[5701] マンガかぶれ禁止令 h20.8.23
私は相変わらず派遣会社に勤めているが、派遣会社の事務員がマンガの『北斗の拳』を読んで私がタフだと思って厳しい所に入れているのではないか?
私は普通の人に比べて特別に肉体がタフなわけではない。中学生の頃から高血圧気味でむしろ弱かった。
マンガの想像で人を見んとってくれんか?

[5702] 政治家が威張ったら殺す法 h20.8.23
政治家がすぐに威張るのは自分が楽をするためである。
正しい者が苦労してまちがった者が楽をするのはまちがっている。
だから、政治家が少しでも威張ったらその場ですぐに殺す。

[5703] 日本の町なみ h20.8.23
日本の町なみに統一感がなく小汚いのは、日本人に論理性がないからである。
日本人の思考が論理的でないから、建物が一軒一軒テンデンバラバラで統一感がないのである。
日本の建物の作りが大雑把なのは、日本人に分析性がないからである。

[5704] マンガやアニメに対する措置[そち] h20.8.23
マンガ家がどうしても私のネタを除[の]けなければ、私のネタをとったマンガの絵やセリフをぜんぶ墨で塗りつぶすぞ。
アニメも同様。
それから、「超能力者がいる」という思わせぶりのマンガやアニメもよくない。

[5705] 疫病神 h20.8.23
今後ニセ超能力者が現われて「みんなが幸福になる国を作りたい」と言っても、実際には政府や宗教の役に立つだけである。
国民にとっては不幸のもとになる疫病神にすぎない。

[5706] 私の親に言いたいこと h20.8.23
貧乏暮らしで生活に余裕もないくせに政府がやっているふざけた神制に付き合うな!
神制は神の命令を人が聞く制度ではないから、政府や宗教が得になるだけで、神にとって得になることはない。[もし、そうだったら、天皇は毎日遊んで暮らせりゃあ。]
お金持ちで生活に余裕があってどうでも生きて行ける人以外を神にするな!

[5707] 偉さとは何か? h20.8.23
秦の始皇帝は毎日遊びほうけて贅沢に暮らしたと言われている。
それに比べて日本の天皇なんかは、どう見ても公務員のひとりにすぎない。
偉くないから立派にして国民への言い訳にしなければならないのだ。
本当に偉い者は立派にしなくてもいいのだ。

[5708] 政治家と宗教家 h20.8.23
政治家は人間と人間の関係を扱う。
宗教家は神(超能力者)と人間の関係を扱う。
政治家と宗教家が分かれて別々にやるよりも、いっしょにやったほうが便利がいいので、昔から政治家と宗教家はいっしょにやっているのだ。それで、政治家と宗教家は古くから同じ穴のムジナと言われるのだ。
政治家と宗教家の一体化が進んだために、今では政治家が宗教家を兼任するに至ったのである。つまり、政治家と宗教家は同じ者なのだ。

[5709] むささび・もま事件 h20.8.23
むささび・もま事件とは、高知県で大正13年に“むささび”と“もま”が同じ動物であることを知らずにむささびを撃った猟師が有罪となった事件である。参考。
同じように、神と人間とは呼び名が違うだけで同じ生物だから、人間についての法律は神にも適用される。いくら神を特別視しても神は人間と同じ法律で守られているから、神に対する犯罪は人間に対する犯罪と同じように有罪となるのである。

[5710] 政治家の頭の出来について h20.8.23
ある現象が起こったとき、その現象の原因がわかりにくければ近くにいた者は神であり、原因がわかりやすければ近くにいた者は人間である。
私の場合には、私の母親が夜中に突然ガラガラが回るのを見たのだが、この現象はそんなにわかりにくいのだろうか?
政治家は私を神にしたほどだから、政治家にとってはこの現象がさぞかしわかりにくかったのだろう。
当時としても、目撃者は私の母親ひとりしかいなかったのだから、母親の見まちがいにすべきだとすぐにわからなかったのだろうか?!
政治家の頭の出来によって神にされたりされなかったりするのだから、神の出るのが多い国はその国の政治家が頭が悪い証拠である。
私が神にされたのはそもそも日本の政治家の頭の出来が悪いことが原因である。だから、日本の政治家が責任を取れ!

[5711] 政治の世界では、馬鹿ほど得をし利口ほど損をする。 h20.8.23
政治家が馬鹿だと神がたくさん出て政治家は神制の政治をやりまくって得をする。
だから、政治家が馬鹿であればあるほど政治家は得をすることになる。
しかし、政治家が得をすれば国民は損をするから、国民にとっては政治家は馬鹿でないほうがいい。
政治家が利口だと神が出なくて政治家は真面目[まじめ]に民主制の政治をやって国民が得をする。
その代わり、政治家はそれだけ損をすることになる。
つまり、『政治の世界では、政治家は馬鹿ほど得をし利口ほど損をする』法則がある。[一般社会とは反対である。]
神制の政治を許す政治の世界そのもののあり方に問題がある。

[5712] 神の条件 h20.8.24
神であるためには、『原因不明の現象』が必要である。
例えば、神武天皇の場合、神武天皇の“光の玉”は今から約2600年前に始まって明治維新を迎えるまではずっと原因不明の謎の現象のままだった。だから、神武天皇は2000年以上もの長い間に渡って神で通用したのである。もっとも、今では、光の玉の原因がコロナ放電であることがわかってしまったから、もはや神武天皇は神ではないが。
一方、私の場合には、私の母が“夜中に突然ガラガラが回る”のを見た今から約43年前に始まってこの前それが私の母が見たMT野癲癇による幻覚であることがわかるまでの約43年間の間だけ謎であったにすぎない。だから、私は43年間だけしか神ではなく、現在の私は神ではないのだ。
私の場合には、幸い神である私自身が生きている間に自分が知っている知識を活かして自分の超能力の謎を解くことができたが、私の次の神が現われたときには、神が自分の超能力の謎を解かないままで死んでしまってその後しばらくの間、もしかしたら永遠に神で通用することになるかもしれない。これでは、せっかく私が解いたことが無駄になる。嫌なことだ。いくら神自身がいい人であっても、神制で命令を作るかぎり政治家が儲かるだけの悪い命令が作れるからである。それまでに、人類の科学知識が進んでこの世から『原因不明の現象』がなくなっていることに期待するしかない。

[5713] 超能力現象 h20.8.24
政治家や宗教家は、『原因不明の現象』があるとそれを近くにいた者の超能力のせいにして近くにいた者を超能力者に仕立て上げる。
しかし、『原因不明の現象』と“超能力現象”とは別である。
超能力のせいにするなら、はっきりと“超能力でやった証拠”が必要である。
“超能力でやった証拠”がなければ、『原因不明の現象』は『原因不明の現象』のままにしておかねばならない。

“超能力でやった証拠”とは、例えば、超能力者が大勢の観衆を前にして何回も時や場所を変えて『原因不明の現象』を再現できて、しかもその超能力者以外には誰もそんなことができない場合である。MRIかなにかで身体のどこかに普通の人間にはない器官が発見できればなおよい。

[5714] 利口なハンス h20.8.24
昔ドイツのサーカスに、数の計算ができるハンスという名の馬がいた。黒板に算数の問題を書いて、その答えを馬が蹄[ひづめ]で床を叩いた回数で答えると言うのである。
馬にしてみれば、立派な超能力である。超能力馬である。
しかし、実際には馬の調教師が観衆にはわからないほどの微妙な表情の変化で馬にサインを送っているのであった。
そのことは、馬に目隠しをした実験で確かめられた。馬は調教師からのサインを読み取れなくなり、馬は永遠に蹄[ひづめ]で床を叩き続けたのである。
そうして結局、その馬はただの馬と言うことになった。
将来、人間の超能力者が現われれば、ハンスと同じように大勢の観衆の前でいろんな実験をして本当に超能力によるものかどうか厳しくチェックされるだろう。それらに全部合格すれば、晴れて正真正銘の超能力者と認められるわけだ。[超能力者に認定されれば100億円ぐらいもらえることにすればいい。]

[5715] 超能力は大人になったら消えるか? h20.8.24
超能力者の身体のどこかには超能力を荷う超能力器官があるから、子供のときに超能力器官があれば大人になってもあるはずである。
だから、子どものときに超能力が使えれば大人になっても超能力が使えるはずである。
1度超能力が使えた者は、超能力器官を手術で切除しないかぎり何回も使えるはずである。
だから、超能力者がその生涯に1度だけしか超能力が使えないという言い訳は通用しない。

[5716] キリストはどうして神だったのか? h20.8.24
神であるためには、『原因不明の現象』が必要である。
キリストの母親が見た“キリストの後光”は西暦0年頃に始まって西暦1500年頃まではずっと原因不明の謎の現象だった。[西暦0年はキリストの誕生した年ではなく、キリストの後光が現われた年なのかもしれない。]だから、その1500年の間キリストは神で通用していたのである。しかし、今は、キリストの後光の原因はキリストの母親が癲癇で見た光暈[こううん](光の暈[かさ])の幻覚であることがわかっているから、もはやキリストは神ではなくたんなる思想家の一人にすぎない。[癲癇で見た幻覚は、幻覚を見た本人にとっては事実さながらに見えるから実際にあったことだと確信している。だから、強い信念を持って自分が見た幻覚について語れるのである。しかし、いくら強い信念があるからといって真実であるとは限らず、論理的合理的に考えてみれば人間の身体が突然光ったり静止していた物体が急に動いたりするわけがないから、観察者が一人しかいないのであれば、それは“ありありとした幻覚”だと考えるべきである。]
科学の力は神をも人間に等しくする。確実に“超能力でやった証拠”がないかぎり、『原因不明の現象』は結局は超能力以外の原因になってしまうようである。

