[7001] 馬鹿息子 h21.4.2
子供を育てるには、お金がかかる。
馬鹿息子ほど、お金がかかる。馬鹿息子は五感欲を満足することしか知らず、五感欲を満足するにはお金がたくさんかかるからである。
しかし、親が子供にお金をやって幸福にするよりも、親が子供に正しいことを教えて幸福にしたほうが、安上がりで済むし、本人にとってもそのほうが幸福である。
だから、親は子供にお金をやるよりも、正しい知識をやらねばならない。

[7002] どうすれば人間は幸福になれるか? h21.4.2
何が人間にとって本当に幸福であるかを知り、それを実践することだ。人間にとっての幸福な感情を満足する世界を実現することだ。
心が現状に流されて、本来の幸福を見失ってはいけない。
人間にとっての幸福は、知覚欲の満足にある。人間の大脳の大きさがその証拠である。
だから、知覚欲の満足の妨げになるものをこの世から排除しなければならない。
例えば、宗教政府は、この世を不合理的な世界に作り変えて国民の論理的思考を妨げ、国民の知覚欲を妨害している。だから、この世から宗教政府を排除しなければならない。

[7003] ニーチェはパクリ哲学者である。 h21.4.2
ニーチェは『神は死んだ』と言ったが、どういう意味で言ったのか?
それは、キリストがおとぎ話の架空の人物であることが広く知れ渡ったからみんながキリストに従わなくなったことを言っているのではなく、キリストのように大勢の信者を金魚の糞のようにぞろぞろ連れてみんなを正しく導くのではなく釈迦のように独り正しい道を歩むべきだということを言っているのである。[ニーチェはキリストや釈迦を実在の人物だと考えていたようである。]
つまり、ニーチェの超人とはインドの釈迦のことなのである。
『ツァラトゥストラはかく語りき』の後半の永劫回帰も、インドの輪廻転生のことである。
つまり、ニーチェにとっての神とはインドの釈迦のことだったのだ。ツァラトゥストラは釈迦の喩えなのだ。
しかしながら、ニーチェは自分の心を自分の作品を通じて書きたかっただけで、具体的な思想なんかはニーチェにとってはどうでもよかったのである。

[7004] 大企業の転職 h21.4.2
昔、奴隷や乞食や病人に食わせていた福祉会社の大企業が、客が減って経営に困ったために、客に聞かせていたおとぎ話を法律にして政府の仕事をするようになった。
しかし、そのせいで、その後、人類は面白くない思いをしなければならなくなった。
おとぎ話は解釈が一意的ではないので本来法律には向かない。
おとぎ話を法律にするのも国民に無断で政府が一方的にしているだけである。
こんなやり方では、国民としては大企業に早く潰れてもらいたい。
どうしても大企業が生き残りたければ、昔のおとぎ話ではなく国民の人権を保障する国民共通の約束を法律にしなければならない。

[7005] 作り話制度 h21.4.2
これまでの宗教の聖典はみんな“空想の作り話である”と解釈される。
聖典サービスでは、聖典に書いてあることなら何でもやっていいことになっている。
だから、聖典サービスをやる会社である宗教政府は空想の作り話なら何でもやっていいことになる。
しかし、そんなことをされたら、宗教政府に現実世界がメチャクチャにされる。
人類にとって宗教政府は危険な会社である。

[7006] 歴史の不連続的発展 h21.4.2
もともと政府は、国民が自分達の人権を守るために作った組織でなければならない。
しかし、残念なことに、今の政府は、奴隷や乞食や病人に飯[めし]を食わせる福祉団体から発展した宗教政府である。
そのために、余計なおまけがついている。
それが聖典サービスである。聖典サービスでは、聖典の解釈によって得られることなら何をやってもいいことになっている。聖典サービスでは、聖典に従うかぎりでは何をやっても許されるのである。
今の政府は、国民の人権を守ることなんかそっちのけで、国民を無視して聖典を解釈して自分の好き勝手なことばかりやっている。
今の政府は、国民にとって何の役にも立たない余計な組織である。
今の政府をいくらズルズル引っ張ってもこの先いい組織にはなりそうにないから、ここらで一発国民で政府を倒して、国民の人権を守ることを目的とする新しいまともな政府を無から作り出そうではないか。

[7007] 世界大戦はどうして起きたか? h21.4.2
明治維新になると、日本神道は日本政府と名前を変えて神武天皇のおとぎ話を“神武天皇が軍事力に物を言わせて他人の領土を奪った話”に解釈して、日本を軍事化して軍事力で他国を侵略するようになった。
それに倣[なら]って、外国の政府も日本政府による神武天皇のおとぎ話の解釈に従って、日本と同じように自国を軍事化して他国を軍事力で侵略するようになった。[神に定員はないから、ひとつの国がいくらでもおとぎ話を使うことができる。中国政府は宗教をやらないので、軍事化が遅れて他国から侵略されていたのだ。宗教は国の政府がやることなので、国家宗教(政府宗教)というのだ。民間宗教は、乞食に食わせる福祉団体から発展した国家宗教とは由来が異なるので、政府にはなれないのだ。]
そうして、世界中の政府が連絡を取り合って、事前に開戦から終戦までの綿密な計画を立てて、世界大戦を起こしたのである。[敗戦国の戦犯が殺されたかどうかは不明である。]

[7008] 女心には矛盾がある。 h21.4.2
男の知覚欲は肯定すればするほど喜びが増えていくらでも肯定できるが、
女の外見にとらわれる喜びは、やりすぎるとかえって不愉快になるので、いくら女だからといってそういくらでも肯定できるものではない。
だから、男の場合は、いくらでも自分の感情を肯定できて単細胞だが、
女の場合は、自分の感情を肯定すべきか否定すべきかわからないので、矛盾があって複雑である。

[7009] 政府の者は知覚欲の欲求不満である。 h21.4.2
人間にとっては正しさが第一である。人間の心には知覚の働きに伴って喜びを感じる知覚欲があり、人間は正しいことを理解したり正しいことをすることを喜びにできる動物である。
古来より人間はそのようにして生きてきた。
だから、人間は大脳が発達しているのである。
人間の心は知覚に従属するようにできている。だから、人間だけが自分の心に妨げられず実在を見ることができて、他の動物よりも実在への適応力が高いのだ。
したがって、人間は面白さよりも正しさを尊[たっと]ぶ生き物なのである。
ところが、宗教政府は実在そっちのけで、国民を無視して、おとぎ話の解釈に夢中になって自分の好き勝手なことばかりやっている。
宗教政府の活動は不合理的で正しくないし、国民に対して嫌なことばかりやって国民にとっては面白くもない。[国民のごく一部の者は儲かって面白いかもしれないが。]
国民は正しくやっているのに、政府の者だけが正しくやっていない。
そのために、政府の者は知覚欲が満足されないぶん他の欲望を満足しなければならず、ますます不合理な活動をしなければならなくなっている。いわば、政府の者は知覚を使わないノイローゼに罹っているのである。
政府の者は自分たちがやっていることがまちがっていることがわからないほど頭を使っていないのである。
政府の者は不合理的なことをするのをやめて真面目に頭を使う仕事をして知覚欲を満足すべきである。

[7010] なぜ聖典に書いていることは絶対的なのか? h21.4.2
政府は、聖典に書いていることを絶対視して、聖典に従うかぎりでは何をやっても許されると考えて聖典サービスをやっている。
聖典が絶対視されるのは、政府が福祉団体から政治団体に転業する時、聖典を[いい意味で]絶対視することを国民みんなに誓ったからである。それで、政府はいまだに聖典を絶対視し続けているのだ。[しかし、ほとんどの国民はそんなことを知らない。]
今日[こんにち]では、政府独[ひと]りが聖典を絶対視して、政府独りが聖典の解釈によって得られることは何でもやっていいと考えて、政府独りが片っ端から実行している(つまり、政府が国民に命令して実行させている)のである。
しかし、政府が聖典を絶対視することを国民に誓ったのは遠い昔のことである。われわれの先祖が政府に聖典を絶対視することを許してやったのである。しかし、政府は今のわれわれには聖典を絶対視することを誓っていない。だから、われわれは政府に聖典を絶対視することを許してやらなくてもいいのである。

[7011] 私は何者なのか? h21.4.2
小さい頃に身近で不思議なことがあった者である。
それは、聖典の解釈のひとつである“『身近で不思議なことがあった者』に人類が従うこと”に当てはめるための必要条件だからである。
私の母親は夜中に突然私の頭の上に吊るしていたガラガラが回ったことを別の人(例えば、薫的のおばあさん=母の母)に話したかもしれないし、話さなかったかもしれない。私の母はテレパシー能力が高いので、口で話さなくても、誰かが母のテレパシーを聞いてガラガラが回ったことを知ったのかもしれない。それが最終的に政府に伝わったのである。[今年の1月終わりに、私が高知の実家に帰った時、私が母にガラガラが夜中に突然回ったことを誰かに話したことがあるか訊[き]いてみたが、母はよく憶えていないと言っていた。]
だから、私はただの普通の人である。そのほうが目立たなくて政府が超能力者制度をやりやすいので、政府が普通の人である私をあえて選んだのである。

[7012] 謝[あやま]るとは何か? h21.4.3
謝るとは、自分が正しい(まちがっていない)ことを論理的に証明することである。
そうすれば、謝られるほうとしては、相手を許さざるをえない。
しかし、自分が正しいことを証明できない場合には、相手を許す必要はないのである。
したがって、相手を罰するしかない。

[7013] どうして日本帝国憲法や日本国憲法は置かれたままで機能していないのか? h21.4.3
日本政府は神武天皇のおとぎ話制度や私の超能力者制度をやる会社である。
それは日本政府が古事記を絶対視しているからである。
ところで、神武天皇はおとぎ話の中で何度か嘘をついたり他人を騙[だま]したりしたことがある。
私も何度か嘘をついたり他人を騙したりしたことがある。
したがって、日本政府も神武天皇のおとぎ話や私のしたことに従って、国民に対して嘘をついたり騙したりできるから、それで日本帝国憲法や日本国憲法は置いてあるだけで機能していないのである。
国会議員がいるだけで機能していないのも同様である。

[7014] 日本政府はおとぎ話のような世界を作れるか? h21.4.3
日本政府が神武天皇のおとぎ話のような世界を作っているのは、かつて日本神道がわれわれの祖先に神武天皇のおとぎ話のような世界を作ってもいいと契約を取ったことがあるからである。
しかし、今のわれわれには契約を取っていない。
したがって、日本政府がおとぎ話のような世界を作るのは不当である。
日本政府はおとぎ話のような世界を作るためにある会社だから、それができなくなったら潰れるしかない。

