[6301] 考える人☆ h21.1.9
考える人にとっては、神制がやれないことがわかるし、超常現象の正体が幻覚や錯覚や花火ということがわかるから、考える人は神制をやらない。[子供向けの特撮テレビ番組でヒーローの変身の瞬間が弱点であることがたびたび指摘されている。]
考えない人にとっては、神制がやれないことがわかっていないし、超常現象の近くにいた人が超能力者だと思うから、考えない人は超常現象の近くにいた人を神にして神制をやる。
つまり、神制をやらない人は考える人であり、神制をやる人は考えない人である。
しかし、この前私が書いた[6181]の証明は簡単だから、いくら考えない人でもわかるだろう。[つまり、宗教家は当時の科学で理解できないことをしたと思われる者を神にして神制をやっているわけだが、科学でどういう仕組みで起こったか理解できないならそもそも誰がやったのかわからないので特定の者を神とすることができず、神制はやれないことになるわけである。]
だから、今後は誰にとっても神制はやれないのだ。
[6302] 悪い男よりもいい女のほうがいい。 h21.1.9
この世には、男らしさ・女らしさというものがある。
いい女とは女としての才能つまり手や眼を使う五感的才能に優れている女のことである。
悪い男とは男としての才能つまり頭を使う知覚的才能に劣っている男のことである。
男は男として・女は女として評価されるべきであって、女を男として・男を女として評価してはいけない。
[6303] 日本神道は悪い組織だ。 h21.1.9
天皇が自分の祖先の神武天皇が花火を使った詐欺師だったと言えないのは、言うと次の日から自分に石が飛んでくるからである。
そうやって天皇家は何千年もの間日本国民を欺き続けてきた。
神武天皇が正直に自分が神でないと言い出す勇気がなかったばかりに、大勢の日本人が殺されてきた。[いくら周りに合わせるとはいっても、嘘をついてはいけない。]
天皇の周りにいる日本神道も平気で嘘をついて人殺しをするガラの悪い連中だ。
これまで日本神道に石が飛んでこなかったことが奇跡と言いたくなるぐらいだ。
[6304] どうしてこれまで宗教について誰も議論しなかったのか? h21.1.9
宗教について本格的に考えると、誰でもたいてい4〜5年もすれば一通りのことはわかる。例えば、宗教がやっている神制が原理的にやれないことや、政治家の正体が宗教家であって神でない者を神としている詐欺師にすぎないことなどがわかる。
そんなことをみんなの前で発表されたら、いっぺんで日本や世界の政治は潰[つぶ]れてしまう。
だから、そうならないように政府つまり宗教団体が宗教についての研究や発表を禁止してきたのだ。
ところで、私は[宗教の人以外にとっては人間だが]日本神道の政治組織である日本政府にとっては神であり一応人間よりも上の者だから、日本政府の立場上私には逆らえないので、私のやることに関しては政府は口出しできない。だから、私が宗教について何を考えようが勝手なのだ。
[6305] どうしてアラブの女性は布で自分の顔を隠すのか? h21.1.9
それは、女性が自分の美貌で威張らないようにするためである。
女性が化粧ばかりして要らない余計なことをするのを防ぐためである。
そのほうが、女性にとっても男性にとっても共に幸福な人生を送ることができるからである。
日本人の女性の場合は、布に頼らず自分の心がけでそうしたくだらない感情に囚[とら]われないようにしている。
[6306] 日本政府とは何か? h21.1.11
日本神道の政治部門が日本政府である。[日本政府が立法や司法を行うことができるのは、神が哲学つまり自分や他人が生きて行く上でのルールを考えたことから神道が法律を作ることができ、神が子供や大人のときにけんかして自分の気に入らない者を蹴ったり殴ったりしたから裁判や処刑を行うことができるからである。]
つまり、日本政府は日本神道の子会社である。
子会社なら親会社からの独立もあり得る。
[6307] 五感の下 h21.1.11
性感や麻薬感は五感よりも下の感覚である。
五感の下の感覚を働かせると認識が実在から離れてしまって認識と複合している心が狂ってしまい実在の法則を犯すようになり生きていけなくなるので、五感の下の感覚は働かせてはならない。
五感の中に階級制を設けて、聴覚が視覚よりも上であり、視覚は味覚や嗅覚や触覚よりも上だとしているまめな者がいるが、知覚から見ると五感は下である。
人間は考えることによって五感の世界を超えてさらに実在に近づくことができる。[女も知覚で考えることができるが、男と比べると五感の世界に重みがあるのだ。]
[6308] どうして人間は性感に囚[とら]われるのか? h21.1.11
人間が性感に対して強く心が興奮するのは、人間が以前動物だったからである。
しかし、人間が動物に戻るわけにはいかないので、人間が人間であるためには、たとえどんなに弱く微[かす]かであっても知覚欲や五感欲で生きていかねばならないのだ。たとえ最初は弱くても、毎日働かせていればだんだん強く興奮するようになる。
人間が視覚や聴覚に対して強く心が反応するのも、人間が動物だったからである。
[6309] 神制は人間にふさわしくない。 h21.1.11
[6301]より、神制は考えない人間にしかできない。
だから、神制の社会では人間は考えるものであってはならない。
しかし、人間は考えるから人間であって、考えなければ人間ではない。
したがって、神制は人間が人間であるために邪魔だから、人間社会からなくさなければならない。
神制は動物のためにある遅れた社会制度であって、人間のためにあるのではない。
[6310] 神制は馬鹿以下 h21.1.11
神制は宗教家という詐欺師が嘘でやっている制度なので、国が神制をやると国の認識が実在から離れてしまって国の心が狂ってしまい国が実在の法則を犯すようになって国が生きていけなくなる。
だから、国が神制をやってはいけない。
たとえ神制をやると国が外国からお金をもらえることがあったとしても、狂ってしまっては幸せになれず元も子もないから、神制はやめるべきである。国がきちがいの真似をしてまで外国からお金をもらわなくてもかまわない。
[6311] どうすれば国が豊かになるか? h21.1.11
国が豊かになるためには、ヨーロッパの国のように国の認識が実在的で国の心が実在と強く結びついていなければならない。
日本のように国が神制をやって国の認識が実在的ではなく国の心が実在から離れていては国が無駄な余計なことばかりやって国が貧乏になるだけである。
[6312] どうして鬱病に罹るか? h21.1.11
自分の心に対して目を向けない自分の心に疎[うと]い者が、自分の抑鬱感情を刺激する学問や仕事にうっかり就いてしまって鬱病にかかるのだ。
人間には心があるから、自分の心を不快にしないように注意しながら生きていかねばならない。
人間が物について考えるように、人間は自分の心についても考えねばならない。たとえ眼先で面白くても、深いところで面白くないことがあるから、よく考えねばならない。自分の心は自分自身が考えねばならない。他人を当てにすると他人の心で見ることになるのでまちがいが起こる。その努力を怠った者が鬱病に罹るのだ。
自分の気持ちが落ち込んで自分が鬱病に罹ったなと思ったら、自分の抑鬱感情を刺激する学問や仕事に自分が就いてしまったことが原因なので、たとえ多少の損失を伴っても自分の抑鬱感情を刺激する学問や仕事を自分がきっぱりとやめるしかない。そうすれば、鬱病は治る。[周りの連中が気持ちが落ち込まないのは、自分と周りの連中とは世界観が違うために事象と抑鬱感情との対応関係が異なり、周りの連中にとっては抑鬱感情を刺激しないからである。]
[6313] どうして女はかわいいのか? h21.1.11
女は男のように男性ホルモンの覚醒剤で興奮していないから、女は男に比べるとけだるい。
女はけだるい身体で喋ったり動いたりするからかわいく見えるのだ。
[6314] 人間は考える者である。 h21.1.11
そもそも人間は自分の頭を使って考える者である。
しかし、最近はテレビやマンガのために見る者に堕落してしまっている。最近の人間は眼で見る世界に重みがありすぎる。
やはり、人間は自分の知覚を使って考える努力をしなければならない。
ただし、女性については五感欲や愛情があるし、そんな合理的な価値観で計ることができないところが魅力なのだ。
[6315] どうして日本はいい国ではないのか? h21.1.12
