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[5601] 神についての法律は要らない。☆ h20.8.9
政治家は国民の意思を決定する者であって、実在についての真理を研究する者ではない。
例えば、ある者が超能力者であるかないかの判定は、政治家の仕事ではなく学者の仕事である。
学者に言わせれば、これまでの超能力者といわれた者はすべて自然現象や癲癇による幻覚によって超能力者にまちがわれた者にすぎない。
つまり、神はいないのが真実である。
したがって、政治家は実在しない神についての国民の意思決定をする必要がなく、『神に人間が従わねばならない』といった神についての法律を定めることはできない。したがって、これまでの神についての法律はすべて無効である。

[5602] 宗教とは何か? h20.8.9
昔の人は、神すなわち超能力者が実在すると思っていた。
そこで、神をどう扱うべきかについて政治家が真剣に話し合って、神と人間の関係を定めた。
つまり、神についての政治が宗教である。[政治とは、一般に国民の意思を決定することであり、神についての問題だけを扱うのではない。今日では政治の扱う範囲は広く、宗教は政治の一部にすぎない。つまり、政治⊃宗教。日本という身体の中の日本政府という機関の中に宗教庁という癌組織があると考えればいい。]
しかしながら、実際には神はいないのだから、宗教も要らない。

[5603] 結果よりも事実が大事 h20.8.9
神制をやって結果が得になるか損になるかはよくわからない。
しかし、神すなわち超能力者が実在しないことは確実である。
人間は不確かなことよりも確かなことを大事にしなければならない。
よって、神制をやるために神を捏造[ねつぞう]するよりも、
神がいないのでは神制のやりようがないと考えるべきである。
[捏造は、平成元年の頃、実験のレポートの結果を理論と合わせるために盛んに医学生の間で行われていた。私の席の近くにいた学生たちがよく「捏造」「捏造」と言い合って笑っていた。その頃には、すでにフレーザー・ウィルコックス錯視が論文に発表されて知られていたから、日本政府は自分たちのしたことが神の捏造であることを認めていたのかもしれない。]
要するに、神がいるかいないかは損得以前の問題だから、神制をやって得になろうがなるまいがとにかく神がいない事実を認めねばならない。宗教で心が休まろうが休まるまいが、とにかく神がいないことは認めねばならない。

[5604] モーゼの十戒[じっかい] h20.8.9
モーゼは神であり政治家でもあった。
モーゼの十戒では、1~4戒までが神と人間の関係であり、5~10戒までが人間と人間の関係について述べている。参考
つまり、モーゼの十戒には、『神と人間の関係についての法律』が“成文法”として記述されている。
これに対して、日本の法律には、天皇についての法律は定められているけれども、天皇以外の神についての法律については定められていない。だから、日本の法律では神についての法律は“不文法”である。
日本の法律はモーゼの十戒にも劣る。[たとえ、モーゼが側頭葉癲癇の持ち主であったとしても。]
それから、モーゼの十戒はこんにちでの法律に相当するから、モーゼの十戒は当時の人々の常識の水準を表していると考えられる。つまり、当時の人々にとって、はっきりとわかることはモーゼの十戒に書いてある程度のことだったのである。
これでは、とうてい超能力の正体なんてわかるわけがない。超能力について考えられるところまでとうてい行けるわけがない。
だから、モーゼが癲癇のせいで頭の中で聞こえた声が、神の声だと考えられたのである。そのために神がいると考えて、十戒の1~4戒までが定められたのである。[Wikipedia「モーセの十戒」に載っている絵のモーゼの頭についているアンテナは、神の声を受信するためのアンテナだと考えられる。]
同様に、キリストの母親が癲癇のせいで頭の中で見た光暈[こううん](光の輪っか。どんな輪っかかまでは詳しくわからない。閃輝暗点[せんきあんてん]のようなものだったかもしれない。)がキリストの後光だと考えられてキリストが神だとされたから、モーゼに代わる新しい神としてキリストが受け容れられたのである。

[5605] なぜ日本の法律に神についての法律が書いていないのか? h20.8.9
法律は日本国民の意思の表明であって、実在に関する事実を書いているのではないけれども、
法律はまたその国民の常識を反映しているとも捉えることができるから、
日本の法律に神についての法律が書かれていないのは、『日本国民が神(超能力者)が実在しないと考えている』からだと解釈することができる。
したがって、日本の政治家やその他の者が勝手に神がいると考えて、神に人間を従わせようとしてはならない。
日本の法律に天皇についての法律があるのは、残念ながら天皇は今のところいるけれども、遠くない将来やめねばならないという意味である。

[5606] なぜヨーロッパでは政教分離なのか? h20.8.9
ヨーロッパの国会議事堂にはキリストの十字架像を置いていない。
キリストの後光が出た超能力がキリストの母が癲癇で見た幻覚にすぎず、キリストが本物の超能力者ではないことがわかったので、もはや超能力者についての政治はやる必要がないと考えて、教会(超能力者についての政治機関)を政治の外に放り出したのだ。

[5607] なぜ政治家は天皇制をやりたがるか?☆ h20.8.9
日本に天皇を置いておけば、政治家は天皇に関する神制をやって、天皇に因んだ命令を作って国民に出せるからである。
いくら天皇がテレビに出るとはいっても、国民は天皇の私生活や天皇が頭の中で考えていることについては詳しく知らないし、また日本政府の命令がどうやって作られるのかは知らないから、天皇や日本政府の国民に対する“不透明性”を利用して、政治家が天皇の代わりに天皇に因んで天皇が出したような命令を作れば、自分たちにとって有利な命令を作りやすくなるからである。つまり、政治家は天皇制を民主制からの逃避の手段として利用しているのだ。
国民にとってはとっくの昔に天皇制は要らない制度になっているけれども、天皇制は政治家にとっては都合のいい制度だから、政治家は天皇を置きたがるのだ。

[5608] 罰則 h20.8.9
日本政府の職員に対していくつかのサービス(例えば、電気・ガス・水道・電話など)を制限する。

[5609] 天皇制は天皇自身のためにあるのではない。 h20.8.9
天皇だって自分がやりたいことをやりたいはずだ。
しかし、天皇は天皇しかやれないから、自分のやりたいことができない。
天皇以外の人間は自由にやりたいことができるのに、天皇はやれない。
だから、天皇制は天皇自身のためにあるのではない。

[5610] 幻聴について h20.8.9
私が頭の中だけで考えたことが、インターネット広告の記事に出ていることがよくある。
私が他人に喋[しゃべ]らず、自分で字に書きもしないことが、次の日ネット公告に使われていることがある。
だから、テレパシーは実在する。
私の実在哲学の理論においても、自分の感覚子と他人の感覚子を介在するテレパシー(感覚波)は実在すると考えられる。
私がまだ分裂病に罹る前の中学2~3年生頃にも、夜中に裸で外をうろついた次の日に女子が休み時間に私の机の前に立って私を見下ろしてニヤニヤしていたことがある。その頃の私はまだ幻聴が聞こえなかったが、おそらく私のテレパシーが女子に聞こえていたために私の素行が知られていたのだろう。
このように、自分は幻聴が聞こえないのに、他人が自分のテレパシーが聞こえるようなテレパシー病?がある。私の母親も子供のときに、水泳の選手に選ばれたのが嫌でそのことを心の中でずっと思っていたら、次の日に何も話さないのに先生が他の人に代えてくれたと私に話したことがある。
私が小学2年生のとき学校のプールの周りの溝掃除をしていたときに、空の上から男の声で「この道を行け」と言う声が聞こえたことがある。このときは、これだけですんで他に何事もなかったから、たとえ分裂病に罹らなくても空耳は聞こえることがあるのがわかる。したがって、分裂病と空耳とは無関係だということがわかる。
このように、幻聴は健康な人でも人生の上でときどき出くわすことがあるから、いい歳して幻聴くらいのことで取り乱すような人間ではいけない。
自分がまじめだと幻聴がまじめなことを言っているように聞こえて腹が立たないし、反対に自分がふまじめだと幻聴がふまじめなことを言っているように聞こえて腹が立つ。幻聴で聞こえることには、自分の頭で考えていることが映し出されているのだ。

[5611] 悪質な冗談 h20.8.9
超能力があるなんて考えることが許されたのはキリストが生きていた頃までだ。
今の日本で超能力があるなどと考えること自体がまちがっている。
癲癇の概念はすでに戦前にも知られていたし、癲癇では原理的にはあらゆる種類の幻覚が見えるから、私の母が見た赤ちゃんの私の上に吊ってあったガラガラが夜中に突然回ったのは、母が見た癲癇だと十分考えることができたはずである。癲癇の症状は千差万別と言われるから、ガラガラが回って見える癲癇があっても少しもおかしくはない。
したがって、日本政府のやったことは悪質な冗談だと考えられる。

[5612] どうしてヨーロッパに暗黒時代があったか? h20.8.10
ヨーロッパ政府は、キリストを間違えて神だと考えた。
それは、絶対に犯してはいけない誤ちである。[キリストが自分を神と言おうが言うまいが、キリストが死刑になろうがなるまいが、とにかく政府が間違いを犯してはならない。たとえキリストが自分を神だと言っても政府がキリストを神だと言わなければ、キリストは笑い者になって終わったはずだ。政府がキリストを神だと言ったために、キリストが付け上がって人間を殺しまくったから死刑の目に会ったのだ。]
ヨーロッパ政府が神でない者を神だと考えたから、その罰としてヨーロッパ政府に約1000年間の暗黒時代が科せられたのである。

