[3401] 天皇に頭を下げるな! h19.7.12
天皇に頭を下げねばならない理由がわからないのに、むやみに頭を下げてはならない。
その理由がわかる者だけ頭を下げればよい。
[3402] 第3次世界大戦 h19.7.12
この前、私は天皇制や宗教を廃止すべきだと述べた。
だから、誰かがシナリオを書いて、天皇制や宗教を廃止するために、もう一度天皇を立てて日本が開戦して、第3次世界大戦が起こるかもしれない。
その後日本は敗戦して、アメリカかどこかの国が日本の法を改正するのだ。
そうすれば、天皇制も宗教も完全にこの世から消えてなくなる。
しかし、このやり方では犠牲が大きすぎる。
たかが天皇制や宗教をやめさせるためにここまでやることはない。
もっと平和的ないいやり方はないものか。[例えば、日本神道の宗教家か幹部が、いかにもくだらない3面記事の事件を起こして国民の顰蹙[ひんしゅく]を買い日本神道のイメージを落とすとか。]
[3403] 曖昧にやったことについて h19.7.12
やったかやらないかはっきりしない曖昧にやったことでも、やったことに変わりはない。
つまり、曖昧にやったことはやったことになる。
例えば、超能力を除去したかしないか曖昧にやったことは、除去したことになる。
[3404] 宗教人はバカである。 h19.7.12
知識人は人間主義だから自分の頭(知覚)で考えようとする。
反対に、バカは自分で考えないで他人に頼りたがる。
頼り甲斐があるのはなるべく偉い人で、この世で一番偉いのは神つまり超能力者とされているから、バカは超能力者に頼って生きて行こうとする。
つまり、バカは宗教をやりたがる。[少しばかり勉強や仕事ができてもバカはバカ。]
反対に、利口な人は宗教のような“自分で考えない会”に入ると自分のプライドが傷つくので、宗教に入りたがらない。
[3405] 私の天皇観 h19.7.12
ずるいが、利口ではない。[利口なら、もっと論理的整合性にこだわるはずだ。(日本の学校教育にも論理性がない。)]
政治家も天皇と同様である。[日本国憲法は、論理性のないボロクソ憲法だ。論理がなくていいのなら、政治家なんかバカでもやれる。たしかに政治家になるまではしんどいだろうが、それは政治家として無能であることのいいわけだ。]
[3406] 私にとっての偉い人 h19.7.12
私は超能力者も天皇も総理大臣も大統領も偉いと思わない。
ただ理数系の天才を偉いと思うだけだ。
[文系の人でも、自分の心の中に新しい感情を発見できた人は偉いと思う。]
[3407] 精神病に罹りやすい人の特徴 h19.7.12
物についての知識だけで心についての知識を持っていない人。
そういう人は、自分が不快または不幸である原因を物のせいにして自分の心のせいにしないので、問題を物だけで解決して心で解決しようとしないので、いつまで経っても心の問題が解けないのである。
[3408] 私の母親の才能 h19.7.12
私が去年の夏高知へ帰って慣れない高知の水を口にして夜1階で寝ていたが夜中に頭痛がしてなかなか眠れなかったとき、朝方4時ごろ母親が朝飯の支度[したく]をするために2階の寝室から1階の台所に降りてきたら、急に私の頭痛がなくなってその後気持ちよく眠れた。[これも、一種の感覚波を用いた技術である。]
[3409] 第2次世界大戦の目的 h19.7.13
はじめから日本が負けることはわかりきっていた。
天皇制や宗教(超能力者を人間よりも上の存在と見なすこと、およびその認識に基づく諸活動)をこの世からなくすことが目的だったのである。[昨日の『曖昧にやったことについて』より、超能力者を人の上に置いたか置かないか曖昧にすることは、超能力者を人の上に置いたと見なされる。]
[3410] 超能力者は仕事になるか? h19.7.13
ユリ=ゲラーや関口少年のように、ちょっとした芸人にはなる。
あとで、本やCDを出せば、そこそこは売れる。
だから、仕事にならないでもない。
[3411] 天皇は政治家に向くか? h19.7.13
偉さがあると他人には顔が利く(命令が通りやすくなる)が、
やはり政治的判断の正しさのほうが国民や全人類にとっては大事である。[判断(命令)がまちがったままで通りやすいと、ますます大変なことになる。]
超能力者は超能力があるが政治的判断の才能はないので、
超能力者は政治家には向かない。[適材適所の原理に反する。]
だから、天皇に政治的権力を与えてはならない。
他の国家権力を与えてもならない。
[3412] 宗教のない世界における超能力者の扱い方について h19.7.13
超能力者を人間よりも上の存在とは見なさない。
ただし、超能力者がその超能力を用いて有利に生きて行くのは許可する。
[これと反対に、超能力者を人間の上に置く宗教のある世界では、宗教人と政治家だけが豊かで、その他の人は貧しい暮らしをしなければならない中世ヨーロッパのような社会になる(後戻り)。(宗教人は搾取する側の人間だから、国民すべてが宗教人というわけではないことがわかる。)]
[2413] 日本国憲法はオンボロ憲法 h19.7.13
日本国憲法には、いくつかの実在についての誤解が含まれている。
こんなまちがった認識に根差した国の決まりなど不要だ。[早急に改正して欲しい。]
[3414] 私の家族は宗教人か? h19.7.13
私に宗教廃止法や宗教人皆殺し法を出させないために、宗教家は私の家族に指示を出してテレビ番組のネタ入れなどの宗教活動をさせて私の家族(父、母、妹、親戚の人)を宗教人の仲間に入れた。
宗教とは超能力者を人の上に置くことによる諸活動だから、宗教家の命令で動いた私の家族も当然宗教人になる。
たとえ私が私の家族を殺すことになっても、私は宗教廃止法や宗教人皆殺し法をやめたりはしない。
[3415] 超能力を除去する目的 h19.7.13
宗教家が超能力者の超能力を除去するのは、あとで超能力を除去したお詫びに超能力者に人間が従うことを正当化するためである。
つまり、社会における宗教体制(超能力者を人間の上に置くこと)を強化するために、超能力を除去するのだ。
[3416] 超能力者は人間よりも上か? h19.7.14
『人間は万物の尺度である。』(プロタゴラス)と言われるように、人の数だけ尺度がある。
見方によって人間は優れていたり劣っていたりする。
だから、ひとりの人間が他の人間に比べて優れているか劣っているかは一概に言えない。[例えば、風邪のインフルエンザウイルスは人間より強いとも言える。]
つまり、ひとりの人間(超能力者も含む)が他の人間に比べて優れているか劣っているかは“わからない”。
“わからない”ことは無理やり決めなければいい。
したがって、例えば、超能力者が人間より上か下か同じかはわからない。
“わからない”ことは無理に決めないでわからないことにして放っておけばいい(無為自然)。[道家の思想は『超能力者問題』に適用できる唯一の理論である。道家の思想は一見馬鹿馬鹿しい作り話に見えるけれども、じつはその中に超能力者が現れたときの問題解決のヒントが隠されているのだ。]
したがって、超能力者は超能力者として超能力の使用を自由に認めて他の人間と同様に育てればよい。
超能力が人類にとって有害か無害かわからないから、わからないものはわからないままにして放置しておくしかない(これも無為自然)。だから、超能力者の超能力を除去してはいけない。
宗教人は「超能力者を人間よりも優れた者」と見る偏見の持ち主であり、“わからない“ことを無理やりわかることにしている連中だから、いないほうがいい。
[3417] 医者 h19.7.14
医者は他人の見えない所でHなことをして、
他人に見える所で真面目なフリをする。
医者の書いた文を読んでいると眠くて不愉快になるのはそのためである。
[3418] 共犯者 h19.7.14
宗教家と政治家とはつるんで汚い儲けをしている。
宗教人を人間よりも下とするなら、
政治人(日本政府の人)は人間の平均よりも下だ。
[3419] 3つの暴力団 h19.7.15
日本には3つの暴力団がある。
1)昔あった麻薬や拳銃を密輸する暴力団。[暴力団とは、暴力で国民を脅[おど]す団体である。]
2)神(超能力者)がらみの悪どい儲けを営む宗教団体。[宗教団体も性格の違う一種の暴力団と見なせる。つまり、宗教とは超能力者の権力で国民を脅す暴力団である。]
3)国民から税金を騙し取る日本政府。[日本政府も国家権力で国民を脅す暴力団と見なせる。]
これらの不合理な組織を日本からなくしていかねばならない。
[3420] はたして性欲は悪か? h19.7.15
性欲は悪か善か割り切れないのではなく、
性欲は知覚欲や愛情の妨げになるので悪の感情である。
悪の感情だから、働かせてはならない。
