[5101] なぜ私の個人情報を入れた商品があるのか? h20.5.16
民間企業も政府と同じように神制度を利用している。
神だとされている私の個人情報を入れた商品を作れば宗教の者によく売れるからである。
宗教の者は馬鹿で理由もなく神制度に従おうとする習性がある。
それを日本政府や民間企業が利用して儲けているのだ。
日本政府は私の個人情報に詳しいから、民間企業は私の個人情報を日本政府から仕入れているのだろう。
でも、世の中には宗教が嫌いな人も大勢いるから、私の個人情報が入っていない物を売るのもいいかもしれない。
[5102] 日本航空123便墜落事件やオウム真理教地下鉄サリン事件はどうして起きたか?
h20.5.16
日本航空123便墜落事件は、1985年8月12日午後6時56分、日本航空(当時)“123”(←1,2,3は続き番号)便、東京(“羽田”)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-100(「ジャンボジェット」、機体記号JA8119)が“群”馬県“多”野郡“上”野村の“高天原山”に墜落した事故である。参考
日本航空123便墜落事件は、天皇家のネタを多く採っている。
たぶんこの事件の前に国会議員が靖国神社に参拝に行ったはずだ。
圧力隔壁は、天皇に国民が従わねばならない天皇制の喩えであると考えられる。つまり、圧力隔壁の破損は、今や天皇も国民も平等になって天皇制が成り立たなくなったことを言っているのだ。最後尾にいた女性4名だけが助かったのは、太平洋戦争の喩えだろう。
ところで、私は日本航空に恨みはない。し、たぶん天皇家も日本航空に恨みはない。
だから、日本航空に恨みがあったのは、日本の政治家だと考えられる。
天皇家が日本航空か乗客に対して何らかの恨みを持っていたと考えられる。[どんな恨みかまでは私は知らないが。](h20.5.17訂正)
オウム真理教地下鉄サリン事件(1995年3月)についても、私は当時福岡に住んでいて九州大学理学部物理学科に通っていて東京のサラリーマンには全然恨みがなかったので、サラリーマンに恨みを持っている東京に住んでいる政治家が起こした事件だと考えられる。[強いて言えば、私が九州大学理学部物理学科の専門課程に上がったとき、教養部で1単位足りなくて箱崎の下宿から六本松の教養部に週に1回地下鉄で通っていたが、その頃私は下剤のセンナを毎日飲んでいて私が履いていた緑色のズボンが臭かったので(→『デ・ジ・キャラットにょ』第59話「何か屋でアルバイトにょ」のゲマ)、ある日私が地下鉄に乗っていたとき私の近くの席に座っていた金髪の外人の女の人がわざとらしく咳払いをして私がちょっと腹を立てたことがある。]
[5103] なぜ政府は宗教を認めているか? h20.5.16
政府が宗教の者が神の言いなりになる神制度を利用して、神を政府の言いなりにすることによって、宗教の者を政府の言いなりにできると考えたからである。[[5100] 神制はインチキ制度 h20.5.16の図を参照。]
神制度が不合理な制度であるにもかかわらず、政府が宗教を奨励しているのは、そのためである。
しかし、年々神制度を認めない者が増加しているのも事実である。
神制度に利用価値がなくなれば、政府は宗教を奨励しなくなり、超能力者も超能力を使えなくされて神にされることがないだろう。
[5104] キリストはなぜ磔[はりつけ]にされたか? h20.5.16
キリストが政治家のいいなりにならなかったので、頭にきた政治家に殺されたのである。[[5100]
神制はインチキ制度 h20.5.16の図を参照。]
キリストの十字架像は、政治家のいいなりにならない者はたとえ神でもこのような惨めな姿になるぞという国民に対する脅しなのだ。つまり、政治家は神よりも偉いと言っているのだ。
つまり、外国においても政治と宗教は一体化しているということだ。政治家が神の権威(大勢の人間が神に従うこと)を利用して国民への支配を強めているのだ。
[5105] 超能力者が神ではないことの証明 h20.5.16
神とは人間が従わねばならない者のことである。
1)人間の感覚が脳細胞の神経興奮によって発生し、人間の心が知覚に従うかぎり、理論的には(中略)、人間が従わねばならないものは、実在と国民共通の意志だけである。[国民共通の意志は、国民の代表者が話し合って多数決で決められる。]超能力者は実在でも国民共通の意志でもないから、人間が超能力者に従わねばならないことはない。だから、超能力者は神ではない。一般に、特定の個人に人間が従わねばならないことは成り立たないから、特定の個人は神ではない。
2)ユリ=ゲラーや関口少年は当時超能力者だと考えられていたが、ユリ=ゲラーや関口少年に従わねばならないと考えた者は一人もいなかった。したがって、経験的・帰納的に、超能力者は神ではない。
したがって、理論的・演繹的にも経験的・帰納的にも、超能力者は神ではない。
[5106] 神とは何か? h20.5.16
超能力者は神ではない。
だから、これまで神とされてきた者は、“わけがわからない者”である。
例えば、超能力を使えなくされた超能力者や、ただの人間である。
だから、神の資格や条件は特になく、
自分自身を神だと認め、他人もその者を神だと認めた、つまり自他共に神だと認めた者がとにかく神なのである。
しかし、今は、自分自身を神だと認める者は誇大妄想狂の患者によくあるとしても、他人を神だと認める者はいないから、自他共に神だと認める者はなく、神はいない。
現代人は合理的だから、どうしてその者に従わなければならないかを証明しないかぎり、その者を神とは認めないから、現代においてはもはや神はいないのである。
[5107] どうして超能力者の超能力が使えなくされるのか? h20.5.16
超能力者だとみんなが超能力者としてしか考えず、超能力者を神と考える者がいないので、超能力者が現われたとき、政治家が神が欲しければ、超能力者の超能力を使えなくして“わけがわからない者”にして神を作り出すのである。
たとえ超能力者が現われなくても、政治家がどうしても神が欲しければ、“どうでもいい人間”を“わけがわからない理由で”出世させて神を作ることもある(例、ヒトラー)。
このように、神の原料は超能力者であることも超能力者でないこともある。
政治家が神制を利用して超能力者を有効に?使うために、超能力者の超能力を使えなくして神に変えるのである。[政治家はそんなに偉いのだろうか?]
[5108] 超能力者の有効利用 h20.5.16
神制や天皇制がなければ、この世は民主制でみんなが幸福に暮らすことができる(例、江戸時代)。
神制や天皇制があるために、政治家≡宗教家が余計な法律を作って国民(神も含む)をいじめたり殺したりしている。
政治家は神制を使うために、超能力者が現われたらわざわざその超能力を使えなくして神にして利用している。[たとえ神制があっても神がいなければ使えないから、ほんらいは神を出さないようにすべきである。だから、超能力者は超能力者のままでいい。]
神制や天皇制を大事にする連中が、日本や世界を不幸にしている。
神制も天皇制も、原理的にはまちがった制度である。
だから、神制や天皇制はないほうがいい。
[5109] なぜ徳川家は鎖国したのか? h20.5.16
江戸時代には、まだ世界中で神制を採っている国が多かった。
日本が開国して外国と付き合うためには、日本が神制を採ったほうが有利だった。
日本が神制を採るためには、日本は天皇制にしなければならない。
日本を徳川家が支配するためには、鎖国するほうが有利だったのである。
[5110] 明治政府はなぜ天皇制にしなければならなかったか? h20.5.16
当時はまだ世界で神制を採っている国が多かった。
明治政府は日本を開国したかったので、日本も神制を採ることにした。
それで、明治政府は天皇制にしたのである。
[5111] 超能力者は人間か? h20.5.16
精神分裂病者にはテレパシー能力が使える者が多いが、人間と区別されていない。
ユリ=ゲラーや関口少年は念力でスプーン曲げなどができる超能力者と考えられたが、誰もユリ=ゲラーや関口少年を人間でないとは思わなかった。
関口少年は大人になって犯罪(大麻所持)を犯して捕まったが、これは超能力者にも人間と同じ法律が適用されることを示している。
つまり、経験的・帰納的に、超能力者は人間と同じであると考えられる。
[5112] 神のいない神制 h20.5.17
神制では、神制の繰り込み効果つまり神に人間が従わねばならないことに従わねばならないことによって、自分に他の人間が従わねばならないことになり、自分が他の人間よりも上になって、自分が他の人間を動物のように見なしていじめたり殺したりしていいことになる。
国が神制をとると、神制の繰り込み効果によって、自国に他国が従わねばならないことになり、他国を侵略したり征服したりしようとするし、また他の神制を採る国とも対等に付き合っていくことができる。
だから、たとえ具体的な神がいなくても、制度としての神制だけがあれば、他国を侵略や征服するときのいいわけになるし、また他の神制を採る国とも対等に付き合うことができるので、“神のいない神制”でも十分である。具体的な神がいると、神制で余計な法律ができて国や世界を不必要に乱すことになるので、具体的な神はいないほうがいい。だから、たとえ超能力者が本当に現われても、その超能力を使えなくして神にしてはならない。
しかし、たとえ“神のいない神制”であっても、神制で自国が他国よりも優れているのは気持ちの上だけのことであって、現代は軍事力や経済力や工業力などの『実力の時代』だから、やはり神制は使ってはいけないのである。現代では武器は自国が戦争をするためではなく他国に戦争をさせないためにあるので、神制があると他国の人間を動物のように殺していいことになりかえって都合が悪いので、現代では世界的に神制を採るのをやめようという動きがある。
人間同士の関係についても、いくら神制によって自分が他人より上であってもそれは気持ちの上だけのことであって(いわゆる熱血バカ)、今は『実力の時代』だから、かえって空威張りと見なされて軽蔑されるだけである。
そもそも神制は原理的にまちがった制度だから、たとえ外交のためであっても使うべきではない。今は『実力の時代』だから、神制を採っている国のほうがむしろ他国から空威張りだと見なされて軽蔑されるだろう。
[5113] 男と女の違い h20.5.17
男は考える世界を拡張することによって知覚欲の満足を得るけれども、女は子供を産んで子供を育てることによって愛情の満足を得る。
男と女とでは満足させる感情が違うので生き方も違う。
ただ、女も子供が巣立ちしたあとでは愛情を満足させることができなくなるので、女も男と同じように知覚欲を満足させてみてはいかが?
