超くせになりそう h20.12.25〜  作成
ラブシーンのあるアニメは珍しい。

《登場人物》参考
白鳥なぎさ/大鳥なぎさ=私
クマ吉=私(高知を出て母親の料理を食べなくなってから急に太った。私は無口であり、九大医学部教養部1回生の冬頃から哲学日記を書き始めたので、ときどき『らんま1/2』のパンダ親父のようにクマ吉がプラカードで話すことがある。)
野坂昭=白坂真男[しらさかまさお](九州大学医学部のときの同級生、私が教養部1回生のとき暑中見舞いの葉書を出したことがある。)または、私(野坂の野が私の姓の川野の野だから)。
中竹まこと=森本講師(九大精神科にいた頃の私の責任者。髪形が似ている。私が医師国家試験に合格してしばらくの間家の中に閉じこもっていたとき、私のところに電話がしょっちゅうかかっていたが、まちがい電話だと思って無視していた。私が実家に電話をかけたら、森本先生から実家のほうにも連絡があってはやく精神科に顔を出すようにとの事だった。私が次の日精神科に行ってみたら、みんなが宴会の出し物の稽古をしていた。)
ナガト社長(げーのープロの社長)=九州大学解剖学第2講座の永井教授(ナガト←ナガイ(イが左右反対)。講義の最後の日に教壇でHoden[ホーデン]音頭を踊ったので、『らんま1/2』の八宝斎の役でもある。)
モモコ・プリシラ=私の母(私が小学3〜4年生の頃、母がおやつにモモの缶詰を開けてくれたことがある。『超くせになりそう』を勘違いしている人で、なぎさを天皇、モモコを私のことだと思っている人がいるが、天皇の顔は『バビル2世』のヨミみたいな細長い顔である。『魔法のエンジェルスイートミント』のミントを天皇、第36話「おめざめ?!イバラ姫 」に出てきたマリアンを私のことだと勘違いしている人もいるが、正しくはミントが私(顔は私と小学5〜6年生の頃同級生だった門田守[かどたまもる]君)で、マリアンが天皇である。)
上岡龍=私(母親を慕[した]っているので。)
角田=津野[つの]君(私が高知学芸高校2〜3年生のときの同級生。旭のみその学舎でもいっしょだった。ただ、津野←ツノ←川ノ←川野(私の姓)だから、噴火頭は私のことだ。私は高校1年生のとき精神分裂病に罹ってからは、ちょっとしたことでも怒りっぽくなった。私が九大医学部教養部の頃、夏は半ズボンを履いていて、女子学生に笑われたことがある(←こいつら芝居だ)。もっとも、私はサラシを巻いたりはしないが、夏にクーラーをかけるとお腹が冷えるのでお腹にタオルを巻いて寝ていた。出っ歯は、私が高知学芸中学2〜3年生のとき山見君がしょっちゅう出っ歯出っ歯とからかっていた同級生の女の子から(名前も憶えている)。高知県には出っ歯の人は少ない。)
子分1=野並[のなみ]君(私が高知学芸高校2〜3年生のときの同級生)
子分2=ミニラ君(名前忘れた(山下君だったかな?)。あだ名はミニラ。私が高知学芸高校2〜3年生のときの同級生。)
子分3=大杉[おおすぎ]君(あだ名はゴジラ。山岳部でもいっしょだった。私が高知学芸高校2〜3年生のときの同級生。)
子分4=井本英作[いもとえいさく]君(私が高知学芸高校2〜3年生のときの同級生。中学3年後期の生徒会でもいっしょだった。)

・どうしてテープだけしか売られていないか?…『アイドル伝説えり子』や『アイドル天使ようこそようこ』でちゃんと実在するアイドルを立ててやったのに、『超くせになりそう』ではアイドルを立てずに私をアイドルにしたアニメを作ったからである。つまり、私はアイドルではないから、私をアイドルにしたアニメを作ることは神制に反することになるのである。つまり、神制では神がやったことは人間が何でもやっていいのだが、私はアイドルをやっていないし自分(つまり私)をアイドルとは思っていないので、人間が自分自身でアイドルをやるのはかまわないが、神制によっては人間が私をアイドルと思うことはできないので、私をアイドルと思って作品を作るのは自己責任でやらねばならないが、それは私に関する偽りの情報を流すことになり良俗に反するから、あまり偽りの情報を広めないためにテープでしか売られていないのである。
・私が兵庫県豊岡市に住んでいた頃(平成12年=西暦2000年頃)、サンテレビで朝7時から『超くせになりそう』が放送されていた。そのときに見たOPは「サードラブ」ではなく「好きになったら最強!」だったような記憶がある。そういうバージョンもあるのだろう。EDはカットされていた。
・くせ←クセ←カブ(ク≒カ、セ≒ブ(左右反転))←川ブ←私。だから、『超くせになりそう』とはすごく私になりそうと言うことである。『超くせになりそう』を見ていると私にかぶれて私と同じになっちゃうぞと言うことである。h26.1.25追記

サブタイトル 元ネタの解説 私的評価
第1話 誕生!闘うアイドル?! ・『超くせになりそう』とは、私が小学生の頃に工作やプラモデルに夢中になると食事そっちのけでそればっかりやるように、私がひとつのことに熱中する性格を表している。[『超くせになりそう』は、歌詞はともかく曲はいい。たまに聞くと感動する。]
・なぎさがステージで赤いドレスを着ているのは、私が小学3〜4年生の頃、母が玄関で赤い金魚を飼っていたからである。私は青か緑の服しか着ない。
・クマ吉が傘を持っているのは、私が九州大学理学部物理学科にいた頃、イギリス風に毎日折り畳み傘をかばんに入れて大学に持って行っていたからである。
・クマ吉がUPになるシーンだけ「超くせになりそう」の歌が音痴である。それは、私が音痴だからである。
・白鳥なぎさが髪を切って大鳥なぎさになる。…私が九大医学部教養部1回生のとき、私と和田君とで吉村君の下宿に遊びに行ったとき、お酒に酔って私が自分の髪を吉村君に刈ってもらった。吉村君は「いい男になる」と言っていたが、結果はさんざんだった。
・大鳥なぎさの学ラン…私が九州大学医学部教養部1回生のとき、春に学ランを着て大学に通っている学生がいた。
・大鳥なぎさ「オエ〜」…私は車や船に酔いやすく、中学生頃まではしゅっちゅう乗り物に乗ると吐いていたが、高校1年生の頃アンプルの乗り物酔い薬ができて酔わなくなった。
・角田君「表に出やがれ」…私が高知大学理学部数学科を2回生の夏に中退してから、しばらくの間(2〜3週間ぐらい)高知市立図書館に通って勉強していたが、ある日私の近くで咳払いをしている2人組の男がいて朝から気に障[さわ]っていたが、昼休みに自転車で外に出てみたところ、交差点で自転車のブレーキワイヤーが突然切れてブレーキが利かなくなり危うく自動車にぶつかりそうになって、私は2人組の男がやったと思って、図書館に戻るなり「お前らが、俺の自転車のブレーキワイヤーを切ったがやろうが?!ちょっと話があるからそこまで来い」と言って図書室の外に連れ出した。2人組の男はかなり怒っていたが、私が2人の様子を詳しく見ると、どうもやってなさそうだったので、あとで2人に謝って許してもらった。
・野坂君「なんだよ、こいつ気持ち悪い奴だな、あんまりジロジロ見るんじゃないよ」…私が高校1年生の頃、精神分裂病に罹ったとき、隣の尾立[おりゅう]君を横目で睨[にら]みながら自分の頭に力を入れたので、その後他人を横目で見るようになった。
・クマ吉のバイオリン…私はもちろんバイオリンなど弾いたことがない。しかし、私が子供の頃に住んでいた県営住宅の西の市営住宅の西の家に住んでいた医者の息子の江口君がバイオリンを習っていて、ときどき家の近くを通るとバイオリンの音が響いていた。江口君と私とは小学3年生のとき同じ地区会の代表に選ばれて野市[のいち]の青少年自然の家に泊まったことがある。
・秘技雷落とし…私が中学1年生のとき旭のみその学舎に通っていたが、英語の河野[かわの]先生が授業中に生徒の私語がうるさいとき「コラー」と腹の底から大声を出して黙らせていた。河野先生は高知大学教育学科の学生で、福岡出身でハンサムだった。
◎ラブシーンが笑える。
第2話 決闘!恋のカミナリおとし ・角田君の音痴歌…私は子供の頃から音痴である。それは、私の家にはモノラルのレコードプレーヤーしかなかったし、私が芸能界に興味がなく、プラモデルばかり作っていたからである。
・大鳥なぎさが机で寝ている。…私は社会科が苦手だったので、社会科の時間は起きているのがつらくてときどき眠りそうになっていた。
・真剣白羽鳥…高知学芸高校2〜3年生のとき、体育の着替えのとき、野並君たち(日本神道)が真剣白羽鳥の真似をして遊んでいた。見事に竹刀を受け損ねて竹刀が頭に当たっていた。
・黒板のひび割れ…高知学芸中学校3年C組のとき、前の黒板にちょっとヒビが入っていた。
・包帯を巻いた蛇[へび]…私が小学5年生頃、針木[はりぎ]で溝に落ちた蛇に石を当てて遊んだことがある。
・小金井ハリハリパーク…私が小学生の頃、母親がときどき針治療を受けていた。それから、私が小学3〜4年生頃、ロッテの『ハリハリ仮面』が流行っていてシールを集めていた。さらに、その元は、私が小学1〜2年生のとき、小学館の学習雑誌についていたシールを冷蔵庫の扉やたんすの引き出しに貼って遊んでいたからである。私が中学1年生のとき、同級生の立野勝[たちのまさる](顔がアニメのルパンに似ている)が、休み時間に教室の後ろの壁に張られていた新ハリハリ仮面の『田舎っぺ』のシールを見て「たしゃっぺ」と言って大声で笑っていた。
・スカート…私はスカートなんか履いたことがないが、私が小学2〜3年生ごろ私が好きだった小学館の『こども学習百科事典』を見ていて新幹線ひかり号の石よけのことをスカートというと書いてあったので、変だと思った。
