[9701] 政府はどうして生き残っているか? h22.3.6
政府は少数である、国民は多数である。
少数が多数を支配するためには、『権力の法則』に従わねばならない。つまり、少数が多数の支持を得なければならない。
今の政府は、テレビや新聞や教科書を使って、自分にとって都合のいい情報だけを流して、国民に政府をいい政治機関だと思わせることによって国民の支持を得ている。つまり、政府が国家宗教をやっていることは伏せてやっていないことにして、反対にやりもしない民主主義の政治を教科書に載せてやっていることにして、国民に政府に対するいい印象を持たせている。
しかし、実際には政府は国民を奴隷扱いしている。政府は国民から高い税金を取って、民主主義の政治をせずに、暇つぶしに国家宗教で国民を虐[いじ]めて遊んでいる。
だから、国民は政府を支持しない。だから、『権力の法則』によって政府には権力がない。だから、国民は政府に従わない。だから、政府は滅ぶしかない。
国民がテレビや新聞や教科書に惑[まど]わされずに、政府の正体を見破ることができれば、政府は滅びる。それは、一体いつの日であろうか?

[9702] 公務員は認識不足だ。 h22.3.6
下っ端[したっぱ]の公務員は、政府がどんな会社か知らない。公務員は自分の勤める会社がどんな会社か知らずに会社に勤めている。そこまで馬鹿だと生きていけない。
やむをえない場合には自分がどんな会社か知らずに会社に入ることがあるが、なにもわざわざ試験を受けてまで入ることはない。
それとも、公務員は出世して自分も国家宗教で国民を虐[いじ]めたいから政府に入ったのだろうか?

[9703] 豪族制 h22.3.6
豪族制は植民地政策でできた制度である。
昔の日本では各地の豪族が互いに争っていた。
つまり、昔の日本では各地が植民地政策をやっていたのである。
日本の各地で植民地政策をやるために豪族という政治機関を作ったのである。
しかし、各地の勢力が均衡[きんこう]してなかなか植民地政策がうまく行かなかったので、豪族は他地域の植民地化を諦[あきら]めて、自分の地域の国民を奴隷にするようになった。豪族は国民の眼の前で偉そうにして、国民が豪族に従わねばならないものと思い込ませたのである。豪族同士が話し合って戦争をやめることにして、豪族が「国を平和にしたのは自分の手柄だ」と言って国民から高い税金を取っていたのだ。豪族が外交的に自分の国を有利にしているふりをしてわけのわからない政治をやって何でもかんでも理由をつけて国民から税金を搾[しぼ]り取っていたのだ。
こうして、日本で『奴隷制』が始まったのである。
つまり、植民地政策が奴隷制の生みの親である。
昔も今も規模が違うだけで、やっていることは変わらない。
ただ、奴隷制は『権力の法則』を犯しているので、しょせんは長く続かない。それで、すぐに国家宗教に取って代わられた。しかし、その国家宗教が新たな『奴隷制』を生み出すもととなったのだ。その後、幕府が出来たが、幕府もまた『奴隷制』を生み出した。一般的に、政治機関に『奴隷制』は付きものである。だから、奴隷制をなくすためには政治機関をなくさねばならない。最初から政治機関を作らなければ奴隷制は出来ない。
そもそも政治機関が出来たのは、馬鹿な国民が政治機関の口車に乗って騙[だま]されたからである。奴隷解放も植民地もできるわけがない。政治機関は口先で大きいことを言うだけで、実際には国民から税金を取る以外には何もできないのだ。国民が賢ければ、とっくの昔に政治機関はなくなっていたはずだ。つまり、政治機関は国民の馬鹿さで儲[もう]ける機関である。もう、このへんで政治機関を終わらせようではないか。
たとえ日本政府がなくなっても、今の日本では植民地政策のために県[けん]同士で争ったりすることはない。だから、日本政府がなくなっても、豪族が出来たりすることはない。豪族が出来なければ日本政府も出来ず、日本政府が出来なければ幕府も出来ない。政治機関が出来なければ、奴隷制もない。めでたしめでたし。[暴力団は“流れ”に乗っていない。暴力団はやってはいけない物ややってはいけないサービスを売る店だから、いつの時代にもどんな国にもある。たとえ無政治機関主義の国でも、暴力団はある。暴力団は少数の例外者のためにある店だから、大きな問題ではない。]

[9704] ラマヌジャンの方法 h22.3.6
数学は科学とよく似ている。数学は科学と同じである。
科学では具体的に眼で見えることから始まる。
それと同じように、数学でも眼で見える具体的な数式から始まる。
あとは、見る者のイメージを膨[ふく]らませて真実を見るようにすればいいのである。
眼で見えることは真実の一部分であって、眼で見えない真実の部分がある。
それらを総合して、真実の全体を見ることができたとき、新しい発見があるのだ。
『数』には連続的性質と非連続的性質の両方がある。
実数と自然数はひとつの『数』の違う性質を別々に表現したものである。
ラマヌジャンには『数』が見えていたのである!だから新しい数式が書けたのである。[つまり、ラマヌジャンは実数と自然数の両方が得意だったので、両方の性質を使う新しい数式が書けたのだ。それと同じように、ガリレイは数学が得意だったが、科学もまた得意だった。だから頭の中で数学と科学が結びついて、新しい科学が出来たのだ。]
…それはともかく、民族の文化が、民族の得意分野を決める。
インドでは数学が得意である。西洋では科学が得意である。
日本では政治が得意である。だから、日本が西洋の政治を真似てはいけない。反対に、西洋が日本の政治を真似るべきだ。

[9705] 医者 h22.3.6
医者は馬鹿だ。
馬鹿すぎるから、眼で見たことがよくわかるのだ。
医者は眼で見るだけで頭で考えないノータリンのフニャフニャガキばっかりだ。医学部は専門学校だ。
医者も政治家と同じように役に立っているふりをしている役立たずだ。
医者と政治家は似た者同士だ。だから、税金の代わりに医療保険制度があるのだ。
医者も政治家も軽蔑馬鹿[けいべつばか](自分が馬鹿すぎるために他人を軽蔑することしかできない馬鹿)だ。医者も政治家も馬鹿だから頭の中で汚いことばかり考えて陰気臭い。
医者が人間を物だと思っているのは、医者自身が馬鹿すぎて物としての価値しかないからである。政治家も同じだ。
医者も政治家も強欲[ごうよく]である。取り柄[とりえ]のない馬鹿が見栄[みえ]を取り柄にするために他人の財産を奪うのだ。
とはいえ、いくら医者が馬鹿だからといって、医者を支持しない者はいない。私も医者を支持する。だから、『権力の法則』によって医者には権力がある。だから、医者だけが医療保険制度ができるのかもしれない。
でも、それなら電気会社やガス会社に権力があってもおかしくはない。だから、やっぱり医療保険制度はおかしい。医者は患者から現金で払ってもらうようにすればいい。それなら、文句はない。
反対に、政治家を支持する者はいない。だから、税金はやれない。税金を払っている国民はまちがっている。まちがいは直さなければならない。政治家は無一文になって飢え死にするのがお似合いだ。

[9706] 日本のキリスト教とは何か? h22.3.7
日本をヨーロッパの植民地にしたいわけではない。そうなれば、たとえキリスト教の信者といえども奴隷だ。
実際には、日本のキリスト教も、日本神道と同じく日本の植民地政策を支持する会なのである。
日本の仏教も、そうである。
一般に、すべての宗教が国の植民地政策を支持する会なのである。
だから、キリストも釈迦もその他の神も中身は全部神武天皇である。見かけがキリストや釈迦なだけで、その実体は神武天皇である。
つまり、世界中のキリスト教や仏教は、実際には日本神道なのである。
しかし、今は植民地政策をやってはいけない時代だから、宗教はやっても無駄である。

[9707] 『雄弁は銀、沈黙は金』 h22.3.7
しゃべるのが好きな者は考えが足りなくていまいちということである。
しゃべるのが好きな者は、たいてい聞く者に合わせてしゃべっているだけで新しい考えがない。
しゃべらない者は、考えることに時間をかけているから、それだけいい考えがあるということである。

[9708] いたちごっこ h22.3.7
昔日本では、各県[けん]で植民地政策をやっていた。植民地政策をやるために豪族が出来た。豪族は始めのうちは真面目に植民地政策をやっていたが、うまく行かないので、自分の地域の国民を奴隷にするようになった。こうして奴隷制が出来た。つまり、豪族制とは奴隷制だった。
豪族の奴隷制をなくすために国家宗教が出来た。国家宗教をやるために政府が出来た。政府は始めのうちは真面目に奴隷解放政策をやって、国民の支持を得て日本を統一できたが、その後植民地政策に転じた。しかし、植民地政策がうまく行かないので、自分の国の国民を奴隷にするようになった。こうして再び奴隷制が出来た。つまり、国家宗教もまた奴隷制だった。
日本政府の奴隷制をなくすために武家制が出来た。武家制をやるために幕府が出来た。幕府は始めのうちは真面目に日本政府を抑[おさ]えて奴隷制をなくしたが、その後自分でも奴隷制をやるようになった。ただ、植民地政策のために戦争をやらなかったので、戦争による損失を出さなかったので、その分国内的には繁栄した。とにかく、幕府もまた奴隷制だった。
幕末にペリーが日本にやってきてから、再び日本は外国を真似て植民地政策をやるようになった。植民地政策をやるために国家宗教を支持した。国家宗教をやるために日本政府が出来た。日本政府は始めのうちは真面目に植民地政策をやっていたが、うまく行かなかったので、その後自分の国の国民を奴隷にするようになった。こうして、今の日本政府は再び奴隷制をやっている。同じことの繰り返しだ。
日本に政治機関があるかぎり、奴隷制はなくならない。だから、日本から奴隷制をなくすためには政治機関をなくさなければならない。国民には今の日本政府を支持する理由はない。だから、今の国民は政府を支持していない。『権力の法則』より、今の政府には権力がない。だから、国民は政府に逆[さか]らって、政府を潰[つぶ]してやればいい。

[9709] 政府は要らない。 h22.3.7
今の政府の政策は『国民の奴隷化』である。
これでは国民が政府を支持するわけがない。
だから、政府には権力がない。
つまり、今の世の中では政府に従わない国民がいても、その国民が攻撃されることはない。
国民は一致協力して政府を潰す。
国民の得になる政策のない時代に政治機関は要らない。
国民は政治機関のない国を作る。奴隷制のない国を作る。

[9710] 宗教は田舎[いなか]臭い。 h22.3.7
私が自分が神とされているにもかかわらず国家宗教に乗らなかったのは、宗教が田舎臭いからである。
今どき宗教なんて馬鹿馬鹿しくてやれるか!?
第2次世界大戦中、ベルリン市民があまりにもコスモポリタンであったために、ヒトラーの国家社会主義を田舎っぽく思って嫌ったのと同じことだ。[参考;バトルフィールド1942コンプリートガイド、39頁、forGamer編集部&松本隆一著、ソフトバンクパブリッシング株式会社発行、2003年]

[9711] 外国は日本に攻めてくるか? h22.3.7
日本国民が日本政府を潰して、日本に政治機関がなくなったとする。
はたして、外国は日本に攻めてくるであろうか?
日本国民が自国の政府を潰せたなら、外国の政府も潰すことができる。
だから、たとえ外国の政府が日本を支配しても、すぐに日本国民に潰されるから、外国が日本に攻めてくることはない。
自国の政府を潰せるほど頭のいい国民がいる国なら外国も恐[おそ]れて手を出すことはない。

[9712] どうして「古事記」というのか? h22.3.8
国家宗教は植民地政策のためにある。
日本の聖典に「古事記」という名を付けたのは、日本人に日本を貧乏な国だと思わせて日本人の征服欲を煽[あお]るためである。
実際には、日本が世界の中で特に貧しい国というわけではない。日本は資源が貧しい代わりにお金や言葉が豊かである。むしろ、植民地政策のために戦争で損失を出して貧しくなっているのである。日本は古事記のせいで乞食にされてきたのである。
今の政府は国民を政府の奴隷にしてますます国民を貧しくしている。だから、国民が豊かになるためには政府を倒さなければならない。

[9713] 現代法の政治機関ではなぜいけないか? h22.3.8
まず、本当に現代法を法律にしている証拠がない。今の日本政府のように、途中から密[ひそ]かに別の法律を使うようになるかもしれない。
これまでの日本の歴史を振り返ってみると、政府も幕府も国民から税金を取って、国民をいたぶって遊んでいるだけである。つまり、政府も幕府も国民を奴隷扱いするだけである。政治機関は用いる法律によらず、国民を奴隷扱いするだけである。だから、現代法の政治機関も、これまでの政治機関と同じく、国民を奴隷扱いするだけだと予想される。政治機関の法律は国民が守ることであって、政治機関自身の法律は政治機関によらず奴隷制だけなのである。例えば、現代法の政治機関は、国民に現代法を守らせるだけで、自分では奴隷制をやっているのである。
したがって、最初から政治機関を作らないのが一番いいと考えられる。
実際に、今の日本政府は政治機関としての機能がないのも同然であり、今の日本が政治機関がなくてもうまく行っているから、やれないことはない。つまり、今の日本からただたんに日本政府を除[の]ければいいだけである。あとは、国民がまじめに現代法を守って生きていればいいだけである。もっとも、法律家と保安官ぐらいは要るだろうが。あとは試行錯誤で決める。国民みんなで考えて、幸福な生活にとって必要な機関をそろえればいいだけである。

