[3301] どうしてオナニーすると焦燥病にかかりやすくなるのか? h19.6.16
オナニー[やセックス]をして性欲中枢を何度も興奮させると、性欲中枢の近くの中枢も興奮しやすくなる(関連興奮)。
性欲中枢のそばには焦燥中枢がある。
そのため気に障ることがあると、[子供のときには大脳皮質の興奮だけで納[おさ]まっていたのが、オナニーした後では]焦燥中枢が過度に興奮して焦燥病(分裂病)にかかるのである。

[3302] 宗教人の自己認識 h19.6.17 
宗教人は、どうもガン飛ばしや幻聴などを超能力だと考え、超能力のある自分たちを人間よりも上の存在だと思っているらしい。自分たちが人間よりも上なので、人間をどうにでもできると思っている。
宗教人は自分の超能力を使って、自分たちが普通の人が住んでいる実在とは別の世界に住んでいるものと思っているらしい。
だから、自分たちにはこの世界の法律が通用しないと考えているらしい。

[私は、ガン飛ばしは[よくマンガで見られるように]不良のすることで不良は勉強嫌いの落ちこぼれだから普通の人間以下だし、幻聴は分裂病者によく見られる症状で分裂病は精神異常者だから、どちらも人間以下の存在だと思う。不良(軽犯罪者)も精神病者も適応障害だから、通常は檻の中に入れて他人に監視されるべき存在である。ガン飛ばしも幻聴も眼で見たことが気に入らなくて攻撃するためにやるのだから、普通の人と同じ世界の中に居るのだと思う。それなら、普通の人と同じ法律が適用されるべきだ。それに、ガン飛ばしも幻聴も実在する感覚波を用いた技術だから、すべてが実在する世界の中の現象である。(おそらく念動力も、脳細胞以外の物質と相互作用する特殊な感覚波(念力波)を用いた技術である。)ガン飛ばしや幻聴などの超能力を知らない人は、実在の一部分を見ているにすぎないのだ。]

[3303] 宗教人の性格について h19.6.18
宗教人はガン飛ばしや幻聴によって他人を攻撃する。
ガン飛ばしをするのは怒りや憎しみの感情が強いからだし、幻聴で他人に言い掛かるのは意地悪や卑怯[ひきょう]の感情が強いからである。
しかも、宗教人は自[みずか]ら勧[すす]んで自分の心の中にあるこれらの悪の感情を肯定しようとする。
宗教に入れば仲間が大勢いるので、大勢がやっているからという理由で、自分も悪の感情を肯定してもよいと思っている(集団心理)。
したがって、宗教団体は自分の悪い(実在の中では肯定できない)感情を自分で否定(抑制)しようとせず人工の世界を作ってまで自分の悪の感情を肯定しよう(活動させよう)とする性格の悪い者の集団である。
自分の心に手が届かず自分の心が自分でどうにもならない者は精神病者だから、宗教に入るよりもまずその欠点を自分で(または他人に相談して)治すように心がけるべきである。

[3304] 宗教の方法 h19.6.18
宗教では、宗教人だけから成る特別な世界を作って、その世界の中では実世界の中では肯定できない感情でも肯定してよいとされている。
つまり、宗教では“心のままに生きる”ことが理想であって、この限られた世界の中ではその願望が実現されるわけである。
しかし、実際にはその世界は“空想モデル”にすぎず、本当に実在の外に出ているわけではないから、その世界の中で怒りや憎しみの感情を肯定して強めると焦燥病(分裂病)にかかりやすくなる。
だから、たとえ宗教的世界の中であってもどんな感情でも肯定してよいわけではない。
たしかに、この方法によれば一時的なカタルシス(慰[なぐさ]め)が得られることが期待され、マンガやテレビを見るのと同じようなものだから、絶対禁止とはいわない。[他人に迷惑をかけない範囲で許される。]
しかし、この方法でカタルシスが得られることと、超能力者とは一体何の関係があるというのか?
超能力者の超能力で、自分たちが“心のままに生きて行ける世界”を作り出せるとでも思っているのだろうか?[ありえない。]

[3305] はたして宗教団体は超能力者の超能力を抜いた(消し去った)か? h19.6.18
私が小さい赤ちゃん(1〜2才)の頃にできた超能力は、身近にあるオモチャやガラガラなどの物体を念動力で自転させることだった。
この超能力の正体(具体的事実)が世間に知れてしまうと、もはや誰も超能力者の超能力で“心のままに生きて行ける世界”が作れるなんて思わなくなる。
それは、宗教団体にとっては不利益なことなので、宗教団体は超能力の正体を隠して他人に知られないようにするために、私の身体に何らかの処理を施[ほどこ]して私の超能力を消し去ったのである。

[3306] 国(日本国政府)はなぜ宗教団体に従ったか? h18.6.18
超能力者のことについて国はよく知らないから、超能力者について詳しいと思われる宗教団体の意見に従ったのである。
実際には、宗教団体と国が自分たちで話し合ってルールを決めて、神(超能力者)の近くにいる者を使ってときどき神にチョッカイを出させたりして、神(超能力者)の態度を見ながら、[国民に大きな損害が出ない範囲内で]国や教団がやることを決めているようである。[私は細かいことは知らない。]

[3307] 宗教人と普通の人との違い h19.6.18
普通の人が実在の世界を主としカタルシスの得られる空想の世界を副としているのに対し、宗教人はその反対にカタルシスが得られる空想の世界が主であり実在の世界が副である。
普通の人が実在の世界の中に幸福を求めるのに対し、宗教人は空想の世界の中に幸福を求める。
普通の人が実在のために空想を犠牲にするのに対し、宗教人は空想のために実在を犠牲にする。
ところで、真実は快楽よりも強く、実在あっての空想(モデル)であり、空想モデルは実在の中に作られるから、実在を主とし空想を副とするのが人間としての正しい生き方である。

[3308] 私にとってのアニメを見る意義とは? h19.6.19
私の身近にかわいい女の子がいないから、アニメのかわいい女の子を見て自分の心を潤しているのだ。
一方、宗教で得られすカタルシスは、実世界において肯定できずに抑え込まれていた怒りや憎しみなどの悪の感情を宗教が作り出した空想世界において積極的に肯定し満足することによって得られる快感である。[キルケゴールも「キリスト像の前で懺悔[ざんげ]する(日常の不満を吐き出す)とイライラが納まる」と言っている。子供の頃には誰でも怒りや憎しみの感情を激しく働かせるが、心についての考察を深めることによって大人になると働かさなくなる。心についての考察のない者は怒りや憎しみなどの悪の感情の抑え込みが不完全で弱いので、感情の感覚はありながらその表出が抑えられて苦しい思いをしなければならないのだ。]
私がアニメを見るのは、実在の中で満足されないかわいさや楽しさなどの『善の感情』を空想世界で満足しているのだから、宗教における悪の感情の満足によるカタルシスとは別物である。