[5717] 釈迦はどうして半神[はんしん]なのか? h20.8.24
釈迦の母親は“釈迦が生まれた直後に7歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言った”のを見た。
大人なら誰でも7歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言うことができる。
しかし、生まれた直後にそうすることは誰もできない。
大人なら誰でもできるが生まれた直後には誰もできないと言うことから、釈迦は神様であるかないかの半分の半神なのである。[一方、キリストの後光とか神武天皇の光の玉とか私の念動力とかは大人でもできないから神なのである。]
もちろん、釈迦の母親が見たのは真実ではなく、これも出産直後の癲癇による幻覚だろう。

[5718] 幻覚による妄想 h20.8.24
癲癇による幻覚がその幻覚だけに限られていれば、日常生活にほとんど支障はない。
しかし、癲癇による幻覚に基づいて他のいろんなことを考えたり行動したりするようになれば、それはもはや重度の精神障害者の妄想体系である。
キリストの母とか釈迦の母とか私の母とかは、癲癇による幻覚の部分だけがおかしくて、その他のことは普通の人と変わらないから普通の人だと見なされて、それがかえって幻覚の信憑性[しんぴょうせい]を高めてしまったのだ。
一方、政治家や宗教家は、キリストの母や釈迦の母や私の母が見た幻覚に基づいて人間社会全体を変えて、人間社会全体をおかしくしている。これは、れっきとした妄想体系だ。[私はマンガやアニメを問題にすることが多いが、それは私がマンガやアニメしか見ずテレビのニュースや新聞をほとんど見ないからであって、マンガやアニメは氷山の一角にすぎず、政治家や宗教家が神制を使って他にもいろんなことをやっているのは確実である。]
政治家や宗教家は重度の精神病者と変わらない。さっそく彼らを強制入院させないと人間社会に甚大な被害を及ぼす恐れがある。政治家や宗教家に医者をつけて、ときどき精神状態を点検する必要がある。
[女性は考えないことによって実在に適応している生き物であると言えるかもしれない。]

[5719] 回転運動の特徴 h20.8.24
ガラガラが回るなどの回転運動の特徴は、物体が回る前と回った後では物体の状態が同じになって本当に回ったのかどうかわからないことである。
一方、平行移動では、物体が移動する前と移動した後では物体の位置が違っているから、本当に物体が動いたのかどうかあとで確認することができる。
キリストが後光が出たのも、光る前と光った後では同じだから、本当に光ったのかどうかあとになってはわからない。
釈迦が生まれた直後に7歩歩いたかどうかは歩く前の位置と歩いた後の位置が違っているから本当に歩いたかどうかわかるはずだが、誰かが手で持って運んでも動くから本当に釈迦が自分で歩いたかどうかは定かではない。
つまり、これまでに超能力者と言われた者が実際に超能力を使った物的証拠は何もない。
だから、超能力者であると信じる根拠もない。

[5720] ガラガラが回って見えたら医者にかかりましょう。 h20.8.24
止まっているはずのガラガラが回って見えたり、光らない物が光って見えたりするのは癲癇の単純部分発作によくある症状である。
たとえ日常生活に大して支障がなくても、頻繁に幻覚が見えるのは病気だから一度専門の医者に診てもらったほうがいい。私のようなシロウトでは治療すべきかすべきでないかもわからないので、ぜひ一度医者に診てもらったほうがいい。
癲癇の症状があまり一般によく知られていないので、癲癇で見えた幻覚が近くにいた人の超能力にまちがわれたりするのである。
政治家や宗教家が幻覚の近くにいた人を超能力者にするよりも、幻覚を見た人の身体のほうを心配しなければならない。

[5721] 癲癇の診断 h20.8.24
おかしなことが見えたリ聞こえたりしたら、まず癲癇を疑わねばならない。
癲癇であれば、脳波検査やCT、MRI画像診断により診断が確定することがある。
癲癇と超能力を鑑別するためにも、検査を受けてみる価値がある。

[5722] 超能力者問題 h20.8.25
原子があるかないか、地球が回っているかいないか、と同じように
『超能力者問題』つまり超能力者はいるかいないか?をここらでハッキリさせてみよう。
超能力者がいるつまり超能力があるという証拠はこれまでに何一つない。
しかも、これまでに超能力者と言われた者の超能力はすべて超能力以外の原因による科学的説明が付く。
したがって、超能力者はいないと考えられる。
それでは、今後の世界は『超能力者がいない』ことを常識としてやっていくことにしよう。
そうしたほうが、自然科学の発展や癲癇の医学的治療にとっては有益なはずだ。
“超能力者がいる”ために、大事な自然科学の発見が超能力のせいにされて台無しにされたり、癲癇の患者が超能力を発見した健常者ということにされて治療もされずにほったらかしにされたり、政治家や宗教家が超能力者に人類を従わせようとして余計な活動をするのでは人類にとっては有害無益だ。
“超能力者仮説”(つまり、超能力者が実在するという仮説)は何万年待っても発展しないし、人類に何一つ有益な発明をもたらさなかった。それは、取りも直さず“超能力者仮説”がまちがっていることの証拠である。
いつまでも超能力者がいるかいないかわからないフニャフニャした態度を取るのをやめて、ここらでひとつピシッと『超能力者がいない』と決めて新しい世界をやってみようじゃないか。
それで、いい世界になれば万々歳だ。
これまでだって、真理に従うことによって人類は幸福になって来た。
それなら、ますます幸福になるはずだ。
真理の実現に対して屁理屈をこねて妨害する団体(宗教や政府など)は付き物だが、賢明な諸君は彼らを無視して取り合ってはいけない。いずれ将来は、この世から消えてなくなる連中である。

[5723] どうして私の親は政府の言いなりなのか? h20.8.26
私の親が政府の言いなりになって、私に小さい頃からいろんなネタ入れをわざわざしてきたのは、私の親が政府が大きな組織だから政府のやることが正しいと思っているからである。
私の親は身体は大きいが、頭は子供だ。たいてい大人なんか一皮むけばそんなもんだ。[大人でも自分が知らないことについては子供と同じだ。]
それから、私の親は無責任で物事をよく考えない性格なので、政府が子供に対して何かやれと言ったら[限度はあるが(例えば、殺せとかはダメだが)]無責任に命令通りにやったりするのである。
おそらく、私の両親は私が超能力者だとは思っていないが、政府が私に関する神制をやっていることは知っているはずだ。テレビや新聞を見て、政府が私に関する神制でいろんな事件を起こしていることも知っているはずだ。
私の両親の態度は無責任すぎで、生意気臭い。定年退職して暇になったら少しは政府の態度の是非について自分なりに考えてみろ!自分が何も考えず何も意見を述べなければ無難だと思っているのか!?
いくら組織が大きいからと言って正しいとはかぎらない。組織が大きかろうが小さかろうがまちがいはまちがいだ。むしろ大きい組織ほど組織が大きいことに物を言わせてまちがいを通そうとするから、まちがっていることが多い。
だから、私の親が政府の言いなりになってやっていることは本当は正しくないことなのである。[私は子供の頃から神制度にかぎらず親が正しいとは思っていない。]
まちがっている組織は結局自己矛盾に陥って滅ぶだけである。

[5724] どうでもいいこと? h20.8.26
超能力者問題や神制度はどうでもいいことなのだろうか?
政府が国民に超能力者問題や神制度をどうでもいいことだと必死に思わせようとしているのは、じつはどうでもいいことではないからではないだろうか?
超能力者問題や神制度は実際には[アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のセントラルドグマのように]世界を根底から揺るがす大問題なのではないだろうか?
[神制度がマンガやアニメのネタになるのは、政府が実際にやっていることをあえてマンガやアニメにして国民にどうでもいいことに思わせて油断させるための大衆心理操作のひとつの技法ではないだろうか?]

[5725] 拷問攻め? h20.8.26
私が毎日つらく苦しい仕事に就かされているのは、政府が私を拷問攻めにして私の考えを変えさせるためであるとも考えられる。
そんなやり方で私の考えを変えさせることはできないから、いいかげんで私を楽な仕事に就けろ!

[5726] なぜ日本政府は国民から税金を取るのか? h20.8.27
日本政府が神制で企画を立ててやる仕事など国民のためになることはひとつもなく売れて利益が上がることもない。
全部ムダ金になって消えて行くだけだから、日本政府はお金を無駄にしたぶんだけ国民から税金を取らなければやって行けないのである。
日本政府に税金を支払う奴も日本政府の一部だ。

[5727] みんなと仲良くすること h20.8.27
自然にみんなと仲良くするならかまわないが、
みんなと仲良くすることが天皇に関する神制[聖徳太子の17条憲法にある『和をもって尊しとなす』の言葉]のためにやっているなら、まちがっている神制に従うことになるのでくだらないだけだ。くだらないので、やる気が出ない。
私は子供の頃から自然に生きてきてみんなと仲良くしたい気持ちにならなかったからみんなと仲良くしないのである。それが人間として自然なのではないだろうか?

