[4701] 心は古いプログラムではない。 h20.4.6
心は知覚における実在観に従属して感情の働き方を変えるから、実在観が新しいものに変わっても依然として心は働き続ける。
例えば、「心が大脳前頭葉にある脳細胞の神経興奮によって発生する快不快感を伴う感覚である。」という知識が得られると、その知識に基づいてこれまでの心の働き方が変わって、新しい心を獲得することになる。[数学自体を数学で扱う数学基礎論に似ている。]
だから、いくら知覚における世界観が新しい世界観に変わったからといって、心が消えてなくなるとか、心が働かなくなるとか言うことはない。知覚における世界観が新しいものに変わっても、その新しい世界観の中で新しい幸福や不幸があるのである。[ゲーテのファウストにも『我らが祖先より受け継がれしものに新しき火を点[とも]さん。』と言う言葉がある。]

[4702] 女とは h20.4.6
女は身体に乳房や子宮が、心に愛情が添加された男である。
女は乳房や子宮や愛情のためにヘンテコになった男と考えればよい。
女は子供を産んで育てるのが仕事だから、そのために知覚の仕事が削られるのはやむをえない。
女が馬鹿なのは大目に見なければならない。

[4703] 神がいないことの実験的証明 h20.4.6
子供が親を馬鹿にすると親が怒って子供に罰[ばつ]を与える。
しかし、いくら神様を馬鹿にしても全然罰[ばち]が当たらない。[神様がいるかいないかは科学の問題だから、実験で確かめるしかない。]
だから、神様はいないと考えられる。
したがって、実在は実在自身の法則で動いているのであって、神様によって動かされているのではない。そのほうが世界がすっきりして気持ちがいい。神様は鬱陶[うっとう]しい。

[4704] 戦争はなぜ起こるか? h20.4.7
自分がさんざん苦労して首相になってみたが、実際首相になってみるとサッパリ面白くなかったので、その腹いせに国民に八つ当たりして戦争を起こすのである。
つまり、自分が目当てにしていた喜びが得られなくて、何か他のことで喜びを得なければならなくなって余計なことをするのである。
セックスの喜びが目当てで結婚したものの、実際にセックスをやってみたがつまらなくて後で大泣きする男と同じだ。そういう男は他のことで喜びを得なければならないから、ギャンブルなんかに手出しをするのだ。[人間は心で動くので、ひとつのことで喜びが得られないと他のことで喜びを得なければならないのである。]
女にあるのは子供への愛情だけであり、男にあるのは食欲だけである。テレビドラマのような男女の性愛を目当てに結婚しても、なんの喜びも得られない。そういう夫婦はすぐに離婚する。
自分の想像の上だけの喜びよりも、自分が実感できる喜びを大事にしなければならない。

[4705] 日本政府は日本神道を捕らえてさらし者にすべきである。 h20.4.7
以前から、日本政府と日本神道が癒着があることは明らかである。
日本神道はこれまでに数多くの犯罪を犯してきた。
日本神道はたてまえは宗教だが、実質的には暴力団である。
日本政府の者だけが有名で、日本神道の首領や幹部が不明なままでは、日本政府が日本神道の責任を全部負わなければならない。
日本政府が日本神道の首領や幹部を捕らえてテレビや新聞に顔写真を出してさらし者にすれば、これまでに日本神道が犯した犯罪の責任の大半は日本神道のものになり、日本政府の責任は軽くなる。

[4706] オナニーについて☆☆☆ h20.4.7
オナニーをやらないことが大事なのではない。
オナニーを乗り越えることが大事なのだ。
実際には、馬鹿馬鹿しくなってみんなやめるのだろう。
[もっとも、やらないに越したことはないが、やったからといってどうと言うほどのことではない。ただし、オナニーは精神病の原因であることは知っておく必要はある。知っていれば、たぶん最初からやらないと思う。オナニーが精神病の原因であることを教えてやってもオナニーをやめない者は、もはや救いようがないから、勝手に精神病に罹って苦しめばいい。オナニーをして認識主義になった者は、自分の焦燥中枢やテレパシー中枢や抑鬱中枢を興奮させるなと注意しておいても、感情的になっているために教えを破って精神病に罹ってしまうのだ。普通の人は、たとえ自分の焦燥中枢やテレパシー中枢や抑鬱中枢が興奮することがあってもそれらを抑制しようとするが、性欲を満足して認識主義になった者は反対にそれらを自分で興奮させようとするのである。つまり、それまで知覚における実在の法則に従っていた心が、性欲や麻薬欲を満足することによって心が実在とあまり関係のない性感や麻薬感に従うようになり、[心の働き方が変わって]心が実在の法則に従わなくなったために、心が実在の法則(とくに道徳律)を犯して自分の焦燥中枢やテレパシー中枢や抑鬱中枢を興奮させてしまうのである。だから、精神病にならないためには、自分の焦燥中枢やテレパシー中枢や抑鬱中枢を興奮させなければいい(必要十分条件)のだが、オナニーやセックスや麻薬をやって性欲や麻薬欲を満足すると心がそれまで潜在意識的に守っていた実在の法則を犯す、つまり自分の焦燥中枢やテレパシー中枢や抑鬱中枢を興奮させることになるので、そもそもオナニーやセックスや麻薬をやってはいけないというわけである。(ただし、生殖の場合は除く。)]


[4707] 楽園追放 h20.4.7
旧約聖書によれば、「人間は知恵の実を食べたから楽園を追放された。」ことになっている。
しかし、知恵の実を食べた(つまり、知覚を働かせた)後にも、その世界(知覚界)における幸福はあるはずだ。
動物は五感や性欲の幸福で生きているが、人間は知覚の幸福で生きている。
人間は知覚の世界に新しい楽園を築けばよいのである。

[4708] 神様との約束 h20.4.7
旧約聖書や新約聖書の約とは翻訳の訳ではなくて、人間と神様の間で交[か]わした約束の約である。
昔は超能力者が現人神つまり神様だと見なされたので、超能力者の教えを守ることが神様との約束を守ることだと考えられたのである。
昔の人は、神様はこの宇宙を創った人だから、神様の教えを守れば幸せに生きて行けると信じていたのである。

しかし、現代における科学や哲学から見ると、これまでの現人神の思想は多かれ少なかれまちがっている。
だから、現人神の思想に従っても、幸福にはなれない。
現人神が神でなければ、そもそも神もいないと考えたくなる。
神がいる世界観は実在の世界ではない。
はやく、実在の世界には神がいないことを人類にわかって欲しい。

[4709] 古代物理学 h20.4.7
宗教は、神の概念によって実在の世界を説明する古代物理学である。
現代ではもはや通用しない古[いにしえ]の理論である。
だから、古代物理学を実在に適用してはならない。
古い時代のまちがった物理学なんか学んでも時間の無駄だ。

[4710] 学問とは何か? h20.4.7
学問とは、学んで問うことである。
今の学問は他人の考えを学ぶだけで自[みずか]ら問うことがないから、ただの学である。
今の人間は他人の言いなりになるだけで自分で考えて行動しない。
自分で考えていないから、他人の正しさに負けて他人の言いなりになるのだ。

[4711] 勧善懲悪 h20.4.7
人間の心の善悪は、知覚における考えが正しいか間違いかによって決まる。
つまり、善人とは正しい考えを持っている者のことであり、悪人とはまちがった考えを持っている者のことである。
人間社会は正しい考えを持った者を勧め、まちがった考えを持った者を懲らしめる(例えば、蹴る殴る殺す)ようにできていなければならない。

[4712] 神がいない世界の道徳律を説く宗教 h20.4.7
現代における宗教は、神がいない世界における道徳律を説くところである。
道徳律は、人類に普遍的なものもあるが、個人に特有なものもある。
個人に特有な道徳律は、人によってそれぞれ違うから、
将来、ひとつの宗教と他の宗教との間で闘争が起こらないとも限らない。
それは思想の自由と言うことで、互いに他に対しては寛大でなければならない。
思想の自由は正しい限りでは最大限に認められると言うことである。

[4713] 神と現人神 h20.4.7
神がいるかいないかははっきりしないが[私は神がいないと信じているが]、
現人神すなわち超能力者が神でないことは100%確実である。
超能力者が神でないことは、誰にとっても、宗教の者にとってさえも明らかである。
だから、たとえ神の存在を仮定する宗教は許せても、
超能力者の思想を教えとする宗教はもはや成り立たない。
ただ、現代は明晰判明の時代だから、現代において神がいる宗教をやりたければ、神の定義をまず明らかにしなければならない。神の定義が明らかに科学的真実に反する場合には、宗教としても認められない。

