[9901] 私は言う人ではない。 h22.3.31
私は書く人だが、言う人ではない。
私が書くのは、学生時代からの習慣だからである。書いて考えたほうが、考えが発展するからである。
言うのが好きなのはキリスト教徒である。なぜなら、キリストが大衆の前で演説したからである。ヨーロッパ人が言うのが好きなのはそのためである。
釈迦も演説したが、演説の内容となんか似合わない。『サイの角のようにただ独[ひと]り歩め』とは自分の心の中で言う言葉であって、みんなの前で言える言葉ではない。教祖がそんなことを言ったら、信者は「それなら、お前ひとりで宗教やれや」と思って、教祖のもとから全員立ち去ってしまうだろう。だから、実際には釈迦は演説していない。だから、仏教徒は演説しないのである。私は中学生の頃まで日蓮宗に入っていたから、私は演説しないのである。
学校や大学の講義は、ほとんど全部他人が考えたことを言っているだけである。言うことは誰でもできる。だから、言うよりも考えるほうが大事だ。
[9902] 政府はなぜ国家宗教をやるか? h22.3.31
政府は民主主義の政治機関である。
政府は多数決の原理で動いている。
ところが、国民の大半が宗教を「人間が神に従うことだ」と誤解している。
そこで、政府は国民の誤解に従って、国家宗教をやっているのである。民主主義には‘正しさ’がないから、たとえ国民の誤解であっても、政府はそれを実行するのである。実際には、いくら「人間が神に従っても」何にもならないから、政府は無駄[むだ]なことをやっているだけである。政府は国家宗教で国民に嫌なことをして国民を虐[いじ]めている。
実際には、宗教とは、『ある特定の政策を支持すること』である。つまり、宗教とは政治のことである。宗教団体とは政治団体のことである。神とは『ある特定の政策を執行する人』のことである。つまり、神とは政治家のことである。だから、政治家の政策を支持する人はその政治家に従うが、支持しない人は従わない。つまり、神(政治家)にすべての人間が従わねばならないのではなく、神(政治家)の政策を支持する者だけが従えばいいのである。社会科が好きな人にとっては、政治活動に参加することが楽しいのだろう。
国民が早く宗教や神についての誤解を改めて、政府が国家宗教をやらなくなればいい。
いっそのこと、政府が潰れたほうがいい。
[9903] 正しくないことをする政治機関☆ h22.3.31
政府は正しくないことをする政治機関である。
なぜなら、政府と幕府は反対で、幕府は正しいことをする政治機関だからである。かつて政府が植民地政策をやったのは、植民地政策が他人の物を分捕[ぶんど]ることであり、道徳的に正しくないことだからである。たしかに政府は日本を開国して日本の近代化をやったが、それはすべて植民地政策のためだったのである。
民主主義は、政府が正しくないことをするための言い訳[いいわけ]である。政府は自分が正しくないことをするために、民主主義を逆手[さかて]にとって大勢の国民に政府と同じことをさせているのである。
例えば、政府が出鱈目[でたらめ]な政治をするために、日本中に競馬場やパチンコ店を建てて国民に出鱈目なことをさせている。
例えば、政府が国家宗教をするために、日本中に国家宗教の信者を置いている。日本の国家宗教に教義はないが信者がいるのは、政府が国家宗教をやるためである。ここでの国家宗教とは、政府が勝手に神を決めて神に因[ちな]んで変なことをすることである。
つまり、政府は民主主義の政治機関ではないのである。政府は正しくないことをする政治機関である。
政府は正しくないことをする政治機関だから、政府があることは正しくないことだから、政府は国民に税金を払えと言うのである。
政府は正しくないことを国中に広めて国を荒らす機関である。政府に支配されると国民が生きていけなくなる。政府がある国ではまちがった人間が優遇[ゆうぐう]され、正しい人間が虐待[ぎゃくたい]される。だから、かつて中世の日本では国民が政府を倒したのである。したがって、今の国民も早く政府を倒して、幕府のような正しいことをする政治機関を作らなければならない。
『禍福[かふく]はあざなえる縄のごとし。』と言う。禍[わざわい]とは政府の時代であり、福とは幕府の時代である。国民にとっては政府の時代は地獄である。だから、国民は政府を早く倒さなければならない。
[9904] 悪いこと主義☆ h22.4.1
幕末の日本では、日本人みんなが悪い植民地政策をするために、それまでの善[い]いこと主義から悪いこと主義に変えた。
日本政府は、日本人みんなが悪いこと主義をするために作った政治機関である。日本政府は、日本人みんなが日本を悪いことができる国にするために作った政治機関である。
悪いこと主義は政府だけでやるのではなく、政府と国民がいっしょになって国中のみんなでやることである。
だから、政府のある国では、国民みんなが悪いことができるのである。政府のある国は悪いこと主義の国だから、国民みんなが正しくないことをしてもいいのである。国民みんなが法律そっちのけで自分の好き勝手に何をやってもいいのである。
だから、例えば、日本人みんなが悪いことをしたくて日本政府を建てたが、自分は正しいことがしたくてみんなが邪魔だから、日本政府に悪いことができる国を作らせないために政府に税金を払わなくてもいいのである。
悪いこと主義の国では、政府には国民に対する強制力なんかないのである。悪いこと主義の国では、みんなが悪いことができるから、他人の命令なんか聞かなくてもいいのである。
何事も、‘正しさ’がなければ成り立たない。「1+1=2」も成り立たない。だから、‘正しさ’のない国では、社会が成り立たず、人生も成り立たなくなって、誰も生きていけないのである。
だから、もうここらへんで日本人は悪いこと主義を諦[あきら]めて、もとの善いこと主義に戻すべきである。政府を倒して幕府に戻すべきである。すなわち、悪いこと主義の政治機関を倒して善いこと主義の政治機関に戻すべきである。
[9905] 善い国を作る政治機関と悪い国を作る政治機関 h22.4.1
今の日本には政府すなわち悪い国を作る政治機関しかない。
そのために、日本が一直線に悪い国に向かって進んでいる。
このままではいけない。
日本人が生まれながらに政府にしか入れないのではあまりにも自由がない。
日本人に選択の余地を与えなければならない。
つまり、日本に幕府すなわち善い国を作る政治機関と政府すなわち悪い国を作る政治機関の両方を作り、国民が自分が好きなほうに入ることにすればいい。ここで、善い国とは‘正しさ’のある国のことであり、悪い国とは‘正しさ’のない国のことである。
政治機関は自分が国民からもらった政治費用の分だけ政治活動をすればいい。
かつて中世の日本でも、幕府と政府が併存[へいぞん]していた。
国民は幕府か政府かどちらか一方の政治機関に入って政治機関に税金を払って政治機関の活動を助けていたはずである。
国民が幕府に入ろうが政府に入ろうが国民の自由である。日本を‘正しさ’のある国にしたい者は幕府に入り、日本を‘正しさ’のない国にしたい者は政府に入ればいいのである。
しかし、同じ税金を払うとすれば、やはり政府よりも幕府に払ったほうがいいのではないだろうか。
実際に、そうやって中世の日本では結局幕府が政府に勝ったのだろう。
[9906] 政府と宗教団体の結びつき☆ h22.4.2
宗教団体は、宗教を「神に人間が従わなければならないこと」とまちがった解釈をして、神に因[ちな]んだ悪事を犯している。[[9893]
参照。]
宗教団体が宗教についてのまちがった解釈ができるのは、政府が‘正しさのない国作り’をしているからである。
だから、政府がなくなれば、宗教団体も悪事ができない。
宗教の信者は、政府が正しさのない国作りをしていることを知って、わざとに宗教をまちがって解釈して悪事をしている。
だから、宗教の信者も政府と同じように‘正しさのない国’を望[のぞ]んでいる。
[9907] 信者には給料を払うな! h22.4.2
信者の理想とする国は、‘正しさ’のない国である。
しかし、実際には、そんな国では人間は生きていけない。
信者はまちがった哲学を信じている。要するにキチガイである。
バカは死ななきゃ治らない。
だから、信者は片っ端[かたっぱし]から殺してやればいい。信者は他人に殺されても正当防衛だから文句は言えない。
信者は‘正しさ’のない国が好きなのだから、労働契約を破って信者の給料を払わないでやればいい。税金も公務員の給料だから、税金も払わないでやればいい。そうすれば、信者も公務員も‘正しさのない世界’がどんなものかがわかるだろう。(←最後の文は、誰かがテレパシーで私に言った言葉である。)
[9908] なぜ政府は偉そうにするのか? h22.4.2
政府は国家権力を振りかざして国民に対して偉そうにしている。
ところで、政府は正しさのない国を作る機関である。
だから、良識のある国民は政府を支持しない。正しさのない国では人間が生きていけないからである。
だから、『権力の法則』(つまり、政治機関の権力は国民の支持に比例する)によって、政府に権力はない。
したがって、政府は本当は国民に対して偉そうにできない。
しかし、それは正しさのある国において通用することである。
政府は正しさのない国を作っているのだから、正しさのない国においては真実が通用しないから、政府は本当は誰も支持する者がなく権力がないのに嘘[うそ]で国民みんなに支持されて強い権力があることにして国民に対して偉そうにしているのである。
政府はしょうもない奴[やつ]だ。相手にする価値がない。
つまり、実際には、政府には権力がないのである。政府は空威張[からいば]りをしているだけである。だから、国民は政府に逆[さか]らってもかまわない。そんなクズ機関はさっさと潰[つぶ]れたほうがいい。
実際には、戦後から国民は政府を無視している。政府は正しさのない国を作る機関だから、これまで嘘をついて国民を支配しているふりをしていたのである。また、実際には、国民の大半は政府に税金を納めていない。政府は嘘をついて国民みんなが税金を納めていることにしていたのだ。また、実際には、政府はすでに潰れている。政府は嘘をついて潰れていないふりをしていたのだ。
[9909] 日本は法律のない国だ。☆ h22.4.2
日本政府は正しさのない国を作る政治機関である。
だから、日本国民は法律を守らなくていい。なぜなら、法律を守ることは正しいことだからである。
だから、日本は法律のない国である。
しかし、そんな国では生きていけない。
だから、政府がないほうがいい。
政府があって法律がないよりも、政府がなくて法律があったほうがいい。
日本には幕府のような正しさのある国を作る政治機関が必要である。
政治機関に国民が従うことは正しいことだから、正しさのない国では政治機関に国民が従わなくてもいい。つまり、政府に国民が従わなくてもかまわない。正しさのある国では政治機関に国民が従わなければならないが、正しさのない国では政治機関に国民が従わなくてもかまわない。政府自身がこのことを一番よく知っている。だから、政府自身もこのことを認めざるを得ない。
国民が政治機関に税金を払うのは正しいことだから、正しさのない国では国民が政治機関に税金を払わなくてもかまわない。したがって、政治機関は収入を失って潰れるしかない。
[9910] 政府は実現できない政策をする機関である。 h22.4.2
政府は正しさのない国を作る機関である。
正しさのない国では、国民が正しいことをしなくていい。
