[6001] どうして女は掃除にこだわるのか? h20.10.27
それは、女が眼で見える世界に生きているからである。
男の考えて見る世界と棲[す]み分けているのである。[男にとっては、部屋が汚れているほうがむしろ快適である。]
つまり、女は宗教的存在であり、男は科学的存在である。
私を女の子に変えたマンガやアニメは、宗教による布教活動のひとつと見なすことができる。
つまり、宗教は男を女に変えようとしているのだ。つまり、考える者を考えない者に変えようとしているのだ。そうして、全人類を考えないで生きていく者にしようとしているのだ。
[6002] どうして日本は宗教の国なのか? h20.10.27
日本に日本政府があるからである。
日本政府が日本で宗教をやっているから、日本は宗教の国なのである。
日本政府は日本国民を“考えないで生きて行く”ダメ人間にして、国民の足を引っ張っているのだ。
日本政府の者が国民をいじめて遊んでいるのだ。
そんなくだらない喜びのために、日本政府は宗教をやっているのだ。『ドラゴンボール』のレッド総裁が自分の背が高くなりたいために大勢の人間の命を奪ったように、なんだかんだ言ってもしょせん人間は自分の心を満足するために生きているので常にちゃんとした理由があるわけではない。だから、たんなる意地悪の喜びのために世の中を滅茶苦茶にする人間がいても不思議ではない。つまり、世の中には善人ばかりいるのではないということである。政治家や宗教家は意地糞悪い連中ばかりということだ。
[6003] 信者の生き方 h20.10.27
宗教に入っている者は、考えないで生きて行かねばならない。
したがって、
1.学校や大学に通ってはならない。登校拒否児にならねばならない。
2.大人になったら、肉体労働に就かねばならない。頭脳労働に就いてはならない。
[6004] 日本の教育はどうして記憶中心の詰め込み教育なのか? h20.10.27
日本が宗教の国だから、“考える教育”をしてはいけないからである。
[6005] 考えるとは?☆☆ h20.10.28
動物は考えずに実在の中に溶け込んで暮らしている。
人間だけが考えて実在の外に出て暮らしている。
つまり、考えるとは実在の外に出ることである。
実在の外に出ることはいけないことである。
だから、人間は考えてはいけないのである。
…以上のことは、昔の人が犯した哲学上の誤解である。
宗教すなわち人間が考えずに生きて行くことは、昔の人が考えたまちがった哲学なのである。[実在の外に出ないはずの宗教が、かえって実在しない神という化け物を生み出してしまった。]
だから、そんなものをいくら守っても仕方がない。
さっさとやめてしまうのがよい。
現代では、反対に考えることは実在の中に入ることである。
だから、できるだけ考えたほうがよいのである。
考えて生きて行くことが善いことなのである。
[6006] 考えないで幸福に生きることはできるか? h20.10.28
人間の心は知覚に従属している。
宗教は、考えないで生きて行くことである。
考えないと、知覚の世界がないから、人間の心が空っぽの世界に従属することになって心も働かない。だから、幸福ではない。
あるいは、考えないと、人間の心が五感に従属することになって動物のように生きることになる。ところが、人間には牙も毛皮もなく動物としての強さがないから、もはや人間は動物の餌[えさ]でしかない。だから、幸福ではない。
したがって、宗教的生き方は、幸福ではない。
やはり、人間は考えて生きて行くべきである。考えて知覚の世界を豊かにすれば、それだけ知覚の世界にあるものを用いて自分の心をより多く満足できるし、考えて知覚の世界を実在に近づければ、人間は実在の世界の中で幸福に生きることができる。
[6007] どうして日本に天才がいないのか? h20.10.28
それは、日本が宗教の国で、日本政府が日本国民に考えて生きて行かないようにさせているからである。
日本国民が考えて生きていないから、日本には天才がいないのである。
[6008] 考えない特訓 h20.10.29
私が高知学芸中学校にいたとき、神野和人[じんのかずひと]君は『イリアス』を小さい頃おばあさんに憶えさせられたと言っていた。
私が高知大学をやめて県外の大学を受験するために自宅浪人をしていたとき、時々和田高明[わだたかあき]君の家に遊びに行っていたが、和田君は『善の研究』を小さいときに無理やり父親に読まされたと言っていた。
『イリアス』も『善の研究』も大人が読んでも難しい本である。
おそらく、神野君も和田君も宗教に入っていて、小さい頃に無理に難しい本を読まされて知覚が働かないようにされたのだろう。和田君は数学が苦手だった。
[6009] 宗教は正しいか?☆ h20.10.29
宗教は、人間が考えないで生きて行くことを原理とするまちがった哲学である。
昔ヨーロッパで教会がまちがった天動説を教えていたように、
たとえまちがった説でもそれを教える組織があれば、まちがった説が通用する。
大勢の者がやっているからといって、正しいとは限らない。
天動説も宗教も原理のまちがいであって、眼先では微妙なまちがいにすぎず、日常生活では大きな支障は生じない。だが、人間が進んだことをやるときに妨げになるのであって、その障害を乗り越えたとき大きな発展がもたらされる。それが地動説すなわち古典力学と人間が考えて生きて行くことすなわち科学である。
[6010] 知覚が悪いか?☆ h20.10.29
人間がまちがいを犯したとき、悪いのは知覚の中にあるまちがった考えであって、知覚そのものではない。
だから、知覚の中にあるまちがった考えを反省して突き止めて修正すればよいのであって、知覚全体を働かないようにする必要はない。
まちがいを修正することが大きな発展につながるきっかけになる。だから、考えるのを諦めてはいけない。
[6011] みんなの中に溶け込む h20.10.29
社会主義で生きようが個人主義で生きようが個人の勝手である。
みんなの中に溶け込むのは、日本政府が宗教的理由で国民にやらせていることである。
みんなの中に溶け込んだほうが、考えなくなるからである。
みんなの中に溶け込むと、自分で考えようとしなくなるからである。
だから、みんなの中に溶け込むなんて宗教臭い言葉は無視したほうがよい。
[6012] 日本政府は過保護バカ h20.10.29
日本政府は日本における宗教機関であり、日本国民に考えて生きて行かないように勧[すす]めている。
日本政府が国民に考えないことを勧められるのは、日本政府が国民から金を取るだけで、日本政府自身が考えて仕事をする必要がないからである。いわば日本政府は国民にとって寄生虫のようなものである。
[6013] 私を女の子にしたマンガやアニメを作ることはできない。 h20.10.30
宗教とは知覚を使わずに五感だけを使って実在の外に出ないことである。
だから、私を女の子にしたマンガやアニメは空想で実在の外に出ているから、知覚を使って考える科学(人文科学)の産物ということになる。[宗教は実在の外に出ないことだから、宗教に入っている人はマンガを読んだりアニメを見たりしてはいけない。]
ところが、科学では、私は母親が[おそらく癲癇で]幻覚を見た人間にすぎない。
だから、科学では私の個人情報を使ったマンガやアニメを作ったりはしない。
したがって、宗教でも科学でも私を女の子にしたマンガやアニメを作ることはできない。
[6014] 宗教の人は気高いか? h20.10.30
宗教に入っている人は、空想的なマンガやアニメを見ないから立派である。
しかし、宗教に入っている人は五感しか使わないから動物のようなものである。
だから、宗教に入っている人は気高くない。
[6015] 宗教は面白くない。☆ h20.10.31
宗教では、空想が禁じられているから、マンガやアニメやゲームがやれないし、小説も読めない。
宗教では、実在について考えることが禁じられているから科学もやれない。知覚を使ってはいけないから数学もやれない。
おまけに、宗教では“人間を超えた者”に盲従しなければならない。
宗教は面白いことが何にもない地獄の世界だ。
[6016] ポルノ映画 h20.10.31