[4714] 日本神道における神の定義 h20.4.8
日本神道は、神を「人間よりも上の者」と定義しているらしい。[私は詳しくは知らないが。]
上の者とは何について上の者なのかが明らかではないが、それでも超能力者は人間よりも超能力の才能が1個多いから上の者だと考えて、超能力者が神であることはわかる。[反対に、神が宇宙を作った全知全能の者という西洋の神の定義では、超能力者が神であるのは無理がある。運動や知覚の才能はすでに人間のものと決まっているから、いくら運動や知覚の才能が優れていても人間よりも上の者だとはいえないのである。
しかし、神が人間よりも上の者であると言う定義からだけでは、西洋の神のように神が人間を作ったのではないから、人間が神の子として神に従わなければならないことがでてこない。ただたんに、神が人間よりも上の者であるだけでは、神と人間の関係は人間と他の動物の関係ぐらいのものだから、日本における神と人間の主従関係は西洋における神と人間の主従関係よりも弱くなり、人間が神に絶対に服従しなければならないほどではない。
また、この定義では、神が宇宙を作るほど全知全能ではなく、神に祈っても自分の願いを叶えてもらうことができないから、神に祈る意義がない。神が人間よりも上の者というだけでは、人間はただ神に従うだけで、その見返りを何も期待できない。
西洋の神のように神がこの宇宙を作り出した者であれば、神が神自身を作り出すから神が永遠不滅であることになり現人神が死んだ後でも現人神に従い現人神に祈る意義があるが、神が人間よりも上の者というだけでは神が永遠不滅であることがでてこないから、現人神が死んだ後では現人神がいなくなるからもはや現人神に従う必要がない。だから、神が不死でない日本では、親子の血筋で神が死ぬことを補っているのである。西洋の神は不死性によって一代で未来永劫やっていけるが、日本の神は不死性がないから親子の血でつなぐしかないのだ。[だから、日本では現人神家の親子の血筋を断てば、もはや人間が現人神の子孫に従う必要がなくなる。しかし、そもそも人間よりも上の者の子と言うだけで人間よりも上の者と言えるのだろうか?たとえ親が人間よりも上だとしても、その子供に超能力がなければ子供は人間よりも上の者ではないと考えるのが自然ではないだろうか?]
このように、神の定義が違えば、人間と神の関係も違ってくる。したがって、外国の宗教と日本の宗教ではやり方が違っているのである。

[4715] 日本における神と人間の関係 h20.4.8
日本では神とは人間よりも上の者と定義されている。
超能力者は人間よりも才能が1個多いので、超能力者は神である。
神と人間の関係は人間と他の動物(例えば、犬)の関係のようなものである。[日本における超能力者と人間の関係は、親と子の関係ではない。なぜなら、人間の親も子もともに人間だからである。超能力者は人間よりも上の者であって人間ではないので、超能力者と人間の関係は、人間と他の種の動物の関係と同じなのである。]
したがって、人間の命令に他の動物が従わねばならないように、超能力者の命令に人間は従わねばならない。絶対服従とまではいえないが、できるだけ従わねばならない。[このように、超能力者に人間が従わねばならないことは、神の定義から出てくることであって、超能力者に生まれながらに権威があるわけではない。西洋では神は人間のすべてを作った者なので、人間は神に絶対服従しなければならないが、日本では神と人間の関係は人間と他の動物の関係と同じなので、人間は神にそこそこ服従すればよいのである。]
人間は動物を利用するのであって逆に人間が動物に利用されるのではないように、超能力者は人間を利用するのであって逆に超能力者が人間に利用されるのではない。
人間が自分の幸福のために動物を利用するように、超能力者は自分の幸福のために人間を利用することができる。
動物が人間に攻撃しないように、人間は超能力者に攻撃してはいけない。
動物が人間の教えに従わないように、人間は超能力者の教えに従わなくてよい。[西洋では、超能力者は宇宙を動かしている神なので、人間が超能力者の教えに従えば宇宙に適応できて幸福に生きて行けると考えられているので、人間は超能力者の教えに従うのである。]
動物が人間の知覚の才能を消したりしないように、人間が超能力者の超能力の才能を消してはいけない。
日本人の中で神の概念を持っている者(つまり、日本神道の信者)は、神である私の命令に従わねばならない。
[西洋の神は完全無欠でなければならないが、日本における神は人間よりも上の者というだけで完全無欠ではないから、よくまちがいを犯すので自分の考えを何度でも修正してもよいのである。]

[4716] 女は男に従わなくてもよい。 h20.4.8
女は男よりも乳房や子宮や愛情が多いぶん知覚が働かないのでまちがいや知らないことが多く、女は男の意見に従わねばならない。
しかし、それは卑屈になりすぎている。
女も男と同じように自分が正しいと考えることを実行すればよい。
ただし、自分が正しいと考えることをする場合には、自分の考えが正しい理由がきちんとわかっていなければならない。男と正しさで戦っても勝てるぐらいでないといけない。

[4717] 人間と超能力者の妥当な関係 h20.4.8
超能力者は“人間よりも上の者”である。ただし、それは人間よりもひとつ才能が多いという意味においてである。
超能力者は抽象的には人間よりも上の者だが、これを具体的に表現することが難しい。
下手をすると、天皇制の二の舞になってしまう。しかも、2代目以降の天皇は人間よりも上の者ではないから天皇制は神の定義に反する不自然なインチキ臭い制度である。
動物に対する人間の関係が人間に対する超能力者の関係になるようにすればよいのだが、具体的にどうすればよいかが難しい。時代によってもやり方は大きく変わる。
人間よりも上の者と言っても、実際には才能がひとつ多いだけだから、喩えれば、女は男にはない子供を産んで育てる才能があるから、女が男よりも才能がひとつ多いのと同じようなものだ。
だから、女と男を特に差別しないように、超能力者と人間を特に差別しなくてもいいはずだ。女と男が主従関係において平等であるように、超能力者と人間は平等なのだ。
だから、中国の仙人のように、超能力者に人間が従う制度はなくてよい。政治的にも思想的にも従わなくてよい。超能力者を特別視して余計なことを一切してはならない。ただし、本人が自分の力で政治家になったり思想家になったり超能力の研究者や芸人になって活躍するのはかまわない。
ただ、超能力者は生物学的には貴重な資料だから、超能力者の氏名と性別と出身地と生没年と超能力に関する科学的な記録(超能力を発現した時期と場所、超能力に関するできるだけ詳細な観察記録)は絶対に残さなければならない。中国の八仙人やこれまでの超能力者のように、肝心の超能力に関する記録が残っていないのでは記録としては何の価値もない。その他の経歴は、本人が特に希望しないかぎり抹消すべきである。

[4718] 天皇制はワルノリである。 h20.4.8
神武天皇の一発芸でその後2千年以上も天皇が日本国民を支配するのは悪ふざけのしすぎである。
天皇制は合理性を欠く古臭いまちがった制度である。
天皇制は[水の入ったコップを逆さにしたような]不安定な危険な制度である。今の天皇は幸い要領よくおとなしくしているけれども、天皇が怒って暴れまわったらすぐに日本は滅びてしまう。
こんな社会を不幸にする制度は早く廃止すべきである。
そもそも超能力者を人間よりも上の者とする具体的なやり方がまちがっているのである。
たとえ日本で神制度をやるにしても、つまり超能力者(の子孫)を人間よりも上の者とするにしても、もっと無難な安易な方法に改めるべきである。[日本人はどうして危険な方法が好きなんだろう?頭の上に爆弾を乗せているようなものだ。]例えば、国会の会議室の前のほうの右上に天皇の閲覧席を儲けて、そこから天皇はただ議会を眺めているだけにし天皇の承認制を廃止する。たまには、天皇が自分の存在をアピールするために議会に口出ししてもよい。天皇の家(皇居)はそのままでよい。日本国憲法における天皇の規定を、漠然と人間よりも上の者[文学的にごまかしてもよい]とし天皇の待遇をなんとなく雰囲気的に人間よりも上の者とする代わりに、天皇の具体的な特権は一切認めないことにする。

[4719] 父親も子供に教育すべきである。 h20.4.9
女は愛情があるぶん知覚欲が働かず、実在について簡単なことしかわからない。
だから、女が子供に教えられるのは簡単なことだけである。
男は愛情がないぶん知覚欲が働くから、難しいことでも理解できる。
だから、男は実在について難しいことでも子供に教えることができる。
例えば、「感覚は脳細胞の興奮によって発生する。」ことや、「オナニーやセックスや麻薬が心の働きを変えて、焦燥中枢やテレパシー中枢や抑鬱中枢を興奮させてはいけない決まり(法則)を犯して精神病に罹る。」ことは、女にはわからないが男なら理解できる。
だから、子供の教育は女(母親)だけに任せず男(父親)も積極的にやるべきである。
いくら男に愛情(子供をかわいがる気持ち)がないからといって、子供の教育までも無視してはならない。学校や社会では、現代の神がいない時代における科学的知識(物についての知識)や社会的知識(人と人の付き合い方)しか教えてくれない。だから、家庭では現代の神がいない時代における道徳的法則(自分の心の働かせ方)を教えねばならない。大事なことだけ教えるなら、そんなに手間や時間はかからないから男にも教えられるはずである。

