真説ようこそようこ “日本一のマザコン×女の子になりたい男の子”のアニメ

見所)サキとようこの親子の一体感

《キャラクターと実在の人物の対応関係》
・田中ようこ=私、山杜[やまもり]サキ=私の母、星花京子=天皇、日本流行歌促進本部=日本政府
《ようこ豆知識》
・「ようこ」という名前は、じつはさきさんは嫌いだそうだ。むかし赤軍派にようこという名の恐い顔の女がいた。5月1日(日)20時21分
・ようこの世界は、私が哲学第1原理に到達する以前の世界だ。イベントとしては26歳まで、キャラクターとしては14歳までのようこを拾っている。
・医者をやめて九大の物理学科を再受験したとき、2次試験一週間ぐらい前から隣の部屋からものすごく重たい気が漂ってきて、すごく調子が悪かった。でも、なんとか試験には合格した。
・九大に入学して1年間私と同居していた親友の和田君は、私がミンキーモモ#46「夢のフェナリナーサ」のヌードを見て興奮しているのを知って軽蔑した。(でも、何度かお世話になったので、殺さないでください。)和田君は、私を女と思わなかった男だ。
・このアニメには、私の父方と母方の兄弟全員が登場する。(私以外はみんな性別が同じ)
・ノベッチ←のぶお←川野延夫(私の名前)
・ 私がデザインした朝倉第2小学校の校章を逆さまにすると、ようこやミントのツインテールの髪型に似ている。(ようこそようこのサウンドトラックのジャケットの絵で、ようこの顔の背後の色が他の部分と違っている訳がわかる。ようこの顔も。とくに口が。)参考1(後ろの“哲学”に注目!) 参考2(どうしてホッキョンがナッツなんだぁ〜?) 参考;ナンチャッテおじさん

・若葉色のダイアリー=『新世紀エヴァンゲリオン』(新時代の福音書)=私の哲学日記のこと。私が哲学日記を書き始めたのは、私が21才の頃である。(cf.エヴァに乗る=私が自分の自転車に乗る哲学日記の記述に従う
・ようこOP「陽春のパッセージ」の最後にようこが見ているのは、じつは日の入りではなく日の出だ。太陽の周りの色でわかる(緑閃光こそ出ていないが。ゲーテの色彩論)。私が小学1〜2年生のとき家族で高松に日帰り旅行したとき、行きがけの汽車の窓から日の出が見えた。
・そもそも、こういうものが出来たのは、子供時代の私が天才児(小学1年時IQ380)であったかららしい。しかも、私の父親の長男は、小5のときIQ1000以上(推定1400)だったらしい(残念ながら戦死してしまった)。ベジータが私の父親の子供時代に似ているそうだ。(数値に注目)ちなみに、妹の小1時のIQは250だそうだ。(孫悟空=鳥山明、顔でわかる)
・父の兄の話 空中を5m浮かび上がった。方位磁針を回すぐらいは朝飯前。波を手で受け止めた。風を自由に操ることができた(風使いシェリー)。 物理学者は経験不足。天気が変えられないので悩んでいた。
・父方の超能力と母方の超能力(X器官)が合わさって出来たのが私。(脳ミソえぐられる?)
・ムック『LEGEND OF IDOL ERIKO&YOKO』 YUI SHIMEJI 私は味噌汁が大好き。具には必ずシメジ茸を入れる。(時々舞茸も入れたけど)それとも、姫路(広義の兵庫県)行き? MITUO SHINBA シンバはペルシャの猫 私のおじいさんは山で自家製の蜂蜜を作っている。新幹線光号とも取れる。 YUSUKE ICHIE 愛知へ行け(かな?ムックが出てから4年後のこと。愛知へ行く前に、愛知らしいところへ行く夢を見た。)
・私はへその緒を首に巻きつけて生まれてきたので、斜頚だった(ビデオテープの2巻でようこの首が異常に長く曲がっているのはこのため。私はビデオテープは見たことないけど)。片側の胸鎖乳突筋断裂。先天性股関節脱臼(ミント最終回でミントが空を飛ぶシーンが変なのはこのため?)。軽度の斜視。
・ほっきょん「憂鬱ボーイフレンド」→ほっきょんは天皇だが私が小学生のときよく遊んだ私と同じ住宅の北隣の家に住んでいた浅野耕太君の意味もあるのでボーイフレンドとは私つまりようこのことである。
・ようこ「陽春のパッセージ」あなた=サキ(つまり、私の母親)
・ようことほっきょんの対話(その1)(私が小学4〜5年のとき)
ようこ「ベテルギウスは太陽の600倍も大きい。」
ほっきょん「そんなバカな。絶対そんなことない。」
・サキューン←母はときどき投げ飛ばした男の子が大空かなたに消えていく夢を見るそうだ。=私が1〜2歳頃にあったイコネシス(念動力)サキューン=私の母親…サキューン川ノユリコ(サ≒川、キ≒コ、ー≒ノ、ン≒リ、マッチ棒パズルの要領[ようりょう])←川野裕季子[かわのゆりこ](私の母親の名前)←私の母親(h23.3.22訂正)。
だったら、ヨッキュンってなんだ?キ=何とかキネシス、ヨッ=?

・問題は、ようこ#5、#7の内容だ。残念ながら、私は思い出せないが、たぶん父親ならわかるだろう。(私も怖くて見る気がしないが、頑張って先代のために見ようと思う。)他のエピソードは、当然、この2代目(つまり、超能力が出なくなった後の私)の内容だ。ただし、各話の内容の2割程度が事実で、残り8割は作り話だと考えてください。
・キャラクターデザインの近永早苗さんは、もしかしたら私が小学3〜4年生のときの同級生だったかもしれない。たしか、そんな名前の同級生の女の子がいたような憶えがある。だからキャラクターがリアルなのかもしれない。(近永さんはこうしてすばらしい才能を磨かれたのに、この私はいまだに何の才能もない。)
・小学1,2年生頃の私は、毎日ワイシャツばっかり着ていた。下は紺か黒の半ズボン(短パン)で、時々ズボンの足の穴からブリーフが見えていた(→パンチラ)。
・私は歌は下手だが、小学2年生ごろト音記号の形が面白くてト音記号を書くのが好きだった。(→『クリィミーマミ』の変身シーン)
・ようことほっきょんの対話(その2)(その1の後、私が小学4〜5年生のとき)
ほっきょん「この字(Δ)なんと読むか知っちゅう?」
  30秒経過…
ようこ「さんかく」
ほっきょん「デルタ(笑)」
・私の家にはステレオがなく、テレビの歌謡番組にまったく興味がなかったので、小4ごろから歌が下手になった。(小3まで正岡淳之[まさおかあつし]君と遊んでいた頃はラジオで流れてくる“古賀メロディー”が好きだった。→渋長のテーマ。正岡淳之君は私といっしょに遊んでいるとき、よく「1歩前進2歩後退」と言っていた。ほかに、「小さな親切大きなお世話」「月々火水木金々」「向う3軒両隣」とかも言っていた。正岡淳君の父親は善通寺に別居していて自衛官だった。 )そこで、私には歌の上手い伊藤拓[いとうたく]君や和田高明君(福岡で1年間同居していた)の友達が付いて、私と一緒に遊んでいるときに、よく流行の歌を口ずさんでいた。
・どうして、私は「私=ようこ」と考えるに至ったか。…ここでは、“命題の確率重み付き真理値”が指標となる。ようこ単体だと「私=ようこ」の確率は低い(0.001ぐらい)が、第33話「恋文横丁からの手紙」(p=0.1)や第36話「猫子ちゃんのユウウツ」(p=0.3)のような話があると、私の経験と話が一致するので「私=ようこ」の確率はぐっと高まる。サキさん=私の母(p=0.01)、山下社長=私の父(p=0.01)、花梨ちゃん=私の妹(p=0.001)、その他のキャラ(p=0.001←スーのため)の形態的一致度を考慮し、上の話的な一致度も考慮して、「私=ようこ」でない確率を考えると、0.999×0.9×0.7×0.99×0.99×0.999×0.999=0.612となり、したがって「私=ようこ」である確率は、1−0.612=0.388となって無視できない値となる。
・私の中学1,2年生のときの自己紹介は、「かわののかわは[さんずいの河ではなくて]三本線の川」でした。
・私が結婚する気がないのを母が苦にして、私の名前を一時“伸夫”と改名していました。
・私と私の妹はアニメが(ゲームも)好きだが、母親はくだらないと言って全然見ない。父親は時々アニメを見ている。
・首藤剛志のミュージカルの作詩が好き。『すてきなファーニチャー』とか、かわいいと思わない?
・どうして私はホッキョンを見て焦らないのか?(涙ぐまないのか?)…答;ホッキョンが今何をしているのか知らないから。どうせ浅野耕太も日本神道の者だから純粋な実力で出世したのではないし、ホームページを見たところでは日本語が下手糞だから自分の学問の実力に自分自身が満足できないから、学業に就いてもあまり幸福ではないと思ったから。
・「美人は心が冷たい。」(お母さんの言葉)
最近(平成18年1月3日)は、ホッキョンも私のことだと思っている。その証拠
・OPの山場“ダンシング・ヨッキュン”は、私が若草幼稚園の頃のお遊戯『大きな栗の木の下で』が元ネタだ。♪また開いて、手を打って、その手を上に〜[平成18年6月3日]
・サキとミンキーモモの顔が似ているのは、ミンキーモモがサキの子供だからである。(サキ=私の母、ミンキーモモ=私)
・ヨッキュン…私が九州大学医学部教養部生の頃、福岡市城南区長尾1丁目富永ビル409号室に和田高明[わだたかあき]君と同居していた。409号室→49→ヨッキュン。


私(ママコン)

父(優しい)

母(かわいい)