子供を作るためだけなら、性欲は要らない。
子供を作るのは、女が自分の愛情を満足させるためである。
勉強ができるより料理ができるほうが子供が喜ぶ。
勉強は男に任[まか]せればよい。
女と男とでは生きる道が違う。
女は男と比べて優秀でなくても、
女は女として幸福に生きればよい。
[3421] 私の女性観 h19.7.15
私は女性への関心がないから、女性に対する愛情がない。
女性はちょっとしたことですぐ疲れる面倒くさがりの面白くない生き物だ。
つまらない物だから考察の対象にはならない。
女は知覚を使うのが面倒くさいので、認識が五感のままである。
そのために、女は人間関係に関する幼稚な感情が豊かである。
昔は家事(料理・洗濯・掃除)をさせるのに女が必要で、そのために男はどうしても女と結婚しなければならなかった。
今は電化製品があるのでとくに要らない。
つまり、現代は男にとっての女の需要が減っている。
女が男とくっ付くためには、ますます女の魅力が要求されるのだ。
“売れ残り”が自立して生きる道も敷いておかねばならない。
[3422] 宗教の曖昧さの起源について h19.7.17
宗教の本質は、曖昧さにあるのではない。
宗教の本質は、何かを人間の上に置くことである。
自然科学が生まれる前には、宗教は自然を人間の上に置いて自然を信仰の対象とした(アニミズム)が、自然科学が誕生し人間が自然を征服できるようになると、宗教は自然を人間の上に置くのをやめて、超能力者のみを人間の上に置くようになった。
ところが、超能力者を人間の上に置くといろいろ無理なことが生じる。
それは、超能力者がそもそも単純に人間の上の存在といえるほどの者ではないからである。
人間よりも上の存在とまではいえない超能力者を強引に人間よりも上の存在としたために、宗教はあちこちにつじつまの合わないところができ、その結果宗教は曖昧さを帯びてくるのである。
[3423] 無差別主義 h19.7.17
宗教が超能力者を人間の上に置いたためにこれまでの社会はうまく行かなかった。
男を女よりも上に置く男女差別や、白人を黒人や黄人よりも上に置く人種差別は、人間の上下関係についての偏見による誤解である。
人間と人間との上下関係はそんなに単純にひとつの尺度で決められるものではなく、実際には尺度の取り方によって上にも下にもなる複雑なものであり、本当のところは上か下か同じか“わからない”ものである。
例えば、知力ではAさんがBさんよりも優れているが、体力ではBさんがAさんよりも優れている。単純にAさんとBさんの優劣は決められない。[置かれた環境にもよる。]
だから、男は女よりも単純に上ではないし、白人は黒人や黄人よりも単純に上ではなく、性別や人種によって人間の上下関係を単純に決めてはいけない。
同じように、超能力者と人間の関係も、超能力者が人間よりも単純に上なのではなく、本当のところは上か下か同じか“わからない”ものであり、超能力の有無によって人間(超能力者も含む)の上下関係を単純に決めてはいけないのである。
つまり、性別や人種や超能力[の有無]は人間の上下関係を決定する要因とはなり得ないのである。
架空の人間の上下関係を取り去ったあとの人間こそが、実在する本来の人間の姿なのである。
[3424] 人間は他の動物よりも上か? h19.7.17
たしかに、人間は知能においては他の動物より優れているけれども、鳥のように空を飛べないし、魚のように水の中を泳ぐこともできない。
鳥から見れば、空を飛べない人間が自分よりも劣っている者に見えるかもしれない。
[3425] 天皇は日本の象徴 h19.7.18
天皇は政治的存在であると同時に宗教的存在でもある。[天皇は、いくつかの国家権力を持っているから政治的存在であり、また先祖が超能力者だったから宗教的存在でもある。]
つまり、天皇は政治と宗教がつるんでいる(結びついている)ことの象徴なのである。
この世から宗教がなくなれば、政治と宗教の結びつきもなくなるので、天皇もいなくなる。
[3426] 宗教人は特別な人間ではない。 h19.7.18
宗教団体は超能力者の人間に対する優位性すなわち超能力者が人間よりも上の存在であることを利用した犯罪者集団である。[暴力団や政治家はよくテレビの刑事ドラマに出てくるが、宗教団体は出ないので、実際にどんなことをしているのかわかりにくい。]
ところが、超能力者は人間より上の存在ではないので、宗教は成り立たない。
したがって、宗教人が犯罪を犯してもよい理由はもはやなく、宗教人は普通の人間と変わらない。[ただ、これまで宗教人は超能力者の優越性を利用してさんざん悪事を行ってきたので、その仕返しに宗教人を多少は痛い目に合わせてもよい。]
[3427] 上下関係へのとらわれ h19.7.18
人間の上下関係など官僚組織の中で培われた歪んだ物の見方であって[官僚組織の中でも、上の者が下の者に対して何でも命令できるわけじゃない。]、
大宇宙の中ではそんな関係などそもそも存在しないのだ。
[3428] 新しい神学第1原理 h19.7.19
超能力者は人間よりも上である。【古い神学第1原理】
↓
超能力者は人間よりも上でない。【新しい神学第1原理】
[超能力者を人間よりも上に置かないので、もはや宗教の出番はない。]
[3429] 男女平等と暴力問題 h19.7.19
昔は、男が女よりも上の存在とされていた。
今は、性別は人間の上下を決定する要因ではなく、つまり男が女よりも上の存在ではないとされている。
ところで、男は女よりも腕力が強い。
男が女に暴力を振るうのは、男が女よりも上であるとされていた昔のほうが男が女よりも上ではないとされている今よりも多かったと考えられる。
同じように超能力者についても、超能力者が人間を超能力で攻撃するのは、超能力者が人間よりも上の存在とされていた昔のほうが、超能力者が人間よりも上の存在とされていない今よりも多いと考えられるので、超能力者を人間よりも上の存在としなければ超能力者が人間に超能力で暴行を加えることは減ると考えられる。
男女平等だからといって男の腕力を除去しないように、超能力者と人間が平等だからといって超能力者の超能力を除去することはない。[超能力者は人間よりも下の存在ではないから、超能力者の超能力を人間が除去してはいけない。]
腕力で暴力を振る者を牢屋に入れて反省させるように、超能力で暴力を振る者も牢屋に入れて反省させるべきである。[犯罪は能力よりも心の動機の問題である。]
[3430] 超能力者を牢屋に閉じ込められるか? h19.7.19
牢屋の鉄格子を念動力で曲げて外に出るためには、牢屋の鉄格子を変形させるのに要するエネルギーが必要である。
そのエネルギーを念力波で供給するにはかなりの労力を要する。
したがって、念動力を使える超能力者でも脱獄はできないのである。
[3431] 超能力者の超能力を除去すべきか? h19.7.19
超能力者の超能力を除去して超能力をないことにするよりも、超能力者の超能力を活かしたほうが人類にとって利益になると考えられる場合には、超能力者の超能力を除去すべきではない。
人類が超能力者の超能力を研究することによって、新しい技術を手に入れることができ、その技術によって多くの発明品がもたらされれば、人類はより幸福な人生を送ることができるであろう。
[3432] なぜ超能力者は完全無欠とされたか? h19.7.19
超能力者の超能力については詳しいことは[一部の人間を除けば]誰も知らない。
だから、超能力者の超能力を大げさにしておいたほうが宗教にとっては都合がいいので、超能力者は完全無欠な者とされてきたのである。
ところが、実際には超能力者はいくつかのちょっとした超能力が使えるだけで、ほとんど人間と変わらない。
[3433] 天皇について h19.7.19
天皇は、国家が古い神学第1原理つまり超能力者が人間よりも上の存在であることを認めていることの象徴である。
だから、国家が古い神学第1原理を認めなくなれば天皇はいなくなる。
[3434] 世界管理機構(WGO) h19.7.19
世界管理機構が向こう千年間の計画を立てて、それに従って世界各国の政府に指示を出して世界を動かしているのだ。
[3435] 文学と科学の統一 h19.7.19
文学と科学つまり空想と実在とでは、世界の原理が違うけれども、そこに作用する(働く)心は同じである。
だから、例えば、アニメを見ることは、アニメの世界の原理(いわゆる設定)に従いながら心を働かせて話を進めることであるが、その同じ心の働きが実在の世界の原理に従いながら実在についての思考を進めることにも役立つのである。
[3436] 天皇家はバカ h19.7.19
どうしてわざわざ政治家みたいな仕事をするのか?!