[3309] 宗教いろいろ h19.6.19
宗教にもいろいろある。
信者が実在の中では肯定できない感情を肯定することによってカタルシスを得ることを目的にした宗教があれば、“随神[かんながら]の道”を目的とした宗教もある。[“随神の道”とは、自分が神(超能力者)と一体化するために自分が神と同じことをすることである。逆に、自分が神(超能力者)の犯した悪いことと同じことをして、実在の中で肯定してはいけない悪の感情を満足するのは邪道である。]
“随神の道”を目的とした宗教は、神(超能力者)との一体感で快感が得られる特殊な感情を持っている者以外にとっては何の存在価値もない。[“随神の道”によって超能力が使えるようになれば別だが。]

[3310] 戦争はどうしてなくならないのか? h19.6.20
たとえどこかの国で戦争があっても、世界全体が発展すればいいからだ。

[3311] 第2次世界大戦はどうして起きたのか? h19.6.20
19世紀末、世界はマンネリズムに陥[おちい]っていた。
世界が発展するためには、何かのきっかけが必要だった。
そこで当時の権威者や各国の代表者が集まって、『世界の辺境にある発展途上国に犠牲になってもらって、世界中で戦争をして古い世界を破壊して新しい世界を作り出そう』というシナリオを書いた。
そこで、まず世界中を経済恐慌で不景気にして、その不景気に耐え切れなくなった日本・ドイツ・イタリアの3国が悪役となって戦争の火蓋が切られ、その他の国が一丸となって戦うことによって世界の国々の絆が深められ、戦後の新しい世界体制が確立したのである。
つまり、世界全体の発展のためには、ときには多くの犠牲を支払わねばならないこともある。しかし、今後は体制を打開するための手段として戦争を用いることはなるべく避けたい。

[3312] 勉強バカ h19.6.20
他人の本を読みすぎて自分で考えなくなるほど勉強してはいけない。

[3313] 宗教人VS非宗教人 h19.6.20
宗教人(宗教に入っている精神病者)が非宗教人(精神的に健康な人)を特攻なんかで殺してなんとも思わないなら、
逆に非宗教人が宗教人を殺してもかまわないはずだ。

[3314] 宗教とは何か? h19.6.20
宗教人は精神病者だから、
宗教とは精神病者の組合いのことである。[かっこ悪い。]

[3315] なぜ超能力者のことでは政府は宗教家の言いなりなのか? h19.6.20
宗教は科学ではわかっていない(つまり、知覚で理解できていない)ことを扱う。[だから、例えば、精神病もまだ完全には科学で理解されていないので、いまはまだ宗教の対象である。将来、精神病が科学で理解できるようになれば、精神病も宗教の対象ではなくなる。]
超能力は、科学ではまだわかっていないので、宗教の対象であり、政府は宗教家の言うことを聞かなければならないのである。
[しかし、宗教家も超能力のことがわかっているわけではないから、政府が宗教家に従う必要はない。(私は、わからないまま手を出すことが好きではない。)精神病に関しても宗教家ではわからないので、医学部の精神科にまかせるべきである。]

[3316] 県営住宅23号の謎 h19.6.22
私は、3才から中学3年の15才まで、高知県高知市朝倉若草町県営住宅23号に住んでいた。[県営→前衛(ダジャレ)]
一方、私の誕生日は昭和39年(1964年)1月22日である。
∴1+22=23。

[3317] 人はなんのために宗教に入るか? h19.6.23
人間はなんらかの快感が得られなければ生きていけない。
勉強のできる人は知覚欲を満足して生きて行けばよいし、
愛嬌のある人は愛情を満足して生きて行けばよい。
しかし、世の中には勉強もできなければ愛嬌もない何の取り柄もない者がいる。
そういう者は、それこそ宗教にでも入って何らかの心の満足を得て生きて行くしかない。[私は、どういう風に心が満足されるのか詳しくは知らないが。]
つまり、宗教は何の取り柄もない人にとって命綱の役目を果たしている。
信者にとっては宗教は自分の人生を支えるくらい大事なものなので、信者は宗教家の言うことを何でもきくのである。
しかし、最近はテレビゲームやマンガなどの娯楽がたくさんあるから、わざわざ宗教に入ってつまらない(あまり感情が満足されない)ことをするよりも、他のことをして遊んだほうがもっと楽しく生きて行けるはずである。

[3318] 数学の重要性 h19.6.23
数学は理性(知覚)を鍛えるためにある。
数学そのものは、数学者にならないかぎり役に立たないが、
理性は人間にとって役に立たないことがない。

[3319] 天罰 h19.6.23
私の命令に背くと天罰が下ると信じている者がいる。
自分が神である私の命令に背いたのに何も起こらないと、私を空威張りのニセ神だとののしる。
それぞれが自分の神のイメージで動いている。
何度も言うが、私が神だと言われるのは、1〜2才頃の私がちょっとした念動力(サイコキネシス)が使えたからで、それ以外の根拠は私にはない。
よって、私の命令に背いても、私には他人に天罰を与える超能力がないので、天罰は下らないのである。
ただ、神の命令を人々が守っているかどうか監視している者がいるので、その者たちによって私の命令に背いた者に対して人為的に何らかの罰が与えられる可能性はあるから、注意したほうがよい。
同様に、縁起担ぎで“ぶ入れ“なんかをしても、私には他人に幸運を授ける超能力はないから、何にもならない。

[3320] どうして国会議員は宗教家の言いなりなのか? h19.6.24
宗教家が私の言行をもとにして作った“神の命令”に自分が背くと自分に天罰が与えられると信じていたから。
国会議員は神のことに無知なので神について詳しいと思われる宗教家の言うことをきくしかなかったのだ。
しかし、実際には、神である私から言うが、神である私には身近にある物を念動力で動かす超能力しかないから、遠く離れた所にいる者に天罰を与える能力はない。だから、国会議員の方々は安心して宗教家の言うことを無視してよい。
宗教は不合理主義だから、国会が宗教に支配されると日本は終わりなので、国会議員は宗教家の言いなりになってはならない。

