[1001] 漫画と芸術の違い h15.6.1
漫画とはおもしろい絵であり、‘おもしろさ’が目的である。
一方、芸術の目的は、絵の‘美しさ’にある。
[1002] 休日の哲学☆アニメばかり見ていないで、たまには哲学しよう。 h15.6.2
五感で見える物体のイメージ(視覚像)も言葉のようなものである。
五感のイメージに対して知覚が実在的意味を意味付けている。
それによって実在認識が成立する。(補足;われわれ人間は知覚界の中で認識し行動するのであり、五感界は知覚界における氷山の一角のようなものである(つまり、知覚界を氷山に喩えたら、五感界は水面の上に出ている氷山の一角にすぎない)。眼で見える物体のイメージ(視覚像)は、その物体の実体(≒知覚認識)につけた名前にすぎない。)
そうしなければ実在認識が成り立たない。
われわれが実在を見失いがちになるのは、無形無言の知覚認識に頼りすぎ、知覚を言葉(文字や声)で表現するのを怠ったからである。
知覚を表現することによって、知覚の意識が強くなる(正確には、知覚の感覚が強くなる、知覚が意識化される)。
知覚を表現しなければ、しだいに知覚から疎くなり、知覚を見失う(知覚の感覚が弱くなり、知覚が無意識化される)。
その結果、五感しかわからなくなり、五感自体を実在だと誤認する。
五感界には実在しないことがある。
それが現象(非実在的五感)であり、それにとらわれた状態が分裂病である。
人間は知覚が働くかぎり人間なのであって、知覚が働かなければ動物である。
本来人間であるべき者が動物になることが分裂病である。
[1003] 方程式の限界 h15.6.3
(定理)『いかなる方程式を立てようとも、宇宙の未来を完全に予測することは出来ない。』
(証明)今ここに、完全な運動方程式があるとする。
例えば、ニュートンの方程式やシュレーディンガーの方程式などを考えればよい。
その方程式に宇宙のすべての素粒子の初期条件をインプットすれば、宇宙の未来は完全に予測できるはずだ。
しかし、方程式を解くには、筆算なり、コンピューターなりに掛けねばならない。
そのとき、情報を文字や磁石などに荷わせる必要が生じる。
☆その文字や磁石自体の運動を荷わせるものが足りなくなる。
だから、宇宙のすべての素粒子の運動を予測できないから、宇宙の未来を完全に予測することは不可能である。
[1004] ベルグソンの問題 h15.6.6
(問題)「なぜ人間には物が動いているように見えるのか?」
(答え)人間が見たり聞いたり考えたり思ったりしているこの世界は、感覚界であって実在界ではない。
自分に感覚できるのは自分の感覚界であって、実在界ではない。
このゆえに、実在界には時間があるが、感覚界には時間がない。
つまり、実在界は時間のある静止した4次元空間であるが、感覚界は時間のない動いている3次元空間である。
『感覚子(感覚子を興奮した脳細胞と考えてもよい。つまり、興奮した脳細胞自身に、その脳細胞が荷う感覚を荷わせればよい。)に(数ミリ秒程度の)寿命がある』ために、感覚界は生成流転する動きに満ちた世界となっているのだ。
[1005] 人間的精神構造の構築(人間としての気構えづくり) h15.6.7
補足)動物は五感に立脚するが、人間は自分の知覚(の中に置いた原理)に立脚する。
生物学的には人間は動物の一種であるが、哲学的にはもはや人間は動物ではない。
[1006] イデアと無意識 h15.6.7
弱い感覚の無意識の思考と、知覚におけるイデアによる思考とを混同してはいけない。
知覚におけるイデアによる思考は無形無言ではあるが、けっして無意識(すなわち弱感覚)ではない(とはかぎらない)。
知覚の発達した人にとっては、五感が無意識(弱い感覚)で、知覚が意識(強い感覚)なのだ。
人間が知覚界すなわちイデアの世界で何をしているのかを明らかにしなければならない。
[1007] 現象としての言葉 h15.6.8
人間が考えるべきもの(対象)は、実在であって現象(たんに五感で感じられること)ではない。
ゆえに、言葉の多くは現象にすぎないから無視される。
したがって、幻聴も無視される。
実在を述べた命題だけが考察に値する。
[1008] 知覚界の構造 h15.6.9
知覚界はイデアから成る。
知覚界にあるイデアは五感界にあるイメージから思考(イメージの演算)によって作り出される。
イデアは、無形無言である。すなわち、イデアは五感において無である。
イデアを組合わせることによって、実在する対象が理解される。
知覚界におけるイデアに五感界における一定の記号や音声を対応付けたものが言葉である。
言葉によって、知覚界におけるイデアは五感界における記号や音声として表現される。
[1009] 同時同所性の問題 h15.6.10
(問題)「なぜ人間には自分の感覚しか感じられないのか?」
(答え)脳細胞はその脳細胞が荷う感覚を荷うだけだから、感覚の存在する場所がわからなければ、他人の感覚も自分の感覚と同じように自分に感じられることになるはずである。
自分の感覚と同時に感覚される自分の視覚の間に連合ができることによって、その感覚が自分の脳で発生した自分の感覚であることがわかる。それ以外が他人の感覚だと見なされる。
自分の感覚と他人の感覚とを区別し、他人の感覚を無意識化し、自分の感覚を意識化することによって、はじめて自分の感覚だけが自分に感じられるようになる。
以上のことを、人間は暗黙の知覚界の中でやっているのだ。
