[5301] ウルトラマン h20.6.13
ハヤタ隊員が変身して巨大化してウルトラマンになるのは、政治家がただの人間を神すなわち偽者の超能力者とすることによって強大な権力者となることを表している。
国民が『ウルトラマン』を見れば国民が神制度を承認したことになると、政治家は解釈しているのである。
[5302] 仮面ライダー h20.6.13
仮面ライダーは、政治家がただの人間ににせもののお面をつけて神すなわち偽者の超能力者に変身させることによって人間の上に乗る者にすることを表している。
[5303] なぜ政治家はうそつきなのか? h20.6.13
国民が神すなわち偽者の超能力者を認めているから、
政治家は自分が国民に対して嘘をついてもいいと考えたのである。
[5304] なぜ政治家の発言は曖昧なのか? h20.6.13
国民が神すなわち超能力者であるかないかわからない者を認めているから、
政治家は自分が国民に対して曖昧にものを言ってもいいと考えたのである。
[しかし、私は不思議現象を超能力のせいにするのはたんなるこじつけにすぎないと思う。]
つまり、政治家は神で国民を騙[だま]すことに成功したから、いくらでも国民を騙してもいいと考えたのである。
[5305] 信者とは何か? h20.6.13
信者とは、超能力者が存在し、人間が超能力者に従わねばならないと考えている者である。
政治家は、そんな信者を利用して国を支配しようとしているのだ。
ところで、神は偽者の超能力者であって本物の超能力者ではないから、信者は政治家が出した神の命令に従わなくてよい。
[5306] どうして政治家は民主制によらない命令を出すのか? h20.6.13
国民が天皇や私が政治家の独断で神になったことを認めているから、
政治家は国民に対して民主制によらずに政治家の独断で作った命令を出しているのである。
[5307] どうして政治家は不合理な命令を国民に出すのか? h20.6.13
国民が正当な理由がないのに私や天皇が神であることを認めているから、
政治家は国民に対して正当な理由のない不合理な命令を出すのである。
[5308] どうして政治家は正しいことをやらないのか? h20.6.13
国民が偽者の超能力者を本物の超能力者と認めているから、
政治家は国民に対して正しいことをやらないのである。
[5309] 『テレビばっかり見ていると…』 h20.6.13
『テレビばっかり見ていると今にシッポが生えてくる』のCMは、
国民がテレビを見ていると神制度を承認したことになるから、政治家が神制度を使って国民に不合理な命令を出して、国民が政治家の言いなりになる動物に変えられるぞと言う警告である。
[5310] ふざけるな! h20.6.13
国民や外人に対してその国の宗教的儀式を押し付ける愚かな国が今でも残っている。[とくにイスラム教国では全員の一体感を重んじるのでその傾向が強い。]
宗教的儀式を他人に強制することは絶対にいけない。
偽者[にせもの]の超能力者の命令にどうしてわざわざ人間が従わねばならないのか?
そんなくだらない馬鹿馬鹿しいことを他人に守らせる国は人間に対する侮辱だ。国ごとぶち殺してやりたい。
宗教に熱心な国つまり政治家が偽者の超能力者に国民を従わせようとする国など気持ちが悪くて近寄りたくない。
[5311] どうして私の両親は宗教の指示に従ったのか? h20.6.13
私の母がガラガラが夜中に突然回った話をおばあさんにしただけでなく、その後も宗教の指示で私の両親が再々私にチョッカイを出している。[私が気付いたかぎりでは、私の親が私にチョッカイを出すのは約1〜2年に1回10〜20秒間ぐらい私とちょっと口をきくだけである。他に、たまに私に変な服を着せたり、かずら橋を見に連れて行ったりしたことがある。]
おばあさんに話をしたのは納得できるとしても、宗教の指示にまで従ったのは納得できない人もいるかもしれない。
しかし、私の考えでは、私の父親が公務員で国から(県から?)給料をもらっている身分だから、国の政府からの指示は、指示の内容が隣の家を爆破せよといった過激なものでなく、自分の子供と一言二言口をきけといった軽微なものであれば指示に従うこともあると思う。おそらく私の両親は(もしかしたら妹も)、私が日本政府から神とされていることを知っていると思う。[私が小学4〜5年生頃、北のおばあさんの家でやった川野家の先祖祭りのとき、私の母が突然みんなに「あのこと延夫(私の名)に教えたほうがいいやろか?」と言ったことがある。(あのことが何であるかは言わなかったが、おそらく私が政府に神とされていることではないだろうか。)]もっとも、私の家族は私ほど理屈っぽくはないので、私が神とされている理由や私が神とされていることの正当性については、国が決めたことだからということでいいことにしてそれ以上自分で考えたりはしない。[私が小学生の頃、よく父は「長いものには巻かれろ。」と言っていた。]だから、指示の内容についても自分で深い意味を考えたりせずに、ただたんに無責任に指示に従うのみである。母は公務員ではないが、父親の給料で一家全員が食べているのであれば、多少政府に協力的な態度を取ることはあると思う。
だから、私の両親が日本神道の本部である政府の指示でときどき私にチョッカイを出すのも、それほど納得いかないことではない。
[5312] ドン=キホーテ h20.6.14
『ドン=キホーテ』の風車は十字架の喩えだ。
騎士道精神がキリスト教と戦って破れたことを言っているのだ。
ドン=キホーテは巨人と思って戦ったら風車だったので、政治家と宗教家は同じ者、政治家の正体は宗教家だと言っているのである。[政治家は態度が大きいから、巨人に喩えられるのだ。]
[5313] “政教分離” h20.6.14
普通の人は社会科の教科書に“政教分離”と書いてあったから、“政教分離”していると思っている。
政府の建物と宗教の建物が別にあるから、“政教分離”していると思っている。
ところが、私は政教分離していないと考えている。[そこが天才的だと人は言う。]
政治の奥のところでは宗教原理が働いている。
政治家が神(偽者の超能力者)の意思に従って世界が動くようにしている。
たとえ政府の建物と宗教の建物が別になっていても、政府はいまだに宗教機関であり宗教活動を続けているのだ。
[5314] 政府がいまだに宗教活動を続けている理由 h20.6.14
1)超能力者に人間が従わなければならないと考えている信者が世界中に大勢いて、政治家が“神(偽者の超能力者)の命令”を作って馬鹿な信者を利用するため。
2)国民に神すなわち偽者の超能力者を本物の超能力者と承認させることによって、嘘と本当の区別をなくして、国民に政治家が嘘をついてもいいことにしたり、国会の中に神(偽者の超能力者、天皇)を置いて人間である政治家が正当な理由もないのに神(偽者の超能力者、じつは人間)に従う不合理な態度を国民に承認させることによって、政治家が国民に対して神制度で作った不合理な命令を出せるようにして、政治家にとって有利な世界≡国民にとって不利な世界を作るため。
[5315] 善と悪 h20.6.14
まちがいを信じている者は悪人である。
真実を信じている者は善人である。
悪人を攻撃するのは善であり、
善人を攻撃するのは悪である。
例えば、宗教の者は“超能力が存在する”というまちがいを信じていて悪人だから、宗教の者を攻撃するのは善である。
[5316] 宗教の者は弱い。 h20.6.15
宗教の者は他人の命令で動くときはちゃんと動けるが、
一匹一匹は自己判断できず、自分ひとりでは何もやれない馬鹿である。
つまり、宗教はアリのように組織力が強いだけで、一人になると弱い。
だから、宗教の者に殴[なぐ]りかかっても自己判断できないから何も反撃しない。
[5317] 神武天皇はいつ頃まで“超能力者”だったのか? h20.6.15
日本人が『電気』を知ったのは、平賀源内が1776年にエレキテルを発明した頃である。
一般には、明治元年1868年の文明開化以降である。
つまり、日本人が電気のことを知ってからまだ150年もたっていない。
それまでは、神武天皇の隣で輝いていた光の玉がどういう原因で輝いていたのかわからず、神武天皇の“超能力”で輝いていたと考えられていたのである。
つまり、明治時代までは日本人にとって神武天皇は“超能力者”だったのである。
しかし、明治以降は神武天皇の隣で輝いていた光の玉が『放電現象』であることが大勢の人にとってわかってしまったので、もはや神武天皇は“超能力者”ではないのである。
[5318] 神とは超能力者である。 h20.6.15
神武天皇は明治時代までは超能力者すなわち神と考えられていた。
政治家も一般大衆と同様に明治時代までは神武天皇を超能力者すなわち神だと考えていた。
2代目以降の天皇は超能力者ではないが超能力者の子孫ということで特別視されていた。
私の場合には、ガラガラが回った原因が私の母の錯視であることがわかるまでは超能力者すなわち神と考えられていた。
政治家も、これまでは私を超能力者すなわち神だと考えていたのである。
しかし、今では神武天皇も私も不思議現象の近くにいただけで、超能力者ではないから神ではない。
