[8401] まちがいは残す価値がない。 h21.9.13
アリストテレスの4元素説やフロギストン仮説やカロリック仮説などは現在では残っていない。
かつてポアンカレが考えた物質の連続体仮説やエーテル仮説なども現在では残っていない。
たとえ残っていたとしても、そんな古いまちがった学説をわざわざ学ぶ者はひとりもいない。
神制度もかつて人類が成り立つと思った社会法則のひとつにすぎない。
つまり、神制度はまちがいである。
だから、神制度も残す価値がない。
神制度で作られた物はすべてこの世からなくすべきである。
そして、『神制度がまちがっている』という真実だけをこの世に残すべきである。
例えば、神社仏閣[ぶっかく]教会が世界中にたくさん残っているのは、政府や宗教が神制度を残そうとしているからである。
だから、歴史的史料的価値があるものだけを残し、その他はみんな取り壊すべきである。

[8402] 算数の足し算 h21.9.13
民主主義は、算数の足し算と同じことである。
昔は学校がなかったから、国民は算数の足し算も民主主義も知らなかった。
それで、世の中は誤魔化しや不平等ばかりだった。
だから、やはり国民にとって学校は必要である。
学校こそ人類史上最大の発明である。

[8403] マンガ主義 h21.9.13
マンガ主義の人は、マンガの世界こそ人類が目指すべき楽園であると考えていて、現実の世界を一生懸命マンガの世界に合わせようとしている。
たしかにマンガはわかりやすい。
でも、マンガがわかりやすいのは、マンガの話の面白さの部分だけだ。
マンガの話の真実の部分は現実的だが、マンガの話の面白さの部分は架空の作り話である。
現実を架空に合わせることはできない。
だから、マンガ主義は空[むな]しい努力にすぎないのだ。

[8404] 文学と科学 h21.9.13
マンガは文学の一種である。
文学の面白さと科学の面白さは違う。
科学の面白さは、例えば車が走ったりコンピューターが動いたりするのは、『現実の中の面白さ』である。
これに対し、文学の面白さは「現実の外[そと]の面白さ」である。
文学と科学では面白さの入れ方が根本的に違うのだ。
文学でも話の骨格となる部分は、科学と同じように真実である。
文学では面白さを入れる段階で現実の外に飛び出すが、科学では現実の中に入ったままなのだ。
だから、文学は科学から“青い鳥”だと皮肉[ひにく]られるのだ。

[8405] 文学と神制度 h21.9.13
日本では文学が盛んである。それは、日本人が物よりも言葉の文化を大事にするからである。
文学では、話に面白さを入れる段階で現実の外に出る。
だから、文学は科学よりも論理性が弱い。
日本人は[一部の人を除[のぞ]き]論理的思考が苦手である。
ところで、この前私が証明したように、神制度には論理的欠陥がある。
だから、日本は外国に比べて神制度(宗教)の強い国だったのだ。
神制度は日本が馬鹿の国であることの証拠である。

[8406] 文学と科学☆ h21.9.13
科学では心が知覚に従属するが、反対に文学では知覚が心に従属する。
つまり、科学は知覚主義であり、文学は心主義である。

だから、日本はワルノリ文化である。日本人は実在よりも自分の心を大事にする。つまり、日本人は自分の心に囚[とら]われて実在を見失っている。
例えば、私が中学3年生の時オナニーに耽[ふけ]って高校1年生の春に発狂して精神分裂病に罹ったのも、日本が心主義の国だからである。
日本人は真実をなめている。真実を笑う者は真実に泣く。実在が見えていない者に実在の中で生きる資格はない。だから、日本人は結局実在の中で不幸になるのである。
日本人はもっと『考える努力』をしなければならない。そうすれば、知覚が働くようになる。心が知覚に従属するようになる。それが善[い]い人間というものだ。

[8407] 都会っ子と田舎者の違い h21.9.13
都会っ子は、都会は暴力団が支配している世界だから、「この世は暴力団が支配するものだ」と思い込んでいる。
反対に田舎者は、田舎には暴力団がいないから、『暴力団は本来存在してはならないものであり倒すべきものだ』と思っている。
都会っ子は小さい頃から暴力団のいる所で育ったので、「暴力団が国民を支配する」ことが社会学の原理として知覚の奥深くに刻み込まれている。政府も暴力団なので、小さい頃から政府を見ながら育つと「この世は暴力団が国民を支配するものだ」と信じ込んでしまうのだ。
反対に、田舎者は暴力団がいない所で育ったので、『暴力団がいない』ことがこの世の原理として知覚の奥深くに刻み込まれている。『都会には変な生き物がいるなあ』としか思わないのだ。『都会は人間よりも下の者が人間よりも上の者になっているひっくり返った不思議な世界だ。』

[8408] 男はどうして幸福なのか? h21.9.13
女は脳のネジが1〜2本足りない。
女は生まれてから死ぬまで幼稚なことばかり感じて生きている。女の世界観は幼稚園の頃から進歩していない。
男が幸福なのは自分の頭を使って一生懸命考えて生きているからである。けっして外で酒を飲んで遊びまわっているからではない。
だから、男の幸福は女には得られないのだ。女が男の真似をしても幸福になれるわけがない。女は女の幸福を生き甲斐[がい]にして生きるしかない。

[8409] なぜ犯罪者は罰せられるのか? h21.9.13
犯罪者とは『社会科学の法則』に違反した者である。
犯罪者は『社会科学の法則』が理解できない者と見なされ、“知性がない動物”と見なされ、“人間よりも下の者”と見なされて、人間によって物同然に扱われて殺されるのである。
つまり、犯罪者は“人間よりも下の者”だから、人間が自由に好き勝手にしてもいいのである。
人間は外見だけではわからない。いわゆる人間には、人間である者と人間よりも上の者(天才)と人間よりも下の者(下人[げにん])の3種類の生き物が混じっているのだ。知性が普通か優れているか劣っているかによって、人間か人間よりも上の者か人間よりも下の者かに分類されるのだ。天才がときどき殺されるのは、天才が本当に人間よりも上の者であって、偽物[にせもの]の人間よりも上の者にとって邪魔になるからである。つまり、偽者の人間よりも上の者の正体が人間よりも下の者であることを見破られる恐れがあるから早めに殺しておくのである。

[8410] 人間はヤクザに従うわけにはいかない。 h21.9.14
政府は、民主主義の芝居をして神制度を使っているヤクザである。政府は政府という名のヤクザである。ヤクザがお役所ごっこをしているだけだ。
たしかに、ヤクザは恐[こわ]い。
しかし、現代人は正しさを第一としなければならないから、自分が恐いことを理由にしてヤクザに従うわけには行かないのだ。
知性のある人間にとっては恐さよりも正しさのほうが大事だから、たとえ自分が殺されてもヤクザに従うわけには行かないのだ。
たとえヤクザでも私に文句は言えない。なぜなら、たとえヤクザでも正しいことを言う者には逆[さか]らえないからだ。

[8411] 山一證券はなぜ潰れたか? h21.9.14
山一證券の“山”が私の姓の川野の“川”と反対だから。
政府は駄洒落[だじゃれ]が好きなので、川を立てるために山を潰したのだ。

[8412] 私の業績☆ h21.9.14
これまでに私はいくつかの『新しい命題』を生産した。
1)日本政府と江戸幕府が同じである(政府=幕府)。つまり、日本政府はすべての時代を通じて連続している。[ただし、国民に対する支配は政府のほうが幕府よりも強い。将軍は人間と同じだが、神の代理を務める神官は人間よりも上の者だからである。神制度を使う政府から神制度を使わない幕府に戻ったのは、中国文化の影響である。中国文化には神制度がないからである。ちなみに、大和王朝と日本政府も同じである。大和王朝が神制度を使うようになって日本政府となったのである。]
2)世界大戦は、世界の政府が架空の神から実在の神へ神を入れ替えるために起こした戦争である。
3)政府は、民主主義の芝居をしている神制度を使う暴力団である。
4)テレビや新聞を賑[にぎ]わせている原因不明(動機不明)の事件は、すべて政府が神制度を使って起こしたものである。警察が政府からお金をもらって食べているために、とぼけて原因不明にしているのである。
これらの命題は『神制度』の概念があるとわかってくることである。[高木貞治[たかぎていじ]が『類体』の概念でクロネッカーの青春の夢の問題を解いたようなものである。ガウスが『剰余数』の概念で正17角形が作図できることがわかったり、ガロアが『群』の概念で5次以上の方程式が代数的に解けないことがわかったようなものである。あるいは、ニュートンが『力』の概念で惑星の運動を解いたり、アインシュタインが『相対性』の概念でマイケルソン=モーレーの問題を解いたり、シュレーディンガーが『物質波』の概念で水素原子における電子の運動を解いたりしたようなものである。[『相対性』とは2人の観測者において物理方程式が普遍(不変)であることである。光速度が不変であることはマクスウェル方程式が普遍であることだから、ニュートン方程式も普遍でなければならない。マクスウェル方程式を慣性系間で不変にする変換はローレンツ変換である。だから、ニュートン方程式もローレンツ変換を満足するべきである。つまり、これまでのニュートン方程式は不完全であって、修正しなければならない。したがって、運動量エネルギーベクトルがローレンツ変換を満足するように、運動量やエネルギーの概念を修正しなければならない。そこから、E=mcが出て来るのだ。]]
私には日本史や世界史や政治学の才能があるかもしれない。

[8413] どうして国民が政府に支配されているのか? h21.9.14
政府はヤクザである。
そんなヤクザに国民が支配されているのは、国民がどうでも生きているからである。
生きる価値のない人間がわけもわからずにダラダラいい加減に生きているから、同じようにダラダラ生きているヤクザに支配されることになるのである。
つまり、自分が不合理に生きているから、同じような不合理なことをするヤクザに対して文句が言えないのである。
だから、生きる価値のない人間がいなくなれば、政府もなくなるだろう。人間が『知覚主義』で生きる時代になれば、不合理的な政府はなくなるだろう。今の日本人(例えば、私の両親など)は「心主義」で生きていて知覚が働いていないから、政府の正体が見破れず、わけがわからないまま政府の言いなりになっているのだ。

[8414] 外人はなぜかっこいいか? h21.9.14
政府のヤクザの影響である。
政府に無理やり格好つけさせられているからである。
人間は本来知覚的な生き物であり格好つけない生き物だが、政府が国民をくだらない馬鹿に改造するために、国民に綺麗に格好つけることを義務付けているのだ。馬鹿のほうがおとなしく政府に従うから、国民に女の子の真似をさせているのである。
その点、日本人はあまり格好つけないから、政府に反逆的なのだ。

[8415] 国語算数理科社会 h21.9.14
高木貞治[たかぎていじ]の『類体』をみてもわかることだが、数学だけが現代の文明の1000年先を行っている。
理科がそれに次[つ]ぎ、国語(文学)が理科に次ぎ、社会科が一番遅れている。
国語算数理科社会の発展が、凸凹[でこぼこ]になっている。
社会科が一番遅れているのは、頭のいい人が数学や理科に回るからである。
頭のいい人は進んだことを考えたがるので、最先端の数学や理科の研究をやって、社会科学のような地味な分野には行きたがらないのである。
そのことが社会科学が遅れる原因になっている。
たまには、頭のいい人が社会科学を考えてみてはどうかな?


