ドッとKONIちゃん(作成H20/12/18〜22)
赤堀ギャグの集大成。私&天皇&政治家のキャラクターがレギュラーで登場する珍しいアニメ。

ドッと←dot←点←天←天皇
KONI←KN←KawanoNobuo←川野延夫(私の名前)

《人物》KONIちゃん=私(太っている、眠っているときヨダレを垂らす)、HIGHちゃん=天皇(神武天皇が威勢のいい軍人だったから)、NARIちゃん=政治家(国家予算を自由に使えるからお金持ちである。丸気[まるげ]なものが好き、つまり丸=神武天皇の光の玉=天皇と気=ゲ=ノブ=延夫=私を神とする神制でお金を儲けているから、じつは宗教家である。)、MOROちゃん=私(その名の通り、10才頃の私に似ている。お色気をふりまいているわりにはいやらしくない。私は中学2年生のとき3〜4回勉強のストレスがたまって裸で外をうろついたことがある。そのとき、どこかのおばさんに“前”を見られたことがある。(あとで騒ぎにはならなかった。)私は中学3年生の2学期から高校1年生の5月頃まで毎日家のお風呂場でオナニーをしていた。)犬アフロ=ワタナベシンイチ(ただし、犬=いぬ=川の(“ぬ”の左の斜め線を“い”に移す)=私、アフロ=私が九州大学医学部教養部1回生の夏休みにパンチパーマを1回だけかけたことがある。ワタナベシンイチの声が私の声に似ている?)、謎婆=私(腕が長いから)、ラブリー先生=川村五月[さつき]先生(私が小学5〜6年生のときの担任の女の先生)、エミーちゃん=私が高知大学数学科の入学祝に親に買ってもらったNECのPC-8001のパソコン(ただし、モニターを買うお金がなかったので、モニターの代わりに高校生のときに親に買ってもらったサンヨーの赤い14型のテレビを使っていた。当時パソコン雑誌I/Oにパソコンゲームのマシン語のチェックサムを声で読み上げるプログラムが載っていたので、それを自分でキーボードから打ち込んで使っていた。だから、エミーは喋るのだ。2代目のエミーは私が自分が働いて稼いだお金で買ったSOTECや富士通のパソコンだがモニターはブラウン管のモニターを今でもずっと使っているので、エミーの顔のモニターは私が放送当時持っていたSONYのデジカメの液晶である。だから、電池で動くのだ。)、イワン・オットー=私の父親(家の中では無口で本を読んでいることが多いから“言わん夫”。ワルワル団は日本政府≡日本神道の本部。父親は警察の会計課で働いていた(だからイワンはワルワル団の活動資金を稼いでいる)。イワン・オットーと私の父親は話し方がちょっと似ている。[それは当たり前だ。似せているんだから。]他のキャラクターも多かれ少なかれもとの人と話し方が似ている。)、スルメちゃん=私の母親(言葉の最後にゲソが付くのは、ゲ←ノブ←延夫(のぶお、私の名)だからである。)、ペソメちゃん=私(ペソメちゃんは謎婆が操っているらしい。私が大人になってから駄菓子屋に行かなくなったので、謎婆の代わりにペソメちゃんが出ているのだ。)

・OP『キャラだもん』は、私の性格について歌っている。[でも、あんまり真に受けないでね。]

←OP『キャラだもん』
掲載が『ザ・テレビジョン』だけだってところが、いかにもマイナーだねえ。
私が九州大学理学部物理学科の学生だった頃、私が研修医で稼いだお金でビデオデッキを買っていたので、角川書店の『ザ・テレビジョン』を箱崎ダイエーで毎週買って読んでいた。
←OP『キャラだもん』
KONIちゃんの後ろにある緑の波線は、幻聴のテレパシー波を表している。
←OP『キャラだもん』より
KONIちゃんが、曲がった管の中を通っている。曲がった管はS状結腸(大腸の末端部)の喩えであり、したがってKONIちゃんはウンコの喩えである。ウンコ←UNKO←NK←NobuoKawano←川野延夫(私の名前)。

・キャラクターデザインの元ネタは、私が高校生のときに持っていた光文社カッパブックスの『英熟語記憶術』 重要5000熟語の体系的征服 岩田一男著に載っていた挿絵だ。イワン・オットーや本庄本左衛門やラブリー先生は『英熟語記憶術』の挿絵に出ていたキャラクターである。私は高校生のとき朝倉駅の駅前にあった本屋で『英熟語記憶術』の挿絵を見て絵が面白かったのでこの本を買った記憶がある。私は『英単語記憶術』と『英熟語記憶術』の両方を持っていたが、『英単語記憶術』に比べて『英熟語記憶術』のほうが挿絵がずっとうまいと思っていた。たぶん『英単語記憶術』の挿絵は真鍋博[まなべひろし]が、『英熟語記憶術』の挿絵は米田光宏[よねだみつひろ]が描いていたと思う。(イラストレーターがアニメーターをやることはよくあることらしい。)[私の元祖魔法少女日記 【元ネタ】『ドッとKONIちゃん』再考 h20.8.11 から引用した。]
・しかし、私が最近(2009年7月25日)ヤフオクで買った岩田一男著『英熟語記憶術』初版の挿絵にはどれも載っていなかった。挿絵はしとうきねお氏が描いたものであり、イワン・オットーや本庄本左衛門やラブリー先生のどれも出ていなかった。私が見たのは、2版以降だったのかもしれない。あるいは、私の記憶違いかもしれない。本の挿絵の後半は銅版画の切抜きばっかりだった。どうやら時間が足りなかったようだ。

・私はCSに入っていたとき、ANIMAXでどすこい編の最後のほう(第8話〜第10話)だけ見たことがある。

・どうしてテープだけしか売られていないか?…私や天皇に関する真実の記述が多いので、個人情報の漏洩(プライバシーの侵害)に当たると考えたからだろう。つまり、神制では神がやったことは人間が何でもやっていいのだが、私も天皇も自分(つまり、私や天皇)のこと(真実の個人情報)を公表しないので[当時は、まだ私がホームページを作り始めたばかりの頃で、私は自分に関する情報をほとんど公表していなかった。]、人間が私や天皇のことを公表するのは神制によってはやれず自己責任でやらねばならないが、それはプライバシーの侵害に当たり良俗に反するので、あまり私や天皇に関する真実の情報を公表しないためにテープでしか売られていないのである。

サブタイトル 元ネタ(他にもたくさんあるけど、全部は書き切れない。それに、あまり面白くない場合は、書かない。) 私的評価
第1話 その1「We are the KONIちゃん」 ・ウマーズ←馬ず←馬島一[まじまかず]先生(私が高知学芸中学3年生のときの物理の先生。私が高知学芸高校のときの物理の先生&私が高知学芸高校2〜3年生のときの担任。)ちなみに、私の父親の[兄弟の]長男が川野一馬[かわのかずま]という名だったが、太平洋戦争で戦死した。
・私は人前で歌わない。
・小学4〜5年生のとき、南団地の遊園地の東にある店(植木[うえき]という名前じゃなかったかな?)で『ホームランバー』を買って2回連続で当たったことがある。当時小学生の間でホームランバーが当たりやすいと評判だった。
・中学1年生のとき重たいかばんを持って毎日歩いて学校に通った結果、腕が伸びた。
・KONIちゃんの気のないダンスは、私の神制は周りが派手にやるだけで本人が乗り気でないことを表している。
その2「スクールウォーズ?」 ・KONIちゃん「おかまってないのに」…私はオカマではない。
