[5001] 民間宗教と国家宗教の違い h20.5.7
民間宗教は国家宗教を真似て作った宗教である。
民間宗教では超能力をテレパシー能力だと考えている。
国家宗教では超能力を念力で光を出したり小さな物を動かす能力と考えている。[だから、めったに超能力者は現われない。]
民間宗教は教祖制すなわち教祖に人間が従うことがその宗教に入っている者の中でしか通用しないが、
国家宗教は現人神制すなわち超能力者に人間が従うことが国全体あるいは世界全体に及ぶ。
民間宗教では神と宗教家が同じ場合が多いが、
国家宗教では神と宗教家が最初から別である。
つまり、民間宗教では教祖自らが命令を作ってその宗教に入っている者に対して出すが、
国家宗教では超能力者の体験や思考をもとにして超能力者とは別の宗教家が命令を作って国民に出すのである。[誰でも一生に一度はブロックを“組み合わせ”て遊んだり、また数学で“組み合わせ”という言葉を習うから、超能力者の体験や思考の記録をもとにして宗教家がそれらを自由に組み合わせて自分にとって都合のいい命令を作るのである。]
民間宗教では宗教が人々を幸福にするものと考えているらしいが、
国家宗教では宗教の者が現人神制を使って戦争や事故を起こして国民を殺して喜ぶだけである。
[5002] 天皇制と現人神制は違う。 h20.5.7
“水に流す”のは、日本神道が何代目かの天皇の気質を用いて天皇制で作った国民に対する命令である。だから、例えば、犯罪に時効があったのである。
私は天皇とは別人だから、私に関する現人神制では一度起きたことは未来永劫4次元宇宙の中に存在し続けることになる。
つまり、私は水に流さない主義なので、天皇制とはわけが違う。
天皇制と私に関する現人神制とをけっして混同してはいけない。
例えば、天皇制では外国の論文を読むことが研究だが、
私に関する現人神制では自分で考えることが研究である。
もっとも、現人神制も天皇制も両方とも廃して、個人性にする(つまり、自分で自分のやり方を決める)のが最も適切だろう。
[5003] 宗教とは何か? h20.5.7
宗教とは、現人神制や天皇制を使って国民(超能力者や天皇を含む)を不幸にすることである。
宗教が、歴代天皇の短所(例、Hで残酷で論理性がない)を暴力団などを使って国民に植え付けるのが天皇制で、
超能力者である私の短所(例、格好が悪い)をテレビ番組などを介して国民に植え付けるのが私に関する現人神制である。
それに飽きたら、たまに天皇や超能力者の体験や思考に因[ちな]んだ列車や飛行機の事故を起こして大勢の人間を殺して退屈しのぎをする。
それでも物足りなくなったら、世界中の宗教と協力して天皇や超能力者の体験や思考に因[ちな]んだ世界戦争を起こして国民に殺し合いをさせて楽しむ。
宗教の者は偽善家で他人面[ひとづら]がいいだけで、頭の中は意地悪や人殺しのことしかないのだ。[宗教に対して腹が立った者は、自分で考えて行動せよ。]
[5004] 『ミンキーモモ』第44話「北の国の伝説」について h20.5.8
F13の種は、私の脳の中にある念動力器官の喩えである。
F13の大樹が成長することは、私の念動力が発現することである。
北の国は、日本に現れる超能力者を管理する日本神道の宗教の喩えと、私が念動力を出した頃に住んでいた高知市朝倉の鴨部[かもべ]の家[その後私が住んでいた若草町の県営住宅から見ると、鴨部は東“北”の方向に当たる。]の喩えである。
鈴の音は、一見幻聴の喩えっぽいが、これはカモフラージュである。つまり、念動力器官を幻聴器官に思わせるための工作である。
北の国の伝説は、念動力について昔の人が考えた事実無根の憶測の喩えである。つまり、念動力は周りの人の生気を吸って作動するのだと昔の人は考えたのである。
つまり、この話は、宗教が昔の人が考えた憶測を根拠にして私の念動力を何らかの方法で封じた話だと解釈される。
F13の夢とは、念動力器官の原理を応用すれば将来いろんな発明が作られて人類の生活が便利になるということだ。
しかし、今は念動力の原理や仕組みがわかるほど医学が進んでいないから、今のところは念動力を研究しないで念動力器官を働かないようにして念動力を封印するしかないと言っているのだ、としか考えられない。
しかし、実際には、宗教は超能力者に関する現人神制を利用して国民(超能力者を含む)を苦しめる悪事を働くにすぎない。超能力者の超能力を封じるのは、神の正体が超能力者であることが判明すると[ユリ=ゲラーや関口少年の例を見てもわかるように]超能力者には人間が従おうとしないので、神に人間が従わねばならない現人神制がやれなくなるので、超能力者の超能力を封じて神の正体がわからないようにして現人神制を使えるようにするためである。だから、現在の医学では念動力の原理や仕組みがまだわからないという理由はでっちあげにすぎない。
つまり、早い話が、宗教が国民に対して意地悪をしやすくするためだけに、私の念動力を封じて使い物にならないようにしたのである。
宗教の者は殺さないと気がすまない。
ちなみに、第44話の44=2×2×11←1月22日は私の誕生日である。
[5005] 日本でなぜ事故が起こるのか? h20.5.8
日本が外国に遠征して戦争をしていたのは、明治から昭和までと、日本が戦国時代に入る前である(例、白村江[はくすきのえ]の戦い)。
戦国時代に入ってからは武家の力が強くなったので天皇制が衰えて日本は外国に戦争しなくなった。
戦争は国民を使って殺し合いをさせる大量殺人にほかならない。
超能力者であった神武天皇が念力で光の玉を出したのは、戦[いくさ]の最中である。
だから、戦争は宗教が神武天皇に関する現人神制を使ってやったと考えられる。
最近は、戦争が起こっていないが、相変わらず宗教が列車や飛行機の事故を起こして大勢の人を殺している。
国家議員がときどき靖国神社に行って、神武天皇に従うことを国民に公表している。
だから、宗教が起こしている列車や飛行機の事故はたしかに私に因んでいるが、私は戦[いくさ]で人殺しをしたことがないから、私が子供の頃にブロックを組み合わせて遊んだことを使って、私に関する現人神制と神武天皇に関する現人神制を“組み合わせて”起こしたのだと考えられる。
もしかしたら、『エロ・グロ・ナンセンス』の標語の通り、天皇家は残酷な性格なのかもしれない。しかし、私の弟も虫を冷凍庫で凍らせる趣味があったし、私も子供の頃に虫かごごと虫を水に浸けて大勢の虫を殺したことがあったし、人間はもともと動物だったので、誰でも多かれ少なかれ残酷さはある。だから、歴代の天皇に残酷な性格の強い者がいても不思議ではない。
しかし、だからと言って、戦争や事故の責任を私や神武天皇などの超能力者や神武天皇の子孫である天皇家に押し付けるのは見当違いだ。
現人神制を守るために、赤ちゃんの頃の私の念動力を封じたのは日本神道の宗教の者にほかならない。
そもそも念力で光の玉を出しただけの神武天皇を嘘をついて[人間が従わねばならない]神だと言い始めたのは日本神道の宗教の者である。
宗教が現人神制を使ってやるのは、国民に対する意地悪か戦争や事故などの人殺しだけである。
だから、宗教が全部悪いのである。
[しかし、現人神制や天皇制をわけがわからないまま納得している国民にも責任がある。国民は宗教に対してもっと文句を言うべきである。]
[5006] 福祉国家 h20.5.8
昭和天皇が長生きしたので、日本神道≡日本政府は天皇制を使って年金制度や老人医療に力を入れているかもしれない。
しかし、実際に、日本政府が年金制度や老人医療にそれほど力を入れていなければ、やはり天皇制や現人神制では悪いことしかしないのかもしれない。壊した列車や飛行機の代金や遺族への慰謝料やその他の現人神制や天皇制で出した損失の補填[ほてん]や、あるいは将来の第3次世界大戦に投資するための貯金に無駄なお金がかかって、肝心なことにお金を掛けられなくなっているのかもしれない。
[5007] 超能力者仮説 h20.5.8
神武天皇や私が超能力者であると考えれば、今の日本や世界の社会現象がうまく合理的に説明できる。
たしかに、私自身も自分が超能力を使った憶えがないし、私の超能力を直[じか]に見たのは私の両親か日本神道の者しかいないし[私が鴨部に住んでいた頃に私が念動力を使った話を母から聞いたことがある。それ以前は私の身体の治療のために升形[ますがた]の下宿に母といっしょに住んでいて、その後は若草町の県営住宅に住んでいたから、私が鴨部に住んでいたのは私が1才頃から2才3ヶ月までである。だから、その間に念動力が出たのである。]、その他の人は超能力を見たことがないから、神武天皇や私が超能力者であることを疑っている人は多いだろう。
しかし、その他の仮説では私の超能力者仮説ほど今の日本や世界の社会現象をうまく説明できないはずだ。
科学では、もっとも有力な仮説を真実と考えるものだ。
だから、私の超能力者仮説を信じなさい。
[5008] なぜ日本で天皇制をやっているのか? h20.5.8
親と子は似ているから、神武天皇の子孫である天皇は超能力者であった神武天皇に似ていると考えられるので、日本では現人神制に似せた天皇制をやっているのである。
しかし、実際には、親子であっても違いがあるので[例えば、私は母親似なので、私は父親には似ていない。しかし、私が小さい頃薫的のおじいさん(母の父親)に頭をさすられながら「のんくん(私のあだ名)は頭は父親似だ」と言われたことがある。つまり、私は身体と心は母親に似ているが、知覚は父親に似ているのだ。]、2000年以上経った125代目の今上[きんじょう]天皇が初代神武天皇に似ているとはとうてい考えられない。
だから、天皇制はもはや成り立たないのである。
[ちなみに125は5の3乗だが、私が高知学芸中学校3年生の頃、沙悟浄[さ・ごじょう]と言うあだ名で呼ばれていた数学の横田先生が授業中に駄洒落で「3の5乗」と言ったことがあった。高知学芸中学校の3年C組ではしょっちゅう授業中に浦山君と西川君が「はすいけ」「ちょうじゃ」と言い合っていたが、浦山君が越知郡の長者に住んでいて西川君が高知市蓮池町に住んでいた?からではなく、その頃の私が調子がよく勉強ができたので、私が将来政治家や会社の社長になって大金持ち(長者)になるか、あるいは[横≒斜[はす]だから]英語の横本先生や数学の横田先生のように教師≒学者になって学界で活躍することを日本神道が期待していたからだと思われる。数学の横田先生はタバコの吸いすぎで肺癌で亡くなったそうだ。]
[5009] 第2次世界大戦の目的 h20.5.8
第2次世界大戦は、世界中で宗教つまり現人神制をつぶすのが目的だったのである。[[4987]
日本はなぜ太平洋戦争に敗れたか? h20.5.7を参照。]
帝国つまり政府が現人神制をやっている国をやっていない国がつぶすことが、第2次世界大戦の目的だったのである。
つまり、現人神制をやめるのが世界全体の動きだったのである。
そして、それは今でも続いている。
だから、現代において現人神制をやることはやはりまちがっているのだ。
[5010] 第2次世界大戦におけるヨーロッパ戦線について h20.5.8
ドイツの戦艦ビスマルクが、最新鋭のレーダーシステムを装備していたにもかかわらず、イギリス軍に破れたのは、戦艦ビスマルクの設計方針が古臭かったからとされているが[Wikipedia「ビスマルク(戦艦)」を参照]、それはビスマルク宰相がドイツに古臭い帝政を敷いた悪い宰相だったことを表している。
戦艦ビスマルクが近接戦には強かったが遠距離戦に弱かったのは、ビスマルクの政治が表面的には民主制で正しく見えるが、奥底では帝政すなわち現人神制?でまちがっていたことを表している。
開戦初期の頃に優勢だったUボートがイギリス軍による通信電波の暗号解読によって劣勢に追い込まれたのも、ドイツが水面下で密かに行っていた現人神制の具体的なやり方がイギリスによって解明されたことを表している。
このように第2次世界大戦は、すべて世界政府によって最初から仕組まれたお芝居だったのである。各国の政府が集まってあらかじめ戦争の段取りをしてその計画通りに実行していただけのことなのである。
つまり、宗教もまた世界政府の一部にすぎなかったのだ。
世界政府は、宗教つまり現人神制よりも実在制つまり科学や民主制を選択したのである。
今後、どこかの国で現人神制が強まれば、世界政府はまた戦争をしてその国を懲らしめるだろう。
[5011] 制度とは何か? h20.5.8
制度とは、ある人間が考え出した人間社会についての法則である。
いわば、数学の定理や物理の法則のようなものである。
だから、まずその定理が本当に正しいかどうかについて疑わなければならない。
まちがった社会法則に基づいていくらそれを具体化しても全部がまちがっているのは、
数学においてまちがった定理に基づいていくらそれを演繹していろんな問題に適用してもすべて結果がまちがっており結局全部が無駄になるのと同じことである。
例えば、つい最近まで天皇制や現人神制が正しいと信じられてきた。
つまり、社会科学はそれほどまでに遅れているということなのである。
例えば、いまだに唯物論か唯心論かでもめている。
哲学も社会科学と同様に遅れている。
ただ、物理学においては古い法則がまちがっていて新しい法則が正しいことはよくあることである。古い法則の矛盾点を突いて新しい法則が生まれるのである。例えば、「重い物ほど速く落ちる」というまちがった法則は、重い物と軽い物とをつなげることで矛盾が明らかにされ「すべての物は同じ速さで落ちる」という正しい法則が得られる。
社会学においても、古い現人神制がまちがっていて新しい民主制が正しいのである。人間が従わなければならないのは実在(実在についての正しい知識)と、共通の正しい実在観に従っている国民の意志の代表者が多数決で決めた国民共通の意志だけであり、現人神つまり超能力者は超能力のある人間にほかならず、超能力者は実在でも国民共通の意志でもどちらでもないから、超能力者に人間が従わなくてもよいのである。したがって現人神制はまちがった社会法則であり、その類似法則である天皇制もまちがった社会法則である。
現人神制や天皇制はまちがった社会法則だから、現人神制や天皇制を国法の原理とする神制や帝制の国は、さっそく正しい社会法則である民主制を国法の原理とする民主制の国に改めなければならない。[現人神制や天皇制は実際には宗教が国民(現人神≡超能力者や天皇≡超能力者の子孫を含む)を支配する宗教制だが、正しい社会法則は民主制だから、宗教制もやはりまちがった社会法則であり、民主制に改めねばならない。]