私が小学生の頃には、学校に通う通学路によくポルノ映画の広告ポスターが貼ってあった。
日本にポルノ映画があったのは、日本が宗教の国で、国民が考えないで生きていたからである。[日本で性欲の喜びが許されていたのは、天皇家の気風に従ったからではなく、宗教自体のせいである。]考えない人間は、考える喜びがないから、小説やマンガを読む喜びがないし、実在の真実について考える喜びもないから、五感の耳目[じもく]の喜びか性欲の喜びぐらいしかないのである。
私が子供の頃の日本は、まだ宗教が強かったから、ポルノ映画やエロ本やテレビやラジオの卑猥な深夜放送が公[おおやけ]に通っていた。
しかし、性欲は精神病の原因であり、社会に精神病が蔓延して不健全になるからいけない。例えば、私が中学3年生のとき笑福亭鶴光のオールナイトニッポンを聞いてオナニーにふけり高校1年生のとき精神分裂病に罹ったのも、日本が宗教の国で性欲の喜びを許していたせいだろう。それと、私が通っていた私立高知学芸中学高等学校が記憶中心の詰め込み主義教育で考える喜びがなかったせいもある。
反対に、科学の国では性欲は思考の妨げになるので、性欲の喜びは禁止されている。[人間は性欲を満足すると知覚欲を満足しなくなり考えなくなるので、科学の国では人間は考えて生きていかねばならないので性欲は禁止されている。また、私の哲学日記[4959]にあるように、性欲を満足することは精神病の原因なので、性欲は禁止されている。性欲を満足すると、心が性感の虜[とりこ]になって実在のことなんかどうでもいいと思うようになって、心が知覚にある実在の法則を犯すのである。]科学の国では、生殖以外での性交や自慰行為は禁止されている。
[6017] 創作物について h20.10.31
人間の脳は、無から有は作れない。
したがって、創作は無から有への創造ではなく、ひとつの有から別の有への変換にすぎない。つまり、小説やマンガなどの創作物には必ず元になる事実がある。その事実を変換に変換を重ねて面白みを加えて作ったのが創作物なのである。
一般の人は、創作物を逆変換して元の事実がわからないが、元ネタになった人は創作物を逆変換して元の事実がわかるのだ。例えば、私の魔法少女日記やおたくはつらいよの各章を参照。
[6018] 神制は宗教の一角 h20.10.31
キリスト教や仏教や天皇制や私制などの神制は、宗教という大きな氷山の一角にすぎない。
宗教は考えずに生きて行くことであり、広く人間社会のすべてに行き渡るものであって、神制の元になる神は宗教の中で生まれたものである。
日本では、日本政府が宗教すなわち考えずに生きて行く主義を国全体に広めている。
日本政府は日本人みんなを知覚の働かない馬鹿に変えようとしている。
[6019] 高橋慶行[たかはしよしゆき]はどうして駿台模試で全国10番以内に入れたのか?
h20.11.1
高橋慶行とは、私が私立高知学芸高等学校にいたとき1年上にいた先輩で、つねに駿台模試で全国10番以内に入っていて、東京大学理科V類に現役で合格した人である。[高橋先輩は筆記用具はいつも“2B”の鉛筆を使って太い字を書いて答案用紙を“真っ黒”にするので有名だった。高橋先輩はもともとは理科T類に行きたかったのだが、迷いに迷った末に理科“V類”に決めたそうである。ちなみに、私は子供の頃は毎日外で遊んでいたのでよく日に焼けていて、母から「インド人の黒んぼ」とからかわれていた。]
ところで、高橋慶行の高橋とは“川の上”に掛かっている高い橋のことで、慶行とは中国の諺[ことわざ]にある『“鶏口”牛後』のことで、私が高知学芸中学校にいたとき東大でビリになるよりも九大でトップになったほうがいいと、九大をバカにしていたことに由来している。
つまり、高廃慶行とは、高校生になってから精神分裂病に罹って成績不振に陥っていた私への当てつけのために、日本神道の組織が高知学芸高校に送り込んだエージェントだったのだ。[一度だけ、高橋先輩が学校のグランドでソフトボールをしているのを見たことがあるが、顔がなんとなく私に似ていた。]
おそらく、高橋先輩は試験の前に親や知り合いから試験の答えを教えてもらっていたのだろう。考えないで憶えてばかりいる日本神道の信者にとっては、試験の答えを丸暗記するぐらい何でもないことなのだ。
[6020] なぜ政治家は宗教をやりたがるのか? h20.11.1
宗教の国では、国民は自分で考えないので、国民を政治家の思い通りにできるからである。
[6021] 日本人は考えて生きているか? h20.11.2
日本人はたいてい[外国人に比べて]他人の言いなりで生きている。自分の考えで生きている日本人なんか滅多にいない。
自分が明確な意見を持たずに、なんとなく他人に合わせててきとうに生きているのが日本の一般的な生き方である。
だから、日本は宗教の国である。
もっとも、本を読んだりマンガを読んだりゲームをしたりして空想を楽しんでいる日本人は大勢いるから、そういう意味では日本人は知覚を使って考えて生きているといえる。
[6022] 宗教は実在と矛盾している。 h20.11.2
宗教は形の上だけでやっているのではない。
“形の上だけで”やっていることでも、やった以上は実際にやっているのと変わらない。
宗教すなわち人間が考えないで生きて行く主義は、実在する人間存在すなわち人間が大脳が発達した考えて生きて行く動物であることと矛盾する廃止すべき主義である。
[6023] 楽園追放 h20.11.2
人間だけが自然から外れた存在である。
それは、人間の知覚がまちがったこと(実在しないこと)を考えるからである。
知覚は人間にとって不幸の原因である。知覚がまちがったことを考えるせいで人間は不幸にされたのだ。
…と昔の人は考えて、知覚を使うことを禁止して宗教を始めた。
…と、まさに昔の人は知覚を使ってまちがったことを考えてしまったわけである。
知覚は正しいことも考え出すのであって、動物の中で人間だけがわかる真理もあるのだから、人間は知覚を使って正しいこと(実在すること)を考えて行けばいいのである。
労働を自動化すれば人類にとっての楽園は実現する(涙)。
楽園は人類が自らの手で築くものだ。
[6024] 『荘子』 h20.11.2
『荘子』は中国の宗教の本である。つまり、『荘子』が言いたいのは「知覚を使うな」ということである。荘子の知覚に対する否定的な見解がいろんな具体例をとって述べられている。荘子のみならず一般に昔の人は、人間の知覚をまだ肯定的に受け入れていなかったのだ。
中国に『荘子』があることからわかるように、中国にも宗教はあるが、中国には神制がない。つまり、中国の神すなわち仙人は人気があるだけで、人間が従うべき者ではないのだ。
[6025] 寝不足は精神病のもと h20.11.3
私の哲学日記[4959]の図からわかるように、寝不足で知覚の働きが低下すると“焦燥中枢や抑鬱中枢やテレパシー中枢を興奮させてはならない”という[無意識または有意識の]認識を担う脳細胞群の働きが弱まって、心がそれらの法則を犯して精神病に罹りやすくなる。
だから、知覚の働きが鈍るほど寝不足してはいけない。[精神科で患者をベッドに寝かせておくのも、知覚の働きを回復させるためである。]
[6026] 信者は不幸にしなければならない。 h20.11.3
私を女の子に変えたマンガやアニメを作った者は、わけもわからずに作ったとは考えにくい。
知っていてわざとにやったとしか思えない。
したがって、私を女の子に変えたマンガやアニメを作った者は、宗教の信者であると考えられる。
宗教の信者を幸福にしてはならない。
世界を善くするためには、正しい者を幸福にし、まちがった者を不幸にしなければならない。
[6027] バカになりたい日本人 h20.11.4
日本政府は宗教とくに神制で儲けている詐欺グループだ。
日本人が日本政府や神制を支持しているのは、日本人の心が弱いからである。
日本人が知覚を使わないで生きて行きたいから、日本に日本政府や神制があるのだ。
日本人は自分がバカになりたいから、毎月高い税金を日本政府に支払っているのだ。
バカになりたい日本人だけが日本政府に賽銭[さいせん]を払ってくれないか?