[8416] 自分が相手に従う条件 h21.9.15
自分が相手に従うのは、心で相手が自分よりも偉いと思うからではなく、知覚で相手が自分よりも正しいと考えるからである。
ところが、日本政府は国民よりも正しくない。
そもそも法律は国民の誰かが考えた『社会科学の法則』であり、政府はそれを書いてまとめただけである。『社会科学の法則』は『物理学の法則』と同じように実在において客観的に決まるものであり、正しく考える限り誰が考えても同じである。
政府は正しくもなんともない。正しさにおいては政府は国民に劣るのである。
政府は偉いだけである。
しかも、政府が偉いのはまちがった神制度によるものである。まちがった神制度によって政府は自分が偉いつもりでいるだけである。

政府は自分の「偉さ」で国民に何でも押し付けられるつもりでいるのである。
政府がそんなつもりでいるから、国民はいちいち自分の頭で考えて政府の命令の内容が正しいかそうでないかをチェックして、政府の命令の内容が正しくなければ政府に従ってはならない。

[8417] アイザック=ニュートン h21.9.15
アイザック=ニュートンは人類の歴史を二分する偉人である。
しかし、ニュートンは『プリンキピ=アマセマチカ』を書いた後で、こともあろうに政府と組んだ。
ニュートンは「私は巨人の肩に乗って遠くを見ただけだ。」と言っているが、ここの巨人とは政府のことである。つまり、ニュートンは政府に媚[こ]びへつらっているのである。
『ガリバー旅行記』を書いたスイフトもニュートンが政府と組んだのにガッカリ来て、『ガリバー旅行記』第3部「ラピュタの章」でニュートンを悪者にして攻撃している。
ニュートンのような天才が、「政府は知性のない馬鹿の集まりの暴力団だ」と言って政府にガツンと一発食らわしてやれば政府はとっくの昔に滅んでいただろう。
たとえニュートンでも、臆病[おくびょう]な科学者はみっともない。

[8418] 民主主義の教科書 h21.9.15
国民に『社会科学の法則』を教えるのに、いちいち学校や本は要らない。
テレビ番組やマンガに私の情報を入れる代わりに『社会科学の法則』を入れればいい。
テレビ番組やマンガで『社会科学の法則』に面白さを足した話をやればいい。例えば、『社会科学の法則』を犯した悪者が正義の味方にコテンパンにされるシーンを入れたりすればいい。
国民は毎日テレビ番組やマンガを見ているから、効果抜群だ。学校や警察は要らないといっても過言ではない。だから、政府のヤクザに税金を払う必要もない。

[8419] どうして医者の待遇がいいのか? h21.9.15
医者は人間について考える。
人間について考えるから、医者は“人間よりも上の者”だというのだ。
しかし、それはおかしい。
実際には、人間が人間について考えているだけだ。
人間が人間について考えるからといって、なにも“人間よりも上の者”になることはない。
だから、医者を特別視する必要はない。医者を特別視することはまちがっている。
それと同じように、いくら政治家が社会のことについて考えるからといって、政治家が社会つまり“人間よりも上の者”だということにはならない。
だから、政治家を特別視することもまちがっている。
人間よりも上かどうかは知覚の才能がどれだけあるかによって決まるので、ただたんに人間や社会のことについて考えたからといってそれだけで“人間よりも上の者”ということにはならない。
つまり、医者や政治家よりも数学者のほうが“人間よりも上の者”だと言える。

[8420] 政府はヤクザ h21.9.15
政府が正しく真面目[まじめ]にやって強大なら強大だと認めてもいい。
しかし、政府がまちがった神制度を使っているヤクザなら、いくら強大でも強大とは思わない。
そんなのは要らないゴミだ。
国民としてはヤクザをまともに相手にするのは嫌だ。

[8421] 国民は政府に無関心☆ h21.9.16
そもそも政府が面白い対象ではないので、国民の多くは政府について考えようとしない。[政治家がブ男なのは、国民に政府について考えさせないためである。]
だから、国民の多くはテレビや新聞を鵜呑[うの]みにして政府が議会制民主主義だけをやっていると誤解している。
だから、国民はせっせと自分が汗を流して稼[かせ]いだ給料の何割かを惜しげもなく政府に税金として支払っている。
国民は政府を知らなさすぎる。だから、国民は政府のいいようにされているのだ。挙句[あげく]の果てに、わけもわからず戦争に行かされて殺されるだけだ。[第2次世界大戦の時、大勢の国民が政府の天皇制に従って出征[しゅっせい]したのは、そもそも天皇制が何[なん]であるのか知らなかったためだと考えられる。天皇制とは、政府が神武天皇の代理を務めて“人間よりも上の者”となって、人間である国民を動物のように殺しまわることである。だから、政府みたいなしょうもない連中のいうことなんか最初から聞くことはないのである。]だから、国民はもっと政府について詳[くわ]しく知っていなければならない。

[8422] 『人造人間キカイダー』 h21.9.16
キカイダーは身体が左右非対称である。私が産褥期[さんじょくき]の障害で片側(たぶん右側?)の胸鎖乳突筋[きょうさにゅうとつきん]断裂と先天性股関節脱臼[こかんせつだっきゅう]を合併[がっぺい]していたため、顔や身体が若干非対称だからである。
光明寺博士は政治家だ。政治家が神(人造人間)を作るからである。しかし、その正体は人類を抹殺[まっさつ]するハカイダーである。ハカイダーの頭にある光明寺博士の脳がその証拠だ。
光明寺ミツ子は私の母で、光明寺マサルは私のことである。
光明寺マサルの背中には世界を滅ぼす『ハルマゲドンの設計図』が隠されている。
私が政府の正体の鍵[かぎ]を握[にぎ]っていることの喩えである。
おそらく政府の正体(つまり、政府が神制度を使う暴力団であること)は私以外には“政府の上の人”しか知らないだろう。
[私が小学生の頃に通っていた高知市朝倉横町26にあった床屋に『人造人間キカイダー』の単行本が置いてあって、待合の時間によく読んだ。ちなみに、キカイダー01は私の弟でキカイダー00は天皇のことである。キカイダー01は顔が私の弟に似ているし、キカイダー00[ダブルオー]の00は○がつながっていて○は神武天皇の光の玉だから天皇家のことである。]

[8423] 『タイムパトロール隊オタスケマン』 h21.9.16
タイムボカンシリーズ第4作目『タイムパトロール隊オタスケマン』では、よい子のオタスケマンと悪い子のオジャママンが宇宙空間にある宇宙ステーションで席を同じくしていた。
宇宙ステーションは政府の喩えであり、オタスケマンは民主主義の政治家の、オジャママンは神制度の政治家の喩えであると考えられる。

[8424] お金と奴隷制 h21.9.16
お金が発明されたので奴隷制がなくなった。
お金がないと奴隷がいくら働いても一生死ぬまで奴隷のままだが、お金があると自分が働いた分がお金となって自分の物になるからである。自分がどれだけ働いたかがお金となって眼で見てわかるからである。
人類を奴隷制から解放したのは、お金の発明である。
それと同じように、学校が発明されたので暴力団がなくなった。
学校ができて人間の知性に価値があるようになると、暴力団が“知性のない動物”すなわち“人間よりも下の者”と見なされて軽蔑されて無視されて潰れるようになった。科学の発明によってこの世に『社会科学の法則』があることがわかると、『社会科学の法則』を犯す者が“知性のない馬鹿”と見なされるからである。
人類を暴力団から解放したのは、学校(勉強、学習)の発明である。
今の政府は、神制度を使う暴力団である。
だから、今の政府も潰れつつある。
現代は、政府が国の中央で威張ることによって国が平和に治まっているのではなく、国民ひとりひとりが『社会科学の法則』を守ることによって国が平和に治まっているのである。だから、国の中央で威張っているだけの政府は要らない。
今の空威張りするしか能がない政府が潰れた後で、国民が発見した『社会法則』を書いてまとめて具体的な問題に適用することを仕事とする新しい政府ができるだろう。

[8425] 社会科は暗記科目ではない。 h21.9.17
学校で教えている社会科は社会科の基礎にすぎない。社会科の入門にすぎない。
学校では、子供にとってわかりやすい具体的な事実を挙[あ]げているまでだ。
だからこそ、ニュートンが具体的なリンゴが落ちるのを見て『万有引力』を発見したように、学校で習ったことをもう一度自分の頭で考えてそこから『抽象的な法則』を見つけなければならない。
例えば、日本の歴史は、大昔に日本政府が武器で国民を治めていた時代から、古墳時代になって『神制度』で治めるようになって、その後日本が神制度のない中国文化を受け入れて再び武器だけで治めるようになって、さらにその後江戸時代後期に神制度のあるアメリカと接触してからまた神制度で治めるようになったのである。そして、最近日本政府は神を架空の神武天皇から実在の私に代えたのだ。要するに、日本政府は神制度を使ったり使わなかったりを繰り返してきただけである。
例えば、日本の政治は、日本政府が議会制民主主義の芝居をして国民から税金を取って、裏で『神制度』を使って政府自[みずか]らが民主主義の法律を犯しているのが実態である。[政治家は東大出が多いから、『灯台下[もと]暗し』と言うのだ。民主主義の政治家たちは同じ政府の者が神制度で悪事を働いているのに気付かないのか!?]つまり、日本政府は暴力団であって、神制度は暴力団の悪質な冗談であって、議会制民主主義は暴力団が国民の眼をごまかすための隠れ蓑[みの]である。内閣も首相も暴力団の隠れ蓑にすぎないから偉くない。[国民は善人と悪人を正しく見分ける目を持っていなければならない。
今後国民が政府に対して何をすべきかは自[おの]ずと明らかであろう。[他人のまちがいの言いなりにならずに、自分が正しい考えを入れると世の中はうまく行くようになる。]
人類の歴史を作るのは君だ!

[8426] どうして政府が暴力団なのか?☆ h21.9.17
それは、政府と幕府が同じ組織だからである。幕府は神制度を使わない政府であり、政府は神制度を使う幕府である(つまり、幕府+神制度=政府、政府ー神制度=幕府)。政府は神制度を使うことによって国民に対する支配力を強めた幕府である。
ところで、幕府は武器で国民を支配している不合理組織すなわち暴力団である。幕府は国家暴力団にほかならない。[幕府は暴力団である。なぜなら江戸時代の頃には民主主義はまだできていなかったからである。江戸時代には曖昧な不文法しかなかったからである。だから、幕府は国民のためにある組織ではない。世の中が平和になった以外には幕府には何の取り柄もない。戦国時代は江戸時代の引き立て役である。幕府は武器で脅[おど]して国民から税金を取り立てていただけである。政府は神制度でパワーアップした幕府であり、幕府よりもいっそうガラが悪くなった暴力団である。]
だから、政府は暴力団である。
暴力団とは顔が悪い人間のことである。それ以外に“取り柄”はない。[女の暴力団がないのはそのためである。]暴力団とは顔が悪くて女にもてなくて社会からつまはじきにされてふてくされている連中のことである。[『英雄色を好む』とは、暴力団が女にもてないことの言い換えである。]

[8427] 戦争と平和 h21.9.17
戦争の原因は政府であるが、平和の原因は国民である。
戦争は、政府が神制度で“人間よりも上の者”となって人間である国民同士を戦わせて殺し合わせるゲームである。闘牛や闘犬のようなものである。
一方、平和は、昔は政府が武器や神制度などによって中央集権制を敷[し]いて、下の者である国民が上の者である政府の意に反することをしてはいけないことによって維持されていたが、今では国民が『社会科学の法則』を学校などで勉強して身に付けて守ることによって維持されている。
つまり、戦争の原因は政府であるが、平和の原因は政府ではない。政府は戦争の原因であって平和の原因ではない。だから、政府は要らない。

[8428] 政府は反面教師 h21.9.18
政府は国民に『社会科学の法則』を守れと言っておきながら、自分自身は『社会科学の法則』を守っていない。
だから、政府は国民にとって反面教師なのだ。
国民から見れば、政府が国民に『社会科学の法則』を守れと言うから、当然政府自身も守っているものと思っている。しかし、実際には、守っていないのだ。
そこが、手品の種[たね]というわけだ。

