[4601] 不良 h20.3.25
不良とは、自分のまちがいを直せない者のことである。
自分のまちがいを直せないのは、認識主義になっているからである。
認識主義になったのは、性欲や麻薬欲などの強い快感が得られる感情を満足して、実在よりも自分の認識を中心にしか考えられないようになっているからである。
つまり、不良と精神病者とはあまり違わない。
[ただし、他人のまちがいにまで従う“いい子”もいけない。正しいか間違いかが一番大事であって、従うか従わないかは2の次だ。]

[4602] 実在と認識の区別 h20.3.25
実在と人が考えていることの区別も付かないようではいけない。
それだったら、実験も観察も成り立たない。
例えば、人が神がいると考えていると神が実在することになるが、実際にはそんなことはない。
昔、私が小学3〜4年生の頃、父親は「瓜田に靴を入れず。李下に冠を正さず。」と私に教えた。
これは、実在と人が考えていることの区別をつけないという意味である。
それなら、この諺[ことわざ]はまちがっている。
[例えば、天皇の海外訪問などもイメージ作りにほかならない。]

[4603] 人のことを他人が決めるな! h20.3.25
私の個人情報を使ったアニメやマンガを作っていいとかいけないとかを、国や宗教の者が決めることはできない。
それは、他人が決めることではなく、私が決めることである。[私の個人情報とまではいえるかいえないかを決めるのも私であって、他人ではない。]
私がいけないと言ったら、いけないのだ。
[これまでに私の個人情報を入れて作った作品から、私の個人情報を取り除いて作品を作り直せばいい。私の個人情報を入れて作った作品は廃盤にしても復刻する恐れがあるから、きちんと焼却処分しなければならない。製作のときに使った資料もすべて焼却すること。]

[4604] 創作物についてのルール h20.3.25
小説の登場人物はみんな、小説家や小説家の知り合いの喩えである。
小説家は仲のいい知り合いに許可をもらって、自分や自分の知り合いを登場人物にした小説を書いているのである。
小説家や小説家の知り合いが個人情報を公[おおやけ]にしたことによって恥をかくこともあるが、それは仕事の一環だと考えて我慢しなければならない。むしろヤバいことを書くほど人気が出たりするから、うれしいことさえあるかもしれない。[小説の場合実話と空想が入り混じっているからどこまでが実話でどこまでが空想かは明らかではないが、それでも小説のもとになっている元ネタ(小説家の実体験)が必ずあるはずだから、読者が自分で考えて元ネタを突き止めたら小説家(や知り合い)は恥をかくことになるだろう。]
自分が恥をかくほど人気が出て儲かるなら、それも許せるものだ。たとえ友達に恥をかかせても、仲がよければ多少は大目に見てもらえるだろう。
しかし、赤の他人の個人情報を使って小説を書いて他人に恥をかかせて自分が儲けるのは他人にとっては許せることではない。どうしても小説にしたいなら、他人にきちんと許可を取ってからにしなければならない。
小説家は自分自身の経験を使ってそれに空想を加えて小説を書かねばならない。せいぜい知り合いの経験を使うまでに止[とど]めねばならない。「親しき仲にも礼儀あり」と言うから、その場合にも、後腐[あとくさ]れのないためには知り合いの許可を前もって取っておくべきだろう。それ以外の実在する人間の経験を使って小説を書くことは個人の尊厳を損ねることになるから禁止されねばならない。
一般に、小説に限らずすべての創作物についてそうしなければならない。とくに、マンガやアニメの場合には、自分(や知り合い)の経験をもとにした話で、自分(や知り合い)をモデルにしたキャラクターにしなければならない。
[小説では(科学とは違って)実話の成分がほんのちょっとしか含まれず、ほとんどが空想でできている。私をネタにしたアニメの話でも、その他の小説でも同じことである。つまり、小説とは小説家自身のつまらない日常体験に作り話を付け足しておもしろかっこよく言い換えたものである。]

[4605] 日本神道の活動の特徴 h20.3.25
日本神道は、不良とかバカとかヤクザとかのできそこないのガラクタのカタワの寄せ集めにすぎない。
だから、[古い世界の決まりに従って]世の中を悪くする時だけ威勢がいい。
反対に、善いことは何もしない。
[逆に、悪いことができるのを目当てに日本神道に入る者も多い。暴力団と同じで嫌な会だ。]

[4606] 私の個人情報を使ってはならない訳 h20.3.25
古い世界観では、人間は神に従わねばならないので、現人神だと考えられた私が子供の頃自分と他人を区別しない考えだったことから、日本神道の者が自分と私を同一視して、私の個人情報を自分の個人情報だと考えて、私の個人情報を自分の個人情報のように勝手に使ってマンガやアニメなどの創作物を作ったのだろう。
さらに日本神道の者は私と自分を同一視して、自分も神だと考えて他人に自分の好き勝手な命令をして、私の個人情報を使ったマンガやアニメなどの創作物を他人に作らせたのだと考えられる。
しかし、それらはすべて古いまちがった世界観を基にして成り立っていることである。古い世界観が成り立たなければ、当然それらのことはやってはならない。

[4607] 日本神道の信者はなぜ自分が偉いと思うのか? h20.3.25
日本神道の世界においては、超能力者が現人神であり、現人神は神だから人間よりも偉く、人間は現人神に従わねばならないことになっている。[ヤクザの世界と同じように、その世界の中だけで通用する特別ルールである。]
さらに、殿様に仕える家臣は、殿様ほどではないが平民よりも偉いことになっている。
だから、日本神道の信者は、現人神に従っている自分たちも人間よりも上だと思っているのである。
しかし、それはまちがった古い世界をもとにして成り立っている誤解にすぎない。誤解に基づく虚栄心にほかならない。

[4608] ニヒリズム h20.3.25
ニーチェは「神が死んだ。」と言っただけで、新しい道徳律を具体的に示すには至らなかった。
それは、ニ−チェが科学が苦手だったからである。
科学が苦手だったから、それに立脚する新しい道徳律を作り出すことができなかったのだ。

[4609] 暴力団はなぜあったか? h20.3.25
日本神道の古い世界観によれば、この世界には神が実在し、神武天皇は神が人間の姿となって現われた現人神であり、天皇は現人神であった神武天皇の子孫であり、家族として見れば天皇と神武天皇は同じ者であり、人間は神に従わねばならないので、天皇に従わねばならなかったのである。
ところで、天皇は戦争好きで麻薬を嗜[たしな]んで新しい世界の法律を犯しているから、その天皇に従って日本神道が、拳銃や麻薬を売ったりその他の違法行為を平然と行う日本神道の特別組織である暴力団を日本中に作ったのである。
しかし、もうひとりの現人神である私が新しい世界の法律をきちんと守って真面目に暮らしていたから、日本神道の者は現人神の私に従わねばならないので、日本神道と日本政府とが組んで暴力団を潰してなくしてしまったのである。[日本神道にしては珍しく善いことをしたものである。]
一方、これまで日本に日本神道があったのは、天皇の地位が安定するためには、天皇を神と崇める日本神道の組織があったほうが有利だからである。
しかし、そのために日本社会にまちがった世界観が広がったり、日本神道が悪いこと(つまり、新しい世界の法律(社会的法則)に反すること)をしでかしたりするのは、日本にとって善いことではない。
だから、天皇はたとえその地位を失うことがあっても、日本神道のような古いまちがった世界を信じる会を日本に置いてはならなかったのである。[天皇が日本神道をやめさせていたら、その功績をたたえて、天皇は政治的に日本の王として末永く続いていたかもしれない。]
ところで、最近、私が、神が昔の人間が帰納的にまちがって作り出した実在しない概念であり、日本神道が神がいるまちがった世界の社会的道徳的法則を守っている集団であることを明らかにしたから、もはや日本に日本神道の組織はないと考えてよい。

[4610] 日本神道への資金援助 h20.3.25
日本政府と日本神道は天皇制でつながっているから、日本政府は国民から集めた税金の一部を日本神道に横流ししていたものと思われる。[ただし、日本政府的には、天皇制は日本の歴史的伝統を重んじるための形式的な儀式にすぎないと解釈している。]
だから、日本神道や暴力団の経営費の一部は日本政府が出していたものと思われる。[『陸上防衛隊まおちゃん』(わりと面白い)でも、日本の首相が神道の宗教家らしい老人(参謀長)に特別防衛予算を出していたから、政府が神道にお金を出していたと考えられる。少し前に流行った援助交際という言葉も、日本政府と日本神道の経済的な結びつきを表していると思われる。]
それは、日本政府が日本神道を支持して古いまちがった世界観を日本や世界に広めることによって、国内における日本政府の支配力を強め、また国際社会における日本の地位を高めるためではないかと考えられる。しかし、現代においては、時代遅れなやり方で、ほとんど無駄ではないかと思われる。[数年前の新体制を見れば、日本政府が日本が古い神がいる世界から新しい神のいない世界に変えると、国内における法律の強制力が弱まり、国際的にも日本を守る力が弱まると考えていることがわかる。しかし、それは日本政府が古い神がいる世界を過大評価しすぎているのではないかと思う。今どき、古い神がいる世界を本気で信じている者などクソ田舎のアホ以外にはいないから、そんなに大袈裟にしなくてよい。
日本政府や日本神道は、日本や世界の多くの人々が天皇が何者かわからないまま天皇に従っているのだと考えているかもしれないが、私のような素人[しろうと]でもちょっと(3年ぐらい)考えれば昔の世界の迷信の名残[なごり]だと言うことがわかるから、今日ではそんなやり方(つまり、意味のわからないことを利用するやり方)は通用しない。[もっとも、神は迷信にすぎないが、超能力者は実在する。超能力は現代の科学でもその仕組みがわかっていない謎である。]

[4611] 日本神道はあるべきかないべきか? h20.3.25
国内的には、
日本神道があると、国民が天皇の権威を恐れて国法に従うよりも、
日本神道の者が自分たちが人間よりも偉いと思って国法を犯すことのほうが多いから、
日本神道はないほうがいいと考えられる。
国際的にも、
今日では日本神道の者ですら神を信じていないように世界中に神を信じる人などいないから、
日本神道があっても、日本にも神がいるぞと言うアピールにはならない。
それに、世界の宗教の中で日本神道だけが宗教のやり方が違っていて、日本神道のガラが悪く、日本神道が世界の宗教のツラ汚しであることは国際的に有名である。
したがって、国内的にも国際的にも、日本神道はないほうがいいのである。