・『アイドル伝説えり子』もそうだが、こんな重たくて暗くて悲愴感[ひそうかん]の漂[ただよ]うアニメは嫌い![キャラクターの顔が怖い。]それに、私が好きなアニメは、見ると楽しい気持ちになれる軽快な面白いギャグアニメだ。清くて明るく楽しい気持ちを大切にしなければならない。[私の母親もそんなことを言っていた。]アニメの価値は、そのアニメを見たことによって得られる心の価値だ。[私に医学が似合わなかったように、この監督は日本神道の宗教家(丸顔で坊主頭でやくざみたいな人)に無理やり似合わないものを作らされたために、アニメの味が変になってしまったのだろう。](h20.12.28記す)
・ようこの顔が私の顔に似ていないのは、背景の絵を恐くして私の顔の恐さを背景に取り込んでいるからである。[ただし、ときどきちょっと似ていることもある。]私が普段曖昧にしか返事をしないのに、ようこがはっきりと「はい」と答えるのも、背景の絵を曖昧にして私の曖昧さを背景に取り込んでいるからである。(h21.1.8記す)
・一般に日本のアニメは軽いのに、『えり子』と『ようこ』だけが重いのは、放送当時の(正確には3〜4年ぐらい前だが)私が医学が面白くなくて気分が落ち込んでいたからである。監督にアミノテツローを起用したのは、作風が重いからだろう。(h21.3.22記す)
・『ようこ』の本命(大事な話)は第28話「ガラスの中のアイドル」、第37話「アイドルは知っている」、第42話「不思議の街のアリスたちPart1」、第43話「不思議の街のアリスたちPart2」であって、その他[た]はどうでもいい穴埋めである。私のネタで作ったいいかげんな話である。(h22.10.8記す)
・OPで「ようこが満月の右に出ている」のは、満月が天皇だから[満月→光る丸→神武天皇の光る玉→天皇家]、私が天皇よりも上だという意味である。OPのようこが飛び跳[は]ねて踊[おど]るシーンで「ようこがムーの左に出ている」のは、ムーが動物だから、じつは私が運動が苦手だという意味である。OPで「ようこが雲の上に乗っている」のは、雲が天皇だから[雲→白く光る→神武天皇の光る玉→天皇家]、私が天皇よりも上だという意味である。OPで「ようこが夕日を見ている」のは私が日本神道の神となったために神武天皇が落ち目になったからである。(h22.10.9記す)

・ようこが歌うシーンで必ずミラートロフィーの光の玉が現れるのは、私が歌わないからである。古事記によれば、神武天皇は土蜘蛛[つちぐも]を倒すときにみんなで酒を飲んで歌ったので、それで歌のシーンになると光の玉が現れるのである。ようこの歌のメロディが酔っ払いが歌っているみたいなのは、そのせいなのかもしれない。(h22.10.9記す)
・『えり子』のOPでは“光る玉”が基本で、えり子自身が光る玉である。それは、えり子が天皇だからである。一方、『ようこ』のOPでは“回る”が基本である。それは、私の名前川野延夫[かわののぶお]の“の”の字がクルクル回るように見えるからである。OPではようことミラートロフィーは別の位置にありお互いに回りあっているから、ようこと光る玉は別、つまりようこは神武天皇や天皇家とは別人であり、つまりようこは私なのである。『えり子』のOPにも“回る”パターンがあるのは、えり子は原則的には天皇だが、ときどき私でもあるからである。つまり、『えり子』の話には私のネタがよく使われているからである。(h22.10.11記す)

   

・ようこがいつも元気に「はい」と答えるのは、はい←ハい←川ノ(縦線が4本)←川野(私の姓)←私だからである。本当の私は他人の質問に対してはたいてい曖昧[あいまい]に答えている。(h23.9.25記す)
・OP『陽春のパッセージ』で“ハートに若葉色のダイアリー”というのは、ハート←川フ(ハー≒川、ト≒フ(270度回転))←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。若葉←わかば←かわぶ(ば≒ぶ)←川ブ←川野延夫←私だからである。ダイアリー←リーダ←川ブ(リー≒川、ダ≒ブ)←川野延夫←私だからである。(h23.9.29記す)

話数 サブタイトル 内容(元ネタ) 要約
ようこそIN公園通り ・ようこ第1話に出てくる駅は、じつは土讃線朝倉駅だ。むかしは灰色のコンクリートの塊で、こんなにかわいくは馬鹿げた無駄っ気はなかった。[昔のコンクリートの駅舎のほうが機能美に優れていてセンスがよかった。]小学3年生頃から小学4年生頃まで、放課後友達といっしょに汽動車(キハ)に乗って近くの駅へ行って遊んでいた。正岡淳之[あつし]君といっしょに大杉駅まで行ったとき、帰りが夜7時過ぎになり(繁藤の土砂崩れの待ち合わせのために予定よりも2時間ほど遅れた)、両親が心配して朝倉駅で待ち伏せていた。そのとき親に頭を小突かれて、この遊びは終了した。その後、小学6年の終わりまで荒倉のゴルフ場で遊ぶことになった。
土讃線朝倉駅 平成17年夏
・朝倉ー旭ー入明のように、高知市の地名には太陽と関係したものが多い。 
・登録No.893とは、私が医師国家試験を受験したときの受験ナンバー。[Numberの略は、昔はNr.だったが、私が生まれてからNoになった。それは私の名前が川野延夫で“の”が2つ付くからである。]ついでに、 第28話「ガラスの中のアイドル」でようこの控え室の番号36番は、卒業学校番号。サキューン←3と9←昭和39年。
昭和39年1月22日は私の誕生日である。
・第1話「陽春のパッセージ」の歌のシーンで、さきちゃんの後ろを通り過ぎる車の絵は、私が若草町県営住宅に住んでいたころ私の家のたんすの上に飾っていたお人形だ。
・朝倉小学校の小学1〜2年生のとき、授業中に校長室みたいなところに呼び出されて大勢(10名ほど)の大人からいろいろ質問をされた憶えがある。自己紹介のとき、私は上がってしまって単語で途切れ途切れにしか話せなかった。私は基本的に無口だ。⇔先代の私はお喋りで、暇があるかぎり両親と楽しく愛想よく流暢に喋っていたそうだ。
・ヤフオクは楽しい?の最初にあるうる星やつらLDは、私は名古屋のLoftの中にあるヤマギワソフトで買ったんだが、これが今から約10年前。名古屋Loftには3べんほど通った。大東京テレビ(Large-tokyo)のロゴにも使われている。福岡にLoftはない。ところが、ようこが作られたのは今から15年前。時間が逆転している!(ヨーロッパの連中は対象知・客観知だ。つまり、天邪鬼[あまのじゃく]。私には実在哲学第1原理がある。)←私が小学5年生のとき市営団地に住んでいた安養寺一郎の下宿(高知市朝倉若草町16の国道のそばにあった2階建ての10室ぐらいの棟[とう]の2階の部屋)に行って屋根裏(ロフト)探検をしたことがある。
・私は指が鳴らせないし、チューインガムを膨らませることもできないが、私の小学5〜6年頃の友達の伊藤拓[いとうたく]君ができたような憶えがある(他の誰かだったかもしれないが、とにかく私は他人が指を鳴らしたりチューインガムを膨らませたりするのを[テレビではなくて]自分の眼で直接に見たことがある)。
・足をぴんこぴんこ(悪い足を治してもらったお礼)するのは、私が小学低学年頃家の階段や玄関に座ってよくやっていた。
・ようこの掛けているヘッドフォンはじつは猟銃用のサイレンサー。私はこれを瀬戸東町の家庭教師の教え子の家まで通うときイヤーマフの代わりに用いていた(自転車で片道1時間かかった)。
・家出少女の設定は、私が家庭教師をしていたとき、瀬戸西町の和田君の妹さんが家出(ヤラセ?)して行方不明になったことから(ただし和田君が話していただけで、事実かどうかは不明)。あと、私が小学2年生のとき体育が嫌で夜中に家出しようとしたところをお父さんに見つかって止められたことから。
・『やられたらやり返す。でも、自分からはやらない。』が、私のけんかの掟だ。
・同人誌『Marmaid Bath House』のp.22矢吹誠●Railroad Watchingで指摘されていた「※第1話で2人が座っていたのは山側のD・E席だから、東京駅には着けない!」という疑問については、私が高知から福岡に帰るとき岡山で下りの新幹線に乗り換えるということで解ける。ただし、私は母と2人で新幹線に乗ったことはないが、私が中学2年生の夏休みに家族全員で東京旅行したとき、私と父と母と弟と妹でいっしょに新幹線に乗ったことがある。ただ、私が学生の頃高知から福岡に戻るとき、ときどき高知から岡山まで特急で、岡山から福岡まで新幹線に乗ることがあった。これら2つのことを組み合わせているのだ。これで謎が解けた。
・アイキャッチのウインクは、ウインク←WINK←WI←川ノ(W≒川、I≒ノ)←川野(私の姓)←私だからである。実際には、私はウインクができない。
・渋谷とは“芋満月”でお馴染みの『渋谷食品』のこと。福岡のダイエーでよく買って食べていた。
・渋谷←シブヤ←シブ←川ブ(基本形)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。
・『願い星、叶い星、スター』…あえて文句をつければ、私には小さいころから将来の夢などなく、その場その場の刹那的な楽しさだけで生きているほうだった。(それから、私には『マジカルエミ』の舞ちゃんのような“出来る喜び”と言うものがなく、自分がよく出来ようが出来まいが、好きなものは好きで嫌いなものは嫌いだ。自分が嫌いなことは出来てもちっとも嬉しくなかった(例、鉄棒の逆上がり)。)
『私は子供の頃から、外出するときはいつもお母さんといっしょでした。』
親戚の家に行くときには、いつもお母さんの後ろに隠れてタイトスカートにしがみついていました。
『けんかは先に手を出したほうが悪い。』
「願い星、叶い星、スター。」?
私は子供の頃から、自分が将来なりたい夢がありませんでした。いつも現在のことしか考えていませんでした。今でもそうです。
『顔を見るな、心を見よ。』このアニメは、絵よりも言葉に注意して見るようにすればいい。
歌声はバイエルで ・私は高知学芸中学校3年生のとき、生徒会の副文化委員長に選ばれて、運動会のときみんなの前に出てラジオ体操した。家に帰って夜自分の部屋で右左逆のラジオ体操第1と第2を練習した。
・ようことサキさんの声が入れ替わっているのは、林原めぐみさんは普段は私のキャラクター(キャラクター原案に私の個性(主に顔型)を加えて私に似せて作ったキャラクター。性格もなんとなく私に近い。)の声を当てることが多いためであるじつはようこの話し方は林原めぐみさんに似ているためである。林原さんとは、『魔神英雄伝ワタル』のヒミコ以来の知り合いだ(ワタルが放送されていた当時、林原さん?がテレパシーで私に話しかけることがあった)。
・ようこ第2話に出てくる山下秀樹の住んでるアパートは、じつは福岡市東区馬出1丁目にあったKI[けいあい]ビルだ。この405号室に当時(医学部学生時代。昭和61年〜平成2年)私は住んでいた。

