[8301] 政府の構造 h21.8.30
政府は下っ端[したっぱ]は普通の人だが、中枢が不良で占められている。
政府の下っ端は政府の筋肉のようなものである。政府の中枢は政府の脳である。
政府は幹部が不良の会社である。
政府は不良の幹部が国民の嫌がらせをする会社である。国が面白くないのは政府のせいである。
社長が麻薬をやったら会社が丸ごと潰[つぶ]れることがあるから、政府の中枢が不良だったら政府全体が潰れてもおかしくはない。
[8302] おとぎ話『天狗[てんぐ]の隠れ蓑[みの]』 h21.8.30
天狗とは政府のことである。天狗は鼻が高く、いつも威張っている政府を表している。
政府の幹部がけっして国民に顔を出さないので、隠れ蓑に喩[たと]えたのである。
最後のオチは、キンタマが神武天皇の光の玉の喩えであって、政府の幹部が神武天皇の神制度をしていることを表している。
[寺田寅彦は、外人が鼻が高いから、天狗は昔日本に来た外人のことだと書いている。ヤマタノオロチといい天狗といい、理系の学者は喩えというものがわかっていない。]
[8303] おとぎ話『かちかち山』 h21.8.30
タヌキは政府の政治家のことである。
タヌキに殺されたおじいさんとおばあさんは国民のことである。
ウサギは月光仮面みたいな仮想的な正義の使者である。
かちかち山は、政府が駄洒落[だじゃれ]を好むことを表している。[勝つのは縁起[えんぎ]がいいからと言って政治家が喜んだのだ。]
泥舟[どろぶね]は、政府が小田原評定を得意とすることを表している。
政府の得意技で逆に政府を倒すところが、このおとぎ話の面白いところである。
[8304] おとぎ話『ふしぎな太鼓[たいこ]』 h21.8.30
太鼓とは、神武天皇の光の玉の喩えである。
だから、ふしぎな太鼓とは、神武天皇の神制度のことである。
神武天皇の代理を務めると自分が人間よりも上の者になって人間を支配できるが、あまり威張りすぎると政府の怒りを買って、高いところから飛び降りさせられて殺されることになるから、注意しないといけないと言っているのだ。
もちろん昔話の世界であって、現代の現実の世界では成り立たないことである。
イギリスの昔話の『ジャックと豆の木』の話に似ている。
[8305] 科学の方法☆ h21.8.31
国民は政府よりも私の考えに従うだろう。
なぜなら、政府よりも私の考えのほうが『正しい』からである。
科学では、『正しい考え』に従ったほうがうまく行くから、国民は『正しい考え』に従うのである。
政府は偽善をやって嘘をつくばっかりだから、最後には誰も取り合わなくなるのだ。
『正しさ』以外に人間の取り柄[とりえ]がないから、人類はいやが上にも『正しさ』を目指すのだ。
[8306] 雑魚[ざこ]の会社 h21.8.31
民間企業が政府に従わなくなると、見掛けがいい人間を優先的に入れようとする。
しかし、見掛けがいい人間は雑魚[ざこ]だ。
民間企業は政府のような不良の会社ではないが、雑魚の会社だ。
見掛けがいいことを人間の取り柄だと考える者がまず馬鹿だ。人事部がテレビの見過ぎとガリ勉のしすぎで眼で見たことしかわからなくなっている。そいつらが世の中を悪くしている原因だ。
[8307] 男尊女卑 h21.8.31
原始時代はみんなが火を恐がるような馬鹿だったから、女の馬鹿さが目立たなかった。
原始時代には男女平等だった。だから、例えば、アマゾネスは女性優位なのである。
しかし、文明が発達して知覚が物を言うようになると、男が女よりも有利になった。
男尊女卑は文明社会の証[あかし]なのだ。
人類の文化はすでにその段階にまで達しているのだ。
しかし、人類の文明がまだ自己生産(人間の複製)の手段を持たない以上、人間の再生産は女性の能力に頼るしかない。だから、そういう意味では女性を大事にしなければならない。
[8308] 考えるとは何か? h21.8.31
頭で見ることである。
頭で見えたことを、言葉や図で表現することである。
五感界を知覚界に従属させることである。
人間は動物の中で唯一知覚界に住んでいる。
動物は五感界が縄張りであり、人間は知覚界が縄張りである。
人間の取り柄は発達した大脳にある。
[8309] 国民は馬鹿である。 h21.8.31
政府は不良が国民の嫌がらせをする会社である。政府は国民にわかりにくいように嫌がらせをやっている。
国民は自分の嫌がらせ代(税金のこと)をわざわざ政府に毎月支払っている。
国民が政府について詳しく考えないから、そんな間が抜けたことをしているのだ。
国民が政府について考えないのがいけないのだ。
だから、私が自分で考えない国民に代わって考えてやったのだ。
[8310] 文系の作文 h21.8.31
文系の作文は喩[たと]えである。
現実にあったことを喩えて曲げて言うだけの才能である。現実にあったことをそのまま素直にわかりやすく言わずに、ヘンテコにわかりにくくして言い換えるだけの才能である。余計な無駄を付け足すだけの蛇足の才能である。[例えば、『天狗の隠れ蓑』や『かちかち山』や『ふしぎな太鼓』などのおとぎ話は、政府や神制度のことに面白さを加えて喩え話にしたものである。だから、多数の読者にとってはおとぎ話を読んでも政府や神制度のことはわからず、たんなる面白い話と思うだけである。あらかじめ政府や神制度を知っている者が読むと、はじめて喩え話であることがわかるのだ。]
一方、理系の作文は真実の表現である。
眼で見るだけではわからないことを言葉で表すのだ。頭で見えたことを言葉にして表すのが理系の作文である。
例えば、時間と空間と物体の関係も眼で見るだけではわからない。だから、頭の中で書いてそれを眼で見て確かめるのだ。それが相対性理論と量子力学だ。
政府についても、政府は自分の非行を国民に知られないようにしているから政府の正体がわかりにくい。だから、頭の中で政府の正体を見て、それを自分の眼で確かめるのだ。つまり、政府は『不良が国民の嫌がらせをする会社』である。毎日の新聞やテレビに政府が国民を嫌がらせたことが載っている。だから、国民はそんな政府におとなしく従ってはならない。国民は政府を攻撃して潰して自分の幸福を守らねばならない。
つまり、
文系の作文=真実+面白さ=空想≠真実
理系の作文=真実
文系の作文=空想=真実+面白さに因数分解することによって、文系の作文にも真実が含まれていることがわかるのだ。
[8311] 政府は善か悪か? h21.8.31
地球が動いているか天が動いているかと同じことだ。一見すると天が動いているようだが、よく考えると地球のほうが動いているのだ。
それと同じように、一見すると政府は国民のためになることをやっている善い会社のようだが、よく考えると政府は国民の嫌がらせをしている悪い会社である。政府は国民への嫌がらせを正当化するために神制度をやっているのである。[実際には、『主や偽主は神ではない』から、神制度は嫌がらせの正当化にはならないのだが。]
政府が神制度をやっていることはたしかである。だから、政府は国民の嫌がらせをする会社である。
政府が民主主義すなわち最新の『社会科学の知見』を国において実現する会社であるなら、神制度なんかやるわけがない。なぜなら、神制度は『社会科学の知見』に入っていないからである。だから、政府は民主主義をする会社ではない。
したがって、政府は善い会社ではなく悪い会社である。何か文句あるか!?
