[9201] なぜいまだに信者がいるのか? h21.12.28
信者は馬鹿である。
だから、信者は国家宗教というものを誤解している。
信者は、国家宗教を美化して信者を幸福にしてくれるものと思っている。
実際には、国家宗教は信者にとって地獄である。
政府が国家宗教をやろうとするのは自分を有利にするためだからわかるが、信者が国家宗教をやろうとするのは自分を不利にすることなのでわからない。[サクラは眼の中にお金が輝いているが、信者にはお金欲しさがない。]
信者は馬鹿すぎて国家宗教の実体が見えていないので、国家宗教を支持しているのである。
[9202] 政府は国民を騙[だま]すか? h21.12.28
政府はよくネコやタヌキに喩えられる。
それは、政府が国民に嘘[うそ]をついて国民を騙すからである。
しかし、政府の嘘など国民にとってはミエミエである。政府の嘘は、国民を騙せるほどの嘘ではない。政府は国民を洗脳できるほどの嘘つきではない。
だから、政府が国民に嘘をつくこと自体が嘘なのである。政府が国民を騙すこと自体が嘘なのである。
政府は意外と正直である。だから、今でも実直に[神を国民に公表しない以外は]昔ながらのやり方で国家宗教をやり続けているのだ。
[9203] 現代における国家宗教 h21.12.28
現代における国家宗教は、まず政府が神を国民に公開して、国民と「神に従う契約」を取ってから国民を信者にしなければならない。
契約は明確さを期[き]すために、文書によるものでなければならない。
子供は税金を払わないから、大人だけと契約を取ればいい。
昔は「国民はみんな生まれつき国家宗教に入るものだ」という暗黙の了解があったからいちいち契約を取らなかったが、現代では国民に宗教の自由が認められているから、たとえ国家宗教といえども国民一人一人とちゃんと契約を取らねばならない。
ところが、今の政府は国民に神を公開していないし、国民と「神に従う契約」を取ってもいない。
だから、今の政府は国家宗教をやっているとは認められない。
したがって、政府と国民の間にはもはや何の関係もないから、国民は政府に従う必要はない。
日本の中に日本政府という「インチキ国家宗教をやっている会社」があると言うだけのことである。
日本政府に騙[だま]されて税金を払う者が馬鹿なだけである。
[9204] 政府は民間宗教団体である。☆ h21.12.29
世界大戦後は、世界的に国家宗教をやってはいけないことになっている。
だから、日本政府も国家宗教をやれなかった。
しかし、民間宗教ならやってもいい。
だから、日本政府は民間宗教団体である。民間宗教ならやってもいいので、政府は今でも残っているのである。
民間宗教なら、神を非公開でやってもいい。そんな宗教があってもいい。
ただし、民間宗教なら国民が入ろうが入るまいが国民の自由だから、日本政府は国民と「日本政府が定めた神(非公開でもいい)に従う契約」を取ってから国民を信者にしなければならない。
しかし、今の日本政府は契約も取っていない。
だから、国民は政府がやっている民間宗教の信者ではない。
したがって、国民は政府に従わなくてもいい。
例えば、国会の法律は政府がやっている民間宗教の決まりだから、自分が政府がやっている民間宗教に入っていなければ国会の法律を守らなくてもいい。
[9205] 神の名誉毀損[めいよきそん] h21.12.29
民間宗教なら、神は民間宗教以外の者であってもいい。
しかし、いくら民間宗教でも、神の承認を得ずに神を馬鹿にした宗教をやってはいけない。
それは、神とされた者に対する名誉毀損になる。
だから、神は普通は民間宗教の中の者だし、宗教のやり方については必ず神に事前に承認を得なければならない。
[9206] 税金は賽銭[さいせん]である。 h21.12.29
民主主義の機関は、国民自身と司法機関だけでいい。
ところが、今の政府は司法機関だけではない。いろんな機関(省庁)や会社がぞろぞろ付いている。
それは、今の政府が宗教団体だからである。政府は宗教団体だから、いろんな余計なことをやっているのである。[だから、政府が“民主主義的”であるとは、政府が民主主義的に(つまり信者の目を意識しながら)宗教(神制度すなわち信者に神と同じことをさせること)をやっていることを言うのである。宗教団体によっていろんな宗教のやり方があり、民主主義的な宗教もあれば、君主主義的な宗教(つまり神による独裁的な宗教)もある。日本政府は民主主義的に宗教をやる宗教団体なのである。/日本政府は戦前は天皇制だったし、今でも天皇の承認制が残っている。政府が民主主義の機関だとすると説明が付かないが、宗教団体だとすると容易に納得できる。]
ところが、世界大戦以後は、世界中の国で国家宗教をやってはいけない決まりになっている。[国家宗教とは、国民全員が生まれつき特定の宗教に入ることに決まっている宗教のことである。]
だから、今の政府は民間宗教団体なのである。
だから、政府のやっている宗教に入りたい人は、政府にじきじき申し込まねばならない。
政府に申し込んだ憶えのない人は、政府のやっている宗教に入っていないから、政府に従わなくてもいい。政府に税金を払ったり、政府に事故で殺されたり、政府の命令を聞かなくてもいい。
政府のやっている宗教に入っていない人が政府に税金を払っているのは、お正月の初詣[はつもうで]に“賽銭”[さいせん]を払うようなものである。税金とは、お金があり余っている人が縁起かつぎのために払うものである。
国民が宗教団体に賽銭をやってはいけないという法律はないから、税金は違法ではないのである。だから、これまで長年国民は政府に税金を払い続けてきたのである。
私は政府に賽銭を払うほどの余裕はないから、政府に税金を払わない。
[9207] 日本政府は民間宗教団体である。(その2) h21.12.30
宗教とは、信者が神に従うことである。
だから、宗教では、信者は必ず神を知っていなければならない。神の名前と神が大体どんな人であるかぐらいのことは、信者なら誰でも知っていなければならない。
したがって、神を信者に公開しない宗教はない。だから、宗教の政府は、信者に神のことを教えなければならない。
ところが、今の日本政府は神を国民に公開していない。国民のほとんどは日本政府の神を知らない。
それは、日本政府がやっている宗教が民間宗教だからである。
民間宗教では、信者には神を公開するが、信者以外の者には必ずしも神を公開しない。
だから、日本政府の宗教の信者は神が誰であるかを知っているが、信者以外の者は神が誰であるかを知らないのである。つまり、日本政府の宗教の信者は神が私であることを知っているが、それ以外の者は知らないのである。
つまり、日本国民のほとんどは日本政府がやっている宗教の信者ではない。信者ではないから、日本国民のほとんどは政府に従わなくてもいい。
今は世界中の国で国家宗教をやってはいけない時代だから、政府は国家宗教をやれないのである。だから、政府は民間宗教をやるしかないのである。だから、いくら天皇のことをテレビや新聞で流していても、政府は天皇を神とする国家宗教はやれないのである。しょせん、天皇も政府がやっている民間宗教の神のひとり(もうひとりは私)でしかないのである。しかし、天皇は人間宣言をしたからもはや神ではなく、今の日本政府の神は私ひとりだけなのである。キリストや釈迦は人間宣言をしていないから、今でも神でいけるかもしれないが。
[9208] 宗教団体は国民の承認を得ずに神としてはいけない。☆ h21.12.30
今は民主主義の時代だから、宗教も民主主義の原理に則[のっと]ってやらなければならない。
だから、宗教の政府が宗教をやる場合、国民の同意を得てから神や信者にしなければならない。
宗教団体の政府が国民に無断で勝手に宗教団体の神や信者にしてはいけない。
宗教団体が国民を無断で信者にしてはいけないなら、国民を無断で神にしてもいけない。
例えば、今の政府は私の承認を得ずに神としているから、今の政府は私を神とすることはできない。
[9209] 神は信者の上に政府を作る。 h21.12.30
「天は人の上に人を作らず」はまちがいである。
日本政府が神としていた天皇は国民の上に政府を作ったからである。
つまり、日本政府が天皇に国民を従わせることによって、政府が国民よりも身分が上の者となっていたからである。神制度が身分制の素[もと]である。
江戸時代の武士が、明治時代の政府になっただけのことである。
江戸時代の徳川家が、明治時代の天皇家になっただけのことである。
江戸時代の身分制が明治時代にも引き継がれていたのである。
宗教には身分制が付きものである。身分制では、身分の高い者が低い者を自由に殺していいし、財産を奪ってもいい。
[9210] 宗教は流行に合わせる。 h21.12.30
宗教は原則的に神制度(信者を神に従わせること)だが、当時の社会の流行に合わせて修飾しながらやっている。
民主主義の時代には、民主主義的に宗教をやる。それが、今の政府がやっている宗教である。あたかも神制度を民主主義で偽装[ぎそう]しているかのように思われる。
それと同じように、科学の時代には科学的に宗教をやる。
科学的とは、実体的に論理的に考えることである。
だから、中世の頃までは国家宗教を言葉の上だけで控[ひか]えめにやっていたが、
近代の科学の時代に入ると、物の上で信者が神に従わなければならなくなり、神を論理的に厳密に支配者だと考えたために神が絶対的な支配者になり、国家宗教を大げさにやることになりかえって以前よりもうまく行かなくなってしまったのである。
[9211] 政府はすでに民間化されている。 h21.12.31
世界大戦以前には、政府は国家宗教をやっていた。
しかし、日本が世界大戦に負けて、戦後は政府は国家宗教をやめねばならなかった。
政府は民主主義の機関となるか、あるいは民間宗教団体となるかしかなかった。
しかし、政府は民主主義の機関とはならなかった。政府は長年宗教ばかりやり続けてきたので、宗教以外のことがわからなかったからである。政府は宗教の専門馬鹿なので、宗教以外のことができなかったのである。
そこで、世界大戦後、政府は『民間宗教団体』となったのである。
したがって、今の政府に国民全員が入らなければならないのではない。今の政府に入りたい国民だけが政府に入ればいいのである。政府に入りたくない国民は政府と無縁[むえん]に生きて行けばいいのである。
[9212] 政府は民間宗教団体である。 h21.12.31
今の政府のやっていることは民主主義ではなく『神制度』である。
それは、そもそも政府が神制度をやる宗教団体だからである。
しかも、今の政府は私を神とする国民全員を信者とする神制度を私や国民に無断でやっている。
しかし、世界大戦後は世界的に国家宗教をやってはいけないことになっているから、政府は民間宗教団体として宗教をしなければならない。
だから、政府は国民に同意を得てから神や信者にしなければならない。
政府付属の国会や警察や裁判所は、政府のやっている民間宗教の信者に対して法律を出したり罪を裁いたりする機関だから、信者以外の者にとってはないに等しい。
今のところは、まだ国民全員を対象とする司法機関や警察や法律研究所が出来ていないから、国民はセルフサービスで法律を守ったり犯罪者を罰したりしなければならない。
[9213] 民主主義と神制度の違い h21.12.31
民主主義は国民のためにあるが、神制度は政府(宗教団体の幹部)のためにある。
民主主義は国民のための世界を作ることだが、神制度は政府のための世界を作ることである。
神制度の世界では、政府が信者よりも身分が高い者であり、政府は自由に信者を殺したり信者の財産を奪ったりできる。
神制度とは、神を君主とする君主主義のことである。
今の日本政府も、神制度をやる民間宗教団体である。
自分が日本政府の奴隷になりたい者以外は、日本政府のやっている民間宗教に入ってはいけない。日本政府がやっている民間宗教は日本神道だから、日本政府に殺されたい者以外は日本神道の信者になってはいけない。
宗教は奴隷になりたい者が入るものであって、奴隷になりたくない者は入ってはいけない。
日本は日本政府が支配する神制度の世界であってはならない。
日本は日本国民が支配する民主主義の世界でなければならない。
[9214] なぜ政府は国民から税金を取っているか? h21.12.31
世界大戦後の政府は民間宗教団体である。世界大戦後の日本神道は民間宗教である。
日本政府は日本神道の信者からは税金を取れるが、信者以外の者からは税金は取れないはずである。
だから、信者以外の者は日本政府に賽銭[さいせん]を払っているのである。
信者は税金を払い、信者以外の者は賽銭を払っているのである。
賽銭ならやろうがやるまいが個人の勝手である。私はお金に余裕がないから、政府に賽銭を払うのをやめた。
[9215] 政府は信者以外の者に対しては身分が上ではない。 h21.12.31
宗教団体の政府(幹部)は同じ宗教団体の信者よりは身分が上だが、それ以外の者に対しては身分が上ではない。
だから、宗教団体の政府が同じ宗教団体の信者以外の者に対して殺傷したり財産を奪ったりすると犯罪になる。
例えば、日本政府は日本神道の信者に対しては身分が上だが、日本神道の信者以外の者に対しては身分が上ではない。日本政府が日本神道の信者以外の者を殺傷したり財産を奪ったりすると犯罪になる。