[3321] どうして超能力者は宗教にもてはやされるのか? h19.6.24
科学は合理主義だから、反対に宗教は不合理主義である。
宗教家から見ると、超能力者の超能力は自然の法則を打ち破る不合理的存在に見えるので、宗教は自分の主義を支持してくれる超能力者を大事にするのである。

[3322] 不合理性 h19.6.24
観測問題は相対論でも量子力学でも証明できない。[観測による状態関数の収縮は、光速を超える現象だし、シュレーディンガー方程式から導かれない現象である。]
宇宙は完全に論理的にできているのではなく、宇宙には不合理性があるのかもしれない。
だからといって、超能力を不合理現象と決め付けることはできない。
超能力は合理的現象であろうか、それとも不合理的現象であろうか?
宗教家から見ると、人の心は不合理であり、超能力は人の心の働きなので、超能力は不合理的現象に見える。
しかし、科学的には人の心は脳細胞が荷う感覚であるから、超能力も脳細胞の働きとして見れば超能力は合理的現象に見える。
[ギリシア時代「アキレスと亀」の問題が“実数の連続性”の概念がなかったために解決できず力学の進歩が遅れたように、現在の我々にとってはまだ“何かの概念”が足りないために観測問題が解決できないのだろう。だから、実在の世界はやはり論理的(と考えるべき)なのだ。]

[3323] 不合理主義とは何か? h19.6.24
論理がわかるのは人間の知覚の働きであるから、不合理性は動物の属性である。
つまり、不合理主義とは人間以下の動物の生き方である。

[3324] 宗教の未来 h19.6.24
今後の宗教は、
1)カタルシス療法(日常の不満を吐き出させること)
2)楽園ごっこ(私有地内に楽園を作って遊ぶこと)
3)思想書の刊行
だけを行うものとする。
超能力者は科学の対象とし、宗教から切り離すことにする。

[3325] 政治家はなぜ宗教家のいいなりなのか?☆☆ h19.6.25
日本国憲法には、[天皇についての規定はあるが]超能力者についての規定がない。
ところが、宗教家は『超能力者についての法』を持っている。
政治家は法という言葉に弱いから、超能力者のことに関して政治家は宗教家のいいなりなのである。
たとえ、どんなに『神についての法』が不備であり不自然であっても政治家がそれを受け容れたのは、現行の日本国憲法に天皇という大きな矛盾点があるにもかかわらずそれが平然と施行[せこう]されているからである。
ともかく、宗教家が持っている『超能力者についての法』は民主主義に反する悪法だから、政治家は守らなくてよい。

[それに、『超能力者についての法』は宗教にとって有利な法であり、宗教は精神異常者の集団だから、精神異常者を世の中にはびこらさないためにも、守ってはならない法である。“ぶ入れ”や“私ネタを入れたテレビ番組”などを作って、国やその他の団体が宗教活動をすることは、精神異常者の集団である宗教の地位を高めることだから、けっしてこのような宗教活動をしてはいけない。]

[3326] どうして国会議員はバカなのか? h19.6.25
国会議員が得体の知れない宗教家の言うことをきくのは、国会議員が低脳のバカだからとしか思えない。[年寄りの老人がだまされやすいのと同じである。]
国会議員はバカの大もとである天皇に近づきすぎたから、天皇のバカがうつってしまったのだろう。

[3327] 宗教と科学の関係 h19.6.25
親会社(宗教)から子会社(科学)が独立して、有能な社員がぜんぶ子会社に移って親会社には無能な社員しか残らなかった。
いずれは親会社がつぶれて、子会社だけになるだろう。

[3328] 念動力の幻視説 h19.6.25
分裂病患者が幻聴の言いなりになって動くように、幻視波を出す能力の強い者が頭の中で思い描いた像を周りの人間にテレパシーで送り込むと周りの人間がテレパシーで見えた幻視の光景を事実と思い込むことがあるかもしれない。
例えば、幻視波を出す能力の強い赤ん坊がオモチャやガラガラが回っている像を頭の中で想像して、それを身近にいる親の脳にテレパシーで送り込むと親は本当にオモチャやガラガラが回っていると思い込む。
つまり、親にとってはあたかも赤ん坊が“念動力”を用いてオモチャやガラガラを回しているかのように見えるのだ。

[3329] 私がオカマでない理由 h19.6.25
本当に私がオカマになっていたら、テレビで『男性のためのお化粧講座』とか『きれいな部屋の飾り方』とか『かわいいぬいぐるみの作り方』とかいった実生活における女臭い番組がもっと放送されていることだろう。
ところが、実際には、マンガとかアニメとかゲームとか空想色の濃い世界で私を女性に喩えた作品が作られているだけである。
したがって、私は実在においては男のままなのだ。

[3330] どうして政治家は宗教家の言いなりなのか?☆☆ h19.6.25
政治家が宗教家の言いなりになって動くと、政治家は宗教家からお礼にお金がもらえるからである。[一方、私は九大理学部物理学科4回生のとき、誰かから4万円をもらった以外には、宗教家からお金をもらったことがない。]
しかし、そのために国にくだらない文化が浸透し、宗教の勢力が強まるのは許せない。
だから、今後は政治家は宗教家の言いなりになって動いてはならないし、政治家は宗教家からお金をもらってはならないものとする。


[3331] 宗教とは何か?☆☆☆ h19.6.25
超能力者には超能力があるから法的には人間と見なされず、政治家は超能力者を管理することができない。そのために、超能力者を管理する機関として宗教がある。[一方、天皇は日本国憲法で“管理”されているから、天皇は人間である。(ヒトラーも政府の管理下に置かれていたから人間である。)]
超能力者には宗教上の『超能力者についての法』で定められた絶大な権威がある。

宗教とは超能力者の絶大な権威を利用してお金儲けをする組織のことである。
宗教家は『超能力者についての法』に従いながら私の言行をもとにして自分の都合のいいように命令を作って、それで政治家を動かして自分の儲けにしている。[日本国憲法における天皇を私に置き換えて考えてみればわかりやすい。そうすれば、『超能力者についての法』に基づいて子供の頃の私の自分と他人の区別をつけない癖を利用して、私の代理になった宗教家が政治家に命令できることがわかる。]
宗教家が儲けたお金で政治家にお礼をすれば、ますます政治家に宗教家の命令をきいてもらえることになる。[仏教やキリスト教やその他の宗教も、宗教で儲けたお金を政府(や国王)に払って宗教と政府が癒着することによって、宗教の勢力を強めてきたのだ。]
今後、宗教家が超能力者の権威を借りて国の政府に命令してお金を儲け、そのお金の一部を政府に払って宗教と政府が癒着することを禁止する。[厳密には、こうした宗教制度の是非は国民投票で決めねばならない。ただ、国民全体に占める宗教人の割合が小さいので、多数決ではこうした宗教制度は認められないはずである。]

