[8101] キリストは神ではなかった。 h21.8.6
キリストは超能力が使えたので、昔の人がビックリして人間よりも上の者だと誤解した。
現代の生物学においては、人間よりも上の者と言えるのは、100万年後の地球上に現れる『進化した人間』だけである。人間の両親から生まれた者は、いくら超能力が使えても人間であって、人間よりも上の者ではない。たまたま突然変異で超能力が使える『人間』が生まれたと言うだけのことである。つまり、超能力者は人間であって、人間よりも上の者ではない。昔の人がまちがって、超能力者を人間よりも上の者だと思っただけのことである。
キリストは超能力者だっただけで、人間よりも上の者とは言えない。
神武天皇も大活躍をした人物と言うだけで人間よりも上の者ではない。
釈迦もモハメットもただの人間であって、人間よりも上の者ではない。
私もせいぜいちょっとだけ超能力が使えただけの者であって、人間よりも上の者ではない。
だから、政府がいくら彼らの代理を務めたところで、人間よりも上の者とは言えない。
したがって、国民が政府に従う義理はない。
[8102] 進化した人間 h21.8.6
100万年後の地球上に現れる“進化した人間”は、超能力者ではなく、現在の人間よりもさらに知覚の発達した生き物だろう。
なぜなら、マンモスの牙のように、人類は知覚を発達させて進化してきたからだ。
人間社会では、知覚が発達した人間のほうが高い確率で生き残るから、人間の知覚は今後も発達していくだろう。
超能力者はときどき突然変異で現れる“変り種”[かわりだね]にすぎず、人間よりも上の者とはなりえないのだ。超能力者は散発的(sporadic)にしか現れず、超能力の形質が子孫に伝えられないから、人間よりも上の者にはなりえない。人間社会は超能力者に有利には作られていないから、超能力者が人間よりも上の者になることはないだろう。
[8103] 超能力者は人間よりも上の者か? h21.8.6
人間は他の動物を[知覚で武器を発明して]支配できたから、人間は他の動物よりも上の者であることがわかる。
しかし、超能力者は人間を支配したことがないから、超能力者が人間よりも上の者であるかどうかはわからない。
超能力者は散発的に突発的に現れるだけで、超能力が使えるだけで、超能力で人間を支配したわけではないから、超能力者は人間よりも上の者ではないと考えられる。超能力者も人間も実際にはたいして変わらないと思われる。[鳥は人間にはない空を飛べる能力があるが、鳥が人間を支配できないのと同じことである。人間に発達した知覚があれば、超能力種族を捕[つか]まえて超能力の仕組みを解明して、さらに強力な超能力の装置を発明して超能力種族を支配するだろう。だから、超能力種族が人類よりも上の者だとは言えない。]
昔の人が(今の人も)超能力者をパッと見で人間よりも上の者だと思い込んだだけである。超能力者が人間よりも上の者である学術的裏付けは何もないのだ。
[8104] 政府は超能力者の代理か? h21.8.6
政府は人間だから、超能力者の代理にはなれない。
政府はただの人間の集団であって、超能力者集団ではない。
たとえ政府の出す命令に超能力者の印[しるし]が付いていても、政府が超能力者集団であることにはならない。
政府は超能力者の代理の“ふり”をしているだけで、本当は代理ではない。
[8105] 超能力者は人間よりも上か? h21.8.6
ライオンやトラは人間よりも筋力が強いが、武器を使えば倒せる。
それと同じように、たとえ超能力者がいても、武器を使えば倒せる。
武器を持たないキリストよりも、武器を持った人間のほうが強い。
だから、人間と超能力者とは対等なのだ。つまり、超能力者は人間よりも上の者ではない。
[8106] 超能力者は神ではない。 h21.8.6
超能力者は、超能力がある人間と言うだけで人間よりも上の者ではない。
昔の人が超能力者をパッと見て人間よりも上の者だと誤解しただけである。
超能力者が人間よりも上の者であるという証拠が何にもない。
超能力者が人間よりも上の者だと言うためには、実際に超能力者が人類を支配して見せねばならない。人類を支配できた者、つまり人類を自分の思い通りにできた者こそが、人間よりも上の者である。
しかし、これまでに人類を支配した超能力者はひとりもいない。例えば、キリストも私も人類を思い通りにはできていない。
超能力があるだけでは人類を支配するのは無理だから、やはり超能力者は人間よりも上の者ではありえない。例えば、空中からパンを出したり水をブドウ酒に変えたり、ガラガラを回すだけでは人類を支配することはできない。
超能力者はせいぜい超能力の芸で人間を楽しませただけである。
それなら、超能力者は超能力を使う芸人にすぎず、超能力者と人間は平等である。
[8107] 神武天皇は人間よりも上か下か!? h21.8.6
神武天皇は、田舎者が戦いに勝って日本の王となっただけの人物である。
それなら、選挙に勝って日本の首相になった者と変わらない。
だから、神武天皇は人間と同じである。
つまり、神武天皇は人間よりも上の者ではない。人間よりも上の者と言うのは、『人間を自分の思い通りにできる者』のことである。神武天皇はそこまで行かないから、神武天皇は人間よりも上の者ではない。
だから、昔の政府が神武天皇の神制度で国民を下等動物扱いしたことはまちがいだったのである。
[8108] 政府は人間よりも上の者か?☆ h21.8.6
政府は、ある特定の人物(主とか偽主)が人間よりも上の者であるという一般大衆の誤解を利用しているだけである。
政府自身は人間よりも上の者ではない。
政府自身は人間にほかならない。
政府が人間よりも上の者となるためには、人間よりも上の者の代理となるしかないのである。
しかも、人間よりも上の者が人間よりも上の者であるためには『一般大衆の誤解』によらねばならないのである。
政府が、ある特定の人物を勝手に人間よりも上の者としているだけのことである。
人間よりも上の者とは『人類を自分の思い通りにできた者』のことだから、超能力者や小国の王とかは人間よりも上の者とは言えない。
[8109] 人間よりも上の者☆ h21.8.6
人間が他の動物よりも上の者なのは、人間が他の動物を自分の思い通りにできるからである。
したがって、人間よりも上の者とは、『人間を自分の思い通りにできる者』のことである
そんな者は皇帝や英雄だけである。少なくとも、超能力者のことではない。
だから、超能力者の代理になっても人間よりも上の者にはなれない。
[8110] キリストは人間よりも上の者か? h21.8.6
キリストが人間よりも上の者ならば、人間をムシケラ扱いしたはずだ。
しかし、聖書にはそんな記述はない。
だから、キリストは人間よりも上の者ではない。
[8111] 超能力者は人間よりも上の者か?☆ h21.8.7
政府は、超能力者を人間よりも上の者としているが、
超能力者が人間よりも上の者であるという理由がない。
人間よりも上の者とは、『人間を自分の思い通りにした者』である。【人間よりも上の者の定義】
しかし、これまでの超能力者は、人間を自分の思い通りにはしていない。
それは、超能力では、限られたいくつかのことができるだけで、人間を自分の思い通りにすることができないからである。例えば、念力でガラガラを回せただけでは、人間を自分の思い通りにすることはできない。もしも、キリストが超能力で人間の意思をコントロールできたなら、殺されることはなかったはずだ。
だから、超能力者は人間よりも上の者ではない。
超能力者は、超能力がある人間にすぎず、人間よりも上の者ではない。
つまり、「超能力者が人間よりも上の者だ」というのは政府がついた嘘である。
政府は神(超能力者)の代理であるが、超能力者は人間と平等生物だから、政府も国民と平等である。だから、政府は自分が高等生物のつもりになって国民を下等動物扱いすることはできない。
むしろ『武力』のほうが、人間を自分の思い通りにすることができるから、武者[むしゃ]のほうが人間よりも上の者である。武者は超能力者よりも人間よりも上の者である。[人間が他の動物を支配することができたのも、人間が発達した知覚で『武器』を発明したからである。]
政府が国民を自分の思い通りにしたければ、武力で脅[おど]しつけるしかない。
しかし、そうすると、政府が国民の反感を買って、政府が続かない。だから、政府は国民を武力で脅せないのだ。徳川時代が滅びたのも、幕府が国民の反感を買ったからだ。
したがって、政府はもはや国民を自分の思い通りにできず、国民を支配する術[すべ]を失った政府は滅びるしかない。
倒せない敵はない。倒せないのは、戦う気がないからだ。
[8112] 超能力の手品師☆ h21.8.7
キリストは超能力の手品師である。
説教は手品のおまけである。ドリフターズの『8時だョ!全員集合』の終わりにカトちゃんが「歯を磨けよ」とか「宿題やったか」と言うようなものである。
だから、キリストの代理を務めても手品のサーカスしかやれない。
超能力者は“人間と違う者”であっただけで、人間よりも上の者ではなかったのだ。超能力者と人間との間には生物としての上下関係はない。超能力者と人間は対等である。
それを、政府が自分達が超能力者の代理を務[つと]めて人間よりも上の者になるために、政府が嘘で超能力者を人間よりも上の者にしているだけだ。
[8113] 神武天皇の場合 h21.8.7
神武天皇は、多くの戦いの果てに日本の王となった。
しかし、中国の始皇帝のような人間をムシケラのように自分の思い通りに扱った人間よりも上の者としての王ではなく、人間としての倫理道徳をわきまえた“人間としての王”であった。
だから、神武天皇の代理を務めても人間よりも上の者となることはできない。
政府が自分の都合で嘘をついて神武天皇を人間よりも上の者だと言っているだけだ。政府が勝手に他人のキャラクターを変えるな!