[9216] どうして日本人は議論をしないのか? h21.12.31
世界大戦以前は、世界中の国で国家宗教をやっていた(ただし、中国は除く)。
宗教(神制度)とは、神に信者を合わせることである。信者に神と同じことをさせることである。
キリストや釈迦は自分の思想を堂々と人前で述べた。
しかし、神武天皇は不言実行型で、自分の思想を人前で述べたりしなかった。
そのために日本には『雄弁は銀、沈黙は金』という諺[ことわざ]までもあるのである。
それで、ヨーロッパ人やインド人は人前で自分の考えを述べるのが好きだが、
日本人は自分の考えを人前で述べたがらないのである。
そのために、日本人は工場職にしろ事務職にしろ眼で見て手を動かすだけの手作業の仕事ばかりしたがるのである。
国家宗教では神のキャラクターに国民全員が縛[しば]られることになるから、国家宗教はやめたほうがいい。国家宗教なんかないほうがいい。
[9217] 最近の女は怠慢[たいまん]だ。 h21.12.31
私は小学校に上がる頃までずっと、自分の母親を“自分を喜ばせてくれる者”と思っていた。今でも、そう思っている。
私は自分の母親に対して殿様的な見方をしているが、それでも自分の母親を有り難いと思っている。
男の女に対する殿様的な見方も、善い人間関係を作っていく上では大事なことである。
私の母親は私が小さい頃から私に対して私が喜ぶいろんなことをしてくれたからこそ、私に“自分を喜ばせてくれる者”と思い込ませることができたのである。そうなれば、一生安泰[あんたい]である。
しかし、最近の女は男にとって“自分を喜ばせてくれる者”ではない。最近の女性は男を喜ばせることを自分から努力して積極的にやろうとしない。面倒臭がり屋ばかりだ。
このままでは男は女を要らないものと見なして捨ててしまうだろう。ちょうど国民が政府を要らないものと見なして捨てたのと同じことだ。
[9218] 政府は民間宗教団体である。 h22.1.1
政府が民主主義の団体だとすれば、司法機関を中心に出来ているはずである。
しかし、今の政府は行政を中心にできている。
行政とは神制度すなわち宗教をやることである。
だから、今の政府は宗教団体である。
しかも、世界大戦後は国家宗教をやってはいけないから、民間宗教団体である。
ゆえに、政府は民間宗教団体である。
今の日本には、まだ民主主義をやる団体は出来ていない。
政府は日本神道の信者を対象にして行政や司法や立法をやるだけだから、一般の国民は政府の対象になってはいない。政府に面倒を見てもらうためには、日本神道の信者にならなければならない。
一般の国民は日本神道に信者になりたくないから、早急[そうきゅう]に政府とは別に民主主義をやる団体を作らなければならない。
日本政府とは独立に、民主主義の政府で裁判所や警察や国会(法律研究所)を作らなければならない。
要するに、今の日本政府から神制度を除[のぞ]けば、民主主義の政府になるのである。
民主主義で生きたい人は民主主義の団体に入ればいいし、神制度で生きたい人は神制度の団体(宗教団体)に入って生きればいい。
私は民主主義の団体に入りたいから、民主主義の政府が出来てから民主主義の政府に政治費用を払いたいと思う。民主主義の政府は行政をやらないから、今の日本神道の政府の税金よりも安いはずだ。
民主主義(無宗教)の者は民主主義の団体の法律に従えばいいし、神制度の者は神制度の団体の法律に従えばいい。
民主主義の者と神制度の者との間で揉め事[もめごと]があった場合、あるいはひとつの神制度の者と他の神制度の者との間で揉め事があった場合には、すべて民主主義の政府の法律に従うこととする(下図参照)。[例えば、宗教団体の政府(幹部)の命令で同じ宗教団体のパイロットとスチュワーデスと乗客が乗ったジェット機を信者でない者の山に墜落させて乗員乗客すべてが死亡したとき、宗教団体の政府は同じ宗教団体の乗員乗客を殺したことについては無罪だが、それ以外の者を殺したことについては有罪であり、宗教団体の政府は壊したジェット機の費用を航空会社に、壊れたジェット機や死体の処理費を処理会社に、山に対する損害費を山の持ち主に支払わなければならない。]
したがって、国民はすべて民主主義(無宗教)の団体に入らなければならないものとする。
その上に、各自が自由に自分の好きな宗教団体に入ればよいものとする。宗教団体に入りたくない者は入らなくてもかまわない。だから、宗教に入っている者は、民主主義の政府に政治費用を払った上に、宗教団体の政府に税金を払わなければならないことになる。
今の日本政府は民主主義の政府と宗教団体の政府を兼[か]ねている。2重人格の政府である。だから、民主主義の政府と宗教団体の政府をはっきり分けねばならない。日本政府は民主主義の団体となるか、宗教団体(日本神道)の団体となるかどちらかひとつにしなければならない。今の日本政府は行政中心で宗教団体としての性格が強いから、宗教団体となるしかないだろう。
[9219] 私アニメや私ドラマは禁止! h22.1.1
今の日本政府は民間の宗教団体である。
民間の宗教団体が公共の電波を使ってはいけない。
だから、今の日本政府が神としている私の個人情報が混じった番組を放送してはいけない。
マンガやOVA(オリジナルビデオアニメ)や映画は視聴者が限定されるからかまわない。しかし、テレビアニメやテレビドラマは視聴者が一般の国民なのでいけない。
もっとも、民間の宗教団体なら国民に神とする許可を取ってから神としなければならない。今の日本政府は私に許可を取ってから私を神としていないから私を神としてはいけない。
[9220] テレビ東京『古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議4』を見て
h22.1.2
番組の中で、キリストがローマ帝国にとって異端の宗教の開祖で死刑にされて、その後も人々のキリストへの信仰が衰えず、キリストの信者が死をも恐れずにローマ帝国と戦ったと言っていた。
ローマ帝国が物質の文明なのに対し、キリスト教は精神の文化なのだと言っていた。
私は、キリストを実在の人物と考えるのは今日的[こんにちてき]には古いと思った。キリスト教を美化しすぎていると思った。テレビ東京がキリスト教からお金をもらっているためかもしれないと思った。
テレビでやっている宗教は「宣伝用の宗教」だと思った。
実際の宗教は、神制度と身分制からなっている。神制度とは、宗教団体の政府(幹部)が神の伝記に基づいて、信者に神と同じことをさせることであり、身分制とは宗教団体の政府が信者よりも身分が上であって、政府が信者を自由に殺傷したり信者の財産を自由に奪ったりすることである。だから、宗教に入っても信者であるかぎりロクなことがないのである。キリスト教の信者が自分の死をも恐れずにローマ帝国と戦ったのは、キリスト教の厳しい身分制のために信者が政府(幹部)の「ローマ帝国と戦え!」という命令に逆らえなかったからなのだ。ローマ帝国が物が豊かなのに対しキリスト教が心が豊かであると言うのは、キリスト教の信者が政府(幹部)に全財産を取られて乞食にされていることの言い換えである。
ローマの皇帝制についても、番組では皇帝の独断で政治をやっているように言っていたが、実際には組織で政治をやっていたはずである。皇帝の暗殺など本当にあったことなのだろうかと思った。私が日本人であるせいかもしれないが。あと、ローマの町に火をつけたのは、ネロではなく町のチンピラがやったのだと思った。
番組の最後に、ギリシアのパルテノン宮殿がいいか、ローマ帝国のコロシウムがいいかゲストに聞いていたが、そんなことはどうでもいいことだ。歴史的な事実に対して、個人の好き嫌いを聞いても仕方がない。私は物事ははじめが肝心だから、古いパルテノン神殿のほうがいいと思った。ローマ帝国のコロシウムが作られた頃、日本ではまだ竪穴[たてあな]式住居しか作れなかった。パルテノン神殿もコロシウムもヨーロッパ人の心を形にした物だ。日本人では何万年かけてもあんな物はとうてい作れないと思った。
[9221] ゲーム留学 h22.1.2
私は最近ほとんど毎日パソコンの『BATTLEFIELD2』のオンラインゲームで遊んでいる。
4年半かけてようやく“特務上級曹長”になれたところである。
オンラインゲームで外国のサーバーで外人といっしょに遊んでいたら、外人の心が伝わってくる。
敵や味方の一挙手一投足[いっきょしゅいっとうそく]を見ることによって、心が伝わってくる。
オンラインゲームで遊ぶことによって、外人の心を学ぶことができる。
日本国内だけでは体験できないことがオンラインゲームでは体験できる。
[9222] どうして宗教の信者は勧誘[かんゆう]に熱心なのか? h22.1.2
宗教の信者は、政府の奴隷である。宗教には厳しい身分制があり政府は信者よりも身分が上なので、信者は政府の奴隷なのである。
宗教の信者は毎日が地獄である。
しかも、宗教に一度入ったら、神や政府の許しが得られるまで宗教を抜けることができない。
そこで、信者は他人を自分と同じように不幸にするために、一生懸命に他人を勧誘するのである。
宗教の信者は自分が幸福になれないので、他人を不幸にすることに熱心なのである。
[9223] 神は契約である。 h22.1.2
客観的に神という生き物がいて神に人類が従わねばならないのではなく、
宗教団体の政府が国民と「神に従う契約」を取ってはじめて国民が神に従う信者になるのである。
神は科学的にはただの人間である。それが『契約』によって信者が従わねばならない神となるのである。
だから、契約がなければ、神でもなんでもない。神はそんじょそこらの人間にすぎない。
世界大戦以前は、国家宗教が認められていたから、日本政府は国民全員と「無記名の契約」をとって神武天皇を神とする日本神道の信者にしていたのである。
しかし、世界大戦以後は国家宗教が認められず、宗教団体は国民と必ず契約を取ってから信者にしなければならなくなった。[国家宗教があると政府の権力が強くなりすぎるので、戦後は国家宗教が禁じられたのである。]ところが、今の日本政府は国民のほとんどと「神である私に従う契約」を取っていないから、今の国民のほとんどは神である私に従う信者ではない。国民の一部の者だけが日本政府と「神である私に従う契約」を取った神である私に従う信者にすぎない。
日本政府は日本神道の幹部である。
世界大戦後は国家宗教は禁じられているから、今の日本神道は民間宗教である。つまり、今の日本神道は、国民の一部の者だけが信者であるにすぎない。
宗教団体の信者は同じ宗教団体の神や政府に従わねばならないが、信者以外の者が政府や神に従う必要はない。
だから、今は日本神道の信者以外は日本政府に従う必要はない。
[9224] 神は契約である。(その2) h22.1.2
神は科学的にはただの人間である。神は人間同士の“取り決め”で神であるだけである。
だから、宗教団体の政府がある一人の人間と「神となる契約」を取ってはじめてその宗教団体の神となるのである。一人の人間と「神となる契約」を取らなければ、その者を宗教団体の神とすることはできない。
例えば、私の場合、日本神道の政府(つまり日本政府)は私と「神となる契約」を取っていないから、私を日本神道の神とすることはできない。だから、今の日本神道には神はいないことになる。しかし、神がいなければ宗教団体ではありえない。したがって、今の日本神道は宗教団体ではなく、ただの団体である。したがって、今の日本神道においては、政府は信者よりも身分が上ではない。信者は政府に従わなくてもかまわない。
[9225] はじめに信者ありき。 h22.1.3
世界大戦後、これまでの国家宗教の神は神ではなくなった。
そのために、国家宗教の政府と信者の一部だけが残されることになった。国民の大多数は終戦と同時に国家宗教の信者を辞[や]めてしまった。
戦後の“もと国家宗教”は、政府と信者の一部がはじめにあったのである。信者と政府だけの“神のいない宗教”で、しばらく休眠状態にあったのである。
その後、昭和40年頃に、日本政府が私に無断で私を神とすることに決めた。
そのときから、私を神とする新しい日本神道の活動が始まったのである。
つまり、戦後の政府の宗教は、はじめに政府と信者があって、その後で神が決まったのである。だから、神となる者とは「信者を支配する契約」を取らねばならない。神となる者が「そんな連中を支配するのは嫌だ」と断ったらそれまでである。
今の日本政府の宗教は、日本政府と国民の一部の残った信者だけでやっている。だから、国家宗教とは言えない。したがって、今の日本政府は私に無許可で私を神としている民間宗教団体の幹部組織である。
元旦[がんたん]に皇居の下の広場で天皇に旗を振っている国民は、“日本の象徴”を崇[あが]めている人々であって、神に従う信者ではない。
[9226] 政府は民主主義の政治組織ではない。 h22.1.3
今の日本には、日本神道という政府と信者だけがあって神がいない休眠中の民間宗教団体があるだけで、
今の日本には、民主主義をやる政治組織はない。
だから、どうしても民主主義をやる政治組織が必要なら、これから作らねばならない。
宗教団体の付属機関ではない警察や裁判所や法律研究所などを作らなければならない。
