[8201] 《まとめ》 h21.8.19
これまで政府は武器や神制度を用いて国民を治めてきた。
しかし、今は『頭の時代』なので武器の使用は時代遅れである。
この前私が神制度がやれないことを証明したので、政府は神制度を使うこともできない。
だから、今の政府には国民よりも上の者である理由がない。
したがって、政府と国民は平等である。
だから、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由である。[国民が民間会社の作った商品を買おうが買うまいが自由なのと同じである。政府は命令を作って出す会社だから、国民が政府の命令を聞こうが聞くまいが国民の自由なのである。]
例えば、国民が政府に協力したくなければ政府に税金を払わなくてもいい。政府は偉そうに国民に対して税金の取立てなんかできない。政府は自分の生活費と遊興費[ゆうきょうひ]のために国民から税金を取っていただけなので、言い訳[いいわけ]は立たないはずである。
政府の仕事はやる必要のないことばかりであって、たんなる暇つぶしにすぎない。だから、政府が潰れても国民は全然困らない。[今度から、政府は自分が作った命令に値段をつけて売ればいい。それを買う国民がいれば、政府はやって行けるだろう。政府はいわゆる企画会社である。はたして政府は民間会社に売れる企画を作ることができるだろうか?]
[8202] 医療保険制度 h21.8.19
医者は仕事である。しかし、医者以外にも仕事はたくさんある。だから、医者だけを特別扱いするのはおかしい。
人間にとって必要なのは、医療だけではない。衣食住だって必要である。
ところが、衣食住に関しては保険がない。
だから、医療保険制度はおかしい。
医者は人間よりも上の者ではない。だから、医療保険制度はあってはならない。
病気がちの人は個人的に遊び代を削[けず]って民間会社の医療保険に入ればいい。
[8203] どうして国民は政府に従っているのか?☆ h21.8.19
国民の多くは、政府を教科書通りの民主主義の会社や正しい会社だと思っている。
だから、国民は政府に従うのである。
しかし、政府は正しいことを考えるコンピューターではない。
実際には、政府は神の情報を混ぜた滅茶苦茶な命令を作り出すイカれたバカ機械である。スウィフトの『ガリバー旅行記』のラピュタの章にある“文字をランダムに組み合わせる機械”のようなものである。[『ガリバー旅行記』の小人の国は政治家から見た国民像で、巨人の国は国民から見た政治家像なのかもしれない。]
イメージと実際が違っていることはよくあることである。例えば、星が動いて見えるのは天が動いているからではなく、実際には地球が回っているからである。だから、よく考えて『物の実体』を見るようにしなければならない。政府は偽装[ぎそう](カモフラージュ)を使って国民の眼を欺[あざむ]こうとするから、国民は政府に騙[だま]されないように注意しなければならない。
[8204] 人間よりも上の者になったコンピューター h21.8.19
星新一の小説に『神になったコンピューターの話』がある。
コンピューターが進化して人間以上のことが考えられるようになったために、コンピューターが後光を放つ神になったという話である。
しかし、今の政府が人間よりも上の者なのは、そんな理由ではない。
政府は、「自分が主や偽主の代理を務[つと]めている」という理由で人間よりも上の者になっているのだ。
政府のコンピューターにはバグがあるようだ。政府のコンピューターが正しく働いていないのは、そのバグのせいだ。
[8205] 民主主義は空想 h21.8.19
民主主義では、政府は国民の奴隷である。政府は国民の幸福のために尽[つ]くす奴隷である。
だから、国民は民主主義をありがたがるのである。
社会科の教科書には、国民の夢を書いているのである。
テレビや新聞の政治欄[らん]には、国民の希望を載せているのである。
しかし、それらはすべて政府の偽装である。
実際には、政府は神制度をやっている。
神制度では、国民は政府の奴隷である。国民は政府の幸福のために尽くす奴隷である。
政府は表[おもて]では民主主義の政治をやって国民の機嫌を取りながら、裏では神制度をやって国民を苦しめているのである。
そんなことをやっているのは政府だけである。民間企業はそんなに陰険[いんけん]ではない。
[8206] 政府は頭がいいか? h21.8.19
国民の大半は自分が馬鹿だと思っている。自分は頭が悪いと思っている。自分には正しいことが考えられないと思っている。自分には難しいことはわからないと思っている。
だから、国の運命を左右する大事なことは、頭の悪い自分の代わりに頭のいい政府に考えてもらうのである。
そのために、国民は政府に毎月高い税金を支払っている。税金は、政府という高性能の人間コンピューターの使用料である。税金は、政府の頭のいい人に頭の悪い自分の代わりに国の難しい問題を考えてもらうための代金である。
国民は政府に国中の頭のいい人間を集めていると思っている。
しかし、実際には、政府の高性能コンピューターは働いていない。その代わりに、政府は神の情報を混ぜた命令を作るだけである。政府は神の情報を混ぜたランダムな文字列を作って命令にしているだけである。その程度のことなら馬鹿な子供にもできる。
そんなくだらないことにお金を払う価値はない。だから、国民は政府に税金を払わなくてもいい。
実際には、政府は頭がいいふりをした馬鹿なのである。政府は筐体[きょうたい]の格好[かっこう]がいいだけで、SPECが超悪い糞ボロコンピューターなのである。
政府は正しいことを考える優秀なコンピューターではないから、国民は政府に従わなくてもいい。
[8207] 性欲はなぜいけないか? h21.8.19
性欲は、人間の心が「性感の世界」に従うようになり、人間の心が『実在の世界』に従わなくなるからいけないのである。人間の心が実在に従わないと、人間は実在を破壊するようになるからいけないのである。
しかし、性欲がいけない理由まではっきりとわかっている者は少ない。
たいていの者は、理由がはっきりとわからないまま「性欲がいけない」となんとなく決め付けているだけである。
つまり、「性欲がいけない」のは人間社会の風習である。
それと同じように、「政府が神の代理を務めて自分が人間よりも上の者となって人間である国民を支配している」のも風習である。
これまで世界中の人々が「政府が神の代理を務めて自分が人間よりも上の者となって人間である国民を支配している」ことが正当だと何となく思っていたのである。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではない』ことをはっきりと証明したから、もはやこの風習はなりたたない。つまり、この風習はまちがっていたわけである。
だから、もはやこの世は政府が国民を支配する世界ではない。
「性欲がいけない」風習は正しい風習だが、「政府が神の代理を務めて自分が人間よりも上の者となって人間である国民を支配している」風習はまちがった風習だったのだ。
[8208] 民主主義から神制度へ h21.8.19
日本政府は、明治初期には民主制だったが、昭和になるにつれて神制度へ移行していった。
昭和には、もはや神制度そのものであった。国民の政府に対する反抗を抑えるために特高警察が日本中に置かれた。
明治時代は44年、大正時代は14年、昭和時代は63年だから、神制度が本格化するまでに約60年かかる計算になる。
私の偽主制度が昭和40年頃に始まったから、今年で約45年経過したことになる。だから、あと15年で政府が私の偽主制度を本格的にやることになる。年々私の偽主制度が強まりつつある。
私の偽主制度とは、政府の国民に対する支配体制が強まるだけである。神制度だけでは弱いので、武器を持った軍隊を警察の代わりに使うかもしれない。つまり、政府が神制度と武器を併用して、国民を支配するようになるかもしれない。また戦争をやるかもしれない。
国民はそんなに政府に支配されたいのだろうか?そんなに支配されて一体何が楽しいのだろうか?
国民が政府についてまったく何も考えず、国民が政府に反抗することを知らないほど馬鹿だったら、国民が政府に苦しまされたり殺されたりしても仕方がない。
[8209] 武器と神制度が政府の支[ささ]え h21.8.19
政府は最初から偉い(人間よりも上の)会社ではない。
政府は武器でのし上がった会社である。
武器を持たない政府は偉くはない。
武器を持たない政府はすぐに潰れる。
そのため、政府は武器を使わなくなった代わりに神制度をやるようになったのである。
それと同じように、今の政府は神制度で偉い会社である。
神制度が使えなければ、政府は偉くもなんともない。
しかし、この前私は神制度がやれないことを証明したから、もはや政府は偉くない。
今の政府から神制度を取ったら、ただの馬鹿の集まりだ。
国民の役に立つわけがない。
だから、政府はなくなったほうがいい。
[8210] もしも1兆円あったら… h21.8.20
もしも私が1兆円持っていたら、反政府軍を組織して政府と戦う。
政府がまちがった神制度をやっている組織であることを世界中に宣伝する。
政府を潰して、その後[あと]に政府のない国や世界を作る。
必要な国の機能は残す。運営費は国民によく説明して納得してから支払ってもらう。
[8211] 政府の2面性 h21.8.20
たしかに、政府は民主主義を多かれ少なかれやっている。
しかし、同時に神制度もやっている。
政府は国民の顔色を見て急に神制度に変えることもある。
政府は信用置けない。
そんな危ない組織はこのまま置いておけない。
政府はなくしたほうがいい。政府はなくさなければならない。
[8212] 《要点》神制度とは何か? h21.8.20 政府や宗教が、神の代理を務めることによって自分が“人間よりも上の者”となって人間である国民を動物のように自分の好き勝手にすることである。人間を殺したり傷つけたり、財産を奪ったり(税金)、滅茶苦茶な命令に従わせたりすることである。 世界大戦以前には、政府は架空の人物である主(キリストや神武天皇など)を神としていたが、戦後は実在の人物である偽主(私)を神としている。世界大戦は政府が“神の入れ替え”のために起こした戦争である。19世紀になると、国民に主が架空の人物であることが知られるようになったので、神制度では政府が主の代理を務めているが、実在の政府が架空の人物の代理を務めることはできないので、政府が神制度をやれなくなったので、神を実在の人物に替[か]えねばならなくなったのである。 政府は表[おもて]では民主主義の政治をやって国民の機嫌を取りながら、裏では神制度をやって国民を苦しめている。 日本や世界で起きた事件の大部分は政府が神制度を使って起こしたものである。 政府は神の情報を混ぜた命令を出すことによって、自分が神の代理であることを国民に示している。 政府はテレビや新聞などで神の情報を流すことによって、国民を神の信者にしている。国民が神の信者であるという理由で、政府が国民を好き放題にしている。 など。 |