[8312] 祝!鳩山内閣発足 h21.8.31
人形芝居の人形が別の人形に代わっただけだ。政治家っぽい人というだけでそれ以上の者ではない。
政府が不良の会社であるかぎり何も変わらない。政府は他人の嫌がらせを生き甲斐[がい]とする不良が国民の嫌がらせをするためにある会社だ。政府の歴史的経緯[けいい]を考えてみると、それ以外にはありえない。政府は『国民に対する嫌がらせ』を「国民の管理」と言い換えているだけだ。
選挙は、内閣を入れ替えたら世の中がよくなると国民に思わせるためにやっているだけだ。実際には、まったく無駄だ。
政府が世の中を悪くしている張本人だ。だから、政府がある限り世の中はよくならないのだ。
政府を『不良の会社』だと思えば、総理大臣だって偉くはない。
[8313] 法律とは? h21.9.1
みんなからまちがった人間だ悪い人間だと思われると2度と幸福にはありつけない。
それが、この世の法律だ。
だから、政府や警察は要らない。全世界の国民が政府兼警察なのだ。
政府は『不良の会社』だし、警察は政府の手下つまり『不良の子分』だから、政府も警察も両方とも悪い人間だ。
だから、政府や警察は国民から嫌われて幸福にはありつけないだろう。
現代社会では、みんなからまちがった人間だ悪い人間だと思われると幸福にはなれない。
だから、人間はつねに頭で考えて正しく生きねばならない。自分の考えや行動がどうして正しいかを自分自身が納得しかつ他人にいつでも説得できるようにしながら生きていかねばならない。
つまり、法律とは、現代における『社会科学の知見』であり、『社会科学の知見』に従う者が善い者であり、反する者が悪者なのである。『社会科学の知見』に反する者は人間社会の中では嫌われて除[の]け者にされて生きて行けないのだ。だから、政府も警察も強[し]いて要らないのである。[インターネットで悪者の顔写真とやったことを流せば、世界中で生きていけなくなる。誰でも、恐[こわ]い人と関わりあうのが嫌だからである。]
マンガの世界ではキャラクターが食べなくても生きていけるから、いくらでも良俗に反することができるのだ。だから、『北斗の拳』のジートみたいな顔に刺青[いれずみ]をしてバイクを乗り回しているヤンキーの集団でも普通の人となんら変わらずにピンピンして生きていけるのだ。しかし、実社会の中では人間はちゃんと食べないと生きて行けないから、そのためにはみんなの中で生きていかねばならないから、公衆道徳に反することができないのだ。
[8314] 『ジキル博士とハイド氏』 h21.9.1
ジキル博士は政治家で、その裏の顔であるハイド氏は殺し屋である。
政府が裏で人殺しをしていることを風刺した作品である。
[8315] どうして私は考えるのか? h21.9.1
自分の考えを正しくするためである。
誰でも、自分自身の考えに対して責任を持つからである。
自分の考えが正しくなければ、人間失格だからである。
[8316] 神の交代[こうたい] h21.9.1
大勢の国民が私の偽主制を歓迎したのは、私の偽主制で「何かいいことがある」と思ったからである。
しかし、実際には、政府の国民に対する“嫌がらせの仕方”がちょっと変わっただけで、政府が国民に嫌がらせをすることに変わりはない。だから、私の偽主制でも国民にとっていいことは何もないのである。
むしろ、政府が神制度をやらなかった昭和20年〜昭和40年頃のほうが国民にとっては幸せだったはずである。その頃は政府が国民に嫌がらせをやれなくてストレスが溜[た]まっていたから、政府が自分のストレス解消のために昭和40年頃から私の偽主制を始めたのだろう。しかし、ストレス解消は他人の嫌がらせでやるべきではなく、もっと健全なやり方でやるべきだ。
[8317] 人間の才能 h21.9.1
眼で見えないものを頭で見るのが人間の才能である。
だから、万有引力や赤外線などを発見できた。
眼で見えることをもとにして論理的に考えて眼で見えないものを発見したのだ。
だから、『政府は国民の嫌がらせをする会社である。政府が自分の意地悪欲[いじわるよく]を満足するために国民を嫌がらせているのである。政府は人殺しなんかなんとも思わないくらい意地悪である。連日テレビや新聞を賑[にぎ]わせている事件の大部分は政府が起こしたものである。政府は国民への嫌がらせを正当化するために神制度をしている。政府は馬鹿だから、神制度で自分の非行が正当化できると思っていた。』ことも、眼では見えないが真実だといえるのだ。
そう考えると、これまでのいろんなことが辻褄[つじつま]が合うように説明できる。
だから、この仮説は真実なのだ。
人類の知性が人類の繁栄を支えている。人類のリーダーは美形の芸能人ではなく、正しいことを考えた人である。[芸能人はお金は儲かるかもしれないが、リーダーではない。]だから、人間は真実には従わねばならない。
[8318] どうして政府は国民を愚民と呼ぶのか? h21.9.1
国民が自分の“虐[いじ]められ代”(税金のこと)を毎月せっせと政府につぎ込んでいるからである。
政府は国民の幸福の邪魔をするために生きているだけである。そんな政府を国民の幸福を守る会社だと誤解して、政府に自分の稼[かせ]ぎの何割かを払っている国民はまさしく馬鹿そのものである。
政府が国民を馬鹿にするのも無理はない。
そもそも国民が馬鹿すぎるのが、政府をのさばらせている原因である。
国民も政府がやっているまちがったこと(神制度)に協力するなら、政府と同じヤクザである。
税金が国民の虐[いじ]められ代なら、税金を払わなければ政府から虐められなくなるということだ。
それなら、誰でも喜んで税金を払わないだろう。^^
[8319] 国民の嫌がらせをする会社《まとめ》 h21.9.1 政府は国民の嫌がらせをする会社である。 武器が発明された時、政府はいち早く武器を使って国民を支配した。 政府は武器を使って国民から税を取ったり、暇つぶしに国民を殺したりして国民の嫌がらせをした。 人類の文明が発達して、武器が使えなくなると、政府は武器の代わりに宗教の神制度を使うようになった。神制度は言葉だけによるので、武器の時よりも支配が弱くなった。 さらに、神が架空の人物であることが知られるようになって政府が神制度をやりづらくなると、神を入れ替えるために世界大戦を起して、戦後は実在の人物(つまり私)を神として神制度をやるようになった。 政府はあいかわらず、国民から税を取ったり、暇つぶしに国民を殺したりして遊んでいる。 しかし、『主や偽主は神ではない』から、今の政府は空威張りをしている会にすぎない。主や偽主の神制度は武器の代わりにはならない。国民が政府に従わねばならない理由は何もない。政府のような国民を嫌がらせる不良の会社は早くこの世からなくなったほうがいい。 |
[8320] 二人羽織(その2) h21.9.2
二人羽織は政府の喩えである。二人羽織は政府のことに詳しい者が作り出した宴会芸である。
二人羽織で顔を出しているのが表[おもて]の民主主義の政治家であり、手を出しているのが裏の神制度の政治家である。
つまり、民主主義の政治家は国民に顔を見せるだけで何もせず、実際に国民の生活にチョッカイを出すのは別の神制度の政治家である。
表の政治家と裏の政治家とはやっていることが全然違うので、二人羽織でも二人の気持ちがうまく合わなくていつも失敗ばっかりするのだ。
国民をつらい目にあわせるのが裏の政治家の役目であり、怒った国民につらい目にあわされるのが表の政治家の役目である。つまり、二人羽織の手が国民の顔を殴[なぐ]り、怒った国民が二人羽織の顔を殴っているわけだ。だから、裏の政治家は痛くも痒[かゆ]くもない。これでは政府がよくなるわけがない。[しかし、国民にとっては裏の政治家が具体的に誰なのかわからない。だから、政府全部を潰さなければならない。今の政府は『二人羽織制』でやっているから、国民にとっては顔と手の両方とも要らない。]
[8321] 政府の仕事 h21.9.2
政府は最新の『社会科学の知見』すなわち『人間社会の中で暮らす人間が従うべき法則』を国において具体的に実現する(つまり、国民(政府も含む)に守らせる)だけで、あとは国民や民間会社の自由にさせればいい。
政府が国の政策をいちいち決めなくてもいい。政府は余計なこと(例えば、神制度)をしてはいけない。例えば、製品のデザインやマンガやアニメのキャラクターを決めることは政府の仕事ではなく、個人や民間企業の自由である。
そのほうが、国民が自分の頭を使って考えるから国が活気付いていい。
[8322] 犯罪者に食わせる会社☆ h21.9.2
政府は犯罪者を雇[やと]って国民を殺したり国民を嫌がらせたりしている会社である。
それが政府の本業である。政府は犯罪者の組合(シンジケート)である。
しかし、それだけでは収入が得られないから、副業として政治家っぽい者を雇って国民に拙[つたな]い民主主義の芝居を見せて国民から芝居の代金(つまり税金)を取っている。民主主義は国民の煽[おだ]てなので、国民に民主主義の芝居を見せると国民が喜ぶからである。子供が作り事のアニメやマンガを見て喜んでいるように、大人は作り事の民主主義の芝居を見て喜んでいるのだ。
つまり、政府では犯罪者と政治家っぽい者の2種類の人間が働いているわけである。
今の日本が面白くないのは、日本に国民の嫌がらせをする政府があるからである。政府は国民を嫌がらせて国民を不幸にする会社である。国民にとって政府は要らない会社である。だから、政府は早く潰すべきである。
[8323] 税金を払う者は馬鹿 h21.9.3
税金を払う者は、政府が国民の嫌がらせをする悪い会社であることを知らない。
税金が国民の嫌がらせ代であることを知らない。
だから、政府に税金を払う者は馬鹿である。
賢い者はとっくの昔から税金を払わないことにしている。さすがの政府も賢い者には手が出せない“らしい”。
だから、税金は馬鹿の罰金だと思えばいい。『考えない人間には善い人間がいない』から、罰せられるのは当然である。
ちなみに、高校までの社会科は『初心者のための政治学入門』にすぎない。それは政府の表[おもて]の政治家達がやっている民主主義の芝居についての解説にすぎない。学校で習ったことが実際の政府とそっくり同じであるわけではない。教科書は子供にとってわかりやすいことが書いてあるだけで、正しいことが書いてあるわけではない。自分でもっとよく考えないと政府の正体は理解できない。つまり、政府の正体は『国民の嫌がらせをする会社』であって、政府は国民への嫌がらせを正当化するために神制度を使っている。国民の嫌がらせでは収入が得られないので、政府は収入を得るために民主主義の芝居をしている。高校までの物理では物体は粒子だが、大学からは粒子と波の両方の性質を持つ量子になるのと同じことである。