[4612] 超能力者についての社会的法則 h20.3.25
今日では、超能力者の身体は超能力者個人の物であって、超能力者以外の他人の物ではない。だから、超能力者の脳の器官の働きで発揮される超能力も、その超能力者個人の才能であって、他人の才能ではない。
超能力者と関るためには、まずその超能力者と契約を結ばねばならないのが、今日的な社会の常識である。超能力者の同意を得ずに勝手に超能力者と関ってはならない。

[4613] ハインロートの精神病理論 h20.3.25
ハインロートは、人間は罪を犯して理性を失うために精神病に罹ると考えた。
ここで、罪とは、性欲や麻薬欲を満足させることであり、
理性とは、認識が実在に従うことだと解釈してみれば、
ハインロートの理論は私の精神病理論とほぼ一致する。(表現では、私のほうが上だが。)
[さらに詳しく言えば、理性(認識が実在に従うこと)を失い認識主義に陥った知覚が、感情と実在の対立があった場合、実在を感情に従わせようとして、焦燥中枢(とテレパシー中枢)や抑鬱中枢などの感情を激しく興奮させた結果、それらの中枢が慢性的に興奮するようになり、分裂病や欲鬱病などの精神病に罹る。]

[4614] 日本政府はなぜ日本神道を支援するのか? h20.3.25
今の日本人が法律を守るのは警察のためであって天皇のためではなく、日本神道が天皇制を強めたからと言って日本人がそれだけ法律をよく守るわけではないから、国内における日本神道の役割はないと考えられる。
したがって、日本神道の役目は国外にあると思われる。
世界にはいまだに古い神のいる世界でやっている国が数多く残っている。
それらの国と日本が仲良く付き合っていくためには日本が古い神のいる世界でもやっていることをそれらの国に対してアピールしなければならず、そのためには日本に日本神道があると便利なので、日本政府はやむを得ず(ときにはお金を出してでも)日本神道を日本に置いているのである。
しかし、いまだに古い神のいる世界でやっている国が、そもそも傲慢[ごうまん]でくだらないのであって、そんなくだらない国に従うことは本来正しいことではない。どうしてもそれらの国と付き合うために日本神道を置かねばならないなら、日本神道の宗教のやり方を変えるしかないだろう。つまり、今の日本独自の古い世界の社会的道徳的法則を守るやり方を変えて、外国と同じように道徳的法則だけを守るやり方にするのが適切だろう。これまでの天皇家の教えの中からいいのを(つまり、現代でも成り立ちそうなものを)見繕[みつくろ]って束ねたら、それなりの教義体系になるのではないか。キリスト教のようにユルユルな言い方にして、外人から日本人のみんなが天皇家の教えを守っているようになんとなく見えたらそれでいいではないか。

[4615] 国の独自性 h20.3.26
国の独自性は国の環境と国民自身によって与えられるので、
たとえ新しい世界の科学的法則が世界共通のものであるとしても、
それから派生する社会的法則や道徳的法則はその国(や民族)独特のものになる。
ただ、それらが出来上がるまでにはもうしばらく時間がかかるから、
それまでの待ち合いに古い世界のそれらで補完するのも一計である。
ただ、新しい世界の社会的法則(つまり、法律)はすでにどの国でもだいたいできているから、
あとは新しい世界の道徳的法則をどうするかが残っているだけである。
それはそれぞれの国でこれから新しく考えていくことにしようというわけである。

[4616] 神はいない。 h20.3.26
人間が田んぼを耕して田んぼを作ったあとも、田んぼに肥料をまいたり雑草を引っこ抜いたりして田んぼの手入れを欠かさないように、
神は宇宙を創造しただけではなく、その後も宇宙を管理して宇宙を動かしつづけねばならない。
つまり、宇宙は神によって動かされている。
しかし、ニュートンの著作『プリンケピア=マセマティカ』によれば、惑星は太陽と惑星の質量を原因とする万有引力によって動かされているのであり、神によって動かされているのではない。
だから、神が宇宙を動かしているのはまちがいである。
近代自然科学によって神理論は否定されるのだ。

[4617] 現代における宗教の役割 h20.3.26
現代の神がいない世界において自分で正しい道徳律を考え出すことができなかった者が、しかたなく宗教に入って古い神がいた時代の道徳律に従うのだ。いわば、宗教は古い神がいた時代の道徳律の学校である。古い時代の道徳律の学校である宗教に通って古い時代の道徳律を勉強すれば、誰でもある程度は幸福に生きて行くことができる。[ただし、道徳律のない日本神道は除く。日本神道には社会的法則(つまり、神や現人神と人間の関係についての法則)しかない。]
でも、それでは、科学的社会的法則には神がいなくて、道徳的法則には神がいることになって世界観が不統一である。神がいない世界と神がいる世界の互いに矛盾する世界の両方に二股掛けて生きて行かねばならないことになる。
私はそんな生き方は、頭の中がゴチャゴチャするので嫌だ。
新しい神がいない世界の道徳的法則を考え出す者が現われれば、その者は新しい時代の救世主となるであろう。
[注:古い神がいる世界とは神がいる古い世界のことであって、新しい神がいない世界とは神がいない新しい世界のことである。けっして、神に古い神や新しい神があるわけではない。]

[4618] 日本神道の道徳律 h20.3.26
外国の宗教に比べて日本神道には道徳律がないが、強いて挙げれば、
1)親を敬[うやま]う。(私が幻聴で聞いた。)
2)みんなと仲良くする。[私は自分の気持ちを曲げてまで、みんなと仲良くしようとは思わないが。]
といったところか。
しかし、実際には、日本神道の道徳律に従っている信者はあまりいないようである。

[4619] 男が女を尊敬する訳 h20.3.26
女には乳房や子宮があるから、女の人生は出産育児や家事などやることがあらかじめ決められている。だから、男に比べると自由がないし個性もない。
女の心には愛情があって知覚欲をあまり満足しようとしないから、女の勉強は見るだけで終わりで、自分が見たことに対して自分で考える積極性がない。だから、女は概念的な理解力がない。女は男に比べると精神的な自由がない。
しょせん女なんか利口ぶっているだけで、本当の意味で利口な女なんかいやしない。
だから、男が女に対して知的な才能を求めたりはしない。
男が女を尊敬するのは、勉強がよくできるからではなく、出産育児や家事がよくできるからである。つまり、男が女を尊敬するのは愛情があるからである。

[4620] この度の件に関する刑罰 h20.3.26
日本神道の者(つまり、日本神道という宗教に入っている人)は生きる価値のないクズである。
したがって、日本神道の者全員および日本神道を支持した国会議員の者(退職者も含む)は皆殺しとする。
日本神道は私が赤ちゃんの頃にあった超能力を消した。[超能力は、日本神道以外の者にとってはたんなる超能力にすぎないが、日本神道の者にとっては全知全能の力なのでその力を恐れて日本神道の者が消したのだと考えられる。]
超能力の価値は、そいつら全員の命と同じ(あるいはそれ以上の)価値があると考えられるので、そいつら全員を死刑とする。
ただし、日本神道は私の超能力の価値がないと考えてわたしの超能力を消したのだから、私の超能力の価値がないことを実証できれば許すとしよう。
つまり、死刑に際して、その場で超能力(念光力か念動力)が発現できた者は無罪とする。超能力が発現できなかった者は当然死刑とする。

[4621] 日本神道は有罪 h20.3.27
日本神道は古い世界を信じている。
日本神道は私が赤ん坊のころにあった念動力の超能力を全知全能の力だと考えてその力を恐れて私の身体に処置をして私の念動力を使えないようにした。
日本神道が赤ん坊の身体に手出しをしてその念動力の能力を消したことは、新しい世界(近代以降の神がいない世界)の法律に触[ふ]れるから有罪である。[私が子供の頃母親から聞いた話によると、私が赤ん坊のとき急に息が止まって顔が青くなったことがあったというから、母親が赤ん坊から眼を離した隙に何か薬を飲ませたのだと考えられる。(私が小学4〜5年の頃、南団地の遊園地(児童公園)でブランコに乗って遊んでいたとき、近所のおばさんが立ち話をしている間に子供が私の乗ったブランコの前に急に飛び出してきて、私が大急ぎで足を地面にこすり付けてブレーキを掛けて止めようとしたが勢いあまってその子の頭にブランコをぶつけてしまったことがある。私は怖くなってその場を逃げ出したが、今にしてみればこれは私が子供の頃にあったことのヒントを日本神道の者が私に与えるためにやったことだと考えられる。)]
同様に、私の個人情報を使った番組や商品を作らせたのも、日本神道が古い世界の法則に従ってやったことだと考えられるが[おそらく、人間が神に従わねばならないという理由でやったことだと考えられる。]、たとえ古い世界の法律において無罪でも新しい世界の法律においてはプライバシーの侵害になり有罪である。尼崎での列車事故も日本神道が古い世界の法則に従ってやったことであるが、たとえ古い世界の法律において無罪でも新しい世界の法律においては有罪である。中国での高知学芸高校列車事故やアメリカでの貿易センタービルテロ事件などは、外国の古い世界を信じる宗教の者がやった事件だと考えられるが、すべてたとえ古い世界の法律において無罪でも新しい世界の法律においては有罪である。


[4622] なぜ日本神道は偉そうにするのか? h20.3.27
日本神道は、まだ世界に古い神のいる世界を信じている人が大勢いると思っている。
古い世界を信じている大勢の人々が日本神道を支持してくれると思っている。
だから、日本神道は多数決で自分たちが正しいと思って偉そうにしているのである。
しかし、実際には、その反対に古い世界を信じている者なんか今はほとんどいない。
だから、日本神道のひとりよがりにすぎない。
今後日本神道が自分たちの支持者を増やそうとして古い世界を流行[はや]らされたら大変だ。
だから、日本神道も古い世界を信じる人も両方とも要らないのだ。

[4623] 超能力者は神とは無関係である。 h20.3.27
ニュートンの『プリンケピア=マセマティカ』において、惑星が質量を原因とする力によって動かされ、神によって動かされるのではないように、
私の念動力も神武天皇の念光力もこれまでに現われた超能力者の超能力も、脳の器官から放出された感覚波を原因とする力によって現されるのであって、神によって現されるのではない。[残念ながら、私はアインシュタインの重力場の方程式のように感覚波の方程式を書くことができなかったが。質点から重力場が放出されるように、脳細胞から感覚波が放出されると考えればよいだろう。]
だから、たとえ仮にこの世に神がいたとしても、超能力者の超能力は神とは関係がないのである。
つまり、超能力者は超能力者であって、現人神ではないのである。