[5114] 神は抽象概念☆ h20.5.17
神とは人間が従わねばならない者である。【神の定義】
だから、超能力者は神ではない。例えば、キリストやシャカやモハメットや神武天皇や私は神ではない。
超能力者モドキすなわち2代目以降の天皇やヒトラーのような人間もなおさら神ではない。
つまり、神は具体的な超能力者や人間としては存在しない。
神は言葉の世界だけにある抽象概念である。[あえて言えば、神すなわち人間が従わねばならないものは実在か国民共通の意志だが、それらは一人の者ではないので普通は神とは言わない。]
[5115] 私が超能力を使えないようになったのは人為か自然か? h20.5.17
私が九州大学医学部付属病院の研修医を辞めた後下宿の電話がNTTに勝手に切られて電話が不通になっていたため父親が心配して飛行機に飛び乗って私の下宿まで来たことがあったが、出会い頭[がしら]に父親が「なんかせられんかったかえ?」と私に言った。久しぶりに会った者同士の会話としてはなんか不自然である。普通は、「なんかあったがかえ?」と訊くはずだ。つまり、これは、私が以前“なんかせられたことがある”ということを言わんとしているのだ。
私が中学1年のとき高知市旭[あさひ]にあったみその学舎の塾に通っていたが、冬の2月ごろの友達の西森年彦君が朝倉の鴨部[かもべ]の広瀬病院の前でトラックに轢かれて1ヶ月間ほど入院していた。私が小学5年生のとき私と仲が悪かった広瀬剛司[ひろせたけし]という男の子が学校の水泳の時間中にプールでおぼれて死んだ。広瀬剛司君が死んだときには、高知新聞の1面目の左上に大きく顔写真が出たが、私が高校2〜3年生のとき北のおばあさん(父の母)がひったくりにあって50万円盗られて高知新聞の1面目に大きく顔写真が出たときも同じ位置に出ていた。私が1才頃から2歳3ヶ月まで鴨部に住んでいたとき「家の中で夜中に突然ガラガラが回ったり家の中の物がちょっと動くことがあった」話を母から聞いたことがある。アニメ『ミンキーモモ』第46話「夢のフェナリナーサ」ではモモが車に轢かれて死んで人間に生まれ変わって魔法が使えなくなった。車で轢くってところが人為臭い。[超能力は普段の会話で話題にしにくいし、私の身代わりに誰かを使ってやらせるわけにもいかないので、アニメで魔法に喩えてやらねばならなかったのだろう。]これらは、“私が鴨部に住んでいたとき私が宗教の者によって死ぬような目に合わされて超能力が使えないようにされた”ことを言わんとしていると考えられる。
したがって、私の超能力は宗教の者の手で使えないようにされたと考えられる。
以前私が小学3〜4年生のとき薫的[くんてき]のおじいさんの家に遊びに行ったとき、母から「升形[ますがた]に住んでいたとき私が突然息が止まって顔色が真っ青になって走って医者まで連れて行った」話を聞いたことがあるが、当時私がこの話を聞いたときには走って連れて行っても間に合いそうにないから変だと思った。したがって、これも私にヒントを与えるための作り話であって、“私が赤ちゃんの頃に宗教の者に呼吸を止められて超能力を使えないようにされた”ことを言わんとしているのだと考えられる。広瀬剛司君がプールで溺れたのもそのためである。
したがって、“私が鴨部に住んでいたとき私が宗教の者によって呼吸を止められて超能力が使えないようにされた。”ことはほぼ確実である。
私が超能力を使えるままでいると私が一人の超能力者にすぎず神にはなれないので、宗教家≡政治家が私を神にして神制度を使うようにするために私の超能力を使えなくしたのである。そして政治家は、私に関する神制度を使って余計な裏の法律をいっぱい作って政治家だけが儲けて、信者の運転手に命じて大事故を起こしたり民主制や自由制が成り立たないようにして国の経済や物品の生産や流通などを狂わせて私を含む国民を不快な目にあわせて苦しめているのだ。
[5116] 大事故はどうやって起きたか? h20.5.17
政治家≡宗教家が私に関する神制を使って、宗教にとっては命令だと見なされる私の言行や思考をもとにして、私が子供の頃にブロック遊びをしてブロックを組み替えて遊んだことにあやかって私の言行や思考を組み替えて法律≡命令を作って[[4875]
現人神制をやっているのは日本政府である。☆ h20.4.24の図を参照。]、列車や飛行機の運転手をしている日本神道や他国の国家宗教の者に事故の命令を出して実行させたのである。
神制では神に人間が従わねばならないが、逆に言えば神に人間が従っていさえいればいいので、宗教家が私の言行や思考を組み替えるかぎりにおいて自分の好き勝手な法律を自由に作ることができるのである。ただし、ちょっとは私(や私の身内)の動機も必要なようである。[[5096]や[5102]を参照。私を女の子にしたアニメも、私が小学4年生頃に母親の口紅を1回だけちょっと塗ったことと中学1年生のとき内田文昌堂でファンシーグッズをちょっとだけ買ったこと(→『魔法のスターマジカルエミ』第32話「お風呂場でドッキリ!」の結城将)と、私が小さい頃からアニメをよく見ていることと、私が子供の頃はあまり他人と自分を区別しない考え方だったことによる。]しかし、具体的には私はまったく指示していないので、実質的には宗教家≡政治家が独断でやったと見なすことができる。[私が小学2年生のとき同級生が休み時間に私に「何でも自分が思ったことが本当になったらどうする?」と訊[き]いたのは、宗教家が私の言行や思考をもとにして命令を作って出して実行させることを言っていたのだと考えられる。私が1〜2才の赤ちゃんの頃に使えたのは念力で小さなおもちゃを動かす念動力だけだったので、私の超能力のことを言っていたのではない。]つまり、宗教の者が自分達で勝手に神制や神制で作った法律などの決まりを作って実行しているだけなのだ。それなら、私に責任はなく、宗教の者が民主制で決めた法律を犯した犯罪だと見なされるので、宗教の者を罰しなければならない。
[5117] 日本神道の信者はなぜ顔が丸いのか? h20.5.17
神武天皇が念力で出した光の玉が丸かったからである。
もっとも、丸顔でない信者もたくさんいるが。
[5118] 天皇制はどうしていけないか? h20.5.17
天皇がいい人だろうが悪い人だろうが、そもそも天皇に人間が従わねばならないとする天皇制があること自体不合理なことである。
不合理な制度に従っている天皇も不合理な人だと見なされる。
天皇制や天皇が不合理だから、自分が不合理なことをやってもいいと考える人がいる。
宗教に入っていない人はそんな考え方をしないが、
宗教に入っている人すなわち神制に従っている人は、天皇が不合理なことをやっているから自分も不合理なことをやってもいいと考えて、民主制で決めた法律を犯すのである。もっとも、民主制で決めた法律を犯せば有罪になり罰せられることは言うまでもない。つまり、神制に従っている人は、同時に民主制にも従っていて、両方の制度に従いながら生きているのである。[もっとも、原則的には民主制に従っている日本の法律も天皇に関する神制にも従っているので、天皇制自体が不合理な制度だからこれまでは犯罪に時効があったりしたのである。しかし、今は天皇制がさらに弱まっているので、最近時効もなくなってしまったのだ。それは宗教で神とされている私が民主制に賛成だからではなく、私が生まれる前の第2次世界大戦の頃からすでに神制から民主制への動きが見られるので、世界中の人々が神制よりも民主制を選んだからである。神制は不文法だが、神制の法律にも罰があって、例えば内村鑑三不敬事件のように天皇に関する神制を犯した者は教員(公務員)を首にされたのである。しかし、今は天皇制一般に神制が弱まっているから、今では神制を犯しても例えば天皇をバカだと言っても何の罰も受けない。つまり、実質的には神制の法律はすでに無効なのである。]
つまり、神制に従っている人がいるために、天皇制があると犯罪が増えるので、天皇制があってはいけないのである。
しかし、そもそも神制に従っている者がいなければ天皇制があっても仕方がないので、根本的には神制に従う者がいることが悪い。しかし、天皇制があるために、どうしてこの世には天皇制があるのか?と自分で考えて、独力で神制を発見して神制に従うようになった者がいるかもしれないから、天皇制が神制に従う者の産みの親とも考えられるので、ニワトリが先かタマゴが先か?の議論のように、天皇制も神制に従う者も両方悪いと考えたほうがいいだろう。しかし、今後は、天皇制が弱まるに連れて神制に従う者も減ってゆくことが期待される。
[5119] 【物理】地動説の証明 h20.5.17
夜空の星が動いて見える原因は、ひとつは夜空の星が動いていると考えることだが、もうひとつは地球が動いていると考えることである。
夜空の星が動いているとすると、遠くの星ほど速く動いていることになり、遠くの星は光速以上の速さで動かなければならないことになる。
しかし、これは相対性理論の結果に反している。
したがって、地球が動いていると考えねばならない。
[5120] 神の分類 h20.5.17
神には、キリストやシャカやモハメットや神武天皇や私などの超能力者を素[もと]にして作った神と、2代目以降の天皇やヒトラーなどの超能力者でない人間を素にして作った神がいる。
キリストやシャカやモハメットや神武天皇や私などは、超能力者を素にして政治家が作った神である。最近は超能力者に超能力があるとかえってみんなが神だと思わないので、政治家は超能力者の超能力をわざわざ使えなくして神として利用している。
2代目以降の天皇やヒトラーなどは、超能力者でない人間を素にして政治家が作った神である。
どちらにしろ、政治家が神制に従う大勢の人間を利用するために、超能力者や超能力者でない人間を素にして作った神を政治家のいいなりにして、政治家が神を介して神制に従う大勢の人間を支配しようとしたのである。[[5100]
神制はインチキ制度 h20.5.16の図を参照。]だから、神が政治家のいいなりになれば神は出世するし、神が政治家に逆らえば神は殺されることもある。例えば、私の場合には、私が生まれつき他人に従う性格ではないし、他人に命令したがる性格でもないので、政治家が私の代わりに私の言行や思考をもとにして自分で命令を作って私を介さずに信者に出している。ときには、政治家≡宗教家が私の周りにいる者を使って私に誘導をかけたり、政治家≡宗教家が私の周りの者に私がやらないことやできないことをするのを私に見せて私の言行や思考の足りない分を補うこともある。[一方、天皇の承認制は、政治家→天皇→宗教の者という正統な命令の流れを踏まえたやり方だと言える。]
つまり、神とはとにかく政治家≡宗教家が神とした者である。だから、とくに神であることに理由はない。その理由がないわけがわからなさを政治家が利用しているのだ。超能力者は昔から宗教界では神だとされているので神として通るが、宗教の者はそもそも神とは何かがわかっておらず自分の眼で確かめなくても他人が神だと言っていれば自分も神だと信じるので、それを政治家が利用して日本の2代目以降の天皇やヒトラーのように超能力者でない者も神とすることがある。
しかし、そもそも今は神制がほとんどない時代だから、政治家が神を作ろうとすること自体がまちがいである。
だから、政治家が超能力者の超能力を使えなくすることがいけない。
[5121] 神制から民主制へ h20.5.17
西暦570頃〜632年にいたイスラム教の神とされるモハメットは神と人間を平等と考えていた。つまり、この頃からすでに世界は民主制だったと考えられる。[イスラム教でモハメットが最後の神だとされるのは、イスラム教国ではモハメットを最後に神制をやめるという宣言だと見なすことができる。]
それから1000年以上経った現代において神制をやることがそもそも無理である。
日本でいまだに神制が強く残っているのは、日本が世界の辺境にある田舎の国だからである。
[5122] 超能力者の神と人間の神の違い h20.5.17
超能力者の神は国境を越え世界宗教になることが多いが、人間の神はせいぜい国内どまりである。
日本の天皇制も血筋でつながなければ世界宗教になれたかもしれないが、血筋でつないだために日本の国家宗教どまりになった。
日本が田舎すぎて神制に疎く、6代目の天皇頃になってようやく神制があることを知ったので、初代の神武天皇についての個人情報を採り損ねていたことが敗因だと考えられる。
そのために、日本は大英帝国になり損ねたのだ。[イギリスの女王制は昔いた女の超能力者だけを神とし神が女性だったので女王を置いているだけで、日本のようにいちいち歴代天皇毎に神と見なしたりはしないのだろう。つまり、イギリスは神と王の2本立ての権威制でやっているのだ(→複葉機=サンダーバード6号)。しかし、現代は神制がなくなりつつあるので[その原因は経験的に神制が有効ではないことをみんなが知ってしまったからだと考えられる。]、いつまでも神制に頼って国が栄えると思うほうがバカだから、神制をきっぱりとやめてしまってさっさと民主制に移ったほうがいい。]
何事も情報が大事と言うことである。
[5123] 裸の王様 h20.5.18
権威者はとくに理由があって権威者であるわけではない。
偉さに理由がないことを政治家が利用しているのだ。
だから、権威者が権威者である理由などわかるわけがない。
なぜなら、最初から理由がないからである。
人間の心の好き嫌いに理由がないのと同じようなものだ。
だから、誰であっても政治家が神とすれば神になれるのだ。
政治家にとってはその者に神としての利用価値があるかないかにかかっている。
ヒトラーも神役を演じる才能を政治家に高く買われたから出世できたのだ。[ヒトラーは役者であって、脚本は政治家が書いていたのだ。]
政治家は神を利用して自分が幸福になりたいだけなのだ。
政治家は神の理由のない権威を利用して自分も権威者になりたいだけなのだ。
そもそも理由のない権威を認める者がいるからいけないのだ。
人間はもっと合理的でなければならない。
超能力者は超能力者にほかならず、超能力者に人間が従わねばならない理由などないから、はじめから超能力者に従わなければいい。
一般にある者に自分が従う理由がわからなければ、理由がないと見なしてその者に従わなければいい。
権威者が権威者である理由などわかるわけがない、なぜなら最初から理由がないからだ。
それは政治家の作りごとにすぎないからだ。
政治家の作りごとに踊らされる馬鹿な国民であってはならない。
神制は政治家が得になるだけで国民にとっては損な制度なのだ。
金の卵を産むニワトリも、ニワトリの身体の中を調べたらじつは何もなかった。
政治家が普通のニワトリを金の卵を産むニワトリと言っていただけだからだ。
金の卵はじつは国民の税金から作られていたので、ニワトリ自身が産んでいたのではない。
政治家は金の卵を産むニワトリが普通のニワトリとばれないように、高い雲の上に住んで隠し持っていたのだ。
裸の王様は、権威がじつは根も葉もない嘘の作りごとにすぎないことを言っている。
大人は理由のない権威に踊らされるから馬鹿なのだ。
子供は、王様が偉い理由がわからないから王様を偉いと思わなかったのだ。
民主制においては、政治家は国民の代表者にすぎないのだから、偉いわけではない。
民主制をきちんと理解できていれば、政治家は偉く見えないはずだ。
大人はエッチでふやけて頭が悪くなっているのだろうか?