[3332] 超能力捜査の原理 h19.6.25
日本人には幻聴が多いが、西洋人には幻視が多い。[幻聴や幻視があるからといって、精神病者だということにはならない。]
殺人現場のシーンは殺人犯自身にとってもショッキングであり、殺人犯は殺人現場のシーンを頭の中で思い浮かべることが多いので、幻視能力の強い者は殺人犯の出す幻視波を拾って自分の脳裏に殺人現場のシーンを思い描くことができるのだ。

[3333] 光 h19.6.25
私が小学3,4年生のとき、朝倉の県営住宅に住んでいた頃、夕飯の支度のためにまな板で野菜を切っている母親の姿を見ていたら、母親の体幹から白い光が放散しているのが見えた。
私は、母親をかわいいっと思うと同時に、この人以外は一生好きにならないぞと誓った。
[他に、これは私が38才のときに経験したことだが、私の母には瞬間的に3秒間20年若返ることができる特技がある。(狸や狐が人を化かすのと同じ原理(感覚波を使って幻視を見せる能力?)だろう。)]

[3334] 宗教の副業 h19.6.26
超能力者が生きている時代は、宗教家は超能力者の言行をもとにした命令を作って政治家を動かしてお金儲けをすることができる。
しかし、超能力者がいない時代も長い。
そこで、超能力者がいない時代には、カタルシス療法や賽銭箱でお金を儲けたりしている。[宗教の信者には正常な判断ができない精神異常者が多いので、カタルシス療法をすれば儲かる。また、世の中にはなんだかよくわからない神を信じているおめでたい連中が大勢いるので、そういう者に神グッズを売ったり、そういう者から賽銭をもらったりすれば少しは儲かる。]
宗教が副業として始めたカタルシス療法(薬を使わない精神医療)は、たとえ医療行為としての正当性はないとしても、カタルシス療法を受けるか受けないかは個人の自由だから許可する。
神グッズや賽銭も科学的には根拠のない行為だが、個人の自由だから許可する。

[3335] どうして宗教家は私が生まれてすぐに政治家に命令できなかったか? h19.6.26
子供の頃の私に自分と他人の区別をつけない癖があることがわかり、私の言行から宗教家にとって都合のいい命令を作るまでには、私に関するかなりの量のデータが必要であり、それが集まるまでには10年ぐらいかかったから。

[3336] 宗教は余計なお世話 h19.6.26
宗教家に超能力者を任せて、超能力を封じて、その後長い間宗教家に政府や国民が支配されるよりも、最初から超能力者ひとりを野放しにして超能力で好き勝手にやらせたほうが、人類や国民にとっての損失がはるかに小さいと考えられる。
しかも、超能力者は世界中で数千年に1人ぐらいしか現れないので、超能力者を放っておいても、全人類の歴史にとって超能力者の存在はほとんど問題にならない。[超能力で戦車やジェット戦闘機に勝てるとは思えない。]
だから、人類全体や国民全体にとっては、宗教家がいるよりもいないほうがはるかに得である。
したがって、宗教家はいらない。
宗教もいらない。

[3337] 人間についての正しい理解 h19.6.26
身体が人間であるだけで、人間についての正しい理解(いわゆるルソーの『第2の誕生』)のない者は、人間ではない。
親に人間についての正しい理解がないと、親を見て育った子供は遅かれ早かれ実在の自分自身に適応できなくなって不良になる。[たとえ親の教育が放任主義であったとしても、子供は親を見て育つ。]
私の弟や私自身が不良になったのも、私の親に人間についての正しい理解がなかったせいである。
[『まちがいの中にも若干の真理が含まれている』ように、私の親に人間についての正しい理解がなく、むしろまちがった理解があったことも、私が超能力を発揮する原因のひとつかもしれない。つまり、私の親の人間観が超能力の謎を解く鍵なのかもしれない。ただ、私と同様、私の親も無口なので、具体的に親が何を考えているのか今の私にはほとんどわからない。]

[3338] なぜ『ようこそようこ』が作られたのか? h19.6.26
おそらく、『超能力者についての法』には超能力者と人間の関係がフェア(対等)であるように定められているので、宗教家が私をコソコソ隠れて利用するのなら、逆に私に宗教家がやっていることをある程度知らさねばならなかったからである。

[3339] 瀬戸大橋 h19.6.26
瀬戸内海に掛かる3つの瀬戸大橋を衛星軌道上から見ると『川』の字に見える。
おおかた『超能力者についての法』には「超能力者に因[ちな]んだ物を作れ」とあるので、宗教家が私の姓(川野)に因んで橋を作らせたのだろう。

[3340] 『超能力者についての法』 h19.6.26
神道の信者は『超能力者についての法』の内容を知らないし、私も知らない。
ただ、宗教界のトップに立つ宗教家だけは『超能力者についての法』の内容を頭の中に暗記している。
宗教家の引継ぎのときのみ、『超能力者についての法』が次の宗教家に教えられる(一子家伝)。[だから、次の宗教家に『超能力者についての法』を伝える前に宗教家が死んでしまうと、宗教自体も滅んでしまうことになる。]
ただの信者が『超能力者についての法』の内容を自分で想像してそれを私や他の人間に適用してはならない。

[3341] 私の文章を利用するための条件 h19.6.26
宗教や天皇を攻撃する場合にかぎり、宗教や天皇に関する私の文章(図や写真も含む)を利用することを許可する。
ただし、宗教や天皇を攻撃してお金を儲けるのはかまわないが、お金を儲けるために宗教や天皇を攻撃してはならない。
[ただし、私の分裂病論は私が25年の歳月を掛けた名作なので他人が利用してはならない。]

[3342] 論理 h19.6.26
実在についての経験の浅い子供にはまだ論理がわからないが、大人になると論理がわかるようになる。
ということは、論理自体も実在の世界から学んだもの(帰納的に得られた法則)ではないだろうか。
つまり、実在の世界がそもそも論理的にできているから、実在の世界に慣れ親しんだ者ほど論理がよくわかるのだ。
だから、論理がわかるためには、実在における物の経験が大事なのだ。(例、1+1=2)
[反対に、マンガや文学を読みすぎると、論理がわからなくなる。]

[3343] マンガと芸術 h19.6.27
マンガは商売として読者に受けるために描いた絵のことである。
芸術は芸術家の独りよがりで描いた自己表現としての絵である。
マンガも芸術も窮[きわ]めると同じことになる。