[4624] 超能力者の個人情報を使った番組をなぜ作ってはいけないのか? h20.3.27
超能力者の個人情報を使った番組を作ってもよいことにすると、宗教は逆に新しく作る番組の情報を超能力者に入れるために超能力者に関与しようとする。
そのとき超能力者に精神的あるいは身体的な障害をもたらす危険性がある。例えば、私が高1のとき尾立君のために精神分裂病に罹ったこと(←『まじかるタルるートくん』)や、私が九大医学部生のころ夏休みに自転車で高知へ帰省する途中、遠賀川橋[おんががわばし]の近くで自動車にぶつけられて転倒したこと(←『デ・ジ・キャラット』)などがある。私が小学3年生の頃友達に誘われて万引きしたこと(←『ルパン3世』)や、私が小学4〜5年生のとき友達が私にエロ本(←『ドクタースランプ』などいろんなマンガで使われている。)やシンナー袋(←オウム真理教の地下鉄サリン事件)を見せたこともある。
このやり方は、超能力者を操作したり超能力者を攻撃する手段として用いることができる。テレビ番組を作るために私にテレビ番組のネタを入れても逆に私の体験をもとにしてテレビ番組を作ってもどちらでもよいので、宗教が好き勝手なことを超能力者に対してやっておいて、あとでそこから適当なネタを拾って番組を作ればよいからである。宗教が古い世界の法則に従って自分たちを有利にするために超能力者を操作することは、超能力者にとっては迷惑なことだからやめてもらいたい。
そもそも超能力者の個人情報を使った番組を作ることは古い世界の法則でやっていることなので、新しい世界の法則に反することなのでやってはいけない。
古い神がいる世界が一般に信じられていた昔は、(『皇室アルバム』のように)超能力者の暮しぶりが事実ありのままに伝えられていたから、宗教は超能力者に対して迂闊[うかつ]な手出しはできず古い世界の法則でもうまく行っていたのだろうが、今の宗教のように古い世界と新しい世界の両方の世界の法則を使って事実と空想が入り混じった中途半端な情報を伝えるやり方では、事実に対する情報操作がいくらでもできるので、宗教だけが儲けて私にとっても他の国民にとっても多大な損害を与えることになる。
つまり、昔の宗教は神がいる世界の中でうまく行くように法律を作ってやっていたからある程度はうまく行っていたが、今の宗教は神がいる世界と神がいない世界の両方の世界の中でやっているから、神がいる世界と神がいない世界の両方が足し合わされて何もないことになり、宗教が好き放題にするからうまく行かないのである。例えば、私は自分の出身校である高知学芸高校に復讐をせよとか軍国主義のアメリカに制裁を加えよとか言葉ではっきりと命令を出していないのに、宗教が私の父親が言ったことや私がちょっと頭の中で思ったことを(テレパシーで聞いて)使って勝手に事件を起こしたりするので、余計な事件が起こってうまく行かないのである。

[4625] 今の宗教は何か? h20.3.27
昔の世界は神理論が支配していた。
今の世界は力理論が支配している。
今の宗教は神理論も力理論もない何の理論も持たない無秩序主義だ。

[4626] 宗教の者はなぜ偉そうにしているか? h20.3.27
今の宗教は無秩序主義で自分が何でも思えばいいだけなので、宗教の者は他人が自分を支持しようがしまいが自分が偉いと思っているから偉そうにしているのである。無秩序主義だから、他人の説得を聞く必要がないし、自分が考える気も起こらない。

[4627] あちらを立てればこちらが立たず。 h20.3.27
外国の宗教には超能力者の教えがあるから古い世界の道徳律を守る会でやっていけるが、日本の宗教には道徳律がないから古い世界の法律(社会科的法則)がむき出しで残っている。
つまり、日本の宗教は古い世界の法律を守る会である。
ところが、一方で、日本の宗教は今の新しい神がいない世界の法律(社会的法則)も守らねばならないから、両方の矛盾した法律を守ることになって破綻を来たし、実質的には古い世界の法律も新しい世界の法律のどちらも守らない会になっている。
それでも、宗教は新しい世界の法律を守ろうとして、新しい世界の法律が実在界についてのルールなので、宗教は新しい世界の法律に抵触しないために、主に空想界に進出してそこで活動しているが、それでも空想のテレビ番組のネタ入れやネタ取りのために実在する超能力者のプライバシーは守られないし、実在する超能力者に多大な身体的精神的損害を与えるし、損害に対する保障が何もないから、実在界に関する新しい世界の法律を犯しているし、人間が神に従わねばならないという古い世界の法律を犯すことにもなっている。
古い世界の法律と新しい世界の法律は矛盾するから、古い世界の法律を守れば新しい世界の法律を犯すことになるし、反対に新しい世界の法律を守れば古い世界の法律を犯すことになる。
矛盾したふたつの法律を守ることなど無理である。よって日本の宗教は成り立たない。

[4628] 日本第2政府 h20.3.27
[4621]の図からも明らかなように、日本神道とはつまり日本第2政府である。
日本神道すなわち日本第2政府は、古い神がいる世界の社会的(道徳的)法則を法律としている政治組織である。
日本政府が国民から税金を取っているように、日本第2政府も日本第2政府の国民である日本神道の信者から税金を取ってそれを活動資金としているのである。
天皇は日本政府の形式的な首相で、日本第2政府の現人神の代理人である。
私は日本政府の国民の一人にすぎず(ただし、もと超能力者)、日本第2政府の現人神である。
日本に第2政府があるように、外国にもその国の古い神がいる世界の社会的道徳的法則を司る第2政府すなわち外国の宗教団体がある。
新しい世界に国際連合のような組織があるのと同様に、古い世界にも各国の第2政府をまとめる国際第2連合があり、国際第2連合が現人神(超能力者)が現われた国に対して資金援助をする国際第2法律があるのかもしれない。
また、新しい世界の政府である日本政府と古い世界の政府である日本神道の間にもお金のやり取りがあるようである。
日本第2政府に入る人は、古い世界の法律や道徳律に従えば得をする人である。反対に、古い世界の法律や道徳律に従っても損をする(お金だけの問題ではない)と考える人は入らない。日本に住んで税金がふたつも取られるのはもったいないから、普通は日本政府にしか入らないのである。
しかし、ひとつの日本の国にふたつの政府があるのは暮らしにくい。とくに日本第2政府のほうは法律が公[おおやけ]にされていないので、自分が第2政府の法律を犯したかどうかわからず、突然第2政府の警察に罰せられたらたまらないので、やめて欲しいものである。どうしてもやりたければ、第2の法律の適用は日本第2政府の国民である日本神道の信者だけにしなければならない。例えば、私は日本神道に入っていないから、第2の法律の適用から外さなければならない。

[4629] 神がいない世界の社会的法則 h20.3.27
私が考えた新しい神がいない世界の社会的法則は、私が考えた神がいない世界における道徳的法則である実在哲学を社会化したもの、つまり個人における脳細胞間の支配従属関係を人間関係に置き換えたものである。(つまり、新しい神がいない世界の科学的法則→道徳的法則→社会的法則。)
それが、つまりこの前私が考えた、実在の代弁者である約1000名ほどの学者集団に国民を支配させる学者制国家である。政府はその支配体制を国民に守らせるように管理するのである。
だから、新しい神がいない世界における3つの法則すなわち科学的法則・社会的法則・道徳的法則の基本的なものは、ニュートンの運動方程式・私の学者制国家・私の実在哲学であり、すでに全部揃[そろ]っているのである。

[4630] 現代社会の盲点 h20.3.28
現代の神がいない世界においては、学校や大学などで科学的法則を教えるし、
国が社会的法則を国民に守らせるために憲法や法律が用意されているが、
肝心の道徳律を教えるところが今のところまだない。そこが現代社会の盲点となっている。
昔の神がいる世界には道徳律を教える神社や寺や教会などがあったが、
今の神がいない世界にはそのようなサービス施設がまだ出来ていないのだ。
だから、そこが現代の神がいない世界に生きる人間の弱点になっている。
神がいない世界における道徳律がわからないために、古い神がいる世界の道徳律に従わねばならない羽目になった者も大勢いる。そのために、神がいるのかいないのかわからなくなっている。
神がいない世界における道徳律を自分で考えたり、または他人(とくに親)から学んだりして自分のものにすることが、現代の神がいない世界で人間が幸福に生きるためには必須である。

[4631] 日本第2政府の社会的法則 h20.3.28
日本第2政府の本来の社会的法則は神に人間が従うことだったが、現代の神がいない世界の社会的法則といっしょになって、今ではわけがわからない→何もない→自分たちのお金の利益を目指すことが法則になってしまっている。
こうなってしまっては、日本第2政府すなわち日本神道も他の民間企業の会社となんら変らない。
もはや日本神道は宗教と名乗る資格はない。

[4632] ネタ取りはネタ入れのもと☆ h20.3.28
ネタ取りをするから、それをもっと活かそうとしてネタ入れをすることになる。
ネタ入れをするから、超能力者の周りで余計なことをするようになり、超能力者にとっては不愉快な危険な状況になる。
ネタ取りの根拠は、古い神がいる世界の社会的法則である人間が神に従うことにあるのだから、今どきそんなまちがった法律を適用されては超能力者にとっては迷惑である。そもそも、そんなことだけで神に人間が従っても従ったことになるだろうか?たんなる超能力者に対するプライバシー侵害の遊びではないだろうか?

[4633] 宴会制度の悪用 h20.3.28
宴会制度は、聖徳太子の17条の憲法に従って作られた日本の習慣である。
宴会は、そもそも和の精神を重んじて、みんなと仲良くするための会だった。
しかし、今では、酔った勢いで合法的には禁止されている契約を結んでみんなとつるんで悪いことをするための法律を犯すための会と化している。
今の神がいない時代にあっては、聖徳太子の作った法に従わねばならない根拠がないし、現代の神がいない世界の道徳律である自主独立の精神にとってはみんなと仲良くする宴会制度自体が時代にマッチしないので、それを悪用したくもなるのだろう。
神がいない時代においては宴会は時間の無駄だ。みんなと仲良くするとは、自分が他人に従うことであり、自主独立の精神とは、自分で考えることである。みんなと仲良くするために自分で考える気持ちが損なわれては元も子もない。[宴会をやる暇があったら、神がいるかいないかぐらい考えてみたらどうだ?]