[5613] 「する」と「である」のちがい h20.8.10
「する」は政治家的な思考であり、「である」は科学者的な思考である。
なぜなら、「する」は人の気持ちの問題であり、反対に「である」は実在についての客観的な問題だからである。
古来より、日本人は「する」よりも「である」を好む気質である。日本人は人為的なものよりも自然を好むのだ。日本人は嘘よりも真実が好きなのだ。
だから、日本人は科学が得意なのだ。

[5614] アニメーション h20.8.10
日本人はアニメーションが得意である。
アニメーションとは絵を動かす技術である。
アニメーションでは、まず動画で具体的にどんなことができるかを知ってから、それを使って表現できることを考える。つまり、『動画の世界』の現実をよく知ったうえで、『動画の世界』で自分が言いたいことを考える。
文学までいけば人の気持ちの問題だが、絵を使うアニメーションは言葉を使う文学よりも具体的なのでどちらかというと実在についての問題つまり物を使う科学に近い。
だから、日本人はアニメーションが得意なのである。

[5615] 政治家の世界 h20.8.10
政治家の世界は「する」で凝り固まっている。
政治家は超能力者でない人間を超能力者に「する」。
政治家は人間だけからなる実在の世界をわざわざ超能力者のいる実在しない世界にして、人間社会をいたずらに混乱させている。
政治家は公害を出して儲けている会社の社長のようなものだ。
悪徳会社の社長が自然にはない有害物質を排出して付近の住民を苦しめて、自分だけが儲けて喜んでいるように、
政治家は超能力者で人間社会を汚染して、それで自分だけが儲けている。
日本政府の会社が悪い。日本政府の会社に責任を追及する。

[5616] なぜ信者がいると政治家は喜ぶか? h20.8.11
神制度があると政治家が民主制を無視して命令が作れるので、神制度は政治家にとって有利な制度である。
信者とは『神に人間が従わねばならない』という不文律が現在においてもなお有効であると信じている者である。
信者がいることは、昔の政治家が決めた『神に人間が従わねばならない』という不文律が今でも生きていることになるので、政治家にとっては都合がいいので、政治家は喜ぶのだ。

[5617] ユリ=ゲラーや関口少年はどうして神ではなかったのか? h20.8.11
ユリ=ゲラーや関口少年は超能力芸人(手品師)であって、はじめからインチキ臭かったし、すぐにインチキであることがバレた。
だから、日本神道や世界の宗教の信者にとって、ユリ=ゲラーや関口少年は神とはされなかったのである。

[5618] もしも日本が第2次世界大戦に勝っていたとしたら… h20.8.12
もしも日本が第2次世界大戦に勝っていたとしたら、たとえ神制度を使ったとしても、政治家は許されるどころか大威張りだっただろう。
政治家にとっては、神制度は政策の一手段であって、結果的に日本を有利にしたのなら、その政策の選択は正しかったからである。
もっとも、それはあくまでも結果がよければの話であって、結果が悪ければ当然政治家による神制度の使用は不適切であって政治家が罰せられることになる。日本の戦犯を罰したのは外国ではなく日本国民だったのだろう。神とされているはずの天皇が罰せられなかったのは、神制の実態が政治家制であることぐらいは当時の日本国民にとっては周知の事実だったからである。いわば、神制において天皇はガソリンにすぎず、日本を動かす向きを決めるのは政治家のハンドルさばきなのだ。
現代においては、もはや神制度は政治家が私的に儲けること以外には使い道がないのではないだろうか。
最近の国民は政治家よりも利口だから、神制(政治家制)よりも民主制のほうがうまく行くのだ。

[5619] 私の政策 h20.8.12
人間にとって大事なのは、まず生きて行けることである。
だから、日本国民全員が仕事に就けて給料を得られるようにしなければいけない。
マンガやアニメやゲームやパチンコなどの生きるためにどうしても必要でない分野に予算を掛けるよりも、まず日本人全員が就業できて生きて行けることに予算を掛けるべきである。
人間が生きるためには、食>住>知識>医>衣が重要である。
だから、まず食事の質の改善に力を入れるべきである。おいしい食事が食べれるようになれば、病気にもならないから医者が要らない。それに、おいしい物を食べれば、勉強や労働意欲が湧くから国力が強まる。反対に、衣は馬鹿の喜びだからないほうがいい。
それから、日本は国土が狭いから、あまり人口を増やすな。
これまでは日本人の幸せを政治家が神制(政治家制)を使ってぶち壊しているだけではないだろうか。

[5620] 議員代表制 h20.8.12
日本の民主主義は、直接民主制ではなく間接民主制の一種である議員代表制である。
国民は自分の仕事を持っていていそがしいから、自分の代わりに議員に政策を決めてもらうのである。
したがって、議員代表制では、議員が民主制で政治を行うことが必須である。
議員が国民の選挙で選ばれたから民主制なのではなく、選挙で選ばれた議員が国民ひとりひとりの考えに従ってこそ民主制なのである。
だから、国民ひとりひとりが正しい考えを持っていることが大事になるのである。
それなのに、自分が議員に選ばれただけでいい気になって、国民の意見を無視して、『神制(議員制)』で独断で政治を行っている議員がいる。
『神制(議員制)』で政治をやる議員は民主主義に反しているから議員失格だ。

[5621] 議員制は神制ではない。 h20.8.12
神制の実態は、議員が神に因むだけで実際には自分の好き勝手に命令を作っている議員制である。
喩えれば、電化製品の外に「made in japan」と書かれているだけで、中身はフィリピン製のようなものである。
ところで、議員は神ではなくただの人間である。
したがって、神制は神制ではないことになり、矛盾している。
矛盾している制度はやめねばならない。

[5622] オカマについて h20.8.12
『うちの子供がアニメを見た後で、「たとえ神様がオカマでも、いい人だから我慢する」と言って涙ぐんでいた』という親の切ないテレパシーがつい先ほど私のもとに聞こえてきた。
しかし、アニメやマンガを見て想像だけで他人をオカマ呼ばわりしてはいけない。
私をオカマ呼ばわりするためには、まず実在するオカマについて正しく知っていなければならない。正しいオカマの概念が私に当てはまる場合にだけ、私をオカマ呼ばわりすることができるのである。
実在するオカマについて直接に自分の眼でよく観察して経験を蓄えてから自分の知覚で考えないと、オカマについての正しいことはわからない。[だから、私もオカマがどんなのか知らない。]
だから、アニメやマンガを見て培[つちか]われたオカマの概念では話にならないのである。
私が自分の経験から考えてみると、オカマとは鬱病の一種で、ほんらい『女性が明るく楽しい者である』という妄想を抱いている男性が気分が落ち込んで鬱状態に陥[おちい]ったとき、女性への変身願望が高まって思考や態度が女性化するのだろう。人間が鬱状態になると、思考の制止がかかって知覚が働かなくなり知覚欲が満足されなくなって必死に五感欲を満足しようとする。そのとき『女性が綺麗で明るく楽しい者である』という誤解があると、自分が女性に変身したいという願望が起こってオカマになる。女性に対する誤解がなければ、男のままで格好つけるだけである。[女性は明るく楽しいフリをしている者であって、実際には女性はおとなしくつまらない(喜びの感情がない)者である。女の子が元気で明るく楽しいのはアニメやマンガの作りごとであって、実際の女の子はそうではないのだ。]
アニメやマンガでは事実そのものを報道することはできないから、実際には私はオカマではないのだ。[事実に近い内容を報道した場合には、プライバシー侵害になるので、放送禁止かビデオが販売禁止になる。]

[5623] なぜ私がマンガやアニメのネタにされるのか? h20.8.13
『蟹工船』では、文学が天皇や日本政府や軍隊に対する攻撃手段として用いられている。
しかし、私はマンガ家やアニメ製作会社に恨[うら]みを買う憶えはない。
それに、私は有名人ではないから、マンガ家やアニメ製作会社が私の情報を知っているはずがない。
私をマンガやアニメのキャラクターにしたところで、国民の心が満足されるはずがない。
だから、それは民主制でやっているのではない。
私にしたところで、私がマンガやアニメのキャラクターになっても私はうれしくないどころかむしろ不愉快だから、私制でもない。
だから、政治家すなわち宗教家がやっているとしか考えられない。
政治家が国民や私を不愉快にするために、私をマンガやアニメのキャラクターにしているのだ。政治家のいたずらだとしか考えられない。
マンガ家やアニメ製作会社にしてもマンガやアニメが売れなくなって迷惑なことだろうが、政治家が『神に人間が従わねばならない』不文律を効かして私の情報をマンガ家やアニメ製作会社に与えて強制的にやらせていることなのだ。
また、マンガやアニメの主人公の顔がどれも全部似ていることから、国民に『日本には神制度があるぞ』という暗示をかけているのかもしれない。
政治家にとっては、この世に神制度(『神に人間が従わねばならない』不文律の制度)があったほうが民主制に反する命令が出せて都合がいいので、まずは子供からマンガやアニメで洗脳しようというわけである。つまり、私をマンガやアニメのキャラクターにして私の人気を高めることが、政治家にとっては国民に神制度を浸透させるための政策の一環なのである。私に関する神制をやるための下地作りをしている最中なのだ。そのうち、『ドラゴンボール』の孫悟空に「明日から戦争だ」と言わせれば、国民みんなが喜んで戦争に行く時代がやって来るかもしれない。つまり、政治家にとってマンガやアニメは国民を自分の奴隷に変えるための道具なのだ。[マンガやアニメに出てくる私のキャラクターが私と性格が似ていないと、私の人格が統一性を欠くことになり私に関する神制がやりづらくなるので、私と性格が似ていない私のキャラクターが出てくるマンガやアニメは政治家によって抹消される傾向にある。]
天皇に関する神制が必ず“光る丸”で喩えられるように、将来は私に関する神制ももっと洗練されてシンプルになるだろうが、今のところは政治家が試行錯誤でいろいろやってみて“一番いいパターン”を探しているのだろう。