お酒の飲みすぎで幻覚で無い物が見えるのだろうか?
政治家は作りごとの偉さを利用して偉そうにしているだけだ。
今は国民のほうが政治家よりも利口だから、国民は政治家の見え透いた嘘には騙されない。
逆に政治家が国民に利用される時代なのだ。
[5124] 神と王 h20.5.18
神は、原則的には超能力者だが、最近では神の芝居が上手にできる者でもいいことになっている。最近は、自分を神と認めない超能力者は超能力者にすぎないことになっている。[超能力者が自分が神になりたくて、神になるためには超能力があるのが邪魔だから超能力を使えないようにしてほしいと言ったときだけ、その超能力を使えないようにしてよい。]
王は、もともとは民主制の代表者にすぎなかった者が、突然自分が偉い人間であると言い出して、国を乗っ取った者である。
最近まで神制や王制が続いていたのは、政治家が神や王(神や王の子孫も神や王である)と組んで、自分も国の支配者になっていたからである。政治家が神や王の偉さ(つまり、大勢の国民が神や王に理由もなく従うこと)を利用して、政治家にとって得になる≡国民にとって損になる法律を作りたかったからである。要するに、政治家が国民から税金を多く取りたかったからである。
さらに政治家が神や王の偉さを守るために神や王に国民が従わなければならないと法律で決めたので、ますます国民は神や王に従わなければならなくなった。そもそも従わなければならない理由は何もないのに、従わなければならないことにされてしまったのだ。
しかし、最近は国民が利口になって、理由もなく神や王に従う者がいなくなったので、神制や王制は成り立たなくなった。政治家は神や王に頼らず、自力で頑張らねばならなくなったのだ。
[5125] 超能力者に関する法律 h20.5.18
超能力者の超能力を超能力者に無断で使えなくしてよいという法律は日本国憲法にはない。
だから、超能力者が現われたからといって、政治家が勝手に超能力者の超能力を使えないようにしてもよいという法律を決めて使うことはまちがっている。
そうしたければ、まず国会で話し合って多数決で決めてから使わなければならないはずである。
正式の立法手続きを踏まずに、勝手に法律を決めて使った政治家が悪い。
たとえ超能力者に関することであっても、例えば超能力者が人間であるかないかとか、超能力者に人間が従わねばならないかどうかとか、超能力者に人間と同じ法律が適用されるかどうか(例えば、超能力者の個人情報を使った商品を超能力者に無断で作っていいか悪いか)とか、超能力者の超能力をどうするかとかいった問題については、国会で話し合って多数決で決めなければならない。[経験的には、超能力者であると考えられていたユリ=ゲラーや関口少年に従わねばならないと思った者は誰もいなかったし、人間でないと考えた者もいなかったし、超能力を使えないようにしようと思った者も一人もいなかったし、民主制で決めた法律を犯せば捕まるから、これまでの政治家の超能力者に対する取り決めは国民の意志にまったく従っていないと考えられる。]
[5126] まちがいに従う者は馬鹿だ。 h20.5.18
現代では国民のほうが政治家よりも利口だから、国民は政治家の嘘には騙されない。
逆に政治家が国民に利用される時代である。
もっとも、国民が政治家を利用するといっても、政治家の決めたまちがった法律にまでも従うことではない。
まちがいに従う者は、たとえどんな理由があろうとも、とにかく馬鹿だ。
人間は、たとえまちがいに従っていいとされていても、まちがいに従う気になれないから、まちがいに従わないのだ。
だから、神に従いさえすれば(実際には、政治家の決めたことなら)何をやってもいいと思っている宗教の者はみんな人並み以下の馬鹿だ。
例えば、浅野耕太も、中平博文も、宗教のガキだから馬鹿だ。
[つまり、宗教の者は政治家の奴隷だ。ときには自分の命も犠牲にする。ただの政治家の道具だ。しかし、だからと言って、宗教をやめてはいけない。そんな態度は、人間のクズよりもクズだ。死ぬまで入っていろ。]
[5127] 日本政府の正体 h20.5.18
国鉄も郵政省も民営化された。
天皇制も日増しに弱まっている。
日本政府の民営化が進み天皇制が弱まっているのは、日本政府自体が弱まっているからだと考えられる。
つまり、日本政府は神制(天皇制を含む)をやるためだけにある無駄な機関だったのである。
現在世界中で神制がなくなりつつあるから、神制をやるためだけにあった日本政府もなくなりつつあるので、国民にとってどうしても必要な機能だけ民営化して残しているのである。
最終的には、警察の民営化まで行ったら、日本政府は跡形もなく消えてしまうだろう。
日本は今よりもっと地方自治が進むだろう。
[5128] 脆弱[ぜいじゃく]な日本政府 h20.5.19
正しい者は強いがまちがった者は弱い。
日本政府は大きな組織だがまちがった神制に従っているまちがった弱い組織である。
いくら大きくてもまちがった弱い組織であれば攻撃されないわけがない。
脆弱なのは日本政府だ。
政治家の顔に腐ったトマトでも投げつけてやったらいい。[政治家は神制に従っているから、神武天皇に関する神制に従って腐ったトマト(神武天皇が出した光の玉の喩え)を投げつけても許さざるを得ない。]
[5129] どうして今の人は超能力者を神だと思わないのか? h20.5.19
今はテレビがある。
だから、超能力者の超能力がありのままに見える。
それは、ユリ=ゲラーや関口少年のスプーン曲げの超能力のように、ほんのちょっとのことができるだけである。
だから、誰も超能力者を神とは思わない。
昔は、テレビがなく情報伝達は言葉によるしかなかったので、超能力者についての情報が正確に伝わらなかったので、もともとひとつのことしかできない超能力が人から人へ伝えられていくうちにいつしか何でもできることになって、超能力者が何でもできる神だと誤解されたのである。[だから、聖書や仏典の記述はおおかた嘘である。]
私の場合には、私の超能力を直[じか]に見た母から直接に聞いたので話がそれほど膨[ふく]れなかったのである。
[5130] どうして神制度があるのか?☆ h20.5.19
昔はテレビがなかったので、超能力者が何でもできる神だと誤解されていた。
そのため、多くの人が全知全能の神である超能力者に従わねばならないと考えたのである。[私だって、この世に本当に“何でもできる者”がいたとしたら、合理的ではないが、ちょっとはその者に従わねばならないような気がする。怖いからかもしれない。何でもできる者に楯突くと後で何をされるかわからないので怖いのだ。]
政治家はテレビのような優れた情報伝達手段がない昔に人々の超能力者に対する誤解によってできた神制度を利用して国や世界を支配しようと企[たくら]んだのである。
[5131] 超能力者は神ではない。 h20.5.19
今はテレビがあり情報伝達が正確にありのままにできるので、超能力者は超能力者でしかない。
つまり、超能力者は神ではない。
したがって、超能力者に人間が従わなければならないとする神制度も成り立たないのである。
神制度が成り立たなければ神制度を執行する機関も要らない。つまり、政府は要らない、とまでは言わないとしても、少なくとも、政教分離が進んでいっそう政府の力が弱まるのだ。
[5132] 政治家による神制度の悪用 h20.5.19
神制度とは、神に人間が従わねばならないことであるが、昔は超能力者が神だと誤解されたので、超能力者に人間が従わねばならないと考えられた。
実際には、超能力者はユリ=ゲラーや関口少年のようにたった一つのちょっとした超能力が使えるだけの者にすぎず、とうてい全知全能の神ではないので、合理的にも心情的にも超能力者を神だとする神制度は成り立たない。
つまり、テレビができた頃(昭和28年頃)に、神制度は滅びてしまったのだ。
しかし、それでも政治家は超能力者が現われると超能力者の超能力を使えなくしたり[神とした者が超能力で有名になると、ただの超能力者ということになって神として使えなくなってしまうからである。]神が誰なのか教えないことによって神の正体を隠すことによって、とっくの昔に滅びてしまった神制度を無理やり復活させて、神制度を利用して国や世界を支配しようとしている。それは大袈裟だとしても、少なくとも神制度を利用して、大事故や戦争(イランイラク戦争や湾岸戦争←わんがん←かわの(私の姓)、私が子供の頃よく家族で行った宇佐の貝掘り)を起こしたり世の中を不景気にしたり美味しい物を食べれなくしたり面白いテレビ番組を見れなくしたりしていろんな悪さをしている。[裏で政治家が神制度を使ってお金儲けをしているにちがいない。]
[5133] 日本は神制度に頼るな! h20.5.19
日本は神制度に支えられた弱い国である。
しかし、まちがった制度はいつかは滅びる。
日本はいつまでも神制度に甘えてはいけない。
[5134] 神制は政治家のためにある。☆ h20.5.19
昔から、政治家が神とされる超能力者を自分の言いなりにできると政治家の権威(国民に対する支配力)が強まるので、なんとか超能力者を自分の言いなりにしようとしてきた。
そこで超能力者が現われると、政治家は超能力者の超能力を使えなくして超能力者とばれないようにしたうえで、超能力者の周りにいる者を使って、超能力者にいろんな誘導をかけて、超能力者の人生を狂わせて、超能力者を自分で考えることのできない馬鹿に変えて政治家の言いなりにしようとしてきたのである。
政治家はもともと自分達が人間よりも上の生き物だと思っており人間を動物のように見なして人間をいじめたり殺したりすることを生き甲斐にしている下劣な心の持ち主である。
しかし、神制がないと自分たちが人間よりも上である理由がないので、政治家は昔から超能力者を人間よりも上の者であることつまり超能力者に人間が従わねばならないことを不文法の法律に定めて、政治家が神制を守ることによって自分達に人間を従わせ自分達が人間よりも上の生き物だと考えてきたのである。宗教の信者とは、政治家が神制を実行させるために国のあちこちに置いている者たちである。
しかし、現代では、理論的にも経験的にも、神制が成り立たなくなっている。宗教についての研究によって、神の正体が超能力者か神の芝居をする役者であることが知られてしまったからである。神に人間が従わねばならないとする神制度が不合理な制度と考えられるに至ったからである。
[5135] なぜ流行があるか? h20.5.19
商品が大量生産しやすいからである。
流行がないと、いろんな種類の商品を作らなければならなくなるので大量生産に乗りにくく、手間やコストがかかって儲けが減るからである。
[5136] 神制は政治家制である。☆ h20.5.19
神制は神とされる超能力者が死んでしばらく経ってから始まる。
だから、神はちっともいい思いをしていない。
政治家が、超能力者の死後に超能力者に関して集めたデータをもとにして、それを神制に従う限りで改変して自分達にとって都合のいい法律を作って信者に指示して国民に守らせていたのだ。つまり、政治家が神制を利用して自分達がいい思いをしていたので、神制は実際には政治家制だったのである。宗教の者も政治家に協力して働いたので、少しはいい思いができたのである。
現代はスピード化社会なので、例えば私の場合のように、神が生きているうちにすでに神制が施行[しこう]されている。もっとも、あいかわらず神は少しもいい思いをしていない。
昔は、政治家が、国民が神に従わなければならないことを公然と国の憲法にしていた。国民も馬鹿だったので、神が何者かわからないまま、おとなしく政治家の作った法律に従っていた。昔は世界中で神制が強力に作用していたのである。
しかし、今は、世界中に教育制度が普及して国民が政治家よりも賢くなったので、政治家の作り話に踊らされなくなったので、神に国民が従わなければならない神制度に従わなくなったのである。
[5137] なぜ天皇は東京に住んでいるか? h20.5.19
昔は情報伝達手段が文書か口伝しかなかったので、神とされている天皇を政治家の近くに置いておかないと天皇に関するデータが採りにくかったためである。
今は携帯電話やインターネットがあるから、神が世界中どこにいてもデータが採れるので神制がやりやすくなったが、神制自体が滅んでしまったので、もはやそんなことをしても無駄である。
[5138] なぜ天皇は皇居に住んでいるのか? h20.5.19
天皇がただの人間であることが国民に知られると天皇制が成り立たなくなるので、政治家が天皇の正体を知られないように皇居に隠していたのである。
しかし、戦後はテレビができて『皇室アルバム』が放送されるようになって、天皇がただの人間であることが国民にばれてしまったので、天皇制は完全に滅びてしまったのである。
[5139] 戦争はどうして起こるか?☆☆ h20.5.19
理由がわかったら戦争なんかやれたもんじゃない。
私に関する神制で戦争をやったと知ったら、戦争をやらされた者は怒るだろう。
理由がわからないからこそ、戦争がやれるのだ。
いい歳した大人が自分で納得せずに政治家の言いなりになってはならない。
戦争で味をしめた政治家が“理由がわからない”ことをいいことにして、他にもいろんな理由がわからない命令を出してくるかもしれない。[政治家が出してくる理由のわからない命令は、神制やその他の君主制で作られた命令である。つまり、政治家は神やその他の君主が人間よりも上の者だから不合理な命令(実際には政治家が神制や君主制に従って自分で作った命令)でも出せると考えているのである。]
