[4301] なぜ政治家は馬鹿なのか? h20.2.20
政治家は馬鹿面である。
政治家の言葉は曖昧模糊な馬鹿言葉である。
だから、新聞を読むと政治家の馬鹿がうつる。
政治家が馬鹿なのは、馬鹿な天皇を真似ているからである。
不合理法の決まりで、政治家は天皇に合わせなねばならないからである。
私は政治家に興味がなかったので、社会科の点数は悪かったが、
おかげで政治家の馬鹿がうつらずに済んでよかった。

[4302] 超能力者にかまうな! h20.2.21
超能力者は超能力が使える者であって、それ以上の者ではない。
それ以上、超能力者に関してゴチャゴチャやるのはふざけている。
超能力者に余計なちょっかいを出したがるのは根性がいやらしい。
自分は自分、他人は他人。他人のことにかまうな!

[4303] キリストの肖像権 h20.2.21
自分が十字架に掛けられた絵を描かれたいと思う者がいるだろうか?
キリストが死んだ後で本人に断りもなく勝手に絵や肖像にするのは、キリストに対して失礼である。
いくらキリストが自分を神だと思って自惚[うぬぼ]れていたにせよ、それとこれとは別問題だ。失礼なことは失礼である。
そもそも、キリストが自分自身で神などと考えるはずがない。誰かがキリストにキリストのことを神だと吹き込んだから、キリストは自分のことを神だと考えるようになったのだ。
したがって、世界中のキリストの絵や肖像をなくすべきである。
それらが、いやらしげな不合理主義者のキリスト教徒の利益になっていることを思えば、なおさらだ。

[4304] 超能力者は人間とは違う。 h20.2.21
超能力は超能力者にはあるが人間にはないから、
超能力者と人間を区別するのはかまわない。
ただ、超能力の有無で位の上下を決めるのはやめよう。
超能力者と人間の上下を決めるのは自然の決定に任せよう。

[4305] 東大には馬鹿が多い。 h20.2.21
たしかに、東大出身者には有能な者が多い。
でも、そんな大学にかぎって馬鹿も多い。
有名進学校と同じことだ。
[これまでに私が書いたことぐらい、私じゃなくてもわかったはずだ。]

[4306] 人間を動物に喩えてはならない。 h20.2.22
現在AT−Xで放送されている『りすのバナー』は私をリスに喩えたものだ。
しかし、人間を動物に喩えて人間を動物扱いするのはよいことではない。危険思想である。
一般に、人間をその人間以外の者に喩えるのはよいことではない。[100発ぐらい殴らないと気がすまん。]
合理主義では実物と同じにしなければならないが、不合理主義では実物と違えねばならない。
日本は不合理主義の国だから、実物と同じではいけないのである。
合理的には、超能力者をモデルにした作品を作らねばならない理由がないから、そんなことをしなくてもいい。
だから、合理主義のほうがおもしろい作品が自由に作れていいのである。

[4307] 男女平等の弊害 h20.2.22
いくら男女平等といっても、『正しい者に正しくない者が従う体勢』までも崩してはならない。
女が正しい者でなければ、男女平等にしなくていい。
女が正しい者であってはじめて男女平等が成り立つのだ。
女が愛情のために知覚欲を満足しようとせず知覚がよく働かず正しいことがわからなければ、女は男に従わねばならない。そのほうが女にとってもまちがいを犯さずに済むから幸福である。
今の世の中は見せかけの男女平等のために正しくない女が大勢社会進出して社会を支配したために、昔に比べて正義感が薄れ社会の質が低下している。
『正しくない者が正しい者に従う体制』をはやく回復しなければならない。[もっとも、いくら正しい者に正しくない者が従わねばならないといっても、正しい者が自分の持っている正しい知識に他人を従わせることができるだけなので、自分の趣味までも他人に押し付けることができるわけではない。]

[4308] 女言葉と男言葉 h20.2.22
女言葉は角が丸くて、男言葉のようにブロックを組み上げるようなわけにはいかない。

[4309] 国がしなければならないこと h20.2.22
もしも私が総理大臣だったら、
私の考えが正しく国の考えがまちがっていたから、
国が私の正しい考えに従って国作りをやり直すことにする。
つまり、国が超能力者を人間よりも上の者と見なすことをやめ、
超能力者と人間が平等に暮らせる新しい国づくりをする。
超能力の使用は個人の自由とする。

[4310] 天皇制はなくなるか? h20.2.23
超能力の才能に関しては、私のほうが現在の天皇よりも上だから、
私の命令に天皇が従って天皇を辞めねばならないことになる。
ただ、問題なのは、天皇制を支えているのは、日本や世界中の不合理主義者なので、
不合理主義者にとって都合がいいほうに決まってしまうことである。
その場合には、私より天皇のほうがいいから、天皇制が存続することになってしまう。
しかし、人類を幸福にするのは合理主義であり不合理主義ではないから、
人類が幸福でありたければ天皇制をやめるべきである。

[4311] 戦争はどうして起こるか? h20.2.23
戦争は合理的な国の活動ではないから、不合理的にはやっていいことになる。
つまり、不合理主義の国が戦争を起こすのである。

[4312] 女の生き甲斐☆☆ h20.2.23
女には考える喜び(癖)がないから、子育てをしたり家事をしたりお化粧したり綺麗な服を着たりして喜ぶほかはないのである。[考える喜び(癖)のある女は例外かな?]

[4313] なぜ日本では論理が教えられないのか? h20.2.23
論理を用いて合理的に考えたほうが、論理を用いずに不合理的に考えるよりも簡単で楽で効率的である。
論理は言葉のブロック遊び(積み木遊び)である。[私の実在哲学概論のU.各論の1)感覚の分類の知覚の項を参照。]
日本は不合理主義の国だから、子供に論理を教えないのである。

[4314] 不合理主義反対! h20.2.23
合理主義では、すべての人間の正しい考えを拾って、それに全人類を従わせようとするから世界がよくなる。
反対に、不合理主義では、超能力者のまちがった考えを拾って国民をそれに従わせようとするから、国が悪くなって行くだけだ。

[4315] 本質は実存に先立つ。 h20.2.23
自分がどう生きるかは、正しい事物の認識によって決まる。つまり、実在を知ることによって、自分の心の働かせ方がより適切になる。例えば、自分にできることを望み、自分ができないことを望んだりしなくなる。
かつて、反対に『実存は本質(実在)に先立つ。』と言った、不合理主義者がいた。
不合理主義は人類を不幸にする思想だから、学んではいけない。
そもそも、人間の心が大脳の神経興奮で発生する感覚にすぎなければ、心中心の世界など作れるわけがない。

[4316] 不合理主義のモットー h20.2.23
エロ、グロ、ナンセンスが不合理主義のモットーである。[エロ、グロ、ナンセンスとは、歴代天皇の短所をまとめたものである。]
不合理主義国では、国が国民に対してエロ、グロ、ナンセンスの気風を押し付けている。
そのために大勢の者が犠牲になっている。(私もその一人だ。)
日本人はそんなに余裕があるほど優秀な民族ではないから、
国がわざわざ国民の足を引っ張るようなまねをしてはいけない。

[4317] 病気とは何か? h20.2.23
人間の身体はひとつの機械である。[人体は有機物質でできている機械である。]
機械であれば当然故障することがある。[工場で働いたことがある人ならわかるだろう。]
人体の故障している状態が病気である。
人間の身体は複雑な機械であり、機械が複雑なほどいろんな故障がある。
医者は人体という機械の修理屋さんだと考えればよい。

[4318] 分裂病と鬱病☆☆ h20.2.24
精神分裂病とは、自分の脳にある焦燥中枢とテレパシー中枢を同時に過剰興奮させたことによるそれらの中枢の慢性興奮状態である。
麻薬や思春期に多い自慰行為(オナニー)は、自分の脳の中にある“中枢そのものを直接に興奮させる”悪癖が身に付くので、焦燥中枢やテレパシー中枢自体を興奮させるために分裂病に罹るのである。[つまり、麻薬や自慰行為の経験は、子供の頃には持っていなかった“感情自体”“中枢自体”という新しい概念を経験者に植え付け、そういう概念を持っているために焦燥中枢やテレパシー中枢そのものを興奮させることになる。]
自分の身近に自分の気に障る相手(不良とか悪妻とか)がいることが、自分の焦燥中枢とテレパシー中枢を同時に興奮させる引き金(トリガー)となる。つまり、自分が他人に手出し口出しできない状況において、他人の身体を自分の思い通りに動かしたいという欲望が、自分の焦燥中枢とテレパシー中枢を興奮させるもとになる。[他人の身体を自分の思い通りに動かしたい欲望が強いのは、自分の兄弟に対して自分の支配欲を満足させて生きてきた長男に多い気質である。それは家族でのみ通用し、社会においては満たされない欲望であることを長男に認識させねばならない。そうしないと将来分裂病にかかる危険性が高い。それに、これは私の場合だが、隣の不良の授業中の教科書のパラパラめくりぐらいで身震いするほど腹を立てるのは大袈裟すぎる。たしかに、授業中に教科書をパラパラめくりすることは悪いことだが、たいして悪いことではないからちょっと怒るぐらいでやめにしてなにも身震いするほど怒らなくてもよい。つまり、たとえ怒るにしても怒る程度をわきまえねばならないということだ。それに、ちょっとのことで腹を立てるのは、当時の私がオナニーを日課にしていて快楽びたりだったからだ。毎日快楽に浸[ひた]っていると、ちょっと不快なことでもすごく腹が立つ。でも、それは、快楽がいけないということではなく、知覚欲の満足ならかまわないから、やはり満足している感情の種類にもよるのだろう。つまり、性欲は性器と連動する感情であって、知覚と連動しないから知覚が働かないので五感に敏感になり、したがって性欲の満足は眼先の他人のしていることに対して敏感になるので他人のちょっと不快なことに対しても腹を立てやすくなるのである。その上、仕事や勉強中など性欲を満足していないときには欲求不満状態にあるので、焦燥中枢が興奮しやすくなっているために、他人のちょっとしたことですぐにイライラするのである。まして、長男で甘やかされて育ってきた焦燥感情の強い分裂気質の者だとなおさらである。分裂気質の人にとっては焦燥感情が主な行動の動機であって、自分の焦燥感情を高めることによって行動のエネルギーを強めているので[例えば、けんかのとき]、テレパシーで相手の身体が自分の思い通りになるまで焦燥感情を高め続けるために、焦燥感情とテレパシー器官を興奮させすぎてしまうのである。]