つまり、国法も正しい社会法則から出来ていなければならない。ただ、国の個性によって細かい法律は国によって違ってくる。それは、自然科学の分野において、原理とする基礎方程式は世界共通だけれども、国の得意とする分野つまり国の持っている具体的な細かい法則(科学知識)が国によって違っているのと同じことである。つまり、民主制は今や世界共通の社会法則の原理だけれども、民主制の原理をそれぞれの国に適用して得られた各国の法律は国によって違っていることになる。
[5012] 宗教とは何か? h20.5.8
人間が幸福に生きるとは自分の心を満足させることである。
だから、そんなことは個人でやればいいことである。
ところが、そんなことすらひとりでできないボンクラがいる。
そんな者が宗教に入る。
宗教に入ると教祖に財産を吸われて貧乏になって殺されるだけである。
まあ、どうせ宗教に入るようなボンクラには生きる資格がない。
だから、宗教は要らない人間を殺すためにある組織である。いわば、お百姓さんが田んぼの雑草を間引くようなものである。美味しそうな臭いでゴキブリを集めて殺すゴキブリホイホイにも似ている。
そういう意味では、宗教は社会の善化に役立っている善い組織だといえる。
[5013] 身体で教える h20.5.8
現人神制や天皇制の実体は、宗教が国民(超能力者や天皇を含む)を支配する宗教制である。
宗教の者は自分が痛い目や苦しい目に遭[あ]っていないから宗教制がまちがっていることがわからないのである。
どうせ現人神制や天皇制による戦争や事故で人を殺すなら、宗教の者を殺せばいい。
そうすれば、現人神制や天皇制のまちがいを自[みずか]らの身をもって知ることになり、すぐにでも改めるはずである。[死んでしまったら改められないが。]
宗教の者は自分が現人神制や天皇制を信じて、神とされる現人神(超能力者)や天皇に人間が従わねばならないように自分に国民が従わねばならず自分が国民よりも上の者のつもりでいるかもしれないが、実在制から見ればまちがった社会法則を信じている者だから国民よりも下である。だから、国民が宗教の者を考えがまちがっていることを理由に殺せることになる。
[5014] 現人神制や天皇制と民主制の統一はできない。 h20.5.8
相対性理論は天動説と地動説の統一ではなく、古典力学と電磁気学の統一である。
古典力学と電磁気学は両方とも正しいと考えられていたので統一できた。
一方、天動説はまちがいで地動説は正しいので、もはや統一することはできない。
つまり、天動説と地動説とは矛盾するので統一できないが、古典力学と電磁気学とは矛盾しないので統一できるのである。[厳密には、古典力学をローレンツ不変性に修正した古典力学’[ダッシュ]と電磁気学とが無矛盾なのだが。]
これと同様に、現人神制や天皇制はまちがった社会法則で民主制は正しい社会法則であり、現人神制や天皇制と民主制とは矛盾するから、現人神制や天皇制と民主制を統一することはできないのである。[同様に、現人神制や天皇制から導かれたまちがった宗教制と正しい民主制を統一することもできない。そもそも、天皇制も神武天皇に関する現人神制から導かれたまちがった制度である。]
だから、まちがった現人神制や天皇制や宗教制は正しい民主制によって倒されるしかないのである。
国の法律は矛盾な社会法則の体系でなければならないので、まちがった社会法則を正しい社会法則に混じえてはならない。まちがった社会法則は国の法律から廃除しなければならない。そうしてようやく国が正常に動くようになる。
[5015] 政治家なんか偉くない。 h20.5.8
政治家の正体は宗教家である。理系にとっては、政治家なんてただの馬鹿としか思っていない。だから、政治家なんて偉くもなんともないのが本音[ほんね]である。[文系は論理がない世界だから、政治家の正体もわからないから、政治家が偉く見えるのだろう。]
たとえ民主制の世の中になっても、政治家は国民の意志の代表者にすぎないから、やはり偉くはない。
人間にとって偉いのは、実在についての正しい知識を持つ者だけである。
[5016] 政治家の立場 h20.5.9
政治家は中間管理職である。つまり、政治家は私に関する現人神制と天皇に関する天皇制と国民に関する民主制のすべてに従いながらそれらを統一して国民共通の意志すなわち国の意志である政策を決定しなければならない。だから、政治家はすごく難しい仕事である。
しかし、実際には、政治家の正体は宗教家であり、日本は宗教家である政治家が現人神制や天皇制や民主制を利用して国民(超能力者や天皇を含む)を支配する宗教制である。
民主制の法律が完成度が高いのに比べて、現人神制や天皇制の法律は完成度が低く(超能力者や天皇に人間が従わねばならないだけである。現人神制や天皇制は成文法にもなっていない。)、それだけ政治家が現人神制や天皇制を悪用しやすいのである。実際に、政治家は現人神制や天皇制を悪用して私服を肥やしたり、国民(現人神≡超能力者や天皇を含む)にいたずらや意地悪していじめたり国民を事故や戦争で殺したりして楽しんでいる。
しかし、現人神制や天皇制はそもそもまちがった制度であリ、民主制とは矛盾するから、今後は民主制の法律だけを用いて現人神制や天皇制の法律を用いてはならない。
現人神制や天皇制の法律といっても、実際には、現人神≡超能力者や天皇に人間が従わねばならないことだけであり、まだ罰則が作られていない。だから、現人神制や天皇制の法律を破っても罰せられない。だから、そもそも法がないのと同じことである。
[5017] 物理法則と社会法則の統一 h20.5.9
『人間の感覚は脳細胞の神経興奮によって発生する。』は、現代の物理法則と矛盾しない人間の感覚についての法則である。
また、人間においては心が知覚に従う。
したがって、知覚における共通の実在観に従う人間の心はみな平等であり、人間がある特定の人間(超能力者も含む)に従わねばならない理由はないから現人神制や天皇制(一般に君主制)は成り立たず、人間社会は国民の意志の代表者が多数決によって国民共通の意志を決める民主制であらねばならない。
つまり、自然科学と民主制は無矛盾なので統一されるが、自然科学と現人神制や天皇制は矛盾するので統一できない。
したがって、自然科学を肯定する世界では、現人神制や天皇制は否定され民主制しか成り立たない。
[文系は自然科学を否定するから、現人神制や天皇制でも成り立つのかなあ?]
[5018] 物理法則と道徳法則の統一 h20.5.9
『人間の感覚は脳細胞の神経興奮によって発生する。』は、現代の物理法則と矛盾しない人間の感覚についての法則である。
だから、この人間の感覚についての法則(実在哲学の第1原理)に従って、感覚についての法則を作っていけば、正しい道徳律(道徳法則)が得られる。
つまり、人間の脳には、焦燥感情や抑鬱感情などの感情中枢やテレパシー中枢(テレパシー器官)がある。
焦燥中枢やテレパシー中枢を興奮させると分裂病になり、抑鬱中枢を興奮させると鬱病になる。
だから、焦燥中枢や抑鬱中枢やテレパシー中枢を興奮させてはならない。
また、人間の脳には、性欲中枢や麻薬中枢がある。
性欲中枢や麻薬中枢を興奮させると、心が性感や麻薬感に従って、心が知覚における正しい実在観に従わなくなって「焦燥中枢や抑鬱中枢やテレパシー中枢を興奮させてはならない。」ことを犯すことになり分裂病や鬱病に罹って苦しむことになる。
だから、そもそもオナニーやセックスや麻薬などをやって性欲中枢や麻薬中枢を興奮させてはならない。
人間は、知覚欲や愛情などの健全な感情を満足させて生きて行けばよいのである。
[5019] 視覚とは何か? h20.5.9
人間の知覚が概念を組み合わせて実在と同じ構造を作るように、
人間の視覚野が色の感覚を荷う脳細胞と位置の感覚を荷う脳細胞を組み合わせて、実在と同じ構造体を作っている。
つまり、人間の網膜には、テレビのブラウン管のように3つの色の光に反応する色細胞がある。網膜の色細胞と大脳皮質の視覚野の間には視神経による連絡がある。[普通は眼の網膜にある色細胞から大脳皮質の視覚野にある色覚細胞へ興奮が伝わるが、逆に大脳皮質の視覚野から眼の網膜に興奮が伝わると、眼が光ることがあるかもしれない。]
人間の大脳皮質の視覚野には、色の3原色だけでなく、いろんな色の感覚を荷う色覚細胞がある。[あるいは、大脳皮質の視覚野には網膜と同じように3原色の色覚細胞しかないが、感覚すなわち局在性感覚波の足し合わせによって、近所にある色覚細胞の興奮が足し合わされると連続的な色の感覚が生じるのかもしれない。]
視覚野にある位置の感覚を荷う脳細胞と色の感覚を荷う脳細胞が組み合わさって、平面視覚が成立している。さらに右脳の平面視覚と左脳の平面視覚が組み合わさって立体視覚が脳のどこかに生じている。
こうして人間は物が見えるのである。
[5020] 現人神制や天皇制では国がよくならない訳[わけ] h20.5.9
国がよくなるとは、国民の心が満足されることである。
それは、つまり民主制である。
民主制と現人神制や天皇制とは矛盾する。
だから、現人神制や天皇制では国がよくならないのである。
現人神制や天皇制では宗教の者の心が満足されてその他の国民(超能力者の私も含む)の心が満足されなくなる。宗教の者よりもその他の国民のほうが数が多いから、国全体としては心が満足されない国民が多くなるので国が悪くなるのである。
[5021] 『ウルトラマンプレミアステージ』 h20.5.9
私が最近衛星放送のファミリー劇場で見た『ウルトラマンプレミアステージ』では、敵のボスはエンペラー星人ではなくじつはメフィラス星人だった。
もちろん、エンペラー星人は天皇で、メフィラス星人は天皇制を利用している宗教家≡政治家の喩えである。
第2次世界大戦は人類の宗教に対する攻撃であり、第2次世界大戦が終わったときも、天皇は無罪で、A級戦犯の政治家達が全員死刑になった。A級戦犯の政治家達はじつは日本神道の宗教家達である。[天皇は日本神道に利用されていただけだったので死刑にされなかったのである。]
最近は科学教育が普及してきたので、政治家の中にも反宗教派が増えてきたと見える。
政治家の一部の宗教家が現人神制や天皇制を利用して国民(現人神≡超能力者や天皇も含む)をいじめたり殺したりしていることは、すでにみんなにバレバレになってしまっているのだ。
[5022] 日本神道は違法グループである。 h20.5.9
国会は日本国の唯一の立法機関である。
政治家だけが法を作ることができる。
現人神制の原理は『超能力者に人間が従わねばならない』ことで、その原理に基づいて政治家達が自分達で勝手に秘密裡[ひみつり]にいろんな法を作って日本神道の者にやらせているのである。
つまり、日本神道とは現人神制の法に従う者たちである。
現人神制の憲法は『超能力者に人間が従わねばならない』ことの一か条しかないが、それは不文法であって、公の眼に触れることはない。[現人神制の憲法は不文法なので、立法機関についての規定がないので、国会議員でなくても自由に法が作れるはずだが。]
現在の日本人の多くは現人神制の憲法なんて知らないし、日本人の一部の日本神道の者達が自分達だけの法を勝手に作って守っていて、しかもその憲法が日本国憲法の原理である民主制と矛盾しているので、日本神道の者達は日本国憲法の違反者(犯罪者予備軍)だと見なせる。
天皇制にも2通りあって、日本人すべてが従う日本国憲法で成文化されて公にされている天皇制と、日本神道の者たちだけが従う不文法の現人神制に類似した『天皇に人間が従わねばならない』天皇制がある。やはり、これも日本神道による日本国憲法違反だと見なせる。
[5023] わけがわからないことの利用法☆ h20.5.9
ビスマルクは皇帝制を利用して宰相に出世した。
日本神道は現人神制や天皇制を利用して国民を支配している。
現人神制は超能力が科学的に解明されていないことを利用して、一部の人間が他の人間を支配する制度であると考えられる。
しかし、超能力が科学的に解明されていないことと、人間が超能力者に従わねばならないこととは別である。
だから、現人神制は成り立たないのだ。
同様に、天皇制や皇帝制やその他の君主制も、ある特定の人物が理由がわからずに人間を支配していることを利用して、一部の人間が他の人間を支配する制度であると考えられる。
しかし、ある特定の人物が人間を支配できることの理由が科学的に解明されていないことと、人間がある特定の人物に従わねばならないこととは別である。従わねばならない理由がわからなければ従わなければいい。証明もなしに正しいと信じることは、合理的な人間のとるべき態度ではない。[数学の定理を、証明もないのに正しいと信じているようなものである。]
君主制は、わけがわからない者に人間が従っている現人神制の真似だと見なすことができる。
だから、君主制も成り立たないのだ。
[5024] 個人情報を空想に使ってはいけない理由 h20.5.9
個人に関する事実を述べることはいくらでもかまわない。真実を報道することは自由である。
しかし、個人情報を使って空想を自由に作ってよいとすると、その個人に関する嘘の情報が広がることになる。例えば、新聞のトップに嘘の記事が出たりする。これでは国民に対する情報操作にほかならない。だから、事実を報道する機関においては、個人情報を使って作り話をしてはいけない。
一方、創作において、はじめに「この物語はフィクションです。」と断っても、その中に用いられている情報がある特定の人間に関する真実の情報であるなら、断り書き自体が嘘のフィクションであることになる。創作と言っておいて部分的に真実を述べるやり方も、創作の定義に反するのでいけない。[創作が真実を否定する手段として使われる可能性もある。]
でも、これでは創作行為ができなくなる。
だから、やはり個人情報を売る人間集団が存在すればいい。彼らは、創作者に協力する人として活躍できる。本人の同意があればフィクションに使ってもかまわない。
例えば、聖徳太子や小野妹子については事実の情報がよく知られているから、聖徳太子や小野妹子のマンガはフィクションで通用する。
しかし、無名の人間については、事実の情報が知られていないから、フィクションが事実に見られる可能性がある。
事実とフィクションが混同されるのはいいことではない。
だから、フィクションがフィクションで通用するような、あらかじめ事実がよく知られた有名人が個人情報を売ればいい。
そもそも『うそつきは泥棒の始まり。』というから、創作活動自体がいいことではない。