正しさのない国では、国民は法律を守らなくていい。
正しさのない国では、国民が生きていけない。
だから、正しさのない国を実現することはできない。
政府のやっていることはかなわぬ願いである。
「正しさのない国を作る」ことを政策と捉[とら]えれば、それは実現できない政策である。
だから、政府は想像の国の政治機関であって、実在の国の政治機関ではない。
国民は「正しさのない国を作る」ことを政策とすべきではない。「正しさのない国を作る」政策の中に、「他人に働かせて自分は遊んで暮らす」政策や「他人の物を分捕[ぶんど]って自分は遊んで暮らす」政策があったのである。それらはみな、実現できない政策である。
政府は「正しさのない国を作る」政策を執行[しっこう]する政治団体である。だから、政府を国の政治団体とすべきではない。
[9911] 政府は成り立たない。 h22.4.2
政府は正しさのない国を作る政治機関である。
政治機関に国民が従うことは正しいことだから、政府のある国では国民が政府に従わなくてもかまわない。
しかし、それでは、政府が政治機関として働かない。
だから、政府は成り立たない。
政府の存在自体に矛盾がある。政府が政府であることは正しいことだから、正しさのない国ではもはや政府は政府ではない。
したがって、政府は存在できない政治機関である。
政府は自[おの]ずから潰れるしかない。
正しさのない国は正しさのない国であるのが正しいことだから、正しさのない国では正しさのない国は正しい国でなければならない。しかし、それでは、正しさのない国が正しさのある国であることになって矛盾する。だから、正しさのない国は実現できないのである。したがって、国民は「正しさのない国を作る」ことを政策とすべきではない。だから、政府を国の政治機関としてはならない。
[9912] スポーツする心 h22.4.2
スポーツが好きな者は、頭が曖昧[あいまい]である。
頭でわかることがないから、身体[からだ]を動かしているだけだ。身体なら眼で見ただけでわかるからだ。
身体を動かすのが好きな者は、頭で考えるのが嫌いだ。頭は身体の出っ張り[でっぱり]にすぎない。スポーツ好きな者にとっては、人間とは動く皮袋[かわぶくろ]にすぎない。
考えることをなめているから、身体を動かしたがるのだ。
[9913] 科学VS政府 h22.4.3
科学は正しさのある国を作ろうとする。
政府は正しさのない国を作ろうとする。
幕府は正しさのある国を作ろうとする。
日本の近代化がアジアの中でも早かったのは、江戸時代に幕府が正しさのある国を作っていたからである。もしも、江戸時代に政府が政治をやっていたら、日本の近代化はずっと遅れたことだろう。
ヨーロッパやアメリカは先進国で文明国で正しさのある国だから、ヨーロッパやアメリカの政治機関はなんだかんだ言ってもやはり幕府のような哲人政治の政治機関なのである。ヨーロッパやアメリカでは国家宗教は国民の残党が細々[ほそぼそ]とやっているだけである。つまり、ヨーロッパやアメリカの政府は名前が政府なだけでじつは幕府なのである。
国の文明が進めば進むほど、真実主義の国民が増え、まちがい主義の国民が減る。文明国では、科学の利器[りき]が多いが、科学の利器は正しさ主義で作られているので、まちがい主義では折り合いが悪くて生きていけないからである。
だから、文明の進んだ国では、政治機関はまちがい主義よりも真実主義の傾向がある。そうでなければ、政治機関が国民の支持が得られないからである。国民の支持が得られない政治機関は、国民が政治機関に従わず政治機関としての働きがなくなるからである。
したがって、文明が進んだ国では、政治機関は幕府のような正しさ主義の政治機関になる。政府のようなまちがい主義の政治機関は国民の支持が得られなくなって滅びるのだ。
科学は正しさのある国を作ろうとする。
政府は正しさのない国を作ろうとする。
幕府は正しさのある国を作ろうとする。
科学と幕府は同じ正しさのある国を作ろうとするので共存できるが、科学と政府はそれぞれ正しさのある国と正しさのない国のように違う国を作ろうとするので共存できない。だから、科学のある国では、政府はやっていけず、幕府しかやっていけない。それとも、国の政治機関を政府にするために、科学をやめるとでも言うのだろうか?
[9914] まちがい主義 h22.4.3
昔の人は、人間の認識が世界を作ると思っていたので、まちがい主義を採った。
しかし、その結果出来たのは地獄だった。
人間がまちがい主義を採ると、国が滅亡するだけで、人間の願いがかなうわけではない。
正しいかまちがいかは実在によって客観的に決まっているのであって、まちがい主義は実在に反する主義なので、人間がまちがい主義を採ると逆に実在によって人間が滅ぼされるのである。
人間の認識が世界を作るのではない。もし、そうなら、ガリレイがピザの斜塔で実験をしたとき、重たい鉄の玉が軽い木の玉よりも早く落ちたはずである。しかし、実際には、両方とも同じ速さで落ちた。だから、世界はもともと客観的に決まっていて、人間はただ世界を認識するだけである。人間には世界を作り出すほどのことはできない。人間は世界を知り、世界の法則の範囲内で世界を変えることしかできない。
[9915] 日本は幸福な国になるか? h22.4.3
政府は正しさのない国を作る政治機関である。
国民が幸福になることは正しいことだから、正しさのない国では国民が幸福にはなれない。
だから、日本に政府があるかぎり、国民は幸福にはなれない。
[9916] 日本は犯罪者天国である。 h22.4.3
政府は正しさのない国を作る政治機関である。
犯罪者を罰するのは正しいことだから、正しさのない国では犯罪者が罰せられない。
だから、日本は犯罪者天国なのである。
[9917] 日本神道とは何か? h22.4.3
政府は正しさのない国を作る政治機関である。
日本は犯罪者天国だから、誰でも悪いことができる。警察は犯罪を見て見ぬふりをしている。
日本神道とは、日本の神を元ネタにして悪事を働く集団である。日本神道とは、日本の神に因[ちな]んだ悪事を働く集団である。
ちなみに、キリスト教とは、ヨーロッパの神を元ネタにして悪事を働く集団である。キリスト教とは、ヨーロッパの神に因んだ悪事を働く集団である。
普通の人は必要でないかぎり悪事をしないが、宗教の人は宗教に入っているために必要でなくても悪事をするので、宗教の人のほうが普通の人よりも悪人である。
[9918] 日本ではどうして犯罪が少ないのか? h22.4.3
日本で犯罪が少ないのは、日本の警察が犯罪を見て見ぬふりをしているからである。
ヨーロッパやアメリカの政府は正しい主義の政治機関だから、警察が真面目[まじめ]に仕事をしているので、警察が犯罪をちゃんと取り締[し]まるので、犯罪が多いのである。
つまり、客観的な犯罪発生率は日本でもヨーロッパやアメリカでも変わらないが、日本の政治機関がまちがい主義の政治機関であるために、日本では犯罪者が野放しだから、見かけの上で犯罪が少ないように見えるのである。日本では、警察に捕[つか]まる犯罪者は仕返しされるのを恐れて自首した者だけである。
[9919] ヨーロッパやアメリカではどうして植民地政策をやめたのか? h22.4.3
ヨーロッパやアメリカでは植民地政策をやるためにまちがい主義を採[と]っていた。
まちがい主義を採ると、国内で犯罪が増えて問題になった。つまり、まちがい主義は諸刃[もろは]の剣[つるぎ]だったのだ。外人は主義に忠実なので、国がまちがい主義をやっていると、真面目[まじめ]に犯罪を犯すのである。
それで、ヨーロッパやアメリカの人々は国内の犯罪を減らすために、まちがい主義をやめて正しさ主義に変えたのである。政治機関もまちがい主義から正しさ主義に変わったのである。
そのために、植民地政策もやめなければならなくなったのである。
[9920] 政府に税金を払ってはいけない。 h22.4.3
政府はまちがい主義の政治機関である。政府は日本をまちがったことが通用する・正しいことが通用しない国にしているのである。
国民が政治機関に税金を払うのは正しいことだから、まちがい主義の国では国民は政治機関に税金を払ってはいけない。
だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。したがって、政府は収入を失って潰れるしかない。それは、そもそも政府がまちがい主義の政治機関だからである。自業自得だ。
まちがい主義の国は国内で犯罪が増えて滅びるしかない。だから、日本は早くまちがい主義から正しさ主義に改めなければならない。政治機関も正しさ主義にしないと国民が税金を払ってくれない。まちがい主義の政府は日本のために自決しなければならない。
[9921] どうして日本ではしょっちゅう札[さつ]のデザインが変わるのか? h22.4.3
日本では国民が政府に税金を払ってはいけない。
だから、政府の収入がない。
だから、政府は印刷機で札を作って自分の収入を稼[かせ]いでいるのである。
だから、日本では札[さつ]のデザインがしょっちゅう変わるのである。
[9922] 『英雄色を好む』とは? h22.4.3
非行の原因は性欲である。性欲に走ったから、頭で考えるのを放棄したのである。
性欲に狂った者が非行の道に走るのである。
政府はまちがい主義の政治機関である。だから、非行の道に走った者は、政府では出世できる。
反対に、幕府は正しさ主義の政治機関である。非行の道に走った者は幕府では出世できない。
『英雄色を好む』の英雄とは、政府の英雄であって、幕府の英雄ではないのだ。
[9923] 「後生[ごしょう]だから」 h22.4.3
「後生だから」とは、日本で無理な願いを他人に頼む時に使う言葉である。
「後生だから」は、日本神道の概念である。
仏教では輪廻転生[りんねてんせい]を信じるから人間は死んでもいくらでも生まれ変わるから後生があるが、日本神道では人間は身体が生きているうちしか生きていないから後生がないのである。つまり、「後生だから」とは「後生がないから」すなわち自分の身体が死んだら終わりだからという意味である。
[9924] 政府は道具である。 h22.4.4
政府は正しさのない国を作る政治機関である。政府はまちがい主義の政治機関である。
だから、国に政府があると、国民は自由に悪いことができる。
宗教の者達にとっては政府は自分たちが悪いことをするためにある。[[9906]
参照。]
いわば、政府は道具である。
宗教の者にとって政府は道具として役に立つから、宗教の者達は政府を強く支持しているのである。[宗教の者達はうわべでいい人のふりをしているだけで本音[ほんね]は意地糞悪[いじくそわる]である。]
他[ほか]にも、自分たちが悪事をするために政府を利用している者達がたくさんいる。その者たちも政府を支持している。
政府は国中の悪事をする者たちによって支持されている。だから、政府にはそこそこの権力がある。
しかし、その他[た]の悪事をしない者たちにとっては政府は何の役にも立たない。悪事をしない者たちは政府を支持しない。だから、悪事をしない者は政府と縁[えん]を切って暮らせばいい。政府は悪事をする者にとっての政治機関だから、その他の者は関係ない。
[9925] 無政府主義 h22.4.4
政府は正しさのない国を作る政治機関である。政府はまちがい主義の政治機関である。
だから、政府がある国では国民が自由に悪事をしていいから、宗教の者達や他の悪人達が悪事をする。
反対に、政府がなければ中立になる。国民は自分の判断で行動しなければならなくなる。