[3344] 仏陀の顔 h19.6.27
仏像の顔には特徴がない。
だから、たぶん仏陀は人前に顔を出さなかったのだろう。
仏陀はひとりで考えただけで、講演会はやらなかったのだと思う。

[3345] 天皇の身分 h19.6.27
天皇家は、宗教家がお金儲けをするための道具にすぎない。
裏に隠れている宗教家は儲けたお金で遊び放題なのに、
天皇はかごの中の鳥で自由に遊ぶことすらできない。

[3346] 宗教家はお気楽 h19.6.27
民間の会社はまちがいが損失になるので気を許せないが、
宗教家は国のお金を使えるので、いくら損失を出してもいい。[その分の損失は国民の税金に回せば済む。]

[3347] 入交君 h19.6.29
私が朝倉小学校の1,2年生の頃、同級生に入交[いりまじり]君という友達がいた。[たしか、入交君の家で紫電改のプラモデルを作ったことがあったと思う。]
入交とは、私と神道の宗教人とが同じ教室や同じ職場で入り混じるという意味である。
私が今後超能力者と宗教とは切り離すことにしたので、今後は入り混じらないようにしてもらいたい。

[3348] 犬将軍 h19.6.29
徳川5代将軍綱吉が生類憐れみの令を発したり、
狂犬病の予防注射を年に1回しないといけないことが現在の法律で定められているように、
人間以外の生物についての規定も法律の中にはある。
だから、人間ではないと考えられる超能力者についての規定も法律で定めればよい。[ただし、倫理に反しないように。一番簡単なのは、超能力者を人間の仲間に含め、超能力者と人間を同じとすることだ。]
そうすれば、法律で規定されていない超能力者という特異点が解消されるから、超能力者は各国政府で管理すればよく、超能力者についての法を[国が滅びない程度に]勝手に規定して利益をむさぼる宗教団体は要らなくなる。

[3349] 関口少年 h19.6.29
私が小学3〜4年生頃、関口少年というスプーン曲げのできる超能力者がいた。
『木曜スペシャル』でユリ=ゲラーという超能力者が日本中の壊れた時計を直したこともある。
当時超能力者と考えられた関口少年やユリ=ゲラーがいても、世の中はパニックにならなかったのだから、
今の人間は、超能力に対しても冷静に科学的に見る目を持っていると考えられる。[あとで、両者はインチキだとばれてしまったが。]
私の超能力は身近の物体を自転させる念動力で、関口少年やユリ=ゲラーと同程度のものだから、世間の反応も同程度のものだと考えられる。
どうせテレビで2〜3年で飽きられたぐらいのものだから、超能力を個人の才能のひとつと認めて国家が放任してもよいのではないだろうか。[非常事態が起これば、その都度対処すればよい。何事も経験だ。]

[3350] 宗教家はなぜ私に命令できないか? h19.6.29
宗教家が私に命令して私がその通りにやると、完全に世界が宗教家い通りにできるので、やり方が行き過ぎていて、国の政府(や国王)が認めてくれないからである。
しかし、宗教家は私に対する命令はできないが私の周りにいる者を使って私に対して誘導をすることはできる。
正岡君と白石君が私を誘って私が万引きしたのも、
前田君が私にエロ本やシンナー袋を見せたのも、
尾立君が私にパラパラめくりを見せて私が発狂したのも、
和田君に勧められて私が医学部に行ったのも、
すべて誘導である。
でも、誘導が下手すぎてほとんどすべてうまく行かなかった。
これでは日本を潰すとまでは行かなくても不利にするだけである。[これまでの他の宗教も、国を不利にする結果に終わっている。]
だから、宗教はないほうがいいのだ。

[3351] 現代において宗教は成り立つか? h19.6.30
ユリ=ゲラーや関口少年の例でもわかるように、現代人は超能力に対しても冷静に科学的に見ることができる。
現代では、ほとんど誰も超能力者を恐れたりはしない。
しかし、国の法律には超能力者についての規定がない。
だから、超能力者という“法の穴”を利用して私服を肥やす宗教が現代においても成り立つのである。

[3352] 『超能力者についての法』の内容 h19.6.30
超能力者は人間よりも上の存在である。
以上。
この法は、宗教家の独断による取り決めではなく、普遍的に成立する真理として通用している。
つまり、この命題は宗教とは独立に(無関係に)成立する。

[3353] 誰でも宗教家になれるか? h19.6.30
宗教とは超能力者という“法の穴”を利用する技術にすぎないから、超能力者を発見し、その旨を政府に話せば[ただし、政府の確認を要する。]、誰でも超能力者と政府を仲介する宗教家になれる。[とくに第1発見者である必要はない。宗教家になろうとする気がありさえすれば誰でもなれる。]

宗教家も人間だから、宗教家は超能力者に従いながら、自分にとっても有利な命令を作り、政府に対して命令を下すことができる。[とくに日本では“超能力者に従う”の意味が広義に解釈されており、宗教家はかなり自由に自分にとって都合のいい命令を作ることができる。]
この方法によれば誰でも宗教家になれるから、宗教家が増えすぎて政府がパンクする。
だから、やはり政府が仕切って、政府がちゃんと超能力者についての法を作って、政府が超能力者を管理しなければならない。
超能力者は超能力が使えるぶん、人間よりも少し上の存在だから、その点を政府は考慮しながら民主主義にも反しないように、超能力者についての法律を決めて欲しい。[いくら民主主義だからといって、人の長所や特能を摘み取るようなマネをしてはならない。]
超能力者主義と民主主義とを折衷する上手な法を、政府の方に考えて欲しい。

[3354] どうして宗教だけで国を支配しようとしないのか? h19.6.30
キリストの例でもわかるように、宗教だけで国を支配しようとすると、政府(国王)軍と戦わねばならなくなり、宗教軍は弱いので政府(国王)軍に負けてしまうからである。
それと、現代は民主主義社会なので、露骨に宗教が国を支配すると国民の反感を買ってすぐに宗教が滅んでしまう恐れがあるからである。
だから、宗教は政府(国王)とつるんで[いわば政府(国王)を楯にして国民の反感を買うのを防いで]国を支配するのである。

[3355] 信者とは何か? h19.6.30
宗教家と協力して、超能力者に対する命令にならない程度に超能力者を誘導して、宗教家に有利な命令を作れるようにする者のことである。[しかし、大部分の神道の信者は、超能力者(や天皇)に関らず、ただ超能力者(や天皇)に従う者(日本流には超能力者(や天皇)の性格を真似る者)になっている。]
今後、超能力者に対する宗教人による命令または誘導(婉曲的命令)は禁止する。