[8324] 民主主義の劇団 h21.9.3
政府は民主主義の劇団である。
政府は民主主義の芝居で儲[もう]けたお金の大部分を国民への嫌がらせにつぎ込んでいる。
神制度を使って嫌がらせを正当化している。
つまり、政府にとっては民主主義の芝居はお金を稼[かせ]ぐための仕事であって、国民の嫌がらせは趣味の遊びなのだ。政府はいやいや民主主義の芝居をやって、大喜びで国民の嫌がらせをしているのだ。政府にとっては国民の嫌がらせが生き甲斐[いきがい]なのだ。
今の日本が面白くないのは、政府が国民の嫌がらせをしているからである。政府はこの世をつまらなくする疫病神[やくびょうがみ]である。この世を面白くするためには政府をなくさなければならない。[学校で虐[いじ]めに会うと学校に行くのが嫌になるように、国民が政府に虐められると生きて行くのが嫌になる。][『スタートレック1作目(宇宙大作戦)』日本版第11話「殺人鬼コドス」の話と似ている。コドスは武器を使っていた頃の政府で、その娘レイナは神制度を使うようになった政府の喩えだ。]
[8325] 趣味で嫌がらせをする会 h21.9.3
政府は趣味で国民の嫌がらせをする会である。
しかし、それだけではさすがに収入が得られないから、昼間は民主主義の芝居をして国民から見料[けんりょう]を取って稼[かせ]いで食っている。
人間の趣味は人それぞれである。だから、中には他人の嫌がらせを趣味にしている者もいる。そういう悪趣味の連中が集まって作った組合が政府である。
政府がどれだけ国民の嫌がらせをしているかは、一度政府をなくしてみればわかることである。だから、一度政府を潰して実験してみればいい。政府を作るのは容易だから、今の政府が特に大事なわけではない。
[8326] 貴族の邸宅[ていたく] h21.9.3
昔のことを知っている者などほとんどいない。
今の日本のところどころに残っている旧貴族の邸宅は、政府がどっかの大金持ちの豪邸を信者の家だと偽[いつわ]って政府の支持者を増やしているだけのことだ。実際には、信者にいいことなど何にもない。
大阪の豪族の墓を仁徳天皇陵[りょう]だと言っていたのと同じことである。
[8327] 政府に虐[いじ]められる生き物 h21.9.3
国民は政府に虐められるために生まれてくる。
生まれてから死ぬまで虐められっぱなしである。
国民は自分の“虐められ代”(税金のこと)をわざわざ政府に支払っている。
政府は国民が自分に虐め代をくれるので国民を虐めていいものと思っている。
『瓜田[かでん]に靴[くつ]を入れず』と言うように、国民も自分が誤解されることをやってはいけない。
[8328] 知恵遅れの児[こ] h21.9.3
私が小学生の頃、“赤ん坊にミルクのかわりに砂を飲ませて殺した知恵遅れの児[こ]”がいた。
知恵遅れの子は政府の喩えである。
赤ん坊は国民の、ミルクは民主主義(一般に最新の正しい『社会科学の知見』)の、砂は神制度で正当化した嫌がらせの喩[たと]えである。[実際には、哺乳瓶[ほにゅうびん]に砂を入れて赤ん坊に飲ませることは、砂粒[すなつぶ]が哺乳瓶の吸い口に詰[つ]まって通らないから、作り話である。ミルクは白くて光る?から神武天皇の喩えであり、砂は“サン”ドで“3”本川の“川”だから私の喩えである。つまり、政府が神武天皇の神制度から私の神制度に代えて国民を嫌がらせし始めたということである。]
要するに、政府は馬鹿である。馬鹿が立派な背広を着て威張っているだけである。裏口で東大を出て利口ぶっているだけである。
馬鹿では国民の嫌がらせが関の山だ。国民の役に立つことができるわけがない。
馬鹿は民主主義の“芝居”ができるだけで、民主主義はようやらないのだ。
馬鹿は社会科学がわからないから、まともな政治ができないのだ。
[8329] 馬鹿の会社 h21.9.3
馬鹿は他人の役に立つことができない。馬鹿は他人の嫌がらせができるだけである。馬鹿は他人の嫌がらせをする喜びがあるだけである。
昔、そういう馬鹿が集まって政府という集団を作った。
政府は武器や神制度を使って国民の嫌がらせを続けてきた。政府は知恵遅れの馬鹿だから、神制度で嫌がらせが正当化できると思っているのだ。政府は知恵遅れの馬鹿だから、前金[まえきん]で国民から税金が取れると思っているのだ。
そもそも人類に馬鹿がいることが問題だ。
文明から取り残された馬鹿が、政府のような他人の嫌がらせをする会社を作り出してしまった。
馬鹿はみんなから軽蔑されて嫌われているから、ますます他人の嫌がらせをして馬鹿になる。悪循環だ。
国民は馬鹿な政府に付き合って、いっしょに馬鹿をやらなくてもいい。馬鹿は無視するに限る。
[8330] 他人の役に立たない会社 h21.9.3
人類には、他人の役に立つ人間と、他人の役に立たない人間がいる。
他人の役に立つ人間は民間企業を作り、他人の役に立たない人間は政府を作った。
そもそも他人の役に立たない馬鹿がいることがいけないのである。
政府は国民からお金をもらって食べていって、国民の嫌がらせをすることができるだけである。
そんな馬鹿は死んだほうがいい。
[8331] 宗教とは何か? h21.9.4
神制度を使って非行のかぎりを尽[つ]くしている不良グループのことである。
政府と同じように、自分が神の代理を務めて人間よりも上の者になって人間を自分よりも下の者だと思って平気で殺したり傷つけたりしているのだ。つまり、宗教は神制度を使う暴力団だ。[場合によっては武器を併用[へいよう]することもある。]
宗教に入っている者は、表[おもて]では聖典を読んでおとなしくしているが、裏では何をやっているかわかったもんじゃない。表でやっていることはどうでもいい偽善で、裏でやっていることが実体である。[政府も神制度を使う暴力団である。宗教が表ではおとなしく聖典を読んでいるのに対して、政府は表では民主主義の政治の芝居をしている。政府は民主主義の芝居で国民から税金を取っているが、宗教は取らない。政府と宗教では表でやっていることが違うだけで、裏でやっていることは同じだ。国民が暴力団の言うことを聞かないなら、政府や宗教の言うことも聞いてはならない。私の偽主制度に関しては宗教がないから、政府が私の偽主制度をやっていると考えられる。]
表(どうでもいい偽善) | 裏(実体) | |
政府 | 民主主義の政治の芝居をして税金を取っている。 | 神制度を利用して、人間を嫌がらせている。 人間を殺したり、財産を奪ったりしている。 |
宗教 | 聖典を読んでいる。 |
[政府は一般には民主主義と神制度の両方をやっている。しかし、場合によっては神制度だけをやることもある。だから、そんな民主主義をやるか神制度をやるかはっきりしない政府はないほうがいい。国民を管理する会社は政府とは別に作ったほうがいい。]
宗教の者は、『主や偽主が神(人間よりも上の者)ではない』ことに気付かないほどの馬鹿だ。人間以下の馬鹿だ。宗教の者は神ではない者を勝手に神にして神制度を使っている。それなら、宗教の者が悪い。[それなら、宗教は人間をムシケラのように扱う架空の人物の物語を作って、その者を神として神制度をやるかもしれない。しかし、架空の人物の代理を務めることは法律上の問題がある。架空の人物を名義人にすることはできない。だから、政府も架空の人物を神とすることをやめねばならなかったのだ。]
これまで、宗教に入っている者は人間を動物扱いしてきた。
今後は、逆に宗教に入っている者が人間に動物扱いされて殺される番だ。
馬鹿すぎる人間は他人の迷惑だから、駆逐[くちく]されて当然だ。
[8332] 神制度を使う暴力団 h21.9.4
暴力団は国民の了解を得ずに独断で暴力を使って国民の嫌がらせをしている。
それと同じように、政府や宗教も国民の了解を得ずに独断で神制度を使って自分が“人間よりも上の者”のつもりになってさまざまな非行をしている。税金はさしずめ国民のショバ代である。
政府や宗教は神制度を使う暴力団である。場合によっては武器も併用[へいよう]することがある。暴力団が民主主義なんかやるわけがない。
昔の政府は武器だけで国民を支配していたが、人類の文明が進歩したので政府の支配の仕方も進歩して神制度を使うようになったのである。[おそらく、中世になって人間である政府が“同じ人間”である国民を武器などで支配することは不当だと思われるようになったので、政府は神制度を使って自分を“人間よりも上の者”にして人間支配を正当化したのだろう。しかし、『神制度では自分が“人間よりも上の者”になれない』のが正解だから、政府は国民を支配することはできないのだ。]
暴力団が国民の敵であるように、政府や宗教も国民の敵である。
国民の力で暴力団を潰したように、政府や宗教も潰さなければならない。
[8333] Internet Explorer 8 h21.9.4
スキンが曖昧[あいまい]でかっこ悪い。アイコンの金の輪っかがダサい。
悪寒[おかん]がしたので、すぐにもとのInternet Explorer 7に戻した。[スタート→コントロールパネル→プログラムの追加と削除→Internet Explorer 8削除→再起動でOK。これではInternet Explorer 7もないから、二度とインターネットが見れなくなると思うかもしれないが、大丈夫。Internet Explorer 7が復活する。]
このぶんでは、Windows Vistaもかっこ悪いのだろう。
最近ブラウザーがInternet Explorer 8に変わったせいか、Battlefield 2のマルチプレイがほとんどの所(サーバー)でできなくなった。私にとっては大迷惑だ。[サーバーに入れないのは、Internet Explorer 8とは関係ないことが後でわかった。]
人類は、文明の進化の意味を履[は]き違えてないか?馬鹿になることは進化ではなく退化だ。物のデザインはもっと気迫[きはく]がこもっていないといけない。
Internet Explorer 9で正常化することを期待するしかない。[Macパソコンもかっこつけてばかりでかえってかっこ悪い。]
[8334] 国民は腰抜けだ。 h21.9.4
政府は神制度を使っている暴力団である。
そんなことはずいぶん昔からわかっていることである。
それなら、国民は政府と戦わねばならない。
国民は現実逃避のためにおとなしく仕事をしているのだろうか?