・白鳥なぎさがソフトクリームをペロペロなめている。…私は子供のとき、アイスバーやカップに入っているアイスクリームはよく食べたが、ソフトクリームは食べたことがない(当時は、まだ売ってなかった)。私がソフトクリームを食べたのは、私が九大医学部3回生のとき、自転車で秋月に行ったときアイスボックスに入っている300円のソフトクリームを買って食べた。ちょうど祭りで人が多くて、私がいい歳してソフトクリームをペロペロなめているのを見ておばさん3人組がゲラゲラ笑った。3段づみのアイスクリン(円錐形のウエファーの上に半球形のアイスクリームが3段乗っている)は、私が子供のとき夏休みにカブで売りに来ていた『1×1=1』(高知のアイスクリン連盟?の商標)のアイスクリンを食べたことが数回ある。
・クリフハンガー…私が中学3年生のとき、グリップで握力を鍛えていた。私が高校1年生のとき、高知学芸高校の山岳部で高知外語学校の近くにある岩場でザイルを使って岩降りの練習をした。先生の指導で練習したのは、山登りのとき以外ではこの1回限りである。
・モモコ・プリシラ「そう、アクションアクション。ハクションが恐くて花粉症になれるか」…私の父親は花粉症である。春先になるといつも家の中で大きなくしゃみをする。ここでは、モモコが私の父親である。
・サンキューテレビ←39←昭和39年(西暦1964年、辰年)1月22日は私の誕生日。
・野坂道場の天井裏…私が小学5年生の頃、安養寺一郎の長屋の下宿に行って、みんなで隣の部屋のおねえさんを見るために屋根裏の探検をした。(実際には、隣の部屋は留守で誰もいなかった。)
・野坂君の短刀…私が小学5〜6年生の頃、学校で科学部に入っていたが、木の飛行機(形だけで飛ばない)を作ったとき、100円の肥後守[ひごのかみ]ナイフ(折り畳み式のナイフ)を買って使った。
・大鳥なぎさのボイン…私が高知学芸高校2〜3年生の頃、体育の着替えのとき、英語の得意な西田?君(名前忘れた)が毎回自分の胸が鳩胸[はとむね]だといってみんなに見せびらかしていた。
・「逃げちゃえー」…私が小学3年生のとき、放課後正岡淳之[まさおかあつし]君や白石芳樹[しらいしよしき]君と鴨部のスーパーで万引きしていたが、ある日スーパーの店員に見つかって白石君が捕まったが、私と正岡君は急いで逃げた。その日の晩、学校の川村先生(男)が家に来て母に私が万引きしたことを告げた。あとで、スーパーに母といっしょに謝りに行った。私はちょっと泣いた。それから、私が小学4〜5年生のとき、南団地の遊園地(児童公園)でブランコに乗って遊んでいたとき、子供が急に横から飛び出してきて、私が急いで足を地面にこすってブレーキをかけたが間に合わず、ブランコの椅子が子供の頭に当たって倒れた。それを見たその子の母が大急ぎでその子を抱いたが、私は謝りもせずに急いで逃げた。半月ほど経ってから、再び何食わぬ顔で遊んでいた。私が大学に入ってからも、私が精神分裂病に罹っているせいか、何かに理由をつけてコンパを逃げていたし、就職してからも他人との会話を避けている。おかげですぐに解雇される。
○野坂君がなぎさの胸を触るシーンが嫌だ。
第3話 なぎさのデート ・ボート漕ぎ←私が九州大学医学部教養部1回生のとき、体育の授業で大濠公園でボートに乗った。私は歯学部の菊池君といっしょにボートを漕いだ。
・切り株渡り←私が高知市若草町の県営住宅に住んでいた小学生の頃、ときどき団地の倉庫の横にあるブロック塀[べい]の上を歩いて遊んでいた。(→ファミコンゲーム『ワンゲリング・ベイ』)
・浜辺でデート…私が高1の始めの春休みに、和田高明君といっしょに自転車で高知市の北の山伝いに正連寺から御免[ごめん]の辺までサイクリングをしたことがあるが、最後に浦戸[うらど]湾の東の防波堤で分かれた。
・大鳥道場の弟子←子供の頃の私の友達。つまり、大鳥道場とは私が小学生頃に住んでいた高知市朝倉若草町県営住宅23号のこと。
・角田君の階段落ち…私が小学4〜5年生頃、弟と住宅の2階でけんかをしていて弟を突き飛ばしたら弟がフラフラして階段からこけて腕の骨を折ってしまった。でも、成長して顔が悪くなったのは、私のことだ。(誰でも小さいときはかわいい。)
・なぎさちゃん大笑い…私は子供の頃、たまに笑いがとまらなくなることがあった。
・なぎさパパ…私が九大医学部教養部1〜2回生のとき歯学部との合同クラスで28組だったが、歯学部になぎさパパと雰囲気が似た男子がいた(名前忘れた)。
◎なぎさが幼稚ぽくってラブシーンという気がしない。
第4話 まいりますわよ仇き討ち ・私が九大医学部医学科専門課程3回生の頃、内科のポリクリで患者さんの身体所見をとった私は、背中の打診を強くやりすぎたので、患者さんが「先生痛いです。親の仇[かたき]みたいにやらんでも…。」と言ってみんなが笑っていた。
・ゆかりちゃん=私の母(ゆかりは私の母の名の裕季子[ゆりこ]に似ているし、私の母は私のことが好きである。私の母は子供の頃に男の子とけんかをして眼をつぶしかけたことがある。)道場とかリングとかは、家の四角い部屋の喩えだ。
←角田君の子分たち
左上=子分1=野並[のなみ]君
左下=子分3=大杉君(あだ名はゴジラ)
右上=子分4=井本英作君
右下=子分2=ミニラ(本名忘れた)
○ゆかりとなぎさのキスシーンが盛り上がった。
第5話 その人は中学教師
←奥野細道…私が高知学芸中学校2〜3年生のときの音楽の教師(名前は最初から知らない)。私が音痴で笛が下手だったので、私に対して厳しかった。[つまらんことやらしゆだけやと思わんがか!?男は知覚的実在的で女は五感的現象的だから、歌は女の縄張りであって男のやることではない。
・2−C…私は高知学芸中学校の2年C組だった。
・なぎさの通っている学校はガラが悪い。…私は私立高知学芸中学校に通っていたが、高知学芸中学高等学校は県内でも1〜2位を争う進学校として地元では有名だった。だから、アニメのような授業風景ではない。しかし、私立学校は、県外ではふつう落ちこぼれの不良が行くガラの悪い学校なので、なぎさの通っている学校はガラが悪いのである。
・なぎさのテープレコーダー…私が中学2年生のとき高知市立朝倉中学校から私立高知学芸中学高等学校へ転入したが、そのお祝いに母親といっしょにデパートに行って私が選んだ1万5千円ぐらいの小形の(つまり、DVD−BOXぐらいの大きさの)ラジカセを買ってくれた。私はそのラジカセを分解したり組み立てたりして遊んでいた。学習机に付いていた時計もよく分解して組み立てて遊んだ。[ラジカセも時計も壊してはいない。]
・なぎさ「あんたは豊臣秀吉かっ?!」…私は歴史は弱く、どうでもいいことしか知らない。
・なぎさ「へんーしん!」…なぎさが仮面ライダー2号の変身ポーズを決めているのは、私が仮面ライダー2号だからである。
・『好きになったら最強!』…私は好きな学科は熱心に勉強するので、その学科は強い。
・奥野「中身まで女の子」[子供が真似するといけないから、この発言はないほうがいい。]…私は中学生の頃お風呂に入っているとき、マンガの『がきデカ』のこまわり君の真似をして脚の間にチンポと金玉を挟んで女の股のようにしたことがある。
・なぎさ「先生、僕は男らしい男が好きだ。女のような男は好きになれない!」…実際、私は女っぽい男なんか好きじゃない。
△笑えるギャグがなかった。
第6話 美少女軍団はぐれ花
←花園女子学園付属中学四天王は、私と高知学芸高校山岳部でいっしょだった仲間である。
左(緑)=小松君?(私と同じ2軍に高2の終わりまで入っていた。)
中(赤)=山口君?(私が高1のとき、2〜3ヶ月の間だけ入っていた。私が中3の頃、休み時間に廊下で「3人組の真ん中で写真を採ると早く死ぬ」とか言っていた。)
右(黄)=田中邦明[たなかくにあき]君(高知大学理学部数学科でもいっしょだった。山岳部に入っていたのがほんのちょっとの間だけだったので、2軍以下。)
←花園女子学園の校章(中央上)は、私の母校の高知学芸中学高等学校の校章に似ている。
←早乙女あおい=和田高明[わだたかあき]君(顔の輪郭が似ている。)…和田君は高知市立南海中学校から私と同じ高知学芸中学校2年C組に編入した。私が高知学芸中学校で最初に話しかけた相手だった。おとなしそうな雰囲気のする人だった。中学3年生のときも同級生だったが、高校のときは同級生ではなかった。高校では山岳部でいっしょだった。山岳部では私と同じ2軍だった。高校2年生の頃、和田君が『直子へ』という詩を書いて高知新聞に投稿したら入選して新聞に名前が出ていた。[もっとも、アニメみたいに詩集なんかつけていない。]和田君は東京で1年間浪人したあと、九州大学理学部生物学科に入学したが、1回生の夏休みに高知に帰省していたとき、正連寺(高知市の北の山)で交通事故にあって休学した。私が高知で自宅浪人していた頃の話し相手だったし、私が九州大学医学部教養部1回生の時には1年間同居していたが、和田君は自分の部屋で医学部を受けるために受験勉強していた。その後、和田君は佐賀医科大学に合格して佐賀に引越しした。その後、私が医学部4回生のとき1回だけ和田君の下宿へ遊びに行って一晩泊まったことがある。私が医師国家試験に合格して佐賀県の肥前療養所に勤務が決まったときにも、私の下宿探しにわざわざ付き合ってくれて、私を車に乗せて半日かけていっしょに探してくれた。その後会ったことがないが、元気に医者をやっていることだろう。(しかし、信者なら死ね!)