[4634] どうして私は不幸なのか? h20.3.28
私が不幸であることの原因は、私の親が私に性欲が悪い感情であることを教えなかったせいである。そのために私は中学3年生の2学期からオナニーにハマり、高校1年生のときには隣の不良が授業中に教科書をパラパラめくりするのを見て頭にきて精神分裂病に罹ってしまった。そのために、高校時代の貴重な3年間を無駄にしてしまった。[今の私は性欲とは無縁である。]
親が私に教えなかったのは、古い神がいる世界では神に人間が従うのであって、人間が神を従わせてはならないからである。
日本神道が私の親に私に対する教育を禁じていたからだと考えられる。

その証拠に、私は母からお箸の使い方や風呂敷の包み方やリンゴの皮のむき方を教わった以外は、中庸が大事とか、みんなと仲良くしなさいと言った次の日に自分が正しいと思うことをしなさいと私に言っただけだったし、私の父は瓜田に靴を入れずとか長い物には巻かれろと言ったこと以外は私に何も教えなかった。親が私に教えないぶん、私は自分ひとりでいろんなことを考えねばならなかったわけである。それでも、さすがに、子供の私にとっては性欲が悪い感情であることまでは考えるに至らなかった。

[4635] 士農工商 h20.3.28
士農工商は江戸時代の身分制度である。
士を1番上に置くのは、私の言う学者制と同じである。
農を2番目に置くのは、人間にとっては衣食住のうちで食べ物が一番大事だからである。
工を3番目に置くのは、人間にとっては食べ物の次に工業製品が大事だからである。
商を1番下に置くのは、お金つまり物欲を生き甲斐とする者がくだらないからである。
江戸時代には、武士が国民を支配する学者制で文化が栄えた時代であった。江戸時代に鎖国の中で日本の文化が発展しえたのは、武家制度つまり学者制が正しい社会制度だからであると考えられる。
明治から昭和までは天皇制の時代だったが、天皇制で栄えたのは西洋の科学を受容したからにすぎず天皇制自体は現人神制つまり神制で古臭くてまちがった制度にすぎなかったのである。[伊藤博文は天皇家が現人神だと信じていたから、人間である徳川家が神である天皇家を粗末にしたために黒船が徳川家の住んでいる江戸に攻めて来て徳川家がつぶされたのだと考えて、日本を天皇制にして日本を現人神である天皇家に守ってもらおうとしたのである。しかし、日本を守ってくれるはずの天皇家が反対に戦争を起こしてしまい天皇家の住んでいる東京に米軍機が空襲に来て日本が戦争に負けたから、天皇家が現人神でないことが判明し、戦後は天皇家を現人神だと信じる者はいなくなったのである。
その後日本は議院内閣制になって、天皇制は脱したが、アメリカの資本主義にかぶれて商人制に堕落してしまったのではないだろうか。

[4636] 人間が神を置く理由 h20.3.28
人間が神を置くのは神に従うためではない。
人間が神を置くのは自分の願いを叶えてもらうためである。
使い道のない神はさっさとお払い箱になる。
日本の天皇家は日本人みんなの願いである日本国を守る願いを叶えるために長年日本に置いてきた。
しかし、第2次世界大戦で天皇家が日本を守る願いを叶えられないことが判明したので、今では用済みになってしまったのである。

[4637] なぜ神を信じる者がいるのか? h20.3.28
現代は神がいない世界だから、本気で神がいると信じている者は世界中にひとりもいない。
だから、神を信じる者はみんな半[なか]ば冗談で神を信じたフリをしているにすぎない。
神を信じたフリをする者は、世界中の他の神を信じたフリをする者に好かれたいためにニヤニヤしながら「私は神を信じている。」などとそらぞらしく言うのである。
私は本気で神を信じていないのに神を信じたフリをしている裏表のある人間のクズには好かれたくないから、冗談でも神を信じるなどとは言わない。
むしろそんな中途半端な割り切らない態度をいつまでも続ける人間のクズを攻撃して嫌われたほうがましだ。
私なら「神を信じない。」と言うまでそいつらを痛め続けてやる。
現代は神がいないこと(つまり近代自然科学)でさんざん便利な思いをしているくせに、神がいないことに感謝しないとは何事であるか!

[4638] 国会議員の扱い方☆ h20.3.29
国会議員は自分が人間よりも上の神だと思っているから、
古い神がいる世界を信じているのだ。

国会議員が天皇を国会の中に置くのは、
自分も天皇と同じように神だと思っているからである。

しかし、間違いを信じるのは人間以下だから、
国会議員を人間以下の者として扱うべきである。
尊敬に値する人物は正しいことを考えた者であって、
間違いを信じる者ではない。
[しかも、政治家はたいてい認識主義者だから、いくら他人に自分の間違いを指摘されても直そうとはしないのだ。]

[4639] 宗教の扱い方 h20.3.29
宗教は神を信じる会だ。
しかし、神がいる世界はまちがいだから、
宗教は間違いを信じる会である。
間違いを信じる者は人間以下だから、
宗教も人間以下だ。
間違いを世の中に広める宗教は邪教である。

[4640] 金光教 h20.3.29
世の中には金光教のようにお金を崇める宗教がある。
お金は現実的だし、お金主義は新しい神がいない世界における道徳律のひとつだと考えられるし、
思想の自由があるから、一応そこまでは許せる。
しかし、個人的には嫌だ。

[4641] キリスト教のまちがい h20.3.29
キリスト教は、性欲を肯定するふざけた宗教である。
私の感覚理論(実在哲学)によれば、性欲は認識主義さらには精神病の原因だから、キリスト教は世界中に精神病を広めているのである。
キリスト教には、キリストの思想における間違いと、
キリストが現人神であり、この世に神がいると信じている2つのまちがいがある。
実際には神も現人神もいないから、キリストは眼が光る?超能力者にすぎず、
キリストの思想を信じなければならない理由はない。
それなのに、今でもキリスト教に入る人が多いのは、
テレビばっかり見ていると今にシッポが生えてくる♪のCMソングのように、
道徳律を考えないで生きているからキリスト教に入らなければならなくなるのである。

[4642] 神は触媒 h20.3.29
サジ=カルノーが熱素説で熱力学の第2原理を導き出したように、
ニュートンやモンペルチューイが光を粒子と考えて光学や解析力学の法則を導き出したように、
神説でも時たま正しい結論が得られることがある。とくに、社会的道徳的法則の導出においては神の概念が重要な役割を果たしたかもしれない。
しかし、実在しない神の概念からは多くのまちがった結論が導かれ、
たまに正しい結論が導かれたとしても、その推論の中では神が正しい結論を導くための触媒としての役目を果たしているにすぎず、実際には神の概念は用いられていないのだ。
だから、神の概念を用いてはならない。
風呂がまやストーブやエアコンの製造会社が熱素説を用いて製品の設計をしないように、
政治家や哲学者が神を使って国作りをしたり道徳律を決めたりしてはならないのだ。

[4643] ヨーロッパは神を信じる社会か? h20.3.29
ヨーロッパは、一般に、神を信じている社会であると考えられている。
しかし、ニュートンやアインシュタインは神を信じていない。[アインシュタインは神を信じているが、自分で神の意味を変えて用いているので、実質的には神を信じていない。]
だから、ヨーロッパの科学者は、ニュートンやアインシュタインに従っているので、神を信じていない。[量子力学の基礎方程式の樹立者であるシュレーディンガーは神については無言だが、神の概念を用いた法則を作ったりはしていないから、神を信じていないと考えられる。]
ヨーロッパの近代科学の産物を利用して暮らしている人も神を信じていない。
だから、ヨーロッパは神を信じる社会ではない。
ただ、町の一角に古い神を信じていた時代の名残として教会が建っているだけだ。

[4644] 【物理】量子力学 h20.3.29
物質は粒子や波を超えた量子という状態で存在している。
つまり、物質は観測された後では、粒子や波と言う状態で存在しているが、
観測される前は、量子という状態で存在しているのだ。
物理学では物質の実体すなわち物質が観測される前の状態を問題とするので、物質を量子と考えるのである。[例えば、金属中の電子は眼で見えないので、観測される前の物質の状態(波と粒子が溶け合わさった量子状態)を扱う量子力学が適用されるのである。]
[量子は、最初は数式でしか書けないから実感がつかめないが、そのうち慣れればわかってくる。眼をつぶって心(頭)の中で実感をつかめばいい。熱力学でも物質を数式だけで見るので、量子力学は熱力学に似ているとも言える。]

[4645] 神理論はまちがった科学である。 h20.3.29
人間は真理を信じることによって進歩するのであり、
人間は間違いを信じても進歩しない。
例えば、神原理(つまり、神が宇宙を作ったこと)はまちがいだから、神理論(神原理を原理とする理論体系)を信じるとそこから先に進めなくなる。
神理論を信じると古典力学も相対性理論も量子力学もわからなくなる。
[電磁気学も力学の一種である。電磁気学では電気力を伝える物質(つまり電磁気=電磁場)を考えて、その物質についての量(つまり、電場と磁場)を考えて、その量についての方程式を立てて解くのだ。それと同様に、念動力も念動力を伝える物質(つまり霊気=念力場=感覚場)を考えてその物質のついての量を考えてその量についての方程式を立てて解けばわかるはずである。]

[4646] 解析力学 h20.3.29
教会お抱[かか]えの科学者が、無神論者であったニュートンの力学と光学を超えるために必死になって考え出したのが、解析力学である。
そのために、解析力学の用語は神学味を帯びたものが多い。

[4647] アブラハムの宗教 h20.3.29
アブラハムの宗教の信者たちは、アブラハムの聖典に自分たちが神の子であると書かれているだけでいい気になっている。
全知全能の神の子にしては無能すぎはしないか?[神は神自身を産み出すので、神の子なら神であって全知全能のはずである。昔は論理がなかったので、みんなが雰囲気だけで読んでいたのだ。してみると、論理を自分ひとりで習得したガリレオは天才だ。]

[4648] なぜ国会は天皇を置いているか? h20.3.30
天皇は現人神であり、神は人間を生み出した者であり、いわば神は人間にとっては親のような者であり、子供は親の言うことを聞かねばならないから、人間は現人神である天皇の命令に従わねばならない。[厳密には、神武天皇以外の天皇は現人神ではないが、昔のゆるい論理の中では神武天皇とその子孫が同じ者であると見なされるので、天皇は現人神になるのである。]
人間は無条件に何の理由がなくても絶対的に天皇の命令に従わねばならないのである。[もっとも、古い神がいる世界の中で、だが。]
天皇を国会の中に置くと、国会議員が天皇と一体化できて、国会議員も天皇のように理由のない命令を出すことができると国会議員は考えているのだ。
しかし、そんなことをされたら、国会議員に好き勝手な命令ばかり出されて国民が迷惑する。
政治家がいいかげんな政治をするために天皇を置いているのなら、さっさと天皇を除[の]けろ。