したがって、人類のこれまでの神すなわち超能力者に関する経験を帰納すると、超能力者は自然現象や幻覚や錯覚などの見まちがいか作り話の嘘であって、超能力者は存在しないことになる。
[5319] 女も中身が大事 h20.6.15
女も見掛けではなく、男と同じようにやはり中身に価値がある。
ただし、女の中身と男の中身とでは中身の価値基準が違う。
男では、知覚欲だけを満足した認識の体系に価値があるが、
女では、知覚欲と愛情のふたつを満足した認識の体系に価値があるのだ。
[5320] キリストの場合 h20.6.16
キリストは精神医学が確立する頃までは、全知全能の神とまでは行かないが少なくとも“超能力者”で通用した。
ヨーロッパでヒステリーの患者にアウラ(光暈[こううん])が見えることが知られる(1850年頃)までは、キリストは“超能力者としての神”で通ったのである。
だから、キリストが神とされたのは、政治家がでっち上げた冗談ではなくて、キリストが生きていた当時から最近までは本気にされていたのである。
だから、キリストの母親が赤ちゃんのキリストの姿とたまたま重なって見たアウラを当時の政治家がふざけてキリストの超能力のせいにして、それをキリストが真に受けて自分が神だと思ってローマ国王よりも自分のほうが偉いと思ってローマ軍に戦いを挑んで負けて十字架に磔[はりつけ]にされて殺されたのを、そもそも冗談をでっち上げた政治家が悪いから、その罪を償[あがな]うためにヨーロッパを含むキリスト教圏の人々が千年以上もの間苦汁をなめ続けなければならなかったなどと考える必要はない。そんな見方は、あまりにも現代科学にかぶれた見方であって、実際には政治家も科学者ではないから一般大衆と同じであって、精神医学でアウラがヒステリー患者に見られることが知られるまでは、政治家も一般大衆と同じようにキリストを本気[マジ]で身体から光を放[はな]つ超能力者だと考えていたのである。
ただ、昔は世界的に事実よりも権威を重んじる傾向が強かったので、ひとたびキリストが母の見たアウラによって神であることにされると、それに便乗して宗教的なノリのいいパターンがゾロゾロ付け加えられて、膨大な嘘の体系である聖書が作り上げられたのである。同様に、干潮の前で両手を上げていたために超能力で海を割った神とまちがわれたモーゼの旧約聖書もそうやってできたし、シャカが生まれた直後に7歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したという母のついた嘘で神にされたシャカの仏典もそうしてできたのである。
しかし、現代は権威よりも真実を重んじる時代なので、キリストの母が見たのはヒステリー症状のアウラにすぎないし[アウラとは、芥川龍之介自身が見て歯車に喩えた閃輝暗点[せんきあんてん]のようなもの。たぶんキリストの母は1回きりしかアウラを見なかったのだろう。キリストの母が何度もアウラを見ていれば、自分の幻覚であることに気付くはずだ。]、モーゼは干潮に驚いて手をあげていただけだし[ただし、この干潮はたんなる潮の満ち引きによる干潮ではなく、なんらかの地質学的気象学的原因によって生じた並々ならぬ干潮であったのだろう。]、赤ん坊が歩き出すのは1才頃で話し出すのは3才頃だからシャカの母親が嘘をついただけのことだと考えられる。
[5321] それでも超能力者は存在する。 h20.6.18
私がさんざん超能力者は自然現象や幻覚や錯覚の見まちがいか嘘の作り話だと言ったにもかかわらず、
それでもアラブ首長国連合は超能力者がこの世にいると信じている。
頭が小さいからターバンを巻いているのだろう。
[5322] 神は死んではいない。 h20.6.18
超能力者は神である。
しかし、テレパシーやラップ音は超能力ではない。それは、テレパシーやラップ音が『感覚波』によって引き起こされ、感覚波で伝達できるエネルギーの範囲内で理解できる現象だからである。だから、テレパシーやラップ音がいくら使えても超能力者ではない。
しかし、念動力でガラガラが回ったことは理解できない。それは、ガラガラを回すことが感覚波で伝達できるエネルギー値を大きく超えているからである。だから、私はガラガラが回ったのは念動力ではなく何か別の原因があると考えて、私の母が見た錯視であったことをつきとめたのである。
モーゼや神武天皇やシャカやキリストが神とされたのは、彼らの身近で起きた不思議現象が当時の科学知識では理解できない現象だったために、彼らの“超能力”のせいにされたからである。
しかし、今は科学知識が豊富なので、彼らの身近で起きた不思議現象がすべて科学的合理的に説明できる。したがって、今では彼らは超能力者すなわち神ではない。
将来、再び科学知識で理解できない不思議な現象が起これば、不思議現象の近くにいた者が神とされることがあるかもしれない。
[5323] 共生体 h20.6.20
ヤシガニとイソギンチャクのように政治家と超能力者が共生体を形成することによって国民を支配してきた。
政治家単独では、知覚の才能も運動の才能も超能力の才能も美形の才能も何にもないので、ただの無能な馬鹿にすぎないからである。
そこで、政治家は“超能力のある超能力者”と組んで自分が超能力者の下に付くことで国民を支配しようと企[くわだ]てたのである。
さすがに政治家は馬鹿で無能なだけはある。
[5324] どうしてこれまで私が超能力者ではないとわからなかったのか? h20.6.20
私の“超能力”の具体的な内容が広く国民に知られていたら、とっくの昔にそれが私の母親が見た錯視にすぎないことがわかったはずだ。それが今までわからなかったのは、私の超能力の具体的な内容が国民に知られていなかったせいである。私の超能力の具体的な内容がこれまで国民に伏せられていたのは、私が子供の頃は内気で自分が言いたいことを伏せたはっきりしない喋り方をしていたからである。と言う意味では、政治家は忠実に神制度を守っていると言うことができる。もっとも、私が神すなわち超能力者であればの話だが。
[5325] 政府無用論 h20.6.21
宗教とは、超能力者の存在を信じ、人間が超能力者に従わねばならないと考えている者の集団である。宗教の者は、自分達だけが人類の中で稀[まれ]に現われる超能力者の存在を知っていると思って鼻高々である。
各国の政府は宗教の本部である。宗教活動の計画を立てて、それを執行するのが政府の務めである。
政治家は宗教の幹部であり、政治家もまた超能力者がいると考えている。
それに対し、宗教に入っていない国民は、超能力者の存在を信じておらず、人間が超能力者に従わねばならないと考えていない。
ところで、人類においては、正しい者が生き残り、まちがっている者が滅びるべきである。
『超能力者は存在しない』のが実在界の真理である。
だから、超能力者の存在を信じる宗教に入っている者が滅び、超能力者の存在を信じない宗教に入っていない者が生き残るべきである。
政府は国にまちがいを広める邪悪な組織だからあってはならない。
[5326] 超能力とは何か? h20.6.21
脳の中から出る『感覚波』でテレパシーやラップ音を超えることができれば、それは超能力である。【超能力の定義】
将来本物の超能力者が現われれば、何度でも超能力が繰り返し使えるはずだから、MRIか何かで脳の特定の部位の活動と超能力現象との相関が調べられ、『感覚波』についての研究が進むに違いない。
しかし、そうなると、超能力はもはや完全に科学の対象であって、神秘的でもなんでもなく、超能力者に人間が従う必要性はまったく感じられない。
[5327] 現在の天皇制 h20.6.21
明治維新以降とりわけ第2次世界大戦後は、もはや天皇家は超能力者ではなく、ただの人間にすぎない。[テレビ特撮番組『レッドバロン』のエレクトリッガーは、神武天皇はもはや超能力者ではなく、ただの“電気使い”にすぎなかったことを表している。]
第2次大戦後の天皇制は、日本国憲法に天皇の特権が形の上で記載されているだけで、実際に行使されたことは一度もない。
たぶん行使したら、天皇や内閣は皆殺しにされるだろう。
ただ、今でも超能力者を信じる日本神道の者はいるから、彼らが超能力者だと考えている天皇や私にあやかった商品を作って売ったりしている。もちろん、国民に強制的に買わせたりすることはない。
でも、実際には超能力者はいないのだから、日本神道の者が作って売っているいかがわしい商品を買う者は、商品の中身もいかがわしいことに注意しなければならない。
[5328] 私の家族の仕事について h20.6.21
父親は若いときからずっと地方公務員の会計課でまじめに働いて順調に出世して、私の学費のため定年を5年延長してまで働いてくれた。
母親は若草町に住んでいるときは家で内職をしたり、旭の横内に引越ししてからは外に出てパートタイマーで働いていた。帯屋町の中にある麺房三宅[みやけ]や関西麺業で働いていたが、白血病に罹った私の弟の見舞いのために毎日仕事が終わってから片道1時間のバスに乗って高知医科大学付属病院に通っているとき疲れがたたって肺炎から気胸を来たし、その後は働くのをやめた。今は家の中で家事をしたり犬を相手にして遊んでいる。