[5728] 『真実をもって尊しとなす。』 h20.8.27
他人と仲良くやることもある程度は大事だが、自分が人間であるからにはまず第一に真実を尊ばなければならない。そうでなければ、毎日自分の脊椎骨の上にわざわざ自分の重たい頭を乗せて運んでいる意義がない。
認識が正しいことが人類共通のルールである。他人と仲良くやるかどうかはその後で考えることにすればいい。真実の中には他人に対するモラルもあるにちがいない。つまり、自分が正しくしようとすれば自然に他人に対しても道徳的になるはずだ。
一方、“和をもって尊しとなす。”という聖徳太子の有名なセリフは、聖徳太子が天皇家の人気が落ちているのを苦にして天皇家の人気を取るために作った安っぽいきれいごとである。だから、言葉通りにやってもうまく行かないのである。

[5729] 鎖国の心 h20.8.27
神制度を失った日本が国際的に不利にならないためにはどうすればいいか?
そのためには、まず日本と他の国とを比較して優れているとか劣っているとかいう見方をするのをやめにしよう。
もちろん、日本が他国と国交を断絶するわけではない。
江戸時代のように、日本人が日本人自身の心を満足して生きて行けるようにすればいいのである。
そもそも神制度は文明の遅れた後進国がやることだから、日本が神制度から脱却できたことを祝うべきだ。

[5730] どうして釈迦やキリストは神なのか? h20.8.28
昔の人は、霊長類ヒト科が人類と超能力者の2種類いると考えていたので、まれに現われる超能力者を珍重したのである。
釈迦やキリストが神だといわれるのは、思想が優れているからではなく、超能力者だと考えられていたからである。
日本で、思想のない神武天皇が神とされているのもそのためである。
だから、私が神だとされていることも、私が超能力者にまちがわれたからであって私の思想が優れているからではないことを心にとどめておいてもらいたい。

[5731] 日本政府について h20.8.28
昔の人は、霊長類ヒト科が人類と超能力者の2種類いると考えていたので、まれに現われる超能力者を珍重したのである。
その世界観をいまだに引きずっているのが日本政府という国民に借金しながら経営している売れない三流会社である。
正しい者がまちがった者に支配されるのはまちがっている。
古臭い会社は他人の迷惑だから早く潰れてくれ。

[5732] どうしてキリストは神だと考えられたのか? h20.8.28
昔の人は、眼で見たことがそのまま真実だと思っていた。[だから、眼で見た観察事実をまとめただけのアリストテレス力学が学問として通っていたのである。眼で見ただけの論理性のないアリストテレス力学は、知覚で見た論理性のあるニュートン力学には敵[かな]わない。西洋人は眼で細かく見ることによって真実に到達するが、日本人は眼先に囚われないことによって真実に到達するのだ。つまり、エルンスト=マッハが言ったように、西洋人にとっては五感界が実在であり、日本人にとっては知覚界が実在である。]
だから、キリストの母がキリストの頭の周りが光って見えたと言っただけで、本当にキリストの頭の周りに光が出ていたと思ったのである。
だから、キリストが人間にはできないことができる超能力者すなわち神だと考えられたのである。

[5733] 超能力者の昔と今 h20.8.28
昔の人は、眼で見たことがそのまま真実だと思っていたので、キリストの母がキリストの頭の周りが光って見えたと言っただけで、本当にキリストが頭の周りが光ると考えられて、キリストを人間とは別の生き物である超能力者だと考えたのである。
今の人は、眼で見たことが真実とはかぎらないことを知っているので、キリストの母がキリストの頭の周りが光って見えたと言っても、キリストの母が癲癇で見た幻覚にすぎず、キリストは普通の人間だと考えるのだ。
今でもキリストを超能力者と考える者がいるのは、そいつらが時代遅れのバカだからである。

[5734] 神は誰のためにいるか? h20.8.28
神は日本政府が国民からお金を取って神制度で余計な仕事をするためにいるだけで、他には用がない。[だから、日本政府以外の者が日本政府がやっている神制度の真似をしても国民から肝心のお金が取れないから何にもならない。]
神は日本政府の役に立つだけで、他の者にとっては何の役にも立たない。
神は日本政府のためにいるだけだ。
神は日本政府の者にとっては福の神だが、他の者にとっては貧乏神だ。
神は日本政府の者が勝手に神と決めてやっているだけで、他の者にとっては神でも何でもない。

[5735] 日本政府はデタラメ h20.8.28
まず、神すなわち超能力者がいるというのがデタラメ。
神に人間が従わねばならないというのもデタラメ。
細かい具体的な神への従い方もデタラメ。
ここまでデタラメだと、国民はもはや日本政府に従う気がしない。
おまけに、神制に民主制を混ぜるのもデタラメだ。[そもそも、政治家は神が混じった人間の集団を扱うのだから、政治家と宗教家は切り離せない。つまり、神制と民主制が混ざるのは仕方がないことだ。喩えれば、日本における人間ピラミッドの縦軸が神制で横軸が民主制だ。しかし、神なんかそもそもいないのだから、余計な神制をやめればいいのだ。政治家も神がいると政治が面倒臭くなるから、神がいないものとして政治をやったほうが民主制に徹することができて楽なはずだ。もし超能力者が現われたら、手術で超能力者の超能力器官を切除することにすれば、社会が超能力者のいない均質な集団になって政治家にとっては楽に扱うことができて便利である。]

[5736] もし超能力者が現われたらどうするか? h20.8.28
手術で超能力者の超能力器官を切除すれば、超能力のない人間と同じになるので、もはや特別扱いしなくていい。
超能力者がいなくなるので、人間がわざわざ超能力者に従う必要もなく、神制度をやらずに済む。
そのほうが、他人にとっても超能力で変なことが起きる心配をしなくて済むので安心できる。

[5737] 超能力者の定義 h20.8.29
ある者がある現象を起こしたとする。
1)その現象が既知の物理生理現象ではない。
2)その現象を見た者が2名以上いる。1名しかいない場合には、必ず他の者の確認を要する。
3)時場所を問わずその者がその現象を何回でも再現できる。
4)その者以外の者がその現象を発現できない。
とき、その者を人間と区別すべき超能力者とする。[超能力者を神と呼ぶこともあるが、天地創造の神や人間の知覚のみによって捉えられる抽象的な“完全な者としての神”と混同してはならない。]
超能力現象が現われたとき、その他の現象との鑑別が問題となる。
1は超能力以外の現象を除外するための条件である。例えば、神武天皇の光の玉の場合、現在では電磁気によるコロナ放電で説明ができるから、もはや神武天皇は超能力者ではない。したがって、天皇も超能力者の子孫ではない。
幻覚と区別するために2は欠かせない。現象を見た者が1名しかいない場合には、別の者による確認を必ず要する。例えば、釈迦もキリストも私の場合も、みんな超常現象を見た者が母親一人しかないから、超能力と断定することはできない。おそらく母親が癲癇のせいで見た幻覚である。モハメットのような幻聴も、声を聞いた者がモハメット一人しかいないから、超能力と断定することはできない。それも幻覚である。現代においては、確認者が1名しかいない“ありえない現象”の場合には、すべて幻覚と見なされる。
超能力現象は超能力者の体内にある超能力器官によって起こると考えられるので、3と4は当然満足すべきものと考えられる。[ただし、例えば、眼で見ただけで物に火をつけられる現象の場合、“眼で見ただけで物に火をつけられる”までが現象であって、いくらマッチで火をつけることができても同じ現象を再現できたことにはならない。もし本当に眼で見ただけで物に火が付く超能力者が現われたら、まずクロロホルムで眠らせて、麻酔を掛けて眠っている間に手術で超能力器官を取り除くか場合によっては殺すしかない。]

[5738] どうして天皇は馬鹿と言われるのか? h20.8.29
天皇がいまだに自分を超能力者の子孫と思って天皇を続けているからである。
正気の人間ならとっくの昔に天皇を辞めているはずだ。[男なら真実のためには死ぬのも辞さぬはずである。]
大学を出ても『コロナ放電』のことも知らんのか?!
[『癲癇』のことを知らないのも現代に生きる社会人として失格だ。]

[5739] 超能力者制は政府にとってなぜ都合がいいのか? h20.8.29
人間と区別される超能力者がいたとする。
超能力者は人間と比べて上でも下でもなく、ただ人間と区別できればいいのである。
政府が人間制ではなく超能力者制で政治をしたとすれば、超能力者以外の者にとっては超能力者制できちんとやっているかどうかわからないから政府にとっては都合がいいのである。それに、人間がたくさんいるのに対して超能力者は一人しかいないから、政府が好き勝手なことをしてもしょせん超能力者一人では政府に対抗できないからますます政府にとっては都合がいいのである。

しかし、これまでの超能力者は政府の超能力者の定義が甘いために無理やり超能力者にされた者であって、実際には人間だから、人間と区別される者ではない。したがって、政府が特別に超能力者制をやってはならないのである。

[5740] 税金は要らない!? h20.8.29
日本政府が国民の統計を取ってそれで作った命令に適[かな]う製品を作れば国民に売れること請け合いだし、国民の統計に適う事業をすれば国民に喜んで利用されることまちがいなしだから、日本政府が作った命令(企画)をお金を出してでも買いたい会社は尽きないはずである。
だから、日本政府は命令を会社に売って儲ければいいから、もはや国民から税金を取らなくてもいい。

[5741] コンピューターが政治を変える?! h20.8.29
コンピューターが国民全員に普及すれば、国民一人一人による直接民主制が可能になる。
その統計に基づいて政府の者が企画を立てて、会社がその企画を実行すればいい。

[5742] テレビが多すぎる! h20.8.29
現在、テレビ局が多すぎる。
要らない番組を作りすぎる。
そんなことに国民の税金が使われている。
子供ばかりか大人がテレビを見すぎると自分で言葉で考えなくなるから国民の文化水準が低下する。
テレビ局が全然要らないとはいわないが、もっと減らしてもいい。