[5624] マンガ家とは何か? h20.8.13
絵がうまいだけの不良だ。
モラルがない。
政治家と手を組んで日本を不文律の神制度の通用する悪い国にしようとしている。

[5625] どうして神制度は悪いのか? h20.8.13
現代における論理的な思考のできる人間は、実在についての正しい考えか、人間の心については国民が多数決で決めた考え以外には従わない。
したがって、神制度は現代人の生き方に反するまちがった制度である。
神制度は政治家の独裁制を容易にする悪い制度である。
神制度は不機嫌な政治家(顔が殺人犯)が日本人全員をいっしょに地獄へ道連れにしようとするときに使う制度である。
政治家は独裁制に憧れているから民主制よりも神制が好きだが[誰でも自分の好き勝手にやれるのが最高に楽しいから、私にも気持ちはわかる。]、政治家の“男のロマン”に付き合わされる国民の身にもなってみろ![神制では勝てば手柄は天皇のものになって、おもしろくないからこの前の戦争ではわざとに負けたんだろ?はじめから負けて天皇に恥をかかすためにやったのだろう。]政治家はうぬぼれ馬鹿か!?いまどき政治家よりも国民のほうが利口だから、政治家はおとなしくしていろ!神制があるから政治家が付け上がるので、神制をやめるべきだ。政治家が地獄に行きたければ信者と仲良くいっしょに行け!
国民が神制をやっているのは、馬鹿な政治家をからかうためだ。政治家が神制を好きだから、その政治家の習性を利用して神制をやっていれば政治家が自分を贔屓[ひいき]にしてくれると思って馬鹿馬鹿しいと思いながらやっているだけだ。つまり、神制度は国民が政治家を利用するためにあるのだ。神制度は国民が政治家を言いなりにするためにあるのだ。

[5626] 馬鹿の大声について h20.8.13
馬鹿は知覚を使わない。
だから五感が発達する。
だから、馬鹿は大声なのである。

[5627] 超能力者が現われたらどうするか? h20.8.13
私の哲学日記の[5594]の0~3に書かれた条件を満足する者が現われたとき、はじめてその者は超能力者と認定される。
私の定めた条件を満足しなければ、その者は超能力者でないか、あるいは超能力者であるかどうか『不明』であり、その者を超能力者と認定することはできない。[まず常識的に超能力者はいないと考えられるので、拾いこぼしを心配する必要はない。確実に超能力者といえる者が現われないかぎり、超能力者と人間の妥当な関係について問題にする気にもならない。]
超能力者と認定された者が現われた場合、超能力者と人間の妥当な関係について民主主義的に決めねばならない。つまり、超能力者の具体的な超能力の程度に応じて超能力者と人間の妥当な関係について国民で討議した後多数決で決めねばならない。今ここで、私個人の意見だけで超能力者と人間の妥当な関係を決めるわけにはいかない。だから、例えば、多数決でその超能力者を殺すと決まった場合には、躊躇なくその超能力者を殺さねばならない。しかし、それは、はっきりと超能力者だと認定された者が実際に現われてから問題にすればいいことだ。
たしかに、日本は神武天皇が現われてから最近まで神武天皇を超能力者と考え続けてきたけれども、それはこれまで『超能力者の明確な判定基準』が定められていなかったからである。ところが、私がこの前[5594]の0~3で『超能力者の明確な判定基準』を定めた。神武天皇は2と3の条件を満足していないので、神武天皇はもはや超能力者とは言えない。したがって、神武天皇の子孫である天皇もただの人間にすぎない。これは政治家の恣意によって変えられることではない。
私の件については1の条件が満足されていないから、残念ながら私も超能力者とは言えない。
これまでに超能力者とされてきた者はすべて超能力者とは言えない。
超能力者がいないので、政治家は神制度を使えないし、神についての政治である宗教もやってはならない。

[5628] 宗教は馬鹿のもと h20.8.13
宗教では、自分の眼で確かめもしないのに超能力者がいると信じている。だから馬鹿なのだ。
ウルトラマンや仮面ライダーがいると信じているのと同じことだ。

[5629] 長南年恵[おさなみとしえ] h20.8.13
霊能者長南年恵は空中から神水を取り出すことができた。
たぶん、いったん自分の胃袋に入れていた水を人間ポンプの要領で吐き出して一升瓶を満たしていたのだろう。
だから、神水の色は茶褐色だったのだ。

[5630] どうして私に関する神制は曖昧にしかやらないのか? h20.8.14
もしも私の超能力にはっきりした物的証拠があったなら、私に関する神制は天皇制のようにもっと大胆にやったはずだ。それこそ、高知に皇居のようなお城が建ったはずだ。[そして、神武天皇は今日では常識的には超能力者ではないから本物の超能力者が現われたら天皇制をやめにする。民主制でどう決まるかはわからないが、私なら超能力者には人間が論理的に従う必要はないから神制度はやらないことにする。超能力者にも自由意志があるから強制的に超能力者の人生を他人が決めたりすることはできないことにする。もっとも、超能力者の同意が得られれば政治的な仕事をやらせてもかまわない。しかし、超能力者がたとえ政治的な仕事をしなくても、超能力のあることがすでにひとつの仕事と考えられるから、超能力者に普通の人間よりも(2~3倍ぐらい)楽ないい待遇を与えることにする。本物の超能力者なら日本の評判をよくするだろうが、ニセモノの超能力者はかえって日本の評判を悪くするだろう。
私に関する神制を曖昧にしかやらなかったのは、私の超能力の証拠が母親の言葉による証言しかないからである。
母親の証言だけでは本当にあったのかなかったのかはっきりしないので、曖昧にしかやれなかったのだ。
私の母親はそれほど信頼が置ける人物ではない。嘘を言わなくても、まちがいはあり得る。
昔から、女・子供の言うことは信用置けないというではないか。[どうして、その諺[ことわざ]を私の母に適用しなかったのだろうか。]

[5631] 天皇制はインチキ制ではない。 h20.8.14
信者の中には、天皇制が最初からインチキでやっていたと考えている者がいる。
それは、その信者自身がインチキばかりで生きている人間だから、そう見えるのだ。
天皇制だって、明治になって科学が日本に入ってくるまでは、正真正銘の超能力者制だったのだ。[大昔には、神の概念がポピュラーだったので、神武天皇に電気よりも神の概念が当てはめられて、現人神だと考えられたのである。ただし、『時代変れば人変わる』だから、武家社会では刀が強いことが第一だったので、超能力者があまり高く評価されなかった。]
天皇制は、けっしてインチキ制などではなく、まちがい制だったのである。[いわば、天皇はカンニングではなく、先生の採点ミスでいい点を取った生徒だ。私も中学1年生のときに1回だけ地理のテストで95点を100点にまちがわれたことがあり、先生が私が満点を取ったことをみんなの前で言ったものだから言い出しにくくて黙っていたが、今にしてみれば正直に名乗るべきだった。他人の誤解に便乗するやり方は、正しい人間の生き方ではない。]
『車は急に止まれない』から、今でもズルズルダラダラと天皇制を続けているが、いつかは車が止まるときがくる。

[5632] どうして人間はテレパシーを用いないのか? h20.8.14
脳細胞の神経興奮によって感覚が発生する。
これが人間における認識の原理である。
感覚が存在するから、自分の感覚と他人の感覚を結びつける感覚波も存在する。
だから、テレパシーは実在する。
しかし、人によってはテレパシー器官が働かないから、その者と意思疎通するためにはどうしてもテレパシー以外の手段によらねばならない。
だから、言葉や文字を使わなければならない。
ところで、言葉や文字は一度に大勢の人々に意思を伝えることができるので、一度に一人の相手にしか意思を伝えられないテレパシーよりも便利である。
それに、言葉はテープに録音でき、文字は紙やメモリーに保存できるので、テレパシーよりも記録に適している。
このように、情報伝達手段としてはテレパシーよりも言葉や文字のほうが長所が多いので、今日ではテレパシーよりも言葉や文字がよく使われているのだ。

[5633] アルコール中毒 h20.8.14
アル中の患者なら、つねに地球が回っているから、物が回って見えるかもしれないし、
虫が這[は]い回っている幻覚が見えるから、家の中にある物が動いて見えるかもしれない。
しかし、「おれは超能力者だぞ」と言っても、酒臭いので信じてはもらえないだろう。
私の母はお酒を飲まないから信じてしまったのだ。

[5634] マンガ h20.8.14
私が子供の頃に比べてマンガの種類が非常に増えた。
マンガが多すぎる。
しかも、昔に比べるとおもしろいマンガに比べておもしろくないマンガが多すぎる。
そのせいで、おもしろいマンガまでおもしろくないと思われるようになってしまった。[人間には物を集合的に見る癖があるからである。]
マンガがおもしろくなければ自分が買わなければいい…では済まない。
それは、私が子供の頃にマンガが好きだったために、政府がマンガに予算を掛けてマンガ家にたくさんマンガを描かせているからである。そのために、マンガが書店の本棚の大部分を占領するようになった。
政府がマンガ家に命じておもしろくないマンガを大量生産するのは予算の無駄使いである。
政府はマンガなんかに予算を掛けるよりも、もっと暮らしにとって大切な他の分野に予算を掛けるべきである。例えば、国民みんなが就職できるようにもっと仕事の受け皿を増やすとか、もっとスーパーで売られている食材を美味しく身体によいものにするとかに予算を掛けるべきである。[[5619] 私の政策 h20.8.12を参照。]
最近の子供はマンガを読みすぎて、自分できちんと理屈を立てて物事を考えることができなくなっている。マンガが日本文化の足を引っ張ってはいけない。
やっぱり、昔のようにマンガは子供にとって貴重品であったほうがいいのだろう。