鬱病とは、自分の脳の中にある鬱中枢を慢性的に刺激させ続けたことによる鬱中枢の慢性興奮状態である。
自分の鬱中枢を刺激する勉強や仕事や環境(引越鬱病)などに長期間接し続けることが、自分の鬱中枢を慢性的に興奮させることになる。

[4319] どうしてイギリスは女王制なのか? h20.2.24
女は[自分で考える癖がないから]他人の言いなりである。
政治家は国民の言いなりのほうがいいから、イギリスでは昔から女王制が人気があるのである。
[もっとも、人間であるかぎり自分で考えることが大事であることは言うまでもない。政治家は中途半端にしか自分で考えないから悪い感情に取り付かれて独裁政治になるのである。本当に自分で考える者ならば、正しい認識(五感や知覚)に基づいて実在の世界を見ることができ、実在世界の秩序に従った国や世界を作れるはずである。
科学者が実在世界の法則に従って人間の感情を満足する発明品を作るように、政治家は実在の法則に従って人間の感情を満足する国や世界を作らねばならない。
つまり、科学者が実在世界の物の性質を利用して人間の感情を満足する発明品を作るように、政治家は実在世界のあらゆる物の性質を利用して全体的総合的に考えて人間の感情を満足する国や世界を作るのだ。
科学者が実在世界を正しく理解するほど人間の感情を満足するいい発明品を作ることができるように、政治家も実在世界を正しく理解するほど人間の感情を満足するいい国や世界を作ることができる。
反対に、科学者が実在世界についてのまちがいにとらわれていてはいつまでたってもいい発明品が作れないように、政治家も実在世界についてのまちがいにとらわれていてはいつまでたってもいい国や世界を作ることができない。]

[4320] 分析的な認識は実体的な認識である。 h20.2.24
ペアノの自然数論やデデキントの実数論はカントールの集合論の応用である。[他にワイエルシュトラスの解析学もある。]
集合の濃度や序数のことはよくわからないが、とにかく『集合』の概念は活かせると当時の大勢の数学者が考えた。
カントールが現われるまでは、『集合』の概念を誰も思いつかなかったのだ。[どんなに簡単な概念でも、生み出す機会が与えられなければ生まれてこない。]
これまで、自然数、実数としか言えなかったことが、カントールの『集合』の概念によってもっと細かく分析的に自然数や実数の意味(内容)を“書き表す”ことができるようになったのである。[数学では、意味を“書けた”者の勝ちである。]
それと同じように、これまで超能力者としかわからなかったために超能力者は人間よりも上の神だと誤解されていたが、自然科学の概念によって「超能力者とは、発光や運動を引き起こす特殊な粒子を発生させる特殊な器官を脳の中に持っている者」としてもっと細かく分析的に書き表せるようになり、それだけ超能力者の実体について正確に認識できるようになった。
だから、その正しい認識を活かした新しい世界を創造していかねばならない。

[4321] 愛情とは何か? h20.2.25
メスのライオンは自分の子供の顔を見ていると子供を欲しがらないが、自分の子供の顔を見なくなると子供が欲しくなって交尾をする。[動物のオスが交尾するのは、たんに性欲の満足のためである。]
一般に、女は子供をかわいがる喜びすなわち愛情が強い生き物である。
女には乳房や子宮があり、それらの器官と連動する愛情が発達している。
男には乳房も子宮もなくそれらと連動する愛情もない。愛情は男にはわからない感情である。
ただ、女の頭の中にも男と同様に知覚があるから知覚と連動する知覚欲もある。

[4322] マンガとは何か? h20.2.25
マンガとは、心で面白いと思ったことを絵という形で外に表すことである。
だから、眼先に敏感ということとは違う。
ギャグマンガは可笑しい面白さを絵にしたものであり、ストーリーマンガは話の流れの面白さを絵にしたものである。手塚治虫のマンガや鳥山明の『ドラゴンボール』などは、ストーリーとギャグの両方の面白さを狙ったものである。
心で思ったことを絵(動画)にして表すための方法がいろいろあり、それらに通じている者がマンガ家(アニメ家)である。だから、もとになる話が絵とは別にあるということである。つまり、マンガ家というのは話を読んで絵にする一種の翻訳業である。まあ、なかには、全部ひとりでやる人もいるだろうが。
絵だからといって必ずしも具体的なわけではない。具体的な言葉もあれば抽象的な絵もある。具体的か抽象的かは表現手段によらない。

[4323] どうすれば苦手科目を克服できるか?(中高生に送る言葉) h20.2.25
わかるかわからないかの区別よりも、
まず、落ち込むか浮き上がるかの区別がある。
人間はそういう意味では不合理的な存在であると言える。
しかし、自分が苦手なことは他人に任せて他人の正しい考えに自分が従えばいいだけだから、
実生活の上では自分が苦手なことで困ることはほとんどない。
しかし、勉強の上では困ってしまう。

わからないから落ち込む、わかるから浮き上がるのではなく[それでは、落ち込んでも勉強しさえすればわかるようになるから浮き上がることになるが、実際にはそんなことはできない。]、
落ち込むから勉強することができずにわからないのであり、
浮き上がるから勉強しようとするのでわかるのである。
しかし、そもそも、わかるかわからないかの区別と、落ち込むか浮き上がるかの区別とは無関係だから、
わかるかわからないかの区別は後回しにして、落ち込むか浮き上がるかの区別を優先して、
落ち込みを雰囲気で誤魔化して浮き上がるようにすれば、楽しく勉強することができてわかるようになるはずである。
だから、苦手科目を勉強するときには、極力言葉使いや図柄の雰囲気の楽しい教科書や参考書を選ぶようにすれば、楽しい雰囲気で落ち込みを補って勉強することができてわかるようになるかもしれない。[しかし、実際には、なかなかそんな本はない。]

しかしながら、『君子危うきに近寄らず』だから、
自分が苦手な科目は試験で通る程度に勉強することにして、
苦手科目を将来の自分の仕事にあえて選ぶような愚かなまねをしてはならない。

[4324] 私が小学2〜3年生頃に不思議に思っていたこと h20.2.25
夜寝るとき、仰向けになって蛍光灯の橙色の豆ランプを見ていたとき、光が筋になって放射状に見えるのが不思議だった。10〜20年ぐらい前に大脳皮質の視覚野の研究で誰かがノーベル賞をもらったのも、同じテーマだった。私が九大医学部教養部の学生時代にフェルマーの大定理の証明に挑戦してできなかったが、それから10年ぐらいたってアメリカの数学者が屋根裏の狭い部屋で証明に成功したという知らせを聞いた。
もうひとつ不思議だったのは、
眼をつぶると、頭の中に銀色に光るアメーバのようなパターン(模様)が現われて、それが遠ざかって小さくなると再び同じパターンが重なって現われてそれらが何重にも重なって繰り返し繰り返し現われていつまでも遠ざかっているように見え続けていることである。このパターンは、私が小学高学年頃には弱くなって見えなくなってしまった。いったい、なんだったんだろう?
それから不思議だったのは、
私が母親といっしょに薫的のおじいさんの家に遊びに行ったとき、勝手口の門を入るときに母親から普段よりもずっと濃い気が発せられることである。ネト〜としたジト〜とした濃い気だった。おそらく赤ちゃんの頃の私はこれを見て真似ているうちに自分も超能力(念動力)が使えるようになったのだろう。

[4325] 宴会芸 h20.2.26
日本では、宴会で面白い芸をやった人が善い人ということになる。
面白い芸さえできれば何の考えも持たなくても善い人ということになるのは、一種のナンセンス主義である。[私は宴会芸が面白いとも思わないが。]
いい歳した大人が他人のご機嫌取りさえできればそれでいいと考えるのでは不十分である。
やはり大人は自分で考えて正しい思想を持っていなければならない。
いい歳した大人がいつまでも無思想で生きているほうがおかしい。
そんな大人が善い人であるわけがない。
宴会する暇があるなら、みんなに自分で考える時間を与えたほうがいい。

[4326] 質の悪い食べ物を売るな! h20.2.27
冬になってから米の質が悪くなった。
まずい(質の悪い)米で作ったものを食べると身体がだるくなって昼眠たいのに夜眠れなくなり、次の日死ぬほどつらい思いをしながら起きて仕事しなければならない。
いくら商品の選択は買い手の自由な判断に任せるからといって、売り手が質の悪いものまで平気で売ってはならない。
売り手には、商品が高価になるから最善のものを売れとまでは言わないが、せめて品質の悪くないものを売ってもらいたい。
そうすれば、買い手もテキトウに買って無難にそこそこ満足しながら幸福に生きて行くことができる。[冬になるとスーパーの食品が売れ残り、コンビニが繁盛するのはそのためである。]
冬場に米の質が悪くなるせいで質の悪くない食べ物を売ることができなければ、その棚を空けるか別の品質の悪くない商品を売ればいい。

[4327] なぜ女は馬鹿なのか?☆☆ h20.2.27
女には乳房や子宮があるから、それらの器官と連動する愛情がある。
愛情は[性欲と同じように]知覚と連動しないから、愛情を満足すると知覚が働かないので馬鹿になる。
知覚が働かないと五感に敏感になる。
女が眼先のことにとらわれやすいのはそのためである。
だから、女の知覚の才能が足らない分を支えるために男が必要なのである。
[男は知覚界が縄張りだから、女は五感界が縄張りなのだ。]

[4328] なぜ女はスカートをはくか? h20.2.27
便所でいちいちズボンを脱ぐ手間が要らないからである。

[4329] 『天の声は人の声』 h20.2.27
天の声とは空耳つまり幻聴のことだから、
『天の声は人の声』とは、
幻聴がじつは自分の近所にいる誰かが頭の中で言っている声だという意味である。
[でも、本当は、実在は自分でしゃべってくれないから、実在を理解した人が実在の代わりにみんなに話さねばならないという意味らしい。]