国民が日本神道から民主主義をやるために必要な機関を買い取って民営化すれば実現できる。
日本神道は残りの機関で宗教をやればいいだろう。それで、日本神道の政府も信者も神(今のところ欠席)も満足できるはずだ。
今の政府は、民主主義の機関+神制度の機関で混ぜこぜにしてやっている。だから、それらの機関を分離して、民主主義の機関は国民全員で、神制度の機関は日本神道の者だけで経営すればいい。
今の政府は神制度の機関が多いから、一般の国民にとっては無駄ばかりだ。税金は神制度の機関におおかた使われている。今の政府から民主主義の機関だけが独立しないかぎり、一般の国民は政府に税金を払わなくてもかまわない。
[9227] どうして政府に民主主義の機関があるのか?☆ h22.1.3
政府は、原則的には神制度をやる機関である。
神制度とは、信者に神と同じことをさせることである。
神とされた人物には、個人主義的な部分があれば、民主主義的な部分もある。
その民主主義的な部分が政府の民主主義の機関となっているのである。
神の個人主義的な部分は、宗教の信者にとっては関心の的[まと]だが、一般の国民にとっては無駄である。例えば、神武天皇の場合は、軍事が無駄である。
[9228] 政府は純粋な民主主義の機関ではない。 h22.1.3
政府は神制度をやる機関である。
神制度とは、信者に神と同じことをさせることである。
神とされた人物には、個人主義的な部分があれば、民主主義的な部分もある。
民主主義的な部分だけの人間はいない。
実在する人間には、どうしても個人主義的な部分がある。
しかし、個人主義的な部分は、他人にとっては無駄である。
神の民主主義的な部分が政府の民主主義の機関となり、神の個人主義的な部分が政府の個人主義の機関となる。
だから、政府では、どうしても無駄ができる。
政府は効率の悪い民主主義の機関である。
政治機関の効率=民主主義の機関÷(個人主義の機関+民主主義の機関)≪1。
[9229] なぜ日本は日清日露戦争に勝ったのか? h22.1.3
当時の日本が国家宗教を激しくやっていて、厳しい身分制のために国民は政府の奴隷であり、軍人であった神武天皇の神制度のために政府が国民に神武天皇と同じことをさせて国民を戦争に行かせることができたからである。
けっして神武天皇がキリストよりも強かったからではない。
宗教は神と信者の『契約』によって成立するので、信者は自分が契約した神以外の神には従わなくてもいいから、神と神とを比較して、弱い神の信者(ロシア人)が強い神の信者(日本人)にわざわざ負けてやらなくてもいいからである。[[9218]
の図を参照。]
当時の世界中の国々が、日本の神武天皇ではなく、日本の『国家宗教』を恐れたのである。
それで、世界中の国々が一致団結して、国家宗教を滅ぼすために戦争を起したのである。それが世界大戦だったのである。
日本も世界大戦に負けて、国家宗教をやるのに懲[こ]りて、戦後は国家宗教をやらなくなった。
[9230] どうして宗教に入る人がいるのか? h22.1.3
宗教には、厳しい身分制度があって神や政府は信者よりも身分が上であり、神や政府は信者を自由に殺したり信者の財産を自由に奪ったりすることが認められている。
だから、信者は神や政府の奴隷であり、信者の人生は地獄である。
それなのに、宗教に入る人がいるのは、奴隷になって上の者に虐[いじ]められることを生き甲斐[いきがい]にしている変態がいるからである。あるいは、お金持ちが宗教団体に大金を払って神や政府になって信者を虐めるために入るのである。
だから、普通の人にとっては、宗教は自分の欲望を満足する場ではない。普通の人にとっては、宗教は縁[えん]がない。
[9231] 政府は宗教団体の幹部組織である。 h22.1.3
微生物(バクテリア)は眼で見えないぐらい小さいが、それでも生物である。
それと同じように、日本政府は東京にビルをいくつも持っている大きい組織だが、それでも宗教組織である。
日本政府は日本神道の幹部組織である。日本政府は日本中の日本神道の信者(私の推定では約1000万人)の面倒を見ているのである。
日本神道は、オウム真理教や原理研究会と同じ民間宗教団体である。
国家宗教がある時代なら、国民はみんな日本神道の信者だったので政府に逆[さか]らいようがなかったが、今は国家宗教がない時代なので、国民のほとんどは日本神道の信者ではないから政府に逆らうことができるのである。
[9232] 政治機関(ポリティカルエンジン)の改良 h22.1.4
今の日本政府のような神制度の政治機関では、神の個人主義的な部分ために効率が悪い。[[9228]
を参照。]
私が考えた司法機関を中心とする民主主義の政治機関は無駄がなくて効率がいい。
民主主義の政治機関では、政府が国民よりも身分が上にはならないから、国民にとってはますます都合がいい。
今の日本政府は民間の宗教団体である。日本神道の信者以外は日本政府が面倒を見てくれない。
だから、今の日本にはまだ民主主義の政治機関はない。
日本政府は宗教性が濃すぎて、民主主義の政治機関としては使えない。神制度の政治機関に民主主義の仕事を頼むほうがまちがっている。
したがって、今後日本に新しく民主主義の政治機関を作らなければならない。[民主主義の世界では、立法機関は国民自身だし、不幸にして司法機関のお世話になるのは年間10万人に1人だけだから、さし当たって急に要るわけでもない。だから、ゆっくり作ればいい。]民主主義の政治機関ができれば、国民は政治機関に政治料金を払うだろう。
[9233] なぜ一般の国民が日本神道の裁判所や警察を利用できるのか? h22.1.4
一般の国民は日本神道の信者ではないから、日本神道の施設を利用することはできないはずである。
しかし、これまで一般の国民も日本神道の裁判所や警察などの施設を利用してきた。[宗教団体が大きくなれば、信者の決まりを決めるための立法機関や信者の揉[も]めごとを裁[さば]くための司法機関が宗教団体にある。それが、日本神道の国会や裁判所や警察なのである。]
それは、日本神道が“善意のある宗教団体”だから、信者以外の者にも“無料で”施設の利用を許可しているのである。裁判所や警察はあまりお金がかからないから、信者以外の一般の国民にも施設を開放してくれているのである。外国の宗教団体が、無料で乞食[こじき]に食わせる代わりに面白くない話を聞かせるようなものである。
[9234] 社長は社員以外の者に対しても偉いか? h22.1.4
社長が偉いのは給料をくれるからである。社員が社長に従うのは、社長が給料をくれるからである。社長は社員にお金をやるから社員に対して威張[いば]っているだけである。
給料をくれなければ、社長は偉くもなんともない。
だから、社長は同じ会社の社員に対しては偉いが、同じ会社の社員以外の者に対しては偉くもなんともないのである。ただのおっさんである。
社長は社員以外の者に対してはお金をやらないから、社員以外の者にとっては社長は偉くないのである。
要するに、金の切れ目が縁[えん]の切れ目だ。社長とはその程度の者なのである。つまり社長とは、金をくれる以外に取り柄[とりえ]のないカスだ。だから、社長が威張れるのは、自分の会社の中だけである。
[9235] 日本神道は国家宗教ではない。 h22.1.5
世界大戦以前は、日本神道が神武天皇を神とする国家宗教をやっていた。
それで、国民は政府の奴隷とされて、神武天皇の神制度で戦争に無理やり行かされた。
日本の近所の国が迷惑した。世界中の国が日本を恐れた。
それで、世界中の国が団結して、日本神道を倒そうとした。
それが、世界大戦であった。
その結果、日本は戦争に負けて、日本神道が改変させられた。
戦前は日本神道は国家宗教だったが、戦後は日本神道は民間宗教となった。
しかも、神武天皇を神としてはいけないとされた。
戦後の20年間は日本は復興にいそがしくて宗教どころではなかった。
復興が終わった昭和40年頃から、民間の日本神道は私に契約を取らずに私を神として宗教を始めた。
日本神道は民間の宗教団体なのだから、政府が神や信者ときちんと契約を取って宗教をやらねばならない。そうしなければ、もはや宗教団体ですらない。
日本国民も世界大戦後は日本神道の信者ではないのだから、いつまでもダラダラと日本政府(日本神道の幹部)の言いなりになっていてはいけない。
[9236] 国家宗教に契約は要らない。 h22.1.5
天皇家も100代以上続けば、一人や二人は自分が天皇になるのを嫌がる者がいたはずである。
それなのに、天皇家が続いているのは、政府が嫌がる者を無理やり天皇にさせたからである。
国家宗教では、本人の好き嫌いを問わず、政府が神にさせることができるのである。
国家宗教では、政府が神を決めるだけでなく、政府が信者を決めることもできた。
それで、国民全員が日本神道の信者だったのである。
しかし、世界大戦後は、この世に国家宗教はなくなった。
だから、今では日本政府が本人の許可を得ずに契約を取らずに勝手に日本神道の神や信者にしてはいけない。民間宗教では、どうしても契約が必要なのだ。
今の日本神道は、オウム真理教のように、『国家宗教団体のつもりになっている民間宗教団体』なのだ。だから、国民は日本神道をまともに取り合わなくて(相手にしなくて)いい。
[9237] 日本神道の信者の願い h22.1.5
ローマ帝国は、戦争をして、征服した国の人々を奴隷にして繁栄していた。
日本神道が国家宗教であれば、日本が戦争をして、征服した国の人々を奴隷にして繁栄することができる。[たとえ神が軍人でなくても、神が喧嘩[けんか]したり暴れたりしたことを使えば、信者に戦争をさせることができる。実際に、私が高校1年生の頃、精神分裂病に罹って夜中に近所の家に乾電池を投げて窓ガラスを割ったりしたためにイランイラク戦争や湾岸戦争が起こったのである。キリスト教でもかつてヨーロッパがアフリカやアジアの外国と戦争して外国を征服して外人を奴隷にしていたから、キリストは軍人ではなかったがキリスト教でも信者(ヨーロッパの国民)に戦争をさせることができるのである。]かつての日本は、ローマ帝国の環地中海大西欧共栄圏を真似て環太平洋大東亜共栄圏を築[きず]こうとしたのである。かつての日本は、近代ヨーロッパを真似て自然科学を利用して強い軍事国家になろうとしたのである。
だから、日本神道の信者は日本神道を支持するのである。
しかし、それでは日本が永遠に軍事国家であることになる。
日本はそれでいいかもしれないが、日本の近所の国が迷惑である。世界中が迷惑である。第3次世界大戦が起きて大惨事になってしまう。
だから、やはり日本神道が国家宗教となることはいけないのである。
[9238] 国家宗教団体は大きい宗教団体のことではない。 h22.1.5
国家宗教団体は、国民全員が生まれつき特定の神に従うと契約したことになっている宗教団体のことである。
けっして、大きい宗教団体のことではない。
国家宗教団体は大きい宗教団体だが、逆に大きい宗教団体だからといって国家宗教団体だとはかぎらない。
日本神道は、世界大戦後は国家宗教団体ではなく民間宗教団体である。
だから、日本政府が幹部を務[つと]めている日本神道は大きい宗教団体だが、民間宗教団体なので入ろうが入るまいが個人の自由である。
国家宗教は、実際には国民が特定の神に従うと契約していないのに契約したことにしているから、そんなインチキな制度は消えていくことになるのだ。
[9239] どうして日本政府は国民に非公開で私を神とする宗教をしたのか? h22.1.6
世界大戦後は、世界中で国家宗教をやってはいけなくなった。
そこで、日本政府は、「国民に非公開で私を神とする宗教をやれば国家宗教にはならない」と考えたのである。
しかし、国民に非公開である点以外はこれまでの国家宗教と変わらない。
しかし、たとえ神を国民に非公開にしても、国民全員を信者とするなら、国家宗教をやっていることになる。
たとえ神を国民に非公開にしても、神制度で国民に戦争させて、征服した国の人々を奴隷にすることができる。第3次世界大戦を起すことができる。
たとえ神武天皇を神としなくても、国民全員を信者とするなら、それは立派な国家宗教である。
だから、いくら神を国民に非公開にしても、国民全員を信者とするかぎり、日本は国家宗教をやっていることになる。
日本が国家宗教をやめるためには、つまり日本神道が民間宗教団体となるためには、『国民が日本神道の政府(日本政府)と契約しないかぎり日本神道の神や信者になることはない』としなければならない。
[9240] 本に書いていないことは自分で考えなければわからない。 h22.1.6
これまでに私は「脳細胞の神経興奮で感覚が発生する」と書いた本や「日本政府が国家宗教団体のつもりでいる民間宗教団体である」と書いた本を読んだことがない。
本になっていないことは自分で考えるしかないということだ。
いろんな理由で本にしにくいことがある。そういうことは自分で考えて発見しなければならない。
[9241] 国家宗教は国民にとって損である。☆ h22.1.6
戦争をして外国を征服して外人を奴隷にしないかぎり、国家宗教は国民にとって得になることはない。
しかし、今日[こんにち]では外国を征服するための戦争は禁止されている。
むしろ、国家宗教があると、国内においては神制度に伴う身分制によって国民が政府の奴隷にされるので国民にとっては損である。