『自分が人間よりも上の存在』だったら、一生遊んで暮らせばいいではないか。
[もしも私が本当に『人間よりも上の存在』だったら、一生自分が好きなことをして遊んで暮らすのになあ。]
[3437] 超能力者は宗教の対象ではない。 h19.7.19
宗教の対象は、人間より上の者である。
ところが超能力者は人間よりも上の者ではない。
したがって、超能力者は宗教の対象ではない。
だから、宗教人は超能力者を扱ってはならない。
人類よりもはるかに科学の進んだ宇宙人か100万年以上先の未来人なら宗教の対象になるだろう。
[3438] 宗教団体はどうやってお金を稼いでいたか?☆☆ h19.7.20
日本国憲法に天皇制があることは、日本国すなわち日本国民全員が超能力者が人間よりも上の存在であることつまり超能力者の命令に人間が従わねばならないことを認めていることになる。
そこで宗教人は日本中の会社を回って、「超能力者の命令に従わないと日本で仕事ができないようにするぞ。」と言って、超能力者(私と天皇。2代目以降の天皇は超能力者ではないが、超能力者だった初代天皇の子孫ということで準超能力者とみなされている。)の確固とした承認を得ずに自分たちが超能力者の言行をもとにして自分たちだけで勝手に作った命令に日本中の会社を従わせているのである。
その際、暴力団が商店街の店から見回り代を取ったり、日本政府が国民から税金を取ったりするように、宗教団体は会社からいくらかのお金を取っているのである。[企画会社が企画を売ってお金を稼ぐように、宗教団体は命令を押し売りしてお金を稼いでいるのである。私は(九州大学物理学科4回生のとき誰かからもらった4万円以外は)宗教団体からお金をもらったことがない。]
こうして、宗教団体は古い神学第1原理を使ってお金を儲けていたのである。
[3439] 私ネタの商品について h19.7.20
この前私が古い神学第1原理を新しい神学第1原理に変えたから、もはや宗教は成り立たない。
したがって、これまでのことは大目に見て許せても、今後は私ネタの商品を作って売ることは、もはや私に対するプライバシー違反、私に対する嫌がらせ、私に対する攻撃にほかならない。[実際、テレビ番組には宗教人への私に対する攻撃の指示内容が含まれていることがある。」
よって、今後は、このような行為は一切禁止する。つまり、私をネタにして新しい製品・作品を作ってはならないし、これまでに作った製品・作品を売ってもならない。
[3440] 日本政府の方へ h19.7.20
あんたらみたいな[カンニングのしすぎで知覚が壊れた]誇大感情(誇大欲)だけが膨れ上がったキチガイのなりかけの者に誰が従ってたまるか。
[いつまでまちがった天皇制を置き続けるつもりなのか?!]
[3441] 先進国と後進国 h19.7.20
『先進国が後進国よりも上の存在であり、先進国が後進国を支配する。』構図は前世紀で終わった。
今後は、国と国との上下関係にこだわらず、互いに交流を深めることが望ましい。
[3442] 天皇はわかっていない。 h19.7.20
天皇は自分が何者であるかがわかっていないし、
自分が何をしているかもわかっていない。
しかも、自分で何も考えようとしない。
だから、何もわからないままだ。
[3443] どうして初代天皇は偉かったのか? h19.7.20
昔はたいして強力な武器がなかったから、超能力のようなわけがわからないものが物を言ったのだ。
今は、戦車や核ミサイルなどの強力な武器があるから、超能力はさほど珍重されないのである。[科学的対象としては興味深いが。]
[3444] 『荘子』 h19.7.20
私の母親はちょっと難しいことがあるとすぐ「わからない」と言う。
「わからない」が私の母親の口癖である。
私が超能力を学んだのは、私の母親からである。
幼少の頃の私は念動力が使えたそうだが、私の母親も、身体から光を出したり、3秒間20歳若返ったり、優しい霊気を出して近くにいる者の痛みを和らげたりすることができる。
我々は本来わからないことを単純に割り切って無理やりわかることにして、そのことが実在の真の姿を見失わせているのではないだろうか?
我々は本来区別のないところに不自然な区別をつけながら生きている。
つまり、我々は“余計な区別のある世界”の中で生きているのである。
「わからない」ことが自然の理解にとって重要なことを説いたのは、中国の道教思想である。[反対に、「わかる」ことの重要さを説いたのは儒教である。自然科学の創始者の一人であるデカルトは、『物体の位置だけで物体のすべての性質が決まる』と言った。]
『荘子』は仙術すなわち超能力の入門書ではなかろうか。
科学も超能力も軌を一[きをいつ]にするもの(つまり、本質は同じ)であり、科学は結局超能力の理解にたどり着けるのではないだろうか。
[3445] かわいいとは? h19.7.21
かわいいに定義はない。
だから、女の子に対して「かわいい」と言えば、誰にでも当てはまる。
だから、男の「かわいい」を本気にしてはいけない。
[3446] 天皇の存在意義について h19.7.23
国家が古い神学第1原理すなわち『超能力者が人間よりも上の存在である。』ことをどの程度認めているかは直接に眼で見えないのでわかりにくい。[宗教団体は古い神学第1原理を利用して裏で汚いお金儲けをしている悪の組織である。一方、国会は日本国憲法に規定された天皇の特権を認めているだけで、古い神学第1原理そのものを用いてはいない。]
そこで、天皇を置いて国家が古い神学第1原理をどの程度認めているかを、天皇の暮らしぶりを具体的に眼で見ることによって広く国民にわかるようにしているのである。
いわば、天皇は古い神学第1原理の日本国における容認度のバロメーター(測定器)としての役割を果たしているのだ。
[3447] 超能力者は超能力の専門家 h19.7.23
幼い頃の私は超能力を母親から学んだ。
だから、私の母親も(広義の)超能力者である。[ただし、私の母親は念動力は使えない。だから、厳密には超能力者とは言えない。]
ところが、私の母はめっぽう科学に弱い。
超能力者は、私の母のように、超能力についてはよく知っているけれども、科学的なことはよく知らないことがある。[電気ウナギが電気のことを知らなくても体内の発電器官で電気を発生して他の動物をしびれさせることができるように、超能力者は超能力の原理までもは理解していないけれども超能力の使い方についての知識は持っているのだ。(超能力者が超能力の原理を理解していけないわけではないが。)]
つまり、超能力者は自然(実在)について何から何までわからないのではなく、自然の中の超能力についてはその他の人よりも詳しいのである。
生物学者が物理学のことには詳しくないけれども生物学のことには詳しいように、超能力者とその他の科学者とでは自然(実在)に対する見方・とらえ方が違うので、超能力者にとって科学がわからないように、逆に科学者にとって超能力がわからないのだ。
しかし、超能力者も科学者も、自然(実在)を対象としていることでは同じである。
つまり、超能力者も科学者の一人というわけである。
[3448] 超能力者がめったに現れない理由 h19.7.23
人間が生きて行くために超能力が必要不可欠ならば、みんなが超能力が使えるはずである。
その点、超能力は人間が生きて行くためにはあまり役に立たない能力であると考えられる。
そのため、超能力者はめったに現れないのである。
ただし、超能力の科学的応用が人間が幸福に生きて行くために役に立つかもしれないので、超能力を粗末にしてはならない。
量子力学も誕生当初は何の役に立つのかわからなかったが、量子力学でトランジスターが出来たように、超能力学からも偉大な発明がもたらされるかもしれない。
[3449] 人はなぜ大脳が大きいか? h19.7.24
最初にサルからヒトへ進化したサルの大脳はそんなに大きくなかった。[だから、最初の超能力者の超能力も、そんなにすごいものではないはずである。]
少しずつ大脳が大きくなって今の人類に達したのだ。[今後も、大きくなり続けるだろう。]
つまり、最初にサルからヒトに進化したサルは、“世代を重ねるごとに少しずつ大脳が大きくなる遺伝子”(形質の変化を決める遺伝子)を持っていたのだ。
