[9401] 国民は“政府”に従わない。 h22.1.28
政府はその名前の通り“政[まつりごと]をする府”すなわち国家宗教をする政治機関である。今の政府は表向きは現代法をやっているふりをしているが、実際には国家宗教をやっているのである。
ところが、今の国民は国家宗教をやっていない。
だから、今の国民は政府を日本の政治機関とは認めない。
だから、今の国民は政府に従わない。政府に税金を払わなければ、政府の命令も一切聞かない。
政府が潰れて、日本の政治機関の名前が変わるまで、国民は政府と戦い続ける。

[9402] 表の神制度と裏の神制度 h22.1.29
日本政府は奈良時代や平安時代には万葉集や古今和歌集の編纂をした。
それは表の神制度である。神武天皇が土蜘蛛[つちぐも]を倒す時に、みんなで歌を歌いながら殺したので、神武天皇も歌ったので、政府は国民に歌を作らせたのである。
しかし、一方、日本政府は今の政府と同じように遊びで国民に隠れて事件を起して人殺しをしていた。
それは裏の神制度である。神武天皇が軍人で人を殺したので、政府も殺し屋に頼んで(つまり、殺し屋に神武天皇と同じことをさせて)人殺しをしたのである。
しかしながら、当時は国民みんなが神制度を支持していて、日本政府が国民みんなが支持していた神制度を『論理的に』使って国民を殺したのだから、それはやってもかまわない。つまり、日本政府が『国民の総意』で人殺しをしたのだから、それは許されることである。それが『浦島太郎』の玉手箱の中身である。
当時の国民は馬鹿だったのだ。甘かったのだ。神制度が何なのかわかっていなかったのだ。神制度が何なのかわからずに、神制度を支持していたのだ。そこまでクソ馬鹿だと政府に殺されてもかまわない。
それと同じように、今の国民も政府が何をやっているのかわからずに、政府を支持している。そんなに馬鹿なら政府に税金を取られた上に政府に神制度で殺されても仕方がない。[私は馬鹿ではないから、私を殺してはいけない。私は国家宗教を支持していないから、私を殺してはいけない。]政府はその名の通り国家宗教(神制度)をする政治機関である。だから、政府を支持することは国家宗教を支持することであり、政府を支持する者が政府に神制度で殺されても文句は言えないのだ。
国民は現代法を支持しないかぎり生き残れないことを理解しなければならない。

[9403] 国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。 h22.1.29
今の政府は私を神としている。政府が政府をやめないかぎり、神武天皇や私を神とせざるを得ない。
私は政府に従わない。私は政府に税金を払わない。[政府は神には逆らえないから、政府は私を罰せられない。]
国家宗教の国では、国民は神と同じことをしてもかまわない。
だから、国民は私と同じように政府に税金を払わなくてもいい。[たとえ政府が神武天皇や私が嘘をついたことを使ってハッタリを利かせて国民が税金を払わないことで国民に言いがかりをつけてきても、国民が政府の嘘に乗らなければそこでおしまいである。政府が国民を本当に罰することはできない。]それでも物足りなければ、私が高校生の頃に乾電池を投げて近所の窓ガラスを割ったことがあるから、政府が気に入らなければ政府の窓ガラスを割ってやればいい。
これで、政府がずいぶん倒しやすくなった。
早く政府の代[か]わりに民主府ができるといいなあ。

[9404] ヨーロッパが日本より強いのはなぜか? h22.1.29
中世のヨーロッパはキリスト教のせいで落ちこぼれて暗黒時代だったが、
近代以降のヨーロッパの繁栄はすさまじい。
それは、ヨーロッパがキリスト教から現代法に切り替えたからである。
ヨーロッパ人と日本人では生まれつき知覚の才能が違うこともある。
しかし、それだけではない。
ヨーロッパの政府が国民にクソ真面目にさせているからだ。
ヨーロッパでは、日本やアメリカのようにテレビやマンガなどのふざけた娯楽はない。たとえ喜びがあったとしても、見栄の喜びしかない。(あるいは知覚欲の喜びしかない。)
そのために、ヨーロッパ人は日本人の何十倍も真面目に考えられるのだ。
それが、ヨーロッパの強さの秘密だ。
しかし、その反面、ヨーロッパ人は正しいことばっかり教えられて“冗談”の概念がないので、他人の嘘に騙されやすく、自制が利[き]かないので、犯罪も多いのである。

[9405] 日本政府は正々堂々と国家宗教をやっているか? h22.1.29
政府は国民から税金を取っているが、政府は国家宗教のために税金を取っていると本当の理由を言わずに嘘の理由をついて税金を取っているから卑怯[ひきょう]である。国民には現代法をやるための政治費用と思わせているが、実際には国家宗教をやるための費用として使っているのである。
政府が神制度と身分制を組み合わせて使って事件を起して国民を殺しているのは、政府が国民の眼の前で堂々とやっていないから卑怯である。
政府が日本国憲法やその他の法律を置いているのは、国民に対する明らかな嘘だから卑怯である。
したがって、世界大戦後の日本政府は正々堂々と国家宗教をやったことが一度もない。
日本政府は国民の反感を買わないように細心の注意を払いながら、国家宗教をやっていないふりをしながら国家宗教をやっているのだ。
政府は定義によって国家宗教をやる機関だから、政府が政府であるかぎり国家宗教をやらないわけにはいかないので、国民が国家宗教をやらない時代には、政府が国民の反感を買わずに経営するためには、政府は国民に政府が国家宗教をやっていないと思わせなければならないのである。つまり、いくら政府が偉そうにしていても、実際には政府よりも国民のほうが強いので、政府は国民に従わなければならないのである。政府が国民よりも本当に強ければ、政府が国家宗教を国民に押し付けて政府が神を国民に公開して国民の眼の前で堂々と国家宗教をやれるはずである。実際にそうしないのは、政府が国民よりも弱いからである。[国民が政府よりも強ければ、国民は政府の言うことを聞かなくてもいい。例えば、政府に税金を払わなくてもいい。政府は国家宗教をする会社であって、国民の総意を実現する会社ではない。だから、自分が国家宗教をよしとしなければ、政府にお金をやる必要はない。幸い、国民は政府とは契約を取っていないから、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。]
政府が国民の眼を気にして国家宗教をやっていないふりをしながら国家宗教をやらねばならないくらいなら、政府はさっさと潰れて、民主府に変わって政治をやったほうが楽だと思う。そのほうが税金も取りやすいだろう。
日本政府は会社としては生き残りたいかもしれないが、日本政府は今の時代にあってはならない会社である。会社の中で働いているのはただの人間である。人間よりも会社を大事にするのはおかしい。人間が生き残るために会社を捨てねばならないこともある。

[9406] どうして戦後日本政府が残ったか? h22.1.29
アメリカが日本に新しく民主府を作るのが面倒臭かったからである。
それで、アメリカはすでにあった日本政府に民主府の代わりをやらせたのである。
日本政府はアメリカ占領下にあってはしぶしぶ現代法をやっていたものの、やはりそれでは面白くないらしくアメリカが日本を去ったあとですぐにまた国家宗教をやりだした。
日本政府はなかなかしぶといが、アメリカによる日本国民に対する現代法の教育は成功を治めたらしく、今の政府は国民の眼の前で正々堂々と国家宗教をやれなくなった。日本国民にとっては日本政府よりもアメリカ政府のほうが面白かったので、日本国民は国家宗教よりも現代法を支持するようになったのだ。

今の国民は現代法を支持しているのに、政府は国家宗教をやっている。これでは、政府が国民の総意を実現する政治機関ではありえない。今の政府は国民にとって何の役にも立たない。だから、国民は政治機関を取り替えたほうがいい。

[9407] 自然科学と社会科学 h22.1.29
天動説と地動説は、国家宗教と現代法に対応する。
天動説よりも地動説のほうが実際の天体に合っているように、
国家宗教よりも現代法のほうが実際の人間社会に合っている。
天動説で惑星が発見されたとき周天円を加えて修正したように、
国家宗教は古い神でうまくいかなくなったとき新しい神と入れ替えて修正をする。
しかし、そもそも原理が現実の社会と合っていないから、しょせんうまく行かない。
そういうのを「アドホックな修正」(行き当たりばったりでうまく行かない手直し)というのだ。
まちがった社会科学は現実の社会を滅亡させる。
正しい社会科学は現実の社会を繁栄させる。
社会の中に人間が暮らしているだけに、社会科学は自然科学に劣らず人間にとって重要である。

[9408] 国会は無駄[むだ]である。 h22.1.30
政府はその名の通り国家宗教をする機関である。
だから、現代法でやっている国会はたんなる芝居である。政府は現代法の憲法や法律を使わずに置いているだけだから、国会が芝居であっても別に不思議ではない。政府が神武天皇や私が嘘をついたことを使って現代法の憲法や法律を“政府が国会議員を使って国民に対してつかせた嘘”だと見なして、政府は憲法や法律を置いているだけで使っていないのである。
国会は、政府が国民に「政府が国家宗教をやらずに現代法で政治をやっている」と思わせるためにやっている芝居である。
だから、政府がやっていることは国会とは一切関係ない。
国会は、たんなる芝居であり、お芝居をやったらそこでおしまいである。国会議員や政党がいくら国会の中で頑張っても何にもならない。国会の会議は国民に見せるためにやっているだけで、国会での決議が実在の社会に反映されることは永久にない。政府は現代法の政治機関ではないから、現代法で決めたことは芝居だけで実行しないのである。
国会が国を動かしているのではなく、政府が国を動かしているのである。国会が現代法で国を動かしているのではなく、政府が国家宗教で国を動かしているのである。
だから、国会は無駄である。政府にとっては国会は国民を騙[だま]す意義があるが、国民にとっては国会は見てもつまらないお芝居にすぎない。[あるいは、たまに国会は政府の命令で正直に“国家宗教の会議”をすることがあるかもしれない。つまり、国会で“神制度で国民にさせること”を具体的に決めることがあるのかもしれない。政府は国家宗教の政治機関なので、国家宗教で決めたことは芝居ではなく実行するのである。もっとも、私は学生時代からテレビや新聞で国会の様子を見たことがないので、詳しいことは知らない。]
今の政府は国民の眼を気にして国家宗教をやっていないふりをしながら、政府の名前にかけて国家宗教をやっている。今の政府は国民に隠れて国家宗教をやらねばならない。政府にとっては難儀[なんぎ]な時代だ。

[9409] 今の政府は国家宗教をやれない。 h22.1.30
国家宗教の神は、国民みんなが「神に従う契約」をしてこそ神なのであって、契約がなければ神ではない。例えば、世界大戦以前の日本では、国民みんなが神武天皇に従う契約をしていたから、神武天皇は日本の神だった。
ところが、今の政府は神武天皇や私を国の神とすることを国民に公開して国民に了承を得ていないから、今の国民にとっては神武天皇も私もともに神ではない。
だから、今の日本政府が神武天皇や私を神として国家宗教をすることはできない。
正直に言って、今の日本には国の神はいない。
したがって、政府は仕事がない。どうしても政府が仕事がやりたければ、政府が決めた神を国民みんなに公開して国民みんなに了承を得なければならない。
今の政府は国家宗教をやっていないし、現代法もやっていない。今の政府は何もやっていない。だから、そんな会社は要らない。そんな会社は信者にとっても国民にとっても要らない。

[9410] どうして電気やガスは民間会社なのか? h22.1.30
神武天皇と縁[えん]がないからである。
神武天皇の伝記には電気やガスが出て来ないから、神武天皇の神制度では電気やガスは扱えないから、日本政府は電気会社やガス会社をやっていないのである。だから、電気会社やガス会社は民間会社なのである。
鉄道と郵便が最近民営化されたのは、私が引っ込み思案でリーダー気質[かたぎ]ではないし、私が葉書をあまり出さないからである。[[9154] 政府の事業について h21.12.16を参照。]今の日本政府の神は私一人なので、私の神制度では鉄道や郵便が扱えないからそれらが民営化されたのである。
今の国民は国家宗教をやらないから、今の日本政府は日本の政治機関としては不適当である。政治機関は『国民の総意』を実現しなければならないのに、今の政府は『国民の総意』に反して国家宗教をやっているからである。
今日日[きょうび]電気やガスを使わない国民はいないのに、今の政府は電気やガスを扱っていない。つまり、今の政治機関は『国民の総意』とはまったく無関係に政治をやっている。それは、日本政府がそもそも国民の総意を実現する機関ではなく、国家宗教をやる機関にすぎないからである。今の日本には国民の総意を実現する機関はない。しかし、それで困る国民は誰もいない。したがって、『国民の総意』を実現する機関なんて最初から要らないのである。すなわち、政治機関は要らないのである。民間企業だけでいい。たとえ『国民の総意』はあっても、国民の総意を実現する機関は要らないのだ。
鉄道や郵便が民営化されたぐらいだから、その気になれば警察や学校も民営化できるだろう。今の国民は宗教臭い人生が嫌だから、国家宗教をやっている日本政府と縁を切りたいので、民営化を推し進めるに違いない。警察や学校の代わりに自由契約の人権保障会社や塾を国民の手で作ればいい。試験で子供に作文を書かせて人並みの考えができれば会社に入れるようにすれば学校や大学は要らない。しかし、どうしても政治機関が必要ならば、政治機関を作らなければならない。最小限の「国民を管理する機関」は必要なのかもしれない。国民の頭がよければ、それだけいい政治機関ができるだろう。反対に、国民の頭が悪ければ今の政府のような悪い政治機関ができるだろう。だから、外国の先進国に合わせた政治機関にすればいいのである。