知覚を使わないとマンガや小説が読めないし、テレビでアニメやドラマが見れないし、ゲームもできないし、酒屋で駄弁[だべ]ることもできやしない。もちろん、実在について考えることもできない。だから、私は知覚を使って生きて行きたい。
日本人が西洋人に比べて知覚が弱いというなら、ますます日本人は世界の時流に乗り遅れないために知覚を使わなければならないじゃないか。
[6028] 宗教はどうしてなくならないのか? h20.11.4
宗教と科学が戦うと、どうしても宗教と科学の論争になる。
ところが、宗教は知覚を使って考えないから、宗教は科学の正論に対していつも「わかりません」で済ませてしまう。
だから、いつまで経っても宗教は自分のまちがいを直そうとせず、宗教すなわち昔の人が考えたまちがった哲学はなくならないのである。
言ってわからないなら、もはや殺すしかない。
[6029] 日本人はどうして酒を飲まなければならないか? h20.11.4
日本人が宴会で酒を飲んで馬鹿な芸をしなければならないのは、日本が宗教の国で日本人が考えないで生きて行かねばならないからである。
半年ぐらい前から私は自分の文章が酒で下手にならないために、酒を飲まないようにしている。
[6030] 自由の刑 h20.11.4
『人間は自由の刑に処せられている』というサルトルの言葉も、『人間は知恵の実を食べて楽園を追放された』のと同じく、人間の知覚に対する否定的な見解を述べた宗教的な言葉である。
たしかに知覚を闇雲に使うとまちがいを犯すことが多い。
しかし、知覚を正しく使えば、まちがいは避けられる。
それには、合理主義哲学を学べばいい。私もデカルトの『方法序説』と『精神指導の規則』は読んだ。他の哲学者の本は難しすぎて読まなかった。
そして、自分でいっぺん考えるとは何かについて自分なりに考えてみることをお勧めする。[まず第一に考えるとは何かがわかっていないと、どんなことを考えても生半可に終わる。つまり、認識についての認識すなわち哲学はすべての学問の基礎である。]
[6031] 無政府主義 h20.11.5
政府とは、国民を考えない馬鹿に変える機関である。
したがって、無政府主義とは、宗教すなわち人間が考えないで生きて行くことに反対することである。
つまり、無政府主義とは、科学すなわち人間が考えて生きて行くことに賛成することである。
[6032] 明晰判明VS曖昧模糊 h20.11.6
知覚を使う者は明晰判明である。だから、宗教において神とされる者が理解できない現象が身近で起きた者であり、理解できない現象は当時において未知の自然現象であったにすぎず現在においては解明されているのだから、つまり神とは結局はただの人間であることがわかる。
知覚を使わない者は曖昧模糊である。だから、いつまで経っても天皇が何者であるかはっきりとわからないから、政治家が天皇を人間よりも上の者だと言うと、天皇を本当に人間よりも上の者だと思って天皇のために死ねて光栄だと思ったりする。世界中で日本人だけがまちがった世界観を信じ込んでいて馬鹿みたいである。日本人だけが実在とは別の世界に生きていて独りよがりで世界から孤立していて惨[みじ]めである。
[6033] 日本らしさ h20.11.6
日本らしさは、宗教すなわち知覚を使って考えないことにあるのではない。
なぜなら、文化=知覚×心であり、知覚が働くか働かないかだけで文化は決まらないからである。たとえ知識(知覚における認識)が同じでも、心が違えば文化も違う。心の数だけ文化はある。
実際に、江戸時代には日本は宗教をやっていなかった。江戸時代は科学の時代すなわち知覚を働かせて考える時代だった。日本らしさが最もよく出ていたのは江戸時代であった。
だから、宗教をやめたほうが、すなわち知覚を働かせて考えることにしたほうが、日本らしさがよく出るのである。
[6034] 日本の歴史 h20.11.6
日本の歴史は江戸時代をはさんで3分される。
江戸時代以前は、日本は宗教の時代だった。日本は隣に中国があったにもかかわらず、昔から神武天皇の子孫である天皇家を神とする神制があったのである。昔の日本人は文字通り馬鹿だったので、神武天皇が人間を超えた神に本当に見えたのである。
江戸時代は、日本は科学の時代だった。徳川家が天皇家を江戸から追い出して宗教するのを禁止した。江戸時代は、日本が人間が考えて生きて行く時代だったので、日本文化が最も栄えた。
明治以降は、日本はその歴史的伝統を重んじてか再び宗教の時代となった。しかし、同時に西洋科学を取り入れたので、科学と宗教の矛盾対立を来たすことになった。[厳密に言うと、第2次世界大戦敗北から昭和40年代頃までは日本はアメリカ占領下にあって科学の時代だった。]
しかし、実際の日常生活においては、科学による文明の利器は大変役に立っているが、宗教は何の役にも立っていない。むしろ迷惑なだけである。また、今の日本人は天皇家や私が人間を超えた神に見えるほど馬鹿ではないから、もはや神制は成り立たない。したがって、日本は宗教をやめて、科学一筋でやって行くべきである。
[6035] 明治政府のまちがい h20.11.6
科学すなわち人間が考えて生きて行くことと宗教すなわち人間が考えないで生きて行くことの矛盾を見抜かずに、宗教と科学の両方でやって行こうとした明治政府はまちがっている。例えば、ある者が宗教においては人間を超えた神であっても、科学においてはただの人間であって矛盾を来たす。
そのまちがいをいつまでも引きずっている大正政府も昭和政府も平成政府もみなまちがっている。
日本は江戸時代に宗教をやめたのだから、明治政府は西洋科学だけを受け入れればよかったのだ。
そうすれば、日本政府は経済についても科学的に合理的に考えられるので、日本は不景気にならなかったはずだ。
[6036] 指導原理 h20.11.7
現代における指導原理は、釈迦の『色即是空』でも、キリストの『汝の隣人を愛せよ』でもなく、ニュートンの『F=ma』である。現代文明のすべてが『F=ma』の4文字に掛かっているのである。
仏教とヒンズー教とは共通するところが多いから、仏教すなわち釈迦の思想はインド人の思想にほかならない。つまり、仏教とはインド人の思想を学ぶことである。
同様に、キリスト教はイスラエル人の思想を学ぶことである。
どこの国でも学問は最初は哲学みたいなものから始まったのである。
[6037] 信者を生み出すのは宗教である。 h20.11.7
宗教にとっては、信者はお客様である。信者からお布施をもらっているから宗教が成り立つのである。
宗教にとっては信者がどうしても必要である。
そこで宗教は信者を獲得するために、わざとにまちがった思想を世の中にばら撒[ま]いて、人々が人生の道を踏み外しやすいようにして宗教に入らせている。
つまり、宗教とは知覚を働かせて生きて行けなくなった落ちこぼれの受け皿である。
人間には知覚の働く利口と知覚の働かない馬鹿のふたつの状態があるので、宗教がいろんな手段を使って利口を馬鹿に変えて、馬鹿を宗教に入らせてお布施を取って儲けているのだ。
[6038] 浅野君と川本君のこと h20.11.7
浅野耕太[あさのこうた]君も川本竜彦[かわもとたつひこ]君も私の友達である。
浅野君は私よりも1年上の先輩で私が子供の頃高知市朝倉若草町にあった県営住宅に住んでいたとき向かい隣に住んでいてよく遊んだ。いっしょに虫取りをしたり飛行機(100円ぐらいの発泡スチロールでできた紙飛行機)を飛ばしたりバンカースをしたり『いなかっぺ大将』のマンガを読んだりした。
