[5501] 眼先で物を見るな、頭で考えて物を見よう。 h20.7.27
政府はまちがった神制をやるためにある組織だから要らない。
頭で考えて物を見るなら、これまでの私の議論から政府がまちがった要らない組織であることは明らかである。
私は政府の完全撤廃を希望するが、政府が完全な民主制でやるなら生き残ってもよい。
政府が完全な民主制でやるなら、まず私の意見に従うか否[いな]かを民主制で決めねばならない。
しかし、政府は国民全体の意志の決定機関であって、客観的な真実を決定する機関ではない。
客観的な真実は誰にとっても正しいので、わざわざ話し合わなくてもすでに成り立つことが決まっている。
私がこれまでに述べてきた議論は誰にとっても成り立つ客観的真実なので、政府で話し合って採択を決定するまでもない。
[5502] 著作法違反? h20.7.27
私のホームページには私が撮ったアニメの写真やコピーした画像がたくさん載っている。
これは日本の法律によれば著作法違反である。
しかし、それらの法律は日本政府が作ったものである。
日本政府は、まちがった神制度を原理にしている。
原理がまちがっているから全部がまちがいである。
したがって、著作法もまちがいだから無視していいのである。
[5503] 国家宗教と民間宗教の違い h20.7.27
国家宗教も民間宗教も超能力者が現人神とされている点では同じである。
どちらにしろ本物の超能力者ではないが、超能力の種類が国家宗教と民間宗教とでは違っていて、国家宗教の超能力者は自然現象や癲癇などの見まちがいによるもので本当臭くて、民間宗教の超能力者は自動書記やチャネリングなど芝居がかって嘘臭い[見ていると腹が立って石をぶつけたくなる。]。
国家宗教では、超能力者と宗教家(すなわち超能力者のマネージャー)が別であることが多く[モハメットは例外的に超能力者と宗教家が同じ]、民間宗教では、超能力者と宗教家が同じであることが多い[ワンマン経営で経費節約。超能力者と宗教家が別だと、宗教家が儲けの大半を持っていってしまうので、超能力者が不満になる。]。
国家宗教にしろ民間宗教にしろ現人神宗教はインチキで不健全だから、宗教本来の姿である絶対神宗教(ただし遊び程度)に帰るべきである。
大昔はこの世はわからないことだらけだったから絶対神しかいなかったが、人類の文化が進んでこの世にわかることとわからないことの区別ができ始めた頃に“わからないことをした人間”として現人神が生まれた。そして、今ではこの世はわかることが増えてしまったために現人神がいなくなった。
[5504] マンガ家やアニメ家に対する処分 h20.7.27
マンガ家[か]やアニメ家[や]の分際で、私をオモチャにしたようなものばかり書いてじつに偉そうだ。[天皇や私などの現人神を文芸作品に取り入れねばならないことは法律による規定がないから強制ではない。天皇が題材にされるのは、文人が天皇が人間よりも上の者とされることに納得がいかなくてそのムシャクシャした気持ちを紙面にぶつけたかったからである。その証拠に天皇をたたえる作品なんかひとつもない。全部イヤミだ。[警察に目をつけられて痛い目にあわされたくなければ天皇を題材にした小説を書かなければいい。例えば、夏目漱石は天皇を題材に取っていない。(『吾輩は猫である』の猫は天皇ではなく漱石自身の喩えである。)]私は、自分が人間よりも上の者と思ったことがないからそんなことをされる筋合いはない。]
したがって、マンガ家やアニメ家は政府から情報をもらって自主的に描いたことになる。
要するに、マンガ家やアニメ家は正義心のない不良だ。[それとも、自分たちが偉そうにしていることさえわからないほど馬鹿なのだろうか。とにかく、子供には真似させたくない。]
私のことを馬鹿にできるのはマンガ家やアニメ家が偉そうになったのが原因だから、偉くなった分だけマンガ家やアニメ家の評判(社会的評価)を下げてもとに戻してやればいい。[マンガ家やアニメ家の近所に住んでいる者がいたら、幻聴の悪口やガン飛ばしや石を投げつけたり殴ったり蹴ったりしてマンガ家やアニメ家に攻撃して欲しい。]
そうすれば二度と他人を馬鹿にしたようなマンガやアニメを描いたりはしないだろう。
[5505] なぜアジアにおける日本の地位が高かったか? h20.7.28
外人が日本の天皇を超能力者の家系だと思っていたから、日本に人気があったのだ。
外人も意外に馬鹿だなあ。
[5506] 心の世界 h20.7.28
男と女は空間的には同じ場所に住んでいるけれども、心まで付け加えたらまったく別の世界に住んでいるのである。
男と女では生まれつき違う心を満足しながら生きているのである。[つまり、男と女では人生の目標地点が違うのだ。だから、男と女では勝負にならないのだ。]
男と女は別の人種なのである。
キュリー夫人やコワレフスカヤは“女の中で”物理や数学が得意だっただけである。
男が物理や数学がよくできたときの喜びと女が物理や数学がよくできたときの喜びとは喜びの質が違うのだ。それがどんな喜びなのかは男の私にはわからない。
[5507] 洞窟のイドラ h20.7.28
フランシス=ベーコンの言う“洞窟のイドラ”の洞窟とは人間の頭蓋骨の喩えであり、洞窟のイドラとは人間は実際には自分の頭蓋骨の中にある自分の脳でいろんな幻覚を見て生きていることを言っているのである。[←精確にはまちがっているようである。参考]
その事実を踏まえた上で、ベーコンは五感的経験に基づいて知覚で考えることによって、正しく自分の脳を使うことによって、幻覚を見ないで真実を見ることができるようになると説いているのである。
[5508] 西洋人と東洋人の考え方の違い h20.7.28
西洋における認識の方法の特徴は、細かく見ることによってまちがいを正すことである。
一方、東洋における認識の方法の特徴は、大きく見ることによってまちがいを正すことである。
この違いは、やはり西洋人と東洋人の心の違いによるものだろうか。
とにかく、西洋人にしろ東洋人にしろ、実際に考えなければ始まらないことは同じである。
私の経験によれば、真理に達するには細かく見ることと大きく見ることの両方の考え方があり、両方とも用いなければならないようである。つまり、細かく見ることも大きく見ることも両方とも大事である。
[5509] キリストとは何か? h20.7.28
キリスト=母親が光の玉の幻覚を見た人。本人はただの人間。
信者がキリスト様やマリア様がどうのこうの言っているのは、キリストとは何かがわからずにただ自分の思い込みだけで動いているからである。
馬鹿道を極めた大人にはなりたくないものである。[さっさと死ね!]
[5510] どうして信者は神に従うのか? h20.7.28
神に従うとは、思想においてつまり頭の中まで自分が神と一体化することである。
つまり、信者が神に従うのは、やはり自分が神と一体化して“自分が人間よりも上の者になったいい気分”を味わうためである。
[5511] 『宗教基礎論』 h20.7.28
神を信じて神に盲従する(つまり、超能力者の存在を信じて、頭の中まで人間よりも上の者である超能力者と一体化して自分が人間よりも上の者になったいい気分を味わう)のが古典宗教であり、
神とは何であるかについて考えるのが現代宗教である。
つまり、現代宗教は『宗教基礎論』である。
それによれば、神とは科学の未発達によって超能力者にまちがわれた人間であり、人類の無知が産んだ幻[まぼろし]にすぎない。
だから、神を信じて神に従うことは、自分が知恵遅れの馬鹿だとみんなに宣伝することにほかならない。
これが、現代宗教である。
[5512] 私の記述の引用に関する規定について h20.7.29
私の記述を私から引用したことを明記して[私の名前を併記して]転載するのは事実だから許される。
しかし、私以外の者が自分が考えたみたいにして私の記述を書き写すのは事実に反するから許せない。
[5513] 神の原理 h20.7.30
日本政府はいろんな仕事をやっているが、それらはすべて『神の原理』に従ってやっている。
神の原理とは、この世には超能力者がいて、超能力者は人間よりも上の者だから、国民は超能力者に従わねばならないという理屈である。
日本政府はタテマエは民主制だが、本音は神制(神の原理に従う国家体制)なのである。
神の原理はまちがっているから、それに基づく日本政府の仕事は全部まちがっているのである。
[5514] どうしてみんなは税金を払うのか? h20.7.30
払うことが正しいからではない。
天皇や日本政府についての理解がないからだ。
[5515] どうして人間は気持ちが落ち込むのか? h20.7.30
それは人間の心の中に『鬱感情』があるからである。[鬱感情がなければ楽だが、ある以上はあることを認めないと仕方がない。]
自分の仕事や勉強が自分の鬱感情を刺激し興奮させるものである場合、自分の気分が落ち込むのである。[つまり、自分の仕事や勉強と自分の鬱感情との間に対応があるからであって、どうして対応があるかについての理由はない。それ(対応関係)は生まれや育ちで決まるのであって、ひとたび対応ができてしまったらもはやどうしようもない。だから、その『対応』の存在を認めるしかない。人間には鬱感情の存在自体や鬱感情との対応関係を変えられるほどの自由はないのである。]
自分が嫌いな仕事や勉強をいくら我慢しても自分の鬱感情の興奮はやまないから、我慢はなんの役にも立たず、かえって鬱感情の興奮を慢性化させ鬱病に至らしめて事態を悪化させるだけである。
したがって、自分が嫌な仕事や勉強をやめるしかない。面倒臭がらずに、さっさと自分の仕事や勉強を変えたほうがいい。
[5516] 川野教 h20.7.30
川野教とは、『超能力者が実在せず、世界中の宗教がまちがっているから、人類は宗教をやめるべきである』という教えである。
川野教を打ち破るためには、本物の超能力者が現われるしかない。
幸い、今のところそんな超能力者は現れていない。
将来、そんな超能力者が現われる頃になれば、超能力者が完全に科学の対象にされてしまって、もはや誰も超能力者を人間よりも上の者とは思わなくなっているだろう。
[5517] 「神は死んだ。」 h20.7.30
ニーチェは「神は死んだ。」と言った。
では、どうして、神は死んだのだろう?