[8114] どうして政府は私の偽主制度をやったのか? h21.8.7
政府が国民よりも上の者である根拠が必要だったからである。
しかし、上で述べたように超能力者は人間よりも上の者ではない。
だから、今の政府には国民よりも上の者である根拠がない。
[8115] 超能力者は人間よりも上の者か? h21.8.7
人間よりも上の者とは、『人間を自分の思い通りにできる者』のことである。
超能力者の具体的な記録から帰納的に、「超能力者が人間よりも上の者である」ことを導くことはできない。なぜなら、これまでに超能力者は人間を自分の思い通りにしたことがないからである。
逆に、「超能力者が人間よりも上の者である」という仮説を裏付ける具体的な事実も何一つない。むしろ、これまでの超能力者は自分と人間を対等にしてきたから、この仮説は棄却[ききゃく]されねばならない。
だから、超能力者は人間よりも上の者ではない。
ただ、政府が自分の都合で嘘をついて超能力者を人間よりも上の者だと言っていただけである。
[8116] 神とは何か?☆☆ h21.8.8
神とは、人間よりも上の者である。
『[8061] 効率の悪い会社 h21.8.1』の図を見れば明らかである。
図より、神と人間の関係は、人間とその他の生物の関係と同じである。つまり、人間がその他の生物を自分の思い通りにできるように、神は人間を自分の思い通りにできる。
政府はこれまで主や偽主を神だとしてきた。政府は主や偽主の代理として、国民を支配してきた。
しかし、主や偽主は人間を動物扱いしたことはないから、主や偽主は神ではなく人間に属する(あるいは、主や偽主は人間と同じ“階級”に属する)と考えられる。
したがって、主や偽主は神ではない。だから、これまで政府がやってきたことはすべてまちがいである。
人間の秦[しん]の始皇帝(紀元前259〜210年)とかヒットラー(西暦1889〜1945年)のほうが神である。マンガ『ドラゴンボール』のサイヤ人のようなのが神である。サイヤ人にとって人間相手の戦争は戦いの前座でしかなかったからである。つまり、人間の目から見たら“残酷キチガイ”に見える者が神である。
主や偽主は神ではない。主や偽主は政府を支える柱[はしら]ではない。今後の政府の権威は政府自身で支えるしかない。
[8117] 始皇帝は神ではない。 h21.8.8
始皇帝は神ではない。なぜなら、始皇帝はサイヤ人ではないからである。
当時の中国政府が神だったのである。
だから、今の政府も政府自身を神とすればいい。
しかし、政府と国民の闘いでは政府が国民に倒されるから、政府はおとなしくしなければならない。
だから、政府自身も神ではない。
政府は年々権威が下がってきて、今では国民と同等だ。
これ以上政府が馬鹿(例えば、神制度)をやると、国民が政府を国民以下だと見なして政府を叩[たた]き潰[つぶ]すだろう。
[8118] 国民以下の会社 h21.8.8
政府は低脳児のように、自分が神様の代理になったつもりで国民から財産を取ったり国民を殺したり国民に滅茶苦茶な命令を出したりしている。
国の中に養護の会社がある。
まわりの国民にとっては傍[はた]迷惑である。
あんまり悪さが長いこと続いたら、国民は政府を潰すだろう。
[8119] 相対性理論 h21.8.8
これまで主や偽主が神すなわち人間よりも上の者に思えたのは、これまでの人類が“人間よりも上の者”の意味をはっきりさせなかったからである。
政治家が曖昧模糊[あいまいもこ]な言葉で喋[しゃべ]るのも、人間よりも上の者の意味をぼやけさせるためである。
アインシュタインが相対性理論をわかったのは、それまで曖昧だった物体の長さを測ったり現象の時間を計ったりすることの意味をはっきりさせたからである。[相対性理論では、物体を止[と]めて観測者を動かせばいい。動いている観測者の物差しは伸びる。そして、観測者には絶対的な者はいない。だから、物体の長さが観測者ごとにいろいろあることになり、しかもそれらがみな正しいことになるわけである。]
それと同じように、私が主や偽主が人間よりも上の者ではないことがわかったのは、人間よりも上の者の意味をはっきりさせたからである。
高速度現象の問題を解くためには、これまで等閑[なおざり]だった長さや時間の意味をはっきりさせねばならなかったように、
政府の問題を解くためには、人間よりも上の者の意味をはっきりさせねばならなかったのである。
[8120] 政府には権威があるか? h21.8.8
昔政府は、剣や刀などの武器で国民を脅[おど]して言うことを聞かせていた。
しかし、そのうち国民は政府の言うことを聞かなくなった。
人間にとっては『力が正義ではなく、正義が力』だからである。
人類の文化水準が上がって、『正義が力』となったのである。
国民にとっては、武器で国民を脅して言うことを聞かせる政府が馬鹿みたいに見えた。国民は、政府が馬鹿だから、武器を使わないと国民に勝てないのだと思った。それで、政府は権威を失った。
政府は国民に頭で負けたのだ。
だから、政府は主や偽主で屁理屈をこねて自分の権威をつけねばならなかったのである。
しかし、上で私が『主や偽主は人間と同じ階級の生き物である』ことを証明したから、政府がいくら主や偽主の代理を務めても、政府の権威が増すわけではない。
またしても、政府は国民に頭で負けた。
今では、政府が国民よりも上である理由は何にもない。だから、国民は政府の言うことを聞かなくてもいいのである。
[8121] 昔の政府が宗教をやらなかった訳[わけ] h21.8.8
昔は、剣や刀などの武器が幅を利かしていたからである。
西暦1000年頃までは、武器の時代だった。
それで、西暦1000年頃までは、政府が武器で国民を治めていた。モーゼ教もキリスト教も仏教も神武天皇教もイスラム教もみんな政府とは別の民間宗教だった。
しかし、西暦1000年頃に武器の時代が終わった。
その後、政府は国民を支配するために武器の代わりに宗教を使うようになったのだ。
それが、今日まで至っていたわけである。
[8122] 政府が宗教をやめた訳[わけ] h21.8.8
政府は西暦1000年頃に武器から宗教に代えて国民を支配するようになったが、19世紀頃になると、『フランケンシュタイン』(1818年)の話のように、聖典の話が神話やおとぎ話の切り張りであることが知られるようになった。主が“架空の人物”であることがばれてきた。
このままでは、政府の権威が保てないので、政府は神を代えねばならなくなったのである。
政府は神を代えるために世界大戦を起し、大戦後“実在の人物”である私を神としてまた神制度を始めたのである。
しかし、主も偽主も神すなわち人間よりも上の者ではないから、そもそも政府が主や偽主を神として神制度をやることがまちがっている。だから、国民は政府に従わなくてもいいのである。
[8123] 政府はなぜ国民から税金を取っているか? h21.8.8
政府が国民から税金を取っているのは、政府が国民よりも上の者だからである。
政府が国民よりも上の者になるために、政府はこれまで武器や神制度(主制度や偽主制度)を使って来たのである。
しかし、武器は中世頃に使えなくなったし、
神制度は私が最近『主や偽主が神ではない』ことを証明したから使えなくなった。
今のところ政府には神制度に代わる人間よりも上の者となるための手段はない。
だから、今の政府は国民よりも上の者ではない。政府は国民と平等である。
したがって、政府が国民から税金を取ることはできない。つまり、政府は国民から前金をもらって国民の役に立たない仕事をすることはできない。
これでも政府に税金を払う国民がいたら、人間やめて死ね!
