[5901] 私の墓を絶対に立てるなよ! h20.9.18
私の考えによれば、『人間の感覚はその人間の脳細胞の神経興奮によって発生するのであり、人間の身体が死ねば感覚の発生もなくなるから、人間の肉体を離れた精神という物は存在しない』から、墓を建てる意義がない。
だから、私の墓を絶対に建ててはならない。
人間が墓を立てるのは先祖の霊を敬[うやま]うためだが、霊自体が存在しないから霊を敬うこともできず、したがって墓を建てる意義がない。
我々の先祖が江戸時代や弥生時代に生きていたことは事実だが、我々の先祖の霊体は存在しないのである。
したがって、靖国神社に戦没者の霊を祀[まつ]るのも、霊そのものが存在しないのだから意義がない。祀るポーズを取るだけで、実質的には何もしていない。
戦争の原因は宗教にあるのだから、宗教がなくなれば戦争も起こらない。
だから、靖国神社は要らない。

[5902] どうして西丸四方の本にまちがいが書いてあるか? h20.9.19
西丸四方の『精神医学入門』には、“オナニーと精神分裂病とは無関係である”と書いている。
ところが、実際にはオナニーはテレパシー器官や焦燥感情中枢を興奮させてはいけないという[潜在意識にある]決まりを破るもとになるから([4706] オナニーについて☆☆☆ h20.4.7 を参照。)、オナニーは精神分裂病の最大の原因である。[たとえ知覚でテレパシー器官や焦燥中枢を興奮させてはいけないと知っていても、オナニーで心が変わればその決まりを守らなくなるから、知覚で決まりを知っているからと思って油断してオナニーのような余計なことをしてはいけないのである。]
ところで、医者は病気がないと食っていけない。
だから、西丸四方の本にはまちがいが書いてあるのである。

[5903] マンガを見てはいけないか? h20.9.19
マンガを見ると心が変わって実在の法則(決まり)を犯すことになるからマンガを見てはいけないという考えもある。
それは正しいと、私も思う。
だから、心が変わらないマンガを見なければならないのである。マンガにもある程度のモラルが要求されるのだ。マンガは選んで見なければならない。[大人でも子供でも大脳のメカニズムは同じだから、大人だからいいという理屈は成り立たない。]
言葉で書かれている小説にも読んでいいものといけないものの区別があるように、絵で描かれているマンガやアニメにも見ていいものといけないものの区別があるのだ。

[5904] 考えるのが嫌な者は宗教に入ってはいけない。 h20.9.19
宗教では『実在が不合理的非論理的にできている』と考えて、実在の世界の出来事を意味付けている。そうしてできた認識の体系が宗教である。
科学と宗教は原理が違うだけで、やっていることは同じである。
ところで、実在は論理的合理的にできているから、宗教の原理はまちがっている。
宗教はわざわざまちがったことを考えることであって、考えないことではない。
だから、考えるのが嫌な者は宗教に入ってはいけない。

[5905] 日本文化の独自性の出し方について h20.9.19
外国が科学原理を採るのに対して日本だけが科学原理と反対の宗教原理を採ることによって日本文化の独自性を出すのは、派手にやりすぎてうまくない。
もっと微妙な所で違いを出すようにしなければならない。
たとえ日本人と外人とで実在についての知識は同じでも、日本人と外人とでは心が違う。
もっと日本人が自分の心を表現するようにすれば、日本文化の独自性が出てくる。
外国の文化を分解して日本人の心を満足するように組み直せば、日本の文化になる。
最近の日本の建築家とか商品のデザイナーは、心まで外人の真似をするからいけない。
もっと芸術家になれ!

[5906] 日本人は米食にすべきだ。 h20.9.19
ヨーロッパがパン食なのは、おいしい水が手に入らないからだ。[ヨーロッパや中国やインドでは、川の上流ではきれいな水だが、下流では下水を飲んでいるようなものだ。]
日本が米食なのは、おいしい水が手に入るからだ。
どうして日本人がわざわざまずいパン食にしなければならないのか!?
日本人が肉よりも魚を食べねばならないことは言うまでもない。
魚のDHAが日本人の頭のよさのもとなのだ。

[5907] 科学における神 h20.9.20
科学では『実在が論理的合理的にできている』と考えて、“実在を理解できた者”を神と呼び、神の思想に人間を従わせる。
科学ではニュートンやアインシュタインやシュレディンガーが神であり、学校や大学でニュートンやアインシュタインやシュレディンガーの理論を学ぶわけである。

[5908] ラップ音 h20.9.20
ラップ音(心が緊張したときに、周りのガラスや木などがピシッと音を立てること)も幻聴も脳の中にある感覚波器官から出た感覚波で起こるとして“理解できる”。
宗教では理解できることをいくらしても神とは言えない。
だから、ラップ音や幻聴がいくらできても、宗教では神ではないのである。
ただし、ラップ音や幻聴の仕組みを理解できた者は、科学では神かもしれない。

[5909] 宗教は実在に手を出すな! h20.9.22
宗教は非論理的不合理的な物事を扱う。
一方、実在は論理的合理的にできている。
よって、宗教は実在を扱うことができない。
宗教は人間の空想力で作られた非論理的不合理的な世界で活動できるのみである。
しかし、それでは宗教は麻薬や性感と同じである([4706]オナニーについて☆☆☆ h20.4.7の図を参照)。つまり、宗教は麻薬や性感と同じく心を狂わす原因である。
したがって、宗教はやってはいけない。
わざわざ宗教のような非論理的不合理的なことをする暇があったら、スポーツしたり、考えごとをしたり、テレビを見たり、ゲームをしたり、寝たりしたほうがましだ。つまり、宗教の架空の世界で楽しむ?よりも、実在で面白いことをすればよいのである。そこにはきっと『幸せの青い鳥』が見つかるはずだ。自分の心の中にある“実在を楽しむ気持ち”を大切にしなければならない。

[5910] 私が哲学日記の読者に望むこと h20.9.23
自分が将来女の人と結婚して、子供を産んで、奥さんが子供の近くで“理解できないこと”が起きたのを見たとき、奥さんに「それは幻覚(見まちがい)だよ」と言ってあげれば、それでいいのだ。
それぐらいの『常識』は、現代人なら全員身に付けておいて欲しい。

[5911] ヨーロッパはいかにして立ち直れるか? h20.9.23
ヨーロッパには、キリスト教の嫌な文化が染み付いている。ヨーロッパでは大勢の人々がキリスト教の文化を嫌がっている。
わざわざ私に関する神制をしてそれを修正するよりも、キリスト教の宗教自体をやめればいいだけだ。

[5912] 宗教はまちがいの世界 h20.9.23
宗教は『実在が非論理的不合理的にできている』というまちがった原理を実在に無理やり適用して(当てはめて)得たまちがった認識でできた世界である。
だから、宗教という特別な世界が実在の中にあるわけではなく、たんなるまちがいからなるくだらない汚い世界なのである。