[7015] 政教分離とは何か? h21.4.3
かつて政府は、宗教政府つまり国民に対しておとぎ話のような世界を作るサービスをする会社であった。
しかし、それは国民に契約を取らずに国民に対して一方的にサービスの押売りをしている違法会社であった。
そこで、国民は宗教政府を倒して、おとぎ話のような世界を作るためにあった宗教政府の施設を国民の人権を守る政府の施設として転用することにした。
政府は、自分の会社が保障する人権を客である国民に具体的に提示して国民と契約を取って警護サービスや福祉サービスをする会社である。
つまり、政教分離とは、宗教政府を政府に転用することである。
宗教はもはや何をする会社か知らないが、宗教もちゃんと客と契約を取ってサービスをやるべきである。そのためには、サービス内容をあらかじめ客に提示しなければならない。

[7016] 人殺しサービス h21.4.3
人殺しサービスとは、他人を殺しておいてあとでその他人からお金を貰[もら]うことである。
つまり、強盗殺人の言い換えである。
だから、サービスの押売りはいけない。

[7017] 神がいる世界と神がいない世界 h21.4.3
ここでは神とは、超能力者のことだとする。超能力者とは、普通の人間にはない能力を持つ者だとする。
ところで、神がいたという証拠はない。
神がいないという証拠もない。
だから、神がいる世界を考えることができるし、
神がいない世界も考えることができる。
ただ、神がいる可能性よりも神がいない可能性のほうが高い。
人間は、割り切ることが大事である。割り切ることによって人間は五感界を超えて実在界を認識することができる。実在界の住人となることができる。
したがって、確実に超能力者が現れるまでは、神がいない世界で考えていかねばならない。

[7018] 善と悪 h21.4.3
善人とは、人間にとっての幸福な感情(善の感情)を働かせている者である。
反対に、悪人とは、人間にとっての不幸な感情(悪の感情)を働かせている者である。
善人の心の中にも悪の感情はあり、反対に悪人の心の中にも善の感情がある。
だから、善人が悪人になったり、逆に悪人が善人になったりすることがある。
私が医学生の頃、医学の勉強がわからなくて気分が落ち込んで女のように綺麗になりたくて自分の金玉の袋の口を紐で縛りながら高知の実家へ帰った時、母親が私のほうを向いて激しく咳をして私を攻撃したのは、私が人間にとっての不幸な感情(悪の感情)を働かせていたからである。[しかし、それなら、私が中学3年生の頃オナニーしていた時、同じように激しく咳をして私を攻撃すればよかったのだ。私には自分の外見にとらわれる喜びが似合わないから、私の母は私を攻撃したのだろう。しかし、それなら、エッチが似合うのはもっと格好のいい男であり私には性欲が似合わないから、やはり私が性欲を満足していた時私の母は私を攻撃すべきだったのである。]

[7019] 宗教芸術 h21.4.3
宗教政治とは、ある特定のおとぎ話を絶対視して、そのおとぎ話のような世界を作ることである。
これまでに世界中の政府が、国民に契約も取らずに、勝手におとぎ話の解釈を変えて宗教政治を行ってきた。
そのために、世界中のいたるところに、宗教建築や宗教絵画などの宗教芸術がたくさん残っている。
宗教政治が宗教芸術という形で生き残っていくことはまちがっていることである。
だから、宗教芸術も片っ端から焼き捨てて壊して、この世から完全になくしてしまわなければならない。

[7020] 古事記は神武天皇が日本を平和な国にした話でしかありえない。 h21.4.3
国語の読みはひとつしかない。物語の隅から隅まで正確に読めば、物語の意味はひとつしかない。物語だけで足りなければ、他の史料を参考にして考えねばならない。
古事記の話を他の史料を参考にしながら総合的に読めば、神武天皇が日本を平和な国にしたという解釈以外は成り立たない。
もし、神武天皇が武力で他人の土地を奪いに行ったのなら、日本の神社は江戸時代の大名のお城のように厳[いか]つくなっているはずである。
もし、神武天皇が超能力者だったために日本の支配者になったというのなら、これまでに私以外にも日本の支配者がたくさんいるはずである。
だから、古事記は日本の神話の中のひとつの作り話であって、架空の神武天皇が諸国の悪い豪族の頭[かしら]を退治して日本を平和な国に統一した話である以外にはないのである。[古事記には、神武天皇以外の話もあるが、ここでは神武天皇の話だけを指していることにする。]
だから、日本神道が神武天皇を戦争の神や超能力者にしたのは、国語的には0点である。
日本神道は神武天皇のおとぎ話の原作者に対して失礼である。
もしも、日本神道が本当に古事記サービスをする会社であるならば、もっと自分の仕事を真剣にやらねばならない。
だから、日本神道はなにがなんでも日本の平和を守らなければならない。それだけはしっかりとやらねばならない。
それなのに、日本神道が日本を平定した後で、日本が戦国時代になったのは、日本神道が真面目に仕事をしていなかったからだと考えられる。
日本神道は、乞食に飯[めし]を食わせる福祉団体としては有能だったかもしれないが、国民を管理する政治団体としては有能ではないといえる。

[7021] 新約聖書はキリストが乞食や病人の面倒を見る話以外にはありえない。 h21.4.3
キリストが思想の力で人類を幸福な楽園に導く指導者であったとすると、
教会の建築様式が中世から近代に変わる頃に質素から豪華に変わったことや、
新約聖書に載っているキリストの信者が乞食と病人に偏っていることが説明できない。
だから、キリストは乞食に食事を与えたり病人の病気を診たりする福祉家以外にはありえない。
教会が聖書の解釈を変えてキリストを人類の王者にしたのは、王制の国家にして政府である教会が国民の財産を奪うためである。[日本の場合には、国民が日本神道が奪うほどの財産を持っていなかったから、日本を軍事国家にして財産を取る代わりに自分の身体で払ってもらうことにしたのである。]
キリストが人類の王者なら、洋画などでよく見られるように、今でも教会で貧しい乞食に食事を与えていることが理解できない。
やはり、キリストは乞食や病人の面倒を見る福祉家以外にはありえないのである。

[7022] どうしてフランス革命が起こったか?参考 h21.4.4
ヨーロッパ人は頭がいいから、国民が政府のしていることが理解できるからである。
政府(教会)が聖書を曲解して悪事をしていることがわかったので、国民が政府を倒そうと立ち上がったのである。
政府は人間の集まりであり、人間は生き物であり殺すことができるから、国民が政府を皆殺しにすればいいと考えたのである。
日本でも政府が古事記を曲解して悪事をしたら、国民が政府を皆殺しにしよう。今日的には政府が聖典に従って政治をすることがまちがっているので、日本政府がちょっとでも聖典を使って政治をしたら国民が政府を殺そう。

[7023] 性欲のない生殖は可能か? h21.4.4
生殖のためだけに性交するならばそれほど性欲を刺激しない。性欲は半[なか]ば無意識下にある。
だから、性欲のない生殖は可能である。
そもそも性欲は生殖のためにあるのであって、性欲自身のためにあるのではない。
だから、性欲(性器)を遊び道具に使ってはいけない。
性欲なしに性交できてこそ一人前の人間であるといえる。

[7024] 警護サービスや福祉サービスをする会社は必要である。 h21.4.4
この世に病人がいなければ、病院は要らない。
この世に犯罪者がいなければ、警護サービスをする会社は要らない。
この世に乞食がいなければ、福祉サービスをする会社は要らない。
しかし、この世はそんな理想郷ではなく、実際には病人も犯罪者も乞食もいる。
だから、病院や警護サービスをする会社や福祉サービスをする会社が要る。
昔の乞食のために福祉サービスをする会社から今の余計な宗教政治をする政府ができたのである。
今の宗教政治は昔の乞食がもたらした社会の病気である。
病気は早く退治しなければならない。

[7025] 日本神道の何がいけないか? h21.4.4
1)自分達の客が減ったからといって、本来客に娯楽のために聞かせるだけのおとぎ話を実在する国民を管理する法律に転用したこと。[当時気軽に日本神道と契約したわれわれの祖先もいけないが。]
2)自分達の儲けを増やすためや殺人ゲーム(日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故や新聞の3面記事のように政府が自分の国の国民を面白半分に殺して遊ぶこと。[上海列車事故で高知学芸高校の生徒や教諭が乗った2両目の客車に3両目の客車が食い込んだ状態になったのは、2がツーで川ノ(つまり、ツ≒川、−≒ノ)で私のことで、3が3本線の川野で私のことで、どちらも同じ私のことだからである。]上海列車事故で高知学芸高校の生徒や教諭といっしょに殺された中国人のように、政府が外国の国民を殺す場合もある。世の中は広いから、たとえ1円もお金が儲からなくても他人を殺すこと自体を楽しみにする者もいる。)などのいたずらをするために、つまり自分達の悪い感情を満足するために、国民の許可を得ずにおとぎ話をまちがって解釈して具体的な仕事内容を勝手に変えたこと。[そんなことが許されるなら、政府と国民をひっくり返して、国民が自分達の儲けを増やすためや政府に対していたずらをするために、政府の許可を得ずに自分勝手に政府の命令をまちがって解釈して具体的な仕事内容を勝手に変えることもできる。]
日本政府は古事記をもとのおとぎ話に戻して、今後おとぎ話とは一切縁を切って、国民のために警護サービスや福祉サービスをする会社にならねばならない。そうしなければ、国民が政府を皆殺しにする。

[7026] なぜ政府は殺人ゲームをするのか? h21.4.4
政府が殺人ゲームをするのは、政府が“この世には超能力者制度というものがあり、その制度は絶対的なものであり、その制度によっては何をやってもよく、人殺しくらいはなんでもない”ことを国民に知らしめるためである。
政府が超能力者制度をより強固なものにするために、ときどき殺人ゲームをして国民に超能力者制度の凄[すご]さを見せ付けているのである。
しかし、超能力者制度はそもそも古事記のまちがった解釈によって作られた制度であり、政府が古事記に縛られているのは政府が昔(飛鳥時代よりも前)われわれの祖先に「日本を古事記のような世界にする」という契約を取ったからであると考えられる。
ところが、政府は今のわれわれには「日本で超能力者制度をする。つまり、身近で不思議なことがあった実在の人物の個人情報や経験したことを混ぜた政令を政府が作って国民に出す。政府は身近で不思議なことがあった者の個人情報や経験したことを混ぜさえすればたとえいかなる命令でも国民に出すことができる。」という契約を取っていないから、今の政府が超能力者制度をやれる根拠がなにもないのである。政府が国民に無断で勝手に一方的に超能力者制度をやることはできないのである。
しかし、政府はすでに40年以上にわたって超能力者制度を用いてきた。超能力者制度は政府の国民に対する犯罪である。だから、国民は政府を罰しなければならない。


[7027] 政治家はなぜ偉いか? h21.4.4
政治家が偉いのは、政治家が“神は絶対的に偉い者であり、神は人間よりも無限に上の者であり、自分達が神の仕事を受け継いで神の志[こころざし]に適[かな]った仕事をしているから自分達も偉く、自分達が神と人間の間にあるから自分達は人間よりも上の者である。”としているからである。

しかし、神はそもそも昔政府が福祉団体をしていた頃に乞食や病人に聞かせていたおとぎ話の架空の主人公のことである。おとぎ話の世界と実在の世界とは別である。だから、政治家が威張りたければ、自分達がおとぎ話の世界に入っておとぎ話の世界の中で威張るべきである。政治家が実在の世界の中で威張ってはいけない。