それは、科学が発達し、聖書の記述はほとんど作り話であり、唯一事実と考えられるキリストの後光が光る超能力の正体がキリストの母親が癲癇で見た幻覚であったことが判明したからである。[きょうびは、幼稚園の子供でも、これくらいのことはわかる。子供におとぎ話を聞かせるのは、その頃になると実話と作り話の区別がつくからである。そうでなければ、おとぎ話を実行して大変なことになる。]
だから、ニーチェは、指導者キリストがいなくなったから、自分がキリストの代わりに新しい指導者になって人類を導いてやろうと思ったのだ。
それでも、後光が光るだけで、その者に従わねばならない理屈が私にはわからない。
後光が光ることと考えが正しいこととは関係がないから、いくら後光が光ってもその者の考えが正しいことにはならず、自分が従わねばならない者にはならないと思う。[h20.7.31付記:だから、本来は、神(超能力者)が人間よりも上の者だから神の命令に人間が論理的に従うのではなく、論理よりも気持ちの問題であって、人間が神に頭の中まで一体化することによって自分が神と同じ人間よりも上の者になった快感を得るために神の思想に人間が従うのだと考えられる。(実際には、宗教は自分が他人よりも上の者になっていい気持ちになるといった奇麗ごとではなく、宗教は人間を自分が他人よりも上の者だと思わせて他人を軽蔑する馬鹿に変えることである。)つまり、神制度は論理的に成立するものではなく、心情的にのみ成立する。したがって、国会で多数決で決めないかぎり、神制度は法にできず強制力は発生しない。しかし、そもそも超能力者が実在しないのだから、心情的にもこの理屈は成立しない。(超能力者は人間としてのひととおりの能力(多少欠陥があってもかまわないが)を備えた上に“人間にはできないことがやれた”から、超能力者が人間よりも上の者になるのは論理的にも正当だと認められる。しかし、実際には、“人間にはできないことがやれた”のは誤解以外にはありえず、実際には超能力者はいないから、この論法は使い道がないのである。)ちなみに、総理大臣は日本最高の権力者でも国民が死んでも従わねばならない人でもなく、国会の議長であり国民の意見を要領よくまとめる人である。だから、例えば、みんなが戦争やりたいと言ったら、自分もやらねばならないのである。]
世の中馬鹿ばかりだ。[人類の精鋭と呼ばれるヨーロッパ人でさえ、この程度だ。]
その事実のほうがずっと怖い。
馬鹿(つまり人類の実在に対する無知)が神の産みの親だから、馬鹿がいなくなれば神もいなくなる。[だから、歳を取って頭がボケるほど神が見えるようになる。ボケの思考や行動は理解を超えているので、宗教がまちがっていることがわかりきっているのにそれでも宗教をやろうとするのである。]
神がいなくなるのは、この世から馬鹿がいなくなったときだ。
それは遠い将来なのだろうか…。
[5518] 宗教は無抵抗である。 h20.7.30
私がこれだけ述べたにもかかわらず、今でも宗教の建物は世界中いたるところにあり、宗教に入っている者は生意気にも宗教をやめずに続けている。
宗教の建物を壊したり、宗教に入っている者を殴っても、たぶん抵抗しないだろう。
それは、彼らが宗教に入ることがまちがいだと知っていながら宗教に入っているほど落ちぶれているか、あるいは宗教に入ることがまちがいか正しいかの区別も付かないほど馬鹿になってしまっているかのどちらかだからである。
生きているより、早く死んでしまったほうがいい奴ばかりである。
[5519] キリストの十字架像 h20.7.30
キリストの十字架像はいわゆる日本で言うところの“さらし首”である。
こんなみっともない姿をみんなにさらさねばならないなんて、キリストはじつに惨めで哀れだ。[キリストも自分の十字架像が世界中にばらまかれるとは思わなかったはずだ。]
教会の者がキリストの気持ちのことなど考えず、キリストをオモチャにしているからだ。
教会の者は偉そうだ。教会の者が一番キリストを軽蔑している。
[5520] キリストの十字架 h20.7.30
キリストの十字架のペンダントなんかを身に付けているのは、そうすると周りのみんながいい人だと思ってくれるのを期待しているからだろう。
しかし、それはこれまでのことであって、今後は実在しない超能力者がいると思っているバカかキチガイだと思われて、みんなから嫌われて遠ざけられるだろう。
[5521] 神武天皇は科学者? h20.7.30
神武天皇はおそらく世界で最初にコロナ放電を発見した者である。
その点ではたしかに偉大だ。
今の天皇は“偉大な科学者”の125代目の子孫と言うことになる。
[5522] 馬鹿の法則 h20.7.31
普通の人にとっては、宗教はおもしろくもなんともない。
しかし、馬鹿にとっては宗教がおもしろい。
だから、馬鹿しか宗教に入らない。
[5523] 星占いの原理 h20.7.31
昔の人は、遠くの宇宙に神様が住んでいて空の星を動かし、空の星の動きが地上の物を動かすと考えた。
ちょうど、盥[たらい]に水を汲んで、手で水をかき回したとき、同心円の水の流れができて真ん中に動かない渦ができるようなものである。この真ん中の渦を昔の人は宇宙の中で動かない地球だと考えたのである。
だから、空の星と地上の物の間には関係があり、空の星の動きを観察すれば地上の出来事がわかると考えたのである。
これが星占いの原理である。
実際には、空の星と地上の物体との間は真空で途切れているし、空の星と地上の物体との間には弱い万有引力しか働かないし、地上の物体は地球からの万有引力と地上の他の物体からの力が働くだけなので、いくら空の星を観察しても地上の出来事はわからないと考えられる。
[5524] スプーン曲げの場合 h20.7.31
スプーン曲げのできる超能力者が仮に日本にいたとする。ただし、顔や性別や出身地などその他の詳細は不詳とする。
その者は、人間にできないことができるからたしかに人間よりも上の者ではある。人間よりも進化した生き物だと言えるだろう。
しかし、私はスプーン曲げの超能力ができたぐらいで、その者に従いたいとは思わない。
しかしながら、日本人1億2千万人もいれば、その中の数十万人ぐらいは超能力者に従いたいと思う変わり者がいるかもしれない。
したがって、日本人全体の多数決では、その超能力者に従わないことに決まるだろう。その超能力者は他の人間となんら変わらない権利しか持たないことになるのだ。もっとも、法律を犯さない範囲で、個人的にその超能力者に従うのはかまわない。
神とは超能力者のことだが、超能力で“具体的に”何ができたかまで知れば、たいてい誰でもその超能力者に従おうとはしないものだ。
[5525] 神武天皇は日本の国王ではない。 h20.7.31
日本の国が現在とほぼ同じ形で平定されたのは、神武天皇よりも後の時代である。[岩手県や盛岡県は日本じゃないがかや!?]