・私は漢字の読みが苦手だが、算数は得意である。体育の跳び箱が得意(というか、普通の人並みに跳べる程度)である。
・NARIちゃん「魚の眼プリプリ」…魚とは、魚←ウオ←ブオ←ノブオ←川野延夫(私の名前)だから、私のことである。つまり、政治家(NARIちゃん)が私の近所にいる日本神道の者を使って私にガンを飛ばさせて私の眼に痛みを与えて私を怒らせている(プリプリさせている)のだ。
その3「忍び込むのだーっ!」 ・忍者←忍←しのぶ←のぶお←延夫(私の名)。
・JAWS…私が若草幼稚園の遠足で桂浜[かつらはま]の水族館に母といっしょに行ったとき、私がコンクリートの水槽に近づいたとき、大きな魚(サメではない)がぬっと頭を出したので、私はすごく驚いた。
・私は立ちションはしないほうだ(でも、いざとなったらする)。
・HIGHちゃん「こうなったら、5リットルでも、17リットルでも」…5ヶ条のご誓文(私は歴史に弱いので誰が作ったか知らない)と17条憲法(聖徳太子が作った)。
予告編 ・私が九大学部精神科の研修医のとき、はじめての宴会の帰りに博多駅で大便のトイレに入ったとき紙が切れていてお尻を拭[ふ]かなかったので、次の日ズボンが異臭を放っていて、通勤列車の乗客が私を避けていた。
第2話 その1「正しい証明写真の撮り方」 ・九大箱崎キャンパスの西隣にはスポーツジムがある。しかし、私は建物を見ただけで入ったことがない。
・HIGHちゃん1円玉…天皇家の使えるお金はほとんどないようだ。つまり、日本の政治家は天皇家を神とする神制にはほとんどお金をかけていない。
・私が中学2〜3年生の頃、グリップで握力を鍛えていた。
・MOROちゃんの太った丸顔の写真は、MOROちゃんとKONIちゃんが同一人物つまり私であることを表している。
・MOROちゃんのムンク顔は、MOROちゃんつまり私が精神分裂病者であることを表している。
その2「@KONIちゃんの家!」
←セールスマンが指差しているとおり、3軒ある家の真ん中の家が私が中学3年生の2学期から九州大学医学部に合格するまで暮らしていた高知県高知市福井町1721の91の家だ。右端の家は、私の家の通りを挟んで向かいに建っていた家である。ある晩幻聴に怒った私が向かいの家の窓をめがけて単1の乾電池を投げたら見事に窓ガラスが割れて吹っ飛んで大騒ぎをしていたが、なぜかそれ以上騒ぎが広がらなかった。私の家に文句を言いに来ることもなかったし、警察沙汰にはならなかった。
私がこの家に住んでいた頃、高1の春に50万円の英語のカセットテープの教材を売りに来たセールスマンがいて、母は「あんたが好きなようにしいや」と言ったが、結局私が「要らない」と言って買わなかった。
・高知市朝倉の県営住宅に住んでいた頃、台風が来るとよく床下浸水していた。
・夏には庭でビニールプールで遊んだ。
その3「フィギュア王!?」 ・お医者さんバージョン←私は半年間九大医学部付属病院で研修医をしたことがある。
予告編 私が小学1〜2年生の頃、図画の時間に学校の写生をしたとき、友達の持っていた24色(36色か?)の色鉛筆セットの中にあった群青[ぐんじょう]色が変な名前の色だと思った。そのことは、頭の中で思っただけで他人に話したことはないから、やはり当時テレパシーで日本神道の誰かが聴いていたのだろう。
第3話 その1「つりつりパニック」 ・私が小学4〜5年生のとき、突然母が鏡川に釣りに行こうと言い出して、母と私と弟とで1日だけ鏡川に釣りに行ったことがある。私はゴリを1匹釣っただけだった。それ以後、高校2〜3年生のとき西森年彦君に上町5丁目の新月橋の下で網の打ち方を少し教えてもらっただけで、1度も釣りをしたことがない。リールは向かい隣に住んでいた浅野耕太君が磯釣りをするので、1度だけ耕太君にリールを見せてもらったことがある。
・犬アフロ「オブラート一気食いとか」←私は小学低学年の頃、錠剤が飲み込めなくていつも母にオブラートに包んでもらって飲んでいた。小学中学年生頃に、薬を飲み込む特訓をして、そのままでも飲めるようになった。
・KONIちゃん「そうは問屋が卸売りなの」←私が小学3〜4年生のとき、社会科のバス見学で高知市引化台にある中央卸売市場に見学に行ったことがある。
・MOROちゃん「[海KONIちゃんに]水かきがあるのに、器用にグーチョキパーしてるみゅん。」←私が小学生の頃、お風呂に入っているとき、自分の手の指に水かきがあるのを不思議に思っていた(→カッパ)。
・KONIちゃんカレー大食い…私が小学生のとき、母親の作ったカレーが美味しいのでよくおかわりして3杯分食べていた。
その2「立ち読み大決戦!」 ・本庄本左衛門と立ち読み決戦←私が小学生の頃、高知市鴨部高町の電車通りからちょっと入ったところにあった本屋でマンガの単行本をよく買っていたが、私がいつも本選びに30分〜1時間ほど時間をかけるので、本屋の主人が煙たがっていた。
・本左衛門「ゲット気なロボ」←私が小学2〜3年生の頃、TVアニメの『ゲッターロボ』が大好きだった。自分で内部の変形ギミックを考えて設計図を描いたほどだ。
その3「聖騎士Koni伝」 ・聖剣エクスカリミャー←私が小学3年生のときデザインした朝倉第2小学校の校章(真説ようこそようこを参照。)
・ドラクエ←私は医学部学生のとき高知に帰省したとき土電デパートのおもちゃ売り場で『ドラクエ2』を買って妹のファミコンでちょっとだけ遊んだことがある。それ以前に、私が九大医学部教養部学生時代、冬休みに帰省したとき、高校のときの友達で柴田直彦君の家に集まったとき、柴田君が『ドラクエ1』を持っていてみんなで遊ぼうかと言ったが結局やらずに、その代わりに近所で草野球をして遊んだ。
・日本や世界で作られているゲームには私のキャラクターが必ず登場する。[参考;『魔法のプリンセス ミンキーモモ』第6話「勇者が消えた!?」など]
予告編 ・肩こりによく効く←私は肩が凝らないが、私の母がよく凝ってピップエレキバンを使っていた。
第4話 その1「一日支店長〜激闘編〜」 ・私が小学4年生頃、南団地の南の家に住んでいた背の高い前田君といっしょに鴨部の四国銀行に行って前田君がビンに貯めていた小銭を両替機で大きなお金に換えたことがある。←両替機はマシン←魔神←神←私だから、私が銀行の一日支店長を勤めたことになる。
←MOROちゃん「悲鳴をあげる人の役やるんだみゅん。」本当の私の顔はこんな感じである。悲鳴をあげる人の役とは、ムンクの『叫び』のことであり、高校以来精神分裂病に罹[かか]っている私のことである。
←KONIちゃん「ジー」
私が高校1年生のとき通りを挟んで私の右隣の席に座っていた尾立君が英語の授業中に教科書のパラパラめくりをするのに腹を立てて、尾立君を横目でにらみながら尾立君の態度を直すために尾立君をマインドコントロールしようとして自分の頭に力を込めたので、それ以後精神分裂病に罹ってテレパシーが聞こえて眼が斜めを向くようになった。