ようこ「お金なんてやめましょう、自分の力でスターになって、お金を作って、こんな部屋借りましょう。」…私が九州大学医学部を目指して自宅で受験勉強をしていたとき、高知学芸中学高等学校のときの友人だった和田高明[わだたかあき]君の紹介で瀬戸東町に住んでいる高校生の数学の家庭教師をすることになって週に1〜3回自転車で自宅から教え子のところまで通っていたが、ときどきついでに近くの瀬戸西町に住んでいる和田高明君の家に行って話していたが、あるとき和田君が「医者になったら新卒でも月収50万は難[かた]くない。」と言ったので、自分も家庭教師のアルバイトをしてお金を稼ぐ喜びがわかりかけていた頃なので、そんなもんかなと思って有頂天になっていた。
・第2話に出てくるようこが立ち読み(座り読み)している本屋さんは、ダイエー箱崎店裏通りの直方に通じる旧道の北側にあった小さな本屋さんだ(第20話に開成堂だったか金成堂だったかの名が出てくる)。私は、よくここで受験参考書やマンガを買っていた。もっとも、「ああ、どいた、どいた、立ち読みはダメよ」とはたきではたきに来るおばさんはいなかったが。[平成19年10月9日追記;一昨日箱崎界隈を歩いていたら、この本屋さんがもとの場所から東のちょっと離れたところ(文房具屋の前)に移っていた。本屋の規模ももとの1/4ぐらいに小さくなっていた。本屋の名前は、金進堂。]
・大熊座、小熊座←熊←クマ←カワ(マッチ棒パズル)←川←川野(私の姓)。
・速水亮=母の弟(とおるのおんちゃん) 徳大寺豊=スポンサー?
・あしながおじさん=父親
・有名なようこのカリアゲ(#2など)は、じつは私が福岡にいたとき、行きつけの床屋さんの親父さんからときどき「刈り上げにしますか?」と訊かれていたことによる。もちろん、私は毎回断っていたが。
・ようこが銀行で大金を引き出すシーンは、ようこがお金が欲しいことを言っているのではなく、ようこには金欲がないことを言っているのだ。ちなみに、この銀行は九大教養部近くにある西日本銀行六本松支店である。
・arisu…高校生のとき、英語の勉強のために『不思議の国のアリス』の対訳本を持っていた。
・バイエル…若草町県営住宅の東南角にはヤマハピアノ教室があって、そこからよくアニメに出てくるのと同じ曲が流れていました。私自身はピアノ教室には通っていませんでした。
・ようこ「これに勝手に詞をつけて歌うんです。」…私はいつも自分に理解できる易しい本を買って、本の余白に自分が考えたことを書き込んでいた。
『学問は入門まで。』
英語もドイツ語も初級までが好き。難しくなると放る。
私は勉強を楽しむためにしていたので、それ以上の意義はなく、難しくなると自然に興味が湧かなくなるのだった。
すてきなロフト ・第3話「すてきなロフト」のもとになったのは、福岡市博多区妙見の吉塚商店街北口近くにある月8000円の2階にある安下宿のことだ(今にしてみれば、ネタ作り?)。4畳半ぐらいの広さの畳間で、刑務所のように和式便器がむき出しだった。
・おもさんのガレージのくまさんの絵は、小学館こども学習じてんの背表紙にあったくまの絵のことだ。
・ようこちゃんの大好きなソフトクリームの正体は、私が九大医学部医学科1回生のときサイクリングで立ち寄った小京都秋月の祭りのとき駄菓子屋さんで買ったアイスボックスの300円のアイスクリンだ。私がペロペロなめていたら、近くにいたおばさん3人組に大声で笑われた。
・もしかしたら、おたこプー?(福岡吉本所属)
・流し台の様子が富永ビルに住んでいたときの流し台とうりふた。
・ どうも、おもさんがわたしの薫的[くんてき]のおじいさんのようだ。第3話に出てくる“汽車がぐるぐる回るおもちゃ”を見てわかった。私が小学校に上がるか上がらないかのときおじいさんに連れられて歩いて越前町の商店街まで行ったことがあるが、越前町のおもちゃ屋で、私はこのおもちゃが欲しくてたまらなかったんだが、買ってもらえなかった(おじいさんの私への意地悪。洗礼で汚くなった私を見て、私が悪い子だったから両親に折檻されたと勘ちがいしたため)。その代わりにライターの火打石で火花が出る小さな戦車のおもちゃを買ってもらった。
・ソフトクリーム=たけのこ。おじいさんがよく山で取ってきてくれた。
・『(先代の)赤ちゃんの頃の私はお母さんのおっぱいを嫌がって一度も飲んだことがない。』と薫的のおじいさん家で母が話すのを聞いたことがある。(なにかのチェックリスト)
・おもさんの倉庫=朝倉第2小学校の旧南校舎(階段が東西の2箇所ある) ロフト=朝倉第2小学校の旧南校舎にある倉庫(3階の上にあった)私はここで小学6年生のとき秘密基地を作って遊んでいた。
・おもさん「甘いおもちゃも、塩加減でぐっと甘さが引き立つ。」=おもちゃとはスイカのこと。スイカに塩をかけると甘さが引き立つ。
『住居にはこだわらない。』
幸せは、お金にはよらない。
『狭いけれども楽しい我が家。』
むしろ若草町の貧乏な住宅暮らしの頃のほうが楽しかった。
トマトの朝は歌声で ・私が始めて、ようこが誰なのか気付いた回(平成17年3月25日(金)AT-Xにて)。早朝マラソンをしているところでわかった。(私は高校1年の春に母の勧めで1ヶ月間ほど朝早起きをして鴻ノ森の山道をジョギングしていた。)まあ、これまでにも同じようなことはたびたびあったから(NHK教育のピコピコポン、やっぱりヤンチャーなど)、今さら驚くまでもなかったが。
・リチャード=みその学舎の英語の河野[かわの]先生(ハンサム)。私はみその学舎の英語の試験で毎回100点を取っていた。河野先生はオウム真理教の上祐氏に似ている。オウム真理教とアーレフの元ネタは、私が高知学芸高校の学生だった頃、高知市帯屋町にある金高堂書店の2階で売られていたオーム出版とアーレフ社の理数系の参考書だ。私が中学1年生のとき高知市旭にあったみその学舎に通っていた頃、鶴沢[つるざわ]先生の数学の時間に習った、√5=2.2360679(富士山麓オウム鳴く)にも由来している。
・小学生の頃、捕まえたトンボに糸を付けて遊んでいた。
・トマト=医学部学生の頃は、近所のマルキョウ馬出店で売っているデルモンテのトマトジュースをよく飲んでいた。今でも、毎日お風呂の中で生のトマトを1個食べている。そういえば、むかし『トマトマン』なんて幼稚っぽいアニメもあった。
・夕陽の絵は、私が小学5年の家庭科の時間に作った台敷きの絵柄と似ている。この台敷きの絵は、つのだじろう著『泣くな十円』に載っていたのを私が真似て描いた。
真夜中のライブ ・『共犯者 Die Mitschludigen von Goethe』は、私が高知大1年生のとき2ヶ月かけて全訳に挑戦した本(レクラム文庫)。
・ようこ第5話贋作[がんさく]の話は、私が小学6年生のとき学校の図書館で「20世紀の謎」(表紙にUFOの絵のある本)を借りたまま返すのを忘れていて、中学1年になってから夕方人気のないときに図書館に忍び込んで返しに行ったことをいっている。
・ギンギン=gingivitis(歯槽膿漏)。私の母は若い頃から歯槽膿漏だった。
・公園の水飲み=高知大学理学部棟1階入り口にあるウォータークーラー。私が高知大学に入学した年にはじめて設置された。
・ 贋作替え玉事件 私が幼少の頃超能力で警察に協力して捜査の手助けをしたらしいが、何の事件なのかまったく記憶にない。電気ショックがよほど効いたらしい。→(改)『他人の嘘[うそ]には自分の嘘で対抗する。』私の性格。おとり捜査容認。
『他人の汚いうそを許せない。』
『他人の汚いことには自分の汚いことで戦う。』
響け!心のバイオリン ・第6話「響け!心のバイオリン」の第2奏者とは、私の友人和田高明君のことだ。彼は、水泳リレーの前日に自分が背泳ぎ(2番目の泳者)ができないといって、急遽私と交代した。私は、必死で50メートルを泳がねばならなかった。何とか泳ぎ切ったが、最後のほうが苦しくてコースが曲がってしまった。
・ガーニン=ようこ(ガーニンにもリボンがついている) すると、第2奏者が私の友人の和田君ということになる(出番あるじゃん)。
・ 喫茶REPARDは帯屋町の中にある喫茶店。私が小学生の頃、月に1回家族総出で日曜市から大丸、土電、帯屋町を回って、ここの2階の見晴らしのいい窓側の席で昼食&クリームソーダを摂るのが決まりだった。
私には偉さの概念がないので、『身分や地位にこだわらない。偉い人もそうでない人もいっしょだ。』
さびしがりやの町のかみさま ・親子がらみのセリフがなかなかの味やね。
・私が小さい頃予言をやって、ある島の5万人の命が助かったとか。メトロノームの振れを5秒間(5分間?)止めたとか。私は小さい頃超能力を身に付けるため両手をくくられていたので、今でも肩の力がない(そのため、小学2年生まで箸が使えず、スプーンで食べていた)。私は3Kgが限界だったが、妹は瞬間400Kgまで動かすことができた。自分の体重よりも重たいものを動かすことができれば、空を飛べる。透視能力鉄板5m。その他、@5分先が読める(地震予知)。A狛犬の人形(#7登場)私が赤ちゃんの頃、天井から吊り下げているガラガラ(最近はベッドメリーと言う)が頭の上で突然ぐるぐる回る。(ガラガラを第7話に登場する狛犬[こまいぬ]に喩えている。狛=独楽[こま]だから。)B笑っただけで、ダンボール箱の中のボールが跳ね上がるまた、赤ちゃんの頃の私が笑うと、私の近くにあるおもちゃが動くことがあったそうだ[父親がテレパシーで言っていたことなので、定かではない。]。(#7、OP)。(私が小学2年生の頃、父親から「男は歯を見せて笑うもんじゃない」と教えられたので、それ以後私は笑わなくなった。)実際には、ガラガラの他にも、時々家の中にある物が動くことがあったらしい(母親は「幽霊のいたずら」と言っていた)が、私の笑いとの関連性は不明である。C隣に寝ていた潰瘍の子がひとりでに治る。←KEY THE METAL IDOL〔催眠術で記憶を消されたらしい。〕
