[9601] 豪族を倒したのは国民である。 h22.2.24
豪族の時代には、各地の豪族が国民を支配していた。各地の豪族が国民を奴隷としてこき使っていた。
そんな頃、外国から国家宗教が伝わった。
国民は奴隷制のない国家宗教を大喜びで支持した。日本人みんなが国家宗教をやるために政府を作った。
それで、各地の豪族が滅んで政府の時代になったのである。
国の政治機関を決めるのは国民であって、豪族や政府ではないのである。
一時は、それでうまく行っていたが、しばらくすると国家宗教の弊害[へいがい]が目立ってきた。国民や政府が国家宗教を悪用して悪事を働くようになったのである。
そこで、国民の中にはこのままでは日本が駄目になると思って、政府に楯突[たてつ]いて武家制(日本古来の豪族制と中国の律令制がミックスされた制度)をやる政治機関の幕府を作る者が現れた。
最終的には、国民は国家宗教よりも武家制を支持して江戸幕府の時代になった。その頃は日本の農耕技術や工業技術が進歩したために、奴隷制がなくなって、国家宗教を支持する必要がなくなったからである。江戸幕府の時代には、日本は未曾有[みぞう]の発展をして、世界一の国となった。
ところが、幕末にアメリカが来て黒船や模型の蒸気機関車を国民に見せて、国民は幕府では日本が遅れてしまうと思った。アメリカやヨーロッパでは国家宗教をやっていた。そこで、国民は再び国家宗教を支持するようになって、政府の時代になったのである。しかし、アメリカやヨーロッパでは政府から分離した教会が復活祭やクリスマスなどのお祭りのために国家宗教をやっているのであって、日本のように政府が国家宗教をやっているのではなかった。
ここでも、国民が幕府よりも政府を選んだから政府が日本の政治機関になったのであって、政府が幕府を倒したから日本の政治機関になったのではない。
ところが、政府を国の政治機関にすると、神武天皇のせいで日本は軍事国家への道を歩み始めた。挙句[あげく]の果てには、世界中を相手にして勝てない戦争をして負けた。
戦後の日本政府は、国家宗教の政治機関をやめて現代法の政治機関となる約束をして新しくスタートした。国民は戦争の件で国家宗教にこりごりだったので、新しく現代法の政治機関となった政府を支持した。日本政府はアメリカの占領下にある間はおとなしく現代法の政治をやっていた。しかし、日本政府は昭和40年頃にアメリカの占領を解かれるや否[いな]や、再び国家宗教を始めるようになった。政府を置いておくかぎり、ひとりでに国家宗教が始まってしまうのだ。したがって、今の日本政府はもとの国家宗教の政治機関である。国家宗教をやる会社に国家宗教をやめらせるには、国家宗教をやる会社を潰すしかないのだ。
いつの時代にも、国の政治機関を決めるのは国民であって、政治機関自身ではない。今の国民はもはや国家宗教を支持していない。ところが、今の日本政府は国家宗教をやっている。だから、今の国民は政府を支持しない。したがって、政府は滅びるしかない。政府が潰[つぶ]れたのは、国民の支持を得ようとしなかった政府自身のせいであって国民のせいではない。
日本人が現代法を支持していれば、そのうち現代法の政治機関が出来るだろう。それまでしばらく待て!

[9602] 日本政府は立派だ。 h22.2.24
自分の言葉を売り物にする奴[やつ]は、他人の受けを狙[ねら]う奴ばかりである。
反対に、私は他人の受けを狙わないから、自分の言葉を売り物にしないのだ。
日本人は他人の顔色を伺[うかが]って、他人に合わせる奴ばっかりだ。
その点、自分独[ひと]りの意志で国家宗教をやろうとする日本政府は立派だ。

[9603] 神武天皇は死んだか? h22.2.24
江戸時代に日本政府が徳川幕府に負けて天皇が江戸から追放された時、日本人の大半は神武天皇が死んだと思った。
しかし、その後も日本神道が徳川家と神武天皇を神として日本神道を続けていた。その例が、花火屋の鍵屋と玉屋である。日本神道にとっては神武天皇は神のまま生き続けていたのである。
それで、江戸末期に幕府が倒れて政府が復活した時、神武天皇は甦[よみがえ]った。
太平洋戦争で日本がアメリカに負けたとき、日本人の大半は神武天皇が死んだと思った。
しかし、今でも日本神道が私と神武天皇を神として日本神道を続けている。その例が、アニメや映画の私キャラクターと天皇キャラクターである。例えば、『うる星やつら』の諸星あたると面堂終太郎や、『スターウォーズ』のルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダー卿[きょう]などである。日本神道にとっては神武天皇は依然[いぜん]として神のまま生き続けているのである。
アメリカ政府は暴力団みたいだし、アメリカ政府は徳川幕府と同じだと考えればいい。
これでは、今の政府が現代法の政治をやって、その影で日本神道が私と神武天皇を神とする日本神道を続けているみたいだが、じつはそうではない。江戸時代と今の時代は違う。
今の時代は、日本政府自体が国家宗教をやっている。現代法はやっていない。だから、江戸幕府が武家制をやって国家宗教をやらなかったのとはわけが違う。それは、そもそも政府が国家宗教をやる機関であって、それ以外の何者でもないからである。政府が日本の政治機関であるかぎり、政府が国家宗教をやるのは当然である。つまり、今の日本政府が実際に私と神武天皇の2人を神とする国家宗教をやっているのである。今の日本には現代法の政治機関はないのである。江戸時代には徳川幕府と日本政府の2つがあって両者は別々だったが、今の時代には日本政府の1つしかないのである。
神武天皇は今でも生きている。だから、将来国家宗教が強まれば、再び日本政府が神武天皇の国家宗教で戦争を起こす可能性がある。
たとえ、戦争が起こらなくても、このままずっと日本政府が私と神武天皇の国家宗教をやり続けるのは国民にとって有害無益である。日本に現代法の政治機関がないままだと、日本が世界の後進国になる。日本人はプライドが高いから許せないはずだ。
将来、日本が戦争を起さないためにも、早めに政府を滅ぼしたほうがいい。日本や世界のためには政府は絶対に存在してはならない。
政府を潰[つぶ]すのは正しいことである。それなのに、国民の税金が義務なのはあんまりだ。したがって、国民の税金は自由とする。国民には『脱税の自由』があることにする。
政府を潰すのは正しいことである。国民は自由に政治機関に逆らったり政治機関を作ったり政治機関を選んだりすることができる。国民には『政治機関の自由』があることにする。国民は政治機関と契約を結んで、政治機関に政治をやってもらう代わりに税金を払うようにしなければならない。

[9604] どうして日本政府は日本国憲法を守らないのか? h22.2.25
ときどき、日本政府が日本国憲法を守らないことがある。
そもそも日本政府は国家宗教の政治機関である。
日本政府が日本国憲法を守らないのは、国家宗教の機関にとっては現代法の憲法なんかどうでもいいからである。神武天皇が土蜘蛛[つちぐも]を騙したからでもある。
もしも、日本政府が現代法の政治機関だったとしたら、政府は絶対に日本国憲法を犯すことはない。
だから、日本政府が憲法を守らないのは、政府が現代法の政治機関ではない証拠である。

[9605] 日本人は何のために国家宗教をやったか? h22.2.25
古墳時代から江戸時代までは、『奴隷解放』のためである。当時は日本に奴隷が大勢いて、奴隷が国家宗教を支持したので、日本に国家宗教が広がったのである。日本人みんなが国家宗教をやるために政府を作ったのだ。[奴隷のくせに、よく税金を払う余裕があるなあ。]
明治時代以降は、『西洋化』のためである。日本人は西洋を先進国だと考え、西洋では国家宗教をやっていたので、日本も西洋を真似て国家宗教をやったのである。しかし、実際には西洋では政府から分離した教会が国家宗教をやっていて、政府は現代法の政治をやっていたのである。しかし、日本では神道と政府が分離していないので、政府が国家宗教の政治ばかりやって現代法の政治をしないので、日本政府が現実の社会からズレたことばかりしているのだ。つまり、国家宗教の政治とは遊びである。政府は現実とは無関係などうでもいいことばかりやって喜んでいるのである。
国家宗教はせいぜいお祭りぐらいにとどめて、政治機関は真面目[まじめ]に現代法で政治をするべきである。
江戸時代には、幕府が武家制の政治をやって政府が国家宗教をやっていた。江戸時代が、日本における政教分離の時代だった。江戸時代には、日本はうまく行っていた。だから、日本の政治は江戸時代を見習わなければならない。

[9606] 日本らしい国作り h22.2.25
さすがに、今では政治機関が武家制をやるのは無理がある。わざわざ現代法という優れた法律があるのに、武家制という遅れた法律を使うのは不自然である。
日本神道は西洋由来だから、しょせん西洋の受け売りで日本らしさがない。神武天皇はモーゼとあまり変わらない。奈良は聖地エルサレムと変わらない。
そこで、政治機関が現代法をやって、その影で暴力団に武家制(暴力制)をさせればいい。日本神道はやめる。
そうすれば、日本らしい国作りができる。
暴力団は日本古来の豪族の流れを汲[く]んでいるから、暴力団にやらせれば日本らしさが出る。

[9607] 現代日本における政教分離☆ h22.2.25
今の日本社会では、政府が国家宗教をやって、国民が現代法の政治をやっている。国民が政治をやって、政府が宗教をやっている。だから、政教分離である。
だから、国民が政府の言いなりになってはいけない。それでは、日本人みんなが国家宗教をやることになって、日本はおしまいである。
国民は政府に逆らってでも現代法をやりぬくべきである。むしろ、国民が政府を抑[おさ]えるべきである。現代法は国家宗教よりも正しいから、国民が政府よりも偉くなければならない。
今の時代の国民が、江戸時代の幕府のようなものである。
今の日本の中には、眼で見えない透明な『現代法の政治機関』があるのだろう。それが政府を抑えているのだ。そもそも政治機関にとって建物なんかはどうでもいい。だから、はっきりした建物がなくても現代法の政治はできるのだ。
日本政府は昔から国家宗教をやる政治機関である。だから、いくら日本政府に文句を言っても国家宗教しかやらない。だから、日本が国家宗教をやめるためには、国民が政府に従うことをやめるしかない。国民にそれだけのことをする度胸がなければ、政府といっしょに地獄に落ちるしかない。