[5025] なぜ私の超能力は高知新聞に載らなかったのか!? h20.5.9
私の念動力の記事を新聞に載せると、神の正体が超能力者であることが国民に知られて、宗教が現人神制を使えなくなり、宗教が国民を支配できなくなるので、宗教が報道を禁じたからである。[私の身体に何らかの処置をして私の超能力を使えなくしたのも、宗教が現人神制が使えなくなるのを恐れたためである。]
新聞は事実を載せる物だから、私の超能力は新聞に載らなかったので事実でないと考える者もいる。
事実のすべてが新聞に載るわけではないことも知っておいたほうがいい。
[5026] なぜ日本では文学が流行[はや]るのか? h20.5.9
現人神制は、超能力者が実在する事実と超能力者に人間が従わねばならない空想のミックスである。
文学も、実際にあった事実と作家が頭の中で考え出した空想のミックスである。
日本人の感性を文学的にしたほうが現人神制が通用しやすいので、宗教が日本人の感性を文学的にするために、日本で文学を流行らせているのである。
国語の授業もそのためにやっているのかもしれない。
大学に文学部があるのもそのためなのかもしれない。
アニメやマンガも文学の一種で、絵で描いた眼で見る文学だから、宗教活動の一環と捉えることができる。
私の個人情報を使ったアニメやマンガは宗教以外のなにものでもない。日本を現人神制が通用する宗教の国に変えようとする日本神道による布教活動にほかならない。
せめて、宗教活動にならない宗教とは関係のないアニメやマンガがあってほしい。
私はアニメを実在の勉強のために見ているので、そういう人たちのためにも実在色の濃い空想色の薄い作品を作ってほしい。実在には実在の世界の面白さがあり、空想だからといって面白いわけではないから、実在の世界における喜びや楽しさをアニメで描いて多くの人々に分け与えてほしい。
[5027] 世界政府による宗教への攻撃は妥当か? h20.5.9
世界政府は第2次世界大戦のとき宗教を攻撃した。大勢の宗教家が殺された。
しかし、表向きはあくまでも戦争である。そのために宗教の者以外にも大勢の犠牲者が出た。
世界政府は、宗教がまちがっている理由については何の説明もしなかった。
それなら、一度宗教をこの世から滅ぼしても将来再び宗教が甦る可能性が高い。
これまでの苦労が水の泡だ。
だから、世界政府ははっきりと宗教がまちがっている理由を述べて、戦争による手段によらずに宗教を滅ぼすべきなのだ。[どうも、世界政府は現人神の正体まではわかっていなかったようだ。もっとも、現人神の正体が何者であるにせよ、人間が従わねばならないのは実在か国民共通の意志だけだから、現人神に人間が従わねばならないとする現人神制がまちがっていることに変わりはない。だから、世界政府はたとえ現人神の正体がわからなくても、宗教を殺してかまわない。]
世界政府が宗教を殺すことは正しいが、用いた手段に問題がある。宗教以外の者を大勢殺しては宗教のやっていることと同じだ。それでは世界政府も宗教とドッコイドッコイだ。
時間をかけて正しい社会法則である民主制を国民に教育すれば、まちがった社会法則である現人神制や君主制に従う者はいなくなるだろう。[私も小学校で学級会で話し合いや多数決をやったり自主学習をやらされたりして民主制の教育を受けた。]
言葉によらないから、戦争によることになる。私の実在哲学第1原理や超能力者仮説があれば、言葉だけで宗教を倒すことができるから戦争をしなくて済む。
私の哲学日記の読者は、正しい社会法則が民主制しかないことをご理解いただけただろうか?
宗教の者は私の哲学日記をもっとよく読むべきだ。[はたして、宗教の者は私が超能力者ということがわかって私に関する現人神制をやっているのだろうか?たぶん、ただたんに私が神だとされているので現人神制をやっているだけだろう。たとえ私が神だとしても、どうして私に人間が従わねばならないのだろうか?理由もわからないのに従っているなら、宗教の者は馬鹿だ。そんないいかげんな生き方をして、それでも人間か!?]
[5028] 天皇も日本神道とグルである。 h20.5.9
天皇制は明らかに民主制に反するまちがった社会法則である。
天皇も自分から天皇を辞めるとテレビカメラの前で言えばすぐに辞めれるはずである。
天皇がそうしないのは、天皇も日本神道とグル(仲間)だからである。
昭和天皇も日本神道とグルだった。その前の天皇もグルだった。…
世界政府が天皇を殺すに踏み切れなかったのは、やはり世界政府にも天皇の正体がわからなかったからではないだろうか?天皇を殺すと天変地異が起こって世界が滅ぶとでも思ったのだろうか?[旧約聖書の読みすぎである。]
それとも、日本人みんなが天皇制を正しい社会法則と考えているとでも思ったのだろうか?
たとえ、そうであっても、天皇制がまちがった社会法則であることは客観的な真実なのだから、天皇制を否定すべきである。
そもそも日本人みんなが天皇制が正しいと思っていたなら江戸時代はなかっただろうから、日本人の大勢は天皇制を正しいとは考えていない。
むしろ日本人の大半は敗戦を機会に天皇制をやめてほしいと思っていたはずである。
だから、世界政府がわざとに天皇制を残したのは、内政不干渉とか言って肝心なところで格好をつけたからである。[それとも、日本を未来永劫まちがった社会法則を守る国にでもしたかったのだろうか?]
制度が正しいかまちがっているかは客観的に決まるのだから、思い切ってやめさせるのがやはり正解である。
世界政府も、しょせんは人間(政治家?)の集まりだから判断ミスをするものだ。
世界政府もなぜ民主制が正しいか?までは理解していないようである。
[5029] 天皇制で誰が得をするのか? h20.5.9
天皇制で得をするのは日本神道の者である。
日本神道の者は、“広義の天皇制”すなわち天皇に人間が従わねばならないことに従っているから、自分にも人間が従わねばならないと思って、自分達が国民よりも上の存在だと自惚れている。
その上、日本神道の者以外にとっては広義の天皇制には疎いし社会法則にも詳しくないから、国の制度なんてどうせ下っ端の自分にとってはどうでもいいと投げやりになって生きているので、日本神道の者が理由もないのに偉張っているとそれに盲従してしまうのである。
だから、日本神道の者が得をするのは日本神道だけが悪いのではなく、日本神道以外の日本人のどうでもよさ(制度に対する無関心)にも問題がある。
日本神道の者に得をさせると、その他の者が損をすることになる。
日本神道の者に得をさせないためには、日本人は理由もわからずに日本神道の言いなりになってはならない。そもそも広義の天皇制はまちがっており、日本神道の者に他人に命令する権利はないのだから、日本神道の理由のわからない命令には従わなければいい。[最終的には消費者が損をするようである。日本神道色の濃い製品は買わないほうがいい。]
そもそも天皇制は日本神道の者以外は正しいと考えていない。天皇制が通用するのは日本神道の者の間だけである。
つまり、日本神道はすでに国家宗教ではない。
日本神道も他の民間宗教と同じである。
つまり、日本神道では神は天皇だが、マネージャーは天皇とは別の宗教家で、信者からお金を吸って幹部の者だけが儲ける会である。
日本神道も民間宗教と同じように、自分で自分を幸福にしようとしない駄目人間を間引くためにある機関である。そういう意味では社会の善化に役立つ機関であるといえる。
日本神道の信者は、いくら天皇の命令でも[実際には天皇の体験や思考の記録をもとにして宗教家が広義の天皇制によって作り出した命令だが]、国法を犯せば犯罪になることを忘れてはいけない。広義の天皇制は日本国憲法に明文化されて書かれていないから、日本では通用しないと考えねばならない。つまり、天皇の命令も民間宗教の教祖の命令と同じことである。[現人神制でも同様。]
「宗教に入れば幸せになる。」は宗教人が他人を勧誘するための決まり文句なので、そんなお決まりのセリフに国民は惑わされてはならない。宗教に入った者は顔で笑っていても、本当は心で泣いているのである。
[5030] 日本神道の民営化 h20.5.10
日本神道は国鉄と同じである。
みんなが汽車に乗るのをやめて車に乗るようになって、国鉄が民営化されてJRとなったように、
みんなが天皇制(つまり超能力者の子孫制)や超能力者制をやめて民主制に従うようになって、日本神道が国家宗教から民間宗教になった。
日本神道はもはや日本政府とは関係がない。
だから、日本政府は天皇制をやめて完全な民主制に則り国民共通の意志を実践するために働かねばならない。
日本神道は、民間宗教と同じようにやればいい。
[5031] どうして戦争が起こるのか? h20.5.10
戦争の原因のひとつは宗教である。
宗教は、超能力者や超能力者の子孫や超能力者の真似をしている人間などを人間が従うべき神だと見なしている。
宗教の者は神に人間が従うことに従って、自分に人間を従えることができると考えており、宗教の者は自分が人間よりも上だと思っている。
ところで、人間は動物を食べるために殺したり、闘犬や闘牛のように動物どうしを戦わせて喜んだりする。
それと同じように、宗教の者は自分達を人間よりも上の生き物だと考えているので、人間同士を戦わせて殺し合いをさせてすなわち戦争させて喜んでいるのである。
人間を不平等だと考えるのは宗教の神制だけではなく、他に王制(例、日本の江戸時代の徳川家)や公制などがある。一般に、人間を不平等だと考える制度を君主制と言う。[Wikipedia「君主制」を参照。]現在の民主制にはまだ君主制の影響が色濃く残っている。政治家達は民主制の世の中であるにもかかわらず、いまだに君主制を引きずっており、自分達が人間よりも上にある権力者だと思い上がっているのである。
そのため、政治家たちは宗教の者と同じように、人間同士殺し合いをさせて面白がっているのである。だから、戦争が起こるのである。[神武天皇が戦[いくさ]の最中[さいちゅう]に念力で光の玉を出したと言うことで神武天皇に関する神制で戦争ができるのは日本だけだから、外国での戦争を説明するためには自分が人間よりも上だと思っている者の存在を考える必要がある。]
政治家は早く昔の君主制から抜け出して、民主制における国民の代表者の一人にすぎない自覚を持たねばならない。
したがって、人間を平等だと考える民主制が世界に広がると、戦争は減ることになる。
[5032] どうして子供は親に従うか? h20.5.10
子供が親に従うのは、親が子供よりも権威があるからではなく、親が子供よりも正しい(実在について詳しく知っている)からである。
つまり、子供は親の持っている正しい知識に従うのである。
だから、親がまちがっていれば、子供は親に従わない。
[5033] なぜ私を女の子にしたアニメやマンガが作られているのか? h20.5.10
宗教は、建て前は神に人間が従わねばならない神制であるが、その実体は宗教の幹部達が神制を利用して神や人間を支配する幹部制である。[神制とは神(宗教的には超能力者)に人間が従わねばならないことだが、宗教の幹部が“従う”の意味を広く解釈して、神である私が子供の頃にブロック遊びをしてブロックを組み替えたり嘘をついたり反語を使ったりしたことなどを用いて、私の言ったことやしたことなどを適当に組み替えたり嘘を混ぜたり反対にしたりして、幹部にとって都合のいい命令を作って出しているのである。あるいは、私が朝倉小学校の2年生のとき学級で伝言ゲームをしたことがあるが、伝言ゲームのように私が言ったことやしたことが途中で宗教の幹部によって都合のいい命令に変えられたのだ。]
つまり、宗教の幹部は神制を利用して、人間や神を支配し、自分達を人間や神よりも上に置いているのである。[[4975]
宗教制 h20.5.6を参照。]
例えば、人間に対しては戦争や事故を起こして殺したり怪我を負わせたりしている。その他にも、世の中を不景気にしたり、食べ物(とくに米)や水をまずくしたり、面白いテレビや映画が観られないようにしている。
神である私に対しては、近所の者を使って幻聴で悪口を言わしたりガン飛ばしをしたりして苦しめている。
神である私に対しては、また私を女の子に変えたマンガやアニメのキャラクターを作って嫌がらせをしている。つまり、宗教の幹部達は私に対する嫌がらせのために、私を女の子に変えたマンガやアニメを作っているのである。[けっして私が宗教の幹部に命令して作らせているわけではない。]
これは、ひとつ宗教の幹部に対して復讐しなければならない。
民主制では、人間がみな平等だから、契約でやらなければならないので、個人情報を売る人とマンガ家やアニメ会社が契約を結んでその人の個人情報を使うようになるだろう。マンガやアニメの最後に、その人の名誉を立てるために、また読者や視聴者に真実と空想を区別させるために、その人の真実の個人情報のプロフィールがおまけに付いてくるかもしれない。
[5034] 人体発火現象 h20.5.10
私が高知学芸中学校3年生のとき、東大卒の数学の山野上先生から聞いた「プロレスの試合中に突然レスラーの身体が内側から燃え出して死んでしまった」人体発火現象の話は、当時の山野上先生の話し方の雰囲気からするとどうも本当のことに思われる。山野上先生は東大理3の標本室でそのレスラーが身に付けていた焼け焦[こ]げたプロテクターを見せてもらったと言っていたし、東大理3なんて具体的な固有名詞が出てくるところを見ると真実らしく思われる。
ところが、人体発火現象は学校の教科書には載っていないし、九州大学医学部の講義でも習わなかった。
ただ、テレビの『X−FILE』や学研の『ムー』の雑誌では見たことがある。
だから、この世には学校の教科書には載っていない真実があるのだ。
人体発火現象が本当のことだとすると、宇宙人の話も本当なのかもしれない。[もちろん私は信じていない。ただ、この広い宇宙の中には人類のような知的生命体が存在する可能性は高いと考えている。]
ただ、幽霊の話は、私の実在哲学第1原理から、人間の死後に感覚だけが肉体から離れて存在することはありえないので、私は嘘だと考えている。
私の念動力が実在するように、超能力の話の中には本当のものがあるのかもしれない。
このように、子供向けのオカルト本には、事実と作り話とが混在して載っていることが多い。
これでは、子供のにとって何が真実で何が嘘かわからなくなり、子供の教育にとって悪影響である。
そこで、真実の記事と作り話の記事を区別できるように、何か印をつけたりして工夫したらどうだろうか?