[5913] 宇宙はどうして存在するか? h20.9.23
宇宙の基になる公理系(法則系)に矛盾がないからである。
ユークリッドの公準系に矛盾があったらユークリッド幾何学の世界が作れないように、
宇宙の基になる法則系に矛盾があれば宇宙は消滅してしまうだろう。
したがって、宇宙すなわちこの実在の世界は論理的合理的にできているのである。

[5914] 19世紀末は第2の科学危機の時代だった。 h20.9.23
19世紀末には、マイケルソン=モーレーの実験や黒体輻射や光電効果などの物理学上のいろんな問題が生まれてきて、ややもするとギリシア時代末期の二の舞になるところだった。
下手をすると、『実在が不合理的非論理的にできている』とする宗教時代の再来になるところだった。[第1次科学危機は、「飛ぶ矢は飛ばす」や「アキレスと亀」などのパラドックスが発見されたギリシア時代末期の頃である。このときは、不幸にも危機を乗り越えられず、科学が宗教に負けてしまった。これらの運動に関する問題が解決されるには、2000年後のガリレイやニュートンなどの天才の出現を待たねばならなかった。]
ところが、人類の知性の果敢な努力により、幸いにも半世紀も経たずにこの危機を乗り越えることができた。
いまや『実在が論理的合理的にできている』ことは、全人類の確信するところである。
もはや宗教の出番はない。

[5915] キリスト力学 h20.9.23
“人間が愛の動機によって行動しなければならない”とするのは、キリストの定めた人間についての法則すなわちキリスト力学である。
キリストは、宗教すなわち『実在が非論理的不合理的にできている』とする原理の支配する世の中でキリストの母親がキリストから後光が出るのを目撃したために“理解できないことをした者”と見なされて実在についての真理を知る者とされて、キリストの教えを人類みんなが守らなければならないことにされたのである。
しかし、ガリレオやニュートンが現われて古典力学ができて再び『実在が論理的合理的にできている』と考えられて科学が支配する世の中になると、キリストはキリストの母親が癲癇で見た幻覚のせいで後光が出たように見えただけの人とされて、キリスト力学はニュートンの古典力学に取って代わられて、キリストの教えはただの素人[しろうと]哲学とされて無視されるようになったのである。

[5916] 日本政府は要らない。 h20.9.24
日本政府は宗教原理すなわち『実在が非論理的不合理的である』を執行する機関である。
ところが、実在は論理的合理的にできている。
だから、宗教原理は実在においてまちがった原理である。
したがって、日本政府はまちがった機関である。
日本政府が麻薬や性感のように日本を面白くなくしている([4706]オナニーについて☆☆☆ h20.4.7の図を参照)。
日本政府は何の役にも立たないばかりか、あってはならない機関である。[私は『実在が不合理的非論理的にできている』とする宗教の大原理に立脚しながら国民を神制度で管理する今の日本政府を嫌悪するが、そんな国民の邪魔にしかならない今の日本政府に代わって『実在が合理的論理的にできている』とする科学の大原理に立脚しながら国民を民主的に管理する組織を大いに歓迎する。]

[5917] 宗教改革 h20.9.25
マルチン=ルターの宗教改革は、キリスト教の儀礼を重んじるものだったが、それはつまり、キリスト教の思想を無視することであった。マルチン=ルターの宗教改革の目的は、人類をキリストの思想に従わせることを廃止することにあったのである。つまり、キリスト教の形骸化にあったのである。
ルターは宗教が科学に負けていることを認めていたのだから、わざわざ宗教を残さなくても、いっそのこと宗教をこの世からさっぱりとなくしてしまったほうがよかったのだ。

[5918] 第3次科学危機について h20.9.25
将来、人類が再び物理学上の難問に出くわして、それをすぐに解決できなかったとき、人類はそれを自分自身の無知のせいにする心の余裕を持つことができるだろうか?それとも、宗教のようにそもそも実在が不合理的非論理的にできているせいにするだろうか?
人類がガリレイやニュートンやアインシュタインやシュレディンガーを忘れていなければ、問題が解決できないのはニュートンやアインシュタインのような天才がいないからだとし、実在が不合理的非論理的にできているせいにすることなく、新たな天才の出現をおとなしく待つことにするだろう。

[5919] どうして今の日本人は考えないのか? h20.9.26
昭和40〜41年頃に、私の母親が夜中に突然ガラガラが回ったのを見て、“理解できないことをしたように思われた者”すなわち宗教で言うところの神である私が現われたので、宗教の力が強まった。
宗教の大原理は『実在は非論理的不合理的にできている』なので、人間が論理的合理的な思考のできる知覚を使って考えてもしかたがないと思われるようになった。
その結果、今の日本人(一般には地球人)は考えないのである。

[5920] バーチャルゴッド h20.9.26
宗教は非論理的不合理的な対象を扱う。
ところが、実在は論理的合理的な世界である。
だから、宗教は実在に関ってはならない。とくに、実在する人間を[理解できないことをしたように思われたとかいった理由をつけて]神にしてはならない。
宗教は実在から切り離れた架空の世界で活動しなければならない。
宗教はコンピューターのメモリ上に作られた架空の世界に立派な神様を作って、それを拝[おが]んで暮らせばよい。宗教家が架空の神様に、釈迦やキリストのようにある程度は正しいことを喋らせればいいのである。

[5921] どうしてキリストは磔[はりつけ]になったか? h20.9.27
キリストは自分が後光を出して人間に理解できないことをした神であり、自分が王よりも偉いと思って王の怒りを買ったから磔にされて殺されたのだ。
当時は宗教よりも政治のほうが強く、昔は[薫的和尚[くんてきおしょう]の例のように]人間の上下関係にすごくうるさかったから、自分が王よりも偉いと思っただけで殺されたのだ。
その後、ガリレオやニュートンの現われるのが遅かったために、『実在が不合理的非論理的にできている』と考える宗教の権力(つまり、宗教に対する人々の支持)が次第に強くなり、ついにはキリストが王よりも偉くなったのである。政治家は科学者や神?(実際にはただの人だが)に比べてあまりパッとした仕事をしないので人々の支持が集まりにくく、政治家は科学者や神?に縋[すが]らなければ人々の支持が得られなかったのだ。

[5922] 信者は土方で働け! h20.9.28
『実在が不合理的非論理的にできている』というまちがった大原理に従って生きている宗教の信者が楽な仕事に就いてノウノウと暮らしているのは気に食わん。
宗教の信者は『実在が不合理的非論理的にできている』と考えて、合理的論理的な思考のできる知覚を使って考えないから、知的な労働には向かず、肉体労働に従事すべきである。
宗教の信者が肉体労働にまわれば、私のような『実在が論理的合理的にできている』という科学の大原理を信じていて宗教に入っていない者がこれまでに宗教の信者で占められていた知的な仕事にまわることができる。
日本政府も宗教機関だから、公務員も宗教の信者と同じように肉体労働に就くべきである。