その2「高度でコードな女の子」 ・エミーちゃんの電気コード←私が小学4〜5年生の頃、お風呂に入っているとき、ホースを肛門に突っ込んでお腹[なか]に水を入れて遊んでいた。あとで、ウンコが大量に出て、外の住宅共同の排水溝に流れ出たので、近所のおばさんたちが私の住宅の前でコソコソ噂話をしていた。[このアイデアをもとにしてTOTOウォシュレットが作られたと考えられる。]
・新聞配達←私が高校1〜2年生の頃、旭の下宿で暮らしていたが、下宿の家主さんが新聞配達をしていた。
その3「暗黒街のKONI」 ・今回はNARIちゃんが主役なので、私ネタはない。
・私も私の母も私の父も私の弟も私の妹も早口ではないが、私のおばあさん(母の母)が早口である。
△劇画が面白いだけ
予告編
第5話 その1「特訓サムサム(寒む寒む)アップ!?」 ・私が小学生の頃、高知市グランド前に『こどもの国』という小さな遊園地があった。私は、そこでコーヒーカップやジェットコースターや回転ブランコに乗って遊んだ。
・ヒッチハイク←私はヒッチハイクをしたことはないが、私が高知大学理学部数学科にいた頃、2回生の夏休みに体育の補習で登山があったが、そのとき私と同じ班になった上回生がヒッチハイクの話をしていた。寮の中で独りで線香花火をしている話もあった。GAROに一コママンガを投稿して入選した話もあった。キャンプファイアーの時には、みんなが芸をしたが、私だけ順番がまわって来ずにしなかった。ホタルの芸(裸になってお尻でタバコをくわえる)をする者がいたし、尻文字を書く女の子もいた。
その2「魔法のイカ少女 スルメちゃん」 ・私の父が家の中でよく酒を飲むので酒の肴[さかな]によくスルメを食べていたが、そのせいで私も子供の頃からおやつ代わりによくスルメを食べていた。
・私の母親はボクシングやプロレスなどの格闘が嫌いで絶対に格闘のテレビを見ないが、私や父親も見ない。私の父親は野球や相撲を見るが、私の母や私は見ない。ただ、私が学生の頃いっとき相撲を毎日見ていたことがある。
△寒いギャグをするな!
その3「KONIちゃん地獄遍」 ○かったるい
予告編
第6話(6←の←かわののぶお;私の名前) その1「あけましてさようなら!?」 ・巨大隕石の衝突←前にも言ったことがあるが、私が高校生のとき、北のおばあさん(父の母)の家で先祖祭りがあったとき、北のおばあさんがハレー彗星を見た話をしたことがある。
・子分A?「パウダーは薄めに」←私が小学生の頃、時々風呂上りに母がパフでベビーパウダーを塗ってくれることがあったが、私はあまり好きじゃないのでいつも「あんまり塗らんでいい」と言っていた。
◎ドキドキハラハラの展開!
その2「さようならKONIちゃん」
←「ヘポポポポーン」
「ヘポポポポーン」とは、口の形から、包茎[ほうけい]のことだと考えられる。つまり、HIGHちゃん(天皇)よりもNARIちゃん(政治家)が、NARIちゃんよりもMOROちゃん(私)がもっと包茎なのである。
◎どうなる?どうなる??
その3「あけましてこんにちは」 ・ハグハグ(『覇王大系リューナイト』にも同じ名前のがいたなあ)←川ブ川ブ(“グ”の左の斜め線を“ハ”に持ってきた。)←川ブ←川野延夫(かわののぶお、私の名前)
◎落ちはガッカリだが、ハグハグのキャラがかわいい。
予告編
第7話 その1「丸いのが好き!」 ・丸いの=丸い+の=神武天皇が出した光の玉+のぶお=天皇+私
・丸気なもの←丸ゲ=神武天皇が出した光の玉+ノブ(“ゲ”の分解)=天皇+私
・KONIちゃんのゾウさん…私は幼稚園〜小学生の頃、高知城の下にあった高知市立動物園(入園料子供5円大人10円)によく行っていたが、入り口から入ってすぐ左のところにゾウ(花子)がいた。私は幼稚園の頃、鏡川でフルチンで遊んでいたし、中学2年生の頃勉強のストレスがたまると裸で外をうろつくことがあった。
・NARIちゃんは丸いものが好きだから、声(南央美)も丸みを帯びている。
その2「りすとら男は闇将軍」 ・リストラ男←私の父親は60歳で公務員を定年になったが、その後申請して5年間勤務を延長できた。私の父親は私のそばでいろんなことを言って間接的に私を動かすから、闇将軍といえる。
・イワン・オットーのリバース…私が小学生の頃、父親がほとんど毎晩夜遅く酒を飲んで帰ってきていつも枕元に洗面器を置いてゲロを吐いていた。四角いリングは、家の部屋の喩えである。
義理で◎
その3「最近のジョージはわりと元気?」 ・『STAR WARS』の中で、私が映画館で見たのは、高校2年生のとき西森年彦君といっしょに見た2だけ。あとはテレビで見た。[ちなみに、2←ツー←川ノ←川野(私の姓)で、『ナントカ2』は、特に私のネタが濃く入っている作品である。]
・私が豊岡に住んでいた頃、つまり、『ドッとKONIちゃん』がANIMAXで放送されていた頃、1回だけユニットバスでオナニーしたことがある。
予告編
第8話 その1「ちぇんじ・ちぇんじ・ちぇんじ」 ・KONIちゃんが変身した物は、ブタマン、プラモデル、ブラジャー、フライパンだ。これらに共通するものは、“フ”の字だ。フ←ブ←のぶお(私の名)。つまり、日本神道の本部である日本政府が、日本で作られているすべての品物を私に因[ちな]んで作るようにさせているのだが、その中でも最も多いのがフやブやプの字を入れることだ(安易だなあ)。 ○ちょっとウンザリ
その2「悲劇のオオオカミ男」 ・ロミオ「〜デュポン」←私は学生時代、自炊をするのにデュポン社のテフロン加工のフライパンを使っていた。
・ロミオ(鼻が高いから外人)が変身したのは、オリンピック代表、アイドル歌手、ハリウッド女優、国会議員、流行語大賞などだ。つまり、世界中の政治家≡宗教家たちが、オリンピック代表やアイドル歌手やハリウッド女優や国会議員などの名前や顔などを私の名前や顔に似たものにさせているのである。流行語大賞も政治家の力で私に因んだものでなければならないことになっている。
・温泉←私が九大医学部4回生のとき、卒業記念に私と同じ班の者がいっしょに九州九重連山の坊がつるにある法泉寺温泉?に行ったことがある。あとは、私が兵庫県豊岡市に住んでいたとき、遊びに来ていた母親といっしょに城之崎[きのさき]にある温泉旅館に行った。
○これも上と似た話題だ。
その3「戦え!KONIレンジャー750!」 ・ゴレンジャー←私が朝倉中学校1年生のとき、五連(方眼に○と×を交互に書いて先に5連を作ったほうが勝ちのゲーム)が流行っていた。
・つづく←“ぶ”の字を分解したもの←のぶお(私の名)。
ありえないので○
予告編 KONIちゃん「作る前に説明書をよく読んでね。ボンドは塗りすぎないようにね。」←私は小学生の頃、庭にゴザを広げてよくプラモデルを作っていたが、あるとき説明書を読まずにアロンアルファを使ってプラモデルを組み立てたために、あとでくっ付けた部品を分解しなければならなくなって苦労した。
第9話 その1「燃え尽きるまで…」 ・ワルワル団の総統=私、イワン・オットー=私の父親、鎧娘[よろいむすめ]=私の妹 ○最後がよかった。
その2「KONIちゃんの休日」 ・KONI「カレーでも食べて、嫌なこと忘れよ」←カレー“でも”とは何だ、“でも”とは!?カレーをなめんなよ。私は「嫌なこと忘れよ」なんて腐った台詞[せりふ]は言わない。それなら、普段は嫌なことばっかり頭の中で考えているんかい!?