[8335] なぜヨーロッパの町は綺麗[きれい]なのか?[『魔法のアイドルパステルユーミ』第12話「お嬢さまはつらいよ」を見て考えたこと]
h21.9.4
ヨーロッパ人は頭がいい。
頭がいいと政府の正体を見抜いて政府に反抗的になる。
だから、政府はヨーロッパ人の頭を悪くするために街並[まちな]みをわざとに綺麗にして眼先のことに囚[とら]われる悪い癖を身に付けさせているのである。その罠[わな]に引っ掛からなかった人だけが天才になれる。
日本政府が国民を馬鹿に改造するためにマンガやアニメに力を入れているのと同じことである。
[8336] 国民は心が広い。 h21.9.5
国民は政府に虐[いじ]められた上に、政府に生活費まで支給している。[カッコウの托卵[たくらん]に似ている。]
国民は心が広い。国民は他人に寛大である。
国民がそんなにお人よしだから、政府のような悪党が蔓延[はびこ]るのだ。
人がよすぎるのも欠点だ。
[8337] 国民は馬鹿で腰抜けである。 h21.9.5
『政府が神制度を使っている暴力団である』ことぐらい考えればわかることである。
子供の頃から社会科が苦手な私でさえわかった。
そんな簡単なことすらわからないのは、国民がよほどの馬鹿だからである。
そんな馬鹿に生きる資格はない。世の中そんなに甘くはない。実在は弱肉強食の世界である。
だから、馬鹿な国民が政府に騙[だま]されて虐[いじ]められて苦しめられても仕方がない。馬鹿すぎると幸福に生きる権利もない。馬鹿な国民にも責任がある。
私は馬鹿とか腰抜けとかが好きではない。腰抜けは馬鹿よりはマシだが、性格がよくない。
人間は考えるべき生き物である。だから、考えない者はそれ相応[そうおう]の罰[ばつ]を受けねばならない。そのために政府があるのかもしれない。つまり、政府は『正しいことを取り締[し]まる機関』だから[政府の“政”には「神を祭る」ほかに「正しさを取り締まる」意味がある。]、政府がまちがっていることがわかって政府に逆[さか]らう者は正しいから政府は許[ゆる]すが、政府におとなしく従う者は正しくないから税金を取ったり嫌がらせをしたりして罰しなければならないのである。
[8338] 政府もインチキはできない。 h21.9.5
民間企業は中でやっていることは国民には見えないが、出来た製品は直接に国民の眼に触れる。
出来た製品の良し悪しは国民にわかるから、国民はその会社が真面目[まじめ]に仕事をやっているかいないかがわかる。
それと同じように、政府も中でやっていることは国民には見えないが、出来た製品すなわち国や世界の様子[ようす]は直接に国民の眼に触れる。テレビや新聞を見れば、間接的に国や世界の様子がわかる。
国や世界の様子の良し悪しは国民にもわかるから、国民は政府が真面目に仕事をやっているかいないかがわかる。国民は政府がどんなやり方で仕事(政治)をしているかがわかる。
例えば、今の日本が不景気なのは、政府が『正しい経済学の理論』で仕事をしていないからである。日本政府が「神制度」で経済を動かしているから日本が不景気になっているのである。そもそも、たかが暴力団に経済のことがわかるわけがない。
政府の仕事はよい国や世界を作ることである。だから、国や世界の様子を見れば政府がきちんと仕事をしているかいないかがわかる。
[8339] 誰が政府をやるか? h21.9.5
政府は、いい国を作る企業である。
神制度を使う暴力団は政府には向かない。
武器を使う暴力団も政府には向かない。
もっと社会科に強い人が政府をやって欲しい。
税制をやめて、国全体の儲[もう]けの何%かを収入にする会社にすれば、政府も真面目に仕事をするだろう。
それとも、国民から強い反対意見が出ない程度の安い税金を取って、最新の『社会科学の知見』を国において実現し、国民や民間企業の自由を最大限に認める会社を作るかだ。
[8340] 神制度は武器よりも強い。 h21.9.5
武器では人間は平等である。武器を握[にぎ]れば誰でも他人を支配できるからである。
神制度では人間が不平等である。神の代理を務めるためには特定の資格が要求されるからである。神の代理を務める人物(神官)は特定の人物だけに限られており、それ以外の人間は神の代理を務められないからである。公務員試験や選挙は、政府が民主主義の芝居をする人を雇[やと]うためのための資格試験であって、神の代理を務める人を雇うための資格試験ではない。[神制度の下働き[したばたらき]をさせるために雇うという説もある。]信者も神の代理を務めることはできない。神官以外の者が神制度を使うと罰せられるのである。
だから、武器によるよりも神制度によったほうが政府が国民を強力に支配できる。
それで、中世に入ると、世界中の政府が神制度を使うようになったのである。
しかし、日本人は中国文化の影響で眼で見えることを大事にするので、言葉による神制度があまり効かなかったので、戦国・江戸時代にもとの武器による支配に戻ったのだ。[人類の文化は宗教(神制度)だけで成り立っているのではないから、ときには宗教が否定されることもある。]
さらに、明治時代になると、日本政府は西洋科学を受け入れ、科学では言葉に基づいて物を見るので、言葉による神制度が再び通用するようになったので、政府は神制度を使うようになったのである。
しかし、この前私が[8213]で証明したように『神制度には論理的欠陥がある』から、たとえ神の代理を務めても人間よりも上の者にはなれないから、神制度は無効である。だから、政府は国民よりも上の者にはなれない。政府は国民よりも上の者ではない。だから、国民は政府の言いなりにならなくてもいい。政府がお金が欲しければ、自分で稼[かせ]ぐべきであって、国民から税金を取ることはできない。
私の考えは正しいから、政府が私に文句をつけることはできない。私にとっては政府は要らないから、政府が潰れてもかまわない。
[8341] 政府とは何か? h21.9.5
神の代理を務める“神官”が経営している会社である。
たしかに、いくつかの民主主義のサービスをやっているかもしれないが、それらはあくまでも副業である。本業は神制度をやることである。
だから、今の政府は国民にとって要らない。今の政府が潰れてから、国民にとって必要なサービスをやる会社だけで独立すればいい。
[8342] 国民は馬鹿だ。 h21.9.6
政府は神制度を使っている暴力団である。
しかし、国民は、政府が正義の会社だと思って、政府の役に立てるために税金を収めている。
実際には、税金は政府が国民を嫌がらせるために使われているだけである。
国民がそんなに馬鹿だから、政府になめられるのだ。
国民は教養が足りない。もっと実在の世界について考えねばならない。
[8343] 民主主義とは何か? h21.9.6
民主主義とは、最新の『社会科学の知見』を国において実現して、すなわち『社会科学の法則』を国民みんな(政府も含む)に守らせて、それ以外は国民や民間企業の自由を最大限に認めることである。
それなのに、国民の大半は民主主義を政府が“国民の心”を決めることだと考えている。
そんなことだから、政府に何でも「神制度」で決められてしまうのだ。製品や建築物や食品や衣料などのデザインとか色とか、テレビ番組や出版物やゲームソフトの内容などはすべて「神制度」で決められているのだ。本来国民や民間企業が自由に決めるべき部分がすべて政府によって「神制度」で決められてしまっているのである。
心は国民個人の自由である。国民は一般的な『社会科学の法則』を守りさえすれば、何をやってもかまわない。
政府は国民の個性に関わる細かいことまで決めてはいけない。政府は国民みんなに『社会科学の法則』を守らせさえすれば、それ以外の余計なことをしてはいけない。それ以外のことは国民や民間会社の自由だから、政府が絶対に口出ししてはいけない。
政府はいい国を作るために正しく考えることができねばならない。つまり、政府は『一般的な(国際的な)社会科学の法則』を『国の特性』を考慮しながら具体的に国に適用していい国を実現することが仕事である。つまり、政府は国民が自発的にいい国を作ることを影で助けることが仕事である。だから、まちがいを犯す恐れのある馬鹿な人間を政府に入れてはならない。少なくとも社会科学の法則の意味と論理がわかる人間を入れねばならない。神制度をやろうとする人間を政府に入れてはならないことは言うまでもない。
要するに、政府は国民みんなに学校などで『社会科学の法則』を教育して、『社会科学の法則』に反する者を取り締まればいいだけである。
[8344] 国のメーカー h21.9.6
電化製品のメーカーは他人が発見した『物理学の法則』を適用して製品を作る。
それと同じように、政府は他人が発見した『社会学の法則』を適用して国を作る。
物の場合には、物が生まれつき自分自身の法則を知っていて、もとから法則があるが、
人間の場合には脳があるために、自分自身の法則を知らないから、まず正しい法則を教えてやらねばならない。
だから、人間の場合には、『社会学の法則』を教育して、あとは人間が自分自身でいい国を作るようにさせればいい。医者が身体(細胞の集まり)の自然治癒力を助けて病気を治すように、政府は国民の“自発的ないい国を作る力”を助けるだけでいい。政府よりも国民のほうが頭がいいし具体的なことに詳しいから、国民の自由意志に任[まか]せたほうがうまく行く。それに、国民は政府のように馬鹿げた「神制度」をやらないから、そのほうがいい。
[8345] 都会っ子は田舎者[いなかもの] h21.9.6
東京には皇居や政府があって、都会っ子は小さい頃から「神制度」の教育を受けて育っている。
都会っ子は、まちがった社会学の知識を信じているから田舎者なのである。子供の頃から家の近所に神制度をやる人(つまり政府)がいると、「この世に神制度がある」と信じるものである。
反対に、田舎っ子[いなかっこ]は「神制度」を知らないから政府に反抗的である。
しかし、実際にはそのほうが正しいから、田舎っ子のほうがいい国を作ることができる。
[8346] 考えるとは何か? h21.9.6
インド人は見る者と見られる者の区別のない特殊な世界に生きているから考えることを知らないかもしれないが、日本人である私にとっては考えるとは対象と同じものを自分の頭の中に作ることである。
例えば、自分で政府について考えて、政府が『神制度を使う暴力団』であることがわかることである。
したがって、ひとたび正しい考えが得られたら、正しい考えに従って行動しなければならない。私は暴力団が嫌いだから、暴力団に協力しない。だから、政府に税金を払わない。[政府はショバ代の取立てが面倒臭いから振込用紙を送ってくるだけである。だったら、国民も払うのが面倒臭いから払わなければいい。現代では政府と国民は平等だから、それでいいのである。]
[8347] 『あばたもえくぼ』 h21.9.6
政府は本当は『神制度を使う暴力団』なのに、国民の多くが政府を贔屓[ひいき]して政府を「国民の幸福を守る正義の会社」だと思っている。
私はけっして政府の粗探し[あらさがし]をしているのではない。私自身も他人の粗探しをする人間が嫌いだ。
国民から見て政府は遠くにあるから『夜目遠目傘の内』で綺麗に見えるのだ。
政府についてよく考えて、政府の実体を見極めれば、政府はけっしていい会社ではない。むしろ、その反対だ。
[8348] 中国 h21.9.6
中国は神制度のない国である。
それは、中国では人民がみな平等だからだ。
だから、中国の建物は平べったくて大きいのだ。
西洋人には天才が現れるから、人間の上下という概念が濃いが、
東洋人には天才が現れないから、人間の上下という概念が薄いのだ。
[8349] 政府は諸悪のひとつにすぎない。 h21.9.7
政府は戦う気にもなれないくらい糞馬鹿だ。
相手が馬鹿すぎると話し合いにもならない。
たとえ私が政府を倒してもこの世は楽園にはならない。
なぜなら、政府以外にも悪はたくさんあるからだ。
政府は、この世にたくさんある悪の中のひとつにすぎない。
政府は長い間人間社会に巣食[すく]って人類を苦しめ続けてきた天然痘ウイルスのようなものだ。
[8350] 政府は暴力団である。 h21.9.7
神制度が悪人を作る原因ではない。いくら神制度があっても、神制度を使わずに真面目に生きている人もたくさんいる。
暴力団がいけないことをする言い訳[いいわけ]が欲しくて神制度を使っただけだ。
だから、今の政府は暴力団だ。暴力団が裏でいけないことをする言い訳のために神制度を使って、表[おもて]では民主主義の芝居をして国民に自分を善い会社だと思わせているだけだ。連日[れんじつ]テレビや新聞で報道されている原因不明の事件はみな政府が起こしたものだ。原因不明なのは政府がもみ消しにしたからだ。神制度でやったことだから原因不明のことを迷“宮”入りと言うのだ。政府と警察が組んでいるから、いつまでたっても犯人つまり政府が捕まらないのだ。警察は自分が食べて行かねばならないから、政府が起した事件を迷宮入り(原因不明)にしているのだ。
早く暴力団を潰して、その後[あと]に真面目[まじめ]に政治をする(ただし、神の祭りごとはしない)組織を作って欲しい。
これまで、暴力団が政府を務[つと]めていたところを見ると、政府は実際にはほとんどやることがないようだ。だから、政治は国民に『社会科学の法則』を教える学校と、『社会科学の法則』を取り締まる警察があれば、ほぼ十分と言えるだろう。要するに、国民が『社会科学の法則』に従っていればいいだけだ。だから、政府は要らない。
国民も『暴力団にショバ代を払う一生』に満足できなければ、暴力団にショバ代を払うな!