[9608] 現代っ子は理性が強い。 h22.2.25
理性とは、知覚が五感や心を支配することである。
現代法では強い理性が要求される。
だから、現代っ子でなければ現代法は守れない。
現代法を守れない落ちこぼれが、国家宗教や暴力制を守ろうとするのだ。

[9609] 政府は異質な者である。 h22.2.25
暴力団が昔の世界観を守っているために指切りや刺青[いれずみ]をするように、日本政府は国家宗教の決まりを守っているために変なことばかりやって常識が通用しない。だから、政府を国民と同じものだと考えてはいけない。[国家宗教は本来奴隷解放のための法律であって、その他[た]のことはやる必要がない。それなのに、政府は他[ほか]のことばかりやっている。だから、政府は国民とは違うのである。]
暴力団も政府も異常者である。異常者は軽蔑[けいべつ]の対象であって、おびえる対象ではない。馬鹿馬鹿しくて相手にならない。
今の国民が暴力団を無視して生きているように、政府も無視して生きていかねばならない。[[9521] の図を参照。]

[9610] 政治機関に加入すべきか否[いな]か? h22.2.25
国民を政治機関に入っているグループと入っていないグループに分けて、どちらが実際に幸福に生きていけるかを統計的に観察調査する。
その結果、政治機関に入っているほうが幸福ならば入り、入っていないほうが幸福ならば入らない。
外国を見て幸福な国のやり方を真似るのもよいだろう。[明治維新のはいけない。あれは、外国を真似たふりをしただけだ。日本政府は国家宗教をやる政治機関だから、国家宗教をやることしかできない。国家宗教以外のことは何もできない。だから、日本政府にとっては当然外国の政治機関の真似もできないのだ。]

[9611] 政府に対する報復措置[そち] h22.2.25
日本航空123便墜落事故」や「地下鉄サリン事件」や「アメリカ同時多発テロ事件」などは、世界各国の政府が国家宗教で起した事件である。新聞の1面目に大きく出る事件はたいてい政府が起した事件である。
政府は国家宗教でできることなら何をやってもいいと思っている異常な集団なので、面白半分に平気で人を殺すのである。
報復として政府を殺すには十分な理由である。
たとえ万一、これらの事件が政府の手によるものではなかったにせよ、どうせ政府は要らない機関なのだから、ついでに政府を殺してしまえばあとで面倒くさくなくていい。
国民がおとなしく政府に税金を払っていると、政府は国民が政府が国家宗教をすることを支持していると思って、ますます調子に乗って国家宗教で殺人事件を起す。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。

[9612] 国を発展させるための方法 h22.2.26
現代法の政治機関を作れば国が発展する。
たとえ政治家が汚職をしても、それでも国が発展する。
政治機関の原理が正しければ、多少のまちがいがあっても国が発展する。[政治家の汚職は政治機関の“摩擦”[まさつ]のようなものだ。]
反対に、政治機関の原理がまちがっていれば、多少正しいことがあっても国が衰退する。
今の日本人は、国の政治機関をよくすることを諦[あきら]めて、政府に税金だけ払って政府におとなしくしてもらって、国民だけでいい国を作るつもりでいるのだろうか?
その点は心配要らない。この世には、『政府の権力は政府に対する国民の支持に比例する。』という『権力の法則』がある。だから、国民が政府を支持する理由がなければ、政府は権力を失って潰れる。[[9590]参照。自分としては、フックの“バネの法則”(F=kx)の真似のつもりである。例えば、1600年にブルーノがぶち殺されたのは、当時の国民が政府を強く支持していて政府に強い権力があったからである。ところが、今は国民は政府(宗教機関)を支持していなくて政府に権力がないから、反対に政府が国民にペコペコしているのだ。政府の命令も政府に権力があってはじめて通用するので、政府に権力がなければ政府の命令も通用せず国民は政府の命令を無視できるのである。]ウェゲナーの大陸移動説やダーウィンの進化論と同じように、国の政治機関も時間が経てば変化するのである。政府がもっとも恐れているのは、この法則である。誰かにこの法則が発見されることである。これまでに小説家やアニメの脚本家が自分の考えを伏せたり喩えたりして述べねばならなかったのは、この法則が発見できなかったからである。

[9613] その他[た]のことはどうでもいい。 h22.2.26
国家宗教が『奴隷解放』のための制度であって、その他のことはどうでもいいように、
日本政府は『国家宗教』をやる政治機関であって、その他のことはどうでもいい。
どうでもいいことにとらわれているから、本質が見えない。
今さら、奴隷解放も国家宗教もあったもんじゃない。
奴隷解放は、現代法でも科学でも十分できる。
警察や消防署は、幕府でも現代法の政治機関でも民間の会社でもできる。
政府は国家宗教をやるだけであって、その他のことはやっているふりをしているだけである。
だから、国家宗教も日本政府も両方とも要らない。

[9614] 時限爆弾 h22.2.26
明治維新の頃は日本政府は現代法をやっていたが、時間が経つにつれて国家宗教を強くやるようになった。最後には、世界中を相手に勝てない戦争をして負けた。
それと同じように、終戦後しばらくの間は日本政府は憲法を変えて現代法をやっていたが、アメリカの占領を解かれるや否[いな]や私を神とする国家宗教をやるようになり、しばらくすると神武天皇の国家宗教もやるようになり、時間が経つにつれてますます国家宗教を強くやるようになって来ている。
政府は最初のうちは現代法をやっているが時間が経つにつれて国家宗教をだんだん強くやるようになる習性がある。それは、国民が政府に国の政治機関を任[まか]せっ切りにしているからでもある。日本政府を日本の政治機関にしているかぎり、ひとりでに国家宗教が強まってしまう。日本政府は自分がこの世にあるから、ただ国家宗教をやっているだけのことである。[ふてくされた女がヤケクソで仕事をやるようなものだ。]
『病気は小さいうちに治せ』という諺[ことわざ]がある。だから、日本の政治機関の病気も小さい治せるうちに治しておかねばならない。
日本人が日本政府に日本の政治を任せていること自体が認識不足だ。そんなことでは、日本人が馬鹿だと日本人がまた戦争で死にたいんだと日本人が生きるのが嫌な連中ばかりなんだと世界中の人々に思われてしまう。

[9615] 政教分離 h22.2.26
最近のヨーロッパの教会の司教がシケた顔つきをした奴[やつ]ばっかりなのは、ヨーロッパが政教分離していることの証拠である。政教分離のせいで、教会が金[かね]まわりが悪くなって貧乏臭くなったからである。
しかし、日本はいまだに政府が国家宗教をやっている。政府が国家宗教で現実離れしたことばかりやっているせいで、国の運営がうまく行かなくなっている。日本はヨーロッパの過去の歴史をいまだになぞっているのだ。
ヨーロッパで政教分離したのは、政府が国家宗教をやると国家宗教を強くやりすぎることになって国の運営がうまく行かなくなるからである。だから、日本もヨーロッパを見習って、政教分離しなければならない。つまり、今の政府とは別に現代法の政治機関を作らねばならない。そんなお金がないと言うなら、遊び代をケチってでも現代法の政治機関を作らねばならない。
日本政府は「国の政治機関が変わっても国の景気はよくならない」と国民に思わせているが、実際には政治機関が違えば国の景気も全然違う。日本は幕府が武家制の政治をやっていた江戸時代には景気がよかったが、その後日本政府が国家宗教の政治をするようになってから景気が悪くなった。政府は日本の貧乏神である。疫病神である。だから、縁起の悪い日本政府を追い払うべきである。

[9616] 日本における政教分離 h22.2.26
国家宗教は現実の社会と合っていない法律だから、国の政治機関が国家宗教の政治をやると国の運営がうまく行かなくなる。[そもそも国家宗教は奴隷解放のためにある制度であって、それ以外のことをやる必要はないが。]
だから、今はどの国でも政教分離でやっている。
残念ながら、今の日本にはまだ現代法の政治機関はなく、仕方がないので国民が現代法をやり、政府が国家宗教をやっている。[日本は遅れた国だなあ。どうせ戦争の赤字のせいで、新しく現代法の政治機関を作れなかったんだろう。]
そのため、国民が政府の言いなりになると、日本中が国家宗教をやることになって国の運営がうまく行かなくなる。
だから、国民は政府の言いなりになってはならない。国民はなにがなんでも現代法の政治をやり抜かねばならない。むしろ、国民が政府を従わせるようにならねばならない。

[9617] 日本は西洋よりも100年遅れ h22.2.26
明治維新の頃は、ニーチェが「神が死んだ」と言う前だから、西洋の国ではまだ政教分離がなかったから、日本でも西洋を真似て政府が国家宗教をやっていたのだ。西洋の国で政教分離が進んだのは20世紀に入ってからだろう。日本は西洋よりも100年遅れだから、最近では日本でも政教分離に入ったのかもしれない。

[9618] どうして日本人は現代法よりも国家宗教を肯定するのか? h22.2.26
日本は明治維新の頃には国家宗教と現代法を半々[はんはん]にやっていて、大正時代に現代法が一時的に強まったが、その後国家宗教に転じて、あとは国家宗教街道をまっしぐらに進んで行った。
それは、日本人が現代法よりも国家宗教を支持したからである。
日本人が現代法よりも国家宗教を支持したのは、国家宗教には“不思議なパワー”があると思っていたからである。
そんなめでたい物があったら、日本はとっくの昔に世界を征服できている。実際にはそうではない。だからそんな物はないのだ。今は科学の時代だから、そんな馬鹿馬鹿しいことを言わないでくれ。

[9619] 政教分離とは何か? h22.2.26
国の政治機関が法律を国家宗教から現代法に変えることである。
政治機関から分離した宗教団体は、現代法の範囲内で国家宗教をすることが許される。
西洋では政教分離が進んでいるが、日本ではいまだに政教分離がなされていない。日本では、西洋の“教会”に相当する団体がない。これは、日本ではまだ政治機関と宗教団体が一体化していることの証拠である。
日本では江戸時代にすでに政教分離がなされていたが、その後明治になって再び政教一致に戻った。江戸時代には日本は世界の先進国で景気がよかったが、今では反対に後進国で景気が悪い。[幕末に日本に来たアメリカが日本を征服しようとしなかったのは、当時の江戸の町が世界一の大都市で、アメリカが日本に脅威[きょうい]を覚[おぼ]えたからである。]
日本でも早く現代法の政治機関を作って、神道を政治機関から分離しなければならない。