[9411] 政府は経済調節をやっているか? h22.1.30
政府は国家宗教をする機関であって、国民の総意を実現する機関ではない。
国の経済調節は国民の総意である。
だから、政府は経済調節をやっていない。
政府は特許の管理もたぶんやっていない。国民から訴えがあればしぶしぶ応じるだけだ。

[9412] 政府がないのと政府があるのとどっちがいいか? h22.1.30
政府は国家宗教をやる機関である。
今の日本では、国民みんなが国家宗教をやる機関に支配されている。
一方、今の日本では国民が犯罪に合う確率は100年生きて1000人に1人である。
だったら、警察も政府も両方ともなくなったほうがいい。
今の国民は宗教が嫌いだから、自分が政府に支配されるくらいなら死んだほうがいいと思うはずだ。

[9413] 日本は神主義の国である。 h22.1.30
政府は国家宗教をする機関である。
今の日本は政府に支配されている。
だから、今の日本は神主義の国である。日本では神が法律である。つまり、国民は政府が定めた神と同じことをして暮らさなければならない。政府は神制度に伴う身分制で国民よりも身分が上の者として国民を奴隷としてこき使って贅沢[ぜいたく]な暮らしをすることができる。政府は神制度で駄洒落[だじゃれ]などを使って自分に有利な法律を好き勝手に定めることができる。国家宗教は非現実的な法律なので、現実世界ではありえない身分制度や立法制度が実現するのである。
神主義は社会主義よりも嫌な主義である。
日本は世界で一番遅れた国である。日本は世界で一番みっともない国である。

[9414] 国家宗教は士農工商と変わらない。 h22.1.30
国家宗教では、政府が国民よりも身分が上であり、政府が国民よりもいい暮らしをすることができる。
公務員を試験採用制にすればフェアと言えるが[もっとも、試験がフェアだとしての話だが。神武天皇が嘘をついたから、たぶん政府が自分の子供に嘘をつかせてカンニングをさせているのだろう。親が息子に汚いことをさせるから、政治家の息子は汚い心の馬鹿息子ばかりなのだ。医学が小学生程度の知的レベルの学問なのも同じ理屈だ。]、上にも述べたように[[9410] を参照。]、政府が神制度でできる仕事には限りがあり、政府がすべての仕事ができるわけではないから、政府と民間会社の間にギャップがありすぎてはいけない。つまり、国家宗教は、徳川幕府の士農工商の身分制度のように現実の社会と合っていないからやってはいけないのである。
政府は何でもできるわけではない。政府ができることは神制度でできることに限られている。つまり政府は神がやったことと同じことを国民にさせることしかできないのだ。だから、政府にも限界があるのだ。

[9415] 政府は嘘つきではない。 h22.1.30
これまでに、日本政府は国民をいろんな嘘[うそ]で騙[だま]して自分に権威があると思わせて国民を政府に従わせてきたと思うかもしれない。政府がこの世に生まれたときからこれまでずっと国民を嘘で騙して国民を支配し続けてきたと思っているかもしれない。
しかし、それは日本政府に対する誤解である。テレビのアクションヒーローもの(例えば、『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』)や時代劇の見すぎのせいで世界観がマンガ化しているのである。その程度の嘘ならとっくの昔に国民にバレているはずである。なぜなら、それぐらいの嘘なら地動説や相対性原理や量子原理よりもずっと易しいからである。人間が考えた嘘など物理学の原理に比べれば見え透いたものである。人間が考えた嘘なら人間がすぐに見破ることができるはずである。嘘で1000年以上も持っている機関があるわけがない。たしかに、昔の国民は今の国民よりも馬鹿だったが、嘘で騙されるほうが馬鹿なら嘘をつくほうも同じくらい馬鹿だった。だから、昔の政府が一方的に嘘で国民を騙して支配したなんてことはありえないのだ。
だから、これまでの政府は全然嘘をついていないのである。国民をまったく騙していないのである。例えば、国家宗教の神武天皇の物語が嘘の作り話であることぐらいは弥生人でも知っていた。国家宗教は、政府と国民がともに嘘を認め合って仲良くいっしょにやっていたのである。
世界大戦以前までは、日本政府も江戸幕府もずっと『国民の総意』に従って政治をやり続けてきた。だから、国民によって長い間支持されていたのである。
しかし、世界大戦以後の政府は『国民の総意』に反して国家宗教をやるようになった。それは政府が国民を騙すためについた嘘ではなく、大戦後の国民がアメリカの指導のために現代法を支持するようになったので政府が仕方なく国民に合わせるためについた嘘である。いわゆる“言い訳”である。政府は本音[ほんね]では依然[いぜん]としてその名に違[たが]わずクソ正直に国家宗教をやり続けているのだ。
世界大戦以後の日本政府が、これまでの日本の歴史にない特異的な状態にあるのだ。これまでの日本は、国民と政府が一体となって政治をやってきた。ところが、今の日本は、国民と政府が噛み合っていないバラバラな状態である。こんな状態のままではいけない。国家宗教よりも現代法のほうが優れた法律だから、国家宗教を法律にする日本政府ではなく『現代法を法律とする政治機関』に日本の政治を任せねばならない。

[9416] 昔の政府はどうして景気がよかったか? h22.1.31
昔の政府が威張って偉そうにして国民を支配していたから政府の景気がよかったのではない。
国民が政府が真面目に仕事をしているのに好感を持って税金を大目に払っていたから、政府が景気がよかったのである。
つまり、昔の政府が『国民の総意』を真面目に実現していたから、政府が国民の人気を得て政府が儲かっていたのである。
だから、今の政府が儲けるためには、『国民の総意』を実現すればいいのである。『国民の景気』を実現すればいいのである。しかし、政府ではできることが国家宗教でできることに限られているから、『国民の総意』を実現するのは難しい。今は戦争の時代つまり国家宗教の時代ではないから、『国民の総意』を実現するには現代法の民主制の政治機関のほうが適している。
第2次世界大戦が終わったときに政府もいっしょに滅びればよかったのだ。[←この文はテレパシーで聞いて書いた。]そのときにちゃんとした現代法の政治機関を作ればよかったのだ。政府が潰れるいいきっかけがあればいいのだが。

[9417] どうしてヒトラーは自分に反抗する者をピアノ線で首吊りにしたのか? h22.1.31
ヒトラーが若い頃に画家だったからである。
ヒトラーは自分を神だと考えていたので、国家宗教に倣[なら]って画家を音楽家に喩えて、自分に反抗する者を音楽に使うピアノ線で首吊りにしたのである。
ドイツが戦争で勝っている間はヒトラーに反抗する者はいなかったが、ドイツが戦争で負けだすとヒトラーを暗殺しようとする者が現れた。ドイツにおける『国民の総意』が戦争に勝つことから戦争をやめることに転じたために、ヒトラーを殺そうと考える者が現れたのである。ドイツが戦争で勝っている間はドイツ人にとってヒトラーは神だったが、ドイツが戦争で負けだすとヒトラーはただの独裁者になったのである。

[9418] 世界中の政府が国家宗教をやっている。 h22.1.31
世界大戦後の日本政府は嘘つきである。
日本政府は、世界大戦後に国民みんなが現代法を支持するようになってから、国民のために嘘をついて現代法の政治の芝居をするようになった。日本政府は国家宗教の政治機関だから、政府が現代法でやったことは芝居だけで終わりであって実行されることがない。日本政府は国家宗教の神である神武天皇や私が嘘をついたことを使って、神制度で国会議員やその他の公務員に嘘をつかせて現代法の政治の芝居をさせているのである。実際には、日本政府は国家宗教の政治機関だから、神武天皇や私を神とする国家宗教をやっているのである。日本政府は神武天皇や私を神とする行政や立法や司法をやっているのである。日本政府は神武天皇や私に合わせた国作りを実際にやっているのである。
日本政府は世界大戦後から嘘つきになったが、ヨーロッパ政府は近代になってから嘘をついている。日本政府はヨーロッパ政府を真似[まね]て、世界大戦後から嘘をつくようになったのである。だから、日本政府はすでに先進国の政府に合わせているのである。
ヨーロッパ政府は、近代になって国民みんなが現代法を支持するようになってから、国民のために嘘をついて現代法の政治の芝居をするようになった。ヨーロッパ政府は国家宗教の政治機関だから、政府が現代法でやったことは芝居だけで終わりであって実行されることがない。ヨーロッパ政府は国家宗教の神であるキリストや私が嘘をついたことを使って、神制度で国会議員やその他の公務員に嘘をつかせて現代法の政治の芝居をさせているのである。実際には、ヨーロッパ政府は国家宗教の政治機関だから、キリストや私を神とする国家宗教をやっているのである。ヨーロッパ政府はキリストや私を神とする行政や立法や司法をやっているのである。ヨーロッパ政府はキリストや私に合わせた国作りを実際にやっているのである。
日本国民やヨーロッパ国民は、政府の芝居にすっかり騙[だま]されているわけである。
国家宗教の政治機関である日本政府やヨーロッパ政府がいまだに生き残っているのは、国家宗教の神が嘘をついたことを使って政府が付属機関の職員に嘘をつかせて現代法の政治の芝居をさせているからである。実際には、日本政府もヨーロッパ政府も国家宗教をやっているのである。日本政府やヨーロッパ政府がいまだに国家宗教をやっている証拠は、政治機関の名前が「政府」だからである。政府が政府であるかぎり、国家宗教をやるしかないのである。殺し屋の仕事が人殺しであるように、政府の仕事は国家宗教しかないのである。ただ、ヨーロッパでは国民の目が厳しいから日本ほど政府があからさまに国家宗教をやっていないようである。日本では政治機関が国家宗教をやめたら、幕府や民主府のように政治機関の名前を変えねばならない。ヨーロッパでも今後政治機関が国家宗教をやらなくなったら政治機関の名前が変わるだろう。
このことは、日本やヨーロッパだけではない。世界中の国がそうである。世界中の国の政府がいまだに国家宗教で政治をやっている。世界中の国の政府が国民に対して現代法の政治の芝居をやっている。世界中の政治機関を政府(国家宗教の政治機関)から現代法の政治機関に変えねばならない。世界中の国民が今の政府を潰して新しく現代法の政治機関を作らねばならない。このままでは税金が無駄だ。政府に国を非現実的な異常な世界にされるだけだ。だから、早く政府を潰さねばならない。国民に対して政府が嘘をついていることがバレたら政府は潰れるしかない。

[9419] 政府はまじめに国家宗教をやっている。 h22.1.31
政府は国家宗教の政治機関である。
だから、政府の仕事は国家宗教をすることである。
国家宗教の神は嘘をついたことがある。
だから、政府は国民に嘘をつかせることができる。
だから、政府は国会議員やその他の公務員に嘘をつかせて現代法の政治の芝居をさせている。
政府の国民に対する仕事はそれで終わりである。
政府が現代法で仕事をしたら、もはや政府ではなくなってしまうので、政府は現代法では仕事ができないのである。
国民は政府の芝居を見て、政府が現代法の政治の仕事をしてくれていると思って満足している。
政府は“国家宗教で”国民に現代法の芝居を見せて喜ばせてやっているのである。[政府がやっていることは、現代法で解釈すれば詐欺行為で有罪だが、国家宗教で解釈すれば神と同じことをやっているのでむしろ善[い]いことである。政府は国家宗教の政治機関だから、国民に嘘の芝居を見せることを当然のことだと思っているのである。]
一方、政府は、国民にわからないように“国家宗教で”余計な悪戯[いたずら]をチョロチョロやっている。例えば、政府は国家宗教で事件を起して人殺しをしたり、私アニメを作ったりしている。
だから、政府はちゃんと“国家宗教”をやっている。
したがって、国民は政府に対して文句は言えない。
政府は国家宗教の政治機関だから、政府に政治をさせても現代法の芝居か人殺しぐらいしかしてくれない。
政府に政治をさせても無駄である。税金が無駄である。政府の命令に従っても無駄である。
政府は、国家宗教で解釈すれば国民よりも身分が上の偉い人々だが、現代法で解釈すれば偉くもなんともないただの犯罪組織である。政府は国家宗教の政治機関だから、政府は自分たちが国民よりも身分が上だと思って国民を好き勝手に弄[もてあそ]んでいるのである。一方、国民は現代法を守っている現代法の政治機関だから、国民にとって政府は自分たちで決めた“変なルール”(国家宗教のこと)で犯罪を犯している犯罪組織にすぎない。
だから、国民は政府に従わず政府を早く潰して、国の政治機関を現代法の政治機関にするかいっそのこと政治機関をなくしてしまったほうがいい。民営の「現代法で加入者を管理する会社」を作れば政治機関は要らない。大きな電気会社が日本に一軒あると考えればいいのである。今どき電気を使わずに生きて行くのは無理だから、国民全員がその会社と契約しなければならない。法律で加入者を管理する会社すなわち加入者の人権を保障する会社もそれと同じことである。