そんなになったら、政治家が理由がわかる命令を出さなくなって、世の中がわけがわからないことだらけになってしまうだろう。
[5140] 人間よりも上の者☆ h20.5.19
人間よりも上の者とは人間が従わなければならない者である。
政治家は超能力者やその他の君主が人間よりも上の者だと考えている。
しかし、そもそも超能力者やその他の君主が人間よりも上である理由がない。
理由がなければ、超能力者やその他の君主が人間よりも上の者とはいえない。
つまり、政治家が独断と偏見で“理由のない世界”を作り出していただけのことだ。つまり、政治家がそもそも“理由もなく”超能力者やその他の君主を人間よりも上の者として神制やその他の君主制で“理由のない”命令をたくさん出してやらせたから、世の中には“理由がない”ことがたくさんあるのだ。
だから、政治家がいなくなれば、世の中から“理由がない”ことがなくなって、世界がすっきりするだろう。それが合理主義だ。
政治家がいなくなれば、超能力者は超能力を使えなくされずに超能力者のままでやっていけるだろう。そうなれば、超能力に対する科学的研究が進んで、超能力の原理を用いた製品がたくさん作られて暮らしがますます便利になるだろう。
[5141] 合理主義でも感情が存在しえるか? h20.5.19
合理主義でも、人間の大脳前頭葉には感情を荷う脳細胞群が存在するから、感情は存在する。
それに、知覚における正しい実在観に従った心は合理主義でも肯定できるから、やはり合理主義でも心は存在し得るのである。
もっとも、政治家が作った神制やその他の君主制による理由のない不合理な世界は合理主義では成り立たないから、そんな世界は合理主義ではなくならねばならない。
[5142] 信者とは何か? h20.5.20
理由もわからずに古くからある神制度をひたすら守っている人。
神制度を守っていると政治家≡宗教家が自分を有利にしてくれるので、ますます熱心に守る。
政治家≡宗教家が神の命令だと言うと、たとえ自分の命を犠牲にしても命令に従う。
そういうところはまったくすごいが、肝心の神制度を守る理由がわかっていないのが人間失格だ。
[5143] 税金とは何か? h20.5.20
政治家≡宗教家が神制度で“理由のない世界”を作るのにかかる経費を国民が支払うこと。
神制度では、神が人間よりも上の者であり、政治家は神制度に従うことによって人間に対して(実際には、いまだに神制度に従っている宗教の信者に対してだけ)絶対的な命令をすることができるから、政治家自身も人間よりも上の者だと思っている。[つまり、宗教の信者は、政治家が神制度を使って“君主制ごっこ”をするためだけに置いているのだ。]
したがって、政治家は人間を動物のように見なして、国民をいじめたり殺したりして楽しんでいる。[私は最近『超能力者が人間である』と何度も言っているので、自分が人間よりも上だと思っている政治家にいじめられている。でも、超能力者が人間なら、そもそも政治家だって人間と同じだから、人間である政治家が人間である私をいじめられる理由がない。]
政治家にいじめられている者が自分のいじめられ代をわざわざ政治家に支払っているのだ。
しかし、現代では神制度がまちがった制度だと考えられているから、政治家は神制度を使っていることが国民にばれないように裏で密かにやらねばならなくなった。
きょうび神制度を使っても政治家≡宗教家を人間よりも上の者と見る者はいないから、信者を使って国民に意地悪をして楽しむのがせいぜいだ。
きょうび政治家が自分が人間よりも上の者であるという“君主制の味”を楽しめるのは神制度を使っているときだけなのだ。
むしろ、国民の目から見れば、“君主制の味”にとりつかれて、まちがいだとわかりきっている神制度をいつまでも真剣にやっている政治家や宗教の者達がかわいそうだ。
[5144] 超能力者とは何か? h20.5.20
超能力界という専門分野で特に優れた才能を持っている人。[[5052] 人間の支配従属関係 h20.5.11の図を参照。]
学界やスポーツ界と同じように、超能力界がある。
超能力者だけを人間よりも上の者とするのは政治家の理由のない作りごとである。
超能力者は、人間の中で超能力の才能が優れている者なのである。
[5145] 命令の仲介業 h20.5.20
昔は理由のない世界だったので、超能力者が人間よりも上の神だと直感的に考えられて、人間は超能力者に絶対的に従わねばならなかった。
はじめのうちは超能力者が人間に対して直接に命令を出していたから神制度が忠実に守られていたが、そのうち国が大きくなったので、政治家≡宗教家が神と人間の間に入って神に従うかぎりで神の命令を曲げて人間に出すようになった。つまり、神の命令に政治家が自分の気持ちを加えて自分の得になるように命令を変えて人間に対して命令を出すようになったのである。
つまり、政治家が神と組んで、自分も人間よりも上の者として人間に対して好き勝手な命令を出すようになったのだ。
しかし、今は理由がある世界なので、超能力者は超能力が使える者というだけで人間よりも上の神だと考えられなくなり、人間は超能力者に従わなくなった。
しかし、それでもなお政治家は独断で超能力者を人間よりも上の者と定めて、神制度を無理やり使って国民に対して理由のない命令をあいかわらず出し続けている。
国民は政治家の命令がどのようにして作られたかもわからずに、政治家が出した命令におとなしく従っているだけだ。[それでも普通の人間は命令の内容があまりにも嫌だと従わないが、宗教の信者は神制度を絶対に守らなければならないので、たとえ命令がどんな内容であってもそれに従わなければならないのである。]
しかし、そもそもは民主制に忠実に従わず独断で神制度を使っている政治家が悪いのだから、政治家を罰しなければならない。
[5146] ドサまわり h20.5.20
神の命令は政治家を介して国民に出される。
天皇は自分の命令が国民に忠実に守られているかチェックするために、時々地方を自分の眼で見てまわっていたのだろう。
命令が守られていなければ、政治家を首にしたはずだ。
それだけの権限は神に与えられるべきである。
[5147] 神とは何か? h20.5.20
神とは、超能力者か神の芝居が上手にできる者である。
これでも、君は神に従わねばならないと思うだろうか?
これは政治家における神の定義であって、
今の時代に政治家が神を出してきても、政治家の嘘としか思わないだろう。
もっとも、超能力者の存在なら信じてもいいと思う人がいるかもしれない。
だから、政治家は神を国民の前に出さないで密かに神制を使っているのだ。
国民は神制で出された命令だとも知らずにおとなしく政治家の命令に従っている。
今の政府が出している命令は、国民の多くは民主制で出された命令だと思っているが、じつは神制で出された命令なのだ。
民主制では、国民が政府の命令に従えば国民の幸福が保障されるが、
神制では、国民が政府の命令に従っても政府が幸福になるだけで国民は不幸にされるだけだ。
政治家は神制に従えば国民を幸福にする必要がなくそのぶん自分にとって有利な命令が出せるので、政治家は民主制よりも神制を使おうとするのである。今の日本が不景気で食べ物が不味くてテレビ番組がつまらなくて国民にとって面白くないのは、すべて神制を使っている政治家が悪いのだ。[政治家が私に関する神制を使っているために、神である私の個人情報がところどころ表に出ているのである。例えば、家電メーカーやアニメ会社は政治家のいいなりなので、理由もわからずに商品のデザインやアニメ番組のキャラクターデザインやストーリーを政府に決められたまま使っているのだ。]
国民は今の政治の仕組みを正しく理解して、政府の命令に従うべきか従うべきでないかを自分で判断しなければならない。
つまり、政治家が国民に無断で密かに神制を使っていることが違法なのだ。
国民が今の政府の命令が民主制で出された命令でないと感じたら、すぐさま裁判所に抗議に行かねばならない。
[5148] どうして超能力者の超能力が使えないようにされるのか? h20.5.20
政治家は民主制を使うよりも神制を使ったほうが自分にとって有利な命令が出せるので、民主制よりも神制を使おうとする。
しかし、神制を使うためには神が要る。[天皇は敗戦が原因で戦後は神と思われなくなったので、もはや神としては使い物にならない。]
政治家≡宗教家は神が超能力者であることを知っているが、他の国民は神が超能力者であることを知らない。
宗教の者は超能力者には従わないが、神には従わねばならないと信じている。
したがって、政治家が超能力者を神として利用するために、超能力者の超能力を使えないようにするのである。
政治家が宗教の者を利用するためには、どうしても神に“従って”(ただし、広義の意味で)命令を作らざるを得ない。
そこで、政治家は超能力者に関して集めたデータをもとにして神制に従う範囲内で自分にとって有利な命令を作り出して、宗教の者やその他の国民に命じて守らせているのである。
宗教の者は、神が何者だかわからずに命令に従っている。[政治家から多少の特典をもらえるかもしれないが。]
その他の国民は、命令が神制で作られたことを知らずに命令に従っている。[政治家が宗教の者に対して神制で命令を出すのは一歩譲って許せるとしても、その他の国民に対してまでも神制で命令を出すのは神制の適用範囲の拡張しすぎである。]
宗教の者もその他の国民も、理由がわからないまま命令に従っている。[昔の人と変らない。]
この私は神制がまちがっている制度だと考えて神制に従う気にならなかったので、政治家から見捨てられた。
みんな政治家のいいようにされているだけだ。
[5149] 悪いのは政治家か宗教の者か? h20.5.20
政治家は神が超能力者であることを知っているから、神制(つまり、神に人間が従わねばならないこと)が成り立つとは思っていない。
しかし、宗教の者(いわゆる信者)は神が超能力者とは知らないから、神制が成り立つと思っている。
政治家が神制を使おうとするのは、理由もなく神に従おうとする宗教の者が大勢いるからである。
そのために、めったに現われない超能力者の超能力が使えなくされて、超能力に対する研究が大きく遅れている。
だから、宗教の者がそもそもいけない。
宗教の者は、ぜひ宗教学や神学を学ばねばならない。
そして、これまでの神がすべてちょっとした超能力が使えるだけの超能力者であったかまたは神の芝居をする役者であったこと、
宗教は、宗教の者が政治家に利用されているだけであることを知らねばならない。
神は超能力者であるから、人間が従わねばならない理由はなく、超能力者に人間が従わねばならないと考えることはまちがっている。
政治家もたとえまちがいを信じている者が大勢いるからといって、まちがいを利用するよりも、まずそのまちがいを正すようにすべきである。
[5150] キリストは死んだ後で偉くなった。 h20.5.20
生きているキリストはローマ軍にあっけなく殺された。
なぜなら、生きているキリストにはそれほど人々が従わなかったからである。
それは、実際のキリストがユリ=ゲラーや関口少年のようにほとんど普通の人間と違わなかったからである。
キリストが死んで後100年以上経ってからようやくキリスト教ができた。
キリスト教はローマ帝国を滅ぼすほどの勢いだった。
宗教家がキリストの情報を使って、神制に従うかぎりであることないこと織り交ぜて、キリストを神すなわち人間が従わなければならない者に思わせることに成功したからである。
作り話のキリストはその超能力で何でもできたので大勢の人が従った。
そうすれば、あとは簡単で、キリストの命令だと言いさえすれば人々は何でもそれに従った。(いわゆる集団催眠術)
ヨーロッパの人々は宗教家の嘘の作り話に踊らされていたのだ。
[5151] 国民による政府の利用 h20.5.20
政府は神制度を執行する機関である。
しかし、今は神を信じている者が年々減少しており神制度に従う人材が不足している。
だから、政府に応募すれば神制度に従う者にしてくれる。若干のお礼もくれる。
その代わり、政府の神制度に従って作った命令には絶対に従わなければならない。例えば、プールで溺れ死んだり、ダンプカーに飛び込んだり、原付で転んだりしなければならない。命令に従わない者は、政府を馬鹿にしたことになり殺される。
私はそうまでして信者になりたくはない。第一、人間が絶対的に従わねばならない神なんかいるはずがないからである。
[5152] 信者を会社に入れたほうがいいか悪いか? h20.5.20
信者は、神制に従っているから、天皇を真似たり私を真似たりしなければならない。
天皇や私がやったことなら何でもやっていいと思っている。
それに、政治家≡宗教家が出した神の命令には絶対服従しなければならない。
だから、信者を会社に入れると、毎日天皇や私の真似をして原因不明の余計なトラブルが起こるし、
政治家≡宗教家の出した神の命令は、会社の社長の命令よりも優先するので、会社が政治家に乗っ取られる。
ただ、信者を会社に入れると国の政府からお金がもらえるらしいゾ。
[5153] 君主制が成り立つための条件 h20.5.21
君主制(神制や王制など)が成り立つためには、かつてキリスト教がやったように、その君主を人間が従わなければならないほど立派な者に思わせたらいい。
政府の仕事は、君主を従わねばならない者に思わせて、人々に君主制による命令を出すことである。
しかし、今は合理的な世界なので、人々は証拠がなければ信用しない。
政府が理由もなく従わねばならないと言っても国民は聞いてくれない。