弟は、保育園に通っているときから登校拒否で、小学校中学年頃から学校にまったく通わなくなって、それ以来ずっと家の2階の自室の中にこもっていて、食事とトイレと風呂のときだけ1階に降りてきていたが、1回だけ1週間ぐらい大阪の料亭で板前の見習いをやっていたことがあるがすぐにやめて高知に帰った。弟が28歳のとき白血病にかかって1年ぐらいで死んだ。
妹は、私が医学部に入ったのを真似て自分も看護学校に入る予定で高校を中途退学したが、それっきりで学校には行かず、スーパーでアルバイトをしたり土小屋(石鎚山の下にある山小屋)の食堂でウエイトレスをしたり(1日に16時間ぐらい働かねばならなかったそうだ。)窪川のほうまで車に乗ってコーヒーの販売業務などをしていた。それ以後は結婚して嫁ぎ先の家の手伝いなどをやっているそうだ。現在までに4人子供を産んでいる。みんな健康に成長している。
私は、九大医学部を卒業して1年間精神科で研修医をした後、再び九大理学部物理学科に入学して、卒業後派遣会社に入って愛知県稲沢市や兵庫県出石町[いずしちょう]や兵庫県養父市[やぶし]の工場で作業員をして働いていた。
私の家族は、私が中学3年生までは日蓮宗に入っていたが、私が中学3年生の冬に日蓮宗をやめて、それ以後は宗教とは一切関係がない。ただ、薫的のおばあさん(母親の母)が熱心な日蓮宗徒であったため、母が小さい頃おばあさんに厳しく躾けられたので、ときどき母親が折に触れて仏教の世界観を語ることがある。これまでに私が哲学日記に書いたように、私の両親や妹が1〜2年に1度くらい日本神道≡日本政府から頼まれて私にちょっと関与することがあった以外は、まったく宗教とは縁がない生活をしてきた。
要するに、私が赤ちゃんのとき母親が夜中に突然ガラガラが回る錯視を見た以外は、私の家族には特に変った点はない。私の親戚に宗教家なんか一人もいない。[ただ、和田高明君のおじさんが宗教家で山の上に座禅をした大仏の姿を霊視することができたという話を登山部の帰りのバスの中で1回だけ聞いたことがある。]
[5329] 宗教の者に対する私のイメージ h20.6.21
ガラが悪い。不良の寄せ集め。ロクなのがいない。
合理的科学的なことを信じないで不合理的非科学的なことを信じようとするなど人間としてもってのほかだ。
キチガイだ。
たとえキリストや釈迦が偉くても、お前らはゴミだ。[キリストや釈迦も、親が幻覚を見たり嘘つきだっただけで、本人は普通の人だったのだと思う。聖書や仏典は歴史的資料とはいえないので、キリストや釈迦が実際にどんな人だったかはわからないのが正解である。]
偽善者づらして気味が悪い。
超能力者を信じるなど幼稚園以下の頭だ。バカがうつるから近寄りたくないし話したくもない。
人間やめてさっさと死ね!
[5330] エジソンの電球 h20.6.21
エジソンの電球に日本の竹のフィラメントが用いられているのは、エジソンが電球を神武天皇の隣で輝いていた光の玉になぞらえているからである。
つまり、エジソンは宗教の信者であり、アメリカは神制を採る国なのである。
さすがの発明王エジソンも宗教がどんな会であるかまではわからなかったようだ。
いい歳した科学者が宗教などというくだらない会へのゴマすりはやめよう。
[おそらくエジソンはアメリカや日本の政治家へのゴマすりのためにそうしたのだと思うが、政治家は超能力者がいると思っているバカだから、政治家に媚[こ]びへつらう必要はない。]
[5331] 男と女のどちらが幸福か? h20.6.22
男だから、女だからということだけで幸福か不幸かが決まるのではない。
ある者が男として生まれてくるか女として生まれてくるかで幸福か不幸かが決まるのだ。
つまり、見かけだけがよくて頭がバカな者が女に生まれると幸福になる。
私はその反対だから男に生まれたほうが幸福なのだ。
[5332] 「幽霊のいたずら」 h20.6.22
私の母は夜中に突然ガラガラが回りだしたとき、その原因を幽霊の仕業だと考えた。
仏教の世界では、人間は身体が死んでも49日間は霊体が生きていてこの世をさまよっており、その間に霊体がいろんな不思議な現象を現すと考えられているからである。
母親が子どものとき夏の夕涼みに川原で見た火の玉も、その数日前に近所のおじさんが死んでその霊魂が火の玉になったからだと考えたし、ガラガラが回ったのも、鴨部の家の近所に住んでいた誰かが死んでその霊体がガラガラを回したからだと考えたに違いない。赤ちゃんの私は当時はまだ生きていたから、霊体になっておらず、ガラガラが回ることにはまったく関与していないと当時母親は考えたのである。
それが夜中に突然ガラガラが回った不思議現象に対する私の母親による仏教的解釈である。
私は母親の錯視だと考えている。[ガラガラが電池で回る方式であれば、実際にガラガラを外力で無理やり回したら中身のメカが壊れてしまうはずだ。しかし、その後ガラガラが壊れたという話は母から聞いたことがない。]
それを赤ちゃんの私の超能力のせいにしたのは、日本神道による曲がった解釈である。その後の私の人生に私の周りにいる友人や家族の者を使っていろんなチョッカイを出して私の人生を不幸のどん底に突き落としたのも日本神道≡日本政府の責任である。今でも、近所の者を使って私にガンを飛ばしたり隣に住んでいる者に重苦しい気を出させたりして私を毎日不快な目に会わせ続けている。日本神道の者が私を楽しい目に会わせたことはこれまでに一度もない。
いくら日本神道に入っている者の数が多いからといって、行動原理がまちがっているのではさまにならない。
[5333] もしも戦争になったら… h20.6.22
今度赤紙が来ても引き裂いて無視して、いつもの通り会社に通えばいい。
日本政府は狂った宗教機関だから、そんな組織の命令をおとなしく真面目にきくほうがバカだ。[宗教とは、超能力者がいると考えることである。]
どうしてまともな人間が、日本政府のくだらないバカやキチガイの命令を聞かねばならないのか!?
合理的に考えて行動しない者は人間として生きる資格がない。
[5334] 超能力者がある世界とない世界 h20.6.22
超能力者がある世界とない世界とでは、知覚界の構造も知覚界に従属する心の働きもずいぶんと違っているのだろう。
だから、超能力者がない世界の人から見ると、超能力者がある世界の人は何を考えて何を思っているのかさっぱりわからない。
心の働き方まで違っているのだから、共感できない。そんなくだらない心なんかわかりたくもない。
キチガイの目に涙。汚い涙だ。
[5335] 超能力者ではないキリスト教 h20.6.22
キリスト教からキリストが超能力者であることを抜いて新しいキリスト教にすればいいと思っているかもしれない。
しかし、超能力者でないたんなる思想家としてのキリストは、もはやプラトンやソクラテスにすぎず、たとえ教科書の上で思想を教えることがあっても、わざわざ各地に教会を建てるほどではない。
プラトン教やソクラテス教がないように、新しいキリスト教は宗教としてはやっていけないだろう。
[5336] 東京人気質 h20.6.22
天皇は無能なのに威張っているだけだ。
だから、東京の人間も才能がないのに威張っているだけだ。
[5337] 仏像の顔 h20.6.23
仏像の顔は釈迦に似ていない。誰の顔でもない。何の特徴もない一般顔だ。
釈迦は自分の肖像を作るなと命令したから、
それを守って、何の特徴もない肖像を作って仏像ということにしたのだ。
[5338] なぜ東大生は万能なのか? h20.6.23
人間の心は知覚に従属する。
人間の生まれつきの心は個人によってあまり違っていないと仮定する。
私のような普通の人は、教育環境が偏っているせいで知覚界に偏って蓄えられた知識(データ)によって心に好きな科目と嫌いな科目の区別ができる。
一方、東大生は、教育環境が偏っていないために知覚界に満遍なく蓄えられた知識(データ)によって心に好きな科目と嫌いな科目の区別ができない。
私は小学生の頃、『小学館の学習図鑑〜動物・昆虫・昆虫の生態・魚・鳥・花と園芸など〜』とか『こども学習百科事典』とか『雨はどうしてふりますか?』とか『学研の図鑑宇宙』とか科学の本ばかり読んでいたから、科学が好きで社会科が嫌いになったのだ。
東大生は、子供の頃に親が満遍なく国語算数理科社会の教材を与えたから全科目が好きになったのだろう。
[5339] いい女とは? h20.6.23
女の才能はおもに出産育児と家事である。
だから、出産育児と家事の才能に長[た]けている女がいい女である。
一般に、生物はその生物が持っている才能において優れていることがよいことなのである。
[5340] 国家宗教と民間宗教の違いについて h20.6.24
国家宗教では、神(似非[えせ]超能力者)と神の命令を作って出す宗教家が別である。
民間宗教では、神と宗教家が同じである(違う場合もある)。
国家宗教も民間宗教も似非超能力者を神とする点は同じであるが、
国家宗教では自然現象や幻覚や錯覚や嘘など眼で見える似非超能力であるのに対して[神の思想は似非超能力のおまけにすぎない。例えば、神武天皇には思想がない。]、
