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[9501] 政府は正々堂々と国家宗教をやらねばならない。☆ h22.2.13
政府は国家宗教をやる機関である。
政府は神武天皇が「東に攻めない」と言った後で実質的に東に攻めたことを神武天皇が嘘をついたと解釈して、政府は国家宗教で神武天皇が嘘をついたことを使って、政府の付属機関の職員に嘘をつかせて、国民に対して現代法の芝居をさせている。
ところで、現代においてはそもそも『政治家が国家宗教を使える理由』が存在しない。
だから、政府は政府の付属機関の職員に嘘をつかせて国民に対して現代法の芝居をさせることができない。[政府の付属機関(例えば、国会)は、「政府の付属機関には嘘をつける特権がある」という法律がないから、嘘をつくことはできない。]
政府はまた政府の付属機関の職員に嘘をつかせて、国家宗教をやっていないふりをして国家宗教をすることもできない。
だから、政府は国民の眼の前で正々堂々と国家宗教をやらねばならない。政府は戦前の政府のように神武天皇や私を神とすることを国民に公表して国家宗教をやらねばならない。
それでは、今日日[きょうび]の国民が納得するわけがない。
したがって、政府は潰れるしかない。[政府が正々堂々と国家宗教をやって国民に神武天皇と私の二人を神とすることを公表してから、神武天皇が嘘をついたことを使って現代法の芝居に入らねばならない。政府の発表を聞いた国民は政府に対して怒り狂って、現代法の芝居をやっている政府を叩[たた]き潰すだろう。実際に、日本国憲法が出来てから政府は一度も国民に神武天皇や私を神とする国家宗教をやっていることを公表していない。だから、政府が悪い。]
[9502] 政府は国家宗教をやれない。 h22.2.13
政府は国家宗教をする会社である。
政府は“国家宗教をやって”神武天皇がナガスネヒコの土地を奪ったことを使って国民から税金を取っているし、神武天皇が嘘をついたことを使って国民に対して嘘をついて現代法をやって国家宗教をやっていないふりをしている。政府は“国家宗教をやって”神武天皇が偉かったことを使って自分も偉そうにしている。[政府は他人に神と同じことをさせるだけではなく、自分自身に神と同じことをさせることによって自分が神と同じことをすることもできる。]
しかし、現代では“そもそも政府が国家宗教がやれる理由”がない。昔は国民が政府が国家宗教をやることを認めていたから政府は国家宗教がやれたが、今は国民が政府が国家宗教をやることを認めていないから政府は国家宗教がやれない。
だから、政府は国家宗教をやれない。
国家宗教をやる会社が国家宗教をやれなくなったらおしまいである。
だから、政府は終わりである。
[9503] どうして日本政府は日本を支配することができたか? h22.2.13
日本政府が暴力団よりはマシだったからである。
日本政府ができる以前は、日本には暴力団(豪族)しかなかった。
国民は暴力団よりは日本政府のほうがいいと思って日本政府を支持した。
だから、日本政府が国民を支配することができたのである。
日本政府は国民の財産を取り上げて国民を奴隷にようにこき使ったが、それでも国民にとっては暴力団よりはよかったのである。
しかし、今は古臭い国家宗教をする政府よりも現代法で政治をする機関のほうがいい。
だから、国民は政府を支持しなくなったのである。
政治機関は仕事の需要が減らないし、国民から税金が取れるメリットがある。誰か現代法の政治機関をやってくれないものだろうか?
[9504] 政府も国民も不合理である。 h22.2.13
政府が国家宗教がやれる理由がないが、
国民がそんな政府に従う理由もない。
政府も国民も両方とも考えていない。
政府も国民も両方とも生きる価値のないクズだ。
[9505] 政府は国家宗教をする機関ではない。 h22.2.14
政府が『宗教の原理』で動いているなら、上に述べたように、政府は国民から税金を取れないし、現代法の芝居ができないし、偉そうにすることができないはずである。
しかし、これまで政府はそうしてきた。
したがって、今の政府は国家宗教をする機関ではない。
今の政府は『法律がない』ことを法律にしている暴力団以下の組織である。[[9473] 法律の進化 h22.2.9 を参照。]
今の政府は『法律のない政治機関』である。(←テレパシーで聞いた。)そんなものはもはや政治機関ではない。政府はあっても仕方がない。だから、政府を早く滅ぼすべきである。
[9506] 政府はどうして現代法の芝居ができるか? h22.2.14
神武天皇は土蜘蛛[つちぐも]を倒す時に、ご馳走[ちそう]を構えて土蜘蛛を酒で酔わせて刀で倒した。
つまり、神武天皇は土蜘蛛を“騙[だま]して”倒したわけである。
だから、政府は国家宗教によって国会議員やその他の公務員に現代法の芝居をさせて国民を“騙して”いるのである。つまり、現代法の芝居が国民にとってのご馳走というわけである。
神武天皇が「東に攻めない」と言った後で東に攻めたことは、政府が言っていることとやっていることが合っていないという形で使われているのだろう。つまり、政府が現代法でやっていることは言葉の上だけで実現されることがなく、実際には政府は国家宗教で政治をやっているのである。
[9507] どうして私は国民に公開されないか? h22.2.14
徳川家は国民に公開されていた。
それは徳川家が王兼神だったからである。
律令制では王がいる。王は国民に公開されるから、徳川家が公開されていたのである。反対に、天皇家は神ではあったが公開されていなかった。つまり、国家宗教の神は必ずしも公開されるわけではないのである。
しかし、今の時代の法律は現代法である。現代法には総理大臣はいるが、王がいない。私は神であるが、江戸時代の天皇家のように公開されていないのである。
政府が国家宗教を国民に隠れてやりたい場合には、神は国民に公開されない。だから、江戸時代の天皇家も今の時代の私も国民に公開されていないのだ。
最近のマンガのキャラクターは総理大臣に似ているから、今の神は私ではなく神武天皇と総理大臣の二人なのかもしれない。そしたら、また行政改革か?今後はしょっちゅう行政改革があるなあ。
[9508] 暴力団は有罪である。 h22.2.14
暴力団とは暴力をやる団体である。
しかし、現代においてはそもそも暴力団が暴力を使える理由が存在しない。
だから、暴力団が暴力を使うと有罪になる。暴力は現代法の範囲内で使わなければならない。
それと同じように、政府は国家宗教をやる団体である。
しかし、現代においてはそもそも政府が国家宗教を使える理由が存在しない。
だから、政府が国家宗教を使うと有罪になる。国家宗教は現代法の範囲内で使わなければならない。
国家宗教を使っているのは政府の一部の者だから、政府は国家宗教を使っている政府の一部の者を裁くことができるはずである。そうでなければ、政府の全員が国家宗教を使っていることになる。
今の政府は全体が私や神武天皇を神とする国家宗教で動いているから、やはり政府の組織ぐるみの犯罪だと考えるべきである。
政府が政府の一部の者を裁くつもりがないようなら、国民が自主的に政府を裁いてやろうじゃないか。
[9509] どうして昔の国民は政府が国家宗教を使っていることに文句を言わなかったか?
h22.2.14
『二条河原の落書』や『羅生門』を見てもわかるように、昔の国民は政府といっしょになって国家宗教をやっていたからである。
政府は国家宗教を使って悪いことをしていたが、国民も政府と同じように国家宗教を使って悪いことをしていたから政府に文句を言わなかったのである。
しかし、今は国民は国家宗教を使っていない。だから、政府だけが国家宗教を使っているのは不当である。
だから、今の国民は政府に対して文句を言えるのである。
[9510] 信者とは何か? h22.2.14
信者とは、国家宗教をやっている者である。
一般の国民はすでに国家宗教をやめているが、信者はいまだに国家宗教をやっているのである。信者は戦前の日本人の生き残りである。
しかし、現代では国民の一部の者が国家宗教を使える理由がない。
だから、信者も国家宗教をやめるべきである。
[9511] 今の日本の法律は国家宗教ではない h22.2.14
日本では、文書において国家宗教を法律にしていることを明言することはない。
それで、これまでの日本では、政府が神である人物(例えば、天皇)を国の中枢に置いているとき、日本の法律が国家宗教であることにしていたのである。昔の国民にとっては天皇は神だったので、天皇を中枢に置くことは神を中枢に置くことだったのである。政府が天皇を国の中枢に置いていたときには、国中のみんなで国家宗教をやって政府も国民も仲良くいっしょに悪いことをしていたのである。このことは社会科の教科書に書いていないが、事実である。[江戸時代に政府=幕府が密かに徳川家を神として国家宗教をやっていたことは『違反』だが、徳川家を王とする律令制と徳川家を神とする国家宗教がダブっていて、国民は政府が国家宗教を使っていることに気づかなかったので政府を咎[とが]めなかったのである。例えば、鍵屋と玉屋の花火屋についても、国民は徳川幕府が天皇家のイヤミをやっているように思っていたのである。しかし、実際には、政府=幕府が徳川家と天皇家の両方を神とする国家宗教をやっていたのである。もっとも、それは本来は『違反』であってやってはいけないことである。たとえ政府=幕府であってもやっていいことではない。]
しかし、今の国民にとっては天皇や首相や私などは神ではない。今の国民は政府が神に決めた者を神とすることはない。今の国民にとっては神はいない。今の政府は神を国の中枢に置いていない。だから、今の日本の法律は国家宗教ではないのである。[首相と神は同じではない。首相としての従い方と神としての従い方は違うから、首相と神は同じ者ではない。]政府が密かにある者(例えば、私や首相)を神として国家宗教をやることは、政府が国家宗教を使って神武天皇が土蜘蛛を騙[だま]したことによって政府の付属機関の職員を使って国民を騙してできることだが、そもそも今は『神武天皇が神ではない』から政府には国家宗教を使える根拠がないのである。だから、政府は密かにある者を神として国家宗教をやることはできないのである。政府は国民を騙して密かに神武天皇を神とする国家宗教をやることもできない。つまり、国家宗教がやれる前に国家宗教を使って国家宗教をやれるようにするのはいけない。
だから、今はなんびとたりとも国家宗教を使ってはならないのである。国民も政府も誰一人として国家宗教を使ってはならないのである。
国の法律がふたつあるのはおかしい。国の法律はひとつでなければならない。そうだからこそ国なのだ。それが嫌なら、政府と信者だけで国家宗教を法律にしている別の国を作れ!