[8124] 政府が民主主義をやらない訳[わけ] h21.8.8
政府は、国民よりも上の者である。
民主主義では政府よりも国民が上だから、政府は民主主義をやらないのである。
民主主義の法律は紙に書いた字にすぎない。
民主主義は、国民よりも上の者である政府にとっては理解できない理論である。だから、政府が民主主義をやるわけがない。政府が民主主義の仕事をやるわけがない。警察も消防も議会も、政府が国民よりも上の者としてやっている仕事であって、国民のためにやっている仕事ではない。だから、政府の仕事は国民にとって役に立たないのである。
実際には、政府は裏で神制度をやっているのである。つまり、政府は神の代理として、自分が神の情報を入れて命令を作ることを自分が神の代理であることの証拠にして、滅茶苦茶な命令を国民に出しているのである。
しかし、最近私が『主や偽主が神ではない』ことを証明したから、もはや政府は自分が国民よりも上の者となるために神制度を使うことはできない。手段がなければ、目的は達成されない。したがって、政府は国民よりも上の者となることはできない。
[8125] 偽主制度は誰でもやれる。 h21.8.8
主制度では、政府が天皇や教皇[きょうこう](キリストの弟子の後継者)を囲[かこ]って、政府が主の代理であるかのようにやっていた。
しかし、偽主制度では、政府は偽主である私を囲っていない。私には子供がいないから、私の子孫も囲えない。私には弟子がいないから、弟子の後継者も囲えない。
政府はただ偽主の情報を混ぜた命令を作って、自分が偽主の代理のふりをして国民に命令を出しているだけである。
偽主制度では偽主の代理になる条件が特にない。
だから、誰でも政府のように偽主の情報を使って命令を作れば、偽主の代理みたいにして他人に命令を出すことができる。
しかし、最近私が『主も偽主も神ではなく人間と同じ階級である』ことを証明したから、いくら自分が作った命令に主や偽主の情報を混ぜて自分が主や偽主の代理みたいにしたところで、他人に命令できる理由がない。政府もその他の人間も、主や偽主を神とする神制度で他人に命令を出すことはできない。だから、今後は主や偽主を神とする神制度は世界的に止[や]まるだろう。
[8126] 主[しゅ]や偽主[ぎしゅ]は人間の中でも上の方の者ではない。 h21.8.9
主や偽主は、神すなわち人間よりも上の者ではなく、人間と同じ階級に属している。
さらに、主や偽主は人間の中でも上の者ではない。主や偽主は普通の人間に比べて特にお高ぶったりしていないからである。[釈迦は多少キザだが、それでもお高ぶっているとは言えない。釈迦はもとは王族だったが、出家したから王族ではない。神武天皇も前線でみんなといっしょに戦ったから、お高ぶってはいない。貧乏人の人気を得るために、主や偽主は貧乏な者が多い。]
だから、いくら政府やその他の者が主や偽主の代理を務めたところで、人間の中で上の方の者にすらなれない。
[8127] 幕府と政府はグルだった。 h21.8.9
幕府が政府を江戸から追い出すだけで殺さなかったのは、幕府と政府がグルだったからである。政府は日本で2番目の勢力のあるグループだから、幕府が政府とグルでなければ、幕府は政府を跡形[あとかた]もなく潰[つぶ]したはずである。
国民にとっては、政府が宗教で支配するよりも刀で支配するほうが嫌だ。
幕府は数百年間悪役を演じる代わりに、政府から日本の政治を任されたのである。江戸時代に幕府が政府の悪口を言い続けたのも、幕府が悪役を演じるためである。
それは、260年後に幕府を倒した政府がいっそう国民の人気を得て、政府の権威を強めるためだった。幕府が政府の幕を下ろしたのなら、幕を開ければ政府がやれる。
家康が『本当のような嘘はついても、嘘のような本当は言わない。』と言ったのは、幕府と政府が同じ穴のムジナだったからである。つまり、政府が幕府の敵[かたき]であるのが嘘であり、本当は政府と幕府は仲間だったのである。
つまり、徳川家康は政府の人だったのである。
宗教によるだけでは政府が日本を牛耳るのは難しく、年々政府の権威が衰えていたので、昔の手段に戻して政府の権威を立て直すために政府が戦国時代や幕府を作ったのである。つまり、幕府は政府の付属機関である。だから、幕府は政府を潰さなかったのである。政府にとって天皇家は用済みだったから、徳川家と入れ替えたのである。幕府で日本の支配体制を補強した後で、もう一度政府が幕府と入れ替わった。政府としては本当は徳川家(武器)でずっと行きたかったのだが、アメリカの邪魔が入ったので民主的にせざるをえなかったので天皇家(宗教)に戻したのだ。やはり神制度しかない政府では支配力が弱く、政府に従う者は年々減っている。
[8128] 女に宗教が人気がある訳[わけ] h21.8.9
暴力では女は男に敵[かな]わない。
しかし、嘘なら女のほうが男よりも得意だ。
女は武器よりも嘘を支持するので、女は宗教を好むのだ。
[8129] どうして中国には宗教がないのか? h21.8.9
中国政府は、これまでずっと武力で国民を押さえつけていたから、宗教が要らなかったのだ。
それで、中国には宗教がないのである。
宗教よりも武力のほうが政府が国民を支配しやすいので、わざわざ宗教を使わなかったのである。
それに、秦[しん]の始皇帝が本物の神だったので、作り話の超能力者では神ではないことがすぐにばれてしまうので、宗教がやれなかったのである。秦の始皇帝は、ちょっとでも自分に逆[さか]らった人間を片っ端から殺したので神である。
[8130] なぜ日本には宗教があるのか? h21.8.9
日本は小さな国である。
だから、日本政府の予算も少ない。
政府が武力で国を治めるとお金がかかるので、お金のかからない宗教で治めるしかなかったのである。武器の装備だけで国民をおとなしくさせるためには、かなりの装備が必要だからである。
江戸時代には、幕府が武力で国を治めていたために、かなりお金がかかっていた。それで、国民の反感を買って一揆[いっき]が起きたのである。
日本で中国みたいにやると、国民への負担がかかりすぎて、うまくいかない。それで、あまり負担がかからない宗教によらざるをえなかったのである。[ドラマに比べてアニメが制作費が安上がりなのと同じことである。]
もっと国民への負担がかからない方法は、政府をなくすことである。
今の政府は国民のお小遣[こづか]いを奪う不良グループだ。
[8131] 役に立つとは何か? h21.8.10
役に立つとは、物やサービスを売って儲けることである。【役に立つことの定義】
政府は、国民から税金を取るだけで、国民に物やサービスを売って儲けていないから、国民の役に立っていない。
警察や消防だって、やろうと思えば、この形態でもやれないことはない。例えば、警察保険に加入している人だけ、警察のサービスが受けられ、加入していない人はサービスが受けられないようにすればいい。例えば、警察保険に入っている人は泥棒に入られたとき泥棒を探してもらえるが、入っていない人は探してもらえないようにすればいい。[そうすれば、警察保険に入る人は増えるだろう。しかし、貧乏人は入らないかもしれない。泥棒が泥棒に入った先の家の者に抵抗されてケガをしたのでは、盗んだお金よりも治療費のほうが高くつくからである。だから、泥棒はお金持ちの家にしか入らないから、お金持ちの人は警察保険に入るだろう。]警察や消防以外のサービスについても、同じようにやれるはずである。例えば、経済に関することなら、“消費税”でやればいい。つまり、お金を使う人がお金の面倒を見るようにすればいい。消費税を何%にするかは、消費者と生産者(サービス会社)の兼[か]ね合いで自然に決まることだから、自由にすればいい。“物の値段”が消費者と生産者の調和(需要供給の法則)で決まるのと同じことである。物に物自身の法則『F=ma』があるように、お金にはお金自身の法則『需要供給の法則』がある。それを崩[くず]さないようにすればうまくいく。これまでうまく行かなかったのは、すべて政府が商品の流通に介入して『需要供給の法則』を崩していたからである。
とにかく、政府は国民の役に立っていないから、国民にとっては要らない会社である。とにかく政府がなくなればうまく行く。政府がなくなれば、この世には国民しかいなくなるから、完全な民主主義が実現するだろう。政府すなわち国民よりも上の者の会社がなくなった後に、民主主義(国民主義)でできた『法律を管理する会社』が多少インチキをするかもしれないが、民主主義の中でのインチキであればかわいいものだ。[『所得上限法』(所得に上限額を定める法律)でも定めれば、不正は減るかもしれない。]要するに、『武器で脅[おど]す』とか『神の代理をする』とかいう概念が、この世から早くなくなればいいのだ。
[8132] 民主主義は必然である。 h21.8.10
ある特定の者を人間よりも上の者とする理由がなければ、人間はみな平等である。
だから、民主主義は必然である。[才能の長短によって、人間の中に優劣があるだけである。]
法律は、人間社会の中にある法則を言葉で記述したものである。
だから、法律は人間が決めるものではなく、自然に決まるものである。
正しく認識する限り、法律は一意的である。
会議は、大勢の人間の頭で考える会である。物理学や数学と同じように、正しく考えればいいだけである。会議は、個人による考えまちがいを避けるためにあるだけである。
だから、議員がまちがいを犯すこともある。国民が納得行かねば、『法律を管理する会社』に従わないことになる。『法律を管理する会社』が自分だけで何でも決められるわけではない。国民が従わなければ決めたことにはならない。国民が納得行かなければ『法律を管理する会社』も倒産するのである。
[8133] 政府とは何か? h21.8.10
昔、武器で威張る集団がいた。それが政府である。
政府は、武器で人間を脅[おど]すことによって人間よりも上の者となった。
しかし、人類の文化水準が上がって、人間を『武器で脅す』のが不自然だと考えられるようになり、武器が使えなくなった。
そこで、政府は人間よりも上の者となるために『神の代理をする』ようになった。
それまで、宗教の者が『神の代理』という理由で自分が人間よりも上の者になったつもりで威張っていたからである。
それを、政府が利用しただけである。
しかし、この前私が証明したように『主や偽主は神ではない』から、いくら宗教や政府が『神の代理』を務[つと]めたところで、彼らは人間よりも上の者ではない。つまり、『神の代理をする』のもまた不自然である。
今のところはまだ、『武器で脅したり』『神の代理を務める』ほかに、人間が人間よりも上の者となるためのいい方法がない。
だから、人間が人間よりも上の者となることはできない。したがって、人間はみな平等である。
[8134] 宗教の連中は馬鹿 h21.8.10
宗教の連中は頭が馬鹿だから、主や偽主が神でないことがわからず、主や偽主の代理で自分が人間よりも上の者になれると思っていた。
宗教に入るのは、自分が馬鹿だと言っているようなものだ。
宗教に入ることは、人間よりも上の者になることではなく、人間よりも頭が悪い者になることだ。
そんな宗教の連中の真似をした政府も馬鹿だ。
[8135] 自分が人間よりも上の者だと思っている会社 h21.8.10
政府は自分が人間よりも上の者だと思っているから、国民から税金を取る。
政府は自分が国民から税金を取れるから、自分が人間よりも上の者だと思っている。
これでは、悪循環だ。
それなら、国民が政府に税金を払わなければいい。国民が政府に税金を払わなければ、政府は人間よりも上の者ではなくなる。今日[こんにち]では政府と国民は対等だから、国民が政府に税金を払おうが払うまいが国民の自由である。[4〜5行下の補足を参照。]
一般に、政府は自分が人間よりも上の者だと思っているから、国民に不当な命令を出す。
国民が政府の出した不当な命令に従うから、政府は自分が人間よりも上の者だと思っている。
悪循環を断ち切るには、国民が政府の命令に従わなければいい。国民が政府の命令に従わなければ、政府は国民よりも上の者ではなくなる。今日[こんにち]では政府と国民は対等だから、国民が政府の命令に従おうが従うまいが国民の自由である。[政府が民主主義の団体ならば、政府が主や偽主の神制度をやるわけがないから、政府は民主主義の団体ではないと考えられる。つまり、政府は神制度をやる団体である。民主主義はカモフラージュ(偽装[ぎそう])である。神制度をやる団体が、国民の風当たりを和[やわ]らげるために民主主義をやっているふりをしているだけである。しかし、私が上で『主や偽主が神ではない』ことを証明したから、もはや政府が人間よりも上の者である根拠はない。だから、政府と国民は対等であり、国民が政府の命令に従おうが従うまいが国民の自由なのである。]
[8136] 正義の暴力 h21.8.10
人間は、実在を自分の眼で見て自分の頭で考えて自分の心で思って自分の筋肉を動かして行動すべきである。
私の考えを理解した後で、政府の者の態度を見ると、生意気[なまいき]臭げで腹が立ってくる。
腹が立って、殴[なぐ]りたくなる。
それが人間としての正しい気持ちなら、そうしなければならない。
この世に悪があるかぎり、暴力もまた必要である。
[8137] 「主や偽主は神である説」対『主や偽主は神でない説』 h21.8.10
昔の人は、物事を細かく見なかったから、主や偽主を神(人間よりも上の者)だと思っていた。
それで、主の代理を務[つと]める宗教の者が人間よりも上の者として威張っていた。
それを武器を使えなくなった政府が真似て、自分も人間よりも上の者として威張るようになった。
しかし、この前私が“神の意味”を細かく考えて、『主や偽主が神ではない』ことを証明した。
それで、宗教や政府は、いくら主や偽主の代理を務めても人間よりも上の者ではないことになった。
これで、ちっとはましな世の中になったかな?