[9714] 国民は馬鹿 h22.3.8
江戸時代以前は、日本人は植民地政策をやる日本政府を支持していた。しかし、植民地政策は失敗し、戦争で大赤字を出した。その後政府は外交を続けて対外的に植民地政策をやっているふりをして、実際にはやっていなかった。政府は自分の国内で植民地政策をするだけで、自分の国の国民を政府の奴隷にするにすぎなかったのである。
江戸時代に、徳川幕府が日本政府を抑えて植民地政策をやめたときには、日本人はいやいや幕府に従った。幕府が地味な政策をする嫌な政治機関に思えたからである。しかし、その結果、日本は繁栄した。日本人が外国から宝を分捕[ぶんど]って遊んで暮らすのではなく、自分の力で自分の国をよくしようと思ったからである。
今の日本は江戸時代以前の日本と同じである。政府が対外的に自分の国を有利にしているふりをして、実際にはそんなことはやっていない。自分の国の中で、国民を政府の奴隷にして、政府を国民よりも有利にしているだけである。
そんなことにも気づかずに、政府を支持している国民は本当に馬鹿だ。今の国民は自分を奴隷にする者をありがたがって支持している。自分が奴隷にされて喜んでいる。国民がそんなに馬鹿だから、政府になめられるのだ。政府に税金を増やされたり、事件で殺されたりするのだ。
そもそも植民地政策なんかそううまく行くものではない。なぜなら、人類はみな平等だからである。テレビや新聞で見ても、今の外国は日本とそう変わらない。日本人も外人も同じ人間だから、一方が他方に対して一方的に有利に立つことはできない。自国が他国に対して有利に立つためには、自分の国の文化を自分自身の力で高めるしかない。それが本当にできたとき、世界を制覇[せいは]することができるのだ。
明治時代の数学者高木貞治[たかぎていじ]も『微分のことは微分でせよ』と言っている。外国に頼ろうとする日本人の心が悪いと言っているのである。自分でやろうとせず他人にやってもらおうとする心がまちがっているのだ。
そもそも国が植民地政策をやらないかぎり政治機関など要らないのである。政治機関は植民地政策をやるためにある機関なのである。政治機関は国の植民地政策の本部なのである。しかし、今は植民地政策(戦争のこと)が国際的に禁止されている時代である。植民地政策が禁止されたのは、人類みんなが植民地政策がうまく行かない政策であることを悟[さと]ったからである。人間は誰でも他人の奴隷になるのが嫌だからである。だから、今の時代には政治機関は要らない。だから、日本政府は要らない。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。

[9715] 政治機関は要るか要らないか? h22.3.8
政治機関はもともと国が外国に対する植民地政策をするために作った機関である。[神武天皇は植民地政策のために昔の日本人が考案したマスコットキャラクターである。]
しかし、今は世界中で植民地政策をやめている。
だから、政治機関は要らないはずである。
だから、国民が植民地時代が終わっても政治機関をそのまま置いていることがまちがいなのである。
要らなくなった機関をそのまま置いているから余計なことばかりやるのである。
政治機関の務[つと]めは植民地時代で終わった。第2次世界大戦までで終わった。
だから、さっさと政治機関を片付けねばならない。
今の政治機関は植民地政策をしていないから国民の支持などない。だから、国民がいくら政治機関に逆らっても誰も咎[とが]めたりはしない。むしろ、応援してくれるだけである。
要らない物は片付けるのが正しいのであって、要らない物をそのまま置いておくのがまちがっている。だから、政治機関はさっさとゴミ箱に捨てるべきである。

[9716] 政治機関がなかった頃☆ h22.3.8
政治機関が出来る前は、国民だけでお互いの決まりを守りながら平和に暮らしていた。
しかし、そのうち国民は豊かさを求めて植民地政策をやるようになった。植民地政策をやるために政治機関を作った。
その後、植民地政策がうまく行かずに、政治機関は自分の国民を奴隷にするようになった。
こうして、国民が政治機関の奴隷にされている嫌な世の中になったのである。
植民地政策は夢物語にすぎない。国が植民地政策をやらなければ、政治機関は要らない。
政治機関をなくして、国民だけの平和な暮らしに戻るべきである。

[9717] 自業自得 h22.3.8
人間は植民地政策をやるために政治機関を作った。
その結果、人間が政治機関の奴隷にされて、逆に政治機関に人間が苦しめられることになった。
人間は自分の欲望のために自分自身を苦しめている。
だから、人間は植民地政策をやめればいい。政治機関をなくせばいい。
そうすれば、政治機関の奴隷にされて苦しめられることもない。
植民地政策などしょせんかなわぬ夢にすぎないのだ。人間は諦[あきら]めが肝心だ。

[9718] 日本と外国の違い h22.3.8
日本では強い軍事力がなかったので、植民地政策が一度も成功したことがない。豪族や政府による自国の国民支配しかなかった。
一方、外国ではエジプトやローマ帝国に強い軍事力があったので、植民地政策が成功したことがある。エジプトやローマ帝国は戦争で負けた国の国民を奴隷にしたのである。
しかし、それも昔の話だ。
今では、人類みんなが奴隷になるのが嫌だということが認められて、植民地政策をやらなくなった。

[9719] 日本の治安は警察に任[まか]せろ! h22.3.9
吉野家やマクドナルドやセブンイレブンなどは全国規模のチェーン店である。
しかし、吉野家やマクドナルドは奴隷制をしない。
客からお金を取って牛丼やハンバーガーを売るだけである。
警察もそれと同じである。
全国各地に警察署のチェーン店を作れば、警察が経営できる。
客からお金を取って警備サービスを売ればいい。
警察も奴隷制をしない。
政府は植民地政策をやるための機関であり、警察は国民の安全を守るための機関である。
政府と警察はもともと別の機関なので、政府が潰れても警察は残る。
政府が奴隷制をやるのは、本来政府が外人を奴隷にする機関だからである。外人も自分の国の国民も同じ人間なので、植民地政策に失敗した政府は外人の代わりに自分の国の国民を奴隷にしているのである。
その点、警察は犯人の逮捕をするだけで奴隷制をしないので、安心である。本来その機関に備わっていない機能は働かないのだ。
国民から税金を取るのは政府だけである。警察は国民と契約を取って客からサービス料金をもらってサービスを売るのだ。
法律家のチェーン店を作れば、国の立法機能を担[にな]うことができる。サービス料金がリーズナブルであれば、国民は契約しないでもない。

[9720] 奴隷制の会社 h22.3.9
政府は奴隷制をやる会社である。
政府はもとは対外的に植民地政策をやる会社だったが、今は国内的に植民地政策をやっている。それで自分の国を政府の植民地にして自分の国民を奴隷にしているのである。
政府は国民の支持を得るために、国民の役に立っているふりをしている。テレビや新聞や教科書を使って、やりもしないことをやったことに、やったことをやっていないことにして、自分のいい印象作りに努[つと]めている。
しかし、実際には、政府は国民を奴隷にする仕事以外はしていないのである。政府は奴隷(国民のこと)から税金を取るだけで、あとは暇つぶしに国家宗教を使って奴隷を殺して遊んでいるのである。政府の付属機関はそこそこ仕事をしているかもしれないが、政府の仕事は税金と奴隷殺しだけである。政府は付属機関を囲うことによって、政府が何をしているかわからないようにして、国民の眼を誤魔化しているのである。
国民は政府を支持してはいけない。国民がいくら政府を支持しても国民に得になることがない。政府は奴隷制をやる会社だから、国民にとって一方的に損である。だから、国民は政府を倒さねばならない。政府がなかった頃の国民だけで平和に暮らせる世界を取り戻さねばならない。
政府は『権力の法則』を認めている。だから、わざわざいい印象作りをするのである。したがって、政府の正体を見破った者は、もはや政府を支持する気にはならないから、政府に従わなくてもいい。それは政府のカモフラージュが甘かったせいだから、政府が悪い。
政府の付属機関は民営化して政府から独立することを考えたほうがいい。そうしないと政府といっしょに潰[つぶ]すぞ!政府の付属機関が国民にとって役に立つ機関ならとっくの昔に独立している。だから、政府といっしょになくなったほうがいいかもしれない。

[9721] 『巨人の星』の大リーグボール h22.3.9
野球のボールは白くて光るから、神武天皇の光の玉の喩えであり、日本政府がやっている国家宗教のことである。[[9431]を参照。]
大リーグボール1号は、戦前の国家宗教のことである。ボールが剛速球なのは、戦前の日本政府が国家宗教を勢いよく盛んにやっていたことを表している。ボールが打者のバットに当たるのは、バットが木で出来ているから、日本政府が国家宗教で国民の気に入る(←木に当たる)ことしていたを表している。戦前の日本政府は国民と一体になって外国の植民地政策をやっていたから、国民の気に入ることをしていたわけである。ローマ帝国がローマ市民のために住宅や水道を作っていたのと同じである。
大リーグボール2号は、消える魔球だから、日本政府が国家宗教をやめたことである。消える魔球を消した砂ぼこりとは日本国憲法のことである。しかし、実際には消える魔球はボールが本当に消えてなくなるわけではないから、戦後も日本政府は国家宗教をやり続けているのである。
大リーグボール3号は、戦後の国家宗教のことである。ボールがスローボールなのは、戦後の日本政府が国家宗教を控えめにやっていることを表している。ボールが打者のバットに当たらないのは、バットが木で出来ているから、日本政府が国家宗教で国民の気に入らない(←木に当たらない)ことをしていることを表している。戦後の日本政府は自分の国を植民地にして自国の国民を奴隷扱いしているから、国民の気に入らないことをして国民を虐[いじ]めているのである。
ちなみに、伴宙太の名前が“忠太”ではないのは、国民には政府に対する忠誠心がないことを表している。大リーグボール3号から伴宙太が星飛雄馬の敵にまわったのは、戦後の政府が国民の敵になったことを表している。

[9722] 国民は馬鹿 h22.3.9
政府が強いのは、国民の支持があってのことである。この世には『権力の法則』があり、政府の権力は国民の支持に比例するからである。
国民が政府を支持しているのは、政府がテレビや新聞や教科書の通りだと思っているからである。国民が政府に無関心であり、テレビや新聞や教科書を鵜呑[うの]みにしているからである。
しかし、実際には、政府は国民の敵である。政府は自分の国を植民地にして、自分の国の国民を奴隷にしているのである。
今の国民はこともあろうに自分の敵にわざわざ毎月高い税金を払っているのである。
今の政府は国民が支持すべき対象ではない。だから、政府には権力がない。政府は弱い。
『権力の法則』は政府の弱点である。国民に政府の正体を教えてやれば、政府はすぐに潰れる。

[9723] 見栄張り h22.3.9
見栄とは、眼で見える世界で優れていることである。
人間はボンクラ馬鹿ほど見栄を張る。
男でも女でもだ。
女の中にもときどき利口なのがいる。

[9724] 政府は要らない会社だ。 h22.3.9
政治機関は植民地政策のためにある機関である。[江戸時代は例外だが。]
政治機関は国民が植民地政策をするために作った機関である。
植民地時代は政治機関は国民と一体になって外国を植民地にするために戦争をしているが、
植民地時代以外は、政治機関は自分の国を植民地にしている。自分の国の国民を奴隷にしている。
そもそも政治機関は政治をするための機関ではない。政治機関は法律で国民の幸福を守ることが仕事ではない。政治機関は外国や自国の国民を奴隷にするのが仕事である。
しかし、植民地時代はもう終わった。奴隷の時代は終わった。
だから、政治機関はなくさなければならない。
私が訴えるまでもなく、政治機関はすでになくなりつつあるような気がする。真理は自[おの]ずと実現されるのだ。

[9725] オカマ h22.3.9
幕府は男である。政府は女である。
鎌倉幕府の時代は、幕府と政府が共存していた。つまり男と女がいっしょだった。
だから、男女両性の者をオカマ(←かま←鎌倉)というのだ。

[9726] 現代法の政治機関がない理由 h22.3.10
政治機関は植民地政策をするための機関である。自国や他国の人間を奴隷にするためにある機関である。政治機関は奴隷制をやるためにある機関である。[幕府も奴隷制をやるための機関である。]
一方、現代法は人類みんなの人権を保障する法律である。現代法は奴隷制を禁止する法律である。
したがって、政治機関と現代法は矛盾する。
だから、現代法の政治機関はありえないのである。
だから、実際に、この世には現代法の政治機関はひとつも存在していないのである。
もっとも、現代法を法律とする警察や法律家は存在し得[う]る。
この世に豪族や政府などの政治機関が出来る以前の時代にも、すでに警察や法律家は存在した。その頃は国民がお互いに共通の決まりを守って平和に暮らしていた。決まりを破った者はみんなや警察で捕まえて牢屋に入れた。言い争いが起こったときは法律家が調停した。政治機関がなかったので、まだ税金はなかった。税金は政治機関が国民を奴隷と見なして集めた物や金のことである。警察や法律家は寄付金か何かの方法によって収入を得ていたと考えられる。国民が政治機関に税金を払わなければ、警察や法律家に寄付金を出すぐらいの余裕はあるのだろう。