[5743] カマイタチ h20.8.29
野原でカマイタチが出るのは小さな竜巻だとして理解されるけれども、
家の中でカマイタチが出るのは変だ。
それは、昔の人が見た“物が回って見える癲癇”の喩えではないだろうか?
つまり、“物が回って見える癲癇”は昔からあったのではないだろうか?
私の母は幽霊のいたずらだと考えたけれども、昔の人はカマイタチという妖怪の仕業だと考えたのである。

[5744] なぜノストラダムスの予言は当たるのか? h20.8.29
ノストラダムスの予言が本当に当たるのなら、ノストラダムスは超能力者である。
しかし、ノストラダムスは超能力者とされていない。
それは、ノストラダムスの予言書を読んだ政治家が予言書に書いてある通りに世界を動かしてきたからである。
悪い予言ばかりが的中して、よい予言が一度も当たらないのはそのためである。
しかし、『1999年7月に世界が滅ぶ』記述にまではさすがに付き合う気がしなかったので、政治家も無視してやり過ごしたのだ。

[5745] はたして私は超能力者なのか?!☆ h20.8.29
私が自分の超能力?について知っていることは、「昔鴨部に住んでいたとき(つまり、私が1〜2才のとき)、夜中に突然ガラガラが回っって見えた。そんなことが2〜3度あった。」(母談)ことぐらいだ。
『[5737] 超能力者の定義 h20.8.29』と照らし合わせて考えてみよう。
1)1979年に論文に発表されたフレーザー・ウィルコックス錯視が母親の見た幻覚によく当てはまる。したがって、母親の見た現象は錯視によるものだと考えられる。
2)夜中にガラガラが回るのを見たのは、私の母親だけである。目撃者が一人しかいないのでは、私を超能力者だと断定できない。むしろ、1と合わせて幻覚である可能性が高い。
3)夜中に突然ガラガラが回って見えたのは鴨部に住んでいた2〜3回だけである。引越先の若草町の県営住宅では、ガラガラを吊るす位置が変わったせいか、ガラガラが回って見えることはなかった。その後も、家の中で突然物が動いて見えることはなかった。私の超能力(念動力)によるものとすれば、突然私の念動力が出なくなった原因がわからない。ガラガラぐらい大きな重い物体を回すほどの力が出せれば、他に動かせる物があってもいいはずである。例えば、扇風機の羽ぐらい回せそうである。しかし、そんなことは一度も起こらなかった。もちろん、今の私がいくら力んでも、ちっとも念力で物を動かせない。だから、私の念動力によるとは考えにくい。
4)「蛇の回転」の図を見れば、私の母親が見た幻覚の疑似体験ができる。あなたの近くに人がいなければ、あなた自身が図の蛇を回したことになる。超能力者ではないあなたが紙に描いてあるはずの蛇の図柄を回すことができたのである!私がガラガラを回すことができたように、あなたが紙の蛇を回すことができたから、私は超能力者ではないと考えられる。
以上のことから、私が超能力者であるとは考えにくいと結論される。母親が見たのは、実際にあったことではなくて、母親のMT野癲癇による幻覚だと考えられる。

[5746] 国民は超能力者をどう見るか? h20.8.29
私が勇んで国民の前に顔を出して名乗り出ても、国民は私を天皇とは違う超能力者という目ではなく、天皇と同じ仲間という目でしか見ないだろう。国民の目から見れば、同じ鬱陶[うっとう]しいインチキ野郎がまた出てきたと見えるだけだ。たとえ上辺[うわべ]では恭[うやうや]しく礼をしても、心の中では「死ね!」と思うだけだ。

[5747] GHQは大バカ h20.8.29
日本人は天皇なんかちっともありがたがっていない。
ただ、日本政府の者にとっては天皇で国民から税金を取れるから天皇がありがたい。天皇の近く(東京)に住んでいる者にとっては、政治家が天皇制でいろいろ有利にしてくれるから、天皇がちょっとありがたいだけだ。
他の者にとっては、天皇なんかいないほうがいい。鬱陶しい汚いゴミだ。[日本人は、自分が天皇のためにどうして金を出さねばならないか、ちょっとは自分の頭を使って考えてみたらどうだ?!]
GHQはもっと日本を正しく理解してから法を作れ!
軍人では頭が弱いから仕方がないか。

[5748] 私は超能力を消されたか? h20.8.29
私ひとりが超能力者で日本政府が管理が面倒臭くなるという理由で私の超能力を消したとも考えられる。
私の母の言葉によると、私が小さいとき急に私の息が止まって顔色が真っ青になって母親が病院まで走って連れて行ったことがあったそうだ。(その後どうなったのかは知らない。)
しかし、私の呼吸を止めて脳を酸素不足にして私の脳のどこかにある超能力器官を機能不全にするような荒っぽい方法では、おそらく私の脳の他の部位も損傷を受けるにちがいない。そんなことをされたら、私が子供の頃に住んでいた若草町の県営住宅の近くにあった子鹿園に入ることになっていただろう。
実際には、私は普通の幼稚園に入り、普通の小学校に入って進級できたから、たぶんそんなことはやっていないと考えられる。そんなことをされるくらいなら、いっそ殺してもらったほうが幸せだ。

[5749] 天皇は自分で考えて生きているか? h20.8.29
もしも、天皇が自分で考えて生きている人間だったら、
神武天皇の光の玉がコロナ放電で、自分が天皇を辞めねばならないくらいのことはわかるはずだ。[神武天皇の光の玉がコロナ放電であることはボケようのない真実である。だから、天皇はそもそも真実を知らないと考えざるを得ない。]
だから、天皇は自分で考えて生きていない。ただの学歴バカ(学歴が高い割には頭がバカな人)だ。
おまけに、政治家が天皇に関する神制で日本人みんなを自分で考えない人間にするから日本の文化水準が下がるばかりだ。

[5750] 考えるとは何か? h20.8.29
イデアの反応を待って、それを言葉に表すことだ。
たいてい、夜寝ている間に考えて、朝起きたときに書き表すことにしている。
また、わたしはテレビでアニメをよく見るが、他人の書いた本は今から約10年前に大学を出てから一度も読んだことがない。
他人の本を読むと自分で考えなくなるものだ。
だから、自分で考えるときにはなるだけ自分の直接の経験だけによって他人の言葉によらないようにしている。
私は子供の頃から、テレビのニュースで見たり新聞で読んだことは信じないようにしている。つまり、間接情報は避けるようにしている。これが自分で考えるときのコツである。

[5751] 大学教授について h20.8.29
たいていエッチバカだ。顔を見たらわかる。
自分の椅子を守ることが研究をすることか?
[これまでに『超能力者問題と神制度』が解決されていなかったのは、文科系の学者が怠慢だからだ。解決されていたら、私の人生は政治家に妨害されることなく、幸福だったはずだ。]

[5752] 理科系と文科系 h20.8.29
惑星が何時何分何秒にどこそこの位置にあるかを正確に書くのが理科系の研究であるように、誰かさんと誰かさんがいつどこで何をしたかを正確に書くことが文科系の研究である。だから、あえて理系と文系に境界線を引く必要はない。

[5753] どうして超能力は人間には理解できないのか? h20.8.30
神武天皇が光の玉を出したり、キリストが後光を出したり、私が念動力を出したりする仕組みは昔の人にとってはわからなかった。
そこで、昔の人は神武天皇やキリストや私などを人間を超える存在者である神ということにした。
神は人間を超える存在であるがゆえに、神のやることは人間には理解できないとされたのである。
つまり、神は人間が不思議な現象を理解できないために考え出された言い訳なのである。
しかし、今では神武天皇の光の玉はコロナ放電として、キリストの後光や私の念動力は母親が癲癇で見た幻覚だとしてすべて説明が付く。だから、わざわざ神武天皇やキリストや私などを人間を超える神だと考える必要がないのである。

[5754] 例外の解消 h20.8.30
プトレマイオスの時代にも惑星の存在が知られていた。惑星とは夜空の星の中で複雑な動きをするいくつかの“例外的な”星である。
そこでプトレマイオスは惑星の複雑な動きを説明するために周天円を考え出した。
では、なぜいくつかの星だけが“例外的に”周天円に乗って運動するのか?
それはプトレマイオスにはわからなかった。
プトレマイオスは、ただわからないことを別のわからないことに置き換えただけで、わからないことをわかるようにはしなかったのである。
コペルニクスは、地球が太陽の周りを回っていると考えれば、例外的な動きをする星がなくなり、夜空の星がすべて同じ動きをするものと考えることができることに気が付いた。
コペルニクスは、惑星や地球を含む宇宙のすべての星が同じ法則のもとに動いていることを明らかにしたのである。
さらにニュートンは、なぜ地球が太陽の周りを回っているかまでも明らかにした。
この世に人間にとってわからないことがほとんどなくなってしまったのである。
それと同じように、昔の人は理解できないことをやった人間を神とした。神は人間を超える存在だから、神のやることが人間に理解できなくても当然だとしたのである。
しかし、どうしていくつかの人間だけが“例外的に”神なのか?はわからなかった。
昔の人は、ただわからないことを別のわからないことに言い換えただけで、ちっともわかるようにはしなかったのである。
しかし今では、昔神と呼ばれた者がやったことはすべて科学的に説明できるようになった。
だから、人間に理解できないことをやった“例外的な”神はいなくなった。
つまり、現代では人間はみな同じ者であり、もはや神の概念は要らなくなってしまったのである。