[7028] 神武天皇がいる世界といない世界 h21.4.4
神武天皇がいたという証拠はない。
神武天皇がいなかったという証拠もない。
だから、神武天皇がいたという世界もあれば、
神武天皇がいなかったという世界もありえる。
しかし、神武天皇が弥生時代に現代人を凌[しの]ぐ127歳まで生きたり、まるでおとぎ話のように調子よく戦いに勝ち続けたり、敵に酒を飲ませて酔わせて倒すなど実際にはやれそうもない幼稚な作戦があっさりと成功したり、土壇場[どたんば]で火の鳥が飛んで来て自分の身体に矢が突き刺さっても平然と戦い続ける敵がたったそれだけのことでパニックに陥[おちい]って戦いに勝ったなど実際にはありえないことがあったりして、神武天皇がいたよりもいなかった可能性のほうが高い。
人間は割り切ることが大事だから、『神武天皇がいなかった』と考えるべきである。
したがって、神武天皇は古事記のおとぎ話の上の架空の登場人物ということになる。
架空の神武天皇が実在の天皇の先祖であるわけがないから、今の天皇は偽物[にせもの]ということになる。天皇は神武天皇の子孫のふりをしているだけである。架空のおとぎ話の人物が実在の人間を子供にできるわけがないから、神武天皇と今の天皇との間には血のつながりはない。天皇は日本政府と組んで国民を騙[だま]しているだけである。天皇は日本政府に勤めている公務員の一人にすぎない。天皇は日本政府の命令で神武天皇の子孫の真似をしているだけである。
日本政府は、「神武天皇が実在の人物であり、神武天皇が人間よりも無限に上の者であり、人間よりも無限に上の神武天皇の仕事を引き継いでいる自分達も人間よりも上だ」と言って威張っている嘘つきにすぎない。[政治家は具体的な業績が何もない。ただ椅子に座っているだけだ。たとえ業績があったとしても、どうせ嘘の業績だ。私は生まれてから一度も政治家を偉いと思ったことがない。]
神武天皇が架空の人物なら、一般に神とは架空の人物だから、実在の人物を神とする超能力者制度はもはや神制度ではないことになる。だから、今の日本政府はまちがったことをやっている。

[7029] どうすれば私アニメや私マンガをやめさせられるか? h21.4.4
ずいぶん前から、私が私アニメや私マンガ(私と顔や性格が似たキャラクターが出てくるアニメやマンガのこと、私が経験したことをもとにして話を作ったアニメやマンガのこと)を作るなと言っているのに、いまだにやめようとしない。
あまりにもしつこすぎる。
どうしてもアニメ家やマンガ家が私アニメや私マンガを作るのをやめなければ、アニメやマンガ自体を作れなくするしかない。[いくらアニメ家やマンガ家が私アニメや私マンガを作るのをやめたからといって、それで済んだと思うのは一方的な理屈である。たとえやめたとしても、これまでにやった分がある。その分を罰して償[つぐな]わせるには、アニメやマンガ自体を作れなくする以外にはない。]そのためには、アニメ家やマンガ家を儲からない仕事にするしかない。

[7030] 馬鹿を作るための学校 h21.4.4
学校で習ったことなんかほとんど役に立たない。
それなのに、文部省は子供に役に立たない勉強をさせている。
日本の教育は、子供を馬鹿に変えるための教育である。
論理的に書かれていない教科書も暗記ばかりの受験勉強も、自分で考えられない大人を作るための教育だ。
子供には、もっと自分で知覚を使って考える練習をさせねばならない。[考えて正しいことがわかるのは、面白いことだ。]
そうすれば、日本政府がまちがったことばかりやっている宗教政府であることぐらい誰にでもわかるはずだ。

[7031] 私の死後 h21.4.5
私が生きている間は、日本政府が私の言うことを聞いておとなしくして私の超能力者制度をやめていても、
私が死ねば私の感覚がなくなるので、私が死んだ後で、再び日本政府が私の超能力者制度を始めるかもしれない。
だから、私が生きている間に日本政府を潰さねばならない。日本政府が潰れた後に、国民の人権を保障するサービスをする会社を建てねばならない。
これまでにおとぎ話制度や私の超能力者制度をやっていた世界中の政府を潰さねばならない。[中国は乞食におとぎ話サービスをする福祉団体がなかったから、中国政府はおとぎ話制度や超能力者制度をやっていないと考えられる。]

[7032] ソビエト政府 h21.4.5
社会主義だった頃のソビエト政府は、マルクス教である。だから、ソビエト政府は宗教政府ではない。
帝政ロシアの頃は、ソビエト政府はキリストを王とするおとぎ話制度をやる宗教政府だった。
しかし、社会主義だったソビエト政府も、隠れて宗教政治をやっていた。だから、私の超能力者制度によって崩壊したのだ。
ところで、社会主義では、国のすべてのことを政府が管理しなければならない。これでは、政府の仕事の量が膨大になって大忙しだ。国民も何から何まで政府に管理されて自由がないから窮屈[きゅうくつ]だ。まるで、牢屋の中で暮らしているみたいだ。
だから、政府はそこまでやらなくてもいい。政府は国民の人権を保証するサービスだけにとどめて、その他のことは国民の自由に任せればいいのだ。そうすれば、国の意思は国民の意思になるからうまくいく。

[7033] 宗教政府は滅びる運命にある。 h21.4.5
最近は世界中に学校ができて、人類の文化レベルが上がった。
人類は頭がよくなって、政府のしていることが理解できるようになった。[現に私が理解できたのだから、私以外にも理解できた者がいるはずだ。]
人類が宗教政府に従わなくなって、宗教政府の力が弱くなってきている。
宗教政府は遠くない将来この世から消え去ることになる。
だから、宗教政府は今さら悪あがきをせずにさっさと滅ぶべきである。

[7034] 宗教政府は腐る。 h21.4.5
宗教政府の仕事は、おとぎ話のような世界を作ることである。
宗教政府は最初の頃は、おとぎ話を忠実に解釈していい国を作っていたが、そのうちおとぎ話をわざとにまちがって解釈して悪い国を作るようになった。
つまり、時間が経ったために、宗教政府が腐ったのである。
キリスト教会が、免罪符を発行したのも宗教政府が腐ったからである。
それで、マルチン=ルターは、宗教政府が始まった頃の腐ってない新鮮な宗教政府に戻そうとしたのである。
しかし、その後も、キリスト教会は新約聖書の解釈を変えることによって、王制の国家を作りますます私腹を肥やしていった。宗教政府は腐る一方で、以前の新鮮な状態にはどうしても戻らなかったのである。
宗教政府が腐ったのは、昔はあまり学校がなく文化水準が低くて国民が宗教政府のしていることが理解できなかったので、国民が宗教政府に騙[だま]されて宗教政府の言いなりになっていたからである。
しかし、今は世界中に学校ができて文化水準が上がって国民が宗教政府のしていることを理解できるようになり、国民が宗教政府に従わなくなったので、宗教政府そのものがなくなろうとしている。

つまり、今の宗教政府は軽蔑馬鹿なのだ。宗教政府は国民を軽蔑しているが、じつは宗教政府のほうが馬鹿なのだ。

[7035] 信者は悪人である。 h21.4.5
信者とは、宗教政府に積極的に協力する者である。
ところが、宗教政府は国民を騙[だま]して国民を自分達の言いなりにして悪事を働いている。
だから、宗教政府に協力する信者も悪である。
信者は、ときどき休日に空き缶拾いなんかをやって、見え透いた善いことをしている。
それは、信者が偽善者で、本当は悪人だからである。
現在のキリスト教は、キリストを人類の王として王制の国家にして国民から財産を奪って私腹を肥やす団体である。
現在の日本神道は、私の超能力者制度をやって国民を戦争に行かせる代わりに殺人ゲームで殺している団体である。[日本人は貧乏なので、奪うほどの財産がないため、財産を取る代わりに命で払わせているのである。殺人ゲームは日航機123便墜落事故や貿易センタービルテロ事件のような大規模なものから、新聞の3面記事に出るような小規模なものまでさまざまである。小規模なものまで含めると、殺人ゲームは毎日世界中で行われている。私が医学生の頃に大事件が起こったのは、政府にとって医学生の私が偉く見えたために、私の超能力者制度を強力にして派手な殺人ゲームをやったからである。]
日本にキリスト教の教会があるのは、日本政府がキリスト教を使って国民から財産を奪うためである。[日本人も少しは財産を持っているからである。]政府がキリスト教をやっているのは、国民から税金を取るためのいいわけにするためである。現代は多神教の時代なので、世界中の政府が世界中のいろんな神を使っているのである。
日本に仏教のお寺があるのは、日本政府が仏教の禁欲主義を使って国民から財産を奪うためである。
日本にイスラム教の教会がないのは、イスラム教の神であるモハメットが聖徳太子のような奴[やつ]で、民主主義の神なので、日本政府が神にしたくないからである。
日本のキリスト教徒すなわちキリスト教の信者は、自分達が日本政府の王制に協力する代わりに日本政府からお礼を貰って若干普通の国民よりも有利に生きているのである。
日本の日本神道の信者は、自分達が日本政府の殺人ゲームに協力する代わりに日本政府からお礼を貰って若干普通の国民よりも有利に生きているのである。

[7036] 戦国時代の原因は日本政府である。 h21.4.5
日本政府は飛鳥時代までは神武天皇一本やりの日本神道だけでやっていた。
しかし、それでは儲からないので、日本政府は飛鳥時代に日本神道と仏教を併用してやるようになった。そのために、日本政府は聖徳太子に「日本は仏教を取り入れる」と宣言させたのだ。
仏教の神仏陀は禁欲主義の神なので、政府が国民の禁欲に協力する名目で国民から財産を奪えるからである。
しかし、仏教の神仏陀は平和の神ではなかった。
それで、日本各地のお寺が自分で武器を構えて、日本各地に武力集団が発生し、それが戦国時代を招[まね]いてしまったのである。
結局日本政府が幕府(日本政府を覆う者の意味)によって日本の片隅へ追放されてしまった。
日本政府の強欲が日本政府を滅ぼしてしまったのだ。

