[23801] 政府は嘘[うそ]をついている。 h30.5.10
昔の人はマゾで国民みんなを拝[おが]むのが好きだったが自分がマゾで国民みんなを拝むのが恥ずかしかったので、「政府は善いことをする会社で、民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と嘘[うそ]をついて、本当は政府に悪いことをされたり国民みんなを拝んだりして喜んでいた。
今の人はマゾではなく国民みんなを拝むのが好きではなくなっているが、今でも嘘が残っているので多くの人が「政府が善いことをする会社で、民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と思って政府を支持している。国民の中には「政府が国家権力がある」と思って政府の言うことをなんでも聞いている者がいる。
政府は今でも昔と同じように「政府が善いことをする会社であり、国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」とみんなに嘘をついて、多くの人を騙[だま]してお金を取って儲[もう]けている。しかし、本当は『政府はみんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをして、選挙や議会をやって国民みんなを拝ませているだけである。』
政府がみんなに『政府が悪いことをする会社であり、政府の省庁はなにもせず選挙や議会をやって国民みんなを拝ませているだけである』ことを言うと、みんながすぐに「政府がなくなったほうがいい」と思って政府にお金をやらなくなるから、政府はみんなに本当のことを黙って教えずに、嘘をついているのである。政府は自分が国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れると困るので、みんなに本当のことを教えないのだ。
政府は“「政府は民主主義をやっているから政府に国家権力がある」と思って政府に従っている者”に命令して会社や学校でみんなにテレビやマンガを宣伝してみんなにテレビを見させたりマンガを買わせたりしている。そのために、テレビ局や出版社は政府を支持しているので政府の言うことを聞いて政府について本当のことを放送しないのだ。特に今はテレビゲームやビデオなどがあるから、テレビ局や出版社はあまり人気がなくて弱くなっているから政府を守ってけっして政府について本当のことを流さないのだ。
テレビ局や出版社は政府とグルになってみんなに嘘をついてみんなを騙している。今の政府は悪いことやみんなの役に立たないことをしているだけだから、今のみんなにとっては政府は要らない。みんなは政府やテレビ局や出版社の嘘に騙されないようにして、本当のことを知って『今の人間にとっては政府が要らない』と考えて政府にお金をやらないようにして政府を倒さないといけない。
政府は表では民主主義をやって国民みんなのために善い国を作っているふりをしているが、裏では自分ひとりのためにみんなに本当のことを教えずに悪いことをやっている。政府は自分のお金儲けのことだけ考えて、みんなの幸福のことを考えない。政府は悪い会社である。だから、国民みんなで政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
h30.5.14追加:テレビ局は以前「悪いほうが有利」と言っていた。みんなが悪いことをすればいいということである。テレビ局は以前「伊豆くんだりで」と言っていた。伊豆とは、伊豆←いズ←川ブ(“ズ”の右下斜め線を“い”に移す)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私のことである。つまり、「伊豆くんだり」とは政府が今後は私よりも天皇家を国家宗教の神にするということである。テレビ局や出版社が「悪いほうが有利」とか「伊豆くんだりで」とか言うのは、日本がヨーロッパの悪いところを真似[まね]れば日本が幸福な国になると思っているからである。日本がヨーロッパの悪いところを真似て、みんなが悪いことをやったり、国家宗教の神に因[ちな]んだ悪いことをやれば日本人みんなが幸福になれると思っているからである。「国家宗教の神は人間よりも上の者だ」という嘘があるから、自分が神に因んだことをやれば自分が人間よりも上の者になるから悪いことができるというわけだ。もちろん、本当は『国家宗教の神はただの人間であり、国家宗教の神と人間は平等である』から、国家宗教の神に因んだことをやっても人間よりも上の者になれないから悪いことができない。実際には、ヨーロッパが豊かなのはインド文化をやって科学や道徳をやっているからであって、いくら日本がヨーロッパを真似て悪いことをしても日本はみんなが幸福な国にはならない。日本は科学や道徳がなくなってみんなが不幸になるだけだ。テレビ局や出版社はまちがっている。テレビ局や出版社はピノキオを堕落させた遊園地のようなものだ。だから、みんなはテレビ局や出版社の言うことを聞かないようにして、テレビを見たり本を読んだりしないようにして、自分で正しいことを知って正しいことをやって科学や道徳をやって日本をみんなが幸福に暮らせる善い国にしないといけない。

[23802] 政府はつらい仕事である。 h30.5.10
人間の心は他人に善いことをやると気持ちがよくなり、他人に悪いことをやると気持ちが悪くなる性質がある。人間は長い間社会の中で暮らしてきたから、人間の心にはそういう性質がある。
だから、普通の人は仕事をやって他人に善いことをやって自分が気持ちよくなっている。普通の人は自分がいい気持ちになりながら楽しく仕事をすることができる。
ところが政府は他人に悪いことをやる仕事である。政府は他人に悪いことをやって自分が気持ちが悪くなっている。政府は自分が気持ち悪くなることに耐えながら他人に悪いことをやっている。政府はつらい仕事である。だから、“男はつらいよ”というのだ。例えば、私の祖先は武士だったが、自分が悪いことをするのに耐えられずに武士を辞めて百姓になった。そういう人もたくさんいる。女は動物だから悪いことをするのが好きだから、女が政府をやると自分の楽しみのためにみんなに悪いことをするので仕事にはならない。男は人間なので悪いことをするのが嫌だから、男が政府をやってこそ仕事になるのだ。だから、昔から政府は男の仕事なのだ。
政府は自分がみんなに悪いことをして悪い気分になりながら必死に悪い気分に耐えて悪いことをしている。政府は自分の心を殺して自分の悪い気分を抑[おさ]えながら悪いことをしている。政府は偉い。
もっとも、“蓼[たで]食う虫も好き好き”というから、世の中には変わった者もいる。今はみんながマゾではないから、政府はみんなに悪いことをする必要はない。今の政府はみんなに悪いことをやって気分が悪くなっている。だから、今の政府は自分から潰[つぶ]れてなくなればいい。仕事をやるかやらないかは個人の自由だから、今の政府は自分が悪いことをする仕事が嫌ならやめればいい。今の政府はみんなに政府について本当のことを教えてみんなが政府にお金をやらないようにしてみんなに政府を潰させればいい。それなのに、今の政府はそうしていない。今の政府はみんなに悪いことをして喜んでいる。今の政府は自分の趣味で悪いことをやっている。今の政府はますます悪い。今の政府が自分が好きで悪いことをやっているから、世の中に悪いことをするのが広まって、みんなが悪いことをするようになっている。政府が喜んで悪いことをやっているから、みんなが「悪いことをするのは気持ちがいいことだ」と思ってみんなが悪いことをするようになっている。だんだん悪い国になっている。このままではみんなが幸福に暮らせなくなる。今のみんなは政府を許してはいけない。今のみんなは政府を罰するために政府にお金をやらないようにして政府を皆殺しにすればいい。

[23803] いいデジカメとは何か? h30.5.11
私は昨日と今日の二日かけてユーチューブの動画を見まくって、価格ドットコムの投稿写真を見まくって、カメラメーカーの仕様書を見まくって、いろんなデジカメについて調査してきた。その結果をみんなに報告する。
カメラは画素数によって映像の細かさが決まる。しかし、今ではどんなデジカメでも画素数は2000万前後だから映像の細かさは高級デジカメでも低級デジカメでも変わらない。
カメラはセンサーサイズによって光に対する敏感さが決まる。センサーサイズが大きいと一つの映像素子に入る光量が増えて光が出ているか出ていないかをはっきりと区別できるからだ。例えば、ひとつの映像素子に5個以上の光子が入るとひとつの電子が流れることにすると、6個の光子なら電子が流れるが、3個の光子なら電子が流れないことになる。カラー写真はフィルターをかけて3原色に分けて映像素子に光子が入るか入らないかで色を見ているのだから、原理的には白黒写真と変わらない。高級デジカメほどセンサーサイズが大きいからひとつの映像素子に入る光の量が多いから、光が本当に出ているか出ていないかをよく区別できる。低級デジカメは暗いところでは光が出ているにもかかわらず光が出ていないと感じるから、全体的に真っ暗に写る。したがって、高級デジカメほど暗いところに強いことになる。高級デジカメは透過度の高いレンズが使われているが、レンズの透過度は映像素子に入る光量が多いか少ないかを決めるにすぎない。つまり、高級デジカメとは暗さに強いデジカメにすぎない。昼間は光量が多いから、昼間撮る人にとっては高級デジカメでも低級デジカメでも変わらないのだ。昼間撮る人にとってはわざわざ高いお金を出して要らないカメラを買う必要がないのだ。私はおもに昼間に外に出て撮るから、私にとっては高級デジカメは要らない。もっとも、ユーチューバーは暗い部屋の中で撮るから光に敏感な高級デジカメが要る。
そういう目で今売っているデジカメを見たら、一眼もミラーレスも要らずコンパクトデジカメで十分である。『Canon PowerShot SX720 HS』(最安価格\24,534)か『Nikon COOLPIX A900』(最安価格\26,785)がいいデジカメといえる。映像処理プログラムによって映像の色合いが決まる。キャノンは色合いが明るすぎて白っぽい。ニコンは色合いが渋くてくっきりしている。私はニコンのほうが色合いが好きだから、私にとっては『Nikon COOLPIX A900』がいい。キャノンは色合いが明るくてヨーロッパ調だ。ニコンは色合いが渋くてインド調だ。パナソニックは色合いが暖かくて中国調だ。日本人はインド人に近いからニコンがいいのだ。ところが、『Nikon COOLPIX A900』は今私が持っていてユーチューブの動画を作るときに使っている『Nikon COOLPIX S7000』(最安価格\23,000)と性能が大差ない。だから、今の私は『Nikon COOLPIX A900』を買う必要がない。今の私はわざわざ新しくデジカメを買う必要がない。君にはデジカメを買う必要があるかな?(h30.5.15追加:けっきょく私は『Nikon COOLPIX A900』を買ってしまった。理由は『Nikon COOLPIX S7000』がピントがいまいちだからだ。その結果わかったことは、S7000が小さくて軽くて持ちやすくて使いやすいということだ(約99.5×60.0×27.4mm(突起部除く)で約161g(電池、SDメモリーカードを含む))。A900は大きくて重くて使いにくい(約113×66.5×39.9mm(突起部除く)で約299g(電池、メモリーカード含む))。おまけにS7000は本体が金属製でかっこいいのに、A900は本体がプラスチック製でかっこ悪い。A900はかっこ悪いうえに大きいから目立つので恥ずかしい。やはりデジカメは小さくで軽いほうが使いやすくていい。さらに、私はソニーの『DSC-RX100(markT)』も買ってしまった。もっとも、ヤフオクの中古で2万円で買った。このカメラは小さくて軽い(101.6 x 58.1 x 35.9mmで約240g(バッテリーNP-BX1を含む))。私もついに“高級コンデジ”を持つようになった。私がはじめて買ったデジカメは、ソニーの『Cyber-shot DSC-P50(200万画素)』だった。今から約15年前だった。その2年後にキャノンの『PowerShotA60(200万画素)』を買った。そのとき、私は「ソニーのデジカメは映像の色合いが汚い」と思った。(参照、ソニーの『Cyber-shot DSC-P50』キャノンの『PowerShotA60』)それを今でも引きずって今でもソニーのデジカメにはめったに手を出さないのだ。私は今から約3年前にニコンの『COOLPIX L30(2005万画素)』を買った。そのあまりの映像の美しさに私は感動した。それ以来、私はずっとニコンのファンだ。特に最近のカメラは完成度が高いから“買い”だ。色合いもピントも両方ともいい。やはり私はデジカメを買ってしまった…。最近のカメラの完成度が高いのは、私が政府のことをみんなに言ったからカメラ会社が政府の言うことを聞かなくなったためかもしれない。あるいは、私が3年前からカメラを撮り出したからカメラ会社がカメラに力を入れたためかもしれない。h30.6.9追加:ソニー製品はなんでもフラットだ。写真がフラットであるように音楽もフラットだ。ソニーは原音に忠実であるように原景[げんけい]に忠実なのだ。正直、ソニーの写真は味がなくて面白くない。ソニーの音楽も面白くないのかもしれない。)

高級コンデジ≒低級コンデジ
高級コンデジ>低級コンデジ

[23804] 昔の政府はみんなの嘘[うそ]に合わせて善いことをする会社のふりをしていた。今の政府はみんなが本当のことを言うのに合わせて正直に悪いことをする会社をやっている。 h30.5.12
政府は国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをして、国民みんなに選挙や議会をやって国民みんなを拝[おが]ませる会社である。
昔のみんなはマゾで国民みんなを拝むのが好きだったが、自分がマゾで国民みんなを拝むのが恥ずかしかったので、政府にたくさん省庁を建てさせて「政府は善いことをする会社で、民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と嘘[うそ]をついて、本当は政府に悪いことをしてもらって選挙や議会をやって国民みんなを拝ませてもらって喜んでいた。
昔の政府はみんなの嘘に合わせてみんなの前では一生懸命に善いことをする会社のふりをして、国民みんなのために国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているふりをしていた。昔の政府は、実際には国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをして、選挙や議会をやって国民に国民みんなを拝ませるだけで、政府の省庁は国民みんなの役に立つことはなにもせずにどうでもいい暇つぶしの仕事をやっているだけだった。
しかし、今ではみんながマゾではなくなって国民みんなを拝むのが好きではなくなっている。今のみんなはマゾや国民みんなを拝むのをやめているから、自分がマゾであることや国民みんなを拝むのが恥ずかしくなくなっている。そのために、今のみんなは政府について嘘をつかなくなって政府について本当のことを言うようになっている。今のみんなは『政府が悪いことをする会社であり、政府の省庁は役に立つことはなにもせず、政府は選挙や議会をやって国民に国民みんなを拝ませているだけである』と言っている。
そのために、今の政府は国民みんなが政府について本当のことを言っているのに合わせて、みんなの前で善いことをする会社のふりをするのをやめて国民みんなのために国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているふりをするのをやめている。今の政府は正直に国民みんなの眼の前で堂々と強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやったり、政府の省庁の職員が会社で寝たり家で寝たりしている。議員が選挙や議会をやってみんなに国民みんなを拝ませているだけである。
今の国民みんなはますます政府にうんざりして、政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒している。(政府は天気予報もやっているが、気象庁は農協や商店街などからお金をもらって天気予報をやって、農協や商店街は一般の国民みんなから気象庁に天気予報をやってもらうためのお金をもらっている。気象庁は税金以外のルートで国民みんなからお金をもらって経営している。政府の気象庁も本当は政府とは別の会社である。税金は政府が国民みんなに悪いことをやったり、国民みんなに国民みんなを拝ませたり、善いことをする会社のふりをしたり、民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているふりをしたりするためのお金である。だから、国民みんなは政府に税金をやらなくていい。)
今の世の中はまだみんなが写真を撮って遊んでいられるほど平和ではない。政府がみんなに悪いことをしまくってみんなを不幸にしている。だから、みんなで早く政府を倒さねばならない。その後で、みんなは自分が好きなことをやって遊べばいい。

[23805] 今の多くの人は天皇を真似[まね]て接待をやって給料をもらっている。 h30.5.13
昔はみんなが国家宗教の神を拝[おが]みたかったが拝むのが恥ずかしかったので、「国家宗教の神は人間よりも上の者だから、人間は国家宗教の神に従わなければならない」という嘘[うそ]をついて国家宗教の神に従うふりをして、本当は国家宗教の神を拝んでいた。拝むとは、両手を合わせて頭を下げることである。それだけである。昔はみんながいろんなものを拝んで“拝む喜び”を満足して気持ちがよくなっていたのである。
今はみんなが面白いことがいっぱいあって国家宗教の神を拝むのがつまらなくなって国家宗教の神を拝みたくないが、今でも昔の嘘が残っているので、多くの人が「国家宗教の神が人間よりも上の者である」という嘘を真[ま]に受けて本当だと思って国家宗教の神に従っている。
そのために、今では多くの人が「国家宗教の神は人間よりも上の者である」「人間は国家宗教の神に従わねばならない」「人間は国家宗教の神と同じことをしないといけない」と思って、国家宗教の神を真似ている。
天皇は国家宗教の神である。天皇は普通の仕事をせずに接待ばかりやっている。天皇は接待をやっていい給料をもらっている。そのため、今の多くの人は天皇を真似て接待ばかりやっていい給料をもらっている。
今の多くの人は「人間が国家宗教の神と同じことをしないといけない」ことを理由にして、接待をやって給料をもらっている。接待をやって他人の稼[かせ]ぎからお金を取って生きている。

しかし、本当は『国家宗教の神は見ようによっては超能力者のように見える人間であり、国家宗教の神は人間にすぎない』『国家宗教の神と人間は平等である』『国家宗教の神を拝むのが好きな人が国家宗教の神を拝めばいい』だけである。だから、「人間が国家宗教の神と同じことをしないといけない」ことを理由にして接待をやって給料をもらってはいけない。
人間はまじめに実在の仕事をしてお金を稼がないといけない。人間は実在の外の仕事をしてはいけない。人間は実在の世界の中で仕事をしてお金を稼がないといけない。人間は空想や眼先の仕事をやって、他人の空想の喜びや眼先の喜びを助長してはいけない。人間は文学や美術でお金を稼いではいけない。宣伝や説明や接待は実在の仕事ではない。暇つぶしのどうでもいいことである。だから、みんなは宣伝や説明や接待の仕事をやめて、まじめに実在の世界の中で仕事をやって、他人を実在の世界の中で喜ばせるようにしないといけない。

[23806] 会社の事務は悪いことをするためにある部署である。 h30.5.13
昔はみんながマゾだったがマゾが恥ずかしかったので、会社の事務に宣伝や説明や接待などの“暇つぶしのためのどうでもいいこと”をやらせて「会社の事務は善いことをする部署であって、宣伝や説明や接待をやって会社を儲[もう]からせている」と嘘[うそ]をついて、本当は会社の事務に強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやらせて、みんなが会社の事務に悪いことをやられて喜んでいた。
今はみんながマゾではないが、今でも昔の嘘が残っているので、多くの人が「会社の事務は宣伝や説明や接待などをやって会社を儲からせている重要な部署だ」と思って会社の事務を置いている。会社の事務は表では宣伝や説明や接待をやって、裏では強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやっている。
しかし、本当は会社の事務はみんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをする部署であって、宣伝や説明や接待は会社の儲けにならないどうでもいいことである。会社の事務はみんなの稼[かせ]ぎを強盗して会社を壊したり人殺しをしたりみんなに嫌がらせをするだけで、会社の儲けのためになんにもならないことをして遊んでいるだけである。
会社の事務は悪いことをするためにある部署であって、善いことをするためにある部署ではない。昔のみんなはマゾだったから悪いことをされるとうれしかったから会社の事務を置いていたのだ。今のみんなはマゾではないから悪いことをされてもうれしくないから会社の事務は要らない。だから、今のみんなは会社の事務をなくさねばならない。会社にとってどうしてもなければならない事務(仕事の計画を立てたり給与の計算をする部署など)だけ置いてほかは全部なくせばいい。
今の事務はわけもわからずにみんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやっている。今の事務は自分勝手な理由をつけて「自分が悪いことができるのは自分の特権だ」「自分はほかの人間よりも上の者だから自由にほかの人間に悪いことができるのだ」と思ってみんなに悪いことをしている。しかも、今の政府の警察は本物の警察ではないから、自分が政府の警察に罰せられたい者しか罰することができないから、悪いことをした者が「自分は自分がやってもいいことをしただけだから罰せられる必要はない」と思っていると罰せられずにすむ。このままでは大勢の人が会社の事務によって不幸な目に合わされる。だから、みんなで早く会社の事務をなくして会社の事務による被害を防がねばならない。

[23807] 今の政府は自分が楽だから昔と同じことをやっている。 h30.5.15
政府は表では善いことをする会社のふりをして国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているふりをして、裏では国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをして議員が選挙や議会をやって国民みんなを拝[おが]ませて政府の省庁が暇つぶしのどうでもいいことを国民みんなの役に立たないことをやっている。政府は国民みんなを騙[だま]すために表で善いことをしているのではなく、国民みんながマゾであることを隠すために表で善いことをしている。
今では国民みんながマゾではなくなって国民みんなを拝みたくなくなっているが、今の政府は自分が楽だから割りのいい仕事だから喜んで昔と同じことをやり続けている。
しかし、政府と国民は平等だから、政府は国民を強制的に客にすることはできない。国民は自分が政府に悪いことをされたり国民みんなを拝まされたりするのが嫌なら、政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金や保険金などのお金をやるのをやめればいい。
早く国民みんなで政府を倒して、今の国民みんなにとって不幸になることをする無駄[むだ]なことをする会社をなくさねばならない。

[23808] 人間は仕事をするのが好きな生き物である。 h30.5.15
人間には“みんなの役に立つことをする喜び”がある。だから、みんなの生活だけ保障してやれば、みんなは自分の“みんなの役に立つことをする喜び”を満足するためにひとりでに働く。みんなは“みんなの役に立つことをする喜び”や“自分が好きなことをする喜び”の両方を満足して幸福に暮らせる。だから、みんなはお金を出し合ってみんなの生活だけ保障してやればいい。それが国家というものである。
みんなが無料で暮らせるようにすればいい。お金のない社会にすればいい。みんなが科学をやって物を豊かにして自分で節制[せっせい]を心がけて無駄遣[むだづか]いや贅沢[ぜいたく]をしないようにしてお金が要らない社会にすればいい。そうすれば、みんながお金のために自分が嫌なことをして無理やり働く必要がなくなって、自分の心に正直になって“みんなの役に立つことをする喜び”や“自分が好きなことをする喜び”のために働くようになってみんなが幸福に暮らせる。みんなが“自分が好きなことをする喜び”のために生きるようになれば、楽をしたい人つまりなにもやりたくない人がいなくなって、みんながいきいきと暮らすようになる。
今でも政府や事務が残っているのは自分がお金を稼[かせ]ぐために自分がやりたくもないことを無理やりやっているからである。自分が楽をしてお金を儲[もう]けるために、自分が嫌なことをやったりみんなを不幸にすることをやっているのである。お金のために社会が歪[ゆが]んでいる。
お金のない社会のほうがいい。みんながお金を使わずに自由に暮らせる社会がいい。文明が進めばそんな社会が実現する。そのためには文明が進むのを妨げている、科学や道徳のない社会にしようとしている政府や事務をなくさねばならない。みんなで政府や会社の事務にお金をやらないようにして政府や会社の事務をなくさねばならない。

[23809] なぜサルトルはノーベル賞を断ったか? h30.5.15
サルトルは実存主義の大物である。
実存主義は心主義であり空想主義である。実存主義は政府が国民みんなを実在の外に出して不幸にするために哲学者に作らせた嘘[うそ]の哲学である。まちがった哲学である。昔はみんながマゾだった。政府はマゾを喜ばせるために悪いことをする会社だからみんなに悪いことをするためにみんなにまちがった哲学を教えるのだ。一方、みんなは自分が幸福に生きるために自分で正しい哲学を考え出した。それが実在主義である。人間は長い間実在の中で生きてきたために人間には“実在の中で生きる喜び”があるから、人間が幸福になるためには実在を知って実在の中で自分の心を満足しないといけないのだ。
政府はサルトルにたくさんお金をやって実存主義を大成させた。
一方、ノーベル賞に対しては政府が顔が利[き]く。政府の仕事は悪いことをすることと国民みんなを拝[おが]ませることと戦争させることである。政府はみんなに戦争をさせるためにダイナマイトをノーベルのダイナマイト会社からたくさん買ったからノーベル財団に顔が利くのだ。
政府はサルトルに実存主義を完成させるためにすでに十分多くのお金をやっていたのでこれ以上サルトルにお金をやる必要がないと思って、ノーベル財団に命令してサルトルにノーベル賞をやらなかったのだ。ノーベル財団はサルトルにノーベル賞をやるふりをしてじつはやるつもりはなかったのだ。サルトルは政府の命令でノーベル賞を断らねばならなかったのだ。

[23810] どうしてマンガやゲームでは喩[たと]えて曖昧[あいまい]に言うのか? h30.5.16
『The Crew』というゲームのイースターエッグには、山の中で死んでいる人と家のそばで死んでいる人がいる。YouTubeの『【The Crew】不気味な場所に行ってみた!※閲覧注意』を参照。
山の中で死んでいる人は私である。近くには空中に浮かんでいる新聞紙と車と犬がある。新聞紙←シンブンシ←シンンブ←川ノノブ(シ≒川、ン≒ノ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私で、新聞紙が空中に浮かんでいるのは、新聞紙が紙だから神で私が国家宗教の神であることを表している。車←カー←カア←カフ(ア≒フ)←川ブ←川野延夫←私、犬←イヌ←ヌイ←カブ(ヌ≒カ、イ≒ブ)←川ブ←私でもある。赤塚不二夫のマンガ『天才バカボン』に“屋根の上で逆立ちしている犬”が登場するのは、犬←イヌ←ヌイだからである。屋根は屋根←ヤネ←カふ(ヤ≒カ、ネ≒ふ)←川ブ←私のことである。
一方、家のそばで死んでいる人は、家←天皇家だから、天皇家である。
死体が山の中や家のそばにあるのは、『今ではみんなが国家宗教をやめている』ことを表している。昔はみんなが国家宗教の神を拝むのが喜びだったから国家宗教の神を拝んでいた。今では文明が進んで面白い物がいっぱいあって国家宗教の神を拝むのがつまらなくなっているから、みんなが国家宗教の神を拝むのをやめているのである。
ゲームではっきりと『今のみんなが国家宗教をやめている』と言わないのは、今でも少数の人は国家宗教の神を拝んでいるからである。国家宗教の神を拝んでいる人にとっては『今のみんなが国家宗教をやめている』とはっきりと言われると腹が立つので、ゲームでははっきりと『今のみんなが国家宗教をやめている』と言わずに物に喩えて伏せて言っているのだ。
一般に、賛成と反対の両方がいる状況では反対者の攻撃を恐れるために自分の言いたいことを比喩[ひゆ]を使って曖昧に言うものである。例えば、今では『政府が悪いことをする会社である』ことが常識となっているが、世の中には昔のみんながついていた嘘[うそ]を信じて「政府が善いことをする会社である」と思っている人がいるから、マンガの『マジンガーZ』では政府を悪の天才科学者に喩えて、悪の天才科学者が悪だくみをしてみんなを苦しめていることにしているのだ。(たとえ政府がいっとき善い政策をやることがあっても、必ずその後で悪い政策をやって善い政策がなかったことにする。政府は悪いことをする会社なので善いことをやってはいけないのでまちがって善いことをやってしまったらそれを直すためにあとで悪いことをするのだ。例えば、高度経済成長期とかバブル景気がそうである。悪いとは、自分または他人にとって害になることをすることである。反対に、善いとは、自分または他人にとって益[えき]になることをすることである。)しかし、私のように正義心の強い正しいことが大好きな人ははっきり言葉で『政府が強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをする会社である』と言うのだ。実際に私は攻撃されていない。だから、世の中には「政府が善いことをする会社である」と信じている人はあまりいないのだ。だから、みんなはそういう連中を恐れずに『政府が悪いことをする会社である』とはっきり言って、政府を倒していけばいいのだ。
それに、国家宗教の神を拝むか拝まないかは個人の心によって決まることであり個人の自由だから、今でも少しは国家宗教の神を拝む人がいるから「みんなが国家宗教の神を拝まなくなった」と割り切って言えないから曖昧に言わねばならない。しかし、『政府が悪いことをする会社である』かどうかは個人の心によらず客観的に決まる。客観的に決まることはまちがっている者が悪いのだからひたすら正しいことを言えばいい。だから、今のみんなは『政府が悪いことをする会社である』と言って「政府が善いことをする会社である」と思っている者をなくしていけばいいのだ。
もっとも、今でもマゾの人が少しはいるから、政府を倒すか倒さないかは個人の自由である。だから、「みんなが政府を倒さねばならない」とは言えない。しかし、ほとんどの人はマゾではないからほとんどの人が政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒すだろう。マゾの人だけでは政府は守れないから政府は潰[つぶ]れるだろう。(今ではマゾは1万人に1人以下しかいないだろう。今の日本にはマゾが1万人もいないだろう。だから、千人ぐらいの政府しか建てられないだろう。それでは政府は国家的な会社をやるのは無理だろう。日本の中にマゾだけの村を作ってそこで政府は村の人に悪いことをすればいいだろう。)
昔は文学の時代だった。昔は真実がなかった。昔は心に重[おも]みがあった。そのために、みんながみんなの心を大事にするために比喩や嘘を盛んに使っていた。みんなが“自分がマゾであることを恥ずかしいと思う気持ち”を大事にするために「政府が善いことをする会社である」と嘘をついていた。反対に、今は科学の時代である。今は真実がある。今は心に重みがない。そのために、みんなは真実を大事にするために真実をそのままはっきりと言うようになった。今ではみんなが“自分の祖先がマゾであることを恥ずかしいと思う気持ち”を大事にしなくなって『政府が悪いことをする会社である』と平気で真実を言うようになっている。(今では進化論があって『人間の祖先が動物である』ことになっているから、『祖先がマゾである』ことぐらい大したことではない。)今では『ほとんどの人が国家宗教をやめている』ことが真実だから、たとえ国家宗教の神を拝んでいる者がいてもその人の“国家宗教の神を拝みたい気持ち”を無視して『ほとんどの人が国家宗教をやめている』と伏せずにそのまま言えばいいのだ。それが現代人のセンスだ。人間は実在には逆らえない。人間は真実には逆らえない。人間の心は真実に従うしかない。人間にとっては心よりも真実のほうが大事だ。だから、人間は真実をそのまま言わねばならないのだ。
今は科学の時代だから、人間にとっては知覚が一番上で心が二番目で五感が三番目だ。スタートレックならスポックが艦長でカークが副長でマッコイが最後だ。

[23811] 北野武が言ったこと h30.5.16
北野武は以前テレビで「赤信号みんなで渡れば怖くない」とか「みんな殿様になりたいんだ」と言った。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」とは、赤信号がやってはいけないことつまり悪いことだから、みんなで悪いことをすればいいということである。タモリが「悪いほうが有利」と言ったのと同じことである。政府は悪いことをする会社であり政府はみんなに悪いことを勧めるから、北野武は政府の命令で「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言ったのだ。
「みんな殿様になりたいんだ」とは、今のみんなはインド文化をやってはいけないということである。殿様は江戸時代にいたから、江戸時代の日本ではインド文化をやっていたから、「みんな殿様になりたいんだ」とは、みんながインド文化をやりたいんだということである。北野武は批判気味に「みんな殿様になりたいんだ」と言ったから、みんなはインド文化をやらないほうがいいと言ったのだ。しかし、インド文化は科学や道徳のことであり、人間が幸福に生きるためにはインド文化は欠かせない。政府は悪いことをする会社であり、政府はみんなに悪い文化をやらせるから、政府はみんなに科学や道徳をやらせないために、北野武に命令して「みんな殿様になりたんだ」と言わせたのだ。
芸能人は政府の命令で動くロボットだ。平気でみんなが不幸になることを言う。みんなは芸能人の言うことを真[ま]に受けてはいけない。
北野武が「みんな殿様になりたいんだ」と言った後で、誰かに原付のブレーキワイヤーを切られて事故った。おそらく、暴力団はインド文化を支持しているから、暴力団の誰かが北野武がインド文化に反対していることを知って北野武に制裁[せいさい]を加えるためにブレーキワイヤーを切ったのだろう。
私も以前何者かに自転車のブレーキワイヤーを切られたことがある。私が高知大学理学部数学課を中退して浪人していたころ、ひと月ぐらい高知市立図書館に通って図書館で勉強していたが、昼休みに昼食を食べるために自転車に乗って外に出ていたら図書館の近くの交差点で突然自転車のブレーキワイヤーが切れてブレーキが効かなくなって事故るところだった。私が数学課をやめたから、私がインド文化をやる気がないとみなした暴力団の誰かが私に制裁を加えるために私の自転車のブレーキワイヤーが切れるように細工をしたのだろう。幸い、私は傷を負わなかったが。その後私は図書館で勉強するのをやめて自宅に篭[こも]って勉強するようになった。
“憎まれっ子世にはばかる”のは、政府が悪い人間を推[お]して有名にするからである。政府があると悪い人間が増えていって世の中がだんだん悪くなる。みんなが幸福に暮らせなくなる。だから、みんなで早く政府を倒したほうがいい。悪い人間をなくしたほうがいい。
悪い人間は自分が幸福になりようがないから他人を自分と同じように不幸にするために政府と組んで政府の手先となってみんなが不幸になることをするのだ。芸能人なんてそんなものである。芸能人はうわべで楽しそうにして心では面白くない者のことである。芸能人が空想の喜びや見かけの喜びを満足する芸しかやらないのはみんなに自分と同じように面白くない思いをさせるためである。だから、みんなは芸能人を善い人だと思わないようにして芸能人を嫌わねばならない。私が子供の頃から芸能人が出るテレビを見ないのは、芸能人が本当は幸福な人間ではないから芸能人が悪い人間だから芸能人が好きではないからである。(私が20歳のころ九州大学医学部生だったが同じ高知学芸高校出身の和田高明[わだたかあき]くんと同居していた。毎週土曜日の夜には二人で酒を飲んで自分たちで作った料理を食べながらテレビを見たり近所のゲームセンターに行って遊んだりしていた。和田くんは北野武がテレビに出るたびに武を指差して「眼が笑っていない」と言っていた。和田くんは「芸能人は自分が幸福ではないからつまらない芸しかできない、他人を本当に喜ばせることができない」と言っていたのだろう。)
h30.5.17追加:私が高校生の頃(今から約40年前)テレビかマンガかで『(政府は)反面教師だ』と言っていた。政府は悪いことをする会社だから、みんなを嫌がらせるためにみんなにまちがったことを教えるのだ。だから、みんなは自分が気持ちよく暮らすためには政府が言うのと反対のことをやればいい。例えば、政府はみんなに「インド文化をやるな」というから、みんなはインド文化をやればいい。つまり、自分の頭を鍛[きた]えて科学や道徳をやればいい。科学をやって物のことを知って物を豊かにして、道徳をやって自分の本心を知って自分の心を満足して幸福になればいい。政府はみんなに「税金を払え」と言うから、みんなは政府に税金を払わなければいい。みんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。