[8429] どうして昔のご飯は美味[おい]しかったのか? h21.9.18
米は白くて光るから神武天皇の光の玉の喩えである。
昔の日本政府は神武天皇の神制度をやっていたので、白く光る米を大事にしていたので日本のお米は美味しかったのである。[日本では銀のほうが金よりも値打ちがあったのも、銀が白く光って神武天皇の光の玉の喩えだからである。日本で『サザエさん』が高視聴率なのも、サザエが白く光って神武天皇の光の玉の喩えだからである。]
しかし、今の日本政府は神武天皇の神制度をやめて私の神制度をやっているので、白く光る米を大事にしなくなったので、日本のお米は不味[まず]くなったのである。
そもそも政府が駄洒落[だじゃれ]で仕事をするからいけないのである。
政府が駄洒落で仕事をするのは、政府がふざけた暴力団だからである。
政府は駄洒落で世の中を滅茶苦茶にしている。
昔から「政府のやることはわしら国民にはようわからん」と言われるが、精神に異常を来たしている暴力団のやることが健全な人間に理解できるわけがない。
暴力団に世の中を滅茶苦茶にされる前に暴力団をなくすに限る。
国民が暴力団にショバ代(税金のこと)を払わないと暴力団がイチャモンを付けに来るかもしれないが、そんな者をまともに相手にする必要はない。暴力団は正しくないから、国民を罰するのではなくイチャモンを付けることしかできない。むしろ、逆に国民で暴力団を罰しなければならない。国民のほうが正しいから、国民は暴力団を罰することができるからである。日本政府はこれまでさんざん国民を苦しめてきたから、政府を死刑にしてもいい。

[8430] 『社会科学の法則』 h21.9.18
法則は人間が決めるものではなく、実在が決めるものである。人間は実在が決めた法則をできるかぎり正しく認識するだけである。
人間は生まれつき実在が決めた法則を知らないから、生まれた後で自分の頭を使って考えて正しく知らねばならないのである。
『物理学の法則』がすべての物体に当てはまるように、全世界共通の『社会科学の法則』があって、それを各国の具体的な問題に当てはめるようにすればいい。そうすれば万事[ばんじ]うまく行く。

[8431] あとの祭り h21.9.18
私が私の精神病理論を子供の頃に知っていたら、私が精神病に罹[かか]ることはなかっただろう。
しかし、実際には、私が子供の頃にはまだ精神病理論を知らなかったから、私が高校1年生の時精神分裂病に罹ってしまった。つまり、怒[いか]りながらテレパシーを使おうとしたために、怒りの感情とテレパシー器官の間に連合ができて、その後テレパシーを聞くと条件反射で怒りの感情を感じるようになった。[[7931] 精神分裂病の治し方 h21.7.18の図を参照。]
それと同じように、国民が私の政府論をすでに知っていたなら、国民が政府を潰[つぶ]してこの世から政府がなくなっていたから、政府が神制度で事件を起して大勢の国民を苦しめることもなかっただろう。
しかし、実際には、国民は私の政府論をいまだに知らないから、国民は政府を国民を幸福にする機関だと思って政府に税金を払って食わせてやって、政府は国民の眼につかない所で密[ひそ]かに神制度を使って大勢の国民を苦しめている。江戸時代の幕府は国民から税を取るだけだったが、今の政府はその上に神制度で国民に対してさまざまな悪事を働いている。[だから、小学館の学習雑誌に紙(←神)の付録(政府が神制度で犯した犯罪の喩え)がついたり、グリコにおまけが付いたりするのだ。]
政府が何か事件を起した後では手遅れである。政府によって一度人生を狂わされたら、死ぬまで苦しみ続けねばならない。
だから、政府が事件を起す前に手を打たねばならないのだ。

[8432] どうして国民は江戸時代に我慢したのか? h21.9.18
江戸時代は、幕府が国民を武器で脅[おど]して国民から税を取る時代だった。
国民が江戸時代に我慢したのは、江戸時代の前に戦国時代があったからである。
戦国時代には平和はなく江戸時代には平和があったから、国民は嫌な江戸時代にも我慢したのである。
それと同じように、今の国民が政府に我慢しているのは、以前太平洋戦争があったからである。
今の政府は戦争をしないので、それだけで国民は嫌な政府に我慢しておとなしく従っているのだ。[議会制民主主義が何にもならない芝居であることは、多かれ少なかれ国民のみんながすでに気付いている。税金はさしずめ、政府に払う“平和代”[へいわだい]と言ったところだ。]
政府が戦争をしないことを国民に恩に着せて国民を従わせているのだ。
しかしながら、戦争を起こした張本人は政府である。政府が戦争の原因である。[かつて戦国時代に国内で戦争を起こしたのも政府である。]日本政府は古墳時代に戦乱の世の中を平和にして国を治めたことに味をしめて、その後も同じパターンを延々[えんえん]と繰り返しているのである。つまり、政府の支配力が弱まってきたらそのたびに戦争を起して、その後平和にして支配力を強化しているのだ。
それなら、政府ごと戦争をなくしてしまったほうが国民にとっては平和が確実に手に入るから安心できる。
今の世の中は学校やテレビなどで『平和主義の教育』が行き届いているから、政府がなくても国民だけで平和に暮らすことができる。政府は用済みだ。要らない機関をいつまでも国に置いているから、世の中がおかしくなるのだ。だから、政府はさっさと潰してなくしてしまうべきである。[学校と警察は残るかもしれないが、ひとまず今の政府を潰すことにしよう。]

[8433] なぜ日本に宗教団体や暴力団がたくさんあるのか? h21.9.18
暴力団とは『社会科学の法則』を犯す団体である。
日本政府は神制度を使っている暴力団である。
宗教団体は、政府以外の神制度を使う暴力団である。
暴力団が暴力団に対して文句は言えないから、日本には宗教団体や暴力団がたくさんあって日本政府と同じようなことをやっているのである。つまり、日本政府があることが、日本に宗教団体や暴力団が蔓延[はびこ]る原因なのだ。
しかしながら、日本政府は国民にとって要らないから、宗教団体や暴力団も要らない。
政府は宗教団体や暴力団もろともこの世からなくなってしまえばいい。

[8434] どうして作家は馬鹿なのか? h21.9.19
作家が馬鹿なのは知恵遅れの読者に合わせて書こうとするからである。
論理のない面白さだけがある世界の中では、認識が空回[からまわ]りして前に進まないからである。
作り話で面白くすることばかり考えて、実在の世界に目を向けてもっとよく考えようとしないからである。
しょせん、作り話では何もわかることがない。
作家の馬鹿臭い文を読むと、頭で見るより心で見る悪い癖を身に付けるだけである。そういった心主義の見方は、太平洋戦争までの日本人の見方である。作家みたいな考え方では、この世にわかることがない。
わからなくて面白いよりも、わかってつまらないほうが上だ。なぜなら、わかること自体が面白いことだからだ。わからなくて面白いのは、面白いふりをしているだけだ。
だから、私は学生時代から自分で考えたことをノートに書くだけで、作家が書いたくだらない本なんか一冊も読まなくなったのだ。

[8435] 日本が平和になったのは政府のためではない。☆ h21.9.19
昔日本では、食べ物に不自由して各地で争いがしょっちゅう起こっていた。
古墳時代に日本が平和になったのは、その頃日本に稲作[いなさく]が普及して食料が確保できるようになったからである。
それを日本政府が自分の手柄にしたのだ。
日本政府が神制度をやって自分が人間よりも上の者になって中央集権国家にしたおかげだとこじつけたのだ。
だから、政府には最初から何の機能もない。[政府の建物が見える東京近辺では中央集権が効くかもしれないが、政府の建物が見えない田舎では中央集権が効かない。江戸時代の参勤交代は、日本が中央集権国家であるつまり政府=幕府に強い権力があることを国民みんなにわからせるためにやったのだ。つまり、参勤交代は幕府にとって都合がいい国を作るための芝居である。]
政府は神制度を使って人間よりも上の者となって国民に嫌がらせをする機関でしかないのだ。
したがって、政府は要らない。
今は食糧が十分に確保できる時代だから、政府が戦争をしないかぎり平和である。だから、政府がなければいいのだ。
戦争が起きた後では手遅れである。だから、前もって政府をなくしておかねばならない。
要するに、政府は役立たずである。役立たずが役に立っているふりをしているだけのことだ。議会制民主主義も役に立っていない。[国会議員は話し合いができるほどの頭ではない。]議会は余計なことを決めて国民の自由を侵害[しんがい]しているだけだ。例えば、医療保険の自己負担率を国会で決めているが、そもそも医療保険そのものが要らない制度である。つまり、医療保険の自己負担率は10割が正解である。議会制民主主義も参勤交代と同じように政府に権力があると国民に思わせるための芝居である。実際には、議会は何もしていない。国民も何の役にも立たないものをありがたがってはいけない。要らないものは早めに捨てるに限る。
今の日本が平和なのも、学校やテレビなどによる『平和主義の教育』の賜物[たまもの]であって、政府のおかげではない。むしろ政府は戦争を起こす原因として忌[い]み嫌われるべきである。
政府は暴力団である。役立たずの暴力団を日本に蔓延[はびこ]らせたのは国民にも責任がある。国民は政府の屁理屈や芝居に騙[だま]されてないけない。

[8436] 警察は役立たずだ。 h21.9.19
政府は暴力団である。日本で原因不明の事件を起しているのは政府である。
しかし、警察は政府を逮捕しない。おかげで政府が暴れ放題だ。
だから、警察は役立たずである。
政府も役立たずだが、警察も役立たずだ。

[8437] 実存主義とは何か? h21.9.19
政府や宗教団体などの暴力団のためにある哲学である。
政府や宗教団体などの暴力団は『社会科学の法則』を犯す不合理主義の団体である。
実存主義は不合理主義だから、実存主義は暴力団が活動しやすい世界を作る。
反対に、合理主義哲学は『社会科学の法則』を世界中に浸透させて、政府や宗教団体などの暴力団をこの世から排除する哲学である。合理主義は暴力団が活動しにくい世界を作る。

[8438] 政府がなくなったらどうなるか? h21.9.20
この世から神制度[で起した原因不明の事件]と税金がなくなるだけである。
ついでに、宗教団体や暴力団もなくなるだろう。
戦争もなくなる。
いいことづくめだ。
早くそうなってもらいたい。

[8439] どうして私が神に選ばれたか? h21.9.20
『カチカチ山』でもわかるように、政府は暴力団だから駄洒落[だじゃれ]が好きである。暴力団は昔から駄洒落が好きと決まっている。
ところで、私が子供の頃に住んでいた県営住宅には家庭に水を供給するための給水塔があった。南団地にも高い給水塔があって、私が小学4〜5年生の頃に登って怒られたことがある。
給水塔とは、水を高いところに置くことである。
また、雨は空から降ってくる。だから、水は高いところにある。
水が“高いところにある”ということと、私の姓の川野の“川”と“水”は似ているということで、私が神に選ばれたのである。つまり、政府が私を神にしたのである。[「水野」ではあまりにもそのまんまだから、政府は「水野さん」を神にしなかったのである。“似て非なるもの”が駄洒落の世界の掟[おきて]だからである。]
もっとも、私の父親が公務員と言うこともあったかもしれない。そのほうが、政府が私の周りにいる家族に指示を出しやすいからである。
高知県が、架空の神武天皇が生まれた宮崎県に近いということもあったかもしれない。
一方、“夜中に突然ガラガラが回った”ことは定[さだ]かではない。
私自身憶えていないし、私が子供の頃に一度アルバムでガラガラの白黒写真を見たことがあるだけである。
私が今年の1月31日から2月上旬に高知に帰った時に母親にガラガラが突然回ったときのことを訊[き]いてみても、母親は答えたくない様子で曖昧な返事しか得られなかった。
私は母親を信じたいが、母親も人間だから嘘をつくこともありえる。
“夜中に突然ガラガラが回った”ことはただの作り話なのかもしれない。[私が小学2〜3年生の頃に母が一度だけ私に“夜中に突然ガラガラが回った”ことを話したことがあったが、それは私が嘘をついて家のテレビやおばあさんの腕時計を壊したのを弟のせいにした後だったから、政府が神制度で私の母に作り話を喋[しゃべ]らせたのかもしれない。]
とにかく、“ガラガラが回った”ことが、私が神に選ばれた決め手ではないことは確かだ。
したがって、政府が私を神に決めたのは、おおかた『駄洒落』によるものだと考えられる。