日本の中枢が日本神道であって、日本神道が考えない人間つまり馬鹿だからである。
日本の中枢は日本の頭だから普通の人よりも正しく考える人で出来ていなければならない。
民主主義でなくてもかまわないから、とにかく日本の中枢は正しい考えを持った人で構成されるべきである。
[6316] 戦争とは何か? h21.1.12
日清日露太平洋戦争と天皇が代わるたびごとに日本は戦争を起こしている。
それは日本神道が神武天皇の神制で国民に戦争をさせているからである。
戦争とは、国民に対する銃殺刑である。
国民が犯罪者でもないのに、宗教家は国民をおもちゃにして死刑にして楽しんでいるのだ。
[6317] 女の神が現れたらどうなるか? h21.1.12
女は感性が五感的で論理がわからず態度に矛盾があってずる賢いから、
女の神が現れたら、眼先の文化になって他人を騙[だま]すことが流行って社会が腐って行くだろう。
神道は神の悪いところばかり社会に取り入れるから、女のいいところなんか取ったりしない。
[6318] どうすれば私の気がすむか? h21.1.13
宗教に入っている者は考えない者である。考えないから神制がやれると思っているのである。
考えない者は要らない人間である。
だから、世界中の宗教に入っている者を皆殺しにすればいいのである。
[6319] キリストの思想 h21.1.13
キリストの母は薄暗い部屋でキリストを見たためにキリストの頭から光が出ているように見えた。キリストの母はそれを実際にあったことだと思って、親戚や近所の者に話した。
それを耳にはさんだ宗教の者によってキリストは神だとみなされた。神制によればキリストのやったことはキリストの信者は何でもやっていいことになるから、キリストのやったことを調べるためにキリストに宗教の者の見張りが始終付くようになった。
キリストはその生涯において『大げさな嘘をつく』ことがあった。
したがって、キリストを神とする神制によってキリストの信者も嘘をついていいことになり、キリストの信者がキリストの嘘の伝記を作り上げた。これが新約聖書である。
したがって、聖書の記述は全部嘘であり、キリストの超能力はおろか、キリストの言行も嘘だし、聖書の記述から帰納的に導かれたキリストの思想も嘘である。キリストについては、『キリストの母がキリストの頭から光が出る錯覚を見た』ことと、『キリストが嘘をついた』こと以外にはわからない。
キリスト教は、キリスト教の信者が自分たちが最も有利になるように作った宗教なのである。
現在高校の倫理社会で教えられているキリストの愛の思想はキリストの信者が作った嘘である。嘘を学校で教えてはいけない。
[6320] 釈迦の思想 h21.1.13
釈迦の母は、釈迦を産んだすぐ後で、釈迦が7歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言った夢を見た。釈迦の母はそれを実際にあったことだと思って、親戚や近所の者に話した。そのために、宗教の者によって釈迦が神だとみなされて、釈迦に見張りがつくようになった。
釈迦についても、『具体的な物に喩える』ことはたしかに釈迦がやったことだと思うが、釈迦の思想についてはどれだけが本当に釈迦のものかはわからない。
キリスト教の聖書と同じように、仏教の仏典は釈迦の信者が自分たちが最も有利になるように釈迦の神制を最大に駆使して作り上げた嘘の作り話である。
[6321] 読書人の欠点 h21.1.13
読書人の欠点は、自分で考えようとしないことである。
他人が考えたことを眼で見ているだけで、頭で考えていない。
甘えの感情を鍛[きた]えているだけだ。
人間は自分の頭の中にある考えを書いたり喋ったりして考えるようにできているのであって、他人の言葉を読んだり聞いたりして考えるようにはできていない。
[6322] 宗教の原理《まとめ》☆ h21.1.13
宗教にはふたつの原理がある。
1)神の定義:人間にできないことをした人間、つまり当時の科学で理解できないことをした者を神とする。
2)神と人間の関係:神は人間よりも上の存在者だから、人間は神に従わなければならない。神のやったことは人間は何をやってもいい。…1より、神は人間よりも上の存在だと考えられる。したがって、人間は神に従わねばならない。しかし、一般に神は王とは違って人間に命令しないから、人間が能動的に積極的に神に従うしかなく、したがって神と人間の関係は2のようにならざるをえない。
かつてはこの2つの原理が世界共通の決まりと考えられ、世界中のすべての宗教がこのふたつの原理に則[のっと]って行われていた。
ところが、1についてよく考えてみると、科学で理解できないことならどんな仕組みで起きたかわからないので、そもそも誰がやったかわからず、特定の人物を神とすることができないから、神の定義はじつは定義になっていないことがわかる。[2については、神が人間の上の者に従わなかったことがあることによって、神がやったことの中で信者が自分にとって都合のいいことだけやっていいことになっている。[[6334]を参照。]]
つまり、現代の考える者から成る世界においては、1が成り立たないから、宗教はやれない。1も2も過去の考えない者から成る世界においてのみ成り立つ原理であって、宗教はもはや過去の遺物にすぎない。
[6323] 私アニメを見てもいいか? h21.1.14
私アニメは私を神とする神制によって作られたアニメのことである。
したがって、私アニメを見ることは神制を肯定することになるからいけない。
アニメやマンガを見ることと自分が戦争に行かねばならないことのどっちが大事だろうか?[戦争は神制によって起こるからである。戦争は宗教家が神の責任にして自分が責任をとらないからできることであって、神制がなければ戦争は宗教家が自分の責任でやらねばならないからできない。/私自身も私アニメを見るが、それは面白いからであって、面白ければ私アニメでなくても見る。]
[6324] 私アニメは何のために作られたか? h21.1.14
神道が人気を得るためである。
ヨーロッパの教会が宗教音楽や宗教絵画を作らせて人気を得ようとしたのと同じやり方である。
私アニメや私マンガは神道が神制で作ったことを見る者にわからせないといけないので、それで私ネタがたくさん入っているのである。
神道がしてくれるいいこととはしょせんその程度のことである。それと引き換えに高い税金を取られたり戦争で銃殺刑にされたのでは割に合わない。
[いくら日本神道がヨーロッパの教会の真似をしてもヨーロッパのようには行かない。ヨーロッパの文明が高いのは宗教によるのではなく、厳しい極寒の地で長年人間の心と頭が鍛えられてできた自然の賜物[たまもの]であって、生温[なまぬる]い地で生まれ育ってきた日本人に到底真似できるものではない。]
[6325] 宗教団体は滅ばねばならない。 h21.1.14
世界中の宗教団体は『宗教の原理』(つまり、1.神の定義と2.神と人間の関係)で成り立っている組織である。
ところが、1.神の定義では神を定めることができないはずなのに、世界中の宗教団体は神を定めて宗教活動をしているから、世界中の宗教団体がまちがいを犯していることになる。[宗教はいいかげんに神を定めてでたらめである。宗教はいんちきである。]
したがって、世界中の宗教団体は滅ばねばならない。
[6326] 神の有効期間 h21.1.14
科学で理解することができない超常現象は特定の者を神とする根拠であるが、その超常現象の仕組みがまったくわからないのでは、神を定めることはできない。[超能力と距離との関係がわかってからでないと、超常現象の近くにいた人がやったとはいえない。]
だから、神を定めるためには、超常現象がある程度理解されていなければならない。
つまり、ある特定の者が神であるのは、その者と超常現象との間に因果関係があることがわかってから、超常現象の仕組みが科学的に解明されるまでの間である。その間は、その者を神として定めることができる。
[6327] キリストの超能力 h21.1.14
キリストの超能力が本物なら、どうして科学時代になったからといって聖書にあるキリストの超能力についての記述を急いで消さねばならなかったのか?
キリストの超能力が事実なら、今後の人類が解決すべき問題として大切に残しておくべきである。
最近になって聖書にあるキリストの超能力の記述を消すようになったのは、聖書にあるキリストの超能力以外の言行についての記述も事実でないことが知られるのを恐れたからではないだろうか?
