[5201] 放電現象 h20.5.28
神武天皇の隣で輝いていた光の玉がセントエルモの火の放電現象であったように、
キリストやシャカの身体の周りに輝いていた光もセントエルモの火の放電現象であった可能性が高い。
昔の人は電気を知らなかったので、超能力に見えたのだ。
そのために、世界中に放電現象の近くにいた人を神とする宗教ができた。
宗教は人類の実在についての無知から生まれたのだ。
[5202] 宗教は国民を支配するためのひとつの方法である。 h20.5.28
昔から、政治家は国民を支配するためのいろんな方法を捜し求めてきた。
昔は、政治家が、不思議現象の近くにいた人を『超能力のある神』と決めて、その人の言行や思想を素[もと]にして命令を作って国民を支配していた。つまり、不思議現象の近くにいた人の言行や思想を素にして、その人を人々が従わなければならないほど立派な者に思わせる作り話の逸話を作って、政治家がその人の逸話にちなんだ命令を出すことによって国民を支配していたのである。こうした宗教的なやり方によって、昔は政治家が国民を支配していたのである。[ただし、臨時の場合には、政治家が不思議現象がなくても誰かを神にすることがある。]昔は国民が教養のない馬鹿だったので、こんな幼稚なやり方でも国民を容易に騙[だま]すことができたのである。
しかし、そのうち国民が学校に通って教養を身に付けて自分で考えるようになると、政治家による宗教的な支配の方法が不合理的に思われて不満を持つようになってきた。
最近では、政治家自身も宗教的に国民を支配することはもはや無理だと考えて、政治家が宗教によって国民を支配するのをやめるようになった。
政治は国民を支配するためにあるので、宗教のような時代遅れの作り話によるやり方では国民を支配するにはもはや役に立たないと考えたからである。
今の政治を支えているのは、政治組織自体の権力と警察の武力と民主制による正当化の3つである。
しかし、そもそも人間は平等であり、政治家が国民を支配すること自体が不合理なので、遅かれ早かれ政府は潰れることになるだろう。
[5203] 私の念動力は確認されたか? h20.5.28
どうせ神制度は、不思議現象が近くにいた人の超能力によるものであるという“強引な決め付け”と超能力者に人間が従わなければならないという“不合理的な論理の跳躍”から成るインチキな制度だから、わざわざ厳密に科学的に眼で見て確認するようなことはしなかった可能性が高いと思われる。
私が若草町の県営住宅に住んでいたとき、私が小学1〜2年生の頃に、いつもは見かけないおじさんと母親が玄関で「その後何か家で変わった様子はありませんか?」「いいえ、とくにありません。」といったような会話を交わしているところを1〜2回見かけたことがあるだけである。
だから、日本神道≡日本政府の者が、母親から鴨部に住んでいたときに家の中であった不思議現象についての話を聞いたことは確かであると考えられる。
しかし、日本神道≡日本政府の者が、直接に不思議現象を眼で見て確認したかどうかはわからない。
私は母から私が小学2〜3年生の頃に「昔鴨部に住んでいたとき夜中に突然ガラガラが回ったことがある。それから、ときどき家の中の物が動くことがあった。幽霊のいたずらかしら。」という話を1度聞いたことがあるだけで、鴨部であった“幽霊のいたずら”についてはこれ以上詳しい話を聞いたことがなく、不思議現象については他に母親が子供の頃に川原で火の玉を見て追っかけられた話や、母が子供の頃に水泳の選手に選ばれたとき断りきれなくて心の中で嫌だと思っていたら先生が次の日に別の子に代えてくれた話を聞いただけである。私が赤ちゃんの頃に日本政府の者が来て私の超能力を確認したことがあったという話や、私が赤ちゃんの頃に日本政府に私が超能力者や神と認められたという話や、母が日本政府の者とときどき会って私のことについて報告しているというような話はまったく聞いたことがない。私自身が不思議現象を見たことは、毎日幻聴が聞こえることや、たまに(10年に1度くらい)幻視や幻味や幻嗅があることや、私が小学4〜5年生のとき台所で夕飯の支度をしている母親の身体から薄白い光が出ているのを見たことや、私が豊岡(兵庫県北部の市)に住んでいたとき母親が私の様子を見に来たことがあったが母親が帰るのを宝塚の駅前で見送ったとき[母はタクシーで伊丹空港まで行ってそこから飛行機で高知へ帰るのである。]母親の顔が3秒間20才ぐらい若返ったのを見た(たぶん幻視)こと以外には何もない。
私が以前『哲学日記』で日本神道の者による私の念動力についての肉眼による確認があったはずだと述べたのは、不思議現象についての故意の誤報はよくあることなので、いたずらを避けるために日本政府≡日本神道の者が直接眼で見て確認しているはずだと考えたからであって、赤ちゃんの頃の私が日本神道のおじさんが自分をジロジロ見ていたのを憶えているわけではないし、母からそんな話を聞いたわけでもない。
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←私は畳の上に座って母親の右横下から母親が立って夕飯の支度をしているのをふと見たら[『思い出のアルバム』の上から6枚目の写真とほぼ同じ位置でちょうど私の顔を反対にした向きで。つまり写真の向かって右が台所の炊事場であり、私は母親の右の横顔を母親の右横斜め後ろ下から見上げていたことになる。]、母の身体の周りに薄白い光が出ているのが見えて、少し驚くと同時に「私は一生この人以外を好きにならないぞ」と心で誓った。もちろん、この光のことは誰にも話したことがない。 |
[5204] 神は二度と現われない。 h20.5.29
不思議現象が起こっただけで世界が滅んだりしたら大変である。
不思議現象が近くにいた人の超能力によるものかそうでないかはっきりとわからなければ、不思議現象の近くにいた人を超能力者と断定することはできないから、超能力者に人間が従わねばならないとする神制度を使うことはできない。
また、不思議現象が近くにいた人の超能力によるものではないことがわかったとすれば、不思議現象の近くにいた人は超能力者ではないから問題はない。
あるいは、不思議現象が近くにいた人の超能力によることがはっきりとわかったとすれば、それは超能力が科学的に理解できるものつまり人間の知覚で征服できるものであることを意味するから、もはや超能力者は人間が従わねばならない神とは言えないはずである。
したがって、不思議現象が超能力によることがわからないにせよわかったにせよ、不思議現象の近くにいた人は神とはいえないから、神制度を使うことはできないのである。
つまり、不思議現象が不思議現象の近くにいた人の超能力によるものであることがはっきりと証明できないかぎり不思議現象の近くにいた人を超能力者とみなすことはできないし[例えば、神武天皇が神武天皇の隣で輝いていた光の玉を神武天皇の超能力で出したという証拠がないから、神武天皇は超能力者とは言えない。]、反対に不思議現象が不思議現象の近くにいた人の超能力によるものであることがはっきりと証明できればもはや超能力は科学の対象であって人間が征服できるものだから超能力者は人間が従わねばならない神ではない。[あるいは、超能力者でないという証明ができないことで超能力者であることになるのなら、誰でも超能力者であることになるからいけない。]
[5205] 神になる方法 h20.5.29
いい歳した神武天皇が神になれたのだから、神に年齢制限はない。
中国の仙人の中には女がいるから、神に性別による制限もない。
神になるためには、ただ、不思議現象が近くで起こればいいだけである。
神制度自体が、不思議現象が近くにいた者の超能力で起きたことにする“強引な決め付け”と超能力者に人間が従わなければならないという“不合理的な論理の飛躍”からなるいいかげんなものだから、いちいち科学的な裏づけが要求されるわけではなく、不思議現象は話としてあればいいだけで、あとで政府の者が眼で見て確認するわけではないと考えられる。[私は詳しくは知らない。]
だから、神になるには、自分の身近で不思議現象があったことにすればいいだけである。
実際に不思議現象が起こらなくても、不思議現象が起こった作り話をすればいいだけである。
例えば、私の念動力のように、家の中にある物がちょっと動いたような話にすればいい。
ただし、嘘っぽい作り話は当然駄目で、本当に起きたような作り話でなければならない。そのためには、話術が巧みでなければならない。話が細かすぎると、かえって怪しまれるかもしれない。
政府の者があなたの話を信用すれば、あなたは神になれる。[ただし、神になったからといって得になることはほとんどない。むしろ、日本神道の者による邪魔が入るだけである。]
[5206] キリストの後光はなぜ丸いのか? h20.5.29
セントエルモの火は細長い青白い光である。
しかし、絵で見たキリストの後光はたいてい頭の回りに丸い形で光っている。
キリストは形の完全さにこだわる性格だったし、
昔は円が完全な形だと考えられていたから、
それでキリストの頭の上で光っていたセントエルモの火が丸い形に変えられたのだろう。
絵は頭の中の印象で描くものだから、キリストの顔もわかったもんじゃない。
キリストがつらく苦しい表情をしているのは、政治家が国民に厳しい命令を出しやすくするためだろう。
実際にはキリストもシャカも思想をちょっと持っていただけで、それを後世の政治家が聖書や仏典で大勢の聴衆の前での演説に仕立て上げたのだ。政治家が自分がキリストやシャカの代わりになってキリストやシャカの逸話を使って広く国民に命令を出すためである。
キリストが死んで100年以上経ってからキリスト教が始まったのは、みんなが本当のキリストのことを忘れるのを待っていたからである。
[日本で聖徳太子のことをほめたたえるのは、聖徳太子以外の天皇が馬鹿という意味。]
[5207] 神が存在しないことの証明☆ h20.5.29
不思議現象が『既知の原理による物理現象』によるものなら、明らかに近くにいた人の超能力によるものではないから最初から除外される。
不思議現象が近くにいた人の超能力によるものであると断定するためには『超能力についての研究』が必要である。そうしないかぎり、超能力以外の『未知の原理による物理現象』である可能性があるから超能力によるものと断定することはできないからである。
しかし、超能力が科学的に研究された後では、超能力が人間の知覚に支配されたことになるから、もはや超能力者は人間が従うべき神とは言えない。【証明終】
[5208] ラップ音 h20.5.29
そのほか私が経験した不思議現象に『ラップ音』がある。
勉強しているときや怖い本を読んでいるときなどに心が緊張すると、近くにある木やガラスが「ピシッ」と音を立てる現象である。木が折れたり、ガラスが割れることはない。
これは超能力なのかなあ?