[9420] スタートレック「タロス星の幻怪人」 h22.1.31
ジーン=ロッデンベリーがAAA(トリプルエース、最重要極秘事項)に指定した作品である。
美人のビーナが現代法の政治で、片輪[かたわ]のビーナが国家宗教の政治の喩えである。幻怪人は政府で、パイク大佐は国民の喩えである。タロス星はアメリカの喩えだが、一般にどこの国についても当てはまる。メンデル准将は話に落ちを付けるためにいるだけである。
ジーン=ロッデンベリーは、「今はまだ国民の大半が政府が現代法をやるすばらしい政治機関と思っていて政府を支持している」と考えたので、話の内容をSFの喩え話にして伏せたのである。

[9421] 勧善懲悪の徳川幕府 h22.2.1
国家宗教の下[もと]では、悪人が栄えて善人が滅ぶ。
反対に、律令制や現代法の下では、善人が栄えて悪人が滅ぶ。
この世は善人と悪人の戦いなのだ。
本居宣長[もとおりのりなが]は古事記のことを「ものの哀れの心」と言って馬鹿にして徳川幕府にお世辞[せじ]を使ったが、徳川幕府が勧善懲悪の政治機関だから許[ゆる]ーーーす。
幕府が勧善懲悪の政治機関だとすれば、反対に政府は勧悪懲善の政治機関だ。
この世が悪人ばかりになればもはやこの世はおしまいである。
文明が衰退し、貧困や食糧不足や汚い病気が蔓延する苦しみの多い社会になる。
国家宗教を支持する者は、若者じみた馬鹿げた考えをやめて、人間として真面目に生きるべきだ。
中世のヨーロッパでは国家宗教をやりすぎて暗黒時代だった。現代に生きる私たちはその教訓を活かさねばならない。

[9422] どんな時代にも悪人はいる。 h22.2.1
今の時代には悪い人間がいるが、江戸時代にも悪い人間はいた。
国家宗教で悪いことをすると、かなり悪いことができて被害が大きい。
律令制で悪いことをすると、少し悪いことができて被害がそこそこある。
現代法で悪いことをすると、ほとんど悪いことができなくて被害が小さい。
社会で通用している法律が優れているほど、悪人が悪いことがやりにくくなって国民への被害が小さくなるのである。

[9423] どうして政府は国民から税金を取っているのか? h22.2.1
政府は国家宗教をする政治機関である。
政府は国家宗教で現代法の芝居や人殺しをしている。
政府は国家宗教をやっているから、国家宗教に伴う身分制が生じて、政府が国民よりも身分が上になるので、政府は身分制を使って国民から税金を取っているのである。
だから、政府が国家宗教をやらなければ、政府は国民から税金を取れないのである。
しかしながら、現在の日本においては、国家宗教をやっているのは政府と少数の日本神道の信者だけで、他の国民は現代法をやっている。
だから、政府が身分制を国家宗教をやっていない国民にまで適用することはできない。[[9218] 政府は民間宗教団体である。 h22.1.1 を参照。]
したがって、政府は国民から税金を取ることはできないのである。
日本では、政治機関が国家宗教をやっていなければ政府とは言わない。今の日本の政治機関が政府という名前なのは、国家宗教をやっている証拠である。だから、政府は国民から税金が取れないのである。
政府が現代法の芝居をするのは、国民が国家宗教をやらないことを政府が認めているからである。つまり、政府自身が国民が政府に従わなくてもいいことを認めているのである。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。だから、税金を払わなくてもかまわない。
たとえ税務署の役人が家に税金の取立てに来ても、「私は日本神道の信者ではありません」と断れば撃退できるだろう。日本政府が国家宗教の政治機関であるかぎり日本政府は現代法を実行することができないから、いくら今の日本政府の税法に税金の取立てが規定されていても、日本政府が現代法の法律に基づいて税金の取立てを行うことはできないのだ。日本の法律はしょせんハッタリにすぎないのである。日本の法律は国民の訴訟のためにあるのであって、政府自身は使えないのである。国民の訴訟についても、裁判所は政府の付属機関だから、政府の裁判所だけでは現代法を実行することができず現代法に基づいて被告人を処罰することができない。被告人が処罰されるためには、必ず被告人の同意が必要なのである。つまり、被告人が自分の有罪を認めないかぎり被告人は永久に処刑されないのだ。この手を使えば国民がいくら法律を犯しても処罰を免れることができる。これでは、もはや日本は法治国家であるとは言えない。
国民が現代法を支持している国においては、国家宗教の政治機関は変わっているだけで偉くもなんともない。現代法の国においては、国家宗教の政治機関の命令を聞く者は誰もいない。
国民が現代法を支持している国では、政治機関が国民から税金を取りたければ、政治機関は国民と同じ現代法で政治をするしかない。それができなければ、政治機関は国民から税金を取ることができない。
今の日本にはまだ現代法の政治機関はできていない。だから、国民は当分税金を払う必要がない。政治家に頭を下げる必要はない。

[9424] 眼先で見るな頭で見よ! h22.2.2
いくら市役所の職員が眼で見て真面目に仕事をしているからといって、いくらテレビや新聞で国家議員が現代法の政治の芝居をしているからといって、それに惑わされてはならない。国会議員が政府のすべてではない。国会議員を見ただけで、政府のすべてがわかるわけではない。「国会議員の芝居」を見るよりも、『実際に政府がやった仕事』を見たほうが本当の政府がよくわかる。
日本政府はその名の通り『国家宗教の政治機関』である。そう考えれば、これまでに日本政府がしてきたことがすべて説明が付く。
国民が日本神道の信者でなければ、政府とは縁[えん]がないから政府に従う必要はない。
そもそも政治機関が真面目に現代法で政治をやらないのが悪いのである。国民が悪いのではない。国家宗教は2000年前の古臭い法律である。現代には現代にふさわしい国民と政治機関でなければならない。

[9425] 法律とは何か? h22.2.2
法律とは人間社会に対する理解である。
日本では、原始社会の法律のない状態から始まって、国家宗教→律令制→現代法と法律が進化してきた。
政治機関はその時代の社会に合った法律を採用してきた。人間社会が進化するのに伴って法律も進化してきた。原始社会に現代法が適用できないように、現代社会には国家宗教は適用できないのだ。[工学がその時代の文明に合った物理学を採用してきたのと同じだ。文明の進化に伴って物理学も進化してきた。近代の文明には量子力学が適用できないように、現代の文明には古典力学が適用できないのだ。]昔はみんなが裸で外で寝ていたから、法律なんかあってもなくてもどうでもよかった。生活がある程度文明的になってはじめて、法律は役に立つのである。人間社会が発展して複雑化するのに伴って法律も発展して複雑化してきた。人間社会と法律は相互に作用し合ってともに成長するものである。
法律がないことは、人間社会に対する理解がないことだから、人間にとって善[よ]いことではない。
ところが、今の政治機関(つまり政府)は国家宗教を採用していて、今の時代に合った法律を採用していない。だから、今の政治機関は今の社会を扱えない。今の政治機関は社会の進歩を促すどころか、かえって遅らせるだけだ。今の政治機関は社会の発展を妨害している。だから、国民は政府の言いなりになってはいけない。国民は政府から独立して、自分自身で考えて行動しなければならない。
一般に、馬鹿の学問は実在と合っていないから面白くない。例えば、国家宗教は実在の社会と合っていないから面白くない。もっと頭に気合を入れて考えれば、実在と合って来て面白くなる。

[9426] 神や政府は偉いか?☆☆ h22.2.2
国家宗教は古い法律である。
神や政府は、古い法律の中で偉いだけである。
国家宗教はまちがった法律である。[フロギストン説(燃素説)やカロリック説(熱素説)がまちがっているのと同じことである。]
そもそも法律がまちがっているから、神や政府は偉いことにはならない。
したがって、国民は神や政府には従わなくてもかまわない。


[9427] 人間の価値 h22.2.2
現代は『科学』の時代である。
だから、現代においては、人間の価値は『観察と帰納』によって決めねばならない。
しかし、今の人間の価値は「観察」だけで決まっている。

もっと、人間についての『帰納的(機能的)な概念』で人間を見なければならない。『帰納的な概念』で人間の価値を決めねばならない。
人間の価値が「身体の美しさ」しかないのではいけない。
例えば、人間の価値は『知覚に持っている正しい考え』によって決まるのではないだろうか?

[9428] 現代法軍と国家宗教軍の戦い h22.2.3
現代の日本は、国民と政府の戦い、つまり現代法軍と国家宗教軍の戦いと見なせる。
国民は国家宗教の芝居をしないが、政府は現代法の芝居をしている。
だから、現代法軍のほうが優勢なのだ。国家宗教軍のほうが劣勢なのだ。
したがって、今なら現代法軍が国家宗教軍を攻撃すれば勝てる。
政府は現代法の芝居をしているだけで、現代法を実行していない。だから、政府は現代法の政治機関ではない。政府は国家宗教で政治(つまり行政、立法、司法)をするだけで、現代法で政治をしない。これでは、税金が無駄である。国民は政府を支持する理由がない。国民にとって政府は要らない。国民にとって必要なのは、現代法の政治機関であって国家宗教の政治機関ではない。警察や消防は現代法の政治機関にもできる。国民にとって国家宗教の政治機関は、平和な生活を脅[おびや]かす悪の機関にすぎない。
だから、国民は政府に税金を払わずに政府を倒せばいい。場合によっては、物理的攻撃に訴えてもいい。
国家宗教が現代法よりも実在の社会に合っていないことは明らかである。国家宗教が現代法よりも劣った法律であることは明らかである。国家宗教軍が勝っても日本はいい国にはならない。だから、国家宗教軍には現代法軍と戦う理由はないはずだ。国家宗教軍は素直に負けを認め、現代法軍に降伏せよ!すなわち、政府は国民に降伏せよ!国家宗教はまちがった法律なのだから、そんなものを守ることに意義はない。さっさと捨てろ!
国民も、現代法が国家宗教よりも正しいと思うなら、政府と戦え!政府を潰せ!政府は、いまだに国家宗教が現代法よりも正しいと思っているまちがった連中なのだ。『正義が勝つ』なら、国民は政府に勝てるはずだ。

[9429] 国家宗教はどうして生まれたか? h22.2.3
国をまとめるための一番簡単な方法は、国のリーダーを一人決めて、リーダーの命令で国民みんなが動くことである。つまり、君主制である。君主制では、君主が国の法律である。
原始社会では今日[こんにち]の現代法のような『客観的な社会法則』(いわゆる人権)の概念がなかったので、とにかく国民みんなが闇雲[やみくも]にリーダーの命令に従ったのである。その結果は、当然うまく行かなかった。
そこで、昔の人は君主制を改良?して国家宗教を作った。
国家宗教は、架空または実在の国のリーダーを政府が適当に一人決めて、政府が国民みんなにそのリーダーと同じことをさせることである。政府がそのリーダーに合わせた国を作ることである。
国家宗教では、国のリーダーが直接に国民に命令をしない。そこが君主制との大きな違いである。
国家宗教も君主制と同じように『客観的な社会法則』の概念がないから、うまく行かないのは当然である。
やはり、現代法のように『客観的な社会法則』をいくつか認めて、それらを守りながら、誰か国の代表者が国民に命令を出すようにしなければならない。そうすれば、大きなまちがいを避けられて、うまく政治をすることができる。
政治機関は政治ができてはじめて国民から政治料金(税金)を取れるのであるから、国民から政治料金を取るためには上手に政治ができねばならない。政治機関の政治が下手糞すぎたら、国民から政治料金を取れない。そのためには、政治機関は君主制や国家宗教よりも現代法を法律にしなければならない。

