[9101] 聖典について h21.12.9
神制度とは、神に国民を従わせて国民をおとなしくさせて国を平和にすることである。
聖典に載っている神の伝記は、神制度のオマケであり、本来どうでもいいことである。[実在の人物なら王と呼ばれるはずだから、神はおそらく実在の人物ではなかったと思われる。だから、神の伝記は作り話である。]
ただ、政治家が神制度をやるときに、ときどき参考にされたまでである。
神制度は政府と国民がいっしょになってやることだから、政府の命令がいちおう神に従っていなければならなかったので、政府は神の命令を出すときに聖典を参考にしなければならなかったのだ。
ところが、私の場合には聖典がないから、国民が政府の神制度をチェックすることができない。だから、政府と国民がいっしょになって神制度をすることができない。だから、国民は神制度に反対するだろう。したがって、政府は神制度をやることができないのだ。

[9102] 神は実在しなくてもいい。 h21.12.9
神制度があれば、たとえ架空の人物でも人間よりも上の者ということにできて、その者に従えば自分も人間よりも上の者になることができる。自分が人間よりも上の者となって、人間を自分の持ち物と見なして人間に対して何でも好き勝手にできる。
しかし、今は神制度がない時代だから、いくら実在の人物であっても人間よりも上の者にすることはできない。架空の人物に対してもそうである。だから、自分が何者かに従うことによって自分を人間よりも上の者にすることはできない。

[9103] 神制度を使った犯罪について h21.12.9
神制度を使った犯罪とは、例えば、腐ったトマトを投げつけたり、マヨネーズをかけたりすることである。トマトは神武天皇の光の玉の喩えであり、マヨネーズの原料は卵で卵は神武天皇の光の玉の喩えだからである。
神制度を使った犯罪については、具体的な犯罪自体がまず犯罪だし、神制度のない時代に神制度を使うこともまた犯罪である。つまり、神制度を使った犯罪は、二重に犯罪を犯していることになる。
神制度を復活させるために、神制度を犯罪に使うことがあってはならない。だから、神制度を使った犯罪は、普通の犯罪よりも厳重に罰しなければならない。

[9104] 政府は悪者である。 h21.12.9
今は神制度のない時代である。神制度のない世界は、世界中の人類みんなで決めたことである。神制度をやってはいけないことは、世界中の人類みんなで決めた法律である。
政府は神制度をやる会社である。政府は今の神制度のない社会を昔の神制度のある社会に戻そうとしている。
だから、政府は悪者である。政府は世界人類みんなで決めた法律を破っている犯罪者である。
したがって、政府を罰しなければならない。政府は死刑だ。つまり、政府を潰[つぶ]してなくさなければならない。

[9105] 凶器の取り扱いについて h21.12.9
政府がなくなって貿易が自由化されたら、外国から銃や刀などの凶器を輸入して持つ者が増える。
凶器を持ち歩くのは個人の自由である。凶器を使って他人を脅[おど]すまではやってもいい。
しかし、凶器を使って他人を無理やり命令に従わせたり、他人の身体や持ち物を損傷してはならない。
だから、凶器はファッション(飾り)にすぎない。あるいは、自分の身を守るための道具である。
でも、凶器で他人を従わせることができなければ、重たいだけだから、わざわざそんな物を持ち歩く者はいないだろう。
アメリカが凶器を自由に持ってもいいのは、そもそもアメリカが宗教(神制度)のない民主主義の国だったからである。しかし、今のアメリカには神制度がある。アメリカは民主主義の運動をもっと真面目[まじめ]にやらなければならない。
凶器はその名の通り他人の身体を傷つけるための道具である。しかし、他人の身体を傷つけることは法律で禁じられている。だから、凶器なんて要らない。凶器はあっても使い道がない。したがって、凶器を持つことも禁止されるだろう。麻薬や売春をやらないことが法律になっているように、凶器を持たないことも法律になっているのだ。
自由といっても何から何まで自由ではない。人間社会には、『多数決の原理』によって決まった法律がある。それを犯すことは犯罪となり罰せられるのだ。

[9106] 支配の法則 h21.12.9
支配は、支配する者と支配される者との合意で成立する。どちらか一方だけでは支配は成り立たない。[とくに、支配する者よりも支配される者のほうが数が多い場合には、双方の合意がないかぎり支配は成り立たない。]
今の世の中は、いくら政府や信者が神制度をやりたくても、それ以外の国民は神制度をやりたくはない。
だから、今の世の中では、神制度をやって政府や信者が国民を支配することはできない。
武器を持った外国が攻めてきて武器を持たない国を支配することができないのも、同じ理屈である。たとえ一時[いっとき]は武器を持った国が支配できても、武器を持たない国の国民の同意が得られなければその支配は不安定で長続きはしない。国民が密かに武器を作って反乱を起して外国を追い出すことになるだろう。

[9107] 万葉集や古今和歌集はどうしてできたか? h21.12.9
政府は神制度をやる会社である。
神制度とは、神に人間を従わせることによって人間をおとなしくさせて国を平和にすることである。
日本の昔の神は神武天皇だった。
古事記の神武天皇の伝記によると、神武天皇は土蜘蛛[つちぐも]と呼ばれる悪党を倒す時にみんなでいっしょに歌を歌いながら倒した。
だから、昔の日本政府は神に人間を従わせるために国民みんなに歌を作らせる命令を出したのである。それらをまとめたのが万葉集や古今和歌集である。
そんな政府の命令なら国民も喜んで従っただろう。
政府も最初のうちは神制度で善[い]い命令を出していたが、年々善い命令がなくなって、最近では人殺しの命令を出すようになってしまったのだ。

[9108] どうしてお金持ちは馬鹿なのか? h21.12.9
お金持ちはどうでもいいオモチャをたくさん持っていて、いつもオモチャで遊んでいるからである。
反対に、貧乏人はオモチャを持っていないから、言葉を使って考えることしかやれないから考える力が発達するのである。
星飛雄馬が星一徹から野球のボールしか買ってもらえなかったために、野球の才能だけが発達したのと同じことである。
日本は物的資源に乏しく物がないために、日本には物で遊ぶ習慣がないので、日本では言葉の文化が発達しているのである。

[9109] 税金とは何か? h21.12.9
昔は神制度がある社会だった。
政府は神制度を執行するための機関だった。
それで、国民は政府が神制度をやるためのお金を払った。
それが、税金である。

そもそも税金は政府が国民から強制的に取り立てていたのではなく、国民が政府に神制度をやってもらうために自主的に支払っていたのである。政府にお金を払いたい人だけが払いたい金額だけ払っていたのである。つまり、昔の政府は乞食(←古事記)だったのである。
しかし、その後神制度が発達して政府の権力が強大になり、政府が国民から強制的にお金を取るようになってしまったのである。
しかし、今は神制度のない社会である。
だから、政府は仕事がない。
したがって、国民は政府に神制度をやってもらうためのお金すなわち税金を払う必要はない。
今は神制度のない時代だから、政府そのものが要らないのである。

[中世のヨーロッパの教会が貧乏臭くて、近代のヨーロッパの教会が日本の城のように威厳[いげん]があることも、神制度が近代に入ってから強力になり政府が国民に対する強制力を持ったことを表している。神制度は『過ぎたるは及ばざるが如し』であり、ギリシア神話の『シシュポスの神話』を髣髴[ほうふつ]とさせる。]

[9110] 神と王 h21.12.10
神も王も、国民みんなの取り決めによって“人間よりも上の者”とされた者である。
架空の“人間よりも上の者”が神である。
実在する“人間よりも上の者”が王である。
神制度も王制度も構造的には同じであり、機能的にも同じである。
神制度の命令は、政府が神の伝記を参考にして作るように、
王制度の命令も、政府が王の意見を参考にして作る。
どちらも、国民の露骨[ろこつ]な反感を買わない程度の軽いテキトウな命令を国民に出して、国民を神や王に従わせればいいだけである。具体的な命令の内容はどうでもよく、要[よう]は国が平和でありさえすればいいのである。
政府は神制度や王制度をやって国を平和にした報酬として、国民から税金をもらっていたのである。
ところで、私は実在する“人間よりも上の者”なので、神ではなく王である。
しかも、政府や信者が他の国民の了承を得ずに自分たちだけで密[ひそ]かに勝手に“人間よりも上の者”としただけなので、正式には王でも神でもない。私は取り決めの上でも『ただの人間』にすぎない。だから、私について王制度や神制度をすることはできない。私は王でも神でもないから、いくら政府が私の神制度や王制度をやっても国民から報酬を受け取ることはできない。

[9111] 国を平和にする方法 h21.12.10
神制度(王制度も同じ)は、まだ法律の概念がなかった頃に発明された、国を平和にする方法である。
神制度では、神に人間を従わせることによって、人間をおとなしい習性に変えて、国を平和にするのである。
神制度は、おそらく家畜の躾[しつ]けからヒントを得て発明されたのだろう。
しかし、今は国民が社会の中にある法律を自分で学んで守ることによって、国が平和になっている。
神制度は、国を平和にする方法としては、古すぎてまったく役に立たない。
だから、今では、もはや神制度は要らない。今では、神制度はまったく何の意義もない制度だ。したがって、神制度をやるためにある政府も要らない。

[9112] 世界大戦は何のためにやったか? h21.12.10
世界大戦は、民主主義が神制度を滅ぼす戦争だった。
民主主義は国民がやることであり、神制度は政府がやることだから、つまり世界大戦は国民が政府を滅ぼす戦争だった。政府のない国が政府のある国を滅ぼすことだった。
だから、世界大戦は政府ではなく国民が起した戦争だったのである。国民の中でも特にヨーロッパの国民が起した戦争だったのである。[この世に神制度があるかぎり、神武天皇が負けることはない。つまり、日本が戦争に負けることがない。このままでは、日本が世界を征服する。それで、ヨーロッパの国民は神制度をなくそうと考えて世界大戦を起したのである。戦後、世界中のすべての宗教の神が私ひとりになったのは、すべての宗教の力を等しくして、宗教による国際問題が発生しないようにするための工夫である。さらに、私を“人間よりも上の者”としなかったのは、政府や信者が他の国民に対して上の者とならないための工夫である。つまり、宗教を形骸化[けいがいか]するために、これまでと神制度のやり方を大きく変えたのである。つまり、今では宗教も民主化されているのだ。だから、今では宗教に入っても信者にメリット(得になること)はなく、公[おおやけ]にされていない私の伝記(人生録)から作った“どうでもいいわけがわからない命令”に従わされて、みっともない真似[まね]をしなければならないだけである。
世界大戦後も、しばらく政府は民主主義の団体を偽装[ぎそう]して生き残っていたが、ほどなく嘘[うそ]であることがばれて滅んでしまった。
世界大戦から60余年を経て、ようやく世界大戦の目的を達成できたわけである。

[9113] 偽札[にせさつ] h21.12.10
今の政府は、民主主義で偽装[ぎそう]している神制度をやる会社である。
今の国民が政府を支持しているのは、神制度を支持しているからではなく、政府が民主主義をやる会社だと誤解しているからである。
今の政府は嘘をついて民主主義をやっているふりをしている。
だから、今の政府はお金でないのにお金であるふりをしている偽札や、ブランド品でないのにブランド品のふりをしている偽ブランド品に喩[たと]えられるのである。