・町の神様とは、日本政府のことである。町とは日本のことである。神様が町から消えようとしているのは、今の日本政府がもうすぐなくなることである。(h23.10.12追記)
すてきなハンズロフト ・私の母は、割り箸を洗って何度も使う。一般に、何でも物を大切にする。私も物を大切にするほうである。
・私が小学5〜6年生の頃、朝倉第二小学校に通っていたが、校舎の3階の上の“中階”の物置で秘密基地を作って遊んでいた。だから、ハンズ“ロフト”なのである。
『物を大切にする。』新製品を買いたがらない。道具は古くても壊れて使えなくなるまで大切に使う。私が生まれた時に買った日立の電気釜は40年近くも使っていた。
すてきなカンちがい ・ 高知城では時々モデルの撮影が行われる。それを見て私の母は「あんなモデルよりも私の妹のほうがもっと綺麗なのに」と言ったことがある。
・妹はむかし高いところで働いていた(石鎚山の下にある石小屋の山小屋の食堂で住み込みで働いていた)。
・この回だったかどうか忘れたが、「ようこが逆立ちをきれいに決めたシーン」があった。じつは私は逆立ちができない。私は体育が苦手だ。私が人並みにできるのはマラソンと走り高跳びだけだ。だから、“逆立ち”なのだ。つまり、事実はこれと“反対だ”と言うことだ。平成26年5月7日追記)『ケロロ軍曹』第1話で日向夏美が逆さ吊[づ]りになっているのも、夏美が私と反対に女だと言うことである。もっとも、夏美の性格は私とかなり似ている。
花梨ちゃん(中央、私の妹)当時15才 私が太っていたのをまねて大食いして太っていた。背が高い。(アイドル伝説えり子の朝霧麗、ギャラクシーエンジェルのミント・ブラマンシュなど。)
楽しげな笑顔。(私が小学1,2年のとき、家族みんなで汽車に乗って高松に日帰り旅行に行った。朝の4時に起きて、片道4時間ほどかかった。栗林公園で動物園を見た。屋島の水族館にも行った。帰りの汽車では私が乗り物酔いでゲエゲエ吐いた。夜7時ごろ朝倉駅に着いて、夜遅くなったので晩御飯を作るのが面倒なので、駅前の食堂で、みんなでラーメンをとって食べた。店を出てすぐあと、お母さんが「あんまり美味しくないね。」と手で口を伏せながら小声で言った。お父さんが「余計なことを言う。」と少し怒った。)
・ラーメンネタ(その2)…私が小学生の頃は、月に一度家族みんなで自転車に乗って大橋通りに行っていたが、お昼ちょっと前になると、よく大丸の横の『都まん』で“中華そば”(当時400円)を食べた。私の母に言わせると、「ここのラーメンが高知で一番美味しい。」そうだ。私は食べ盛りだったので、一番先にラーメンの麺を食べ終わりスープを底まで飲み干して、他の人が食べ終わるのを待っていると、きまって私の母は「ああ、おなかいっぱいになった。残り分けちゃろうか。」と言って、食べかけの半分ぐらい残ったラーメンをいつも私に譲ってくれるのだった。→『一杯のかけそば』
『服装には無頓着。』
小学低学年の頃は、半袖のYシャツで、小学中高学年のときにはジャンパーばかり着ていた。いつも帯屋町のスーパーで適当に買っていた。
10 ようこそ湯ートピア ・お風呂の中にお金が入っているのは、私が中学2年生の頃、自分の部屋で自分のチンポの皮の中にお金を入れて遊んでいたからである。
・鉄球は、私が小学5〜6年生の頃弟とのケンカで投げた鉄製のビー玉(直径3cmのボールベアリングの玉)のこと。弟がとっさによけたので、家の南の窓ガラスが割れた。あとで、父親にきつく叱られた。[私は母や妹に手を振ったことはない。(思い起こせば、妹とは身体を触ったことすらない。ただ、妹が赤ちゃんのとき、弟と妹の取り合いをしたときちょっと触ったような気がするけど。)父親にも手を振ったことはない。(父親は一度だけ私を殴ったことがある。)蹴る殴るのけんかをしたのは弟だけだ。ただ、小学2年生のとき同級生の赤ら顔のデブ(♂)が私の友達の粘土工作を壊したのが頭にきて、デブに飛び掛っていったことがある。結果は、弾き返されて、倒されてしまった。それ以来、自分がけんかに弱いのを知って、弟以外の者と蹴る殴るのけんかをしたことは一度もない。]
・マーメイドバスハウス=旭の製紙工場→渋谷ニュータウン=ニチイ総合ショッピングセンター(3階がピープルスイミングスクール)
・マーメイド・バスハウス保科[やすしな]朗=私 保科靖子=ほっきょん(顎のライン)
高知市神田川(こうだがわ)にかかる
海老ヶ橋(えびがはし)平成17年夏
小学生の頃、ここで友達とよく遊んだ。
『裸の付き合い』?
たしかに、小学校に上がるまでは、毎日母親といっしょにお風呂に入っていたけれど、私はあまり他人とベタベタするのが嫌なので、裸の付き合いは苦手だ。
だから、銭湯のお風呂には、ようことさきさん以外の人がいない。
11 スペイン坂の雨 『大人の気持ちがわかった振り。』
親戚の人に対しては曖昧な受け答えで、わかった振りをすることが多い。
12 魔女は月の夜に ・私は小学生の頃、おばけが怖かった。中岡俊哉の恐怖の心霊写真集を全部持っていた。それを真似て、アルバムの父親の写真の眼を黒く塗ったりして、あとで父親に怒られた。 『私はおばけが怖い。』(今でもちょっと怖い。)
幼稚園の頃キンダーブックに載っていた‘陽炎でユラユラする家の絵’が怖くて仕方がなかった。
13 愛の交換日記 ・涛子=私 松雄=私が高知学芸高校2〜3年のとき同級生だった馬場博子[ばばひろこ]さん(私が九大医学部に合格して教養部1回生のとき馬場さんから手紙をもらったが、その手紙は知らぬ間に紛失していた。たぶん和田君が引っ越したとき盗んで持って行ったのだろう。)
14 暗記と恋のAtoZ ・当時私は短パンをはいて通学していた。大学で女子に笑われたこともある(→『超くせになりそう』の角田くん)。私は小学校へ上がる頃に、母親からカムカム英語の歌を1回聞かされたすぐあとでAからZまで復唱したことがある。
・私は喫茶店ではクリームソーダしか飲まない(一回だけ、和田君に連れられて塩見文庫の下にある喫茶店に行ったときトマトジュースを飲んだだけだ)。なぜかというと、私が小学3〜4年生頃母にインスタントコーヒーを飲まされてその日の夜1睡もできず、それ以来コーヒーをまったく飲まないからである。
・ナナ=和田高明 ミサ=吉村隆博[たかひろ](2人とも予備校に1年間通ったことがある。九大教養部で私が吉村君の代わりに数学の試験を受けたことがある(報酬はもらっていない)。結果はもちろんAだった。) チャート式  俊一=私(私と和田君は仲がよかった。福岡では1年間同居していた。九大理学部物理学科の同級生に、川合俊一[かわいしゅんいち]と言う名前の男がいて、私と4回生のとき小田垣教授の熱・統計力学のゼミでいっしょだった。) 「どうにもなんない。」 新人コントオーディション=自動車免許(私は持っていないが、当時吉村君が自動車学校に通っていた。)
『勉強は自分が好きでやるものであって、他人より偉くなるためにやるものではない。』
15 翼に夢を乗せて ・当時私の趣味はハイキングだった。九大教養部二回生の夏休みに、歩いて高知から伊予三島まで四国縦断に挑戦したことがある。3泊4日かかった。夏の暑さが厳しくて、早明浦ダムから法皇トンネルへ行く途中にある岩山のトンネル(白髪隧道[ずいどう])を出たところで、ストレスが最高に達してオナニーをこいてしまった。伊予三島近くのトンネル(法皇トンネル)出口では車高制限の横棒に荷物が引っ掛かるのを助手の人が大急ぎで直していた。
・林道漠の研究所は高知市立朝倉第二小学校の理科準備室+県営住宅の倉庫のこと。マリリン号は私が小学校の科学部にいたときに作ったグライダーのこと(ただし形だけで重すぎて飛ばない)。科学部は先生を含めて4人しかいなかった。先生と私と岡部君と脇坂君。ニワトリの卵の孵化[ふか]の観察もした。そして、林道漠はようこと同一人物。私はマンガや絵を描くのが好きだった。とくに、マンガの腕はなかなかのものだ。自分で小さいマンガを描いて級友(川原尚人[かわはらなおと]君など)に読ませていた。松本零士の絵が好きだった。工作も好きだった。ムーのリュックに入っている無公害エンジンとは、私が子供の頃よく遊んだブンブンコプターのこと(ひもを引っ張って丸い羽が飛び出すプラスチックのおもちゃ)。マリリンは、医学部同級生の女子の名(松山出身)。(下手したら、結婚してたかも。)
・ #15「翼に夢を乗せて」に出てくる南方生命ビルとは、高知市朝倉の国立病院のこと。浅野耕太君に誘われて、ここのエレベーターに乗って遊んだことがある。
小さい頃から、紙飛行機など飛ぶものが好きでした。
16 小さな星の奇跡 ・中学校では、私は古文がちょっと得意だった。吉田兼好の徒然草が好きだった。学研の『宇宙』の図鑑もよく読んだ。小学5〜6年の頃UFOにも興味があって、みずからUFO研究会を結成し、近所の山に5〜6名でUFOを探しに行った。(もちろん、見つからなかった。→『うる星やつら』のベントラ。)天地老人は、私が小学生のときに読んだ子供向けオカルト本に載っていたユリ=ゲラーのマンガに登場する宇宙人のこと。ユリ=ゲラーは、子供の頃空飛ぶ円盤から降りてきた宇宙人に会って超能力を身につけたそうだ。当時は、ユリ=ゲラーが超能力でスプーンを曲げたり壊れた時計を直すのが流行っていた。プラネタリウムは、木スペ(木曜スペシャル)のこと。
