[9301] 幼稚園バス爆破事件 h22.1.14
アフガニスタンで幼稚園児の乗ったバスが爆破されるのは、アフガニスタンはイスラム教が国家宗教の国で、イスラム教の神モハメットが人殺しをしたことがあるからである。
広義の神制度では、信者が神と同じことをしてもいいので、イスラム教が国家宗教の国では信者がモハメットと同じことをして人殺しをしてもいいのである。親は自分の子供が殺されても犯人に文句は言えないのである。
アフガニスタンの人々にとってはイスラム教は『自由』の言い換えであり、アフガニスタンの人々は自分の命よりも何よりも『自由』を愛するのである。
[9302] 日本神道皆殺し令 h22.1.15
私は日本神道の神である。私は自分が日本神道の神であることを承認していないが、日本神道の者にとっては私が神である。
だから、私は日本神道の者に対しては絶対的な命令ができる。日本神道の者は私の命令に絶対的に従わねばならない。一般に、神制度では政府が信者に神と同じことをさせるだけだが、特に神が“生きている人間”の場合には、神が信者や政府に対して直接に命令を出すことができる。
だから、私は日本神道の者に対して「死ね」と命令をする。「今から1週間以内に死ね」と命令をする。[私自身は日本神道の者ではないから、自分の出した命令に従わなくてもいい。]
私が日本神道の者に対して死ねという命令を出すことに理由はないが、神の命令にいちいち理由は要らないからそれでもいい。
今から1週間後に生き残っている日本人(あるいは外国人)は日本神道の者(信者と政府)ではないことになる。人類にはもはや日本神道の者はいないことになる。この世にはもはや私の神制度をやる人間はいないことになる。
だから、承認を取っていない神の場合には、その宗教団体は長続きしないのである。神に給料をやっていない宗教団体は長続きしないのである。
[9303] 立法機関は要らない。 h22.1.15
今の日本政府がなくなったら、政府の付属機関はバラバラになって民営化されるしかない。[[9006]
の図を参照。]
国会なんか要らないだろう。
司法機関(裁判所)があればいい。
司法機関で裁判をしているうちに経験的に帰納的に法律が出来るから、司法機関が立法機関なのである。
警察と司法機関を束ねてひとつの会社にして保険制で経営する民間の会社にすればいい。
[9304] 国家宗教との契約 h22.1.15
世界大戦以前は、日本は外国と戦争していた。
戦争は国と国の殺し合いだから、戦争には国民全員が参加していた。
戦争するためには国家宗教に入らなければならなかった。国民が戦争をするためには、自分に「死ね」と命令を出す機関が必要であり、そのためには国が国家宗教をやって国民よりも身分が上の政府を作らなければならなかったのである。国民にとって国家宗教は麻薬と同じように戦争のための必需品だったのである。
国民はみんな戦争に契約していたから、国家宗教には契約する必要がなかったのである。つまり、国家宗教は戦争のための必需品だったので、戦争と契約した国民は、ひとりでに国家宗教とも契約したことになっていたのである。
しかし、戦後は、日本は戦争しなくなった。
国民は戦争と解約したから、国家宗教とも解約したのである。つまり、国家宗教をやめた。日本政府に従うのもやめた。日本人は戦争をするために国家宗教をやっていただけだったから、戦争をしなくなったら国家宗教もしないのである。国が国家宗教をやらなければ、もはや神も政府も信者もへったくれもない。
今では国民の一部が民間宗教になった日本神道に残って、日本政府の命令に従っているだけである。
宗教の時代は終わった。
日本政府は神制度の政治機関である。信者に神と同じことをさせるためにある機関である。日本政府は神制度に伴う身分制によって信者よりも身分が上であり、好き勝手に信者を殺したり信者の財産を奪ったりする機関である。今の国民はそんな馬鹿らしい機関に従う気にはなれない。
早く日本に民主主義の政治機関ができて、国民が民主主義の政治機関と契約を取って、民主主義の政治が行われるようになればいい。
それまでの間は、国民は自分のことは自分でするしかない。長い歴史の間にはそんな時代もあるさ。
[9305] 政府は国民から税金を取れるか? h22.1.15
政府が国民から税金を取るためには、国が国家宗教をやっていなければならない。国が国家宗教をやっていれば、政府が国民よりも身分が上になって、税金を取れるからである。
しかし、今の日本は国家宗教をやっていない。今の一般の日本国民には『神に従う意思』はない。
したがって、政府は国民から税金を取れないのである。
今の日本は国家宗教をやっていないから、今の政府は国民よりも身分が上ではない。政府は国民と平等である。政府は国民と政治サービスの契約を取らないかぎり、国民からお金を取ることはできない。
[馬鹿な国民は政府が国民から税金を取れる理由が正しくわかっていない。政府が大きい会社だから取れると思っている。政府が民主主義の政治をする会社だから取れると思っている。馬鹿な国民はわざわざ自分でまちがった理由をこしらえて政府に税金を払っているのである。]
[9306] どうしてマニ教は滅んだか? h22.1.15
マニ教は、いろんな宗教の寄せ集めである。
マニ教が滅んだのは、『著作権』の概念のためである。
人類は昔から、他人のアイデアを奪うことをいけないこととしたのである。
それで、マニ教は滅んだのである。
著作権は宗教以前の問題なので、マニ教は滅びたのだ。
今でも他人の宗教を無断で真似[まね]ると著作法違反になるのだ。
[9307] 内村鑑三とは何か? h22.1.15
日本神道が国家宗教の国において、異端のキリスト教徒がどんな目にあうかを国民に見せしめにするために日本政府が雇った役者である。
日本人を日本神道で統一するために、日本政府が内村鑑三のような異教徒をわざわざ置いたのだ。
内村鑑三不敬事件は日本神道が仕組んだ茶番である。
つまり、内村鑑三はキリスト教徒のふりをしているバリバリの日本神道の信者だったのである。
[9308] 小林多喜二とは何か? h22.1.15
日本神道が国家宗教の国において、共産主義者がどんな目にあうかを国民に見せしめにするために日本政府が雇った作家である。
日本人を日本神道で統一するために、日本政府が小林多喜二のような偽物[にせもの]のプロレタリア作家をわざわざ置いたのだ。
小林多喜二は『蟹工船』事件で警察に捕まってリンチにされて殺されたが、小説にして伏せて表現するなら原則的には何を言っても許されるはずである。小説家ならどの程度伏せればよいかをよく心得ているはずである。
警察と小林多喜二の追いかけっこがわざとらしすぎる。国民の気を惹[ひ]くために、わざとに警察が捕り逃がしている感じがある。
小林多喜二の名前が“囃子[はやし]を焚[た]く”ことで宗教を盛り上げることだから、国家神道の回し者であることを暗示している。
つまり、小林多喜二は共産主義者のふりをしている日本神道の作家だったのである。だから、実際には、小林多喜二は警察には殺されていないと考えられる。
これでは、あたかも政府がいつも国民を騙[だま]しているかのようだが、社会の大枠[おおわく]は国民が決めているのである。それを政府が少し促[うなが]しているだけのことだ。要するに、政治家は国民の人気を取ればいいのだ。政府は国民に合わせていくものだ。今は国民が国家宗教をやらないから、政府も国家宗教をやってはならない。政府は国家宗教をやる機関だから、政府はなくなるしかない。あるいは、民間宗教ならやってもいいから、政府は民間宗教をやる機関らしく宗教をやらねばならない。
[9309] 日本神道は民間宗教である。 h22.1.16
社会の大枠[おおわく]は国民が決めている。国民の一部の者が多数の者を変えることはできない。政府は国民に合わせることしかできない。政府は国民の意見を推[お]し進めることしかできない。
今の日本国民のほとんどは『神に従う意思』はない。
したがって、政府は日本を国家宗教のある国にすることはどうあがいてもできない。
政府は日本を国家宗教のない国に推[お]し進めることしかできない。
もっとも、民間宗教なら、今でもやってもいい。それは、人間が自由だからである。宗教をやりたい者の自由までも他人が奪うことはできない。
だから、日本神道は民間宗教としてならやってもいい。
日本政府は民間宗教の幹部である。
日本政府は民間宗教の幹部にしては大きいが、それでも民間宗教の幹部である。
民間宗教は民間宗教らしくしなければならない。
民間宗教は国民みんなから税金を取るようなふざけた真似をしてはいけない。民間宗教は昔の国家宗教の真似事をしてはいけない。
でも、国民が自分で考えて日本政府に税金を払わないようにすればもっといい。
民間宗教は民間宗教らしく、もっとマイナーに宗教団体の者だけで内々[ないない]に宗教をしなければならない。宗教団体以外の者に自分たちが宗教をやっているところをあまり見せびらかしてはいけない。
[9310] 国会は要らない。 h22.1.16
今の国会は政府の付属機関である。
今の政府は国家宗教をする機関である。
今の国会は国家宗教で法律を作っている。政府が国会議員に私や神武天皇と同じことをさせて法律を作らせているのである。国会議員は身分的には信者と同じである。国会議員よりも、政府の政治家のほうが身分が上である。政府のその他の付属機関も、国民に神と同じことをさせるか同じことをさせるためにあるのである。
ときどき私や神武天皇に因[ちな]んだジョークを飛ばす国会議員がいるのはそのためである。[例えば、大平首相が「えう〜」とか「あえ〜」とか言っていたのは、私が無口で愛がないからである。無口→言うがない→あえ(“あいうえお”から“いう”を取ったら“あえ”)、愛がない→うえ(同じ理屈)。「え〜と」にすると、え〜と→エイト→8→丸がつながっている→天皇家になってしまうから、大平首相が「え〜と」と言わなかったのは日本政府が神武天皇を神にしないためである。]
しかし、今の国民のほとんどは『神に従う意思』がない。
だから、今の国民のほとんどは国家宗教をやっていない。
政府(国の政治をする機関)は国民の意思を推し進める機関である。政府(国の政治をする機関)は国民に従わねばならないのであって、逆に国民が政府に従わねばならないのではない。
例えば、幕府は当時の国民が日本を中国化する目的で作った政治機関である。中国が国家宗教をやっていなかったから、幕府も国家宗教をやっていなかった。幕府も政府も日本の政治機関としては同じものである。
今の国民は国家宗教をやらないから、今の政治機関も国家宗教をやらないべきである。
だから、今の国民にとっては国家宗教をやる政府は要らない。国家宗教で法律を作っている国会も要らない。
今の国民にとっては『国家宗教をやらない身分制もやらない民主主義の政治機関』が必要である。政府(国の政治機関)が身分制をやると国民にとって不利なので、今の国民は身分制に反対なのである。
しばらく待っていれば、そのうち『国家宗教をやらない身分制もやらない民主主義の政治機関』ができるだろう。
とにかく、今の国民にとっては今の国家宗教をやる政府は要らない。
だから、今の国民が今の政府に従う必要はない。今の国民と今の政府は原理的に相容[あいい]れない。今の政府は狂っている。だから、今の政府は滅ぶべきだ。新しい物を作るためには、古い物を滅ぼさねばならない。
[9311] 政府から幕府へ h22.1.16
昔の日本政府が純粋に国家神道をやっていたのは古墳時代の約400年間だけである。
日本は飛鳥時代に中国(隋[ずい])と国交ができて、それ以来中国文化を取り入れて行った。
当時の日本国民が日本文化よりも中国文化のほうが優れていると思ったからである。
そのために、政府(国の政治をする機関)は国家体制を天皇制から武家制へ代えて行き、最終的には幕府だけになったのである。国民が政府とは別に幕府を作って徐々[じょじょ]に幕府を広げていったと考えられる。
ところで、今の国民は『神に従う意思』はない。今の国民は戦争をする国よりも戦争をしない国のほうが優れていると思っている。国が戦争をすることと国が国家宗教をすることは同じである。だから、今の国民は国家宗教をする国よりも国家宗教をしない国のほうが優れていると思っている。だから、今の国民は『神に従う意思』がないのである。
だから、政府(国の政治をする機関)は日本を国家宗教のある国から国家宗教のない国に代えねばならない。
今の政府のように神を神武天皇から私に入れ替えて国家宗教をするのではなく、国家宗教のある身分制のある帝国主義の国から国家宗教のない身分制のない民主主義の国に代えねばならない。
[9312] 今の政府は国民から税金を取れるか?☆ h22.1.16
古墳時代や世界大戦以前には日本国民みんなは『神に従う意思』があったから国民みんなは政府に従わねばならず政府は国民みんなから税金を取れたが、今の国民のほとんどは『神に従う意思』がないから国民のほとんどは政府に従わなくてもよく政府は国民のほとんどから税金を取れないのである。政府から幕府への移行期には、国民は政府か幕府のどちらかに税金を払ったのだろう。
[9313] 新しい幕府は作れるか? h22.1.16