[9114] 宗教とは何か? h21.12.10
宗教とは、神に人間を従わせることである。[宗教も神制度も意味は同じである。宗教は神制度の中身をわかりにくくするために作られた言葉である。つまり、神制度は宗教の中身をわかりやすくするために私が作った言葉である。政府は神制度をいちおう国を平和にするために使っているが、宗教団体は神制度をもろに宗教団体が人間を支配するために使っている。]
宗教団体は、神の伝記を参考にして命令を作って人間に出して、人間を宗教団体の好き勝手にしている。
神制度のある社会では、神制度が通用するので、宗教団体の活動は正当だと見なされる。たとえ宗教団体が社会の法律を破っても、一向[いっこう]にかまわないとされる。
神制度のある社会では、政府や宗教団体が国民を支配している。国民は政府や宗教団体の持ち物だと見なされて、政府や宗教団体の奴隷にされている。
神制度のある社会は、政府や宗教団体が面白いだけで、国民にとっては面白くない社会である。
しかし、今は神制度のない社会なので、反対に国民にとって面白く、政府や宗教団体にとって面白くない社会である。

[9115] 国民は政府を無視せよ! h21.12.10
今は神制度のない時代である。
政府は神制度をやる会社である。
神制度のない時代に、神制度をやる会社が無視されても不思議はない。
だから、政府は国民に無視されても当然である。

[9116] 大人は政府がなんであるのかわかっていない。 h21.12.11
大人は仕事がいそがしい。
だから、大人は政府のことについて考える暇がない。
暇そのものはあるのだが、そんな暇があれば当然遊びや他[ほか]の事を考えるのに使う。
だから、大人は「政府を民主主義をやる会社だ」と誤解しているというよりも、むしろ政府についてはテレビや新聞で見るだけでほとんど何も考えていないのが現状なのだ。
政府がなんであるのか考えたことさえない大人ばかりなのだ。
こう言う私も、宗教や政府について考え始める以前には、派遣会社の社員として工場で働いていた頃には、宗教や政府についてまったく何も考えたことがなく、宗教や政府がなんであるのかまったくわかっていなかった。たまに宗教から勧誘を受けて断ったり、政府に対して税金を払ったりするだけで、宗教や政府とは無縁に生きていた。
3年8か月の時間をかけて、ようやく私は宗教や政府について大体の正しい理解を持つことができた。
だから、今の私が「政府が神制度をやる会社だ」と言えば、たいていの大人はすんなり「そうだったのか」と思うだろう。何も考えていない者を口説[くど]くのは、まちがいを信じている者を口説くよりも、たやすいことだ。

[9117] どうして政府はこれまで神制度をやることができたのか? h21.12.11
政府は神制度をやる会社である。
しかし、今は神制度のない時代だから、そのままでは政府にお金を払う国民はいない。
政府は民主主義をやる会社を偽装して、国民を騙[だま]してお金(税金)を集めて、そのお金で神制度をやっていたのである。
世界大戦後、政府は“民主主義っぽい神制度”を、これまでずっとやっていたのである。

[9118] どうして政府は私の個人情報をいろんなところに混ぜるのか? h21.12.11
日本中(あるいは世界中)の商品には私の個人情報が混じっている。
それは、政府が神制度をやる会社だから、政府が日本中の会社に命令して会社の商品に神である私の情報を入れさせることによって、日本中の会社を神に従わせているのである。さらに、国民に日本中の会社が神に従っているのを見せて、国民を神に従わねばならない気持ちにさせるためである。それを、政府は“行政をする”と呼んでいる。政府は民主主義の偽装によって国民から集めたお金(税金)の大部分を行政をするために使っている。
神制度は、昔は国を平和にする意義があったが、最近では何の意義もなくなっている。そのために、世界大戦後は、世界中で神制度をやめている。
だから、国民が政府に払ったお金(税金)は、ほとんど全部無駄になっている。
世界大戦後は、人類みんなが神制度をやらなくなっている。だから、今では神制度をやる会社(政府のこと)には、国民から強制的にお金(税金)を取り立てるほどの権力はない。
したがって、国民は政府にお金(税金)を払わなければいい。政府自体をなくさなければならない。
国民と司法機関だけからなる『完全な民主主義の社会』を作らなければならない。司法機関は乞食制つまり国民が自主的にお金を出して経営しなければならない。日本政府もかつてそれで経営が成り立ったのだから、やれないことはないはずである。裁判官は人間よりも上の者ではないから、司法機関は政府の二の舞にはならないだろう。

[9119] 学者について h21.12.12
政府がなくなった後[あと]の、民主主義の社会では、学者は本を書いて売って稼[かせ]がねばならない。講演をしたり、発明品を売ったりしてもいい。もちろん、私立大学で講義をしてもいい。
それだけの実力のない者は学者にはなれない。
今は名ばかりの学者が大勢いる。そんな奴[やつ]らは、いなくなったほうがいい。

[9120] 責任は政府と会社の両方にある。 h21.12.12
私の情報を入れた商品が日本中(あるいは世界中)に出回っているのは、政府が神制度の行政で会社に作らせたからである。
会社が自主的に私の情報を使うことはまず考えられない。
しかし、今は神制度のない時代だから、政府が神制度をやることはまちがっている。
神制度のない時代に、政府に従った会社も悪い。
だから、政府と会社の両方が悪い。
だから、政府と会社の両方が責任をとらねばならない。
政府と会社の両方が私の情報が混じった商品を回収し、今後会社は私の情報を入れた商品を一切作ってはならない。
政府があるかぎり神制度はなくならない。だから、政府は潰[つぶ]れてなくならねばならない。

[9121] 政府と国民の両方が悪い。 h21.12.12
政府は神制度をやる会社である。
しかし、今は神制度のない時代である。
だから、神制度をやる政府も悪いが、神制度をやる政府に従う国民も悪い。それでは、国民も政府といっしょになって神制度をしていることになる。
したがって、政府と国民の両方が悪い。
国民は政府に従うのをやめて、政府は潰れるべきである。
税金は政府が神制度をやった報酬だから、国民が政府に税金を支払うのも、神制度をしていることになる。
だから、国民は政府に税金を払ってはならない。


[9122] 人はなぜ宗教に入るか? h21.12.12
自分の人生が自分の考えではうまくいかなくて、いっそのこと神の言いなりになったほうがいいと思ったからである。
宗教に入って、神つまり宗教の先生の言いなりになれば、自分の人生がうまく行くようになると思ったからである。
学校の先生からは習えないことが宗教の先生からは習えるので、人は宗教に入るのである。
宗教の先生に何か教えてもらったら、当然、宗教の先生に対する“授業料”を払わねばならない。
宗教に入ると、他人に頼って自分で考えなくなり、人間の自律性が失われる。
だから、自分で考えるのが好きな人は、宗教に入らずに自分の頭で考えるのもいいことだ。

[9123] 宗教と神制度の違い h21.12.12
宗教と神制度とは大雑把[おおざっぱ]には同じだが、宗教と神制度とは若干ニュアンスが異なる。
宗教は、人間の生き方についての具体的または抽象的な知識を習うことである。
神制度は、特定の人間を神に決めて、神に人間を従わせることによって、つまり神の伝記から作った“どうでもいい命令”に人間を従わせることによって、人間をおとなしくさせて国を平和にすることである。
神制度は宗教の産みの親である。
外国の神制度は宗教性が濃いが、日本の神制度は神武天皇の神制度にしても私の神制度にしても宗教性がほとんどない。
日本の神制度は、原始的な神制度の姿を最もよくとどめている。
宗教は神制度に便乗して発達した、神制度とはまったく別のことである。いわば、宗教は神制度のオマケである。
宗教は学問だが、神制度は制度である。つまり、宗教は人間にとっての正しい生き方を考える学問だが、神制度は人間の取り決めによってできた社会制度である。

[9124] 神は架空の人物である。 h21.12.12
神の伝記には、神武天皇の光の玉やキリストの超能力など現実にはありえないことが記されている。
それは、神の伝記が嘘[うそ]の作り話であり、神が実在しない人物であることを人々に教えるためである。
しかし、神の伝記は神が実在の人物のように書かれている。
神の伝記が作り話になりすぎると、大人が相手にしなくなるからである。
神に人間を従わせるためには、人々に神を実在の人物であると思わせなければならなかったので、神の伝記は実話であったかのように書かれているのである。

[9125] なぜ東洋の道徳なのか? h21.12.12
佐久間象山[さくましょうざん]は『西洋の科学、東洋の道徳』と言った。
それは、日本では道徳が発達しているからである。
日本の神制度には宗教性がない。
だから、日本人は道徳は自分で考えねばならなかったので、日本では道徳が発達したのである。
反対に、外国の神制度は宗教性が強い。
だから、外人は道徳を政府から押し付けられたので、外国では道徳が発達しなかったのである。

[9126] 癌の化学物質説 h21.12.13
癌は消化器や肺に多い。
それは、消化器や肺が化学物質に触れることが多いからである。
つまり、癌の原因は酒やタバコや肉などの『化学物質』である。[そうでない場合もあるが、大部分の癌の原因は化学物質と言っていい。]
だから、酒やタバコや肉は極力避けたほうがいい。

[9127] 私の思考法 h21.12.13
現実と自分の考えに合わないところがあるかぎり、自分の考えを直して考え続ける。
現実と自分の考えに合わないところがなくなれば、それが正解である。
そうすれば、自分が考え続けるかぎり、いつかは正解にたどり着く。たとえ正解にたどり着けなくても、正解に近づくことはできる。

[9128] 怒りの感情は悪くない。 h21.12.13
悪いのは、性欲と麻薬欲である。
知覚で実在が見えているかぎり、怒[いか]るべき時に怒るのは善[い]いことである。
しかし、知覚で実在が見えていなければ、怒るべきでないときに怒るからいけない。
だから、知覚で実在が見えないようにする性欲や麻薬欲がいけないのだ。

[9129] 資本論 h21.12.13
資本家と生産者つまり働かせる者と働かされる者つまり社長と社員が別れたために、社長だけが幸福になり社員みんなが不幸になった。
つまり、資本制度も神制度と同じだ。資本制度における政府、それが財閥である。資本制度における権力、それがお金である。
しかし、資本家がお金を持っているだけでは仕事にならない。
生産者(労働者)がいて、はじめて仕事ができるのだ。
だから、資本家は生産者を大事にしなければならない。
資本家は資本の独り占めをするのではなく、生産者みんなの幸福を考えなければならない。

[9130] お金と神 h21.12.13
お金は買い物のためには便利な物だが、行き過ぎると身分制を引き起こす。
それと同じように、神は国を平和にするためには便利な物だが、行き過ぎると身分制を引き起こす。
今では国を平和にするためには神は要らないが、今でも買い物をするためにはお金が要る。
今ではお金によって身分制ができないように、ひとりの人間があまりたくさんお金を持ってはいけない決まりがある。
それも、人類みんなが作った決まりだから、文句のつけようがない。

[9131] 神と超人 h21.12.13
政府から押し付けられた「神の教え」におとなしく従うのが信者である。[宗教は神制度の一部分である。つまり、宗教⊂神制度。]
反対に、自分で『自分の生き方』を考えるのが超人である。
ドイツの神制度は日本の神制度よりも宗教性が濃いから、ニーチェみたいな思想家が生まれたのだ。
日本人は昔から自分の生き方は自分で考えてきた。だから、日本では昔からみんなが超人だ。