だから、国民にとっては国家宗教はやめねばならないのである。
つまり、現代における国家宗教は、各国の政府が国民よりも身分が上になるためにあるのである。国民を政府の奴隷にするためにあるのである。だから、今の神はどこの国でも同じ私なのだ。
[9242] 現代の国家宗教 h22.1.6
現代においては、国民は旧国家宗教の信者と信者でない者とが混じり合っている。国民が2種類に分かれている。[[9189]
今の政府がやっている宗教 h21.12.26の図を参照。]
信者は政府が決めた神に従うことを契約した者であり、信者でない者は契約をしていない者である。
旧国家宗教の信者は私が神であることを知っているが、信者でない者は私が神であることを知らない。
旧国家宗教の信者は政府が宗教をやっていることを知っているが、信者でない者は政府が宗教をやっていることを知らない。
各国の政府は、旧国家宗教の幹部組織である。各国の政府は旧国家宗教の信者の面倒を見ている。
したがって、各国の旧国家宗教はもはや今では民間宗教にすぎないのだ。
ただたんに国内には旧国家宗教の信者が多い(私の推定では信者率は1割程度)というだけのことである。
旧国家宗教の信者でない国民は、政府から独立して生きて行けばいいのである。
旧国家宗教の信者でない国民が自分たちで民主主義の政治にとって必要な機関を用意すれば、完全に政府は要らなくなる。政府は宗教をやるしか能[のう]がない馬鹿な機関だから、早くなくなったほうがいい。
[9243] 支配の法則 h22.1.6
支配は、支配する者と支配される者の合意によって成立する。
だから、合意がなければ支配は成立しない。
ところが、今の政府は国民にとって得になることがない。
戦争が使えなければ、国民にとって宗教も得にはならない。
したがって、政府による国民支配は成立しない。
国民にとって、もはや政府は要らない。政府はポイ捨てだ。
[9244] 玉虫色の政府 h22.1.6
日本神道(今では民間宗教団体)の信者にとっては、政府は私の神制度をやる機関である。
日本神道の信者以外の者にとっては、政府は民主主義をやる機関である。
だから、今の政府は、人によって神制度をやるようにも民主主義をやるようにも見えねばならない。
しかし、今の政府はどう見ても民主主義の政治機関とは思えない。要らない行政機関がいっぱいあって、とうてい民主主義の政治をしているようには見えない。国会議員も意味もなくお高ぶって、どう見ても民主主義ではない。
神制度の政治機関にしか思えない。
だから、今の政府は失敗作である。
今の政府は日本神道の信者のためにある機関であって、一般の国民のためにある機関ではない。
政府が明らかに神を置くと政府が神制度をやる機関にしか見えないので、日本神道の信者以外の者の反感を買うので、政府は神(つまり私)を一般の国民に対して公開することができなかったのである。日本神道の信者自身も、一般の国民に対して隠れながら宗教をやっている“隠れ信者”だ。今の政府は、一般の国民に隠れながら宗教をやっている“隠れ宗教機関”だ。
つまり、今は民主主義の時代なのだ。宗教のない時代なのだ。そんな時代に、神制度をやっている機関のあることがそもそもまちがっているのである。だから、政府は早くなくさなければならない。
江戸時代に隠れキリシタンが殺されたように、現代の国家宗教のない時代に隠れて国家宗教をやっている日本政府や日本神道の信者は国家宗教をやっていない国民によって殺されるのだ。国家宗教をやってはいけないことは、現代における不文法である。
[9245] 『羊頭狗肉』 h22.1.6
今の政府は、表の看板に「民主主義をやる機関」と書いておきながら、じつは神制度をやる機関である。
国民が怒らないわけがない。
政府は潰[つぶ]れる。
[9246] 国民の政府に対する誤解 h22.1.7
世界大戦後、国民の多く(信者を除く)は政府が神制度をやめたと思った。
しかし、実際には、政府は神を代えて神制度の政治を続けていたのである!
今の政府は、私を神とする神制度の政治をやっている。神武天皇の神制度もちょっと残っている。
つまり、今の政府は民主主義の政治をやっていない。
だから、今の政府は民間の宗教団体[の幹部組織]である。
したがって、日本神道の信者以外は政府を無視してよい。
[もしも私がまちがっていたら、ゴメンね。]
[9247] 神は宗教団体の最高支配者である。 h22.1.7
神は宗教団体の最高支配者である。
政府は神に信者を従わせるのが仕事である。
信者の従わせ方が完全に政府任[まか]せだと、神はどんな風に政府が信者を従わせているかがわからない。
神は政府の信者に対する従わせ方について目を通す権利がある。
宗教団体においては神は最高支配者だから、神が目を通す権利があるとすれば目を通すことができる。また、神が政府に任せっきりでいいとすれば、それでもいい。
神が政府の信者に対する従わせ方が自分の気に入らなければ、やめさせることができる。
私は日本神道の神である。ただし、日本神道は私の承認を得てはいない。いくら私の承認を得ていないとしても、日本神道が私を神としたことは事実である。だから、日本神道の者は私の命令に従わねばならない。
『日本神道の者はこれまでの私の神制度をやめて、これまでに私の神制度で作られた物をこの世からすべてなくさなければならない。今後は私を日本神道の神としてはならない。』これは神の命令だから、神の命令には従わなければならない。
あとでこんな面倒が起こらないためにも、あらかじめ神とする者に宗教団体の神とする承認を得ておいたほうがいい。私が政府の者なら、神とする者に神とする契約を取ってから神にする。
[9248] 宗教は要らない。 h22.1.7
戦争が使えなければ、国民にとって宗教は役に立たない。
今や宗教は、政府が国民(信者)よりも身分が高くなるために使うだけである。
だから、国民にとっては、もはや宗教は要らない。
国民が宗教に入るのをやめれば、政府も宗教をやれない。宗教は潰[つぶ]れるしかない。
[9249] 国家宗教は戦争である。 h22.1.7
国家宗教は戦争である。国家宗教は戦争と論理的に同値である。国家宗教があると、政府が国民よりも身分が上の者となり、政府が国民を自由に殺すことができて、政府が神制度で何らかの理屈をつけて国民に大々的に戦争をさせることができるからである。
しかし、世界大戦後は“侵略のための戦争”は禁止されている。特に日本では禁止されている。日本が戦争で儲[もう]けようとしてはいけない。現代では全人類に人権が保障されていて、外人を奴隷にすることが許されないからである。
だから、国家宗教も禁止されている。
したがって、日本神道はもはや国家宗教ではありえない。
日本神道は民間宗教であらねばならない。民間宗教になると信者の数がグッと減って、戦争なんかとうていできない。
今や日本神道は民間宗教である。私が神であることを国民の一部すなわち日本神道の者(信者と政府)だけしか知らないのがその証拠である。
日本政府は日本神道の幹部である。
だから、日本政府に従うのは日本神道の信者だけでいい。一般の国民が日本政府に従う必要はない。一般の国民は日本政府から独立して生きて行かねばならない。
[9250] 民主主義の政府は経済的である。 h22.1.7
日本政府は神制度の政治組織である。民主主義の政治組織ではない。
だから、日本政府は政治機関としての効率がすごく悪い。[[9228]を参照。]
政府が民主主義の政治機関であれば、政府が国民よりも身分が上の者になる理由がないから、政治費用も電気代やガス代並みに合理的な料金になるはずだ。国民に優[やさ]しい料金になるはずだ。
警察と裁判所と国会が政府の側から国民の側に回ってくれれば、それは実現できる。[日本は犯罪が少ない(年間10万人に1件程度だ)から、生活に必須とまではいえないが。人の寿命が100年として、死ぬまでに犯罪にあう確率は0.1%(1000人に1人)である。これでは、犯罪で死ぬより先に病気で死ぬ。それでも、低料金でサービスをやる機関があれば、国民はたぶん安全のために入るだろう。]
[9251] 奴隷になる自由 h22.1.7
現代では全人類に人権が保障されている。
だから、国民にも人権が保障されている。
したがって、政府が国民の承認なしに国民よりも身分が上の者となる身分制は認められない。つまり、国家宗教は禁止されている。
もっとも、国民の承認があれば、政府が国民よりも身分が上になってもいい。それが民間宗教である。[昔の国家宗教は、戦争をして外人を奴隷にして国民が得をすることで、国民の承認を得て、政府が国民よりも身分が上になっていたのである。だから、昔の国家宗教は民間宗教と同じである。しかし、今は侵略戦争が禁止されているから、今の国家宗教は国民が得をすることがないから、国民の承認が得られず、国家宗教をすることができないのである。]
それは、国民には奴隷になる自由があるからである。つまり、国民には他人に自分が殺されたり、他人に自分の財産を奪われる自由があるからである。[仕事では身柄が拘束される。身柄が拘束されることは人権の侵害である。しかし、そうしなければ仕事ができない。だから、本人の同意があれば人権のいくつかは損なわれてもいいのである。例えば、本人の同意があって宗教に入った場合には、その者は神や政府の奴隷にされて殺されたり乞食にされてもいいのである。]
昔の国家宗教で政府が国民を戦争に行かせていたように、宗教団体では政府が信者を自由にできるから宗教団体でなければやれないことがある。それを活かせば宗教団体は繁栄することができる。もっとも、宗教団体の政府が得をするだけで信者が得をすることはないが。つまり、宗教団体とは“身分制のある厳しい会社”のことである。[だから、私も親から「宗教団体とは関わるな!」と注意されている。]
[9252] 政府は要らない。 h22.1.7
昔は戦争をして外人を奴隷にしてもよかったから、国民は国家宗教をやって政府を作って政府の命令で戦争に行ったのである。国民は外人を奴隷にして自分が得をするために、喜んで戦争に行ったのである。国家宗教は、戦争をするための言い訳[いいわけ]だったのである。天皇や政府は日本が戦争をするためにあっただけである。
しかし、今は戦争をしてはいけないから、国民が国家宗教をしても得になることがない。
今では、国家宗教は、政府が国民よりも身分が上になって、政府が得をして国民が損をするだけである。世界大戦後は、外人を奴隷にできなくなったので、政府が国家宗教を使って自分の国の国民を奴隷にしているのだ。
だから、今では国民にとって国家宗教は要らない。だから、国家宗教の幹部である政府も要らない。
昔は国民にとって国家宗教が得になったから国民は国家宗教をやったが、今は国民にとって国家宗教が得にならないから国民は国家宗教をやめた。だから、もはや政府は国民よりも身分が上ではない。だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は国家宗教をやめたから政府もない。だから、国民は政府を取り合う(相手にする)必要はない。
政府は国民が作った。だから、反対に国民が政府を壊すこともできる。政府が機関なのではない。国家が機関なのだ(国家機関説)。
[9253] 神は宗教団体の者でなければならない。 h22.1.7
宗教団体は身分制のある厳しい会社のことである。
神は、身分制のある厳しい会社の社長である。
社長が会社以外の者であることはない。
だから、神は宗教団体の者でなければならない。
ところが、この私は日本神道に入っていない。だから、日本神道は私を神とすることはできない。
[9254] どうして政府は何をやっているのかわからない機関なのか? h22.1.7
政府は、かつて日本が戦争をするために国家宗教をやるために作った機関である。民主主義の政治機関では防衛戦争はできるが侵略戦争ができないので、宗教機関でなければならなかったのである。[つまり、民主主義の中に帝国主義を作れば(モデル理論)、侵略戦争もできる([9256]
を参照)。]
しかし、今は戦争が禁止されているから、政府はやることがないのである。
だから、政府は何もやることがない機関なのである。
だから、政府は何をやっているかわからない機関なのである。
政府は神制度で無駄なことをやって遊んでいる機関なのである。
[9255] どうして政府は国民よりも偉いのか?☆☆ h22.1.8
民主主義では政府と国民は平等だから、政府は国民から税金を取れないはずである。民主主義の社会では、すべて会社が国民と契約を取ってから、会社が国民からお金を取るようにしなければならない。
しかし、今の政府は国民から税金を取っている。政府は時々事件を起して国民を殺すこともある。
それは、政府が私を神とする『神制度』の政治をやっているからである。
政府が私の神制度をすれば、政府が国民よりも身分が上になるからである。
しかし、そのためには、まず政府は国民みんなと「私の神に従う契約」を取らなければならない。
そうしなければ、国民が私の神制度をやっている政府に従わねばならない理由がないからである。
実際には、政府はそんな契約を国民みんなと取っていないから、政府は国民よりも偉くはない。
だから、政府は威張るな!税金取りに来たら殺すぞ!!