[3356] 新しい『超能力者についての法』についての私案 h19.6.30
1)超能力者が出した命令のうち、民主主義の原理に反しないものだけを有効とし、国の政府が実施する。[国の政府の権威を高めるためには、超能力者の命令を国の政府が仲介して国民に対して実施しなければならない。]
2)超能力者による命令制を廃止し、超能力者の超能力に関しては超能力者が何をしても自由とし、超能力以外のことに関しては人間と同じ権利を保障する。[このほうが管理が楽。]
3)宗教のように、超能力者が出した命令を自分の都合のいいように作り変えてはならない。
4)宗教のように、超能力者の言行をもとにして自分で命令を作リ出してはならない。
5)私事に関しては超能力者主義で、公事に関しては民主主義となるように法を作ればよい。

[3357] 私の母と父 h19.7.1
私の母は感情豊かである。
感情豊かとは、つまりかわいいということだ。
反対に、私の父は知的で冷静で無口だ。

[3358] 超能力者気質 h19.7.1
超能力者に共通の気質は分裂気質である。
つまり、自分勝手であって、普段は冷静だが時に激しく興奮する性格である。
釈迦もキリストもそして私も、みんな分裂気質だ。
だから、今度超能力者が現れたら、超能力者が分裂病にかからないように注意してやらねばならない。[未来永劫にそうしなければならない。]

[3359] どうして天皇はいい待遇なのか? h19.7.1
天皇は超能力者ではないが、
超能力者に不満があると、その超能力で犯罪を犯されるので、そうならないように超能力者をいい待遇に置くのである。

[3360] 宇宙人 h19.7.1
超能力者が現れると、いろいろ面倒なことが起こるので、「超能力者が見つかり次第、[超能力者を殺すとまでは行かなくても]超能力者の超能力を除去すべきだ」という考えがある。
しかし、その考えは「生物の進化が人類で終わりである」という現在の人類の思い上がりにほかならない。
将来、宇宙人が地球にやって来て地球人が現在と同じままであるのを見たら、「地球人とはなんて遅れた生き物なのだ。こんな下等な生き物は、肉として利用する以外に価値はない。」と考えるに違いない。
地球上の生物の進化を止めないためにも、超能力者の存在を人類が受け容れる必要があるのだ。

[3361] 拡大体 h19.7.1
有理数の集合よりも有理数に√2を添加した体のほうが解ける方程式(つまり問題)の種類が多いように、人間よりも人間に超能力を添加した超能力者のほうが実在によく適応できる。


[3362] 男が女になる病気 h19.7.1
知覚の才能を失った男は、物事の考え方が女のようになる。
だから、男は知覚で持っているだけの脆[もろ]い生き物なのだ。

[3363] はたして宗教は私の超能力を除去したか? h19.7.1
超能力者は人間よりも上の存在である。[神学第1原理]
宗教はこの原理を用いて私服を肥やす組織であるから、宗教はこの原理を絶対視するはずである。
だから、人間である宗教人が人間よりも上の超能力者に手出しができるはずがない。
それは神学第1原理を宗教自[みずか]らの手で否定する行為になるからである。
したがって、宗教人が幼い頃の私の身体(とくに脳)に処置をして私の超能力を除去したことはありえない。
人々が超能力者を見て人間よりも上の存在だと思うことは宗教にとって有利なことだから、私の超能力をわざわざ除去するようなことはしないはずである。
たとえ、その超能力が小さな物体をクルクル自転させるだけのチャチなものであったとしても、その光景を見た者にとってはやはりそんな超能力を使える者は人間よりも上の存在に思えて仕方がないからである。[しかも、超能力者が数千年に1度しかこの世に現れない存在であったなら、そんな滅多に見れない光景を目にすることができただけで十分自分が幸運だと思うに違いない。]
したがって、宗教は超能力者の超能力をむしろ温存しておきたいと思うはずであり、宗教の手で超能力者の超能力を除去することはありえない。
私の超能力がなくなったのは、宗教が除去したからではなく、私の成長に伴って私が自分の手足を使うようになって超能力を使わないようになったから自然に消滅したのだろう。[4才以後の私が超能力を使えたことはまったくない。]
私が子供の頃私の親が私を放任主義で育てた、つまり実の親でさえ私に命令できなかったのは、『神学第1原理』に私の親が従ったからであると考えられる。

[3364] 条件付き神学第1原理 h19.7.2
超能力者は人間よりも上の存在であるが、“ほんの少し”上なだけであるから、超能力者の命令は絶対的とは言えない。[キリスト教で神(超能力者のこと)を絶対的な完全者だというのは、本音ではなく、キリスト教社会の中ではそう言ったほうが自分にとって有利になるからである。]
したがって、超能力者の命令に人類は無条件に従う必要はない。

[3365] 超能力者に従う者 h19.7.2
超能力者に従う者は、宗教人や政府だけとはかぎらない。
個人的に『神学第1原理』を知っていて超能力者である私に(広義に)“従う”者は、他にも大勢いる(ような気がする)。[どうやって、私に関する情報を得たかは知らないが。]
でも、それは個人の自由だからかまわない。
ただし、私の命令に“従った”からといって、自分の権威が増すわけではない。
宗教家は、人間より上の存在である超能力者の命令を仲介することによって、はじめて人間よりも高い権威(地位)を得る。[だから、仲介しなければ、普通の人間と変わらない。]
超能力者の命令に従う者は、超能力者の命令を仲介する者ではないから、命令に従ったからといって権威が増すわけではないのである。

[3366] 広義の“従う”について h19.7.2
“ぶ入れ”とか“私ネタを取り込んだテレビ番組”とかは、神学第1原理を無効化する工夫である。
これらは、人類が神学第1原理をまじめに考えていないことの表れである。
民主主義の原理に反しない程度に、神学第1原理を社会制度に取り込むよい方法はないものだろうか。
神学第1原理を法の中に取り込んでおかないと、“法の穴”が開いたままになり、再び宗教のようなあくどい団体が発生する。
法律で超能力者の権限を明確に定めておけば、[今の天皇は超能力者ではないが]今の天皇のように超能力者の権限が不当に強まることもない。[宗教が明確に言葉で規定せずだらだらといいかげんにやり続けたから、大げさになりすぎたのだ。]