[9620] 国家宗教は戦争だけじゃない。 h22.2.26
国家宗教とは、政府が国民に神と同じことをさせることである。
昔は神武天皇が神だったから、政府が国民に軍人だった神武天皇と同じことをさせたので戦争をしたのである。
神武天皇は戦争をしただけではない。戦前の政府は神武天皇がしたことに基づいて、国民にいろんなことをさせていたのである。[[9154] 政府の事業について h21.12.16 を参照。]
今は私が神だから、私が家でアニメをよく見るので、政府はマンガ並みに絵が綺麗なアニメをアニメ会社に作らせて国民に見せていたのである。
だから、たとえ今の日本が戦争していないからといって、政府が国家宗教をしていないことにはならないのである。
政府は国家宗教で国民にとっていいことばかりするわけではない。政府は国家宗教でやれることなら何でもやっていいと思っているので、結果が国民にとって善かろうが悪かろうが知ったもんじゃない。だから、平気で戦争もやれたのである。今でも政府は国家宗教で事件を起して国民を平気で殺している。[政府が犯罪を起こしている張本人だから、政府がなくなれば犯罪もない。犯罪を起こすのも放火を起すのも政府である。だから、政府がなくなれば警察も消防署も要らない。]国家宗教には現代法のような『人権』の概念がないので、政府は平気で国民の人権を侵しているのである。国民の身体も財産も政府のものである。事実上、国民は政府の奴隷である。本来奴隷解放のためにあるはずの国家宗教が、反対に奴隷制を作り出しているのである(矛盾)。だから、政府を日本の政治機関にしていること自体がまちがっているのである。

[9621] 政府を潰すことならできる。 h22.2.26
新しい現代法の政治機関を作るにはお金がかかるが、古い国家宗教の政治機関(つまり政府)を潰すにはお金がかからない。
税金を払わなければ、政府は潰れる。
政府が潰れれば、いやでも現代法の政治機関を作らねばならない。
だから、税金を払わずに政府を潰せばいい。
政府を潰すのは正しいことだから、国民は平気で政府に税金を払わなければいい。そんなことすらできなければ、政府にも劣るクズだ。政府が仕事で国家宗教をやっているように、国民も仕事で現代法をやるべきであって、国民は政府に絶対に協力してはいけない。政府自身も国家宗教が現代法に比べてまちがっている法律であることを知っているから、国民が正当な理由で政府に反対するのであればそれを認めるはずだ。認めなければ、政府が悪い。

[9622] 政府はどうして戦争をやったのか? []内が☆☆ h22.2.26
戦前の政府は国民が政府におとなしく税金を払っているので、てっきり国民が神武天皇を神とする国家宗教を支持していると思って、国民のために戦争をやってあげたのである。だから、おとなしく政府の言いなりになっている国民が馬鹿なのだ。[実際に、当時の日本人は「日本が戦争に負けない国だ」と思っていたから神武天皇の国家宗教を支持していたのかもしれないが。日本の近代化がうまく行っていたから、日本が全世界を相手にしても戦争に勝てるとうぬぼれていたのかもしれない。当時の日本人は「日本が世界一の国だ」と思っていたから、本気で勝てると信じていた。誰だって勝てる戦争はやり負ける戦争はやらない。当時の日本人は「日本が戦争に必ず勝てる」と思っていたから戦争をやることに決めたのだ。当時の日本人は、日本が科学で遅れているだけで実質的には世界一だと思っていた。そこで、当時の日本人は近代化と戦争のために国家宗教を支持したのである。幕府では、徳川家康が鎖国と戦争の放棄を決めていたので、日本が近代化や戦争をするためには幕府を支持するわけにはいかなかったのである。現代法では世界人類みんなの人権を守らねばならず、戦争がやれないので、現代法を支持しなかったのである。戦争をやるためには、どうしても国家宗教が必要だったので、日本人は政府を支持したのである。そして、『井の中の蛙[かわず]大海を知らず』の諺[ことわざ]の通り、日本は戦争に見事に負けたのである。たしかに当時の日本人には政府を支持する理由があったが、今はない。だから、今の国民は政府を支持してはいけない。今の日本人にとっては現代法のほうが国家宗教よりも適しているから、国民は国家宗教の政治機関(つまり政府)よりも現代法の政治機関を支持しなければならない。まさか、今でも日本人は全世界を相手にして戦争に勝てるとでも思っているのだろうか?]
だから、国民は国家宗教に反対するなら、政府に抵抗しなければならない。国民がおとなしく政府に従っていたら、政府は国民が国家宗教に賛成しているものと誤解して、ますます国家宗教を大々的にやろうとする。政府は国民のためにあるのだから、政府も国民が政府に抵抗する権利を認めているから、国家宗教に反対する国民は積極的に政府に抵抗してアピールしなければならない。
黙っていたら、他人はわかってくれない。黙っていても、わかってくれるのは自分の家族だけだ。日本人はもっと自分の意見を言葉や身体で表現しなければいけない。

[9623] 今は現代法の時代 h22.2.26
明治帝国憲法は国家宗教と現代法が半々だったが、
今の日本国憲法は99%が現代法で1%が国家宗教である。
1%の国家宗教では、せいぜいお祭りぐらいしかやれない。
だから、政府は現代法の政治をしなければいけない。

[9624] 国民が法律を選ぶ。☆ h22.2.26
明治維新のときに、日本の法律を国家宗教に決めたのは、日本国民であって、日本政府ではない。
当時の日本国民は、日本が戦争をして全世界を征服するために、国家宗教や日本政府を選んだのである。
いつの時代でも、国民が法律や政治機関を選ぶのであって、政治機関自身が法律や政治機関を決めるのではない。
それなのに、今の国民は正しい政治機関を選んでいない。
今の日本にとってふさわしい法律は現代法であって国家宗教ではない。今の日本にとってふさわしい政治機関は現代法の政治機関であって日本政府ではない。
だから、今の国民がまちがっている。まちがいは早く直さなければならない。
そもそも日本が太平洋戦争に負けたときに、国民みんなで「国家宗教の政治機関はもういやだ」と言って、国民みんなで現代法の政治機関を作って、政府を倒せばよかったのだ。今からでも遅くないから、そうしたほうがいい。あるいは、最近日本に外国から現代法が伝わったことにして、国民みんなが現代法を支持して日本に現代法の政治機関を作って政府を倒せばいいのだ。
これまでだって、国民が政治機関を作ってきた。国民が政治機関を倒してきた。だから、これからもそうすればいいのだ。

[9625] 国家宗教の弊害[へいがい] h22.2.27
日本では古墳時代に『奴隷解放』のために国家宗教を法律にした。その結果、国中に犯罪が流行[はや]った。
日本では明治時代に『戦争』のために国家宗教を法律にした。その結果、国中に犯罪が流行った。
日本では江戸時代に奴隷がいなくなったので武家制を法律にした。その結果、日本は繁栄した。
日本では世界大戦後、戦争をやらなくなったので現代法を法律にしなければならない。そうすれば、日本は再び繁栄する。
今の日本では、国家宗教を法律にする理由がない。つまり、政府に政治をやらせる理由がない。だから、政府には日本の政治をやめさせなければならない。

[9626] ヨーロッパではどうして現代まで国家宗教をやっていたのか? h22.2.27
ヨーロッパでは近代になって科学的精神に則[のっと]った現代法が出来たが、すぐには法律にしなかった。
それは、ヨーロッパでは近代の終わりまで植民地を増やすために『戦争』をやっていたからである。
日本が明治時代に国家宗教をやるようになったのと同じ理由である。
戦争で人殺しをするためには現代法では都合が悪いのである。現代法では人類みんなの人権を守らねばならないので、戦争がやれないのである。植民地の人々を奴隷にすることができないのである。[そもそも国家宗教は奴隷解放のためにあったのだが。]
つまり、近代以降は国家宗教は『戦争』や『植民地支配』のためにやっていたのである。
しかし、世界大戦後は世界中で戦争をやらなくなったから、もはや国家宗教をやる必要はない。世界大戦後は現代法をやらねばならない。
近代以降、科学が人類の生産性を飛躍的に増大したので、奴隷制も戦争もする必要がなくなったのである。

[9627] どうして近代になってから教会の建築様式が変わったのか? h22.2.27
ヨーロッパの中世の教会は丸みがあって優しかったが、近代以降はトゲトゲして威圧的になった。
ヨーロッパでは近代になって植民地政策のために戦争をするために、日本の神武天皇を新しい神に加えたからである。
しかし、ヨーロッパでは神武天皇と徳川家を混同していたので、ヨーロッパの教会が日本の城みたいになったのである。[江戸時代に日本にスパイに来た外人が天狗[てんぐ]伝説となったのである。]
今のキリスト教が私を新しい神にしたために、教会の屋根を緑色に塗っているのと同じことである。[緑色←グリーン←ノブ川ノ(グを分解するとノブ、リー=川、ンの`を無視するとノ)←川ノノブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)]

[9628] 『日本人はみんな殿様になりたい。』 h22.2.27
ビートたけしがかなり前に言っていたことである。
今の日本は、国民が現代法の政治をやって、政府は国家宗教の政治をやっている。
だから、今の国民はいわば江戸時代の徳川家康のようなものである。
今の国民は自分を徳川家康だと思えばいいのである。
日本国民みんなで現代法の政治機関をやっていると考えればいいのである。
政府は余計な邪魔者だから、国民は政府を無視してやって行こう。

[9629] 馬鹿の時代 h22.2.27
『権力は国民の支持に比例する。』
今の日本国民が支持しているのは見かけがいいだけの人間である。今の日本国民はテレビやマンガの見すぎで眼で見ることしかわからないからである。
だから、今の時代は、見かけのいい人間が権力がある。
しかし、見かけのいい人間は馬鹿である。馬鹿は考えないから見かけがいいのである。馬鹿が利口なのは、他人の脚本を読んでいるからである。
だから、今の時代は馬鹿が権力者である。
馬鹿が考えることは、金と女と見栄だけである。
馬鹿にとっては政治のことなんかどうでもいい。馬鹿は政治について考えない。馬鹿は学校の教科書で習った通り、日本政府を現代法の民主主義の政治機関だと思っている。
だから、いつまで経っても日本の政治機関は政府のままなのだ。今の政府は馬鹿の権力者によって支えられているのだ。