『神に従う意思』のある者は今の政府に従って政府に税金を払って政府に保護?されるが、『神に従う意思』のない者は政府に従わず政府に税金を払わず政府に保護されない。
『神に従う意思』のない者は無防備である。
だから、『神に従う意思』のない者を対象にして、『民主主義の政治サービスをする会社』(新しい幕府)を作れば儲[もう]けることができる。
かつて政府が幕府に代われたのだから、政府が新しい幕府に代われないことはない。
かつても中国文化に触れて『神に従う意思』をなくした者が幕府を作ったのだろう。『神に従う意思』がなければ、もはや政府に従う必要はないからである。
[9314] どうして憲法に身分制が書いていないのか? h22.1.17
国家宗教のある国においては、政府は国民よりも身分が上である。政府は自由に国民を殺したり国民の財産を奪ったりすることができる。政府は国民に神と同じことをさせることができるし、国民は神と同じことをすることができる。
しかし、それらのことは憲法には一言も書いていない。
それは、宗教の世界においてはそんなことはわかりきったことだからである。当たり前すぎることはいちいち書いていないのである。
憲法には、「1+1=2」とか「太陽が東から昇る」ようなわかりきったことは書いていない。だから、「日本政府が国家宗教をやる機関である」ことや「政府が国民よりも身分が上である」ことなどは書いていないのである。「国民に『神に従う意思』がなければ、政府に従わなくてもかまわない」ことも書いていないのである。つまり、今の国家宗教のない時代においては政府もないに等しいのである。
[9315] 憲法はハッタリである。☆ h22.1.17
政府は国家宗教をする機関である。国家宗教では、政府が信者である国民に神と同じことをさせることができる。
憲法を作ったのは国会つまり政府であり、政府は信者よりも身分が上だから、政府が信者である国民に対して嘘をついてもいいのである。つまり、憲法はじつはハッタリなのである。だから、実際には、政府も国民も憲法を守らなくてもいいのである。神武天皇が「東に攻めない」と言っておきながら東に攻めたり、私が子供の頃に時々嘘[うそ]をついたことがあるから、政府は国会議員に嘘をつかせて嘘の憲法や法律を決めさせているのである。つまり、憲法や法律は形の上であるだけで実際にはないに等しいのである。憲法や法律は無意味な記号が並んでいると思えばいいのである。[だから、例えば、「憲法第9条」を犯して日本に自衛隊があったり、「非核三原則」を犯して佐世保にアメリカの原子力空母が停泊したりするのである。原子力空母は、原子炉の制御棒を抜けば原子炉が爆発してそれ自体が原子爆弾となる。]実際には、日本には神武天皇や私の神制度があるだけである。つまり、日本では、T.政府が信者に神と同じことをさせたり、U.信者が神と同じことをしたり、V.政府が信者よりも身分が上である『国家宗教における憲法』があるだけである。[もっとも、国民に『神に従う意思』がなければ、それらの“憲法”は国民には適用されないが。キリストも「3日後に復活する」と言っておきながら復活しなかったので、ヨーロッパの憲法や法律も日本と同じようにハッタリなのである。戦前の日本で詐欺[さぎ]が横行していたのは、神武天皇が嘘をついたことを使って国民みんなが嘘をついてもよかったからである。選挙の候補者が嘘の抱負[ほうふ]ばかり述べるのも、候補者が神武天皇や私が嘘をついたことを使って嘘をついているからである。しかし、今の日本では国民のほとんどが『神に従う意思』がないから国民のほとんどは日本神道の信者ではなく、国民に対して嘘をつくことはいけないことである。]
社会科の教科書に「政府が民主主義の政治機関である」と書いているのは、政府が神武天皇や私が嘘をついたことを使って教科書の著者に嘘を書かせたからである。[私が中学3年生の時、生物学の増田先生の代理で矢野清八郎[やのせいはちろう]先生が教えた時、授業の合間に矢野先生が「本のまちがいに気付いて出版社にそのことを書いて送ったら賞状をもらった」と嬉しそうに話したことがある。]
[9316] 今の国民が税金を払わなくてもいい訳[わけ] h22.1.17
今の国民は『神に従う意思』がない。だから、国民は神制度の政治機関である政府に従わなくてもいい。だから、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。
しかも、今の日本にはまだ『民主主義の政治機関』は出来ていない。国民はその機関と契約を取っていない。だから、国民は税金(政治料金)を払わなくてもいいのである。
コンビニ事件の一件でもわかるように[[9299] を参照]、裁判所や警察は日本神道の信者以外の者の面倒も見てくれる。[事件現場にパトカーが行ったはずである。]裁判所や警察は必ずしも政府の付属機関ではない。裁判所や警察は日本神道の信者以外の者の味方である。[もしも、裁判所や警察が日本神道の味方だったら、犯人は無罪になったはずである。]だから、国民は裁判所や警察に面倒を見てもらうために日本神道に入るために日本政府に税金を払う必要はないのである。つまり、税金は日本神道に入っているための月謝のようなものである。
[9317] NHKは政府の付属機関ではない。 h22.1.17
NHKは税金で経営されていない。
だから、NHKは政府の付属機関ではない。民営機関である。
裁判所や警察や消防署が政府から独立して民営化されたら、NHKの集金人のように国民ひとりひとりといちいち契約を取って集金しなければならない。
サービス料金しだいで契約が取れるだろう。だから、あまり高いサービス料金にはできない。
国民はNHKのようなつまらないテレビ局にも毎月お金を払っているくらいだから、裁判所や警察や消防署にもきっとお金を払うはずである。テレビは娯楽にすぎず、警察は実用だから、テレビよりも警察のほうを優先するだろう。
[9318] 国家宗教のある国 h22.1.17
国家宗教のある国は、国民みんなが他人に嘘をついても他人を殺してもいい世界である。
なぜなら、国家宗教の神が嘘をついたり人殺しをしたりしたことがあるからである。[私は人殺しをしたことはないが、私が小学3〜4年生の頃に南団地の遊園地でブランコに乗って遊んでいた時に、急に3歳ぐらいの男の子が私の乗っているブランコの前に飛び出してきて、私は急いで足を地面につけてブレーキをかけたが勢い余ってブランコの椅子を男の子の頭にぶつけたことがある。男の子は黙[だま]って倒れて近くにいた母親が駆け寄ってきたが、私はヤバイと思って急いで逃げ出した。2週間ぐらい経ってから南団地に行ってみると、遊園地の横の住宅に黒い花輪が2つ飾っていた。しかし、私は自分がその男の子を殺したとは思わなかった。おまけに、私が小学3年生の時スーパーで万引きをしたり、小学4年生の頃岡部[おかべ]君の家で班の話し合いがあった時私が岡部君の部屋にあった統計調査に使うカウンターを盗[ぬす]んだことがあるので、万引きや泥棒をしてもいことになる。]
国家宗教のある国では、他人に嘘をついてもいい他人を殺してもいい世界の中で出世した人間が優れた人間だと見なされるのである。卑怯[ひきょう]で残酷な人間が優れた人間なのである。つまり、軍人としての才能のある者が優れた人間なのである。国家宗教のある国は、スパルタのような優れた軍人を育成するためにある国なのである。
反対に、文明社会では、知的才能が重視されるから、他人に嘘をついたり他人を殺したりすることが禁止されている。文明社会では、頭のいい者が優れている人間だと見なされるので、国家宗教がないのである。文明社会では、頭のいい人間が優れた人間であり、頭の悪い人間が劣った人間だと見なされるので、法律を破った頭の悪い人間が罰せられて不利にされるのである。
日本は文明社会であり、頭のいい人間が優れた人間だと見なされるので、国家宗教がないのである。軍事的才能も戦争になればもちろん役に立つ。しかし、今は使い道(ニーズ)がないのだ。
[9319] 国家宗教は国のためにある。 h22.1.18
よく見ると、日本は古墳時代にもすでに朝鮮に遠征をしていた。私は社会科が苦手だったので、すっかり忘れていた。
だから、国家宗教は最初から国内の平和と外国への遠征の2つの目的のためにあったのだ。
だから、かっこよく言えば、国家宗教は国のためにあるのだ。
その後日本が中国化されて国家宗教をやらなくなるにつれて、日本は外国との戦争をしなくなった。
日本が明治維新を迎えて国家宗教を再びやるようになると、再び日本は外国に遠征するようになった。
だから、要するに、国家宗教は戦争のためにあるのだと言える。
しかし、今は世界中で侵略戦争が禁止されている。国民が幸福になるために外国を征服して外人を奴隷にすることが禁止されている。だから、国家宗教をやってはいけない。
[9320] 外見よりも才能 h22.1.18
文明社会では、頭のいい人間が優れた人間だと見なされる。
しかし、最近の日本では、外見のいい人間が優れた人間だと見なされている。
しかし、それでは、男も女も取り柄がない。男も女も自分の才能を磨[みが]かずに外見ばかり磨くのでは、もはや人間であるとは言えない。
最近は、男も女も化粧ばかりして、自分の才能を磨こうとしない。
最近の日本は文明社会ではないのかもしれない。
[9321] 国家宗教のある国と文明社会 h22.1.18
国家宗教のある国では、嘘をついていいから契約が成り立たないし、人を殺してもいいから警察は要らない。[政府が国民と契約を取らずに国民から一方的に税金を取っているのは、国家宗教のある国ではそもそも契約が成り立たないからである。しかし、『神との契約』はそれでも成り立つ。まず最初に『神に従う契約』をしてから、神が嘘をついたことを使って、その他の契約が無効になるのである。]国家宗教のある国では、他人を騙[だま]したり、他人を殺したりする才能が尊[たっと]ばれる。国家宗教のある国は、嘘つきや人殺しが栄える国である。
反対に、文明社会では、嘘をついてはいけないから契約が成り立つし、人を殺してはいけないから警察が通用する。文明社会では、他人に真実を伝えたり、他人の役に立つ才能が尊[とうと]ばれる。文明社会は、正直者や仕事人が栄える社会である。
国家宗教と文明とは相容[あいい]れない。
国家宗教は原始社会向きであって、文明社会向きではない。
文明社会においては、国家宗教はない。
日本神道に入ったら日本神道の者に殺されても文句は言えない。私はそんな恐ろしい宗教に入りたくはない。
日本政府は日本を国家宗教のある国にしようとしている政治機関である。そんな危ない政治機関はなくなったほうがいい。幸いにも、国民に『日本政府が決めた神に従う意思』がなければ、国民は政府に従わなくてもいい。
夫婦の縁[えん]は子が鎹[かすがい]とは、夫と妻の子供に対する愛情によって夫婦の絆[きずな]が出来ていることである。それと同じように、国民と政府の縁は神が鎹[かすがい]なので、国民に『神に従う意思』がなければ、もはや国民と政府の縁はないのだ。
日本国民の大半が政府に従わなくなれば、政府は潰[つぶ]れるだろう。
[9322] なぜ神武天皇は今でも神なのか? h22.1.18
今の日本神道の神は私と神武天皇の二人である。
だから、天皇の人間宣言が嘘だったことになる。
日本政府は神武天皇が嘘をついたことを使って、昭和天皇に嘘をつかせたのである。
つまり、天皇も国会と同じように政府の付属機関であり、天皇の身分は信者と同じなのである。天皇よりも政府の政治家のほうが偉いのである。そもそも天皇が神武天皇の子孫ではないのに子孫のふりをしているのは、政府が神武天皇が嘘をついたことを使って天皇に嘘の芝居をさせているからである。[日本神道にとって、神武天皇は神だが、神武天皇以外の天皇は信者なのである。]
ところで、神武天皇は人殺しをしたことがあるし、私は子供の頃に万引きや泥棒をしたことがある。だから、日本神道の世界では、強盗殺人をしてもいいことになる。
[9323] 私の情報を信者に公開しない訳[わけ] h22.1.19
私の情報は政府は知っているが、政府以外の者は知らない。[私のホームページを読めば、私についてのかなりの情報が得られるが、それでも述べられていない情報がかなりある。]
だから、政府が信者に私と同じことをさせることはできるが、信者が自分から私と同じことをすることはできない。
信者が勝手に私と同じことができると、政府の支配力が弱まるので、政府は私の情報を信者に公開しないのだ。[しかし、実際には、信者同士で私についての情報を交換し合って、私と同じことをやっているようである。]
[9324] 政教分離☆ h22.1.19
政教分離も、政府が神武天皇やキリストなどが嘘をついたことを使って国会に嘘をつかせてやらせた芝居である。
実際には、いまだに政府と宗教は分離していない。
政府はあいかわらず国家宗教をやっている。政府は民主主義の政治をやる機関ではない。
最近は、政府が嘘をつくことが多い。政府は国民の目を気にして嘘ばかりついている。正直に宗教をやったことがない。
政府が国民に隠れて国家宗教をやらねばならないくらいならさっさとやめてしまえ!