だから、自他の区別ができなくなると、他人の感覚が意識化されて自分に感じられるようになる。すなわち、これが幻聴である。(このように、たとえ感覚波が実在しないとしても、幻聴を説明することができる。)
[1010] 動物の場合 h15.6.10
(問題)「なぜ動物には幻聴がないのか?」
(答え)人間以外の動物には知覚がない。知覚がないから言葉がない。言葉がなければ幻聴もない。
[1011] 自他の区別よりも実在と現象の区別のほうが大事。 h15.6.11
人間は自分ひとりで孤立して生きていけないものだから、自分と他人の区別は完全にはつけられない。
だから、自分と他人の区別にはあまりこだわらないほうがよい。
それよりも、知覚を働かせて、‘正しさ’の意味を理解し、『実在と現象の区別』をつけたほうがよい。
正しいこと(実在)なら、自分が考えても他人が考えても、どちらでもよい。
[1012] 瞑想 h15.6.12
五感を無意識化(弱感覚化)することによって、相対的に知覚を意識化(強感覚化)すること。
知覚の存在を再確認すること。
[1013] ヤクザ h15.6.13
反社会グループであることは間違いない。
かと言って、日本(政府)が正しいとはかぎらない。
みんな日本が正しいと信じ込まされているだけだ。
私は、日本が正しいとは思わない。
ヤクザは反日本グループではあるけれど、
本当はヤクザのほうが正義なのかもしれない。
作りごとの約束(法律)で悪者扱いされているだけの気の毒な連中なのかもしれない。
(グラップラー刃牙の花山薫かっこえ〜。)
[1014] 実在のイメージ h15.6.15
実在の世界は暗闇であって、
眼に見える世界は冗談にすぎない。
[1015] 作りごと h15.6.17
子供のころは、五感界が実在で、知覚界が作りごとだと思っていた。
28才に哲学第一原理を閃いたとき、知覚界が実在で、五感界が作りごとになった。
[1016] 理学部の理の意味は? h15.6.18
理はリアル(実在)の‘り’。
物理学とは、人間に感覚できる知覚で感覚できない実在をとらえる(対応づける)ことである。
[1017] 精神主義 h15.6.25
格好よさで、人間の価値を決めてはいけない。
人間を認識の正しさだけで評価するのは、まさしく精神主義だ。
[1018] 学者 h15.6.26
眼先で学問の真似事をしているだけで、
中身はバカのままだ。
[1019] 天国と地獄 h15.6.26
人間にとっては、
知覚界が天国で、五感界が地獄だ。
その証拠に、
天才とは、知覚の才能があることだ。
地獄耳とは、純粋な五感だけの聴覚だ。
[1020] 人生とは h15.6.27
人生とは、人として生きることであって、
ただ生きていればいいのではない。
人として生きるとは、
カッコよさ(見栄)のためや、
楽しさのために生きるのではない。
正しいために生きるのだ。
正しいといっても、
数学や物理の試験でいい点数を取ることではない。
哲学が正しいこと、つまり、
知覚主義でずっと生き続けることが、人間としての正しい生き方なのだ。
だから、これまで知覚主義で行き続けて来なかった者、たとえ一瞬でも五感主義や心主義に溺れた者(私も含む)は、みな哲学的に間違っているのであり、
人間として生きる資格がないのだ。
不自然に無理やり生きているにすぎず、
本当は早く死んだほうがマシなのである。
実在の世界は厳しい。
人生は一度壊れたらおしまいであり、
二度と元通りにはならないのだ。
[1021] 天中殺 h15.6.28
天国の中で自分を殺すこと。
天国は知覚界のことだから、
知覚界から自分自身を追い出すこと。
つまり、自分が人間をやめること。
占いの世界では、‘知覚が働かなくなる時期’のことを言うようである。
相対的に五感や心がよく働くから、美術や芸術の才能が発揮される。
[1022] 風水 h15.6.28
知覚、五感、心などの人間の感覚は脳細胞の活動(神経興奮)であって、脳細胞の活動には多くのイオン粒子が関与するから、電磁場の影響を多かれ少なかれ受けるはずだ。
だから、東西南北の方向(地磁気)と人間の感覚との間に相互作用があっても不思議ではない。
[1023] 食事 h15.6.28
人間の感覚と食べ物の間にも当然相互作用がある。
知覚の働きが良くなる食べ物を摂りつづけば、知覚が発達する。
年齢よりも地磁気よりも、食事の影響が大きいと思う。
[1024] 守護霊 h15.7.6
天中殺の時期には、知覚の働きが弱まり、人生のミスを犯しやすい。
つまり、守護霊とは自分の知覚だ。
[1025] 世界秩序(人類の支配・従属関係) h15.7.6
ヨーロッパ・アメリカは知覚の国で、
中国・日本は心の国で、
アフリカ・オセアニアは五感の国である。
自然選択がこれらの違いを生んだ。
ヨーロッパは気候が厳しいので、頭のいい人しか生き残れなかった。
中国・日本は気候が温暖なので、頭が良くない人でも生き残れた。その結果、心の楽しい人が長生きしたがるので、心の豊かな人が多く生き残った。
アフリカは、頭が良くてもしかたがないので、眼と耳がいい人が生き残った。
人間において、知覚が五感や心を支配する以上、
ヨーロッパがアフリカやアジアを支配するのは当然である。
[1026] 支配者の条件 h15.7.7
人間において、知覚が心と五感を支配している以上、
支配者は知覚的であらねばならない。