[9630] 『赤信号みんなで渡れば怖くない。』 h22.2.27
これもビートたけしがずいぶん前に言っていたことである。
今の日本政府は神武天皇を神としていない。
だから、赤信号は神武天皇の国家宗教の喩[たと]えではない。
もちろん、私の国家宗教の喩えでもない。それなら青信号になるはずだからである。[青←ブルー←ブ川ノ(ル=川、ー=ノ)←川ノブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)]
つまり、赤信号とは“してはいけないこと”ぐらいの意味しかないのである。
つまり、赤信号とは、“今の日本政府に逆らうこと”である。
今の日本では、国民が現代法の政治をやり、日本政府が国家宗教を政治をやっているから、国民が政府に逆らわざるを得ないのだ。
つまり、『赤信号みんなで渡れば怖くない』とは、“国民みんなで一丸[いちがん]となって日本政府に逆らいましょう”ということなのである。
明治以降は、日本は戦争のために国家宗教をやっていた。ところが、今の日本は戦争をしていない。だから、今の日本は国家宗教を法律にしなくていい。だから、今の日本には政府は要らないのだ。
もともと日本政府は日本が戦争をするために作った政治機関である。だから、日本が戦争をしなくなれば日本政府を潰[つぶ]せばいいのだ。


[9631] 暴力団反対! h22.2.27
私は日本政府が嫌いだが、暴力団も好きではない。
なぜなら、暴力団は古臭いことにこだわるからである。
私は古臭いことにこだわる者が好きではない。爺[じじ]臭くて嫌だ。
だから、私は暴力団が好きではないのである。

[9632] 日本国憲法 h22.2.27
日本国憲法は昭和20年頃作られ昭和40年頃廃止された法律である。
日本国憲法は、日本がアメリカに占領されていた間だけ有効だった法律である。
今の日本政府の法律は国家宗教である。
日本政府は明らかに国民に逆[さか]らっている。日本政府は国民に殺されたいのだろうか?

[9633] すでに政府に対する攻撃は始まっている。 h22.2.27
最近のテレビやマンガが面白くないのは、日本人の馬鹿を治すためである。
最近の日本人はテレビやマンガの見すぎで眼で見たことしかわからない馬鹿になっている。
いまだに日本政府が日本の政治をやっているのは、日本人が馬鹿すぎて日本政府に政治をさせてはいけないことに気づかないからである。
日本政府の政治をやめさせるためには、日本人の馬鹿を治さなければならない。

[9634] 現代では国家宗教をやってはならない。☆ h22.2.27
近代のヨーロッパやアメリカや日本などでは、『戦争』や『植民地支配』のために国家宗教をやっていた。
しかし、第2次世界大戦以後は、世界中の国が戦争や植民地支配をやらなくなった。
だから、今は国家宗教をやってはならない。現代法をやらねばならない。
したがって、政府に政治をさせてはならない。現代法の政治機関に政治をさせねばならない。

[9635] どうして第2次世界大戦後世界中で戦争をやらなくなったのか? h22.2.28
第2次世界大戦の時、派手に戦争をやりすぎて、世界中の人々が戦争に嫌気がさしたからである。
世界中の人々の『反戦意識』が高まったので、戦争をやらなくなったのである。
その隙[すき]に乗じて、世界中の植民地が次々に独立した。
おかげで、それまで植民地で裕福だった国がすっかり貧乏になってしまったのである。
日本は植民地が少なかったので、戦後もあまり生活が変わらなかったのである。
戦争は忘れた頃にやってくる。だから、戦争を忘れてはならない。そのためには、ときどきテレビやマンガで戦争のグロい映像を見せることが必要である。

[9636] 今は戦争のない時代 h22.2.28
日本は明治維新から世界大戦までは戦争の時代だった。
それで、日本人は戦争をするために国家宗教をやっていた。日本人は国家宗教をやるために日本政府を作った。
しかし、世界大戦後は戦争のない時代になった。
今は戦争のない時代である。
だから、今は国家宗教をやってはいけない。したがって、日本人は国家宗教をやめるために日本政府を潰さねばならない。
その後で、今の時代にふさわしい現代法の政治機関を新[あら]たに作らねばならない。

[9637] 今の日本は国民で持っている。 h22.2.28
今の日本では、国民が現代法の政治をやって、政府が国家宗教の政治をやっている。
今の日本の景気がいいのは、国民のためである。国民が日本の秩序を築[きず]いている。
今の日本の景気が悪いのは、政府のためである。政府が日本の秩序を壊している。
今の日本は国民で持っている。だから、国民は政府の言いなりになってはいけない。[[9521] 政府は犯罪組織である。 h22.2.15 の図を参照。]
日本では無政府主義で行けるかもしれない。でも、現代法の政治機関なら作ってもいいだろう。

[9638] どうして政府は国民と契約を取らないのか?☆ h22.2.28
政府は国民とちゃんと契約を取って集金すればいいのに、そうしようとしない。
今は『契約の時代』だから、たとえ政府といえども国民と正式に契約を取らねばならない。
政府が国民と契約を取っていないのは、実際に政府が国民と契約を取っていないからである。だから、今の国民が政府に従おうが従うまいが、国民の自由である。政府が国民と契約を取っていないから、国民が政府に従わねばならない義務なんかないのである。
そもそも政治機関は国民の支持によって出来た機関なので、政治機関が国民に自分に従うことを強制することはないのである。だから、政治機関は必ず国民と契約を取ってサービスをしなければならない。
私が政府に税金を払わなければ、政府は私に“国家宗教のサービス”(神と同じことをさせること)をしてくれないが、私にとってはそのほうがいい。
だから、政府の“国家宗教のサービス”が要らない人は、政府に税金を払わずに政府と縁[えん]を切ればいいのである。
幸い、今の『現代法の政治機関』(国民のこと)は無料で政治サービスをしてくれているから、国民にとってはありがたいかぎりだ。

[9639] 国家宗教は戦争のためにある。 h22.2.28
今の日本に国家宗教をやる政府があるのは、今後日本が戦争をやる可能性があるからである。
しかし、戦争をやらない可能性もある。
戦争をやらなければ、現代法をやればいい。
今のところ日本は戦争をやっていないから、今の日本では現代法でやって行けばいい。

[9640] 豪族制とは何か? h22.2.28
昔の日本では生産性がまだ低かったから、国民みんなの人権を保障するわけにはいかなかった。
そこで、国民を豪族と奴隷に分けて、豪族の人権だけを保障したのである。豪族だけをいい待遇にしたのである。奴隷は人権を保障されなかったのである。奴隷は劣悪な待遇だったのである。
日本の豪族は西洋の貴族と同じである。ただ、日本人は知性が低かったので貴族と呼ばず豪族と呼ぶのである。
昔人間が群れを作って暮らすようになった頃、サル山のボスと同じように群れのリーダーとその補佐役を決めたのが豪族の始まりだろう。

[9641] なぜ政府は国家宗教で人殺しをしているのか? h22.2.28
政府の者が生まれてから一度も痛い目にあったことがないからである。
それで、政府は他人の痛みがわからないから、平気で人殺しをしているのである。
だから、政府の者を痛い目にあわせて政府に痛みとは何かを教えてやればいい。
そうすれば、政府も自分のしていることがまちがいだとわかって国家宗教をやめるだろう。

[9642] フォイエルバッハはどうして虐[いじ]められたか? h22.3.1
フォイエルバッハが生きていた頃は、まだヨーロッパは植民地時代だった。
当時のヨーロッパの人々は植民地のおかげで豊かに暮らしていた。
植民地政策を支えていたのは、キリスト教の国家宗教である。[厳密にはキリスト教ではなく日本神道だが。他人の土地を盗ったのは神武天皇だからである。]
だから、当時のヨーロッパの人々はキリスト教を支持していたので、キリスト教を攻撃するフォイエルバッハが許せなかったのである。
しかし、今の日本には植民地はない。戦争もない。日本神道が国民を豊かにしてくれることがない。
それなら、国民にとっては日本神道の国家宗教を支持する理由がない。
だから、国民が国家宗教をいくら攻撃してもかまわない。政府を攻撃してもかまわない。[政府は国家宗教をやる政治機関だからである。]今の時代には国家宗教は国民にとって有害無益だから、むしろ攻撃しなければならない。

[9643] 医療保険制度 h22.3.1
医者だけに保険制度があるのはおかしい。
医療保険制度は、医者が働かなくても食っていける制度である。
医療保険制度があれば、医者は何もしないで遊んでいられる。
そんな制度は、なくしたほうがいい。

[9644] 学校は要るか? h22.3.1
学校がなくなれば、子供は一日中遊んでいられるので大喜びだ。
学校がなくなれば、税金が安くなるので大人も大喜びだ。
学校がなくなれば、学歴社会がなくなるので、実力重視の健全な世の中になる。
学校がなくなれば、日本中のみんなが万々歳[ばんばんざい]だ。
学校は政府が子供を洗脳するためにあるのだから、そんな物はなくなったほうがいい。

[9645] 女 h22.3.1
女なんか見かけがいいだけで馬鹿馬鹿しいだけだ。
最近の女は偉そうだ。
自分の身分がわかっていない。
自分が糞馬鹿であることがわかっていない。糞馬鹿の目で見た世界観に価値なんかあるか。
昔の女は自分が馬鹿だとわかっていたから賢かったが、
今の女は自分が馬鹿だとわからないほど糞馬鹿だ。

[9646] 植民地政策はなぜうまくいかなかったのか? h22.3.1
植民地政策は飴[あめ]と鞭[むち]である。
つまり、最初に植民地にとって得になることをして植民地であることを受け入れさせた後で、植民地に厳しくして植民地の財産をありったけ奪うのである。
『支配者の権力は被支配者の支持に比例する』から、植民地の得になることをしている間はうまくいくが、長期的には植民地の住民の反感を買ってうまく行かない。
植民地政策などしょせんいっときだけの政策にすぎない。長期的にはうまく行かない下手糞な政策である。
ヨーロッパ人もかつてはローマ帝国の奴隷にされて同じ目を味わった。だから、わかるはずだ。
わかっていないのは日本人だけだ。