民間宗教では自動書記や神の啓示などテレパシーっぽい嘘の似非超能力であることが多い。
国家宗教と民間宗教とでは似非超能力の種類がちょっと違うだけでやっていることは同じである。
だから、国家宗教も民間宗教のひとつになるべきである。
したがって、国家宗教も民間宗教のように、宗教家が神(似非超能力者)の同意を得た上で、神と宗教家が結託して宗教をやるべきである。
もちろん賽銭や献金は、自分の意思で宗教に入った信者だけから取らねばならない。
[5341] バカの帝王 h20.6.26
天皇はたまたま祖先が握っていた弓の先で輝いていた光を祖先の超能力のせいにして自分が世界一偉いと威張っている。
まさに、天皇は日本が世界に誇る“バカの帝王”だ。
[5342] コロナ放電 h20.6.27
神武天皇の握っていた弓の先に生じたセントエルモの火は、一般にコロナ放電と呼ばれている放電現象の一種である。
神武天皇が握っていた尖った弓の先には強い電位勾配≡電場が生じ、そのために空気分子が電離していた。
N2(窒素)→N++N-
O2(酸素)→O++O-
電離した空気分子同士が衝突してくっ付いて熱エネルギーを発生する。
N++O-→NO+Q1(Qは熱エネルギー)
N−+O+→NO+Q2
他に、N2→N2++N2−
02→O2++O2−などによって、
N2++O2−→NO+Q3や、
N2++2O−→NO2+Q4などの反応もあると考えられる。
神武天皇が握っていた弓の先の周囲に発生した電離した空気分子の衝突によって発生した熱エネルギーによって周囲の空間(電磁場)が加熱され高温になって青白い光を出した。ちょうど、ガスコンロで、ガス分子の燃焼反応によって発生した熱エネルギーによって周囲の空間(電磁場)が加熱され高温になって青白い光を出すのと同様である。
電場が弱い場合には、電離した空気分子は神武天皇が握っていた弓の先の周囲にしか存在せず、雷のような大電流は流れない。[Wiki『放電』火花放電の項を参照。]
神武天皇の上空にあった積乱雲が小さかったために、神武天皇は幸運にもセントエルモの火を見ただけで落雷せずに済み命びろいしたわけである。[死んだほうがよかったのに。]
[5343] 火の玉 h20.6.27
暗いところにいると怖くて緊張する。
緊張すると血管が収縮する。
人によっては、脳の視覚野の血管が収縮してアウラ(光暈[こううん])が見えることがある。
だから、暗闇で火の玉を見ることが多いのである。
[5344] 女は愛情 h20.6.27
女の心の中には愛情がある。
愛情が女にとっての生き甲斐である。
女は自分の愛情を満足するような思考行動パターンで固まっている。
女にとっては真実には興味がなく、ただ要領がいいだけで、正しいとかまちがっているとかの区別はどうでもいい。
だから、女は不思議な現象を見たとき、その真相や原因までも自分でいちいち考えて突き止めようとはせず、ただ不思議だ不思議だと言って騒ぎ立てるだけである。だから、いつまで経っても解決せず不思議なままである。また、大袈裟な嘘を平気でついたりもする。
女の習性が神(似非超能力者)を生み出す原因である。
女に知覚欲がないのは、男に愛情がないようなものだ。[統計的には、女は男の半分しか頭を使って考えていないみたいだ。]
[5345] 宗教の者に対する制裁の方法について h20.6.29
宗教とは、実在しない“神すなわち超能力者”の存在を信じ、“神に人間が従わねばならないという神制度”を使って実在世界の秩序を乱す狂気の集団である。[宗教はやっていることが嘘かまちがいなので、下品で汚らしい。]
これ以上宗教の者に増えられたら、私を含む宗教以外の人間にとってははた迷惑である。
そこで、宗教の者を思い切って皆殺しにしたいところだが、殺すと後でいろいろ面倒なことになるので、
宗教の者を殺す代わりに『宗教の者を何らかの手段によって不利にするか不幸にする』ことにしたい。
そうすれば、宗教の者の数は次第に減少し、いずれはゼロになるだろう。
宗教の者を地球上から根絶すれば、人類は一歩幸福に近づいたことになる。
[5346] 宗教と哲学 h20.6.30
たとえ宗教すなわちシャカやキリストなどを超能力者と見なして彼らに人間が従うことはやめても、
シャカやキリストなどの思想の哲学的研究までも禁止はしない。
もっとも、それらは古すぎて現代社会の中で生きる人間に適用できそうにないが。
[5347] 宗教に世界を牛耳る資格なし。 h20.7.2
宗教の連中は実在と歯車が噛み合っていない。
宗教の連中は実在の世界の中に幸福を見つけようとしない。
だから、宗教の連中のいうことを聞いても、誰も幸せにはなれない。
[5348] 男女平等は正しいか? h20.7.3
女が男と同じように頭がよければ、それはいいことだが、実際にはそうなってはいない。男と女を区別しないのはヨーロッパの伝統であって、ヨーロッパの哲学者のまちがった夢にまでわざわざ日本人がつきあってはならない。
女は愛情を満足させて生きているので、女は男の半分しか頭を使って考えようとしない。
たとえ女でも知覚の才能の実力があればそれは認めるが、実力もなしにただたんにやりたいという気持ちがあるだけで女を知的労働に従事させてはならない。
女はいつも頭の中でくだらない遊びのことばかり考えているから、女を知的労働に就かせるべきではない。
例えば、教授が自分のスケベ心を満足させるために、男よりも女を助手にしたりすべきではない。
男を知的労働に就かせておくと、男は良心的に自分の知覚欲を満足させるために頭を使って考えようとするから、そのほうが女にやらせるよりも無駄がなく効率がよい。
女は馬鹿と言われて嫌な気持ちになるかもしれないが、女が男よりも馬鹿なことは一般的に事実である。例えば、女は眼で見たことを肯定するだけで、なぜそうなるのか?についてはまったく考えようとしない。
女の頭のよさは家庭の中でこそ発揮されるべきである。
本当に賢明な女は、自分が男よりも馬鹿だということを十分よく知っているから、他人から馬鹿だと言われてもけっして腹を立てたりはしない。
賢明な女は、男と知覚の性能で争ったりはしない。男も女が知的才能で劣るからといって馬鹿にしたりはしない。
馬鹿な女ほど、自分が他人から馬鹿と言われて腹を立てるものである。
このように、“男女平等”は、ただ意地糞悪い政治家が世界を滅茶苦茶にしてうまく行かないようにするためにやっているまちがった政策にほかならない。例えば、キュリー夫人もコワレフスカヤもネーターも、教授の指導で論文を書かされただけで、自分の実力で論文を書いたのではない。彼女らが貰ったノーベル賞や数学賞は、純粋に客観的に科学や数学の才能を評価するものではなく、政治家のインチキでどうにでもなる汚れた賞だから権威はない。
“男女平等”の世の中は、馬鹿な女が利口なふりをして空威張りをしているだけだ。そのせいで日本の国力が弱まっている。
“超能力者”のある世界がまちがったくだらない世界であったように、
“男女平等”の妄念に取り付かれたまちがったくだらない世界も早く終わらさなければならない。
[5349] なぜ宗教活動は不透明なのか? h20.7.3
一般人にとって、宗教は何をやっているのかわからない。
それは、宗教が自分たちのやっていることを一般人に対して隠しているからである。
それは、つまり、宗教がまちがった悪いことをやっているからにほかならない。
一般人にとって政治が何をやっているのかわからないのも、政治が宗教だからである。
[5350] マンガ家は要らない。 h20.7.3
マンガ家は宗教家の言いなりになってただの人間である私を女の子に変えたマンガを描いている。さっさとやめればいいのに、いまだにやめていない。くだらないことほどしつこい。
マンガ家は自分がちょっと絵が描けるぐらいで私よりも上の人間でいるつもりなのか。
マンガ家は偉そうだ。[マンガ家の一体何が偉いのか私には理解できない。マンガ家ごときが、正しくもないのに偉そうにするな!偉いのは、数学者か科学者だけだ。]
宗教家の言いなりになるべきかならないべきかぐらい自分でわかるはずだ。[神制度は日本国憲法に規定されておらず国民に強制されていないので[天皇制は神制度の一種と考えられるが、天皇制は日本国憲法に字で書いてあるだけで行使されたことがなく実質的には神制度はなくなっていると考えられる。今度天皇が天皇制を使おうとしたら天皇自身が殺されるだろう。]、とくに戦後は宗教家≡政治家の言いなりになってマンガを描こうが描くまいが根本的にはマンガ家の“自由”なので、実力のあるマンガ家ならわざわざ宗教家の言いなりになってマンガを描かなくても十分売れるマンガが描けて幸福に生きて行けるので汚い宗教の力なんかに頼らないはずだ。だから、実力のないマンガ家が“自[みずか]ら望んで”宗教家の言いなりになって私の個人情報を使ったマンガを描いたとしか考えられない。]
マンガ家は“他人の失礼に当たる”ということを知らない。マンガ家には道義心がなく、善悪の見境がつかない。
マンガ家はただのボンクラの馬鹿息子が絵を描いているだけだ。[そんなボンクラの描いたマンガが本当に面白いだろうか?]