[4649] 【物理】EPRパラドックスの考え方 h20.3.30
EPRパラドックスとは、粒子Aと粒子Bのスピンの向きが反対であることがわかっているとき、粒子Aのスピンの向き(上向きスピンか下向きスピンか)を測ったとき粒子Bのスピンの向きは上向きスピンか下向きスピンかどちらか一方になるが、粒子Aのスピンの向きを測らないとき粒子Bのスピンの向きは上向きスピンと下向きスピンが混じった状態のままになると言うことである。つまり、粒子Aのスピンの向きを観測したかしないかが超光速で瞬間的に粒子Bに伝わることである。
ところで、1次元空間の中にある直線は折りたためないが、2次元空間の中にある直線は折りたためる。
2次元空間の中にある平面は折りたためないが、3次元空間の中にある平面は折りたためる。
同様に、3次元空間の中にある立体は折りたためないが、4時限空間の中にある立体は折りたためる。
粒子のスピンを考えることは3次元空間の次元を上げることに相当するから、3次元空間が4次元空間の中で折りたたまれて2粒子間の距離がなくなるのである。AとBが4次元空間の中でくっ付いたまま、AとBの間の3次元距離が時間とともに伸びている状況を考えればよい(右図の赤矢印)。


[4650] 【物理】だるまさんがころんだ h20.3.30
今、問題を単純化するために、空間に置かれた静止している1個の粒子について考える。
空間は、だるまさんがころのだの遊びのように、見ているときには伸び切って動かないが、見ていないときには“折りたたみ運動”をしている。観測しないことは空間の次元を上げることであり、空間は観測しないときに、より高次元の空間の中で折りたたみ運動をし始めるのである。[空間は、相対論におけるワイヤーフレームのようなもので、実体がないからいくらでも折りたたむことができるし、宇宙にいくつあってもよいし重なっていてもよい。]粒子(点)は[クシャクシャに丸められたボール紙のような]折りたたまれた空間の中を運動する(静止も含む)と考える。
したがって、空間の中に粒子を置いた後で、粒子から眼を放すとさっそく空間が折りたたみ運動を始めるので、空間の位置の重複度(折りたたまれて重なった度合い)を粒子の存在確率に言い換えると、粒子はシュレディンガー方程式に従って拡散運動を始めることになる。静止した運動エネルギー0の粒子でも運動する(ゼロ点振動する)のは、たとえ粒子が止まっていても観測しないときに空間が折りたたみを運動をしているからである。
粒子の位置を観測しようとすると、[ジャバラにしたストローの袋に水滴を垂らすとジャバラが伸びてまっすぐになるように]空間が折りたたみ運動をやめてもとのように伸びきってしまうので、粒子は空間のどこかひとつの位置に存在することになる。つまり、観測するかしないかは、伸びきった空間と折りたたまれた空間の間の変換だと考えるのである。

[4651] 河童[かっぱ] h20.3.30
昔の神がいる世界観で川原を見ると、そこに河童がいたりするのである。つまり、河童はその当時の人間の知覚における神がいる世界観が作り出した幻覚である。つまり、河童は川の神である。
しかし、現代の神がいない世界観で川原を見ても、そこには石と水しか見えず、河童はもはや見えないのである。

[4652] 宗教はどうでもいい? h20.3.30
一般的には、宗教は普通の人にとっては日常生活に縁のないどうでもいいことだとされている。だから、誰も宗教に関ろうとはしない。
しかし、それは素人[しろうと]ならではの浅はかさである。
宗教がテレビでときどきふざけた事件を起こすのは、人々に宗教をどうでもいいことに思わせて油断させるためである。
実際には、宗教は私たちの日常生活のいたるところに入り込み私たちの日常生活を見えないところで動かしている。
宗教は、いまだに神がいるなどという古い時代のまちがいを使って社会に害を与えているヤクザな集団だから、早くこの世からなくさなければならない。
宗教に自分の生活の邪魔をされたくなければ、もっとみんなが宗教に対して関心を持ち宗教に対して働きかける(攻撃する)べきである。

[4653] 新世界の創造☆ h20.3.31
ヨーロッパでは近代以降、神がいた世界から神がいない世界に切り替わって、神がいる世界の法則に従って作られた物が壊されて、新しい神がいない世界の法則で作られた物に置き換えられた。
同じように、日本でも神の時代が終わったから、これまでに古い神がいる世界の法則に従って作られた物は壊されて、新しい神がいない世界の法則で作られた物に置き換えられなければならない。
例えば、日本神道の指示で私の個人情報を入れて作られた商品はすべて廃棄して、私の個人情報を入れない商品に作り直さなければならない。
古い神がいる世界から新しい神がいない世界に変れば変るほど社会がよくなるのだから、喜んでそうすべきだ。(お金のことにこだわってはいけない。)私の個人情報よりももっと陽気な情報を入れて商品を作ればもっと売れるから、そうしたほうがいいはずだ。

[4654] 古い世界でしたことの責任 h20.3.31
日本政府や日本神道が古い神がいる世界の法則に従って私に対してしたことは、根本的には新しい神がいない世界の法則を犯したことになるから、日本政府や日本神道はその責任を取らねばならない。[新しい神のいない世界の法則を守らせる日本政府が新しい神がいない世界の法則を犯す組織(つまり、日本神道)の存在を認めていることになり政府としての機能を果たしていないことになる。]
日本政府や日本神道などがこれまで古い神がいる世界の法則に従って私に対してしたことの責任を取るために私を有利にするなら、古い神がいる世界の法則に従って[神に人間が従わねばならないから]日本や世界のすべての人を有利にする必要はなく、新しい世界の法則に従って[これまで私ひとりを不利にしてきたのだから]私一人だけを有利にすればいい。そのほうが安上がりだし、私一人のために日本や世界中の人々が動かされるのでは、かえって迷惑になるだろう。

[4655] 上海高知学芸高校列車事件 h20.3.31
上海高知学芸高校列車事件は、日本神道と中国の宗教が協力して起こした事件であると考えられる。
おそらく、私が高校1年生のとき学校の授業中に分裂病に罹ってその後の人生がうまく行かなくなったのを気に入らなく思った宗教が復讐のためにやったのだろう。
しかし、そもそも尾立君を私の隣の席に座らせて授業中に教科書のパラパラめくりをさせて私の腹を立たせたのは日本神道がやらせたことだから、日本神道が悪い。
自分がやっておいて他人のせいにして、自分をまったく反省しない日本神道の態度は犯罪者そのものだ。宗教は犯罪組織と変らない。

[4656] 統計はウソ h20.3.31
Wikipediaによれば、日本人の中の1億人は日本神道の信者だそうだ。
世界人口の86%がなんらかの宗教に入っているそうだ。
しかし、実際には、天皇や私を現人神だと思っている日本人はひとりもいないし、
世界中を見ても今でも神や現人神を信じている人はひとりもいない。
だから、Wikipediaの情報がウソである。[私が中学生の頃に読んでいた講談社のブルーバックスにも『統計でウソをつく法』という本があった。]
おそらく、年始参りに神社に行ったりお祭りを見に行ったりクリスマスのお祝いをしただけで宗教の信者と言うことにしているのだろう。つまり、宗教の信者の定義を最大限に広くとって信者と言うことにしているのだ。
日本神道やその他の宗教に入っている人はいるにはいるが、核になっている神の概念がなくなっているから、宗教が何であるかもわからずに[神や現人神の定義も知らずに]ただなんとなく入っているだけのつまらない連中だ。
宗教が神がいる古いまちがった世界観を教えるところだとわかっていれば、宗教に入る者はひとりもいないはずだ。

[4657] 「福岡まで30分」 h20.3.31
私が研修医のとき三鷹[みたか]ビルの月一の宴会で私の指導医の斎藤考由[さいとうたかよし]氏が久留米にある住宅の物件の広告を皮肉って「福岡まで列車で30分、ただし特急で。」と私にも聞こえるように声を張り上げて言っていたことがある。
宗教はおいしそうなことを言っておいて、あとでそんなことがないとわかってガッカリするということを言おうとしたのだろう。

[4658] 「それでも地球は回っている。」 h20.3.31
教会の人間が地球が回ってないと思っても、たとえ地球上のすべての人間が地球が回っていないと思っても、それでも地球は回っている。
回っているものをそのまま回っていると言うのが科学のやり方だ。[ちなみに、北緯30度では地球は約400m/sで回っていることになる。音速を超えている!]
たとえ人間が神がいると思っても、客観的には神がいないのも同じことだ。
つまり、神がいるかいないかは実在において決まっていることであって、
人間が自由に決められることではないのだ。

全知全能の者がいてその者が宇宙を作ったと言う仮定は現在の科学ではまったく用いられていないので、神はいないのが現代の常識だ。
宗教家が自分にとって有利な世界を作ろうと思って、神がいる世界の法則を今の時代に流行[はや]らせようとしても無理なことだ。

宗教家自身も本当に神がいる世界が正しいと信じるなら、神がいないことを使って作られた科学の産物を使ったりはできないはずだ。
ポアンカレがアインシュタインを攻撃したのは、自分の理論の正しさを信じていたからだ。ポアンカレはアインシュタインの理論を死んでも使おうとしなかったはずだ。
宗教家も神理論を信じている学者なら、学者らしい毅然[きぜん]とした態度を取るべきである。

[4659] 【物理】光速度不変の原理 h20.3.31
相対性原理とは、『現象=実体×観測者(時空間)』の構図が、この宇宙にはあるということである。[観測者が荷電粒子に対して動くか動かないかによって、電流したがって磁場があったりなかったりすることから、現象は観測者の状態によって変るとアインシュタインは考えたのである。]
光は実体ではなく観測者(時空間の座標系)のほうに乗っていると考えれば、光速度不変の原理が理解できる。[一般相対論の重力レンズ効果も理解できる。つまり、光子は座標系に乗って動くので、重力場で自由落下する座標系は重力場のない座標系と同じになるので、座標系が落下した分だけ光子もいっしょに下に落ちると考えれば、重力による光子の落下現象すなわち重力場によって光が曲がることが理解できる。]
たしか、アインシュタインは子供の頃に自分が光に乗って宇宙を見たらどう見えるか?と考えたと言う逸話があるので、この仮定はまんざらでもない。