川本君は私が高知学芸高校2〜3年生のときの同級生で、私とはそんなに仲がよくなかったが、休み時間に時々いっしょに話をした。
浅野君は京大(学部学科は私は知らない)に、川本君は京大理学部物理学科にそれぞれ現役合格した。
今では、浅野君は京大助教授になり、川本君は大分県で地質の研究をしている。
ところで、浅野君も川本君もその素行から私の目から見て日本神道の信者だと考えられる。
浅野君は理科が弱かったが、川本君は理科が強かった。
浅野君は日本神道の教義をきちんと守っているが、川本君は守ったフリをしている。
浅野君は宗教人だが、川本君は“隠れ科学人”だ。
宗教の信者の中には、川本君のようにただ宗教に入っているだけで知覚を働かせて生きている“隠れ科学人”もいるのだ。
[6039] 世の中には馬鹿もいる。 h20.11.8
世の中には知覚が働かない馬鹿な人も実際にはたくさんいる。
それなら知覚が働かない馬鹿な人でも喜べる娯楽を政府が提供・容認すればいい。
神制のような馬鹿が利口を支配するふざけた制度はないほうがいい。
[6040] 天動説と地動説 h20.11.9
天動説は五感だけの宗教的世界で見たつまり知覚で見ない天文学である。[つまり、天動説は科学ではなく宗教である。教会は神制だけではなく、広く宗教すなわち知覚を使わない『考えない学問』をやるところである。宗教では、人間について神があるように天文については周天円がある。考えない天文学において周天円が現れるように、考えない生物学において神が現れるのだ。]
一方、地動説は知覚で見た天文学である。
結局人類は宗教の天動説よりも科学の地動説を採った。
それは、地動説のほうが天動説よりも真実だからである。
同様に、いわゆる神についても、宗教では人間を超えた者だが、奇跡が1回あっただけでそれ以外は人間とまったく変わらない。これで人間を超えた者とするのは無理がある。
その点科学では、神は当時理解できない現象が身近で起こっただけのただの人間であるから、奇跡が1回きりしか起こらないのも頷[うなず]ける。
したがって、神についても宗教の人間を超えた者説よりも科学のただの人間説のほうが正しいと考えられる。
一般に、五感だけしか使わない宗教よりも、五感と知覚の両方を使う科学のほうが真実を認識できる。
[6041] 科学と宗教の関係について h20.11.9
人間は実在に適応して生きていかねばならないから、真理に従わねばならない。[この点は、科学も宗教も同じである。]
宗教よりも科学のほうが真理を認識できる。
したがって、人間は科学を肯定すべきであり、科学を否定する宗教は禁止しなければならない。
とくに、神については科学と宗教が矛盾するから、神制はやってはいけない。
宗教は科学に従いながらやらねばならない。例えば、宗教はあまり頭を使わないで遊ぶスポーツや遊園地やテレビゲームのようなものだろう。人間は科学で作った道具で頭を使わないで楽しく遊べばいいのだ。
[6042] 政府はなぜ宗教をやるか? h20.11.9
政府は国民から税金を取る会社である。
一般に、会社は会社自身のことしか考えない。
だから、政府が宗教をやるのは、政府自身のためであって、国民のためではない。
政府が宗教をやって国民をバカ(自分で考えない動物)に変えれば、国民はわけもわからずにおとなしく政府の言うことを聞く(例えば、税金を支払う)から政府にとって都合がいいのである。[神制は宗教(考えない主義)の隠れ蓑[みの]である。神制の根底には宗教があるから、神制をやることは宗教をやることになり、国民をバカに変える効果があるのだ。]
政府は国民を自分の食い物にするために宗教をやるのである。けっして、国民のためではない。政府は国民のためになることなどちっともやってはくれないのだ。
[6043] 日本人に宗教は要らない。 h20.11.9
日本人はもともとあまり知的でないから、わざわざ日本で宗教をやらなくてもよい。[日本政府が強いて国民の足を引っ張らなくてもよい。]
日本人は頭があまりよくないから、日本でこれ以上宗教をやってはいけない!
[6044] 宗教と科学の中間 h20.11.9
天動説は宗教における天文学であり、人間を超えた者説は宗教における生物学である。
しかし、厳密に言えば、“周天円”も“人間を超えた者”も知覚で考え出した概念である。
したがって、天動説も人間を超えた者説も宗教と科学の中間の学問である。
だから、天動説について真偽の基準が適用されたように、人間を超えた者説についても真偽の基準が適用されるべきである。
天動説が地動説に負けたように、人間を超えた者説もただの人間説に負けるのだ。
[6045] 人類は私に従わねばならない。 h20.11.11
人類は宗教人(考えない主義の人)と科学人(考える主義の人)に分類される
宗教人にとっては、私は神だから、宗教人は私に従わねばならない。
科学人にとっては、私の考えは正しいから、科学人は私に従わねばならない。
したがって、全人類は私に従わねばならない。
[6046] 宗教はまちがいのもと h20.11.12
宗教すなわち考えない主義からは、天動説や人間を超えた者説のようにまちがいがたくさん生まれる。
世の中にまちがいを増やす主義がいいわけがない。
だから、宗教は禁止すべきである。
[6047] 発展の法則 h20.11.12
合を正(正しい部分)と反(まちがっている部分)に分けて、反をなくして正だけにすれば発展がある。
例えば、世の中を科学と宗教に分けて、まちがっている宗教をなくして科学だけにすれば世の中は発展する。
[6048] なぜ宗教はわけがわからないことをするのか? h20.11.12
宗教は考えない主義だから、非論理的に思考するので、直感的で前後の脈絡のないことばかりするのである。
[6049] 日本人はどうして日本政府が宗教をしているのを容認しているのか? h20.11.12
日本人がまちがっていることが好きで正しいことが嫌いだからである。
つまり、日本人の心がひねくれているからである。
これでは、日本人は救いようがない。
[それとも、日本人が社会科が弱すぎて、宗教や神や政府について正しく理解していないせいだろうか。しかし、日本人が社会科が弱いのは、日本政府が宗教をやって日本人に考えさせないようにしているせいだから、日本政府にとってはまさにしてやったりといったところだろう。日本人は理科には強いが、社会科には弱い民族なのだ。いくら教科書の丸暗記がよくできても、それだけでは強いとはいえない。]
[6050] 女の喜び h20.11.12
私の母は、私がいつも電話で“面白い話”をしないので不快に思っている。
私の母にとっても“面白さ”とは何だろうか?…
女は眼先のことでしか喜ばない。お金を湯水のように使って贅沢をしない限り喜ばない。そんなことができるのはよほどのお金持ちだけだから、女はいつも不満なのだ。
女は男のように知覚で言葉を使って考える喜びがないから、女を喜ばせるには無駄なお金がたくさんかかるのだ。
[6051] 私の哲学日記について(まとめ) h20.11.13