これは超能力だけど、そんなに珍しくない超能力だから、ラップ音を立てたくらいでは神にはなれないのかな?
そもそも超能力だという証拠がないから、超能力だと認められないのかもしれない。
それなら『超能力学』ができて、超能力の原理やいろんな法則が明らかになるのを待つしかない。
[原因がわかった。私がラップ音を聞いたという話をこれまで誰にも話したことがなかったからだ。しかし、地味な超能力なので、たとえ誰かに話してもそれ以上広がらないだろう。だから、とうてい日本政府の耳まで届かないのだ。やっぱり『面白い不思議現象』を『実感を込めて話さないと』日本政府まで伝わらず日本政府に神には認定されないのだろう。]
[5209] 戦争について h20.5.30
戦争は敵国を倒して領地や資源や人材を分捕るためにやるのではない。
戦争は政府が神制度を使って国民を殺して楽しむための祭りである。戦争は政府がお金儲けをするためにやるのである。戦争は政府が敵国の政府と事前に打ち合わせをした上でやっているのである。
政府は神や国民に従う組織ではなく、もともと『国家暴力団』だから人殺しのことしか考えないのだ。[正気の者に神制度などやれるわけがない。政府が暴力団だからやれるのである。]
だから、戦争に勝っても負けても国民にとって得になることはない。
だから、戦争の本当の敵は敵国の兵士ではなくて世界の政府である。
政府の言いなりになって戦っても自分を有利にしてはくれないから、
どうせ死ぬなら政府の者を殺したほうが得だぞ。
戦争がないときでも政府は兵器を使わない戦争をつづけているのだ。
[5210] なぜ“私”が神なのか? h20.5.30
私が小学2〜3年生頃に母から聞いた話では、「昔鴨部に住んでいたとき、夜中に突然ガラガラが回ることがあった。それに、ときどき家の中の物が突然動くことがあった。幽霊のいたずらかしら。」と言っただけである。
これだけでは、当時家の中には私と私の両親が住んでいたから、(仮に不思議現象が超能力で起こったとすれば)誰が超能力者なのかわからない。どうして3人の中で“私”を超能力者としたのかがわからない。
だから、母は赤ちゃんの私と不思議現象とを関係付ける“何か”を知っており、私に話したこととそれ以外の何かを薫的[くんてき]のおばあさん(母の母)か、家に不思議現象のことを聞きに来た日本政府≡日本神道の者に話したのだ。
私はその何かについて母から話を聞いたことがない。だから、その何かを私は知らない。
あるいは、ガラガラの一番近くに私がいたから、ただそれだけで不思議現象を私のせいにしたのかもしれない。
[5211] どうしてガラガラが突然回ったのか? h20.5.30
私達の家族が昔鴨部に住んでいたとき夜中に突然私のベッドの上に吊ってあったガラガラが回ったのは、夜中にそばの道(国道33号線)を走るトラックの長距離無線によるスイッチの誤動作のせいかもしれない。
しかし、昭和39〜40年当時はまだICが出来ていなかったから、ガラガラのスイッチ回路は単純な電気回路のはずだから誤動作は起こりにくいはずだが、電気回路の構造によっては起こるかもしれない。[私が豊岡のタジママンションに住んでいたとき、近くの道路(大門通り)を走るトラックの長距離無線のために三菱のビデオデッキが誤動作して予約録画に失敗したことが1度あった。朝晩の交通量の多い時間帯にテレビ画面に白い線のノイズが走ることから、トラックの無線が原因だとわかった。その後ソニーのビデオデッキに変えてからは誤動作がなくなった。]
家の中にある物がときどき動いたのは、木造の家の床が傾いていて付近を走る車の(音の)振動に床が共鳴して振るえて床の上に置いてあった物が滑って動いたのかもしれない。あるいは、家の床板がたるんでいて車の(音の)振動に共鳴した床板が振るえて床の上にあった物が動いたのかもしれない。アルバムを見たら、当時家の床にビニール製のゴザを敷いていたから、静止摩擦係数が小さい物体であれば床の振動で動くかもしれない。国道33号線と家が同じ一枚岩の上に乗っていて車の震動が岩を伝わって家を震わせていたのかもしれないし、または家の前の細い道路が筒のようになっていて国道33号線を走る車の(音の)振動が家の前の細い道路に定常波を作って振幅の大きいところに家が建っていたために家の壁や床を震わせていたのかもしれない。ガラガラのスイッチ(スライドスイッチ?)も家の振動で入ったのかもしれない。[同じく私が豊岡に住んでいたとき、タジママンションから弥栄町[やさかちょう]の一軒家(3LDKの月8万円の貸し家)に引越したが、その家では一階の6畳の部屋の床板がたるんで私が畳の上を歩くと床がしなってブヨブヨしていた。]
女は直接に訴えるのが嫌いだから、家の床が傾いていたり床板がたるんでいることを家の中の物がときどき動くとわざわざ言い換えて不満を訴えていたのかもしれない。つまり、今住んでいる家が気に入らないから早く引っ越したいということを、家の中で不思議な気味の悪いことが起こると婉曲的に言い換えているのだ。
したがって、私が赤ちゃんの頃にあった不思議現象は超能力による現象ではなくて『既知[きち]の原理による物理現象』である可能性がある。[でも、証拠はない。ガラガラは引越するときに捨ててしまったようだし、鴨部の家は今ではバイパスのために取り壊されて跡形もない。]
不思議現象が『未知の原理による物理現象』である可能性もあるから、私を超能力者だと決め付けることはできず、私に関する神制度はやってはいけない。
[5212] 中国ははたして神制をとっていないか? h20.5.30
だいぶ前に、中国の首相が演説している会場の奥のカーテンの影に少女の幽霊が立っている映像がNHKの朝のニュースの最後で放送されたことがある。
一方、私は小学生〜中学1年の頃心霊写真に興味があった。
中国も最近は諸外国を真似て神制をとるようになったようだ。
しかし、それは中国が長年守り続けてきた伝統を損ねて国の価値を落とすことになるのでしないほうがいいと思う。
[5213] 超能力についての研究がまだない。 h20.5.30
不思議現象が既知の原理による物理現象か未知の原理による物理現象である可能性があるかぎり、不思議現象を近くにいた人の超能力のせいだと断定することはできない。
不思議現象を近くにいた人の超能力のせいだと断定するためには、あらかじめ『超能力についての研究』がなければならない。
そのためには、不思議現象を近くにいた人の超能力つまり脳から出た感覚波による現象だとまず仮定してそこから研究を始めなければならない。
しかし、これまでに人間を材料とした超能力の研究はされておらず、いまはまだいい実験材料(例、超能力サルとか超能力ネズミとか)が発見されていないから、超能力についての研究は全然始まっていない。超能力について研究するためには、例えば、研究者が超能力者と考えられる者にいろんな指示を与えてその反応を観察したり、あるいは動物実験であれば、脳をスキャンして超能力器官と思われる部位に電極を差し込んでそこを刺激して起こる反応を観察したりしなければならないが、今はまだ全然できていない。
だから、今はまだ不思議現象がはっきり近くにいた人の超能力によって起こったと断定することはできない。
したがって、たとえ仮に超能力者に人間が従わなければならない制度があったとしても、そもそも不思議現象の近くにいた人を超能力者と断定することができないから、そんな制度をやることはできないのである。
つまり、不思議現象については、今はまだ『原因不明』としてそっとしておくしかなく、みだりに神制度をやってはならないのである。
[5214] どうしてガラガラが回ったか? h20.5.30
天井からガラガラを吊り下げているヒモがよじれていて、それが何かの拍子[ひょうし]にほどけたから。
[5215] 3種の神器 h20.5.30
第2次大戦後に、自分が天皇だと名乗り出た者が現われたが、3種の神器を持っていないことで天皇とはされなかった。
じつは3種の神器はどうでもいい。[現に私は3種の神器なんか全然持っていない。]
天皇つまり神になるためには、適当な不思議現象を思いついて、その不思議現象が自分の超能力で出たと言い張ればいいだけである。[ただし、やってみてうまく行かなかったと言っても、私は責任を取らない。]
3種の神器は、国民を神にさせないために、政府が国民の目を誤魔化すために置いているガラクタにすぎない。
だから、たとえ国民が3種の神器を奪っても神にはなれないのだ。
[5216] どうして天皇は偉いのか? h20.5.30
天皇は自分が偉いから偉いと言っているだけの馬鹿である。
つまり、天皇が偉いことには理由はない。
理由がないのに理由を考えるからいつまでたっても理由がわからず、そのためにわけがわからないまま天皇に従わされることになるのだ。
初代天皇の隣に放電現象で光の玉が輝いて、それを後世の政治家が初代天皇が超能力で出したことにしたから、天皇家が偉いことになったのである。
ただそれだけのことである。
[5217] 「幽霊のいたずら」 h20.5.30
母は「昔鴨部に私らが住んでいたとき、夜中に突然ガラガラが回ったことがあった。それから、ときどき家の中の物が動くことがあった。幽霊のいたずらかしら。」と言った。
けっして、母は「私の超能力のせいだ。」と言っていない。
だから、私のそばにいた母の目では、不思議現象と私の間に関係がないように見えたのだ。家族以外の第3者が、ガラガラやその他の物を動かしているように見えたのである。
私の母の話を聞いた政治家が、ガラガラの一番近くにいたのが私だったから、私の超能力でガラガラを回したことにしたのだ。つまり、政治家によって私が神とされたのである。私が本当に全知全能の神になれるのだったら喜んでなってあげるが、ただたんに取り決めだけでなるのならみっともないからなりたくない。
