[7101] どうして政治家はコソコソ隠れて人殺しをやっているのか? h21.4.13
政治家は聖典に載っていることなら何でもやる者である。だから、古事記に載っている神武天皇が人を殺したことがあるなら、政治家も人殺しをしていいことになる。
しかし、一方で、常識というものがある。常識は実在の経験から出来たものである。
常識的には、政治家も他の人間と同じだから、政治家が他の人間を殺すのは悪いことである。いけないことである。
政治家が聖典によって人殺しをしてもいいことと、常識によって人殺しをしてはいけないこととは拮抗する。
それら二つの欲望を両立させるには、政治家が人に隠れてコソコソと犯人がわからないように人殺しをすればいいのである。
だから、政治家はコソコソ隠れて人殺しをするのである。
つまり、政治家は“聖典に載っていることなら何でもやっていい”ことを信じていたのである。
[7102] どうして政府は国民から税金をコソコソ取るのか? h21.4.13
政府は、常識的には何の仕事もしていないから国民から税金を取れないと思っている。
しかし、政府は聖典に載っていることなら何をやってもいいと思っているから、神武天皇が嘘をついたことを使って、釈迦が禁欲を説いたことを使って嘘で国民の禁欲に協力するためだと言って、神武天皇やキリストを嘘で王にして、王は国民の財産を奪う者だから、政府も国民の財産を奪っていいと思っている。
政府は、常識によれば国民から税金を取れないが、聖典によれば国民から税金を取れると思っている。
二つの矛盾する気持ちを両立するために、政府は国民に嘘をついていろんなありもしない理由をつけてコソコソと税金を取っているのだ。
[7103] どうして政府は聖典を延々と使い続けているのか?☆ h21.4.13
常識的には、政府が昔の国民と取った“聖典と同じことをしてもいい”契約は期限が切れている。
しかし、古事記の神武天皇が嘘をついたことを使って、政府は嘘で今の国民と“聖典と同じことをしてもいい”契約を取ったことにしている。
あるいは、また、聖書の言葉使いが曖昧であることを使って、政府は今の国民と“聖典と同じことをしてもいい”契約をはっきりと取らないまま契約を取ったことにしている。[例えば、政府が芸人にテレビ番組で「署名」とか「ハンコ」とか喋[しゃべ]らせて、政府が曖昧な解釈をして、政府がその番組を見ていた視聴者と“政府が聖典と同じことをしてもいい”契約を取ったことにしている。]
しかしながら、『契約をとる前にその契約を使うことは契約違反』だから、政府はまちがったことをやっている。
だから、今は政府が“聖典と同じことをしてもいい”という契約は無効である。
したがって、政府は聖典を使うことはできない。
政府が警察やその他のわけがわからないサービスやありもしないサービスをいくらしようが、政府は今の国民とは契約を取っていないから、国民は政府を無視して政府に対してはまったく何もしなくていいのである。[国民はただで政府のサービスを受けられるから、国民にとっては有利である。政府がわけがわからないサービスをするのは、聖典の言葉使いが曖昧でわけがわからないからであり、政府がありもしないサービスをしたふりをするのは、聖典がありもしないことを書いているからである。]
[7104] 政府は聖典と同じことをする会社である。 h21.4.13
政府は聖典と同じことをする会社である。
だから、警察もやるし、神制度もやるのである。
国民としては、できれば警察だけやってくれればいいが、政府はもともと聖典と同じことをする会社であって、警察だけをする会社ではないから、それは無理なのである。
政府はもともとは乞食に食事を出すサービスをする福祉会社だったが、仕事を警察に変えて収入を税制に変えたときに、国民と“聖典と同じことをする”という契約を取ったためにそれ以外のことはしたくてもできないのである。政府は聖典に載っている以外のことは何もできないのである。
政府は聖典と同じことをする会社である。
だから、聖典に載っていることなら何でもやる。
国民のためになることでもならないことでも見境なく何でもやる。
それは、政府が昔の国民と契約を取った時“聖典と同じことをする”と言ったまでで、“聖典と同じことで、国民のためになることをする”とは契約しなかったからである。[日本では、神武天皇を日本最初の王であると嘘をついて天皇を置いたのは古墳時代(西暦300年頃)だから、それ以前に日本政府が日本国民と“聖典と同じことをする”という契約を取ったことになる。当時はまだ契約書がなかったし、古事記ができていなかったから、政府が国民に「神のおとぎ話と同じことをやってもいいですか?」と尋[たず]ねたら、国民は「ああ、いいですよ」と答えて契約が成立したのだ。]
だから、国民が政府に国民のためになることをしてくれるのを期待することはできない。
政府とは、とにかく聖典と同じことをする会社なのである。
[7105] 首相とは何か? h21.4.13
日本政府の首相は、聖典会社すなわち聖典と同じことをする会社の社長である。
大臣は、聖典会社の幹部である。
公務員は、聖典会社の社員である。
聖典会社は紀元前の昔からある世界的大企業である。
日本政府は、聖典会社の日本支部である。
神武天皇は、聖典会社の日本支部のマスコット=キャラクターである。天皇は、マスコット=キャラクターの子孫の役を演じる俳優である。
キリストは、聖典会社のヨーロッパ支部のマスコット=キャラクターである。
モハメットは、聖典会社の中東支部のマスコット=キャラクターである。
仏陀は、聖典会社のインド支部のマスコット=キャラクターである。
かなり昔から[日本では飛鳥時代頃から]、世界各国の政府は世界中の聖典を共有して使っている。
日本政府が世界中の聖典会社(つまり政府)の中で一目[いちもく]置かれているのは、嘘つきの神武天皇が世界中の聖典会社の発展に絶大な貢献をしたからである。[反対に、キリストは、死刑の時「3日後に甦[よみがえ]る」と言って死んだ後で生き返ったくらいだから、正直な神である。]
私は、聖典会社に勤めていない。私は、聖典会社の神制度(超能力者制度)に利用された国民である。
[7106] 政府に税金を払うべきか払わないべきか、それが問題だ。 h21.4.14
聖典会社(政府)は国民から貰[もら]った税金で、私腹を肥やしたり、人殺しをしたり、国民を洗脳したりするだけである。
政府は国民にとって、何の役にも立たない会社である。
政府は嘘をついて役に立っているふりをするだけである。
それでも政府に税金を払う者は、死んだほうがいい。
政府は根本的には『聖典と同じことをする会社』なので、たとえ政府が部分的には警察サービスをするようなことがあっても、全体的には政府のやることはまちがっているのである。[そもそも犯罪の大半は政府が聖典を使って犯しているのだから、政府がなければ警察もほとんど要らない。]
政府は契約の性質上、国民にいいことだけをやってくれる会社ではないのである。
政府のことが理解できた者は、もはや政府に税金を払う気持ちにはならないはずである。
[7107] 戦争は何のためにやるのか? h21.4.14
世界政府(聖典会社)が世界民から財産を取って儲けるためである。世界政府は神武天皇が戦[いくさ]をしたことを使って、世界民を戦わせるのである。戦争をやるかやらないか決めるのは世界政府であって、それ以外の何者でもない。
特に中国に対する戦争は、中国には聖典会社がないので、中国から財産を奪うことはそのまま聖典会社の儲けになるので、中国との戦争が好まれたのである。
中国以外の国同士の戦争では、例えば日本とアメリカの戦争では、日本政府とアメリカ政府が共同で事前に計画して互いの国にある資本を壊し合うのだが、老朽化した設備を破壊して新しい設備に変えたほうが生産性が向上して戦争後政府が国民からますます多くの財産を取れるので、そのために戦争をするのである。つまり、戦争は産業革命の手段なのである。国民に銃を持たせて戦わせるのは、どうでもいいことである。
しかし、今の時代に戦争をすると、かえって世界政府の収入が減るので、今後は戦争をやめたのである。
[7108] イスラム教 h21.4.14
イスラム教の聖典はコーランである。
コーランはモハメットが書いたことになっている。[モハメットは、他の宗教の神と同じく架空の人物である。]
聖典会社は聖典と同じことをするだけであり、モハメットは聖典であるコーランの外にいる人なので、聖典会社ではモハメット自身の伝記は使えない。
だから、たとえモハメットが人殺しをしたことがあっても、コーランに人殺しの記述がなければ、イスラム教では直接には戦争をすることができないのである。
ただし、コーランの記述と関連した何らかの名目で戦争をすることはできる。
[7109] 乞食相手の福祉会社がどうやって国民と“神のおとぎ話と同じことをやってもいい”契約を取ることができたか?