つまり、キリスト教のキリストは本物のキリストではなくキリスト2号すなわちキリスト教の信者にとって都合がいいように作られた偽者のキリストなのである。
[6328] 『ツァラトストラはかく語りき』の欠点 h21.1.15
私は高校生のとき、倫理社会に興味を持って岩波文庫の『ツァラトストラはかく語りき』を読んだ。
若いころはわけもわからずに無我夢中で読んだが、今にして見るとニーチェが何を言っているのかよくわからない。例えば、ニーチェは『神は死んだ』と言ったが、ニーチェはどうしてキリストが神とされていたのか正しく理解していなかったように思われる。
ニーチェは頭ではなく心で喋りすぎた。心に逃げるのは、よくあるごまかしの方法だ。
哲学と言うからには、もっと知的に論理的に記述されていなければならない。
[6329] 神武天皇は日本の王だったか? h21.1.15
神武天皇は戦いに負けたとき東にはもう攻めないと言っておきながら後で東に攻めたから嘘つきである。
つまり、神とされた神武天皇は嘘をついたことがある。
だから、神武天皇の神制では神武天皇の信者が嘘をついてもいいことになる。
当然、神武天皇の信者にとって有利な嘘をつくだろう。
だから、神武天皇の伝記が神武天皇の神制で神武天皇の信者が自分たちが最も有利になるように作った嘘の作り話だと考えられる。
神武天皇の業績が個人一人のものにしては多すぎることや、神武天皇が神であり将軍であり王であるなど最高権力者のすべての要素を併せ持つなど超人的なのはそのためである。
したがって、神武天皇について確かに言えることは、『神武天皇という人物がいた』[名前は後でつけた]ことと『神武天皇が発火物のすぐ近くにいた』ことと『神武天皇が嘘をついたことがある』ことだけである。それ以外は作り話である。
だから、キリスト教がキリストが死んでキリストの正体がわからなくなってから盛んになったのと同じように、神武天皇が死んで神武天皇の正体がわからなくなってから天皇家の権力が強くなったのである。
神武天皇を王にしたのは、日本神道が日本政府となって日本を乗っ取るためである。神武天皇を将軍にしたのは日本神道の誤算だったから、最近は神武天皇を神としなくなったのである。
[6330] 川野2号 h21.1.15
私が高知大学2回生の頃『NHKドイツ語講座応用編』で聞いたことだが、ドイツ語で新しく作られた名詞ははじめは中性でしばらくみんなが使っている様子を見てから男性か女性か中性かを決めるそうである。
これまでの神はすべて実際の神を神が嘘をついたと言うことで信者が自分にとって都合のいいように作り出した神2号である。キリストも釈迦も神武天皇もモハメットも私もみんなそうである。
だから、現在マンガやアニメやドラマなどで私を男にしたキャラクターや女にしたキャラクターや人間以外のものにしたキャラクターなどがあるのは、しばらく様子を見てからどれが私のキャラクターとして一番いいかをのちのち決めるためだと考えられる。
しかし、そうやって信者が嘘で作り出した神2号をもう一度『神と人間の関係』を使って神がやったことは自分もやっていいと言うことで信者が世間の法律やモラルを破るのは違法行為にほかならず、宗教は犯罪者組織にすぎない。[最近の若者が女っぽいのは、私を女だと思っている信者が多いせいかもしれない。]今はまだ各国の法律が未完成だから神が這[は]い入る隙間があるが、将来法律が物理学の法則並みに確固としたものになり国民の法意識が高まれば、神制度を許さなくなるはずであり、神も使用禁止になるだろう。いやむしろ、法律が未完成な今だからこそ、神制度を許してはいけないのかもしれない。
[6331] キリスト教と日本神道の違い h21.1.15
キリスト教はキリストが王ではなかったために宗教団体が法律を作れず国の法律とは独立に広がることができたので、世界中に広まった。
一方、古い日本神道は神武天皇が王であったために宗教団体が法律を作ることができ国の政府と揉[も]めるので、外国には広まらなかった。[古い日本神道は神武天皇が神で、新しい日本神道は私が神である。]
日本神道が神武天皇を王としたために、日本神道は日本国内でのみ有効なのである。
つまり、宗教の力は政治組織には及ばないのが世界の現状なのだ。日本では、神武天皇を王としたから日本神道が日本政府をやっているだけのことだ。だから、日本でも新たに政治組織を作れば、古い日本神道が神武天皇の神制でやっている日本政府を倒すことができる。
どうも、神がけんかしたとしただけでは、[神をはっきり王や将軍にしないかぎり、]現代においては[昔からも?]宗教団体が政府や軍隊はやれないようである。[バラ十字軍の名前は、キリスト(十字架)の神制だけでは戦争できないので、王(バラ)の権威を加えなければならなかったことを表している。昔は宗教団体が政府を乗っ取っていた[つまり、嘘が真実よりも強かった]から、宗教団体の命令で政府が軍隊を派遣したり法律を作ったりしていたのである。]
それなら、日本神道が日本政府となるために、将来私2号を王にするかもしれない。日本神道やその他の世界の宗教団体が戦争をやるために、将来私2号を将軍にするかもしれない。[作り話が大変だ。]しかし、今は記録が残るので、歴史を大きく変えることはできないから、私を王にしたり将軍にしたりはできない。だから、日本神道は[私以外の神を新しく立てないかぎり]政府も軍隊もやれないのだ。
[6332] 天皇とは何か? h21.1.15
花火の発明家(つまり、神武天皇)の子孫か[アメリカの発明王トーマス=エジソンは、神武天皇が花火の発明者であることがわかっていたから、自分が発明した電球にあえて日本の竹で作ったフィラメントを使ったのだろう。]、あるいは[神武天皇の血筋とは別の]日本神道の信者の中で王の物真似がうまかった者の子孫である。[大昔の天皇の寿命が100歳を越えているのは、血筋がつながっていないことを教えるためである。神武天皇の家系の記録を残そうと思えば、紀元前600年ぐらいの時代なら、十分正確にできたはずである。しかし、実際にそうしていないのは、神武天皇と今の天皇とが別の血筋であることを自分で考える者にわからせるためだと思われる。今の医学が発達した時代においてさえ140歳まで生きた人はひとりもいないのに、弥生時代の人間がそんなに長生きしたわけがない。現在のところ最長寿命記録保持者はフランス人女性ジャンヌ・ルイーズ・カルマン
(Jeanne Louise Calment、1875年2月21日〜1997年8月4日)の122年164日である(Wikipediaを参照した)。]
あるいは、日本神道が神武天皇のキャラクターや伝記をはっきり決めるまでに数百年はかかったと思われるから、初期の頃の天皇家はまだ偉くなく、その間の日本の歴史を曖昧にしてわからなくするために神武天皇から数代の天皇については年齢を偽って経歴不詳にせざるをえなかったのかもしれない。
どちらにしても、とにかく天皇はそれほど偉くないのである。
[6333] 日本神道は宗教団体でしかない。 h21.1.15
戦後しばらくの間は、アメリカが日本を支配していたために、日本政府が日本神道を支配する体制だった。
しかし、昭和40年頃からアメリカが日本から離れて行ったので、日本は再び日本神道が日本政府を支配する体制になった。日本では古くから日本神道の力が強かったので、それでアメリカが日本から去ってからは、再び日本神道が日本政府を支配する体制に戻ったのである。
戦後は日本神道は自分たちが戦犯として殺されるのを恐れて神武天皇を神としなくなり、昭和40年以降は私を神とするようになった。
しかし、現代は弥生時代と違って記録が残るために、宗教の力で歴史を大きく変えることはできず、私を王や将軍にすることはできないので、日本神道は政府や軍隊をやることができず、もはやたんなる宗教団体でしかない。
したがって、外国と同じように、日本神道は日本政府の支配下に置かれることになる。
[6334] どうして“神のやったことは信者もやっていい”ことになるのか?☆ h21.1.16
私は他人(とくに上の人)の命令に素直に従わなかったことがある。
だから、私の信者は私の神制を使って、私の命令に従わないのである。[宗教の人は、“従う”と言う言葉の意味を“真似る”(同じことをする)ことだと解釈している。]
私以外の神についても、神がその生涯において一度でも他人の命令に従わなかったことがあれば、その神の信者はその神の神制を使って神の命令に従わないことができる。
このように、『神が他人に従わなかった』ことを使って、神が信者に対して出した命令を打ち消すことができる。
したがって、信者の神に対する従い方は、自分が都合のいい場合にだけ神がやったことを自分もやるだけである。
[6335] どうすれば信者にとって都合のいい宗教にできるか? h21.1.16
私は子供のときに嘘をついたことがある。
だから、私の信者は私の神制を使って、まず“嘘の私”のキャラクターや伝記を作ることができる。
次に、神制をもう1回使って、私の信者は“嘘の私”のしたことを何でもやることができる。
私以外の神についても、神がその生涯において一度でも嘘をついたことがあれば、その神の信者はその神の神制を使って“嘘の神”のしたことを何でもすることができる。