[9132] 私の神制度 h21.12.13
政府が最初から私の神制度をちゃんとやるなら、
神は“取り決め”だから、[つまり本当は神はただの人間だから、]
私が赤ちゃんの頃から、政府が私を新しい皇居に囲[かこ]って“人間よりも上の者”として育てればいい。
あとは、天皇家のように、私を結婚させて私の子孫を代々皇居に囲っていけばいい。
そうすれば、政府は私の神制度を執[と]り行う者として国民の上に立つことができる。政府だけが幸福になり、政府以外の国民を不幸にすることができる。
しかし、実際に政府がそうしなかったのは、世界大戦後は国民の多くが神制度を認めないからである。
神制度は政府だけでできることではない。政府や信者だけでできることではない。
それなら、政府は神制度をやめなければならない。
政府は神制度をやる会社だから、世界大戦後は政府は潰[つぶ]れなければならない。

[9133] どうして新しい神は日本人なのか? h21.12.13
世界大戦後の新しい神は日本人の私である。
それは、日本の神制度が宗教性を帯びていないからである。
そのことが、世界大戦後の新しい自由な世界にふさわしいと考えたので、世界中の政府が日本政府に神制度のやり方を任[まか]せたのである。
日本政府は国民の中からテキトウに私を神に選んで、私の出来事を世界各国の政府に伝えて、世界各国の政府が私の出来事から“どうでもいい命令”を作って、世界各国の信者つまり国民を命令に従わせているのである。
つまり、世界大戦後は、世界各国の政府が大昔のように神制度を弱く控[ひか]えめにやっているだけである。最初から本気で神制度をやるつもりはないのである。
私の神制度は、政府が潰れるまでの暇つぶしに一時[いっとき]やっていただけのお遊びにすぎない。

[9134] 民主主義 h21.12.14
神制度は昔からあるが、民主主義も神制度に劣らず昔からある。
神制度でやることはほんのちょっとである。日常生活のほんの一部分である。
それ以外のほとんどすべてのことは民主主義でやっている。個人が自分で考えてやっている。
今は国を平和にするためには神制度によらなくてもいい。司法機関があればいい。
だから、今はすべてのことが民主主義でやれる。
したがって、神制度を廃止して、民主主義だけにすればいい。

[9135] 法律の目的 h21.12.14
人間はそもそもバラバラの個人で生きていた。
そのころは、まだ法律が要らなかった。
最近になって人間が集まって社会を作って暮らすようになった。
そうなると、人間と人間の相互作用についての決まりが要るようになった。それが法律である。
『個人でバラバラで生きていた頃の状態を守りながら、社会的生活ができるようにもする』ことが法律の目的である。
昔は神制度が法律のひとつだったが、今は神制度が法律から除[の]けられている。

[9136] 心の価値 h21.12.14
男と女とは生まれつき心が違う。
女には“生き物をかわいがる(喜ばせる)喜び”や“自分の外見を飾る喜び”などがあるが、男にはない。[かわいがるとは喜ばせることである。だから、かわいい者とは自分を喜ばせる気持ちにする者のことである。例えば、母親にとって赤ん坊がかわいいのは、赤ん坊が母親を赤ん坊をかわいがる(喜ばせる)気持ちにさせるからである。母親は赤ん坊をいじっては、赤ん坊の反応を見て「かわいい、かわいい」と言って喜んで、ますます赤ん坊をかわいがる(喜ばせる)のである。母親と子供とは、そういう心理的関係にあるのである。]
その反対に、男にはあるが女にはない喜びもある。例えば、男には“考える喜び”がある。
女でもやらせれば男と同じことができるが、それは形の上だけで肝心の喜びがない。
それを『巧言令色少なし仁』と言うのだ。仁とは人間の心と言うことだ。
人間は自分の心を満足することによって才能が発達する。
だから、才能がある人間には心がある。

[9137] 甘えとは何か? h21.12.14
私は小学校に上がる頃まで、ずっと自分の母親を“自分を喜ばせてくれる者”だと思っていた。[私が幼稚園の学芸会の劇に使う傘[かさ]が母親のお古で気に入らなくて母親に「新しいのを買ってくれ」と言ったら母親が「これで我慢しなさい」と言った時、はじめて母親が自分を喜ばせる者ではないことに気がついた。]
だから、子供は母親に甘えるのである。
それが、子供と母親の絆[きずな]となるのである。
だから、母親が子供に好かれるためには、母親が子供の喜ぶことをして、子供にとって母親が“自分を喜ばせてくれる者”だと思わせればいいのである。
[男には他人をかわいがる気持ちはないつまり他人をかわいいと思う気持ちはないが、自分を喜ばせてくれた者に対して好きに思う気持ちはある。]

[9138] 神制度とは何か?☆ h21.12.14
神制度は、国を治める方法のひとつである。
神制度とは、国民のひとり(本来は架空の人物)を神すなわち“人間よりも上の者”に決めて、その神に国民を従わせることで国をまとめて平和にする方法である。
けっして神が現れたから出来た制度ではない。
しかし、今では国を治める方法は司法機関に代[か]わっている。
だから、今はもう神制度は要らない。神制度には弊害が多いから、神制度を使ってはならない。

[9139] 水戸黄門はどうして偉かったか? h21.12.14
江戸時代には、日本人みんなが徳川制を認めていたからである。[一部の外様大名[とざまだいみょう]を除く。]
水戸黄門は徳川制があったから偉かったのである。水戸黄門が印籠[いんろう]を持っていたから偉かったのではない。
そういう時代にあっては、自分ひとりが徳川制を認めないわけにはいかないから、みんなと同じように水戸黄門を偉いとするしかないのである。水戸黄門に逆らったら、日本人みんなに逆らったことになり罰せられるのである。
しかし、今は神制度のない時代である。だから、自分ひとりが神制度があると考えて、政府や神を偉いと見なすわけにはいかないのである。

[9140] アインシュタインと天皇 h21.12.14
アインシュタインが偉いのは、知覚が優れているからである。
一方、天皇が偉いのは、社会的な取り決めだからである。
アインシュタインの偉さは実力だから、アインシュタインひとりだけでも偉い。
しかし、天皇の偉さはただの取り決めだから、日本人みんながいてはじめて天皇が偉いと言えるのである。つまり、日本人みんなが天皇を偉いとしているから天皇が偉いだけのことである。
同じ偉いと言っても、実力で偉い場合と、取り決めで偉い場合の2通りがある。
アインシュタインの偉さは客観的な実力だから外国でも通用する。
しかし、天皇の偉さは日本人の取り決めにすぎないから外国では通用しない。会社の社長が会社の中だけで偉いように、天皇は日本の中だけで偉いのだ。[ただし、天皇が偉かったのは世界大戦以前のことである。“実力の才能”で出世した社長は会社の外でも偉さがある程度は通用するが、たんなる“取り決め”でなった社長は会社の外では偉くもなんともない。]

[9141] どうしてアインシュタインの相対性理論はノーベル賞がもらえなかったのか? h21.12.14
それは、アインシュタインの相対性理論が超ノーベル賞級の研究だったからである。
ニュートンのプリンキピア級の研究に対してはノーベル賞がやれないのである。
そもそも賞をやるのは、賞を与える者が賞を与えられる者よりも偉いからである。
だから、偉すぎる研究に対してはもはや誰も賞を与えることができないのである。
そもそもノーベル賞も政治でやっているインチキ臭い賞だから、すばらしすぎる研究に対してはノーベル賞で汚[よご]すわけにはいかないのである。
ノーベル賞をもらった研究についても、研究がノーベル賞で価値を与えられているのではなく、逆にノーベル賞が優れた研究によって価値を与えられているのである。ノーベル賞自体には何の価値もない。賞を与える者よりも賞を与えられる者のほうが偉い場合には、逆に賞を与える者が賞を与えられる者によって権威を与えられるのである。ノーベル賞の受賞者に与える賞金は、ノーベル財団がノーベル賞受賞者からもらった権威の代金である。つまり、ノーベル賞受賞者は実力で偉いが、ノーベル財団は取り決めで偉いだけのバカ財団である。

[9142] 真実は単純なものである。 h21.12.15
今は神制度のない時代である。
政府は神制度をやる会社である。
政府は神制度があってはじめて[取り決めで]偉いことになる。
神制度がなければ政府は偉くもなんともない。
だから、今の政府は偉くないのに偉いふりをしているだけである。空威張りをしているだけである。
だから、国民は政府の言うことを聞かなければいい。

[9143] オリンピックと神制度 h21.12.15
オリンピックが参加することに意義があるように、
神制度は神に人間を従わせることに意義がある。
オリンピックが結果はどうでもいいように、
神制度も結果はどうでもいい。[つまり、神制度では細かい命令の内容はどうでもいい。]
神制度は、神に人間を従わせればいいだけであって、その結果が善かろうが悪かろうが知ったことではないのである。だから、政府はできるだけ実在と絡[から]まない“どうでもいい軽い無難な命令”を出すようにしているのである。例えば、古くは神武天皇の伝記にある「みんなで歌いながら土蜘蛛[つちぐも]と戦った」記述に基づいて万葉集や古今和歌集を作らせたり、今では私の個人情報を入れたマンガやアニメをマンガ家やアニメ会社に作らせたり、私の個人情報を名前やデザインなどに入れた電化製品や食品を家電メーカーや食品会社に作らせたりしているのである。そんなことのために国民の税金が使われているのである。時おり、私の個人情報(私が経験したこと)を入れた殺人事件を起すこともあるが。

[9144] 源氏と平家 h21.12.15
神制度から武家制度への移行期に現れた一族である。
政府が神制度(天皇制度)の社会を武家制度の社会に変えるために、天皇家を素[もと]にして武家の源氏や平家を作り出したのである。
その頃は、天皇制度と武家制度が混じっていて、日本の歴史が非常に複雑である。

[9145] 神制度か大名行列か? h21.12.15
神制度とは、政府が神の伝記から“どうでもいい軽い無難な命令”を作って国民に出して、神に人間を従わせることである。
一方、江戸時代にも幕府が大名行列や参勤交代をして、王(徳川家、神と言ってもいい)に国民を従わせていた。
幕府のほうが政府よりも身分制が厳しいようである。神制度には士農工商穢多[えた]非人[ひにん]の区別がないからである。
だから、明治維新は民主化だったのである。アメリカが自由な国だったからである。
しかし、政府の神制度も身分制にはちがいない。神制度では、政府が国民よりも上の者である。
身分制には弊害[へいがい]が多い。身分の高い者が身分の低い者の財産を搾取[さくしゅ]するだけである。税金がその例である。
神制度は本来“馬鹿がわけがわからないまま神に従う習性”を利用して馬鹿が大勢いる国を平和にするためにあったが、今では多くの国民が教養を身に付けて理性的になったから神制度によらなくても国が十分平和である。[昔の人間は洞穴の中や岩の横で寝ていたから、いわば2本足で立っている獣[けもの]だったのだ。それに比べると、今の人間はたとえ落ちこぼれでも十分文明的である。昔は2本足で立っている獣をどうしても飼い慣らす必要があったので、神制度が発明されたのだ。しかし、今は人間社会の文明が発達したので、洗濯板が洗濯機に、竈[かまど]が電気炊飯器に、箒[ほうき]が掃除機に代わったように、神制度が民主主義に代わって神制度が要らなくなったのである。]
それで、今日[こんにち]では神制度もないのである。政府も幕府も要らないのである。

