者はその超能力で実在を[局所的一時的に]支配して実在の法則を変えることができたのであって、信者には超能力がなく実在を支配できず実在に従わなければならないから実在の法則を犯してはいけない。
超能力者かもしれない者が本当に実在を支配して実在を変えることができたなら、嘘が本当になり、まちがいは起こりえないはずである。だから、超能力者かもしれない者が嘘をついたりまちがい(犯罪)を犯した自覚があるのは、そのときには超能力者かもしれない者が実在に従っていたからである。つまり、超能力者かもしれない者が実在を支配できたかもしれないのは超常現象を現したときだけであって、それ以外の時には実在に従っているのだ。だから、超能力者かもしれない者であっても、やはり嘘をついたりまちがいを犯してはならないのである。
信者には最初から超能力がないから、実在に従わねばならず、嘘をついたりまちがいを犯したりしてはいけないのは当然である。
超能力者かもしれない者は、超常現象を現したときだけは実在を支配できたかもしれないが、それ以外のときは実在に支配されていて嘘をついたりまちがいを犯してはならない。
まして、超能力のない信者は、いくら超能力者かもしれない者に従っても超能力が使えるようにはならず、実在を支配できるようにはならないのだから、信者が嘘をついたりまちがいを犯したりすると実在の中で嘘をついたりまちがいを犯したりすることになるだけだから、信者は嘘をついたりまちがいを犯したりしてはならない。
つまり、信者も超常現象を現していないときの超能力者かもしれない者も実在世界の法則や法律に従うしかないのである。
超能力者かもしれない者は、その『超能力の実力』で実在を変えて自分がやりたいことをやるのはかまわないが、そうでない場合には実在に従わねばならない他の人間と同様とする。つまり、超能力者かもしれない者であろうがなかろうがすべての人間は実在の法則や法律に従わねばならない。ただし、『超能力の実力』で実在を変えて自分がやりたいことをするのは個人の自由とする。[ただし、テレパシーやラップ音までは[超能力ではなく]人間の能力に含まれているから、テレパシーやラップ音で何か犯罪を犯しても無罪にはならない。]
超能力者が超能力を使って実在を支配し自分の思い通りにするのはかまわないが、超能力を使わずに実在に反することをしても実際には実在に支配されているままだから実在の中でまちがいを犯すことになるからいけない。
神制度が、信者が超能力者に従うことによって超能力が使えるようになりその超能力を使って実在を支配して自分の願望を叶[かな]えるのならかまわないが、実際の神制度は信者が喩えや駄洒落などによって超能力者に従うのみであり超能力が使えるようになるのではないから、信者が実在に反することをすると実在の中でまちがいを犯すことになるから、信者が嘘をついたりまちがいを犯したりして実在に反することをしてはいけない。
[6475] 超能力者かもしれない者主義で生きていけるか? h21.1.29
超能力者かもしれない者主義社会では、みんなが神制度を使って嘘をついたりまちがい(犯罪)を起こしたりして世の中が乱れて、文明が衰退したり戦争が起こったりして社会が滅びる結果に終わる。[実際に、私は嘘をついたりまちがいを犯したりしたことがあるし、みんなが神制度を使って嘘をついたりまちがいを犯すことができないように架空の私のキャラクターを嘘をつかないまちがいを犯さない立派な人物にしたところで、しょせん架空だからそれを実在に適用してもうまく行かない結果に終わる。(架空が実在に勝てるわけがない。)実在の人間から論理的に帰納されたキャラクターにしないかぎり成功しない。]
反対に、実在主義社会では、心が実在と噛み合いながら前進するから、文明が進歩するし戦争が起こらない。
要するに、超能力者かもしれない者主義は反実在主義だから実在の中では成り立たないのだ。
だから、少なくとも国が超能力者かもしれない者主義を採ってはいけない。犯罪者を実在主義で作られた法律に照らしながら厳密に拾っていけば、そのうち超能力者かもしれない者主義を採る者はいなくなるだろう。
[6476] 神制度で儲ける会社 h21.1.30
神制度のある国では、神の個人情報を混ぜれば嘘をついたりまちがいを犯してもいい。
日本政府は神(超能力者かもしれない者)の個人情報を免罪符として売って儲ける会社である。
日本政府は神制度で儲けたいから、日本を神制度が通用する国にしているのである。
しかし、最近、私の個人情報が漏洩したので、怒った日本政府は急遽路線を変更して日本を神制度が通用しない国にしようとしている。