[9512] 政府は政治機関ではない。 h22.2.14
政府は国家宗教の政治機関である。
だから、国家宗教を法律としている国では政府は政治機関だが、それ以外の国では政府は政治機関ではない。
今の日本は国家宗教を法律とはしていない。
だから、今の日本では政府は政治機関ではありえない。
[9513] 現代法では嘘をつけない。 h22.2.14
国家宗教では神武天皇が嘘をついたから嘘をつけるが、
現代法では嘘をつくと偽証罪になるから嘘をつけない。現代法では正直にするしかない。
だから、政府が「これまでに国家宗教などやったことがありません」と言うと犯罪になる。
現代法の世界では、政府は自分が国家宗教の政治機関であることを認め、これまでに自分が犯した犯罪を認めるしかないのである。
[9514] どうして明治から世界大戦までは国民は悪いことをしなかったのか? h22.2.14
明治から世界大戦までは、日本は国家宗教を法律にしていた。
だから、原理的には国民は国家宗教を使って悪いことをすることができた。
しかし、実際には国民は悪いことをしなかった。
それは、国民が悪いことをする必要がなかったからである。
人間はもともと善いことをするようにできているので、たとえ悪いことをしてもいい法律があっても、必要がない場合には強いて悪いことはしないのである。昔は牢屋の数が足りなかったから、それで法律がゆるかったのである。
しかし、世界大戦後の今は、日本は現代法を法律としている。
だから、原理的には国民も政府も悪いことができないのである。
それなのに、いまだに政府が国家宗教を使っているのは、特に理由はなく、政府がただたんに現代法を犯しているからである。政府はそもそも法律で国民や会社を管理する会社であって、国家宗教をする会社ではない。だから、今の政府が国家宗教をやることは、政府自身が政府が作った法律を犯していることになるのである。
だから、国民は政府を罰しなければならない。
[9515] 民間宗教に御用心 h22.2.14
民間宗教の政府(幹部)が民間宗教の神が嘘をついたことを使って民間宗教の信者の誰かに嘘をつかせてありもしない条件をでっち上げて信者を勧誘させることができる。ひとたび民間宗教と契約して信者になったら人生はおしまいである。
だから、民間宗教の勧誘に乗ってはいけない。
あらかじめ、『宗教の原理』をよく心得て、民間宗教の嘘[うそ]に騙されてはいけない。
[9516] 政府を滅ぼしたのは政府自身である。 h22.2.15
政府は国家宗教をやる機関である。
ところが、政府が国家宗教をやれる理由がない。
国家宗教をやる機関が国家宗教がやれなくなったらおしまいである。
だから、政府は嘘をついて国家宗教をやっていないふりをしながら国家宗教をやっている。
しかし、政府には嘘をつける理由がない。
どっちみち、政府はおしまいである。
政府が国家宗教をやれるためには、国中で国家宗教をやっていなければならない。
しかし、今はそんな時代ではない。
だから、政府はなくなるしかない。
政府が国家宗教にこだわらず、広く一般の法律を取り扱うことができたら政府は生き残れたのだ。
そうしなかったのは、政府の努力不足だ。
政府が滅びるのは、自業自得だ。
法律は時代につれて変わる。
法律の変化に対応できなかった政府自身が悪いのだ。
[9517] 現代法の政治機関は経営できるか? h22.2.15
事前に「あなたは現代法の政治機関があったら、それに加入したいと思いますか?」という統計調査をして、国民の意向を聞けばいい。
値段にもよるだろうから、「あなたはどれぐらいの値段だったら、それに加入したいと思いますか?」という統計調査をして、政治機関の規模を決めればいい。
これまで国民はおもしろくない国家宗教の政治機関(政府)と長い間付き合ってきたのだから、現代法の政治機関があればきっとそっちに加入するはずだ。
[9518] どうして政府から幕府に変わるのに1000年もかかったのか? h22.2.15
国民にとっては武家が昔の暴力団(豪族)に見えたからである。武家は刀を差しているから実質的には暴力団だったのである。
日本政府が国家宗教で国を治めた後で、国家宗教に不満を持つ者が昔の暴力制に戻そうとして武家を起した。
国民にとっては、日本政府がいいか武家がいいかよくわからなかった。
それで1000年も長引いたのである。その間[あいだ]は、暴力団と日本政府の闘争の時代だったのである。
最終的には、徳川家康が天皇を殺さないという条件で日本政府とつるんで天下を取った。
つまり、徳川家は暴力団だったのである。暴力団が政府に勝ったのである。当時の国民にとっては暴力団のほうが政府よりも若干よかったので暴力団を支持したのである。
日本政府も残っていたから、江戸時代には天皇家と徳川家の両方を神とする国家宗教もやっていたのである。
その後ペリーが日本に来て、すんなりと20年足らずで幕府が政府に戻ったのは、国民にとっては武家も政府も大差なかったからである。日本が戦争をして外国を支配するためには、戦争をしない幕府よりも戦争をする政府のほうが適していると当時の国民が判断して政府を支持したからである。
しかし、今は違う。
今の国民にとっては、古臭い国家宗教を法律にする政府よりも、現代法を法律とする政治機関のほうがいいことは明らかである。だから、今の国民は政府を支持しない。今の国民は現代法を法律とする政治機関のほうを支持する。だから、誰かが現代法を法律とする政治機関を作れば必ず成功して日本を取れる。
[9519] 国民は政府よりも強い。☆ h22.2.15
世界大戦後、世界中で戦争や植民地がなくなったのは、現代法が世界中に浸透したからである。
今では、世界中の人類が現代法を支持している。
なのに、政府だけがいまだに国家宗教をやっている。
世界大戦後、世界中で戦争や植民地がなくなったのは、現代法が国家宗教よりも強くなったからである。つまり、国民が政府よりも強くなったからである。国民が自分の手で現代法をやってみて、それでうまく行ったから現代法を支持するようになったのである。
近代以降は、現代法を支持する国民と国家宗教を支持する政府の闘争の時代であり、最終的に国民が政府に勝ったのである。
今の天下を取っているのは、政府よりも国民である。政府は威張っている割には弱い。国民は威張っていない割には強い。
現代社会においては、政府は要らない。
政府が現代法の政治機関を偽装して生き残っているのが気に食わない。政府はその正体を現して早く潰れるべきである。
国民は手っ取り早く政府を倒し、その後に現代法の政治機関を作るべきである。
真理に勝るものはない。現代法は国家宗教よりも正しいから、国民が政府に勝ったのである。[地動説が天動説に勝ったのと同じことである。]
[9520] 『裸の王様』 h22.2.15
実際には、大人よりも子供のほうが洗脳にかかりやすいはずである。
だから、『裸の王様』は事実とは反対のことを言っている。
国民が政府に騙[だま]されていること自体が国民を騙しているのである。
国民は政府に騙されてなんかいない。
昔はみんなが国家宗教を正しい法律だと考えて、国民は政府といっしょに国家宗教をやっていたのである。
『裸の王様』は教訓でもなんでもない。
『裸の王様』は子供にまちがいを教えるためのくだらない作り話である。
[9521] 政府は犯罪組織である。 h22.2.15
暴力団が暴力を使える根拠はない。
暴力団は自分の独断で暴力を使っているだけである。
それと同じように、政府が国家宗教を使える根拠はない。
政府は自分の独断で国家宗教を使っているだけである。
暴力団が暴力を使うのが現代法に反しているように、
日本政府が国家宗教を使うのも現代法に反している。
つまり、暴力団が暴力を使うのが正当でないように、
政府が国家宗教を使うのも正当ではない。
政府は暴力団を罰するが、
政府は政府自身を罰しない。
だから、国民が政府を罰するのである。
暴力団よりも政府が強いが、政府よりも国民が強い。
だから、国民が政府を罰してもいいのである。
暴力団の暴力も、政府の国家宗教も現代においてはまちがった法律である。
だから、暴力団が暴力を使うのも、政府が国家宗教を使うのもいけない。
暴力団も政府も世間知らずの馬鹿者だ。暴力団も政府もくだらないだけだ。
暴力団も政府も存在すること自体がまちがっている。
国民が暴力団に税金を払わないように、国民は政府にも税金を払わない。
国民が税金を払うのは現代法の政治機関だけだ。
暴力団が強ければ、暴力が日本の法律になるはずである。
それと同じように、政府が強ければ、国家宗教が日本の法律になるはずである。
しかし、実際には、暴力も国家宗教も日本の法律になっていない。日本の法律は現代法であって、暴力や国家宗教ではない。
だから、実際には、暴力団も政府も強くない。
日本において強いのは国民であって、暴力団や政府ではない。
日本では、暴力を使っているのは暴力団だけであり、国家宗教を使っているのは政府(と日本神道の信者)だけである。暴力団も政府も異常者である。
[9522] 国会議員はヤル気が足りない。 h22.2.15
国会議員は芝居が下手[へた]だ。
もっと心が込もった民主主義の政治の芝居ができないのだろうか?
あれでは、国家宗教で嫌々やっているのが丸出しだ。
国民に政府を潰してくれと言わんがばかりだ。
[9523] 政府に税金を払ってはいけない。 h22.2.15
あなたはどうして暴力団に税金を払わないんですか?
それは、暴力団が不合理組織だからだ。
それなら、政府も不合理組織だから税金を払ってはいけない。
[9524] 政府は暴力団を見習え! h22.2.15
暴力団は合法的に解決できない問題を暴力を用いて解決して稼[かせ]いでいる。
だから、暴力団は税金を取らないのだ。
政府も暴力団と同じように、合法的に解決できない問題を国家宗教を用いて解決して稼[かせ]げばいい。政府は国家宗教でできることは何でもできるのだから、普通の人ではできないことができることを活かせばいい。
そうすれば、政府も暴力団と同じように自分で稼ぐことができ、税金を取らずに済む。
[9525] どうして国民は政府を支持するのか? h22.2.16
国民が政府を潰すと、暴力団が強まって暴力団が国民を支配するからである。
逆に、国民が暴力団を潰すと、政府が強まって政府が国民を支配することになる。
それが、今の日本の状態である。
つまり、暴力団よりも政府がマシだから、国民は政府を支持しているだけである。
それなら、国民が政府と暴力団の両方を潰せばいい。
そうすれば、国民が国民を支配する国になる。
どうして、わざわざ異常者に国を支配させるのか?