T.感覚論(構想30年)ー実在には“感じる”ことすなわち感覚がある。脳細胞の神経興奮によって、その脳細胞のある場所にその脳細胞が荷う感覚が発生する。電子と光子(電磁波)が相互作用するように、感覚と感覚波が相互作用する。自分の感覚と他人の感覚を感覚波が媒介する(テレパシーの原理)。テレパシーは他人が頭の中で考えている悪口が聞こえて自分が不快になるから、たとえ存在しても使ってはいけない。[私の母は私が小さい頃私に、「自分が小学生のとき水泳の選手に選ばれたが自分は嫌だったので心の中で嫌だ嫌だと思っていたら、次の日先生が自分が何も言わないのに別の人に代えてくれた。」と話したことがあったが、これはテレパシーを使ったほうがいいという絶対に子供には教えてはいけない悪い教えである。]人間はテレパシーではなく、文字や音声によって自分の意思を他人に伝えなければならない。[“脳細胞の興奮で感覚が発生する”ことぐらい宗教に入っていない人にとっては当たり前のことである。私は小さいとき日蓮宗に入っていて、母もおばあさん(母の母)も日蓮宗に入っていたので、肉体から離れて精神が存在すると信じ込まされていたために、こんな簡単なことが28歳の頃までわからなかったのである。]
U.宗教論(構想4年)
@)宗教とは何か?−宗教とは考えない主義である。宗教がまちがいを生み出す。
A)神とは何か?−宗教すなわち考えない主義において、“人間を超えた者”とされた者である。宗教すなわち考えない主義においては、人間は神に従わなければならない。
B)政府とは何か?−政府は宗教をやるためにある機関である。つまり、政府は考えない主義を国に広める機関である。宗教はまちがいを生み出すまちがった主義だから、宗教をやる機関は存在してはならない。したがって、政府はなくならねばならない。
V.その他
[6052] 考えない者は苦労する。≡考える者は楽をする。☆ h20.11.13
私の両親は[戦時中に教育を受けたせいか]考えて生きていなかった。
そのために、オナニーが悪いことだとわからなかった。
それで、私が中学3年生のときオナニーをしていて精液で臭かったが、私の両親は私に注意しなかった。
そのために、私が高校1年生のとき発狂して精神分裂病に罹ってしまった。
それで、その後の私の人生はうまくいかなくなって、親は私に11年間も仕送りをし続けなければならなかった。
私の母親は働きすぎで肺炎を起こして気胸になって入院しなければならなかった。
私の父親も定年を過ぎても仕事を5年間延長して働いた。
私が働きだした後でも、私が仕事を首になってお金が足りなくなる度に仕送りをしなければならなくなっている。
私が中学3年生のとき親が私に言葉で注意をしていさえすれば、4〜6年間の仕送りだけであまり苦労をせずにすんだはずだ。[私も順調に人生を送って苦労をせずにすんだはずだ。]
考えない者は[本人もその子供も]苦労しなければならない。反対に、考える者は[本人もその子供も]楽をすることができる。
[6053] 女の頭の使い方 h20.11.13
なにも女がキュリー夫人やコワレフスカヤのように物理や数学で頭を使わなくてもいい。
女は家事や育児が仕事だから、家事や育児のことで頭を使えばいい。
そのほうが気乗りがして頭もよく働くはずだ。
例えば、家事について自分が考えたことを家計簿に記録すればいい。何でもいいから自分が考えたことをノートに書きとめれば、考えることが面白くなる。
[6054] 『男は中身』 h20.11.13
私が子供の頃は日本は科学主義のアメリカの影響もあってか、『男は中身』だった。たとえ顔が良くても、そんなことはどうでもいいことだと見なしていた。
しかし、今の宗教の国と化した日本では、「男は顔」だ。
男は考えることによって不可能を可能にする。
今の見るだけで考えない男にできることは何もない。
[6055] どうして女は慎[つつ]ましくしなければならないか? h20.11.13
最近は、男が顔がいいだけで馬鹿になってきたので、相対的に女が威張りだした。
しかし、女が威張ると、馬鹿が威張ることになるので、これ以上見苦しいものはない。
だから、女は威張ってはいけない。慎ましくしなければならないのである。
[6056] どうして女は馬鹿なのか? h20.11.14
人間は暑いと気分がだらけて考える気がしなくなる。反対に、寒いと気が引き締まって考える気持ちになる。
人間は自分の身体の中で暮らしている。いわば、自分の身体が人間にとっての環境である。
男と女では身体環境が違っていて、女の身体環境は男の身体環境よりも脂肪層が厚くてヌルヌルするから気分がだらけて考える気になりにくいのだ。
女が馬鹿なのは女が馬鹿だという文化の決め付けのせいではないし、男と女が対等なのは政治家が宗教(考えない主義)を広めるための策略である。
たとえ多少女が男よりも考える気が弱くても、何も考えられないわけではないから、がんばって考えられるだけ考えて生きて行って欲しい。女は多少知的なほうが素敵だ。[ただし、男は女の雰囲気だけの“知的ぶり”にだまされてはいけない。]また、男にとって自分が知らないことを知っているのは魅力である。
頭は毎日使っていれば自然と良くなるから、たとえ自分が馬鹿だと思っても毎日使っていれば利口になる。考える習慣が一番大事だ。
考えると、これまでわからなかったことがわかるようになる。わかることはいくらでもある![反対に、考えなければ、何もわからない。]
[6057] 『バトルフィールド』の世界 h20.11.14
キーボードとマウスの操作が速い者が幸福になれる世界を作っただけだ。
だから、私のようなキーボードとマウスの操作が遅い者はその世界においては幸福にはなれない。
[同様に、宗教をすることは、考えない者が幸福になれる世界を作ることである。そんな世界を実現したら、人類みんなが考えなくなって世の中がまちがいだらけになってしまう。明治政府が科学と宗教の両方をやろうとしたのは、考える者と考えない者の両方が幸福になれる世界を作ろうとしたからだろうが、科学と宗教の両方をやることは互いに他を打ち消しあうことになるので、科学だけをやることにして科学の発明品で考えない者が幸福に生きて行ける世界を作ればいいのである。つまり、最近はコンピューターが発達して人間の思考をコンピューターが肩代わりしてくれる(例えば、WindowsXPのメモ帳の漢字変換)ので、コンピューターが考えてくれるぶん人間は考えないで済むから、科学は考えない者が幸福に生きて行ける世界も作ることができるわけである。]
[6058] 『フライトシミュレーター』の世界 h20.11.14
地面や山の景色がぼやけて曖昧でヘドロのようだ。
これで楽しめる人は、よっぽど眼が悪い。
[6059] 天皇機関説とは? h20.11.14
天皇を人間を超えた者として神聖視するのではなく、天皇を天皇という“役職”についているただの人間と見なすことである。
[6060] どうすれば天皇をやめさせられるか? h20.11.14
天皇がいても日本の役に立つことはない。
天皇がいることは、日本が宗教(考えない主義)をやることであり、日本にまちがいを増やすことになる。
したがって、天皇をやめさせねばならない。
そのためには、
1)第3次世界大戦…日本が天皇軍として外国と戦争して、日本が負けて責任をとるために天皇が殺される。
2)内乱…天皇を神とする宗教軍と天皇をただの人間とする科学軍とが日本の中で戦って、宗教軍が負けて天皇が殺される。
3)辞任…天皇が自分の非を悟って自ら天皇を辞めると言い出す。
4)国民投票…国会で天皇制を続けるか廃止するかで議論して、国民の投票によって天皇制の廃止を決定する。
などのシナリオが考えられる。