[9146] 身分制 h21.12.15
今の社会では、格好[かっこう]のいい者が格好の悪い者よりも身分が高い。
それも身分制の一種である。
身分制はくだらない。
身分制は廃止すべきだ。

[9147] 国民にできること h21.12.15
政府に税金を払わなければいい。
政府の命令を聞かなければいい。
今は神制度のない時代だから、神制度をやる政府をこの世からなくさなければならない。[もっとも、政府は神制度以外にも、例えば議会や警察のように国民を政府に従わせることをいろいろやっている。([9006] 警察は要る。 h21.11.21を参照。)つまり、議会や警察は政府自身を神とした神制度である。

[9148] 政府の昔と今 h21.12.15
政府は昔は真面目[まじめ]に神制度をやる会社だった。神制度でよい子の住んでいるよい国にする会社だった。
しかし、今では政府は“自分の権力作り”をする会社に堕落してしまっている。
それで、政府は神制度から手を広げて、議会や警察や経済や教育やその他のいろんなことをするようになっている。
今の政府は、国民を政府に従わせる会社にほかならない。今の政府は、政府を国民よりも上の者とする会社にほかならない。
神制度は政府の権力作りのためのひとつの手段にすぎない。
しかし、今の国民は政府を国民よりも上の者とすることに賛成していない。つまり、『政府制度』に賛成していない。『政府制度』では、政府にとって有利な、国民にとって不利な社会になるだけである。[政府が抱[かか]えている議会や警察などの機関は、国民にとって役に立たない機関である。だから、政府はなくなってもいい。]『政府制度』は政府自身を神とした神制度にほかならない。議会や警察などは『政府制度』をやるための機関にすぎない。それらの機関は国民に政府を国民よりも上の者に思わせるためにあるだけであって、国民にとっては何の役にも立たないのだ。
今は『政府制度』のない時代である。だから、国民は政府を倒す。それが国民にとって唯一無二の選択なのだ。
神は死んだ。次は政府が死ぬ番だ。
政府の本質は神制度をやる会社である。神制度が強くなりすぎたために、余ったお金で余計なことをやっているだけだ。政府は政府自身を神とすることはできない。そう捉[とら]えたほうがいいかもしれない。

[9149] 政府は政府自身を神とすることはできない。 h21.12.15
神制度は国民と政府が一体となってやることである。
だから、政府にも変えることができない『神制度自体のルール』がある。
そのひとつが、政府は政府自身を神にはできないことである。キリストは政府の者ではないし、天皇も政府が囲っていたが、じつは政府の者ではなかったのである。
だから、世界大戦後新しい神制度を始めるに当たって、政府は政府以外の者である私を神としなければならなかったのである。
したがって、政府自身には権力はないのである。
だから、議会や警察は政府が神制度で儲[もう]けたお金の余りでやっている機関であって、権力作りの目的は毛頭[もうとう]ないのである。[国民が政府を勝手に悪者だと誤解してはいけない。『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』の見すぎだ。]だから、権力作りとは関係がない国鉄や郵便を政府がやっていたのである。昔は神制度が世界の指導原理だったので、神制度でお金がいくらでも集まったのである。[世界大戦以前には神制度があったから、国民の財産はすべて政府の財産だった。だから、政府はお金があろうが無かろうがとにかく事業をやって、あとで費用を国民に請求したのである。だから、国民はすごく貧乏だったのだ。]
政府は神制度をやらないかぎり権力が得られないのである。だから、神制度のない時代では政府が神制度をやることはできないから、政府には権力がないのである。
しかし、今日的[こんにちてき]には、国民もひとつの団体と見なすことができるから、本人の承認なしに勝手に私を神にしてはいけない。それでは、国民と政府がグルになって犯罪を犯していることになる。おそらく、国民と言っても国民全体ではなく、国民の一部の神制度肯定派の信者だろう。つまり、今回の私の神制度の件は、政府と信者が共同で犯した犯罪である。『神制度をやってはいけない』ことは現代社会における法律だから、神制度をやった政府と信者が悪いのである。

[9150] 神制度はどうして発達したか? h21.12.15
平和は平和であるだけではいけない。
平和はそれを維持し続けねばならない。
神制度は国を平和にする制度だったから、国の平和を維持するためには神制度を続けなければならなかったのである。
そのせいで、神制度が発達して、政府の権力が強くなりすぎて、政府が余計なことばかりやりだして、国の調子がおかしくなっていたのである。世界大戦後に政府が新しい神制度をやり始めたのも、政府が余計なことをやるからである。
今は神制度によらなくても個人の理性によって国の平和が維持できるから、神制度はやらなくてもいい。だから、政府はなくなってもいい。
議会や警察や経済や学校などの今の政府に付属の機関は、昔の政府が羽振りがいいときに神制度の儲けで作った余計な役に立たない機関である。だから、そんな機関はなくなってもいい。何の役にも立たない機関を残すために税金を取られたのでは国民がたまらない。

[9151] 国会は無効である。 h21.12.16
政府が羽振りのいいときに国会議事堂を建てて、そこで議会をすることにした。
政府は国会議事堂で法律を作っている。例えば、今からだいぶ前に高知市上町2丁目の細木[ほそぎ]病院の2階のエレベーターの横の廊下のソファーで私の承認を取って医療保険の自己負担率を3割にした。天皇の承認を取って法律を作ることもある。
しかし、神制度はそもそも法律を作るためにあるのではない。それは神制度の行きすぎた適用である。
神制度は、政府が神の伝記から“どうでもいい軽い無難な命令”を作って国民に出して国を平和にする制度である。神制度には、それ以外の使い道はない。
だから、政府が立法をしてはいけない。立法は国民が自分で考えてやることである。
政府が国会でやっていることは『民主主義の議会の芝居』にすぎない。政府は神制度で儲けたお金で国会議員の役者を雇って民主主義の議会の芝居をさせて国民を楽しませてくれたのである。つまり、議会は政府が“神制度で儲けたお金で”やっているショー(見世物)である。だから、広い意味では議会も神制度でやっているのだ。
だから、これまでに政府が作った法律は全部無効である。それらは神制度をやる会社が芝居の上で作ったのであって、本当の立法機関が作ったのではないからである。

神制度は司法をするためにあるのではないから、政府が司法をしてもいけない。
政府は神制度をするための会社である。だから、政府が神制度以外のことをしてはいけない。
しかし、今は神制度のない時代である。
だから、政府はなくならねばならない。
民主主義の社会を作るために、国民の献金で司法機関を設立しなければならない。司法機関の中の『法律研究所』で法律を作るようにすればいい。

[9152] 文明は神制度である。 h21.12.16
神制度は、国を平和にするための制度である。
しかし、今は文明社会で人間が理性的になったから、国が平和になっている。
つまり、今では文明そのものが神制度なのである。
だから、文明があれば神制度は要らない。神制度はやらなくていいのである。
したがって、神制度をやる政府は要らないのである。政府があるかぎり政府は神制度をやり続けるので、政府は必ずなくさなければならない。

[9153] 神制度をやる会社がどうして立法ができるのか? h21.12.16
政府は神制度をやる会社である。
政府は神制度で儲[もう]けたお金で国会議事堂を建てた。
議会が立法をやるようになった。
しかし、民主主義社会においては立法は本来国民がやることである。
議会がやることではない。議会は嘘の立法機関である。
議会は民主主義の妨げである。議会はまちがった法律を大量生産するためにある。
政府は神制度で儲けたお金で国鉄を作った。国鉄は本物の交通機関である。
同じように、政府は神制度で儲けたお金で国会を作った。国会は偽物[にせもの]の立法機関なのだ。
政府が神制度で儲けたお金にものを言わせて作った機関には、本物と偽物がある。
現代の神制度のない社会では、本物は民営化されて残るが、偽物は消えてなくなる。

[9154] 政府の事業について h21.12.16
政府の事業はすべて神制度に適[かな]っている。
議会は、神武天皇が最終的に王位に就いたが、王は国の法律を決める者だからである。[つまり、国会は政府が神制度で作った“法律を作る会社”なのである。]
警察は、神武天皇が日本各地の悪者を退治したからである。
経済は、日本で最初に作られた和同開珎[わどうかいちん]が丸くて光る物だったからである。
学校は、神武天皇が子供の頃に親から奈良についた教えてもらったからである。
鉄道は、神武天皇の軍隊が日本各地を移動したからである。[神武天皇が兵隊を率[ひき]いていく様[さま]が機関車が客車を引いていく様に似ているので、神武天皇の神制度で鉄道がやれるのである。春日三球・照世の地下鉄漫才とは、天皇の人権宣言によって神武天皇の地位が下がったことの風刺である。しかし、実際には日本政府は今でも神武天皇を神とする国家宗教をやっているのだ。]
郵便は、神武天皇がときどき宮崎県の母親に手紙を出したからである。
農業は、お米が丸くて光る物だからである。
軍事は、神武天皇が軍人だったからである。
工業は、神武天皇が兄猾[えうかし]のからくりを見破ったからである。
つまり、政府の事業はすべて神制度でやっていることなのである。[別に、権力作りのためにやっているのではない。]
政府は昔はまだ神制度が弱かったので、国民に和歌を作らせることしかできなかったが、
近代になると神制度が強くなったので、国民から税金を無尽蔵[むじんぞう]に取っていろんな事業をできるようになったのだ。政府は神制度でできるほとんどあらゆることをやったのだ。
しかし、現代では『神制度はやってはいけない』ことになっている。それは、人類全員で決めた新しい決まりである。だから、現代では政府が神制度でいろんな事業に手を出すこともできない。政府の事業のうち国民の役に立つ事業は民営化されて残るが、それ以外の事業はなくなってしまうだろう。

[9155] 政府は国民から税金を取れるか? h21.12.16
政府は神制度で国会を作った。
国会が税制を作った。
だから、神制度がなければ、政府は国会を作れないし、国会が税制を作れない。
今は神制度のない時代である。
したがって、政府は国民から税金を取れない。[税制は政府にとって都合がよすぎるし、今は神制度が弱いからそこまではできないはずだ。国会は政府が神制度でやっていることであり、今は『神制度のない時代』だから国民は国会の言うことを聞かなくていい。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。

[9156] 日本私鉄連合 h21.12.16
政府は神制度で国鉄を作った。
国鉄は国民にとって役に立つ会社である。
しかし、たとえ政府がなくても鉄道はできただろう。
日本私鉄連合(Japan Private Railway Association)があれば同じだ。

[9157] 鉄道の高架化 h21.12.16
鉄道は神武天皇の神制度でできた。軍隊が列車だからである。
だから、鉄道を高架にすることは神武天皇を上げることである。
鉄道を高架にすれば、自動車が列車の下を通ることになる。
自動車は、自動車→car→カー→かわ→川野延夫[かわののぶお]→私である。
鉄道を高架にしたのは、政府が私よりも神武天皇を上の者としたからである。
政府はいまだに神制度で余計なことをやっている。税金の無駄使いだ。
だから、政府がないほうがいい。そのほうが日本の景色がいい。