[5635] 政府の者は頭がおかしい。 h20.8.14
もしも自分が政府の一員で、ある主婦が「突然家の中にある物が動いた。」と訴えたとしたら、自分はそれを信じるだろうか?
家の中の状況を見て物理学的に考えてみて動くはずがなければ、やはりそれは主婦の見まちがいだと考えるはずだ。
そう考えなければ、自分の頭がおかしいと考えねばならない。
したがって、当時の私の母から話を聞いた政府の者の頭がおかしいと考えねばならない。
その政府の者がおそらく精神病で気が狂って頭がおかしかったのだ。


[5636] おめでたい信者 h20.8.15
信者は、昔の政治家が決めた「神(超能力者)に人間が従わねばならない」不文律を、頭の中で勝手に『神(超能力者)に人間が従えば何かいいことがある』と言い換えて信じている。
しかし、実際には、何もいいことはない。
それは、そもそも、その決まりがたんに昔の政治家が決めた約束事にすぎないからである。

[5637] 迷信 h20.8.15
M1)この世には、超能力者という者がいる。
M2)超能力者に人間が従わねばならない。
例えば、
昔の人は、神武天皇は光の玉を出すことができたから神武天皇が超能力者だと考えて、
昔の政治家が話し合って、神武天皇に対する人間の従い方を細かく定めた。
神武天皇の子孫は超能力者ではないが、政治家が神武天皇の代わりに代々置き続けることにした。
現代においてもなお、M1とM2の迷信を信じ続けているのが宗教の信者である。
実際には、超能力者は昔の人の考えまちがいであって、超能力者は存在せず、したがって超能力者に人間が従わねばならないことはない。
もっとも、私は真実を重んじるので本物の超能力者が出たならそれを認めるが、『正真正銘の超能力者』が出るまではいいかげんに超能力者が出たなんて言わないで欲しい。[いいかげんなことばかり言っていたら、そのうち誰も超能力者の存在を信じなくなる。]

[5638] 信者は偉くない。 h20.8.15
政治家にとっては神制のあるほうが自分の独裁制ができるので自分にとって有利であり、政治家は神制が好きなので、その政治家の習性を利用して、自分が神制を信じたフリをしていれば(例えば、会社の名前や製品を神に因んだものとかにすれば)自分が政治家に贔屓[ひいき]にしてもらって自分が有利に生きて行けると考える者がいる。
信者の一部にはそういう者がいる。
要するに、信者は政治家のゴマすりである。[たんなる迷信を信じていても実際にいいことがあるわけがなく、これでは宗教が長く続かないから、実際に政治家が信者を有利にしているものと考えられる。]
だから、信者は偉くない。少なくとも政治家よりは偉くない。

[5639] 政治家は偉くない。 h20.8.15
私にとっては、政治家は偉くもなんともなく、政治家は自分で自分が偉いと思っているだけのうぬぼれ屋である。子供の頃から私の目には政治家はそういう風にしか見えたことがない。
私にとって偉い者とは私が従うべき者であり、私が従うべき者は、実在についての正しい考えを持っている者と、人間の心については良識のある(つまり、実在について正しいことがわかっている)国民全体の意思だから、国民の意思をまとめるためだけにいる個々の政治家は偉くないのである。民主主義においては、議員は国民の代理人にすぎないので偉くもなんともない。民主主義においては、議員は国民の意思をまとめるための通過点にすぎないので偉くはない。民主主義においては、議員は国民の意思をまとめるための道具にすぎないので偉くもなんともないのである。

[5640] 神はいるかいないか? h20.8.15
大昔の人は、この世に人間よりも上の者である神がいると考えて、神とコンタクトを取るためにいろんな方法を試みた。
しかし、それらはすべて無効であった。
私の眼で見るかぎり、この宇宙には人間以上の構造物は存在しない。
したがって、今のところは、人間よりも上の者である神はいないと考えざるを得ない。

“人間よりも上の者”という概念そのものが私にはない。

したがって、政治家を神などと呼ぶ気はさらさらないし、たとえ超能力者が現れたとしても、その者に神の概念を当てはめて現人神だと呼んだりはしない。
将来、科学の力によって人間以上の性能を持つロボットが生み出されたら、人間はそのロボットを神と呼ぶかもしれない。

[5641] 宇宙人はいるかいないか? h20.8.15
ホーキング博士によれば、この宇宙には人間を超える知的生命体が存在するそうだ。
しかし、実際に宇宙人の存在が確認されたわけではないから、宇宙人はいるかいないか本当のところはわからない。
かといって、いるかいないかわからない宇宙人を恐れて毎日家の中で怯[おび]えて暮らしている者など世界中に一人もいない。
だから、人間はいるかいないかわからないものはいないと見なす生き物なのである。
したがって、超能力者についても宇宙人と同様にいるかいないかわからないからいないと見なしているのが現代人の本音[ほんね]だと考えるべきであろう。

[5642] 人工感情~近未来テクノロジー~ h20.8.15
人間の知覚を真似て機械にやらせるのを人工知能と呼ぶように、
人間の心を真似て機械にやらせるのを人工感情と呼ぶ。
私の実在哲学によれば、人間の感情は人間の大脳前頭葉にある脳細胞が荷っている感覚にすぎないので、
人間の大脳前頭葉にある脳細胞の構造を機械で摸倣すれば機械にも感情が備わる可能性は十分にある。[そのためには、感覚の発生についての細かい研究が必要である。既知の物質としての脳細胞と脳細胞が発生する感覚の関係について調べねばならない。]
人工知能と人工感情を結合すれば、機械が自立的に積極的に能動的に思考することが可能になる。それは、もはや人間と変らない。

[5643] どうして神に人間が従わなければならないか?☆ h20.8.15
ここでの神とは、超能力者のことである。
超能力者がたとえ人間に何か命令したとしても、それに従わねばならないと人間が決めないかぎり、超能力者の命令に従う者はいない。
だから、最初に『超能力者の命令に人間が従わねばならない』と決めた“人間”が必ずいる。
その人間が決めた決まりだから従うだけのことである。その決まりが今までずっと続いているだけのことである。[中国にはそういう人間がいなかったので、中国には神制がないのである。中国の太古の思想においては、超能力者は偉いとされなかったのである。中国は広い国だから、この世には何でもあると思っているので、超能力ぐらいのことでは驚かないのである。]
その決まりはずっと大昔に作られたものなので、その決まりが妥当かどうか考え直す必要がある。[それよりも、そもそも超能力者がいるかどうかを問題にすべきだろう。]

[5644] 都会っ子と田舎者 h20.8.15
都会っ子は見かけがいいだけで心が楽しくない。
男にとって女は『快感子の塔』[私の哲学日記のだいぶ前で述べた]の役目があるので、気持ちが楽しくない女が身近にいてもつまらない。
日本人は以心伝心のところが強い(つまり、テレパシー能力が発達している)から、見掛けで選ぶと大損になる。
ただし、女は考える気持ちがないので、あまり近くにいすぎると自分に馬鹿がうつる。

[5645] 女 h20.8.15
女は自分の見掛けをよくするばかりで、自分の考えをよくしようとしない。
それは女が男より見掛けがよくて頭が悪いから、自分の考えをよくしてもしょせん男には敵[かな]わず無駄だと考えているからである。
しかし、考えが正しいかどうかは自分と実在の関係で決まることであって、自分と他人の関係で決まることではない。
馬鹿は自分と他人を比較ばかりして、自分と実在を比較しようとしない。

[5646] 国民による政治家への制裁 h20.8.15
第2次世界大戦後、日本では国民が政治家を絞首刑にかけて殺した。[政治家は天皇制でやったことだから当然天皇が殺されると思って油断していただろうが、国民はそれほど馬鹿ではなかったのだ。天皇は殺すほどではないが、将来政治家や国民が天皇制を当てにして面倒を起こさないように、ついでに天皇も辞めさせて欲しかった。]
政治家がまちがった神制の政策をとったために、国民に多大な損害を与えたからである。
したがって、国民による政治家への制裁はやろうと思えばいつでも可能なのである。
日本政府が神制をやっているかぎり、国民は日本政府に税金を一切支払わなければいい。

[5647] もしも、超能力者が現われたら… h20.8.15
超能力者の出生地に記念館でも建てておけば、世界中から観光客が見に来る。
県が儲かるし、国も少しは儲かる。
その国の政治家が外国の政治家に対して顔が効くし、
made in XX(国名)の製品が売れたりする。
もっとも、『正真正銘の超能力者』が現われたらの話だが。
インチキ超能力者の場合は、かえって国の信頼を落とすことになる。

[5648] どうして神武天皇は神とまちがわれたか? h20.8.15
昔の人は、実在の世界のことがまだ十分よくわかっていなかったので、この世に本当に人間より上の者である神がいると考えていた。
神武天皇が生きていた頃には、電気の知識が日本になく、神が本当にいると信じられていて、神武天皇は人間にはできない“念力で光の玉を出す”ことができたと見なされたので、人間よりも上の者である神にまちがわれたのである。
だから、本当の責任は、神の概念を最初に考えた者にある。
今は、実在の世界のことがよくわかって、この世には人間よりも上の者である神がいないと考えられるようになったので、神武天皇はもはや神ではなく、コロナ放電の近くにいた人になってしまったのである。