[4660] ギャグマンガ日和 h20.3.31
『ギャグマンガ日和』には、聖徳太子や小野妹子、松尾芭蕉や曽良などが出て来る。
しかし、誰も芭蕉に許可は取っていない。
それなのに、芭蕉を登場させて好き勝手なギャグをやっている。
しかしながら、マンガやアニメに出て来る芭蕉を見ても、実際に芭蕉がやったことだとは誰も思わない。
『奥の細道』に出て来る芭蕉が本当の芭蕉であって、『ギャグマンガ日和』に出てくる芭蕉はウソの芭蕉であると知っているからだ。
つまり、『奥の細道』があるからこそ、『ギャグマンガ日和』はフィクションで通っているのだ。
しかし、私の場合は有名ではないから『奥の細道』に相当する実話がない。
したがって、私をキャラクターに使うとフィクションが実話になるから名誉毀損になってしまうのだ。

[4661] 女は何のために男と結婚するのか? h20.4.1
女には乳房と子宮があるから、女の心の中にはそれらの器官と連動する愛情がある。
愛情とは子供をかわいがる気持ちである。
子供をかわいがるためには子供を産まねばならずそのためには男と結婚しなければならない。
女が男と結婚するのは男が好きだからではなく、子供を産んで育てたいからである。
『子はかすがい』ということわざがあるが、子供がいなければ男と女の結合力はないということである。
女が男と結婚するためには、まず女が男に気に入られなければならない。
ところで、男に気に入られる方法が、最近はテレビ文化になりすぎて男が女を身体の格好のよさでしか評価していないように思われる。
昔の男は、もっと女を心の出来のよさで見ていた。
だから、そのために女は一生懸命自分の心をよくしようとして頑張っていたわけである。日本の道徳性が高いのはそのためである。
つまり、いい女とは心がいい人のことである。それが日本の伝統である。
心の出来のよしあしの微妙なところがわかるのが日本人の感性である。
人間の本質は心にあるから、心がわかることが人間がわかると言うことである。
[私の母親も心の出来はかなりいいが、ただ知覚欲が不足しているように思われる。知覚欲が弱いと自分が考えないばかりではなく他人の考えを馬鹿にするところがあるので、他人が一生懸命考えて自分の子供を教育しているのを見てもバカにするだけで、自分の子供なんか放っておけば勝手によく育つと思っているらしい。一般に、知覚欲の弱い人間は、人間が考えることをバカにしていて、自分で考えて何かをすると言うことがなければ、他人から学んで何かをするということもない。頭を使わずに身体ばかりを動かして、骨折り損のくたびれもうけだ。母に考える癖がないという欠点は、父親も見落としていたようだ。たとえ親にとってはわかりきったことでも、子供にとっては知らないことだ。だから、子供に教えることはいっぱいある。親が子供に教育しないのは、その親が考えないので、自分の子供に知らないことがたくさんあることさえ知らないからだ。いい歳して自分で考えずに他人の本ばかり読んでいる大人(とくに男)は、駄目だ。]

[4662] 【物理】ガリレオとニュートン h20.4.1
ガリレオは自然落下する物体の運動を細かく定量的に調べて等加速度運動することを発見した。
しかし、そこでやめてしまった。
ガリレオは自然落下する物体が等加速度運動することがわかっただけで、どうして等加速度運動するか?までは考えなかったのである。
つまり、ガリレオにとっては自然落下する物体が“自分でひとりでに等加速度運動をする”としか考えられなかったのである。[物体は土で出来ているからもと居た地面のほうに行きたがると考えていたのだろうか?つまり、物体を自分の力で動く動物の人間と同じように見なしているのだ。]
それを一歩進めたのがニュートンである。
ニュートンは、自然落下する物体が等加速度運動するのは地球がその物体を“引っ張る”からだと考えた。
ガリレオは物体が自分でひとりでに地球のほうに動いていくと考えたが、ニュートンは地球が物体を引っ張るので物体が地球のほうに動くと考えた。
つまり、リンゴが落ちるのはリンゴが自分で動くからではなく、地球がリンゴを引っ張るからである。つまり、リンゴは自分で動くのではなく、地球によって動かされるのである。リンゴは手足の生えた動物ではなく、自分で動く能力のないたんなる物体なので、何か他の物によって動かされなければ動けないのだ。
こうしてリンゴが動く原因がやっとわかったのである。
昔の人は、リンゴのような物体が他の動物と同じように自分で動いていると考えていたのだろう。つまり、リンゴにも物を見る眼があり動く手足があり考える頭があり心があると考えていたのだ。昔の人は生物と無機物の区別をせず、すべての物を動物と同じように見ていたのである。今はその反対で、無機物に関する知識が豊富になったので、わかりにくい生物や動物をわかりやすい無機物に喩えて理解している。
念動力は、すべての物を動物に喩える大昔の世界観で発揮される力かもしれない。つまり、人間が馬や牛などの動物の機嫌を取って動物を操るように、物体にも心があると考えて物の機嫌を取ることによって物体を操ることができるのかもしれない。しかし、たとえ本人はそのつもりでも、実際には超能力者の脳の中にある超能力器官を使って霊気(感覚場)を媒介して物体に力を及ぼすことによって物体が動くのである。

[4663] やおろずの神 h20.4.1
神は宇宙のすべてを生み出した者だから、神を生み出した者もまた神自身でなければならず、神は神自身を生み出すと考えなければならない。
したがって、神によって生み出された物もまた神だと考えられるので、宇宙の中にあるすべての物が神だと考えることができる。[アインシュタインもそう考えた。]
大昔の日本には、このようなやおろずの神の思想があったので、現人神である超能力者をそれほど特別視しなかったと考えられる。だから、日本にはモーゼのような神武天皇に先立つ神がいないのだ。近年の天皇制は外国の神理論とくに一神教の影響を受けて始められたものだと考えられる。そして、その一神教は、原始時代にバラバラに暮らしていた人間がひとところに集まって国を作るようになって国をまとめる者が現われて、神を国をまとめる者に喩えてできたものだと考えられる。外国の一神教を現人神の子孫である天皇に当てはめてできたのが天皇制である。だから、日本の天皇制は政治と被[かぶ]っているのだ。[つまり、時代が変れば神理論も変るのだ。現代では神がいないことになっている。それが現代の神理論だ。]

[4664] 神が存在しないことの証明 h20.4.1
ニワトリはタマゴを産み、タマゴが育つとニワトリになるから、ニワトリがタマゴの親とも、反対にタマゴがニワトリの親とも考えることができる。
いま、宇宙を作った神がいると仮定する。(背理法の仮定)
その神は何によって作られたかと考えると、神は神によって作られるしかないから、神は神自身を作ったと考えねばならない。
神が宇宙を作ったので、人間は神によって作られたことになるから、子供が親に従わねばならないように、神に人間が従わねばならないことになる。
一方、神が神自身を作ったのだから、神によって作られた人間も神だということになり、人間と神とが平等であることになる。[[4663]参照。]
神に人間が従わねばならないこと(神>人間)と、神と人間が平等であること(神=人間)とは矛盾する。
よって、神は存在しない。(背理法)

[4665] 宗教は科学を超えるか? h20.4.1
科学では、なぜ宇宙があるのかわからない。
しかし、宗教では、なぜ宇宙があるかがわかる。
それは、宗教では、『神が宇宙を作った』と考えるからである。(宗教の原理)
しかし、その考えからは矛盾が出てくるし、神の存在を仮定してもわかることが何もないから、神の概念は無用の長物であり、宗教の原理は棄却されるべき仮説であると考えられる。

[4666] 宇宙の外 h20.4.1
ガリレオは宇宙は無矛盾にできていると言ったし、科学者はみんな宇宙が無矛盾だと信じている。
一方、上で見たように、神の概念は矛盾を含んでいる。
だから、神がどうしても存在するというのなら、神は宇宙の外にいると考えねばならない。
しかし、田んぼの外にいる者が田んぼを耕せないように、神が宇宙の外にいるのならそもそも宇宙を作れないはずである。それに、ひとつの国に住んでいる人間が外国の法律に従わなくてもいいように、神が宇宙の外にいるのなら、宇宙の中にいる我々は宇宙の外にいる神に従う必要がないはずである。したがって、例えば、日本人にとっての神である天皇は日本の外にいることになるので、日本人は天皇に従わなくてもいいのである。

[4667] 神道狩り h20.4.1
現代において神を信じる者は悪である。[ほんのちょっとでも信じてはいけない。]
神を信じる者はいてはならない。
これは法律以前の問題だから、神を信じる者を見つけ次第殺してよい。[つまり、現代の法律は神がいないことを前提にして成り立っているので、神を信じることはすなわち法律に背くことであるから殺してもよいのである。]

[4668] 宗教は禁忌[きんき] h20.4.1
宗教は古い神がいた時代の超能力者の思想だから、多かれ少なかれ神の概念が染[し]み込んでいる。
だから、宗教は健全な思想とは言えない。
宗教の信者は、私の『神道狩り法』によって殺されることになる。
現代における道徳律は、神のない世界において作られねばならない。

[4669] 私の両親について h20.4.2
私の両親は、私が小さい頃から日本神道の指示に従って私に余計な手出し口出しをしてきた。
それは、私の両親が宗教とは何かがわかっていないからである。
わけがわからないまま他人の指示に従うとは、図体ばかりでかくて馬鹿な両親だ。
私の両親が平均的な大人像であるとすれば、世の中の大人は馬鹿ばっかりだということになる。
毎日考えずに暮らしていると、こんないけない大人になるのだ。
わけがわからないまま宗教の指示に従った者も神を信じる者と同罪である。

[4670] 馬鹿な大人 h20.4.2
私の両親は、宗教が何であるかもわからずに宗教の指示に従って私に手出し口出しをしつづけてきたが、
私の両親は、性欲が精神病の原因になる悪い感情であることを私に教えなかった。そのために私は中3の2学期頃からオナニーにふけり、高1の4月に隣の席の不良が授業中に教科書のパラパラめくりをするのを見て頭にきて精神分裂病に罹ってしまった。その後、分裂病はほぼ治ったが、そのときにできた頭の中のしこり(古傷)は今でもガン飛ばしをされるたびにズキズキ痛む。
私の弟が小学中学年の頃から登校拒否になり家の中でエロ本ばかり読んでいたのも、私の両親が弟に性欲が悪い感情であることを教えなかったためである。
私の両親が子供に性欲が精神病の原因になる悪い感情であることを教えなかったのは、私の両親が性欲が悪い感情であることを知らなかった(はっきりとわかっていなかった)からである。
今の大人は仕事の上の知識だけで、常識が足りない。
子どものうちだけ勉強して大人になったら考えないでいいと思っているからである。

[4671] お金よりも知恵 h20.4.2
お金さえ子供に与えれば子供は幸福に生きて行けると思っている夫婦が多いが、子供に与えなければならないのは、お金よりも知恵である。[いくらお金があっても、精神病に罹ってしまったら幸福にはなれない。]
しかし、子供に与えるべき知恵がわかっていない夫婦が多いのもたしかである。
お金よりも知恵のほうが価値が高い(つまり幸福に生きるために役に立つ)ことさえわからないほど、今の大人は馬鹿なのだろうか?