だから、神武天皇が日本の王であるというのは当たらない。
日本の王は天皇家の誰かかもしれないが、それなら建国記念日が2月11日というのは当たらない。
[5526] 蛇の回転 h20.7.31
『蛇の回転』の図形は、大脳皮質視覚野のMT野を興奮させる図形であり、MT野が興奮すると物が動いて見えるから、図形が回転して見えるのである。[カフェウォール錯視では、ブロック(四角形)が倒れこむように見えるので、それを連ねて一周させると水車のように回転して見えると考えられる。MT野は、ブロックが倒れこむように見える機能を担当していると考えられる。]
同じように、MT野癲癇[てんかん]では、器質的にMT野が興奮するから、例えば下から見たガラガラが回転して見えるのである。
自分がもしMT野癲癇になったら、『蛇の回転』のように見えるのだろう。
私の母はMT野癲癇ではなかったかもしれないが、そもそもガラガラを下から見た形がMT野を刺激しやすい形であり、その上にたまたま体調が悪かったためにMT野の興奮が強められてガラガラが回って見えたのかもしれない。つまり、原因の大半はガラガラにあり、それに母親の体調の悪さによる脳の興奮しやすさが加わって、フレーザー・ウィルコックス錯視によりガラガラが回って見えたと考えられる。
私の母がガラガラが回って見えたのはガラガラが原因だが、それを私の超能力のせいにしたのは日本政府である。前者はたんなる錯視の問題であるが、後者は宗教すなわち政治の問題である。錯視(幻覚)と宗教≡政治の間には昔から深い関わりがある。
[5527] 天皇家は嘘つきか? h20.7.31
天皇家は最初から国民を騙そうとして嘘をついてきたのではない。
天皇家は最近まで自分たちが超能力者すなわち現人神であった神武天皇の子孫であり自分たちも現人神だと本気で考えてきた。[現人神は全知全能の神(絶対神)とは種類が違うが、それでもれっきとした神である。ギリシア神話のゼウスでさえ、タテマエは全知全能だが、実際には稲妻が使えるのと変身能力が多少あるだけである。実際の神とはそういうものである。だから、ひとつの超能力が使えるだけの超能力者が神であっても当然である。]
しかし、今は神武天皇の光の玉がコロナ放電であったことは常識だから、嘘つきと言うことになる。
昔の天皇は正直だったが、最近(とくに戦後)の天皇は嘘つきなのである。
[5528] 小林多喜二のリンチ殺人事件☆ h20.8.1
小林多喜二は『蟹工船』を書いて天皇や政府や警察を刺激し、警察にリンチにあって殺された。
それだけ、天皇や政府や警察の者が腹が立ったと言うことである。
悪いのは、小林多喜二のほうである。
言いたいことがあれば、小説なんかにしてイヤミたらしく述べずに、もっとストレートに自分の意見を主張すべきである。
[5529] 夏目漱石 h20.8.1
漱石の文学には天皇が用いられていない。
しかし、漱石は「ほととぎす厠[かわや]半[なか]ばに出かねたり」(つまり、胃潰瘍を患っている私はしょっちゅうトイレで血を吐いているので、天皇を神と崇めている日本政府のパーティへのお誘いに乗るわけにはいきません。)という句に見られるように、天皇に対する反感を持っていたことはまちがいない。
漱石が天皇を用いなかったのは、徳川家が天皇を江戸から追放したように、天皇を文学の上で追放したからである。[つまり、漱石は江戸っ子だったのだ。江戸っ子と東京っ子は違う。]
漱石は天皇を用いなかったが、他の作家の多くは天皇を用いているから、根本的には天皇を用いようが用いまいが作家の自由なのだと考えられる。
ただ、天皇を文章の上で攻撃しすぎると天皇支持者に仕返しされてリンチに合うし、攻撃しないと社会に目を向けていないと思われたり天皇制を支持しているのかと思われて読者の反感を買うかもしれない。
攻撃が妥当と思ったら読者は作家を支持するし、不当と思ったら支持しないだろう。
[5530] 天皇はいい人間ではない。 h20.8.1
天皇が神武天皇が超能力者でないことに気付かなければ馬鹿である。
天皇が神武天皇が超能力者でないことを知っていて知らないふりをしていれば卑怯者[ひきょうもの]である。
天皇は馬鹿か卑怯者かのどちらかであり、どちらにしてもいい人間ではない。
[5531] 信者皆殺し令 h20.8.2
真剣に生きている者が宗教なんかやるわけがない。
信者はみんな早く死にたがっている。
信者は『信者皆殺し令』を出した私に礼を言え!
[5532] 天皇VS私 h20.8.2
私は神制度を否定するが、
天皇は神制度を肯定する。[人間宣言はタテマエである。]
そもそも神ではないのに、
どうして神制度が適用されるのか!?
天皇が死ねばこの世から神制度がなくなる。
[5533] 税金について h20.8.2
ニセ者の超能力者の子孫である天皇がいることと、
国民が天皇教への献金として税金を支払わねばならないこととは論理的に結びつかない。[税金は額が大きいから、賽銭ではなく献金と言うべきである。]
だから、税金を支払うか支払わないかは国民の気持ちの問題である。
かといって、税金を支払うことを国会で正式に多数決で決めたわけでもない。[税金を支払わないことに決まれば、国会や日本政府は潰れてしまうことになるが。]
だから、税金の支払は実質的には個人が自主的にやっているだけである。
つまり、税金を支払いたい者は支払えばよく、支払いたくない者は支払わなければよい。
日本政府はあたかも税金の支払が国民の義務であるかのように国民に思わせているだけである。
税金を支払わないでいたら、はたして日本政府の役人が門をたたいて「金を出せ!」と言いに来るのだろうか?
日本政府のやることは下品だ。無視すればいい。[税金を払わなければどうなるかは、実際に実験してみなければわからない。]
[5534] 国民管理機構 h20.8.2
日本政府は“政”の字が付いているから、人間よりも上の者の祭りごとをする機関でなければならなくなっている。
どうせ人間よりも上の者なんかいないのだから、早く政[まつりごと]から離れて、日本国民の管理をする組織、国民管理機構(National
Control Organization、略してNCO=Nippon Central Office)を設立しなければならない。
[5535] 人間よりも上の者 h20.8.2
超能力とは人間の能力を超える能力、人間の持っていない能力のことである。
本当に超能力が使える者がいたら、人間よりも上の者であることは認めざるを得ない。それは、超能力者が人間よりも進化した生物だからである。
しかし、だからといって、人間よりも上の者に自分が従わねばならないとは言えない。
自分が従うべきものは、実在に関する客観的に正しい考えかあるいは気持ちに関することであれば多数決で決めた考えだけであって、人間よりも上の者の考えが必ずしも正しいとはいえないし、超能力者ひとりの考えは多数決で決めた考えでもないからである。[だから、もしも多数決で国民が超能力者に従うことに決まれば、自分も従わなければならないことになる。しかし、それは、あくまでも、“超能力者がいれば”の話であって、超能力者がいなければ元も子もないが。]
もしも、将来、人間よりも上の超能力者が現われたら、個人的に超能力者に従いたい者だけが超能力者に迷惑がかからないようにして従うようにして欲しいものである。
[5536] 放任主義教育 h20.8.2
人の心は人それぞれで、みんなが自分自身の心を満足して生きている。だから、自分が他人のすることや考えることにあまり口出しして[他人が自分自身の心を満足することを妨げて]はいけない。[自分の心と他人の心は違うから、自分が他人に深く関れば必ず気に入らなくなる。]
これが、放任主義教育の原理である。
ただ、それでも普遍的に成り立つことはある。例えば、私の『哲学日記[4959]
精神病《まとめ》☆ h20.5.4』に書いてあることは、古今東西老若男女に関らず成り立つ。だから、そういう普遍性の高いことは自分が他人に口出ししてもよい。いやむしろ、他人が知らないことなら教えてやったほうがいい。
[5537] 外国から見た日本 h20.8.2
日本はコロナ放電の近くにいた人を超能力者と勘違いしてその子孫を代々国家元首として大事にしている風変わりな国である。
外人から見たら日本人全員が馬鹿に見えるだろう。
[5538] Hoden音頭 h20.8.2
私が九州大学医学部医学科にいた頃、解剖学第2講座の永井教授が壇上でHoden音頭を踊って見せてくれたことがある。
Hodenとはドイツ語で睾丸のことだから、Hoden音頭とはつまりキンタマ音頭のことである。
一方、Hodenはホーデンつまり放電だから、Hoden音頭はじつは神武天皇の超能力を風刺した歌だと考えられる。神武天皇が超能力で出したと信じられていた光の玉を睾丸に喩えて、睾丸のドイツ語の“Hoden”と光の玉の実体であるコロナ放電の“放電”を掛けているのだ。
昔の学生は天皇について真剣に考えているのに、今の学生は天皇について教科書に載っていること以外はほとんど何も知らない。
今の学生は女の子の尻ばかり追いかけていないで、少しは自分の頭を使って世の中のことについて考えてみてはどうかな?
[5539] どうして徳川は天皇(日本政府)を追放できたのか? h20.8.3
徳川が江戸から天皇を追放できたのは、
刀の力を持ってすれば、神制度(超能力者に人間が従わねばならないこと)を否定することが可能だからである。
それは、神制度が論理的に成り立っている制度ではなく、感情的に成り立っている制度にすぎないからである。
そもそも、神武天皇が超能力者ではないから、実際には天皇家はただの人間にほかならず、追放できて当然である。
実際には超能力者なんていないから、日本政府がある特定の人間を“持ち上げて”みんなが従わねばならない者にして架空の世界を作り出しているだけである。いわば、日本政府が実在の世界に楯突いているわけである。はたして、日本政府は実在の世界に勝てるだろうか?