そうすれば、子供は(大人でも)、真実の記事は気合いを入れて詳しく念入りに読めばいいし、作り話の記事は面白半分にサッと読み流せばいいから、真実と作り話の両方が勉強できる。真実の読み方だけではなく、作り話の読み方も会得[えとく]できる。
子供向けのオカルト本はともかく、権威のある(つまり、信頼性が高い)本には嘘の話は載せてはいけないし、反対に真実の話はできるかぎり漏[も]らさずに載せなければならない。宗教や政府などの圧力によって真実を隠したり嘘の話を載せたりしては学問(真理探究)の妨げになるから絶対にいけない。奇形児やテレパシーや人体発火現象や私の念動力のような稀な現象が載っている百科事典はないものだろうか?
人類があらかじめ『超能力者』という概念を用意しておけば、今度超能力者が現われたとき、神と勘違いされずにすむ。
[5035] なぜユリ=ゲラーは神ではないのか? h20.5.10
ユリ=ゲラーがテレビに出演した有名な超能力者であったにもかかわらず、宗教がユリ=ゲラーを神としなかったのは、ユリ=ゲラーがじつは手品師だったからである。
当時有名だった関口少年も、子供の手品師だったのである。
そもそもユリ=ゲラーが超能力者としてテレビに出演したのは、私が1才から2才3ヶ月の頃に念動力が使えたからである。
ユリ=ゲラーの後で関口少年がわざわざテレビに出たのは、当時の私が関口少年とほぼ同じ年代だったからである。[ユリ=ゲラーは、当時の私の母(川野裕季子[ゆりこ])と同じ年代だったのかもしれない。]
宗教では現人神制により人類は神に従わなければならないから、神である私が赤ちゃんの頃に念動力が使えたことから、宗教家が“従う”ことを同じことをすることだと考えて、私の念動力と同じようなことをする手品師の大人と子供をテレビに大々的に出演させたのである。もちろん、当時子供だった私はそんな事情をちっとも知らなかった。
一方、私は本当に念動力が使える超能力者だったので、日本の国家宗教である日本神道や世界中の国家宗教にとって神とされたのである。
[5036] 国家宗教に対する制裁 h20.5.11
日本神道は、私が高1のとき隣の席に私が嫌いな尾立[おりゅう]君をわざとに座らせて英語の授業中に私が気に障る教科書のパラパラめくりをさせて私を怒らせて気を狂わせた。
日本神道は、そのお詫[わ]びに、私の出身校である高知学芸高校の生徒を乗せた列車を事故させたり、日本航空のジャンボジェット機を山に墜落させたりした。
世界宗教は、私の分裂病のためにイランイラク戦争を起こしたり、何のためだかよくわからないがニューヨーク貿易センタービルで事故を起こしたりした。
他にも、小さい事件は数えればきりがない。
このように、日本の国家宗教である日本神道も世界の国家宗教も、人類に対して多大な迷惑をかけている。
これでは人類も黙ってはいられない。
人類が日本神道や世界の国家宗教に対して報復するなら、それは私に関する現人神制でやるのではなく、まちがった社会法則を使っている非合理的組織に対する合理的制裁と見なされるので、かまわない。
確実に言えることは、現在の世界に超能力者が現われた場合、超能力者に対する世界の宗教の反応はこの程度だと言うことだ。やはり、もう少し抑制しなければならないだろう。
宗教は最初からただたんに人類を不幸にするのが目的で私の気を狂わせたのではないだろうか?
[5037] 人間が従わねばならないもの h20.5.11
フランシス=ベーコン(1561.1.21〜1626.4.9)は『人間は物と心のふたつに支配されている。心が物に従わなければ、心は物を支配できない。』(一部改変)と言った。
だから、人間が従わねばならないものは、実在と実在についての正しい知識(常識程度)に従った人間の心のふたつである。
それ以外にはない。
社会的には、実在についての正しい知識(常識程度)に従った人間の心はみな平等だと考えられるから、人間が従わねばならないものは、実在と国民[の意志の代表者]が多数決で決めた国民共通の意志(心)である。
だから、宗教が神とする超能力者は、実在でも国民共通の意志(心)でもどちらでもないから、超能力者には人間が従わなくてもよい。
だから、宗教の現人神制がまちがっているのだ。
宗教の者は哲学に無知すぎる。
[5038] 試験勉強 h20.5.11
いくらテストでいい点が取れたって、学校で学んだ知識を使って自分で考えて新しいことがわからなければ、ただの消費にすぎない。
テストでいい点が取れるだけで、新しいことがわからないのは、何を考えたことにもならない。
それが政治家である。
[5039] フランシス=ベーコンの迷言 h20.5.11
フランシス=ベーコンは『宗教はいい暇つぶしである。』とも言っている。参考
しかし、宗教の実体は、まちがった社会法則である神制[宗教にとっての神とは超能力者のことだから、人の姿を取って現れた神すなわち現人神と言うことで、現人神制とも言う]を実行して世界を破壊する機関だから、いいわけがない。[教会は、いわば神制の役所である。]
悪い奴らの肩を持ってはならない。
宗教は上辺[うわべ]だけいい人面して、じつは悪い人なのだ。
宗教の正体を見抜くことが先ず大事である。
フランシス=ベーコンは、また、『キリストほど善い人はこの世にいない。』とも言っている。
自分の眼で実際に確かめたこともないのに、気安く物を言ってはならない。
聖書に書いてあることは、キリストが実際に言ったことやしたことを、宗教にいいイメージを与えるように神制で[つまり、神≡超能力者であるキリストに人間が従わねばならないことの“従う”の意味を広義に解釈して、キリストが自分を美化する性格であったことを利用して]言い換えたことだから、まったく当てにはならない。
だから、聖書に書いてあることを信じて宗教に入る者が馬鹿である。
フランシス=ベーコンは正しいことも言ったがまちがったことも言った。正しいことだけ言った者はいないということである。
まちがいを恐れていては考えることができないという教えでもある。
[5040] 宗教の汚いやり方 h20.5.11
宗教は神の正体が超能力者であることをわからなくするために、超能力の事実をぼやかして曖昧にしている。例えば、聖書でキリストの奇跡と言われていることはキリストの超能力のことである。しかし、聖書では病人を治したとかパンを空中から出したとか作り話をいっぱい混ぜて、キリストが実際にどんな超能力が使えたかわからないようにしている。仏典ではシャカが超能力で何でもできたことになっているが、実際にできたのはおそらく身体が光ることだけだったと思われる。キリストが作り話をする性格であったこと、シャカが誇大妄想であったことから[シャカが生まれた直後に「天上天下唯我独尊」と言ったことも、シャカが誇大妄想であることから作られた作り話である。]、宗教が現人神制を利用して超能力者の性格を使って実際にあった超能力を言い換えて、実際にあった超能力がわからないようにしているのである。
宗教は神の正体が念光力か念動力のほんのちょっとした超能力が使えるだけの超能力者であることを隠すことによって、現人神制を成り立ちやすいようにしているのである。
宗教は現人神制の実行機関なので、現人神制が成り立たなくなると潰れてしまうから、どんな汚い手段を使ってでも現人神制を守ろうとしているのである。
例えば、赤ちゃんの頃の私の身体に処置をして私の念動力を消したのも、宗教が現人神制を守るためにやったことである。
宗教は現人神制を使って儲けている会社だから、現人神制が成り立たなくなると儲けがなくなって潰れてしまうので、必死に現人神制を守ろうとしているのである。
宗教が儲けているのは、現人神制が成り立つと思っている人がいまだに大勢いるからである。
だから、みんなが現人神制がまちがった社会制度であることを理解して、現人神制に従わないようにすればいいのである。
[5041] 宗教はどうやって儲けているか? h20.5.11
日本では現人神制を信じている者が多く、現人神制を信じている者どうしで現人神についての情報を交換しあって、ある程度現人神について知っている。
現人神制を信じている者にとっては、その商品が現人神制で作られていると思ったら、飛びついて奪い合ってでもその商品を買おうとする。つまり、現人神制で作られた商品はよく売れる。だから、宗教は現人神についての個人情報を商品を作る会社に売ることによってお金を儲けているのである。
ただし、あとで現人神にやり方がばれてクレームをつけられると困るので、はっきりと現人神の個人情報を使っているといえない程度に曖昧にして使っているのである。
そもそも日本人が社会科学に弱いことがいけないのである。物理法則に正しいものとまちがったものがあるように、社会法則にも正しいものとまちがったものとがあり、正しい社会法則である民主制に従い、まちがった社会法則である現人神制に従ってはならない。
私の哲学日記をよく読んで、現人神制についてよく理解して、宗教に騙[だま]されてはいけない。
[5042] もしも私が女だったら h20.5.11
もしも私が女だったら、母親譲りで料理が上手く家事もまめにやるから、さぞかし男にもてただろう。
しかし、女はしょせん食べるだけで考えない生き物だから、現人神制自体についての言及がなく、宗教に利用されるままであろう。
[5043] 迷惑メール h20.5.11
私のパソコンには毎日迷惑メールが10〜20通ほど送られてくるが、
迷惑メールには必ず私の個人情報(私の名前とか私が哲学日記に書いたこととか、ときには私が頭の中で考えただけのこととか)が使われている。
おそらく、宗教家が日本神道の者にお金をやって迷惑メールを書かせて出させているか、
あるいは世の中のヒット商品に私の個人情報が使われていることに気づいた者が、それを真似して私の個人情報を入れたメールを書いて、実際にメールで儲けているのかもしれない。[でも、そんなおいしいことをわざわざ他人に教える者がいるはずがない。だから、どうせ、思わせぶりのスカだろう。]
[5044] 私が自分の考えを公表するための条件 h20.5.11
私が自分の哲学日記にある自分の考えをみんなに公表するための交換条件は、
世界中の国家宗教の者を皆殺しにすることである。
しかも、私は自分の眼で直接見ないことには事実と認めない主義だから、私の眼の前でそいつらを直[じか]に皆殺しにしなければならない。
そうすれば、私は自分の説を他人に言ってやってもいい。
[5045] 君主制は何がいけないか? h20.5.11
君主制には、宗教的な神制や政治的な王制その他がある。
宗教的な神制は、超能力者が人間を支配する制度である。
政治的な王制は、政治力や武力で特定の人物が国民を支配する制度である。
人間社会は、ほんらい、共通の正しい実在観をもった人間の心はみな平等であり、国民の意志の代表者が多数決によって国民共通の意志を決めそれに国民が従う民主制であるべきである。
しかし君主制では、正当な理由がないまま特定の者が国民を支配するので、国民が理由がないまま何でも納得するようになり、自分の頭(知覚)を使って真面目に考えようとしなくなり、馬鹿になってしまう。
それに、君主制は不平等主義なので、君主制を利用して政治家や宗教家が国民や君主までも支配するようになり、自分達が人間よりも上だと思い上がって、国民を動物のように見なして政治家や宗教家が国民を殺して楽しむようになり大事故や戦争の原因になる。[宗教家は、現人神制の政治家だと考えればいい。だから、日本の政治家は、民主制の政治家と現人神制の政治家を兼任していることになる。]戦争は他国にも被害が及ぶので、他国にとってはとんだ傍[はた]迷惑である。
このように、君主制は国民が馬鹿になったり、国民や他国の人が戦争で殺されたりする原因になるのでやめるべきである。
[5046] 日本神道は仕事をするな! h20.5.11
現在私は無職である。昨年の10月に派遣会社の新日本を解雇されて以来、1日も働いていない。
もうすぐ私の貯金も底をつく。[この歳で親にお金をせびるのは気が引ける。]
そこで、私の仕事の席を空けるために、日本神道の者は仕事を辞めてもらいたい。
日本神道の者は、死んだほうがいいから一石二鳥だ。
[5047] どうして神制の国では戦争や大事故がよく起きるのか? h20.5.11
イランやイラクや日本やアメリカは、表向きは民主制の国だが裏は神制の国である。
神制を採らない国から見ると、神制を採る国の国民は全員が神制に従っているように見える。全国民が毎日朝から晩まで神の前にひざまづいて暮らしている気味の悪い連中だと思っている。
だから、神制を採らない国にとっては神制を採る国の国民は皆殺しにしてもいいと思われるので、世界政府の計らいでそのような国では戦争や大事故がよく起きるのである。
つまり、今や神制を採る国は世界の脅威なので、そんな国を早くこの世からなくならせるために、世界政府が神制を採る国に対して神制を用いて攻撃しているのだ。
[5048] アメリカはどうして軍事国家なのか? h20.5.11
アメリカは神制の国だから、[宗教家が国民よりも上だと思っているように]自分達が人間よりも上だと思っている。
自分たちが人間よりも上だから、他国の人間を殺していいと思っている。
だから、アメリカは戦争を肯定する軍事国家なのである。
[5049] なぜ徳川幕府は倒れたか? h20.5.11
幕末にアメリカの黒船が日本に攻めて来た。
アメリカは神制の国だから、日本神道がアメリカと組んで徳川家を滅ぼしたのである。
日米友好条約や日米和親条約が日本に有利だったのは、日本がアメリカと同じ神制の国だからである。
アジアの中で日本だけが有利だったのは、日本がヨーロッパやアメリカと同じ神制の国だったからである。
アジアの中で日本だけがノーベル賞が多いのも、同じ理由である。
[しかし、そもそもヨーロッパやアメリカが先進国なのは、科学が得意だからであって、神制のためではない。だから、今や不合理的な神制による国家間の結びつきはやめたほうがいい。世界的にも神制をやめにする傾向にあるから、神制でいい気になっていてはいけない。]
戦後天皇制が残ったのも、アメリカが神制の国だったためである。
[5050] アニメアイドル募集 h20.5.11
世の中は広いから、自分がアニメの女の子になりたい男の子もいっぱいいる。