だから、宗教の者達や他の悪人達は政府のせいにして悪事ができなくなる。必ず自分の責任で悪事をしなければならなくなる。
したがって、政府がなくなると、国から悪事が減る。無政府主義では悪事が減る。政府は悪事の触媒のようなものである。
さらに改善を望む者は、正しさのある国を作る政治機関・正しさ主義の政治機関を国に設[もう]ける必要がある。自分で物事の善悪を考えるのが面倒臭い者が多ければ、そういう機関が出来るだろう。
[9926] 『泣いた赤鬼』 h22.4.4
『泣いた赤鬼』では、赤鬼が善[い]い者で、青鬼が悪者[わるもの]である。青鬼も本当は善人である。赤鬼も青鬼も両方とも善人である。赤鬼が政府で、青鬼が宗教団体(日本神道)であると考えられる。つまり、戦後の政府は戦争を日本神道のせいにして戦後に天皇を辞[や]めさせることによって自分が善い子[よいこ]になろうとしたのである。
しかし、実際には、政府は正しさのない国を作ろうとしている悪者で、宗教団体は政府のせいにして宗教に対してまちがった解釈をして悪いことをしている悪人である。つまり、政府も宗教も両方とも悪人である。しかも、日本政府と日本神道は同一団体である。
『泣いた赤鬼』の構図と現実とは全然合っていない。だから、『泣いた赤鬼』は出鱈目[でたらめ]な作り話である。
[9927] どうして今の日本では犯罪が少ないか? h22.4.4
中世の日本は大荒れだった。人殺しや強盗が日常茶飯事[にちじょうさはんじ]だった。
つまり、中世の日本は犯罪が多かった。他国と比べても多かったはずである。
だから、日本人の道徳性が特に優れているわけではない。
政府が国の政治機関をしていた時代には、日本は犯罪大国[たいこく]だったのである。
だから、今の日本が犯罪が少ないのは、江戸時代があったからである。江戸時代には幕府が国の政治機関をやっていて、幕府は正しさ主義の政治機関だったので、日本は正しい国だったのである。その頃に、日本の犯罪は大幅に減少したのである。
[9928] ソクラテスは国家を崇[あが]めるか? h22.4.4
国家を崇めることは、国民を崇めることである。
国民を崇める者が国民に自分の考えを説いたりするはずがない。
国民を崇める者なら他人の言いなりになって自分で考えたりするはずがない。
だから、ソクラテスが国家を崇めることはない。
だから、ソクラテスが国法を守るはずがない。
ソクラテスなら、自分が罰せられる前に国を脱出しただろう。
だから、『クリトン』も『ソクラテスの弁明』も贋作[がんさく]だ。
『クリトン』はプラトンが書いたにしてはやたらに短いし、『ソクラテスの弁明』はプラトンは対話法で書くはずなのに独話法で書かれている。
アテネ政府はまちがい主義の政治機関だったから、プラトンの贋作を作らせて政府の権威を守ろうとしたのだろう。そうしなければ、政府がソクラテスに負けっぱなしだ。アテネ政府の権威を守るためには、どうしてもまちがいが正しさに勝たねばならなかったのである。
[9929] なぜ最近の囚人は待遇がいいのか? h22.4.4
最近の刑務所はハイテク化が進んでけっこう居心地がいい。私の住んでいる部屋よりもいい。
それは、政府がまちがい主義の政治機関だから、まちがいを犯した犯罪者を優遇するからである。
反対に、真理を研究している学者の待遇は年々悪くなる。真面目[まじめ]に働く者が冷遇される。最後には正しい者が刑務所に入れられるようになる。[ガリレイが蟄居[ちっきょ]させられたのも、ガリレイの研究が正しいと考えられたからである。当時はまちがい主義の政府がヨーロッパを支配していたので、正しい研究をしたガリレイが罰せられたのである。ニュートンは『プリンケピア』という正しい物理学の本を書いたのでイギリス政府によって殺されたのである。最近ガリレイの宗教裁判がやり直されてガリレイが無罪になったのは、最近のヨーロッパの政治機関が正しさ主義の政治機関になって、キリスト教がただの福祉政策を支持する会になったからである。]
政府があると正しい者が損をしてまちがった者が得をするヘンテコな社会になる。
だから、政府をなくさなければならない。
[9930] 知覚的認識の方法 h22.4.5
概念は経験を分析して得られる。概念は経験をバラバラに砕[くだ]いて得られる。だから、言葉は“事の端[は]”なのである。
概念を組み合わせて、実在する対象と同じものを作る。
概念の組み合わせが実在の対象と違っていれば、概念の組み合わせを変えてやり直す。
そうして、概念の組み合わせが実在する対象と同じになるまで修正を繰り返す。
概念の組み合わせが実在の対象と同じになったとき、それが実在の対象についての『正解』である。
例えば、私が『政府がまちがい主義の政治機関である』ことがわかるまでに約5年を要した。『政府がまちがい主義の政治機関である』ことから、「国民は法律を守らなくていい」「国民は政府に従わなくていい」「国民は政府に税金を払わなくていい」などの法則が導かれる。[[9909]参照。]
しかし、普通の人は「政府が民主主義の政治機関だ」と思っている。いくらその仮定に反することがあっても、自分の政府についての仮定を直さずに、政府のまちがいだと思って安易[あんい]に納得している。だから、認識が進歩しないのだ。政府はいやしくも国家公務員だから、論理的にまちがいを犯すはずがない。だから、政府のまちがいにしてしまうのはいけない。
徳川家康が『政府論』について書く暇があったら、私がいちいち書かずに済んだのだが、あいにく家康は忙[いそが]しかったので書けなかったのだ。だから、私が家康の代わりに考えて書いてやったのだ。
[9931] まちがい主義は自由主義である。 h22.4.5
論理学では、F⇒Tは真だが、F⇒Fも真である。
つまり、まちがいからは正しさもまちがいも出て来る。
つまり、まちがい主義では、正しいこともまちがったことも許される。
つまり、まちがい主義の国では、国民は正しいこともまちがったことも両方やっていい。[ガリレイやニュートンの頃はまだまちがいしか許されず正しいことを唱[とな]えた者は罰せられたが、その後論理学が発達して正しさも許されるようになったから、今のヨーロッパがあるのだ。今は世界的にまちがい主義の国ではまちがいも正しさも両方とも行けるのだ。]
例えば、「国民は法律を守っても守らなくてもいい」「国民は政府に従っても従わなくてもいい」「国民は政府に税金を払っても払わなくてもいい」ことになる。
つまり、国民は何をやっても自由である。
例えば、政府が国民に戦争に行けと言っても、国民は自分が戦争に行くのが嫌なら行かなくてもいいのである。
[9932] まちがい主義は民主主義である。 h22.4.5
まちがい主義は自由主義である。
自由主義では、国民一人一人が好き勝手なことをやっていい。つまり、自由主義は民主主義である。
だから、まちがい主義は民主主義である。
まちがい主義では、国が無秩序だから、国民はみんな平等である。[だから、政府と国民も平等である。]
まちがい主義では、国民一人一人が勝手だから、大勢に合わせる必要はない。つまり、多数決の原理はない。[本来多数決はまちがい主義の国でまちがいを決めるための方法であるが、まちがい主義の国では国民一人一人が好き勝手にやればいいので多数決は要らないのである。]だから、国会も警察も要らない。だから、国会も警察もあるだけで、実際には機能はない。
[9933] 正しさ主義は強制主義である。 h22.4.5
論理学では、T⇒Tは真だが、T⇒Fは偽である。
つまり、正しさからは正しさしか出て来ない。
つまり、正しさ主義では正しいことしか許されない。
つまり、正しさ主義の国では、国民は正しいことしかやってはいけない。
例えば、「国民は法律を守らなければならない」「国民は政治機関に従わなければならない」「国民は政治機関に税金を払わなければならない」ことになる。
つまり、国民は正しいことには強制的に従わなければならない。
例えば、国が戦争をやることが正しければ、たとえ自分が戦争に行くのが嫌でも行かねばならない。
[9934] 正しさ主義は哲人主義である。 h22.4.5
正しさ主義では、国民は正しい考えを持った者の正しい考えに従わなければならない。
もっとも、それでも国民には若干の自由がある。国民は正しい決まりを守った上で、自由に自分の好きなことをやっていい。
正しさ主義では、正しい者が強いのであり、正しい者にまちがった者が従わなければならない。だから、正しさ主義では正しい者が優位であり、人間は平等ではない。
正しさ主義では、大勢のまちがった者よりもひとりの正しい者のほうが強い。大勢のまちがった者がひとりの正しい者に従わなければならない。つまり、多数決の原理はない。
[9935] 正しさ主義の政治には議会が要る。 h22.4.5
政治には、正しさ主義の政治とまちがい主義の政治の2つしかない。
正しさ主義の政治では、国民が政治機関に従わねばならない。
正しさ主義の政治では、政策が正しくなければならない。
正しさ主義では哲人が正しい政策を作ればいいだけだから、議会は要らない。
しかし、それはあくまでも、哲人個人の考えが完全に正しいとした場合である。
実際には、哲人の考えにもまちがいがあるのであり、哲人の独断と偏見によるまちがいの発生を防ぐ必要がある。
そのためには、複数の哲人による議会が要るのである。つまり、正しさ主義の政治には議会が要る。代表者の哲人は伊達[だて]に置いているだけであって、実際には複数の哲人が議会をやって政策を決めているのである。
反対に、まちがい主義の政治では、国民が政治機関に従う必要がないから、議会は要らない。まちがい主義の政治では、国民が自由放任[ほうにん]であり、国民が法律を守らないから、国会も警察も要らない。
[9936] 政府は国民に税金を払わせられるか?! h22.4.5
政府のある国はまちがい主義の国である。まちがい主義の国では、国民みんながまちがい主義をやるために政府を建てたのである。政府はまちがい主義の象徴である。
まちがい主義の国では、まちがいも正しさも両方とも行ける。まちがい主義の国では、政府や国民はまちがったことをしてもいいし正しいことをしてもいい。
ところで、国民が政治機関に税金を払うのは正しいことである。
だから、まちがい主義の国では、政府が国民に税金を払うように催促[さいそく]することも催促しないこともできる。だから、政府は自分に有利にするために国民に税金の支払いを催促する。
しかし、国民もまた政府に税金を払おうが払うまいが自由である。だから、政府から税金の支払いの催促をもらってもそれを無視して払わなくてもいいし、それを真[ま]に受けて払ってもいい。だから、国民は自分に有利にするために政府の催促を無視して税金を払わない。
したがって、政府は税収を失って経営できない。そもそもまちがい主義では人間は生きていけない。まちがい主義の国は滅亡する。だから、まちがい主義の国では、国民はまちがい主義を捨てて正しさ主義に改めるべきである。
[9937] 徳川家康は天皇である。 h22.4.5
外国では徳川家康が天皇だと教えられている。
それは、外国の政府が自分の権力を守るためである。「日本で政府が幕府に倒された」ことが国民に知られると、政府を倒そうとする国民が現れるかもしれないからである。
外国の政府もまちがい主義の政治機関なので、国民にまちがいを教えてもかまわないので、徳川家康を天皇と言うことにしたのである。
[9938] 政治機関の安定性 h22.4.5