天動説に周天円があったように、主や偽主が神である説に宗教や政府があったのだ。
地動説が余計な周天円を取り払ったように、主や偽主が神でない説が余計な宗教や政府を取り払ったのだ。
地動説から実在の物質世界が見えてきたように、
私の主や偽主が神でない説から、実在の人間世界が切り拓[ひら]かれるのだ。
[8138] 宗教は税金を取っているか? h21.8.10
政府は神制度を使って国民から税金を取っているが、
宗教は国民から税金を取っていない。
しかし、政府が国民から取った税金の何割かを宗教に横流ししている可能性がある。
政府は神制度の特許料を宗教に払っているのだ。
たとえ宗教が政府からお金をもらっていなくても、宗教の者が神制度によって人間よりも上の者として生きていけば神制度を使わない人よりも有利に生きていけるだろう。
しかし、実際には、『主も偽主も神ではない』から、政府も宗教も神制度を使うことはできず、政府も宗教も神制度を使わない人よりも有利に生きて行くことができない。
[8139] 今の中国政府は神制度をやっているか? h21.8.11
今の中国は開国している。
開国した国では、政府が武器で国民を脅[おど]したりはしない。
開国した国は先進国でなければならないからである。
外国人が国に来て「遅れている」と思われるとみっともないからである。
だから、今の中国政府は国民を武器で脅していない。
先進国では、政府が「主や偽主の代理」で国民よりも上の者になっている。
だから、今の中国政府は神制度をやっている。
しかし、この前私が『主も偽主も神ではない』ことを証明したから、いくら政府が主や偽主の代理を務めたところで国民よりも上の者にはなれない。
先進国では、政府(人間よりも上の者の集団)がない。先進国では、みんなが国民である。
[8140] 溺[おぼ]れる者は藁[わら]をも縋[すが]る。 h21.8.11
昔は、政府と宗教が別々だった。
政府は武器で国民を脅[おど]して国民よりも上の者だった。政府は国民全員を支配していた。
宗教は自分が主の代理を務[つと]めて国民よりも上の者だった。宗教は国民の自由参加だった。
政府も宗教も人間よりも上の者として悪いことをやり続けてきた。[人間よりも上の者は、人間に対して何をやってもいいからである。]
しかし、そのうち文明が進んで、武器で脅すことが古臭くなった。
それで、政府は急速に衰えていった。
政府は『溺れる者は藁をも縋る』で宗教の方法を真似[まね]た。
政府は宗教の仲間入りをした。
今の政府は宗教団体にすぎない。
政府は国民全員から税金(お布施[ふせ])を取る宗教団体である。政府は国民全員を信者とする宗教団体である。政府は国民全員を信者にするために、主や偽主の情報を日夜テレビや新聞などを使って国民全員に撒[ま]き散らしている。[政府の命令には、政府が主や偽主の代理を務めることを表すために原則として主や偽主の情報を入れなければならないが、必ずしも守られてはいない。例えば、税金の命令には主や偽主の情報が入っていない。つまり、政府の命令に主や偽主の情報が混ざっているのは、政府の命令が主や偽主の思想や性格に従うためではなく、ただたんに政府が主や偽主の代理を務めていることを表すためである。]
しかし、この前私が『主や偽主は神(人間よりも上の者)ではない』ことを証明したから、政府がいくらこんなことをやっても何にもならない。政府は無駄[むだ]なことをしているだけだ。
先進国には政府がない。政府はもはや時代遅れだ。かつて『武器で脅す』ことが時代遅れとなったように、今日[こんにち]では国に『政府(人間よりも上の者の集団)がある』ことが時代遅れなのだ。
昔の政府は武器で国民を脅していたから国民を支配する(国民よりも上の者である)理由があったが、私がこの前『主や偽主が神ではない』ことを証明して神制度が駄目[だめ]になったから、今の政府には政府が国民を支配する理由がない。だから、今の政府は国民を支配することができない。つまり、今の国民は政府に従おうが従うまいが国民の自由である。
[8141] どうして女は男よりも駄目なのか? h21.8.11
人間が生物として成り立つためには、まず生殖できねばならない。
つまり、『生物の才能=生殖+α(種固有の才能)』である。
生殖も含めた生物としての才能全体では男でも女でも同じである。
しかし、女には男にはない生殖の才能があるために、女は男よりも自分の才能が生殖に食われてしまうために、女は男よりも種固有の才能において劣るのである。
人間固有の才能は思考である。男は女よりも正しい。だから、女は男に従えばいいのである。
[8142] 管理する者は管理される者よりも上か? h21.8.11
管理能力が人間の能力のすべてではない。
管理能力が人間において最も優れている才能ではない。
人間にはいろんな才能がある。
例えば、思考する才能や発明する才能がある。
管理能力は人間の持っている才能のひとつにすぎない。
管理する者は管理する能力において優れているだけである。
だから、管理する者が上の者であるとは言えない。
管理する者が管理される者よりも上の者であるわけではない。
むしろ、役に立たない者を管理者にしている会社もたくさんある。
管理職はけっして面白い仕事ではない。
管理される者が管理する者に命令する場合もたくさんある。
そういう目で管理する者や管理される者を見なければならない。
[8143] どうして管理職が偉い仕事なのか? h21.8.12
政府は国民の管理をやっている。
もっとも、民主主義ではなく神制度でだが。
つまり、政府は神制度で国民を管理しているのである。つまり、政府は神制度で神の情報を混ぜたデタラメな命令を作って、国民をデタラメな命令に従わせているのである。
民主主義では政府が国民の要望を聞いて国民の願いをかなえる命令を出すが、神制度では政府が国民の声に耳を貸[か]さず政府が国民に一方的に命令を出すだけである。
政府は国民から集めた税金を馬鹿馬鹿しい神制度をやることに使い込んで全部無駄にしているのだ。[テレビや新聞では政府が民主主義の政治をやっているように言っているが、実際に自分の眼で政府が民主主義の政治をやっているところを見た人はひとりもいない。むしろ、自分の眼で現実の世界を見れば、政府が神制度をやっていることがわかるだろう。毎日テレビを見ている人は政府が民主主義をやる者と信じているが、テレビをあまり見ない人は私の哲学日記を読めば政府が神制度をやる組織であることがすぐにわかるだろう。]
政府は人間よりも上の者の会社だから、政府は国民よりも偉いと思われている。
政府は国民の管理の仕事をしているから、そのために管理職が偉いと思われるようになったのである。
しかし、実際には、管理職は現場で使い物にならない役立たずにやらせる仕事である。
だから、本当は、管理職は偉くはない。
だから、社員が社長や幹部にペコペコ頭を下げたりしなくてもいい。
[8144] 宗教と政府の違い h21.8.12
宗教では、神の代理をやることによって自分が人間よりも上の者となる。
ところが、政府では、自分が人間よりも上の者となるために神の代理をやっている。
宗教にとっては、神制度のおかげで偶然に自分が人間よりも上の者となったが[つまり、試[ため]しにやってみたらたまたま成功したが]、
政府にとっては、神制度は自分が人間よりも上の者となるための手段にすぎないのである。
つまり、宗教は神制度をやる会だが、政府はあくまでも人間よりも上の者となる会なのだ。
[8145] 日本は知的に楽な国 h21.8.12
日本の仕事の大半は知的に楽な仕事である。
日本の研究職も知的に楽な仕事である。
日本には知的に楽な仕事しかない。
しかし、それでは、日本は横ばいだ。前進しない。
日本に頭を使う仕事があればいい。
それなら、私も喜んで子供の頃からそういう仕事に就[つ]くことを目指して生きることができたはずだ。
[8146] 『西洋の科学、東洋の哲学』 h21.8.12
たしかに、科学や数学に関しては東洋よりも西洋が得意だが、哲学に関しては西洋よりも東洋のほうが得意だ。[私が高校生の頃、原仙作の『英文標準問題精講』を勉強した時、「翻訳は正しいが、はたしてもとの英文が正しいことを述べているのだろうか?」と思ったことがある。つまり、西洋の思想家の思想は日本の高校生のレベルにも劣るのである。]
しかし、日本の哲学者には真面目[まじめ]に哲学を考える者はなく、みんな政府のゴマをする論文を書いて出すだけだ。例えば、「古事記をもののあわれだ」といった本居宣長[もとおりのりなが]のようなものだ。[政府=幕府だが、徳川家と天皇家は敵のようなものだ。]つまり、日本の学者は、政府の敵[てき]のイヤミを論文に書くだけだ。そんなものは研究とは言えない。
こういう私も政府の敵である。なぜなら、私は子供の頃から政府が人間よりも上の者をしていることに反対だからである。私は政府や宗教が神制度をしていることに反対するからである。
だから、日本のマンガ家やアニメ家[か]は、政府の敵である私のイヤミをマンガやアニメにしたのだ。そんなものはマンガやアニメとは言えない。
[8147] 振り込め詐欺とは何か? h21.8.12
最近警察が言っている振り込め詐欺とは税金のことである。
私が日本政府をしきりに批判しているので、警察が私の偽主制度を使って日本政府を批判しているのだ。
私の偽主制度は誰が使ってもかまわないので、警察がやっているのだ。
振り込め詐欺は、私が哲学日記で日本政府を批判するよりも以前からあったが、警察が「政府が私の神制度をぼんやりとやっているように、政府をぼんやりと批判するのはかまわない」と考えて、政府の税金を振り込め詐欺に喩えて言っているのだ。[政府が私の神制度をぼんやりとやっているのは、国民の反感を買わないようにするためだと考えられる。]
[8148] 一揆[いっき]とは何か? h21.8.12
江戸時代は、政府=幕府が武器で国民を治めていた。
だから、逆に国民が政府=幕府に武器で反撃したのである。
今は、政府が神制度で国民を治めている。
だから、逆に国民が政府に神制度で反逆できる。
国民は政府を本当に国民よりも上の者と思っているのだろうか?