[5218] 南北朝時代 h20.5.30
天皇家が皇位継承をめぐるいざこざで、ふたつの家系に分裂していた時代。
つまり、この時代には日本に2人の神がいたことになる。
結果的には、2人の神の支配力が相殺されて弱くなり、神よりも武士が支配する新しい社会を生み出してしまった。
南北朝時代の文化的特徴としては、神が2人になったのでどちらの神に従えばよいのかわからなくなって階級制が崩壊し(ばさら←さらば。『まことちゃん』の“さばら”はさようならの意味。ついでにグワシはグがノブでシが川だから、グワシ←ノブワ川←川ワノブ←川野延夫となり私の名前になる。)、社会秩序が大いに乱れた(史料『二条河原の落書』)。神が2人いることから上句と下句を別人が詠む連歌が生まれた。
[5219] 神制度が使えないことの証明 h20.5.31
宝くじの抽選の前に宝くじを一等賞の当たりくじとして使用することができないように、
不思議現象が『既知の原理による物理現象』か『未知の原理による物理現象』か『近くにいた人の超能力』かわかる前に、超能力によるものと考えることはできない。
だから、たとえ仮に超能力者に人間が従わなければならない制度があったとしても、その制度を不思議現象の近くにいた人に当てはめて、不思議現象の近くにいた人に人間が従わなければならないとすることはできない。
したがって、『超能力学』が確立するまでは、不思議現象を近くにいた人の超能力によるものと考えることはできないから、神制度は使えないことになる。
『超能力学』が確立すれば、超能力が人間の知覚で理解できたことになるから、人間が超能力よりも上であり、もはや超能力者は人間よりも上ではないから、超能力者は神ではなく、神制度は使えない。
[5220] 「頭がふたつある。」 h20.5.31
私が中学2年生のとき高知学芸中学校に編入してからしばらくして同級生の女の子の誰かが私のことを「頭がふたつある。」とテレパシーで言っていた。
「頭がふたつある。」の意味は、日本には天皇と私の2人の神がいるという意味である。
ヒトラーがアルバトロス(双頭の鷹)に喩えられたのも、ヒトラーがキリストに並ぶ神という意味だったのだろう。
[5221] フランシス=ベーコン h20.5.31
シャカやキリストは人間についての理解があったから人間を支配する者であり、人間を支配する者は人間よりも上の者だから神と呼ばれていたと考える者がいるかもしれない。
しかし、ベーコンやデカルトはシャカやキリストに勝る哲学的貢献をしたのに、ベーコンやデカルトは神ではない。それは、ベーコンやデカルトが不思議現象の近くにいなかったからである。
反対に、日本の神武天皇が思想がなかったのに神なのは、不思議現象の近くにいたからである。
要するに、不思議現象の近くにいれば誰でも神になれるのである。
[5222] 神であるための必要十分条件☆ h20.5.31
神であるための必要条件は、実際に不思議現象が近くであったことである。ただし、嘘っぽい不思議現象では駄目で、リアルな不思議現象でなければならない。しかも、不思議現象の近くにいた人がいかにも超能力で出したかのような不思議現象でなければならない。
シャカやキリストの逸話や他の民間の宗教家の真似をして、厳しい修行をしたり大勢の前で演説なんかしていると、こいつはただ神になりたいだけなんだなと政治家に思われて、不思議現象の話が嘘の作り話であったことが見破られる。
だから、余計なことをしてはいけない。
身近で不思議現象があっただけで、後は普通の人間と同じように生活すればいいのである。
[5223] 内にある神 h20.5.31
男の認識の世界は知覚欲のひとつの感情に従っているが、
女の認識の世界は知覚欲と愛情の2つの感情に従っている。
だから、女の認識の世界は秩序のない下克上の世界なのである。[それなら、思い切って知覚欲を捨てて愛情だけにすればいい。]
いわば、男にとっては知覚欲が神であり、女にとっては知覚欲と愛情が神なのである。
人間にとっては実在が外にある神であり、感情が内にある神なのだ。[もっとも、感情も大脳前頭葉の荷う感覚だから、実在する物であり、厳密には外と内の区別はないが。]
[5224] 野球の観戦 h20.5.31
プロ野球の観客が野球選手が戦っているのを見たり応援したりするのは、
天皇が(形式的には天皇だが、じつは政治家が)国民を戦争や仕事で戦わせていることの真似である。
私はアニメやマンガは見るほうだが、ゲームは自分がやるほうであって、他人が戦うのを見たり応援したりするすることは好きではない。というか、やらない。
私の目から見れば、観客の態度が偉そうに見える。観客はきっと信者が多いに違いない。[みその学舎にいた前田誠一君も野球選手の話ばかりしていた。]
だから、私は子供のときから野球もサッカーも相撲もプロレスもゴルフも一切スポーツ中継は見ない。スポーツ選手の名前なんか知らない。[芸能界にも興味がない。だから、アイドルや女優の名前も知らない。]
というか、そもそもスポーツ試合自体が神制でやっている行事にすぎない。神武天皇が光の玉の横に立っていたのが戦[いくさ]の最中であったり[だから、当然神武天皇も戦を見た。]、その他の天皇がスポーツ試合を観戦したりするのを宗教の者が一生懸命真似しているのである。
[5225] 巨人対阪神戦 h20.5.31
巨人は政治家の喩えである。
阪神は神の反対だから国民のことである。
だから、巨人対阪神戦は天皇を取り巻く政府と国民の戦いの喩えである。[だから、東京に住んでいるのは日本神道の信者ばかりだ。東京は日本神道の信者で固めた都市だ。]
掛布選手が阪神にいたのは、掛布選手の顔が私に似ていたからである。[掛布←“ふ”に掛けている←延夫[のぶお]に似ている。]
[5226] キリストはどうして磔[はりつけ]にされたか? h20.5.31
宗教は政治家が国民を支配するためのひとつの方法である。[他に政治家が国民を支配する方法には、政府自体の権威、警察の武力、民主制による正当化、国民の生活を精神的・物質的に豊かにすることなどがある。]
キリストが磔にされたのは、神であるキリストでさえも政治家に逆らって磔にされるのなら、国民は怖がって政治家の言いなりになるはずだと政治家が考えたからである。キリストの十字架像は国民に対する政治家の脅しである。
キリストが生きていた頃は、身近で不思議現象があっただけの人だから、キリストは普通の人と同じように暮らしていたはずだ。キリストの周りに人にとっても、そんな不思議現象のことなんか些細[ささい]などうでもいいことだから、キリストを特別扱いしなかったはずだ。だから、例えばキリストが布教活動なんかするはずがない。たとえしたとしても、羊飼いのバイト(キリストのこと)の演説なんか聞いても仕方がないから、周りの人間が相手にしなかっただろう。だから、キリストが愛の教えを説いて回った話は、キリストが死んだ後で政治家が作った嘘の作り話である。
キリストの母親か誰かの話を聞いて身近で不思議現象があったキリストを神であることにしたのは政治家だけで[私の母親の場合と同じように、キリストの母親か誰かの目から見て不思議に思われたことがキリストの身近で1回〜数回起こっただけのことであって、科学者の目から見て原因不明の不思議な現象があったわけではない。宗教は科学と違っていいかげんだから、誰かの目から見て不思議な現象があればいいだけで、いちいち不思議現象の原因調査なんかやらないのである。キリストの母親か誰かがキリストの身近であった不思議現象のことを他の誰かに話して、それが政治家の耳に届いて、政治家がキリストの身近の者を使ってキリストの情報を集めたりキリストに誘導を掛けたりしたのだ。]、政治家以外の者にとってはキリストは普通の人と変らなかったから、キリストは普通の人と同じような一生を送ったはずだ。だから、キリストがローマ軍に楯突いて磔の目に会ったのも嘘の作り話で、本当は老衰かなにかで死んだのだろう。
身近で不思議現象があっただけのキリストを超能力が使える神としたのも作り話だし、キリストが大勢の前で自分の教えを説いて布教活動したのも作り話だし、キリストが磔にあって殺されたのも作り話なのだ。つまり、全部作り話なのだ。
たとえ作り話でも少しは元ネタがなければ作れないので、聖書ではキリストに関する事実がところどころにちょっとだけちりばめられているだけで、おおかたは国民の支配者である政治家にとって都合のいいことで固めただけの嘘の作り話である。
キリストについて確実にわかることはただ、キリストの身近に不思議現象があったというだけである。他は、政治家が知恵を凝らして作ったくだらない作り話にすぎない。だから、いくら聖書を読んでも時間の無駄である。
私はキリストに直接会ったことがないので、キリストに関する事実を知らないが、キリストが私と同じように神にされたのであれば、キリストの身近で何か不思議現象があったことは確実である。
[5227] 政治家の務[つと]め h20.5.31
国民は不満にすれば暴れるし、満足させればおとなしくなる。
最近は、科学が発達して生活が豊かになったから、あまり国民が暴れることがなくなった。
だから、政治家は余計な神のことなんか考えず、国民の生活を豊かにすることだけを考えればいい。
国民を不満にしすぎると殺されるぞ。
[5228] 曖昧化[あいまいか] h20.5.31
キリストが実在の人物かどうかわからないとか、シャカが2人いたとか、神武天皇が実在したかどうかわからないとかいったことは、政治家が事実をわざとに曖昧化して面白く思わせる安っぽいやり方である。
君は面白いと思うか?