[4720] 子供の教育は必要である。 h20.4.9
子供は実在について知らない。大人は実在の法則について知っていても、生まれたての子供はまだそれを知らない。
子供は放っておくと自分では考えないものだし、たとえ考えるにしても子供ひとりに考えさせるとすごく時間がかかるしまちがいを犯すことも多い。取り返しのつかないまちがいを犯す恐れもある。一生治らない病気にかかる恐れもある。
だから、大人が実在についての正しい知識を子供に教える必要がある。大人が子供に最初に正しいことを教えてやればあとは子供がその知識に基づいて自分で正しく考えるから放って置けばいい。

[4721] 子供は正しくない。 h20.4.10
正しいとは実在について知っていることである。
子供は実在についてまだ知らないから、子供は正しくない。
人間の心は知覚に従属するから、善い心は正しい知覚に宿[やど]り、悪い心は正しくない(つまり、実在について知らないまたは誤解がある)知覚に宿る。
したがって、子供は実在についてまだ知らないから、子供は悪い心である。
子供が実在を知ることによって、心がしだいに善くなって行くのだ。

[4722] 宗教の者は悪い心である。 h20.4.10
宗教の者は、神がいるまちがった実在観を持っている。
人間の心は知覚に従属するから、まちがった実在観を持っている宗教の者は悪い心を持っているのである。
まちがった実在観を改めれば、善い心になる。
[宗教つまり古代の世界観を勉強する暇があったら、現代の世界観を勉強したほうがいい。]

[4723] 不合理的な制度 h20.4.10
超能力が出たと言うだけで、その者に従わなければならないのは不合理的な制度である。
合理的には、実在についての正しい法則(科学的法則、社会的法則、道徳的法則)がわかっている者の命令に自分は従うべきである。
神のいる世界においては超能力が出たこととその者に従わねばならないことの間に必然的な論理関係があるが[超能力が出た→人間よりも上→人間は従わねばならない]、そもそも神がいる世界がまちがっているのだからその論法は成り立たない。[宗教は、世の中をメチャクチャにして喜んでいるだけではないのか?]
現代において神がいるとしたら、神とは実在についての正しい法則がわかっている者のことだろう。[実在についての正しい法則がわかっている→人間よりも上→人間は従わねばならない]


[4724] 顔に違いがあったほうがいい。 h20.4.10
これまでのアニメやマンガのキャラクターはすべて私と同じ顔つきをしていた。[たとえ違っていても、それらは私の親族や顔見知りの知人に限られていた。]
キャラクターが全員同じ顔つきをしているよりも、それぞれ違う顔つきをしているほうがアニメやマンガのファン層が広がることが期待できる。

[4725] 祖先の文化 h20.4.10
宗教には、我々の祖先の文化を尊重する意義がある。
ただ、まちがいまでも引き継いではいけない。
まちがった意味は排除して形の上だけの儀式にしなければならない。
ただ、いそがしい人が多いから、儀式はやりたい人だけやればいい。

[4726] 祖先の文化(その2) h20.4.10
宗教には、我々の祖先の文化を尊重する意義がある。
しかし、自分の身体があることが自分の祖先が生きていたことの何よりの証拠であり、自分の祖先の遺伝子は自分の遺伝子として受け継がれている。
自分の祖先が使っていた言葉(概念)は自分が使っている言葉に活かされている。
日常生活に溶け込んでいないわざとらしい儀式などを行って無理やり祖先の文化を崇めるのは、むしろ自分の祖先を役立たず馬鹿呼ばわりしているようにさえ思われる。
祖先の文化を正しい部分とまちがった部分に分けて、正しい部分を残し、まちがった部分を捨てることが、今の時代に生きる私たちがしなければならないことである。そのほうが後世の人々にとっていいことだし、私たちの祖先も喜ぶはずである。

[4727] 神はいない。 h20.4.10
神がいるかいないかで悩むのは学者馬鹿である。
神がいるという仮定から正しい結論が得られたことはこれまでに一度もないから、神がいるという仮定はまちがっており、神はいないと考えられる。
したがって、神がいる世界の遺物(例えば、宗教や天皇制)を早くこの世から一掃しなければならない。[有名な教会や仏閣を建築物として残すのはいいが、宗教として残してはならない。]

[4728] 神の定義の変更 h20.4.11
日本神道が、神の定義を人間よりも才能の多い者に変えたとする。
すると、やはり超能力者は神ということになる。
しかし、そうすると、神に人間が従わねばならないことが出て来ない。[超能力者の超能力は念動力や念光力のような運動系の超能力だから、超能力者だけにわかることがないから人間を支配できないし、たとえ超能力者だけにわかることがあってもその点において人間を支配できるだけであり、一般的には人間に命令することはできない。]
神に特にできることはその超能力でできることだけであり、神に祈る意義もない。
神の永遠性も出てこないから神は一代限りである。
こうなると、神はまさに超能力者にほかならない。
神はその超能力の実力で超能力の研究者になるか芸人になること以外は、ほかの人間と変らない。

[4729] 宗教に入る人 h20.4.11
ニュートン力学は難しい。『論理』がわかる人でないとわからない。[私がニュートン力学がわかるようになったのは、自分で論理について考えて論理とは何かがわかった28歳のときだった。]
それに比べると、宗教の古代物理学は易しい。[数学的予備知識が要らずいちいち計算しなくていいし、論理が緩[ゆる]いから推論が楽である。]
だから、ニュートン力学は難しいから敬遠したいけれど、この世界をどうしても理論的に理解したい人が宗教に入るのである。[そんな人は、無理をせずにおとなしく家でテレビでも見たほうがいい。]

[4730] 日本政府は穢多[えた]、日本神道は非人[ひにん] h20.4.11
現代における法は、神がいない世界の科学的法則に立脚した世界観である。
したがって、神がいる世界観に従っている日本神道は現代世界の法を犯したことになる。
日本神道の活動を容認している日本政府も共犯者である。
だから、日本神道と日本政府はともに現代世界の法を犯したから人間以下の者ということになる。

[4731] 日本国憲法 h20.4.11
日本国憲法には神の字は用いられていないが、神の意味が用いられている。
だから、日本国憲法も現代世界の法を犯している憲法である。

[4732] 悪人の子は悪人か? h20.4.11
人間の心の善悪は、知覚における知識が正しいか間違いかによって決まる。
だから、たとえ親の知覚における知識がまちがっていて心が悪くても、その子の知覚における知識が正しければ心が善いことになる。
したがって、悪人の子だからと言って悪人だとは限らない。[反対に、善人の子だからと言って善人とも限らない。]

[4733] 知覚の役目 h20.4.11
知覚は五感の経験に基づいて実在を認識する。
心は快不快の感覚を持った脳細胞の集まりであり、知覚がなければ心はそれ自体の法則(つまり、快を求め不快を避ける)で動こうとする。
知覚がなければ、心は自分自身の法則で勝手に動くだけなので実在の法則を犯して結局心自身を不幸にする。
心を実在に適合させ効率よく幸福に生きて行けるようにするのが知覚の役目である。
[たとえ知覚があっても、具体的な知識がなければ知覚がないのと同じことだから、[砂の堤防に開いた穴から堤防が崩れていくように]知識の欠けているところから心が崩れていくので、人生が幸福になるか不幸になるかを決める大事な知識は必ず早目に習得しなければならない。]

[4734] なぜ日本神道は悪なのか? h20.4.11
現代社会は神がいない世界の法則で動いている。
そんな社会の一部に、日本神道のような現代社会の法とは別の神がいる世界の法で動いている組織があると、社会秩序が壊されることになる。
癌組織が身体を蝕[むしば]み死に至らしめるように、日本神道は日本国を滅ぼすことになる。

[4735] 日本神道の鑑別法 h20.4.11
神がいる世界の法で動いている者が日本神道の者である。普通の人よりも派手に超能力者に従っている者は日本神道の者である。例えば、私に関しては、わざとらしく青い服を着たり、故意にぶ入れをしたりする者は、日本神道の者である。[たとえ外人でも日本神道の者である。]
たとえ他人に命令されようがされまいが、神がいる世界の法で動いている者は日本神道の者である。例えば、バラエティー番組のテロップの記事は、ディレクターやプロデューサーが何も知らずにやっているとは考えられない。やはり、神がいる世界の法でやっていることを知っているはずだ。お金のためにならまちがいを広めてもいいと考えるのは正常な人間の判断ではない。だから、彼らも神がいる世界の法に従っている日本神道の一員ということになる。

