[4801] どうして私の母は私がオナニーしても叱らなかったのか? h20.4.17
私の父も母も戦前の生まれである。
昔の人は、人間の心が一生を通じて変わらないものだと思っていたので、私が子供の頃に善い心をしていればそれが一生続くと思っていたので、私が思春期にオナニーしても善い心のままだと思って全然叱らなかったのである。
実際には、知覚における正しい実在観に従属している心が善い心なのであり、幼児の頃にはまだ知覚界に正しい実在観がないから善い心ではなく、たとえ子供の頃に知覚界に正しい実在観ができて心が多少善くなっても、思春期にオナニーすると心が曖昧模糊な性感に従属して悪い心に変るから、人間の心は時期によって働かせる感覚によって善くも悪くも変わるものなのである。だから、人間死ぬまで油断してはならないのだ。
[4802] 決定不能問題 h20.4.17
同じ原理から、ある命題の肯定も否定も出てくることがある。これを決定不能問題と言う。
ZF(ZermeloFraenkel)公理系からは、連続体仮説の肯定も否定も両方出て来るので、連続体仮説は決定不能な問題である。
それと同様に、西洋の神の定義からは、人間が神に従わねばならないことも従わなくてよいことも両方出てくるので、人間が神に従わねばならないか従わなくてもよいかは決定不能問題である。
ほかに、相対性理論においてふたつの事象の生じた時刻が同じであるか違うかは観測者(の運動状態)によるのでこれもひとつの決定不能問題であると言える。また、量子力学において、物質が波か粒子かは観測する量によって決まるので、これもひとつの決定不能問題であると言える。
[4803] 神がいるかいないか? h20.4.17
神がいるとすれば、人間は神に頼めばいい。
神がいないとすれば、人間は自分でやらねばならない。
これまで人間が神に頼んでもひとつも願いがかなわなかった。
人間が神に頼まずに自分でやろうとしたから今の文明ができた。
こうしてみると、やはり神はいないと考えるのが妥当である。
少なくとも、道徳律においては神がいないと考えたほうがいい。
[4804] 神は宗教家の道具 h20.4.17
神がいると宗教家が儲かる。
神がいないと宗教家が儲からない。
だから、神は宗教家にとってはありがたい存在である。
現代では、神は宗教家のお金儲けのために存在しているだけだ。
神は宗教家のお金儲けのための道具にすぎない。
宗教の信者が神がいると宣伝しているのは、宗教家のお金儲けのためにやっているにすぎない。
この世から宗教家がいなくなれば神もいなくなるだろう。
[4805] 神はいるかいないか?☆ h20.4.17
神つまり宇宙を作った者がいるかいないかは科学の問題である。
ところが、神がいることも神がいないことも実験や観察で証明できない。
それなら、逆に神がいるかいないかは実在においては決定不能問題ということにしよう。
つまり、実在の世界からは神がいることも神がいないことも両方とも導けるので、どちらでもいいということだ。
つまり、神がいると考えるか神がいないと考えるかは個人の自由と言うことだ。
ただ、これまでの人類の経験では、神がいると考えても何も得られなかった。
人間が神がいないと考えて自分でやったほうが得るものが多かった。
それなら、神がいないと考えたほうが得である。
神がいないと考えたほうが神がいると考えるよりも幸福になれるなら、人間としては神がいないと考えたほうがいい。
また、現代においては科学的常識に反しないことが前提条件だから、神の定義は以前の時代に比べてかなり厳しくなっている。今の時代に、昔の神の定義を持ち込むことは許されない。私がこれまでに述べたような、宇宙を作った者、全知全能の者とかいった古典的な大雑把な神の定義は現代ではもはや通用しない。[古典的な神の定義のままでやると、例えば、生贄[いけにえ]をやってもいいことになる。しかし、現代では生贄は禁止されているから、神の定義は昔とは違うことになる。私は宗教に詳しくないから、現代における神の定義について細かいことは知らないが。]
現代ではもはや、神は宇宙の外に追い出されてしまって、宇宙人よりも希薄などうでもいい存在にすぎなくなっている。
そんな者を信じても何にもならないだろう。
[4806] 現人神は神ではない。☆ h20.4.17
たとえ宇宙を作った神がいるとしても、現代の論理的合理的精神のもとでは、超能力者が神ではないことは明らかである。つまり、超能力者は新しい宇宙の法則を作る者ではなく、宇宙にはいまだ人類が知らない法則があるというだけのことである。現代科学では物でも人でも同じだから、物について新しい物理法則が見つかるように、人について新しい物理法則が見つかっても不思議ではない。
これは、たとえ宗教の者でも認めねばならない。
つまり、現代では神がいると考えようが神がいないと考えようが個人の自由であり、さらに現代の科学的常識に反しない現代における神の定義があるから、神がいない目で見たら超能力者はただの超能力者であって現人神ではなく、神がいるという目で見ても超能力者は現代における神の定義には合っていないので神ではなくやはり超能力者だということになる。
[4807] 現代における神の定義☆ h20.4.17
はたして、超能力者は神である、神に人間が従わねばならない、例えば、神の個人情報を取ってテレビ番組にしなければならないような神の定義が存在するであろうか?
もしそんな神の定義が存在しなければ、もはや宗教は成り立たないことになる。
もしそんな神の定義が存在するのなら、それを具体的に言葉にしてみんなに示さなければならない。
私が考えてみるに、現代における神の定義はまさに現人神のことであって、つまり超能力者ということだ。超能力者は超能力がある人間にほかならないから、超能力があることだけでは超能力者に人間が従わねばならなかったり、超能力者の個人情報を使ってテレビ番組を作ったりすることは論理的には出てこないはずだ。だから、現代ではもはや神の定義は存在せず、宗教は成り立たないのだ。したがって、今の宗教はまちがったことをやっているのだ。
[ただし、哲学者が考える神の定義は宗教における神の定義とは違うから、哲学的な神は今でも存在することになる。]
[4808] 超能力者の心に人間の心が従う必要はない。 h20.4.17
現代においては、みんなが正しい実在観に従うことがルールになっている。
したがって、超能力者の心も他の人間の心も、共通の知覚における正しい実在観に従わねばならない。
ところで、超能力者に超能力があるからといって、超能力者の心に他の人間の心が従わなければならないことは論理的に出てこないから、やはりこれまでの議論と同じように、超能力者に人間が従わなければならないことはない。
[4809] 心の優劣関係 h20.4.17
男心が女心よりも優れているのは、一般に男のほうが女よりも知覚に正しい実在観を持っているからである。
だから、知覚に正しい実在観を持っていなければ、たとえ男でも女よりも心が劣ることになる。
でも、細かく言うと難しくなるから、普通は人間はみんな平等だと大雑把に考えるのだ。
[4810] 貴族制とは何か? h20.4.17
日本の平安時代には貴族制があった。
貴族は今の国会議員、つまり日本神道の幹部である。
ただ、当時はまだあまり仕事がなく、暇な時間が多かったので、毎日優雅に遊んで暮らしていたのだ。
[4811] 政教分離 h20.4.18
今の日本政府は日本神道の本部にほかならない。
日本で政治と宗教が完全に分離していたのは江戸時代だけだ。
江戸時代は日本で最も幸福な時代だったから、政教分離のほうがいい。
宗教は政治から離れて田舎でやれ。
神がいるかいないかは人の自由だから、神を信じたければ信じればいい。
ただ、それでも超能力者を神とすることは無理だ。
そうなると世界の宗教が統一されてひとつになるだろう。
でも、科学的常識に反しない神の定義が難しいから、人気はないだろう。
[4812] 民主主義の原理 h20.4.18
常識すなわち知覚における共通の正しい実在観に従属した人間の心には優劣はなくみな平等である。
これが、民主主義の原理である。
つまり、この世には絶対に自分の心が従わねばならない心の持ち主など存在しないのである。
[現代は民主主義の時代だから、なるべく個人の意志を尊重する。つまり、個人の意志はなるべくバラバラなままにする。どうしてもみんなの意志をひとつにまとめねばならない場合(例えば、国民みんなが従う法律を決めねばならない場合)にだけ議会後多数決の方法を採る。]
[4813] 常識 h20.4.18
神(宇宙を作った者)がいるかいないかは決定不能問題だから、神がいることも神がいないことも常識にはできない。
ただ、超能力者が神ではないことは万人共通の認識である。
だから、超能力者が神ではないことを人類必須の常識のひとつとして、それらの常識に根差した心を育てなければならない。
[4814] 神武天皇が現われたらどうなるか?! h20.4.18
神武天皇が現代の東京に現われて群衆の前で突然光の玉を出したらどうなるだろうか?