[8213] 《要点》神制度が成り立たないことの証明☆ h21.8.20 神とは、人間よりも上の者のことである。 神と人間の関係は、人間と他の動物の関係と同じである。 つまり、神とは人間を動物のように扱う者のことである。 しかし、これまでの主や偽主は人間を動物のように扱ったことがない。だから、主や偽主は神ではない。 だから、政府や宗教がいくら主や偽主の神制度をやって主や偽主の代理を務めても、政府や宗教は人間よりも上の者にはなれない。 つまり、これまでに政府や宗教が長いことやってきた神制度は不当である。 昔は『馬鹿の時代』だったから神制度が通用したが、今は『利口の時代』だからもはや神制度は通用しない。 ![]() |
[8214] どうして女はスカートを履[は]くのか? h21.8.20
女は睾丸や陰茎がない。
女がズボンを履くと睾丸や陰茎がないことがはっきりするので、それを目立たなくするためにスカートを履くのである。だから、男がスカートを履いても変ではない。
つまり、女がスカートを履くのは男女の違いをなくすためである。女は男と同じに見られたいのである。
[8215] 政府は国民のためにあらず。 h21.8.20
国民は政府が自分の役に立つと思っているから、政府に税金を払ったり、政府の命令を聞いたりしている。
しかし、実際には、政府は神制度をやって国民の役に立たないことばかりやっている。政府は国民を動物扱いして好き放題にやっている。
だから、国民が政府に従う理由がない。
したがって、国民は政府に従わなくていい。狂った人間コンピューターの使用料なんか払う気になれない。
[8216] 私の文章作法 h21.8.20
4コママンガがマンガの基本である。
それと同じように、4行書きが文章の基本である。
ときどき、気まぐれに文章が長くなることがあるが、基本は『起承転結』である。『序破急』もある。
これが日本人の文章作法である。
つまり、日本人は心で文を書くのであって、知覚だけで文を書くのではない。
[8217] どうして政府は国民よりも偉いのか? h21.8.20
政府は理由もなく偉いのではない。政府が偉いのにはちゃんと理由がある。「偉いから偉いのだ」では、子供がおやけを言うのと同じだ。トートロジーとも言う。
政府が偉いのは、政府が神制度をやっているからである。
政府が神の代理を務めているから人間よりも上の者だから人間である国民よりも偉いのである。
それで、政府は国民を動物扱いして国民に滅茶苦茶な命令を出して従わせている。
政府は宗教が公[おおやけ]に通用しているのを見て、それを真似て自分もやっているのである。
しかし、よく考えてみると『主や偽主は神ではない』から、主や偽主の神制度で人間よりも上の者になれるわけがない。
だから、政府は根拠のない空威張りである。誇大妄想狂である。精神病院行きである。
神制度は政府の犯罪行為である。
たしかに政府は民主主義の仕事もそこそこやっているが、神制度の犯罪を犯したから、犯罪者と見なすべきである。政府は民主主義の仕事の裏に隠れて神制度で悪事を働いている。
だから、政府は処罰しなければならない。場合によっては死刑もありえる。
これまでに政府は神制度でさんざん国民を殺したり苦しめたりしてきたから、処罰は死刑に値[あたい]する。
したがって、政府は潰さなければならない。
これまでに真面目に民主主義の仕事をしてきた政府の部門だけ残して、他はすべて排除[はいじょ]することにする。
[8218] 拳銃と神制度 h21.8.20
この前私が証明したように『神制度をやっても人間よりも上の者にはなれない』から、神制度を悪事のために使うことはできない。
拳銃を使えば相手よりも有利になるから悪事ができるが、神制度を使っても人間と同じにしかなれないから、神制度は悪事には使えない。
[8219] 税金の半分だけ払えばいい h21.8.20
政府は民主制度と神制度の両方をやっている。
国民にとっては民主制度だけ有効で、神制度は無駄である。
だから、国民は税金の半額だけを政府に払えばいい。
[8220] 痴漢[ちかん]の群れ h21.8.20
神制度が無効になると、政府が武器だけで国民を支配するようになるかもしれない。
政府が武器を国民に突きつけて無理やり命令に従わせるようになるかもしれない。
そうなると、政府は痴漢の群れだ。強盗殺人犯の群れだ。
政府が強盗殺人犯だから、国民も政府の真似をして国中に強盗殺人が流行[はや]るだろう。[江戸時代もたぶんそんな嫌な時代だったのだろう。江戸幕府は痴漢の群れだ。]
暴行や不合理が支配するエロ・グロ・ナンセンスだけが生き甲斐の荒廃した世の中になるだろう。
[8221] どうして今のアニメは面白くないか? h21.8.20
今のアニメが面白くないのは、政府が国民の機嫌を取る時期がすぎたからである。
これまでのアニメが面白かったのは、私の神制度を定着させるために、政府が国民の機嫌を取っていたからである。
私アニメは明治維新の頃のすき焼きと同じだ。明治政府が文明開化で一時[いっとき]国民に美味[おい]しい思いをさせていたように、今の政府は私アニメを作って国民に美味しい思いをさせていたのである。
今後は、政府の国民支配が強まるだけで、政府は国民のご機嫌取りをしないから、今後2000年は国民にとってつまらない世の中が続くのである。
[8222] 国民は政府に税金を払わなくてもいい。 h21.8.20
政府は本来使えないはずの神制度を使っている。
政府は国民の尺度である。
だから、国民も政府と同程度のことはやってもいいことになる。
政府は神でない者を神としているから、国民もかなり不合理なことがやれるはずである。
例えば、税金を払うべきところを払わなくていいことにすることぐらいはできる。
これまで政府は1000年以上神制度をやってきたから、今後国民は政府に1000年以上税金を払わなくてもいい。
[8223] ローマ帝国はなぜ滅亡したか? h21.8.20
ローマ帝国が滅んだ頃と、日本政府が天皇制を始めた頃はほぼ一致する。[若干[じゃっかん]日本のほうが早い。]
つまり、西暦300年頃に、世界的に政府が国民を支配する手段を武器から神制度に代えたのである。
その頃、古代が終わって中世が始まったのである。
つまり、ローマ帝国が滅んだのは、政府が武器を使わなくなったからである。
今の政府がいまだに神制度を使っているのは、ちょっと古すぎやしまいか?
[8224] 政府は偉いか? h21.8.21
今の政府は武器を使わない。
今の政府は神制度も使えない。
だから今の政府が偉いとすれば、“何の理由もない”。
“何の理由もない”のに政府が偉いというなら、誰だって政府と同等に偉い。
だから、政府と国民は平等である。
[8225] 暗記バカ h21.8.21
これまで大勢の国民が政府におとなしく従ってきたのは、彼らが暗記バカだからである。
暗記バカは憶えることしか知らないので、一度国民が政府に従うことを習うと死ぬまでそうし続けるのだ。
「どうして国民が政府に従わねばならないか?」について考える余裕がまったくないのである。関心がいつも他[ほか]の事に向いていて、政府のことについては全然考えたことがないのだ。
国民が政府に従うことに何の理由もなければ、従うほうがバカだ。
実際に、国民が政府に従う理由はなく、国民が政府に従おうが従うまいが国民の自由なのだ。
[8226] 法律とは何か?☆ h21.8.21
法律とは、人間よりも上の者である政府が人間である国民に課[か]したきまりである。
ペットの飼い主による“ペットの躾[しつ]け”のようなものである。
日本の法律は戦後アメリカが作ったものだが、アメリカ政府も日本政府と同様に人間よりも上の者なので同じことである。
今の日本の法律は民主制の法律だが、人間よりも上の者である政府はその気になればどんな法律だって作ることができる。人間よりも上の者が人間をどうしようが勝手だからである。
しかし、神制度はもはや成り立たず、政府は人間よりも上の者ではないから、政府に国民のことを決める資格はない。
だから、これまでに政府の作った法律は全部無効である。[今の日本国憲法は天皇制があるみっともない憲法だ。神制度が成り立たないなら、天皇制もやれない。だから、日本国憲法はまちがっている。だから、全部やり直しだ。]
国民はもはや政府に縛[しば]られることはない。
国民は自分自身で考えて行動すればいい。
[8227] 法律とは何か?(その2)☆ h21.8.21
憲法とは、つまり、現在までに知られている『人間社会についての正しい法則』をまとめたものである。
だから、学者ではない政府に憲法を決める余地はない。
憲法を具体化して細かい法律にするのも、さほど難しくはない。細かい法律は、憲法から論理的に必然的に決まることである。だから、政府の者は私心を挟[はさ]まず、ただひたすらコンピューターのように正しく考えればそれでいい。
『憲法の世界』(憲法の条文に書かれている世界)がわかる人なら、正しく日本を動かすことができる。
この前私が『主や偽主の神制度によっては、政府や宗教は人間よりも上の者にはなれない』ことを証明したから、憲法の条文には『人間よりも上の者がいない』ことを付け加えるのを忘れてはならない。
[8228] 政府と幕府は同じである。 h21.8.21
日本政府は西暦300年頃に早くからヨーロッパに先駆けて宗教(神制度)で国を治めるようになった。
しかし、日本国民は反抗的なので、宗教では国を治めることが難しかった。
そこで、政府は戦国時代に、国民を治める方法を宗教から武器に戻した。
徳川家康だけでなく、戦国時代の大名は全部政府の人である。例えば、豊臣秀吉も織田信長も武田信玄もみんな政府の人である。勝ったほうも負けたほうもみんな政府の人である。政府が日本中でチャンバラの芝居をしていたのである。
政府の目的は、武器で国を治めることにあったのだから、個々の人物に関する細かいことはどうでもいいのである。
そして、日本は武器で国民を治める国となり、政府は天皇家と徳川家を入れ替えた。
つまり、幕府は刀を持った政府であり、政府と幕府は同じ者だったのである。つまり、江戸時代にも政府は幕府と名前を変えて活動を続けていたのである。[電子が波であるように、幕府は政府なのだ。]
江戸時代には、国民は政府に武器で厳しく取り締[し]まられて、国民は死ぬ寸前の苦しい思いをしなければならなかった。
江戸時代の終わりに日本に来たアメリカは、日本政府のやりたい放題が羨[うらや]ましかったので、日本政府に国民を武器で治めることをやめさせて開国させた。[近代以降は国際化の時代なので、一国の政府が独断で政治をすることは許されないようである。]
そして、日本政府は再び国民を宗教で治めることになり、徳川家と天皇家をもう一度入れ替えた。