[5229] 宗教の者が宗教を知らない。 h20.5.31
宗教の者は『神の命令』がどうやって作られたのかわからないからこそ、自分の命を捨てるような過激な命令にも従えるのだろう。
そうでなければ、とうていそんな命令に従う気になどなれたもんじゃない。私の真の姿を見たら誰もそんな命令に従わないだろう。
つまり、宗教の者は、どうやってある者が神になれたのか知らないし、どうやって神の命令が作られるのかも知らないのだ。
宗教の者でさえ宗教のことを知らないというわけだ。
だからこそ、宗教の者もそうでない者も、私の『哲学日記』をよく読んで宗教のことを勉強しなければならない。[私自身も考えることによって勉強している。]
[5230] 気功 h20.5.31
気功は、不思議現象が近くにいた者の超能力によって起こると思わせるための誘導である。
不思議現象の近くにいた者に、自分の超能力で不思議現象が起こったと思わせるための罠[わな]である。
気功は神制度を維持するために役に立つので、世界の政府の協議によって中国に気功を置いているのだ。
実際に、気功と不思議現象の間に関係があるかないかは、今後の具体的な研究を待たねばならない。
神制度があると政府が国民に対して通常の合理的な方法では出せない不合理的な命令でも出せるので政府にとっては都合がいいので、世界中の政府が神制度を必死に守ろうとしているのである。
[5231] 中国における神制度 h20.6.1
日本や西洋諸国における神制度は神の思想や習慣を国民が真似ることだが、
中国における神制度は神の超能力そのものを国民が真似ることである。
つまり、世界中の国が神制度をやっているが、中国は神制度のやり方が他の国とは違っていて物理的なのである。中国では、神すなわち超能力者が超能力において優れた者と考えて、神の優れた部分である超能力を国民に学ばせているのだ。だから、中国では神制度が他の国ほど政府にとって役に立っていないと思われる。
しかし、どこの国にしても、神制度は政府が不思議現象の近くにいた人を神様にしてその者に国民が従わなければならないと決めた‘いたずら’なのだから、そんな政府がやっているくだらないいたずらに国民がわざわざ付き合う必要はない。[はじめの頃はたんなる冗談だったものが、いつしか法的制度にまで発展したのかもしれない。]
[5232] 念動力でガラガラが回せるか? h20.6.1
念動力とは、大脳の中にある超能力器官から物質と相互作用する特殊な感覚波を出して物体を動かすことである。
たしかに、脳細胞と感覚波との間には相互作用があるから[哲学第1原理より]、感覚波と脳細胞以外の物質との間の相互作用も一概には否定できないが、
やはり念動力ではパワー(伝達できるエネルギー)が小さすぎてガラガラのような大きな物体は回しにくいようである。[人は嘘をつくが、物は嘘をつかない。ガラガラを回すにはかなりのエネルギーが要るから、感覚波ではそれだけのエネルギーを供給することはできないはずだ。]
やはり、私の母親の言うように“幽霊のいたずら”だったのだろうか?
江戸時代にはカマイタチという妖怪がいたそうだが、それがガラガラを回したのかもしれない。
[5233] 不思議現象の幻視説☆ h20.6.1
私が豊岡に住んでいたとき私の様子を見に来ていた母親をJR宝塚駅の前で見送ったとき、別れ際に母親が振り向いたとき、2〜3秒間だけ20年若返ったように見えたことがあった。そのとき私はビックリして怖かったが、おそらく母のテレパシーによる『幻視』だと思われる。
それと同じように、私が赤ん坊の頃、私の家族が鴨部に住んでいたとき、赤ん坊の私が母親にテレパシーでガラガラが回る視覚像や物が動く視覚像を伝えたために母親がそれらの『幻視』を見たと考えられる。
つまり、不思議現象の正体は赤ん坊のテレパシーによる『幻視』だったのだ。
母親と私の気持ちが通じ合っていたために、赤ん坊の私が頭の中で思い描いた像が母親にテレパシーで伝わってそれを母親が実際にあったことと勘違いしてしまったのだ。
『幻視』という現象があることを母親が知らなかっただけのことだ。
スタートレックのジーン=ロッテンベリーは「タロス星の幻怪人」の中でパイク船長が見たまぼろしが宇宙人のテレパシー能力による幻視であることを述べているが、私の母親が見たまぼろしもそれと同じ原理によるものだ。
[5234] 電気と幻視 h20.6.1
『電気』と『幻視』の概念があれば、不思議現象の近くにいた人が超能力者とされなかった。
馬鹿馬鹿しい神制度なんかやらなくてよかった。
政府の人は、物理現象や心理現象についてもっとよく勉強しなければならない。
『超能力学』が確立するまでは、不思議現象を超能力のせいにしてはいけない。
不思議現象を超能力のせいにするくらいなら原因不明にしておくべきである。
[5235] 超能力者の証拠 h20.6.1
神武天皇が“超能力”で光の玉を出したという証拠がない。
証拠がなければ超能力者であるとは言えない。
神武天皇が超能力で光の玉を出したのでなければ、神武天皇は超能力者ではないから、神武天皇やその子孫に人間が従わなければならないことはない。
反対に、神武天皇が超能力で光の玉を出したというためには、まず『超能力学』がなければならない。
しかし、『超能力学』ができてしまえば、超能力が人間の知覚に支配されたことになるから、もはや超能力者は人間が従うべきものではない。
したがって、不思議現象の近くにいた人が超能力者であってもなくても、どちらにしても不思議現象の近くにいた人に人間が従わなければならないことはない。
だから、天皇家に人間が従わねばならないことはない。
[5236] 政治家を殺せ h20.6.1
徳川家が天皇家を江戸から追い払うことができたのは、徳川家が刀で天皇家を脅したからである。
だから、私や神武天皇を超能力者と考えて余計な悪さばかりする日本神道の者をおとなしくさせるためには、日本神道の幹部である政治家を1〜2匹銃で殺して見せしめにすればいい。
そうすれば、日本神道はおとなしくなり、そのうちアホらしくなって滅びるだろう。
[5237] 不思議現象の鑑別診断 h20.6.2
1)既知の原理による物理現象…力学的現象(振動による物体の移動)、電磁気学的現象(セントエルモの火や電磁気パルスによる電子回路の誤作動など)、手品、その他
2)未知の原理による物理現象…未知なので何があるかわからない。
3)心理学的現象…錯覚や幻覚や夢など、特にテレパシーによる幻聴や幻視(なかでも“ありありと見える幻視”が超能力にまちがわれやすいから注意を要する。)
4)超能力…念動力や念光力など(大脳にある超能力器官から出た特殊な感覚波と脳以外の物質の相互作用による現象)
不思議現象が現われたら、まず1と3を疑わなければならない。
それで説明がつかなければ、今のところ『超能力学』がないから『原因不明』としなければならない。
2と4は今のところ区別がつかないから、強引に4に決め付けてはならない。
[5238] テレパシーは存在するか? h20.6.2
最近私が誰にも話さず文字にもせず頭の中だけで考えたことが、インターネット広告のネタとして使われることがあるから、テレパシーは存在すると考えられる。
[5239] 不思議現象の話はどのようにして日本政府に伝わったか? h20.6.2
赤ちゃんの頃の私のテレパシーによって私の母が「ガラガラが突然回ったり、家の中にある物が急に動いたりする」幻視を見た。
母がそのことを薫的[くんてき]のおばあさん(母の母親。おばあさんの家の近くに薫的神社があったことからこう呼ばれていた。薫的→『キテレツ大百科』の熊田薫)に話した。
薫的のおばあさんが日蓮宗の集会のとき誰かに話した。[私の母はおしゃべりではないが、薫的のおばあさんは人と顔を合わせている間中のべつ暇なく早口でしゃべりまくる。]
その中には日本神道の者が混じっていた。
日本神道の者が日本政府(日本神道の本部)に報告した。
その後、日本政府の者が私の母に詳しい話を聞きにきた。
私の母は不思議現象を「幽霊のいたずら」だと考えているから、日本政府が不思議現象を“近くにいた私の超能力のせい”だとしたのである。
[5240] 人間が神とされる場合 h20.6.2
ある人間が日本や世界の政府によって神とされるのは、
1)『未知の原理による物理現象』が起こって、しかもその現象が近くにいた者の超能力で現われたかのように見えるものであるか、あるいは
2)誰かが『ありありとした幻視』(事実さながらの幻視)を見て、しかもその幻視の内容があたかもある者の超能力によって起こったかのように思われるときである。
だから、どちらにしても人間の誤解によって、ある者が神とされるわけである。[1のほうはノーベル賞級の発見だが、2のほうは真似ようと思えば誰だって真似られる。その他、政府が国民に戦争などで自分の命を犠牲にする命令を出さねばならないとき、ヒトラーのような『神の芝居が上手な人』を神にすることがあるがこれは例外である。]
[5241] 母親の見た幻視は赤ちゃんの私のテレパシー波が原因か? h20.6.3
私が豊岡に住んでいた頃、私のところに様子を見に来ていた母親をJR宝塚駅で見送ったとき、2〜3秒間だけ母親の顔が20歳若返ったのを見てビックリしたことがあったが、その少し前から他人に見られているような気がしていた。
だから、母親が若返って見えたのは、実際に若返ることはありえないから私の幻視であることにまちがいはないが、母親が出したテレパシー波のせいではなく、母親以外の人が出したテレパシー波のせいである可能性がある。[テレパシー波そのものは眼で見えないから、誰が出したのかわからない。]
したがって、私達の家族が鴨部に住んでいたとき母親が見た幻視も赤ちゃんの私が出したテレパシー波のせいではなく、他の誰かが出したテレパシー波のせいである可能性がある。
たぶんわざわざそんなことをするのは宗教の者以外にはいないから、日本神道の者がやったのだろう。
私の母親がテレパシー過敏性があるのを知ってそのことを利用して、幻視のテレパシー波を出すのが得意な日本神道の者が私の母親に幻視を見せて騒がせたのだとも考えられる。
私の母は子供のとき火の玉を見たことや自分が水泳の選手に選ばれたとき心の中で嫌だと思っていたら次の日先生に水泳の選手を他の人に代えてもらったことを話すことがよくあるから、それで日本神道の者が私の母親に不思議体験が多いのを知って、私の母がテレパシー波に敏感だと考えたのだろう。
1〜2歳の赤ちゃんはまだ眼が見え始めたばっかりで視覚像がぼやけているからテレパシー波で他人に事実さながらのありありとした幻視を見せることができないから、赤ちゃんの私以外の者が出したテレパシー波である可能性が高い。