異常者でなければ国を支配できないというのか!?
万国の国民は団結せよ!団結して暴力団や政府と戦って暴力団や政府を倒せ!
暴力団も政府も自分が時代遅れのまちがった法律を守っている馬鹿馬鹿しい存在であることを知っているから、弱いはずだ。国民が本気で戦えば、暴力団も政府もすぐに降参するだろう。
まちがった者が正しい者に敵[かな]うはずがない。暴力や国家宗教よりも現代法が正しいことは明らかである。暴力団も政府もそのことを知っていて、「堅気の者に手を出すな!」と言っている。だから、暴力団も政府も国民には敵わない。だから、国民が暴力団や政府に逆らっても文句を言わないはずだ。例えば、国民が政府に税金を払わなくても国民が政府の命令に従わなくても政府は国民を咎[とが]めたりはしないはずだ。今は国民が強くなったから、政府も暴力団も国民に逆らえないのだ。
昔は暴力と国家宗教の2つの法律しかなかったのでどちらかひとつを取るしかなかったが、今は暴力と国家宗教と現代法の3つの法律があるので、暴力と国家宗教の2つとも潰すことができるのである。
今の暴力団がクライアント(依頼人)で支えられているように、日本政府は日本神道の信者で支えられているから、その他の国民はわざわざ日本政府を支えてやらなくてもいいのである。そもそも自分と主義が違う者を支持する必要はない。
[9526] 暴力団はどうしてこれまで生き残ってきたか? h22.2.16
政府に反対する者が暴力団を支持してきたからである。
世界大戦後は、日本政府に反対する者が急増したので、暴力団に人気が集まって、暴力団が栄えたのだ。
しかし、今は暴力と国家宗教と現代法の3つの法律がある。暴力団と政府と国民の3つの団体がある。
だから、自分が日本政府に反対するからと言って、必ずしも暴力団を支持する必要はないのである。国民を支持すればいいのである。
[9527] 政府は嘘つきである。 h22.2.16
暴力団は嘘をつかずに暴力一筋なのに、
政府は嘘をついて現代法の芝居をやっている。政府は国家宗教と現代法の芝居とふたまたかけているのである。
神武天皇が嘘をついたから政府は嘘をつけるのだろうが、それでは国民にとっては政府が国家宗教をやっていることがわからない。国民は政府が国民と同じように現代法をやっていると誤解している。
暴力団は暴力を使いさえすれば暴力団なのだから、その気になれば現代法の芝居もできるはずである。暴力団がそうしないのは、国民に嘘をつくのが国民に対して失礼になると思っているからである。
政府は暴力団を見習って、国民の眼の前で正々堂々と国家宗教をやらねばならない。
[9528] 暴力団と政府とどっちがいいか? h22.2.16
仮に、暴力と国家宗教の2つの法律しかなかったとする。暴力団と政府の2つの団体しかなかったとする。
今は国が統一されて原則として戦争をしない時代である。
そんな時代においては、政府はあっても役に立たない。国家宗教で国内が乱れるだけである。
一方、暴力団は暴力団同士の闘争が怖いが、国が統一されていれば闘争はないから国民にとってはそんなに迷惑にはならない。暴力制は『自然に帰れ』と言うことだから、余計な無駄がないのでそんなに嫌なものではない。
だから、今の時代においては、政府よりも暴力団のほうが適していると考えられる。
そういう点でも、今の国民の選択はおかしいのである。
[9529] 今の日本の法律は国家宗教である。 h22.2.16
今の日本の政治機関は日本政府である。
日本政府の法律は国家宗教である。
だから、今の日本の法律は国家宗教である。
今の日本の神は神武天皇とほかの誰かもう一人である。おそらく首相である。
だから、今の日本人は神武天皇と他のもう一人がしたことなら何でもやることができる。
例えば、他人の財産を取ったり、他人を殺したり、他人に嘘をついて騙[だま]すことができる。
『度胸』次第で何でもやることができる。当然無罪である。
悪い奴ほど得をする。善[よ]い奴ほど損をする。
日本はかつて国家宗教でこの世の地獄を経験したことがある。
今は善[よ]い者は国家宗教を使わずに真面目[まじめ]に暮らして悪い者だけが国家宗教を使って悪いことをしているが、悪い者が得をすることに変わりはない。
こんな世の中が嫌なら、誰かが政府以外の政治機関を作るしかない。
最初から『現代法の政治機関』を銘[めい]打って売り出せば、国民の信頼も得られるはずだ。
あるいは、江戸時代のように暴力団が日本を牛耳[ぎゅうじ]ってもいい。
国民の支持が得られれば、日本はそいつの物だ。
[9530] 暴力団と政府とどっちが日本的か? h22.2.16
暴力団が日本を牛耳っていた江戸時代のほうが日本的だった。江戸時代は日本中が芸術品だった。
それはそもそも暴力団が日本固有の豪族に由来するからである。
それに対し、日本神道は外国の宗教を日本風にアレンジしたものにすぎない。
日本神道は日本と言う字が付いているだけで、中身は外国のものである。
だから、政府が支配した時代は、いつも外国風になるのである。中国風や西洋風になるのである。
だから、暴力団のほうが政府よりも日本的なのである。日本の心は暴力団にある。
日本人にとっては外国風は面白くない。日本風が面白い。
現代法も外国製だが、現代法は科学と同じようにもともと普遍性があるので、現代法を取り入れても日本が外国風になることはない。だから、現代法も日本人にとっては悪くはない。
[9531] 暴力団と政府とどっちがいいか? h22.2.16
『徳川時代がいい時代だった』ことは日本では常識になっている。
だから、政府よりも暴力団(幕府)のほうがいいのである。
東洋でも西洋でも政府が国を支配すると暗黒時代になって低迷する。
反対に、暴力団が国を支配すると江戸時代のように発展する。
国のためには、政府よりも暴力団のほうがいい。
[9532] 日本には現代法の政治機関はない。 h22.2.16
日本政府は国家宗教の政治機関である。
現代法の政治機関は日本にはまだ出来ていない。
日本では、日本政府が国家宗教で政治をしているだけだ。
国家宗教の政治にももう飽きた。面白くない。“国家宗教では国民みんなが神に合わさなければならないので自由がない。窮屈[きゅうくつ]だ。”(←“…”はテレパシーで聞いた。いつもは若者の声だが、今度は中年の声だった。)
早く現代法の政治が見たいものだ。
[9533] 国民は政府に税金を払わなくてもいい。 h22.2.16
政府の法律が国家宗教だが、
国民の法律は現代法である。
政府が政府の行動原理で行動するように、
国民は国民の行動原理で行動する。
政府にとっては神武天皇がナガスネヒコの土地を奪ったから国民の財産を奪ってもいい。
国民にとっては現代法の政治機関以外は政治機関ではないから、国家宗教の政治機関である政府は国民から税金を取る資格はない。
国家宗教よりも現代法のほうが正しい法律だから、政府よりも国民の理屈が通る。
だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
[9534] 天皇は征夷大将軍を任命したか? h22.2.16
暴力団(幕府)と政府とは敵対する組織である。
だから、政府が征夷大将軍を任命して暴力団を承認するはずがない。
たぶん、政府が暴力団に対して優位に立つために、あとから(明治時代以降に)付け加えた作り話だろう。
政府は国家宗教をする政治機関であり、神武天皇が嘘をついたから政府も嘘をついて作り話をしたのだ。
つまり、政府と幕府はまったく別の組織である(政府≠幕府)。「幕の内弁当」は、江戸幕府が日本政府を潰さなかったので、幕府の裏で政府が密かに宗教活動をしていることを表しているのである。つまり、江戸時代の日本神道は民間宗教団体としてほそぼそと活動していたのだ。
[9535] 政府は要らない。☆ h22.2.16
国家宗教の国では、国民が神と同じことができる。
国家宗教の神である神武天皇は、他人の土地を奪ったり、他人を殺したり、他人を騙したりした。
だから、国家宗教の国では、国民が他人の財産を奪ったり、他人を殺したり、他人を騙すことができる。
つまり、国家宗教の国は無法状態と同じである。国家宗教は法律がないのと同じである。
だから、政府はあってもなくても同じことである。政府があるのは国の政治機関がないのと同じことである。
したがって、政府は要らないのだ。
[9536] どうして幕府から政府に変わったのか? h22.2.16
アメリカが日本に来てから、日本の政治機関が幕府から政府に変わった。
それは、アメリカの政治機関が国家宗教をやる政府だったからである。
それで、アメリカ政府が幕府を倒して、日本政府を復活させたのである。
幕府から政府に変わったのは、アメリカ政府が決めたことであって、日本国民が決めたことではない。
日本国民にとっては、政府よりも幕府のほうがよかったのである。日本は世界でもまれに見る暴力団が支配した国だったのである。江戸幕府は日本人が生み出した世界最高水準の政治機関だったのである。
日本の政治機関が政府になったために、その後の日本が軍事国家になったのである。
日本が軍事国家になって外国に戦争をするようになった原因は、アメリカにあったのである。
*今のように日本の政治機関が政府のままだと再び戦争を起す危険性がある。日本政府が神武天皇が土蜘蛛[つちぐも]を騙したことを使って外国や日本国民を騙して日本が戦争をしないふりをして戦争をするかもしれない。それは『国の運動方程式』だから、必然的であって変えようがない。
日本にとっては、早めに政府をなくしたほうが身の安全である。
[9537] どうして豪族から政府に変わったのか? h22.2.17
豪族は国民から重い税金を取って国民を奴隷のようにこき使った。国民は豪族に対して頭に来ていた。
政府だと国中のみんなで悪いことができるので、国民にとっては有利になるので、国民は政府を支持したのである。当時の国民にとって神武天皇はまさに救世主(メシア)だったのである。