[4672] 神は知覚の中だけにはない。 h20.4.3
一歩譲って、神は人間の知覚の中だけにあり、実在との対応をつけなければ神の概念が知覚の中にあってもよさそうである。
しかし、そもそも神の概念は実在から帰納して得られたものだから、神は実在すると考えるのが自然である。宗教は、現在の科学のように実在の中で行われてきたのである。
神の概念は実在とのかかわりの中で生まれたものだから、知覚の中に神の概念を持っていれば、そのうち逆に神が実在にかかわることになるから、やはり最初から神の概念は存在してはいけないのである。神の概念はたとえ人間の知覚の中であっても存在してはいけないのである。

[4673] 人間は宗教を軽蔑する。♪ h20.4.3
宗教はいまだに神を信じている。
宗教は古いまちがった物理学である。
まちがった物理学を勉強してもつまらない。
人間は正しさを尊敬し、間違いを軽蔑する。
だから、人間は宗教を軽蔑する。

[4674] デカルトの物理学 h20.4.3
デカルトはニュートン以前の人である。
だから、デカルトの物理学には古い考えと新しい考えが入り混じっている。
ニュートンの物理学から見ると、デカルトの物理学は間違っている。
一般に、正しい仮定と間違っている仮定が入り混じっている理論はまちがった理論だと見なされる。
だから、現代において宗教をやることは、神がいることと神がいないことが入り混じっている変な理論になるから、神がいない世界から見るとまちがいである。

[4675] 人はどのようにして善い心になるのか? h20.4.3
人間において、心は知覚に従属する。
だから、善い心は正しい実在認識によって作られる。正しい実在認識を持っている者が善い心の持ち主である。
反対に、悪い心はまちがった実在認識によって作られる。
だから、神がいるというまちがいを信じている宗教の者は、悪い心である。

[4676] 真→善→美 h20.4.3
まず最初に真理の知覚がある。[厳密には、真理は知覚が五感を介して実在とかかわる中で作られる。]
真理の知覚が深化されて善い心になる。
善い心が表現されて美になる。

[4677] 現代における神 h20.4.3
神は何でもできる者である。
アメリカのスーパーマンや日本のドラえもんのような者だろう。
ギリシア神話や日本の神話の神も神である。
神ははじめは実在とのかかわりの中で作られた帰納的概念だったが、今では空想の世界の住人なのだ。
つまり、昔と今とでは神の意味が変わったのだ。昔の神は実在する者だったが、今の神は実在しない者なのだ。
だから、現代では宗教はもはや実在と関係付けてやってはならないのである。例えば、天皇制も私制もダメである。
天皇仮面をデパートの屋上のアトラクションショーでやるならいいが、国会議事堂の中でやるのはおかしい。
他の宗教も、多かれ少なかれ実生活と関係付けてやっているので禁止すべきである。

[4678] 「もっと光を!」 h20.4.3
ゲーテが「もっと光を!」と言った光とは、私の実在哲学における感覚のことだと考えられる。
人間は自分が生きている感覚がある間に、自分の感覚の中を進まねばならないものなのだ。

[4679] 昔の人はなぜ生贄[いけにえ]をしたか? h20.4.3
昔の人は、人間が他の動物を飼うように、人間よりも上の神という生物がいて、神が人間を飼って養っていると考えていた。
昔の人は、人間が他の動物を食べるように、神が人間を食べると考えて生贄を神のご馳走として捧げたのである。
しかし、生贄が神の口には合わなかったらしく、神は人間の願いを聞き入れてはくれなかった。
実際には、人間よりも上の神という生物はいないから、ペットが人間に気に入られてペットがいい待遇にされているように、いくら人間が神に気に入られていい待遇にしてもらおうと思っても無駄である。
やはり人間は神の世話にならず、自分で自分を養っていかねばならないのだ。

[4680] 日本政府の思惑 h20.4.3
日本政府は、日本神道の者が古い神がいる世界の法に従って動いているのを知って、日本神道の者を自分たちの思い通りに動かして利用しているつもりでいる。
しかし、古い神がいる世界の法に従って動いている不特定多数の集団を“利用する”ことは、自分自身も古い神がいる世界の法に“従う”ことになる。
したがって、日本政府も日本神道と同じように古いまちがった世界の法に従っていることになる。
むしろ、日本政府が日本神道に利用されていると言ってもいいだろう。
[それにしても、古い神がいる世界の法が今でも通用していたり、日本政府までもが古い神がいる世界の法を守っていることを、一体どこで知ったのだろうか?私は最近まで全然知らなかった。]

[4681] キャラクター化 h20.4.3
だいぶ前に私が私をキャラクターにしたマンガやアニメを作るな、これまでにそうして作ったマンガやアニメを焼けと言ったのに、それ以後も私の命令はまったく守られていない。
そこで、私を女の子のキャラクターにした仕返しに、日本神道の者を女の子のキャラクターにしたマンガやアニメを作り続けることにする。
しかし、あいにく日本神道の者の顔はわからないから、日本神道の者の代わりに長年日本神道の横暴を容認し続けてきた日本政府の者を使うことにする。
つまり、日本政府の大臣を女の子のキャラクターにして、日本政府の大臣の経験をネタにしたマンガやアニメを未来永劫作り続けることにする。また、日本の歴代の総理大臣を登場人物にした変態Hマンガを描くことにする。
アメリカでも、日本政府の大臣を女の子にした像を作って、超能力者をみだりにからかうものではないことを未来の人類への戒[いまし]めにするそうだ。
[こんなことを誰かが話しているのを、私はさっき幻聴で聞いた。]

[4682] いい女とは? h20.4.4
昔の女は大人ぽくて素敵だった。今の女は子供っぽくてかわいいだけだ。
昔の女が大人ぽかったのは、心の鍛え方が今とは違うからである。
今の女が子供っぽいのは、いいかげんな勉強ばかりして実在についての深い理解がなく心が子供のままだからである。

[4683] 帰納的発見 h20.4.4
昔のように、自然現象を観察して直感的にピカッと閃[ひらめ]いてわかると言うようなことは最近は少なくなってきている。
ひとつのテーマについて、少なくても何年間か考えこまねばならない。
そのうち自分の頭(知覚界)の中に“未発見のイデアの存在”が感じられる。
あとは、そのイデア(概念)に自分の好きな名前をつければいい。
例えば、私が『感覚』のイデアを発見したときもそうだった。
私が哲学についてノートに字を書いて考え始めてから『感覚』のイデアを発見するまでに6〜7年はかかった。[ただ、医学の勉強や受験勉強をしながらだったから、実質的にはもっと短い。]

[4684] 認識とは何か? h20.4.4
私もはじめの頃は、認識とは見る者と見られる者との間で成り立つ関係であると考えていた。
しかし、考え始めてからずいぶん時間が経ったあるとき、『感覚』(自分が感じること)の概念を思いついて、
認識とは見る者だけで成り立つことに気が付いた。
つまり、見る者の脳の中にある脳細胞が神経興奮すると、その者にとって感じられる『感覚』が発生することが、認識の本質なのだ。

[4685] 波多野さんは競艇をしたことがあるか? h20.4.4
波多野さんとは、私が派遣会社ダイテックに勤めていた頃の営業マンである。
その波多野さんは私とときどき会って話をすることがあったので、『モンキーターン』というマンガの主人公となっている。
『モンキーターン』とは、競艇のマンガである。
私は、賭け事一般に興味がないので、競艇なんかしたことがない(つまり、競艇場で券を買って賭け事をしたことがない)し、競馬や競輪もしたことがないし、宝くじも買ったことがない。私の家族では、私の父親がたまに付き合いで宝くじを1000円分買うぐらいのことである。
だから、『モンキーターン』は私のネタではない。
だから、波多野さんのネタと言うことになる。
つまり、波多野さんが競艇をしたことがあるということになる。[もちろん、波多野さんは競艇の選手ではない。]
波多野さんを見た印象からは、会社のお金を競艇に注[つ]ぎ込むことはなさそうだが、競艇を絶対にやらない人かどうかはわからない。
アニメは多かれ少なかれ本人の経験をもとにして作られているから、波多野さんと競艇の間にまったく縁がないとは考えにくい。
ただ、古い神がいる世界の法では、宝くじを買って、公園でボートを漕[こ]いだら、競艇をしたことになるので、競艇かどうかはわからないが、とにかく波多野さんが何らかの賭け事をしたことがあるのはたしかである。[私は、大濠公園で一般教養の体育の授業のときボートを漕いだことがあるから、それと波多野さんの賭け事を組み合わせているのかもしれない。以前私が名古屋(愛知県稲沢市)の工場で働いていたとき、私以外のみんなが競馬をやっていて、その後で『みどりのマキバオー』のアニメが出来たから、やはり波多野さんと競艇のつながりはありそうである。私は子供の頃、駄菓子屋でくじ引きをしたことがあるが、くじ引きと賭け事とは離れすぎるので、私のくじ引きをネタにしたとは考えにくい。]
このように、推理をすれば、ある程度マンガの情報から本人の経験を推測できる。
本人のプライバシー侵害にならないのだろうか?