[5923] 新発明 h20.9.28
眠気を催[もよお]す感覚波を出す装置があればいいなあ。
私のように神経質で寝付きの悪い人にはありがたいかも。

[5924] 確率論 h20.9.29
確率論とは、自分がわからないことを認めるとわかることがあるということだ。例えば、サイコロの1〜6のどの目が出るかは具体的にはわからないが、それでも“どの目が出る確かさも同じである”ことはわかるからそのわかることを大事にしてわかることを考えて行こうというのが確率論である。[賭け事のような統計的対象を毎日扱っていると、確率的概念が実感を持って理解できるのだろうが、私は賭け事に興味がなく賭け事をしないからどうにも確率論がしっくりせずよくわからない。]
我々が現在において理解できない現象に出くわしたとき、それを実在が理解できないものである(つまり、実在が非論理的不合理的なものである)と考えて理解を諦めるよりも、自分の無知であると考えて理解を諦めないほうが発展性がある。それぐらいの自己に対する客観視ができることが人間の必要条件といえるのではないだろうか。
ソクラテスの『無知の知』は、“人間は考えることによってわからなかったことがわかるようになる”という人知の特徴を表した言葉である。つまり、“人間は考えることを諦めてはいけない”とソクラテスは言おうとしたのである。“人間は考えることによって次第に真実が見えてくる”のが、人間の認識についてのひとつの法則であると言える。

[5925] 自分で考えない者は神に従うことになる。 h20.9.30
自分で考えない者は、宗教に入ることになる。なぜなら、宗教は『実在が非論理的不合理的にできている』と考えて、実在について論理的合理的な思考のできる知覚を使って考えようとしないから、宗教に入ると知覚を使わないことが正当化できるからである。つまり、宗教は“頭を使わない会”なので、宗教に入ると頭を使って考えなくても済むのである。
しかし、宗教が『実在が不合理的非論理的にできている』と考えるために、宗教に入った者は“人間に理解できないことをしたように思われる者”を神とし神の教え(思想)に従わねばならない決まりがある。
したがって、自分で考えない者は、たとえ神の教えがまちがっていても神の教えに従わねばならないことになる。

[5926] ローマ帝国はなぜ滅びたか? h20.10.1
ローマ帝国は合理主義のギリシア文明で支えられた国だった。
ところが、ギリシア時代末期にゼノンのパラドックスが発見されて実在が不合理的非論理的にできていると考えられたり、キリストの母親がキリストが後光を出しているのを見たためにキリストが人間に理解できないことをした神だと考えられたりして、『実在が不合理的非論理的にできている』ことを大原理とする宗教に対する人々の支持が強まったために、合理主義のローマ帝国は人々の支持を失い滅びてしまったのである。

[5927] 神武天皇とは何か? h20.10.1
神武天皇が弥生人にとって理解できない現象を発現した(厳密には、発現するのに一役買った)人であることは真実だが、だからといって宗教が言うように人間に理解できないこと(つまり、人間の理解を超えたこと、≒不合理的非論理的なこと)をしたから人間よりも頭がよく人間が従わねばならない神だというのはまちがいである。
なぜなら、神武天皇はコロナ放電の正電極となった弓を握っていただけで、神武天皇も他の弥生人と同じようにどうして光の玉が現われたのか理解できなかったからである。
弥生時代の人間にとって理解できなかったこと・理解を超えたことでも、時代が下って文化が進んで人間の理解力が増せば、人間にとって理解できること・理解の範囲内にあることになるから、しょせん神は一時的なものにすぎず、わざわざご丁寧[ていねい]に神など定めなくてもいい。
つまり、神であるかないかは、ある特定の現象が人間に理解できないかできるかの問題にほかならないのだから、“現在の人間にはまだ理解できないことがある”のを認めて(宗教の人間は、自分が実在のすべてを理解していると思い上がっているようである。)、将来において人間の理解力が増すことを期待して、人間の馬鹿さの代名詞である神など早急に現在において自分から進んで定める必要はないのである。
要するに、宗教は狂った世界観だから、人類は宗教の言いなりになってはならないのである。

[5928] 理解できないことについて☆ h20.10.2
自分に理解できない現象があったとき、科学では自分の理解力が弱いせいで理解できないのだと考えるのに対し、宗教ではその現象を現した者が人間を超えた者だからだと考える。
しかし、神武天皇やキリストの場合、神武天皇やキリストが生きていた当時は神武天皇やキリストが現したと考えられた現象は人間に理解できないことだったが、現代では神武天皇がコロナ放電の正電極となった弓を握っていたことやキリストの母親が癲癇で見た幻覚だと理解できるから、宗教の考え方はまちがっていることになる。なぜなら、宗教の考え方が正しいとすると、神武天皇やキリストは未来永劫に人間よりも上の者だから、神武天皇やキリストが現したと考えられる現象は永遠に人間に理解できないはずだからである。
したがって、人間に理解できない現象があったとき、それは人間の理解力が弱いせいであって、将来人間の理解力が増せば理解できるようになると考えるべきである。
宗教の考え方はまちがっているから、宗教が人間を超えた者とした者に従う必要はまったくない。例えば、神武天皇の一族(昔日本では家の概念が強かったから、神武天皇とその子孫は同じ者だと考えられていた。)やキリストに従わなくてもかまわない。神武天皇やキリストに従う奴は馬鹿だ。

[5929] 公務員は乞食[こじき] h20.10.3
公務員は国民からお金を恵んでもらって生活している乞食である。
公務員は乞食だから働かないし、宗教のような余計な悪さをしがちである。
公務員は乞食暮らしで過保護になっているのである。
公務員はバカ殿だからおもしろ半分に世間をかき乱して喜んでいるのである。

[5930] 日本はなぜ戦争に負けたか? h20.10.3
天皇制がまちがっているからである。[天皇制とは、戦[いくさ]の最中に握っていた弓の先に光の玉が出た神武天皇の一族が人間を超えた者であり、人間は神武天皇の一族に従わねばならないという荒唐無稽[こうとうむけい]な制度である。]
まちがいだとわかり切っている天皇制に従って戦争をしても、後ろめたくてノリ気になれないから戦争に負けたのである。
日本は戦う前からすでに戦争に負けていたのである。

[5931] 宗教よりも魚 h20.10.4
これまで日本を支えてきたのは天皇制や川野制などの宗教ではなく、日本人が頭のよくなる魚を食べてきたからかもしれない。
日本人の科学好きは、宗教からでは説明が付かないからである。

[5932] 警察は何のためにいるか? h20.10.4
警察は日本政府を国民から守るためにいるのである。
警察は国民がまちがった宗教をやっている日本政府に逆らわないように国民を抑えつけるために日本中にいるのである。

[5933] 科学と宗教 h20.10.5
『実在は不合理的非論理的にできている。実在は人間の理解を超えたものである。実在は人間に理解できないものである。』とする宗教が組織であるように、
『実在は合理的論理的にできている。実在は人間に理解できるものである。』とする科学も組織である。
かつて宗教が科学を攻撃したように、逆に科学が宗教を攻撃することもありえる。