[23812] 今の政府は嘘[うそ]を活かして生き残っている。☆☆ h30.5.17
昔はみんながマゾで国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝[おが]みたかったが、自分がマゾであることや国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝むのが恥ずかしかったので、「政府は善いことをする会社だ。」「政府は民主主義で国民みんなの多数決を採って国民みんなの総意を決めて国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている。」「国家宗教の神は人間よりも上の者である」「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織である」と嘘をついて、本当は政府に悪いことをされたり国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝んで喜んでいた。
しかし、今はみんながマゾでなくなって国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝みたくなくなっている。今では「政府は善いことをする会社である」「政府は民主主義をやって多数決を採って国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」「国家宗教の神は人間よりも上の者である」「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織である」という嘘が残るのみである。今ではマゾも国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝みたい人もいないから、今の政府はこれらの嘘を活かして生き残るしかない。
そのために、政府は「政府は善いことをする会社である」という嘘を活かすために、政府は本当は悪いことをする会社であるのにテレビや新聞などで自分が善いことをする会社のふりをして、多くの国民を騙[だま]して国民からお金を取って儲[もう]けている。今の政府は立派な詐欺[さぎ]会社である。政府は悪い会社である。
政府は「政府は民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」という嘘を活かすために、自分に国家権力があるふりをして、国民みんなに対して偉そうにして命令している。
政府は「国家宗教の神は人間よりも上の者である」という嘘を活かすために、「国民が国家宗教の神に因[ちな]んだことをやれば人間よりも上の者になるからみんなに悪いことをやってもいい」という決まりを勝手に決めて“悪いことをやりたい者”の人気を得ている。政府は“悪いことをやりたい者”の人気を得るためにいろんな悪いことができるようにするためにこれまでの天皇家に加えて新しく私を国家宗教の神にしている。悪いことをしたい人は天皇家の“丸”とか“鉄”とか、私の名前の“川ブ”が入ったことをやればなんでも悪いことができるのだ。政府は「国家宗教の神に因んだことであればなんでも悪いことをやってもいい」というルールを決めているから、悪いことをしたい人は自分が悪いことをするために政府を支持してまじめに毎月政府に税金を払っているのだ。つまり、国家宗教では宗教団体が信者よりも上なので、信者は自分が神に因んだ悪いことをできるかわりに宗教団体の言うことを聞かねばならないので宗教団体(つまり政府)の命令で宗教団体にお金をやらねばならないのだ。(昔はみんなが不作による飢饉[ききん]のために自分が悪いことをしないと生きていけなかったのでしかたなく悪いことをしていた。今はみんなが物が豊かなので悪いことをしなくても十分に生きていける。今の時代に悪いことをするのは贅沢[ぜいたく]である。今の時代に悪いことをするのは本当に悪いことである。)
政府は「政府が悪いことをするのが好きな犯罪組織である」という嘘を活かすために、今ではみんながマゾではなく拝むのが好きではないのに、けっして国民みんなに合わせて自分から潰[つぶ]れようとせず、勝手に国民から強盗したり国民を殺したり国民に嫌がらせをしたり悪いことをし続けている。政府は「政府が悪いことをするのが好きな犯罪組織である」という嘘を活かすために、政府は本当は悪いことをする会社なのに国民みんなに「政府が善いことをする会社である」と嘘をついて多くの人を騙[だま]してお金を取って儲[もう]けているのである。
もっとも、政府について詳[くわ]しい人は「政府が善いことをする会社である」「政府が民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」「国家宗教の神は人間よりも上の者である」「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織である」ことが嘘であることを知っているから、『政府が本当はマゾを喜ばせるために悪いことをして、国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝ませる会社である』ことを知っているから、今のみんなは悪いことをされたり国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝みたくないから、政府を無視して政府の命令を聞かなくなって政府にお金を払わなくなって政府と縁を切って自由に暮らしている。
「政府が民主主義で国民みんなの多数決を採って国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」のは嘘である。「国民みんなが多数決で国民みんながすることを決める」のは嘘の作り話である。本当は『国民みんなは正しければなんでもやっていい』のである。この世には多数決で決めることなんかない。みんながまちがっているからといって自分がみんなに合わせてわざわざまちがったことをしなくていい。だから、今の世の中には嘘に騙されてまちがったことをやっている人がたくさんいるけれども、国民は自分が嘘に騙されないようにして正しいことをやって政府と平等にして政府の言うことを聞かず政府に税金や保険金などを払わず自由に暮らせばいいのである。
(h30.5.18追加:『スタートレック・ファースト』の「タロス星の幻怪人」で、宇宙人がテレパシーで地球人にすばらしい夢を見せさせて本当はつらい檻[おり]の中に閉じ込めているのは、政府が国民みんなに「政府が善いことをする会社です」「政府は民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っています」「国家宗教の神は人間よりも上の者だから、政府は国家宗教の宗教団体だから、政府はみんなよりも上の者だから、みんなは政府に従わなければなりません」「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、みんなは政府に殺されないようにおとなしく政府の言うことを聞かないといけません」などと嘘をついてみんなを騙[だま]して、本当は『政府はみんなに悪いことをしたりみんなの役に立たないことをしたりするだけで善いことをしていない』『国家宗教の神はただの人間にすぎないから、政府はみんなよりも上の者ではないから、みんなは政府に従わなくていい』『政府はマゾを喜ばせるために悪いことをするだけで、政府は犯罪組織ではないから、みんなは自分がマゾでなければ政府の言うことを聞かなくていい』ことを表している。パイク大佐と真実のビーナは政府に虐待されて醜く変わり果てた人間の姿である。宇宙連邦から派遣された軍法会議の裁判官のおっさんが宇宙人がテレパシーで見せている幻覚にすぎなかったのは、政府がみんなに「法律を犯した者は政府の警察が罰する」と嘘をついているだけで、本当は『政府の警察はマゾを喜ばせるためにマゾに悪いことをするためにある警察であって、法律を犯した者を罰するためにある警察ではないから、国民が法律を犯しても政府の警察には罰せられないから、みんなは法律を犯すのを恐れなくていい』のだ。(政府はみんなに「政府の警察がニセモノの警察だ」と思われないようにするために、政府に従う国民に命令して銀行強盗をさせて、政府の警察が強盗を撃ち殺して、みんなに政府の警察が本物の警察だと思わせたりする。)でも、法律は人間が社会の中で幸福に暮らすための決まりだから、みんなは自分が幸福に暮らしたければなるべく法律を守りましょう。同じように、政府はみんなに「政府の学校は子供に教育をするためにある」と嘘をついているが、本当は『政府の学校は子供に暴力をふったり子供を嫌がらせたりするためにあるのであって、子供を教育するためにあるのではないから、子供は自分で勉強しないといけない。政府の学校は子供を嫌がらせるために子供にまちがった科学や道徳を教えて子供を馬鹿で不幸な大人にする。政府は子供に天動説や性欲の喜びやくだらない作り話(国語のこと)を教える。子供は自分が利口で幸福になりたければ、自分で正しい科学や道徳を勉強しなければならない。アメリカは子供に科学しか教えないからみんなが科学が得意だから儲[もう]かるのだ。日本は子供に文学を教えるからみんなが科学が苦手だから儲からないのだ。』この話はスポックが強制的にみんなをタロス星に連れて行ってみんなにタロス星の真実を見せることになっている。私がみんなに政府についての真実を見せているのと同じである。スタートレックは「宇宙を探検する作り話」のふりをしているが、本当は『政府ネタをちりばめた現実の話』なのだ。)

[23813] どうして昔の政府は聖徳太子を国家宗教の神にしたのか?☆ h30.5.17
古代の日本ではヨーロッパからヨーロッパ文化が日本に伝わってヨーロッパ文化をやっていた。ヨーロッパ人は馬鹿で色きちがいだから、馬鹿で色きちがいな天皇家を国家宗教の神にして国家宗教をやっていた。
しかし、中世の日本ではヨーロッパが衰退してヨーロッパ文化が日本に伝わらなくなってヨーロッパ文化をやらなくなってアジア文化をやっていた。アジア人は利口でまじめだから、利口でまじめな聖徳太子を天皇家の代わりに国家宗教の神にして国家宗教をやっていた。みんなは天皇家を拝むのをやめて聖徳太子を拝んでいた。いちおう、天皇家も続いていた。つまり、亜洋折衷[あようせっちゅう]でみんなはアジア人の聖徳太子を国家宗教の神にして拝んでいたのだ。
中世の後期の日本ではみんなが国家宗教をやらなくなって国家宗教の神を拝むのをやめて、幕府自身を拝むために幕府の代表者である徳川家を拝んでいた。天皇家は国家宗教の神ではなくなっていた。
近代の日本では再びヨーロッパからヨーロッパ文化が伝わるようになってみんながヨーロッパ文化をやるようになった。再びみんなが馬鹿で色きちがいの天皇家を国家宗教の神にして拝むようになった。
現代の日本では文明が進んでいろんな面白い物が出来て国家宗教の神を拝むのがつまらなくなったので、みんなが国家宗教を神を拝まなくなった。今では政府が「国家宗教の神は人間よりも上の者である」という嘘[うそ]を活かすために「国家宗教の神に因[ちな]んだことであればなんでも悪いことができる」という決まりを決めて、天皇家に加えて私を国家宗教の神にしてみんながいろんな悪いことができるようにして、悪いことをしたい人の人気を得て生き残っている。早くみんなで政府を倒して、「国家宗教の神に因んだことであればなんでも悪いことをやってもいい」という決まりをなくして、みんなが悪いことができないようにしてみんなが道徳を守って善いことをして暮らすようにしないといけない。
現代は国際化の時代である。日本は世界中の国と国交している。日本には世界中の国から文化が入ってきている。今の日本ではヨーロッパ文化や中国文化やインド文化が入ってきてそれらが混ざった文化をやっている。みんなが実在主義をやって科学や道徳をやっている。天皇家はヨーロッパ文化に偏[かたよ]りすぎているので今の時代の国家宗教の神には向かない。そもそも今は拝む時代ではない。今ではみんなが国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝まなくなっている。今後はみんなが国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝むことはないから、もはや国民みんなの代表である議員や国家宗教の神である天皇家や聖徳太子や私や政府自身の代表である家系は要らない。今後はみんながマゾではないから国民みんなに悪いことをする政府は要らない。

[23814] どうしてキリストがモーゼに代わったのか? h30.5.17
大昔はエジプトが世界の中心だった。モーゼはエジプト人の神だった。だから、モーゼが世界中の神だった。世界中のみんながモーゼを拝んでいた。ヨーロッパ人もしかたなくモーゼを拝んでいた。
しかし、その後ヨーロッパが発展してヨーロッパが世界の中心になった。エジプト文化とヨーロッパ文化は違う。だから、ヨーロッパでみんなが新しくキリストを神にしてキリストを拝むようになったのだ。エジプト人もしかたなくキリストを拝むようになった。
今でもエジプトは寂[さび]れたままである。だから、再びモーゼが神になることはない。

[23815] アメリカ文学 h30.5.17
私が30歳のころ九州大学医学部から九州大学理学部に入りなおして教養部に通って講義を受けていた。英語の講義を受けていた。そのときにテキストとしてアメリカ文学を読んだ。短いアメリカの小説をみんなで輪読[りんどく]した。
4人の子供が空き家に忍び込んで家の中を壊して家の壁だけにして、最後に家に留[と]めてあった車にロープをつけて家の壁と結びつけて、ひさしぶりに空き家に帰ってきた男が車を走らせて家の壁を倒して家が全部壊れるという話だった。4人の子供は国民みんなのことである。家とは政府のことである。家の中身は政府がみんなに悪いことをしてみんなに国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝ませることである。今では国民みんながマゾでなくなって国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝まなくなっているので、家の中身がなくなっているのだ。家の壁は「政府が善いことをする会社である」「政府が民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」「国家宗教の神は人間よりも上の者である」「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織である」という嘘[うそ]である。今の政府はこれら4つの嘘によって支えられているのだ。4つの嘘は今の政府の柱なのだ。車は私のことである。車←カー←カア←カフ(ア≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。ロープも私のことである。ロープ←ろフ←川ブ(ろ≒3≒三≒川)←私。車が家の壁を壊したのは、最近の私が「政府が善いことをする会社である」ことなどが昔のみんながついた嘘であることを見破ったことである。一種の予言だったのだ。
それから、女の子を虐[いじ]めるのが好きな男の子と、男勝[まさ]りの女の子が馬とびの競争をして女の子が勝って男の子がおとなしくなった話もあった。男の子は女の子が馬飛びするたびにさんざん頭を地面にぶつけられて眼や頭が悪くなったのだ。これは男女平等の話である。昔は男が女に暴力をふって虐めていたが、今では男が女に暴力をふって虐めなくなった。しかし、昔の男が女に暴力をふっていたのは男の愛情である。昔はみんながマゾだったので、男は女を虐めて喜ばせるために女に暴力をふっていたのだ。今はみんながマゾではないので、男が女を虐めても女は喜ばないので、男は面倒くさいので女に暴力をふらなくなったのだ。『撲殺[ぼくさつ]天使ドクロちゃん』でもドクロちゃんが桜くんに暴力をふって虐めるのは愛情のためである。ドクロちゃんが政府で桜くんが国民みんなである。しかし、本当は今ではみんながマゾではないから、政府は国民を喜ばせるために暴力をふっているのではない。『ドクロちゃん』の話は古臭い。今の政府は「政府が悪いことをするのが好きな犯罪組織である」という昔のみんながついていた嘘を活かすために、国民みんなに悪いことをやっているのだ。しかし、本当は『政府はマゾを喜ばせるために悪いことをする会社であって、政府は犯罪組織ではない』ので、今のみんなはマゾではないのでみんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。
それから、豪華客船に乗った男が船が予定の日時に遅れるという賭[か]けをして、賭けを成功させるために自分が海に飛び込んで船を遅らせようとしたが誰にも発見されずに溺[おぼ]れ死ぬ話があった。豪華客船はアメリカの国のことである。賭けをした男は政府のことである。男が船を送らせようとするのは、政府がみんなに嫌がらせをするためにみんなに悪い文化をやらせてみんなが科学や道徳をやらないようにして国の文明や文化を遅らせることである。男が無視されて溺れ死んだのは、今ではみんながマゾではなくなって政府の言うことを聞かなくなっているので、政府はみんなに無視されて滅んでいるということである。
最後に私は試験を受けて満点の100点を取ったが99点にされてしまった。英語の先生は私の名前の川野延夫[かわののぶお]の“のの”の字を入れるためにわざとに99点にしたのだ。“9”と“の”の字が似ているからである。

[23816] LoveとLikeの違い h30.5.18
性欲が絡[から]んでいるのがLoveで、性欲が絡んでいないのがLikeである。

[23817] 政府は国民みんなに悪いことをさせる会社である。 h30.5.19
政府は国民みんなに悪いことをしたり、国民みんなに国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝[おが]ませたり、国民みんなに戦争をさせたりする会社である。
政府は国民みんなに悪いことをする会社である。政府は国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをする。政府は国民みんなを嫌がらせるために国中に悪い文化を流行[はや]らせたり国民みんなに悪いことをするのを勧[すす]めたりする。そのために、悪いことをしたい連中が政府を支持して政府を守っている。
例えば、会社の事務は全員悪いことが好きな連中である。会社の事務は自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを奪って食っている。会社の事務は他人の稼ぎで贅沢[ぜいたく]をして遊びまわっている。会社の事務は自分の趣味で他人を嫌がらせたり殺したりする。だから、会社の事務は政府を支持して政府のために社員みんなから税金を天引きして政府にやっているのだ。政府が建っていると本物の警察が建たないから自分が悪いことをしても罰せられず悪いことがやりやすいからである。
政府は国民みんなに悪いことをさせる会社である。政府は国民みんなを悪人に変える会社である。昔の人はマゾだったから他人に悪いことをされるのが好きだったが、今の人はマゾではないから他人に悪いことをされるのが嫌である。このまま政府があると、みんなが悪いことをするようになってみんなが幸福に暮らせなくなる。政府と国民は平等だから、自分が悪いことをしたくない人は自分が善いことをしたい人は政府に反対して政府にお金をやらなければいい。早くみんなで政府を潰[つぶ]して政府をなくして世の中から悪い人をなくしてみんなが善いことをするようにしてみんなで幸福に暮らせるようにしないといけない。(h30.5.20追加:もっとも、中世の日本ではみんながインド文化をやっていたので、幕府もインド文化をやってみんなに科学や道徳を奨励[しょうれい]してみんなに悪いことをさせずちゃんと犯罪者を罰して自分がマゾの国民みんなを喜ばせるためにみんなに強盗や殺人や嫌がらせをやるだけだった。だから、中世の日本は発展したのだ。“善い国(1192年)作ろう鎌倉幕府”は伊達[だて]ではなかったのだ。要するに、どこの国でも自分が科学や道徳をやれば発展し、自分が科学や道徳をやらなければ衰退する。だから、日本はどこの国が景気がよかろうが悪かろうがとにかく自分が科学や道徳をやればいいのだ。日本は外国の優れた科学や道徳を見習ってさらに自分でそれらを発展させてもっと優れた科学や道徳をやればいいのだ。日本はヨーロッパが来る前に自分からヨーロッパ(本来はインド)を見習って科学や道徳をやっていたからヨーロッパの植民地にされなかったのだ。)
政府はみんなに「インドは悪い国だ」と宣伝して国民みんなにインド文化つまり科学や道徳をやらせなかったりテレビの芸人に「悪いことをしたほうが幸福になれる」と宣伝させてみんなに悪いことをさせたりして国の文明や文化を衰退させてみんなが働かないようにしてみんなを貧乏で不幸にしてみんなを地獄に落とす会社である。政府は職業安定所を建ててみんなに仕事をさせるふりをして、本当はみんなに仕事を紹介しないようにしてみんなに仕事をさせずみんなを嫌がらせている。政府があると悪い人が偉そうにしてみんながしらける。政府は善いことをする会社のふりをしている悪いことをする会社である。早くみんなで政府を倒してみんなが幸福に暮らせる世の中にしないといけない。
中世のヨーロッパでは国民みんなが政府に悪いことをされすぎてみんなが科学や道徳をやらなくなってみんなが死にかけていた。暗黒時代だった。ローマ帝国が滅亡したのもそのせいである。そこで、近代のヨーロッパではみんなで世の中の決まりを変えてみんなが科学や道徳をやるようにして政府にちょっとだけ悪いことをさせるようにしてみんながマゾの欲求を満たしながら文明生活ができるようにして幸福に暮らせるようにした。近代以降のヨーロッパの政府はみんなに強盗や殺人や“みんなに科学や道徳をやらせるかぎりでの制限付きの嫌がらせ”ができるだけになった。現代の世界では文明が進んでみんながマゾではなくなっている。だから、今の世界ではみんなで世の中の決まりを変えてみんなで政府を潰[つぶ]して政府に悪いことをされないようにしているのだ。
(h30.5.20追加:政府がみんなに悪いことを勧[すす]めて善人を悪人に変えるのは、アニメの『ビックリマン』で魔肖ネロ[ましょうねろ]が般若パワー[はんにゃぱわー]で天使を悪魔に変えるのと同じである。魔肖ネロが政府のことである。世の中には『政府が悪いことをする会社である』ことを知っている人がいるが、その一方で政府の嘘[うそ]に騙[だま]されて「政府が善いことをする会社である」と思っている人もいる。テレビ局は心主義なのでめいめいの心を一番大事にするのでめいめいが思っていることを大事にするので、みんなにはっきりと『政府が悪いことをする会社である』と言わずにアニメで喩[たと]えて伏せて言うのだ。私は実在主義なので真実を一番大事にするので、個人がどう考えていようがとにかく正しいことを言う。私はなにも喩えずそのままはっきりと『政府は悪いことをする会社である』と言うのだ。テレビ局はそもそも人間の心が何であるかがわかっていないから心主義なのだ。『人間の心は人間の大脳の前頭葉の脳細胞が荷[にな]う感覚であり、人間の心は快感または不快感を伴う認識であり、人間の心は人間が生まれつき持っている実在についての認識であり、人間の心は実在についての不完全な認識であり誤解がある。』今では科学があるから人間は知覚で実在が理解できる。知覚のほうが心よりも実在を正しく知ることができる。人間は知覚における実在認識に従って自分の心を満足することによって自分の心をより多く満足できてより幸福になれる。だから、今のみんなは心よりも実在を大事にして実在主義で生きていけばいいのだ。/マンガの得意な人は現実をマンガに喩[たと]えて現実を理解すればいい。例えば、『ビックリマン』の得意な人は現実の社会を『ビックリマン』の世界に喩えて現実の社会を理解すればいい。現実の世界と空想の世界を対応付けて結びつければいい。『ビックリマン』では最後にスーパーゼウスが光線で魔肖ネロを大きくして魔肖ネロの化けの皮をはがして魔肖ネロの正体を露[あらわ]にさせて魔肖ネロを倒した。ゼウスは全知全能の神つまり科学の神である。つまり、みんなが科学をやって政府について考えて政府についての嘘を見破って政府の正体がわかれば政府が倒れるのだ。つまり、みんなが「政府が国民みんなに善いことをする会社である」「政府が民主主義で国民みんなの総意に基づいて国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているから、政府には国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」「国家宗教の神は人間よりも上の者であり、政府は国家宗教の宗教団体だから人間である国民よりも上の者だから、国民は政府に従わねばならない」「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、政府は暴力で国民を脅[おど]して従わせている」ことが嘘[うそ]であり、本当は『政府は悪いことをする会社である』『政府は選挙で国民みんなの代理である議員を決めて、議員に議会をやらせて国民みんなに国民みんなを拝ませているだけで、政府の省庁は暇つぶしにどうでもいいことをしているだけで国民みんなの役に立たないから、政府には国家権力はなく政府と国民は平等である』『国家宗教の神は“見ようによっては超能力者に見える人間”にすぎず、国家宗教の神はただの人間にすぎないから、政府もただの人間だから、政府と国民は平等である』『政府はマゾを喜ばせるために悪いことをしているのであって犯罪組織ではないから、暴力で国民を従わせたりしない』ことがわかれば、今のみんなはマゾではなく国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝みたくないから、今のみんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府が倒れるのだ。)

[23818] 魔女裁判 h30.5.20
魔女とは悪魔と性交したヨーロッパの女性のことである。悪魔とはインド人のことである。インド人を妖怪に喩[たと]えて作ったのが悪魔である。
ヨーロッパは中世にはアジア文化を排斥[はいせき]してヨーロッパ文化だけをやっていた。ヨーロッパは近代にはアジア文化を受け入れるようになった。ヨーロッパは近世(中世から近代への変わり目)にはヨーロッパ文化をやりながらアジア文化を受け入れていた。ヨーロッパではみんながアジアからアジア人を呼んできてアジア人にアジア文化をみんなに教えさせてアジア文化を広めていた。日本が近代にヨーロッパから建築や鉄道の技師を呼んできてみんなに建築や鉄道のことを教えさせていたのと同じである。近世のヨーロッパはインド人を受け入れていたが、そのころはまだインド人とヨーロッパ人が性交することは許されていなかった。そのために、ヨーロッパではみんながインド人男性と性交したヨーロッパの女性を片っ端[かたっぱし]から殺したのである。それが魔女裁判である。
しかし、近代になると、みんなにアジア文化が広く受け入れられて、みんながインド人に対する差別がなくなったので、インド人とヨーロッパ人の性交が認められたので、インド人男性と性交したヨーロッパ女性に対する差別もなくなって魔女裁判もやらなくなったのだ。
要するに、魔女裁判とはヨーロッパ人のインド人に対する差別である。昔は人種差別が激しかったので魔女裁判が広く行われていた。今は国際化の時代なので人種差別がなくなったのでそんなことはやらなくなったのだ。

[23819] 今の国民みんなは政府と反対のことをすればいい。 h30.5.20
政府は悪いことをする会社である。政府は強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをする。政府はみんなに嫌がらせをするためにみんなに悪い文化を流行[はや]らせたり悪いことを勧[すす]めたりする。
今の政府は「悪いことをする者を有利にする制度」を設けてみんなに悪いことを勧めて悪いことをする者を増やしている。政府は勧悪懲善[かんあくちょうぜん]である。政府はすべての会社に事務を設けさせて、会社の事務に会社の役に立たない“どうでもいい暇つぶしの仕事”をさせて自分が働かずに他人の稼[かせ]ぎを奪って暮らさせている。会社の事務は他人の稼ぎを奪って遊びまわって贅沢[ぜいたく]に暮らしている。おかげでほかの社員は安月給で貧乏暮らしをしなければならなくなっている。
昔のみんなはマゾだったから政府に悪いことをされるのが好きだったからそれでよかったが、今のみんなはマゾではないから政府に悪いことをされるのが嫌だからそれではいけない。
だから、今のみんなで『悪いことをする者を不利にする制度』を設ければいい。悪いことをする者にお金をやらないようにして悪いことをする者を潰[つぶ]せばいい。会社の事務にお金をやらないようにして会社の事務を潰して、他人の稼ぎを奪って遊んでいる者をなくせばいい。政府の命令で悪い文化を広げる者に暴力をふって痛めつければいい。世の中から悪い者をなくして善い者だけにしてみんなが幸福に暮らせるようにすればいい。
今の国民はマゾではないから、政府は悪いことをする会社だから、政府は今の国民を不幸にすることをする。だから、今の国民は自分が幸福になるために政府に言われたことと反対のことをすればいい。政府は国民がお互いに悪いことをしあって国民を不幸にするために国民に「悪いことをしろ!」と言うから、国民は悪いことをしなければいい。政府は働かない者を増やして国民を貧乏にして苦しめるために国民に「会社の事務を設けろ!」と言うから、国民は会社の事務を設けなければいい。政府は国民に他人の分まで働かせてしんどい思いをさせるために「会社の事務を設けろ!」と言うから、国民は会社の事務を設けなければいい。政府は国民に不味[まず]い思いをさせて苦しめるために国民に「スーパーのおかずに保存薬を入れろ!」と言うから、国民はスーパーのおかずに保存薬を入れなければいい。政府は国民を貧乏にして苦しめるために国民に「税金を払え!」と言うから、国民は政府に税金を払わなければいい。国民は自分を幸福にするために政府に逆らって政府と反対のことをすればいい。
人間には“働く喜び”がある。政府は事務を設けて事務にまともな仕事をさせないようにして事務に“働く喜び”を満足させないようにして、事務に強盗や嫌がらせをさせて“悪いことをする苦しみ”を味わわせて事務を不幸にしている。一方、社員は事務に稼ぎを取られて貧乏にされて、事務の分まで働かされてつらい思いをさせられて不幸にされている。政府は事務もほかの社員も両方とも不幸にしている。政府は国民みんなを不幸にして面白くない社会にしている。政府があると面白くない社会になる。だから、みんなで早く政府を倒して、みんなで平等に働くようにしてみんなが“働く喜び”を満足できるようにして、みんなが他人に稼ぎを取られないようにして裕福になって、みんなが他人の分まで働かずに楽に働けるようにしてみんなで幸福に暮らせばいい。みんなで政府を倒して楽しい面白い社会にすればいい。
それから、会社の中に“なにもしない楽な役職”を設けて仕事がよくできる人をなにもしない楽な役職に就けてはいけない。そんなことをしたら、仕事がよくできる人がなにもしなくなって、仕事ができない人が仕事をしないといけなくなって、みんなが仕事ができなくなる。いい仕事ができなくなる。儲からなくなる。だから、仕事がよくできる人にはその仕事をさせて、仕事ができない人にはその人に適した別の仕事をさせて、みんなをよく働かさないといけない。みんなをよく働けるようにしてみんながよく働いて儲[もう]かる国にしないといけない。

[23820] どうして豪華列車が走っているか? h30.5.21
今の日本各地ではJRが豪華列車を走らせている。雪月花[せつげつか]号とか伊予灘[いよなだ]ものがたり号とかが走っている。
それは、政府が国民みんなを不平等にするためである。
国民みんなが平等だとみんなが幸福に暮らせる。反対に、国民みんなが不平等だとみんなが不幸に暮らさねばならなくなる。政府は国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどをして悪いことをする会社である。政府は国民みんなを嫌がらせるためにみんなを不平等にするためにJRに命令して日本各地で豪華列車を走らせているのだ。
国民みんなは自分たちが幸福に暮らすために平等にしなければならない。政府は国民みんなを嫌がらせるために国民みんなを不平等にする。だから、国民みんなで早く政府を倒してみんなが平等な社会にしないといけない。
今のヨーロッパでは豪華列車が走っていない。それは、今のヨーロッパではみんなが自分たちが幸福に暮らすためにみんなが平等な社会を実現しているからである。それなのに、今の日本では豪華列車を走らせてみんなが不平等な社会にしている。今の日本がまちがっている。今の日本はヨーロッパを見習って豪華列車を走らせないようにしないといけない。

[23821] 会社の事務は政府と組んで悪いことをやっている。 h30.5.21
会社の事務は仕事をしているふりをして本当は遊んで暮らしている。会社の事務は遊ぶことが仕事である。会社の事務はみんなの役に立たないことをして暇を潰[つぶ]すことが仕事である。会社の事務は部下が上司に怒られて頭を下げるのがつらいふりをして内心ではバカバカしいと思って笑って自分が楽ができるのを喜んでいる。会社の事務は不良の集団である。
会社の事務はほかの社員の稼[かせ]ぎからお金を強盗して贅沢[ぜいたく]をして暮らしている。ほかの社員は会社の事務にお金を取られて貧乏に暮らしている。ほかの社員は会社の事務の分まで働かされてつらい思いをしている。
政府は悪いことをする会社だから、政府は国民みんなに悪いことをするのを勧[すす]めるから、政府は悪いことをしている会社の事務を保護しているから、会社の事務は政府を支持して政府に税金を払うために社員みんなから税金を天引きして政府にお金を納[おさ]めている。
昔はみんながマゾだったからそれでよかったが、今はみんながマゾではないからそれではいけない。昔の人はマゾだったから脳に“自分の不幸を幸福に感じる中枢”があったから他人に悪いことをされて不幸にされて幸福だったから他人に悪いことをされてもよかったが、今の人はマゾではないから脳に“自分の不幸を幸福だと感じる中枢”がないから他人に悪いことをされても不幸になるだけだから他人に悪いことをされてはいけない。
会社の事務も政府もみんなに悪いことをしたり役に立たないことをするだけで善いことはなにもしていない。今のみんなはマゾではないから会社の事務も政府も要らない。社員みんなで一致協力して会社の事務にお金をやらないようにして政府にお金をやらないようにして会社の事務も政府も両方とも潰さねばならない。

[23822] 『赤ずきんちゃん』(参考Wikipedia) h30.5.21
おとぎ話の『赤ずきんちゃん』では、赤ずきんちゃんがおばあさんに化けたオオカミに「おばあさんの耳はどうして大きいの?」と訊[き]くとオオカミは「お前の声をはっきり聞くためだよ」と答え、さらに「おばあさんの眼はどうして大きいの?」と訊くとオオカミは「お前のかわいい顔を見るためだよ」と答え、最後に赤ずきんちゃんは「おばあさんの口はどうして大きいの?」と訊くとオオカミは「お前を食べるためだよ」と答えて赤ずきんちゃんはオオカミに食べられてしまった。
童話と実在を対応付けると、オオカミは政府のことである。つまり、悪いことをする会社のことである。赤ずきんちゃんは政府のことを知らない国民のことである。おばあさんは善い人のことである。つまり、善いことをする会社のことである。赤ずきんちゃんがおばあさんのおかしなところを訊くとオオカミが口からでまかせをしているのは、政府が国民に悪いことをしているのを指摘[してき]されると、とっさに嘘[うそ]のいいわけをして自分が善いことをしているように見せかけて国民を騙[だま]すと言うことである。本来は、政府は国民みんながマゾであることを隠すために自分が善いことをしているように見せかけるために嘘をついているのだ。
最後に、猟師が現れて眠っているオオカミのお腹を開けておばあさんと赤ずきんちゃんを助け出して、かわりにオオカミのお腹の中に重たい石を入れて、オオカミが井戸で水を飲もうとして井戸に落ちて溺[おぼ]れ死んだ。それは、政府のことに詳[くわ]しい人が政府のことを知らない人に『本当は政府がマゾである国民みんなを悪いことをする会社である』ことを教えて、「政府が善いことをする会社である」と誤解している人を救ったということである。国民が政府の嘘を本気にすると政府に全財産を取られるから気をつけなさいということだ。国民は自分が政府に悪いことをされて喜ぶ程度に政府にお金をやればいいのだ。猟師がオオカミを倒したのは作り話である。昔はまだみんながマゾだったので、みんなにとっては政府が必要だったので、たとえ政府のことを知っている人でもせいぜいみんなに政府の正体を教えるだけで政府を倒したりはしなかったのである。しかし、今はみんながマゾではないので、みんなにとっては政府が要らないので、みんなが政府を倒せばいいのである。みんなが政府にお金をやらないようにして政府を金欠[きんけつ]にして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23823] 今のみんなはマゾをやめたから政府は要らない。☆ h30.5.21
政府は悪いことをする会社である。政府は国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやる。そもそも政府はマゾの国民を喜ばせるために悪いことをやるのである。
政府は国民を嫌がらせるためにみんなに科学や道徳をやらせないようにする。
みんなは科学や道徳をやらないために物や心が貧しくなって貧乏で不幸になる。

昔はみんながマゾだったから、みんなが幸福に暮らすためには政府が必要だったから、みんなはしかたなく危険を承知で政府を置いていた。
今はみんながマゾではないから、みんなが幸福に暮らすためには政府が要らないから、みんなはわざわざ危険な政府を置かないほうがいい。
麻薬が副作用で禁断症状が出て危険なように、マゾも副作用で文明や文化が衰退するので危険である。“バカとハサミは使いよう”と言うのは、国民は自分のマゾの喜びを満足して幸福になるためには政府や幕府(バカとハサミ)の言うことをほどほどに聞かねばならないということである。けっして言うことを聞きすぎて貧乏や不幸になってはいけないと言うことである。マゾの喜びは制御するのが難しい危険な喜びである。
政府はマゾの国民を喜ばせるためにある会社である。今ではみんながマゾをやめている。今のみんなにとっては政府は要らない。政府を置いておくと文明や文化が衰退して危険である。政府は国を滅ぼす会社である。だから、みんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。
文明や文化を衰退させない条件の下[もと]では政府は国民に強盗や殺人や制限された嫌がらせしかできない。政府は幕府と同じになる。政府は国民に美味[おい]しい物を食べさせなかったり気持ちの悪い物を見せたりする嫌がらせしかできない。昔の国民はマゾだったからそれでも政府が必要だった。しかし、今の国民はマゾではないから、そんな政府は要らない。だから、今の国民みんなで政府を倒せばいいのである。
会社の事務(文系)は自分が悪いことができると思って喜んでニヤニヤするだけである。会社の事務はキチガイである。人間として生きる資格がない。そんなくだらない人間はさっさと死んでいなくなったほうがいい。文学部は科学も道徳もないクズの溜[た]まり場である。文学部は「人間は悪いことをすると幸福になり善いことをすると不幸になる」と思っている。みんなで政府もろとも文系を葬[ほうむ]り去ればいい。

[23824] 政府は善と悪の両面を持つ。 h30.5.21
政府は嘘[うそ]では善いことをする会社だが、本当は悪いことをする会社である。政府は善と悪の両面を持つ。そもそも政府はマゾの国民を喜ばせるために悪いことをして、マゾの国民を恥ずかしがらせないために嘘をついて善いことをするふりをしている。
善い人は自分が善い人だから政府も善い会社に思えて政府を支持して政府に善い国を作ってもらうために政府にお金を払っている。h30.5.27追加:善い人は政府が“なにか善いこと”をやっていると思って、政府に善いことをしてもらうために税金や保険金などたくさんお金をやっている。日本がまあまあ善い国だと「政府のおかげだ」と思って、ますます政府にお金をやっている。
反対に、悪い人は自分が悪い人だから政府も悪い会社に見えて政府がみんなに悪いことを勧[すす]めていることがわかってやはり政府を支持して政府に悪い国を作ってもらうために政府にお金を払っている。
政府は善い人からも悪い人からも両方から支持されて両方からお金をもらって悪い国を作っている。みんなが科学も道徳もやらないみんなが貧乏で不幸に暮らさねばならない国を作っている。
しかし、本当は政府は悪いことをする会社であって、善いことをする会社ではない。政府はテレビや新聞に出て国民みんなの前では善いことをする会社のふりをしているだけで、実際には悪いことやなんの役にも立たないことをやっている。だから、みんなが本当のことを知って特に善い人が本当のことを知って政府に悪い国を作らせないためにみんなが科学や道徳をやらない国にしないために善人よりも悪人のほうが有利に暮らせる国にしないために悪人が上で善人が下の国にしないために政府にお金をやらないようにして政府を倒さなければならない。

[23825] テレビ局や出版社は政府とつるんでいる。 h30.5.21
テレビや本はみんなにおもに空想や眼先の喜びを与える。テレビや本はみんなを実在の外に出して不幸にする。(厳密には、番組や本によるが。たまには善い番組や善い本もある。)
政府は悪いことをする会社である。政府は国民に嫌がらせをするために国民に悪い文化を流行[はや]らせる。テレビ局や出版社はみんなに悪い文化を流行らせる。だから、政府はテレビ局や出版社が自分と同じ仲間だと思ってテレビ局や出版社を守って有利にする。
逆にテレビ局や出版社は政府が自分を有利にしてくれたお礼に政府を守って政府にとって不利な情報を言わない。政府について本当のことをみんなに教えない。政府とテレビ局や出版社は共生している。
政府やテレビ局や出版社は今のみんなを不幸にしている。だから、みんなは自分が幸福になるためにみんなで政府やテレビ局や出版社を倒せばいい。国民みんなで新たに国民みんなのためになる国民みんなに実在の喜びを与えて国民みんなを本当に幸福にする法律会社や学校会社やテレビ局や出版社を建てればいい。

[23826] 政府は勧悪懲善[かんあくちょうぜん]である。 h30.5.22
今の政府はみんなに悪いことを勧[すす]めて悪人が上で善人が下の国を作っている。悪人が有利で善人が不利な社会を作っている。
幕府はインド文化をやってみんなに善いことを勧めて勧善懲悪だったが、反対に政府はみんなに悪いことを勧めて勧悪懲善である。幕府はみんなに科学や道徳をやらせるが、政府はみんなに科学や道徳をやらせない。幕府はみんなの物や心を豊かにするが、政府はみんなの物や心を貧しくする。昔の幕府の時代は日本は世界一豊かな国だったが、今の政府の時代は日本は名[な]もない貧乏な国である。政府は嘘[うそ]つきだから、口先では「今の日本が豊かな国だ」と言うが、本当は『今の日本は貧乏な国である。』
ヨーロッパ文化は五感主義なのでみんなが科学も道徳もやらない。インド文化は知覚主義なのでみんなが科学も道徳もやる。中国文化は心主義なのでその中間である。(アニメ『ビックリマン』では、ヨーロッパがスーパーゼウスで善人で、インドがスーパーデビルで悪人となっている。『ビックリマン』がまちがっている。)
政府は勧悪懲善の団体である。だから、政府はヨーロッパ文化を一番上に置き、中国文化をその次に置き、インド文化を一番下に置いてインド文化を嫌ってやらない。国家宗教はヨーロッパ文化で、民主主義(国民みんなを拝[おが]むこと)は中国文化である。だから、政府は国家宗教を民主主義よりも上に置くのである。政府にとっては国家宗教の神のほうが首相よりも上なのだ。