←Bパートのアイキャッチ
なぎさのイヤリングは、私が子供の頃に遊んだ紙風船である。
なぎさのヘアバンドは、妹が持っていた輪投げの輪である。
・中竹「もう、この間は出席日数が足りないとか言ってたくせに」…私が九大医学部専門課程の頃、朝の1時限目にある内科の臨床講義に出るのが嫌で自分の下宿で勉強していて講義が終わるころに講義室に入って出席簿に丸印をつけていたが、タイミングを外して丸ができないときが多かったので、自分は出席日数が足りるか足りないか心配だった。(一応試験で通してくれたが、足りなかったかもしれない。)
・パンチングマシーン…私が子供の頃、大丸の屋上にあった。私は自分の力に自信がないので、やったことがないが、和田君は時々やっていると話していた。1度、私が高校生の頃和田君がパンチングマシーンをするのに付き合ったことがある。ただし、私は傍[そば]で見ているだけだった。
・モンスターハウス…私が高校1年生のはじめの春休みに、和田君といっしょに刑務所跡でやっていた高知市科学博覧会に行ったとき、オバケ屋敷みたいなところに入った記憶がある(が定かではない)。
・スケ番2人組「ツラ貸してもらおうか」…私が高知大学理学部数学科を中退して県外の大学を受験するために浪人していたとき、はじめの頃は高知市立図書館に通って勉強していた。ある日私が朝から勉強していたら、私の席の近くに2人組の男が座って時々咳をしていた。私が昼休みに外に出て自転車に乗ったら自転車の後輪のブレーキワイヤーが切れてブレーキが利かなくなって交差点で自動車にはねられそうになった。私はとっさにあの2人組がやったのだと思って、図書館に引き返すなり「俺の自転車のブレーキワイヤーを切ったがお前らやろうが」と因縁[いんねん]をつけた。2人組は「なにー、わけがわからんことぬかしよりゃあ、ちょっとそこまでツラ貸せや」と言った。そこで私が2人組といっしょに図書室を出て話をよく聞いてみたらどうもやっていなさそうだったので、2人組に謝った。[しかし、今考えてみると、2人組には信者臭いムードが漂っていたので、どうもやらせらしい。]
←花園女子学園中等部生徒会長御堂きらら=私が高校生のとき入っていた山岳部の1年後輩の吉良[きら]君(絵は似ている。顔が絵よりも痩せていたが、ハンサムな男子だった。)別に、私にライバル意識など燃やしていない。
山岳部員が女子に喩えられるのは、私が中学3年生の1月ごろ和田君の紹介で和田君といっしょにワンダーフォーゲル部に入ったとき、女子がひとりだけ入っていて1回だけいっしょに中3の終わりの春休みに高知市の北にそびえる工石山[くいしやま]に登った。その後、その女子部員は辞めて部員は男だけになり、私が高校生のときからワンダーフォーゲル部は名前を変えて山岳部になった。そのことと何か関係があるのかもしれない。やはり、2軍だからか?
あおいちゃんと緑と黄色のパンティが見えるのは、クラブの部室でいっしょに着替えるときに、私からパンツがちょっと見えたから。
○パンチングマシーンのところが面白かった。
第7話 おねがい恋のキューピット! ・中竹が自分が今の仕事に向いているか占ってもらう。…この回では、中竹も私だ。私が医学部にいたとき、自分は医学が嫌で、自分が医者に向いていないと思っていた。
・キューピット松川の椅子が回る…私が小学生の頃、テレビ高知で平日のお昼に押阪忍[おそざかしのぶ]の『ベルトクイズQ&Q』をやっていた。Q&Q←99←のの(“9”を90度左回転すると“の”になる)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)
・クマ吉が寿司を握る…私が高知大学の学生の頃?、手巻き寿司が流行っていたとき、母が私に手巻き寿司を作ってみないかと誘ったことがある。しかし、私はやらなかった。
第8話 大きな桜の木の下で ・つッ君=私…つッ←ー川←川ノ←川野(私の姓)。私が親元にいた頃はまだスタイルがよかったが、親元を離れて自炊するようになると、食事がメチャクチャだし、お酒をたくさん飲むようになったので、太ってかっこ悪くなってしまった。
・ミチル=私の母…私が高知大学理学部数学科2回生の代数学の長沼先生は顔がコアラに似ていた。私にとっては母親は先生みたいなものだから、それで母がコアラマスクの正体のミチルさんなのだ。朝倉小学校の入学式の時、私は母といっしょに手をつないで桜並木の正門をくぐった。
・つッ君がいじめっ子にやられる…私が小学二年生のとき、教室の後ろの棚の上に飾っていた私の友達の工作を馬鹿にしたクラスのデブが気に入らなくて体当たりしたことがある。当時私は痩[や]せていたので、逆に跳ね返されて教室の床に倒れた。
・チビの出っ歯の男=私の父…私の父は大人になった私よりもちょっと背が低い。
○ミチルが自分がコアラマスクであることをばらすところが面白かった。
美少女軍団乱れ咲き ・御堂きららが白猫を抱く…白猫は神武天皇の光の玉の喩えだから、吉良[きら]君は神武天皇を神としている。つまり、御堂きららは今の天皇のこと。歴代生徒会長は歴代天皇家のこと。
・御堂きららが車で討ち入り(パレード)…天皇が黒い車に乗って日本各地を見回ること。
・みんながなぎさ追っかけ…私の超能力者制度の喩え。
・きらら「戦いに卑怯[ひきょう]も平安京もありませんわ」…私が高校生の頃、『平安京エイリアン』に凝っていた。私は運動神経が悪いので、ゲームセンターではそれしか遊べるゲームがなかった。
・なぎさがロープで吊るされて落っこちる…私が高校1年生の時、放課後山岳部の活動で、外語学校の近くの岩場でザイル(太い紐[ひも])を使って岩降りの練習をしたことがある。ザイルが身体に食い込んで痛かった。上では、先生と部員がいっしょになってザイルを引っ張っていた。
・裏切り者のあおい…和田君は、神武天皇から私に乗り換えた?
・モモコ「正解は4回でした」…私が九州大学医学部教養部生の頃は福岡市城南区長尾1丁目富永ビル409号に住んでいたし、九州大学医学部医学科の頃は福岡市東区馬出1丁目けいあいビル405号室に住んでいた。つまり、“4階”に住んでいた。
10 激写!これがなぎさだ! ・尺八…私が中学生の頃、『尺八は唄う』というラジオ番組が好きだった。
・なぎさが怪獣をはりせんチョップ…なぎさがウルトラマンシリーズのウルトラ兄弟だからである。(ただし、元祖ウルトラマンとタロウを除く。)つまり、なぎさ=ゾフィー=セブン=ジャック=エース=レオ=私だ。元祖ウルトラマン=神武天皇だ。ウルトラマンタロウ=私の弟?だ。
・上岡が息をヒューヒュー吹く…私は子供の頃から猫舌なので、熱い物はよくフーフーしてから食べた。
・写真集「渚[なぎさ]のなぎさ」…私が小さい頃、夏休みには家族みんなでバスに乗って(片道1時間ぐらい)宇佐の海岸に貝掘りに行った。そこで、写真も撮った。参考。
11 アイドル・オブ・じゃぱん ・白鳥なぎさは日本のアイドル。…日本政府は私を超能力者とした。しかし、本当は超能力者ではない。
・ナギーサ=アメリカ風女の子のアニメキャラクターにした私。
・赤いカブトムシ=世界政府連合(世界中の政府が組んで神制度や超能力者制度をやっている。)
・ゲートボールをするおじいさん=南海ゴルフ場の管理人のおじさん…私が小学5〜6年生の頃、高知市朝倉荒倉[あらくら]にある南海ゴルフ場でよくゴルフをして遊んでいたが、クラブハウスにときどきおじさんが車に乗って様子を見に来ることがあった。私は自分がゴルフ場で無断で遊んでいるのが怒られやしないかと思ってヒヤヒヤしたが、一度も怒られたことはなかった。
・ナギーサ「山葵[わさび]は刺激的なニッポンテイスト」…私は子供の頃山葵[わさび]が大好きで、ざるそばの汁[つゆ]などに山盛り入れていた。鼻につーんと来るのが好きだった。
・レッドビートルに付き添いの男(写真右側)=私…レッド・ビートルはモモコと同じ顔をしていて、モモコは私の母だから、レッド・ビートルも私の母で、母といっしょにいるのは私だからである。タップダンスをするのは、私が中学2年生の頃、1階で家族が見ているテレビの音がうるさくて床を足で「ドスドス」踏み鳴らしていたからである。冒頭でエロ本を見ていたのは、私が九州大学医学部教養部1回生の頃、和田高明君と同居していたとき、和田君が私にPENTHOUSEというエロ本をちょっと見せたことがあるからである。
・ナギーサが捨て猫を拾う…私が高知大学生の頃、妹が捨て猫を拾ってきて母に見つかって捨ててこいと言われて泣きながら捨てに行ったことがある。
12 アイ・ラブ・ワニサン この物語がいつもの『超くせになりそう』と話が違うのは、この物語が私の母の話だからである。
・ワニサン=私…ワニサン←サンワニ←三ワニ←川ブ(ワ≒フ、二≒゛)←川野ノブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)
・守野[もりの]ちとせ=私の母…ワニサン(アリちゃん)が私だから、ワニサンを飼っているちとせは私の母親だ。
・鷲[わし]アキ子=和田アキ子…私の母は和田アキ子のファンだった。
・クマ吉がワニを追いかける…私が小学生の頃、家の近くの道端にいたトカゲ(→ワニ)を捕まえるためにトカゲを追いかけたことがある。
