[9001] 政府の催眠術 h21.11.20
いつの時代にもどの国においても、政府よりも国民のほうが強い。
だから、政府は直接に国民を支配しようとはせずに、行政すなわち国民が政府に従わねばならないと思わせる宣伝をして、国民を政府に従わねばならないと騙[だま]して、国民を政府に従わせているのである。
行政は政府の国民に対する洗脳である。政府は国民を催眠術にかけて政府に従わせているのである。私が小学2年生の時、授業中に校長室に呼び出されて6〜8人の背広の男から日常生活について簡単な質問をされた後で、糸をつけた5円玉の振り子を見せられたのは、日本政府が行政をして日本国民に催眠術をかけていることを私に教えるためだったと思われる。
政府が行政をやらない自然状態においては、国民は政府に従わないのである。政府の正体は国民の役に立たない要らない会社だから、国民は自分の意思だけでは政府には従わないのである。
国民もいつまでもウジウジと政府に従っていないで、政府に従いたくないならないとはっきりと主張すべきである。
国民は政府よりも強いのだから、国民が本気を出せば政府なんかひとたまりもないのである。
[9002] 政府に入る h21.11.20
国民が政府に入ろうが入るまいが国民の自由である。
政府に入ると、税金を取られて嫌な命令を聞かねばならない。政府に好き勝手にオモチャにされるだけで、得になることは何にもない。だから、政府に入らないほうが、国民にとっては有利である。
国民みんなが政府から抜けて、政府のない国を作ればいいのである。
その後どうするかは、国民の総意によって決めればいいことである。
[9003] 国民を管理する機関 h21.11.20
行政とは、国民を管理する機関に国民が従わねばならないと宣伝をすることによって、国民に国民を管理する機関に従わねばならないと思わせることである。
国民を管理する機関に“権力”(国民を一方的に支配する力)を与えるのは、行政である。
だから、国民を管理する機関は行政はやらなくていい。
国民を管理する機関は司法と立法だけやればいい。
人間社会をより善いものにするには立法機能があったほうがいい。
国民を管理する機関が立法したからと言って、国民を管理する機関が“権力”(国民を一方的に支配する力)を持つことにはならない。
なぜなら、立法は国民全体を幸福にしなければならないからである。
国民全体を幸福にしない法律はあとで捨てられるからである。
国民を管理する機関が行政をしなければ、国民と国民を管理する機関とは対等だから、国民が国民を管理する機関に自由に文句をつけることができる。
法律に詳しい者が法律を考えて作ればいい。
地方都市で実験的にその法律を施行[しこう]してみて、10年ぐらい様子[ようす]を見て、それで調子がよければ、全国的に大々的[だいだいてき]にやればいい。
物理学の法則のように、法律にはその法律を定めた者の名前を付けておくといい。
そうすれば、あとで法律がまちがっていた(国民全体を幸福にしない)ことが判明した時に、その者に相応[そうおう]の責任を取らせることができる。
[9004] 自由制 h21.11.20
国民を管理する会社に入ろうが入るまいが『個人の自由』とする。
複数会社があってもいい。
国民を管理する会社には立法と司法の機能があればいいだけである。行政はいけない。
国民が入って得をする会社なら国民は入るだろうし、得をしない会社なら入らないだろう。
それで、当分の間様子を見ればいいだろう。
[9005] 司法サービスセンター h21.11.20
国民にとって必要なのは、自分の安全な暮らしを守るためにいざこざが起きた時に相談できる“司法サービスセンター”があることだけである。
だから、犯罪にあった者は司法サービスセンターにお金を出して相談できるようにすればいい。
しかし、それではお金が高くつくから、医療保険制度と同じように、保険制にしてみんなで分担すればいい。保険費が安ければ入る人が増えるだろう。
立法機関は作らずに、個人の社会学者が法律を個人的に研究する程度でいい。
立法は国民全員が自分でやるから、あえて立法機関は作らなくてもいい。
[9006] 警察は要る。 h21.11.21
犯罪者は10万人に1人ぐらいしかいない。日本全体でも1000人ぐらいしかいない。
国民が1人[ひとり]当たりひと月1000円(1日30円ぐらい)ぐらい出せば、警察は用意できる。
それで、ひとまずは安心できる。お金をケチりすぎるとかえって高くつくから、この程度は勘弁[かんべん]して欲しい。
月に1000円では、警察が行政をする余裕がない。そこが狙[ねら]いである。
警察は自由加入制とする。警察に入っていれば、警察に仕返しサービス(刑法の適用)を頼めるが、警察に入っていなければ、犯罪にあっても泣き寝入りをしなければならない。[あるいは、国民が自分自身で仕返しをすればいい。それならお金がかからない。]それで、警察が潰れるようなら、警察は最初から要らなかったのである。現代は国民主権の時代だから、国民が警察を要るか要らないかを決める資格がある。[これまで警察が強制加入制だと思わせていたのは、警察が政府の権力に縋[すが]っていたからである。警察は人気がない仕事なので、自分が生き残るために、政府の傘[かさ]に入っていたのである。政府にとっても自分の権力作りのために警察が利用できそうなので、警察が自分の傘に入ることを許したのである。警察以外にも、政府の行政(権力作り)にとって役に立つと思われる会社(下図参照。他[ほか]には、神制度をやるためのマスコミ産業など)は政府の傘の下に入れるわけである。政府が国民から税金を取って、政府の傘下[さんか]にある、国民にとっては何の役にも立たない“要らない会社群”(下図参照)が政府からお金をもらって食わせてもらっているのである。しかし、政府に権力がないことがわかった今となっては、もはや警察は政府に頼ることはできないのである。]
警察以外のことに関しても、すべて個人の自由ということにする。そのほうが、『新しい世界が来た』という感じがして、いいじゃないか。
政府がこれまでにやっていたことは、すべて政府主義の歪[ゆが]んだ世の中を作るための工作である。[政府は国民に偉いと思わせて偉いだけだから、本当は偉くないのである。だから、政府主義の世の中は成り立たないのである。]そんなことのために、これまで国民は政府に高い税金を払っていたのである。国民も政府に無駄なお金をかけるのをやめて、もっと自分のために有効にお金を使うべきである。
![]() |
[平成22年1月22日追記)今にしてみると、これらの会社は政府が自分の権力作りのために作ったのではなく、政府の権力は神制度に伴う『身分制』から出て来るのである。政府の傘下にある会社は、政府が自分の権力作りのために作ったものではなく、政府が『神制度』によって国民に神と同じことをさせるために作ったものである。]
[9007] 警察は要るか? h21.11.21
警察は制服を着て街中[まちなか]に立っていればいいだけである。
泥棒に盗られたお金や物は戻らないし、殺人犯に殺された人は生き返らない。[泥棒の中にはイタズラ報告が混じっているかもしれない。]
だから、警察は犯罪防止が主[おも]な仕事である。
日頃危ない場所をブラブラすることが多い人はお金を払って警察官に立って欲しいかもしれないが、私のように危ない場所に行かない人はお金を払ってまで警察官に立って欲しいと思わないだろう。
犯罪防止のためには、警察よりもテレビや本などによる国民に対する道徳教育のほうが大事だろう。
つまり、警察はやっても仕方がない仕事なのである。形の上でやっているだけで実質的には何もならない仕事である。政府に付属の仕事はみんなそんな仕事である。
[9008] 警察保険に入るべきか? h21.11.21
泥棒に盗られたお金や物はまず戻ってこない。泥棒の逮捕率も高くない(20%ぐらい)。たとえ泥棒が捕まったとしても、盗られたお金や物は泥棒が使ってしまって戻ってこない。
だから、警察とは、要するに殺人犯に対する復讐サービスである。
幸いながら、殺人犯に対する逮捕率は日本の警察は高い(95%ぐらい)。
だから、警察保険は殺人犯に対する復讐のために払うお金である。
殺人事件は、日本では年間1000件ぐらいである。月に100件ぐらいである。つまり、国民1人当たり月に殺される確率は100万分の1ぐらいである。
仮に自分が殺人犯に殺されたとして、自分を殺した殺人犯に復讐すると“1億円分の喜び”が得られるとすれば、国民全員が警察保険に入っているとした場合、1億円×100万分の1=100円出せばいいことになる。警察保険費が月に1000円だとすると、保険費が割高[わりだか]ということになり入らないほうがいいことになる。よっぽど“復讐がうれしい者”以外は警察保険に入らないほうがいいようである。
[9009] 貿易について h21.11.22
大量生産が一般的となった現代においては、ひとつの商品については生産者よりも消費者のほうがはるかに多い。
だから、『多数決の原理』によってつねに生産者よりも消費者が優位に立つ。
したがって、貿易は自由化される。経済調節機関には誰も従わない。[「政府の経済調節機関が国内産業を守るために日夜働いている」という社会科の教科書の記述は全部嘘である。実際には、経済調節機関は消費者の力の前には何もできず何もやっていない。実際には、政府の関税の障害を突き破って貿易が行われている。つまり、政府は国民から税金を取っている以外は実質的には何もやっていないのだ。だから、国民にとって政府は潰れてもかまわないのだ。]
しかし、商品の鮮度が物を言う産業については貿易とは関係がない。それらの産業については、貿易が自由化されても安泰[あんたい]である。
[9010] 大企業はまちがいを国民に押し付けてはならない。 h21.11.22
大企業が資本力を傘[かさ]に着て国民にまちがいを押し付けてはならない。
それでは、自分に権力(他人を従わせる力)がないのに権力があることにしている政府と同じだ。[政府は背後の麻薬組織がなければ弱いものだ。これまで国民が政府に頭を下げてきたのは、政府の背後の麻薬組織に資本力があったからだ。]
大企業も日本政府と同じように、国民は大企業に従わなければならないと思わせる宣伝をして、国民を大企業に従わせようとするだろう。大企業も政府と同じやり方をするだろう。[例えば、アニメによく出て来る“お金持ちの取り巻き3人組”のように、大企業がいくつかの企業にお金をやって自分に従う芝居をさせて、国中の企業が大企業に従わねばならないように思わせているのだ。大事なのは、自分が他人に従って自分が得をするかであって、自分が他人に従うこと自体ではない。人間はつねに自分が得をすることを目的としなければならないのであって、他人に従うことを目的としてはいけない。]
実力で成長した会社は真実を大事にしなければならない。
実力で成長した会社が他人に嘘[うそ]を押し付けると政府と同じ結末になる。
実力で成長した会社が嘘をつくと会社の信用をなくすだけだ。
金持ちに馬鹿息子が多いのは、金持ちの息子が真実よりも金を大事だと考えるからだ。人間はお金さえ持っていれば、真実を持たない馬鹿でもいいと思っているからだ。
それは、馬鹿息子ならではの油断だ。
実在の中における人間は根本的には真実で支えられているのであって、お金で支えられているのではない。
人間にとっては金よりも真実のほうが大事だ。
だから、金だけあって真実のない者は軽蔑される。
真実を馬鹿にする者は真実に泣くのだ。