[4736] 宗教かそうでないか? h20.4.11
お正月に初詣[はつもうで]に行ったり、お盆に帰省してお墓参りに行くことは行事と見なされる。冠婚葬祭までは行事と見なされる。しかし、それ以上は宗教活動と見なされるので、駄目である。

[4737] 人間よりも上の者([4714]についての再考) h20.4.11
超能力者は人間よりも才能がひとつ多いから、人間よりも上の者である。この論法を正しいと認めたとすると、女は男よりも子供を産んで育てる才能がふたつ多いから、女は男よりも上の者になる。しかし、実際には女と男は平等だから、才能が多いからといって上にはならない。したがって超能力者も人間よりも上ではないことになる。
それに、人間よりも上の者といっても実質的には才能がひとつ多いだけのことだから、人間が超能力者に従わねばならないことも論理的必然的には出て来ない。才能が多いことを上だと言い換えて字面[じづら]の上で誤魔化しているだけである。そんなものは論理とは言わない。
このように細かくつっこんで考えれてみれば、超能力者が人間よりも上であるということには、おかしな点が多い。超能力者は人間よりも才能がひとつ多いことは事実だが、それと超能力者が人間よりも上であることの間には論理的なギャップがある。したがって、『論理』が公に通用している現代においては、日本神道の「神が人間よりも上の者である」と言う神の定義はもはや成り立たないのである。

[4738] どうして新聞の1面目に政治家の記事を載せるのか? h20.4.11
人間は実在についての正しい知識に従うべきであって、くだらない政治家の意見などに従う必要はない。
政治家は論理がわからず日本語もまともに喋[しゃべ]れないほどボケている。[日本に災[わざわ]いしかもたらさない天皇制を日本に置いた伊藤博文からしてすでに気が狂っているとは思わないか?]
新聞社は理由もないのに、政治家の記事を新聞の1面目に載せてはいけない。

[4739] 人間は真理に従って行動する。 h20.4.11
宗教の信者は、神がいる世界を信じていた人々の生き残りである。
昔は、みんなが神がいる世界を信じていた。
昔は、神がいるのが常識だったから、みんなが神理論を信じてその通りにした。
今は、神がいないのが一般的だから、ほとんどの者が神理論を信じない。
いつの時代にも言えることは、人間は真理に従って行動することである。
だから、私の考えが正しければ、いづれはみんなが私の考えに従って行動するだろう。


[4740] 日本神道と日本政府は同じである。☆☆☆ h20.4.12
日本神道は大昔からあり、一方日本政府は明治以後に新しく出来たから、日本政府と日本神道は別の組織である。
と考えるのは、素人[しろうと]の浅はかさである。
じつは、日本政府と日本神道は同じなのである。
江戸幕府が倒れたから、日本神道が残った。
新しい時代を迎えるに当たって、日本神道は日本政府と名前を変えた。
初代総理大臣の伊藤博文が天皇制を置いたのは、日本政府が日本神道だとすれば当然のことである。伊藤博文がキチガイでないとすれば、日本政府が日本神道であると考えざるを得ない。
日本政府の者以外の日本神道の者(例えば、日本政府の命令で私の身近にいて私にチョッカイを出している者)が日本の中でやたら偉そうにして威張っているのは、後ろ盾が日本政府だからである。
政府の者が神がいる世界の法に従って天皇や私をやたらに取っている(従っている)のは、日本政府の実体が日本神道だからである。
私が小学2年生のとき授業中に校長室に呼び出されて日本神道と思われる者から普段の生活について質問されたのは、文部省つまり日本政府と日本神道が同じだとすればできて当然のことである。
つまり、日本政府は表向きは議院内閣制を採る民主制の組織だが、その実体は大昔の神制で動いている日本神道なのだ。明治時代に日本神道が外国の議院内閣制を部分的に取り入れて新しく出来たのが、今の日本政府なのだ。

[4741] 日本は神制を採っている国ではない。 h20.4.12
神制とは、神の命令が正しかろうがまちがいだろうが、とにかく神の命令に人間が何でも従う制度である。
そして、日本では神とは人間よりも上の者(意味不明?)とされている。
例えば、超能力者は神であるとされている。
だから、日本では超能力者である私の命令が何でも通用するはずである。
しかし、これまでに日本政府≡日本神道が私の命令に日本人を従わせたことは一度もない。
したがって、日本は神制を採っていないのが現状である。

[4742] 日本は主義のない国 h20.4.12
日本は神制をやっているから民主制ではない。
日本は民主制をやっているから神制ではない。
日本は民主制の国でも神制の国でもどちらでもない。
日本は何にもない国だ。

[4743] 核家族化による家庭教育の不足について h20.4.12
日本の戦後は核家族化が進んだ。
日本人は個人や夫婦で暮らすようになり、年の功[こう]が活かせなくなった。
昔のように、家庭で社会的法則や道徳的法則を教える者がいなくなった。
それなのに、今の学校では、新しい神がいない世界の科学的法則しか教えていない。
そこで、これからの学校では、新しい神がいない世界の科学的法則(実在する物についての知識)・社会的法則(人と人との付き合い方、人間関係についての知識)・道徳的法則(個人としての生き方、自分の脳の働かせ方、自分自身についての知識)のすべてに及ぶ全人的教育を施[ほどこ]さねばならない。ただし、学校の教室で教えられるのはすべての人間において成り立つ一般的な法則に限られるので、個人の個性的な法則(心や身体や環境などの違いによる細かい法則)については個人個人に考えさせる必要がある。

[4744] 日本はどうして神制を採るのか? h20.4.12
日本が神制を採るのは、日本が超能力者が出やすい国だからである。日本は自分の国から超能力者が出やすいことを利用するために神制を採っているのである。
キリストの出身地であるイスラエルや、釈迦の出身地であるインドが神制を採るのも同じ理由である。[8仙人の出身地である中国が神制を採らないのは、中国が神制によらなくても十分幸福にやって行けるからである。]
世界中の神制をとっている国の間では超能力者の命令が有効であるが、神制を採っていない国に対しては超能力者の命令は無効である。
ただし、神制を採っている国では超能力者が人間よりも上だと考えられているので、人間が超能力者に対して命令や指示をすることはできない。
だから、国が超能力者を手なずけて超能力者が国に対して協力的なら、超能力者が国を有利にする命令を世界中の神制を採る国に対して出して国は栄えることができるが、反対に超能力者が国に対して反抗的なら国は衰えることになる。
神制は、世界中の神制を採っている国の間で行われている一種の賭け事の遊びみたいなものと考えることができる。
日本の天皇は超能力者と人間の中間だと考えられているので、政府の人間が天皇に指示できるので、国にとって天皇は超能力者よりも使いやすくて便利である。現在の日本が神制を採っているのは、使いやすい天皇が日本にいるからにほかならない。ただし、天皇の命令は超能力者の命令ほどには強力に効かない。
昔は神制が正しいと考えられていたので世界中の国が神制を採っていたが、近代科学が誕生して以来、神制はまちがいだと考えられるようになったので神制を採っている国は年々減りつつある。神制はいずれは世界からなくなるだろう。

[4745] 政治家と科学者は仲が悪い。 h20.4.12
政治家≡宗教家は、古い神がいる世界を信じている。
一方、科学者は、新しい神がいない世界を信じている。
人間の心は知覚に従属するから、知覚における世界観が違えば心の働きも違うので、
政治家と科学者は気が合わず仲が悪いのだ。

[4746] 権威とは h20.4.12
権威(者)とは、支配力がある者のことである。その者の認識に他の者が従わなければならない者のことである。
古い神がいる世界における権威とは、超能力者または超能力者に近い者あるいは神原理に基づく世界観に詳しい者である。
新しい神がいない世界における権威とは、実在についての正しい知識を持っている者のことである。

[4747] 罰ゲーム h20.4.12
日本政府の幹部である政治家は、古い神がいる世界の法で超能力者である私や日本国民や世界の人々に長い間迷惑をかけてきた。
したがって、政治家を罰しなければならない。
例えば、政治家たちを檻[おり]の中に入れて、政治家たちが気に食わない者が周りから銃を気の済むまで政治家に向けてぶっ放す。
これが、勧善懲悪というものだ。