心主義者(躁鬱気質)や五感主義者(分裂気質)では、支配者にはなれないのだ。
[1027] 日本が世界を支配できない理由 h15.7.7
支配者は知覚主義でなければならない。
ところが、日本は心主義の国であって、知覚主義の国ではない。
だから、日本は世界の支配国となりえない。
日本が心主義であるかぎり、
日本はヨーロッパ・アメリカなどの知覚主義国に従属しなければならない。
[1028] 理想 h15.7.7
心主義者の理想は和(みんなが仲良しであること)だ。
知覚主義者の理想は正しさ(自分の認識が実在と一致していること)だ。
五感主義者の理想は美(見掛けがいいこと)だ。
『みんなが仲良くする』ことが、心にとっては最高に愉快なことだ。
[1029] 太平洋戦争 h15.7.7
知覚主義と心主義の戦いだった。
心主義国(日本やヨーロッパの田舎の国)が知覚主義国に勝てるはずがない。
[1030] 精神病の新薬物療法 h15.7.8
分裂病には、五感抑制剤と知覚興奮剤(スマートドラッグ)を、
鬱病には、心抑制剤と知覚興奮剤を投与する。
精神療法とは、患者に自己管理ができるように哲学を教えることだ。
[1031] アメリカ h15.7.10
アメリカは白人と黒人の混合体だ。
白人は知覚的だが、黒人は五感的なので、
アメリカの白人は黒人から悪影響を受けて、
ヨーロッパの白人よりも感性が五感的になっている。
[1032] 学校(教育機関) h15.7.10
学校はものごとを教えるところではない。
学校は、知覚の優れた者を生かし劣った者を殺す選択の場だ。
学校を作ることは、知覚の優れた者だけが有利に生き残る世界を創ることだ。
[1033] 人間とロボットの違い h15.7.10
人間には感覚があるが、
ロボットには感覚がない。
一般に、脳(神経細胞)のある生物には感覚がある。
例えば、犬、猫、魚、虫、ミミズには感覚がある。
動物実験は控えめに。
動物にも感覚があるからね。
[1034] お金 h15.7.12
お金というものを発明したために、
善人だろうが悪人だろうが*、
お金のある者は生き残り、
お金のない者は死ぬようになった。
*補足)心の善悪は心が知覚に従属するか五感に従属するかで決まるから、善人とは知覚の働く人であり、悪人とは知覚の働かない人のことである。
[1035] 正しさの意味 h15.7.14
命題と実在とが一致していること。
[1036] 親孝行 h15.7.17
母親を喜ばすために自分が何かをすることは、
母親の心に自分が“従属する”ことにほかならない。
母といえども女だから、
知覚の強い男の私が知覚の弱い女の母親に従属することは許されない。
したがって、男の私が母親のために何かをすることは必要ないし、しようとしてはならないのだ。
こんなことすらわからないのは、人の心について本気で考えたことがないからだ。
人の心をやみくもに肯定するような生き方では、やがて自分が地獄(ここでは心界のこと)に堕ちることになる(躁鬱病)。
[1037] 日本社会 h15.7.18
子供のときの歪んだ精神構造(感覚界の構造)のままで、
死ぬまで生きていこうとする日本社会は変だ(間違っている)。
[1038] 左右脳の統合 h15.7.18
このごろ物が立体的に見える。
それは左右脳の統合が良くなったからだ。
右脳の視覚像と左脳の視覚像が統合されると、立体視ができる。
イデアは右脳で、
ことばは左脳で認識する。
脳梁は右脳と左脳を結ぶ。
だから、イデアをことばで表現したり、
逆にことばをイデア(やイメージ)で読解したりするのは、
脳梁を介する左右脳の統合を良くする。
私も子供のころは無口でイデア(やイメージ)だけで考えていて、
自分が考えたことをわざわざことばにしてノートに書いたりしなかったから、
左右脳の統合が悪くて物がみな絵のように平べったく見えていた。
おかげで、野球のときボールの位置がわからずにエラーばかりしていた。
[1039] 読書と思考 h15.7.19
暇があっては他人の書いたセンスの悪い(つまり、認識が知覚的ではない)本ばかり読んで、自分自身の頭を使って考え事をしないから、自分のセンスがよくならないのだ。
[1040] ゲームについて h15.7.21
実在と別の世界で遊ぶこと自体が陰気臭い。
コンピューターは、最終的には人間に代わって働くロボットを動かすためにある。
ゲームなんかどうでもいいことだ。
ゲームで遊ぶ楽しさよりも、仕事や学校がない楽しさのほうがずっと大きいのに…
どうして、そのような世界を実現しようとしないのか
ゲームの世界に逃避するよりも、実在に向かうことが大事だ
人生から仕事や勉強がなくならないかぎり、人間は本当に幸福にはなれない。
楽しいことより実在であることのほうが大事だ
楽しければ実在であろうが非実在であろうがどうでもいいとするのは心主義であり、
心主義は思想的に間違っている。
心主義は時代遅れの考え方だ。心主義では脳の働かせ方に問題がある。
それよりも、実在の中で楽しんだり苦しんだり見たり聞いたりするのが
(つまり、心や五感が知覚≒実在に従属していることが)大事だ。
[1041] 但馬人よりの手紙 h15.7.27
但馬人>日本の太平洋側は“実在の中で楽しめる”ように工夫されているので大変住みやすく楽しいのですが、ここ但馬では“実在の中で楽しむ”という思想がないので暮らしがちっとも楽しくありません。人間の心が無視されています。もう、こんな生活イヤです!