[4330] 人間の動機 h20.2.28
人間にとっては焦燥感情や抑鬱感情が主な思考や行動の動機である。
自分が考えていることに矛盾があると焦燥感情が刺激されてイライラして不快なので、あれこれ考えて自分の考えの矛盾を解決しようとする。だから、焦燥感情は知覚欲を満足するのに役に立っている。
抑鬱感情は、そういう意味では何の役に立っているのかわからないが、あえて言えば自分が考える対象を狭めるのに役に立っているのだろう。つまり、自分にとっての落ち込む浮き上がるの区別があるために、自分が浮き上がることだけを考えようとするのでその方向の考えが発展するのである。何でもかんでも得意だったら、いろんなことを考えるので、ひとつの方向に進まないから、大して考えは深まらない。だから、抑鬱感情も広い意味では知覚欲の満足に役立っているといえる。

[4331] 天才性 h20.2.28
フェルマーの大定理を解決したワイルズという数学者は優秀な数学者だが、ラマヌジャンやガロアほどの天才性はない。
エジソンは偉大な発明家だが、ニコラ=テスラのような天才性はない。
ガウスには天才性があるが、ポアンカレにはない。
ガリレオ=ガリレイは頭のいい人で直感的センスは抜群だが、天才性はない。
ニュートンは地上界と天上界を統一したことにおいて天才性がある。
アインシュタインもシュレディンガーもニュートンほどの天才性はない。
カントールも『集合』という重要な概念を創造した大数学者だが、天才性はない。
天才でなくても学問に重要な貢献をした者はいくらでもいる。
しかし、天才は天才にしか与えることができない特殊な感動を我々に与えてくれる。[私にとっては、超能力者よりも学問の天才のほうがずっと大きな感動を与えてくれる。]
たとえ学問においてまったく何の貢献もしなくても、天才は天才である。

[4332] 超能力者はなぜ稀なのか? h20.2.28
後天的に頭で考えて念光力回路や念動力回路が頭の中に組めるのなら、
世の中には超能力者がすでにたくさんいるだろうし、子供よりも大人のほうがうまく超能力を使えるはずだ。
しかし、実際には、そんなことはないから[背理法]、
念光力回路や念動力回路などの超能力回路は突然変異によって先天的に偶然に頭の中に組まれるのである。
ただ、それらの回路を働かせるか働かせないかは後天的な原因によって決まる。
ただでさえ稀な先天的な原因の上に後天的な原因が加わってはじめて超能力が発現されるのだから、超能力者の出現は非常に稀なのである。いわば、超能力は自然と人為の稀有な結合によってはじめてなせる業なのである。
超能力者の存在は、有機物質で念光力回路や念動力回路が組み立てられることを我々に教えてくれる。

[4333] 神とは何か? h20.2.28
ニーチェは『神は死んだ。』と言った。[人類が科学的な合理的な考えに慣れてきたので、人類が全知全能の神などという宗教的な不合理的な考えを捨て始めたという意味だろう。]
でも、それを言うなら、「神は死んだが、超能力者は死なない。」だろう。
つまり、昔の人々が神と呼んでいた者は、じつは脳の中に念光力回路や念動力回路を持った者にすぎないのだ。[そもそも、ひとつの超能力しか使えない超能力者を見て全知全能の神だと考えることがふざけたくだらない考えだと思う。昔の人は欲目で見すぎだ。]
昔の人々は神は天上界に住んでいると考えたが、ニュートンが地上界と天上界を統一したので神の住むところがなくなった。
神が超能力者であるとすれば、神は何万年後かの未来の地球に大勢で住んでいるのかもしれない。あるいは、永遠に散発的に現われるだけなのかもしれない。

[4334] 神への道 h20.2.28
人間は超能力によるよりも知覚によるほうが全知全能の神に近づける。
超能力は念光力回路や念動力回路の働きだから、科学で捉えられる。超能力の仕組みは科学で理解できる。つまり、科学(知覚)は超能力を支配する。科学者が超能力回路を組み立てれば、科学者が超能力者になれる。
だから、私は超能力者よりも学問の天才のほうに魅力を感じるのだ。

[4335] 宗教的感動 h20.2.28
アルキメデス(前287〜前212)は微積分を使わずに幾何学的推論だけで球の体積や表面積を導いている。
これをすごいと思わないか!?[私も詳しくは知らないが。]
これに対し、超能力が出たことにしか感動しない連中のなんと安っぽいことか。
宗教的感動は眼先だけで薄情だ。
[人間は、見るだけで終わってはいけない。自分が見たことについて、なぜそうなるのか?を考えねばならない。]

[4336] 超能力の観察者 h20.2.28
去年私が赤ちゃんの頃によく世話になった薫的のおじいさんとおばあさん(母親の両親)が相次いで亡くなったから、私の念動力を観察したことがあるのは、私の母と父と宗教関係の者しかいない。
私の母は私が小学3〜4年生のとき「昔鴨部に住んでいたとき、家の中にある物がときどき動くことがあった。幽霊のいたずらかしら。」と言っていたから、超能力を目撃したに違いない。[家の中にある物がときどき動くのは、いわゆる念動力(サイコキネシス)だと考えられるが、オカルト写真にあるような家の中にある物が突然空中に浮かび上がって人間を襲ってくるようなものではなく、当時の母のしゃべり方から私が推測したところでは、家の中に置いてある私のおもちゃとか薬のビンとか食器とかの小物が床を引きずるように10cmぐらいゆっくりと移動するようなことである。私の母はネタ入れで作り話を話すときと、実際にあったことを話すときでは話し方が全然違うので、私はこの話が本当にあったことだと信じている。例えば、私が小学4〜5年生のときに、母が私に「将来何の仕事をやりたい?汽車の運転手か学校の先生?」と訊いたときなんかは[明らかにその後のテレビ番組のネタ入れであるが]、抑揚がなくてぶっきらぼうなつまらない話し方だったが、念動力の話のときには、もっとずっと実感や感情がこもっていて幽霊の仕業だと本気で考えている様子だった。母親が子供のときに見た火の玉の話のときにも実感がこもっていた。]
私の父親は、当時仕事の付き合いでいそがしく家に帰るのが夜遅くて家を出るのが朝早かったからあまり家にいなかったので、私の念動力を見たことがないかもしれない。
宗教関係の者は、確認のために直接私の超能力を見たことがあるはずだが、嘘を平気で言うので信用できない。[薫的のおばあさんが熱心な日蓮宗の信者で他人と顔を合わせているかぎり話しをしているおしゃべりだから、私が赤ちゃんの頃に私の母親から私の超能力の話を聞いてそれを日蓮宗の集会のとき他人に話した可能性が高い。それが日本政府にまで伝わって、政府の者が私を調べに来たのである。]
こう言う私は、自分が4歳頃から後の記憶しかないので、自分が1〜2歳頃に出した超能力については何の憶えもない。
つまり、私の超能力を直接に眼で見て知っているのは、現在世界中に私の母しかいないのである。去年高血圧でフラついて家の階段からこけてけがをしたので心配である。

[4337] 超能力器官と連動する感情 h20.2.28
私の念動力器官と連動するのは、物をグルグル回してみたい(一般には、物を動かしてみたい)と願う感情である。
ただ、私が大きくなって手が動くようになってからは、テレビのUチャンネルを手で回しすぎて壊したり、おばあさんの腕時計のリューズを手の指で回しすぎて壊したりした。私が小学生に上がる頃、薫的のおじいさんと越前町に買い物に行ったとき、おもちゃ屋で売っていたブリキのワンダーランド(丸い線路を列車がグルグル回るおもちゃ)がすごく欲しかったことがある。私が小学中学年頃までイマイ科学のドリルタンク?(ウルトラセブンのマグマライザーみたいにドリルが回ってキャタピラーで動くプラモデル。赤い麦球がかっこよかった。定価600円)が大好きで同じプラモデルを3回大丸で買った。しかし、小学校高学年頃になると、とくにグルグル回る動きには興味を持たなくなった。だから、念動力が発現されるのは、手がまだ十分に動かせない赤ちゃんの頃だけだろう。ただ、今でも怖い本を読んでいたりして恐怖を感じると、近くにあるガラス質の物体がピシッと鳴ることがある(これも、原理的には立派な念動力である)。
念光力器官と連動する感情は、暗くて怖いのでもっと光が欲しいと願う気持ちだろう。でも、エジソンが電灯を発明してからはスイッチひとつで簡単に明かりが手に入るし、きょうびは田舎でも街灯ぐらいは備わっているから暗闇の恐怖なんてものは時代遅れで滅多に味わうことができなくなっている。だから、念光力は今後ますます現われにくくなるだろう。
このように、超能力器官の場合には、超能力器官と連動する感情は超能力器官に特異的なものではなく、他の手とか道具とかを使って満足できるものである。したがって、たとえ超能力器官を持っていても、とくに超能力器官を使う必要がなければ超能力器官が働くことはまずない。だからといって、超能力器官を使う楽しさもないわけではないから、将来超能力者が現われたら、超能力を使う楽しみを奪うような意地悪なまねをしてはいけない。科学的にも超能力はまだ未解明だから超能力は貴重な研究材料なので、将来超能力者が現われたら科学者はむしろ超能力を温存しようとするだろう。でも、超能力者に超能力の使用を強制するわけにもいかないし、はたしてうまくいくかどうか?科学者が超能力装置を発明して、超能力装置を使った者は超能力者と同じなので世界中の不合理主義者達を支配できるから、世界中の国が超能力の研究にいくらでも予算を出そうとするだろう。プラズマ中の波動にアルベン波などいろんな種類の波があるように、真空は感覚場であり、感覚場中の波動には1)局在性感覚波…五感や知覚や心などの脳細胞に局在した感覚、2)拡散性感覚波…脳細胞以外の物質と相互作用する超能力波、3)遠達性感覚波…幻聴波などがあり、このうちの2)拡散性感覚波を使えば比較的簡単に超能力が実現できるかもしれない。[拡散性感覚波は、拡散運動するわけではないので、近達性感覚波と言ったほうがいいだろう。]