[9727] 中国の政治機関 h22.3.10
西洋や日本では外国を植民地にすることを考えたが、反対に中国では外国から自分の国を守ることを考えた。
中国では『国を守るために』政治機関を作ったのである。
だから、中国の政治機関には外国や自国の国民を奴隷にする機能がない。
中国の政治機関は、国民の暮らしを守るためにあるのだ。
一方、日本は小さな国であり、周りを海で守られているので、中国の真似[まね]をする必要はない。
でも、今は植民地政策の時代ではないから、国を外国から守る必要もないので、中国の政治機関も要らないだろう。
そもそも中国に国を守るための政治機関を作らせたのは、西洋や日本に植民地政策をするための政治機関があったからである。もしも西洋や日本に政治機関がなかったら、中国も政治機関をわざわざ作らずに済んだのだ。今は世界中で政治機関がなくなりつつあるから、将来は世界中の国に政治機関がないようになるだろう。

[9728] 核ミサイルの時代 h22.3.10
今は核ミサイルの時代である。核ミサイルを落せばどこの国でも征服できる。
核ミサイルは戦争ほどお金がかからない。
核ミサイルはどこの国でも持てる。[日本も持てる。]
今は世界中の国々が核ミサイルで脅[おど]し合っている時代である。
だから、世界中の国々が平等である。強力な武器の発明が、世界中の国々を平等にしたのである。たった一発のミサイルで、世界大戦における一国の戦死者の総数に匹敵する人間を殺すことができるのだ。
だから、植民地政策の時代は終わったのである。奴隷制の時代は終わったのである。
したがって、政治機関は要らなくなったのである。日本政府は用済みだ。

[9729] どうして今の国会や警察は偉そうなのか? h22.3.11
国会は法律を作る機関である。
警察は法律に反する犯罪者を取り締まる機関である。
もともと国会も警察も偉そうではなかったが、奴隷制をやる機関の政府と組むことによって奴隷制を取り込んで国民に対して偉そうにしているのである。[[9006] の図を参照。]
それで、国会は国民をなめた法律ばかり作って増税ばっかりするし、警察も国民をなめてろくな取り締まりをせずに遊んでいるのである。警察は政府が国民を殺しているのを見て見ぬふりをしている。奴隷には人権がないから殺されたっていいのである。[しかし、政治家も国会議員も警察も国民の一人だから、政治家も国会議員も警察も国民と同じ奴隷にすぎず、国民が政治家や国会議員や警察の人権を無視して殺してもいいのである。「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」ことは“国の政策”なのだから、政治家や国会議員や警察が国民に殺されたり国民に物を奪われたりしても当然である。(平成22年3月17日追加)]
政府をなくせば奴隷制が消えるから、国会も警察も偉そうにしなくなり真面目[まじめ]に仕事をするようになるのだ。
国民全員が政府と組んでも、国民同士が他人を奴隷扱いしてお互いに潰[つぶ]し合うことになってうまく行かない。だから、政府をなくすしかないのだ。

[9730] 歴史は繰り返す。☆ h22.3.11
今の日本は、古墳時代に朝鮮の植民地任那[みまな](369〜562年)を失った後の状態と同じだ。
その後日本は飛鳥時代に入り中国の律令制をやるようになるが、これは今の日本が世界大戦で負けてアメリカの民主制をやるようになったのと同じだ。[日本は古墳時代末期に中国との戦争に負けて、一時[いちじ]中国の植民地になっていたのかもしれない。]しかし、実際には、日本政府はその後も依然[いぜん]として国家宗教を続けていたのである。つまり、日本政府は国内で奴隷制をやっていたのである。[国家宗教とは奴隷制にほかならないからである。]政府は自分が律令制の政治をやっているふりをして国民の眼を騙[だま]して国民の支持を得ていたのである。
そのうち、国民に政府が国家宗教をやっていることがバレて、国民が政府といっしょになって国中で国家宗教をやるようになり国内が荒[あ]れるようになる。
そのあとで、国民が政府を倒すことを考えるようになり、武家制で国民を支配する幕府のような政治機関が現れる。
幕府も政府も奴隷制をやる機関である。どちらも国民にとってありがたい機関ではない。だから、幕府が政府にすんなりと代[か]わらなかったのである。
そんな歴史はもうたくさんだ。祖先のまちがいを繰り返すだけだ。
そもそも政治機関があるから国がうまく行かないのだ。
だから、さっさと政治機関をなくせばいい。
政治機関が出来る前の奴隷制のない平和な国を取り戻さなければならない。
そもそも政治機関は植民地政策から生まれた機関である。ところが、今は植民地政策はやっていない。だから、政治機関は要らないのだ。
この世には『権力の法則』がある。国民が政府を支持しなければ政府は潰[つぶ]れる。だから、政府を倒すためには、国民が政府を支持しなければいい。例えば、国民は政府に税金を払わなければいいし、国民は政府の命令を聞かなければいい。
文学者に伏せた政治批判文学ばかり書かせるのも、世界大戦のとき国民が無理やり政府に戦争に行かされたように国民に思わせるのも、政府が国民にこの世に『権力の法則』がないように思わせるための工作だ。

[9731] 政治機関は要らない。 h22.3.11
暴力団と政治機関は同じである。[[9521]の図を参照。]
暴力団がなくなっても困らないように、政治機関がなくなっても困らない。
政治機関はもともと植民地政策をやるために国民が作った機関だから、植民地政策をやらない時代には要らない。
植民地政策をやらない時代には政治機関は自分の国の国民を奴隷にしているだけだから、そんな機関は要らない。
政治機関はなくなったほうがいい。

[9732] 天皇は殺された! h22.3.11
幕府は政府のライバルだから、江戸幕府が政府に勝ったとき天皇は殺されたはずである。
天皇一人を殺しても親族の誰かを新しい天皇にすればいいだけだから、天皇の親族を皆殺しにしたはずである。
幕末になって、日本が植民地政策をすることになったとき、急遽[きゅうきょ]天皇をでっち上げたのである。
だから、明治天皇は江戸時代以前の天皇と血はつながっていないのだ。

[9733] 自衛隊 h22.3.11
国が植民地政策をしなければ、政治機関は生まれなかった。
政治機関のない国でも、国民の生活を守るために警察や法律家は生まれる。
警察が発展して、国民の人権を守るために自衛隊を持つようになることは考えられる。核ミサイルを持つことは考えられる。
だから、たとえ政治機関がなくなっても自衛隊はなくならない。

[9734] 日本は嫌な国だ。 h22.3.11
アジアで植民地政策をやっていたのは日本だけである。
しかも、成功したのは古代の一時期(任那[みまな])だけである。
それ以外の時代には、政府や幕府が国民を奴隷扱いして威張り散らしていただけである。
アジアの他の国では、そんなことはない。政治機関と国民が仲よく楽しくやっている。
ヨーロッパやアメリカでは政教分離が進んで政治機関と国民が仲よくやっているし、いまだに政治機関が奴隷制をやっているのは日本だけだ。
日本は世界一嫌な国だ。
ヨーロッパやアメリカが豊かなのは『人間に才能がある』からであって、植民地政策のためではない。つまり、国家宗教や奴隷制のためではない。
日本にはそれほど人間に才能がない。日本は貧しい上に政府が威張り散らすだけの嫌な国だ。

[9735] 日本人は田舎者 h22.3.12
日本人はまちがったことをやるときだけ面白がって、正しいことはちっともやろうとしない。性格がひねくれすぎている。かわいげがない。
だから、できもしない植民地政策に乗り気だったのだ。
日本人は口が大きいだけで実力がない。日本人はよほど賭[か]け事が好きならしい。
反対に、国民の奴隷政策をする日本政府を倒そうとしない。
自分を幸福にしたがらない。自分を不幸にすることしかしない。
そんな民族は永遠に地獄から抜け出せないだろう。日本は永遠に幸福な国にならないだろう。
どんなに日本政府が大きな組織でも、この世には『権力の法則』がある。
だから、『権力の法則』の通りに動けばいい。
政府が国民を奴隷にする政治機関で、自分がそんな機関を支持しなければ、自分は政府に逆[さか]らうしかない。それが人間として正しい行為なのだ。税金は政府を支持する者が政府に払う金であって、政府を支持しなければ政府に払う金はない。
昭和40年頃にアメリカが日本から撤退[てったい]したとき日本国憲法は廃止になった。憲法第30条も無効になった。だから、今の国民には納税の義務はない。

[9736] 中国は核ミサイルを作りすぎるなよ! h22.3.12
核ミサイルを持っていれば、他国を容易に征服できる。他国に脅[おど]しが効[き]く。
そのために、どの国も核ミサイルを持ちたがる。
大国ほど金を持っているから、核ミサイルが装備しやすい。
しかし、いくら大国といえども、全世界から見れば少数である。
大国が正当な理由もなくわがまま勝手に小国を攻撃すれば、人類みんなの非難を浴びてみんなが大国を支持しなくなる。
『権力の法則』により、大国は権力を失い、大国の命令を誰も聞かなくなる。大国は世界中から無視されて滅びる。

[9737] 誰も政府を支持しない。 h22.3.12
政府は国民の奴隷制をやる会社である。政府は国民を奴隷にする会社である。
国民は誰もそんな会社を支持しない。
政府を支持しているのは、開きめくらの馬鹿だけだ。馬鹿は「政府」の名前で政府が偉いと思っているだけだ。「政府」だから政府に従わねばならないと思っているのだ。馬鹿は眼で見るだけで頭で考えないからそうなるのだ。
科学の世界では、真理が支持されるだけだ。
私の『政治学』は正しいから、そのうち大勢に支持されるだろう。

[9738] 戦争は忘れた頃にやってくる。 h22.3.12
日本は古代に朝鮮と戦争をして朝鮮南部の任那[みまな]を369〜562年までの約200年間植民地とした。
しかし、古代の終わりに中国と戦争をして負けて任那から撤退[てったい]した。
その後、豊臣秀吉が1592年に朝鮮出兵をするまでの約1000年間日本は外国と戦争をしなかった。
つまり、日本は一度戦争に負けたら、その後1000年は戦争に負けたことを憶えていて戦争をしないのである。
日本はこのまえ第2次世界大戦に負けたから、当分の間は外国に対して戦争をしない。たぶん西暦30世紀頃まで戦争をしないだろう。
『天災は忘れた頃にやってくる』と言うが、天災が起こるか起こらないかを決めるのは自然であって人間ではなく、天災は人間が忘れていようが憶えていようが自然が勝手に起こすから、『天災は忘れた頃にやってくる』はまちがいである。

[9739] 国家宗教とは何か? h22.3.12
国家宗教とは、国が政策をやるときのプロパガンダ放送(政治的宣伝放送)のようなものである。つまり、国家宗教とは一般大衆にわかりやすいように具体的なおとぎ話に言い換えた政策のことである。『スーパーロボット レッドバロン』のロボットや『ヘタリア』のキャラクターが国の擬人化であり、『ミラクル☆トレイン』のキャラクターが駅の擬人化であるように、国家宗教の神は政策の擬人化なのである。
奴隷開放政策のときにはモーゼ教を
福祉政策の時にはキリスト教を
鎖国政策の時には仏教を
植民地政策(奴隷政策)のときには神武天皇教を国内に普及させた。
肝心[かんじん]なのは政策を実際に行うことであって、国家宗教をやることではない。国家宗教は政策のおまけにすぎない。
今日[こんにち]では国家宗教を無理にやる必要はない。税金(国家宗教代)が高すぎる。政府が駄洒落[だじゃれ]で無駄なことばかりやっている。今の政府は国家宗教の言葉尻[ことばじり]をとっているだけだ。政府は国家宗教よりも国民にとって必要な政策をやれ!国民にとって必要な政策は民間会社や政府の付属機関がやるから、政府は要らない。政府がなくなって国家宗教をやめたほうがいい。

[9740] 『スタートレック(宇宙大作戦)』第25,26話「タロス星の幻怪人」 h22.3.12
事故でつぎはぎだらけになったビーナが幻怪人の超能力で美人に見えたのは、アメリカ政府は裏では国家宗教をやっていながら、国民には政府が現代法の政治機関をやっているように思わせているということである。
アメリカ合衆国では、国民は現代法を守っているが、政府は国家宗教をやっているということである。
私の哲学日記[9521]の図と同じことである。

[9741] 民間宗教とは何か? h22.3.12
売れない政策を思いついた政治団体である。
政策が国民全員に支持されれば政府や幕府のような国家的な政治団体になれる。
例えば、超能力がらみの政策では民間宗教どまりである。大人は相手にしてくれない。
今の政府にも『売れる政策』がない。だから、政府はもうすぐ政治団体ではなくなるだろう。
今の「国民を奴隷化する」政策をする政府の代わりに、「現代法で国民の安全な暮らしを守る」政策をする政治団体が現れれば大勢の国民の支持が得られて日本を取れるだろう。