[9647] 政府の仕事 h22.3.1
日本政府の仕事は国家宗教をやることである。
国民が政府に払った税金が、政府が国家宗教をやるために使われているのである。
国家宗教とは、国民に神と同じことをさせることである。
例えば、神武天皇が軍人で人殺しをしたから、政府が殺し屋に神武天皇と同じことをさせて国民を殺させる。
今の時代に政府が国家宗教をやっても国民の得になることがはない。
したがって、国民が政府を支持する理由はない。
だから、政府には権力がなく、政府は国民によって倒されるだけである。

[9648] 江戸幕府はどうして権力があったか?☆ h22.3.1
江戸幕府に権力があったのは、国民が江戸幕府を支持したからである。
国民が江戸幕府を支持したのは、江戸幕府が日本政府(日本神道)を抑[おさ]えてくれたからである。
日本政府は国民のためになることをせずに[『カチカチ山』のタヌキのように]国民に悪さばかりするので、国民にとっては日本政府が邪魔な存在だったので、日本政府の活動を抑える江戸幕府を支持したのである。
幕末に植民地政策のために国民はしかたなく日本神道を支持しただけである。
植民地政策がなければ、日本は江戸幕府のままだったはずだ。

[9649] ヨーロッパではなぜ幕府が出来なかったか? h22.3.1
スペインやポルトガルが植民地政策に乗り出したのが幕府が出来るよりも早かったからである。
植民地政策のためには国家宗教(主に神武天皇教)が必要だったので、当時の国民は国家宗教を支持したので、騎士道が抑[おさ]えられて幕府が出来なかったのである。[そういうわけで、ドン=キホーテは風車に負けたのだ。]
日本では植民地政策に乗り出すのが遅かったので幕府が出来たのである。
騎士道も武士道も国家宗教を抑えるために考案された制度だったのだ。武士道は日本で実現されて幕府となったが、騎士道は実現には至らなかったのだ。

[9650] 政府は用済みだ。 h22.3.2
政府はまちがった法律(国家宗教のこと)をする会社である。
そんな会社は要らない。
政府は植民地政策が失敗した時点(太平洋戦争が終わった時点)で用済みだ。
政府は国民に威張る資格がない。
今の政府は何の目的もなくただダラダラとまちがった法律をやっているだけだ。政府は暇つぶしに国家宗教を使って国民に嫌がらせをしているだけである。
政府があるから世の中が悪くなる。
今の政府はただの要らない会社だ。
国民はそんな会社に金(税金のこと)を払って養[やしな]ってやる必要はない。
政府は日本が植民地政策をするために建てた会社だから、日本が植民地政策をやめたらさっさと取り壊すべきである。
今の日本にとっては政府よりも他[た]の政治機関のほうがいい。

[9651] 国民は細かすぎる。 h22.3.2
今の政府が取り壊せない理由は、政府がなくなると警察もいっしょになくなるからである。
だから、今の政府を取り壊すためには、まず政府とは別に警察や消防署を作らねばならない。
しかし、犯罪も火事もめったに起こらない。
病気や事故にあう確率のほうがずっと高い。
だから、警察や消防を理由にして政府を大事にするのはまちがっている。
警察や消防署は幕府やその他の政治機関でもできる。だから、特に政府にこだわる必要はない。
国のためには多少の犠牲[ぎせい]を払っても国の政治機関を入れ替えたほうがいい。

[9652] 江戸幕府にはどうして権力があったか? h22.3.2
江戸幕府に権力があったのは、国民が幕府を支持したからである。
国民が幕府を支持したのは、日本が繁栄していたからである。日本が世界一の国だったからである。[科学技術はあくまでも国の一面である。だから、たとえ日本の科学技術が遅れていても、日本は世界一の国だったのである。]
しかし、今の日本は繁栄していない。日本はアジアでも中間ぐらいの国だ。
だから、今の国民は日本政府を支持していない。
だから、今の日本政府には権力はない。
政治機関が国民に対して威張りたければ、それなりの結果を出さねばならない。

[9653] 政策で法律が決まる。 h22.3.2
近代の西洋や日本では、植民地政策のために国家宗教(特に日本神道)を法律としていた。
国の政策によって、法律が決まるのである。法律によって政治機関が出来るのである。
今の時代は、国が平和で国内的に発展すればいいから、現代法を法律にすべきである。
だから、今の国の政治機関は政府ではなく現代法の政治機関にしなければならない。

[9654] 気持ちの盛り上がり h22.3.2
明治維新の時には国民が『植民地政策』に燃えていたので日本政府が出来た。
江戸時代には国民が新しい『武家制度』に期待していたので江戸幕府が出来た。
新しい政治機関が出来るためには、国民の気持ちの盛り上がりが必要である。
今の時代には、そんな気持ちの盛り上がりはないのだろうか?
たとえないとしても、果たしてこのままでいいのだろうか??
君たちは新しい『現代法の政治機関』に期待したいとは思わないのか!?

[9655] 江戸時代の身分制 h22.3.2
科学や数学みたいに論理的に厳密に身分制があったと考えてはいけない。
そんなことをすればすぐに国が滅んでしまう。国民の不満を煽[あお]りまくって国が滅びる。
武家制度だから武家が中心であったことはまちがいないが、それ以外の身分はただの気休めではなかっただろうか。つまり、待遇のいい者は身分を低く、待遇の悪い者は身分を高くしたのである。待遇の悪さを身分の高さでカバーしていたのである。そうやって人間の平等性を取り入れていたのである。

[9656] 穢多[えた]・非人[ひにん]とは何か? h22.3.2
江戸時代になっても、日本神道は幕府に従わなかった。
武家にとっては日本神道の者は人間以下だった。
それで、穢多・非人にしたのである。
つまり、穢多・非人とは日本神道のことである。

[9657] カミュの『異邦人』 h22.3.2
近代になって、ヨーロッパの教会が植民地政策のために神武天皇教をするようになってから、ヨーロッパ人の性格がすっかり冷たくなってしまったことを表している。

[9658] 愚連隊 h22.3.2
愚連隊とは、わけもわからずに政府に従っている馬鹿な国民のことである。
今の日本は植民地政策をやっていないから、国家宗教をやる必要はないから、政府を政治機関にしてはいけない。
それなのに、日本人は政府を日本の政治機関にして政府におとなしく従っている。政府に税金を払っている。政府を支持する理由がないのに、政府に権力があると思っている。
おかげで政府が国家宗教で要らないことをして日本が無秩序になっている。
だから、日本人は愚連隊なのだ。

[9659] 政府の定義 h22.3.3
政府とは、国家宗教の政治機関である。それが日本における古来からの政府の定義である。
政府は日本がアメリカに占領されていた間だけ現代法の政治機関をやっていたにすぎない。
その後再び政府は世界大戦以前のような国家宗教の政治機関に戻ったのである。日本国憲法は昭和20年頃に制定され昭和40年頃に廃止されたのである。
ところが、今は国家宗教の時代ではない。だから、政府が国の政治機関であることは不適当である。
いつまでも政府に放置プレイさせてはいけない。

[9660] 政府の借金 h22.3.3
日本は敗戦で多額の借金を作った。その返済はいまだに続いている。
政府は自分の借金を返し終わるまで日本の政治機関を続けるつもりなのかもしれない。
しかし、植民地政策のために戦争をしたのは日本人全員の決断である。だから、政府の借金は日本人全員の責任である。
だから、政府はさっさと政治機関をやめて、現代法の政治機関に交代したあと、現代法の政治機関にこれまでの借金の返済を引き継いでもらえばいい。

[9661] 政府は借金で作った。 h22.3.3
明治維新のとき、国民の借金で政府を作った。
その上、政府は戦争で借金を作った。
今度、現代法の政治機関を作るときも国民の借金で作るだろう。
政治機関を入れ替えるたびに借金が増える。
それなら、せめて正しい政治機関にしてくれ!

[9662] 日本人は馬鹿だ。 h22.3.3
明治維新のとき、「植民地で儲[もう]かる」と思ったのは日本人が馬鹿だからである。
頭のいい人ならもっと慎重に考えて、植民地政策に反対したはずだ。
そんな安っぽい儲け方で乗り気になるのは、頭が悪い証拠だ。
植民地政策自体、長続きしない政策だ。[[9646] 植民地政策はなぜうまくいかなかったのか? h22.3.1を参照。]その上、西洋諸国と植民地の取り合いになればますますうまく行かない。
日本人はそんなことすらわからないほど大馬鹿だ。
日本人がそんなに馬鹿だから、今の日本では政府が政治をやっているのだ。
国家宗教の政治機関にしておけば、そのうち大儲けでもできると思っているのだろうか?