・最後の木星の輪は、山本商店で浅野耕太君(私より1年年上の先輩)からもらったドライアイスのこと。
17 アイドルへの道Part1 ・GALSのメグは、私の妹だ。髪形でわかった!(リボンで兄より3才年上になった)(cf.『成恵の世界』では相対性理論で兄が妹より1才年下にされた。)
・私はドクタースランプが好きだったし、妹はドラゴンボールが好きだった。 (スランプ(不調)→ペンギン村→ワッフル(ミントのお友達。「39歳が中年か!?」っていうセリフもあったね。)
・蘭子もスーも私の親戚だ。蘭子は文江[ふみえ]さんで、スーは文子[ふみこ]さんだ。
・蛍←高知市旭にある蛍橋[ほたるばし](地名)(中1のみその学舎の帰り道、蛍橋で蛍が2〜3匹飛んでいたのをみかけたことがある。) 
『遊び半分にやるだけで、実力がない。』
『下手でも楽しければ、それで十分。』
18 アイドルへの道Part2 ・私の英語のcontrolのイントネーションが変だったので、横本琢磨[よこもとたくま]先生にさんざん直された。
・礼子=ようこ(顔でわかる)
・ラストの路上コンサートの元ネタは、私が医学生時代、帰省コンパで京都大学工学部の川田紀生[かわだのりお]君が「酔っ払って道路の上に大の字で寝たことがある。」と言ったことのようだ。
・平成19年10月31日;ひさしぶりに見直してみたが、私はようこよりも礼子(明の恋人)に似ている。『ようこそようこ』の背景がいつも“嘘っぽい”ぽっかり雲が浮かんだ青空ばかりなのは実際には福岡市が一年中曇り空が多いことを表しているのと同じように、ようこの顔が曖昧模糊な丸顔なのは、ようこの顔が実際には私の顔とあまり似ていないことを表している。
19 ようこそ夏の雪ダルマ ・「私の故郷では、こんな冷蔵庫使ってます。」←私が小学生の頃朝倉に住んでいたが、高知大学のすぐ東に大きな氷を作って売っている店があった。当時は、まだ氷を入れて冷やす冷蔵庫を使っている人がいたと推定される。
・第19話「ようこそ夏の雪だるま」は、北海道のどこかの郵便局が当時やっていたサービスで、私はそれを親元に送ってやりたかったんだが、けっきょく思っただけでやらなかった。さらにその元ネタは、親戚の叔母さん(母の妹)がお正月に薫的のおじいさんの家に遊びに来ていたとき、私と姪と母と叔母さんとおじいさんとで大杉のあたりまでドライブしたときに、レストランの近くで小さな雪だるまを作った?ことにある(憶え違いかもしれない)。
・高知市にも10年に1度くらいは雪が降ることがある。高知新聞に小さな(50cmくらいの)雪だるまの写真が載っていた。母がそれを見て驚いていた。
・当時私はNHK教育の『このゆびとまれ!』を見ていた。サルの双子の兄妹に林原めぐみと田中真弓が声を当てていた。当時から『ヤンチャーの汚い時計』のことが気になっていた。(時計は、新聞の契約でもらった安物の金色の腕時計。佐賀に住んでいた和田君に自転車で会いに行ったときこの腕時計を付けていたら、和田君に「おっ、いい時計を持っちゅうやないか、ちょっと見せてくれ」とせがまれて、恥ずかしくて見せられなかったことがある。)
・私が小学生のとき、母が一度だけ風邪を引いて寝込んだことがあった。父親が代わりに味噌汁を作ってくれたが、あまり美味くなかった。(このように、『ようこそようこ』はネタが濃い!)
・サキさんのウサギぴょんぴょんがかわいかった(アニメ)。
・雪だるまは天皇家の喩[たと]えである。
20 夏、私、元気です ・私の母親は計算が苦手だし、私も得意ではない。私の父親は仕事の関係上そろばんが得意だが、暗算は得意ではなさそうだ。帰省コンパで川本君が「僕の同級生に暗算が得意な人がいる。頭の中で紙に字を書くように筆算ができるんだって。」と話していたことがある。 私の母は、親には頼らない主義。(→『超くせになりそう』のモモコ・プリシラ)
21 歌え!走れ!グランプリ ・第21話「歌え!走れ!グランプリ」 私が高2のときに買った液晶のレーシングゲームのこと(当時は1万円もしたので、ニチイのおもちゃ屋の店員があきれて客の私を軽蔑していた。)学校へ持って行ってみんなといっしょに遊んだ。
・ 「雨のときのほうがタイムがよい」=おそらく水泳のタイムのこと。私が調子に乗って体育の時間に言った言葉。
・“雨乞いの大きな石”は、私が小学2年のとき遊んでいたはかり屋の石田君と絶交して家に帰る途中で見た人力のチェーンで吊り上げていた大きな石。
私の母は田舎の生まれなので迷信が好きで、冗談か本気なのかよく信じている。
22 公園通りの動物園 ・ジャッキーさんは、私の東隣の県営住宅“22”号に住んでいた植木[うえき]さん。私の父親は植木さんの不機嫌そうな顔が嫌いだったようだ。私が中学3年生のとき引っ越す原因になったとも思われる。(私は植木さんのことが別に嫌いじゃなかった。私が中学年のとき住宅の2階で勉強していて下で家族が見ているテレビの音がうるさいと足で床を蹴り鳴らしていると、父は私が隣の植木さんのことが嫌いだと勘違いして、そのために引越しすることになったみたいだ。)守=おそらく猫好きの私の妹 はとに餌をやるシーンは、高知城か東公園日蓮像の前でよく見かける光景。
・「公園通りの動物園」の動物園とは、高知市立動物園のこと。いまは、野市[のいち]に移転した。(なんでも絵日記参照。吉村隆博君は野市に住んでいた。)高知城下には、はとがいっぱいいた。
『一晩寝ると、考えがコロリと変わる。行き当たりばったり』な私の性格。
23 戦争は知らない ・私は昭和39年生まれなので、当然戦争は知らない。私の父も母も戦前の生まれで戦争を知っている。私の父=山下秀樹+渋谷長五郎、占いおばあさんは父方のおばあさん(cf.マジカラットの団長は母方のおばあさん)
24 グランパの逆襲 ・私の父は読書家だ。休日には必ず家で本を読んでいる。(ようこそようこDVDvol.5ジャケットのイラスト)
・アイスホッケーは、じつはゴルフ。小学校5、6年の頃、台風で閉鎖されていた近所の南海ゴルフ場でよく友達とゴルフをして遊んだ。私は大人の使う本物のパターと9番アイアンを持っていた。それと、サッカーが少し好きだった。高知市にも、5年に1度くらい冬に田んぼに子供が乗れるぐらいの氷が張ったり、山に雪がうっすら積もったりすることがある。おじいちゃんのズボンが、私が九州大学医学部に合格して教養部にいた頃よく履いていた1500円の作業ズボンと同じである。番組中でよく使われるシロフォン?の音楽は、メロディーポッポのこと。朝倉にいたとき、西の市営住宅のどこかの家からこの音楽がしょっちゅう響いて聞こえていた。NHKラジオ放送終了の音楽にも似ている。
ようこ&サキ「やったあー」
私は4才から後のことしか憶えていない。私は母から「鴨部に住んでいたとき突然夜中にガラガラが回り出すことがあった」話を聞いたことがあるだけで、自分が超能力を使ったことはまったく憶えていない。
私の父も母も宗教的なことには無関心で、私をそういう世界からなるだけ遠ざけておきたいようだ。
私は宗教や神様のことなんかに興味がない。それより、科学や数学が好き。小学生頃は、近所の山でゴルフをしてたけど。
自分が4歳以前のことは何も憶えていない。
25 ニュートレンディを探せ ・るんペンズの名前が居場所(当時)と関係あるらしい。
・ 冒頭で、ようこがなめているのは1本30円?のアイスバー。棒が2本付いているやつで2つに割って食べる。ソーダ味。近所の山本商店で毎年夏によく買って食べていた。
・るんペンズ 金子=かねこみそ(実家で使っている) 小野田=しょうゆ 石井=朝倉小時代の友達(はかり屋の息子)かチキンハンバーグ(この時間帯?のCM)
・ガラクタを楽器にする楽団は私のネタだ。私が音痴なのでそれを楽器に喩[たと]えたのだ。『バッテンロボ丸』第41話「ハチャメチャ大音楽会 」にもガラクタ楽団の話がある。
『ボロは着てても心は錦。』
心が楽しくさえあれば、眼先のことにはこだわらない。私も私の両親もこだわらない。妹はちょっとこだわりがある、かも?
26 スターを探す男 ・ ようこがビルの谷間をまたぐシーンの元ネタは、高知市鴨田にあった昔の紅葉[もみじ]橋の車橋と歩道橋の間にある20cmぐらいの隙間(下の写真を参照)を私が中学1年生のとき飛び移ったことである。[ビルの端と橋を掛けている。]。そこは、みその学舎への通り道で、そのとき西森年彦君も一緒にいた。ようこによく出てくる川は、鏡川のこと。ようこが幼少の頃、川原でフルチンでよく遊んだ(自分のアルバムで見た)。みその学舎へ通った一年間は、ようこの人生の中で一番幸せだったひととき。(台風の日にも一人だけ自転車で通った。この時以外、前にも後にもろくなことがない。小学時代は、体育と音楽が苦手で、学校が面白くなかった。塾だと自分の欠点が目立たないし、友達との私語なんかも大目に見てくれて自由な雰囲気がよかった。中2・3のときは、学芸中学がスパルタ式詰め込み教育で、勉強が厳しくて面白くなかったし、高校以後はずっと分裂病のままだ。)
高知市鴨部の紅葉橋の“隙間”
平成17年夏
かつてのみその塾(建物は当時と同じだが、
今は名前ウイングスとが変わっている。)
平成17年夏
『他人の迷惑をあまり考えない。自分がやりたいことをする。』利己主義者。小5のとき、担任の川村五月[さつき]先生から「川野君は利己主義だ」と言われたことがある。
27 ようこそカレー行進曲 ・私は子供のときカレーが好物だった(おかわり3杯は軽い)。