当然、みんな最初は驚くだろう。
しかし、それ以上何も起こらなければ、しょせん他人事だから見て見ない振りをして、あとはいつもの通り何事もなかったかのように自分の予定に沿って行動するだろう。
[4815] 人はどんな場合に他人に従うか? h20.4.18
1)正しい認識を持っている場合
2)意志の違う者同士が話し合って多数決で意志を決めた場合
現代では、これ以外の場合には、人は他人に従わない。
[4816] 定義の混用☆☆ h20.4.18
日本では、昔における神の定義は、神とは人間よりも上の者つまり人間が従わねばならない者であった。
ところが最近における神の定義は、神とは超能力者である。
そこで、昔の神の定義と最近の神の定義とが入り混じって、超能力者に人間が従わなければならないことになってしまった。
時代によって定義が違っているのだから、やはり二つを厳密に区別して用いねばならない。
昔の神の定義では、神とは実在自体、または実在が正しくわかっている者の意味である。だから、昔の神と最近の神とは違うのだ。[昔の日本にはやおろずの神といって自然そのものを崇める習慣があったから、昔の日本人にとっては実在自体が神だったのだろう。だから、日本では、人間が実在に従属して生きて行くことが美徳とされているのだ。反対に、ヨーロッパでは人間の心を神と考えているようだ。日本人の学者が外国の文献を読むばかりで、ヨーロッパ人の学者が自分ひとりで考えてばかりいるのもそのせいなのかもしれない。しかし、現代は国際化社会なので、自国と外国の区別がないから、自国の文化にこだわらずとにかく自分の脳の性能がよく引き出されるような考え方をすればいいのである。]
[4817] いい女とは何か? h20.4.18
いい女とは、心の出来のいい女のことで、人間の心は知覚に従属するから、つまり実在がよくわかっている女のことである。
ところが最近、かわいい女つまり実在について無知なままで子供のままの心でいる女がいい女と見なされる傾向にあるので、心の出来の悪い女がいい女になってしまっている。
戦時中の良寛和尚[おしょう]のように、天皇文化が再び日本を支配しようとしているのだろうか。
[4818] 日本は民主制国家☆☆☆ h20.4.18
昔、神とは人間が従わねばならない者であった。
昔の日本では、神とは実在そのものと考えられた。
一方、昔のヨーロッパでは、神とは人の心であると考えられた。
それで、日本では、古くから人は実在に従いさえすればよく、人の心が平等だと考えられて民主制であった。
一方、ヨーロッパでは古くから優れたひとりの人間の心が他の人間の心を支配すると考えられて君主制だった。
世界中で超能力者が神と考えられて現人神制が始まった後でも、日本の現人神制は民主的だったし、ヨーロッパの現人神制は独裁的だった。
今日[こんにち]では、帰納法や演繹法の概念があるから、神の概念はなくなってしまった。
[4819] もしも超能力者が女だったらどうなるか? h20.4.18
現人神制のもとでは、超能力者が男でも女でも、人間は超能力者に従わねばならない。
ところが、超能力者といっても普通の人間とほとんど変らないから、
女は子供の頃にてきとうに勉強して大人になったら男と結婚して子供を産んで育てて家事をするだけだ。
女は家族のために炊事をしたり掃除をしたり洗濯をしたりするだけだ。
女は自分で考える癖がない。
男は考える。
男は女を自分の独裁制に利用するために、男は女と結婚する。
女は知覚を使って生きていないから、小学低学年頃の私のように正しさやまちがいの概念がなく、ただ自分が気持ちいいかわるいかの区別しかないから、自分が気持ちよくなりさえすれば何でもする。[例えば、女子の大学生なんか、試験でカンニングまがいのことをやって要領よく点を取るだけで、まじめに勉強する学生なんか見たことがない。点を取るためになら、たとえまちがいだとわかっていてもそれを平気で答案に書くだろう。女は知識の質が小学3〜4年生のままで、知識の量だけが増えているのかもしれない。]
だから、夫がいくらまちがったことをしても、正しいかまちがいかがわからないから自分の気持ちがよくなりさえすれば何でも夫に従う。
夫の独裁制が実現して世界が悪くなるだけだ。
そうならないためにも、現人神制はなくなったほうがいい。
[4820] 古代語と現代語 h20.4.18
現代語でAがBに従うことを、
古代語ではBはAの神であると言った。
現代語も古代語も言い方が違うだけで意味は同じだ。
古代語よりも現代語のほうが言い方が洗練されている。
[4821] なぜキリスト教に人気があるか? h20.4.18
それは、キリスト教が性欲を肯定する俗悪な教えだからである。
俗悪なことははじめの一時[いっとき]は楽しいが、あとでかえって不愉快になる。
[4822] どうして私の弟は登校拒否だったか? h20.4.18
私が子供の頃から、私と私より3歳年下の弟の仲が悪く、私が小学生の頃には家でよく弟とケンカをした。ケンカの時には私と弟が取っ組み合いになって殴ったり蹴ったりしたし、よく弟の持っているおもちゃを私がふんずけて壊したりした。たいていいつも、最後に親に弟が悪いことにされて治まっていた。
それで、日本神道の者が私が弟とケンカをするのを真似て、私の弟を学校でいじめたので、弟が登校拒否になったと考えられる。
私の両親とも事情がわかっていたので、弟の登校拒否を大目に見たのではないだろうか。
それがますます弟の登校拒否を悪化させることになってしまったが。
[4823] 日本神道皆殺し法 h20.4.18
戦争で何の罪もない外人兵を殺すよりも、
デタラメをやってるだけの日本神道の者(とくに幹部)を殺したほうがはるかに有意義ではないか。
そのほうが日本や世界がずっと善くなるはずだ。[世の中から悪い人間が死んでいなくなれば、世の中は善くなる。]
[4824] 警察は政治家の犬 h20.4.19
日本政府の政治家の正体は、日本神道の宗教家である。
警察は日本政府の政治家つまり日本神道の宗教家の言いなりで動くだけである。[つまり、警察は他人の言いなりになって動くときだけ強気である。自分ひとりで動くときには弱気である。]
日本神道の宗教家は『超能力者に人間が従わねばならない』と言うまちがった原理で日本人を動かしている。
警察が家に来るのが怖いだけで、自分が宗教家のまちがいに従わねばならないのが情けないとは思わないか?!
[4825] 共産党 h20.4.19
私が大学生の頃、共産党は日本政府の天皇制を批判する文書を自治会の学生たちに書かせて配らせていたから、共産党は日本神道の者ではないことになる。
当時の私は自治会の学生も共産党もガラが悪いなと思ったが、じつは日本政府のほうがずっとガラが悪かったのだ。
[4826] 神とは何か? h20.4.19
古来より、神とは人間が従わねばならないものであった。
つまり、神={x|xに人間が従わねばならない。}だった。
例えば、実在と人間の心が神という集合に属する元である。
つまり、実在∈神、人間の心∈神である。
ところが、超能力者は神の元ではない。
つまり、超能力者x∈神。[x∈とは、属さないの意味。]
超能力者を神と考えたことは人類最大のまちがいであった。
[4827] 宇宙を作った者とは何か? h20.4.19
神とは実在であり、人間の心である。
実在と人間の心が、人間が従わねばならないものの二つの極である。つまり、人間は実在と人間の心の両方に従わねばならない。
しかし、人間が実在と人間の心のどちらに従わねばならないのかわからなかったので、二つを統合してひとつにまとめることにした。
そうして出来たのが、宇宙の創造者としての神である。
つまり、宇宙の創造者としての神とは宇宙を作った者の心なのだ。
こうすれば、実在か人間の心かで迷わずに済むので楽である。
しかし、この楽さがたたって、人類は実在しないものを考え出してしまった。
宇宙の創造主としての神はもはや実在しなかったので、宇宙の創造主としての神にはもはや人間は従うことができなかった。
しかし、この神がしばらくの間人類を支配することになったのである。
人類はとんだ時間の浪費をする羽目になってしまったのである。
[4828] 超能力者とは何か?☆☆☆ h20.4.19
超能力者は人間にはない才能があったので神だと考えられた。
しかし、この神と人間が従わねばならない神とは、別の神である。
神の意味が違うから、厳密に区別しなければならない。
例えば、たこには空を飛ぶ凧があれば、海に住んでいる蛸もあるようなものだ。
しかし、この神もまたしばらくの間人類を支配することになったのである。
人類はよくまちがいを犯すものだ。
[4829] 現人神に従うことを法律にはできない。 h20.4.19
人間が現人神(超能力者)に従わなければならないことは、論理的には出てこないから実在の法則ではない。つまり、人間が現人神に従わねばならないことは正しいことではない。
したがって、現人神(超能力者)に従うか従わないかは個人の心の問題である。
世の中には超能力者に従いたい人と従いたくない人の両方がいる。
個人の心を尊重するかぎり、超能力者に従うことを国民みんなが守る法律にすることはできない。
現人神に従うべきか従わないべきかについて国会で議論して多数決で決めたことはこれまでにないから、現人神制(つまり、現人神の心に人間の心が従わねばならないこと)を法律にはできない。
もし議論したら、現人神に従わないことに決まるはずだ。なぜなら、現人神制はそれで儲ける宗教家≡政治家以外の者にとっては、自分の心を満足する妨げになるからだ。つまり、宗教家≡政治家だけが愉快で、その他の国民とくに超能力者である私が不愉快だからだ。