[8440] どうして政府は神制度をやるのか? h21.9.20
政府は神制度をやって、あたかもそれが当然であるかのように事件を起して国民を殺している。たとえ国民を殺さなくても、政府は神制度を使って自分に権力があるふりをして国民に滅茶苦茶な命令を出している。
神制度は、江戸時代の参勤交代や近代以降の議会制民主主義のように政府の権力を強めるための芝居である。国民に政府に権力があると思わせるための芝居である。
議会制民主主義ではいまいち政府の権力が強まらないから、政府はどうしても別の手段が欲しかったのだろう。民主主義では国民本位で政府が国民の下僕[げぼく]だし、実際の議員ではしょせん演技力に限界があるからである。その点神制度は、国民が抱[いだ]いている神のイメージによるから、政府の権力が限りなく増大するのである。
以前の宗教がマンネリ化しすぎて世界大戦以後は政府は宗教をやめたから、戦後政府は私を神にして新しい神制度をやろうとしたのだ。

[8441] 自業自得 h21.9.20
お金の発明が奴隷制をなくしたように、
学校やテレビの発明によって合理的な『民主主義』や『平和主義』が世界中に普及して、政府や宗教団体や暴力団などの不合理団体がなくなった。
新しい発明が古いまちがった物をなくすのだ。
戦後政府が始めた私の神制度は、政府がなくなることにますます拍車をかける結果になった。
政府は余計なことをして政府自身を潰[つぶ]したのだ。『金の卵を産むニワトリ』のおとぎ話を地[じ]でやってしまったのだ。[ニワトリは私ではなく神制度の喩[たと]えである。]政府は自分が要らない組織であることを知っていたから、わざわざ私の神制度をやって自分で自分を潰したのかもしれない。

[8442] 人間の命綱[いのちづな] h21.9.20
人間が落ちぶれずに生きていくためには、何らかの善い感情にすがって生きていかねばならない。
善い感情とは、女なら愛情、男なら知覚欲だ。[女が知覚欲を生き甲斐[がい]にして生きるのは、男が愛情を生き甲斐にして生きるように無理なことだ。知覚欲の名[な]の下[もと]にやることがいくらでもあるように、愛情の名の下にもやることは限りなくあるのだ。]
そうしなかった人間が、政府や宗教団体や暴力団に入ることになるのだ。くだらない面白くない人生を送らねばならないことになるのだ。

[8443] 『ソクラテスの弁明』 h21.9.20
ソクラテスは逃げようと思えば逃げられたはずだ。普通の人なら、自分が悪くなければ当然逃げるはずだ。他人のつまらない誤解で殺されては割に合わないからだ。
いい歳した大人が「国のため」などと言う曖昧な名目のために自分の命を捨てるのは変だ。作り話としか思えない。考え深い哲学者のすることではない。それに、政府は暴力団である。ソクラテスが政府のために死んだのなら、しょせん大した哲学者ではなかったわけだ。
プラトンの他の著作は対話形式で書かれているのに、『ソクラテスの弁明』だけが独話形式で書かれている。
したがって、『ソクラテスの弁明』は後世の誰かが政府の命令ででっち上げた贋作[がんさく]だろう。[もっとも、私はプラトンの研究家ではないから、私がまちがっているかもしれない。]

[8444] 公務員の皆さんへ h21.9.20
政府は近々潰れるから、早めに他の仕事に変えたほうがいい。
でも、暴力団や宗教団体は作らないでもらいたい。
なるべく、真面目[まじめ]な仕事に就いて欲しい。

[8445] 法律の制定[せいてい]は学者にやらせるべきである。 h21.9.20
理学部の研究者は、『物理学の原理』をさまざまな具体的な物体に適用して研究をしている。
それと同じように、文学部の研究者は『社会科学の原理』を社会のさまざまな具体的な問題に適用して法律を定めればいい。
今の文学部の研究者は自分の趣味的なことばかり研究して世の中の役に立っていない。遊んでいる連中を国のために活かさねばならない。
政治家は学者ではないから、原理を具体的な問題に適用して考えることに慣れていない。政治家は論理の“ろ”の字も知らない。だから、政治家には法律が作れるわけがない。
したがって、政府は特にやることがない。だから、政府は潰れてなくなればいい。

[8446] 自然に決まる h21.9.21
議会で国民の気持ちを決めなくても、国民の気持ちは自然に決まる。
例えば、日本人がパンが好きかご飯が好きかは、日本人一人一人が実際に食べて決めればいい。
そうすれば、ひとりでに日本人全体としてパンが好きかご飯が好きかが決まってくる。
そんなことは議会が決めることではない。
議会は国民の心を決めるのではなく、『社会科学の原理』から論理的に決まることだけをきちんと管理すればいい。
中国の文化では『割り切れないことは無理に決めない』ことは常識となっている。そのほうが実際にうまく行くからである。中国では、心に関することは荘子流で、頭に関することは孔子流でやっているのだ。
だから、国民も議会の決定におとなしく従うだけではなく、議会の決定が自分の意にそぐわなければ盛んに反対しなければならない。まず第一に、そんな決定をした議会を怪[あや]しいと思わねばならない。
そもそも、国民一人一人が自分の好き嫌いをちゃんと理解していなければならない。国民が自分の幸せをどうでもいいと思っているから、どんどん幸福から離れていくのだ。

[8447] 天皇制 h21.9.21
日本国憲法第1章には天皇制が述べられている。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではなく、神制度は無効である』ことを証明したから、天皇制はまちがっている。
だから、日本国憲法から第1章を削除しなければならない。そうしないと、日本が世界に自分の社会科学のまちがいを晒[さら]すことになり、日本の恥だ。
日本国憲法を改正するには、日本国憲法第96条第1項によると「議員の3分の2以上且[か]つ国民の過半数の賛成を得なければならない」が、原理的には『正しければ多数決は要らない』はずだ。物理学の法則を多数決で決めないように、社会科学の法則も多数決で決めることはない。物理学の法則も社会科学の法則も、正しいことがわかればひとりでに認められていくものだ。
だから、私の頭の中ではもはや天皇制はないし、日本国憲法には第1章はないのだ。

[8448] 国民は政府と縁[えん]を切らねばならない。 h21.9.21
政府は暴力団である。政府は議会制民主主義の芝居をして国民から税金を取って、裏では神制度をやって国民の嫌がらせをしている暴力団である。議会制民主主義も神制度も政府に権力があると国民に思わせるための芝居である。
国民が政府以外の暴力団(宗教団体も含む)の言うことは聞かないのに、政府の言うことを聞くのはおかしい。矛盾している。国民が政府以外の暴力団の言うことを聞かないなら、政府の言うことも聞かないはずだ。[会社が大きいのはかっこいいが、暴力団がいくら大きくてもかっこよくはない。]
だから、国民は政府と縁を切って暮らさねばならない。

[8449] 社会科学の法則についての法則 h21.9.21
『社会科学の法則』は当時の文明に依存する。
つまり、文明が進歩すれば『社会科学の法則』も変わる。
例えば、お金が発明される前は奴隷制があったし、科学や学校が発明される前は政府や宗教団体や暴力団などの不合理団体があった。
今の『社会科学の法則』は今の文明の下[もと]での法則である。
将来新しい発明があれば、『社会科学の法則』も今のものとは変わってくるだろう。

[8450] なぜ政府は国鉄をやったか? h21.9.21
汽車の車輪が丸いし、蒸気機関車が前から見ると丸いからである。
政府が郵便をやったのは、郵便は紙を扱うからである。郵便ポストが赤いのは、ポストが紙(神)を高いところに置くから空の高いところにある太陽と同じ色にしているからである。昔の郵便ポストは上から見ると丸かった。
政府が紙幣を扱うのも、紙が神(駄洒落[だじゃれ])だからである。日本の硬貨が丸いのは、神武天皇の光の玉だからである。
神武天皇の神制度では、政府が丸い物や紙に関することなどを扱っていた。[競馬は、軍馬[ぐんば]を育てるために始められたからである。神武天皇は軍人だったので、神武天皇の神制度で競馬をやっているのである。明治政府が西洋科学を取り入れたのは、日本の軍事力を強めるためである。(しかし、その結果日本の合理化を強めることになり、不合理団体である政府自身を潰すことになってしまった。)]
しかし、世界大戦後は日本政府は神武天皇の神制度をやめたから、国鉄や郵便が民営化されたのである。[チェルノブイリで原子力発電所が事故[じこ]ったのは、原子力が神武天皇の光の玉の喩えで、世界大戦後は世界中の政府が神武天皇の神制度をやめたからである。世界大戦のとき、原爆が日本に落ちたのも、原爆が神武天皇の光の玉の喩えだからである。]
日本政府は今は私の神制度をやっている。
私の神制度では、私が赤ちゃんの頃に念力でガラガラを回した?ことに因[ちな]んで、グルグル回る物を扱う。[科学的には念力はないから、私が赤ちゃんの頃に念力でガラガラを回したのはたぶん嘘である。]
例えば、資源やエネルギーを何度も使うリサイクルをやっている。ヨーロッパでは大きな風車をグルグル回す風力発電をやっている。[世界大戦後ヨーロッパ政府はキリスト教をやめた。4枚羽根にするとキリスト教をやっていることになるので、風車はどれも3枚羽根である。]民間では、回転寿司なんかをやっている。臓器移植なんかもリサイクルである。フリーマーケットもリサイクルである。
私の神制度では、グルグル回ることが限られているから、国民の役に立つことがあまりない。
それで、政府は暇をもてあまして余計な嫌がらせばかりやっているのだ。
国鉄や郵便のように、政府がやらなくても民間企業がやればいいし、特に政府は要らない。

[8451] 人間の条件 h21.9.21
人間は自由であるが、正しいことには従わねばならない。それが知性のある動物としての人間の使命である。
例えば、『社会科学の法則』は正しいことだから従わねばならない。
それができない者は、知能が低すぎると見なされて、もはや人間とは見なされない。
人間と見なされない者は、動物や物のように牢屋に入れられて躾[しつ]けられたり殺されたりする。
例えば、『社会科学の法則』を破る暴力団は、人間の仲間と見なされず、人間社会から外[はず]されて無視されて殺される。それが今の政府である。