まちがい主義の政治機関では、政治機関に国民が従うことは正しいことだから、国民が政治機関に従わない。政治機関に国民が税金を払うことは正しいことだから、国民が政治機関に税金を払わない。
したがって、まちがい主義の政治機関は安定に存在できない。
安定に存在できる政治機関は、正しさ主義の政治機関だけである。正しさ主義の政治機関なら、国民は政治機関に従うし、政治機関に税金を払う。
政治機関が政治機関として正常に機能するためには、国民はまちがい主義をやめて正しさ主義にしなければならない。国民が暮らしやすいのはまちがい主義の国ではなく正しさ主義の国である。まちがい主義の国では、国民みんながヤクザである。そんな国で一体どうやって生きていけばいいのだろう?まちがい主義の国では、わけのわからない決まりがいっぱいできる。これでは、かえって煩[わずら]わしい。
国にまちがい主義の政治機関を置いておけばまちがい主義の国になるように、国に正しさ主義の政治機関を置いておけば正しさ主義の国になる。だから、同じ置くならまちがい主義の政治機関ではなく正しさ主義の政治機関にしたほうがいい。お金の問題ではない。国が悪い国になるか善[よ]い国になるかの問題だ。国が善い国になるなら、多少高くても国民は税金を出すはずだ。反対に、国が悪い国になるなら、むしろ税金は払わないほうがいい。
[9939] 日本は正しさ主義の国だ。 h22.4.6
日本で幕府が出来たのは、日本には正しさ主義を支持する者が多かったからである。
外国で幕府が出来ないのに、日本で幕府が出来たのは、日本には真理を尊[たっと]ぶ者が多いからである。
それは日本人の特性である。
日本に犯罪が少ないのも日本人が真理を尊ぶからである。
たしかに、日本にもまちがい主義の者がかなりいる。彼らが政府を支持しているから政府が存在しているのである。政府が存在しているからまちがい主義の者が幅を利かしているのである。
正しさ主義の国を作るためには政府を倒さねばならない。
政府は偽善で正しさ主義の政治機関に見せかけているが、実際にはまちがい主義の政治機関である。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政治機関に国民が従うことは正しいことだから、国民が政治機関に従わないくていいし、政治機関に国民が税金を払うことは正しいことだから、国民が政治機関に税金を払わなくてもいい。
だから、正しさ主義を支持する国民は政府に従わず、政府に税金を払わずに、さっさと政府を潰してやればいい。政府が潰れれば、その後[あと]に正しさ主義の政治機関が出来て、日本が善[よ]い国になるだろう。
[9940] まちがい主義は成り立たない。 h22.4.6
いくら悪人でもまちがいばかりでは生きていけない。多少は正しいことをしないと、実在の中では生きられない。
だから、実際には悪人も正しいことをかなりたくさんやっている。
だから、いくらまちがい主義と言っても、実際には大部分が正しい主義である。
まちがい主義は口先がでかいだけだ。まちがい主義は、本当は正しい主義なのだ。
それなら、まちがい主義を支持して自分のまちがいを直さないよりも、正しさ主義を支持して自分のまちがいを直したほうがいい。自分がまちがいを犯すのをまちがい主義で正当化してはいけない。
[9941] 人間は原則的には正しさ主義でなければならない。 h22.4.6
正しいとは実在と同じことである。
人間は実在の中で生きているから、人間は正しくなければ生きられない。
人間は原則的には正しさ主義である。
だから、国の政治機関は原則的には正しさ主義の政治機関でなければならない。
しかし、人間は時にはまちがったことをすることもある。それは、状況によってはまちがったことをしたほうが自分にとって有利になることがあるからである。
だから、国が植民地政策のようにまちがったことをするときには、正しさ主義の政治機関の建物の隣りに臨時に小屋を建ててそこでまちがった政策をすればいい。そして、まちがった政策が失敗に終わったときには、ただちにその小屋を取り除けばいい。なにも正しさ主義の政治機関をまるごと捨てて、まちがい主義の政治機関に建て直さなくてもいい。そんな大げさなことをすれば、あとで国民が生きていけず、国が滅びることになる。
日本の政治機関の建物は幕府のお城のような綺麗[きれい]な建物でなければならない。政府の建物のような暗い汚い建物ではいけない。
[9942] ヨーロッパはどうしてまちがい主義をやめたのか? h22.4.6
ヨーロッパは中世の頃にキリスト教で誰もが働かなくなり被害を受けた。
ヨーロッパは近代になって日本神道で国内犯罪が増えてこれまた被害を受けた。
ヨーロッパはこれまで2度も宗教で大きな被害を受けている。
そこで、ヨーロッパの人々は宗教(特に日本神道)による被害を食い止めるために、その原因となっている政治機関の「まちがい主義」をやめさせたのである。
だから、今のヨーロッパの政治機関は正しさ主義の政治機関なのである。
日本でも、最近は日本神道のために国内犯罪が増えつつある。だから、日本人はヨーロッパの先進国の人々を見習って「まちがい主義」をやめるべきである。したがって、日本の政治機関は正しさ主義の政治機関とならねばならない。
[9943] 地方分権と中央集権 h22.4.6
人間にとっては「自分のことは自分でする」のが正しいことである。
だから、正しい主義だった江戸時代には地方分権だったのである。[地方分権でも江戸は繁栄したのだ。]
反対に、「自分のことは自分でしない」のはまちがったことである。
だから、まちがい主義の政府の時代には中央集権なのである。「自分のことは自分でする」の“自分のこと”とは“自分の仕事”のことであり、つまり「自分のことは自分でしない」とは、政治機関が政治機関としての仕事をしないことである。つまり、中央集権とは日本中の政治機関が政治機関としての仕事をしないことである。つまり、中央集権とは政府が国民を自由放任にして国民をほったらかしにすることである。つまり、中央集権体制は、国としてはまちがっている体制なのである。政府の時代にはまちがい主義だからわざとにまちがった体制をとっているのだ。だから、中央集権では国がうまく行かないのだ。中央集権は国を滅ぼす体制なのだ。一般に、政府の時代はまちがい主義の時代だから国中でわざとにまちがったことばかりやっているのだ。[昔の人は、この世が正しい時代とまちがった時代を周期的に繰り返すと考えていたから、まちがった時代と考えられた時代にはまちがい主義を真面目[まじめ]にやっていたのだ。しかし、今では実在の世界の法則は時間的に不変だと考えられているから、実在の世界は正しい時代だけしかないから、正しい主義だけにしなければならない。]
「自分のことは自分でする」は、日本が鎖国した理由である。
私もなるべく他人の言葉に頼らず自分で考えることにしている。
ただし、正しい主義では他人の正しい考えを尊重する。
だから、他人の正しい考えを学ぶことも大事である。
しかし、原則的には、他人から学ぶよりも自分で考えるほうが大事である。
[9944] ブラウンのヒゲ剃[そ]りはどうしてヒゲが落ちるのか? h22.4.6
ブラウンのヒゲ剃りは、ヒゲが深く剃れるが、剃ったあとのひげがヒゲ剃りの隙間[すきま]からこぼれてパラパラ下に落ちる。不良品みたいである。
ヒゲは黒い点だから、点は天だから天皇のことであり、つまりヒゲとは神武天皇教(日本神道)のことである。
ヨーロッパでは日本神道のせいで国内犯罪が増えたから日本神道を排除しようとしている。
そのために、ブラウンのヒゲ剃りがヒゲが深く剃れたり、ヒゲがこぼれて下に落ちたりするのである。
[9945] なぜ国鉄と郵便が民営化されたか? h22.4.6
国鉄と郵便はちゃんと仕事をするからである。
「仕事人が仕事をする」のは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府の仕事は仕事をしないことである。
だから、今の政府は仕事をしない人で固めているのである。つまり、公務員は役所に通うだけで仕事をせずに寝ているのである。
まちがい主義の国では、真面目[まじめ]に仕事をする者は首にされたり罰せられたりする。そのお手本を政府が率先[そっせん]して国民みんなに示しているのである。国鉄と郵便は真面目に仕事をするから、政府から首にされて民営化されたのである。
戦前の政府は「植民地政策」しか頭になかったので植民地政策のための近代化のための国鉄や郵便と言うことで国鉄や郵便が真面目に仕事をするのを大目に見ていたが、戦後の政府は植民地政策をやらなくなって植民地政策の基[もと]にある大原理の『まちがい主義』を実施するようになったので国鉄や郵便が真面目に仕事をするのが許せなくなったので首にしたのである。
[9946] 人間としての誇[ほこ]り h22.4.6
人間は大きい脳を持っている。
動物の中で人間だけが正しいことを考えられる。
正しいことを考えるのは人間の誇りである。
正しいことを考えるのは人間の喜びである。
だから、人間は正しい主義であらねばならないのだ。
[9947] なぜ政府は赤字なのか? h22.4.6
「借金をしない」ことは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に対してまちがいの手本を示さなければならないので、政府は借金をして赤字なのである。
[9948] どうして政府に権力があるか? h22.4.7
政府はいつも偉そうにしている。
ところで、『権力の法則』により「国民に支持されない者には権力がない」のが正しい。今の国民の大半は“正しい主義”(“正しい主義”とは、主義のうちの正しいものを指すのではなく、正しいことをする主義のことである。)を支持していて、政府はまちがい主義の政治機関だから、今の国民の大半は政府を支持していず、よって政府には権力がない。つまり、「政府に権力がない」のが正しいことである。
ところが、政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に対してまちがいの手本を示さなければならないので、政府は本当は権力がないから反対に権力があると思って国民に対して偉そうにしているのである。
最近の内閣支持率は30%を切っているが、本当はいつも0%なのである。[国民の大半が政府を支持したのは、幕末の一時[いっとき]だけである。]
「政府が潰れていけない」法律はない。だから、政府は国民みんなのために自分で自分を潰して、早く国民にまちがい主義を広める悪者のいない世の中にすればいい。そうしないと、国民は政府を『頭の病気の人』だと思って、気味悪がって誰も相手にしなくなるだろう。
まちがい主義を国民に広める政府を潰すために税金を払わないのは客観的に正しいことだから、“正しい主義”を支持する国民は政府に税金を払わなければいい。
政府はまちがい主義を国民みんなに広める会である。そんなくだらない会はなくなったほうがいい。だから、政府を倒さねばならない。
[9949] どうして政府は汚職をするか? h22.4.7
「汚職をする」のはまちがったことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に対してまちがいの手本を示さなければならないので、政府は汚職をするのである。政府は汚職をした者を立派な人だと褒[ほ]めるのである。
反対に、幕府は正しい主義の政治機関だから、幕府は国民に対して正しさの手本を示さなければならないので、幕府は汚職をしないのである。幕府は汚職をした者を卑劣な者として厳重に罰するのである。