家の中であった不思議な話を聞きつけた宗教の者が家に訪ねてきて母親に詳しい話を聞くことはよくありそうなことである。
つまり、最初からすべて日本神道が仕組んだ計画だったのだ。
でも、そこまでやるのだったら、最初からガラガラや家の中にある物にヒモをつけて引っ張って動かしたほうが確実である。
だから、不思議現象はテレパシーによる幻視ではなく、ヒモを使ったいたずらかもしれない。
ガラガラが夜中に突然回ったのは、時限爆弾のようにタイマーを取り付けていたからだろう。
もっとも、最初から不思議現象などはなく、母が日本神道に頼まれて嘘をついていた可能性もあるが。
したがって、不思議現象の鑑別診断として[[5237]参照]、
5)嘘の作り話…自分自身で嘘をつく、または宗教に頼まれて嘘をつく
も付け加えておかねばならない。
[5242] 母親はなぜ「幽霊のいたずら」と言ったのか? h20.6.3
私がまだ働き始める前、私のところに様子を見に来ていた母親といっしょに朝倉にある3連水車を見に行ったことがあったが、筑後川の川原で母親は空を見上げて、「孝雄君(白血病で亡くなった私の弟)も今頃は鳥になってどこかの空を飛んでいるかしら」と言った。
これは、人間が死んだ後で他の生物に生まれ変わる『輪廻転生』のことを言っているのである。
薫的のおばあさん(母の母親)が熱心な日蓮宗の信者だったので、私の母親は『仏教的な世界観』を持っていて、その中では人間が死んだ後で一定期間幽霊になってこの世をさまようことになっているので、それで家の中で突然物が動くような不思議現象があると幽霊の仕業だと考えたのである。私の母親は超能力の概念を持っていなかったので、幽霊の仕業にしか考えなかったのである。
一方、私は医学部での経験に根差した『実在哲学の世界観』を持っているから、その中では人間の脳細胞の神経興奮で感覚が発生するにすぎず、人間の肉体が死ねば感覚の発生もなくなるので幽霊は存在しないから、母親が見た不思議現象は幻視か物理的トリックか嘘かだと考えたのである。
[5243] どうすれば神になれるか? h20.6.4
未知の原理による物理現象だろうが幻視だろうが物理的いたずらだろうが嘘だろうが、とにかく不思議現象があって[不思議現象の目撃者は一人でもよい。]、
見ようによっては、その不思議現象が近くにいた人の『超能力』で起きたように見えれば、その不思議現象の近くにいた人が神になれる。
これは日本だけではなく、全世界共通のルールである。
神は『超能力』が使えるから人間よりも上の者と見なされ、人間は神の命令には絶対的に服従しなければならず、神についての伝記は事実でなくてもよい。
神がいれば、神に関する情報をもとにして、政治家が国民に対して不合理的な命令を出すことができる。
しかし、そもそも超能力者は実在せず、政治家の作りごとにすぎないから、いくら政治家でも作りごとで国民を何度も騙[だま]していたら、そのうち相手にされなくなる。
[もっとも、超能力者は実在しないが、ラップ音のような感覚波と脳以外の物質との相互作用は実在すると考えられる。しかし、一般にラップ音のような弱い相互作用は超能力とは見なされていない。幻聴や幻視のようなテレパシー波による脳間の相互作用も超能力とは見なされない。]
[5244] 天皇はどうして神なのか? h20.6.4
隣で光の玉が輝いていた神武天皇を宗教家≡政治家が勝手に『超能力者』と決め付けて国民が神武天皇(やその子孫)に従わねばならないとしたからである。
宗教家≡政治家が国民を神武天皇(やその子孫)に従わせるために作った組織が日本神道≡日本政府である。
同様に、上でガラガラが突然回った赤ちゃんの私を宗教家≡政治家が勝手に『超能力者』と決め付けて国民が私に従わねばならないとした。[「私の上でガラガラが突然回った」のは母親の言葉であって、事実かどうかは定かではない。神武天皇の話が文献でしかわからないから、母の話だけでもいいと考えたのだろう。しかし、母親が見たのは事実ではなくたぶん幻視だろう。]
宗教家≡政治家は不思議現象があるとすぐに近くにいる者の超能力のせいだと決め付ける癖がある。
政治家が国民を自分の妄想に巻き込むのは国民にとってははなはだ迷惑である。
政治家は精神病院に行って医者に診てもらうべきである。
[5245] 母親の本音 h20.6.4
私の母親は私が小学2〜3年生のとき「昔鴨部に住んでいたとき夜中に突然ガラガラが回ったことがあった。ときどき家の中にある物が動くことがあった。幽霊のせいかしら。」と言った。
しかし、私の母親も父親も時々私に対してネタ入れをやっている。例えば、私が小学中学年のとき、母は私に「人間は中庸が大事。」とか「将来国鉄の運転手か学校の先生になりや」とかぶっきら棒に言い出すことがあったし、自宅浪人中に急に祖谷のかずら橋を見に連れて行ったりした。父親も突然3分間だけキャッチボールをしたり、電話が不通になったときいきなり飛行機で駆けつけてきて開口一番に「なんかせられんかったかえ?」と訊いたり、「水鏡神社を見に行きたい」とか言ったりした。家の中で父が母に「オーロラ輝子が好き。」と言った後で意味もなく笑いあったりしたこともある。[[2797]
私の親 h18.11.26を参照。]
母も父も言葉かテレパシーによって宗教の指示で動いていたと思われる。
母や父が宗教の指示で動いていたのは、私が赤ちゃんの頃に超能力があったので神とされていることを知っていたからだろう。父は自分の眼で不思議現象を見たのではなく、母から不思議現象の話を聞いて知っていただけだろう。[今から3年ぐらい前に私が高知に帰省したとき母親に「僕が小さいとき神様と呼ばれていたことがないか?」と訊[き]いたとき、母は「ない。」と答えたが、あれは母が嘘をついていたのである。どおりで母が「ない。」と答えた後で、母はしばらく(10〜20分ぐらい)飯台に顔をうつ伏せにして寝ていた。]
だから、私の母も父も鴨部の家の中であったことが事実だと思っているのだ。
自分の子供が宗教にとって神とされているのなら、多少のことなら宗教に協力的なことをやるかもしれない。[親の主義にもよるが。ただ、親は宗教が裏でどんなことをやっているかまでは詳しくは知らないのだろう。]
[5246] 老人ボケ h20.6.4
ニーチェはデジャビュを見て、時間が輪になっている永劫回帰説を信じて、運命愛という新しい感情を持つに至った。
それと同じように、政治家は私の母の「私の上でガラガラが突然回りだした」という話を聞いて、私が超能力者だと信じて、私に人類を従わせねばならないと思ったのである。
[5247] 現象と実在の区別 h20.6.4
私の母はガラガラが回るのが見えただけで、実際にガラガラが回っていたかどうかは知らない。
合理的に考えて動かなければ、実際には動いていないと考えて、自分の見まちがいだと考えるべきだ。
人間の視覚は視覚野にある脳細胞の神経興奮で発生するので、夢と同じように実際に起こっていなくても脳細胞の神経興奮があれば見えるのだ。
[5248] 母に幻視を見せた犯人は誰か? h20.6.4
ふつう『幻視』ぐらいの知識なら医者なら誰でも知っているはずだし、日本政府の者も知っていたはずだ。
だから、私の母親が見た夜中に突然ガラガラが回る現象も、すぐに幻視だとわかったはずだ。
それなのに、政府の者が幻視だとしなかったのは、政府の者があえてわからないふりをしていたからだ。
それは、テレパシー波で母にガラガラが回る幻視を見せたのが日本政府の回し者だからだ。つまり、日本政府≡日本神道が、幻視を見せるのが得意な者を使って母に幻視を見せたのだ。
テレパシー波が眼で見えないことを利用して、私の母にあたかも赤ちゃんの私が超能力でベビーベッドの上にあるガラガラや家の中の物を動かしているかのような幻視を見せて、母に騒動を起こさせて私を神に仕立て上げたのだ。
[5249] 『日本神道新聞』 h20.6.5
政治家は宗教家だから、
新聞に政治欄は要らない。
政治家の記事は『日本神道新聞』だけに載せればいい。
[5250] 超能力の正体は幻視(またはセントエルモの火)である。 h20.6.5
将来、超能力者が本当に現われたら、超能力について研究され尽くしてしまうので、もはや超能力者は人間が従うべき者ではなくなるだろう。
これまでに『超能力学』ができていないのは、まだ本当の超能力者が一人も現われていないからである。
つまり、これまでの超能力者の超能力はすべて幻視(またはセントエルモの火)にすぎなかったのだ。
だから、聖書や仏典なんかで、超能力者とされた者の超能力のことについては実際に何があったのかよくわからないように曖昧にしか書かれていないのである。
幻視を見やすい母親を政治家が利用して、幻視のテレパシーを出すのが得意な人を使ってその母親にリアルな幻視を見せて幻視を事実に思わせて、その子供を超能力で不思議現象を現した神に仕立て上げたのだ。
[5251] 不思議現象に対する3つの解釈 h20.6.5
私の母親が見た夜中に突然ガラガラが回ったり家の中にある物が動いたりする不思議現象を、私の母は幽霊のいたずらだと考え、政治家は赤ちゃんの私の超能力だと考え、私は母親の見た幻視だと考える。
私の母も政治家も実際に起こったことだと考えているのに対し、私は実際には起こっていないと考える。
物理学的にはガラガラが突然回りだしたり家の中にある物が突然動いたりすることはありえないから、私の説が最も正しいと考えられる。
[5252] 目撃者は母一人 h20.6.5
私が知るかぎりでは、ガラガラが突然回ったり家の中の物が突然動いたりする不思議現象を見たのは、私の母親一人だけである。
神武天皇の横で光の玉が輝いていたのを見たのは数十名の複数だが、私の上でガラガラが回っていたのを見たのは私の母親一人だけなのだ。
だから、神武天皇の横で光の玉が輝いていたのは客観的な自然現象だが、私の上でガラガラが回っていたのは母親の幻視(見まちがい)である可能性が高い。実際に不思議現象が起きた証拠は何もない。
普通は母親の見まちがいか作り話だと思われるはずだ。
それなのに、母親の言葉を政治家が全面的に信用したのは、最初から政治家が仕組んだ計画だったか、あるいは母親の話が使えると思ったからだと考えられる。
[5253] 物が突然動いて見える幻覚 h20.6.5
アルコール中毒患者では、部屋の中を無数の虫が這い回っている幻覚を見ることがあるそうだ。
それと同じように、私の母も、脳の異常で物が突然動いて見える幻覚を見たのではないだろうか?