天皇が辞めた後は、皇居の遺品を日本歴史博物館に移して展示し、神武天皇が光の玉を出している絵(または模型)の前には実際のコロナ放電の実験装置を置いて、『こんなもので昔の人は神武天皇を神だと思ったのか』と思わせて、過去の日本人の愚かさを戒[いまし]めることにする。
[6061] 天皇制はどのようにしてなくなるのか? h20.11.15
世界暦0001年世界連邦樹立とともにかつての国の概念は崩壊した。もはや世界はひとつである。
それとともに、宗教を背景として成立していた神制度のひとつである天皇制は不合理的という理由で永久に廃止された。人間に相応[ふさわ]しくない宗教はこの世から永遠に葬[ほうむ]り去られたのだ。
[6062] どうしてEU(ヨーロッパ連合体)が出来たか? h20.11.15
私が昔テレビを見ていて、『ヨーロッパの国は陸地でつながっているのに、国境があるのは人為的で不自然だ』と何気なく思ったからである。
地球が太陽の周りを回っているのに正月があるのは不自然だと思ったのと同じ理屈である。
[6063] はたして今の天皇は本当に天皇なのか? h20.11.15
第12代目景行天皇の寿命が143歳だったり第16代目仁徳天皇の寿命が142歳だったりするのは、神武天皇と現在の天皇を無理やり血筋でつなげたためだと考えられる。つまり、現在の天皇は神武天皇の子孫ではなく、赤の他人であると考えられる。
今の天皇が天皇であるためには、自分が神武天皇の子孫である“証拠”がなければならない。
[6064] なんのために神制はあるのか? h20.11.17
宗教は考えない主義なので、宗教では自分で考えることが禁じられている。
しかし、実際に人間が生きて行くためには考えなければならないことが多い。
そこで、宗教では、理解できない現象があったときその近くにいた人を人間を超えた者として、その者の考えを自分の考えの代わりにして生きていかざるを得なかったのである。
つまり、人間はもともと考えて生きていかねばならない生き物なので、宗教の無理な原則を補うために、宗教では自分が人間として生きていくためには自分の考えの代わりにする神がどうしても必要だったのである。
[6065] どうして聖書には嘘[うそ]ばかり書いているのか? h20.11.18
聖書にはキリストの嘘の奇跡ばかり書いてある。
それはキリストが自分は不死身だと言ったのに実際には磔にされてあっけなく死んでしまったからである。[キリストは自分が神だと言ったが、キリストのイメージする神は造物主である全知全能の神であるのに対し、宗教上の神は理解できない現象があったために便宜的に(一時しのぎに)人間よりも上の者とした者にすぎずけっして全知全能の神ではないから、キリストは大袈裟な嘘をついたことになるのである。]
キリストが大袈裟[おおげさ]な嘘つきだったから、宗教ではキリストに従って人間が大袈裟な嘘をつかねばならなかったので、聖書には嘘がいっぱい書いてあるのである。
[6066] どうしてヨーロッパは宗教をやめたのか? h20.11.18
知覚に優れた天才もまた人間を超えた者に思われたからである。
奇跡を起こした神よりも知覚に優れた天才のほうが人間よりも上の者に思われたので、ヨーロッパは宗教をやめて科学に変えたのである。
[6067] マンガ家等への復讐 h20.11.18
私をマンガやアニメやゲームやフィギュアのキャラクターにした者は、今後いくら描かない・作らないからと言ってこれまでの分があるからそれだけでは済まない。
赤字にして自殺させるぐらいでないと私の気が済まない。
宗教に加担した者を幸福にすると宗教すなわち考えない主義が栄えて世の中にまちがいが増えて世の中が乱れるから、宗教に加担した者は不幸にしなければならない。
[6068] アメリカはどうして宗教の国なのか? h20.11.18
ヨーロッパが科学の国なので、その向こうを張ってアメリカは宗教の国なのである。[アメリカは宗教の国だが、日本に比べれば科学の国である。]
しかし、宗教すなわち考えない主義は原理的に人間に相応[ふさわ]しくないまちがっている主義なので、いくら向こうを張りたくてもそこまで反対にしてはいけない。
国のカラー(特色)を出すためには、もっと細かい点において違いを出すようにしなければならない。
[6069] キリストはどうしてバカなのか?☆ h20.11.18
キリストは自分が不死身だったり神と思ったりするほどのバカだ。
バカと言うよりむしろ誇大妄想狂だ。
キリストが誇大妄想狂なのは、裏で性欲を満足していたために他人前[ひとまえ]に出たとき後ろめたさを払拭[ふっしき]するために威張らなければならなかったせいだと考えられる。
キリストが@誇大妄想狂だったために、宗教では人間が神であるキリストに従わねばならなかったので、みんな威張らなければならなかった。
キリストが性欲を満足してAスケベでBバカだったので、頭の中がどんよりしていて、宗教家が言う神の微妙な意味合いがわからなかったために、神の意味を誤解して大騒動を起こしてしまった。
キリストがスケベでバカだったために、宗教では神に人間が従わなければならないので、みんながスケベでバカにならねばならなかった。[そのうえ、[6065]のC嘘つきが加わる。]
つまり、現在のヨーロッパ人の気質[きしつ]はみなキリストの気質に依[よ]っているのだ。[クローン人間の集団みたいだ。]
[6070] 神制で人は幸福になれるか? h20.11.19
幸福になるためには、与えられた世界の中で自分の心を満足すればいい。
だから、神制のある世界では、例えば神が嘘つきならば自分も嘘をついて他人をだまして幸福になればいい。
しかし、それでは詐欺[さぎ]になる。他人に恨[うら]まれることになる。逆に自分も他人にだまされて世の中が乱れることになる。これでは幸福にはなれない。
そもそも神制自体がまちがっている。[神制を法律で修正して実在に合わせようとしても、そもそも理解できない現象の近くにいた人を“人間を超えた者”とすることがまちがっているので、[プトレマイオスが“周天円”でまちがった天動説を修正したように、]しょせん『アドホックな修正』にすぎず、うまくいかない。つまり、考えない主義である宗教を考えない人間が考える神に従うことによって考えるようにした神制で修正し、さらにみんなが神と同じになって生きる神制を近代的個人主義に基づく法律で修正して2重に『アドホックな修正』を加えることによって、なんとか宗教を実在に合わせようとしているのが日本の法律なのだ。そんなことをするくらいなら、まちがった宗教(考えない主義)や神制(宗教すなわち考えない主義によって神すなわち“人間を超えた者”とされた者主義)を原理とするのをやめて、最初から個人主義だけを原理としたほうが、実在する社会の現状に合わせることができる。(考える主義を取るとまではいかなくても、せめて考えない主義を取らないで欲しい。)]
宗教すなわち考えない主義は神制のようなまちがった世界を生み出すからいけない。
[6071] どうして日本政府は天皇を置いているか? h20.11.19
天皇が日本政府の言いなりだと、宗教によって人間は天皇に従わねばならないので、日本人が日本政府の言いなりになって日本政府にとって都合がいいからである。
[6072] 史上最大のまちがい h20.11.19
昔の人は知覚がまちがったことを考え出すと考えた。
そこで、知覚を使わない考えない主義すなわち宗教を始めた。