[9742] 鎌倉幕府と室町幕府と江戸幕府 h22.3.12
鎌倉幕府は、1192〜1333年までの150年間の源家が支配した時代である。
室町幕府は、1336〜1573年までの240年間の足利家が支配した時代である。
徳川幕府は、1603〜1867年までの264年間の徳川家が支配した時代である。
表で律令制をやり裏で国家宗教をやっている日本政府の汚い政治のやり方に嫌気[いやけ]がさした国民の中に、日本政府を倒そうとする者達が現れた。それが、幕府である。今の民間宗教団体のように、国民には『政治機関を作る自由』があるから、誰でもやる気さえあれば自由に新しい政治機関を作ることができるのである。
鎌倉幕府と室町幕府の時代は、幕府と政府の支持率がどっこいどっこいだったので、幕府と政府が共存していた。国民には『政治機関を選ぶ自由』があるから、国民は幕府か政府の一方に税金を払っていればよかったのである。いざとなれば、すべての政治機関に加入せずに生きてもいいのである。その代わり、自分の命は自分で守らなければならないが。昔は世の中が物騒[ぶっそう]だったので、実際にはみんな何がしかの政治機関に入っていたのだ。しかし、今は世の中の治安がいいし、政府のサービスがしょぼい(というか、実質的にはない)ので、いっそ入らなくてもいいのである。政府に入らなければ税金を払わなくてもいいから、それだけ得である。政府のサービスを受ける機会がなさそうなら、政府に入らないほうがいい。政府の“奴隷制のサービス”なんか受けたくないから、むしろ政府に税金(つまり奴隷制の代金)を払わずに政府から出たほうがいい。…もとい。
鎌倉幕府と室町幕府は、はじめの頃は税金が日本政府よりも安かったので人気があったが、その後次第に税金が高くなって行って国民の支持が得られなくなったので、もとの日本政府に戻った。
徳川幕府は日本政府に比べて税金がだんぜん安かったので国民の絶大な人気を得て、日本政府を完全に倒した。徳川幕府の時代全般に渡って税金があまり高くならなかったので、日本国民は徳川幕府を支持し続けた。幕末に国民が植民地政策で儲[もう]けてやろうと思って日本政府を支持するようになるまで、徳川幕府の支配が続いたのである。
幕府は政府の奴隷制を襲踏[しゅうとう]していたので、政府と同様に偉そうだった。[襲踏[しゅうとう]とは、踏襲[とうしゅう]のことである。私が子供の頃は踏襲[とうしゅう]を襲踏[しゅうとう]と言った。]
国民にとっては幕府も政府も大した違いはなかった。
だから、国民はとにかく1円でも税金が安いほうを支持したのだ。税金が安いほうが天下を取れたのだ。
しかし、今の時代に奴隷制はないだろう。今どき奴隷制をやる政治機関なんか国民が支持するわけがない。
奴隷制のない政治機関で、日本政府よりも税金が安ければ、国民は支持するに違いない。そんな政治機関が現れれば、日本政府はひとたまりもないだろう。

[9743] 暴力団と政府[[9521] の図を参照。]☆ h22.3.13
暴力団は自分たちが町を見回っているから国民が平和に暮らせるのだと言ってショバ代を取りに来る。
政府は自分たちが奴隷制をやっているから国民が平和に暮らせるのだと言って税金を取りに来る。
実際には、暴力団も政府も役に立っていない。
実際には、国民がお互いの決まりを守って暮らしているから平和に暮らせるのである。
国民のお互いの決まりは国民が作ったものであって、政府や暴力団が作ってくれたものではない。
政府や暴力団は国民の手柄[てがら]を自分の手柄にしているだけである。何も働いていないのに働いていることにして仕事代を取りに来るのである。
だから、国民にとっては暴力団も政府も要らない。
最近暴力団のマナーが善くなったから、政府にもマナーを善くしてもらわなければならない。

[9744] 奴隷の概念☆ h22.3.13
政府があるから奴隷制がある。政府があるから国民が奴隷にされている。
政府が『奴隷の概念』の生みの親である。政府はもともと植民地政策をやる会社だったので、外国人を奴隷にしていたから、奴隷の概念を自分で創[つく]って持っていて、自分の国の国民に奴隷の概念を当てはめているのである。
国会や警察が国民を奴隷視して国民に対して偉そうにして国民のためにならない出鱈目[でたらめ]な仕事ばかりやっているのは、奴隷制をやっている政府と組んでいるからである。国会や警察が政府の付属機関になっているからである。[[9006]の図を参照。]
政府がなくなれば、世の中から奴隷の概念が消えてなくなる。国会も警察も国民と平等になって国民のために真面目[まじめ]に働いてくれる。税金も今のように奴隷(国民のこと)から政府が一方的に取れるだけ取り立てるのではなく、もっと経済学を反映したリーズナブルな値段になる。
要するに、奴隷の概念が加わるか加わらないかの違いである。
奴隷の概念が加わらないだけで世の中が大きく変わる。微妙だが大きく変わる。[ニュートンが“無限小”を有理数に加えて実数を創[つく]ったぐらいの違いがある。ニュートンが有理数と有理数の隙間[すきま]を“無限小”で埋[う]めることによって、連続的な実数の体系が完成したのである。]
奴隷の概念がない世の中のほうが国民にとっては有利である。
だから、政府を滅ぼさねばならない。

[9745] わかるということ h22.3.13
言葉の意味がわかるとは、具体的なイメージを思い浮かべることではなく、抽象的なイデアを思い浮かべることである。
もっとも、抽象的なイデアのもとは具体的な五感の経験にあり、イデアは五感の経験をもとにして知覚で思考することによって知覚(右脳)の中に生み出される。つまり、イデアは人間が生まれつき頭の中に持っているのではない。イデアは実在における経験と思考によって作り出されるのである。
例えば、政府が持っている『奴隷の概念』も、植民地における経験と思考によって作り出されたものである。

[9746] 左右反転文字 h22.3.13
私は子供の頃、小学1〜2年生ぐらいまで左右反転文字を書いていた。例えば、自分の名前の“かわののぶお”の“の”の字を“@”のように書いていた。だから、“@”[アットマーク]の新しい記号が出来たのである。
かのレオナルド・ダ・ビンチも左右反転文字を書いていたことで有名である。
左右反転文字を書く者は右能が発達している。人間の右脳には新しい概念を作り出す能力がある。

[9747] 福祉政策 h22.3.13
キリスト教は福祉政策である。
神武天皇教は植民地政策である。
ヨーロッパの中世は暗黒時代だった。
ヨーロッパの近代は植民地時代だった。
だから、キリスト教が暗黒時代の原因である。だから、暗黒時代には、ヨーロッパの人々はキリスト教が社会を低迷させる原因だと考えて、キリスト教の者を処刑したのである。暗黒時代にはキリスト教に対する人々の支持はなく、『権力の法則』によりキリスト教には権力がなかったのである。
キリスト教は福祉政策で、福祉は「他人に助けてもらう・他人にやってもらう」心構[がま]えだから、みんなが自分からやろうとする気持ちがなくなって、文化が衰退したのである。
福祉も行き過ぎるとかえって他人[たにん]の足を引っ張ることになる。福祉もほどほどにしなければならないと言うことである。
植民地政策で社会がある程度発展したのは、みんなが自分からやろうとする気持ちになっていたからである。
人間にとって一番大事なのは『自分からやろうとする気持ち』である。外国を植民地にすることや他人を奴隷にすることではない。政府が国民を奴隷にすることでも、国民が政府の奴隷になって働くことでもない。
植民地政策は「他人にたかる」心構えだから、植民地政策も自分からやろうとする気持ちがなくなって、みんなが怠慢[たいまん]になって国が衰える。政府があると、自分でやる仕事よりも他人にたかる仕事のほうが待遇がよくなって、他人にたかる仕事ばっかり増えて国がうまく行かなくなる。
だから、植民地政策の生き残りである政府をこの世からなくさなければならないのである。


[9748] 幕府とは何か? h22.3.13
幕府は、国民には自分から働かせて、自分たちは国民にたかって食っていた。
つまり、幕府とは、仏教を取り入れた日本神道である。
幕府は政府のライバルで政府とは別の組織だが、細かい政策が違うだけで、性格は政府と変わらなかったのである。だから、幕の内弁当なのだ。
『自分からやろうとする』性格の政治機関は現れないものだろうか?これまでの政治機関はみな国民にたかって食うだけである。政治機関なんかないほうがいい。

[9749] 幕府が出来る前の時代 h22.3.13
源頼朝が1192年に鎌倉幕府を築[きず]く前は、日本には日本政府しかなかったから、日本には他人にたかる仕事しかなかった。みんなが他人にたかってばかりいたので、日本は貧乏のどん底だった。日本は滅亡寸前だった。
幕府が出来て幕府が日本に仏教を取り入れるようになってから、幕府が他人にたかる仕事よりも自分でやる仕事のほうを待遇をよくしたから、日本中に自分でやる仕事が増えて、日本の国力が増したのである。日本が繁栄するようになったのである。
幕府自身は国民にたかって食っていたとはいえ、幕府は日本神道すなわち植民地政策をやる会ではなかったから、国全体としては自分で仕事をするようになり、日本がうまく行くようになったのである。武士が刀を持っていたのは、武士は自分で仕事をしていないから刀を持ってないと他の国民になめられてしまうから仕方なく重たい刀を持たねばならなかったからである。刀は、仕事をしない政治機関が「国民が自分で仕事をする」政策をする自己矛盾を解決するためにどうしても必要なアイテムだったのだ。
しかし、今は日本政府が日本を支配している。日本国憲法はただの紙切れにすぎない。日本政府は日本神道すなわち植民地政策をする会だから、日本人みんなが他人にたかって生きて行こうとしている。今の日本は幕府が出来る前の時代を繰り返そうとしている。このままでは、日本がまた衰退するだけだ。
政治機関自身が国民の税金で食べていくのは仕方がないとしても、せめて幕府ぐらいの政策は持っていて欲しい。

[9750] 女尊男卑[じょそんだんぴ] h22.3.13
男は自分で仕事をする動物である。
一方、女は他人にたかって生きていく動物である。それが女の習性である。
だから、仏教徒の家族では女の子を喜ばないのである。
近代以降は、政府の時代である。
ヨーロッパのキリスト教は、実質的には神武天皇教である。
神武天皇教は植民地政策であり、植民地政策は他人にたかることである。
だから、政府の時代は他人にたかる仕事が増える。他人にたかる者の待遇がよくなる。
だから、政府の時代には女の待遇がよくなるのだ。女尊男卑[じょそんだんぴ]になるのだ。

[9751] 政治機関は要らない。 h22.3.13
いい政治機関ですら、『自分の力でやる』ことを国民に教えるだけである。
その他[ほか]の政治機関は、「他人にやってもらう」ことや「他人にたかる」ことなどの悪いことを国民に教えるだけである。
その程度のことが政治機関の仕事なら、政治機関は要らない。税金は授業料には高すぎる。政治機関があると無駄金[むだがね]がかかるだけである。
国民が自分で自分のために正しいスローガンを立てればいいだけである。それなら只[ただ]である。
政治機関がなければ国民はまさしく『自分の力でやる』しかないし、一番いい教えだと言える。
世の中には自分でやるのが得意な人や他人にやってもらうのが得意な人や他人にたかるのが得意な人などいろんな人間がいるから、めいめいが自分の得意な才能を活かして生きればいいだけだ。だから、国民みんなに同じことをさせる政治機関は要らない。
国民に現代法を守らせるのは政策ではないから、政治機関は要らない。それは警察の仕事である。

[9752] 中国の政治思想 h22.3.14
荘子の思想は「知覚で考えるな」ということである。
孔子の思想は「眼で見ることを大事にせよ」ということである。
荘子と孔子が中国人が馬鹿になる原因だ。
中国は荘子と孔子を捨てないかぎり未来はない。

[9753] 政治家デカルト h22.3.14
荘子や孔子が政治家ならば、デカルトだって政治家だ。
デカルトの思想は「眼で見て知覚で考える」ことだからである。「すべての感覚を用いる」ことだからである。
日本神道のいいところは、植民地政策をする以外には細かい注文をつけないことだ。
だから、近代以降のヨーロッパで科学をやるようになると、知覚で考えてはいけないキリスト教の代わりに知覚で考えてもいい日本神道が用いられるようになったのだ。
仏教も知覚で考えるのはいいとしている。むしろ知覚で考えねばならないとしている。五感を用いてはいけないとしている(行きすぎだが)。仏教では五感を用いてはいけないので科学がやれない。だから、科学をやる国では仏教をやれないのである。逆に仏教をやる国(例、インド)では科学がやれないのである。
日本人は日本神道の時代にも仏教の時代にもつねに知覚で考え続けてきた。
だから、日本人は(アジアの中では)頭がいいのだ。

[9754] 法律と政策の関係 h22.3.14
法律は政策で決まる。法律は政策を具体化したものである。法律を作るのは国会であり、政策を決めるのは政府である。だから、国会は政府に従う。国民に法律を守らせるのは警察である。だから、警察も政府に従う。
アメリカ政府と日本政府は政策が違う。だから、日本政府はアメリカ政府が作った日本国憲法を守らないのである。日本政府の国民の奴隷化政策においては、国民は奴隷だから国民には人権がない。だから、日本政府は国民の人権を保障する日本国憲法を守らないのである。
国の本質は『政策』にある。
問題は、はたして今の日本の政策が正しいか?である。