[それでも超能力者に従いたい人がいれば、個人的に自主的に従えばいい。]
[4830] 天皇制について h20.4.19
天皇制は、憲法の表現が曖昧で解釈の多意性があるから、天皇制は現人神制であるともないともとれる。
しかし、今の天皇は人間だから、そもそも現人神制の適用ではない。だから、今の天皇と現人神制は無縁である。
天皇は人間であり、人間の心は平等だから、人間のひとりにすぎない天皇の心を特別視し、天皇に特別な権限を与えることはまちがっている。
したがって、天皇制はやめるべきである。
[4831] 現人神制は民主主義に反する。 h20.4.19
現人神制は、超能力者の心に他の人間の心を従わせることであり、超能力者も含めて人間の心がみな平等であるとする民主主義の原理に反するから、現人神制はやってはいけない。[たとえ、超能力者がブロック遊びが好きだったので超能力者の命令の中にある言葉を入れ替えたり、超能力者が自分と他人を区別しない性格なので超能力者と面識のある者の命令を超能力者の命令としたりして細かい工夫を加えても、原則として超能力者の心に他の人間の心が従っているかぎりはすべて禁止されることになる。]
[4832] 超能力者のアニメ化マンガ化同人誌化問題 h20.4.19
日本政府≡日本神道が、超能力者の私を女の子に変えたアニメやマンガや同人誌を作った。
そういったアニメやマンガや同人誌が、将来博物館に保存されて展示されたとしよう。
キャラクターのもとになった私が超能力者の男であったことや、どんな思想を持っていたかについては、たぶんみんなが知っているだろう。
もちろん、アニメ会社やマンガ家や同人誌作家は日本政府≡日本神道の命令で作品を作ったこともみんなが知っているだろう。
展示されているアニメやマンガや同人誌を見た人たちは、そんな物を作らせた日本政府≡日本神道の者達の心が傲慢で卑[いや]しいと思うに違いない。
[4833] 日本神道皆殺し法 h20.4.19
日本神道の者は神(人間が従うべきもの)と超能力者の区別もつかない。
日本神道の者は馬鹿すぎる。
人間として生きる価値がない。
だから、殺したほうがいい。
[4834] 超能力者の商品化問題 h20.4.19
超能力者に人間が従わねばならない理由は何もない。
それなのに、超能力者をアニメやマンガのキャラクターにしたり、超能力者に因んだ商品を作ったりするのは、製作者である日本政府≡日本神道が愉快でやっているだけで、超能力者にとっては不愉快だから、民主主義の心の平等性に反するのでやってはいけない。
[4835] 宗教 h20.4.19
宗教とは、『超能力者に人間が従わねばならない』まちがった法律を自分が守ること、また他人に守らせることである。
そんなくだらない会はないほうがいい。
宗教家≡政治家の命令で『超能力者に人間が従わねばならない』まちがった法律に従う者も精神異常者である。
[4836] 靖国参拝 h20.4.19
閣僚が靖国神社に参拝する意味は、日本政府≡日本神道が超能力者の私よりも天皇家に従うことの意思表明である。[靖国神社は天皇のために殉死した者を祭っている神社だから、自分たちも天皇のために働きたくなったら靖国神社に行くのである。]
まあ、どちらにしても『超能力者に人間が従わねばならない』現人神制を守っているかぎりよいことではない。
それにしても、いい歳こいた大人がよくそんなくだらないまねができたもんだ。
[4837] 政治家は哲学第1原理がわかっていない。 h20.4.19
私の実在哲学第1原理を論理的にたどっていくと民主主義の原理にたどり着く。
ところが政治家≡宗教家は現人神制(超能力者の心に他の人間の心が従わねばならないこと)を守っているので、民主主義の原理(超能力者も含めて人間の心はみな平等であること)がわかっていない。
したがって、政治家は哲学第1原理がわかっていないことになる。
私の実在哲学第1原理は現人神制を否定していることにもなる。
[4838] 無宗教の人 h20.4.19
現在地球上の86%の人間が宗教に入っている。
つまり、おおよそ70%の人間が『超能力者に人間が従わねばならない』現人神制に従って生活している。
日本は政治家が現人神制をやっているせいで、日本人みんなが宗教(日本神道)に入っていることにされている。
しかし、年々宗教に入っている者の数は減少しているから、『超能力者に人間が従わねばならない』現人神制に従う者は減っている。
それは、科学があれば人間は十分幸福に生きて行けるし、科学は無神論だから、今時時代遅れの現人神制を信じても何にもならないと考える人が増えているからである。
私としては、『超能力者に人間が従わねばならない』現人神制は科学(近代以降の自然科学)があろうがなかろうがとにかくそれ自体がまちがった制度なのだから[[4816]、[4828]参照]、早くこの世からなくなって欲しいものである。
私だったら、いくらお金をもらっても、自分がまちがいを信じたり他人にまちがいを広めたりすることは、科学的精神に誓って絶対しない。日本の政治家のように、お金をもらうためにまちがいを信じたり広めたりするほうがよっぽど貧乏臭い。
[4839] 中国の神 h20.4.19
神とは人間が従わねばならないものである。
昔の中国では神とは政治的権力者だと考えられた。
中国では、人間が従わねばならない神とは実在でも人の心でもなく最初から政治家(例えば、『酒池肉林』で有名な殷の紂王[ちゅうおう])だったのである。[私は中国のことをあまり知らないが、たぶんそうではないかと思う。]
中国では政治家が神だったから、超能力者は[人間が従わなくてもいい]仙人だったのだ。
[4840] 日本の神 h20.4.20
神とは人間が従わねばならないものである。
昔の日本では、神とは実在(自然)だと考えられた。
日本人がアジア諸国の中で科学が強いのは、我々の祖先が神を実在であると考えたおかげである。
また、それで日本では昔から人間の心が平等だと考えられ民主制だったのである。
今でも、日本の首相をあまり高い所にいる人間と考えないのはそのためである。そのため、政治家批判が日本では始終絶えないのである。
民主制は昔の神制の中で生まれて今でも生き残っている概念だが、死んでしまった概念もある。
昔は物にも人間のように心があるとされたが、今では心のないたんなる物体だと見なされている。物に宿る霊という概念は今では存在しないのである。
一方、神を超能力者と考えて出来た現人神制は、神の意味がわかっていないちんぷんかんぷんな制度である。
[4841] キリスト教は精神分裂病の原因である。☆ h20.4.21
キリスト教は、性欲を肯定する宗教である。[キリストは男であり、男には女のように子供をかわいがる愛情がないから、キリストのいう愛情とは性欲のことである。]
しかし、私の実在哲学によれば、性欲は分裂病の原因だから[[4706]参照]、性欲は否定すべき感情である。
これまでの人類が“性欲は否定すべき感情である。”と言えなかったのは、キリスト教のせいである。
つまり、キリスト教が精神分裂病の原因である。[聖書やキリストの教えがまちがっていたことはしょっちゅうあることである。]
そもそも超能力者のキリストを人類が従うべき神とした現人神制が精神分裂病の原因でもある。
[4842] 現人神制は危険な制度である。 h20.4.21
次に現人神(超能力者)が現われて、まちがった教えばかり広めたら、世界はメチャクチャになる。[現人神制があるとまちがったことでもやっていいことになるので、宗教家がこれまで許されなかったまちがったことで新しい商売ができるので、宗教家にとってはありがたい制度である。]
だから、そんな事態を予防するためにも、現人神制は廃止しなければならない。
[4843] 神の声 h20.4.21
超能力者には念動力や念光力などの超能力のほかにテレパシー能力もあることが多い。[私が小学2年生のときに聞いた「この道を行け」という空耳もテレパシーである。]
モーゼやモハメットが聞いた『神の声』の正体は、宗教家が超能力者に吹き込んだテレパシーだろう。
[4844] 宗教は無駄。 h20.4.21
宗教は、正しい理由が何もないのにある特定の者の考えに従っているから無駄だ。
宗教に入っている人の数が多いことが正しい証拠とは言えない。
かつて正しいと信じられた天動説と同じことだ。
宗教の教えは粗雑であって習っても役に立たず、考え深い者にとっては、宗教の教えの多くがまちがいであることがわかっている。
宗教はやっても無駄だし、時間がもったいないから、何か他のことをやったほうがいい。
昔の人は暇すぎてやることがなかったから、宗教で暇つぶしをしてすごしていたのだろう。
しかし、今ではほかに娯楽がたくさんあり、宗教は面白くない暇つぶしにすぎず、人生の貴重な時間が無駄になるのでやめたほうがいい。
[4845] 現人神制は人類を不幸にする。☆ h20.4.21
現人神制があるとまちがった決まりが作られる。
まちがった決まりとは、大勢の人間の心を不幸にする決まりと、科学的常識に反する決まりである。
現人神制がない世界においては、人間の心が平等だから、多数決の原理によって大勢の人間の心を満足する決まりが作られる。
ところが現人神制がある世界においては、現人神の心に他の人間の心が従わねばならないから、例えば戦争のように、現人神ひとりの心を満足し他の大勢の人間の心を不満にする決まりが作られる。つまり、現人神制があると、現人神ひとりの幸福のために他の大勢の人間の幸福が犠牲にされるだけである。例えば、キリスト教も、仏教も、イスラム教も現人神(超能力者)のまちがった教えを大勢の人間に押し付けて大勢の人間を不幸にしているだけである。[また、例えば、現人神が「麻薬や拳銃を自由に使ってもよい」決まりを作ったとすると、宗教系の暴力団が麻薬や拳銃を売って儲かるだけで、他のみんなは迷惑する。]