だから、アニメの女の子になりたい男の子を募集して、その人たちの個人情報を使ってアニメを作ればいい。
[5051] 誰がNY[ニューヨーク]貿易センタービルを破壊したか? h20.5.11
世界政府がアメリカの他国に対するいきすぎた軍事的介入に腹を立ててアメリカに対する報復としてやったのである。
世界政府はアメリカの軍事介入の根本的原因がアメリカの神制にあると考えたので、世界の国家宗教が神だと考えている私の個人情報を使って神制を用いてアメリカを攻撃したのである。[要するに、神制に対するイヤミである。]
この事件の1週間ぐらい前に、私は但馬松下でトランス巻線機のオペレーターをしながら、日本の東京都庁にジャンボジェット機が特攻するシーンを冗談で思い浮かべていた。別の日の仕事中に、テレビで見たアメリカの軍事介入に腹を立てたこともあった。
NY貿易伝タービル破壊当時も私は但馬松下で仕事の最中だったが、事件があった直後に誰かがテレパシーで私のことを呼んでいるような気がした。家に帰って風呂上りにテレビを見たら、事故のことをやっていた。はじめは映画の特撮かなと思ったが、あとで事実と知ってビックリした。その当時は私との関係など夢にも思わなかったが、最近見直してみると、私の個人情報があちこちに用いられていることがわかった。例えば、ツインタワーは、私が小学生のときの同級生の双子が元ネタになっている。双子の“ふ”は、ぶ取りの一種である。突入時刻が午前9時3分であったことは、私の誕生日が昭和39年であることに由来している。
[5052] 人間の支配従属関係 h20.5.11
人間の心は知覚に従属する。
正しい知覚を持った者ほど心が善である。
したがって、ひとつの分野の中では知識が詳しいか詳しくないかで心の優劣ができるから、ひとつの分野の中では人間の支配従属関係が成り立つ。ドイツのマイスター制度がこの例である。
しかし、ひとつの分野と他の分野との間では知識が違うから比較できない。
だから、共通の実在観を持った人間同士は平等と認めて民主制を採らざるを得ない。
[5053] イギリスの女王制 h20.5.12
イギリスの王制は女王制である。
しかし、君主が女では国民(とくに男)の目から見て従う気にはならない。
君主を女王にして君主制を弱めているのだ。
だから、イギリスの王制は実際には民主制だ。
いまどき君主制で幅利かせているほうが馬鹿じゃないの?
偉さなんて空威張りだ。
そもそも、人間の心は知覚に従属する。
だから、人間の心の価値は知覚における実在観の正しさで決まる。
だから、共通の実在観に従っている者の心はみな平等なのだ。
だから、君主が女王でも天皇でも超能力者でも、みな心は平等なのだ。
昔は王様しか教育を受けられなかったから、王様の心の価値が国民の心の価値よりも高かったから、王様が国民を支配できたのだ。
しかし、今ではみんなが教育を受けるから、王様の心の価値も国民の心の価値も変わらないから、王様も国民も平等なのだ。
だから、世界中の人間が平等であり、世界中の国が民主制だ。
世界政府の政治家もあんまり威張るな。
民主制の意味がわかっていない。
古い君主制の勉強しすぎだ。
新しい民主制の社会の中で幸福に生きて行くことを考えたらどうだ?
民主制においては政治家は国民の意志の代表者にすぎず政治家には権威がないから、政治家がどうしても権威欲の満足で生きていきたければ、政治家をやめなさい。
政治家をやめて専門分野の学者になって、熱心に研究すれば、その分野の中で学界の権威として威張ることができるからそのほうが幸福になれるはずだ。[政治家は馬鹿な芸人でもなれるから、諸君の才能ではもったいない。]
あるいは、金欲の満足で生きていきたければ、政治家をやめて民間の会社に入って熱心に働いて会社の社長になればいい。
[5054] 多数決の原理 h20.5.12
人間の心は生まれつき違いがある。
人間の心は知覚に従う。
だから、たとえ知覚に共通の実在観を持っていても、心は生まれつきの違いによって違いがある。
したがって、国民を心で分類するといくつかの類に分かれる。
それぞれの類から一人の代表者を選ぶ。
代表者が国の一箇所に集まって話し合って多数決で国民共通の意志を決める。
国民共通の意志に国民が従う。
これが多数決の原理である。[小学校の学級会でやった多数決の全国版と考えたらいい。]
[5055] 支配者の条件 h20.5.12
ある者が他の者よりも偉い、つまりある者が他の者を支配できるのは、ある者の心が他の者の心よりも優れているときである。
しかし、人間の心は知覚に従属するから、心の優劣は、知覚における実在観の正しさで決まる。
ところが、例えば、イギリスの女王や日本の天皇は国民が従うべき偉い人間とされているにもかかわらず、知覚における実在観がとくに正しいわけではない。
イギリスの女王や日本の天皇よりも知覚における実在観の正しい者がいくらでもいる。
だから、イギリスの女王制も日本の天皇制も、その他の君主制も、みんな心が直接眼に見えないことを利用して、どうでもいい者の心を優れていることにして国民を支配させるインチキ制度である。
眼に見えない心は『裸の王様』が着ている見えない服のようなものだ。
つまり、君主制はまちがった制度なのである。君主制では、君主の権威を利用して何も優れたところがないのに空威張りする馬鹿が増える。
国民にしても、どうして自分が従わなければならないのかわからないのにおとなしく従うのだから、空威張りする馬鹿に劣らぬ馬鹿である。
今日では実在に関する知識が広がりすぎたので、万能の天才はありえない。したがって、ひとりの人間が他の人間を支配する体制は成り立たない。つまり、君主制は成り立たない。
専門知識は一人一人違うから専門知識で比較することはできない。だから、国民は共通の正しい実在観を持った者の集まりだと見なすべきである。したがって、国民の心は共通の実在観に従っているから平等だと考えるべきである。心が平等だから支配従属関係は成り立たない。したがって、すべての国民が従うべき共通の意志は[国民の代表者による]多数決で決めなければならない。つまり、民主制が正しい社会制度なのだ。
だから、国民は君主や政治家を偉いと思わなければいい。それが、正しい社会の姿なのだ。君主は心の優れた者ではなく、政治家は国民の意志の代表者にすぎない。国民は君主や政治家に頭を下げたりしてはならない。
[5056] 『正しさ』の時代☆ h20.5.12
今や、政治家や宗教家が人為的に作ったまちがった制度が法律として通用する時代ではない。
国民は政治家が考えているほど愚か者ではない。
政治家がワルノリして行き過ぎたことをすると、『正しさ』に重きを置く人々が自主的にその政治家(または国家)に対して何らかの報復措置をとる。
昔は政治家や宗教家が作った制度に従うことが善いことで制度に従わないことが悪いことだとされたが、今や逆に国民や世界の人々が制度自体が正しいかまちがっているかを問う時代なのだ。[宗教家は神制の政治家と考えればいい。ところが、神制はまちがった制度だから宗教家はもはや成り立たない。現代では、制度の原理自体がまず正しくなければならないのだ。]
政治家はあくまでも民主制に則って法律を作る人であって、けっして偉い人ではないことを自覚していなければならない。国民も政治家をそういう目で見るようにしなければならない。
[5057] 昔はどうして君主制だったか? h20.5.12
昔は君主しか教育を受けることができず国民は無知なままだったので、君主の心が国民の心よりも優れていたので、君主が国民を支配することができたのである。
ところが、今は教育が世界中に普及したから、すべての人類がほぼ同等の教育を受けているので、君主と国民の心が平等になったので、君主が国民を支配することができなくなったのである。
[5058] 教授は学生よりも上か? h20.5.12
普通は教授のほうが学生よりも知識が上だから、教授が学生を支配できるが、たまに(10年に1度くらい?)教授よりも才能がある超優秀な学生がいることがある。そうなると、肩書き的には教授が学生より上であっても、実質的にはその学生が教授よりも上になる。
[5059] なぜ政治家は君主制を好むのか? h20.5.12
君主制の法律は“君主に国民が従わなければならない”一か条しかなく法律が緩いので、政治家が自分にとって有利な命令を国民に対して作って出しやすいからである。
民主制だと、政治家はただたんに多数決を取るための道具にすぎない。
しかし、今日[こんにち]では君主制がまちがった制度であることが知られているから、政治家があけっぴろげに君主制をやるわけには行かないので、密かに水面下でやっているわけである。
しかし、それなら国民になるべく知られないように密かに自分達だけを得にして、わざわざ自分達が神制を使っていることがばれるように神制を使った事故を起こしたりテレビ番組を作ったりしなければいいはずである。
それらは、やはり、君主制によって自分たちが人間(君主を含む)よりも上だと思い上がった政治家達による国民や君主(女王や天皇や超能力者など)に対するいじめやからかいだと考えるのが一番妥当と思われる。つまり、それらはすべて政治家の心理的な原因によるものである。[例えば、『魔法の妖精ペルシャ』の第8話「大変!学が女の子に」に登場するパチンコに負けて飛び降り自殺しようとしている浪人生のようなものである。]つまり、政治家がお金が儲かるわけでも名誉になるわけでもなく、ただたんに愉快だからやっているだけのことである。事故については君主制がまちがっていると考える者たちによる君主制国家に対する報復と見なすことができるが、私を女の子のキャラクターにしたテレビ番組はたんに政治家が君主に対するイヤミでやっているとしか思えない。
政治家は君主制をあからさまにやらなければやってもいいと考えている。それが政治家が君主制を使ってもいいとしている根拠なのだ。政治家が自分の名前にBの字を入れたり私の名前に雰囲気が似ている名前にしたりするのは、自分が神制に従っているから、自分は神制を使ってもいいという理屈なのである(ただし、あからさまにならないように)。しかし、たとえあからさまでなくても使っていることに変りはないから、やはり使ってはいけないと考えるべきである。試験のカンニングがいけないのなら、密かに君主制を使うのもいけない。
君主が偉くもないのに威張っていてその仕返しにイヤミを言うのならまだしもわかるが[例えば、心太[ところてん]が性欲の強い天皇家へのあてつけであるように]、私のように君主が全然威張っていないのに政治家が一方的に君主のイヤミを言うのは割に合わない。それは、むしろ政治家が偉くもないのに威張っていると見なすことができる。だから、私や国民が政治家に対して報復すべきである。
[5060] どうしてイギリスに女王制があるのか? h20.5.12
イギリスは魔女が有名だから、
どうせ女王の祖先は魔女つまり女の超能力者だったのだろう。
日本の天皇制と同じようなものだ。
魔女はホウキで空を飛ぶのが有名だから、
イギリスの女王の祖先が使った超能力は念動力だろう。
ただし、ホウキで空を飛ぶほど強力なものではなかっただろう。
[だから、イギリスでは男がスカートをはいたりセーラー服を着たりするのだ。]
[5061] マイダス王 h20.5.12
マイダス王は手で触った物が何でも金に変る超能力が使えた。
そんな超能力があったら怖くて近寄れない。
もちろん、王様の金への欲望を皮肉った作り話である。
王様の手が娘に触れて金に変るのなら、娘の足は地球に触れているから地球全体が金に変るはずである。
[5062] 神制を採っている者(や国)に対する報復について h20.5.12
神制を採っている者は、神に人間が従わねばならない正当な理由がないから、不合理主義である。
反対に、民主制を採っている者は、正当な理由がないことを認めないから合理主義である。
第2次世界大戦や近年起こった大事故の例から察するに、
神制(不合理主義)を採っている者(または国)に対しては神制で攻撃してもよいが、
民主制(合理主義)を採っている者(または国)に対しては民主制で攻撃しなければならない国際的に通用するルールがあるようである。
つまり、神制を採っている者(や国)に対していくら神制で攻撃しても違反にならず無罪なのである。だから、アメリカや日本はいくら自国が神制で攻撃されても、他国に対して仕返しすることができないのである。[NY貿易センタービル爆破事件やペンタゴンへの特攻は、明らかにアメリカの威信を損ねる事件であり、とくにペンタゴンへの攻撃は政府の中枢に対する攻撃だから、アメリカ政府自身がやるわけがなく、神制を採らない者による神制を採るアメリカに対する報復だと考えられる。]
神制を採っている者(や国)は神制の法が曖昧なために自由にやれることが多い分、その者(や国)に対する仕返しも神制に適[かな]っているかぎりいろんな方法でやれるわけである。
日本の政治家は表向きは民主制だが密かに神制を使っているから、神制を使って攻撃するならいくら攻撃しても文句は言えない。この前私が『宗教の者は皆殺しにせよ』と言ったから、殺しても無罪である。
[5063] どうしてキリスト教国では人種差別がひどいのか? h20.5.13
アフリカの国は神制を採っていない。
キリスト教国では神制を採っている。
神制を採っている国では国民が“神に人間が従わねばならない”ことに従っているから、自分達に他国の人間が従わねばならないと思っており、自分達が他国の人間よりも上だと思い上がっている。
だから、キリスト教国の人間は神制を採らないアフリカの国の人間よりも上だから、アフリカの国の人間を動物のように見なしていじめたり殺したりするのである。
そもそも、まちがった神制を採っているキリスト教国がわるい。
民主制においては、ほぼ同等の教育を受けている人間はみな平等だから、アフリカ人も白人も平等である。だから、人種差別は成り立たない。
[5064] 内村鑑三不敬事件参考 h20.5.13
内村鑑三はキリスト教にかぶれていたので、日本の神とされる天皇が出した教育勅語にお辞儀をしなかった。
それで、みんなから批難されて学校の教員を首になり、その後貧乏生活を強いられることになった。
どうして内村鑑三は、教育勅語にお辞儀をしなければならない理由を、みんなに質問しなかったのだろうか?