そもそも[6181]より合理的には『神制度はやれない制度』だから、神制度を廃止にするのが当然である。
[6477] 神制を使った商品 h21.1.31
神制を使った商品つまり名前やデザインなどに“神を混ぜている”商品は、本来売ってはいけない商品を神制を使ったからといって売ってもいいことにしている商品である。
だから、神制を使った商品は、品質が悪かったり、欠陥があったり、公衆道徳に反していたり、法律に反していたりする商品なのである。
だから、消費者は神制を使った商品を買うときには注意しなければならない。
[6478] どうして押売りはゴムひもや歯ブラシを売っていたのか? h21.1.31
ゴムひもは白い輪っかだから、神武天皇の光の玉の喩えだし、ゴムひもは引っ張ると伸びるから私の名“延夫”[のぶお]の喩えでもある。
歯ブラシは歯を磨くと歯が白く光るから、歯が神武天皇の光の玉の喩えだし、私の名の“のぶお”の“ぶ”が入っている。
本来押売りはやってはいけないことだが、神武天皇や私の神制でやっていいことにしていたのだ。
[6479] 神制度は架空の制度である。☆ h21.1.31
神制度では、神に従うといっても、神の考えた正しいことに論理的に従うのではなく、たいてい喩えや駄洒落[だじゃれ]などによって形式的に従うだけだから、神制度は論理的な制度ではなく、したがって実在的な制度ではないから[[6438] 論理性は実在性の必要条件である。 h21.1.26を参照。]、実在においては成り立たない。
だから、神制度は架空界の制度であって実在界の制度ではなく、実在の中でやってはいけない制度である。
[6480] 100円ショップ h21.1.31
100=102で、10←ten←天←天皇で2←ツー←川ノ←川野(私の姓)だから、102とは私が天皇に乗っている、つまり私を天皇よりも上の者としてやっている店である。
商品が100円だから、商品の品質は保証できないが神制で売ってもいいことにしているという意味合いもある。
[6481] 宗教とは考えない教である。 h21.1.31
キリスト教でもイスラム教でも仏教でも日本神道でも、世界中の宗教つまり超能力者かもしれない者に人間が従う制度は、よく考えてみると制度として成り立たないことがわかる。実在世界の中で実行できる制度ではないことがわかる。
だから、宗教では信者が頭を使って考えることを禁止している。だから、宗教に入るとバカになる。
だから、宗教色の強い国は、他の国からバカにされるのだ。
[6482] もっと証拠が要る。 h21.1.31
犯罪があったとき、犯行現場の近くにいたというだけでは犯罪の容疑者にすぎず、犯罪者と断定するためには、他に物的証拠や本人の自白などが必要である。
それと同じように、超常現象の現場の近くにいたというだけでは超能力者の容疑者にすぎない。超能力者と断定するためにはただたんに超常現象の近くにいたというだけではなく、もっと他にも証拠が要る。
つまり、これまでに超能力者とされた者は、みんな超能力者の容疑者にすぎなかったのである。
そもそも超常現象が超能力によるかどうかも定かではないから、超能力者の容疑者と言うよりも超能力者の容疑者の容疑者と言ったほうがいいだろう。
だから、超能力者の容疑者の容疑者に対しては、特に何もしなくていいのだ。
[6483] 神制度は架空の制度(改) h21.2.1
超能力者かもしれない者が一度超常現象を起こしただけで超能力を使わなくても実在の中で何をやってもいいとしたり、信者が超能力者かもしれない者に喩えや駄洒落で形式的に従ったりするだけで実在の中で何をやっても許されるとするのは、超能力と常能力を混同したたんなる架空の取り決めにすぎない。
超能力を使って実在を支配して実在に反することをすることは許されるが、超能力を使わずに実在を支配せずに実在に反することをすると実在の中でまちがいを犯すことになるからいけない。
つまり、現行の神制度は超能力と常能力の区別を無視した架空世界における制度にすぎない。
したがって、架空の聖書の作り話を実在の中で実行してはいけないように、架空の神制度を実在の中で行うことは許されない。[また、たとえ超能力が実在の中にある未知の能力としても、実在を超能力のない世界と考えれば、これまでと同様の議論が成り立つ。逆に、これまでの議論において実在に“実在を支配する能力”を付け加えた世界を改めて実在と考えればよい。]