それで、豪族がなくなって、政府が日本を統一できたのだ。
しかし、その結果として、国中のみんなが悪いことをするようになった。
それではいけないと思った有志が、日本をいい国にしようとして政府に代わる政治機関を作った。それが幕府である。
江戸幕府が出来た頃に、ようやく日本中のみんなが悪いことをするのをやめたのである。
[9538] 今の日本に政府は要らない。 h22.2.17
今の国民が国家宗教を使わないのは、国家宗教を使うよりも使わないほうが幸福だからである。
今の国民は国家宗教ではなく、現代法を使っている。
国の法律はひとつでなければならない。だから、政治機関が国民に合わせなければならない。つまり、国の政治機関も国家宗教を使わずに現代法を使わなければならない。つまり、政府は滅びて、現代法の政治機関を作らねばならない。
[9539] 政府を政治機関にしておくのは危険である。☆ h22.2.17
豪族の時代には、豪族だけが悪いことをやって国民は真面目に暮らしていた。
その後、政府の時代になると、政府と国民がいっしょになって国家宗教で悪いことをやるようになった。
さらに、幕府の時代になると、幕府と国民がいっしょに律令制で真面目にやるようになった。日本人は科学によらずに政治だけで善[よ]い国を作り上げたのである。
そして、明治以降は、政府だけが国家宗教で悪いことをやって、国民は現代法で真面目に暮らしている。[だから、政府は反面教師と言われるのだ。]
今のところは江戸時代の名残[なごり]で国民が真面目に暮らしているが、このまま政府の支配が続けば、そのうち国民も政府といっしょに国家宗教をやるようになる。そうなったら、日本はおしまいである。
早めに、現代法の政治機関を作って、政府を滅ぼさねばならない。日本人には幕府を作る才能がある。だから、できるはずだ。
[9540] 日本人は外人と違う。☆ h22.2.17
外人は根[ね]が真面目だから、政府が宗教でふざけていて丁度になる。
しかし、日本人は根が不真面目だから、幕府が真面目にやって丁度になる。
だから、日本では政治機関が宗教をやってはならないのだ。
[9541] 政府は自分たちだけで遊んでくれ! h22.2.17
国民は現代法をやっている。
政府は国家宗教をやっている。
だから、政府は国民にとっての政治機関ではない。
国民は政府にとっての国民ではない。
日本の中に国家宗教をやっている“変な集団”があるというだけの話である。[[9521]
の図を参照。]
今の国民は政府を必要としない。
政府が国家宗教をやりたければ自分たちだけでやって国民を巻き添えにしてはならない。
[9542] 政府に従うか従わないか? h22.2.17
政府についての素人[しろうと]は政府に従う。
政府についての玄人[くろうと]は政府に従わない。
政府に従うか従わないかは、個人の政府についての理解度に依存するのだ。
今の日本人の大半が政府に従っているのは、政府について素人だからである。
日本人はもっと政府について勉強しなければならない。
[9543] 政府は国家宗教をやる機関である。 h22.2.17
明治帝国憲法だろうが日本国憲法だろうが政府は政府だ。政府は国家宗教をやる機関なのだ。
政府は神武天皇が土蜘蛛[つちぐも]を騙したから国民を騙すことができる。
政府にとって憲法はただの紙切れにすぎない。
政府は国を滅ぼそうが国民を皆殺しにしようが、ひたすら国家宗教をやるだけだ。それが政府の使命だからだ。
たとえ天皇が人間宣言をしても、日本神道では必ず神武天皇が神であることを忘れてはならない。日本神道の神は神武天皇とあと一人なのだ。
[9544] 政治機関についての自由 h22.2.17
政府が国を乗っ取ったのではない。
国民が政府を国の政治機関にしているだけだ。
ところが、政府は国家宗教をやる機関である。
国家宗教は現実の社会に合っていないまちがった法律である。
だから、政府は国の政治機関としては不適切である。
このままでは、政府に国を滅ぼされてしまう。
国民には国の政治機関を作る自由がある。国民には国の政治機関を選ぶ自由がある。
だから、国民は現代法の政治機関をさっさと作って、国の政治機関にすべきである。
[9545] 人権保障サービスをする会社 h22.2.17
政府を人権保障サービスをする会社だと見なすことができる。
政府の行政は国家宗教でやっていることであり、一般の国民にとっては無駄だから要らない。
一般の国民にとっては、立法と司法だけあればいい。
国民には政治機関を作る自由があるから、民間で人権保障サービスをする会社を作って、政府と競争すればいい。
日本は治安がいい国だから、牢屋や裁判所がたくさん要らないので、そんなにお金はかからないはずだ。
政府に勝てば、日本はそいつの物だ。
[9546] 国家宗教では娯楽が減る。 h22.2.17
国家宗教では、国民が神と同じことを何でもすることができて悪事が増える一方、
国家宗教では、政府が神と同じことしか国民にさせないように文化を規制するので娯楽が減る。例えば、私が運動が苦手なのでスポーツアニメが見られないようなものである。
しかし、政府もできるだけ拡張解釈して神と同じことの範囲を広げるようにしているので、国民にとって特別に不自由さを感じることもないようである。
しかし、人によっては、もっと自由が欲しいと思うこともある。人間として生まれてきた以上、自分がやりたいことは何でもやりたいのが人情である。娯楽が多様化すれば、自分が見れること聞けることやれることがずっと増える。
だから、やはり国家宗教はないほうがいい。
[9547] 国民は現代法の政治機関である。 h22.2.17
幕府が律令制の政治機関であったように、国民は現代法の政治機関である。
行政については、民間企業が国民のために現代法の行政(つまり、仕事)をやっている。
立法については、民間の社会学者(例えば、私立大学の教授)が現代法の立法をやっている。
司法については、今のところ機関が出来ていないが、国民が自主的にやることもある。日本は犯罪が少ないので、早急に要ることはない。仕返し代行会社はすでに出来ている。
国民が国民自身に税金を払っているから、税金はかからない。
国民は国民だけですでに政治をやっている。国民と政府の縁[えん]は日増しに薄れている。国民は政府から独立しようとしている。
だから、国家宗教をやる政府なんか要らないのだ。
[9548] ヨーロッパの政治機関 h22.2.17
ヨーロッパでは、中世の初めから今までずっと政府が政治機関である。政府が今までずっと国家宗教をやっている。
キリストが「3日後にあの世から帰ってくる」と嘘をついたことを使って、日本政府と同じように現代法の芝居をやって国民を騙[だま]して生き残っている。
日本では幕府があったのに、ヨーロッパではずっと政府のままである。[アメリカも国が出来たときからずっと政府のままである。]
しかし、ヨーロッパでは国民の『主体性が強い』から、国民は政府の言いなりではないので、国民は政府から独立にこれまでやってきた。だから、国民はなんとか生き残ってこれたのである。[アメリカもそうである。]ヨーロッパやアメリカでは国民の『知性が高い』から、政府が国家宗教の政治機関であることが国民にバレてしまっていて、国民は誰も政府に従わないのだ。
つまり、ヨーロッパやアメリカでは政府はただあるだけで何も活動していないのである。政府は完全に置き物化しているのだ。
日本でも、国民が馬鹿みたいに政府の言いなりになっていたら、そのうち国が滅ぶぞ。
[9549] 私の社会科学の研究方法 h22.2.17
私がこれまでの考察で使った具体的事実はあまり多くない。
高校の社会科で習ったことで十分だ。
あとは、それらの事実を論理的に考えて“わかったこと”を見つけて行けばいいのである。見つけたことを言葉にして書いて行けばいいのである。
そうすることによって、“眼で見えない真実”が見えてくるのだ。
[9550] どうして幕府から政府に変わったのか? h22.2.18
当時の日本人がペリーが持ってきた電信機と模型蒸気機関車を見てアメリカの文明が日本よりも進んでいると思って、日本はアメリカを見習わなければならないと思って、日本の政治機関をアメリカに合わせるために政府にしたのだろう。しかし、文明は宗教の賜物[たまもの]ではなく科学の賜物だから、それは当時の国民の完全な勘違いである。国家宗教の法律の作り方は古代ギリシアのイデア論によるものであって、近代以降の科学による観察と帰納によるものではなく、宗教では近代科学ができないからである。[人間の知覚には“ひらめき”がある。それを昔の人は“知覚で直接に真実を見ることだ”と考えたのだ。人間には生まれつきそんな能力があると考えたのだ。それがイデア論である。しかし、実際には、人間は五感で見たことをあとで知覚で考えてひらめいているのだ。]
以下、[9536]の*以降と同じ。
[9551] 政府は日本の政治機関には向いていない。 h22.2.18
西洋の政治機関は政府である。西洋ではそれで国がうまく行っている。その証拠に西洋は文明が高く国が栄えている。
日本は明治以降西洋を真似て日本の政治機関を政府に任[まか]せてきた。
しかし、日本と西洋では神が違う。日本の神武天皇はキリストよりも凶暴で、必ず戦争が起こる。日本は危険な時限爆弾を抱[かか]えているようなものだ。戦争は忘れた頃にやってくる。
それに、日本と西洋では国民の気風が違う。日本では国民は政府の言いなりになるので、宗教が強くなりすぎる。日本人はくだらないことばかり一生懸命にやる嫌な民族である。
だから、政治機関については日本は西洋を真似てはいけない。
つまり、日本の政治機関は政府であってはいけない。
[9552] なぜ日本は太平洋戦争をしたのか? h22.2.18
日本神道の連中は、実際に日本が戦争に勝つ前にすでに頭の中で勝っていたからである。
それで、その目的を達成するために闇雲[やみくも]に戦争を始めたのである。