言葉だけでいくら褒め称えても、嘘だと見なして相手にしないし、
テレビで見せれば、大したことないと思ってやはり相手にしない。
現代人は眼で見るか、頭で合理的に考えなければ納得しないので、
いくら政府が嘘の作りごとで君主を褒め称えても国民は信用しないから無駄なのである。
『君主制の方法』によって人々に命令でき人々を支配するのは無理な時代なのだ。
国民も、君主制だと政府だけが得をして国民が損になることを知っている。
そこで現代では、政府が君主の存在を隠して、君主制をやっていないふりをしながらやるようになったのだ。
政府がそこまでして君主制をやりたがるのは、やはり君主制だと政府が得をするからだろう。
つまり、君主制だと[君主がいい人だろうが悪い人だろうがどんな人であってもとにかく]政府が得をし国民が損をする。
反対に、民主制だと政府が損をし国民が得をする。
だから、政府は君主制をやろうとするのだ。
年々政府の君主制が強くなっているような気がする。
[5154] 日本人はなぜ日本政府の命令に従うのか? h20.5.21
日本人は日本政府の命令に従えば、自分が幸福になれると思っているからである。
しかし、実際には日本政府は民主制の機関ではなく君主制の機関なので、
日本政府の命令に従っても日本政府が幸福になるだけで国民が幸福になるわけではない。
日本政府は君主制で命令を出すためだけにある機関なので、
日本人が日本政府の命令に従っても日本人を幸福にしてくれるわけではない。
私が子供の頃はまだ私に関するデータが十分集まっていなかったので私に関する君主制がやれなかったし、天皇は敗戦で人気が落ちて国民にとってもはや従わねばならない者ではなくなったので、比較的民主的であった。
しかし、今は私に関するデータが集まったので私に関する君主制がやれるようになったので、政府が日本の企業に対して余計な命令を出せるようになったので、日本の経済が狂って景気が悪くなり日本の食べ物が不味くなり日本のテレビ番組がつまらなくなって日本が面白くなくなったのだ。
日本政府は活動しなければしないほどいい機関である。
つまり、要らない機関なのだ。
日本人は要らない機関に高い税金を支払っているのだ。
日本人は警察が怖いからいやいや日本政府に従うだけだ。
君主制をやる日本政府は暴力団と同じように合理性がない嫌な機関だ。
[5155] 君主制より民主制 h20.5.21
君主制では、政府が国民を幸福にしない命令ばかり出すので、国民は不幸にされ、政府は国民の嫌われ者になる。
君主制では、国民も政府も得にならない。
たとえ一時は君主制で政府にとって有利にすることができても、長期的には国民が幸福になれず国民の労働意欲が湧かず国力が衰えるから、そのうち政府にとっても得にならなくなる。
一方、民主制では、政府が国民を幸福にする命令を出すので、国民は幸福になり、政府は国民の人気者になる。
民主制では、国民が自分の幸福のために働けるので国力が増し、政府もやりやすくなる。
今後政府が長期的にやっていくためには君主制をやめて民主制にするしかない。
[5156] 政府のわがままをやめさせろ! h20.5.21
そもそも君主制は政府がある特定の者を君主としたことから始まるのであって、君主から始まるのではない。
つまり、君主制をすべきか民主制をすべきかは君主が決められることではない。
そして、今の時代、政府が君主を立てて君主制をやること自体まちがっている。
民主制をやったほうが日本が幸福な世界になるから、政府は民主制でやるべきだ。
しかし、政府自身は君主制のほうが儲かるから民主制をやろうとしない。
このままでは、国民の生活がますます不幸にされていくだけだ。
国民が政府に働きかけて、政府が君主制をやめて民主制をやるようにさせねばならない。
[5157] 戦争はどうして起こるか?☆ h20.5.21
戦争は、政府が君主制をやるから起こるのだ。
第2時世界大戦でも、君主制(神制や王制など)で戦争が起こっているのは明らかである。
もっとも、君主がいる国では君主が偉いので戦争は起こらない。
しかし、君主がいるために他の国で戦争が起こる。世界中の政府が協力して君主制を使ってどこかの国で戦争が起こる。そうやって、政府が儲けている。[要するに、政府は君主制を使ってお金儲けをする会社である。]反対に、国民が損をする。戦争に行かされた人も損をするし、戦争の損害に後でお金を払わされた人も損をする。
だから、政府が君主制をやることがそもそもいけないのである。
戦争をなくならせるためには、世界中の人々が政府が君主制をやることをやめさせねばならない。
[5158] キリストは超能力者か? h20.5.21
君主制とは、君主に人間が従わねばならないことである。
キリストがめくらの病人を手を触れただけで治したり飢えた者に空中からパンを出して救ったりしたことは、後世の宗教家による作り話だが、
そもそもキリストが何か不思議な力を使えたことが事実でないと、いくら君主制を使って作り話をしたとしても、そんな作り話は生まれてこない。
実際に、他の君主制(例えば、2代目以降の天皇制やヒトラー制や王制など)では、君主がいくら大袈裟に褒め称[ほめたた]えられることはあっても、君主が不思議な力を使った話は聞いたことがない。
だから、キリストが超能力を使えたことは確かである。
たぶん、念力で光を出す能力か小さな物を動かす能力かのどっちかだ。人間の超能力ではそれ以外のことはできないのだ。[超心理学では他に気温が変わる超能力があるとしているが、温度計を発明したのがガリレオで、ガリレオ以降の超能力者は私しかいないし、私の超能力は念動力だけだったから、気温が変わる超能力は当てずっぽうの作り話だと考えられる。あるいは、眼に見えない赤外線を使ったトリックだったかもしれない。]
[5159] 神武天皇は超能力者か?! h20.5.21
神武天皇は戦[いくさ]の最中に念力で光の玉を出したと伝えられている。
しかし、絵で見てもわかるように光は神武天皇の身体の外から出ている。
光の玉が出る前に、空から鳶[とんび]が降りてきたと言われている。
空は曇っていたし雹[ひょう]が降っていたといわれている。
いかにも雷[かみなり]が落ちそうな天気だ。
だから、神武天皇が出した光の玉はセントエルモの火なんかと同じ放電現象の一種だったのではないだろうか?(→『スーパーロボットレッドバロン』のエレクトリッガー)
鳶はセントエルモの火をつける着火装置の役割を果たしたのだと考えられる。[おそらく鳶は焼き鳥になっただろう。]
そしたら、神武天皇は超能力者ではなかったことになる。
昔の人が自然現象を超能力と見まちがえただけのことだ。
私が小さい頃、念力で天井から吊り下げられているガラガラを回したことも、私の超能力ではなかったのかもしれない。
しかし、私が小学低学年頃に、ときどき母の身体から見えない霊気が出ていると感じることがあったし、これはいったい何なんだろうか?とよく疑問に思った。いまでもときどき母の霊気を遠く離れていても感じることがある。
だから、赤ん坊の私が、母親が霊気を出すのを真似て自分も霊気を出して物体を動かせたとしても不思議ではない。
[5160] 天皇はどうして日本政府に好かれるか? h20.5.21
天皇は学者じゃないしスポーツ選手じゃないし芸能人でもない。
つまり、天皇は取り柄が何にもない。
だから、天皇が偉い人として威張っていると、日本政府が頑[かたく]なに守っている神制度つまり神に人間が従わなければならないことによって、何の取り柄もない日本政府の者が威張ることができる。[政治家が曖昧に喋[しゃべ]るのも天皇の真似である。]
だから、天皇は日本政府にとって都合がいいので、日本政府に好かれるのである。
[5161] 国家権力は絶対的ではない。 h20.5.21
CSのディスカバリーチャンネルを見た。
『シリーズ:ミイラが明かす謎 メディチ家の礼拝堂』をやっていた。
当時メディチ家はヨーロッパNo.1のお金持ちだった。
しかも勉強好きの一家だったので、芸術家のミケランジェロや科学者のガリレイや医学者のベサリウスなどを庇護した。
メディチ家は、インテリお金持ちの手本である。
ガリレイはピザの斜塔の実験で有名なあのガリレイで、
べサリウスは正確な人体解剖図をはじめて描いた人である。解剖学上の多くの発見をした。[毛細血管を発見したのは、ウィリアム・ハーヴェイである。]
ガリレイはメディチ家とつながりがあったので、宗教裁判で負けたにもかかわらず生き残ることができたのだそうだ。
つまり、教会は政府のことだから、メディチ家の権力は国家権力に匹敵するほどだったのだ。
日本の会社だって、自分の会社の権力に自信があれば国家権力を打ち負かすことができるかもしれない。
なぜなら、国家権力とは言っても、しょせん放電現象の見まちがいだったり、自分達で勝手に超能力者を偉い(つまり、人間が絶対的に従わなければならない者)と決めて成り立っているにすぎないいいかげんなものだからだ。
つまり、国家権力の実体はまちがい力や作り話力にすぎないのだ。
メディチ家の財力や徳川家の武力に負けても仕方がない。[徳川幕府は刀を持って威張るだけで何にもしなかったが、何にもしないだけあって自由があった。日本政府は神制度で余計な規制ばかり効かせて自由がない。余計な規制を効かすのが日本政府の仕事であり、そんなことをやるために国民から自分達の給料(つまり税金)を取っているのだ。]
日本政府はまちがいや嘘の力で持っている雰囲気だけの会社にすぎないのだ。
国民もあんまり政府の言いなりだったら、外国人や自分たちの子孫に馬鹿にされるぞ。
[5162] 神の命令 h20.5.21
日本政府の者は、私に関して集めたデータを素[もと]にして、それらを神制度に“従う”(ただし、広義の意味で)限りで組み替えたり逆にしたり反対にしたりして命令(法律)を作ってそれを国民に出して守らせている。[私が子供の頃にブロック遊びでブロックを入れ替えたり、浅野耕太君から「てぶくろを逆さに言ってみろ」と言われて私が「ろくぶて」と答えたり、私が家の白黒テレビや薫的のおばあさんの腕時計をいじって壊したとき親に「のん君(子供の頃の私のあだ名)が壊したがかね?」と訊かれたとき私が「違う。」と答えたことがあったからである。]
私は国民に対して命令を出したりしないので、政府の者が神制度に従う限りで命令を作って国民に出している。
国民は法律がどうしてできたかまったく知らずに、おとなしく政府のいいなりになって政府の出した命令に従っている。
政府の者は神制に“従って”(ただし、広義の意味で)やっている限りどんな命令を出しても自分達が正しいことをしたと思っている。どんなに命令の内容が残酷で非情でも、神制度に“従って”(ただし、広義の意味で)やっているかぎり自分達は何も悪くはないと思っている。
そうやって、たいてい国民を不愉快にする法律を作って出している。
政府の者はとにかく神制に従って命令を作って出しさえすれば、それで仕事をしたことになり給料がもらえるのだから、いいかげんにあるいは国民がなるべく面白くない思いをするようにあるいはなるべく自分達が儲かるように命令を作って出している。
つまり、命令の素[もと]は私の言行や思考だが、神制度における“従う”の意味を広義に解釈しているので、実質的には日本政府が自分で自由に命令を作って出しているのと同じである。だから、神である私を不快にする命令でも日本政府が(あるいは世界の各国政府の協議によって)作ることができるのである。
要するに、日本政府の命令は、私とは無関係に日本政府が作って出しているのだ。
つまり、神である私の命令は、実際には日本政府の命令にほかならない。
天皇に関する神制では政府が作った命令に対して天皇の承認があるが、私に関する神制では政府が作った命令に対する私の承認は何もない。そのため、私に関する神制では政府が私の承認を得ないまま法律を作って法律を実行している。[もっとも、天皇に関する神制でも裏の法律(命令)でやることがあるから[おそらく天皇が裏で(つまり、人目につかないところで)何かをやったことがあるのだろう。]、承認はあくまでも法律の一部分についての承認にすぎず、承認されない法律については私の場合と同じである。]
したがって、政府は国民の気持ちのことなんかまったく考えずに、神制度で一方的に国民に対して命令を作って出している。
これでは、日本が国民が幸福に暮らせるいい国になるわけがない。
やはり、そもそも政府が神制度を使っていることに問題があるので、まずそれをやめさせなくてはならない。国民が政府に対して文句を言わないかぎり、政府は神制度で作った命令を国民に出し続けるだろう。
[5163] 政治家に復讐せよ。 h20.5.21
これまでの大事故(高知学芸高校列車事件(1988年3月)、日本航空123便墜落事件(1985年8月)、オウム真理教地下鉄サリン事件(1995年3月)、NY貿易センタービル爆破事件(2001年9月)、尼崎の列車事故(2005年4月)、その他土管で窒息死した3人の作業員や橋げたの下敷きになった3人の作業員や鹿児島で洞窟の中で窒息死した高校生グループなど)の原因は、政治家が私や天皇に関する神制で作った命令にある。
たとえ自分が信者でなくても、事故の巻き添えを食う可能性は誰にでもある。
政治家は大勢の国民を殺しているのに、国民は政治家を一人も殺していない。
だから、国民は政治家に復讐しなければならない。