[4338] 政治家に対する攻撃 h20.2.29
国会は不合理主義のメッカであり、日本神道徒に対する総司令部である。
政治家(国会議員)は腐れ根性の塊りである。
国会は超能力者の善い命令には国民を従わせないで、超能力者の悪い命令に国民を従わせるだけの意地悪な会である。
私が第3者の立場から政治家を攻撃するとしたら、政治家へのサービスを一切打ち切ることにする。例えば、自分の店に来た政治家に対しては一切何も売らないことにする。何を売ろうが売るまいが個人の自由だからだ。

[4339] 不合理主義の世界から合理主義の世界へ h20.2.29
不合理主義の下でできた法は、何から何まで不合理にやってうまくいく決まりである。
しかし、今は合理主義があるから、合理主義と不合理主義とが混在している。
混在しているからうまくいかない。
しかし、不合理主義よりも合理主義のほうが、人間の知覚の長所が活かせるので有利に生きて行ける。不合理主義では人間と動物が同じだから、人間が動物並みの暮らしを強いられることになる。
今は、世界中のどこでも学校が建ち世界中のみんなが勉強している。
何から何まで不合理にやってうまくいくなら、
何から何まで合理的にやってもうまくいくはずである。
人間は合理的に暮らしてこそ幸せになれるので、自ら不合理主義の不幸の道を選んではならない。

[4340] 合理主義の法と不合理主義の法 h20.2.29
あいにく、超能力者に関しては合理主義の下でできた法には超能力者の概念がなかったから、超能力者に対し合理主義の法が適用できなかった。しかし、不合理主義の下でできた法には法の歴史が長いので超能力者の概念があったので、それで超能力者に不合理主義の法が適用されて不合理主義の法が有効になり、世界全体に不合理主義の法が適用され世界全体が不合理主義の法で動かされるようになってきたのである。
しかし、1つの実在の世界に対して合理主義の法と不合理主義の法の2種類の法がある(適用される)のでは事態が複雑になり物事の処理が2重になって面倒である。[2つの法の間に矛盾がある場合には、どうなるのかな?たぶん合理主義の法を採るグループと不合理主義の法を採るグループの間で話し合って調整しているのだろう。でも、余計な手間がかかって面倒くさいよね?]
それがただたんに合理主義の法に超能力者の概念がなかったせいでこういった複雑な事態が生じているなら、合理主義の法に超能力者の概念を補って合理主義の法の穴を塞ぎ、実在に対して不合理主義の法を適用できないようにして不合理主義の法を一切廃止してしまえばいい。そうすれば議員の数も半分に減らせるし、問題の処理もスムーズに行くから議会の効率が上がる。

[4341] 不合理法の入り込み方 h20.2.29
さすがに現代は科学の時代なので、不合理法が合理法を上回るわけにはいかない。
そこで、不合理法は合理法に従って、
合理法において個人の自由とされている領域に目を付け、そこに不合理的な決まりを作って人々を支配することにしたのである。
例えば、商品の商標とか、商品のデザインや色とか、アニメやマンガのキャラクターデザインとか、書物のタイトルとか、特撮番組や時代劇やドラマや映画の俳優とか、漫才コンビやバラエティショーの芸人とか。
このやり方だと、不合理法が合理法を犯さずに、しかも不合理法で国や世界の人々を支配することができる。
しかし、このやり方だと、個人の自由が失われる。個人が自分で自分の心を満足したいのに、それが余計な決まりによって制限される。いわば、遊びまで仕事にされたようなものだ。[昔、私の父親が、「遊びも仕事のうち。」と言ったことがある。私が小学生のとき、夏休みのラジオ体操を仕切りに来るおじさんがいてそれまで子供たち同士で楽しくやっていたのが一挙にしらけた気分にさせられたし、遊園地(県営住宅の児童公園)で好き勝手に遊んでいたとき近所のおばさんが来て口うるさく注意されて楽しい気分が台無しにされたことがあった。]
これでは、せっかく労働で稼いだお金で自分が好きなことをしたいのに、それができなくなる。例えば、超能力者である私の名前が川野延夫(かわののぶお)で、ぶの字が付いているからぶ→ブルー→青色で、しかも私が小学校の頃から青い服が好きだったので、国や世界中で青色の服や商品ばかり売られたら、みんなが自分の好きな色の服や商品を選んで買うことができなくなってしまう。
いいかげん貧乏暮らしでぎりぎり楽しめる程度の暮らしを強いられているのに、その上余計な決まりを決められたら一切楽しめなくなってしまう。
せっかく生まれてきたのだから、できるだけ自分で自分の心を満足して生きたいのが、すべての人間の願いである。
不合理法は余計な法だ。幸福の邪魔をするためにある意地悪な法だ。
厳密に言えば、不合理法は個人の自由を犯しているから、立派な違法であるといえる。
わざわざ合理法に不合理法を組合せるなんて面倒くさいことをしなくても、合理法一辺倒にして不合理法を撤廃して個人の自由を認めて個人が自分で自分の心を満足して好き勝手にやったほうがいい。

[4342] 法とは何か? h20.3.1
法は社会の実体と一致しているときその社会は発展し、
社会の実体と不一致であればその社会は衰退する。
法は物理学の法則なんかといっしょであって、
法とは、社会についての物理法則なのである。
だから、例えば、超能力者についても、超能力者を神だとする法では社会が衰退し、
超能力者を正しく(過不足なく)超能力者とする法では社会が発展するのである。

[4343] 見え透いた嘘 h20.3.1
いまどき、よほどの馬鹿でないかぎり超能力者を神だといって引っかかる者はいない。
たぶん、その証拠を見せろというだろう。
あいにく、私の超能力も証拠がない。
ただ、私は、私の母の証言を信じている。

[4344] 中間者 h20.3.1
超能力者は人間と全知全能の神の中間者である。
でも、知覚のわかる才能も普通の人よりはひとつ才能が多いと見なせるので、
科学者も人間と神の中間者だと見なすことができる。
でも、超能力者は超能力者であって、神ではない。
なぜなら、神とは架空の概念だからである。
ニーチェは、超人は実在するが神は実在しないと言った。
ニーチェは、キリストの正体を知っていたのだろうか?
超人とは、超能力者のことだろう。
ニーチェが、人間に進化論を適用して超人の概念を得たのなら、
なかなかの科学者だ。
[ニーチェは自分が体験したデジャビュに対する科学的考察から時間が輪になっている永劫回帰の概念を得て、それを心理的に深めることによって運命愛という新しい感情の創造に至ったのである。(相対性理論や量子力学も長く研究していれば、これまでの人類にはなかった新しい感情が生まれてくるのかもしれない。)でも、そもそもデジャビュに対する考察がまちがっているから、運命愛は成り立たない。(私はデジャビュ(既視感)は以前自分が見た夢の記憶が眼の前の現実と重なったときに生じる特殊な感覚なのだと思う。たとえ時間が輪になっていても、とっくの昔に自分に記憶がなくなっているからデジャビュ(既視感)が生じるわけがない。)だから、運命愛は実在とは別の世界を目指す悪い感情ということになる。つまり、超人は科学だが、永劫回帰も運命愛もマンガだ。おかしなことを言うと宗教人が喜ぶからおかしなことを言うのなら、自分は宗教人を喜ばせるためにおかしなことを言っているのだと最初にその目的を明言すべきである。]

[4345] 位相空間 h20.3.1
昔私が読んだ小針あき宏[こはりあきひろ]の『現代数学入門』(ブルーバックス)に、
集合A∋∀x、∀yについて
r(x、y)=0(x=yのとき)
r(x、y)=∞(x≠yのとき)
という距離を定義した空間がもっとも単純な距離空間だと書いてあった。[小針あき宏は下品な言葉で本を書きすぎたために学問の権威を損ねる者と見なされて殺された可能性が高い。]

昔の人は単純な概念しか持っていなかったから、
昔の人の見ていた世界は今とはずいぶん違っていただろう。

昔の人が持っていた単純な概念で世界を構成するとしたら、
超能力者と人間の関係も単純な距離空間と同じようなものだろう。
つまり、昔の人は人間と神の概念しか持っていなかった。
それで、人間をちょっとでも超える者はみな神にされた。
昔の人は正しさの概念も持っていなかった。
それで、超能力者の考えが正しかろうがまちがいだろうが、とにかく超能力者の考えに従ったのである。

こんなやり方が現代社会において通用するわけがない。
現代には、多くの数学的科学的概念があり、それらの概念を用いて実在を正確に捉えることができる。

超能力者は超能力器官が付いて人間よりも一歩進化した者にすぎない。
しかし、現代には科学がある。科学が人間の進化を助ける。
携帯電話と懐中電灯とリモコン(とエアコン?)があれば超能力者と能力的には互角かそれ以上である。[超能力者の超能力はいつでも発揮できるわけではないから、科学の発明品のほうが便利である。]
超能力者と人間の関係としても、超能力者の考えが正しいときだけ超能力者の考えに従い、超能力者の考えが正しくなければ超能力者の考えには従わなくてよい。
つまり、科学が発達した現代では超能力者も人間も変わらない。

世界が違えば、超能力者に対する意味付けもずいぶん変わるものだ。
新旧の世界が混在する世界では、古い世界における実在についてのまちがいが残っており、実在についてのまちがいが社会の正常な運営を妨げる原因になっている。だから、まちがいを排除して社会を改良しなければならない。第2次世界大戦のように大きなまちがいを犯してから修正されるのでは遅い。大きなまちがいが起こる前に修正できてこそ頭のいい政治家だといえる。