[9663] 国民が悪い。☆ h22.3.3
今の政府が日本の政治をやっているのは、国民が政府をやめさせないからである。
そもそも政府を作ったのは国民である。だから、政府をやめさせるのも国民である。
国民が政府をやめさせないから、政府はいつまでも日本の政治機関を続けているのである。
だから、国民は政府に逆[さか]らって政府にブレーキをかけて政府をやめさせる必要がある。
政府は政府があるかぎり政府を続けるだけである。政府は自分で政府をやめることができないのである。政府は自分で自分のコントロールが利[き]かないのである。政府には自分自身をコントロールする機能が付いていないのである。[政治機関が出来たときに政治のやり方が決まっているので、あとはひたすらそのやり方で政治を続けていくだけである。]
政府を動かしたり止めたりできるのは、国民だけなのだ。政府の手綱[たづな]を引くのは、国民の務[つと]めなのだ。

[9664] 政府の運動法則 h22.3.3
1)政府は一度動き出したら政府を続けるだけである。政府は自分で政府をやめることができない。
2)政府は国家宗教の政治をするだけであって、他の政治機関に変わることができない。武家制や現代法の政治機関に変わることができない。
3)政府は外からの力が働かないかぎり、国家宗教の政治をやめることがない。幕府の時代やアメリカ占領下では、政府は国家宗教の政治をやらなかった。
政府は国民の支持がある限り、国家宗教の政治を続けるだけである。
政府をやめさせるためには、国民が政府を支持するのをやめるしかない。
国民には政府を支持する理由があるのだろうか?
これまで国民は『奴隷解放』や『植民地政策』のために国家宗教や国家宗教をやる政府を支持してきた。
今の日本では奴隷解放も植民地政策もやっていないから、国民には国家宗教や政府を支持する理由がない。
だから、今の国民は国家宗教や政府を支持する必要がない。
今の政府は何もすることがなくて、暇つぶしに国家宗教を使って犯罪を犯して国民を殺しているだけである。
だから、国民は国家宗教や政府を支持してはいけないのだ。
国民の大半が政府に反対すれば、政府は潰れるだろう。国民の大半が政府に逆らって政府に税金を払わなくなれば、政府はすぐに潰れる。
今の日本は政治機関がまともな命令を出さないから、国の発展が止まっている。
さっさと政府を潰して現代法の政治機関に入れ替えたほうがいい。

[9665] 税金とは何か?☆ h22.3.3
国民が政府に国家宗教をやってもらうための代金である。
ところが、今の政府は国民と契約を取っていない。
だから、国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の自由である。
国家宗教を支持しない人は税金を払わなければいいのである。
税金とは、政治機関の政策を支持する人が払う『政治機関への寄付金』のようなものである。だから、戦前は日本政府に自分の全財産をあげる者もいたのである。
だから、自分が政治機関の政策を支持する気持ちの分だけ税金を払えばいいのである。
政治機関は国民からの寄付金の額に応じて自分の政策を進めるのである。政治機関に従いたい者だけ政治機関に従えばいい。
政治機関と国民の関係は本質的に自由であって、政治機関に従いたい国民だけが政治機関に税金を払って政治機関に従えばいいのである。[日本国憲法第30条に述べられている納税の義務は、日本政府が国家宗教を使ってついた冗談である。]
したがって、例えば、今の私が政府に払う税金は0円である。政府なんか乞食[こじき]になって潰れてしまえばいいのである。政府よりも他[ほか]の政治機関のほうがいい。だから政府には税金を払わない。
今は国民が一丸[いちがん]となってやらねばならない国家事業がないから、国民みんなが強制的に政治機関に従わねばならない義務はない。そもそも今の政府は植民地政策によって出来た機関だから、植民地政策のない時代にはなくなるべきである。
今の政府の政策は「国家宗教を使って国民を虐[いじ]めること」である。そんなくだらない政策を支持する国民はいない。だから、政府に従う国民はいない。

[9666] どうして警察は政府と組んでいるのか? h22.3.3
政府が国家宗教を使って犯罪や火事を起こしている。
だから、政府がなくなれば、警察も消防署も要らない。
だから、警察や消防署は政府と組んでいるのである。

[9667] 光通信 h22.3.3
民間のプロバイダーが光ファイバーのサービスをやっている。
政府はただそれに「光」という名前をつけるだけである。政府は神武天皇の光の玉に因[ちな]んで光という名前をつけたのである。そんなことのために政府は国民から税金を取っているだけである。
政府がなくても、サービスの名前が変わるだけで、実質的なサービス内容は変わらない。今が科学の時代であるかぎり、政府がなくても文明は発達する。
だから、政府なんか要らない。

[9668] 鉄道の高架化 h22.3.3
鉄道は神武天皇のことである。[[9154] 政府の事業について h21.12.16 を参照。]
自動車は私のことである。[自動車←カー←川野←川野延夫[かわののぶお](私の名前)]
鉄道の高架化は、日本政府が神武天皇を私よりも上にするためにやっている事業である。[私を神武天皇よりも上にするなら、車道が鉄道の上をまたぐ立体交差になるはずである。(歩行者にとっては坂を登るのがしんどい。)]
私が高校生の頃(今から30年ぐらい前)、和田君が台風のさなかに自転車に乗って入明[いりあけ]の立体交差を見に行ったことを話したことがある。下の車道に水がたまってプールのようになっていたと言っていた。[水がたまってプールになる←水プ←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)]その頃すでに、鉄道の高架化が決まっていたのである。
日本政府が神武天皇を上にしたところでいまさら戦争が起こるとも思えないが、鉄道の高架化自体が要らない事業である。踏切がなくなったところで信号があるかぎり車の流れはそう違わない。信号は当分の間[あいだ]なくせそうにない。日本政府はつまらない事業に税金を使っているだけである。
だから、政府なんか要らない。

[9669] 幕府はどうして潰[つぶ]れたか? h22.3.3
幕末にペリーが日本に来てから、日本人は植民地政策を支持するようになった。国家宗教を支持するようになった。日本政府を支持するようになった。
それで、日本人はみんな幕府に税金を払うのをやめて日本政府に払うようになったのである。
そのために幕府が潰れたのである。
政治機関が国民から税金を取れるのは、あくまでも国民が政治機関を支持するかぎりである。国民が政治機関を支持しなければ、国民は政治機関に税金を払わなくていいのである。政治機関も自分を支持しない者からは税金を取ることはできないのである。
今のところ現代法の政治機関は出来ていないが、とりあえず国民自身を現代法の政治機関と考えることができる。だから、日本人はみんな政府に税金を払うのをやめて現代法の政治機関に税金を払うようになったのである(つまり国民は国民自身に税金を払うから税金を払わないのである)。だから、幕府が潰れたように、もうすぐ政府も潰れるのである。

[9670] 新釈『泣いた赤鬼』 h22.3.3
赤鬼は警察で青鬼は政府のことである。
青鬼が赤鬼と組んで青鬼が悪さをして青鬼が出て行った話である。
赤鬼も青鬼といっしょに出て行けばもっといい。

[9671] 保安官制 h22.3.3
町の人々が少しずつお金を出し合って保安官を雇えばいい。
保安官に犯罪者を取り締まってもらえばいい。
そうすれば、たとえ政府や警察がなくても生活には困らない。

[9672] 政府が国家宗教の政治をやっているのに、どうして日本社会は現代法で動いているのか? h22.3.4
それは、国民が現代法を守って生きているからである。
国民と政府の間には断裂がある。不連続線があるのである。
つまり、今の日本は国民と政府の2つのグループに分かれているのである。[[9521] 政府は犯罪組織である。 h22.2.15 の図を参照。]
今の日本は国民と政府の戦争である。国民が政府の国家宗教による攻撃に耐[た]えながら生きているのが日本社会の現状である。
政府は世界大戦までは国民の支持を得て強い権力があったが、今では誰の支持も得られずただのクズだ。

[9673] 今の政府はただのクズだ。 h22.3.4
国民を幸福にする者は国民が支持して強い権力があるが、国民を不幸にする者は国民は支持せずただのクズだ。
世界大戦までの政府は国民を植民地政策で幸福にしていたから、国民は政府を支持したが、
今の政府は何もすることがなくて暇つぶしに国民を国家宗教で虐[いじ]めて国民を不幸にしているだけだから、国民は政府を支持しない。
だから、世界大戦までの政府には強い権力があったが、今の政府はただのクズだ。
したがって、世界大戦までの政府には国民はよく従ったが、今の政府には誰も従わない。

[9674] 政府が善い会社に見えるのはテレビの見すぎである。☆ h22.3.4
テレビや新聞では政府のいいところばかり報道している。政府の悪いところは一切[いっさい]報道しない。
だから、テレビや新聞を見すぎた人は、テレビや新聞の知識を当てはめて政府を見るので政府が善い会社に見える。
反対に、私はテレビや新聞を見ず、政府についての自分の考えを当てはめて政府を見るので政府が悪い会社に見える。
人間は『見えない物差し』(知識のこと)を当てて物を見ている。知らず知らずのうちに『見えない物差し』を当てて物を見ている。『見えない物差し』が変われば、物の見え方も変わるのだ。
政府は、テレビや新聞を見すぎた人にとっては国民みんなが従わねばならない強い権力のある会社に見えるが、今の私にとっては国民が無視しなければならないただのクズにしか見えない。
テレビと新聞が今の政府の支えである。テレビや新聞がなければ、国民は実際に政府がやっていることを自分の眼で見て政府について考えるので、国民に政府の正体が見破られて、政府はとっくの昔に潰[つぶ]れていただろう。

[9675] クラシックと演歌 h22.3.4
クラシックは知覚の音楽である。知覚のいろんな論理的な思考パターンが音に表現されている。
反対に、演歌は五感の音楽である。五感の非論理的な現象的な意味合いが音に表現されている。
西洋人は知覚がわかっているのに、東洋人は知覚がわかっていない。西洋人は考えて生きているのに、東洋人は考えて生きていない。
だから、西洋では世界大戦後すぐに政府と宗教が分離したのに、日本ではいまだに国家宗教の政治機関(日本政府のこと)が政治をやっているのだ。

[9676] モンゴル帝国はなぜ潰れたか? h22.3.4
戦争をするしか能[のう]がないからである。
国民にとってはそんな政治機関があっても得になることがない。
だから、国民はモンゴル帝国の政治機関を支持しなかったので、モンゴル帝国は国を取るだけですぐに潰れたのである。
国民みんながモンゴル政府を戦争やるしか能がない馬鹿政府だと思ったから、モンゴル帝国は国民に追い出されて世界の辺境[へんきょう]に追いやられてしまったのだ。

[9677] 日本政府は不要[ふよう]である。☆ h22.3.4
今の日本人は日本政府を支持していない。日本政府が国家宗教の機関であろうがなかろうが日本政府を支持していない。
それは、日本政府があっても、国民の生活が豊かにならないからである。
そんな政治機関はあっても仕方がない。
だから、国民は政府から独立して自分勝手にやっていくのだ。
政治機関は国家事業があってはじめて必要になるのであって、国家事業がない時代には政治機関はあっても仕方がないのだ。そんな時代には政治機関は何もすることがなくて国民にとって余計なことばかりするから、むしろないほうがいいのである。
かつての日本もそんな歴史を経験した。飛鳥時代から江戸時代までがそんな時代だった。その結果、日本政府を抑える幕府が出来たのである。飛鳥時代から江戸時代までは日本は不景気だったが、江戸時代は日本は好景気だった。だから、今の日本も早く政府を抑える工夫[くふう]をしなければならない。