今の日本の政策は日本政府がやっている国内における植民地政策すなわち国民の奴隷化政策であり、「他人にたかる」政策である。このままでは日本が自分でやる気のない人間のクズばかりになって日本社会が滅亡する。かつて日本は同じ歴史を経験した。だから、日本は政策を変える必要がある。
そのためには、政府をやめて、「自分でやる」政策の政治機関にしなければならない。幸い、今の国民は「自分でやる」気になっているから、政府を国民に置き換えればいい。国会が政府に従うのではなく、国会が国民に従うようにしなければならない。
今の政府には自分で自分にブレーキをかける機能が付いていない。だから、ひたすら国民の奴隷化政策を突っ走っているのだ。[日航機123便墜落事件や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件などは、政府が国民の奴隷化政策のために起した事件である。もちろん、これらの事件は氷山の一角にすぎない。政府は他[ほか]にもたくさん奴隷化政策をやっている。]だったら、国民が政府にブレーキをかけてやらねばならない。そのためには、国民が政府に逆[さか]らわねばならない。政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしてはならない。政府にブレーキをかけるのは国民の義務なので、好き嫌いに関わらず、そうしなければならない。
国民の支持を得られず国民から孤立した政府は弱い。だから、政府を倒すのは今がチャンスだ。
もっとも、日本人の多くは明治政府の植民地政策に大喜びで乗ったくらいの馬鹿だから、今の政府の他人にたかる政策も喜んで支持しているのかもしれない。[明治時代の国民は日本が植民地政策をやれば西洋諸国と植民地の取り合いになって日本が西洋諸国と戦争になって日本が負けることを見抜けなかったのだろうか?朝鮮と中国を取ったぐらいでやめておけばよかったのだ。]日本人の多くはそれほどの馬鹿なのだ。馬鹿には先を見る目がない。馬鹿には実体を見る目がない。馬鹿は言葉の上だけで夢の中だけで喜んでいるだけだ。その手の連中が日本人の大半を占めるのだ。しかし、それでは駄目なのだ。そういうのを衆愚政治[しゅうぐせいじ]と言うのだ。たとえ今の政府がもっとも“民主的”であったとしても、それはまちがっているのだ。
人間は『正しい心がけ』でなければ伸びて行かない。国も同じだ。政治機関は国の心だ。だから、国民は正しい政治機関を選ばなければならない。いい政治機関がなければ、国民自身が政治機関の代わりを務[つと]めなければならない。

[9755] 日本におけるキリスト教 h22.3.14
現代におけるキリスト教はキリスト教と神武天皇教の合いの子である。
「他人にやらせる」ことと「他人にたかる」ことを組み合わせれば有利になるからである。
しかし、国家宗教の場合は“税金”の名目[めいもく]で国民から一方的に強制的にお金が取れるが、
日本におけるキリスト教は民間宗教扱いだからそんなことはできないはずである。
いくら神武天皇教で他人にたかることができても、たかる相手がたかられることを拒否すればおしまいである。
だから、日本におけるキリスト教は、強盗や恐喝[きょうかつ]や泥棒をして儲[もう]けているのである。日本におけるキリスト教は強盗団なのである。神武天皇教は植民地政策であり、神武天皇教では相手の人権を認めなくてもいいから、他人の物を盗ったり他人を殺したりしてもかまわないのである。
現代のキリスト教は他人の人権を認めない会である。人類は現代のキリスト教を支持しない。だから、『権力の法則』によって現代のキリスト教に権力はない。

[9756] キリスト教に入る人 h22.3.15
日本では、キリスト教は民間宗教である。
だから、日本ではキリスト教に入るか入らないかは個人の自由である。
いくら馬鹿でも、キリスト教がどんな団体かわからずにわざわざ入ったりすることはない。
キリスト教に入る者は、現代におけるキリスト教が神武天皇教にほかならず、キリスト教が「他人にたかる」会であることがわかって入っているのである。キリスト教が強盗団であり、強盗したり恐喝[きょうかつ]したり泥棒したりしていることを知って入っているのである。近代以降はキリスト教は神武天皇教だから、内村鑑三も日本神道の者であり、内村鑑三が天皇に不敬[ふけい]しようがしまいがどうでもいいことなのである。
つまり、キリスト教に入る者は不良である。自分が強盗や恐喝や泥棒をしたいからキリスト教に入るのである。自分が不良の仲間になりたいからキリスト教に入るのである。
一方、日本では、日本神道は国家宗教である。
だから、日本では日本神道に入ることは強制である。
だから、日本国民は何も考えずに日本神道に入るのである。日本神道がどんな会かわからずに平気で入るのである。
しかし、日本神道は「他人にたかる」会である。日本では生まれながらに強制的に強盗団に入れられるのである。強盗したり恐喝したり泥棒したりする仲間に入れられるのである。
日本は悪党の日本神道が牛耳[ぎゅうじ]っている面白くない国である。
自分が日本神道が気に入らなければ、日本神道を支持してはいけない。
国家宗教は国民全員の支持があるから国家宗教なのであって、国民全員の支持がなければもはや国家宗教ではない。だから、自分ひとりでも支持しなければもはや国家宗教とは言えない。
自分が日本神道に入りたくなければ、日本神道(日本政府)に税金を払うことはない。
「他人にたかる」会で世の中がうまく行くわけがない。「他人の人権を侵[おか]す」会でうまく行くわけがない。日本はかつて中世に日本神道で失敗している。今さらそんなふざけたくだらない会を支持する者はいない。だから、『権力の法則』により日本神道には権力がない。権力がなければ、個人の自由だ。
宗教団体なんてそもそも要るものではない。自分の心は自分で決めればいい。自分の心まで他人に決めてもらうのは、人間として怠慢[たいまん]である。だから、さっさと宗教団体を捨ててしまえばいい。
政治機関は『人間の心』を管理する会である。政治機関が人の心を決めるなら、せめて正しい心に決めねばならない。江戸幕府は自[みずか]らを善と名乗っていた。日本政府を悪と罵[ののし]っていた。少なくとも、日本政府よりは江戸幕府のほうがいいことはまちがいない。江戸幕府にも多少悪いところがあったとしても、全体的総合的に見れば、今の日本政府よりはいい。
国が植民地政策をやらなければ「他人にたかる」会は要らない。今の日本政府はかつての日本の植民地政策の置き土産[みやげ]である。「他人にたかる」会は国を腐敗させるだけだ。だから早く片付けねばならない。
江戸幕府の鎖国や身分制度などのうまく行かなかった政策をやめて「自分でやる」ことを重んじるうまく行った政策を残せば、よりよい政治機関が出来るだろう。

[9757] アメリカ政府と日本政府の違い h22.3.15
日本国憲法はアメリカ政府が作ったものである。だから、アメリカ政府の政策は日本国憲法である。つまり、アメリカ政府は国家宗教をお祭り程度に少しやっているだけで、国民の人権をちゃんと保障してくれるのである。
一方、今の日本政府の政策は国内における植民地政策である。国民の奴隷化政策である。奴隷には人権がないから日本政府は国民の人権を保障しない。つまり、日本政府の政策は日本国憲法の第2章から後[あと]がないのである。
今の日本国民が真面目にみんなの人権を守って生きているのは、戦後に日本を一時期占領していたアメリカ政府の影響が残っているからである。しかし、年々アメリカ政府の影響が薄らぎ、日本政府の影響が濃くなっている。だから、そのうち日本国民はみんなの人権を侵[おか]して生きるようになるだろう。町のあちこちに生首が転がっているようになるだろう。
それから、アメリカ政府は口で言ったことを実行する。それがケネディ大統領のアポロ計画である。一方、日本政府は口で言うだけで実行しない。それが田中角栄首相の所得倍増計画である。アメリカ人は物の上で面白くなければならないが、日本人は言葉の上で面白ければいいと思うだけである。日本人のチャランポランさが、日本を不幸にしているのだ。植民地戦争の時もそうだった。実現できない計画に何の価値があるというのか!?毎回当たらない競馬で摩[す]るようなことを繰り返してはいけない。
アメリカ政府も国家宗教をやっているが、日本政府とはやり方がだいぶ違う。ヨーロッパ政府も国家宗教をやっているが、日本政府とはこれまたやり方が違う。日本政府だけが馬鹿正直に国家宗教をやっている。それは、日本国民が国家宗教を支持しているからである。国家宗教は国を潰す政策である。かつて日本は中世に国家宗教で滅亡しかけたことがある。日本は植民地政策で気が狂っている国なのだ。だから、早くその病気を治さないといけない。

[9758] 靖国参拝 h22.3.15
国会議員が靖国神社の参拝をするのは、国会が政府の付属機関で、政府が国家宗教をやる機関だからである。
つまり、国会議員は自分の意思で靖国参拝をしているのではなく、上の政府の命令で参拝に行かされているのである。
日本はこの前戦争に負けたので当分の間は(西暦30世紀頃までは)侵略戦争(植民地戦争)をやらないと思われるから、靖国参拝と戦争とは関係がない。
国会議員が靖国参拝をするのは、政府が神武天皇教つまり国内における植民地政策つまり国民の奴隷化政策を強める意向を国民に示すためである。つまり、税金が高くなって、国民の仕事がますますきつくなることを政府が国民に予告しているのである。

[9759] なぜ日本政府は日本国民に支持されているか? h22.3.16
日本政府が国家宗教つまり国内における植民地政策つまり国民の奴隷化政策をしていることは、日本国民にとってはすでに常識である。そんなことは歴史をちょっとかじれば誰にでもわかることである。
日本国民は、日本政府がこのまま国民の奴隷化政策を進めると、そのうち日本国民みんなが他人の人権を侵して他人を殺したり他人の物を盗ったりするようになると思っている。そのために、日本国民の大半は日本政府を支持しているのである。
日本国民の大半は、競馬場ではずれ馬券を握りしめて喚[わめ]き散らすようなガラの悪いガサツな連中である。他人を殺したり他人の物を奪ったりしたい連中が日本にはウヨウヨしている。そんな連中が、日本人みんなが他人の人権を守らなくなって日本が大荒れになる日を今か今かと待ち望んでいるのだ。そんな連中は物を心で見て頭で見ない。だから、この前負けるとわかりきっている植民地戦争を一生懸命にやったのだ。要するに、日本国民のほとんどは糞馬鹿[くそばか]である。人間の皮をかぶった獣[けだもの]である。
今の日本政府はそんな国民によって支持されている。日本政府は国民の大半に従っている。だから、日本政府は安定に存在できるのである。政府が国民に従い、国会が政府に従い、警察が国会に従い、国民が警察に従っている。今の日本政府は民主主義を実現している。
したがって、『権力の法則』によって今の日本政府には権力がある。国民がうかつに政府に逆らうと殺されたり拷問に合わされたりするかもしれないから注意しなければならない。

[9760] 『デビルマン』は嘘 h22.3.16
永井豪のマンガ『デビルマン』では、人間に悪魔(デーモン)が取り付くことによって凶暴化する。つまり、神武天皇教をする政府が国民を支配することによって、国民が他人の人権を犯す犯罪者になる。
しかし、これはまちがいである。
実際には、江戸幕府やアメリカ政府などによっておとなしい真面目[まじめ]な人間にされていた悪魔が、日本政府が政治機関となることによってそれまでの抑制[よくせい]を解いて、その本来の姿を現すのである。つまり、日本人の大半はもともと悪魔であって人間ではないのだ。それが、徳川幕府やアメリカ政府の強引な矯正[きょうせい]政策によって、一時的に真人間[まにんげん]に変えられていたにすぎない。
要するに、江戸幕府やアメリカ政府は国民に厳しいスパルタ教育をする先生なのだ。
日本政府がアメリカ政府のことを「エロ・グロ・ナンセンス」と言ったのも嘘である。実際には、アメリカ政府のほうが日本政府よりも上品である。アメリカ政府もしょせんはヨーロッパ政府の子孫なのだ。

[9761] どうして武士は刀を持っているか? h22.3.16
国民を脅[おど]すためである。
しかし、国民から年貢[ねんぐ]を脅し取るためではない。
国民がその本性[ほんしょう]を表して他人の人権を侵[おか]して暴れるのを防ぐためである。
幕府は真面目に国民のためになることを考えてやっていたのである。そのために重たい刀をわざわざ持ち歩いていたのである。
今の日本政府が『民主主義の原理』に基づいて国家宗教をやっているのも、政治機関のもうひとつの真面目な姿である。
つまり、政治機関は哲人政治衆愚政治かのどちらかである。幕府は哲人政治であり、政府は衆愚政治なのだ。

[9762] 国家宗教とは何か? h22.3.16
国家宗教とは民主主義政治である。衆愚政治である。
国家宗教の神とは、衆愚政治の政策をおとぎ話にしたときの主人公である。
日本における衆愚政治の政策は「他人にたかる」ことである。「他人の人権を侵[おか]す」ことである。自分の好き勝手に他人を殺したり他人の物を奪ったりすることである。日本人の大半は、そんな世界を夢見ているのである。日本人の大半は、そういう性格の人間である。日本人の大半は糞馬鹿[くそばか]の人間のクズである。残念ながら、それが日本の現実である。
日本政府は民主主義の政治機関である。衆愚政治の政治機関である。日本政府の仕事は、自分の好き勝手に他人を殺したり他人の物を奪ったりできる世界を実現することである。
かつて日本は中世の頃に衆愚政治をやったことがある。
しかし、結局衆愚政治に嫌気がさして、哲人政治に切り替えた。
衆愚政治すなわち国家宗教は楽園への道ではなかったのだ。それは地獄への道だったのだろう。