[8351] 学校は何のためにあるか? h21.9.7
本来人間は自分で考え事をしたがるものである。
ところが、学校があると他人から教えられるので、人間が自分で考えようとしなくなる。
その結果、学校を卒業する頃には、自分で考えることをしない言いなり馬鹿が出来上がる。
学校は、政府が人間を馬鹿に改造するためにあるのである。
[8352] 考えるとは何か? h21.9.7
考えるとは実在を二度見ることである。見たことをもう一度見ることである。
女は怠慢[たいまん]だから、一度見ただけで終わっている。だから、直接眼で見えることに対する感動が強いのだ。女は脳の構造が単純だから、顔も単純で綺麗に見えるのだ。[zweifeln[ツバイフェルン]疑う→einfeln[アインフェルン]物を眼で見るだけで考えないこと。]
人間の五感には歪[ゆが]みがある。実在しない物が見え、実在する物が見えていない。
だから、五感をもう一度知覚で見て歪みを修正しなければならないのだ。
[8353] 暴力団が支配する国 h21.9.7
今の日本が面白くないのは、暴力団(政府)が支配する国だからである。
ギャングが国を支配している南米のブラジルとかといっしょである。
暴力団の人間は年がら年中不愉快な気分でいる。
だから、暴力団が支配する国は面白くないのだ。
日本を面白い国にするためには、暴力団を倒さねばならない。
[8354] 『カルトとヤクザが支配する国』 h21.9.7
まずは、このホームページを見ていただきたい。
この文を書いた人(カルロス・ハッサン)は、世界を股にかけて旅行している人である。
経済について詳しい人のようだが、政府については、ほぼ私と同じ見解を持っている。
この私も世界を股にかけて旅行している人並みの見解を持っているというわけだ。
『政府が神制度を使っている暴力団である』ことぐらい、今日[こんにち]ではすでに常識となっているのだ。
最近では、政府に逆[さか]らう者のほうが豊かに暮らせるようだ。
[8355] 国民がやるべきこと h21.9.7
政府は、裏で神制度を使って悪さをして表で民主主義の芝居をしていい格好をしている暴力団である。
だから、国民は政府に逆[さか]らって政府を潰すべきである。
ひとまず今の政府を潰すことが国民的には正しい判断である。暴力団などというくだらない組織はないほうがいい。
その後で、国民がどうしても要るなら新しい政府を作ればいい。学校や警察のように『明確な仕事内容』が決まっている仕事はやってもいい。本来『社会科学の法則』ぐらい国民が自主的に勉強して守るべきである。
[8356] どうして暴力団が栄[さか]えるか? h21.9.7
おとなしくて他人の言いなりになることしか知らない腰抜けの弱気な大人が大勢いるからである。
そんな国では、暴力団が栄える。
要[よう]は気持ちの問題だ。
相手が正しくなければ、自分は従う必要はないじゃないか?
例えば、政府が『社会科学の法則』を実現させることを仕事にしている正しい会社なら、自分は政府に従って政府に税金を払わなければならないが、政府がまちがったことをやっている暴力団なら政府に従って政府に税金を払わなくてもいい。むしろ、支払ってはならないのだ。
政府が潰れると400万人の公務員が死ぬことになるが、正義のために死ねるなら彼らも本望[ほんもう]だろう。
[大阪の阪とは“栄える”の意味であり、つまり大阪とは“大いに栄える”という意味である。次の戦争では大阪が危ないかもしれない。]
[8357] ガロアはどうして殺されたか? h21.9.7
ガロアは数学の帝王ガウスに勝るとも劣らない天才児である。ガウスの剰余数の理論はわかりやすいが、ガロアの群論は難しいからである。群そのものが数を複雑化した概念だからである。
ガロアは政治についても関心があった。
ガロアの才能があれば、政府の正体を見抜くなど造作もないことだっただろう。私が3年かかって考えたことを1日で見抜くだろう。
政府は彼の天才を恐れて決闘で殺したのだ。
[8358] 革命家(テロリスト)とは何か? h21.9.7
『政府が神制度を使う暴力団である』ことを見破った者である。
政府は、政府が正しくて、革命家が悪者だと言うが、
実際には、革命家が正しくて、政府が悪者なのである。
政府も見え透[す]いた作り話をするな!
[8359] 政治学の原理☆ h21.9.7
『政府は、裏で神制度を使って悪さをして表で民主主義の芝居をしていい格好をしている暴力団である。』
そう考えると、これまでに世界で起きたことがすべて説明が付く。だから、この仮説は正しいと考えられる。
つまり、これが政府の正体である。すなわち、政治学の原理である。
だから、今後は、この原理に従って考えて行かねばならない。
例えば、国民は暴力団である政府に従ってもいいことは何もないから早く政府を潰したほうがいいのが、正解である。
『ニュートンの運動方程式;F=ma』を具体的な問題に当てはめると、正解が得られるようなものである。
これまで私が考えてきたことを逆向きに辿[たど]れば、ほぼ論理的に演繹的[えんえきてき]に政府や宗教について書かれた理論体系が得られる。
[8360] 神は剣よりも強い。しかし、私は神よりも強い。 h21.9.8
剣では人間よりも上の者になれないが、神制度では神の代理を務める神官が人間よりも上の者になれる。
だから、神[制度]は剣よりも強いのだ。[政府が民間の暴力団に勝ったのもそのためだ。]
しかし、この前私が『[8213] 《要点》神制度が成り立たないことの証明☆ h21.8.20』で神制度の論理的欠陥について指摘したから、もはやいくら神制度を使っても人間よりも上の者にはなれない。
つまり、私は神[制度]よりも強いのだ。
[8361] どうして日本政府は神制度から武器に戻したか? h21.9.8
日本政府は古墳時代にそれまでの武器から神制度で日本国民を支配するようになったが、
戦国時代に神制度からもとの武器に戻した。
おそらく、中国文化の影響だろうが、
もしかしたら室町時代に私と同じことを考えた者がいたからかもしれない。
[8362] マンガと芸術 h21.9.8
マンガはその名の通り、“面白さ”が表現されている。
芸術は、面白さよりももっと“高級な感情”が表現されている。
マンガと芸術の違いは、絵に表現されている感情の質の違いと表現力の差だ。
音楽にも、五感的な音楽と知覚的な音楽の2種類がある。
最近の音楽は五感的な音楽ばかりが作られるようになったが、
J.S.Bachの『Sinfonia in D』は知覚的な音楽である。“知覚的な心”が表現されている。
[8363] お金では幸福は買えない。 h21.9.8
お金で商品は買えるが、お金では幸福そのものは変えない。
だから、お金持ちは案外幸福ではない。
「お金で幸福を買える」と思ったことがそもそものまちがいだ。
そう思ったから、永久に幸福が手に入らなくなってしまったのだ。
[8364] 紙の上だけの幸福 h21.9.8
日本は、実在の世界では日本政府が国民に嫌がらせをしているために、国民には“紙の上だけの幸福”しかない。
日本人が“紙の上の面白さ”を大事にするのは、そのためだ。
しかし、私は面白さよりも正しさを大事にする。
私は面白いことよりも正しいことを書きたいのだ。それは、私の生まれつきの性分[しょうぶん]だ。
正しいことを考えて行けば、結局は面白さも手に入るのだ。
つまり、いくら政府が嫌がらせをするからといって、現実逃避になってはいけない。実在の世界における幸福を最後まで諦[あきら]めてはいけない。そうすれば、願いは叶[かな]うのだ。
[8365] どうして政府は国民の嫌がらせをするのか? h21.9.8
それは、政府が暴力団だからである。
暴力団の人間は生まれつき他人の嫌がらせを喜ぶ意地悪[いじわる]な心を持っているので、生まれてから死ぬまで他人の嫌がらせばかりするのである。
政府は意地悪人間の温床[おんしょう]である。
政府や宗教や民間の暴力団がなければ、そんな意地悪な人間は滅びるのだ。
[ローマ帝国も名前が立派なだけで、実際には意地悪な人間からなる暴力団が政府をやっているオンボロな国だったのだ。]
[8365] 議会制民主主義 h21.9.8
田舎臭い。
余計なことを決めるだけだ。
民主主義は大勢の人間で正しいことを決めることであって、議員だけで無理やり国民共通の心を決めることではない。
多数決で決めるのは、まちがいを避けるためであって、心を測[はか]るためではない。
心は個人固有のものであって、他人が自由に決められるものではない。
だから、議会制民主主義なんか要らない。廃止すべきだ。
人類にとって必要なのは、正しい『社会科学の原理』とそれらの原理から論理的に導かれた命題だけである。
議会制民主主義で馬鹿議員が決めた胡散臭[うさんくさ]いデタラメな汚い取り決めではない。
[8366] 政府は神官が社長をやっている会社である。 h21.9.8
政府の神制度をやっている部署は、神官が神(私)の代理を務めて下働きの者に命じてやりたい放題のことをやっている。つまり、国民に対する嫌がらせや殺しをやっている。政府が起こした事件に神(私)の情報が混じっているのは、神官が神(私)の代理を務めて人間よりも上の者であることの印[しるし]である。
一方、民主主義をやっている部署は芝居でやっているだけで実際には国を動かしていない。つまり国民の役に立っていない。国民から税金を取るための餌[えさ]にすぎない。さしずめ、神の代理を務める神官が社長で、総理大臣は副社長といったところだろう。
国民から見れば首相が表の政治家で神官が裏の政治家だが、政府自身から見れば神官が表の政治家で首相が裏の政治家である。