[5540] どうして大事故は起きたか? h20.8.3
上海列車事故とか日航機墜落事件とかは、日本政府が現人神(超能力者にまちがわれた人間)を持ち上げるために起こした事件である。
現人神を不幸にしたら自分の身にも不幸が及ぶぞという国民に対する脅しである。
つまり、大事故は神制度に従わなければ不幸になるぞという日本政府の国民に対する脅しなのである。
[5541] 女は男に片思い。 h20.8.3
男が20歳すぎて女をかわいいとかきれいとか思うのは知恵遅れだ。
女はただ感情が平坦でおとなしいだけの生き物だ。
アニメのような元気で明るく楽しい女なんか実在しない。
女は自分の子供を産んで育てる欲望を満足するために男と結婚したいと思うだろう。
女にとって男が必要なだけで、男にとって女は必要ではない。
女が男に好かれたければ、男の邪魔を極力しないことだ。
[5542] 自分がおもしろいと思うことをやればいい。 h20.8.3
たしかに女でも物理や数学やスポーツができるが、女の心ではたとえ物理や数学やスポーツができてもそれらをおもしろいとは感じないのである。
女の心と男の心は違うので、女は男のやることができても男ほどおもしろくは感じないのだ。
つまり、物理や数学やスポーツはもともと男心を満足するためにあるのであって、女心を満足するためにあるのではない。
だから、とくに女がやる必要はない。やっておもしろくなければやる意義がない。
肝心なのは自分がおもしろいと思うことであって、たんに自分がやれるかやれないかではないから、自分がやってもおもしろくなければ、やらなければいいのだ。
[5543] 深夜放送の猥談[わいだん] h20.8.3
深夜放送の猥談の本当の意味は、Hなんか本当はおもしろくないということである。
本当はおもしろくないから冗談でおもしろく言っているだけだ。
冗談を本気にするとまちがいになるから注意しなければならない。
子供は冗談を本気にするから子供の見ない深夜に放送しなければならないのである。
[5544] 男が化粧をしないわけ h20.8.3
男が化粧しても自分がおもしろいと思わないからである。
あんなことは女でなければおもしろいとは思えない。
私も小学3〜4年生頃に母親の真似をして口紅をつけたことがあるが、別におもしろくなかったので、1回きりでやめた。
男が女よりも顔が汚いのに、男が化粧しないのはそのためである。
[5545] 見栄[みえ] h20.8.3
ヨーロッパの世界は見栄(つまり、他人から見て自分が気持ちのいい人間であること)で成り立っている世界である。
だから、見栄えはいいけれども、あまり実質的な幸せ(つまり、自分から見て自分自身が気持ちのいい人間であること)がない。
つまり、ヨーロッパの世界は自分と他人の心の相違が取り入れられていない遅れた世界である。[科学や数学は誰にとっても正しいことだから、ヨーロッパ人の得意とすることである。]
威張る者の弱点は他人の目に頼らなければならないことだ。
[5546] はたしてお守りは効くか? h20.8.3
お守りを買った集団と買わなかった集団に分けて、よいことがあったかなかったかとの相関を調べれば、お守りが効くか効かないかが統計的に調査できる。
たぶん、相関はないはずだ。
[5547] 手品か作り話か? h20.8.3
聖書に載っているキリストの逸話は実話だろうかそれとも作り話だろうか?
実話だったとしたら、超能力は今日の科学的常識からするとありえないから、キリストの超能力は手品だということになる。
しかし、キリストがよほどの腕前の手品師でないかぎり大勢の観衆の目を誤魔化すことは難しいから、やっぱりただの作り話だろう。
神武天皇の場合には光の玉が有名だが、キリストの場合には超能力よりも処刑にあったことのほうが有名である。それは現代においては、キリストの超能力が母親の見た幻覚や後世の作家による作り話であることが明らかであり、ボロを出さないために超能力のことは伏せられる傾向にあるからである。キリストが処刑されたことはおそらく事実なのだろう。
キリストは母親の見た幻覚のために自分を超能力者だと考えてローマ国王に楯突いて殺されたのである。[かわいそうな話だ。(;_;)]
今でもヨーロッパでキリストの十字架像を拝むのは、科学の遅れのせいでキリストのような犠牲者を出したから、2度とそのような犠牲者を出さないために科学を発展させねばならないと自分たちに言い聞かせるためなのかもしれない。
[5548] 信者 h20.8.3
宗教の信者は嫌われ者だ。
2本足で立っているだけで、中身が腐りきっている。
人間としての味は下の下だ。
近所に住んでいるだけで吐き気がする。_| ̄|○、;'.・ オェェェェェ
[5549] 日本の天皇 h20.8.3
日本の天皇は見ると目に毒だ。
「無理が通れば道理が引っ込む」とか、
「愚連隊」[天皇が政治家とグルになって馬鹿をやっているから。]とか、
「親の七光り」しか連想しない。
何か『いい意味付け』わかる人いませんか?
[いい意味付けがなければ、天皇をやめるしかない。]
[5550] 神武天皇の場合 h20.8.3
神武天皇は当時の日本人が電気の知識を持たなかったために、超能力者だとまちがわれた。
自然現象型の宗教は時代遅れだ。モーゼもやめたんだから、天皇もやめるべきだ。
日本だけが古臭い宗教をやっていてみっともない。
ただ、超能力がインチキであることに気付かせるには役に立つ。[私もコレがなければ死んでいたかもしれない。]
[5551] 釈迦の場合 h20.8.3
釈迦は母親の見た釈迦が生まれた直後に7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったという幻覚ために超能力者とされたが、とくに問題を起こさず平穏な一生を遂げた。
釈迦は、おそらく自分をただの早熟児としか考えていなかったのだろう。
インドには時間の概念がないから、生まれた直後でも1年後でもどうでもいいのだ。
[釈迦はただ性欲が悪い感情だと考えただけで、釈迦の心を乱すために裸の女の群れを座禅を組んで瞑想している釈迦の周りで踊らせたという話は実際にあったことではなく後世の作家の作り話にすぎない。同じように、聖書の話も、キリストの思想を後世の作家がわかりやすく具体的に眼で見えるように作り話にしたものであって、実際にあったことではない。]
[5552] モハメットの場合 h20.8.3
モハメットは自分が癲癇で見た幻覚のために自分を神と話ができる超能力者だと思い込み、熱心に宗教活動をした。自分が人間よりも上の者だと思って大勢の人々を殺したりした。
日本の卑弥呼もそうだった。
そんなのはザラだ。
日本ではとっくの昔にやめたから、外国でもやめなさい。[昔は精神病院がなかった。当時精神病院があればまちがいなくモハメットは強制入院させられていたはずだ。]
[5553] 川野延夫の場合 h20.8.4
川野延夫(私)は母親がMT野癲癇で見た夜中に突然ガラガラが回る幻覚のために念動力が使える超能力者だとまちがわれた。[『ポケモン事件』のように、ガラガラの特殊な模様が私の母親のMT野癲癇を誘発したと考えられる。]
私が高校1年生のとき隣にいた尾立君が日本政府に頼まれてテレビ番組で悪役を登場させるために私の気分を害しようとして英語の授業中に教科書のパラパラめくりをしたが、それを見た私は怒りのあまり精神分裂病に罹ってしまった。
私は自分が日本政府が超能力者とまちがえた人間にすぎないと考えている。
だから、日本政府は私に対して誤解した責任を取らねばならない。
[5554] 民間会社の社長の場合 h20.8.4
性欲に支配されたブタ。
性欲を満足させるためにお金が要るから一生懸命働くだけだ。
[5555] 信者の世界観 h20.8.4
普通の人(つまり信者以外の人)にとって社会は人間だけからなるが、
信者にとって社会は神と人間からなる。
普通の人の世界観は人間同士が互いに従い合う民主主義の社会だが、
信者の世界観は人間が神に“従う”神主義の社会である。
ただし、信者にとって“従う”の意味は、論理的に従うことではなく、感情的に従うことである。だから、神が偉いと思えば自分勝手に余計なことをして従う?し[例えば、私が医学生の頃に起きた上海列車事故や日航機墜落事故など。自分が神に捧げる生贄[いけにえ]になるためにビルの屋上から飛び降り自殺したりすることなど。]、偉いと思わなければ従わないどころか逆に神を攻撃したりする。信者が神に感情的に従うのは、信者が論理がわからない馬鹿だからである可能性が高い。
したがって、信者が神に“従う”といっても、[秦の始皇帝が農奴に万里の長城を作れと命令を出したように]神が信者に命令を出して実行させるのではなく、信者が自分にとって都合のいいことを自分勝手に考えてやるだけである。だから、実際には神にとって得になることはほとんどなく、むしろ損になることのほうが多い。信者にはいい人間がいないから、他人の邪魔になることばかりして他人のためになることはしないようである。信者は意地糞悪いから、他人を不愉快にするだけで愉快にすることがないのである。
信者にとって神とは人間よりも上の者であり、それ以上詳しいことは知らないようである。
普通の人は、神とは政治家の“取り決め”で人間よりも上の者にされた者にすぎないと考えているらしい。[本当は、政治家が超能力者だと考えたから神なのだが、それは政治家の誤解だから、実質的には“取り決め”で人間よりも上の者であると言っても変わらない。]
政治家は自分たちがただの人間を神にして世界を作れると思い上がっているようだ。
つまり、本当の神つまり世界を作る者は超能力者[にまちがわれた人間]ではなく政治家なのだ。つまり、政治家がただの人間を“持ち上げて”人間よりも上の者にして、実在においてはありえない世界を作り出しているのである。
[5556] 政治家の仕事 h20.8.4
政治家はただの人間を“持ち上げて”神すなわち人間よりも上の者とするだけでなく、
自分たちが作り出した神に“従う”信者でもある。
だから、政治家は神に感情的に従って、自分たちにとって都合のいい命令を自分勝手に考えて国民を命令に従わせて国民を不愉快にしているのだ。
チンピラの下っ端信者と同じように、政治家は論理がわからない馬鹿だし、政治家にはいい人間がいないから、国民(神を含む)を不愉快にすることばかりして幸福にすることはしないのである。
[5557] 税金は義務ではない。 h20.8.4
宗教的な命令は感情的に成り立つものであって論理的に成り立つものではない。[もしも、宗教的な命令が論理的だったら、神の命令に政治家が言葉通りに忠実に従わねばならないが、これまでに私に関しては政治家がそうしたことは1度もない。]
だから、日本神道の総本部である日本政府に税金を払いたくなければ払わなくてもいいのである。
税金を賽銭だと思えば、税金を払おうが払うまいが当然払う者の自由である。
[どうしても払えと言うなら1円だけ払えばいい(1円納税法)。]
[5558] 秦の始皇帝 h20.8.4
秦の始皇帝は、はじめて中国大陸を武力的に統一した君主である。
秦の始皇帝は“皇帝”の字が付くけれども日本の天皇のような神ではなく、徳川家のような武将である。
したがって、始皇帝の命令は宗教的≡政治的な命令ではなく武力的な命令であり、感情的にではなく論理的に(つまり言葉通りに)従わねばならなかったのである。[宗教的な命令は個人の気分によって従おうが従うまいが個人の自由だが、武力的な命令は刀の力で脅すから国民は命令に忠実に従わざるを得ないのである。]