[9158] どうして国鉄は民営化されたか? h21.12.16
政府が神制度で国鉄を作った。
しかし、今は『神制度をやってはいけない時代』である。
だから、国鉄を民営化させて残した。
民間で経営するならやってもいいからである。
政府はいまだに神制度をやる会社である。
『神制度をやってはいけない時代』においては、神制度をやっている政府は犯罪組織である。
だから、国民が政府を潰[つぶ]すことは正しいことである。
だから、国民は政府に税金を払わないほうがいいし、政府の命令を聞かないほうがいい。
犯罪組織の肩を持つほうが悪者だ。

政府はたしかに大きいが、政府よりももっと大きいものがある。
それが国だ。国とは国民と政府の総和である。
たとえ政府でも国には逆[さか]らえない。
国民が認めていれば、政府は神制度を続けることができる。
そうでないのは、やはり国民が神制度を認めていないからである。

[9159] なぜ国民は政府の過激な神制度を認めたのか? h21.12.18
明治維新の頃には、国の近代化を推[お]し進めるためには政府があったほうがいいと国民が判断したからである。
それで、国民は自分が貧乏になるのを覚悟で政府に協力したのである。[国を近代化するためには莫大[ばくだい]なお金が要る。お金を集めるには『理由』が要る。政府は神制度をやる会社だから、神武天皇が王位に就いたことで国会すなわち法律を作る会社を作って国会に税制を決めさせることができる。他の民間企業には商品を売る以外には国民からお金を取る理由がない。だから、国民は国の近代化を政府に任[まか]せたのである。神制度がある時代には、政府が国民から強制的に税金を取ることが許されたのである。
しかし、政府はもともと神制度をやる会社だから、結果的には、政府が国民から巻き上げた税金を使って神制度で余計なことばかりするようになった。その上、神制度は身分制で、政府は国民よりも身分が上だから、政府に対する国民からのクレームが効かない。だから、今はむしろ政府がないほうがいいのである。]
しかし、今はそんなに無理やり推し進めるほどのことはない。民間企業でちびちびやればいい。
とにかく、『神制度をやってはいけない』ことは現代社会の決まりなのである。
幸福になろうが不幸になろうが、とにかくやってはいけないことはいけないのだ。
神制度は、国民が政府に土下座することはないとしても、政府が国民から無制限に財産を取ることができるので、実質的には政府が国民よりも上の者となっている身分制度である。政府は国民よりも身分が上だから、政府は国民を殺してもいいと考えているのである。政府にとっては、国民はただの道具にすぎないのである。
しかも、神制度の神はたんなる取り決めにすぎない。科学的には神はただの人間あるいは架空の人物である。みんながただの人間や架空の人物を人間よりも上の者(つまり神)だと取り決めただけである。モーゼもキリストも釈迦もモハメットも神武天皇も私もみんなそうである。
神制度は政府が国民よりも有利になる制度にすぎない。だから、国民にとっては神制度は嫌な制度である。
今はもう、文明化されて国が平和になったし、近代科学を取り入れて国の近代化もいちおう終わった。だから、神制度にはもはや使い道がない。つまり、政府の役目も終わったのだ。

[9160] どうして哲学日記が1日空[あ]いたのか? h21.12.18
平成21年12月17日には私は日記が書けなかった。
それは、私が12月15日の晩にスーパーで買った“おから”が腐っていて、食べた後で便所でゲエゲエあげたからである。下痢もした。正露丸は持っていたが、使用期限を2ヶ月過ぎていた。しかも、ビンの中が結露して薬が変になっていた。
お腹が痛くてなかなか眠れなかった。仕方がないので、使用期限切れの正露丸を飲んだ。胃腸が荒れて栄養が摂[と]れなくなって身体がフラフラだった。
16日は身体に溜め込んでいた栄養でなんとか持ったが、2日目は栄養が切れて駄目だった。
17日は一日中ほとんど布団[ふとん]の中で寝ていた。安静を保つのが病気を治すためには最もいいからである。
それで、17日には日記が書けなかったのである。
17日は、近所の薬局で新しい正露丸を買って、ローソンで牛乳と胃腸が荒れないような刺激性のないおかずを買って帰った。
最近スーパーが暖房を入れるようになったからスーパーで売っているおかずが腐りやすくなっている。みんなも口に入れる物にはくれぐれも気をつけろよ!

[9161] 宗教とは何か? h21.12.18
神制度がある社会では、政府以外にも神制度をすることができた。
宗教団体が自分たちで実在または架空の人物を神にして、神に信者を従わせることができた。神に信者を従わせることによって、宗教団体は信者よりも上の者となることができた。
しかし、宗教団体が第2の政府になる恐れがあるため、政府が宗教団体に圧力をかけたので、あまり大きな勢力にはなれなかった。だから、政府以外の宗教団体の信者は自由加入制にとどまったのである。
しかし、今は神制度のない社会である。だから、宗教もやってはいけない。

[9162] 税金は政府による強盗である。 h21.12.18
神制度は本来みんなでやるものである。みんなで神を決めて、みんなで神に従うものである。政府は神制度をやるために国民みんなで作った機関だったのである。
しかし、今の政府は自分たちだけで神制度をやっている。政府だけで勝手に神を決めて、政府だけで神に国民を従わせている。政府だけで国民よりも身分が上になっている。
だから、今の政府がやっていることはもはや神制度ではない。政府のやっていることは国民に対する強盗殺人である。税金は政府による強盗だし、神制度で起した事件は政府による殺人である。
だから、国民は政府を罰しなければならない。悪者を罰することは正しいから罪[つみ]にはならない。
政府は責任をとって死ね!

[9163] 国会は国民のためにあるのではない。 h21.12.18
国会は、政府が神制度で作った“法律を作る機関”である。
だから、国会は政府のためにあるのであって、国民のためにあるのではない。
国会は政府のために法律を作るのであって、国民のために法律を作るのではない。
国会の作る法律は政府にとって有利であって国民にとって不利である。国会は、政府が国民よりも上の身分になる法律を作るだけである。[もっとも、世界大戦後は国会が露骨[ろこつ]に政府のための法律を作らなくなり国民のための法律を作るようになったが、それは形の上だけで、実際には、政府があるかぎり「政府が国民よりも身分が上だ」という法律があるだけである。つまり、日本では表の成文法は嘘の法律で、裏の「政府が国民よりも上の者である」という身分制が本当の法律なのである。]
だから、国民にとっては国会なんかないほうがいい。
国会もろとも政府がなくなったほうがいい。
たとえ国に立法機関が要るとしても、政府に立法機関を作らせてはいけない。
政府は神制度をやる会社だから、政府に立法機関を作らせると、立法機関は今の日本国憲法のように政府にとって有利な神制度の濃い法律を作るだけである。日本国憲法第1章天皇の意味は、「日本には神制度がある」と言うことである。
だから、民間で作った司法機関の中に日本社会観察研究グループを作り、そこで日本社会に内在[ないざい]する法律を科学的に客観的に研究させたらいい。
要するに、政府も国会も神制度でできた会社である。だから、神制度のない時代では、それらの会社はあってはならないのである。
今の日本には神制度はない。政府が正々堂々と表沙汰[おもてざた]に神制度をやらないのがその証拠である。つまり、政府がある特定の者を神とすることを国民全員に公表しないかぎり、国が神制度をやっていることにはならないのである。

[9164] 本当の法律とは? h21.12.18
立法機関が個人だとすれば、人の数だけ法律があることになる。
つまり、法律とは個人の生き方のことである。
すでに実際にそうなっている。
だから、それが本当の法律なのだ。
本当の法律は個人が自分で考えて作るものなのである。

[9165] この世は政府のためにあるのではない。 h21.12.18
国会に限らず、一般に政府の作った機関は国民のためではなく政府のためにある。
警察は、国民の攻撃から政府を守るためにある。
経済調節機関は、国民を貧乏にして政府を裕福にするためにある。
学校や大学は、政府の馬鹿息子を裏口で(つまり裏の身分制を使って)東大に入れて出世させるためにある。子供たちに神制度のまちがった世界観を教えるためでもある。
つまり、政府の作った機関は、「政府が国民よりも上の者である」身分制を具体的に実現させるための機関である。
だから、いっぺんそれらを潰して、どうしても要るものはあとで国民が自分で作らなければならない。
政府が作った神制度のある世界ではいけない。国民が作った神制度のない世界でなければいけない。

[9166] 政府に税金を払わなくてもいいことの証明(その2) h21.12.19
今の政府は政府と信者だけで私の神制度をやっている。
だから、今の政府は民間宗教団体のひとつと見なせる。
民間宗教団体は税金を取らない。
だから、今の政府にも税金を払う必要はない。
[この証明は、誰かがテレパシーで私に伝えて私がうまいと思ったから書いた。]
とにかく政府が国民よりも“身分が上”でないかぎり国民から税金を取ることはできない。身分制以外に、政府が国民から税金を取る『理由』はない。
しかし、今の政府は国家的に(国のみんなで)神制度をやっていないから、政府は国民よりも“身分が上”ではない。
だから、今の政府は国民から税金を取ることはできない。

いくら税金の使い道を政府が国民に市民新聞や白書などで提示したところで、国民が政府に税金を払わねばならない『理由』にはならない。それは国民が政府に払った税金の使い道の結果報告にすぎず、国民が政府に税金を払わねばならない『根拠』とは言えない。

[9167] 政治家は国民に命令できない。 h21.12.19
政治家が国民に命令できるためには、神制度がなければならない。[ここでの政治家とは国会議員のことである。国会は政府の下の会社だが、国会が国民よりも上の者であるためには、政府が国民よりも上の者でなければならないが、神制度がなければ政府が国民よりも上の者となることができないからである。]
しかし、今は神制度をやっていない。
だから、今は政治家が国民に命令できない。
だから、政治家は国民に対して偉そうにするな!