・私が九州大学理学部物理学科の学生だった頃、母が福岡にいる私のところへ来たとき、私が母を福岡動植物園へ連れて行って、そこで私と母が一緒に700円?のカレーを食べたことがある。母は意外においしいと言って喜んでいた。
・「水っぽい」は、ほんとは私の母が言った言葉。でも、私も頭の中で水っぽいと思った。
・私と母が福岡市の動植物園に行ったのは、1992年頃。九大精神科の遠足で行ったのを真似して、お母さんを連れて行ったから、とにかく放送の後だ。 「水っぽい」カレーはここでしか食べたことがないから、順番が逆だ。[たぶん、私が後で母といっしょに動植物園に行くのを見越して先に作ったのだろう。]
・カレーのPiriPiriのCMの後に一瞬見えるテレビは、当時私が福岡で使用していたテレビ(SANYOサンカラーC−14A3MAマルーン、音声多重端子つき、消費電力54W、三洋電機株式会社製)とよく似ている(というか同じ)。1,3,4,6,8,10,12、Uは当時(TvQ参入以前)福岡で視聴できたチャンネル。
・アイスター事務所は、私の高知の実家のこと。
・私はカレーが好物だ。小学生の頃インドカレーが食べたかったが、母が箱の黒人の絵が嫌いだからといって、いつもバーモントカレーかジャワカレーだった。私が小学校低学年・中学年の頃はバーモントカレー甘口で、小学校高学年の頃はバーモントカレー中辛で、中学生・高校生の頃はジャワカレーだった。お父さんが、あまりカレーが好きじゃない[私もこの歳(43歳)になると、中年の身体ではカレーに耐えられないことがわかった。]ので、今は母もカレーを作らなくなった。
・最後の『カレーの唄』のシーンでようこがはしゃぎまわっているが、私も含めて小学生の男の子とはこういうものだ。
『お母さんが作ったカレーが大好き。いつも3杯はお代わりする。』私が小学低・中学年頃はバーモントカレー(甘口)で、高学年頃はバーモントカレー(中辛)で、中学生以降はジャワカレー(中辛)だった。肉は、いつも鳥のミンチを使用していた。
28 ラスの中のアイドル ・ガラス=皇居の窓ガラスのこと。朝倉第2小学校の放送室のガラス窓のこと(校舎みたいなバックで気が付いた)。私が小学4〜5年生のとき生徒会に立候補した浅野耕太君の応援演説を放送室でしたことがある。
・ビッグティードア=皇居(ビッグティードアとは“偉大な天皇の戸”[ティー→T→天皇]つまり皇居のことである。)
・ほっきょん=天皇。私より1年年上の浅野耕太君。私と同じ県営住宅の北隣の家(→北国=仙台)に住んでいた。(30年ぐらい会っていない。)
・ほっきょんが逃げ出した=神武天皇の代わりに私が日本神道の神になっていた。世界大戦後、一時的に日本政府は私を神とする国家宗教をやっていたのである。
『女の子同士の友情ってかわいい。』私は友達は多くはなかったが、その代わり深かった。
29 レッスンアンダーザスカイ ・ありむら理沙=高知学芸中学校で英語が得意だった谷脇優子さん(理沙に似ている。)+秋沢直明[なおあき]君(休み時間に、日本の学校は自由がないから嫌だと言っていた。)
・中学の歴史の本に青空教室の写真が載っていて、歴史担当の中島先生がガラに似合わず、「こんな狭い薄暗い教室の中よりも広々とした青空の下で勉強したほうが気持ちがいい」と言ったことがある。リチャードが黒板に描いた絵は、河野[かわの]先生がみその学舎で配った英語のプリントに載っていた絵。山下秀樹(公務員である私の父)が黒板に描いた絵は、私が中高生のとき身元調査の書類を学校に提出するために父親に描いてもらった自分の勤務地の図(どこに勤めていたかもよく見ればわかる、かも?)。
・「ナマイキ」(高知学芸中学3年C組一同)は、秋沢くんがちょっとキザぽかったので。[実際に、みんなが秋沢君のことを「ナマイキ」だと口に出して言ったことはないが、心中ではちょっとそう思っていたような感じがある。]
・私は英語の発音が下手だ。反対に、秋沢君や谷脇さんは英語の発音が上手だ。だから、1度目のSchool Songは絵が下手で、2度目は絵が上手いのだ。
・土佐女子高の制服が出てくる。私が高校に上がる春休みに、和田君がちょっと知り合いに用事があるからと言って和田君に連れられていっしょに高知市追手前にある土佐女子中学高等学校に入ったことがある。
『私は自由が好きだ。』中1のときのみその塾での授業は私服で私語もありで開放的で大変楽しかった。それに較べて、高知学芸中学高等学校での授業は堅苦しくてつまらなかった。ストレスが溜まって、裸で外をうろついたり、オナニーしたりした。
『遊びも仕事のうち。』(父談)
30 歌声でタイホして ・生放送とは、朝倉第二小学校生徒会選挙のとき校内テレビ放送で浅野先輩の応援演説に私が出たこと。タイホとは、私が小3のとき万引きをしてつかまったこと。
・此花咲弥(このはなさくや)は、小学校のときの友人岡林君+朝倉第2小学校で小学5年と6年のとき担任だった川村五月[さつき]先生(さつき=皐月は花の名前)。此花咲弥が岡林君であることは、大きなリボンがついていることと[つまりリボンが付いているのは男を女に変えたキャラクターであることの印]、顔の目鼻立ちでわかった。岡林君とはいっしょに図画の宿題をやったり、本町2丁目にあるプラモ屋まで歩いて戦車のプラモデルを買いに行ったりした。海老川のそばのゴミ埋立地で戦車のリモコンでいっしょによく遊んだ。ちなみに、私はお母さんのタイトスカート(→ギャラクシーエンゼルのミルフィーユ桜葉)が大好きで、薫的[くんてき]のおじいさんに会いに行くときには、いつもお母さんの後ろに回ってタイトスカートにしがみついていた(→『スイートミント』第8話「がんばれ豆ピアニスト」)。
・私が2才3ヶ月の頃、家族で高知で開かれた南国博覧会に行って戦車を見たことがある。(→思い出のアルバムの上から4枚目の写真。)
・「内容はないよう」…政府が駄洒落[だじゃれ]で国家宗教をやっていることを表している。h25.3.20追加政府が何の仕事もやっていないことを表している。政府は民主主義の政治団体の芝居をやっているだけで、実際には民主主義の政治団体としての仕事は何もやっていないのである。政府は自分が強盗をやっている(つまり税金を取っている)ことを誤魔化[ごまか]すために民主主義の芝居をやっているだけなので、実際には政府は民主主義の仕事は何もやっていないのである。h25.9.6
私は、嫌な学校や仕事場へは遅刻ギリギリで通う。
私は、戦車が好きだ。とくに、シャーマンが好きだ(→ガンダムのザク)。
31 シネマパニックパラダイス ・映画とは、ジョーズでもジェイソンでもなく、じつはガメラのこと。ガメラ対ギャオス、ガメラ対バイラス、ガメラ対ジャイガーを母といっしょに見た。当時の映画館にはまだクーラーがなく、夏の蒸し暑い夕暮れ、満員の中で後ろのほうの通路に座ってうちわで扇ぎながら汗だくで見た。母は私の後ろに立って見た。バイラスには脳の実写が出てくる。私が映画館で見た映画は、ガメラのほかには、ロボットモグラの映画、ふたりのイーダ(小学校・中学校の講堂で見た映画)、フラッシュゴードン(弟と一緒に見に行った)、あられちゃんとダイナマン(高2のとき母と妹と一緒に)、スターウォーズ第2部(西森君と)、銀河鉄道の夜とレンズマン(九大医学部教養部1回生のとき、一人で)、インディージョーンズ(母と妹と)、ジュラシックパーク2(大阪駅の近く、一人で)、これくらいしかない。 はっきり言って、『映画はあまり見ない』ほう。
32 アイStar危機一髪
33 恋文横丁からの手紙 ・第33話「恋文横丁からの手紙」で、ようこが消えた狭い通路は、じつは旧高知市朝倉若草町県営住宅(今はマンションになっている)の南にある農業用水路に抜ける狭い通路のことだ(下の写真を参照)。私が6才頃、母といっしょに買い物に行った帰り道で、私は母が突然消えていなくなったと思って、母親に後姿が似ている別の女の人を追いかけたことがある。しばらくして母が私を追いかけてきて私を見つけた。[今にしてみれば、日本神道の指図で、母とその女の人が組んでやったお芝居であると考えられる。]
ようこが消えた?通路(じつは消えて
いない。母親の勘ちがい。)
ようこが見つかった道路(右は農業用水)
平成17年夏
・昭和23年は、じつは私が子供時代に住んでいた県営住宅23号のこと。
←旧朝倉県営住宅跡地(今はマンションになっている。)
平成17年夏
私の好きだったLode Runnerのゲームがモチーフになっている。
・手紙とは、鶴光のオールナイトニッポンに出した手紙のこと。2通読まれて『銭のもと』を2個もらった。したがって、恋文横丁とはその頃私が住んでいた若草町県営住宅のこと。冒頭でようこが酔っ払うのは、乗り物酔いのこと。私は車に弱いのだ(そのため自動車免許も持っていない)。デ・ジ・キャラット第47話「みけとデカ魚現れたにょ」では、でじことぷちこが酔う。私の妹も、少し車に酔う(しかし、自動車免許は持っている)。でじこの鈴は空耳の喩え。ぷちこにも小さい鈴がある。スイートミント第26話「魔法使いトラッディ」にも鈴の音が出てくる。トラッディは私のことだ。私は1990年当時医学部にいた。マジカルエミ第24話「鈴の音よもう一度」にも鈴の音が出てくる。小金井プロデューサーは私のこと。
・私はいまだ子供づれの初恋の人なんかに会ったことはない。強いて言えば、私の初恋の人が私の母親だと考えれば、それは私の母親だということになる。
・恋文横丁のネタは母親ネタなので、私はよく知らない。終戦直後、母親の田舎では無理やり外人に引き取られた子供がいたそうだ。牛肉が口に合わなくて毎日泣いていたそうだ。