神武天皇が実際に自分の眼で奈良を見る前に奈良を求めて戦ったので、日本神道の信者は神武天皇を真似て実際に戦争に勝つ前に頭の中で勝ったところを想像して喜んでいたのである。
目的が必ずかなえられるならそんなやり方でもいいが、実際には現実はそんなに甘くはない。
日本神道の連中の考え方はまちがっている。日本神道に従ってもうまく行かない。日本神道に従っても結果は出ない。だから、国民は政府に従わない。
[9553] どうして幕府から政府に変わったか? h22.2.18
江戸時代には、日本人は政府よりも幕府がいいと考えていた。だから、幕府が日本の政治機関だった。日本政府の時代は国家宗教で国が荒れすぎていたので、政府よりも幕府がいいと思ったのである。
しかし、幕末にアメリカが日本に来てからは、日本人は幕府よりも政府がいいと考えるようになった。それは、アメリカの政治機関が政府だったからである。しかし、アメリカ政府と日本政府は、名前が同じ政府と言うだけで中身はだいぶ違っていた。
その結果日本は戦争に負けて大損をした。今でも日本は多額の敗戦の借金を抱[かか]えている。戦前に比べて、日本はすっかり貧乏な国になってしまった。
戦前の政府は堂々と国家宗教をやっていたが、戦後の政府は現代法の芝居をするようになり、国民の大半は政府の芝居にまんまと騙されて政府が現代法の政治機関に変わったと思って満足している。今の国民の大半は政府がいいと考えているから、政府が日本の政治機関なのである。しかし、実際には、政府は依然[いぜん]として国家宗教の政治機関のままである。幕末に幕府よりも政府がいいと勘違いした国民も悪かったが、今の時代に政府を現代法の政治機関だと勘違いしている国民も悪い。
国の政治機関が政府であることは、国の法律が国家宗教であることである。国の法律が国家宗教なら、誰でもそれを使うだろう。国家宗教を使って悪いことをしたほうが得をするなら、誰でも国家宗教を使って悪いことをするだろう。今のように日本の政治機関が政府のままだと、たとえ戦争は起こらなかったとしても、日本が堕落して行って弱い国になるだけである。日本が不合理的なことが通用する知恵遅れの野蛮な国になるだけである。
いつの時代でも国民が政治機関を選ぶ。いつの時代でも、国民が一番いいと思った政治機関が国の政治機関になる。今の時代には、政府よりも現代法の政治機関のほうがいい。国民が現代法の政治機関である。だから、今の日本の政治機関は政府ではなく、国民である。私は国の発展のために、政府よりも現代法の政治機関(国民)を支持するのである。私は国家宗教を支持しなければならないほど片輪者[かたわもの]ではないからである。
[9554] 日本人は国の発展のために政府を選んだ。 h22.2.18
幕末にアメリカが日本に来てから、日本人は幕府よりも政府を支持するようになった。
それは、当時の日本人がアメリカの政治機関が政府であることを知り、日本の政治機関を政府にしたほうが日本が発展すると思ったからである。
しかし、その後の日本は神武天皇の国家宗教で戦争ばかりするようになった。
それでも、戦争に勝っているうちはまだよかったが、
挙句[あげく]の果てには、日本は戦争で負けて莫大[ばくだい]な借金を負わねばならなくなった。[明治維新の頃に福沢諭吉らがヨーロッパに見学に行ってみたら、ヨーロッパでも政府が政治をやっていた。それを真似て日本でも政府に政治をやらせたら大失敗に終わった。ヨーロッパの政府をそっくりそのまま日本に持ってきて使うのならよかったが、古臭い日本政府を使い回しにしたから悪い結果になったのだ。たしかに、ヨーロッパ政府も国家宗教の政治機関だが日本政府とは質が違うのだ。だから、日本政府に政治をやらせてはいけない。]
戦後の日本人は、政府が現代法の政治機関になったと思って安心している。
しかし、実際には政府は現代法の政治の芝居をしているだけで、あいかわらず国家宗教を続けている。国民の中にも、政府が日本の政治機関であるのを理由にして、国家宗教をしている者がたくさんいる。見る目のある者にとっては、政府が現代法の芝居をやろうがやるまいがおかまいなしである。
おかげで、日本は衰退の一途[いっと]をたどっている。
このままでは、日本は世界で最下位の国になるだろう。
そうなる前に、早めに日本の政治機関を政府から別の機関に入れ替えたほうがいい。
国の政治機関は国民が決めるものである。国民が政府よりも現代法の政治機関を支持すれば、現代法の政治機関が政府を倒して日本の政治機関になるだろう。
[9555] 今は南北朝の時代 h22.2.18
今の国民は現代法を法律にしている。
一方、政府は国家宗教を法律にしている。
国民と政府は法律が違う。
つまり、国民は幕府だ。政府は政府だ。
だから、今は幕府と政府が並立[へいりつ]している南北朝の時代だ。
一般の国民は幕府に付けばいい。日本神道の信者は政府に付けばいい。
さてさて、どちらが勝つだろうか?
[9556] 政府に税金を払ってはいけない。☆ h22.2.19
なぜなら、そもそも政府を日本の政治機関にすることがまちがっているからである。
政府は国家宗教の政治機関なので、国家宗教をやるだけである。
国家宗教は現実の社会に合っていないまちがった法律なので、世の中が悪くなるだけである。
特に日本の場合は、日本政府が外国の政府に比べて合理性が乏しく国家宗教を強力にやるし、神武天皇の神が凶暴で必ず戦争を始めるし、国民が政府の言いなりなのでまちがいを助長する。
政府を政治機関にしたのは幕末の日本人が形の上だけで外国を真似したせいである。このままでは日本が悪くなるばかりである。いつまでも祖先のまちがいを引きずっていてはいけない。
したがって、政府を倒すのは正しいことだから、政府に税金を払って政府を支持してはいけない。政府の命令を聞いて政府を支持してはいけない。国民ひとりひとりが政府に従わなければ、すぐに政府は潰れる。
[9557] 景気と政治機関 h22.2.19
これまでの日本の歴史を振り返ってみると、政府が政治をしていると景気が悪くなり、政府以外の政治機関が政治をしていると景気がよくなる。景気と政治機関の間には明らかに相関がある。
政府が政治をしていると、日本人が国家宗教を使っていろんな悪事をするから景気が悪くなるのである。
だから、日本の景気をよくするためには、政府以外の政治機関に政治をさせればいいのである。
[9558] なぜ政府は現代法の芝居をするか? h22.2.19
政府を国民と合体させて“国民政府複合体”にするためである。[現代法の芝居は、水と油を混ぜる石鹸[せっけん]のような働きをしているのだ。本来、水と油は混ざらないのだ。]
政府だけでは弱いので、政府は国民とくっつかなければ生きていけないからである。
南北朝以前の時代の日本も同じ状況にあったはずである。
当時の政府も律令制の芝居をして国民と政府を合体させていたのである。当時の日本は律令制と国家宗教が入り混じった中途半端[ちゅうとはんぱ]な状況だった。
その状況を快[こころよ]く思わなかった足利尊氏が幕府を切り開いて、竹を割ったように国民と政府を分離させたのである。[[9555]の図を参照。]
歴史は繰り返す。今の日本の状況もかつて日本が経験したことである。国家宗教にこだわってもしょせんうまく行かない。だから、さっさと国家宗教をやめるべきである。
[9559] なぜ宗教は儲[もう]かるか? h22.2.19
宗教が嘘をついて「儲かる」と言っているだけのことである。
宗教団体の神が嘘をついたから、宗教団体の幹部が誰かに嘘をつかせて「儲かる」と宣伝させているのである。
国民に宗教を儲かると思わせることによって、国民に宗教を支持させるためである。国民に宗教を支持させるために、国民に宗教を儲かると思わせているのである。
しかし、実際には、日本の過去の歴史が物語るように、国家宗教の時代は貧乏のどん底だったから、宗教は儲からないのである。宗教団体は日本政府のように悪事をするだけで働かないので、他人に食わせてもらわないかぎり自分だけでは生きていけないのである。そこで、他人の支持を集めて他人にお金をもらうために「宗教団体が儲かる」と嘘の宣伝をしているのである。
『宗教が儲からない』のが真実である。だから、宗教を支持してはいけない。現代法を支持しなければならない。
[9560] 男の娯楽と女の娯楽 h22.2.19
女の娯楽は男の娯楽に比べてつまらない。
それでも女にとっては女の娯楽がわかるのが精一杯だからそれで楽しむしかない。
だから、世の中を女の娯楽に合わせてはいけない。それでは世の中がつまらなくなるからである。
世の中は男の娯楽に合わさなければならない。女には個人的に女の娯楽を楽しんでもらうようにしてもらえばいい。
[9561] 軍隊について h22.2.19
国民が現代法の政治機関であるとすれば、今の政治機関には軍隊がない。たとえ仕返し代行会社があったとしても、軍隊まではない。
日本の景気がよかったら、日本の財産を奪うために外国が日本に攻めてくるかもしれない。
その場合には、日本がお金を出して国連軍や外国の軍隊に出動を要請すればいい。
そうすれば、安上がりで済む。
だから、日本は強いて軍隊を持たなくてもいい。
[9562] どうして政府が暴力団を取り締まるのか? h22.2.19
政府が暴力団を退治すれば自分が正義の味方になれると思っているからである。
政府が国民の人気取りのためにやっているだけである。[だから、なんか芝居臭い。]
しかし、いくら政府がそんなことをしても、国民が政府を支持するわけがない。
政府が国家宗教の政治機関であることはすでに国民に知れ渡っている。そんなくだらない政治機関を支持できるわけがない。だから、今でもすでに国民は政府を支持していない。
国民にとっては暴力団も政府も両方とも要らない。両方とも潰[つぶ]れたほうがいい。
[9563] テレビや新聞が世の中のすべてではない。 h22.2.20
テレビや新聞の上では世の中は大変なことになっていない。