[9168] 神とは何か? h21.12.19
神とは“支配する者”のことである。
神はみんなで決めた支配者である。
昔はピラミッド型の世界のほうが暮らしやすいと考えられたからである。
神は最初の頃は人々を弱く支配するだけだったが、神制度がしだいに太って行って、近代になって“絶対的に支配する者”に昇格したのである。
しかし、今は神がいない世界のほうがいいとみんなが考えるようになった。空威張り馬鹿の神や政府がいると真面目に努力するのが嫌になって世の中が面白くなくなるからである。

[9169] 取り決めとは何か? h21.12.19
日本では「車は左、人は右」なのも取り決めである。
日本人が「箸[はし]を使ってご飯を食べる」のも取り決めである。
自分が「ズボンの右足または左足から先に履[は]く」のも取り決めである。
世の中には取り決めで出来たことがたくさんある。
取り決めには必然性はないが、少しだけ理由がある。
「人間が神に従わねばならない」(神制度)のも取り決めである。
昔の日本に神制度があったのは、そのほうが世の中が平和になって暮らしやすかったからである。
国中のみんなが神制度に賛成だったから、日本に神制度があったのである。
しかし、今は神制度は有害無益になったから、政府と信者を除く国中のほとんどみんなが神制度に反対である。だから、今の日本には神制度はないのである。つまり、今の日本では「神がいない」ことが取り決めなのだ。

[9170] どうして民間企業は政府の命令を聞くのか? h21.12.20
世界大戦後の今でも日本の多くの民間企業は政府の命令を聞いて“私商品”を作っている。例えば、私アニメや私マンガや私電化製品や私食品を作っている。
今でも民間企業が政府の命令を聞くのは、政府からお金をもらったからではなく、『身分制』でやっていることである。つまり、政府が民間企業よりも身分が上だから、民間企業は政府の命令を聞いたのである。[身分制とは、身分が上の者が下の者を自由に殺したり、自由に財産を取ったりできることである。当然、身分が下の者は上の者の命令を聞かねばならない。]
しかし、世界大戦後は、日本では神を国民全員に公表していないから、神制度をやっていることにはならない。だから、政府は国民よりも身分が上ではない。したがって、民間企業は政府の命令を聞く必要はない。つまり、民間企業が政府の命令を聞いて、私の個人情報を入れた製品を作る必要はない。
世界大戦後も、民間企業が政府の命令を聞いていたところを見ると、国民のほとんどは神制度について正しい理解を持っていなかったようだ。神制度についてわかっていない者は、最近の私の哲学日記をよく読んで神制度について理解を深めなくてはならない。

[9171] どうして神制度がなくなったか? h21.12.21
国民にとって神制度が要らなくなったからである。
神制度による国民にとってのメリットがなくなったからである。
昔は、国の平和や近代化を進める目的があったから、仕方なく神制度をやったのである。昔の人も神制度には短所があることを知っていたが、他[ほか]にいい方法がなかったのでやむを得ず使ったのである。神制度は、いわゆる必要悪だったのである。
しかし、今では、国の平和は神制度によらなくても維持できるし、国の近代化はすでに片付いたから、神制度が要らなくなったのである。
神制度が要るか要らないかを決めるのは国民であり、国民にとって神制度が要らなくなったから神制度は捨てられたのだ。

[9172] 政府は犯罪者である。 h21.12.21
政府は民主主義をやる機関ではない。政府は神制度をやる機関である。世界大戦後の今でもずっとそうである。[戦前の議会に民主主義的なところがあったのは、神武天皇に民主主義的な性格があったからである。つまり、それはやはり純粋な神制度でやっていたのである。]
ところが、今の政府は国民に神を公表していない。
今の政府は正式に神制度をやっていない。国民全員に神を公表することは神制度の必要条件である。
それなのに、政府は“国民よりも身分が上の者”として国民から税金を取ったり国民を事故で殺したり、国民に神の伝記(つまり、私の人生の記録)を素[もと]にして作った命令を出して[例えば、“私商品”を作らせたりして]“国民を神に従わせる仕事”をしたりしている。[[9154] 政府の事業について h21.12.16を参照。神武天皇と私を入れ替えて考えればよい。]
たとえ今が神制度のある時代だったとしても、政府は神を公表していないから、政府に神制度を司[つかさど]る資格はない。したがって、政府の犯罪である。
今が神制度のない時代だとすれば、政府が神制度をやること自体まちがっているから、政府の犯罪である。
今の時代に神制度があろうがなかろうが、どちらにしろ、政府は犯罪者である。
したがって、国民は政府を罰して潰さなければならない。

[9173] 省庁の改革 h21.12.22
政府の抱[かか]える省庁は、神制度で作られている。つまり、神の伝記にある神のやったことに基づいて、各省庁が作られている。[[9154] 政府の事業について h21.12.16を参照。]
昔の政府の省庁は、神武天皇の伝記に基づいて作られている。
今の政府の省庁は、私の伝記(非公開の人生の記録)に基づいて作られている。
けっして、政府が時代の変化に対応して改革したわけではない。
神が変わったから、神のやることが変わったので、それに合わせて省庁の構成も変わっただけである。
政府の省庁は神に合わせて作られているだけで、それ以上の意義はない。国民にとっての需要とは無関係に作られている。だから、おおかた国民にとっては要らないことをしているだけである。したがって、政府がなくなっても困る者はいない。

[9174] 政府の仕事 h21.12.22
政府とは人間を神に従わせる会社である。つまり、政府の仕事は国民に神と同じことをさせることである。
しかし、神は科学的にはただの人間であり、人間は人それぞれである。
だから、神と同じことをすることには特に意義はない。人間が神を見習ったところで、得になることはほとんどない。特に私の場合、精神分裂病に罹っているから、見習わないほうがいい。
政府の仕事は今日的[こんにちてき]には、国民にとって余計であり邪魔である。
政府があって欲しいと思う国民のほうが変だ。

[9175] 今の政府は神制度をやることができない。 h21.12.23
政府はその名の通り神制度(人間を神に従わせること)をやる機関である。民主主義をやる機関ではない。政府が民主主義をやる機関だと思っている人は、社会科音痴である。
神制度は国民みんなでやることである。そうでなければ国家宗教ではない。
神は取り決めである。神は科学的にはただの人間または架空の人物だが、みんなの取り決めで人間よりも上の者となった者である。
だから、政府はまず最初に神を国民みんなに公開して国民みんなの承認を得てから、国民を神に従わせる仕事をしなければならない。
しかし、今の政府は神を国民みんなに公開せずに国民みんなの承認を得ずに、自分ひとりだけで勝手に国民を神に従わせる仕事をやっている。
だから、今の政府はちゃんと神制度の段取りを踏[ふ]んでいない。そんなものはもはや神制度とは呼べない。だから、今の政府は国民を神に従わせる仕事をしてはいけない。
政府は国民を神に従わせる仕事をすることによって、国民よりも“身分が上”になるのである。しかし、今の政府は国民を神に従わせる仕事ができないから、国民よりも上の身分になることはできない。だから、政府は国民から税金を取れないし、国民を事故で殺すこともできない。
今の政府は国民を神に従わせる仕事ができないから、何の仕事もすることができず、潰[つぶ]れるしかない。

[9176] 今の政府は神制度をやっていることにはならない。 h21.12.23
政府はその名の通り神制度(人間を神に従わせること)をやる機関である。民主主義をやる機関ではない。政府が民主主義をやる機関だと思っている人は、社会科音痴である。
神制度は国民みんなでやることである。そうでなければ国家宗教ではない。
神は取り決めである。神は科学的にはただの人間または架空の人物だが、みんなの取り決めで人間よりも上の者にしているだけである。
だから、政府はまず最初に神を国民みんなに公開して国民みんなの承認を得てから、国民を神に従わせる仕事をしなければならない。
しかし、今の政府は神を国民みんなに公開せずに国民みんなの承認を得ずに、自分ひとりだけで勝手に国民を神に従わせる仕事をやっている。
だから、今の政府はちゃんと神制度の段取りを踏[ふ]んでいない。そんなものはもはや神制度とは呼べない。だから、今の政府は神制度をしていることにはならない。今の政府は“神制度ごっこ”をしているだけであって、神制度をしているのではない。
政府は国民を神に従わせる仕事をすることによって、国民よりも“身分が上”になるのである。しかし、今の政府は国民に神を公開せず国民に神を承認させていないので、国民を神に従わせていることにはならないから、国民よりも上の身分になることはできない。だから、政府は国民から税金を取れないし、国民を事故で殺すこともできない。いわば、今の政府がしていることは『神がいない神制度』であって、今の国民から見ると、政府はただわけがわからないことをやっているだけであって、国民にとって政府は自分が従うべき者ではない。国民が政府に従うのは国家公認の(国民と政府がみんなで認めた)神がいる場合だけであって、国家公認の神がいなければ国民が政府に従う道理はない。
政府は神制度をやる機関だが、今の政府は神制度をしていることにならないから、何の仕事もやっていない。だから、政府は潰[つぶ]れるしかない。
そもそも、神制度のない時代に神制度をやることがまちがっている。だから、政府は潰れてなくならなければならない。

[9177] どうして今の政府は神を公開せずに神制度をやっているのか?☆ h21.12.23
神を公開せずに神制度をすれば、神制度をやっていることにはならないからである。
政府は自分が神制度をやっていない言い訳[いいわけ]のために、神を非公開にしているのである。
今は神制度のない時代だから政府が神制度をやってはいけないので、政府は正式に(神を公開して)神制度をやらないことによって神制度をやっていないことにしているのである。
だから、要するに、今の政府がやっていることは神制度ではないのである。つまり、今の政府は神制度をやっていないのである。
しかし、政府は神制度をすることによって国民よりも身分が上の者となって国民から税金を取れるわけだから、政府が神制度をやっていなければ国民よりも身分が上の者ではないから国民から税金を取れないはずである。だから、今の政府に対して国民が税金を払う必要はない。
政府は神制度をやる機関だが、今の政府のしていることは神制度ではない。だから、今の政府は何もやっていることにはならない。だから、国民は政府に対して何もする必要はない。
今の神(つまり私)は政府と信者が認めているだけであり、一般の国民は認めていないから、いくら政府や信者が神制度をしたからといって一般の国民が政府や信者に従う必要はない。だから、政府や信者は一般の国民に対して身分が上の者となることはできない。

[9178] ヤーナ・トロイニチ h21.12.24
『ビートたけしの禁断のスクープ大暴露!!超常現象・Xファイル 嵐のオカルト総攻撃!』を19:20ぐらいから終わりまでずっと見た。
ロシアから来日した「X線の目を持つ美少女」ヤーナ・トロイニチを見た。
内臓の病気と身体の外観とは関係があるから、敏感な人であれば外観だけでおおよその診断がつくのだろう。一種の手相占いのようなものだ。
とにかく医者としての才能はあるから、それを活かせば成功するだろう。
あいかわらずUFO事件が多いが、UFO事件は神武天皇の神制度でやっているのだから[UFO←光の玉←神武天皇]、いいかげんでやめるべきだ。UFO事件は神武天皇に限らず、誰か(私?)の神制度でやっている“大人のイタズラ”である。
そもそもUFOとは“わけがわからない物体”のことだから、何であるかがわかるわけがない。しかし、私の眼には電飾を付けた凧[たこ]のように見えた。
作り事のUFO事件は嫌いだ。もっと真面目に“不思議な物体”を撮影してくれれば面白いのだが…。

[9179] 政府は国民よりも身分が上ではない。 h21.12.24
私が超能力者であろうがなかろうが関係ない。
とにかく昭和40年頃に、政府が私を神と決めたことはたしかである。
しかし、政府はそのことを国民みんなに公表して国民みんなの承認を得なかった。私は政府や信者だけの神であって、国家(国民+政府)の神ではない。[オウム真理教と麻原彰晃[あさはらしょうこう]、日蓮宗と日蓮[にちれん]、原理研究会と文鮮明[ぶんせんめい]のように、宗教(神制度)と神とは切っても切り離せないものである。]
だから、いくら政府が神に国民を従わせる仕事をやっても、国家的に神制度をやったことにはならず、したがって政府が国民よりも上の身分となることはない。だから、国民は政府に税金を払ったり、政府の命令を無条件に一方的に聞く必要はない。
政府は神制度の大事なステップ(国民に対する神の公開)を抜かしている。だから、政府のやっていることは神制度ではない。政府はもはや神制度をやる会社ではないのだ。