・守野ちとせがアリちゃんを飼う…私が小学生の頃、学研の『科学』の付録にアリの飼育セットがあって、アリを飼ったことがある。だから、ここでは、守野ちとせが私だ。私が子供の頃、家の中にはアリがよく這[は]っていた。だから、私の母がアリを飼っていることになるのだ。
・ワニサンを売る男…私が小学生の頃、家族で月に一度は日曜市に行ったが、日曜市ではよく緑ガメを売っていた。緑ガメ→グリーンのカメ→グのカメ→ノブの神→神の川野延夫→ワニサン。
・ワニサンの住んでいる都会=福岡市…放送当時私は福岡市に住んでいた。
・岸壁[がんぺき]のアリゲーター♪…私が子供の頃、北のおばあさん(父の母)の家で川野家の先祖祭りをやったが、父親は酒に酔うといつも『岸壁の母』を歌った。曲は“箱根の山は天下の険 函谷関[かんこくかん]も物ならず”から。私が小学3〜4年生の頃、母が一度だけ『箱根の山』の歌を歌ったことがある。
・除虫スプレー…私が子供の頃高知市朝倉の県営住宅に住んでいたが、住宅には庭があったので、住宅のみんなは庭に好きな花や木を植えていた。当然虫が湧[わ]くので、除虫スプレーを持っていた。
・ちとせ「こんなの全部嘘だよ。アリちゃんが故郷[ふるさと]に帰っちゃった。あたしも故郷に帰りたいよう」…私の母は私の故郷の高知にずっと住んでいる。だから、嘘だ。
・ワニサンが風呂敷を被[かぶ]る…私が小学3年生頃、母から風呂敷の包み方を習った。たしか、小学館の『こども百科事典』で風呂敷の包み方を練習した。小学館のこども百科事典の背表紙には小熊の顔の絵が付いていた。小熊→小クマ→小さいカワ(ク→カ、マ→ワ、マッチ棒パズルの要領)→子供の川野だから、私を風呂敷で包むつまり私(ワニサン)がほっかむりをすることになるのだ。
13 嗚呼、過ぎ去りし青春の日々 ・嗚呼[ああ]…私が中学1年生の頃、背の低い、犬の真似が得意な安岡君の家(大谷口にあった)に呼ばれたことがある。安岡君は私にどおくまん著の『嗚呼!花の応援団』を読ませてくれたが、特に面白くはなかった。
・埋蔵金の地図…私が小学3〜4年生の頃(→昔話)、社会科で習った地図記号が面白かったので、自分で家の近所の地図を描いた。
・学校占拠…私が小学2〜3年生の頃、高知大学は大学紛争の真っ只中で、自転車で学内を通り抜けることができなくて不便だった。
・「清き一票」…私が朝倉第二小学校の生徒会選挙に立候補した浅野耕太君の応援演説を校内放送でやったとき、最後に「清き一票を」と言った。
・バリケード…私が高校1年生の終わりの春休みに修学旅行で東京に行ったとき、箱根のホテルに泊まったが、そこのゲームセンターにアーケードゲームの『バリケード』があって、私は夢中になって一晩で5000円ぐらい使い込んだ。
・穴を掘る…私が小学3〜4年生の頃、私が住んでいた県営住宅の西の市営住宅に住んでいた中平博文君といっしょに市営住宅の遊園地(児童公園)の砂場で落とし穴を作って遊んでいた。
・パラシュート…私が小学5〜6年生の頃、夏に若草幼稚園の北の空き地で誰かがパラシュートの打ち上げ花火をあげていた。
・機関銃…私が子供の頃、近所の駄菓子屋で売っていたオモチャのピストルで打ち合いをやって遊んだ。
・モモコの自動車の応援団…私と私の母はときどき薫的[くんてき]のおじいさんの車に乗ってドライブに行った。その車には、カセットテープのステレオ(→応援団)が付いていた。
・新撰組が校長室を占拠する。…私が高校生の時、ときどき高知学芸中学高校学校の中央棟の1階にある会議室を掃除した。その会議室には何代目かの校長の胸像が置いてあった。あるいは、私が小学二年生の時、IQテストのあとで授業中に校長室に呼び出されて6〜8人ぐらいの大人から簡単な質問をされたことがある。
・角田君「超超かっこわるそう」…角田君となぎさが同一人物であることを表している。
・学ランのクマ吉…私は昔学生服を着ていた。
・なぎさ「はんにゃー」…私が高校生の頃気が狂っていた時、般若心経[はんにゃしんぎょう]を読んで心の拠[よ]り所としていた。
・角田「よーし、大鳥が来たら、こっちは百万本のバラ」…私は国語が得意ではなかった。百万本←私が高知大学を中退した後和田君と福岡・東京・京都を旅行した時、京都の川本竜彦[かわもとたつひこ]君が百万遍[ひゃくまんべん]の交差点を見せてくれた。バラ←母親が料理に使ったばら肉のバラ。
・MYぞうきん…私が九州大学医学部医学科の学生の頃、母が小包(段ボール箱→埋蔵金の箱)で雑巾[ぞうきん]を送ってきてくれた。雑巾の縫い目が母が縫ったのと同じだ。ただし、私の母のは白かった。左の巻物←高知名物の昆布巻き(雑巾と巻物で色が入れ替わっている)。徳川家康は私の喩えで、イギリスは高知の喩えだ。
・新撰組の親分がツルハシで穴を掘る…昔土電デパートの屋上のゲームセンターにあった『DIGDUG』。ただし、私は見ただけで、やらなかった。私が高校2年の冬休みに天狗高原に行った時、スキー場のゲレンデでピッケル(→ツルハシ)を使った滑落[かつらく]の止め方を担任の先生から習ったことがある。
・温泉を掘り当てる…高知には火山はないが、温泉はある。たぶん、地下水を汲[く]んで沸かしたのだろう。
・銭湯…私が小学生の頃、私が住んでいた県営住宅の北に銭湯があった。しかし、私は家にお風呂があったので、銭湯にはいっぺんも行かなかった。(私が赤ちゃんの頃に母といっしょに行ったかもしれないが、私には記憶がない。)京都で川本竜彦君の下宿に泊まらせてもらった時、川本君といっしょに近所の銭湯に行ったことがある。
・銭湯のゴジラの壁絵…私が小学1〜2年生の頃、夕方母といっしょにガメラの映画を見に行った。たしか『ガメラ対バイラス』だったと思う。映画館は満員でクーラーがなかったから、私は後ろの方の階段に座って汗だくになって見た。母は私のそばに立って始終うちわで扇[あお]ぎながら見た。
14 ユカイ、ゆーかい、香港ギャング! ・(本編前)なぎさの柔道着…私は高校の技術の時間に剣道しか習ったことがないが、私の友達の前田誠一[まえだせいいち]君や西森年彦君が柔道を習っていた。前田誠一君は、私が高校1〜2年生の頃、高知学芸高校で数学を教えていた森先生が自宅でやっている森塾に私を誘って3ヶ月間ぐらいいっしょに通っていた。
・ユカイ、ゆーかい、香港ギャング!…『怪物くん』(2作目)のテーマソングから。つまり、怪物くんは私だ。怪物くんにヒゲが3本生えているのは、猫の喩えだからだ。猫は見た目はおとなしいがじつは凶暴で人を騙[だま]す動物なので、神制度や超能力者制度をやって国民を騙[だま]している政府がよく猫に喩えられるのである。つまり、香港ギャング(つまり、竜[りゅう]の首の首領)も私のことだ。私が生まれた日本の中の高知県を、中国の中の香港に喩えているのだ。ギャングは、私の超能力者制度で政府が日本や世界を支配しているから。
・白鳥なぎさが銃口を覗[のぞ]く…私が子供の頃、夏になると若草幼稚園の北の空き地で打ち上げ花火をあげていた。ときどき私もそこで打ち上げ花火をあげた。全部出たかな?と思って、花火の筒を覗[のぞ]き込むことがあった。
・KC庁…私は子供の頃マンガが好きで講談社コミックス(略してKC)をよく読んでいた。『天才バカボン』とか『釣りキチ三平』とか『うしろの百太郎』とかを読んだ。
・角田君がお金持ち…私が高知大学理学部数学科にいた頃、同級生の島田君が「自分はお金持ちだから、学校で本が要るといえば親がいくらでも買ってくれる」と言って威張っていた。島田君は学級の代表委員だった。
・筏[いかだ]…私が小学生の頃、薫的のおじいさんの家に遊びに行った時、おやつに中村名物の筏羊羹[いかだようかん]を出してくれた。鮎最中[あゆもなか]も食べたことがある。
・竜の首のアジト…私が小学5〜6年生の頃、朝倉第二小学校の南校舎(当時)の最上階にあった倉庫に、そこに置いてあったいろんな物を使って“隠れ家”を作って休み時間に入って遊んでいた。写真右のちょっと大きな建物が入り口で、奥で曲がって真ん中の大きな建物に入るようになっていた。ある日、行ってみたら先生の誰かに見つかって壊されていたが、その後で私がもう一度作り直した。倉庫は8〜10畳ぐらいの広さだった(→八丈島)。
・クマ吉が鉄の棒を曲げる…私が小学5〜6年生の頃、ゴルフをして遊んでいたが、お正月のお年玉で高知大丸のスポーツ用品売り場でアイアンの9番とパターの2本のゴルフクラブを買うまでは、鉄棒の先っぽを曲げてゴムテープを巻いてグリップを作ってゴルフクラブの代わりに使っていた(→『プロゴルファー猿』)。
・竜の首の首領[どん]コルネオールJr.…私が小学5〜6年生の頃、近所の山本商店で売っている菓子パンのコロネが好きでよく食べていた。
・デュエット…私が医学部学生の頃、班のコンパでカフェバーに行った時、栗原かすみさんが私にいっしょに歌おうと言ったが、私は歌謡曲に興味がないから断った。あるいは、私が九州大学医学部教養部1回生の頃、私と和田高明くんが同居していた時、毎週土曜日の夕方から深夜にかけてお酒を飲んで宴会をやっていたが、ある晩和田君にオフコースの歌(→『渚のセレナーデ』と雰囲気が似ている)を習っていっしょに歌ったことがある。
15 色っぽいのはお好き? ・赤いカブトムシのメカ=カナブン…私が小学生の頃、高知市朝倉若草町県営住宅23号に住んでいたが、夏になるとよくカナブンが蛍光灯めがけて家の中に飛び込んできた。カナブンが私の身体にとまったこともあった。