しかし、それが真実かどうかはわからない。
実際には、今の日本の政治機関が政府なので、国家宗教を使って悪いことをしている人がいっぱいいるかもしれない。
テレビや新聞だけで世の中のすべてがわかるわけではない。
[9564] 政府と幕府とどっちがいいか? h22.2.20
政府とは、国中のみんなで悪いことをすることである。政府の“政”はオープンの意味だから、国中のみんなで正々堂々と悪いことをするのである。
幕府とは、国の一部の者(武士)だけで悪いことをすることである。幕の内側でコソコソと悪いことをすることである。
たとえそうであったとしても、国にとっては政府よりも幕府のほうがいい。
今の世の中は国の政治機関が政府だから、国中のみんなで悪いことをする時代である。そんな時代ではいけない。
わざわざ私アニメを放送するのも、今が政府の時代つまり国中のみんなで悪いことをする時代であることを国中のみんなに宣伝するためである。
国会や行政についても、年々不自然さ(現代法からのズレ)が目立って来ている。
国の政治機関を政府のままにしておくから、だんだんひとりでに国家宗教が強まっているのである。日本人は現代法を守るのをやめて国家宗教を守るようになって来ている。このままではいけない。
[9565] 政府は悪のシンボル h22.2.20
政府の時代には、国の法律が国家宗教だから、国中のみんなが悪いことをする。
現代法の政治機関の時代には、国の法律が現代法だから、国中のみんなが善いことをする。
今の日本の政治機関は政府だから、今の日本の法律は現代法ではなく国家宗教であり、国中のみんなが悪いことをしている。今の日本が多少まともなのは江戸時代の名残[なごり]である。
日本人は外人ほど頭がよくないから、心まで悪くなったら日本はおしまいである。
日本を治すためには、日本の法律を取り替えるしかない。つまり、政治機関を取り替えるしかない。
政府を倒すのは正しいことだから、それを実行すればいい。政府を倒すためならば、税金を払わなくてもかまわない。政府に権威があろうがあるまいが関係ない。日本人が正しく考えればいいだけだ。政府も正しい国民に倒されてうれしいはずだ。
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[9566] 国家宗教はまちがった法律である。 h22.2.20
国家宗教では、国中のみんなが神と同じことができる。
神と同じといっても本当に同じなのではない。
神のしたことを曲解したり、駄洒落[だじゃれ]で広げたりしたことも神と同じことになるのである。
だから、国家宗教では国中のみんなが悪いことができる。
国家宗教は国を悪くするためにある法律である。
[9567] なぜ芥川龍之介は自殺したのか? h22.2.20
小説のネタが切れたからである。
『歯車』も『河童[かっぱ]』も神武天皇の光る玉の喩えである。[河童の頭の上の皿が光る玉の喩えである。]
光る玉だけでは駄洒落に限界があるので、芥川はスランプに陥って自殺したのである。
作家がもっと自由に創作活動できるようにすべきである。
[9568] どうして日本人は政府を支持しているのか? h22.2.20
日本人が悪いことをするのが好きだからである。
それで、悪いことができる国家宗教を法律にしている政府を支持しているのである。
しかし、世の中が悪くなると幸福ではなくなる。みんなが悪くなると、自分が他人に悪いことをするばかりではなく、逆に他人が自分に悪いことをする。自分が他人に悪いことをされると自分は不幸になる。
だから、日本人は政府を支持してはいけない。政府を潰して現代法の政治機関にしなければならない。
[9569] 日本人は政府が何なのかわかっていない。 h22.2.20
幕末の日本人は、日本をアメリカやヨーロッパのような近代国家にするために日本の政治機関を政府にした。
ところが、政府は政府自身の法則で動くから、神武天皇の国家宗教によって日本が軍事国家になってしまった。結局、日本は勝てない戦争をして戦争に負けて罰金を払わされて貧乏な国になってしまった。
今の日本人も、日本を近代国家にするために政府を支持し続けている。日本人にとっては政府が近代国家の象徴だからである。しかし、政府は依然[いぜん]として国家宗教の原理で動いている。そのうちまた戦争になるか、国が毎日犯罪ばかりの生き地獄になって滅びるかである。
幕末の日本人も今の日本人も『政府』が何なのかわかっていない。外国の政府と日本の政府は“政府”の名前が同じだけで政府の中身が全然違う。政治のやり方が違う。外国の政府はこれまで私が現代法の政治機関と呼んできた物であって、国家宗教の政治機関である日本政府とはまったく別物である。たとえ外国の政府が国家宗教をやるにしても、お祭り程度に軽くやるにすぎない。[福沢諭吉はヨーロッパに立派な教会がいっぱい建っているのを見て、当時のヨーロッパ政府が熱心に国家宗教をやっていると勘違いをしたのだ。しかし、実際には建物が石で出来ていたから長持ちして残っていただけで、ヨーロッパ政府はとっくの昔に国家宗教をやめてしまっていたのだ。福沢諭吉にとっては“記号の書き写し”が勉強だったので、字面[じづら]だけしかわからなかったので、ヨーロッパ政府と日本政府の区別が付かなかったのである。]一方、日本政府はひたすらがむしゃらに国家宗教をやりまくる古墳時代の古臭い政府のままである。だから、日本政府を支持してはいけない。日本には外国のようなハイカラな政府はまだ出来ていない。だから、今後新しく作らなければならない。
[9570] 日本人が政府を支持する訳[わけ] h22.2.20
政府を支持する者は、自分が悪いことがやりたい者と、日本を近代化したい者である。
しかし、政府を支持すると自分が悪いことをやれるが、他人も悪いことがやれる。それが国家宗教の“国家”たるゆえんである。結局、自分が他人に悪いことをされて不幸になる。だから、政府を支持するのは正当ではない。
それに、外国の政府は現代法をする政治機関だが、日本政府は国家宗教をする政治機関なので、日本の近代化とは関係がない。日本政府を支持することは日本の古代化にしか役に立たない。日本が遅れた国になるだけである。
だから、日本人が政府を支持する理由はない。したがって、日本人は政府を支持しないのが正解である。政府を支持する理由がなければ、政府に税金をやる必要もない。
[9571] 政府を潰す自由 h22.2.20
日本国憲法には、政府を潰してはいけないという法律はない。
だから、国民は政府を潰してもかまわない。
国民には国の政治機関を作ったり潰したりする自由がある。
[9572] 『桃太郎』 h22.2.20
桃太郎の本当の名前は赤太郎である。
赤は日の丸の赤であり、神武天皇の光の玉のことである。
つまり、桃太郎とは、天皇のことである。
昔の桃太郎の話は、おじいさんとおばあさんが桃を食べて若返る話だが、これは神武天皇の子孫の天皇が代ごとに若返ることの喩えである。つまり、桃太郎が今の天皇であり、桃太郎のおじいさんが神武天皇のことである。
桃太郎の子分の犬猿雉[きじ]は、天皇の子分の政治家のことである。
鬼とは、外人一般のことである。
つまり、桃太郎の話は、日本が外国を征服して外国の財産をぶんどって豊かな国になる話である。
しかし、実際には、桃太郎は鬼が島へ行って戦いに負けて自分の財産まで鬼に取られるはめになったのだ。
[9573] 国の繁栄のために h22.2.21
国が繁栄するためには、まず正しい法律を用いなければならない。
法律は社会についての物理学である。物質文明が正しい物理学で発展するように、社会は正しい法律で発展するのである。
ところが、国家宗教は正しい法律ではない。国家宗教は現実の社会に合っていないまちがった法律である。
だから、国家宗教を法律とする政府を国の政治機関にしてはいけない。
したがって、政府を倒さなければならない。
国を繁栄させるためには、まず第一に政府を倒さなければならない。
税金を払うのは、正しい現代法の政治機関が出来てからでいい。
まちがった政治機関に税金を払うと国をますます悪くされるだけだから払ってはいけない。
国民にとって大事なのは、政府に従うことではなく、国を善くすることである。
だから、愛国心のある国民は政府に従ってはならない。政府を倒さなければならない。
[9574] 国家宗教をやる理由☆ h22.2.21
政府は“論理的に”国家宗教をやっている。例えば、神武天皇がナガスネヒコの土地を奪ったから政府は国民の財産を取るし、神武天皇が土蜘蛛[つちぐも]を騙したから政府は国民をいろんなことで騙して政府が国民の役に立っていると国民に思わせている。
しかし、そもそも政府が国家宗教をやる理由がない。
現代においては、『実在と合っている』ことが実行できるための理由である。必要条件である。
例えば、現代法は実在と合っているから実在の中で現代法をやっていいが、国家宗教は実在と合っていないから実在の中で国家宗教はやってはいけない。
昔は『実在と合っている』という理由がなかったから、国家宗教のようなまちがった法律をみんなでやっていたのである。[日本国憲法でも国民は憲法に書いてあることと同じことをするから、国家宗教でも国民が神武天皇の話と同じことをしても不思議ではない。]しかし、今では『実在と合っている』という理由が要るから誰もやらない。
昔にも“論理”はあったが、『実在と合っている』ことがなかったから、政府は国家宗教をやっていたのである。しかし、今では『実在と合っている』ことがあるから、政府は国家宗教をやれないのである。
[9575] 政府は偉いか? h22.2.21
政府が偉かったのは、国民が政府を支持していたからである。
しかし、[9570] により、国民が政府を支持する理由がない。
だから、政府は偉くない。政府が偉くなければ、国民は政府に従わなければいい。国民は政府に税金を払わなければいいし、政府の命令を聞かなければいい。