[5649] どうして私は神とまちがわれたのか? h20.8.15
日本政府に入った者は、みんな『研修会』を受けらされて寝る間もなくわけのわからない説法を聞かされて、論理的に考えられなくなるまで知覚が破壊されて、ろれつが回らなくなるまで言語中枢が破壊されて、みんなが弥生時代の人間のように人間よりも上の者である神の存在を信じるようになるまで徹底的に洗脳される。
私の母の話を聞いた日本政府の者が、医学に疎くて癲癇のことを知らず、おまけに神の存在を信じ込まされていたので、ガラガラの近くで寝ていた私が人間にはできない“念力でガラガラを回す”ことができたと考えて、私を人間よりも上の者である神にまちがえたのである。
わざわざ新入社員にまちがいを植え付けている日本政府の新人教育が悪い。
日本政府に入って気ちがいにされるのがいやだったら、みんなも日本政府に入らされないように一生懸命勉強しようね。

[5650] どうして神に人間が従うのか? h20.8.16
昔の人は、実在についてまだ十分よく知っていなかったので、この世には“人間よりも上の者”である神がいると考えていた。[昔の人々が、地球が平らな地面で地球の端から海水がこぼれ落ちて、地球の果てにシードラゴンや海ぼうずなどの巨大な怪物が住んでいると考えていたようなものだ。昔の日本で、妖怪やお化けが本当にいると信じられていたように、“人間よりも上の者”である神という妖怪の一種がいると信じられていたのだ。昔の世界観はまだ“想像の世界”だったので、この世には実在しない者がウヨウヨしていたのである。]
逆に、神から見ると人間は“神よりも下の者”になるので、人間は神に従ったのだ。
概念的には神と人間の関係は以上であるが、ただ細かい従い方は政治家が話し合って決めたのだ。
例えば、神武天皇は念力で光の玉を出した者と見なされたので、神武天皇に人間よりも上の者である神の概念が当てはめられて、神武天皇が神だと考えられたのである。[奇形の猫(無脳猫?)の死骸をカッパのミイラといって大切にしているのと同じことである。]そして、神武天皇の子孫である天皇は、家族を重んじる昔の日本人にとっては神武天皇の代理人だと見なされたので、天皇も神だと考えられたのである。
しかし、『実際に』政治家が神に会って神を自分の眼で見てみると神が人間よりも上の者であるという気がせず、神が一人なのに対して政治家は複数なので『多数決の原理』により政府の中では神よりも政治家のほうが優勢なので、政治家たちが神制を利用して自分たちの独裁制をやるようになったのである。
ただ、神の『実像』を知らない民衆にとっては依然として神は“人間よりも上の者”のままなので、民衆は政府が出した命令を神が作った命令だと思っておとなしくそれに従ったのである。政治家が神に因んで(つまり、神の個人情報や経験したことを織り交[ま]ぜて)命令を作るのは、神が命令を作ったように見せかけるためのカモフラージュ(偽装)である。

[5651] 人間よりも上の者 h20.8.16
“人間よりも上の者”という概念を頭の中で(知覚で)考え出すことはできるが、
具体的にそんな対象が現われないかぎり、“人間よりも上の者”が実在するとは言えない。
神武天皇に“人間よりも上の者”の概念を当てはめることは、今日ではまちがっている。
だから、神武天皇は人間よりも上の者ではない。したがって、神武天皇の子孫の天皇も人間よりも上の者ではない。
私は生まれてこのかた自分の眼で人間よりも上の者を見たことがない。例えば、空飛ぶ円盤に乗って地球にやってきた宇宙人や、未来世界からタイムマシンに乗って現代にやってきた未来人とは、まだ会ったことがない。
だから、この世には人間よりも上の者がいないと考えている。
現代は、神のいない世界なのだ。
近い将来、科学の力で人間よりも上の性能を持つロボットやコンピューターが作られるようになれば、彼らは“人間よりも上の者”といえるだろう。
政府が暇を持て余してわざわざこじつけで超能力者を作って無理やり“人間よりも上の者”にしなくても、そのうち嫌でも“人間よりも上の者”が発明されるだろう。そうなれば、政府はどうしても神(人間よりも上の者)と人間の妥当な関係について真剣に問題にしなければならなくなるだろう。そうなるといそがしくなるから、今のところは政府は無理に神を作らなくてもいいのだ。

[5652] どうしてこれまでの超能力者は超能力が1回しか使えなかったのか? h20.8.17
これまでの超能力者はなぜかその生涯において『1回しか』超能力が使えていない。
ユリ=ゲラーや関口少年はテレビに出演するたびに毎回超能力が使えたのに…。
どうして、これまでの超能力者は1回しか超能力が使えなかったのだろう?[ただし、モハメットは除く。]
それは、やはりその超能力が超能力者自身によるのではなく、超能力者以外のものによるからである。
だから、超能力者ひとりでは超能力が出せなかったのである。
そんな者、もはや超能力者ではない。
君は、たった1回しか超能力が使えなかった者を超能力者と呼べるだろうか?
やはり、毎回超能力が使えないと超能力者と呼ぶ気がしないのではないだろうか?
私なら、毎回超能力が使える『正真正銘の超能力者』が現われれば、その者を人間よりも上の者と呼んでもいい。ただし、人間よりも上の者と人間との妥当な関係は民主的に話し合って多数決で決めねばならない。私の意見としては、超能力者は、たとえ人間よりも上の者だとしても、超能力以外に取り柄がないのだから、あまり待遇をよくしなくてもいい。もちろん、超能力者の命令なんかに無条件に従う必要はない。
『正真正銘の超能力者』と人間は身体のどこかが違っている。それを詳しく調べれば、超能力の謎が解けるはずだ。

[5653] 超能力者かもしれない者 h20.8.17
これまでの超能力者とされた者は、みんなひょっとしたら超能力者『かもしれない』者つまりもしかしたら人間よりも上の者『かもしれない』者にすぎない。[私は、これまで超能力者とされてきた者が超能力者である確率は、0.000001以下だと考える。]
一方、将来科学の力でロボットかコンピューターかバイオテクノロジーかなにかで何らかの人間よりも上の者『である』者が作られるはずである。
人間よりも上の者『かもしれない』者よりは人間よりも上の者『である』者のほうが強い。
だから、将来人間よりも上の者『である』者が現われれば、人間よりも上の者『かもしれない』これまでの胡散[うさん]臭い超能力者は無視されて捨てられてしまうだろう。
宗教の信者は、ひょっとしたら人間よりも上の者『かもしれない』者を強引に人間よりも上の者『だ』と考えているから物事の考え方にデリケートさがない。ファジー論理を勝手にデジタル論理に置き換えている。割り切れないことを無理やり割り切っているからいけない。空クジの多い宝くじを喜んで買うようなものだ。その結果はたいてい損だ。信者はもともと物事の考え方が出鱈目[でたらめ]だから、宗教に入る羽目になるのだろう。[私は割り切れない味が嫌いだ。割り切れないことを考えているとすぐに眠くなる。]
超能力者がいると考えると、どうしてその者だけが超能力を使えたかとか超能力の発生のメカニズムとか超能力者と人間の妥当な社会的関係とか難しい問題がぞろぞろ出てきて面倒臭くなるから、割り切って超能力なんてものはない、超能力者はいないと考えたほうが合理的・整合的だ。これまでの超能力者はすべて自然現象や癲癇の幻覚の見まちがいだと考えたほうがスッキリする。正真正銘の超能力者が現われるか、あるいはどうやって超能力が現われるのか科学的に合理的に理解できるまでは超能力者はいないと考えたほうがいい。

[5654] 超能力者である証拠 h20.8.17
容疑者を犯罪者であると確定するためには確固とした証拠が必要であるように、
ある者が超能力者であると確定するためにも確固とした証拠が要る。
超能力者とされても本人にとっては何も得になることがなく、かえって損になることが多いので、確固とした証拠がぜひとも必要である。

[5655] 神武天皇はどうして光の玉を出すことができたか? h20.8.18
もしも自分が電気の知識を持っていなかったら、神武天皇に“人間よりも上の生き物”である神の概念を当てはめて、神武天皇を神と考えたかもしれない。
しかし、神武天皇がたとえ神だとしても、どうして神だからといって念力で光の玉を出すことができたのだろうか?
神武天皇の脳の中にある念力器官と光の玉との間に論理の鎖がつながらないかぎり理解できたことにはならない。
「神武天皇が神だから。」で終わりにしていたのでは、理論の発展性がない。
どうせ同じように論理的に理解しなければならないのなら、わざわざあるかないかよくわからない“念力器官”の存在を仮定して面倒な理屈をこねなくても、既存の電気の知識で簡単に答えを出せるのなら、そっちを正解だと考えたほうがいい。
神武天皇がとっくの昔に亡くなって“念力器官”の存在を確認できないのであれば、なおさらだ。[“念力器官”は頭の中で考えた概念にすぎず、その存在を眼で確認しないかぎり実在しているとは言えない。]
つまり、神武天皇が超能力者である証拠は何もないわけだ。

[5656] キリストの後光はどうして出たか? h20.8.18
たとえキリストを神だと考えたとしても、どうして後光が出るのだろうか?
キリストの脳の中にある念力器官と頭の周りの発光を論理の鎖でつなげることができなければ、「キリストが神である」仮定が正しいとは言えない。[キリストの頭皮にホタルの発光器官が付いていたのだろうか?]
わざわざそんな難しいことを考えなくても、キリストの母の見まちがいだと考えたほうが簡単でいい。