[4748] 日本神道と日本政府の関係☆☆☆ h20.4.13
日本政府の実体は日本神道の本部にほかならない。
日本神道の者は、日本政府の者以外にも大勢いる。
日本政府の者が日本神道の者に命令を出して動かしているのだ。
神がいない世界を信じている日本人も多いから、日本神道つまり神がいる世界を信じている者は日本人の一部である。
←☆☆☆(超大事)

[4749] 神がいると信じる者と神がいないと信じる者の戦い☆ h20.4.13
正しさの戦いで勝った者が正しい者である。
神がいると信じる者は、神がいないと信じる者の科学を使いながら暮らしているが、
神がいないと信じる者は、神がいると信じる者の法律や道徳を使って暮らしていない。
だから、神がいないと信じる者が神がいると信じる者に勝っているのだ。

[4750] 【数学】無限小 h20.4.13
無限小とは有と無の統合である。
波と粒子を統合したのが量子であるように、有と無を統合したのが無限小である。
例えば、0は無であり、1は有である。
0.1は有である。0.001も有である。…
しかし、0.00…001は有と無が統合された無限少量である。
これをライプニッツはdx=0.00…001と書いた。
しかし、0.00…001の他に、0.00…002も0.00…003も0.00…004も同じ無限少量である。
このように、無限小量にはいっぱいあり、無限少量には一意性がない。
だから、無限小量は曖昧な量である。ニュートンは、h→0(hが0に近づく)ということでこの曖昧さを誤魔化している。
しかし、無限小を無限小で割った量は一意的になる。確定的になる。これはすごい発見である。ここに、微積分学が誕生したのである。
例えば、y=x^2(xの2乗)について、
y+dy=(x+dx)^2=x^2+2xdx+dx^2
これにy=x^2を代入して、
dy=2xdx+dx^2
∴dy/dx=2x+dx≒2x(物理学における近似計算のようなもの。分数の計算のように“慣れればわかる”。ただし、いくら慣れればわかるとは言っても、神制や天皇制のようなまちがった制度にまで慣れてしまってはいけないが。)
有と無の統合の仕方には2通りある。ニュートンは無すなわち0に近づく量として捉えたが、ライプニッツは有と無が統合された無限小量というひとつの静止した量があると考えた。[ライプニッツは無限少量は有と無が統合されているから、逆に無限少量からは有と無の両方が生み出されるので、無限少量はすべての存在の源であり、無限少量(モナド、単子)を神だと考えて、新しい聖書を書くつもりで『モナド論』を書いたのである。]物理学において、粒子と波の統合の仕方に、シュレーディンガーの波動方程式とハイゼンベルクの行列力学があるようなものである。[ドイツ人はゴチャゴチャしたのが好きである。ドイツ人は数学や物理学を心理的に深めるのが好きである。]

[4751] サンタクロースは存在するか? h20.4.13
いくら慣れればわかるとは言っても、神制や天皇制のようなまちがった制度までも慣れてわかってはならない。[前文参照]
慣れてしまう前に、それがそもそも正しいかまちがっているかを考えなければならない。正しいことなら慣れればいいが、まちがっていることにまで慣れてはならない。
つまり、神は言葉として存在するだけであって、実在しないということである。
昔私が高校生の頃、和田君が私に「僕の妹は中学生になるまでサンタクロースがいると信じていたんだって。」と笑いながら言ったことがある。それ以前に、私がまだ朝倉の県営住宅に住んでいたとき、私の住んでいた住宅のひとつ南の棟[むね]の一番西の家に住んでいた私よりも1学年下で私とよく将棋を指して遊んだ安藤?君が、私に「サンタクロースがいると思う?」と訊いたことがある。
はたしてサンタクロースはいるのだろうか?
サンタクロースはクリスマスの夜に世界中の子供にプレゼントを配る。
世界中の子供の家を回る道のりはすごく長いから、一晩中に回るためにはサンタクロースは光速を超えて移動しなければならないだろう。
これはアインシュタインの相対性理論に反する。
だから、サンタクロースは実在しない。

[4752] 神制のメリット h20.4.13
世の中の人はたいてい正しい考えに従うが、世の中には超能力者の考えにしか従わない人あるいは超能力者の考えのほうを優先する人もいる。
だから、超能力者の命令には、たとえそれがまちがっていても従わねばならない。
それを政府が利用したくて天皇制を続けている。[天皇制は、超能力者であった神武天皇を神とする神制である。]
超能力者や天皇にはそれだけの権威があるということなのだろう。
しかし、学校のテストではみんなが正しい考えに従っているし、このごろは学校で天皇制の教育はしないし、そもそも天皇制は神がいると考えられていたから成り立っていた制度であって、神がいないと考えられるようになれば天皇制は成り立たないので、政府が天皇や超能力者の権威を利用することはもはやできない。
たしかに、今日でも宗教に入っている人は多いが、今日では正しさを否定してまで超能力者に従う者はいないはずである。
現代において神制のメリットはもはや存在しないのだ。

[4753] 神がいると信じるか神がいないと信じるかについての統計 h20.4.13
世の中には、神がいると信じている人や神がいないと信じている人がいる。
そこで、
1.神がいると信じている
2.どちらかといえば神がいると思っている
3.神がいるかいないかわからない
4.どちらかといえば神がいないと思っている
5.神がいないと信じている
の5段階に分けて一度統計をとってみてはっきりさせればいい。
その統計に基づいて国や世界が今後の方針を決めればいい。

[4754] 現代人は神を信じない。 h20.4.13
近代以降の科学の論文には、神がいることが一切用いられていない。
つまり、近代科学では神がいないことが仮定されている。
だから、近代科学を信じる者は、神がいないことを信じる者である。
近代科学の産物(例えば、自動車やテレビやクーラーなど)を利用する者も、神がいない考えを支持する者と見なされる。
だから、現代人はみんな神がいないと信じている。[私も神がいないと信じている。]

[4755] 天皇制は何のためにあるのか? h20.4.13
政府が今でも天皇制を置いているのは、馬鹿がなんだかわからないまま天皇に従うことを利用するためである。
しかし、人間は馬鹿ではいけない。
天皇制の本質(つまり、天皇制が、神がいると考えることと、超能力者であった神武天皇を神と考えることの2つのまちがいから成り立っている脆[もろ]い制度であること)を理解すれば、もはや誰も天皇には従わないはずだ。
政府も詐欺師みたいに馬鹿を引っ掛けるような汚いまねをしてはいけない。

[4756] 徳川家康はなぜ鎖国したのか? h20.4.13
日本では、神を人間よりも上の者と漠然と考えているが、
西洋では、神を宇宙を作った全知全能の者だと考えている。
徳川家康は、天皇の権威を強めさせないために、西洋の神の定義が日本に入って来るのを恐れて、日本を鎖国したのだ。[昔から遣隋使や遣唐使はあったが、中国は神がいない国(神がいないと考える国)だから中国との交易は無難だが、西洋は神がいる国だから西洋との交易は危険であると、家康は判断したのである。]
明治になって、日本が開国し西洋文化が日本に入ってくると、西洋の神の定義も日本に入って来て、天皇の権威が増すことになったのである。

[4757] ブルーノと荘子 h20.4.13
イタリアのブルーノ(1548〜1600)は宇宙を無限に広いと考えたが、
それよりも前に中国の荘子(-369〜-286、そうしと読む。そうじは本の名前)は空が青いことを説明するために宇宙が無限に広いことを用いている。
だから、宇宙が無限に広いことは別に難しいことではなく、真理はじつは容易なものである。
宇宙に神がいるかいないかは、宇宙が無限であるか有限であるかと同じようなものである。

[4758] 宇宙人はいるか? h20.4.13
ブルーノは世界で最初に宇宙人を考えた人である。
宇宙人はいそうだが、いるという証拠はない。
同じように、神はいそうにないが、神がいないという証拠はない。
もっとも、宇宙人が我々地球人に関ってこないかぎり、宇宙人がいようがいまいがどうでもいいことである。
同じように、神が我々地球人に関ってこないかぎり、神がいようがいまいがどうでもいいことである。

[4759] 『荘子』 h20.4.13
『荘子』[そうじ]は基本的にはどうでもいい調であるが、ところどころまじめに考えているところもある。
荘子[そうし]は読者を心理的に解放するために荘子[そうじ]を書いたと考えられる。
老子や荘子を祖とする道教は中国の2大宗教として有名である。
つまり、宗教とは、心を解放して遊ぶためにどうでもいいことをすることである。
例えば、現代では神がいるかいないかは人間にとってはどうでもいいことなので、人間は神を信じて心を遊ばせているのである。
少なくとも、中国的な意味での宗教とはそんなものである。
[人間には真面目さと不真面目さの両面があり、真面目な側面を科学や法律が、不真面目な側面を宗教が満足してきたのである。孔子の儒教はいわば科学のようなものである。現代人にとっては、テレビを見たりゲームをすることが宗教だともいえる。]