その3「タクシードライバーのゆううつ」 ・『ドッとKONIちゃん』が放送されていた頃、私は毎日タクシーに乗って豊岡市から出石[いずし]町にある但馬[たじま]松下株式会社に通っていた。 ◎変わっていていい。
予告編
第10話 その1「愛の温泉卵」 ・月刊病原体←私が医学部学生の頃、一度だけ組織学の本(人体組織のプレパラート標本の写真がいっぱい載っている本)をお風呂に持ち込んで読んだことがある。
・占い←私は占いを1度もやったことがないが、私が高知学芸中学2〜3年生の頃、私の近くの席にいた女子が休み時間に友達といっしょに占いをやっているのを見たことがある。
その2「祖師ケ谷大蔵電子倶楽部の野望」 ・私は子供の頃から学研の電子ブロックが欲しかったが、高校2年生の冬休みに大丸デパートでお年玉で2万円ぐらいする『学研の電子ブロック』を買った。電子回路の仕組みは全然わからなかった。
・祖師ケ谷大蔵=祖師ゲ谷+大蔵で、祖師ケ谷とは、私が高校3年生の晩秋に母といっしょに行ったかずら橋で有名な祖谷[いや]渓谷のことで、大蔵とは私がキャノンのプリンターを作る工場に勤めるために伊賀上野にいたときジーパンとシャツを買ったオークワというスーパーのことである?。
・電気男←昔『日曜ジョッキー』の奇人変人コーナーに登場した電気うなぎのように筋肉で発電して扇風機や洗濯機を動かすことのできる男のことだが、今になって考えてみると、扇風機や洗濯機はコンセントの電源で動いていただけで電気男は発電しているフリをしていただけである。[日曜ジョッキー←私の父親は毎週日曜日に家で自分で酌をしてお酒を飲んでいた。]
・ビッグエレキ団←ピップエレキバン(私の母がよく肩が凝[こ]るので使っていた。)
その3「週刊少年KONI」 ・つまり、マンガ雑誌に載っているすべてのマンガが私に因んで作られていると言うことである。例えば、
ドラゴンボール←私が小学生の頃、よく弟と家の中でけんかをした。
キャプテン翼←私が小学中学年の頃、校庭でよくサッカーをして遊んでいた。小学校に登校するとき、よく道端[みちばた]の石をけりながら通った。
ラブひな←私が小学2年生のとき、別のクラスの柳井礼子[やないれいこ]さんという女子が好きだった。(もっとも、心の中でなんとなく好きだっただけで、ラブレターを書いたりはしないし、話したこともない。)
遊戯王←私が小学高学年の頃、教室で隼[はやぶさ]というトランプゲームが流行っていて、私もよく一緒に遊んだ。
名探偵コナン←私が小学3〜4年生の頃、学校の図書館にあった江戸川乱歩シリーズをよく借りて読んでいた。コナンは、私が中学3年生のとき好きだったNHKアニメの『未来少年コナン』のことである。
美味しんぼ←高知は食べ物がおいしいところなので、子供の頃にはよく美味しいものを食べた。
ホラー←私は子供の頃怖がりだった。
麻雀←私が九大医学部生の頃、高知に帰省したとき高校のときの友達同士で集まってよく麻雀をした。SEGAの麻雀のテレビゲームを持っていて時々遊んでいた。
新撰組←武家マンガや武家アニメ(例、『キャッ党忍伝てやんでえ』)は武家社会が神制ではなかったので、神制の社会では嫌われることが多い。
黒星先生の10週打ち切り…10←ten←天←天皇なので、負け犬の天皇制はもうやめたという意味である。
予告編 ・どうして←私が小学1〜2年生の頃、お風呂の水が上のほうが熱いことに疑問を持って、風呂を出るなり父親に「お風呂の水は上のほうと風呂釜に近いほうでは、どっちのほうが熱い?」と訊いたことがあるが、父親は「知らん」と言ったきりだった。
・予告編(遍)←予●遍←野延←川野延夫(私の名前)
第11話 その1「鎧妻/真昼の裏切り」 ・ワルワル団の総統=私、イワン・オットー=私の父親、鎧娘[よろいむすめ]=私の妹
・ボルシチ←私の母親の得意料理は煮物である。
その2「七つの海のサバ侍」 ・サバ←川ブ(サ←川、バ←ブ)←川野延夫(私の名前)、川野家は農家だが、もとは与力で武家だった。川野家の祖先が、農民が武士に虐待されているのに我慢できず農民の肩を持ったために武家から農家に降ろされたのだ。したがって、「七つの海のサバ侍」とは、私がワールドワイドな存在だということである。
その3「ロケットマンの熱い冬」 ・ダイナマイト←高知市朝倉の地獄谷の南に石灰石の採掘場があって、私が浅野耕太君?たちといっしょに自転車に乗ってダイナマイトで岩を割るところを見に行ったことがある。 △ロケットマンが何の喩えかわからん。
予告編
第12話 その1「アンコとカエル」 △眠い
その2「祖師ケ谷大蔵電子倶楽部ふたたび」
MOROちゃん「とても大事な身体の一部、いよいよ抜き差しならないみゅん」
←ラブリー先生「MOROちゃんがさっきから、のたまわっている身体の一部とはどこでしょう?正解は、眼玉。」
私が高校1年生のとき隣の尾立君の教科書のパラパラめくりに腹を立て精神分裂病に罹ってから、近所の者(おそらく日本神道の者)が毎日私にガンを飛ばす(痛みの感覚をテレパシーで私に伝える)ので、その度に私の頭や眼の周りが感電したように痛くなる。つまり、祖師ヶ谷大蔵電子倶楽部とは、日本神道のガン飛ばしをする連中のことである。
△眠い
その3「KONIちゃんのさいゆーき」 ・私は子供(小学生)の頃、父親の持っている世界文学全集の『西遊記』を読もうとしたが、漢字が難しすぎて読めなかった。だから、“さいゆーき”。
・お釈迦さまのありがたい巻物←小学生のとき班で学級新聞を作ったときに、使った模造紙のこと。端っこを誰かが持っていないと、すぐに巻き戻ってしまうのだ。
△眠い
予告編
第13話 その1「麺達KONIちゃん」 ・私が麺達と呼ばれるわけは、『思い出のアルバム』の写真を見ればわかる。私が食べているのは、おそらく徳島製粉のインスタントラーメンの『ナミキンツルラーメン』であると思われる。 △落ちがない
その2「さよならHIGHちゃん」 ・天皇制は太平洋戦争でやり尽くした観があるので、いいかげんみんなに飽きられている。
その3「君の名は!?」 ・謎爺[なぞじい]が登場する。謎爺は手がやたらに“伸ぶ”。謎爺は謎婆の未来の“夫”?である。だから、私の名は、伸ぶ+夫=延夫(のぶお)なのである。 ◎変てこだから
予告編 ・私は美味しいものを後に残して食べる習慣がある。