したがって、今の政府は国家宗教をやる機関である。ところが、今の国民には『神に従う意思』がない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
[9325] 反文明社会 h22.1.19
今でも、世界のいくつかの国では国家宗教をやっている。
それらの国では、国民が反文明的である。
それらの国の国民は文明的であることを嫌っている。
だから、今でもそれらの国では国民みんなで国家宗教をやって文明を退[しりぞ]けているのだ。
日本人がそれらの国に行くと、追いはぎや置き引きに会いやすい。素直に金や物を差し出さなければ殺される場合もある。いくら海外旅行用のパンフレットにいい国だと書いてあっても、実際に行ってみたらガラの悪い国である。[私は外国に行ったことはないが。]
それは、それらの国では追いはぎや置き引きや殺しが国家宗教によってやってもいいこととされているからである。
悪いことをして生き残ることが人間として優れていることと見なされているからである。そうでもしないと生き残れない国だからである。
だから、日本は国家宗教がない国なのである。さすがに日本は文明国である。
日本も昔は国家宗教がある国だったが、今ではない国になったのだ。しかし、不況が長く続けば、将来再び国家宗教がある国になるかもしれない。日本が国家宗教のない国になるように努力しなければならない。
日本政府は日本を国家宗教のある国にしようとしている政治機関である。日本政府は日本を国家宗教のある国にするために、日本を不況にしている。日本政府は自分が生き残るために日本を不況にしている。日本政府が日本の不況の原因である。政府は貧乏神である。だから、国民は政府をなくさなければならない。
[9326] 政府は国家宗教のバロメーター h22.1.19
国家宗教のある国には政府がある。
国家宗教のない国には政府がない。
政府は国家宗教のバロメーターだ。
今でも世界のいくつかの国では国家宗教をやっている。
実際に、国家宗教のある国は景気が悪い。
国家宗教のない国は景気がいい。
国家宗教は不景気のバロメーターだ。
したがって、景気の悪い国には政府がある。
景気のいい国には政府がない。
政府は不景気のバロメーターだ。政府の強さと不景気の強さは比例する。
国家宗教のある国では、国民が神と同じことならなんでもすることができる。嘘をついたり、他人[たにん]の物を盗ったり、他人を殺したりできる。[例えば、キリスト教国では「愛する家族のため」という理由でどんな犯罪でもできる。たとえ本当は家族がいなくても、キリストが嘘をついたから、嘘の理由で犯罪を犯してもいいのである。]
したがって、国家宗教のある国には法律がない。つまり、政府があると法律がない。
国家宗教のない国には法律がある。
国家宗教は国民が法律を犯すためにある。
国家宗教のある国では、国民が貧乏なので国家宗教を使って犯罪を犯さなければ生きて行けないのである。国家宗教は必要悪なのである。
国家宗教は、貧乏人や犯罪者が支持するものである。
国家宗教は、裕福な市民や善良な市民が支持するものではない。
[9327] テレビの見すぎ h22.1.19
政府が民主主義の政治をする機関だと思っている人は、テレビの見すぎである。
政府が日本神道の神である神武天皇や私が嘘をついたことを使って、国会議員に嘘をつかせて民主主義の芝居をやらせているだけである。国会は、政府が国民に対して嘘をつくためにある機関である。
テレビは作り事の世界であって、本当の世界ではない。テレビの基本はアニメやドラマであって、ドキュメンタリーではない。
だから、テレビでやっていることを真[ま]に受けてはならない。[新聞も同様である。]
事実は自分の眼で直接に見るものであって、テレビや本で見るものではない。
[9328] 国家宗教のある国 h22.1.19
国家宗教のある国では、国民が神と同じことをすることができる。例えば、嘘をついたり、他人の物を盗ったり、他人を殺したりすることができる。当然、それらは無罪である。だから、警察も見て見ぬふりをしている。国家宗教のある国では、警察はただの置き物である。[警察が役に立たないので、民間の警備会社が繁盛[はんじょう]しているのである。]
国家宗教のある国では、法律は通用しない。
国家宗教のある国は、嘘つきや泥棒や人殺しが栄える国である。悪い人間ほど出世できる国である。
しかし、今の日本は、そんな風ではない。それは、今の日本が国家宗教のない国だからである。世界大戦後、大勢の日本人が国家宗教をやめたからである。
それなのに、政府はいまだに国家宗教をやっている。政府は密かに国家宗教をやっている。政府は勝手に国民全員を国家宗教の信者と見なして、身分が上であることを使って国民の財産を税金として盗[と]ったり、神制度を使って信者に事件を起させて国民を殺したりしている。
しかし、今の国民は国家宗教(日本神道)の信者ではない。今の国民は国家宗教に反対である。国民は法律のない世界なんか望んではいない。だから、国民は政府を倒さなければならない。
政府を倒すには刃物は要らない。政府は国家宗教をする機関だから、国民がただ『政府が決めた神に従う意思』を持たなければいいだけである。そうすれば、国民は日本神道の信者ではないから、日本神道の幹部である政府の命令に従わなくてもよく、政府は孤立して潰れるしかないからである。
[9329] 政府は国のためならず。 h22.1.19
政府が外交をやって国際的に日本を有利にしていると思っている国民がいるのも、政府が国会議員に嘘をつかせて国民を騙[だま]しているからである。
政府が神武天皇や私が嘘をついたことを使って、国会議員に嘘のめでたい話をさせて、国民を喜ばせているだけである。どうせ国民なんかに国際情勢なんかわからないと思って、出鱈目[でたらめ]な作り話をしているだけである。
一般に、政府は神武天皇や私が嘘をついたことを使って、国会議員にいろんな嘘をつかせて、国民を騙して、国民に政府が有能だと思い込ませている。政府が国民のために役に立っていると思わせている。国会が政府が国民に対して嘘をつくためにある機関であることを知らない国民は、それらを全部真に受けている。
実際には、政府は役立たずである。政府は国家宗教をして、国民から税金を取ったり国民を殺したりするしか能がないくだらない機関である。
[9330] 国家宗教のない時代 h22.1.20
国家宗教のある時代においては、神を信じない(つまり、神に従う意思がない)だけで殺された。
それは、当時は、国民みんなが国家宗教に入ることが国民みんなが決めた法律だったからである。だから、国家宗教に入らなければ死刑にされた。
しかし、今は、反対に国家宗教のない時代である。つまり、今は国民みんなが国家宗教に入らないことが国民みんなが決めた法律なのである。だから、国家宗教をやっていると死刑にされる。
国家宗教のない時代においては、国家宗教の神(例えば、私や神武天皇など)を信じるだけで殺される。
国家宗教のない時代においては、国家宗教をやる機関は殺される。つまり、政府は潰される。
[9331] どうして国民は政府を民主主義の政治機関だと思っているか?☆ h22.1.20
政府は古墳時代から今までずっと国家宗教をする機関である。
世界大戦以前には、国民みんなが国家宗教に入っていたから、政府は公[おおやけ]に国家宗教をやっていた。
しかし、世界大戦後は、国民みんなが国家宗教をやめたから、政府は公に国家宗教をやらなくなった。政府は国民の反感を買わないように、国民にバレないように国家宗教をやるようになった。
政府は、神武天皇や私が嘘をついたことを使って、国会議員やその他の政府の付属機関の職員に嘘をつかせて、民主主義の政治の芝居をさせるようになったのである。
それで、今の国民は政府の下手な芝居に騙[だま]されて、政府を民主主義の政治機関だと思っているのである。国民は政府を正義の味方だと思って信頼しているのである。
実際には、政府は今でも国家宗教をやっている。政府は国家宗教をやって、身分制を使って国民から一方的に税金を取ったり、神制度を使って信者に国民を殺させたりしている。政府は余計な行政(国民に神と同じことをさせること)をたくさんやって、税金を無駄使いしている。神制度は江戸時代にはやっていなかったのだから、本来どうでもいいことである。税金で収入が得られれば楽だから、政府は今でも国家宗教をやっているのである。税金を取るためには『身分制』がどうしても必要であり、身分制のためには国家宗教をやらざるを得ないので、政府は国家宗教をやっているのである。[政府はつまらないところに律儀[りちぎ]である。]つまり、今の時代では国家宗教は政府が収入を得るための手段にすぎないのである。[政府にとっては大事だが、国民にとってはくだらない理由である。]
しかし、現代では国家宗教は禁止されている。政府は国民を騙して国家宗教をやっている。国民は政府を倒さねばならない。
国民は政府よりも強い。国民がその気になれば政府などひとひねりだ。
[9332] どうして昔は国民みんなが国家宗教に入らなければならなかったのか?☆☆☆
h22.1.20
昔は「神に従う」ことが法律だった。つまり、国家宗教が法律だった。国家宗教に入らない者は法律を守らない者とされて厳しく罰せられた。
今は「人間の権利を守る」ことが法律である。『経験と帰納』によって人間にはいくつかの“権利”があることが明らかになった。『科学』によって法律が洗練されたものとなり、国家宗教は古臭い原始的な法律と見なされるようになった。[アリストテレスの4元素説と現代の化学の違いのようなものである。人間の“権利”は、物体の“運動量”や“エネルギー”のようなものである。]
それで、今は国家宗教が要らなくなったのである。神が要らなくなったのである。
しかし、それでは政府が『収入』が得られないから、政府は一生懸命に民主主義の政治の芝居をやって国民の目をごまかしながら密かに国家宗教を続けているのである。民主主義の政治では司法と立法だけになって政治機関がほとんど儲[もう]からないので、政府は国家宗教をやって『行政』をやって余計な仕事をたくさん増やして儲けているのである。政府は国家宗教をやって『身分制』を使って国民から一方的に税金を取っているのである。
[9333] 宗教は心の鏡 h22.1.20
国家宗教では信者(国民)が神と同じことをすることができる。神が嘘をついたから信者は嘘をつくことができるし、神が人を殺したから信者は人を殺すこともできる。
しかし、神は必ずしも悪いことばかりしたわけではない。神はいいこともたくさんした。
善い人間は神のいいところを真似る。
悪い人間は神の悪いところを真似る。
だから、宗教は信者の心を映す鏡なのである。
つまり、国家宗教では規制が緩[ゆる]くて法律としては不完全すぎるのである。
[9334] 政府は政治機関に向いていない。☆ h22.1.20
神の概念に基づく国家宗教は不完全な法律である。
人権の概念に基づく現代法はより完全な法律である。
政治機関はできるだけ完全な法律体系を採用すべきである。
だから、国家宗教を法律として採用している今の政府は政治機関としては不適当である。今の政府は現代法を紙の上に置いているだけで実在の社会に適用していない。
現代では、現代法が法律であって、国家宗教は法律ではない。
早く日本に現代法を法律として採用する政治機関を作らねばならない。
[9335] 国家宗教における犯罪 h22.1.20
国家宗教では、信者(国民)は神と同じことをしなければならない。
信者が神と違うことをすれば罰せられる。
昔は国家宗教が法律だったから、国民が神と違うことをすれば罰せられたのである。例えば、キリストは馬鹿だったから、頭のよかったブルーノやガリレオが殺されたり殺されかけたりしたのである。
もしも、今の日本が国家宗教のある国だとすれば、今の日本の国家宗教の神は私だから、私の意思に反したことをした者は罰せられるはずである。[だから、例えば、私と違うと見なされたアニメのビデオが売られていなかったり、放送が打ち切りにされたりするのである。たとえ打ち切りでなくても、全13話になったりするのである。]たとえ政府の者でも罰せられるはずである。
私は政府に反対だから、私を神とする国家宗教のある国では政府を滅ぼさねばならない。
民主主義で国家宗教が出来た(つまり、国民みんなが特定の宗教に賛成したから国家宗教が出来た)ように、国家宗教で民主主義を作ることができる。つまり、国家宗教のある国で国家宗教によって国家宗教のない国を作ることができる。
また、反対に今の日本が国家宗教のない国だとすれば、国民の目をごまかして密かに国家宗教をやっている日本政府は滅ぼさねばならない。つまり、日本が国家宗教のある国であってもなくても、どっちみち日本政府は滅ぼさねばならない。
[9336] 国会とは何か?☆ h22.1.20
国家宗教のある国では、国会は国家宗教で法律を作る。
つまり、国会は神の伝記に基づいて、信者が守らねばならない細かい決まりを作るのである。つまり、国家宗教のある国における法律とは神制度のことであって、信者は神と同じことはしてもよいが、神と違うことはしてはいけないのである。神と違うことをした信者は罰せられる。
今の国会は、国家宗教をやる政府の付属機関だから、今の国会の作る法律はそんなものである。
今の国会の作る法律は人権の概念に基づく現代法ではなく、神の概念に基づく国家宗教の法律である。[戦後アメリカが作った現代法の日本国憲法は、国家宗教のある日本においては形だけの置き物であって、実在の社会には適用されない。日本国憲法は、国民が守らなくてもいい死んだ法律なのである。]
つまり、今の国会は『現代法にも国家宗教にも見える法律』を作っている。例えば、国民健康保険の自己負担率が“3割”(3割←三ワリ←川ブ(ワ≒フ、リ≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前))だとか、“家電”“リサイクル”法(家電←かでん←か+天←川野+天皇、リサイクル←回る←私が赤ちゃんの頃に天井に吊ってあったガラガラが突然回った。)とかである。だから、今の国会は国家宗教で法律を作っていると言えるのである。[日本の国家宗教は駄洒落[だじゃれ]でやるのが伝統だから、これでも国家宗教をやっていることになるのである。つまり、日本では神と同じことをやってもいいだけではなく、駄洒落で神に因[ちな]んだことでも何でもやっていいのである。]このまま国民が政府におとなしく従い続ければ、そのうち国会は「現代法には見えない国家宗教にしか見えない法律」を作るようになるだろう。
しかし、今は現代法の時代である。だから、今の国会は政府といっしょになくなったほうがいい。
しかも、今の国会は国家宗教に伴う『身分制』によって国民よりも上の者(厳密には、政府と国民の中間ぐらいの身分)として、国民に対して偉そうにしている。早く国会はなくなったほうがいい。
[9337] 日本の戦前と戦後 h22.1.20
戦前の日本では、国家宗教(日本神道)が法律だった。つまり、日本国民はみんな生まれつき日本神道の信者だった。
しかし、戦後の日本では、日本国憲法が法律になった。日本国民はみんな政府がハッタリで作った日本国憲法を守って生きるようになった。
ただし、日本政府だけは依然[いぜん]として国家宗教(日本神道)が法律である。ただし、神は神武天皇と私の二人である。
今の日本では、国民が日本国憲法を守り、日本政府は日本神道を守っている。
今の日本では、国民が日本国憲法を法律とする政治機関であり、日本政府が日本神道を法律とする政治機関である。
今の日本では、国民と政府が別々の法律で動いている。国民と政府が分裂している。だから、政府は国民を法的に管理することができない。だから、国民は政府に従う必要はない。
今の日本には、国民にとってはまだ司法機関や立法機関は出来ていない。今のところは国民が自分で立法機関と司法機関を務めている。[国民が自分で自分の政治機関を務めているから、税金(政治料金)を払わなくてもいいのである。いざとなったら、国民が警備会社に頼んで犯人を殴ったり殺したりしてもらえばいい。]
今の日本には、政府にとっては自分に従う国民がいない。
国民は政府がなくても生きていけるが、政府は国民がいなければ税金を取れずに死んでしまう。
「政府だけでは政治ができない」ことを政府は知らねばならない。
[9338] 日本は田舎[いなか]の国☆ h22.1.20
日本は戦前まで国民と政府がいっしょになって国家宗教をやっていた。
だから、日本の近代は、ヨーロッパの中世である。
日本は戦後、国民は現代法をやり、政府は国家宗教をやるようになった。
だから、日本の現代は、ヨーロッパの近代である。
日本はいつもヨーロッパよりも100年〜200年遅れている。[ニーチェが「神が死んだ」と言った時、日本では「天皇陛下(日本の神)万歳」と言っていた。アメリカも日本と同様に遅れている。]
今のヨーロッパは、国民と政治機関がいっしょになって現代法をやっているのだろう。
日本もあと100年〜200年経てば、そんな風になるのだろう。
[9339] 分裂国家 h22.1.20
今の日本では、国民は現代法で、政府は国家宗教(中世法)で動いている。
今の日本では、国民と政府が噛み合っていない。国民と政府がバラバラだ。
だから、国民は政府を無視して政府から独立してやっていくしかない。
国民は早く現代法を法律とする政治機関を作らなければならない。国民といっしょになってやっていける政治機関を国民の手で作らなければならない。
[9340] 政府は偉いか? h22.1.21
政府が偉いと思うのは、古臭い国家宗教(中世法)の名残だ。国家宗教の世界では、神制度に伴う『身分制』によって政府が国民よりも身分が上だったから、国民にとって政府は偉かったのである。政府がいまだに『国家宗教の世界』の中に生きていて、政府が独[ひと]りよがりで威張っているので、政府が偉く見えるだけのことである。
現代法においては、もはや身分制はなく、政府は国民よりも身分が上ではないから、政府は国民と平等である。政府は“国民の人権を守るためにある機関”だから、国民よりも偉いわけではない。
だから、現代法の世界では、国民は政府を偉いと思わなくていいのである。
政府が国民の上に立ちたければ、国家宗教を国民の眼の前で堂々とやってみろ!国民に隠れてコソコソ国家宗教をやらねばならない者が、国民よりも偉いわけがない。
[9341] どうすれば天下を取れるか? h22.1.21
今の日本国民のほとんどは、日本国憲法のような現代法を守っている。
日本の一部に、いまだに国家宗教のような古臭い古墳時代の法律を守っている異常者がいるだけである。
だから、今の時期なら『現代法を法律とする政治機関』を最初に作った者が日本を取れる。
身分制は国家宗教ほど強くはないが、現代法にも少しはある。
たとえ安月給でも『潰れない会社』は、いつの時代にも国民の憧[あこが]れの的[まと]である。
貴方[あなた]は、そんな会社を作ってみたいとは思わないだろうか?