それゆえに、始皇帝の権力は世界最強だったのである。
[5559] 天皇の命令は絶対的か? h20.8.4
宗教による命令は、論理的ではなく感情的に従えばよいから、神の命令に言葉通りに忠実に従わなくてもよく、自分の都合のいいように従えばいいのである。
天皇は日本神道によって神とされた者だから、天皇の命令は絶対的ではない。
したがって、たとえ日本の法律に天皇の絶対命令権が定められていても、法律の条文を律儀に論理的に解釈する必要はなく、自分が天皇の出した命令に従いたくなければ従わなければいいのである(イイネ〜)。
政治家はさも国民が天皇の命令に従わなければならないかのように思わせているだけで、本当は従わなくてもいいのである。
[5560] 政治家に向く人 h20.8.4
神制の政治は、神に人間が感情的に非論理的に従うことであり、政治家が神に“因[ちな]んで”(つまり、神が経験したことや神の個人情報をテキトウにちりばめて)“自分自身の心を満足する”命令を作ってそれを国民に守らせている。
神制の政治では、神自身が命令を作ることはなく、すべて政治家が神に因んで自分の好き勝手な命令を作っているのだ。神自身は命令を作ることはできないのである。私が出した命令は1個もないが、天皇家が出した命令もこれまでに1個もない。
つまり、神制の政治では、国民への命令を決めるのは、神よりも政治家なのである。だから、たとえ神がいい人でも政治家が悪い人であれば国民を不愉快にする命令を出すし、反対にたとえ神が悪い人でも政治家がいい人であれば国民を愉快にする命令を出す。
だから、国民への命令の出来のよしあしは神よりも政治家にかかっており、政治家が意地糞悪い人であれば国民を不愉快にする命令を作るし、反対に政治家がいい人であれば国民を愉快にする命令を作る。
したがって、政治家には論理的な思考のできる頭のいい人よりも、他人を幸せにするのが好きな性格のいい人がなるべきである。
それができなければ、政治家はいなくていい。日本政府は潰れて何もしないほうがいい。
[5561] 天皇と私とどちらが男らしいか? h20.8.4
『魔法少女プリティサミー』では、天野美紗緒[あまのみさお]が天皇で河合砂沙美[かわいささみ]が私である。
『愛と勇気のピッグガールとんでぶーりん』では、黒羽競子[くろはけいこ]が天皇で国分果林[こくぶかりん]が私である。
天野美紗緒と河合砂沙美では顔つきが美紗緒のほうが女っぽい。[ピクシィミサになって暴れまわっているけど。]
黒羽競子と国分果林では果林のほうが男っぽい。
したがって、天皇と私とでは私のほうが男っぽいのである。
[5562] 『実在的なものは論理的である。』 h20.8.5
失礼ですが、女は考えが足りないから、考えるのを途中でやめて矛盾があるままそれが真実だと考えてしまう。
例えば、ある特定の者だけに超能力があるというところで考えがストップしてそれがそのまま真実だと考えてしまう。どうして特定の者にだけ超能力があって、その他の者に超能力がないのか?までも考えようとはしないのである。
それは、女はこの世に矛盾があるのが当然のことだと考えて諦めているからである。[女はメチャクチャな世界の中でヤケクソになって生きている生き物なのだ。]
ところが、男は矛盾がなくなるまで考えてからやっとそれが真実だと思う。
例えば、超能力の正体が当時はまだ原理がわからなかった自然現象や癲癇による幻覚の見まちがいだと考えて超能力が解消できてはじめて真実の認識に到達したと思う。
まさに、推理小説のように、『実在的なものは論理的であり、論理的なものは実在的である。』のだ。
[5563] 人間はまちがいを犯すものである。 h20.8.5
人間は完全ではない。人間はまちがいを犯すものである。だから、人間は自分の考えを訂正しながら生きている。
人間はひとりではない。他人から学んだ考えも多くある。他人も人間だからまちがいを犯すことがある。だから、自分が他人のまちがいを正すこともある。
訂正には時効がないから、1分前のまちがいを訂正できるなら、40年前のまちがいも訂正できるし、2600年前のまちがいも訂正できるのだ。
人類の文化は、先人のまちがいを正し、新しい真理を発見することによって前進するのである。
[5564] 政界の法則 h20.8.5
政界では、例えば政治家が「記憶にございません」と言いさえすれば、“記憶[きおく]”が天皇家の家紋の“菊[きく]”に因んでいるということで、自分に都合の悪い証拠を全部帳消しにできるのである。[あるいは、頭の上で両手で大きな輪を作って「ごめんちゃい。」と言えば、神武天皇の光の玉と私がデザインした朝倉第2小学校の校章の両方に因んでいるから効くかもしれない。]
また、命令が神に因んでさえいれば、政治家が自分の好き勝手な命令を作って国民に出すことができるのである。
政界とは、神に因んでさえいれば、自分の望[のぞ]みが何でも叶う世界なのだ。
日本政府は実際にこれまでそうしてやってきたのだ。
[もっとも、神が本当にいればの話だが。政治家が自分の好き勝手に人間を神にすることまではできない。(政治家が自分を神にしたら自分の願いが叶わなくなるから、政治家が自分を神にすることはない。)確実に超能力でやった証拠がないかぎり、その者を神(超能力者)だと考えることはできない。]
[5565] 「幽霊のいたずら」 h20.8.5
私が小学2〜3年生のとき、ある日の晩に母親が私に「私らの家族が昔鴨部に住んでいたとき、夜中に突然ガラガラが回ったことがある。そんなことが2〜3べんあった。幽霊のいたずらやったろうか。」と言ったことがある。[おそらく、これが当時母親が言った言葉の最も忠実な再現である。]
母親は「幽霊のいたずら」のせいだと言ったから、ガラガラが回ったこととその下で寝ていた私との間になんら関係がなかったことを示唆[しさ]している。母親にとって幽霊とは、近所で死んだ人の魂のことであって、私は当時生きていたから私のせいとは考えられない。
もしも母が「延夫が心で思うて動かしたがやろうか。」と言ったなら、私が念動力で動かした可能性もあっただろうが。
もっとも、癲癇なら本人が幻覚が見えるだけだから言葉しかなく客観的な証拠などとれるわけもないが。
[5566] 神に向く人 h20.8.5
私が政治家だったら、神に因んで命令を作るのに便利なように、経験の多い人を神にする。
経験の多い人の身内の人に嘘で超能力っぽい幻覚を見たことにしてもらって、経験の多い人を超能力者に仕立て上げればいい。
[戦後は電気に関する知識が国民一般に浸透して、神武天皇の光の玉が神武天皇の超能力で出たのではなく神武天皇の上空にあった雷雲で発生した強力な電磁場によるコロナ放電で出たことが広く国民の知るところとなり、神武天皇がもはや現人神(超能力者)ではなくしたがって神武天皇の子孫の天皇が現人神ではないことがわかりきっているのに、それにもかかわらず政治家の間では依然として天皇が神として通っているから、“何の理由がなくても”誰でも神にすることができるはずである。]
[5567] 誰でも政治家になれる? h20.8.5
嘘で経験が多い人を神に仕立てて、その神に因んで自分の好き勝手な命令を作れば誰でも政治家になれる。
その神を神だと思う人にはその命令が通用する。
だから、うまく行けば、経験が多い人を神とし、自分を政治家として、日本政府のような組織を作ることができるかもしれない。
日本政府の政治家があまりにも国民に対するサービス精神に欠くから、思ったよりも容易に日本政府に取って代わることができるかもしれない。
[5568] 警察は何のためにあるのか? h20.8.5
日本政府では、政治家が神に因んで自分の好き勝手な命令を作って国民に守らせている。
日本政府が立てた神を神だと思う者は喜んで日本政府の命令に従うが、
年々日本政府が立てた神を神と思う者の数が減少している。
そこで、年々減少している“神の力(つまり、ニセ神を神だと信じるバカの人数)”を補って、命令の強制力を強めるために、日本各地に警察を置いているのだ。
[5569] 警察は何のためにいるのか? h20.8.5
政府の命令が完全に民主制で行われているなら、政府がそれ以上正しいことはできないから政府の命令に逆らう国民はいないから、ほとんど警察は要らないはずである。
だから、警察は政府の命令が民主制で行われていないために国民が政府に対して反乱するのを抑えるために政府が自分の身を守るために置いているだけなのだ。
[5570] 日本は神の国 h20.8.5
政治家が神(つまり天皇と私)に因んで国民に対して「有り金全部出せ」と言う命令を作ることもできるはずである。
その命令に逆らうと、警察が家に来て牢屋に入れられて臭い飯を食わされるのだろうか?[臭い飯←臭い←臭←93←39←昭和39年1月22日は私の誕生日。]
しかし、日本は“国家として神制の国”だから、政治家のやり方を国民が直接真似ることもできるはずである。
つまり、国民ひとりひとりが神に因んで自分の好き勝手な命令を自分自身に対して出すこともできるはずである。
そうすれば、たとえ政治家が「有り金全部出せ」と言っても、自分が「自“分”(←ぶん←ぶ←延夫(私の名))の財“産”(←さん←川(3本がわ)←川野(私の姓))を守る」ことにすれば、政治家の命令を聞かずにすむ。あるいは、「お前の命令を聞く(←菊←天皇)気にならん。」と言って命令を無視することもできる。
もちろん、“日本は神の国”だから、政治家でなくても国民が個人的に神に因んで自分が好き勝手に命令を作りその命令に他人を従わせることもできる。ただし、警察の手を借りられないから、他人が逆らえば自分自身の手で罰しなければならない。[日本は神の国つまり日本は“神制のある国”だから、とくに天皇や私を神にしなくても、自分にとって都合のいい者を勝手に“新しい神”にして命令を作ってもいい。([5566]補足参照。)]
[5571] 神と人間の関係について h20.8.5
神とは人間にできないことができる超能力者のことである。[実際には、そんな者はいないが。]
ところで、人間が論理的に従うべきものは、実在についての正しい考えか、あるいは人間の心に関することであれば国民(の代表者)が多数決で決めた考えである。
だから、人間は神には論理的には従わない。
したがって、人間と神の関係は非論理的である。
人間と神を関係付ける者が政治家である。π中間子が陽子と中性子とを関係付けるようなものである。
政治家は“実在を超えた力”で人間と神を非論理的に無理やり強引に結合する。
そのやり方は、政治家が自分の好き勝手に神に因んだ(つまり、神の個人情報や神が体験したことをテキトウにちりばめた)命令を作って、その命令を国民に警察の力などを借りて守らせることである。[それは、私が生まれる以前からあったやり方であり、これまで天皇家に関して長く行われてきたやり方である。だから、それは私に関しても天皇に関してもキリストや釈迦やその他の神に関しても同様である。私が自分勝手な性格だから自分の好き勝手に命令を作ったり、私が子供の頃にブロック遊びが好きだったから神の体験を分解して組み立てたりして命令を作れるわけではない。だから、天皇も政治家にとっては自分の命令を作るためだけにあるたんなる元ネタの男であり、皇居の中で生かしておくだけであって、たとえ天皇が命令を作ってもそれを国民に守らせたりはしない。天皇の命令が論理的に(言葉通りに)効くなら、秦の始皇帝のように国民の税金を湯水のように使って毎日遊びほうけて暮らしているはずだ。]
はたして日本国民はそんな余計な日本神道の宗教をやるほど暮らしに余裕があるのだろうか?