[9950] 最近の仏教 h22.4.7
仏教は、昔の正しさ主義の幕府の下[もと]では国民が正しさを敬[うやま]う心を身に付ける道徳の会だったが、
今のまちがい主義の政府の下では他の宗教と同じく「神に人間が従わねばならない」ことを利用して釈迦に因[ちな]んだ悪事をする会にほかならない。
今の時代は、宗教に入ると不良になる。宗教は不良の溜[た]まり場だ。
[9951] どうして学校がなくなっているのか? h22.4.7
「子供に正しいことを教える」のは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせないので、子供に正しいことを教えないために学校をなくしているのである。
だから、最近は土曜日が学校が休みなのである。
[9952] どうして週休二日制なのか? h22.4.7
最近の会社は週休二日制である。
「仕事をする」ことは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせないので、国民に仕事をさせないために週休二日制にしたのである。
しかし、そのせいで、日本は不況になったのである。日本の労働は「質より量」だからである。
[9953] どうして最近の本屋はマンガばっかり売っているのか? h22.4.7
「人間が本を読んで正しい知識を身に付ける」のは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせないので、国民が正しい知識を身に付けないために本屋でマンガを売って国民にマンガばっかり読ませているのである。
テレビゲームばかり売っているのも同じことである。
[9954] どうして女は化粧ばかりするのか? h22.4.7
女は眼で見るところで認識の発達が止まっているからである。
女は身体の発達が子供で止まっているように、頭の発達も子供で止まっているのである。
だから、女は子供のように自分の身体のことばかりこだわるのだ。
女は男よりも認識の質が低い。つまり、女は男よりも正しさがない。だから、男は女に従わないのだ。
[9955] どうして日本人はお米を食べなくなったのか? h22.4.7
「日本人がお米を食べる」ことは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせないので、国民にお米を食べさせないために田んぼを潰したりパンを作って食べさせるようになったのである。
しかし、そのせいで、日本の食生活はいっそう貧しくなったのである。日本人は毎日まずいものばかり食べねばならなくなったのである。
[9956] なぜ今の日本は不況なのか? h22.4.7
経済とは不足や無駄を出さないことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせないので、国民に不足や無駄ばかり出させて日本の経済を滅茶苦茶[めちゃくちゃ]にしているのである。
だから、今の日本は不況なのだ。
[9957] なぜ日本人は不幸なのか? h22.4.7
「人間が幸福である」のは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせないので、国民を不幸にしているのである。
[9958] 民間の世界 h22.4.8
国鉄や郵便が政府に首にされて民営化されたように、民間の世界では今のところ正しさ主義が成り立っている。
民間の世界は正しさ主義の世界である。
一方、政府はまちがい主義の世界である。政府はまちがい主義を国民みんなに広げようとしている。
民間と政府とでは主義が反対である。
国民が政府の言いなりになっていると、そのうち国が滅びる。
だから、国民は政府の言いなりになってはいけない。
政府はまちがい主義の政治機関であり、政府は正しさを犯すことばかりやっているから、正しさ主義の世界においては国民が政府に従ってはならない。政府は実在において何が正しいかがちゃんとわかっていて、あえて正しさとは反対のまちがいをやっているのである。政府は論理的に科学的に正確にまちがいを犯しているのであって、けっしてキチガイではない。政府は仕事でまちがいを犯しているのであって、自分の欲望のためにまちがいを犯しているのではない。[飛行機を墜落させたり列車を衝突させたりしても何も儲[もう]からない。だから、知らない者にとってはたんなる偶然の事故のように見える。しかし、それは、政府がまちがい主義で真面目[まじめ]に故意[こい]に起した事故なのである。]政府のために国中が滅茶苦茶にされている。[[9943]〜[9957]参照。]政府の存在自体がまちがっている。政府は国民の敵であり、国民は政府を潰すべきである。政府はまちがいをやるために国民から税金を取っているのだ。だから、国民は政府に税金を払うべきではない。
[9959] 日本は犯罪者天国である。 h22.4.8
「警察が犯人を捕[つか]まえる」のは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせないので、警察に犯人を逮捕させないのである。犯人は野放[のばな]しである。
だから、例えば、政府自身や宗教の信者がいくら犯罪を犯しても捕まらないのである。
[9960] 政府も自然にはかなわない。 h22.4.8
「物が上から下に落ちる」ことは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民に正しいことはさせない。
しかし、政府は物にまでは手を出せないので、やはり物は上から下に落ちるのである。
政府は自然法則までもは変えられないので、政府は自然科学の真理を認めているのである。だから、学校や大学でも自然科学については生徒や学生に正しいことを教えているのだ。研究しているのだ。ヨーロッパ政府が地動説を認めたのもそのためである。科学知識や科学技術は政府があっても進歩するのはそのためである。
政府はこれまでに人類が取り決めてきた社会的法則や習慣などをひっくり返すだけである。これまでに人類が取り決めてきた社会的法則や習慣は人類が幸福に生きるために決めたことだから、政府がそれらをひっくり返すと人類は不幸になるのである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、自分がひっくり返せることは見境[みさかい]なくことごとくひっくり返すのである。
[9961] 犯罪者組合も政府に反対である。 h22.4.8
犯罪者組合は、周[まわ]りのみんなが正しいことをするからこそ、自分たちが悪いことをして儲[もう]かるのである。
政府がまちがい主義を広めて国民みんながまちがったことをするようになれば、国民みんなが犯罪者になるから犯罪者組合の取り柄[とりえ]がない。犯罪者組合が儲からなくなる。
だから、犯罪者組合も政府に反対である。
[9962] 政府はどうして自分をまちがい主義の政治機関だと言わないのか? h22.4.8
「正しいことを言う」ことは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、自分が正しいことをしてはいけないので、自分がまちがい主義の政治機関とは言わず、国民のために役に立っていると嘘をついているのである。
「嘘をつく」ことはまちがったことだから、政府はまちがい主義の政治機関なので、政府は正々堂々と嘘をついているのである。
論理的には政府が本当のことを言ってもいいが、本当のことを言うと国民の反感を買って政府が国民に倒されるので、政府は本当のことを言わないのである。中世の日本でも、政府は国民に嘘をついて生き残ってきたのである。政府の嘘を真[ま]に受けた馬鹿が政府を支持していたのである。
[9963] どうして最近押売りや詐欺[さぎ]が減ったか? h22.4.8
押売りや詐欺はまちがったことである。
だから、政府の時代には押売りや詐欺が増えるはずである。
それなのに、最近押売りや詐欺が減っているのは、明治維新すなわち日本政府が出来てから140年経った今再び幕府を作ろうとする者が現れたからである。
日本に正しさ主義を甦[よみがえ]らせようとする者が、政府とは独立に政治活動をして、押売りや詐欺を減らしているのだ。
つまり、世の中の政治機関は政府だけではないのだ。世の中には政府以外にもいろんな政治機関があって日々活動しているのだ。
[9964] 日本政府はどうして潰れたのか? h22.4.8
政府はまちがい主義の政治機関である。
政府はまちがい主義を国民みんなに広めるのが仕事である。
「国民が政治機関に従ったり国民が政治機関に税金を払う」ことは正しいことである。
政府が日本中にまちがい主義を広めて、国民みんながまちがったことをするようになり、国民が政府に従わなくなり政府に税金を払わなくなったために政府は潰れたのである。マンモスの牙[きば]が伸びすぎて絶滅したのと同じ理屈である。
政府のような矛盾した原理の政治機関は長続きしない。政府は最初の一時[いっとき]奇を衒[てら]って人気が出るだけで、すぐにボロを出して滅びてしまう。政府がまちがった法律をひっくり返しているうちは人気が出るが[まちがい主義では正しいことをやってもいいからである。]、そのうち正しい法律までもひっくり返すようになって人気が減る。最後に政府は世の中を滅茶苦茶にして国民の反感を買って国民に倒されてしまう。政府は最初から滅びる運命にあるのだ。
政府が自滅した後に、政府の二の舞を踏まないために政府とは反対の正しさ主義の政治機関が現れたのである。
まちがいをよしとするのは文化的ではない。文化的生活に憧[あこが]れる人間はまちがいをよしとしない。まちがい主義で生きたい人間は自分で個人的に努力してまちがって生きればよいのであって、普通の人間は正しさ主義で生きるべきである。そのためには、国の政治機関は正しさ主義の政治機関のほうがいい。
[9965] 天邪鬼[あまのじゃく]を退治する方法 h22.4.8
天邪鬼を退治するには、天邪鬼に向って「お前は天邪鬼だ」と言えばいい。そうすれば、天邪鬼は自分が天邪鬼ではいられなくなって消えてしまう。
それと同じように、今の政府を退治するには、政府に向って「お前はまちがい主義の政治機関だ」と言えばいい。そうすれば、政府はまちがい主義の政治機関ではいられなくなって消えてしまう。
「政府がまちがい主義の政治機関である」ことは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、自分が正しいことをしてはいけないので、もはやまちがい主義の政治機関ではいられなくなって潰れてしまうのである。
ちなみに、『魔法の天使クリミィーマミ』第15話「虹色の天使」に出て来るウーフニックとは天邪鬼のことである。ビーノとは本当のことを言う正しい人のことである。吉野のおじさんとは政府の政治家のことである。ビーノは天邪鬼の姿をしている。それで最後にビーノがウーフニックになったのである。ウーフニックがいると世の中が平和になるというのは嘘である。本当は、世の中が犯罪者だらけになって滅茶苦茶になる。
[9966] 政府にとっての理想の国 h22.4.8
政府にとっての理想の国は、日本国憲法と反対の国である。国民の人権がすべて守られない国である。
なぜなら、政府はまちがい主義の政治機関であって、日本国憲法に述べられていることは正しいから、政府は日本国憲法と反対のことをしなければならないからである。