・ミカちゃんは、浅野耕太[こうた]君のこと。私の家の北側に住んでいた1才年上の先輩。(→訂正:声優のかないみかさんのこと。)頭のリボンでわかった。2人目の魔法少女(うれしい)。(天国の侍女?)私にいろんな遊びを教えてくれた。住宅の東にある宅地の土管の上でチャンバラをして遊んだ。ジョニーは、浅野耕太君の弟の克也[かつや]君。私より1才年下。左眼の上のおでこの絆創膏でわかった。この傷は、私がふざけて投げた石が偶然に当たったせい。血が出て救急車で近所の国立病院に運ばれたが、幸いにも眼をそれていた。ゆうこさんは、浅野耕太君の母親(髪型がよく似ている)。
・ 自分が何なのかわからないにょー(でも、ちょっとシ・ア・ワ・セ)
←酔っ払って踊るようこ(髪が綺麗なだけ)。
 『汝自身を知れ。』 お前はいったい何者なんだ?
もしかしたら、卑弥呼(ひみこ、日の巫女)の化身?
34 わたしのジュリエットPart1 ・きさらぎひかるは、私の叔母さん(母の妹)。
・私が小学3〜4年生ごろ福岡に住んでいた叔母さんが私の母に会いに来たことがある。お母さんは私の家に来ていた叔母さんと会った後で、私に「きれいな人は心が冷たい。」と言った。
・ようこが樋[とい]をつたってさきの様子を見守るシーンは、じつは私が中2のとき地元の有名進学校高知学芸中学に編入して猛勉のためにノイローゼ気味になって自宅で勉強しているとき2階の部屋から裸になって外へ出ようとしているところである。外でうろついているとき、近所のおばさんに一度まともに裸(パンツなし)の前半身を見られたことがあるが、なぜかその後騒ぎにはならなかった。
『私のジュリエット=さきさん。』
35 わたしのジュリエットPart2 ・最後のさきさんの流し目は、私が小学3〜4年生ごろ叔母さん(母の妹)が私の家に来たとき私にした仕草じつは如月ひかるさんの得意技口を尖らして振り向くのが、さきさんの得意技だ私の母は、一度口を尖らせて私に振り向いたことがある(ペルシャ#26「真冬のライオン祭り」参照。シンバ=私、ペルシャ=母または私)。
・さきさんのけがは、スバル(私の弟)のせい。つまり、私が高知で自宅浪人をしていたとき、母と弟がケンカして頭にきた母がガラス窓を足で蹴破って足を縫う大怪我をした。
・ようこがレオタードを着ているのは、私が小学生の頃にNHK教育テレビのテレビ体操を見たことがあり、夏休みに朝のラジオ体操に毎日出席していたからである。テレビ体操とラジオ体操が似ているので、私がレオタードを着ていることになったのである。
私の父親が世界文学全集の『ロミオとジュリエット』を持っていた。私は読んだことがない。どんな話か知らない。 h25.5.3追加
私の母は、目立たない奥ゆかしい性格。
36 猫子ちゃんのユウウツ ・第36話「猫子ちゃんのユウウツ」に出てくるSTADY CLASSは、じつは福岡市立馬出(まいだし)小学校のことだ。[STADYは、UがDに変っている。つまり、教養部の頃は私は優の成績だったが、医学専門課程に上がってからはDの成績になった(もともと、私は生物学が苦手である)。当時生化学を教えていた水上茂樹教授が講義中に「ビタミンにはAからZまでいろんな種類があるが、ビタミンEは絶対にない。」と言ったことがあるが、この言葉は私の医学の成績はたしかに悪いが悪すぎはしないという意味だったのだろう。]馬出小学校は私が医学生時代に住んでいたKI(けいあい)ビルの向かいにある。3階の廊下から休み時間に生徒がしょっちゅう私の家の緑色のカーテンの隙間から私の部屋の中をのぞいていたらしい。他人に見られている気配を感じたので、振り向いて学校のほうを見たら、2人の生徒が急いで窓から離れて走って行くのを見たことがある。この話がなかったら、ヨッキュンはこの世に存在しなかった。
・#36「猫子ちゃんのユウウツ」に出る犬と猫のけんかは、当時NHK教育で放送されていた人形劇「ワンワンとニャンニャンのけんか」のこと。(私はいまだかつてこれ以上幼稚な番組は見たことがない。)猫の声は、ハクション大魔王のあくびちゃんの声優が当てていた。私が睾丸縛りの癖から立ち直ったのは、アニメを楽しく見たかったためだ。ついでに、私が高校1年生のときオナニーをやめたのはようこちゃんがマリリン号を飛ばさなくなったのは、さきさん母への愛を失うのが嫌だったから。(私が母を好きになったのは、私が小学4,5年のとき、夕飯の支度[したく]をしているお母さんの身体の周りに薄白い光が出ているのを見たから。このとき、私は母以外の相手とは絶対に結婚しないと誓った。最近お母さんが“東洋のマリア”であることがわかってから、ますます惚れ直した。お父さんも好きになった。
・ 医学部に通っていた頃は、医学がわからなくて抑鬱神経症に罹っていた。心が落ち込んで知覚が働かなくなると、見掛けの美しさに憧れるものだ。当時『らんま1/2』にハマっていて、『女の子になりたい』と思っていた。頭の輪っかのリボンは金玉を縛るひものこと(→パステルユーミのOPと関連)。救急車のサイレンが鳴る頃はすでに手遅れだった。[テストステロンは精巣以外のところでも作られるので、睾丸を縛ってもムダです。金玉を縛ると女っぽくなるどころか、反対に年寄り臭く汚くなるだけです。]
・『細い脚』…医学部で落ち込んでいた私はお風呂場で自分の太い脚を見て「高校で登山部なんかに入らなければよかったのに」と思った。私が小学2〜3年生の頃、自分の足がちょっと綺麗だと思ったことがある。[日本神道の者がテレパシーで吹き込んだせいかもしれない。]
「みなさんご安心ください。これで日本は安泰です。」
死んだ目(大袈裟)。この絵は、私の眼が本当に見えなくなっているのではなく、私の心が働かなくなった状態を示している。私が女の子なのも、私にいわゆる“男らしさ”がないからなのかもしれない(小さい頃からそうだった)。医学部2回生の夏休み、心が落ち込んだままで高知に帰ったら、お父さんとお母さんにすごく嫌われてさんざん咳払いして怒られた。それで、私はすぐに家を飛び出して泣きながら福岡の下宿に戻った。それから約10年間、弟の葬式に出るまで、高知には帰らなかった。ただし、ときどき母と父が私の福岡の下宿に来ることはあった。
・猫子がひっくり返るのは、じつは私は(超能力封じのため手が縛られていて)赤ちゃんのころに斜頚と股脱(先天性股関節脱臼)の治療を受けていたためにはいはいができず生まれつき腕の力がないため体育の時間に倒立ができず、倒立するとそのままバタンと仰向けにひっくり返るためである。
・ビルの上の看板に、『KANEKUI』(金食い)の字が読める。ただ、九大は国立大学なので、医学部でも入学金や学費は他学部と変わらない。でも、専門課程に4年かかるから、+2年分の学費は(生活費も)かかる。だから、金食い(でも、紛らわしい)。
・最後にようこが猫子からもらった猫耳帽子と尻尾は、デ・ジ・キャラットのでじこ(私)に引き継がれている。
『仕事と遊びの分離。』
私は小学4年頃から、生活費を稼ぐための仕事と楽しみのための遊びとを分けて考えていました。理由は、父親が毎晩夜遅く帰って、家で枕もとの洗面器にゲーゲーゲロを吐いて苦しそうだったからです。そのとき私は仕事とはおもしろくないものだと思いました。
37 アイドルは知っている ・ほっきょん=浅野耕太君。私よりも1才年上の浅野先輩は京大出身だから、たぶん出世できただろう。子供の頃からしっかり者だった。私にとっては、真面目すぎる浅野先輩(1代目)よりも、ちょっと不良味を帯びた和田君(2代目)のほうが好きだった。医学部にいた蔵本俊行[くらもととしゆき](3代目)は、心が暗いから大嫌い。[ちなみに、蔵本君は解剖学第1教室の組織学実習のとき私の左隣の席に座っていたが、蔵本君は半年〜1年間アメリカにホームステイしたことがあるそうだ(→アメリカに行ったネタ、留学ネタのもと)。]
・ほっきょん=天皇。私の住んでいた済んでいる高知から見て天皇の住んでいる東京は北国だから、ほっきょんのふるさとは雪国の北国なのである。
このパターンの場合、『ようこ=京子』と見なすべきだろう。
38 地球の酸素がなくなる日 ・冒頭のToy Fancyは、私の母が若い頃勤めていた高知市帯屋町のおもちゃ屋さんのこと。ハローマックは、福岡にあるディスカウントショップ、Mr.Max(ミスターマックス)のことで、私はMr.Maxでファミコンやワープロを買ったことがある。
・長尾山町に住んでいた私のおばあさん(父の母)が、ハレー彗星を見たことがあると話していた。
・渋長のシンボルマークは高知市の市章と似ている。小学生の頃の私は電気記号や地図記号などに興味を持っていた。なんでもマーク化するのが好きだった
大地=先代の私(神) ようこ=今の私(10才頃)大地=故郷の自然のこと。 
『将来に対して楽観的ではない』私の性格。
39 サーカスが来た! ・昴[すばる]は私の弟だ。年齢でわかった。(けど、絵は似てない。)弟が実際に白血病で死ぬ6年前にすでにアニメでは死んだことになっている!肌の色が変(色白←白血病っぽい)!![これは偶然の一致である。私が子供の頃弟とケンカしたとき、私が弟によく「死ね!」と怒鳴ることがあったからである。弟が色白なのは、登校拒否でいつも家の中ばっかりいたからである。]じつは、私と弟は大変仲が悪い。顔を合わせただけですぐにけんかになる。時計は、私の父と母の『結婚記念の時計』。[『魔法の妖精ペルシャ』第38話「疑惑のおじいさん」にも出て来た。つまり、おじいさんとは私の弟(孝雄[たかお])のことだ。不良の私の弟が結婚記念の時計を質屋に売り飛ばしたらしい。私はアニメを見てはじめてこの事実を知った。]弟は仕事も勉強もしないのに、ずけずけと食うだけは食う。私の母は料理が上手。