回答>田舎の人は人間の心を悪だと信じているので、楽しいこと嬉しいことを否定しようとします。人間は楽しんだり喜んだりしてはいけないと小さいころから教えられているようです。そのために、平気で客に食えないラーメンを出して代金だけふんだくったりします。田舎は思想が貧困だから、そこから少しも進歩しないのです。いいですか?、心自体は肯定できませんが、実在に従属する心は肯定できるのです!!田舎の人は知覚が弱くて実在がわかっていませんから、そのために心を肯定できずにいるのでしょう。結局、頭が悪いと楽しむこともできない。田舎って、ヤダ!
例えば、但馬は水が不味いですから、山をぶち抜いてパイプラインを引いて六甲の水が水道の蛇口で飲めるようにしてもらいたいです。
実在の中での喜びは、知覚のある人間だけに許された喜びです。それを肯定しないでは、人間の生きていく道はないでしょう。
西洋が五感肯定的なところを見ると、まだ実在と五感とが十分区別されていないようだ。その点は、西洋(ヨーロッパやアメリカ)といえども、まだ田舎だ。賢明なる諸君は、そんなことないよね?
かつての(太平洋戦争以前)日本には実在と五感の区別が厳存した!かつての日本人は五感ではなく実在の中での喜びを得ようとした。それこそが日本人の心だ。
日本人は知的に=実在的に物を見ているからこそ、“五感のムダ”がないのだ。“五感のムダ”とは、例えば(CSの旅チャンネルで見たように)ヨーロッパの街並みが見栄えがいいことである。教会やお城や公園が実にかっこいいことである。しかし、知覚で見たとき、そこには何もないのだ。“実在と五感の区別”こそが日本特有のものの見方であり、この原理の下に日本人はこれまで世界を作ってきた。日本人は五感の中よりも実在の中で生きるのを好む。日本には実在的な=知的なものの見方がある。それが日本の文化だ。
日本は物資が乏しく贅沢をする余裕がないので、“五感のムダ”がないとも言える。
数学や物理では日本はヨーロッパに及ばないが、知的なものの見方(哲学)では日本のほうが優れている。日本には、実在認識の奥深さがある。ヨーロッパの実在認識は浅薄である。実在主義=知覚主義を貫き通したわれわれの先祖は実に立派だ。私は日本の文化を誇りに思う。
[1042] 西暦3000年までに人類が解決すべき問題 h15.7.30
1.仕事からの解放
人間の代わりにロボットが働くことによって、人間が一切の労働から解放される。
仕事はお金を稼ぐためにあるので、人間が仕事から解放されるとお金も要らなくなる。
2.勉強からの解放
仕事の準備としての勉強が要らなくなる。
受験勉強もしなくていい。
自分の好きなことだけ自主的に考えられる。
3.死からの解放
仕事も勉強もしなくてすむようになると、人生が楽しくてしかたがないから、誰でも長生きしたくなる。できれば永遠に死にたくない。医学が発達すれば人間は永遠の命を得ることができる。
現在の世の中はまだまだ歪みが多い。
それらを取り除いてゆけば、(昔のギリシアの貴族のような)人間らしい生き方ができる世界になる。
いくらコンピューターが発達しても、人間が知覚的動物であることをやめるわけにはいかない。人間の本質は知覚だから、人間が知覚的でなくなると、もはや人間でないからである。
[1043] 人間の分類 h15.7.31
「われ考える、ゆえにわれあり」は、知覚型人間。
「われ思う、ゆえにわれあり」は、心型人間。
「われ見る、ゆえにわれあり」は、五感型人間。
(代数幾何学における、2次曲面の分類と似たようなもの)
[1044] 試験と研究 h15.7.31
試験はあらかじめ答えがわかっていることを、わざわざ知らんプリをして問題にするんだから、本当は大したことじゃない。
すでに誰かがわかっていることをわかればいいんだから、本当は難しくない。
難しいのは、まだ誰一人としてわかっていないことを自分がわかることだ。
試験と研究では頭の使い方が違う。
自分ひとりでわからないことにぶつかってゆく気力がなければ、たんなるお稽古どまりだ。何にもならない。
他人が書いたものを頼りにせず、自分ひとりでやみくもに考えることが大事だ。
[1045] しょせん女はリコウぶり h15.7.31
試験でいい点取れるからっていい気になるな。
試験は、すでに答えがわかっていることをわざわざ問題にするんだから、大したことない。
女なんかに知覚はない。
あるのは五感だけだ。
五感だけでも金と暇さえあれば、東大入試(一般に、試験勉強)ぐらいは通る。
眼先のことを憶えるだけだ。
眼が見え指が動かせれば試験は通る。
眼がいいだけで頭がいいのではない。
真の認識とはもっと深いもので、紙の上のチャラチャラしたことではない。