[8452] バトルフィールド2 h21.9.21
最近バトルフィールド2のサーバーが赤字になって入れるところが少なくなったので、また政府の私に対する嫌がらせかと思った。
赤字になる前に、一度バトルフィールド2のゲームプレイ中にインターネットで過大電流が流れて?プログラムが切れたことがあった。
エレクトロニック・アーツのバトルフィールド2のページではバージョン1.41以降新しいパッチが出ていなかったので、私はサーバーが赤字になって入れなくなった原因をプログラムの故障だと思って、一度バトルフィールド2のプログラムをアンインストールして再インストールして直そうとしたら、オンライン登録の場面でシリアルNo.を入力するところで入力を受け付けなくなってオンラインプレイが完全にできなくなってしまった。飛び火してバトルフィールド1942やバトルフィールドベトナムまでオンラインプレイができなくなってしまった。インターネットイクスプローラー8のようにシステムの復元をかけても直らなかった。
その後、バトルフィールド2にDemo版があることを知り、インストールして遊んだらバトルフィールド1942やバトルフィールドベトナムも回復してこれまで通りオンラインプレイできるようになった。バトルフィールド2のDemo版ではGulf of Omanの縦の面を横にして遊んでいるところがあった。Demoのアメリカ版ではプレーヤーが疲れずに長く走れるし、高く跳びあがれるし、弾が異様によく当たるようになっている。
しかし、Demo版ではGulf of Omanしか遊べないので、やっぱり日本語の完全版をヤフーオークションで買った。これで4〜5回バトルフィールド2を買ったことになる。バトルフィールド2以降、めぼしいFPS(First Person Shooting;一人称視点の射撃ゲーム)が出ていないせいだ。
さっそくインストールしてみたが、やはり赤字問題は解決していなかった。ちょっとガッカリしたが、それでもいくつか白字の入って遊べるサーバーがあるので一応満足した。
ところが、今日インターネットで検索して調べていたら、バトルフィールド2に新しいバージョン1.5のパッチが出ていることが判明した。エレクトロニック・アーツのページにちゃんと載せとけ!おかげで5000円損をした。

[8453] 神武天皇はどうして神なのか?☆ h21.9.21
文学は真実に面白さを足して作られる。だから、たとえ聖典の作り話でも、話のもとになったなんらかの実話があると考えられる。つまり、神のもとになった実在の人物がいると考えられる。
神は人間よりも上の者なので、神は昔から太陽とか星とか稲妻とか“高いところにある物”に喩えられる。
神武天皇が神なのは、神武天皇のもとになった人が宮崎県の高千穂[たかちほ]の生まれだからである。高千穂は“山の高いところ”にあるから高千穂で生まれた人は神なのである。
キリストが神なのは、キリストのもとになった人が十字架の“高いところ”に磔[はりつけ]にされて罰せられた罪人だからである。
釈迦が神なのも、釈迦のもとになった人がヒマラヤ山脈の麓[ふもと]の“高いところ”で生まれたからである。
私が神なのは、私の姓の川野の“川”が“水”と似ていて、私の名前が延夫[のぶお]だから、姓と合わせて“水が伸びた”ことになって、空から降[ふ]ってくる雨の雫[しずく]を表していて、雨粒[あめつぶ]は空の“高いところ”にあるからである。それと、私が生まれたのが高知で、高知が高地と音が同じで、高地は“高いところ”だからである。
これまでの神についての話は、“高いところにある物”に因[ちな]んだ人を適当に神にして、あとから超能力の作り話を付け加えただけのことである。
神の超能力は実話に付け足した架空の作り話の部分である。だから、超能力は実在しない。
政府は暴力団である。暴力団は駄洒落[だじゃれ]が好きである。神制度は、政府が自分の権力を強めるために駄洒落でやっている制度なのである。

[8454] 大和王朝は存在しなかった? h21.9.21
日本政府が日本を統一するまでは、日本は各地を支配する小さい豪族が集まった連合国家だった。[もっとも、私は研究者ではないから、私の昔の日本観がまちがっているかもしれない。]
連合国家の時代は、食料が安定に自給できず食料をめぐる争いが絶えなかった。
しかし、日本に稲作が普及するにつれて日本は争いが減り平和になっていった。
そんなとき、日本に神制度で神の代理を務めて人間よりも上の者となって人間である国民を支配する宗教団体が現れた。
その宗教団体は「日本が平和になったのは自分たちが日本を支配したおかげだ」と言って、国民から税を取って国民の上にあぐらをかいて暮らすようになった。
その宗教団体が日本政府である。
昔の政府はペテンが上手かった。しかし、今の政府はペテンが下手だ。だから、今の政府は政府を潰すだろう。
そもそも政府の権力で日本が平和になったのではない。日本が平和になったのは食べ物に不自由しなくなったおかげだ。江戸時代の一揆[いっき]がその証拠である。食べ物に不自由すると、いくら政府に強い権力があっても国民は反逆するのだ。
だから、日本の平和のためには政府はまったく要らないのである。

[8455] 真実と嘘[うそ] h21.9.22
理学部は真実を研究する学部である。
文学部は嘘を研究する学部である。
文学部では嘘をつくことが研究だから、いつまでたっても真実がわからないままだ。
あるいは、研究自体が嘘だから、研究しているふりをしてじつは遊んでいるのだ。
これまでに政府についての研究が全然されていないのは、文学部が駄目[だめ]だからだ。

[8456] どうして天才児は甘えん坊なのか? h21.9.22
ガロアもラマヌジャンも甘えん坊だったといわれる。
古来天才児には甘えん坊が多い。
それは、伝記が嘘だからである。
天才は論理的に考えるから、甘えん坊のはずがない。そんなの嘘っぱちだ。
天才がいると政府の正体が見破られて政府が不利になるので、政府が国民が天才を作らないように嘘の天才の伝記をでっち上げているのだ。
天才がどうして天才なのかは天才のみぞ知る。
ただ、ルネ=デカルトはどうして自分が天才なのか?を考えた人である。
だから、デカルトの本は一生に一度は読んだほうがいい。

[8457] どうして頭がいい人は理学部に行くのか? h21.9.22
それは、政府が世の中をそういう雰囲気にしているからである。
政府が、頭のいい人は理学部に行って馬鹿は文学部に行くものだと国民みんなに思わせているからである。
頭のいい人が文学部に行くと政府の正体が見破られるので、そうならないように政府が国民を心理操作しているのである。
だから、頭のいい人は、無難[ぶなん]な理学部に行っておとなしく俗世[ぞくせ]からかけ離れた数学や物理学の研究をしたがるのだ。だから、数学や物理学の研究は1000年も100年も先を行っているのに、社会科学の研究は弥生時代のままで止まっているのだ。

[8458] 信者 h21.9.22
政府は暴力団である。
信者とは、政府という名の暴力団の味方をする者である。
暴力団に味方をすると、暴力団がよくしてくれるのだろうか?[暴力団は不合理団体だから、あまり期待できそうにない。]
むしろ、暴力団に味方すると、国民に総スカンを食らうだろう。
信者以外の国民は政府に反対しているからだ。

[8459] 暴力団の生き甲斐[いきがい] h21.9.22
暴力団の生き甲斐は威張[いば]ることである。他人よりも上の者となることである。
しかし、暴力団の実体は『社会科学の法則』を犯す者である。
今日[こんにち]では、暴力団は『社会科学の法則』を理解するだけの知性を持っていない“人間よりも下の者”と見なされる。要するに、暴力団は馬鹿の寄せ集めである。

だから、暴力団は他人から軽蔑されるだけである。いくら暴力団が羽振りがよくても、軽蔑されたら何にもならない。

したがって、現代では暴力団は威張れないから、暴力団に入っても威張る喜びは満足されない。
だから、今日[こんにち]では暴力団は潰れる一方なのである。政府もその例外ではない。

[8460] 原因不明の事件 h21.9.22
今では新聞やテレビを賑[にぎ]わす原因不明の事件は政府が私の神制度で起している。
しかし、戦前は原因不明の事件は政府が神武天皇の神制度で起していたはずである。
私は戦後の生まれなので、戦前の記事までは知らない。
暇な人は一度戦前の新聞記事を調べて確かめてみるといい。

[8461] どうして苦手科目があるのか?(学生のために) h21.9.22
苦手科目があるのは、小さい時に親からまちがった教育を受けたせいで脳の使い方に偏[かたよ]りがあるためである。宗教に入っている者に多い。脳のよく使っている部分が得意になり、使っていない部分が苦手になるのである。
苦手科目は脳の分化によって生じる。脳は一度分化してしまうと、二度ともとには戻らない。それが、脳という物体の性質である。だいたい10歳を過ぎるともはや苦手科目は治らない。
苦手科目があるのは、一種の精神病(鬱病[うつびょう])のようなものである。
苦手科目は治らないから、無理に苦手科目を克服しようとして貴重な青春の時間を無駄にしてはならない。苦手科目の時間は寝るか内職すればいい。絶対に、苦手科目を自分の職業に選んではいけない。鬱病に罹[かか]って自殺しなければならなくなる。苦手科目があることは、反対に得意科目があることだから、自分の得意科目を活かすように生きていけばいい。

[8462] 議員は政府の権力を強めるための道具である。 h21.9.22
政府は暴力団だが、一方で議会制民主主義をやっている。議会制民主主義は江戸時代の参勤交代のように、政府の権力を強めるための芝居である。政府という名の暴力団が議会制民主主義や神制度によって権力を強めて、『社会科学の法則』を犯しているのだ。
議員は政府の権力を強めるための道具である。暴力団の組員が“高価な服”を着て人眼につくところでブラブラして暴力団が権力のある組織だと付近の住民に思わせているように、政府は“経歴のいい人間”を議員にしてテレビや新聞に出して政府が強い権力がある組織だと国民に思わせようとしているのだ。つまり、政府の権力を強めるために、“経歴のいい人間”を政府に入れているのである。イギリス政府が自分の権力を強めるために天才科学者のアイザック=ニュートンを政府に入れたようなものである。
しかし、正直言って、私は政府の議員はあまり立派な人間とは思わない。
最近は、政府だけではなく民間企業も国民に対して心理操作をしているので、国民が政治家をすでに立派な人物とは思わなくなっているのだ。国民は政治家をろくでなしとしか思わなくなっている。もっとも、正しい心理操作なら国民としては歓迎するが。現代はテレビや新聞があるから、政府担当のテレビや新聞の記者が記事をなんども書いているうちに私と同じように政府についての考察が深まって政府が暴力団であることがわかって政府の評判を落すような演出を加えたのだろう。

[8463] 議会は何もしていない。 h21.9.22
現代では、国民一人一人が『社会科学の法則』を守って自分で自分のすることを決めて動いている。だから、政府の議会が決めることなど何もない。
政府の議会はもともと決めることがないので、何も決めなくてもいいのである。だから、議会はどうでもいい話をダラダラと続けているのである。
議会は政府の権力を強めるためにやっているだけであって、決めることがないのである。議員はただの“経歴のいい人間”であって、会議をする才能なんかないのである。政府の議会は、「政府に国のことを決める力がある」と国民に思わせるためにやっている三文芝居にすぎない。実際に、国のことを決めているのは国民一人一人なのである。たとえ議会が決めることがあったとしても、それは正しく考える限り『社会科学の法則』から論理的必然的に決まることなので、誰が考えても同じであって、議会に特別な権限があるわけではない。今日日[きょうび]は議員よりも頭がいい国民はいくらでもいるから、議会が正しいかまちがっているかが国民にわかるので、議会では政府の権力を強めることはできないのだ。議会がなくても国民で決めるから政府は要らない。
政府は議会で自分に強い権力があるかのように思わせて、神制度で『社会科学の法則』を破って余計なことを決めて国民に嫌がらせをしているのである。
政府のやることはたんなる暴力団の嫌がらせだから、国民は政府の言うことを聞いてはならない。

[8464] 政府に権力はない。☆ h21.9.22
議会については、政府と国民は対等である。どちらかというと、政府よりも国民のほうが有利である。
だから、政府は神制度しか頼るものがない。
しかし、神制度は駄洒落[だじゃれ]制度である。政府は駄洒落で“高いところにある物”に因[ちな]んで神を決めて、神がやったことに因んで駄洒落で法律を決めて国民に命令を出しているのである。[神制度は駄洒落でやっているだけだから、実際の神の性格とか思想とかは関係ない。政府にとって都合のいいように作り事の神の性格や思想を政府が決めるだけである。政府にとっては国民が自分で考えずに政府の言うことを聞くだけのほうが都合がいいから、神はいつも国民に対して政府に絶対服従する心を説[と]くのである。]
そんな馬鹿馬鹿しい制度に従う国民はいない。