[9430] どうして明治時代の日本人は国家宗教を法律にしたのか? h22.2.3
幕末に日本はアメリカと出会った。
アメリカは現代法をやっていた。
現代法には『客観的な社会法則』(いわゆる人権)がある。
つまり、現代法では「国民を殺してはいけない」ことになっている。
一方、当時の日本人はアメリカ人からアジアの情勢を聞いて、今なら日本が戦争をしてアジアを支配できると思った。
しかし、現代法では国民が自分の生存権を守らねばならないから戦争ができない。日本では『武士道とは死ぬことと見つけたり』だから、日本人は戦争を自分が死ぬことと捉[とら]えていたのである。外人は自分の欲望を満足するために戦うが、日本人は自分が死ぬために戦うのだ。外人は文明に物を言わせて戦争に勝って来たが、日本人は度胸だけで戦争に勝って来たからである。
そこで、当時の日本人は、現代法よりも国家宗教を法律にすることを選んだのである。国家宗教には生存権がないし、国家宗教の神は神武天皇で、神武天皇は軍人だったので、国家宗教では日本人は神と同じことをして戦争ができるからである。
それで、日本人は国家宗教の政治機関である日本政府を再びこの世に甦[よみがえ]らせたのである。
世の中はすべて『理屈』である。いつの時代にも人々は『理屈』を守りながら暮らしてきたのだ。

[9431] 政府はどうして戦後生き残ったか? h22.2.3
政府が嘘をつけるからである。
国家宗教の神である私や神武天皇が嘘をついたことがあるから、政府は国会議員やその他の付属機関の職員に嘘をつかせて現代法の芝居をさせて国民の眼を欺[あざむ]くことによって生き残ったのである。
世界大戦後は、日本人は戦争をする気がなくなったから、国家宗教を法律としなくなった。現代法を法律とするようになった。今の日本人は国家宗教ではなく現代法を支持している。
一方、政府は戦前と同じように国家宗教の政治機関のままである。政府の名前がその証拠である。政府とは“政[まつりごと]をする府”つまり国家宗教をやる政治機関のことである。『国家宗教をやる政治機関』と会社の表札に書いてあったら、国家宗教をやるしかないのは当然である。
『巨人の星』の大リーグボール2号は消える魔球である。野球のボールは白くて光るから、神武天皇の国家宗教のことである。[湯川秀樹が中間子をキャッチボールに喩えたのは、国家宗教とコネるためである。]だから、消える魔球とは、世界大戦後政府が国家宗教をやめたことである。消える魔球を消した砂ぼこりとは、日本国憲法のことである。しかし、消える魔球はじつは消えていないから、政府は今でも国家宗教をやり続けているのだ。[魔球は国家宗教のことである。大リーグボール1号は古墳時代に政府が神武天皇の国家宗教を始めたことである。神武天皇は日本人の心を打つ神だったのである。大リーグボール3号は、世界大戦後の政府が私(3号→3ゴウ→川ブ(ゴ≒ブ)→川野延夫[かわののぶお](私の名前))や神武天皇の国家宗教を国民にわからないようにチョロチョロとやっていることである。私は日本人の心を打たない神である。投手の飛雄馬はhumanで人間だから政府の政治家のことで、捕手の伴宙太は国家宗教を政府といっしょになってやっている国民のことである。魔球が打たれるとは、国家宗教が潰れることである。1号を打ったのが花形とオズマだったのは、昭和天皇とアメリカ軍のために日本が戦争に負けて神武天皇の国家宗教をやめねばならなくなったことを表している。2号が花形に打たれたのは、昭和天皇の人間宣言でますます国家宗教がやれなくなったことを表している。3号が伴に打たれたのは、世界大戦後現代法を支持するようになった国民の目のせいで政府が国家宗教を一切やれなくなったことを表している。しかし、じつはその後も政府は国家宗教をやっている。つまり、3号が伴宙太に打たれたのは嘘だったのである。政府は私や神武天皇が嘘をついたことを使って、梶原一騎[かじわらいっき]に嘘をつかせたのである。]
日本人は政府の幼稚な“嘘つきのトリック”を見破って、早く政府をこの世からなくさなければならない。

[9432] 国民は政府よりも上の者である。 h22.2.3
今の政府は現代法の芝居をやっている。だから、国民は政府よりも上の者である。[政府が現代法の芝居をやっているから、政府は国民よりも下になるのだ。政府は自業自得だ。そういうのを下手な芝居というのだ。]
だから、政府が国民の役に立たなければ、国民は政府に政治料金を払わなくてもかまわない。
ところが、今の政府は国家宗教の政治をやっている。現代法の政治をやっていない。今の政府にできることは、現代法の芝居か人殺しぐらいである。
だから、今の政府は国民にとって役に立たない。税金が無駄である。

したがって、国民は政府に政治料金(税金)を払わない。政府は国民よりも下なので、国民に文句を言えない。

[9433] マニ教はどうして滅んだか? h22.2.3
マニ教は世界中の宗教を集めて作った宗教である。
だから、マニ教では世界中の宗教でできることができる。マニ教の信者は、世界中の神がしたことと同じことをすることができる。
マニ教はもっとも自由な宗教である。
しかし、それでは自由すぎてもはや国家宗教を言うよりも無秩序である。マニ教の国は原始時代の無法地帯である。
国が自由になりすぎると、もはや人間が暮らすことができない。
だから、マニ教は滅びたのである。
法律は自由であることよりも秩序を重んじるべきである。
人間に秩序があってこそ、人間に自由があるのである。つまり、人間が守るべき事を守るからこそ、人間は自由に生きていけるのである。

[9434] フジテレビと東京都庁 h22.2.4
フジテレビの本社の建物は、私が中学生の頃に持っていたオモチャである。金属製の穴の開いた棒状のパーツをボルトやナットでつなげて組み立てるブロックが当時はあった。
東京都庁は、ガウディのサグラダ・ファミリアである。私が医学生の頃に本屋で講談社現代新書の下村純一著「不思議な建築 甦ったガウディ」の本を買って高知に帰省するときに船で読んだことがある。
フジテレビの本社も東京都庁も、政府が私の国家宗教で作らせた建物である。
今の日本の商店街がヌラヌラした女っぽい感じがするのも、私が赤ちゃんの頃に女の子に多い股関節脱臼にかかっていたことと、小学4年生のときに母親の鏡台で口紅を塗って遊んだことがあったからである。私が小学生の頃の高知市の商店街は、コンクリートのブロックがむき出しで男っぽい荒々しい感じだった。
日本政府は、私の国家宗教で日本を私に合った国にしているのである。[一体何のために?]

[9435] どうしてヨーロッパ人は親切なのか? h22.2.4
ヨーロッパはキリスト教の国である。
キリストは弱い者に対して親切で優しかった。
だから、キリスト教の国では、政府が国民にキリストと同じことをさせるから、ヨーロッパの国民はみんな親切なのである。それで、ヨーロッパでは、弱い者が有利に生きていけるのである。
しかし、日本はキリスト教の国ではないから、日本ではキリスト教の信者が少ないから、日本でキリスト教に入っても、自分が弱い者に親切にしなければならないだけで、他人から親切にされることがない。
だから、日本では、キリスト教に入っても、いいことがないのである。

[9436] 日本政府は日本国民にとっての政治機関ではない。 h22.2.4
日本政府は国家宗教の政治機関である。
日本政府は現代法の政治機関ではない。
だから、日本政府にできることは国家宗教の制約の下[もと]でできることに限られている。
一方、今の日本国民は現代法の制約の下で生きている。
日本政府の夢と日本国民の夢とは違っている。
そのために、現代法では実現できることが国家宗教では実現できなかったり(例、現代法の芝居)、反対に現代法では実現できないことが国家宗教では実現できたりする(例、人殺し)。
国家宗教は余計な制約である。
日本政府に政治をさせると、国民の総意が実現されず、税金が無駄になる。
日本国民とは違う法律に従っている日本政府は、国民にとっての政治機関ではない。
せめて、国民と同じ法律に従っている政治機関に政治を任[まか]せなければならない。

[9437] 政府に従うべきか逆らうべきか? h22.2.4
政府はその名の通り国家宗教をする政治機関である。
だから、自分が法律として国家宗教を支持するなら政府に従うべきだ。
自分が法律として現代法を支持するなら政府に逆らうべきだ。
法律としては現代法は国家宗教よりも優れているから、おおかたの国民は現代法を支持するだろう。
現実の社会と合っているのが正しい法律であり、現実の社会と合っていないのがまちがった法律である。
神がやったことなら何をやってもいいとする国家宗教は、現実の社会と合っていないから、まちがった法律である。
現実の社会についての観察と帰納から作り出された現代法は、現実の社会と合っているから、正しい法律である。
国家宗教は現実の社会に合っていないから、国民は国家宗教を法律としている政府に従ってはならない。
現代法は現実の社会に合っているから、国民は現代法を法律としている民主府(予定)に従わねばならない。

それが論理的結論だから、国民はこの結論に従わねばならない。

[9438] 法律は社会に合わせて選ぶべきである。 h22.2.4
現実の社会と合っているのが正しい法律であり、現実の社会と合っていないのがまちがった法律である。
明治から世界大戦以前までは日本は軍事国家だった。
軍事国家では、国民は戦争をしなければならないので、戦争に適した法律を選ばねばならない。
国家宗教は戦争に適した法律なので、当時の日本では国家宗教が法律だったのである。
しかし、今の日本は軍事国家ではない。今は世界的に戦争の時代ではない。
だから、今の日本は国家宗教が適さない。今の日本には現代法が適している。
したがって、今の日本は現代法を法律としなければならない。

[9439] どうして昔の法律は国家宗教だったのか? h22.2.4
昔は本がなかった。たとえあってもわずかしかなかった。
本があれば憶える必要がないが、本がなければ憶える必要がある。
だから、昔の法律は人間にとって記憶しやすいものでなければならない。
それには、おとぎ話が適している。
それで、昔の法律はおとぎ話形式の国家宗教だったのである。
それなら、国民みんなが憶えられるので国民みんなが守ることができる。
君主制は、そのときそのときに応じて君主(国のリーダー)が国民に命令を出せばいいだけなので、これまた記憶が要らない。
だから、昔の法律は君主制か国家宗教だったのである。
しかし、今はどこにでも本がある。本があれば見ながらできるので憶える必要がない。
だから、今ではたくさんの箇条書きの条文からなる現代法が法律になっているのである。
現代法は、人間が憶えなければならない制約がないぶん、現実の社会に合ったいい法律にできるのである。
もっとも、現代人は現実の社会から自分で観察し帰納して法律を作っているから、文になった現代法なんか知らないが。
もちろん、法律を仕事にしている人は、言葉で他人に伝えなければならないから文になった現代法を知っていなければならない。

[9440] 理想の政治機関とは? h22.2.4
政治とは国民の総意を実現することである。
しかし、国民の総意は必ずしも国民全員の意思ではない。
それなら民間企業がやればいい。
民間企業の企画が、大勢の意思であれば儲[もう]かるが、少数の意思であれば儲からない。
じつは、今の政治機関(つまり政府)の行政は、国民の総意を実現しているのではなく、国家宗教をやっているのである。
だから、政治機関が国家宗教をやらなければ、行政はやる必要がない。やってはならない。
したがって、政治機関は立法と司法だけすればいい。
国民の総意を実現することは民間企業がやればいい。電気会社や航空会社が民間企業なら、たいてい民間企業で何でもできるだろう。
しかし、民間企業は自分の儲けしか考えない。
自分の仕事から生まれる問題について考えない。自分の仕事が国民に与える被害について考えない。
そこで、そういう問題について法律的に処理する機関が必要である。
それが政治機関である。
だから、国民にとって政治機関は必要である。
だから、政治機関は仕事として成り立つ。
したがって、政治機関は国民からお金を取って経営できる。
つまり、政治機関とは国民および会社の警察だと考えればよい。

[9441] どうして現代では戦争がなくなったのか? h22.2.4
戦争がなくなったのは、現代法が世界中に浸透して行ったからである。世界人権宣言に述べられているように、世界中の人間が、自他の人権を守りながら生きるようになったので戦争がなくなったのである。
現代法は近代科学のように現実の社会についての観察と帰納から作られた正しい法律なので、世界中に広がったのである。
現代法が広がったために、古臭い時代遅れのまちがった法律である国家宗教が追いやられてなくなっているのである。
政府は国家宗教をやる政治機関である。だから、もうじき、政府もなくなるだろう。