h21.4.14
昔、政府は乞食に飯[めし]を食わせる福祉会社をみんなの寄付でやっていた。その時に、食事中の乞食に聞かせる福祉団体の神(日本では神武天皇)のおとぎ話ができた。
ところが、農耕技術が普及して乞食が来なくなったので、政府は仕事を福祉から警察に変えて、みんなの寄付で警察をやるようになった。
みんなは政府の警察サービスをありがたく思ったので、政府が「この国を神のおとぎ話と同じにしたい」と言ったとき、国民は「それは大変素晴らしいお仕事をされていますね」と答えたのである。こうして政府は国民と“神のおとぎ話と同じことをしてもいい”契約を取ることに成功したのである。
こうして国民全員と契約を取った政府は、次に神武天皇が嘘をついたことを使って自分も嘘をつくようになって、天皇を置いて神武天皇を実在する日本の王であったことにして(西暦300年頃)、国民全員から強制的に税金を取るようになったのである。
その後で、古事記ができて(西暦712年)、政府が古事記を人類が絶対服従しなければならない本だと嘘をついて、神武天皇の権威を強めて、国民全員から重い税金を取るようになったのである。
ところで、政府が昔の国民と取った契約は口約束だったので物的証拠がない。だから、今日的[こんにちてき]には“聖典と同じことをやってもいい”契約は無効である。したがって、政府は聖典と同じことはできないのである。
[7110] われ在りゆえにわれ思う。 h21.4.14
私が心で思ったり知覚で考えたり五感で見たり聞いたりできるのは、私の身体特に私の脳があるからである。
『脳細胞の神経興奮によって“感覚(感じること)”が発生する』(哲学第1原理)から、私の脳細胞が在るからその脳細胞が荷う“感覚”を私が感じることができるのだ。脳細胞という物体には“感覚する(感じる)”性能が備わっているから、脳細胞は“感覚する”ことができるのである。
私が感じることができるのは、私の脳があるからである。
私の脳が活動できるためには、私の身体全体がなければならない。
私が感じることができるためには、まず私の身体が存在しなければならないのだ。
私の身体があるから、私は思ったり考えたり見たり聞いたりできるのだ。
反対に、私の身体がなければ、私は思ったり考えたり見たり聞いたりできない。だから、私の身体が死ねば、私の感覚もなくなるのだ。だから、霊魂やお化けは存在しない。だから、心霊写真はトリックであり、心霊写真を恐がらなくてもいいのである。
[7111] 嘘は契約の敵 h21.4.14
人間が嘘をついてもいいことにすると、世の中の契約はすべて無効になる。
これからの世の中は、『明晰判明』で行かねばならない。
だから、サービスをする側と受ける側との文書による契約は絶対に必要である。
したがって、人間が嘘をつくことは禁止しなければならない。
聖典会社(政府)は嘘をついて信用できないから、国民は相手にしない。国民はそんな会社の世話にはなりたくない。
したがって、人間が嘘をついたり曖昧な言葉を使ったりできる聖典制度(聖典と同じことをすること)は廃止しなければならない。
[7112] 日本政府と日本国民による契約 h21.4.14
日本政府は日本国憲法(ただし、天皇の項目は除く)に書かれていることをやり書かれていないことはやらない契約を国民と結ばねばならない。
日本政府が日本国憲法を国民に一方的に押し付けるのは不当である。
日本政府が日本国憲法を置いているだけではいけない。日本政府が日本国憲法をどのように使うかをはっきりと文書にして国民と契約しなければならない。
しかし、そもそも政府は“聖典と同じことをする会社”だから、こんなことを言っても無理か。
やはり政府を倒して、零[ぜろ]から新たに『国民の人権保障サービスをする会社』を建てねばならない。下っ端の役人は残して国会議員は追い払って、国会議事堂を壊して新しい現代的な(偉い感じのしない)建物を建てねばならない。
[7113] 契約をしたほうが悪い h21.4.14
政府は昔(西暦300年頃の古墳時代)の国民が“聖典と同じことをしてもいい”契約をしたせいにして、その契約を今でも使っている。
しかし、昔の国民が“聖典と同じことをしてもいい”という契約をした『物的証拠』は何もない。
だから、政府は曖昧なことをやっているだけである。
だから、国民は政府の言いなりになることはない。例えば、税金納入書を送りつけてきても、税金を払わねばならないことはない。
[7114] 徳川時代の日本は中国だった。 h21.4.14
徳川時代は、日本は宗教をやっていなかった。
中国は、宗教をやっていない。[孔子、荘子の教えは道徳であって、宗教ではない。]
だから、徳川時代の日本は中国と同じである。
徳川幕府が鎖国をしたのも中国と同じである。[日本は海に囲まれているから、鎖国をしてもしなくても同じようなものだが。]
徳川家は、おとぎ話の架空の人物を実在の人間よりも上に置く宗教が嫌いだったので、日本に外国から宗教が入ってこないように鎖国したのだ。[実力で国を支配した者は、作り事を嫌うようだ。]
しかし、徳川幕府が鎖国にこだわったばっかりに、アメリカが日本を開国させたことが幕府が倒される原因になってしまった。
[7115] 現代は国民主権の時代☆ h21.4.14
もしも、国民が生まれながらにして憲法に従わねばならないなら、
憲法には
1.国民は政府に絶対に逆らってはならない。
2.政府は国民の財産を最大限に奪うことができる。
と定められていればいい。
しかし、実際には、そんな憲法はこの世にはない。
それは、現代が、政府主権の時代ではなく、国民主権の時代だからである。
つまり、現代では、政府も国民の一部であり、国民と政府は平等なのである。
だから、政府は国民と対等な関係に立って、政府は国民と契約を取って仕事(サービス)をしなければならない。
[7116] 嘘の才能 h21.4.14
ヨーロッパや日本などでも、実在の人間の王がいたはずだ。
しかし、それらの国では政府(聖典会社)の嘘をつく才能が高かったために、政府が国民におとぎ話の架空の人物が実在の王よりも偉いと思わせることができたので、政府(聖典会社)が実在の王に代わって国を支配することができたのである。
しかし、現代では、国民が賢くなったので、嘘が嘘であることがすでにばれてしまっている。現代では、政府の嘘が国民にバレバレである。現代では、もはや嘘は通用しない。
[7117] 日本国憲法は機能していない。 h21.4.14
もともと政府は『聖典と同じことをする会社』である。
政府は日本国憲法と同じことをする会社ではない。
だから、日本国憲法はただ置いてあるだけで機能していない。
日本政府の憲法は、古事記や聖書などの聖典であって、明治帝国憲法や日本国憲法ではないのだ。
会社が日本政府であるかぎり、日本国憲法(ただし天皇に関する項目を除く)を憲法にはしてくれないのだ。
民間の企業が『国民の人権を保障する会社』を作って、国民みんながその会社と契約して、政府を潰[つぶ]すしかないようだ。
[7118] 政府は神を偉いと思っていない。 h21.4.14
政府は昔から神を偉いと思っていない。
それは、政府が神の正体がおとぎ話の主人公であると知っていたからである。
政府は神を自分のために利用しているだけだ。
政府は国民に神を偉いと思わせるだけで、自分自身は神をちっとも偉いと思っていない。
だから、聖典を曲解して神を国民の財産を奪う悪役にしたり、超能力者制度を使って私を綺麗な女の子に変えた私を馬鹿にした番組を作ったりしているのである。
たしかに、政府は神を偉いと思っていない。
しかし、政府は嘘の作り事をしている。
これまでの人類の歴史によると、実力で出世した者は嘘の作り事を好まないはずだから、政府の政治家は実力で出世した者ではない。政治家は肩書きだけで実力がない。
だから、国民も政治家を偉いと思っていない。
[7119] 聖典と同じことをする会社 h21.4.14
政府は、『聖典と同じことをする会社』である。【政府の定義】
国民は政府にお金を支払って、政府に毎日聖典と同じことをしてもらっている。
国民から税金を取ることも、国民を殺すことも、超能力者制度も、聖典と同じことをすることである。
国民に対する洗脳も、聖典と同じことをすることの一環[いっかん]としてやっている。
現代では、民間企業はみんな真面目な仕事をしているのに、政府だけがおかしなまちがった仕事をやっている。
政府のような変な会社がある世界は嫌だ。
そんな変な会社は早くこの世からなくさなければならない。
[7120] のらくろと私マンガの違い h21.4.14
のらくろは昭和天皇の顔に似ている。
昭和天皇は有名人だから、昭和天皇の顔は国民なら誰でも知っている。
神武天皇の光の玉も国民なら誰でも知っている。
国民なら誰でも昭和天皇の顔に似せたキャラクターが出て来るマンガを描いたり神武天皇の光の玉が出て来る文学を書くことができる。
だから、のらくろや光の玉は、マンガ家や文学者の日本政府に対する攻撃としてやったと考えられる。だから、『蟹工船』の作者の小林多喜二を政府が警察を使ってリンチにあわせたりしたのである。
同じように、私マンガや私アニメの主人公の顔は私に似ている。
しかし、私は有名人ではない。私の顔は私と直接会った者しか知らない。私から遠く離れた所に住んでいるマンガ家やアニメ家が私の顔を知っているわけがない。
だから、私マンガや私アニメは、マンガ家やアニメ家が日本政府の命令で日本政府から情報を貰[もら]って描いたものだと考えられる。
ところで、日本政府は聖典と同じことをする悪い会社である。
だから、のらくろは正義だが、私マンガや私アニメは悪である。
私マンガや私アニメは国民に対する洗脳のための道具である。“私が超能力者であり、人類はキリストや釈迦や神武天皇や私などの超能力者に従わねばならない。”ことを国民に洗脳するために、政府が私マンガや私アニメを作らせたのである。