[4686] 【物理】量子 h20.4.4
物質は見た後では、粒子か波かの形を取るが、
見る前には、どんな状態なのかわからない。
そこで、見ることによって物質の状態が変ると考える。つまり、見る前にあった同じひとつの状態が、見方によって粒子や波など様々な状態に変ると考えるのである。[物質の状態は不安定で壊れやすいので、見ることによって容易に壊れると考えればよい。どうして変るのか?を問題にするのが、量子力学における観測問題と呼ばれる分野であるが、現在のところまだ原因がわかっていないので、ここは鵜呑みにしてとばすのが普通である。]
見る前の物質の状態を“量子”と呼ぶ。[物理学は物質の実体を考える学問であり、物質の実体は見た後の状態よりも見る前の状態だから、物理学では物質を量子と考えるのである。]
量子は数式で書いたり図で示したりすることができる。[つまり、量子とは、物質がその場所にボンヤリと存在していることである。]
不確定性のある空間(位相空間)の中を“量子”が運動するとき、その“量子”はシュレディンガー方程式に従って運動(時間変化)するのである。
量子力学ではもはや眼が利かないから、厳密に議論するときには、いちいち古典力学の言葉を量子力学の言葉に置き換えて(スカラーが演算子になる)、頭と手を使って面倒くさい計算をして考えなければならないのである。
計算で求めた量子が実際の物質の状態と合っているかどうかは、実験をして『確率分布』が合っているかどうかで確かめられる。[古典力学では1回の測定で済むが、]確率的統計的一致を確かめるためにはなんべんも測定をしなければならないので、量子力学ではコンピューターを使って測定をするのである。位置と運動量の両方の分布が合っていれば、量子としても合っていることになるはずである。[空間(位相空間)に不確定性があるために、量子力学には古典力学にはない確率の概念が出てくるのである。つまり、不確定性は、相対性理論において運動する空間(4次元時空間)が伸縮するように、空間(位相空間)の持つひとつの性質である。相対論において時空間が伸縮するために光速度が一定に保たれるように、位相空間に不確定性があるために、物質の状態や運動が古典力学と量子力学では違ってくるのである(当然、量子力学のほうが正しい)。量子力学を勉強していれば、そのうち量子力学に慣れてきて、古典力学を忘れてくるから、量子力学から古典力学を眺[なが]めることができるようになるだろう。]

[4687] 新しい神がいない世界における超能力者 h20.4.4
新しい神がいない世界における超能力者は、超能力者にほかならない。
超能力は何でもできる危険な能力ではないから、超能力を自分の好きなように使うことができる。[超能力を何でもできる能力だと考えることは、古い神がいる世界における超能力に対するまちがった解釈である。]
超能力者はその超能力を見せ物にして芸をしたり、
超能力の物理学的仕組みを研究して『超能力学』を著したりする。[たとえ研究とまでは行かなくても、『これが超能力の実体だ!』と言うタイトルで超能力の写真集を出せばかなり売れるはずである。]
平和的でいいではないか。

[4688] 日本政府が日本神道の責任を取らねばならない。 h20.4.4
私が朝倉小学校2年生のとき、授業中に校長室に呼び出されて日本神道の者から質問をされたことからわかるように、日本政府と日本神道の癒着は強い。
だから、日本神道がやったことの責任は日本政府にある。いわば、日本政府は出来の悪い日本神道の親である。
日本神道は不明確な集団だから、日本神道の代わりに明確な集団である日本政府が責任を取らねばならない。
私やその他の国民に対して日本神道が古い神いる世界の法で損害を与えたなら、その責任は日本政府が取らねばならない。

[4689] 日本国憲法に神がいないと書くべきである。☆ h20.4.4
日本国憲法には、神がいるとも神がいないとも書かれていない。
神がいるかいないかは、社会的には重要な問題である。[物理学にとっては、神がいないのが常識である。しかし、そのことを明記した書物はほとんどない。]
日本国民にとっては、神がいると考えている日本神道に事件を起こされるのはもう嫌だ。
したがって、今後の日本国憲法には神はいないとはっきりと書くべきである。
[たとえ神がいなくても、天皇制は昔現人神だと考えられた人の子孫が執り行う儀式として、過去の日本人が犯した間違いに対する戒[いまし]めとして残すことができる。]

[4690] 政治家はどうして言葉が曖昧なのか? h20.4.5
それは、政治家が正反合の弁証法の論理で生きているからである。
政治家はみんなの意見をまとめなければならないので、言葉が曖昧になるのである。
しかし、行きすぎた弁証法の適用はかえって社会秩序が損なわれるのでいけない。
政治家の務めは、新しい神がいない世界における人間と人間の関係を管理することである。
だから、新しい神がいる世界と古い神がいる世界までもアウフヘーベンしてはいけない。

[4691] 神の罰[ばち]が当たる。 h20.4.5
神は宇宙を作り出し、宇宙を管理する者である。
これまで神の機嫌を取って願いを叶えてもらおうとしても願いが叶った者はひとりもいなかったが、
反対に、神を馬鹿にして罰が当たった者もひとりもいない。
馬鹿にして罰が当たらないから、反対にご機嫌をとっても願いが叶わないのである。
やっぱり、神はいないんじゃないかな?

[4692] 道徳律としての神 h20.4.5
神の教えを破ると罰[ばち]が当たると信じている者がいる。[私が小学生の頃、同級生にそういう者がいた。]
宇宙は神様が作って動かしているのだから、神様の言うことを聞けばいいという理屈である。
現人神は神様だから、現人神の教えに従えばこの世でうまく生きて行けると昔の人は考えて現人神の教えに従ったのである。

しかし、大人になっていろんなことを考え合わせてみると、どうも神様はいそうにない。
だから、神様は自分を律してはくれないから、自分で自分を律するしかない。

実在の法則を犯すと実在が自分を罰して自分を痛い目に合わせてくれるから、実在があれば神様は要らない。
だから、神の教えを知って守るよりも、実在の法則を知って守ったほうがいい。

[4693] どうすれば幸福に生きて行けるか? h20.4.5
大雑把にいえば、人間は精神病に罹らないかぎり幸福に生きて行けるから、
最近私が理解したように、認識主義が精神病の原因だから、オナニーやセックスや麻薬などで性欲や麻薬欲を満足して認識主義にならないようにすればいい。
人間は性欲や麻薬欲を満足せずに、知覚欲や愛情を満足して生きて行けばよいのである。
これが、実在の法則に従って人間が幸福に生きるための方法である。
これまでの現人神の教えを信じるよりも効果的なはずだ。

[4694] どうして超能力者は神様とまちがわれたのか? h20.4.5
超能力者はこれまでの宇宙にはない現象を現すことができたので、新しい宇宙を作り出すことができる新しい神様だと勘違いされたのである。
してみると、「昔の神は五感にとらわれていた。私は五感にとらわれない宇宙を作る。」と言った釈迦は自分を神だと考えていたことになる。[私は釈迦の超能力がなんだったのか知らないが。]

[4695] 神がいる科学 h20.4.5
神が宇宙を作ったから、宇宙を観察すれば神の言葉が読み取れる。[と、アインシュタインも考えた。]
現人神の教えではなくて、実在から神の教えを読み取るのである。
宗教が現人神の教えを真理と考えるのに対し、科学は実在から読み取った神の教えを真理と考える。
神はよほど論理や数学が好きなようだ。
現人神の教えと、宇宙から読み取った神の教えとはいろんな点で食い違っている。例えば、キリストは性欲で生きていけといったが、私の実在哲学によれば人間は知覚欲や愛情で生きて行くべきである。釈迦は五感にとらわれてはいけないと言ったが、私の実在哲学によれば、知覚の概念は五感の経験から作り出されるので、五感の経験がまずなければならない。[盲目の天才数学者ポントリヤーギンも、指先の触覚から数学の概念を作り出したのである。]また、釈迦は人間は自分の感情を満足してはいけないと言ったが、私の実在哲学によれば、人間は何らかの感情を満足して快感を得なければ生きていけない。
これまでの現人神の教えはいろんなところでまちがっている。
たとえ神がいるとしても、現人神はもはや神ではない。

[4696] 認識は実在に先立つ。 h20.4.5
ニュートンは自分で立てた方程式を自分で解いたが、
アインシュタインもシュレーディンガーも自分で立てた方程式を自分で解かずに数学者に解いてもらった。
数学者は来るべき世界の預言者である。
認識は実在に先立つと言ったところか。

[4697] 男女の引力 h20.4.5
リンゴは地球が引っ張るから地球のほうに動くけれども、
動物は自分の気持ちがあるから自分で動くのである。
リンゴを動かすのは地球の引力だが、動物を動かすのは動物自身の心である。
女は子供を産んで育てたいから、女は男とくっ付きたがる。
男は女がおいしい料理を作ってくれたり自分をおだてたりしてくれるから、女とくっ付きたがる。
子供は母親がおいしい料理を作ってくれたりお小遣いをくれたりするから、母親とくっ付きたがるのだ。

[4698] ガセネタ h20.4.5
江戸時代に、奉公人の娘が超能力で起こした事件がある。参考
娘が念動力で大きな石を屋根の上まで飛ばしたり、石臼を垣根を越えて飛ばしたりしたそうだ。
素人ならだませるかもしれないが、超能力の専門家は人間の念動力ではそんな強い力は出せないことを知っている。
だから、これは作り話のウソなのだ。[正式に超能力者と認定されるためには、話だけではなく宗教や政府の者による確認が必要なのである。]
あと、明治時代に法廷で霊水を出した人(長南年恵さん)もいるが、膨大な質量エネルギーを要するので、これも超能力ではなく手品である。人間の超能力は霊気(感覚場)を介する現象なので、できることが限られており、何もないところから物質を出したり、物質を他の物質に変換したりすることはできないのである。

[4699] 全知全能の者☆☆ h20.4.6
もしもこの世に全知全能の者がいるとすれば、そいつが自分の力でこの宇宙を好きなようにすればいいから、我々はそいつにわざわざ従う必要はない。
だから、全知全能の者に権威など与えなくてもいいのである。

[4700] よりよい社会にするために h20.4.6
今の社会が進歩しない原因は、正しい者(実在を知っている者)が得をする制度、正しい者が有利に生きて行ける制度、正しい者が社会を支配する制度になっていないからだ。人類に真理を尊[たっと]ぶ気持ちがないからだ。
お金持ちが支配したり、超能力者(の子孫)や[まちがった思想を持っている]宗教の者が支配したり、ただ人気のある者が支配したり、銃や刀を持つ者が支配したり、美男美女が支配する制度では社会が悪くなるだけだ。これらはすべて、実在からの逃避だ。
社会は実在に向かっていけば進歩し、反対に実在から離れていけば堕落する。
社会は真面目にやれば進歩する、ふざけてやれば堕落する、ただそれだけだ。


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