[23827] 政府は国民から税金を取ることが仕事である。 h30.5.23
人間はなにをやっているかわからない仕事に対してお金を払うほどお人よしではない。
政府は国民から税金を取って、そのお金を使ってなにかをやっている。国民はなにかがわからないから、国民は政府がなにかをやっていることに対してお金を払うのではない。ただはっきりしているのは、政府が国民から税金を取っていることである。
だから、政府は国民から税金を取ること自体が仕事なのである。
政府が国民から税金を取ること自体が仕事なのは、国民が政府に税金を取られるのがうれしいからである。国民が政府に税金を取られるのがうれしいのは、国民がマゾだからである。
今の国民みんなはマゾではないが、昔の国民みんながマゾだったので、今でも政府は昔と同じように国民みんなから税金を取り続けているのである。
マゾが好きなことは自分が悪いことをされることである。自分が強盗や殺人や嫌がらせをされることである。だから、今の政府は昔と同じように国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどをやっているのだ。国民が毎日テレビや新聞を見ていれば、政府が国民みんなにいろんな悪いことをやっているのがわかる。政府がちゃんと“悪いことをする仕事”をしているのがわかる。だから、国民はそのお礼に政府に税金を払うのだ。今の国民はそうではないが、昔の国民はそうしていたのだ。
マゾは自分がマゾであることが恥ずかしい。だから、政府はみんなに「自分が善いことをする会社である」と嘘[うそ]をついてみんながマゾであることを隠しているのだ。政府は自分がやっている悪いことにいちいち嘘の理由をつけて善いことをしているように見せかけているのだ(『赤ずきんちゃん』のオオカミのように)。今ではみんながマゾではないから政府はそんな嘘をつく必要はないが、今でも政府は昔と同じように嘘をついているのだ。そのために、今の国民の多くは政府の嘘に騙[だま]されて「政府が善いことをする会社だ」と思って、政府に善いことをしてもらうために毎月高い税金を払っているのだ。昔の国民はマゾだったので『政府が悪いことをする会社である』ことを知っていたので自分で考えて政府の嘘を見破って政府が本当は悪いことをしているのがわかってそのお礼に税金を払っていたが、今の国民の多くは自分がマゾではないために『政府が悪いことをする会社である』ことを知らないから政府の嘘を鵜呑[うの]みにして「政府が善いことをする会社だ」と思って自分が政府に善いことをしてもらっていると思って満足しているのだ。しかし、実際には政府は悪いことをしているのだ。
本当は『政府は悪いことをする会社である。』政府は国民に強盗や殺人や嫌がらせをする会社である。政府は国民みんなに強盗するために国民みんなからたくさんの税金や保険金を取っている。政府は国民みんなに人殺しをするために交通事故を起こして大勢の国民を殺している。政府は国民みんなに嫌がらせをするために国民みんなの住居を住み心地を悪くしたり国民みんなの町の景観を悪くしたり国民みんなの食べ物を不味[まず]くしたり国民みんなの衣服をデザインの悪い物にしたりする。政府は国民みんなに嫌がらせをするために悪人が上で善人が下の社会にする。政府は国民みんなに嫌がらせをするためにみんなに科学や道徳をやらせないようにしてみんなが物を作らないようにしてみんなが自分の心を満足しないようにしてみんなを貧乏で不幸にする。もちろん、政府は自分が善いことをする会社のふりをするために「政府はみんなを裕福にして幸福にしている」と言う。国民みんなは政府の嘘に騙されないようにして、自分たちが政府に貧乏で不幸にされないために政府を倒さねばならない。政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。

[23828] 政府の学校は国民を馬鹿に変える。 h30.5.24
政府の学校は子供に丸暗記勉強ばかりさせて、考えない大人にする。馬鹿な大人にする。
だから、今の多くの人が『政府が悪いことをする会社である』ことがわからないのだ。

政府の学校は子供に「点を取る喜び」だけ満足させて『考える喜び』を満足させない。そのために、子供がだんだん眼先の喜びだけになって頭で考える喜びがなくなって、眼で見るだけで頭で考えなくなって馬鹿になる。そうやって、だんだん見る人から見られる人に変わっていくのである。自分が考えることよりも、自分の外見ばかり気にするようになって格好[かっこう]付けばかりするようになる。
だから、みんなは政府の学校の教育を真[ま]に受けないようにして、もっと自分で考えることをしないといけない。自分で考えたことをノートに書いて自分で自分の考えが本当に正しいかどうかチェックして、自分の考えを正しくして行かねばならない。
自分で考えたことをノートに書いて自分の『考える力』を養って、いろんなことがわかるようにならねばならない。

[23829] 今の政府は「自分が悪いことをするのが好きだ」と誤解してみんなに悪いことをやっている。 h30.5.24
昔のみんなはマゾだったから、マゾは悪いことをされるのが好きだったから、政府がみんなに悪いことをしてもよかった。例えば、昔のみんなは殺されることが好きだったから、政府はみんなを殺してもよかった。昔の政府はみんなに強盗や殺人や嫌がらせをやっていた。ただし、みんなは悪いことをするのは好きではなかったので、悪いことをする人はあまりいなかった。政府はいやいやしかたなく悪いことをやっていた。政府はみんなを喜ばせるために、自分が悪いことをするのが嫌なのを我慢[がまん]しながら泣きながら悪いことをやっていたのだ。
しかし、今のみんなはマゾではない。今のみんなは自分が悪いことをされるのも自分が悪いことをするのも両方とも嫌いである。今の政府は昔のみんながついていた「政府は悪いことをするのが好きな会社である」という嘘[うそ]に騙[だま]されて「自分が悪いことをするのが好きだ」と思ってみんなに悪いことをやっている。しかし、本当は『政府は悪いことをするのが嫌だが、マゾの国民を喜ばせるためにいやいやしかたなく悪いことをする』のである。今の国民みんなは政府に『政府が悪いことをするのが好きではない』ことを教えてやって、今のみんながマゾでないことを教えてやって、政府に悪いことをするのをやめてもらわねばならない。
今の政府はみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるために、みんなに科学や道徳をやらせないようにしている。みんなは物を作らなくなって(楽な商売ばかりやって)、自分の心を満足しなくなって貧乏で不幸になっている。みんなが科学や道徳をやれば国は豊かになり、みんなが科学や道徳をやらなければ国は貧しくなる。今の政府は昔のみんなの「政府は悪いことをするのが好きな会社である」という嘘に騙されて悪いことをやっている。早く政府は本当のことを知って『自分が悪いことをするのが嫌であり、マゾの国民を喜ばせるためにいやいやしかたなく悪いことをやっている』ことを知って、今の国民みんなはマゾではないから、みんなに悪いことをするのをやめねばならない。国民も自分がマゾでなければ、政府の命令を自分で聞かないようにしないといけない。
「政府は民主主義をやっているから政府に国家権力がある」「神は人間よりも上の者であり、政府は国家宗教の宗教団体だから国民よりも上の者である」という嘘があるだけでは、政府は善いことも悪いことも両方やれるから政府が悪いことをやることにはならない。「政府が悪いことをするのが好きな団体である」という嘘があるから政府は悪いことをするのだ。これらはみんな嘘である。本当は『政府はみんなに国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝[おが]ませているだけである。』昔のみんなは国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝むのが恥ずかしかったからこれらの嘘をついていたのである。本当は『政府は悪いことをするのが嫌い』である。政府は国民と同じように社会の中で暮らしているから、自分が社会の中で幸福に暮らすために“他人の益になることをするのを喜び、他人の害になることをするのを嫌う気持ち”を伸ばしてきたから、政府は国民と同じように善いことをするのが好きで悪いことをするのが嫌いである。今の国民みんなはマゾではないから、政府は国民を喜ばせるために自分の心に逆らって無理やり悪いことをしなくていい。政府は国民みんなを緒じゃ異様にいいことをして暮らせばいいのだ。政府はもともと悪いことをする会社であるから、政府は自分で潰[つぶ]れてなくなって、新しく善いことをする会社を建ててみんなに善いことをして幸せに暮らせばいいのだ。

[23830] 本当は政府は民主主義をやっていない。 h30.5.25
政府は国民みんなで決めたことをやっているのではない。
本当は、政府は選挙や議会をやって国民みんなに国民みんなを拝[おが]ませているだけである。
「政府が民主主義をやって国民みんなの多数決を採って国民みんなの総意に基づいて国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」というのは嘘[うそ]である。昔の国民みんなが国民みんなを拝むのが不合理的で恥ずかしかったから、こんな嘘をついたのだ。
だから、政府は国民みんなで決めたことをやっているのではない。政府が民主主義をやっているのは嘘である。
政府は国民みんなで決めたことをやっているのではない。政府は自分の独断で悪いことをやっている。政府は昔のみんながついた「政府が悪いことをやるのが好きな団体である」という嘘に騙[だま]されて悪いことをやっている。政府は自分勝手に悪いことをやっているだけである。政府は国民みんなで決めたことをやっているのではないから、政府には国家権力はない。だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。

[23831] 政府は男に女を女に男をやらせる。 h30.5.25
政府はマゾの国民に悪いことをする会社である。
政府はマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをする。
政府はマゾの国民に嫌がらせをするために、男に女の文化をやらせて女に男の文化をやらせる。おかげでみんなが自分の心を満足できなくなって不満に暮らさねばならなくなっている。
男は男の文化を女は女の文化をやると自分の心が満足できて幸福である。
今のみんなはマゾではない。だから、政府の言うことを聞かないようにして自分で考えて自分の心を満足して幸福に生きればいいのである。
政府は悪いことをしたり拝ませたり戦争をさせたりする会社である。今のみんなにとっては政府は要らない。だから、みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
政府はマゾの国民に悪いことをする会社である。今の国民はマゾではない。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府の世話にならないようにして政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならないのだ。

[23832] 政府はみんなに原始時代をやらせる会社である。 h30.5.26
政府はみんなに悪いことをしたり、国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝ませたり、戦争をさせたりする会社である。政府は見かけが新しいだけで中身は古臭い会社である。
政府はみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるためにみんなに科学や道徳をやらせない。
政府はみんなに原始時代と同じことをやらせる会社である。だから、『はじめ人間ギャートルズ』のようなマンガがあったのだ。原始時代には科学も道徳もなく、勉強も法律もなく、なんにもない。しかし、原始時代には幸福もない。
女は頭が悪くて科学や道徳が嫌いだから、文明や文化が嫌いだから、なんにもない原始時代が好きだから、政府を支持している。政府に税金や保険金を払っている。女は勉強や文明が大嫌いだ。女は本音[ほんね]では子供だけ産んでなんにも考えずに裸で洞窟の中で暮らす生活に憧[あこが]れているのだ。
しかし、みんなが幸福に暮らすためには科学や道徳が必要である。文明や文化がなくてはならない。だから、みんなで政府を潰[つぶ]せばいいのである。みんなで政府を倒して未来に向かう社会にすればいいのである。みんなが科学や道徳をやる社会にすればいいのである。

[23833] 戦争について h30.5.28
昔のみんなは自分が戦争をしたいから戦争をやっていた。男は“戦争をする喜び”があるから戦争やっていた。女は“戦争をする喜び”がないから戦争しなかった。政府はみんなが戦争をやりたかったからみんなに戦争をさせてやっていた。だから、昔は政府に人気があった。
しかし、文明が進むとみんなは自分が戦争をやるのが不合理的に思われて恥ずかしくなった。そこで、みんなは「外国が日本に攻めてくるので自分の国を守らないといけない」と嘘[うそ]をついて戦争をやっていた。しかし、本音[ほんね]では『自分が外国と戦いたい』から戦争をやるだけだった。
今ではさらに文明が進んでみんなにとって面白い物がたくさん出来て、みんなが戦争なんかやりたくなくなっている。今のみんなは『見たり聞いたりする喜び』や『考える喜び』を満足して、「戦争をする喜び」を満足しなくなって戦争をやらなくなっている。わざわざ嘘をついてまで戦争をやりたくなくなっている。政府はみんなに戦争をさせる会社である。政府の仕事はみんなに悪いことをすることと、みんなに国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝[おが]ませることと、みんなに戦争をさせてやることである。今ではみんながマゾではなくなって国民みんなや国家宗教の神や政府自身をが見たくなくなって戦争をやりたくなくなっているから、政府が要らなくなって政府を潰[つぶ]している。みんなが政府に税金や保険金などのお金をやらなくなって政府を潰している。
昔は文学の時代だった。科学のない時代だった。みんなは自分の心を一番大事にしていた。そのために世界が建前の世界と本音[ほんね]の世界のふたつの世界に分かれていた。みんなは本音の世界が恥ずかしいので嘘をついて建前の世界を作り出していた。昔の人は本音の世界と建前の世界のふたつの世界の中に生きていた。そのために世界がややこしくなっていた。建前の世界に騙[だま]される人もたくさんいた。
反対に、今は科学の時代である。文学のない時代である。みんなは実在を一番大事にしている。自分の心を実在に従わせて、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らしている。今では『心は人間の大脳前頭葉にある脳細胞の神経興奮によって発生する感覚である』と考えられている。今では『心は人間が生まれつき持っている実在についての認識だ』と考えられている。今では『心は実在についての不正確な認識であって、科学的知識ほど正しくない』と考えられている。今では『心は脳細胞の神経興奮によって発生する感覚だ』と見なされている。そのため、今では実在の世界のひとつの世界しかない。今では、みんなが正直に本当のことだけ言って実在に従って実在の世界の中で自分の心を満足して生きるようになっている。例えば、昔の人は自分がマゾであることを隠すために「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついて本当は政府に悪いことをされて喜んでいた。今の人は自分がマゾではないから正直に『政府が悪いことをする会社だ』と言って自分が幸福に生きるために政府の言うことを聞かないようにして政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府を潰している。

[23834] 色男と美男子の違い h30.5.30
色男と美男子は同じ物である。インド文化では色男と言い、ヨーロッパ文化では美男子と言う。
色男とは、五感が発達した男である。自分が眼で見る世界に生きているから自分の外見ばかり磨[みが]いているからかっこいいのである。
昔の日本はみんながインド文化をやっていたから、かっこいい男を色男と呼んで軽蔑[けいべつ]していた。
今の日本ではみんながヨーロッパ文化をやっているから、かっこいい男を美男子と呼んで尊敬している。
インド文化では科学や道徳をやる。ヨーロッパ文化では科学も道徳もやらない。インド文化ではみんなが幸福に暮らせる。ヨーロッパ文化ではみんなが不幸に暮らさねばならない。
人間はただ生きているだけではいけない。幸福に生きねばならない。だから、今の人間はインド文化をやらねばならない。今のみんなは美男子を色男と呼ばねばならない。

[23835] 善い人とは何か? h30.5.30
おとなしいのが善い人ではない。善と悪を区別できるのが善い人だ。善人を守って悪人を攻撃するのが善い人だ。善を広めて悪を滅ぼすのが善い人だ。
おとなしいのが善い人ではない。おとなしいのはただの馬鹿だ。善い人には攻撃性も必要だ。

[23836] 政府は悪人にとってはいい会社である。 h30.5.30
政府は悪いことをする会社である。政府はみんなに悪いことをするためにみんなに嫌がらせをする。政府はみんなを嫌がらせるためにみんなに科学や道徳をやらない文化を流行[はや]らせたり、悪人が上で善人が下の社会にしたりする。(h30.6.2追加:政府はみんなを嫌がらせるためにみんなに悪いことを教えるから、マンガ『タイガーマスク』では伊達直人[だてなおと]が虎の穴で反則技の訓練を受けたのだ。みんなは子供のころは善人だが、大人になると悪人になる。政府は学校やテレビやマンガなどで子供に悪いことを教える。最近の子供が汚らしいのはそのためである。『タイガーマスク』の作者の梶原一騎[かじわらいっき]はたしかに政府のことを知っていたが、他人に政府のことを教えるほどの文を作らなかった。だから、みんなはマンガとして読んでいるだけで、空想だと思って、政府のことだとわからない。作家や小説家はくだらない文しか作れない。作家や小説家は儲[もう]かる文が作れるのだから、生活には困らないから、たとえ自分が儲からなくてもみんなに政府について本当のことを言えばいい。政府について本当のことを書いた本を作ればいい。そうすればみんなが政府のことを知って政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れてみんなが幸福に暮らせるようになるだろう。それができないのは、作家や小説家がくだらない作り話が書けるだけで本当のことが書けないからである。h30.6.11追加:学校でみんなに国語を教えるのは、みんなに文学の本を買わせて作家にお金をやって食わせるためである。作家はくだらない文が作れるだけだから、本来は生きる価値がない。政府はみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるためにみんなにくだらない文を読ませているのだ。政府はみんなに悪いことをするために作家を生かせるために学校でみんなに国語を教えているのだ。今のみんなはマゾではないから、わざわざ政府に悪いことをしてもらわなくてもかまわない。今のみんなは文学を読まないようにして文学の本を買わないようにして作家にお金をやらないようにして作家を皆殺しにしないといけない。今のみんなは科学や道徳だけやってまじめに実在の中で生きて行って幸福にならねばならない。h30.6.25追加:政府は善いことをする会社をふりをしている悪いことをする会社だから、タイガーザグレートつまり“白い悪魔”なのだ。見かけは白いが中身は黒いのだ。政府は「政府は善いことをする会社だ」と嘘をついてみんなに善いことをしているふりをして、本当はみんなに悪いことをやっている。昔はみんながマゾだったが自分がマゾであることが恥ずかしかったので、政府がみんなに善いことをしているふりをして本当は悪いことをしてみんなを喜ばせていた。キング・タイガー、ビッグ・タイガー、ブラック・タイガーの虎の穴の3人の支配者は宗教団体、政治団体、暴力団のことである。宗教団体は「神が人間よりも上の者である」と嘘をついて、政治団体は「政治団体が国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と嘘をついて、暴力団は「暴力団は悪いことをするのが好きな犯罪組織である」と嘘をついて、みんなを国家宗教の神や国民みんなや暴力団に従わせるふりをして、本当はみんなに国家宗教の神や国民みんなや暴力団を拝ませているのだ。昔はみんなが国家宗教の神や国民みんなやサドの団体(マゾに悪いことをして喜ばせる団体のこと)を拝んでいたが拝むことが恥ずかしかったので、宗教団体や政治団体や暴力団がみんなに嘘をついて国家宗教の神や国民みんなやサドの団体に従わせているふりをして本当は国家宗教の神や国民みんなやサドの団体を拝ませてみんなを喜ばせていたのだ。)
だから、善い人にとっては政府は自分を不幸にする嫌な会社だが、悪い人にとっては政府は自分を幸福にする好きな会社である。
要するに、政府を嫌いな人が善い人で、政府を好きな人が悪い人である。
悪人は科学も道徳もやらない。悪人は不幸に生きている。悪人は生まれつき不幸な人間である。政府はこの世を悪人だらけにして不幸な人間しかいない社会にしようとしている。人間は幸福になりたい。だから、みんなで悪人もろとも政府を倒さねばならない。世の中から不幸な人間をなくして幸福な人間だけにしないといけない。

[23837] 政府は“不合理的な喜び”を満足する会社である。 h30.5.31
政府はみんなに悪いことをしたり、拝ませたり、戦争をさせたりする。
つまり、政府はみんなの“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”を満足する会社である。
政府は科学や道徳もなかった昔の時代の“不合理的な喜び”をみんなに満足させる。政府は“不合理的な喜び”を満足する会社である。
昔の人はマゾで悪いことをされるのが好きだったし、いろんな物を拝みたかったし、戦争をするのが好きだった。政府は昔の人のためにある会社だった。昔の人は政府が必要だったから、政府にたくさんお金をやっていた。しかし、今の人はマゾではないし、拝むのが好きではないし、戦争が嫌である。政府は今の人のためにはない。今の人は政府が要らない。だから、今の人は政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
昔の人は物が貧しかったので「悪いことをされる喜び」や「拝む喜び」や「戦争をする喜び」を満足していた。昔の人にとっては政府が必要だったので政府にお金をやっていた。今の人は物が豊かなので『見たり聞いたりする喜び』や『考える喜び』を満足して、「悪いことをされる喜び」や「拝む喜び」や「戦争をする喜び」を満足しなくなっている。今の人にとっては政府が要らなくなっている。だから、今の人は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。
政府は政府に従う者を使って流行を操作してみんなに空想の喜びや眼先の喜びを満足させてみんなに“不合理的な喜び”を満足させている。人間は科学や道徳をやれば幸福になり、科学や道徳をやらなければ不幸になる。政府はみんなに科学も道徳もやらせず“不合理的な喜び”を満足させるだけである。政府はみんなを不幸にするだけである。
国民が流行に乗っていると地獄に行く。だから、国民は流行に流されずに、自分で自分の心を満足するようにして、自分を幸福にして楽園に行かねばならない。
昔の人はマゾだったから、政府を道具として使って政府に悪いことをさせて自分の心を満足していた。昔の人は主体的だった。今の人の多くは「政府が民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」という嘘[うそ]に騙[だま]されて、多数決でみんなに合わせて生きるために主体性がない。昔の人はマゾだったが、まじめに一生懸命に自分の心を満足していた。今の人はマゾではないが、政府が作った流行に合わせて動くだけで、自分の心をまじめに満足していない。そのために、昔の人は物が貧しくても幸福だったが、今の人は物は豊かだが幸福ではない。
今の人はテレビを見るな!テレビを見て他人に合わせるな!他人に頼らずに全部自分で考えて自分が喜ぶことをしてみろ!そうすればきっと幸福になれる。

[23838] 今の人にとっては政府が要らない。☆ h30.6.2
人間は科学や道徳をやれば幸福になり、科学や道徳をやらなければ不幸になる。
ところが、政府はみんなに科学や道徳をやらさない。そもそも政府はみんなに悪いことをしたり、みんなに国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝[おが]ませたり、みんなに戦争をさせたりする団体だから、みんなに悪いことをしてみんなを嫌がらせるためにみんなに科学や道徳をやらさないのである。
みんなは幸福になりたい。だから、みんなで政府を倒せばいい。みんなで政府に税金や保険金などのお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいい。
昔は文明が遅れていてみんなの環境が悪くてみんながマゾだったから、みんなは政府に悪いことをされるのが幸福だったから、みんなが幸福に生きるためには政府が必要だったから、政府を倒さなかった。昔の人は『政府がみんなを不幸にする会社である』ことを知っていたが、自分がマゾだったからしかたなく政府を置いておいたのである。しかし、今は文明が進んでみんなの環境がよくなってみんながマゾではないから、みんなは政府に悪いことをされると不幸になるから、みんなが幸福に生きるためには政府が邪魔[じゃま]だから、みんなで政府を倒せばいいのだ。
昔の人は自分がマゾであることが恥ずかしかったから、政府はみんなを恥ずかしがらせないためにみんなの前では「自分が善いことをする会社である」と嘘[うそ]をついて善いことをしているふりをして実際には悪いことをやっていた。今でも政府はみんなの前では「自分が善いことをする会社だ」と嘘をついて実際には悪いことをやっている。政府は余計なお世話である。みんなは政府の嘘に騙[だま]されないようにして『政府が悪いことをする会社である』と考えて早く政府を倒さねばならない。

[23839] ブルートゥーススピーカーの分類 h30.6.3
ブルートゥーススピーカーはボーズとJBLとソニーの3つに分けられる。
人間はヨーロッパ人と中国人とインド人の3種類に分けられる。イヌのチワワとか柴犬とかコリーとかいう分類と同じである。
ボーズはヨーロッパ・アフリカ文化の音である。耳や身体で聞く音楽向きである。ボーズという名前からしてアフリカ文化である。重低音は性欲の代名詞であり、日本では重低音は若者に対するイヤミである。
JBLはアメリカ・中国文化の音である。心で聞く音楽向きである。
ソニーは日本・インド文化の音である。頭で聞く音楽向きである。
私も50歳を超えたから、最近本格的に音楽を聞きたくなった。私はクラシックしか聞かないから、クラシックは近代ヨーロッパの音楽でありインド文化の音楽だから、ソニーにした。ソニーの「SRS-X55のホワイト」(アマゾンで1万7千円ぐらい)にした。「SRS-X55」は一番クラシック音楽向きだからこれにした。とにかく、ブルートゥーススピーカーは『自分が聞く音楽』を決めてからそれに合った物を選ばないといけない。値段や評判で決めてはいけない。パソコンを選ぶのと同じである。パソコンは文書をやるかゲームをやるか動画をやるかで選ぶ。それと同じである。まず使用目的を決めてから物を選ばないといけない。自分自身を知り、自分に合っている物を選ばないといけない。
私は音楽やオーディオにはすごく疎[うと]いので、日経トレンディネットをすごく参考にした。

[23840] 今の国民はマゾではないから、政府はみんなに「政府が善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついてはいけない。 h30.6.4
政府は「政府は善いことをする会社だ」と言って、本当は悪いことをやっている。
政府はマゾの国民を恥ずかしがらせないために「政府は善いことをする会社だ」と嘘をついているのである。
しかし、今の国民はマゾではない。だから、政府のいいわけは成り立たない。
だから、政府は「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついて悪いことをやってはいけない。政府は正直に『政府は悪いことをする会社だ』と言って国民に悪いことをしないといけない。

同様に、政府は「政府は民主主義で国民みんなの総意に従って国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と言って、本当は選挙や会議をやって国民に国民みんなを拝[おが]ませているだけである。政府は国民みんなを拝みたい国民を恥ずかしがらせないために嘘をついている。しかし、今の国民は国民みんなを拝みたくないから、政府のいいわけは成り立たない。だから、政府は「政府が民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と嘘をついて国民に国民みんなを拝ませてはいけない。政府は正直に『政府は国民に国民みんなを拝ませているだけだ』と言って、国民に国民みんなを拝ませないといけない。
同様に、政府は「国家宗教の神は人間よりも上の者だから、政府は国家宗教の宗教団体だから、政府は国民よりも上の者だから、国民は政府に従わねばならない」と嘘をついて、本当は国民に国家宗教の神を拝ませているだけである。政府は国家宗教の神を拝みたい国民を恥ずかしがらせないために、そんな嘘をついている。しかし、今の国民は国家宗教の神を拝みたくないから、政府はそんな嘘をついてはいけない。政府は正直に『国家宗教の神はただの人間であり、政府は国民に国家宗教の神を拝ませているだけだ』と言って国民に国家宗教の神を拝ませないといけない。
同様に、政府は「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、政府は政府に逆らう国民を殺すから、国民は政府に従わねばならない」と嘘をついて、本当は国民に政府を拝ませているだけである。政府は政府を拝みたい国民を恥ずかしがらせないために、そんな嘘をついている。しかし、今の国民は政府を拝みたくないから、政府はそんな嘘をついてはいけない。政府は正直に『政府はマゾの国民を喜ばせるために悪いことをするのであって、政府は犯罪組織ではない』と言って国民に悪いことをしないといけない。
つまり、政府は嘘をついて「政府は善いことをする会社である」「政府は民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っていて国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」「国家宗教の神は人間よりも上の者であり、政府は国家宗教の宗教団体だから政府は国民よりも上の者だから国民は政府に従わねばならない」「政府は犯罪組織だから国民は政府に殺されないために政府に従わねばならない」と言っているが、本当は『政府は悪いことをする団体であり、政府は国民に悪いことや役に立たないことをしているだけで善いことをしていない』『政府は民主主義をやっておらず、選挙や議会をやって国民に国民みんなを拝ませているだけである。政府の省庁は国民の役に立たない暇つぶしのどうでもいいことをしているだけである』『国家宗教の神はただの人間であって政府と国民は平等であり、政府は国民に国家宗教の神を拝ませているだけである。政府は国民に国家宗教の神を拝ませるためにテレビの役者や映画の俳優やアニメのキャラクターを国家宗教の神に似た者にしている』『政府はマゾの国民を喜ばせるために悪いことをするだけであって犯罪組織ではない』のである。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。今の国民はマゾではなく国民みんなや国家宗教の神や政府を拝みたくないから、政府に悪いことをしてもらったり国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませてもらわなくていいから、政府が要らないから、政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。早くみんなで政府をなくして、今の国民が喜ぶことをする会社だけにして、みんなで幸福に暮らせばいい。

[23841] 政治家は選挙の公約をなぜ実行しないか? h30.6.4
政治家は選挙のときには「国民みんなの役に立つことをする」と言って当選したらなにもやらない。
それは、政府が「政府が善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついて本当は悪いことをする会社だからである。もともと政府はそんな会社だから政治家は平気で嘘をついて国民みんなのためになることをしないのである。
政府は「政府が民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と嘘をついて、本当は『政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている』。政府の省庁はみんなの役に立つことをしているふりをして、本当は中で暇つぶしのどうでもいいことばかりやってみんなの役に立つことをやっていない。
今の日本が善い国なのはみんなが科学や道徳をやるようになってみんなが物が豊かになってみんなが善いことをしているからである。一方、政府は国民みんなに悪いことやなんの役にも立たないことをしているだけである。政府はみんなに悪いことを教えてみんなが科学や道徳をやらないようにさせてみんなが物を作らなくなってみんなに悪いことをさせようとしている。政府は今の日本を悪い国にしている。政府は国の汚点である。(私が子供のころはまだ日本がアメリカに占領されていて、アメリカは政府が国民に科学をやらせる国だから、日本にいい科学の本がたくさんあった。私は子供のころに『雨はどうしてふりますか?』とか『小学館こども百科事典』を本が黒くなるほどなんべんも読んだ。だから、私は科学が得意だった。そのかわり、アメリカは政府が国民に道徳をやらせないので、私は道徳は無知だった。そのために、私は中学3年生のときにオナニー(手淫[しゅいん])をして高校1年生のときに隣の馬鹿の不良が英語の時間に英語の教科書をパラパラめくりしているのを見て腹を立てて精神分裂病に罹[かか]ってしまった。今の日本では政府が国民に科学も道徳もやらせていない。そのために、今の子供は科学も道徳も苦手である。日本の将来はどうなるだろう?今の政府は子供に難しすぎる科学や数学を教えて実質的に子供に科学や数学を教えないようにしている。今の政府は国民に「他人から見て善い人に見えるのが善い人である」「人前で善い人に見えるようにすればいい」「他人に善い人だと思われればいい」とまちがった道徳を教えて悪い人を増やしている。ちなみに、ときどきテレビで速読の話題をやって本をパラパラめくって一日に本を千冊も読んでいる人が出てくる。あれはインチキである。私が高校生のときに隣の馬鹿の不良が英語の教科書をパラパラめくりしていたことから、政府が政府の言うことを聞く者に速読をしているふりをさせているのだ。本当は人間は速読なんかできない。みんなは速読なんかしてはいけない。本はじっくり時間をかけて読まないといけない。)
昔はみんながマゾだったが自分がマゾであることが恥ずかしかったので、政府は国民みんなに悪いことをしていたがみんなの前では「政府は善いことをする会社だ」と言ってみんなに善いことをするふりをしていたのだ。そのために、今でも政府は悪いことをしているがみんなの前では善いことをしているふりをしているのだ。
今はみんながマゾではない。政府は善いことをすると嘘をついて本当は悪いことをする会社である。今のみんなにとっては政府は要らない。だから、みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのだ。昔はみんなはマゾだったが、今のみんなはマゾではない。昔のみんなと今のみんなは違う。早くみんなで古臭いことをする会社(政府のこと)を倒して、今のみんなが満足して暮らせる社会にしないといけない。
←小学館のこども百科事典(自然科学の良書。ただし、道徳や社会科のことは書いていない。)

[23842] 人間は多少は悪いことをやってもいい。 h30.6.5
昔はみんなが物が貧しくて衣食住ギリギリの生活をしていてマゾだったから政府に悪いことをされて喜んでいた。
しかし、今はみんなが物が豊かになっていろんな贅沢品[ぜいたくひん]があってマゾでない。人間が贅沢をするのは悪いことである。政府は悪いことをする会社である。そこで、今では贅沢品を売る会社が政府と組んで政府にお金をやって政府を支持している。
しかし、贅沢品を売る会社は実際にはそれほど悪い物を売っていない。国民みんなは自分が幸福に生きたいから、自分が悪すぎることをすると不幸になるから悪すぎる物は欲しがらない。だから、贅沢品を売る会社はわざわざ政府と組まなくていい。
完全に善い人間はいない。人間は多少は悪いことをする。人間は多少悪いことをやったほうがかえって幸福である。それはしかたがない。
しかし、政府はありとあらゆる悪いことをする。政府はなにからなにまで限りなく悪いことをする。政府は国を滅ぼすまで国民みんなに科学や道徳をやらさないようにする。政府は非常に危険な会社である。
みんなは自然に悪いことをすればいい。みんなは自分が好きなだけ悪いことをすればいい。政府はみんなに悪いことをさせすぎるからいけない。それではみんなが幸福を通り越して不幸になる。だから、贅沢品を売る会社も政府と組むのをやめて政府を支持するのをやめて国民みんなといっしょに政府を倒せばいいのである。例えば、テレビ局や出版社も政府と組むのをやめて政府に協力するのをやめて、みんなに『政府が悪いことをする会社である』ことを教えて政府を倒せばいいのである。
今のマンガや本やテレビ番組が面白くないのは政府の嫌がらせである。政府はみんなを嫌がらせるためにわざとに面白くないマンガや本やテレビ番組を作っているのである。政府は悪いことをする会社だから、政府はみんなに悪いことをするのが仕事だから、政府は仕事馬鹿だ(つまり仕事にハマりすぎて自分を忘れている)から、政府はみんなを嫌がらせてみんなに悪いことをするためにつまらないマンガや本やテレビ番組を作らせているのだ。道徳とは人間が幸福になるためにすることである。面白いマンガや本やテレビ番組は道徳にかなっているが、つまらないマンガや本やテレビ番組は道徳に反している。政府はみんなを嫌がらせるためにみんなに道徳に反することをやらせるためにつまらないマンガや本やテレビ番組を作らせるのだ。これでは、みんなが幸福に暮らせない。だから、みんなは早く政府を倒して、出版社やテレビ局に自由にマンガや本やテレビ番組を作らせればいいのだ。

[23843] 日本人は音楽や絵が嫌いである。☆ h30.6.6
日本人は“音を聞く喜び”がない。だから、日本人がいくら音楽を聞いても無駄[むだ]である。日本人は軽く音楽を聞くと楽しいが、深く音楽を聞いても楽しくない。
日本人は昔から音楽が嫌いである。政府は国民みんなに悪いことをする会社である。だから、政府はみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるために古事記に神武天皇がみんなといっしょに歌を歌った話を載せてみんなに歌を歌わせたのだ。今の政府が学校教育で音楽に力を入れているのも子供たちを嫌がらせるためである。
同じように、日本人は“絵を見る喜び”もない。日本人がいくら絵を見ても無駄である。日本人は軽く絵を見ると楽しいが、深く絵を見ても楽しくない。
日本人は眼と頭のバランスが取れている人種である。だから、日本人には生まれつき実在が見える。日本人は五感そのものは見えない。だから、日本人には「眼で見る喜び」や「耳で聞く喜び」がないのだ。そのかわり、日本人には『実在を見る喜び』がある。日本人は自分の眼と頭を使って実在について考えることが好きである。だから、日本人は実在について考えて実在を知って喜べばいいのである。
日本人には「音を聞く喜び」がない。日本人がいくら音楽を聞いても無駄である。日本人は少しだけ音楽を聞くと楽しい。だから、日本人はオーディオ機器に凝[こ]ってはいけない。安いオーディオ機器を買ってちょっとだけ音楽を聞いて楽しめばいい。見た目に高級感のある製品は縁起[えんぎ]がよくないから買わないほうがいい。(私は子供の頃から“見た目のかわいいプレーヤー”を買っている。私は大きい物よりも小さい物のほうが好きである。音質よりも見た目で道具を選んでいる。)
同じように日本人には「絵を見る喜び」もない。日本人がいくら絵を見ても無駄である。日本人はちょっとだけ絵を見ると楽しい。だから、日本人は安いカメラを買ってちょっときれいな映像を撮って喜べばいいのだ。
日本人には「音を聞く喜び」がない。日本人は音を聞いても喜びが得られない。日本人にとっては音楽を聞くことは生きがいにはならない。人生の支えにはならない。だから、日本人は音楽に力を入れないようにしてもっとほかのことをして喜べばいいのだ。ほかのことをして喜びを得ればいいのだ。
テレビのコマーシャルで音楽を聞いて楽しそうにしている人がいるのはオーディオ機器のメーカーが自分の製品を売るためである。みんなはテレビの宣伝に騙[だま]されないようにしてオーディオ機器を買ってはいけない。同じように、写真を撮ってうれしいのも嘘[うそ]である。劇団の役者が写真家をやっているのだ。将棋の名人やプロレスラーや野球選手も劇団の役者である。劇団の役者がスポーツ選手のふりをしているのだ。八百長[やおちょう]試合をやって盛り上げているのだ。
女は人間ではない。女は動物である。だから、女には眼で見る喜びや音を聞く喜びがあるのだ。女は人間を絶やさないための道具にすぎない。女の文化は独特の文化である。女の文化は動物の文化である。男は人間だから女がやることをやっても楽しくない。だから、みんなは女がやっていることを真似[まね]てはいけない。
喜びはお金に比例しない。只[ただ]でも面白いことがあり、お金が高くてもつまらないことがある。だから、お金で物を見てはいけない。心で物を見ないといけない。自分にとって本当に面白い物を選んで、それをやらないといけない。
勉強は自分が学んだり考えたりすることが面白いからするのであって、試験で点を取るためにするのではない。人間にとってはテストの点なんかよりも自分の心のほうが大事である。人間は自分が面白いと思うことを勉強して自分がつまらないと思うことを勉強しなければいい。それと同じように、人間にとっては自分の心のほうがお金よりも大事である。人間は自分が楽しいと思うことにお金をかけてやって、自分が楽しいと思わないことにはお金をかけずやらなければいい。人間は自分がお金持ちであることよりも自分が幸福であることを望まないといけない。お金持ちで不幸な人間よりも貧乏で幸福な人間のほうがいい。例えば、エジソンは自分が発明をして喜ぶことができた。資本家はお金を持っている喜びしかない。エジソンのほうが資本家よりも幸福である。