のらくろは残す価値がある作品だが、私マンガや私アニメは無くす価値がある作品である。
[7121] 政府はどうして聖典と同じことをやってもいいのか? h21.4.14
聖典と同じことをするのが政府が昔の国民と取った契約だとすると、契約を取った国民が死んだ時点で契約が切れているし、たとえ仮に期限のない契約を取ったとしても、契約を取った物的証拠が何もないから、理由とはいえない。
だから、政府が聖典と同じことをやっているのは、政府の独断にすぎない。
政府が独りよがりで聖典と同じことをやっているだけである。政府が度胸で悪いことをやっているだけである。政府が国民を馬鹿にして国民の役に立たないことをやっているだけである。
政府のやっていることは、すべて聖典から出て来る。
政治家が嘘をついていいことも、政治家が曖昧な言葉を使ってもいいことも、政治家が国民から税金を取ることも、政治家が聖典を絶対視して神の権威を強めて国民を政治家の言いなりにすることも、私の超能力者制度で余計なことをやるのも、すべて聖典から出て来ることである。[政治家がブ男なのは、神武天皇(宮崎県高千穂町出身)がブ男だからである。]
もっとも、聖典によって警察のようないいことも少しはできる。
いわば、聖典は悪いことがいっぱい出てきて善いことが少ししか入っていないパンドラの箱のようなものである。
政府は、善いことをちょっとだけして、悪いことをたくさんする会社である。
たしかに政府は異常だが、そんな政府に対して寛大な国民もまた異常である。
国民は政府に抵抗して、政府を滅ぼさねばならない。それが国民の使命だ。
[7122] 政府は現代で生きていけるか? h21.4.14
政府は、聖典と同じことをする会社である。聖典と同じことをするのが、政府の仕事である。
政府は聖典に載っていることは何をしてもいいが、聖典に載っていないことは何もしてはいけない。
聖典は大昔に書かれた書物である。そこには、電気もガスも水道もない。
だから、政府は電気もガスも水道も使ってはいけない。例えば、国会議事堂では電灯を使ってはいけない。
これでは、政府は現代では生き残れない。
[7123] 経験主義 h21.4.15
私はこれまで政府がまともな仕事をするのを自分の眼で見たことがない。
私は自分の眼で見たことがないことは信じないので、私のこれまでの経験からすると、政府はまともな仕事をしていないことになる。
社会科の教科書には政府の仕事が詳しく載っているが、それは全部嘘である。勉強用の知識である。政府は聖典と同じことをする会社だから、神武天皇が嘘をついたから嘘をつくことができるのである。
世の中には、政府が真面目な会社であって、公務員が真面目に働いていると思っている者がいる。
それを洗脳というのである。国民の政府に対するイメージをいろんなメディアを用いて操作しているのである。社会科の教科書もメディアのひとつである。
私の過去45年間の経験と最近4年間の思考によれば、『政府は聖典と同じことをする会社である。』そう考えれば、これまでに政府がやったことはすべて説明がつく。
政府は聖典と同じことをすることによって、国民から税金を取って、国民を殺したり洗脳したりするだけである。政府の他の仕事もすべて、聖典と同じことをしているだけである。だから、政府に対していい仕事は期待できない。
要するに、税金の無駄使いである。政府は国民から取った税金でくだらないことをダラダラやっているだけである。綺麗な日本の国を、聖典を使って汚[よご]しているだけである。
それなのに、国民がおとなしく政府の言いなりになっているのは、これまでに政府について考えた人間が少ないからである。みんな仕事や勉強が忙[いそが]しくて、政府について考える暇がないからである。したがって、残念ながら、私の理論はいまのところはまだ一般的には通用していない。
しかし、こんな簡単なことは、誰かひとりがわかれば、すぐに広まるはずである。あせらなくても、もうすぐ日本は変わる。
[7124] 国際情勢はどのようにして決まるか? h21.4.15
政治家はテレビや新聞などで国際情勢についてときどき難しげに語っているが、国際情勢は、世界政府(各国政府の連合体)が自分が儲かるように決めているのであって、世界政府から貰[もら]った情報を日本の政治家が小出しに喋っているだけである。政治家が自分の頭を使って考えて喋っているわけではない。国際情勢を日本の政治家だけで決められるわけではない。
[7125] 超能力者制度 h21.4.15
聖典は、嘘の解釈をすると、超能力者に人間が従わねばならないことと読める。
私についても、私の母が夜中に突然ガラガラが回ったのを見たことについて嘘の解釈をすると、超能力者だということができる。
したがって、聖典と同じことをしてもいいなら、私に人間が従わねばならないことになる。
私のような、生きた超能力者を使うと、私が生きている間に政府が私の周りにいる者を使って私にいろんなことをさせることができる。
したがって、私に学校で伝言ゲームなどをさせることによって、私に人間が従わねばならないことを、政府が私の情報を入れた政令を作ることができることに変換することができる。
民間会社では、社長に伝言ゲームなどをさせても、社員が他の社員に社長の情報を入れた命令を出すことはできないが、政府は神武天皇の嘘が使えるから、多少の論理的な無理が利くので、変換が可能なのである。
超能力者制度の利用としては、例えば、私が九州大学医学部教養部1回生のとき、私が吉村隆博[よしむらたかひろ]君から頼まれて吉村君の数学の試験を“身代わり”で受けたことや、私が和田高明[わだたかあき]君や吉村隆博君といっしょに近所のラーメン屋でラーメンを“替え玉”で食べたことなどを使って、政府が自分が悪いことをした(私が高1のとき政府が私のアニメ化を私に承認させるために私の隣の席に座っていた尾立[おりゅう]君に英語読本の授業中に教科書のパラパラめくりをさせて私を精神分裂病に罹[かか]らせたこと、その後も家の近所の者を使って私の受験勉強を邪魔させたこと、和田高明君を使って私を私の苦手な医学部に進ませたことなど)のを償[つぐな]うために、日航機123便墜落事故や高知学芸高校列車事故などを起こして自分の“代わり”に国民を殺して償いをさせている。
実在の人間の嘘の超能力者は今のところは私1人しかいないが、今後も政府が嘘の超能力者を作り出すかもしれない。そうなると、政府は複数の超能力者制度を使ってますます世の中を変にしたり、大勢の国民を殺したりするだろう。
[7126] 人間は知覚的動物である。 h21.4.15
動物は眼で見えることしかわからないが、人間は知覚で見えることがわかる。
だから、人間だけが眼で見えない物がわかる。
人間は知覚で見える世界に住んでいる。
人間は知覚の世界の住人である。[人間は毎日言葉を使って考えることによって、知覚の世界の住人になる。]
つまり、人間には知覚があるから知覚で物を見ることができる。
知覚で見える世界は、言葉を使って表現することができる。
そうして、ひとりの人間から別の人間に世界を伝えることができる。
[7127] 日本政府に対する業務委託契約書 h21.4.15
仮に、今日本政府が日本国民に対して契約書を作ったとすれば、次のようになる。
日本国民(甲)と日本政府(乙)は下記の契約を締結した。 (業務内容) 第1条 日本政府は聖典と同じことをしてもいいものとする。 (有効期間) 第2条 この契約は契約締結日より半永久的に有効とする。 この契約の証として、本書2通を作成し、甲乙各署名押印のうえ、各1通を保持する。 平成 年 月 日 (甲) (乙) |
こんな大雑把な契約書には、日本国民は誰も署名押印しないだろう。
それに、聖典の中で神武天皇は嘘をついているから、この契約によると日本政府は何でもできることになるから、こんな危ない契約には絶対署名押印しないはずだ。
したがって、日本政府は日本国民の誰とも契約が取れないから潰れるしかない。[もしかしたら政府と契約を取る国民がいるかもしれないが、政府は契約を取った国民との間でだけ仕事をしなければならない。]
[7128] 日本政府の仕事 h21.4.15
日本政府の仕事は、聖典と同じことをすることである。
日本政府は、建前で立派な仕事をしているふりをしているが、そんなのは全部嘘である。
本当は、天皇に神武天皇の子孫の芝居をさせて、国会議員に民主政治の芝居をさせて、あとは聖典と同じことをして世の中を変にしているだけである。そんな面白くないサービスに対して、誰が料金を支払うものか。
日本政府は、聖典の神武天皇が嘘をついたから、自分も嘘がつけると思っているのである。
しかし、日本政府が嘘をつくのはちと早すぎる。
日本政府は、日本国民とちゃんと“聖典と同じことをしてもいい”という契約を取ってから嘘をつかねばならない。
[7129] 現代は契約の時代 h21.4.16
現代は国民主権の時代である。国民主権は現代世界の法則である。政府と国民を問わず、人間はみな平等である。
だから、仕事は必ず契約を取らねばならない。
ところが、政府は国民と契約を取っていない。
だから、政府のやっていることは仕事ではない。
したがって、政府が何を言ってきても、政府は正当ではないから、国民には責任はない。
例えば、政府が国民に税金納入書を送りつけてきて、国民が税金を払わなくても、国民は悪くはない。
政府はここらで“聖典と同じことをする”仕事をやめて、新しい仕事内容を決めて、契約書を作って、国民とちゃんと契約して新しい仕事を始めればいいのである。
[7130] どうしてそのまんま東は宮崎県知事になったのか? h21.4.16
そのまんま東のハゲ頭が神武天皇の光の玉だからである。
神武天皇が宮崎県の生まれだから、そのまんま東が宮崎県知事になったのである。