つまり、生物の進化は環境による自然選択によってもたらされるのではなく、生物自体が持っている“形質の変化を決める遺伝子”によってもたらされるのである。
[3450] 人体自然発火 h19.7.24
空気の乾燥した日に、衣服がこすれて生じた摩擦電気の火花が体内で発生したメタンガス(オナラ)に引火したものだろう。
[3451] 天皇とは何か? h19.7.25
天皇とは、超能力者であった初代天皇(どんな超能力かは私は知らない。たしか、タカがピカッと光るのでしたっけ?でも、それならそのタカの超能力でしょう。)の子孫である。
これ以上でも、これ以下でもない。
天皇を超能力者の子孫として扱うなら、それは正当と見なされる。[今の天皇の扱いはどう見ても正当ではない。だから、今の天皇の暮らしぶりを見て、それを逆算して超能力者にふさわしい待遇や特権を決めてはいけない。たぶん、今の天皇に与えられた待遇や特権を日本中の人が大げさすぎると思っているであろうし、おそらく天皇自身もそう思っているはずだ。]
今の天皇に何か才能があればそれも認める。
あるものをないものにはできないし、ないものをあるものにもできない。
[3452] 仁 h19.7.26
仁とは主体性、つまり自分で考えようとする気持ちである。
仁の感情のない者は、自分で考えることがないから、他人の言いなりである。
[3453] 『人間は見かけではない、心である。』 h19.7.26
この言葉の意味は、いくら見かけがかっこよくても心が楽しくなければ幸福ではない、逆に心が楽しくさえあればたとえ見掛けは多少かっこ悪くても別に困りはしないと言うことである。
私は子供の頃母親が好きだったし、母も私が好きだった。それは同じ屋根の下でいっしょに暮らすなら、家族の者を嫌いになるよりも好きになったほうが幸福だからである。
ただ、今の私は母があまり好きではない。なぜなら、私の母も父も考えながら生きていないからである。[学校卒業したら、考えないでいいと誰が言った?!]子供に対する教育も無責任な放任主義であり、そのせいで私と私の弟の人生がうまく行かなかった。[1,2回やってみてうまく行かなかったからと言って、放られた子供の身にもなってみろ!私ならうまく行くまで、何度も考え直してやってみる。子供を幸福にすることは、子供を作った親の義務だ。]
逆に、私の母にとっても今の私が好きではないだろう。でも、それは子供の教育をまじめに考えてやらなかったことの罰だと見なされてしかるべきだ。
[3454] 女とは何か? h19.7.26
化粧とかファッションとかの五感界への囚[とら]われは、たんなる馬鹿さであって女性の本質ではない。男でも馬鹿は化粧やファッションを平気で楽しんでいる。賢い女性はあまり身だしなみに気を使わない。[私の母の悪いところは、女を馬鹿だと決め付けて自分で考えようとしないことだ。それは男尊女卑の名残であって、根拠のない迷信にすぎない。自分が怠けるために古人のまちがいを利用してはいけない。馬鹿な母より聡明な母のほうが素敵だ。子供にとってもそのほうが幸福である。数学の2次方程式の知識そのものは要らないが、論理的思考は日常生活において必要不可欠だ。]
男に男性子宮や女に陰核亀頭があるように、男も女も持っている感情の種類は同じである。しかしながら、個々の感情の活動の強さが男と女とでは生まれや育ちによって違っている。
やはり、『女性は子供を産む』から、女性は子供や家事を第一に考えるべきだろう。[強制はしないが。]つまり、男と女の違いは、子供への愛情が弱いか強いかの違いなのだ。
個人の感情の状態は、素質と環境の両方で決まる。個人は、なるべく自分が幸福であるように、自分の感情を調節して働かせるべきである。
[3455] 女性は子供の専門家 h19.7.28
女性は馬鹿なのではなく、ただ男と女では知っていることが違うだけだ。
私の父親は「女性は子供を産むから、当然子供のことについて詳しく知っている」と思って、子供の問題はすべて母親任せにしていた。そして、自分は仕事に打ち込んでいた。
ところが、母親は「男の子のことは女の私にはわからない」と言って、何も教えず放任していた。そのせいで、私も私の弟も不良になってしまった。
子供を産んだ女性が子供の教育について知らないでは済まされない。男の子のことがわからなければ、わかるまで考えろ!他人の書いた本を参考にするのもよい。[私も自分で哲学を考える前に、デカルトの本を読んだ。]子供が不良になる前に、子供をよい大人にする方法を見つけなければならない。[世の中には自分の子供を立派な大人に育てた母親がいるから、正しい子供の育て方が存在するはずだ。それをすべての子供に適用すればよい。学校の教育だけではない、全人的な(人生全体に亘[わた]る)教育が必要なのだ。よい社会はよい人間を作ることからだから、子供の教育は大事である。]
女性は子供の教育の専門家でなければならない。女性は馬鹿ではすまないのだ。
[3456] 女は男よりも馬鹿か? h19.7.28
統計的に女が男よりも馬鹿だからといって、それを個人的な女性にまで当てはめてその女性が実際にいくら優れていてもその女性を馬鹿だと見なすのは論理的に不当である。
それに、統計では学校のテストの成績しか評価されず、それ以外の花嫁修業とか家事を手伝うとか家業を継ぐとかいった人生において学校の試験よりも大事なことが全然評価に入れられていない。そんな偏見で人間を評価しても、人間の真価は測れない。[いくら国家試験でいい成績をとっても、自分の考えを述べられなければよい政治家とはいえないのと同じことである。]
つまり、具体的な個人をあらゆる尺度で評価しないかぎり、実在における正当な評価とはいえないのである。
男が女の知らないことを知っているように、女は男の知らないことを知っているから、女は男よりも馬鹿だとは言えないのである。[この度の超能力の例のように、私の父親は知らないが母親は知っていることがある。しかも、超能力の使い方はいまだ言葉になってはいない。幼少の頃の私は、母親から以心伝心で(つまり、言葉を介さずに)超能力の使い方を学んだのだ。)]
[3457] 私ネタのアニメやドラマを作った者に対する罰について h19.7.29
私ネタのアニメやドラマを作ったことに対し納得のいかない者は、私ネタのアニメやドラマを作った者を気が済むまで殴ったり蹴ったりしてよい。[その際、道具を用いてもよい。自分の手や足が痛くなるのが嫌な者は、体格のいい者に(有料で)代行してもらってもよい。]
[3458] 性欲が悪い理由 h19.7.30
1)性欲で満足が得られると、『欲求充足の原理』より、他の知覚欲や愛情を満足しなくなるので、人間の実在への適応度が低下し、幸福でなくなる。
2)性欲中枢が興奮すると、『関連性興奮』より、性欲中枢の近くにある焦燥中枢や抑鬱中枢などの感情が興奮しやすくなり精神病にかかりやすくなって危険である。
したがって、性欲はなるべく活動させないほうが幸福である。
[3459] 私の母親について h19.7.30
私の母親は、ちょっと難しいことになるとすぐに「わからない」と言う。
しかし、それは物事を曖昧模糊にするためではなく、むしろ「わからない」と思い切って捨ててしまうことによって認識の明晰判明さを保つためである。
つまり、私の母はぼんやりした性格ではなく、はっきりした性格である。
私の母も父も子供の頃は戦争だったので、生きていくのが精一杯でまともな教育を受けられなかった。それで、小学校卒業程度の知識しかない。
つまり、私の母は『F=ma』を知らない。
しかし、私の母はそのはっきりした性格でもって日常の具体的経験から独自に考えを進めて実在界のある法則を知るに至った。
それが『超能力原理』である。[ただし、言葉で表されてはいない。]
だから、私の母は若干の(広義の)超能力を使うことができる。
幼い頃の私は、母親が超能力を使うのを見て、超能力の存在を知り、母親の真似をすることによって自分も超能力が使えるようになり、さらに自力で考察を深めて念動力が使えるまでになったのだ。
[3460] 日本の神話 h19.7.30
神武天皇はおそらく超能力者ではあっただろう。
ただ、政治家や王ではないから実際には国家統一はしなかった。
だから、日本の神話は神武天皇の超能力をネタにして国家統一の物語にした神武天皇を盛り上げるための作り話である。