人間は実在の中に住んでいる一匹の生物にすぎない。
人間にはまちがった世界を作り出すほどの力はない。
どんなに金持ちでも実在とは別の世界を作り出すことはできないのだ。
どんな貧乏人でも真実を考える頭はある。
金持ちはお金で勝[まさ]っているだけで、真実で勝っているわけではない。
人間を馬鹿にする者は人間に泣くのだ。
[9011] 国民は政府に税金を払うな! h21.11.22
政府が国民から税金を取れるのは、国民が政府に従わねばならない場合だけである。
しかし、実際には、国民が政府に従わねばならないことはない。政府は教科書やテレビや新聞や雑誌などで国民が政府に従わねばならない宣伝をして、国民に自分が政府に従わねばならないと思わせているだけである。そんな幼稚な手に引っ掛かる国民のほうが馬鹿だ。政府が国民から税金を取る正当な理由はない。国の中にあるひとつの会社が、国民全員から強制的にお金を取ることがまちがっている。国の中にある会社はすべて国民一人一人の自由意志によって経営されていなければならない。
つまり、政府は強制加入制ではなく、自由加入制だということだ。国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由と言うことだ。
だから、国民は政府に税金を払う必要はない。どうしても政府に税金を払いたい者だけが政府に税金を払えばいいだけだ。いくら政府に税金を払ったところで、国民にとっては何も得になることはないが。
いつまでも政府中心のまちがった世界に頼[たよ]って、はやく国民中心の正しい世界を作ろうとしない国民も怠慢[たいまん]だ。国民は自分の考え方を少し変えるだけでいいから、簡単なはずだ。
[9012] 政府と民間会社 h21.11.23
国民が政府に消費者として入れば政府の命令を聞かねばならないように、国民が特定の会社に会社員として入れば会社の命令を聞かねばならない。その点は、政府も民間会社も同じである。
政府と民間会社の違う点は、国民が政府に入ると国民が政府に税金を払わねばならないのに対し、国民が民間会社に入ると国民が会社から給料をもらえる、つまり会社が国民に給料を払わねばならないことである。
つまり、政府では政府と国民が不平等であるのに対し、民間会社では会社と国民(従業員、社員)が平等であると言える。政府は“サービスがない会社”であるとも言える。
もっとも、政府に入るか入らないかを決めるのは国民の自由である。民間会社に入るか入らないかを決めるのも国民の自由である。
民間会社が自分の会社の商品を買わねばならない宣伝をするように、政府は国民が政府に入らなければならない(従わねばならない)宣伝をしている。しかし、実際には、民間会社の商品を買おうが買うまいが国民の自由であるように、政府に入ろうが入るまいが国民の自由である。民間会社がテレビで商品のコマーシャルをやっても国民に押売りができないように、政府がいくら行政をやっても国民を無理やり政府に入らせることはできない。
国民が政府に入ると政府が得をするから政府には定員がなく政府に入るには試験はないが、国民が民間会社に入りすぎると民間会社が損をするから民間会社には定員があり民間会社に入るには試験がある。
[9013] 政府は民間の宗教団体である。☆ h21.11.23
政府には国民を強制的に政府に入れる権力はない。
その点では、政府も民間の宗教団体も同じである。
だから、政府は民間の宗教団体である。
民間の宗教団体が独自の法律を定めているように、日本政府も独自の法律を定めている。それは、日本社会に一般に通用している法律とは違っている。つまり、宗教団体が宗教団体に入っている信者を好き勝手にしている(例えば、全財産を取ったり、殺したりする)ように、日本政府も政府に入っている国民を好き勝手にしている。だから、政府に入っている国民は注意しなければならない。
[9014] 政府の強制加入制は不当である。 h21.11.23
民主主義とは国民の自由を認めることである。民主主義とは、国民一人一人の意思によってすべてを決めることである。
だから、政府が強制的に国民を政府に入らせることは民主主義に反している。政府はしょせん国の中にあるひとつの会社にすぎない。そんなちっぽけな会社が国民全体のことを決めるのは行き過ぎである。政府が国民のことを決めるのは「少数決」であり、『多数決の原理』に反している。
政府に入るか入らないかは国民一人一人の意思によって決めるべきことである。政府が要るか要らないかを決めるのも国民一人一人の意思である。民間会社の商品を買うか買わないかは個人の自由であるように、政府に入るか入らないかも個人の自由であるべきである。
それで、国民みんなが政府に入らなければ、政府は最初っから国民にとって要らない会社だったのである。
政府はつねに自分に強い権力(他人を従わせる力)があると主張しているが、その根拠は何もない。フェルマーの大定理に証明がなければ正しい定理とは言えないように、根拠がなければ政府に強い権力があるとは言えない。それでは、政府はただの誇大妄想狂の会社だ。だから、政府には本当は権力がないのである。したがって、国民は政府に従わないのが正解である。強[し]いて根拠があるとすれば、それは政府が行政をして国民が政府に従わねばならないと国民に思わせて国民を騙[だま]しているからだが、政府が国民を騙していることにすでに気付いている国民も少なくないから、このやり方ももはや効かない。
これで、ようやく政府中心の異常な世界から国民中心の正常な世界に戻ることができたわけである。
政府が本当に国民の役に立つ会社なら、自由加入制にしてもやっていけるはずである。たとえ国民全員が入らなくても、政府が経営できる程度に入ってくれればそれで十分ではないか。たとえ定期で税金を払っていなくても、必要な時だけ有料で政府のサービスを利用できるようにすれば、国民にとっても困ることはないから、かえって経営がうまく行くかもしれない。
[9015] 要らない会社 h21.11.23
政府は行政で国民に政府が要る会社だと思わせているだけである。
実際には、政府は要らない会社である。
政府は要らない会社だからこそ、行政で要る会社だと思わせなければならないのである。
行政のために国民の税金の大半が費[つい]やされているのである。[行政とは宣伝であり、宣伝とは国民のイメージを操作することである。]
[9016] 洗脳[せんのう] h21.11.23
ある宗教団体が信者を洗脳して言いなりにしている話はよく聞くことである。
それを政府に当てはめればいい。
国民は毎日テレビや新聞や雑誌を見ているから、それらを利用すればいい。
国中で洗脳すれば、国民を政府の言いなりにできる。
それが政府の行政の実体である。政府は行政で国民を政府に従わなければならないと思わせたり、政府を要る会社だと思わせたりしているのだ。政府は真実と反対のことを国民に吹き込んでいるのだ。
[9017] まちがいは面白いことではない。 h21.11.23
国民の中には政府を面白いと思っている者がいる。
そういう者は、世の中にまちがいがあるのを面白がっているのである。
つまり、偉くない者が偉そうにしているのを見て面白がっているのである。
私は世の中にまちがいがあるのを面白いとは思わない。他人がまちがったことをしているのを面白いとは思わない。第一、傍迷惑[はためいわく]になる。本人自身もあとで失敗して困る。だから、できれば世の中にはまちがいがないほうがいいと思っている。
マンガが面白いのは、心で面白いと思うことを描[えが]いているからであって、まちがい自体が面白いわけではない。いくらマンガでもまちがいを描いただけではギャグにはならない。
政府がギャグで(冗談で)偉そうにしているならまだしも許せるが、本気で偉そうにしているから許せない。政治家が偉そうにしているのを見ても面白いとは全然思わない。むしろ偉そうにしている者が痛い目にあったほうがずっと面白い。
[9018] 偉そうにしても仕方がない。 h21.11.23
偉そうにするとは、他人に自分に従えと命令することである。
しかし、他人に従おうが従うまいが個人の勝手である。
だから、いくら偉そうにしても、偉そうにしている者に他人が従うとは限らない。
会社の命令に社員が従うのは給料と交換だから仕方がないし、政府の命令に国民が従うのは政府の行政に騙[だま]されているのだから実際には従わなくてもいい。つまり、この世には、自分が他人に一方的に従わねばならないことはないのである。
人間は真実にすら従おうが従うまいが勝手である。
しかし、真実に逆[さか]らうと後で自分が痛い目にあうので、真実には従ったほうが無難[ぶなん]である。だから、真実は知って損をすることはない。真実は知る価値がある。
[9019] 国民は馬鹿をやめろ! h21.11.23
政府は普通の人間である。
政府に行政で自分が政府に従わなければならないと騙[だま]されている国民が普通の人間以下の馬鹿なのである。
つまり、この世には人間よりも上の権力者がいるわけではなく、人間よりも下の馬鹿がいるだけである。
だから、国民が自分が政府に騙されていたことを知り馬鹿をやめれば政府と対等になるのである。
だから、今後は国民と政府は対等なのである。今後は政府は国民を一方的に従わせることはできない。
[9020] 政府の自由加入制は無政府主義である。 h21.11.24
私は無政府主義にしろと言っているのではない。
政府が政府をやろうが政府をやめようが政府の勝手だからである。
ただ、国民が政府に入ろうが入るまいが国民の勝手なので、政府を自由加入制にしなければならないと言っているのである。
しかし、政府を自由加入制にすると、政府に入る者がいないので、次の年には政府がなくなっているから、実質的には無政府主義と変わらない。
警察についても、警察が政府から独立して民営化したら、警察に入る者がいないので、警察もすぐに潰れてしまうだろう。
[9021] 司法機関について h21.11.24
たとえ警察が要らなくても、司法機関は要りそうである。
だから、司法機関が必要だと考える国民がお金を出しあって司法機関を作って経営すればいい。
日本は訴訟が少ないから、たぶん暇だろう。お金はあまりかからないだろう。税金みたいに国民全員からお金を取らなくても、司法機関の経営に必要なだけのお金が集まれば十分である。司法機関を利用したい客(国民)からお金を取って経営してもいいだろう。犯罪者に復讐する喜びのある国民ならお金を出してでも利用するだろう。犯罪者を罰する喜びのある人が集まった財団がお金を出してもいいだろう。犯罪者を罰することは善いことだから、司法機関にお金を出してくれる国民も大勢いるだろう。司法機関の経営さえ成り立てば、司法機関にお金を出さなかった人でも被害にあえば司法機関を利用することができる。
それでも司法機関が潰れてしまったら、実際には司法機関は要らなかったということがわかる。そもそもは犯罪者をなくすことが一番大事なことである。
司法機関を残すか潰すかは、国民みんなが決めることである。司法機関を残すか潰すかは、成り行きまかせで決めるしかないだろう。
[9022] 日本人は眼で見るだけで頭で考えない。 h21.11.24
日本人が“眼で見るだけで頭で考えない”のは、そのほうが政府が国民を洗脳するのに都合がいいからである。政府が偉そうな態度をしているだけで、国民が政府を見て本当に偉い人(自分が従わねばならない人)だと思うからである。
だから、最近政府は日本を“眼で見るだけで頭で考えない”文化に改造しているのである。