[5934] 宗教は偽善者集団である。 h20.10.5
宗教は理解できない現象があったとき、その現象を現した者が人間を超えた者だと考える。
宗教は狂った世界観である。
教会の牧師やお寺の和尚がキリストや釈迦の教えに則[のっと]っていくら正しいことを教えても、根本的には善い人間ではない。

[5935] 歴史の誤解 h20.10.5
ヨーロッパは宗教で栄えた国ではない。
その奥には、かつてギリシア時代に物体の運動について科学の研究が行き詰まり、ガリレイやニュートンが現われるのがあまりにも遅すぎたという事実がある。
宗教は科学の暇つぶしにやっていただけのことだ。

[5936] 合理主義 h20.10.5
ヨーロッパは、ローマやイギリスなどの合理主義の国で支えられた文化圏である。
要するに、ヨーロッパは合理主義の世界である。
主義といっても、人間に自由に選択できる主義ではなく、
『実在が合理的にできている』ことに基づく客観的必然的な主義である。
だから、日本人が合理的にやっても、ヨーロッパの真似ではない。

[5937] 宗教に出る幕はない。 h20.10.5
宗教がたったひとつの拠[よ]り所とする神も、理解できないことがあったときその現象を現した者を人間よりも上の者と考えて作り出したでっち上げにすぎない。
理解できないことがあれば、時間をかけて考えて理解すればいいだけだ。[宗教は短気である。短気は損気である。]
現代では神は成り立たないから、もはや宗教に出番はない。

[5938] 日本政府は要らない。 h20.10.5
日本政府は宗教をやるためにある機関(日本神道の本部)である。
科学が正しいのに対して、宗教はまちがっている。
つまり、日本政府は暴力団と同じである。
したがって、日本政府は国民にとって邪魔になるだけだから、日本政府は要らない。

[5939] 宗教は面白くない。 h20.10.5
宗教は、理解できない現象があったときその現象を現した者を人間よりも上の者と考えるが、これは明らかにまちがった考えである。
つまり、宗教はまちがっている。
だから、宗教は面白くない。まちがっている考えにいくら付き合っても時間の無駄だから、宗教は面白くない。

[5940] どうしてキリストは神なのか? h20.10.6
キリストが偉大な思想家だったから神なのではない。
偉大な思想家が神だとすると、プラトンやデカルトやパスカルなども神のはずなのにそうではないからである。
それに、日本の神武天皇は思想家ではないのに神だとされている。
キリストが神なのは、キリストの母親がキリストから光が出ているのを見たからである。
現在ではキリストの母親が癲癇[てんかん]で見た幻覚だとわかっているが、当時はまだその原因がわからなかったために、キリストが人間を超えた者すなわち神であり、人間はキリストの教えに従わねばならないと考えられたのである。

[5941] 物を見るとはどういうことか? h20.10.7
物を見るとは、物体の表面で反射された光が眼の網膜細胞を興奮させて、網膜細胞の興奮が視神経を介して大脳後頭葉にある脳細胞を興奮させてはじめて“物が見える”という視覚の感覚が発生するのである。
昔は、このプロセス(過程)がわかっていなかったために、キリストの母親が癲癇のせいで大脳皮質の上で見た幻覚が、実際にあったことだと勘違いされて、キリストが神にまちがわれたのである。
昔は、学校も図書館もなかったので、ヒポクラテスの『人間は大脳で思ったり考えたり見たり聞いたりする』という説は、一部の学者の間で知られていただけで、一般には知られていなかったのである。

[5942] 【物理】特殊相対性理論 h20.10.8
物体の長さは、物体と物差しの両方があってはじめて決まる。
現象の時間は、現象と時計の両方があってはじめて決まる。
動いている物差しは伸びる。
だから、物体は縮んで見える。
動いている時計は早く進む(針が速く回る)。
だから、現象の時間が伸びる。

[5943] 宇宙創造の神 h20.10.9
仮に私が明日大手術を受けることになって、
私が祈るとしたら、宇宙創造の神に祈るだけだ。
釈迦やキリストに祈ったりはしない。

[5944] 日本航空123便墜落事故 h20.10.10
今どき宗教と関係のない人が宗教的な理由で殺されてはたまらない。
だから、私が九大医学部の学生の頃に起こった日航機墜落事故は、はじめから乗員乗客全員を自殺覚悟の宗教の信者で固めていたのである。
他人を巻き添えにしないために人気[ひとけ]のない山の中に墜落したのである。
[しかし、私が九大医学部に受かっただけで、信者が自殺するほどのことはない。]

[5945] キリストは人殺しをしたか? h20.10.10
キリストは自分が人間を超えた者だと思い上がって人殺しをしたかもしれない。
しかし、キリストが人殺しをしようがしまいが、キリストは自分にとって“他人”なのだから、自分は自分が正しいと考えることをすればいいだけだ。キリストを真似る道理はない。

[5946] AXNの俳優 h20.10.11
AXN(衛星放送の海外ドラマチャンネル、主にアメリカのテレビドラマを放送している)の俳優は、みんな顔がムカついている。
見ていると、自分の気分もムカついてくる。
本場の個人主義の国では、みんなムカつきながら生きているのだろう。
気構えが日本とは違うのだ。

[5947] 宗教はお金のためにある。 h20.10.12
宗教家は自分のお金儲けのために、理解できないことがあったときそれを現したと考えられる者を人間を超えた者だとするまちがいを世の中に広げている。
これは悪いことだ。

[5948] 国家宗教と民間宗教の違い h20.10.12
国家宗教では、国の政府が理解できないことがあったときそれを現したと考えられる者を人間を超えた者だと勝手に一方的に決め付けて、政府が強制的にその者に国民を従わせている。
民間宗教では、個人が国家宗教を真似て故意に理解できないことをして自分が人間を超えた者だと偽[いつわ]って、一部の人間が自由意志でその者に従っている。
民間宗教が個人の詐欺による犯罪であるのに対し、国家宗教は国の政府の誤解(精神異常)による犯罪である。

[5949] 日本政府はない。 h20.10.13
日本政府が原理とする『実在が不合理的非論理的にできている。』ことや『理解できないことがあったときそれを現したと考えられる者が人間を超えた者である。』ことはまちがっている。[政治家は『実在が不合理的非論理的にできている。』と考えているから、曖昧な言葉使いをするのである。日本政府は日本を守るためにある組織ではなく、日本を乱すためにある組織である。]
国民にとって日本政府はまちがいを国中に広める存在してはならない組織である。
したがって、日本国民は最初から日本政府が存在しないと考えて行動すればいい。[組織の原理がまちがっている場合は、その組織は全滅である。]
日本には政治家がいないし、税金を払う所もない。
新しい国民を管理する組織を作らねばならない。

[5950] アニメーターの皆さんへ h20.10.13
どうして自分たちのしていることが偉そうなことだと思わないのか?
国民の一個人(つまり私)に対する絵による暴力だと思わないのか?