・BB(ビューティ・ビートル)=私…私が中学3年生の2〜3学期にお風呂場で手淫[しゅいん]をしていた。その頃は色気づいて今よりも綺麗に見えた。その頃は、私は生徒会の副文化委員長だったから、毎週月曜日の朝の朝礼の時みんなの眼の前に何食わぬ顔をして立っていた。
・なぎさがモモコの真似をしてBBに勝つ。…私が小学4〜5年生の頃、一度だけ鏡台で母親の真似をして口紅を塗ったことがある。すぐ後で拭[ふ]き取ったが、遊園地で遊ぶ時、友達にばれやしないかと思って心配だった。
私の解説がなければ、わけがわからない話だ。
16 めざせ!栄光のゴール ・私が子供の頃、高知市上町5丁目には、エイコー電気店があった。そこで、私が昔持っていた、14型のサンヨーのカラーテレビを買った。福井町に住んでいた頃、私の部屋に取り付けていたウインドゥファンもそこで買った。母はちゃんと保障をしてくれる信頼の置けるいい店だと言っていた。
・私は体育が苦手だったので、小学生の頃は体育の授業の中ではサッカーだけが嫌いでなかった。
・中竹「中学生のサッカー試合に、おじさんついていけませーん」…私が高校1〜2年生の頃、森塾に通っていたとき、森先生が高知学芸高校の先生同士でやったサッカー大会でゴールキーパーをやれたので一番楽でよかったと言っていた。
・清水…私が九州大学医学部付属病院精神科で研修医をしていた頃、同じ精神科に清水という姓の先輩の医者がいた。
・常勝アッパーのキャプテン=尾立[おりゅう]君…私が中学3年生の頃、体育祭のバスケットボールで、私と尾立君のチームが対戦したことがあるが、尾立君がドリブルをしている時に突っ立っていた私に当たって私(ここでは角田君)がファウルを取られた。
・ダンプドリブル作戦…私は体育が苦手だ。バスケットボールでも何度かダブルドリブルで反則を取られた。
・ダンプカー…高知はセメント産業が盛んなので、私が小学生の頃、家の近所の道路をよく石灰岩を運ぶダンプカーが走っていた(→映画『コンボイ』)。
・なぎさの振りがいつもより派手なのは、私が小学生の頃、サッカーが嫌いでなかったからだ。
・あゆみがマイクを持つ…なぎさが私だから、あゆみも私だ。清水先生に朝会っても挨拶もしなかったのは私だ。私の家には挨拶をする習慣がないからだ。
17 ぼくのなぎさ、わたしのなぎさ ・宗教では神に人間が従うことになっているが、超能力者は神ではないので、超能力者には人間が従う必要はない。ユリ=ゲラーの例のように、超能力者は人間と平等だ。ユリ=ゲラーも、ちょっとだけ神が入っているが、せいぜい私もその程度だ。しかし、厳密には私は政府によって超能力者とされた男で、じつは超能力者ではない。
・柱の天辺[てっぺん]に付いている像…私が小学4〜5年生の頃、何かのお菓子(キャラメル?)のおまけに付いていたトーテムポールのオモチャ。私が小学1〜3年生の1学期まで通った高知市立朝倉小学校の講堂の前には、トーテムポールが立っていた。
・モモコ「ゴータマ、ブッター」…私の母は私が中学3年生の冬まで日蓮宗に入っていた。それは、薫的[くんてき]のおばあさん(母の母)が熱心な日蓮宗徒であったからである。毎週日曜日の朝には、家に飾ってあった仏壇に拝んでいた。私もときどき拝んでいた。
・なぎさ「私歌ってないんだけど」…私が小学生の頃、音楽の時間に歌うのが面倒臭くて口パクで誤魔化[ごまか]していた。
・白鳥なぎさ応援団…私の神制度(超能力者制度)をやっている政府のこと。
18 祝開校!聖ジュリアナ学園 ・聖ジュリアナ学園…私の母は若い頃帯屋町のおもちゃ屋で働いていた。将来子供のためにおもちゃ屋さんを開くのが夢だったと私が子供の頃に母が話したことがある。それと、私が医学部生の頃、高知で帰省コンパをしたとき、帯屋町の中にあるディスコに入ったことがある(しかし、私はダンスを知らないので踊らなかった)。聖ジュリアナ学園は、アイドル養成学校で、アイドルとは神のことだから、つまり聖ジュリアナ学園とは私を神にしようとしている日本政府のことである。モモコは私の母だが、母は親で、政府は国民の親のようなものだから、ここでのモモコは日本政府の政治家のことである。つまり、聖ジュリアナ学園とは、私を立派な神にしようとしている日本政府のことである。
・アクションヒーローコースで目の色が変わる…私は学生時代(32歳頃まで)、日曜日の朝、テレビ朝日やTBSでやっている特撮番組をよく見ていた。
・一般教養コース…私が九州大学理学部物理学科にいた頃、教養部の履修[りしゅう]単位が2単位足りなくて、下宿のある箱崎から週に1回地下鉄に乗って大濠公園駅で降りて六本松にある教養部校舎に歩いて通ったことがある。六本松校舎の近くの大濠公園には、よくカラスの群れがいた。校舎の建物そのものは、私が小学1〜3年生の1学期まで通った高知市立朝倉小学校である。築100年近い2階建ての木造の校舎だった。トイレは校舎とは別に渡り廊下にあった。
・中竹から通行料を取る白雪中学の面子[めんつ]…マンガ『くせになりそう』53〜57ページにも同じ面子が出ている。57ページの1コマ目の“グオ”は、グオ←ノブオ←延夫[のぶお](私の名)だからである。
・なぎさのカニ歩き…私はガニマタである。
・「芸のないのが芸能界」とは、政府が国民の役に立たない団体であることを言っている。つまり、芸能界とは政界の喩[たと]えである。政治家をお金で強引に売れるようにしている売れないアイドルに喩えているのである。そもそも政府は上の者だから、政府は下の者である国民を虐めるだけで国民の役に立つことをしないのである。 h25.5.1追加
番組後半の聖ジュリアナ学園編の内容を理解できるためには、赤字で書いたところをぜひ押さえておかねばならない。
19 ついに出た!私はモモコ ・なぎさの桃太郎…私は自分が桃太郎になりたいと思ったことはない。あんな丸顔の鬱陶[うっとう]しい奴(桃太郎のこと)は嫌いだ。『桃太郎』のお話は、いつの日か誰かが国民の財産を溜め込んでいる政府を倒して財産を国民に分け与えるという話だ。つまり、鬼が島は政府のことだ。
・天井に穴…私が小学5〜6年生の頃、台風でコースが崩れて人が来なくなった高知市朝倉荒倉の南海ゴルフ場でゴルフをして遊んでいたが、ある日私が9番ホールで打った玉がグリーンの後ろのネットを越えて下のクラブハウスの屋根のほうに飛んでいった。私はてっきり私の打ったボール(→Ball→B→ぶ→延夫[のぶお](私の名前)→ゴールド芝浦)がクラブハウスの屋根を突き抜けたと思った。あとでクラブハウスを見に行ったが、よくわからなかった。
・野坂君となぎさちゃんが自転車でデート…私が高校二年生の頃、親を離れて旭[あさひ]に下宿していたが、ある晩隣の女の人から「気分転換に自転車で走ってきたほうがいい」と勧められて、鏡ダムから土佐山村の役場を経て正連寺[しょうれんじ]ゴルフ場を一周するコースを3時間ぐらいかけてサイクリングした。写真は鏡ダムの絵。
・理事長の眼鏡に適[かな]う…私が子供の頃、私が住んでいた県営住宅の西にあった市営住宅の北西の角にあった店(名前忘れた)でよくお菓子を買ったが、その中に眼鏡のマーブルチョコがあった。チョコを食べたあと、プラスチックのパックを眼鏡にして遊べるのだが、1度しか遊んだことがなかった。当時母親が私から眼鏡を取り上げて自分も遊んでいた。その店にはカバヤのお菓子がよく売っていた。
・野坂君となぎさちゃんがアイドルになるのを断る…私は自[みずか]らすすんで神になったのではなく、政府によって無理やり神にされた者である。
20 GO!GO!ゴールド ・ゴールド芝浦=私(顔が似ている)
・なぎさパパが大勢のギャルに囲まれる…私が九州大学医学部医学科の学生だった頃、衛生学の社会見学でキリンビールの工場を訪[たず]ねたとき、工場を一通り見学し終わって最後に食堂で出来立てのビールをご馳走[ちそう]になったが、その時医学部の女子学生みんなが私の周りに座って私にビールの酌[しゃく]をしてくれた。
・スペシャル芸能コース…政府がある特定の人間を神とすること。
・合体ロボ…東京にある日本政府の本社(国会や各省庁)のこと。
・カザーン←volcano←ボルカノ←カーノノブオ←川野延夫(私の名前)
《予告編》モモコ「シーン」…シーン←川ノン←川野延夫(私の名前)。私は小さい頃、親や親戚から「のんくん」と呼ばれていた。のんくん→ノンノン[『ムーミン』の女の子。原作では“スノークのお嬢さん”としかなっていない。]
21 出た!影武者、わたしはなぎさ? ・影武者(こずえ)=私…影武者←影←カゲ←カノブ(ゲ=ノ+ブ)←川野延夫(私の名前)
・DOSKIN…私が子供の頃、朝倉若草町に住んでいた時、母親がダスキンの雑巾[ぞうきん]のサービス(毎月新しいダスキンの雑巾を家まで持ってきて、古くなったダスキンの雑巾と交換してくれるサービス)を取っていた。
・ケンタッキーフライドチキン…私の母親は肉料理ではたいてい鶏肉[とりにく]を使っていた。
・クイズの答え「富士山」…富士山→フジ→ブシ→ブ川→川ブ(基本形)→川野延夫[かわののぶお](私の名前)→私。
・司会者「僕の履[は]いているのはスラックス」…私が九州大学理学部物理学科にいた頃、私は緑色のスラックスを履いていた。その頃私は痩[や]せるためにセンナ錠を飲んでいたので、スラックスからウンコの嫌な臭いがしていた。