第14話 その1「トレカ大作戦!?」 ・トレカとは、トレーディングカードつまり“流行[はやり]の川野”(カード←川野(音似))という意味である。
・私の人生は、高校1年生のとき精神分裂病に罹る前まではまあまあ楽しかったが、それ以後は精神分裂病のせいで楽しくなくなったので、『ドッとKONIちゃん』の前半の監督はワタナベシンイチで、後半の監督は安田ケンジなのだ。前半がおとなしい犬アフロで、後半がうるさいペソメちゃんなのもそのためだ。どすこい篇まではビデオの1巻に4話入っていたのに、どすこい篇からビデオの1巻に2〜3話しか入っていないのは、私の経験が大人になってから減ったためである。ビデオのジャケットに色が付いているのは、私が色気付いたからである?アイキャッチのKONIちゃんが喋らなくなったのも、私の話し相手になる友達がいなくなったからである。
NARIちゃんが口紅を塗ったトレカ…私が小学4年生のとき、母親の口紅を塗ったことがある。だから、今回はNARIちゃんも私である。それは、私が兵庫県豊岡市に住んでいたとき、通販でぴえろ魔法少女シリーズのトレカを2箱箱買いして、自分が贅沢だなあと思ったからである。
←MOROちゃんのパック中のトレカ…市中に出回っている美少女アニメトレカは、私の眼を大きくして顔を色白にした女の子のテレカばっかりである。
・MOROちゃん「あら、こんなところにコスモスが」…私が高校生の頃、どこかの本屋(どこか忘れた)でカール・セーガンの『COSMOS上・下』が売っていたのを見たことがある。
その2「超高感度でコードレスな女の子」 ・23円←私は子供の頃高知市朝倉県営住宅23号に住んでいた。
・エミーちゃんが23円を追っかける。…私が朝倉第二小学校の5〜6年生のとき、休み時間に廊下で10円玉を指で弾[はじ]いて転がしてどこまで遠く転がせるかを競って遊んでいた。
・コードレス←私は大人になってから“行動”力がなくなった(エミー2号)。私は子供の頃から引っ込み思案で行動力がなかったが、外でよく遊んでいたから強いて言えば行動力があった(エミー1号)のである。
その3「教科書が教えないおとぎ話」 ・私が知っている(誰でも知っている)おとぎ話のタイトルが出ただけ。
予告編
第15話 その1「月に向かって打て!」
その2「初恋!?初濃いHIGHちゃん!?」 ・「初濃いHIGHちゃん」とは、この回がはじめて天皇ネタを濃く取り入れた回だと言う意味である。
・HIGHちゃんは田舎にあるBUS停を好きになったのだから、今の天皇の初恋の人は田舎のブス(誰だか知らんが)ということになる。
その3「忍び…忍んで…忍者蕎麦!?」 ・忍びとは忍←しのぶ←のぶお←川野延夫(私の名前)で、蕎麦[そば]とはラーメンのことだから、第13話その1「」と同じである。
・私が高校1〜2年生の頃、高知市旭の下宿に独りで住んでいたが、朝は毎日インスタントラーメンだった。そのせいで、かなり痩せていた。
・私が小学5年生の頃、高知市朝倉看護学院前の近くにあった安養寺一郎の下宿の屋根裏に入って隣の部屋を覗[のぞ]きに行ったことがある。(安養寺→楊枝[ようじ]→『木枯らし紋次郎』)
予告編
第16話 その1「KONIちゃんがころんだ」
←OP『キャラだもん』後期バージョンVer.2.2より
私が九大医学部学生の頃、高知に帰省して高校の同級生といっしょにコンパに行ったとき、ディスコに入ったことがある。(踊らなかったが。)
後ろで踊っているKONIちゃんよりも多い手前の5体のKONIちゃん人形が私が踊らなかったことを表している。
・私が朝倉の県営住宅に住んでいた小学4〜5年生の頃、1度だけ友達といっしょに“だるまさんがころんだ”をしたことがある。
その2「第1次ダイエット作戦」 ・私が九州大学医学部専門課程3〜4回生の頃、痩せて綺麗になるためにダイエットをしていたことがある。でも、ほとんど効果がなかったのですぐにやめた。その頃私は医者で先生だったので、この回は私がラブリー先生なのである。
その3「お絵かきなのダー」 ・私の妹は私の似顔絵を描いたりしているのだろうか?
予告編
どすこい篇
第1話←どすこい篇とは、私が九州大学医学部に受かって県外で生活するようになって母親の作った料理を食べなくなってから太ったことを表している。
その1「ド根性KONIちゃん」 ・私が小学2〜3年生のとき、朝倉小学校の古い便所の大便のトイレが怖くて学校でウンコをするのをずっと我慢していて、家に帰るやいなや家の玄関でウンコをしてしまったことがある。ウンコが玄関の床の上にバラバラと散らかった。
・『ど根性ガエル』のひろしもピョン吉も両方とも私だったことがわかる。
・私が九大医学部教養部2回生のはじめの春休みに福岡県の英彦山[ひでひこやま]から福岡市城南区長尾1丁目の自宅まで九州自然歩道を歩いて旅したとき、英彦山の麓にある家の庭を通らなければならなかったが、そのとき飼い犬に左脚のふくらはぎを噛まれた。
・竜巻キャサリン3号…大戦後、しばらくの間日本はアメリカに占領されていたので、天皇制がアメリカ制に負けていた。それで、台風にアメリカ女性の名前が付けられていた。
その2「鯖対関鯖」 ・七海鯖之進[しちみさばのしん]は私のことだが、関鯖[せきさば]は九州大学医学部基礎研究棟にいた関口睦夫[せきぐちむつお]教授のことだと思われる。 ◎ひさびさ
その3「ふしぎなおともだち」 ・つりはいらないにゅ=北のおばあさん(父の母、私が医学生の頃、帰省したとき、北のおばあさんのところへ顔を見せに行っていたが、ニチイへいっしょに買い物をしに行ったとき、帰りのタクシーを降りるときにおばあさんはタクシーの運転手さんに「つりはいらない」と言って1000円札を渡した。(料金メーターは630円ぐらいを指していたと思う。)その後で、私に「こうしたら次から早く来てくれる」と言ってニッと笑った。/私が子供の頃、北のおばあさんが私の家に来ることがあったが、私は普段会わない人に会うのが苦手なので、よくおばあさんが来ると2階の自分の部屋に逃げていた。あとで母が私を呼んで、私はしぶしぶ会いに行っていた。)
・4つ葉のクローバー…私が高知大学理学部数学科の学生だった頃、夏休みに体育の補講として鴨田のアーチェリー場でアーチェリーをやった。そのとき、私が何気なく自分の足もとを見たら、4つ葉のクローバーを見つけた。そのとき、私は自分がIQ300だと思った。