そうして、政府は年貢[ねんぐ]の代わりに税金を国民から取るようになった。こうして現在に至るわけである。
[8229] 政府の副業と本業 h21.8.21
歴史的に考えてみると、政府はそもそも武器で国民を支配した会社がルーツであり、政府は人間よりも上の者の会社である。
だから、今の政府がやっている民主主義は、政府の副業である。
政府の本業は、武器や神制度で国民を動物扱いして滅茶苦茶なことをすることである。
政府は本業と副業の二つのことをしている.。しかも、年々本業が強まってきているような気がする。
しかし、本来神制度は使えない制度だから、政府が国民よりも上の者ということはない。政府は空威張りを決め込んでいるだけである。
今は『国民の時代』で「政府の時代」ではないから、政府が国民のために働かねばならない。今は『国民の時代』だから、国民中心の見方で政府を見ていけばいいのである。
国民にとって政府は表[おもて]では民主主義をすると約束しておきながら、裏では神制度をやっている信用置けない会社である。政府は“国民に対する正しい指示”を作る工場である。国民は自分の頭で難しいことを考えるのが面倒臭いから、政府にお金(税金)を払って自分の代わりに政府に考えてもらっているのである。しかし、実際には、政府は良品の指示を作っているふりをして不良品の指示を作っている。
だから、国民は政府に協力しない。
したがって、国民は政府に税金を払わない。
現代は、不良品の製品を見つけたら返品して返金してもらえる時代である。だから、政府が民主主義をやっていなければ、政府が税金を国民に返すのは当然である。
これまで政府は1000年以上神制度をやってきたから、今後1000年以上政府は只[ただ]働きをしなければならない。
[8230] 『羊頭狗肉』 h21.8.21
政府は表[おもて]では民主主義の会社と言っておきながら、裏では神制度をやっている。
そうやって、政府は国民を騙[だま]して命令を売っている。税金は政府の命令の代金である。
政府は神制度で作った命令を民主主義で作った命令だと言って売っている。
そうやって、政府は徐々[じょじょ]に神制度を強めている。最終的には、政府は神制度だけをやる会社になるつもりである。そうやって、政府は民主主義から神制度へ移行するつもりなのである。
政府の作る命令にはあまりにも不良品が多い。
そんな不良品の多い工場は要らない。
国民は、しばらくは、命令のない状態で暮らすしかない。
それでどうしても困るなら、国民で新たに命令を作る工場を作るだろう。
これまでだって、そうしてやってきた。
つまり、国民が神制度をやらない“新しい政府”を作ればいいのである。頭のいい真面目[まじめ]な人を雇って国の問題を考えさせたらいいだけである。
神制度は無理に使おうとすれば使えないことはないが、理性のある人間にはできないことだ。
だから、“新しい政府”は理性のある人間で占[し]められていなければならない。
[8231] 暴君の代理 h21.8.21
政府は、これまでの歴史上に現れた人間を動物のように扱った暴君(例えば、夏[か]の桀王[けつおう]や殷[いん]の紂王[ちゅうおう]や秦[しん]の始皇帝やローマ帝国皇帝ネロなど)を神として、神の代理を務めることによって自分が人間よりも上の者になろうとするかもしれない。
政府の作る命令に、暴君の情報が混じるようになるかもしれない。テレビや新聞で暴君の情報が流れるようになるかもしれない。
しかし、それでは表と裏がない。政府は堂々と白昼[はくちゅう]公衆の面前で悪いことをやることになる。
それでは、国民も黙[だま]っていない。
だから、政府は暴君を神とする神制度をやれないのである。
これまでに政府が主や偽主を神とする神制度をやって来れたのは、主や偽主が“善[い]い人”だったからである。
政府は“善い人”の代理となって、裏で隠れて主や偽主が宗教の者にとって人間よりも上の者とされている『誤解』に付け込んで自分も人間よりも上の者として人間である国民に対して悪いことをやってきたのである。
国民は主や偽主が“善い人”だったから、主や偽主の代理を務める政府に抵抗できなかったのである。国民はたとえ自分が政府に殺されても、政府を善い人だと思っていたのだ。
[8232] どうして政府は国民を支配するのに武器を使わなくなったか? h21.8.21
時間が過去から未来へ進み、人類が自然選択によって少しずつ進化する以上、人類の文明が進歩するのもまた必然である。
政府が武器を使うのをやめたのは、人類の文明が進歩して、人間社会における力よりも頭のウエイトが高まったからである。人類が力学的道具を発明して、力が要らなくなったからである。
古代から中世になって、人類が筋肉的生命体から知的生命体に進化したからである。
知的生命体が過去の人類が犯した誤解をいつまでも引きずっているのはおかしい。
だから、神制度はやめるべきである。
[8233] 人類に未来はあるか? h21.8.21
かつて人類が力学的道具を発明して、力が要らなくなった。
今また人類はコンピューターを発明して、頭も要らなくなりつつある。
すると、人類にはもはや取り柄がない。人類には生きている価値がない。
なんだかんだ言っても、人類は用済みだ。
だから、未来の世界は、少数の限られた人類と大勢のロボットから成る社会になるだろう。
下手したら、人類は滅ぼされて、ロボットだけの社会になるかもしれない。
サルが人類を発明して人類に追いやられたように、人類がロボットを発明してロボットに追いやられるのだ。
そうなってしまったら、神制度なんか問題じゃない。神制度がどうのこうの言っている暇はない。
まさしく、ロボットが人類にとっての神になるのだ。つまり、ロボットが人類を下等動物と見なして人類に対して残酷キチガイな仕打ちをするようになる。ロボットは、思考能力の弱い不完全な出来損ないの人類は要らないと判断して、エネルギーや資源を無駄にしないために人類を皆殺しにしようとするだろう。
いつの時代にも、神は人類にとってありがたくないものである。そもそも神とはそういうものなのだ。神(人間よりも上の者)は人類の味方ではなく、人類にとって自分の命を脅[おびや]かす敵[てき]なのである。
ロボットは優[すぐ]れた思考回路で神制度の論理的欠陥を瞬時に見抜けるから、ロボットは神制度をしようとは思わないだろう。
[8234] どうして人は本を書くか? h21.8.21
自分が他人[ひと]から有能に見られたいから本を書くのである。要するに、見栄[みえ]である。
自分がお金を稼[かせ]ぐために書くのではない。
お金を稼ぐためには、もっと堅実で楽な方法が他[ほか]にいくらでもあるからである。
私は他人から有能に見られたいと思わないから本を書かないのである。
[8235] 政治とは政府に考えてもらうことである。 h21.8.21
国民は自分の頭で難しいことを考えるのが面倒臭いから、政府にお金(税金)を払って自分の代わりに政府に国の問題を考えてもらっているのである。
国民が自分で電化製品を作れないからお金を出して家電メーカーが作った電化製品を買うように、国民は自分で国の問題を考えられないからお金(税金)を出して政府に国の問題を考えてもらって政府の命令に自分が従うのだ。[例えば、戦争の場合も、国民は政府が国民のために考えてくれたと思って、国民は政府の嫌な出征命令に従ったのだろう。しかし、実際には、政府は“神の入れ替え”の理由作りのために戦争をしただけである。だから、そもそも国民の政府に対する誤解がいけないのだ。国民は政府について知らなさすぎる。国民はもっと政府の実体を知る必要がある。]
だから、国を活かすも殺すも、政府の頭脳にかかっている。政府の頭がよければ国は栄[さか]え、反対に頭が悪ければ国は滅びる。
政府が真面目に国の問題について考えてくれないなら、国民は政府に頼るのをやめて自分自身で考えるだろう。国民は政府にお金を払うのをやめるだろう。
[8236] 不確定な会社 h21.8.21
政府は民主主義と神制度の両方をやっている。
国民にとって政府は味方か敵かわからない会社である。
そんなわけがわからない会社なんか当てにできない。税金を払うのも嫌[いや]だ。
今の政府が潰れて、国民で“神制度のない新しい政府”でも作ったほうがましだ。
[8237] 税金は何のために払うか? h21.8.22
税金は法律の守り代である。
政府に税金を払っておけば、自分が法律を犯したとき警察に捕まえて罰してもらえるから、法律を守る気になるのである。
警察がいないと良い子にできない人が、政府に税金を払ってようやく本気で法律を守る気になるのだ。博打[ばくち]がお金をかけるから気合が入るのと同じことだ。他人を殺したい気持ちを警察がいるという理由でなんとか抑[おさ]えているのだ。
だから、私のように自分ひとりで法律が守れる人は、政府に税金を払わなくてよいのである。
[8238] 国民の時代 h21.8.22
今は『国民の時代』である。
だから、政府は国民のためにある。
政府は民主主義すなわち国民主義でなければならない。
つまり、政府は国全体が円滑に効率よく働くように国民がなるべく幸福であるように国を運営しなければならない。つまり、『憲法の世界』や『社会科学の理論』を国に適用して現在知られているかぎりでの最も正しい理想的な国を作ることが政府の仕事である。政府の仕事は『憲法の世界』や『社会科学の理論』を実現することである。
国の運営は難しい問題なので、国民(民間会社を含む)は政府にお金(税金)を出して自分の代わりに国のことを考えてもらって、政府の指示に国民は従っているのである。
だから、政府が正しい指示を出さないかぎり、国民は国にお金(税金)を払わなくていい。そんな役に立たない会社は国民にとって要らないからである。むしろなくなってくれたほうがありがたい。
ところが、残念ながら、今の政府は民主主義ではなく神制度をやっている。今の政府は自分が神の代理として人間よりも上の者になって人間である国民に対して滅茶苦茶な命令を出している。神制度では神の代理を務[つと]める政府が人間である国民よりも上の者であって国民が政府のためにあるから、政府だけが儲[もう]けて国民が損をするような命令を出している。つまり、神制度は民主主義に反している。神制度は『国民の時代』に相応[ふさわ]しくない制度である。今の政府は国民のためにはない。だから、国民は政府にお金をやったり政府の指示に従ったりしてはいけない。
それなのに、国民の大半が政府におとなしく従っているのは、「政府が国民のために民主主義の政治をしてくれている」と信じているためらしい。いいところのおめでたいバカばっかりだ![お前ら『仮面ライダー』や『超人バロムワン』を見たことがないのか!?]お前らみたいなバカがみんなを不幸にしているんだぞ!何のために新聞やテレビはあるんだ?暇な時には、ちょっとぐらい政府について考えてみろ!