[9763] 衆愚政治は暮らしにくい。 h22.3.16
人間は社会の中で暮らしている。
自分の暮らしは自分で守ると言っても、限界がある。
路地裏からいきなり変態が飛び出してきたら、防ぎようがない。
人間が暮らしやすいためには社会がある程度よくなければならない。
そのためには、国家宗教すなわち衆愚政治ではいけないのである。
衆愚政治ではひたすら社会が悪くなっていくだけだからいけないのである。
政府は衆愚政治をする機関だから、政府ではいけないのである。

[9764] 民主主義は悪である。☆ h22.3.16
国民の大半は糞馬鹿[くそばか]の人間のクズである。いくら学校の中でおとなしくしていても、大人になって自由になると、とたんに羽目[はめ]をはずして不良になる。残念だが、それが現実である。この世がいい人だらけなのは、マンガやドラマの作り事である。
だから、民主主義では、国が悪くなっていくだけである。
人間が幸福に暮らせるためには社会がある程度よくなければならない。
民主主義では国民が幸せになれない。
だから、民主主義をやめるしかない。
いくら国民が嫌がっても、無理やり哲人政治にしなければならない。
哲人政治も慣れればそう嫌でもなくなる。
つまり、政策は正しい理論が決めるのであって、多数決が決めるのではない。

[9765] 宗教団体は滅ぶべきである。 h22.3.16
宗教団体とは、衆愚政治の団体である。つまり愚連隊である。まちがった政策を信じている団体である。例えば、そのひとつが「他人にたかる」政策や「他人の人権を侵[おか]す」政策をやっている日本神道である。日本神道の幹部が日本政府である。
しかし、まちがいはまちがいである。いくら多数決でもまちがいを通すことはできない。人間には実在を支配する力はない。人間は実在に従わねばならない。いくら人間が集団になっても、実在に対してまちがいを通すことはできない。
宗教団体の信者はみんな馬鹿である。馬鹿は客観的に物が見れないから、いつまで経[た]っても自分のまちがいに気づかないのである。死ぬまで自分のまちがいに気づかないのである。
いくら大勢でかかっても、ひとりの正しい理論にはかなわない。
したがって、宗教団体は滅ぶべきである。愚連隊は滅ぶべきである。

[9766] 日本政府は政治機関をやってはいけない。 h22.3.16
日本政府の政策は「他人の人権を侵[おか]す」社会を作ることである。それが昔からの日本政府の政策だからである。昔から日本政府にはこれ以外の政策はない。
しかし、常識的に考えて、こんな政策では人間社会が成り立たない。人間が互いに殺し合う社会では人間が生きていけない。
だから、日本政府が政治機関をやってはいけない。政府が国の政治機関を務[つと]めてはいけない。

[9767] 宗教の者は気が狂っている。 h22.3.17
日本神道の者は「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分は遊んで暮らす」政策を支持している者である。
キリスト教の者は「他人に働かせて自分は遊んで暮らす」政策を支持している者である。
どちらの政策も中世の頃に失敗したことがわかっている。
常識のある人にとっては、そんな政策では国がうまく行かないことは最初からわかりきっている。
そんなまちがった政策をいまだに信じて生きている者は頭がおかしい。

[9768] 今の日本国民は日本政府を支持していない。 h22.3.17
日本は江戸時代の264年間は「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策をやっていなかった。
明治から世界大戦までの77年間も「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策を国内的にはしていなかった。
戦後アメリカ政府に占領されていた約20年間も「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策をしていなかた。
つまり、日本では約360年間は「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策をしていなかった。
日本で「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策を国内的にやるようになったのは、日本がアメリカの占領を解かれてから今までの約40年間ぐらいである。
だから、今のところはまだ日本では「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策を支持していない者のほうが多い。
したがって、今のところ日本人の大半は日本政府を支持していない。だから、今のところ日本政府には権力がない。
しかし、今後政府が「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策を続けていけば、そのうち日本人の大半が日本政府を支持するようになり、日本政府に権力があるようになるだろう。
だから、そうなる前に日本政府を倒さなければならない。
日本政府は「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」国造[づく]りをする機関である。それが日本神道の者の夢だからである。理想の世界だからである。自分ひとりでは悪いことはやりにくいが、みんなが悪いことをやるようになると自分も悪いことがやりやすいので、そうなることが狙[ねら]いなのである。だから、自分が日本神道でなければ日本政府を支持してはいけない。日本を「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」国にしようとする日本政府を倒さなければならない。
日本の歴史を知っている者なら、日本政府が「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策をする政治機関であることぐらいわかっているはずだ。日本政府が「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策をするようになってから約40年が経つ。その間[かん]、日本国民が日本政府に反抗した事件は起きていない。しかし、常識のある者なら、「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策がまちがっていることぐらいわかるはずだ。だから、今の日本国民が日本政府を支持しているかどうかわからない。わからないことは当てにはできない。だから、自分がどう考えるかだ。自分が「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策を支持しなければ、自分は日本政府を支持しなければいい。

[9769] 民主主義は悪である。(その2) h22.3.17
民主主義に自浄作用があれば衆愚政治にはならないと言うが、それをアドホックな修正というのだ。原理がまちがっていれば、いくら細かい修正を加えても、結局よくならない。
残念だが、国民の大半が糞馬鹿[くそばか]な人間のクズであることは事実である。
だから、その点を考慮して、哲人政治にしなければならない。
とにかく、政策は正しいものでなければならない。日本神道が掲[かか]げる「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」ような退廃的な政策ではいけない。政策を『ユークリッド幾何学』のような“論理的証明付きの正しい理論”に制限すれば、まちがいを避けられる。知覚で論理的に正しく考えられる者を政治家にしなければならない。馬鹿の人気取りをするだけの政治家は要らない。

[9770] 人間はまちがいを犯すものである。 h22.3.17
日本人は幕末に西洋諸国の植民地政策に釣[つ]られて「他人を殺したり他人の物を奪ったりして自分が遊んで暮らす」政策をする日本政府を甦[よみがえ]らせてしまった。
まちがいを犯した幕末の日本人が悪いが、そのまちがいを平然と受け入れている今の日本人も悪い。
人間はときどきまちがいを犯すことがある。
だから、まちがいを直さなければならないのだ。先祖のまちがいを直すのが子孫の務[つと]めだ。

[9771] どうして徳川家康は天皇を殺さなかったか? h22.3.17
政治機関は自分の政策を実現する会社である。政治機関は国民の支持によって経営されている。
日本の政治機関が政府から幕府に変わったのは、日本国民が「他人にたかる」思想から「自分でやる」思想に変わったからである。
だから、幕府と政府はライバル会社ではない。
幕府も政府も国民の支持によって出来た会社だから、国民に対して自分の政策を実現することが仕事であって、自分の営利目的でライバル会社を倒すことが仕事ではない。だから、日本政府が徳川幕府に倒された時、徳川家康はライバル会社の社長である天皇を殺さなかったのである。
江戸幕府が倒れた時、天皇が徳川慶喜[とくがわよしのぶ]を殺さなかったのも、同じ理屈である。

[9772] 幕府と政府が併存[へいぞん]している時代には国民は税金をどうしたか? h22.3.17
鎌倉幕府が出来てから江戸幕府が出来るまでの間は幕府と政府が併存していた。
その間[かん]は、国民は自分の支持するほうに税金を払っていたのである。だから、幕府と政府で国民の税金を山分けしていた。政府の税収は以前に比べて半減した。
残念ながら、今の時代には政府しかない。しかし、自分は政府を支持しない。自分はもっといい政策をする政治機関を支持したいが、今のところはまだそんな機関は出来ていないので、税金を払うところがないので仕方なく自分の懐[ふところ]に納めているのだ。
政治機関は国民の支持で出来ているだけの機関だから、国民が政治機関を支持しなければ政治機関に税金を払わなくていいのは当然だ。政治機関が国民に税金を払って欲しければ、国民の支持を得る政策にしなければならない。
古墳時代から鎌倉幕府が出来るまで、日本人みんなが日本政府に税金を払い続けたのは、当時の日本人みんなが日本政府の「他人にたかる」政策を支持していたからである。しかし、今の日本人には日本政府の「他人にたかる」政策を支持しない者が多いから、そういう者は日本政府に税金を払わないのである。
政治機関は政策を実現する機関だから、政治機関と国民は平等である。日本政府のようなざっとした政策をする機関なら、むしろ政治機関がないほうがマシである。日本にまともな政治機関が出来るまでは国民は税金を払わないのだ。

[9773] 考えるとは何か? h22.3.17
考えるとは、自分のふざけた考えをやめることである。自分の子供じみた考えを捨てることである。
そうすれば、真実が見えてくる。
人間は自分自身のふざけた考えによって自分の目を曇らされて真実が見えなくなっているのである。

[9774] なぜアメリカは天皇制を残したか? h22.3.17
日本国憲法は、アメリカ政府が作ったが、第1章に天皇制が残っている。
『従属すれば支配できる。』のが、この世の法則である。
だから、アメリカはわざとに天皇制を残すことによって、日本を支配しようとしたのである。アメリカが日本を占領するためには、日本の習慣に従わねばならなかったので、天皇制を残したのである。
日本人にとっては、本当は天皇制よりも徳川制のほうがよかったのだが。そのほうが戦後の日本にとっては都合がよかった。

[9775] どうして政府はちゃんと国民と契約を取って税金を集めないのか? h22.3.17
本来税金は自由制だからである。つまり、国民が自分の支持する政治機関に好きなだけお金を払えばいいからである。
それを、政府はテレビや新聞や教科書などのいろんな洗脳手段を使って、国民に政府に対する納税の義務があるかのように思わせているのだ。馬鹿な国民はまんまと政府に騙[だま]されて、しぶしぶ高い税金を毎月払っているのだ。
そもそも政治機関は政策をする会社である(政治機関の定義)。政治機関によってそれぞれの政策が決まっている。例えば、政府は「他人にたかる」政策をする会社であり、幕府は「自分でやる」政策をする会社である。
政治機関は国民の支持によって経営されている。だから、政治機関は国民の支持を得なければ経営できない。国民の支持が得られない政治機関は潰[つぶ]れる。
したがって、税金は自由制である。これが、『政治機関の定義』からの論理的結論である。納税の義務は論理的に成り立たない。だから、納税の義務は嘘である。まちがいである。
政府が国民と契約を取らずに国民から税金を取っているのは、政府が国民を奴隷視しているからである。政府の政策においては、国民は奴隷であり国民には人権がないので政府は国民から一方的強制的に税金を取っているのである。しかし、それはあくまでも政府の政策の世界の中においてである。政府の政策の世界の外では、国民は人権のない奴隷ではない。だから、自分が人権のない奴隷にされるのが嫌なら、政府を支持せずに、政府の政策から抜け出せばいいのである。そうなると自分の命は自分で守らなければならないが、政府の“奴隷サービス”で殺されるよりは安全だと言える。

[9776] 政府は無用の長物 h22.3.17
今の政府は民主主義の政治機関である。
だから、政府があってもなくても変わらない。
民主主義の国では国民が政府を支配していて国民の好き勝手にやれるから、政府があってもなくても変わらない。だから、政府は要らない。民主主義の国では、国民の好き勝手にやれるから国会も警察も要らない。
政治機関が国民を引っ張っていく哲人政治の政治機関でないかぎり、政治機関は要らない。
政府は民主主義の政治機関である。古代の日本では、国民の大半が朝鮮人を殺したり朝鮮人の物を奪って自分が遊んで暮らしたいから政府は朝鮮の植民地政策をやり、飛鳥時代から江戸時代までそして現代の日本では国民の大半が自分の国の国民を殺したり国民の物を奪ったりして自分が遊んで暮らしたいから政府は自分の国の植民地政策をやっている。今のところ政府と日本神道の信者だけしかやっていないが、そのうち日本中のみんながやるようになるだろう。
政府はいつも国民の大半が満足できる国を造[つく]っている。だから、国民の大半が満足できるはずである。
しかし、国民の大半は馬鹿である。国民の大半は先が読めない馬鹿である。自分が実際にそんな境遇[きょうぐう]に置かれたら自分が幸福に生きていけないことすらわからないほどの想像力の乏[とぼ]しい馬鹿なのである。実際にそんな世界が実現したら、今度はそんな世界が嫌だと思って後悔するだろう。だから、政治機関はそんな馬鹿な国民の言いなりになってはいけない。政治機関は『正しい理論』に従って政治をしなければならない。しかし、それは政府ではなく幕府の仕事である。だから、やはり政府は要らない。

[9777] 政府は国民から税金を取れない。 h22.3.17
政府は民主主義の政治機関である。
つまり、政府は国民に従わねばならない。
だから、国民が政府に税金を払わなければ、政府はそれを認めるしかない。
つまり、国民が政府に税金を払いたくなければ払わなくていい。
政府が国民から税金を取れるのは、国民が政府に税金を払うのを認めた場合だけである。
これが民主主義というものである。民主主義では国民が政府を支配している。民主主義では政府は国民の奴隷である。