政府はそんな国を作るために毎日一生懸命働いているのだ。
政府とはそういうものだ。
国民が政府に従えば従うほど、日本は悪い国になる。だから、国民は政府に逆[さか]らわねばならない。国民が政府に逆らうことによって、日本は善[よ]い国になるのだ。
政府がまちがい主義の政治機関だとしたら、君は政府に従いたいだろうか?君は政府に従わねばならないと思うだろうか?そんなイカれた機関に従う者がまともな人間だと思えるだろうか??政府に税金を納めるほうがよっぽどクルクルパーだ。
[9967] 中世のヨーロッパ人は地動説が正しいことをすでに知っていた。 h22.4.9
ヨーロッパではすでに古代に地動説が正しいことがわかっていた。
古代ヨーロッパでは正しさ主義の国家であるローマ帝国が天才の国となって周りの国を軍事的に支配してヨーロッパの脅威[きょうい]となったので、中世のヨーロッパでは第2のローマ帝国を出さないためにまちがい主義の政治機関である政府に国を支配させるようになった。それで、政府はまちがった天動説を国民みんなに教えるようになったのだ。ヨーロッパの国民も天動説がまちがっていることを知っていたが、政府がまちがい主義をやっているからそれに合わせていっしょにまちがった天動説を支持していたのだ。
中世のヨーロッパではずっとまちがい主義の政治機関だったのだ。政治機関は哲学機関だから、当時の哲学は真理よりもまちがいを崇[あが]める哲学だったのだ。哲学は学問の王様だから、そのために世の中すべてがまちがい一色に染まったのだ。
近代になってギリシア・ローマ時代の正しさ主義が復興してから、ようやく国民みんなが正しい地動説を支持するようになったのだ。
西洋の政府は社会法則だけでなく自然法則も扱うから、今の西洋の政府はおそらく社会法則も正しさ主義で扱っているのだろう。
一方、東洋の政府は昔から社会法則しか扱わないから、東洋の政府は西洋から輸入した自然法則については正しさ主義で扱うが、社会法則についてはいまだにまちがい主義で扱っているのだ。
[9968] まちがい主義の哲学 h22.4.9
まちがい主義が肯定できるのは、実在の世界が正しい時代とまちがった時代を周期的に繰り返している場合だけである。実在の世界の法則が、正しい法則とまちがった法則を周期的に変化するかぎりである。
しかし、現代の科学的常識では、実在の法則は時間的に不変である。実在の法則が時代によってひっくり返ることはない。真偽が入れ替わることはない。
だから、現代ではもはやまちがい主義を肯定することはできない。
現代では正しさ主義一本でやるべきである。
つまり、
昔の人は、この世が正しい時代とまちがった時代の2つの時代を周期的に繰り返していると考えていた。
そのために、正しさ主義の政治機関とまちがい主義の政治機関の2種類の政治機関を設[もう]けて時代に合わせて交互[こうご]に使っていた。つまり、“正しい法則”が支配する正しい時代を治めるために正しさ主義の政治機関を設け、正しい時代とは反対の“まちがった法則”が支配するまちがった時代を治めるためにまちがい主義の政治機関を設けた。
それで、日本には幕府と政府という2種類の政治機関があるのである。[日本以外の外国にも、日本と同じように2種類の政治機関があるはずである。例えば、韓国の国旗にも互いに入れ替わる2種類の政治機関が描かれている。]
しかし、今は実在に2種類の時代があるとは考えられない。
だから、正しさ主義の政治機関だけで間に合うのである。
したがって、まちがい主義の政治機関である政府は要らない。
正しさ主義の政治機関とまちがい主義の政治機関を交互に使うのは古臭い時代の習慣の名残[なごり]である。現代では通用しないから、さっそくやめるべきである。
[9969] どうして古代の日本は植民地政策をやったのか? h22.4.9
ヨーロッパでローマ帝国が植民地政策を大々的にやっていたからである。
その噂[うわさ]を聞き付けた日本がローマ帝国を真似て任那[みまな]の植民地政策をやったのである。ローマ帝国の噂を聞いた日本が、この世がまちがい主義の時代になったと思って、それまでの正しさ主義の政治機関を壊して、まちがい主義の政治機関の政府を建てて、植民地政策を始めたのである。
しかし、そのうち任那の植民地がうまく行かなくなって撤退して、日本で政府がまちがい主義を国民みんな広めた結果国が荒れ放題になったので、今度は正しさ主義の時代になったと思って正しさ主義の政治機関(幕府)を建てたのである。
この世に善と悪の時代があって互いに入れ替わっているというのはまちがった迷信である。だから、わざわざまちがい主義の政府を建てる必要はない。この世には正しさ主義の政治機関だけがあればいい。
[9970] 社会の実験☆ h22.4.9
昔の人は、この世が正しい時代とまちがった時代を周期的に繰り返すと考えていた。
ローマ帝国が植民地政策をやっているのを知った古代の日本人はこの世にまちがった時代が来たと思って、まちがい主義の政治機関である政府を設けて、政府に日本を治めさせた。政府に植民地政策をやらせた。いちおう任那[みまな]の植民地政策は成功した。
その後任那の植民地政策が失敗して日本が任那を撤退した後も、日本人はこの世がまちがった時代なのだと思って、まちがい主義の政治機関である政府に日本を治めさせた。政府にまちがい主義を広めさせた。
その結果、世の中は乱れて衰退した。
そこで、人々は「まちがい主義でうまく行かなくなったのは正しい時代が来たせいだ」と思って、正しさ主義の政治機関である幕府を設けて、幕府に日本を治めさせた。幕府に正しさ主義を広めさせた。
その結果、世の中は平和になり発展した。
しかし、幕末に黒船が日本に来て、日本人は世界が植民地時代であることを知り、再びまちがった時代が来たと思って、まちがい主義の政治機関である政府を設けて、再び政府に日本を治めさせた。しかし、今度は植民地政策は失敗した。
太平洋戦争が終わっても、日本人はこの世がまちがった時代なのだと思って、まちがい主義の政治機関である政府に日本を治めさせている。政府にまちがい主義を広めさせている。これが今の日本である。
どうせまた中世の日本のように世の中が乱れて衰退するだろう。
すると、人々はまた正しい時代が来たと思って正しさ主義の政治機関である幕府を設けて、幕府に日本を治めさせて、幕府に正しさ主義を広めさせるだろう。
このように、この世が正しい時代とまちがった時代を周期的に繰り返すという「善悪周期仮説」は否定できない命題である。だから、この仮説はしぶとくいつまでも滅びず生き残っているのである。そのために、まちがい主義の政治機関である政府もしつこく何度も甦[よみがえ]って世の中を乱し続けるのである。
しかし、現代では「自然科学の法則」は時間的に不変であると考えられている。例えば、ニュートンの運動方程式もアインシュタインの運動方程式(相対論的ニュートンの運動方程式)もシュレーディンガーの運動方程式も時間的に不変である。人間の生活は物の上に成り立っているから、社会科学の法則は自然科学の法則を基[もと]にして成り立っており、自然科学の法則が時間的に不変だから、社会科学の法則も時間的に不変だと考えられる。だから、この世には正しい時代しかなく、まちがった時代は存在しないと考えられる。
この世に“まちがった時代”があると思うのは迷信である。実際には、ときどき『植民地時代』があっただけである。ときどき文明が急速に発達した天才の国が現れて周りの国を軍事的に支配しただけの話である。それを「まちがった時代が来た」せいにするのは、歴史に対するまちがった解釈にすぎない。だから、わざわざまちがい主義の政治機関である政府を設ける必要はない。だから、日本は早く政府を壊[こわ]して、正しさ主義の政治機関を設けて正しさ主義の政治機関に日本を治めさせるべきである。
[9971] なぜ政府の時代には国民が馬鹿になるのか?☆ h22.4.9
「人間が頭を使う」ことは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府が国民に正しいことをさせないから、国民に頭を使わせないので国民が馬鹿になるのである。
政府の国では国民がみんな馬鹿だから、文明が発達せず、周りの国を軍事的に支配することがないので、平和なのである。
だから、世界が政府の国ばかりになると、戦争がなくて平和な世界になるのである。
中世のヨーロッパで人々がまちがい主義を支持するようになったのも、古代ヨーロッパで正しさ主義の国家であるローマ帝国がヨーロッパを軍事的に支配してヨーロッパの脅威となったためである。それで、中世のヨーロッパでは『第2のローマ帝国を出さない』ために『国民みんなを馬鹿に変える』ためにまちがい主義の政治機関である政府に国を支配させるようになった。中世のヨーロッパでは人々がまちがい主義を支持していたから、社会科の教科書をまちがって解釈して読んだために、人間が神であるキリストに従わねばならないキリスト教が出来たのである。
しかし、政府の国では、国民みんなにまちがい主義が広まって、国内犯罪が増えて問題になる。国民が馬鹿になることによる文明の衰退も問題になる。
だから、世界中の国の政治機関をまちがい主義の政治機関である政府にして人類みんなを馬鹿に変えて人類みんなの足を引っ張るよりも、科学知識や科学技術を世界中に公開して人類みんなで共有して人類みんなで進歩するほうが得策なのである。
少なくとも、日本では政府を政治機関にする必要はない。日本ではひとつの県の文明が他の県の脅威になるほど発達したことがない。だから、日本ではわざわざ国民を馬鹿にするためにまちがい主義をやる必要はない。政府を設ける必要はない。
[9972] 国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。 h22.4.9
「国民が政治機関に税金を払わない」のは悪いことである。
日本は政府が国を治めているから、まちがい主義の国である。
まちがい主義の国では、国民が悪いことをしてもいい。
だから、国民は政府に税金を払わなくてもいいのである。
[9973] なぜ日本には特攻隊があったのか? h22.4.9
「人間が生きる」のは正しいことである。
日本政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は国民にまちがったことをさせるので、国民に特攻させて殺したのである。
政府が時々事故を起して国民を殺すのも、国民に生きさせないためである。
[9974] どうして宗教が減っているか? h22.4.9
政府の下[もと]では、宗教は「神に人間が従わねばならない」ことを利用して、神に因[ちな]んだいろんな悪事ができて儲[もう]かる。宗教は犯罪組織である。
しかし、政府がなくなれば、宗教はただのまちがった政策を支持する会にほかならない。そんな、かったるい会は人気が出ない。だから、宗教は潰れるしかない。
幕府の下[もと]では仏教以外の宗教はやれない。
今は世界的にどこの国でも国民が正しさ主義を支持するようになり国の政治機関が正しさ主義の政治機関になっているから、世界的に宗教がどんどん減っているのである。
[9975] 植民地政策の捉[とら]え方の違い h22.4.10
ヨーロッパでは、植民地政策は正しさ主義の政治機関がやっていた。
しかし、日本では、植民地政策はまちがい主義の政治機関がやっている。
ヨーロッパでは、植民地政策は「強い者が弱い者を自由にする」ことで正しいことだが、
日本では、植民地政策は「他人の物を奪う」ことで悪いことだとされるのだ。