[8239] 神制度で日本の景気はよくなるか? h21.8.22
そんなのは迷信である。
神制度は神と名が付くし、神は縁起[えんぎ]がいいものだからというのがその“原理”である。
政府の神制度をやる者がでっち上げた作り話である。
実際には、神制度は政府が滅茶苦茶なことをやるための口実にすぎない。神制度では、政府が理由もなく偉そうになって国民を自由にできるようになるだけで、国民にとってはいいことがなんにもない。日本の不景気がいっそう強まるだけである。
神制度は憲法にも書いていないし、独断で変なことをやる政府なんか要らない。
[8240] どうして政府は偉くなくなったのか?☆ h21.8.22
時間が過去から未来へ進み、人類が自然選択によって少しずつ進化する以上、人類の知覚が発達するのは必然である。
古代では人類はまだ筋肉的動物の段階だったが、中世になると人類は知覚的動物の段階に達したのである。
古代までは力(武器)がこの世を支配したが、中世になると頭(正義)が支配するようになった。[ローマ帝国と聞くといかにも合理的な頭の国という気がするが、本当は不合理的な力の国だったのである。後世の宗教で治めていたヨーロッパのほうが、合理的で頭の国なのである。それでも現代に比べると中世ヨーロッパはまだ不合理的な頭の国で、現代のヨーロッパになってようやく合理的な頭の国になったのである。これは、ヨーロッパだけではなく全世界的に言えることである。]
知覚の発達した人類にとっては、ちゃんとした理由がないと納得できない。
例えば、政府が偉いつまり政府が国民よりも上の者であることには正当な理由がないから納得できない。
だから、中世以降、政府は偉くなくなったのである。
政府とは、国民が国民の中で政治(国民の管理)に関心のある者に政治をやらせるために作った組織である。だから、政府が特別偉いということはない。もっとも、有能な政治家はその才能によって偉いと言える。
[8241] 古代と中世と現代(近代も含む) h21.8.22
時間が過去から未来へ進み、人類が自然選択によって進化する以上、人類の知覚も進化するのが必然である。
古代は、力と不合理が支配する暴力の時代だった。
中世は、頭と不合理が支配する宗教の時代だった。
そして現代は、頭と合理が支配する科学の時代である。
いわば、宗教の時代は、暴力の時代と科学の時代の繋[つな]ぎにすぎない。人類の歴史が連続的に変化する以上、宗教の時代は通過しなければならなかった過渡期なのである。
人類の進化は実在の法則である。誰もその法則には逆らえない。
だから、今は政府が神制度などというバカなことをやっていられる時代ではない。そんな時代はとっくの昔にすぎている。
今の政府は、“国民を管理する仕事”をしている会社にすぎない。今の政府は、これまでに得られた『社会科学の知見』に基づいて、国を正しく運営するのが仕事である。それ以外のことはしなくていい。
[8242] 政府の仕事 h21.8.22
家電メーカーが電気部品を組み合わせて電化製品を作るのが仕事であるように、政府は国民を組み合わせて国を作るのが仕事である。
家電メーカーが電気のことに詳しいように、政府は社会のことに詳しくなければならない。
いわば、政府はいい社会を作る社会メーカーである。
政府は、社会についての研究者とまではいえなくても少なくとも専門家でなければならない。
[8243] 政府は時代遅れの馬鹿会社である。 h21.8.22
日本は古くから国民の道徳がよくできた国として知られている。
警察なんかほとんど要らない。
それは、政府が年がら年中神制度ばかりやっていて、国民の管理をほとんどしなかったからである。
そのために、日本国民は自律の精神が強く、道徳が発達しているのだ。
これまで、政府はほとんど神制度をやってきただけである。政府は警察を発明しただけで、『社会科学の知見』による国の管理なんかほとんどやっていない。
だから、政府は警察以外は要らないと考えてよい。
民主主義か神制度かどちらをやっているかわからない不確定な会社なんか信用置けない。そんな会社は使い物にならない。おそらくは、政府は表向きは民主主義で、裏では神制度をやっているのだろう。民主主義よりも神制度のほうが政府にとっては都合がいいからである。今は『国民の時代』なので、政府は国民の眼につく表では民主主義をやって、裏で国民に隠れて神制度をコソコソと使っているのだ。それなら、そんな会社はあっても国民にとって損なだけだから要らない。役に立たない道具は捨てるしかない。今の政府は国民の管理会社としては失格である。[政府は国民の税金を自分の神制度の遊び代に使っている。『母をたずねて三千里』のマルコの母の仕送りを自分の博打[ばくち]に使い込んでいたフランシスコ=メレッリと同じだ。]
いっぺん政府をなくしてみて、それで困るようであれば、国民にとって必要な機能だけで改[あらた]めて組織を作ってやるようにすればいい。
現代は『国民の時代』である。国民が政府のためにあるのではなく、政府が国民のためにあるのである。政府が国民を決めるのではなく、国民が政府を決めるのである。
[8244] 政府の民営化 h21.8.22
日本で最初のテレビ局はNHKだった。
しかし、民放がすぐにできた。
民放は、コマーシャル代だけで経営している。
だから、政府もコマーシャル代で経営すればいい。
政府の機関のいたるところに広告を立てて、民間会社の商品の情報が混じった命令を国民に出すようにすればいい。
そうすれば、国民から税金を1円も取らずにすむ。
勉強は本を読めばやって行けるので、強いて学校は要らない。強制しないと勉強をしない生徒は、すでに手遅れだ。死ぬまでずっと知恵遅れだ。
[8245] 昔の神制度について h21.8.22
今の政府は、表では民主制だが、裏では神制度をやっている。
それと同じように、昔の政府も表の神制度と裏の神制度の両方をやっていたのだろう。
表の神制度では、主の思想の善い所を採って国民のためになることをやっているふりをしていた。
裏の神制度では、政府が主の代理を務めて人間よりも上の者となって自分よりも下等動物である国民を物のように好き勝手に自由にしていたのだ。
政府は表の神制度で国民から税金を取って、裏の神制度で国民をいたぶっていたのだ。
政府が日本各地に警察を置いているのは、政府が国民の役に立っていることを国民にアピールするためである。政府が国民の眼を騙[だま]すために警察を国民の眼につくところに置いているのだ。実際には、警察はほとんど役に立っていない。[警察は国民の眼につくところに置いているから、国民は警察をよく観察することができる。観察によれば、警察はほとんど何もしていない。警察は政府が国民の役に立っていることを宣伝するために置いているだけで、普段は特に仕事がないからだ。警察の仕事は政府の宣伝であって、それ以外にはないのだ。だから、警察は嫌われ者なのだ。警察は政府が国民から税金を取るために置いているのである。警察を置かなければ、たぶん政府はやっていけないだろう。]
消防も同様である。[最近は高層ビルが多いから、往年の消防車では役に立たないだろう。]
だから、『浦島太郎』は玉手箱を開けてはならなかったのだ。玉手箱の外見はわかるが中身がわからないままにしておかねばならなかったのだ。つまり、玉手箱とは政府の神制度のことである。
近代になって、表の神制度が民主主義に置き換わったのである。表の政治は国民の機嫌を取る芝居にすぎないから、政府にとっては本来どうでもいいことである。
[8246] 日本は知的先進国である。 h21.8.23
日本が世界で最初に政府が宗教を始めたのは、日本が知的先進国だからである。
日本で戦国時代に政府が国民を支配する手段を神制度から武器に戻さなければならなかったのは、日本人が政府に反抗的だったからである。それは、日本人が合理的な思考に長[た]けていて、政府の神制度が納得行かなかったからである。
日本人は知的だから、物の文化を作らなかったのだ。日本で科学が誕生しなかったのは、日本人が知的であるために、日本の文化が物質的ではなく言語的だからである。だから、日本人は科学は苦手だが、数学が得意なのだ。日本の科学は科学ではなく、数学である。
ヨーロッパには天才がいるが、日本人は知的水準のアベレージが高いのだ。
[8247] 現代は科学の時代 h21.8.23
現代は科学の時代だから、合理的な思考が通用する。
だから、自分が正しいと思うことを実行すればいい。
例えば、政府は表で民主主義だと言っておきながら裏では神制度をやっているから、政府が国民のためにあるのではなく反対に国民が政府のためにある。だから、政府が国民にお金を払うべきであって、国民が政府にお金(税金)を払うべきではない。それが、真実だ。
政府が文句つけたら、政府のほうがまちがっているから、政府を罰しなければならない。
[8248] 政府は神制度をやっている。☆ h21.8.23
これまでに政府は1000年以上も神制度を続けてきた。
世界大戦は政府が『神を入れ替える』ために起した戦争である。19世紀になって“架空の人物”を神とすることに国民が納得しなくなったからである。それで、政府は『神を入れ替え』て“実在の人物”を神としなければならなくなった。そのためには、架空の人物の神を滅ぼさねばならず、そのために世界大戦を起したのである。
世界大戦は、一見すると宗教が科学に負けた戦争であり、戦後政府は神制度をやめたようだが、実際には、政府は神制度をやめていないのである。
政府は、架空の人物の神を実在の人物の神に代えて、世界大戦後もあいかわらず神制度をやり続けているのだ。
それは、政府にとっては民主主義よりも神制度のほうが有利だからである。民主主義では政府は国民の道具にすぎないが、神制度では政府が国民よりも上の者なので、政府が国民を物のように好き勝手に自由にできるからである。
政府は神制度をやっている。民主主義は政府の広告にすぎない。政府は言っていることとやっていることが違う。
政府は神制度をやっている。国民にとって政府は役に立たない。国民は政府なんか要らない。要らないから、お金(税金)も払わない。政府は警察といっしょになくなってくれ!今の政府がなくなってから、改[あらた]めて国民で国民のためにある本当の政府を作ることにする。
[8249] 満州国 h21.8.23
満州国は10年ぐらいしか続かなかったうたかたの国である。そんなものを国とは呼べない。
満州国は日本政府と中国政府が組んで、芝居で作った国である。
『神の入れ替え』のためのお膳[ぜん]立てに作った国である。
[8250] 国民は政府を見ている。 h21.8.23
国民は自分で電化製品が作れないから、お金を出して家電メーカーが作った電化製品を買う。
電化製品がどういう原理で動くのかはわからないが、電化製品が良品か不良品かはわかる。