子供に受験勉強ばかりさせて自分で考える暇を与えないのもそのためである。
日本の俳句や和歌が短いのも、政府が国民に言葉を使って長々[ながなが]と考えさせないための工夫である。
[最近の人間はすぐに見た眼がどうのこうのと言うが、そんな人間に対する見方がそもそもふざけ切っている。テレビの見すぎだ。人間をそういう“馬鹿の目”でしか見れない者が悪い。人間を眼で見るだけで頭で見ることができない無教養な者が悪い。]
[9023] 官僚制の長所 h21.11.24
今の世の中が政府を頂点とする官僚制なのは、世の中を官僚制にしたほうが、みんなが‘優[すぐ]れた人間’を目指して努力するからである。
というのは嘘[うそ]で、じつは官僚制ではただ威張るだけしか能[のう]がない“空威張り馬鹿”が増えるだけである。
官僚制の社会は権力で支えられているのであって、実力で支えられているのではない。
肩書き制(権力制)の世の中をやめて、実力に比例して出世できる世の中を作って欲しいものである。
[9024] 『裸の王様』 h21.11.24
王様は、政府のことだ。[キリストのことではない。]
王様が着ている“馬鹿には見えない立派な服”とは、権力(他人を従わせる力)のことだ。二人の仕立て屋も政府のことだ。
子供が王様が裸に見えたのは、子供は政府に洗脳されていないから政府に権力がないことがわかったということだ。
『裸の王様』は誰でも知っているおとぎ話である。
それなら、日本でも、大[だい]の大人が政府に従ったりしてはいけない。
[9025] 学問の心 h21.11.25
学問とお金儲[もう]けとは関係ない。
学者に金欲が強い者は一人もいない。
学者がお金が儲かるようにしたら、たいていの学者は学者を辞[や]めてしまうだろう。
学問は金欲を満足するためではなく、知覚欲を満足するためにあるからだ。
お金儲けに興味があるのは、知覚が働かなくなった馬鹿だけだ。人間の落伍者[らくごしゃ]だけだ。
人間にとっては『考える気持ち』が大事だ。『考える気持ち』をなくした者は、もはや形だけの人間にすぎない。
人間社会が進歩したのは、社会を馬鹿に合わせたのではなく、利口に合わせたからである。人間が馬鹿に従ったからではなく、利口に従ったからである。
人間社会を馬鹿に合わせたら、いまだに原始時代のままだ。人間が猿に戻るだけだ。
だから、頭がいい者を出世させて有利にするのはいいことだ。
しかし、学問とお金儲けとは関係ない。
しかしながら、せめて学者には自立して生きていける程度の生活は保障して欲しいものだ。
ちなみに、私は学者ではない。
『正しいことを考えた』だけで出世できたら便利なのだが。
[9026] 正しい者は威張らない。 h21.11.25
まちがった者が幅を利[き]かせる社会なんて暗い。
正しい者が威張[いば]ってくれればいいがなかなかそうしそうにない。
まちがった者が威張るのは、威張らないと生きて行けないからだ。他[ほか]に取り柄[とりえ]がないからだ。
正しい者は正しいことがすでにひとつの取り柄だから、威張らないのだ。
だから、国民一人一人がまちがった者ではなく正しい者に従うようにすればいいのである。
[9027] 私が政府に従わない訳[わけ] h21.11.25
私が政府に従わないのは、政府よりも実在のほうが絶対的だからである。
人間は政府に従わないことはできるが、実在に従わないことはできない。
人間は実在には逆[さか]らえないのだ。
政府自身ですら実在には逆らえない。
だから、人間は政府なんか放[ほう]っておいて、ひたすら実在に従うようにすればいいのである。
政府の作り事なんか真[ま]に受けずに、実在における真実だけを考えればいいのである。
[9028] 国民は強い、政府は弱い。 h21.11.25
国の中では、政府はちっぽけなひとつの会社にすぎない。
だから、政府も国民にはかなわない。
だから、政府も国民には従わねばならない。
そこで、政府は頭をひねって国民を騙[だま]すことにした。
政府は国民に政府に従わねばならないと思わせる宣伝をして、国民を政府に従わせたのである。
しかし、国民もそういつまでも馬鹿のままではない。
最近になって、国民は自分が政府に騙されていることにようやく気がついた。
だから、今後は国民が政府に従わねばならないのではなく、逆に政府が国民に従わねばならないのだ。
政府に入るか入らないかは、国民一人一人の意思で決めることである。政府が強制的に国民を政府に入らせるのではなく、政府に入るか入らないかは国民一人一人が自由に決めることである。
いまや政府もそこら辺の民間会社と同じなのだ。
国民が政府を倒した国になど、外国の政府も怖がって近寄ろうとしないだろう。
政府の時代は終わったのだ。
[9029] 最近の女はなってない。 h21.11.25
最近の女は仕事をしてお金を儲[もう]けて物を買う喜びしかない。
どうして最近の女は家庭に入って自分の子供を育てることを喜びにしないのか?仕事をするのが本当に幸福なのか?どうして幸せそのものはお金では買えないと思わないのか!?
どうして女が男のように出世を喜びにしなければならないのか?男の目から見たら、出世した女なんて実力のないのがミエミエである。[どうやって出世したのかわからないが。]
人間社会が男中心に出来ているのは、そもそも男が仕事向きに出来ているからである。
男はいくらお金を儲けても、自分の身体の外にある物で自分の価値を付けたりはしない。
日本に犯罪が少ないのは、日本人が自分の身体の外にある物に価値を置かず、他人から盗る物がないからである。
最近の女が馬鹿みたいな生き方をしているから、今の社会がどんどんくだらない方向に向っているのだ。
女も周[まわ]りの人間の言いなりになって生きるのではなく、本当に自分にとって幸福な生き方をしてもらいたい。
喜びそのものは眼に見えない物である。眼に見えることにこだわるのは馬鹿だ。
いい歳[とし]をした大人が“みんながやっているから自分もやる”ではいけない。国民が政府に従っても何の得にもならないのに政府に従っているように、女が男と同じ仕事しても楽しくないのに仕事をしている。他人に洗脳されるだけで自分で考えない者は幸福にはなれない。
女が男と同じ仕事をして幸福になれるのは例外であって、普通は家庭に入って子供を育てたほうが幸福になれるはずである。
現代では女が男の仕事を“してもいい”のであって、女が男の仕事をしなければならないのではない。女が男の仕事をしようがしまいが女の勝手だが、女が男の仕事をしたからといって男のように幸福になれるとは限らない。
ともかく、何でも個人の自由にやれることは善[よ]いことである。女が男の仕事をしてもいいように、国民は政府に従わなくてもいい。それが現代社会の常識である。
[9030] 会社にも女を雇わない自由がある。 h21.11.26
女がどんな仕事に就[つ]こうが女の自由である。
しかし、いくら女だからと言って、自分が無能なのに有能だと嘘をつく自由まではない。それは実在に反することだからしてはいけない。[反対に、有能な女を無能だと言うのも実在に反するからいけないことである。]
女は自分が首にならない程度のギリギリの仕事をイヤイヤするだけである。
女を雇った会社も競争で他社に負けたら潰れるかもしれない。
女は仕事ができなくても家庭に入れば生きていける。むしろ、そのほうが女にとっては幸福だろう。
だから、会社には無能な女を雇わない自由もある。会社は女性社員を雇わないでもかまわない。男だけ雇った会社のほうが女と男を雇った会社よりも強ければ、会社は女を雇わなくなるだろう。今一時[いまいっとき]は会社が女性社員を雇っていても、将来は再び雇わなくなるかもしれない。
実際には、女はたとえ会社に拾[ひろ]われても男とは違う仕事を与えられるようである。それでは、真の意味での男女平等ではないが、たいていの女にとっては給料がもらえればいいだけだから、それで十分なのだろう。もともと女はおとなしいから、それで文句を言うこともない。
[9031] 人間社会はどうして前進したか? h21.11.26
人間社会が前進したのは、人間社会が馬鹿ではなく利口に合わせたからである。
人間社会は馬鹿に合わせたら後退し、利口に合わせたら前進する。
一般に、女は男よりも馬鹿である。
これまでの人間社会が男に合わせてきたから人間社会は前進してきたのである。
ところが、最近の人間社会は男よりも女に合わしている。
そのために、人間社会ははやくも後退している。女は、人間の価値を外見で決める。実力で勝負せずに卑怯[ひきょう]な手ばかり使いたがる。眼先の判断ばかりで知覚を使って考えない。
人間社会が男よりも女に合わせるようになったのは政府の陰謀[いんぼう]である。
政府は自分にとって支配しやすい社会にするために、馬鹿で他人の言いなりの女中心の社会を作ろうとしているのである。つまり、女中心の社会を作ることも行政のひとつなのである。
[9032] どうして戦後の日本は調子がよかったのか? h21.11.26
アメリカが中国に対する資本主義の宣伝のために日本を持ち上げていたからである。それで、GNPが世界第1位だったのである。
今の日本が調子が悪いのは、アメリカが日本を持ち上げなくなったからである。
アメリカが資本主義の宣伝をして資本主義の国を増やそうとするのは、アメリカが世界を牛耳[ぎゅうじ]るためである。
アメリカの豊かさに憧[あこが]れて資本主義国になった国も、実際に資本主義国になってみると、アメリカの命令を聞かねばならず、自分が損をするだけで豊かにはなれず、アメリカに騙[だま]されたことがわかって、資本主義国になるのをやめたのだ。資本主義で豊かになるのはアメリカだけであって、その他の国ではないのだ。[[9010] の赤字参照。つまり、政府が国民よりも上になって得をするように、大企業が企業の上になって得をするように、アメリカは外国の上になって得をしようとしたのだ。]
最近は世界中の国にアメリカのやり方がバレたので、アメリカもアメリカ中心の世界を作るのを諦[あきら]めたようである。
戦後の日本が調子がよかったのは日本の実力ではない。だから、日本が油断して私の神制度をしたり女中心の社会を作ったりして余計なことをする余裕はない。
[9033] 概念のある世界 h21.11.26
ニュートンが『力』(つまり、物体の等速直線運動を妨げる物)の概念を付け足して『力』のある無矛盾な世界を構築した。
それが実在の世界だった。
私が『感覚』(つまり、自分が感じること)の概念を付け足して『感覚』のある無矛盾な世界を構築した。
それも実在の世界である。
その世界では、性欲や麻薬欲がいけないことがよくわかる。テレパシー(幻聴)が実在することもよくわかる。
私が『行政』(つまり、政府が国民に国民が政府に従わねばならないと思わせることによって、国民を政府に従わせること)の概念を付け足して『行政』のある無矛盾な世界を構築した。
それもまた実在の世界である。
その世界では、国民が政府に従わなくてもよいことがよくわかる。神制度は、行政のひとつの手段である。政治とは、政府が国民を騙[だま]して国を治めることである。政[まつりごと]とは国民を騙すことである。だから、政治家は人を騙すタヌキに喩えられるのである。
[9034] 偉さとは何か? h21.11.27
偉い人とは自分が従わねばならない人のことである。
人間は実在についての真実に逆[さか]らうことはできるが、あとで自分がまちがいを犯して自分が痛い目にあうだけである。
だから、実在について正しいことを言う人には従わねばならない。正しいことを言う人は偉い人である。