大勢の人間を幸福にすることなら、現人神制がなくても、民主主義における多数決の原理によって決まりにできるから現人神制は不要である。
ましてや現人神制によって科学的常識に反する決まりなど作られたら、現人神の決めた決まりに反する発明品が使えなくなるので、生活が不便になる。また、科学的研究も自由にできなくなるので、科学の発展が遅れることになる。
どちらにしても、現人神制によって人類が幸福になることはありえない。
したがって、現人神制は人類を不幸にする制度だから、この世からなくなったほうがいい。
[4846] 日本神道とは何か? h20.4.21
日本神道とは、現人神制のもとで多数決の原理に反するさまざまな決まりを作って、自分たちを幸福にし他の人間(超能力者も含まれる)を不幸にしている集団である。
多数決の原理で決めていないから、日本神道は日本人の中の少数のグループである。
日本神道の活動は民主主義の原理に反するから禁止しなければならない。
[4847] 日本政府による意志の統一 h20.4.21
日本政府≡日本神道の本部による密かな日本人の意志の統一が行われている。
例えば、「超能力者である私の個人情報を使ったテレビ番組を作る」ことは、国会で話し合いをして多数決で決めていないのに、日本政府が勝手に法律にして使っている。[もちろん、超能力者に人間が従わねばならない現人神制は、実在界における法則ではないから、例えば、「超能力者の個人情報を使ったテレビ番組を作る」ことも万人が従わねばならない法則ではない。]
民主主義では人間の心は平等だから、個人ひとりひとりの心を尊重しなければならない。だから、例えば、「超能力者である私の個人情報を使ったテレビ番組を作る」ことに心が不満を感じ反対する人間も大勢いるので、勝手に国の決まりにしてはならない。たとえ、多数決で決まったとしても、こういう問題に関してはどうしても意志を統一しなければならないこととはとうてい考えらず、したがってそもそも多数決で決めるべき問題ではないので、個人の意志が尊重されるべきであり、超能力者本人が嫌なら通らないと考えられる。[誰でも自分が超能力者だったら嫌なはずだ。いくら多数決で国民の過半数の賛成を得たからといって、個人情報を取られることが嫌な者の個人情報を使った番組を作ることは、その個人に対する嫌がらせにすぎないと考えられる。多数決による個人に対する暴力も民主主義では禁止されねばならない。]
[4848] 暴力団とは何だったのか? h20.4.21
暴力団は、かつて日本で麻薬や拳銃を売っていた。
それは、天皇家が麻薬や拳銃を自由に使ってよい決まりを作っていたからである。
日本政府は日本神道の本部だから、
暴力団は、日本政府公認の組織だったのである。
暴力団の利益の一部は日本政府に還元されていたと考えられる。
しかし、毎日日本各地で麻薬や拳銃による事件が起きていたら大変だし、暴力団の活動は民主主義で決めた法律に反することなので、日本政府は暴力団やその大元[おおもと]である現人神制をやめるべきである。日本政府はくだらない宗教活動をやめて民主制のサービスだけにすべきである。
[4849] 現人神制を法律にすることはできない。☆ h20.4.21
実在哲学第1原理によると、人間の心は平等だから、超能力者の心に他の人間の心が従わねばならない現人神制はまちがいである。
つまり、現人神制は天動説のように科学的にまちがっているのである。
だから、天動説を法律にすることができないように、現人神制を法律にすることはできないのである。
たとえ日本人全員が現人神制に賛成しても、現人神制を法律にすることはできないのである。
したがって、例えば、「超能力者である私の個人情報を使ったテレビ番組を作る」ことも国の決まりにはできない。
[4850] 田代教授が私を首にしたことは違反か? h20.4.21
九州大学医学部精神科の田代信維[たしろのぶお]教授は私が研修医を1年間勤めた後で私を首にした。
しかし、それは私の同意があるからかまわない。
しかし、日本政府が私の個人情報を使ったテレビ番組を作ることは私が同意していないからいけない。また、私以外の大勢の日本人が同意しないだろうからいけない。
[4851] 性欲禁止法 h20.4.21
麻薬や拳銃の所持・使用が法律で取り締まられているから、性欲も法律で取り締まるべきである。
人間の気が狂うほど、例えばひと月に1回以上オナニーやセックスをして性欲を満足させた者は刑務所で一晩暮らさなければならないとする。
そうすれば、精神病者(道徳的法則を犯す者)や違法者(社会的法則を犯す者)が減って日本は平和な国になるだろう。
[4852] ウルトラマン h20.4.21
超能力が出ただけで他の人間が従わねばならない神になれるなら、ウルトラマンの格好をしただけで首相や大統領になれるだろう。なぜなら、ウルトラマンは正義の味方だからだ。
[4853] 高知学芸高校列車事件の真相 h20.4.21
尾立[おりゅう]君に教科書のパラパラめくりをさせて私の怒らせ私の気を狂わせたのは、日本政府の政治家≡日本神道の宗教家の仕業であって、高知学芸高校が悪いのではない。
当時英語の山崎先生は講義に集中していたので尾立君のしていることに気が付かず尾立君を注意しなかったのである。
だから、高知学芸高校列車事件は、政治家≡宗教家が高知学芸高校に責任を転嫁するために起こした八つ当たりである。しかし、そもそもは政治家が尾立君に命令したのが悪いので、高知学芸高校は何も悪くはない。だから、尾立君に命令した政治家を厳罰に処すべきである。[政治家≡宗教家が忠実に私の命令を守っているなら私の責任になるが、政治家≡宗教家が私の経験に基づいて自分で組み替えて命令を出しているから政治家≡宗教家の責任である。]
政治家≡宗教家を殺した者は無罪にするどころか褒美(政治家一人を殺すに当たり百万円ぐらい)をやりたいぐらいだ。
[4854] なぜ日本政府は国民から税金を取るか? h20.4.21
天皇の命令だからである。
日本政府が日本神道の本部であって、日本神道が現人神制を守る(守らせる)会であり、
天皇が「日本政府は国民から税金を取れ」と命令したから、税金制が出来たのである。
つまり、現人神制が成り立たなければ、日本政府は国民から税金をとれないわけである。
[4855] 西森年彦の場合 h20.4.22
西森年彦は日本神道の信者である。
私の友人を装[よそお]っている偽善者である。
三菱重工の社員である(今はどうか知らんが)。
よくそんなゴミみたいな汚らしい者を会社に置いておくなあ。[まちがいを信じてるなんて、知恵遅れにも劣る。]
私が会社の社長だったら、すぐ首にする。
[4856] 私は子供の頃天皇をどう思っていたか? h20.4.22
子供の頃の私の興味は科学か数学かに限られていたので、
天皇のことなど考えなかった。
だから、当然現人神制のことなど知らなかった。
天皇に自分が従うべきかどうかも一度も考えたことがなかった。
[4857] 日航ジャンボ機墜落事故 h20.4.22 Wiki「日航機墜落事故」を参考にした。
1985年(私が九大医学部に受かって教養部2回生のとき)夏に群馬県多野郡上野村の高天原山に派生する御巣鷹の尾根で起きた事故。[群馬県→グ→ノブ(グの分解)→延夫(私の名前)、多野郡上野村→野がふたつある→川野延夫(かわののぶお、私の名前)、高天原→神武天皇の故郷、御巣鷹→ミスたか→不良の孝雄(私の弟)]
圧力隔壁の破損が原因とされている。
ところで、私は足癖が悪く、怒ると見境なく近くにあるものを蹴る癖がある。
1)私が高知学芸中学2年生の冬、2階の東にある自分の4畳半の部屋で勉強していたとき、1階で家族が見ているテレビの音が気に障って家族に「テレビの音を小さくしろ!」と伝えたくてよく足をドンドン踏み鳴らしていた。ときどき床板が割れやしないかと心配した。
2)私が中学3年生の夏に福井町の新築の家に引越した当日の晩、弟とケンカして階段のそばの壁を蹴ったら大きな穴が開いてお父さんをがっかりさせたことがある。
3)私が高知大学理学部数学科の2回生のとき、幻聴で気分がむしゃくしゃして、2階と3階の間にある階段の壁を蹴ったら穴は開かなかったが凹んでひび割れができた(謝らずに黙っていた)。
4)私が九州大学医学部医学科の卒業試験で外科学第一の追再試を医学部付属図書館の3階の会議室で受けた後で2階便所の大便に入っていたとき、なんべんも追試を受けらされたのと、便所の中で誰かが大声で咳をしたのが頭にきて、大便の扉[とびら]の下にある通気口を足で蹴ったら斜めの薄い木の板(サッシみたいなやつ)が数枚割れて飛び散った。そのすぐ後で咳をした男が図書館の係員に通報して私は係員に呼び出されて注意された(それだけで済んだ)。
5)私が九大理学部物理学科卒業後、派遣会社のネクスターに入社して名古屋市の隣にある稲沢市にある稲沢ソニーでブラウン管の検査をして夜勤で働いていたが(時給800円)、私がラスター検査のポジションで働いていたとき、向かいの通路の横の壁のパネル板を誰かが蹴って大きな穴を開けて後で問題になったことがある。ネクスターの事務所に穴(→『アンドロイド・アナMAICO2010』)の開いたパネルの大きな写真を張ってみんなに見せていたが、最後まで犯人は名乗り出ず、犯人がわからなかった(もちろん、犯人は私ではない)。