私の母は小さいときに火の玉を見たりしているし、仏教的な世界観を持っているから、普通の人には見えない幻覚が見えるのかもしれない。西丸四方の『精神医学入門』か何かの本に、景色の一部分だけが異様に大きく見えたり小さく見えたりする病気のことが書いたあったから、同じように物が突然動いて見える病気があるかもしれない。[私が生まれたとき足が悪かったので母親が私が人並みに歩けるか歩けないか心配していたので、物が動いて見える幻覚を見たのかもしれない。]
そうすると、母親が見た幻覚は赤ちゃんの私や宗教の者が出したテレパシー波によるものではないことになるが、とにかく母親の話を聞いた政治家が使えると思ったことはまちがいない。
[5254] 人間が神とされる場合 h20.6.5
1)ある者の近くで未知の原理による物理現象が起こり、その現象があたかもある者が“超能力”を使って現したかのように見える場合、ある者が神とされるか、
2)またはある者が幻覚を見て、その幻覚の内容があたかも誰かが“超能力”を使って現したかのように見える場合に、その誰かが神とされる。
1の場合は事実型の神であり、神武天皇が当てはまる。[セントエルモの火は弥生時代においてはまだ未知の原理による物理現象だったからである。]
2の場合は幻覚型の神であり、釈迦やキリストや私や中国の8仙人などが当てはまる。[幻覚型の場合、幻覚を事実っぽく語ることが条件である。つまり、幻覚を見た人が自分の見たことが幻覚だとわかってはいけないのだ。]
1の場合は事実なので、超能力とされる現象が絵で表されるが、
2の場合は幻覚なので、超能力とされる現象が言葉で表されるだけである。[釈迦は生まれてすぐに7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったからおそらく母親の幻覚型(嘘型?シャカは嘘型の神なので“仏どまり”なのである。)であり、キリストは頭の周りに抽象的な円形の光が出ているからおそらく母親の幻覚型であり、私は私が寝ていたベビーベッドの上にあったガラガラが夜中に突然回ったから母親の幻覚型である。中国の8仙人も事実とはとうてい考えられないようなエピソードがあるからおそらく知人や自分自身の幻覚型なのだろう。シャカやキリストのその他の奇跡は、政治家が後世の作家に作らせた作り話にすぎない。]
1の場合は、未知の原理をある者の超能力だと考えているからまちがいであり、
2の場合は、幻覚を事実と考えているからこれもまちがいである。
どちらの場合にも、神はただの人間にすぎないから、神とされた者に人間が従わねばならない理由がない。
そんな無駄なことをする代わりに、
1の場合は、未知の原理自体を科学的に探求すべきであり、
2の場合は、幻覚を見て困るのなら、病院に行って治療すべきである。
[5255] なぜ天皇家は馬鹿といわれるのか? h20.6.5
先祖の神武天皇の隣で輝いていた光の玉が神武天皇の超能力ではなく放電現象であることがいつまでたってもわからず、コンピューター時代になってもいまだに自分が超能力者の子孫だと思っているからである。
[5256] キリストはどうして神なのか?☆ h20.6.5
キリストは、キリストの母親が「キリストの頭の周りが光ったのを見た」と言ったので神にされた者である。
キリストの頭の周りが光ったのは、キリストの母親が見た幻覚だったからである。
聖書は、キリストの母親が見た幻覚が事実として通るなら、作家が頭の中で考えた作り話も事実として通ると考えて作った作り話である。政治家がキリストが神であることを国民を支配するのに利用するために、キリストが神らしく見える作り話を作家に頼んで作らせたのである。昔の人は聖書の作り話を事実だと信じていたので、神であるキリストの命令だといえばなんでも従ったので、その習性を政治家が自分の権力を強めるために利用したのである。
しかし、そもそもキリストは幻覚を見た母親の息子にすぎないのだから、キリストはただの人間であって、キリストは神でもなんでもなく、政治家がキリストを利用することなんかできやしない。
実際に、今のキリスト教には政治的な利用価値はなく、キリスト教はもはや形骸にすぎない。
[5257] 宗教の者とは何か? h20.6.6
未知の原理による物理現象の近くにいて“超能力”でその現象を現したかのように見える者や、ある者が見た幻覚の中で“超能力”を使ったかのように見える者を神と考える者である。
不思議現象を何でも近くにいた者の“超能力”のせいにするのが宗教の者である。
そうして不思議現象の近くにいた者を“超能力者”と考えて、“超能力者”に人間が従わねばならないと考えて、政治家≡宗教家の作った“超能力者”の命令に従って命令を実行して世の中をメチャクチャにしている。
宗教の者は“超能力”がある、“超能力者”がいるという妄想に取り付かれている。
宗教の者は実在しない“超能力者”が実在すると考えているキチガイである。
政治家は、そんな馬鹿な宗教の者を利用して国や世界に対する支配力を強めている。
政治家≡宗教家は利口なので不思議現象が電気や幻覚によるものだとわかっているが、宗教の信者は馬鹿なので“超能力”だと思っているので、馬鹿な宗教の信者の誤解を利口な政治家が利用しているのである。
[5258] 大事故で死んだ者は宗教の信者である。 h20.6.6
神制度に従っている者は宗教の信者だから、これまでに神制度で起こった大事故で死んだ者はみんな宗教の信者である。
大事故は、馬鹿すぎて生きる価値のない宗教の者を神制度を使って殺すためにやっている一種の戦争である。
例えば、日航機123便墜落事故(1985年8月)や高知学芸校列車事故(1988年3月)やオウム真理教地下鉄サリン事件(1995年3月)やアメリカ同時多発テロ事件(2001年9月)や尼崎の列車事故(2005年4月)などで死んだ者はみんな宗教の者である。
それなら、ぜひ今後も続けてやってもらいたい。
[5259] ラップ音は超能力ではない。 h20.6.6
ラップ音は脳から出た感覚波がガラスや木に作用してちょっと音を鳴らす自然現象である。
ラップ音を立てる程度のエネルギーなら脳が感覚波を介して物体に供給できる。
ラップ音は科学的合理的に理解できる自然現象なので超自然現象ではない。
つまり、ラップ音を鳴らす能力は普通の能力であって超能力ではない。
自然現象では絶対にできないことができてはじめて超能力といえるのである。
[しかしながら、例えば役小角[えんのおづぬ]が握った小枝が見る見る間に大木に育ったような話はたしかに自然現象ではありえないので超能力だが、あまりにも超能力すぎるためにかえって嘘の作り話としか見なされないのである。]
[5260] なぜ私の弟は登校拒否になったか? h20.6.6
私が小学生の頃、私と弟とは仲が悪く家の中ではよくケンカをした。
それで、日本神道の信者である弟の同級生が政治家≡宗教家の命令で弟をいじめたのではないだろうか?
そのために、弟は学校に通うのが嫌になって登校拒否になったのかもしれない。
[5261] 落書き h20.6.6
高速道路の橋脚なんかに落書きするよりも、神社の鳥居に落書きしたほうがいい。
なぜなら、高速道路は毎日役に立つが、鳥居はなんの役にも立たないからである。
[5262] 税金 h20.6.7
政府が事実や幻覚における不思議現象の近くにいた者を“超能力者”と決めて、自分達が“超能力者”の祭りごとをするためにかかるお金を国民から集めること。
しかし、実際には“超能力者”なんていないから、全部無駄なことにお金を掛けているだけだ。
祭りごとをする連中もキチガイだが、それに協力してお金を出すほうもキチガイだ。
[5263] 警察 h20.6.7
拳銃を持っているだけの馬鹿。
“超能力者”の妄想を持っている日本政府のキチガイを一生懸命守っている。[警察は、国民の攻撃から政府を守るために政府が置いているのである。]
[一般の国民は“超能力者”の妄想を持っていない。]
[5264] 国立精神病院 h20.6.7
日本政府は“超能力者”の妄想を持った患者が通う精神病院である。
日本政府はキチガイの溜まり場である。
キチガイの分際で日本政府は威張るな!
[5265] 日本政府は日本神道の本部 h20.6.7
日本神道とは、“超能力者”の存在を信じる者である。[一般の国民は、“超能力者”の存在を信じていない。]
日本政府の主な仕事は、“超能力者”の祭りごとをすることである。
日本政府は、日本神道の者に対して自分達が作った“超能力者”の命令を出して実行させている。[そのためにかかる費用を国民の税金で出させている。]
[5266] 神武天皇は超能力者ではない。 h20.6.7
神武天皇が光の玉を出したのは積乱雲の下で小高い岡の上に弓を握って立っていたときの1回だけで、
神武天皇がそれ以外のときに光の玉を出したという記録がない。
したがって、光の玉は気象的状況的原因で現われたものであって、神武天皇の超能力によるものではないと考えられる。
だから、神武天皇は超能力者ではない。
私の場合も、昔私達の家族が鴨部に住んでいたとき夜中に突然ガラガラが回ったり家の中の物が突然動いたりすることが2〜3度あった話を母から聞いたことがあるだけで、若草町に引っ越して来てからはそんなことがあったという話を聞いたことがないので、私は超能力者ではない。
[5267] ヒステリー盲 h20.6.7
ヒステリーの中には、現実が嫌いになりすぎて眼が見えなくなったりすることがあるという。
それと同じように、私が赤ちゃんの頃は足が不自由で、私の母が私が人並みに歩けるか歩けないかすごく心配だったから、母が私の足が動いて歩けるようになって欲しいと強く願っていたので、ほんらい動くはずのないガラガラが回ったり家の中の物が動いたりする幻覚を見たのかもしれない。
男は真理欲で生きているが女は愛情で生きているから、女の見る世界は必ずしも実在の世界ではない。
[5268] 物が動いて見える幻覚☆ h20.6.7
正確には幻覚ではなく錯視というようだ。
まずこのホームページにある『蛇の回転』を見ていただきたい。
蛇のトグロが所によっては右回りにあるいは左回りに回転しているように見える。
もちろん、本当は動いていないのである。
蛇のトグロが天井から吊るすガラガラを下から見上げたところによく似ている。[おそらく私の母は赤ちゃんの私の隣で仰向け[あおむけ]に寝ていたので、ちょうどガラガラを下から見上げる位置にあったのだろう。]
だから、私の母が見たのは錯視の一種『最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視』だと考えられる。
最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視によって活性化された母親の『第5次視覚野』の働きによって家の中にある他の物体までも動いて見えるようになったのではないだろうか?私は子供の頃から乗り物にすごく酔いやすく、私の母親もときどき車に酔うことがあったから、私や私の母親の『第5次視覚野』は普通の人に比べて活性化されやすいのではないだろうか?