[5951] 戦いは男がやる。 h20.10.13
女は子供っぽいとかかわいいとか言われるから戦う気がしない。
だから、戦いは男がやる。女は戦わずに休んでいればいい。
男はこの世のまちがいと戦わねばならない。

[5952] 宗教の考え方 h20.10.13
宗教では、人間に理解できないことがあったとき、それを人間の理解力が不足しているせいにしないで、その現象と関係があると考えられるものを人間を超えたものだと見なす。
しかし、人間にとってある現象が理解できるかできないかは、人間の理解力と対象の構造の複雑さの相対的な関係で決まることである。つまり、人間の理解力が対象の構造の複雑さよりも勝っていればその対象は人間に理解できるし、反対に人間の理解力が対象の構造の複雑さに及ばなければその対象は人間に理解できない。例えば、大昔の人間はまだ理解力が弱かったから、自然界の大部分のものが理解できなかったが、現代では大昔に比べて人間の理解力が増したから、自然界の大部分のものが理解できるようになった。
つまり、宗教には“人間の理解力(の弱さ)”という概念が欠落している。宗教は“人間の理解力”という概念がない不完全な歪んだものの見方の世界である。宗教には“人間の理解力”という概念がないから、その代わりに‘人間を超えたもの’という余計な実在しない概念があるのである。

[実在の世界からひとつかふたつ概念を欠落させたら、実在しない世界が作れるのは当然のことである。そんなことが許されるなら、法律からいくつかの条項を欠落させて、自分に有利な世界を作ればいい。]

[5953] 宗教の世界には矛盾がある。 h20.10.13
宗教では、理解できないことがあったときその現象を現したと考えられる者を人間を超えた者(いわゆる神)だと考える。
しかし、理解できるかできないかを決めるのは当時の科学であり、人間の理解力は時代を追う毎[ごと]に増すから、過去において理解できなくても現在において理解できることがあるから、同じ者が人間を超えた者でありかつ人間を超えた者でないことになって矛盾がある(例、神武天皇)。
だから、宗教における神の定義ではうまく行かない。
一方、科学においては、人間の理解力が時代によって変わると考えるから、過去において人間の理解力が弱くて理解できなかったことが、時代が進むと人間の理解力が増して理解できるようになっただけのことだから何ら矛盾はない。

[5954] 現在地球上に神は私ひとりしかいない。 h20.10.13
偶然に理解できないことが起こって、しかもそれがあたかも近くにいた者が意志的に起こしたかのように思われることはめったにない。
したがって、そんなことが起こる『確率』は非常に小さく、全地球上でも1000年に1人ぐらいなので、現在の地球上には私ひとりしか“神”はいないのである。

[5955] 『実在が不合理的非論理的にできている』と『理解できないことがあったときその現象を現したと考えられる者が人間を超えた者である』は互いに矛盾しない独立した命題である。 h20.10.14
『実在が不合理的非論理的にできている』とすると、実在の中には人間にどうしても理解できない現象が[少なくともひとつは]存在することになる。だから、人間に理解できないことがあったとき、人間を超えた者が存在してもいいことになる。逆に、『理解できないことがあったときその現象を現したと考えられる者が人間を超えた者である』ことが成り立つとすると、人間を超えた者は人間に絶対に理解できない存在だから、『実在が不合理的非論理的にできている』ことになる。

[5956] 宗教と科学は無関係か? h20.10.14
宗教における神とは、理解できないことがあったときその現象を現したと考えられる者である。
しかし、理解できることかできないことかは、その時代の科学が決めることである。
この意味で、[宗教と科学は無関係ではなく]宗教は科学に依存しているといえる。
[逆に、科学は宗教に依存しない。つまり、科学は宗教がなくても科学だけで成り立つが、宗教は科学あっての宗教であって宗教だけでは成り立たない。]
だから、宗教は科学に従わねばならない。
したがって、宗教が原理とする『実在が不合理的にできている』ことや『理解できないことがあったとき、それを人間の理解力の不足のせいにしないで、その現象を現したと考えられる者を人間を超えた者(つまり神)とする』ことをやめねばならない。
つまり、もはや宗教はやれないのである。

[5957] もしもキリストが賢かったら… h20.10.14
キリストが賢かったら、自分の身体から出た後光を自分の母親が見た幻覚だと考えて、ゼノンの背理で勢いづいた宗教の勢力を弱められたし、ローマ王に逆らって磔にされることもなかっただろう。
ヨーロッパの歴史は500年〜1000年進んでいたかもしれない。
そうすると、今頃は、ロボットが工場で働いて、人間は毎日遊んで暮らせる社会が実現していたかもしれない。
人類がつまらない寄り道をして遠回りをしてしまったために、今でも人間は苦しい思いをして働かねばならないのだ。

[5958] 今後のキリスト教の扱いについて h20.10.14
現代においては、もはや宗教をすることは許されない。
宗教という言葉を、この世から無くさねばならない。
だから、キリスト教を完全に宗教から切り離して、ただたんにキリストの思想について学ぶ会にしなければならない。
仏教についても同様である。
日本の天皇制は、日本の歴史的伝統を重んじる茶番(ばかばかしい芝居)として国会や皇居の中だけで細々と続けるしかない。
民間宗教も、国家宗教がやめたのを見習って、政府へのいやらしい当てつけをするのをやめて、すみやかに活動を停止しなければならない。ただし、『幸福の科学』のように、誰かの思想を学ぶ会ならやってもいい。

[5959] 警察は政府を守るためにある。 h20.10.15
日本の法律は政府が作るから、当然政府にとって有利な内容である。
逆に、日本の法律は国民にとっては不利な内容である。
したがって、国民は政府を攻撃する。
国民の攻撃から政府を守るために、政府は警察を日本のあちこちに置いているのである。

[5960] 日本国憲法にはなぜ宗教の自由があるか? h20.10.15
日本政府が、自分が宗教(日本神道)をやっていることを正当化するためである。

[5961] 宗教人は反省しない。☆ h20.10.15
宗教には“人間の理解力(の弱さ)”の概念がない。
一般に、宗教には自分自身に関する概念がない。つまり、宗教は哲学すなわち自分自身についての認識のない世界なのである。
だから、宗教に入ると自分自身に目を向けずに済み、自分の心の悩みから解放されるのである。
しかし、そのために宗教に入ると盲目的に自分を正しいと信じ込み、自分が悪いと全然思わない反省しない人間になる。

[5962] 実在の外に出る。 h20.10.16
‘人間を超えた者’は実在しない作りごとの概念である。
だから、宗教の世界に入ると実在の外に出たことになる。
しかし、実際には、それは自己認識がないことによるまちがった実在観にすぎず、自分で自分を実在に不適応にする愚かな行為である。
しかしながら、人間の心の中には不合理な感情もあるから、たしかに人間は実在の外に出たくなるときもある。
しかし、それは宗教のようにまちがった実在観を受け容れるような過激なやり方ではなく、もっと無難なやり方でやるべきである。
私はアニメやゲームをやることにしている。
昔は本もテレビもなかったから、みんな宗教で遊んでいたのだ。教会や神社やお寺は、映画館やゲームセンターのようなものだったのだ。[例えば、教会のステンドグラスや絵が映画館のスクリーンの代わりというわけだ。]