マンガ家を絶対に幸福にしてはならない。
新作のつまらないマンガよりも旧作の面白いマンガのほうがいい。
お金の無駄だから、無理して新作のつまらないマンガを買って読むよりも、旧作の面白いマンガを繰り返して読んだほうがいい。
[5351] お賽銭[さいせん]について h20.7.3
私は今から24年前高知で県外の大学受験を目指して自宅浪人していたとき、お正月に家族みんなで(ただし弟は留守番)金毘羅[こんぴら]さんにお参りをしたとき家庭教師のバイトで稼いだ1万円を賽銭にやったことがある。
しかし、賽銭は当然のことながら自分の願いを叶えるために有効な手段ではなく、宗教すなわちいもしない超能力者がいると信じるキチガイのグループのために自分が献金して協力することである。
私はまちがったことを信じるくだらない気色悪いグループのために協力なんかしたくない。
だから、今後は一切賽銭はあげないことにしよう。
[5352] 政治家は知恵遅れ h20.7.4
政治家はいい歳こいて“超能力者”がいると思っている。実在が見えていない。
巨人は図体がでかいだけで頭は馬鹿だ。[頭の中身が眼で見えないから務まっているだけだ。その証拠に、政治家は言葉使いが非論理的で知的ではない。政治家が東大を出たのは事実だが、どうやって出たのかは知らない。]
政治家は実在についての知識のない“知恵遅れ”だから、赤ちゃんに哺乳瓶の砂を飲ませて殺した養護の子と同じだ。
[5353] なぜ女は卑怯[ひきょう]なのか? h20.7.4
女は男に比べて正義心が薄い。
女は汚いこと(正義心にとって不快なこと)を汚いと思わないから平気で汚いことがやれるのだ。
女は眼先が綺麗でありさえすればよく、男のように論理的整合性にこだわらないのだ。
[例えば、女は本を読んでも活字とにらめっこをしているだけで、男のようにイデア(言葉の知覚的意味)が見えていない。だから、女は言葉の物覚えがよいが、その反面男のようにイデアで思考することができないのだ。]
[5354] 科学とは何か? h20.7.4
宇宙は物で書かれているひとつの書物と見なすことができる。
読書が本を書いた人の考えを理解することであるように、
科学は宇宙を作った人の考えを理解することである。
[5355] 少数の例外を無視する。 h20.7.4
数学や物理のできる女が家庭の主婦になっても十分生物として幸福に生きて行ける。
だから、一般的に女を男よりも馬鹿な生物と見なしてもいい。
そう考えて社会を作ったほうが、統計的には男女に関する正しい扱いをしたことになる。
『女は子供を産んで育てるもの』だから、女が家庭中心の世界観で何がいけないのか!?
反対に、男は世界全体を考えるものだから、男は世界全体の世界観なのだ。
[5356] 創始者は偉い。 h20.7.4
新しい理論を始めるためには、まずその部品(概念)から作らなければならない。
最初に絵を描いた人は自分で絵の具から作らなければならなかった。
あとの人は、すでに作られた絵の具で自分の好き勝手に絵を描いているだけだ。
[5357] 宗教はまちがった科学である。 h20.7.4
昔の人は、神武天皇の隣で光の玉が輝いたのを見て、神武天皇が“超能力者”だと考えた。
珍しい放電現象が“超能力者”の概念を生み出したのである。
こうして、“超能力”の概念で実在を見ていく宗教が誕生した。
いわば、宗教は『超能力学』つまり自然界における超能力現象を扱う科学のひとつの分野である。
しかし、そもそも神武天皇の隣で輝いていた光の玉は放電現象によるものであって神武天皇の超能力で輝いていたのではないから、“超能力”の概念はまちがいであって、超能力者は存在しない。
だから、宗教全体がまちがった理論体系なのだ。
[5358] 戦争は終わった。 h20.7.4
人間を殺すためには、人間以上の存在が必要である。
宗教では、超能力者は人間以上の存在だと考えられている。
宗教のために戦争が起こる。
ところで、宗教はまちがった科学である。
だから、戦争もやってはいけない。
[5359] 国民による投票 h20.7.4
マンガ家が宗教家≡政治家の言いなりになって私を女の子に変えたマンガを描くことは、そのマンガ家が政治家のやっている神制度に賛成することにほかならない。
宗教に入って超能力者に従うことも、宗教家≡政治家に賛成することと同じである。
マンガの読者が神制度で作ったマンガを買ったりテレビの視聴者が神制度で作ったテレビ番組を見たりすることも、神制度への同意だと見なされる。
ところで、神制度はいもしない超能力者をいるとすることであり、要するにまちがいである。
人間はまちがいに従うべきではないから、政治家のやっている神制度に従ってははならない。
自分が神武天皇や私を超能力者だと考えなければ、政治家のやっている神制度に従ったり宗教に入ったりしてはならない。
[5360] なぜ最近の日本はパン食なのか? h20.7.5
パン←Bread←ぶ←川野延夫(かわののぶお、私の名前)だから。
しかし、パンには味や日持ちをよくするためにいろんな薬が入っている。
だから、パンを食べると頭が悪くなる。
だから、お米のほうがいい。
[5361] 復讐法 h20.7.5
私の人生は、私と日本政府との戦いだった。
正しい私が一方的に痛い目にあわされて、まちがっている日本政府が痛くもなんともないのは無茶苦茶すぎる。
私が死ぬまでに日本政府や日本神道をなにがなんでも痛い目にあわせねばならない。
[できれば、私が死ぬまでに世界中の教会や仏閣や神社などの宗教の建物をこの世から全部なくしてもらいたい。]
[5362] イランイラク戦争はなぜイランとイラクで起きたのか? h20.7.5
イラン、イラク←イラ←ノフ←のぶお(私の名前)
他の国名では私の名前とうまくつながらない。
当時私は分裂病に罹っていたので、分裂病を自分と自分との戦いと考えて、私をふたつの国に分けて互いに戦わせたのだ。
そんな余計なことをするお金があるなら、私に恵んでくれ。
[5363] 聖書について h20.7.5
聖書は超能力をネタにした“おとぎ話”だ。聖書には超能力をネタにしたいろんな不思議な話が載っている。いわば、聖書は古代のSFといったところだ。
主人公のキリストが、いろんな超能力を使えることになっている。イソップのおとぎ話に教えがあるように、聖書にもキリストの教えがあるのだ。
実際には、キリストは超能力者ではなく、母親の見たアウラのせいで身体から光が出ると誤解されただけだ。
紀元0年ごろにキリストという人物がいて超能力者と誤解されたことまでは確かだが、キリストに関する正確な歴史的資料が残っていないので、それ以上詳しいことはわからない。
[5364] 宗教の連中は馬鹿 h20.7.6
宗教の連中は眼先で宗教をしているだけで、宗教の原理とかが何もわかっていない。
宗教の連中は眼先のことしかわからない、頭で意味がわからない“片言馬鹿”だ。[どうせ、鬱病か抑鬱神経症で知覚が働かなくなっているのだろう。それなら、宗教に入っても治らないから宗教は無駄だ。私なら、人間には『心』があることを認めて、自分が落ち込む情報に自分が接触するのを極力避けるようにするが。]
だから、近所に宗教の連中がいると鬱が伝染[うつ]って不愉快になるのだ。
[5365] 文学的表現の限界 h20.7.6
文学では、わざとに正解をずらして表現する。
例えば、1+1=2というところを、わざとにまちがえて1+1=3といったりする。
だから、ジーン=ロッテンベリーが「タロス星の幻怪人」でこれまでの超能力をテレパシーによる幻視とは考えて“いない”ことはわかるが、しかし、ジーン=ロッテンベリーがこれまでの超能力を何と考えていたかはわからない。
文学的表現では、言いたいことをストレートに言わないから、本人が本当は何を正解だと考えているかがわからない。
文学的表現では、いつまでたっても正解を言うことができない。真実を表現することができない。
だから、文学的表現は用いないほうがいい。
[5366] 科学と文学 h20.7.6
人間は正しさと面白さのどちらを大事にすべきか?