要するに、私の超能力と考えられたものはすべて私の母親の錯視だったのである。
ちなみに、私が子供のときに薫的のおじいさんが買ってくれたなぞなぞの本に載っていた“黒い正方形の中にある白線の十字路に黒い玉が見える錯覚”は『ヘルマン格子錯視』と言うことがわかった。
[5269] 日本政府はヤクザ h20.6.7
日本政府は神が存在することを利用して、実際には自分達が好き勝手な命令を作って国民に出して守らせている。
日本政府は神に人間が従わねばならないと信じているから、それで国民に神の命令を作って出してくるのである。
神制度すなわち神に人間が従わねばならないことにおける“従う”の意味を最大限に広義に解釈すれば、たいていどんな命令でも神の命令にすることができる。だから、神がいれば政府は国民に対してたいていどんな命令でも出すことができる。
したがって、日本政府にとっては、神が存在すればいいだけである。
日本政府は不思議現象を見た人を探して、不思議現象の近くにいた人を神にしている。
しかし、不思議現象は実際には電気や錯視によるものだから、神は本当はただの人間にすぎない。
日本政府は『偽者[にせもの]の神』をでっち上げて国民にメチャクチャな命令を出すだけのくだらない組織である。
社会科の政治経済で習う日本政府は勉強用の日本政府であって、本当の日本政府は『偽者の神』を利用して国民に対して余計な命令を出して国民の生活を邪魔して国民を食い者にしているだけのヤクザな組織である。
[5270] 人が幻覚を見るとき h20.6.7
私が豊岡に住んでいた頃、私のところに様子を見に来ていた母をJR宝塚駅の前で見送るとき、別れ際に私のほうを振り返った母親の顔が3秒間だけ20歳若返って見えたことがある。[私が自分で幻覚を見たというよりも、私が母親からのテレパシー波で母親に幻覚を見させられた感じがする。他人からのテレパシー波で幻聴が聞こえるのと同じだ。]
これは、別れ際だから見えたことだろう。
物事の節目に幻覚を見やすいのだ。
だから、シャカやキリストの場合にも、母親が赤ちゃんのシャカやキリストの顔をはじめて見たときに、母親は赤ちゃんが7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったり、赤ちゃんの頭の周りが光ったりする幻覚を見たのかもしれない。
私の場合には、私がはじめて歩きだした日の晩か、はじめて言葉を喋りだした日の晩に母が幻覚を見たのかもしれない。
[5271] シャカやキリストは喜んでいるか? h20.6.7
仏典や聖書には、宗教ノリのあらゆるノリのいいパターンが網羅されている。そのために、仏典や聖書を読んだ者は誰でもシャカやキリストの言いなりになる。
それは、何千年も時間をかけて大勢の作家達が書き加えたり手直ししてきたからである。いつの時代にも、その時代の生活の中に溶け込むように手直ししてきたからである。
そのために、あることないこと書かれている。
シャカやキリストは死んでしまっているけれども、仮にシャカやキリストが甦って自分のことが書かれている仏典や聖書を読んだとしたら、はたしてシャカやキリストは自分の“偽りの伝記”を見て喜ぶだろうか?
それは、シャカやキリストの性格にもよるだろうが、嘘ばっかり書かれているので大概怒るのではないだろうか?
“偽りの伝記”にあるシャカやキリストが本当のシャカやキリストになって、実在のシャカやキリストが嘘のシャカやキリストになるのでは、やはりシャカやキリストに対して失礼だろう。
仏教やキリスト教がシャカやキリストが死んで100年以上たってから始まったのは、シャカやキリストが生きている間に宗教をやると実在のシャカやキリストに迷惑がかかるのを心配したからだとも考えられる。
[5272] 神のランク h20.6.7
嘘型の神よりも幻覚型の神が、幻覚型の神よりも事実型の神のほうが神のランクは上である。
例えば、シャカは生まれてすぐに7歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったという母親のミエミエの嘘[うそ]で神になった嘘型の神なので、神よりもランクが下の仏なのである。[シャカの母親の話が具体的すぎて狙いがモロ出しなので、嘘だと思われる。]
キリストはキリストの母親がキリストの頭の周りに光が出ているのを見て神になった幻覚型の神だし、私も私の母がベビーベッドで寝ている私の上でガラガラが突然回りだしたのを見て神になった幻覚型の神だから、仏よりも上のランクの神なのである。
神武天皇は事実型の神だが、現在ではセントエルモの火は既知の原理による物理現象になってしまったので、神武天皇はもはや神ではない。[身体の外で光が出ているのが超能力らしくないと私には思われる。]したがって天皇家はただの人間にすぎない。
まあ、もっとも、嘘型の神も幻覚型の神も本当はただの人間にすぎないのだが。
[5273] キリストの後光の正体は? h20.6.8
ヒステリー気質[きしつ]の人はアウラが見えることがある。
アウラとは白い光の玉のことである。
キリストの母親が赤ちゃんのキリストを見たとき、感動のあまりアウラが見えたので、キリストの姿とアウラが重なって、キリストに後光が差したように見えたのだろう。
キリストの母親はアウラのことを知らなかったので、「キリストの頭の周りが光った」と誰かに話し、それが政治家の耳に入ったので、キリストが神とされたのである。
キリストのその他の“超能力”はすべて後世の作家の作りごとである。
[5274] なぜ神制のある国は神制のない国を征服しようとしたのか? h20.6.8
神制のある国では、国民が人間は神に従わなければならないと信じている。
だから、人間が神に従わなければならない名目で、自分の国の神に神制を採らない国の人間を従わせようとしたので、神制のある国は神制のない国を征服しようとしたのである。[神制のある国同士では、互いに自分の国の神の名をかけて戦いあうことになる。もちろん、実際には、どちらの国の人も神のためではなく自分の利益のために戦っているのである。]
要するに、神がいれば自国の神に他国の人間を支配させて他国を征服することが正当化できるので、国民にとっては気分的に戦いやすくなり、政治家にとっては神がいたほうが国民を戦わせやすくなるので都合がいいのである。[また国内的にも、神に人間が従わねばならないと信じている宗教の信者が神に他の国民を従わせて政治家が“神の命令”という名目で作った自分の命令が国中に通りやすくなるので、政治家は神を置きたがるのである。実際には政治家が“超能力者っぽく思った”といういいかげんな理由である人間を神としているだけで、本当に神がいるわけではない。そもそも政治家に神を決める権利はないから、神制度は成り立たない。]
もっとも、兵力そのもの軍事力そのものは、神がいようがいまいが[軍事費に予算を掛けないかぎり]変わらない。だから、神によって戦争の勝ち負けが決まるわけではない。
[5275] 宗教の信者と政治家の関係 h20.6.8
宗教の信者は政治家の作った“神の命令”(しかし、それは名目だけであって、実際には神が出した命令ではなく政治家自身が作った命令に等しい)には絶対的に服従するが、
“神の命令”以外の命令に対しては他の国民と同じ程度に従うだけである。
つまり、宗教の信者は政治家に従っているわけではなく、政治家の作った“神の命令”に従っているだけである。
[5276] 特異点解消 h20.6.8
神と人間を区別するものは、“超能力”の有無だけである。
ところが、“超能力”は電気現象や幻覚の見まちがいであって、“超能力”は実在しない。
したがって、神と人間を区別するものはなく、神はいない。
[5277] 私の宗教論 h20.6.8
私がこれまでに考えてきた宗教論は私に特異的なものではなく、そこら辺のおじさんやおばさんやおじいさんやおばあさんやお兄さんやお姉さんやあるいは子供でも時間をかけて考えれば私と同じ結論にたどり着くはずである。
だから、いまどき“超能力”が実在すると考えている宗教の信者や政治家たちが異常なだけである。
[5278] 戦争が起きた場合 h20.6.9
政治家が神制度を使って戦争を始めたら、政治家を殺せ。
[5279] 私の宗教論のまとめ h20.6.9
私の過去3年間における宗教論をまとめると以下のようになる。
第1部 神とは超能力者である。
第2部 超能力者は超能力のある人間にすぎず、人間が従わねばならない者とは別である。…ユリ=ゲラーや関口少年の実例を見ても明らかである。
第3部 政府は神制度(神に人間が従わねばならない制度)を執行する宗教機関である。…日本においては特に顕著であるが、外国の政府も日本と同様である。
第4部 超能力者は本当にいるか?…これまでの超能力者はすべて放電現象や嘘や幻覚や錯覚などによってまちがって超能力者にされた者である。つまり、超能力は実在しない。
[5280] 政治家はどうして神制をやるのか? h20.6.10
政治家は見るからに馬鹿である。
馬鹿は悪いことしかできない。
神制は悪い制度である。
だから、政治家は神制をやるのである。
この世に神制のような悪い制度が残っているのは、政治家のような馬鹿がいるからである。
[日本政府も宗教機関ならつぶれてなくなったほうがいい。]
[5281] 日本政府は宗教機関 h20.6.10
民間の宗教が信者からお金を騙し取ってすっからかんにして捨てるように、
国営の宗教は国民からお金を騙し取ってすっからかんにしている。
宗教は何の役にも立たず、ただ信者からお金を巻き上げるだけである。
民間の宗教も国営の宗教もやっていることは変らないが、
国営の宗教では国民全員が強制的に加入させられることになっている。
[5282] 念動力は超能力ではない。 h20.6.10
もしかしたら、今でも世界のどこかに本当に念動力を使える人間がいるかもしれない。