・一日所長…私が小学1〜2年生の頃、父が私といっしょに汽車に乗って(片道1時間)自分の職場の須崎警察署まで私を連れて行ったことがある。そこで、父は私を職場のみんなに紹介した。私はお茶をご馳走[ちそう]になった。
・強盗が入り口の戸の窓ガラスに穴を開ける…私が小学4〜5年生の頃、背の高い前田君といっしょに高知市朝倉の神田川[こうだがわ]の近くのグランドの西にあった空き地(現在のみやびハイツが建っている所)で遊んでいたとき、空き地に捨ててあった戸を棒切れで立てて的にして石をぶつけて遊んだ。私の投げた石が見事にガラスに命中して、ガラスが割れて、つっかいにしてあった棒が外れて戸も倒れた。
22 嵐の課外授業 ・『風と共に去りぬ』…私が高知大学を中退して、自宅浪人をしていた頃、和田高明[わだたかあき]君の紹介で瀬戸東町に住んでいる大手前高校の1年生の数学の“家庭教師”(→課外授業)をすることになったが、その子は『風と共に去りぬ』の映画を見て感動したと言っていた。(私は映画に興味がないので、『風と共に去りぬ』の映画を見たことはない。)
・モモコの別荘=私が子供の頃に住んでいた高知市朝倉若草町の県営住宅23号。
・なぎさちゃん「歯が痛いよー」…私が小学5年生の時、夜中に歯が痛くなって正露丸をつめて我慢していた。次の日朝起きてみたら顔が腫[は]れ上がっていた。それでも、いつも通り学校へ通った。
・私が小学生の頃、台風が来ると鏡川が氾濫[はんらん]して私が住んでいた県営住宅がよく床下浸水になっていた。水が地面から30〜50cmぐらいの高さまで来ていた。汲み取り式のトイレのし尿槽の中にも水が入ってきて、便器のすぐ下にウンコが見えていた。台風の後、支給品の毛布を貰[もら]ったこともある。
角田の2枚目顔が面白かった。
23 泣いてください モモコ伝説 ・モモコ伝説とは、世界中に政府が出来た経緯[いきさつ]に付いて述べたものである。私は、近代科学が出来る前は、人間が先天知や直観に頼って生きていかねばならなかったので、それで世界中に人間の先天知の世界を実現する宗教をやる政府が出来たと考えている。人間は先天知にしろ後天知にしろ、知識に頼って生きるのが好きな動物なので、それで政府が出来たのである。昔の政府は真面目に宗教で政治をやっていたが、今の政府は宗教でも科学でもない独自の『超能力者制度』で政治をやっている。
・聖ジュリアナ学園入園希望者=国民
・アイドル=一流の職人
・モモコ・プリシラの記録映画…政府がどうして出来たかを説明した映画(しかし、映画なので、内容はほとんど作り話だ。)
・モモコ・プリシラの父と母=アダムとイブ(『旧約聖書』の登場人物。現在の人類を生み出した祖先)
・バスタオル…私が親といっしょに暮らしていた頃、よくお風呂上りにバスタオルがなくて、母に「バスタオル!」と言って、母にバスタオルを持って来てもらっていた。
・プリシラ財団に多額のお金が振り込まれる=国民が毎月政府に税金を納めること。
・モモコ「ああ疲れた」…私の母の口癖。
24 スター誕生!俺は角田だ! ・ここでの角田は、芸能界の芸人のことである。芸能界の芸人は、流行[はや]るのが早ければ、廃[すた]るのも早い。一方、政府の神は、民族の心の象徴だから、永遠性があってなかなか廃らないのである。
・何かひとつ他人より飛び抜けていること=超能力のこと(しかし、じつは政府のついた嘘)。
・カラス「アホー、アホー」…私はオーディションの手紙なんか出したことはない。嘘だから、カラスが鳴いているのだ(→『デ・ジ・キャラットにょ』でもよく使われている)。アホは関西では嘘の意味だ。
・角田のウォークマン…私が医学生の頃学生用の聴診器(3万円)を持っていた。
・クマ吉「首吉」…私は九州大学医学部付属病院精神科で1年間研修医をしていたが、教授に首にされて医者をやめた。
25 不思議の国のなぎさ ・不思議の国=日本のこと。私が高校生の頃、英語の勉強のために『不思議の国のアリス』の対訳本(左のページに原文の英語が、右のページに日本語の翻訳が載っている本)を買っていたが、買っただけで読まなかった。
・チェシャキャット=神制度や超能力者制度をやっている政府のこと。もともとは、神武天皇の光の玉が丸いことから、猫は丸い動物なので、神武天皇の神制度を猫に喩えたことから。転じて政府の意味。
・チェシャキャット「野坂君の行きたいところがあなたの行きたいところ」…なぎさと野坂君は同一人物(つまり私)だからである。
26 花のお江戸のシンデレラ ・モモコ「今回限り」…だから、今回の話は嘘の作り話(フィクション)である。
・なぎさの意地悪姉…時代劇の悪代官の顔が私に似ている。
・なぎさがモモコの足の裏コチョコチョ…私が小学生の頃、よく母が私の足の裏をコチョコチョして私を笑わせて遊んだ。
・なぎさがモモコをロウソクでいじめる…私の母は子供の頃おばあさん(母の母)からお灸[きゅう]をすえられたことがある。
・モモコ「あなたもプロなら、自分で判断したら?」…私は子供の頃から、両親から「自分の好きなようにしなさい」と言われてきた。今でも、それしか言わない。
・お団子[だんご]屋さんに行く途中で10円落とした…私が小学5年生の頃、近所の床屋のおじさんに散髪をしてもらったが、あとでお金を落としたことに気付いて、床屋さんに「家にお金を取りに戻る」と言って、走って家に戻って母からもう一度お金を1000円もらって、床屋さんに持って行って払ったことがある。
・大福の投げ合い…私が中学2〜3年生の頃、北のおばあさん(父の母)の家を建て増ししたお祝いに、北のおばあさんの家の2階の窓から下にいる近所の人たちにめがけてお餅[もち]やお菓子を振り撒[ま]く手伝いをした。
・なぎさの赤風[あかかぜ]…テレビ特撮番組『仮面の忍者赤影』には、赤影・白影・青影の3人の忍者が登場する。3人の忍者←三忍←川しのぶ←川ノのぶ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)。赤影と青影は私だ。白影は白く光るから神武天皇だ。[白影が凧[たこ]に乗っているのは、凧←蛸[たこ]←8本足←8←○がつながっている(天皇家)←○←神武天皇の光の玉←神武天皇だからである。]『仮面の忍者赤影』は、私が小学4年生の頃、テレビの夏休み子供劇場で第2部卍党編[まんじとうへん]をやっていた。私は毎回感動して見ていた。赤影と青影と白影が私で、幻妖斎が神武天皇やヒットラーのことである。
27 THEムービー・アイドルはもう死んでいる! ・アイドルはもう死んでいる!…『神は死んだ』はニーチェの名言。政府はこれまでのキリストや釈迦やモハメットや神武天皇などの神が死んだと考えて、新たに私の超能力者制度を始めたのだ。しかしながら、ここでのアイドルとは、私のこと。私が高校1年生の時精神分裂病に罹ってから、私の人気は落ちたが、最近になって再び復活してきたことを表している。
・“THEムービー”とは、反実仮想またはパロディーの意味。つまり、“THEムービー・アイドルはもう死んでいる!”とは、私の超能力者制度が今でも生きているということ。今回は『北斗の拳』のパロディーだが、第1部のラオウが私の母つまり私の前の神である神武天皇のことで、ケンシロウが私のことだ(ただし、顔は似ていない)。私が小学4年生の頃、風呂上りの私の身体を母が指先で付いて「一くり二くり」と言って私をからかって遊んだことがある。これがラオウからケンシロウへの北斗神拳の伝承だ。私も『北斗の拳』のアニメは再放送で全話見た。マンガは和田君が私と同居していた頃、和田君が富永ビル1階にあった小さい本屋で『週刊少年ジャンプ』を買ってきて「最近面白いバイオレンスアクションマンガがあるそうだが」と言って私を誘[さそ]って、私自身もあとでコミックの1〜2巻を買って持っていた。ただ、私は母親の影響のせいかあまり暴力マンガが好きではないので、3巻から後は買う気がしなかった。
・10月11日のコンサート…10月11日←111←川←川野(私の姓)
・なぎさちゃんが記憶喪失…隕石の爆風でカツラが飛んだからである(冗談)。
・ダーツ…私が小学4年生の頃、班で新聞を作るために南団地に住んでいる岡部君の家に集まったことがある。岡部君の部屋には壁にダーツの的がかけてあった。
28 THE タコヤキ! ・『ミスター味っ子』のパロディー…味吉陽一[あじよしよういち]=私(私が高知の実家を出てから自炊するようになった。)、味吉法子[あじよしのりこ]=私の母(何となく雰囲気が似ている)、など。私も『ミスター味っ子』のアニメをテレビQの朝7時35分〜8時5分までの再放送で全話見た。味皇=私、味将軍=神武天皇。この回でも、なぎさが私で、モモコが神武天皇だ。『超くせになりそう』のビデオテープ第7巻第26話〜第28話はパロディーばかりだ。
・タコヤキ!…わたしは小学生の頃からたまに(年に1回ぐらい)タコヤキを買って食べるが、私も私の母も自分の家でタコヤキを作ったことはない。私が兵庫県朝来郡和田山町[あさごぐんわだやまちょう]に住んでいた時、前の住人の女性が残していった台所用品にタコヤキを焼く道具があった。あるいは、タコヤキはお好み焼きの喩えである。私の母はよくお好み焼きを作ってくれる。この前(平成21年2月上旬)高知に帰った時にも、お好み焼きを作ってくれた。昔と変わらない味だった。一方、私は九大理学部物理学科にいた頃、永谷園のお好み焼きの素[もと]でお好み焼きを作ったことがある。しかし、分厚くなってあまり美味しくなかったので、1回きりだった。