[9256] 帝国主義は民主主義だった。 h22.1.8
昔は日本人みんなが戦争をして外国を征服して外人を奴隷にすることに乗り気だったから、日本人みんなが国家宗教を認めていた。
つまり、日本国民みんなが天皇に従うことを認めていた。天皇を神とすることを認めていた。
日本国民みんなが日本政府の神制度を認めていた。
つまり、日本国民みんなが帝国主義(神を君主とする君主主義)を認めていた。
だから、帝国主義は民主主義だったのである。
しかし、今は日本国民のほとんどが神に従うことを認めていない。神が私であろうがなかろうが、神が誰であろうが、神に従うことを認めていない。
だから、今の日本では、帝国主義は民主主義ではないのである。今は日本国民のほとんどが帝国主義を認めていない。
日本政府は帝国主義の政治機関である。外国の政府も日本政府と同様に多かれ少なかれ帝国主義の政治機関である。
だから、今の日本では、日本国民のほとんどが日本政府に反感を持っている。世界中の国民が世界中の政府に対して反感を持っている。
世界中で、政府が国民に隠れていまだに『国家宗教』をやっている。
現代では、国民は国家宗教を認めていない。
だから、世界中の国民が政府を倒さなければならない。
国民が政府に満足していようがいまいが、とにかく政府は隠れて国家宗教をやっていて、国民は国家宗教に反対だから、国民は政府を倒さなければならないのである。
[9257] 国民は政府に従わなくてもかまわない。☆☆ h22.1.8
民主主義では、政府と国民は平等だから、民主主義の政府は国民と契約を取ってから、国民に対して民主主義のサービスをしなければならない。
そうしないのは、今の政府が民主主義の政治機関ではないからである。[憲法にいまだに天皇制を置いているのも、政府が民主主義の政治機関でないことの証拠である。]
今の政府は国民に神を公開せずに秘密裡[ひみつり]に国家宗教(神制度)をやっている。政府が国家宗教をやっているかぎり、政府が国民よりも身分が上になれると思っているからである。
しかし、政府が国民みんなに「特定の神に従う契約」を取らなければ、そもそも国民が神制度をやっている政府に従う理由がない。[世界大戦までは、日本国民みんなは天皇を神として受け入れていたから、政府が国民と「特定の神に従う契約」を取っていたことになるのである。]つまり、国民が神に従うから政府に従うことになる。反対に、国民が神に従わなければ政府に従うことにはならない。
だから、今の政府に国民が従う理由はない。
したがって、今の国民は政府に従わなくてもいいのである。例えば、税金を払わなくてもいいし、国会議員に頭を下げなくてもいいのである。[これは、国会以前の問題だから、国会が定めた税金法その他に違反することになってもかまわない。日本の国会は(外国の国会も)神制度でできた機関なので、神制度自体が成り立たなければ国会は無効になるのである。神武天皇は王だったので政府が神制度によって法律を作る機関を作れる(つまり、政府が国会議員に神武天皇の真似をさせて法律を作らせることができる)し、私は中学3年生の頃に学級委員長や生徒会の副文化委員長をしたので神武天皇と同じように政府が法律を作る機関を作れるのである。]国民は政府から独立して生きて行くべきである。
[9258] 宗教の掟[おきて] h22.1.8
ヤクザの世界にもヤクザの掟があるように、宗教の世界にも宗教の掟がある。
宗教の掟を踏[ふ]まえねば、宗教はやれない。宗教をやったことにはならない。
神とする者を国民に公開して、国民がその者を神(自分が従うべき者)として受け入れなければ、宗教は始まらない。
宗教が始まらなければ、政府に国民を支配する権利はない。
[9259] 政府は戦争のための機関である。 h22.1.8
政府はもともと日本が戦争をするために作った国民に軍事命令を出す機関である。そのおまけに、政府は神武天皇の神制度で他のいろんなことをしていたのである。[正確には軍部だが、その軍部を作ったのは政府だから、政府と言っても同じである。]
その名残[なごり]で、戦争が終わった後も、国民は政府の命令を聞いているのである。
戦争は終わった。しかも、日本は戦争に負けた。戦争のためにある機関が戦争で負けたのだから、政府にはもはや何の取り柄もない。
だから、いつまでも国民は政府の命令を聞いていてはいけない。聞く必要もない。[[9257]
を参照。]
[9260] 神は何のためにいるのか? h22.1.8
そもそも神は国を平和にするためにいたのである。政府が理想的な人間である神に国民を従わせることによって、国を平和にしていたのである。
近代になってからは、神は戦争のためにいるようになった。神は国が戦争をして外国を征服して外人を奴隷にするためにいたのである。
しかし、世界大戦後は、世界的に戦争をしなくなった。
そこで、政府は神制度による身分制を利用して自分の国の国民を奴隷にするようになった。
つまり、今では、神は政府が国民を奴隷にするためにいるのだ。
しかし、それでは国民が納得しない。そんな体制が長続きするわけがない。
幸いにも、今の政府の宗教のやり方は宗教の掟[おきて]に適[かな]っていない。[[9258]
を参照。]だから、政府がいくら宗教をやっても、政府が国民を奴隷にすることはできない。
[9261] 二人羽織[ににんばおり] h22.1.8
二人羽織の顔を出しているのは国会議員で、後ろの黒子[くろこ]は政府の者である。国会議員はテレビや新聞に顔を出すだけで、実際には政府の者が神武天皇や私の神制度で行政をしているので、日本の政治はうまく行かないのである。つまり、日本の政治は神制度で無駄なことばかりして国民の役に立つことがないのである。
世界大戦以前には、一般には国家宗教が正しいことだと考えられていたので、国家宗教を批判することを言うためには“伏せた言い方”をするしかなかったのである。それで、おとぎ話に喩[たと]えたり、宴会芸に喩えて言うしかなかったのである。しかし、戦後は国家宗教が正しいこととは考えられなくなったので、私のように国家宗教に対する批判を開けっぴろげに言ってもかまわないのである。国家宗教の幹部である政府を堂々と馬鹿にしてもいいのである。
[9262] 日清・日露・大東亜戦争 h22.1.9
これら3つの戦争は同じ目的で行われた。
つまり、日本が外国を征服し外人を奴隷にするためである。
しかし、かつてのローマ帝国やヨーロッパやアメリカのようには行かなかった。
日本が大東亜戦争をしようとしたとき、ヨーロッパやアメリカが邪魔に入ったのである。
おかげで、日本人の長年の夢は断たれてしまった。
今日[こんにち]の日本にもまだ戦争反対を叫ぶ者がいるがそんな者は必要ない。
たとえ日本が戦争したくても外国がそれを許さないからだ。
日本が外国に戦争を仕掛けると、いろんな国から報復されてますます貧乏な不幸な国にされるだけだ。
今日[こんにち]では世界中の人類に人権が保障されているので、それを犯す行為は許されないのである。
世界大戦が、『全人類の人権』という概念を作り出した。
それで、世界大戦後、アジアやアフリカの多くの国々が独立したのである。
[9263] 国民の政治的無関心 h22.1.9
今の日本では、国民の大半が国家宗教に反対である。今の日本で国家宗教をやっても、国民が政府の奴隷にされるしかないからである。
しかし、政府は隠れて国家宗教をやっている。[もっとも、隠れてやりすぎたために、国家宗教になっていない。]
政府は民主主義の政治をやっていない。
国民がそのことに気付かないのは、国民が政治に無関心だからである。
国民は昔の天文学者みたいに政府を正確に観察していないし、自分で民主主義の政治とは何であるかについて考えたこともないので、政府が民主主義の政治をやる機関ではないことに気付かないのである。
政治学者が気付くべきだが、政治学者は馬鹿ばかりなのでわからないのである。
私以前に、私が考えたことを考えた者がいたら、わざわざ私が考える必要がなかったし、そもそも政府が私の神制度をやることもなかったし、とっくの昔に政府が潰れていたはずだ。
[9264] どうして戦争をするために国家宗教をやらねばならないのか? h22.1.9
昔は戦争は許されていた。力が正義だったからである。
戦争は人殺しである。外国に行って外人を殺すことである。
戦争は命をかけた戦いである。自分が他人を殺すことは、他人が自分を殺すことでもある。
つまり、戦争とは外国に行って外人に殺されることでもある。
戦争に行くことは死ぬのとほとんど同じことである。
国民に戦争をさせることは国民を殺すこととほとんど同じことであり、国民を殺すことができるのは『国民よりも身分が上の者』だけである。
だから、戦争をするためには国家宗教をやらねばならなかったのである。[一方、鉄道や学校を作るためには強いて国家宗教つまり政府は要らない。政府でなくても鉄道や学校を作ることができる。]
しかし、今は世界中の人類に人権が保障されていて、外人を奴隷にすることは禁止されているから、戦争をする意義がない。
だから、今は国家宗教をやる必要がない。
国家宗教は戦争のためにあるので、戦争をしなくなったら国家宗教も要らないのである。
今の時代に国家宗教をやると国民が政府の奴隷にされるだけなので、国家宗教をやってはならない。
政府は国家宗教をやるためにある機関である。だから、政府をなくさねばならない。
[9265] 死刑はできるか? h22.1.9
人間を殺せるのは人間よりも身分が上の者だけである。
だから、この世に人間よりも身分が上の者がいなくなれば死刑もできなくなる。
しかし、犯罪者は人間よりも身分が下の者と考えることができる。
だから、犯罪者を人間が殺すことができるのである。つまり、この世に人間しかいなくても死刑はできるのである。
ただ、犯罪者も犯罪がやりたくて犯罪者になったわけではない。身体や心の調子が悪くてやむを得ずに犯罪者になってしまったのである。だから、死刑は強いてしなくてもいい。他人に迷惑がかからないように隔離[かくり]すればいい。
[9266] 国家宗教は道具である。☆ h22.1.9
国家宗教は平和や戦争のための道具である。
昔の日本では、国を平和にするために身分制が必要だったから国家宗教をやった。
戦前の日本では、国が戦争をするために身分制が必要だったから国家宗教をやった。
けっして国家宗教自体が目的ではない。
今の日本には、国家宗教をやるための目的がない。
だから、今の日本では国家宗教をやる必要がない。政府も要らない。
[9267] 誰が戦争をやったか? h22.1.9
天皇が戦争をやったのではない。
政府が戦争をやったのでもない。
本当は国民が戦争をやったのである。国民の意志で戦争をやったのである。
だから、日本が戦争に負けたとき、政府や軍部の上の者を死刑にするだけではなく、本当は国民を皆殺しにすべきだったのである。
しかし、それでは罰金を払う者がいなくなるから、国民を皆殺しにはできなかったのである。
政府は国民が作った国民に命令を出す機関である。天皇は政府が命令を作るときの素[もと]になる者である。天皇(神)は身分制の素になる者である。
政府も天皇も国民が作ったのであって、国民の道具である。
しかし、今では国民にとって『身分制』は要らなくなったから、政府も天皇(神)も要らないのである。国家宗教は要らないのである。