あと、会社に入っている人は会社の命令には従わねばならないから、会社の上役[うわやく]の人も偉い人である。
他[ほか]には、自分が従わねばならない人はいないから、偉い人はいない。
[9035] 政府は行政をやる機関である。 h21.11.27
行政とは、教科書やテレビや新聞や雑誌などを使って、国民が政府に従わねばならない宣伝をして、国民を政府に従わねばならない気持ちにさせて、国民を政府に従わせることである。
政府は行政をやる会社である。政府は行政をやって、国民を政府の言いなりにして、国民に税金を払わせたり、政府の命令を聞かせたりしている。
立法と司法は政府のオマケである。政府は立法や司法をいやいや仕方なくやっている。
政府が立法と司法をオマケにやっていることも卑怯[ひきょう]だし、行政をやること自体も卑怯である。
政府にとっては日本の法律なんかどうでもいい。政府にとっては国民は政府の言いなりであり、政府の好き勝手にし放題のオモチャにすぎない。
政府がそんなつもりなら、国民は政府から独立してやっていく。
国民全員が立法機関である。国民でお金を出し合って司法機関を作る。[これまでだって立法機関は国民だった。そうでなければ、いまだに国民は政府の奴隷であって基本的人権なんかできるわけがない。]
もはや政府は国民にとって要らない会社である。
[9036] 騙[だま]す気にもなれない。 h21.11.28
政府の国民に対する騙し方が、もうちょっと難しければ、私も政府の側に回って政府といっしょに国民を騙したかもしれない。
しかし、政府の騙し方があまりにも容易すぎる。易しすぎて面白くない。
これでは、さすがの私も騙す気にもなれない。
だから、私は国民といっしょに政府を潰すことにする。
[9037] 政府は行政をやる機関である。 h21.11.28
政府は行政をやる機関である。
行政とは、政府がいろんなマスメディアを使って国民に政府を国民よりも上の者だと思わせる宣伝をして、国民に政府を国民よりも上の者だと思わせて、国民を政府に従わせることである。
政府にとっては立法も司法も行政の手段である。つまり、議会や警察は、政府が国民に政府が国民よりも上の者だと思わせるための道具にすぎないのである。[神武天皇や私の神制度も行政の手段である。]
政府は自分が行政をやっているから、国民が自分の言いなりだと思って国民を好き勝手にし放題なのである。
たとえ国民が政府を全然上の者だと思っていなくても、政府は自分が行政をやっているというだけで一方的に国民を自分よりも下の者だと見なして、国民を好き勝手にしているのだ。
政府は行政しか取り柄[とりえ]がない。政府は行政専門の会社である。
政府がいくら行政をしても、国民の役に立つことはない。政府があっても国民は損をするだけで得をすることがない。
だから、国民にとっては政府は要らない会社である。政府はくだらない暴力団や宗教団体と同じである。
したがって、国民は政府を潰[つぶ]せばいい。政府がなくなったほうが国民は幸福である。
[9038] 昔の神制度と今の神制度の違い h21.11.28
昔の神制度はあからさまにやっていた。
架空の神武天皇にわざわざ実在の天皇を置いて誰でも直接に神を眼で見えるようにして明晰判明にやっていた。
昔の人は騙[だま]されやすかったから、それでも立派に神制度がやれた。つまり、政府が神を崇[あが]めることによって国民に政府を国民よりも上の者と思わせることができた。
しかし、今の神制度はぼんやりとやっている。
実在の私がいるのにわざわざ架空のキャラクターを作って誰にも直接に神を眼で見えないようにして曖昧模糊[あいまいもこ]にやっている。
今の人は騙[だま]されにくいから、あからさまに私を神にすると嘘だとすぐにばれてしまうので、サブリミナル効果を使って国民の深層心理を操作していたのである。しかし、サブリミナル効果は弱いから、政府を国民よりも上の者だと思わない国民がしだいに増えて来ている。そのために、年々[ねんねん]政府の規模が縮小し、政府に付属の機関が次々と民営化されているのである。
現代においては、神制度はうまく行かない。国民が賢くなりすぎたので、神制度は行政のためには使えない。
今の神制度は制度と言えるほどのものではない。世界大戦後、政府は実質的には神制度をやめている。つまり、政府は行政をやめている。政府が行政をやらなければ政府の権力(他人を従わせる力)も発生しない。したがって、今や政府と国民は対等である。だから、国民が政府の命令に従おうが従うまいが国民の自由である。例えば、税金は強制ではなく、納[おさ]めたい人だけが納めればいいのである。
[9039] 神制度のある国 h21.11.28
神制度とは、神に人間が従わねばならない制度である。
神制度のある国では、信者が神制度をやっている。つまり、信者が神に従って暮らしている。
そうすることで、信者以外の者にも神に人間が従わねばならないと思わせている。信者が神に従うことによって、この世には国中のみんなが神に従わねばならない習慣があるとみんなに思わせているのである。
そうすることによって、宗教団体にとって有利な世界を作り出そうとしているのである。信者が神に従っていることを国民に宣伝することによって、神を扱う宗教団体に国民が従わねばならないと思わせて、国民を宗教団体に従わせようとしているのである。
政府だけではなく、宗教団体もまた『行政』をすることによって自分を有利にしようとしているのである。
しかし、『行政』の秘密はすでに大勢の国民にバレている。だから、今後は政府も宗教団体も『行政』をやっても無駄だ。今どき、そんな幼稚な細工に引っ掛かる国民はいない。今どき、神に人間が従わねばならないことを信じている国民なんかいない。たとえいたとしても、貧乏な馬鹿だけだから、たいして儲[もう]からない。
未来の人類の幸福のために、『行政』で国民を騙[だま]して儲[もう]けている政府や宗教団体や暴力団をなくさなければならない。そうしないと未来人に現代人が馬鹿だったと思われて、現代人の恥[はじ]だ。
[9040] 証明がない。 h21.11.30
「国民が政府に従わねばならない」という命題には証明がない。
これでは、「国民が政府に従わねばならない」のが正しいのかまちがっているのかわからない。
だから、国民が政府に従おうが従うまいが国民一人一人の自由である。
政府に従って得をする者は政府に従えばいいし、得をしない者は従わなければいい。
ちなみに私は政府に従っても得をしないから政府には従わない。
[9041] 契約がない。 h21.11.30
国民は会社との間には契約がある。
しかし、国民は政府との間には契約がない。
だから、国民は政府の命令に従わなくていい。
今の国民は自主的に政府に従っているだけで、政府に従う必要はないのだ。
[9042] 信じなければそれまで h21.11.30
政府は国民に「国民は政府に従わねばならない」と訴[うった]える。
政府を信じる人は「国民は政府に従わねばならない」と思う。
しかし、政府を信じない人は、政府の訴えを無視する。
政府を信じるか信じないかは国民一人一人の自由である。政府をどうしようが国民の勝手である。
[9043] 国民の自由 h21.11.30
政府が国民に送り付けてくる紙には、国民に対する命令が書いてある。
政府に従う人は、紙に書いてあることを真[ま]に受けて政府の命令に従う。
しかし、政府に従わない人は、紙を破り捨てて命令を無視する。
政府に従うか従わないかは国民の自由である。
この世は大昔からずっと国民の自由である。いつの時代にも政府に従わない者はいる。政府に従おうが従うまいが国民の自由だから、政府は政府に従わない者を罰することができないからである。政府は政府に従わない者の存在を国民に隠して来たにすぎないのだ。
[9044] 神制度の穴 h21.11.30
国民を政府に従わねばならない気持ちにさせるためには、政府は神制度をずっとやり続けていなければならない。
しかし、ときどき政府が神制度をやらなかった時期がある。
戦後もそうだし、明治維新や戦国時代もそうである。[江戸時代の大名行列も、広義の神制度と見なされる。]
戦後しばらくの間は政府は神制度をやらなかった。
政府は政府自身とその付属機関があれば、行政(国民を政府に従わねばならない気持ちにさせること)には十分であり、自分の権力を支えられると思っていたのである。
しかし、政府の権力はどんどんなくなっていった。
そのことに危機を感じた政府は、昭和40年頃から私の神制度をサブリミナルにやり始めた。政府は政府自身と政府の付属機関だけでは足りないと考えて、私の神制度を追加したのである。政府が私の神制度を大っぴらにやれなかったのは、戦後は世界協定で、政府が神制度や大名行列をやってはいけないことに決まっていたからである。
しかし、その後も政府の権力は増えていかなかった。しょせんサブリミナル効果では弱くて効かないためである。政府の行政のやり方がまずかったためである。
今では国民の誰も政府に従わない。政府に従わねばならないなんて思う国民はいない。
政府は行政をやる会社である。
行政をやる会社が行政をやらなくなったらおしまいである。
政府は潰[つぶ]れて当然である。
[9045] 新しい神 h21.11.30
新しく始まったアニメを見てもわかるように、今でも政府は行政をやっている。政府は神制度をやっている。
ただし、神は私ではない。
新しい神は日本の首相のようである。
私的には、新しく始まったアニメを見るかぎりでは、今の神制度も気持ちが悪い。やめるべきだと思う。
『行政の仕組み』が国民に知られてしまった今となっては、政府がいくら神制度をやっても無駄である。
国民は政府から離れていくばっかりである。
政府は滅びるだけである。
[9046] 政府の法律 h21.11.30
政府の法律は、政府が自分の権力を使って国民に押し付ける形で国民に守らせている。
しかし、実際には政府には権力はない。だから、政府が自分が作った法律を国民に押し付けることはできない。
そもそも政府は行政をやる機関なので、法律なんかどうでもいいと思っている。だから、政府自身も政府が作った法律を平気で破っている。国民が法律を破っても政府にとってはどうでもいいのである。政府にとっては、政府が行政をして政府が国民よりも上の者となって、国民が政府の言いなりになって、国民を好き勝手にできればいいだけである。それ以上細かいことは政府にとってはまったく興味がないのである。
国民のほとんどは政府の具体的な法律を知らないで毎日暮らしている。政府の法律を読んだことがある人はめったにいない。それでも大[たい]して支障はない。だから、実質的には国民全員が立法機関なのである。
それでも、たまには問題が起こる。だから、国民でお金を出し合って司法機関を作ればいい。司法機関で、お互いの主張を戦わせて白黒つければいい。犯罪人を罰すれば犯罪が減るだろう。だから、国民も自主的に司法機関にお金を出して、司法機関が経営できるだろう。
政府は今でも国民に「政府が国民よりも上の者だ」と思わせられると思っている。しかし、国民は政府を取り合わない。政府は独[ひと]りで威張っているだけである。今では政府に従う者は誰もいない。
[9047] 他人[ひと]のことで威張るな! h21.11.30
一歩譲[ゆず]って、昔の日本に神武天皇という偉い人がいたことは認めるとしても、
しかし、だからと言って赤の他人の政府が神武天皇のことで威張るのはわからない。他人の代理で政府が威張れるのが納得行かない。
他人のことで威張るな!