[4760] 人間は自分の眼で見たことに基づいて考えなければならない。 h20.4.13
人間はなかなか自分が眼で見たことに基づいて考えようとしない。
それは、人間が自分の眼で見たことに基づいて考えなければならないことがわかるまでには、かなり時間がかかるからだ。
だから、若者は、頭の中でどうでもいいことばかり考えて貴重な時間を無駄にしている。若者にとっては、眼で見ることと頭で考えることとが別々になっている。
人間は正しいことを考えねばならない。そのためには、眼で見えることに基づいて考えなければならないのだ。

[4761] 女はどうして見かけにこだわるのか? h20.4.13
女は簡単なことか眼で見えることしかわからず考える喜びがないから、考える喜びが足りない分を見かけのよさの喜びで補わねばならないからである。考える喜びがなく見る喜びしかないから、街中をぶらぶら当てもなく歩きまわったりするのである。
しかし、どうせ補うなら、愛情の喜びで補うほうが健全である。
そのためには、早くいい男性と結婚して子供を産んで育てねばならない。

[4762] BATTLEFIELD2モダンコンバットマルチプレイにはどうして貨車が存在するのか? h20.4.13
貨車の下の隙間から敵を狙って撃つためである。

[4763] なぜ人間は実在がわからないか? h20.4.13
眼で見える世界に長く居すぎたことが、実在についての正しい考えを妨げている。
だから、もっと考えることを大事にしなければならない。
そのためには、自分が考えたことをすぐに言葉で書き表す習慣を身に付ければいい。
そうすれば、自分が考えたことをもっと大事にするはずだ。そうすれば、論理性も身に付く。[自分が考えたことを字で書かないと、なかなか論理性は身に付かない。だから、少なくとも、メモ帳とノートとパソコンは要る。]

[4764] 1+1=3 h20.4.13
いくら国法で1+1=3と決まっているからといって、1+1=3が正しいと考えたりはしない。たとえ自分が殺されてとしても、1+1=3であることには従わないだろう。
それは、自分が1+1=2であり1+1=3ではないことを十分よく知っているからである。[1+1=3とは、人間が超能力者やその子孫に従わねばならないことの喩えである。人間が超能力者やその子孫に従わねばならないことがどう考えても論理的に正しくないことは、これまでに述べた通りである。]
自分の考えのほうが国法よりも正しければ、自分の考えに従い国法には従わないものだ。

[4765] ニュートンはどうして宗教裁判に掛けられなかったか? h20.4.14
ニュートンの理論が誰にとっても宗教の者にとってさえも完全に正しいと思われたからである。
理論の正しさにおいて、宗教がニュートンに負けたから、ニュートンは宗教裁判に掛けられなかったのである。むしろ、反対に宗教のほうが科学裁判(神がいない世界における社会的法則を犯した者を裁[さば]く裁判)に掛けられて皆殺しにされるべきである。もっとも、科学裁判は宗教裁判と違って、いくら自分のまちがいを認めてもしたことに変わりはないから減刑されはしないが。

[4766] なぜ日本政府は天皇制を置くのか? h20.4.14
日本政府が詐欺師みたいに馬鹿を引っ掛けるような汚いまねをするのは[[4755]参照]、
日本政府が日本神道だからである。
日本政府は宗教団体だから平然と汚いまねをするのである。
日本政府が、わけがわからないまま雰囲気だけに流される馬鹿な日本人を天皇の言いなりにするために天皇制を置いているのである。[日本政府が論理を教育しないのは、そのためなのかもしれない。]
しかし、天皇制の本質[[4755]参照]を理解している者にとっては、天皇も普通の人間と変わりなく、天皇の命令が正しくなければ従わないから、もはや天皇制を置いても無駄である。
国民は日本政府の命令がまあまあ正しければ従うが、あまりにも正しくなければ反抗する。[日本政府の命令を正しいものとまちがったものに分けて、正しい命令だけに従えばいい。]天皇はいてもいなくても変わりない。それだけだ。

[4767] 日本政府は科学裁判において有罪である。 h20.4.14
日本政府は神がいる世界における社会的法則を国民に守らせている。
神がいる世界における社会的法則(超能力者に人間が従うこと)は、神がいない世界における社会的法則(正しい者に人間が従うこと)に反している。
したがって、日本政府は科学裁判において有罪である。

[4768] 日本神道は科学裁判において有罪である。 h20.4.14
これまで私の身の周りにいて私にチョッカイを出した者(例えば、私の小学中学高校時代の友人)は日本神道の者である。
日本神道の者は、神がいる世界の社会的・道徳的法則で動いている。
日本神道の者は新しい神がいない世界における社会的法則を犯している。
したがって、日本神道の者は科学裁判において有罪である。

[4769] 取材拒否の店 h20.4.14
中を見せて来たくなるのがいい店で、
中を見せて来たくなくなるのは悪い店だ。
取材拒否の店は、店の外観だけが立派で中身はオンボロだ。

[4770] 「まいう〜」 h20.4.14
グルメ番組で食べた後で「まいう」と言っているのは、美味[うま]くないの意味だ。
うまいでないから、「まいう」なのだ。
私がハワイに行ったことがないから、ワイハと言ったり、
私が幸福でも幸運でもないから、ハピラキと言っているのと同じ理屈だ。

[4771] 日本政府は日本のためにはならない。 h20.4.14
宗教団体の目的は自分の私服を肥やすことであって、人類を幸福にすることではない。
宗教団体の目的は、人類にまちがいを教えて人類を馬鹿に変えることである。
日本政府は日本神道の本部である。つまり、日本政府は宗教団体である。
したがって、日本政府は日本人を利用して私服を肥やす組織であって、日本人を幸福にする組織ではない。

[4772] 論理とは何か? h20.4.14
ヒルベルトの公理主義の論理は、あまりにもコンピューター向きで人間向きではない。
デカルトが『精神指導の規則』で述べている論理は、代数幾何学の研究向きであって、使い道が限られている。
もっと、使い勝手がいい、何にでも使える適用範囲の広い論理が欲しい。
それで、私は、認識とは何かを考える前に、まず命題と命題の間の支配従属関係に注目して論理とは何かを考え、自分なりの論理を作り上げたのである(私が24歳の頃)。[『実在哲学概論』のU.各論の1)感覚の分類の知覚の項を参照。]私以外の人が考えても、どうせ同じことになるだろう。

[4773] ネタ入れ h20.4.14
古い神がいる世界の決まりによれば、人間は現人神である超能力者に従わねばならない。
だから、テレビ番組は超能力者のネタを採って作らなければならない。[緩い論理]
ネタが足りなければ、超能力者の周りにいる日本神道の者を使ってネタを入れればいい。
日本神道≡日本政府にとって超能力者が気に入らなければ、テレビ番組の暴力シーンのネタを入れることを理由にして、超能力者の周りにいる日本神道の者を使って超能力者を痛めつければいい。
また、ネタ入れを理由にして、私の見えるところで私の周りにいる日本神道の者を使って何かさせることによって、日本神道≡日本政府にとって都合のいいように日本人に対して情報操作をすることができる。例えば、物が売れるためにはお金を欲しがる人間が増えればいいから、私の近くにお金持ち馬鹿を置いてお金持ちや貧乏概念を日本人に流行らせるとか、物が売れるためには日本人が考える喜びのない馬鹿のほうが都合がいいから、私の近くで日本神道の者に「おれ勉強嫌いだから」と喋[しゃべ]らせて、子供達にゲームやマンガやアニメばかり流行らせて勉強嫌いにするとか。
超能力者は日本神道のためにあるのではないし、日本人も日本神道のためにあるのではないし、日本神道が栄えたところで進歩がないから、今の日本神道≡日本政府は早く滅びて、新しい神がいない世界の社会法則を管理する新日本政府を樹立しなければならない。

[4774] 新日本政府の構想 h20.4.14
新しい神がいない世界における常識すなわち人類共通の正しい認識がある。
人間の心は知覚に従属する。
たとえ知覚における実在観が同じであっても、人の心は生まれや育ちによってさまざまだから、知覚に従属した心も個人によって違っている。
心の似ている者・ほぼ共通の意志を持った者同士が集まってグループを作り、その代表者を決める。
それらの代表者同士が一ヶ所に集まって話し合いをして、意志を統合して、国としての将来を決める。[国の意志は、国民ひとりひとりバラバラのままでいい場合もあるし、ひとつにまとめなければならない場合もある。]
それが新日本政府である。