将来は奈良県知事か、総理大臣になるかもしれない。
[7131] 自由について h21.4.16
本質的に個人の自由であることをわざわざ政府がいちいち決めなくてもいい。政府が個人を不自由にしなくてもいい。
政府が余計なことを決めなくてもいい。
政府が聖典と同じことをして決めなくてもいい。政府が聖典と同じことをして個人の自由を奪わなくてもいい。
今の日本政府は民主主義で政治をしているのではなく、聖典主義(聖典を絶対視して、国民を無視して国民そっちのけで、聖典と同じことをひたすらやりまくること)で政治をしている。
だから、今の日本は聖典が暴走していて、今の日本には国民の自由がないのだ。
今の日本の世の中は、政府が聖典主義で自分勝手に決めているだけであって、民主主義で決めているのではない。
政府が国民の人権を保障するだけなら、国民の自由を奪ったりはしないはずだ。
だから、政府は立法、行政なんかしなくていい。政府は国民の人権を守るだけでいい。
政府が立法や行政をしようとするから、[政府はもともと聖典会社だから]聖典主義でやったりするのだ。
政府が民主主義でやるなら、わざわざ政府が[国民の代表者を立てたりして]仕切[しき]らなくても、国民の自由にさせればいいだけだ。[選挙制も議会制もインチキだ。国民の権力を集中させるやり方はインチキだ。]
国民の自由を尊重するなら、政府は立法や行政をやってはいけない。
そもそも立法や行政は、政府が聖典主義の政治をやるためにあるのだ。[厳密には、民主主義でも多少は立法や行政をしなければならないことはあるが、聖典主義ほどは多くはないはずだ。つまり、時代が変われば、人権の細かい内容も変わるから、時々法律に手入れをしなければならない。契約内容(つまり法律)の変更を国民に通知して、それに異議のある者がいれば国民相談センターの窓口で相談を受け付けるようにすればいい。]政府が聖典主義で立法や行政をやるから、国民が政府にそれだけ高い税金を払わなければならないことになる。
だから、政府は立法と行政を仕事から外[はず]さなければならない。
[7132] 政治家とは何か? h21.4.16
政治家とは自分で自分を偉い(人間よりも上の者)と言っているだけの、ただの人間だ。[くだらない誇大妄想狂の患者だ。[7027] 政治家はなぜ偉いか? h21.4.4を参照。政治家は聖典が偉かったから偉かっただけであって、聖典が偉くなければ政治家も偉くはない。政治家自身が偉ければ、いちいち聖典に頼って聖典主義の政治なんかしなくてもいいはずである。それは、政府がしょせん聖典と同じことしかできないからである。聖典から離れてしまっては、政府は偉くもなんともないのである。聖典がなければ、政府は何の仕事もできないのである。]
政治家がいるから、政府があるから、世の中がおかしくなるのだ。
政治家がいるから、政府があるから、世の中が鬱陶[うっとう]しくなるのだ。
だから、国民は“政治家が偉い(国民よりも上だ)”という気持ちを捨て去らねばならない。
国民は“政府が国民よりも上だ”というまちがった考えを頭の中からなくさなければならない。
[7133] 超能力者制度とは何か? h21.4.16
マンガや映画でよく見るような、超能力者が高い所にある立派な椅子に座っていて、そこから下にいる者たちに偉そうに命令を下すことではない。そういうのも洗脳である。自分の眼で見たことがないことを勝手に想像してはいけない。
実際には、政府が聖典と同じことをすることによって、神武天皇が嘘をついたことを使って政府も嘘をついて、超能力者でない者を嘘で超能力者にして、親や友人や先生など超能力者の周りにいる者を使って超能力者に伝言ゲームなどをさせて、超能力者に人間が従うことを、政府が超能力者の情報を混ぜた命令を国民に出すことに変換している。要するに、超能力者制度とは、政府が嘘の超能力者を利用して政府にとって有利な命令を国民に出すことである。政府が昔のおとぎ話の神制度よりも自由に命令を出して世の中を変にすることである。
私は天皇のように政府によっていい待遇にしてもらったことがない。私は私の両親以外の者によっていい待遇にしてもらったことがない。むしろ、政府が私の周りにいる者を使って私の幸福を邪魔してきただけだ。[天皇の待遇がいいのは、神武天皇を実在の王とするためである。一方、私の場合、政府が私にさせるべきことをさせた後では、私は用済みであって、政府が私の待遇をよくしても何にもならないので、むしろ私を攻撃しているのである。]
[7134] 自治会とは何か? h21.4.16
だいぶ前に書いたかもしれないが、大学にある自治会は、ガラの悪い自治会が政府を攻撃することによって、大学生に政府を正しいと思わせるために、政府が大学に置いている会である。自治会は、政府が大学生を洗脳するためにある会である。だから、自治会の委員は、いつも目立つ所でガラが悪いことをして、みんなに悪い印象を持たせるようにしている。自治会の委員は、政府から依頼されたアルバイトだから、卒業後は何がしかの政府の息が掛かった会社に就職して若干普通の人よりもいい待遇にしてもらっているのだろう。
政府が悪い会だから、自治会の委員は結局悪い人間であることに変わりないわけだ。
[7135] ヘーゲルはどうして出世したのか? h21.4.16 [これは、私がさっきテレパシーで聞こえたことを水増しして書いたものである。]
ヘーゲルが出世したのは、ヘーゲルの正反合の政治理論が曖昧で政府にとっては都合がよかったからである。ヘーゲルは矛盾が世界を動かしていると考えたので、政府がわからないことを理由にして政治をすることができるから、政府にとっては都合がいいのである。ヘーゲルの政治理論があれば、政府が何をやっているのか国民にわかりにくくなるから、ヘーゲルを大学教授に採用したのである。
ドイツ政府は、本当は、日本政府と同じように、聖典と同じことをやっているだけなのである。
要するに、ヘーゲルは政府の提灯[ちょうちん]持ちである。だから、哲学者というほどの者ではない。
[7136] キリスト教で戦争がやれるか? h21.4.16
自分の国の国民を愛する名目で戦争がやれる。
同じように、仏教でも、自分の国の国民が正しい名目で戦争がやれる。
神武天皇がいなくても戦争はやれる。
愛とか正義とか適用の広い感情と関連付ければ、たいてい何でもやれる。
しかし、そんなことは聖典が偉かったからできたことであって、今では聖典が偉くないからそんなことはできないのだ。
[7137] 浦島太郎 h21.4.16
浦島太郎が亀を助けて竜宮城へ行ったのは、政府によって神制度(亀≒神)に貢献したと認められた者は国会議事堂(竜宮城)へ行って政治家になれるということである。例えば、今の首相も、そんな一人なのだろう。
浦島太郎が玉手箱を開けると白い煙が出てきて死んでしまったのは、定年退職した政治家が聖典がおとぎ話であることを国民にばらすと殺されるという脅[おど]しである。
浦島太郎のおとぎ話は、政治家に対する洗脳なのである。
[7138] 超能力者制度の不透明性 h21.4.16
超能力者制度では、政府が超能力者の情報を混ぜた政令を国民に出している。
しかし、超能力者の情報は政府しか知らない。国民は知らない。
ただ、テレビ番組を見ていると、政府が[中身が見えない缶詰のような]“超能力者制度”をやっていることだけはわかる。[私が高知学芸中学3年生の時、担任の島田先生の代理で物理の馬島[まじま]先生が帰りのホームルームのとき『考え方』という雑誌に載っていた瓶詰[びんづめ]と缶詰の話をして、「自分も若い頃は『考え方』に一度は載ってみたいと必死になって投稿したことがある」という話をした。これは、政府が私に中身が見えない超能力者制度をやってもいい承認を取ることだったのだろう。]
つまり、超能力者制度は聖典のない聖典制度である。
国民にとっては、本当に政府のやっていることが超能力者制度に適[かな]っているかどうか、これまでの聖典のある聖典制度よりもずっと確かめにくくなっている。
そもそも、超能力者制度がどんな制度であるかさえ、わかっていない国民が多い。
これは、近代合理主義の明晰判明の精神に反することである。
第1次・第2次世界大戦が、神武天皇の話が世界的に有名になってから戦争が大々的に行われるようになってできたことであるとするなら、私の情報が公開されていない今はまだ私に関する超能力者制度がやれないのではないだろうか?
もっとも、それもまた聖典が偉ければできることである。今は聖典が偉くないから、聖典からできた超能力者制度もやれないはずだ。[聖典は政治家が嘘で偉い本にしたから偉いのであって、もともとは偉くもなんともないただのおとぎ話の本である。]
現代は国民主権の時代であって政府と国民は平等であり、政府はもとをただせばただの会社にすぎず、現代では仕事はきちんと契約を取ってやらねばならず、政府は国民と“聖典と同じことをしてもいい”契約を取っていないから、政府が聖典と同じことをすることはできないはずだ。たとえ政府が一方的に聖典と同じことをしても、国民が政府の仕事に対して報酬を支払う必要はないはずだ。
『超能力者制度がそもそも聖典からできるのか?』『今の政府がやっていることははたして超能力者制度に適っているか?』といった細かいことを問題にするのは、政府が国民と“聖典と同じことをしてもいい”契約を取ってから後でいい。
[7139] 知覚欲か愛情か、それが問題だ。 h21.4.16
知覚欲を満足して生きる者が異性と結婚なんかするわけがない。
知覚欲のない者が愛情で生きているから異性と結婚するのである。[愛情と性欲は一応別とする。]
もっとも、現代では知覚欲がまったくない者も珍しいから、知覚欲と愛情の両方を満足している者が異性と結婚するのだろう。
知覚欲の満足だけで生きている者は異性と結婚しないのだ。
愛情のようなホンワカした感情が面白いのだろうか?