そのために、ヨーロッパでは植民地政策をやってもその後で正しさ主義の政治機関が国を幸福にしてくれるが、
日本では植民地政策をやるたびのその後でまちがい主義の政治機関のために国が不幸にされる。
ヨーロッパで中世にまちがい主義をやったのもローマ帝国のような天才の国の発生を防ぐ合理的な目的のためであって正しさ主義の中でまちがい主義をやっていたのだ。つまり、ヨーロッパではローマ帝国から現代までずっと正しさ主義でやっていたのだ。ヨーロッパでは今でも時々天才が出るが、ローマ帝国以後はヨーロッパの内部で脅威となる国が現れていないので、現代では中世に始めたまちがい主義をやめてもとの正しさ主義に戻したのだ。[ナチス・ドイツがローマ帝国を真似てヨーロッパ全土を支配しようとしたが成功しなかった。]
一方、日本で中世にまちがい主義をやったのは植民地政策が失敗した後で面倒臭がって政治機関を入れ替えなかったせいであり植民地政策の後遺症にすぎず合理的な理由がない。現代の今でさえまちがい主義を続けている。徳川家康のような大人物が現れないかぎり正しさ主義の政治機関にはならない。日本が正しさ主義の国にはならない。それまで何百年も待たねばならない。
日本でも、今度からはヨーロッパと同じように植民地政策を「強い者が弱い者を自由にする」ことと解釈して正しさ主義の政治機関に植民地政策をやらせることにしよう。
[9976] 日本は今後戦争をするか? h22.4.10
「世界が平和である」ことは正しいことである。
日本政府はまちがい主義の政治機関だから、日本政府はまちがったことをするので、日本政府は世界平和を崩[くず]すために戦争をするだろう。
戦争をするには宗教は要らない、まちがい主義さえあればいい。だから、いくら天皇に人間宣言させても無駄[むだ]である。
日本政府の存在は世界的に脅威である。特にアジアの近隣諸国にとっては脅威である。
現代は国際化の時代だから、どこか力の強い国が日本政府に圧力をかけて日本政府を倒してくれないだろうか?日本国民はきっと大歓迎するはずだ。
[9977] 日本はヨーロッパの真似[まね]☆ h22.4.10
日本は外国を真似るのが好きである。特にヨーロッパを真似るのが好きである。なぜなら、日本人はヨーロッパが世界でもっとも正しい国だと思っているからである。[しかし、このことは一概[いちがい]に正しくない。[9984]参照。]
日本はローマ帝国が植民地政策をしたのを真似て任那[みまな]を植民地にした。日本はエジプトのピラミッドを真似て日本や任那に古墳を作った。前方後円墳の形は、方形がヨーロッパ大陸を円が日本列島を表している。日本がヨーロッパの後を追っかけているという意味である。
日本はローマ帝国が植民地政策をやめたのを真似て任那を撤退[てったい]した。そのとき、中国文化を持ち帰って、中国を真似ている。
日本は神聖ローマ帝国の政府がまちがい主義をやっているのを『真似』て、日本政府もまちがい主義をやるようになった。[昔『天才バカボン』の曙出版版の第20巻に“売れっ子のマンガ家が雑誌「老人の友」のために足でマンガを描いた話”があった。下手糞[へたくそ]な絵の横に“まね”と書かれてあった。日本がヨーロッパの“下手糞な真似”ばかりしているという意味である。そう言えば、『天才バカボン』の講談社版の第7巻か第9巻にバカボンのパパが天才すぎて馬鹿になった話がある。これは、日本の親に当たるヨーロッパがまちがい主義を始めたために国民が馬鹿になったことを表している。日本人は“馬鹿”な“ボン”クラだからバカボンなのだ。(平成22年5月4日追記)『天才バカボン』とは、少数の天才と多数の馬鹿なボンボンから成り立っている白人国のことである。バカボンのパパが白人帝国本国で、バカボンが属国のことである。]
日本は神聖ローマ帝国がまちがい主義のために国内が乱れたのを真似て、日本もまちがい主義で国内が乱れた。
日本はヨーロッパで正しさ主義の騎士道が始まったのを真似て、日本も正しさ主義の武士道を始めた。ヨーロッパでは騎士道がまちがい主義の政府に敗[やぶ]れたが、日本では正しさ主義の幕府がまちがい主義の政府に勝って国を治めるようになった。
日本はアメリカやヨーロッパで植民地政策をしているのを真似て、日本も植民地政策を始めた。アメリカやヨーロッパではまちがい主義の政府が政治機関だったので、日本でもまちがい主義の政府を政治機関にした。そして、日本はアメリカやヨーロッパと戦争をして負けた。
世界大戦後、日本はまちがい主義の政府が政治機関をやっている。一方、アメリカやヨーロッパでは中世から始めたまちがい主義をやめてもとの正しさ主義に戻している。
日本もアメリカやヨーロッパを真似て、そのうち正しさ主義になるだろう。
日本もアメリカやヨーロッパのように自分で考えることを大事にしなければならない。
[9978] どうして日本人は政府を支持しているのか? h22.4.10
政府はまちがい主義の政治機関である。
「国民が政治機関に従う」ことは正しいことである。
国民が政府を支持するのは、国民が政府を支持すると国民がまちがったことをしてもいいことになり、国民が政府に従わなくても済むから、実質上政府がないのと同じになるからである。つまり、無政府主義になるからである。国民は日本を政治機関のない国にしたいから、政府を支持しているだけである。[政府も、おそらく国民が政府に従わないことを認めているはずである。]
正しさ主義の政治機関なんかあっても仕方がない。
人間が実在の中で生きていれば、自然に正しい思想になる。正しい考えでなければ、実在の中で幸福に生きていけないからである。
だから、正しさ主義の政治機関なんかわざわざ要らないのである。そんな機関を作っても、どうせ馬鹿親父がでかい面[つら]して威張るだけである。
江戸幕府も[特に5代目からあとは]税金取るだけのデクの棒だったし、国民はみんな江戸幕府にうんざりしていた。幕府は城の中でおとなしくじっとしているだけで、国民を刀で殺す以外には何の仕事もしなかった。幕府は口先で「自分は正しい」と言っていただけである。それで、黒船が来たついでに前々[まえまえ]から鬱陶[うっとう]しかった江戸幕府を倒したのである。
政治機関が要るか要らないかはやってみなければわからない。日本は無政府主義で500年間やってみて、それでどうしてもうまくいかなければ正しさ主義の政治機関を設けることにすればいい。
実際に、政府がまちがい主義の政治機関であるのに、日本社会がそこそこうまく行っているのは、政治機関がもともと要らない証拠である。社会にとって政治機関が要らなければ、最初から政治機関を作らなければいいのである。
政治機関は「日本人は米を食べる」ことや「世界が平和である」ことや「国民の人権を守る」ことや「人間は仕事をする」ことなどの正しい政策を実現するのが仕事だが、それらはたいてい国民だけでもできることである。国民が国民にとって必要な政策をする民間会社を国民で作ればいいのである。だから、政治機関は要らない。[しかし、どうしても政治機関が必要なら政治機関を設けねばならない。お金の問題ではない。政治機関が真面目[まじめ]に正しい政策を実現するなら、政治機関はあってもいい。]政治機関は徳川幕府のように国民の前で堂々と“自分が実現している政策”を言えなければならない。一方、今の政府はまちがい主義の政治機関だから、正しい政策を実現しないでまちがった政策ばかり実現しているわけである。今の政府には国民の前で言える政策がない。政府の時代は無政府主義である。つまり、今は無政府主義の時代である。日本人は無政府主義が好きだから政府を支持しているのである。政府を置いておけば幕府ができないからである。無政府主義では警察がないから、国民が自分で犯人を罰しなければならない。[参考1、参考2]
[9979] 戦後暴力団がどうしてはびこったか? h22.4.10
日本には政府があるから、日本はまちがい主義の国である。
まちがい主義の国では国民がまちがったことをしてもいいから、暴力団がたくさんあったのである。
戦前は国民みんなが戦争の準備や戦争にいそがしかったから、他にまちがったことをする暇がなかったので暴力団がなかったのである。
つまり、政府があると暴力団が栄える。
だから、暴力団を減らすためには政府をなくせばいいのである。
[9980] どうして日本では失業者が多いのか? h22.4.11
「人間が仕事をする」のは正しいことである。
政府はまちがい主義の政治機関だから、政府は正しいことはしないので、政府は人間が仕事をしないようにしているのである。だから、政府の国では失業者が多いのである。
幕府の国では失業者がいなかったのと反対である。
政府は自分がまちがい主義の政治機関であることを言い訳[いいわけ]にして、政治機関らしい仕事はひとつもしていないのである。
[9981] 政府がないほうがいい。☆ h22.4.11
幕末に日本人は植民地政策をやったほうが国が有利になるからと思って、植民地政策に詳[くわ]しい政府に政治をやらせた。
しかし、植民地政策は失敗に終わった。
戦後は、日本人は幕府が出来るのを防ぐために政府を置いている。
しかし、政府はまちがい主義の政治機関なので、政府があると国民がまちがったことをすることができる。
一般には、正しいことをする者よりもまちがったことをする者のほうが有利である。
だから、このまま政府があると、まちがったことをする者がどんどん増える。国内犯罪が増えて、暮らしにくくなる。
だから、政府がなくなったほうがいい。
しかし、政府がなくなると、そのうちまた幕府が出来る。
そうなる前に、国民にとって必要な政策をする『民間会社』を国民で作って、幕府が出来ないようにすればいい。
[9982] 政治家は偉くない。 h22.4.11
政府の政治家は、中世のヨーロッパで生み出された“まちがい主義”を使って悪いことをするだけである。
宗教の者は、政府の“まちがい主義”と“神の伝記”を使って神に因[ちな]んだ悪いことをするだけである。
政治家も宗教の者も悪いことをする人と言うだけで、偉くはない。
[9983] 政治機関はやっぱり要るか? h22.4.11
政治機関は政策を実現するだけである。
政策を実現してもお金は儲[もう]からない。
家電メーカーなら自分が作った電化製品を売ればお金になるが、政策は物ではないから政策を実現してもお金にはならない。例えば、「国民の人権を守る」政策を実現しても、犯罪者を逮捕するだけでお金儲けにはならない。
だから、やはり国民から税金を取って運営する政治機関が要るかもしれない。
とにかく、まちがい主義の政治機関は要らない。
つまり、政治機関とは、“国民にとって必要だが儲からない仕事”をまとめた会社である。世の中はお金がすべてではない。だから、国民が税金を出して運営しなければならないのである。
“国民にとって必要だが儲からない仕事”に関しては民間会社と政治機関の違いは、バラ売りかまとめ売りかの違いにすぎないように思われる。ただし、バラ売り制は国民にとって政策の内容が明らかだし、国民が自分にとって必要なサービスだけを選択できる利点がある。いつも何をやっているのかはっきりしない胡散[うさん]臭い政治機関なんか不愉快だからなくなったほうがいい。したがって、やはり国民が自由加入制の民間会社だけがあればよく、政治機関は要らないと思われる。
[9984] 徳川家康はどうして鎖国したか? h22.4.11
ヨーロッパの“まちがい主義”が日本に入ってくるのを断[た]つためである。
日本が明治になって開国すると、再び日本に“まちがい主義”が入って来だした。