もともとこの世は民主主義である。[旧“約”聖書の時代から宗教が神と国民の“契約”であったように、昔からこの世は民主主義である。聖書を重んじることは、この世が民主主義であることをけっして忘れないことである。]民主主義の中に国家宗教によって身分制を作っていたわけである。モデル理論で、ユークリッド空間の中に非ユークリッド空間を作るのと同じことである。国民は自分が作った身分制で自分自身を苦しめていたわけである。
[9268] 政府の解体 h22.1.9
今は国民にとって身分制の要らない国家宗教の要らない時代だから、政府がいつまでもでーんと国の中心に居座っているわけにはいかない。
学校と警察をいっしょにすると国民にとっては不経済になる。
だから、学校と警察を分けねばならない。
つまり、今の政府複合体(政府と政府付属機関の集合体。[9006] の図を参照。)から政府がなくなって、それぞれの機関が細かく分かれなければならない。一見、民営化が難しそうな機関でも、“何らかの工夫”をすることによって、民営化しなければならない。
[9269] 世界征服の野望 h22.1.9
人が世界征服を夢見て生きようが生きまいが人の勝手である。
しかし、世界を征服するためには、世界中の人々から世界の支配者であることを認められねばならない。
それは、容易なことではない。
そのためには、世界中の人々を喜ばさねばならない。
ヒトラーも近衛文麿も、国民に叶[かな]わない夢を見させて糠喜[ぬかよろこ]びをさせただけである。
現代においては、世界征服はありえないことなのだ。叶わない夢は見ないほうがいい。
[9270] 集中力 h22.1.9
集中力は無視力である。
頭の中で要らない情報を消して周りのことを無視することである。
だから、集中力のある人間は周りから浮いている。集中力のある人間は非社会的である。
[9271] 今は国家宗教をやってはいけない時代である。☆ h22.1.9
昔は、国家宗教は国を平和にしたり国が戦争をしたりして国民が幸福になるために必要だったから、国家宗教は正しいとされた。[国を平和にすることも国が戦争をすることも“国家”事業なので、国民全員が参加する“国家”宗教でやらねばならなかったのである。]
だから、昔は国家宗教をやる者が善人とされた。政府や天皇に人気があった。
しかし、今は国家宗教をやると、国民が政府の奴隷にされるだけで国民が不幸になるから、国家宗教はいけないこととされている。
国民の大半が国家宗教を悪いことだと考えている。
だから、今は国家宗教をやる者が悪人である。
政府や国家神道の信者はいまだに隠れて国家宗教をやっている。
だから、政府や国家神道の信者が悪人である。
したがって、国民は政府や国家神道の信者をやっつけねばならない。
[9272] 私の『哲学日記』の編集の仕方について h22.1.10
私の哲学日記の後[あと]のほうは正しいことが多いが、前のほうはまちがっていることが多い。
今でも所々[ところどころ]まちがいがあるかもしれない。
前のほうは正しい部分が少ないが、後になればなるほどまちがった部分が減って正しい部分が増えているわけである。
だから、私の『哲学日記』を編集する時には、最後まで読んだところで振り返ってこれまでの各章のまちがっている部分を削除すればいい。正しい部分だけを残せばいい。章全部がまちがっていれば章全部を削除すればいい。少し修正すれば残せる部分は、修正して残せばいい。
それで、残ったところを拾い集めれば、なんとか読んでわかる程度の私の論集が出来る。
[9273] 文章について h22.1.10
国語の教科書に載っている文章は、自分のまちがいが目立たない何が言いたいのかはっきりとわからない曖昧な目が腐りそうな書き方をしている。あんな文章をいくらたくさん読んでも無駄だ。書いた奴[やつ]の利口ぶり馬鹿がうつる。作文の手本にはならない。
国語の問題なんかになる文章は、書いた奴が自分の言いたいことを十分に書けていないからわざわざ読者に書けなかった部分を考えてもらっているのだ。これでは、書いた奴よりも読者のほうが頭がいいみたいだ。そんな下手糞[へたくそ]な作文を読まされて子供がかわいそうだ。直接に書いていないことまで書いたことになるのでは、あまりにも書いた奴にとって都合がいい。
[9274] 『裸の王様』について h22.1.10
『裸の王様』の話は、子供は洗脳されていないから現実が見えたが、大人は洗脳されているから幻覚が見えたということである。
しかし、実際には、大人は洗脳されていない。人間はそれほど馬鹿ではない。
だから、『裸の王様』のおとぎ話自体が嘘[うそ]の作り話である。
大人が洗脳されて幻覚を見ていることなど現実にはない。実際には、むしろ子供のほうが幻覚を見ることが多い。私も子供の頃は、オバケの幻覚に悩まされたものだ。
『裸の王様』のおとぎ話は、教訓でもなんでもない。
世の中を大人が子供よりも馬鹿でもいいくだらない世界に変えるための悪質なおとぎ話だ。
『裸の王様』に書いてあることが事実だと思わせることこそが洗脳なのだ。
政治家をネコやタヌキに喩えるのと同じことだ。[[9202] 政府は国民を騙[だま]すか?
h21.12.28 を参照。]
例えば、『泣いた赤鬼』なんかも政教分離の喩え話だが、実際には政教分離していない。[『泣いた赤鬼』では、赤鬼が政府で、青鬼が宗教である。青鬼が村人を虐[いじ]めるのは、戦争の喩えである。]一般に、おとぎ話には、事実と反対のことを喩え話にしたものが多い。
例えば、『シャボン玉の歌』なんかも、あたかも当時の日本国民が戦争に反対であったかのようだが、実際には日本国民は明治の始めから戦争に乗り気だったのである。当時日本人みんなが戦争に乗り気だったからこそ、反戦を訴えるためには天皇制をシャボン玉に喩えて伏せて訴えるしかなかったのである。[『愛の戦士レインボーマン』キャッツアイ作戦編で、国民に麻薬を飲ませてリングの上で殺し合いをさせて、それを政治家が冷ややかに見ている図式は完全に嘘である。実際には、国民は戦争に乗り気だったのである。国民が戦争をするために、国民に命令を出す軍部を作ったのである。軍部を作るために政府を作ったのである。麻薬は国民が戦争をするために必要だったから使ったまでである。その証拠に戦後は麻薬の需要は急激に(1万分の1に)減った。ちなみに、私が小学生の頃はスーパーや小売店では紙袋[かんぶくろ]を使っていたから、死ね死ね団の団員は紙袋の覆面をしているのである。映画『エレファントマン』のエレファントマンやアニメ『仰天人間バトシーラー』の何様バッタが紙袋をかぶっているのも同じ理由である。]
[9275] 日本人は考えることをなめている。 h22.1.10
神武天皇が不言実行型だったのは、そもそも日本人の多くが不言実行型だからである。
日本人は物には価値を認めるが、言葉には価値を認めないのである。
「言葉だけなら簡単」とか、「言葉の上だけ立派」とか言うのはそのためである。
そのために、日本人の仕事は眼で見える具体的な手作業ばっかりである。
日本人は考えることを馬鹿にしている。
例えば、私の親も家の中ではほとんど考え事をしない。だから、いい歳をしているのに、日本政府の指示で私に要らないちょっかいを出したりするのだ。私が自分で考えたことを文字にして記録するようになったのは、県外の大学に入って親元を離れて下宿で暮らすようになってからだ。その頃から、私はずっと考え続けている。
日本の著作法は、日本人に自分で考えることを促[うなが]す目的で作られたが、効果がない。
最近の日本人がファッションにこだわるのは、自分で考えていないからだ。自分で考えていない者が他人から利口に見られたいから服装にこだわるのだ。自分で考える人間は、服装なんかにこだわる暇がない。
[9276] 国民は政府の奴隷ではない。☆ h22.1.10
今日[こんにち]では神制度は、政府が国民を奴隷にするためにしか存在しない。神制度による身分制には他[ほか]の使い道がない。[今は『他人の人権』を認めることで平和が保たれている。神制度で平和が保たれているのではない。だから、神制度は要らない。]
今後政府は自分たちで新しい神を立てて、平和や戦争に代わる新しい目的を掲[かか]げて国民の眼の前に神とする人間を差し出すかもしれない。
しかし、政府がいくら新しい神を国民に提示しても、国民がその者を神(自分が従うべき支配者)として受け入れなければ、国民は政府に従わなくてもいい。
政府は宗教によって国民よりも身分が上の者であるだけなので、国民が政府のやる宗教に入らなければ政府は偉くもなんともないのである。
もっとも、平和や戦争に代わる新しい目的が正当であり、その目的を実現するためには神制度による身分制を使わざるを得ない場合には、国民は再び国家宗教をやるかもしれない。しかし、新しい『国家的目的』が現れるまでの当分の間は、国民にとっては国家宗教も政府も神も要らないのである。新しい『国家的目的』が現れるまでは、国民は神にも政府にも従わないのである。
[9277] 国家宗教の信者 h22.1.10
世界大戦後、日本は戦争をする目的を失ったので、国民の多くは国家宗教をやめた。
しかし、それでも、国民の一部の者は国家宗教を続けた。
戦後に国家宗教の信者が残ったのは、彼らが神を超能力者だと思っているからである。
誤解に基づいて宗教をするなら、さっさとやめたほうがいい。恥さらしだ。
[9278] どうして今でも国民は政府に従っているか? h22.1.10
世界大戦後、日本は戦争をする目的を失ったので、国民の多くは国家宗教をやめた。
それなのに、いまだに国民は政府に従い続けている。国民は政府に税金を払い、政府の命令を聞いている。
しかし、私は直接に自分の眼で他人が政府に税金を払っているところを見たことがない。他人が政府に従っているところを見たことがない。
今は政府が国民に和歌を作らせたり戦争をさせたりする命令を出していないから、国民が政府の命令に従っているかどうかわからない。
だから、実際には国民の多くは政府に税金を払っていないかもしれないし、政府の命令を聞いていないかもしれない。実際には、今では国民の多くは政府を無視して生きているのかもしれない。
国民の多くは国家宗教をしていないから、政府にも従っていないはずである。
いまだに政府に従っているのは、いまでも国家宗教の信者をやっている国民の一部の例外者だけである。
[9279] どうしてインフレーションが起こるのか? h22.1.10
世界大戦後は、日本は戦争をする目的を失ったので、国民の多くは国家宗教をやめた。
日本国民は日本政府に従わなくなった。
日本国民は日本政府に税金を払わなくなった。[日本の法律には「税金を払わなければ懲役×年の刑に処す」と書いてあるが、それはハッタリである。日本神道の信者は守らなければならないが、一般の国民は守らなくてもいい。]
そこで、日本政府は国民が払わなくなった税金の穴埋めをするために大蔵省印刷局でお金を作って公務員に給料を払っているのである。
だから、お金がダブついて、物に対するお金の価値が相対的に下がって、インフレになるのである。
[9280] 今は国家宗教のない時代である。 h22.1.10
世界大戦以前は、日本は戦争をやっていたから、国家宗教をやっていた。日本国民は戦争をやるために日本政府や天皇に従っていた。
しかし、今は国家宗教のない時代である。世界大戦後は、世界中の人類が人権を保障されて奴隷にされなくなったので、世界中の国が戦争をやる意義がなくなったので、世界中の国で国家宗教をやらなくなったのである。だから、日本政府も神(私)を国民に公開して国家宗教をやることができなかったのである。
今は国家宗教のない時代だから、国民は政府に従わなくてもかまわない。