つまり、超能力が実在を支配する能力としても、実在の中にある未知の能力としても、どちらにしても超能力者かもしれない者が超能力を用いて実在に反することをしてもそれは実在の中で実現されるからかまわないが、超能力者かもしれない者以外の者が常能力で実在に反することをすると実在の中でまちがいを犯すことになるからいけない。【拡張された実在原理による神制度の書き直し】[マンガ『ドラえもん』の第1巻第15話「ランプのけむりオバケ」の“ランプの魔人”が本物の魔法で願いを叶えるならかまわないが、他人の者を盗んで叶えるならいけないのと同じ理屈である。]
実際に、これまでの超能力者かもしれない者が超能力かもしれない能力を使えたのは生涯の限られた一時期(数秒〜数分間)だけで、そのとき特に問題は起こらなかったから、超能力者かもしれない者のために、わざわざ法律を作る必要はない。今後もおそらくないだろう。
[6484] 阪神VS巨人 h21.2.1
阪神とは神に反するの意味で神制度に反対することであり、一方巨人とは日本政府のことで神制度に賛成することである。
神制度とは、超能力者かもしれない者の超能力と、超能力者かもしれない者以外の常能力を混同したまちがった制度である。
私はまちがった制度を支持したくないから巨人よりも阪神を応援したい。(ただし、野球には興味がないから概念的に応援したいだけである。)
[6485] 大昔の教会 h21.2.2
大昔の教会では、キリストの超能力(仙術)の使い方を教えていた。
しかし、誰も超能力をマスターできなかったので、そのうちキリストを主役とした作り話を聞く所になった。
神制度は、昔は神の超能力を人間が身に付けて実在を自由自在に操ることだったが、そのうち神の喩えや駄洒落を用いて実在の中で本来禁止されていることを破る制度になった。
つまり、今よりも昔の人のほうが神制度を実在的に捉[とら]えていたのである。
やれないことなら諦[あきら]めるしかない。
無理にやろうとするからおかしくなるのだ。
つまり、永久機関が作れなかったように、超能力を習得するのは無理なので、さっさと『人間は常能力しか使えない』という原理を立てて、宗教をやめて何か他[ほか]のことをやったほうが賢明だ。
実際に、これまでの超能力は物が光ったり、物が動いたりするだけだから、電球やモーターでも十分できることである。だから、科学があれば宗教はもはや要らないのだ。
[6486] 宗教団体は暴力団 h21.2.2
宗教団体は、神制度を使って実在の中でまちがいを犯しているだけの犯罪組織である。
自分たちで勝手に不合理的な制度を決めて実在の中でまちがいを犯している暴力団と同じである。
暴力団がなくなったように、宗教団体もなくならねばならない。
日本神道は日本の政治家がやっている宗教だから、日本の政治家の家に警官が踏み込んで政治家を捕り押さえればいいのだ。
政治家は実在世界の掟[おきて]を犯した犯罪者だから、実在の世界では政治家を殺しても無罪で済む。
政治家は本来の実在世界における神制度すなわち『超能力で実在に反することをするのはかまわないが、常能力で実在に反することをしてはいけない』を実在世界において通用しない架空の制度すなわち“神に従う限りでは(つまり、神を喩えや駄洒落に使えば)、常能力で実在に反することをしてもかまわない”に変えた罪により罰せられねばならない。[蛇足をやるから、世の中がおかしくなるのだ。]
[6487] 中国の神制度 h21.2.3
中国にも神制度はある。
気功や太極拳がそれである。
中国では本来の実在世界における神制度がそのままの形で残っているのだ。
本来の実在世界における神制度では、神とは『超能力の手本を示した人』なのだ。いわば、神は超能力の先生であって、信者が神に『従う』とは、信者が超能力の先生の超能力を手本として自分自身で『超能力を習得する』ことである。
中国以外の国では、宗教家が神制度を勝手に変えて実在世界では成り立たない制度にしてしまっている。神とは、人生の架空の道徳を説[と]く者でも、人間が命令を聞かねばならない者でも、免罪符の発行を許可する者でもなく、ただたんに超能力者かもしれない者なのである。[神を人間よりも上の者とか人間が命令を聞かねばならない者とかするのは、超能力者かもしれない者に対する余計な解釈であって、神のもともとの意味ではないのである。]
[6488] 正しい神制度 h21.2.3
『超能力で実在に反することをしてもかまわないが、常能力で実在に反することをしてはいけない。』
だから、たとえ神といえども超能力を使わずに常能力で実在に反することをしてはいけない。例えば、日本の天皇制のような制度は成り立たない。