徳川家康の鎖国は、日本を正しさ主義の国にするためにはどうしても必要だったのである。
明治以降ヨーロッパからいろんな知識が日本に入ってきたが、ヨーロッパは自然科学が正しいだけで、それ以外のことはたいていまちがっている。
だから、今でも、哲学に関してはヨーロッパは日本以下だ。ヨーロッパの哲学は日本の哲学よりもセンスが悪い。日本人はヨーロッパの哲学を勉強してはならない。
日本は徳川家康のおかげで、人文科学についてはヨーロッパに勝っているわけである。今の日本の治安がいいのも徳川家康のおかげである。
[9985] 仏教とは何か? h22.4.12
仏教は、古代のインド政府が生み出した『知覚政策』である。知覚政策を神話に喩[たと]えたものが仏教である。
インド政府は他にもいろんな政策をやっていて、仏教はその一部である。
日本の徳川幕府も日本で知覚政策をやるために仏教を取り入れた。
ただし、仏教では知覚を肯定するのはいいが、五感を否定するのは行きすぎである。知覚における抽象的概念は五感の具体的経験から作り出されるからである。知覚における抽象的概念は五感における具体的経験を分解することによって得られる。五感には正しい部分もあるがまちがった部分もある。知覚は五感の中の正しい部分だけを拾[ひろ]って出来ている。正しい部分からさらに考え出された概念で出来ている。だから、知覚で正しい概念を組み合わせることによって実在を認識することができる。[[9930]参照。]
[9986] 政治家はどうして偉いのか? h22.4.12
政治家は“政策を実現する人”のことである。だから、偉くもなんともない。[同じように、国会議員は“法律を作る人”である。だから、偉くもなんともない。]国民が政治家の命令を聞くのは、国民が自分のためになる政策を実現するためであって、政治家が偉いからではない。
それなのに、政治家は偉いとされている。
それは、政治家は国家宗教をするから偉いのである。
政府のある国はまちがい主義の国であり、宗教は本来は『政府の政策を勉強する』ことだが、まちがい主義の国では宗教は「人間よりも偉い神に人間が従う」ことだから国家宗教を司[つかさど]る政治家も偉いとされるのである。
要するに、政府のある国はまちがい主義の国であり、『政治家が偉くない』のが正しいから、まちがい主義の国ではその反対に「政治家が偉い」とされるのである。『政府に国民が従わない』のが正しいから、まちがい主義の国ではその反対に「政府に国民が従っている」のである。『政府に国民が税金を払わない』のが正しいから、まちがい主義の国ではその反対に「政府に国民が税金を払っている」のである。
日本が正しさ主義の国になれば、それらのまちがいはすべて成り立たなくなる。
そのためには、国民が日本を正しさ主義の国にすればいいのである。国民がまちがい主義の源[みなもと]である日本政府を倒せばいいのである。
[9987] 実存主義哲学とは何か? h22.4.12
政府のまちがい主義でやっているまちがった哲学のことである。
最初からまちがった哲学なので、真[ま]に受けてはならない。
実存哲学の反対が真理なのだ。
[9988] 戦争から特許へ☆ h22.4.12
ローマ帝国は他の国に比べて頭がよかった。
当時ローマ帝国が儲[もう]けるためには戦争をして他国を植民地にするしかなかった。第2のローマ帝国が出来るのを防ぐために『まちがい主義』をやるしかなかった。昔はそうする以外に方法がなかったからである。
しかし、今では特許がある。
だから、今では頭のいい国は特許をたくさんとって、特許を外国に売って儲ければいいのだ。製品を作って売って儲ければいい。もはや戦争をする必要はないのだ。まちがい主義をする必要もないのだ。
ローマ帝国は発明がいっぱいあったから、当時特許があればさぞかし儲[もう]けたことだろう。
[9989] どうして政府はまちがい主義をやっているのか? h22.4.12
政府がまちがい主義をやっているのは、国民に政治機関が要らないことを教えるためである。
政府がまちがい主義でまちがった政策ばっかりやって国民の生活を邪魔するだけで、政府が正しい政策をひとつもしないのに社会がそこそこうまく行っているのは、政治機関が最初から要らない証拠である。
江戸幕府も、いかにも自分が正しさ主義の政治機関であるふりをしていたが、実際には国民から税金を取る以外は何もやっていなかったのである。江戸幕府の唯一の取り柄[とりえ]は、まちがい主義をやらなかったことである。国民はもともと放っておけば真面目にするので、幕府は国民に対して余計なことをせずに国民を自由放任にしていただけである。[できれば、国民(特に子供)に対する正しい指導があったほうがいいのだが。マンガの世界に“不良の集団”がいるのは、冗談の作り話だからである。実際には、不良の集団なんかが出来ることはない。]
政府は国民に『自分のことは自分でせよ』と教えるために、あえてみっともないまちがい主義の政治機関をやっているのである。政府は国民に早く倒されるために、国家宗教で国民を殺しているのである。
政府は『政治機関が要らない』ことを実験するために、自分がまちがい主義の政治をわざわざやっているのである。
それでは、国民は政府の教えの通りに政治機関をなくすことにしよう。国民のことは国民で全部やるようにしよう。
[9990] 民間会社と政治機関の違い☆ h22.4.13
民間会社と政治機関は、お金の取り方が違うだけである。
民間会社は、利用客からその都度[つど]お金をもらう。
政治機関は、国民が利用するかしないかに関わらず国民みんなからお金を取る。しかも、政治機関が国民に知られずに自分勝手に一方的に仕事をすることができる。つまり、政治機関は“前金制のサービス不明の店”である。
政治機関のやり方では、政治機関が“国民にとって必要でない仕事”がいくらでもできる。だから、政府がまちがい主義や国家宗教で余計な仕事がたくさんできるわけである。政府は国民に注文しない不味[まず]い物ばかり食わせるわけである。
そんな無駄[むだ]を出さないためにも、民間会社だけがあればいい。だから、政治機関は要らない。
[9991] 幕府の政治 h22.4.13
政府と言えばまちがい主義である。政府はまちがい主義や国家宗教などでまちがった政策をやる。政府は国民に国家宗教などでまちがい主義を広める。
反対に、幕府と言えば正しさ主義である。幕府は正しさ主義で正しい政策をやる。幕府は国民に仏教や儒教などで正しさ主義を広める。
だから、幕府が国民をほったらかしにしていたというのは言いすぎである。[[9989]参照。]
ただし、幕府も政府と同じように“前金制のサービス不明の店”である。
だから、幕府も政府と同じように“国民にとって必要でない仕事”をいっぱいやっていたのだ。幕府は正しいという名目[めいもく]だけで鬱陶[うっとう]しい余計なことをたくさんやっていたのだ。そのために国民から高い税金を取り立てていたのだ。子供に勉強しかやってはいけない、大人に仕事しかやってはいけないと言っていたのだ(冗談)。
幕府も政府と同じように、国民にとってありがたくない店だったのだ。
だから、黒船が来たついでに国民に倒されたのだ。国民は世界の趨勢[すうせい]に乗り遅れるのが嫌だったから幕府を倒したのだ。
[9992] 政治機関はなぜ前金制なのか? h22.4.13
昔は株式会社がなかったからである。
だから、昔は国で新しい仕事を始めるためには、国民から前金制でお金を集める政治機関がやるしかなかったのだ。昔はなんでもかんでも政治機関がやっていたのである。
しかし、今は株式会社があるから、国民はお金持ちからお金を借りて仕事を始められるので、政治機関が要らないのである。
[9993] 警察について h22.4.13
警察は逮捕した犯人からはお金を取れないので、保険会社のように、警察の加入者が警護サービス(今の警察と同じサービス)が受けられる警察保険にすればいい。
しかし、日本は犯罪が少ないから、最初は警察の加入者がいないかもしれない。
しかし、警察の加入者がいないと国内犯罪が増えるから、結局国民の大半は警察に入るだろう。
だから、警察も経営が成り立たなくはないだろう。
[9994] 国会について h22.4.13
警察が活動できるためには、まず法律がなければならない。
法律を作るのは国会である。
だから、警察と国会はセットで考えなければならない。もちろん、警察と国会のセットも、国民が自由加入制の民間会社として経営するのである。もっとも、国会議員は国民の選挙で選ぶ必要はない。法律に詳しい人がなればいいから試験で選べばいい。法律を作るために、わざわざ国会議事堂を建てなくてもいい。例えば、サンシャインの何階かを借りてそこで法律を作ればいい。警察と国会のセットの会社は、日本に複数あってもいい。国民はそれらの好きなほうに加入すればいい。
警察と国会を政府から分離させれば政府のまちがい主義の影響を受けないから、正常に機能するはずである。
行政は、政府がまちがい主義や国家宗教でまちがった政策をすることだから、国民にとっては行政は要らない。
[9995] 学校について h22.4.13
子供の主体性を重んじて自由登校制とする。つまり、子供が学校が好きなら学校に通えばよく、学校が嫌いなら学校に通わなくてもよいものとする。
会社は学歴にとらわれず、個人の能力で評価しなければならないものとする。
[9996] 宗教とは何か? h22.4.14
宗教とは政治である。宗教家とは政治家である。神とは宗教家の異名[いみょう]であり、つまり神とは政治家のことである。
政治家とは“政策を実現する人”である。だから、政治家は特に偉くない。
だから、神も偉くない。宗教家も偉くない。宗教とは政治でありつまり“政策を実現すること”である。
宗教家が偉いのは、まちがい主義の世の中においてである。
まちがい主義の世の中では、何でもひっくり返るから、宗教家は本当は偉くないから偉いことになるのである。宗教家は本当は人間のクズだ。
まちがい主義の世の中では、何でもひっくり返るから、正しいことを主張した学者が極悪人とされ死刑にされたのである。
しかし、今は学者が死刑にされることはないから、今の時代はまちがい主義の時代ではない。だから、宗教家は偉くないのだ。
まちがい主義は第2のローマ帝国を出さないために長い間世界中でやっていたが、近代以降ヨーロッパでは正しさ主義でも第2のローマ帝国が出ていないから、最近は正しさ主義が世界的に解禁になったのだ。
[9997] 世界大戦は何のためにやったか? h22.4.14
当時はドイツも日本も正しさ主義だった。
つまり、現代において第2のローマ帝国が現れるかどうかを実験するために世界大戦をやったのである。
当時は実験であることが国民にばれてしまうと国民が本気で戦争をしなくなるから、国民には戦争の目的を隠しておいたのである。国家宗教は戦争の真の目的を隠すための覆[おお]いにすぎない。
結果は、第2のローマ帝国は現れなかった。ドイツの第3帝国も大日本帝国も連合国の前に敗れ去った。今の時代に正しさ主義でやってもローマ帝国は出ないのだ。
だから、戦後の世界では正しさ主義が解禁となったのだ。
だから、今はまちがい主義の時代ではない。
[9998] お金について h22.4.14
お金のことはお金でせよ。
消費税で新しいお金を作ればいい。
[9999] 特許について h22.4.14
特許の申請者や利用者から手数料を取ればいい。
[10000] 関税について h22.4.14
輸入業者や輸出業者から手数料を取ればいい。