[23844] どうしてテレビは「政府が善いことをする会社だ」と言うのか? h30.6.6
テレビ局が政府からお金をもらって嘘[うそ]を流しているからである。テレビ局が自分がお金を儲[もう]けたいから政府と組んで嘘を放送しているのである。
今の政府は「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついて悪いことをしている会社である。今の政府は詐欺[さぎ]会社である。今の政府は「政府が善いことをする会社だ」という嘘で持っているだけである。政府は脆弱[ぜいじゃく]な会社である。政府はひ弱でか弱い会社である。だから、政府はテレビ局や出版社などにたくさんお金をやって政府について本当のことを流さずに嘘を流させているのだ。
昔はみんながマゾだったから『政府が悪いことをする会社だ』と知っていて政府に悪いことをされるために政府の命令を聞いていた。今はみんながマゾではないから『政府が悪いことをする会社である』ことを知らなくなって、「政府が善いことをする会社だ」という嘘を信じて政府に善いことをしてもらうために高いお金を払っている。政府は昔のみんながついていた「政府が善いことをする会社だ」という嘘を活かすためにテレビ局や出版社にお金をやって本当のことを言わないようにさせているのだ。
今のみんなはテレビを見すぎてテレビの言いなりになっている。そのためテレビで「政府が善いことをする会社だ」と言うとみんなはそれを鵜呑[うの]みにして「政府が善いことをする会社だ」と信じるのだ。
テレビ局や出版社は自分がお金を欲しいために政府について本当のことをみんなに教えない。テレビ局も出版社も善い会社ではない。悪い会社である。テレビ局も出版社もお金儲けしか眼中にない。テレビや本はみんなに本当のことを教えるためにあるのではない。テレビや本はテレビ局や出版社が自分がお金を儲けるためにあるだけだ。今のテレビ局や出版社はお金のためなら平気で嘘をつく。だから、みんなで早く今のテレビ局や出版社を倒して、新しく本当のことをみんなに教えるテレビ局や出版社を建てねばならない。

[23845] どうして私は国家宗教の神なのか? h30.6.7
戦前の日本では国民みんなが国民みんなや国家宗教の神や政府自身を恥かしがりながら拝[おが]んでいた。国民みんなは建前[たてまえ]では「政府が民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているから、政府に国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」とか「国家宗教の神は人間よりも上の者であり、政府は国家宗教の宗教団体だから政府は国民よりも上の者だから、国民は政府に従わねばならない」とか「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、国民は政府に殺されないようにするために政府に従わねばならない」とか嘘[うそ]をつきながら、本音[ほんね]では『政府は選挙や議会をやって国民みんなを拝ませているだけで、政府は民主主義をやっていないから政府と国民は平等だ』とか『国家宗教の神はただの人間だから、政府と国民は平等だ』とか『政府はマゾの国民を喜ばせるために悪いことをするのであって犯罪組織ではないから、政府は国民に暴力をふって脅[おど]さないから、政府と国民は平等だ』と思いながら国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んで喜んでいた。
戦後の日本では国民みんなが物が豊かになって面白い物がいっぱい出来て、国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝むのがつまらなくなって拝まなくなった。しかし、昔の嘘が残っているために、多くの人が昔の嘘を信じて政府に従うようになっている。
一方、戦前の世界ではヨーロッパが中国やインドよりも強かったので、戦前の日本ではみんなが主[おも]にヨーロッパ文化をやっていた。天皇家はヨーロッパ文化臭いので、みんなが天皇家を国家宗教の神にして拝んでいた。
しかし、戦後の世界では中国やインドが科学をやるようになって強くなって、戦後の日本ではみんながヨーロッパ文化をやりながら中国文化やインド文化をやるようになっている。みんなが国家宗教をやりながら、アジア文化をやるようになっている。
天皇家はヨーロッパ文化臭い。そのため、戦後の日本では天皇家以外にアジア文化をやる国家宗教の神が必要になった。そのために、政府は私を新しく国家宗教の神にしたのである。
国家宗教の神は“見ようによっては超能力者に見える人間”のことである。私が赤ちゃんのときに私の母親が夜中に突然私の頭の上に吊ってあったガラガラ(ベッドメリー)が回るのを見た。それはガラガラの誤動作によるものだが、見ようによっては私が念動力でガラガラを回したように見える。私の母親の家系は日蓮宗で仏教系でアジア文化である。そのために、政府は私を天皇家に加えて新しく国家宗教の神にしたのである。
今の日本ではみんながヨーロッパ文化や中国文化やインド文化をやっている。そのために、今の日本では天皇家と私の両方が国家宗教の神である。将来、中国やインドが今よりも強くなれば、みんなが天皇家よりも私のほうを国家宗教の神とするようになるだろう。さらに、中国やインドがヨーロッパよりも強くなれば、みんなが国家宗教そのものをやめてしまって天皇家も私も国家宗教の神ではなくなるだろう。私は中世の聖徳太子と同じようなものである。
将来は、みんなが「政府が民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているから、政府に国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」ことや「国家宗教の神は人間よりも上の者であり、政府は国家宗教の宗教団体だから政府は国民よりも上の者だから、国民は政府に従わねばならない」ことや「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、国民は政府に殺されないようにするために政府に従わねばならない」ことが嘘であることがわかって、みんなが政府に従わなくなるだろう。みんなが『政府が悪いことをする会社であり、国民みんなや国家宗教の神や政府自身を拝ませているだけである』ことがわかって、みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れてなくなっているだろう。
将来はみんながヨーロッパ文化や中国文化やインド文化に関わらず科学や道徳をやるようになって、みんなが物が豊かになって、みんなが実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らせるようになるだろう。

[23846] 私のオーディオ機器選び h30.6.7
この前アマゾンでソニーのSRS-X55を買った。さっそくクラシックをブルートゥース接続で聞いた。大変きれいに聞けた。低音もズンズン響く。パッヘルベルのカノンやドビュッシーの月光は感動的だった。若いころの感動が再び甦[よみがえ]ってきた。(h30.6.9追加:カノンは低音の旋律と高音の旋律から成る。低音の旋律は暗い現実を表している。高音の旋律は明るい心を表している。人間はつらく厳しい現実に負けずに明るい気持ちで生きていくことが大事だと述べているのだ。)
しかし、サイズが大きくて部屋の中に置き場所がないので、すぐに箱の中にしまった。今の私の部屋は物の置き場所がないほど足の踏み場もないほどキツキツなのである。
私は音楽を精神を集中して聞かねばならないほど聞くのが好きではないので、ソニーのX55は一晩だけでお蔵入りとなったのである。(h30.6.8追加:その後めでたくソニーのSRS-X55は復活しました。じつは私はSRS-X55といっしょに中華坊主[ちゅうかぼうず](アマゾンで2千円ぐらい)を買って聞いていたが、あんまり音が悪いので耐[た]えられなくなってSRS-X55に交代しました。最初はSRS-X55のブルートゥースのつなげ方がわからなかったが、マニュアルを読んでボタンを長押しすればいいことがわかった。中華坊主のほうはブルートゥースボタンを短く押せばいい。機械によって違う。)
正直言って、今の私が使っているソニーのヘッドホンMDR-AV510のほうがいい音に聞こえる。高いスピーカーを買うよりも安いヘッドホンを買ったほうがコスパがいい。音楽を楽しむにはスピーカーよりもヘッドホンのほうがいい。
スピーカーにせよヘッドホンにせよ私は濃い音が出る物は好きではない。あまり音にこだわりすぎるとかえってシラケる。楽しくない。音楽は軽く楽しむに限る。
私は日本人である。日本人にとっては見たり聞いたりするよりも考えるほうが楽しい。音楽にハマって考えなくなったらかえって不幸になる。それでは大損だ。日本人にとっては音楽を聞くのは時間の無駄[むだ]だ。日本人は音楽を軽く聞くと楽しいのだ。深く聞くと楽しくないのだ。日本人は音楽を聞きながら考えごとをするのが好きなのだ。日本人は考えごとをしながら音楽を聞くと楽しいのだ。日本人にとっては音楽を聞くことが目的ではなく考えることが目的なのだ。日本人は自分が考えることを促[うなが]すために音楽を聞くのだ。音楽を聞くこと自体が目的ではない。日本人は自分が考えごとをするのを妨げないように音楽を聞かねばならないのだ。
今の私はソニーのオープン型ヘッドホンMDR-S40かオーディオテクニカのオープン型オンイヤーヘッドホンATH-EP700にしようか迷[まよ]っている。どちらもアマゾンで5千円前後である。密閉型は耳が痛くなって耳が臭くなるから私は嫌いだ。オーディオテクニカのほうが濃い音が聞けそうである。私は音を聞くことが目的ではない。私はそんなくだらない喜びに耽[ふけ]るのが嫌だ。だから、私はやっぱりソニーのにしよう。ソニーのほうが軽く音楽が聞けるからいい。音楽はニヒルに楽しむものだ。

[23847] 日本人はヘッドホンを使えばいい。 h30.6.8
日本人は見たり聞いたりするよりも考えるほうが好きである。日本人にとっては「見る喜び」や「聞く喜び」よりも『考える喜び』のほうが多い。日本人は主[おも]に『考える喜び』を満足して、「見る喜び」や「聞く喜び」をちょっとだけ満足すればいい。そうすれば、日本人は幸福に暮らせる。
スピーカーは部屋全体を音で包み込むからいけない。それでは音の聞きすぎだ。ヘッドホンは音の出る範囲がヘッドホンの近くに限定されているからいい。生活空間にそういう雰囲気を作ることが大事だ。
日本人にとっては静けさが大事だ。音が聞えないから自分の頭を使って考えようとするのだ。あまり音楽を聞かないから自分の頭を使って考えようとするのだ。音楽を聞くと考えることができなくなって『考える喜び』を満足できなくなって欲求不満になる。スピーカーの多用は避けたほうがいい。音楽を聞くのはヘッドホンを使えばいい。
そもそも私はゲーム実況に音楽を入れるためにスピーカーを買ったのだった。音楽鑑賞が目的ではない。だから、ゲーム実況のときだけスピーカーを使って、それ以外のときはヘッドホンを使えばいいのだ。ゲーム実況のときだけmicroSDカードでスピーカーを鳴らして、いつもはヘッドホンをパソコンにつないで聞けばいいのだ。ブルートゥースなんか要らないのだ。

[23848] 安くていい物が買いたい! h30.6.8
日本人には見たり聞いたりする喜びがあまりない。だから、いくら高いオーディオ機器を買ってもそれほど喜びが得られないから無駄[むだ]である。
しかし、安物を買いすぎると音がひどすぎて聞くとかえって不快になる。
オーディオ機器の価格と音質の関係をグラフにしてみた(下図参照)。オーディオ機器の価格と音質は正比例ではなく折れ曲がっている。ある程度のお金を出すとこまでは急激に上昇し、それを過ぎれば横ばいになる。その地点を閾値[しきいち]という。
だから、いくらお金をケチってもケチりすぎてはいけない。閾値までは堅実[けんじつ]にお金を出さねばならない。オープン型のヘッドホンについては閾値はだいたい5千円である。
『オーディオテクニカのオープン型オンイヤーヘッドホンATH-EP700』はアマゾンで現時点で5,332円である。この辺がいいのでは?ただ、私は頭がでかいのできつくなければいいが。だいぶ前に(今から約20年前に)大阪でオーディオテクニカの漆[うるし]塗りの5万円のヘッドホンを買ったことがあるが、頭がきつくて痛かった。それが心配だ。密閉型だったが音もたいしてよくなかった。お金の無駄だった。


[23849] 自分が喜びが得られないことにお金をかけてはいけない。 h30.6.8
人間は自分が幸福になることをしないといけない。自分が幸福にならないことをしてはいけない。
日本人にとっては頭で考えることは好きである。眼で見ることも好きである。しかし、耳で聞くことはあまり好きではない。つまり、日本人は頭で考えるとたくさん喜びを得られる。カメラで撮るとそこそこ喜びが得られる。しかし、オーディオで聞いてもあまり喜びが得られない。
お金持ちがオーディオにたくさんお金をかけるのは馬鹿だからである。お金持ちは自分にたくさんお金があると思って自分が幸福にならないことにたくさんお金をかけて無駄遣[むだづか]いをしているのだ。
貧乏人はそんな馬鹿なまねをしてはいけない。幸い、考えることにはほとんどお金が要らない。だから、カメラにそこそこお金をかけて、オーディオにはちょっとだけお金をかければいい。スピーカーは買わずに、ちょっとだけいいヘッドホンを買えばいい。(頭の大きい人はヘッドホンだと痛いから、スピーカーのほうがいいだろう。)
ゲームも面白い。ゲームで遊ぶとかなりの喜びが得られる。自分が一番好きなゲームソフトを買って、そのゲームばかりやって遊べばいい。そうすればもっとも多くの喜びが得られる。
今どきオーディオは古臭い。今どき音楽鑑賞はあまり面白くない。年寄り臭い。一番ボロいヘッドホンを買って軽く音楽を聞いて楽しめばいい。千円前後のヘッドホンを買って音楽を聞いて楽しめばいい。聞いてそこそこ楽しい音が出るヘッドホンを使えばいい。例えば、ソニー製の安いヘッドホンを使えばいい。安物すぎると音が悪くて聞いて不愉快[ふゆかい]になるからいけない。お金に余裕のある人は、『1万円台のスピーカーと安いヘッドホン』を買えばもっと楽しい思いができるだろう。

[23850] 政府は国民を不良に変える会社である。 h30.6.9
政府は悪いことをする会社である。政府は国民に悪いことをしたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝[おが]ませたり、戦争をさせたりすることが仕事である。悪いことをされることや拝むことや戦争することは昔の人の遊びである。政府は昔の人を遊ばせる会社である。
政府は国民に悪いことをするために国民を嫌がらせるために国民に科学や道徳をやらせないようにする。
政府は国民にまちがった道徳を教えて国民を不良に変える会社である。悪人に変える会社である。例えば、政府が国民みんなに見かけをよくすることばかり言うのもみんなを不良にするためである。政府は国民を不良に変えて国民を不幸に生きねばならなくしているのだ。そのため、『タイガーマスク』や『超人バロムワン』や『ビックリマン』などでは、政府が善良な市民を悪の手先に変える秘密組織として書かれている。
昔の人は自分がマゾだったから『政府がマゾの国民を喜ばせるために悪いことをする会社である』ことを知っていたから政府を警戒して政府の言うことをあまり聞かなかった。自分が政府に悪いことをされて喜ぶ分しか政府の言うことを聞かなかった。そのため、昔の人はわりと道徳的だった。
今の人は自分がマゾではないから『政府がマゾを喜ばせるために悪いことをする会社である』ことを知らないから政府を警戒せずに政府の言うことをなんでも聞いているからますます不良になっている。そのため、今の人は人間のことを知らないペンギンに喩[たと]えられている。
今の人はもっと政府のことをよく知って政府を警戒して政府の言うことを聞かないようにしないといけない。今の人はマゾではなく拝むことや戦争が好きではないから、今の人にとっては政府は要らない会社だから、政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。早くみんなでみんなを不良に変えてみんなを不幸にする会社をなくして、みんなが善い人になって幸福に暮らさねばならない。

[23851] どうして釈迦は神ではないのか? h30.6.9
キリストも釈迦[しゃか]も人間が拝[おが]む対象である。
しかし、キリストは神として、釈迦は人間として拝む。
キリストはヨーロッパ文化の拝む対象である。ヨーロッパ文化では神がいる。神とは“見ようによっては超能力者のように見える人間”のことである。キリストは厩[うまや]で生まれたときにキリストの背後から光が差し込んでいたために、キリストの母親がキリストの身体が光っているように見えた。それは当然母親の眼の錯覚だが、見ようによってはキリストが超能力で自分の身体から光を放[はな]ったように見える。だから、キリストは神なのである。そのほかのキリストの超能力は当然作り話である。
一方、釈迦はインド文化の拝む対象である。インド文化には神がいない。釈迦は生まれたときに3歩歩いて「天上天下唯我独尊[てんじょうてんがゆいがどくそん]」と言った。昔のインドはヨーロッパ文化を真似[まね]て国家宗教をやっていたから、みんなで釈迦を拝んでいたのだ。ただし、インドには神がいないから、釈迦を人間として拝んでいたのだ。議員を国民みんなの代理として拝むのと同じことである。暴力団を人間として拝むのと同じことである。
キリストは母親の眼の錯覚で身体が光って見えただけである。釈迦は生まれてすぐに自分で歩いて言葉をしゃべった。もしそれが事実だとすれば、キリストよりも釈迦のほうが偉大である。実際には、宗教は事実をオーバーに言うから、釈迦が少し早熟だっただけだろう。
h30.6.11追加:仏教の信者は「なにもしないことが楽しい」と思っている。仏教馬鹿だ。そういうのをお釈迦になるというのだ。人間は自分の心を積極的に満足して幸福に生きねばならない。そうしない仏教徒は生きる価値がない。もっとも、昔はみんながマゾだったから、仏教の宗教団体はみんなに悪いことをしてみんなを喜ばせるためにわざとにみんなに「人間は自分の心を満足してはいけない。人間はなにもしないことがもっとも楽しい」というまちがった道徳を教えていたのだ。だから、仏教の教えを真[ま]に受けるほうが馬鹿だ。キリスト教の宗教団体がマゾの人を喜ばせるためにわざとに「人間にとっては愛情が最高の喜びだから、人間が幸福になるためには愛情を満足すればいい」というまちがった道徳を教えているのと同じである。今の政府がみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるためにわざとにみんなにまちがった道徳を教えるのと同じことである。みんなは仏教の教えやキリスト教の教えや政府の教えを真に受けないようにして、自分で正しい道徳をやらねばならない。昔の人は自分がマゾだったので『宗教団体や政府や暴力団がみんなに悪いことをする団体だ』『宗教団体や政府や暴力団と国民は平等だ』ということを知っていたから、自分が悪いことをされて喜ぶ分だけ宗教団体や政府や暴力団の言うことを聞いていたから、宗教団体や政府や暴力団の言うことをあまり聞かずにけっこう自分の好きなことをやって喜んでいたのだ。

[23852] 私のヘッドホン選び(ファイナル) h30.6.10
日本人は音楽を聞くのがあまり好きではない。日本人は音楽を軽く聞くのは好きだが、深く聞くのは嫌いである。だから、日本人である私は“軽く音楽を聞く物”を探さねばならない。高いヘッドホンは音が陰気臭いから要らない。高級品は音が陰気臭いから聞いても楽しくない。
だから、ヘッドホンはオンイヤー型がいい。アラウンドイヤー型やオーバーイヤー型はいけない。耳を覆[おお]うのは鬱陶[うっとう]しい。夏場は特に。
そのうえ日本人は考えるのが好きだから頭が大きいから大型のオンイヤー型がいい。
ヨーロッパ人は頭が小さいから外国のメーカーのはよくない。頭がヘッドホンに押し付けられて痛いのを堪[こら]えて脂汗[あぶらあせ]を流しながらいい音楽を聞いても楽しくない。
それで、私が選んだのは『Pioneer ヘッドホン 密閉型/オンイヤー/折りたたみ式 ブラック SE-MJ512-K 【国内正規品】』(アマゾンで2,166円)だ。エントリーモデルは力が入っているから、けっこういいかもしれない。もう注文とってしまったからこれで決まりだ!
これに似た物に「パイオニア Pioneer SE-MJ522 ヘッドホン 密閉型/オンイヤー/折りたたみ式 ブラック SE-MJ522-K」(アマゾンで1,414円)があるが、これは値段が安い分サイズが小さくて頭にきついと思ってやめた。アマゾンのカスタマーレビューを見ても耳が痛いという報告が多いので、日本人は頭がでかいので買わないほうがいい。
そもそも私がヘッドホンを買い換えねばならなくなったのは、最近私がソニーの『SRS-X55』のスピーカーを買ったからである。これは音質がよすぎる。そのために、私が今まで7年間使っていたソニーのヘッドホン『MDR-AV510』が低音が出なくて物足りなくなってほかのが欲しいと思ったのだ。
日本人には音を聞く喜びがあまりない。一日中音楽を鑑賞しても時間の無駄[むだ]だ。音楽はマンガと同じだ。つまらない喜びにハマってはいけない。音楽だけ聞いたってしかたがない。日本人は音楽は“ながら”で聞かないといけない。考えたり、勉強したり、ゲームをしたりしながら音楽を聞かないといけない。つまり、音楽は添え物[そえもの]だ。音楽はほかのことを引き立てるためにあるのだ。音楽はほかの喜びを増すためにあるのだ。おかずはご飯といっしょに食べるものであって、おかずだけ食べても美味[おい]しくない。
人間は楽しいことをしないといけない。つまらないことをしてはいけない。日本人は頭がいいから実在が好きだから、音楽は実在ではないから、音楽を聞いてもあまり喜びが得られない。日本人は頭がいいから日本人にとっては考えごとをするほうが音楽を聞くよりも楽しい。日本人は考えることが一番楽しい。日本人は音楽だけ聞かないほうがいい。だから、安物のオーディを機器を買って、ほかのことをしながらいいかげんに音楽を楽しめばいいのだ。それでこそ、音楽をもっとも楽しめるのだ。つまり、日本人は音楽を否定的に楽しまないといけないということである。
ただ自分がなにもやることがないときの安全弁としてオーディオ機器を持っておくのもいいかもしれない。
日本人は音楽を聞いても面白くない。だから、音楽を鳴らしても面白くない。日本人は考えることが面白い。だから、考えたことを実行するのも面白いのだ。
今のヘッドホンはみんなごつい。今から7年前には私が持っている『MDR-AV510』のような簡素なヘッドホンがたくさんあった。それは、今の政府がみんなに音楽を深くやらせてみんなに面白くないことを多くやらせてみんなを不幸にするためである。日本人には音楽を聞く喜びがないから、もっと音楽を軽くやらねばならない。音楽をやらなくてもいい。音響メーカーは日本人みんなを幸福にするために、政府の言うことを聞かないようにしてもっと質素なヘッドホンを作らねばならない。日本人は自分が幸福になるために自分がより多くの喜びを得るために、もっと考えることに時間をかけて音楽を聞くことに時間をかけてはいけない。日本人は生まれつき音楽を聞く喜びがないから、日本人が音楽を聞いても無駄である。日本人は考えることで喜ぶようにして、音楽を聞くことで喜ばないようにしないといけない。そうすれば幸福になれる。

[23853] どうして日本のオーディオはオンボロだったのか? h30.6.11
日本人は音楽を聞く喜びがない。日本人が音楽を聞いても無駄[むだ]である。日本人はあまり音楽を聞かないほうが幸福に生きていける。だから、これまで日本にはいい音を出すオーディオがなかったのである。日本には汚い音を出すオーディオしかなかったのである。日本人はわざとに汚い音を聞いて自分の音楽を聞く喜びを満足しないようにして幸福に暮らしていたのだ。“ボロは着てても心は錦[にしき]”だったのだ。つまり、日本人は眼で見る喜びがないからわざとに自分が汚い服を着て自分が眼で見る喜びを満足しないようにしてほかのもっと楽しい喜びを満足して幸福に生きていたのだ。つまり、“ボロは着てても心は錦”とは自分が自分にとって面白くないことをしないから自分が幸福に生きていけるということである。インド人もそうしているのだろう。
ところが、最近はみんながマゾではなくなって『政府が悪いことをする会社である』ことを知らなくなってテレビで政府が善いことをする会社の芝居をしているのを真[ま]に受けて「政府が善いことをする会社だ」と思って政府の言うことを聞くようになっている。政府はみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるためにみんなにまちがった道徳を教える。みんなにみんなが不幸になることを教える。日本人には音楽を聞く喜びがないから、政府は日本人に音楽を聞くようにさせて日本人を不幸にさせるために、日本の音響メーカーにいい音が出る機器を作らせているのである。日本の音響メーカーは政府の言うことを聞いていい音が出る機器を作っているのだ。
昔の人はマゾだったから自分の不幸を幸福に感じていたから、政府に悪いことをされて幸せだった。だから、昔の人は政府の悪い命令を喜んで聞いていた。しかし、政府の悪い命令を聞きすぎると不幸になるから、昔の人は『政府が悪いことをする会社である』ことを知っていたから自分が幸福になるだけ政府の悪い命令を聞いていた。自分が不幸になる場合には政府の命令を聞かなかった。反対に、今の人はマゾではないから自分の不幸を幸福に感じないから、政府に悪いことをされても不幸になるだけである。それなのに、今の人は『政府が悪いことをする会社である』ことを知らないから「政府が善いことをする会社である」と思っているから自分が不幸になるにもかかわらず政府の言うことをなんでも聞いて不幸になっているのだ。
人間は幸福に生きねばならない。人間は自分が幸福になることをやって不幸になることをやってはいけない。人間は自分で自分が幸福になるか不幸になるかを判断して幸福になることをやって不幸になることをやらないようにしないといけない。日本人には音楽を聞く喜びがないから、日本人は音楽を聞いてはいけない。日本人には考える喜びがあるから一生懸命に考えないといけない。日本人は軽く音楽を聞くだけにして、本気で考えなければならないのだ。日本人はわざとに汚い音が出るオーディオを買ってあまり音楽を聞く喜びを満足しないようにして、自分が一生懸命に考えて考える喜びを満足して幸福にならねばならないのだ。
政府はマゾの人を喜ばせるためにマゾの人に悪いことをする。政府はマゾの人を喜ばせるためにみんなに悪いことをする。みんなにまちがった道徳を教える。みんなは自分がマゾなら政府の命令を聞いて、自分がマゾでなければ政府の命令を聞いてはいけない。今の人は『政府がマゾの人を喜ばせるために悪いことをする会社である』ことを知らないから、政府の命令をなんでも聞いて政府に悪いことをされて不幸になっている。政府があると世の中がややこしくなる。だから、みんなで早く政府を倒して政府をなくして、みんなが自分で幸福になることをやって不幸になることをやらないようにしてみんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。
この私も政府の悪い政策に引っかかって無意識にいいオーディオを買っていた。高いお金を出していい音を出すスピーカーやヘッドホンを買おうとしていた。時間を無駄にするところだった。貧乏人は無駄なことをしないのが美徳である。私は自分があまりいい音を出す音響機器を使わないようにして音楽を本気で聞かないようにして音楽を聞く喜びを満足しないようにしてもっとほかの楽しいことをして幸福に暮らさねばならない。オーディオはアンカーやクリエイティブぐらいでよかった。せいぜいJBLだ。低音を聞くと馬鹿になるから、低音が鳴らないほうがいい。ソニーのSRS-X55は低音が響くからよくない。

[23854] どうして今の政府は国民の了承を得ずに勝手に国民を殺すのか? h30.6.11
政府は悪いことをする会社である。政府はマゾを喜ばせるためにマゾに悪いことをする会社である。政府はマゾを喜ばせるためにマゾに強盗や殺人や嫌がらせなどをする。昔はみんながマゾだったから、自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府を建てたのだ。
もっとも、政府と国民は平等だから、政府は国民の了承を得てから国民に悪いことをしないといけない。政府はみんなに命令して強盗や殺人や嫌がらせをするから、国民は自分で政府の命令を聞くか聞かないか判断して、自分が政府に悪いことをされたい分だけ政府の命令を聞かねばならない。
本来政府は国民一人一人の了承[りょうしょう]を得てから国民を殺さねばならない。
昔はみんながマゾだったから、政府は国民の了承を得ずに勝手に国民を殺してもよかったが、今はみんながマゾではないから、政府は国民の了承を得ないと国民を殺してはいけないはずである。
それなのに、今の政府は自分勝手に事件や事故を起こして国民を殺している。
それは、今の国民の多くが「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織である」「政府は民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているから、この世のことは多数決で決まる」と思っているからである。今の国民の多くが「この世のことは多数決で決まる」と思っていて、多くの人が「政府は犯罪組織である」と思っているから、みんなが「政府が犯罪組織である」と思っていることになるから、政府は自分の好き勝手に事件や事故を起こして国民を殺しているのである。
しかし、本当は『政府はマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に悪いことをする会社であって、悪いことをするのが好きな犯罪組織ではない』『政府は選挙や議会をやって国民に国民みんなを拝ませているだけであって、民主主義をやっていない。政府は自分で勝手に考えて悪いことをしているだけであって、多数決で国民みんなの総意を決めていない。この世のことは多数決では決まらない。この世のことは正しい考えで決まる』のである。だから、政府が勝手に国民を殺しているのはまちがっている。今の政府はまちがったことをやっている。政府が悪い。だから、みんなで政府を倒さねばならない。政府を罰しなければならない。政府の要人を殺して政府を処罰しないといけない。

[23855] 今の日本のスピーカーはだめだ。 h30.6.11
今の日本のスピーカーは低音に偏[かたよ]りすぎている。人間にとっては低音は不快である。だから、今の日本のスピーカーはみんなを不愉快[ふゆかい]にしている。
どうせ音響メーカーが政府に言われて低音に偏っているスピーカーにしているのだろう。(h30.6.12補足:低音←BASS←バス←ハズ←川ブ(ズの右下斜め線をハに移す)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、政府は私を神とする国家宗教でみんなに嫌がらせをしているのでもある。)
政府は悪いことをする会社である。今のみんなはマゾではない。だから、音響メーカーは政府の言うことを聞かないようにして低音に偏ったスピーカーを作ってはいけない。
ヘッドホンには低音への偏りがない。ヘッドホンのスピーカーは小さいから低音が出ずらいからだ。そのために、ヘッドホンのほうがスピーカーよりも耳障[みみざわ]りな低音がないのでいい音で聞ける。スピーカーは音質そのものはいいが、低音に偏っているので音楽が気持ちよく聞けない。
私が最近買ったソニーのSRS-X55はきれいな音が出るが、やはり低音に偏っている。ズンズン音が響くのが不愉快である。低音が軽減されるボタンが付いていればいい。
私は低音が嫌いである。そこで私はJBLの『JBL GO2 Bluetoothスピーカー IPX7防水/ポータブル/パッシブラジエーター搭載 グレー JBLGO2GRY 【国内正規品/メーカー1年保証付き】』(アマゾンで3,771円)を買った。私はGOとGO2の区別を知らずにたまたまGO2を買った。こっちのほうが音がいいようなので満足している。GO2は低音も出るには出るがしつこくないのでいい。小型スピーカーはアンカーかJBLがいい。ほかのは低音が出すぎる。ボーズは値段が高いけど低音が強すぎるのでいけない。ボーズは音のバランスはいいがそれでも低音が出すぎる。
日本人は音楽を聞く喜びがないので、オーディオにこだわりすぎてはいけない。高い物を買ってはいけない。安い物の中でいいものを選ばないといけない。安い物の中で自分にとって気持ちよく音が聞ける物を探さないといけない。
h30.6.12これ以降追加:今の政府は音響メーカーに命令してみんなが嫌いな低音が強く出るスピーカーを作らせている。馬鹿は「低音が気持ちいい」と思って、実際には低音を聞いて嫌な思いをしている。それと同じように、今の政府は出版社に命令してつまらないマンガを作らせている。馬鹿は「マンガはぜんぶ面白い」と思って、実際にはつまらないマンガを読んで嫌な思いをしている。馬鹿は政府の嘘[うそ]の理屈を信じて「つまらないマンガのほうが興奮しないから安全に読める」と思って、つまらないマンガを我慢[がまん]して読んで面白くない思いをしている。政府は悪いことをする会社である。政府はみんなを嫌がらせるためにみんなに嫌な思いをさせる物やつまらない思いをさせる物を作らせている。今のみんなはマゾではないから面白い物がいい。今のみんなにとっては政府が邪魔[じゃま]である。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
会社の上のほうは働かない。会社の下のほうは働く。会社の上のほうは下のほうからお金を取って遊んで暮らしている。政府は悪いことをする会社である。(政府はマゾを喜ばせるためにマゾに悪いことをする。マゾは自分の不幸を幸福に感じるから、マゾは自分が不幸にされると幸福になるから、政府はマゾを幸福にするためにマゾが不幸になることをするのだ。)政府は国民みんなに悪いことをするために国民みんなを不幸にするために国民みんなに科学や道徳をやらせない。政府は国民みんなに道徳をやらせないために国民みんなを働かせない。政府は国民みんなを働かせないために会社の上のほうを働かせないようにしている。会社の上のほうが働かない社会にしている。会社の上のほうは自分が働かずに食べていけるから政府に感謝して政府を支持している。会社の上のほうは政府の言うことを聞く。会社の上のほうは政府の言うことを聞いて会社の下のほうに命令してみんなを嫌がらせる物やつまらない物を作らせる。そのために、今のみんなは嫌な思いをしないといけなくなっている。不幸に暮らさねばならなくなっている。人間には“働く喜び”がある。政府はみんなに“働く喜び”を満足させないためにみんなを働かせないようにする。みんなは政府の言うことを聞かないようにしてまじめに働かねばならない。みんなは政府の言うことを聞かないようにして面白い物を作ってみんなを幸福にしないといけない。

[23856] どうして今の日本は豊かなのか? h30.6.12
今の日本が豊かなのは国民みんなが自分で科学や道徳をやってまじめに働いて物を作っているからである。
政府は見てるだけである。政府はじっとして国民みんながやることを見ているだけである。
政府は民主主義をやって多数決で国民みんなの総意を決めて政府の省庁が国民みんなの総意を実現するために国民みんなに指示しているふりをして、本当は選挙で国民みんなの代理である議員を決めて議員に議会をやらせて国民に国民みんなを拝[おが]ませているだけで、自分の独断で悪いことを考えて国民みんなに命令して国民みんなに悪いことをしているのである。
国を豊かにしているのは国民みんなであって政府ではない。政府は国民みんなの手柄[てがら]を自分のものにして威張[いば]っているのである。『ドラゴンボールZ』のサタンが悟空の手柄を自分のものにして威張っているのと同じである。
政府の仕事は国民みんなに悪いことをすることと、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませることと、戦争をさせることだけである。今の国民みんなはマゾではなく拝まず戦争をしないから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23857] 『巨人の星』はみんなに政府のことを教えるためにあるのではない。 h30.6.12
イソップ童話には現実の人生についての多くの教訓が述べられている。
しかし、現実をなにも知らない者がいくらイソップ童話を読んでも教訓は得られない。現実を知っている者がイソップ童話を読んで喩[たと]えがわかって面白いと思うだけである。イソップは王様に道徳を教えるためにイソップ童話を作ったが、王様は現実を知らないから無駄[むだ]だったのだ。
だから、梶原一騎[かじわらいっき]やジーン・ロッデンベリーがいくら政府のことを『巨人の星』や『スタートレック』の話にしても、政府のことを知らない者がそれらを見てもなにもわからない。すでに政府のことを知っている者がそれらを見て喩えがわかって面白がるだけである。
今の国民みんなはマゾではなくなって拝まなくなって戦争をしなくなっているために、多くの国民が政府のことがわからなくなっている。政府のことを知らなくなっている。そのために、いくらドラマやアニメで政府のことを喩え話にして言ってもわからなくなっている。テレビはみんなに政府のことを言っているふりをして本当はなにも言っていないのだ。
政府は悪いことをする会社である。政府は善いことをしているふりをして本当は悪いことをする会社である。政府は国民みんなに善いことをするふりをして本当は悪いことをするために、国民みんなに政府のことを教えているふりをして本当は教えていないのだ。そのために、政府はテレビ会社に命令して『巨人の星』や『スタートレック』などを作らせたのだ。梶原一騎やジーン・ロッデンベリーは国民みんなの味方ではなく政府のまわし者だ。政府のことを知らない人はそれらを見てもなにを言っているのかわからないし、政府のことを知っている人は「テレビでやっているから、みんなが政府のことを知っているんだ」と思ってみんなに政府のことを教えようとしないから、政府のことを知らない人は政府のことを知らないままである。政府は政府のことを知っている者にみんなに政府のことを教えさせないために『巨人の星』や『スタートレック』のような“政府についての童話(喩え話)”をたくさん作らせたのだ。今では政府のことを知っている者が減っているから、政府はあまりそういう童話を作らなくなっている。このままでは危ない。
今の多くの人は政府のことを知らない。だから、今の多くの人にとっては政府について教える者が要る。政府について教える物が要る。私が喩え話にせずにそのまま政府のことを書いた。それなら政府のことを知らない人が読んで政府のことがわかる。政府のことを知っている人は私のように喩え話にせずに政府のことを書いて、政府のことを知らない人に政府のことを教えてみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府を倒さないといけない。
h30.6.14これ以後追加:梶原一騎やジーン・ロッデンベリーがみんなに政府のことを教える気があるのなら、私のように喩[たと]えずにそのまま言うはずである。みんなにわかりやすくするためにそのまま言うはずである。それなのに、マンガやSFに喩えるだけでそのまま言わない。それは、梶原一騎やジーン・ロッデンベリーがみんなに政府のことを教える気がないからである。梶原一騎やジーン・ロッデンベリーはみんなに『政府が悪いことをする会社である』ことが作り話だと思わせるために正直にそのまま言わなかったのだ。しかし、善い人を悪い人に喩えて作り話を作ったりしない。それは失礼だし、冗談が行き過ぎているからである。他人を侮辱[ぶじょく]する作品に人気が出るはずがない。だから、『巨人の星』や『スタートレック』は事実なのである。『政府が悪いことをする会社である』ことは事実なのである。日本人は空想よりも真実のほうが好きである。日本人は空想よりも真実のほうを面白いと思う。だから、私は真実を言う。私はそのまま『政府が悪いことをする会社だ』と言う。今のみんなはマゾではなくなっているために真実を知らない人が多いから、私はみんなに真実を教えるために喩えずにそのまま言うのだ。
『政府は悪いことをする会社である。』しかし、『国は国民みんなが作るものである。』この二つを統合すると『昔はみんながマゾだった』ことになる。反対に、『今はみんながマゾではない。』だから、今のみんなでみんなに悪いことをする政府を倒せばいいのである。昔のみんなはマゾだったから自分が悪いことをされるために政府を建てたのだから、今のみんなはマゾではないから自分が悪いことをされないために政府を倒せばいいのである。今のみんなで政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23858] 国民は何かわからないことに対してお金を払うほど甘くはない。☆ h30.6.13
国民は会社のサービスに対してお金を払う。国民は会社がなにをやっているのかわからないのに会社にお金を払ったりしない。だから、これまで国民は政府が何かわからないことをやっていることに対してお金を払ってきたのではない。
政府は国民の眼の前で国民から税金を取っている。だから、国民は政府が国民からお金を取っていることに対してお金を払うのである。
テレビや新聞を見ると、政府が国民に対して人殺しや嫌がらせをやっているのがわかる。だから、国民は政府が人殺しや嫌がらせをやっていることに対してお金を払うのである。政府はみんなに政府が人殺しや嫌がらせをやっていることをわかりやすくするために、国家宗教の神に因[ちな]んで人殺しや嫌がらせをやっているのだ。つまり、神武天皇の“光る玉”を入れたり私の名前の“川ブ”を入れたりして人殺しや嫌がらせをやっているのだ。
つまり、政府の仕事は強盗や人殺しや嫌がらせなのである。国民は政府が強盗や殺人や嫌がらせをやっているのを見て、政府がちゃんと仕事をしているのを確かめてから、政府に仕事代を払うのである。そういう点では、政府はほかの会社と同じである。電気会社やスーパーと同じである。国民は電気会社に電気を売ってもらうかわりに電気会社にお金を払うのである。国民はスーパーで商品と引き替えにお金を払うのである。
政府の仕事は強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをすることである。昔は国民みんながマゾだったから、政府に悪いことをされて幸せだったから、政府に悪いこと代として税金を払っていた。しかし、今は国民みんながマゾではないから、政府に悪いことをされても幸せではないから、政府に悪いこと代として税金を払わなくていい。政府と国民は平等だから、国民は自分が政府に悪いことをされるのが嫌なら政府にお金を払わなければいい。例えば、自賠責保険←自賠責←ジバイセキ←ジバイ←ジイバ←川ブ(ジ≒川、イ≒フ、バ≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、政府は国民を嫌がらせるために自賠責保健をやっている。国民は自分がマゾでなければ、自賠責保険に入らなければいいのだ。
政府は悪いことをする会社である。今の国民みんなは早く政府を倒して、みんなに悪いことをする会社をなくして幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の国民みんなはさっさと政府を潰[つぶ]さねばならない。政府は人前で善い人ぶっているから、馬鹿が騙[だま]されて政府にお金をやって政府が残っているのである。みんなは政府の嘘[うそ]や芝居に騙されないようにして、早く政府を倒さないといけない。