このように、私は子供の頃からよく怒ると足で壁を蹴って穴を開けたりヒビを入れたりしていた。それがジャンボ機の圧力隔壁の破損に取り込まれていると考えられる。つまり、日航ジャンボ機墜落事故は、これまた国会議員≡日本神道の幹部が仕組んだ犯罪である。搭乗員524名中520名が亡くなったが、520は512(2の9乗)に近く512は国会議員の数だから、高校時代私の勉強を家の近所に住んでいる者を使って幻聴の悪口やガン飛ばしでさんざん邪魔した国会議員≡日本神道の幹部の身代わりに[←私が中学3年生のとき、和田高明君が急に水泳リレーの背泳ぎの選手を代わってくれと私に頼んだので、私は仕方なく和田君の“代わりに”背泳ぎの選手をしてやった。]神(つまり私)に捧げる生贄[いけにえ]になったものと考えられる。[日航機事故のとき明石家さんまと逸見政孝[いつみまさたか]が助かったのは、明石家さんま(←ビートたけしのライバル、たけし←武←ぶ←延夫(のぶお、私の名)と逸見政孝(←私と弟の“孝”雄[たかお]とは仲が悪かった)が日本神道の者だからだと考えられる。その他の乗り遅れたなどの理由で事故を免れた乗客もみな日本神道の者だと考えられる。]
[ちなみに、私の母親が、私が高知大学理学部数学科を中退して自宅浪人しているとき、弟があまりにもいうことを聞かないことに腹を立てて、ガラス窓を足で蹴って救急車で運ばれて足を縫う大けがをしたことがある。]
[4858] 君主制はなぜ滅びたか? h20.4.22
ヨーロッパでは、神とは人間の心であると考えられたために、優れたある一人の人間の心に他の人間の心が従う君主制があった。
しかし、現代においては、人間の心の優劣を決めるのは知覚における実在観が正しいかまちがっているかであり、共通の正しい実在観に従っている人間の心は平等であると考えられているから、人間の心を不平等と考えある一人の人間の心を絶対視する君主制はまちがった制度ということになる。
だから、近代以降の科学的世界観に基づく社会では君主制は滅びたのである。
同じように、現人神制は超能力者の心に他の人間の心が従う制度だが、超能力者とは特殊なあるひとつの現象を発現する超能力器官のある人間にほかならず、特殊な現象を発現する超能力器官と快・不快の感覚を発生する心とは別の脳組織であって、超能力器官があることと心が優れていることとは関係がないから、現人神制はまちがった制度である。
だから、現人神制は滅びる運命にあるのである。
科学的法則が実在において客観的に正しいかまちがいかが決まるように、社会的制度も人間が自由に決められるのではなく客観的に正しいかまちがいかが決まってしまうものなのである。正しい制度が生き残り、まちがった制度は滅びるのである。
[4859] 政治家に求められる資質とは? h20.4.22
大勢の人間の心(意志)を適切にまとめられる広い心を持っていることと、
密[ひそ]かに余計な決まりを自分勝手に作らない私心のないことである。
現人神の政[まつりごと]をして国を治めることは、余計な決まりを作ることだからやってはいけない。
[4860] 天皇制とは何か? h20.4.22
今の天皇は超能力者ではないから、天皇制は現人神制ではなく君主制である。[超能力者であった初代神武天皇が「私の子孫を日本の統治者にしてくれ」と言ったなら天皇制は現人神制といえるが、私は神武天皇が「私の子孫を日本の統治者にしてくれ」と言ったかどうか知らないし、そもそも現人神制は妥当な制度ではないので、一般的には天皇制は君主制だと考えられる。]
したがって、天皇制は宗教とは関係のない政治的な制度にすぎない。
天皇制は、優れた天皇の心に他の人間の心が従わねばならないとする制度である。
心が直接眼で見えないのをいいことに、天皇の心が勝手に優れていることにした根も葉もない(正当な根拠のない)インチキな制度である。[天皇は大学院を出たかもしれないが、きょうび大学院卒はザラだから[私は大学卒だが]、とくに天皇の心が優れているとはいえない。]
[4861] 私の文を引用するための条件 h20.4.23
《参考文献》に私のウェブサイトのアドレスを書いて「哲学日記の[…]より」または「真説スイートミントより」などと書き添えてくれさえすれば、いくらでも私の哲学日記その他の文を引用して使ってくれてかまわない。
いちいち私に連絡を取って断らなくてもかまわない。
ただし、《参考文献》に何も書かずに勝手に引用するのは禁止する。
[4862] アニメアイドル制 h20.4.23
ある特定の者がアニメ会社(またはマンガ会社)と有料または無料で契約を取ってキャラクターや話のもとになることをアニメアイドル制という。
これまでは現人神制のもとで現人神である(超能力を使ったことがある)私からネタを取ったり逆に私にネタを入れたりしてキャラクターや話を作らなければならなかったから、あまり自由にキャラクターや話を作ることができなかった。[そもそも私はアニメやマンガのキャラクターや話のもとになるのは嫌である。]しかも、その際に、現人神(超能力者)に身体的精神的な危害が加わる恐れもある。実際に、私は高1のとき尾立君が隣の席でパラパラめくりをやったせいで一生治らない分裂病に罹ってしまったし、派遣会社で働きだした後でも、周りでいろんなことをされてすごく不愉快な思いをした。
アニメアイドル制にすれば、現人神制の制約がないから、かなり自由にキャラクターや話を作ることができて、アニメ会社はアニメがずっと作りやすくなるはずである。
ただし、アニメアイドルは、アニメやマンガの元ネタになる以上はかなりむちゃくちゃなことを描かれて不愉快な思いをする[ときには映画やテレビ番組の悪役が石を投げられることがあるように危険にさらされる]ことをあらかじめ覚悟しておかねばならない。
[4863] 私アニメはなぜあるのか? h20.4.23
男の私を女の子のキャラクターにしたアニメやマンガや同人誌などがあるのは、
私に対する嫌がらせと、私を女の子にしたキャラクターを他の男が恋するのを見て日本神道の者が喜ぶためである。
飛行機事故や列車事故を平気で起こす団体なら、それくらいのことをしても当たり前だ。
[4864] 国会議員が犯人である。 h20.4.23
人類が超能力者に従わねばならないとする現人神制は明らかにまちがった制度である。現人神制を使っているグループは人類の敵だ。現人神制を正しいと信じて使っていようがまちがいだとわかって使っていようが、どちらにしてもいけない。
天皇制は君主制だから、現人神制とは別である。[天皇制も科学的常識(実在哲学第1原理)に反するまちがっている制度であるから今後なくしていかねばならないが、現人神制とは別問題である。]
日本神道がそのグループであるが、日本神道の本部は日本政府であり、日本政府の中核は国会である。
1985年の日航ジャンボ機墜落事故と1988年の高知学芸上海列車事故[学芸校の生徒27名が死んだのは、私が昭和39年生まれだからだ(3×9=27)。死亡した川添先生は私が高校1年生のとき修身の授業で剣道を習った先生で、一度みんなの前で私のことを「川野は声が小さくてフニャフニャして女みたいだ」と言ったことがある。]を合わせてみると、国会議員が犯人であることがわかる。日航ジャンボ機墜落事故は、国会議員が神(つまり私)に対して謝るために起こした事件だと考えられる。
国会議員自身は自分が現人神制でやったことだから無罪だと考えている。[精神分裂病者が自分を悪いと思わないのと同じ理屈だ。]
だから、国会議員を攻撃すればいい。
[4865] なぜ精神分裂病者は自分が悪いと思わないのか? h20.4.23
精神分裂病者は、長年まじめに生きてきて自分の心が正しいと信じきっているから、自分が狂った後でも自分の心が正しいと信じていて自分を悪いと思わないのである。
しかし、自分の心が正しいのはあくまでも自分の心が正しい実在認識に従っている限りである。
自分の心が性感や麻薬感に従って正しい実在観に従わなくなった後では、もはや自分の心が正しい(厳密には善い)とは言えない。自分の心が正しくなくなった結果、テレパシー器官や焦燥中枢を自分で興奮させて自分を精神病に罹らせたのだから、自分の心を正しいと考えてはならないのである。
もとのように自分の心を正しい実在観に従わせることができれば、精神分裂病は治るだろう。
[4866] 超能力は誰にでもできるか?☆ h20.4.23
精神分裂病者がテレパシー器官を活動させたためにテレパシーが使えるようになったように、
脳の中に念光力器官や念動力器官を持っている者がいて、それらの器官を活動させることができれば超能力を使えるかもしれない。
『他人を自分の思い通りに動かしたい』とか『他人の本音を知りたい』と思うことがテレパシー器官を活動させるきっかけになるように、
『灯[あか]りが欲しい』とか『おもちゃを動かしたい』とか本気で思うことが念光力器官や念動力器官を活動させるきっかけになるのだろう。
人間の脳にはおもしろい機能が備わっているものだ。
[4867] 「小さい男の子が急に飛び出してきた。」 h20.4.23
北野武が原付で転んだときにも、尼崎列車事故で列車が脱線したときにも、武や列車の運転手が事故の直前に「小さい男の子が急に飛び出してきた。」と言っていた。