このように、『神が嘘をついた』ことと『神制を2回使う』ことによって、宗教の信者にとって都合のいい宗教にすることができる。
[6336] 裏の聖書 h21.1.16
キリストだって『表と裏』を使ったことがある。
だから、聖書にも普通の本屋で売られている“表の聖書”とキリスト教の信者しか知らない“裏の聖書”のふたつがある。
キリスト教の信者は表の聖書ではなく裏の聖書に書かれたキリストに従って(真似をして)行動しているのだ。
そんなに難しく考えなくても、キリストが嘘をついたことと神制を3回使えば、表の聖書にないことをもう1回嘘をついたと言うことにしてすることができる。
[6337] 『物にものを言わせる』 h21.1.16
私が九州大学医学部医学科専門課程にいた頃、法医学で福岡県警察本部を見学したことがあったが、地下の射撃場で拳銃を撃つのを見た後で、所長が私の側[そば]でしばらく説明した後で最後に『物にものを言わせる』と言った。
これは、犯人を挙げるためには“物的証拠”が必ず必要であることを私に伝えたのである。
だから、ある者を超能力者とするためにも、何らかの“物的証拠”がなければならない。
しかし、キリストも釈迦もモハメットも私の場合も、母親や本人の証言があるだけで“物的証拠”は何もない。
だから、そういう場合には、超能力者にはできないのである。
[神武天皇の場合には、犯行現場に火薬の燃えカスがあるからたしかに光の玉が出たことがわかる。]
[6338] 信者は無法者 h21.1.16
『神が嘘をついた』ことを使えば、信者は原理的には[特に他人が見ていないところでは]何でもすることができる。
人類は信者と言う無法者を抱[かか]えて生きねばならないのだ。
神は原理的には特定の者に定めることができず、神である物的証拠は何もなく、人類平等のこの世の中にいまだに超能力者は人間よりも上だと信じて生きている信者は、知覚がぶっ壊れている連中だ。
[6339] 宗教と科学 h21.1.16
宗教とは、架空の理想的な善人としての神を考えて人間が神を目指して生きて行くことである。
一方、科学は、実在についての真理を考えて、人間が持っている技術の中で幸福を実現することである。
宗教も科学も人類を善く導くための方法である。
ところが、過去の経験から、宗教は人類を無知や戦争に導くだけであることがわかった。
やはり、空想で考えた善い人では、現実離れしてしまって結局うまくいかないのである。
人間は実在を踏まえて一歩一歩進んでいくしかないのだ。
宗教はもはや無用の長物であり、信者が神制を使って悪事を働くだけだから、世界中の政府は宗教禁止令を出して信者を撲滅すべきである。
[6340] 文学と科学 h21.1.16
文学とは心の世界を書くことである。
科学とは知覚の世界を書くことである。
芸術とは五感の世界を書くことである。
私は人間の認識は実在から離れるべきではないと考えるから、科学が好き。
宗教は架空の理想的な善人である神についての作り話をする文学だから、実在の世界とかかわるべきではない。架空の世界の神がやったからといって実在の世界の人間がやってもいいことにはならない。
[6341] 神武天皇は王だったか? h21.1.16
もしも神武天皇が本当に王だったら、初期の天皇家の経歴がもっと詳細に記録されているはずである。
実際には、神武天皇は王ではなく有名人ではなかったから、初期の天皇家の経歴や年齢が自由にごまかせたのである。
日本神道の勢力が強くなってからようやく天皇家の経歴が明確になってきたから、それまでは天皇家は[もし血筋でつながっているとすれば]神であった神武天皇の子孫であるにすぎず、神武天皇は王でも将軍でもなかったと考えられる。
宗教は神の根拠となる超常現象については正直だから、神武天皇が戦いの最中に光の玉を出したことは確かだから、神武天皇は軍人ではあったが、将軍ほど偉くはなくたんなる一人の軍事技術者にすぎなかったと思われる。
[6342] どうして昔は宗教が政府よりも上だったか? h21.1.16
昔は人々が食べて生きていくのがやっとで勉強する暇なんかなかったから、頭で考えるよりも心で思うほうが強く、また宗教が嘘をついているとは知らなかったから、人々が宗教の嘘の神と政府の本当の王とを比べて嘘の神のほうが本当の王よりも偉く立派に思われたから政府の本当の王よりも宗教の嘘の神のほうに従ったので、宗教が政府よりも上だったのである。
しかし、今は人々が勉強して頭で考えるようになっているから、宗教が嘘をついていることに気付いているので、宗教の嘘の神よりも政府の本当の王(または大統領や総理大臣)のほうが偉く立派に思われるので、宗教の嘘の神よりも政府の本当の王のほうに従うので、政府が宗教よりも上になったのである。
つまり、昔は文化や文明が遅れていて嘘が真実よりも強かったので宗教が政府を支配できたが、今は教育が普及して文化や文明が進んで真実が嘘よりも強くなったので政府が宗教を支配しているのである。
[6343] 宗教を活かす h21.1.16
宗教は、架空の理想的な善人である神を作り出して、人間が神の真似をすることによって人間が実在の世界に適応して幸福に生きていく方法である。
一方、科学は実在についての知識を学んで身に付けることによって実在に適応して幸福に生きる方法である。
いわば宗教は主観の側から、科学は客観の側から実在に適応して生きることである。
つまり、宗教も科学も人間が実在に適応して幸福に生きるためにあるのであって、目的は同じである。
いくら現代が科学の時代とは言っても、宗教の方法がまったく無効というわけではない。
勉強が好きな人は科学の方法によればよいが、勉強が嫌いな人は宗教の方法によるしかない。
ただし、それなら宗教を悪用するのをやめて、真面目に宗教しなければならない。
つまり、これまでの宗教がしてきたように、宗教は『人間が実在の世界に適応して幸福に生きていけるような架空の理想的な善人像』を神としなければならない。[やっぱりキリスト(仮名)の十字架像は、悪いことをするとキリストのように痛い目に会うから悪いことをしてはいけないと言う教えだろう。]そのためになら、神の根拠となる超常現象については本当の神の情報を用いてもよいし、作り話に現実味を出すために本当の神の情報をちょっとだけ用いてもよい。
今の世の中宗教家からしておかしくなっている。宗教家は宗教に入って人生を一から出直したらどうだろうか?
[6344] 今度戦争になったら h21.1.16
今度日本が戦争を起こしたら、戦争するのが嫌な人は日本神道の宗教家を殺害すればいい。
そうすれば、戦争は止められる。なぜなら、戦争は国民に対する銃殺刑だが、無罪の者を銃殺刑にできるのは人間ではなく、宗教家が人間よりも上の者である(作り事だが)神の責任にしてやっているからである。[神は架空の理想的な善人だから、人間の見本である神が人殺しをするとは思えない。だから、宗教家が信者を神に従わせても戦争はできないはずである。]
そうしなければ、日本人は日本神道に皆殺しにされるかもしれない。
[6345] キリスト教と日本神道の違い☆ h21.1.17
キリスト教では神であるキリストが人間の手本である。キリスト(2号)が、架空の理想的な善人だから信者はキリストを真似て生きればいい。
ところが古い日本神道では神である神武天皇が王であり将軍である(日本神道の欲望丸出しだ)から、一般庶民にとっては神武天皇の真似をすることができず神武天皇は人間の手本ではない。日本神道の宗教家は神武天皇の真似ができるが、信者(⊂国民)は宗教家の手先となって使われるだけである。だから、日本神道にはキリスト教のように国民を善く導く意義はまったくない。ただ、宗教家が神武天皇の立法権や司法権や統帥権などを使って悪事を働くだけである。[政治家はお人形にすぎず、裏で宗教家が政治家の手を引いているのだ。政治家が馬鹿面[ばかづら]をしているのは、政治家がお人形だからである。]
キリスト教と日本神道では宗教のやり方が違うのだ。つまり、キリスト教は善の宗教だが、日本神道は悪の宗教なのだ。
[6346] 宗教は何のためにあるか? h21.1.17
キリスト教は架空の理想的な善人であるキリストを人々に教育して人間を善くするためにあるが、日本神道は宗教団体が日本政府となって日本を牛耳[ぎゅうじ]り日本人に戦争させるためにある。
日本では日本政府が日本神道であることをわからせるために、わざわざ法律や政令を民主主義ではなく神制で作っているのである。[現人神の肩書きは他人を従わせるための触媒である。しかし、今は神が死んでいる時代だから、この触媒も効かない。]
しかし、今は日本神道の神は神武天皇ではなく私だから、私は王でも将軍でもなく、今の時代は宗教の力で歴史を書き変えるほどのことはできないから、もはや日本神道が日本政府となったり戦争をすることはできない。だから、日本政府は今後は法律や政令を神制ではなく民主主義で作るはずである。
おそらく神武天皇は本当は日本の王でも将軍でもなかったから、そもそも日本神道が日本政府をやったり戦争したりすることがまちがっていたのだが、今でも天皇を置いておくのはいざとなったら日本神道が神を私から神武天皇に戻して戦争を行うためだろう。