そんな“お祭り”が本当におもしろいのだろうか?税金を支払う価値があるほどおもしろいのだろうか?
[5572] 偉さとは何か? h20.8.6
論理のある世界における偉さとは、考えが正しいことか、あるいは心に関することであれば考えに同意する者が多いことである。
しかし、論理のない世界における偉さは、特異性である。つまり、その人にだけできて他の人にはできないことができた人が偉いのである。だから、超能力者が偉いことになるのである。
昔は、学校がなくみんなが勉強せずに論理がわかっていなかったから、非論理的な偉さが通用したのである。だから、超能力者の子孫であった天皇が偉いことになり、天皇が出した(と考えられただけで、じつは政治家が作った)命令にみんなが従ったのである。
しかし、天皇の側近の政治家は天皇を直接に眼で見てよく知っていて、神武天皇の子孫である天皇には特異能力がなくただの人間と変らないことをよく知っていたのでどうしても偉いとは思えず、それで天皇に命令を作らせずに自分たちで好き勝手に命令を作ってそれを天皇が作った命令だと嘘をついて国民に守らせていたのだ。[念のために天皇に“因んだ”命令を作れば、天皇が作った命令とまでは言えなくても、天皇“の”命令だと言って国民に対して言い訳が立つと政治家が考えたのである。]天皇制とはいっても、実際にはそんなものだったのである。
神制の政治のやり方は今も昔と変らない。天皇制でも私制でも同じである。[外国では、例えばキリストはとっくの昔に死んで命令は作れないが、政治家がキリストの偉さを借りて自分にとって都合がよくしかもキリストの思想に則った命令を作って出していたのである。]
ただ、時代が下るにつれて、学校ができてみんなが勉強して論理がわかるようになったから、超能力者を偉いと思わなくなり神制の政治が弱まっている。政治は神制よりも民主制でやるようになりつつある。
[5573] キリストは偉いか偉くないか? h20.8.6
キリストは偉いと言われている。だから、自分で考えず字面[じづら]を鵜呑み[うのみ]にする者にとってはキリストは偉いのである。自分で考えない者にとってはキリストが偉く見えるからキリストの教えに従おうとするのである。
しかし、どうしてキリストが偉いのか?と自分で論理的に考える者にとっては、もはやキリストは偉くはないのである。それは、キリストがたとえ超能力者であったとしても、キリストの思想が正しくないからである。それに、キリストはそもそも超能力者ですらないのである。だから、キリストは偉くもなんともないのである。
キリストのみならず、天皇や私やその他の神と言われた者についても同様である。
[5574] 神制と民主制 h20.8.6
神制の政治では、政治家が神に因んで自分の好き勝手な命令を作って国民に守らせている。
つまり、神制の政治は神制ではなく実質的には政治家制である。
つまり、神制の政治は民主制の政治ではないということである。
神制の政治と民主制の政治とは両立せず、互いに他を否定しあう。
[5575] かごめかごめ h20.8.6
『かごめかごめかごの中の鳥はいついつ出やる夜明けの晩につると亀が滑った後ろの正面だあれ?』
この歌の意味を考えてみる。
かごめとは、籠[かご]に込めると言うことで、つまり皇居に閉じこもっている天皇のことである。
鳥とは、鳥居で、光るトンビがとまったといわれている神武天皇が握っていた弓のことだから、つまり天皇のことである。
いついつ出やるとは、いったい天皇が皇居から外に出ることがあるのか?と言う野次[やじ]である。
夜明けの晩にとは、一番ひと気の少ない時刻と言うことだから、天皇は人眼につくところに出たら偉くないことがばれてしまうので出られないだろうという野次である。
つると亀が滑ったとは、亀[かめ]とは神[かみ]で現人神である天皇のことで、滑るとは滑って格好が付かなくなって偉くなくなることだから、つまり江戸時代に天皇が徳川家に追放されて天皇の権威がなくなったことを言っている。
後ろの正面だあれ?とは、天皇家に代わる日本の権威者は誰のことかな?という質問であり、つまり後ろの正面とは徳川家のことである。
[5576] シャボン玉 h20.8.6
『シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ屋根まで飛んで壊れて消えた シャボン玉消えた飛ばずに消えた産まれてすぐに壊れて消えた 風風吹くなシャボン玉飛ばそ』
シャボン玉の歌は大正11年(1922年)に野口雨情作詞・中山晋平作曲によって作られた童謡である。参考
この歌の意味を考えてみる。
シャボン玉とは、神武天皇が超能力で出したと言われている光の玉の喩えであり、つまり天皇制のことである。
シャボン玉を飛ばすとは、日本政府が天皇制の政治をすることである。
つまり、この歌は、天皇制は政治家だけが得をして庶民が損をする悪い制度だからはやく日本から天皇制がなくなって欲しいという願いを込めた歌である。
風風吹くなシャボン玉飛ばそとは、風が吹くとシャボン玉が高く上がるからなるだけ風を吹かさないようにしてシャボン玉を低く飛ばそうということであり、つまりどうせ日本政府が天皇制をやめないとしてもあまり大袈裟に天皇制をやって欲しくないものだと言っているのである。
[5577] 暴力団とは何か? h20.8.6
政治家が天皇に因んで自分勝手に国民に命令して作らせた組織である。
暴力団は政治家が神制の政治によって作り出した組織である。[神制の政治は民主制の政治ではないから、神制を取る政治家や日本政府が国民のためにならないことをいくらやってもかまわないのである。正しいかまちがいかは制度の下[もと]で決まることなので、天皇に関する神制の政治の下では暴力団があることが正しいことなのだ。今の日本の不景気も暴力団と同じように政治家の国民に対する嫌がらせなのかもしれない。]
反対に私は暴力が嫌いなので、政治家が私に因んで命令して暴力団を解散させたのである。
天皇家は暴力を好む性格なのだろうか?
[5578] 日本の政治形態 h20.8.6
現代は民主制の世の中である。
だから、国民みんなが民主制でなければ気がすまない。
したがって、日本政府が国民に出す命令は民主制で作られたことにしなければならない。
しかし、日本政府の中では依然として神制であって、政治家が神に因んで自分の好きなように命令を作っているのだ。
しかし、いまどき日本政府が神制で命令を作っていることが国民に知られたら国民の強い反感を買うので、そのことは伏せて日本政府の外に漏れないようにして、国民には民主制で作った命令だと嘘をついて国民を論理的に(言葉通りに)命令に従わせているのだ。
それなら、いっそのこと、政治家が神に因まずに自分の好き勝手な命令を作ったら、どうだ?