[3461] 政治家が私の哲学日記を仲介するな! h19.7.30
政治家が私の書いた哲学日記を読んで、それを自分の都合のいいように歪[ゆが]めて解釈して法律を作ってはならない。[自分にとって都合のいい部分だけを選択してもいけない。]
これでは宗教家のしてきたことと変わらない。
政治家や宗教家やその他の者が私の哲学日記を仲介して他の者に命令を出してはならない。
国民や世界の人々は、私が書いた原文をそのまま読んで自分が正しいと考えることに従えばいい。[どうせ日本の法律なんかいいかげんな作り事だから、国民や世界の人々は自分が正しいと信じる考えに従って行動しなければならない。]
[3462] 女とは何か? h19.7.31
女とは『子供を産む者』である。[強制はしない。他の喜びで生きて行ける女性は強いて子供を産まなくてもよい。]
したがって、子供に対する愛情は女のほうが男よりも強い。
だから、育児(と家事)が女の仕事である。[おいしいごはんとおかずを作れば、子供の喜ぶ顔が見れる。家をきれいに掃除すれば、子供がかゆがらずにすみ、子供がアレルギーにならないし、子供の皮膚が敏感になり頭のいい子に育つ。赤ちゃんのうんこで汚れたおむつを自分の手で洗濯板を使って洗濯すれば、それだけ愛情が深まる。(愛情は深めれば深めるほど、その喜びが増す。)]
したがって、女には育児(と家事)に関する知識と技術が要る。[だから、女は馬鹿では済まない。]
その他の属性(例えば、美しさとか馬鹿さとか弱さとか)は、女性ひとりひとりの個性であって、女性一般の(つまり、すべての女性に当てはまる)性質ではない。
[3463] 私の母親の出す霊気について h19.7.31
私の母親は霊気が濃い。[霊気とは、身体から周囲の空間に放射される感覚波のことである。]
とくに、私が子供の頃はねっとりするほど濃かった。[身体の周りの空間の状態が変化していると言うことである。]
私はこれまでの人生で、母以外にも濃い霊気の出る女性に3人ほど会ったことがある。しかし、霊気が濃いだけで、霊気の味が馬鹿でかいスイカのように大あじで美味くはなかった。
私の母の出す霊気は、もっと複雑でいろんな味わいを含んでいてつねに優しさを帯びている。[私の母もときどき怒ることがあるが、怒るときには霊気を出さずに手や足を振るう。それも子供を直に殴ったり蹴ったりすることはなく、他の物にやつあたりする。私が母の出す霊気を感じることができるのは、私の脳に霊気を感じる器官があり、母の出す優しさを帯びた霊気がその器官のある脳の部位に達すると、その器官が優しさの霊気を特定のインパルス(電気信号)に変換し、そのインパルスが私の心の中にある優しさの感情を神経興奮させる結果、私には優しさの感情が感じられるのである。(五感による具体的表現を介さない抽象的なコミュニケーション。)その優しさがあるから、人と人とがくっ付くのだ。]
超能力(念動力)を発現するためには、強い霊気を出すことよりも幅広い霊気を出せることのほうが大事なのだろう。
[3464] 実在主義は幸福への道 h19.8.1
人間は幸福であるべきである。
人間は実在に適応することによって幸福になれる。実在に適応していない人間はいずれは不幸になる。
したがって、すべての人間は真理に従うべきである。
他人を真理に従わせることのできる者が他人を支配(管理)すべきであり、他人を真理に従わせることのできない者が他人を支配してはならない。[支配者(管理者)の条件]
[3465] 学校よりも家庭のほうが大事。 h19.8.1
学校は、国語・算数・理科・社会などの勉強を教える所である。
家庭は、学校で教える勉強以外のことを教える所である。
勉強以外のことがわかっているから勉強がわかるのであって、勉強以外のことがわかっていないから勉強もわからないのだ。
つまり、家庭は学校の支えであって、子供にとっては学校よりも家庭のほうが大事なのである。
[念のために、勉強以外のことを学校で教えても悪くはない。私の両親のように、学校で修身(道徳)まで教えてくれると思っている親も少なくないからである。性に関することを人前で話しにくくしている現在の世界の習慣も改めるべきである。]
[3466] 黒人とは何か? h19.8.1
黒人とは『色が黒い者』である。
その他の属性(馬鹿とか性欲が強いとか肉体が強いとか)は、黒人ひとりひとりの個性であって、黒人一般の性質ではない。
[3467] 神の本質(復習) h19.8.1
シャカの『無の思想』とか、キリストの『愛の思想』とかは
超能力のおまけにすぎない。[私はシャカやキリストがどんな超能力を使えたのかは知らないが。]
その証拠に、日本の神武天皇は神ではあるが思想がない。
神の本質は超能力にあるのであって、思想にあるのではない。
神とは超能力の専門家であって、思想が必ずしも正しいわけではない。
今日的にはシャカの「五感の否定」もキリストの「知覚の否定」もまちがっている。[宗教が神の作った下手糞哲学で儲けているだけだ。知覚だけで直接に事物の本質を見ることができると考えている点で、シャカの仏教はプラトンのイデア論と同じものである。]
シャカやキリスト以外の神についても同様である。
[3468] 母の心霊体験 h19.8.2
1)おばあさんが日蓮宗に入っていたので、母は死後の世界の存在を信じている。私が福岡にいた頃、母といっしょに朝倉の3連水車を見に行ったとき、近くの川原で「孝雄(白血病で死んだ私の弟)も鳥になって今頃空を飛んでいるかしら。」と言っていた。[私も子供のころ幽霊の存在を信じていて、中岡俊哉の心霊写真が本当に怖かった。]
2)母が子供の頃、妹や近所の友達といっしょに川原で夕涼みしていると、急に人魂が現れて逃げても逃げても後を追いかけてきてすごく怖い思いをしたそうだ。[早稲田の教授は人魂がプラズマだと言っているが、私の母親が見た人魂は霊視能力のある者にしか見えない特別な物だったかもしれない。]
3)母が子供の頃、教室で水泳の選手に選ばれたが泳ぎが苦手だったので断りきれずに嫌だ嫌だと思っていたら、次の日先生が何も言わないのに別の人に代えてくれた。[一種のテレパシーではないだろうか。あるいは、先生が母の表情を見て気を利かしてくれたのかもしれない。]
これ以外にもあるかもしれないが、私が子供の頃母から聞いた話はこれだけだ。
[3469] 科学と超能力 h19.8.4
アインシュタインが『相対性理論』を思いついて、その理論に従って手を動かして原爆を作ることと、
ある者が『超能力原理』を思いついて、その原理に従って自分の超能力器官を動かして超能力を発揮することとは、
広い意味で同じことと言えるのではないか?
違いは言葉による表現があるかないかだが、『超能力原理』だって表そうとすればできないことではないはずだ。
アインシュタインが危険人物でないのなら、超能力者だって同じはずだ。
[念動力では風力程度の力が生じるだけだから、原爆よりもずっと安全なはずだ。念動力は、赤ん坊が母親の霊気が濃いのを真似て発揮できた力であって、霊気を介する力だから、それほど強力ではないはずだ。]
『超能力原理』を用いて機械を作るのなら、規制が利くはずだ。
[3470] 死後の世界について h19.8.4
シャカの仏教もプラトンの哲学と同じく、人間の肉体から分離した魂の存在を認めており、死後の世界の存在も認めている。
キリスト教でも同様である。
しかし、私の実在哲学によれば、魂とは感覚のことであり、『哲学第1原理』より感覚は脳細胞の神経興奮によって発生するので、死んで脳細胞の神経興奮がなくなれば、つまり魂もなくなる。したがって、人間の魂からなる死後の世界も存在しない。
つまり、仏教の法事のようなことはやらなくてよい、むしろ“魂の不死性”がまちがいだからやってはならないのである。[我々は仏教のいいなりになってはいけない。]墓も建てなくてよい。
我々は汚らしい作り事で固めた仏教のくだらない法事なんかに付き合う必要はない。
[3471] コックリさん h19.8.4
“コックリさん”は他人の考えていることを覗[のぞ]こうとすることだから、テレパシー能力すなわち幻聴中枢を覚醒することにつながる。だから、コックリさん遊びはしないほうがいい。
念動力は物を動かすだけだから、やろうとしても害はないはずである。[2〜3回やってみてできなければ、諦めたほうがいい。]