[9442] 神武天皇が日本を盗[と]ったのではない。 h22.2.5
年寄りには、昔神武天皇が日本を盗ったと思っている者がいる。神武天皇が出世して日本を盗ったから、神武天皇が日本の神と言われるようになったと思っている者がいる。
でも、それなら、今の私は日本を盗っていないから、私が神と呼ばれる理由がわからない。
それに、そもそも昔の日本に神武天皇という人がいて日本を盗ったのではなく、昔の日本は各地の豪族が争ってなかなかまとまらなかったから、架空の神武天皇を日本人みんなが従う神に決めて、神武天皇のおとぎ話を作ってそれを日本人みんなが守る法律にして日本を統一したのである。だから、神武天皇が実際に日本を盗ったわけではないのである。
年寄りが神武天皇が本当にいたと思っているのは、戦前の社会科の教科書には神武天皇の話が載っていたからである。[私は子供の頃に父親が持っていた古い社会科の教科書(参考書?)に神武天皇の話が載っていたのを見たことがある。]日本政府は神武天皇が嘘をついたことを使って社会科の教科書に神武天皇がいたという嘘を載せたのである。

[9443] 幕府から政府へ h22.2.5
明治維新の前後で日本の政治機関が幕府から政府に変わったのは、「政府」が「幕府」を倒したからではなく、『日本の政治機関』が法律を律令制から国家宗教に変えたと見なすことができる。政府軍が幕府軍を倒した戦争(戊辰[ぼしん]戦争)は、国民に時代交代を納得させるための演出だったのである。だから、戦いの規模が小さかったのである。
いつの時代にも国には『政治機関』があって、『国の政治機関』がその時代の社会に合った法律を選択して使っているのである。
だから、日本の政治機関は、徳川時代には律令制を、明治から世界大戦以前までの軍国時代には国家宗教を、そして戦後は現代法を法律に使わなければならない。
しかし、いまだに日本の政治機関は戦前の国家宗教を使っている。今の政治機関は法律の選択をまちがっている。だから、今の政治機関はさっさと法律を国家宗教から現代法に変えて、名前を政府から別の名前に改めるべきである。

[9444] どうして徳川家康は天皇を殺さなかったか?☆ h22.2.5
それは、政府が幕府をやっていたからである。
政府は国民につき動かされて日本の法律を国家宗教から中国の律令制に変えただけだったのである。
政府は神武天皇が嘘をついたことを使って、国民に嘘をついて表向きに幕府をやっていたのである。
江戸時代には、政府は徳川家と天皇の二人を神として国家宗教をやっていたのである。徳川家を主の神として天皇を副の神として国家宗教をやっていたのである。徳川家は侍[さむらい]だったから、日本各地の城が侍みたいな格好をしているのである。徳川時代に遊郭が多かったのは、徳川家がスケベだったからである。
江戸時代には、幕府=政府は律令制をやっているふりをして、実際には国家宗教しかやっていなかったのである。ただし、神は神武天皇と徳川家の二人である。それは、キリスト教がモーゼとキリストの二人を神としているのと同じである。[最近のマンガやアニメで私を主役に天皇を悪役にして天皇が私に負ける話をしているのは、江戸時代の花火屋の玉屋(神武天皇の光の玉だから、神武天皇の喩え)が鍵屋(鍵は扉[とびら]を“閉める”物だから、天皇制に“幕を下ろした”幕府の喩え)に負けたのと同じことである。だから、今の政府が私と神武天皇の二人を神としているように、江戸時代にも政府は徳川家と神武天皇の二人を神にしていたのである。今の政府が国家宗教で現代法の芝居と人殺しをしているように、江戸時代の政府=幕府も国家宗教で律令制の芝居と人殺しをしていたのである。]
“政府”が“幕府”に名前を変えても国家宗教をやめたわけではない。幕府は幕の内側で密かに国家宗教をやっていたのである。名前は当てにはならない。だから、今後、政治機関が“政府”から別の名前に変えても国家宗教をやっていない証拠にはならない。[「幕の内弁当」は、弁当は白いご飯で神武天皇の光る玉の喩えだから、幕府が国民の眼の届かない幕の内側で国家宗教をやっていることを風刺しているのである。今でも幕の内弁当が売られているから、今の政府も国民の眼の届かないところで国家宗教をやっているのである。]
政府は自分が嘘をつけることを使って、時代に応じて神武天皇に新しい神を付け加えることによって、これまで長い間国民の目を欺[あざむ]いて生き残ってきたのである。
政府は自分が『嘘をつく』ために、どうしても『神武天皇』を残さなければならなかったので、徳川家は天皇家を殺さなかったのである。たしかに徳川家も嘘をついたかもしれないが、嘘をついたことが国民に対して公[おおやけ]になっているのは神武天皇一人だけなので、神武天皇をどうしても残さなければならなかったのである。

[9445] Wikipedia h22.2.5
いわゆるインターネット図書館である。
政府が行政でやれば、人々の寄付に頼らなくてもやって行けるはずである。[私も寄付をしなかったが。]
しかし、政府が国家宗教の機関であって現代法の機関ではなく、私があまり図書館に行かないので、政府は行政ではインターネット図書館はやれないのである。
もっとも、それだからこそ面白いのかもしれないが。お金をかけるからといって必ずしもいい物ができるとは限らない。特に言葉の世界ではそうである。

[9446] 国家宗教は面白くない。 h22.2.5
国家宗教は、神と同じことなら何をやってもかまわない。
国家宗教には、人権の概念がない。
だから、政府が国家宗教をやると、国民のいくつかの人権が侵される。
一方、現代の国民は人権を守りながら生活している。
だから、現代の国民は人権が侵されることを面白くないと思う。
したがって、現代人にとって国家宗教は面白くない。現代人にとって国家宗教をやる政府は面白くない存在である。
政府も国民に嫌われてまで国家宗教を守る必要はない。国家宗教を守っても特に得にはならない。国家宗教はまちがった法律だから、国家宗教を守っても偉いとは思わない。まちがいを守ろうとする奴[やつ]は嫌な奴である。このまま政府が国民に嫌われ続けると、政府は経営できなくなる。
現代法でやっても政治機関は「国民や会社を法律で管理する会社」としてある程度儲けることができる。[[9440] 参照。]
それなら、政府は国家宗教ではなく現代法を法律に採ってやればいい。

[9447] 国家宗教の怖さ h22.2.5
国家宗教をクリスマスやお正月のような祭りのことだと思っている者がいる。
そういう人は国家宗教が何のことだかわかっていない。
国家宗教は、「神がやったことと同じことなら何をやってもいい」とする法律のことである。
江戸時代以前には、日本は本当に国家宗教をやっていたのである。
国家宗教の時代には当然世の中が乱れる。
それがどんなものかは、例えば『二条河原の落書[にじょうがわらのらくしょ]』を読めば具体的に知ることができる。

[9448] 国家宗教は古いまちがった法律である。 h22.2.5
現代法の世界の中に国家宗教があることは、地動説の世界に中に天動説があるようなものである。
今では地動説が正しいことが常識であるように、現代法が正しいことも常識である。
天動説を信じる者が馬鹿にされるように、国家宗教を信じる者も馬鹿にされる。
したがって、国民は国家宗教をやっている政府を馬鹿にすべきである。

[9449] 国民は税金を払うべきではない。 h22.2.5
税金は、政府が国家宗教をやるための費用である。
ところが、国民は国家宗教に反対である。国民は現代法に賛成であり、国家宗教に反対である。
だから、国民は政府に税金を払うべきではない。
政府が国民から税金を貰[もら]うためには、現代法をやらねばならない。

[9450] 日本神道の信者は1億600万人?! h22.2.6
Wikipedia「神道」によると、日本神道の信者は1億600万人である。日本の人口は約1億3000万人だから、日本人の約8割が日本神道の信者であることになる。
これは、嘘の数字である。
日本政府が、神武天皇や私が嘘をついたことを使って、嘘を書かせたのである。
実際には、国家宗教を法律にしている国民はほとんどいない。日本政府が国家宗教を法律にしているだけである。だから、日本神道の信者は約400万人(公務員の人数)である。

[9451] 民間宗教について h22.2.6
民間宗教も宗教と名が付くからには国家宗教と同じである。ただし、民間だから自由加入制である。
つまり、民間宗教も宗教をやっている。すなわち、神を決めて、神と同じことなら何をやってもいいことにしている。ただし、民間だから、神制度が通用するのはその宗教団体の中だけである。
例えば、民間宗教の神はたいてい嘘つきである。だから、民間宗教の政府(幹部)は信者の誰かに嘘をつかせて、他の信者を騙[だま]している。民間宗教の政府が信者を騙して信者からお金を盗ったり土地を盗ったり命を盗ったりしている。しかし、それが宗教界の決まりだから、たとえ信者が騙されても誰にも文句は言えない。
だから、そもそも宗教に入るのがいけないのである。宗教が何であるかをよくわかった上で、宗教に入らなければならない。私なら、そんな何をされるかわからない危険な会には入らない。奴隷になりたい人は入ればいいかもしれない。

[9452] なぜ公務員の給料(人件費)はいいか?参考 h22.2.6
日本神道の神である神武天皇や私が嘘をついたことを使って、政府の公務員は自分が働いていないのによく働いたことにして国民から高い税金を取っているからである。国家宗教に伴う身分制によって、政府の公務員は国民よりも身分が上の者になるから、政府の公務員は自分を国民よりもいい待遇にしているのである。
しかし、今の国民は国家宗教をやっていない。今の国民は日本神道の信者ではない。つまり、今の日本国民にとっては、神武天皇も私も両方とも神ではない。だから、日本政府が国民を日本神道の信者のように扱うことは不当である。したがって、公務員は国民からお金を取ることはできない。取るとすれば、戦後に残った数少ない日本神道の信者から取らねばならない。
日本の政治機関が国民から税金を取るためには、日本の政治機関が現代法を法律にしなければならない。しかし、そうすると、『公務員が実際に働いた分だけの正当な報酬』を公務員に与えなければならなくなる。だから、公務員はもはや今のようないい待遇ではなくなるだろう。でも、法律を扱う仕事は需要がなくなることはないから、ある程度の収入は期待できるだろう。

[9453] どうして政府は国家宗教をやめないのか?☆ h22.2.6
政府の公務員をいい待遇にできるからである。
それでは、政府が自[みずか]ら国家宗教をやめるわけがない。

したがって、国民のほうから国家宗教をやめればいい。
国家宗教は[『巨人の星』の星飛雄馬と伴宙太のバッテリーのように]政府と国民の両方でやるものなので、政府がやめなければ国民がやめればいいのである。今の日本は国家宗教をやっていないから、国民は自由に国家宗教を抜けられるから、国民が国家宗教をやめたければ国民のほうから勝手にやめればいいのである。

そもそも今の日本にとっては日本政府のような国家宗教をする機関はあっても仕方がないから、政府自身もそのことを認めているので、国民に自由に国家宗教を抜けれるようにしてあるのである。いくら政府の公務員が自分をいい待遇にできるからといって、国家宗教によるやり方は不合理的すぎるので、世界大戦後の政府は国家宗教をやめて国民が自由に国家宗教を抜けることを認めているのである。政府はさすがに自分から国民に国家宗教をやめるように言いにくいから、国民が親切に気を利かして自分から国家宗教をやめてやろうというわけである。それが『日本的な人間同士の付き合いかた』というものだ。

[9454] 国家宗教は何のためにあるか? h22.2.6
政府が自分の待遇をよくするためにある。
国民のためにはない。

しかも、国家宗教は今日的[こんにちてき]にはまちがった方法である。
それで、政府は国民にわからないように密[ひそ]かに国家宗教を使っているのである。
テストでカンニングをしていい点を取るようなものである。
政府が国家宗教を密かに使っているのは、政府自身も国家宗教をまちがった方法だと思っている証拠である。
だから、国民は国家宗教の決まりに従う必要はない。いくら政府が国家宗教をやっているからといって、政府が国民よりも上の者であるのを認める必要はない。
国民はもはや政府の言いなりになる必要はない。国民は政府に従わなくてもかまわない。
国民が悪いのではない。最初から国民の眼の前で堂々と国家宗教をやらなかった政府自身が悪いのだ。政府の自業自得だ。
そもそも現代法がまかり通っている今の時代において、いまだに国家宗教をやる機関が残っていることがまちがっているのだ。だから、政府は潰れて当然だ。

[9455] どうしてパチンコのアルバイトが日当5万円なのか? h22.2.6
ときどきメールに日当5万円のパチンコのアルバイトの紹介がある。
パチンコは、パチンコの玉が光る玉だから、神武天皇の国家宗教でやっているゲームである。[私はパチンコはやらないが。]
パチンコのアルバイトが日当5万円なのは、政府が神武天皇が嘘をついたことを使って、派遣会社に嘘をつかせてありもしない条件を言わせているからである。
おそらく、実際にはそんなことはないだろう。