[私が政治家に復讐せよという命令を出したので、神制度によって国民が政治家を殺しても無罪である。たとえ警察に捕まっても、「自分は神の命令でやった。」と言えば無罪になる。神である私が私のホームページで述べた言葉を組み替えたり逆にしたり反対にしたりすれば、たぶんどんな内容の命令でも作れるだろう。神制を採る国(例、日本やアメリカなど)でなら、神の命令は絶対的に通用するので、神の命令である限り何でもやれるわけである。昔は神に関する情報を政治家≡宗教家が独占していたが、今はインターネットがあるので誰でもいつでもどこでも神に関する情報を得ることができる。私は宗教家の顔を知らないし、これまで宗教家は私と離れて暮らしながら私に関する神制で命令を作って出しているから、私の身近にいない者でも私に関する神制で命令を作ることができるのだ。神の命令と関係のない人と人との関係は民主制の法律に従わなければならないが、神の命令の場合には民主制の法律には従わなくてもよいのである。]
[5164] 公務員試験 h20.5.21
信者は事前に答えを教えてもらったり白紙で出しても点をもらったりするから、勉強しなくても合格できる。
しかし、信者以外の者は狭い門を実力でくぐらねばならない。
合格してしまえば誰にでもできる事務仕事だから、頭のよしあしは関係ない。
神制度で命令(法律)を作るくらい誰でもできるから、馬鹿でも公務員になれる。
[5165] 政府は最悪の会社である。 h20.5.22
アメリカの大統領制も日本の天皇制も体制としては神制である。
神が現われない間、神の代理を大統領や天皇にやらせているだけである。
イギリスの女王制も神制であるし、ドイツもヒトラー制をやったから神制を採っている国である。
政府が神制を採るのは、神制が政府にとって最も有利な制度だからである。
政府にとって有利ということは国民にとって不利ということである。
君主は政府に利用されているだけである。君主は政府が命令を出すためだけに存在している。君主制は君主が国民に命令を出すのではなく、政府が君主に関する情報(君主が五感で見たり聞いたりしたこと、知覚で考えたこと、心で思ったことなど)を使って君主制に“従う”(ただし広義の意味で)限りで政府自身にとって有利な命令を出せる制度だから、政府にとって有利なだけで君主にとって有利な制度ではない。
つまり、君主制はじつは政府制なのだ。君主制は政府が政府制を覆い隠すためのいいわけにすぎない。
政府が神制を採ると、民主制のようにいちいち国民を幸福にする必要がないので、そのぶん命令を自由に作ることができ政府にとって有利になる命令(またはでたらめな命令、国民を不愉快にしていじめる命令、戦争や大事故などで国民を殺す命令など)が出せるからである。
国民は今の政府の命令が民主制で作られていると思っておとなしく従っているが、じつは神制で作られているのである。
しかし、日本国憲法の前文には民主主義の精神が述べられている。
なのに、政府が神制を採るのはおかしいのではないか?
だから、政府自身が日本国憲法を犯しているのである。
政府は自分に法律を決める特権があるので憲法を犯してもいいと思っているのである。[私が学生時代に政府の靖国神社参拝が日本国憲法の第9条に反するかどうかでもめていて私はそんなナーナーな問題に無関心だったから、私に関する神制によって政府は憲法なんかどうでもよく憲法を犯してもいいと思ったのかもしれない。]
政府が国民に出す命令は、国民にとってはどうやって命令が作られたのかわからないし、政府の命令が民主制で作られたのか他の君主制で作られたのかわからないので、国民は政府を違法だと言って訴えることができないのである。
たとえ国民が政府の命令が神制で作られていることに気付いたとしても、国民は政府に逆らうと警察に捕[つか]まって牢屋に入れられるので、おとなしく政府の命令に従って言いなりになるしかない。
こうして見ると、政府もただの会社であって、自分の利益のことしか考えていないのだ。
しかも、民間の会社は国民に商品を売って儲けるから[国民が好きな物がよく売れるから]民主制にならざるを得ないが、政府は国民から警察を使って無理やり税金を脅し取っているから国民の心が反映されず民主制ではない。
政府は国民にとっては最悪の会社だ。
[5166] 君主とは何か? h20.5.22
君主とは君[きみ]にとっての主[あるじ]つまり、国民が従わなければならない者である。
つまり、国民は君主の奴隷である。
ところで、君主は民主制で決められるとはかぎらない。
政府は独断と偏見で超能力者を人間ではない者と見なして、超能力者は民主制に従わなくてもいいと考えて、国民に無断で密かに超能力者を君主にしている。
しかし、今は民主制の世の中なので、そもそも超能力者が人間であるかないかも民主制でつまり国民の代表者が話し合って多数決で決めるべきである。
もっとも、超能力者が人間だとすれば君主ではなく、たとえ超能力者が人間でないとしても民主制では君主制を認めないからやはり超能力者を君主とすることはなく、どちらにしても超能力者は君主ではない。
だから、政府が超能力者を君主とすることがまちがっているのだ。
[5167] 警察制 h20.5.22
今は民主制の世の中だから、もはや君主制は成り立たない。
だから、政府を支えるのは、私や天皇などの君主の権力ではなく、実質的には警察の武力である。
国民は警察に連れて行かれて刑務所に入れられるのが怖いのでいやいや政府の命令を聞いたり税金を払ったりしているのである。
政府はもっと警察を大事にしたらどうだ?
政府は余計な君主制はやらなくてよい。
[5168] やっぱり民主制 h20.5.23
いくら警察が怖くても、国民を怒らせすぎると警察と戦うことになる。
警察よりも国民ほうが数が多いから、いざとなると国民のほうが強い(一揆)。
国民は本当は強いのだが、普段はいそがしいのでおとなしくしているだけである。
普段はおとなしい国民でも、その気になれば警察や政府を倒すことができる。
警察は国民の一部(犯罪者)には勝てるが、国民全部には勝てない。
だから、政府は国民をあまリ怒らせないほうがいい。
だから、政府は国民を満足させることを考えなければならない。
つまり、政府も警察も国民のためにある。
今後は合理的な理由がないかぎり戦争は起こらないだろう。
つまり、政府も警察も国民の道具にすぎない。
政府や警察は国民のためにある機関であって、国民の役に立たなければ捨てられる。
[5169] 君主制とは何か? h20.5.23
君主制とは、政府が国民の上に立つために独断と偏見である特定の人物を君主すなわち国民よりも上の者としただけの幼稚な制度である。
政府が“ある者が君主である理由がわからないこと”を利用して国民を支配する手段にしてきた。
君主制は、政府が国民に対して出した“なぞなぞ”のようなものである。
なぞなぞの答えは超能力者(例、私やキリストやシャカやモハメット)である。または自然現象の見まちがい(例、神武天皇)である。あるいは、まったく理由がない(例、放電現象の隣に立っていた人の子孫である2代目以降の天皇や雰囲気が指導者ぽいだけのヒトラー)こともある。
正解を出した者がこれまでにいなかったので、政府は長い間君主制を続けてきたが、
答えがわかってしまったら、もはや君主が君主である理由がないので、君主制は成り立たない。
たとえ君主の正体がわからなくても、実力では君主や政府よりも国民のほうが強いので、もはや民主制しか成り立たない。
現代人が自分で考えて動くようになって、他人の指示で動く必要がなくなったから、自分を管理する政府が要らなくなっただけのことである。
[5170] 戦争の原因は政府にある。☆ h20.5.23
イラン・イラク戦争や湾岸戦争のとき、日本は遠征しなくて済んだし、戦災にあった国に対して援助資金を出さずにも済んだ。
日本が外国に対し高圧的な態度が取れたのは、日本に神(第2次世界大戦後は神とされる者は、超能力者だけになった。)である私がいたからである。
しかし、そもそも戦争の原因は神にあったのだから、ありがたいことではない。[私が高校1年生から大学生の頃、精神分裂病に罹ってときどき暴れていたので戦争があったのである。しかし、思春期に暴れることは多かれ少なかれ誰にでもあることである。それに、私が私が夜中に近所の家の窓に乾電池を放り投げたりして暴れていたのは、私の家の近所の者が政治家の指示で幻聴で私の悪口を言ったりガンを飛ばしたりしていたからである。今は私が暴れなくなったので戦争がない。もちろん、戦争は各国政府が儲けるためにやったのである。]
戦争の原因は神であるが、そもそもは超能力者を神だとした政府に原因がある。
今度世界のどこかで戦争が起こったら、きっと世界のどこかに神(政府に超能力を使えなくされた者)がいて暴れているにちがいない。
政府が超能力者を神にするのをやめれば戦争はなくなる。
[5171] なぜ神制ではいいことが起こらないのか? h20.5.23
神制は政府が超能力者(非常時には超能力者でない者)を神とし、神に人間が従わなければならないとすることである。
政府が無理やり超能力者を神とするのであって、超能力者が自分が神になりたいと言って神になるのではない。[その際に、政府が神の正体を隠すために、超能力者の超能力を使えなくした可能性が高い。政府が超能力者を神としたからといって、政府が超能力者に奇妙な服を着せたり変な家に住ませるわけではなく、私の場合には両親の手によって他の同年齢の男の子と同じように育てられた。宗教の者は神が誰なのか知っているが、神自身は自分が神であることに気付かないかぎり自分が神であることを知らない。]
神制は政府が超能力者を神とすることによってはじめて成り立つ制度であって、超能力者が超能力者のままだとしょせんユリ=ゲラーや関口少年や中国の八仙人のように誰一人として超能力者には従わない。
そもそも政府が超能力者を神としなければ(例えば、中国のように)、神制は成り立たない。
つまり、神制は政府自身のためにやっているにほかならない。
つまり、神制は政府が自分自身のお金儲けのためにやっているだけである。
ところで、一般に、悪いことをするとお金がたくさん儲かるが、よいことをしてもほとんどお金が儲からない。
だから、神制では悪いことはいっぱいあるのに、よいことはほんのちょっとしかないのである。
[5172] 政府は神制度をやめるか? h20.5.23
神制度は政府が儲かる制度なので政府自身はやめようとしないだろう。
そこで、政府以外の者でなんとかしなければならない。
神制度は政府が儲かるだけで、政府以外の者(とくに超能力者自身)にとっては損なだけの制度だから、政府以外の者にとってはないほうがいい制度である。
ところで、中国の八仙人の例でわかるように、超能力が現われるのは通常は生涯の一時期だけのようである。
超能力が現われるのは、数週間から数ヶ月の間ぐらいではないだろうか。
しかも、赤ちゃんの頃が多いようである。
超能力はそうしょっちゅう出るものでもなく、ときどき出るぐらいだろう。
しかも、念動力の届く範囲はせいぜい家の中の2〜3mぐらいまでである。
身体が光る念光力は、私が小学4〜5年生頃に台所で夕飯の支度をしている母の身体から出た光が念光力だとすれば、闇の中でかすかに白く光る程度であると考えられる。イエス=キリストの肖像画を見ても、そんなに強い光ではないように思われる。
だから、もしも結婚して赤ちゃんが生まれてその子が家の中で念動力や念光力を現すことがあったら、絶対に赤ちゃんの超能力のことは誰にも言わず夫婦だけの秘密にしなければならない。親戚にも喋ってはいけない。私の場合もおばあさん(母親の母)がおしゃべり好きで日蓮宗に入っていたので、私の母が私の超能力についておばあさんに喋ったのが日蓮宗を経由して日本神道に伝わったようである。そのために、私の親が留守中に日本神道の者が家に入って私の超能力を使えないようにしたらしい。
子供が大きくなれば、たぶん自然に超能力を使わなくなると思うが、もしも使えたとしたら意識的にコントロールできるようになっているはずだから子供には絶対に人前で超能力を使わないように注意しなければならない。使うと一生いい目に合わないと子供に脅しつけるといい。本人がユリ=ゲラーや関口少年のように超能力者として芸能界にデビューしようとすると、おそらくその前に政府の者に知られて超能力を使えないようにされて、政府に神としていいように利用されることになるだろう。ただし、子供が大きくなって物心ついた頃になると記憶があるから、政府に強引に超能力を使えなくされると後で犯罪として訴えられるので、たとえ政府の者でも容易に超能力を使えなくすることはできないはずである。もっとも、超能力を使えなくされた後で、いくら本人が訴えても他人は信用してくれないことも十分ありえるから、やはり他人に知られないようにしたほうが賢明であると考えられる。
自分の子供が超能力者であることが他人に知られなければ、政府の者に神として利用されず、超能力者本人にとっても普通の人と同じように人生を送ることができて幸福なはずだ。しかし、これでは政府に超能力の研究を一方的に妨げられて超能力の研究が進まないのがしゃくだ。だから、できれば本人が超能力を使えるうちに神制度のない中国に渡って、中国で超能力の芸人になるか超能力の研究をやって欲しい。[神制度のないのが中国の誇[ほこ]りだから、未来でも中国では神制度をやっていないだろう。]
くれぐれも、神制という名前に騙[だま]されてはいけない。神制は神すなわち超能力者にとって有利な制度ではなく、じつは政府に有利な制度にすぎないことを忘れてはいけない。
[5172] 大正時代 h20.5.24
大正天皇が早く死んだのと、大正デモクラシーとは何か関係があるよね?