[9778] ヨーロッパ人はなぜ頭がいいのか? h22.3.17
ヨーロッパが哲人政治だからである。ヨーロッパでは政府が国民に対して厳しいから、国民が頭がいいのである。
反対に、日本人が頭が悪いのは、日本が衆愚政治だからである。日本では政府が国民に対して甘いから、国民の頭が悪いのである。
もっとも、江戸時代は哲人政治だったから、江戸時代の日本人は頭がよかったかもしれない。
明治生まれの数学者岡清[おかきよし]が「戦後の日本人は頭が悪くなった」と言ったのは、戦後の日本が衆愚政治になったからである。戦前までは、江戸時代の哲人政治の名残[なごり]で日本人は頭がよかったのである。

[9779] 知覚は正規分布ではない。 h22.3.18
国民の知覚をグラフに描いたとする。横軸が知覚の高さ[つまり右が頭のいい人で左が頭の悪い人]で、縦軸が人数とする。
国民の知覚は正規分布ではない。
国民の知覚はλ[ラムダ]=1のポアソン分布である。
国民の知覚が正規分布をするのは、学校のテストの上だけの話である。
実際には、国民の知覚はλ=1のポアソン分布をするのだ。つまり、利口よりも馬鹿のほうが圧倒的に多いのである。
だから、政治は民主政治ではいけない。哲人政治でなければならない。

[9780] なぜ今の日本政府は国家宗教をやっているか?☆ h22.3.18
国民の大半が国家宗教をやって欲しいと思っているからである。[縁起担[えんぎかつ]ぎのためかもしれない。]
政府は民主主義の政治機関なので、それで国家宗教をやるのである。
しかし、国家宗教なんかやっても何にもならない。国家宗教のために政府が余計なことをやって国民の暮らしが不便にされる。税金が無駄になる。政府が国家宗教のようなどうでもいいことをやっているせいで、国民の感性が馬鹿になる。また、私のように国家宗教の神にされた者が国家宗教のせいで心身に障害を受ける恐れが高い。
そもそも政府が国の政治機関をやっていることが問題である。
日本のように国民の大半が糞馬鹿[くそばか]のクズ人間である国においては、民主政治は衆愚政治にほかならない。
政府は衆愚政治をやる機関なので、国がどんどん悪くなる。
このまま政府に政治をやらせてはいけない。

[9781] 日本神道の信者とは何か?☆ h22.3.18
日本政府を支持する者である。つまり、民主政治を支持する者である。つまり、哲人政治に反対する者である。
古代の日本人の大半が朝鮮の植民地政策に賛成だった。日本政府は民主主義の政治機関だったので、日本政府は朝鮮の植民地政策をやった。そのときに植民地政策のオマケとして日本神道が出来た。それで、民主主義を支持する者は、日本神道に入っているのである。つまり、日本神道の信者とは民主主義を支持する者である。日本政府は日本における民主主義の政治機関なので、日本政府を支持する者と言ってもいい。
ところで、私は、日本では国民の大半が糞馬鹿[くそばか]のクソ人間である点を考慮して、民主政治に反対である。だから、日本政府を支持しない。だから、日本神道の信者ではない。私は中学3年生まで日蓮宗(仏教)に入っていた。徳川幕府は仏教をやっていた。だから、仏教に入っている者は徳川贔屓[びいき]であり、つまり哲人政治を支持する者である。
キリスト教はヨーロッパの民主主義である。キリスト教会はヨーロッパの民主主義の政治機関である。古代のヨーロッパ人の大半は奴隷開放政策や福祉政策に賛成だったので、ヨーロッパの民主主義の政治機関が奴隷解放政策や福祉政策をやって、そのおまけにモーゼ教やキリスト教が出来たのである。だから、キリスト教に入っている者は民主主義を支持する者である。キリスト教会はヨーロッパにおける民主主義の政治機関なので、ヨーロッパの民主主義の支持者はキリスト教に入っているのである。だから、ヨーロッパの植民地時代には、ヨーロッパの国民の大半が植民地政策を支持していたので、キリスト教会が日本の神武天皇教を取り入れて神武天皇教をやっていたのである。反対に、政教分離後のヨーロッパの政府は哲人政治の政治機関なのだ。
つまり、日本神道やキリスト教の信者は民主政治の支持者であり、仏教の信者は哲人政治の支持者なのだ。[私に言わせれば、仏教もまちがっているが。]

[9782] なぜユダヤ人は迫害されるのか? h22.3.18
例えばアインシュタインやアンネ=フランクのように、ユダヤ人はヨーロッパ人の中でも頭がいい。[アンネの日記は私の日記よりも上手である。]
残念ながら、ヨーロッパの国民の大半は日本と同じように馬鹿である。
だから、ヨーロッパにおける民主政治は衆愚政治にほかならない。
衆愚政治においては、頭がいい者は除[の]け者にされる。
ユダヤ人は頭がいい。
だから、ヨーロッパの民主主義においては頭のいいユダヤ人が迫害されるのである。
不良学生が勉強ができる子をパンツ一丁[いっちょう]にしてみんなの笑い者にするのと同じことである。

[9783] 民主政治と哲人政治 h22.3.18
福祉政策は始めのうちは「強い者が弱い者を助ける」ことであり正しかったが、そのうち「他人に働かせて自分が遊んで暮らす」ようになり国がうまく行かなくなった。
植民地政策は始めのうちは「強い者が弱い者を食い物にする」ことであり正しかったが、そのうち「他人を殺して他人の物を奪って自分が遊んで暮らす」ようになり国がうまく行かなくなった。
民主政治の政策は、政策が簡単で面白いので大勢の支持が得られるのが長所だが、時間が経[た]つと政策が悪性化しやすいのが短所である。
反対に、哲人政治の政策は、政策が難しくて面白くないので大勢の支持が得られにくいのが短所だが、政策が理論的に正しいので悪性化しにくいのが長所である。
しかし、最近は文明が進歩して国民の教養が高くなっているから、国民がたとえ面白くない政策でも正しければ支持するようになっているから、世界的に面白本位の民主政治から正しさ本位の哲人政治に移行しつつあると言える。しかし、今はまだ国民の大半は馬鹿だから、民主政治をやるには時期尚早[じきしょうそう]と言えるだろう。当分の間は、哲人政治をやるべきである。民主政治では馬鹿に合わせるから国全体が悪くなる。反対に、哲人政治では利口に合わせるから国全体がよくなる。国民の教養が高まれば、哲人政治が民主政治になる。その日を待つしかないのだ。

[9784] 民主政治と哲人政治 h22.3.18
民主政治とは、「支持者が多い考え」を国の政策にすることである。
哲人政治とは、『正しい考え』を国の政策にすることである。
だから、民主政治ではまちがった考えが国の政策になる恐れがある。民主主義は国を滅ぼす危険な主義である。民主政治では、まちがった考えを国の政策にするから国が悪い国になる。悪い国ではまちがった考えを持った国民が増えるから、さらにまちがった考えが国の政策になるので、国がどんどん悪化する(悪循環)。そうして、最後には国が滅びるのである。[はじめは正規分布に近かった知覚の分布([9779]参照)が民主政治のせいで代を重ねるごとにλ[ラムダ]が減少して尻上がりのポアソン分布に変わっていく(ポアソン分布におけるλの減少)。参考。
反対に、哲人政治では支持者が少ない考えを国の政策にしなければならない。だから、哲人政治の政治機関は国民に対して強制力を持たねばならない。だから、哲人政治の政治機関の者は、例えば、刀を持たねばならなかったのである。一方、民主政治では国民の支持が得られやすいから民主政治の政治機関は国民に対する強制力が要らない。だから、民主政治の政治機関の者は手ぶらでいい。
今はまだ国民の大半が馬鹿である。なぜなら、今の国民の大半が、何も考えずにわけもわからずに政府を支持しているからである。日本は中世に一度民主主義で失敗したことがあるのに、今でも平気で民主主義の政治機関の政府を支持しているからである。
だから、今の日本の政治機関は民主政治の政治機関ではなく哲人政治の政治機関にしなければならない。民主政治ではまちがった考えが国の政策になり、まちがった考えでは国がうまく行かない。だから、永遠に日本の政治機関は哲人政治の政治機関にしなければならない。

[9785] 獲らぬ狸[たぬき]の皮算用 h22.3.18
安部公房の『壁』に書かれていた諺[ことわざ]である。
安部公房の『壁』は私が高校生の頃に1〜2回読んだことがある。
『壁』の主人公であるS.カルマ氏とは日本政府のことである。S.カルマ氏のカルマとは輪廻転生[りんねてんせい]のことであり、S.とはSに点→天だから昭和天皇のことであり、つまりS.カルマ氏とは、神武天皇から代々続いている天皇家のことである。S.カルマ氏の犯罪とは、日本政府が犯した植民地戦争のことである。
日本政府は昭和に外国の植民地政策に失敗したから“獲らぬ狸”なのである。
S.カルマ氏がひっくり返ってデンドロカカリアになったのは、日本政府による戦前の外国の植民地政策が戦後に国内の植民地政策になったことの喩[たと]えである。
S.カルマ氏の傍[そば]で無限に大きくなっていく壁は、政府と国民の対立である。戦前は政府は国民と一体になって外国の植民地政策をやっていたが、戦後は国内で自分の国の国民を奴隷にするようになったので、政府と国民の対立が深まったのである。
S.カルマ氏が精神分裂病なのは、日本政府が表では日本国憲法をやっているふりをしながら、裏では国家宗教をやっていることの喩えである。
だから、安部公房は『壁』で芥川賞を受賞したのだ。つまり、芥川賞とは日本政府に対する批判文学のことなのだ。

[9786] 民主政治と哲人政治 h22.3.18
民主政治とは、たとえまちがいでも多数の考えに国のみんなが従うことである。
哲人政治とは、たとえ1人でも正しい考えに国のみんなが従うことである。
民主政治は、とにかく多数の考えに合わせばいいだけなので簡単である。
哲人政治は、ひとりの考えが本当に正しいかどうか確かめねばならないので難しい。
民主政治は馬鹿しかいない国でもできるが、
哲人政治は頭のいい人がある程度たくさんいる国でないとできない。
民主政治は政治機関が国民をほったらかしにして国民の好き勝手にさせればいいだけで政治機関の仕事は[税金を集める以外は]何もないから楽だが[だから、『浦島太郎』の玉手箱(政府の喩[たと]え)の中はもぬけのカラだったのである。]、
哲人政治は政治機関が正しいことを考えていちいち国民にやらせなければならないから政治機関の仕事が多くて大変である。

[9787] 日本政府はなぜ国家宗教をやっているか?☆ h22.3.18
政府は民主主義をやる機関である。
しかし、今どき国家宗教をやって欲しい国民はいない。
だから、政府は民主主義のために国家宗教をやっているのではない。
日本政府が国家宗教をやっているのは、国民に日本政府が税金を集める以外には何の仕事もやっていないと思われないようにするためである。政府が要らない機関であると国民に思われないようにするためである。要するに、国民に対するいいわけのためにやっているのである。
それで、政府は仕方なく重たい腰を上げてどうでもいい国家宗教をやっているのだ。

[9788] 政府と幕府の違い h22.3.19
政府は民主政治の政治機関である。だから、国民が政府を支配する。政府は国民の奴隷である。[民主政治は、とにかく多数の考えに国のみんなが従うことである。政府を国民の奴隷にしたほうが国民にとって有利である。国民は政府よりも多数である。だから、政府は国民の奴隷である。]
反対に、幕府は哲人政治の政治機関である。だから、幕府が国民を支配する。国民は幕府の奴隷である。
幕府は国民よりも上だが、政府は国民よりも下である。
幕府も政府も国の政治機関だが、国民に対する上下関係が反対である。幕府と政府を混同してはいけない。


[9789] 日本政府はなぜ国家宗教をやっているか?(その2)☆ h22.3.19
政府は民主政治の政治機関である。だから、本来政府は国民よりも下である。
一方、国民にとって神は人間よりも上だと思われている。
日本政府が国家宗教をやって神を奉[たてまつ]っているのは、国民に国家宗教をやっている日本政府が国民よりも上だと思わせるためである。政府が国民になめられないために、政府は国家宗教をやっているのである。いわば、政府にとっての神は幕府にとっての刀の代わりである。
しかし、神はたんなる取り決めである。政府が架空の人物やただの人間を勝手に神にしているだけである。政府が国民になめられないために神を決めているだけである。それなら、国民は神を無視して政府をなめてやればいい。
幕府にとって刀は哲人政治をする上で欠かせない道具だが、政府にとって神は自分の面子[めんつ]を保つために使っているだけである。そもそも政府は民主政治の政治機関だから、国民が政府を支配している。政府は国民よりも下である。政府は国民の奴隷である。だから、国民は思いっきり政府をなめてやればいい。『ドラえもん』のジャイアンなんかのび太やスネ夫が虐[いじ]めてやればいい。