[23859] スピーカーよりもヘッドホンのほうがいい。 h30.6.13
スピーカーで聞くと音が部屋全体に広がるので音がボンヤリする。ヘッドホンで聞くと音が耳元で聞こえるので音がはっきりする。だから、スピーカーよりもヘッドホンのほうがいい。音楽をヘッドホンで聞いたほうがスピーカーで聞くよりも気分が盛り上がる。
私が最近買ったソニーのスピーカーSRS-X55(アマゾンで1万7千円ぐらい)で聞くよりも、私がずいぶん前から持っているソニーのヘッドホンMDR-AV510(アマゾンで千五百円ぐらい)で聞くほうが音がはっきり聞こえていい音に聞こえる。気分がよくなる。
私は昨日[きのう]『Pioneer ヘッドホン 密閉型/オンイヤー/折りたたみ式 ブラック SE-MJ512-K 【国内正規品】』(アマゾンで2千円ぐらい)を買って聞いてみた。頭を挟[はさ]む力が弱いので頭が痛くないが、スポンジが耳を押して変な感じだ。密閉型なので音が大きいが、ハウジングに音が響いてエコーがかかって音がぼやける。ドライバーが直径40mmで低音から高音までよく聞こえるが、ドライバーが直径30mmのソニーのMDR-AV510のほうが音の切れがよくてクールに聞こえる。耳への感触はスポンジが出っ張らないMDR-AV510のほうがスポンジが出っ張っているSE-MJ512よりもよい。私はぼやけた音よりも切れた音のほうが好きだ。私は音楽をディープに聞くのではなくクールに聞きたい。だから、私はすぐにヘッドホンをパイオニアのSE-MJ512からもとのソニーのMDR-AV510に戻した。
最近のヘッドホンは音がぼやけた物が多い。日本人は切れた音のほうがボケた音よりも好きである。政府が国民みんなを嫌がらせるために音響メーカーに命令してボケた音が出るヘッドホンを作らせているのだ。このたび私は密閉型とオープン型(開放型)の違いに気づかずにうっかりしてパイオニアのSE-MJ512を買ってしまった。密閉型は音がボケるのでよくない。みんなは密閉型を買ってはいけない。オープン型を買わないといけない。
耳触[ざわ]りのほうが音質よりも大事だ。耳への感触はオンイヤー型がいい。オンイヤー型がオーバーイヤー型やアラウンドイヤー型よりもいい。オンイヤー型は軽くて装着感がないが、オーバーイヤー型やアラウンドイヤー型は重たくて耳や頭を挟[はさ]んで鬱陶[うっとう]しいので、オンイヤー型のほうがいい。音質はオープン型がいい。密閉型はハウジングに音が響いて音がぼやける。オープン型は音が外に抜けるので音の切れがいい。日本人はぼやけているよりもはっきりしているほうが好きである。だから、密閉型よりもオープン型がいい。たぶん、密閉型は音を狭いところに閉じ込めることだから、音は音←OTO←OとT←光る玉と天皇←天皇家だから、天皇家はいつも皇居に閉じこもっているから、政府がみんなを嫌がらせるためにメーカーに命令して密閉型にさせたのだろう。
したがって、みんなはオンイヤー型でオープン型(開放型)を買わないといけない。耳掛け式は耳たぶが痛くなるし耳への感触がよくないからいけない。そもそも耳掛け式は耳←イヤー←イヤ←ヤイ←カブ(ヤ≒カ、イ≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、政府が国民みんなを嫌がらせるために作らせたのだ。ヘッドバンド型でないといけない。幸い、オンイヤー型でオープン型でヘッドバンド型のヘッドホンは小型であるために不愉快[ふゆかい]な低音が弱いから気持ちよく聞ける。こうなると選択肢は狭[せば]まる。あまりたくさん種類がない。この中から自分の好きな物を選んで買えば幸福になれる。ほかのヘッドホンはお金持ちからお金をふんだくるためにある。お金持ちは馬鹿だから見た目で物を選ぶから高いヘッドホンは格好[かっこう]がいいだけで性能が悪い。メーカーがお金持ちを嫌がらせるためにわざとに幅をきつくして頭が痛くなるようにしているのだ。だから、いい人は買ってはいけない。だから、昔から貧乏人のほうがお金持ちよりも幸福なのだ。
人間は家の外では自然勉強や社会勉強のために音楽を聞いたりゲームをやったりしてはいけない。人間は家の外では自然や社会を見たり聞いたりして自然や社会を知らねばならない。だから、家の外ではヘッドホンをすることはない。だから、ヘッドホンはオープン型(開放型)でいいのだ。人間は家の外で自然や社会を見たり聞いたりして、家の中では家の外で見たり聞いたりしたことをもとにして頭で考えて自然や社会を理解しないといけないのだ。
h30.6.14これ以後追加:日本人は生まれつき眼と頭が均等に発達しているために実在がわかる。日本人は実在について考えるのが好きである。日本人は眼で見ることや耳で聞くことはあまり好きではない。日本人にとっては眼で見ることや耳で聞くことは暇つぶしにすぎない。日本人は眼で見ることや耳で聞くことにあまりお金をかけないようにして実在について考えることに時間をかけて幸福に暮らさねばならない。日本人は形や音よりも言葉のほうが好きである。日本人は言葉を読んだり書いたりして楽しく遊ばねばならない。日本人は文を作るのが好きだから、自分で考えて文を作って楽しまねばならない。
新しいオーディオ機器を買った直後はオーディオ機器が珍しいので音楽をよく聞く。しかし、日本人はもともと音楽があまり好きではないので3日経[た]つと飽[あ]きる。すぐに飽きて音楽を聞かなくなってほかのことをやり出す。自分がもっと面白いと思うことをやり出す。静けさもいいものだね。だから、オーディオ機器にあまりお金をかけずに、ほかのことにお金をかければいい。お金はもっと楽しいことにかけるべきである。日本人は考えることが好きである。自分が実在について考えるためにはほとんどお金が要らない。ノートやパソコンにちょっとお金が要るだけである。だから、お金を使わずに自分ががんばって考えればいいのだ。考えて喜べばいいのだ。
特に今はゲームがあるからオーディオは古臭い。ゲームのほうがオーディオよりも面白いから、ゲームをやってオーディオをやらないほうがいい。だから、オーディオなんか買わずに、パソコンで安いヘッドホンで音楽を聞けばいいのだ。私は今回たくさんのヘッドホンやスピーカーを買った。オーディオに4万円ぐらい使った。お金の無駄遣[むだづか]いをした。損失はこの辺で止[とど]めねばならない。
←オーディオテクニカのATH-P100L(アマゾンで1,300円ぐらい)。この辺[へん]が一番いい。ソニーの音がどうしても好きな人はMDR-S40(アマゾンで4千円ぐらい)を買えばいいだろう。

[23860] 政府の警察は悪人を罰するためにはない。 h30.6.14
政府は悪いことをする会社である。政府の警察は国民に悪いことをするためにあるのであって、悪人を罰するためにあるのではない。今の世の中には悪い人を罰する機関はない。だから、国民が自分で悪い人を罰しなければならない。それが『必殺仕事人』である。
政府は善いことをするふりをしている悪いことをする会社である。政府は国民みんなに「政府の警察が本物の警察だ」と思わせるために、政府に従う者を使って銀行強盗をやらせて政府の警察に撃ち殺されたりさせているのだ。国民みんなは政府の下手[へた]な芝居に騙[だま]されないようにして『政府の警察が偽者[にせもの]の警察だ』と考えて、早く政府を倒して、本物の警察を建てねばならない。

[23861] 今でも政府はマゾの国民を恥ずかしがらせないために「政府が善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついている。 h30.6.14
政府は悪いことをする会社である。政府はマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に悪いことをする会社である。(マゾとは悪いことをされて喜ぶ人のことである。いわゆる変態の一種である。)しかも、マゾは自分がマゾであることが恥ずかしいので、政府はマゾの国民を恥ずかしがらせないために自分が善いことをする会社のふりをして悪いことをやっている。
昔はみんながマゾだったので、みんなが『政府が悪いことをする会社である』ことを知っていて政府に悪いことをされて喜んでいた。政府はみんなを喜ばせるために悪いことをして、みんなを恥ずかしがらせないために嘘をついて「政府は善いことをする会社だ」と言っていた。政府はマゾの国民を恥ずかしがらせないために口先で嘘の理由をつけて悪いことを善いことに見せかけて悪いことをやっていた。
今はみんながマゾではなくなったために、多くの人が『政府が悪いことをする会社である』ことを知らなくなっている。しかし、今でも政府はマゾを恥ずかしがらせないために「政府が善いことをする会社である」と嘘をついている。嘘の理由をつけて悪いことを善いことに見せかけて悪いことをやっている。そのために、多くの人は「政府が善いことをする会社である」と思って政府に善いことをしてもらうためにたくさんお金をやって政府の言うことを聞いている。しかし、本当は政府は悪いことをする会社だから、政府は国民からお金をもらって国民に悪いことをやっている。政府は国民を脅[おど]して税金や保険金を取って国民からお金を強盗したり、事件や事故を起こして国民を殺したり、国民にいろんな嫌がらせをやったりしている。政府は国民みんなを嫌がらせるためにみんなに不幸の地獄を味わわせるためにみんなに科学や道徳をやらせなかったり、悪人が上で善人が下の社会にしたりしている。政府は善いことをやっていない。政府は悪いことや国民の役に立たないことをしているだけで、善いことはなにもやっていない。善いことは政府とは別の会社がやっている。政府がマゾの国民を恥ずかしがらせないために「政府が善いことをする会社だ」と思わせるために嘘をついて政府の会社と言うことにしているのだ。この世界は一見[いっけん]政府がみんなが幸福に暮らせる国を作ってみんなが平和に幸せに暮らしているように見えるが、本当は政府が国民みんなに悪いことを国民みんなが不幸に暮らしているのだ。アニメ映画『風の谷のナウシカ』の反対なのだ。
“小さな親切大きなお世話”とは、政府がマゾの国民を恥ずかしがらせないために「政府が善いことをする会社だ」と嘘をつくことである。今のみんなはマゾではなく、多くの人が「政府が善いことをする会社だ」と誤解をして政府が残ってみんなに悪いことをしてみんなが迷惑しているから、政府が嘘をつくのは“小さな親切大きなお世話”なのである。“小さな親切大きなお世話”とは、けっして政府が善いことをちょっとだけやって悪いことをたくさんやっていることではない。政府は善いことはほんの少しもやっていない。それが政府の悪いことをする会社としての誇[ほこ]りだからだ。政府は自分が悪いことをすることに誇[ほこ]りを持っているから、善いことなんか恥ずかしくてやれないのだ。
この世界は一見[いっけん]政府がみんなが幸福に暮らせる国を作ってみんなが平和に幸せに暮らしているように見えるが、本当は政府が国民みんなに悪いことを国民みんなが不幸に暮らしているのだ。アニメ映画『風の谷のナウシカ』の世界と反対なのだ。テレビゲーム『マインクラフト』のネザーみたいなのが本当の世界なのだ。
今のみんなはもっと政府のことを理解して『政府が善いことをする会社のふりをして、じつは悪いことをする会社である』ことを知らねばならない。(アニメ『デ・ジ・キャラットにょ』でもそう言っていた。)今のみんなはマゾではないから、政府がおよびでない。今のみんなは政府が要らない。政府と国民は平等である。国民が政府に悪いことをしてもらいたければ政府にお金を払い、政府に悪いことをしてもらいたくなければ政府にお金を払わなければいい。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにしないといけない。政府に税金や保険金をやらないようにしないといけない。そうやって、国民みんなで早く政府を倒して、明るい国にしないといけない。
一生政府について誤解したまま生きていくのは人間として恥ずかしい。人間として生まれてきたら正しいことを知りたい。だから、政府について正しいことを知っていないといけない。人間は正しいことを知れば正しいことを行う。そうやって人間は正しく楽しく生きて行かねばならない。

[23862] 日本人は甘えの気持ちが強いために政府に頼りたがる。 h30.6.15
政府はマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に悪いことをするが、マゾは自分がマゾであることが恥ずかしいので、政府はマゾの国民を恥ずかしがらせないために「政府が善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついて悪いことをする。
同じように、政府は国民みんなを拝[おが]みたい国民のために選挙や議会をやって国民みんなを拝ませるが、国民みんなを拝みたい国民は自分が国民みんなを拝むことが不合理的に思われて恥ずかしいので、政府は国民みんなを拝みたい国民を恥ずかしがらせないためにいろんな省庁を建てて「政府が民主主義をやって国民みんなの総意を決めて政府の省庁がそれを具体化して国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と嘘をついて、本当は政府の省庁は建物の中で暇つぶしのどうでもいいことをしているだけで、政府は選挙をやって国民みんなの代理である議員を決めて、国民に議員が議会をやるところを見せて国民みんなを拝ませているだけである。
つまり、今の国民みんなが幸福に暮らせるのは国民みんなが自分たちで幸福に暮らせる国にしているからである。政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなが不幸に暮らさねばならないようにしているだけである。
それなのに、政府が「政府は善いことをする会社である」とか「政府が民主主義で国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」とか嘘をついているために、政府の正体を知らない国民は政府の嘘を信じて政府に頼って、政府に国民みんなが幸福に暮らす国を作ってもらうために政府にたくさんお金をやっている。しかし、本当は政府は国民に悪いことをする会社だから、国民に国民みんなを拝ませているだけだから、今の国民はマゾではなく国民みんなを拝みたくないから、今の国民は政府に悪いことをされて不幸にされてつまらない物(選挙や議会のこと)を見せられているだけである。
しかも、日本人は親子の愛情が強いので、親が子供を甘やかすので、子供は親に甘えるので、国民は政府が自分の親だと思って政府に甘えて「政府が自分のために善いことをしてくれる」と信じて「なんでも政府がやってくれる」と思って「政府の言うことを聞けば自分は幸福になれる」と思ってわけもわからずに政府の言うことをなんでも聞いている。
外人は甘えの気持ちが弱いので『自分で自分を幸福にしないといけない』と思っているので政府の言うことをあまり聞かないが、日本人は甘えの気持ちが強いので「政府が自分を幸福にしてくれる」と思っているので政府の言うことをなんでも聞く。しかし、本当は政府は悪いことをする会社である。だから、外人は政府の言うことをあまり聞かないので政府にあまり不幸にされないが、日本人は政府の言うことをよく聞くので政府にすごく不幸にされるのである。今の外国ではみんなが幸せに暮らしているのに、今の日本ではみんなが不幸に暮らしているのはそのせいである。
そもそも今の国民の多くが「政府が善いことをする会社である」「政府が民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と誤解していることがいけないのだ。人間は自分に善いことをしてくれる人には甘えてもいいが、自分に悪いことをする人には甘えてはいけない。だから、今の国民みんなは政府に甘えないようにして政府の言うことを聞かないようにして、自分で自分を幸福にしないといけない。政府は悪いことをする会社だから、政府は国民みんなを拝ませる会社にすぎないから、今の国民にとっては政府は要らない会社だから、今の国民みんなは政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。早くみんなで国から役立たずの会社をなくして、国中をみんなの役に立つことをする会社だけにしないといけない。
今から約30年前、私が九大医学部に合格して教養部に通っていたころ、一般教養の社会科学の講座を受けたが夏休みに土居健郎[どいたけお]の『甘えの構造』という本のレポートを書かされた。私はこの本をちょっとだけ読んでみたがわけがわからなかったので、レポートを書くのをあきらめて単位を捨てた。

[23863] オーディオ機器について h30.6.15
今日アマゾンから新しいスピーカー『JBL GO2』とヘッドホン『audio-technica ATH-EP700』が届いた。さっそく聞いてみた。
スピーカー『JBL GO2』(アマゾンで3,771円)については、明らかに私が今使っているソニーのSRS-X55のほうがいい。JBLのGO2は音が全体的にぼやけている。音がボヤ〜とダラ〜としている。特に高音がグシャグシャして潰[つぶ]れて濁[にご]っている。X55は音がはっきりしている。もっとも、X55が1万7千円であるのに対し、GO2は4千円だからそもそも比較にならないのかもしれない。JBLのもっと値段が高いのを買えば、音がはっきりしているのかもしれない。しかし、私がユーチューブを見たかぎりでは、やはりJBLのスピーカーはいくら値段が高くても音が曇ってボンヤリしている。私はクラシックばかり聞くからGO2は適していないが、ボーカルを聞くのであればかえってGO2のほうがいいのかもしれない。ソニーのスピーカーの中で低音があまり強くない物を買えば、かなりいい音が聞けるだろう。外観は、私にとってはGO2のほうがX55よりも嫌だ。形が丸いし、色がどぎついし、やはり正面の“JBL”のロゴが目障[めざわ]りだ。アマゾンの写真と実物では印象がだいぶ違う。アマゾンの写真ではGO2は縦に長くてかわいいが、実物はもっと横に長い形である。横のほうが縦よりも長くてデブっぽくってかっこ悪い。JBLのロゴがアマゾンの写真では薄くて目立たないが、実物では黒っぽくてよく目立つ。アメリカの製品(JBLのGO2のこと)は宣伝がうまいだけで製品自体はオンボロだ。私はこれまで通りソニーのX55を聞くことにして、JBLのGO2をしまっておくことにした。
ヘッドホン『audio-technica ATH-EP700』(アマゾンで5,332円)については、音質は私が今使っているソニーのMDR-AV510と大差ない。どちらもオープン型(開放型)でオンイヤー型である。音質はEP700がドライバーが直径40mmで大きくてAV510がドライバーが直径30mmで小さいから、EP700のほうが若干[じゃっかん]音の解像度が高くて空間の広がりを感じるが、音質そのものはそれほど変わらない。パッと聞きでは区別が付かない。肝心[かんじん]の装着感については、正直言ってEP700はきつい。3分ぐらいつけていると耳が挟[はさ]まれて少し痛くなる。私が今使っているAV510は何時間つけていてもまったく痛くない。私がずっと前に使っていた漆[うるし]塗りのATH-W11JPNも耳が痛かった。オーディオテクニカのヘッドホンは挟む力が強いので耳や頭が痛くなる。頭の大きい人はオーディオテクニカのヘッドホンは使ってはいけない。頭が大きい人はソニーかパイオニアの安いヘッドホンのほうがいい。オーディオテクニカのドライバーとソニーのヘッドバンドをコラボすればいいのになあ。この前に買ったパイオニアの密閉型オンイヤー型ヘッドホンSE-MJ512-Kのほうが装着感がゆるくていい。SE-MJ512はスポンジがちょっと耳に当たって軽く違和感があるだけで耳を挟み込まないから耳が痛くなることはない。私はATH-EP700は耳が痛くなるので使わないことにした。音そのものはEP700のほうがちょっといいが、装着感はAV510のほうがずっといい。音よりも装着感のほうが大事だ。私はこれまでのソニーのMDR-AV510を使い続けることにした。

[23864] 政府は合理的には理解できない会社である。☆ h30.6.16
私は政府のことについて考え始めてから8年間ぐらいは政府を合理的に理解しようとしていた。
しかし、どうしても政府が理解できなかった。政府はみんなに悪いことをするが、みんなは政府の悪い命令を聞いている。その理由がわからなかった。
そのうち、今から約3年前に世界の国の文化について考え出して、日本人が神にも国民みんなにも古臭い物にも従わないことから、『人間には“悪いことをされる喜び”がある』と考えるようになった。
『政府はマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に悪いことをする会社だ』とわかった。
そう考えると、政府のことが次々にわかるようになった。
昔は不合理的な世界だった。人間そのものが不合理的な存在だった。人間には“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争する喜び”があった。人間はそれらの喜びを満足するために生きていた。昔はそんな世界だった。
今は合理的な世界になっている。今では人間が科学をやるようになって自分の頭を使って実在の世界を理解するようになって、人間が合理的に考えて合理的に行動するようになっている。今の人は実在の中で暮らして実在の中で自分の心を満足するようになっている。人間が自分の心の実在に従う部分だけを満足するようになっている。だから、今の人間は合理的なのだ。
今の人間は実在の中で自分の心を満足するようになっているために、“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争する喜び”などの実在の外にある喜びを満足しなくなっている。今の人間は昔の人間と生き方が違うために心も違うのだ。
今の人間はマゾではない。政府はマゾを喜ばせる会社である。今の人間にとっては政府が要らない。だから、政府を倒せばいいのである。みんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今の人が『人間が不合理的な存在である』ことを認めて『昔の人間がマゾであった』ことを認めれば政府のことが理解できる。今の人はマゾではないから今の人にとっては政府が要らないから政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府を倒せばいいことがわかる。今の人間にもまだ多少は不合理的なところが残っている。今の人間もマンガを読んだり音楽を聞いたりして空想や眼先のことで喜んでいる。今の人間もまだ多少は実在の外で自分の心を満足している。昔の人は今よりももっと不合理的だったから今よりもっと実在の外で暮らしていたから、昔の人は自分が死のうが生きようがどうでもよかったから現実の自分なんかどうでもよかったから“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争する喜び”などの不合理的な喜びがあったのだ。実在の外の喜びがあったのだ。実在の外にある喜びを満足して喜んで生きていたのだ。
今の人は合理的な世界の中で暮らしているために合理的にしか考えられなくなっている。そのために、今の人には見えないことがある。今の人はもっと自分の頭を柔軟にして物事を考えるようにして人間の不合理性を認めて『昔の人がマゾであった』ことを認めて『政府がマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に悪いことをする会社である』ことを理解して早く政府を倒さねばならない。
マンガ『魔法陣グルグル』にも政府のことを書いている。カセギゴールドとは政府のことである。政府は国民から税金を取って儲[もう]けているからカセギゴールドなのである。政府はみんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをするからモンスターなのだ。カセギゴールドは洞窟の中に住んでいる。今のみんなは「政府が善いことをする会社である」「政府が民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」という嘘[うそ]の世界の中に生きているために国民みんなが政府に善いことをされて幸福に暮らしているように見えるが、本当の世界では『政府が悪いことをする会社である』『政府が選挙や議会をやって国民に国民みんなを拝ませているだけであり、政府の省庁は国民みんなの役に立つことをやっていない』から国民みんなは政府に悪いことをされて不幸になっているのである。本当の世界は嘘の世界に隠れて見えにくい。だから、本当の世界を洞窟に喩[たと]えているのだ。カセギゴールドの弱点は“肩のうしろの2本のツノのまんなかにあるトサカの下のウロコの右”である。まさにわけがわからない。政府が不合理的な会社だからわけがわからないのである。政府の弱点はみんなが『政府がマゾを喜ばせるためにマゾに悪いことをする会社である』ことがわかって、今の自分がマゾではないから政府に悪いことをしてもらわなくてもいいから政府に悪いこと代を払わなくなることである。政府に税金や保険金などのお金をやらなくなることである。ニケ君は妖精からカセギゴールドの弱点を聞いて偶然にカセギゴールドの弱点を突いてカセギゴールドを倒した。ニケ君も妖精も私のことである。私は今から約3年前に偶然に政府のことを理解して『政府が悪いことをする会社であり、政府は民主主義をやっていないから政府には国家権力がないから政府と国民は平等である』ことがわかって政府の弱みを理解して政府に税金や保険金を払うのをやめて政府を倒した。だから、ほかのみんなも私に続いて政府を倒さねばならない。みんなで早く政府を倒して政府のない世の中にしてみんなで幸福に暮らさねばならない。
←カセギゴールド。洞窟のボス。衛藤ヒロユキ著『魔法陣グルグル』第一巻より(私もいまだに段ボール箱の中に保管している)。カセギゴールドが握[にぎ]っている台本は「政府が悪いことをするふりをして善いことをする会社である」ことを表しているのではなく、『政府がマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に悪いことをする会社である』ことを表している。
政府は善いことをするふりをして悪いことをする会社である。政府は善いことをするふりをするだけで善いことをしない。国民が政府にやったお金は政府が善いことをすることには使われず、政府が善いことをするふりをしたり悪いことをしたりすることに使われている。政府がテレビ局や出版社に「政府が善いことをする会社だ」と嘘をつかせたり、みんなに科学や道徳をやらせないことや悪人が上で善人が下の社会を作ることに使われている。政府は働かない者が上で働く者が下の社会にしている。国民が政府にお金をやると悪い社会になるだけである。みんなが不幸に暮らさねばならない社会になるだけである。国民は政府にお金をやって自分が不幸に暮らさねばならない国にしている。国民は自分で自分を不幸にしている。国民が馬鹿である。だから、国民は自分が幸福に暮らせるようにするために政府に悪いことをさせないために政府にお金をやらないようにして政府に税金や保険金を払わないようにして政府を倒さねばならない。

[23865] 『巨人の星』と『侍[さむらい]ジャイアンツ』 h30.6.17
『巨人の星』も『侍ジャイアンツ』も同じ梶原一騎[かじわらいっき]の原作である。『タイガーマスク』もそうである。
『巨人の星』ではマゾについて述べられている。
大リーグボール1号は、大昔の人が隠さずにあけっぴろげに政府に悪いことをされていたことを表している。紀元前のころの大昔の人は文明が遅れていてマゾであったが自分がマゾである(つまり自分が悪いことをされて喜ぶ)ことを恥ずかしいと思わなかったので、堂々と政府に悪いことをされて喜んでいたのである。政府は嘘[うそ]をつかずにそのままみんなに悪いことをしていたのである。
大リーグボール2号は、昔の人が隠して政府に悪いことをされていたことを表している。古代から戦前までのころの昔の人は文明が遅れていてマゾだったが文明が多少進んで自分がマゾであることが恥ずかしくなったので、政府がみんなに「政府は善いことをする会社だ」と嘘をついてみんなを恥ずかしがらせないようにしながら悪いことをしてみんなを喜ばせていたのだ。今ではさらに文明が進んでみんなはマゾではなくなっているが、政府は今でも「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついて隠して悪いことをしているので、今のみんなは政府と戦って政府を倒している最中である。
大リーグボール3号は、未来の人が政府に善いことをされていることを表している。未来の人は文明が進んでマゾではなくなっていているために、政府はみんなにしぶしぶ善いことをやっている(つまりアンダースローで超スローボールを投げている)。しかし、政府は自分が善いことをしているのがいたたまれなくなって、最後には自分で(つまり伴宙太[ばんちゅうた]が)自分を潰[つぶ]してなくなってしまったのだ。
『侍ジャイアンツ』は拝[おが]むことについて述べられている。戦後は日本に世界中の文化が入ってくるようになって、政府がヨーロッパ文化以外にアジア文化をやるようになった。政府が幕府みたいになった。だから、侍ジャイアンツなのだ。(私は子供の頃アイキャッチの“侍”の字が読めなくて“待て”だと思っていた。)
ハイジャンプ魔球は、ヨーロッパの国家宗教のことである。ジャンプ←ジプ←シブ←川ブ(シ≒川、プ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私で、海老[えび]投げハイジャンプ魔球←海老←丸くて長い←天皇家だから、ハイジャンプ魔球は国家宗教の神である私と天皇家を表しているから国家宗教のことである。国家宗教の神は嘘では人間よりも上の者なので高くジャンプするのだ。国家宗教は本当は国民が国家宗教の神を拝むこと(つまり、手と手を合わせて頭を垂[た]れて幸せな気分になること)にすぎないが、文明が進んでみんなが拝むことが不合理的に思われて恥ずかしくなったので、政府がみんなが恥ずかしがらずに国家宗教の神を拝めるようにするために「国家宗教の神は人間よりも上の者だからみんなは神に従わねばならない」と嘘をついているのだ。今の国民の多くは政府の嘘を真[ま]に受けて「国家宗教の神は人間よりも上の者だから、政府は神の近くにいるから政府も国民よりも上の者だ」と思って政府に従っているのだ。しかし、本当は『国家宗教の神は人間だから、政府も人間だから、政府と国民は平等である。』今の国民は政府の嘘を本気にしないようにして政府に従わないようにしないといけない。
大回転魔球は、中国の民主主義のことである。番場蛮[ばんばばん]がグルグル回るのは、国会の議員の席が丸いことを表している。民主主義は本来は国民が選挙をやって国民みんなの代理である議員を決めたり、議員が議会をやっているのを見たりして国民みんなを拝むことだが、文明が進んでみんなが国民みんなを拝むのが恥ずかしくなったので、政府はみんなが恥ずかしがらずに国民みんなを拝めるようにするために「政府が民主主義をやって国会で国民みんなの総意を決めて、政府の省庁が国民みんなの総意を具体化して実現して国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と嘘をついているのだ。政府の省庁は本当は建物の中で暇つぶしにどうでもいいこと(例、承認のハンコを押すこと)をやっているだけだ。今の国民の多くは政府の嘘を真に受けて「政府は民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っているから、政府には国家権力があるから、国民は政府に従わねばならない」と思って政府に従っているのだ。しかし、本当は『政府は国民に国民みんなを拝ませているだけで民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っていないから、政府には国家権力がないから、国民は政府に従わなくていい。』今の国民は政府の嘘を本気にしないようにして政府に従わないようにしないといけない。
分身魔球は、インドの身分制のことである。身分をひっくり返して分身なのだ(私も字にしてはじめてわかった)。身分制は本来は国民が政府を拝むことだが、文明が進んでみんなが政府を拝むのが恥ずかしくなったので、政府はみんなが恥ずかしがらずに政府を拝めるようにするために「政府が悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、みんなは政府に殺されないために政府の言うことを聞かねばならない」と嘘をついているのだ。本場のインドでは政府が「政府が身分が高い」と嘘をついているが、日本ではみんなが身分がわからないので政府は「政府が悪いことをするのが好きな犯罪組織だ」という嘘をつくのである。今の国民の多くは政府の嘘を真に受けて「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、国民は政府の言うことを聞かないといけない」と思って政府に従っているのだ。しかし、本当は『政府はマゾの国民を喜ばせるためにマゾの国民に悪いことをするだけだから、国民は自分がマゾでなければ政府の言うことを聞かなくていい。』今の国民は政府の嘘を本気にしないようにして政府に従わないようにしないといけない。
昔はみんなが拝むことが好きだったので、政府に国家宗教の神や国民みんなや政府自身を拝ませてもらってお礼にお金を払っていたが、今では文明が進んで物が豊かになって面白い物がたくさんあるのでみんなが拝むことが好きではなくなったので、政府に拝ませてくれたお礼にお金を払わなくなった。政府はいくら国民に国家宗教の神や国民みんなや政府自身を拝ませても国民からお金を取れなくなったのである。だから、番場蛮は死んだのだ。
その後の『新巨人の星』も梶原一騎の原作である。『新巨人の星』では、政府の嘘について述べられている。政府の国民みんなの騙[だま]し方を大リーグボール4号などに喩[たと]えているのだ。もっとも、『新巨人の星』は私が高校生の頃にテレビで放送されていて、私は受験勉強がいそがしくてほとんど『新巨人の星』を見たことがないからよく知らないが。『巨人の星』は私が小学生のころテレビで夕方に3回も再放送があったからよく知っている。『侍ジャイアンツ』は私が小学4年生のころテレビでゴールデンタイムに放送があったから家族みんなで見ていたからよく知っている。しかし、『新巨人の星』はゴールデンタイムに放送があったが、私は絵柄[えがら]が好きではなかったので途中で見るのをやめたのでほとんど知らない。
社会科学とはみんなが今の社会について知ってみんながもっと幸福に暮らせるように社会を改良することである。国民は今の世の中を受け入れておとなしくしてしまってはいけない。国民は今の世の中を受け入れず今の世の中を変えなければならない。国民は今の世の中を否定して今の世の中をもっとよくしなければならない。
そもそも今の日本の人口が多すぎるのがいけない。日本の人口が多いために遊んでいる者が増えている。自分が働かずに他人に働かせて他人の稼[かせ]ぎで食っている者が大勢いる。そのために、みんなが貧乏に暮らさねばならなくなっている。政府は悪いことをする会社である。政府はみんなを嫌がらせるためにテレビで大家族のことを放送させて日本の人口を増やしてみんなを貧乏にしているのだ。ヨーロッパ人は政府の言うことを聞かないから人口が増えずに所得が増えて幸福に暮らせるが、日本人は政府の言うことを聞くから所得が増えずに人口が増えて幸福に暮らせなくなっている。国民は政府の言いなりになっていてはいけない。国民みんなで子供を作らないようにして日本の人口をもっと減らしてみんなが均等に働くようにしてみんなが裕福になって幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23866] パイオニアヘッドホンSE-MJ512とソニーヘッドホンMDR-AV510の比較 h30.6.17
パイオニアSE-MJ512は密閉型でオンイヤー型のヘッドホンである。アマゾンで2,100円ぐらい。
ソニーのMDR-AV510はオープン型でオンイヤー型のヘッドホンである。アマゾンで3,000円ぐらい(ちゃんと注文を検索して調べた。2006年と2011年に2回買っている)。
MJ512はドライバーの直径が40mmで低音がよく聞こえる。そのかわり高音がグシャグシャして潰[つぶ]れている。
反対に、AV510はドライバーの直径が30mmで低音があまり聞こえない。そのかわり高音が解像度がよくてきれいに聞こえる。特にシンバルのジャーンという音がきれいに聞こえる。しかし、いちおうきれいなだけで感動するほどきれいでもない。
人間は低音を聞くと気持ちが落ち込む。人間は高音を聞くと気持ちが揚[あ]がる。私は低音よりも高音のほうが好きだからソニーのAV510のほうを選ぶ。
それから、パイオニアのSE-MJ512はコードが1.2mしかなくて短い。延長コードが要る。一方、ソニーのMDR-AV510はコードが5mもある。長すぎるが巻いて短くすればいいのでこのほうがいい。
音楽はなるべくスピーカーで聞けばいい。そのほうが音が歪[ゆが]まずきれいだから楽しく聞ける。ヘッドホンは耳にかけないといけないから小型で軽くしないといけないからその上イヤホンジャックの電力だけで動かさねばならないから機械的な制限を受けるためにどうしても音が歪む。歪まないのが無理である。高額のヘッドホンならあまり音が歪まないかもしれないが、それではコスパが悪い。現実的ではない。ヘッドホンは夜中に音を聞くために周[まわ]りの人に迷惑をかけないためにやむを得ず使うものである。昼間はスピーカーで、夜はヘッドホンで聞けばいい。ヘッドホンはスピーカーの穴埋[う]めなのだ。