・実際の私の母(モモコ・プリシラ)は、世界中の厳選された素材を集めて料理を作るのではなく、そこら辺のありあわせの物を使って自分の技術だけでおいしいおかずを作る。家族(とくに子供)の味覚に合わせて作るのでおいしいのだ。
29 コアラマスク・リターンズ ・女子プロレス…私と和田君が福岡で同居していた頃、毎週土曜日の夜にいっしょにお酒を飲んで宴会をしていたが、ある日夜遅くテレビをつけるとプロレス(女子プロレスではなかった)をやっていた。私は興味がなかったが、和田君がしばらく見ていた。
・角田が空港でミチルちゃんを迎える…私が九大医学部学生の頃、福岡空港に母を迎えに行ったことがある。
・クマ吉「僕は出っ歯が好き」…私(→クマ吉)はハンサムな男が好きではない。
・自転車型のルームランナー…私が九大医学部生の頃、衛生学のグループ学習で西南学院大学に行った時、自転車型のルームランナーが部屋の中に置いてあった。
・巨漢レスラー=人ごみ(対する覆面美少女レスラーズは、私と私の母である。私も私の母も人ごみが嫌いだ。コアラマスク=ピンクコブラ=私の母、ラッコマスク=私。私が母を連れて福岡市営水族館(マリンワールド)に行ったとき、入り口の近くでラッコが貝を石で割って食べているのを母は喜んで見ていた。)
30 二人のなぎさ!? ・ゴルフゲーム…私が高知大学を中退して和田君と旅行した時、東京で中野に住んでいた西森年彦君の下宿に行ったが、西森君の部屋にはFM8があって、付属ソフトのゴルフゲームで遊んだ。グラフィックが私が持っていたPC−8001よりも細かくて綺麗だった。
・11月1日←111←川←川野(私の姓)
・雪原こずえ…予告編であったように、雪原こずえの声と大鳥なぎさの声は同じ(西村ちなみ)である。つまり、雪原こずえも私なのだ。
・赤いカブトムシ型の無線機…私が小学4年生頃、正岡淳之[まさおかあつし]君が持っていたトランシーバーで遊んだことがある。
・なぎさが台風の中で歌う…私が中学1年生の頃、旭[あさひ]にあった学習塾みその学舎に週に3日(月・水・金?)夜6時から9時まで月1万円?の月謝で通っていたが、台風が来た日に私ひとりだけ自転車に乗って合羽[かっぱ]を着て塾に通ったことがある。塾に着いてみるとみんな来ていなくて、塾に入ってみると塾長が今日は塾はないと言ったので、私はそのまま家に引き返した。電話で塾があるかないか訊[き]けば訊けないことはなかったが、私はとにかく塾に行きたかったので行ったのだ。本当は、こんな嵐の日に誰が来るか見たかったのだが、結局自分ひとりしかいなかった。
・角田とクマ吉と野坂君のバンド…みんな私だ。
・ナガト社長「なぎさちゃんの好きなようにさせてあげましょうよ」…私は子供の頃から親に「自分の好きなことをしなさい」と言われている。なぎさちゃんのふりがいつもより子供っぽい。効果が豪華。
31 愛は虹の彼方に ・私が医学生の頃、高知の実家に帰ると、母が結婚の話をすることがあった。ただ、私は結婚に興味がないので、母もあまり話さなかった。
・野坂君の許婚[いいなずけ](玉子[たまこ])=私の弟(玉子に顔が似ている。私の弟は“卵ご飯”(ご飯に生卵と醤油をかけてかき混ぜて食べる)が好きだった。私が子供の頃弟とよくけんかをした。私が医学部生だった頃、高知の実家に戻った時も、弟と顔を合わせて喧嘩になりかけたことがたびたびある。)
・なぎさちゃんが野坂君にマフラーをプレゼントする…私が中学1年生の時、私の母が妹のセーターを編んで余った毛糸の残りで、私のマフラーを編んでくれた。茶色で市松模様の穴が開いたマフラーだった。冬にみその学舎に通う時にいつも巻いていた。そのマフラーは私が九大医学部に合格して高知を出たときにも大切に持っていたが、医学部医学科専門課程3回生の頃に私が自分の金玉を縛る癖が治らないのを母に八つ当たりしたときに怒ってゴミに捨てた。
・虹[にじ]…高知市は山が多くて虹がめったに見れない。私が生まれてはじめて虹を見たのは、中学1年生のとき、朝倉中学校の校舎の2階の教室の南の窓からだった。雨上がりの朝9時ごろに見えた。高知で虹を見たのは、それっきりだった。
32 暗殺指令をあなたに ・赤いカブトムシ…赤は神武天皇の神制度で、カブトムシは“ブ”が入っているから私の超能力者制度を表している。つまり、赤いカブトムシとは世界政府(世界中の政府の連合体)のことである。
・ナギーサがなぎさを襲う…私はたまに嫌なことがあると自殺したいと思うことがある。
・クマ吉が赤いカブトムシを食べる。…私は甲虫を食べたことはない。ただ、小学2年生の頃に、薫的のおじいさんに勧[すす]められて、ミツバチの子供(芋虫の幼虫)を生[なま]で1匹だけ食べたことがある。不味[まず]くはなかった。
・言いなり電波…政府が国民を洗脳していること。
・ナギーサの泊まっているホテル…私が九大医学部学生の頃、生理学第1教室の大村裕[おおむらゆたか]教授が講義中に昔自分が帝国ホテルに泊まったことがある話をした。
・角田君のサンダーバード…サンダーバード←サン←川(3本川)←川野(私の姓)。サンダーバード2号は、カエルがモデルだ。[2号←2←ツー←川ノ←川野(私の姓)。私が小学1〜2年生の頃、北のおばあさんの家で川野家の先祖祭りがあったとき、見知らぬおじさんが私を見て「カエルに似ている」と言った。そのおじさんと会ったのは、それっきりだった。]
・角田君の頭のスイッチで方向転換…昔ミニカーのオモチャでそんなのがあった。私は持っていなかったが、小学館か学研の雑誌に広告が出ていた。
・ナギーサが人々の赤いカブトムシの洗脳を解く…私が科学(←アメリカ制)が好きなので、政府も国民に対する洗脳をやらなくなった。
33 風と共に潰[つぶ]れた(前編) ・『風とともに去りぬ』は、アメリカの南北戦争によって貴族制の社会が潰れた話だ。『風と共に潰れた(前・後編)』は、太平洋戦争で日本が物量(←大金)に物を言わせたアメリカ(←オオグロ&コグーロ)に負けて、日本が貴族制のないアメリカに占領されて、それまでの日本の貴族制の社会が潰れた話である。風とは戦争の喩えだ。つまり、聖ジュリアナ学園とは戦前の日本政府で、赤いカブトムシとは戦後の世界政府(およびその日本支部としての日本政府)のことである。オオグロ&コグーロ(←アメリカ)に乗っ取っられた聖ジュリアナ学園は、もはや聖ジュリアナ学園とは言えない。
・オオグロ&コグーロ=ヨーロッパとイギリス。戦前は身分制があったから、ヨーロッパとイギリスが上の国だった。政治家になりたい人がヨーロッパやイギリスにお金を払って政治家になっていた。だから、ヨーロッパやイギリスがすごく儲[もう]かった。h25.5.9追加
34 風と共に潰れた(後編) ・ゴールド芝浦がフロッピーディスクをモモコに渡す…私が九州大学理学部物理学科の学生だった頃、母親が福岡の私の下宿に訪ねてきたとき、母といっしょに粕屋郡[かすやぐん]のMr.MAXに行ってサンヨーワープロ『ワープロ博士』を母からの仕送りの貯金で8万円ぐらいで買った。そのワープロにはフロッピーディスクが5〜6枚付いていた。その後も引越しのときいっしょに持って行ったが、兵庫県豊岡市でSOTECのパソコンを買ったときに要らなくなったので捨てた。
角田君の乗った「なぎさバード」(不細工なカエル)がオオグロ&コグーロが乗っ取った聖ジュリアナ学園を潰したのは、戦後のアメリカ制の政治を、私の超能力者制度が潰したことを表している。私は科学が好きなので、個人的にはアメリカ制が好きだったのだが。なぎさバードが地球を一周したのは、私がなんかの本で見た「物体を十分高速に投げたら地球を一周してもとの場所に戻る」というニュートンの思考実験の図から。
・「風と共に潰れた」の風とは、風←カゼ←カブ(ゼ≒ブ、左右反転)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私のことである。だから、「風と共に潰れた」とは日本政府あるいは世界中の政府が私を神とする国家宗教と共に滅んだということである。この回のモモコ・プリシラは神武天皇である。聖ジュリアナ学園とは戦後の日本政府のことである。オオグロ・コグーロはアメリカのことである。つまり、「風と共に潰れた」とは、日本政府あるいは世界中の政府が最後に私を神とする国家宗教をやって滅んだということである。この回は、首藤剛志[しゅどうたけし]氏が近未来的に予言的に書いたのである。(平成23年9月1日修正)
35 ピーターパン・シンドローム ・野坂君「俺またギター弾こうかな」…私は音楽に興味がないから、ギターを持っていないしギターが弾けないが、私の弟がギターを持っていた。
・モモコがパパから貰ったお金を送り返す…私の母親は、一度家から出た以上は親の世話にはならない主義だ。
・大空の下でお弁当…私が小学生の頃は、よく家族で日曜日に近所の川原や山に行ってお弁当を食べた。
・モモコ「その通りです。私が甘かったのです。etc」…ここでのモモコは日本政府の政治家のこと。
・上岡が学園祭に生徒達を呼んでくる…私(←上岡)の超能力者制度で政府(つまり、アメリカが日本から離れた後の日本政府←学園祭)に再び人気が出る(本当だろうか?)