[7140] 夜目遠目傘のうち h21.4.16
女は曖昧に見るから綺麗に見えるのであって、明晰判明に見ればどこかに欠点が見つかって汚く見える。
現代は明晰判明の時代だから、女の綺麗さもないのである。
これまでの人類は物事を曖昧に見ていたから、女や政府に騙[だま]されてきたのである。
これに対し、数学の定理は明晰判明に見ても非の打ち所がないから美しいのである。
人類の文化はギリシア時代にはその段階にまで達していた。だから、今の人類にもできないことではない。
[7141] 政府はどうして聖典制度を曖昧にやっているのか? h21.4.16
政府は、聖典制度すなわち聖典と同じことをする会社である。
聖典の言葉使いが曖昧だから、政府は聖典制度を曖昧にやっているのである。
政府が聖典制度を曖昧にやるから、国民の多くは政府が聖典制度をやっていることを知らない。
政府は国民に知られないように聖典制度を密[ひそ]かにやっている。
だから、政府は今でも多くの国民にとって真面目な正しい会社で通っているのである。
[7142] 私アニメはなぜいけないか? h21.4.16
今の女は女らしさがない。女としての魅力がない。
それは、今の女が私アニメを見て育ったからである。
私アニメのヒロインは、見かけは女だが中身は私つまり男である。
だから、私アニメを見て育った女は、中身が男なのである。
もしも、超能力者(嘘の超能力者)が女だったら、世界中の男が女みたいになっていたかもしれない。
どちらにしても、ぞっとする光景だ。
[7143] 役人は嘘がつける。 h21.4.16
政府は、聖典と同じことをする会社である。
だから、神武天皇が嘘をついたから、政府に勤める役人も嘘がつける。
だから、私が政府に税金を支払わないとき、役人が私の家に来て「税金を払ってください。」と言うのも嘘である。
本当は、政府と私の間で正式に“政府が聖典と同じことをしてもいい”という契約を取っていないから、政府が私から税金を取ることはできないはずである。
つまり、役人が言っていることは嘘なのだから、「嘘は言わないでください。あなたの会社とはまだ契約を取っていません。」と答えて、役人の言葉を無視して取り合わなければいいのである。
役人の喋っていることは嘘なのだから、「税金を払ってください」は「税金を払わないでください」と言う意味だから、払わなければいいのである。
役人は国民から税金を貰[もら]えずに飢[う]えて死ね。
[7144] 政府は国民のためにある会社ではない。 h21.4.17
政府の仕事は聖典と同じことをすることである。それ以外には、政府の仕事はない。
だから、政府はとにかく聖典と同じことをしさえすれば、仕事をしたことになり、給料がもらえる。
だから、政府は聖典と同じことをするが、国民のためにならないことばかりするのである。[政府が民主主義の会社だというのは、政府が神武天皇が嘘をついたことを使ってついた嘘である。]
政府は政府自身のために、聖典と同じことをする制約の下[もと]で仕事をしているだけである。
政府は客と契約を取らずに仕事をするので、政府の仕事は一方的なのである。
それなら、客は政府に仕事をしてくれと頼んでいないから、客が政府に代金を支払う義務はない。
[7145] 政府はまちがった会社である。 h21.4.17
現代は国民主権、人間みな平等、民主主義の時代である。
現代が民主主義の時代なのは、政府が決めたからではなく、それが人間社会についての真理だからである。
民主主義は、実在する社会についての法則なのである。
政府はただの会社である。
だから、政府もその法則に従わなければならない。
政府が国民と契約を取らずに一方的に聖典と同じことをするのは民主主義に反しているから、現代社会において政府は存在してはならないのである。
いくら大きい会社でも、実在には勝てないということだ。人間は、実在を作った神には勝てないのだ。
[7146] 政府の契約書の正しい書き方 h21.4.17
聖典と同じことをするのは、政府設立当時における会社のモットーだから、契約書における“目的”であって“業務内容”ではない。
契約書の業務内容には、もっと具体的な実際にやる仕事内容を書くべきである。
業務内容は、国民との合意の上で決めねばならない。
だから、やはり政府は国民と契約を取って仕事をしないといけない。
[7147] どうして政府は税金を取っているか? h21.4.17
政府は聖典と同じことをする会社である。
ところが聖典には、主人公が他人からお金を貰[もら]う話がないから、これだけでは政府は国民からお金を取れない。[おとぎ話ができた当時は、この世にまだお金が出来ていなかったからである。政府が昔の国民と取った契約には、目的として政府が聖典と同じことをするというだけで、委託料[いたくりょう]についての取り決めがなかった。]
最初の頃の政府の収入は、国民からの寄付だけだったので、政府は国民に勝るとも劣らぬ貧乏だった。
そこで、政府は神武天皇が嘘をついたことを使って、神武天皇を嘘で日本の王にして、王制を使って国民から税金を取っているのである。[政府が国民よりも偉いふりをしているのは、神武天皇が嘘をついたことを使ってついた嘘にすぎない。]
今の政府が国民からお金(税金)を取っているのは、聖典と同じことをする仕事の報酬としてではなく、業務内容における神武天皇が嘘をついたことによっているのである。つまり、もともと政府は無報酬の会社なのである。
しかし、政府の仕事は無契約の仕事である。
だから、国民は政府にお金をやる必要はない。
[7148] 現代は正しさが通用する時代である。 h21.4.17
政府は会社が大きいことを鼻に掛けて、国民と契約を取らずに一方的に仕事をしている。
しかし、現代は正しい者がまちがった者に従わねばならない時代ではない。
いくら会社が大きくても、まちがいはまちがいである。
だから、国民が政府に従わなくてもいいのである。
[7149] 政府は嘘つきの会社である。 h21.4.17
政府は、聖典と同じことをする会社である。それが政府の真の姿である。【政府の原理】 |
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“政府が国の中枢であり、民主主義による国の意思決定機関である”というのは、政府が聖典の神武天皇が嘘をついたことを使ってついた嘘にすぎない。
政府は民主主義のふりをしているだけである。政府は国民の代表者である国会議員の話し合いで国の意思を決めているふりをしているだけである。政府がテレビや新聞でやっていることは全部嘘の芝居である。
政府が本当にやっているのは、聖典と同じことをすることである。政府は国民の眼で見えないところで聖典と同じことをやっているのである。
政府は聖典主義で政治をやっていて、民主主義で政治をやっていない。その証拠が、今の日本や世界である。
しかし、そもそも政府もただの会社である。いくら政府が大きい会社だからといって、現代では契約を取らずに仕事はできない。政府は国民と契約を取っていないから、政府の仕事は不当である。
[7150] 政府のいけない点 h21.4.17
1.国民と“政府が聖典と同じことをしてもいい”という契約を正式に取ってから仕事をしていない。
2.聖典の中の神武天皇が嘘をついたことを使って、政府も嘘をついている。例えば、嘘をついて民主主義の政治をやっているふりをしている。嘘をついて政府が国民よりも正しく偉いふりをしている。
3.聖典に対して嘘の解釈をすることによって、神武天皇などを実在の王だったことにして、王制を使って国民から税金を取っている。
4.聖典に対して嘘の解釈をすることによって、聖典を人間が従わねばならない絶対的な物とし、神武天皇などの権威を高めて、国民から重税を取っている。
5.聖典の神武天皇が人を殺したことを使って、政府も人殺しをしている。
6.聖典に対して嘘の解釈をすることによって、超能力者制度を行い、国や世界中を変にしている。
[7151] 精神分裂病の患者はどうして自覚がないか? h21.4.18
それは、精神分裂病という病気を知らないからである。
精神病に疎いから精神病に罹るのである。
だから、反対に、精神病に詳しければ精神病には罹らない。
だから、子供の頃に精神病について教えれば、精神病は防ぐことができる。
[7152] 聖典制度で誰が得をするか? h21.4.18
聖典制度で得をするのは、日本政府のかなり上の人だけである。
下っ端の公務員は、あまり得をしない。
国民は、政府に財産や命を取られて損をするだけである。
国民は正当な理由もなく政府に財産や命を取られて馬鹿な目に会わされるだけである。
[7153] 行政とは何か? h21.4.18
行政とは、政[まつりごと]を行うこと、すなわち政府が聖典制度で作った命令を民間会社が聞くことである。
行政において、政府と民間企業が関係し合う。
しかし、政府はそもそも国民と契約して仕事をしていないから、いくら政府が聖典が偉いと言っても国民にとっては聖典なんか偉くもなんともないから、民間企業が政府の命令を聞く必要はない。
政府は自分で自分を偉いと言っているただの馬鹿である。聖典の神武天皇が嘘をついたことを使って、嘘でおとぎ話の聖典を偉いと言っている詐欺師である。
政府の言うことを聞いていると日本が変になるだけだから、民間企業は政府の命令には従わないほうがいい。
一方、立法とは法律を作ることである。
日本政府は、民主主義で政治をしているふりをしているだけだから、日本政府にとって法律なんかどうでもいいから、立法はめったにやらないのではないだろうか?日本政府は聖典にかかりっきりで、法律なんかほったらかしだ。
[7154] 税金は嘘である。 h21.4.18
政府は、聖典と同じことをするのが仕事である。
しかし、政府は国民と正式に契約してから仕事をしていない。
それでも、政府は国民に税金納入書を送りつけてくるだろう。
しかし、それは政府が嘘でやっているのだ。
だから、国民はそんなくだらない紙切れなど無視して生きていけばいいのだ。
[7155] 政府が年々衰えている訳[わけ] h21.4.18
政府に税金を支払わないでいいことに気付いた者はすでにたくさんいる。
税金を支払わないことは正当だから、政府も文句を言えない。
政府の税収が減ったから、政府つまり宗教が年々衰えているのである。
政府の命令を聞かない国民が増えたから、政府つまり宗教が衰えているのである。
みんなが税金を払わないのなら、私もそうしよう。
[7156] 偽物[にせもの]の神と本物の神 h21.4.18
政府の神は、おとぎ話の主人公や、嘘の超能力者などの偽物の神である。
それに対して、本物の神は、この宇宙を作った者である。
政府の偽物の神が本物の神に勝てるわけがない。
いくら政府が大きい会社でも、偽物はしょせん偽者であって、本物にはなれないからである。
本物の神が実在の宇宙を作ったのなら、人間は実在を読めばいいのである。
[7157] 知るとは何か? h21.4.18
知るとは、自分の頭(知覚)の中に対象と同じものを作ることである。
だから、人間は宇宙の法則を知るだけで、宇宙の法則自体を変えられるわけではない。