これは、私が小学3〜4年生の頃、高知市朝倉南団地の遊園地(児童公園)でブランコで靴飛ばしをして遊んでいたとき、急に私のブランコの前に3才ぐらいの男の子が飛び出してきて私はとっさに足で地面をこすってブレーキをかけたが勢い余って男の子の頭にブランコをぶつけてしまったことがもとになっている。その子の母親がすぐ近くで近所のおばさんと立ち話をしていて、事故に気付いて急いで駆けつけてきた。私はあせってその場を逃げ出したが、その後2週間ぐらいたってから南団地の遊園地に行ってみたら、公園のすぐ横の団地の家の前に黒い花輪が2つ飾ってあった。私は「そんなにがいに(激しく)ぶつけていないからたぶん男の子のことじゃないだろう。たぶんその家のおじいさんが死んだのだろう。」と思った。
[4868] 宗教は要らない文化 h20.4.23
現人神制がまちがった制度なので、現人神制に従ってやっている宗教もまたまちがいである。
したがって、どんなに宗教がお高ぶっても、人類にとって宗教は汚ない要らない文化である。
まちがったことをやりたがる習慣が身に付いてはいけないので、宗教には入らないほうがいい。
[4869] 私の思想 h20.4.23
私の思想は3本の柱から成り立っている。
1)数学・物理学…これは、しょせん他人の受け売り。大卒レベル。自分で考えたところがない。ただ、相対論については私が小学生の頃から興味を持って取り組んできたせいか、かなり詳しい。
2)哲学・精神病論…私は医師免許を持っているし、以前医者だった。私が25年以上もの時間をかけて考えてきただけあって、これはかなり信頼できる。医学的な視点から見た哲学というのも興味深い。
3)宗教・天皇論…私が最近の3年間で考えた。宗教論については前人未到であり、天皇論については美濃部達吉を上回っている。
私は1や2までも押し売りするつもりはないが、3は社会を善くこと請け合いなので信じたほうが得である。
[4870] 日本人はどうして科学が弱いか? h20.4.23
現人神制や天皇制は誤解で成り立っているまちがった制度である。
そんなまちがった制度がはびこる日本では、人間の知覚の目が曇って、実在が見えなくなっているのである。
[4871] 西丸四方の『精神医学入門』 h20.4.24
西丸四方[にしまるしほう]の『精神医学入門』には、『唯物論はまちがった考え方である。』とはっきりと書いてあった。[もしかしたら、今の版ではなくなっているかもしれないが、当時私が読んだ本にはそう書いてあった。私は医学生時代に、この本を5回繰り返して読んだ。]
しかし、なぜ唯物論がまちがっているかについては一言[ひとこと]も書かれていなかった。
だから、私は唯物論は正しいかもしれないと考えて、唯物論路線に沿って敢[あ]えて考えて行くことにしたのである。その結果、実在哲学第1原理にたどり着いたのである。
また、この本には『オナニーと分裂病とは関係がない。』とも書いてあった。
ここでも、やはりどうしてオナニーと分裂病とは関係がないかについては一言も書いていなかった。
そこで、私は自分の経験とこれまでの数多くの精神分裂病者の自白を信じて、オナニーは分裂病の原因であることを証明しようと企てたのである。そして、ついこの間、オナニーが精神分裂病の原因であることの証明に成功したのである。[[4706]を参照。]
本に書いてあることを鵜呑み[うのみ]にしたらあとでひどい目に合うということだ。
[4872] テレパシー病☆☆ h20.4.24
分裂病の名前の意味することは、心が性感や麻薬感に従うことによって、心と知覚における正しい実在観とが『分裂』して、心が正しい実在観に従わなくなって異常な思考や行動をとることだと考えられるが、
これでは人間の脳にテレパシー器官が実在することが覆い隠されてしまうので、私は敢えて分裂病を『テレパシー病』と命名する。[これまた、西丸四方の『精神医学入門』には『テレパシーが実在しない』とはっきりと書かれていたが、私は自分の経験とこれまでの大勢の精神分裂病者の自白とからテレパシーが実在することを信じて、テレパシーが実在することを感覚波によって説明したり、テレパシーと分裂病との関係などについて考えてきたのである。]
つまり、テレパシー病とは、『他人を自分の思い通りに動かしたい』とか『他人の本音を知りたい』と強く思って自分のテレパシー器官を活動させてはならないという実在の法則を犯して、自分の脳の中にあるテレパシー器官を活動させてテレパシーが聞こえるようになってテレパシーで他人が自分の悪口を言っているのが聞こえるようになってイライラして暴れる病気である。
例外的に、分裂病でテレパシーを伴わない場合には、『焦燥病』と名づけることにする。
[4873] テレパシーが実在する証拠 h20.4.24
私が頭の中で考えただけのことがDIONのニュースの3面記事のネタになったりインターネット広告のネタになったりしたことがある。
私が分裂病に罹る前の子供の頃にも、「この道を行け」という大人の男の声が空耳で聞こえたことがあるし、私が頭の中で考えただけのことがテレビ番組のネタになったりしたことがある。
これらはすべてテレパシーが実在すると考えれば納得できることである。
私が分裂病に罹っていないときでも、日本神道の者がテレパシーで私の思考を密かに聞いていたのである。つまり、テレパシー器官は無意識的にもつねに弱く活動し続けているのである。ただ、テレパシー器官の活動が強まると、幻聴として意識化されるのである。
[4874] 日本政府が私の命令を素直に聞かないわけ☆ h20.4.24
日本政府が自分達で決めた現人神制の規則に従って、私の命令の言葉を組み替えたり反対にしたり嘘の作りごとを混ぜたりして変えているからである。[私が子供の頃に、ブロック遊びをしたり、自分の気持ちと反対のことを言ったり、嘘をついたりしたことがあるからである。]
そんなやり方では、私の命令を無効にするだけでなく、私の命令からたいていどんな命令でも作り出すことができる。
そんなものはもはや私の命令とはいえない。[子供の頃の私は自分と他人を区別しない考え方だったし[私が中学3年生のとき物理学を教えていた馬島一[まじまかず]先生が授業中に「私が若い頃『考え方』と言う雑誌に載りたくて何度も投稿したことがある」と話したことがある。たぶん、国会議員が私の考え方を真似したくて、日本神道に入っている馬島先生を使って話をさせたのだろう。]、私の両親が私が小さい頃から私を放任主義で育てたせいか私は自由(自分で決めること)を尊[とうと]ぶ主義だから、現人神である私に国会議員≡日本神道の幹部が従って国会議員が自分達で自由に命令を決めてやっているのだろう。国会議員は、明らかに現人神制にある“従う”の意味を拡張解釈しすぎている。]
[4875] 現人神制をやっているのは日本政府である。☆ h20.4.24
日本中の企業に対して命令できるのは日本政府だけだ。
日本政府なら、誰もお金が儲からない誰も幸せにしない命令でも、企業や国民に対して命令することができる。
日本政府は民主主義的なサービスをやっているが、現人神制をやっていることもたしかである。[天皇制もやっているが。]
現人神制はまちがった制度であり、現人神制をやっている日本政府がまちがっているから、企業や国民は日本政府の命令([4874]を参照)を聞かなくてもいい。
日本政府自身が現人神制に従っているから、現人神である私の命令に従って日本政府の命令を聞かなくても、日本政府はその者を咎[とが]めたり罰したりできないはずだ。
私は正しいことを言っているのだから、現人神制に従わない者にとっては、たとえ私に従ったとしても現人神制でやったことにはならない。しかし、現人神制に従っている日本政府≡日本神道の本部の者にとっては、現人神制でやったことになるから文句は言えない(罰することはできない)のである。例えば、日本に現人神制を敷いている日本神道の本部である日本政府をつぶすために今後一切税金を払うなとか、日本神道の幹部である政治家を殺せとかいった命令を私が出してそれを誰かが実行しても、日本政府はおとなしくしているほかはないのである。[共産党は君主制としての天皇制に反対しているのであって現人神制に反対しているわけではなく、日本政府の者はみな現人神制を支持する日本神道の者と考えてよい。]
←重要☆☆☆
[4876] 子供にテレパシーを教えないほうがいいか? h20.4.24
子供にテレパシーがないと教えておけば子供はテレパシーを使おうとしないだろうと思うのは大人の浅知恵である。
そのために、かえって、冗談のつもりで自分のテレパシー器官を働かせてテレパシー病に罹る子供が増えている。[私もそうだった。]
だから、子供には、人間の脳の中にはテレパシー器官があるが、『他人を自分の思い通りに動かしたい』とか『他人の本音を知りたい』とか思って自分の脳の中にあるテレパシー器官を働かせてテレパシーを使うと、テレパシーで他人が自分の悪口を言っているのが聞こえてイライラして暴れ回ることになるからテレパシーを使ってはいけないと正しく教えたほうがいい。
もっとも、オナニーやセックスや麻薬をやって心が実在についての正しい知識に従わなくなれば、そうした教えも無駄になるから、そもそもオナニーやセックスや麻薬をやらないことのほうが大事であるが。
[4877] 殺人犯は考えた。 h20.4.24
日本政府はまちがった現人神制に従って人殺しをしているのだから、自分も勝手に自分で制度を作ってそれで人殺しをしてもいいはずだ。
自分も人を殺したときには、自分が殺してもいいと思ってやったのだから、日本政府の者と同じはずだ。
日本政府の者が無罪なら自分も無罪なはずだ。
と、ある殺人犯は牢屋の中で考えた。
[4878] もしも現人神が不良だったら h20.4.24
現人神制をやっている国で、不良の現人神が現われたら、その国は不良だらけになって物騒で住めなくなるだろう。
だから、現人神制はやらないほうがいい。
[4879] 東京に天皇は要るか? h20.4.25