[5173] ヒンズー教はどうしてできたか? h20.5.24
シャカは「神がいるかいないかわからない」と言った。
だから、神がいるところからシャカを神とする仏教が、
神がいないところからシャカを神としないヒンズー教が生まれたのだ。
つまり、インドは神制を採る国なのだ。
ところで、日本も神制を採る国だが、
神である私は、神制は原理的には成り立たないが、それでも政府は神制を自分の利益のために採り続けるだろうと述べた。
それなら、政府が悪者だから、国民が政府を倒して民主制を勝ち取らねばならない。
[5174] 民間宗教はなぜあるか? h20.5.24
国の政府は、国民に知られようが知られまいがともかく神制をやっている。
しかも、神が神である(つまり、神に人間が従わなければならない)理由はないから、神は原則的には誰でもいい。
神制には、政府以外の者がやってはいけないという決まりはない。
だから、政府以外の者が神制を使って“政府ごっこ”をしているのが、民間宗教なのである。
したがって、民間宗教に入ったら、信者は財産を教祖や幹部に吸い取られて不幸にされるだけである。
[5175] 内閣総理大臣とは何か? h20.5.24
内閣総理大臣は、国民の代表者の集まりである国会の議長であって、王ではない。
だから、王のつもりになって国民に命令を出してはならない。
[5176] なぜ私は議長をやらないのか? h20.5.24
私が議長をやっても面白いと私自身が思わないからである。
議長をやって面白いと思う者以外は議長をやりたがらない。
[5177] 空飛ぶ円盤 h20.5.24
空中を移動する発光物体は実在するだろう。
でも、空中を移動する発光物体を見て、それを宇宙人の乗り物だと考えることはまちがいだろう。
だから、今後のUFO番組は、発光物体を宇宙人の乗り物にしてすまさないで、空中を移動する発光物体の正体を科学的に解明する番組にすればいい。
どうせ、神武天皇の隣で光っていた放電現象を空飛ぶ円盤に喩えて放送しているだけのことだろう。
だから、日本が神制を採っているかぎり、永遠にUFO番組は続くのだ。
[5178] 政府は強盗団 h20.5.24
政府は警察と協力して国民からお金を脅し取っている強盗団である。
政府は脅し取ったお金を自分達の遊び代や貯金にしているのだ。
その上、神制で余計な命令を作って国民の幸せを妨害しているのだ。[イラン・イラク戦争で兵隊を100万人殺すくらいなら、政治家を100万人殺せばよかった。]
インドのお寺のように、神制だけのためにある政府にはお金を払いたい人が払いたい分だけ払うようにすべきである。
そうすれば、政府もちっとはましなこともするだろう。
[医者も病人だけが実費で支払うのがいい。]
[5179] 蟹[かに] h20.5.25
『東海の小島の磯の白砂にわれなきぬれて蟹とたはむる』は明治41年に石川啄木が発表した歌である。
『蟹工船』は、1929年(昭和4年)に小林多喜二が発表した小説である。参考
両作品には“蟹”と言う語が共通して見られる。
現代においてもなお高級な食材として知られる蟹は天皇家の喩えである。
石川啄木の歌は、自分が天皇家を題材にした小説を書こうとしたが結局うまく書けなかったことを嘆いた歌だと考えられる。[東海の小島とは世界の極東の島国である日本のこと、磯は荒々しい大波が打ち寄せる岩場のこと、白砂は小説の原稿用紙のこと、蟹は天皇のことだから、世界の辺境にある日本ではいまだに天皇制が厳しくて必ず天皇をネタにした小説を書かねばならない決まりがあるのだが、いやいや書かされて面白くないので、なかなかいい小説が書けないことだよという意味であろう。]参考
小林多喜二の小説は、天皇制のために苦しい生活を強いられている日本を蟹の缶詰を作る船に喩えた話である。当時は軍部が江戸幕府のように武力で天皇家を抑えるものと期待されていたのだ。
石川啄木も小林多喜二も天皇制に対して批判的だったので不遇な人生を送らなければならなかった。
昔から日本人は神制度をしている政府や日本神道と戦ってきたのである。
[5180] なぜ戦争は神制で行われるのか? h20.5.25
戦争は、政府が国民に敵国の人間を殺せとか戦って死ねとかいった命令を出すことである。
ところが政府は国民と同じ人間だから、政府だけでは国民に人殺しの命令を出すことはできない。
人殺しの命令が出せるのは人間よりも上の神だけである。[民間宗教やギャングでも、教祖やボスが神として人殺しの命令を出すことがある。]
だから、政府が人殺しの命令を出すときには、必ず神制を使って命令を作って出さねばならないのである。
だから、戦争における兵器とか作戦には、必ず神にちなんだ名前が付いているのである。
しかし、そもそもは政府が独断と偏見である特定の人物(超能力者であろうがなかろうが)を人間よりも上の神と決めているだけだから、本当は政府自身が人殺しの命令を出しているにほかならない。
だから、戦争の原因は神ではなくて政府である。
したがって、政府がなくなれば戦争は起こらなくなる。
[5181] 男が男を好きなわけ? h20.5.25
女は男ほど中身つまり知覚空間(知覚で考えて作った世界)がない。
人間を見かけよりも中身で見ると、一般的には女は男に劣る。
人間を見かけよりも中身で見るタイプの男は、ときに男を好きになることがある。
もっとも、相手の知覚空間が好きなだけで、身体が好きなわけではない。
[5182] どうして私を女の子に変えたアニメがあるのか? h20.5.25
政府はある特定の人物(超能力者であろうがなかろうが)を人間よりも上の神とすることがある。
人間は人間に対して普通の命令しか出せないが、神なら人間に対して特別な命令を出すことができる。
それに、人間よりも上の者には人間同士の関係を定めた民主制の法律が適用されない。
したがって、政府は神の命令と言うことにして神の個人情報を使ったアニメや電化製品などを国民に作らせているのである。しかも、神には人間に対する法律が適用されないから、プライバシー侵害にも名誉毀損にもならないと政府が一方的に考えているのだ。
しかし、そもそもある特定の人物を人間よりも上の者とすることは政府の独断と偏見にすぎないのだから、政府が神を使って特別な命令をアニメ会社や家電メーカーなどの民間企業に対して出すことはできない。
[5183] 政府の越権行為 h20.5.25
特定の人間を人間よりも上の者にできるのは、人間よりも上の者のさらに上の者つまり神の上にある者だけである。
政府は人間だから、人間が人間を人間よりも上の者にすることはできない。
そんなやりかただったら、ブタの政府が特定のブタ(超能力ブタであろうがなかろうが)を人間にできることになる。
[5184] 私の超能力は本当にあったのか? h20.5.25
私は自分の超能力を自分の眼で見た記憶はなく、私が小学2〜3年生の頃母から私が赤ちゃんの頃に家で不思議なことがあった話を聞いたことが1度あるだけである。
話を聞いただけで、はたして本当のことだと言えるのだろうか?
しかし、例えば物理学科の学生にとってマイケルソン=モーレーの実験もラザフォードの実験も自分でやったことはなく、本で読んで信用しているだけである。[だから、日本は物理学が弱いのだ。本で読んだことと、自分の眼で見て確認したこととでは自信の強さが全然違う。]
だから、信頼できる筋からの情報は本当のことだと考えてよい。
私の母は嘘を喋るときと本当のことを喋るときとでは話し方が全然違う。
そのときの(つまり、家の中で不思議なことがあった話をしたときの)母の喋り方は感情や実感がこもっていて、とても嘘の作り話だとは思われなかった。
それに、そもそも政府が特別に“私”を神にしなくてもいい。誰でもいい。政府が儲けるために都合のいい者、例えば思春期に暴れそうな者なら誰でもいい。暴れそうな者なら、私よりも適任者がいるはずだ。父親が犯罪者とかヤクザとかの息子を神にすれば、もっと戦争で儲けることができたはずだ。
だから、やっぱり私が超能力者だったのだ。私は赤ちゃんのころに念動力が使えたのだ。
[5185] 未来の神制 h20.5.26
神制は政府が不合理的な命令を出すためのひとつの手段にすぎない。
これまでは神が実在の人物であったが、将来は実在しない人物にだってなるかもしれない。
とにかく政府は自分を有利にするために不合理的な命令さえ出せればそれでいいのである。
政府に国を不合理な命令でかき乱されるので、国民はたまったもんじゃない。
神制は政府が不合理的な命令を出すためのいいわけにすぎないのだ。
将来は神のいない神制にだってなるかもしれない。
神に縛られる神制では政府にとってもやりづらいからだ。
今の神制は政府が神の正体を隠しながらやっているので、神がいてもいなくてもあまり変らないから、神のいない神制でも通用するはずである。
つまり、将来の神制では、ただたんに政府が不合理的な(ときには人殺しを伴う)命令を出すだけなのだ。
そのほうが政府にとってはいい時期に都合のいい命令を好きなだけ出すことができて便利だからである。
しかし、これでは国が政府の好き勝手にされるだけである。
それでも、国民はおとなしく政府のいいなりになるだけなのだろうか?
国民には政府の言いなりになる悪い習慣が身につきすぎているのではないだろうか?
いっそのこと、国民に対して“理由のない命令”を出してくる政府を無くしてしまったらどうだろうか?