[3472] 仏教と日本神道の関係 h19.8.4
我々がお寺に頼んで仏教の法事をやってもらうことは、我々が「古い神学第1原理」を認めたことになり、それは日本神道の正当性を認めたことにもなる。
このように、ひとつの宗教のしきたりに従い、ひとつの宗教を認めることは、他の宗教を認めることにもつながるのである。
こうして、「古い神学第1原理」を介して宗教同士はつながり合っている。
したがって、反対にひとつの宗教を認めないことは、「古い神学第1原理」を認めないことになり、他の宗教を認めないことにもつながる。このようにして、宗教を一網打尽にすることができる。
科学的世界観を肯定することは実在を肯定することであり、実在を肯定することは神を超能力を専門とする科学者と認めることであり、したがって「古い神学第1原理」を否定することになり、つまり宗教を否定することになる。[数学者のラマヌジャンが自分で証明がわからなくても具体的な数式が書けたように、超能力者は自分でその原理がわからなくても超能力(念動力)が使えるのである。たとえ自分でわからないとはいえ、ラマヌジャンの頭の中に数学のアイデアがあったように、超能力者の頭の中にも超能力のアイデアすなわち『超能力原理』があったことは確かである。たとえ言葉にならずとも『超能力原理』を知っていたという点で、超能力者は超能力の専門家つまり超能力についての科学者と見なせるのである。]
我々は日常生活において論理的に矛盾することをしてはならない。つまり、科学と宗教が混在した世界を作ってはならないのである。
[3473] 念動力理論 h19.8.5
人間の大脳には霊磁気(感覚波の一種。電磁気の磁気ではない。)を発生する器官(念動力器官)がある。[すべての人間に念動力器官があるかどうかは知らないが。]
念動力器官で発生した霊磁気と霊磁気を持っている他の物質との間に力が働く。
これが念動力の正体である。
[3474] 念動力ですべての物質が動くわけではない。 h19.8.5
磁石は磁場を発生する。物質には、磁場中に置かれて磁石になる物質(鉄など)と磁石にならない物質(ガラスなど)がある。磁石になる物質は磁石にくっ付き、磁石にならない物質は磁石にくっ付かない。
同様に、人間の大脳にある念動力器官は霊磁気を発生する。物質には、霊磁気中に置かれて霊磁石になる物質とならない物質がある。霊磁石になる物質は念動力器官とくっ付き、霊磁石にならない物質は念動力器官にくっ付かない。
だから、すべての物質が念動力で動くわけではない。例えば、私が赤ん坊の頃発現した念動力では“天井から吊り下げたプラスチック製のガラガラ”が動いたから、プラスチックは霊磁気に反応して霊磁石になる物質(霊磁性体)であるといえる。その他の物質はたぶん霊磁気には反応しないのだろう。磁気ではプラスチックは磁化しないから、霊磁気は磁気とは別の物である。
霊磁気をうまくコントロールすれば、霊磁石になる物質をかなり思い通りに動かすことができる。例えば、化学実験で使うタンブラーの撹拌子のように、スピン角運動量を霊磁石になる物質に与えてその物質をスピンさせる(その場でクルクル回す)ことができる。[電磁波が光であるように、霊電磁波も霊光だから光って見えるのかもしれない。(ただし、光と霊光は混同しやすいから注意しなければならない。)]
私が赤ん坊の頃に念動力で天井から吊るしたプラスチックのガラガラを回したのは、いわば自分の脳にある念動力器官を用いた霊磁気の物理学実験であると言えよう。
[3475] 磁気と霊磁気の違い h19.8.6
磁気はそれを発生する磁石の周りに双極子状に広がるが、
霊磁気は磁気よりも指向性が高い場であって、念動力器官を起点として特定の方向に強い霊磁場を発生させることができる。
[磁気と霊磁気とでは基礎方程式が違うので、磁石に対する場の分布(つまり、指向性)が違ってくるのである。]
[3476] 神とは何者か? h19.8.6
神とは、『霊磁気を用いた技が使える者』のことである。霊磁気を用いた技には、霊光や念動力などがある。[『超能力原理』は念動力器官の使い方についての知識である。]
神のその他の属性(例、思想が優れている、美形である、威厳があるなど)は、神ひとりひとりの個性であって、神一般の性質ではない。
[3477] 天使の輪 h19.8.6
美術品などに見られる“天使の輪”は、画家の想像ではなく、事実だろう。
天使の輪は、念動力器官(霊磁石)を持った赤ちゃんが念動力器官を働かせて霊電磁波を発生させて作った霊光の輪なのだろう。
天使の輪が他人に見えるのは、
1)他人の脳に霊光を見る眼がある。[感霊光剤を使えば、霊光を写真に撮れるかもしれない。]からか、または
2)霊光が電磁場と相互作用して電磁波(光)を発生させ、その光を肉眼で見る。
からであると考えられる。
[3478] 私の親の放任主義教育について h19.8.7
子供の主体性を大事にして育てることはまちがってはいない。[高知県民気質は個人主義なので、土佐弁には偉さの概念がない。]
でも、誰にでも当てはまる真実は子供にも守らせるしかない。
その真実を子供に守らせなければ、子供の主体性も成り立たなくなるだろう。
[3479] 日本政府について h19.8.7
公務員は、国民のためにはほとんど仕事をしないのに、自分たちの生活費を税金として国民からふんだくっている。
公務員は役立たずの乞食の群れだ。[日本中に公務員の屍の山を築け!]
公務員に払う金なんか自分が納得行く分だけ賽銭箱に入れて払うようにすればいい。
私のような貧乏人は、他人にお金を恵んでやる余裕なんかないのだ。
[3480] 幻聴はなぜ遠く離れていても聞こえるのか? h19.8.7
地球から遠く離れた夜空の星が肉眼で見えるなら、何百キロも離れた所にいる人からの幻聴(テレパシー)が聞こえても不思議ではない。[光が量子化されているように、幻聴波も量子化されているはずだ。]途中に山を挟んでいても、幻聴波が山と相互作用しなければ山を楽に突き抜けることができる。
[感覚波にはいくつかの種類があり、幻聴波や感情性の感覚波(霊、私の母の優しさを帯びた霊気など)は遠くまで届くが、念力波は1〜2mまでしか届かない。それは、幻聴波が幻聴器官でしか感じられず、つまり幻聴器官としか相互作用しないために遠くまで届くのに対し、念力波は相互作用できる物質(例、プラスチックなど)が多いために遠くまで届かないのである。念力波で動くのは有機物質だけだろう(予想)。]
[3481] 神とは何か? h19.8.15
神とは、身体から放射される霊気を使って霊光や念動力などの霊現象を発現する者のことである。
神は霊気を用いていくつかのことができるだけで、けっして何でもできるわけではない。もちろん、他人の願いをかなえることなんかできはしない。
神は霊能力者つまり霊気を使える特殊な人間のことであり、けっして人間よりも上の存在者ではない。だから、人間が無条件に神に従う必要はない。
そもそも神の母親が濃い霊気の持ち主であり、神は乳幼児期に母親の濃い冷気を見てそれを真似てさらに発展させ霊光や念動力などの霊現象を使えるようになったものと考えられる。
霊気は、力学のポテンシャル場や電磁場のように自然界に存在する場のひとつであると考えられる。(私は、感覚波と呼んでいる。)
霊気(感覚波)に関する現象は、現在の物理学では解明されていない未知の分野であるが、いずれ将来においては科学によって解明されることになるであろう。
[3482] ゲームの面白さについて h19.8.15
ゲームの面白さなんか勝ち負けと関係ない。
ゲームそのものの持ち味が大事なのだ。
[麻雀なんか地味だ。もっと面白いPCゲームがある。昨今のパソコンの進歩がゲームの飛躍的進化を可能にした。パソコンが登場する以前のゲームはあまりにも地味でつまらない。例えば、平安京エイリアンやインベーダーのほうが将棋や麻雀よりずっと興奮的だ。]
つまらないゲームを我慢してやってると、人生の貴重な時間が無駄になる。
ゲームと言われているから面白いのではない。勝ったからといって面白いわけでもない。
面白いゲームだけが面白く、面白くないゲームはつまらないのだ。
面白さは、何のゲームで遊んでいるかによるのであって、勝負の勝ち負けには(あまり)よらないのだ。
負けても面白い、それが真のゲームだ!