[3367] 誰が私の超能力を除去したか? h19.7.2
宗教家は人間だからやれない。
政治家も人間だからやれない。
当時(私に超能力があった頃)の天皇には超能力はなく、超能力者の子孫というだけだから、天皇でも本物の超能力者にはかなわないから、やれない。
唯一できたのは、その当時世界のどこかにいた超能力者だけだが、おそらくそんな者はいない。
したがって、私の超能力を除去した者は誰もいないのである。[もし私の超能力を除去した者がいたとすれば、その者は神学第1原理を犯したことになり死刑だ。]

[3368] 2代目以降の天皇は人間である。 h19.7.2
いくら超能力者でも実在の真理を変えることはできない。例えば、いくら超能力者でも[決まりの上で]超能力者でない者をある者にしたり、超能力者である者をない者にしたりはできない。つまり、いくら超能力者(例えば、私)でも『神学第1原理』の内容を変えることは許されない。[『神学第1原理』は客観的な真理なので、たとえ超能力者である私でも『神学第1原理』を否定することはできないのである。ちょうど、天皇や私の書いた試験の答案のまちがいが、天皇や私が書いたからといって正解にならないようなものである。つまり、いくら超能力者(やその子孫)だからといって、真理までも変えることはできないのだ。]
だから、たとえ初代天皇が「2代目以降の天皇に自分と同じ権威を与える」ことに決めても、実際には2代目以降の天皇には超能力がなく『神学第1原理』が適用されないから、人間よりも上の存在ではない。
つまり、今の天皇は人間よりも上の存在ではなく、人間の中で上の存在なのである。
キリスト教や仏教と同じく、天皇教も超能力者であった初代天皇の教え(というか命令)すなわち「私の子孫を人間の中で上の存在とせよ。」を守っているだけのことである。
超能力者である私でも、初代天皇の教えには口出しできないので、この初代天皇の教えを取り消すわけにはいかない。
したがって、天皇家は未来永劫「人間の中で上にある存在」として続いて行くことになる。

[3369] 私は今の天皇をやめさせられるか? h19.7.2
超能力者が人間よりも上の存在であるのはその超能力にかかっているのだから、超能力者と超能力者の間の上下関係は、超能力者の超能力の優劣で決まる。
つまり、私の超能力が初代天皇の超能力よりも勝っていれば、私のほうが初代天皇よりも上ということになり、私が初代天皇の命令を取り消して今の天皇をやめさせることができる。
しかし、超能力の種類が違う場合には超能力の優劣の比較がしにくいから、そういう場合には超能力者は他の超能力者が決めたことには口出しできない。
したがって、私の超能力と初代天皇の超能力の種類が違っていれば、私は初代天皇の命令を取り消すことができず、今の天皇をやめさせることができないことになる。

[3370] 神の命令への従い方について h19.7.4
『神学第1原理』を厳密に適用するなら、人類は神(ここでは超能力者のこと)の出す命令に従わねばならないことになる。[私は絶対的に従えとはいわない。民主主義に反しない程度に従って欲しいだけである。しかし、神によっては絶対的に従えということもありえる。]
以下は、私が規定した神である私の命令への人類の従い方である。
神を敬[うやま]ったり、神の性格を真似たりするのは、神の命令ではないから個人の自由とする。[ただし、神によっては自分を敬えという命令を出すこともありえる。]
宗教のように、神の命令を個人あるいは民間の団体が仲介して政府や他者に命令[し自分の利益に]するのは禁止する。[宗教家は神ではなく人間だから、私の命令は宗教家に対して通用する。]
神の命令を仲介するのは政府だけとし、政府は民主主義に反しない限り神の命令に最大限従わねばならない。[つまり、私の私事に関する命令にはすべて従い、私の公事に関する命令には国民の投票(あるいは、国会議員の審議)を経てから従うか否かを決めねばならない。ただし、誘導はやめて欲しい。]

[3371] 『神学第1原理』を超える法 h19.7.4
超能力者については『神学第1原理』しかないのだから、超能力者が生まれてくるたびに、超能力者がゼロから“決まり”を作らなければならない。
これでは超能力者も大変だし、超能力者にとって危険でもある。
それで、前もって超能力者である私が今ここで言っておくが、とくに次の超能力者が定めないかぎり、宗教も他者による超能力者に対する誘導も禁止とする。超能力者に対しては自分が超能力者であることと、神学第1原理があることをなるべく早く教えてやらねばならない。
そもそも『神学第1原理』は漠然としすぎるので、もっと正当性の高い『超能力者についての法』が作れないものだろうか。いくら超能力者でも実在についての真理を変えることはできないので、それができたら、もっと超能力者の権限について明確になるのだが。正当性の高い『超能力者についての法』は正しければいいだけだから、超能力者でなくても作ることができる。

[3372] 今の天皇は自分から天皇を辞められるか? h19.7.4
初代天皇の命令ならば、だめでしょう。
どんなに天皇自身が嫌がっても、天皇家は永遠に続けなければならないのだ。

[3373] 命令の力関係 h19.7.4
今の天皇は人間で、私は超能力者だから、
天皇の命令よりも私の命令のほうが強力である。

[3374] 日本神道はインチキ宗教 h19.7.5
初代天皇は超能力者だっただろうが、2代目以降の天皇は人間である。
だから、超能力者ではない2代目以降の天皇の命令や性格(気風)などを日本文化に取り入れ続けた日本神道のやり方はまちがっている。
天皇家はただ続いて行けばよく、2代目以降の天皇の命令や性格を宗教的に日本文化に取り込む必要はない。
政治的に2代目以降の天皇の命令をきいてもよいが、徳川家のように天皇を政治と切り離すやり方もまた妥当である。
2代目以降の人間の天皇はテキトウに(だいたい)“人間の中での上の存在”に置いておけばよく、天皇を絶対視して国の全権を与える必要はないのである。

[3375] 超能力の数値化 h19.7.5
超能力者は人間よりも上の存在である。[神学第1原理]
これは実在における真理であって、宗教家や超能力者やその他の人間の協議または独断による取り決めではない。
しかし、この『神学第1原理』だけでは漠然と超能力者が人間よりも上だと言っているだけで、超能力者が人間よりもどれだけ上なのか具体的に細かくわからない。
つまり、『神学第1原理』は定性的に正しいだけで、十分定量的に正しいとはいえないのである。
定量的に超能力者が人間よりも何倍上の存在であるかがわかれば、それだけ具体的に超能力者への適切な対処の仕方がわかるし、また超能力者に与えるべき権限[政治的とは限らない]の強さが明らかになる。[超能力者に与える権限としては、その超能力で何をしても完全に自由というのが最も適切なのではないだろうか。(ただし、超能力者に対する宗教的・政治的な作用(働きかけ)は禁止とする。)]
昔、イギリスの数学者のハーディがインドの天才数学者ラマヌジャンの数学の才能を評価して、「自分自身は20点、リトルウッド30点、ヒルベルト80点、ラマヌジャン100点」と言ったことがある。
また、オリンピックの100m走で選手のタイムを比較すれば、その選手の100m走の能力がどれほどのものであるかが細かくわかる。
[医学においても、患者の重症度の点数付けのようなものがある。]
同様にして、超能力者の超能力を評価することはできないだろうか。超能力者の超能力の才能を100としたら、超能力者以外の人間はみんな0になってしまうから、どうなるのだろうか。
超能力の数値化はともかくとして、超能力者の超能力が実際どんなものであったかだけでも公に知らしめたらどうだろうか。超能力がどんなものかがわからないまま、初代天皇や私を偉いとするよりも、そのほうがずっといいだろう。