正当な理由がなければ、内村鑑三が教育勅語にお辞儀をしなくても悪くはない。
なかには「天皇が偉いから。」と答えた者がいたかもしれない。
それなら「どうして天皇が偉いのか?」と訊かねばならない。
それに答えられる者はおそらくいなかっただろう。[「偉いとされているから偉いんだ。」では説明にはならない。]
それなら、天皇が偉いと考えなければならない必然性はないから、教育勅語にお辞儀をしなくてもかまわない。
正解は、『初代天皇が念力で光の玉を出した“超能力者”だったために神とまちがわれた。親子は似ているから、初代天皇の子孫である今の天皇も神に似た者とされている。しかし、神とは人間が従わねばならない者であり、超能力者とは別だから、神武天皇を神と考えたことがそもそもまちがっているので、今の天皇を偉いと思うほうが無理だから、教育勅語にお辞儀などする気にはなれない。』である。
このようにきちんと説明できれば、宗教の者も恐れをなして逃げ出すだろう。
[5065] どうして世界中にキリスト教の信者が多いのか? h20.5.13
神制を採る国では“神に人間が従わねばならない”ことに従って、自分達に神制を採らない他国の人間が従わねばならないと思っている。[神制を採っている国に対しては、対等に見る傾向がある。]
このように神制は、他国への侵略や征服を正当化することに使われたのである。
ヨーロッパ人は何事につけても熱心だから、キリストを神とする神制にも熱心であり、他国への征服や侵略に燃えて世界中で熱心に布教活動をしたので、今でも世界中にキリスト教の信者が多いのである。
しかし、そもそもキリストは超能力者であって、神ではないから、キリストに人間が従わねばならないとすることがまちがっているので、キリスト教国が他国を侵略したり征服したりすることはまちがっている。
[5066] なぜ政治家は偉そうにするのか? h20.5.13
政治家の正体は宗教家である。
宗教は神制に従う人間の集まりであり、なかでも宗教の幹部である宗教家はとりわけ熱心に神制に従っている。
神制では神に人間が従わねばならないことになっているから、政治家は神制つまり“神に人間が従わねばならない”ことに従って、政治家に他の人間が従わねばならないと思っているから、政治家は偉そうにしているのである。
しかしながら、現人神制は、人間が従わねばならない神と念力で光の玉を出したり軽い物をちょっと動かすことができた超能力者を同じ者と考えるからまちがっている。
正しい民主制では人間はみな平等だから、政治家も他の人間も平等であり、政治家が偉そうにすることはない。
[5067] 大統領暗殺事件参考 h20.5.13
神制では神に人間が従わねばならないから、神制に従う者は“神に人間が従わねばならない”ことに従うことによって(繰り込み効果)、自分に他の者が従わねばならないことになり、自分が他の者よりも上にあると思うことになる。
つまり、神制は人間不平等の起源である。
リンカーン大統領やケネディ大統領は、黒人を白人と平等にしたので、人間が不平等でなければならない神制を犯したことになり、神制を支持する者によって暗殺されたのである。
しかし、最近は反対に神制を採った大統領が襲われている(例、レーガン大統領)。
最近は宗教についての研究が進み、私やその他大勢の人々が神制をまちがった制度と考えているからだ。
[5068] どうして日本の政治家は神制を採るのか? h20.5.13
神制を採る者は人間よりも上の者になる。
人間よりも上の者になった者は、他の人間を動物のように攻撃する。
だから、政治家が神制を採らないと神制を採る者に攻撃される恐れがあるので、日本の政治家は護身用に神制を採るのである。
しかし、神制度は根本的にまちがった根も葉もない制度だから、いい歳した大人が他人のまちがいに従ってはならない。そこまで気の弱い者が政治家になってはならない。
[5069] 超能力者は人間よりも上か? h20.5.13
超能力者は念力で光を出したり物体を動かしたりする超能力を使った者である。
超能力は普通の人間には絶対使えるものではない。
だから、強いて言えば超能力者は人間ではないということができる。
しかし、だからといって、超能力者に人間が従わねばならないとは言えない。
超能力があることと、人間が従わねばならないこととは、別だからである。
つまり、超能力者は人間とは違うと言えても人間よりも上とは言えない。
だから、超能力者は人間が従わねばならない神ではない。
だから、神制度によって成り立っている宗教はもはや成り立たない。
[5070] 超能力者は人間ではないといえるか? h20.5.13
テレパシーを使える者は精神分裂病者に多いが、テレパシーが使えるからといっていちいち人間と区別されてはいない。
おそらく、彼らの脳の中にはテレパシー器官があるはずだ。
同様に、念力で光を出したり物を動かしたりしたことがある超能力者は、特定の才能がひとつ多いだけだから、わざわざ人間と区別しなくてもいいだろう。
実際に、超能力者のシミュレーションであったユリ=ゲラーや関口少年は、いくら超能力が使えても人間とまったく区別されなかった。念力でスプーンが曲げられるというくらいで、飛行機に乗るなとか鉄筋コンクリートのアパートに住むなとか食堂に食べに来るなとか言われたりはしなかったのである。
実際に、超能力で具体的にどんな障害が現われるかは、超能力が使える超能力者がいなければわからないことである。超能力者も人間であり、人権が保障されるべきだから、国や世界が超能力者が超能力を使っても障害が出ないような対策を立てるべきである。
たとえ超能力者が千年に一度しか現れない者であっても、現れた以上はれっきとした一人の人間だから、その一人の超能力者のために国や世界が超能力者が他の人間と同等に生きて行けるようにしなければならないのである。
[5071] 超能力者は差別されるか? h20.5.13
超能力者は他の人間には使えない超能力が使える。
だから、超能力者は他人から差別されるかもしれない。
しかし、それは才能がひとつ多いということでの差別だから、超能力者が他人よりもちょっと上に見られるという意味での差別だろう。
けっして超能力者に他人が従わねばならないという意味での差別ではない。
超能力を専門分野のひとつとみればいいだけの話である。[[5052] 人間の支配従属関係 h20.5.11の図を参照]
ノーベル賞受賞者も普通の人よりはかなり上に見られるけれども、ノーベル賞受賞者だからといってなんでもかんでも他人が従わなければならないわけではない。だから、ノーベル賞受賞者を神とする宗教なんかできやしない。
自分だけにしかわからない専門分野を作って自分がその分野の世界一になったからといって、自分が世界を支配できるわけではない。
今日では教育や民主制が普及したので、人間が絶対的に従わなければならないほどの者はもはやこの世には存在しないのである。
[5072] 天皇はヤサ男の見本 h20.5.13
天皇はまちがった神制にあぐらをかいて生活している。
天皇は正しさよりもまちがいを優先している。
天皇に日本人の象徴としての資格はない。
[5073] なぜ神制では悪いことしかしないのか?☆ h20.5.13
神制では神に人間が従わねばならない。
宗教では、超能力者が神とされている。
超能力者もたまには他人のためになる善いこともするし、神制では超能力者の言ったことややったことの組み替えもできるから、宗教家が神制を使って善いこともできるはずである。
しかし、神制を採る者は、繰り込み効果すなわち神に人間が従わねばならないことに従わねばならないことによって、自分に人間が従わなければならないことになり、自分が人間よりも上の者と思い上がるから、人間を動物のように見なしていじめたり殺したりするようになる。
だから、神制では他人のためになる善いことをする者はいないのである。
[5074] 神制はすでになくなっている。 h20.5.13
中国は昔から神制を採らなかった。そのために、中国の超能力者は神とされなかった。
一方、ヨーロッパの国々や日本は神制を採っていた。そのために、ヨーロッパや日本に現われた超能力者は超能力を使えないようにした上で神とされた。
神制を採る国では、神制の繰り込み効果によって、自分たちに他国の人間が従わなければならないと考えて、さかんに他国を侵略し征服した。
そのために、19世紀頃の中国は神制を採る国々に支配されていた。参考。[太平天国の乱は、中国が神制を採れば神制を採る国々から中国が対等に見られると思って、神制を採らない中国に対し中国に神制を広めようとした者が起こした反乱だと考えられる。]
しかし、今は中国は神制を採っていないにもかかわらず他国に支配されていない。
なぜなら、世界中で神制がなくなっているからである。
今は神制を採っている国はまちがった社会法則に従っている悪い国だと見なされ、神制を採っている国が神制を採らない国によって攻撃される世界なのである。
[5075] なぜ超能力者は神で通っていたのか? h20.5.13
神制を採る国では、神とされる者の正体が超能力者であることを隠してきたからである。
もしも、神とされる者の正体が超能力者であることがばれてしまったら、超能力者とされていたユリ=ゲラーや関口少年に誰も従わなかったように、もはや誰も神には従わなくなる。
そうすると、その国の神制が成り立たないばかりか、世界中の神制が成り立たなくなることになる。
だから、昔から、神制を採る国に超能力者が現われたら神制を守るためにすぐに超能力者の超能力を使えないようにして、神の正体が超能力者であることをばれないようにした上で、その者を神としたのである。[超能力者が他人の生気を吸って超能力を使うとか、超能力を使うと不吉なことが起こるとか言う噂[うわさ]をばら撒[ま]くのも、宗教が“神制を守るために”超能力者の超能力を使えなくすることを正当化するための策略のひとつである。]
聖書や仏典ではキリストやシャカが神だから超能力が使えたことになっているが、実際にはその逆でキリストやシャカが光を出したり物を動かしたりする超能力を使ったから、神制度によって超能力を使えなくした上で神とされたのである。
神の正体がなんだかわからないから、宗教は長い間神制を続けてこれたのである。
しかし、現代では宗教についての研究が進んで、神の正体が超能力者であることがばれてしまっているから、もはや超能力者の超能力をわざわざ使えなくする必要はない。
現代では神制がまちがった制度であることがわかっているから、もはや神制を採ったところで誰も相手にしてくれず、かえってまちがった社会制度を広めようとする悪人にしか見られず、周りから攻撃されるだけである。
[5076] 神制が成り立たないことの証明 h20.5.13
神が超能力者である場合とない場合について考える。