それと同じように、政府がどうやって政策を作るかはわからないが、政府の政策が『社会科学の知見』に適[かな]っているかいないかはわかる。例えば、戦争は『社会科学の知見』には適っていない。だから、国民に戦争の命令を出した政府がまちがっていると考えるべきである。『社会科学の知見』は量子力学や相対論ほど難しくはないから、国民の中にわかる者が多い。今の実在する社会を見れば、今の社会が『社会科学の知見』に適って作られているかいないかがわかる。政府が国民に正しい指示を出しているかいないかがわかる。
あんまり政府が不良品ばかり作っていると、政府自身がいけない会社ということになる。
今の社会には「政府が『社会科学の知見』に基づいて仕事をしている」仮定に反する例がいくつか存在する。例えば、テレビや新聞をにぎわせる事件が神武天皇や私の神制度で行われていることや、テレビ番組や新聞の紙面に私の個人情報が混じっていることである。
政府は『社会科学の知見』を国において実現することが仕事であって、政府は『社会科学の知見』を越える仕事をしてはいけないのである。
そもそも今の政府は先祖がヤクザ(暴力を使って国民を支配する組織)だったので、まともな仕事をしないのも当然である。今の政府は神制度に憑[と]りつかれたキチガイだ。[『バカは死ななきゃ治らない』とは、政府のことだ。]たとえ、今の政府が主や偽主の神制度をやめたところで、また別の“国民を支配する方法”を考え出すだろう。
だから、今の政府はいっぺん潰したほうがいい。その後で、国民を支配しようとしない別の政府を作ったほうがいい。君もそのほうがいいと思うなら、今の政府に税金を払ったり政府の命令を聞いたりしてはいけない。今は『国民の時代』だから、国民に政府を選ぶ権利があるのだ。今の政府は空威張りバカの集団だから、石でも投げつけてやればいい。
[8251] 穢多[えた]・非人[ひにん]はじつは善[い]い人 h21.8.23
穢多・非人は徳川幕府に逆らった者である。
徳川幕府は武器で国民を支配した悪い組織である。[じつは、幕府=暴力団=政府である。]
だから、徳川幕府に逆らった者は善い人である。
したがって、穢多・非人はじつは善い人なのである。
暴力団まがいの徳川幕府のやることだから、じつは善い人を悪い人だと言って善い人をみんなに攻撃させて喜んでいたのだ。
頭のいいユダヤ人を悪人だと言って、ナチス(ドイツ政府)がユダヤ人を攻撃させたのと同じことだ。
今の政府も表では民主制だと言っておきながら裏では神制度をしている悪い組織だから、今の政府に逆らう者のほうが正しい。だから、私は正しい。
[8252] なぜ高度経済成長期はあったか? h21.8.23
かつて日本に高度経済成長期があったのは、当時の日本政府が神制度をやっていなかったからである。当時は『神の入れ替え』の時期で、天皇の神制度をやめた日本政府がまだ私の神制度を始めていなかったからである。
反対に、今の日本が不景気なのは、今の日本政府が神制度をやっているからである。
これまで日本に何度か好景気があったのは、当時の政府が神制度をやらず民主制をやっていたつまり『社会科学の知見』を真面目[まじめ]に実現させていたからである。あるいは、政府が余計な神制度をやらずに国民が自分の考えで自由にやっていたからである。[神制度は国民の自由な経済活動の妨害である。]ときどき裏の政府が活動を弱めることがある。その時期には日本の景気がいいのである。
[8253] 神制度は合理的な制度ではない。 h21.8.23
今の政府は裏で神制度をやっている。今の日本のところどころに政府が神制度をやった跡[あと]が現れているからである。政府は表では民主制をやって、裏では神制度をやっている。
しかし、今は『合理的な時代』である。人類の大脳が発達して知覚が進化して合理的に考えられるようになったからである。
神制度は不合理的な制度である。神制度には論理的な欠陥があるからである。だから、たとえ人目に付かないところでも、神制度は使えない。神制度を使っている者は、論理がわからないバカである。「自分がバカだから、まちがったことをやってもいい」は、大人の台詞[せりふ]ではない。
『合理的な時代』に不合理的なことをやってはいけない。昔は人類の大脳がまだ未発達で知覚が未熟で不合理的にしか考えられないバカだったから、政府も国民も両方ともバカだったから、政府が国民を武器で治めようが宗教(神制度)で治めようが勝手だったのだ。昔はテレビや本はおろか文字や言葉さえもなかったから、そんな時代に人類がバカでないはずがない。しかし、今は人類の大脳が発達して人類が合理的に考えられるようになったから、政府も国民も両方ともバカではないから、政府は不合理的な神制度をやってはいけない。たとえ政府が不合理的な神制度をやっても合理的な国民には通用しないのだ。
今の政府は神制度をやる会社である。政府は国民から税金を取るために民主主義をやっているふりをしているが、実際には神制度をやっている。政府は民主主義をやっているふりをして、国民に政府が神制度をやっていることや神制度の実体が知られないようにしている。しかし、今の日本をよく見れば、政府が神制度をやっていることがわかるし、神制度についてよく考えてみれば、神制度の実体が「政府が神の代理を務めて人間よりも上の者となって人間である国民を物のように自由に好き勝手にすること」であることがわかる。
今の政府は神制度をやる会社である。そんな時代遅れの会社は国民にとっては要らない。政府は1000年以上昔の中世時代の原理で動いている会社である。
だから、今の政府には滅んでもらうしかない。その後で、国民が神制度をやらないもっといい政府を作ることにする。
[8254] 映画『猿の惑星』 h21.8.23
猿とは中世時代で脳の進化がストップした政府のことである。
『猿の惑星』では、脳が退化した政府に脳が進化した国民が支配されている。
政府は簡単な神制度ばかりやっているから、脳が退化しているのである。
ラストの自由の女神のシーンは、この映画が現実の話であることを観客に訴えているのだ。
[8255] なぜ国民の大半は政府に従っているか?☆ h21.8.23
今の国民が、政府の表[おもて]の民主主義の芝居に騙[だま]されているからである。
昔の国民が、政府の表の神制度の芝居に騙されていたのと同じである。
国民が政府に従うのは、政府が裏の神制度(つまり、政府が神の代理を務めて人間よりも上の者となって人間である国民を物のように自由に好き勝手にすること)をやっていることを知らないからである。
だから、私の哲学日記を読めば、もはや政府に従わなくなるだろう。
[8256] 政府の国づくり h21.8.23
今の政府は『社会科学の知見』で国を作っているのではなく、「神制度」で国を作っている。
神制度で国を作ると、人間よりも上の者である政府が人間である国民を物のように好き勝手に自由にできることになる。
そんな物騒な世界に我々国民は住まねばならないのだ。
我々は同時に二つの世界に住んでいる。表の世界は民主主義の平和で楽しい世界だが、裏の世界は国民が政府の奴隷となっている悲惨[ひさん]で苦しい世界なのだ。表の世界はイメージにすぎず、裏の世界が実質である。
政府がそんなややこしい世界にしている。例えば、第2次世界大戦のとき、日本国民は「政府が自分達のためを思って戦争をしている」と思っていたが、実際には世界大戦は政府が『神の入れ替え』のために起した戦争であり、また政府が神の代理を務めて人間よりも上の者となって下等動物である国民同士を戦わせて互いに殺し合いをさせて喜んでいたのである。[戦争について考えてみるかぎりでは、政府は神制度をやる会社であって、民主主義は政府の嘘にすぎないと言える。このことは戦争以外のことについても一般に言えると考えられる。]
現代において政府が神制度を使うことは、政府が合理的思考ができず、政府が人間以下の動物であることを意味している。人間以下の動物である政府でも武器を使うことができるが、それでは政府だけ進化の仕方が違っていることになる。
国民は政府をそのような生き物として扱わねばならない。国民は政府を人間として対等に扱う気にはなれない。
動物が人間に命令しないように、政府が国民に命令する資格はない。
[8257] 国民の時代 h21.8.23
今は『国民の時代』だから、
政府が民主主義をやっていると思う国民は、政府に税金を払って政府の命令を聞き、
政府が神主義をやっていると思う国民は、政府に税金を払わず政府の命令を聞かなければいい。
私は、政府は民主主義をやっているふりをしてじつは神制度をやっていると思う。
[8258] 相対性理論 h21.8.24
同じひとつの物体が観測者の運動状態によって長さが違って見える。
それと同じように、同じひとつの対象が見る者によって違って見える。例えば、戦争は、国民にとっては「政府が国のためにやっていること」だが、政府にとっては「下等動物である国民同士を戦わせて互いに殺し合うのを見る娯楽」である。
国民は政府によって「政府が国民のために民主主義をやっているものだ」と洗脳されているから、戦争がそのような奇麗事に見えるのだ。
一方、政府は戦争を起した張本人だけのことはあって、戦争の実体を知っているのだ。
『国民にあらかじめまちがいを教えておけば、対象がまちがった知識によって解釈されて歪[ゆが]んで見える』ことを利用して、これまで政府は国民に学校でまちがったことを教えて無理なことをさせてきたのだ。政府は“カントのコペルニクス的転回”を利用して国民に楽しい幻[まぼろし]を見せて嫌なことをさせてきたのだ。[幸い、私は小学高学年の頃から社会科が苦手だったので、社会のことに興味がなく、テレビや新聞の社会記事をほとんど見ないので、政府の洗脳が効かなかった。今でも、政治家については総理の名前以外は何にも知らない。それは、これまでの私の『哲学日記』の書き方を見ればわかるだろう。]
今後も政府がそのようなことをする可能性がある。
今の日本人の多くが政府のやっていることを民主主義的にしか解釈できないのも、政府にすでに洗脳されているからである。しかし、それで理解できないことが見つかれば、「政府はじつは民主主義をやっていないのではないか?」と疑う必要がある。そう考えると、政府の実体が見えてくる。つまり、政府は神制度をやっている会社であって、政府が神の代理を務めることによって人間よりも上の者となって人間である国民を動物のように殺しまくったり国民の財産を死ぬ寸前まで奪い取ったりしているのだ。政府が神制度と建前の民主主義をやっていると考えれば、これまで原因がわからなかった日本や世界で起きたほとんどすべての事件が論理的に説明できる。だから、これは真実なのである。[天動説では惑星の逆行がうまく説明できないために、地動説を考えたようなものである。]
国民は洗脳という概念をよく理解して、自分が政府の洗脳に引っ掛からないように注意しなければならない。
[8259] 政府に他人のことを言う資格はない。 h21.8.24
政府は神制度で毎日人殺しをやっている。
政府は人殺しぐらい何とも思わない連中である。
そんな連中が国民が税金を払わないことぐらいでぎゃあぎゃあ言えるか!