[9456] 国民軍と政府軍の戦い h22.2.7
この世は国民軍と政府軍の戦いだと見なせばいい。
しかし、今の国民は政府に従っている。だから、政府軍が国民軍よりも有利である。
一体、政府軍の何が有利だというのか?
『政府軍は国家宗教というまちがった法律を使っているにすぎない。政府軍は現代法を使っているふりをしているだけで、本当は国家宗教を使っている。』
国民軍は政府軍よりも人数でははるかに上だ。
それなら、国民軍は政府軍を倒して、早くこの世を現代法の通用する正しい世界にすればいい。
現代では政府が現代法を犯しているだけだ。だから、政府をなくせばいい。政府をなくせば、この世は完全な世界になる。


[9457] 政府はどうして国民から税金を取っているか? h22.2.7
政府は国家宗教で現代法の芝居や人殺しなどをやっている。[政府は国家宗教をやる機関なので、現代法をやることはできないのである。政府は国家宗教をやる機関なので、実際に現代法をやってはならないのである。だから、現代法は芝居までしかできないのである。]
つまり、実際には政府は国民のために何の仕事もしていない。
それなのに、政府は国民から高い税金を取っている。
政府は国家宗教の神である神武天皇や私が嘘をついたことを使って公務員に嘘をつかせて「政府が国民のために毎日汗水流して働いている」と言わせて国民を騙[だま]して税金を取っている。
政府は自分たちが国家宗教をやっているために国民よりも身分が上になるからといって、自分たちを国民よりもいい待遇にするために、国民から高い税金を取っている。
つまり、国家宗教とは、仕事をしない者がいい待遇になる方法なのである。
政府の馬鹿らしい屁理屈(国家宗教のこと)に付き合うほど暇な国民はいない。
今後は政府は国民からお金を取らずに自分たちで商売をやって稼[かせ]いでくれ!
国民が政治機関に税金を払うためには、政治機関が国家宗教をやっていない証拠が要る。
その証拠が得られるまでは、国民は政治機関に税金を1円も払わない。

[9458] 国民は政府に税金を払うべきではない。 h22.2.7
税金は政府が国家宗教をやるための費用である。現代法をやるための費用ではない。
国民は、現代法に賛成で、国家宗教に反対である。
だから、国民は政府に税金を払うべきではない。

[9459] 日本国民はどうして日本政府の言いなりなのか? h22.2.8
第2次世界大戦までは日本は外国との戦争に負けたことはなかった。日本が外国に一度も侵略されなかったことが、国民の政府に対する信頼の基盤となっていた。[昔の日本国民は「天皇がいるから日本が戦争に勝てる」と思っていたらしい。]
だから、日本国民は政府=幕府の言いなりになれば幸福になると信じて、政府の言いなりになってきたのである。
だから、日本国民は第2次世界大戦のときにも政府に積極的に協力して戦争に参加したのである。
しかし、日本は負けた。
そのとき、日本国民は政府の言いなりになっても自分がいい目に合わないことを悟った。
だから、今の国民も政府の言いなりになってはならないのである。
国民にとって政府の言いなりになることが必ずしも自分を幸福にすることではない。自分を不幸にする場合もあるのである。だから、国民は自分が政府に従うべきか逆らうべきかを考えねばならない。

[9460] 政府は国民を幸福にするか? h22.2.8
政府は国家宗教をやる機関である。
一方、国民は現代法をやる機関である。
政府と国民では世界観が違う。
政府だけが国民と違うことをしている。
だから、国民が政府に従っても幸福にならない。
つまり、国民にとって政府は要らない機関なのである。
それなら、国民は思い切って政府を捨ててしまおう。
古墳時代には政府は国民にとって多少は役に立つ機関だった。しかし、飛鳥時代から政府は国民にとって要らない機関になった。飛鳥時代から江戸時代になるまでの約1000年もの間、政府は国家宗教で自分が嘘をつけることを思いつかなかった。そんな頭の鈍い機関ではしょせん大したことはできない。国民の役に立つことはできない。したがって、政府は国民を幸福にはしない。

[9461] なぜ日本国民は日本政府を支持するのか?☆ h22.2.8
まず、今の日本政府が現代法[江戸時代なら律令制]の芝居をしているために、多くの国民が政府が現代法[江戸時代なら律令制]で政治をしていると思っている。だから、多くの国民が政府を支持している。実際には、政府は古墳時代に生まれたときからずっと国家宗教一筋[ひとすじ]にやっているだけである。
また、たとえ政府が国家宗教をする機関であることを知っていても、肝心の国家宗教について思い違いをしている国民が多い。国が国家宗教をしていると、日本全体が豊かになると思っている。そういう者も、政府を支持している。実際には、国が国家宗教をしても、政府の公務員の待遇がよくなるだけでその他の国民の待遇は悪くなるのである。[[9457]参照。]
結局、政府が国家宗教をする機関であることを知っていて、さらに国家宗教の正体を知っている者だけが、日本政府に反対している。残念ながら、そういう者は数少ない。
だから、今のところ日本政府は日本国民に支持されているのである。
つまり、日本国民が日本政府を支持している根本的原因は、国民の政治的無関心にあるのである。たしかに政治はあまり面白くないが、いい歳をして政府に対する誤解があるのは人間としてみっともない。

[9462] どうして民間宗教は経営できるのか? h22.2.8
民間宗教も国家宗教と同じである。
国家宗教が国民の政府に対する『誤解』を利用して経営しているように[[9461]参照]、民間宗教は信者の民間宗教の幹部に対する『誤解』を利用して経営しているのである。
つまり、信者は民間宗教の幹部(国家宗教の政府と同じ)が神の教義や霊力など(国家宗教の現代法の芝居と同じ)によって自分を幸福にしてくれるものと思っているが、実際には民間宗教の幹部は『宗教の原理』(つまり、幹部が信者に神と同じことをさせることができる。そうすることによって、幹部は信者よりも身分が上になることができる。)を使って信者を食い物にしているだけである。
そんな馬鹿がいるから、民間宗教は経営できるのである。儲[もう]かるのである。
民間宗教の幹部が表[おもて]でやっていること(つまり、神の教義や霊力など)は実際には何の効果もないたんなる芝居であって、いくら信者にとっては大事でも幹部にとってはどうでもいいことなのである。民間宗教の幹部が裏で密[ひそ]かに使っている『宗教の原理』こそが、幹部にとっての命綱[いのちづな]なのである。
もっとも、民間宗教の幹部は信者の民間宗教に対するイメージを壊さない程度に儲けるしかない。あまり露骨に『宗教の原理』を使いすぎて信者の財産を奪いすぎると、さすがの信者も頭に来て幹部に逆らって教団を潰しかねないからである。だから、実際には民間宗教の幹部はやたら儲けることはできないはずである。


[9463] 日本政府は3本立て h22.2.8
今の日本政府は3本立てでやっている。
表でやっている現代法の芝居と裏でやっている私の(つまり、私を神とする)神制度(国家宗教)と神武天皇の神制度の3本立てである。
江戸時代にも日本政府=幕府は3本立てだった。
表でやっている律令制の芝居と裏でやっている徳川家の神制度と神武天皇の神制度の3本立てだった。
とにかく、いつの時代にも、政府は国家宗教をやる会社であって、それ以外の何者でもない。政府が本気でやっているのは国家宗教のほうであって、現代法や律令制は見せ掛けだけの芝居にすぎない。


[9464] 暴力団とは何か? h22.2.8
国家宗教が昔の法律であったように、
暴力もまた昔の法律だった。
昔は暴力が秩序だった。つまり、「力の強い者が弱い者を支配する」のがこの世の掟[おきて]だった。動物の世界が弱肉強食なのと同じことである。[暴力団員が刺青[いれずみ]を入れるのは、昔の風習だからである。国家宗教に刺青がなくて暴力団に刺青があるのは、暴力団が国家宗教よりも古い組織だからである。[9473]を参照。]
そこで、暴力を法律にして出来た組織が暴力団である。
だから、暴力団は現代法や国家宗教ではできないことができるのである。[政府が現代法の芝居をやっているように、暴力団も正義の味方の芝居(任侠道[にんきょうどう])をやっている。暴力団は力さえ強ければいいだけなので、暴力団には嘘と真実の区別がないので、嘘も平気でやれるのである。/さすがの暴力団も力では政府の付属機関の警察にかなわない。だから、今では暴力団は政府の尻[しり]に敷かれておとなしくしているのだ。]
しかし、現代では暴力はもはや法律とは言えない。だから、暴力団は滅んだ。
それと同じように、現代では国家宗教はもはや法律とは言えない。だから、政府も滅んだ。

[9465] 戦争とは何か? h22.2.8
暴力団と暴力団がドンパチやって闘争をするように、
戦争は政府と政府がやっている闘争である。
勝った政府が負けた政府の縄張り(つまり国)を取れるのである。
暴力団の幹部が組員に殺し合いをさせるように、国家宗教の政府は国民に殺し合いをさせる。
暴力団も政府も時代遅れの古い法律を使っている。
現代法では自他の人権を守らねばならないので闘争や戦争がやれないからである。
早く、暴力団も政府もなくなって欲しいものだ。

[9466] 税金は不当である。 h22.2.8
政府は自分の待遇をよくするために国家宗教をやっている。
しかし、国民は国家宗教をやっていない。
政府が自分だけで勝手に国家宗教をやっているだけである。
政府は自分が国家宗教をやっているために国民よりも身分が上になるという理由で、国民から税金を取っているのである。
政府の独りよがりに国民が付き合わなくてもいい。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。

[9467] 東京の人 h22.2.9
東京の人は政府に従っている。東京の人は政府に従うために東京に住んでいるのである。
政府は国家宗教をする機関だから、政府に従う者は国家宗教を支持していることになる。
だから、東京の人は国家宗教を支持している。[けっして故意に国家宗教を支持しているのではなく、結果的に国家宗教を支持していることになっているのである。[9461]を参照。]
私は東京の人に恨[うら]みはないが、東京の人が国家宗教を支持しているなら嫌だと思う。
東京の人は正しさよりもまちがいに従うのだろうか?

[9468] どうして東京の人は国家宗教を支持しているのか? h22.2.9
国家宗教だと行政ができる。行政とは、その名の通り“政[まつりごと]を行うこと”すなわち政府が国民に神と同じことを具体的にさせることである。
現代法だと行政ができない。政治機関は現代法で国民や会社を管理するだけである。
行政のために、東京に会社が集まっている。東京の会社は政府の付属機関のようなものである。
だから、東京の人は国家宗教を支持しているのである。つまり、東京の人は自分の仕事のために国家宗教や政府を支持しているのである。

しかし、国家宗教の行政は『国民の総意』を反映しない、まちがった政策である。税金の無駄使いである。国民の支持を得られない発展しない産業ばかりになる。
行政は国民のためにならないから、行政はしないほうがいい。
政府が余計な行政をしなければ、国民が自分で考えて自分の意思を実現するだろう。
行政がなくなれば、東京に会社が集まることもなくなって、東京が住みやすい町になる。

[9469] 行政は国会がやることではない。 h22.2.9
国会の内閣の10名ぐらいの集団で行政がやれるわけがない。
行政とは、神と同じことを具体的に国民にさせることである。だから、行政の仕事は膨大[ぼうだい]である。
膨大な仕事をさせるためには、大勢の人間が要る。
だから、国会の内閣以外の大勢の政府の人々が、実際に行政をやっているのである。
国会の内閣の人は、たんなる代表者にすぎない。実際には、内閣は行政に携[たずさ]わっていない。そもそも、立法機関であるはずの国会が行政をやっていることがおかしい。裁判官が国会にいないのに、どうして行政の人が国会にいるのだろう?
国会の内閣が行政をやっていることにしているのは、政府が現代法で行政をやっているふりをして、行政を国民の総意を実現することだと国民に思わせて、国民を騙[だま]して安心させるためである。

[9470] 日本人は神が嫌い。 h22.2.9
日本人は神が嫌いである。
そうでなければ、律令制や現代法を支持するわけがないからである。
しかし、一方で、日本人は政府に従っている。
それは、日本人の多くが政府のことがわかっていないからである。それで、日本人はおとなしく政府に従っているのである。
外人は政府のことに詳しいから、外人の目から見れば日本人が神が好きだと勘違いをするかもしれない。外人は日本政府の政治のやり方について細かいところまでは見ないので、ただたんに日本人が政府に従っていることだけを見て日本人は神に従うのが好きだと思うのである。
しかし、実際には、日本人は神が嫌いである。もしも、日本人が神が好きならば、いまだに日本人は国家宗教を支持しているはずである。だから、政府が正々堂々と国民の眼の前に神武天皇や私などの神を置いて国家宗教をやっているはずである。しかし、実際には、政府はそうしていない。だから、国民は神が好きではない。
日本人は政府について無知なだけであって、けっして神が好きなわけではないのである。[威張れることではないが。[9461]を参照。]
日本人は神が嫌いである。飛鳥時代からすでに日本人は神が嫌いである。軍国時代に戦争で要るからしかたなく神を使っていただけである。日本人は非科学的な非現実的なことが嫌いである。日本人は「オーマイゴッド」なんて言わない。[日本人が純粋に国家宗教をやっていたのは古墳時代の約400年間だけだったからである。日本は飛鳥時代に中国から律令制が伝わったので「オーマイゴッド」までは行かなかったのである。]日本神道はしょせんキリスト教の受け売りであって、日本人の心の底には神はいないのである。今どき神を信じるなどと言うあほらしい真似ができるか!?