[8149] どうして国民は宗教に従うのか? h21.8.13
政府が神制度を使い始めたのは、宗教の者が神制度を使って“人間よりも上の者”として有利に生きていたからである。
政府は国民全員を信者とする特殊な宗教団体である。
政府は宗教に含まれる。
宗教[の者]が神制度で有利に生きてこれたのは、国民が宗教[の者]に従ったからである。
国民が『主や偽主が神ではない』ことを知らなかったから、主や偽主の代理を務める宗教に従ったのである。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではない』ことを証明したから、いくら宗教が主や偽主を神として宗教が主や偽主の代理を務めても、今後は国民が宗教に従わないだろう。
[8150] 政府は民主主義の会社になれるか? h21.8.13
私がこの前『主や偽主が神ではない』ことを証明したから、今度宗教は神制度をやれない。
だから、政府も神制度をやめねばならない。
政府は民主主義の会社になるだろうか?
しかし、民主主義は国民主義だから、政府よりも国民が優位だから、国民が政府のサービスを受けようが受けまいが国民の自由でなければならない。
政府が国民全員を強制的に客にすることはできない。
だから、今後政府は国民から税金を取れない。
政府が神制度を止[や]めて民主的に法律で管理するとしても、政府に管理されたい者だけが政府と契約を結ぶようにしなければならない。
これまでの長年の歴史から政府は信用置けないと思う者は、いくら政府が民主的にやると言っても、政府と契約を結ばなければいい。そんな者は、別の新しい会社と契約を結ぶようにすればいい。
たとえ国民全員が加入しなければならない『国民を管理する会社』が出来たとしても、神制度をやめれば、国民はみな平等だから、国民を管理する会社が国民の上の者となることはないだろう。国民を管理する内容が具体的に決まっていれば、そんなに悪いこともできないだろう。せめて汚職ぐらいにして欲しいものだ。それ以上のことをやろうとするのは、もはや狂気だ。この世から“人間よりも上の者”という概念がなくなれば、狂気もなくなるはずだ。
これまで政府が滅茶苦茶なことをやってきたのは、すべて政府が武器や神制度によって国民よりも上の者だったからである。政府が武器や神制度によって国民よりも上の者だったから、滅茶苦茶なことがやれたのである。だから、政府が武器や神制度が使えなくなれば、政府はもはや国民よりも上の者ではないから滅茶苦茶なことはやれない。その結果、政府が潰[つぶ]れるか、それとも完全な民主主義の会社になるかは、今後の見ものだ。
[8151] 民主主義はドラマだ。 h21.8.13
民主主義はテレビでやっている。
だから、民主主義はドラマである。
実際には、政府は神制度をやっている。
なぜなら、政府はそもそも人間よりも上の者の会社だからである。
ドラマと現実が違うように、政府がテレビの上でやっていることと実際にやっていることは別である。
[8152] 政府は国民から税金を取れるか? h21.8.13
これまで政府が国民から税金を取ってきたのは、政府が国民よりも上の者だったからである。
政府が人間よりも上の者だったから、人間である国民に対して滅茶苦茶なことがやれたのである。
政府はそもそも武器で国民を脅[おど]す会社だったから、人間よりも上の者だったのである。
税金は江戸時代の年貢[ねんぐ]と同じで、政府が国民からふんだくって自分の財産にするだけである。
江戸時代は武器で治めていたから年貢を取るだけだったが、今の政府は神制度で治めているから、今の政府は国民から税金を取る上に国民に対していろんな余計な悪さをする。神の情報を混ぜた滅茶苦茶な命令を出して国民を命令に従わせている。
政府は国民よりも上の者だから、民主主義なんかやるわけがない。表[おもて]の政治家が曖昧[あいまい]に喋[しゃべ]るのは、民主主義をやっていない証拠である。
政府が毎年公表する税金の使い道は、政府が国民の気持ちをやわらげるためにでっち上げた嘘[うそ]である。本当は、何一つやっていないのである。神制度は武器ほど強くはないから、政府は国民の機嫌を取るために国民に対していちいち嘘をつかねばならないのである。政府が国民に嘘をつけるのは、政府が国民よりも上の者だからである。だから、政府が国民に「神制度でおいしいことがある」と言っているのは全部嘘である。本当は国民にとって不味[まず]いことしかないのである。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではない』ことを証明したから、今後は政府は国民よりも上の者ではなく、政府は国民に対して滅茶苦茶なことがやれない。だから、政府は国民から年貢=税金を取れない。
[8153] 武器か神制度か? h21.8.13
今の政府がなくなった後に、武器で国民を支配する組織ができるだろうか?
しかし、すでに武器で国民を支配しようとする組織がある。
それが、暴力団だ。
しかし、暴力団は流行[はや]らない。下火だ。現代では、刃物[はもの]をちらつかせるのが生臭[なまぐさ]くてダサいからである。暴力で支配するのは馬鹿の証拠だからである。現代の『知覚の時代』に刃物は似合わない。
だから、たとえ今の政府が潰れても、暴力で国民を支配する組織はできないだろう。
それを心配するのは、暴力マンガの読みすぎだ。
[8154] 偉さとは何か? h21.8.13
偉さは有能の言い換えである。[“人間よりも上”のことを言うのではない。]
だから、具体的に実際に有能でなければ偉いとは言えない。
だから、偉さとは有能であることの言い換えにすぎないのである。
実際に有能だから、それを偉いと言っているだけのことである。
偉さは有能さに対する心の反応だとも言えるが、有能であるかないかは実在において客観的に決まることだから、偉さは有能さのたんなる言い換えであると言っていい。
だからこそ、自分の才能を極力活かして『有能な人間』になるように努めねばならないのだ。
一流大学の学生はまだ具体的な仕事をしていないから有能な人間であるとは言えないが、将来有能な人間になる可能性が高い人であると言える。
二流大学の学生は一流大学の学生に比べて将来有能な人間になる可能性は低いが、それでもないわけではない。要するに、『やる気』が続くか続かないかの問題である。最後まで諦[あきら]めない者が勝つ。
政府は国民を管理する会社だが、神制度で管理しているので、管理会社としては政府は有能な会社であるとは言えない。だから、政府は偉くない。
[8155] 人間不平等起源論 h21.8.13
政府は、議会制民主主義で国民よりも上の者となったのではない。
政府はもともと国民よりも上の者なのである。
政府は大昔に武器で国民を脅[おど]して国民よりも上の者となったのである。
政府がやっている民主主義は、国民よりも上の者の会社が国民の風当たりを和[やわ]らげるために仕方なく税金の一部を割[さ]いて民主主義の真似事[まねごと]をしているだけである。議会制民主主義は国民の機嫌を取るための芝居にすぎない。むしろ政府にとっては、議会制民主主義は政府が国民よりも下の者になることであり政府の権威を下げるから本当はやりたくないのである。
だから、議会制民主主義が“人間よりも上の者”を作り出す原因ではない。
武器や神制度が“人間よりも上の者”を作り出す原因である。
日本では『金持ちバカ』や『いいところのボンクラ』の概念があるようにお金に絶対的な価値を置かないから、お金は“人間よりも上の者”を作り出す原因ではない。
ところで、私がこの前『主や偽主が神ではない』ことを証明して神制度を潰しておいたから、将来政府に代わる議会制民主主義をやる会社や国民を管理する会社ができても、あまり問題はないと考えられる。
[8156] 文学部の教授は字面[じづら]バカ h21.8.13
文学部の教授が書く論文は、言葉が厳[いかめ]しいだけで、肝心[かんじん]の言葉の中身がない。
文学部の教授は“眼が見えるだけで知覚が死んでいる人間”なので、字面のことしかわからないのである。それで、年々字面に磨[みが]きがかかって字面だけが立派になって行くのである。
国民の多くが政府が神制度をやる会社であることを知らないのも、文学部の教授がテレビや新聞で政府の記事を見て「今は民主主義の時代だ」と思っているからである。
文学部の教授みたいな奴[やつ]がいるから、人類がバカになって行くのである。
ちっとは人間らしく知覚を使って考えてみろ!