[面白いゲームをするには、パワーの強いパソコンが要る。値段が張るが、まずそれを購入しなければならない。(私のHushはいまだ修理中。修理に出してから6ヶ月にもなる…)]
[3483] 男は自由だ。 h19.8.15
女性は『子供を産む者』である。
しかし、男の私としては、そんな重荷[おもに]を背負わされるのはごめんだね。自分の人生がそんなことに縛り付けられて他のことがやれないのは嫌だ。[私は子供の頃からクラスの級長や生徒会の役員をするのがいやだった。それは、自分が他にやりたいことがあるのに、そんなことで自分の自由時間を奪われるのが嫌だったからだ。]
女性の真面目さは、そんな重荷を背負わされて自分の人生に絶望している気落ちから来るのだろう。
人間は、自分がやりたいことがやれるのがいい。自分がやりたくないことをやらねばならないのは嫌だ。つまり、人生は遊びのためにあるのであって、仕事のためにあるのではない。
[3484] 女性の生き方 h19.8.15
女性は『子供を産む者』である。
子供を産むと決めたら、自分の人生は夫や子供に関することに費やされてしまい、自分の生き方が家事と育児で大方決まったようなものである。(女性のその他の仕事は、家事と育児の合間にしなければならない。)[学校や大学で学んだ知識は、家事や育児にとってほとんど役に立たない。だから、学校や大学での勉強は、知識を得るためではなく、自分の知性を鍛えるためにあると考えてやればいい。つまり、知識よりもセンスだ。男性にとっても女性にとってもセンスが大事だ。]
しかし、子供を産まない選択もある。
女性なら、誰だってキュリー夫人やコワレフスカヤのようになれる可能性があるのだ。
子供を産まなければ、女も男も差はないのだ。
[3485] 男性の生き方 h19.8.15
人間は自分がやりたいことをやれるのがいい。
しかし、そのためには生きていなければならない。
生きるためには、何らかの仕事をしなければならない。
つまり、やりたくないことでもやらねばならない(ことが多い)。
しかし、だからといって、やりたくないことを肯定してはならない。つまり、やりたくないことをやりたいと考えて、やりたいこととやりたくないことの区別がつかなくなってはならない。そんなことをしたら、感情がなくなってしまう。
それは、ただ、現在の科学技術が遅れているために、やむを得ずやりたくないことでも我慢してやらなければならないというだけのことなのだ。
けっして、人間本来のあるべき姿ではない。
未来の社会では、みんなが自分のやりたいことをやって楽しく生きて行けるようになるだろう。[今から20年前に、誰もがハンドヘルドコンピューターの実現を嘲[あざわら]っていたように、そんな夢のような社会もかなり近い将来に実現するかもしれない。]
[3486] 他人への攻撃は禁止 h19.8.15
人間の心の中には、他人に攻撃したい感情がある。
しかし、他人への攻撃は、個人の独立性を損ね人間の自由な生き方を否定することになるのでよくない。他人の生活に(他人の同意を得ずに)干渉するのは、せっかく他人が満足している感情をわざわざ自分が邪魔して満足できないようにすることであり、他人の感情は他人の物であって自分の物ではなく、自分が他人の物を破壊することだからしてはいけない。
他人への攻撃以外で、自分のやりたいことをすればいい。【人間社会のルール】
ただし、ゲームやスポーツのようにルールを守って他人に攻撃?するのはかまわない。
[3487] 戦争 h19.8.15
そもそも戦争が成り立つためには、“人間が人間を殺してもいい”ことにしなければならない。
それは人間にできることではなく、人間よりも上の者にしかできないことである。
だから、これまで人間よりも上の存在と考えられた神によって戦争が始められたのだ。
しかし、今後は神すなわち超能力者は人間よりも上の存在ではないから、もはや誰も戦争を始めることができないはずだ。
[3488] 日本の製品 h19.8.15
パソコンにしても腕時計にしても、日本の製品はみんな灰色だ。(形も似たり寄ったりだ。)
中国の製品のほうが、ずっとカラフルだ。[Amazon.co.jpのインターナショナルサイトで調べた。]
中国は神のいない(つまり、超能力者を人間よりも上の神としない)国だから、製品を自分たちの好きなように作ることができる。[中国の七福神(八仙)は、中国の超能力者だったかもしれない。中国の八仙はもとはみな人間だったと言われている。私が超能力を発揮したのは2歳頃で、生まれてすぐには超能力者ではなかったので、私と同じだ。]
日本の製品が灰色なのは皇室のせいなのだろう。[あるいは、日本は国土が狭いから集団心理が強いためなのかもしれない。]
[3489] 中国の超能力科学 h19.8.16
日本では超能力者が人間よりも上の神とされるのに対し、中国では超能力者が神とされないのだから、超能力者を神とするかしないかはたんなる国の取り決めにすぎない。取り決めによって超能力者は人間より上になったりならなかったりするわけだから、神とはいい加減なものである。私は、中国のほうが超能力者に対する正しい見解であると考える。ちょっと変わった人間を見て大騒ぎをしている日本人のほうが、世間知らずの田舎者だ。
中国には気功とか太極拳とか風水とかがあって、古くから超能力が科学されている。一方、日本は天皇を人間よりも上の神として大げさに崇めてきただけで肝心の超能力については何も考えていない。日本が超能力者に対して感情的になって超能力者の真の姿を見失っているのに対し、超能力に対して冷静な目を向けられる中国のほうが知的に優れているといえる。日本が超能力者を人間よりも上であるとかないとか言ってもめている間に、中国ではそんなことお構いなしで超能力の研究をしているわけだから、つくづく日本人というのはつまらないことにこだわって真実を見ようとしない面白くない民族なのだと思う。
これまで中国がヨーロッパ文化を取り入れなかったのは、ヨーロッパ社会が神を認める文化だからである。一方、科学はニュートンが無神論者であったように神のいない世界だから中国も受容できる。中国がヨーロッパ文化をなかなか取り入れられなかったのは、ヨーロッパ文化を宗教と科学に分けるのに時間がかかったせいである。でもそれだけ文化の受容が日本よりも慎重に行われているわけで、中国が中国文化の優れた点と西洋文化の優れた点を合わせてうまく中洋折衷できれば、まさに理想の文化を築き上げたとも言える。日本は他国の文化をなんでもかんでも受け入れて、優れたところも劣ったところも取り入れるので、いつまでたっても文化が成長しないのだ。
[3490] 神制度は人類による壮大な実験である。h19.8.16
実在に反する法に従ったら、
実在に適応できなくなる。
人間にとっては実在に適応することが幸福であり適応しないことが不幸だから、
実在に反する法を決めることは人間を不幸にすることである。
このことは、科学を見れば明らかなことである。ニュートンが力学の正しい法則を発見して以来、生活に便利な発明品がたくさんできて、人類ははるかに幸福になった。
超能力に関してみても、超能力は人間なら誰でも多かれ少なかれ持っているものであり、
超能力者はその超能力に長けた人間であって、人間を超える存在者ではないから、
“超能力者を人間よりも上に置く”法(神制度)は実在においてはまちがっているのである。
実際に、超能力者に人間が従っても幸福になれたためしがない。
もっとも、超能力者の思想の中で正しい部分だけに従えば、それは実在への適応を高めることになるので、幸福をもたらすことができるだろう。
でも、そんなことは、超能力者でなくても、正しい思想家なら誰でもできることである。
超能力者は超能力に関して正しい理解を持っているのであって、思想全部が正しいわけではない。
他人(超能力者も含む)のまちがった考えに従うことは自分を不幸にすることだからやってはいけない。
だから、そもそも、超能力者を人間よりも上の者としたことがまちがいなのだ。
だから、そこを正すしかない。
そうすれば、人類は今よりももっと幸福になることができるはずだ。
振り返ってみれば、超能力者を人間よりも上に置くことは、人類のひとつの実験であったとも言える。
しかし、実際に天皇を上に置いてみても、これまで日本人はとくに幸福になったとはいえない。
それどころか、不幸になったことが多かったはずだ。[よく「天皇は馬鹿だ。」と言われるけれども、天皇は政治の才能に長けた者ではないから馬鹿で当然だ。むしろ、天皇に従うほうが馬鹿なのだ。]
それなら、天皇を人間の上に置いたことはまちがっていたのだから、天皇や一般に超能力者を人間の上に置くことはやめるべきである。[天皇を置いても何にもならないなら、ただの飾りにすぎず、いっそ無駄だから置かないほうがいい。]
キリストについてもシャカについても同様である。
そもそも、神制度は人類が幸福になるために作ったのだが、うまくいかなかった。
ヨーロッパは長年神制度でやってみたんだが中世頃にうまく行かないことがわかったので、ルネサンス期に神制度を緩めてみた。すると、科学が生まれ、人類は新しい幸福を手に入れることができた。
インドは今でも貧乏で苦労している。
神制度であろうがなかろうが、人類が幸福を求めてきたことにかわりはない。
神制度で人類が幸福になるならそれを肯定すべきであり、不幸になるならそれを否定すべきである。
ところが実際に、古今東西に関らず、神制度は人類を幸福にはしなかった。
それなら、今後一切、神制度を(天皇制度も)やめにしなければならない。
[たとえ、神制度を細かく修正しても、天動説のようにアドホックな(つまり、行き当たりばったりでうまく行かない)修正に終わるから、はじめからやめたほうがいい。]