昴くん(つまり弟)と私とは仲が悪くしょっちゅう喧嘩したが、憎くはない。(私の弟→アイドル伝説えり子の阿木星吾、ギャラクシーエンジェルの蘭花(ランファ)・フランボアーズ。)
・空中ブランコは、私が小学生の頃よく遊んだ近所の児童公園のブランコ。ブランコに乗って高飛びや靴飛ばしをした。ブランコ←ぶ←川野延夫[かわののぶお](ぶ取り)。
『サーカスにも興味がない。』
私も私の母も、人ごみが嫌いだ。
私は人前に立ったとき、相手の顔が見えると上がるが、顔がわからないくらい離れていると上がらないのだ。
40 レッツシングウイズバード ・鳥の住家[すみか]=福岡の天神地下街。
・当時我が家で飼っていた鳥(インコと十姉妹)が出てくる。篠原みほとミントも出てくる。
・薫的のおじいさんが四国のあちこちに山をいっぱい持っているので、そこで捕った山鳥をいっぱい(20種類ぐらい)家で飼っていた。私の家にときどきおじいさんが持ってきてくれる大きなきゅうり(40cmくらいある)やとうもろこしもおじいさんが自分の山で育てたもので、スーパーや八百屋で売っているものではない。だから、大きさも活きも違うのだ。
・昔、上町5丁目の新月橋の近くに鳥屋さんがあった。家族で自転車に乗って帯屋町に行く途中、よくこの店に寄って家で飼っている十姉妹[じゅうしまつ]の餌を買った。
・サキ「あ〜、べっくらした」(マンホール落ちのあと)…幼稚園の頃の私は、近所の山本商店で売られている“アベックパン”が大好きで、いつもこればっかり食べていた。アベックパンとは、イチゴのジャムパンとクリームパン(チョコレートパンだったかも?)がドッキングしてひとつになったパンで、これ1個で2つの味が楽しめる(すごいお得だ!)。
・カラス←私は熱い湯が苦手でお風呂に長い時間入っていられないので、よく母から「カラスの行水」とからかわれた。
私の母は山鳥が好き。
41 雪のラビリンス ・ようこと男の人がデートした喫茶店は、御茶ノ水女子大下の橋のたもとにある喫茶店。男の人は早稲田大の西森年彦[にしもりとしひこ]君。スターシアターは早稲田大学のこと(時計がポイント)。西森年彦君と私は中学1年のとき一緒に旭のみその学舎に通っていて、冬に私はお母さんが編んでくれた茶色の襟巻きをしていたから、幽霊の男の人はようこのマフラーのことを知っていたのだ。[じつは、私は早稲田大学の西森君よりも、京都大学の川本竜彦君のほうが好きだった。ようこさんは名前よりもムード派なのだ。その証拠に、川本君がコートを着て私の家に遊びに着ていたときには、私の母も川本君に一目惚れしていた。さすがのさきさんも一目ぼれでした。西森君の片思いにょ!
・ 第41話「雪のラビリンス」私が中1のときみその塾に通うためにお母さんが編んでくれた茶色の穴ぽこだらけのマフラーを私が医学生のときまでずっと大切に持っていたが、睾丸を縛った私が八つ当たりして捨てた金玉をくくったヨッキュンが怒って捨てた
・ジャン=ジョールとは、数学の得意な前田誠一君(確率論専攻)。イギリスに父親といっしょに行ったことがあるそうだ。帰省コンパのとき、イギリスのことを田舎と言って馬鹿にしていた。
・レストラン=九大医学部正門の近くにあるファミレスのスカイラークのこと。ここで私が母といっしょに800円のハンバーグ定食を食べたことがある。
・「雪のラビリンス」=西森君が高知学芸高校2年F組のベランダの鉄の柵を手のひらで叩いて鳴らした曲(得意のリズム)
・「雪のラビリンス」のラビリンス(迷路)= 私が小学生の頃白い画用紙で作った迷路の工作のこと。たしかに、国境、つまり迷路の壁まで行くとビー玉は壁に当たってもとに戻らねばならない。あと、ファミコンの「ラビリンス」というゲームをファミコン雑誌で見たことがある。西森君は、もし私が女の子だったら本気で結婚しようと思っていた変なやつ(当時)。
・中1のみその学舎に通っていたとき、冬の2月頃に年彦が鴨部の病院の前でダンプに轢かれて約1ト月間入院していた。
『私はまだ恋をしたことがない。』だから、恋の相手が‘未来から来た幽霊’なんかで作り話っぽいのだ。
42 不思議の街のアリスたちPart1 ・ハゲチャビンは、国会議員≡日本神道の幹部である。一方、私は赤ちゃんの頃に超能力を使ったことがある私の母が私が赤ちゃんの頃に夜中に突然ガラガラが回っているのを見たために私が現人神[あらひとがみ]なのである。日本では国会議員≡日本神道の幹部が私に関する現人神制(日本や世界の人々を現人神である私に従わせること)をやっている。(→詳しくは、私の哲学日記を参照。)
・ちなみに、私はアニメやマンガや特撮の主人公になりたいなどと思ったことは子供の頃から一度もなかった。ただ、私は子供のころに自分と他人をあまり区別しない性格だったし、マンガやアニメを見ることが多かったので、現人神制によって今では私がマンガやアニメの主人公になっている(つまり、キャラクター原案に私の個性(顔や性格など)を加えてキャラクターを作っている)のである。マンガやアニメの話についても、ストーリー原案に私の個人情報(つまり、私の経験)を加えてストーリーを作っているのである。
私が2歳2ヶ月の写真 桂浜にて
どう見ても、最初に戻って‘グルグル回り’だ。私は自分が気に入った本を何度も(7回ぐらい)繰り返して読むが、私が赤ちゃんの頃の超能力(寝床の上に吊ってあったガラガラを念力で回す)と関係があるのだろうか。
43 不思議の街のアリスたちPart2 ・第43話冒頭のハゲチャビン登場シーンで、This is、This is、This isと3べん繰り返すのは、中学の英語の授業で当てられたとき、私が上がり症なので、はじめに何度かどもらなければ話し出せなかったためである。
・衛星放送は、当時私が住んでいたけいあいビルが、ちょうど福岡県庁の裏側になるのでアンテナの電波が届かず、無料で有線放送が見れていたことによる。地上波とBSが無料で見れた。
・第43話最終回の久美子の後ろにあるテレビ(カレーのPiriPiriで出たのと同じサンヨーの14型テレビ)には、作品のもとになった東京のいろんな写真が写っている。(最後のほうで出てくる半透明の黄髪のキャラは最後まで私と主役の座を競い合ったライバルだと言われている。←これは、私の誤解。)
・日本流行歌促進本部がアイスターを潰[つぶ]したのは、日本政府が私を神とする国家宗教をやめたことを表している。日本政府は最初から私を神とする国家宗教を本気でやる気はなかったようである。日本が世界大戦で戦争に負けて神武天皇の人気が落ちたので一時的に私を神武天皇の代わりに神としていただけのようである。今では日本人の多くが敗戦の記憶がなくなったので、政府は再び神武天皇を神とするようになったようである。(h22.10.9記す)
・ ようこがさきさんに渡した傘は、若草幼稚園の『ひこぼしとおりひめ』のお芝居で私が使った傘。私が芝居で使う傘が私ひとりだけぼろいのが嫌で幼稚園を抜け出して、こんなオンボロ傘見っともないから新しいのに買い換えてとお母さんにお願いしたが、お母さんは聞いてくれなかった。このときが、私が生まれてはじめてお母さんが自分の気持ちをわかってくれないと感じたとき。その後、私はおとなしく母親の言うことを聞いて、そのオンボロ傘でしかたなく『星の子』を演じた。(→『なるたる』。たるは『まじかる☆タルるートくん』のたる。タルるート←松山名物一六タルト+私が中学1年生のとき旭にあったみその塾で鶴沢先生から習った平方根の√の憶え方(√2=1.41421356(一夜一夜に人見頃)、√3=1.7320508075(人並みにおごれやおなご)など))。原子力(はらこつとむ、尾立[おりゅう]君)の頭の上の黒い穴。原子→陽子=ようこ。おそらく、江戸城本丸が私で、伊知川累[いじがわるい]が私の妹で、河合伊代菜[かわいいよな]ちゃんが医学部同級生の栗原かすみさん(顔が似ている)。)
・中1の冬、朝中(高知市立朝倉中学校の略称)の友達3人と山へ木登りをしに行ったら、“私が木からこけて栗のイガの上に尻餅をついた。”腰に栗のイガが突き刺さったまま「痛い痛い」と泣きながら自転車で家まで帰って、お母さんに栗のイガを刺抜き[とげぬき]で抜いてもらった。
・ようこがブロードウエイに行かなかったのは、アメリカ政府が私を神とする国家宗教をやらないことに決めたことを表している。私が自分の意思でアメリカの神とならなかったのではなく、アメリカ政府が勝手に私を神としなかったのである。(h22.10.9記す)
・ようことさきさんが屋根の上から飛び降りるシーン清水の舞台から飛び降りた=高知学芸中学3年生の秋の遠足でテレビ塔(烏帽子山)へ登ったが、その帰りに近道しようとして神田の丘の上の団地から下の団地へ4mぐらい飛び降りた。私が飛び降りたあとで、山野上昭光[やまのうえあきみつ]先生(→『ジェッターマルス』の山之上博士)や他の生徒たちも続いて飛び降りた。今から21年前(1984年)10月ごろ京都に行って、京都大学の川本竜彦君に伏見城に連れて行ってもらったが、帰りの電車の中で日頃付き合いのない高校生のときの知り合いだった時久[ときひさ]君に「半陰陽(身体の半分が男で、半分が女の人)の心理について興味ない?」と訊かれた(→『らんま1/2』)。
・星花京子がブロードウエイのスターになったのは、アメリカ政府が神武天皇の国家宗教をやっているからである。アメリカ政府が軍事に力を入れているのはそのためである。[国家宗教は政府が自分の都合でやっているだけである。]神武天皇は笑いのない人だったから、神武天皇を神とする国家宗教をやる国は笑いのない世界になってしまったのである。(h22.10.9記す)[『魔法の妖精ペルシャ』第32話「冷たいバレンタイン」にも人間の笑いを吸い取るボンボンという妖精が現れるが、ボンボンも白く光るから神武天皇である。『スタートレックネクストジェネレーション』にクリンゴン人ウォーフが登場するが、クリンゴン人にも笑いの概念がないが、クリンゴン人は軍人だった神武天皇の喩[たと]えである。つまり、昔から「軍人というものは笑わないものだ」と決まっているので、神武天皇は笑わない人だったと考えられているのである。しかし、それはあくまでも一般論であって、神武天皇本人が本当に笑いのない人だったかどうかは不明である。(h22.10.11補足)]
屋根の上での語らいのシーン…私にとっては自分のお母さんがいい人だったことが自分にとっての唯一の幸せだと思っている。

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