[7037] 新興宗教 h21.4.5
政府は、国内で活動している宗教団体のすべての神についての神制度をやっている。
政府は、世界中のいろんな神についての神制度をやって、自分達の私腹を肥やしたり殺人ゲームなどをして遊んでいる。[昔の政府は乞食や病人の面倒を見る福祉会社だったが、今の政府は神制度を使って私腹を肥やしたり国民を殺したりしている物騒な会社である。]
それでも政府は物足りないので、政府は自分達で新しい神を作って自分達の自由にできることを増やしている。
それが新興宗教である。[かつて日本政府が聖徳太子を神とする日本新神道を作ったように、日本政府は新しい神を作ることができる。(ただし、聖徳太子は民主主義の神なので、今の日本政府にとっては聖徳太子が邪魔なので、今の日本政府は日本新神道をやっていない。)]
新興宗教が景気がいいのは、政府が後ろ盾になっているからである。
私の超能力者制度も新興宗教のひとつと見なすことができる。[モーゼに対するキリストや神武天皇に対する聖徳太子のように、政府が新しい聖典を作る場合もある。それは、聖徳太子が作られた飛鳥時代の頃までは、その時分はまだ今のような箇条書きの法律がなかったから、国民が政府がおとぎ話制で政治をやることを認めていたからである。しかし、現代では国民が政府が新しいおとぎ話を作っておとぎ話制で政治をやるのを認めないから、古い聖典を使ってやれる超能力者制度しかできなかったのである。だから、たとえ新興宗教であっても、政府がやる場合には、聖典による制約がある。しかし、古事記が超能力者制度になるぐらいだから、神が男である程度なのかもしれない。つまり、これまでの聖典はある一人の偉い手風の男に人類が従う話とも解釈できる。]
古典宗教だろうが新興宗教だろうが、政府がやる宗教が国家宗教である。
民間宗教は政府以外の者がやる宗教だが、国家宗教を真似てやっているので政府が口出しできず、国家宗教と同じように宗教に入っている者から財産を取ったり宗教に入っている者を殺したりして教団が遊んでいる会である。


[7038] 信者は得か? h21.4.5
信者は政府に積極的に協力する国民である。つまり、国民なのに政府に味方をする国民の裏切り者である。
信者は政府に協力する代わりに政府によって若干有利にしてもらっている。
しかし、信者が増えすぎたり信者が有利になりすぎると、その分政府の分け前が減って政府が損をするので、政府は信者をあまり歓迎していない。
だから、実際には信者はあまり得にはならないのである。

[7039] 国立大学とは何か? h21.4.5
日本政府が宗教政治をやるのに妨げにならないような、どうでもいいことを研究させているだけである。
学生が自分で考える能力のない大人になるように、わざとに学生にわけがわからないことを教えさせているのだ。

[7040] 国民の人権保障サービス h21.4.5
作家には著作権が大事である。
発明家には特許権が大事である。
しかし、普通の国民には著作権や特許権は要らない。
だから、一部の人間だけが関与する特別な人権は個人的にオプションで付けることにして、一般の国民にはそれらの無駄な人権を取り除いた人権サービスを提供すればいい。
そうすれば、国民にとってよりお得なサービスが提供できる。

[7041] 宗教に入らない自由 h21.4.5
日本政府は、神制度をやるためにある会社である。
つまり、日本政府は必ずどれかの神の神制度をやっている。
ところで、今の日本国憲法では、宗教の自由が認められているから、宗教に入らなくてもいいはずである。
それなら、日本国民が“多神教の日本政府という宗教団体”にも入らないでいいのではないだろうか?
日本に警護サービスをする会社があれば、今すぐにでも日本政府に入るのをやめて日本政府に税金を払うのもやめにしたい。
もっとも、今の日本国憲法は嘘つきの神である神武天皇教によって機能していないから、国民には宗教の自由がないと言われればそれまでだが。
しかしながら、国民が政府のやっているおとぎ話制度に付き合うのもばかばかしいことなので、国民にとっては政府のような神制度をやる会社は要らないので、国民が政府を無視しても当然である。

[7042] 現代の政府は多神教 h21.4.5
アメリカ政府は表向きはキリスト教だが、『スタートレック(宇宙大作戦)』を見てわかるようにアメリカ政府は神武天皇教もやっている。『スタートレック(宇宙大作戦)』第2話「謎の球体」では、アメリカ政府は神武天皇教をやめて私の超能力者制度に変えたみたいだが、それはあくまでもテレビ番組の上だけであって、実際には今でも神武天皇を戦争の神とする神武天皇教を使って軍事国家をやっている。
ヨーロッパ政府も表向きはキリスト教国だが、ショーペンハウエルやニーチェの思想を読んだり、キリスト教会の屋根が汚い緑色(緑色←グリーン←グ+リーン←ノブ+lean←延夫+痩せ←私は子供の頃痩せっぽちだった。)に塗られていたり、ユーロスターのシンボルマークが私の姓の川野に因んでいたりする(川星≒川野)のを見ればわかるように、裏では仏教や私の超能力者制度などをやっている。
日本政府は、表向きは日本神道(神武天皇教)だが、神武天皇教では政府が儲からないので、裏では世界中のいろんな宗教をやっている。日本国内のキリスト教は、キリスト教会の日本支部ではなく、日本政府がやっているキリスト教である。日本国内の仏教は、仏教会の日本支部ではなく、日本政府がやっている仏教なのである。日本政府はキリストや仏陀を神制度に使うために、日本国内にキリスト教の教会や仏教の寺院を建てているのである。
今や、世界中の政府が多神教をやっている。一神教よりも多神教のほうが政府がいろんなことがやれて有利だからである。

しかし、今では世界中の多くの国民が政府が神としている者がおとぎ話の主人公であったり、身近でちょっと不思議なことがあったただの人間であることを知っている。おとぎ話制度や超能力者制度が不当であることを知っている。だから、政府が独り馬鹿げたことをやっているだけである。国民が政府の馬鹿げた芝居を観るのに飽きて政府を叩き潰す[たたきつぶす]のはいつだろうか。

[7043] 国民はなぜ偉いか? h21.4.5
それは国民が“神を絶対的に卑[いや]しい者、人間よりも無限に下にある者”にしたからである。
だから、神の仕事を受け継ぐ政治家は神よりも下にある者だから、人間よりも無限に下にある者よりもさらに下の者なのである。

[7044] どうして政治家は偉いのか? h21.4.6
聖典や神が謎だったからである。
それで、政治家が聖典や神を絶対的なものにしたのである。
政治家は、絶対的な聖典や神に従うから何でもできたのである。
しかし、聖典は政府が昔乞食に飯[めし]を食わせる福祉団体をやっていた頃に、客に聞かせたおとぎ話の本であり、
神はそのおとぎ話に登場する架空の主人公である。[聖典は、ラーメン屋に置いてあるマンガ雑誌のようなものである。神はマンガ雑誌のマンガの主人公である。]
だから、いくら聖典や神に従っても偉いことにはならない。
聖典や神に従うから何でもできるのは、何の根拠もない政治家の作り事にすぎない。

[7045] 聖典や神についての合理的説明 h21.4.6
聖典や神については二つの説がある。
ひとつは、政治家による聖典や神を全人類が従わねばならない絶対的なものとする説である。
もうひとつは、私による聖典や神をただのおとぎ話の本とそのおとぎ話に出てくる主人公とする説である。
はたして、どちらの説が正しいだろうか?
どちらの世界のほうが人類にとって幸福だろうか?
政治家ははたして精神的に健康なのだろうか?

[7046] 聖典や神についての絶対的なもの説 h21.4.6
政治家は、聖典や神を全人類が従わねばならない絶対的なものと考えている。
政治家の説によれば、はじめに実在する神がいて、その神についての記録をとったものが聖典ということになる。
では、どうして全人類が神に従わねばならないのか?
それは、神が超能力者だからという説明になる。神の超能力以外のことに関しては人間でもやれるからである。
したがって、この世には超能力者に全人類が従わねばない掟[おきて]があることになる。しかも、超能力者が生きているうちは人類は超能力者についての記録を取るだけで、超能力者が死んで聖典ができてから全人類が超能力者に従わねばならない掟があることになる。
この世には、超能力者がいることになる。
それでは、どういう機構で超能力が現れるのだろうか?[人間の脳から感覚波が出て何かを起こすなら、エネルギーが小さいので、テレパシーやラップ音ぐらいが限界である。それ以上のことはできそうにない。]
超能力者がいるというはっきりした証拠があるのだろうか?[それに、超能力の機構がわからなければ、そもそも誰が超能力者かもわからないはずである。[6181] 神制がやれないことの証明☆☆☆ h20.12.19を参照。]
例えば、夜中に突然私のベッドの上に吊っていたガラガラが回ったぐらいのことで、私が超能力者だといえるのだろうか?
それなら、なぜ昼間とまったく同じ速さで音楽が鳴りながら回っていたのだろうか?
それは、ガラガラが私の超能力(サイコキネシス)よりもゼンマイの巻き残りで動いていたからではないだろうか?
したがって、私を超能力者と考えることはまちがっている。
もし仮にこの世に超能力者がいたとしても、私を超能力者とすることはできない。
私に関して超能力者制度をすることはまちがいである。
超能力者制度をやるなら、キリストや神武天皇のように、みんなの眼の前ではっきりした超能力を出せる超能力者が現れてからにしなければならない。
超能力者制度は、強いて焦[あせ]ってやらねばならないものではない。
それに、夜中に突然ガラガラが回ったぐらいのことで私が超能力者になるものとすれば、これまでに私以外にも超能力者が大勢いるはずである。しかし、これまでには私以外に超能力者制度をやった者はモーゼやキリストやモハメットや釈迦や神武天皇などしかいない。これは、この世に超能力者制度がないことの証明である。だから、政治家の説はまちがっていることになる。
それにいくら超能力者だからといって、弥生時代に127歳まで生きたり、死んでから3日後に生き返ったりできるわけがない。だから、超能力者はやはりいないと考えるべきである。
超能力者が超能力を発現しても周りの人が何食わぬ顔でそれを受け入れ、誰一人として超能力者を変人扱いする者がいないことは、それがおとぎ話である以外には説明がつかないことである。
あるいは、政府が聖典や神を絶対視することが昔の政府とわれわれの祖先との契約だったとすると、政府は今のわれわれとは契約を取っていないから違反行為になる。
とにかく、聖典や神が絶対的なもの説からは、矛盾することや納得が行かないことがいっぱい出てくる。だから、聖典や神が絶対的なもの説はまちがっているのである。

[7047] 聖典や神をおとぎ話の本とそのおとぎ話に出てくる主人公とする説 h21.4.6
聖典が昔政府が福祉団体をやっていた頃に乞食に聞かせたおとぎ話で、神がそのおとぎ話の主人公であったとする。
すると、政府は本来はおとぎ話である聖典を国を動かす法律に使っているまちがったことをする会社だということになる。
あるいは、今のわれわれとはなんの契約もしていないのに、昔のわれわれの祖先との間で取った契約をいつまでも使い続けている契約違反をしている会社ということになる。
今の政府は汚いグチャグチャしたことばかりやりたがる馬鹿親父の集団である。
国民にとって不利な会社である政府をこの世からなくし、その後に国民にとって有利な国民の人権を保障するサービスをする会社を作るのが正しいということになる。

[7048] 政府の仕事 h21.4.6
政府は国民の意思なんか決めていない。
国民が自分の意思で動いているから、国が動いているだけだ。
政府は国民の意思を決めたふりをしているだけで、じつは何もしていない。
それも、政府が嘘つき神である神武天皇の神制度によって国民を騙[だま]しているからだ。
政府の仕事は、余計な神制度をすることだけである。
政府は国民を不利にするだけの国民にとって要らない会社である。
したがって、国民は政府を除[の]けねばならない。