[9576] 政府よりも幕府のほうが自由である。 h22.2.21
幕府は暴力団だから自由だった。麻薬や売春や武器も国民に許可していた。
反対に、政府は宗教団体だから、国民に神と同じことしかさせなかった。
だから、政府よりも暴力団のほうが国民にとっては自由である。だから、江戸時代は他の時代に比べて自由だったのである。国家宗教の時代は犯罪の自由があるだけで娯楽の自由がないのである。
アメリカ政府は政府よりも暴力団に似ている。アメリカは自由の国で、政府よりも暴力団のほうが自由が多いからである。だから、アメリカ政府にとっては、日本の政治機関は政府よりも幕府のほうがいいだろう。だから、日本の政治機関を幕府から政府に変えたのは、やはり日本人自身によるものだったのだ。[アメリカ政府が暴力団なのは、アメリカにインディアンがいたからだろう。[9578]参照。]
今の日本人も自由が欲しいはずである。それなら、政府よりも幕府を日本の政治機関にしなければならない。
[9577] 人間の二面性 h22.2.21
人間には善と悪の両面がある。善だけの人間はいないし、悪だけの人間もいない。
だから、人間の二面性を上手に活かせばいいのである。
政府は表面がいいだけで、中身が悪い。
幕府は表面は悪いが、中身がいい。
政府の時代は国が衰退し、幕府の時代は国が繁栄した。
人間の善い面と悪い面の割り振りをうまくやれば、いい国が出来るのである。
[9578] 日本人はどうして国家宗教を支持するのか?(原題:西洋か東洋か?)☆☆☆
h22.2.21
西洋は国家宗教である。
東洋は暴力団である。
日本人が古墳時代の昔から国家宗教にこだわり続けてきたのは、西洋が世界の先進国であり、日本が西洋を真似るべきだと執拗[しつよう]に考えてきたからである。日本人みんなが国家宗教で悪事をするようになったのはその副作用である。[日本人は紀元前の昔から世界中にスパイを送って各国の情報を収集していたのである。]
それで、いったん幕府が出来ても、その後で政府に代わられて、なかなか幕府が定着しなかったのである。
それで、徳川家康が幕府を定着させるために、外国の情報を日本に入れさせないために鎖国をしたのである。
しかし、今の西洋は現代法である。だから、ニーチェは『神は死んだ』と言ったのだ。
だから、今はかえって日本は西洋を真似たほうがいい。だから、さっさと古臭い国家宗教をやり続ける日本政府を潰して現代法の政治機関にしなければならない。
[9579] 記号と意味 h22.2.21
言葉とは記号と意味の対応付けである。
日本では、違う意味には違う記号を対応させるが、
外国では、同じ記号のままで意味を変えて用いる。
例えば、外国では政府とは国家宗教の政治機関であり、現代法の政治機関であり、また国家暴力団でもある。
しかし、日本では政府とは国家宗教の政治機関だけを指す。国家暴力団は幕府と呼んで区別する。現代法の政治機関には呼び名がない。
だから、今の外国の政治機関が政府と言うからという理由で日本人は外国の政治機関が国家宗教の政治機関だと思って、いつまでも日本の政治機関は2000年前の時代遅れの国家宗教の政治機関のままなのである。
要するに、日本の政府とヨーロッパの政府とは意味が違うということである。日本の政府は国家宗教の政治機関だが、ヨーロッパの政府は現代法の政治機関である。その点に注意しなければならない。
[9580] 日本の選択肢 h22.2.21
ヨーロッパでは現代法の政治機関があるから、先進国を真似るという意味では、日本でも国家宗教をやる政府を潰して現代法の政治機関を作るべきである。
しかし、かつての国家宗教の政治機関のようにヨーロッパのやることが必ずしも正しいとは限らないから、日本はヨーロッパを真似ずに、政府を潰した後で民間の会社だけにして現代法の政治機関を作らないやり方もある。政治機関が国民の『税金』で楽に食っていくためにあるだけなら、ないほうがいいだろう。今の社会に現代法の政治機関がないから、政治機関がなくても案外やっていけるかもしれない。400万人も公務員がいても誰一人として国家宗教に反対した者はいない。だから、政治機関は国民のためにはない。だから、政治機関なんか要らない。警察についても、人殺しの後でいくら犯人を逮捕しても無駄である。警察があっても『保険』に入っていないかぎり何の役にも立たない。だから、警察なんて要らない。警察は「復讐ごっこ」を楽しむためにあるだけである。保険会社が殺人犯を殺しに行くかもしれない。
現代法の政治機関を作るか作らないかは、国民みんなで決めればいいことである。私はどちらでもいい。
とにかく、時代遅れの国家宗教をやっている政府を潰さねばならないことは確実である。
[9581] 『ドン・キホーテ』 h22.2.21
ドン・キホーテは騎士つまり暴力団である。
日本で武士が国家宗教を倒したように、ヨーロッパでも騎士が国家宗教を倒したのである。
ドン・キホーテは、現代法が国家宗教を倒したことの象徴である。
話の上ではドン・キホーテが風車に負けているが、実際には、ドン・キホーテが風車に体当たりして風車をこっぱみじんに壊したのである。
当時のヨーロッパでは、ニュートン力学がプトレマイオスの天文学やアリストテレスの力学を倒したように、現代法が国家宗教を倒したのである。
[9582] どうして中世のヨーロッパにはキリスト教があったか? h22.2.21
キリスト教は中世のヨーロッパにおける法律である。中世のヨーロッパでは、みんながキリストがしたことと同じことをして暮らしていたのである。聖書のキリストがしたことをみんなが曲解して悪いことをしていたのである。[キリストが実在しようがしまいが、聖書のキリストの話を法律として使っていたことに変わりはない。]
現代法は一日にして成らず。簡単なことは意外とわかりにくいものだ。
ローマ時代の絶対君主制が滅んでから近代ヨーロッパの現代法が出来るまでの間に合わせに、いっときキリスト教を使っていたのである。出来損ないの不完全な法律をいやいや仕方なく使っていたのである。
現代法が出来た今となっては、キリスト教は死んだ法律である。
今では現代法が嫌いな例外者がキリスト教を守っているにすぎない。
[9583] なぜ日本でキリスト教をやるのか? h22.2.22
ヨーロッパが先進国だからである。
古来より、日本は先進国の文化を真似てきたので、ヨーロッパでキリスト教をやっていたので、日本でもキリスト教をやるのである。
日本が仏教をやるのも、インドが先進国だからである。
しかし、キリスト教も仏教も中世の遅れた法律である。だから、今日的[こんにちてき]には真似る意義はない。
[9584] なぜ日本に古墳があるか? h22.2.22
エジプトが先進国だからである。
古来より、日本は先進国の文化を真似てきたので、エジプトでピラミッドを作ったので、日本でも古墳を作ったのである。しかし、日本には石を高く積み上げる技術がなかったので、日本のピラミッドは平べったいのである。
日本は独自の文化よりも外国の文化を尊[たっと]ぶ癖があるので、むやみに外国を真似たがるのである。
日本は小さい国だが、視野だけは世界的に広いのである。
日本でも古墳時代頃になると、世界の情報が伝わるようになったのである。
だから、その頃に、国家宗教(日本神道)も始まったのだ。
[9585] どうして1世紀は100年なのか? h22.2.22
昔は地球の裏側まで情報が伝わるのに約100年かかったからである。世紀とは情報が世界全体に広がるのにかかる時間である。紀元元年[がんねん]頃になると、世界中に情報ネットワークができて、世界中に情報が伝わるようになったのである。
つまり、世紀とは、世界の動きを見るための尺度である。
100年のサバを読めば、世界中が同じ動きをしていることがわかる。
例えば、インドで仏教が出来たのも、日本で日本神道が出来たのも、ヨーロッパでキリスト教が出来たのとほぼ同じ世紀である。
[9586] 民間企業のサラリーマン h22.2.22
性欲が生き甲斐なだけだ。
見栄[みえ]を高級な喜びと思っているほどのどうしようもないクズだ。
見かけが人間の格好をしているだけで、中身は性欲と見栄だけの動物だ。
人間の価値を落としているのはお前らだ。
[9587] 科学の方法 h22.2.22
セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版されてから約100年ほど経って、ニュートンの『プリンケピア・マセマチカ』が出版された。
この本は、観察と帰納による『科学の方法』が正しいことを世界中の人々に徹底的に印象付けた。
じつは『ドン・キホーテ』も『科学の方法』によって書かれた文学だったのである。
『科学の方法』によって法律も作られた。それが現代法である。
そこで、現代法は国家宗教や暴力に取って代わる世界共通の新しい法律となった。
だから、ヨーロッパの真似をしたがる田舎の国の日本でも現代法を使わねばならない。
政府はいまだに古臭い国家宗教を法律に使っている団体だから、さっそく排除しなければならない。
[9588] どうして日本国民は日本政府が現代法の政治機関だと思っているか? h22.2.22
日本国民は子供の頃から学校や本などで『科学』を習っている。例えば、日本の社会科の教科書には、現代法のことばかりが書いてあって、国家宗教のことはひとことも書いていない。
だから、日本国民はなんでも『科学』で見る習慣が身についている。
日本国民は国家宗教の政治機関である日本政府に対しても『科学』を当てはめて見るから、日本政府が現代法の政治機関に見えるのである。
しかし、それは抽象的概念を具体的対象に当てはめる演繹的[えんえきてき]な見方である。日本政府は厳密には現代法の政治機関に合っていない。その“違い”について考えていくと、結局日本政府が国家宗教の政治機関であることがわかるのである。
[9589] なぜ日本国民は日本政府が国家宗教の政治機関であることを容認しているか?