[23867] 大リーグボール3号について h30.6.18
『巨人の星』の大リーグボール3号は政府の会社の民営化のことかもしれない。政府は自分が善いことをする会社のふりをするために嘘[うそ]をついて政府ではない会社を政府の会社ということにしている。善いことをする会社を政府の会社ということにしている。善いことをする会社が税金とは別に料金を取っていることが、善いことをする会社が政府の会社ではない証拠である。反対に、警察や学校が政府の税金で経営されているのは、警察や学校が国民に悪いことをするためにあるからである。政府の警察は本物の警察ではないから、国民が悪いことをしても政府の警察は逮捕できないから恐れるに足りない。政治家の家に石でも投げ込んで窓ガラスを割ってやればいい。(h30.6.23追加:税金は政府がみんなに悪いことをするためのお金である。天気予報については、国民みんなが嫌いな“確率”を使って確率予報にして、しかも確率予報が曖昧[あいまい]であることを利用して実際には明日悪い天気なのに明日いい天気だとわざとに嘘の予報をしてみんなをがっかりさせて、政府は天気予報を使ってみんなに悪いことをやって税金で天気予報をやれるようにしている。学校や法律会社や天気予報は政府が国民に悪いことをするための手段だから税金でやっているのだ。)
ところが最近は文明が発達して政府の善いことをする会社が流行[はや]らなくなって儲[もう]からなくなっている。みんなが自動車を持って列車に乗らなくなって国鉄が儲からなくなったり、みんながコンピューターを持って電子メールでやりとりしてはがきや手紙を出さなくなって郵便局が儲からなくなっている。そのために、政府は国鉄や郵便局を民営化して政府の会社にすることをやめている。
政府はもともと悪いことをする会社だから、未来になっても政府が善いことをする会社に変わるわけがない。だから、大リーグボール3号を未来の政府の姿だと考えるのは無理がある。私がまちがっていました。
政府は国民に善いことをするふりをして悪いことをすることや、合理的なことをしているふりをして国民みんなや国家宗教の神や政府を拝[おが]ませることや、国を守るふりをして戦争をさせることが仕事である。もともと政府はそういうことをするのを仕事にしている会社である。政府が潰[つぶ]れないかぎり、政府は善いことをするふりをして悪いことをしたり、合理的なことをしているふりをして拝ませたり、国を守っているふりをして戦争をさせたりすることをやめない。今の国民の多くが政府のことを誤解して政府にお金をやっているから、政府が潰れずに残っている。今の国民みんなにとって政府は要らない仕事をしている。国民みんなが政府のことを理解して政府にお金をやるのをやめて政府を潰さねばならない。
大昔は政府は善いことをするふりをして悪いことをしていなかった。政府は善いことをするふりをせずにそのまま悪いことをやっていた。大昔は政府は合理的なことをするふりをして国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませていなかった。政府は合理的なことをするふりをせずにそのまま国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませていた。大昔は政府は国を守るふりをして戦争をさせていなかった。政府は国を守るふりをせずにそのまま戦争をさせていた。時代が進んでみんなが合理的な暮らしをするようになって不合理的なことをするのが恥ずかしくなったので、つまりみんなが実在の中で自分の心を満足するようになって実在の外で自分の心を満足するのが恥ずかしくなったので、政府はみんなを恥ずかしがらせないために善いことをするふりをしたり合理的なことをしているふりをしたり国を守るふりをしたりして嘘をつくようになったのだ。政府は時代に合わせてみんなに合わせて仕事を変える。今のみんなはますます合理的になって実在の中で自分の心を満足するようになって悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりするのが嫌である。だから、政府は時代に合わせてみんなに合わせて仕事をやめて潰れなければならない。
しかし、政府は自分で潰れてくれなかった。政府が自分で潰れないから国民が政府を潰さねばならない。国民みんなが政府にお金をやらないようにして政府を潰さねばならないのだ。
政府は国民みんなに合わせる。今の国民の多くが政府のことを誤解していて馬鹿だから、政府は国民の多くの馬鹿に合わせて嘘をついて悪いことをしたり拝ませたりしているのだ。だから、今の国民みんなはもっと政府のことを知って政府に馬鹿にされないようにしないといけない。馬鹿は考えることが嫌いだから自分が馬鹿であるのがうれしいから他人に騙[だま]されるのがうれしいから、政府は馬鹿を騙して馬鹿を喜ばせてやった引き替えに馬鹿から“騙し代”として税金や保険金を取っているのだ。馬鹿は自分が他人に騙されるのが好きだから馬鹿をやっているのである。馬鹿は自分が政府に騙されて喜んでいるから政府にお金を払っているのである。今の政府は馬鹿を騙すことが仕事である。今の政府は「善いことをする」と言って悪いことをしたり、「国民みんなが幸福に暮らせる国を作る」と言って悪いことや役に立たないことをしたりしてみんなに嘘をついて騙す会社である。政府は時代に合わせてみんなに合わせて仕事を変えているのだ。
時代が進むと人間が合理的になって自分が不合理的であるのが恥ずかしくなる。女は空想や眼先で喜ぶだけで実在の中で自分の心を満足しない。女は不合理的な存在である。女は自分が女であることが恥ずかしい。だから、女は自分の裸を隠すのだ。男は自分が男であることが恥ずかしくないから、裸でも恥ずかしくないのだ。男は自分の裸を隠さないのだ。だから、名古屋の近くの稲沢市[いなざわし]には裸祭りがあるのだ。
政府は悪いことをする会社である。政府はみんなが不幸になることをする会社である。昔はみんながマゾだったから、マゾは自分が不幸にされると幸福になるから、政府はみんなを幸福にするためにみんなが不幸になることをしていたのである。政府はみんなに強盗や殺人や嫌がらせをやっていたのである。スイカに塩をふると甘くなるように、マゾの人の心には“自分が不幸であるのを幸福に思う感情”があるために、政府がマゾに悪いことをしてマゾの人を不幸にするとマゾは幸福になるのだ。昔は文明が遅れていて昔の人は“善いことをされる喜び”があまり得られなかったから、足りない喜びを補うために政府に悪いことをしてもらって“悪いことをされる喜び”を得ていたのだ。今の政府もみんなが不幸になることをしている。しかし、今のみんなはマゾではない。今のみんなは自分が政府に不幸にされると不幸になるだけである。今のみんなは政府に不幸にされているだけである。だから、今のみんなにとっては政府がないほうがいい。今のみんなは政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのだ。

[23868] ヘッドホンとスピーカーの戦い h30.6.18
私は今オーディオテクニカのヘッドホンATH-EP700を引っ張り出してまた聞いている。ソニーのヘッドホンMDR-AV510やソニーのスピーカーSRS-X55と聞き比べしている。
ATH-EP700はドライバーの直径が40mmなのに高音がしっかり出る。高音がきれいに聞こえる。私が今使っているソニーのMDR-AV510よりもきれいに聞こえる。しかも、低音もかなり出る。ソニーのスピーカーSRS-X55と聞き比べても遜色[そんしょく]ないくらいだ。2ついいオーディオ機器があったら相殺[そうさい]しあって2つとも悪い物に思えてくる。音楽を聞くのがつまらなくなる。それは危ない状況だ。
スピーカーは自分の身体の外から音が聞こえる。ヘッドホンは自分の頭の前から音が聞こえる。ヘッドホンは自分と音が一体化している。そのために、音が大きくきれいにはっきりと聞こえる。バイクが自分と一体化しているのと同じだ。それがヘッドホンの強みだ。
ヘッドホンの弱点は挟む力が強いことだ。頭にかぶらないといけないことだ。私はATH-EP700を中華坊主の箱を挟[はさ]んで広げて側圧を弱くしている。それでも若干耳が痛い。もっと時間をかければよくなるだろう。EP700はハウジングが小さいために耳を押し付けねばならなくなっている。もっとサイズの大きいオーバーイヤー型やアラウンドイヤー型を使って耳との干渉をなくせばもっと快適になるだろう。
つまり、音に関してはスピーカーとヘッドホンどちらも優劣をつけがたい。スピーカーであるかヘッドホンであるかに関わらず、いい物はいいし悪い物は悪い。側圧についてはスピーカーはゼロなのでヘッドホンよりも有利だ。でも、ヘッドホンを工夫すれば側圧は減らせる。それでも、大きいヘッドホンは頭にかぶるので鬱陶[うっとう]しい。小さいヘッドホンは装着感が軽いので鬱陶しくないが、音質が悪くなる。私は装着感を第一にしたいので、音質を犠牲[ぎせい]にしても小さいヘッドホンがいい。
あとは、自分がスピーカーで聞くかヘッドホンで聞くかどちらが好きかの問題だ。ヘッドホンで聞くと閉鎖感がする。スピーカーで聞くと開放感がする。ヘッドホンで音楽を聞くと音楽を深く聞いている感じがする。音楽に嵌[はま]っている感じがする。スピーカーで音楽を聞くと音楽を軽く聞いている感じがする。音楽をBGMとして聞いている感じがする。自分が音楽を深く聞きたい人はヘッドホンで、軽く聞きたい人はスピーカーで聞けばいい。私は考えごとをしたいから音楽を聞くことに夢中になれないから、スピーカーで聞く。私は自分が考えることを音楽を聞くことよりも優先したいから、スピーカーで聞いたほうがいい。しかも、人によって好きな音が違う。細かいことは各自で決めるしかない。オーテクのヘッドホンは響くいい音を出す。ソニーのヘッドホンは軽快ないい音を出す。ソニーは知的な鋭い音を出す。オーテクは音楽バカ好[ごの]みの鈍[にぶ]い音を出す。音の味が違う。私はオーテクの響く音よりもソニーの軽快な音が好きだから、やはり当分はソニーのMDR-AV510を使うことにしよう。ヘッドホンの性能そのものはオーテクのEP700のほうがいいだろうが、AV510のほうが私が好きな音を出す。いいヘッドホンってあんまりないなあ。
スピーカーがいいかヘッドホンがいいかは青春時代に決めればいいことである。しかし、私はつい最近までいいスピーカー(ソニーのSRS-X55のこと)を持っていなかった。そのために、この歳(54歳)が来ていまさらスピーカーがいいかヘッドホンがいいかで悩[なや]まねばならなかったのだ。

[23869] 人間の生き方がヘッドホンを決める。 h30.6.19
オーテクのヘッドホンを聞いていると音楽を聞くのが楽しくなる。オーテクのヘッドホンは人間に音を聞くのが楽しいと思わせる音を出す。
一方、ソニーのヘッドホンは人間が音を聞くのが楽しくなるほどの音を出さない。だから、人間は喜びを得るために自分で頭を使って考えようとする。ソニーのヘッドホンは人間を考える気持ちにさせる音を出す。
人間にとっては実在について考えるほうが音を聞くよりも面白い。だから、私はソニーを推奨[すいしょう]する。
音を聞くこと自体で喜びたい人はオーテクのヘッドホンを使えばいい。もっとほかのことで喜びたい人はソニーのヘッドホンを使えばいいのだ。音楽を深く楽しみたい人はオーテクを、音楽を軽く楽しみたい人はソニーを使えばいいのだ。
そうはいいながら、今の私はオーテクのヘッドホンATH-EP700で音楽を聞いている。同じ聞くならなるべく楽しいほうがいいからだ。
しょせん日本人は音を聞く喜びがないから、いくら音を聞くことにお金をかけても無駄[むだ]だと思うけどね。パチンコと同じように“無駄使いの喜び”を満足しているだけだ。
ATH-EP700の耳への側圧はスポンジをはずすことで減らしました。これから夏になって暑いしスポンジがないほうが涼しいし、私はこのほうがいいです。できれば、私は頭が長いのでEP700のスライダーがもうひとつ伸びてくれればもっといい位置で聞けます。
やっぱりソニーのヘッドホンAV510に戻した。長年聞いているといい音に思える。こっちのほうが軽快な音がする。装着感はないに等しいので言うことなし。オーテクのはただ音がよく聞こえるだけだ。装着感も微妙に鬱陶[うっとう]しい。私は濃い音やごついデザインが苦手だ。

[23870] ヘッドホンは音楽を聴く物である。スピーカーは音楽を聞く物である。 h30.6.20
ヘッドホンは耳に近いから音がよく聞こえる。音がはっきり聞こえる。だから、音楽を鑑賞するためにはヘッドホンを使えばいい。
一方、スピーカーは耳から遠いから音がよく聞えない。音がボンヤリ聞こえるだけである。だから、スピーカーは音楽をてきとうに聞くためにある。スピーカーは音楽を雰囲気的に聞くためにある。
だから、ヘッドホンに凝[こ]って、スピーカーは凝らなくていい。
ヘッドホンは自分が好きな音が出る物を選ばねばならないが、スピーカーは自分にとって不快な音が出ない物であればなんでもいい。
私が好きなヘッドホンはソニーのMDR-AV510だ。途中で一度買い換えて12年間使っている。アマゾンで3,000円ぐらいした。装着感がないに等しいし、強力なネオジウム磁石を使って歯切れのいい音を出す。(h30.7.9追加:ネオジウムは、ネオジウムのネオが“新しい”ことで、ジウム←神武(ジウム≒ジンム)←神武天皇だから、新しい神武天皇つまり新しい国家宗教の神である私のことである。かなりひどい駄洒落[だじゃれ]だ。)安くてもけっして手抜きではない。「たった3千円のためにそこまでやるか!?やっぱ世の中お金じゃないなあ」と思った。低音があまり出ないのもベターだ。こいつで音楽を聞いていると気分が楽しくなる。昔は私が国家宗教の神だったから、“私専用のヘッドホン”と言ってもいい。シャア専用ザクみたいに。最近のヘッドホンはフェライトの磁石を使っているので音が鈍[にぶ]い。
私が今持っているスピーカーはソニーのSRS-X55だ。クラシック向けということで買ったから、いちおう満足している。アマゾンで1万7千円ぐらいした。スピーカーにこだわってから音楽観が狂った。スピーカーはもっと安い物でもよかった。中華坊主(アマゾンで約2千円。リンク)は音が悪すぎるからいけないが。
得意な音域は機器によって異なる。だから、いろんな機器を使っていると相殺[そうさい]される。全部の機器が悪く思えてきて、どんな機器で聞いても音がつまらなく聞こえる。ヘッドホンとスピーカーでも相殺される。だから、あまり欲を出さずに自分の好きな音を出す物をひとつ選んでそれを使い込んでいけばいい。
←私が愛用しているソニーのMDR-AV510。私好みのいい音を出す。今は作られていない。

[23871] どうして最近音楽の人気がないのか? h30.6.21
オーディオ機器は容れ物[いれもの]である。音楽は中身である。
音楽は実在ではない。音楽は空想である。今は科学の時代である。今は実在の時代である。今の人は実在の中で楽しむようになっている。今の人は音楽を聞いても楽しめなくなっている。だから、今では音楽は人気がないのである。今どき音楽を聞くのは時代遅れである。
カメラは実在を撮る。だから、カメラは生き残れる。ゲームには実在的なゲームがある。だから、ゲームも生き残れる。しかし、オーディオは空想でしかない。だから、オーディオは死滅する。
今ではみんなが音楽に興味がなくなって、オーディオ機器を買わなくなっている。オーディオ機器が売れなくなっている。だから、今ではどこのメーカーもオーディオ機器が手抜きになっていい音が出る機器を作らなくなっている。
もっとも、今の人間にもまだちょっとだけ音楽を聞く喜びが残っている。だから、ちょっとだけオーディオ機器を買えばいい。
オーディオ機器が2つあると競合[きょうごう]して相殺[そうさい]される。ヘッドホンとスピーカーでも相殺される。音楽を聞くためにはスピーカーよりもヘッドホンのほうがいい。だから、ヘッドホンだけ買ってスピーカーは買わないほうがいい。
しかも、日本人にはもともと音楽を聞く喜びがない。絵を見る喜びもない。考える喜びだけがある。日本人にとっては考えることのほうが音楽を聞くことや絵を見ることよりも楽しい。だから、日本人はおもに実在について考えることをやって、暇つぶしに音楽を聞いたり絵を見たりすればいいのである。そうすれば、日本人は幸福に暮らせるのだ。
人間は考えようとしていればひとりでに考えが出来るものである。だから、空想や眼先のことで喜ぼうとせずに実在のことで喜ぼうとすればいい。

[23872] どうして水道会社や清掃会社や役所は『自分が政府の会社ではない』と言わないのか? h30.6.22
水道会社や清掃会社や役所は本当は政府の会社ではないのに、政府はマゾの人を恥ずかしがらせないために自分が善いことをする会社のふりをするために嘘[うそ]をついて「水道会社や清掃会社や役所が政府の会社だ」ということにしている。
今では多くの人が「政府が善いことをする会社だ」と思っているので、政府は多くの人から多めにお金を取っていい待遇で暮すことができる。水道会社や清掃会社や役所は自分が政府の会社であれば、政府とつるんでいれば、多くの人から多めにお金を取っていい待遇で暮らすことができる。そのために、水道会社や清掃会社や役所は正直に『自分が政府の会社ではない』と言わないのである。
反対に、テレビ局や出版社は自分が政府の会社であって政府からお金をもらっていい待遇で暮しているのに、みんなには「自分が政府の会社ではない」と嘘をついて自分が政府の会社ではないふりをしている。テレビ局や出版社が政府の会社だと、みんながすぐにテレビ局や出版社が政府と組んで嘘の情報を流して世論操作をしていると疑うからである。多くの人は「テレビ局や出版社が政府とは別の会社だ」と思って安心してテレビ局や出版社を信頼しているので、政府はテレビ局や出版社に「政府が善いことをする会社だ」と嘘をつかせて多くの人に「政府が善いことをする会社だ」と思わせているのだ。多くの人は「政府が善いことをする会社だ」と思っているので、政府に善いことをしてもらうために多めに政府にお金を払っているのである。
しかし、本当は『政府は悪いことをする会社である。』政府は強盗や殺人や嫌がらせをする会社である。政府は国民に嫌がらせをするために国民を貧乏で不幸にするために国民に科学や道徳をやらさなかったり、国民にまちがった道徳を教えて国民を不良に変えたり、悪人が上で善人が下の社会にしたりしている。国民みんなはもっと政府のことをよく理解して、政府と国民は平等だから政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。早くみんなで政府を倒してみんなで幸福に暮らさねばならない。(h30.6.23追加:例えば、『人間が勉強するのは実在を知って実在の中で自分の心を満足して自分が幸福になるためである。』それなのに、政府は「人間が勉強するのはいい学校に入っていい大学を出ていい会社に入ってお金をたくさん得て空想や眼先の喜びを満足するためだ」とみんなに教えてみんなを不幸にしている。みんなは政府にまちがった道徳を教えられてまちがった生き方をして不幸にさせられている。)

[23873] 歌謡曲や演歌は音楽ではない。 h30.6.22
歌謡曲や演歌は歌詞が面白いだけで曲は面白くない。歌謡曲や演歌は国語であって音楽ではない。
歌謡曲や演歌は歌詞が空想的で非現実的でふざけている。自分が現実の外にいるみたいな歌詞ばっかりである。歌謡曲や演歌は歌詞が汚くて曲もつまらない。
どうせ聞くなら音楽として楽しめるものがいい。余計な歌詞が付いていないほうがいい。
だから、私はクラシックを聞く。クラシック以外の音楽は歌詞が付いていないサウンドトラックやカラオケで聞く。
音楽においてはオーディオ機器よりも音楽自体が大事である。どんな音楽を聞くかが大事である。容れ物よりも中身のほうが大事である。道具はどうでもいい。
自分がキビキビした音楽を聞いて自分がダラダラしないようにしていれば、自分がひとりでに考える気持ちになって、自分の頭が働いて考えが湧[わ]く。だから、ダラダラした歌を聞いてはいけない。たとえBGMとしても聞いてはいけない。
政府は悪いことをする会社である。政府はみんなを嫌がらせるためにみんなに科学や道徳をやらせないためにみんなに頭を働かせないために、学校や社会などでみんなにダラダラした歌を歌わせようとする。今は科学の時代なので、みんなが科学や道徳をしないといけないので、みんなが頭を働かせないといけない。みんなは政府の言うことを聞かないようにしてダラダラした歌を歌ってはいけない。みんなで早く政府を倒して、みんなが明るい楽しい気分で生きていけるようにしないといけない。
日本人は頭で考えることが好きで、音を聞くことや絵を見ることは嫌いである。私の母も多少は歌が歌えるが音楽を聞くのが嫌いだった。静かなのが好きだった。今は科学の時代なのでますますそうである。未来の人間は音楽を聞かなくなっているだろう。

[23874] 今の政府はみんなに『政府が悪いことをする会社である』ことを説明していない。 h30.6.23
戦前の昔は国民みんながマゾだった。マゾは自分がマゾであることが恥ずかしい。そのため、政府は国民みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをして国民みんなを喜ばせて、国民みんなを恥ずかしがらせないために国民みんなに「政府は善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついていた。昔はみんながマゾだったので、政府や宗教団体や暴力団などの特定の団体は法律を犯してみんなに悪いことをやってもいいことになっていたのだ。
戦後の今は国民みんながマゾではない。今の国民みんなは悪いことをされるのが嫌である。だから、政府は国民みんなに悪いことをしないために自分で潰[つぶ]れてなくなるべきだった。昔の人はマゾだったから“自分の不幸を幸福に感じる感情”があったから政府に悪いことをされて喜んでいたが、今の人はマゾではないから“自分の不幸を幸福に感じる感情”がないから政府に悪いことをされても不幸になるだけである。政府は悪いことをする会社だから悪いことしかやれない。今の政府はみんなを不幸にしないために自分から消えてなくなるべきである。(昔の人には“悪いことをされる喜び”つまり“自分の不幸を幸福に感じる感情”があった。昔の人は自分が不幸であると同時に幸福だと感じていた。昔の人は不幸と幸福をいっしょに感じていた。昔の人は不幸がないわけではなかった。昔の人は不幸を感じることがないわけではなかった。昔の人は不幸のおまけに幸福を感じているにすぎなかったのだ。昔の人は物が貧しくて幸福が足りなかったから、自分が政府に悪いことをされて“不幸に伴う幸福”を得なければならなかったのだ。たとえ不幸が混じった不味[まず]い幸福でも幸福を得なければならなかったのだ。)
それなのに、今の多くの国民は政府が「政府は善いことをする会社だ」と嘘をついていることに騙[だま]されて「政府が善いことをする会社だ」と思っている。そのため、政府はしめたと思って昔と同じように表では国民みんなに「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついて裏では悪いことをしつづけている。政府は国民の多くが政府のことを知らないのが悪いせいにして悪いことをやりつづけている。あるいは、今の多くの国民は「昔は国民みんながマゾだったので政府はやむを得ず国民みんなを幸福にするために悪いことをやっていたが、今は国民みんながマゾではなくなったので政府は国民みんなを幸福にするために悪いことをするのをやめて善いことをするようになるだろう」と思っている。政府は国民の多くが政府が実際に何をしているかわからないことを利用して、表で善いことをするふりをして裏では悪いことをしている。本当は今の国民みんなが幸福に暮らせるのは国民みんなが善いことをしているためであって、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。今の国民みんなが幸福に暮らせるのは国民みんなのおかげであって政府のおかげではない。(だから、『とんねるずのみなさんのおかげです』と言っていたのだ。)国民みんなが善いことをしている中に混じって政府がひとりだけ悪いことをやっているから、政府が悪いことをしているのがわかりにくいのだ。今の政府は国民みんなに善いことをしているのではなく悪いことをしている。今でも政府は昔のままなのだ。
今の国民の多くは「政府が善いことをする会社だ」と誤解している。そのため、今でも政府は昔と同じように国民みんなに悪いことをやって、国民みんなに「政府は善いことをする会社だ」と嘘をついている。政府は嘘の理由をつけて悪いことを善いことに見せかけて悪いことをやっている。政府は「国民が政府の嘘に騙されるほうが悪いんだ」と言っているが、今では客が知らないことは客に説明しないといけないことになっているから本当は『政府が国民に嘘をつくほうが悪い』のだ。政府は国民が政府のことを知っていようがいまいがとにかく国民みんなに『政府が悪いことをする会社だ』ときっちり説明しないといけないのだ。
それなのに、今の政府はそうしていない。今の政府が悪い。今の国民みんなは悪くない。今の国民が政府のことを知っていようがいまいがとにかく国民は悪くない。だから、今の国民みんなは悪い政府を倒すために政府に税金や保険金などのお金をやるのをやめればいいのである。

[23875] 今は科学の時代だから、みんなが実在について知らねばならない。☆ h30.6.23
昔は文学の時代だったから、みんなは実在について頭で考えて知ろうとせず自分の心のままに動いていた。みんなは自分が悪いことをされたかったから政府に悪いことをされて、みんなは自分が悪いことをされたいことが恥ずかしかったから、政府が嘘[うそ]をついて善いことをする会社のふりをしていることに喜んだ。みんなは政府がどんな会社であるかちゃんと知ろうとしなかった。政府について正確に知っている者はほとんどいなかった。
今は科学の時代である。今はみんなが実在について頭で考えて知ろうとして自分の心のままに動かない。今はみんなが実在を知って実在の中で自分の心を満足して幸福にならねばならない。そのほうが人間が幸福になれる。だから、今はみんなが政府について考えて政府のことを知らねばならない。
昔はみんながマゾだったから、政府はみんなに悪いことをしてみんなを喜ばせていた。マゾは自分がマゾであることが恥ずかしい。だから、政府はみんなに「政府が善いことをする会社だ」と言って悪いことをするのを隠していた。今はみんなが実在の中で自分の心を満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなったが、今でも政府は昔と同じようにみんなに「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついて悪いことをしつづけている。
今は科学の時代だから、みんなは政府のことに興味を持って政府のことを考えて政府のことを知って、実在の中で自分の心を満足するために政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
政府はみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるためにみんなに科学や道徳をやらないようにさせるから、みんなは自分が科学や道徳をやるために政府を倒さねばならない。政府はみんなに科学をやらせないためにテレビや本などを使ってみんなに空想や眼先のことばかり見せるから、みんなはテレビや本を見ないようにして空想や眼先を見ないようにして自分で実在について考えて科学をやらねばならない。
人間の眼では「地球が止まって太陽が動いている」ように見える。人間の眼はみんなに「地球が止まって太陽が動いている」と嘘をついている。そのため、人間は長い間「地球が止まって太陽が動いている」と思っていた。そのため、みんなは不幸に暮らしていた。しかし、人間は天体についてよく見てよく考えて『地球が動いて太陽が止まっている』ことがわかって、自然の法則を理解して自然を利用して幸福に暮らせるようになった。それと同じように、政府はみんなに「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついてみんなに「政府が善いことをする会社だ」と思わせている。そのためにみんなは不幸に暮らさねばならなくなっている。みんなは政府についてよく見てよく考えて『政府が悪いことをする会社である』ことがわかって、政府のことを理解して政府を倒して自分を幸福にしなければならない。

[23876] 政府は国民に大昔の文化をやらせる団体である。☆ h30.6.24
政府は国民に悪いことをしたり、国民に国民みんなや国家宗教の神や政府を拝[おが]ませたり、国民に戦争をさせる会社である。
大昔の人は悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んだり、戦争をしたりするのが好きだった。つまり、政府は国民に大昔の文化をやらせる団体である。政府は嘘[うそ]をついて合理的なことをやっているふりをして新しい団体に見せかけているが、実体は不合理的なことをする古臭い団体である。(サーカスのピエロは年寄りが厚化粧[あつげしょう]をして若く見せている。政府も古臭い団体が嘘の合理的な理由をつけて新しい団体に見せている。だから、政府はピエロに喩[たと]えられるのだ。)
しかし、今の国民はマゾではないし、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んだりしないし、戦争もしない。今の国民にとって大昔の文化はつまらない。だから、今の国民にとって政府は大した会社ではない。
政府と国民は平等である。国民が政府にお金をやるかやらないかは国民の自由である。だから、今の国民は政府にお金をやらずに政府を倒せばいいのである。国からつまらないことをする会社をなくして、面白いことをする会社を建てればいいのである。

[23877] 政府は善いことをたくさんやっているから悪いことをやっているのではない。 h30.6.24
政府は悪いことをやっている。政府は国民からお金を強盗したり、国民を殺したり、国民にいろんな嫌がらせをやっている。
国民の中には「政府が悪いことをやっているのは、政府がよっぽど善いことをやっているからだろう」と思っている者がいる。
しかし、政府は善いことはなにもやっていない。国民が勝手に政府が善いことをやっていると思っているだけである。
そもそも政府が悪いことをやっているのは、昔のみんながマゾだったからである。昔のみんなが“自分の不幸を幸福に感じる感情”があったから、政府に悪いことをされて不幸にされて喜んでいただけのことである。今はみんながマゾではないが、政府は昔と同じことをやっているのだ。今のみんなは昔と変わったが、政府はわざわざ自分がやることを変えるのが面倒くさいから昔と同じことをやりつづけているのだ。
今の国民みんなが幸福に暮らせるのは国民みんなが善いことをしているからである。政府は悪いことをして国民みんなを不幸にしている。政府がひとりだけ悪いことをやっているから目立たないのだ。政府は善いことをやっているふりをして威張[いば]っているだけで、本当は善いことはなにもしていないのだ。
世の中に多数決なんかない。政府が「政府が民主主義をやって国民みんなの多数決を採って国民みんなの総意を決めて、政府の省庁がそれを具体化して実現している」と言っているのは嘘[うそ]である。本当は政府は自分勝手に悪いことをしているだけである。政府は民主主義をやっていないし、この世には多数決なんかない。だから、みんなは正しいことならなんでもやってもかまわないのだ。大勢の人と違うことでもやっていいのだ。世の中はそうやって進歩するのだ。最初に火を使った人類もそうしたのだ。たとえ多くの人が「政府が善いことをする会社だ」と思って政府に税金や保険金を払っていても、自分は『政府が悪いことをする会社だ』と思って政府に税金や保険金を払わなければいいのだ。世の中には多数決はない。正しければあとは自由だ。
政府は悪いことをする会社である。政府は悪いことや役に立たないことをするだけで、善いことをひとつもしていない。今のみんなにとっては政府は要らない。政府と国民は平等である。国民が政府に税金や保険金などのお金をやるかやらないかは国民の自由である。だから、今のみんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23878] 政府はみんなを実在の外に出す会社である。 h30.6.25
昔は文学の時代だった。みんなは実在の外で暮らしていた。みんなは実在を知らずに実在の外で自分の心を満足して幸福になっていた。みんなは“悪いことをされる喜び”や“拝[おが]む喜び”や“戦争をする喜び”があった。政府はみんなに悪いことをしたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませたり、戦争をさせたりしてみんなを喜ばせていた。みんなは政府に喜ばせてくれたお礼として物やお金を払っていた。もっとも、古代以降は半[なか]ば科学の時代でみんなが少しは科学をやって実在の中で暮らすようになったので、みんなは少しは実在を知って実在の中で自分の心を満足するようになったので、みんなは自分が“悪いことをされる喜び”や“拝[おが]む喜び”や“戦争をする喜び”を満足していたが自分がそれらの喜びを満足するのが恥ずかしくなったので、政府はみんなに恥ずかしい思いをさせないように嘘[うそ]の合理的な理由をつけてみんなに悪いことをしたり拝ませたり戦争をさせたりしてみんなを喜ばせていた。昔はみんなが実在を知らなかったのでみんなが実在の中で不幸に暮らさねばならなかった。突然変異で“不幸を幸福に思う者”が現れて“不幸を幸福に思う者”のほうが生き残る確率が高かったので“不幸を幸福に思う者”が増えていった。そのため、みんなに“不幸を幸福に思う感情”があった。つまり、“悪いことをされる喜び”があったのだ。
今は科学の時代である。みんなは実在の中で暮らしている。みんなは実在を知って実在の中で自分の心を満足して幸福になっている。みんなは実在の外で自分の心を満足しなくなったので“悪いことをされる喜び”や“拝[おが]む喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなっている。政府はみんなに悪いことをしたり、拝ませたり、戦争をさせたりしてみんなを嫌がらせているだけである。みんなは政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
人間は実在の外で暮らすよりも実在の中で暮らすほうが幸福に暮すことができる。だから、今ではみんなが実在の中で暮らすために科学をやって実在を知って実在の中で自分の心を満足するようになっている。政府はみんなを実在の外に出す会社である。政府はみんなに不幸な生活をさせる会社である。みんなにとっては政府が邪魔[じゃま]である。みんなは政府を潰[つぶ]すために政府にお金をやってはいけない。政府に税金や保険金を払ってはいけない。

[23879] どうしてガキ大将はいなくなったのに政府は残っているのか?☆ h30.6.25
昔はガキ大将がいて子供たちに悪いことをしていた。ガキ大将が子供からお金を奪ったり、子供を殴[なぐ]ったり、子供を嫌がらせたりしていた。
昔はみんながマゾだったから、大人も子供も男も女もみんながマゾだったから、ガキ大将はマゾの子供に悪いことをしてマゾの子供を喜ばせていたのだ。ガキ大将は不良とは違う。不良は自分が悪いことをやりたいから悪いことをやるが、ガキ大将はみんなが悪いことをされたいからみんなに悪いことをやるのだ。不良は悪だが、ガキ大将は正義なのだ。だから、ガキ大将はみんなを守るために不良と戦ったりするのだ。
しかし、今はみんながマゾではない。大人も子供も男も女もみんなはマゾではない。しかも、ガキ大将は嘘[うそ]をつかない。ガキ大将は大昔と同じようにみんなが見ている前で堂々と悪いことをやる。ガキ大将は善い人のふりをせず、そのまま悪いことをする。そのため、今ではガキ大将はいなくなっている。
一方、政府は嘘をついて善いことをする会社のふりをして悪いことをする。そのために、多くの人が政府の嘘に騙[だま]されて政府が善いことをする会社だと思って政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされているのだ。
子供は自分がマゾであることを恥ずかしいと思う気持ちがない。だから、ガキ大将は嘘をつかないのだ。ガキ大将は嘘をついて善い人のふりをせずに、そのまま悪いことをするのだ。一方、大人は自分がマゾであることを恥ずかしいと思う気持ちがある。だから、政府は嘘をつくのだ。政府は嘘をついて善いことをする会社のふりをして隠して悪いことをするのだ。
子供はまだ世の中のことを知らず不合理的であってもいいから、自分がマゾであっても恥ずかしいと思わないのだ。だから、ガキ大将はいちいち嘘をついて善い人のふりをしないのだ。反対に、大人は世の中のことを知っていて人間が合理的でないといけないと思っているから、自分がマゾであることが恥ずかしいのだ。だから、政府はわざわざ嘘をついて善い会社のふりをしないといけないのだ。
そういうわけで、今ではガキ大将はいなくなっているが、政府は残っているのだ。多くの大人が政府の嘘に騙されているから政府が残っているのだ。人間にとって他人の嘘に騙されるのは恥ずかしいことである。国民が政府の嘘に騙されるのは恥ずかしいことである。だから、みんなは政府の嘘に騙されないようにして『政府が悪いことをする会社だ』と考えて、政府をなくさねばならない。政府をなくすために政府に税金や保険金などのお金をやらないようにしないといけない。
政府が国民から税金や保険金を取っているのが政府が強盗している証拠である。政府が日航機123便墜落事故や上海高知学芸高校列車事故を起こしているのが政府が人殺しをしている証拠である。政府が悪い政策をやって国民を貧乏にしたり不幸にしたりしているのが政府が嫌がらせをしている証拠である。政府は悪いことをする会社である。今のみんなはマゾではない。だから、今のみんなで早く政府を倒さなければならない。世の中からガキ大将がいなくなったように、政府もなくさねばならない。
今でも政府が残っているのが多くの大人が馬鹿である証拠である。しかし、政府について説明した物がない。政府について説明した物がないのに政府のことがわからなくてもしかたがない。物体の運動について説明した物がないのに物体の運動についてわからなくてもしかたがないのと同じである。だから、みんなは政府について説明した物を作らなければならない。みんなに政府について説明して政府のことをわからせないといけない。それでもわからなければ本当に馬鹿である。多くの国民は本当は馬鹿ではない。だから、私はこうやって自分が政府について考えたことを言葉にしてみんなが読めるようにしてみんなに政府のことをわからせてやっているのである。そのうち、みんなも政府のことがわかって政府にお金をやらなくなって政府がなくなるだろう。

[23880] スピーカーは雰囲気、ヘッドホンは音質。 h30.6.26
スピーカーは雰囲気で聞く物である。だから、ある程度いい音が出ればなんでもいい。安い物でいい。
一方、ヘッドホンは音を聴く物である。ヘッドホンは耳を澄まして音を聴く物である。だから、ヘッドホンはなるべくいい音が出る物を選ばねばならない。
しかし、そうはいっても装着感が悪ければもともこもない。ヘッドホンは耳に掛けるから装着感が大事である。まず第一に装着感がよくなければならない。
したがって、ヘッドホンは小型軽量の物に限る。開放型でオンイヤー型でヘッドバンド型の物に限る。そうなると、アマゾンでこれしかない。
これらの中から、“自分にとって好きな音”が出る物を選べばいい。私は音楽はクラシックしか聞かない。クラシックは知覚の働きをよくするからだ。だから、私はクラシックを聞くのに向いたSTAX SRS-3100(ヘッドホンとアンプのセットで6万5千円ぐらい)を選ぶ。
←STAXのSRS-3100(ヘッドホンSR-L300とヘッドホンアンプSRM-252Sのセット、アマゾンで6万5千円ぐらい)
しかし、これではオーディオ機器一式を高解像度の物で揃[そろ]えなければならない。しかも、高解像度の音楽データまで要る!そこまでやれるか!バカバカしい!私はそこまで音楽に対するこだわりはなく、インターネットで無料で音楽を聞くだけだから、解像度はそこまで要らない。私は自分の知覚の働きをよくするために音楽を聞くだけだから音質にあまりこだわらなくていい。だから、私はやはりオーディオテクニカのATH-P100Lでいい。只[ただ]で音楽を聞けるっていいネ!お金がかからない満足感が得られる。
←オーディオテクニカのATH-P100L(アマゾンで1,300円ぐらい)。私もすでにひとつ買って持っている。