ただし、日本神道の信者は今でも政府に従っている。それは、今の日本神道が民間宗教だから、日本神道に入りたい者は日本神道の政府に従えばいいのである。
[9281] 国家宗教に契約は要らない。 h22.1.10
世界大戦以前は、日本は国家宗教をやっていたが、国民は政府と正式な契約をして国家宗教の信者になっていたわけではない。国民は政府と契約をしなかったのに、ひとりでに国家宗教(日本神道)の信者にされていたのである。
国民を国家宗教(日本神道)の信者にするために契約が要らなかったのは、国民が戦争をやっていたからである。戦争は国民みんなでやるものであり、国民が戦争をやるためには国民が国家宗教の信者でなければならなかったから、国民全員が必然的に国家宗教の信者になっていたのである。[国民が戦争をするためには、国民が国家宗教の信者になって国民よりも身分が上の政府や軍部の命令で命がけの戦いをしなければならなかったからである。人間は本音[ほんね]では戦争するのが嫌なので、政府や軍部などの“自分を押す者”がどうしても必要だったのである。]しかし、今の日本国民は戦争をしていないから、国家宗教の信者である必要がないのである。国が戦争をやらないかぎり、一般に国が“身分制が要求される国家事業”をやらないかぎり、国民は国家宗教に入る必要がないのである。だから、国が戦争をやらなければ、一般に国が“身分制が要求される国家事業”をやらなければ、国民を国家宗教に入らせるためには国民との契約が要るのである。つまり、国が“身分制が要求される国家事業”をやっていない場合、国家宗教は民間宗教にほかならないのである。今の日本は戦争のような“身分制が要求される国家事業”をやっていないから、日本神道は民間宗教にほかならないのである。
民間宗教は個人の好みで入るので契約が要る。戦後の日本神道は民間宗教になったので、国民を日本神道の信者にするためには国民との契約が必要なのである。実際には、政府は国民のほとんどと契約を取っていないから、国民は日本神道の信者ではないのである。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
[9282] 頭のいい国民と悪い国民 h22.1.11
頭のいい国民は、世界大戦後に国が国家宗教をやめたから、政府に従うのをやめた。政府とは縁を切って、積極的にいきいきと生きている。[神や政府や信者は国家宗教が作ったものなので、国が国家宗教をやめたら、神も政府も信者もない。ないものがないものに従うわけにはいかない。]
反対に頭の悪い国民は、世界大戦後も政府に従い続けている。毎月政府に高い税金を支払って、政府の面白くない命令をいやいや聞いている。
頭のいい国民は自分で考えて生きているから世故[せこ]に長[た]けていて得をする。
反対に、頭の悪い国民は自分で何も考えていないから世間知らずで損をする。
税金は自分で考えない国民に課せられた罰金のようなものだ。つまり、馬鹿の罰金だ。そこまで馬鹿だともはや罪[つみ]だ。だから、税金は正当だと言える。
ただ、頭のいい国民が払わない税金の不足を政府が穴埋めしてお金がダブついて物価高になるのは、頭のいい国民にとっても迷惑だ。だから、政府は穴埋めをしてはいけない。したがって、政府は潰れるしかない。
日本国民の中に頭のいい国民がどれだけいて頭の悪い国民がどれだけいるのかわからない。案外みんな頭のいい国民なのかもしれない。今どき税金を払っている国民は、時代遅れの田舎者[いなかもの]だ。
今の日本政府は、戦後残った僅[わず]かばかりの日本神道の信者のためにほそぼそと宗教をやっている民間宗教団体の幹部にすぎない。それなら、今後も信者のために頑張[がんば]って宗教を続けてもらいたい。ただし、神とする者は本人の了解を取ってから神にしないといけない。宗教団体は、宗教の掟[おきて]を守って明るく健全に宗教をやらなければならない。
だから、今の日本政府に従っている者は、戦後も残った僅かばかりの日本神道の信者と世間知らずの頭の悪い国民の2種類である。頭の悪い国民が今後利口になって行ったら、政府は経営が苦しくなるだろう。
[9283] 契約とは何か? h22.1.11
宗教における契約とは、信者に宗教団体に入る了解を得ていることである。信者に宗教団体が神とする者に従う了解を得ていることである。
契約書はあってもなくてもいいが、明確さを期[き]すためになるべくあったほうがいい。
ところが、今の日本政府のやっている宗教の場合、一般の国民に宗教団体に入る了解を得ていない。日本政府は神(私)を一般の国民に公開していないので、一般の国民は日本政府が宗教をやっていることすら知らない。
だから、今の日本政府のやっている宗教は、一般の国民に宗教団体に入る了解を得ていることにならず、一般の国民は宗教団体の信者ではないことになる。
[9284] 宗教に入ると偉くなるか? h22.1.11
[9218] の図を見ればわかるように、宗教に入ると、他人よりも偉くなるのではなく、宗教団体の神や政府(幹部)の奴隷にされるだけである。宗教に入って信者になると、同じ宗教団体の神や政府の命令に絶対服従しなければならない。例えば、神や政府に「死ね」と言われたら、死なねばならない。ビルの高い階から飛び降りたり、飛行機や列車を激突させて死なねばならない。例えば、神や政府に「金を出せ」と言われたら、全財産を出さねばならない。自分が無一文の乞食になっても、出さねばならない。
ニーチェが言ったように、宗教に入ることは『奴隷根性』を身に付けることである。
だから、宗教に入ると、むしろ人間が卑屈[ひくつ]になる。
もっとも、神や政府(幹部)になれば、偉くなる。しかし、いくら神や政府でも宗教団体の外の者に対しては平等だから、無制限に偉いわけではない。神や政府は同じ宗教団体の信者に対して偉い(身分が上である)だけである。だから、神や政府よりもスポーツ選手や学者のほうが偉い(有能である)わけである。一般の国民にとっては、日本政府の政治家(つまり日本神道の幹部)は偉くなく、スポーツ選手や学者のほうが偉い。
[9285] なぜキリスト教が始まったか? h22.1.11
ローマ帝国は皇帝制だったが、暴君が多かった。暴君は政府にとっても国民にとっても迷惑だった。
そこで、当時の人々は、“皇帝のいない政府”を考えた。
そのためには、皇帝を作り話の善良な人間にすればいい。実在する人間には欠点が多いから、欠点のない架空の人物のほうが皇帝に向いている。
そうして、キリスト教が始まったのである。つまり、キリスト教とは、架空の名君であるキリストを皇帝とする皇帝制なのである。キリストは政治を改良するために発明された架空の人物なのである。
皇帝制よりもキリスト制の政治が人々に支持された結果、ローマ帝国は潰れて神聖ローマ帝国に取って代わられたのである。
[9286] 株式会社 h22.1.11
国鉄は政府が作ったが、全日空や日本航空は政府が作ったのではない。
全日空や日本航空は株式会社である。
株式会社なら、無一文の乞食でも国家事業ができる。
だから、今では国家事業をするためには国家宗教は要らない。
もっとも、国民が自分の命を張らねばならない国家事業をしなければならなくなった場合には、国家宗教が必要になる。
しかし、今のところはそんな国家事業はないから、当分国家宗教は必要ない。
[9287] どうして日本神道が始まったか? h22.1.11
昔の日本は、各地の豪族が互いに争って物騒[ぶっそう]だった。人々は暮らしにくかった。日本の統一はなかなか実現しそうになかった。
そこで、当時の人々は、“日本全土を治めた平和を愛する架空の君主”を発明して、みんながその架空の君主に従うことにしたのである。みんなが豪族の頭首を差し置いて、架空の君主に従うことにしたのである。実在する者がいなければ、想像で作ってしまえという発想である。[神武天皇の発明者が無名なのは、当時はまだ特許の概念がなかったからである。]
こうして日本神道が始まったのである。
人々が各地の豪族の頭首よりも架空の君主を支持したために、日本の統一が成し遂げられたのである。[豪族軍と架空の君主軍の間で戦いもあっただろう。]
こうして豪族制の世の中から神武天皇制の世の中に変わって行ったのである。
[9288] 日本は国家宗教をやっていない。 h22.1.11
仮に日本が国家宗教をやっているとすれば、私は国家宗教の神だから、神にふさわしい待遇にされているはずである。
昔の天皇みたいに、贅沢[ぜいたく]な暮らしをしているはずである。神制度による身分制によって日本で一番いい待遇のはずである。[[9241]の図を参照。]
しかし、実際には、私は神にふさわしい贅沢な暮らしをしていない。そのために、国民の大半は私の存在すら知らない。[日本神道の者は、私が神であることを知っているが。]
だから、今の日本は国家宗教をやっていないのである。[背理法による証明]
今の日本神道は国家宗教ではなく民間宗教である。今の日本神道は民間の貧乏教団である。だから、貧乏教団の神である私は貧乏な暮らしをしているのである。
今の日本神道は貧乏な民間宗教団体である。日本政府に従わねばならないのは日本神道の信者だけである。日本神道に入っていない国民は日本神道の幹部である日本政府に従わなくてもいいのである。
[9289] 政府はすでになくなっている。 h22.1.12
政府は、国家宗教によって出来た機関である。
だから、国が国家宗教をやっている間は政府があるが、国が国家宗教をやめれば政府はなくなるはずである。
戦前は、日本が国家宗教をやっていたから、政府があった。
戦後は、日本が国家宗教をやめたから、政府もなくなった。
政府ファンの国民が政府との別れを惜[お]しんでいまだに政府に税金を払い続けているのである。[『8時だヨ!全員集合』の番組終了が近くなった頃に、ドリフターズがチャリティーで会場の客からお金や品物をもらっていたようなものだ。私は政府ファンではないから、政府に税金を払わない。]
たとえ日本神道が民間宗教として戦後も残っていても、戦後に日本人の大半が日本神道を抜けて日本神道の信者をやめたから、日本人の大半は日本神道の幹部である日本政府に従う必要はない。
国に『新しい民主主義の政治機関』ができるまで、国民の大半は税金(政治料金)を支払う必要はない。それまでの間は税金を自分の遊び代に使えばいいのである。
[9290] 国家宗教をやるべきかやめるべきか?☆ h22.1.12
国民が(特に自分が)得になれば国家宗教をやるべきだが、反対に国民が損になれば国家宗教をやめるべきである。
私は4年8ヶ月にも及ぶ考察の結果、『現在において国家宗教をやることは、国内において国民が政府の奴隷になるだけであり、政府にとっては得だが国民にとっては損である』という結論を得た。
したがって、国民の一人である自分にとっては国家宗教をやめるべきである。
一般に、政府以外の者にとっては、国家宗教をやめるべきである。
国においては国民のほうが政府よりもはるかに数が多い。
だから、国としても国家宗教をやめるべきである。
国民は国における最高の意思決定機関である。だから、国民にとって国家宗教が不利ならば、国家宗教はなくならねばならない。
かつて日本は戦争のために国家宗教をやった。
日本が戦争にかけた情熱を日々の労働に注[そそ]げば、日本は必ず世界有数の国になれることだろう。
[9291] どうして幕府が政府に代わったのか? h22.1.12
日本は国家宗教(日本神道)ではじめて国家が統一された。
その後、中国との国交が出来て文化が中国化されていった。