[7049] 小さな親切大きなお世話 h21.4.6
私が小学3〜4年生の頃、私の友達の正岡惇之[まさおかあつし]君が私といっしょに遊んでいる時、よく「小さな親切大きなお世話」と言って独りで笑っていた。
小さな親切大きなお世話とは、宗教団体が昔福祉団体だった頃に乞食や病人に食事を与えたり病気を診たりして小さな親切をしていたのが、今では政治団体となって神制度を使って国民から財産(税金)を奪ったり国民を人殺しゲームで殺したりして大きなお世話をしていると言うことである。
私が九州大学医学部付属病院精神神経科で研修医をしていた頃、同僚の本村[もとむら]君が私の近くでニヤリとしながら「只[ただ]ほど恐いものはない」と言ったのも、宗教団体が昔は無料で乞食や病人の面倒を見ていたが、今では有料で(国民から税金を取って)国民に殺人サービスをして国民を殺していることを言っているのである。

[7050] 嘘つきは泥棒の始まり h21.4.6
これは日本政府について言った諺[ことわざ]である。
つまり、日本政府は嘘つき神の神武天皇の神制度を使って嘘をつけるから、自分達が真面目に仕事をしているふりをするだけでじつは何の仕事もせずに、泥棒さながらに平気で国民から税金を取っている。
国民から奪った税金は、自分達の私腹を肥やしたり殺人ゲームをするのに用いている。
つまり、日本政府は嘘をつくのを仕事にしている会社である。正直者は正しさを基[もと]にするので、自分の心について正しくわかっているので、人間の心を見失っていないが、嘘つきは正しさを基にしないので、自分の心についても誤解ばかりなので、すでに人間の心を失っているのだ。だから、日本政府はモラル(道徳)も何にもないことばかりやっているのである。日本政府は暴力団にも負けないほどの極悪非道のヤクザなのである。

[7051] 日本政府は人殺しの会社である。 h21.4.6
日本政府は、戦いの神?である神武天皇や私の超能力者制度(私が小学5年生の頃に虫かごを洗うために虫かごに入った虫を虫かごごと水に浸けてテントウムシやマメコガネなどを50〜100匹ぐらい殺したことがある。)を使って、国民の人殺しサービスをしている会社である。
日本政府は聖典の解釈から出てくることなら何をやってもいいと思っている会社なので、国民を殺人サービスで殺すのは当然だと思っているのである。日本政府は国民に戦争をさせない代わりに、国民を殺人サービスで殺しているのである。
しかも、日本政府は嘘つき神の神武天皇の神制度を使って、テレビに出たときだけ“自分達はいつも国民の皆さんのために真面目に仕事に励[はげ]んでいるんですよ”という顔つきをしている。しかし、実際には、何の仕事もしていないか、人殺しの計画を頭の中で考えているだけなのである。
現代は“国際化の時代”なので、世界中の政府が多神教つまり世界中の神を使って神制度をやっているので、外国政府も日本政府と同様に神武天皇の神制度や私の超能力者制度を使って人殺しゲームに毎日明け暮れている。

[7052] 日本のアニメやマンガは現実逃避 h21.4.6
日本のアニメやマンガは、日常生活のどうでもいいことを描くだけで、肝心の日本政府の批判をしない。
そういうのを現実逃避というのである。
日本のアニメやマンガは、日本政府が国民の目を日本政府から反[そ]らすための道具として用いているだけである。
だから、あまり長いこと日本のアニメやマンガを見ていると頭がバカになるのである。

[7053] 高度経済成長期 h21.4.6
日本の昭和30〜40年代が高度経済成長期だったのは、日本がアメリカの支配下にあって民主主義だったからである。日本政府が神武天皇の神制度や私の超能力者制度をやらなかったからである。
反対に、今の日本が不景気なのは、日本政府が余計な神制度(超能力者制度を含む)をやるようになって、日本が神主義の国となって民主主義の国ではなくなったからである。

[7054] ドラマ『二本国物語[にほんこくものがたり]』 h21.4.7
二本では、政治家が聖典の神が戦[いくさ]をしたことがあるのを真似て毎日国民を殺して遊んでいた。
しかも、聖典の神が1回だけ嘘をついたことがあるのを使って、政治家は平然と嘘をついていい人のふりをしていたのである。
そもそも、二本政府が聖典を法律に使い出したのは、以前二本政府が貧しい乞食の世話をしている福祉団体だったからである。乞食が不味い食事を無言でピチャピチャやっているのがあまりにも侘[わび]しく、それを見かねた福祉家が食事中におとぎ話を聞かせるサービスを始めた。その後、二本に農耕が普及して暮らしが安定するとともに、乞食が減って福祉団体に客が来なくなって困った福祉団体は国民の家を一軒一軒回って“自分達がおとぎ話の世界を実現するから、国民はそれに協力する。”という契約を取って、福祉団体が政治団体となっておとぎ話を聖典と呼び法律として使い始めたのである。
その後二本政府はおとぎ話が曖昧に書かれていたことを利用して、おとぎ話をわざとにまちがって解釈して人殺しや嘘つきなどの悪事を働くようになったのである。
政府の悪行に困り果てた二本国民は、自分達も残虐非道な神の出てくるおとぎ話を作って政府に対抗して政府を皆殺しにした。

[7055] どうして国民は政府に税金を払うのか? h21.4.7
それは、政府がマインドコントロールによって、国民が政府に税金を払わねばならないと思い込ませているからである。
政府は、契約違反の神制度を使って、国民の財産を奪ったり国民を殺人サービスで殺したりしている悪い会社である。
そんな悪い会社に税金を払って協力している国民のほうがまちがっている。
政府は禁欲主義の釈迦の神制度や王であるキリストや神武天皇の神制度や私の超能力者制度などを使って国民から税金を取っているが、神制度は契約違反なので、正しくは国民から税金は取れないはずである。[下っ端の税吏士[ぜいりし]はわからないかもしれないが、政治家はわかっているはずである。]
だから、国民は政府に税金を支払ってはならない。自分達が正しいと思えば、それくらいのことはやれるはずである。
政府は国民から税金を取れないし、国民は政府に税金を払わないのが正解である。

[7056] どうして道路の拡張工事をするのか? h21.4.7
最近は、私が住んでいる福岡市東区でも道路の拡張工事がされている。以前2車線だった道路が4車線になっている。
それは、車を通りやすくするためである。
ところで、車はカーで川野[かわの]つまり私のことだから、政府が私の超能力者制度を今後ますます大々的にやることを国民に承認させるために、道路を拡張したのだと考えられる。
人が住める所が狭まった分だけ、高いビルを建てている。おかげで、町が鬱陶[うっとう]しい。昔に比べて楽しい雰囲気がなくなっている。
このままで行くと世界がだんだん面白くなくなってしまう。
この世に政府があるからいけないんだ。

[7057] なぜ日本政府は民主主義をやっているか? h21.4.7
日本政府も、少しは民主主義的なことをやっている。
しかし、それは民主主義の神である聖徳太子やモハメットの神制度を使っているからである。[聖徳太子も一応日本の神である。イスラム教の寺院も少しは日本の中にある。]
つまり、日本政府は神制度によって民主主義をやっているのである。
だから、やはり日本政府は神制度だけしかやっていないのである。
しかし、日本政府が神制度をやるのは契約違反だから、日本国民は日本政府を無視して日本政府に税金を支払わなければいいのである。日本の中にほんのちょっとでも神制度をやっている節[ふし]があれば、日本国民は日本政府に税金を支払わなければいいのである。
日本は法律のない国なので、さっそく国民の警護サービス(人権保障サービス)をする会社を作らねばならない。

[7058] 人間は理性的動物である。 h21.4.7
医者は単語を憶えるだけの馬鹿である。
だから、医者は偉そうにするな。
医者は国民から高い保険料を取っているから、医者は偉そうにしているのである。
医者は政治家と組んで、釈迦やキリストや神武天皇などの神制度や医者だった私の超能力者制度などを使って国民から高い保険金を取っているのだ。
もともと医者は昔の福祉団体から別れてできた仕事なので、それで政府と仲がいいのだ。
医者は確かに仕事をしているが、報酬が高すぎる。
医者は簡単に治る病気以外は強いて治さなくてもいい。そのほうが国民にとって割安だ。
医者は国民のためにあるのであって、国民が医者のためにあるのではない。

[7059] なぜ民間会社の本社は東京にあるのか? h21.4.7
政府の下請けの仕事をするためである。政府が神制度で作った仕事を貰[もら]って仕事をするためである。
民間会社は昔の福祉団体から別れてできた会社ではないので、政府と組んで神制度を使って国民から財産(保険料)を取ることまではできないのである。

[7060] 民間企業の社員について h21.4.7
民間企業の社員は、見た眼の喜びしかない。
顔や身体がかっこいいだけが生き甲斐である。[実際には、たいしてかっこよくもないが。]
民間企業の社員は、性欲と外見にとらわれる喜びだけが生き甲斐のくだらない奴[やつ]らである。[民間企業の社員は、眼が見えて性感がわかるだけだ。つまり、動物だ。]
外見にとらわれる喜びを満足するためにはお金がかかるので、それで面白くない仕事でもいやいや我慢しながらやっているのだ。
民間会社の社員なんて、他人の見世物になるために生きているだけだ。
いくら馬鹿でも毎日考える練習をすれば少しは考える喜びができて賢くなる。
考える練習をしないから、馬鹿のままで眼先の喜びしかないのだ。
馬鹿だから、日本政府のやっていることが理解できず、日本政府の言いなりになっているのだ。
[民間会社の社員には女の裸でも見せたほうがよっぽどうれしいだろう。だから、私の出番はないのだ。]

[7061] 県庁や市役所について h21.4.7
県庁や市役所は、日本政府の地方支店だ。
県庁や市役所は、日本政府に協力して、日本政府の神制度をいっしょになってやっているだけだ。
日本の政治は、日本政府が王であるキリストや神武天皇の神制度を使って中央集権制でやっているので、地方の県庁や市役所は中央の日本政府の命令におとなしく従っているのだ。
地方の県庁や市役所は、中央政府と同じように国民の役に立つ仕事は何もしていないし[税金を集める仕事をしているだけだ]、中央政府といっしょになって国民の殺人ゲームをして遊んでいるだけだ。
県庁や市役所が国民から県民税や市民税を取っているのは、医者が国民から医療保険費を取っているのと同じように、県庁や市役所が日本政府と組んで、釈迦やキリストや神武天皇などの神制度や父親が地方公務員だった私の超能力者制度などを使って国民から取っているのである。
いわば、県民税や市民税は、日本政府が国民から税金を多く取るための手段である。国税を県民税や市民税に分割して取っているだけなのだ。そうやって集めたお金を、政府と県庁と市役所で山分けしているのだ。
だから、県庁や市役所は国民から県民税や市民税を取れないし、国民が県庁や市役所に県民税や市民税を払わないのが正解である。