・KONIちゃん「桜貝見つけました」…私が子供の頃、毎年夏になると家族でバスに乗って宇佐にアサリの貝掘りに行っていたが、私はそこで綺麗な貝殻を見つけてはポケットに入れて持ち帰っていた。
・つりはいらないにゅの破壊光線…私は自然科学派なので社会問題に関心はないが、北のおばあさん家[ち]で川野家の先祖祭りをするときには、お酒がまわるとみんなで社会問題について議論することが多かったので、私はまだ子供だったが神である私を介して世界中に影響を及ぼしていたのである。
・週刊少年KONI…北のおばあさんがコタツの上に醤油か何かをこぼしたとき私に「そこのティッシュを取って」と言って、私がティッシュを渡したことがある。(ティッシュ→紙→マンガ雑誌)
予告編 ・なぞなぞ…私は小学生の頃、なぞなぞが好きだった。中学生の頃、『大人のエッチななぞなぞの本』をわからないまま読んでいた。[どんな本についてもいえるが、わからなければ、読まないほうがいい。]
どすこい篇
第2話
その1「愛と青春の準優勝」 ・私が私立高知学芸高校山岳部にいた頃、夏のインターハイで高知学芸高校山岳部が高知県内で準優勝した。ただし、それは大杉君や今城[いまじょう]君などの一軍で、私や和田高明君などの二軍はサポーター(高知学芸高校の選手に限らず、他校の一軍選手のバテた人の荷物を途中で持ってやる係り。しかし、そうなるとその学校は棄権したとみなされて入賞は無理になる。だから、実際には、二軍はほとんど何も持つことがなく、手ぶらで楽だった。二軍選手の荷物は先に自衛隊のトラックで次のキャンプ地まで運ばれていた。)だった。
・MOROちゃん「KONIちゃんがふたり」…私は乱視である。夜月を見ると5〜6個に見える。私が中学3年生のとき、顔を極度に机に引っ付けて猛勉していたために、視力が低下して乱視になってしまったのだ。
・この回にMOROちゃんの出番がほとんどないのは、私が野球が嫌いで、テレビの野球中継も全然見ないからである。
・準優勝…私は成績の順位にこだわらないが、中1のときに通っていた学習塾のみその学舎では、いつも成績が学年で2番だった(1番は松本さん→アニメ『とんでぶーりん』の日高さん)。
その2「ドッと三匹が行く!」 ・火事…私が高知大学を中退して県外の大学を受験するために自宅浪人をしていた頃、和田高明君の紹介で瀬戸東町の高校生の家庭教師のアルバイトをしていて週に2〜3回通っていたが、ある晩アルバイトの帰り道行きつけの床屋の近くの家が火事で野次馬が群がっていた。
・3人組…私が学校や職場にいるときに、私に関わってきた日本神道の信者のこと。
△ザコすぎ
その3「好きとか嫌いとか」 ・私はPCゲームの『BattleField』シリーズ専門で、恋愛アドベンチャーゲーム(恋愛シミュレーションゲーム)なんかしない。ただ、一度だけ、私が豊岡市に住んでいた頃、パソコン雑誌の付録についていたCDに載っていたアドベンチャーゲーム(予備校に通っている浪人生が押入れの幽霊の女の子と知り合いになるゲーム。私が学生時代に使っていたのと同じ“耐熱ガラスのコップ”が印象的。)をやったことがある。
・MOROちゃんの首吊り…私が九大理学部物理学科4回生のとき、親には大学院に行くと嘘をついていたので、卒業後行くところがなくて4月中旬に筑前内野[ちくぜんうちの]駅の近くの山に首吊りに行ったが、農家の自動車の車庫があったので、そこで首を吊ることにした。まず自分の顔写真が載っている学生証を焼いた後、首を吊ることにしたが、30秒間ぐらい首を吊ったところで頭が痛くなったので途中でやめた。その後しばらく首に縄(高校の山岳部で使っていたザイル)の跡が残っていた。
・NOW LOADING…NOW←ナウ←ナワ←ナフ←川ノ(マッチ棒パズル)←川野(私の名前)つまり、NOW LOADINGとは、私の情報を入れているということである。[→『風の谷の“ナウ”シカ』、シカは県営住宅の近くにあった小鹿園のこと。あるいは、私が中学1年生のときの自己紹介「3本線(→シ)の川野(→カ)です。」から。腐海は、私が当時精神分裂病に罹っていて不快な気分だったから。大蟲[オーム]←私が小学5〜6年生のとき私の家の南東の家の玄関の近くの木の葉っぱにアゲハチョウの幼虫がいた。私は幼虫の頭を小突いて黄色い?角を出させて喜んでいた。若草町の県営住宅の庭にはアリやダンゴムシやワラジムシやヤスデなどいろんな虫がいた。風の谷の風車←小学2〜3年生のとき、理科の実験で使った風車、トルメキアの大型船の灯り←私が小学5〜6年生のとき夜に住宅の庭で空を見ているとひとつだけ動きが違う星を見つけたので、母親に「変な星が見える」と言って誘ったら、母が「あら、ほんとやねえ、UFOかもしれん」と言った。]
予告編 ・私はたまにしつこく話すことがある。
どすこい篇
第3話
その1「ドッとKONIさん大登場」 ・ターミネーターのパロディだから、シュワルツネッガーは私のことだ(顔や身体は私の父親似だと思うが)。
その2「「篠龍」見参!撮影現場は大騒ぎ!!」 ・篠龍=篠原[しのはら]君(私が九大医学部教養部1回生のとき私の下宿に篠原君と瀬口[せぐち]君が遊びに来たことがある。私が朝六本松にある教養部に徒歩で通っていたとき、通学路の途中で突然篠原君がマンションの入り口から出てきて私に声をかけたことがある。)+私(私が昭和39年の辰年生まれなので。あるいは、私と小学4〜5年生のとき戦車のリモコンのプラモデルでよく遊んだ岡林龍一くんかもしれない。どうでもいいや。)
・山手線…私が就職活動して東京の会社を訪問したとき、山手線の列車に乗ったら、変態が出て5分遅れていた。
・実写を使ったのは、アニメのキャラクターに対応する実在の人物がいるということを暗示している。
変わっているから○
その3「KONIちゃん徹底攻略」 ・ブルトン←ブ←のぶお(私の名前)
・私はトイレのあと手を洗わない。しかし、最近(平成20年)は洗うようになった。
△総集編
予告編 ・薬屋さんの前の人形も、私に因[ちな]んでいる。
どすこい篇
第4話