反対に、知らないとは、自分の頭の中に対象と同じものが出来ていないことである。
例えば、政府を正しいと考えている者は、政府について考えたことがなく政府を知らないからである。政府について知れば、政府がまちがっていることがわかる。
[7158] 『聖典は偉い、ゆえに政府は偉い。』 h21.4.18
政府は、聖典と同じことをする会社である。
政府が偉いのは、聖典の神武天皇が嘘をついたことを使って政府も嘘をついて、政府が聖典が偉いという嘘をついたからである。聖典が偉いから、その偉い聖典と同じことをする政府も偉いという理屈である。[政府が聖典から離れると、政府は嘘をつけなくなるので、他の会社と同じになるので、政府は聖典から離れて自分を偉いとできないのである。]
しかし、聖典の正体は、政府が昔乞食相手の食堂をやっていた頃に、その食堂に置いてあったマンガの雑誌である。
したがって、聖典は偉くないから、偉くない聖典と同じことをする政府も偉くないのである。
[7159] 人間の無限性 h21.4.18
人間は、成り立つか成り立たないか実際にはわからないことを、強引にどちらか一方に割り切って考えている。
自然科学の法則は、実際には宇宙の中にあるすべての物に当てはめて成り立つことを確かめないといけないが、実際には人間の経験は有限であるからそんなことはできないが、仮に人間の経験が無限であり、宇宙の中にあるすべての物に法則を当てはめることができたとして、法則が成り立つと考えているだけのことである。
自然科学においては、人間の無限試行性が仮定されているのである。[カントールの論法と同じようなものである。つまり、人間が実数を理解することができたのは、人間が少数第無限位まで読めると仮定されているからである。]
しかし、実際には、人間は無限ではない。
だから、本当は、自然科学の法則も絶対的ではないのである。自然科学の法則は、今のところは運良く反例が見つかっていないというだけのことである。
[7160] 政府は正しいか? h21.4.18
政府は“聖典と同じことをする”ことにおいては忠実である。
それは“聖典と同じことをする”ことが、昔の政府と国民の契約内容だからである。
しかし、昔の国民と“聖典と同じことをする”契約を取った物的証拠が何もない。
今の国民とは明らかにそんな契約は取っていない。
つまり、肝心の“聖典と同じことをする”契約自体が無効である。
だから、いくら政府が一生懸命になって聖典と同じことをしても、政府は仕事をしたことにはならないのである。
政府が国民に命令するのは、聖典の神武天皇が嘘をついたことを使って政府も嘘をついて、政府が嘘で聖典を人類が絶対的に従わねばならない偉い本にして、聖典によって命令を作っているからである。
したがって、国民は政府の命令を聞かなくてもいい。特に、国民が政府に税金を払わなくてもいい。
[7161] 政治家とは何か? h21.4.18
政府が民主主義で政治をやっているふりをするために国会議事堂の中に置いている芸人である。
テレビや新聞に出て、政治家の物まねをしているだけである。[政治家が考える者の顔つきをしていないのは、そのためである。政治家は芝居をしていればいいだけなので、見掛けが政治家っぽいだけで、頭の中は空っぽである。]
天皇が、神武天皇の子孫の物まねをしているのと同じことである。[政府は嘘がつけるから、物まねでもいいのである。]
本当の政治家は、政府のどこかで聖典主義で政治をしている。彼らは、人前には顔を見せない。
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[7162] 私は政府に従わない。 h21.4.19
もしも政府が正しければ、たとえ私が不幸になっても、私は政府に従う。
しかし、政府が正しくなければ、たとえ私が幸福になっても、私は政府に従わない。
政府は国民と契約を取らずに一方的に“聖典と同じことをする”仕事をしている。
この政府の行為は正しくないから、私は政府に従わない。
[7163] 裸の王様 h21.4.19
大人は裸の王様が立派な服を着ていると言ったが、子供は王様が裸だと言った。
裸の王様とはキリストのことである。
大人が「キリストが立派な王である」と言ったのは、大人が政府に洗脳されているからである。
一方、子供は生まれてすぐで世の中のことをまだ知らず、政府の洗脳が不十分なので、本当のことが見えたのである。つまり、聖書のキリストは裸同然の貧乏人であって、とうてい立派な王様ではない。そもそも、貧乏人が貧乏人の世話をすることなんかありえない。だから、キリストはおとぎ話の登場人物なのである。
[7164] どうしてキュリー夫人はノーベル賞を2度受賞したか? h21.4.19
ノーベル賞は、政府がやっていることである。[[6922] ノーベル賞に権威はない。 h21.3.24を参照。]
ノーベル賞は、政府が科学を支配するために考え出した賞である。
キュリー夫人がノーベル賞を2度受賞したのは、政府が男女平等の世の中にするためである。
男女平等にすると、女が働くので政府の税収が増えるからである。それに、男女平等になれば、馬鹿な女が利口な男を支配するので、男の『考えて物を見る』才能を封じることができて、政府が聖典制度をやるのに都合がいいからである。
本当は、男女平等ではない。男女不平等が実在の真理である。男は男として、女は女として優れていればよく、男と女は比較すべきものではない。そのことは、オリンピックが端的[たんてき]に示している。
[7165] 人間は何のために存在しているか? h21.4.19
人間の脳は正しいことを考えるためにある。
人類は正しいことを考えるために進化してきた。
だから、まちがったことを考える者がいてはいけない。
政府は、“人類は聖典に従わなければならない”という嘘を流行[はや]らして、まちがったことを考える者を増やして、人間の『正しいことを考える』才能を妨[さまた]げている。
政府は人類の敵である。
[7166] 人類は聖典に従わなければならない。 h21.4.19
“人類は聖典に従わなければならない”のがこの世界の法則である。
しかし、聖典の解釈が時々変わることがある。例えば、昔のキリストは超能力者だったが、最近のキリストは倫理社会の教科書に載っているような道徳を説く人だ。また、昔の聖典の解釈によれば、聖典の主人公が人類を支配する王だったが、最近は超能力者であることになっている。[それにしても、超能力者とは、なんだか時代遅れだ。]キリストが超能力者であったりなかったり、互いに矛盾しているが、それが嘘の嘘たるところだ。
それに、聖典がそもそもどうやってできたかがわからない。本があるなら著者がいるはずだ。聖書の著者は不明だし、古事記の話の作者も不明だし、作者が不明だからどうせ大した本じゃない。
聖典はもったいぶっているだけで、大した本じゃない。『ユークリッド原論』や『プリンケピア=マセマチカ』のような正しいことが書いてある本じゃないから価値がない。
だから、人類が聖典に従わねばならない法則はまちがっている。そんな法則はない。政治家が作った嘘の法則だったのである。どうせつくなら、もうちょっとマシな嘘をつけ!
[7167] 政府はどうして超能力者制度をやるようになったか? h21.4.19
政府は、聖典と同じことをする会社である。
しかし、それを露骨にやると、政府が国民と“聖典と同じことをしてもいい”契約を取らずに一方的に仕事をしていることが国民に知られてしまい、国民は政府に従わなくなり、政府は国民から税金を取れなくなる。
そこで、政府は聖典と同じことを露骨にやらないようにするために、政府はこれまでの聖典に対する解釈を変えて、実在の人間である嘘の超能力者に人類が従わねばならないことにし、さらに嘘の超能力者の周りにいる者を使って、政府が嘘の超能力者の情報を混ぜて国民に命令を出せるようにしたのである。
そうすれば、国民は政府のやっていることが理解できず、国民は政府におとなしく従うしかないと政府が考えたのである。
しかし、私が政府が具体的にやっていることから帰納的に考えて、私の超能力者制度もこれまでの神制度も、すべて政府が聖典と同じことをすることによってやっていることがわかった。
だから、国民は政府に従わなくてもいい。政府は潰れて公務員は皆殺しになるしかないのである。
[7168] どうして政府は聖典と同じことをするのか?☆ h21.4.20
それは、政府が“国民が政府に聖典と同じことをしてもいいと認めている”と考えているからである。
しかし、それは政府の一方的な思い込みであり、仮説にすぎない。
科学と同じように、この仮説を国民に当てはめてみて成り立つから、この仮説が正しいと考えているのである。
つまり、国民がおとなしく政府の言いなりになっているから、政府はこの仮説が正しいと考えているのである。
それなら、国民は反例を示せばいい。
つまり、国民が政府の言うことを聞かなければ、政府はこの仮説がまちがいであることを認めて、この仮説を捨てるはずである。
例えば、国民が政府に税金を納めなければ、政府は聖典主義で政治をするのをやめて、他の仕事を探すだろう。そうなれば、政府は他の会社と同じように、国民とちゃんと契約を取って仕事をするだろう。
[私が国立高知大学理学部数学科2回生の頃、代数学の先生が外国に留学して代理で顔がコアラに似ている長沼[ながぬま]?という先生が教えていたが、長沼先生が板書をしている途中でやおら学生のほうを振り返って、「私は学生が講義内容を理解できるという“仮定”で、講義をしている。」と言ったことがある。また、私が九州大学医学部付属病院で研修医をしていた頃、同僚の下中野大人[しもなかのだいと]君が「患者とのコミュニケーションは“阿吽[あうん]の呼吸”が大事」と言って笑っていた。]
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政府が残りたければ、政府が国民に『聖典主義をやめた』という証拠を示さなければならない。それができなければ、政府は潰れるしかない。
[7169] 日本おとぎ話嘘解釈主義国 h21.4.20
日本政府は、聖典主義の政治をしている。
だから、日本は聖典主義の国である。
聖典とは、おとぎ話のことである。
だから、日本はおとぎ話主義の国である。
しかし、そのままのおとぎ話では政府が儲からないから、政府が悪知恵を利かして、神武天皇が「東には攻めないぞ」と言った後で東に攻めたことを神武天皇が嘘をついたことに解釈して、政府も嘘をついておとぎ話の神武天皇を実在した日本の王にして天皇制度をしたり、神武天皇を嘘で実在の超能力者にして、新たに別の嘘の超能力者を作って超能力者制度をしたりしている。
だから、日本は嘘の解釈によるおとぎ話主義国すなわち日本おとぎ話嘘解釈主義国[にほんおとぎばなしうそかいしゃくしゅぎこく]である。
それなら、日本無政府主義国のほうがまだましだ。
[7170] 天文学と政治学 h21.4.20
普通の人にとっては、天が動こうが、地球が動こうが、どっちでもいい。
昔は、教会が天が動いていると言ったから、みんなも天が動いていると考えていた。
しかし、宇宙に詳しい人から見ると、やはり地球が動いているのである。[日本には教会がなかったから、明治の文明開化のときすんなり地球が動いているところから入っていけた。]