[7062] 科学は割り切りの世界である。 h21.4.7
科学は、成り立つか成り立たないかよくわからないことを、どちらかの可能性が高いという理由で、どちらか一方に強引に割り切った世界である。
この世に絶対的な真理なんかありえない。なぜなら、人間の経験は有限であり、この世に反例が存在するかしないかなんて根本的にはわからないからである。
だから、例えば、聖典が昔の福祉団体がおとぎ話サービスに使った本であり、神がおとぎ話の架空の人物であり、超能力者がいないことなどは、今のところは反例が存在しないから、ひとまず真実と考えても差し支[つか]えないのである。

[7063] 都会っ子 h21.4.7
政治家は、聖典や神が絶対視できるものではないことに気付かないほどの馬鹿だ。
聖典や神を絶対視して考えて行くと、必ずどこかに矛盾が出る。[[7046] を参照。矛盾とは、1.私程度の不思議なことで超能力者とされるなら、これまでに超能力者とされた者の数が少なすぎる。2.この世に人類が超能力者に従わねばならない制度があるなら、どうしてこれまで超能力者が生きているうちに人類が超能力者に従わなかったのかが疑問である。超能力者が死んだ後でも従わねばならないのが疑問である。超能力者が死んだ後で超能力者を絶対視するくらいなら、超能力者が生きている間に超能力者を絶対視して人類が超能力者に絶対服従したはずである。それなのに、聖典には人類が超能力者に従ったという記述が見られない。聖典に載っている人は超能力者に従っていないのに、どうして超能力者が死んだ後で人類が聖典に載っている超能力者に従わねばならないのかが疑問である。など。]
だから、聖典や神はそもそも絶対視できるものではないのだ。
ところで、都会っ子は、田舎者に比べて『人間が満足すべき感情や満足すべきでない感情』がわかっていない。[性欲は“わけがわからないこと”で喜んでいるだけだ。人間にとって価値がある感情ではない。]
都会っ子は、馬鹿な政治家の近くで暮らしているから政治家の馬鹿がうつったのだ。
[たとえ政治家の近所に住んでいなくても、テレビや新聞で政治家の顔を毎日見ていると、そのうち政治家の馬鹿がうつるぞ〜。]

[7064] 政府はどうして白昼堂々と人殺しゲームをしないのか? h21.4.8
政府が人目につくところで堂々と人殺しをすると、政府が悪いことが明らかになるからである。
泥棒を白昼堂々とやらないのと同じことである。
政府は自分が悪いことをしていると知りながら殺人ゲームをしているのである。
政府は聖典や神を凶器に用いて人を殺すことがまちがったことだと知っていて、それをやっているのである。
心理的に矛盾している。
犯罪者の心理とはそういうものである。
心が実在と噛み合っていないと、矛盾したことをやるようになる。
政府が税金を取るのも同じことである。
役所が陰気臭いのは、役所が自分がまちがったことをしていることを知りながらやっているからである。
つまり、役所の仕事は最初からサービスでもなんでもないのである。ただの犯罪である。
政府が神制度をやめなかったのは、政府が神制度がどうして悪いのかはっきりとわからなかったからである。性欲が悪い感情であることがわかっていない者が性欲をやめることができないのと同じことである。
神制度がまちがっているのは、
1)聖典や神を絶対視すると、必ずどこかに矛盾が出る。だから、聖典や神はそもそも絶対視できるものではない。[[7046] 聖典や神についての絶対的なもの説 h21.4.6を参照。]
2)聖典を法律にすることは、政府が昔の国民と取った契約であり、今の国民とは契約を取っていないから今では無効である。
ことから納得できる。
性欲が悪い感情であることは、
性欲は“わけがわからないこと”(性感)で喜んでいるだけだから、性欲を満足すると心が性感と結びつき、心が知覚から離れるようになって、心が実在の法則を犯すようになるからである。[[4959] 精神病《まとめ》☆ h20.5.4を参照。]
したがって、国や県や市などから、税金の納入通知書が届いたら、ゴミ箱に捨てればいい。

[7065] おとぎ話『ガリ勉太郎』 h21.4.8
普段教科書や受験参考書しか読んだことのないガリ勉が、たまたま友達からマンガを借りて読んで、マンガと同じことをして犯罪を犯してしまった。そのガリ勉は法廷で、「一体僕のどこがいけないんですか?この本と同じことをして一体何が悪いんですか?!」と言って堂々とマンガをみんなの前に差し出した。[『太陽にほえろ!』とかに出て来そう。]

[7066] 医療保険制度について h21.4.8
医者も現金で診てくれないわけではない。[私が和田山に住んでいた時、上垣医院[うえがきいいん]で診てもらっていたが、最初の頃は保険に入っていなくて現金で払っていた。]
だから、医療保険に絶対に入らなければならないわけではない。
あまり病気をしない人なら、現金払いのほうがずっと安上がりである。
したがって、国民は医療保険に入らなくてもいい。

[7067] 警察と暴力団の違い h21.4.8
筋肉だけで頭がない者が自分で考えて動くとまちがいを犯すだけである。
自分で考えて動くのが暴力団である。
自分で考えて動かないのが警察である。政府の言いなりで動くのが警察である。
政府は神制度を使う暴力団だから、警察も暴力団も違いはない。

[7068] 私アニメはなぜいけないか? h21.4.8
政府はすでにこの世にはない。
現代は、国民主権の時代である。
だから、アニメ会社が国民の許可を得ずに勝手に国民をアニメのネタに使ってはいけない。国民をアニメのネタに使うにはちゃんと会社が国民と契約を取ってからにしなければならない。身体や経験は個人の所有物であり、それを他人が勝手に使うことは許されないからである。
マンガその他についても同様である。

[7069] 私アニメはなぜいけないか? h21.4.8
昭和40年から現在までの日本や世界のアニメは私の個人情報を元[もと]にして作られている。
それは真実である。
政府は神制度を使ってアニメ会社に私をネタにしたアニメを作らせている。
政府は日本や世界を神制度の成り立つ世界にするために神制度をやっている。
いわば、私アニメは国民に対する洗脳である。
それも真実である。
ところが、政府が神制度をやることは契約違反であって正しくない。
国民を洗脳してまちがいを信じさせるのはいけないことである。
だから、私アニメは作ってはいけないし、放送してもいけないのである。
マンガその他についても同様である。

[7070] 『スタートレック(宇宙大作戦)』第55話「危機一髪!OK牧場の決闘」 h21.4.8
スポックは麻酔ガスが効かなかったことから、この世界全体が実在しないことを見抜いた。したがって、敵の銃口から発射された銃弾もまた実在しないのであった。
しかし、私達が住んでいる現実の世界は、すべて虚構というわけではない。
私達の住んでいる世界には、実在することとしないことが混じっている。[「危機一髪!OK牧場の決闘」に登場する眼が光る蛇は、神制度をやっている世界中の政府の喩えである。]
だから、これから私達の住んでいる世界から実在しないことを除[の]けていこうとしているのである。

[7071] おとぎ話『地球を征服に来た宇宙人』 h21.4.8
昔、地球を侵略に来た宇宙人がいた。
宇宙人は地球人の能力を探るために、地球人に姿を変え都市に潜入し本屋で一冊の本を手に入れた。
その本によると、地球人は念力で自由に空を飛び、念力で手から光の玉を発射することができた。
原理不明の能力を使う地球人に恐れをなした宇宙人は大急ぎで円盤に乗って地球から立ち去った。
宇宙人は文明が進みすぎていたためにマンガというものを知らなかったのだ。

[7072] 宮内庁御用達[くないちょうごようたし] h21.4.8
馬鹿な会社が、神武天皇が実在の人物だと思って今でも神武天皇にお供[そな]え物をしているのだ。
馬鹿にはそのほうがお似合いだから、馬鹿が治るまで続ければいい。
いる者をいるとし、いない者をいないとするのがこの世の正しい道理である。それを壊す者は、実在と空想を混同している馬鹿である。

[7073] 子供と大人の境界 h21.4.8
子供と大人の境界はない。
例えば、子供は性欲がいけなくて、大人は性欲がいいという決まり(法則)はない。子供にとっても大人にとっても性欲はいけない。
子供にとっての教えは大人にとっても教えであり、その逆もまたそうである。
子供と大人の違いは、子供は他人から習うことが多く、大人は自分で考えることが多いということである。

[7074] マンガ家は眼がいいだけで頭が悪い。 h21.4.8
マンガ家は面白い絵が描けるだけで、常識がない。
正しいこととまちがったことの区別が付かないから、日本政府の言いなりなのだ。
マンガ家は、まず正しいこととまちがったことが区別できるようになってからマンガを描け。

[7075] パチンコ屋 h21.4.8
神武天皇がいなければ、パチンコやっても仕方がない。
私はパチンコをやらないが、念のため。
眼で見てパチンコ屋があるからパチンコをやるというのではなく、
頭で考えて神制度をやるべきではないからパチンコをやらないというのでなければならない。

[7076] 日本政府は潰[つぶ]れるしかない。 h21.4.8
日本政府は神制度をやるためだけにある会社である。日本政府は神制度をやることしか能[のう]がない会社である。[外国の政府も日本政府と同様である。]
しかし、日本政府が神制度をやることは契約違反である。
だから、日本政府は神制度をやめねばならない。
しかし、日本政府が国民に神制度をやめたという証拠を示すことはできない。
だから、日本政府は潰れてなくなるしかないのである。
今どき、日本政府がいい会社と言う馬鹿はいないから、さっさと潰れたほうがいい。
さっさと日本政府が潰れないと、私の神制度で日本全部が潰れるぞ。[世界には、私の超能力者制度ではなく、私の神制度(私の命令にそのまま絶対的に従うこと)でやっている人もかなりいる。しかし、どちらのやり方にしろ、どちらも聖典の誤解釈によるものだから駄目である。正しい聖典の解釈によれば、神は架空のおとぎ話の人物なので、実在の人間を神とすることはできない。]
ついでに、世界中の神制度をやったことのある政府にも潰れてもらおう。

[7077] どうして民間会社は政府に頭を下げるのか? h21.4.9
政府は神制度をやるためだけにある会社である。
政府は聖典の解釈から出て来ることなら何でもやっていいと思っている。
日本政府は、禁欲の釈迦の神制度や王様のキリストや神武天皇の神制度や私の超能力者制度などによって国民から財産(税金など)を奪っている。[神制度では、聖典のような国にするという決まりがあるだけで誰がどの役をするかは政府が自由に決められるので、王様のキリストや神武天皇の神制度では政府の政治家だけが王になって国民から財産を奪っているのである。日清戦争の時、中国が世界中の国から袋だたきにされたのは、中国以外の国の政府が神武天皇の神制度を使って国民を中国に出征させたからであって、中国以外の国民が神と同じ人間よりも上の者になったからではない。]
日本政府は戦[いくさ]で人を殺したことがある神武天皇の神制度や私の超能力者制度などで殺人ゲームをする会社である。
日本政府の仕事は、国民から財産(税金など)を取るか、国民を殺人ゲームで殺すだけである。[あと、神制度を普及させるのも日本政府の仕事である。]政治家はお金の喜びと人殺しの喜びしかないのである。[外国の政府も日本政府と同様である。]
だから、日本政府は殺そうと思えば、日本国民の誰でも殺すことができる。
したがって、民間会社の社長は自分が殺されたくないから、日本政府にペコペコ頭を下げて日本政府の言いなりになっているのだ。