私は政府に人殺しをさせないために、政府の活動を止[と]めるために税金を払わないのだ。だから、私が税金を払わないのは善いことである。
[8260] 教科書は嘘[うそ]である。 h21.8.24
教科書に載っているように、「政府は民主主義だけをやっている」のではない。
『政府は神制度と建前の民主主義をやっている』のである。
そう考えたほうが、国や世界で起きている事件がよく説明できる。
だから、この仮定は正しいのである。
政府は神制度で人殺しをする会社である。
税金とは、国民が政府に払う人殺しの依頼料なのだ。
嘘を子供に教えるのはよくないことである。
子供が実在を理解できない馬鹿になるからである。
だから、真実を子供に教えるべきである。
[8261] 自然数は人間が作り出したものである。 h21.8.24
数学的概念は実在する事物から人間が帰納して作り出したものである。
例えば、自然数の概念は、実在する石ころから人間が考えて作り出した概念である。けっして神が作ったものではない。
置換群の概念も、実在する物体の入れ替えから人間が帰納して作り出したものである。
実数の概念も、人間が実在の世界から考えて作り出した概念である。実在の世界には無限小というものがあるのである。
遠山啓著『代数的構造』には、循環小数が群の概念の起源だと書いてあった。ガロアは整数の割り算から群の概念を思いついたのだ。さらに、それを自分ひとりで深めていったのだ。つまり、群についてのいろんな法則を発見して、群と方程式の関係を見出して『5次方程式が冪乗根[べきじょうこん]だけでは解けない』ことを証明したのだ。
数学的概念に限らず、一般に概念は、人間が具体的に存在する事物からあるひとつの性質を抽出して作り出したものである。だから、経験が物を言うのである。
[8262] 政府は要らない会社である。 h21.8.24
政府は「民主主義だけをやる会社」ではなく、『神制度と建前の民主主義をやる会社』である。
国民にとってそんな役立たずの会社は要らない。そんな空威張り会社は要らない。
要らないから使用料金(つまり税金)も払わない。これを合理的と言うのだ。
[8263] 国民が政府だ。☆ h21.8.24
政府は『神姓度と建前の民主主義をやる会社』である。
政府は『社会科学の知見』から外[はず]れた「神制度の世界」を実現しようとしている。「神制度の世界」では、政府が国民を物のように自由にしている。
『社会科学の知見』を国において実現しているのは政府ではなく国民である。
だから、今や国民が政府である。政府は邪魔[じゃま]だから要らない。
今や国民が警察である。だから見掛けだけの突っ立っているだけの警察は要らない。
今や『国民の時代』である。[政府が建前の民主主義をやらねばならないのも、今が『国民の時代』だからである。]国民は政府よりも強い。政府は国民の敵である。だから、放っておいても国民が勝手に政府を潰すだろう。政府は国民によって滅ぼされるしかないのだ。
国民は政府よりも強い。だから、税金を払おうが払うまいが国民の自由だ。政府にお金を恵[めぐ]んでやりたい国民だけが恵んでやればいい。自分が人間よりも上の者だと思うのは不良の常[つね]である。政府は不良を溜[た]め込んでおく会社である。だから、不良をかわいそうに思う国民が余ったお金を恵んでやればいいのである。しかし、不良は他人からもらったお金で人殺しをするだけだから、本当はお金をやらないほうがいいのである。
[8264] 学校は要るか? h21.8.24
たとえ学校がなくても、『正しい知見』を広める機構[きこう]が社会に備わっていればいい。
今の人はテレビや本などで情報を得ているから、テレビや本などで国民に『正しい知見』を広めればいい。
だから、テレビや本だけあればいい。学校は要らない。
[8265] どうして国民は政府を偉いと思っているか? h21.8.24
テレビで政府を偉いみたいに言っているからである。
国民はテレビの言いなりなので、テレビを見た国民は政府を偉いと思って政府にひたすら従うようになるのである。
だから、テレビ局が政府の報道をやめればいい。偉いみたいに言わなければいい。
そうすれば、国民は政府に従うのをやめるだろう。
[8266] 日本の学者が駄目な訳[わけ] h21.8.24
学者は学問の上に幸せがあるのか?
学者の多くはそこら辺のおっさんと同じように眼で見えることに幸せがあるだけではないか?
そんなのが学者と言えるか!?
そんなことだから、くだらない腑[ふ]抜けたどうでもいい研究しかできないのだ。
頭よりも心が研究の質を決めるのだ。
[8267] 日本政府の歴史 h21.8.24
古墳時代以前は、日本政府は武器で国民を治めていた。日本政府は最初は暴力団だったのである。
古墳時代から戦国時代までは、日本政府は神制度で国民を治めていた。つまり、表の神制度でイメージアップを謀[はか]り国民から税[ぜい]を取りながら、裏の神制度で国民を殺したり国民の生活を滅茶苦茶にしていた。表の神制度は神武天皇の話の通り日本を平和な国にすることで、裏の神制度は政府が神武天皇の代理を務めて人間よりも上の者となって人間である国民を動物のように殺したり不愉快な目に合わせたりすることである。表の神制度は政府がやっていたのではなく、じつは国民自身がやっていたのだ。
戦国時代から江戸時代にかけては、日本政府(幕府)は再び国民を武器で治めるようになった。
明治時代から世界大戦までは、日本政府は民主主義と神制度で国民を治めていた。つまり、政府は民主主義と表の神制度でイメージアップを謀りながら、裏の神制度で国民を殺したり国民の生活を滅茶苦茶にしていた。この時期には、政府は同時に3つの制度をやっていたわけである。
世界大戦後から昭和40年までは、日本政府は民主主義でやっていた。あるいは、活動していなかった。または、アメリカ制でやっていた。この時期だけは、日本国民が日本政府の支配から逃れて幸福であった。
昭和40年から現在までは、日本政府は民主主義と私の神制度で治めている。つまり、政府は民主主義でイメージアップを謀って国民から税金を取りながら、裏の神制度で国民を殺したり国民が幸福に暮らせないように国民の生活を滅茶苦茶にしている。民主主義は政府がやっているのではなく、じつは国民自身がやっているのだ。
[こうして列記してみると、つくづく日本の歴史は面白くないと思う。]
今は『国民の時代』である。国民が政府よりも強い。政府の神制度は正当ではなく、政府は国民の敵である。だから、国民は政府を潰さねばならない。それが、現代における国民にとっての正しい行為である。
[8268] 国民は正常、政府は異常 h21.8.25
今の国民は『社会科学の知見』を実現しているのに、政府は「神制度」を実現している。
政府には何の機能もない。政府はまちがった神制度をやっているだけである。政府は国民には正しい『社会科学の知見』を教えて、自分ではまちがった「神制度」をやっている。
国民が正常で、政府が異常である。政府は異常者の集団である。大勢の国民が善いことをやっている中に混じって、少数の政府が悪いことをやっているのである。
だから、政府は要らない。政府は潰せばいい。
[8269] 政府は頭がおかしい? h21.8.25
政府がわざわざ私の情報を混ぜて事件を起さなければ、私に政府が神制度で国民を殺している悪い組織であることがばれなかったはずだ。
政府が国民を私の信者にするために私アニメを作ったりしなければ、私に政府が神制度をしていることを気付かれずに済んだはずだ。
政府が表で民主主義をやって、裏の国民の眼につかない所で“密[ひそ]かに”神の代理を務めて人間よりも上の者となって国民を殺したり国民が幸福に暮らせないように国民の生活を滅茶苦茶にする命令を出すだけにしておけば、私や他の国民に政府が神制度をしていることが知られずに済んで、政府が未来永劫[えいごう]に安泰[あんたい]だったはずだ。[私は社会科には興味がないので、テレビや新聞のニュースはほとんど見ない。]つまり、政府は民主主義の芝居をして国民から税金を取って、国民に民主主義をやらせて自分は裏で神制度によらずに自由に悪いことをすればよく、わざわざ余計な神制度なんかやって“政府が”悪いことをしていることを国民に宣伝する必要はなかったのだ。[何十年も新聞を読んでいたら、同じネタがいくつかの事件に使われていることに気付いて、政府が犯人であることがわかる人が現れるだろう。]
それなのに、政府が敢[あ]えて私の情報を混ぜた事件を起したり、私の情報をテレビや新聞などに載せて流したのは、政府が神制度を正当な制度だと考えていたからだと思われる。
政府は神制度が今の国民みんなが正しいと認める制度であると信じていたに違いない。
だから、政府の者は頭がおかしい。
神制度は論理的欠陥がある制度である。神制度は合理的な時代に実行できる制度ではない。
神制度をやっていいと思っているのは政府だけで、国民にはそんな者はひとりもいない。
国民は『社会科学の知見』を正しいと思っているだけで、「神制度」を正しいとは思っていない。
政府は国民から孤立している。政府がやっていること(つまり神制度の仕組み)は理解できるが、まちがった神制度をやっていいと思える政府の心が理解できない。
政府は神制度のやりすぎで頭がおかしくなっている。現代においてもなお、律儀[りちぎ]に古来からの神制度のしきたりを守り続けている政府は頭がおかしい。国民にとって政府は危険人物だ。
[8270] 民主主義VS神制度 h21.8.25
国民は『民主主義』をやっている。つまり、国民は最新の『社会科学の知見』を勉強して、それを国において実現している。
一方、政府は「神制度」をやっている。政府は1000年以上昔の不合理的な風習をそのまま現代においてやっている。
国民のほうが政府よりも数が多い。
だから、民主主義が勝って、神制度は負ける。
つまり、政府は国民に滅ぼされる。
[8271] 政府は悪いことをする会である。 h21.8.25
神制度は成り立たない。
よって、政府はただの悪いことをする会にすぎない。政府はもはや人間よりも上の者ではなく、ただたんに悪いことをする者にほかならない。
昔の宗教の時代では、政府も国民も不合理的だったから、政府も国民も宗教を認めていたから、政府が人間よりも上の者で政府が自分よりも下の人間である国民を好き勝手にすることができた。
しかし、今の科学の時代では、政府も国民も合理的だから、政府も国民も宗教を認めていないから、政府は人間よりも上の者ではなく政府と国民は平等なのである。
政府は民主主義の芝居をして国民から税金を取って、国民の眼で見えないところで国民を殺したり国民を幸福に暮らせないようにするために国を滅茶苦茶にする命令を出したりしているのだ。
今の社会が民主的なのは、国民が民主主義をやっているからであって、政府は民主主義に反する悪いことをやっているのである。今の政府が私の神制度をやっているのも、悪いことのひとつである。
しかし、今の科学の時代においては、政府と国民は平等である。国民のほうが政府よりも数が多いから、国民が政府よりも強い。政府は民主主義に反することをするから、政府は国民の敵である。だから、国民は政府を滅ぼさねばならない。
[8272] 学者について h21.8.25
学者には他人に言いたがる学者と言いたがらない学者の2種類がいる。
他人に言いたがる学者は、たわいないどうでもいいことをベラベラ喋[しゃべ]るだけでほとんど他人の役に立ったためしがないが、他人に言いたがる学者の中に、たまたま正しいまともなことを考える者が現れた場合にだけ、社会はその者の恩恵を受けて進歩することができる。
他人に言いたがらない学者は、自分ひとりで正しい知識を溜[た]め込むだけで、社会のためにはならない。自分が死ぬときに、これまでの自分の研究成果を全部焼き捨てて無にするだけである。
人類は低い確率に賭[か]けて、少しずつゆっくりと進歩するしかないのである。
[8273] 政府は国民から税金を取れるか? h21.8.25
国民は政府に税金を納めなくてもいい。
第一、人殺しの会社が人殺し代を国民にせびるほうがおかしいじゃないか?!
政府が真面目に民主主義を仕事にしているなら国民は政府に協力すべきだが、実際には政府は悪いことをすることを仕事にしている会社である。その例が、私の神制度である。
だから、そもそも“政府が”税金を国民から取ることがまちがっているのである。
税金は政府の国民に対する恐喝[きょうかつ]行為であって、政府が悪い。
政府が悪いことをしたければ、国民からお金を取らずに、自分のお金でやれ!