それと同じように、普通の人にとっては、政府の言いなりになろうが、政府に逆らおうが、どっちでもいい。
しかし、政府が国民は政府に従うべきだと言っているから、国民は政府の言いなりなのである。
しかし、政府のやっていることについて詳しい人(例えば、私)から見ると、政府のやっていることは正当な仕事ではなく、国民は政府の言いなりになってはいけないのである。
日本人は、天文についても政府についても『なぜか?』を考えないから、眼先で要領がいいだけで、何が本当に正しいかわからずに周りに合わせて動いているだけなのである。
[7171] どうして政府は嘘がつけるか? h21.4.20
政府とは、聖典と同じことをする会社である。
ところで、聖典には、キリストが空中からパンを出したり水をお酒に変えたり、釈迦が生まれてすぐに7歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して天上天下唯我独尊と言ったり、神武天皇が戦いに負けそうになったとき天から火の鳥が飛んで来て弓の先にとまってピカッと光ったり、現実にはないことが書いている。
だから、政府すなわち聖典と同じことをする会社としては、当然現実にはないことを言うことができるつまり嘘がつけるのである。
だから、キリスト教や仏教では、たとえ日本神道(神武天皇)に頼らなくても、嘘がつけるのである。
[7172] 神武天皇は嘘をついたか? h21.4.21
神武天皇は長髄彦[ながすねひこ]とはじめて戦って負けた時「もう日に向かって(つまり東に)攻めないぞ」と言った後で南に進路を変えている。その後で和歌山県の山中で道に迷ってヤタガラスを使って占ったら、たまたま長髄彦と出くわして再び戦うことになって勝っただけである。このときは北に向かって戦ったのであるから、たしかに日に向かって攻めてはいない。
だから、神武天皇は嘘をついていないと考えることができる。
したがって、政府が嘘をついているのは、火の鳥のシーンが嘘の作り話である以外に根拠はない。
政府は火の鳥のシーンが嘘だからという理由で、人間の天皇を置いて神武天皇を実在の日本の王にしたり、神武天皇を戦[いくさ]の神であるとして日本を軍事国家にしたのである。
一方、私の超能力者制度では、火の鳥のシーン(やキリストが空中からパンを出すシーンや釈迦が生まれてすぐに7歩歩いたシーンなど)が真実(本当にあったこと)だと仮定されている。それなら、政府は嘘をつくことができないから、超能力者でない私を“嘘で”超能力者にすることはできないはずだ。火の鳥のシーンが真実だとすると、私は超能力者ではないから私の超能力者制度はできず、将来『本物の』超能力者が現れてから超能力者制度をやらねばならないことになる。[もちろん、“変換”をすることはできない。]また、聖典に嘘の解釈をすることはできないから、神武天皇は[たとえ超能力で時間の流れる速さを変えて127歳まで生きたとしても]日本各地の豪族を鎮めて日本を平定した人にほかならない。聖典に神武天皇が税制を布[し]いたという記述はないから、政府が税制を布くことはできない。政府は嘘をつけないから、そもそも聖典を人類が絶対的に従わねばならないものとすることもできないことになる。だから、国民が政府に従わなくてもいいことになる。政府が嘘をつかなければ、政府が建前で民主主義の政治をやることもできない。政府は正々堂々と聖典と同じことをするしかない。『金の卵を産む鶏』のおとぎ話にもあるように、聖典の解釈をいじりすぎると聖典制度そのものを滅ぼすことになるのだ。しかし、神武天皇は土蜘蛛[つちぐも]との戦いで土蜘蛛を騙[だま]して殺したから、神武天皇は嘘をついたと考えることができ、政府は嘘をつくことができる。[ちなみに、『エロ、グロ、ナンセンス』とは古事記の神武天皇の話のことである。]よって、政府は超能力者でない私を嘘で超能力者にすることができる。“変換”も可能である。外国の政府も、日本神道を併用すれば、嘘をつくことができる。もっとも、キリスト教では愛情を正義よりも優先すれば、嘘をつくことができる。政府は嘘をつくことで成長してきた会社だから、嘘をつけなくなったらもはや何の取り柄もない。
[7173] 歴史を眠くならずに勉強する方法 h21.4.21
アニメ『ミンキーモモ(初代)』第46話「夢のフェナリナーサ」や『とんでぶーりん』第4話「リングに賭けた青春」のように、私は中学校や高等学校の頃に歴史の時間によく眠っていた。
それは、中学高等学校の頃の私はまだ歴史の原理となる『国や世界の運動法則』がわかっていなかったからである。つまり、『政府の聖典制度』を中心に歴史を見ていなかったからである。
日本史なら、日本政府と徳川幕府を中心に私の哲学日記に書いた内容を軸にして勉強すれば日本史が理解しやすくなるはずだ。つまり、日本政府による古事記の解釈に従って日本は動いてきたわけだ。
世界史は、日本史と同じように、世界政府を中心に勉強すれば理解しやすくなるはずだが、それは各自にお任[まか]せする。
人類の歴史が始まってからまだ2000年そこらしか経っていない。現在の人類はまだ人類の歴史のほんの最初のほうにすぎない。現在の人類はまだサルとほとんど変わらない。政府という変な会社があったのも、人類の歴史が始まったばかりだからだ。
[7174] 未来の世界 h21.4.21
宇宙を準光速で飛ぶ宇宙船はたぶん作れないだろう。
でも、自分の思い通りに生物を作ったり、人間の代わりに働くロボットは遠くない将来に実現されるだろう。
人間は、つまらない肉体労働や頭脳労働から解放されて、純粋に自分の心を満足して生きていけばいいだけだ。
そうなれば、政府も国民から税金を取る喜びがなくなって、政府もこの世からなくなってしまうだろう。
[7175] 新聞とは何か? h21.4.22
新聞やテレビに出て来る政治家は、政治家の芝居をする人であって、聖典主義の政治をしている政府の本当の政治家ではない。
だから、新聞やテレビの政治家の記事を読んでも、政治について本当のことはわからず、どうでもいいことを読まされて時間の無駄である。むしろ、偽りの情報を頭の中に入れられて、政府の都合のいいように洗脳されるだけである。
新聞やテレビは、政府が国民の世論を操作するための道具にすぎない。
だから、政治について本当のことを知るためには、国や世界で実際に起きていることを自分の眼で見て自分の頭を使って考えねばならない。他人の言葉よりも自分の経験を大事にしなければならない。
[7176] 日本政府の政治家について h21.4.22
日本政府の前身は日本神道である。
つまり、今の日本政府は、昔の日本神道の名前が変わっただけである。
日本政府の政治家には、民主主義の政治をしている政治家と、聖典主義の政治をしている政治家の2種類の政治家がいる。
表で民主主義の政治をしている政治家は、テレビや新聞に出るだけの芝居の政治家であって、
裏で聖典主義の政治をしている政治家こそが、実際に日本を動かしている日本政府の本当の政治家である。
日本政府に表と裏があるのは、古事記の本の紙面に表と裏があるからである。日本政府は古事記と同じことをする会社なので、表と裏があるのである。
[7177] どうして日本政府は税金が取れるのか? h21.4.22
古事記では神武天皇は日本の神々の長[おさ]すなわち日本の王である。
しかし、それはあくまでも物語の上でのことである。
いくらなんでも、架空の作り話の王様が、現実の国民から税金を取るわけにはいかない。
日本政府が国民から税金を取るためには、神武天皇を実在の人物にしなければならない。
そこで、古事記の神武天皇が土蜘蛛[つちぐも]を倒す時に嘘をついたことを使って、聖典と同じことをする会社である日本政府も嘘をついて、人間の天皇を置いて神武天皇を実在の人物だったことにしたのである。
[7178] どうしてヨーロッパ政府は税金が取れるのか? h21.4.22
キリスト教では愛さえあればいいのだから、正しさは要らない。
だから、教会が貧しい者にお金を恵む名目で、国民みんなからお金を取ればいいのである。
しかし、実際には、教会は貧しい者にほんのちょっとお金をやるだけで、大部分は自分の懐[ふところ]に納めたのである。そうやって、教会は私腹を肥やしたのである。
聖書の本の紙面にも表と裏があるから、ヨーロッパ政府も表と裏を使い分けていたのだ。
[もちろん、日本政府も税金の使い道に関して表と裏を使い分けている。]
[7179] どうして政府は嘘がつけるか? h21.4.22
政府は、聖典と同じことをする会社である。
聖典の紙面には表と裏がある。
表が真なら、裏は嘘である。
だから、政府は嘘がつけるのである。
[7180] どうして政府は事務職なのか? h21.4.22
政府は、聖典と同じことをする会社である。
聖典は紙に字を書いてできている。
だから、政府は紙に字を書く仕事なのである。
[7181] どうして政府は抱き合わせ商法をするのか? h21.4.22
政府は、聖典と同じことをする会社である。
聖典である古事記中巻には、神武天皇の話とそれ以外の話の両方が載っている。
だから、政府は、国民にとって要らない聖典主義の政治の仕事と国民にとって必要な国民の人権を保障する仕事を抱き合わせでやっているのである。
[7182] どうしてマルチン=ルターは聖書を新しく訳したのか? h21.4.22
マルチン=ルターは新約聖書を新しく翻訳した新訳新約聖書を作った。
それは、新訳新約聖書を作ることによって、聖典と同じことをする会社である政府が聖書の新しい“解釈”ができるようにするためであった。
実際に、その後、ヨーロッパ政府は新約聖書を新しく“解釈”することによって、キリストを人類の王とし、ヨーロッパを政府が国民から高い税金を取り立てる王制国家にしたのである。
[7183] どうして政府は古臭いのか? h21.4.22
政府は、聖典と同じことをする会社である。
聖典は、古い書物である。
だから、政府も古臭いのだ。
[7184] 政府を潰す方法 h21.4.22
政府は、聖典と同じことをする会社である。
だから、聖典をこの世からなくせば政府もなくなる。
聖典を焼いたり廃版にしたり、聖典の物語を暗唱して伝える者をなくせば、政府もなくなる。
[7185] どうして最近の古事記には火の鳥が出てこないのか? h21.4.22
インターネットで古事記を扱っているホームページを調べてみると、火の鳥のことを書いていないホームページが多い。
高等学校の倫理の教科書にはキリストの超能力が出てこないし、キリスト教の布教のために各家庭に配るパンフレットにもキリストの超能力のことは書いていない。
つまり、聖典の現代訳には、超能力が出てこない。
したがって、現代の聖典によれば、超能力者制度はできないのである。
土蜘蛛の話を削除したり、紙面の表だけに印刷した聖典を作ったりすれば、政府が嘘をつかなくなるかもしれない。
古事記の本に“神武天皇と国民は末永く幸せに暮らしましたとさ”と付け加えれば、政府は民主主義でやらねばならなくなるだろう。
古事記を“神武天皇が国民のために働く話”にすれば、国民が政府を奴隷にして遊んで暮らせるかもしれない。