だから、政府にはもはや頼れるものがない。
政府には特別な権力がない。
政府はそこら辺[へん]の暴力団と同じだ。
したがって、今後は国民は政府の言うことを聞かないだろう。

[8465] 医者は馬鹿か? h21.9.22
医者は馬鹿すぎるからつまらない仕事がやれるのだ。
医学に論理性がないのは、医者が馬鹿である証拠だ。
医者は子供の頃から馬鹿すぎて勉強ばかりするので試験の点がいいのだ。
ガリ勉はみんな馬鹿だ。馬鹿すぎて勉強しかしないから試験の点がいいだけのことだ。

[8466] 日本はテレビ主義の国 h21.9.22
昔の日本人は本ばかり読んでいた。言葉を大事にしていた。だから、日本人は表情が乏[とぼ]しいわりには言葉使いが上手なのである。
しかし、今の人間はテレビばかり見ている。そのために表情は上手になったが、そのぶん言葉が下手になった。
休みの日にテレビばかり見て、他には何にもしない。他人の書いた本を読まないし、自分の頭で考えたことを言葉にすることもない。
テレビが面白ければ、現実に目を向けなくてもいいと言うのか?!テレビさえよければ、現実はどうなってもいいと言うのか?
そんなことだから、現実の世界が政府に乗っ取られたりするのだ。

[8467] 万里の長城 h21.9.22
中国の万里の長城が山の上に長々[ながなが]と建っているのは、万里の長城が神だからである。
万里の長城は山の上の“高いところ”に建っているから神であり、万里の長城を作った皇帝が“人間よりも上の者”になるのである。万里の長城は、中国における宗教(神制度)である。中国の神は人ではなく、万里の長城という物なのだ。
PCゲーム『バトルフィールド2』のバ−ジョン1.5には「Great Wall」という万里の長城を戦場にしたマップがあるが、それは中国が世界最大の国であり、中国が力のある国だからである。
私が近畿NEOMAXで働いていた時、三島[みしま]工場長が朝のミーティングのとき「壁のこちら」とか「壁の向こう」とか盛んに言っていたのは、中国を立てるためである。その後、中国から研修生の女の子が工場に来てしばらく私と同じ職場で働いていた。アニメ『銀玉』の神楽[かぐら]に似ている。
阿部公房[あべこうぼう]が精神分裂病を題材にした『壁』を書いたのは、その頃日中国交が回復して中国が日本と近い国になったからである。

[8468] 駄洒落[だじゃれ]による思考 h21.9.22
今は論理があるが昔はなかった。
ギリシアの学者は論理を知っていたが、それ以外の人間は知らなかった。
だから、昔の人は駄洒落を大事にした。
今の人が論理で考えるように、昔の人は駄洒落で考えていた。
昔は言葉の音が似ていたり意味が似ていたりすることにも、何らかの理由があると考えていたのである。例えば、そばは細くて長いから、長寿を願って年越しそばを食べるようなものである。赤ちゃんが生まれた時に、赤ちゃんの“赤”に掛けて赤飯を食べるようなものである。だから、昔は駄洒落が現代の科学理論のように堂々と通用したのである。したがって、駄洒落制度のひとつである神制度も当然のように通用したのである。
[私が高知学芸高校にいた頃、佐野[さの]校長が毎週朝礼の時、言葉の話をしていた。例えば、「葉は端[はし]っこの“は”であって、言葉が言葉と言われるのは、言葉が事すなわち現象の端っこすなわち一部分だからである」のような話をしていた。つまり、佐野校長は神である私に駄洒落制度を承認させるために、毎週朝礼で退屈な話を全校生徒に聞かせていたわけだ。]
しかし、現代の水準からすると、もはや駄洒落は合理的とは言えない。現代人は、言葉の実在的な意味で論理的に思考するのであって、言葉の音や意味の類似性でいいかげんに思考したりはしない。例えば、神は人間よりも上の者だからといって、高いところにある物に因[ちな]んだ者を神としたりはしない。つまり、昔の人は無駄なことばかり考えて、いろんなまちがいを犯していたわけだ。
だから、現代では、駄洒落制度は不合理的で通用しない。例えば、神制度は駄洒落制度だから、神制度は通用しない。

[8469] 教会は恥知らずだ。 h21.9.23
宗教は神制度を使う暴力団である。
教会は暴力団の事務所である。
教会は暴力団の事務所にしては偉そうに建っている。まるで自分が何か正しいことをしているかのようにずうずうしく立派気[りっぱげ]に建っている。
教会は自分の身のほどを知らない建物である。恥知らずな建物である。
暴力団の事務所はもっと控[ひか]えめに人目につかないところに薄暗く建っていなければならない。

[8470] 政府の仕組[しく]み h21.9.23
テレビのスイッチをつけてテレビを見るだけでは、テレビの仕組みを理解していることにはならない。
それと同じように、政府に税金を払って政府の命令を聞くだけでは政府の仕組みを理解していることにはならない。
だから、国民の大半は、政府がどういう組織なのかわかっていないのだ。
政府が暴力団だと思えば、政府に税金すなわちショバ代を払うほうが悪者[わるもの]で、払わないほうが善[い]い者だということになる。政府の命令を聞いて政府に協力する者が悪者で、政府の命令を聞かないほうが善い者ということになる。暴力団の組員が自分の縄張りにある店に来て「ここで店を出して食べていけるのは誰のおかげだ?」と言って店の者を脅[おど]してショバ代をせしめるが、実際には暴力団は迷惑なだけで何の役にも立っていない。それと政府は同じなのだ。政府から議会制民主主義と神制度を引いたら暴力団と同じなのだ。(つまり、政府ー議会ー神制度=暴力団。)
テレビは面白いからあって欲しいが、政府は面白くないからなくなって欲しい。だから、その願いを実現しなければならない。
政府に税金を払わないことや政府の命令を聞かないことは国民でもできることである。だから、まずそれから実行すればいい。

[8471] 嘘をつく会社☆ h21.9.23
日本政府は日本に稲作[いなさく]が普及して平和になってきた時に神制度を始めて「自分たちが日本を支配したから日本が平和になった」と嘘をついて本当に日本を支配した。
神制度も参勤交代も議会制民主主義も、政府に支配力(権力)があると国民に思わせるための手段である。[参勤交代では各地の大名を幕府が従わせているので、幕府に強い権力があることを国民にわからせることができるのである。]
実際には政府はただ国民から税金を取って食べているだけで、何の仕事もしていない。神制度で嫌がらせをしているだけである。
日本が平和になったのは、稲作の普及によって食料が安定に供給できるようになったことと、本や学校が普及して『社会科学の法則』を国民が勉強して身に付けて守るようになったからである。それでも少数の『社会科学の法則』を理解できない例外者(つまり犯罪者)は出るが、それと政府とはそもそも何の関係もない。“犯罪者を処理する施設”は嘘つき会社である政府とは別個に作るべきである。
病院は政府とは別に出来て、精神病院にも牢屋[ろうや]があるくらいだから、政府とは別に犯罪者を取り締まる会社である警察を作ればいい。
法律すなわち『社会科学の法則』は人類みんなで考えて作るものだから、それを書いてまとめる小さな施設が警察に付属していればいい。裁判所も警察に付属していればいい。それで本当に平和になれば、警察は人気が出て国民からの寄付金だけで十分経営できるだろう。
人類の文化水準が上がれば、人類みんなが『社会科学の法則』を完全に理解するようになり、やがて警察は要らなくなるだろう。

[8472] 似非[えせ]社会科学学会 h21.9.23
議会は学会じゃない。
議員は学者じゃない。論理的思考ができる議員など一人もいない。議員は経歴がいいだけで頭はパーだ。[議員は雰囲気がパーだから、私は子供の頃から議員(政治家)を軽蔑していた。]
だから、議会はまちがった法律すなわち社会科学の法則を決めている(考え出している)だけである。
議会は似非[えせ]社会科学学会であり、まちがった法則ばかり作り出してそれで日本を動かして日本をおかしくしているのである。
その上に、政府は[裏の政治家が]神制度で駄洒落[だじゃれ]で要らない法律を作って国民にまちがった命令を出して日本を滅茶苦茶にしているのである。


[8473] 人間にとっての幸福とは? h21.9.23
人間は脳が大きい以外には取り柄がない。
だから、人間は『知覚欲』を満足するしか幸福にはなれない。
お金の欲で動いてもあまり幸福にはなれない。その証拠がお金持ちの馬鹿息子である。馬鹿息子はお金持ちのわりには無能でいつも不満満面のふくれっ面[つら]をしている。
だから、人間が幸福に生きるためには、真理に従って生きていくしかない。真理を理解して真理を守って生きるしかない。
したがって、『社会科学の法則』を守らねばならないのである。

[8474] 東海道五十三次 h21.9.23
昔東海道には53個の宿場があった。それを東海道五十三次と言う。
五十三とは5+3のことであり、つまり8である。
8とは○がつながっていて、○は神武天皇の光の玉のことだから、つまり8とは天皇家のことである。[しかし、江戸時代にアラビア数字の8は使われていなかったから、おそらく8は八のことであり、八は富士山のことであり、天皇家を日本一高い富士山に喩[たと]えたのだろう。]
したがって、五十三次とは天皇家の次の徳川家のことである。
東海道五十三次とは徳川家のことなのである。
日本では万里の長城を建てる代わりに東海道五十三次を定めたのだ。

[8475] 学校は要るか? h21.9.23
塾があればいい。だから、学校は要らない。
今の時代、子供を塾に行かせるぐらいの余裕はどの家庭にもあるだろう。行かせる余裕もないほど貧乏な家庭は、どうせ子供が馬鹿だから学校なんかにやっても無駄だ。世の中知的労働がすべてではないから、学校に行かなくても多少の教養があって真面目[まじめ]にやっていれば、どこかの会社が雇ってくれるはずだ。中途半端に勉強してノイローゼになった奴らよりは使い道があるはずだ。大人になってから勉強すれば、子供のときにしか勉強しない奴らよりも知的な才能が発達する。
特に社会科は、今の歴史や地理などという役に立たない知識を教えるよりも、『社会科学の法則』を主体にした論理的な教育に改めるべきである。社会科だから論理的でなくてもいいなどというだらけた風潮を世の中に広げてはならない。

[8476] どうして日本で科学が生まれなかったか? h21.9.24
日本やヨーロッパは眼で見えない物まで存在に含める。
しかし、中国では眼で見える物しか存在に含めない。
だから、日本やヨーロッパでは見たことのない超能力者がいたことにできたが、
中国では見たことのない超能力者がいたことにはできなかったのである。
だから、日本やヨーロッパでは超能力者を神とする宗教がやれたが、
中国では超能力者を神とする宗教がやれなかったのである。[もっとも、神の決め方は駄洒落[だじゃれ]によるが。つまり、駄洒落で“高いところにある物”に因[ちな]んで神を決めておいて、あとから神に嘘の作り話の超能力を付け足して超能力者にしたのである。]
中国では皇帝が万里の長城を作ったが、しょせん物は人が作ったものだから、日本やヨーロッパでは神すなわち人間よりも上の者がいたが、中国では人間しかいなかったのである。
ところで、論理が成り立つためには、眼で見える物に眼で見えない物を加えなければならない。
眼で見える物に眼で見えない物を加えた世界において、はじめて論理が成り立つのだ。
例えば、人間が手で物を投げる力を一般化して物の運動状態を変える原因としての力が考えられ、
万有引力を考えることによって地上の物体の運動や惑星の運動を論理的に説明することができるのだ。
だから、日本やヨーロッパは科学が生まれやすい土壌であったと言える。
しかし、実際には科学はヨーロッパで生まれて日本では生まれなかった。
それは、当時の日本が中国文化を受け入れていたからである。
中国文化は眼で見える物しか存在に含めないので、眼で見えない物を考えてはいけないので、そんな世界においては科学がやれないのである。
しかし、日本は明治以降は『眼で見えない物まで存在に含める考え方』に変えたから、日本では科学や宗教がやれるようになったのである。
科学や宗教をやるためには、『眼で見えない物まで存在に含める』文化背景が必要なのである。
もっとも、科学では実在する眼で見えない物を扱うのに対し、宗教では実在しない眼で見えない物(つまり超能力者)を扱う違いがあるが。現代の科学では理論に対応する物が存在することが要求されるので、言葉の上で超能力者がいたと言うだけでは本当に超能力者がいたことにはならないのである。