しかし、脳の中にある念動力器官から感覚波を出して、その感覚波を介して物体にエネルギーを与えて物体を動かすのは、たんなる自然現象であって超能力ではない。
合理的に論理的に理解できる能力は超能力とは言えない。例えば、幻聴(テレパシー)やラップ音は感覚波で理解できるから超能力ではない。
念動力でもできないことができる“超念動力”であってはじめて超能力といえるのだ。
つまり、実際にあったことは超能力ではないから、超能力は嘘か幻覚か錯覚に限られるが、現代においては心理学があり、人間の認識の世界も科学の対象となっているから、もはや超能力はありえない。
[5283] 生類憐みの令 h20.6.10
生類憐れみの令は5代将軍綱吉が考え出した犬を大事にしなさいという決まりである。
ところで、犬はいぬだから、いないということで、つまり江戸から追放された天皇のことだから、
生類憐みの令は徳川家が考えた天皇家や天皇家を神と崇[あが]める日本神道に対するイヤミであると考えられる。
また天皇が人間でないとされていることから生類といったのかもしれない。
生類憐れみの令が悪法で名高いのは、江戸から追放された天皇を憐れむことさえいけないという意味なのだろう。
[5284] 勉強不足 h20.6.10
私の両親は戦前の生まれで戦争のために子供時代にろくな教育が受けられなかった。
それで、私の母親は人間に錯覚があることも知らずに、自分の錯視を事実だと勘違いしてしまった。
神武天皇の隣で輝いていた光の玉も、科学知識のない人から見れば、神武天皇の超能力のように見えるのかもしれない。
キリストの母も、アウラのことを知らなかったので、自分の幻覚を事実と勘違いしてしまった。
このように、後進国のために教育が不十分だったり、戦争のために十分な教育が受けられなかった地域では、自然現象に対する無知や幻覚や錯覚などによる“超能力者”が現われやすい。
[5285] なぜ“夜中に”ガラガラが回ったのか? h20.6.10
私の母は夜中に突然ガラガラが回ったのを見た。
しかし、1回きりだったので、自分の錯覚であることに気付く暇もなかった。
たまたま、ガラガラに当たる光の加減やガラガラを見る位置や角度が特定の条件を満たしたために、錯視が見えやすくなって、あたかもガラガラが回っているかのように見えたのだろう。
夜間は母は赤ちゃんの私の隣で寝ていたのでガラガラを斜め下から見るし、夜は暗くて周辺視野が鋭くなるので、とくに錯視が見えやすかったのだ。参考
一方、昼間はガラガラを横から見るし、明るくて中央視野が鋭くなって錯視が見えにくいので、一度もガラガラが回って見えなかったのだ。
[5286] 日本政府が悪い。 h20.6.10
私の母は夜中に突然ガラガラが回ったのを見たが、幽霊のいたずらと言ったのみで、私の超能力とはひとことも言っていない。私の母にとってはガラガラが回ったことが多少不思議ではあったものの、それほど大した問題とは思っていなかったのだろう。[ほかに子供のとき火の玉とかも見てるし。]
私の超能力でガラガラが回ったと最初に考えたのは、日本政府である。
その後も、私の身近にいる者を使って私にさんざん余計なチョッカイを出して私を精神分裂病に罹らせ私の人生をうまく行かないようにしたのも日本政府である。
私を女の子に変えたふざけたマンガやアニメを作らせ、私に対する失礼千万なまねをしたのも日本政府である。
これで、日本政府が無責任で済むはずがない。
日本政府は日本の一部にすぎず、日本の片隅にある小さな古臭い宗教機関にすぎない。
こんな組織はさっさとつぶしてしまえ。
[5287] 国立大学 h20.6.10
日本政府が滅びても、国立大学は残る。
かつて和田高明君が奈良県立医科大学に憧れていたように、
国立大学は県立大学になって生き残ることができる。
[5288] 日本政府の分際で威張るな! h20.6.10
日本政府は馬鹿馬鹿しい神制度をやることしか能がない。
日本政府は、組織が[私個人に比べれば]多少大きいだけで中はカスだ。
それで、政府は図体が大きいだけで頭が馬鹿な巨人に喩えられるのだ。
[5289] なぜ宗教に入る者がいるのか? h20.6.11
宗教が何であるかわかっていないか宗教に対する誤解があるからである。
私の『哲学日記』を読んで宗教について正しく理解すれば、もはや宗教に入る気になるわけがない。
[5290] なぜ私は天皇にならないか? h20.6.11
正当な理由があって天皇つまり人間を従える者になるなら天皇になってやってもいいが、
どう考えてみても、母親がガラガラが回る錯視を見ただけの自分が人間を従える者になる正当な理由がない。
だから、私は天皇にならないのである。
[5291] その他の超能力者 h20.6.11
モーゼ…大干潮の前で万歳していた老人を超能力で海を割ったと勘違いした。当時はまだ海に干潮があることを知らなかった人が多かったので、超能力で通用した。前後の逸話は後世の作家の創作。
イギリスの魔女…子供がホウキにまたがってお馬さんごっこをして遊んでいるとき、たまたま隣の家のおっさんが子供がジャンプした瞬間を見てホウキで空を飛んでいると勘違いした。
マホメット…どんな不思議現象があったかは知らないが、とにかく不思議現象で超能力者にまちがわれたことには違いない。
つまり、モーゼとイギリスの魔女は神武天皇と同じ事実型の神で、マホメットは不明型の神である。[ヒトラーは不思議現象がないまま神になったから、無型[なしがた]だ。つまり、ヒトラーは偽者の偽者の超能力者だ。]
[5292] 政治家の生き甲斐 h20.6.11
政治家の生き甲斐は『ドラえもん』のジャイアンのように他人を嫌がらせることだけだ。
さっさと死ね。
[5293] シャカは2重人格? h20.6.12
シャカは人々に八正道の厳格な教えを説いた。
一方で、弟子には「私は超能力で何でもできる。」と言った。
シャカの性格は矛盾していると思わないか?
シャカは2重人格だったのだろうか?
私としては、厳格な教えを説いた釈迦が本当のシャカであり、弟子に「私は超能力で何でもできる。」と話したシャカは後世の作家の創作であると信じたい。
[5294] ハイデッガーの馬鹿哲学 h20.6.12
みんなが思っただけで世界が変るのなら、昔の人は天が動いていると思っていたから、昔は地球が止まっていて天が動いていたことになる。
しかし、そんなことはありえない。
昔から地球が動いていて天が止まっていたのである。
だから、ハイデッガーの哲学がまちがいである。
つまり、ハイデッガーが言いたかったのは、みんなが“超能力者”がいると思うことによって“超能力者”がいる世界にしたかったのであり、つまりハイデッガーは宗教の音頭とりだったのである。
他に宗教の音頭とりの哲学者には、パスカル、キルケゴール、サルトル、などがいる。
[5295] なぜ天が動いていなければならなかったか? h20.6.12
天が動いていなければならなかったのは、教会の権威のためである。
教会は天が動いていると考える組織だから、教会の面子[めんつ]を保つためには、どうしても天が動いていることにしたかったのである。
しかし、天が動いているかいないかは科学的に決まることなので、教会が決められることではなかった。
それと同じように、“超能力者”がいなければならないのは、各国政府の権威のためである。
政府は“超能力者”がいると考える組織だから、政府は自分の権威(面子や神制度によって発生する命令力)を保つために、なんとしても“超能力者”がいることにしたいのである。
しかし、それは無理だ。
“超能力者”がいるかいないかは科学的に客観的に決まることなので、政府が決められることではない。
[5296] どうして日本政府は天皇に代わる神が欲しかったか? h20.6.12
太平洋戦争で天皇が戦争に負けたから、天皇は日本人の指導者としてもはや不適任であると政府が考えたからである。
今度日本が戦争を始めるときに、天皇が神では国民がやる気が出ない。
天皇が神として使えたのは太平洋戦争までだと政府は考えたのである。
そのために、神に飢えていた日本政府は、かなり苦しいながらも私の母親の錯覚を強引に利用して私を無理やり神にしようとしたのである。でも、結局は失敗だった。
現代のように教育が国民一般に普及し科学知識が豊富な時代においては、“超能力者”の存在を信じる者はなく、神制度をやることはもはや不可能である。
[5297] 女の本音 h20.6.12
女はいつも自分の身体が綺麗か綺麗でないかばかり頭の中にある。
これではとうていまともに考えられるわけがない。
まあ、女はそれでもいい。
しかし、全人類がこんなになっては駄目だ。
[5298] どうして私の母はアニメをくだらないと思うか? h20.6.12
アニメはたいてい男の視点から描かれている。
そのために女の特徴が誇張されている。
それを女から見るとくだらない男の煩悩の塊りのように見えるので、
女にとってアニメはつまらないのだ。
[5299] 超能力者は神ではない。☆☆ h20.6.13
実在する超能力者は神ではない。
例えば、ユリ=ゲラーや関口少年は超能力者と考えられたが神ではなかった。
将来本当の超能力者が現われたとしてもただの超能力者にすぎず神ではない。
つまり、本当の超能力者でない超能力者が神なのだ。
あたかも超能力者のように見えてじつは超能力者でない者が神なのだ。
要するに、神とは嘘の超能力者なのだ。
神と超能力者は別であって、
神とは政治家によって作られた偽者の超能力者なのだ。
[5300] 現代は国民の時代 h20.6.13
政治家が自然現象や幻覚や錯覚などを利用して神すなわち偽者の超能力者を作ってきたのは、
政治家が神すなわち偽者の超能力者を使って自分にとって都合のいい虚構の世界を作ろうとしてきたからだ。
近代以降、宗教の力が衰えたのは、政治家の力が衰えたからだ。
現代はもはや政治家の時代ではない。