[9790] どうして幕府が出来たか? h22.3.19
政府は『民主主義』の政治機関である。
民主主義は、とにかく多数の考えに国のみんなが従うことである。
中世の暗黒時代の日本では、多数の国民が民主政治をする政府に懲[こ]りて哲人政治をする幕府を作りたいと思ったから、政府はたとえ自分を滅ぼすことになっても多数の国民の考えに従わなければならないので、幕府が出来たのである。政府は民主主義の政治機関だから、国民の多数が政府に税金を払いたくなければ、国民が政府に税金を払わなくてもいいのである。
反対に、幕末に政府が出来たのは、国民に対する幕府の強制力に限界があったからである。幕府は哲人政治の政治機関だからいくら多数の意見でもまちがっていれば拒否する。昔の任那[みまな]の例のように、植民地政策は植民地の住民の反感を買って長続きしないまちがった政策である。だから、幕府は植民地政策に反対したはずである。しかし、国民の植民地政策をしようという意欲が幕府が刀で国民を押さえ込む力を超えていたので、幕府が倒れて政府が出来たのである。しかし、さすがに幕府が倒れただけあって、植民地政策は最初からまちがっていたから、日本は結局植民地政策に失敗したのである。国民にいくらやる気があっても客観的真理にはかなわなかったということだ。もしも、植民地政策が正しければ、幕府が植民地政策をやって成功したはずだ。民主政治は実らぬ愚行にすぎない。やはり哲人政治によるべきだ。

[9791] 生類憐[あわれ]みの令 h22.3.19
徳川5代将軍綱吉が定めた法律である。
徳川綱吉の「生類憐みの令」にも本居宣長の「もののあわれ論」にも“あわれ”がある。
あわれとは、天皇や日本政府に対するイヤミである。
生類憐れみの令の主な対象となった動物は犬である。
犬は“去[い]ぬ”だから、日本からいなくなった天皇の喩[たと]えである。[天皇は平安時代から明治時代までずっと京都にいた。明治時代から後は東京にいる。](平成22年5月4日修正)江戸時代の犬といえば、狆[ちん]だった。狆は“白くて丸い”ので天皇の喩[たと]えなのである。
徳川綱吉は天皇や政府に対してイヤミを言うために生類憐みの令を出したのである。徳川綱吉が駄洒落[だじゃれ]好きだったためでもある。
あまり上手な駄洒落ではない。すぐに言葉遊びをしたがるのが日本人の悪い癖だ。そんなことをやる暇があったら京都に行って天皇を殺せばいい。

[9792] なぜ中世の日本は地獄だったのか? h22.3.19
植民地政策はやめた後ではそう長く続くものではない。せいぜい100年ぐらいだ。だから、政府が国内で植民地政策をやるのも任那[みまな]撤退の100年後までだ。
神武天皇は植民地政策の神だから、任那撤退後100年も経てば国内でも植民地政策をやらないから神武天皇はいないと同じだ。
神武天皇や天皇は日本政府つまり『民主政治』の象徴にすぎない。
中世の日本が地獄だったのは、神武天皇教のせいではない。日本政府の『民主政治』のせいだ。民主政治では時間が経[た]つと、知覚の分布が正規分布からλ[ラムダ](平均値)が小さいポアソン分布に近づくから[参考。]、どんどん頭の悪い悪人が増えていって国が悪くなるのだ。最後のほうでは、日本中が悪人ばかりになって、日本が二条河原の落書[らくしょ]に見られるような地獄になったのだ。悪人は汚い解釈しかできないから、日本神道が大切にしている神武天皇の話を逆手[さかて]に取って悪事を働いていたのだ。
民主政治は悪法である。時間が経てば経つほど国が悪くなっていく。
国の政治を政府に任[まか]せてはならない。哲人政治の政治機関に任せねばならない。

[9793] 民主主義政策 h22.3.19
日本政府の原理的な政策は『民主主義政策』である。その具体的な政策のひとつが「植民地政策」にすぎない。
古代の日本国民の大半が朝鮮の植民地政策に賛成だったから、日本政府は朝鮮の植民地政策をやったのだ。そのときに、日本政府は植民地政策のプロパガンダ(宣伝)として神武天皇教(日本神道)を作った。その後、神武天皇教は民主主義の象徴となった。[平成22年3月25日追記:日本政府は世界大戦後から民主政治の政治機関になったのではなく、古墳時代に日本政府が出来たときからすでに民主政治の政治機関だったのである。日本政府の民主主義政策の中に植民地政策があり、植民地政策の中に国家宗教があったのである(民主主義政策⊃植民地政策⊃国家宗教)。今は植民地政策がなくなって、民主主義政策の中に国家宗教があるのだ。]

幕末に日本国民の大半がアジアの植民地政策に賛成だったから、日本政府はアジアの植民地政策をやったのだ。そのときに、日本政府は神武天皇教を再利用した。
日本政府は民主主義の政治機関だから、国民の大半が賛成することならなんでもする。
国民の大半は馬鹿である。馬鹿は身体を動かすことしかできないから、他人の物を盗りたがる。だから、日本政府の政策はいつの時代でも「植民地政策」なのだ。
日本政府が植民地政策をしないときでも、日本政府の民主主義政策による国の悪化は続いている。そのうち日本は頭の悪い悪人だらけの悪い国になるだろう。

[9794] アメリカはなぜ大統領制なのか? h22.3.19
大統領制はアメリカにおける哲人政治である。
アメリカは民主政治の国だが、民主政治だけでは国が悪化するので、哲人政治もやっているのである。
むしろ、民主政治は哲人政治のおまけにすぎない。民主政治の一環[いっかん]として国家宗教をやっているにすぎない。つまり、国家宗教は馬鹿な国民に対するご機嫌[きげん]取りにほかならない。
大統領自身が頭がいい人ではないにせよ、とにかくアメリカ政府は『正しい理論』に則[のっと]って国の政治をやっている。だから、アメリカはいい国なのだ。
一方、日本では国会は政府の尻[しり]に敷かれている。日本政府は完全な民主政治の政治機関である。日本政府は哲人政治をまったくやっていない。日本はお先真っ暗だ。
日本の天皇が民主政治の象徴であるように、アメリカの大統領は哲人政治の象徴なのだ。

[9795] キリスト教ではなぜ知覚の使用が禁止されたのか? h22.3.19
キリスト教はヨーロッパにおける『民主主義』である。
ヨーロッパも日本と同じく国民の大半は馬鹿である。
だから、民主主義では国の政策を馬鹿に合わさなければならない。
馬鹿は五感を使うだけで、知覚を使わない。
だから、キリスト教では知覚の使用が禁止されたのである。
だから、例えば、知覚を使ったブルーノが殺されたり、ガリレイが殺されかけたりしたのだ。
ヨーロッパで近代科学の誕生が遅れたのは、キリスト教つまり民主主義のせいである。
日本神道もキリスト教と同じく民主主義である。つまり馬鹿主義である。
日本では古代や中世に日本神道つまり民主主義をやっていたから、日本でも科学が生まれなかったのだ。
日本の江戸時代は哲人政治をやっていたから、関孝和[せきたかかず]や伊能忠敬[いのうただたか]のような優れた数学者や測量学者が現れたのだ。

[9796] ノーパンクタイヤ自転車 h22.3.19
タイヤの中にウレタンが入っているからパンクしない。
実際、後輪のタイヤに釘[くぎ]が刺さったけれどパンクしなかった(当たり前)。
しかし、買ってから、約1年半で後輪のタイヤが潰[つぶ]れた。
私が体重がありすぎるので、タイヤの中のウレタンが潰れたのだ。

こうなると、もはやノーパンクタイヤではない。
タイヤが潰れると、タイヤの中の何かの金具が出っ張りになって走ると自転車がガッタンガッタンする。
自転車がガッタンガッタンするので、後輪のスポークが3本リムから外れて、リムがスポークの付け根からヒビが入って割れた。もはや乗れたものではない。
ノーパンクタイヤ自転車は値段が普通の自転車よりも高くて寿命が1年半しかなくて短い。割高だ。[もっとも、体重の軽い人にとっては半永久的に乗れるから割安かもしれないが。]
町中を走るのなら普通の空気タイヤの安い自転車で十分だが、今から約1年半前私は通勤のために田舎[いなか]の国道を走っていて、田舎の国道には道端[みちばた]に釘やネジがたくさん落ちていて以前乗っていた空気タイヤの自転車がよくパンクしたので、仕方なくノーパンクタイヤ自転車を買ったのだ。

[9797] 国家宗教の神は民主主義の象徴である。 h22.3.20
国家宗教の神は、昔政府が奴隷解放政策や福祉政策や植民地政策をやったとき、プロパガンダ(政策の宣伝)用のおとぎ話を作ったときの主人公(ヒーロー)である。
その後、国家宗教の神は『民主主義』の象徴となった。モーゼもキリストも神武天皇も民主主義の象徴である。神武天皇の子孫の天皇も民主主義の象徴である。会社の社長が会社の象徴であるように、国家宗教の神は民主主義の象徴である。会社の社長が会社の象徴というだけで特に仕事をしていないように、国家宗教の神も民主主義の象徴というだけで特に仕事をしていない。
民主主義を支持する国民が、キリスト教や日本神道などの国家宗教の信者になっているのである。
ガラの悪い人間が国家宗教の神の話に因[ちな]んで悪事をすることがあるが、それはガラの悪い人間が国家宗教の神に汚名を着せる(つまり神の評判を落す)ためにやったいたずらであって、国家宗教の神の話に因めば悪事をやっていいわけではない。国が民主主義をやっていると世の中から“正しさ”がなくなって悪人が増えるから、悪人が自分を悪人にした国に対して仕返しをするために、民主主義の象徴である神の話に因んだ悪事をやったのだ。
この私も国家宗教の神だから、いちおう民主主義の象徴である。しかし、私自身は民主主義には反対である。今の政府は特に政策をやっていないから、私にはプロパガンダ(政策の宣伝)としての役目はない。

[9798] どうすれば神をやめられるか? h22.3.20
私が国家宗教の神でなくなったのは今から半年ぐらい前である。
政府によって神とされた者には神とされる“根拠”がある。
例えば、私の場合には「赤ちゃんの頃に頭の上に吊っていたガラガラが夜中に突然回った」ことだった。
それについては、私が自分の哲学日記の上で、「私が小学生の頃に持っていたおもちゃのオルゴールが昼間突然鳴り出すのを聞いたことがある。」と書いて、オルゴールの故障説を唱[とな]えて、私の超能力説を否定した。
その頃から、私が突然神とされなくなった。つまり、政府が神としている根拠を誰かが否定すれば、神ではなくなるのだ。
政府は民主主義の政治機関だから、つねに国民の大半の意見に従う。[政府は哲人政治の政治機関ではないから、政府にとっては正しいかまちがいかはどうでもいいので、たとえ国民の大半の意見がまちがっていても政府はそれに従う。]
だから、ある者が神とされるのは、国民の大半が神だと思うことがあったからだし、反対にある者が神とされないのは国民の大半が神だと思わなくなったからである。もっとも、きちんと国民全員で多数決を取って神かそうでないかを決めているわけではなく、政府の中の少数のグループ(10人ぐらい?)で多数決を取って神かそうでないかを決めているようである。
政府がなにか政策をやったり占領国から解放されたりした時に、その当時国民の大半にとって神だと思われることをした者を政府が適当に神にしているのかもしれない。その神を主人公にして政策と絡[から]めた作り話を作ったのかもしれない。
とにかく、今の私は神ではないようである。
それで、一時[いっとき]日本政府の国会の首相が神をやっていたし、最近ひと月ぐらい前からまた別の誰かに変わったようである。私は今度の神は女性だと思う。
政府がそんな馬鹿げたことをやっているうちに、国がどんどん悪くなっているのだ。
政府がそんな馬鹿げたことをやっていることが、政府が駄目[だめ]な政治機関であることの証拠だ。(←誰か女の人がテレパシーで言っていた。)

[9799] 今の国民は国家宗教をやって欲しいか? h22.3.20
政府は民主主義の政治機関である。
政府が国家宗教をやるのは、国民の大半が国で国家宗教をやって欲しいと思っているからである。
はたして、今の国民は本当に国で国家宗教をやって欲しいだろうか?
国民の大半が国で国家宗教をやって欲しくて、国民の大半がある者を神と思うのなら、政府はその者を天皇のように国民に公[おおやけ]にして国家宗教をやればいいはずである。
しかし、私の場合には、政府は私を国民に公にして国家宗教をやっていない。
それは、今の国民の大半が国家宗教をやって欲しくないからではないだろうか?国民の大半が「夜中に突然頭の上に吊ってあったガラガラが回った」私を神だと思わないからではないだろうか?
それなら、『民主主義』の原理によって、政府は私を神とする国家宗教をやってはいけない。
今の政府はまちがったことをやっている。今の政府は『民主主義』の原理に反することをやっている。それはもはや政府ではない。幕府でもない。今の政府はわけがわからない政治機関だ。
私の考えが正しくて政府がまちがっているのであって、もはや政府が正しくて私の考えがまちがっているのではない。

[9800] 民主主義は民主主義ではない。 h22.3.20
今日[こんにち]では政治機関は民主主義ではなく哲人主義でなければならないことは常識となっている。世界中のどこの国でも、かつて民主主義の政治機関で失敗したことがあるからである。
だから、民主主義を支持している者は国民の少数派である。
したがって、民主主義は民主主義ではない。


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