東京が暮らしやすいのは天皇がいるからではなくて、ただたんに人口が多いからである。
だから、天皇は要らない。
[4880] 裁判所 h20.4.25
裁判所はある事件が法律に照らして合法か違法かを判断するところである。
だから、裁判所では法律に載っていない事件を裁くことはできない。
例えば、現人神制については日本の法律には何の規定もないので、日本の裁判所で現人神制が合法か違法かを裁くことはできない。
だから、まず現人神制についての法律を国の立法機関(日本では国会)で定めねばならない。
ところが今の国会は日本神道の中核だから、現人神制が実在においてまちがった制度である([4828]参照)にもかかわらず、今の国会は現人神制を正しいとする法律を定めてしまう。
だから、現人神制についての法律を今の国会で定めることはできない。
[4881] オウム真理教地下鉄サリン事件 h20.4.26
オウム真理教地下鉄サリン事件は、1995年3月20日に東京地下鉄霞ヶ関駅で起きた死亡者12人負傷者5510人に及ぶ事件だが、これは国会議員≡日本神道の幹部が現人神制に従って日本神道に入っているオウム真理教の者を使って起こした実際にあった殺人事件である。
この事件は、赤ちゃんの頃に念動力を使ったことがある超能力者≡現人神である私が経験したことがもとになっている。
【元ネタ】
オウム←私が高校生のとき参考書を買いに高知市帯屋町(正確には中ノ橋通り)にある金高堂[きんこうどう]に行くことが多かったが、2階の参考書売り場にオーム社やアーレフ社の本が置かれていたのを見たことがある。あと、私が中1のとき旭にあったみその塾に通っていた頃、数学の鶴沢[つるざわ]先生が授業中に√2=1.41421356(一夜一夜に人見頃)、√3=1.7320508075(人並みにおごれやおなご)、√5=2.2360679(富士山麓オウム鳴く)、√6=2.44949(似よよくよく)、√7=2.64575(似ろよおなご)、√8=2.82843(ニヤニヤ読み)とか教えてくれた。私はこの憶え方がすごく面白くて大爆笑した。
真理教←私は子供の頃から理科系の科目が好きだった。理科系は真理を探究する学問だから、真理教。原理研(原理研究会)も九大で盛んだったが、これも日本神道や外国の宗教の者が国会議員の命令でやっていた活動だ。
地下鉄←事件当時、私は福岡市に住んでいたが福岡市は地下鉄が走っている。私が九大理学部物理学科の専門課程に進学するとき、教養部で1単位足りなくて、なんとか進学はできたものの、専門課程の空き時間を利用して本学のある箱崎から半年間週に1回地下鉄に乗って六本松にある九大教養部まで通わなければならなかった。
サリン←私が九州大学医学部に受かって教養部2回生のとき、春に私と同じ高知学芸高校出身の工学部の吉村隆博君と同居していたが、吉村君と仲がうまく行かなくていっしょに住むのが嫌になってガス自殺しようかと思ったがやめた。サリンは都市ガスのように液化したガスを気化して使う。それから、私は子供のころ『魔法使いサリー』を見たことがあるが、サリーは母親に似ていた。
ビニール袋←私が小学4〜5年生頃、南団地の南に住んでいた背が高い前田君(誠一君ではない)とよく遊んでいたが、ある日近所の宅地増設地に立っているプレハブの事務所に入ったとき、エロ本とシンナーが入っているらしいビニール袋があった。
傘←当時私は折り畳み傘を毎日カバンに入れて持ち歩いていた。
オウム真理教の上祐[じょうゆう]氏がみその学舎で英語を習った河野[かわの]先生によく似ていた。「ああ言えば上祐」←私は子供のころ親に口答えする癖があって、よく親から「ああ言えばこう言う」と叱られていた。
人殺し←アニメ『ルパン3世』を見てもわかるように、私は人殺しを好まない(ただし相手が悪い(まちがっている)場合には殺しも辞さない)。私が九大医学部医学科4回生のとき、外科学第1の実習で4人ひと組で犬を使って手術の練習をやったことがある。その日私達の班がいつもの待合の場所で待っていたら、急遽手術の練習をすることになって研究棟に移動した。私がまちがって犬の横隔膜に穴を開けてしまって監督の先生が急遽人工呼吸器を取り付けてその場を凌いだが、結局その犬は練習台にされた後死んでしまった。
これらの私の経験(他にももっとあるかもしれない)をもとにして、国会議員が計画を練って、現人神制に従ってオウム真理教の者に命令をして殺人事件が実行されたのである。
被害者とその親族及び日本神道による犯罪が許せない者は、どんな方法でもいいから国会議員≡日本神道の幹部に復讐すればいい(そんなこと言われんとわからんか!?)。
後日談だが、私が九州大学理学部4回生のとき受講した小田垣孝[おだがきたかし]教授の熱統計力学ゼミのとき、小田垣教授がオウム真理教の地下鉄サリン事件のことを面白おかしく語ったことがある。小田垣教授が「車でサリンを撒[ま]き散らす」と言ったときには、私は面白すぎて思わず吹き出してしまった。
[4882] 国会議員は国民の意志の代表ではない。 h20.4.26
この前私が現人神制がまちがっている制度であることを証明した。[[4818]、[4828]参照]
だから、日本人の意志は現人神制を否定することにある。
なのに、国会議員の意志は現人神制を肯定することにある。
だから、国会議員は日本国民の意志の代表ではない。
国会は、ただの頭のおかしな宗教団体の幹部の集まりにすぎない。
[4883] 税金は現人神制の費用である。 h20.4.26
国会のおもな仕事は現人神制をやることである。(現人神がいない時代には、天皇に関する君主制をやることである。)[民主主義的なサービスは、すべて民間企業でもできることである。]
国会が現人神制をやるためにかかる費用が、国民の税金として国会に支払われている。
しかし、現人神制はまちがっている制度だから、本来やってはならない。
したがって、国会はもはややることがないから、国民は税金を国会に支払う必要もない。
余計なまちがった現人神制をやらなくなれば、自然と正しい民主制に戻ると思うが、
世の中にはまちがった制度をやりたがる異常な者がいるから、再びまちがった現人神制ができないためにも、あえて正しい民主主義を守る組織を作らねばならない。
そんな組織から見れば、今の国会は民主主義に反している犯罪組織にほかならない。
現人神制は民主制においては違法だから、国会議員は全員死刑だ。日本神道の者は全員有罪だ。
[4884] アニメ会社はなぜ日本政府をありがたがるのか? h20.4.26
日本政府は現人神制を執行する機関である。
現人神制があると、たまたま今の現人神である私がアニメ好きなので、
現人神制によって日本政府からお金がもらえる。[国民の税金が日本政府を介してアニメ会社に回ってくると言うことである。]
だから、アニメ会社は日本政府をありがたがるのである。
日本政府がなければ、実際の売り上げの利益だけが収入になって、日本政府からの上乗せがなくなるので、アニメ会社にとっては日本政府があったほうがいいのである。
でも、アニメの売上高が高ければ、日本政府の命令を聞いて売れないアニメを作る[つまり、日本政府からお金がもらえる代わりに、アニメのキャラクター原案やストーリー原案に現人神である私の個人情報を加えなければならない]よりも、日本政府の命令を聞かずに売れるアニメを作ったほうが儲かるから、日本政府は優秀なアニメ会社にとってはむしろ邪魔者である。[例えば、『超くせになりそう▽』なんかでも、本当は純粋な男と女のラブコメにしたかったのだが、私が異性に興味がないために、女が男装して男に恋する話になったのである。私が異性を好きにならないために、いまだにコンピュータにはハートマークの記号がない。(1980年代のパソコンにはハートマークが表示できる機種があった。)]
[4885] 日本政府はどうして現人神制でお金を回すのか? h20.4.27
それは、日本政府の者が、現人神制が正しいと信じ切っているからである。
日本政府は現人神制をやるためだけに存在しているので、他にやることがないから、現人神がいる時代には、なにがなんでも現人神制をやろうとするのである。
しかし、私がこの前現人神制が正しくないことを証明したから、
もはや日本政府は要らなくなった。
[現人神がいない時代には、日本政府は暇つぶしに天皇に関する君主制をやっている。しかし、これもこの前私が君主制はまちがった制度であることを証明したから、やはり日本政府は要らないことになる。]
[4886] 新日本政府 h20.4.27
今の日本政府から現人神制と天皇に関する君主制を引いて、
民主制を強めた機関が新日本政府である。
私が生まれる前の日本政府から、天皇制がなくなったものと考えれてもらえばいい。
[4887] 現人神制や君主制は恐慌のもと h20.4.27
自然な民主制のもとでは、数学的に最適な資金配分が経済学の法則によって決まる。
しかし、現人神制や君主制があると、現人神や君主が現われるたびに、
現人神や君主の趣味によって本来の最適な資金配分から外れた資金配分をすることになり、
いたずらに不適当な資金配分をすることになって[皿回しの皿を傾けるように]
経済構造が不安定化して、インフレや恐慌が起こりかねない。
その結果国民の生活は不満足なものになる。
これでは、そもそも政府が何のためにあるのかわからない。
だから、現人神制や君主制はないほうがいい。
[4888] 良寛について h20.4.27
人間の冷静さを尊ぶのは、私は好かない。
人間は感情の活動があってこそ人間らしいのである。
感情の活動を抑えこむのが立派なら、人間の心の中にはひとつも善い感情がないというのか!?