[6347] 日本神道は日本神道の宗教家ためにしかない。☆ h21.1.17
キリスト教は全人類のためにあるが、日本神道は日本神道のためにしかない。
日本神道の宗教家が神武天皇が王や将軍であったこと(作り話だが)を使って法律を作ったり戦争をしたりするだけで、日本神道の信者は宗教家の命令に従うだけである。
今度の私の件でも、宗教家の命令で私に関わって何らかの働きをした者は大学の研究者になったり大企業の社員になったりしただけで、特別にそれ以上の褒美[ほうび]はない。その程度のことならわざわざ日本神道に入らなくても誰でも[調子がよければ]実力で十分できることである。
だから、日本神道は日本神道の上のほうの宗教家が得をするだけであって、信者が得になることはない。
[6348] 宗教家による神制度の悪用 h21.1.17
私が生まれた後で日本や世界で起こった大事故は私の神制で起きている。
日本神道の宗教家や世界の宗教家はよっぽど人殺しが好きなようである。[タイタニック号の沈没事故も神制でおきた事故なのかもしれない。原因不明の事故はたいてい宗教家が神制を使って[信者に命令して]起こした事故なのかもしれない。]
私は人を殺したことはないが、私2号は人殺しなのだろうか?[ただ、私が小学4〜5年生のとき、南団地の遊園地(児童公園)のブランコで遊んでいたとき、急に3才ぐらいの子供が私のブランコの前に飛び出してきて私のブランコの椅子が子供の頭に当たって子供が倒れて私は恐くなってその場を逃げ出したが、それから2〜3週間ぐらいたってもう一度南団地の遊園地に行ってみたら、遊園地のすぐ横の住宅の前に黒い花輪がふたつ立っていて、私はその子が死んだのかなと思ったが、その住宅の年寄りのおじいさんが死んだのかなとも思った。つまり、私が頭の中で考えたことが私2号がやったことになるのかもしれない。私が子供の頃に、自分の頭の中で考えたことは何をやってもいいと思ったことがあった。神制の“神と人間の関係”を何重にも組み合わせて使えばたいてい何でもすることができる。宗教家はそうやって自分がしたことの責任を何でも私に擦[なす]り付けている。]
私2号は今のところ王でも将軍でもないが、そのうち架空の世界で出世して王や将軍になるかもしれない。[私自身は実在の世界で出世しないが。]そうなれば戦争がまた起こる。
早く警察が調査して宗教家を突き止めて始末[しまつ]してくれないものだろうか。
[6349] どうして日本は悪い国になってしまったのか? h21.1.18
昔は実在についての真実がまだよくわかっていなかったから、心で思うことが頭で考えるよりも大事だった。
だから、善い心を持った神をみんなに教える宗教があったのだ。
日本は例外的に、神の眼先の偉さすなわち神武天皇が王や将軍だった肩書きだけで宗教をやったから、悪い心を持った宗教家が国を支配する悪い国になってしまったのだ。
神のキャラクターの決め方に問題がある。弥生時代の日本の宗教家がまちがっていたのだ。
現代は民主主義の時代だから、現代の宗教では日本人の平均的な心を持った者が神だということになる。[男と女で分けるべきである。]
それより現代は頭で考える時代であって心で思う時代ではないから、宗教はもはや要らない。心で思うは頭で考えないの言い替えにすぎず、よくわかっていないことにほかならない。しょせん心で思うでは、架空の作り話になってしまって実在から離れてしまって結局失敗に終わるのだ。
[6350] 西暦3000年の世界 h21.1.18
この宇宙には人類が暮らすことのできる惑星がたくさんあるに違いない。
すでに相対性理論の理論的な下敷きがあるから、いずれは光の速さの0.9999…倍で飛ぶ乗り物が作れるだろう。
そうなれば、人間が自由に宇宙を飛び回ることができる。[地球から宇宙の恒星がたくさん見えるということは、宇宙には隙間がいっぱいあるということであり、光速に近いスピードで飛んでもたぶん衝突しないだろう。]
1人の個人が1個の惑星を持てる時代が来る。嫌な仕事はロボットにさせればいい。人間が惑星の上に自分の好きな世界を作ることができる。時間の概念が今とはずいぶん違っているだろう。宇宙を光速に近いスピードで飛び回っているだけで未来の世界に行けるわけだから、未来の世界に行けるタイムマシンを手に入れたことになる。例えば、現在の医療技術で治らない病気の人がロケットに乗って未来の世界に行って医者に病気を治してもらったりすることができる。そしたら、みんながロケットに乗って未来の世界に行こうとするから、さぞかしロケットが売れるだろう。みんながロケットに乗って地球を離れてしまって、地球に戻ってきたら誰もいなくなっているかもしれない。
人類の持っている技術が今と大きく違えば、倫理道徳もかなり違っているだろう。
たとえ架空の理想的な善人である神を作ってもすぐに時代遅れになって役に立たなくなるだろう。
[6351] どうして信者は不良なのか? h21.1.18
昔はまだ実在についての真理がわかっていなかったから、教会つまり古い学校では架空の理想的な善人である神を教えるしかなかった。その頃はまだ宗教は世の中を善くするためにあった。
しかし、今は実在についての真理がわかっているから、学校では実在についての真理を教えている。
つまり、今は科学に付いて行けない落ちこぼれが宗教に入るのである。
だから、宗教の信者は頭が悪い不良ばかりなのだ。
したがって、今の宗教団体は不良の溜まり場であり、宗教は神制度をずる賢く悪用して悪いことしかしないのだ。例えば、キリスト教の場合、聖書にある架空のキリストの言行から神制度にある“神と人間の関係”を逆に使って実在のキリストの言行を推測し、さらに実在のキリストの言行から神制度を使って架空の“悪のキリスト”を作り出して、“悪のキリスト”に宗教家が信者を従わせて悪事をさせているのである。
[6352] タイタニック号沈没事件 Wikipedia h21.1.18
タイタンは土星の衛星であり、土星には輪があるからキリストの喩えであり、タイタニック号は宗教に引っ掛けて作った豪華客船である。
タイタニック号の沈没事故は、反宗教派の偉い人(たぶん政治家)がタイタニック号の船長に命じてタイタニック号を氷山にぶつけさせて沈没させたのである。
つまり、タイタニック号は最初から沈没させる目的で作った船だったのだ。20世紀はもはや宗教で贅沢な暮らしができる時代ではないことを人類に教えるためにわざとに沈没させたのだ。
21世紀に住む私達は20世紀の先人の努力を無駄にしてはいけない。
外国では政府による反宗教運動が盛んなのに、日本だけがいまだに宗教が政府を支配しているのは、日本の国際的孤立化を招くだけだ。
[6353] 人間の価値 h21.1.18
人間の価値は頭の中にある考えの価値である。
宗教の信者の頭の中にある考えは腐りきっていて1円の価値もない。
だから、タイタニック号の乗客のように殺してもかまわないのである。
[6354] 日本は宗教に重みを置き過ぎである。 h21.1.18
科学とは頭で考えることである。科学では実話と理論を使う。
宗教とは心で思うことである。宗教では架空の作り話を使う。
宗教国家では国民は心で思うだけで頭で考えない馬鹿だから政治家の言いなりなのである。国民が宗教について考えるとすぐに宗教がやれないことがわかるので、国が宗教をやるためには国民に考えない馬鹿になってもらうしかないのである。つまり、宗教とは頭で考えないことである。
昨今はテレビと結びついて眼で見て心で思うだけの最悪の状況を呈している。
日本で考える文化が育たないのはテレビと宗教のせいである。
このままでは日本人だけが馬鹿になって行って人類の進歩から取り残されてしまう。
宗教国のほうが文明が進んでいるというのは嘘である。
中国はリニアモーターカーを走らせるというから、日本よりも文明が進んでいることになる。
[6355] 宗教はどうして儲かるか? h21.1.18
悪いことほど儲かるのが世の常である。
宗教は神制を悪用して悪いことをして儲けているのである。
日本人の多くはいまだに神制がやれると思っているので、宗教家の命令におとなしく従って損をしているのだ。
[6356] ヨーロッパの宗教家と日本の宗教家の違い h21.1.18
ヨーロッパの宗教家はみんなのことを考えて、架空のキリストのキャラクターを庶民で心の善い人にした。
ところが、日本の宗教家は自分のことだけを考えて、架空の神武天皇のキャラクターを王で将軍であることにした。
つまり、日本では宗教は宗教家だけのためにあるのだ。
神武天皇を王にすると日本の民主主義の妨げになるし、神武天皇を将軍にして日本を軍事国家にしたところで戦争に負けるだけだ。
[6357] 宗教と科学の違い h21.1.19
宗教と科学の違いは宗教の原理の1[[6322]参照]が成り立つか成り立たないかの違いである。
つまり、宗教は考えない世界観で、科学は考える世界観である。
考えない世界観が考える世界観に勝てるわけがない。
[6358] なぜ神は人間よりも上の存在者なのか? h21.1.19
学者の考える能力やスポーツ選手の運動する能力は多かれ少なかれ誰にでもある。
だから、学者やスポーツ選手は、人間の中で優れた者なのだ。