神以外の者が超能力をマスターせずに常能力で実在に反することをしてはいけないのは当然である。
政治家は正しい神制度つまり『超能力で実在に反することをしてもかまわないが、常能力で実在に反することをしてはいけない。』に不満があるかもしれないが、これがこの世界の掟だから守らなければならない。
[6489] 神と政治家の違い h21.2.3
神は実在を支配する者である。
政治家は実在に従いながら人々を支配する者である。
だから、神と政治家とは縄張りが違う。
[6490] 超能力はどうすれば使えるのか? h21.2.3
私が1〜2才頃ガラガラを回す念動力が使えたかもしれない。
しかし、それは私が小さい頃のことなので、私自身もどうやって超能力が使えたのかわからない。
ただ、私は小さい頃から物を回すのが好きだったことは確かである。
眼や筋肉の仕組みがわからなくても眼や筋肉を使うことができるように、超能力の仕組みがわからなくても超能力が使えるのである。
超能力がないとするのが科学的な見方なら、超能力があるとするのもまた科学的な見方である。
[6491] ガラガラの回転について h21.2.4
私は平成21年1月30日(金)〜平成21年2月10日(火)まで高知の実家に帰っていた。
今度高知に帰って母と話す機会が持てたので、夜中に突然ガラガラが回ったことについて、もっと詳しい話が聞けた。
昔、私が1〜2才の赤ちゃんの頃、私の家族が住んでいたのは、高知市朝倉の鴨部[かもべ]ではなく、正確には鴨部の西の曙町東町[あけぼのちょうひがしまち]だった。曙町東町の鏡川の近くの家に私の家族は住んでいたのである。
問題となったガラガラは、ゼンマイ駆動で、ゼンマイを巻いて手を離すとすぐに2〜3分の間ガラガラが回りながらオルゴールの曲が鳴る仕組みだった。
夜中に突然ガラガラが回ったときには、ガラガラが回りながらオルゴール曲が鳴り、いつもと変わらない勢いで1〜2分間回り続けて止まったそうだ。
夜中に突然ガラガラが回ったときには、私の家族はみんな布団で寝ていて、私のベビーベッドの横で母が仰向けに寝ていて、父は別の部屋で寝ていたそうだ。
そのガラガラは、私が生まれたときに私の母か薫的のおばあさんが買ったもので、若草町へ引っ越すときに捨てられてしまったようである。
夜中に突然ガラガラが回ること以外には、特に家の中で変わったことは起こらなかったそうだ。
以上のことから考察すると、夜中に突然ガラガラが回ったのは、オルゴールの鍵盤がドラムの釘[くぎ]に引っ掛かって途中で止まっていたのが、夜中に何らかの弾みで引っ掛かりがほどけて急に回り始めたものだと考えられる。
したがって、私の母が見たことはフレーザー・ウィルコックス錯視ではなく、本当にガラガラが回ったのであって、私の超能力よりもガラガラの故障であったと考えられる。
大雑把[おおざっぱ]に聞いただけでは超能力のせいのように思われても、話をよく聞くとただのオモチャの故障になってしまう。
[神であるための条件は、身近にちょっと不思議なことがあっただけで、他には特に何もない。それを、「神だ!神だ!」と騒ぎ立てて、さも何かがあるかのように思わせて個人に好き勝手な想像をさせて神をすばらしい者に思わせるところが宗教家の狙いなのである。]
[6492] どうして1ドル=360円だったか? h21.2.5
360度は円で、円は神武天皇の光の玉の喩えである。
アメリカが神武天皇を神としていた頃は、1ドルが360円だったのだ。
[6493] 政府は要らない。 h21.2.6
神道なんか大事と思わない。
だから政府は要らない。
[6494] どうすれば実在を支配できるか?☆ h21.2.6
昔の人は、超能力者のように超能力すなわち“実在を支配する能力”を身に付けることによって実在を支配できると考えた。
だから、宗教に人気があったのである。
しかし、近代になって『実在に従えば実在を支配できる。』ことが発見されて、人々は超能力よりも科学知識を身に付けるようになった。
つまり、宗教も科学も同じ“実在を支配する方法”であって、宗教よりも科学のほうがずっと効率のよい方法なのである。
つまり、宗教は“昔の科学”だから、今の科学(近代科学や現代科学)があれば宗教は要らないわけである。
“実在を支配したい気持ち”は宗教でも科学でも同じである。だから、実在が支配できさえすれば宗教でも科学でもどちらでもいい。したがって、科学があれば宗教は要らない。
[6495] 仏教やキリスト教は何のためにあるか? h21.2.7
釈迦やキリストの架空の伝記の真似[まね]をして一体何になるというのか?