[4775] 心主義 h20.4.14
日本人の悪い癖は、心を知覚よりも優先させる心主義である。
心主義では、心が知覚を支配している。
つまり日本では、心が楽しいことが知覚が正しいことよりも優先される。[例えば、私の両親とも心主義である。私が中学3年生のときオナニーしたのも、両親が心主義のせいである。]
しかし、そもそも心が何を楽しいと思うかは、知覚における世界観によって決まることだから、知覚における世界観によって心の働き方が違ってくることになる。つまり、実際には、人間においては心が知覚に従属している。[喩えれば、近所に娯楽施設ができれば心がそこへ遊びに行こうと思うが、反対に近所の娯楽施設が潰れれば心がそこへ遊びに行くのをやめようと思うようなものである。つまり、近所に娯楽施設があるかないかが、知覚における実在観に対応している。]
日本神道も自分が心主義のつもりでいるが、実際には知覚における古い神がいる世界観に心が従属しているのだから、心主義ではない。自分がわざわざ古い神がいる世界観を勉強して、心の働き方が新しい神がいない世界観を勉強した人と違っているのだから、心主義とは言えない。人間は、もともと心主義ではないのである。

[4776] 日本政府の財源について h20.4.15
日本政府の財源は、国民からの税金といくつかの財団からの資金の提供である。
これまで財団は日本政府すなわち日本神道の本部からの嘘の情報を信用して日本政府に資金を提供してきた。
ところが、私が2〜3日前にテレパシーで聞いたところによると、最近私の哲学日記の情報がいくつかの財団に伝わったらしい。
それで、財団は日本政府に資金を提供するのをやめたらしい。
したがって、日本政府は財源が減ったので、これまでのように宗教活動が盛んに行えなくなった。日本政府すなわち日本神道の力が弱まったのだ。

[4777] 政治とは何か? h20.4.15
政治とはその名の通り祭りごとつまり現人神である超能力者を奉[たてまつ]ることである。
それで、日本政府は超能力者の子孫である天皇や超能力者の私を奉って、日本国民を天皇や私に従わせてきたのである。
こんな余計な政[まつりごと]なんかしなくていい。

[4778] 税金 h20.4.15
日本政府は日本神道の本部だから、国民が日本政府に対して支払う税金は信者が宗教団体に対して差し出す献金のようなものである。
日本政府が天皇を置いてあたかも日本国民全員が天皇に従わねばならないかのように思わせているのと同じように、日本政府は税金を置いてあたかも日本国民全員が日本政府に献金しなければならないかのように思わせているのだ。
しかし、宗教に入っている者以外は宗教団体に献金なんかしないから、自分が神がいると思っていなければ日本政府に対して献金なんかしなくていい。つまり、日本政府に税金を支払うのは日本神道の者だけでいい。
わけがわからず雰囲気だけに流される者が天皇に従うように、わけがわからず雰囲気だけに流される者が税金を支払うのである。理屈がわかっている者がもはや天皇に従わないように、理屈がわかっている者は税金を支払わないのだ。
いくら宗教団体が民主主義的なサービスをしているからといって、それは、その宗教団体が勝手にやっているのであって、自分が宗教団体に入っていなければ宗教団体に献金する必要はない。

[4779] 日本神道における神の定義について☆ h20.4.15
日本神道では、神とは人間よりも上の者とされている。
そして、人間よりも上の者とは、人間にできないことができた者のことである。
だから、女性の出産育児の才能は人間の女性の才能だと見なされているし、思考や運動の能力は人間の才能と見なされているので、これらのことがいくら上手にできても人間よりも上の者とは見なされない。
超能力は人間にできない能力と見なされているので、超能力者は人間よりも上の者であることになる。
しかし、人間よりも上の者とは、つまり人間にできない超能力ができた者のことだから、超能力ができたからと言ってそれはそれだけのことであって、超能力者に人間が従わねばならないことが論理的に出て来ない。[超能力者をネタにしたテレビ番組を作ることも、超能力者に超能力があるということだけからは論理的には出て来ない。]
だから、超能力者に人間が従わねばならないことはない。
だから、天皇制や私制は成り立たない。
もちろん、いくら天皇や私に祈っても、願いが叶わないことは言うまでもない。

[4780] 超能力よりも武力 h20.4.15
戦国時代における人間の支配従属関係を決めるものは武力つまり刀の力であった。
そして最終的に武力で日本を治めた徳川家が日本の頭首となった。
超能力で日本を治めた天皇家も徳川家にはかなわなかった。
超能力で日本を治めるのは、たんなる紙の上の・言葉の上だけの取り決め・約束事にすぎず、武力ほど実力がなかったからである。
つまり、神制も天皇制も実力のない制度なのだ。武力は実力になるが、天皇制も神制も実力にはならないのだ。[神武天皇は照明がないときの明かりの代わりにしか使えない。ただ、超能力を研究すれば何か便利な発明品ができるかもしれない。]
現代においては、『知は力なり』と言うように、知力が人間の支配従属関係を決める。[ただし、いくらIQやテストの点が高くても、具体的に知っていることがないと無意味だが。テストはしょせん子供の遊びだ。]
だから、天皇制も神制も、学者制にはかなわないのだ。

[4781] 天皇制はなぜ成り立っているか? h20.4.15
女は眼で見えることしかわからない。だから、身体を飾りたがる。
天皇制は言葉の上だけで・形の上だけで成り立っている制度である。
しかし、女のように眼で見たことしかわからなければ、言葉や形になっているだけでそれが本当にあると信じてしまう。
だから、女のように眼で見えることしかわからない者がいるから天皇制が成り立っているのである。

[4782] 知覚主義 h20.4.15
衛星放送の旅チャンネルのRailway Storyでは、各国の鉄道にまつわる文化がありのままの姿で見られて面白い。
私の目から見れば、ヨーロッパやアメリカの文化よりもインドや南アメリカの文化のほうが感動する。
インドや南アメリカのほうが知覚主義的な味があるからだ。眼先にこだわらないところがかっこいい。
最近の日本の五感主義的なヌメヌメした感じは不愉快だ。たぶん、女性も嫌なはずだ。
やっぱり、日本人の心はヨーロッパ人やアメリカ人の心とは生まれつき違うのだろう。

[4783] 夜警国家 h20.4.15
日本政府すなわち日本神道の本部がやっている民主主義的なサービスは警察だけだ。
だから、JRや郵便局のように警察を民営化すればいい。
医療保険みたいに警察に保険金(警察保険)を収める制度にすればいい。
そうすれば、日本神道以外の者にとってはもはや日本政府は要らない。
日本神道に入っていない超能力者に対する日本神道の者による介入もやめてもらいたい。

[4784] ガリレイとニュートンの違い h20.4.15
ガリレイは、地球が回っているにもかかわらず我々が地球から振り飛ばされない理由がわからなかった。
一方、教会の科学者は地球が動いていないから我々が地球から振り飛ばされないのだと説明した。
だから、ガリレイは教会に負けた。
しかし、ニュートンは地球が我々を引き付けているから振り飛ばされないと説明できたので、今度はニュートンが教会に勝ったのである。

[4785] 日本神道がない時代 h20.4.16
江戸時代には、徳川家が日本を支配して、日本における日本神道の支配力はかなり弱かったはずである。
つまり、日本は一度日本神道の支配から脱した時代を実際に経験したことがある。
日本から日本神道の支配がなくなったからと言って、日本が不幸に見舞われることもなかった。むしろ、栄えたほどである。
ならば、今後日本神道が日本からなくなってしまってもちっとも困らない。むしろ、歓迎する。

[4786] 日本神道は皆殺し h20.4.16
私はまちがいが嫌いだ。
だから、まちがった原理を信じている日本神道の者を皆殺しにする。

[4787] 武力反対 h20.4.16
私は武力でまちがいを通すのも嫌いだ。
人間ならば正しさで武力に勝たねばならない。
武力でまちがいが通る世の中[つまり、刃物や銃を持っているだけで、そいつの言うことを何でも聞かねばならない世の中]なんて、物騒で住めたもんじゃない。

[4788] 痴力反対 h20.4.16
宗教はイカサマ力(痴力)でまちがいを通そうとする団体だ。
人間ならば正しさでイカサマ力に勝たねばならない。
痴力でまちがいが通る世の中なんて、馬鹿馬鹿しくて住めたもんじゃない。
宗教の世界はまちがいだらけだ。[[4699][4714][4779]などを参照。]
あほらしくて、宗教に従う気にはなれない。

[4789] 痴力は弱い h20.4.16
第2次世界大戦は痴力と武力の戦いだ。
江戸時代に日本神道が徳川軍に負けたのと同じように、
第2次世界大戦では日本神道がアメリカ軍に負けたのだ。
痴力では武力や知力の実力には及ばない。
痴力で武力や知力に勝てるわけがない。
馬鹿の日本神道が多少武力を強化したところで、根が馬鹿だから結局は負ける。
正義は勝つ。まちがいは負ける。これが実在世界の道理だ。