[7078] なぜ神武天皇は戦争の神なのか?☆ h21.4.9
神武天皇は東征の時、河内[かわち]で長髄彦[ながすねひこ]に負けた時、「東には攻めないぞ」と言った後で遠回りして東に攻めたことがある。[参考。
つまり、神武天皇は嘘をついたことがある。
日本政府は、聖典の解釈から出て来ることなら何をやってもいいと思っている。
神武天皇が嘘をついたことがあるから、日本政府も嘘をついてもいいことになる。
したがって、神武天皇は本来は平和の神なのだが、日本政府が嘘をついて戦争の神ということしたのだ。
神武天皇はおとぎ話の人であって実在の人ではないが、日本政府が嘘をついて実在の人間である天皇を置いて神武天皇を実在の人物ということにしているのだ。
聖典や神を絶対視し、人類は聖典や神に絶対服従しなければならないとしたのも、日本政府がついた嘘である。
同じように、私は超能力者ではないが、日本政府が嘘をついて私を超能力者ということにしたのだ。

キリストが福祉家から王様になったのも、神武天皇のせいなのかもしれない。
国民が政府に税金を払わねばならないというのも嘘である。総理大臣や国会議員が国民よりも偉い(上の者)というのも嘘である。
たとえ、今ここで日本政府が急に国民の人権を守る会社に変わったとしても、それも一時[いっとき]だけの嘘にちがいない。一度嘘つきのレッテルを貼られたら、それを剥[は]がすことはできないのだ。

[7079] 今の人間はどうして人間を外見だけで判断するのか? h21.4.9
マンガやテレビの見すぎで、人間を外見的にしか捉えられないのである。
この調子で人類の文化が流れて行くと、西暦2100年頃には、世界中が見かけがいい人間だらけになるだろう。
わけがわからないことで喜ぶフニャフニャした人間だらけになるだろう。
嘘をつくのが得意な政治家にとっては都合のいい世の中になるだろう。

[7080] ロシア革命について h21.4.9
マルクスの論文を読んだロシア政府は『こいつはキリスト教よりも儲かるぞ』と思った。
社会主義国家では、政府が国中の資本を独り占めできるからである。
そこで、ロシア政府はレーニンを使って、王様であるキリストの神制度によって出来た帝政ロシアを倒させた。それは、ロシア政府による自作自演の狂言であった。[ロシアの国旗は、政府が農民と工業者を小さく隅っこに除[の]けるという意味である。赤は日本の国旗と同じく“政府が国民から血税を取る”という意味である。]
つまり、現代においては政府はもはや古い聖典に縛られず、マルクスの論文に限らずどんな書物でも新しい聖典として使ってもかまわないのである。[ただし、国民の賛同が得られなければならないが。]
しかし、マルクス主義よりも『私の超能力者制度』のほうがもっと政府が儲かるので、ロシア政府はマルクス主義から『私の超能力者制度』に最近(1991年)乗り換えたのである。
だから、今のロシア政府は私の超能力者制度で動いているのだ。

[7081] 人間は知覚的存在である。 h21.4.10
人間は五感的存在ではない。知覚的存在である。
知覚的存在であることを五感の上に表現できれば素晴らしい。
五感的存在に落ち込んでいる人間なんか嫌いだ。
知覚とは割り切ることであり、五感とは割り切らないことである。
人間の知覚は五感の上にあり、さらに人間の心は知覚の上にある。[私が子供の頃に考えていた、“人間の認識界のピラミッド模型”を参照。]
人間の心が五感の上に表されれば素晴らしい。
例えば、私が哲学日記を書くのは、私の知覚欲を表現するためである。
人間の心の中にはくだらない感情もあるが反対に価値のある感情もあるのであり、価値のある感情を五感の上に表すことができれば素晴らしい。

[7082] 歴史も科学である。 h21.4.10
ガリレオ=ガリレイが具体的な“斜台の実験”から、一般的な『慣性の法則』や『エネルギー保存の法則』を発見したように、
歴史学においても、“歴史上の具体的事実”から一般的な『わかったこと』を発見するのが大事なのだ。
歴史を学ぶだけではなく、そこから自分が考えて『わかったこと』を積極的に書かねばならない。
そうすることによって、動物的な具体的な記録の集まりにすぎない歴史は、人間的な真実としての科学になるのである。
真実がわからずに行動してもうまく行かない。
真実がわかって行動すればうまく行く。
例えば、この世には余計な政府があるからそれを除[の]けて、国民の人権を保障する会社に置き換えればうまく行くのである。

[7083] 物理学実験はなぜあるか? h21.4.10
物理学実験では、実験をやって理論と合わないことを学生に考察させる。例えば、斜台の実験で玉が永久に動かないのは、実際には“摩擦力がある”からである。[それは古典力学の原理の中でできる容易な?修正であるが、ときには黒体輻射やマイケルソン=モーレーの実験のように原理自体の修正が必要な場合もある。]
理論は天才のなせる業[わざ]であって、私達日本人はせいぜい理論と実際が合わない原因を考えて理論を補足して修正するのがお似合いだからである。
もっとも、日本人でも理論を考えて悪いことはない。チャンスがあればかなり凡人にでもそれができることがある。
ところで、かつての福祉団体が聖典を悪用する政治団体になってしまったのは、当時失業した福祉団体を他の仕事に転職させる措置が取られなかったことと、政治団体に嘘をつかさない対策が取られなかったことと、当時はまだ契約の概念がなかったことなどによる。
理論的には、神制度をやる会社はこの世にはないほうがよく、国民の人権を保障する会社があればいいだけである。
だから、そういう世界になるように、今の社会に何らかの工夫を加えて修正しなければならない。

[7084] どうして男は女と結婚しなければならないのか? h21.4.10
これまでにすべての男が女と結婚したわけではない。
世の中には女と結婚しなかった男もたくさんいる。男が女と結婚するのを勧めない哲学者も大勢いる。
だから、男が女と結婚するのは義務ではない。自由である。
男が女と結婚しなければならない理由はない。
だから、女と結婚したい男は結婚すればいいし、したくない男はしなければいい。
大昔から人類は知覚欲の満足で生きてきた。
そのために人類が異性愛を失い人類が滅びるのなら、それも人類の運命だ。
人類は進化しすぎたために、もはや生物としてやっていけなくなったのだ。
人類が滅びた後に、地上に別の生物が栄えればいい。

[7085] 死ぬ自由 h21.4.10
身体は個人の持ち物である。
現代は国民主権の時代だから、国民が生きようが死のうが国民の勝手だ。
だから、国民の人権を保障する会社は国民に死ぬ自由を認めなければならない。
国民が現代の医療技術を使って楽に死ねる権利を認めねばならない。

[7086] 超能力者制度はどうしてできたか? h21.4.11
日本の聖典である古事記には神武天皇の東征の話が載っている。
神武天皇の東征の話では、神武天皇が「東には攻めないぞ」と言ったのにその後で東に攻めた。[つまり、神武天皇は一時は戦いに負けて気弱になっていたが、その後で気を取り直して、今度は遠回りして敵の背後から攻め込んだのだ。]
だから、神武天皇は嘘つきである。
したがって、古事記のような国を作ると国民と契約した日本の政治家は、自分も神武天皇のように嘘をついてもいいと考えた。
そこで、本来おとぎ話の主人公であった神武天皇を、天皇を置いて実在の人物だったことにした。天皇を置くことによって神武天皇を日本最初の王だということにして、日本政府が国民から財産を奪うことにしたのである。
さらに、本来平和の神であった神武天皇を、古事記について『嘘の解釈』をすることによって、神武天皇を武力で他人の土地を奪った戦争の神にした。
それで、日本政府(日本神道)は日本を軍事国家にして、外国の財産を奪って自分のものにしようとした。
一方、飛鳥時代に日本政府が日本神道と仏教を混ぜてやっていたように、ヨーロッパ政府もキリスト教と日本神道を混ぜてやるようになった。[宗教は、かなり昔から国際化していた。]
そこで、ヨーロッパの政治家も、日本の政治家が嘘をついたように、聖書について『嘘の解釈』をすることによって、本来福祉家であったキリストを人類の上に立つ人類の王であることにした。
それで、ヨーロッパ政府(教会)はヨーロッパの国を古臭い王制国家にして、国民の財産を奪って自分のものにしようとした。
しかし、日本政府は第2次世界大戦に負け、ヨーロッパ政府は王制国家が国民によって倒されて計画は失敗に終わった。
そこで、世界中の政府は再び聖典について『嘘の解釈』をすることによって、これまでの神が超能力者であり、この世には超能力者に人類が従う制度があることにした。
そして、私が1〜2才の赤ちゃんの頃、私の母が夜中に突然私のベッドの上に吊ってあったガラガラが回ったのを見たことをもとにして、世界中の政府が私が超能力者だという『嘘の作り話』をした。
それから、政府が私の周りの者を使って“超能力者に人類が従う制度”を“政府が超能力者の個人情報や経験を混ぜた政令を出すことができる制度”(いわゆる超能力者制度)に変換した。[[6949] 超能力者制度は超能力者の命令を聞く制度ではない。 h21.3.26を参照。]
こうして、今世界中の政府は、私の個人情報や経験を混ぜた政令を作って国民に出して守らせているのである。また、これまでの神についての神制度もやっている。そうして、世界中の政府は国民から財産を奪ったり、国民を殺して遊んだりしているのである。
しかし、大昔に政府が国民と取った契約をいつまでも引っ張られてはたまらない。政府は今の国民とは“聖典のような国を作る”契約を取っていない。したがって、世界中の政府は契約違反をしているのであって、独[ひと]りよがりで神制度つまり“聖典のような国を作る”ことをやっているだけである。したがって、世界中の政府の政治家ごっこもここで終わらせることにしよう。

[7087] 国民は政府に洗脳されている。 h21.4.11
国民が政府を正しい組織だと思ったり、
国民が政治家をいい人だと思ったり、
国民が政府に税金を払わねばならないと思ったりするのは、
国民が政府に洗脳されているからである。
実際には、
政府は聖典制度(聖典のような国を作る制度)を使って国民から財産を奪ったり、国民を殺して遊んだりしている悪い会社であり、
政治家は自分の財産を増やしたり国民を殺したりする喜びしかないくだらない人間であり、
政府は国民の役に立つ何のサービスもしていないから、国民が政府に税金を払う理由はない。
国民がこの世に超能力者制度があり、神(超能力者)に人類が従わねばならないと思っているのも、政府に洗脳されているからである。私の個人情報を入れたマンガやテレビ番組があるのは、そのためである。
国民が曖昧な情報に頼らず、はっきりした情報を元[もと]にして考えていれば、政府に騙[だま]されることはないはずだ。
人間は他人の言いなりになって動いていればいいのではない。そんなことでは、世の中に悪い奴が増えていくだけだ。[洗脳された奴[やつ]は病人みたいだから、私は嫌いだ。]