政府の正体は『神制度を使っている暴力団』である。
警察や学校は暴力団の政府がやっているみみっちい偽善である。そんな些細[ささい]なこと惑わされて政府の正体を見誤ってはいけない。[学校は子供に政府についてのまちがった知識を教えるために政府がやっているのである。]いざとなれば、警察や学校がなくても、国民が自分でなんとかするから、政府がなくなってもかまわない。
[8367] 知覚界の掟[おきて] h21.9.8
物体の運動の原因をニュートンの力にしようがラグランジュ関数にしようが人の勝手である。
眼で見えないことは人間が自由に考えていいが、『辻褄[つじつま]が合っている』ことが必要である。
だから、私を超能力者だと考えると、ガラガラが音を出しながら回っていたことが辻褄が合わないし、たとえ私が超能力者であったとしても私を神(人間よりも上の者)だと考えることは辻褄が合わないからどちらもまちがっていることになる。
[8368] 現代の若者が考えていること h21.9.8
私がこの前ヤフー麻雀をしている時テーブルの下の掲示板に私が日頃政府について考えていることを書いたとき、それに応じていろんなことを言う者がいたが、現代の若者は政府が議会制民主主義をやっているから政府が国民よりも上の者だと思っているようだ。
それは誤解である。
政府は政府の中にいる神官が神制度で神の代理を務めて人間よりも上の者になっているから政府が国民よりも上の者になっているのであって、民主主義のせいではない。
民主主義はその名の通り国民主義だから、民主主義においては政府は国民の下僕[げぼく]である。だから、民主主義では政府は国民よりも下の者であり、政府が国民にでかい面[つら]をすることはできない。
それから、政府がなくなれば警察もなくなって日本中悪人だらけになるから政府が要ると考えているようだったが、実際には連日事件を起している犯人は政府だし、政府が神制度で国を乱しているのに対して国民は民主主義を守って真面目[まじめ]に暮らしているからそのようなことはない。いくら警察がなくなっても、国民が現行犯に対しては実力で対抗するから現行犯も無傷で済むわけがない。たとえ国民が現行犯を殺しても正当防衛で済むから国民にとって有利である。犯行後も、インターネットで犯人の犯行の詳細と顔写真や似顔絵を世界中にばら撒[ま]けば、犯人は生きていけなくなる。それに、そもそも日本人は貧乏だから、襲って奪うほどのお金を持っていない。だから、泥棒や強盗の心配は要らないのだ。日本の治安がいいのは、日本人が貧乏なおかげである。日本は物の文化ではないから、たとえ強盗が押し入っても奪う物がないのである。だから、警察はあっても迷惑ではないが、特に必要ではないと考えられる。
一般に、若者の考えることは曖昧模糊[あいまいもこ]である。論理的な詰[つ]めが甘くて、実体が見えていない。マンガや妄想の世界に生きている。だから、若者はもっと考える訓練をしなければならない。
[8369] 見たら死ぬビデオ h21.9.9
見たら死ぬ本とか見たら死ぬテレビとか“見たら死ぬシリーズ”はたくさんある。
これらはすべて私の情報を混ぜて作った番組や本などのことを指しているのである。
信者とは神の情報を持っている者のことだから、政府が国民に神の情報を与えておけば国民を信者にすることができて、政府が信者である国民を自分の物であるかのように好き勝手にできるのである。
日本政府のヤクザの中にも親切な人がいるから、日本で作られているテレビ番組や出版物などについての宗教的な意味をご丁寧[ていねい]に国民に“なぞなぞ”にして教えてくれているのだ。
[8370] 国民は政府に税金を払わない。 h21.9.9
政府は暴力団である。しかも、神制度で強化された暴力団である。[注;“政府”とは世界中の政府の意味である。特に日本の政府を指す場合には“日本政府”と書くことにしている。]
税金は神制度で強化されたショバ代である。
しかし、この前私が『神制度は成り立たない』ことを証明した。
だから、今の政府は民間の暴力団と同じである。[つまり、政府=民間の暴力団+神制度で、これまでは神制度≠0だったから政府>民間の暴力団(すなわち、政府は民間の暴力団よりも上の者である)だったが、私が『神制度=0』であることを証明したから、政府=民間の暴力団である。]だから、税金も民間の暴力団のショバ代と同じである。
今どき、暴力団にショバ代を払う人なんかいない。だから、政府に税金を払う者もいない。
[8371] 人間よりも下の者の会社☆ h21.9.9
政府は神制度によって強化された暴力団である。要するに暴力団である。
暴力団は人間よりも下の者である。
なぜなら、『人間が他の動物よりも上の者になれたのは人間に知性があるからだ』が、暴力団には人間の本質である知性が欠落しているからである。要するに暴力団は動物である。本物のヤクザはテレビで役者がやっているようなかっこいいものではなく、他人の不幸を何とも思わない残酷で意地糞悪[いじくそわる]で知恵遅れの馬鹿だ。[[8061]
効率の悪い会社 h21.8.1の図を参照。つまり、動物+知性=人間で、暴力団=人間ー知性だから、動物=人間ー知性=暴力団である。人間>動物(すなわち、人間は動物よりも上の者である)で、動物=暴力団だから、人間>暴力団である。[8370]より暴力団=政府だから、人間>政府である。]
よって、政府も人間よりも下の者である。[表の政治家も利口ぶっているだけで利口ではない。]
政府は人間よりも下の者だから、神制度を使って人間よりも上の者になりたかったのである。
人間よりも下の者はくだらなくて相手にならないから、国民は暴力団や政府を無視しなければならない。
政府は酒や学校で国民を馬鹿に改造するよりも、自分の頭を治してもらったほうがいいんじゃないかな?
[8372] 動物の会社 h21.9.9
政府は暴力団である。
暴力団は動物である。
だから、政府は動物である。
しかも、神制度で人間よりも“上の”者のふりをしている動物である。
動物園が“上野”にあるのはそのためである。[私も中学2年生の時、家族で東京に旅行をしたとき、上野動物園に行った。パンダを見た。]
『ガリバー旅行記』第4部が「馬の国」であるのはそのためである。この世は人間が動物(つまり政府)に支配された世界なのである。
『もりもりぼっくん』(東映不思議コメディーシリーズ第6作目。1986年)』で理想とした動物とロボットが仲良く暮らせる国とは、動物が政府でロボットが国民の喩[たと]えだから、政府と国民が仲良く暮らせる国のことである。[私も『もりもりぼっくん』の最終回と最終回の1話前の回だけ見たことがある。]
[8373] 半論理[はんろんり] h21.9.9
人間は知覚で論理的に思考する。
しかし、政府は半論理で曖昧に思考する。
半論理の世界では、論理的に欠陥がある神制度が成り立つのだ。
政府は人間よりも知覚が足りないから半論理しかわからないのだ。
政府は旧人(ホモ=ネアンデルタールレンシス)や原人(ホモ=エレクトゥス)の生き残りなのかもしれない。
動物園の檻[おり]の中の猿が人間が毎日餌[えさ]をくれるから、人間を自分の奴隷だと思っているようなものだ。
[8374] 『日本沈没』 h21.9.9
スイフトの『ガリバー旅行記』では、イギリス政府が空を飛ぶ島ラピュタに喩えられていたが[スイフトが日本に関心が強かったのは、日本が特に政府の力が強い国だったからだろう。当時は日本は江戸幕府だったが、イギリス人のスイフトは政府と見ていたのだ。]、
反対に小松左京の『日本沈没』では、戦後日本政府が神制度をやめて日本政府が昔に比べて低くなったので、戦争を地震に日本政府を日本列島に喩えて日本列島が地震で沈没することにしたのである。[私は『日本沈没』の本を読んだことはないが、子供の頃テレビドラマを見たことがある。全話見た。]
『不沈空母』も日本政府を日本列島に喩えた言葉だが、日本政府が私の神制度を始めて再び政府が国民よりも上になったことを表している。
[8375] 真理に敬意を払え! h21.9.9
眼で見ただけでは真理はわからない。
頭で時間をかけて考えてようやく真理が見えるのだ。
例えば、眼で見ただけでは天が動いているのか地球が動いているのかわからないようなものだ。頭でよく考えてやっと地球が動いているのがわかるのだ。つまり、遠くにある物は小さく見える。人間は地球のすぐ近くにいるから地球が大きく見えて太陽が小さく見えるが、実際には太陽のほうが地球よりもずっと大きいのである。小さい物は軽く、大きい物は重い。だから、地球よりも太陽のほうがずっと重い。大人が子供の手をつかんでグルグル回しをするように、太陽が地球を引っ張って回しているのだ。だから、動いているのは地球であって、太陽ではない。
それと同じように、眼で見ただけでは政府が正義の会社なのか悪の会社なのかわからない。頭でよく考えてようやく『政府が人間よりも下の暴力団である』ことがわかるのだ。
日本人はもっと真理に対して敬意を払うべきだ。眼先のことに敬意を払ってはいけない。
真理に従って考え行動すべきだ。
[8376] 本当の敵は政府である。 h21.9.9
韓国や中国では何かと日本人を敵視するが、それは韓国や中国の政府が国民の政府に対する反感を海の向こうの日本に向けさせるために心理操作をしているからである。[反対に、日本人は韓国人や中国人に対する反感はない。]
真の敵は韓国政府や中国政府であって、日本ではない。
政府に踊[おど]らされるな!
攻撃したければ、自分の国の政府に対してやれ!日本に対してするな!!