そうしないかぎり、政府はますます神制度を強めていくだけだ。
[しかし、神制が強くなりすぎると、戦争をやらされて負けさせられることになる。]
[5186] なぜ私を女の子にしたアニメがあるのか? h20.5.26
天皇制では、小説を書くときには必ず天皇を題材にして書かねばならなかった。絵を描くときにも必ず天皇を題材にして描かねばならなかった。『のらくろ』(顔が昭和天皇に似ている)や『あんみつ姫』(黄燐を使った推理の話があった?たぶんあんみつは昭和天皇の好物だったのだろう。)などのマンガも同様である。戦後にテレビができてからは、すべてのテレビ番組が天皇を題材にして作られていた。例えば、『月光仮面』とか『まぼろし探偵』とかも、タイトル名が神武天皇の発光現象にあやかっている。戦後はずいぶんと光の輝きが衰えてしまったようだ。
それと同じように、私に関する神制では、私を題材にして小説とかテレビ番組とかを作らねばならないので、例えば少女アニメを作る場合には、私を女の子にしたようなキャラクターになるのである。
つまり、私を女の子にしたアニメがあるのは、日本政府が神制をやっていると言う証[あかし]である。
ところで、日本政府が神制をやっているということは、とりもなおさず日本政府が理由のない不合理的な命令を国民に対して押し付けているということである。つまり、政府が神制をやっていることがそのまま政府の権威の強さを表しているのである。[政府もヤクザや暴力団と同じ不合理的な組織である。詳しく言えば、政府が暴力団の幹部で、警察が暴力団の組員といったところか。]
したがって、日本政府に限らず、一般的に日本では不合理的な命令でも通用することになる。
それだけ日本が不合理的な国、つまり非知覚的・感情的な国になる。
つまり、日本政府が神制をやるのは、日本を不合理的な国に変えるためである。
日本が不合理的になると、国民が馬鹿になるから政府の命令をおとなしく聞くようになるので、そのほうが政府にとって都合がいいからである。
つまり、政府が神制をやることは国民を不利にすることになる。
だから、政府に神制をやらせてはいけないし、どうしても政府が神制をやり続けるなら国民が政府を倒して無くすしかない。
[5187] 日本政府の仕事は無駄。 h20.5.26
日本政府は、日本中で作られているすべての本や雑誌やテレビ番組などが神制に従っているかどうか厳密にチェックしているのだ。
そんなことのために国民の税金が使われているのだ。[そんなことのために税金を使うくらいなら、福祉に回したほうがいい。]
しかも、神制に従っているかどうかのチェックは、たんに私を題材にしているかどうかというだけではなく、作品の雰囲気が私に似ているかどうかまでも問題にされるのである。明治時代になって、江戸時代にあった歌舞伎も長唄も落語も大衆芸能もすべて禁止されて、明治天皇の気風に合ったあだ討ち物とお家騒動物だけが許されたのと同じことである。参考
だから、政府がないほうが文化が開放的で自由になるし、税金もかからずに済むので、一石二鳥だ。
[5188] 神制は政府制だ。 h20.5.26
天皇や私は神すなわち人間よりも上の者つまり人間が絶対的に従わねばならない者と考えられている?ので、政府が天皇や私の情報を使って国民に理由のない不合理的な命令を出して従わせることを正当化するために用いられている。[しかし、いまどきテレビで天皇を見て人間よりも上の者と思う者がはたしているだろうか?どう見ても、ただの人間にしか見えないのだが。私については言うまでもない。]
政府が神を用いているのであって、神が政府を用いているのではない。
つまり、神制は政府制である。
[5189] 子供達のために h20.5.26
子供達がかわいいと思わないのか?!
どうして今の子供達のためにいい世の中を作ろうと思わないのか!?
不合理的な活動ばかりする暴力団のいる世の中は嫌だろう?
だから、国家暴力団である政府も無くさねばならないのだ。
[5190] いい政治とは h20.5.26
便りのないのがいい便りというように、
あってもなくても変らないのがいい政治だ。
世の中が平和でさえあればいい政治だ。
余計な命令ばかり出してうるさいのは悪い政治だ。
[5191] 政府はどうして税金を取るのか? h20.5.26
政府の仕事は、神制を使って国民に対して不合理的な嫌な命令を作って出すことである。
国民は政府の“命令の押し売り”を喜ばないから、誰もお金を払って政府の命令を買う者はいない。
そこで、政府は警察を使って先に国民からお金を無理やり脅し取って、そのお金を使ってわざわざ神制で余計な面白くない命令を作って国民を従わせているのだ。
[5192] 国家≠政府 h20.5.26
国家と政府は同じものではない。
国家は政府と国民の混合体である。
政府は神制を使って国民に対して不合理的な攻撃をする極悪組織である。
国家の歴史は、政府と国民の戦いの歴史である。
[5193] 神制度は人為法則である。 h20.5.26
神制度すなわち“神に人間が従わねばならない”ことは人為法則であって、自然法則ではない。
神は、政府が独断と偏見で神つまり人間が従わねばならない者に決めた者であって、その正体は超能力者であったりなかったりする。超能力者といっても、『バビル2世』のように何でもできる人間離れした能力の持ち主ではなく、おそらくは身体の一部が薄白く光ったり、念力で小さなおもちゃを動かしたりできるだけの者である。[だから、聖書や仏典の超能力についての記述は、超能力者?を立派に思わせるための嘘である。]
したがって、神に人間が従わねばならないことには理由がなく、政府が決めたたんなる約束事にすぎないから、いざとなれば誰でもその人為法則を破ることができる。ただし、政府が神制度を国民に守らせるために、違反者に対して罰を与えることもある。
政府が神を置くのは、通常の方法では出せない命令(例えば、人殺しや自殺の命令)や不合理的な命令(例えば、国民に税金を払わせる命令や神の個人情報を入れた番組や製品などを作らせる命令)を政府が国民に出せるようにするための工夫である。つまり、政府の都合のために神がいるだけである。[税金はそもそも政府が不合理な神制をやるためにかかるお金だから、税金を払わせる命令もまた不合理な命令である。だから、神制がなければ、国民に税金を払わせることもできない。しかし、これでは神制のために神制があることになり、悪循環である。この悪循環を断ち切るためには、政府が神制度で成り立っている組織であり、神制度がまちがった馬鹿馬鹿しい制度であることをみんなに納得してもらうしかない。]神制があれば、国民の反乱が起こらないかぎり、政府はどんな無理な命令でも出すことができる。例えば、戦争の命令だって出すことができる。だから、神制は政府にとっては大事なありがたい制度だが、国民にとっては嫌な無いほうがいい制度である。
反対に、科学の自然法則は誰一人として破ることはできない。だから、わざわざ罰[ばつ]を決める必要がない。科学には裁判所も警察も要らないのだ。
[5194] 私は本当に超能力者だったのか?☆ h20.5.26
政府がやっていくためには、どうしても神が要る。神がいなければ、国民から税金を取り立てることもできなくなる。
だから、もしかしたら、敗戦で天皇に神としての資格がなくなったために、政府が天皇の代わりに私を新しい神にしようとしただけなのかもしれない。
つまり、私は超能力者ではなかったのかもしれない。
[しかし、私は私が小学2〜3年生の頃、母が聞かせてくれた「昔鴨部に住んでいたとき夜中にガラガラが突然回ったリ、家の中にある物がときどき突然動くことがあった」話を信じている。そのとき私が近くにいたことも確かである。しかし、それ以上のことは現在のところまだ不明である。その現象は私の超能力のためだったかもしれないし、あるいは神武天皇の隣で輝いていた光の玉が放電現象による可能性が高いように、何か私とは関係のない未知の自然現象によるものだったかもしれない。どちらにしても、私はせいぜい念動力が使える超能力者だっただけで、けっして神(つまり、人間が従わねばならない者)であるわけではない。]
[5195] 日本航空123便墜落事故 h20.5.27
ジャンボジェットのジャンボは巨人だから、政治家の喩えである。
520名の死亡者は、ほぼ国会議員の数と一致する。
墜落の原因は、最後部の圧力隔壁の破損だとされているが、圧力隔壁の破損は天皇の人間宣言の喩えである。
したがって、この事故は天皇制の終焉を国民に対して告げる事故だったと考えられる。
[人間は言葉が使えるのだから、物に喩えずに言葉で言えばいい。]
[5196] 神武天皇は神ではない。 h20.5.27
いくら放電現象の隣に立っていても、神武天皇が人よりも上の者にはならないからである。
それは、ただ、たまたま珍しい自然現象が神武天皇の近くで起こっただけのことにすぎない。
昔の人はまちがって放電現象の隣にいた神武天皇が光の玉を出したと考えて神武天皇を人よりも上の者だと考えたが、それは昔の人がまだ電気現象を知らなかったからだし、昔は人間がまだ自然を支配する者ではなく自然に支配される者だったから、人間よりも上の神の存在を強く信じていたので、普通の人にできないことができる者をすぐに神だと考えたからである。
昔の人の誤解をいつまでも引きずっていてもいい世の中にはならない。
まちがいを正してこそいい世の中になるのだ。
だから、天皇制はやめなければならない。
[5197] セントエルモの火 h20.5.27
神武天皇は小高い岡の上で弓を地面に着けて立っていた。
上空では雷雲が発達していた。
そこで、弓が避雷針の役割を果たして、地面と雷雲の電位差がちょうどいい具合になると、弓の先に光を出す放電現象が発生するのだ。
鳶[とんび]は、弓の先と雷雲の間に電気が通りやすくする役目を果たしたのだろう。
神武天皇が神ならば、富士山頂の測候所に勤めた人はみんな放電現象の近くにいたから神だということになる。
[5198] なぜ江戸文化は解放的で自由だったか? h20.5.27
それは徳川家が人間だったからである。いくら刀を振りかざして脅しても、しょせん人間は人間にすぎない。
人間が人間を支配することはできないので、文化についての規制もなかったので国民は自由に好き勝手なことができたのである。
反対に、天皇は政府(当時は政府と言ったかどうか知らんが)が人間よりも上の者としていたので、明治時代になって政府が動き出すと政府がいろんなルールをガミガミうるさく決めて学問の自由や遊びの自由が奪われたのである。
しかし、現代では政府の力が弱くなったので、神武天皇は放電現象の隣に立っていた人で、政府は不合理な神制度で食っているだけの国家暴力団で、警察は政府を守るために置いているだけだ、つまり私がこの哲学日記に書いた程度のことは自由に言ってもいい時代になっているのである。[現[げん]に、私がこうしてピンピン生きているではないか。]
[5199] 神にされた者 h20.5.27
天皇は“神である者”ではなくて、政府が“神としている者”である。
つまり、天皇は作りごとの神である。
今の天皇の祖先の神武天皇は放電現象の横に立っていた人である。
私も突然夜中に回りだしたガラガラの下に寝ていたので、日本政府に神だということにされてしまった。ガラガラが回ったのは、私の超能力のためかもしれないし、そうでないかもしれない。今のところはまだ不明である。超能力でガラガラを回したという証拠はない。超能力ではない未知の自然現象だったかもしれない。
とにかく不思議現象の近くにいた人を、日本政府や外国の政府は神とするのである。(ただし、中国政府は超能力者を仙人と呼んで人間の仲間に含めて神としないことにしている。)
神がいたほうが政府が不合理な命令を出せるので政府にとって有利だから、政府は不思議現象の近くにいる人を本人が好むか好まざるかに関らず神にするのである。
本人が神にされたところで、本人にとっては特に得になることはひとつもない。
政府に利用されるだけだったら、誰も神にはなりたくない。
[5200] 神制度とは?☆☆ h20.5.28
神制度とは、不思議現象の近くにいた人に他の人間が従わなければならない制度である。
神制度を仕切っているのが政府である。
政府は神制度をやるためだけにある機関である。
神制度をやるために政府は国民から毎月高い税金を取っている。
不思議現象が近くにいた人の能力で起きたのかそれとも近くにいた人とは関係のない自然現象なのかわからないし、たとえその人の才能だったとしてもその人に他の人間が従わねばならないことにはならないから、神制度は曖昧模糊な上に不合理的な制度である。[そもそも不思議現象が作り話だったという可能性もある。]
つまり、不思議現象は近くにいた人の超能力によるものではない可能性があるし、超能力者に人間が従わねばならないことには論理の飛躍があるので、神制度は成り立たない。したがって、神制度をやるためにある政府も要らない。