h22.2.22
上述したように、日本国民の大半は日本政府が現代法の政治機関だと思っているが、
日本国民の中にはすでに日本政府が国家宗教の政治機関であることを知っている者もいる。
ところで、日本は世界の辺境にある離れ小島だから、日本国民は外国のことを知らない。
日本国民は、ヨーロッパ政府が日本政府と同じようにいまだに国家宗教をやっていると思っている。
ところが、実際には、今のヨーロッパ政府は日本政府と違って国家宗教をやっていない。そのことは、実際に自分がヨーロッパに行って自分の眼でヨーロッパ政府のしていることを見ればわかる。[こう言う私もヨーロッパに行ったことはないが。]
つまり、日本国民が田舎者でヨーロッパのことを知らないから、日本国民は日本政府がヨーロッパ政府と同じだと思って、日本政府が国家宗教の政治機関であることを容認しているのである。
[9590] どうして日本国民は日本政府に逆らわないのか?☆ h22.2.22
日本国民の中には、日本政府が国家宗教の政治機関であることを知っていて、しかも日本政府がヨーロッパ政府と違うことを知っている者がいる。
それなのに、日本政府に逆らおうとしない。
それは、日本政府に権力があると思っているからである。
しかし、日本政府に権力があるのは、日本国民が日本政府を支持した結果であって、そもそも日本国民が日本政府を支持しなければ日本政府に権力なんかないのである。つまり、『政府の権力は政府に対する国民の支持に比例する。』【権力の法則】少数が多数を支配している状況においては、『権力の法則』が成り立つ。
しかも、日本国民には今の日本政府を支持する理由はないのである。古来より日本国民が日本政府を支持してきたのは、日本政府が先進国のヨーロッパ政府と同じ政治をしていると思っていたからである。
だから、今の日本政府に権力はない。したがって、日本国民は日本政府に逆らってもいいのである。つまり、日本国民は日本政府に税金を払わなくてもいいし、日本政府の命令を聞かなくてもかまわない。日本国民は早く日本政府が潰れたらいいと思っている。
[9591] ヨーロッパにおける教会の役割り h22.2.23
ヨーロッパでは政治機関は現代法の政治をやっている。
しかし、その一方で、教会もある。
教会はキリスト教をやっている。
しかし、今ではもはやキリスト教は法律ではない。
キリスト教には復活祭とかクリスマスとかの『お祭り』がある。
『お祭り』の計画を立てて実行するのが現代における教会の仕事である。
ヨーロッパ人は真面目だから、『お祭り』が重要な娯楽なのである。
日本でもヨーロッパを見習って、神道はお祭りをやるぐらいにして、政治をやってはいけない。政治は現代法の政治機関に任[まか]せねばならない。
[9592] 日本は外国に頼りすぎ h22.2.23
国家宗教の例でもわかるように、日本は外国に頼りすぎて外国のまちがいまで受け入れてしまう悪い癖がある。
日本人の中で国家宗教がまちがいであることに気づいたのは、幕府を切り拓[ひら]いた3人だけである。[3人は、日本古来の豪族の暴力制と中国の律令制をミックスして武家制度を作り出したのである。]
それ以外の者は、国家宗教がまちがいだと気づかずに受け入れていたのである。毎日犯罪であふれていることが先進国の証[あかし]だと誇[ほこ]りに思っていたのである。
いくら先進国と言ってもまちがいを犯すことがある。外国のまちがいを受け入れるのは危険である。
外国の文化は参考までにして、まず正しいかまちがっているかをよく考えてから、受け入れるようにしなければならない。
日本の近代化が早かったのは、日本人が外国の文化を受け入れるのが得意なためだが、まちがいか正しいかを考えずに受け入れるのは簡単である。そのため、日本はアメリカやヨーロッパを真似て国家宗教をして、国家宗教で戦争をして、挙句[あげく]の果てに戦争に負けたのである。だから、今後はよく考えて取捨選択してから正しいところだけ受け入れるようにしなければならない。
[9593] ヨーロッパか中国か? h22.2.23
ヨーロッパは国家宗教である。
中国は律令制である。
それで、日本は古墳時代の頃からずっとヨーロッパ制にするか中国制にするかで悩んで来たのである。
政府はヨーロッパ制を採用し、幕府は中国制を採用した。
日本はヨーロッパ制か中国制かで二転三転した結果、江戸時代に中国制を受け入れることにした。
しかし、その後幕末に日本が開国すると、すぐに日本はヨーロッパ制に変えた。
日本はよほどヨーロッパが好きなようである。日本は中国よりもヨーロッパを高く買っているのである。
日本人の祖先はヨーロッパ人なのかもしれない。
[9594] どうしてヨーロッパは長い間キリスト教を使っていたのか?☆ h22.2.23
ローマ帝国のような絶対君主制よりも国家宗教のほうが若干世の中が良かったからである。ローマ帝国では、首都ローマの市民だけが貴族で裕福なだけで、それ以外の地域ではみんな奴隷で貧しい暮らしを強いられていたのである。ローマ帝国には『奴隷制』があったが、キリスト教には『奴隷制』がなかったので、ヨーロッパの人々はキリスト教を支持したのである。
国家宗教でもあまりいいことはなかったが、現代法が出来るまでは、国家宗教で我慢しなければならなかったのである。
あまりにも長い間国家宗教をやっていたので、現代法がある今になっても国家宗教をなかなか抜け切れないのである。
それで、ヨーロッパでは今でも国家宗教をやっているのである。
現代法にも『奴隷制』はないから、強いて国家宗教を使わなくてもかまわない。現代法のほうが国家宗教よりも『国民の人権』がしっかり保障されているから現代法のほうがいい。だから、今は国家宗教を支持する必要はない。
[9595] なぜ宗教をするのか? h22.2.23
今でも宗教をする人がいるのは、昔の人が宗教をやっていたからである。特に理由があるわけではない。
要するに、昔の習慣を引きずっているだけのことである。ヤクザが指切りや刺青[いれずみ]をするようなものである。[昔の人は身体に精神が宿ると考えていたので、他人に自分の身体の一部を差し出すことは自分の心を他人し差し出すことつまり自分が他人に絶対服従することだと考えていたので、自分が他人に服従を誓う時指切りをしたのである。刺青は、魔除[まよ]けの儀式だったのである。昔の人は刺青をすれば自分の運がよくなると考えていたので刺青をしたのである。ヤクザは古い世界観を今でも守りながら生きているのである。]くしゃみをした後で「くさめくさめ」と言って厄払いをするようなものである。つまり、迷信みたいなものである。縁起担[えんぎかつ]ぎや風水のようなものである。
現代では、宗教をやる必要はまったくない。
だから、さっさとやめればいい。
現代において、アリストテレスの4元素説が迷信であるように、国家宗教も迷信である。政府は迷信をやる会社である。政府にお金をやっても無駄[むだ]である。政府にお金をやるのはもったいない。だから、政府に税金を払わなければいい。
[9596] 国家宗教には奴隷制がない。 h22.2.23
キリスト教にも仏教にも日本神道にもイスラム教にも、国家宗教にはみんな奴隷制がない。
それは、そもそも世界中の国家宗教の原型となったモーゼ教が奴隷解放のための宗教だったからである。
国家宗教はそもそも奴隷解放のためにあったのである。そのために、国家宗教は大勢の人々によって支持されて、政府が大きな組織に成長したのである。日本で国家宗教が広く受け入れられたのも、豪族の時代に奴隷制があったからである。国家宗教は奴隷制がなければいいだけであって、その他のことはどうでもいいのである。国家宗教の長所は『奴隷制がない』ことだけであって、それ以外にはないのである。それ以外のことは『奴隷制がない』ことに便乗して仕方がなくやっていただけのことである。[「国家宗教が善と悪をひっくり返す」と言われるのは、奴隷解放のオーバーな言い換えである。善は強く悪は弱いので、奴隷を解放することは弱い者を有利にし強い者を不利にすることだから善と悪がひっくり返るのである。]
奴隷解放の精神は現代法に受け継がれている。つまり、国家宗教における奴隷解放が発展して、今では現代法における『人権の保障』となっているのである。現代法は科学的精神で焼き直した国家宗教(キリスト教や仏教や日本神道やイスラム教など)と言うことができる。つまり、現代法と国家宗教とは本質的には同じものである。
[9597] どうして昔は奴隷制があったか? h22.2.24
昔は人類の生産能力が低かったからである。
そのために、人類全体の暮らしが貧しかったので、人類全員の人権を保障することができず、やむを得ず人類を貴族と奴隷に分けて貴族の人権だけを保障しなければならなかったのである。昔は世界中の国で奴隷制があったのである。
近代以降は科学によって生産性が向上したから、人類全体の暮らしが豊かになったので、かっこよく人類みんなの人権を保障できるようになったのである。
つまり、昔の貴族は今の国民と同じ身分だったのである。
結局、奴隷解放を実現したのは、国家宗教ではなく科学だったのである。国家宗教は夢を描[えが]くだけで実現する力はなかったのだ。
お金持ちは馬鹿だから、お金持ちがお金を持っていても仕方がないから、お金は国民に平等に与えるべきである。そのほうがお金を有効に利用できる。
[9598] どうして私マンガや私アニメがあるのか? h22.2.24
マンガ家やアニメ会社が馬鹿だからである。
マンガ家やアニメ会社は何をやっているのかわからないからである。たとえ、わかっていたとしても、それがまちがっていることがわからないからである。
たしかにまちがった国家宗教をやる政府が悪いが、政府のまちがいにおとなしく従う国民も悪い。それでは、国家宗教が強まって国がどんどん悪くなって行くだけだ。
国は国民のためにあるのであって、政府のためにあるのではない。だから、政府がまちがっていれば、国民は政府に逆らうべきだ。国民は政府を倒すべきだ。
[9599] 結果よりも原理が大事 h22.2.24
今の日本には戦争がない。そこそこ平和である。
今の日本は眼先ではまずまずの国だと言える。
しかし、日本政府は国家宗教の政治機関であって、現代法の政治機関ではない。
日本政府は国民が支持するべき政治機関ではない。
正しい結果を出すためには、まず正しい原理に基づかねばならない。
まちがった原理に基づいて、眼先で誤魔化[ごまか]して正しい結果を出したふりをするのはいけない。そういうのは、真の意味での正しい結果ではない。政府はそうやってこれまで何度も日本を不幸な運命に導き日本人をつらい目にあわせて来た。だから、もうこれ以上政府に同じことを許してはいけない。
政府はその名前の通り“政[まつりごと]をする府”すなわち国家宗教をする政治機関である。政府は国民が国家宗教を支持することによって生まれた機関である。だから、国民が国家宗教を支持しなければ政府は潰れる。だから、国民は国家宗教を支持しなければいい。日本の政治機関は“政府”とは別の名前でなければいけない。
[9600] 現代法は原理だけではない。 h22.2.24
憲法には現代法の原理が書いてあるだけである。
それに心をどう盛るかは国民の自由である。
現代物理にはシュレーディンガー方程式『(ih/2π)∂ψ/∂t=Hψ』と相対性原理『物理法則はすべての人間にとって同じである。』の2つの原理しかない。
たった2つの原理に大勢の人々がいろんな心を盛り込んで、現代のいろんな楽しい発明品が作り出されているのだ。
だから、憲法に現代法の原理しか書いていないからといって、現代法を即[そく]冷たいものと考えてはいけない。原理に対する心の加え方しだいで温かい国にも冷たい国にもどうにでもなるのだ。