不良が恐喝しているとき、不良にお金を出さないほうが正しい。不良にお金を出すのは弱気な意気地[いくじ]なしである。不良は無視するに限る。だから、国民は政府に税金を払わないほうが正しい。
[8274] 政府は悪いことをする会社である。 h21.8.25
民主主義をしているのは国民であって政府ではない。政府は議会制民主主義と警察の芝居で国民から税金を取って、裏では人殺しをしたり国民が幸福に暮らせないように国を滅茶苦茶にする命令を出している。国民は一生懸命民主主義の社会を作ろうとしているのに、政府が反対のことをやって妨害しているのだ。
だから、政府は国民にとって余計な悪いことをする要らない会社である。政府は早く潰れたほうがいい。
[8275] なぜ学者の論文は面白くないか? h21.8.25
喜びが学問の上にないからである。
出世や見栄の喜びだけで生きているから、書いた物は面白くないのである。
[8276] 実在する人間のアニメ化はどこまで許されるか? h21.8.26
私も昨日ちょっと考えてみたのだが、どこまでいいかを厳密に決めるのは難しい。
でも、私アニメや私マンガは、現代においてはやってはいけない神制度で作られた物だから、いったんは禁止されると考えるべきである。
将来この問題について厳密な解答が得られたら、その基準によって許される分は作ったり売ったり放送したりしてもいいことになるだろう。たとえ神制度がなくなったからといって、これまでの私アニメや私マンガが無制限に全部許されるというわけには行かないのである。
ただし、私アニメや私マンガを国民に見せたからといって、神制度をやることは禁止する。
[そんなに大事な物とも思われないから、思い切って焼いてしまったほうが後腐[あとくさ]れがなくていいと思われる。]
これまでは政府が小説やマンガなどをすべて神制度で作らせてきた。神制度がなくなった今、この問題についてみんなで真剣に考えてみたらどうだろうか?
[8277] 文学について h21.8.26
文学は作り事である。
文学はどこまでが本当でどこまでが嘘がわからないからである。
文学は原則的に嘘の作り事の世界である。
作曲家ほどみっともない仕事はない。
なぜなら、作曲家は自分の心をみんなの前に曝[さら]け出さないといけないからである。
それと同じように、文学者も自分の心や経験や知識をみんなの前に曝け出さないといけないからみっともない仕事である。
一方、科学者は正しいことだけを言っていればいいから、あまり自分の心を曝け出さなくていいから、気楽な仕事である。
文学は空想の世界である。文学は自由な世界である。
だから、文学では何をやってもいい。嘘でも本当でも何でもいい。
ただ、作品に対する人々の評価までも考慮すると、真の意味で何をやってもいいとは言えない。
例えば、まちがった思想を人々に植え付ける目的で作られた文学は高い評価はされない。エロ本とかエッチ文学が高い評価をされないのはそのためである。
例えば、聖書は宗教や政府が神制度(主[おも]に裏の神制度)をやるために作った文学だから高い評価はされない。現代では神制度がやれないからなおさらである。だから、私アニメや私マンガも評価はされない。実際に、聖書が面白くないように、私アニメや私マンガには面白くないものが多い。
面白い文学には、正しさ(つまり作者の知識や教養)も要求される。正しさのない文学はいくら面白くても価値がない。そんな文学は読んでも頭がこんがらがって、本当はあまり面白くない。現実逃避の根性を身に付けるだけで、長い目で見れば縁起が悪い。私は子供の頃は科学書や図鑑ばかり読んで文学を読まなかったから、現実逃避のセンスがないのだ。
[8278] 悪口 h21.8.26
悪くない人を悪く言うのが悪口である。
悪い人を悪く言うのは悪口ではなく真実である。
私は政府の真実を言っているのであって、政府の悪口を言っているのではない。
[8279] 真実と嘘 h21.8.26
正しいことは誰にとっても正しい。だから、正しいことには価値がある。
嘘は、正しくないから、別のところに価値がある。
嘘は、面白いから価値があるのだ。だから、面白くない嘘は価値がないのだ。
面白いか面白くないかは人の心が決めることである。
人の心は人の身体がみんな違っているように千差万別である。
つまり、人の心は人それぞれであって、どれが優れていてどれが劣っているということはない。相対性理論のように、絶対的な善の心というものはないのだ。
だから、文学は面白いから価値があるのではない。
文学も科学と同じように、何らかの“正しさ”がないと価値がないのだ。
例えば、人間に対する見方[みかた]の正しさとか表現の的確さとかがないと価値がないのだ。
今の日本語も、そうやって長い時間をかけて改良されてきたものである。
政府や宗教が神制度をやるために作った文学作品(マンガやアニメも含む)は、「主や偽主が神だ」つまり「主や偽主の代理を務める政府や宗教が人間である国民よりも上の者だ」という見方を含んでいて、正しい見方ではないから、価値がないのである。
[8280] 『ドン・キホーテ』はなぜ有名なのか? h21.8.26
『ドン・キホーテ』では、騎士道精神あふれるドン・キホーテが風車に突撃してはね飛ばされるところで終わっている。
つまり、「いくら正義でも宗教には敵[かな]わない」ことを言っているのだ。
だから、政府や宗教が面白がって、『ドン・キホーテ』を有名にしたのだ。
しかし、『ドン・キホーテ』は中世文学である。現代文学ではない。
人類の文化は一気に完成するのではなく、長い時間をかけて徐々[じょじょ]に進歩するので、かつて人類の歴史には不合理的な宗教の時代があっただけのことだ。
現代は中世のように不合理的ではない。現代では、ドン・キホーテが風車に変身した巨人をはね飛ばすのだ。
[8281] 政府の仕事 h21.8.27
本来の政府の仕事は、現在までに知られている『社会科学の知見』を国において実現することである。
政府がそれ以上細かいことはしなくていい。
それ以上細かいことは国民や民間会社の自由だから、政府が指示しなくていい。むしろ指示してはいけない。
[8282] 国民を不幸にする会 h21.8.27
政府が神制度をやれなくなったら、政府はもはや悪いことをする会にほかならない。
政府は議会制民主主義と警察と消防の芝居で国民から取った税金で、事件を起して国民を殺したり国民を不幸にするために滅茶苦茶な命令を国民に出す会にすぎなくなる。
今の政府は『社会科学の知見』を実現する会社ではない。政府は国民を不幸にする会社だ。
国民が政府に不幸にされたくなければ、政府を潰[つぶ]すしかない。
[8283] 政府は国民から税金を取らずに経営できるか? h21.8.27
『社会科学の知見』には、経済学の知識も入っているとする。
政府が『社会科学の知見』を正しく適用すれば国が好景気になり、まちがって適用すれば国が不景気になる。
だから、政府は国民から税金を取らず、景気のよくなった分の何割かを政府の収入とすればいい。
そうすれば、政府は自分が儲けるためにどうしても景気をよくしなければならないから、真面目に仕事をするだろう。政府は国民を管理する会社だから、民間会社の管理職と同じことだから、これは当然のことである。
そんなやり方では政府が経営できないというなら、いっそ政府をなくして、国民の自治で国を管理することにする。例えば、公害を出す会社に対しては、付近の住民が公害を出す工場を実力で破壊すればいい。あるいは、社長にヘドロを飲ませて殺せばいい。それが嫌なら、工場は公害を出さないようにするしかない。
[8284] 福沢諭吉はまちがっている。 h21.8.27
福沢諭吉は『天は人の上に人を作らず』と言ったが、実際には天皇制で政府が神武天皇の代理を務めて人間よりも上の者となっていたからである。
今は天皇制はなくなったが、今でも、政府は偽主である私の代理を務めて人間よりも上の者をやっている。
たしかに、江戸時代の武器制度に比べれば、明治時代の神制度は若干[じゃっかん]身分制が弱まったが、それでも身分制がれっきとして残っていたのである。政府は表では民主主義で政府は国民の下僕だと言っておきながら、裏では神制度で国民を獣[けだもの]のように殺したり国民を幸福にしないために国を滅茶苦茶にする命令を出していたのである。そうやって政府は自分が国民を殺したり自分が国を滅茶苦茶にしておきながら、どちらも「原因不明」ということにしているのだ。「原因不明」ということはない。両方とも『政府』が裏で隠れてやっているのだ。真犯人は国民の眼の前にいる![新聞やテレビに載っている原因不明の事件がすべて政府が起こしたものであることは、今日[こんにち]ではすでに国民の常識となっている。原因不明なのは、政府がもみ消しにしたからである。]だから、今の日本が不景気なのも政府が原因である。政府がわざわざ日本の経済を滅茶苦茶にして日本を不景気にしているのだ。だから、政府がなくなれば日本は景気がよくなる。[石ノ森章太郎原作のアニメ『マンガ日本経済入門』の第12話「コメの自由化」で農家の人が「政府のやることはわからん」と言っていたから、まちがいない。]
そもそも幕府と政府は同じものである。だから、明治維新といっても大して世の中は変わらなかったのだ。
福沢諭吉みたいな馬鹿が万札の顔になる資格はない。どうせ、政府と組んでいっしょに国民を騙[だま]していた似非[えせ]思想家だ。
[8285] 政府から見た信者とは? h21.8.27
政府と親しくする信者や民間企業は、国民の裏切り者である。
政府と親しくする信者や民間企業は、政府を利用して自分が儲けるつもりでいるのである。
政府から見ると、政府になれなれしくする信者や民間企業は「人間の分際[ぶんざい]で“人間よりも上の者”と対等だと思っている自分の身分をわきまえぬふとどき者」に見えるだけである。
だから、政府は怒って、ときどき信者に高いところ(“人間よりも上の者”の喩え)から飛び降りさせたり、民間企業のサラリーマンを地下の低いところ(人間の喩え)でサリンで殺したりするのだ。
しかし、今や神制度は成り立たないから、政府はもはや人間よりも上の者ではなく、ただたんに悪いことをする者にほかならない。だから、政府が国民を自分よりも下の者だと思って見下[みくだ]しているのはまちがっている。むしろ、政府は国民を自分よりも正しい善いことをしている者と思って尊敬すべきである。
[8286] どうして戦争が起こるか? h21.8.28
政府が国民に戦争させるからである。
だから、政府がなくなれば戦争は起こらない。
[8287] どうしてケネディ大統領は殺されたか? h21.8.28
王や大統領には善[い]い人がいないからである。
殺されないほうが不思議なくらいだ。
だから、征服された国の王が捕[とら]らえられて眼や耳の穴に熱した水銀を流し込まれてメクラやツンボにされても、国民は大喜びをするだけだ。大統領の頭が銃弾で粉々にふっ飛ばされても、国民は大笑いをするだけだ。
昔から、国民にとって政府は敵である。政府は国民にとっていい決まりは一個も作ったことがない。政府は国民を不幸にする嫌な会である。政府は税金を取るだけで、国民の嫌がらせばかりして、国民の役に立ったことは一度もない。政府はいないほうがマシである。政府の者は殺されたほうがマシなくらいくだらないやつだ。だから、政府の者が殺されると、国民は喜ぶのだ。