国民にとっては、日本の文化よりも中国文化のほうが優れているように見えたので、中国文化を積極的に取り入れた。
中国は刀と律令制の文化である。
律令制では、実在の人間である王が国を治めることになっている。
それで、幕府が政府に代わったのである。
日本国民が国家宗教(日本神道)よりも中国文化のほうを支持した結果、日本帝国が潰れて、日本王国に取って代わられたのである。つまり、幕府が政府に代わったのである。
さらに、江戸末期に日本にアメリカが来て、日本は中国文化よりも西洋文化のほうが優れていることを知ったから、明治以降は西洋文化を積極的に取り入れるようになった。
当時西洋では国家宗教(キリスト教)をやっていたから、日本も昔の国家宗教(日本神道)に戻すことにした。
それで、再び、政府が幕府に代わったのである。
もしも、当時の西洋が国家宗教をやっていなかったら、日本も国家宗教をやらなかっただろう。
日本は君主のいない共和制の国になっていただろう。
政府が幕府に幕府が政府に代わったのは、政府や幕府がもっと儲[もう]けようとしたからではない。それなら、代わらないほうがいいからだ。『国民が自分にとっていい国を実現しようとした』から、政府が幕府に幕府が政府に代わったのだ。
今の政府は日本神道の幹部組織のまま、神を神武天皇から私に代えて密[ひそ]かに国家宗教をやっている。[日本が戦争に負けて、神武天皇は縁起の悪い神となったので、日本人みんなが神武天皇を捨てたのである。]日本政府が国家宗教をやっていることに気付いている国民がいれば気付いていない国民もいる。しかし、現代においては国民にとって国家宗教は自分が政府の奴隷に変えられるだけで不利だから、政府は潰[つぶ]すべきである。政府を潰して民主主義の政治機関を作らなければならない。日本を帝国から民主主義の国にしなければならない。幸いにも、今の政府と国民の契約は不完全すぎる(つまり、国民は神である私に従う意思はない)から、国民は日本神道の信者ではなく、国民は政府に従わなくてもかまわない。
[9292] 神の条件 h22.1.13
神は取り決めである。つまり、神とは、超能力者でも、立派な人でもなく、宗教団体がただたんに自分たちが従わねばならない者に決めた者のことである。つまり、神とは宗教団体のみんなが宗教団体の最高支配者に決めた者である。だから、神は宗教団体みんなの合意で決めねばならない。
論理的には、神は宗教団体の者でも、宗教団体以外の者でもいい。
しかし、宗教団体は神でお金を儲けている。例えば、今の日本政府は私を神とする神制度に伴う身分制によって日本国民から税金を取っている。[江戸時代にも幕府が国民から税金を取っていたから、税金を取るために必要なのは神制度ではなく『身分制』である。]私は法律に詳しくないが、お金儲けが絡[から]むから、宗教団体は神とする者と契約を取らねばならないはずである。つまり、お金儲けが絡むから、『商法』の適用になって、宗教団体は神とする者と契約を取らねばならないはずである。
私は日本神道と契約を取っていないから、日本神道が私を勝手に神とすることはできないのである。
[9293] 神に対するプライバシー侵害 h22.1.13
宗教団体は、神とする者の神制度を行う。つまり、宗教団体の政府は信者に神と同じことをさせる。[例えば、神がお金持ちのお坊[ぼっ]ちゃんで、神がウンコを食べたら、信者もウンコを食べねばならないのである。]
その際に、神の個人情報が信者やその他の者に漏洩[ろうえい]する恐れがある。
頭のいい人なら、たとえ神が匿名[とくめい]であっても、漏洩した情報から神を特定できる可能性もある。[実際に、この私が私が日本神道の神とされていることに気付いたから、私以外の者も私が日本神道の神とされていることに気付いた可能性がある。]
漏洩した情報の中には神にとって都合の悪いものもある。
そうなると、神に対するプライバシー侵害となる。名誉毀損となる。
だから、宗教団体はあらかじめ神と契約を取っておかねばならないのである。
宗教団体の政府(幹部)の神制度のやり方を細かくチェックすることが神の仕事となるのである。
[9294] どうして私の神制度で政府がお金を作ることができるのか? h22.1.13
神武天皇の神制度では、お金が丸くて光るものだったから、政府はお金を作ることができた。
政府が私の神制度でお金が作れるのは、「金は天下の回り物」というからである。
私が赤ちゃんの頃に使っていたガラガラが夜中に突然回りだしたことがあるので、回る物ならば政府が私の神制度で作ることができるのである。
私の頭の上に吊[つ]っていたガラガラを神武天皇の頭の上に現れた光るトンビに喩えているのである。
[9295] 日本の現状 h22.1.13
世界大戦以前は、日本が戦争しなければならなかったので国家宗教をしなければならなかったので国家宗教の政府があった。
しかし、世界大戦以後は、日本が戦争する必要がなくなったので国家宗教をする必要がなくなったので国家宗教の政府は滅んだ。
今の政府は、政府と戦後に残った日本神道の信者だけで私を神とする民間宗教をしている。[私に無断で私を神としたことはいけないことだが。]今の政府の正体は、民間宗教団体の日本神道の幹部である。
馬鹿な国民は、わけがわからずに戦後も政府に従っている。毎月政府に高い税金を払っている。馬鹿は感情的だから、政府が大きくて怖いので、政府に盲目的に従っているのである。あるいは、馬鹿な国民は、神制度をしている宗教機関を民主主義の政治機関だと誤解して従っているのである。実際には、日本政府は日本神道の幹部であり、日本神道は『民主主義の政治団体の看板を挙げている宗教団体』なのである。
利口な国民は、とっくの昔から政府に従っていない。政府に税金を払っていない。利口は知覚的だから、論理的に考えて正しいことをしているのである。利口な国民は、自分が日本神道の信者ではないから日本政府に従わないのである。正しいことをしているのだから、当然政府に咎[とが]められることもない。
今の国民には、日本神道の信者になるか、日本政府に盲従する馬鹿な国民になるか、日本政府に従わない利口な国民になるかの3つの自由度が与えられているのだ。
[9296] 日本は何もない国 h22.1.13
今の日本には民主主義の政治団体はない。日本には昔から、民主主義をやる政治団体はなかった。
今の日本には神制度をやる宗教団体(日本神道)しかない。
戦前は、神制度をやる宗教団体(日本神道)が国家宗教をやって神制度で政治をやっていた。
戦後は、神制度をやる宗教団体(日本神道)は国家宗教をやっていない。今の日本神道は、国民の一部を信者とする民間宗教団体にすぎない。
つまり、今の日本は民主主義の政治団体のない、国家宗教をやる宗教団体もない、両方ともない国なのである。
誰かはやく民主主義の政治団体を作ってくれ!
日本人は宗教(神制度)が好きなわけではない。戦前の日本人は戦争をやるためにいやいや日本神道に入っていただけだ。日本人は数理や実在を愛する合理的な民族だから、日本人にグチャグチャした宗教の趣味はない。[日本は江戸時代には国家宗教をやっていなかったから、日本人は宗教が好きなわけではない。]どうしても宗教(神制度)をやりたい人がいれば、巷[ちまた]にある民間宗教に入ればいい。
[9297] 今の政府は国家宗教をやっていることにはならない。☆☆ h22.1.13
もしも神が超能力者なら(つまり、神の定義が超能力者だとすれば)神だけでも神であり今の政府の宗教のやり方でも国家宗教をしていることになるが、実際には神は信者との契約によってはじめて神となるのだから今の政府の神を国民に公開せず国民と神に従う契約を取らないやり方では国家宗教をしていることにはならないのである。
これまで日本神道は、私を超能力者であることにして国家宗教をし続けてきた。しかし、実際には神の定義は超能力者ではなく、私に従う契約があるのは日本国民の一部の日本神道の信者だけである。つまり、今の日本神道は『国家宗教のふりをしている民間宗教』なのである。日本政府は日本神道の幹部である。だから、日本国民は日本政府に従わなくていいのである。
[9298] 寄金制 h22.1.14
たとえ政府や幕府がなくても、国民が個人的に警察や消防署にある程度のお金を渡せば仕事をしてくれる。
だから、政府や幕府はなくてもかまわない。
しかし、事件の発生数が少ないから、やはり警察と消防は保険制にしなければ経営は成り立たないだろう。
私の計算によれば、警察も消防も国民1人当たり月100円も出せば十分である。[[8869]
缶ジュース1本分の税金 h21.11.1 を参照。]
NHKよりも安いから、国民みんなが入るだろう。
民主制にすれば、政府が神制度をやらないから、今よりもはるかに安い税金(利用料金)で済むということだ。
[9299] コンビニ事件について h22.1.14
オウム真理教地下鉄サリン事件では、オウム真理教の神である麻原彰晃[あさはらしょうこう]がオウム真理教の信者以外の者を殺傷したから有罪である。
しかし、『コンビニで万引きした男が店員にマヨネーズをかけて攻撃した事件』でも犯人は有罪だった。
もしも、今の日本が国家神道をやっているとすれば、政府は国民に神と同じことをさせるはずである。
神制度を少し拡張すれば、日本国民は神と同じことならやってもいいことになる。
私は小学3年生の時にスーパーで万引きをしたし(当時はまだコンビニがなかった)、マヨネーズの原料は卵で卵は神武天皇の光の玉の喩えである。また、神武天皇は軍人だったから、他人を攻撃する。
だから、日本が国家神道をやっているとすれば、コンビニで事件を起した犯人は無罪のはずである。
しかし、実際には裁判所の判決は『有罪』だった。
したがって、今の日本は国家神道をやっていないのである。
コンビニ事件の犯人は日本神道の信者だが、店員は日本神道の信者ではなかったので、犯人が有罪になったのである。
犯人が日本神道の信者で、店員が日本神道の信者であれば無罪である。
犯人が日本神道の信者で、店員が日本神道の信者でなければ有罪である。
犯人が日本神道の信者でなく、店員が日本神道の信者であれば有罪である。
犯人が日本神道の信者でなく、店員が日本神道の信者でなければ有罪である。
つまり、犯人と店員の両方が日本神道の信者である場合だけ無罪である。
今の裁判所は、日本神道の信者以外の者の面倒も見てくれるのだろう。だから、犯人が有罪になったのだ。裁判所は必ずしも政府に付属していないということだ。
[9300] タイタニック号沈没事件 h22.1.14
タイタニック号は氷山に激突して沈没した。
氷山は白く光るから、神武天皇の光る玉の喩えであり、つまり日本神道のことである。
タイタニック号は、タイタンが土星の衛星で、土星は輪っかがあるからキリストの喩えであり、つまりキリスト教のことである。
つまり、タイタニック号沈没事件は、日本神道のせいでキリスト教をやめねばならなくなったことである。
日本が国家神道をして大々的に戦争をやり始めたから、日本の戦争をやめさせるためには、世界的に国家宗教を禁止するしかないことを世界中の人類にアピールしたのである。
当時はヨーロッパでも国家宗教をやっていて、神制度に伴う身分制によって政府が国民よりも身分が上の者だったから、政府がタイタニック号沈没事件を計画して、大勢の国民を殺したのだ。
タイタニック号沈没事件にして伏せて言わねばならなかったのは、当時はまだヨーロッパでも国民の中に国家宗教を支持している者が多かったから、開けっぴろげに政府が国民に国家宗教をやめると言いにくかったからであると考えられる。