[5755] わからない主義 h20.8.30
政治家のやっていることが国民にとってわからなければ政治家にとっては好き放題やれるので都合がいい。
だから、政治家は、わからないことをやったとされる神がいる宗教の世界観を国民に奨励するのである。
つまり、宗教とはわからない主義である。宗教とは、わかることよりもわからないことを礼賛することである。現代においてすでにわかっていることをわざわざわからないことにして喜んでいる空しい会である。自分で考えるのを諦めた、人間の落伍者の集まりである。
国民がこの世にわからないことがあることを認めればいろんなことがわからなくなって国民が他人の言いなりバカになって政治家が国民を御しやすくなると政治家は考えたのである。
しかし、神が人間であったように、政治家もまた人間にすぎない。
政治家のやっていることも国民にとって理解できないことではないのだ。

[5756] 西洋の愛と東洋の愛 h20.8.30
西洋文化は五感的で、東洋文化は知覚的である。
西洋人は五感界が実在だと考えており、東洋人は知覚界が実在だと考えている。
したがって、西洋の愛は肉体の上の愛であり、東洋の愛は心の上の愛である。
つまり、西洋人は他人の肉体を愛するのに対し、東洋人は他人の心を愛するのだ。
その違いは人種による脳の働きの違いによるのだろう。
最近東洋人はテレビを見たり他人の書いた本ばかり読んで自分で言葉で考えなくなっている。
西洋文化は物で支えられているから崩れにくいが、
東洋文化は言葉で支えられているだけだから崩れやすい。
東洋人が自分で言葉で考えなくなったら東洋文化は終わりだ。

[5757] 日本人は真実を尊ぶ民族である。 h20.8.30
日本人は五感に囚われないが、だからといって真実がどうでもいいわけではない。
真実は五感においては見えず、知覚において見えるものである。
だから、西洋人が見栄を重んじるのに対し、日本人は真実を重んじるのである。
だからこそ、日本人は嘘やまちがいで成り立っている天皇制や神制を許せないのである。
[ちなみに、博多は中国文化の影響を強く受けているので、日本本来の文化ではない。]

[5758] どうして日本人は政府に税金を払うのか? h20.8.30
神武天皇の光の玉が出た原因がわからない人が、神武天皇を人間よりも上の者だと考えた。
神武天皇が人間よりも上の者だから、人間よりも上の者がやることは人間にはわからないという理屈である。
神武天皇を人間よりも上の者と考える者は、神武天皇に人間を従わせようとする日本政府の意向に一致するので、政府に税金を払って政府の事業に協力しなければならない。
しかし、神武天皇の光の玉がコロナ放電によると考える者は、神武天皇を人間よりも上の者と考えないから、日本政府とは志[こころざし]を異[こと]にするので、日本政府に税金を払わなくていいのである。

[5759] 日本政府とは何か? h20.8.30
日本人は1〜2人の神と大勢の人間から成る混合体である。
日本の政治家は日本人を取り扱わねばならない。
したがって、神と無関係に人間と人間の関係を扱うときには政治家は純粋に政治家であるが、神と人間の関係を扱うときには政治家は宗教家になる。つまり、政治家と宗教家は切り離せず一体化しているものである。
したがって、日本政府は神制と民主制の両方でやらなければならない。だから、日本政府は純粋に神制の機関でもないし、純粋に民主制の機関でもない。一般に、神制と民主制は混ざっている。
私が子供の頃まだ日本がアメリカの傘下にあるときには日本はおとなしくアメリカまがいの民主制で真面目にやっていたが、アメリカが日本から離れていくとすぐに昔の神制が復活した。
日本政府による日本人の捉え方はまちがっている。
日本人は神と人間の混合体ではなく、人間だけからなる純粋体である。
だから、日本政府は純粋な民主制でやらねばならない。
神を人間と違う者とするには、それに足る十分な証拠が必要である。
例えば、私の母親の証言だけでは、私を神とするには弱すぎる。私の母親の証言だけでは、私の母親が見た幻覚だとすることが論理的に正しい答えだと考えられる。[空飛ぶ円盤の目撃者が一人しかいない場合に信用しないのと同じことだ。本当のことを言っているか嘘をついているかは根本的には本人しかわからないので(癲癇の場合には本人ですらわからないが)、目撃者が一人しかいない場合には常識的にありえないことは信用しないのが普通だ。]

[5760] 神と超能力者は別物である。 h20.8.30
神とは、人間が理解できないことをする者である。
一方、超能力者は、超能力者の身体のどこかにある超能力器官で不思議な現象を起こす者である。
神に対しては人間は理解することができないが、超能力者に対してなら人間は医学的な研究によって超能力の仕組みを理解することができるはずである。
したがって、将来超能力者が現われても、科学慣れした人類にとっては、つまり実在は人間によって理解されるべきものであると確信している人類にとっては、もはや超能力者を神と見なす者はいないだろう。

[5761] 『フェルマーの大定理』 h20.8.30
昔の人は、神武天皇の光の玉が出た原因がわからなかったので、神武天皇を人間よりも上の者だと考えた。
神武天皇を人間よりも上の者にしてしまえば、人間よりも上の者のやることは人間には理解できないから、人間である自分がわからなくても済むからである。
しかし、神武天皇の光の玉が出た原因がわからないことの証明がない。証明がなければ、それが原理的にわからないものであるとは言い切れない。
ちょうど、『フェルマーの大定理』が解けない証明がないのに解けない問題であると信じられていたようなものである。
‘神武天皇の光の玉が出た原因がわからない’証明がないのに、原理的にわからないことにしてしまった点に誤りがある。
自分たちで勝手に解けない問題にして解かなければいいという理屈が成り立たないことは、長い間解けないと信じられていた『フェルマーの大定理』が1995年頃ワイルズによって解決されたことからもわかる。
『フェルマーの大定理』がフェルマーによって発見されてからワイルズによって解決されるまでに360年もかかったから、神武天皇の光の玉の問題についても、早まって神武天皇を人間よりも上の者にして問題をわからないことにしてしまうよりも、もっと時間的な猶予を設けて正解を待てばよかったのだ。

[5762] どうすれば国民は税金を払うか? h20.8.30
政府がちょっとでも神制をやっている様子があれば国民は税金を払わない。
例えば、国会に天皇を置いたり、政府が天皇を抱えているうちは税金を払わない。
天皇や私に因んだ活動が日本や世界においてちょっとでも見られるうちは税金を払わない。
政府が神制をやめて完全な民主制でやるようになれば払ってやってもいいが、それまでは払う気はない。

[5763] 神(人間よりも上の者)は邪道 h20.8.30
自分が不思議現象の原因がわからないことと、不思議現象の近くにいた人を神(人間よりも上の者)とすることとは別ごとである。
自分が不思議現象の原因がわからないからといって、不思議現象の近くにいた人を神(人間よりも上の者)にして、人間よりも上の者がやることは人間である自分にはわからないといって、自分がわからないことを正当化するのは卑怯[ひきょう]なやり方だ。
自分が不思議現象の原因がわからないなら、正直に「わかりません」と言うべきであって、屁理屈をこねてはいけない。
[不思議現象の近くにいた人を神(超能力者)とするためには、たしかに超能力でやったという物的証拠(例えば、超能力者の体内にある超能力器官の特定)が必要である。私の[5737]の超能力者の定義だけでは、超能力以外の方法でやっていないという検証が不十分であるが(例えば、ユリ=ゲラーのスプーン曲げ)、それは私の[5737]の超能力者の定義を満足する対象が現われてから問題にすればいいことなので、今のところは強いて取り沙汰にしなくてもかまわない。とにかく不思議現象の近くにいた人を神(人間よりも上の者)とするやり方は、不思議現象に対する理解を放棄することであり、人間としてはやってはいけない邪道である。]

[5764] どうしてユリ=ゲラーは神(超能力者)だとされなかったのか? h20.8.31
ユリ=ゲラーの名前を見てもわかるように(ユリ←裕季子[ゆりこ](私の母の名)、ゲ←ノブ(ゲの分解)←延夫[のぶお](私の名))、ユリ=ゲラーは最初から政治家が手品師に超能力者の真似をやらせていただけなので政治家に神(超能力者)だとされなかったのである。関口少年なども同様。

[5765] 天皇制を支持する者は殺せ! h20.8.31
東京に住んでいる者は天皇制を目当てに全国から集まってきた者である。
だから、東京に住んでいる者は天皇制を支持する者である。
まちがった天皇制を支持する者なんか生きる価値がない。
東京に住んでいる者は原爆でも落として殺してやればいい。
イランイラク戦争で100万人殺したからお相子だ。

[5766] 「蛇の回転」 h20.8.31
「蛇の回転」は立命館大学人文学部心理学教室の北岡明佳[きたおかあきよし]教授が考案した錯視図形だが、私が高知大学理学部数学科にいたとき(1982年頃、今から26年前)、いつも数学科の講義のとき私の隣の席に北岡理[きたおかおさむ]君と高知学芸高校の同級生だった田中邦明[たなかくにあき]君が座っていた。北岡理君と北岡明佳教授の顔はなんとなく似ている。
北岡教授のホームページに載っていた「光る菊」を見て思いついたことだが、「蛇の回転」のネーミングは、私が赤ちゃんの頃に念動力で回したとされる天井から吊るすガラガラに因んでガラガラヘビに掛けているのだろう。
「蛇の回転」の図は、1979年にフレーザー・ウィルコックス錯視が発見されてから24年後の2003年9月に北岡教授の手によってほぼ完成したから、さすがにこの頃には私の母親の見たことが幻覚だとわかるはずだ。日本で神とされている神武天皇の光の玉がたんなるコロナ放電による電気現象だったことや、キリストの後光がキリストの母親が見た癲癇による幻覚だったことや、北岡教授の蛇の回転の錯視図形や物が動いて見える錯視には大脳皮質視覚野MT野の興奮が関係していることなどがわかれば、私の母親の見たことは母親のMT野癲癇による幻覚だと考えざるを得ない。
日本政府がその後も何食わぬ顔で私に関する神制を続けているのは科学的真理を無視したふてぶてしい行為だ。