[5963] アニメーターはバカ h20.10.16
私だったら、宗教関係のアニメを作るなら、日本政府や天皇をバカにしたアニメを作る。
私を攻撃するアニメを作るなどもってのほかだ。
こんなこともわからないアニメーターはバカだ。

[5964] ヨーロッパ文化は無駄が多い。 h20.10.17
インド文化に比べてヨーロッパ文化は無駄が多い。
五感の喜びが、かえって知覚にはくだらなく汚いと思える。
宗教がくだらなさの原因だ。[宗教は、『実在が不合理的非論理的にできている』と考えるから、合理的論理的思考のできる知覚を使わないので、認識が五感的なのである。]
ヨーロッパ文化から無駄を取り除けば、もっと優れた文化になるだろう。

[5965] 結婚について h20.10.17
結婚は、花とミツバチのようなものだ。
女が花で、花がミツバチを誘うように女が男を誘うのだ。
バカな男が女の誘いに引っかかる。
男は女を欲しがらないが、女は男を欲しがるので、
女は男を誘いたがるのだ。

[5966] レオパレスのエアコンについて h20.10.18
私の部屋のエアコンは『ダイキンルームエアコンS22ETDS-W(C)またはS25ETDS-W(C)』だ。
部屋に備え付けのエアコンのリモコンでは、リモコンタイマーのせいでたった3時間でエアコンが切れてしまう。
これでは、寝ている間に暑さや寒さで目が覚めてしまって、ぐっすり眠れない。
そこで、インターネットで調べてみて、部屋のリモコンを『オーム電機のエアコン汎用リモコン 型番OAR-10R』(ヤフオクで1930円で落札した。)に変えたらうまく行った。いくらでも連続運転ができるようになった(^o^)丿[ただし、もとのリモコンにあった‘風ないス運転’はできなくなったけど。オーム電気のエアコン汎用リモコンの赤丸の電源ボタンは天皇家のことで(∵丸は神武天皇の光の玉のことで、赤は熱血で天皇家の性格)、青い三角の温度調節ボタンは私のことで(∵青い←ブルー←のぶお(私の名)、また、青は冷静で私の性格、三角←3←川(3本川)←川野(私の姓))、その他の黄色いボタンは黄色人種である日本人のことである(黄色が私のホームページにある哲学日記の意味で用いられることもある(背景がクリーム色だから)。]

[5967] どうして宗教の者は自殺するのか? h20.10.18
宗教の者は、自分の心の悩みから解放されるために、“自分自身について考えない訓練”を受けるらしい。[自分が悩まないために、自分の脳を死ぬ寸前まで疲れさせて自分自身について考えられないようにすることもある。]
そのあげく、宗教の者は[他人の命令で]ビルから飛び降りたり墜落するジェット機に乗ったりして平気で自殺できるようになるのである。
宗教のやり方はたしかに一応の解決ではあるが、やり方が古臭くて、副作用があまりにも強すぎる。
自分の心の悩みを解消するためには、宗教のように大袈裟にせずに、もっと別の方法を取ったほうがいい。科学的な分析による解決策にしたほうが適切である。毎日考え続ければ、そのうち道は拓[ひら]けるはずだ。

[5968] 宗教とは何か?☆ h20.10.18
宗教とは知覚を使わないことである。
だから、当然理解力の概念がないし、考えようとしないから、理解できないことがあったときその原因についていちいち考えずに、適当に近くにいた者を人間を超えた者にしてその者の言いなりになろうとするのである。

心の悩みの解決についても、考えて解決しようとせずに、考えないことによって解決しようとする。そのために、あげくの果ては我を忘れて馬鹿なことしかできなくなるのである。

[5969] 政府が宗教をやりたがるわけ h20.10.18
宗教の者は、宗教家の命令でビルから飛び降りたり墜落する飛行機に乗って平気で自殺することができる。
一般に、宗教の者は、宗教家の命令なら何でもいうことを聞く。
政府が宗教をやりたがるのは、国民を国家宗教の信者にすることによって政治家すなわち国家宗教の宗教家のいうことを何でも聞くロボットにできるからである。

[5970] 『心頭を滅却すれば火もまた涼し。』 h20.10.18
宗教の“考えないことによって心の悩みを解消する方法”を端的に述べた言葉である。
つまり、宗教とは自分で考えないことである。自分で考えるのをやめて、神(人間を超えた者)や宗教家の言いなりになってロボットのように生きることである。
反対に、科学では心の悩みがある場合、悩みの原因を分析し、悩みの原因を取り除くことによって悩みを解決する。つまり、科学では、考えることによって問題を解決するのである。

[5971] 宗教はまちがっている。 h20.10.19
宗教とは考えずに生きることである。
したがって、理解できないことがあったとき、宗教ではその原因についていちいち時間をかけて考えずに、適当にそれを現したように見える者を人間を超えた者と見なして、その者に従う。
しかし、実際には、理解できないのは人間の理解力が不足しているためであって、人間を超えた者など存在しない。[アルコール中毒症の患者が無数の虫が身体を這[は]い回っているのを感じるようなものだ。つまり、『宗教中毒症』に罹ると、実在しない‘人間を超えた者’の幻覚が見えるのだ。実在しないものが見えたり、実在するものが見えなかったりする生き方は善い生き方ではない。宗教の考えない生き方はほどほどにしなければならず、考えない生き方に呑まれてしまったり、考えない生き方を科学的に理解できないことにまで適用しすぎてはいけないのだ。世の中には考えないことによって解決されることもあるが、そのやり方を広げすぎてしまってはかえってうまく行かないのだ。]
したがって、宗教の考えない生き方はまちがっている。人間は考えて生きて行かねばならない。
もっとも、宗教の者にいくらまちがっていると言っても、宗教の者は考えないから改めようとはしないが。

[5972] どうして精神病院よりも宗教のほうがかかりやすいか? h20.10.19
精神医学は科学だから、病気の原因をつきとめるために医者が患者の話を根掘り葉掘り訊く。
一方、宗教は考えないことによって悩まないようにするだけだから、患者はあまり自分の病気について話さなくてよいので気が楽である。
したがって、患者にとっては宗教のほうが精神病院よりもかかりやすいのである。

[5973] どうして宗教の者は考えずに生きて行こうとするのか?☆ h20.10.19
動物は幸福だが、人間は不幸であるように見える。
そこで、宗教の者は人間が不幸なのは人間が知覚で考えるためだと考えて、考えない生き方を選んだのである。
旧約聖書にある『失楽園』のエピソードは、そのことを如実に物語っている。[旧約聖書には、すべての宗教に共通している宗教の基本的な考え方がいろんな喩え話で書かれている。]
たしかに、知覚は人間の不幸の原因であるが、しかしそれは幸福の原因でもある。
原子力のように知覚を上手に使えばきっと幸福になれるはずだ。
人間はいつまでも動物に留まっていないで、人間としての幸福な道を目指すべきだ。