女はただ字面(じづら)を見ているだけで、字の意味(イデア)が見えていない。
字面の丸暗記でも、努力すれば試験は通る。
しかし、いくら試験でいい点とっても、自分ひとりで考えて(新しく)わかることがなければ何にもならない。何の役にも立たない。
女なんかに知覚はない。
本当は、カンニングの腕がいいだけだ。(だから、つばめみたいなウブな奴がだまされる。)
女は犬猫並みの世界観しかない。
だから、あいつらは自分と気が合うペットを飼いたがる。
[1046] 人間とコンピューターの違い h15.7.31
コンピュータの中では、電子が動いているだけで、“感覚”がない。
“感覚”のある思考は人間だけにしか出来ない。
コンピューターは、いわば無意識的に思考しているだけである。
“感覚”の味を楽しむことは人間だけの特権である。
[1047] 理論と実在 h15.8.1
昔のギリシア人は理論的考察はよくできたが、まだ技術が未発達で理論と実在とを結びつけるものがなかったので、実在のことがよくわからなかった。
現代では技術が発達し、多くの観察・実験道具があるので、理論と実在が結びつき、実在のことがよくわかった。
理論と実在とを結ぶのは目盛り(デカルト座標のようなもの)だ。
とにかく、実在に目を向けることが大事だ。
面白さに逃げるのは男(人間)らしくない。
[1048] 都会と田舎 h15.8.1
都会は五感や心にまみれている。
田舎はそんなものがないぶん実在的=知覚的である。
[1049] 仕事 h15.8.1
そもそも仕事は奴隷がすることであって、人間は自分に興味があることをただ考えてさえいればいい。
お金持ちの奴隷よりも乞食の貴族のほうがいい。
[1050] 『われ考える、ゆえにわれあり』の真意 h15.8.2
『“われ考える”、ゆえに‘われ’あり』とは、
‘われ’の定義を“自分の知覚”とするということで、
知覚を人間の本質と見なすことを意味する。
(合理主義のモットーを述べた言葉である。)
したがって、人間の知覚以外の部分は、知覚にとって道具のようなものである。
俗に言う「われ思う、ゆえにわれあり」は誤訳であって、
これだと‘われ’の定義が自分の心であることになってしまう。(思うのは心で、考えるのは知覚だから)
これでは、心主義にほかならない。
[1051] ‘感覚’のある世界 h15.8.2
一般人は感覚の概念を持っていないが、
私には感覚の概念がある。
感覚の概念で見える世界が実在哲学なのだ。(数学アラカルト『分析とは』を参照)
[1052] どうして私は歴史が苦手だったのか? h15.8.4
私は小学生の頃から社会、とくに歴史が苦手で、試験ではいつも平均以下だった。
今日CSのファミリー劇場で『まんが日本史』を見た。徳川家康と石田三成の関が原の合戦の回だった。
話としてはおもしろかったが、
歴史上の登場人物というものが心や五感だけで動いている幼稚な種族であることがよくわかった。
私は子供の頃から知覚主義であり、
私と歴史上の人物とは行動原理がまったく異なるので、
私にとっては歴史上の人物がどうして行動しているのかまったく理解できなかったのだ。
そんなくだらないことは理解できないほうがいい。
徳川家に従属したって日本はちっともよくならなかったじゃないか!
[1053] 人間不平等論 h15.8.4
人間は平等ではない。
知覚の強い者が知覚の弱い者を支配すべきであり、
知覚の弱い者は知覚の強い者に従属すべきである。
例えば、女は男よりも知覚が劣るから、
女は男に従属すべきであり、
男は女に従属すべきではない。
実在においては男女平等は成り立たない。
付記)女の物理学者や数学者はいるが、
私が実際に見たかぎりでは、彼女らは五感で認識しているだけで知覚を使ってはいない。
女は紙の上で認識しているだけだ。ただよい子でいるだけで、お稽古ごとの域を出ない。
知覚すなわち無形無言のイデア覚は男だけにしか備わっていない。
[1054] キチガイの国日本 h15.8.4
日本にはアホやバカが多すぎるので、
心主義か五感主義でないと生きていけない。
自分がアホかバカにならないかぎり満足して生きていけない。
人間やめてまで生きたくない。
日本に私の生きる道はない。
日本にいるかぎり私は幸福にはなれない。
…子供の頃私はそう考えたし、今でもその考えは変わらない。
[1055] 分析と総合 h15.8.13
イメージ(五感の経験)を分析してイデア(知覚概念)を作る。[じつはここが難しい]
イデアと記号列(単語)とを対応させる(これが言葉)。
単語(その実体はイデア)を組合わせて文を作る。(数学アラカルト『分析とは』を参照)
その文がどれだけ実在と合っているかが問題だ。