[8477] 駄洒落[だじゃれ]研究会 h21.9.24
神制度は駄洒落制度である。
だから、政府は駄洒落研究会である。
今の政府は、駄洒落研究会と似非[えせ]社会科学学会である。
国民はそんなくだらない組織に服従してきたのである。
政府は「自分がいなければ日本の平和は守れない」と言っているが、実際には日本の平和は政府がいなくても守れる。
1)食料不足は、今の文明水準では発生しにくい。
2)『社会科学の法則』は、テレビアニメやドラマで教えている。アニメやドラマは『イソップ物語』みたいなものだから、アニメやドラマを見ることは『社会科学の法則』の勉強になる。誰でも多かれ少なかれテレビを見ているから、『社会科学の法則』を勉強しているといえる。[勉強したことがじつは勉強になっていなくて、勉強していないことが実際には勉強になっていることはよくあることである。だから、テレビこそが勉強であって、学校の勉強は試験の上で役に立つだけでじつは勉強ではないのである。]
3)少数の『社会科学の法則』を犯す犯罪者が出ることは、被害者にとっては大きな問題かもしれないが、国としては小さな問題である。ポツリポツリ出る少数の犯罪者は、国が問題とするほどのものではない。どうしても要るなら、政府とは別に警察を作ればいい。病院を作るのと同じことである。
実際には、日本の犯罪の大半は政府自身が起こしているから、政府がなくなれば一番日本が平和になる。政府は、駄洒落研究会が神制度で作った“裏の法律”や似非[えせ]社会科学学会が作った“まちがった法律”で『社会科学の法則』を犯す犯罪組織なのである。[似非社会科学学会は本当の学会ではないから放送する価値はないと考えられる。]
4)戦争は政府が神制度などで起すのだから、政府がなくなれば戦争も起こらない。今は戦争をしないことが『社会科学の法則』のひとつなので、国民は戦争を起さない。
いくら食料があっても、食料を買うお金がなければ食料がないのと同じだ。だから、経済の安定や失業者を出さないことも大切である。昭和30〜40年代の高度経済成長期のように政府が余計なことをしなければ事態は改善するだろう。だから、やはり政府は要らないのである。

[8478] 国民は頭が悪い。 h21.9.24
議会は政府が「自分に国のことを決める力がある」ことを国民に示すためにやっているだけである。
だから、そんな安っぽい芝居に引っ掛かる国民のほうが悪い。ちっとは頭を使って物を見ろ!
そのおかげで、議会がまちがった法律をいっぱい作って、国の調子を狂わせている。国民にとっては、とんだ迷惑だ。これでは養護学校に支配された国だ。だから、政府はないほうがいい。
世の中では、偉ぶっている奴[やつ]ほど実際には偉くない。だから政府は偉くない。

[8479] 政府に権力はない。 h21.9.24
神制度も議会も、政府が国民に「政府に国のことを決める力がある」と思わせるための手段である。
そんな安っぽい芝居に引っ掛かる国民が悪い。
実際には、政府には権力がないのである。それだからこそ、必死で神制度や議会をやって自分に権力があるように国民に思わせなければならないのだ。政府も好き好[この]んで神制度や議会をやっているわけではないが、自分の権力を維持するためにはどうしてもそれらをやらねばならないのである。
しかし、いくら政府が芝居で頑張っても、政府の作る法律は嘘やまちがいばかりで正しいことがない。国民が政府の命令に従えば従うほど国がうまく行かなくなっていく。だから、国民は政府の言うことを聞かなければいい。国民にとって政府は要らない機関である。

[8480] 政府の仕事☆ h21.9.24
政府の仕事は、自分の「権力」(「支配力」)を強めることである。
政府は自分に「権力」があるかぎり楽に食べていけるからである。
神制度や議会[や武器]は、政府が自分の権力を強めるための手段である。

政府は神制度や議会をすることによって自分の権力(支配力)を強めているが、そのときにまちがった法律ばかり作るので、国民が被害を受けている。国民が政府の権力作りの犠牲[ぎせい]になっている。政府が自分の権力を強めるためには、神制度や議会以外にいい手段がないから、政府はいやがうえにも神制度や議会をやらねばならないのである。政府は権力がなくなると潰[つぶ]れるから、政府は必死で神制度や議会をやって自分の権力を強めているのである。
こんな世界は、国民にとって幸福ではない。だから、政府はさっさとなくなったほうがいい。国民は政府を攻撃して政府を潰さねばならない。

[8481] 人間はなぜ『人間が従うべき法則』を犯せるか? h21.9.24
人間には脳があり後天的に学習する能力や思考する能力を与えられているために、人間は生まれたときにはまだ『人間自身の法則』を知らない。人間は後天的に『自分自身が従うべき法則』を知りそれを守って生きていかねばならない。
例えば、『社会科学の法則』を知りそれを守っていかねばならない。
だから、『社会科学の法則』を勉強せずに知らなければ、『社会科学の法則』を犯すことができる。
しかし、その者は『人間自身の法則』を満足していないから、もはや人間であるとは見なされない。よって、人間である資格のない者と見なされて罰せられる。だから、人類はみんな『社会科学の法則』を勉強して守るように努[つと]めなければならない。
例えば、政府が駄洒落[だじゃれ]やいいかげんな当てずっぽうなどによって法律すなわち『社会科学の法則』を決めることは、『社会科学の法則』の決め方が不適切であり自然の法則に反している。本来、『社会科学の法則』も『物理学の法則』と同じように観察と実験、帰納と演繹によって経験的、論理的に決めるべきである。
それもまた『社会科学の法則』のひとつである。つまり、政府の独断によって『社会科学の法則』を決めることは、政府が『社会科学の法則』を犯していることになる。要するに、政府は正式な社会科学の学会ではないから、政府が『社会科学の法則』を決めることは不適当である。
つまり、政府はこれまで“『社会科学の法則』の決め方”まで考えていなかったから、『社会科学の法則』を犯していたのである。
政府は不適切な決め方によって『社会科学の法則』を決めているから、政府を廃止すべきである。

[8482] 社会科学の法則 h21.9.24
万物斉同[ばんぶつさいどう]と言っても、実際には物によって違いがある。実在する物には質量とか位置とか向きとか形とか色とかのいろんな属性がある。
人間についても同様である。
つまり、人間は平等ではない。人間をみな平等とするのは、現実逃避の発想である。
人間は自由であるが、人間は知的動物だから、人間は『真理』には従わねばならない。
つまり、ある人間が考えた『真理』に他の人間が従わねばならない。
それが、人間についての『社会科学の法則』の第一原理である。

真理には、物についての真理や人間についての真理や社会についての真理などいろんなものがある。
それらを人間は他人から学んであるいは自分で考え出して守りながら生きていかねばならないのである。
それが“人間についての真理”だからである。


[8483] 神はいない。 h21.9.24
政府的には、神とは駄洒落[だじゃれ]で“高いところにある物に因[ちな]んだ者”である。
例えば、インドや日本では、山の高いところに住んでいる者を駄洒落で神とするが、実際にはいくら山の高いところに住んでいても人間は人間である。
だから、釈迦も神武天皇も神ではない。
例えば、キリスト教では、高い十字架に磔[はりつけ]にされた罪人を駄洒落で神としているが、実際には罪人は人間である。むしろ、人間よりも下の者である。
だから、キリストは神ではない。
例えば、最近政府が始めた偽主制度では、名前が空の高いところにある雨粒[あめつぶ]に因んだ私(川野延夫[かわののぶお]→水が伸びた→雫[しずく]→雨粒)を神としているが、実際にはただの人間である。
だから、私は神ではない。
政府の神制度では、駄洒落で高いところにある物に因んで神を決めて、駄洒落で神の経験したことに因んで法律を決めて国民に守らせている。
そんな法律の決め方で、国や世界が上手く動くわけがない。政府は自分に「権力」があることを国民にわからせるために、わざわざ神制度で“国民が嫌がる法律”を決めているのだ。だから、うまく行くわけがないのである。[議会についても同じである。]
神制度をやる政府は阿呆[あほう]だが、そんな政府の神制度におとなしく従う国民もまた阿呆である。
だから、国民は政府の言うことなんか聞かなければいい。
大勢の国民が政府の言うことを聞かなければ、政府も諦[あきら]めて潰れてくれるだろう。

[8484] 嫌な会社 h21.9.24
政府は国民にとって嫌な会社である。
国民から税金を取るのも嫌だし、取った税金で神制度や議会などをして余計な嫌がらせをやるのも嫌である。
政府のやることは国民にとって嫌なことばっかりだ。
それも政府の権力を維持するためだというのだから、国民にとっては呆[あき]れたものだ。

[8485] どうして政府は偉いのか?☆ h21.9.25
それは、政府が国民に対して命令を出すからである。
命令は命令を出す者と出される者から成り立っている。
しかし、政府の命令は駄洒落[だじゃれ]や当てずっぽうで出されている。
政府の命令は正しくない。
政府の命令は聞けば聞くほどうまく行かなくなる。
だから、国民は政府の命令をきかなければいい。
国民が政府の命令を聞かなければ、政府は偉くないことになる。
政府が偉いのは、国民が政府の命令を聞くからであって、
国民が政府の命令を聞かなければ、もはや政府は偉くないのだ。

[8486] まちがった命令を作る会社☆ h21.9.25
政府は命令を出す会社である。だから、政府は偉いのである。
しかし、それらの命令は不良品である。
政府は神制度の駄洒落[だじゃれ]や議会の当てずっぽうで命令を作っているからである。
だから、国民は政府が作った不良品の命令を買わなければいい。
税金は、政府の命令の代金だから、国民は政府に税金を払わなければいい。
したがって、政府の作った命令は売れず、政府は倒産するしかない。


[8487] 日本人と米 h21.9.25
日本人の舌先は、米をおいしくパンをまずく感じるようにできている。
それなのに、政府は神武天皇の神制度をやめて私の神制度をやっているという理由で、米を作るのをやめて日本人にパンを食べさせている。白いお米は神武天皇の光の玉のたとえであり、パンはBread[ブレッド]で私の名前の延夫[のぶお]の“ぶ”を取っているからである。
おかげで、日本人はおいしいお米が食べられず、まずいパンを食べねばならなくなった。
日本人がパンを食べたところでまずい思いをするだけで、西洋人のようにかっこいい身体になれるわけではない。体形は遺伝子で決まるのであって、食べ物で決まるのではない。
これでは、国民が政府に面白くない思いをさせられているだけだ。
政府の命令はまちがっている。政府が神制度の駄洒落で作った命令は正しくない。
だから、国民は政府の命令を聞かなければいい。国民は政府に従わなければいい。