[9342] 国民は政府に税金を払わなくていい。 h22.1.21
国民に民主主義をやっていると言って、じつは国家宗教をやっている会社ではいけない。
そんな国民を馬鹿にした会社に税金を払う必要はない。
政府が国民に税金を払って欲しければ、ちゃんと政治をやれ!裏表のない政治をやれ!
政府が国家宗教をやるかぎり、国民は『神に従う意思がない』ことを理由にして政府に税金を払ってやらないぞ。
今は国家宗教が法律の時代ではない。だから、国民は生まれながらに日本神道の信者なのではない。だから、国民には自分が日本神道の神に従うか従わないかを決める自由がある。国民が日本神道の神に従わなければ、国民は日本政府に従わなくてもかまわない。だから、税金も払わなくていいのだ。
今は現代法が法律の時代だから、現代法を法律にする政治機関でなければ国民はいっしょに政治をやりたいとは思わない。ところが、今の日本政府はいまだに国家宗教を法律にしている。だから、国民は今の日本政府には従わない。将来、日本に『現代法を法律にする政治機関』が現れるまでのしばらくの間は、国民は何にも従わずに生きていくのだ。
私が政府と掛け合って話をつけるのを当てにしてはいけない。たまには国民が自分で考えて行動するのもスリルがあって面白いだろう。
[9343] 今の政府には政治をする資格がない。☆ h22.1.21
政府は昔から国家宗教をやる機関である。
ところが、戦後、日本国民は連合国の指導もあって国家宗教をやめてしまった。日本国民は戦争のためにいやいや国家宗教をやっていたから、戦争が終わると同時に国家宗教をやめたのである。国民は神主義(国民の一人あるいは架空の人物を神に決めて、国民みんなが神に合わせること)の国家宗教を法律とするのをやめて、民主主義の現代法を法律とするようになった。
政府は国民に従っていなければ生き残れない。政府が国民の反感を買うと国民によって滅ぼされる。
そこで、戦後日本政府は自分が生き残るために民主主義の芝居を加えて、神を国民に公開せずに隠れて国家宗教をやるようになった。[日本政府が民主主義をやっているふりをしてやっていないのも嘘だし、国家宗教をやっていないふりをしてやっているのも嘘である。]
だから、実際には、政府は今でも国家宗教をやっている。そのほうが政府が儲[もう]かるからだ。政府が国家宗教をやるかぎり、『行政』で余計な仕事がいくらでもやれるし、『身分制』で国民から税金がいくらでも取れる。
ところが、日本国民は戦後は国家宗教をやめた。国民は現代法をやっている。
政府と国民は守る法律が違っている。世界が違っている。
ところで、政府は国民をひとつにまとめることが仕事である。キリストが羊[ひつじ]の番人をしていたように、政府は国民の番人である。
だから、政府は国民に合わさなければならない。政府は国民に従わねばならない。羊の番人が羊の習性に合わせるように、政府は国民の思想に合わさなければならない。
しかし、今の政府は国民に従っていない。国民が現代法をやっているのに、政府は国家宗教(中世法)をやっている。
国民が今の政府に従っていると、そのうち日本が『国家宗教のある国』になってしまう。国民も政府といっしょに国家宗教をやるようになってしまう。そのうちまた日本が戦争をするようになる。政府は戦争ゲームをしたいから、国家宗教をやりたがるのである。
だから、国民は政府に従わない。今の政府では、国民は政府を無視してやって行かざるをえない。
[9344] 戦争の条件 h22.1.21
ローマ帝国が大きな国になったのは、ローマ帝国の文明が他の国の文明に比べて抜群に優れていたからである。ローマ帝国は文明が優れていて、強い軍事力があったので、ローマ帝国は他の国に戦争で楽に勝てたので大きな国になれたのである。
近代のヨーロッパが植民地を求めて世界中に乗り出したのも、当時のヨーロッパの文明が他の国の文明に比べてはるかに優れていたからである。
近代の日本がアジア諸国に植民地を求めて繰[く]り出したのも、日本の近代化が他のアジア諸国に比べて早かったからである。[日本の近代化が早かったために、世界大戦後もしばらくの間は、日本はアジアをリードできた。]
しかし、日本の場合は、借り物の文化がヨーロッパ諸国の気に入らなかったせいか、ヨーロッパやアメリカの妨害を受けて、戦争が成功しなかった。
今は国際化の時代だから、一国の文明が他の国の文明に比べて格段に優れていることはない。だから、一国が戦争で他国に勝つことは難しい。たとえ戦争をやることはできても、勝つことはできない。戦争の時代は終わったのだ。
[9345] 国民について h22.1.21
国民が「政府が民主主義をやっている」と思って政府に従うのならまだしも許せるが、「政府が国家宗教をやっている」と知っていて政府に従うのは許せない。今の国民はどうかしている。
国民が、現代法が国家宗教(中世法)よりも正しいと思うなら、今の政府に従ってはいけない。
国民が今の政府に従うことは、日本を国家宗教のある遅れた悪い国にすることである。それは、もはや犯罪である。
国民が、現代法が国家宗教(中世法)よりも優れていると思うなら、今の政府を滅ぼすべきである。
政府も人間だから当然まちがっていることもある。だから、国民が政府に逆らうこともときには必要なことなのだ。大事なことなのだ。
世界大戦後、連合国の指導で現代法の日本国憲法が出来た。今の日本国民が現代法をやっているのに、日本政府はいまだに国家宗教(中世法)をやっている。日本国民は世界の趨勢[すうせい]に乗っているのに、日本政府は世界の趨勢に乗っていない。日本政府だけが世界の中で遅れている。だから、日本国民は日本政府に従ってはならない。
[9346] オレオレ詐欺[この文は、テレパシーでヒントをもらった。] h22.1.21
オレオレ詐欺とは税金のことである。
国民がわけもわからずに政府に税金を払っているから、オレオレ詐欺と言うのである。
国民は自分で考えて、政府にむやみに税金を払ってはいけない。
政府は自分が儲[もう]けるために、国家宗教をやって日本を悪い国に変えようとしている。つまり、国家宗教は政府がお金儲けをするための手段にすぎない。政府は『身分制』で楽に収入を得るために、国家宗教をやっているのである。政府が国家宗教でお金儲けをしていることが、国会議員の収賄事件に喩えられているのである。
政府が潰れたほうが、日本に明るい未来がある。
[9347] 赤信号みんなで渡れば怖くない。 h22.1.21
国民全員が政府に税金を払わなくなれば、さすがの政府も取り立てようがない。
国民全員と言わないまでも、ある程度多ければ政府はお手上げだ。
国民は政府よりも数でははるかに勝っている。
だから、国民の大半が政府に従わなくなれば政府は負けて潰れるしかない。
[9348] 政治家と国会議員 h22.1.21
政治家は政府の人である。
国会議員は、国会の人である。
国会は政府の付属機関だから、国会議員は政治家よりも身分が下である。[[9006]の図を参照。]
二人羽織で、顔を出しているのが国会議員で、後ろの黒子[くろこ]が政治家である。観客が国民である。
国会議員は国民に顔を出しているだけで、実際の行政は背後の政治家がやっているのである。
二人羽織が失敗ばかりするのは、国家宗教が古臭いオンボロな法律であるために実在の社会に適用してもうまく行かないからである。[二人羽織は、日本で明治以降にできた芸だと考えられる。]
[9349] 政府が国家宗教をやっていることの証拠 h22.1.21
1)政府は国民と契約を取らずに一方的に高い税金を取っている。政府が国家宗教をやることによって、政府が国民よりも身分が上の者となって、政府が『身分制』を使って国民から財産を取っているためである。
2)政府は行政をやっている。政府が民主制の機関であれば、行政はもっと規模が小さいはずである。政府が国家宗教をやって、『神制度』で国民に神と同じことをさせるために、行政で余計な仕事をたくさんやっているのである。
3)日本のマンガやアニメのキャラクターの顔や性格が似ている。それは、政府がマンガ家やアニメ会社に私に似せたキャラクターを作らせているからである。それは、たぶん、政府が外国の人に「日本が今でも国家宗教をやっている」と思わせるためだと考えられる。政府が国会議員にときどき私ネタ(私の日常生活における出来事)を使って脈絡のないことを喋[しゃべ]らせてお義理笑いをさせるのも、日本が国家宗教をやっていることを国内外の人に『宣伝』するためである。それらは、日本が国家宗教をやる国だということを外人に知らせて、日本の個性を『アピール』するためだと考えられる。しかし、実際には、『日本人のほとんどが国家宗教をやっていない』のが実情である。それは、外人が実際に日本に来て自分の眼で見ればわかることである。日本では、政府とその付属機関が国家宗教をやっているだけで、その他の国民は国家宗教をやっていない。たしかに今でも国家宗教を支持する者は世界中にたくさんいるが、それ以上に現代法を支持する者もたくさんいる。だから、あまり日本が国家宗教をやっていることをアピールすると、日本が世界中の人に嫌われる恐れがある。
4)政治家や国会議員が国民に対して偉そうにしているのは、国家宗教による『身分制』のためである。だから、『身分制』がなければ偉くもなんともない。[人間の偉さは、社会制度によって出来ているのである。]
したがって、政府は国家宗教を法律とする政治機関であって、現代法を法律とする政治機関ではない。
現代は、科学の時代であり、現代法の時代である。だから、政府はなくなるべきである。
[9350] 今の国民は政府に従わない。 h22.1.22
政府は国家宗教をやる機関である。[一見すると現代法をやる機関のようだが、よく見ると国家宗教をやる機関である。]
ところが、今の国民は現代法にしか従わない。
だから、今の国民は政府に従わない。[今の日本は、国家宗教が法律の国ではない。だから、日本国民は国家宗教(日本神道)の信者ではなく、日本国民は日本政府に従わなくてもかまわない。日本国民は日本政府の言うことを聞かなくてもいい。日本政府は日本国民に命令することができない。今の政府は日本神道の神である私や神武天皇が嘘をついたことを使ってハッタリを利かせて、国民に命令できるふりをしているだけだ。だから、納税書なんかを役所が送りつけてくるのである。]
国民は政府を倒して、『現代法を法律とする政治機関』を作るだろう。
日本国民はおとなしすぎる。日本国民が日本政府に従うままでは、日本が戦前のような国家宗教のある国になる。そうなると、もはや国民は政府の奴隷だ。だから、日本国民は、もっと外国を見習って政府に逆らわなければならない。
[9351] 日本国民は日本政府に税金を払ってはいけない。 h22.1.22
今の日本は、国家宗教が法律の国ではない。
だから、今の日本国民は日本神道の信者ではない。
日本政府は日本神道の幹部である。
だから、日本国民は日本政府の命令を聞かなくていい。例えば、税金を払わなくてもいい。
したがって、税金は日本神道に対する賽銭[さいせん]であると考えられる。
賽銭を払ってはいけないという法律はないから、日本国民は日本政府に税金を払ってもいい。
しかし、それでは日本政府が生き残ることになる。日本政府が大きくなる。
そのうち日本が戦前のような国家宗教が法律の国になってしまう。国民みんなが「川野様万歳!」とか「天皇陛下万歳!」とか言わねばならなくなってしまう。面倒臭い宗教の儀式に参加しなければならなくなってしまう。
だから、国民は政府に税金を払ってはいけないのである。
賽銭を払うのは年始参りの日だけでいい。
[9352] 天皇は不滅である。 h22.1.22
神武天皇は、第2次世界大戦で連合国に負けた。
しかし、すでに江戸時代にも神武天皇は徳川軍に負けている。
神武天皇はこれまでに2度負けている。
しかし、明治維新には神武天皇は復活した。
一度負けても、十分な時間を置くと、神武天皇は復活する。
だから、今後も神武天皇が復活する可能性がある。
もっとも、今は現代法の時代だから、もはや神武天皇の復活はありえないかもしれない。
[9353] 政治機関の入れ替え h22.1.22
日本では、古墳時代に日本政府が国家宗教(日本神道)で国を統一し、飛鳥時代に中国と国交を始めた。
中国の律令制は、日本の国家宗教よりも現実的で優れているように見えた。
それで、昔の日本人は積極的に中国の律令制を取り入れたのである。
そうして、日本政府に代わって江戸幕府が誕生したのである。[チョンマゲは日本風にした中国文化である。]
その後、江戸末期にアメリカが日本に来て、日本はアメリカと国交を始めた。
アメリカの立憲制(人権の概念に基づく憲法で国を治めること)は、日本の律令制(武家制)よりも優れているように見えた。
それで、日本は明治以降は積極的にアメリカの立憲制を取り入れたのである。
…となるはずだったが、なぜか日本は明治以降、再び以前の国家宗教に戻ってしまった。
そのせいで、日本の歴史は大きく狂ってしまったのである。
たぶん、当時の日本は「近代兵器で武装した軍事国家」を目指していたから、おとなしい立憲制よりも荒々しい国家宗教のほうが戦争に向いていると考えて、古臭い国家宗教をあえて法律として採用したのだろう。[人権は外人にもあるから、立憲制では戦争がやりにくい。一方、国家宗教では信者は神と同じことなら何でもすることができるから、神が人殺しをしたことがあれば信者は人殺しをすることができるから戦争がやりやすいのである。]
しかし、今は戦争の時代ではない。だから、国家宗教は要らない。
国家宗教は現代法に比べて遅れた劣った法律である。現代法は国家宗教よりも現実的で優れた法律である。
だから、国家宗教を現代法に入れ替えるべきである。国家宗教を法律とする日本政府を『現代法を法律とする政治機関』に入れ替えるべきである。
[9354] 長髄彦[ナガスネヒコ] h22.1.22
長髄彦とは、脛[すね]が長い男つまり格好[かっこう]のいい美男子のことである。
長髄彦は神武天皇によって倒された。
古来より、日本人は身体の外見にとらわれない精神的な文化を目指してきた。
しかし、世界大戦後は、アメリカ式の文化になって、外見にとらわれるようになっている。
それなら、アメリカ式の論理的な科学的な思考ができねばならない。現代法を守って生きていかねばならない。
アメリカ人の中身を無視して外見だけを真似るのでは駄目だ。
[9355] 立憲君主制とは何か? h22.1.23
今の日本は立憲君主制の国とされている。
立憲君主制の国とは、立憲制と国家宗教を合わせてやっている国である。[日本における君主制とは国家宗教のことである。立憲君主制が「君主の権限が憲法によって制限されている制度である」というのは、あくまでも学者の説にすぎず、私が述べたほうが正しいのだ。それも、政府が神が嘘をついたことを使って学者に嘘をつかせたのだ。]
つまり、国民にとっては政府は立憲制の政治機関であって、国民は現代法を守りながら生きている。国民が政府に訴訟すれば、裁判や立法をやってもらえる。
しかし、政府にとっては国民は国家宗教の信者であって、政府は国家宗教の身分制に従って国民を殺したり国民の財産を奪ったりしている。政府は神制度で行政をしたりしている。
つまり、立憲君主制の国とは、国民は現代法で、政府は国家宗教でやっている国のことである。国民と政府が違う法律を守っている分裂国家のことである。
立憲君主制の国とは、国の法律が国家宗教から現代法に代わる途中の国であるとも言える。
はたして、今の日本国民は立憲君主制を受け入れているのであろうか?