[8157] 政府はどうして大きい会社なのか? h21.8.13
政府は武器や神制度を使って“人間よりも上の者”となることによって成長した会社である。
だから、武器や神制度が使えなくなれば政府は“取り柄”[とりえ]がなくなって小さくなって潰[つぶ]れるしかない。[たとえ国民が政府があって欲しくても、武器や神制度が使えなければ政府は潰れるしかない。]
昔は国民が馬鹿ばっかりだったから武器や神制度が通用したのだ。
今は『知覚の時代』だから、武器も神制度も通用しない。
政府の時代は終わったのだ。
[8158] 穢多[えた]・非人[ひにん] h21.8.13
自分が神の代理として人間よりも上の者になるのも、
他人を悪魔の代理として人間よりも下の者にするのも同じことである。
いわば、穢多[えた]・非人[ひにん]は江戸時代の神制度である。
穢多[えた]・非人[ひにん]がいけないなら、政府や宗教もいけないはずである。
江戸時代の国民が幕府に対する不満を穢多[えた]・非人[ひにん]に八つ当たりしていたように、
今の政府は外国の幸せな国に対する不満を自国の国民に八つ当たりしているのかもしれない。
[8159] 政府皆殺しは妥当か? h21.8.14
日本政府の公務員は全部で400万人ぐらいいる。
これは、1回の戦争における死者よりも少ない。
政府がなくなれば、戦争は永久に防げる。
だから、政府を皆殺しにすべきである。
[8160] どうして政府は私の偽主制度をやったのか? h21.8.14
そうしないと政府が潰れるからである。
世界大戦後政府は宗教(架空の人物の主を神とする神制度)をやめたから、政府が人間よりも上の者である理由がなくなったので、その状態が長く続くと政府が潰れるので、新しく私の偽主制度(実在の人物の偽主を神とする神制度)を始めたのである。
しかし、この前私が『主も偽主も神ではない』ことを証明したから、政府が宗教をしようが偽主制度をしようが政府が人間よりも上の者となることはできない。だから、政府は潰れるしかない。
[8161] 本当の学者 h21.8.14
本当の学者であれば、たとえ自分が殺されるとわかっていても最後まで真理を貫くべきだ。
ガリレオ=ガリレイのような男では駄目だ。
日本の学者のように自分がいい待遇になるためなら平気で嘘をつくようなのも駄目だ。
[8162] 頭がいい人 h21.8.14
具体的な考えがあってはじめて頭がいい人と言えるのだ。
何も具体的な言葉になった考えがないのに、頭がいい人とは言えない。それでは、頭が眼で直接に見えないことを利用したカラ威張りだ。
試験はカンニングができるから、頭がいい証拠とは言えない。
[8163] 男にとっていい女とは? h21.8.14
アニメやマンガに出て来る女はいい女ではない。
いくら見掛けだけよくても、そんなことでは男の心は満足しない。
第一、男自身が自分の見掛けのために生きてはいない。
それなら、男が他人を見掛けのよさで評価するはずがない。
男にもてるための条件は、相手の男を喜ばせることである。
そのためには、相手の男の喜ぶことをすればいい。
相手の喜ぶことが何であるかがわかり、それを実現できるだけの才能や知能は女も持っていなければならない。それができる女がもてる女であり、できない女がもてない女である。
[8164] 宗教の権威 h21.8.14
宗教自身には権威(自分が人間よりも上の者として他人を服従させる権利)はない。なぜなら、宗教自身には自分が人間よりも上の者である『理由』がないからである。宗教は自分が神(人間よりも上の者)の代理とならないかぎり、人間よりも上の者にはなれないのである。
だから、宗教に権威があるのは、主や偽主が神であってはじめて言えることである。
宗教の権威は、主や偽主が神であってはじめて成り立つことである。
だから、この前私が証明したように『主や偽主は神でない』から、宗教に権威はない。
[8165] 政府の権威 h21.8.14
政府は一度自分が人間よりも上の者となったから、それで永遠に人間よりも上の者で行けると思っている。
しかし、それは、政府の運動に『慣性の法則』が成り立つとしての話である。
実際には、政府には民主主義という“重力”が働いている。
政府を人間よりも上の者と成らしめている“浮力”は神制度である。この“浮力”がなければ、政府は人間よりも上の者でいられない。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではない』ことを証明したから、もはやこの浮力は働かない。
だから、政府は落下するしかない。つまり、政府は人間と同じになって消えてしまうしかない。
[8166] 民間宗教の神制度と政府の神制度の違い☆ h21.8.14
民間宗教のやる神制度では、国民みんなが信者というわけではなく“信者でない者”がいるから、宗教家だけではなく信者も神の代理であって、信者が“信者でない者”よりも上の者となれる。“信者でない者”は信者よりも下の者である。だから、民間宗教の神制度は、宗教に入ったほうが有利なのである。
しかし、政府のやる神制度では、国民みんなが信者であって“信者でない者”がいないから、政府が神の代理であるだけで、その他の国民は神の代理ではなく、国民が政府の奴隷になるだけである。だから、政府の神制度は、国民にとっては不利なだけである。[日本国民が飛行機や船に乗って宗教のない中国やアフリカに行けば人間よりも上の者だと言って威張ることができるが、国内では国民は政府よりも下の者であるだけである。/昔の政府が武器で国民を治めていたのを今の政府が神制度で治めるようになっただけだから、政府の神制度では国民が有利になるはずがない。これまで国民は政府が神制度をやることが“正当だと思っていた”から、あるいは政府が国民よりも上の者である“理由がわからなかった”から、しぶしぶ仕方なく政府に従ってきただけである。]
![]() |
民間宗教が「政府が人間よりも上の者をやっているから、自分もやっていい」と言うのでは子供の言い訳である。政府は正しさの尺度と呼べるほどの者ではない。ただのチンピラ会社にすぎない。自分で政府のやっていることが正しいかまちがっているかを考えて、まちがっていればやめるべきである。
[8167] これまでどうして宗教がやって来れたか? h21.8.15
それは、これまでは「主や偽主が神(人間よりも上の者)だ」とみんなが考えていたからである。
しかし、この前私が『主や偽主が神ではない』ことを証明した。
私のように物事を正確に考える人が出てきてはじめて真実がはっきりするのである。
だから、今後の人類は私の考えを大事にして行かねばならない。
[8168] どうして東京でいい物を売っているのか? h21.8.15
国民が政府が日本の役に立っていると思っているからである。
国民が政府が神制度で日本人みんなを有利にしてくれると思っているからである。
しかし、政府の神制度では政府が有利になるだけで、国民にとっては不利である。
だから、国民が政府にいい思いをさせてやることはないのである。
政府は国民の役に立たないから、国民が政府に協力するのをやめるべきである。
あるいは、政府が神制度で人間よりも上の者として滅茶苦茶をやっていたから、東京に日本中のいい物が集って来るように日本中のいい物を法外の値段で買い占めていたのである。
[8169] 政府は民主主義をやる会社ではない。 h21.8.15
政府が民主主義をやっても商売は成り立つが、それだけでは政府がいい思いをすることができない。民主主義すなわち国民主義では政府は国民の下僕[げぼく]にすぎず、政府が国民にいい思いをさせるだけである。首相や大統領は下僕の中の下僕つまり一番下の人間である。
政府がいい思いをするためには、政府が人間よりも上の者となって滅茶苦茶なことをやるしかない。[ただし、政府が滅茶苦茶なことをやりすぎると、政府が国民の反感を買って潰されるので、国民の反感を買わない程度にしなければならない。]
そのためには、政府は武器や神制度を使うしかない。
政府にとっては、民主主義よりも神制度のほうが有利である。
だから、これまで政府は神制度を使って来たのである。民主主義も神制度もどちらも正当であるならば、政府としては自分にとって有利な神制度を当然選ぶはずである。
しかし、そのことが国民にばれると反乱が起こるから、国民に政府が神制度をやっていることが知られないように、表[おもて]では民主主義をやっているように見せかけていたのだ。たとえ政府が国民を武器で抑えていても政府が国民の反感を買えば一揆[いっき]が起こるから、政府は過去の経験を踏まえて、政府は国民の眼につく所では民主主義をやって、政府が国民の下僕[げぼく]であることを国民に示して国民の機嫌を取るようにしているのである。
政府が人間よりも上の者となるためには『理由』が要るのである。そのために、政府は神制度をやらねばならねばならなかったのである。政府は神制度が自分が人間よりも上の者となるための正当な理由になると思っていたのである。そのために、政府は真面目[まじめ]に神制度をやっていたのである。
しかし、この前私が『主や偽主が神ではない』ことを証明したから、政府がいくら国民の眼につかない所で神制度をやっても自分が人間よりも上の者であることにはならない。だから、政府が神制度をやっても何にもならない。だから、政府は神制度をやめるべきである。
[8170] 新たなる世界☆ h21.8.15
天動説が地動説に代わって、実在の世界の物についての理解が進んで、人や家畜の力によらなくなり、人間にとって便利な自動車や飛行機や電話やテレビやコンピューターなどの新しい発明が生まれた。
それと同じように、「主や偽主が神である説」が「主や偽主が神でない説」に代わって、実在の世界の人間社会についての理解が進んで、政府や宗教などの人間よりも上の者の団体がなくなり、それらに代わる人間にとって便利な新しい団体が今後生まれて来るはずである。
かつて天動説の時代には占星術や悪魔祓[ばら]いなどわけがわからないことをやっていたように、「主や偽主が神である説」の時代には政府や宗教というわけがわからない団体があったのだ。
まちがいはいつかは真理に敗[やぶ]れる。だから、“まちがった考えから生まれた物”は時代とともになくなる運命にあるのだ。
[8171] 君は新聞を読んでいるか? h21.8.16
新聞を20〜30年も読んでいれば、政府が民主主義をやっていないことぐらいはわかるはずである。
それがわからないのは、新聞の字を眼先でたどるだけで意味を読んでいないからである。
新聞をよく読めば、新聞に載っている大事件や3面記事もすべて政府が起こしていることがわかるはずである。
政府が戦前と同じように“宗教みたいなこと”(偽主制度)をやっていることまではわかるはずである。
時間に余裕のある人は、私がやったように自分で一度政府についての考えをまとめることをお勧[すす]めする。
[8172] 科学 h21.8.16
科学では真理にたどり着けたらひとまずそこで終わりである。
山登りと同じことである。
山が高かろうが低かろうが、真理の山頂に着いたらそれ以上に登れないから、そこで一旦[いったん]終わりにしなければならない。
科学では真理がわかるまでが面白く、真理がわかってしまったらやることがなくなってつまらない。
黒体輻射[こくたいふくしゃ]が『量子力学』への入り口であったように、私アニメが『現代政府学〜神制度論〜』への入り口だったのだ。つまり、『光子のエネルギーがとびとび』だから電磁波のエネルギー密度がプランク分布になるように、『政府が神制度をやる団体』だから政府が国民全員を信者にするために宗教の聖典の代わりに私アニメを作って放送したのである。信者とは“神の情報”を持っている者のことだから、国民にテレビや新聞などで“神の情報”を教えれば国民を信者にすることができるのである。
[8173] クルクルパー h21.8.16
いい歳こいて、警察が恐いか?