[7088] どうして中世末期の学校では、曖昧な教育をやっていたのか? h21.4.11
デカルト等が学んだ中世末期の学校では、論理的な教育をやっていなかった。
それは、当時の学校が実在よりも聖典を大事にしていたからである。
キリスト教の聖典である聖書は、言葉使いがモヤモヤして曖昧だったので、それで学校の教育も曖昧にやられていたのである。
しかし、そもそも聖典はラーメン屋に置いているマンガ雑誌である。
そんな物を教科書に使っては生徒が馬鹿になるだけだ。

[7089] 政府は国の盲腸である。 h21.4.11
政府は聖典から出て来ることは何でもやっていいと思っている。
政府は実在よりも聖典を大事にしている古臭い機関である。
そんな習慣は旧世界の遺物だ。
政府は国の大脳ではない。
政府は、あっても何の役にも立たず、ときに腹痛を起こして人を困らせる盲腸のようなものだ。

[7090] 抱き合わせ商法 h21.4.11
政府は聖典制度(聖典のような国を作ること)をやる会社である。
しかし、政府は国民の人権保障サービスもやっている。
それは卑怯[ひきょう]な抱き合わせ商法である。
だから、聖典制度をやる会社である政府と国民の人権保障サービスをやる会社を分けねばならない。
つまり、政府の中にある国民の人権保障サービスをする部門を民営化すればいい。
そうすれば、国民は国民の人権保障サービスをする会社と契約してサービス料を払うはずだ。[あるいは、医療保険のように、人権保障保険を設けて、国民が自分の人権が侵害された場合には人権会社に保険や現金でお金を払って相談できるようにすればいい。]
聖典制度をやる会社には、お金の代わりに石が飛んでくるだろう。

[7091] 女がアニメを嫌う訳[わけ] h21.4.11
女がアニメを嫌うのは、嘘の作り話が嫌なことと、女を顔や身体の形だけで見る、女を物のように見る見方が嫌だからだ。女の心の中にも優れた感情があるのであって、それを理解しなければならない。[例えば、私の哲学日記の作文がうまく行ったのは、この前私が高知へ帰省していたとき、母が美味しいおかずを作ってくれたからである。]
しかし、アニメを絵で見るのはシロウトの見方だ。
ベテランは、絵を通り越して話で見ている。
しかし、日本のアニメは超能力者制度で作られているから、絵や話に要らない制限が伴っているので、いまいちいい絵やいい話になり切れていない。そんなつまらない制度に縛られず、自由に心の世界を描いたアニメがあればいいのになあ。

[7092] 宗教改革はなぜあったか? h21.4.12
マルチン=ルターが宗教改革をしたことは誰でも知っている。
しかし、教会の門に『95ヶ条の論題』を張るような目立つことをやれば、すぐに捕まって改革は失敗したはずである。常識的には、そんな芝居じみた計画が成功するはずがない。
だから、それも教会の自作自演の狂言なのである。ルターを後押しする団体があったから、宗教改革は成功したのである。
つまり、ルターが宗教改革をしたのは、ヨーロッパ教会がヨーロッパを王制国家にするための下準備だったのである。
実際に、ルターが宗教改革をした後で、キリストを王とする聖書の新解釈に立って、教会が王制の国家体制を作り上げた。
しかし、国民が教会の馬鹿に付き合うのもいい加減飽きたので、教会による王制国家はほどなく国民によって倒された。
宗教は政府(教会)が儲けるためにやっているだけだから、宗教があるかぎり国民が損をするのは当然である。そんな簡単なこともわからないのでは、もはや救いようがない。

[7093] 聖典制度と神制度の違い h21.4.12
聖典制度とは、政府が昔の国民と取った契約、つまり聖典のような国を作ることである。[昔は政府は貧しい者に恵みを与えてくれるいい会社だったので、みんなが政府を信用したから“聖典のような国を作る”という契約が取れたのである。]
神制度とは、神に人間が絶対的に従わねばならない制度のことである。
神制度は、日本の聖典の古事記にある神武天皇が「東に攻めない」と言った後で東に攻めた嘘をついたことを使って、政府が「神が人間よりも無限に上の者だ」という嘘をついてできた制度である。
つまり、神制度は聖典制度から出て来る制度である。
また、超能力者制度とは、聖典についての嘘の解釈によって神が超能力者のことだとし、人類が神である超能力者に絶対的に従わねばならないことである。つまり、超能力者制度とは、超能力者を神とする神制度である。特に、私のような“生きている神(嘘で超能力者にされた者)”を使うと、私が生きている間に私の周りにいる者を使って私にいろんなことをさせることができて、“人類が私に絶対的に従わねばならない”ことを“政府が私の個人情報や経験を混ぜた政令を作って国民に出す”ことに変換することができる。

[7094] 昔の政府は客からお金を取れないのにどうしてやっていけたのか? h21.4.12
昔の政府は、乞食に飯[めし]を食わせる仕事をしていた。
乞食からはお金を取れないが、みんなからの寄付があったのでやっていけた。
その後、農耕が発達して乞食が減って政府に客が来なくなって政府は仕事がなくなってみんなからの寄付もなくなって困ったが、政府が乞食に飯を食わせる福祉の仕事から“聖典のような国を作る”政治の仕事に変えることによって仕事を増やして、再び寄付が取れるようになって生き残れた。[だから、政府が正式に昔の国民と“聖典のような国を作る”契約を取ったわけではない。]
政府は国の治安を守るために警察のようなことをやるようになった。[キリスト教の場合でも、弱者を愛する名目で警察はやれたはずだ。仏教の場合でも、人間の淫[みだ]らな欲望を断つ名目で警察はやれたはずだ。]
政府が警察をやるようになって、寄付制から税制に変わった。
しかし、そのうち、政府は神武天皇が嘘をついたことを使って自分も嘘をつくようになって、おとぎ話の主人公である神を嘘で実在の王だったことにしてみんなから高い税金を取るようになったのだ。
つまり、政府が警察の仕事をして国民から税金を取れるようにしたのも難事業であったし、政府が神制度をして国民から高い税金を取れるようにしたのも難事業であった。その二つの難事業をこれまでに政府は見事にやってのけたのだ。
しかし、現代は合理の時代である。警察はともかく神制度は幼稚で野蛮だ。政府が神制度をやることは国民にとって許せない。

[7095] どうして日本の法律には矛盾があるか? h21.4.12
日本の法律の民法と刑法の間に矛盾があることはよく知られている。
それは、古事記の神武天皇が嘘をついたように、
将来日本政府が日本の法律だけでやっていかねばならなくなったとき、日本政府が日本の法律に矛盾があることを使って、矛盾したことをやるためにつまり嘘をつけるようにするためである。嘘をついて日本の法律を政府が儲かるように書き換えるためである。

[7096] 政府の抱き合わせ商法 h21.4.12
政府は警察から発展したさまざまな国民の人権保障サービスをやっている。
しかし、それ以外に余計なこともたくさんやっている。それらは、ひとまとめに神制度にくくることができる。
そもそも警察が聖典制度でできたサービスだから、聖典制度で出来た神制度もやってもいいという理屈である。
政府は、国民にとって必要な国民の人権保障サービスと国民にとって不要な神制度を抱き合わせてやっている会社である。
しかし、聖典はそもそも政府が福祉をやっていた頃に、乞食に聞かせたおとぎ話の本だから、そんなものにこだわり続けるのはよくない。
聖典が絶対的な本であるのは、おとぎ話の中の神武天皇が嘘をついたことによって政治家がついた嘘であって、本当はただのおとぎ話の本にすぎない。したがって、聖典制度はもはや成り立たない。
国民は政治家のくだらない嘘の言いなりにならずに、政府を国民のためにある会社だと考えるべきである。
国民にとって必要なのは、人権保障サービスだけである。
国民は人権保障サービスだけをやる会社が欲しい。

[7097] 天皇は日本の象徴 h21.4.12
天皇は日本の象徴ではなく、神武天皇の子孫の役を演じている役者である。
天皇が日本の象徴なら、日本人はみんな何らかのおとぎ話の主人公または登場人物の子孫だと言うのか!?おとぎ話の登場人物の子孫の役を演じながら生きるのが日本人の風習だというのだろうか?

[7098] 聖典は政治家のためにある。 h21.4.12
聖典は政治家が国民から財産を分捕[ぶんど]る時の言い訳に使うための本である。
国民はもはや誰も聖典を使っていないのに、ひとり政治家だけがいまだに聖典を真に受けて使っている。
つまり、政治家とは聖典を使う特権を持っている者である。
政治家が嘘つきなのは、古事記の神武天皇が嘘をついたからである。
政治家が曖昧な言葉を使うのは、聖書の言葉使いが曖昧だからである。[私が高校生の頃に妹の持っている絵本を読んだことがあるが、それは外国の絵本の翻訳で言葉使いが曖昧で意味がわからなかった。こんな下手な訳本を読まされる子供がかわいそうだと思った。]
政治家は聖典病に罹っている。気の毒だ。

[7099] 政治家とは何か? h21.4.12
政治家とは国民の代表者ではなく、聖典に載っていることは何でもやっていいと思っている者である。
政府とは、聖典に載っていることは何でもやる会社である。
ところが、聖典には嘘つきの神が登場したり、言葉使いが曖昧だったりする。
だから、政治家は平気で嘘をついたり曖昧な言葉を使うのである。
政治家は聖典を使って他人の財産を取ったり人殺しをしたりする。
国に政府や政治家がいることは、国民にとっては迷惑なことである。

[7100] 政治家とは何か? h21.4.12
政治家とは国民の代表者ではなく、聖典に載っていることは何でもやっていいと思っている者である。
政府とは、聖典に載っていることは何でもやる会社である。
ところが、聖典には嘘つきの神が登場したり、言葉使いが曖昧だったりする。
だから、政治家は平気で嘘をついたり曖昧な言葉を使うのである。
政治家は聖典を使って他人の財産を取ったり人殺しをしたりする。
国に政府や政治家がいることは、国民にとっては迷惑なことである。
そもそも政府や政治家が聖典を絶対視するのは、聖典の中の神武天皇が嘘をついたからである。本来はただのおとぎ話にすぎなかった聖典を、神武天皇が嘘をついたことに倣[なら]って、昔の政治家が嘘をついて聖典を絶対的な本であることにしたのである。
本来聖典は、ただのおとぎ話の本なのである。
今の政治家が昔の政治家のついた嘘に騙[だま]されてはいけない。
政府や政治家が『聖典と同じことをしてもいい』のは、政府や政治家が昔の国民と『聖典と同じことをしてもいい』という契約を取ったからである。[政府が警察をやって寄付制から税制に変えたときに、当時の国民と『聖典と同じことをしてもいい』という契約を取ったと考えればいい。]
しかし、今の国民はそんな大雑把な契約を取るほど馬鹿ではないから、契約期限はとっくの昔にすぎている。
だから、政府や政治家は実際には聖典を絶対視することはできないのである。政府や政治家は聖典に載っていることを何でもやっていいわけではないのである。


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