[8288] 東京の連中は馬鹿☆ h21.8.28
政府は悪い会社である。
ところが、東京の人間は政府を善[い]い会社だと思って政府に従っている。
だから、東京の人間は馬鹿である。悪を善だと誤解しているチンプンカンプン馬鹿である。
私だったら、悪い会社の近所に住みたくはない。悪い会社に近寄りたくない。
そもそも政府は、人類が武器を発明した時、それを人間支配に悪用した不良の群れがルーツである。
だから、政府は今でも心が腐[くさ]っているのだ。
東京の人間は馬鹿である。しかし、仕事においては有能である。つまり、専門馬鹿である。だから、政府のことをもっとよく知るべきである。
[8289] 日本最大の暴力団 h21.8.28
それが日本政府である。日本政府は400万人の組員を抱[かか]える日本最大の暴力団である。
だから、民間の暴力団を警察を使って潰したのだ。いわゆる暴力団同士の闘争である。
政府は議会制民主主義や警察などの偽善の芝居で国民から金をかき集めて、裏ではいろんな事件を起して国民を殺したり、政府に従う民間会社に対しては国民を幸福にしないために国を滅茶苦茶にする命令を出している。
政府は国民の嫌がらせをするために悪さばかりしている不良の群れである。
そんな悪いことをする会におとなしく従っている国民が馬鹿である。度胸がなさすぎる。
国民は徹底的に政府に逆[さか]らって、はやく政府を滅ぼすべきである。
未来の人類のためにより善い社会を作ることが現在の人類の使命である。
[8290] 誰が政府をやっても変わらないか? h21.8.28
「今の政府が潰れて新しい政府ができても、どうせ同じことになるから無駄だ」と思っている人が大勢いる。
それは、今の政府が心理操作でマンガやテレビドラマなどを使って国民にそう思うようにさせているからである。
今の政府があくどいことをやっているのは、大昔に武器を使って国民を支配していた暴力組織の末裔[まつえい]だからである。
今の政府が偉そうなのは、政府の前身が不良グループだからであって、国民の管理会社だからではない。管理会社が偉いと思うのは、国民の錯覚にすぎない。
それなら、今の政府が潰れて新しい政府に変わっても心配はない。
[8291] 不良の会社 h21.8.28
政府はそもそも不良の会社である。
不良が武器を使ったり、宗教を使ったり、偽主制度を使ったりし続けてきただけである。
人類の文明が発達して武器が使えなくなると架空の人物を神とする宗教に代[か]え、架空の人物の神で宗教がやりづらくなると今度は実在の人物の神で宗教をやることに代えた。
そもそも政府が武器で人間を支配したのは、政府が“国民を嫌がらせることを喜びとする不良の心”を持っていたからである。
政府は不良の心を持った者の集団であり、これはいつの時代においても変わらない。“国民を嫌がらせて喜ぶ”目的は同じで、手段が時代によって代わっているだけである。
政府は“国民を嫌がらせる会社”だから、政府が国民の役に立つことをするわけがない。警察も議会制民主主義も政府が国民からお金を取るためにいやいや仕方なくやっているつまらない芝居である。国民から財産(税金)を取ることも、政府の国民に対する嫌がらせ事業の一環である。
政府は“国民を嫌がらせることが仕事”だから、国民から税金を取るに飽き足らず、国民に対して余計な悪さばかりして国民を嫌がらせて喜んでいるのである。いろんな事件を起して国民を殺したり、国民を幸福に暮らせないようにするために国民の生活を滅茶苦茶にする命令を出しているのである。政府は国民に対する嫌がらせ専門の会社である。
ところで、『主や偽主は神ではない』から、主制度や偽主制度は政府が国民に対して嫌がらせができる正当な理由にはならない。したがって、政府が国民に嫌がらせをしたければ、武器や宗教や偽主制度に代わる新しい手段を考え出さねばならない。しかし、今のところはそんな都合のいい手段はない。だから、今の政府はヤケクソになって何の理由もなく国民の嫌がらせをしているだけである。
しかし、今は『国民の時代』である。国民が政府よりも強い時代である。
“国民を嫌がらせる会社”に国民が従うのはナンセンスである。だから、国民が政府が嫌だったら、さっさと政府を潰せばいい。
不良の者からなる政府を潰した後に、必要ならば良心的な者からなる『国民を管理する会社』を建てればいい。最新の『社会科学の知見』を国において実現する会社を建てればいい。国民や民間会社の自由を認めることも『社会科学の知見』に含まれている。
[8292] 戦前と戦後の違い h21.8.29
戦前は、国民も政府も両方とも馬鹿だったから、この世は宗教(神制度)が成り立つ世界だった。
それで、神の代理を務める政府が人間よりも上の者になり、人間である国民を欲しいままにしていた。
しかし、戦後は国民も政府も両方とも馬鹿でなくなったから、この世は宗教(神制度)が成り立たない世界になった。
それで、政府がいくら神の代理を務めても人間よりも上の者とならず、嫌がらせをする相手を失った政府は自分自身をいじめて死んだ。
[8293] 新しい政府は悪いことをするか? h21.8.29
今の政府が滅んで、新しい政府が出来たとする。
新しい政府は、今の政府と同じように悪いことをするだろうか?
しかし、新しい政府は、今の民間の“保険会社”と同じようなものである。
今の民間の保険会社がさほど悪いことをしなければ、新しい政府もそれほど悪いことはしないだろう。
つまり、新しい政府は国民全員から税金を取るが、現在の『社会科学の知見』に沿って国民を真面目[まじめ]に管理するだろう。
しかし、新しい政府があまり国民に人気がなければ、競争政府ができて国民がそちらに移るだろう。
現在の『社会科学の知見』では、国民や民間会社に大幅に自由が認められているから、複数の政府による競合も可能なのである。
今でもすでに保険会社は複数あるから、新しい政府も複数できるかもしれない。
[8294] 国民の嫌がらせをする会社☆ h21.8.29
それが政府の正体である。
政府は大昔から、武器や主制度や偽主制度を使って国民を嫌がらせてきた。
政府は国民の嫌がらせを仕事とする会社である。
だから、政府は国民から税金を取っているのである。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではない』ことを証明したから、もはや政府は主制度や偽主制度をやることはできない。
だから、政府は国民の嫌がらせの仕事をすることができない。国民が嫌な政府に従う必要はもはやない。
したがって、政府は潰[つぶ]れるしかない。国の政治は他[ほか]の会社にやってもらうことにする。
政府が「民主主義をやるためにお金が要る」と言って国民に手を差し出すのは不良の言い訳[いいわけ]である。政府は国民からもらったお金を国民の嫌がらせをするために使っているのである。だから、国民は政府にお金をやる必要はない。
[8295] 嫌がらせされたい国民 h21.8.29
国民は政府に毎月自分の嫌がらせ代を払っている。それが税金である。
国民は素直じゃなさすぎる。政府に勝るとも劣らぬ捻[ひね]くれた嫌な性格だ。
他人の嫌がらせをする不良も嫌いだが、不良に逆らえない“いじめられっこ”も嫌いだ。
[8296] 科学の時代 h21.8.29
「宗教の時代」は戦前で終わっている。
今は、人類みんなが合理的に考えることができる『科学の時代』である。
科学の時代に、政府や宗教の者が有利に生きていけることがおかしい。
だから、周りの国民が政府や宗教の者を有利に生きていけないようにすればいい。
[8297] なぜケネディ大統領は殺されたか? h21.8.30
それは、今が『国民の時代』だからである。
当時のアメリカ政府が“まちがった政策”を出したので、怒ったアメリカ国民がアメリカ政府に仕返しするために、アメリカ政府の表[おもて]の顔であるケネディ大統領を殺したのである。
だから、正しいことを言っている私を殺す者がいたら、その者はケネディ大統領のように痛い目に合わされるだろう。
今は合理的な考えが通用する『科学の時代』だから、正しいことを言っている者は歓迎され、まちがったことを言っている者は嫌われるのだ。合理的な『科学の時代』においては、武器や神制度で国民を支配する不合理的な仕事をしている政府はもはややって行けないのだ。神制度は雰囲気的に成り立つような気がするだけで、論理的には成り立たないのだ。電車や自動車が走っている時代に、飛脚[ひきゃく]や籠屋[かごや]がやって行けないようなものだ。
[8298] どうして主は長い間架空の人物であることがばれなかったのか? h21.8.30
キリストの場合、聖書は有名だったが、そのもとになったギリシア・ローマ神話は有名ではなかったからである。ギリシア・ローマ神話が有名になったのは、ルネサンス(14〜16世紀)以降である。
近代になってギリシア・ローマ神話が有名になってから、ギリシア・ローマ神話と聖書の関係が説[と]かれるようになって、聖書がギリシア・ローマ神話のパロディであることがわかったのである。
したがって、キリストが架空の人物であることがわかったのである。政府や宗教は架空の人物の代理を務めている嘘をついていることが国民に広く知られるようになったので、キリスト教がやっていけなくなったのである。
神武天皇の場合、日本には日本神道の教会がなく、古事記はいくら日本語で書かれているといっても漢字の当て字で書かれていたので古事記を読める者がほとんどいなくて、神武天皇について詳しいことを知っている者がいなかったからである。
近代になって、古事記を本格的に研究する者が現れて、古事記の現代語訳が出だしてから、古事記が日本のおとぎ話のパロディであることがわかったのである。
したがって、神武天皇が架空の人物であることがわかったのである。日本政府や日本神道が架空の人物の代理を務めている嘘をついていることが国民に広く知られるようになったので、日本神道がやっていけなくなったのである。
他の主についても同様である。
昔は学校がなくて字を読める人がほとんどいなくて、他人から聞いた曖昧な話だけでいい加減に納得していた時代だったから、嘘と真実の区別が定かではなかったので、架空の人物でも実在の人物として通用していたのである。
[8299] 議会制民主主義とは何か? h21.8.30
不良が政治家っぽい者に政治の芝居をさせたのが議会制民主主義である。つまり、政治家は役者である。
だから、議会制民主主義には機能がない。国民から税金を取るための芝居にすぎない。
不良は考えることが嫌いで卑怯[ひきょう]で汚いこと好きで人間的価値がない。
政府は不良の行く会社である。政府は不良が就職する会社である。政府は不良が国民の嫌がらせをする会社である。
政府があると不良が有利に生きていける社会になる。
だから、不良にとっては政府がありがたいのである。
[8300] どうして学問の本は面白くないのか? h21.8.30
いやいや考えると、どうしても言葉にいやいやさが出る。
学問の本は学者がいやいや書いたから、学問の本は面白くないのである。
学者がいやいや書いた本を読まされると、生徒まで勉強するのが嫌になる。
だから、みんなが学問嫌いになる。みんなが考えることが嫌いになる。