[4346] 古い感情 h20.3.1
相対性理論や量子力学を長く研究していれば、これまでの人類にはなかった新しい感情が生まれてくるのかもしれない。
それと反対に、古い世界観を長く勉強していると、現代人が失った古い感情が働くようになる。
それが宗教人特有に見られる、自分が人間よりも上の者だと思う誇大感情である。
それは、実在とは別の世界を目指す悪い感情である。
一般に、まちがった世界観と連動する感情は、まちがった世界を創造(実現)しようとして実在の世界(実在の世界の法則に従ってこれまでに人類がまじめにコツコツと築き上げてきた世界)を破壊しようとすることになるから、そんな感情を本気[ほんき]にしてはならない。[第2次世界大戦のときにも、すでに懐中電灯はあったから、日本人が天皇のために働く必要はなかったはずだ。神武天皇が昼間に照明弾を出しても役には立たない。てつはうが武器として使えるのも1度かぎりだ。超能力も実弾よりは怖くない。]

[4347] 内臓と連動する感情 h20.3.1
胃袋と連動する感情には、おなか空いたとかおなか張ったとかがあり、
膀胱と連動する感情には、おしっこに行きたいとかがあり、
直腸と連動する感情には、うんこに行きたいとかがある。
このように、人間のそれぞれの内臓には、それに連動する感情がある。

[4348] なぜ天皇家を支持する者がいるのか? h20.3.1
天皇家は馬鹿である。
天皇家を支持すると馬鹿が有利な社会ができる。
それが目当てで、天皇家を支持する者がいるのである。

[4349] ニーチェはキリストの正体を知っていたか? h20.3.1
ニーチェは、人間を超える超人の概念を置いた後で、超人に連動する感情として
超人にすがるのではなく、自ら超人になろうとする努力こそが大事であると説いたので、
たぶんニーチェはキリストの正体がわかっていなかったのだろう。
ニーチェにとっては、キリストはただの熱心な宗教家にすぎなかったのだ。

[4350] なぜ神武天皇の超能力が有名なのか? h20.3.1
釈迦やキリストは思想があったから、超能力を後ろに回しても神としてやっていけた。
しかし、日本の神武天皇には思想がなかったから、超能力を前に出さなくては神としてやっていけなかった。
それで、神武天皇の超能力だけが有名でしかも現実的なのである。

[4351] 超能力の実在可能性について h20.3.1
脳細胞から念力波という特殊な波動が放出されるとする。
ところで、脳細胞は物質であり、電気や質量を荷うたくさんの粒子からなっている。
したがって、脳細胞の電気的変化や運動量的(力学的)変化によって念力波が放出されるなら、その逆反応で念力波によって電気的変化や運動量的(力学的)変化が引き起こされる可能性がある。
つまり、超能力は実在し得るのである。[脳細胞の興奮が物質の固有振動数と共鳴したために、エネルギーが脳細胞から物質に供給されたのだろう。もちろん、脳細胞と物質との間にエネルギー伝達を媒介する物すなわち念力波がなければならない。だから、超能力は念力波が出せる者にしか使えないのだ。]

[4352] マジカルエミ h20.3.1
マジカルエミの最終回では、香月舞[かづきまい]が自分の意思で魔法すなわち超能力を返すことになっている。[私が念動力を使えたので、動画すなわち動く絵への取り込みが一段と強くなっているのだろう。私が小学1〜2年頃、母親が私の眼の前で紙芝居をやって見せたことがある。]
私はそんなことをした憶えがないし、母親からそんな話しを聞いたこともないし、1〜2歳の赤ちゃんが自分の意思で自分の超能力を無くすことを希望したとは常識的に考えられない。
香月舞が超能力者の喩えである、つまりアニメのキャラクターと実在する超能力者の間に対応があることはその道の人にとっては明らかなことだから、
嘘の記録を残しては、アニメから実在する超能力者への逆対応によって後世の超能力者に迷惑がかかる恐れが高い。[他に、ガチャ眼の絵があると、超能力者に精神集中が利かないようにして超能力を使わせないようにするために超能力者が赤ちゃんの頃に眼に斜めから光が当たるようにして斜視にしたとか、パステルユーミのようなブス顔の絵があると、超能力者が徒党を組んで国を乗っ取ったりすることがないように超能力者を他人から嫌われるようにするために顔が悪くなる手術をしたなどと解釈される恐れがある。]
したがって、実在する超能力者とアニメやマンガやその他の創作物の登場人物の間に対応付けがある作品は、この世から早急になくさなければならない。

[4353] なぜ3を取るか? h20.3.1
私の名前は3本川の川野である。私は赤ちゃんの頃に超能力があった。
そこで、不合理な世界においては、3を取った者が3を取らない者よりも偉いことになる。
芸能界などにおいてみんなが一生懸命に3を取ろうとするのは、不合理な決まりが公[おおやけ]に通用する不合理な世界を作りたいためである。
しかし、そんなわけがわからない決まりが通用する社会は住みにくいと思う。
幼稚園のお遊戯のような決まりばかりたくさんある馬鹿げた社会に私は住みたくはない。
どうせ、合理主義の法もなくなるわけじゃないし、その上に不合理主義の法を重ねられては身動きが取りにくくて鬱陶[うっとう]しい。
それに、不合理な世界は汚い感じが漂うから嫌だ。
不合理的な余計な無駄な決まりがある世界は私は大嫌いだ。
合理的な自然の法則だけがあればいい。

[4354] 複素数 h20.3.1
不合理な世界と合理な世界には矛盾がある。
不合理な世界では、超能力のある者が超能力のない者を支配するが、
合理な世界では、正しい知識のある者が正しい知識のない者を支配する。
超能力のある者と正しい知識を持っている者とは別だから、
不合理な世界と合理な世界には矛盾がある。
したがって、不合理な世界と合理な世界を組合せて一つの矛盾のない世界を作ることはできない。
複素数平面のように実数と虚数を組合せて無矛盾な複素数ができるようなわけにはいかないのだ。
合理な世界は実在の世界に合わせようとしているのに対し、
不合理な世界は実在の世界に合わせないようにしているのだから、
不合理な世界は実在の外でやるべきである。
実在においては不合理な世界は冗談にすぎないのだから本気でやってはいけない。
超能力者を崇[あが]めるのは、マンガの上だけにしておけ。

[4355] 君主制の起源 h20.3.1
超能力者の出現は稀[まれ]である。
たいてい、一つの時代には一人の超能力者しかいない。
昔の不合理な世界では、超能力者が社会を支配していた。
君主制は、この超能力者制を真似てできたものだから、一人の人間が社会を支配しているのである。
反対に、合理主義の世界では、万能の天才は実在しないから、一人の人間が社会を支配することはありえない。
合理主義の世界では、正しい知識を持った1000名ぐらいのグループが社会を支配する。
だから、合理主義の世界は、君主制ではない。
合理主義の世界では正しい者が正しくない者を支配するから、民主主義でもない。

[4356] 相撲の土俵 h20.3.1
相撲の世界では、土俵から出た者が負けである。
土俵はいわば実在の世界だ。
神武天皇の超能力が実在のものであることを謳[うた]っているのだろう。
日本では、実在の外に出た者が負けなのだ。
それなのに、天皇制は実在にそぐわない不合理なくだらない制度である。
神武天皇が生きていたらきっと天皇制に反対しただろう。

[4357] 超能力の再現性 h20.3.2
科学的実験では現象が再現されることが条件である。
ところが、超能力は短期間現われるだけであり、超能力には再現性がない。
だから、超能力は社会科の歴史で扱われるようないっぺんかぎりの現象である。
超能力は科学よりも歴史の対象なのかもしれない。
しかし、将来、脳科学が進めば、超能力の仕組みが理解され、人間が組み立てた超能力装置で何度も繰り返し実験が行われるようになるかもしれない。そうなれば、超能力はれっきとした科学の対象となるだろう。

[4358] 日本神道の昔と今 h20.3.2
神武天皇が生きていた頃は、天皇も日本神道もともに正直だった。
だから、世界中でも神武天皇の超能力だけが事実を伝えているのである。
しかし、その後日本神道は嘘つきの会と化してしまった。
日本神道に押されて神の振りをしている天皇も嘘つきである。
日本神道も天皇もともに落ちぶれたものだ。

[4359] キチガイ社会 h20.3.3
昔は人間と全知全能の神の概念しかなかったし、正しさの概念すらなかったので、ひとつの超能力が使えただけで超能力者は神だと見なされ人間は神に対しては恐れおののかねばならなかったので、人類は超能力者の前にひれ伏し超能力者に盲従しなければならなかった。それは、昔の人が今よりも実在的概念を持っておらず、まちがった実在観を持っていてそのまちがった実在観と連動した心で生きていたからである。今から見ると昔の人間は今の人間にはない奇妙な感情を抱いていたのでキチガイのように見える。
しかし、今では、近代科学や数学のおかげで人類は多くの実在的概念を持つようになった。例えば、今では超能力者の概念がある。だから、超能力者が現われても昔のように超能力者を全知全能の神だと見なさずに、普通の人間には使えないある特定の才能が使える超能力者としてしか見なくなった。神に対しては恐れおののかねばならなかったが、超能力者に対しては普通の人間にできない芸がひとつ多いだけなのでちょっと変わった人ぐらいにしか思わない。だから、人類の超能力者に対する関係は他の人間に対する関係とほとんど変わらない。
未来の世界は実在的概念が今よりも豊富になっているから、未来人から見ると今の人類はまちがった実在観を真実と信じてそんな実在観と連動したおかしな心を持ったキチガイに見えるかもしれない。だからこそ、現在においても実在についてのまちがった認識を極力排除して正しい認識に改めて正しい実在観を持ってその正しい実在観と連動した健全な心を持って生きて行くように心がけねばならないのである。

[4360] 超能力を秘密にする必要はない。 h20.3.3
昔と今では人々の持っている世界観が違うから、私が超能力が使えた赤ちゃんの頃に、大勢の新聞記者が超能力が使える私のことを書きたてても、大して騒動は起こらなかっただろう。[『魔法のエンジェルスイートミント』第22話「夢見鳥を追いかけろ」では、私のことを絶滅寸前の夢見鳥に喩えている。]
だから、超能力を秘密にする必要はない。
現代では、せいぜい、ノーベル賞級の発見をしたぐらいの騒ぎにしかならないだろう。
ノーベル賞は超能力(念動力)の第一発見者の私の母親に与えるべきだろう。