正しい実在観に従属した心なら、心を肯定してもよいはずだ。
自分の心を否定し続けねばならないのは、そもそも正しい実在観が知覚にないからだ。
[4889] 現人神の意味 h20.4.27
現人神[あらひとがみ]が何なのかわからないのに、現人神制をやったり現人神制に従ったりする者がいる。
私なら「現人神とは何ですか?」と宗教家に質問して、それに宗教家が明確に答えられなければ、私はすぐに宗教をやめる。
わけがわからないのにやるのは人間として取るべき態度ではない。
[4890] 超能力者は人間か? h20.4.27
超能力者は、念光力や念動力などを発現する超能力器官があること以外は人間と同じである。
精神分裂病者には脳の中にテレパシー器官があるが、テレパシー器官があってもなくても同じ人間なら、現人神の脳の中には超能力器官があるが、超能力器官があってもなくても同じ人間だ。
したがって、超能力者は人間だ。
[4891] 私アニメはどうやって作られたか? h20.4.27
日本には現人神制つまり超能力者に人間を従わせる制度があった。
日本神道の本部である日本政府が現人神制を執行する機関であった。
私は1〜2歳の赤ちゃんのころ念動力を使ったことがあるので現人神ということになった。
私は子供のころからアニメが好きでよく見るから、現人神制で日本人みんながアニメをよく見るようになった。
私は子供のころ自分と他人を区別しない考え方だったから、アニメのキャラクターや話は私の外見や体験に似せて作られている。
私の外見や体験などをもとにして[体形は、私が痩せていた小学低学年ごろ(小学2年のとき体重が28Kgだった。)のことが多い。今は100kgを越えている。顔は、小学中学年から高学年ぐらいまでが多い。体験は私自身がしたことは少なく、私の周りで日本神道の子供がやったことが多い(例えば、バトンを回すとか、ローラ−スケートに乗るとか、私は運動が苦手なのでそんなことはできない)。体験には私が頭の中で考えたことを日本神道の者がテレパシーで聞いて使っていることもある(→『ウルトラマンA』の異次元人ヤプール)。]、日本神道の者がキャラクターや話を作ったりするか、または他の者が作ったキャラクター原案やストーリー原案に私の外見や体験を加えてキャラクターやストーリーを作っている。
だから、私自身はアニメの製作には少しも関っていない。[だから、テロップに名前が出ない。]
だから、私は1円もアニメでは儲けていない。収入は学生時代には親の仕送りと、社会人時代には派遣会社で工場の作業員として働いて得た賃金だけである。
[マンガやドラマや映画も同様。]
[4892] 天皇制は君主制である。 h20.4.27
超能力者であった初代神武天皇に人間を従わせることは現人神制だが、
2代目以降の天皇は、自分自身は超能力者ではなく、初代が超能力者ということで君主になった者にすぎないから、
2代目以降の天皇に人間を従わせる天皇制は君主制である。
[昔の白黒の『鉄腕アトム』は、私が生まれる前だったので、昭和天皇に関する君主制で作られたアニメである。『鉄腕アトム』は、人間とロボットの対立を描いた作品だが、人間が天皇家が率いる日本神道(日本君主道)の者で、ロボットがその他の日本人の喩えであると考えられる。]
[4893] 綺麗とは何か? h20.4.27
かわいいが子供っぽいことであるように、
綺麗とは女っぽいことである。
[4894] 現人神は死語である。 h20.4.27
現人神[あらひとがみ]という呼び名は、中身が見えなくていい呼び名ではない。
そのために神武天皇や私のような本来の現人神である超能力者の他に、超能力のない2代目以降の天皇のような君主はおろか、東郷平八郎や犬養毅のような軍事家や政治家までもが現人神とされている。[Wikipedia「現人神」を参考にした。]
中身が見えない言い方は表現力が足りないし他人をだます言い方なので使ってはならない。
そこで、超能力者は超能力者と呼ぶことにして、現人神と呼ぶのをやめることにする。
したがって、今後現人神制は、超能力者制または超能力者に関する現人神制と呼ぶことにする。
2代目以降の天皇は[超能力者でないかぎり]君主、東郷平八郎は偉大な軍事家、犬養毅は偉大な政治家と呼んで、現人神とは呼ばないようにする。
したがって、日本神道すなわち日本現人神道は、古来より超能力者がいる時代には日本超能力者道として日本における超能力者制をやっていて、超能力者がいない時代には暇つぶしに日本君主道として神武天皇の子孫に関する君主制をやっているのである。[そもそも超能力者制や君主制はまちがっている制度だから、やってはいけないが。]
したがって、国会議員は超能力者である私に関する日本超能力者道(超能力者がいない時代には、○○天皇に関する日本君主道)の幹部の人ということになる。日本政府は超能力者である私に関する日本超能力者道(超能力者がいない時代には、○○天皇に関する日本君主道)の本部ということになる。[なんか、ドイツっぽい。]
[4895] 日本政府とは何か?☆ h20.4.27
認識とは、脳細胞の神経興奮による“感覚”の発生である。ように、
日本政府とは、“超能力者”に人間を従わせる“超能力者”制を執行する機関である。[ただし、超能力者がいない時代には、神武天皇の子孫に人間を従わせる君主制を執行する機関になる。]
日本政府は要らない。
日本政府を撤廃し、はやく超能力者を含むすべての人間を平等に扱う民主制を執行する機関を作るべきである。
[4896] テレパシーのある世の中 h20.4.27
テレパシーは原爆と同じだ。
テレパシーも原爆も実在するけれども使ってはいけない。
使うなら、平和的に利用すべきだ。
つまり、原爆の原子力エネルギーが原子力発電所として利用されているように、
テレパシーの原理を利用した、磁気嵐によっても妨害されない通信装置を発明するとか。体内ペースメーカーや医療機器と干渉しない携帯電話とか。
[4897] 税金を払わないで済む方法 h20.4.27
日本政府は、超能力者制をやるためだけに存在しているくだらない機関である。
日本政府が超能力者制をやるためにかかる費用が税金として国民に課せられている。
日本政府に超能力者制をやらせないためには、国民が日本政府に対しその活動資金である税金を支払わなければいい。
しかし、警察は日本政府の犬(言いなり)である。
国民が日本政府の命令に逆らって税金を払わないと警察が家に来る。
しかし、日本政府は超能力者の命令には逆らえないから、警察が家に来たとき、「超能力者が日本政府に税金を支払うなと言った」と警察に言えば、警察はおとなしく引き返すしかないはずだ。
[4898] 国会議員は別の世界の人 h20.4.28
国会議員≡日本超能力者道(または日本君主道)の幹部が、赤ちゃんの頃に超能力を使った私の身体に処置をして超能力を使えなくしたり、平気で超能力者制に従って大勢の人を殺したりできるのは、彼らが普通の人とは違う実在観を持っていて心の働き方が普通の人とは違っているからである。つまり、国会議員は普通の人とは別の世界に生きている。
国会議員以外の日本超能力者道(または日本君主道)の者も普通の人間とは違う知覚や心を持っていて、普通の人とは違う世界に生きているのだ。
[4899] 特殊能力者 h20.4.28
超能力と言っても、実際には光の玉を出したり家の中にあるガラガラや小さい物を動かすことができただけである。しかも、一人の超能力者は一つの(一種類の)超能力を使っただけである。
だから、超能力と言うより、特殊能力(略して特能)といったほうが適切かもしれない。
したがって、現人神→超能力者→特殊能力者(略して特能者)、日本神道→日本超能力者道→日本特殊能力者道(略して日本特能者道)となる。
[4900] 天引き h20.4.28
給料の源泉徴収のことを天引き[てんびき]という。天引きとは日本政府≡日本特殊能力者道の本部が特殊能力者がいない時代に天皇(特殊能力者であった神武天皇の子孫)に関する君主制をするために国民が日本政府に納めるお金という意味である。しかし、今は特殊能力者である私(川野延夫)がいる時代だから、川引き[かわびき]と言うべきだろう。[しかし、そもそも特殊能力者制や特殊能力者の子孫制に何の意義があるのだろうか?]