答えは、人間においては心が知覚に従属するから、正しさのほうが面白さよりも大事である。
まず正しいことがわかってから、その後でその正しい世界の中で面白いことを考えればいい。
実際に、面白いことも度がすぎるとかえって面白くなくなる。例えば、あまりアニメを長時間見すぎるとかえって嫌気がさしてくるから、1日1時間ぐらいが適当だ。
[5367] 宗教法の弱点 h20.7.6
宗教法では、神≡超能力者(階級性社会ができた古代以降における神の定義)に人間が従わなければならないことになっている。
この点に関しても科学的論理的に問題があるが、仮にこれを認めたとしても、
そもそも何を超能力者とするかについての規定が宗教法にはないらしい。
いくらなんでも、嘘や見まちがいや考え違いの超能力者まで超能力者ということにはできない。だから、モーゼやシャカやキリストや神武天皇や私は全員超能力者ではない。[神武天皇が握っていた弓の先に放電現象による光の玉が現われたことは、奇跡(つまり、ゴルフのホールインワンのように稀な現象)とは言えても超能力とは言えない。もっとも、キリストの奇跡は母親の見たアウラが被[かぶ]ったこと以外は全部嘘(作り話)である。]
私的には、テレパシーやラップ音以上のことが脳から出る感覚波でできれば超能力者でいいと思うが、現在のところはまだ私の規定に適[かな]う超能力者は人類の中に現われていない。
したがって、神≡超能力者は現時点では一人もいないことになる。だから、世界中の宗教は滅びなければならない。
宗教をやりたければ、本物の超能力者が現われてからやればいい。
[5368] 世界神基金 h20.7.6
世界神基金というものがあって、政府や国民がお金を出し合って、神の意思に従った産業にお金が降りることになっているらしい。
これまで日本のアニメ界が金まわりがよかったのは、私がアニメが好きでアニメをよく見るので、それでアニメ界に世界神基金からお金が降りていたからである。[アニメ界の連中も宗教の一員である。]
ところが、最近私が自分が神≡超能力者ではないことを証明したので、そのあおりを食らってアニメ界にお金が降りなくなったのである。
でも、それなら、これまでが日本政府の詐欺じゃないか。
[5369] 宗教の者と宗教でない者との戦い h20.7.6
日本神道の者は、自分たちが日本のために尽くしていると信じている。
そうやって、自分たちを正当化している。
嘘つけ。
今の世界に国境はない。
だから、宗教を信じても日本の得にはならない。
宗教をめぐる戦いは、日本とその他の国との戦いではなく、
宗教の者と宗教でない者との戦いなのだ。
宗教の者は実在しない“超能力者”を信じているまちがった悪い者である。
宗教の者はまちがいを信じている青ビョウタンだ。[気が抜けているから、どうせ殴っても反撃しないだろう。自殺するときだけ威勢がいい(そうしてくれたら歓迎するけどな)。カラ元気だ。アホの見本だ。]
お前らの負けに決まっているじゃねえか。
[5370] 宗教の世界 h20.7.7
なんでもかんでも“超能力”のせいにして、それ以上考えない。
嘘も電気も幻覚も錯覚もみんな“超能力”だ。
そんな実在に盲目な世界に人間の幸せはあるだろうか?
気が狂っている人しか集まってこない団体だったら、やめるべきだろう。
[5371] 宗教絵画 h20.7.7
どんなに有名な画家が描いていても、まちがいに乗っかっているんじゃ1円の価値もない。
まちがいはなくさなければならないから、焼き捨てるべきだ。
もしも画家が生きていて事情を説明したとしたら、きっと焼き捨てていいと言うに違いない。
[5372] 私の親はどこまで悪いか? h20.7.7
私の母がガラガラが回る錯視を見たのは仕方がない。[その場にいたら私だって見ただろう。]
見たことを他人に話すのは、見たことが事実だからかまわない。
私の母はガラガラが回ったのは幽霊のいたずらのせいだと考えた。これはまちがいだが、母が錯視のあることを知らず、小さい頃から仏教の世界を教えられて育ったのであれば、やむをえない。
父親が母の見たことを取り合わなかったとしても、日常生活においてさほど重要でない問題だからかまわない。[母親にしても、ちょっと首をかしげるぐらいで、ホラー映画のようにキャーキャーひせってパニクったりはしない。]父親は仕事中心主義だから、ガラガラが夜中に突然回ったとしても、そんなことはどうでもいい。私も小さいころに母からガラガラが回った話を聞いたときには、ただ聞くだけで、それ以上何も言えなかった。
ここまでは無罪である。
しかし、その後母親と父親が日本神道の指示を聞いて私にときどきチョッカイを出した(ネタ入れをした)ことは許せない。従う理由が何もないのに、指示に従ったのは母親と父親が悪い。私が小さい頃は私の家族は全員日蓮宗に入っていたのでなおさらだ。幽霊のいたずらなら、引越して幽霊がこなくなったから、それ以上何もする必要はないはずだ。この点に関しては、私の母親と父親に責任がある。
[5373] 私に対する謝罪 h20.7.7
私は宗教のせいで幸福になれなかった。
“超能力者”の存在を信じる宗教が悪い。宗教に責任がある。政府は超能力者でない者を超能力者としたから政府が悪い。
私が死ぬまでに世界中のすべての政府が倒れ、すべての宗教がなくならないかぎり私は納得しない。
[5374] 国民管理機関 h20.7.7
政府とは政[まつりごと]をする府、つまり神≡超能力者に人間を従わせることを仕事とする機関である。
ところが、実際にはこの世に神≡超能力者はいないから、“政府”は国民管理機関すなわち国民を管理する組織に変えなければならない。
[5375] 東京にはまずい物しかない? h20.7.7
東北にはまずい物しかない。
九州四国にはうまい物がある。[北海道にもうまい物がある。]
大阪→京都→名古屋でうまい物を買い占めたので、
東京には売れ残りのまずい物しか届かないのだ。
[5376] 美少女 h20.7.7
美少女や美女の概念が流行ると、女は自分の外見ばかり気にするようになる。
女にとっては化粧に時間がかかって面倒くさいだけである。
一方、私がこの前書いたように、
女は馬鹿だというのは、
女に対する若干の卑下もあるが、同時に女が馬鹿でもいいことを許すことでもある。
だから、女は無理に勉強しなくてもよく、女にとってはむしろ楽である。
ほんらい家事や育児の才能のある女がいい女であるから、女は利口でなくても美女でなくてもいいはずである。
男が女を外見だけで判断するのは、男に物を見る目がないからである。
美少女や美女の概念が流行るのは、男がくだらなくなったからである。
[5377] 女は家庭で生きろ! h20.7.7
私は実在主義なので、キュリー夫人の例に見られるような政治家の嘘[うそ]やインチキを取り除いてみると[神武天皇は現在では超能力者ではないことがわかっているのにいまだに政治的には超能力者≡神とされていることからわかるように、政治家はインチキをしたがるものである。たぶん、まちがった神制(天皇制)や男女平等制があったほうが税収などで政治家がお金が儲かるからだろう。]、男が純粋に知覚欲の満足で生きているのに対し、女は愛情やその他の感情の満足で生きているので、実際には女は男の半分ぐらいしか考えて生きていないように思われる。
この私の経験的推論を踏まえて考えてみると、男女平等の社会ではただ女が空威張りしているだけで適材適所の原理に反し非効率的に見えたので、女は家事と育児に専念して家庭で生きて行くべきだ[反対に、男はそれ以外のことに従事すべきだ]と考えるに至ったのである。そのほうが男女ともに幸福に生きて行けるはずである。
[5378] 政治家 h20.7.8
外国の政治家は一人の政治家に大勢の補佐役がついているけれども、日本の政治家はわりと自分ひとりで考えるほうである。
日本の政治家は日本の中では嘘つきといわれるけれども、世界的に見ればまだ正直なほうである。
それは、日本の政治が天皇に関する神制でやっているからである。
もっとも神武天皇だったらもっと正直だっただろうが[神武天皇の“超能力”が事実そのままだからである。]、今の天皇ではあまり正直にはいかない。
反対に、アメリカの大統領制なんか、大統領はたんなる役者で、実質的には裏方の大勢の補佐役が大統領をやっている。
それはアメリカの政治がキリストに関する神制度でやっているからである。
しかし、本当は、『最初から神≡超能力者はいなかった』のだから、日本でもアメリカでもその他の国でも神制で政治をやることはできない。
[5379] 冗談 h20.7.8
『最初から神≡超能力者はいなかった』ことがわかってしまったから、今後「神がいる」は冗談にすぎない。
冗談は言うためにあるのであって、やるためにあるのではない。
だから、宗教絵画を描いたり、宗教建築を建てたりするのはやりすぎである。
神制の政治はいうまでもない。
[5380] とんび h20.7.8
神武天皇の弓の先にとまった“とんび”は鳥のことではない。
おそらくコロナ放電による光がつくまでの大気の変化を鳥に喩えたのだろう。
つまり、神武天皇の握っていた弓の先がコロナ放電の正極であって、正極におけるコロナ放電は電極の外側から始まるので[参考]、最初に電極から離れたところで始まった弱いケバケバした光が次第に電極に近づくにつれて輝きを増し、最後には電極付近だけが明るく輝いているように見えたのである。最初に輝いたケバケバした光る部分がトンビの羽の形に似ていたからトンビにまちがわれたのである。つまり、この“とんび”は青白く輝くとんびなのだ。[コロナ放電による発光をトンビに喩えるところがなんかアフリカっぽい。]
昔の人は眼がよかったから、そんな細かいところまでよく見えたのだろう。
コロナ放電が青白い色に見えるのは、[私は以前真空が熱せられて光を出している(黒体輻射)と考えたが、これだと10000度を超えねばならない(白色矮星の色)が、実際に測ってみるとそんなに高温ではないらしいので別の原理によって光が出なければならず、]空気自体の炎色反応である。つまり、電場によって加速された電子の衝突によって励起された空気分子が発する揮線スペクトルである。
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↓とんびの写真 (Wikipedia「トビ」より) |
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[5381] 癲癇[てんかん]の単純部分発作 h20.7.8