[4361] なぜ昔の人は人間と神の概念しか持っていなかったか? h20.3.3
私が3〜4日前アルキメデスのことに関してWikipediaで『ユークリッド幾何学』のことを調べていたとき[→[4335]参照]、素数が無限個存在することの証明において、当時はまだ“添え字法”が開発されていなかったのでユークリッドは3個の素数に因数分解することによって、一般のn個の素数に因数分解することに代えていたという記述があった。
私が昔読んだ数学の本には、アフリカの土人は、1,2、たくさんという数詞しか知らないと書いてあった。つまり、アフリカの土人にとっては、3以上の自然数はすべて“たくさん”というひとつの数になってしまうのだ。
そこで私は、アフリカの土人の数詞を、今自分が考えている超能力者の問題について当てはめてみて、
昔の人は、まだ超能力者の概念を知らず、人間と全知全能の神の区別しか持っていなかったと考えてみたのである。

[4362] 支配と管理とは別 h20.3.3
合理主義社会では、正しい知識を持った者が正しい知識を持っていない者を支配する。
その体制を管理するのが政府の仕事である。
だから、支配と管理とは別の概念である。

[4363] 宗教人とは何か? h20.3.3
超能力者(またはその子孫)を神と見なす者が宗教人である。[宗教人の中で、どの超能力者(またはその子孫)を神と見なすかによって宗派が分かれるわけである。例えば、キリストを神と見なす者はキリスト教徒であり、釈迦を神と見なす者は仏教徒であり、天皇を神と見なす者は神道徒である。]
超能力者を超能力者としか見なさない者(または神武天皇以外の天皇を人間としか見なさない者)は宗教人ではない。
だから、日本人のすべてが宗教人というわけではない。(少なくとも、私の家族は宗教人ではない。)
宗教人は、今日的には古いまちがった世界観とその世界観に連動する異常な感情を持って生きている者だから、精神病者の一種である。[私はここで、超能力者を神だと考える妄想を宗教病と名付けることにする。]
したがって、宗教人は危険だから正常人とは隔離して生活させるべきである。

[4364] 科学は超能力を超える。 h20.3.3
神とは全知全能の者あるいは人間よりも上の者である。
ところが、超能力者はひとつの超能力が使えただけでそもそも全知全能ではない。
しかも、科学的発明品に満ち溢[あふ]れた現代においては、科学の発明品を身につけた人間は超能力者と能力的には変わらないから、超能力者は人間よりも上の者ではない。例えば、暗い夜道を照らすには懐中電灯があればいいから、念光力者は人間よりも上の者ではなく、離れたところにある物を動かすには棒やリモコンを使えばいいから、念動力者も人間よりも上の者ではない。
オリンピックの選手がいくら速く走れても、実質的にはオリンピックの選手よりも自動車に乗った人間のほうが速いから、オリンピックの選手を人間よりも上の者と見なさないのと同じ理屈である。
その上、カメラやビデオデッキや飛行機などの能力はこれまでに現われたどの超能力者にもない能力だから、科学の発明品を利用する人間はすでに超能力者以上の超能力者だといえる。
したがって、超能力者は人間よりも上の者ではなく、超能力者は神ではない。

[4365] 神を信じる者 h20.3.4
全知全能の神とはつまり法則のない神である。
一方、実在の世界には法則がある。
だから、全知全能の神の存在を信じる者は、
神を肯定するあまり実在の世界を否定し破壊しようとする。[つまり、法則がない世界のほうが楽しいからといって、法則がある世界を壊そうとする。]
つまり、神を信じる者は実在の世界の秩序を乱す者である。
[だから、子供に神の概念を植え付けたりしてはいけない。一般に、子供に実在しない概念を植えつけてはならない。]
同じように、
超能力者を人間よりも上の者だと信じる者は、
実在における超能力者の現状(つまり、超能力者も人間も平等であること)と合っていないので、
これまた実在の世界の秩序を乱す者である。

[4366] 超能力者は神ではない。 h20.3.4
神とは法則のない者、つまり実在の世界の法則が効かない者である。
ところで、超能力者は実在の世界の中にある(つまり、実在の世界の法則に従いながら)眼に見えない力を使う者であって、けっして実在の世界の法則が効かない者ではない。[超能力は、“実在の世界の法則が効かない”の一語で片付けられるほど簡単な仕組みではない。そういう安易な解釈の仕方が、近代科学が誕生する以前の古いまちがった世界観によっている証拠である。超能力は現在の我々がまだ知らない有機物質の性質によって引き起こされる自然現象である。]
超能力者を欲目で見て、超能力者の真似をしてはいけない。

[4367] 日本は戦争に勝てるか!? h20.3.4
一歩譲って、天皇は神だから実在の世界の法則が効かないとする。
しかし、下っ端の兵士は神ではないから実在の法則が効く。例えば、弾に当たると死ぬ。
天皇ひとりだけ実在の法則が効かなくて他のみんなは実在の法則が効く状態で、どうやって日本は戦争に勝てるのか!?

[4368] 『実在の外に出で立つ』 h20.3.4
キルケゴールは、キリストが実在の外に出で立つ者だから、自分がキリストと向き合いキリストと一体化することによって、自分も実在の外に出ると、実在の世界における不安が休まると正直に述べている。[私がつまらない工場の仕事から帰ってきて1時間ほどアニメを見ると気が休まるようなものだろう。]
つまり、キルケゴールは本気でキリストを実在の外に出ることができた者、つまり実在の法則が効かない者だと考えているのである![私がアニメを見るのは、アニメの非現実性を心のリラクシゼーションに利用しているにすぎない。]
昔の人はユニークな発想をしていたんだなあ。[実際に、キリストの身体に実在の法則が効かなかったら、キリストは血が止まったり身体がバラバラになったりしてすぐに死んでしまうだろう。だから、“実在の外”とは実にマンガ的な概念である。]
西洋哲学が即我と対我の対立で悩まなければならないのも、そもそも西洋に“実在の外”という余計な概念があるからである。実在の外の世界があるから、西洋人は自由の刑に処せられているのである。その点、日本は神武天皇が実在の中の人だったから、実在の外のことで悩まされることがない。しかし、その後日本も西洋哲学の影響を受けたせいか、天皇はいつの間にか実在の外の人になってしまった。[日本の天皇がヨーロッパで人気があるのも、天皇がキリストと同じ実在の外にいる人と考えられているためである(ウソつけ!)。]

[4369] 超能力は気味悪いか? h20.3.4
私は赤ちゃんの頃に超能力を使ったことがある。
しかし、私の両親がそのことで私を気味悪がったことは一度もない。
だから、実際の超能力は想像の超能力ほど気味悪いものではない。
純粋な自然現象としての超能力はむしろ美しいものである。

[4370] 天皇効果 h20.3.4
天皇は実在の外の世界つまり法則のない世界にいる者である。
天皇を見ると、法則のない世界の存在を信じるようになる。
法則のない世界に憧れた者が、法則のある実在の世界の秩序を乱そうとして暴れ回る。
[実際には、天皇も超能力者も神ではなく実在の中にいる人間なので、法則のない世界は存在しない。実在の外の世界が存在しないことを証明するには、やはり超能力を科学的に説明するしかない。]

[4371] 超能力者に対する誤解 h20.3.4
昔の人は、超能力者を実在の外に出ることができた者、実在の世界の法則が効かない者だと考えた。
今でもこの考えを信じる者が、法則のない世界に憧れ、法則のある実在の世界を憎むあまり、実在の世界を攻撃し、実在の世界の秩序を破壊しているのである。
超能力者に対するまちがった意味付けをやめさせるためには、やはり超能力を科学的に正しく説明するしかない。

[4372] 宗教が儲かるわけ h20.3.4
超能力者を実在の外に出ることができた者、実在の世界の法則が効かない者だと考える説がある。
いまどき、こんな説を信じる人間とはどんな人間なのか?
よほどの馬鹿だ。[実在の法則が効かない空間が超能力者の身体の周りに発生したら、その中にある超能力者の身体はこれまで通りに働かなくなるので、すぐに超能力者は死んでしまうはずだ。]
馬鹿はペテンに掛けやすいから、宗教は儲かるのだ。

[4373] キリスト教徒の本音 h20.3.4
キリストの愛の教えなんかどうでもいい。
キリスト教の信者の真の狙いは、自分も実在の世界の外に出ることなのだ。
つまり、キリスト教の信者の目的はキリストの教えを守って実在の世界に適応することにあるのではなく、その反対に“実在の外”の概念を学んで実在の世界に適応しないことにあるのだ。
それで自分も実在の世界の外に出ることができたと信じた者が、自分が実在の外の世界にいるつもりになって実在の世界の中で暴れまわって実在の世界の秩序を破壊しているのだ。
たぶん親に厳しく躾[しつ]けられすぎたので、たくさんの決まりで縛り付けられた実在の世界に嫌気が差しているのだろう。
親から仕込まれた余計な決まりをなくしていけば、実在の世界にもけっこう自由があり、自分の心をもっと満足させることができることがわかるだろう。

[4374] 古臭い! h20.3.4
昔の世界には、人間と神の区別しかなく超能力者の概念がなかったし、今みたいに科学知識がないから正しさの概念すらなかったし、超能力者を実在の世界の外に出た者、実在の法則が効かない者だと考えた。
あまりにも古すぎる。
古すぎるからまちがっている。
まちがいをいくら信じても報[むく]われない。まちがいを信じるとキチガイになるだけだ。
実在の世界の中で真面目に生きて行かないと幸福にはなれない。
[私が朝倉の県営住宅に住んでいた頃、父親が古い本をいっぱい持っていた。戦前のペラペラの紙でできた歴史や数学の本もあった。数学の本は甲乙丙で連立方程式が書かれていた。私はそれを読もうとしたが、昔の本は字が読みづらいので読めなかった。私が朝倉小学校の2〜3年生の頃、正岡淳之[まさおかあつし]といっしょに、学校の図書館で古い電気記号や古い仮名や漢字を調べてノートに書き写すことに熱中していたことがある。]