[9678] 法律家 h22.3.4
国民や会社を法律で管理することを仕事にしている者である。
法律を作ることもある。
国民が新しい会社を作るとき法律を満足しているかどうか確かめるために立ち会うこともある。
そういう法律家がいれば、政府がなくても国民の生活は守られる。
だから、政府は要らない。
そもそも政府は奴隷解放や植民地政策などの国家事業をするために出来た会社なので、国民や会社を法律で管理することが政府本来の仕事ではない。だから、政府は国民や会社を法律で管理することが得意ではない。だから、法律家に国民や会社を法律で管理する仕事を任[まか]せたほうがいい。
政府は国家宗教で余計なことをするしか能がない役立たず馬鹿である。だから、さっさと政府を追い出して政府のいない国を作ったほうがいい。

[9679] 武士はどうして刀を持っているか? h22.3.4
自分の身を守るためである。
いつの時代にも国民には政治機関に対する不満があるので、武士が襲われやすかったのである。
そのために、武士は重たいのにいつも刀を持ち歩かなければならなかったのである。

[9680] 政府は私を拷問[ごうもん]にかけられるか? h22.3.4
私はこれまで政府に対して反抗的なことばかり述べている。政府にとっては私が面白くないはずである。政府は私を拷問にかけたいはずである。
しかし、政府が私を拷問にかけるためには、政府に強い権力がなければならない。政府が国民から支持されていなければならない。
ところが、今の政府には“国民の人気を取れる政策”がなく、今の政府は国民から支持されていないから、政府には権力がなく、政府は私を拷問にかけることができないのだ。
つまり、今の政府には権力がないのである。
だから、国民が政府に逆らおうが政府を痛めつけようが国民の勝手なのである。
今の政府は国民にとってただのクズだから、国民が何をしようが国民の勝手である。
つまり、今は政府の時代ではないのだ。そんな時代は世界大戦のとっくの昔に終わっているのだ。

[9681] 国民の人気を取るための政策 h22.3.4
政府は宝くじを売って、国民が宝くじに当たったら一生働かないで暮らせる賞をやることにすればいい。
そうすれば、政府は国民の人気を得ることができるだろう。
私は賭[か]け事をしないが、神武天皇は山中で道に迷った時に占いで進路を決めたから神武天皇の国家宗教では宝くじを売ることができる。

[9682] 自由よりも幸福 h22.3.4
人間は幸福になりたいのであって、必ずしも自由になりたいのではない。
人間はある程度自由のほうが幸福だが、自由すぎるとかえって不幸になる。
だから、人間が幸福であるためには、人間が自由でありかつ不自由であることが大事なのである。
人間が不自由であるためには『法律』が必要なのである。

[9683] 一揆[いっき] h22.3.4
一揆の原因は稲の不作にある。
稲の不作は自然のせいであって幕府のせいではない。
稲の不作は、どこの国にもある。一揆はどこの国にもある。
だから、一揆があったからといって、幕府の政策が拙[まず]かったとは言えない。
反対に、政府の場合は、政策が拙[まず]くて国民を苦しめている。奴隷解放についても植民地についても、政府は夢みたいなことを言うだけで実現できた例[ためし]がない。政府は植民地政策のために国民の税金をしこたま使い込んで、結局国民には1円も戻ってこなかった。政府は口がでかいだけで、実際には何もできないのだ。だから、政府自体が悪い。

[9684] 奴隷解放のための政府 h22.3.4
政府は国家宗教をやる機関である。
国家宗教は奴隷解放と植民地政策のためにある。
しかし、今では植民地政策は国際的に禁止されている。
だから、今は国家宗教は奴隷解放のためにしかない。
つまり、政府は奴隷解放のためにある機関である。
しかし、奴隷解放は政府がなくても国民だけで出来ることである。今どき国民を奴隷と貴族に分けたりすることはない。
むしろ、中世や近代においては政府が貴族制をやっていた。だから、政府がないほうが奴隷解放になる。
だから、政府は要らない。政府がなくなれば税金も要らないので懐[ふところ]が助かる。

[9685] 政府は国民を守ってくれない。☆ h22.3.5
今の政府の政策は「国家宗教を使って国民を虐[いじ]めること」である。
だから、政府は国民の暮らしを守ってくれない。政府は警察とグルになって、犯罪ごっこをして国民を殺して遊んでいるのである。
だから、国民が政府に加入しても得にはならない。
一方、現代法の政治機関の政策は『人間の人権を守ること』である。
国民が現代法の政治機関に加入しない限り、自分の人権を守ることにはならない。国民は自分の人権を守るためになら税金を払う。そんな機関になら国民は喜んで自分から加入する。

[9686] 戦後の政府の政策 h22.3.5
戦前の政府の政策は、外国を日本の植民地にして外人を日本人の奴隷にすることだった。そのため、戦前の政府は国民の絶大な人気があった。
しかし、その政策は失敗に終わった。
そこで、戦後の政府は政策を変えた。政策を転向[てんこう]した。
戦後の政府の政策は、自分の国を政府の植民地にして自分の国の国民を政府の奴隷にすることである。
そのために、テレビや新聞や学校などを使って世論操作をして、政府には強い権力があり国民を政府に無条件に従わねばならないと思い込ませている。
しかし、そもそも政府は国民が自分の利益のために作った機関である。それが今では反対に国民を不利にする機関になっている。これ以上政府をのさばらせておくと国民は損をするだけだ。そんな機関は要らないから早く潰せ!

[9687] 政治機関は要るか要らないか? h22.3.5
政治機関は自由加入制でなければならない。国民が政治機関に入って得をするから入るのでなければならない。そうでなければ、政治機関に存在する価値はない。
はたして、現代法の政治機関の経営は成り立つであろうか?現代法の政治機関の政策は『人間の人権を保障すること』である。政策が地味だから、国民は敬遠するかもしれない。政治機関に入るか入らないかは国民の自由だから、一人一人の国民が自分で考えて決めればいいことである。
国民のモラルがよければ、政治機関は要らない。国民のモラルが悪ければ、政治機関は要る。
政治機関が要るか要らないかは、国民のモラルの良し悪しが決めることである。
国民のモラルが悪ければ、その分余計な金がかかるということである。
政治機関に入るより、護身用のナイフを買って持っていたほうがいいかもしれない。

[9688] 日本の文化 h22.3.5
日本は銃の文化ではないから、たとえ銃を自由に持てるようにしても持つ者はほとんどいないと考えられる。
日本は麻薬の文化ではないから、たとえ麻薬を自由にやれるようにしても麻薬をやる者はほとんどいないと考えられる。
日本の文化が、日本人が銃や麻薬をやらないと決めているのだ。だから、政治機関を自由加入制にしても、それほど危険性はないと考えられる。『人間の人権を守る』政治機関は、マスメディアを使って、銃や麻薬をやってはいけないと毎日国民に訴えるだろう。そういう運動をすれば、日本人の安全はある程度は守られる。それでいいじゃないか。
もちろん銃や麻薬をやった者が現代法の政治機関に入っている者を殺傷したら、殺傷した者はそれ相応に罰せられる。それは、現代法の政治機関の“サービス”だから仕方がない。
どうしてもうまく行かなければ、現代法の政治機関を強制加入制にするのもやむを得ない。それでは政治機関に有利になりすぎて嫌だが、仕方がないということである。
国民がこれ以上政治機関が国民から高い税金を取って政治機関に威張らせるのが嫌なら、政治機関を自由加入制にするように、政治機関を作らないでも済むように、モラルをよくしなければならない。国民みんなで人権を守るようにすれば、最初から政治機関は要らない。
大げさな政治機関なんか置かなくても、保安官や法律家ぐらいで間に合うかもしれない。そのほうが国民にとっては安上がりだ。
犯罪で被害にあった者や家族に対して現代法の政治機関が『賠償金』を払うようにすればいいかもしれない。そうすれば政治機関は一生懸命に犯罪が起こらないようにするだろう。人生のあらゆる面において国民の幸福を守るのが現代法の政治機関の使命である。

[9689] 無政治機関主義 h22.3.5
政府は国家宗教をやる機関である。政府はもとは植民地政策をする会社だったが、戦後は植民地政策をやめたので今は国家宗教だけをやっているのである。
だから、今の日本には現代法の政治機関はない。
それなのに、国民はそこそこ暮らしている。
それは、国民自体がすでに現代法の政治機関だからである。国民には現代法の政治機関としての機能がある。国民一人一人が自律思考型の人工知能マシンである。[自分の親が自分を作ったから“人工”知能である。]国民全体がネットワークで結合された大きな1個のコンピューターである。
たとえ警察がなくても、ある程度の処罰は国民だけでもできる。例えば、銃を持っている者をガラが悪いと見なして会社が採用しなければ、その者は不利になり生活できないから、国民は銃を持つことができなくなる。銃を持っている者はお断りの店があれば、みんなが銃を持つのをやめる。そんな風にすれば、銃を持っている国民を減らすことができる。『現代法』では他人の身体や持ち物を傷つけることは禁じられているから、銃は他人の身体や持ち物を傷つけるための道具だから、現代法の世界では銃は要らないはずである。そう考えて、国民が銃反対運動をすれば、銃を持っている者を減らすことができる。麻薬や売春についても同様である。麻薬や売春には副作用があるから、知識人は麻薬や売春はやらない。麻薬や売春をやると精神病にかかるが、今のところ精神病に効く薬はないから、麻薬や売春をやってはいけない。いくら警察があっても、犯罪が起きた後では手遅れである。犯罪には原因がある。その原因を断つようにすれば、犯罪は起こらない。
どうせ政治機関を作っても、政治機関は国民から高い税金を取って仕事をせずに遊んで国民に対して威張るだけの役立たずである。何もすることがなくて暇つぶしに国民を虐[いじ]めて遊ぶだけである。これでは、国民が政治機関の奴隷である。政治機関は『奴隷制』をやる機関である。だから、政治機関を絶対に作ってはいけない。
どうしても警察や消防署が要るなら、今の政府を『解体』して警察や消防署を別々の会社にすればいい。本当に国民の役に立つ会社なら、国民から税金を取らなくても自分で稼[かせ]いでやって行けるはずだ。

[9690] ピラミッドは何のために作ったか? h22.3.5
エジプトの観光化のために作ったのである。あんな物は世界にふたつとない。
おかげで、今のエジプトは観光収入で潤[うるお]っている。
当時の王は先見の明のある王だったのだ。
だから、当時の奴隷達も子孫のために頑張[がんば]ってピラミッドを建てたのだ。