・『アイドル天使ようこそようこ』のサキさんが学園祭に来ている。それは、モモコ理事長とサキさんが同一人物(私の母)で、モモコ理事長が学園祭に出席しているからである。ちなみに、右上にいるのは『鉄拳チンミ』のチンミである。チンミは天皇である。チンミ←チン←テン(チ≒テ)←天皇。チンミのライバルのシーファンが私である。シーファン←シフ←川フ(シ≒川)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。
・ピーターパンシンドローム…私の母親は自分の子供をかわいがりすぎるので、私の性格が子供っぽいのだ。「ピーターパンシンドローム」の歌は、私の母親の気持ちを歌にしたものである。一方、「超くせになりそう」とか「好きになったら最強!」や「なぎさのセレナーデ」や「夢の風船」などは、私の気持ちを歌にしたものである。ちなみに、予告編にもあるように私の母は「リンゴの歌」が得意である。あるいは、ピーターパンシンドロームとは、“身体だけ大人で心は子供の大人のこと”だから、モモコの歌は、政府が私の超能力者制度をやって国民を“大人子供”[おとなこども]にして、国民を政府の思い通りにすることである。
・モモコ「あの頃のまま追い続ける夢♪」…あの頃とは神武天皇の神制度が盛んだった明治から太平洋戦争までのことで、夢とは国民を政府の言いなりにすることである。ピーターパンシンドロームの歌があんまり面白くないのは、政府の歌だからである。『超くせになりそう』のOP「サード・ラブ」やED「失えないの」も政府の歌である。
・モモコ「負けるもんか♪」…私の母は、子供の頃から男の子とけんかしたりして「男に負けるもんか」という気持ちで生きている。私の母は男女かまわず、他人に負けず嫌いな性格である。そのせいか、私も負けず嫌いな性格である。あるいは、政治家が国民の反対にもめげずに、国民を政府の言いなりにしようとする固い決意のこと。
・風船を飛ばす…風船←ふ←ぶ←延夫[のぶお](私の名)だから、風船を飛ばすことは政府が私の超能力者制度をやることである。番組タイトル『超くせになりそう』の“超”も超能力者の“超”であり、つまり超くせになりそうとは、政府が私の超能力者制度を癖[くせ]になりそうなぐらい病的にやっていることである。
36 超世界アイドル伝説パートタイム1 ・パートタイム…私の学費を稼ぐために、母はパートタイムで働いていた。私が帰省したとき、一生懸命休みを取って私を迎えてくれていた。
・保険…私が九大医学生だった頃、私の妹はアルバイトをして働いていたが、いろんな保険に自分で調べて入っていた。
・モモコが大鳥なぎさが白鳥なぎさであることに気付く…私の母が私が神であることに気付く。しかし、実際には、私の母は私が神とされていることをまったく気にかけていない。
・なぎさちゃんと野坂君のデートの公園…私が九州大学理学部物理学科教養部生の頃、箱崎の下宿から地下鉄に乗って大濠公園駅で降りて歩いて六本松校舎に通う途中にあった大濠公園。
・「夢の風船」を歌うなぎさちゃん…なぎさちゃんの顔の感じがいつもと違うのは、このシーンのなぎさちゃんが私の子供の頃だからである。私が小さい赤ちゃんの頃、政府が“先天知”によって私を超能力者(←魔法使い♪←特殊効果キラキラ)だと思っていた(事実ではない)。
・レーザー光線で夜空に浮かび上がったRedBeetleの文字…私が医学部生の頃、基礎医学研究棟の講義で先生がレーザーポインターを使っていた。
37 超世界アイドル伝説パートタイム2 ・超世界アイドル選手権…超世界アイドル伝説パートタイム編では、なぎさは私で、モモコは神武天皇(私の前の日本の神だから私の親に喩えている)で、レッド・ビートルはいつも戦争が絶えないイスラエル生まれのイエス=キリストだ。赤いカブトムシが日本を狙っていたのは、日本だけが昔からキリスト教国ではなかったからである。
・モモコに瓜[うり]二つの姉妹[きょうだい]が世界中にいっぱい…超世界アイドル伝説パートタイム編では、モモコは神である神武天皇のことだから、世界中にはいっぱい神(つまり、民族の心を象徴する架空のキャラクター)がいるということ。有名な神は世界に5人ぐらいしかいないが、ザコまで拾[ひろ]えば365名はいる。
38 超世界アイドル伝説パートタイム3 ・ナガト社長の立体映像…私が九州大学理学部物理学科の専門課程に進んだとき、物理学科の研究室の紹介があったが、そのときホログラム(立体映像)を見せてもらった。
・北千住[きたせんじゅ]公会堂にドーム屋根…私が住んでいた福岡市にはドーム球場がある。しかし、私は野球に興味がないので行ったことがない。北千住←北+千+住←North+十+10←Nobuo(←ノブ(マッチ棒パズル)←ノース←North)+十字架+天皇(←天←ten←10)←私+キリスト+神武天皇
・レッド・ビートル=丸顔のキリスト(強引)[レッド・ビートルが不気味なキャラクターなのは、キリストが奇形児だったという説があるからである。『スタートレック(宇宙大作戦)』第25・26話「タロス星の幻怪人」で先代の船長であるパイク大佐(←キリスト)がカタワなのも、そのためである。レッドビートルとモモコ・プリシラが双子なのは、神武天皇がキリストをもとにして作られたキャラクターだからである。
・白鳥なぎさの歌に感動した動物たち…放送当時私は物理学科にいた。私は物理学が好きだった。物理学→動力学(Dynamics)→動く物→動物
・『神は死んだ』から、これまでのキリストや神武天皇などの神は死んで、私という新しい神が生まれたから、勝負は私の勝ちなのだ。
39 ラスト オブ アイドル ・キャラクターの座談会…私が九州大学付属病院精神神経科で研修医をしていた頃、木曜日の午後に研修医が集まって丸く座って勉強会をしていた。時々仕事で忙[いそが]しい人が遅れてくることがあった(→上岡の遅刻)。これまでの話が全部お芝居みたいだが、それは私の日常生活が芸能界とは無関係で地味だからである。ただ、キャラクターに実在感があるのは、キャラクターのもとになった私が実在する人間だからである。
・上岡が遅刻…私が中学2〜3年生の頃、私の家が中学校の近くにあったので、『おはよう!こどもショー』のアニメを見てから自転車をとばして10分ぐらいで登校していた。チャイムが鳴りながら教室に入っていた。それでも遅刻はしなかった。
・なぎさ「あたしが主役だったということでなくていいですから」…私は生まれつき引っ込み思案で、リーダー的存在ではない。
・角田「いや出っ歯じゃなくて立派。河童クッパ立派」…私が小学生の頃に好きだったNHK教育ラジオの『ピッポピッポボンボン』の「ラッパの歌」から。“ラッパだラッパだラッパだよー、ラッパラッパラッパいっぱいラッパ♪”という歌だった。
・なぎさちゃんと角田君の結婚式(角田君の想像)…背景は私が小学生3年生の頃に好きだった近所の山本商店で売っていたいろんな模様の付いた千代紙[ちよがみ]から。私は折り紙の本を買って、いろんな折り紙を折って遊んだ。
・遅刻してきた上岡…神武天皇の弓の先にとまった火の鳥
・モモコがなぎさに傘を差し出す…私が小学2〜3年生の頃、傘を持たずに学校に行ったら雨が降り出してきて、私が下校する頃に母が学校まで傘を歩いてもって来てくれたことがある。クラスの友達が周りにいたので私は恥ずかしくて小声で「どうも」としかお礼が言えなかった。色が白黒なのは、私が小さかった昔のことだから。
・アニメのキャラクターで客席満員の公会堂でなぎさちゃんがいつもより上手に踊[おど]る…アニメの世界が実在の世界よりも美化されていることを表している。
・現代は科学の時代だから、遠くない将来宗教は滅びるだろう。だから、私の超能力者制度が最後の宗教だ。しかし、そもそも超能力者制度は宗教ではない。[私の哲学日記[7324] 昔は神様がいた。 以降を参照。]だから、なんびとたりとも超能力者制度をやってはならない。
特典 パイロットフィルム ・NHK衛星第2「衛星アニメ劇場」人気ダントツ放映中!…民放ではつまらなさすぎて放送できないだろう。
・金色夜叉…貫一が神武天皇(日本人の心)だ。お宮が西洋かぶれした日本の女性だ。
本編の切り張りだから、期待しないほうがいいよ。

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