[23881] 『浦島太郎』 h30.6.26
昔は日本中に悪いことをしてマゾの人を喜ばせる団体があった。それを豪族と言った。
そのなかで、悪いことをするついでに国家宗教をやる団体が現れてみんなにナウいと思われて大きくなって日本を支配した。日本中の悪いことをする団体をまとめる大会社になった。それが政府である。
しかし、ヨーロッパが暗黒時代になって日本にヨーロッパ文化が入って来なくなってみんながヨーロッパ文化をやめるとみんなは国家宗教をやらなくなって政府の存在を忘れてしまった。幕府の時代になって政府は滅んでしまった。
浦島太郎とはそういう話である。浦島太郎が政府で、亀が国家宗教のことである。もともと国家宗教は日本人には人気がなかったが、国家宗教の神を日本人の神武天皇にして、神武天皇のネタ(光る玉)でみんなに悪いことをしてみんなを喜ばせると国家宗教の人気が出てみんなが天皇家を拝[おが]むようになったのである。それが、浦島太郎が亀を助けたことである。
玉手箱は政府のことである。玉手箱はパンドラの箱のことである。政府は嘘[うそ]をついて悪いことをやるが、幕府は嘘をつかずにそのまま悪いことをやる。政府はパンドラの箱の蓋[ふた]を開けないが、幕府は開ける。だから、浦島太郎は玉手箱の蓋を開けて死んでしまったのだ。政府が幕府になって政府が滅んでしまったのだ。つまり、ヨーロッパ文化をやる悪いことをする団体が、アジア文化をやる悪いことをする団体に変わったのだ。悪いことをする団体がヨーロッパ文化をやめてアジア文化をやるようになったのだ。それが本当の歴史である。悪いことをする団体が国家宗教の神を拝ませることをやめて、国民みんなや幕府(つまり悪いことをする団体自身)を拝ませるようになった。要するに、文化が変わっただけのことである。拝む対象が変わっただけである。
近代の日本はおもにヨーロッパ文化をやっていた。近代の日本ではみんながヨーロッパ文化をやっていたのでみんなが悪いことをやっていた。昭和の時代にはみんなが他人の原付のシートをカッターで切り裂いたり他人のバイクを焚き火[たきび]で焼いたり他人の車のバックミラーを引きちぎったりしていた。現代の日本は世界中の文化をやっている。現代の日本はヨーロッパ文化だけでなくアジア文化もやっている。現代の日本ではみんながアジア文化をやっているのでみんなが悪いことをやらなくなっている。現代の日本と近代の日本は文化が違う。ところが、政府は近代に出来たからヨーロッパ文化をやっている。政府は今の日本の文化に合っていない。そのため、政府は今の時代に合わせるために国民にインド文化や中国文化をやらせて国民を清貧[せいひん]にさせたり面白本位にさせたりしている。しかし、政府はあいかわらず国民に嘘をついて悪いことをやっている。国民みんなはマゾではなくなったのに、政府はあいかわらずサドをやっている。政府は今の国民みんながやっている文化と合っていない。だから、国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
現代の日本は世界中の文化をやっている。そのため、現代の日本にはヨーロッパ文化をやっている人とアジア文化をやっている人がいる。ヨーロッパ文化をやっている人は科学も道徳もやらず馬鹿で悪いことをする。アジア文化をやっている人は科学と道徳をやって利口で善いことをする。政府はおもにヨーロッパ文化をやらせるしみんなに悪いことをするためにみんなを嫌がらせるために悪人を上に善人を下にするから、今の日本ではヨーロッパ文化をやる人がアジア文化をやる人を支配している。今の日本はまだ文化の統合が足りない。もっとヨーロッパ文化とアジア文化を統合しないといけない。眼で見る文化と頭で考える文化と心で思う文化を統合しないといけない。日本人はこれまでそうしてきた。それが日本文化である。つまり、日本文化では人間は実在を眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足すればいいのだ。人間は科学と道徳の両方をやらないといけない。人間は観察と数学(つまり論理的思考)と文学のすべてをやらないといけない。やはり人間は科学と道徳の両方やらないといけない。要するに、ヨーロッパ文化はまちがっている。アジア文化が正しい。特にインド文化が優れている。本来インドは科学と道徳の国で、中国やヨーロッパはカスである。中国やヨーロッパはインド文化を取り入れることによってなんとか生き残ってきただけである。中国やヨーロッパにはなにもない。あるのはインドだけである。だから、日本人はインド文化をやればいい。日本人はみんなインド人を見習って科学や道徳をやればいいのである。日本人はヨーロッパ文化や中国文化をやらずインド文化をやればいいのだ。
アジア文化では幕府が嘘をつかずに堂々と悪いことをやっていた。幕府はみんなに自分が悪いことをしていると言いながら悪いことをやっていた。今の日本ではみんながインド文化をやっている。今の日本にはマゾはほとんどいない。だから、政府はインド文化をやってテレビで「政府が今日何時何分にどこで飛行機事故を起こす」と言ってから事故を起こせばいい。そうすれば、マゾだけが飛行機に乗って政府に殺されて喜ぶからそうすればいい。

[23882] 馬鹿は政府の味方である。利口は馬鹿や政府と戦っている。 h30.6.26
政府は善いことをしているふりをしている悪いことをする会社である。政府は善いことをしているふりをして、国民にまちがった道徳を教えて国民を悪人にしたり、悪人を上にして善人を下にしたりする。政府は悪人がいい待遇で善人が悪い待遇で暮らさねばならない社会にする。
馬鹿は嘘[うそ]に騙[だま]されやすいから、政府が善い会社だと思って、政府の言うことを聞いて、まちがった道徳を身につけて悪人になっている。馬鹿は悪人になって、政府の言うことを聞いて偉そうにして善人よりも上になって善人に嫌がらせをして善人を不幸にしている。馬鹿は自分が政府に不幸にされた上にみんなを不幸にしている。
反対に、利口は嘘に騙されないから、政府が悪い会社だと思って、政府の言うことを聞かず、正しい道徳をやって善人になって悪人にならないようにしている。利口は善人になって、政府の言うことを聞かないようにして政府と戦って政府に抵抗している。利口は善人になって、政府のせいで悪人になった馬鹿に自分が不幸にされないために馬鹿と戦っている。
馬鹿と政府が世の中を悪くしている。みんなを不幸にしている。一方、利口は世の中を善くするために必死で馬鹿や政府と戦っている。
h30.6.27この段落を挿入:政府が馬鹿の悪人を上の者にして楽な事務をやらせて利口の善人を下の者にしてきつい作業をやらせて、馬鹿の悪人に利口の善人から無理やり税金を取らせているから政府はいつまでも建っていられるのだ。みんなは事務の者を上の者と思わないようにして事務の者の命令を聞かないようにしないといけない。(事務はただ椅子[いす]に座っているだけの楽な仕事である。そんなことは馬鹿でもできるから馬鹿の悪人が事務をやっているのだ。医療においても政府は馬鹿の悪人を上にして利口の善人を下にしている。馬鹿の悪人に楽な医療事務をやらせて、利口の善人の医者にきつい医療をやらせている。医療事務の者にとって医者はただの作業員にすぎない。だから、医療事務の者は医者を上から見下ろして医者をこき使って医者の儲[もう]けを独り占め[ひとりじめ]しているのだ。)政府がいるかぎり善人は出世できない。悪人だけが出世する。善人のみんなは自分が出世するために早く政府を倒さねばならない。
人間は幸福に生きなければならない。人間は正しい道徳をやらねばならない。政府はみんなにまちがった道徳を教えてみんなを悪人にして不幸にする。だから、みんなは自分で正しい道徳を知って正しい道徳をやって政府の言うことを聞いてはいけない。
馬鹿は政府が善い会社だと思っているから、政府の言いなりになって政府にお金をやって政府の命令で悪いことをやっている。利口は政府が悪い会社と思っているから、政府の言うことを聞かず政府にお金をやらず政府の命令に逆らって善いことをやっている。馬鹿は政府とつるんで不幸に生きている。利口は政府と分かれて幸福に生きている。やっぱり、人間は利口でないと幸福にはなれない。馬鹿は政府に騙されて不幸になるだけだ。
要するに、政府はみんなを不幸にする団体である。政府はサドの団体だからみんなに悪いことをしてみんなを不幸にするのである。政府があるとみんなが不幸にされる。昔の人はマゾだったから“自分の不幸を幸福に感じる感情”があったから政府に悪いことをされて幸福だったが、今の人はマゾではないから“自分の不幸を幸福に感じる感情”がないから政府に不幸にされるだけである。政府は不幸な人だらけの国を作る会社である。政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。国民は自分が幸福に暮らさないといけないから政府を倒すために政府に税金を払ってはいけない。たとえ会社の事務が政府の味方で自分が政府に税金を払わないために会社をクビになっても政府に税金を払ってはいけない。自分が死ぬ覚悟で政府に税金を払わないようにしないといけない。
今は国際化の時代である。今ではみんながインド文化をやっている。みんなが科学や道徳をやって幸福に暮らそうとしている。政府はみんなを不幸にするためにみんなに科学や道徳をやらさないようにしている。政府は今のみんなの文化に合っていない。だから、今のみんなで政府を倒さなければならない。今のみんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さないといけない。
昔の人は善や悪が何かがわからなかった。人間が幸福に生きるためには人間が善いことをしないといけないか悪いことをしないといけないかがわかっていなかった。だから、ヨーロッパが栄えている時代には日本人みんなでヨーロッパ人を真似[まね]て悪いことをやっていた。反対に、アジアが栄えている時代には日本人みんながアジア人を真似て善いことをやっていた。今の人は善や悪が何かがわかっている。人間が幸福に生きるためには人間が善いことをして悪いことをしてはいけないことがわかっている。善とは自分が幸福になることであり、悪とは自分が不幸になることである。今の人は人間が実在を知り実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれることを知っている。人間が科学や道徳をやれば幸福になれることを知っている。それが善つまり人間が幸福になるための方法である。
昔の人はマゾで自分が不幸にされて幸福になっていたぐらいだから、人間がどうすれば幸福になれるかを知らなかった。昔の人は“自分が幸福になる喜び”のほかに“自分が不幸になる喜び”があったので道徳がわからなかった。今の人はマゾでなくなったから、人間が幸福になる方法がはっきりとわかっている。今の人は『政府は人間が不幸になることをする会社である』ことがわかっている。だから、今の人は自分が幸福になるために政府を倒せばいいのである。政府に不幸にされて生きるよりも死んだほうがいい。だから、今の人は自分が死ぬ覚悟で自分が政府に税金を払わないために会社をクビにされても政府に税金を払わなければいいのである。
今の多くの人は毎日テレビを見すぎているためにテレビの「政府が善いことをする会社である」という嘘に負けて「政府が善いことをする会社である」と信じている。そのために、政府にたくさんお金をやって政府に悪いことをしてもらっている。チンプンカンプンなことをしている。今の人はテレビを見るのをやめて現実の社会を自分の眼で見て『政府が悪いことをする会社である』ことがわかって政府にお金をやるのをやめて政府を倒さないといけない。

[23883] 今の人にとっては政府は要らない。☆☆ h30.6.27
今の人は『人間が実在を知り実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれる』ことを知っている。今の人は実在の中で暮らして実在の中で自分の心を満足している。今の人は実在で喜んで、善いことをされて喜ぶだけである。今の人は本当に幸福になっている。
しかし、昔の人はまだ実在を知ることができなかった。昔の人は実在の外で暮らして実在の外で自分の心を満足していた。昔の人は空想や眼先で喜んだり、悪いことをされたり、拝んだり、戦争をしたりして喜んでいた。昔の人は本当に幸福にはなれなかった。昔の人は表面的に喜んでいるだけで、心の底から幸せにはなれなかった。
昔の人は実在の外で暮らして実在の外で喜んでいた。反対に、今の人は実在の中で暮らして実在の中で喜んでいる。昔の人と今の人では暮らしている世界が違う。だから、昔の人と今の人では暮らしが全然違う。昔の人は実在の外で暮らしていたので、本当に幸福にはなれなかった。昔の人はニセモノの幸福しか得られなかった。昔の人は心の世界で幸福になるだけで、現実の世界では不幸になっていた。今の人は実在の中で暮らしているので、本当に幸福になれる。今の人は本物の幸福が得られる。
政府は昔の文化をやらせる会社である。政府は昔の人の喜びを与える会社である。政府はニセモノの幸福をくれる会社である。政府は人間を心の世界で幸福にするだけで、現実の世界では不幸にする。昔の人は心の世界に生きていたから、政府は昔の人を幸福にした。反対に、今の人は現実の世界に生きているから、政府は今の人を不幸にする。今の人にとっては政府は邪魔[じゃま]である。今の人にとっては政府は要らない。だから、今の人は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
今では心の世界に生きている人は政府を支持して、現実の世界に生きている人は政府に反対している。今では心の世界に生きている人は政府にお金をやって政府を建てて、現実の世界に生きている人は政府にお金をやらず政府を倒している。今は科学の時代だから、心の世界に生きている人が減って、現実の世界に生きている人が増えている。そのため、政府を支持する者が減って政府はだんだん倒れている。

[23884] 政府は国民みんなに従わねばならない。 h30.6.27
古代と近代はヨーロッパが栄えていたので国民みんながヨーロッパ文化をやっていた。国民みんながマゾだった。政府は国民みんなに従わねばならない。ヨーロッパ人は馬鹿で考えることが嫌いだから、ヨーロッパ文化ではみんなが科学や道徳をやらず馬鹿が上で利口が下である。だから、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にするためにみんなから税金を取ったりみんなをときどき殺したりするほかにみんなが科学や道徳をやらないようにして馬鹿が上で利口が下の社会にしたのである。
中世はアジアが栄えていたので国民みんながアジア文化をやっていた。特にインド文化をやっていた。国民みんながマゾだった。政府=幕府は国民みんなに従わねばならない。インド人は利口で考えることが好きだから、インド文化ではみんなが科学や道徳をやって利口が上で馬鹿が下である。だから、政府=幕府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にするためにみんなから税金を取ったりみんなをときどき殺したりするだけでそれ以外の嫌がらせはやらなかったのだ。
政府は国民みんなに従わねばならない。だから、政府は国民みんなの文化の中で国民みんなが喜ぶことをしないといけない。
現代は世界中の国が栄えているので国民みんなが世界中の文化をやっている。ヨーロッパ文化や中国文化やインド文化をやっている。ヨーロッパ文化や中国文化は大したものがなにもないから、みんなはインド文化をやっている。現代は中世と同じである。みんなは科学や道徳をやって利口が上で馬鹿を下にしている。しかも今は国民みんながマゾではない。政府は国民みんなに従わねばならない。だから、現代の政府はなにもやることがなくなって滅ばないといけない。国民は政府を滅ぼすために政府の言うことを聞かず政府にお金をやってはいけない。
今ではみんながインド文化をやっている。みんなが科学や道徳をやって利口が上で馬鹿が下の社会にしている。今ではみんながマゾではなくなってみんなが道徳がわかって『人間が幸福になるためには実在を知り実在の中で自分の心を満足すればいい。つまり科学や道徳をやればいい。みんながインド文化をやればいい』ことがわかってそうしている。ところが政府は馬鹿の悪人に利口な善人のふりをさせて上の者にしている。みんなは馬鹿の悪人の芝居に騙[だま]されないようにして、馬鹿の悪人を下にしないといけない。みんなは人間を実力や才能で見て学歴や資格や地位や肩書きで見ないようにして本当の利口を上にして本当の馬鹿を下にしないといけない。みんなは人間を表面で見ないで中身で見ないといけない。
今の人はみんなインド文化をやっている。ところが政府はいまだにヨーロッパ文化をやっている。中世の日本と同じである。今の人は政府なんか知らない。みんなに科学や道徳をやらせず悪人を上に善人を下にする会社なんか知らない。だから、今の人は政府なんか無視して政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。中世の日本と同じように政府を倒せばいいのである。今の人はマゾではないから政府が幕府に変わっても生き残れない。もはや政府は滅んでなくなるしかない。

[23885] 昔の人はどうすれば人間が幸福になれるかがわかっていなかった。 h30.6.28
昔の人は哲学が遅れていたのでどうすれば人間が幸福になれるかがわからなかった。そのため、ヨーロッパが栄えている時代にはみんなでヨーロッパを真似[まね]てヨーロッパ文化をやって頭で考えるのをやめて科学や道徳をやらなかった。みんなが馬鹿で悪人をやっていた。反対に、アジアが栄えている時代にはみんなでアジアを真似てアジア文化をやって頭で考えて科学や道徳をやっていた。みんなが利口で善人をやっていた。
今の人は哲学が進んだのでどうすれば人間が幸福になれるかがわかっている。人間が幸福になるためには実在を知って実在の中で自分の心を満足すればいいことがわかっている。人間が幸福になるためには科学や道徳をやればいいことがわかっている。つまり、人間が幸福になるためにはアジア文化(特にインド文化)をやってヨーロッパ文化をやってはいけないことがわかっている。
だから、今では世界中でみんなが科学や道徳をやっている。アジア文化をやっている。ヨーロッパ文化をやっていない。今ではみんなが科学や道徳をやって利口な善人になって、利口な善人を上にして馬鹿の悪人を下にしている。
ところが、政府はいまだにヨーロッパ文化をやっている。政府はいまでもみんなにまちがった教育をしてみんなに科学や道徳をやらせずみんなを馬鹿で悪人にしている。馬鹿の悪人が上で利口の善人が下の社会にしている。政府は馬鹿の悪人に利口の善人のふりをさせて上の者にさせている。まじめぶっている不良を上にしてみんなを支配させている。おかげで馬鹿のボンクラが空威張り[からいばり]する面白くない社会になっている。
政府は国民みんなの文化と合っていない。だから、今ではみんなで政府を倒している。政府にお金をやらないようにして政府を倒している。今ではみんながマゾではないから、政府が幕府に変わっても生き残れない。政府は滅んでなくなるしかない。

[23886] 政府の学校は国民を馬鹿に変えて政府のことがわからないようにしている。 h30.6.28
政府は国民みんなにまちがった教育をして国民みんなを馬鹿の悪人に変えている。自分で考えることが嫌いな性欲や空想や眼先の喜びしかないくだらない生き物に変えている。(ユーチューバーはその典型[てんけい]である。ユーチューバーは自分が売れずにお金がない間は性欲を我慢[がまん]して、自分が売れてちょっとお金が入るとすぐに性欲を満足するために結婚する。下品な連中だ。ユーチューバーは性欲を満足するために生きているだけだ。ユーチューバーにとって動画は性欲を満足するための手段にすぎない。)
だから、政府のことがわかる人がほとんどいないのだ。
テレビや本が「政府が善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついているのを鵜呑み[うのみ]にしてそのまま信じて「政府が善いことをする会社だ」と思っている者ばっかりなのだ。そうやって、政府の言いなりになって政府の命令でなんでもする人形にされているのだ。ゾンビにされているのだ。
私は大人になってから自分で考えて『脳細胞が神経興奮すると感覚が発生する』ことや『人間が幸福になるためには実在を知り実在の中で自分の心を満足すればいい』ことや『人間には“考える喜び”があり、自分が考えごとをして“考える喜び”を満足すれば幸福になれる』ことがわかった。正しい道徳がわかった。私は40歳頃になってから自分で考えて『政府がマゾを恥ずかしがらせずに喜ばせるために善いことをしているふりをして悪いことをする会社である』ことがわかった。
人間は自分で考えていると“考える力”が身に付く。“考える力”が伸びる。政府の学校はみんなに丸暗記勉強ばかりさせて考える力を失わせる。だから、みんなは政府の学校に頼らずに自分で勉強して考える力を磨[みが]かないといけない。みんなは自分で道徳について考えて正しい道徳ををやって自分で自分を幸福にしないといけない。政府の学校はみんなにまちがった道徳を教えるから早く学校で習ったことを忘れないといけない。
政府は国民に悪いことをしたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませたり、戦争をさせる会社である。政府は国民に大昔の娯楽をやらせる会社である。また、政府は国民にヨーロッパ文化をやらせて国民にまちがった教育をして国民が考えることを嫌いにさせて科学や道徳がわからないようにしたり、馬鹿の悪人に出世させて馬鹿の悪人が上で利口の善人が下の社会にしたりする。今のみんなは大昔の娯楽をやらないし、今のみんなはアジア文化をやってヨーロッパ文化をやめている。今のみんなにとっては政府は要らない。政府に用がない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。政府に税金や保険金を払わずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。政府に「税金を払え!保険に入れ!」と言われても自分で断って政府に税金や保険金を払わないようにすればいいのである。
政府はテレビ局や出版社にお金をやって「政府は善いことをする会社だ」と言わせているだけである。みんなは毎日テレビばっかり見てテレビを信じているから「政府が善いことをする会社だ」と思っている。しかし、政府が善いことをする会社だという証拠はなにもない。政府は本当は悪いことをする会社である。政府は昔からマゾを恥ずかしがらせずに喜ばせるために善いことをする会社のふりをして悪いことをする会社である。だから、みんなはテレビや本を見ないようにして自分の眼で政府が実際にやっていることを見て『政府が悪いことをする会社だ』と考えて政府を倒せばいいのである。

[23887] 昔の人の世界観 h30.6.28
昔の人も今の人と同じように『ヨーロッパ人が科学も道徳もやらない馬鹿の悪人で、アジア人は科学も道徳もやる利口の善人だ』ということを知っていた。
しかし、昔の人はヨーロッパが栄えているのを見て、「世界には悪の時代と善の時代がある。悪の神がこの世を支配している時代が悪の時代で、善の神がこの世を支配している時代が善の時代である。悪の時代には悪人が栄えて、善の時代には善人が栄える。悪の時代と善の時代は千年周期で繰り返す」と考えていた。だから、日本人はヨーロッパが栄える時代には「今の世界は悪の時代だ」と思って日本を栄えさせるためにみんなが悪いことをやっていた。反対に、アジアが栄える時代には「今の世界は善の時代だ」と思って日本を栄えさせるためにみんなが善いことをやっていたのだ。
昔の人は「この世は善の時代と悪の時代を千年周期で繰り返す」と信じていた。アフリカ人にもそんな世界観がある。私が高知大学生のころに文系の一般教養で池田教授にアフリカの思想を習ったときにそんなことを教わった。
しかし、本当は『ヨーロッパ人はもともと科学も道徳もやらない馬鹿の悪人だが、国が滅びかけるとみんながアジア文化を取り入れてアジア文化をやって科学も道徳もやる利口の善人になるから国が栄えるのだ。ヨーロッパは国が栄えるとみんなが「これだけ文明が進んだらもはや国が滅ぶことはあるまい」と思って再びみんながもとのヨーロッパ文化をやるようになってみんなが科学や道徳をやらなくなって馬鹿の悪人になって国が衰[おとろ]えるのだ。ヨーロッパは千年周期でアジア文化をやったりヨーロッパ文化をやったりして国が栄えたり衰えたりを繰り返している』のだ。(ヨーロッパは文明が進むときは急激に進むがその後で文明が衰える。一方、アジアはゆっくりと文明が進んで文明が衰えることがない。だから、イソップは『ウサギとカメ』の話を作ってヨーロッパ人に油断してはいけないことを諭[さと]したのだ。ウサギがヨーロッパ人でカメがアジア人である。イソップは『アリとキリギリス』の話でもヨーロッパは文明が進んだ後で必ず文明が衰えるから浮かれて遊んでいてはいけないと注意したのだ。キリギリスがヨーロッパ人でアリがアジア人である。夏がヨーロッパの文明が進んだ時代で冬がヨーロッパの文明が衰退した時代である。ヨーロッパは何千年も前からこんな歴史を繰り返してきたのだ。)
ヨーロッパが栄える原因はヨーロッパ人がアジア文化をやっていることにある。国の繁栄はみんながアジア文化つまり科学や道徳をやることにある。それは、世界中の国で同じである。アジアの国もアジア文化をやれば国が栄えて、ヨーロッパ文化をやると国が衰える。
そのため、今では世界中の国でみんながアジア文化をやってヨーロッパ文化をやらなくなっている。今では世界中の国が科学や道徳をやっている。今では世界中の国でみんなが実在を知って実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らしている。
ところが、今でも政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせている。政府は国民に科学や道徳をやらさなかったり、悪人が上で善人が下の社会にしている。政府は政府の言いなりになる者ほど上の者にしている。政府の言うことを聞かない者ほど下の者にしている。政府はもともと国民みんなにヨーロッパ文化をやらせる会社だから、みんながアジア文化をやるようになった今でもみんなにヨーロッパ文化をやらせ続けているのだ。今の政府は国民みんなの文化に合っていない。現代の日本は中世の日本と同じである。中世の日本ではみんながアジア文化をやっていたのに政府ひとりがヨーロッパ文化をやっていたために、みんなが政府を仲間はずれにしてのけ者にして政府にお金をやらなくなって政府を倒した。だから、今の日本でもみんなが政府を仲間はずれにしてのけ者にして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。国民みんなは政府に税金や保険金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのだ。中世の頃はまだみんながマゾだったから政府が幕府に変わって生き残れたが、今はみんながマゾではないから政府が幕府に変わっても生き残れない。政府は滅んでなくなるしかない。
中世の頃は政府が国民みんなからありったけ税金を取って政府しかお金持ちがいなかったので政府がいろんな事業をやっていた。中世の頃は政府がなくなったら国民は生きて行けなかった。それでも、国民みんなは政府が悪い国を作っているのが許せなくて政府を仲間はずれにして政府を倒した。今は国民みんながお金持ちになって国民みんなが自分でいろんな事業をやっていて政府はほとんど事業をやっていない。今の政府は国民みんなに対して大した影響力がない。今のみんなにとっては政府はどうなってもいい。今では政府はなくなってもいい。今の政府は中世の政府よりもどうでもいい。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。

[23888] 今の国民みんなは善い国を作っているのに政府はひとりだけ悪い国を作っている。 h30.6.29
政府の仕事は国民に悪いことをすることと国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませることと戦争をさせることとヨーロッパ文化をやらせることである。
政府は国民に悪いことをするために国民から強盗したり国民を殺したり国民に嫌がらせをしたりする。
政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために国民にまちがった教育をして国民を馬鹿に変えて科学や道徳をわからなくして馬鹿の悪人に変えたり、馬鹿の悪人が上で利口の善人が下の社会にしたりする。政府は国民をうわべが明るいだけで中身が暗い人間にする。政府は馬鹿の悪人を上にして利口な善人から無理やり税金を取らせていつまでも建っていられるようにしている。(h30.6.30追加:政府は会社の人間の上下関係を利用して上の馬鹿の悪人が下の利口の善人に無理やり税金を払わせたり 、上の馬鹿の悪人が下の利口の善人に悪いことを教育して馬鹿の悪人に変えたりしている。中世は利口の善人が上で馬鹿の悪人が下だったから世の中がうまくいってみんなが幸福に暮らせていたが、現代は馬鹿の悪人が上で利口の善人が下だから世の中がうまく行かなくなってみんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。だから、今の会社は政府の言うことを聞かないようにして自分で勝手に利口の善人を上にして馬鹿の悪人を下にすればいい。そうやって、社員みんなが幸福に暮らせるようにすればいい。国民が政府に税金を払わないようにして政府を倒せるようにすればいい。
しかし、今の国民みんなはアジア文化をやっている。今ではみんなが正しい道徳がわかっている。みんなが『人間が幸福に生きるためには実在を知って実在の中で自分の心を満足しないといけない。人間が幸福に生きるためには科学や道徳をやらないといけない。つまりアジア文化をやらないといけない』ことを知っている。そのため、今ではみんながアジア文化をやっている。
ところが、政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせている。国民みんなは科学や道徳をやって馬鹿の悪人を下にして利口の善人を上にして善い国を作っているのに、政府は国民みんなに科学や道徳をやらせないようにして馬鹿の悪人を上にして利口の善人を下にして悪い国を作っている。政府は国民みんなと反対の国を作っている。
今の国民みんなは善い国を作っているのに、政府はひとりだけ悪い国を作っている。政府はひとりだけ国民みんなと反対の国を作っている。しかも、今の国民みんなは悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んだり、戦争をしたりするのが嫌なのに、政府は国民みんなに悪いことをしたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませたり、戦争をさせたりしている。今の国民みんなにとって政府はうれしいことをひとつもやっていない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
幕府の仕事は国民に悪いことをすることと国民みんなや国家宗教の神や幕府を拝ませることと戦争をさせることとアジア文化をやらせることである。幕府の仕事は善い国を作ることである。幕府の仕事は国民に正しい教育をして国民が科学や道徳がわかるようにして国民を利口の善人にしたり、利口の善人を上にして馬鹿の悪人を下にして善い国を作ることである。しかし、今では国民みんなが悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んだり、戦争をしたりするのが嫌である。今では国民みんなが自分で科学や道徳をやって、利口の善人が上で馬鹿の悪人が下の社会にしている。今では国民みんなが利口になって自分で善い国を作っている。今のみんなにとっては幕府は要らない。だから、今では政府が幕府に変わっても政府は生き残れない。政府は滅んでなくなるしかない。
h30.6.30追加:政府は悪い国を作るために悪人を上にして善人を下にしている。悪人は悪人だから人前で善い人ぶるが、善い人は善い人だから人前で善い人ぶらない。そのために、悪人は善い人に見え、善い人は悪人に見える。みんなは悪人の芝居に騙[だま]されないようにして人間の本質を見抜いて悪人と善人を区別しないといけない。みんなは善い国を作るために悪人を下にして善人を上にしないといけない。

[23889] 政府はテレビや学校でみんなにまちがいを教えている。 h30.6.30
学校ではみんなに「ヨーロッパ人は頭がよくて科学や道徳ができて利口で善人で、インド人は頭が悪くて科学や道徳ができなくて馬鹿で悪人だ」と教えている。
しかし、本当はその反対である。『ヨーロッパ人は頭が悪くて科学や道徳ができなくて馬鹿で悪人で、インド人は頭がよくて科学や道徳ができて利口で善人である。』
政府は国民にヨーロッパ文化や大昔の娯楽をやらせる会社である。幕府は国民にアジア文化や大昔の娯楽をやらせる会社である。現代の今の国民みんなは頭を使って考えて科学や道徳をやっている。そのため、政府は自分が今の国民みんなに支持されるために「ヨーロッパ文化ではみんなが頭がよくて科学や道徳をやっている」と嘘[うそ]をついているのである。政府はテレビや学校でみんなにまちがいを教えている。馬鹿はまちがいを鵜呑[うの]みにして信じて一生懸命ヨーロッパ文化をやっている。
しかし、本当は『ヨーロッパ文化ではみんなが頭が悪くて考えることが嫌いで科学や道徳をやらない。ヨーロッパ文化ではみんなが馬鹿の悪人だ。ヨーロッパ文化では馬鹿の悪人ほど上で、利口の善人ほど下なのだ。』政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせるために、みんなにまちがった教育をしてみんなを考えるのが嫌いな馬鹿に変えて科学や道徳をやらせないようにして馬鹿の悪人にしている。政府は馬鹿の悪人が上で利口の善人が下の社会を作っている。政府は悪い国を作っている。
今ではみんなが『人間が幸福になるためには実在を知って実在の中で自分の心を満足しないといけない。科学や道徳をやらないといけない。利口の善人が上で馬鹿の悪人が下の社会にしないといけない』ことを知っている。政府はみんなが不幸に暮らさねばならない社会にしている。政府は国を滅ぼしている。政府がまちがっている。だから、今のみんなは自分が幸福に暮らすために政府を倒さねばならない。政府の言うことを聞かないようにして政府に税金や保険金を払わないようにして政府を倒さねばならないのである。
インドは文明が発達している。インド人は頭がよくて“頭で考える喜び”が強くて“眼で見る喜び”が弱いから、インドは頭で考えるところは発達しているが眼で見るところは遅れている。そのため、眼で見るとインドが遅れているように見える。しかし、頭で見るとインドは進んでいるのである。文明は眼で見えるものではないのである。反対に、ヨーロッパ人は頭が悪くて“頭で考える喜び”が弱くて“眼で見る喜び”が強い。だから、ヨーロッパは眼で見えるところが発達しているだけで頭で考えるところは遅れている。ヨーロッパは文明が進んでいるふりをしているだけである。本当は、インドのほうが文明が進んでいるのだ。ヨーロッパ人は自分が生き残るためにいやいやしかたなく自分が嫌いな科学や道徳をやっているだけである。インド人は自分の“頭で考える喜び”を満足するために自分が好きな科学や道徳をやっている。インドのほうがヨーロッパよりもみんなが幸福に暮らしている。だから、日本はヨーロッパよりもインドを見習わなければならない。
インド人は頭がよすぎて眼で見えることを軽[かろ]んじる。そのために、インド人は数学は得意だが科学が苦手である。インドでは科学が発達しない。幸いにも、日本人はインド人ほど頭がよくない。日本人は頭で考えることも眼で見ることも両方とも重んじる。だから、日本人は数学は苦手だが科学は得意である。日本では科学が発達する。インド人は頭で考える世界に生きている。日本人は実在の世界(つまり眼と頭の両方で見る世界)に生きている。インド人が生きている世界と日本人が生きている世界は違う。インド人の幸福と日本人の幸福は違うのだ。本当は、インド人のほうが日本人よりも科学が得意で実在のことがよくわかっていて日本人に見えないことがわかっていて道徳も進んでいるのかもしれない。それとも、インド人は頭だけで考えすぎて実在を見失ってヘンテコな世界に迷い込んでしまって不幸に暮らさねばならなくなっているのかもしれない。
とにかく日本人は実在の中で幸福に暮らせばいい。科学や道徳をやって幸福に暮らせばいい。実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らせばいい。政府は国民に科学や道徳をやらせないようにして国民を不幸にする。国民にとって政府は邪魔[じゃま]である。だから、国民は政府を倒せばいいのである。

[23890] どうして今でも文学部があるのか? h30.6.30
今は科学の時代である。みんなが頭を使って考えて科学や道徳をやって利口の善人になって幸福に暮らすべきである。
それなのに、いまでも文学部がある。文学部の連中は頭を使わない科学も道徳もやらない馬鹿の悪人である。
政府は国民にヨーロッパ文化や大昔の娯楽をやらせる会社である。だから、政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために文学部を建てて国民に科学も道徳もやらせず国民を馬鹿の悪人にしているのだ。政府は馬鹿の悪人が上で利口の善人が下の社会にするために、文学部出身者を会社の上の者にして楽なことをやらせて、理学部出身者を会社の下の者にしてつらいことをやらせているのである。文学部出身者に理学部出身者の稼[かせ]ぎを取らせて遊ばせているのである。文学部出身者は政府に上の者にしてもらって楽な暮らしができるので政府を支持して政府の言うことを聞く。政府は文学部出身者を上の者にして理学部出身者から税金を取らせて自分がいつまでも建っていられるようにしているのである。
科学ができる人は道徳もできる。科学ができない人は道徳もできない。道徳は人間が人間の心を知って人間が幸福に生きるために人間の心を適切に動かすことである。科学は人間が物を知って人間が幸福に生きるために物を適切に動かすことである。だから、道徳も科学も同じである。科学ができる人は頭がいいから道徳もできる。科学ができない人は頭が悪いから道徳もできないのだ。だから、理学部は科学も道徳も両方できるし、文学部は科学も道徳も両方できない。理学部は利口の善人だが、文学部は馬鹿の悪人なのだ。理学部は政府が下の者にしてつらいことをさせるが、文学部は政府が上の者にして楽なことをさせるのだ。
政府があると馬鹿の悪人が上で利口の善人が下になる。政府があると馬鹿の悪人がいい待遇で、利口の善人が悪い待遇になる。文学部がいい待遇で理学部が悪い待遇になる。世の中が文学部ばっかりになって理学部がなくなる。国中が悪人ばかりになって善人がいなくなる。悪い国になってみんなが貧乏に不幸に暮らさねばならなくなる。文明が衰退して国が滅ぶ。大勢の人が死ぬ。これではいけない。だから、今の国民で早く政府を倒さないといけない。政府を倒して利口の善人が上で馬鹿の悪人が下の社会にしないといけない。文学部が悪い待遇で理学部がいい待遇で暮らせる社会にしないといけない。理学部ばっかりにして文学部をなくさないといけない。国中を利口の善人ばかりにして馬鹿の悪人をなくさねばならない。善い国にしてみんなが裕福に幸福に暮らせるようにしないといけない。
h30.7.1これ以降追加:今の政府は会社の人間の上下関係を悪用して文系の馬鹿の悪人を上にして理系の利口の善人を下にして自分が国民にヨーロッパ文化をやらせやすいようにして自分が国民から税金を取りやすいようにして自分にとって有利な社会にしている。このままではみんなが科学や道徳をやらなくなって貧乏に不幸になって幸福に暮らせなくなる。みんながヨーロッパ文化をやると国が滅亡する。だから、みんなは会社の人間の上下関係をひっくり返してみんなで上の人を下の人に下の人を上の人に考えて、文系の馬鹿の悪人を下にして理系の利口の善人を上にして利口の善人が馬鹿の悪人の言うことを聞かないようにして馬鹿の悪人を悪い待遇にして利口の善人をいい待遇にしてヨーロッパ文化をやらないようにして、政府に税金を払わないようにして政府を倒して、みんなが科学や道徳をやって裕福に幸福に暮らせる善い社会にしないといけない。ヨーロッパ文化では悪人が上で善人が下だが、アジア文化や実在文化では善人が上で悪人が下だから、今の人は実在文化をやっているから悪人を下に善人を上にすればいい。(実在文化については次の[23891]の7段落目を参照。)
政府が会社に命令して文系の馬鹿の悪人を上にして理系の利口の善人を下にできるのは、そもそもみんなが政府が国民よりも上の者だと思っているからである。みんなが政府が国民よりも上だと思っているから、政府の命令をなんでも聞くのである。しかし、本当は政府は国民に大昔の娯楽やヨーロッパ文化をやらせる会社にすぎない。政府は国民に「政府が善いことをする会社だ」「政府は民主主義をやって国民みんなが幸福にらせる国を作っている」「政府は国家宗教をやっているが、国家宗教の神は人間よりも上だから政府は国家宗教の神と親しくしているから政府も人間よりも上である」「政府は悪いことをするのが好きな犯罪組織だから、国民が政府に逆らうと政府に殺される」などと嘘[うそ]をついて自分を国民よりも上の者だと思わせているのだ。本当は政府と国民は平等だ。だから、国民は政府の命令を聞く必要はない。会社は政府の命令を聞かないようにして文系の馬鹿の悪人を下にして理系の利口の善人を上にしないといけない。文系の馬鹿の悪人を悪い待遇にして理系の利口の善人をいい待遇にしないといけない。そうやって、文系を減らして理系を増やしてみんなを理系にしないといけない。
年寄りは若いころにヨーロッパ文化や大昔の娯楽をやっていたので「政府がみんなを幸福にしてくれる会社だ」と思っている。そのために、会社の上の年寄りは政府の言うことを喜んで聞く。そのために、会社の上の年寄りが政府の命令で馬鹿の悪人を上の者にして馬鹿の悪人が会社の上の者になる。そうやって会社は悪人が上で善人が下になって腐敗[ふはい]していく。悪人が上で善人が下の体制がだんだん強まって会社がどんどん悪くなる。年寄りは古臭いからいけない。だから、今の若い人が、科学や道徳をやって大昔の娯楽をやらなくなっている人が『政府が悪いことをする会社だ』と思って政府の言うことを聞かないようにして、会社を悪人を下に善人を上にして浄化[じょうか]しないといけない。みんなで政府の活動を止めて、みんなが幸福に暮らせる善い国にしないといけない。みんなで政府にお金がまわらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。政府自身もそうやって腐敗して行ったから、今の政府は汚いマネばかりして自分が生き残ろうとしているのかもしれない。だから、みんなで早く政府を潰さないといけない。
h30.7.2追加:ヨーロッパ人は身体はきれいだが心は汚いからみんなが悪人で悪人が上で善人が下の汚い社会が心地[ここち]よいのだ。『宇宙戦艦ヤマト』のガミラス星人が放射能の空気が好きなのと同じだ。反対に、日本人は身体は汚いが心はきれいだからみんなが善人で善人が上で悪人が下のきれいな社会が心地よいのだ。ヨーロッパ人は悪い国が心地よく、日本人は善い国が心地よい。ヨーロッパ人は善い国が心地悪いし、日本人は悪い国が心地悪い。ヨーロッパ人と日本人は性格が違う。ヨーロッパ文化では科学や道徳がやれず文明が滅ぶ。日本文化(つまり実在文化)では科学や道徳がやれて文明が進む。だから、日本人は日本文化をやって善い国にすればいい。ヨーロッパ人はいやいやしかたなくアジア文化をやって不幸に生き残るしかないのだ。
h30.7.4追加:ヨーロッパ人は眼で見るのが好きで頭で考えたり心で思ったりするのが嫌いだから科学や道徳が嫌いだから馬鹿の悪人が人気があって利口の善人が人気がないから悪人が上で善人が下の社会になるが、日本人は頭で考えたり心で思ったりするのが好きで眼で見るのが嫌いだから科学や道徳が好きだから利口の善人が人気があって馬鹿の悪人が人気がないから善人が上で悪人が下の社会になるのだ。