[9691] どうして日本に現代法の政治機関がないのか? h22.3.5
政治機関は奴隷制をやるためにある。政治機関は国民を奴隷にする。
日本人は奴隷制が嫌いである。
だから、日本では現代法の政治機関は作らずに、国民自身で現代法の政治機関をやるのである。
一方、政府は国家宗教の政治機関である。
今の政府は国民にとって無用の長物だから、国民は政府を無視してやっている。
今の国民にとって、政府は暴力団みたいなものである。普通の人が関わるべき相手ではない。[[9521] 政府は犯罪組織である。 h22.2.15 の図を参照。]

[9692] 君は税金を納めているか? h22.3.5
日本の人口は1億3千万人である。
日本の納税者は1億人である。それは、日本神道の信者が1億人だからである。[Wikipedia「日本の宗教」の概要の項を参照。]
だから、差し引き3千万人が税金未納者である。つまり、日本人の4人に1人が税金を納めていない。
日本人が政府について考えて、今の政府は何もやることがなくて暇つぶしに国家宗教で国民を虐[いじ]めているだけであり、今の政府を支持する理由がなく、政府に税金を納めるべきではないと判断したからである。政府は日本が植民地政策をやるために建てた会社なので、今の日本は植民地政策をやっていないから政府が要らないと考えたからである。植民地政策以外は、政府はどうでもいいことをやっているだけである。
そもそも政治機関は国民を奴隷にするためにあるだけなので、そんな物はなくなったほうがいいと思ったからである。
今の日本人はまだ4人に3人も税金を納めている。日本人はまだまだ馬鹿だ。

[9693] 幕府について h22.3.5
徳川家で有能なのは家康だけである。2代目以降は、自分で何も考えずに家康と同じことをやっていただけである。
幕府の主な機能は『日本神道を抑[おさ]えること』である。他[ほか]は、大したことがない。
それだけで、日本は世界一の国に発展した。それは、日本では国民の力が強いからである。
それなら、今の日本人も江戸幕府を見習って、国民が日本政府を抑えて潰して、国民の力で平和を保ちながら国内的にゆっくりマイペースで社会を発展させればいい。
これまでの人類の歴史を振り返ってみると、政治機関は国民の邪魔である。政治機関は馬鹿の溜[た]まり場で、賢い国民の足を引っ張るだけである。だから、最初から政治機関を作らなければいい。

[9694] 日本神道について h22.3.5
日本神道の本質は、奴隷解放と植民地政策である。
神武天皇の話や私の人生録(非公開)などはどうでもいいことである。やらないほうがいいことである。
これまで日本人が日本神道を支持したのは、植民地政策のためである。日本神道を支持するとは、日本が植民地政策をやるべきだということである。つまり、植民地政策を支持する者が、人前[ひとまえ]であからさまに植民地政策とは言いにくいので、代わりに隠語[いんご]で日本神道に入るとか神武天皇万歳とか言っていたのである。
徳川家康は植民地政策に反対だったので、日本神道と対立して、幕府を作って日本神道を抑えたのである。日本は戦争をしない時代は、戦争で損失が出なかったので、国内的に発展したのである。
今は、国際的に植民地をやってはいけないことになっている。だから、日本神道はあっても仕方がない。日本神道は廃止すべきである。

[9695] なぜ今でも日本神道の信者がいるのか? h22.3.5
戦前の日本政府は、外国を日本の植民地にして外人を日本人の奴隷にすることを考えていたので、日本国内では日本国民のためになることをやっていた。日本政府は神武天皇の国家宗教で鉄道を敷[し]いたりおいしいお米を作ったりしていたのである。[[9154] 政府の事業について h21.12.16 を参照。]それで、日本政府はそこそこ国民の人気があったのである。ローマ帝国の政府がローマ市民のために水道や住居を作っていたのと同じことである。
しかし、戦後の日本政府はそれまでと打って変わって、日本国民を政府の奴隷にするようになった。外国を自分の植民地にできなかったので、自分の国を自分の植民地にするようになったのである。外人を自分の奴隷にできなかったので、自分の国の国民を自分の奴隷にするようになったのである。世界大戦後は国際的に植民地をやってはいけないことになったので、政府は国内的に植民地政策をやっているのである。
今の日本神道の信者は、戦前の日本政府と戦後の日本政府を混同しているから、日本政府を支持しているのである。
今の政府は国民を自分の奴隷だと思っている。だから、今の国民がいくら政府を支持しても政府の奴隷にされて政府に財産を盗られて損をするだけである。だから、国民は政府を支持しなければいい。
戦前の国民が政府を支持して政府に税金を払っていたのは、あとで政府が国民に植民地での儲[もう]けを回してくれると思っていたからである。[実際には1円も戻ってこなかったが。]しかし、今の政府は国民になにもしてくれずに国民の財産をただ一方的に取るだけである。もともと政府と国民は対等な関係にあるのである。ギブ・アンド・テイクの関係にあるのである。政府が国民の役に立たなければ、国民が政府を支持してやる必要はないのである。だから、国民が今の政府に税金を払うことはない。そういう態度を国民が政府に示せば、政府も目が醒[さ]めて自分の汚い仕事から足を洗うはずだ。
今の国民は政府のテレビや新聞や教科書による世論操作に惑[まど]わされて、政府に権力があると思わされて、政府に対して異様に腰が低くなっている。それで、政府にペコペコしてなんでもおとなしく政府の言うことを聞くのである。しかし、この世には『権力の法則』がある。[[9612]参照。]政府は国民に支持されなければ権力はない。しかも、国民が今の政府を支持する理由はない。[役人と家の玄関でもめるのを嫌がるのは理由には入らない。]だから、今の政府には権力はない。だから、国民は政府に従う必要はない。

[9696] どうして世界的に宗教は下火なのか? h22.3.5
宗教とは、要するに奴隷解放と植民地政策である。宗教にとっては、モーゼと神武天皇の2人だけが神なのである。
キリスト教も、近代以降は実質的には神武天皇教である。キリストはあってなき者である。
つまり、宗教をやるとは、自分の国の植民地政策を支持することである。
しかし、今では奴隷はいなくなったし、植民地政策はやってはいけないので、宗教はやることがなくて下火になったのである。
最近では公務員の家族以外は宗教をやらないのである。

[9697] 権力の法則 h22.3.6
少数が多数を支配する場合には、『権力の法則』に従わねばならない。
つまり、少数の権力は多数の支持に比例する。少数が多数を支配するためには、多数の支持が得られなければならない。例えば、政府が国民を支配するのが、この場合である。学校で級長が生徒を支配するのも、この場合である。
反対に、多数が少数を支配する場合には、『実力の法則』に従えばいい。
つまり、多数が少数を支配する場合は実力でやればいい。つまり、多数が少数を支配するためには、多数が寄って集[たか]って少数を蹴[け]ったり殴[なぐ]ったりして無理やり命令に従わせればいい。
例えば、学校で学級のみんなで仲間はずれを虐[いじ]めるのは、実力の法則に従う。
犯罪者に対する処置もそうである。犯罪者は社会の例外者なので、犯罪者を支配するには、犯罪者の周りにいる大勢の者が寄って集って犯罪者を痛めつけてねじ伏せて牢屋に入れて罰すればいいのである。
多数が少数を支配するのは簡単である。多数の者が数[かず]に物を言わせて少数の者を物理的力で従わせればいいからである。だから、犯罪者に対する処置は容易である。原始人でも解決できる容易な問題である。
反対に少数が多数を支配するのは、少数が多数の人気を得なければならないのでそのぶん難しい。文明国において発生する新たな状況だといえる。だから、我々は少数が多数を支配するとき『権力の法則』を満足しているかどうかを確かめる必要がある。満足していなければ、少数による多数の支配を認めなくてもいいのである。
『権力の法則』と『実力の法則』は、私がこれまでの人類の歴史を振り返ってみて帰納的に発見した社会法則である。

[9698] 政府の政策 h22.3.6
これまでの政府の政策の中でいいのは、『奴隷解放』と『植民地』の2つしかない。その他の政策は、つまらないどうでもいいものばかりである。今の政府がやっている政策もやってもやらなくても変わらないどうでもいいことばかりである。政府の2000年の歴史の中で、国民の心を捉[とら]えることができた政策はたったの2つしかないのである。
幕府の『日本政府を抑える』政策も忘れてはならない。しかし、そもそも日本政府がなければそんな政策は要らなかったのである。
私の『政治機関を作らない』政策もなかなかいい政策だと思う。

[9699] 政治機関は成り立たない。 h22.3.6
政治機関は国民から税金を取って国民を虐[いじ]めて遊ぶだけである。政府も幕府もそうだった。
政治機関にとって、国民は奴隷扱いである。
政治機関は『奴隷制』をやる会社である。
しかし、国民は奴隷制を支持しない。
だから、国民は政治機関を支持しない。
したがって、『権力の法則』により政治機関には権力がなく、国民は政治機関には従わず、政治機関は潰[つぶ]れるしかない。
もっとも、国民からの寄付金で経営する政治機関ならやってもいいが、実際には寄付金で経営できるほどの“いい政策”がない。だから、そんな政治機関は成り立たない。

[9700] 実力行使 h22.3.6
政府は少数である。国民は多数である。
だから、国民による政府の支配は『実力の法則』に従う。国民は政府を実力行使で支配することができる。
今の政府は国民から税金を取って、何もすることがなくて暇つぶしに国家宗教を使って国民を虐[いじ]めて遊んでいるだけである。
今の政府は国民を奴隷扱いしている。政府は外国の植民地政策に失敗して、自分の国を植民地にしているからである。
国民は今の政府を支持しない。国民は今の政府に反対である。今の政府は犯罪者である。
だから、国民は政府を罰しなければならない。
江戸時代の百姓一揆のように、国民が総出[そうで]で手に手に刃物を持って政府に襲い掛かれば政府はひとたまりもないだろう。
今の世の中は悪魔(政府のこと)が人間を支配している時代だ。それを治すには、人間が悪魔に実力で抵抗するしかない。幸い、悪魔は人間よりも数が少ないから、人間が実力で戦えば悪魔を倒すことができる。[永井豪著『デビルマン』の悪魔一族とは政府のことである。現代は政府と国民の戦いなのである。]


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