これに対し、神の超能力の才能は他の人間にはまったくない。
だから、神は人間を超えた生物、つまり人間よりも上の存在者とみなされるのである。[本当にいればの話だが。]
[6359] 宗教的世界観と科学的世界観 h21.1.19
宗教はいいかげんな架空の作り話で実在を見ることである。
科学は確かな経験から逆論理的に帰納された理論で実在を見ることである。
だから、宗教ではたんに超能力者っぽいというだけで神とされるのである。
科学では十分な物的証拠がないかぎり超能力者とは認められない。
宗教は実在から目をそむけることであり、科学は実在を直視することである。
たとえ架空の作り話をするにしても、もうちょっと楽しい作り話をしてもらいたいものだ。
[6360] 宗教的世界観はオンボロ h21.1.19
神武天皇の伝記だけ見れば本当のように思われるが、
初期の天皇家の年齢や経歴が曖昧模糊であることと考え合わせると、神武天皇の伝記が嘘に思えてくる。
架空の作り話では、どこかに無理が生じる。
[実在の世界は無矛盾なので、]いつまでも嘘をつき通すことはできないものだ。
人類が賢くなると宗教はやりづらくなる。
[6361] 嘘は真実よりも難しい。 h21.1.19
たとえ宗教の嘘を一歩譲って許すとしても、架空の神武天皇のキャラクターでは日本は幸福になれない。
日本の宗教的世界観では、日本神道の宗教家が自分にとって都合のいい法律や政令を作って幸福になるだけで、その他大勢の日本人は幸福にはなれない。
外国の宗教にしても、最近は宗教家が神制を悪用して悪の神様を作って犯罪を犯している。
宗教では宗教家しか幸福になれないのなら、宗教を禁止すべきだ。
全人類を幸福に導くような上手な嘘をつくことは実在についての真実を発見することよりも難しい。
[6362] 宗教は面白くない作り話である。 h21.1.19
宗教をやることが目的ではない。幸福になることが目的だ。
人類が幸福になるためには宗教よりも科学がいい方法なら、科学にすべきだ。
科学がいろいろな便利で楽しい発明品を生み出してくれたのであり、
宗教の作り話だけでは、人間は原始時代のような苦しい生活を強いられることになる。
いまでも作り話の世界で幸福になることはあるが、宗教の作り話はもう聞き飽きた。
[6363] 宗教は実在がわからないための方法である。 h21.1.19
科学は実在のわかるところに目を向けて、そこで得られた知識を他のことに応用することによって、わかりにくかったことまでもわかることができる。
宗教は実在のわからないところ(つまり超常現象)に目を向けるので、最初に頭が馬鹿になるから、わかることまでもわからなくなる。
だから、科学の方法では実在についてわかることがどんどん増えていくが、宗教の方法では一向に増えない。
だから、科学は面白いが、宗教はつまらない。
[6364] おふくろの味 h21.1.19
私が子供の頃に母親が作ってくれた料理は美味しかった。
それは、母親が私の味覚に合わせて細かく味付けをしてくれたからである。
それは、家庭料理でなければできないことだ。
[6365] 日本はヒーローを求めている! h21.1.19
外国では、政府と宗教団体が別である。外国では、宗教団体は民間会社にほかならない。ときどき政府が宗教団体を攻撃している。それは、外人の多くが科学が宗教よりも正しいことを知っているからである。
しかし、日本では政府と宗教団体が同じである。それは、日本神道が日本政府をやっているからである。
日本が幸福だったのは、徳川時代とアメリカ支配下にあったときだけだ。今の日本が不景気で面白くないのは、日本神道が日本を支配している証拠だ。日本神道は、神制度を利用して国を乗っ取った史上最悪の宗教団体だ。
しかし、日本人の多くも科学が宗教よりも正しいことを知っているはずだ。私もそうだが、日本人に足りないのは、まちがっている者に逆らう勇気だ。
徳川家康のような人が現れるのを待つしかないのだろうか!?
[6366] 日本神道は政治組織である。 h21.1.19
日本神道は宗教団体ではない。
日本神道は神制を利用して日本を支配した政治組織である。
日本神道は、最初から日本を支配するために神であり王であり将軍である架空の神武天皇のキャラクターを作った。
日本神道にとって宗教は隠れ蓑にすぎず、その実体は政治組織である。
日本神道は神制度で出世した政治団体であり[昔の日本人は神を信じていたから]、神制度をやらなければ取り柄がないので、今でも神制度をやって宗教団体のふりをしているのである。
日本政府は、神制度を利用して国を乗っ取った史上最悪の政治団体だ。
[6367] 偉い政治家とは? h21.1.19
偉い政治家とは国を幸福にする政治家である。
日本は日本政府(日本神道のふり)が支配しているかぎり幸福ではない。
だから、日本政府の政治家は偉くないのである。
[6368] 昔の日本人はどうして神を信じていたのか? h21.1.20
昔の日本人が神を信じていたのは、昔の日本人が馬鹿だったからである。
昔の日本人はほとんどみんな百姓だった。
だから、百姓が馬鹿だったのである。
しかし、百姓は生まれつき馬鹿なのではない。
百姓は性欲や運動欲を生きがいにしているから、大人になって年を取るほど馬鹿になるのだ。
百姓は自分で自分を馬鹿にしているから馬鹿なのだ。
今の人間だって、テレビばかり見て眼で見て心で思うだけで頭で考えなかったら、馬鹿と変わりない。今の日本でも神を信じる人が大勢いるから、日本政府がそいつらの人気を得ようとして余計な神制なんかやったりするのだ。日本人が馬鹿すぎるのが原因だ。[日本政府が神制をやるせいで、日本人が外人に馬鹿だと思われているかもしれない。]
もしも、日本人が馬鹿ではなく、日本人が日本政府のやり方に不満を感じているのなら、日本人の力で日本政府を倒すべきだ。
[6369] どうして宗教の信者は真昼間から道路の上で裸で抱き合ったりするのか?
h21.1.20
宗教の評判を落として、宗教に入る者を減らすためである。日本政府の神制をやめらせるためでもある。
日本政府は自分が神制をやっているから、たぶん国内か国外の反宗教派の政治家か誰かがやらせているのだろう。[目的がいいから許す。]
反対に、科学者の中にも宗教家が送り込んだ偽[にせ]科学者がいてわざとに変な研究をやって科学の信頼を潰そうとしているかもしれない。
科学と宗教は互いに争うのではなく互いに助け合うべきであり、頭のいい人は科学で・頭の悪い人は宗教でそれぞれ実在に適応して幸福に生きていけばよい。
[6370] 科学と宗教の関係 h21.1.20
馬鹿のやるのが宗教で、利口のやるのが科学である。
だから、馬鹿は科学を攻撃するし、利口は宗教を攻撃する。
馬鹿の多い国(日本やアメリカなど)は宗教国家であり、利口の多い国(中国やヨーロッパなど)は科学国家である。
たとえ先進国の中国やヨーロッパで神が死んでしまっても、後進国の日本やアメリカでは今でも神は生きているのだ。
[6371] 日本政府は馬鹿☆ h21.1.20
日本政府は宗教の原理1[[6322]参照]が成り立たないことがわからないから宗教をやっているのである。
だから、日本政府は馬鹿だ。日本政府の知能はその程度だ。
政治家が曖昧な言葉を使うのは自分の知能を誤魔化すためであって、神武天皇の神制を使っているからではない。
政治家が自分の馬鹿を誤魔化すために、神武天皇が曖昧なことを言った伝記をこしらえたのだろう。
[6372] 神は政治家が作った。☆ h21.1.20
政治家が自分がやりたいことを神がやったことにしてやっているのが神制度の実体だ。
神制度とは、神に託[かこつ]けて政治家が自分の特権を増やすための制度である。
政治家が国民に戦争をさせる権利があるのは、政治家が神武天皇を将軍だったことにしたからである。
政治家が自分にとって都合のいい法律や政令を独断で作る権利があるのは、政治家が神武天皇を王だったことにしたからである。
政治家の作った法律や政令が神に因[ちな]んでいるのは自分が神制に従っていることを国民に教えるためだが、その神は政治家が自分にとって都合がいいように作ったものなのだ。
神制度があるのは馬鹿な国民の思い込みのせいだが、神を作ったのは政治家だ。
要するに、国民が政治家に利用されているだけのことだ。
[6373] どうして中国やヨーロッパには神制がないのか? h21.1.20
中国やヨーロッパは、歴史の古い大国だからそれだけ文化が高い。
文化が高い国では、国民が利口だから、政治家が神制をやれないのである。
それに比べて、日本は小さい国だしアメリカは歴史が浅い国だから文化が低い。
文化が低い国では、国民が馬鹿だから、いまだに政治家が神制をやれるのだ。
[6374] 選挙制は正当か? h21.1.20
選挙では自分が入れた票しかわからない。他人が入れた票はわからない。
だから、政治家が投票の後で自由に票を操作することができる。
今の政治家が自分にとって都合のいい議員を決めることができるのだ。
[6375] 政治家は科学者ではない。 h21.1.20
天は人の上に人を作らないが、
政治家は人の上に神を作る。
でも政治家は科学者ではない。
科学者でない者が実在を決めることはできない。
架空の私が科学者なのだろうか?