[8377] 私アニメは正当か? h21.9.10
現代では『政府が神制度をやることがまちがっている』のに、政府に協力して作ったからいけない。
いくら「私に関する真実(つまり、私が実際に経験したこと)」に面白みを足して作り話を作っても価値はない。[[8310]を参照。]
作るなら、『政府は表では民主主義の芝居でいい格好して、裏では神制度で人殺しをしている悪い暴力団である。』こととか『政府が神制度をやってはいけない。つまり、いくら政府が神制度をやって主や偽主の代理を務めても“人間よりも上の者”にはならない。』ことに面白さを足した作り話を作らなければならない。
そういう作品は後世に残すべき価値がある作品だと言える。
私自身は面白さを足すよりも、真実そのままを述べるほうが好きである。
[8378] おとぎ話『桃太郎』 h21.9.10
『桃太郎』の鬼が島とは政府のことで鬼とは政治家のことである。
『桃太郎』の話の言いたいことは、『政府が国民から財産を奪う悪者だ』ということである。
『早く政府を倒して政府のない社会を作って欲しい』と言う国民の気持ちをおとぎ話にしたのである。
きび団子とか、イヌ・サル・キジのお供とかは面白さを付け足すために作った架空の作り事である。
[8379] おとぎ話『金太郎』 h21.9.10
『金太郎』は足柄山[あしがらやま]で熊と相撲[すもう]をとった以外は有名ではない。
いくらなんでも実際に子供が熊と相撲を取るわけがない。
だから、『金太郎』のおとぎ話に関しては作り事の面白さの部分だけが生き残って、本体の事実のほうはなくなってしまったのである。それは、金太郎個人の具体的な事実(金太郎の出世話)は、他の人間にとってはどうでもいいことだからである。残す価値があるほどの『普遍的な真実』ではなかったからである。[[8310] 文系の作文 h21.8.31を参照。]
[8380] 暴力団の慈善事業 h21.9.10
政府は神制度を使っている暴力団である。
政府は警察や議会をしているという理由で国民から税金を取っている。
しかし、暴力団がちょっと慈善事業(ここではたんに国民のためになる仕事の意味)をしているからといって、暴力団にショバ代を払いたいとは思わない。
だから、政府にも税金を払わなくていい。
警察は交番の前に立っているだけで犯罪防止効果はなく犯罪が起きた後ではあとの祭りでどうにもならないし、議会は決めることが何もなくてどうでもいいことをダラダラ話しているだけだから、どちらも強いて要るほどのものではない。[最近は“迷宮入り(原因不明)”の事件が増えたから、警察はあっても無駄だと思われている。]要[よう]は、国民が『社会科学の法則』を勉強して守ればいいだけである。国民が違反者を自分の手で罰するのもいい。それは正当防衛だから無罪だし、社会のためになることだからむしろやったほうがいい。
だから、政府は自分の身を守るために警察や議会を盾[たて]にすることはできない。
[8381] 暴力団が潰[つぶ]れる時代 h21.9.10
かつては暴力団は人間と同じ階級であった。それは、昔はみんなが馬鹿だったからである。
しかし、現代では暴力団は“知性のない動物”と見なされ“人間よりも下の者”と見なされてみんなから軽蔑される。[[8061] 効率の悪い会社 h21.8.1の図を参照。]
だから、現代では暴力団は安定に存在できず、潰れてしまう。
政府は最近までは神制度で人間よりも上の者となって幅をきかしていたが、この前私が神制度は無効であることを証明したので、もはや人間よりも上の者であることはできず、民間の暴力団と同じように、みんなから軽蔑されて無視されて潰れる運命にある。
[8382] 大和王朝[やまとおうちょう] h21.9.11
日本政府の前身は大和王朝である。だから、戦艦大和というのだ。
大和王朝は武器を使って国を治めていたが、古墳時代に日本政府に名前が代わってからは神制度で治めるようになった。神制度では神の代理を務める神官が“人間よりも上の者”なので、以前よりも国民に対する支配が厳しくなった。しかし、そのおかげで日本が統一できて、日本が一応平和になった。だから、国民は政府を支持したのだ。
しかし、その後日本政府は神制度をやっていない中国文化を受け入れたので、いつしか神制度が忘れられて、戦国時代から江戸時代にかけて再び武器で治めるようになった。国民は平和な世の中を望んでいたので、徳川家康が日本を統一できたのである。
その後日本はアメリカと接触したが、アメリカは神制度をやる国だったので、再び日本政府は神制度をやるようになった。それが明治以降の時代である。
現代は国際化の時代で、世界中の政府が神制度をやっていたが、この前私が『神制度が無効である』ことを証明したから、今後は武器で治めるしかない。しかし、武器で治めると政府が暴力団と見なされて、国民から“人間よりも下の者”と見なされて軽蔑されて無視されて潰れることになる。
そもそも政府は要らない。国民が要らない物を要ると思っているからおかしなことになるのだ。
国民にとって必要なのは、正しい『社会科学の知識』だけである。それを国民が勉強して守ればいい。守らない者がいたら警察に頼らずに国民自身で罰すればいい。今どきの世の中では、本気で殺そうと思ったら殺せない人間はひとりもいない。
国民も政府の命令を首を長くして待つよりも、自分のやることは自分自身で決めてやればいい。国民が積極的に考えて動いたほうが国が発展する。[じつは、そこが一番難しいところである。実際にはいろんな才能が要るので、国民が優[すぐ]れていなければならない。]
だから、国民にとって必要なのは、正しい『社会科学の知識』を教育する機関と、『社会科学の知識』に反する者を罰する機関だけである。あとは、一切[いっさい]国民の自由にやればいい。
法律は『社会科学の原理』に従って論理的演繹[えんえき]的に作られるので、“正しく考える”かぎりでは誰が作っても同じである。正解はひとつしかない。だから、国会議員が作ろうが小さい子供が作ろうが同じである。だから、議会なんか要らない。法律は権限で決めるものではなく、理屈で決めるものである。法律は国民みんなで考えて作っていけばいい。自分がわからずに他人の考えに従うだけでは駄目である。
『社会科学の原理』から論理的演繹的に作られていない法律は全部インチキな取り決めである。それらは本来国民の自由なのに、政府が勝手に自分の都合で強引に決めたものである。政府が民間の会社から賄賂[わいろ]をもらったり、神制度をしたりして、余計な決まりを作ったのだ。法律には必ず論理的な『証明』が必要である。論理的な証明のない法律は、法律として認められない。
今どき日本に“お山の大将”は要らない。お山の大将は国の形式的な名目的な代表者にすぎず、お山の大将の命令で国が動いているわけではない。実際には、日本人みんながそれぞれの頭を使って考えて動いて国を作っているのである。自分がいつもお山の大将の命令で動くものだと思っている日本人のまちがった社会観を変革しなければならない。
[8383] Internet Explorer 8の削除法 h21.9.11
9月10日にGoogle版のInternet Explorer 8をインストールしたらやっぱり気に入らなかったので削除しようとして、スタート→コントロールパネル→プログラムの追加と削除→Windows
Internet Explorer 8をクリックしても“削除ボタン”が出なくなって削除できなくなった。[9月4日にダウンロードしたのは、Microsoftの正規版だった。正規版では上の方法で簡単に削除できた。]
諦[あきら]めかけていたが、今さっきインターネットで調べてみて、あるホームページに書かれていた
『スタート→すべてのプログラム→アクセサリ→システムツール→システムの復元』の方法で削除できた。
しかも、他の保存した情報には影響が出ないのでますますよかった。[私は、メモ帳やモームページビルダーまでもとに戻るのではないかと思って心配だった。]
やはりInternet Explorer 7のほうがデザインがシンプルでいいなあ。アイコンも金の輪っかがなくてすっきりしていていい。
[よく調べてみたら、私が使っているのはInternet Explorer 7ではなくて、Internet
Explorer 6のSP3だった。]
[8384] 誰が猫の首に鈴をつけるか? h21.9.11
神制度の問題は簡単である。
『主や偽主は神ではない』から、神制度を使った者を人間よりも上の者と見なさなければいいだけである。いや、むしろ、“知性の欠落した動物”だと見なして“人間よりも下の者”と見なすべきである。
一方、『誰が猫の首に鈴をつけるか?』というおとぎ話がある。猫の首に鈴をつければ問題は解決するのだが、肝心の猫の首に鈴をつける方法がないというオチである。
神制度と『誰が猫の首に鈴をつけるか?』というおとぎ話とは何の関係もない。
『誰が猫の首に鈴をつけるか?』というおとぎ話は、おそらく政府が国民に政府についての問題を考えるのを諦[あきら]めさせる目的で作ったおとぎ話なのだろう。ネコはネズミよりも大きいから政府の喩えである。
[8385] どうして私は社会科が嫌いなのか? h21.9.11
テレビや新聞に出て来る表[おもて]の政治家は何の役にも立たない『糞馬鹿[くそばか]の見本』である。決めることがない議会でどうでもいいことをダラダラ話して暇[ひま]を潰しているだけである。議会で話し合いができるほどの知性がないことが顔に出ている。民主主義とは国民が『社会科学の法則』を守ればいいだけだから、議会は決めることがないのである。実際には、裏の政治家が神制度で全部決めてしまうから、表の政治家は何も決めなくていいのである。
だから、私は子供の頃から政治家が嫌いだったのだ。
それが、私が社会科が嫌いな根本的な原因だ。
国民は表の政治家の馬鹿がうつるから、あまりテレビや新聞を見ないほうがいい。
[8386] 世の中を平和にする機関 h21.9.11
大和王朝の頃は日本中で争いが絶えなかったが、古墳時代に大和王朝が神制度を取り入れて日本政府になると日本が平和になった。それで、日本国民は政府を支持した。つまり、当時は政府が警察だったのだ。
しかし、今はその反対に政府が世の中を乱す張本人である。政府は神制度を使って平気で人を殺している。神制度で政令を出して国中を滅茶苦茶にして国民を不幸にしている。今の世の中が平和なのは、国民が『社会科学の法則』を勉強して真面目[まじめ]にそれを守っているからである。それは、日本中に学校ができて、国民みんなが『社会科学の法則』(つまり、他人の持ち物を奪ってはならないことや他人の身体を傷つけてはならないことなど)を勉強して身に付けたからである。もはや古墳時代以前のように武器で争ったりすることはない。だから、今はもう政府は要らないのだ。警察と学校があれば政府は要らないのだ。
警察も学校も政府に食わせてもらっている。そのために、学校は政府のために子供に嘘の政府を教えているし、警察は政府の犯罪を見て見ぬふりをしている。だから、政府がなくなればいいのだ。
学校できちんと国民に『社会科学の法則』を教えれば警察は要らない。だから、どちらかというと警察よりも学校のほうが大事だ。
学校や警察は政府の付属機関ではない。学校や警察を政府と別だと考えればいいのである。
[8387] 中国はどうしてしょっちゅう国が代わるのか? h21.9.11
それは中国には神制度がないからである。
それで中国は古墳時代以前の日本のように争いが絶えないのだ。
戦国時代に日本で国がしょっちゅう代わったように、中国はずっと戦国時代なのでしょっちゅう国が代わるのだ。