[5767] 言い訳の代償 h20.8.31
昔の人は、神武天皇の光の玉がどうして出たのかわからなかったので、神武天皇を“人間よりも上の者”にして、“人間よりも上の者”のやることは人間にはわからないからと言うことで、自分が神武天皇の光の玉が出た原因がわからないことの言い訳にした。
しかし、そのおかげで、神武天皇やその子孫はその後もずっと“人間よりも上の者”になり、長い間日本人は天皇家に従わなければならなくなった。日本人が天皇家に従うことを管理するのが日本政府である。
私たちの先祖のつまらない言い訳の代償に私たちが毎月高い税金を日本政府に取られてその上日本政府の命令に従わされるのは割に合わない。
弥生人ごときにコロナ放電が理解できるか!?弥生人ごときが全知全能のふりをするな!光の玉の原因がわからないのは弥生人が馬鹿だからだ。馬鹿が屁理屈をこねて利口ぶるな!自分が馬鹿だとわかっているアフリカ人を見習え![アフリカや中国に神制度がないのは、アフリカ人や中国人が“人間よりも上の者”がすることは人間にはわからないという屁理屈を考え付かなかったからである。]馬鹿は馬鹿なりに、わからなければわからないと正直に言え!『下手な考え休むに似たり。』だ。
現代人が弥生人に従わなければならない道理はない。むしろ、弥生人が現代人に従わなければならない。だから、現代人は弥生人と戦って弥生人のまちがった世界観をぶち壊さなければならない。

[5768] 日本政府による詐欺 h20.9.1
私の母親は私が1〜2才の頃に夜中に突然ガラガラが回るのを見た。
物的証拠がなく、私の母親の証言だけであれば、今日的常識的には当然母親が見た幻覚だと考えるべきである。[子供でもそれぐらいのことはわかる。]
それをあえて日本政府がわからないことにしたのは、日本政府が“故意にわからないふり”をしたとしか考えられない。
日本政府が“故意にわからないふり”をして、私を‘人間の理解を超えたことをした人間よりも上の者’にして、私に関する神制を始めたのである。
つまり、私に関する神制は最初から日本政府によって計画された詐欺だったのである。
したがって、日本政府が犯罪者だから、神制によって被害を受けた者に対して日本政府が責任を取らねばならない。

[5769] ガセネタ h20.9.1
最近(と言っても今から5年位前だが)、テレビ朝日かなんかで「皿が食器棚から突然飛び出す」事件が報道された。
おおかた家庭の主婦の‘いたずら’だっただろうが、なんとなく嘘臭さが漂っていたので、私の母親が癲癇で見た“本気[まじ]の幻覚”のように政治家に信じてもらえなかったのである。

[5770] 時代遅れ h20.9.1
日本政府は2000年前のイスラエルでやってよかったから、現代の日本でもやっていいと考えている。
場所も時代も違うだろうが!
日本政府には今日的な常識が通用しないのだろうか!?
人間に理解できることは時代によって変わるから、過去と同じパターンは通用しないのだ。

[5771] 日本政府は馬鹿 h20.9.1
日本政府は、私の母親が見たのが幻覚だとわからないぐらい頭が弱い。[詐欺にしては嘘が簡単すぎる。]
そんな馬鹿に法律がどうのこうのと言える資格はない。
馬鹿な日本政府が作った非合理的なボロい法律なんか守る価値がない。
日本政府は国民の管理者に向いていない。

[5772] 神は禁忌[きんき]☆☆☆ h20.9.1
自分に理解できない現象があったとき、その現象の近くにいた者を神すなわち人間よりも上の者にして、人間よりも上の者がやることは人間には理解できないからと言って、人間である自分に理解できないことを正当化する方法はやってはいけない。
自分に理解できない現象は、未来にその現象が解かれることを期待して、ひとまず理解できないことにして置いておかねばならない。

[5773] どうして日本人は日本政府に税金を払うのか? h20.9.1
日本人の大半が馬鹿だからである。
日本人の大人は図体だけが一人前で、考える頭を持っている者がほとんどいないから、おとなしく政府の言いなりになることしかできないのである。
日本人は自分で言葉を使って考えないから、政府がまちがっていることにいつまでたっても気付かないのである。
つまり、日本政府は馬鹿だが、日本人はそれを上まわる馬鹿だから、日本人は日本政府の言いなりなのである。

[5774] 人間よりも上の者とは? h20.9.1
将来、幻覚や他の自然現象による見まちがいではない、正真正銘の超能力者が現われたとする。
超能力者は超能力者であって、人間よりも上の者かどうかはわからない。
人間よりも上の者を人間が従わねばならない者という意味だとすれば、人間よりも上の者は実在についての真実がわかる者か国民共通の意思がわかる者であって超能力者はそのどちらでもないから、超能力者は人間よりも上の者ではない。
しかし、人間よりも上の者を人間よりも生物学的に進化した者という意味だとすれば、超能力者は人間よりも上の者かもしれない。(私は生物学に詳しくないので正確なことはわからない。)
また、人間よりも上の者を人間が理解できない者という意味だとすれば、超能力者は身体のどこかに超能力器官のある人間であって医学的に研究可能な対象であり、超能力の性質を物理化学的に研究することはいくらでもできるから、超能力者は人間よりも上の者ではない。
このように、人間よりも上の者の意味を細かく定めないかぎり、超能力者が人間よりも上の者であるかどうかは決まらないのである。

[5775] どうして政治家は神を大事にするか? h20.9.1
人間よりも上の者としての神がいれば、人類が人間と人間よりも上の神の2種類いることになって、政治家が神の側に回れば、自分も人間の上に立つことになって人間を支配しやすいからである。
しかしながら、人間よりも上の者を生物的に進化した者のこととし、さらに生物の進化を‘種として生物ピラミッドの上にいること’だとすれば、一人しかいない神よりも大勢いる人間のほうが種としては生物ピラミッドの上にいるから神よりも人間のほうが進化していることになり、むしろ神が人間よりも下の者になる。したがって、神の側についた政治家も人間よりも下の者になる。
もっとも、これまでに神(人間よりも上の者)とされた者はみな超能力者であり、しかも超能力者の判定基準が不完全なためにまちがって超能力者にされた者であり、本来は人間と区別されるべき者ではないから、人類は人間しかいないことになる。
したがって、政治家は神に頼らずに、自分自身の信頼性によって人類の中で上に立つしかない。

[5776] 超能力のある世界からない世界へ h20.9.1
昔の人は、どうして神武天皇が光の玉を出したり、キリストが後光を出したり、私が離れた所にあるガラガラを回したりできるのかわからなかった。
そこで“超能力”を付け加えて、神武天皇やキリストや私が“超能力”を使える者(超能力者)だから、そんな変わったことができると考えた。[昔の人は、それで十分納得した。超能力者つまり魔術師や魔法使いは神ほどではないが、偉い人ではあった。]
そのために人類は超能力のない人間と超能力のある超能力者の2種類いることになった。
超能力のある超能力者は超能力のない人間よりも上の者だと考えられたので、政治家は超能力者の側について、人間を支配した。
しかし、時代が進んで科学が発達し、人類はどうして神武天皇が光の玉を出したり、キリストが後光を出したり、私が離れた所にあるガラガラを回したりできるかを合理的に理解できるようになった。もはや“超能力”を用いなくても、それらの現象が説明できるようになった。
つまり、現代は“超能力”のない、超能力者のいない時代なのである。
したがって、人類は人間だけからなり、人類はみな平等になったのである。

[5777] どうして今どき信者がいるのか? h20.9.1
信者とは超能力者の存在を信じる者である。
政治家が超能力者の側に回れば人間を支配しやすくなるからわかるとしても、
政治家以外の者が超能力者の存在を信じたとしても、政治家と組まないかぎり得になることはない。
つまり、政治家以外の者が超能力者を信じたふりをするのは、自分が政治家と組んで政治家の側に回って国民を支配するためである。
しかし、今どき超能力者がいると思う者はいないし、したがって超能力者が人間よりも上だと思う者もいない。むしろ超能力者を信じる者なんか馬鹿だと思われて無視されるだけである。[現代人は、超能力者がいないという仮定に基づいて、超能力の謎を解こうとする。]
したがって、今どき超能力者を信じたふりをしても、国民も政治家も誰も得にはならないのである。

[5778] まちがった仮説 h20.9.2
神武天皇の光の玉は当時の知識では理解できなかった。
そこで、神武天皇を人間よりも上の者(いわゆる神)と考えた。
動物に人間のやることが理解できないように、
人間よりも上の者のやることは人間には理解できないという理屈である。
しかし、今なら神武天皇の光の玉はコロナ放電(つまり、電場によって加速された電子による空気分子の励起による発光現象)として理解できる。
だったら、神武天皇をわざわざ人間よりも上の者と考える必要はない。
やはり、神武天皇を人間よりも上の者と考えたことがまちがっている。
昔の人が立てたまちがった仮説にすぎなかったのだ。