威張りたければ自分のことで威張れ!
それができなければ金輪際[こんりんざい]政府は威張るな!
[9048] どうして政府は女を社会進出させるか? h21.11.30
男は強いが、女は弱い。
だから、男は他人に従わないが、女は他人に従いたがる。[女が化粧気[けしょうげ]が濃いのは、他人に従うからである。]
例えば、男は政府に従いたがらないが、女は政府に従いたがる。
女を社会進出させれば、他人に従う社会になって、政府が国民を支配するのに有利になるので、政府は女を社会進出させようとするのである。
政府の言うことを聞くと、ろくなことがない。国民があとで面白くない思いをしなければならなくなる。
女が社会進出をするのが自由なら、会社が女を雇わないのも自由だ。会社が女を雇うための定員数をわざわざ設ける必要はない。女であることを理由にして無能な馬鹿を雇わされると会社が損をする。
政府は本来国民にとって自由なことに無理やり余計な決まりを作って社会をうまく行かないようにする嫌な会社だ。このままでは、政府のために人類が滅ぼされるぞ。
[9049] 政府はどうして偉いのか? h21.12.1
政府が偉いのは、国民が政府を自分よりも上の者だと思って政府の言いなりになっているからである。
だから、反対に、国民が政府を自分よりも下の者だと思って政府を馬鹿にすれば政府は偉くなくなる。
どこかの国で首相の人形を作って焼き捨てる祭りがあるように、国民が政府を馬鹿にする習慣を取り入れれば、政府はだんだん偉くなくなって行く。
結局、政府が偉いのは国民が政府を偉いと思っているからにすぎない。しかし、政府が偉い理由なんか何もない。国民が政府を偉いと思っているのは、国民の政府に対する誤解だから、直さなければならない。
[9050] どうして政府は国民から税金を取るのか? h21.12.1
政府が国民に「政府が国民よりも上の者だ」と思わせているからである。政府の洗脳に騙[だま]されて「政府が国民よりも上の者だ」と思った国民は、政府の言いなりになって政府におとなしく税金を払っているのである。
しかし、最近は「政府が国民よりも上の者だ」と思わない国民も多い。
政府が国民よりも上の者でなければ、政府は民間企業と同じだから、政府は国民から強制的にお金を取れない。
政府のサービス(実際には、政府は“サービスのない会社”だからそんなものはない)を受けるか受けないかは国民の自由だから、政府は国民一人一人とちゃんと契約を取ってから、国民一人一人からお金をもらわなければならない。
だから、今後は政府は国民と契約を取らずに国民からお金を取ることはできない。
[9051] 行政理論 h21.12.1
政府は行政をする機関である。行政とは、政府がいろんな手段を使って国民を洗脳して、国民に「政府が国民よりも上の者だ」と思わせることである。神制度も大名行列も議会も警察も、みんな行政である。
これが、私の『行政理論』である。
政府の行動(運動)をすべて説明し切る理論は私の行政理論以外にはない。
だから、私の行政理論が正しいのである。他の政府についての理論はすべてまちがいである。他の政府についての理論は、政府についての誤解や偏見にすぎない。
私の行政理論が政府の真の姿を映し出しているのである。
だから、国民は私の行政理論の通りに動けばいいのである。
[9052] 馬鹿の国 h21.12.2
これまで数千年もの長い間、日本国民は日本政府に洗脳されて、「政府が国民よりも上の者だ」と信じ込まされて騙[だま]され続けてきた。
日本は馬鹿の国だ。
人間は多少の馬鹿は許されるが、政府の幼稚な手に騙されるほど馬鹿ではいけない。
ここらで、日本は馬鹿の国の名を返上しなければならない。
[9053] 未来の行政 h21.12.2
未来に“人間の思考を操る装置”が発明されれば、政府がその装置を使って国民に「政府が国民よりも上の者だ」と思い込ませて、政府が国民を支配できるようになるだろう。
しかし、それまでの間は、政府が国民を支配しない時代だ。つまり、政府のない時代だ。
政府の人は頑張[がんば]って“人間の思考を操る装置”を発明すればいいだろう。
[9054] 人間の思考を操る装置 h21.12.2
政府は、大昔の人間が発明した“人間の思考を操る装置”である。
神や王は、その装置の大事な部品である。
しかし、今では世界協定で政府が神や王を使うことは禁止されている。
おかげで、最近、政府の調子が悪くなって、国民は政府の言うことを聞かなくなっている。
そんな装置は危険だから、なくなったほうがいい。
[9055] 私の作文に対する取り扱いについて h21.12.2
1)私の作文の内容を他人が実行する場合には、いちいち私の許可は要らない。
2)私の作文を他人が作文として利用する場合には、原案者である私の名前と出典(ホームページアドレス)を併記する必要がある。
私がインターネットで他人の書いた作文を見て自分が実行したり作文を引用したりする場合にも、この規則と同じようにする。だから、他人もこの規則を守らなければならない。
[9056] 行政以外に方法がない。 h21.12.2
政府が潰れて他の組織に代わっても、組織が国民を支配するには行政(つまり、組織がマスメディアを使って国民を洗脳して「組織が国民よりも上の者だ」と思わせること)による以外に方法がない。
だから、政府もこれまで2000年〜3000年もの間行政一筋でやってきたのである。
しかし、行政はもはや無効である。世界大戦後の世界協定で人類が特定の組織による神や王の使用を禁止したからである。
だから、たとえ政府が潰れて他の組織に代わっても、組織が国民を支配することができない。国民を支配する組織はもはや二度とこの世には現れないのだ。
だから、国民は国民主権によるしかない。国民が他人に考えてもらって生きていくのではなく、自分自身で考えて生きて行くしかないのだ。
[9057] なぜ昔の日本では医者が低く見られたか? h21.12.2
昔の日本人は心で物を見た。
昔の日本人は人間の本質は心であり、身体を卑[いや]しい物と考えていた。
だから、身体を扱う医者を低く見ていたのである。
今の日本で医者が高く見られるのは、今の日本人が身体を高く見るからである。
今の日本人が眼で見えないことがわからないほど馬鹿になったから、身体を高く見るのである。
そもそも、医者は身体の修理人であり、それ以上でもそれ以下でもない。
医者も他の仕事と同じだ。
[9058] なぜ昔の日本ではマンガが低く見られたか? h21.12.2
昔の日本人は心で物を見た。
昔の日本人は眼で見ることよりも頭で見ることを尊[とうと]いと考えていた。
だから、眼で見るマンガよりも頭で見る文学を高く見ていたのである。
今の日本人が文学よりもマンガを高く見るのは、今の日本人が眼で見ることを頭で見るよりも高く見るからである。
今の日本人が眼で見えないことがわからないほど馬鹿になったから、マンガを高く見るのである。
今の日本人は文化が低い。自分で頭を使って考え事をしないからだ。
しかし、マンガもベテランになれば、絵よりも話で見る。マンガのベテランは眼よりも頭でマンガを読む。
私が文学を読まずアニメしか見ないのは、たとえ言葉であっても絵で描けないほど曖昧模糊[あいまいもこ]なことを述べてはいけないと考えるからである。グチャグチャした下手糞[へたくそ]な文学は読まないほうがいいからである。
[9059] 世界協定はなぜ効くのか? h21.12.2
世界大戦前後の頃に、国民が政府よりも力が強くなったからである。
だから、国民に麻薬をやめさせるために政府に世界大戦をさせたのも国民だし、世界大戦後に政府に神や王の使用を禁止させたのも国民である。[国民の中に政府よりも力が強い組織がある!]