[6376] 身のほどが肝心 h21.1.20
どうせ日本政府が倒れても、日本を支配した別の組織がまた自分の好き勝手にやろうとするだろう。
でも、日本政府のように神制までもはやらないだろう。
人間は自分の身のほどをわきまえていることが肝心なのだ。
[6377] 日本航空123便墜落事故 Wikipedia h21.1.20
日航機墜落事故は、私が九州大学医学部教養部2回生の夏休みに起きた。
ところで、タイタニック号沈没事故は、反宗教派が宗教に対する攻撃のために起こした事故だと考えられる。
それと同じように、日航機ジャンボジェット機墜落事故は、ジャンボが巨人で政府の喩えだから、反日本政府派が日本政府に対する攻撃のために起こした事故だと考えられる。
今後も日本政府を倒すために事故をたくさん起こして欲しい。
新しい日本政府を作るシナリオがすでにできているのかもしれない。
[6378] 上海列車事故 Wikipedia h21.1.20
高知学芸高校上海列車事故は、私が九州大学医学部医学科専門課程2回生の終わりの春休みに起きた。
この事故は、宗教に対する攻撃でも科学に対する攻撃でもないから、日本政府が人殺しの娯楽のために起こした事故だと考えられる。
私は高知学芸高校に恨みはないが、日本政府が私のアニメ化の承認を取るために[[6133]参照]私が高校1年生のとき私の隣の席の尾立[おりゅう]君に英語の授業中にパラパラめくりをさせたせいで私が精神分裂病に罹ってしまったことを高知学芸高校のせいにするために日本政府がやったのである。高知学芸高校の男性教員が互いの妻を入れ替えて暮らしていたという悪い噂[うわさ]を立てたのも、日本政府が高知学芸高校を攻撃するためである。私が精神分裂病に罹ってから私が外で遊ばなくなり私の体験が減り私に因んだ神制がやりにくくなったので、その腹いせに日本政府が高知学芸高校を攻撃したのだろう。
[6379] 地下鉄サリン事件 Wikipedia h21.1.20
地下鉄サリン事件は、私が九州大学理学部物理学科4回生の始めの春休みに起きた。
この事故は、朝の地下鉄通いのサラリーマンがターゲットであり、宗教に対する攻撃でも科学に対する攻撃でもないから、やはり日本政府が人殺しの娯楽のために起こした事故だと考えられる。
日本政府が子分のオウム真理教を使って民間企業のサラリーマンを攻撃したのである。
オウム真理教の幹部や実行犯を死刑にしたのは、日本政府が白[しら]を切るための芝居である。また、日本政府は神制をやる宗教機関であり、宗教にとって科学は敵だから、科学を攻撃する意味で科学兵器を使ったオウム真理教を罰したのである。[神制をやる日本政府が科学に攻撃したければ、地上を走る列車やバスにニュートンやアインシュタインや湯川秀樹の名前をつけて破壊したらどうだ?/私が九州大学医学部医学科専門課程4回生の外科学のポリクリのとき私に犬の手術の真似事をさせて私に犬を殺させたのは、犬←いぬ←川の(“ぬ”の左の斜め線を“い”に移す)だから犬は私のことであって、日本神道が日本神道を殺すためつまり日本政府がオウム真理教を死刑にするためである。]
[6380] アメリカ同時多発テロ事件 Wikipedia h21.1.20
世界貿易センタービルと国防総省本庁舎を襲ったジャンボジェット機衝突テロ事件は、私がダイテックの派遣社員として但馬[たじま]松下トランス製造2課で働いているときに起きた。
この事件は、ジャンボが巨人で政府のことだから、反アメリカ政府派によるアメリカ政府に対する攻撃である。アメリカ政府が神制度を使ってやっている経済政策と軍事政策に対する抗議のためのデモンストレーションである。
くだらない神制度をやるほうが悪い。今後も神制度をやっているアメリカ政府に対する攻撃を続けて欲しい。
アメリカ政府も先が長くないのかもしれない。
[政府が神制度をやっている国ではジャンボジェット機や大型客船に乗らないほうが安全である。]
[6381] 宗教は科学を攻撃できるか? h21.1.21
科学の人は宗教を使って暮らしていないが、宗教の人は科学(電化製品や自動車など)を使って暮らしている。
だから、科学の人は宗教を激しく攻撃できるが、宗教の人は科学をあまり激しく攻撃できないのである。
したがって、科学と宗教の戦争は、科学の勝利になる。
[6382] 宗教は何のためにあるか? h21.1.21
現代的な宗教の存在意義は、宗教家が自分にとって都合のいい神を作って、その神の神制を使って民主主義によらずに独断で法律や政令を作って『お金儲け』をしたり、戦争や事故を起こして『人殺しゲーム』をして楽しむためである。
要するに、宗教は宗教家のためにあるのであって、信者や神のためにあるのではない。
その体制が国民にとっては面白くなかったから、ヨーロッパなどの先進国ではだいぶ前から宗教団体が政府や戦争をやってはいけないことになっているのである。つまり、ヨーロッパでは、ドン=キホーテが活躍していた昔の頃はキリストがまだ王や将軍だったが、今は王や将軍を辞めて道徳を説く庶民の一人に成り下がっているのである。昔はキリストが宗教家だけのものだったが、今は宗教家にとってキリストが使い物にならなくなったので、宗教家がキリストをお払い箱にしてみんなのものにしたのである。[昔の宗教家が美味しいところを食べ尽くした後の残飯[ざんぱん]を今の信者がありがたがって食べているのだ。]
[6383] 日本政府は宗教機関か政治機関か? h21.1.21
日本政府は宗教機関である。アメリカ政府も宗教機関である。[アメリカ政府の神も日本政府の神と同じく神武天皇や私である。参照]昔はどこの国の政府も宗教機関だったのである。
昔はどこの国でも宗教機関が神を王や将軍にして政治や戦争をやっていたのである。
しかし、それでは宗教家の権限が強すぎて宗教家があまりにも偉そうなので、国民の反対によって宗教家に神を王や将軍にすることをやめさせたので、宗教機関が政治や戦争をやれなくなってしまったのだ。そのために、先進国では宗教機関とは別に政府や軍隊があるのだ。先進国では今では宗教機関は役に立たない道徳を説くだけのつまらない機関に成り下がっているのである。
[6384] 天皇は何のためにいるか? h21.1.21
宗教家が神制度をやりやすくするために、神が本当にいることを国民に眼でわからせるためである。
しかし、実際には、テレビで天皇を見てもただの人間と変わらないから、逆効果であるように思われる。
日本の宗教家はやり方がまずい。
[6385] 神制度とは何か?☆ h21.1.21
神制度とは、宗教家が自分がやりたいことを神がやったことにして何でもやれる制度である。[当時の科学では理解できない現象があって、その近くに人がいて、その人が生涯に一度でも嘘をついたり上の者(親とか幼稚園や学校の先生とか)の言うことを聞かないことがあれば、宗教家が自分の好きなように神のキャラクターを作ってその神がやったことは自分もやっていいことにできるわけである。(原理的にはインチキだが。)]
つまり、神制度のある国では宗教家が何でもやれるわけである。
神制度のある国では、宗教家が絶対的な政治権力を持つ独裁者なのである。
だから、神制度はやめよう。[神制度を使った者がいれば、即死刑にするしかない。]
[6386] 信者とは何か? h21.1.21
神制度のある国では、宗教家は独裁者だから何でも自分の好きなことができる。
宗教家の野望を叶えるために宗教家の手足となって働くのが大勢の信者である。
信者は宗教家の手足にすぎないから、信者は宗教家に比べると美味しい思いができないのだ。
[6387] 誰でも宗教家になれる。 h21.1.21
今のところ宗教家に資格試験はない。
私が赤ちゃんの頃に母が夜中に突然ガラガラが回っているのを見たことがあり、私が子供の頃に薫的のおばあさんや母親に腕時計やテレビを壊したのは弟だと嘘をついたことがあり、若草幼稚園が終わる前に幼稚園を抜け出して家に帰ったことや小学低学年の頃体育の時間に偽の母からの手紙を書いて体育をサボっていたことがある。
したがって、以上の事実を踏まえれば、誰でも私を神とする神制で自分にとって都合のいい私のキャラクターを作って、架空の私のキャラクターと同じことをしたからという理由で何でもすることができる。
問題は、はたして今の日本で神制度が成り立つのか?ということである。神制度が成り立つ(神制度がやれる)と思っている人がいっぱいいるところでは神制度が成り立つが、反対に神制度が成り立たない(神制度がやれない)と思っている人がいっぱいいるところでは神制度が成り立たない。はたして、今の日本人は神制度が成り立つと思っているのだろうか?[アフリカの奥地じゃあるまいし。]
独裁者がいっぱい現れたら、日本はおしまいだ!