キリストの母親が見た“キリストの頭の周りが光って見える”幻覚は、現在では癲癇[てんかん]の単純部分発作と考えられる。参考
視覚野における興奮によって閃光が見え、その像と視覚におけるキリストの姿が重なって見えたために、キリストの頭の周りが光っているように見えたにちがいない。
母親の見た幻覚のためにキリストが超能力者≡神だと誤解され不幸な人生を送らなければならなくなったとしたら、癲癇はまことに迷惑な病気である。
ちなみに、癲癇は私が九州大学医学部精神科に研修医として務めていた頃、いちおう私の“専攻”だったが、これは私が癲癇に興味があったからではなく、私が精神分裂病に罹っていたため、あえて精神分裂病と反対の性格の病気を専攻しただけのことである。5時に仕事が終わったあと脳波計の実習に付き合わされたことがあったが、退屈で仕方がなかった。
[5382] 女は汚いことに耐性がある。 h20.7.8
私の44年間の人生における経験からの機能的推論によれば、
女は愛情やその他の感情を満足させて生きているのであって、知覚欲の満足で生きていない。
女は知覚欲≡正義心以外の感情を満足することが生き甲斐である。[男は知覚欲の満足以外にやることがないが、女はいろんな感情を満足しようとするので、女はいろんなことをやりたがる。例えば、女が化粧やエステをするのは、女が五感欲を満足させるためである。女は知覚があまり働かないから五感において自分がよいことを望むのである。]
したがって、女には正義心がないから卑怯なことが平気でやれる。だから、例えば、試験のときはいつも過去問や対プリを使っている。答えが正しかろうがまちがっていようが、丸暗記している。
例えば、女は出世することが目的であって、研究することが目的ではない。だから、キュリー夫人やコワレフスカヤは政治家と組んで成功したのだ。[その手の女の顔を見れば、そんな気持ちがモロに出ている。]
政治家は男だが、汚いことに免疫ができているので、女と同様に汚いことにも耐えられる。
[5383] どうして女は鬱なのか? h20.7.9
女が男に比べて鬱なのは、女が文明社会がわからず文明社会についていけないからである。それは、そもそも文明社会が女の心を満足するものではないからである。
私も医学部にいた頃は医学の講義がわからずに落ち込んでいた。いくら医学が“立派”でも、医学は私の心に合わない。医学をやめたら落ち込みが治った。
だから、女は早く家庭に入って自分の本心を満足し自分にわかる程度のことをやっていたほうが幸福である。
[5384] 白衣の天使 h20.7.9
ナイチンゲールは白衣の天使と呼ばれていた。
医者はナイチンゲールの男版と考えることができる。[国民の面倒を見る政治家も、子供の面倒を見る母親の代わりだ。]
病人は天使や神が好きなようだ。
だったら天使や神はやめよう。
なぜなら私は病人(依存心の強い者)が嫌いだから。[身体が病気になるのは誰でもなるが、私は病人の気構えが好かんのだ。]
神や天使は病人の依存心が生み出した妄想なのだ。
病人は自分が人間以下の動物だから人間に甘えたがるのだ。
人間以下の動物にとっては人間が神や天使なのだ。
宗教の者も人間が神に見えるのだから病人だ。人間以下の動物だ。
宗教(政府も含む)は人間を人間以下の動物に変える会だ。
[5385] 仕事としての理解 h20.7.9
子供にとってわかるとは、他人の言葉を聞いてその意味が頭の中でわかること(読解)だが、
大人にとってわかるとは、自分の頭の中にある考えを言葉にして言えること(表現)である。
つまり、子供には遊びとしての理解しかないが、大人には仕事としての理解が要求される。
表現力を磨くことが読解力を高めるための近道である。つまり、常日頃自分が自分の考えを言い表すように努力していれば、逆に他人の言いたいことをすぐに理解できるようになる。
反対に、他人の書いた本を読んでばかりいると、だんだん眼先のことしかわからない言葉の意味がわからない馬鹿になる。
[5386] 試験について h20.7.10
試験の点数が下がることぐらいにおびえて勉強するほうが男らしくない。
男はもっと物事が客観的に見れなくてはならない。大局的に見れなくてはならない。
自分のつまらない感情に踊[おど]らされるのではまだまだ子供だ。
どうせ苦手科目は時間をかけて勉強しても点が上がらないから、試験の前に30分〜1時間ぐらい復習してやめにしたらいい。悪い点を取ったら、『どうせ自分は馬鹿だから』と開き直ろう。
勉強の計画を分量で立てると時間がかかってしんどいから、勉強の計画は時間で立ててその時間内に一生懸命勉強してあとは[運命を天に任せて]寝ればいい。毎日6〜7時間は寝なければならない。もちろん、オナニーやセックスは、大量の核酸が体外に排出されて脳の記憶のもとになるRNAが作られなくなって成績が下がるからやってはならない。
[5387] 天皇 h20.7.10
天皇を“特別な人間”としたところで、神といっしょだ。
天皇に旗をふる人間がいなくなれば、天皇制はなくなるだろう。
天皇を置くだけならいいが、天皇制(つまり、天皇に人間が従うこと)はよくない。
天皇を置いたために天皇制になるのなら、天皇を置くのもよくない。
[5388] 都会のスーパーと田舎のスーパーの違い h20.7.10
都会のスーパーでは、賞味期限が切れる寸前の商品を割引で売っている。
田舎のスーパーでは、賞味期限が切れた商品を割引で売っている。
[5389] 天皇はなぜ文学のネタにされるのか?☆ h20.7.10
天皇は人間のくせに自分が神だと言って威張っている。[たとえもし仮に超能力者がいたとしても、超能力者が自分が神≡全知全能の者だというのは言いすぎである。とくに明治維新以後は、神武天皇の“超能力”は放電現象にすぎないことがわかっているから、天皇はすみやかに退位すべきである。つまり、神武天皇は神でも神もどき≡超能力者でもなく、ただの人間である。]
だから、天皇は悪者である。[明治維新以後、天皇を神だとした政治家や日本神道の者も悪者である。日本の中に天皇を神だとする悪のグループがのさばっているだけのことである。]
文学は多かれ少なかれ他人のイヤミを言うことである。[例えば、怪談『牛の首』は天皇の顔が牛に似ていることに対するイヤミである。『牛の首』には話の内容と考えられるものがいくつかあるようだが、全部ダミーである。ちなみに、『鮫島事件』に関しては、私が九大医学部教養部学生だったとき、同じ28組の歯学部学生の中に鮫島と言う学生がいた。英語の授業の出席を取るときに先生が鮫島君の名前を呼んだ後で「変わった名前だな」と言ったことがあった以外には、とくに事件らしいことを犯していないはずである。あるいは、一度定永[さだなが]君が鮫島君の代返(声を真似て本人の代わりに返事をすること)をしたことがあった?のを言っているのかもしれない。今にして思えば、鮫島←サメ←映画『JAWS』でサメが海中から頭を出して牙を覗[のぞ]かせているシーン←私が若草幼稚園の遠足で桂浜の水族館に行ったとき、コンクリートの水槽から急に大きな魚が頭を持ち上げて私がビックリしたことがあることから来ているように思われる。]
だから、天皇を文学のネタ(情報源)にして天皇のイヤミを言って、悪者である天皇を文学の世界で攻撃しているのである。例えば、神武天皇の光の玉を別のいろんな物に喩えるのは、神武天皇が神ではないことを遠まわしに言っているのである。
[5390] 男と女の違い h20.7.10
男の心と女の心は生まれつき違っている。[身体も違っている。]
だから、男の生きる道と女の生きる道は違う。
男と女を同じ道に乗せることはできない。
男にとっての幸福な世界と女にとっての幸福な世界は違う。
だから、男の世界と女の世界を分けて、男女それぞれにとっての幸福な世界の実現を目指すべきである。例えば、デパートの全階を男女兼用(Unisex)にするのではなく、男専用の階と女専用の階に分けたほうがいい。
[5391] 税金 h20.7.10
天皇に関するかぎりでは、政治家は自分が天皇制がまちがっていると知りながらまちがいをやっている。
一般に、悪人とはそういうものである。つまり、自分が悪いと知りながらやめられないのが悪人である。
つまり、政治家は意志が弱い。
税金を支払うことが[いまだに天皇を神とする余計な“天皇教”を執り行っている]まちがっている政治家に協力する悪いことだと知りながらそれをやめられない国民もまた意志が弱い。
まちがっている者が正しい者を罰することはできないから、たぶん政治家は国民が税金を支払わなくても文句を言わないだろう。ちょうど日本国憲法に天皇の特権を定めておきながら一度も行使されないのと同じことである。[今の時代に、天皇が自分は人間とは違うんだぞという態度を取ると殺されるだろう。]
政治家もおそらく[民間宗教の信者が自分から“自主的に”教団に献金するように]国民が“自主的に”自分から喜んで税金を支払っていると見なしているのではないだろうか。だったら、税金を払おうが払うまいが国民の自由だから、払わないでいい。[だから、政府はハッタリでかろうじて持っているだけの正当な存在理由のない“脆弱[ぜいじゃく]な”組織なのである。]
[5392] 自治会の論説 h20.7.11
今日では、天皇がコロナ放電の正電極の近くにいた人の子孫ということが常識となっている。
そんな天皇を神だと見なして天皇に人間を従わせるほうがまちがっているのは明らかである。
私の論説と自治会の論説とは質が違う。
大学の自治会の論説では、ただ「天皇制反対!」と主張するだけで、どうして天皇制がまちがっているかについての論理的な証明がない。
大学生はもっと自分の頭を使って考えるようにしないといけない。
おそらく、政府が日本神道のガキのガラの悪い連中を自治会の役員にして、もうすぐ社会人になる大学生が「天皇制反対!」と叫ぶ連中に反感を抱[いだ]かせるためにやらせているのだろう。
[5393] どうして女は知覚欲がないのか? h20.7.11
女は男の半分ぐらいしか考えて生きていない。
女が男ほど考えて生きていないのは、女が生まれつき心に知覚欲がないからである。
私が生物や社会科が苦手なのは、小さい頃に生物や社会科の本を読んで勉強しなかったせいである。だから、生物(医学)や社会科のことになると頭が働かなくなって考えられないのである。
それなら、女が知覚が働かないのも、小さいころに勉強させなかったせいなのだろうか?