立憲君主制の国では、国民は政府を立憲制の政治機関と思っていて、政府は国民を国家宗教の信者と思っているが、両方とも誤解である。実際には、国民は国家宗教の信者ではなく、政府は立憲制の政治機関ではない。
要するに、立憲君主制の国とは、立憲制と国家宗教が重なっている国である。普通は、人間は自分にとって有利なほうを採るから、国民は国家宗教をやらないし、政府は立憲制をやらないので、上に書いたようになるのである。[この前のコンビニ事件では、被告の国家宗教への踏み込みが甘かったために有罪にされたのである。被告は「自分が国家宗教の神と同じことをやったから無罪だ」と自分が正しいことをしたという自信を持って誇[ほこ]らしげに言えばよかったのである。]
しかし、そんな国では現代法と国家宗教のふたつの法律があって、どちらが本当の国の法律なのかわからない。揉[も]め事があったとき、原告と被告の両方とも自分に有利な主張をしたら、判決が分かれて決着がつかない。だから、国の法律はどちらかひとつに決める必要がある。[NHKの『バラエティー生活笑百科』で、“適用する法律によって有罪になったり無罪になったりする事件”がよく出て来るのは、現代法と国家宗教の矛盾の喩[たと]えである。]
[9356] 日本は立憲君主制の国である。 h22.1.23
日本国憲法は日本が立憲君主制の国であることを述べているが、日本国憲法からは現代法と国家宗教のふたつの法律が出て来る。
日本国憲法第1章は、天皇が神であることを述べている。だから、日本は国家宗教のある国である。
日本国憲法第2章から後は、現代法について述べている。だから、日本は現代法のある国である。
したがって、日本国憲法は、日本が国家宗教と現代法のふたつの法律があることを述べている。
どちらかと言うと、第1章が天皇なので、国家宗教のほうを現代法よりも上に置いているから、日本では現代法よりも国家宗教のほうが幅を利かしていることになる。
日本国憲法には私については何も述べていないが、それは日本国憲法が出来たときには私はまだ生まれていなかったし、第1章からは日本が国家宗教のある国であることがわかるし、第1章からは神武天皇が日本の神であることがわかるし、神武天皇は嘘をついたことがあるから、政府が日本人全員に嘘をつかせて「日本の神が神武天皇だけであるふりをしてコッソリ私も神とさせている」のである。[実際には、私が神であることを知っている日本国民はほとんどいないが。]
日本人全員が日本国憲法を受け入れているので、日本には国家宗教と現代法の2種類の法律があることになるのである。だから、日本国民が日本政府に殺されても文句は言えないのである。しかしながら、国家宗教と現代法には矛盾がある。日本国憲法には、あからさまに国家宗教を現代法よりも優先することを述べていないから、現代法を国家宗教に優先させることもできるので、ときにはその矛盾が問題になる。新しい時代には国家宗教の古い法律よりも現代法の新しい法律のほうが適しているので、現代法を国家宗教よりも優先させることも妥当である。例えば、国家宗教では神武天皇が人殺しをしたから、日本神道の信者である国民も人殺しをしてもいいことになるが、現代法では人権を守らなければならないから人殺しをしてはいけないことになる。現代社会においては、前者よりも後者のほうが適当であると考えられる。今は戦争がない時代だから、国家事業として人殺しをする機会がないので、国家宗教は使い道がない。だから、矛盾のある場合には、むしろ現代法を国家宗教よりも優先させるべきである。いっそのこと国家宗教を廃止にしたほうがいい。そのためには、日本国憲法第1章を廃止にするしかない。要するに、『日本国憲法第1章』が日本における国家宗教に関するさまざまな問題の根本的な原因なのだ。国民がそれを認めているのも悪いし、政府が認めているのも悪い。日本が矛盾したわけのわからない国になるから、早めに第1章をなくしてしまったほうがいい。[法律は乾電池のように古い物と新しい物を混ぜて使ってはいけない。]
[9357] 税金を払わなくてもいいことの証明☆ h22.1.23
数学では「矛盾した公理系からはあらゆる命題が出て来る」ことが知られている。
今の日本国憲法は、国家宗教と現代法の矛盾した法律を含んでいる。国家宗教では人殺しをしてもいいが、現代法では人殺しをしてはいけないから、国家宗教と現代法は矛盾している。a∧(ーa)=φ。つまり、今の日本国憲法は字面[じづら]があるだけで意味がない。日本国憲法は全体として無効である。
だから、日本では何をやってもいいことになる。何をやっても無罪である。
したがって、国民が政府に税金を払わなくてもいいことになる。
『日本国憲法第1章』を除[の]けないかぎり、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
[9358] 宗教団体はどうして羽振りがいいか? h22.1.23
宗教団体は、民間にしろ国家にしろ、宗教に詳しい。
だから、日本国憲法第1章の意味がよくわかっている。[学者は憲法の字面[じづら]を拾っているだけである。]
日本国憲法が矛盾のある憲法で、日本では何をやってもいいことを知っている。
だから、宗教団体は好き勝手にやりたい放題をやって儲[もう]けているのである。
宗教団体は、ちゃんと憲法を守りながら儲けているのである。
[9359] 明治帝国憲法 h22.1.23
明治帝国憲法は国家宗教である。
当時の日本の法律は純粋な国家宗教だったのである。
明治帝国憲法の中に見られる民主主義は、政府が神武天皇が嘘をついたことを使って国会議員につかせた嘘である。もっとも、当時の国民には、嘘を真[ま]に受けていた者も多かったが。
実際には、当時の日本には国家宗教(つまり、日本国民は神武天皇と同じことをしてもいい憲法)しかなかったのである。
しかし、今の日本の憲法は、純粋な国家宗教ではない。
今の日本国憲法は国家宗教と現代法のハイブリッドである。今の日本では、国家宗教と現代法の両方とも有効である。
[9360] 外国の憲法 h22.1.23
外国の憲法には日本国憲法第1章のような国家宗教を述べた項目はない。
世界中のすべての国ではないが、大部分の国がそうである。
それらの国でも国家宗教のようなことをやっているが、国でほんのちょっとやっているだけである。
今や世界の大部分の国が現代法を主とした立憲制である。
だから、日本が国家宗教をやめても、それを理由に外国から攻撃されることはないはずだ。
むしろ、国際化のためにはいいはずだ。
[9361] 日本は遅れた国である。 h22.1.23
日本が国家宗教をやっていれば、神は人間が“従うべき者”だから、外国人も日本に従うと思っている者は勘違いをしているかあるいは外人を馬鹿にしている。[宗教的には、神とは、国またはある特定の集団においてみんなが“自分が従うべき者”に決めた者のことである。神であることに理由はなく、ただたんにみんなが従うべき者に決めた者にすぎない。つまり、とにかくみんなが神(自分が従うべき者)に決めたから神なのであって、なにか特別な理由があるから神なのではない。(もっとも、私の場合には、政府と日本神道の信者の一部の者が神に決めただけであって、その他の大多数の者は神に決めていない。)神は実在の人物であっても架空の人物であってもいい。また、宗教における“従う”とは、“命令を聞く”または“同じことをする”ことである。]
今日日[きょうび]は教養のある人なら世界中の誰でもが、「国家宗教が中世に世界で流行[はや]った古臭い法律にすぎない」ことを知っている。遅れた国でいまだに国家宗教をやっているからといって、自分もその神に従おうなんて思う者はいない。
今日日[きょうび]は、日本が国家宗教をやっていると、むしろ外国から日本が遅れた国だと言われて馬鹿にされるだけである。無視されるだけである。
[9362] 日本国憲法は使い物にならない。 h22.1.24
日本国憲法には、国家宗教と現代法のふたつの法律が含まれている。
国家宗教では、人殺しは神武天皇が人殺しをしたから無罪である。
現代法では、人殺しは他人の人権を損ねることだから有罪である。
だから、日本国憲法では、人殺しが無罪か有罪かわからない。
だから、日本国憲法は使い物にならないのである。
このままでは、安心して日本に住むことができない。
新しい憲法を作らなければならない。
[9363] 日本国憲法第1章 h22.1.24
日本国憲法第1章は、人殺し法である。万引き法である。[日本神道の神である私が小学3年生の時に近所のスーパーで万引きをしたから、日本では万引きが無罪である。]嘘つき法である。[日本神道の神である神武天皇も私も嘘をついたことがあるから、日本では嘘をついても無罪である。]つまり、日本国憲法第1章は、国家宗教によって日本国民に与えられた人殺しができる権利や万引きができる権利や嘘つきができる権利について述べているのである。つまり、日本では、人殺しをしたり万引きをしたり嘘をつくことが『正しい』ことなのである。
しかし、日本国憲法第1章は、宗教に疎[うと]い人にはすぐには内容がわからない迂遠[うえん]な書き方をしている。日本国憲法第1章には、天皇の権利について述べているが、それはとりもなおさず天皇が特別な人間であること、したがって神武天皇が日本の神であることであり、つまり日本には神武天皇を神とする国家宗教(日本神道)があり、日本国民は国家宗教の信者であり、日本政府は国家宗教の幹部であり、日本国民は神武天皇と同じことをしてもよく、日本政府は日本国民に神武天皇と同じことをさせることができ、日本政府は日本国民よりも身分が上の者であることを意味するのである。[私の名前の川野延夫[かわののぶお]に“ぶ”の字がついているから、神武天皇は“神である延夫天皇”ということで私のことにもなるのである。つまり、“神武天皇”は、もとの神武天皇と私の二人を指すのである。だから、私が神に選ばれたのは、私の名前に“ぶ”の字がついていたからである。]
日本国憲法第1章が“伏せた書き方”をしているのは、現代では国家宗教よりも現代法が優位だからである。現代では現代法を支持する者が国家宗教を支持する者よりも権力が強いので、伏せた書き方をしなければならなかったのである。
そもそも日本国憲法に第1章があるのは、当時の日本国憲法を作った連合国の代表者が馬鹿だったからである。
日本人は戦争のためにいやいや国家宗教をしていただけだから、戦争が終われば国家宗教をやめる。実際に、江戸時代には、日本人は誰一人も国家宗教をやっていなかった。『シャボン玉の歌』でもわかるように、日本人は古墳時代以外は国家宗教が嫌いである。だから、戦後わざわざ国家宗教を残す必要はなかったのだ。
いくら外国のことだとは言え、もっと日本の歴史に詳しい者が日本国憲法を作るべきだったのだ。[連合国の代表者は、日本に江戸時代があったことを知らなかったのではないだろうか?]