[5779] 人間よりも上の者? h20.9.2
人間よりも上の者であるはずの神武天皇はどうして光の玉を出すことしかできなかったのだろう?
人間よりも上の者なら他にもいろいろ不思議なことができるはずだ。
だから、神武天皇はせいぜい光の玉を出すことができた人だ。
だから、神武天皇は光の玉を出せる魔術師であって、人間よりも上の者とすることはまちがいだ。
それなら、どうして島根県の東部の1回きりしか光の玉を出せなかったのだろう?
それは、紀元前666年(神武天皇が光の玉を出したと考えられる年)の島根県の東部だったからだろう。
つまり、紀元前666年の島根県の東部こそが魔術師だったのだ。神武天皇はせいぜい魔術師の助手だ。神武天皇はただの道具持ちだから、自分では魔法が使えないのだ。
マジックショーで観客の中から適当に一人を選んでステージに上がらせて手品師の助手をさせることがあるように、魔術師の助手なら人間なら誰でもできるから、神武天皇はただの人間にすぎない。

[5780] キリストの場合 h20.9.2
キリストは神(人間よりも上の者)と考えられたが、後光を出すことしかできなかった。
それなら、キリストは神というほどの者ではなく、せいぜい後光を出す魔法使いだ。
しかも、後光が出たのはキリストの母親が見た1回きりで、他の人が見たときには後光が出なかった。
キリスト自身が魔法使いなら、母親以外にもキリストの後光を見た者がいたはずだ。だから、キリストは魔法使いではない。
したがって、キリストの母親が魔法でキリストの頭の周りを光らせたのである。
キリストは魔法使いの母親の助手だ。だから、キリストはただの人間だ。
しかし、キリストの母親が他人の頭の周りを光らせる魔法が使えたのはキリストの1回だけだ。
本当の魔法使いなら、もっといろんな人の頭の周りを光らせることができたはずだ。
だから、キリストの母親は魔法使いではなく、キリストの頭は何か別の原因で光ったのだろう。

[5781] 私の場合 h20.9.2
私は神(人間よりも上の者)と考えられたが、実際にはガラガラを回すことしかできなかった。
それなら、私は神というほどの者ではなく、せいぜい魔法使いだ。
しかも、ガラガラは母親が見ているときにしか回せなかった。
それなら、私ではなく私の母親が魔法使いだ。
しかし、私の母親はガラガラしか回せなかった。
それなら、そのガラガラこそが魔法使いだ。ガラガラが突然自分の意思を持って自分自身の力で回ったのだ。
そのガラガラは私の家族が鴨部から若草町に引越したときにゴミに捨てた。

[5782] 『裸の王様』 h20.9.2
『裸の王様』の王様は、キリストのことだ。キリストはいつも裸で十字架にいるからだ。
『裸の王様』の賢者にしか見えない服とは、キリストの後光のことである。
『裸の王様』の仕立て屋とは、政治家のことである。
つまり、『裸の王様』が言いたいことは、「宗教反対!」ということである。
それなら、日本のアニメやマンガもそれに倣[なら]えばいいじゃないか。
日本は宗教国家なので、科学国家のヨーロッパとは違うというのか?
しかし、日本でも国民が政治家の味方をしても、政治家が儲かるだけで国民は損をするだけである。
政治家が超能力者がいるというのなら、その証拠を見せてみやがれ![キリストや私に関しては、母親の証言だけが唯一の証拠である。キリストや私を超能力者にするには証拠不十分である。超能力者である十分な証拠もないのに、超能力者であるということはできない。例えば、私の母親が癲癇ではないという証拠が必要である。ところが、私の母は子供の頃に火の玉を見たことがあるから、むしろ視覚野の癲癇が起こりやすい体質だと考えられる。その後、私の身近にある物体が突然動いたことはないし、私の身体に超能力器官があるとは考えにくい。したがって、私が超能力者であるとは考えにくい。証言だけで超能力者になれるなら、嘘をつくのが上手な人に頼めば誰でも超能力者になれる。(依頼人が詰問されたとき、いざとなれば自分が癲癇で見た見まちがいにすれば言い逃れが利く。)超能力者になった者が人前で威張れば、政治家のように贅沢な暮らしができるだろう。(私は嘘をつくのが嫌いだし威張るのが嫌だから、そうしないのだ。)

[5783] どうして魔法使いは1回だけしか魔法が使えないのか?☆ h20.9.2
神や魔法使いを超能力者と言ったところで同じである。
超能力者が超能力が使えるのは、超能力者の身体の中に『超能力器官』があるからだと考えられる。
だから、脳や筋肉と同じように超能力器官があるかぎり何度でも超能力が使えるはずである。他の器官が死ぬまで使えるのに、超能力器官だけが例外的に1回しか使えないのは不自然である。私が小学3年生のときに自転車が乗れるようになってからずっと乗れるように、人間は一度できたことは何度もできるのが普通だから、一度超能力が使えた者は何度でも使えるはずである。また、自転車に乗っていた人がバイクや車に乗るようになっても自転車に乗れるように、一度超能力が使えた者が手足を使うようになっても超能力が使えるはずである。
だから、超能力者が1回きりしか超能力が使えないのは、そもそも超能力者ではないからだと考えられる。
人間が他の現象を超能力と誤解しているだけのことである。

[5784] 「幽霊のいたずら」 h20.9.2
私の母親は、夜中に突然ガラガラが回ったのを見て、「幽霊のいたずら」(母談)のせいだと考えた。
仏教では、人間は肉体と霊体の2つから成り、人間の肉体は死んでも霊体は不滅であると考えられている。[日本人が五感にこだわらないのは、人間が肉体と霊体のふたつから成り霊体のほうが本体だと考えているからである。反対に、西洋人が五感にこだわるのは、人間を肉体だけだと考えているからである。]
そこで、死人の身体から抜け出た霊体がガラガラに乗り移ってガラガラを肉体のように動かしたのだと、私の母は考えたのである。
死んでから49日すると霊体は霊界に行かねばならないので、ガラガラはそれっきりで回らなくなったのである。
ガラガラが回らなくなった説明が付くぶん、私の母親の霊体説が日本政府の超能力説よりも有力だと考えられる。

[5785] 皇族が滅びるとき h20.9.2
突然変異で、頭のいい皇族が現われたとき。
自分が正しく生きるために皇族を辞めるだろう。

[5786] 人間よりも下の者 h20.9.2
たったひとつの超能力が使える超能力者は、人間よりも上の者である神というほどの者ではなく、人間よりもちょっとだけ上の者である魔術師にすぎない。
それも、本当の超能力者がいればの話である。
キリストの後光がキリストの母親が癲癇で見た幻覚だとすれば、キリストは超能力者ではないから人間と同じで、キリストの母親も人間と同じだ。
嘘やインチキの超能力者は正直でないから人間よりも下の者だ(例、天皇)。

[5787] 私が心霊写真を怖がらなくなった理由 h20.9.2
私は子供の頃心霊写真がすごく怖かった。なかでも小学館の学習雑誌『小学4年生』のおだ辰夫のコーナーに載っていた“首だけが宙を飛んでいる幽霊が写った集合写真”がすごく怖くて、雑誌の写真をハサミで切り取ってグルグルに巻いて針金で縛って家の近所の畑に捨てに行ったほどだ。
私が心霊写真が怖かったのは、私の母親が日蓮宗に入っていて霊体の存在を信じていて、私も母親の影響を受けて霊体の存在を心の中で信じていたせいだろう。
しかし、大学に入って毎日哲学日記を書いているうちに、人間の認識は脳細胞における感覚の発生であり、人間の感覚が脳細胞から切り離れて存在し得ない(つまり、霊体が存在しない)ことに気づいたとき、これまでの心霊写真が全部トリックであることがわかり、それ以来心霊写真が怖くなくなった。

[5788] 人間よりも上の者とは何か? h20.9.2
大昔、自然は人間よりも上のものであった。[だから、八百万[やおろず]の神がいたのである。]
それは、自然が人間にとって理解できないものだったからである。
昔、超能力者は人間よりも上の者であった。[だから、超能力者が現人神[あらひとがみ]とされたのである。]
それは、超能力者が人間にとって理解できないことを起こしたと考えられたからである。
しかし、近代自然科学が誕生して以来、自然は人間に理解できるものとなった。
自然はもはや人間よりも下のものである。
いまや超能力者が現われても、超能力の仕組みを理解するための方法がたくさんあるので、人間はもはや超能力者を人間よりも上の者とは思わないだろう。
つまり、人間は知的な動物なので、人間よりも上か否[いな]かは人間がその対象を理解できないかできるかにかかっているので、どうしても理解できないとわからないかぎり人間はその対象を人間よりも上の者だとは見なさないのである。
例えば、私の場合には、私に関する不思議現象が私の母親が見た癲癇として理解できるから、もはや私は人間よりも上の者ではない。
それに時代が変われば人の持っている知識も変わるから、昔理解できなかった不思議現象が今理解できるようになれば、かつて人間よりも上だった者が人間と同じになる。
しかし、たとえ未来においても本当に人間の理解を超えることをする者が現われたら、やはり人間よりも上の者だと見なすだろう。

[5789] 神制度は成り立たない。☆ h20.9.2
ある者が不思議現象を起こしたとする。
ある者が人間よりも上の者か否かは、不思議現象を理解できないかできるかによって決まる。
だから、馬鹿にとっては人間よりも上の者であっても、利口にとっては人間と同じ者だったりする。
現象を理解する者の知的水準によって、ある者が人間よりも上になったり同じになったりするから神制度は成り立たない。
それに、人間よりも上の者と言っても理解できない現象を起こしたという意味だから、言い換えれば自分たちが馬鹿なだけである。
そもそも不思議現象が理解できないことの証明はできないので、ある者を人間よりも上の者だと決めることは絶対にできない。つまり、人間よりも上の者はつねに不確定な存在であって胡散[うさん]臭い。
将来においては人類に理解できないことがなくなるから、人間よりも上の者はいなくなるはずである。つまり、t→∞のとき神→φ。
そこで、神制度自体廃止にして、無理に人間よりも上の者を決めるのをやめて、不思議現象がわからなければわかるまで待つことにしよう。

[5790] 宗教とは何か? h20.9.2
いまだに神武天皇やキリストが人間に理解できないことをしたと思っている時代遅れの古臭い連中。
とっくの昔に神武天皇やキリストについての謎は解けてしまっているから、今さら神武天皇やキリストを話題にしなくてもいい。
『フェルマーの大定理』が解けた後で、いまだに『フェルマーの大定理』が解けていないと思っているようなものだ。
もう少し学校でちゃんと勉強しろ!