しかし、今の時代にも神を信じているおめでたい馬鹿たちが少なからずいるから、それらの馬鹿たちの機嫌を取るために神制で政治をやることも必要なのだろう。
したがって、現代の日本の政治は民主制と神制のミックスなのである。民主制にしても神制にしてもタテマエだけで、実質的には政治家制だが。つまり、政治家は神や国民に“因んで”自分の好き勝手に命令を作っているだけなのだ。あるいは、政治家にとって民主制が都合が悪ければ神制で政治をやり、反対に神制が都合が悪ければ民主制で政治をやるのかもしれない。つまり、日本政府は政治家が儲けるためにある機関なのである。[ブサイクなデブの政治家が右手に神制を持って左手に民主制を持って右眼で神制を見て左眼で民主制を見ながら頭の中で金と女のことを思い浮かべながら鼻の下を伸ばしてよだれをたらしながらニヤニヤしているところを思い浮かべてもらいたい。]実際には、現代の政治家にとっては民主制よりも神制のほうが“都合がいい”ようであり、政治家は神制で命令を作ってそれを民主制で作ったように見せかけて国民に出しているのである。
未来には日本の政治は完全な民主制になるかな?
[5579] どうして戦後も天皇が神なのか? h20.8.6
日本は第2次世界大戦で負けたので、天皇が神をやめてただの人間になるという人間宣言をした。
しかし、それ以前に、明治維新以降日本が西洋科学を受け容れたために、神武天皇が超能力者ではなくただの人間であることがすでにわかってしまっていた。[天皇が偉いのは、祖先の神武天皇が偉かったからだから、神武天皇が偉くなければ天皇も偉いことにはならない。]だから、明治以降は、日本政府はただの人間を“持ち上げて”神として神制の政治を行っていたわけである。
だから、戦後天皇は人間宣言をして人間に戻ったけれども、再び日本政府の政治家がただの人間に戻った天皇を“持ち上げて”神にして神制の政治を始めたのである。
原理的には、日本政府は理由がなくても誰でも“持ち上げて”神にすることができるわけである。
[5580] 宗教の信者に告ぐ。 h20.8.7
『この世に超能力者はいない』から、キリストや釈迦や神武天皇や私やモハメットなどは超能力者ではなく、キリスト教や仏教や日本神道やイスラム教などをする意義がない。
これまでの私の説明でわからなくて、いったい何がわかるというのか?!
私を無視して宗教を続ける根拠がどこにあるのか!
宗教の信者は、すごく頭が弱いから私の説明がわからないのだ。
そこまで頭が弱ければ、人間として生きて行くのが無理だ。
[5581] 刀は超能力者も強し。 h20.8.7
昔の人にとっては人間にできないことができた超能力者がとにかく“偉かった”から、超能力者を偉いと思う気持ちだけで超能力者に従った。
それで、日本政府は超能力者またはその子孫が作ったと思わせる命令を国民に出した。[親が偉ければ子が偉いことになるからである。]
でも、命令の内容が厳しすぎると、命令に従う嫌な気持ちが超能力者を偉いと思う気持ちに勝って、命令を聞かなかったので、あまり厳しい命令を出すことはできなかった。それでも、国民を防人[さきもり]に行かせるぐらいの力はあったのである。
一方、刀で脅せば、命令に逆らうと殺されるので、たとえ命令の内容が不合理的で厳しいものであってもたいてい誰でも命令に従わざるを得なかった。
したがって、超能力者では出せない命令でも、刀で脅せば出すことができた。つまり、『刀は超能力者よりも強かった』のである。それで、徳川は天皇を江戸から追放できたし、日本政府は最近ではあまり天皇に頼らずに、全国各地に警察を置くようになった。[反対に、昔は警察(刀を持った者)を全国各地に置くほど国が豊かではなかったから、政府が国を支配するためには天皇に頼るしかなかったのである。]
さらに、人間は実在にはどうしても逆らうことができないから、実在についての真理には楯突くことができない。民主制で決めた意見にもまた従わねばならない。学校教育が普及するようになると、みんながこう考えるようになった。
だから、『ペン(正論)は剣よりも強い』のだ。
日本には、いまだに超能力者を偉いと思う気持ちの強い者が大勢いる。そのことを利用して日本政府が超能力者に因んだ命令を出したりしているが、『ペンは剣よりも強く』『刀は超能力者よりも強けれ』ば『ペンは超能力者よりも強い』ことになるから、これまでの超能力者は自然現象や癲癇による幻覚などで超能力者にまちがわれた者にすぎず、超能力者が実在しないことが広く知られるようになれば、このやり方は通用しなくなるだろう。
[5582] テレビの弊害 h20.8.7
テレビ番組(例えば、『スタートレック』シリーズとか、アニメ『魔法少女プリティサミー』とか『新世紀エヴァンゲリオン』とか『地球防衛企業ダイ・ガード』など)では、神制を事実そのまま伝えずにわざわざ“喩えに変えて”伝えているから、そのために国民の神制に対する理解がこんがらがっている。
一般のニュースでも、報道する内容をいちいち喩えに変えて伝えていたのではこんがらがって事実がわからなくなってしまう。
やはり事実そのままを伝えるべきである。
[5583] 国家宗教と民間宗教の違い h20.8.7
ほんらい国家宗教は、本物の超能力者を神とする宗教である。
一方、民間宗教はインチキの超能力者(つまり、嘘の芝居で超能力者のふりをしている人)を神とする宗教である。
今の天皇は、国民から見れば、民間宗教の教祖と同じく自分が神だと嘘をついて威張っているだけの嫌な人間にすぎない。
それで、国家宗教と民間宗教が混同されているのだ。
私までも自分が嘘をついて威張っている者にまちがわれて迷惑をしている。
国家宗教の神は『国の政府が超能力者と認めた者』であって、自分で超能力者と言っているだけの民間宗教のインチキ教祖とは違うのだ。
もっとも、実際には、それは国の政府の誤解であって、超能力者ではないのだが。
[5584] 民間宗教について h20.8.7
日本は“国家として神制の国”だから、日本人なら誰でも神制をやることができる。
しかも、今では神武天皇がインチキ超能力者であったことがわかっているから、インチキ超能力者なら誰でも神になることができる。
実際に、日本政府が天皇を神にして神制の政治をやっているように、
民間宗教はインチキ超能力者を神にして神制の政治をやっている。
民間宗教はいわば日本の中にできた別の国である。
[5585] 日本神道の信者とは何か? h20.8.7
天皇を偉いと思わせるために日本政府が日本各地にばらまいた“サクラ”だ。
だから、日本神道の信者が大袈裟に天皇に従っていれば、それに連[つ]られて周りの者も天皇に従うわけだ。
しかし、サクラがサクラとばれてしまってはもはやサクラではない。
[5586] 日本神道の信者の本音 h20.8.7
日本神道の信者も本当の超能力者になら喜んで従うが、ニセモノの超能力者にまで従う気はないとテレパシーで私に言っていました。
だから、今の天皇に従う気はなく、ニセモノの超能力者の子孫の天皇の悪口を言っているのだと言っていました。
戦争に負けてもかまわないが、ニセモノであったのが許せないと言っていました。
[日本神道の信者は、自分の眼で確認もしていないのに、超能力者がいるなんてよく頭ごなしに信じられるものだ。そいつらの生き方はチャランポランだ。]
[5587] 世の中にいる変なヤツ h20.8.7
宗教の信者は、自分の眼で見たこともないくせに超能力者の存在を信じている。
宗教の信者はそんな考え方(プログラム)で生きているから、空想と現実の区別がつかなくなりデタラメなことばかりするようになって、他人に迷惑をかけることになる。
その他に、世の中には「楽しいことがいけないことで不愉快なことがいいことだ」と考えている変なヤツがいる。そういう者は、他人が楽しそうにしていると余計なチョッカイを出して一生懸命他人の幸せを邪魔しようとする。
政治家も宗教の信者だから現実と空想の区別がつかずデタラメな上に、自分の好き勝手に命令を作ることができるので自分が偉いと思い上がって他人の幸せの邪魔をしたがる。
世の中にいる変なヤツは、正常な者にとっては迷惑な存在である。
[5588] 巨人 h20.8.7
政治家は神制のために自分が好き勝手な命令を作ることができて偉くなれるので、神の魔法で大きくなった巨人に喩えられるのである。
しかし、それは神あっての巨人であって、神がいなければただの人にすぎない。
民主制だと命令の内容が妥当かどうか国民に直接にチェックされるので、国民に命令の内容が妥当かどうかチェックできない“不透明”な神制のようにはうまく行かない。[新聞の記事を読めば、政治家の作った命令が民主制に適[かな]っているかどうか、国民の眼で直接にチェックできる。民主制では、たとえ日本政府がどのようにして命令を作るのかまでは知らなくても(つまり、たとえ国民にとって日本政府がブラックボックスであったとしても)、出来上がった命令を見て、その命令が自分の気に入るものか入らないものかについて考えれば、日本政府が民主制で作った命令が民主制つまり国民制に適っているかどうかがよくわかる。反対に、神制では国民が神が頭の中で考えていることを知らないし、また日本政府がどうやって命令を作ったかもわからないので、神以外の国民にとっては日本政府が神制で作った命令がはたして神制に適っているかどうかわからない。]
神制の命令が妥当かどうか知っているのは神のみであり、国民にはわからない。
私が上に述べたように、神制による命令は神の心を満足するものではけっしてなく、つまり神の言葉に論理的に忠実に従うものではなく、ただ神に因んだだけで(つまり神の個人情報や経験を混ぜて作っただけで)実質的には政治家が好き勝手に作った命令なのである。だから、実際には全然妥当ではないのである。
神<政治家≪国民。つまり、神が“1人”であるのに対し、政治家は“集団”だから、『多数決の原理』(局所民主主義)によって、神は政治家に逆らえない。だから、政治家が好き勝手に命令を作れるのだ。[超能力者は概念的には“人間にできないことができた人”ですごく偉いように思えるが、実際に会ってみると“ただの人”なので、神のことをよく知っている政治家にとっては神がとうてい偉くは思えない[[5575]
かごめかごめを参照]。だから、政治家は神に従う気にはなれず、命令を神が作ったかのように国民に思わせるために神に因むだけで、実際には自分の好き勝手に命令を作っているのだ。]
[5589] 遮蔽効果[しゃへいこうか]☆ h20.8.7
神は、よく知らない人にとっては偉く思えるが、よく知っている人にとっては全然偉く思えない。[神の超能力に関する情報だけが伝わるので神が偉く思えるのである。神の欠点その他の情報が伝われば神はもはや偉くは思えないのである。]
神をよく知らないことによる神のイメージUP効果を遮蔽効果と呼ぶ。
天皇よりも私のほうが遮蔽効果がよく効くので、日本政府は天皇よりも私を神にしたがるのである。
[5590] 仮想神(imaginary god) h20.8.7
政治家は、天皇や私のような実在する生きた人間の神では因む情報に限りがあり遮蔽効果が不十分で政治家にとって都合がよくないので、自分たちで密かに勝手に都合のいい仮想神(マンガのキャラクターのようなもの)を作って、その仮想神について神制の政治をやろうとするかもしれない。つまり、政治家が仮想神に因んで自分勝手な命令を作ろうとするかもしれない。[仮想神と実在神(現人神)のハイブリッド神でも似たようなものである。]
あまりオタクな命令を出して欲しくないものだ。
[5591] なぜ神武天皇の光の玉は青くないのか? h20.8.7
コロナ放電で出る光の玉は青色である。参考
それなのに、神武天皇の光の玉は白色〜金色だったと伝えられている。
それなら、神武天皇の光の玉はコロナ放電で出たものではなく、やはり神武天皇の超能力で出たのではないだろうか!?