[4375] 勇気ある質問者 h20.3.4
昔キリストが生きていたとき、キリストに向かって「あなたは人間でも神でもないんじゃないですか?」と質問した者がいた。
しかし、キリストは「自分は神だ」と言い張った。
その質問者がもう少し頑張っていれば、『超能力者』の概念を創造できていたかもしれないのに。
そうすれば、ヨーロッパや世界の歴史は大きく変わったことだろう。

[4376] 幻聴はどう考えるべきか? h20.3.4
私が昔幻聴について考えていたとき、幻聴は耳で聞く聴覚と同じであることに気が付いた。
そう考えると、自分と他人が独立した存在であることがわかった。
それが人間本来の姿である。そこから自立心が芽生えてくる。
しかし、テレパシー波が物質と相互作用せずに遠くまで届くので、テレパシー波は音よりも光に似ているので、今ではむしろ幻聴は視覚に近いものだと考えている。

[4377] 女の世界 h20.3.4
女はいかにも自分が考えていませんよというような馬鹿丸出しの顔つきをして生きている。
女は知覚が働かないからいつも他人の考えに頼って生きているので、それで女の頭の中では自分と他人がベチャベチャに引っ付いているのである。
だから、女には自立心がない。
古来より、男は考える者であり、女は考えない者である。
男女を平等にすることは、正しい者と正しくない者を平等にすることであり、人間社会の秩序を損ねることになる。
だから、性別にはこだわらなくていいけれども、とにかく正しい者が正しくない者を支配する体制を確立し、人間社会の秩序を回復しなければならない。
たしかに女の中にはキュリー夫人やコワレフスカヤのような頭のいい女がいるけれども、そんな女は100人に1人ぐらいしかいない。今の世の中は男女平等にしすぎている。
男と女では持っている感情が違うし満足している感情も違う。男女を支配関係において平等にしなくても、幸福において平等にすればいい。つまり、女は愛情を満足して幸福に生きて行けばいい。男から見ても、支配欲の強い女なんか嫌いだ。男は正しいから他人を支配できるのであって、他人を支配するために正しくしているわけではない。支配欲を生き甲斐にしている人間なんか男でも女でも駄目だ。でも、まちがいの大本[おおもと]は、やはり天皇制や超能力者制にあるような気がする。だから、まず、そこから直さなければ世の中はよくならない。

[4378] 社会科と科学の違い h20.3.4
『人間は、見るだけで終わってはいけない。自分が見たことについて、なぜそうなるのか?を考えねばならない。』(私の哲学日記[4335]より)
天皇は日本の君主である。
そんなことは子供でも知っている。
問題は、なぜ天皇が日本の君主なのか?だ。
社会科的には「天皇が日本の君主だ」と答えればそれで正解であるが、科学的にはそれでは不十分な答えだ。
しかし、それを考えて正解を出した者は大人でもあまりいない。
でも、正解がわかれば、もはや天皇を君主と考えて自分が従う気にはなれないはずだ。
[社会科では、なぜ“なぜ…?”と考えないのだろうか?社会科では、なぜ人間の知覚欲を満足しようとしないのだろうか?]

[4379] サウジアラビア h20.3.4
サウジアラビアでは小学生に宗教教育をしている。
つまり、国中の小学生に神の概念とか超能力者が実在の外にいる者、実在の法則が効かない者であり人間は神に無条件に従わねばならないことを教えて信じ込ませている。
そうやってまちがった世界観を子供達に植え付けて心理的に異常者にしている。
まちがいを教えられた者ははたして人間として幸福なのだろうか?
人間の知覚欲を損ねられ人間としてのプライドを傷つけられて一生生きるのは、みじめではないだろうか?
[日本では、戦後は天皇制が国会の中だけに納まっているからなんとか済んでいるが[動物園の猿山みたいだ。]、もし天皇制が日本全体に広がっていたら、日本もサウジアラビアと同じだ。]

[4380] 割礼 h20.3.4
性欲は性病や精神分裂病の原因であり人間を不幸に陥れる悪い感情である。
しかし、だからといって、性欲を抑制するために割礼するのはやめよう。
性欲を抑制するのは、性欲が悪い感情であることを理解することによってでなければならない。
問題を身体で解決するのは簡単である。しかしながら、それはわからないことをわからないままにするだけであり、根本的に解決したことにはならない。
理解によって性欲を乗り越えられねば一人前の人間とはいえない。
割礼もまた宗教的理由によってされているだけのまちがった風習にすぎない。
割礼をして身体で性欲が悪い感情であることを教えるよりも、性欲が悪い感情であることを詳しく説明して頭で理解させたほうがいい。
人間を人間として扱うから人間らしく育つのであって、人間を動物並みに扱ったら動物にしか育たない。

[4381] 八方美人 h20.3.4
日本では、新しい科学的な考えを導入する一方で、古い考えを残そうともしている。
それで、日本は、子供達に科学教育を徹底する一方で、天皇制や超能力者制も残しているのである。
しかし、古いまちがった考えを残すことは科学的ではない。
正しい者と正しくない者を平等としては人間社会の秩序が乱されるから、古い考えは排除すべきである。
とくに、超能力者の場合のように、新しい正しい考え(つまり、超能力者を超能力器官がある人間と見なすこと)が古いまちがった考え(超能力者を全知全能の神と見なすこと)と矛盾する場合には、古いまちがった考えのほうを捨てねばならない。

[4382] 天皇制で幸福に生きて行けるか!? h20.3.4
天皇制の下では、天皇に従う従属欲を満足することが最高の喜びだとされているので、
天皇に従えば幸福でいられるのである。

[4383] 『キチガイに刃物』 h20.3.4
国の制度は何から何まで遅れていると、うまくいく。
例えば、原始時代は、その日食べるために必要な木の実と動物を取って来さえすれば、それで仕事は終わりだから、今よりも楽である。
しかし、なかなか食料が見つからなくてしんどい思いをしたり食料が無くて飢え死にすることもありえるし、何よりも暮らしが食べて寝るだけなので退屈である。
だから、全体的に遅れている(劣っている)よりは、たとえ部分的であっても進んでいる(優れている)ほうがよいこともたしかである。
ただ、今の天皇制や超能力者制すなわち天皇や超能力者に国を支配させる制度はよくない。
それは、国の中枢部が昔のままで遅れていて、末梢部だけが進んで発達しているからである。
これは、いわゆる『キチガイに刃物』の危険な状態である。つまり、中枢部の政策のまちがいが末梢部の科学技術によって増幅されて大災害になるシステムである。これでは、日本や世界はひとりの天皇や超能力者によって滅ぼされかねない。もっとも、天皇や超能力者が正しい政策を決定できればいいが、天皇や超能力者は政治家ではなく政治に興味がないことが多いので、個人の適性を考慮しないこれらの制度ではうまくいかない。それなら、天皇や超能力者に何もさせずに置いておけばいいが、それでは天皇や超能力者などの珍しい人間を入れて置く動物園にほかならない。それは、天皇や超能力者に対してあまりにも失礼である。
だから、天皇制や超能力者制は、ぜひ今後早急に廃止されねばならない。
この反対に、国の中枢部が進んでいて、抹消部が遅れているならまだましだ。
数学が物理学より進んでいるのと同じことだからである。
でも、あまり極端になると、言葉だけ豊かで物が貧乏になって暮らしにくくなる。
やはり、国は全体的に進歩して、あまり極端に遅れた部分がないようにしなければならない。そのためには、国の中枢部も末梢部と同じように進んだ状態にすればよいから、私の提案した学者制(つまり、各分野の専門家約1000名が国を支配する制度。本来は実在が国を支配する実在制が理想的なのだが、実在は口を利いてくれないので、実在の代わりに学者に人間にわかる言葉でしゃべらせて国を支配させるのである。)が最適である。

[4384] 時間がかかる。 h20.3.4
私の精神分裂病論がほぼ完成するまでに約25年もかかっている(今でも未完のつもりでいる)。
この調子で行くと、私の超能力者論が完成するまであと20年ほどかかることになる。
私の作文は趣味と暇つぶしと実益の3つが絡[から]んでいるので、ゆっくりと時間をかけて考えることにしている。
早く考え終わってしまうと趣味と暇つぶしにならないし、なによりも作文の完成度が低くなってしまうからである。

[4385] なぜ日本は超能力者制をとろうとするのか? h20.3.4
それは、日本が超能力者が現われる国だからである。
日本が超能力者制(つまり、超能力者を神と見なして人間が超能力者に従う制度)をとれば、世界中の他の超能力者制をとる国に対して日本の意見が通りやすく日本が有利になるからである。[超能力者制を弱くとると、その分他国に対して顔が効きにくくなる。テレビや映画で超能力者をとっていることがわかるということは、その国が他にもいろんなところで超能力者に従っているということである。]
しかし、それはあまりにも近視眼である。
日本が超能力者制をとることはとりもなおさず日本が古いまちがった世界観を取ることであり、日本の文化が遅れることはおろか、日本が世界の文化を遅らせることにもなる。つまり、日本が国民の足を引っ張ると同時に、日本が世界の足を引っ張ることにもなる。これでは、日本が国民にとっても世界にとっても悪い国になってしまう。[人間は敏感な動物だから、他人にちょっとでも足を引っ張られるのは嫌である。]
世界全体を視野に入れるなら、もはやどの国も超能力者制をとることはできないはずである。世界のどこかの国が超能力者制をとったために、古いまちがった世界観による精神異常者が現われて大きな犯罪を起こされてはみんなが迷惑をするから、世界で一丸となって超能力者制をやめにしよう。

