実在哲学原理


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1.一般論
感覚とは見たり聞いたり考えたり思ったり自分が感じることのすべてを言う。[感覚の定義]
 ゆえに、見たり聞いたりすることは感覚であって実在ではない。
 感覚の外に実在がある。
感覚は脳細胞の活動によって生じる。【哲学T原理】
 実在の中に脳細胞があり、脳細胞の活動(=神経興奮)によって感覚が生じる。
  脳細胞の興奮が激しいほど、感覚が強くなる。[感覚のファジー性]
  脳細胞の活動は神経繊維を介して調節できるから、感覚の発生も制御できる。
 感覚を荷う素粒子「感覚子」があり、脳細胞の電気的興奮によって感覚子が発生する。
  感覚子は時空間の中に存在する。
  感覚子は脳細胞の近くで発生し、数ミリ秒程度の寿命がある。
  脳細胞の神経興奮は時空間の因果律に従うから、感覚子の発生もまたそうであり、
  ゆえに、感覚も時空間の因果律に従う。つまり、現在の感覚は現在の自分の脳にしかなく、
  過去の感覚も未来の感覚も現在は存在しないから現在の自分には感じられない。[ベルグソンの問題の解]


2.各論
感覚は五感、知覚、感情に分類される。
 五感とは、見たり聞いたり味わったり匂ったり触ったりする感覚である。
 知覚とは、真偽の区別のある感覚である。
  五感の経験から知覚の概念や命題が作られる。
   例えば、眼で見た個々の犬の記憶から、犬の概念が形成される。
  概念とは集合であり、知覚におけるひとつの概念に五感におけるさまざまな
  具体的事物が所属する。
   例えば、知覚における犬の概念に、眼で見たすべての具体的な犬が所属する。
  法則とは一般的命題であり、適用されるすべての具体的事象がそれに従う。
   例えば、「犬は喜ぶとしっぽを振る。」という一般的命題に、すべての個々の犬が従う。
  論理とはことばの法則、つまり概念・命題間の所属・適用関係が論理である。
   知覚は、論理関係によって結び付けられた概念・命題の構造体である。
   このように、知覚には記憶と適用しかない。
    例えば、テストの問題を解くためには、一般的な公式を記憶し、
    それを具体的な問題に適用(当てはめること)すればよいだけである。
 感情とは、快・不快感を伴う感覚である。
   五感の具体的事物や知覚の一般的命題に対して、感情は快感または不快感を感じる。
  感情は遺伝によって生まれつき決まっている。
   人の顔や身体が違うように、人の感情もひとりひとりみんな違う。
  知覚は学習されるが、感情は活動の強さが変わるだけで
  新しい感情が後天的に獲得されることはない。
  質量が物体についてのひとつの量であるように、
  快・不快感は感情についてのひとつの量である。

自分の感情を肯定すべきである。【哲学U原理】 
人間は知覚だけでは生きて行けない。
知覚は原因と結果の因果関係ががわかるだけで、
どの原因を選ぶべきかが決められない。
 例えば、「デパートの屋上から飛び降りたら死ぬ。」は真の命題だが、
 誰ひとりとして実行しようとしない。
 知覚は「飛び降りたら死ぬ、飛び降りなければ死なない」ことはわかるが、
 飛び降りるか、飛び降りないか、どちらを選べばよいかがわからない。
 そもそも知覚だけでは「死よりも生を選ぶ」ことができない。
  やみくもに生きることを頭で決めつければそれで済むと思いがちだが、
  その‘決めつけ’が、そもそも知覚だけではできないのである。
 それでは、なぜ人間は死のうとしないのか。
 それは断末魔の‘苦しみ’に耐えられないからだ。
 ‘苦しみ’は感情にほかならない。
人間は自分の感情に従って生きているだけだ。
 生死よりも真偽よりも快不快が優先する。
 感情以外の感覚つまり知覚や五感は、感情に較べれば問題外だ。
  不快な生よりも快な死のほうがいい。早く安楽死を認めるべきだ。
  楽しければ、空想(例えば、アニメやマンガ)でも現実でもどっちでもいい。

  とは言え、絵に描いた餅より、食べられる餅のほうがいい。
  空想の喜びなんかより、実在の喜びのほうがいい。
  マンガが読めることよりも、働かないで暮らせるほうがずっといい。
  人間が本当に喜べるのは、空想ではなく実在なのだ。
  空想は実在からの逃避にすぎない。
  言葉だけの喜びは青ビョウタンの負けイヌのキチガイの喜びだ。
  心は実在の世界のみを対象とすべきだ。

心が実在に作用することによって実在を心に従え、反対に実在が心に反作用することによって、心が実在に従う。【哲学V原理】
 人間の心は多くの感情からなる。
 ほんらい感情は完全に実在的なのではなく、感情をそのまま肯定することは実在の世界を否定することになる。
 例えば、‘仕事をしないで暮らしたい’感情は実在において完全に実行しようとすると収入がなくなり、自分が生きていけなくなる。かと言って、まったく満足されないのではこれまた疲れてくたばってしまう。
  ‘仕事をしないで暮らしたい’感情は、実在においては部分的に満足される。(私の場合は約60%の満足度である。)感情の満足度は多ければいいに決まっているが、現実においてはあまり満足されないことが多い。
 このように、人間は対立する自分の心と実在の両方を受け容れながら生きていかねばならない。 

実在と感情の対立を強めると、精神病になる。
 自分の本当の心を受け容れないのが躁鬱病で、反対に
 実在の世界を受け容れないのが分裂病である。

空想の世界は狂った心の原因になる。
 空想の実在が分裂病を、空想の心が鬱病を引き起こす。
 両者は“反対の”関係にある。だから、精神病はこの二つの病気しかない。

「幸せの塔」計画
 快感を荷う感覚子(=快感子)が存在する。
 快感子を地球全体に放射すれば、全人類が幸福になれる。
 お金に余裕のある方は、以下の口座にご入金をお願いします。
  ジャパンネット銀行
  店番号:001
  口座番号:1790529

   ↑なにに似てるかわかるかな?答え


もっと詳しく知りたい方は、哲学絵日記哲学日記記録を見られるとよいでしょう。
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