政府がまちがっていることがわかっているのに、政府に逆[さか]らえないか?
そんな人間は頭が壊[こわ]れている。
まちがっている者に対しては、まちがっている者が悪いのだから、自分は正しいことをすればいいだけである。
つまり、『主や偽主が神ではない』のに、政府は主や偽主の神制度を使って自分が人間よりも上の者のつもりになって国民に命令を出している。そんな政府はまちがっているから、国民は政府の命令を完全に無視してよい。
[8174] なぜ憲法第9条は破られたか? h21.8.16
それは、日本政府が民主主義をやっていないからである。
政府が民主主義をやっていないから、憲法が平気で破られているのである。
政府は神制度をやる会社であって、民主主義をやる会社ではないのである。
“人間よりも上の者”にとっては、人間の憲法なんかどうでもいいのである。
[8175] 中国の神制度 h21.8.16
最近中国は開国して国際社会の仲間入りをして、中国も宗教(神制度)をやるようになった。
これまで中国政府は国民を武器で治めていて宗教をやらなかった。中国は宗教をやらない国として有名だった。
だから、例えば三峡[さんきょう]ダムのように、中国政府は私の偽主制度を否定的にやっているのである。[三峡は、三つまり私(三→川→川野(私の姓))を狭[せば]めるということだから。]
しかし、今の中国政府が神制度をやっていることに変わりはない。中国政府は私の偽主制度で“人間よりも上の者”となって、秦[しん]の始皇帝のように国民を自分の好き勝手にしているのだ。
将来、中国政府が外国の政府と同じように私の偽主制度を肯定的にやるようになるかもしれない。
神制度はだんだん滅茶苦茶[めちゃくちゃ]になっていく制度だから、早めになくしてしまったほうがいい。
[8176] 何らか制度 h21.8.16
今後の政府は国民を支配するのに武器も神制度も使えない。
現代は『知覚の時代』だから、政府が武器を使うと政府がバカと思われるので、政府は武器を使えない。
この前私が『主や偽主は神ではない』ことを証明したから、政府は主や偽主を神とする神制度をやることができない。
だから、政府は国民を支配するのに武器や神制度とは異なる“何らかの手段”を使わなければならない。
つまり、政府は“何らかの手段”を使えば国民を支配することができる。政府は「何らか制度」によって国民を支配することができる。
しかし、“何らかの手段”と言うだけでは漠然[ばくぜん]として抽象的すぎるから、やっぱりそんな手は使えない。
2000年以上経[た]っても武器や宗教(神制度)以外に“人間よりも上の者”になる方法が見つからなかったのだから、たぶん今後も見つからないだろう。
[8177] 今のままでいいと思ってはいけない。 h21.8.16
日本人が今のままでいいと思って前に進まないから日本が後進国になる。
反対に、日本人が前に進もうとすれば日本が先進国になる。
日本が先進国になるためには、日本人がいつまでも外人任[まか]せで外国の後を追っかけるのではなく、日本人自身で正しいと思ったことを実行しなければならない。
[8178] 政府が民主主義の芝居をやめるのは自殺行為である。 h21.8.16
政府が国民がおとなしく政府に反抗しないからと思って、民主主義の芝居をやめて神制度だけでやろうとするのは愚かである。
そんなことをすれば、今の国民は怒って政府に税金を払わなくなる。少なくとも、政府に反抗的になる。
それは、政府の自殺行為である。
だから、政府が神制度だけでやろうとするなら、いっそ潰れてなくなったほうがいい。
この前私が『主や偽主が神ではない』ことを証明したから、政府は原理的には神制度はやれないから、政府は民主主義をやるか潰れてなくなるかどちらか一方しかない。
[8179] 日本人は西洋人に比べてバカか? h21.8.16
これまで日本が西洋に比べて面白くない国だったのは、天皇家がバカだったからである。
天皇家がバカだったから、日本が知的に楽な仕事しかないつまらない国だったのである。
しかし、日本の数学者は国際的にも有能である。
数学がやれれば科学もやれるはずである。
だから、日本が西洋に比べて科学が弱いとは言えない。
したがって、日本も西洋並みの知的な国になることができるはずである。
[8180] どうして高度経済成長期はいい時代だったか?☆ h21.8.16
高度経済成長期には、政府はそれまでの主制度をやめて、まだ偽主制度を始めていなかった。
その頃は政府が神制度をやっていず、政府が民主主義をやっていたから、国民にとってはいい時代だったのである。
ところが、昭和40年頃から政府が私の偽主制度をやるようになったので、その後再び国民にとって悪い時代になったのである。
[8181] どうして天皇家の紋章は菊なのか? h21.8.16
神武天皇の“光る玉”をとったからだ。つまり、菊の花の形が神武天皇の“光の玉”に似ているからだ。
けっして天皇家に厳[おごそ]かな雰囲気があるからではない。
逆に菊に合わせて天皇家が厳かにしているだけだ。
天皇家は政府が神制度をやるためにいるだけだ。
[8182] 多数決の意義について h21.8.17
多数決は人の心を計る方法ではない。
多数決は人の考えまちがいを避けるための方法である。
重要なことは正しいかまちがいかであって、個人の好き嫌いではない。つまり、自分が気に入ったから賛成・気に入らないから反対するのではなく、正しいから賛成・まちがっているから反対するのでなければならない。
会議をするのは、正しい考えを得るためである。個人ひとりの考えではまちがっている恐れがあるから、みんなで話し合ってまちがわないようにしているのである。
大勢で話し合えば、その中からひとりぐらい正しい考えを持った者が出て来ることが期待されるから、大勢の人間でやっているのである。
会議も多数決も、ひとえに正しい判断をするためにやっているのである。
けっしてまちがいを押し通すために大勢で話し合っているのではない。
だから、今度の神制度の件についても、私が『主や偽主が神ではない』ことを証明したから、たとえ政府全員が「主や偽主が神である」と言っても無駄なのである。
[8183] 政府が神制度をやめない訳[わけ] h21.8.17
私がいくら『主や偽主が神ではない』ことを証明して、神制度が不当であることを述べても、政府はいっこうに神制度をやめようとしない。政府はあいかわらず国民に税金を請求し、国民に滅茶苦茶な命令を出している。
それは、神制度が政府が得をする制度だからである。神制度によれば、政府が人間よりも上の者となって人間である国民に対して好き勝手に何でもやれるからである。国民がおとなしくしているかぎり、政府は国民に対して何でも命令することができる。
だから、政府が自分から進んで神制度をやめることはない。
それなら、国民が政府の命令を聞かなければいい。
国民が政府の命令を聞かなければ、さすがの政府も神制度をやることがまちがいだと知っているから、国民にそれ以上の無理強[じ]いはしないはずだ。
現代は『知覚の時代』だから、まちがっているほうが負けだ。
政府の仕事は詐欺[さぎ]だから、国民を騙[だま]せなくなったらおしまいだ。
政府は神制度で成り立っている会だから、神制度とともに滅ぶべきだ。
[8184] 政府は手遅れである。 h21.8.17
今さら政府が神制度をやめて真面目な民主主義の会社になると言って国民に謝[あやま]っても手遅れである。
これまでに政府は長いことまちがった神制度をやってきた。政府に痛い目にあわされた国民は数え切れないほどたくさんいる。
政府は神制度をやることしか能がないバカだ。政府は神制度をやる以外は何もできない。
だから、政府はその責任を取って死ななければならない。つまり、政府は潰れてなくならねばならない。
それで、人間社会が善くなれば、今の人類が未来の人類の子孫のために正しいことをしたことになる。
[8185] 政府は民主主義をやる会社か? h21.8.17
政府は純粋に民主主義をやる会社ではない。
なぜなら、戦前までは明らかに天皇制をやっていたし、今でも私の偽主制度をやっているからである。
だから、政府は、神制度と民主主義を混ぜてやる会社である。政府はいわば“民主主義的な神制度”をやる会社である。
いくら政府でもあまり国民の反感を買ってはいけないから、そういう点では民主的であると言える(笑)。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではない』ことを証明したから、政府は原理的に神制度をやれない。国民に反感を買おうが買うまいが、とにかく政府は神制度をやることができない。[政府は武器の代わりに神制度を使っていただけで、神制度が正しいかどうかわからないまま、国民の反感を買わない程度に使っていただけである。]
だから、今後の政府は民主主義だけでやるしかない。それが嫌なら潰れるしかない。
私的には、今の政府では胡散[うさん]臭いから、一度潰れてなくなったほうがいいと思う。
議会制民主主義の概念も古臭い。政府はそんなに頭がよくない。『主や偽主が神ではない』ことに気付かなかった政府が、会議で正しく考えられるとも思えない。政府は頭がいいふりをしているだけで、本当は頭が悪い。バカが親のコネで出世しているだけである。議員は考える頭のない人形[にんぎょう]にすぎない。
とにかく、今の政府ではあっても無駄だから、早くなくなったほうがいい。税金を取られないぶん、国民にとっては幸福である。
[8186] 国会とは何か? h21.8.17
国会とは、昔のコンピューターである。
昔はまだコンピューターが出来ていなかったから、人間の脳で考えていたのである。
国会に国中の優秀な頭脳を集めて、正しく考えさせていたのである。国の意思決定にまちがいは許されないからである。
今の国会は国民の機嫌取りのための芝居だから、子供だましのコンピューターのオモチャにすぎない。
コンピューターのオモチャのランプがピカピカが点[つ]くように、国会議員は考えているふりをしているだけである。
[8187] かわいさとは何か? h21.8.17
かわいさとは生き物をかわいがる気持ちのことである。