[23891] 今の政府は国民に眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしないようにさせている。☆ h30.7.1
政府は国民にヨーロッパ文化や大昔の娯楽をやらせる会社である。大昔の娯楽とは悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府や幕府を拝んだり、戦争をしたりすることである。
ヨーロッパ文化ではみんなが頭で考えることが嫌いで科学や道徳をやらず、眼で見ることが好きで格好付け[かっこうつけ]ばっかりして、心で思うことが嫌いで面白い物がない。ヨーロッパ文化の長所は格好がいいことだけである。女性優位とかもある。
だから、今の政府はみんなにまちがった教育をして頭で考えることが嫌いにして科学や道徳ができないようにしたり、眼で見ることにこだわらせて格好付けばかりさせたり、マンガや文学をつまらない物にしているのである。
一方、幕府は国民にアジア文化や大昔の娯楽をやらせる会社である。
アジア文化ではみんなが頭で考えることが好きで科学や道徳をやって、眼で見ることが嫌いで格好はどうでもよくて、心で思うことが好きで面白い物がたくさんある。
だから、昔の幕府はみんなに正しい教育をして頭で考えることが好きにして科学や道徳ができるようにしたり、眼で見ることにこだわらないようにして格好付けをさせなかったり、面白いマンガや文学をたくさん作らせたのである。
しかし、今は科学の時代である。今の国民みんなは科学や道徳をやっている。今の国民みんなは自分で実在について眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福になっている。今の国民みんなは実在について考えたり学んだりして実在を知ったり、実在の中で自分が好きなことをして遊んだりして自分の心を満足している。今の国民みんなは眼で見ることが嫌いで格好はどうでもいいことにしている。今の国民みんなは心で思うことが嫌いでマンガや文学をやらないようにしている。ついでに、酒やタバコもやらないようにしている。
今の国民にとっては政府も幕府も古臭い。今の国民にとっては政府も幕府も自分を幸福にしない。もちろん、今の国民はとっくの昔に大昔の娯楽をやめている。今の国民にとっては政府も幕府も要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。政府は今の国民にとって役に立つことをしていないから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
政府はヨーロッパ文化をやらせる会社だから悪い者を有利にする。文学部出身者を有利にする。しかし、政府は面白い物を作らせない。面白いマンガや文学を作らせない。だから、文学部出身者が喜べる世界ではない。政府はきれいな物を作らせるが、日本人にはそういう感性があまりないからうれしくない。日本人にとっては政府があると面白くない世界になる。政府があるとただ生きているだけでつまらない世界になる。だから、日本人は政府を倒したほうがいい。日本人は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。

[23892] Divoom(ディブーム)のiTour-Boom h30.7.2
私はJBLのGO2を1週間ほどロフトの中2階の寝室で使っていたが、GO2の音が汚いのに耐え切れず段ボール箱にしまった。それに、私のGO2は買ったときからブルートゥースの接続が調子が悪くてしょっちゅう途中でプツプツ途切れるので使い心地が悪いので使わないことにした。4000円もしたのにもったいない。ちなみに、JBLのJの字の上に付いているのは!(ビックリマーク)ではない。逆三角と丸だ。逆三角は私を表している。三角←三かく←三く←川フ(三≒川、く≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。丸は天皇家を表している。丸←神武天皇が東征のときに見た光る玉←神武天皇←天皇家。つまり、JBL社が天皇家よりも私を上にしているということなのだ。JBLのJはJapan(日本)のことだ。JBLのスピーカーは音が汚いから、特殊な音楽を聞く人以外は買わないほうがいい。どんなスピーカーでもそのスピーカーに合った音楽を聞けばきれいに聞こえる。
そのかわりに、Divoom(ディブーム)のiTour-Boomを使っている。アマゾンで3000円した。これはブルートゥースではない。8GBまでのSDカード(マイクロSDカードではない)とライン入力が使える。
←Divoom(ディブーム)のiTour-Boom。独特のいい音がする。
これは低音が弱くてあまり聞こえない。そのかわり高音が澄んできれいに聞こえる。独特の音がする。音がポワーンと響く。音がほどよくぼやけて、音が雨だれの雫[しずく]の波紋[はもん]のように広がって聞こえる。音がホンワカしている。ヘンテコな楽しい音が出る。マニアック。1960〜70年代のアメリカ人好みの音がする。私もこの音が好きだ。小さいのにステレオがよく効いている。
その後で、私が今居間で使っているソニーのSRS-X55を聞くと低音が強すぎる気がする。低音まできちんと聞こえるのはいいが、音が重苦しく感じる。SRS-X55は音がちゃんと聞こえるだけで楽しさがない。まあ、普通に使うのには問題はないが。私はこれで音楽を聞きながらいつもPS4でバトルフィールド4のゲームをしている。
ソニーはちゃんと音が聞こえるだけで楽しさがない。もっとも、ちゃんと音が聞こえるから文句はつけられないが。私は今ソニーのMDR-AV510のヘッドホンを使っている。これは音が高音寄りのために楽しく聞こえる。ちゃんと聞こえたらかえってつまらないだろう。高ければいいわけではない。そういう目で見ると、KOSSのPORTAPRO(アマゾンで5千円ぐらい)あたりが独特の変わった音が出て楽しいかもしれない。オーディオのベテラン向けというべきか。ふだんはソニーのような普通に音が出る機器のほうがいい。
音楽はヘッドホンで聞くよりもスピーカーで聞いたほうが自然に聞こえていい。私にとって音楽は知覚の働きを高めるために聞くにすぎないから、集中して聞くものではなく雰囲気で聞くものだから、ヘッドホンよりもスピーカーのほうが向いているのだ。

[23893] どうして江戸時代には医者が悪い待遇だったのか? h30.7.2
それは、医者が馬鹿の悪人だからである。医者は眼がいいだけで頭が悪くて科学や道徳ができなくて馬鹿の悪人である。江戸時代の日本ではみんながアジア文化をやっていてみんなが頭で考えて科学や道徳をやって、利口の善人が上で馬鹿の悪人が下の社会にしていたから、医者は馬鹿の悪人だからみんなで医者を下にして医者を悪い待遇にしていたのである。みんなで日本を善い国にするために医者にお金をやらないようにして医者を悪い待遇にしていたのである。
反対に、政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせる会社である。ヨーロッパ文化ではみんなが眼で見るだけで頭で考えず心で思わない。みんなが馬鹿の悪人で、馬鹿の悪人が上で利口の善人が下である。だから、政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせるために、馬鹿の悪人の医者を上にして医者の待遇をよくしているのである。政府は医者の待遇をよくするために、みんなを医療保険に入らせて医者に高い給料を払っているのだ。もっとも、最近は医者よりも医療事務のほうがもっと馬鹿の悪人だから、政府は医療事務にたくさんお金をやって医者にお金をやらなくなっているのである。
商人も馬鹿の悪人である。商人は欲深[よくぶか]でお金の欲望が強くて眼も頭も悪くて科学や道徳ができなくて馬鹿の悪人である。だから、みんながアジア文化をやっていた江戸時代の身分制では商人が一番下の身分だったのだ。政府はヨーロッパ文化をやらせる会社だから、馬鹿の悪人が上で利口の善人を下にする会社だから、馬鹿の悪人の商人を上にする。政府は馬鹿の悪人の商人を上にするために、みんなから消費税を取って商人にたくさんお金をやっているのである。
今は科学の時代である。今の日本ではみんなが実在文化([23891]の第7段落目を参照)をやっている。実在文化ではアジア文化と同じようにみんなが科学や道徳をやって利口の善人が上で馬鹿の悪人が下である。だから、今のみんなは医者や商人を下にすればいい。医者や商人にお金をやらないようにして医者や商人の待遇を悪くすればいい。政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせる会社だから、政府があると日本人がヨーロッパ文化をやらないといけなくなって日本人が貧乏で不幸になって幸福に暮らせなくなるから、みんなで政府を潰[つぶ]すために政府にお金をやらないようにすればいい。

[23894] 政府は国民にヨーロッパ文化をやらせて国民に科学や道徳をやらさないようにして国民を貧乏で不幸にする。☆ h30.7.3
政府は国民に大昔の娯楽とヨーロッパ文化をやらせる会社である。
政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために、国民にまちがった教育をして科学や道徳をやらせず馬鹿の悪人にしたり、悪人が上で善人が下の社会にしたりして悪い国を作る。政府は悪人が上で善人が下の社会にするために肩書き制や学歴制をやらせるのだ。
ヨーロッパ人は心が汚くて科学や道徳が嫌いで悪い国が好きだから、政府が作った悪い国が心地[ここち]よい。しかし、日本人は心がきれいで科学や道徳が好きで悪い国が嫌いだから、政府が作った悪い国が心地悪い。政府はヨーロッパ人を幸福にするが、日本人を不愉快[ふゆかい]にする。
しかも、政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせてみんなに科学や道徳を嫌いにさせて馬鹿の悪人に変えて国の文明を衰退させてみんなを貧乏にする。
今の日本では政府がみんなにヨーロッパ文化をやらせて悪い国を作って日本人みんなを不愉快にして、そのうえみんなに科学をやらないようにして文明を衰退させてみんなを貧乏にしている。もちろん、今の国民は大昔の娯楽なんかやめている。政府は今の国民にとっていいことをなにもしていない。政府は今の国民みんなを不幸にしているだけである。今の国民にとっては政府がなくなったほうがいい。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならないのである。
みんながヨーロッパ文化をやると科学や道徳をやらなくなって貧乏で悪い国になる。反対に、みんながアジア文化や実在文化をやると科学や道徳をやるようになって裕福で善い国になる。だから、国を繁栄させるためにはみんなはヨーロッパ文化をやらずにアジア文化や実在文化をやらねばならない。政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせるから、政府はみんなを貧乏にして日本人にとって嫌な国を作るから、みんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
ヨーロッパ人は悪い国は好きだが貧乏な国は嫌いである。だから、ヨーロッパ人はいやいやしかたなくアジア文化や実在文化をやっている。ヨーロッパ人もいやいやしかたなく政府を倒している。一方、日本人は悪い国も貧乏な国も両方とも嫌いである。だから、日本人は当然アジア文化や実在文化をやって政府を倒さねばならない。
政府は国民に政府を支持させるために国民に「ヨーロッパ文化ではみんなが道徳をやらないが科学をやる」と嘘[うそ]を教えている。本当は『ヨーロッパ文化ではみんなが科学も道徳も両方ともやらない』のである。諸星大ニ郎[もろぼしだいじろう]のマンガ『コドワ』のようにヨーロッパ人は物を見る目だけあって心を見る目のない一つ目ではなく、物を見る目も心を見る目も両方ともないメクラである。アジア人は物を見る目も心を見る目も両方ともある二つ目である。みんなは政府の嘘に騙[だま]されないようにして、さっさと日本人を貧乏で不愉快にする政府を倒さねばならない。
ヨーロッパ人はときどきアジア人の目をもらって物や心が見えるようにして繁栄してきた。アジア人は頭で考えることや心で思うことは得意だが眼で見ることが苦手である。反対に、ヨーロッパ人は眼で見ることは得意だが頭で考えたり心で思うことが苦手である。だから、ヨーロッパ人がアジア文化を入れると眼と頭の両方ともよくなって科学や道徳がよくできるのだ。しかし、ヨーロッパ人は本音[ほんね]ではアジア文化が嫌いだから頭で考えることや心で思うことが嫌いだから、そのうちアジア文化をやめてしまってもとのヨーロッパ文化に帰って科学や道徳をやらなくなってしまうのだ。ヨーロッパは実在に入った後で実在の外に出る。ヨーロッパは実在主義と実存主義を繰り返しているのだ。反対に、日本人は眼で見ることが苦手だから科学や道徳がよくやれない。だから、日本人はヨーロッパ文化の眼で見るところを取り入れて、文学の世界におぼれることなく、もっと実在の世界をよく観察して実在を眼でよく見て頭でよく考えて実在を知って科学や道徳をやらねばならない。例えば、私も医学部に入って人間の脳や脳細胞を自分の眼で見て『脳細胞の神経興奮で感覚が発生する』と自分の頭で考えてはじめて道徳がわかった。

[23895] どうして都会は田舎[いなか]よりも暮らしがいいのか? h30.7.3
それは、政府が国民にヨーロッパ文化をやらせる会社だからである。ヨーロッパは中央集権国家である。ヨーロッパでは都会の暮らしがよくて田舎の暮らしが悪い。だから、政府は都会にたくさんお金をやって田舎にはほとんどお金をやらないようにして都会を田舎よりもいい暮らしにしているのである。
政府はヨーロッパ文化をやらせる会社である。ヨーロッパ文化では悪人が上で善人が下である。だから、政府は悪人の待遇をよくして善人の待遇を悪くする。政府は悪人の待遇をよくするために悪人を都会に集めて、善人の待遇を悪くするために善人を田舎に置く。だから、都会に不良が多いのである。
反対に、アジアは地方分権国家である。アジアでは都会の暮らしが若干[じゃっかん]いいが田舎の暮らしもいい。アジアでは田舎も暮らしやすい。
今の国民みんなはアジア文化や実在文化をやっている。だから、今の国民みんなは日本中どこでもだいたい同じように暮らせるようにしているのである。
ヨーロッパ文化では悪人が上だから悪人が遊ぶために都会に集まるから悪人が権力者だから都会に権力が集中するのだ。だから、中央集権国家なのだ。反対に、アジア文化や実在文化では善人が上だから善人が働くために田舎に分散するから善人が権力者だから権力が地方に分散するのだ。だから、地方分権国家なのだ。
中央主権国家は国民が遊ぶための国家である。国民が眼で見て喜ぶだけで科学や道徳をやらないための働かないための国家である。だから、中央集権国家だと国が発展しにくい。反対に、地方分権国家は国民が働くための国家である。国民が頭で考えて喜んで科学や道徳をやるための働くための国家である。だから、地方分権国家だと国が発展する。今はアジア文化や実在文化の時代だから、日本は地方分権国家になっているのである。国が発展するようになっているのである。
国が地方分権になれば、田舎にも仕事があって田舎で暮らしやすくなる。国民は国中のどこでも暮らせるようになる。国民が自分の好きなところで暮らせるようになる。国民が地元[じもと]で暮らせるようになる。そのほうが国民が幸福に暮らせる。中央集権だと都会でしか働けなくて不便である。だから、地方分権のほうがいい。

[23896] 政府は今の国民を不幸にしているだけである。 h30.7.3
政府は国民に大昔の娯楽とヨーロッパ文化をやらせる会社である。
今の国民は大昔の娯楽が嫌いである。政府に悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んだり、戦争をしたりするのが嫌である。
今の国民はヨーロッパ文化が嫌いである。ヨーロッパではみんながいっとき科学や道徳をやって裕福で善い国だが、その後でみんなが科学や道徳をやらなくなって貧乏で悪い国になる。政府は国民にヨーロッパ文化をやらせていっときみんなに科学や道徳をやらせて裕福で善い国にして、その後でみんなに科学や道徳をやらせなくなって貧乏で悪い国にする。近代の政府は裕福で善い国にしたが、現代の政府は貧乏で悪い国にする。日本人は貧乏で悪い国が嫌である。
したがって、今の国民にとって政府はいいことをなにもやっていない。政府は今の国民を不幸にしているだけである。だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。今の国民は政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
今の政府は会社の事務と組んでみんなから無理やり税金を取っている。会社の事務は悪人である。今のみんなはアジア文化や実在文化をやっている。アジア文化や実在文化では勧善懲悪である。だから、みんなで下克上[げこくじょう]をやって会社の事務を殴[なぐ]って痛めつけてやればいい。税金を払わなければいい。そうやって、みんなで政府もろとも会社の事務を倒して善い国にしないといけない。中世の日本でもそうやってみんなで悪人を倒したのだから、現代の日本でもそうすればいい。もはやマンネリである。政府軍はおとなしく白旗を揚[あ]げて降参したほうがいい。
h30.7.4追加:中世の政府も今の政府と同じようにみんなにヨーロッパ文化をやらせるためにみんなにまちがった道徳を教えて悪人に変えて悪人が上で善人が下の社会にしていた。一方、みんなはアジア文化をやって正しい道徳をやって善人になって善人が上で悪人が下の社会にしていた。そのために、みんなは上の悪人の命令に逆らって上の悪人を倒していた。政府に税金をやらないようにして政府を倒していた。(昔の人はマゾなのに文化の違いを気にするなんて敏感だなあ。)現代の今のみんなもアジア文化をやっている。または実在文化をやっている。アジア文化と実在文化はマンガや文学を読むか読まないかの違いにすぎないのでだいたい同じである。だから、今のみんなも上の悪人に逆らって上の悪人の命令を聞かないようにして上の悪人を倒せばいいのである。善人が事務職に就[つ]いて、悪人が作業員になればいいのである。そうやって、善人が上で悪人が下の社会にすればいいのである。
悪人は眼で見る喜びしかないのでお金を浪費する。悪人はみんなからたくさんお金を取る。反対に、善人は頭で考える喜びや心で思う喜びがあるのでお金をほとんど使わない。善人はみんなからほとんどお金を取らない。だから、上の事務職は悪い待遇にして安月給にすればいいのだ。反対に、下の作業人は悪人だから多少いい給料にすればいい。
政府は国民に大昔の娯楽やヨーロッパ文化をやらせる会社である。政府は最初からそういう会社だと決まっている。個々の政治家が悪いのではない。政府そのものが悪いのだ。いくら政治家を入れ替えても政府が政府であるかぎり永遠に同じことをし続ける。だから、政府そのものをなくさないといけない。

[23897] 政府は日本人にとってつまらない国を作っている。 h30.7.4
政府は国民に大昔の娯楽とヨーロッパ文化をやらせる会社である。
政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる。
ヨーロッパ人は眼で見る喜びがあるだけで頭で考える喜びや心で思う喜びがない。ヨーロッパ人はきれいなことで喜ぶだけで正しいことや面白いことでは喜ばない。
だから、政府はきれいな国にするだけで正しい国や面白い国にはしない。
しかし、日本人はアジア人である。アジア人は頭で考える喜びや心で思う喜びがあるだけで眼で見る喜びがない。日本人は正しいことや面白いことで喜んできれいなことでは喜ばない。
もちろん、今の人は大昔の娯楽が嫌いである。政府に悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んだり、戦争をしたりするのが嫌いである。
だから、政府は今の日本人にとってつまらない国にしているだけである。
日本人にとって政府は要らない。だから、日本人は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
もっとも、政府は最初のいっときは国民に実在文化をやらせて国民に実在を眼で見て頭で考えるようにさせて実在の中で自分の心を満足するようにさせて科学や道徳ができるようにする。政府は最初のいっときは日本人にとって面白い国にする。しかし、その後では政府は国民にヨーロッパ文化をやらせて国民を眼で見るだけで頭で考えず心で思わないようにして科学や道徳ができないようにする。政府は後では日本人にとって面白くない国にする。一方、幕府は国民にアジア文化をやらせて国民に眼で見ずに頭で考えて心で思うようにさせて数学や文学や道徳ができるようにする。幕府は日本人にとって面白い国にする。つまり、国民にとっては最初の頃の政府が一番よくて、幕府が次によくて、後[あと]のほうの政府が一番いけない。今の政府はすでに国民にヨーロッパ文化をやらせる時期に入っている。だから、今の国民は政府を捨てている。今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]しに入っている。中世の日本でも国民は最初のいっとき政府を使ってその後で幕府を使っていた。だから、昔から“馬鹿と鋏[はさみ]は使いよう”というのである。馬鹿が政府で鋏は幕府である。政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせてみんなを馬鹿の悪人にするから、政府自身も馬鹿の悪人なのである。反対に、幕府はみんなにアジア文化をやらせてみんなを利口の善人にするから、幕府自身も利口な善人つまり鋏なのである。
昔は文学の時代だったから政府の後釜[あとがま]は幕府でよかった。しかし、今は科学の時代だから、政府の後釜は幕府ではいけない。幕府ではふざけすぎている。今の時代に“マンガや文学に力を入れる団体”が出てきても国民みんなはお金を出さない。日本人がマンガを読むキリギリスになってはいけない。だから、実在文化をやらせる会社でないといけない。
今の国民は大昔の娯楽が嫌いである。だから、みんなに大昔の娯楽をやらせなければみんなに実在文化をやらせる会社が建つかもしれない。最初の頃の政府と同じことをする会社が建つかもしれない。国民みんなが積極的に自分で実在文化をやるというのなら、お金の無駄[むだ]だからそんな会社は建たないだろう。

[23898] 自分が聞いて楽しくなる程度のいい音を出す音響機器を買わねばならない。 h30.7.5
ソニーのSRS-XB10は音が澄[す]んでいる。アンカーのサウンドコアミニは音が濁[にご]っている。参考動画。
ソニーのSRS-XB10で音楽を聞くと楽しくなる。アンカーのサウンドコアミニで音楽を聞くと不快になる。
だから、多少お金が高くてもソニーのSRS-XB10を買ったほうがいい。
つまり、安いスピーカーは汚い音を出すから音楽を聞くと不愉快になる。高いスピーカーはきれいな音を出すから音楽を聞くと楽しくなる。安いスピーカーで音楽を聞くと自分で自分を苦しめることになる。人間は幸福に生きねばならない。人間は自分を幸福にしないといけない。だから、安い音の悪いスピーカーは買ってはいけない。
アンカーやJBLのスピーカーは音が汚い。ソニーやボーズのスピーカーは音がきれいだ。アンカーやJBLのスピーカーは自分を苦しめて不幸にするから買ってはいけない。ソニーやボーズのスピーカーは自分を楽しくして幸福にするから買わないといけない。もっとも、ボーズのスピーカーは高すぎる。ソニーのスピーカーはリーズナブルである。スピーカーはそこそこ音がよければいい。よすぎる必要はない。自分が聞いて楽しくなる程度の音を出せばいい。だから、ソニーのスピーカーがいい。例えば、ソニーのSRS-X55(2万円ぐらい)やSRS-XB10(6千5百円ぐらい)がいい。
ヘッドホンについてもスピーカーと同様である。ヘッドホンも“自分が聞いていい気持ちになる程度のいい音を出すヘッドホン”を買わないといけない。自分が聞いて不快な気持ちになるような悪い音を出すヘッドホンを買ってはいけない。あまり安物すぎると音が濁って汚くて不愉快になる。“自分が聞いていい気持ちになる程度のいい音を出す物”を買わないといけない。せめて“自分が聞いて自分が不快にならない程度のいい音を出す物”を買わないといけない。だから、千円ぐらいのヘッドホンはいかん。せめて三千円程度のヘッドホンでないといかん。ちょっとだけいい音が出る物を買わんといかん。粗悪すぎるといかん。例えば、私が13年間以上愛用しているソニーのMDR-AV510(3千円ぐらい。ただし今では生産中止)とかMDR-S40(4千円ぐらい。ただし当てずっぽうだから自己責任で買ってね)がいい。
ヘッドホンはドライバーが小さいので低音を出すのは最初から無理である。自分が聞いてみて楽しくなる程度のいい音を出す物ならなんでもいい。自分が楽しい気持ちになるなら低音が出ようが出まいがどうでもいいのだ。
オープン型のオンイヤー型のヘッドホンだとヘッドホンをつけていてもスピーカーで聞いているような気持ちになれるのでいいネ。密室の中に閉じこもって音楽を聞くよりも、大自然の中でのびのびと音楽を聞くほうが気持ちがいい。
←ソニーのSRS-XB10。アマゾンで6千5百円ぐらい。これぐらいの音を出さないと買う価値はない。h30.7.7追加:でも、これを買うぐらいだったらあと4千円足してSRS-XB20を買ったほうが満足度が高いだろう。ステレオで聞けるし、低音の強さを変えられるし、格好[かっこう]いいし。SRS-XB10は湯飲みみたいだし。

[23899] 今の政府は今の国民が喜ぶことをなにもしていない。 h30.7.6
政府は国民に大昔の娯楽やヨーロッパ文化をやらせる会社である。
今の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために国民にまちがって教育をして国民を眼で見るだけで頭で考えず心で思わないようにして国民に科学や道徳ができないようにして国民を馬鹿の悪人に変えて、馬鹿の悪人が上で利口の善人が下の社会にしている。近代の政府は国民に善いヨーロッパ文化(つまり実在文化)をやらせて国民に正しい教育をして国民を眼で見て頭で考えて心で思うようにして国民が科学や道徳ができるようにして国民を利口な善人にして国民がまじめに物を作る仕事をして文明を進歩させて裕福な国にして、利口な善人が上で馬鹿の悪人が下の社会にして善い国にしていたが、現代の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国民を馬鹿の悪人にして国民が科学や道徳をやらないようにして国民がまじめに物を作る仕事をしないようにして文明を衰退させて貧乏な国にして、悪人が上で善人が下の悪い国にしている。“二条河原の落書[らくしょ]”(1334年、室町時代)のような国にしている。
一方、今の国民は自分が幸福に暮らすために実在文化をやっている。今では『人間が幸福に暮らすためには人間が実在を知って実在の中で自分の心を満足すればいい』ことがわかっている。だから、今の国民は実在を眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福になっている。今の国民は自分が科学や道徳ができるようになってまじめに物を作る仕事をして文明を進歩させて裕福な国にしている。今の国民は利口な善人を上にして馬鹿の悪人を下にして善い国を作っている。ところが、政府は国民にまちがった教育をして国民を馬鹿の悪人に変えたり、馬鹿の悪人を上にして利口の善人を下にして悪い国を作っている。政府は今の国民と反対の国を作っている。現代の政府は国民が科学や道徳ができないようにして文明を衰退させて貧乏な国にして、悪人が上で善人が下の悪い国にしている。日本人は貧乏な国も悪い国も嫌いである。政府は今の国民を不幸にしている。もちろん、今の国民は大昔の娯楽が嫌いである。今の国民は政府に悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んだり、戦争をしたりするのが嫌いである。したがって、今の政府は今の国民が喜ぶことをなにもしていない。今の政府は今の国民を不幸にしているだけである。だから、今の国民は今の政府を倒せばいい。今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
今の国民は実在文化をやっている。国民が実在を眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福になっている。今の国民は自分で科学や道徳をやって、利口な善人が上で馬鹿の悪人が下の社会にしている。今の国民は自分で実在文化をやればいい。将来、国民に正しい教育をして国民が実在を眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福になることを教える学校が出来たらお金をやって仕事をしてもらえばいい。将来、国民に善を勧めて悪を罰する警察が出来たらお金をやって仕事をしてもらえばいい。政府の学校は国民にまちがった教育をして国民を馬鹿の悪人に変えるための学校である。政府の警察は国民に悪を勧めて善を罰して悪人を増やして善人を減らして悪い国に変えるための警察である。国民は政府の学校や警察を無視してお金をやらなければいい。
今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて貧乏な悪い国にしている。一方、今の国民は自分が幸福になるために善いヨーロッパ文化(実在文化)をやって裕福な善い国にしている。今の政府は今の国民と反対の国を作っている。今の国民にとっては政府が邪魔[じゃま]である。今の国民は政府を倒さねばならない。それが国民の宿命である。ずっと昔から国民はそうしてきた。同じことを繰り返してきた。だから、今の国民もそうしなければならない。それが今の国民のノルマである。機械じかけの歯車のように国民は同じことをやって政府を倒さなければならない。今後は、もはや政府や幕府のようなみんなに悪いヨーロッパ文化やアジア文化をやらせる会社は建たないから、みんなが自分で実在文化をやって、実在文化に則[のっと]った仕事をする会社が建つだけだから、今後は国民がわざわざ自分を不幸にする会社を潰[つぶ]す必要はない。今後の人類の歴史は順調に行くだろう。これでやっと人類は無限ループ(マンネリ)から抜け出せるのだ(下図参照)。
アジア文化では眼で見ないで頭で考えて心で思う。悪いヨーロッパ文化では眼で見るだけで頭で考えず心で思わない。2つが合体すると眼で見て頭で考えて心で思う最強の文化が誕生する。それが善いヨーロッパ文化(実在文化)なのだ。政府は最初のいっときは国民に善いヨーロッパ文化をやらせるが、しばらくすると国民に悪いヨーロッパ文化をやらせるようになる。今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国を貧乏で悪くしている。このままでは国民みんなが不幸になる。ヨーロッパ人は悪い国が好きだからたとえ貧乏になっても悪いヨーロッパ文化をやりつづけるが、日本人は悪い国が嫌いだから貧乏になってまで悪いヨーロッパ文化をやりたくない。だから、今の国民でさっさと政府を倒して悪いヨーロッパ文化の国を作る会社をなくして実在文化の国を建てればいいのである。
昔の日本人は「ヨーロッパ人が優れた人種だ」と思っていたからヨーロッパ人を必死で真似[まね]していた。たとえ日本が貧乏で悪い国になってもヨーロッパ人を真似ていた。今の日本人は『ヨーロッパ人は劣った人種だ。インド人のほうが優れた人種だ』と思っているから、もはやヨーロッパ人の真似なんかしない。今の日本人はヨーロッパ人を真似ずに自分で実在文化をやってみんなが幸福に暮らせる善い国にするのだ。
実在文化はこの世でもっとも優れた文化である。昔の日本人はヨーロッパ人がいっとき実在文化をやっていたから「ヨーロッパ人は世界中で一番優れた人種だ」と思ってヨーロッパ人を信用していた。そのため、あとでヨーロッパ人が本心を取り戻してアジア文化をやらなくなって悪いヨーロッパ文化をやるようになっても日本人は闇雲[やみくも]にヨーロッパ人の真似をして貧乏な悪い国にしていた。そうして、ヨーロッパがアジア文化を取り入れるようになってからようやく日本もヨーロッパを真似てアジア文化を取り入れていたのだ。日本人はヨーロッパ人の金魚の糞[ふん]にすぎなかったのだ。しかし、そもそもヨーロッパが実在文化をやっていたのは、ヨーロッパ人が馬鹿で悪い人種で眼で見ることが得意で頭で考えることや心で思うことが苦手だからである。反対に、アジア人は利口で善い人種で頭で考えたり心で思うことが得意で眼で見ることが苦手である。本来ヨーロッパ人はアジア人よりも劣った人種なのである。ヨーロッパ人は劣った人種であるために国の文明が衰退するのでアジア文化を取り入れて国の文明が急激に発展したのだ。反対に、アジア人は優れた人種であるために国の文明が衰退しないのでヨーロッパ文化を取り入れなかったために国の文明があまり発展しなかったのだ。だから、けっしてヨーロッパ人が優れた人種ではない。本来は、アジア人のほうがヨーロッパ人より優れている。ヨーロッパ人が劣った人種であるために、偶然に優れた文化を手に入れていただけのことだ。だから、日本人はヨーロッパ人を真似るのをやめて、アジア人を真似て、ヨーロッパ人の長所である眼で見ることを取り入れてアジア文化を改良して実在文化をやって、永遠に国民みんなが裕福に幸福に暮らせる国にすればいいのだ。
昔はみんなが「ヨーロッパ人が優れた人種だ」と思っていたから、ヨーロッパ人が悪いことをする時代には真似して悪いことをやっていた。しかし、今はみんなが『ヨーロッパ人が劣った人種だ』と思っているから、ヨーロッパ人が悪いことをする時代にも真似して悪いことをやってはいけない。今のみんなはヨーロッパ人を真似ずに実在文化をやって科学や道徳をやりつづけて善いことをして悪いことをしなければいいのである。そうすれば、幸福になれるのだ。
今の政府はみんなに悪いヨーロッパ文化をやらせてみんなが科学や道徳をやらないようにしてみんなにまじめに物を作る仕事をさせないようにして他人に働かせて自分が遊んで暮らすようにさせている。反対に、今の国民みんなは実在文化をやっている。実在文化ではみんなが科学や道徳をやって自分がまじめに物を作る仕事をやって自分が働いて他人に遊ばせて暮らす。実在文化では他人に遊ばせるために自分が働く。だから、今のみんなは一生懸命に科学や道徳を勉強して自分で働いて、よく働く者が上で働かない者が下の社会にしないといけない。


[23900] いい音を出さないほうがいいヘッドホンである。 h30.7.6
今日は暇なので、この前アマゾンで買ったオーディオテクニカ(略してオーテク)の『ATH-P100L』(アマゾンで1,200円ぐらい)を聞いてみた。比較対象は、私が13年以上愛用しているソニーの『MDR-AV510』(アマゾンで3,000円ぐらい)である。
単純に言うと、オーテクのほうが音がいい。原音に忠実な音を出している気がする。高い音はキンキン鳴る。低い音もズーンと唸[うな]ってよく聞こえる。側圧はちょっとだけきついが気にならないレベル。
ただ、しかし、オーテクは五感的な音を出す。音の質が馬鹿である。ソニーは知的な音を出す。音の質が利口である。これは、もはや音楽を超えている次元の問題である。哲学的な問題である。
オーテクは五感的な音を出すから、長時間聞いていると馬鹿になる。ソニーは知的な音を出すから、長時間聞いていても馬鹿にならない。人間は音楽を聞いて生きているだけではない。人間はいろんなことを考えて生きている。人間にとっては頭で考えるほうが音楽を聞くよりも大事である。人間は音を聞くために生きているのではない。考えるために生きているのだ。ソニーはいい音を出さないからこそいいヘッドホンなのだ。
よく聞いていると、オーテクのほうがちょっと音がダラ〜として濁っている。ソニーのほうが音がキビキビして澄んでいる。パッと聞きはオーテクのほうがいいが、よく聞くとソニーのほうがいい。オーテクのほうが人工的な音がする。ぎこちない音がする。ソニーのほうが自然ないい音がする。(値段差があるから比較に無理があるが。)一般に、オーテクのヘッドホンは音がよく出ているが音そのものが面白くない。ソニーのヘッドホンは音の出は悪いかもしれないが音そのものが面白い。ソニーよりもオーテクのほうが正しい音が出るが、ソニーのほうがオーテクよりも面白い音が出る。オーテクはただまじめに音が出るだけで、面白い音が出ない。音の味はソニーのほうが面白い。長い間聞いていると、オーテクよりもソニーのほうが気持ちがいい。楽しくなる。人間は幸福に生きるべきである。自分で自分を幸福にしないといけない。だから、私はオーテクよりもソニーを選ぶ。これまで通りソニーのMDR-AV510を使う。
外人と日本人では音に対する感性が違う。外人は音をきれいに聞く。日本人は音を楽しく聞く。外国のヘッドホンはきれいな音が出る。日本のヘッドホンは楽しい音が出る。日本人にとっては日本のヘッドホンのほうが聞いて幸せになる。外人にとっては外国のヘッドホンのほうが聞いて幸せになれるのだ。だから、自分の心に合ったヘッドホンを選ばないといけない。他人の意見は参考に止[とど]めて、自分の耳と心でヘッドホンを選ばないといけない。


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