[9364] 日本国憲法第1章を廃止する方法 h22.1.24
国会議員の多数決によって廃止する。国家宗教を廃止した国会議員は勇気ある者として永遠に日本史にその名をとどめるだろう。
あるいは、日本が他の国と戦争して日本が負けて勝った国に日本の憲法を変えてもらうしかない。
もしも日本が将来侵略戦争をしなければならなくなったら、国家宗教によらなくても、日本人が自分自身の意思でやればいい。自分が他国を侵略して自分が幸福になるために戦争をするのだ。だから、神武天皇がいなくても戦争をすることができる。ローマ帝国には神武天皇がいなかったから、できるはずだ。もっとも、日本が戦争に勝つためには、日本の文明や軍事力が他国に比べて格段に優れていなければならないが。[明治維新のときには、日本が近代化や軍事国家化をすごく急いでいたから、既製の国家宗教(日本神道)を手っ取り早く使ったのだ。]
防衛戦争は自分の人権を守るためだから現代法でも当然できる。
[9365] 国家宗教は日本が遅れる原因である。 h22.1.24
国家宗教は、中世の世界で流行[はや]った時代遅れのオンボロな法律である。
法律の遅れは国の遅れである。国家宗教では神が同じだから、国が発展しなくなる。キリストを神とする国家宗教をやっていた神聖ローマ帝国も、最初の頃は調子がよかった最後には落ちぶれて暗黒時代になった。
だから、日本がこのまま国家宗教を続けたら、日本は世界の後進国になるだろう。
日本が文明や文化の劣った落ちこぼれの貧しい弱い国になるだろう。日本が、他国の属国となって生き延びるしかない惨[みじ]めな国になるだろう。
[9366] 国家宗教に対する誤解 h22.1.24
国家宗教を支持する者は、国家宗教を誤解している。
国家宗教が何かがわかっていないから、支持しているだけである。
そんな者が国を落ちぶれさせて滅ぼすのだ。
国家宗教は、中世の世界で流行[はや]った時代遅れのオンボロな法律である。
そんな出来の悪い法律はさっさと捨てたほうがいい。
国家宗教よりも現代法のほうが、現実の社会によく合っている。よく当てはまる。[もしも、国家宗教が正しければ、国家宗教では人殺しをしてもいいから、そこら辺の道端[みちばた]に死体が山積みのはずである。実際にそうなっていないのは、国家宗教がまちがっているからである。国家宗教は、中世の昔にいいかげんに作られた現実と合っていない法律である。国家宗教はまちがった法律だから、国民は神や政府に従わなくていいのである。]
アリストテレス力学よりも現代物理が優れているように、国家宗教よりも現代法が優れている。
物質を正しく扱うために現代物理を使うように、人間社会を正しく扱うためには現代法を使わねばならない。
[9367] 政府は国家宗教をやる機関である。 h22.1.24
現代法と国家宗教には矛盾があるから、政治機関はどちらか一方しか法律にすることはできない。
政府が現代法をやる機関だとすると、国家宗教がまちがっている法律であることは明らかだから、国家宗教をやらないはずである。
しかし、今の日本国憲法には第1章がある。
だから、[今の]政府は現代法をやる機関ではない。
政府は国家宗教をやる機関である。
政府は神武天皇や私が嘘をついたことを使って国会議員に嘘をつかせて現代法をやっているふりをさせているのである。日本国憲法の第2章以下は、国民の眼の前に置いているだけである。オウム真理教地下鉄サリン事件もコンビニ事件も、政府が現代法をやっていると国民に思わせるためにオウム真理教や日本神道の信者を使って打たせた芝居である。[『泣いた赤鬼』の赤鬼が日本政府で、青鬼が麻原彰晃やコンビニ事件の犯人なのだ。サリン事件は、私が九州大学医学部にいたことがあり、福岡は東京っぽい町なので、九州大学医学部を東京大学理科V類に喩えて、理科V類→理V→リサン→サリンなのだと考えられる。日本の国家宗教は駄洒落[だじゃれ]でやることが許されているので、地下鉄サリン事件は国家宗教でやったことになるのである。]
一方、今の国民は現代法で生きている。
現代法と国家宗教とは法律が違う。だから、国民は政府の世話にはなれない。政府は国民を世話することはできない。国民にとっては、まちがった法律で政治をする機関なんか要らない。国民は現代法で政治をする機関になら従うが、国家宗教で政治をする機関には従わない。国民みんなが国家宗教をやっている国で政府が国家宗教をやるならいいが、国民みんなが現代法をやっている国で政府だけが国家宗教をやるのはいけない。そんなものはもはや政府ではない。現代法には『多数決の原理』がある。国では国民が政府よりも数が多いから、政府が国民に従うべきであって、国民が政府に従うべきではない。今の政府は国民に従っていないから、国民も政府に従う必要はない。政府は国民をひとつにまとめて『国民の総意』を実現するのが仕事である。[かつては戦争が国民の総意だった。戦争のために国家宗教をすることが国民の総意だった。もっと昔は、日本を中国文化に合わせることが国民の総意だった。]政府は国民から例外者が出ないように国民を管理するのが仕事である。しかし、今は政府自身が例外者である。こんな政府ではもはや仕事にならない。まさに『灯台下暗し』だ。今の日本政府は日本史上最低の人気だ。
したがって、国民と政府は分かれるしかない。国民は自分で現代法を守って生きて行くしかない。政府は国家宗教で生きている少数の国民を相手にして政治をすればいい。日本政府自身も、今が『現代法の時代』であることを認めているから、国民を強制的に自分に従わせることはしないはずだ。
[9368] 国民の総意 h22.1.25
古来より日本人は外国の優れた文化や文明を積極的に受け入れてきた。日本独自の文化にとらわれることなく広く受け入れてきた。『繁栄した国の文化を真似れば自分の国も繁栄できる』というのがその原理である。[江戸時代の鎖国の時には日本は外国の文化を受け入れなかったが、江戸時代の鎖国は当時の日本が中国文化が世界でもっとも優れた文化だと考え、中国が鎖国していたから日本が中国の文化を受け入れて真似してやっていたのである。ついでに、徳川時代の身分制は、中国の律令制では王の命令が絶対的であり、日本人みんなが日本の王である徳川家のわがままを受け入れたから出来たのである。しかし、長い目で見れば、徳川幕府の定めた身分制は実際の社会に合っていなかったので、しだいに崩壊して行った。最後には、武士が商人に頭を下げてお金を借りるようになったのである。]
現在における世界でもっとも優れた文化は西洋文化である。
したがって、現在における日本国民の総意は、『西洋文化を受容して日本人好みにアレンジする』ことである。
けっして、国家宗教をすることではない。
人権の概念に基づく現代法は西洋で誕生して発達してきたから、西洋文化を受容することは西洋の現代法を受け入れることである。西洋の現代法を日本社会に適用できる形にするなかで、日本人好みにアレンジされた日本の法律が出来るのである。
日本の国家宗教(日本神道)は日本古来のものだが、西洋の現代法に比べると法律として劣っているので捨てるべきである。
国家宗教は世界中でほぼ同時期に生まれたから、日本の国家宗教は日本独自のものとは言いがたい。
日本における西洋文化は現在のところはまだ日本独自のものとはなっていないが、長い時間をかけて日本人好みにアレンジして行けば、しだいに日本独自のものとなるだろう。
今後、日本がやらなければならないことはいくらでもある。くだらない国家宗教にうつつを抜かしている暇などない。
現在における日本国民の総意は、『西洋文化を受容して日本人好みにアレンジする』ことである。だから、日本政府は『西洋文化を受容して日本人好みにアレンジする』ことを具体的に推[お]し進めていけばいいのだ。
[9369] 今の政府は国民の総意に適[かな]っていない。 h22.1.25
江戸幕府は、当時の国民の総意で出来た政治機関である。
江戸時代には、日本国民の総意は「中国のような律令制をやる」ことだったから、江戸幕府は国民の総意に適った政治機関だった。
古墳時代には、日本国民の総意は「西洋のような国家宗教をやる」ことだったから、当時の日本政府は国民の総意に適った政治機関だった。[日本神道は、キリスト教のキリストを神武天皇に置き換えただけの宗教である。]
飛鳥時代から戦国時代までは、日本国民の総意は「国家宗教と律令制の両方をやる」ことだったから、当時の政府や幕府は国民の総意に適った政治機関だった。当時は政府と幕府の両方でひとつの日本の政治機関だったのである。
明治から世界大戦までは、日本国民の総意は「戦争のために国家宗教をやる」ことだったから、当時の日本政府は国民の総意に適った政治機関だった。
しかし、現代では、日本国民の総意は「西洋のような現代法をやる」ことだから、今の日本政府は国民に隠れて国家宗教をやっているので[いくら隠れてやっても、やったことに変わりはない。]、今の日本政府は国民の総意に適った政治機関ではない。
これまでの日本の政治機関はどれも国民の総意に適っていたのに、今の政治機関だけが国民の総意に適っていない。これは一体どういうことだ?
そもそも政治機関は国民の総意を実現するためにある機関であるのに、今は政治機関そのものが国民の総意に適っていない。今の政治機関は国民の総意に合っていない国を実現しようとしている。そんな政治機関はなくなったほうがいい。
国家宗教でやろうが現代法でやろうが政府の給料はそれほど変わらない。だったら、現代法でやればいいではないか。
[9370] 民主府[みんしゅふ]を作れ! h22.1.25
政府は“政[まつりごと]をする府”だから国家宗教をすることしか知らない。だから、今でも神武天皇や私を神とする国家宗教をやっている。
政府が現代法をするわけがない。民主主義をやるわけがない。
だから、今の政府とは別に、現代法で政治をやる『民主府』を作らねばならない。
政府と民主府の両方で日本の政治をやればいい。
日本国民は、政府か民主府かどちらか一方の政治機関に入ればいい。
そうすれば、政府も今よりマシな政治をするようになるだろう。
[9371] 日本人は政府がお好き? h22.1.25
政府から幕府に変わるまでにはずいぶん時間がかかった。飛鳥時代から江戸時代までの約1000年もかかっている。
しかし、幕府から政府に変わるのにはそんなに時間はかからなかった。たったの20年ほどである。
今は、政府から民主府に変わらねばならないが、すでに政府のまま60年が経っている。
政府から他の政治機関に変わるのに時間がかかるのは、日本国民が国家宗教を好きだからだと考えられるが、実際には今の日本国民は国家宗教をやっていない。政府がやっているだけである。
それなのに、国民は政府に国家宗教をやるための政治費用(つまり税金)を払っている。
日本人は政府が国家宗教で変なことをやるのを見るのが好きなのだろうか?[それにしては面白くないチンドン屋だなあ。]
そんなことをしても時間の無駄だ。日本が世界に遅れてしまう。さっさと民主府を作って政府を潰して真面目に政治をやるべきである。
[9372] 現代法は科学的法律である。 h22.1.25
フランシス=ベーコンが言ったように、『実在を支配するためには実在に従わねばならない。』
だから、人間社会を支配するためには人間社会に従わねばならない。
現代法は実在の人間社会に従っているから、人間社会を支配できる。つまり、民主府は人間社会を支配できる。
反対に、国家宗教は実在の人間社会に従っていないから、人間社会を支配できない。つまり、政府は人間社会を支配できない。
日本国民が自分では国家宗教をやらないのに国家宗教をやる政治機関(つまり政府)が好きなのは、自分が政治機関に支配されるのが嫌だからではないだろうか?あるいは、政治機関がうまく行かなくなって困るのを見るのが好きだからではないだろうか?
[9373] 日本国民はどうして政府が好きなのか? h22.1.25
それは、日本国民が国家宗教が何かがわかっていないからである。
国家宗教は神様が絡[から]むから、政府が国民に何かいいことをしてくれると思っているからである。
しかし、実際には、国家宗教とは、政府が国民に神と同じことをさせるだけである。たいてい国民にとって面白くないことをさせるだけである。政府が国民よりも身分が上であることを使って、国民を殺したり国民の財産を奪ったりするだけである。
だから、『浦島太郎』のようなおとぎ話があるのである。日本国民は国会議員の顔を知っているだけで、政府が実際に何をやっているのか知らないのである。つまり、玉手箱の中身を知らないのである。
実際に、今の日本政府も国民にとっていいことは何もしてくれていない。
国民が政府が何をする者かがわかっていないのに政府を支持しているのは情けないことである。そんな大人は図体[ずうたい]がでかいだけで子供と同じである。動物と同じである。
国民がそれほどの馬鹿では、政府も国民のために役に立とうという気がしないのも当然である。
[9374] 政府は国民を支配できない。☆ h22.1.25
今の日本国民は現代法をやっている。今の日本社会は現代法が通用している社会である。
だから、現代法をやる政治機関なら日本国民を支配することができる。
しかし、日本政府は国家宗教をする政治機関である。芝居で現代法をやっているふりをしているだけである。『名は体を表す』のことわざの通り、日本政府は名前が“政府”であるかぎり国家宗教をやる機関である。[国家宗教をやらない政治機関は、“幕府”のように必ず名前を変えねばらない。]
だから、日本政府は日本国民を支配できない。
したがって、日本国民は日本政府に従わなくてもいい。例えば、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
[9375] ない物に払う金はない。 h22.1.25
政府は国家宗教をやっている人が従う機関であって、それ以外の人は従ってはならない。
残念ながら、日本には今のところまだ民主府はできていない。
しかし、今もすでに『ない民主府』が日本にあると考えればよい。日本のどこかにあると考えればいい。[今でもなんとなく民主府の活動はあるようである。だから、民主府がまったく存在していないとは言えない。]
できれば私は民主府に政治料金を払って民主府に日本の政治をしてもらいたいが、ない物にお金を払うことはできないので、仕方なく自分の懐[ふところ]にしまっているのである。
[9376] 日本は国家宗教の国ではない。 h22.1.26
今の日本政府は“私に関する情報”を隠し持っている。
一般の国民はおろか日本神道の信者にも私に関する情報を公開していない。
今の国家宗教は日本政府だけでやっている。これでは国家宗教ではなく政府宗教である。
そもそも国家宗教は国民みんなでやるものである。国民みんなが“神の伝記”(例えば、聖書や古事記など)に基づいて神と同じことをすることである。だから、“神の伝記”が国民に公表されていなければならない。国家宗教のある国では神の伝記が法律なので、神の伝記が国民に公開されているのが当然である。
神と同じことをできることが国家宗教のある国における国民に与えられた『権利』である。
しかし、今の日本政府は神の情報を隠蔽[いんぺい]しているから、国民にはその権利がない。日本政府だけがその権利を活かしている。一方的に政府が有利である。
だから、今の日本は国家宗教のある国とは言えないのである。
[9377] 日本は法律のない国である。 h22.1.26
現代法では人殺しをしてはいけない。
国家宗教では人殺しをしてもいい。
日本には現代法と国家宗教の両方があるから、人殺しをしてもいいのかいけないのかわからない。