…私が子供の頃には、時計やラジオを分解して元通りに組み立てることをよくやった。
[1056] 必要は発明の母 h15.8.13
私は自分の生活にとって必要だから、
自分の経験から“感覚の概念(イデア)”を発見して、
これに「感覚」の言葉(単語)を当て、
「感覚」の言葉を用いて多くの命題(文)を作ってきた。
こうして人間の感覚に関する多くの知見を得た。
[1057] 経験 h15.8.13
五感の経験は、見たり聞いたりすることで、
知覚の経験は、言葉を使って考えることである。
私の場合、知覚の経験の中で“感覚のイデア”を見つけた。(実在哲学概論冒頭を参照)
五感の経験(例、観光旅行)だけでは人間にはなれない。
人間になるためには知覚の経験が必要である。
[1058] 力 h15.8.31
月が地球とくっついているのは重力のためだ。
電子が陽子とくっついているのはクーロン力のためだ。
男が女とくっついているのは…そんな力はない。
哲学に無知な者が自分の心に振り回されているだけだ。
(哲学とは、認識についての知識である。)
[1059] 分裂病の一原因について h15.8.31
紙の上勉強や紙の上仕事のやりすぎ
つまり、五感の使いすぎ
[1060] 後進国日本 h15.9.5
日本は実在主義の国ではない。
(実在主義者の)私が日本で生きていたって幸福にはなりようがない。
そのことは子供の頃からなんとなくわかっていた。
かといって、正しい実在主義を捨てるわけにもいかない。
[1061] Anorexia Nervosa(神経性食欲不振症)の人へ h15.9.9
痩せたいと思う人が、そもそも太るわけがない
身体のことはどうでもいいから、バリバリ食って太ったんやろうが
もともと痩せたい気持ちなんかない者が痩せようとするな
そういうのを付け焼刃と言うんだよ 本心じゃない
[1062] 力 h15.9.17
実在の世界にはあるが、五感界にはない。
論理(思考)の力を使ってニュートンが発見した。
実在界においては、力は物体が存在するのと同等に存在する。
[1063] 五感界へのとらわれ h15.9.19
CSの旅チャンネルで見たことだが、ヨーロッパの町並みはすごくきれいだ。
でも不必要なまでにきれいだ。アホらしいまでに美しい。
いくらきれいにしたからといって、それでなにかいいことがあるでもない。
無意味(ナンセンス)だ。
そもそもきれいにすること自体面倒くさい。
ヨーロッパ人は眼先の(見掛けの)きれいさにこだわりすぎだ。
眼先バカだ。
実在を見る目(=知覚)がない。
ヨーロッパでは天才だけが知覚がよくて、一般大衆は五感どまりだ。
日本の電信柱のように、たとえ見掛けは汚くとも、生活に便利であればよい。
日本は物資に乏しいおかげで五感のムダにとらわれずに済んだ。(現象はあくまでも絵なのだ。)
実在(≒知覚界)の中で生きるのが日本人の生き様である。
[1064] 甘え h15.9.24
甘えとは、自分の価値を他人に決めてもらうことだ。
つまり、他人が自分をバカと言ったら自分はバカで、他人が自分をリコウと言ったら自分はリコウになる。自分は他人の言いなりだ。
その代表格がテストだ。
東大生なんか甘えの気持ちが普通の人よりも強いだけだ。
そいつらの人生なんか、ただ他人(とくに親)に気に入られるように動いているだけだ。おかしな世界の中で生きているだけだ。
自分は他人に見られる存在であって、他人を見る存在ではない。
しかも、よく見られていないと気がすまない。
どうしても他人が自分をよく見てくれないときは、その他人を攻撃しようとする。…
これでは人間の恥だ。
自分の価値は自分で決めろ。
[1065] 男女平等 h15.10.4
女の悪い所(例えば、やたら化粧が濃かったり、気分本位で態度がダラダラしていること)をなくそうというのが、男女平等の本当の意味だ。
そのためには、女を男と同等に教育しなければならない。
そのためには、学校を倍建てねばならない。
それを支えるだけの国力がなければならない。
[1066] 感覚波遮蔽装置 h15.10.6
興奮した(電気的に励起した)脳細胞自体を感覚子と考えてもよい。
すると、感覚子の振動は脳細胞の興奮の有無に相当する。
感覚子の振動によって感覚波が発生することは、
脳細胞の興奮の有無の変化によって感覚波が生じることに相当する。
感覚波は脳細胞と相互作用(共鳴)するのだから、
脳細胞と同じ物質で脳を囲めば感覚波は遮断される。
感覚波を遮断すれば、幻聴は聞こえなくなる。
五感の中には感覚波と相互作用(共鳴)する特定の器官がある。
その器官と同じ構造を持つ物質を作ればよい。
[1067] 感覚子の存在 h15.10.6
ニュートンの世界には原子は存在できなかった。