[9180] 今の政府のやっていることは宗教ではない。 h21.12.24
宗教の“宗”はウ冠に示すと書く。
しかし、今の政府は神を国民に示していない。
だから、今の政府のやっている宗教はただの“教”であって宗教ではない。
そんなものは宗教とは呼べない。
今の宗教は政府と信者だけでやっている宗教であって、国でやっている宗教ではない。
だから、今の政府が宗教を仕切っているからといって、昔の宗教のように政府が国民よりも身分が上になることはできない。
したがって、政府は国民から税金を取れないし、国民に一方的に命令をすることができない。
戦後は宗教(神制度)のない時代になったが、そんな時代にも政府が生き残れたのは、政府が宗教をやらなくなったからである。だから、今の政府がやっているのは宗教ではない。今の政府がやっているのは身体の一部分を失った死に損[ぞこ]ないの片輪[かたわ]の宗教である。

[9181] 宗教では神を信者に示さなければならない。 h21.12.24
神とは支配する者である。神とは、自分が従うことを認めた者のことである。
神は取り決めである。
神は科学的にはただの人間あるいは架空の人物である。
だから、神は信者の取り決めによってはじめて神となるのである。神を信者に示して信者が神に従うことを承認することによってはじめて神は神となるのである。神は信者が神に従うことによって神となるのであって、神ひとりでは神ではないのである。
国家宗教では、国民みんなが信者であり、国民みんなの取り決めがなければ宗教がやれない。国民みんなが神に従うことを承認することによってはじめてピラミッド型の神制の国家体制ができるのである。昔の日本では国民みんなが神制の国家体制を認めていたのである。
ところが、今の政府は神(私)を国民みんなに示さずに宗教をやっている。それでは、国民にとっては政府が何をやっているのかわからないから、いくら政府が宗教をやっても、宗教上の関係によって政府が国民よりも身分が上の者となることはできない。
今の政府がやっていることは、偽物[にせもの]の宗教であって本物の宗教ではない。そんなものをいくらやっても無駄[むだ]だ。
じつは現代においては神制の国家を作ることは世界中の国で禁止されている。だから、政府は本当の宗教をやりたくてもやれないのだ。政府が、宗教をやってはいけないという現代社会の原理を犯すと他人[たにん]から何をされるかわからず怖[こわ]いので、政府は本物の宗教をやる勇気がないのである。

[9182] 政府は民主主義をやる機関ではない。 h21.12.24
民主主義をやるためには、国民と司法機関のふたつしか要らない。
それなのに、今の政府には要らない機関がぞろぞろたくさん付いている。
だから、今の政府は民主主義をやる機関ではない。
今の政府は、“非公開に”私の神制度をやる機関である。今の政府は、私を国民に公開しないまま、私の神制度によって私の非公開の人生の記録に基づいて要らない機関をたくさん作っているのである。
だから、今の政府は純粋に宗教(神制度)をやる機関でもない。
今の政府は「半宗教」をやる機関である。政府が宗教が禁止されている今の時代にも生き残っているのはそのためである。
それなのに、政府は正式な宗教をやっているみたいに国民よりも身分が上の者をやっている。
半宗教なら、国民はピラミッド型の神制の国家体制を承認していないのだから、政府が国民の上に立つことはできない。
だから、今の政府は国民から税金を取って飯[めし]を食うわけにはいかない。政府も民間会社のように生産的な仕事をやって商品を作って売って稼[かせ]がなければならない。

[9183] 『従う』の意味 h21.12.24
神制度における「神に国民を従わせる」の意味は、国民に神と同じことをさせることであって、国民を神の命令に従わせることではない。
それは、そもそも神制度が、国を平和にするために国民を神に従わせることだったからである。国を平和にするためには、国民を他人の言うことを聞くおとなしいいい子にすればいいだけだから、神の伝記にある神がしたことと同じことを少し国民にさせるだけで十分だったのである。あるいは、昔の神が架空の人物で「死人に口なし」だったから、神自身が命令を出すことができなかったので、国民を神に従わせることが国民に神と同じことをさせることになったのだ。
けっして、『少年ジャンプ』のマンガの悪者のように、玉座に腰掛けた神が自分の欲しいままに国民を動かすことではない。
政府もあくまでも神制度をする会社であって、けっして政府が自分の判断でわがまま勝手にやっているわけではない。政府のやることは、国民から税金を取ること以外は、すべて神に国民を従わせることに限られているのである。[政府は神に国民を従わせることによって国民よりも身分が上の者となり国民から税金を取ることができるのである。つまり、税金は、政府が神制度をやることに随伴[ずいはん]する特権なのである。]だから、政府はけっして民主主義をやることはなく、政府があるかぎり[多少神制度のやり方は変わるとしても]神制度がなくなることはないのである。したがって、この世から神制度をなくすためには、政府を滅ぼすしかないのである。

[9184] 宗教の論理 h21.12.25
政府が国民から税金を取っているのは宗教の論理によっている。
政府は神に国民を従わせることによって国民よりも身分が上の者となり国民から税金を取ることができるのである。
政府は国民よりも身分が上の者だから、ときどき国民を事故で殺したりするのである。[江戸時代に、武士が夜中に刀の試し切りで町人を殺したのと同じ理屈である。]
しかし、今の政府は一般の国民に神(私)を公表しておらず、今の政府は政府と信者だけで国家宗教をやっているのだから、いくら政府が国家宗教をやっても、政府が一般の国民よりも身分が上の者となることはできず一般の国民から税金を取ることはできない。
それもまた、宗教の論理である。
政府は国家宗教をやる機関であるが、世界大戦後は神を作ることが禁止されているから、政府は神を国民みんなに公表することができなかったのだ。宗教をやるためには神が要るから、神が作れなくなった現代においてはもはや政府の仕事はないのだ。だから、政府は潰れるしかない。つまり、現代では国の神を決めてはならず国家宗教がやれないから、国家宗教をやるためにある政府も要らないのだ。
国家宗教は中世に生まれて現代において滅びた。政府は人類の歴史の垢[あか]のようなものだ。

[9185] 神制度とは何か? h21.12.25
昔の人が、国の神様を決めて、国民みんなが国の神様に従うことにした。
それが神制度(宗教)である。
昔の人は、国民みんなを国の神様に従えることを仕事にする機関を作った。それが政府である。
政府は、国の神様の伝記をもとにして、国民みんなに国の神様と同じことをさせた。それが政治である。
政府の抱[かか]えている国会や警察や経済調節機関や学校などの機関は、国民に国の神様と同じことをさせるために政府が作った機関である。[もっとも、国会は、政府が国民よりも身分が上であることを使って、政府が国民を支配するために作った国の法律を決める機関なのかもしれないが。つまり、政府の抱える機関の中には、身分制で出来た機関もある。政府は神制度のある社会においては国民よりも身分が高い者と考えられたのである。]つまり、政府に付属の機関は国民みんなの役に立つために作った機関ではなく、政府が神のしたことに合わせて作った機関にすぎない。だから、政府に付属の機関は国民の役に立つこともあれば立たないこともある。政府に付属の機関は、国民にとって役に立つこととは無関係に、神制度(国民を神に従えること)や身分制(政府が国民よりも身分が上であること)で作られているのだ。
神制度とは、いわば一人主義[ひとりしゅぎ]である。国民みんなを国の神様一人に合わせることである。国民みんなを国の神様と同じにすることである。神制度とは、いわば人間の規格化である。
それでも、昔の人はみんな神制度を認めていたので、誰も神制度に文句を言わなかった。
しかし、今の人は、政府と信者以外は、神制度を認めていない。神制度で自分が政府よりも身分が低い者にされて、つらい目に合わされるのに懲[こ]りたからである。国民のほとんどにとっては、神制度によるメリットよりもデメリットのほうが多いからである。だから、今の人は神制度をやらない。したがって、今の人にとっては神制度をやるためにある政府も要らないのだ。
今の世の中が民主的なのは、政府の力が弱まったからである。けっして、政府が民主主義をやるようになったからではない。政府はいまだに神制度をやり続けている。政府の力が弱まったのは、世界大戦後人類みんなの取り決めで世界中で国の神様を決めてはならないことになって国家宗教がやれなくなったからである。今の世の中は、国民は民主主義をやっていて、政府だけが神制度をやっている。政府だけが時代遅れの異質な会社である。だから、国の統一のためにも、政府を滅ぼさねばならない。

[9186] 国民は政府に税金を払う必要はない。 h21.12.25
今の日本では、政府と信者だけで国家宗教をやっている。一般の国民は国家宗教をやっていない。だから、一般の国民は政府や信者を自分よりも身分が高い者と見なす必要はない。一般の国民は政府や信者に従う必要はない。例えば、一般の国民は政府に税金を払う必要がない。今の国民は政府に税金を払う必要がないのに払っている。そんなにお金があり余っていたら、俺にくれ!
今の国民が政府に税金を払っているのは、世界大戦以前の名残[なごり]にすぎない。戦前は、政府が国民よりも身分が高かったからである。しかし、今の時代には国民が政府に税金を払う『理由』はない。世界大戦からすでに60年経[た]った。もう、いいかげんで、世界大戦以前の古臭い習慣を捨[す]てるべきだ。

[9187] 政府はおいしい仕事である。 h21.12.26
神制度つまり国民を神に従わせること自体は面白くもなんともない。
しかし、政府にとってはそれが仕事だから、やるしかない。
政府が国民を神に従わせることに伴って、政府が国民よりも身分が上になることが、政府にとってはおいしいのである。政府が国民よりも身分が上になれば、政府は国民からお金を取って国民よりも贅沢[ぜいたく]な暮らしができるからである。
政府はそのために、退屈な神制度を精を出してやっているのである。
しかし、今の政府は神を国民に公開せず国民といっしょに国家宗教をやっていないから、国民は日本が国家宗教をやっていないと思っているから、政府と国民の宗教的な関係によって政府が国民よりも身分が上となることはできない。だから、今の政府は国民からお金を取って国民よりも贅沢な暮らしをすることができない。

[9188] 宗教とは何か? h21.12.26
宗教(神制度)とは、一定の集団(教団、宗教団体)において神を決めて、一定の集団のみんなが神に従うことである。
神の条件は特になく、老若男女[ろうにゃくなんにょ]や貧富貴賎[ひんぷきせん]を問わず、実在の人間でも架空の人間でも何でもいい。
一定の集団は、神との主従関係において、神と政府と信者に分かれ、政府が信者を神に従わせる仕事をしている。
信者を神に“従わせる”とは、神の伝記(人生の記録)に基づいて、信者に神と同じことをさせることである。
一定の集団において、政府は信者よりも身分が高いとされる。さらに、神は政府よりも身分が高いとされる。身分が高い者は身分が低い者を自由にすることができる。身分が高い者は身分が低い者を自由に殺傷したり、財産を奪ったりすることができる。
宗教においては、神に信者を従わせることに特に意味はなく、政府が信者よりも上の者になる『身分制』こそが宗教の本質であると言える。
民間宗教も国家宗教も構造は同じである。国家宗教は大きい民間宗教である。国家宗教は国中のみんな(国民全員+政府+神)で宗教をすることである。
しかし、世界大戦後は国家宗教をやってはいけないことになっている。だから、政府はなくならねばならない。今の信者は、政府といっしょに国家宗教をやっている一部の国民のことである。信者は私が神であることを知っている。しかし、国民のほとんどは私が神であることを知らず、国家宗教をやっていないから信者ではない。政府は宗教的関係において信者である国民よりも身分が上であるだけであって、信者でない国民よりも身分が上ではない。つまり、今の政府がやっている宗教は、国民の一部だけでやっている民間宗教と考えればよい。一般の国民(信者でない国民)は今の政府がやっている宗教に入っていないと見なされるから、一般の国民は今の政府に従わなくてもいい。つまり、一般の国民は今の政府に税金を払わなくてもいいし、今の政府の命令を聞かなくてもいい。