その1「教えて、秘密のパーティ! ・福岡吉本の芸人おたこ・プー(逆さに眼鏡をかけている。←私は普段眼鏡をかけていない。私は高校1年生のとき哲学者が掛けているような丸い眼鏡を1〜2週間だけ掛けていたが、変すぎたのですぐにやめた。)がアイスボックス(私が子供の頃に住んでいた県営住宅の近くにあった山本商店の店の前に置かれていた)に入るギャグをやったことがある。←アイスクリームが私に因んで作られている(私は最近食べたことがないけど)。
・私は小学2年生のとき誕生日に母から陶器のピンクのブタの貯金箱をもらっただけで、誕生日のお祝いをしてもらったことがない。他の人もそうらしい。あるいは、私が誕生日祝いをするのは他に取り柄のない貧乏人のすることだと思ったからか!?(そしたら、この回のNARIちゃんは私だ。)
◎NARIが変てこだったので
その2「KONIぐるみ、大変身!」 ・天皇は楽だが、私は毎日苦労して生活している。
・汗寿司←私は兵庫県豊岡市に5年間住んでいたことがあるが、豊岡は食べ物の味付けが何でも苦辛[にがから]い。ただ、西垣スーパーで売っていた鶏ごぼう(ごぼうに鶏肉を巻いて照り焼きにした食べ物)とうどんだけは、ずば抜けて美味しかった。
・向こう300年の予定が詰まっている。…神制は神が死んでも続くから、政治家が私の神制を未来永劫やっていくつもりでいたらしい。
◎桜小路絵里花[さくらこうじえりか]が変てこだったので
その3「ドッとカルタ、その壱」 ・日本で売られているアニメカルタやその他のカルタは、私をデフォルメしたキャラクターや私がやったことから作った俳句が載っている。だから、カルタを買えば、私がやったことがわかるから、私を神とする神制によって私のやったことは人間は何でもやっていいから、カルタに書いてあることは何でもやっていいことになる。[しかし、実際には、何を書いているのかわからないことが多い。]
・硫黄気な臭い←私が九大医学部教養部2回生のとき、前期試験のあとの休みに、豊後中村駅から久住山のあたりまで歩いたことがったが、長者原[ちょうじゃばる]から硫黄山?に登ろうとしたところ硫黄ガスが思ったよりも濃かったので登るのを途中でやめて星生山に変えた。
・総集編のようでそうでないのは、私が自分のアルバムをめったに見たりすることがないからである。
・私は子供の頃、1〜2回カルタをして遊んだことがある。
・私は普段インスタント食品を食べないが、豊岡で1回だけ新味の『焼きそばUFO』を作って食べたことがある。(もちろん、ソースを先に入れたりなんかしない。)
△総集編じゃないから
予告編
どすこい篇
第5話←どすこい篇Vol.3から話数が増えたのは、私が大学を卒業して働き始めたからである。学生時代は和田君以外は友達がいなかったので、独りっきりだった。
その1「心霊写真がほしい!」 ・心霊写真が欲しい…私が小学3〜4年生のとき、中岡俊哉の『恐怖の心霊写真集』にかぶれていた頃、家にある父親の写真を引っ張り出して心霊写真と思われる写真は父親の眼をマジックで黒く塗りつぶして隣の浅野耕太君に見せていた。耕太君は私の父親の写真を見て「これ、誰?」と訊[き]いたが私は答えなかった。あとで、父親に見つかって「どうしてこんなことをするが?!もうネガもないに」と言って怒られた。つまり、今回はNARIちゃんも私だが、それは私が中岡俊哉の『恐怖の心霊写真集』を買うとき、『普通の人は立ち読みするのに自分はお金を出して買うから少し贅沢だなあ』と思ったからである。
・砂金を貪[むさぼ]り食う←私が小学5〜6年生の頃、高知市朝倉県営住宅の遊園地で遊んでいたとき、みんなにブランコの下の水たまりにたまっている泥水をはいつくばって飲んで見せたことがある。
・呪いのトンネル←高校の山岳部で寒風山の近くでキャンプしたとき、夜中に肝試しで(旧)寒風山トンネルを歩いた。寒風山トンネルには照明が付いていないので、真っ暗で怖かった。
・『良い子の黒魔術』←私が小学生の頃、オカルトが好きで、西洋悪魔の絵と解説とそれぞれの悪魔を召喚する魔法陣が載っている本を持っていた。
・死神「良い子は真似しちゃダメだみゅん」←死神がMOROちゃんの口癖を真似している。MOROちゃんが私だから、死神とは私のことだ。私が小学生の頃、私が嫌いだった広瀬剛[ひろせたけし]君が学校のプールで体育の授業中にみんなが見ている前で溺れ死んだし、私が分裂病にかかった高知学芸高校の生徒が上海列車事故で大勢亡くなった。[広瀬君の事件は、広瀬君の芝居だし、上海列車事故は中国の信者が自主的に起こした事故だと考えられる。けっして私が殺せという命令を出したわけではない。]
◎ナンセンスなので
その2「オールナイト・ドッとKONI」 ・私は中学2〜3年生のとき、笑福亭鶴光のオールナイト・ニッポンに熱中していて、毎週土曜の夜録音しながら眠らずに聞いていたし、あとで録音したテープを聴きながら勉強していた。毎週5〜10枚ほど葉書を出していて、なかなか読まれなかったが、1回だけ2枚読まれて『銭のもと』(紡錘形の合皮のキーホルダーが付いた小形の財布)を2個もらったことがある。
・「オールナイト・KONIちゃん」でないのは、深夜放送がHだから“ドッと”(←dot←点←天←天皇)を入れねばならないためである。
・NARIちゃん「今回は出番が少ないようなので」←政治家は子供の頃から勉強が忙しくて?深夜放送を聞く暇などなかったものと考えられる。
・KONIちゃん壁の穴…私が中学3年生の夏休みの終わりに、住み慣れた若草町の県営住宅から福井町の新しい家に引越ししたが、引越しした次の日に弟と廊下でけんかして私が腹立ちまぎれに壁を蹴ったら壁が崩れて穴があいてしまった。あとで紙を貼って蓋をした。
・MOROちゃん「努力してもダメな奴はダメダメみゅん」…子供の頃の私の本音。しかし、最近は「どんな人間にも得意なことがあり、自分の得意な才能を活かせば勝てる。」と思っている。
その3「ドッとカルタ その弐」 ・吸血鬼←私は子供の頃、毎日(雨が降らないかぎり)外で遊んでいたので、しょっちゅう擦[す]り傷や切り傷をした。指を切ったときには血が出たが、患部を舐[な]めてつばをつけて治した。あるいは、私が夜勤で働いていたからかもしれない。
・恋愛に強き友だよ青い海←私の両親は新婚旅行で宮崎に行った。
・福袋←“ふ”と“ぶ”←のぶお(私の名)…中身にガッカリ?