[5974] 神は天罰? h20.10.19
考えないで生きて行くのは楽だ。
だから、その引き換えに宗教の者は人間を超えた者に従ってつらい思いをしなければならないのだ。

[5975] 宗教の者=不良 h20.10.19
宗教の者は不良と同じだ。
なぜなら、どちらも考えて生きていないからだ。
どうせ動物のように性欲だけが生き甲斐なのだろう。

[5976] 宗教の者は心が冷たい。 h20.10.20
宗教の者は考えないで生きている。
これでは、人間にとっての最大の欲望である知覚欲が満足されない。
だから、宗教の者はいつも心が冷たく不満に満ちているのである。

[5977] どうして日本ではいまだに神武天皇が神なのか?☆ h20.10.20
日本は宗教の国である。
宗教の国では、国民みんなが考えないで生きている[昔、ビートたけしが「日本人はみんな殿様になりたいんだ。」と言っていたのはそのためである。]から、
電磁気学のことなんか考えないので、
それでいまだに神武天皇は人間を超えた者(神)なのである。
宗教の国日本では、いまだに神武天皇が人間を超えた者であるばかりか、私のような新しい人間を超えた者が発生したりするのだ。
日本が宗教の国であるかぎり、どんなに時代が進んで科学が進歩しても、神武天皇は依然として人間を超えた者のままなのである。
[しかし、実際には、私のように神武天皇の光の玉がコロナ放電であることを知っている日本人もいるから、日本が宗教の国というのがそもそもウソなのである。]

[5978] どうして日本は宗教の国になり切れないのか? h20.10.20
人間が考えないで生きて行くことはできないからである。
考えないで生きて行くことを原理にすることなど、とうていできやしない。
できないことを原理にしてもしかたがない。やめにしよう。

[5979] どうして日本人は幸福になれないのか? h20.10.20
それは日本が宗教の国だからである。
日本が宗教の国であるため、日本国民が考えながら生きていないからである。
例えば、私が子供の頃から考えて生きていれば、物事の善悪の区別がもっとついていたから、中3のときオナニーして高1のとき分裂病に罹ることもなかった。
私の父も母もまじめに仕事はするが、考えて生きていなかったので、中3のときオナニーしていた私に注意することすらできなかった。[私の親はイソップ物語の『ロバ売りの親子』の親子のように自分で考えていないから他人の目ばかり気にするタイプだ。]
実際には、『人間が性欲や麻薬欲を満足すると、心が性感や麻薬感に従い知覚における実在認識に従わなくなり、心が“自分の焦燥感情や抑鬱感情やテレパシー器官を興奮させてはならない”という実在の法則を犯すことになって不幸になる。』のである。[私の哲学日記[4959] 精神病《まとめ》☆ h20.5.4を参照。]
人間が幸福に生きて行くためには、実在の中にある法則を知覚で考えて知ることが大切である。
日本が宗教の国であることをやめ、国民みんなが考えて生きて行くようになれば、きっと今よりも幸せになれるはずだ。

[5980] 宗教の国はバカの国 h20.10.20
宗教とは、考えずに生きることである。
宗教の強い国はそれだけ国民がバカなのである。

[5981] どうして日本ではいまだに神武天皇が神なのか?(その2) h20.10.21
宗教の国日本では国民は神に従わなければならない。
長い間、天皇家が日本の神とされてきた。
そのために、日本国民は天皇家に従わなければならなかった。
日本でいまだに神武天皇が神とされるのは、天皇家がどうして自分の一族が神とされるのか、宗教とは何かについて全然考えないからである。だから、天皇家に従わねばならない日本国民も神や宗教について考えられなかった。
天皇家が私のように神や宗教について考えていれば、とっくの昔に神武天皇は神ではなくなっていただろう。

[5982] どうして宗教が生まれたのか? h20.10.22
昔はまだ実在的概念が少なく理論が不完全すぎたから、考えるとかえってうまくいかないことが多かった。それで昔の人は人間は考えると不幸になると考えて、考えない生き方すなわち宗教を始めたのである。
しかし、今は実在的概念が増えて実在について理論的にうまく考えられるようになったので、昔とは反対に考えることによって幸福になると考えられているのである。
つまり、現代では、もはや宗教は要らないのだ。

[5983] どうして私アニメはあるのか? h20.10.22
[私アニメとは、私をアニメのキャラクターにした、私の経験をアニメのストーリーに混ぜて作ったアニメである。]
神制で仕事をすると、政府が税金の一部を回してくれるからである。
つまり、民間企業が神制で仕事をした分だけ、国民は税金を引かれることになる。
その事務処理を政府がやっているのだ。
しかし、宗教すなわち人間が考えないで生きることはまちがっているから、宗教を原理とする活動はやめよう。

[5984] 不良の世界 h20.10.22
日本が宗教の国になると、みんなが考えて生きて行かなくなる。
実在しない概念が幅を利かす不良の世界になり、私にとって不利で不愉快な世界になる。

[5985] 考えない世界と考える世界 h20.10.22
人間が考えないで生きて行く世界(つまり宗教)では、人間を超えた者が生まれるが、
反対に人間が考えて生きて行く世界(つまり科学)では、人間を超えた者が生まれない。
しかし、人間を超えた者は、実際には人間にほかならない。
宗教の狂った世界は嫌いだ。

[5986] バトルフィールド2は本当に面白いか? h20.10.22
[バトルフィールドは、スエーデンのDigital Illusions Creative Entertainment(DICE)社が作った戦争シミュレーションゲームである。]
バトルフィールド1942とベトナムは面白いが、バトルフィールド2142はクソゲーである。
バトルフィールド2は近東における現代戦だが、実際には架空の戦争である。
人間が頭の中だけで面白くしようとして作った架空の町での戦争なので、なんかが面白くない。
したがって、バトルフィールド2は面白くないゲームである。
マンガやアニメも人間が頭の中だけで無理やり面白くしようとして作った世界だから、本当はあまり面白くない。
マンガやアニメは面白くないから、残すほどの価値はない。廃版にすべきである。

[5987] 『ケロロ軍曹』 h20.10.23
『ケロロ軍曹』は宗教の力で売れているだけのマンガである。
しかし、宗教は人間が考えないで生きて行くことを肯定することだから人道に反している。
宗教の力に頼った創作はやめよう。

[5988] 宗教は損 h20.10.23
人間が考えないで生きて行こうとすると、科学の便利な発明品が手に入らず使えないし、神のいいかげんな素人哲学に従わねばならなくなる。
つまり、人間が考えないで楽をしようとすると、かえってつらいことになる。だから、宗教はまちがっているのだ。