しかし、知覚は正しいことも考え出す。
宗教自身が知覚が考え出したまちがいなのだ。
[6073] どうして宗教に入る人がいるのか? h20.11.19
宗教家が超能力を使えると思っている人がいるからである。宗教家が超能力を使って科学では不可能なことを可能にすると思っている者が宗教に入るのである。
女の子が星占いを信じるのと同じことだ。
しかし、実際には宗教家は考えない主義の指導者にすぎず超能力が使えるわけではないから、宗教家は科学では可能なことを不可能にするにすぎず、宗教に入ると損をするだけである。
[6074] 太平洋戦争はどうしてあったのか? h20.11.20
ヨハネス=ケプラーがチコ=ブラーエの惑星に関する観測結果を用いて天動説よりも地動説のほうが正しいことを実証したように、
太平洋戦争は、科学すなわち考える主義と宗教すなわち考えない主義のどちらが正しいか決着をつけるための実験であると考えられる。
その結果、科学軍の連合国が勝ち宗教軍の枢軸国が負けたから、科学が正しく宗教がまちがっていると考えられる。[原子爆弾製造のマンハッタン計画のマン(man)とは人間主義のことである。原子爆弾を日本の広島と長崎に落としたのは、広島は広い島で長崎は先が長いだから、日本すなわち宗教(考えない主義)の国をこれ以上広げるなこれ以上続けるなという意味だろう。]
[6075] 考えるのと考えないのとではどちらが幸福になれるか? h20.11.20
人間は実在(無機物や植物や動物や他人や自分自身など)を征服することによって幸福になる。
実在を征服するには考えねばならない。
したがって、考えるほうが幸福になれる。
[これは、人類普遍の法則であって、西洋でも東洋でも同じである。]
[6076] 宗教では何をするか? h20.11.20
宗教は考えない主義だから、神制以外にすることがない。[天動説をやる人はめったにいない。]
だから、宗教ではみんなが神制を一生懸命にやっているのだ。[だから、宗教という言葉はふつう神制の意味で使われている。]
[6077] 出家とは何か?☆☆ h20.11.21 [↓ここから後を読んだだけでも、神制と宗教についてのおおよその理解が得られる。]
昔は法律がなかったので、人間が守るべきものは神制しかなかった。神制が社会秩序のすべてだった。
神制の社会では、何を神とするかが問題になる。
昔の日本では、一般人にとっての神は氏神[うじがみ]だった。氏神制とは、家の祖先の偉かった人を神として、自分がその神に従う(神と同じことをする、または神の命令に従う)ことである。
ところが、仏教に入るとブッダが自分が従うべき神となる。仏教に入るとブッダを神とし家の祖先の偉かった人を神としなくなるので、それで出家というのである。
[6078] キリスト教に入って何になるのか?☆☆☆ h20.11.21
昔は法律がなかったから、人間が守るべきものは神制しかなかった。キリスト教に入れば、キリストが自分が従うべき神になるので、キリストがやったことは何をやってもよいとされていた。例えば、キリストがC嘘つきでD仕事嫌いであれば、キリスト教に入れば嘘をついたり仕事をしないことが許されていた。だから、キリスト教に入ることにはウマミがあった。
しかし、近代以降は法律がある。いくらキリスト教に入っていても、法律を破ることは許されない。だから、キリスト教に入っていても特に得になることはない。法律がある世界では、キリスト教に入ってもウマミはない。だから、今どきキリスト教に入っている人は時代遅れで、何にもならないのにただ入っているだけなのだ。[近代以降の聖書は、法律に適[かな]うようにおとなしい内容に書き換えられている。]むしろ、キリスト教に入ると従わねばならない決まりが宗教に入っていない人よりも多くて損である。
近代法では万人が平等とされている。いわば、近代以降は人間みんなが神なのだ。
[6079] 個性とは何か h20.11.21
人間とは、反応である。
反応の違いはその人の持っている考えによる。
だから、考える人間には個性がある。
[6080] 法律とは何か? h20.11.21
実際に“うまく行っている社会”があったとき、その社会の決まりを正確に言葉で記述したものがよい法律である。
つまり、法律は実在する社会に従って作られていなければならない。
逆に法律で社会を動かしてみて社会がうまく行かなければ、すぐに法律を改めねばならない。
[6081] 天皇はなぜ落ちぶれたか? h20.11.21
天皇が自分の待遇がいいのに甘んじて、考えない人間になったからである。
金持ちにとっては、考えることすら面倒なのだろうか。
[人間ー考える=動物。]
[6082] 近代以降における神制の役割☆ h20.11.21
近代以降の社会には法律があるから、神制は法律を破るためにある。[国民の自由が侵されるのも、法律を破ることだと見なされる。]
ところが、宗教における神の定義はたんに理解できない現象の近くにいた人にすぎないし、法律は社会がうまく行くために・国民が幸福であるために最善を尽くしているのが常であるから、法律を破るためにある神制は、社会がうまく行く・国民が幸福になるのを妨害するために存在しているにすぎない。
したがって、神制は存在してはならない。
[6083] どうして日本政府は宗教を原理としているか? h20.11.22
日本が歴史の古い国であることを外国にアピールするためである。日本の憲法を見れば、それだけで日本が古い歴史の国であることがわかる。
しかし、宗教を原理とすることは実社会に障害が出るので、宗教を原理とする古い法律は史料として保存するにとどめて、現行の新しい法律と分けたほうがいい。
古い時代のまちがいをいつまでも引きずっていては進歩がない。
歴史が古いことと法を変えないこととは別である。むしろ歴史が古ければそれだけ法が何度も改められ発展がなければならないはずだ。
[6084] 字面[じづら]と意味 h20.11.23
たとえ日本の憲法に宗教や神の字が使われていなくても、天皇制が宗教や神制で成り立っていれば、日本の憲法は宗教や神制を容認していることになる。だから、日本の国民が[多少法律を考慮しながら]宗教や神制を使ってもいいことになる。だから、私制(川野延夫制)のような変な神制が日本や世界で流行[はや]るのだ。
人間は言葉を字面よりも意味で見るので、言葉の字面よりも言葉の意味で動くものである。だから、日本の法律がうわべだけ民主制でも中身が宗教や神制であれば、国民は宗教や神制で動くのだ。人間には言葉の意味を言葉の字面で誤魔化すやり方は通用しない。だから、字面よりも意味を、意味そのものを正しくしなければならないのだ。
[6085] 神武天皇は日本の王か? h20.11.23
神武天皇は宮崎県の生まれで島根県でコロナ放電の光の玉を出した。
神武天皇は日本の辺鄙[へんぴ]な田舎にしか行っていない。
神武天皇が紀元前に日本を統一したとは到底考えられない。
だから、神武天皇は日本の初代王ではない。
天皇家は宗教や神制で成り立っているのであって、日本国の王家ではない。
[6086] どうして前田君は私にエロ本を見せたのか? h20.11.23
私が小学4〜5年生のとき、南団地の近くの家に住んでいた前田君はある日私を住宅地の建設現場のプレハブの中に誘い誰かが置いてあったエロ本とシンナー袋を私に見せた。
私が非行に走り不良になったほうが、私を神とする信者にとって法律が破りやすくなるからである。