現代では、国民が政府よりも力が強い。というか、現代は政府がない時代である。
今は国民主権の時代である。民主主義の時代である。だから、政府に従うか従わないかを決めるのも一人一人の国民である。
はやく司法機関を民営化して、政府を潰さねばならない。
たとえ“国民の中にある政府よりも力が強い組織”が私に反対しても、私は自分の説が正しいと信じる。
[9060] どうして“謎の組織”は政府よりも力が強いのか? h21.12.2
世界大戦の前後から、国民の中の“謎の組織”が政府に圧力をかけている。
謎の組織が政府よりも力が強いのは、謎の組織が私と同じように『行政理論』を知ってしまったからである。
さすがの政府も行政理論が国民に知られてしまうと滅びるしかない。行政理論は政府の弱点である。弁慶[べんけい]の泣き所である。
謎の組織は政府に行政理論を国民にばらすと言って脅[おど]して政府から金を取って儲けているのだ。
そうやって、謎の組織は政府を自由に操って遊んでいるのだ。
[9061] 民主主義 h21.12.3
民主主義とは、国民が政府に従うことではなく、政府が国民に従うことである。つまり、政府が国民一人一人に従うことである。
だから、政府に従いたい国民だけが政府に従えばよく、政府に従いたくない国民は政府に従わなくてもいい。これが、この世の決まりである。
民間企業は全部すでに民主主義になっているのに、政府だけがいまだに民主主義になっていないのは、政府のわがままである。
政府だけが民主主義でないのは、政府が民主主義がわからないほど知恵遅れだからである。
公務員は、実際には政府に権力がないのに政府に権力があるつもりになって国民に対して偉そうに税金の請求なんかしてまちがった仕事ばかりしている。だから、知恵遅れの馬鹿になってしまったのだろう。公務員は、お金が欲しかったら自分で働け!
政府が権力が欲しければ、ちゃんと行政をやらなければならない。例えば、世界大戦後、政府はちゃんと新しい神や王を立てて、神や王に人間が従わねばならないことを国民に教育しなければならない。今の政府はそれをやっていないから、今の政府には権力がないのである。だから、今の政府は国民から税金を取れないのである。[たとえ政府がちゃんと行政をやったとしても、行政の仕組みがわかっている国民にとっては、政府には権力がない。]
[9062] 政府は民主主義の会社ではない。 h21.12.3
政府が国民から税金を取る、つまり国民から一方的にお金を取ることは、政府が民主主義(国民主義)の会社ではないことを表している。
政府が国民から一方的にお金を取るためには、政府が国民よりも上の者でなければならない。
しかし、今の政府は神制度や大名行列をやっていないから、「政府が国民よりも上の者である」と国民に思わせることができない。今の政府には人間よりも上の者である神や王がいないから、「政府は国民よりも上の者だ」と国民に思わせることができない。
だから、政府は政府主義の会社でもない。今の政府には政府主義である『根拠』がない。
政府は民主主義の会社でも、政府主義の会社でもない。
だから、国民は政府に対して、何もできない。
政府が国民から税金を取るためには、政府が国民よりも上の者である『根拠』が必要である。
それがなければ、政府は国民から税金を取ることはできない。
[9063] 天皇とは何か? h21.12.3
天皇は医学的には科学的には人間だが、
政治的には人間よりも上の者である。[ここでの天皇とは世界大戦以前の人間宣言をする以前の天皇のことである。]
政府や国民が、天皇を人間よりも上の者と定めたからである。[昔は天皇制で日本社会がうまくいっていたから、日本国民も納得していたのである。]
科学との折り合いが悪いがとにかくそう決めたのである。
だから、天皇の周[まわ]りにいる政治家や公務員は、天皇よりも下だが国民よりも上である。
政治家や公務員は国民よりも上だから、国民に対して偉そうにできたのである。
しかし、今の日本には神や王はいない。
だから、もはや政治家や公務員は国民よりも上の者でなく、政治家や公務員は国民に対して偉そうにできないのである。
政府も今や民間会社と同じである。だから、政府は国民と契約を取ってから税金を集めなければならない。[私は政府と契約するつもりはないが。]
[9064] 馬鹿社長 h21.12.3
社長は医学的には科学的には馬鹿だが、
会社的には社員よりも上の者である。
社長や社員が、社長を社員よりも上の者と決めたからである。
科学との折り合いが悪いがとにかくそう決めたのである。
だから、社長の周りにいる幹部は、社長よりも下だが社員よりも上である。
幹部は社員よりも上だから、社員に対して偉そうにできたのである。
[9065] 公理主義的社会論 h21.12.3
いくつか区別できる個体があって、個体と個体の間の関係を決めれば社会が定まる。[ドイツの数学者リーマンが平面上の1点を“無限遠点”として非ユークリッド幾何学を構成したように、ある一人の人間を“神”(他の人間が従うべき支配者)として宗教界が構成されているのである。]
例えば、天皇が人間よりも上の者と定めれば、天皇制の社会体制が出来る。
例えば、天皇を除[の]けて、人間はみんな平等と定めれば、民主制の社会体制が出来る。
社会制度は、科学というよりも数学である。つまり、社会制度は人間が自由に決めることである。
昔の世界は、人間が死ぬのが当たり前だったから、人間社会を存続させるために総倒れを避けるためには天皇(政府)をなんとしても生き残らさねばならなかったので、天皇制(政府制)だったのである。
今の世界は、医学や科学が発達して人間がなかなか死ななくなったから、天皇(政府)だけを大事にしなくても人類みんなが生き残れるので、民主主義になったのである。人間は長く生きているとしだいに知恵がついて賢くなり他人の言いなりにはならないから民主主義になるのである。
つまり、社会がどんな体制になるかは、人類の文化文明の発達水準によって決まるのである。
今の世界には民主主義がふさわしいから、もはや天皇(政府)は要らないのである。
[9066] 日本政府は税金を取れない。 h21.12.3
今の日本に神や王はいない。
だから、日本は民主主義である。
民主主義では、政府と国民は平等であり、政府は国民から強制的に一方的にお金を取れない。
だから、日本では政府が国民から税金を取れない。
[9067] 世界はひとつ h21.12.3
この世から政府がなくなれば国境の意味はなくなる。
そうなると、世界はひとつになる。
誰もが自由に自分の好きなように生きることができる。
[9068] 議員代表制は民主主義ではない。 h21.12.3
議員は当選した後では政府の者である。
だから、議員制は政府制であって民主制ではない。
民主制とは国民一人一人に決めさせることである。[そのほうが、国民にとっては自分を有利にできるチャンスが増える。]
だから、民主主義にとっては議員は要らない。
[9069] 神制の社会 h21.12.4
世界大戦までは、日本は神制の社会だった。
政府の行政で騙[だま]される者もいたが、騙されない者もいた。
しかし、政府の行政で騙された者も騙されなかった者も共[とも]に神制を認めていた。行政は、神制の社会を補強するためのオマケにすぎない。
神制の社会は、政府だけでやっていたのではなく、国民みんな(政府も含む)でやっていたのである。
政府は神制の社会を維持するために、国民みんなで作った組織だったのである。行政は神制の社会を維持するために国民みんなの許しを得て政府がやっていたのである。
しかし、世界大戦後は、世界的に神制のない社会になった。
それは、人類の歴史の発展段階が神を捨てる段階に達したからである。
いまだに政府が残っているが、それは昔の名残[なごり]にすぎず、なくなるのも時間の問題である。
今は神制のない時代だから、神制を維持するためにあった政府も要らない。
政府は政府自身の行動原理で動くので、私のサブリミナルの神制度の例のように神制のある社会を復興しようとするが、人類の歴史の趨勢[すうせい]においてそれはまちがっている。
政府は人間の集まりだから、必ずしも正しいことをするとは限らない。
国民で政府を管理しないと、政府は本気で神制度をやりかねない。[盲腸が暴れるようなものだ。]
政府は潰[つぶ]すべき組織である。
政府を潰すのが人類としては正しい行為であって、政府の言いなりになって政府を助長するのは人類としてはまちがった行為である。
要するに、世界大戦以前の古臭い残党が田舎[いなか]の国の日本に残っているだけの話である。
[9070] どうして政府が立法するのか? h21.12.4
世界大戦以前は、神制の社会だった。
神制の社会では何でも政府が決めた。
だから、法律も政府が決めたのである。[もっとも、議事堂の箱の中にいる世間知らずの議員に立法なんかができるわけがない。実際には、国民の当事者が作った法律を議員が代理で制定しているだけである。二度手間がかかるだけである。]
しかし、世界大戦後の世界は、神制のない社会である。つまり、民主制の社会である。
民主制の社会では何でも国民が決める。国民一人一人が決める。
だから、世界大戦後の世界では、国民一人一人が立法機関であり、政府は立法しなくてもいいのである。
世界大戦後の世界では、行政も要らない。だから、政府も要らない。
国民でお金を出し合って作った司法機関があればいい。司法機関で国民同士が自分の意見を戦わせばいい。そのときに法律ができる。だから、司法機関には立法機能もある。だから、立法機関なんて特に要らない。
[9071] くたばり損[ぞこ]ないはさっさと死ね! h21.12.4
政府は広く神制度(神に人間を従わせること)を行う会社である。行政は神制度の一部である。つまり、行政とは、政府が自分の権力を強めるために神制度を行うことである。神制度の中には、政府の権力を強めるためではない、国民へのサービスのための神制度もある。
世界大戦以前は、政府が国民を騙[だま]して神制度をやっていたのではなく、国民が神制度を認めていたから政府に協力したまでのことである。
世界大戦後は、神のいない時代になったから、政府は神制度や行政をやってはいけないのである。
つまり、政府は用済みの会社である。
それなのに、政府はいつまでも日本の中枢に居座り続けている。そのせいで、いつまでたっても『完全な民主主義の政治組織』が出来ない。
神のいない時代においては、政府は国民よりも上の者ではない。政府は自分自身のことがわかっていない。
潰[つぶ]れかけのオンボロ会社が威張るな!さっさと潰れろ!