日本には法律がないのと同じである。
そもそも、政府が嘘をつける(正確には政府が国民の誰かに嘘をつかせることができる)のでは、政府が国民に公表した日本国憲法が嘘か本当かわからない。
だから、日本では国民が法律を犯してもいいのである。例えば、国民が政府に税金を払わなくてもいいのである。
国家宗教では政府が国民よりも身分が上だから、政府が国民から一方的に強制的に税金を取れるが、現代法では政府と国民が平等なので、政府が国民と契約を取らないかぎり政府が国民から税金を取ることができない。[たとえ日本人全員が政府と契約を取らねばならないとしても、とにかく手続きとして契約を欠かすことはできない。戦後にできたNHKがまさしくそれを実行している。]日本には国家宗教と現代法の両方がある。だから、税金についてはわからないのである。
自分ひとりが法律を破れるならたしかに有利でありがたいが、世の中全体がそんなになったらおしまいである。だから、国家宗教はないほうがいい。だから、政府はなくなったほうがいい。したがって、現代法をやる政治機関には国民は税金(政治料金)を払わなければならないが、国家宗教をやる政治機関には国民は税金を払ってはならない。
政治機関は国民の意思をまとめる機関である。政治機関は国民の総意(まとめられた意思)を実現する機関である。政治機関も国民の一部である。だから、政治機関が国民の意思にそぐわない場合には、国民が政治機関に従わなくても国民が政治機関によって罰せられることはない。政治機関は政治機関自身を罰するべきである。要するに、国民を罰することができるのは国民自身であって、政治機関はその仲介役にすぎない。[日本国憲法序文を参照。]ところが、今の政府はひとりだけ国家宗教をやって国民の意思にそぐわないから、国民は政府に逆らってもいいのである。そもそも政府が自分と意思を異[こと]にする(つまり現代法をやっている)国民から税金を取ることがまちがっているのであって、国民が政府に税金を払わないことがまちがっているのではない。国民と政府とは意思が違っているので、むしろ国民が政府に税金を払わないほうが正しいのである。
今の日本国民は現代法を守っている。つまり、日本国憲法をまじめに守っている。[日本国憲法第1章を「日本が国家宗教のある国だ」と解釈するのは行き過ぎである。やはり日本国憲法は現代法だと見なすべきである。[9378]を参照。]しかし、日本政府は自分だけ国家宗教をして神が嘘をついたことを使って自分も嘘をついて日本国憲法を守っているふりをして(つまり、政府が国会議員や裁判官などに憲法を守っている芝居をさせて)、実際には国家宗教をやって人殺しや強盗をして(つまり、政府が日本神道の信者に殺人や強盗をさせて)日本国憲法を犯している。だから、今の日本では日本政府だけが現代法を守っていない。だから、日本政府が悪いのである。
今の国民の上にあるのは現代法の政治機関であって、国家宗教の政治機関ではない。[[9374]の図を参照。]だから、今の国民は政府には従わないのである。
[9378] 日本国憲法第1章 h22.1.26
日本国憲法第1章は、神武天皇がいまでも日本の神であって日本が国家宗教のある国だと言いたいのか、それとも天皇が日本の飾りにすぎず日本が国家宗教のない国だと言いたいのかどうかわからない。日本国憲法第1章によれば、天皇が特別な国民であることはわかるが、だからと言って日本が国家宗教のある国にまで一般化できるとは言えない。
憲法はしょせん紙の上のことだから、あまり当てにはならない。
確実なのは、政府がその名の通り“政[まつりごと]をする府”すなわち国家宗教をする政治機関であるということである。
政府が国家宗教をする機関であれば、神武天皇や私が嘘をついたことを使って政府は嘘がつける(正確には政府が国会議員に嘘をつかせることができる)から、日本国憲法全部が嘘だということにできる。[たとえ最初は本当でも、あとで嘘だと言うことにすればいい。日本国憲法は昭和20〜30年代には本当だったが、昭和40年ごろから嘘になったのである。]
だから、日本国憲法第1章の解釈なんてどうでもいいのである。
したがって、日本政府はやはり純粋に国家宗教をやる政治機関なのである。憲法は紙の上の飾りにすぎない。
一方、日本国民は現代法をやっている。国民にとっては政府が邪魔である。だから、国民は政府を倒さなければならない。国民にとって政府は倒すべき存在であって、支持すべき存在ではない。
[9379] 気分で見るな知覚で見よ! h22.1.26
政府は国民の反感をあまり買わない程度にときどき事件を起して国民を殺している。[しょっちゅう政府が飛行機を落としていたら、さすがの寛大な国民も政府を殺せと思うはずだ。]
政府は国民の反感をあまり買わない程度に国民から税金を取っている。
気分で見るなら、政府のやっていることは許せる。
しかし、知覚で見るなら、政府のやっていることは現代法においては不当である。
国民が知覚で見る習慣のある国では国家宗教がとっくの昔になくなっているのはそのためである。
[9380] 今の政府は国民の総意に反している。 h22.1.26
戦国時代には戦[いくさ]で多数の死者が出たが、当時の日本国民の多数は日本が中国の真似をしているので大喜びだった。つまり、戦は当時の国民の総意に適[かな]っていたので、やってもよかったのである。しかし、今の政府が起している殺人事件は、政府が国家宗教でやったことであり、今の国民は国家宗教をやっていないので、国民の総意に適っていない。だから、政府の犯罪や政府の存在自体が、今の日本(国民と政府の全体)にとってはいけないことなのである。
[9381] 今の政府は国民よりも“上の者”ではない。 h22.1.26
政治機関は国民の意思をまとめる機関である。国民の総意(まとめられた意思)を実現する機関である。
政治機関は、国民が『国民の総意』を実現するために、国民の中から優れた者を集めて作った機関である。
だから、政治機関自身が国民の総意に適[かな]っていない場合には、政治機関は国民の総意を実現する機関ではないから、国民は政治機関に従わなくてもかまわない。従ってはならない。
そういう場合には、政治機関は国民の上にあるのではなく、政治機関は国民から離れた上か下かわからないどこか遠いところにあるのである。
例えば、今の国民は国家宗教をやっていないのに、今の政府は国家宗教をやっている。
だから、今の政府は国民の上にはない。だから、国民は今の政府に従わなくてもかまわない。
国民は無条件に政府が国民よりも“上の者”だと思って政府にやみくもに従うのではなく、政府がどんな者なのかをよく見極[きわ]めてから従うようにしなければならない。公務員のバッチは水戸黄門の印籠[いんろう]ではないのだ。
たしかに、これまでの政府や幕府はずっと国民の総意を実現する機関だった。[[9369]を参照。]しかし、今の政府は国民の総意を実現する機関ではない。だから、国民はこれまでの惰性[だせい]で政府に従ってはならない。
日本が戦争に負けて、昭和の政府が国民の総意を実現できなかったショックで、戦後の政府はグレて国民の総意を実現しない機関になってしまった。一度国民の総意を実現できないことがあったために、永遠に国民の総意を実現しなくてもいいと思うようになってしまった。
[9382] どうして政府が幕府になったのか?☆ h22.1.26
日本は古墳時代には政府が治めていたが、江戸時代には幕府が治めるようになった。
つまり、国家宗教から律令制に変わった。
国家宗教は自由である。つまり、法律のないのが国家宗教である。
律令制は正義である。つまり、王がいる現代法が律令制である。
日本人は自由よりも正義を重んじたので、政府から幕府に変わったのである。
その気持ちは今でも同じである。
だから、今の国民は早く国家宗教をやる政府を倒して、現代法をやる民主府を作らなければならない。
日本が政府から幕府に変わったのは、当時の日本国民が中国が大きな国であることを知り、中国が大きな国になったのは『優れた法律』があるからだと考えて、中国の法制度を取り入れることにしたのである。つまり、国の統治の原理を、神武天皇の国家宗教から中国の律令制に切り替えたのである。
とにかく、昔の日本人が約1000年もの時間をかけて考えて、国家宗教よりも律令制(現代法に近い法律)を採ったのである。だから、今の日本人も、安受け合いの国家宗教に騙[だま]されず、人間としての目を持って現代法を採らねばならない。
そもそも中世の日本に国家宗教が伝来しなければ、日本には国家宗教は生まれなかった。飛鳥時代から中国との国交が始まれば、日本は最初から律令制でやって安泰[あんたい]な国になっていただろう。江戸末期にペリーが日本に来ても、日本はアメリカのような立憲制の国になっただけだ。[戦争はやったかもしれないが。]国家宗教は中世に流行[はや]った社会の病気だ。いつまでも病気を引きずっていてはいけない。
[9383] 今の日本政府は政治機関として失格である。☆ h22.1.26
政治機関は国民の総意を実現するためにある。
今の日本国民の総意は現代法の世界を実現することである。[バイアグラを日本で売ってはいけないのも、日本人の総意である。アメリカでバイアグラを売ってもいいのは、日本人の総意とアメリカ人の総意が違うからである。つまり、アメリカ人は自分で正しく考えて生き残ることが大事だと考えているので、あえて危険な物を眼の前に置いて個人の意思を篩[ふるい]にかけているのである。アメリカ人にとって拳銃は自分の衝動を抑えて自分の心を鍛[きた]えるためのアイテムなのである。反対に、日本人は他人に考えてもらうことが多いので、最初から環境自体を正しくしようとするので、その分自由が少ないのだ。ちなみに、バイアグラの名前は、私の名前の延夫[の“ぶ”お]の“V”と、私が中学3年生のころ風呂場で“あぐら”をかいてオナニーをしていたことから来ていると考えられる。]
しかし、今の日本政府は国家宗教をやっている。[隠れてやっていても、やっていることに変わりはない。]
だから、今の日本政府は政治機関として不適当である。
国民は思い切って政治機関を入れ替えねばならない。いつまでも日本政府に政治機関を任[まか]せていてはいけない。
日本では、政府と名が付くかぎり国家宗教をやる機関である。だから、今の日本の政治機関は政府ではいけない。民主府でなければいけない。
[9384] 自由よりも正義が大事である。 h22.1.26
自由と言ってしまったら、それでおしまいである。そこから先は何もない。
正義とは不自由のことである。不自由は不自由で終わりではない。
いくら決まりが不自由でも、人間の本質は自由である。人間の心は自由である。
だから、自由でないことと自由とを組み合わせればいいのである。自由でないことと自由を組み合わせるから先に進むのである。未来があるのである。発展があるのである。
自由と不自由と異質な物を組み合わせるから発展があるのである。自由だけでは発展がなくてマンネリになってしまうのだ。
[9385] 日本神道だけが日本的なのではない。 h22.1.26
日本の江戸時代は、中国文化を日本風にアレンジして作られた世界である。
中国の決まりに日本人の心を入れて作られた世界である。
江戸幕府は、そんな世界を実現するのに尽力[じんりょく]した。お侍がお城の中で何もせずに食っちゃ寝していたわけではない。だから、日本のあちこちに立派なお城や城下町が残っているのである。
それと同じように、日本神道はモーゼ教やキリスト教を日本風にアレンジして作られた宗教である。
日本神道は、旧約聖書のモーゼや新約聖書のキリストを神武天皇に置き換えて作った宗教である。
モーゼがエジプト人を率[ひき]いてエルサレムへ向ったのと、神武天皇が軍隊を率いて奈良に攻め込んだのが似ている。
モーゼがエジプト軍に追い詰められて海を割ったのと、神武天皇がナガスネヒコの軍隊に追い詰められた時に光るトンビが現れたのが似ている。
キリストの水に触れて水をブドウ酒に変えた超能力やパンをちぎって数を増やした超能力がギリシア神話のマイダス王やヘラクレスとヒドラの戦いのパロディであるように、神武天皇の物語の中には浦島太郎やヤマトタケルノミコトや海幸山幸のパロディが登場する。
だから、たぶん日本神道は旧約聖書や新約聖書を素[もと]にして日本風に直した宗教なのである。
大岡越前の実母権を争う二人の女の裁[さば]きの元ネタが旧約聖書のソロモン王の名裁[さば]きということもあるし、日本神道は外国の宗教のパクリなのである。“デラックス”と書かれている商品が実際にはあまり高級品ではないように、“日本”と書かれている日本神道は実際にはあまり日本的ではないのである。
日本神道の神武天皇の物語に日本らしさがあることは認めるが、宗教のやり方や神武天皇の物語のあらすじは外国の宗教のものである。
日本の江戸時代の文化にも日本らしさはあるが、江戸時代の文化の原理は中国のものである。
現在の日本の文化にも日本らしさがあるが、それらの原理は西洋のものである。
だから、日本神道だけが日本的なのではない。日本神道以外にも日本的な物はたくさんある。日本人に日本人の心があり、日本人が外国の文化の上に日本人の心を表現することを忘れないかぎり、日本らしさが失われることはない。だから、日本神道にこだわる必要はない。今日[こんにち]では国家宗教はまちがっていると考えられているから、日本神道をやってはいけない。
[9386] 税金とは何か? h22.1.26
税金は、日本政府が日本を国家宗教のある国にするための活動資金である。
国民が政府に税金をやっても、政府は税金を日本を国家宗教のある国にするために使うだけである。つまり、国民に神と同じことをさせる国を実現するために使うだけである。政府が国民よりも身分が高い国を実現するために使うだけである。
政府が日本をそんなおかしな国にするために、税金を使われてはたまらない。だから、国民は政府に税金を払わないほうがいい。
今の日本国民の総意は現代法のある国を作ることだから、日本を国家宗教のある国にしようとしている日本政府は国の政治機関ではない。だから、国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。将来、日本を現代法のある国にする政治機関が現れるまで、貯金しておいたほうがいい。
[9387] 政府の何が悪いか? h22.1.27
政府は国家宗教をやる政治機関である。
ところが、政府は神が嘘をついたことを使って嘘をついて(つまり、政府が付属機関の職員に嘘をつかせて)現代法をやる政治機関のふりをして、国民から政治料金として税金を取っている。また、政府は嘘をついて国家宗教をやる政治機関でないふりをしている。政府は神武天皇や私を神としていることを国民に公表せずに国民にナイショで国家宗教をやっている。[神は国民に神に従う意思があってこそ神なのだから、実際には神武天皇も私も両方とも国家宗教の神ではないことになる。]政府は国民に政府が国家宗教をやっていることを知られないようにしながら、国民に神と同じことをさせる行政をしたり、政府が国民よりも身分が上であることを使って事件を起して国民を殺したりしている。
政府のやっていることは、日本の現代法においては詐欺[さぎ]に相当する。犯罪である。
政府は、国民から税金を取ってお金儲けをするために、国民に対して嘘をついているのである。政府が国家宗教をやる政治機関であることが国民に知られると、今の国民は国家宗教をやっていないから、国民は政府を国の政治機関と認めず政府の命令を聞いてくれなくなるので、政府は一生懸命に国民を騙[だま]しながら政治をやっているのである。いつ国民にバレるのかと心配しながらヒヤヒヤしながら政治をやっているのである。