[9471] どうしてヨーロッパ人はキリスト教を支持していたのか? h22.2.9
ヨーロッパ人も本音[ほんね]ではキリスト教が嫌いだったが、キリスト教とローマの悪政を比べるとキリスト教のほうがましだったのでキリスト教を支持していたまでである。
絶対君主制を超える現代法が出来るまでの間、しかたなくキリスト教で我慢していたのである。

[9472] 国民と政府の戦い h22.2.9
古墳時代には、国民は政府となかよくいっしょに国家宗教をやっていた。
しかし、飛鳥時代から江戸時代までは、国民と政府の戦いだった。
国民は中国から伝わった律令制度を支持した。律令制のほうが国家宗教よりも現実的で優れた法律だったからである。国家宗教よりも律令制のほうが国民にとっていい暮らしができるからである。律令制では国民に平等に土地が与えられるのに対して、国家宗教ではただたんに政府が国民に神武天皇と同じことをさせるだけで国民にとってはいいことがなかったからである。
一方、政府は古くからある国家宗教を支持した。律令制よりも国家宗教のほうが法律が曖昧[あいまい]なぶん政府がいろんな工作をして政府の待遇をよくできるからである。(例えば、今の政府は国家宗教によって“天皇の人間宣言”の駄洒落[だじゃれ]で“天下り”ができるとし、公益法人に対して巨額の補助金を出している。公務員に人間的価値はないから、税金の無駄である。)
飛鳥時代から江戸時代までは、国家宗教と律令制を何度か交代したあとで、最後には国家宗教が律令制に負けて、国民の間で律令制が通用する江戸時代になったのである。政府が国民に負けて幕府に化けたのである。[だから、徳川家康がタヌキと言われるのである。]

[9473] 法律の進化 h22.2.9
法律は、無法状態→暴力制→国家宗教→絶対君主制→立憲君主制→現代法(無君主制)と進化する。[ただし、日本の場合。外国では多少前後が入れ替わる場合がある。]つまり、国家宗教は人類が一番最初に作った言葉による法律なのである。
例えば、現在の中国の共和制は、君主がいないから現代法である。
ローマ帝国は絶対君主制だったが善[い]い君主がいなくて、一時代前の国家宗教(キリスト教)に戻ってしまった。そのせいで文化が衰退して暗黒時代になってしまった。
ギリシアの貴族による直接民主制は、共和制と同じだから現代法に入る。ただし、当時はまだ人権の概念はなかった。
エジプトは絶対君主制だった。
中国の律令制は、絶対君主制である。
古墳時代以前の日本は暴力制だった。各地の豪族が暴力だけで各地の住民を支配していたのである。
古墳時代の日本は国家宗教だった。
飛鳥時代から江戸時代までの日本は、国家宗教と絶対君主制の間を行ったり来たりしていた。
江戸時代の日本は形式的には絶対君主制だが、実際には国家宗教だった。政府が国家宗教で嘘をついて絶対君主制のふりをしていたのである。
今の日本は形式的には立憲君主制だが、実際には国家宗教である。政府が国家宗教で嘘をついて立憲君主制のふりをしているのである。法律の遅れは文化の遅れの原因になる。早く政府が潰れて、現代法の政治機関が出来てほしいものである。
科学的方法すなわち観察と帰納による人権の概念に基づく現代法が作られるまでにはずいぶんと時間がかかった。それまでの法律は、みんな君主制(リーダー制、国の指導者を決めて国民が指導者に従う制度)だったのである。暴力団の組長も国家宗教の神も君主である。

[9474] どうして政府は国民から税金が取れるのか? h22.2.10
政府が出来た当時はまだ日本にはお金が出来ていなかった。
当時は、土地がお金の代わりだった。
神武天皇はナガスネヒコの土地を奪った。つまり、他人の土地を奪った。
だから、政府は役人に国民の土地を奪わせて、国民の土地を政府の土地にして儲[もう]けたのである。
国家宗教の下では、国民は政府の土地を借りて耕さなければならなかった。
それで、政府は国民から土地の貸し代として租税を取ったのである。これが、税金のルーツである。

律令制では国民に土地が与えられるのに対し、国家宗教では国民が政府から土地を借りなければならない。そのため、律令制よりも国家宗教のほうが租税が高くついたのである。
だから、政府にとっては国家宗教のほうが律令制よりも儲かるので、なんとしても国家宗教を続けようとしたのである。
一方、国民にとっては国家宗教よりも律令制のほうが儲かるので、なんとしても律令制を取り入れようとした。その結果、最後には政府が国民に負けて幕府が律令制をやるようになったのである。しかしながら、幕府=政府は裏で密かに国家宗教を使って、国民から租税を少しでも多く取っていたのである。
法律が変われば税金も変わる。だから、国民は自分にとって一番儲かる法律を取り入れればいい。今の国民にとって一番有利な法律は現代法である。だから、国民は国家宗教をやる政府を潰して、現代法の政治機関を作ればいいのだ。

[9475] 日本は立憲君主制の国である。 h22.2.10
日本国憲法によれば、日本は立憲君主制の国である。
今の日本政府は私を神(君主)としている。しかも、日本国憲法には天皇についての規定があっても私についての規定がない。つまり、今の日本は私については絶対君主制である。
だから、私は無制限に政府や国民に命令を出すことができる。
したがって、国民は国家宗教をやろうとする悪の組織の政府を潰して現代法の政治機関を作ればいいのである。

[9476] 日本国憲法第1章第4条 h22.2.10
『第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
 2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。』
国家宗教をやるのは政府であって天皇ではない。
天皇はただ政府が神武天皇の物語を使って国家宗教をやるためにいるだけだから、天皇自身がやることは何もない。
だから、たとえ政府が真面目に第4条を守っても、政府にとっては何も支障がないのである。[もっとも、政府は国家宗教をやる機関だから、政府は嘘がつけるので、真面目[まじめ]に憲法を守るとも思えないが。]
政府が天皇を置いていることが、政府が神武天皇を神とする国家宗教をやっていることの証[あかし]である。

[9477] 社会主義 h22.2.10
社会主義は、国民の資本を政府が奪って、政府が国民に資本を貸して儲ける制度である。
政府は国民に資本を貸したぶん、高い税金を取っている。
だから、資本主義よりも社会主義のほうが政府が儲かる。
反対に、国民は損をする。
カール=マルクスは社会主義を私とは違う言葉で述べたが、実質的には同じである。
社会主義は国家宗教とほぼ同じである。これでは、国民は社会主義に満足するはずがない。
だから、社会主義は滅びたのである。
神である私が滅ぼしたわけではない。社会主義国の国民が社会主義をやる政府を滅ぼしたのである。
国民が有利になるためには、国民の人権を守ることをコツコツとやって行くしかない。
カール=マルクスは、「国民の具体的な物質的な生活(下部構造)が政治のやり方(上部構造)を決める」と言った。マルクスは政治に疎[うと]かったせいか、政治を美化しすぎている。政治を政府と国民がいっしょになって協力し合ってやることだと考えている。しかし、実際には、政治とは国民と政府の戦いである。国民と政府の騙[だま]し合いである。つまり、政治とは、政府が国民から税金を取れる理由を考えることである。政府は国民を支配するためにまず国民に従属する。政府は国民に従ってから国民を支配する。政府は国民に飴[あめ]を与えて機嫌を取った後で国民を鞭[むち]で打って嫌がらせをする。マルクスはこの点を考え落としていた。だから、国民は政府の言いなりにならず、政府に騙されないように注意しなければならない。

[9478] 国民は政府に税金を払えない。 h22.2.10
政府は国民が現代法をやることを認めている。
一方、政府は国家宗教をやる機関である。
税金とは、政府が国家宗教をやる費用である。
だから、国民が政府に税金を払うと国民が国家宗教をやることになるので、国民は政府に税金を払えない。

[9479] 国民は政府の持ち物ではない。 h22.2.10
国中のみんなが国家宗教をやっていれば、国中のすべての財産が政府のものになる。国民は政府の持ち物である。国民は政府の奴隷である。
日本の古墳時代はそんな状態だった。
その後、国民は一生懸命に政府と戦ってそんな悲惨な状態から抜け出してきたのだ。
今では、国民の大半は現代法をやっていて、国家宗教をやっているのは政府だけである。政府とその周辺の者だけである。
政府はときどき国家宗教で事件を起して人を殺すがそんなことはどうでもいい。
政府の真の目的は国家宗教で自分の待遇をよくすることである。
政府がときどき殺人事件を起すのは政府の真の目的に対するカモフラージュである。国民の目を政府の真の目的からそらせるためである。
政府が国家宗教をやる会社だと、国民が政府に税金を払う理由がない。[[9478] を参照。]だから、政府は潰れるしかない。
政府が生き残るためには、政府は国家宗教をやめるしかない。
今どき国家宗教でマンガみたいな儲け方をしなくても、現代法で真面目に仕事をやって国民の支持を得たほうが長い目で見れば儲かるのではないだろうか?

[9480] 士農工商は国家宗教である。 h22.2.10
神武天皇は軍人つまり武士だったから、武士が一番上である。
農民はお米を作り、お米は丸くて白いので神武天皇の光の玉の喩[たと]えだから、農民が次である。
神武天皇は兄猾[えうかし]のからくりを見破ったので工学の才能があるから、工業がその下である。
神武天皇は商売をしなかったから、商業が最下位である。
つまり、士農工商の身分制は、神武天皇を神とする国家宗教でできた制度と見ることができる。
だから、幕府の実体は政府だったのだ。

[9481] 国家宗教と現代法 h22.2.10
国家宗教と現代法では人間がやれることが違う。
国家宗教では神と同じことなら何でもやることが許されるが、その反面神と違うことができない。
現代法では自他の人権を守るかぎりでは何をやっても許される。
だから、国家宗教よりも現代法のほうが国民に自由があるのだ。

[9482] 政府は潰れるしかない。 h22.2.11
政府は神が嘘をついたことを使って嘘ばかりついている。
国民は政府を信用しない。
今後政府が国家宗教をやめて現代法をやる会社になったとしても信用置けない。
だから、政府は潰れるしかない。
政府は自分が嘘をついていないという証拠を国民に示さなければならない。
それができなければ政府は潰[つぶ]れるしかない。

[9483] 私が自分の理論を言わない訳[わけ] h22.2.11
私が自分の理論を公表しないのは、そんなことをしても私が得をしないからである。
今の社会は正しい者が得をする社会ではない。要領のいい者が得をする社会だ。
『正しい者が得をする制度』をこれまでにちゃんと作っていない社会のほうが悪いのだ。
私もそんなふざけた社会のために役に立ちたくはない。役に立つこともない。
国家宗教をやっている政府はキチガイだが、そんな政府の言いなりになっている国民もまた政府に勝るとも劣らぬキチガイだ。
そんなくだらない社会のために役に立つほうがまちがっている。

[9484] どうしてタクシーの運転手は待遇が悪いのか? h22.2.11
神武天皇を神とする国家宗教によるからである。
浦島太郎(槁根津日子[さおねつひこ])は神武天皇を道案内したが、結局神武天皇から褒美[ほうび]をもらえなかった。
タクシーの運転手は浦島太郎だから、それでタクシーの運転手が待遇が悪いのである。
いたずらに特定の職業を悪い待遇にすべきではない。それでは身分制度と同じだ。自分で車を運転できない人もいるからタクシーの運転手はどうしても必要である。
だから、政府は早く潰れて、現代法の政治機関に取って代わられたほうがいいのである。

[9485] どうしてヨーロッパでは研究者の待遇がいいか? h22.2.11
キリストを神とする国家宗教によるからである。
キリストは自分の考えを述べた。だから、自分の考えを述べる研究者がヨーロッパでは待遇がいいのである。
キリスト教は学問の発展にも寄与している。誰でも自分の生活が大事だから、ヨーロッパの研究者は国家宗教を支持している。国家宗教をやる政府を支持している。
反対に、神武天皇は自分の考えを述べなかった。
それで、日本では研究者の待遇が悪いのである。
しかし、そもそも最初から国家宗教とは関係なしに『正しい者が得をする制度』があればいいのである。
だから、国家宗教はないほうがいい。政府がなくなったほうがいい。