[5791] 難しい自然科学の問題 h20.9.3
神とは『人間に理解できない現象』の近くにいた人のことである。
だから、神は『人間に理解できない現象』の発現に関与しているかどうかさえわからない。
人間に理解できないとは言っても、原理的にできないというのではなく、ただたんに当時の知識では理解できないというだけのことである。
つまり、神とは難問クイズの問題の文章の中に登場する人のことである。神は人間に理解できない現象そのもののことであって、近くにいた人はその付録にすぎないと言うこともできる。
要するに、難しい自然科学の問題があるというだけのことであって、昔の人はその問題の中に登場する人を‘人間よりも上の者’と考えることによって解けたことにしたが、それでは‘わからない者’を作り出してわからない問題を‘わからない者’のせいにしているだけであって、わからないことがわかるようになったわけではないから本当に問題が解けたことにはならないので、別の答えを探さねばならないということである。つまり、‘人間よりも上の者’は自然科学の難問に対して昔の人が出したまちがった解答なのである。
じつは、これまでのオカルト問題はすべて科学で解けてしまっている。だから、神はいない。今の人類は新しい『人間に理解できない問題』を待っている状態なのである。

[5792] 神の条件 h20.9.3
神であるかないかは、人間の脳と対象の比較である。
昔は、人間が実在を理解できていなかったから、実在が人間よりも上であった。つまり、実在は人間にとって神であった。
今では、人間が実在を理解できたから、実在と人間は同じなのだ。つまり、実在は人間にとってもはや神ではない。

[5793] 神主義と人間主義 h20.9.3
神主義とはわからないことを基[もと]にすることであり、
人間主義とはわかることを基にすることである。

神主義ではわかることまでわからないことになって何もわかることがない。[知覚欲が満足されない。]
人間主義ではわからないことがわかることになって新しくわかることがある。
つまり、神主義とは人間を馬鹿に変えることである。
人間主義とは人間を利口に変えることである。
つまり、宗教に入ると馬鹿になるから入らないほうがいいということだ。
学校に入ると利口になるから入るべきだということだ。
人間はわかることだけが取り柄の動物だから、人間からわかる取り柄を奪う神主義は人間を役立たずのゴミに変えるだけだ。

[5794] どうすれば難問になったか? h20.9.3
私の母親は夜中に突然ガラガラが回るのを見たが、見たのが私の母親一人だけだったので、この問題は母親の見た幻覚だとしてあっさりと解決されてしまった。
これでは、問題が易しすぎる。[あえて言えば、物が動いて見える幻覚と言うのが難しい所だが、人間の視覚野がたんなる写真機ではなくもっと複雑にできていることを考慮すれば、さして難しくもない。つまり、大脳皮質の『物が動いて見える中枢』が興奮すれば、その脳の持ち主である人間にとってはあたかも物が動いているかのように見えるのである。人間の脳はもともとそのようにできているのである。北岡教授の言葉を借りれば、脳が脳の持ち主自身をだますといったところか。北岡教授の錯視図形は、『物が動いて見える中枢』を興奮させる図形だから動いて見えるのである。つまり、人間の脳というのは[とくに視覚野は]、光を感覚に変換する装置である。人間の脳は有機物でできていて完全に正確な変換装置ではないために、変換の途中でいろんなエラー(幻覚)が発生するのである。発生の異常で奇形児が生まれるのと同じことである。人間の身体が物質でできているためにときどき健康な状態を保てなくなって病気になるのも同じことである。]
2名以上の者がガラガラが突然回るのを見たなら、かなりの難問になっていただろう。
もっとも、私以外の者にとっては、そもそも問題自体がわからなかったから、難しい問題だったにちがいない。

[5795] “人間よりも上の者”の利用法 h20.9.3
昔の人は、『人間に理解できない現象』の近くにいた人を“人間よりも上の者”だと考えた。
“人間よりも上の者”のやることは人間には理解できないという理屈である。
政治家はさっそく“人間よりも上の者”の側[がわ]に付いた。それは、“人間よりも上の者”に側[そば]にいれば、人間を支配しやすくなるからである。
国民の中にも“人間よりも上の者”の側に付く者が現われたが、それは政治家に調子を合わせて政治家と組んで自分が有利に生きるためである。いわゆる、『大人の理屈』と呼ばれるものである。したがって、“人間よりも上の者”を支持するのに宗教的な意味合いはなく、おもに経済的な動機による。だから、活動は表面的形式的なものであって、深い意味はないのである。
つまり、“人間よりも上の者”は政治家にとっては政治的目的のために、国民にとっては経済的目的のために利用されてきたのである。
ところで、『人間に理解できない現象』の近くにいた人を“人間よりも上の者”だと考える“人間よりも上の者仮説”は正しいのだろうか?“人間よりも上の者”というからには、すべての点において人間よりも上の者でなければならない。そうでなければ人間よりも上の者とは言えないからである。一ヶ所でも人間に劣る点があるともはや人間よりも上の者とは言えない。しかし、実際には人間よりも上の者はせいぜい『人間に理解できない現象』を起こすことができただけでそれ以上の者ではない。学問やスポーツや芸能においては“人間よりも上の者”よりも上の人間がたくさんいる。したがって、“人間よりも上の者仮説”はまちがいであり、せいぜい‘超能力者仮説’にとどめなければならない。しかし、ひとつの超能力が使えるだけの超能力者では、もはや人間よりも上の者ではないので、政治的目的には利用する価値がない。したがって、超能力者は政治家にとっても国民にとってもお払い箱である。まして、超能力のないただの人間では。

[5796] 『人間に理解できない現象』が“人間よりも上の者”の生みの親である。 h20.9.3
昔の人は、『人間に理解できない現象』の近くにいた人を“人間よりも上の者”だと考えた。
しかし、問題となっている現象が『人間に理解できない現象』であるためには、まず自分で考えてみて、どうしても自分の知識では理解できないことがわからなければならない。
つまり、問題にされている現象が『人間に理解できない現象』であるためには、問題にされている現象が理解できないことが必要条件である。
ところが、今の人は、神武天皇の光の玉もキリストの後光も私のガラガラ回しも電磁気学や医学の知識で容易に理解できる。だから、問題になっている現象はもはや『人間に理解できない現象』ではない。したがって、“人間よりも上の者”は発生しない。
つまり、『人間に理解できない現象』が“人間よりも上の者”の生みの親だから、『人間に理解できない現象』がなければ“人間よりも上の者”も生まれないのだ。

[5797] 黒人は白人に劣るか? h20.9.3
もしも黒人が本当に白人に劣るのなら、実力で勝負することにして、わざわざ黒人を法律的に差別しなくてもいい。
白人が「黒人が白人に劣る」と言うのなら、実力で正々堂々と勝負して、それを証明すればいい。
白人が黒人を差別したければ、法律で差別するのではなく、実力で差別すればいい。

[5798] “人間よりも上の者”は人間よりも上か? h20.9.3
もしも“人間よりも上の者”が本当に人間よりも上なら、実力で勝負することにして、わざわざ法律的に上にしなくてもいい。
“人間よりも上の者”が「自分は人間よりも上だ」と言うのなら、実力で正々堂々と勝負して、自分の言葉が正しいことを証明すればいい。
“人間よりも上の者”が人間よりも上でいたければ、法律的に上ではなくて、実力で上であることをみんなの前で示さなければならない。

[5799] どうして天皇はいまだに人間よりも上の者なのか? h20.9.4
神武天皇の光の玉が理解できない者がいまだにいるからである。
その者たちにとっては、神武天皇は今でも人間に理解できない現象を起こした人間よりも上の者なのである。
しかし、大勢の者にとっては神武天皇の光の玉は理解できるので、神武天皇は人間よりも上の者ではない。[神武天皇に関しては光の玉を出した記録しか残っておらず、神武天皇が学問やスポーツや芸能などのあらゆる分野において人間よりも優れていたという記録は残っていない。だから、神武天皇を人間よりも上の者とすることはひとつの解釈にすぎず事実ではない。]
神制の困る所は、神(人間よりも上の者)であるかないかが個人の理解力によるので、神であるかないかが一意的に決まらない点である。
神様ごっこは馬鹿の間だけでやることにして、健全な人間を巻き込まないでくれないか?

[5800] 超能力の専門家 h20.9.4
ひとつの科目だけが得意な者が全科目が得意な者ではないように、
ひとつの超能力が使えるだけの超能力者は超能力の専門家であって人間よりも上の者ではない。
つまり、人間よりも上の者と超能力者は別の概念である。人間よりも上の者は人間にできないこと(超能力)ができて、その上にすべての分野において人間よりも優れていなければならない。したがって、人間よりも上の者ならば超能力者だが、逆に超能力者だからといって人間よりも上の者とは限らない。すなわち、人間よりも上の者⊂超能力者。

『白馬は馬にあらず』と同じように、超能力者と人間よりも上の者を同じ者とすることは詭弁[きべん]である。
したがって、これまでの神は人間よりも上の者ではなく、せいぜい超能力者どまりだし、たぶん超能力のない人間だ。


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