○ドラキュラがかっこよかったので
予告編 ・私は論理的に思考することができる。
どすこい篇
第6話
その1「ケリ、ケリ、カンケリ」 ・カンケリ…私が高知市朝倉県営住宅に住んでいた頃、小学4〜5年生のとき、1度だけ遊園地でみんなといっしょにカンケリ鬼をして遊んだことがある。
・私は大人になっても、アニメのビデオを見たり、コンピューターゲームで遊んでいる。大人の遊びはHしかないが、私はHをしないので、子供の遊びになるのである。
・ブルドッグのたんこぶ…私が小学4〜5年生の頃、休み時間に体育倉庫の横で遊んでいて、自分の頭を平均台の角にぶつけてたんこぶを作ったことがある。頭がズーンとして、ちょっと血が出たが、保健室には行かなかった。
・MOROちゃん「股関節が外れちゃってもかまわないみゅん」…私は逆子だったので生まれたとき、先天性股関節脱臼だった。母親の看病で人並みに歩けるようになったが(→『アルプスの少女ハイジ』のクララ)、今でも脚の長さが左右で少しだけ違うので、写真をとると身体がちょっと傾いて見える。
その2「思い出は永遠に さよならスルメちゃん」 ・スルメちゃん=私の母(健在;平成20年12月)
・私は子供の頃、父親が酒のつまみにするスルメをストーブの上で焼いておやつに食べていた。
MOROちゃん「玉の輿[こし]に乗る」…私が九大医学部教養部1回生のとき、和田高明君と同居していたが、和田君が九大理学部生物学科1回生の頃、田島寮(九州大学の学生寮)の寮祭で神輿[みこし]に乗った写真を私に見せてくれた。和田君が1回生で神輿に乗れたのは、和田君が日本神道の信者だからである。
アイキャッチ ・たまに私は私の近くの人と話すことがある。
その3「本当はよーしゃなくきびしいイソップ童話」 ・私は子供の頃イソップ童話の本を読んだことがある。私が中学2〜3年生のときイソップ童話の英語の本を学校で買って1度だけ読んだ。
予告編 ・私は以前SOTECのCeleron500MHzのパソコンを使っていたが、CDが焼きたくなってある日外付けのCDドライブを取り付けたら、CPUがダメになった。
どすこい篇
第7話
その1「言葉は大切に…の巻、なんだよ、巻って!?」 ・巻[まき]とは、私が自分の『哲学日記』をホームページにアップする前は大学ノートにつけていたが、大学ノートの表紙には『哲学日記第○巻』とマジックペンで書いていた。全部で70冊ほどあり、今でもダンボール箱に入れて大切に保管してある。ただし、第1巻だけはなぜかない。(おそらく、私と和田君が同居していたとき、和田君が盗んだものと思われる。)
その2「嗚呼、鎧家族!」 ・ワルワル団の総統=私、イワン・オットー=私の父親、鎧妻[よろいづま]=私の母親、鎧娘[よろいむすめ]=私の妹、新総統=私の妹(誕生日がさそり座)
その3「リングに燃えろ!」 ・私が高校1〜2年生頃、精神分裂病に罹って、自宅では勉強に集中できないという理由で旭の下宿に住んでいたが、毎週『週刊少年ジャンプ』をニチイの本屋で買って読んでいた。その頃は、車田正美が「リングにかけろ!」を連載中だった。私はときどきアラレちゃんの似顔絵を描いて編集部に送っていた。
←私は子供のときはMOROちゃんのようにかわいかったが、大人になってからは桜小路絵里花[さくらこうじえりか]のような嫌な感じの人になった。
予告編 ・日光には、高1の終わりの春休みに修学旅行で行った。
・早口言葉…私は早口言葉を言ったことはあるが、普段は早口ではない。私の母も早口ではないが、薫的[くんてき](高知市西新屋敷の別名)のおばあさん(母の母)が早口で、顔を会わせているかぎりひっきりなしに喋り続ける。
どすこい篇
第8話
その1「資格は世界を救う!」 ・私は医師免許を持っているが、医者を1年間しかやらなかった。
・私は医師免許のほかには、免許を持っていない。
その2「ラブリー先生 ハッピーウェディング!!」 ・キューピッド矢っちゅうねん…矢は神武天皇が背負っていた矢のこと。神武天皇が中年の頃に東征したから、矢を背負った中年ということで、やっちゅうねんというのだろう。大阪人にとっては、神武天皇に攻め込まれたことになるので、皇族に敵意を持っているのかもしれない。
その3「ドッとKONIちゃん キャラクター大図鑑」 ・私は小学生のとき図鑑が好きで、小学館の学習図鑑「動物」「魚」「鳥」「昆虫」「昆虫の生態」「花と園芸」などをボロボロになるまで読んだ。
予告編
どすこい篇
第9話
その1「KONIちゃん像に花束を」 ・私の像はないが、私をモチーフにした変な像は全国のあちこちにある。
・紫の男とオレンジの女←私が小学2〜3年生の頃、正岡淳之といっしょに朝倉横町12と13の間にある3叉路の南にあった店でファンタグレープやファンタオレンジを一気飲みして遊んでいた。
その2「高度でコードな大暴走」 ・私が高1のとき精神分裂病に罹[かか]って、夜独りで家の2階の南の部屋で勉強しているとき近所の家から幻聴の悪口が聞こえてくると、乾電池を投げて、他人の家の窓ガラスや電灯などを割っていた。
・エミービーム←私が精神分裂病に罹っていたとき、近所の家から幻聴の悪口が聞こえてくると、怒りを抑えきれずに2階の勉強部屋からベランダに出て、近所の家に向かって大声で演説していた。
・エミーミサイル←プラモデルのバネで飛ぶミサイル。組み立てる前はふたつに割れている。
・KONIちゃん「機械は苦手だし」…私が兵庫県出石[いずし]町にある但馬松下のトランス製造2課で働いていたとき、しょっちゅう(多いときは5分に1回)機械がトラブっていたが、私はしょせん安月給の派遣社員だからということで、自分では直さずに社員に見てもらっていた。
その3「疾走!!毒々マシンKONIレース!!」 ・私は小学低学年ごろテレビでやっていた『チキチキマシン猛レース』のアニメが大好きだった。
・私は自動車免許を持っていないので、いまだに自転車にしか乗れない。普通のママチャリや通勤用自転車に乗っている。
・矢印を反対に向ける←私(KONIちゃん)は卑怯[ひきょう]なことが嫌いだ。
・KONIちゃんのケンケンの物真似…ケンケン←犬←いぬ←川の(“ぬ”の左の斜め線を“い”に移す)←川野延夫(私の名前)だから、ケンケンとKONIちゃんは同一人物なのである。
予告編
どすこい篇
第10話
その1「ドッとお宝探偵団」 ・私が物理学科の学生の頃、テレビ東京系の『開運!なんでも鑑定団』が好きで、毎週見ていた。
・私が小学低学年の頃、友達の正岡淳之[まさおかあつし]君といっしょに切手集めに凝っていた。アルバムを買って1枚数百円の鳥とか魚とかの記念切手を20枚ぐらい集めてやめた。しょせん、私の趣味じゃない。
・私はYahoo!Auctionでいろんな高価なものを買ったが、お宝に憧れているから買ったのではなく、アニメが好きだから買っただけである。今でも、それらはダンボール箱の中に大切に保管されている。
・HIGHちゃん&NARIちゃん&MOROちゃん「私たちがKONIちゃんの価値を下げている」…天皇制は私がHな笑福亭鶴光のオールナイトニッポンを聞いてオナニーを始めるきっかけになったし、日本神道が私にいろんなちょっかいを出して私の人生を邪魔した(とくに高1のときの尾立君の教科書のパラパラめくりのせいで私が精神分裂病に罹った)し、子供の頃の私はオナニーがいけないことだと知らなかったので、さんざんオナニーをしたあげく精神分裂病に罹ってしまい、その後の人生を台なしにしてしまった。
その2「史上最大のゲスト登場」 ・ワイハおじさんは私である。[私は休日は自分の部屋に閉じこもってテレビを見てばかりいた(当時)。]ワイハ←ワノ川(マッチ棒パズル)←川ワノ(どもりの人が私の姓を読むとこうなる)←川野(私の姓)。
←証拠その1
“いく”の字の“い”と“く”の下半分をくっ付けて“川”になり、“く”の残りの上半分で“ノ”になるから、合わせて川ノ←川野(私の姓)になる。
スーパーの広告の裏に書いてあるのは、私が裏の神(超能力者;スーパーマン)であることを表している。
←証拠その2
ワイハおじさんは長く伸びた尾っぽのような姿をしていた。伸びた尾っぽ→のぶお→延夫(私の名)。
手前の新幹線は、私が昭和39年生れであることを表している。
したがって、ふたつあわせて川野延夫(私の名前)になる。
その3「だってキャラだもん」 ・西暦202X年←22←昭和39年1月22日(私の誕生日)
・KONIちゃん「KONIちゃんワールドは永遠に不滅です。」←不滅←フメツ←ブノ川←川野延夫(私の名前)

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