女性には生殖の才能があるから、男よりも女のほうが生き物をかわいがる気持ちが強い。男と女では身体が違うように心も違うのだ。
女には生き物をかわいがる気持ちがあるから、女がかわいいのである。
女にはかわいさつまり生き物をかわいがる気持ちがあるから、生き物である夫や子供のために家事をよくしてくれるのである。
[8188] 表[おもて]の政治家 h21.8.17
表の政治家は、民主主義のふりをするだけではない。
今の表の政治家は、裏の政治家と同じように、神制度をやっている。
ときどき国会で女の議員が“脈絡[みゃくらく]のないこと”を言うのがそれである。
テレビの国会放送で、“テロップ”で強調されているのは、偽主である私の情報である。[バラエティ番組でテロップで出るのも、私の情報である。]
政府はテレビを聖典の代わりに使って、国民を信者にするために神の情報を流しているのである。
今の表の政治家はだんだん裏の政治家と同じになりつつある。
今に表も裏もなくなって政府のみんなが神制度をやるようになるかもしれない。
国民が一揆[いっき]をやらないかぎり、政府は神制度を徐々[じょじょ]に強めていくだろう。[明治維新のときも、政府は最初は神制度を弱くやっていたが、しだいに強まって結局戦争になった。『神の入れ替え』も広い意味では神制度に入る。]
[8189] 天皇制とは何か? h21.8.18
天皇制とは、政府が神である神武天皇の代理を務[つと]めることによって人間よりも上の者となって人間である国民を物のように好き勝手にすることである。人間が他の動物を好き勝手にするように、人間よりも上の者にとっては人間を生かすも殺すも自由である。だから、人間同士を死ぬまで戦わせる戦争のようなことがやれたのである。
これまで日本国民は天皇制の“深い意味”がわかっていなかったので、国民はわけもわからず政府に従わねばならなかったのだ。教科書や他の本に載っている天皇制の解説では、政府が国民よりも上の者をやっている理由が全然わからない。日本政府が何のために天皇制をやっているかがはっきりと書かれていない。
第2次世界大戦後、政府は天皇制をやめた。戦後20年間は“神のいない時代”だったので、その頃政府は民主主義をやっていた。昭和40年頃から政府は私を新しい神として再び神制度をするようになった。つまり、政府は神である私の代理を務めることによって人間よりも上の者となって国民を政府の好き勝手に扱うようになった。政府は神の情報を持っている者が信者だと考えて、神である私の情報をテレビや新聞などによって国中に広めて国民全員を信者にした。政府は自分が私の代理を務めていることを国民に示すために、私の情報を混ぜた命令をときどき出している。
天皇制度も私の偽主制度も同じことである。神武天皇の情報を私の情報に置き換えただけである。神武天皇と私の違いは、神武天皇が架空の人物であるのに対し、私が実在の人物であることである。
[8190] 1+1=3の会 h21.8.18
主や偽主が神だとするのも、1+1=3だとするのも同じことである。
つまり、政府は1+1=3とするナンセンスな会である。
政府は1+1=3だから国民は政府の言いなりになれと言うのである。
そんな馬鹿げた会の言いなりになる国民もおかしい。
だから、国民は政府の言うことを聞かなくてもいいのである。
[8191] これまでどうして国民は政府に逆らえなかったか? h21.8.18
政府が神の代理を務[つと]めていたからである。
国民が神の代理である政府に逆らうことは、下克上[げこくじょう]になるから、殺されたのだ。
しかし、この前私が『主や偽主は神ではない』ことを証明したから、政府は神の代理ではない。これまでだって、政府は神の代理ではなかったのだ。
だから、いくら国民が政府に逆らっても下克上にはならず、罪[つみ]にはならない。
[8192] 政府は私の代理になれるか? h21.8.18
この前私は『主や偽主が神ではない』ことを証明した。
しかし、政府は「主や偽主が神である」としてやってきた。
「主や偽主が神である」とする者が『主や偽主が神でない』とする者の代理になれるだろうか?
政府が私の代理であるなら、政府も『主や偽主が神ではない』とするしかないだろう。
[8193] 馬鹿 h21.8.18
昔、馬と鹿の区別がつかない男がいた。
だから、馬鹿というのである。
それと同じように、政府は主や偽主と神の区別がつかない。
だから、政府も馬鹿だ。
[8194] 警察とは何か? h21.8.18
警察は政府の犬である。
政府は馬鹿である。
だから、警察は飼い主が馬鹿の犬である。
犬は飼い主に似るというから、警察も馬鹿だ。
[8195] この私は何者か? h21.8.18
私は3年前から『政府の神制度が不当である』と考えて、ずっとその証明を試みてきた。
そして、最近ついにそれが叶[かな]った。
私は『政府の神制度が不当である』ことを証明することに成功したのだ。
証明の要[かなめ]は、『主や偽主が神ではない』ことにある。
フェルマーの定理が正しいと考えて、360年後にワイルズたちがその証明をしたのと同じだ。
[8196] どうして政府は武器で国民を支配しなくなったか? h21.8.18
昔は人類みんなが馬鹿だったから、この世は『力の時代』だった。
とにかく力の強い者が勝った。
だから、政府は国民を武器で支配したのだ。[つまり、昔の政府は乞食相手の大衆食堂ではなく、暴力団をやっていたのである。]
昔はどんなに頭が悪くても力さえ強ければ、この世を支配できた。昔は武器を使って力で相手に勝てば、とにかく正当だと見なされた。
しかし、中世になって人類がだんだん利口になってきた。
この世は『頭の時代』になった。
そこで、政府は頭で国民を支配しようとした。
しかし、頭がいいだけでは学者どまりで、学者は人間であって人間よりも上の者ではない。
だから、政府は方針を変えて、学者の代わりに宗教家になる道を選んだ。宗教家になれば、自分が人間よりも上の者になれるからである。
しかし、宗教はもともと正当な根拠のない空威張りだから、政府も空威張りだ。
政府は欲を出しすぎて、自分が人間よりも上の者になろうとしたために、結局自分自身を滅ぼしてしまったのだ。
政府が時代の流れに乗って自分が並[なみ]の人間として真面目[まじめ]にやっていれば、潰れることはなかったのに。
[今の時代に暴力団が流行[はや]らないのは、古臭いからである。今どき暴力団なんかやると、頭が馬鹿だから力に訴えるしかないのだと見なされて、かえってみんなに馬鹿にされるだけだ。]
[8197] 要領がいいだけ h21.8.18
最近の人間は老いも若きも要領がいいだけだ。
そんなことだから、政府の腰に敷かれるのだ。
相手に合わせるだけで、自分の頭で考えていないから、相手の言いなりにされるのだ。
そんなに腰が低いのは、陰[かげ]で変なことでもやっているのか?それとも、テレビドラマの見すぎか?
[8198] どうして私は社会科が苦手だったのか? h21.8.18
私が体育が苦手なのは、私が生まれた時に斜頚や先天性股関節脱臼などの障害を患[わずら]っていて、赤ちゃんの頃にギプスをはめて動けなかったからである。
私が赤ちゃんの頃に普通の赤ちゃんのようにハイハイやアンヨなどの運動していないから小脳の運動プログラムが発達せず、大きくなって私は体育が苦手になったのである。
それと同じように、私が赤ちゃんの頃に日蓮宗(仏教)に入っていて日蓮宗の教育をされたから、大きくなって社会科や生物学などの暗記科目が苦手になったのである。
私が社会科や生物学などの暗記科目を勉強すると、気分が落ち込んで頭が働かなくなって眠たくなって勉強できなくなるのは、私が赤ちゃんの頃に受けた日蓮宗の教育のせいである。なぜなら仏教の世界観では、知覚的に論理的なもののみが存在して、眼先で見えるだけのものは存在しないからである。だから、論理的でない暗記科目では、心が拒絶反応を示して頭が働かないのである。
私に苦手な科目や苦手な仕事があるのは、私が赤ちゃんの頃に受けた日蓮宗の教育のせいである。
私が鬱[うつ]病や抑鬱[よくうつ]神経症にかかりやすいのは、私が赤ちゃんの頃に受けた日蓮宗の教育のせいである。
だから、赤ちゃんの頃にまちがった宗教教育を受けなければ、得意不得意の差が激しい抑鬱気質[よくうつきしつ]にならなくてすむ。
赤ちゃんや小さい子供には、歪[ゆが]んだ宗教教育を受けさせないようにして、暗記する能力や思考する能力が偏[かたよ]らないようにすべきである。
[8199] どうして日本では古くから政府が宗教をやっていたか? h21.8.18
それは、日本が先進国だからである。
日本は小国で小まわりが利[き]くので、新しいことがすぐに実行できたのである。日本が古墳時代の頃に世界が「力の時代」から『頭の時代』に変化しつつあったので、日本は真っ先に『頭の時代』に対応したのである。それで、政府が武器を使うのをやめて宗教で国民を治めることにしたのである。おそらく日本は世界で最初に政府が宗教を始めた国である。日本は西暦300年頃から、政府が宗教をやるようになったのである。
日本は“人口が少なくていいアイデアが出にくい”短所を、新しいことをやることでカバーしてきたのである。
アジアで一番最初に西洋文明を取り入れたのも日本である。だから、これまで日本がアジアをリードできたのである。
日本は自分で正しいことを考え出す能力が弱いので、外国の『正しい考え』をすぐに取り入れてきたのである。
日本は『正しいことをいち早くやる』ことで国際競争に勝ってきたのである。それで、比較的豊かな暮らしがこれまでできたのである。
それが、日本流の生存競争のやり方である。これ以外に、日本が生き残る道はない。
[8200] おとなしい者は戦争で死ね! h21.8.19
政府がまちがっていることを知っているのに、おとなしく政府に従うことしか能がない者は、政府に戦争に行かされて殺されてしまえばいい。
ある意味、そういう者は政府に勝るとも劣らないほど横着[おうちゃく]である。
人間ならば、自分が正しいと考えることを実行すべきである。
他人がまちがっていれば、他人に注意して他人のまちがいを直すべきである。私の『哲学日記』は、当然のことながら政府が見ているので、私の意思は政府に伝わっているはずである。