[7186] 仏教とは何か? h21.4.22
釈迦のありがたい教えではない。人間が幸福に生きていくための哲学ではない。
そもそもはインドの福祉団体が作ったおとぎ話である。
その後、政府が、おとぎ話の主人公の釈迦の禁欲主義を使って、国民に禁欲させる名目で国民から税金を取るために利用しているのだ。
仏教やキリスト教の教えは、道徳としては何の役にも立たない。仏教やキリスト教は、政府が国民から税金を取ること以外には役に立たないのである。【宗教についての法則】
[7187] どうしてノーベル賞に数学賞がないのか? h21.4.22
ノーベル賞は、政府がやっている賞である。
ところで、ガリレオが「自然は数学の言葉で書かれている」と言ったり、ニュートンが『自然哲学の数学的原理』という本を著したように、数学から物理学ができ、物理学が宗教(つまり政府)の権威を失墜させた。[ニュートンの力学では、物体の運動の原因は力であって神ではなく、神が要らなくなったからである。]
宗教の敵は数学であり、政府は数学に恨[うら]みがあるから、政府は数学者には賞をやらないのである。
それに、数学がいくら発達しても税収が増えないから、政府は数学者に賞をやらないのだ。
[7188] どうして女は大人になると馬鹿になるのか? h21.4.23
女は子供のうちは男と同様に頭(知覚)が働く。
しかし、女は大人になると時限爆弾のスイッチが入るように頭が働かなくなる。
だから、大人の女は知覚欲の満足以外の喜びを得るために、男と結婚して子供を産んで育てようとするのである。[そうでなければ、誰がむさ苦しい男となんか結婚するか。]
人類の種が続くために、女は大人になると自然に知覚が働かなくなるようにできているのだ。
もし、そうでなかったら、100年で人類は滅んでしまう。
[7189] デカルト座標系 h21.4.23
デカルト座標系によって、人類にとって知覚界が五感界を支配できるようになった。
しかし、無から有は生まれない。
知覚自体は実在に盲目であって、知覚は実在を直観によって知ることはできない。
人間は五感でしか実在を見ることはできない。
だから、五感から知覚へ認識を高めることが大事である。
五感界から帰納的に実在的概念を作り出し、その実在的概念を用いて知覚界の中に実在界を構築しなければならない。
それは、人間が自分の眼で見たことについて毎日頭で考えていれば自然にできることである。
人間の脳には生まれつきそんな性能が備わっている。
人間が知覚欲の満足で生きていれば、自然にできることである。
人間は実在を知るために生きている。人間はそんな生き物なのである。【人間についての法則】
人間であるかぎり、正しさを第一としなければならない。
[7190] 小国の長所 h21.4.23
デカルトはプラトンのイデア論に洗脳されていたので演繹法しかできなかった。
しかし、イギリスはプラトンのイデア論を覆[くつがえ]して帰納法を発見できた。[帰納法とは、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したように、眼で見たことをもとにして知覚的概念を発見する方法である。]
小国は小回りが利く。【小国の法則】
大国は大きいので、革命がしにくい。大国ほど、古いまちがったことを引きずらねばならない。
小国のほうが、自由さがある。小国のほうが、新しい正しいことをすぐにやることができる。
[7191] 従属すれば支配できる h21.4.23
人間が実在を支配することができたのは、人間が実在に従うことができたからである。
動物は脳が小さくて実在に従うことができないので、動物は実在を支配することができないのである。
同様に、政府が国民を支配するためには、政府が国民に従わねばならない。
昔は国民が馬鹿だったから、政府も“聖典と同じことをする”馬鹿をやれたが、
今は国民が馬鹿じゃないから、政府は“聖典と同じことをする”馬鹿をやれないのだ。
[7192] 大人と子供の違い h21.4.23
女にとって頭がいいとは、テストの点がいいことや難しそうな本を読むことである。
つまり、眼で見て頭がいいとわかることが、女にとっての頭がいいということなのである。
女はしょせん子供のままである。
子供は眼で見たことしかわからないが、大人は眼で見えないことがわかる。
ただし、それはいい意味でそうでなければならない。
大人が政府に洗脳されて頭の中でまちがったことばかり考えるのでは、子供以下だ。
[7193] マッハの哲学 h21.4.23
マッハは『科学は思考の経済学である。科学は眼で見えることを簡潔に説明するために作り上げた架空の世界にすぎない。』と言った。
マッハは、ヘーゲルのように政府に気に入られて出世するために、そう言ったのだろう。
しかし、マッハ自身は特にそういう思想に基づいて研究をしたわけでもないし、政府にはマッハの魂胆がミエミエだったので、かえって政府に無視されることになった。
[7194] 馬鹿の生き方 h21.4.23
馬鹿は自分で考えないから、他人を眼で見て他人の真似をするだけだ。
馬鹿は要領がいいだけで、物事の原理を理解していない。
今の日本では、民間の会社がエッチと自分の外見の喜びだけで生きている馬鹿だから、民間の会社は政府の言いなりなのだ。
民間の会社は政府に高い税金を払って、政府の命令を聞いている。
でも、エッチや自分の外見の喜びを満足するためにはお金が要るから、民間の会社が政府に税金を取られると、民間の会社の生き甲斐がなくなる。
だから、民間の会社は、少しは自分の頭で考えて、政府の言いなりにならないほうがいい。
[7195] 亀の甲より年の功 h21.4.23
女も若いうちは馬鹿だが、中年になると知覚で物を見るようになる。
人間は若いうちは五感で物を見ているが、歳を取るとだんだん知覚で物を見るようになる。つまり、若い頃は眼で見えるものを鵜呑みにしているが、歳を取るとだんだん理屈っぽくなっていく。
今は昔よりも人間が長生きになったから、知覚で物を見る人が増えた。
それで、政府は聖典による神制度の政治をやりにくくなった。
つまり、亀の甲より年の功なのだ。
[昔、政府は“神獣”とされた亀の甲羅[こうら]を熱してその割れ目で占いをやっていた。じつは、政府が国民から税を取って儲けるために自分にとって都合のいい占いをしていたのである。そのうち、乞食に食べ物を恵んでやる福祉団体ができて、福祉団体が食事中の乞食に聞かせてやる“神話”のおとぎ話を作った。つまり、おとぎ話の架空の人物が神なのである。その頃になると、政府の亀の甲羅占いがインチキであることがばれてきたので、次に政府はその神話を使ってイカサマをやることにしたのである。つまり、政府とは“神”に託[かこつ]けて(口実にして)儲ける会社なのである。しかし、今は神がいない物しかない時代だから、もはや政府は託けるものがない。だから、政府は滅びるしかないのだ。]
つまり、原始時代に神が生まれて、現代に神は死んだのだ。その間の一時[いっとき]、政府という変な団体が活動しただけのことだ。政府は昔から「神がいる」と嘘をついて人々を騙[だま]す会だったのだ。文学には神がいるが、科学には物と力しかないので、政府がいくら科学と組んでももはや政府はやれないのだ。
[7196] 神はいるかいないか? h21.4.24
科学は正しい。
科学には、神が出てこない。
だから、神はいない。
もっとも、厳密には、神がいるかいないかわからない。
しかし、人間は知覚の動物だから、わからないことがあったとき、どちらか一方に割り切らなければならない宿命がある。
人類は神がいると考えて長年やってきたが、政府という変な会社を繁栄させただけで、何にもいいことがなかった。神がいると、国民が政府に税金を取られるだけだ。政府の神は貧乏神だ。
それなら、科学の成功もあったことだし、ここらで神がいないと割り切って、これから先はっきりと神がいるという証拠が現れるまで、神がいないままでやって行こうではないか。
昔の人の考えでは神がいたが、ニュートンが考えて行ったら神がいなくなったから、人間が考えれば考えるほど神がいなくなるから、そもそも神はいないのだと考えられる。つまり、“神”は昔の人がニュートンの『力』の代わりに考えたアイデアだったのである。ニュートンの『力』(万有引力)の原因は、物だから、科学では物が神だと言える。科学では物が神なのである。つまり、科学では物が物を動かしているのだから、神はいないのである。
[7197] 有神論とは何か? h21.4.24
政府は、その名の通り、神を祭る会社である。
だから、有神論とは、パスカルのように政府と組んで政府に出世させてもらうための哲学である。
しかし、今の政府の神は、おとぎ話の主人公や嘘の超能力者である。[たとえ本当の超能力者が現れたとしても、超能力者は超能力者であって神ではない。]
哲学者の言う神とは別のものである。
もっとも、何を神とするかは人の勝手である。
それなら、政府は私の神すなわち宇宙を作った者(仮にいるとすれば)とは別の神を祭っているから、私とは何の関係もない。私は政府の言いなりになる必要はないし、政府も私の言いなりになる必要はない。
そもそも私は神がいると考えていない。政府はおとぎ話の主人公や嘘の超能力者を神だと考えている。それなら、私は政府に従わなくていいし、政府が私に従わなくてもいい。
[7198] 祭り h21.4.24
現代の祭りに神を祭る意義なんかない。ただ騒いでいるだけだ。
現代は、人間が神に祈って神にやってもらう時代ではなく、人間が自分で考えて自分でやる時代だ。
だから、今後の祭りは神との縁を切って、ただ騒ぐだけにすればいい。
そのほうがナンセンスで楽しい。
[7199] 今どきキリストがいると思っている者は馬鹿。 h21.4.24
神がキリストだと答える者がいるかもしれない。
それを洗脳と言うのである。
洗脳とは、政府などによってまちがった考えを自分の脳に植えつけられることである。
正しい考えでは、キリストは、聖書のおとぎ話の主人公であって、『西遊記』の孫悟空のようにこの世にいない人である。孫悟空が筋斗雲に乗って空を飛べるように、キリストは空中からパンを出したりできるのである。神は、原始時代の人間が自然現象を説明するために考え出した、自然現象を引き起こす“仮想的な人物”のことである。今では、自然現象を起こすのは力やエネルギーであって、神ではないことがわかっている。
そう考えたほうが、この世界のことがうまく説明がつく。だから、神はいないのだ。
[7200] 農業革命 h21.4.24
政府は、神を祭る会社である。
原始時代は、国民は政府の言いなりになって神に生贄[いけにえ]をささげたり神に祈ったりするだけだった。そのために人々は飢えに苦しまねばならなかった。世の中は乞食だらけだった。そのために、乞食に餌[えさ]を与える福祉会社が繁盛していた。
しかし、農作が発明されて、人々は政府に逆らって農作を始めるようになった。
人々は飢えから解放された。人々は神よりも田んぼに頼るようになった。そのために、政府は仕事を変えて占いをしなければならなくなった。福祉会社は、乞食の客が減って、おとぎ話で生計を立てねばならなくなった。稲作が政府と福祉会社を貧乏のどん底に突き落としたのである。