[8488] 日本人と車 h21.9.25
政府は神武天皇の神制度をやめて私の神制度をやっている。
神武天皇は昔の人だから、移動手段は徒歩だった。
私の姓は川野[かわの]で川野→かわの→かーの→カー→車である。[私自身は車に酔いやすいので、車には乗らない。]
それで、日本政府は昔は歩行者中心だったが、今は自動車中心の道作りをしているのである。
おかげで、狭い日本が広い道路だらけになって、ますます住むところが狭くなった。
最近日本の街並[まちな]みが高いビルが建って面白くなくなったのは、道路を広げたためである。
日本人が車に乗ったところで大して面白いことはない。日本にはいいドライブコースがない。政府に無理やり車を買わされているだけだ。面白くない趣味を政府に押し付けられているだけだ。
またまた国民は政府に面白くない思いをさせられているのだ。
日本人から『面白さ』を取ったら取り柄[とりえ]がない。日本人は神武天皇の話を見てもわかるように、『面白さ』を生き甲斐[がい]にして生きてきた。[神武天皇の神制度では『面白さ』を大事にするので、長く続いてきたのだろう。例えば、日清・日露戦争は“神武天皇の神制度”でやった戦争だから日本が面白くなければならないので日本が勝てたが、太平洋戦争は“神の入れ替え”のためにやった戦争だから日本が負けて面白くなかった。日清・日露戦争と太平洋戦争は、同じ戦争でも原理が違うのだ。]
このまま政府の言いなりになっていたら、日本が『面白さ』のない国にされてしまう。
だから、国民は政府に抵抗しなければならない。
最近の世界的な排気ガス規制の観点からしても、道路を広げて自動車利用者数を増やすことはまちがった政策であると考えられる。
政府は神制度や議会でまちがった法律ばかり作っているのだ。

[8489] どうして政府は私の神制度を始めたか? h21.9.25
政府は神制度や議会をやらないと権力が下がる。政府は神制度や議会をやらないかぎり強い権力を維持できない。
戦後一時[いっとき]政府は神制度をやめていたが、やはり議会だけでは政府の権力を維持できなかった。議会においては正しく考えるかぎり誰が考えても同じだから、政府と国民は対等であり、政府が国民の上に立つことができないのである。
それで、政府は自分の権力を強めるために私の神制度を始めたのである。
しかし、神制度はしょせん駄洒落[だじゃれ]の制度である。私であろうがなかろうが誰の神制度をやったところで、しょせん駄洒落の制度である。
駄洒落の制度では正しい命令を作ることができないから、政府はいつもまちがった命令ばかり出して国の調子を狂わせて国がうまく行かなくなるので、国民はだんだん政府の命令を聞かなくなり、国民の心が政府から離れて行ってしまって、政府の権力が弱くなる。
結局、いくら政府が頑張って神制度をやったところで、政府の権力は下がるしかないのである。
もともと政府は日本に稲作[いなさく]が普及して日本が平和になってきた頃に「日本が平和になったのは自分たちが神制度で日本を支配したおかげだ」と嘘をついて成り上がってできただけの組織であって、国民よりも頭がよくて国民よりも正しいことがわかって国民よりも上にある組織ではないから、権力が弱くなって潰れてなくなってしまったほうがいいのである。

[8490] 神聖ローマ帝国 h21.9.25
ローマ帝国がキリスト教を使い出して神聖ローマ帝国になった。
だから、ローマ帝国と神聖ローマ帝国は同じものである。
ヨーロッパでは最初に国を統一したのは政府ではなく武器を使う組織(ローマ帝国)だったが、
日本では最初に国を統一したのは政府である。

[8491] 人を殺す会社☆ h21.9.25
政府は人を殺している。
人を殺せば殺すほど自分が人間よりも上の者になれるつまり自分の権力を強めることができるからである。それが、ヤクザの論理というものだ。
しかし、理由がなければ殺しづらい。
そこで、政府は神制度を言い訳[いいわけ]にして人を殺しているのだ。
新聞やテレビに出ている原因不明の事件は政府が起こしている。政府は自分の権力を強めるために大勢の人を殺している。政府はヤクザだから自分の権力を強めるために人を殺すのだ。政府は自分の権力が落ちて来たら人殺しをして自分の権力を上げるのだ。
国民の大半はそのことを知っている。
国民は政府が人を殺しているから、政府に権力があると思って政府の言いなりになっているのである。
政府は人殺しをする以外にも、神制度を言い訳にして駄洒落[だじゃれ]でまちがった法律を作って国民に命令を出している。政府は理由がなければ出しづらいまちがった法律を、神制度を言い訳にしてどんどん出しているのだ。
政府は神制度をやればやるほど自分の権力が強まると思って、それで政府はやっきになって神制度をやりまくっているのだ。神制度や議会によってまちがった命令を出せば出すほど自分の権力が強まるのが、ヤクザの論理だからである。政府は最初からわざとにまちがった法律を作るために神制度や議会をやっているのである。政府はまちがった命令を出しやすくするために神制度や議会をやっているのである。神制度も議会も政府がまちがった命令を出しやすくするための工夫[くふう]である。神制度は神に因[ちな]んだから(つまり、神の責任にできるから)、議会はみんなで決めたからまちがった命令を出しやすいのである。[ビートたけしは「赤信号みんなで渡れば恐くない」と言ったが、“みんな”とは議会のことである。“赤信号”とはしてはいけないことつまりまちがった法律を出すことである。議会はみんなでまちがったことを決めるので愚連隊[ぐれんたい]と呼ばれているのだ。]
政府は正しい法律が作れないので、ヤケクソになって神制度でまちがった法律をいっぱい作っているのだ。おかげで日本中まちがいだらけだ。日本中が政府に面白くないようにされている。
政府はまちがった法律を大量生産する会社だ。

[8492] 議会は馬鹿である。 h21.9.26
なぜなら、自分の頭の出来もわからずに、わけもわからずにいいかげんに法律を作っているからである。そんな仕事なら馬鹿でもできる。馬鹿は自分がわかることとわからないことの区別すらできない。自分がわからなければ法律を作らなければいいものを、政府の権力を強めるために無理やり法律を作っているのだ。自分が儲[もう]けるために、病気がわからずにいいかげんな治療をするヤブ医者のようなものだ。
おかげで、日本中まちがいだらけだ。日本中が政府の権力作りのためにうまく行かないようにされている。
国民が政府の権力作りの犠牲者というわけだ。

[8493] 中国式のほうがいい。 h21.9.26
政府が自分の権力を強めるためには、武器、神制度、議会の3つの手段がある。
西洋式の政治では、神制度と議会を使う。
中国式の政治では、武器を使う。
中国式では、政府が武器で国民を脅[おど]して税金を取るだけである。
中国式では、政府が駄洒落の神制度や当てずっぽうの議会でまちがった法律を作って国民に出すことはない。
中国式のほうが、政府がおとなしく、政府が要らないことをしないので、政府による国への悪影響が少ない。
国民にとっては、西洋式よりも中国式の政治のほうがいい。政府は国民からお金だけもらっておとなしくしていろ!
できれば、政府がないのが一番いい。

[8494] 議会をやる宗教 h21.9.26
暴力団とは、暴力を使うことによって国民に対してまちがった命令を出す団体である(例えば、ローマ帝国や中国の政府)。
暴力団+神制度=宗教。
つまり、宗教団体とは神制度をやる暴力団である。宗教団体は神制度を使うことによって、神(他人)に責任をなすり付けることによって、ますます国民に対してまちがった命令を出せるようになった。
宗教+議会=政府。
つまり、政府は議会をやる宗教団体である。政府は議会をやることによって、大勢でまちがった命令を決めることによって、ますます国民に対してまちがった命令を出せるようになった。
政府の本質は暴力団であり、それに神制度や議会が付け加わって発展してきただけである。政府は神制度や議会をやることによって、国民に対してまちがった命令を出す力を強めただけである。暴力団の世界では、まちがった命令を出す力が強い暴力団ほど優[すぐ]れているので、ただの暴力団よりも宗教団体が、宗教団体よりも政府のほうが優れた暴力団なのである。


[8495] 国立大学 h21.9.26
政府は暴力団なので、国立大学は暴力団が経営する大学である。
ガラが悪いかわりに学費が安い。
そのかわりためになったためしがない。

[8496] 政府を育てているのは国民 h21.9.26
政府は神制度や議会でまちがった命令を出す力を強めて国民にまちがった命令を出している。[警察も政府のまちがった命令を国民に聞かせるための手段である。]
国民が政府のまちがった命令に従うことによって、政府の権力(命令力)を強めている。
政府は国民にまちがった命令を出せば出すほど自分の権力を強めることができる。
しかし、国民が政府のまちがった命令に従えば従うほど国中がまちがいだらけになって国がうまく行かなくなって国民が面白くない思いをしなければならなくなる。
命令は、命令する者と命令される者の両者がいてはじめて成り立つ。
だから、国民が政府の命令を聞かなければ、政府の権力(命令力)を弱めることができる。
暴力団の政府に支配された国なんか面白くない。だから、国民は政府の命令を聞かなければいい。

[8497] 法律は守らなくてもいい。 h21.9.26
日本の法律は暴力団の日本政府が作ったものである。
日本政府は自分の権力を強めるためにわざとにまちがった法律を作っている。
だから、日本の法律は大半がまちがいである。いわゆる悪法である。
まちがった法律は守れば守るほど国が悪化するので守る価値がないから、国民は日本の法律を守らなくてもいいのである。
ただし、正しい『社会科学の法則』は厳守しなければならない。それは知的生命体としての人間の義務だからである。
実際、日本国民の大半は日本の法律なんか知らない。[私もインターネットで日本国憲法をときどき読む以外は、日本の法律は知らない。]だから、日本は上手く動いているのである。もしも、日本国民が日本の法律通りに動いていたら、とっくの昔に日本は滅びてしまっただろう。

[8498] 政府は『社会科学の法則』を犯している。 h21.9.26
政府は自分の権力を強めるためにわざとに“まちがった法律”を作って出している。おかげで、日本中がまちがいだらけにされて、日本中がうまく行かないようにされて、日本中の国民が面白くない思いをさせられている。
“まちがった法律”を作ることは『社会科学の法則』に違反している。なぜなら、『社会科学の法則』には、“まちがった社会科学の法則すなわち法律を作ってはならない”とはっきりと記されているからである。[法則は正しくなければならないから、社会科学の法則が正しくなければならないことは、社会科学の法則に必然的に課せられる条件である。]
だから、日本政府はあってはならない組織である。『社会科学の法則』を理解できない者は知能が低く、人間よりも下の者と見なして罰しなければならない。したがって、日本政府を死刑にして潰さなければならない。

[8499] 相対性原理 h21.9.26
社会科学の法則は相対性原理を満足していなければならない。
アインシュタインが言ったように、物理学の法則は相対性原理を満足している。
社会も物だから、社会科学の法則も相対性原理を満足していなければならない。
つまり、法律(社会科学の法則)は誰にとっても同じである。そうなるように法律ができていなければならない。
つまり、法律が誰にとっても同じであるという意味で、人間はみな平等だということである。法律が誰にとっても同じであるということは、特権のある人間がいないということだから、みんなが平等になるのである。

[8500] 政府は正義か悪か? h21.9.27
「政府が国民の幸せを守る正義の会社だ」と仮定するとあまりにも反例が多い。
政府が国民の幸せを守るためには、政府は正しい命令(国民の心を満足する命令)を出さねばならない。
しかし、実際には政府は駄洒落の神制度や当てずっぽうの議会でまちがった命令(国民の心を不満にする命令)ばかり出している。国民が自主的に正しいことをしようとする(国民の心を満足しようとする)のを、政府のまちがった命令で妨害されてできないようにされている。
おかげで日本中まちがいだらけになって、日本中の国民が面白くない思いをさせられている。

だから、政府は国民の幸せを守る会社ではない。
つまり、『政府は自分の権力を増すことしか考えていない悪の暴力団』なのである。
したがって、国民はそんな政府を大事にすることはない。
自分が暴力団に支配されて一生生きるのなんか嫌だ。
政府があるほうがいいか、ないほうがいいかといえば、もちろんないほうがいい。
だから、政府はさっさと潰[つぶ]すにかぎる。
政府はしょせんヤクザである。政府は人間世界の理屈で動いていない。国民がヤクザなんかをまともに相手にしなくてもいい。


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