しかし、私が生物や社会科を勉強しなかったのは、自分が好きな理科の本ばかり読んでいたからである。それと、外で遊んだりプラモデルを作ったりダイヤブロックで遊んだりして、あまり本を読む時間がなかったせいである。
子供の頃には男の子でも女の子でも自由時間がたっぷりあるから、その気さえあれば女の子でもいくらでも勉強できるはずである。
やはり自分からやらないと本物ではない。
今は男女が平等な教育を受けているのに、それでも女が男の半分しか考えて生きていないのは、やはり女は生まれつき心に知覚欲がないからと考えざるを得ない。女には知覚欲がなく、何か他の欲望で生きている。だから、女にとっては正義なんかどうでもいいのである。女にとっての頭のよさは学歴だけで、それも親のコネでいいだけである。
ただ、女として生まれてきた以上は女としての幸福を目指して生きて行くしかない。それはいいことである。
女には考える気がないから、男が女と一緒にいると男も考えなくなる。だから、男には一人になれる書斎が要る。
[5394] 神製造機 h20.7.11
日本では、コロナ放電の正電極の近くにいれば神だということになるから、
コロナ放電の正電極に人が立てるような装置を作れば人間を神にすることができる。
ただし、日本神道の者にしか通用しないのが欠点である。
ヨーロッパ仕様では、人の周りに白い光の輪が写るカメラを作ればいいかもしれない。
[5395] 気高さ h20.7.12
人間としての気高さはその知覚が働くことにある。
女は男ほど知覚が働かない動物だから、女は男ほど気高くはない。[態度を見ていれば、知覚がどれだけ働いているかがわかる。他人面[ひとづら]のよさで生きているのはたいてい馬鹿だ。でも、女の中で気高い人とそうでない人との違いはある。]
知覚が働く者は自分で考えて真実に到達できるはずである。
宗教の者がいつまでたっても自分たちのやっていることがまちがいだとわからないのは、自分の知覚で考えることができない証拠である。だから、宗教の者は気高くはない。知覚が働かない者の性格は[政治家のように]従属的でありかつ薄情で残酷だ。
[5396] 神の定義 h20.7.12
ギリシア神話の神だって、全知全能というわけではない。
神が全知全能でなければならないというのは、神の定義としては厳しすぎる。
だから、人間にできないことがひとつでもやれたら神である。
したがって、生まれた直後に7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったシャカは神だったし、戦の最中に光の玉を出した神武天皇は神だったし、頭の周りが白く光ったキリストは神だったし、赤ちゃんの頃に頭の上に飾ってあったガラガラを手を使わずに回した私は神だと考えられた。
もちろん、実際には、これらは嘘や電気現象や幻覚や錯覚にすぎず、シャカや神武天皇やキリストや私が“自分の力でやったこと”ではないから、シャカや神武天皇やキリストや私は神ではない。
[5397] 天皇家は神か? h20.7.12
「私の父親はゼウスです」と言えば、その子も神だとたいてい思う。[ギリシア神話の本の最後のほうに、神の家系図が載っていることがある。ギリシア神話の神も人間と結婚して子供を作ることがあるが、その子はたいてい神だと見なされている。]
だから、神武天皇が神だとすれば、たとえ子孫が人間にできないことがひとつもやれなくても、その子孫も神だと考えてもそう不自然ではない。
しかし、それはあくまでも“神武天皇が神だとすれば”の話であって、実際には自分の持っていた弓の先にコロナ放電が起こって自分もびっくりして腰を抜かすところが電気で身体がしびれて動けずそのままの姿勢で突っ立っていた人だから、その子孫である天皇家も神ではない。
それなのに、政治家は今でも天皇を神だと考えている。
つまらない政治家のジョークに国民がいつまでも付き合わされてはたまらない。
神を祭るための費用(つまり、税金)を国民から集めるのはやりすぎだ。
神を見て実在を見ようとしない態度を私は好きではない。
そもそも人間が神を祭ったのは、自然をコントロールするため(神に頼んで人間にとって都合のいいように自然をコントロールしてもらうため)であった。今は科学の力で自然をコントロールするからもはや神は要らない。
しかし、この世にはまだ人間の科学の力ではどうにもならない問題がある。
仮にもしこの世に造物主としての神がいたとすると、神でない天皇を祭ることは本当の神を祭らないことになり、かえって願いが叶わないことになる。
[5398] ガラガラが回った原因についてのもうひとつの仮説 h20.7.13
私は怖かったりして心が強く緊張すると木やガラスがピシッと鳴るラップ音がときどき出せることがある。私の脳から出た感覚波のパルスが物質と相互作用して物質の構造をゆがめて音を鳴らすのだと考えられる。
ガラガラのスイッチは、丸型蛍光灯の紐[ひも]を引っ張るスイッチと同じ仕組みだと考えられる。
赤ちゃんの私は夜真っ暗で怖かったので感覚波のパルスを出したところ、ガラガラのスイッチが入ってガラガラが回ったのである。[これは、あくまでも私の仮説である。私は母から詳しい話を聞いたことがないので、はたしてスイッチが入って回ったのかどうかわからない。それなら、もう一度紐を引っ張ればガラガラは止まったはずである。ラップ音でスイッチが入る仕組みは作ろうと思えば作れるはずである。]
もっとも、そのガラガラがオンボロで、スイッチの接触が悪かっただけの話かもしれない。
[しかし、母親の「幽霊のいたずらやったろうか」と言う言葉のニュアンスからすると、タヌキが人を化かすのと同じように、実際にあったことではなくやはり“ただたんに見えただけ”のことであり錯視である可能性が高いと考えられる。[タヌキが人を化かすとは、タヌキが実際に人間に変身するのではなく、タヌキが人間にテレパシーで幻覚を見せることを言うのだろう。動物園のタヌキは人間に飼い慣らされているのでテレパシー能力が鈍っていて、人を化かすことができないのだ。]私が子供の頃に心霊写真が異常に怖かったのも、母親が幽霊を信じていて私が心霊写真には本当に幽霊が写っていると思っていたからである。それと同じように、私の母は夜中に突然ガラガラが回るのを見たとき、それが“幽霊のいたずら”だと考えて信じ切っていたから、他の可能性を考え付かなかったのである。]
[5399] 世界宗教 h20.7.13
大昔には、この宇宙を作り人間の願いを叶[かな]えてくれる神は世界にひとりしかいなかった。
つまり、大昔には世界にはひとつの宗教≡世界宗教しかなかった。
それが、古代になって人類が超能力者のように見えた人間を神と誤解したために、世界にいろんなまちがった宗教ができてしまった。
それらは我々の先祖が犯した誤解に基づいた汚い文化である。
いつの時代にも人間の力には限界があり、人間が自分にできないことを望むかぎり、神への祈りがなくなることはない。[しかし、私は生まれて一度も神に祈ったことはない。]
神の定義をもとに戻し、神すなわちこの宇宙を作った何でもできる人に自分の願いを叶えてもらう世界宗教に還[かえ]るべきである。
[5400] 神の起源 h20.7.13
人間の心が知覚に従属している限り神は生まれてこない。
人間が自分にできないことを望むところに神が生まれる。
実際には、自分にできないことはあきらめるしかない。
自分にできることを増やすためには、実在を知覚で知るしかない。