[4790] 宗教はエゴ h20.4.16
神の定義は宇宙を作った全知全能の者である。
したがって、神はその全知全能の力で自分の好きなようにすればいいから、人間は神に従わなくてもいいはずである。
それなのに、神は人間を作った者だから、人間にとって神は自分の親のような者だから、神に人間が従わねばならないとしたのは、宗教が自分の利益になるように、論理を運んだからである。
[あるいは、日本のように神が人間よりも上の者であるとして、超能力者が人間よりもひとつ才能が多いから超能力者が人間よりも上の者であるとして超能力者に人間が従わねばならないとするのも、インチキ論法である。じつは、人間よりも上の者とは、実質的には超能力の才能があるだけのことだから、超能力者に人間が従わねばならないことが出て来ない。]
宗教以外の者にとっては、神に人間が従わなくていいほうが用事が増えなくて都合がいい。
人間は宗教にだまされるほど馬鹿であってはいけない。
勉強して知力を鍛えないとすぐに他人にだまされる。
要するに、宗教は詐欺師の団体だ。[ネズミ講とか、マルチ商法とかと同じだ。]

[4791] 日本神道は損 h20.4.16
日本神道は日本人にとって不利益である。
なぜなら、日本神道は詐欺師の団体で、日本神道の縄張りは日本国内だけなので、日本神道にとって日本神道以外の日本人は食い物だからである。

[4792] 日本政府は正しくなければならない。 h20.4.16
日本政府は日本神道の本部である。
日本の中枢(意志決定機関)が詐欺師の団体ではいけない。日本人として情けない。
国会議員や公務員は正義感のある人のほうがいい。

[4793] 馬鹿に従う者も馬鹿 h20.4.16
国会議員は日本神道の宗教家にすぎない。
宗教家は宗教のまちがった知識を頭の中に詰め込んでいる馬鹿だが、
その馬鹿に従う日本人もまた馬鹿である。
だから、日本人は国会議員の言いなりになってはいけない。

[4794] 他人をだます者も馬鹿 h20.4.16
正しい認識を持っている者に正しい認識を持っていない者が従わねばならない。つまり、人間は正しい認識に従わねばならない。
これが神がいない世界における正しい社会的法則である。
ところが詐欺師は、他人をだまして、他人にまちがいを押し付けて、他人をまちがった認識に従わせているから、社会的法則に反している。
つまり、詐欺師は神がいない世界における正しい社会的法則を知らないわけだから、いまいち馬鹿である。

[4795] 日本政府は何をしたいのかわからない。 h20.4.16
日本政府は一生懸命日本人を現人神に従わせようとしているが、
そもそも現人神に人間を従わせることがまちがっているのだから、
日本人としては、まちがったことをやっている日本政府に従いたくない。
日本政府はわざわざ日本人に嫌われることをしている。
日本政府は意地悪なのか真面目すぎるのか何なのかよくわからないが、
まちがったことをして嫌われるよりも、正しいことをして好かれたほうがいいのではないだろうか。
[日本政府つまり日本神道への献金は一定額の国民の税金なのだから、民間の宗教のように信者からべらぼうな献金を取れるわけではないから、日本人を現人神に従わせようがさせまいが、税金による収入が変らなければどうでもいいはずである。日本人が自分の生活に満足していれば、多少多めに税金を支払ってもいいと思うから、国は余計なことをせずに、国民の生活の満足度を主体にして国の方針を決めればいい。]

[4796] なぜ日本政府は現人神制を置いているのか? h20.4.16
昔は、警察の裁判所も刑務所もなかった。たとえあったとしても、今ほど充実してはいなかった。
昔は[とくに近代科学誕生以前は]、現人神に人間が従わねばならないことが常識だった。
それで、政府は『現人神に人間が従わねばならない』ことを利用して、現人神の“政”[まつりごと]をして国を“治”めようとしたのである。つまり、政府が現人神に神らしい待遇をさせる代わりに、現人神に政府が作った政令を出させて国を治めていたのである。
しかし、今は警察も裁判所も刑務所もあるから、現人神がいなくても、みんな国の法律を守らざるを得ない。
だから、今の政府にとってはもはや現人神は要らない。
したがって、今の日本政府が現人神制を置いているのは、法律のためではない。[また、天皇軍は江戸幕府にもアメリカ軍にも負けた実績があるから、現人神制が国の防衛にとって役立つことはありえない。国防のためには、実力のある軍隊がなければならない。]
たぶん、今でも『現人神に人間が従わねばならない』ことを信じている人がいて、その人達から政府がお金をもらうためだろう。政府はお金をもらって、現人神に因んだ産業分野に投資をして、国を富ませ、その利益の一部を税金として自分の収入にしているのだ。地味な儲け方だが、それでも世界中の財団からお金をもらうのだから、かなりのことができるだろう。[例えば、受験産業とコンピューターとテレビゲームとアニメやマンガとサッカーと禁煙と禁ポルノは私の現人神制によって発達した産業分野だ。]
ただし、将来は私の哲学日記をみんなが読んで『現人神に人間が従わねばならない』ことを信じる人がいなくなるから、こんな儲け方もできなくなるだろう。将来は政府が現人神に縛られずに財団からお金をもらって、自分が儲かりそうな分野に投資して利益を上げればいいだけだ。

[4797] 取り制は禁止 h20.4.16
今後も超能力者が現われたら、日本神道の宗教家である政治家が自分が投資できる産業分野を広げるために、超能力者の周りに居る者を使って超能力者にいろんなことをさせる可能性は高い。
その際に、この度の私の例のように、超能力者に身体的精神的障害が発生する危険性がある。
超能力者はほとんど人間と同じだから、超能力者も人間と同じように幸福に生きる権利がある。
だから、取り制つまり超能力者に因んだ産業分野に投資することは禁止する。
とくに入れるつまり超能力者の周りに居る者を使って超能力者にいろんなことをさせることは絶対に禁止する。[たとえ超能力者が自分と他人の区別をつけない性格だとしても入れてはいけない。それは取り制の拡大解釈のしすぎである。]
たとえ取るにしても、超能力者の細かい個人情報までも取る必要はなく、もっと大雑把に取ったほうがいい。そうしたほうが、政治家にとっても自分が投資できる産業分野が広がるので都合がいいはずだ。例えば、超能力者が野球が好きだったら、野球に投資すればいい。わざわざ野球選手の名前に超能力者の個人情報を入れたりするのは行きすぎだ。
もっとも、『現人神に人間が従わねばならない』ことを信じる者がいなくなれば、資金源がなくなるから、取り制をやっても仕方がなくなってやらなくなってしまうかもしれない。
ただ、超能力者が現われることは非常に珍しいことなので、そのお祝いに現人神制をやりたがる者がいるかもしれない。その際には、私がここに述べたルールをぜひ守ってもらいたい。

[4798] アニメ貧乏 h20.4.16
一時期テレビドラマで、スーパーサイヤ人になった孫悟空に憧れている子供を貧乏呼ばわりすることがあった。
あれは、私にアニメをあまり見るなと言う警告だったのだろう。
政治家がアニメ以外のもっと儲かりそうな分野へ投資したかったから、テレビ番組を使って私に誘導を掛けたのだ。

[4799] 日本神道における神の定義の変更 h20.4.16
現人神[あらひとがみ]ではあまり政治家が儲からないので、日本神道の宗教家である政治家が神の定義を“各分野で偉業を収めた人”に変えたとする。
すると、政治家が偉人を後押ししてその分野が成長して発展して国や政治家が儲かることになる。
そのほうが合理的で当然のことでいいことだと思う。国や世界の人々の幸福にも貢献できる。
そうなるともはや政治家は宗教家ではないが、そのほうがいい。

[4800] 現人神は人間よりも偉いか? h20.4.17
昔のヨーロッパにおいてキリスト教が国の政府よりも支配力があったのは、昔の人にとっては、現人神(超能力者)であったキリストのほうが人間であった国王よりも偉く思えたからである。なぜなら、超能力者のほうが国王よりも神に近い存在に思われたからである。
しかし、神がどうのこうの言ってもいつも議論が中途半端になって煮えきらず話が全然面白くないので、そのうち人間は神がいる世界に飽き飽きして、新しい神がいない世界を作ろうとし始めたのである。
神がいない世界においてはキリストも普通の人と変らないので、キリスト教もデカルト哲学やカント哲学やヘーゲル哲学などと同じようにひとつの哲学と見なされるようになった。
要するに、神は余計なオジャマ虫だったのである。きょうび神なんか考えてお高ぶっているのは田舎者だけである。


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