[9486] 三菱はどうして財閥になったか? h22.2.11
三菱の創業者は岩崎弥太郎[いわさきやたろう]である。
岩崎弥太郎は高知県安芸市[あきし]の生まれである。
高知県は神武天皇が生まれ育った宮崎県に似ている。
岩崎弥太郎が船で海運業をしたのは、神武天皇が船で東征をしたことに似ている。
それで、政府は神武天皇に似ている岩崎弥太郎に仕事を与えて儲けさせたのである。[仕事は客が多ければ儲かるし、客が少なければ儲からない。政府は国家宗教に適[かな]っている仕事に対しては客を多く与えて仕事が多くなるように工面[くめん]してくれるのである。仕事をすればお金が儲かるから、政府が“間接的に”お金をくれることになる。政府は露骨[ろこつ]にはお金をくれないのである。だから、東京の人は一生懸命によく働く仕事人なのだ。]
つまり、岩崎弥太郎は国家宗教で出世して財閥を築いたのである。[たとえ有名でも、金に関心のあるのは馬鹿だ。]

[9487] 民間企業と政府 h22.2.11
民間企業は仕事をするから待遇がいい。仕事量と待遇のよさが比例する。[医者もそうである。]
一方、政府は仕事をしなくても待遇がいい。仕事量と待遇のよさが比例しない。
民間企業は政府から国家宗教で仕事をもらって稼[かせ]いでいるが、
政府は国家宗教で国民から税金を取るだけで仕事をせずに稼いでいる。
同じ国家宗教によっていても民間企業と政府とでは稼ぎ方が違うのだ。

[9488] 日本では政府が弱い。 h22.2.11
ヨーロッパでは国家宗教の時代が中世全体におよび長かった。そのため、ヨーロッパでは今でも国中に国家宗教がしみこんでいる。
一方、日本では国家宗教の時代が古墳時代だけで短かった。そのために、日本には宗教臭さがない。
だから、日本はヨーロッパほど国民が政府を支持していない。日本では国民が政府に批判的である。
ヨーロッパでは国民が政府に従っているが、日本では国民が政府に逆らっている。
ヨーロッパでは政府が強いが、日本では政府が弱い。
たとえヨーロッパでは国民が政府を倒せなくても、日本では国民が政府を倒すことができる。[日本人がトンネルが好きと言われるのは、トンネルが穴を掘ることで、穴とはアナーキーすなわち無政府主義のことだから、日本人は無政府主義が好きということである。もっとも、私は政府は要らないが国民や会社を法律で管理する政治機関は必要であると考える。個人も会社も放っておけば自分の利益しか考えない。これでは他人の迷惑になる。だから、政治機関が必要なのである。]

[9489] どうして国民は政府に従っているか? h22.2.11
国民の大半は政府に従うのがこの世の決まりだと思っているだけで、政府が何かがわかっていないからである。
国民の大半は政府が何かがわからずに、やみくもに政府に従っているからである。
じつは、政府は国家宗教をやる機関である。国家宗教とは、政府が適当に神を決めて、政府が神と同じことを国民にさせることである。政府は神である神武天皇が他人の土地を奪ったことを使って税務署の役人に国民から税金を取らせている。政府は神である神武天皇が嘘をついたことを使って公務員に嘘をつかせて国民のために働いているふりをさせている。つまり、政府は国民のために仕事をせずに国民から税金を取って儲[もう]けている。
一方、国民は現代法を守りながら自他の人権を守りながら生きている。
国家宗教はとっくの昔に滅んでしまった法律である。政府だけが国民とは別の法律を使っている。政府の理屈は今日[こんにち]では通らない。(←この一文はテレパシーで聞こえたものである。)
したがって、国民は政府に従ってはならない。

[9490] 法律の曖昧[あいまい]さ h22.2.11
神武天皇は東征の末に宿敵ナガスネヒコを倒したが、解釈によっては神武天皇が他人の土地(財産)を奪ったことになる。
神武天皇はナガスネヒコに敗れた後で「東に攻めない」と言った後で気を取り直して回り道をしてナガスネヒコに奇襲をかけたが、解釈によっては神武天皇が嘘をついたことになる。
政府は神武天皇の物語の『解釈の多意性』を利用して、国民を騙[だま]して財産を奪っている。
法律がおとぎ話形式で書かれていると、いろんな解釈ができるので、政府は自分にとって『最も都合のいい意味』に解釈して役人に神と同じことをさせて国民から財産を奪ったり国民に嘘をつかせて騙したりしているのである。
政府はそんなしょうもない理由で国民から税金を取っているのである。
政府は『国家宗教を使って国民から財産を奪う会』にほかならないのである。
国民はわけもわからずに政府の言いなりにならずに、政府を正しく理解して、早く偽物[にせもの]の政治機関の政府を潰[つぶ]して、本物の政治機関を作らなければならない。

[9491] 神武天皇以外の神の存在意義について h22.2.11
政府の基本的なことは神武天皇だけで足りる。つまり、政府が国民から税金を取ることは神武天皇だけでもできる。だから、政府は生まれたときからずっと神武天皇を使い続けてきたのである。
徳川家とか私とかは、政府が国家宗教で新しいことをするために使う神である。
神武天皇だけではできることが限られるので、政府はときどき神武天皇以外の神を入れ替えて新しいことをしてマンネリ化を避けているのである。
しかし、国家宗教では政府が国民に神と同じことをさせるだけなので、国民はあまり満足が得られない。政府は国民が嫌がろうが嫌がるまいがとにかく国家宗教をする。そんなつまらない機関は早くなくなったほうがいい。

[9492] 政治家はどうして偉いのか? h22.2.12
それは長い間謎とされてきた。政治家は国民にとってわけがわからないまま威張り続けてきた。国民はわけがわからずに政治家に頭を下げてきた。
じつは、政治家は『国家宗教』をやっているから偉いのである。つまり、政治家は神武天皇の物語や私の伝記を使って、神武天皇や私と同じことを国民にさせることによって、国民の財産を取れる特権や国民に嘘をつける特権などのいろんな“特権”を持っているから偉いのである。
しかし、現代法が通用している現代においては、国家宗教の理屈は成り立たない。古墳時代のように国民が国家宗教が国の法律であることを認めて政治家が国家宗教で政治をすることを認めている時代においては、政治家が国家宗教の“法律の曖昧[あいまい]さ”を利用して国民から財産を取ることは許されたが[[9490]参照]、現代法が通用している今日[こんにち]においては国家宗教はなんびとたりとも使ってはならず政治家は現代法で政治をするべきであって国家宗教で政治をしてはならない。つまり、現代においてはそもそも『政治家が国家宗教を使える理由』が存在しないのである。だから、たとえ政治家が国家宗教を使うとしても、現代法を犯さない範囲で使わねばならない。
政治家は現代法の世界においてはたんなる犯罪者にすぎない。政治家は偉いのではなく、悪いのである。
日本政府は悪者の政治家がやっている会社である。国民はそんな悪い会社の言いなりになることはない。

[9493] エロ・グロ・ナンセンス h22.2.12
私が小学低学年の頃に流行[はや]った言葉である。
エロとは、売春やエロ本のことである。
グロとは、銃による殺人のことである。
ナンセンスとは、マンガや麻薬のことである。
つまり、エロ・グロ・ナンセンスとは、アメリカの文化のことである。
日本も自由にしすぎると、アメリカのように自由の弊害[へいがい]が出るから注意しなければならない。

[9494] どうして女は馬鹿なのか? h22.2.12
女は自分の外見を磨[みが]くだけで、それ以外のことをしないから、それ以外の才能が退化してしまうからである。
男は自分の外見を磨かないから、自分の外見以外のことをするので、自分の外見以外の才能が発達するのだ。
だから、女でも自分の外見以外の才能を磨けば、自分の外見以外の才能が発達するはずだ。

[9495] 国家宗教をやらない時代 h22.2.12
ずいぶん前から、政府の権力が弱まっている。
私は最近まで国家宗教に興味がなく国家宗教について全然考えたことがなかったが、
日本神道の信者などがテレビや映画などを見て今の時代について考えて、
今の時代が国家宗教をやる時代ではなく、国家宗教をやらない時代だと結論を出したのだ。
それで、国家宗教をなくす活動をするようになったので、政府が弱まって来ているのだ。

[9496] 『羅生門』と『蜘蛛[くも]の糸』 h22.2.12
『羅生門』は、国家宗教に対する皮肉である。神武天皇を神とする国家宗教の社会における荒廃した人間の生き様を描いている。羅生門の2階にいた老婆とは神武天皇のことである。老婆の白髪が神武天皇の光の玉の喩えだから、老婆は神武天皇なのである。
『蜘蛛の糸』は、自分のことしか考えない政府に対する皮肉である。蜘蛛の糸からぶら下がっているカンダタやカンダタにしがみついている大勢の地獄の人々が、神武天皇の国家宗教をやっている政府を頂点とする官僚制の社会の風刺になっている。カンダタが「蜘蛛」を助けたのは、蜘蛛が雲の駄洒落[だじゃれ]であり、雲が白くて光るものだから神武天皇の光の玉の喩えであり、つまり蜘蛛が神武天皇の国家宗教のことだからである。

[9497] 私アニメは正当か? h22.2.12
私アニメは国家宗教で作られた物である。
私がアニメを見ることが多いので、国家宗教では政府が国民に神と同じことをさせるので、国民にアニメを見せるために政府がアニメ会社に仕事を与えて作らせたのである。
そこまではわかる。
わからないのは、どうして私の個人情報が使われているかである。
私が小学2年生の時に国語の教科書の余白に黒玉が動くパラパラマンガを描いたことがある。
しかし、私は自画像を描いたことがない。
私が小学5年生の頃に『釣りキチ三平』の三平の似顔絵の運動会のポスターを描いたことがある。三平は私の喩えである。(三平は私に似ていないが。)だから、一応私が間接的に自画像を描いたことになる。
私が小学6年生の頃に友達の天然パーマの門田君の肖像画を描いたことがある。私は子供の頃には自他の区別をつけない性格で、自分の友達を自分のことのように思っていたので、無理矢理解釈すれば私が自分の絵を描いたと言えるかもしれない。
だから、国家宗教的には私が自画像を描いたことになるので、政府がアニメ会社に私をキャラクターにしたアニメを作らせることができるのである。
私は小学生の頃に自分の出来事を時々作文に書いたので、政府が脚本家に私の情報を使って脚本を書かせることができるのである。
しかし、現代においてはそもそも『政治家が国家宗教を使える理由』が存在しない。だから、たとえ政治家が国家宗教を使うとしても、現代法を犯さない範囲で使わなければならない。
現代法では、勝手に他人の個人情報を使って商売をすることは禁止されている。
したがって、政治家が私アニメをアニメ会社に作らせたことは、政治家とアニメ会社が組んで私の情報を私に無許可で使って商売をしたことになるので、現代法に反している。
だから、私アニメは不当である。
だから、私アニメを作ったり売ったりしてはいけない。
政府がアニメ会社にアニメを作らせることは現代法に違反しないが、私アニメを作らせることは現代法に違反している。そもそも政府が私アニメを作らねばならない理由はまったくない。

[9498] 国会議員の儲け方 h22.2.12
国会議員は法律を作ることができる。
国会議員は国家宗教のように、わざとに曖昧[あいまい]な法律を作って法律の解釈の多意性を利用して儲けることができる。いたずらに法律の文を長く複雑にして法律の解釈を多意にして儲けることができる。
一般に、国会議員はわざとに不備な法律を作って、自分の作った出来の悪い法律の欠陥を利用して儲けることができる。
それを防ぐためには、国会の作った法律を国民側の代表者が承認してから実施するようにすればいい。
国民は国会が気に入らなければ税金を払わなければいい。真面目[まじめ]に仕事をしない者に仕事代を払う必要はない。

[9499] 宮内庁御用達[ごようたし]について h22.2.12
宮内庁御用達は、天皇に使ってもらう品物を天皇に送ることである。
天皇がその品物を使えば、国家宗教によって政府が国民にその品物を使わせるから、その品物が売れて店が儲かるからである。あるいは、その店で作っている他の品物が売れて店が儲かるからである。
つまり、宮内庁御用達とは、天皇を使って店が儲ける方法である。

[9500] 政府は国民から税金を取れない。☆ h22.2.12
政府は国家宗教をやる機関であって現代法をやる機関ではない。
だから、いくら日本の法律に現代法の税法があっても、政府が税法を使うことはできない。
政府は国家宗教で神武天皇がナガスネヒコの土地を奪ったことを使って国民から税金を取っているのである(正確に言えば、政府は税務署の署員に神武天皇と同じことをさせて国民から税金を取らせているのである)。
ところで、現代においてはそもそも『政治家が国家宗教を使える理由』が存在しない。
だから、政府は国民から税金を取ることができない。政府は法人(つまり会社)からも税金を取ることができない。
したがって、政府は潰れるしかない。


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