[9072] 政府は民主主義をやる会社ではない。 h21.12.4
政府は、世界大戦以前は神制度をやる会社だった。
だから、政府は民主主義をやる会社ではない。政府の民主主義が下手糞[へたくそ]なのは、政府がもとは神制度をやる会社だったからである。政府が民主主義をやるのが、そもそも無理な話である。政府は神制度向けにできた会社だから、民主主義ができるわけがない。神制度と民主主義は正反対である。政府を民主主義に転用するのは無理がある。
民主主義は、国民一人一人が自分の考えで生きて行くことだから、国民に代[か]わって政府にできることではない。
だから、民主主義の社会においては、政府は要らないのである。
神がいない民主主義の時代においては、政府があること自体まちがっている。だから、政府はとっととなくさなければならない。
[9073] 議会はどうして出来たか? h21.12.4
近代以降に生まれた民主主義の時代と古くからある神制度の時代がオーバーラップしていたために、議会が出来た。
だから、議会は民主主義と神制度の両方の性格を併[あわ]せ持った変な制度である。
したがって、議会は完全な民主主義の制度ではない。
そんな神制度が混じった不純な汚い制度(議会のこと)を民主主義の時代にやってはいけない。
そもそも民主主義の議会を神制度の会社である政府がやることがまちがっている。
議会制度は民主主義の時代においては要らないのだ。
民主主義の時代においては、民主主義にふさわしい議会のやり方があるはずだ。
[9074] 民主主義 h21.12.4
民主主義では各人が立法機関である。
つまり、各人がひとつの国である。
司法とは、国と国との戦争である。
司法によって、正しい国がまちがった国を罰することができる。
[9075] 人間はいきなり真理には到達できない。 h21.12.4
現在の科学は地動説だが、その前には天動説があった。
それと同じように、現在の社会は民主主義だが、その前には神制度があった。
人間はいきなり真理には到達できない。
試行錯誤を経てようやく真理に達することができるのだ。
昔の原始社会では、神制度にして神に人間が従うようにしたほうが国民がおとなしくなって国が治めやすかったのだ。
しかし、今は国民の文化文明水準が高くなったから、国民に自分で考えさせたほうがいいのである。
今後は、他人の言いなりになって動くだけのおとなしい人間よりも、自分で考えて行動する活動的な人間が望まれる時代だ。
[9076] 命令を売る会社 h21.12.4
政府は命令を売る会社である。[面白いアイデア商法だね。]
政府に従いたい人は、政府に税金を払って政府の命令を聞けばいいだろう。
しかし、自分で考えて生きたい人は、政府に税金を払わなければいいのだ。
[9077] 政府はインチキ会社 h21.12.5
今は神制度(王制度も含む)をやってはいけない時代である。
それは、世界人類みんなで決めたことである。
神制度をやってはいけないことは、現代における世界法である。
それなのに、政府だけがいまだに神制度をやっている。政府は神制度をやって、自分が国民よりも上の者のつもりになって、国民から強制的に一方的にお金を取ったり(税金)、国民に対して強制的に一方的に命令を出したりしている(立法)。
それは、政府の犯罪である。
だから、国民は政府を罰[ばっ]しなければならない。
[9078] 人類は政府を潰[つぶ]さなければならない。 h21.12.5
政府は神制度(王制度も含む)をやるためにある組織である。
世界大戦後、世界人類みんなで神制度をやってはいけないと決めたということは、つまり世界人類みんなで政府を潰すと決めたということである。
だから、人類は政府をさっさと潰さなければならない。いつまでも政府をのさばらせ続けてはならない。
[9079] 神制度はいつ頃出来たか? h21.12.5
日本政府が古墳時代に日本を統一する以前にも神制度はあった。
神武天皇が日本各地の神々を統治したのだから、神武天皇以前にも神はいたことになる。
日本各地にいた豪族が、それぞれの豪族の神を奉[たてまつ]っていたのだろうと思われる。
だから、豪族が出来た弥生時代の頃にすでにローカルな神制度はあったことになる。
もっとも、大昔の家族単位で暮らしていた頃には、さすがにまだ神制度はなかったはずだ。
だから、おそらく、紀元前1000年ぐらいに神制度が出来たのだろうと思われる。
つまり、日本では神制度は約3000年間続いたということである。
[9080] 天皇の人間宣言 h21.12.5
世界大戦は、民主主義の国が神制度の国を滅ぼすためにやった戦争である。[人類に麻薬をやめさせるための戦争ではない。]
だから、戦後日本は天皇が人間宣言をしたのである。
世界大戦後、人類みんなが神制度をやってはいけないことに決めたから、天皇が人間宣言をしたのである。
天皇が人間になったということは、神がいなくなったということであり、神制度をやるためにあった政府は仕事がなくなったということである。だから、政府はなくならなければならない。
[9081] 神制度をなくせ! h21.12.5
昔は人類みんなが神制度を認めていた。神制度があったほうが国が平和になるからである。
政府は神制度で出来た組織である。つまり、神制度が政府を作ったのであって、政府が神制度を作ったのではない。
政府は神制度をやる組織ではない。つまり、政府が神制度を国民に強制して、国民を政府の奴隷にしていたのではない。
神制度は人類みんなでやっていたのである。つまり、人類みんなが神制度をやる組織だったのである。国民は自分から進んで政府に従っていたのである。
しかし、今は人類みんなが神制度を認めていない。
だから、神制度で出来た物をこの世からなくさなければならない。
例えば、政府をなくさなければならない。
例えば、私の神制度で出来た物(私マンガや私アニメなど私の個人情報を混ぜて作られた物)をなくさなければならない。
今は神制度の時代ではない。だから、人類みんなで神制度をこの世からなくさなければならない。
[9082] 神制度はどうして出来たか? h21.12.6
人間は誰でも、平和に生きたい欲求がある。
そのために、神制度が出来た。つまり、昔の人が、特定の実在または架空の人間を神にして、神に人間を従わせることによって人間をおとなしくさせて、人々が平和に生きて行けるようにしたのだ。
しかし、今は神制度によらなくても、各人の理性によって平和に生きることができる。
だから、今は、もう神制度は要らないのだ。
むしろ、政府が神制度を使って悪いことをするから、政府ごと神制度がなくなったほうがいいのである。
[9083] 民主主義の世界 h21.12.6
世界大戦後、天皇が人間宣言をした。世界中から神はいなくなった。
それで、民主主義の世界になった。
民主主義の世界では、政府は国民よりも上の者ではない。
だから、政府は国民から強制的に一方的に税金を取ったり、国民に強制的に一方的に命令を出したりすることはできない。[政府の税金や命令は、厳しく言えば禁止、一歩譲[ゆず]っても国民の自由である。つまり、今は神制度のない時代だから、政府は神制度をやって国民から税金を取ったり国民に命令を出してはいけない。今は民主主義の時代だから、政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりすることは国民の自由である。]
今の社会が『完全な民主主義の世界』でないのなら、はやくそれを実現しなければならない。「神主義の世界」の産物を破壊してこの世からなくしていかねばならない。
[9084] どうして政府は私を神としたのか? h21.12.6
政府はその名の通り政[まつりごと]をする府すなわち神制度をやる組織である。
だから、政府が生き残るためには神制度をやり続けなければならない。政府が神制度をやめたら、政府は仕事がなくなって潰[つぶ]れなければならないからである。
それで、政府は私を神としたのである。神は“取り決め”で決めることなので[[9065]
公理主義的社会論 h21.12.3を参照]、神は人間なら誰でもよく、政府はとりあえず私を神にしたのである。昭和40年頃に日本はアメリカの占領を解かれたので、日本政府はすかさず私を神としたのである。天皇家は昭和天皇が人間宣言をしたのでもはや神にはできないので、誰か他の者を探さなければならなかったのである。
政府は密[ひそ]かに自分たちだけで私を神としている。「神を国民に公開しなければならない」という決まりが神制度にはないからである。
国民の多くは私を神としていることを知らない。
今の神制度は政府と一部の国民(信者)だけでやっている。[信者は自分の人生が面白くないので、政府といっしょになって神制度をやって他人の幸福の邪魔をするのが生き甲斐[がい]の意地糞悪い連中である。]
ところで、そもそも神制度は政府と国民がいっしょになって国中でやることである。
今では、『国民の大半が神制度に反対している』から、政府と一部の国民だけで神制度をやることはできない。それは、政府と一部の国民の犯罪行為と見なされる。
[9085] 行政とは何か? h21.12.6
行政とは、その名の通り政[まつりごと]を行うことすなわち神制度をやることである。国民を政府に従わねばならない気持ちにさせる洗脳は、行政の一部である。
政府とはそもそも行政をやる会社である。立法と司法はあとから付け加わった機能である。立法と司法は本来国民自身がやるべきことだが、神制度にかぶれた政府が国民を自分の持ち物だと考えて政府がやっているのである。
政府は税金の大半を行政(神制度をやること)に費[つい]やしているのである。
つまり、税金の大半が無駄になって消えているのである。
だから、さっさと政府がなくなったほうがいいのである。
[9086] 日本人の分類 h21.12.6
神制度に賛成している日本人は、日本政府と信者である。合計1000万人ぐらいだろう。
反対に、神制度に反対している日本人は、残りの1億2000万人である。神制度は戦争の原因になるし、公務員が偉そうにするから嫌なのである。[戦争は野球やサッカーなどのスポーツと同じだから、勝つ時もあれば負ける時もある。だから、日本が太平洋戦争で外国に1回負けたからといって、戦争を永久に放棄するのはまちがっている。つまり、太平洋戦争における日本の敗戦と戦争放棄とは関係がない。日本の戦争放棄は、日本が神武天皇の神制度をやめたことの言い換えである。そもそも日本が外国との戦争に勝てたのは、政府が神制度をやる機関だからである。日本政府は軍人である神武天皇を神としているので、神制度のある世界では外国との戦争に勝てたのである。しかし、第2次世界大戦は、民主主義の連合国と神制度の枢軸国との戦いだったので、神制度の日本が負けたのである。そうしないと、神武天皇を神とする日本が永久に戦争で勝ち続けて日本が世界を征服することになるので、外国の政府が協力して神制度そのものをやっつけることに方針を変更したのである。だから、今後はいくら日本政府が神制度をやっても、国際的には日本が有利にはならないのである。国内的に、日本政府が日本国民に対して有利になるだけである。そんなことを日本国民が認めるわけがない。だから、信者以外の日本国民全員が神制度に反対なのである。]
ただし、神制度に反対している日本人のうち大半は、日本政府が民主主義をやっていると誤解している。愚かにも、日本国憲法に「民主主義」と字が書いてあるだけでそう思っているのである。実際には、政府は今なお神制度をやっているのである。