[9189] 今の政府がやっている宗教 h21.12.26

赤枠[あかわく]が今の政府がやっている宗教である。
国家宗教であるためには三角形でなければならないから、今の政府がやっている宗教は国家宗教ではない。
今の政府がやっている宗教では、神の同意が得られていない(つまり、私の許可を得てから私を神にしていない)から、宗教団体には神が含まれていない。
民間宗教には必ず神がいるから、今の政府の宗教は民間宗教にも劣る出鱈目[でたらめ]な宗教である。もはや宗教とは言えない。

[9190] オウム真理教地下鉄サリン事件 h21.12.27
宗教団体の中では、政府(幹部)は信者よりも身分が上、神は政府よりも身分が上だから、政府が信者をどうしようが勝手、神が信者や政府をどうしようが勝手である。神や政府が信者を殺したり、信者の財産を奪ってもいい。
しかし、神や政府(幹部)が信者以外の者に手を出すことは許されない。神や政府が信者以外の者を殺傷したり、信者以外の者の財産を奪うことは許されない。
オウム真理教地下鉄サリン事件では、オウム真理教の神である麻原彰晃や幹部がオウム真理教の信者以外の者をサリンで殺傷したから有罪になったのである。
それと同じように、今の政府がやっている宗教は国家宗教ではないから、政府が信者以外の国民を殺傷したり、信者以外の国民の財産を奪うことは有罪である。政府はこれまでにいろんな事故で信者以外の国民を殺傷したし、政府は国民全員から税金を取っているから、政府は有罪である。
信者とは、神に従う意思のある者である。[信者は必ずしも私が神であることを知っていないようである。]しかし、今の国民の大半は神に従う意思などない。政府は信者だけを対象にして宗教活動をしなければならない。
民主主義で、政府が国民よりも“身分が上”と言うのは変である。だから、民主主義では政府は成り立たないのだ。民主主義の世界では政府は存在しないのだ。民主主義では、税金も政令(政府の国民に対する一方的な命令)もないのだ。

[9191] 神とは何か? h21.12.27
神は、科学的にはただの人間または架空の人物である。
神は、神と信者の間の“取り決め”で神であるだけである。つまり、神に従うことを認めた信者がいて、はじめて神なのである。神が神であるためには信者が要る。神が神であるためには少なくても神と信者を合わせて2名以上の人間が要る。
神は神に従う信者がいてはじめて神なのであって、神に従う信者がいなければ神ではない。
神は神に従う信者にとって神であるだけであって、神に従わない者にとっては神ではない。
神は宗教団体の中だけで神なのであって、宗教団体の外においては神ではない。
現代では、神に従うか従わないかは人間個人の自由である。つまり、人間個人が自分が従う神を決めることができる。自分が従う神がいなくてもかまわない。
今の日本では、国民の大半は私に従うことを認めていない。だから、私は日本の神ではない。

[9192] どうして民間宗教に入る人がいるのか? h21.12.27
今の日本の国は、神武天皇や私の神制度によって作られている。
今の日本の国では、出世できた人もいれば出世できなかった人もいる。
今の日本の国で出世できた人は神武天皇や私の神制度に満足だが、出世できなかった人は不満足である。
今の日本の国で出世できなかった人は、「別の神がいれば自分も出世できて幸福になれたのになあ」と思うはずである。
民間宗教は、神武天皇や私とは別の者を神としている。民間宗教は、いわば別の国のようなものである。
だから、今の日本に満足できなかった者が、自分が出世して幸福になるために民間宗教に入るのである。

[9193] 一人制[ひとりせい]より民主制の社会のほうがいい。 h21.12.27
今の日本は私の神制度で作られている。今の日本は私の一人制で作られている。
だから、私と同じ者は出世できるが、違う者は出世できない。
それに対して、神がいない民主制の社会は、大勢の人間で社会が作られている。会社の社長が神様のようなものである。
だから、国民は自分と同じ性格の社長の会社に入れば出世できるので、出世できる機会が多い。
だから、国民にとっては一人制より民主制の社会のほうが都合がいいのである。

[9194] 日本政府は国家宗教の指標[しひょう]である。 h21.12.27
政府は国家宗教をやる機関である。
だから、日本政府があることが、すなわち日本が国家宗教をやっていることである。
日本政府は日本が国家宗教をやっていることの指標(目印)である。
今の日本政府は正式な国家宗教をやっていないが、それでも国家宗教の指標である。
だから、日本政府がなくならないかぎり、日本が国家宗教をやっていないとは言えない。

[9195] 神を決めた者 h21.12.27
今の日本の神は私である(もっとも、正式ではないが)。
だから、今の日本の国は、私に合わせて作られている。
神制度では神に人間を従わせねばならないから、政府は国民を神に従わせる(国民に神と同じことをさせる)ためにいろんな機関(省庁)や会社を作ったのである。
しかし、私が神となったのは、そもそも私を神と決めた者がいたからである。
私を神と決めた者は、一体どんな理由で神を決めることができたのだろうか?
神を決める者には資格が要らないのだろうか?
神を決める者に関する規定はないのだろうか?
神を決めることは一国の運命を決めることだから、神を決める者は責任重大だから、よっぽどの者でなければならないはずである。そんな重大なことをした者が、無名で責任を逃れようとするのは許されることではない。

[9196] 国家宗教は終わりだ。 h21.12.28
政府は国家宗教をする会社である。
しかし、今の政府はきちんと国家宗教をやっていない。今の政府は、神に承認を取ってから神にしていないし、神を国民に公開して国民に神に従うことの承認を取ってもいない。
政府がきちんと国家宗教をやらなかったのは、国民の大半がすでに国家宗教をやめているからである。国民の大半は、第2次世界大戦を国家宗教のある国とない国の戦いと捉[とら]え、国家宗教のある国が負けたから国家宗教が悪いことだと考えて、国家宗教をやめてしまったのだ。日本人は結果オーライなので、とにかく負けたほうが悪いと考えたのである。
国民の大半が国家宗教をやめてしまったら、政府だけでは国家宗教をやることはできない。そんな状況で政府が神を国民に公開したら、政府はすぐに国民に潰[つぶ]されてしまうだろう。
国家宗教は国中のみんなでやるものである。神と政府と国民が一体となってやるものである。
国民の大半が国家宗教をやらなくなったのでは、国家宗教はもはや終わりだ。
政府は国家宗教をする会社だから、政府も終わりだ。
政府が幕府のような“身分制だけの会社”になる前に、政府を叩[たた]き潰しておかねばならない。

[9197] 今の政府はどうして残っているのか? h21.12.28
それは、世界大戦後に、国民が政府が国家宗教をやめたと思ったからである。
日本が戦争に負けて、国家宗教を放棄したと思ったからである。
戦後、日本政府は国家宗教をやるのをやめたから、国民は政府を残したのである。
戦後20年間は、たしかにそうしていた。
しかし、その後、日本がアメリカの占領を解かれると、再び政府は神を神武天皇から私に代[か]えて国家宗教をやり始めた。今の日本政府は、国民にわからないように密[ひそ]かに国家宗教をやっている。
それは、やはり政府が国家宗教をやる会社だからである。
今の政府は、日本をもとの国家宗教をやる国に戻そうとしているのである。
政府が国民よりも身分が高い者であるためには、政府はどうしても国家宗教をやらねばならないので、政府は国家宗教をやろうとしたのである。政府は自分の身分を上げるために、国家宗教をやっているのである。
今のところ政府は国家宗教を密かにやっているが、国民の様子を見ながらそのうち公[おおやけ]に国家宗教をやろうと企[たくら]んでいるのである。かつて政府が室町時代からゆっくり時間をかけて武家制の江戸時代に変えたのと同じことである。
日本政府が司法機関[と日本社会を自分が作った法律で支配しない程度の立法機関]だけになるなら、日本は民主化への道を辿[たど]っているが、今の日本政府には要らない機関がぞろぞろ付いているから、今の日本政府はいまだに国家宗教をやり続けている。
今の日本国民の大半は国家宗教をやってはいけない悪いことだと考えている。第2次世界大戦において、国家宗教のある国が国家宗教のない国に負けたからである。理論的に考えてみても、国家宗教は神制度と身分制度のふたつから成り、神制度は神の一人主義の国を作ることであって国民にとっては役に立たない制度であり、身分制度は国民にとって明らかに不利な制度だから、国民にとって国家宗教はやるべきではない。だから、今後政府が国家宗教をやり続けるなら、国民は政府を倒さねばならない。

[9198] 国家宗教は戦争のもと h21.12.28
国家宗教のある国では、政府は国民よりも身分が高いから、国民は政府のオモチャである。
国家宗教のある国では、政府が国民を好き勝手に戦争に行かせることができる。
だから、19〜20世紀において、国家宗教のある国の政府が国民を出征させて、近所の国を征服し始めたのである。
それに脅威[きょうい]を覚[おぼ]えた国々が、国家宗教のある国を滅ぼすために一致団結して世界大戦を起したのである。

[9199] 政府を潰[つぶ]せ! h21.12.28
政府は国家宗教をやる機関である。政府が司法機関だけでないのがその証拠である。政府が国民から税金を取ったり、国民を事故で殺したりしているのがその証拠である。[司法機関は、保険会社みたいに司法機関を利用するための“保険金”を国民から取って経営すればよい。保険金が高すぎると国民は入らない。保険金の金額を上手に決めると、たくさん国民が入る。医療保険制度がやっていけるなら、たぶん司法保険制度もやっていけるだろう。]
ところが、今の政府は神を国民に公開しておらず、国民(信者を除く)は日本が国家宗教をやっていることを知らないから、国民は信者ではない。
だから、国民は政府よりも身分が下ではない。
したがって、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府に税金を払わなくてもいいし、事故で殺されなくてもいい。
そもそも国家宗教のない時代に国家宗教をやる機関があることがまちがっているのである。名字帯刀[みょうじたいとう]が禁じられている時代に、腰から刀を下[さ]げて往来をぶらつくようなものである。
国家宗教をやる機関(つまり政府)が公[おおやけ]に国家宗教をやりだす前に、国家宗教をやる機関が密かに国家宗教をやっているうちに、国民の手で国家宗教をやる機関を潰すべきである。

[9200] 国家宗教は不景気の原因である。 h21.12.28
国家宗教のある国では、政府が国民を神に従わせる(国民に神と同じことをさせる)ために、政府が国民に神と同じことをさせるための機関(省庁)や会社を作っている。
つまり、国が神一人に合わせて作られている。
だから、神と同じことをする会社がたくさん出来て、神と違うことをする会社は出来ないことになる。
これでは、産業が偏ってしまう。自由競争の原理から外[はず]れてしまう。
だから、経済に無駄や不足ができて、国が不景気になるのである。


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