[5657] 日本政府とは何か? h20.8.18
日本政府は「この世に念力が使える人間がいる」というまちがった原理を日本に普及させるためにある悪い機関である。
しかも、「この世に念力が使える人間がいる」という原理には何の根拠もない。日本政府が勝手に盲目的に信じているだけである。[この原理を否定するためには、超能力者の身体と人間の身体に相違点がないことと、超能力者でない人間でも超能力者と同じ現象を現すことができることを実験的に示せばいい。参考。神武天皇や私は「この世に念力が使える人間がいる」という原理の根拠とはなり得ない。もしも、根拠となりえるなら、高校の化学や物理の先生は、生徒の前でいろんな実験(例えば、溶液のpHによって試薬の色が変る実験や電子線によって羽根車が回る実験など)をするからみんな超能力者ということになるはずだ。(癲癇を誘発する実験は高度になるが、やれないことはない。)]
まちがった日本政府に正しい日本国民が付き合わされるのは困ったものだ。
日本政府は日本国民にとってありがた迷惑の疫病神だ。

[5658] でんでんむしの歌 h20.8.18
でんでんむしむしカタツムリお前の頭はどこにある角出せやりだせ頭出せ♪
でんでんむしとは皇居の奥に潜んで人前に顔を出さない天皇のことである。

[5659] 日本政府は悪徳企業 h20.8.18
日本政府が「念力が使える者がいる」ことを日本中に広めようとするのは、日本人に「日本の中に念力を使える者がいて、天皇と同じように日本人に命令を出している」と思わせると、日本政府が好き勝手に命令が出せて儲かるからである。
しかし、念力でどうして光の玉が出たり、後光が出たり、物が動いたりするのか?
「それは念力だから。」では、ちょっと答えが大雑把すぎはしないか。
日本人みんなが「念力を使える者がいる」ことを納得してしまうと、日本はかなり馬鹿な国になってしまうのではないだろうか?
日本政府は、“フィリピン人に「コカコーラは栄養がいい」と宣伝して赤ちゃんにミルクの代わりにコカコーラを飲ませて栄養失調にしているコカコーラの会社”と同じである(“…”は、私が高知大生のとき川本竜彦君から聞いた話)。
いっぺん、『日本政府がこの世に念力を使える者がいるという嘘を流している』という内容をマンガやアニメやドラマにして日本人に教えてみてはどうか。

[5660] キリスト教に入る人 h20.8.18
キリスト教に入る人は、キリストの思想が気に入っていて、キリストの思想を支持するために入るのだろう。
キリストの博愛主義が全世界に広がれば、みんなが幸せになれると考えるからである。
仏教に入る人も、釈迦の思想が正しいと考えるから入るのである。[残念ながら、私にとってはキリストの思想も釈迦の思想も役に立たなかったが、日本や世界の中には役に立つ人もいるのだろう。]
どの宗教においても、信者は神の思想のファンだから入るだけである。
宗教は、神の思想のファンクラブのようなものだ。
今日においては、かつての超能力者は思想家にほかならないのだ。
ただし、日本では、いまだに超能力者がいると信じられているようである。
あるいは、政府が人間よりも上の者と決めた人がいると信じられている。
政府が決めたことなら何でも国民はおとなしく従うのだろうか?
古臭い。今日では自分が気に入らなければ政府にたてつくのが常識だ。
政府の言いなりになっていては損をするだけだ。
自分が正しく政府がまちがっているなら、自分を肯定するのが人間だ。
かつてガリレイが教会に勝ったように、正義は勝つのだ。
いくら政府が頑張っても、しょせん天の声は人の声なのだ。
政府は実在には勝てないのだ。

[5661] 政府は頑固者 h20.8.18
頑固者は一度言い出したら、たとえ自分がまちがっていても直そうとしない。
日本政府は一度天皇を神としたから、後でまちがいだとわかっても自分の面子のために直そうとしないのだ。
偉い人は、なかなか自分がまちがっていることを認めたがらないようだ。

[5662] 政府はトラブルメーカー h20.8.18
政府は「この世に超能力者がいる」というまちがった原理を立てて、それを頑[かたく]なに守り続けている。
政府が実在に反していることから、いろんな問題が発生している。
政府は神制でふざけた命令を国民に出して国民をもてあそんでいる。
政府は飛んだ厄介者だ。

[5663] 客観的真理 h20.8.18
政府は実在には勝てない。
昔の人はこの世は法則のない混沌とした世界だと思っていたから、
偉い人が好き勝手に法を決めればその通りになると思っていた。
日本政府が天皇を置くのもそのためだろう。
しかし、現代では人間から離れた『客観的真理』があると考えられているから、
いくら政府が強くても実在を負かすことはできないのだ。
だから、実在においてまちがっていることは、たとえ政府でも肯定することはできない。
したがって、「超能力者がいる」というまちがった原理を政府が立てることはできない。

[5664] 潰れない会社 h20.8.18
日本政府は、いくらまちがったことをやっても、いくら国民から嫌われても、国民の税金で食べていける潰れない会社である。
潰れないと思って好き勝手し放題である。
しかし、一度日本政府は江戸時代に潰れている。
日本政府が今後も潰れない保証はない。

[5665] 男と女 h20.8.18
男と女の大きな違いは、
女が感情が平坦でおとなしいのに比べて、
男は喜怒哀楽が激しいことである。
つまり、女はちょっとしか喜びがないのに対し、男はいっぱい喜びがあるのである。
だから、男は男に生まれてよかったと考えるべきである。
ただし、子供まわりのことについては、女は男よりも喜びがあるようである。
元気で明るく楽しい女の子はマンガの上の作りごとにすぎない。

[5666] 現代若者考 h20.8.18
頭を使って考えんから、眼で見えることしかわからんのだろうが!?
お前ら、テレビの見すぎだ!
学校は考えを休めるところであって、考えるところではない。
テレビを見すぎて、自分で正しいことを考えないから、他人の言いなりになるのだ。
最近の若者はみんな“他人の言いなり顔”をしている。
政治家にとってはそのほうが都合がいいから、テレビがおもしろいのだ。

[5667] 政府の目的 h20.8.18
政府の目的は、日本を「超能力者のいる」世界に変えることである。
公言できないほど、くだらないモットーだ。
未来の日本人は、「俺の国には超能力を使える王様がいるぞ」と外人に対して胸を張って言ったりするのだろうか?

[5668] どうして日本の試験は難しいか? h20.8.18
ガリ勉馬鹿は、まじめに勉強する気がなく試験でいい点を取るだけが目当てだから、すぐにカンニングをやりたがる。[大学生になってもそうだ。たぶん死ぬまでそうだろう。]
政治家にとってはそんなずる賢い人間のほうが都合がいい。
だから、日本の試験は難しいのだ。

[5669] 日本政府はあったほうがいいかないほうがいいか? h20.8.18
日本人の多くは、日本国の法律について具体的な内容を知らない。私も知らない。
日本人は日本人としての共通の思想に従って生活しているのであって、日本国の法律に従って生活しているのではない。
だから、日本国の法律は要らない。[法律があってもいいが、神制の法律はないほうがいい。]
警察は国民から日本政府を守るためにあるのであって[警視庁のマーク(桜代紋)にそれが表れている。]、犯罪者から国民の生活を守るためにあるのではない。
だから、警察は要らない。
したがって、日本政府がなくなっても、国民の生活は今とあまり変わらないと考えられる。
日本政府が神制を使っていたずらな命令を国民に出して国民をもて遊んでいるのなら、日本政府はないほうがいい。
無政府主義になってしまった。

[5670] 女の神が現われたらどうなるか? h20.8.18
女は頭の中がヌルヌルした気持ちばっかりでおもしろくない。
女の内界は男ほどおもしろくない。
だから、女の神(超能力者の可能性がある人、こじつけで超能力者にできる人)が現われると、その国はおもしろくなくなる。

[5671] 超能力を荷う物 h20.8.18
超能力者が超能力『で』光の玉を出したり、物を動かしたりするといってもよくわからない。
超能力者の頭の中にある超能力器官と光の玉を出したり、物を動かしたりすることとを分析的に論理で結び付けなければ“超能力者仮説”(つまり、この世に超能力者が実在するという仮説)は正しいとは言えない。[ニュートンの『プリンケピア』でも、“万有引力”と惑星の楕円軌道とを分析的に論理的に結びつけることができてはじめて万有引力が存在することとなったのである。これに対し、神武天皇の場合、これまでに神武天皇の“念力(超能力)”と光の玉を分析的に論理的に結び付けたことはないから、念力が実在するとは言えない。]
超能力者仮説では、超能力者の頭の中に(一般には身体の中に)超能力を荷う物すなわち超能力器官があることになる。
だから、超能力器官が特定されないかぎり超能力者仮説は正しいとは言えない。
日本政府が支持する“超能力者仮説”は『超能力器官』が見つかってから有効だとしよう。

[5672] 神武天皇の光の玉 h20.8.18
神武天皇の光の玉が出た説には、今のところ電気説と超能力説のふたつがある。
電気説では、私の哲学日記[5380] とんび h20.7.8に書いたように、分析的論理的に光の玉が出たことが説明されるし、電気的に神武天皇の光の玉と同じ物を実験で作ることができる。参考。
一方、超能力説では、神武天皇が出雲地方以外の所で光の玉を出したという伝説がないし、神武天皇に超能力器官があったという証拠がないし、超能力理論が今のところ皆無なので、たとえ超能力器官が見つかったとしても分析的論理的に光の玉が出ることが説明されない限り超能力説が正しいとは言えない。
だから、今のところは電気説のほうが超能力説よりも有力なので、電気説を正しいとしなければならない。
将来、超能力器官が見つかって、超能力器官と光の玉が出ることが分析的論理的に説明されれば、神武天皇の光の玉はもしかしたら神武天皇の超能力で出たのかもしれないと考えられるようになるかもしれない。