しかし、今は中国にも学校ができて国民みんなが『社会科学の知識』を身に付けて真面目に守っているから、以前のような争いは起こらなくなったのだ。
中国に神制度がないのは、中国人が嘘[うそ]を嫌うからだろう。[中国人は視覚的で、眼で見た世界では嘘がつけないから、それで嘘が嫌いなのだろう。]中国では国は個人の集まりであって、首相は国の代表者にすぎない。つまり、中国ではみんなが平等なのだ。
[8388] 神制度は平和のための手段である。☆ h21.9.11
かつて日本人が政府の神制度を支持したのは、神制度で日本が平和になったからである。神制度では神官が“人間よりも上の者”となって人間である国民を治めているから国のまとまりがよいのである。いわゆる中央集権国家である。
しかし、今の日本では反対に政府が神制度で国を乱している。神制度の副作用だ。
今の日本が平和なのは、国民に対する『民主主義の教育』によるものである。
だから、神制度はもはや要らない。政府も要らない。
平和は、国民の願いであるだけではなく、『人間の平等性』から来る論理的帰結でもある。武器や神制度やその他の手段で、一方が他方よりも絶対的に有利になることはまちがっている。今は全国にある学校で『民主主義』を教えている。だから、政府や神制度がなくなっても戦争や争いは起こらないだろう。むしろ最近では政府や神制度(宗教)が戦争や争いの原因だから、政府や神制度がなくなったほうがいい。
[8389] 議会はどうあるべきか? h21.9.11
法律とは『社会科学の法則』である。法律は正しく考える限り誰が作っても同じである。正しい法律はひとつしかない。
だから、法律は国会だけが作るのではなく、国民全員が作るものである。実際には、誰かが考え出したアイデアを大勢の国民が支持した後[のち]、国会が採用して法律にしている。
つまり、国会が法律を決めるのではなく、国会が法律を拾[ひろ]うのである。
だから、議会を完全になくしてしまえとまでは言わないが、今よりも規模を小さくしてもいいだろう。議会は法律を“拾える”程度の人数でやれば十分だ。
[8390] 人間はエゴである。 h21.9.11
誰だって自分自身を有利にしたい。人間とはそういう生き物だ。自分を有利にするためならどんなに汚いことでも厭[いと]わない。
政府が神制度を使いたがるのも、自分自身を有利にするためである。
しかし、今どき武器や神制度を使うと、つまり学校で教えられた『社会科学の法則』を守らないと、みんなに“知性がない動物”だと見なされて“人間よりも下の者”だと思われる。軽蔑されて無視されて殺される。[神制度には論理的欠陥があるので、神制度を使うと知性がないと見なされるのだ。]
私は他人にそんなに思われてまで武器や神制度を使いたいとは思わない。それでは、かえって自分にとって不利になるからである。自分の『人間としてのプライド』に反するからである。
だから私は自分を有利にするために生きるけれども、武器や神制度は使わないのだ。
[8391] 暴力団とは何か? h21.9.12
『社会科学の法則』を犯す者の組合が暴力団である。
武器を使って他人を脅迫したり殺傷したりするのは『社会科学の法則』を犯すことである。
論理的欠陥のある神制度を使うのも『社会科学の法則』を犯すことである。
だから、民間の暴力団や政府は宗教団体はみな暴力団である。
現代では、暴力団は学校で習った『社会科学の法則』がわからない“知性のない動物”と見なされて“人間よりも下の者”と見なされて軽蔑されたり無視されたりして社会的に生きていけない。
政府が国を牛耳[ぎゅうじ]っていると思っているのは政府の思い上がりである。
政府が暴力団ならば、国民は政府に従わない。
政府に従っている国民は、人を見る目がない。その国民もまた“知性のない動物”の仲間なのだ。
[8392] 『5次以上の方程式が代数的に解けない』ことの証明 h21.9.12
私がこの前証明した『神制度が使えない』ことの証明は、アーベルやガロアが『5次以上の方程式が代数的に解けない』ことを証明したことに匹敵する業績である。
『5次以上の方程式が代数的に解けない』ことは、当時の研究者達が予想していたことだが、アーベルやガロアはそれにはじめて正確な数学的証明を与えた。
それと同じように、『神制度が使えない』ことは大勢の人が予想して、今日[こんにち]では政府と宗教以外には神制度を使う者がいなくなったが、私が『神制度が使えない』ことをはじめて論理的に厳密に証明したのだ。つまり、私が神制度にとどめを刺したのだ。[[8213]
《要点》神制度が成り立たないことの証明☆ h21.8.20を参照。]
これで、政府も宗教も民間の暴力団並みの組織になった。
現代では、民間の暴力団はどんどん潰れている。
だから、政府や宗教も今後潰れていくだろう。
[8393] 人間よりも下の者 h21.9.12
これまで国民がおとなしく政府に従ってきたのは、政府が暴力団で政府に逆らうと自分が殺されるかもしれないからである。
しかし、今は『知覚の時代』であり、『社会科学の法則』を破る暴力団は“知性のない動物”すなわち“人間よりも下の者”と見なされているから、逆に暴力団が国民に殺されるかもしれない。これまで政府が国民に対してしてきたように、今度は国民が政府を『自分よりも下の者』と見なして政府に対して殺したり苦しめたりやりたい放題にできるのだ。
だから、暴力団である政府も国民にうかつに逆らうわけにはいかないのだ。
暴力団と国民の違いは『社会科学の法則』を理解できないかできるかの違いであって、武器を使って人を殺すことにおいては同じである。つまり、国民も政府と同じように武器で人を殺せるのだ。
[8394] 宗教と暴力団と政府の関係 h21.9.12
政府は宗教(神制度)をやっている暴力団である。つまり、政府=宗教∩暴力団。
![]() |
しかし、宗教は、この前私が『神制度が成り立たない』ことを証明したから今後はやっていけない。
暴力団は、現代では『人間よりも下の者』だと見なされてみんなから軽蔑されて生きていけない。
だから、宗教も暴力団も潰[つぶ]れている。
したがって、政府も潰れている。
学校と警察は残るかもしれないが、とにかく政府は潰れつつある。
人間は衣食住が足りていれば一応は生きて行けるから、学校も警察も必要不可欠というわけではない。『社会科学の法則』は国民が自分で勉強して守るし、国民が違反者を見つけたら自分で罰する。だから、政府が残るために学校や警察を利用することはできない。
[8395] マンガはわかりやすいか? h21.9.12
マンガはわかりやすいといわれるが、マンガと同じ絵を描くことは容易ではない。
だから、マンガの絵がわかりやすいのではなく、マンガの話がわかりやすいのである。
しかも、マンガの話の骨格である『真実の意味』はわからず、付け足した話の肉付けである「作り事の面白さ」がわかりやすいだけである。
マンガがわかりやすいのは、マンガの話の作り事の部分がわかりやすいだけである。
だから、マンガファンは、いつまでたっても作り話が面白くて真実はつまらないと思っているのだ。
[8396] 不特定多数[ふとくていたすう] h21.9.12
私が朝倉中学1年生の時、英語の沢谷[さわたに]先生が英語の授業中に教室のみんなに「不特定多数という言葉を憶えておきなさい」と言ったことがある。
それは、日本政府を含む世界中の政府が新しい神制度を始めたが、神が誰であるか不特定多数でわからないという意味だったのだろう。
しかし、その後私がいろんなテレビ番組を見ているうちに、ついに私が神であることがわかった。私が医学生の頃に見たNHK教育テレビの人形劇『ピコピコポン(第2部)』の最終回には私が小学高学年の頃に描いたマンガと同じオチが使われていたが、それだけでは決め手にはならなかった。しかし、その後もいろんな番組でわたしに関するネタが使われていることには気付いていた。例えば、テレビ朝日アニメ『まじかる☆タルるートくん』の原子力[はらこりき]の頭の上に私が高校1年生の時私が精神分裂病に罹る直前に隣の席の尾立[おりゅう]君の頭の上に見えたのと同じ“黒い穴”がついていた。そして、今から約3年半前に『アイドル天使ようこそようこ』第4話を見ていたとき、ヒロインの女の子が自分のことであるとわかった。と同時に、自分が政府に神とされていることもわかった。ひとつの情報だけでは決め手にはならないが、いくつかの情報がある程度重なると、もはや私以外にはいないことがわかるのだ。[昔の小学館の学習雑誌の付録に“数字当てマジック”の手品の道具があった。6枚の穴の開いたカードがあって、それらを重ねるとひとつの数字が決まるのだ(ったと思う)。1枚のカードだけでは決まらないが、何枚か重ねるとひとつに決まるのだ。]
真実はひとつしかない。だから、私が自分が神であることがわかったということは、私以外の誰かも私が神であることがわかった可能性が高い。特に私の知り合いは知っている可能性が高い。だから、もはやけっして不特定多数などではない。テレビ番組で流されている情報が『私のものである』ことを知っている者は日本や世界中にたくさんいるはずだ。そうなると、プライバシー侵害ということになる。それは現代の『社会科学の法則』に反するからいけないことである。
[8397] おとぎ話『ゲンゴロウブナの話』 h21.9.12
『ふしぎな太鼓』と同じ話である。
『ゲンゴロウブナの話』は『誰が猫の首に鈴をつけるか?』の話と同じように、政府が国民が政府に逆[さか]らわないようにするために作った作り話である。
政府以外の者が自分勝手に神制度を使わないようにするために『ゲンゴロウブナの話』を作ったのである。政府の国民に対する洗脳である。
神官の資格は政府のでっち上げだから、本当は誰でも神官になれるのである。
しかし、この前私が『神制度に論理的欠陥がある』ことを指摘したから、今後神制度を使った者は暴力団と同様に“知性のない動物”や“人間よりも下の者”と見なされて、国民から軽蔑されて無視されて殺される。[これまで神制度を使う者がたくさんいたのは、彼らが他人に知られないように使ったり、他人の気に障[さわ]らない程度に弱く使ったりしたからだろう。]
『ゲンゴロウブナの話』が出来た当時は神制度を使う者を殺すのは政府だったが、今では国民が殺すのだ。
[8398] 政府とは何か? h21.9.13
民主主義の芝居をやっている暴力団のことである。政府は政府という名[な]の暴力団である。
国民からは民主主義の芝居しか見えないので、国民の中には政府が民主主義をやる会社だと誤解している者がいる。
だから、税金は暴力団に払うショバ代であって、民主主義の芝居の見料[けんりょう]ではない。
政府にショバ代を払う国民は臆病[おくびょう]な腰抜けである。国民は自分の腰抜けの言い訳[いいわけ]のために政府に民主主義の芝居をやってもらっているのだ。政府の民主主義の芝居は、国民が政府に税金を払いやすくするための工夫[くふう]である。
[8399] 社会法則とは何か? h21.9.13
社会の中における『人間の運動法則』である。
それは正しく考えるかぎり誰が考えても同じである。
法律とは現在までに人類が発見した社会法則の集大成である。
社会法則はたいてい政府以外の者が考え出したものである。
政府は、他人が考え出した社会法則をただ書いてまとめるだけである。
[8400] 猿回し h21.9.13
猿回しは民主主義の喩えである。
猿が政府で、猿回しの人が国民である。
猿回しでは猿が人間の言いなりである。
政府は他人が考え出した社会法則を書いてまとめるだけなので、人間よりも知性が劣る猿に喩えられているのである。