[5989] 女は不幸 h20.10.23
考えないで生きて行くことを具現化したのが女である。
女は幸福な生き物ではない。[だから、女性に対しては大目に見てやらねばならない。]
それと同じように、宗教は幸福への道ではない。

[5990] 頭はよくなる。 h20.10.23
考えると頭はよくなる。
頭がバカなのは、考えようとしないからである。
自分の頭がバカなら、考えるようにすればいい。

[5991] 考えないことと神頼みの関係について h20.10.24
考える者は自分でやる。
反対に、考えない者は自分でやらずに他人にやってもらう。
だから、神頼みの者は神にやってもらって自分ではやらないから自分は考えない。
つまり、神頼みと考えないで生きていくこととは同じことである。
太古の神頼みが、古代以降において考えないで生きていくことに形を変えたと言えよう。
つまり、神頼みも考えないで生きていくことも、どちらも同じ宗教なのだ。
つまり、宗教とは大昔から考えないで生きていくことであって、自然神(造物主)が信じられていた時代には神頼みを手段とし、現人神(理解できないことがあったとき、それを現したと考えられる“人間を超えた者”)が信じられていた時代には信仰(現人神に従うこと)を手段としていたのだ。現人神が信じられない時代になれば、宗教家の言いなりになって生きていくことになるだろう[だから、一度宗教に入ったら宗教家の許可が出ない限り出られなくなるのだ]。

[5992] 天皇制か私制か h20.10.24
ヤフオクの出品の『赤ずきんチャチャまんが11冊セット』で、第3巻を第8巻の後に置いているものがある。[3←川(3本川)←川野(私の名前)、8←○(光の玉)がふたつつながっている←天皇家]
天皇制を支持する者は、宗教すなわち人間が考えないで生きていくことを支持する者である。
ヤフオクの出品の『ドッとKONIちゃんビデオ全8巻』で、商品名に“ドッと”が抜けているものがある。[ドッと←dot←点←天←天皇家、KONI←KN←KawanoNobuo(私の名前)]
私制を支持する者は、科学すなわち人間が考えて生きていくことを支持する者である。

[5993] 私に関するアニメを廃版にしなければならない理由 h20.10.26
『ミンキーモモ』(空モモか海モモか忘れた)で、クックブックが「宗教がらみの戦争は根が深いからな〜」(やっぱ海モモだ)というシーンがあった。
ところが、私は「宗教がらみの戦争は根が深い」なんて言ったりはしない。そんな思想は私の頭の中にはないからである。
つまり、私の思想でないことを番組の中で勝手に私の思想ということにしている。
それでは、私の思想に関する正しい資料とはいえない。
そんなでたらめなものを残すことは許されないので、廃版にしなければならないのである。

[5994] 日本語の文末はなぜ曖昧なのか? h20.10.26
日本は宗教の国である。
宗教の国では、国民が考えないで生きている。
だから、日本人はわざわざ文末を曖昧にして考えていないようにしなければならないのだ。
[しかし、実際には、私のように文末を明確にする者もいるから、そもそも日本が宗教の国であるというのが真っ赤な嘘なのだ。]

[5995] 日本人はなぜ“甘え”なのか? h20.10.26
日本は宗教の国である。
宗教の国では、国民は自分で考えて実行しようとしないから、他人まかせである。
だから、日本人は“甘え”なのである。
[しかし、日本人の誰かが宗教を犯して考えて実行してくれなければ、日本は何もできなくなってしまう。]
最近は昔ほど“甘え”る人は見かけなくなった。それは、日本から宗教がなくなりつつあることの証拠である。

[5996] 考えないで生きて行くことは幸福への道ではない。 h20.10.26
昔は、社会が肉体労働主体だったから“考えないで生きて行く”ことがある程度までは実現できた。
しかし、現代は社会が頭脳労働主体だから、もはや“考えないで生きて行く”ことは実現しにくくなっている。
人間が幸福を追求しつづけた結果、現在の“考えて生きて行く”社会になっているとすれば、“考えないで生きて行く”ことはむしろ幸福の妨げだと言える。宗教は人間が自分で自分を不幸にすることだと言ってもいい。
一般に、人間は幸福を求め不幸を避けようとするから、人間は宗教すなわち“考えないで生きて行く”ことを捨て、科学すなわち“考えて生きて行く”ことを採らねばならない。
おそらく、現在宗教をしている者たちは、宗教自体が何であるかを理解していない。その者たちが『教養』を身に付け、宗教が何であるかがわかれば、おのずから宗教をやめるであろう。[宗教とは自分で考えないことである。宗教に入っている者は宗教とは何かを自分で考えようとしないので、いつまでたっても宗教が何であるかがわからないまま宗教をつづけているのである。しかし、宗教に入っている者は神に従わねばならないから、私の『哲学日記』をよく読んで宗教について理解しろ!そして、宗教がバカバカしいと思ったら宗教をやめろ!]

[5997] 今日的な宗教のあり方 h20.10.26
実在が論理的合理的にできていることは認める。[そうでなければ、科学が成立するわけがないからである。]
しかし、自分たちは考えないで生きて行く。[実際には、それでもかなり考えて生きているから、口先だけにすぎないが。]

[5998] 週刊少年ジャンプ h20.10.26
『週刊少年ジャンプ』は、ドクターマシリトのようなひとりっきりで考えるタイプの人間を悪者にして攻撃しようとする。人間がひとりで考えようとするのを邪魔しようとする。
それは、日本が宗教の国だからである。宗教の国では、国民が考えないで生きて行かねばならず、国民が自分で考えることは禁止されているのである。
しかし、大勢の考えない者よりもひとりの考える者のほうが価値がある。
宗教すなわち“人間が考えないで生きて行く”ことは根本的にまちがっているから、『週刊少年ジャンプ』のような俗悪本は読んではいけない。[おそらく、『週刊少年ジャンプ』の編集者が宗教と深い関わりがあるのだろう。]

[5999] 昔の少年ジャンプ h20.10.26
私が小学生ころの『少年ジャンプ』は不良の出てくるマンガばかりだった。学ランを着た番長が土管の横たわる空き地でわけもなく喧嘩をするのがお決まりだった。
それは、日本が宗教の国で、宗教の国では国民が考えないで生きているから、日本人みんなが不良ということになるからである。
しかし、実際には、日本人みんなが不良なのはマンガの上だけで、実生活の上では自分で考えてまじめに生きている者が多かった。
少年ジャンプの編集者は宗教に熱心なので、不良の出てくるマンガを積極的にジャンプに載せて子供たちに布教していたのである。

[6000] 宗教は自分を不幸にすることである。 h20.10.26
実在についての知識があるから、人間は実在の中で安全に幸福に生きていくことができるのである。
宗教の“考えないで生きて行く”ことは、実在に盲目になることだから、実在の中で自分をわざわざ危険にし自分を不幸な目にあわせることである。
日本政府は日本における宗教を司[つかさど]る機関である。
したがって、日本政府は日本国民を不幸にするためにある機関である。


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