だから、神制度に反対している日本人は、神制度をやっている政府や信者を攻撃して潰[つぶ]さなければならない。[世界大戦以後はキリストや釈迦や神武天皇やモハメットなどの古い神は死んだから、今の神は世界中で私ひとりしかいない。だから、すべての宗教の神は私ひとりである。つまり、今は世界中の宗教が同じひとつの“川野教”なのである。だから、信者はすべて“川野教”の信者になるのである。だから、たとえ今の世界に神制度が残っていたとしても、世界中の宗教が同じだから、神制度においては世界中の国が平等である。それに、たとえ神制度が残っていたとしても、私の身分は人間と同じであり、人間よりも上の者とされていないから、神と人間の間にある政府や信者の身分も人間と同じである。神がたんなる“取り決め”であるからこそ、昔の始皇帝(広義の神。律令制も神制度も構造は同じである。)や天皇のように、実際に神を人間よりも上の者として扱わねば神制度によって政府や信者が人間よりも上の者となることはできない。]
[9087] 社会科学の学者 h21.12.6
社会科学の学者は、そこら辺の一般人と同じように、神制度には反対だが、日本政府が民主主義をやっていると思っている。
だから、社会科学の学者は馬鹿である。
社会科学の学者がいくらいても、日本社会は一向に進歩しない。
だから、社会科学の学者なんか要らない。
[9088] 『異邦人』 h21.12.7
日本の神武天皇教のために、政治的な理由でヨーロッパのキリスト教までなくなってしまった。
ムルソーは、一般的なヨーロッパ人のことである。
ムルソーが母親の死に対して無感情になったのは、ヨーロッパのキリスト教がなくなってしまったことを表している。
ムルソーの殺したアラブ人がキリストのことである。
ムルソーは最後の裁判で「太陽が眩[まぶ]しかったから」と答えたが、太陽は神武天皇教のことである。
『異邦人』は、神武天皇教のせいでキリスト教が滅ぼされたことを殺人事件に置き換えた小説である。
カミュが『異邦人』を発表したのが1942年(昭和17年)で、太平洋戦争が始まった頃である。
日本の神武天皇教は、宗教を滅ぼす宗教だったのである。
[9089] 宗教の自由 h21.12.7
日本国憲法第20条には「宗教の自由」が書いてある。
だからと言って、日本に宗教の自由があるわけではない。
つまり、日本国憲法はまちがっているのである。日本国憲法にはまちがいが書いてあるのである。実際に、政府は私の神制度をやっているから、第20条3項は嘘[うそ]である。[国=国民+政府だが、政府は国の機関と考えられるので、第20条3項は嘘である。]政府の法律や税金は政府が神制度でやっていることだから第20条2項も嘘である。
今の日本には、宗教の自由はない。今の日本では宗教すなわち神制度が禁止されている。世界的に宗教は禁止されている。だから、第20条1項も嘘である。[もっとも、聖書や仏典を読んで『道徳の勉強』をすることは許されている。]
そもそも政府の作った法律なんか当てにするほうがまちがっている。一般的に、政府の作った法律はまちがっている。政府は神制度にかぶれて国民を政府の持ち物だと考えているから、そんな者が作った法律なんか正しいわけがない。政府の法律(成文法)と、実際に世の中に通用している法律(不文法)とは大分[だいぶ]食い違っている。
[9090] 実在界 h21.12.7
人間は実在界に住んでいる。
人間は自分の知覚を働かせて実在界を見ることができる。
人間は知覚に基づいて五感を見ることによって、五感を実在的に解釈しながら実在に適応しながら生きている。
[9091] 神武天皇は最強の神 h21.12.7
近代以前は、まだヨーロッパや中東やインドやアジアなどのそれぞれの地域でそれぞれの宗教(神制度)をやっていた。
当時は、まだ神がそれぞれの地域に孤立して存在していたので、それぞれの地域の神にそれぞれの地域の人間が従うだけでよかった。
しかし、近代以降、交通技術の発達とともに、人間の視野が国際的になった。
そうなると、神と神との力関係が問題になる。
キリストや釈迦やモハメットはおとなしい神だったが、神武天皇は勇[いさ]ましい軍人の神だったので、神武天皇は世界中の神の中でも最強だった。
それで、国際化の時代になると、政治的な(つまり神制度の上の)理由だけで神武天皇を神とする日本が他国をどんどん征服して行ったのである。日本は中国・ロシアを次々と征服したので、世界中の人々が次はヨーロッパの番だと思った。
そのことに脅威を覚えたヨーロッパは、神制度そのものをこの世からなくそうと考えたのである。
それは世界的な運動となり、世界大戦を引き起こすに至った。
世界大戦は、民主主義が神制度を滅ぼす戦争だった。
それで、世界大戦後は、神制度のない世界になったのである。
神制度のない世界は人類みんなで決めたことなので、なんびとたりともそれに反してはいけない。
[9092] マニ教 h21.12.7
マニ教の神は盗作の神である。他国の神のいいところを寄せ集めて作った神である。
それは、神制度(宗教)の決まりで禁止されている。
だから、マニ教は滅んだのである。
盗作の神はいけないから、日本の神武天皇を真似て他国が神武天皇よりも強い神を作ってもそれは神としては認められないのである。
著作法は昔からあったのだ。
[9093] どうして中国は攻撃されたか? h21.12.7
19世紀から20世紀にかけて中国が外国から攻撃されたのは、中国が神制度をやっていなかったからである。
当時は、まだ、人類みんなが神制度をやっている、神制度のある世界だったので、中国が人類共通のルールを守っていない悪者と見なされて攻撃されたのである。
反対に、今は、人類みんなが神制度をやっていない、神制度のない世界なので、神制度をやっている国が人類共通のルールを守っていない悪者と見なされて攻撃されるのである。
いつの時代にも、例外者が攻撃されることはよくあることである。
[9094] 政府と民間宗教 h21.12.8
民間宗教も政府も神制度をする会社である。つまり、それらの会社では、特定の人間(実在の人物でも架空の人物でもいい)を決めて、その人間に他の人間を従わせることを仕事としている。それらの会社では特定の人間を神と呼んでいる。
民間宗教は、入るのも入らないのも国民の自由である。
だから、民間宗教は民主主義である。
これに対し、政府は、国民みんなが入らないといけない国家宗教である。
だから、政府は民主主義ではない。
ところが、今は民主主義の時代である。特定の会社が国民の意思を決めてはいけない。
だから、民間宗教は許されるが、政府は許されない。
民間宗教は営業してもいいが、政府は潰さなければならない。
[9095] 神制度の意義 h21.12.8
政府すなわち国家宗教における神制度の意義は、国民を神に従わせて国民をおとなしくさせて平和な国を作ることにある。
一方、民間宗教における神制度の意義は、信者(民間宗教に入っている者)が神に従うことによって信者が日常社会とは違う決まりがある社会の中で生活することにある。[私は民間宗教に入ったことがないので、詳しくは知らないが。]実際には、信者は日常社会の中でも暮らしているから、日常社会と宗教社会のふたつの違う社会の中で暮らしていることになる。だから、民間宗教の社会もそんなに日常社会とかけ離れたものではないようである。
もともと国家宗教の場合にも、国民が互いに争っている原始的な日常社会(ホッブスの「万人の万人による闘争」)を神制度によって社会の中にいろんな決まりを入れて平和な社会に変えたのである。国家宗教においても民間宗教においても、一般的に理想の社会を作ることが神制度の意義だといえる。民間宗教には、新しい社会の試行実験としての意義がある。[できれば、宗教団体が信者からお金を取るのは最初のうちだけにして、民間宗教の決まりが国中に広がるようになれば信者からお金を取らないようにして欲しいものだ。そうしないと、政府の二の舞になる。]例えば、麻薬がある社会も民間宗教によるひとつの試行実験だといえる。[しかし、たぶんそれでは信者は幸福には生きられないだろう。]
現代人にとっては『理性による自律』が原則だから、もはや神制度をやる国家宗教は要らない。政府の役目は終わった。つまり、今の社会においては、神制度があるよりもないほうが国民にとっては幸福だから、神制度がないことを社会の決まりにすればいいのである。国民は政府によって決まりを押し付けられるのではなく、社会の決まりを自分で学んで守りながら自分で考えて改良しながら生きていけばいいのだ。
[9096] イギリスと日本の違い h21.12.8
イギリスは神制と王制をいっしょにやっている。
しかし、日本は神制か王制のどちらかひとつしかやらない。
イギリスは徳川幕府と天皇制をいっしょにやっているようなものだ。
[9097] どうして日本が統一できたか? h21.12.8
昔の日本人は神が実在しない人物だということを知っていた。
だから、他の王に従うことを認めなかった各地の豪族の王でも、架空の神に従うことなら認めたのだ。
それで、日本が統一できたのだ。
[9098] 政治家だけが決めるんじゃない! h21.12.8
今はテレビも新聞も本もあるから、人類みんながいろんなことを知っている。
だから、神制度の善し悪しを決めるのは人類みんなであって、政治家だけじゃない。
政治家は人類の一部にすぎず、政治家だけでは大した影響力はない。
そもそも政治家は神制度のある時代に神制度をやるための人という理由で偉かっただけであって、神制度のない時代ではもはや偉くも何ともない。[神制度のある時代では、神が人間よりも上の者だったから、神制度を執[と]り行う者は人間よりも上の者になるのである。[9069]
神制の社会 h21.12.4の図を参照。信者が偉かったのも同じ理屈である。]神制度のない時代では政治家は“仕事のない人”にすぎず、サラリーマンよりも偉くない。神制度のない時代では、政治家の影響力は普通の人と同じかそれ以下しかない。
だから、いくら政治家が神制度を復興させたくても、神制度のない時代においてはすでに政治家の影響力はないから、無理なのである。
今は神制度のない時代だから、神制度をやっている者は悪者である。
だから、政治家が神制度をやっているなら、人類にとっては政治家が悪者なのである。政治家は顔が悪いのでも意地が悪いのでもなく、神制度をやっているから悪いのである。
政治家は神制度をあきらめて政府をたたんだほうが賢明である。
[9099] 政治家は偉くない。 h21.12.8
神制度のある時代には、政治家は神制度を執[と]り行うので人間よりも上の者ということで偉かった。
しかし、今は神制度のない時代である。だから、政治家は偉くないはずである。
それなのに、いつまでもみんなが政治家を偉いと思っているから、そのせいでまたもとの神制度がある時代に戻りつつあったのである。
だから、ここでもう一度政治家が偉くないとみんなで思えば、神制度のない時代になるのである。
政治家は神制度を執り行う者であって、民主主義をやる者ではない。だから、政治家をなくしてしまえばいいのである。
[9100] どうして私の個人情報を混ぜているのか? h21.12.8
政府は私の個人情報をアニメやマンガやゲームなど至る所に混ぜている。
それは、政府が国民に「私の神制度をやってもいい」という承認を取って、神制度を復活させるためである。
国民が政府に私の個人情報を混ぜていることで文句をつけないかぎり、政府は国民が神制度を承認したと見なして、政府は神制度を年々強めて行くつもりだったのである。