[5673] 私の念動力 h20.8.18
私が赤ちゃんのときガラガラを回した説には、今のところ癲癇説と超能力説のふたつがある。
癲癇説では、私の母親の大脳視覚野のMT野が癲癇で突発的に興奮したことによりガラガラが回って見えたとして説明される。残念ながら今のところ実験はないが、将来サルやヒトを使って確認の実験がされるかもしれない。しかし、私の母親が見たMT野癲癇に似た現象を『蛇の回転』で多くの人々が体験することができる。
超能力説では、私の家族が鴨部に住んでいたときしか私の念動力がなかったことがわからないし、私の身体にあるはずの超能力器官がいまだに特定されていない。それに、ガラガラが夜中に突然回るのを目撃した当の母親は「幽霊のせいじゃなかったろうか」と言って、赤ん坊の私がやっていたみたいだとは一言も言わなかった。[できれば、「癲癇のせいじゃなかったろうか」と言って欲しかった。]
したがって、今のところは癲癇説のほうが超能力説よりも有力であり、癲癇説が正しいと考えねばならない。

[5674] 日本政府が生き残る方法 h20.8.18
日本政府は超能力者で続いている会社だから、超能力者がいないと会社が潰れる。
日本政府が生き残るためには、どうしても超能力者がいなければならない。
そのためには日本政府が『超能力器官』の発見者に懸賞金10億円を出すことにすればいい。

[5675] 税金を払うほうが悪い。 h20.8.19
日本政府は[神制でふざけた命令を出すだけの]ないほうがいい悪い会社である。
だから、そんな会社に税金を払っている国民が悪い。
したがって、国民は政府に正しく税金を払わなければいい。[日本政府がちょっとでも神制で動いている節[ふし]があったら税金を払わなければいい。例えば、日本に天皇を置いているかぎり支払わなければいい。ついでに、神制で動いている民間企業の製品も買うな。]

[5676] 日本政府がやったこと h20.8.19
1)原因がわからない現象があったとき、それを超能力のせいにして『超能力者』を作り出した。
2)超能力者と人間の『妥当な?関係』を定めた。それを実施した。

[5677] 知らんぷり h20.8.19
私の場合については、考える気さえあれば、母親の見まちがいだとすぐにわかったはずだ。
私の母が物が動いて見える幻覚を見たのだと考えられたはずだ。
細かい原因までははっきりとわからないにせよ、それが私の母がガラガラが回って見えた原因にできたはずだ。[2名以上の者が突然にガラガラが回ったのを見たのではないからである。]
それなのに、わざわざ原因をわからないことにして、私の超能力のせいにしたのは、現代においてはもはや“わざと”だとしか考えられない。
故意に原因不明にして超能力のせいにして超能力者をでっち上げるのは反則だ。

[5678] 幻覚とは何か? h20.8.19
マンガやテレビドラマでときどき出てくる物がぼやけて見えることを幻覚だと思っているからいけない。
ほんとの幻覚というのは、はっきりと事実さながらに見えるものだ。
だから、キリストの母もモハメットも私の母も他人を前にして真剣に自信を持って自分が見た幻覚について語ったのである。[モハメットは自分の頭の中ではっきりと声が聞こえるから、神がいると思ったのである。自分が神の声を聞くことができる選ばれし者と考えたのである。]
[私も母親の身体が光って見える幻覚?や母親が3秒間20歳ぐらい若返る幻覚を見たことがある。ただ、後から考えてみると、そんなことは物理的にありえないから、幻覚であることがわかるのだ。]

[5679] どうして神制が有効なのか?☆ h20.8.19
世の中には馬鹿が多い。
馬鹿は、この世に本当に超能力者がいると思っている。超能力者に人間が従わねばならない決まりがあると思っている。
政府が超能力者がいるみたいなことをしていると、馬鹿は本当に超能力者がいるんだなと思ってしまう。超能力者に従わねばならないんだなと思ってしまう。馬鹿は洗脳にかかりやすい。
この世には馬鹿が多いから、現代においてもいまだに神制が有効なのである。

これまでに政府がはっきりと超能力者がいると言ったことがあるか?!
政府がそうしないのは、本当はこの世に超能力者がいないからだ。

だから、政府の思わせぶりに乗ってはならない。
超能力者がいるのはマンガかSF映画の世界だけだ。

[5680] 転載の条件 h20.8.19
「川野延夫著『実在哲学の世界』http://www.h3.dion.ne.jp/~jituzai/ より」または、例えば、「川野延夫著『哲学日記』[5603] 結果よりも事実が大事 h20.8.9 http://www.h3.dion.ne.jp/~jituzai/tetunikki_5601~5700.htm より」と付記してくれれば、いくらでも無料で私の文を引用してもかまわない。
ただし、あたかも自分が考えたみたいにして私の文を引用するのは禁止する。それは、事実に反するからいけないのである。
自分がまちがいを犯したときの責任逃れのためにも、引用文の出典を明記しておくことをぜひお勧めする。

[5681] 超能力者と決めた人 h20.8.19
私のことを、日本政府が超能力者と決めた人だと思っている人がいる。
たしかに今の私に超能力がないのは、日本政府がただたんに超能力者と決めた人だからと考えれば説明が付く。
しかし、それでは、どうしてそもそも私を日本政府が超能力者と決めたのかがわからない。
それは、日本政府が何らかの根拠があって私を超能力者だと考えたからだとしないかぎり説明が付かない。
つまり、超能力者と決めた人と言っても超能力者だと考えている人と言っても意味的には同じなのである。
それはさておき、いくら日本政府が大きい会社だといっても[世界的に見ればそれほど大きくはないが]、超能力者でない者を超能力者だとすることは、実在に対する冒涜[ぼうとく]にほかならない。日本政府は科学をなめきっている。いい歳こいた大人が馬鹿みたいなことをするな。
太陽が西から昇って東に沈むことがないように、超能力者でない者を超能力者とすることはできない。
日本政府は国民の税金を湯水のように使って実在の世界を破壊して楽しんでいるのである。
日本政府は[学生自治会の新聞にもよく書いてあるように]民主主義を破壊して神主義(実際には政治家主義)の国家を作ろうとしているのだ。
日本政府は会社ぐるみで悪事を働いているのであって、日本政府の中にいい人間はいない。

[5682] 日本政府はなぜ国民から税金を取るか? h20.8.19
日本政府は日本国民みんなが「超能力者がいて超能力者に従わねばならない」と信じていると考えているから、国民から税金を取るのである。
それなら、上の命題の対偶を取って、日本国民が日本政府に税金を支払わなければ、日本政府が日本人の中には「超能力者がいて超能力者に従わなければならない」と信じていない者がいると考えることになる。それなら、そうしてやろうじゃないか。
日本政府は国民をだまくらかしてあたかも自分が正しいかのように思わせているし、日本政府は自分がまちがっているとはっきりと言わないからよくわからないけれども、本当は日本政府はまちがった会社であり、国民が日本政府に税金を支払うこともまちがっているのだ。
日本政府は実在に反している会社であり、合理的には日本政府は存在してはならない会社なのである。
日本政府が会社を続けることに正当性はなく、日本政府に存在する価値はないのである。
分析的に論理的に考えてみれば、日本政府のやっていることはすべてまちがっているのである。
会社の支えが「超能力者」で、会社の理念が「超能力者に人間が従う国造り」では、子供にも馬鹿にされても仕方がない。
要するに、日本政府は時代遅れの潰れかけの会社なのだ。

[5683] 超能力者は国の恥。 h20.8.19
明治維新の頃はたしかに日本人の多くは天皇家が超能力者の一族だと信じていて、日本帝国憲法には天皇を神とすることが日本人共通の意思だと述べられているが、それは当時の日本の文明が遅れていたことの象徴である。
今の時代に、神武天皇の光の玉が神武天皇の超能力で出たと考える者がいたら大変だ。その者はまちがいなく精神病院に入院しなければならない。
だから、戦後の日本国憲法には天皇をただの人間としか考えないことが日本人共通の意思だと述べられているのである。[人間の心は知覚に従属する(つまり、考えによって気持ちが変わる)から、国の法律は国民共通の心(の表現)だけれども、その奥には国民の常識(国民共通の実在に関する知識)が隠れているのだ。]
ユリ=ゲラーや関口少年を見てもわかるように、現代ではもはや超能力はギャグのひとつにすぎない。つまり、超能力者は死語なのだ。
それなら、隠れ超能力者の私についても、私を超能力者などと考えてはいけない。
今後も日本人から超能力者を出してはいけない。

[5684] キリスト教と仏教 h20.8.20
キリスト教とはみんなのために生きることだ。
仏教とは自分のために生きることだ。

[5685] 偽装 h20.8.20
日本政府は命令の工場である。
日本政府の命令は神制に因んで政治家が好き勝手に作っており、最終的には民主制の偽装(カモフラージュ)が施[ほどこ]されて民主制で作ったかのように見せ掛けて市場に出されている。
つまり、それが民主制に“因む”ということだ。
つまり、日本政府の出す命令は民主制でも神制でもなく実質的には日本政府制ということだ。

[5686] 政府が人気[にんき]を取るためには? h20.8.20
民主制とは国民制ということだから、政府が民主制でやれば国民の人気が取れる。
一方、神制では[字義通りにやれば]神しか喜ばない。
だから、政府が大勢の人気を獲るためには民主制でやったほうがいい。
私や天皇の神制では、私や天皇と気が合う者にとっては楽しいが、気が合わない者にとってはおもしろくないから、やはり民主制にしたほうが無難ではないだろうか?