小さい子供がテレビの特撮番組のヒーローの真似をするのと同じことだ。
[6496] 私の教えとは何か? h21.2.7
これまでの宗教は、神(超能力者かもしれない者)の架空の伝記や思想を作って、人々が神の真似をすることだった。[神の架空の思想は、正しさよりもすばらしく思われることが目的である。要するに、ただの見栄である。]
私は、そもそも宗教とは何であるか何であるべきかについて考えた。
その結果、宗教とは、『超能力を習得して実在に反することをする』ことだとわかった。
しかし、いまだに超能力を習得するための具体的な方法はわからない。
これまでの宗教は、宗教の本道から離れ、余計な無駄なまちがったことをやっていただけだ。
宗教すなわち『超能力学』は、もっと人類の科学が発達してからやるべきことだろう。
それまでの間は、人類は科学一筋でやっていくべきだ。
[6497] 超能力問題 h21.2.8
超能力問題とは、超能力を含んだ無矛盾な世界を作ることである。
その答えは、『超能力を使えば実在に反することをしてもいいが、常能力では実在に反することをしてはいけない。』である。
だから、たとえ超能力者でも、超能力を使わないときには実在に反することをしてはいけない。例えば、神武天皇は超能力で光の玉を出してもいいが、それ以外の時には常能力者(普通の人)と同じように実在に従わねばならない。また例えば、私が超能力で夜中に突然ガラガラを回すのは勝手だが、それ以外のときには常能力者と同じように実在に従わなければならない。
その他の人間についても、超能力で何をしようが個人の勝手だが、常能力では実在に反することをしてはいけない。例えば、超能力者以外の者が神(超能力者かもしれない者、しかもその可能性は極めて小さい)の架空の伝記や思想を使ったり、神の喩えや駄洒落を使うことは、全部常能力でできることだから、実在に反してはいけない。
[6498] 神武天皇の光の玉の正体は? h21.2.8
神武天皇の近くに隕石が落ちただけのことである。[最近テレビで見たオカルト番組のビデオに、男女2人組がハイキングをしている途中、突然隕石が落ちてきて、隕石の中から緑色のネコ(私の喩え?)が飛び出して男女を襲うビデオがあった。]
たんにそれだけのことから、神武天皇が日本統一の旅に出て、クライマックスで神武天皇が超能力で光の玉を出して敵を倒した武勇伝を作り上げたのである。
だから、神武天皇は日本を最初に統一した王でも大勢の軍隊を率いる将軍でも、はたまた乞食和尚[こじきおしょう]でもなく、ただたんに落下した隕石の近所に住んでいただけである。
[6499] 仏教はくだらない。 h21.2.8
仏教は実在しない架空の“死後の世界”を作り出して、その架空の世界観で実在の世界を動かしている。
仏教は架空主義でくだらない。
仏教の宗教家は自分たちが超能力を使えないからといって、釈迦のまちがったくだらない世界観にみんなを従わせようとする。とんだ八つ当たりだ。[仏教もまた、宗教の本道を外[はず]れている。宗教家は自分たちが勝手に“超能力”を信じていて、自分たちがありもしない“超能力”を使えないからといって欲求不満になっていて、その欲求不満を他人に八つ当たりして解消しているのだ。]
死後の世界で幸せになればいいからといって、この世を不幸にしているのが仏教のやり方だ。だから、仏教は禁欲主義なのだ。
死後の世界なんかない。だから、この世を精一杯幸福に生きねばならないのだ。
死後の世界がないことは、今日ではわかりきっている。その常識を釈迦の神制を使って冒[おか]しているのが仏教なのである。[一般に、実在に反することをするときに使われるのが、神制である。例えば、日本が実在において勝てない戦争をするために、神武天皇の神制を使わなければならなかった。つまり、神制とは正しいと考えられている常識を冒すための手段である。一時[いっとき]はそれで面白いかもしれないが、結局は失敗に終わるだけである。]
[6500] 政治家も人気がなければただのオヤジ h21.2.8
政治家が偉いと威張っていられるのは、政治家に人気があるからである。
だから、今の日本みたいに不景気だと、政治家の人気もないから、政治家も偉くない。
ところが、政治家は自分たちが状況によらずに常に偉い者だと信じている。自信過剰だ。
今の日本にはもはや政治家にペコペコ頭を下げる者はいない。
政治家なんかしょせんはくだらない日本神道のクソ坊主だ。