しかし、原子は実在する。
そのことは、ニュートンの世界を改良した量子力学の登場によってはじめて明らかになった。
それと同じように、現在の物理で存在しないからと言って、
感覚子が存在しないとはいえない。
それは現在の物理の盲点であって、
現在の物理が新しいアイデアによって改良されれば存在すべきものなのである。
[1068] 知覚による五感の選択 h15.10.6
[1070] 『脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する』ことの説明 h15.10.9
自分が見たり聞いたり思ったり考えたりするのは、すべて自分の感覚である。
自分に感覚できる世界の外に実在の世界がある。
実在の世界の中に脳細胞という物質がある。
脳細胞の神経興奮によって感覚が生じている。
[1071] 『実在は五感を超えたところにある。』 h15.10.11
五感界の実在的部分に留まることなく、
五感の外にある実在を知覚で認識せよ。
例えば、時間のある世界を考えれば、五感界の外に出て実在の世界を見ることができる。
[1072] セレネースの作用 h15.10.17
乗り物酔い薬が三半規管に作用してその興奮を鎮め乗り物酔いを止めるように、
セレネース(向精神薬の代表)はX器官(感覚波を感じる器官)に作用してその活動を抑制し幻聴を止めるのかもしれない。
[1073] 冗談と真実 h15.10.25
真実を冗談と思って肯定すると、その冗談が実現して、あとで困ることがある。
例えば、テレパシーを冗談だと思って、『おお、神よ、我にテレパシーを与えたまえ!』などと強く念じたりすると、(眠っていたX器官が活動を再開して)テレパシーが本当に実現してしまって、取り返しの付かないことになる。
本当に冗談なら、いくら実現しようとしても実現することがなく、何事も起こらずにすむが、
真実を冗談だと思って実現しようとすると、本当に実現してしまい、一生後悔する。
テレパシーは実在する。
しかし、成長した人間にとっては邪魔である。
自分の思考が他人に伝わったり、逆に他人の思考が自分に伝わったりするのでは、不便で暮らしにくい。
だから、人間はテレパシーを捨てたのだ。
[1074] 科学 h15.10.26
私にとっての科学とは、
相対論でも、量子力学でもなく、
物を組み合わせて自分の夢を実在において実現することだ。
自分の手と頭とで。
[1075] 人類が向かうべき道 h15.10.28
我々が問題とすべきものは、他人の思惑ではなくて、実在である。
テレパシーで他人の思考がわかるようになると、
他人の思惑だらけの世界に陥ってしまう。
[1080] 世界から見た日本人 h15.11.4
日本人は世界の文化に何にも貢献していない。
科学においても、医学においても、数学においても、日本人の立てた原理は何一つない。
日本人は他国の文化に追従しているだけだ。最初から負けている。弱い。
日本人は人間的な価値がない。(スタトレのフェレンギ人のように、商売がうまいだけだ。)
日本人は地球上に居なくてもいい。
人類にとって日本人は要らない。
だから、原爆で攻撃された。
[1081] 自殺 h15.11.4
貧乏で自殺の道具を買うお金がないから、自殺できずに苦しい生活にただ耐えることしかできない。
そんな生活に慣れすぎていた。
しかし、ある程度のお金があれば、自殺の道具を買って自殺を成功させることができる。
死んでしまえば楽だ。
[1082] 感覚 h15.11.10
感覚は脳細胞の物性である。
脳細胞には他の物質にはない特殊な性質がある。
脳細胞は神経興奮すると、そこ(脳細胞の存在する位置)に感覚を発生する。
感覚には感覚波が随伴する。
感覚の発生・消滅の変化によって、真空中を伝播する感覚波が発生する。
人間には、感覚波を感知・発生する特殊な器官≡X器官が存在する。
X器官は乳幼児期には活動するが、人間が成長し自立性を獲得すると働かなくなる。
こうして感覚波の世界は消滅し、耳目の世界や知覚の世界が栄えることとなった。
[1083] テレパシーを使ってはならない理由 h15.11.13
自分の思考が、自分が操作したい特定の人物だけに伝われば都合が良い。
しかし、ひとたびX器官(ここでは、感覚波を感知する器官と発生する器官をセットで考える)が開かれれば、X器官の指向性が低いために、自分の周りにいる不特定の人物すべての思考が自分に伝わり、逆に自分の思考が自分の周囲の不特定の人物すべてに伝わることになる。
これでは、自分の思考が混乱して、自分が正常に思考することができない。
だれでも自分の頭の中にトランシーバーを埋め込まれたら気がおかしくなるわ!