[5687] 神制とは何か? h20.8.20
日本神道の信者は神制の仕組みについての正しい理解がないまま、自分たちの思い込みだけで神に「自分たちの待遇をよくしろ!」とか言ったりする。
神制とは、神が政府に命令して自分の命令を実行させる制度ではなく[そうだったら、神にとってはありがたい制度なのだが。]、神の個人情報や体験したことなどからいくつかの情報を取ってそれらを混ぜて政治家が自分の好き勝手な命令を作って国民に出して実行させることである。だから、いくら神が政府に命令してもそれがそのまま実行されるわけではないから、信者がいくら神に命令してもそれが実現されるわけがないのである[そもそも、信者が神に命令するとは何事か!]。

[5688] 日本政府はデタラメ h20.8.20
超能力者の決め方もデタラメだし、
超能力者に人間が従う理由もないのに従うこともデタラメだし、
超能力者に対する従い方もデタラメだ。
日本政府が国民みんなが超能力者に従う意思があると見なしていることもデタラメだし、
日本政府が国民から税金を取るのもデタラメだ。
日本政府はデタラメばっかりだ。
日本に日本政府みたいなデタラメな会社があるのは、日本人がデタラメな考え方ばかりしているからだ。[先進国のヨーロッパやアメリカにはそんなデタラメな会社はない。アメリカは自分の国に神が出ないから、日本のような田舎の国とコネてまで神制をやろうとするのだ。]
日本人がもっと分析的で論理的な考え方をすれば、日本政府のようなデタラメな会社はなくなるはずだ。

[5689] 超能力者の条件(改) h20.8.20
超能力者と考えられる者によってある現象が発現されたとする。
0)現象に対し既知の物理学・生理学による説明が付かないこと。
1)2名以上の現象の確認者がいること。
2)超能力者がいつでもどこでも(少なくても2回以上違う状況下で)現象を再現できること。
3)超能力者でない者が同じ現象を再現できないこと。
[0、2、3は超能力以外の原因の除外であり、1は幻覚の除外である。]
これらをオールパスしてはじめて、超能力者と考えられる者が正式に『超能力者』だと認定される。
4)できれば、超能力者の身体に、人間にはない超能力器官が検出されればなおよい。
『超能力者』が現われたら、すみやかに超能力者の属する国の政府が“超能力者と人間の妥当な関係”を民主主義的に決めること。具体的な超能力の程度に応じて細かく決めねばならない。例えば、超能力器官を手術で取り除くかどうか話し合って決めねばならない。
本物の超能力者が現われたら、超能力者が生まれた県や国はかなり儲かるだろう。
反対に、超能力者がインチキだと判明したら、県や国は信用を失って損をするだろう。

[5690] 日本政府は馬鹿の象徴 h20.8.20
最近の人は、マンガやアニメばかり見て自分で言葉を使って考えることがない。
そのために、分析的に論理的に考えることができない人が増えている。
そのために、日本に日本政府のようなデタラメな会社があるのを許すようになる。
日本政府は日本人の馬鹿さの象徴だ。

[5691] 国民もデタラメ h20.8.20
神の意味が何なのかわからずに神に従うのもデタラメだし、
神がどんな超能力が使えたのか具体的にわからずに神に従うのもデタラメだし、
神が本当に超能力者なのかわからずに神に従うのもデタラメである。
神を自分の眼で見たこともないのに神に従うのもデタラメである。
神と人間の関係についての法律が具体的にわからずに神に従うのもデタラメである。
そもそも神に従わねばならない理由がないのに神に従うのがデタラメである。
政府の命令が何制で作られたかわからずに政府の命令に従うのもデタラメである。
国民も政府に劣らずこれまたデタラメである。
国民がもっと分析的で論理的な思考ができれば、政府の命令にやみくもに従ったりはしないはずだ。
[読書のしすぎかテレビの見すぎかエッチのしすぎで頭が働かなくなっているんじゃないか?]

[5692] 正義と悪の戦い h20.8.21
この世には根本的には正しいか正しくないかの区別があるだけだ。
法律なんか小ざかしい。[法律は人の気持ちのことばかり問題にしてウザったいからである。]
超能力者がいないと考える国民は正しい者だ。
超能力者がいると考える日本政府は正しくない者だ。
正しい者が正しくない者をどうしようが勝手だ。

[5693] 政治家は私を殺そうとしている。 h20.8.21
政治家は超能力者がいる世界を作りたいと思っている。
私は超能力者がいないと考えている。
したがって、政治家にとっては私が邪魔だから、政治家は私が仕事に就けずお金を稼げず暮らせなくして私を不利にして殺そうとしている。
超能力者問題に関心があり、私の考えを支持する『お金持ち』が現われないかぎり、私は生きて行けないかもしれない。

[5694] メディチ家 h20.8.21
孤高の天才ガリレイにも支持者がいなかったわけではない。
かの有名なメディチ家がそれである。
メディチ家は国の政府と対マン張るほどの大金持ちだった。[一個人が国家予算並みのお金を持っていたのである。]
メディチ家は天空が動いているとか超能力者がいるとか考える教会のやり方では社会がマンネリ化していつまで待ってもよくならないので埒[らち]があかないと考えて、地球が動いているという新しい考えを持っているガリレイを支持したのだ。
それが現代の先進国ヨーロッパを作るもとになった。

[5695] 人間としての私 h20.8.22
正しい考えで生きて行くのが人間としての義務である。
私は国民である前にひとりの人間だ。
政治家の馬鹿げた考えなんか忘れた。

[5696] 政治家を不幸にする会 h20.8.22
政治家はたしかにお金持ちだ。といっても個人的な財産が多いのではなく、政治家が自由にできる国家予算が多いだけだが。
しかし、政治家もしょせんは人間だ。
人間にとっては幸福か不幸かが物を言う。
だから、たとえ政治家がお金持ちでも、政治家を不幸にすれば政治家を参らせることができる。

[5697] 読書について h20.8.22
アーサー=ショペンハウエルは、その著『読書について』の中で、
『読書とは[他人に考えてもらって]自分で考えないことである』と述べた。
ここでいう書物とは、例えば聖書のことである。
つまり、ショペンハウエルは、聖書を読むと頭が悪くなるので読まないほうがいいと警告しているのである。
それはさて置き、国の政府と対マンを張るほどの大金持ちだったメディチ家は、自分のポケットマネーで当時としては世界一立派な図書館を建てた。それは、鍵付きの高価な写本の前に座って誰でもが自分の好きな本を自由に読むことができるものだった。本が買えない一文無しの貧乏人にも高価な貴重な本が読めたので絶大な教育効果があった。そうして先進国ヨーロッパの礎[いしずえ]が築かれた。今では世界中いたるところに図書館があって誰でも自分が好きなあまり高価ではない本を自由に読むことができる。
しかしながら、『人間は原則的には自分で考える者である』ことを忘れてはいけない。
とくに現代は受験戦争が激しくて、ひたすら他人の本を読むばかりでついつい自分で考えることをおろそかにしがちである。
もっとも、孔子も『学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し。』と言ったように、自分ひとりで考えるだけでは、自分の考える対象が自分の実生活における経験に限られているからどうしても視野が狭くなりがちで、この世には自分が知らないことがたくさんあることを忘れがちである。[だから、私もときどきアニメを見て知見を広げている。]
だから、たまには自分が考えるのを休んで、他人の書いた文を読んで、自分の知見を広げることもまた有益である。他人が書いた文に対して、自分の知識から見てどう考えるかを自分の言葉にして言い表すことも、『自分の考えを大事にする』という点では欠かすことのできないことである。
誰にとっても、この世で一番価値のある書物は『自分自身の脳』である。だから、自分自身の脳を最も大切にしなければならない。自分自身の脳にこの世で最高の実在についての真実を書き込まねばならない。また、自分の脳に何が書かれているかを自分の言葉で表現して(字で書いて)つねに自分の眼で確認することも大切である。
自分が死ぬ瞬間まで自分の脳に実在の真実を書き続け、またそれを言葉にして表現しなければならないのである。

[5698] 超能力者が存在しないことの証明☆☆☆ h20.8.22
[5672]や[5673]に述べたように、これまでの超能力者が現したと考えられた現象は“超能力”よりも“自然現象”や“癲癇による幻覚”で起きたと考えられるので、超能力や超能力者は存在しないと考えられる。


[5699] 自動車の使用禁止令 h20.8.23
2日前から私は新しい職場が決まったが、私の職場までは毎日自転車で往復2時間かかる。
私は自動車はおろか原付の免許すら持っていないから、自転車で通うしかない。
バス通勤だと毎日往復620円かかるが通勤手当は一日200円しか出ないので赤字である。
それに、職場が町の外れにあるのでバスが1時間に1本あるかないかである。
夜勤の時間帯だとバスが走っていないのでバス通勤もできやしない。
正しい者が苦労して、まちがった者が楽をするのはまちがっている。
したがって、日本政府及び神制をやっている民間企業の者は自動車の使用禁止とする。

[5700] 宗教とは何か? h20.8.23
宗教とは、まちがった者が正しい者を支配する会である。
日本や世界のいたるところに宗教の会場が建っている。
私の眼につく所に神社やお寺や教会を建てるのはやめてくれないか?


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