政府がいつまで経っても政治機関を辞[や]めないのは、自分のお金儲けのためである。
しかし、たとえ政府が現代法をやる政治機関になっても、外国の政府のように国民から税金を取れるから、今と同じようにお金儲けはできるはずである。[もっとも、日本では政治機関の名前を変えねばならないが。]
かつて幕府は律令制をやる政治機関として、中国の原理に基づく国作りをした。だったら、今の政府も現代法をやる政治機関として、西洋の原理に基づく国作りができるはずである。
国家宗教を現代法に変えても、政府にとっても国民にとっても困ることは何もない。国民にとっては、むしろそのほうが歓迎である。
それなら、政府はさっさと名前を変えて、正々堂々と現代法をやる政治機関に変わるべきである。
どうして政府はいつまでも国家宗教にこだわるのだろうか?現代法をやっている外国の政治機関が貧乏すぎるからだろうか?だったら、同情はできるが、それは政府のエゴである。外国に合わすべきである。
[9388] 政治機関は要るか? h22.1.27
今では銀行や株式会社があるから、無一文でもお金を集めて国家企業や国際企業を作ることができる。
だから、政治機関は要らないように思われる。
しかし、「国の中で武器をぶっ放[ぱな]したり麻薬を売ったりしてはいけない」ことが今の『国民の総意』(国民共通の意思)だから、政治機関の役目もないわけではない。
政治機関は『国民の総意』を実現する機関である。だから、『国民の総意』があるかぎり、政治機関は不滅である。
今後は国民にとって政治機関の需要が減って行くだろうが、今のところはまだ政治機関の存在価値はあると思われる。
「国家宗教のある国を実現する」ことは今の『国民の総意』ではない。だから国の政治機関は絶対にそんなことをしてはいけない。したがって、政府は国の政治機関ではありえない。
[9389] 国民が政府に税金を払う理由 h22.1.27
江戸時代には、国民みんなが『身分制』を認めていたから、幕府は身分制で国民から税金を取れた。
しかし、今は、国民みんなが現代法を認めているから身分制を認めていないから、今の政治機関は身分制で税金を取れず、政治機関が政治をするための(つまり、国民の総意を実現するための)費用としてしか税金を取れない。
そうなると、政治機関はふざけた時代遅れの国家宗教をするよりも真面目に現代法をやるほうがいい。
今の国民は現代法を信じていて、現代法には身分制がないから、政治機関がいくら国家宗教をやっても国民の前で堂々と身分制を使うことができない。政治機関が国民の総意とは違う国家宗教をやっていては、国民は納得して政治機関に税金を払ってくれない。だから、今の政治機関は現代法をやったほうが国民から確実に税金が取れるのである。
政府はその名の通り“政[まつりごと]をする府”だから国家宗教をする政治機関にほかならない。いつまで待っても政府は国家宗教しかしてくれない。政府が政府であるかぎり国家宗教しかしない。だから、国民が自分の手で政府とは別に現代法をする政治機関を作らなければならない。
[9390] 今の政府が役立たずに見える訳[わけ] h22.1.27
今の政府が国民のために何の仕事もしていないように見える最大の原因は、政府が国家宗教をする機関だからである。今の国民が国家宗教をしていないのに、政府が国家宗教をやっているから、国民にとっては政府が何の仕事もしていないように見えるのである。つまり、今の国民にとって政治機関は『国民の総意』に合わせた国を実現するためにあるのに、政府は国家宗教で「神一人[ひとり]」(正確には私と神武天皇の二人)に合わせた国を実現しようとするので、国民は政府を支持しないのである。今の日本は、共産主義の国に資本主義の政治機関があるようなものだ。あるいは、その反対だ。だから、国民は政府に国の政治を任せてはならない。国の政治を他[ほか]の政治機関に任せるしかない。
[9391] 政治機関は国民に合わせなければならない。 h22.1.27
政治機関は、国民の総意を実現する機関である。
だから、国民が国家宗教をやっている時代には、政治機関は国家宗教をやればいい。例えば、明治から世界大戦以前までは戦争をすることが日本国民の総意であり、日本国民にとって神武天皇は『戦争の神様』だったから、日本国民は神武天皇を神とする国家宗教をやっていたので、政治機関も国家宗教をやっていたのである。
しかし、国民が国家宗教をやっていない時代には、政治機関は国家宗教をやってはならない。例えば、世界大戦後は戦争をしないことが日本国民の総意になり、日本国民は『戦争の神様』を捨てて国家宗教をやめたから、政治機関も国家宗教をやってはならない。今の国民の総意は現代法をやることだから、政治機関も現代法をやらねばならない。
政治機関は、周りの国民のことを考えて政治をやらなければならない。
[9392] 日本は共産主義の国である。 h22.1.27
政治機関は国民の総意を実現するのが仕事である。
しかし、今の日本では、政治機関は国民の総意とは違うことをやっている。
つまり、日本では政治機関は仕事をせずに、国民からお金を取っている。
したがって、日本では仕事をしなくても客からお金が取れる。
だから、日本は働かない者に有利な共産主義の国である。
[9393] 日本国民は鈍[どん]臭い。 h22.1.28
日本国民が日本政府に抗議しないところを見ると、日本人は日本政府を支持しているというのか?日本人は国家宗教(日本神道)を支持しているというのか?
なるほど、それなら、幕府が政府に変わるのにわずか20年しかかからないのに、政府が幕府に変わるのに1000年もかかるわけだ。
日本人は日本政府のように表[おもて]では現代法をやっているふりをして裏では国家宗教をやっている民族なのか!?
日本人は人目につくところでは真面目[まじめ]に働いて、人目につかないところでときどき国家宗教を使って人殺しや詐欺[さぎ]をしているというのか?
しかし、それにしては日本では犯罪が少ない。引ったくりが多いだけだ。引ったくりはどう見ても国家宗教ではない。神武天皇も私も引ったくりをやったことがないからだ。
だから、やっぱり今の日本人は国家宗教をやっていない。現代法しかやっていない。
それなら、日本国民は日本政府に抗議しなければならない。
日本国民が日本政府に抗議しないでおとなしく日本政府の言いなりになっているのは、やはり日本国民が日本政府が現代法をやっていると思っているからである。日本国民が日本政府が国家宗教をやっていることを知らないからである。それなら、日本国民が鈍[どん]臭い(鈍感な)馬鹿だ。『知らぬが仏』とはよく言ったものだ。
これまで日本政府はときどき現代法に反することをやっている。だから、どうして日本政府がそんなことをするかを考え深めていけば、日本政府が国家宗教をやっていることがわかるはずだ。
日本人はそんなに社会科が苦手なのだろうか?これでは、日本人が眼が見えるだけで頭が働かない馬鹿ばかりだと世界に野次[やじ]られても仕方がない。大人ももうちょっと考えて生きていなければ、小さい子供にも馬鹿にされる。
日本人が日本政府のことなんかどうでもいいと思っているから、日本社会がいつまでたっても善くならないのだ。この世にはどうにもならない物はない。だから、日本人は日本社会を善くするために、いまだに時代遅れのオンボロな法律である国家宗教をやっている日本政府に抗議して日本政府を潰[つぶ]さなければならない。
[9394] 政府は国民の鑑[かがみ](手本)である。 h22.1.28
政府は毎日テレビや新聞に出る。国民にとって政府は憧[あこが]れのスターである。
そんな政府が表裏のある偽善者では、国民にとって目の毒である。
政府は国民にとって手本となる優れた人物でなければならない。
だから、政府はくだらない国家宗教などやらず、さっさと名前を変えて現代法をやる真面目な政治機関にならねばならない。
[9395] どうして昔の日本人は日本神道を支持したのか? h22.1.28
日本神道と中国の律令制を横に並べて置いたとき、誰でも日本神道よりも中国の律令制のほうがいいと思うはずだ。
それなのに、昔の日本人の中には日本神道を支持している者が多かった。そのせいで、政府から幕府に変わるのに1000年も時間がかかってしまった。
それは、やはり昔は人殺しや嘘をつきたい人が多かったからである。昔の社会は今の社会よりも野蛮だったので、人殺しや嘘つきや盗みが日常茶飯事だったからである。そんな社会で生きるためには、中国の厳格な律令制よりもむしろいいかげんな日本神道のほうが有利だったのである。それで、昔の日本人には日本神道を支持する者が多かったのである。
しかし、今の日本社会はそんなに野蛮ではない。今の社会で昔と同じようにやられたらおしまいである。だから、今はもう日本神道を支持する者はいない。せいぜい政府だけである。だから、政府は早くなくならねばならない。
つまり、日本の法律が日本神道から中国の律令制に変わるのに1000年もかかったのは、日本の社会自体が進化するのにそれだけの時間を要したということなのである。日本の社会が中国の社会に追いつくまでに1000年かかったということなのである。
[9396] 法律と社会 h22.1.28
法律は社会と合っていなければならない。法律は社会と似合うものでなければならない。
今の日本社会は、西洋の原理に基づいて作られているから、人権の概念に基づく現代法がふさわしい。
江戸時代の日本社会は、中国の原理に基づいて作られていたから、王の概念に基づく律令制がふさわしかった。
古墳時代の日本社会は、まだ未開で野蛮だったから、神の概念に基づく国家宗教がふさわしかった。
明治から世界大戦以前の日本社会は、戦争のために作られていたから、『戦争の神』である神武天皇を崇[あが]める国家宗教がふさわしかった。[日本は古墳時代に朝鮮と戦争をして勝ったことがあり、古墳時代の日本は国家宗教をやっていたから、軍事国家を目指していた明治時代の日本はその経験を踏まえて国家宗教を法律にしたのだろう。]戦争のためには、西洋文明を取り入れて近代化しなければならなかったので、部分的に現代法も取り入れられていた。
したがって、今の日本社会は古墳時代ほど野蛮でもなく戦争もなく国家宗教が似合わないから、今の日本社会では国家宗教を法律としてはいけないのである。現代の日本社会では現代法を法律とするしかないのである。
社会は法律を選ぶ。人間が好き勝手に社会に適用する法律を決めるわけにはいかないのである。
[9397] どうしてローマ帝国でキリスト教が生まれたのか? h22.1.28
ローマ帝国はいったん王制まで行っていたが、なかなか善[い]い王が現れず実際の政治がうまくいかなかった。[ローマ帝国は“バカ正直に”皇帝制をやったので、本当に皇帝の独裁政治になってしまったのである。一人の人間に絶大な権力を与えると、たいていネロみたいな馬鹿息子になるだけだ。皇帝制と言っても、皇帝を置いておくだけで、政治機関のみんなでよく話し合って政治をやればよかったのだ。]
それで、人々は時代に先走りすぎたせいだと考えて、以前の神制度に戻したのである。政治がうまく行かなくなると、神が現れるのである。昔は法律の修正に関する規則が定められていなかったので、法律を直すためには思い切って原理から丸ごと全部入れ替えねばならなかったのである。ただ、モーゼは古かったので、新しい神を作った。それがキリストである。
それで、ローマ帝国にキリスト教が起こり、帝政が神制に取って代わられたのである。
しかし、今度は神制が古臭すぎたために、ローマ帝国の文明が神制のために衰えてしまった。
社会科学の遅れが、自然科学までも遅れさせてしまったのだ。せっかく経験的になりかけていた自然科学が、空想的な法制度のせいで昔の空想的な科学に戻ってしまったのである。
こうしてヨーロッパは衰退の一途をたどったのである。
落ちぶれたヨーロッパが再び立ち直るためには、14世紀の自然科学の復興を待つしかなかった。
ローマ帝国も日本も原因は違うがどちらも王制から国家宗教(神制)に変わった。国家宗教は古い法律であるために、国家宗教の国は必ず落ちぶれる。だから、日本はできるだけ早く国家宗教をやめねばならない。
[9398] どうして文系は馬鹿なのか? h22.1.28
エッチをすると知覚が働かなくなる。心が性器と噛み合って知覚と噛み合わなくなるからである。
それで、文系は馬鹿なのである。
文系は眼で見たことしかわからない。
それで、文系はマンガや格好つけに明け暮れるのである。
利口が馬鹿になるのは簡単だが、馬鹿が利口になるのは大変である。
戯[たわむ]れにエッチをやってはならない。
政治家は文系の者が多い。それで『英雄色を好む』といわれるのだ。
政治家は馬鹿ばっかりだから、それで今でも時代遅れの国家宗教をやっているのだろう。
[9399] 宗教とは何か? h22.1.28
宗教とは、昔の政治機関が法律として使っていた国家宗教の聖典を今の道徳の教本として再利用することである。
今は法律として使われなくなった国家宗教を個人の守るべき道徳として活かすことである。
つまり、宗教とは、昔の法律を今の哲学にすることである。使われなくなった古いバスや列車の車両を、食堂や海の魚の家に利用するようなものである。
しかし、古い物は古い。国家宗教で使われている概念は時代遅れのものばかりである。そんな物が今の時代を生きるために役立つとは思えない。宗教に入っても、たぶん心の救[すく]いにはならないだろう。
だから、宗教は初心者の道徳として多少の参考にはなるかもしれないが、あまり当てにしすぎてはならないと言うことだ。
今の時代の哲学は、今の時代にある物から自分で見て考えて作り出さねばならない。それができない者は今の時代を生きる資格がないということだ。
[9400] 国家宗教とは何か? h22.1.28
国家宗教とは、架空の人物または実在の人物を神として、神についての伝記を国の法律とすることである。
つまり、政府が神の伝記をもとにして国民に神と同じことをさせることである。
政府が国民に神と同じことをさせることによって国民を仕切って国民に対して威張って国民よりも身分が上の者となって、政府が国民の人権を認めず国民を動物や自分の持ち物のように虐待[ぎゃくたい]することである。
国家宗教は、法律の最も古い形態である。紀元前からある古臭い法律である。それ以外の何物でもない。
国家宗教は現代法と比べると非現実的で法律として劣っている。
国家宗教は現実の社会と合っていない。
そのために、国家宗教は社会の発展を妨げる。国家宗教は、人間社会を退行させて原始時代の無秩序な社会にする。国家宗教を続けていれば、神聖ローマ帝国と同じ運命をたどり、中世ヨーロッパの暗黒時代のようになる。
国家宗教は空想的で、経験的な科学文明との相性が悪い。
そのために、国家宗教は科学文明を否定し科学文明の衰退をもたらす。
今どき人間を動物のように虐待して喜ぶ者はいない。そんな低脳なことで喜ぶ奴[やつ]は下品だ。
政府も大人気[おとなげ]ないことをせず、国民の税金を無駄遣[むだづか]いしないためにも、真面目に国民の総意を実現するために、名前を変えて現代法を法律とする政治機関となって、国民のために働くべきだ。
そうしないと、今どき時代遅れの国家宗教をやっている政府は国民の反感を買って、国民に倒されることになる。
政府はさっさと名前を変えて国家宗教をやめて現代法をやらないと、国民の反感を買って国民から安定して税金(政治料金)を取れなくなる。