[3491] 【物理の頁】観測は“実在”ではない。[頁はページと読む。] h19.8.16
相対性原理は“実在”についての法則なので、
Ψやシュレーディンガー方程式は“実在”するので相対性原理に従うけれども、ボルンの観測原理は相対性原理に従わない。だから、EPRパラドックスが起こるのだ。
つまり、観測は“実在”ではない。
実際には観測は実在の世界に中でやっているから実在する現象のひとつだけれども、ここでの“実在”は物理学が作り出した真の実在の分類であり(つまり、実在=“実在”×観測。“実在”は実在を分解して得られた因子のひとつであって、“実在”は実在とは別のものである。)、相対論や量子論が作り出したひとつの概念である。
“実在”は、量子原理(のひとつの表現である不確定性原理)に従うけれども、観測は量子原理に従わない。だから、観測はシュレーディンガー方程式では書けないので、別にボルンの原理にしなければならなかったのだ。
つまり、『観測』は“実在”の外にあるから、『観測』については相対性原理も量子原理も成り立たないのだ。
“実在”についての法則が相対性原理や量子原理であり、『観測』についての法則がボルンの原理である。
“実在”は相対性原理や量子原理に従うけれども、実在は相対性原理や量子原理に従わないのだ。
相対論にも観測の概念はあるけれども、量子論の観測と相対論の観測とは意味が違うのであって、つまり、実在=“実在”×量子論の観測、量子論の観測=相対論の観測×何か(感覚化?)、『何か』の従う法則がボルンの原理なのである。
だから、相対論においては、実在=(“実在”×何か)×相対論の観測となるわけで、相対論ではこの(量子力学が明らかにした)『何か』についての考察が欠けているのだ。相対論では(“実在”×何か)のことを、実在=“実在”×観測としたときの“実在”と呼んでいるのだ。つまり、相対論と量子力学では“実在”の意味が違うのだ。
実在=“実在”×観測。“実在”においては光速を超えられないけれども、実在においては光速を超えられるのだ。実在においては、アインシュタインが否定した超光速の情報や物質の移動が可能なのである(ワープエンジンの原理)。
[3492] 【物理の頁】Ψの意味 h19.8.16
Ψを波だ粒子だのと言っても仕方がない。
Ψの意味はΨであって、人間が観測する以前の・人間の観測から切り離れた“実在”における物質の存在形態・存在様式なのだ。[実在=“実在”×観測。‘波’や‘粒子’は、人間が観測した後の・人間の観測界における物質の存在形態である。]
Ψはもうこれ以上砕けない基本的概念であって、これ以上解説できないものである。もともと物質はΨのように存在しているのだ、としか言いようがない。
自然界にある物(金属や半導体や有機物など)をΨで考えることが、量子力学なのだ。
[3493] 日本神道における天皇観 h19.8.18
日本神道にとって、天皇とは首相がまちがった政治をしたときそれを正してくれる正義の人であるらしい。[さらには、自分から正しい政治をしてくれる人であるらしい。]
だから、天皇は正しい人でなければならない。
しかし、実際には、何から何まで全部正しい人はいない。
いないから、嘘をついて正しいフリをするしかない。
ところで、正しいフリをする人間は要領はいいが、正義心がない。
正義心がないから物欲や権威欲など他の欲望を満足させて生きて行くしかない。
こうなると、天皇も政治家と同じで、たとえ政治家がまちがった政治をしても、それを正すどころか、反対に政治家とグルになって私服を肥やし国民を苦しめるだけだ。
だから、天皇は国民の幸福のためになる者ではない。
天皇制一般に神制は人類を幸福にしない。[神は超能力に詳しいのであって、政治に詳しくはない。何から何まで詳しい人間はいない。超能力といっても、何から何までできるのではなく、普通の人間にできないことがいくつか(1〜2個)できるだけである。]
[3494] 超能力と遺伝子操作 h19.8.18
超能力は未知の力だから何ができるかわからない。
でも、人間の身体にもともと備わっている力だからそんなに有害ではないはずだ。
遺伝子操作のほうが、人体に有害な生物が作り出される可能性がありずっと危ない。
遺伝子操作が一定の規制の下で許されているなら、
超能力も一定の規制の下で使ってもよいはずである。
だから、超能力についての適切な規制を法で定めるべきである。
[超能力を使える赤ん坊に善悪の判断が付ず他人に危害を及ぼす可能性があるなら、親が赤ん坊を管理し(だから、親の責任になる。)、どうしてもやむをえない場合は、赤ん坊が物心付くまでの一定期間赤ん坊を社会から隔離して育てるようにすればいい。]
[3495] 【物理の頁】相対論の観測と量子論の観測 h19.8.18
相対論では、「現象(実際に見えること)=実在×観測者」とし、観測される物に対する観測する者の速さ(や加速度)を考慮するが、
量子論では、さらに現象(観測量)の不確定性までも考慮する。[量子論では、一般に観測された物理量が確率的であると考える。]
つまり、相対論では、観測される物に対する観測者の速さを考慮しただけであり、観測する物理量の不確定性についての考慮が欠けていたのである。
つまり、相対論では、
現象=実在×観測(速さ)だが、
量子論では、
現象=実在×観測(速さ、観測量の不確定性)
なのである。
相対論でも量子論でも、実在とは観測される以前の現象の状態を表しているが、量子論の観測のほうが相対論の観測よりも、観測される物理量の不確定性を考慮している点でより分析的である。だから、量子論のほうが相対論よりも正しいのである。
[3496] 【物理の頁】相対論化されたニュートンの運動方程式 h19.8.18
ニュートンの運動方程式F=maは、現象=実在×観測者(v)の構図に従っていない。
そこで、ニュートンの運動方程式を上の構図に当てはめて書き直したのが、実在についての運動方程式F’=m’a’である。
この運動方程式は、実在についての運動方程式であって、現象についての運動方程式ではない。
[3497] 【物理の頁】光速度不変の原理 h19.8.18
光速度不変の原理は、実在の法則ではなく、現象の法則である。
実在においては、ただ光が動いているだけのことである。
この原理から、観測者についての法則すなわち時空間の変換則(ローレンツ変換)が導かれる。
[3498] 【物理の頁】素粒子の寿命 h19.8.18
素粒子は生まれたら死ぬ。
生まれてから死ぬまでの時間が寿命である。
ローレンツ変換の式より、実在に対し動いている観測者(座標系)は止まっている観測者よりも時間が早く経つ。(つまり、動いている時計は早く‘回る’。ついでに、動いている物差しは‘伸び’る。)
したがって、実在において素粒子が生まれてから死ぬまでの寿命を、素粒子に対して静止している観測者の時計で測って1秒としたら、素粒子に対して動いている観測者が測れば例えば10秒だったりする。
止まっている素粒子を動いている観測者が見ることは、動いている素粒子を止まっている観測者が見ることと同じだから、l=vtより、動いている素粒子は生成してから消滅するまでの間に古典力学の計算よりも10倍長い距離を走れることになる。
[3499] 【物理の頁】実在についての法則 h19.8.18
光速度不変の原理より、観測者の座標系についての法則(ローレンツ変換則)が導かれる。
したがって、現象=実在×観測者を満足するように、現象についての法則(古典力学ですでに得られた法則)と光速度不変の原理から得た観測者についての法則(ローレンツ変換則)とから実在についての法則が求められる。(例えば、その中のひとつに、光速度=c(一定)がある。)
時空間がローレンツ変換に従うことから、実在についての法則がローレンツ不変性を満たさねばならないことがわかる。つまり、古典力学で得られた物理法則を少し手直ししてローレンツ不変性を持たせるように書き直せば、新しい実在についての法則が得られるのである。
それが、物理法則の4次元形式と呼ばれているものである。
それは、量子力学における(観測する物理量によらない)シュレーディンガー方程式のように、観測者(v)によらない普遍性の高い実在についての方程式である。
つまり、それは観測者(v)が観測する以前の実在そのものの法則である。(量子力学におけるシュレーディンガー方程式のように)観測から切り離れた純粋な実在本来の姿がそこに現れているといってもよい。
有名なE=mc2もここから導かれる。
量子力学において粒子と波が統合されているように、相対論においては空間と時間が統合されている。
現象の世界においては、粒子と波が別物であるように、時間と空間も別物であるけれども、実在の世界においては、粒子と波、空間と時間が統合されているのである。
[3500] 念動力原理 h19.8.18
現象の世界(要するに、五感界)においては、物と心が分かれているけれども、実在の世界においては物と心が統合されている。
すなわち、それを表したのが『哲学第1原理』である。[つまり、脳細胞という物が心すなわち感覚を荷っていると考えればよいのだ。]
そういう実在の世界においては、念動力が可能になるのである。
量子力学が不確定性原理によって粒子と波を統合したことからトランジスターやパソコンができ、
相対論が相対性原理によって(つまり、「現象=実在×観測者」という構図に従わねばならないことによって)空間と時間を統合したことから原子爆弾ができたように、
実在哲学が哲学第1原理によって物と心を統合したことから念動力ができるのである。つまり、物と心を統合することによって新しい世界観が拓け、その世界の中では念動力のような超能力が可能になるのである。