私が高1のとき私の隣の席にいた尾立[おりゅう]君に嫌がらせをさせて私を分裂病にかからせたり、その後も家の近所の者にテレパシーで私の悪口を言わせたり私にガンを飛ばさせたりして私の勉強を邪魔させたのも私を不良にして私に法律を犯させて、私を神とする信者が私と同じように法律を犯すためだと考えられる。[ガンを飛ばすとは、痛みの感覚をテレパシーで相手に伝えて相手に頭痛を与えて不快にすることである。]
私が小学3年生のとき正岡淳之[まさおかあつし]君と白石芳樹[しらいしよしき]君に私を万引きに誘わせて私に万引きさせたのも、私の信者が万引きするためだと考えられる。
このように、神制は宗教によって神とされた者にとっても、信者に神制を使って犯罪を犯された者にとっても不利益であるから廃止しなければならない。神制を使った者を法律で規制して有罪にしなければならない。
[6087] 地下鉄サリン事件 h20.11.24
地下鉄サリン事件は、私を神とする神制ではやっていいことになる。
しかし、法律的には犯罪である。[実際に、実行犯は『有罪』と確定され指名手配になっている。]
だから、神制はあってはならない。
宗教が神制の生みの親なら、宗教もあってはならない。
現代社会にとっては、神制も宗教も社会秩序を乱して有害なだけである。
[6088] キリスト教の表と裏 h20.11.24
キリスト教の信者は表ではおとなしく教会でキリストの像を拝んでいるが、
裏ではキリストの性格や教え(思想)を使って犯罪を犯している。
キリスト教に限らず、一般に神制とはそんなものだ。
[6089] 神制は子供の遊び h20.11.24
神制なんていい年こいた大人がやるもんじゃない。
子供みたいにかわいこぶってんじゃないよ。
[6090] 矛盾 h20.11.25
日本国憲法には宗教の自由が保障されている。[憲法が冗談を言うわけがない。]
ここにある宗教とは神制のことだと考えられる。
それなら、例えば、オウム真理教の地下鉄サリン事件は私を神とする神制でやったのだから『無罪』のはずである。
一方、刑法では障害致死罪に相当するから「有罪」である。
しかしながら、憲法は刑法よりも原理的で上だから、やはり無罪のはずである。
しかし、実際には法廷で有罪とされている。
いったい、日本の法律はどうなっているのだろうか?
こんな法律で社会がうまく行くわけがない。
宗教とは人間が神に従うことによって(つまり、人間が神の性格や思想や行動を真似て)法律を犯すことであり、
社会をうまく行くようにするためには、宗教(じつは神制)の自由を削除しなければならない。
もともと超能力が使える神なんかいるわけがないから神制を削除するのは当然である。いもしない神のために神制なんかわざわざ設ける必要がない。
神なんかいないのに神制の自由を保障する日本の憲法のほうがおかしい。
まちがいなく超能力を使うことのできる神が現れてから憲法で神を考慮すればよく、それまでは神がいない憲法でやって行くべきだ。
[6091] なぜ釈迦の周りで裸の女性が乱舞したか? h20.11.25
釈迦が性欲で穢[けが]れて不良になったほうが、神としての利用価値が高まるからである。
[6092] どうしてキリスト教ではキリストの十字架像を飾るのか? h20.11.25
パッと見てキリストが悪人であることがわかると、それだけキリストに神としての利用価値があるのがわかるので、キリスト教のいい宣伝になるからである。
[6093] 芸術とマンガ h20.11.25
ラファエロの『キリストの変容』やロダンの『考える人』を見ればわかるように芸術には正しい主張があるが、車田正美の『聖闘士星矢』などのマンガには正しい主張がない。
芸術は見る者を引き上げるが、マンガは引き下げる。
だから、マンガには残すほどの価値はない。
[6094] 天皇家は時限爆弾 h20.11.25
今の天皇はおとなしいいい子だが、何代かしたら不良の天皇が現れるかもしれない。
そうしたら、神制によって日本国民は天皇に“従ってもよい”つまり天皇がやったことなら日本人は何でもやっていいことになるので、日本中が荒れることになる。
日本は天皇家という爆弾を抱えた危ない国家だ。
[6095] なぜ私の両親は放任主義教育だったか? h20.11.26
もしも私が親だったら、自分の子供に自分が知っている正しい知識をありったけ教えてやる。[そうしなければ、自分が後で苦労しなければならなくなるかもしれないからである。私の哲学日記[6052]
考えない者は苦労する。≡考える者は楽をする。☆ h20.11.13を参照。]
それなのに、私の両親が神である私を放任主義教育でつまり私に[私の母が箸の持ち方や靴紐の結び方や風呂敷の包み方以外には]何も教えないで育てたのは、そのほうが私が人生上のトラブルを起こして不良になりやすいからである。
おそらく、宗教家が私の両親に「放任主義で子供を育てたほうが子供が自由にのびのびと育つ」とでも言って、私の両親をだましたのだろう。
[6096] どうして日本では神制が喜ばれるのか? h20.11.26
日本の法律はオウム真理教の地下鉄サリン事件が無罪になったり有罪になったりとはなはだお粗末な次第である。
つまり、[変な理由になってしまったが、ともかく]日本の法律は出来が悪い。
法律に乗っかって社会がうまく行くほど、現在の法律の完成度は高くない。
法律のありがたみがないから、神制で法律が無茶苦茶になって喜ぶ者が後を絶たないのだ。
将来、社会科学が進んで完成度の高い法律ができれば、神制はなくなるだろう。
[6097] どんな者が宗教に入るか? h20.11.27
自分に守る幸せがない者が宗教に入るのである。つまり、不幸な者が宗教に入るのである。
幸せな者なら、自分を幸せにしてくれた今の社会を守ろうとするはずだからである。
神制で今の社会をぶち壊してやろうと思うほど、自分を不幸にした今の社会に恨みのある者が宗教に入るのである。
今の社会に不満のある者が、自然現象や癲癇による幻覚などを用いて神をでっち上げて神制をいいわけにして社会を破壊しているのが宗教の実態である。
[6098] 日本の法律は日本人が作る。 h20.11.27
日本の法律は実在する日本社会の決まりだから、日本人が長い年月をかけて作り上げたものである。日本政府はそれをただ字で書いただけだ。
日本政府は天皇や私を神とする神制を使って日本社会を破壊するくだらない団体である。
[6099] 勝利の報酬は皆殺し h20.11.27
宗教とは、自分たちを不幸にした社会に復讐するために、科学的に未解明な自然現象や癲癇による幻覚などを用いて実在しない神(超能力者)をでっち上げて神制を使って法律を破り社会を破壊することである。
神制を行う宗教家や信者は、天然痘ウイルスのように人類にとって有害な生物である。
私が宗教の化けの皮をはいだ報酬に、世界中の宗教家や信者を皆殺しにしなければならない。[神制に加担した者はみな信者と見なされる。]彼らを死刑または死ぬまで不快・不幸な目にあわさなければならない。
[6100] どうして日本には特攻隊があったか? h20.11.27
宗教に入っている者は、神制で社会を破壊しようとするから、自分が守らなければならない幸せがない不幸な人間である。
宗教の国では国民みんなが宗教に入っているから、国民みんなが不幸である。
不幸な者は自殺したがる。
したがって、宗教の国である日本には自殺によって攻撃する特攻隊があったのである。