[6388] 宗教革命 h21.1.21
ルターがやった宗教改革は、キリストのキャラクターを王や将軍から道徳を説く庶民に変えて、宗教を続けることであった。[そのせいで、教会の収入は激減りしただろう。キリスト教の初期の頃はキリストは道徳を説く貧乏人だったが、そのうちキリスト教が人気を得て勢力が強くなってくるとキリストが王様になっていたのである。その頃のキリストはボロボロの服を着て王様をやっていたのである。神武天皇も“日本初期”の頃は説教するだけの“乞食”だったかもしれない。だから、初期の天皇家の記録が曖昧なのだ。日本神道が途中で神武天皇の神制のやり方を変えたから、あちこちに無理が生じているのだ。]
この前私が証明したのは、宗教における神の定義では神を特定の者に決めることができず宗教がやれないことであった。
これは、宗教革命といえるかもしれない。
[6389] 現代は科学の時代 h21.1.22
現代はみんなが毎日電化製品や自動車などの文明の利器を使っている科学の時代である。
だから、現代ではみんなが論理や科学知識を使うことができる。[学校や大学に10年以上もいて、論理や科学知識が使えないでは済まされない。]
したがって、宗教の原理1で宗教をやるのが論理的には無理であることや、これまでの超常現象の正体が火薬や錯覚や白昼夢や癲癇などであると考えることができる。
しかし、昔はまだ科学の時代ではなかったから、みんなが論理や科学知識を使えなかったので、宗教の原理1で宗教をやるのが当然だとみなされ、超常現象が本当に超能力によると考えられていたのである。[昔は鍬[くわ]や刀を振り回さねば生きていけない時代だったので、庶民には頭を鍛える暇なんかなかったのだ。]
[6390] どうして日本政府は国会をやっているのか? h21.1.22
日本政府は神制をやっている宗教家の団体である。独裁者の団体である。国民は信者である。Wikipedia「日本の宗教」にある通り、われわれ日本国民は日本政府によっていつの間にか全員日本神道の信者にされている。
だから、国会は形の上でやっているだけで機能はない。社会科の教科書に載っていることはもちろん嘘である。[歴史もそうだが、社会科の教科書の記述が曖昧なのは、それが全部嘘だからである。社会科の教科書の記述が曖昧なのは、日本政府の宗教家が日本人を馬鹿に変えて宗教をやりやすくするためでもある。]
日本政府は神制がやれないことに気づかない馬鹿な宗教家の寄せ集めだから、日本の中枢というよりも日本の養護学校というべきだ。
[6391] 宗教の教えは役に立たない。 h21.1.22
宗教の言葉は必ずぼんやりしている。占いと同じだ。イカサマだ。
わかっていないことをわかっているふりをして教えているだけだ。
わかっている者の言葉は、もっと言葉に気合が入っていて意味がはっきりしているはずだ。
[6392] フタコブラクダ☆ h21.1.22
私が高知学芸高校の3年生のとき、担任の馬島一[まじまかず]先生が教室の黒板に“W”を上下逆さにしたグラフを書いて「このクラスの生徒はフタコブラクダのこぶのように成績のいいグループと悪いグループのふたつに分かれている」と言った。
つまり、神制がない社会では国民の待遇は一峰性[いちほうせい]の正規分布をしているが、神制がある社会では国民の待遇は二峰性のグラフになり、待遇のいい少数の宗教家(つまり政治家)と待遇の悪い大勢の信者(つまり国民)のふたつのグループに別れるのだ。
[6393] カンニング h21.1.22
私は過去に何回かカンニングをしたことがある。小学5〜6年生のとき、理科のテストで一度教壇の前に提出した答案を後で正解を思いついて休み時間に先生が見ていない隙をうかがって書き直したがそれを女子に見つかって「川野君、カンニング、カンニング」とからかわれたことがあったし、中学高校のときはカンニングをしなかったが、九州大学に入ってからは、文系のレポートを和田高明[わだたかあき]君に頼んで私の代わりに書いてもらったし、高校のときの同級生の吉村隆博[よしむらたかひろ]君の数学の試験を学生証の写真を入れ替えて私が代わりに受験してやったし、教養部の物理学や生物学の対プリ(試験対策プリント)を読んだし、医学部医学科専門課程でもときどき対プリを使った。九大では、なんかの科目で私の近くの学生が試験中にカンニングペーパーを机の下に隠しながら答案を書いているのを見かけたことがある(たぶん承認のためのヤラセ)。
つまり、神武天皇の時代には試験がなかったから神武天皇の神制は公[おおやけ]にやるしかなかったが、私は生涯に何べんかカンニングをしたから宗教家が密かに潜水艦のように国民に知られないようにしながら神制をやることができるのだ。[要するに、宗教家とは神制度に取り憑[つ]かれたキチガイなのだ。]
[6394] 灯台下暗し h21.1.22
灯台が神武天皇の光の玉の喩えだから、この諺[ことわざ]は神武天皇の光の玉の仕組みがわかっていないからそもそも神武天皇が光の玉を出したとはいえないことを言っているのだ。
あるいは、神武天皇(一般に神)の下には神制を使って悪いことをする宗教家がたくさん集まってくることを言っているのかもしれない。
[6395] 母親の愛情 h21.1.22
私の母親は私の顔が見たいから高知に帰って来いという。
しかし、私が高知に帰ったところで私が仕事にありつけるわけではなく、何の問題解決にもならない。
女は自分の心を満足するためにどうでもいいことにこだわる悪い癖がある。
どうせ私の顔を見たところで、私が出世していないから、うれしくもないだろうに。
[6396] 実在が見えてから言え! h21.1.22
女は化粧ばかりしてどうでもいい眼先の世界にこだわっている。
そのくせ男女平等だからといって、自分たちの生き方をこともあろうに男にまで押し付けようとする。
他人に口出ししたければ、実在が見えてからにしてくれ。
実在が見えない者は実在が見える者よりも下だ。
ただし、五感でも実在が見えるのであって、つまり男と女では用いる感覚が違うから、得意とする専門分野が違うのだ。[頭でまちがって考えるよりは、眼で見て正しいほうがいい。]
[6397] 合理性は男の誇りである。 h21.1.22
女は眼で見る者であり、男は頭で考える者である。
女は眼で見て実在に適応し、男は頭で考えて実在に適応する。
眼がいいことは女の誇りであり、頭がいいことは男の誇りである。[見ることは簡単だと思われているが、実際には言われるまではなかなか気づかないことが多い。そういう眼で見る能力は女のほうが男よりも長[た]けているのだ。]
見まちがいは女の恥であり、考えまちがいは男の恥である。
[6398] 日本はヨーロッパの後[あと]追い h21.1.22
日本の神のキャラクターはヨーロッパの神のキャラクターの500年前の姿である。神の名前が違うだけで、中身は同じだ。
日本はヨーロッパの歴史を後[あと]から追いかけているだけだ。つまり、現在のヨーロッパは500年後の日本の姿である。
ヨーロッパではすでに20世紀初頭に『神は死んだ』つまりキリストは道徳を説く庶民としての職さえも失って今は口すら利かない死人に成り果てたわけだから[教会は死んでしまったキリストの弔[とむら]いのために建っているのだ。]、結局宗教は滅びる運命にあるのであって、いくら日本の宗教家が神のキャラクターをあれこれいじくりまわしても神に生きる道は残されていないのである。
神制を続けて国が得になるならヨーロッパでも神制をやめていないはずだ。
だから、日本もヨーロッパに倣[なら]って神制をやめるべきだ。そうすれば500年の時間を短縮することができる。(アメリカも神制をやめるべきだ。)
人類が遠い昔に火を使うようになってから生肉を食べるのをやめたように、ひとたび科学の旨[うま]みを知ってしまった以上もはや宗教をやめるしかないのだろう。それが人類の運命なのだ。
[6399] どうして私にガン飛ばしをする者がいるのか? h21.1.22
私に毎晩9時から10時ごろにガン飛ばしをする者が私の近所にひとりいる。
私に考えでは勝てないから、ガン飛ばしで私に勝とうとするのだろう。
そいつにとってはガン飛ばしができるだけが長所なのだ。
宗教の信者かどうかはわからない。精神病者なのかもしれない。
[6400] どうすれば私のマンガが描けるか? h21.1.22
架空の私をマンガ雑誌の編集長であることにすればいい。
そうすれば、編集長は自分が描いて欲しいマンガをマンガ家に描かせることができるから、宗教家が私の神制によって編集長と同じことができ、宗教家が特に私をキャラクターにしたマンガをマンガ家に描かせることができる。
日本神道が私や天皇をキャラクターにしたマンガを描かせたのは、キリスト教がキリストの絵を有名な画家に描かせたのと同じことである。
日本神道の宗教家が考えることは、キリスト教の宗教家が考えたことと同じである。