自分の思考が他人に伝わり、他人の思考が自分に伝わって、自他の境界がなくなり、気が変になる。
だから、テレパシーは使用してはならないのだ。
[1084] 知覚主義の生き方 h15.11.15
未来に目標などなくても、今を正しく生きればよい。
あるかないかの未来よりも、今の瞬間を大事にせよ。
[1085] 感覚の発達 h15.11.15
[1086] テレポ−トとテレパシーの違い h15.11.23
テレポートは真実ではなく冗談なので、
いくらテレポートしようとしてもできない。
だから、安全だ。
思っただけで、自分の身体が移動したら危険極まりない。
反対に、
テレパシーは冗談ではなく真実なので、
テレパシーを使おうとすれば使える。
だからこそ、危険なのだ。
他人の思考がいつも自分に伝播するなんて耐えられない。
[1087] 分裂病の原因について h15.11.23
自分のX器官を再活動させることが
分裂病の原因である。
テレパシーを使おうとしなければ、分裂病にはかからない。
テレパシー空間に飲み込まれた状態が分裂病だ。
X器官の活動を停止させれば、分裂病は治る。
自分の住んでいる世界が実在空間であればいい。
[1088] テレパシー h15.11.23
人間の脳には生まれつき他人の意思を感知する能力すなわちテレパシー能力が備わっている。
テレパシーは実在するが使用してはならない。
自他の意思が混同すると自分の思考が混乱して自分が正常に思考することができなくなるからである。
テレパシーが実在しなければ使おうとしても使えないが、
実在するからこそ使ってはならないのだ。
[1089] 100万年後の人類 h15.11.27
大気汚染が進んで、皆が防毒マスクをつけるようになったため、人類は言葉で会話することができなくなった。
情報伝達は文字による以外なかった。
耳と口は退化していた。
たとえ耳と口はついていても、それらが何のためについているのか理解できなかった。
人々は音波の存在を忘れた。
ある日一人の男が、偶然口と耳を使って会話できることに気づいた。
すると、周りにも自分と同じように言葉を使って会話している人々がいることがわかった。
その男は言葉の媒体を音波と呼んで音波による情報伝達の可能性を指摘したが、物理学者たちは音波の存在を否定した。
その男は周りの人々から気狂い扱いされ黙殺された。
[1090] 幻聴について h15.11.28
幻聴は、孤独な人が寂しさを補うために頭の中で別な人を創ってその人と対話しているのではなく、
X器官で他人の思考波を聞いているのである。
したがって、薬や手術や精神療法によってX器官の働きを止めれば幻聴は消滅する。
[1091] 成功哲学…人の出世は何で決まるか!? h15.11.29
私は30歳を越えてから、ようやく哲学第1第2原理に気づいたが、それでは遅すぎる。
出来の良い人間なら子供のころにすでにそれらに気づいたであろう。
子供のころ私は遊んでばかりいて哲学について考えなかった。
そのため人間について無知であった。
それが私の人生を失敗させた原因だ。
私に若いころから実在哲学があれば出世したに違いない。
人間についての洞察に鋭い人間だけが出世するのだ。
[1092] 愛について h15.11.29
ここでは、愛とは男が女の尻を追いかけることだと定義する。
女の男に対する愛情は、私が男だから、ここでは問題にしない。
単刀直入、まじめに勉強を続けてきた人がそんな気持ちになるわけがない。
勉強とは真理を尊ぶことであり、女はバカで真理を解さないから、ハナから相手にならない。
愛が純な気持ちなのはテレビドラマの作り事だ。
実際には、勉強についていけない汚ない落ちこぼれがくだらない愛情などにすがって生きていこうとするのだ。情けない。…
東大出の人が見合い結婚するのはこの限りではない。
それは愛のない結婚だからだ。
あれは親の言いなりになりたい気持ちが無理やり結婚させているのだ。無理矢理はいけない。それは理性を踏みにじる行為だ。
自分がわからなくても親が言えばその通りにしなければならないのが、東大出の限界だ。
心は幼稚だ。いつも他人の言いなりで動いているだけだ。自分に理解があるわけではない。全部他人の又書きだ。これじゃ東大出も当てにはならない。心で動いているだけで、なんか曖昧で不合理だね。…
私なら自分の気がないことはやらないネ。愛なんてどうでもいいことですよ(つ○めさんへ)。
[1093] 単語勉強 h15.12.2
内容(意味)のない音や文字だけの言葉の鵜呑みは五感にすぎない。
だから、単語勉強は五感を助長するだけだ。
[1094] 気配・雰囲気 h15.12.3
人間はX器官で気配や雰囲気すなわち周囲の人が発する感覚波を感じている。
普通、その感覚は他の五感や知覚に較べて弱いので問題にならない。
分裂病では、X器官の感覚が強いので、気配や雰囲気に影響されやすい。
[1095] 哲学第一原理からわかること h15.12.3
哲学第一原理とは、『脳細胞の神経興奮によって、感覚が発生する』ことである。
したがって、
1)感覚とは別に(その感覚を生じるもとになる)実在がある。実在は感覚を超えたところにある。つまり、実在は感覚の外にある。われわれが幼いころから慣れ親しんできた五感界は実在ではない。だから、(言葉を使って考えて)知覚界において実在を再構築しなおさなければならないのだ。
2)脳細胞の興奮性にさまざまな強さの違いがあることから、感覚の強さ(すなわち意識)にも弱いものから強いものまでいろいろある。脳細胞(群)の神経興奮の激しさが、その脳細胞が荷う感覚の強さすなわち意識と対応している。つまり、単位時間の神経興奮の回数が多ければ多いほど、その脳細胞が荷う感覚の強さが増す。フロイトは感覚を意識と無意識のふたつに分けたが、実際には脳細胞(群)の神経興奮の激しさに応じて強意識の感覚から弱意識の感覚まで連続的に分布している。
[1099] 科学 h15.12.5
五感の中になくて実在の中にあるものがある。
それを知覚の推理で発見する。
例えば、時間、感覚、無限小。
これらの概念が実在への扉を開く。
[1100] 感覚波の発生メカニズム h15.12.5
電子が空間的に周期的に位置を変えるすなわち振動すると電波が出るように、感覚子(すなわち興奮した脳細胞)が振動すると感覚波が放出される。
二つの脳細胞が踏み切りのシグナルのように交互に神経興奮すると、感覚子が振動すると見なすことができる。
人間には生まれつき感覚波を発信・受信する器官すなわちX器官が備わっており、乳・幼児期にはX器官が働いているが、成長すると働かなくなり、X器官の感覚(幻聴)は無意識化される。