[4386] 宗教の分類 h20.3.5
超能力者を神と見なし、人間は神に従わなければならないとすることが宗教である。
例えば、仏教とかキリスト教とか日本神道などは宗教である。
だから、例えばキリスト教とはキリストの教えを学ぶことだけでなく、広く一般にキリストの性格や風貌を真似ることや、キリストの生活習慣やキリストの親族や友人の言行などを人類の文化に取り入れることもキリスト教である。さらに、他の超能力者に従うことまで含まれることがある。そのため、アメリカやヨーロッパ諸国は本来はキリスト教国だが、超能力者である私にも部分的に従っているのである。
しかし、実際には、宗教をやっている者の中で神の意味を正確に理解している者はほとんどいないようである。なぜなら、神の意味が超能力者だとわかっていれば、もはや神に従おうとする人間はいないからである。宗教をやっている者は、社会科の勉強と同じように、言葉の意味を考えずにただ言葉を丸暗記して、宗教上の取り決めが正しいかまちがっているかを判断せずにただその言いなりになっているだけである。
一方、超能力者とは無関係に、人間としての生きるべき道を説いたものがある。
例えば、ヒンズー教や儒教や道教などである。
これらは超能力者とは関係ないから、厳密には宗教ではない。何か別の名前をつけるべきである。例えば、人間宗教とでもするか。
つまり、宗教には、超能力者と関係がある宗教と、超能力者と関係がない人間宗教の2種類があるわけである。

[4387] 宗教の終焉[しゅうえん] h20.3.5
ヨーロッパ諸国やアメリカで、キリストに比べて私の取り込みが弱い。
一般に、世界中で過去の超能力者たちに比べて私の取り込みが弱い。
それは、私が過去の超能力者たちに比べて人気がないからではなく、ニーチェが『神は死んだ。』と言ったように現代では合理主義や経験主義が浸透して、もはや神の概念が亡んでしまい、超能力者は超能力者にすぎず、もはや超能力者に人間が従う意義がなくなってしまったからである。

[4388] 神のある世界とない世界 h20.3.5
神の概念がある世界観が宗教である。
宗教は実在しない神の概念をわざわざ実在に付け足して汚い解釈をして人心を狂わせている。
宗教をやっている者は、心が汚い糞馬鹿だ。
一方、経験的合理的には神の概念は出てこない。
だから、科学には神の概念はない。
余計な神の概念のない世界観のほうがずっと綺麗で気持ちがいい。

[4389] 空想と実在 h20.3.5
神は実在しない概念であり、神は空想の世界の中だけにあるべきである。
一方、超能力者は実在する生き物である。
だから、実在する超能力者に実在しない神の概念を当てはめてはならない。
実在する超能力者と実在しない神を対応付けて、
空想の世界における神やその他の人間についての決まりで実在の世界における超能力者やその他の人間を動かしてはならない。
例えば、空想世界において人間は神に従うべきであり、実在世界において神を登場人物にしたテレビを人間が見ることは空想世界において人間が神に従うことになるからといって、実在世界においてテレビ番組のネタ入れのために超能力者の周りの人間を使って超能力者に余計なチョッカイを出したりしてはならない。とくに、実在世界において超能力者が思春期で焦燥感が高まっているときに、超能力者に余計なチョッカイを出したりすると、空想世界では神が精神病に罹ることはないが、実在世界では超能力者が精神病に罹る恐れが高いから、絶対にチョッカイを出してはならない。
一般に、空想の世界と実在の世界を対応付けて、空想の世界の決まりで実在の世界を動かしてはならない。


[4390] 人間と超能力者と神の関係 h20.3.6
超能力者は人間よりも才能が1個多いから、人間<超能力者。
でも、超能力者は全知全能の神には遠く及ばないから、人間<超能力者≪神。
もっとも、神は実在しない生き物だから、人間<超能力者。
しかし、科学による発明品を持った人間は超能力者と互角だから、人間+科学=超能力者。
つまり、科学時代である現代においては、人間≡超能力者(ただし、科学的発明品が添加された場合)となる。

[4391] 信者の特典はない。 h20.3.6
神に従う者が得をするのは空想世界の作りごとである。
したがって、実在世界においても超能力者に従っても得にはならない。[ただし、実在世界の決まりにおいて超能力者に従う者が得をする場合はよい。例えば、超能力者が会社に勤めて上役になって超能力者の部下が超能力者の指示に従って働いて収入を得るのはよい。]したがって、例えば、国会議員や公務員がいくら天皇(広義の超能力者)に従っても特典(特別な待遇)はない。[天皇が広義の超能力者と見なされるのは、天皇が超能力者であった神武天皇の子孫であることのほかに、これまでの超能力者が超能力を現すのがその生涯の一時期にすぎずしかもその超能力を見たのが極一部の人間に限られているので、ほとんどすべての者にとって超能力者は普通の超能力のない人間と同じだからである。]

[4392] 性欲はなぜ悪い感情なのか? h20.3.6
性欲を満足すると強い快感が得られる。
だから、それまで知覚欲を満足して正しさ本位・実在本位で生きていた者が、性欲を満足すると心本位の世界観になる。
ところが、心は知覚ほどには実在のことを知らないから、心本位では実在に適応できず実在の世界から離れてしまうことになる。
心の世界を肯定しすぎて実在の世界から切り離れてしまった状態が精神病である。[心本位の世界観になると、大脳にある感情中枢自体やテレパシー中枢自体を興奮させるようになる。]
心は大脳前頭葉の脳細胞の神経興奮で発生する感覚にすぎないから、心が実在についての善悪を決めるのではない。
心における感情の善悪を決めるのは実在である。実在があるゆえに、感情についての善悪の区別ができる。
心はあくまでも実在の味付けにすぎないことを忘れてはならない。

[4392'] 性欲はなぜ悪い感情なのか? h20.3.6
性欲を満足すると強い快感が得られる。
だから、それまで知覚欲を満足して正しさ本位・実在本位でそこそこ幸福に生きていた者が、性欲を満足すると心本位の世界観(心主義)になって実在の世界を無視するようになる。
心本位の世界観では、心が実在についての善悪を決めるので、自分の気に食わないことがあると、自分の大脳にある感情中枢自体やテレパシー中枢自体を興奮させすぎてしまい精神病になる。
実際には、心は大脳前頭葉の脳細胞の神経興奮で発生する感覚にすぎないから、心が実在についての善悪を決めるのではない。
心における感情の善悪を決めるのは実在である。実在があるゆえに、感情についての善悪の区別ができる。したがって、知覚欲や愛情(女が子供をかわいがる感情)が善い感情であり、性欲や五感欲が悪い感情であることがわかる。[政治家の支配欲とかも悪い感情である。支配欲に狂った政治家は、躁鬱病の患者のように本人は困らなくても周りのみんなが迷惑する。]
心はあくまでも実在の味付けにすぎないことを忘れてはならない。

[4393] 鬱病補足 h20.3.6
自分の抑鬱感情を刺激する環境に置かれた者が、心本位の精神状態にあって、自分の抑鬱中枢を興奮させすぎたために鬱病になる。
心本位の精神状態になければ、抑鬱感情を刺激する環境を取り除くともとの状態に戻る。

[4394] 知覚主義と実在主義 h20.3.6
同様に、正しいかまちがいかを決めるのは人間の知覚ではなくて実在である。
つまり、知覚が実在についての正しいかまちがいかを決めるのではなく、
逆に実在が知覚(知覚における認識)についての正しいかまちがいかを決めるのである。
なぜなら、人間の知覚は人間の大脳皮質が荷っている感覚にすぎないからである。
知覚はあくまでも実在に従わねばならないことを忘れてはならない。
[宗教なんかの空想主義も知覚主義の一種だから認められない。]

[4395] 五感の重要性 h20.3.6
五感は知覚と実在を結びつけるものとして重要である。
五感があるおかげで、知覚が実在に従うことができる。[逆に、手があるおかげで知覚が実在を支配することができる。]
五感がなければ、知覚と実在が分離して知覚が空想化してしまう。


[4396] 中国 h20.3.6
中国には神の概念がなかった。
それで、中国に現われた超能力者は超能力者としてしか見なされなかった。
中国では超能力者の超能力をそのままにしておいても全然問題はなかったから、中国以外の国においても超能力者に対してとくに何もしなくてもよいのである。
[中国の開国が遅れたのは、外国の神制(=超能力者制)が国内に入ってくるのを恐れたためだろう。]

[4397] 超能力者制は得になるか? h20.3.6
超能力者制とは、実在世界の超能力者と空想世界の神とを対応付けて、実在の世界を空想の世界の決まりで動かすことである。したがって、空想の世界で実在の世界がかき乱されて実在の世界の秩序が破壊されて実在の世界の発展が妨害される。
だから、超能力者制は実在の世界にとっては得にならない。

[4398] アドホックな修正 h20.3.6
まちがっている原理の上に細かな修正を加えることによって眼先の事実を合わせることをアドホックな修正という。
釈迦は、超能力者を神とする宗教のやり方がまちがっているのを知っていながら、自分の教えを正しくしさえすればそれで人類によい結果がもたらされると考えたのだろうか?
それとも、釈迦が「自分は神でない。」と言ったにもかかわらず、周りの連中にいやいやながら神にされているのだろうか?[それなら、釈迦は悪くない。周りの連中が悪い。]

[4399] 男と女 h20.3.6
プラスとマイナスの電荷同士は引き合うが、プラス(マイナス)の電荷と電気的に中性な粒子とは引き合わない。
それと同じように、男と女は引き合うが、男(女)と中性は引き合わない。
だから、男を女化したり、女を男化したりして中性を作り出すのはよくない。[私が死んだ後で男の私を女化した像を作ったりして中性概念を創造してはならない。神の概念が人類の不幸の原因となったように、中性の概念もまた人類の不幸の原因となるのだ。大人にはわかりきったことでも、子供にはまだわかっていない。他人のことはどうでもいいのは民間企業の考え方だ。]
男には女の出産育児能力(子宮と乳房)がなく、女には男の思考運動能力(大脳と筋肉)がない。
だから、男と女で足りない能力を補い合って協力し合って生きているのだ。
男と女がいっしょになってはじめて完全な生物となるのだ。
男が女らしく生きても、女が男らしく生きても幸福にはなれない。
男は男らしく、女は女らしく生きてこそ幸福になれるのだ。

[4400] 異性化 h20.3.6
『らんま1/2』のように、男が女になったり女が男になったりする異性化の概念も人類に不幸をもたらす非実在的概念である。
学生の頃の私のように、自分についての理解が足りない者が真似をする恐れがある。
公の電波に乗せて流すべき内容ではない。ビデオで売るだけなら選択する個人の問題なのでかまわない。


戻る