1)神が超能力者である場合…超能力があることと人間が従わねばならないこととは別であるから、超能力者に人間が従わなければならない理由がないから、神制は成り立たない。実際に、ユリ=ゲラーや関口少年が超能力者であると考えられていたにもかかわらず、ユリ=ゲラーや関口少年に従う者はいなかった。[私も半信半疑ではあったが、ユリ=ゲラーや関口少年を超能力者だと信じていた。もちろん、特殊な才能を持った者として考えていただけであって、人間が従わねばならない者と考えたことは一度もない。]
2)神が超能力者でない場合…その者に他人が従わねばならない理由がないから、やはり神制は成り立たない。
したがって、神が超能力者であろうがなかろうが神制は成り立たず、一般に神が何者であっても神制は成り立たないのである。
[5077] 宗教の者を殺すべきである。 h20.5.13
宗教の者は、神制の繰り込み効果によって自分が人間よりも上の者だと思って人間を動物のように見下しており、性格が誇大妄想的で他人に対して攻撃的である。
宗教の者は生きていてもまちがった神制を広げるだけである。
民主制では共通の正しい実在観(常識)を持っていることが前提とされており、宗教の者のようにまちがった神制を信じていて共通の実在観を持っていない者までも平等と見なすことはできない。平等原理はあくまでも常識のある人間の間だけで通用するのである。
宗教でない者のほうが宗教の者よりも正しい実在観を持っているから、宗教でない者が宗教の者よりも上である。
だから、宗教でない者が宗教の者を動物のように見なしていじめたり殺したりしなければならない。
[5078] 宗教の者は馬鹿 h20.5.13
ユリ=ゲラーや関口少年が超能力者としてテレビに出て活躍していた頃、ユリ=ゲラーや関口少年の超能力芸を見て喜ぶ者は大勢いても、ユリ=ゲラーや関口少年に従う者はひとりもいなかった。
ユリ=ゲラーや関口少年の超能力を見た宗教の者も大勢いたはずである。
つまり、宗教の者は神が何であるか知りもせずに、神に従っているのである。
[5079] 人類は思ったほど賢くはない。 h20.5.14
みんな表向きは宗教に入らずしっかりと暮らしているみたいだが、宗教に密かに入っている者は意外にたくさんいる。
しかも、宗教の者は神がなんだか知らないまま宗教をやっている。
宗教の者は神制がまちがっていることも知らないまま宗教をやっている。[国や世界がやっているからといって正しいとはかぎらない(例、天動説)。宗教は神制の政府なので、昔はヨーロッパでは天動説を国が正しいとしていたのである。天文学者以外天動説か地動説かどちらが正しいかわからない。それと同じように、宗教に詳しい者以外は神制と民主制のどちらが正しいかわからないから、今でも神制を民主制よりも正しいと思っている者がたくさんいるのだ。つまり、宗教をやっている人は、宗教がわけがわからないままやっているし、また宗教をやらない人は、宗教がわけがわからないままやらないのである。]
宗教の者は何のために宗教をやるのかもわからないまま宗教をやっている。
それほど、世界は私達が想像するよりもはるかにまだ田舎なのだ。
宗教の者は、誰が神なのかは宗教家から教えてもらって知っているが、どうしてその者が神なのかまでは知らない。
だから、神制を採っている国で神の情報を入れた商品を作ると宗教の者が理由もわからずに好んで買うのでよく売れる。
そこで、宗教の本部である政府が、民間会社に神の個人情報を売って神の個人情報を使った商品を作らせている。
日本の政治家つまり宗教家が天皇や私に名前や顔や身体の雰囲気を似せたりするのも、そうしたほうが日本にいる宗教に入っている者が喜ぶからである。
馬鹿馬鹿しい。
宗教に入らずに自分で合理的に考えて行動する者は、昔に比べると増えてはいるものの、まだ人類の一部にすぎない。[他人が自分と同じだと思ったら大まちがいだ。]
はやく人類みんなが論理的に考えられるようになって、わけがわからないまま宗教をやったりする者がいない世界になってほしいものだ。
[5080] なぜかを問う時代 h20.5.14
昔は、君主に従わねばならないことを決まりにするだけでみんなおとなしく君主に従った。
しかし、近代に入って、人々は“どうして”君主に従わねばならないのか?を考え出した。
どうしてかを突き詰めると、民主制に行き着いた。
だから、今では民主制しか採ろうとしない。
現代はみんな考え深くなっているから、理由がないことを置いてそれが通る時代ではない。
宗教に入っているのは馬鹿だけだ。
[5081] ヒトラー h20.5.14
ユリ=ゲラーや関口少年は超能力者と考えられていたにもかかわらず、ユリ=ゲラーや関口少年に従う者はひとりもいなかった。
宗教の者は超能力者には従わないが、超能力者を神と呼べば従う。
だから、ドイツのヒトラーのような超能力者でない者まで神になれるのである。
ヒトラーは総統になる前は工場の作業員をしていた。
カギ十字といい、アルバトロスといい、いかにもそれっぽいので、宗教のやり方を研究した者が宗教を逆手に取って帝国(神制を採る国)への攻撃手段にしたと考えられる。[ヒトラーがユダヤ人を虐殺したのも、自分を神だと思わせるためのトリックである。]
宗教の者は神の命令ならよく聞くから、神が戦って死ねと言えば死ぬ。
つまり、第2次世界大戦は宗教の者を世界から一掃するための魔女狩りだったわけだ。
[ヒトラーは、宗教でない者が宗教を潰すために神を演じていたのかもしれない。とすれば、ヒトラーは本当はいい人だったのかもしれない。]
[5082] 神制を採る国は時代遅れ h20.5.14
昔は国が神制を採ると、他国の人間を動物のように見なして他国に対して盛んに侵略や征服をしようとするので有利であった。
しかし、今は戦争の勝ち負けは軍事力によって決まるので、神制をとるから勝てるわけではない。
たとえ戦争でなくても経済力や工業力などによって国の優劣が決まるから、今ややる気だけで勝敗が決まるのではない。
神制は実在的な考えかたではない。
現在では正しい社会法則は民主制であって神制ではないと考えられている。
だから、神制を採る国よりも民主制を採る国のほうが有利である。
例えば、中国のほうが日本よりも景気がいい。
今後は神制を採る国がますます不利にされるだろう。
[5083] なぜ神制[かみせい]に従う人がいるのか? h20.5.14
国が神制に従う人たちに対して特典を与えているからである。
でも、特典と言ってもほんのちょっと有利なだけだ。[私は宗教に入っていないので、特典の中身については知らない。]
国の政府が神制を守るために超能力者の超能力を使えなくするように、神制に従う人をちょっと有利にして神制に従う人を常に一定数確保しているのだ。
いざというときに国が神を立てれば[ヒトラーのように]、神制に従う者は神の言いなりになって動くから、神制に従う者がいたほうが政府にとって都合がいいからである。
神制に従う人は、公務員の予備軍のようなものである。
でも、神制に従う人は自分で考える習慣のない馬鹿な人たちだから、国が神制に従う者を増やしすぎると国中に馬鹿な気風を流行らすことになる。
それに、そもそも神制はまちがった制度だから、神制を採っている国は国際的な印象が悪く、神制を採っている国が世界中から攻撃される恐れがある。
だから、今後は国の政府が正しい民主制を採る者に特典を与えてほしいものだ。
[5084] エロ産業 h20.5.14
エロだから売れるのではない。
エロが天皇制に適[かな]っているから、日本にいる宗教の者達に売れるのである。
きょうび、娯楽の種類が増えたから、エロが好きな人なんか一人もいない。
[エロ本を捨てる『緑のポスト』←グリーンポスト←グリーンのグはノブの合成、ポストはPOSTでPはBの撥音便?で、Bはブ←のぶお←川野延夫(私の名前)。私が小学校5〜6年生のとき、教室で友達の前で紙を食べたことがある。]
[5085] 新しい神制 h20.5.14
世界政府が私に関する神制が上手く行かないのを見て、これまでの神制を改めて新しい神制[かみせい]を考えたらしい。[私が今しがた幻聴で噂[うわさ]を聞いた。世界政府も神が何者なのか知らなかったようである。]
それによると、今日[こんにち]では神制は神と信者双方の契約に基づかねばならないとされている。
つまり、自分を神と認めない者に神をやらせてはならないし、
他人を神と認めない者は神に従う必要はない。
したがって、自分を神と認めた者とその者を神と認める者の間でだけ、神制つまり神に人間が従わねばならないことが成り立つのである。
だから、例えば、わたしは小さい頃に念動力が使えた超能力者だが、自分を神と認めないので、私に関する神制はやってはいけないのである。
私は自分を神と認めていないのだから、私に関する神制をやりやすくする必要はなく、ユリ=ゲラーや関口少年や中国の仙人のように一人の超能力者のままでいいので、超能力が使えるままにしておいてほしい。
[5086] 神制を採る国 h20.5.14
神制を採る国では、国民全員が神と呼ばれる者に従わねばならない。
どうして従わねばならないかを考えてはならない。
だから、神制を採る国は他国から馬鹿と見られる傾向がある。
[5087] 日本は神制をとる国なのだろうか? h20.5.14
日本国憲法では、日本が神制を採る国だと明言していないし、
学校でも神制の教育をしないどころか、民主制の教育ばかりやっている。
日本人の一部に神制を採っている者がいるらしいが、
大部分は神制を採っていないのが現状である。
日本人は神に従わねばならないと考えるほど馬鹿ではない。
だから、自分を神だと認めた者が堂々とみんなの前に名乗り出ても、誰もその者を自分が従わねばならない神だと認めないから、しょせん物笑いになるだけだ。
[5088] 神制の教育 h20.5.14
私が小学校の頃は、クラスのみんなが守らねばならない決まりを決めるとき、クラスのみんなで話し合ってそれから手を上げて多数決で決めたし、自主学習ノートを作って、それにときどき自分が関心のあるテーマについて調べたことを書かされた(自主だといえるか!?)。
これは明らかに民主制の教育である。
私が大人になってあとから自分で考え直してみても、民主制は自然科学や私の実在主義哲学と折り合いがよく正しい社会制度であり、私はよい教育を受けることができて幸せだと思う。
反対に、神制の教育だったら、クラスで毎月くじ引きで神様を一人決めて、その者の命令をクラスの者が極力守らなければならないようにしなければならない。
私はそんな教育を受けたことがないが、いまどきそんな教育をしても子供ですら気乗りがせず誰も面白いとは思わないだろう。
[5089] 人間の世界 h20.5.15
男は考えることで自分の世界がずいぶん広がっている。
考えることがなければ、眼で見える世界しかないことになる。
眼で見える世界だけで人間は満足に生きて行けるだろうか?