実際には、本当は光の玉は青色だったけれども、それでは絵的に格好悪いので、人から人へ伝えられていくうちにだんだん絵的にサマになるように言い換えられて行った結果、古事記が書かれる頃には白色〜金色に輝く光の玉になってしまったのである。[言葉の表現は既知[きち]の概念の組合せだから、弥生時代の人間がコロナ放電の発光現象を「光るトンビが弓にとまった」と表現しても当然である。ただ、それを鵜呑みにしてはいけない。現代語に翻訳すると、「発光が陽極電極から離れた位置に起こり、それが次第に電極に収束していった。」となる。]
[5592] 日本の政治家はお金儲け主義 h20.8.8
日本政府は、国民への命令を作る工場だと考えればいい。
日本の政治は民主制と神制の併用である。
したがって、政治家は自分で命令を作るとき民主制で作るか神制で作るかを選択することができる。
民主制で作ったほうが儲かる命令は民主制で作って国民の人気を取るが、
神制で作ったほうが儲かる命令は国民に神制で命令を作ったように思わせて国民に納得させればいいのである。つまり、実際には命令は神が作ったものではなく神の心を満足するものではないけれども神はしょせんひとりなので大勢の政治家に逆らうことができないから、政治家は神に因むだけで自分で好き勝手に命令を作って出しているのである。
とにかく日本の政治は政治家が儲かるようにできているのだ。
[5593] 学者と政治家 h20.8.8
現代における論理的な思考のできる人間が従うべきものは、実在についての正しい考えと心に関することであれば多数決で決めた考えである。
実在についての正しい考えを研究するのが学者であり、
心に関することを多数決で決めるのが政治家である。[単純に多数決で決めるだけではなく、複数の矛盾する考えを弁証法的に統一することもあるだろうが。弁証法とは、互いに矛盾する複数の考えがある場合、それぞれの主張者の満足度を多少犠牲にして、なるだけ多くの者の心をなるだけ多く満足させるひとつの考えにまとめることである。]
だから、現代人にとっては、学者と政治家が最も偉いのだ。
[5594] 神の正しい定義 h20.8.8
神とは、“人間にできないことができた人”のことである。
つまり、超能力を持っている超能力者のことである。
これが、神についての唯一の正しい定義である。[ただし、架空の神を除く。]
これ以外の、
神とは立派な人のことである。
神とは一生懸命にやった人のことである。
神とは白髪を伸ばした世間離れした老人のことである。
神とは自分が人間よりも偉いと思い上がっている人のことである。
などの定義はすべてまちがいである。
しかし、これまでの超能力者と考えられた者がみな自然現象や癲癇による幻覚によって超能力者とまちがわれた者にすぎず、実際には超能力者はいないから、
人間は均質にできているものらしく、
人間にできないことができるほど特異な人間はいないようである。
将来においても、また超能力者が現われるかもしれないが、
超能力者であると認定するためには、もっと『確実な証拠』が必要である。
超能力現象であると認定されるためには、少なくとも、
0)これまでの物理現象に当てはまらない現象であること。
1)癲癇による幻覚を除外するために、2名以上の者が同時に肉眼で観察したこと。
2)自然現象を除外するために、超能力者が発現しようと思えば、いつでもどこでも発現できること。少なくとも、2回以上発現できること。
3)自然現象を除外するために、超能力者以外の者による追試・再現ができないこと。つまり、超能力者と関係のない純粋な物理現象ではないこと。
などの条件を満足しなければならない。
そうすれば、これまでの超能力者はすべて超能力者ではなく、おそらく今後も2度と超能力者は出ないだろう。
[5595] 政教分離 h20.8.8
日本の国会は国会議事堂の中に天皇を置いているから政教分離ではない。[国会議事堂の中にカメラを入れなければ遮蔽効果が効くから私を置いてもいい。]
外国の国会は国会議事堂の中にキリストの十字架像を置いていないから政教分離である。
日本だけがいつまでも政治と宗教が一体化しているのは遅れている。
[5596] 政治家の限界☆ h20.8.8
ある者が神つまり超能力者であるかないかを決めるのは実在に関する問題だから、政治家ではなく学者の仕事である。
一度神に決まった者をどう扱うべきかを決めるのは、人間の心の問題だから政治家の仕事である。
だから、政治家が、ある者が神であるかないかを決めることはできない。
[5597] 神技と神の技の違い h20.8.8
神の技は超能力つまり他の人間にはまったくできない能力である。
神技はみんなができることにおいて特に他人よりも才能が秀でていることである。
つまり、神の技は質の問題であって、神技は量の問題である。
[5598] どうして神に人間が従わねばならないのか?☆ h20.8.8
政治家が神制で作った命令には、国民がどんなに気に食わなくてもおとなしく従うしかない。
それは、この世には、『神に人間が従わねばならない』という“不文律”があるからである。
一般の人にはそのことを知らない人がいるが、宗教の信者はそのことをよく知っている。
もっとも、@本当に神つまり超能力者がいればの話だが。人によっては、神が政治家のたんなる取り決めで神にされた者と考えている者もいるようである。しかし、本来ある者が神であるかないかを決めるのは政治家の仕事ではなく、学者の仕事である。
そもそも、『神(超能力者)に人間が従わねばならない』不文律はA昔の政治家が話し合って多数決で決めた不文律であって今日的には成り立たないし、それにB神制の命令とは言っても実際には神自身が作ったものではなく、政治家が神に因んで自分勝手に作っただけのいい加減な代物[しろもの]にすぎない。そんなもの、もはや神の命令とは言えない。
したがって、以上3つの点おいて、政治家が神制で作った命令に国民が従う必要はないのである。
[5599] 人間は全知全能ではありえない。 h20.8.8
私が九州大学医学部生の頃、解剖学第1教室の山元寅男[やまもととらお]教授に組織学を教わったが、山元寅男教授は講義のとき『形態と機能』とよく言っていた。
人間にはいろんな臓器があるが、それぞれの臓器の形態と機能の間には深い関係があり、臓器の形態を調べれば機能がわかるし、逆に機能を調べれば形態がわかると言うのである。
例えば、人間には思考能力があるが、それは人間に大脳があるからである。
逆に人間に大脳があるから、人間には思考能力がある。人間の大脳の構造を調べれば、人間にはどんな思考能力が備わっているかがわかる。
また、例えば、仮に全知全能の者がいたとしたら、人間には限られた能力しかないから、全知全能の者は人間と同じ形をしていないと考えられる。
だから、逆に人間と同じ形をしている者である限り、人間と同じ能力しかなく、その者は全知全能ではありえないのである。
[5600] 老人はなぜ民間宗教に入りたがるか? h20.8.8
老人は、長年日本で生きてきて自分が幸福になれなかった原因について考えてみて、それが日本政府のせいであることがわかった。
だから、日本政府に自分の反抗の意志をアピールするために、日本の中の別の国である民間宗教に入るのだ。
けっして、ボケが回って分別が付かなくなったからではない。