神制の国においては、どうして神とされる者に人間が従わねばならないか?を考えてはならない決まりがある。
だから、みんな自分で考える習慣がない。
みんな他人から言われたことを実行しているだけだ。
そもそも人間が従わねばならないものは、実在と国民の意志の代表者が話し合って多数決で決めた国民共通の意志だけであり、神とされる者は実在でも国民共通の意志でもないから従う必要はない。
だから、神制もその他の君主制も成り立たない。
それが今日の常識である。
人間の世界は、自分の眼で見る五感の世界と自分が考える知覚の世界のふたつがある。
自分の知覚の世界は、自分の眼で見える世界から自分が考えて作り出した世界である。
女が眼先のことにとらわれやすいのは、頭の中で考えることがないからである。
だから、女も自分の関心のあることについて知覚を使って考えるべきである。[化粧とかダイエットとかくだらないことをする暇があったら、もっと知覚を使って考えごとをしたほうがいい。]
そうすれば、自分が住んでいる世界が眼先の世界だけではないことがわかるだろう。
人間の世界が眼先のことだけになったら、人間は終わりだ。
[5090] 私はどうして神制に従わないか? h20.5.15
神制が正当な制度ではないからである。
自分が神であろうが神に従う者であろうが同じことだ。
[5091] 私アニメはどうして放送されているか? h20.5.15
私アニメとは、キャラクターやストーリーに私の個人情報を入れて作ったアニメのことである。
私アニメを放送していると、日本が神制をやっていることになり、他の神制をやっている世界の国と日本が肩を並べることができると日本政府が考えたから、私アニメをテレビで放送しているのである。
だから、私アニメは日本が神制をやっていることが見ている者にすぐにわかるように、わざとに不自然な感じが漂うように作られているのである。[私アニメは面白いから売れるのではなく、天皇制でエロ本がよく売れるのと同じように、私の個人情報が入っているから私に関する神制で日本や世界の宗教の者によく売れるのである。]
しかし、現在は世界中で神制がまちがった制度と考えられているので、むしろ神制をやっている国のほうが他国から変な目で見られるから、私アニメはやらないほうがいいと考えられる。
日本は正当な制度をとる国でなければならない。
[5092] 民主制を守るための組織の必要性 h20.5.15
人間が従わねばならないのは実在と多数決で決めた国民共通の意志だけであり、教育さえ同等であれば人間を平等と考えるのは自然な仮定である。
だから国は放って置けば自然に民主制になる。
しかし、民主制は自然の摂理とまではいえない。
それは、正しい民主制を崩す組織がときどき現われるからである。
例えば、今の天皇制や神制を採る日本政府のように、一部の人間が国を支配して民主制を崩す組織が現れることは昔からよくあることである。
まちがった社会制度を採る団体から国を防ぎ正しい民主制を守るための組織は常に国に備えておかねばならない。
[5093] 神制を裏でやるのもいけない。 h20.5.15
日本政府は表向きは民主制だが、形式的には天皇制であり、裏では神制をやっている。
現代では民主制が正しい社会制度だと考えられているので、国の政府としてはとにかく民主制をやらねばならない。
天皇制を採るのは、天皇は人間よりも上の者とされているので国家体制が階級制になり、国会議員が理由もなく偉く見えて、国民が国会議員に盲従することが目当てであると考えられる。
神制は、国内における目的はとくにないが、日本が神制を採っていると、他の神制を採っている国から日本が対等に見られて国交がやりやすくなるからだと考えられる。
神制を採っている国は、神制の繰り込み効果つまり神に人間が従わねばならないことに従って、自分の国に他国が従わねばならないことになり、自分の国が他国よりも上の国だと思っているので、神制を採っている国と対等に付き合うためには神制を採っていることが重要なのである。
しかし、世界の趨勢としては、世界中の多くの国が君主制から共和制に変っていることを見てもわかるように、神制から民主制に移りつつあることもまた事実である。
そこで多くの国では表は民主制で裏では神制を採るように神制を隠しながらやるようにしているが、表と裏が矛盾があるので民主制と神制が相殺されるし、それに神制をやるにしても肝心の神が“何だかわからない者”ではやったところでしょせん空威張りにすぎない。神が超能力者では、ユリ=ゲラーや関口少年の例を見てもわかるように今日日[きょうび]は誰も超能力者に従おうとはしないから、超能力者は神には向かないと考えられる。したがって、人間が従わねばならない者としての神は超能力者以外の“なんだかわからない者”にしなければならないが、哲学的には人間が従うべきものは実在と国民共通の意志だけであることがわかっているから、今日日特定の人物に人間が従うことはまちがっていると考えられているので、誰を神にしてもしょせんうまくいかない。つまり、神制もその他の君主制も国民からはまちがった制度と見なされるので、国民がやる気にならず成功しないのである。
それどころか、今では宗教についての研究が進み、ある国が裏で隠しながらやっている神制までも暴[あば]き出して、裏で密かに神制をやっている国に対して世界の国が制裁を加える。つまり、神制をやっている国が神制をやっていない国から“神制を使って”攻撃されるのである。アメリカでさえも攻撃の的[まと]にされるのだ。テロや大事故は、神制を採っている国に対する神制を採るな!という脅しだと考えられる。テロによらなくても、すでに他のいろんな方法によって攻撃されていると考えられる。例えば、今の日本が不景気で食べ物が不味いのは、“私に関する神制を使った”他国による経済封鎖、食糧封鎖による攻撃だと考えられる。他国が日本政府の中にいる工作員を使って、日本を不利にする政策を密かにとらせているのかもしれない。
したがって、裏で密かに神制をやるのも国を危険にしたり不利にすることになるので、今日日は裏で隠れて神制をやるのもいけない。とにかく、神制を少しでもやってはいけない。神制についての研究はそこまで進んでいるのだ。今は昔とは違う。現代はそういう時代なのだ。
[5094] なぜ社会主義は滅んだか? h20.5.15
ロシアが社会主義をやめたのは、私が医学生の頃である。
私が人付き合いが苦手で、個人主義なので、私に関する神制によって世界中の社会主義が滅んだのである。
私が中学2〜3年ごろ、北のおばあさん家でやった川野家の先祖祭りのとき私の父親が「ロシアが日本に攻めて来たら日本はおしまいやった。」と言ったのは、世界中から社会主義をなくすことについての私に対する一種の承認であったと見なせる。
ただ、社会主義は遅かれ早かれ滅ぶ運命にあったから、私はそれをちょっと先に進めただけだと見ることもできる。
私が医学生の頃日本の天皇制でやっていた暴力団が私に関する神制で滅びたように、社会主義がそもそもロシアの帝制でいやいややっていただけの制度だったと考えることもできる。
[ヨーロッパの多くの鉄道で自転車が持ち込み可能なのも、私が自転車にしか乗らないからだと考えられる。]
面白いことなら国民がとっくの昔に民主制で自主的に積極的にやっているから、神制や天皇制やその他の君主制でわざわざやることは何もない。だから、政府の仕事もない。政府が神制や天皇制やその他の君主制をやると、規制が厳しくなって、かえって面白いことがやれなくなるだけだ。だから、政府は民主制を守るだけでいい。それ以上の余計なお世話は一切無用である。
[5095] 女はいい人か悪い人か? h20.5.15
女は男から見ると悪く見えるが、赤ちゃんや小さい子供から見るといい人に見える。
それは、赤ちゃんや小さい子供と比べれば女のほうが正しい知識を持っていて心が善いからである。
女は赤ちゃんや小さい子供からよく思われるようにできているのである。
しかし、子供が成長すると、とくに男の子の場合には、すぐに(小学高学年頃に)女を追い抜くから、それ以後はもはや女がいい人に見られることはない。ただし、女の子の場合には追い抜くことがないから、一生悪く見られることはない。
[5096] 3つの法律 h20.5.15
日本には、民主制の法律と天皇制の法律と神制の法律の3つの法律がある。
そして、それらの法律の間には相互作用がある。
そのために、本来民主制の法律であるべき日本国憲法は天皇制の法律の影響を受けて一部分が天皇制になっている。
ということは、その逆に天皇制の法律も民主制の法律の影響を受けて一部分民主制になっているのかもしれない。[しかし、天皇制の法律は不文法なので確認することはできない。]
この他に神制の法律もあるはずだが、天皇制の法律と神制の法律は不文法なので内容の詳細についてはわからない。
ただ、神制の法律の原理は簡単であって「神とされる者に人間が従わねばならない」ことであり、天皇制の法律の原理は「天皇に人間が従わねばならない」ことである。これらの原理に従って、細かい法律が作られている。
政治家は、民主制の法律では人間がみな平等なので特に自分が儲からないから興味がなく、それに比べて神制や天皇制の法律は緩く、不文法のためひと目に付かないところで好き勝手にでき、法律の制定についての規定もないので法律が作り放題であり、自分に都合のいい法律をいっぱい作っていくらでも儲けることができる。だから、政治家は民主制の法律なんかほったらかしで神制や天皇制の法律ばかりいじくっている。
ところで、民主制の法律に刑罰があるように、神制の法律にも刑罰がある。
高知学芸高校列車事件(1988年3月)は、高知学芸高校の英語の授業中に神である私が隣の席の尾立[おりゅう]君が教科書のパラパラめくりをするのを見て腹を立てて分裂病に罹ったので、その罰として宗教の者が高知学芸高校を罰したのである。私自身は尾立君にも高知学芸高校にも恨みはないが、私の父親は私の気が狂ったことで高知学芸高校に対してかなり怒っているようである。[私が医学生の頃、高知に帰省して父親といっしょに酒を飲んでいたとき、父親が「ばったり行った」(つまり、学校のせいで私の人生がうまく行かなかくなった)と悔しがっているのを聞いたことがある。]
NY貿易センタービル爆破事件(2001年9月)も、私がアメリカの軍事政策にちょっと腹を立てたので、そのお返しにアメリカが罰せられたのである。
尼崎の列車事故(2005年4月)は、私がインターネットで知った天帝ユタというあだ名の尼崎のマンション?に住んでいる青年にちょっと腹を立てたのでその罰として起こった事故だと考えられる。
ただ、日本航空123便墜落事件(1985年8月)については私は日本航空に恨みはないので、日本航空やその乗客をいくら殺しても罰を与えたことにはならない。だから、この事件は神制による懲罰でやったとは考えられない。
オウム真理教地下鉄サリン事件(1995年3月)も、私は民間の宗教団体や都会のサラリーマンや営団地下鉄に対して恨みはないから、これも神制による罰とは考えにくい。
このように、大部分の事件については、宗教の者が私に関する神制を犯した者に対する刑罰としてやったのだと考えられる。
しかし、日本航空123便墜落事件やオウム真理教地下鉄サリン事件については、それでは説明がつかない。私が生まれる前の第2次世界大戦中からすでに神制を採らない国による神制を採る国に対する攻撃が見られるから、現在でも神制を採る国に対する“神制を使った”何らかの攻撃が行われていてもおかしくはない。すべての事件がそのために起こったのかもしれない。あるいはまた、その反対に、今の私には何の憶えもないが、それらも私に関する神制の法律を犯した者に対する刑罰だったのかもしれない。
これらの事件が、私に関する神制を犯した者に対する宗教の者による刑罰であるにせよ、神制を採らない国による神制を採る国に対する攻撃であるにせよ、どちらにしてもこれらの事件は神制があるために起こったことに変わりはない。
政治家が自分が儲けるために神制や天皇制の法律を大切に守っており、そのためにいろんな事故が起こるなら、そもそも政治家が大勢の人間を殺しているのと同じである。政治家が神制や天皇制の法律を密かに使っていることはばれてしまっているから、これ以上続けると政治家が殺されることになるだろう。
そもそも原理的には神制も天皇制も成り立たないから、たとえ政治家でも神制や天皇制の法律を使うことはできない。
したがって、もはや世界には民主制の法律しかない。
しかし、神制や天皇制がなくなると世界体制が大きく変わって日本みたいな国はこれまでの“取り柄”がなくなって、ただのアジアの一小国と化してしまうかもしれない。でも、真面目に頑張ればそこそこ幸せには生きて行けるから、それでいいじゃないか。
[5097] 神制の法律に従う者 h20.5.15
宗教家は、神制が正当な制度だと考えて、神制すなわち神に人間が従わねばならないことに則って、神の言行や頭の中で考えたことについての記録をもとにして、神制の法律を作って国民に命じている。
普通の人は私と同様に神制が正当な制度だと考えないから、そんな命令に従わない。
だから、宗教家が作った命令に従う者は、神制が正当な制度だと認めている者になるから宗教の者と見なしてよい。
[5098] 神制の採り方の強さの違い h20.5.15
CS(衛星放送)のカートゥーンネットワークでは海外のアニメを放送している。
アニメを見ればその国の神制の採り方の強さがわかる。
アメリカと日本は神制が濃い。
ヨーロッパはほんのちょっとだ。
中国は0だ。
韓国はヨーロッパよりは濃いがアメリカや日本よりは薄い。
私の目から見ればわかるのだが、私以外の人が見てもわかるのだろうか?
簡単なコツとしては、男っぽい女の子のキャラクターがいれば神制を採っているといえるだろう。
今のヨーロッパはほとんど神制を採っていない。
神制をやっているのは、アメリカと日本とイギリスとドイツとロシアと香港と中近東のわけがわからない国(イランやイラクとか)などだ。
神制をやるならやるで、憲法で成文化して明確にやるべきだ。
それができなければ、きっぱりとやめてしまえ。
[5099] 神様の出番 h20.5.16
日本の天皇が戦争のときしか活躍の場がないように、
ドイツが戦争のために超能力者ではないヒトラーを神様にしたように[日本の天皇のまね]、
最近では戦争で命令を出すときぐらいしか神様の出番がない。それ以外のときは人間でも十分ことが足りる。
[中国で神制が禁じられているのは、神様が戦争や人殺しの原因になると考えたからだろう。]
しかし、現代は民主制なので、戦争をするのは国民の代表が多数決で戦争をすると決めた場合であり、もはや神様の命令で戦争をする時代ではない。
だから、神様は要らない。
神様が要らなくなれば、超能力者は超能力が使えないようにされて神様にされることがなく、堂々と超能力者としてやっていける。
神様が要らなくなれば、神様の命令を聞く者も要らないから、日本や世界中にいる宗教の者も要らない。
[5100] 神制はインチキ制度 h20.5.16
神様は、神武天皇や私やキリストやシャカやモハメットのように超能力者である場合もあれば、
2代目以降の天皇やヒトラーのように超能力者でない場合もある。
[超能力者である場合は、国境を越える場合が多い。]
超能力者であろうがなかろうが、とにかく国が神様とする者が神様なのだ。[つまり、超能力者と神様とは根本的に無関係である。]
国が神制を採っている以上、宗教の者つまり自分が神制に従わねばならないと決めている者は神様が現れたらとにかく神様の命令に従わなければならない。
しかし、宗教に入っていない者は、たとえ神様が現われても神様に従う必要はない。
神制があるかないかは、その国の政治力の強さを表している。
つまり、神制がある国は政治力が強い国であり、神制がない国は政治力が弱い国である。[政治家が天皇のように神を自分の言いなりにして、政治家がその神に命令すればいい。政治家が神制を利用して国を支配しているだけである。だから、私のように政治家の言いなりにならない神は、政治家が要らない神と見なして殺そうとするのである。]
神制がある国では国民が政治家の奴隷のようなものだから政治家が威張れるし、
神制がない国では国民も政治家も同じようなものだから政治家が威張れない。
見方を変えれば、
神制がある国は、国民が他人の言いなりになる騙[だま]されやすい馬鹿で、
神制がない国は、国民が自分で考えて理由もなく他人の言いなりにならない利口であると言える。
だから、国に神制があるかないかを見れば、その国の国民が馬鹿か利口かがわかる。
神制がある国は不合理的なことでも通りやすいし、神制がない国は合理的なことでなければ通らない。
神制があるかないかで、その国の文化の高さがわかる。[少なくとも、哲学の教養の有無がわかる。]
そもそも神制に従う国民がいることが悪い。神制とは何なのかを正しく理解して、神制がまちがった社会制度であることを理解して、絶対に神制に従ってはならない。