[3376] 実在は知覚で見るものだ。 h19.7.5
この世(実在)には秩序(法則)があり、それに則ってこの世界は動いているのであって、
人間の眼で見て美しいようには作られていないのだ。

[3377] シャカの仏教と私の実在哲学との相違点 h19.7.5
1)五感界における経験からの知覚界における概念の生成が仏教にはない。
2)心の中にある感情についての善悪の区別が仏教にはない。私の実在哲学では、知覚欲と愛情が肯定すべき善の感情であるとされるのに対し、仏教ではすべての感情が否定すべき悪であるとされる。
3)仏教には精神病や幻聴の概念がない。
4)仏教には宗教そのものへの言及がない。

[3378] 超能力者の権限について h19.7.6
『超能力者に何でもできる自由を与えることにする。』
と、いくら何でも権限のやりすぎである。
これでは、超能力者が全世界を思い通りにすることができ、超能力者を上に置きすぎたことになる。
超能力者はその超能力があるゆえに人間よりも上なのだから、
それなら、『超能力者はその超能力で何でもやっていい』ことにすればよい。[私はこれを『神学第1原理』の正当な解釈だと考える。例えば、超能力者がその超能力で気に入らない奴の頭を吹っ飛ばそうが、核弾頭の発射ボタンを押そうが一切自由とする。(たぶん、今から千年後には核ミサイルはなくなっているだろうが。)]
超能力以外では人間と同じ権利を持つことにすればよい。
ただし、超能力者に関するその他一切の特別な取り決めを廃し、超能力者が超能力を自由に使える以外は、超能力者が人間と同じように生きて行けるようにしなければならない。

[3379] 超能力者保護法 h19.7.6
超能力者の超能力を除去するまたは弱化させるまたは強化させる目的で、他者が超能力者の身体または精神に何らかの処置をすることを禁止する。これに反する場合は、その者全員を死刑とする。
超能力者に関するその他の件については、人間と同じとする。

[3380] 超能力も論理的である。 h19.7.6
ガリレオ=ガリレイやヘーゲルが言ったように、『実在の世界は論理的に無矛盾に出来ている』から、超能力についてもまた論理的であり、実在の世界全体としてつじつまが合うように出来ている。
だから、おとぎ話のミダス王のように、“何でも触った物が金になる”超能力なんかは実在しないのである。
超能力に関する小説的・マンガ的イメージは廃して欲しいものである。

[3381] 考えるための条件 h19.7.6
人間は群れると自分で考えようとしなくなる。
だから、考えるためには独りでいることが必要なのだ。

[3382] 政治家 h19.7.6
政治家は人間の中で上の存在である。
しかし、ただ漠然と“上の存在”とせずに、具体的な権限として定めて欲しい。
そうすれば不当に“上の存在”となるのを防げるし、国民にとってもありがたいことである。
例えば、飲食店において政治家は3ヶ月間の代金の支払猶予期間を持てるとか、
家庭で使用する水道・光熱費は無料とするとか。
その代わり、子供のけんかに親が口出しするのを禁止するとか。

[3383] 冠婚葬祭法 h19.7.6
宗教人は心が汚い人たちだから、冠婚葬祭を宗教人が取り仕切るのは周りの者にとって不愉快である。
よって、以後、冠婚葬祭には宗教人が関与してはいけないこととする。

[3384] 誰でも天皇になれるか? h19.7.6
初代天皇が使えた超能力についてのデータが現存していないとする。
すると、初代天皇が使えた超能力は不明ということになる。
すると、初代天皇が超能力者だったかどうかも疑問になる。
他の日本人の先祖も超能力者であったかどうかは不明なので、条件は今の天皇と五分五分だ。
だから、宮内庁に申請すれば、誰でも天皇になれるのだ。
すると、日本政府は1億人の遊び人を養っていかねばならなくなり、日本が滅びてしまう。
だから、初代天皇の超能力に関する詳しい具体的なデータがなければ、天皇制度は成立しないのだ。
[天皇を日本の王だと考えてみても、天皇の持っている王としての権力はあくまでも天皇制のおまけなので、やはり天皇は王よりも超能力者の子孫と見なすべきである。いわば、天皇にとっての王の仕事は副業にすぎないのだ。事実、過去の日本の歴史においても、天皇以外の者が天皇を上回る政治的権力を持つことは何度もあった。]

[3385] 超能力者関与禁止法 h19.7.6
人間が宗教的または政治的な目的で超能力者に関ることを禁止する。
これを犯した者は死刑に処す。
[この法は超能力者に与える権限のひとつとして妥当であると考えられる。]

[3386] 真理の教育は『神学第1原理』に反しない。 h19.7.6
真理は超能力者でも変えられないから、真理であれば超能力者の親が超能力者に教えてもよい。
例えば、「オナニーすると精神病にかかりやすくなる」ことは真理だから、教えてもよい。

[3387] 業界関係者にいい思いをさせない法 h19.7.6
正直言って私にとっては、“私をかわいい女の子に変えたアニメ”は嫌である。
他の“私ネタを入れた番組”も私にとってはいい思いがしない。[私以外の視聴者にとっても、脈絡のないわけがわからないネタ(例、バラエティ番組のテロップ)でしかたなく笑わされておもしろくなかったはずである。テレビの視聴者が番組を見て笑うことは、日本文化への超能力者の取り込みを視聴者が承認したことと宗教家は見なしている。日本文化への超能力者の取り込みは『神学第1原理』のひとつの解釈である。私はこの曖昧なやり方は国民の法意識を低下させ[給料の支払いまで曖昧にされる。]、ひいては人類の論理的認識能力全般を損ねるものとして不当と見なす。]
どうして私が嫌なのかわからない番組の製作者は、心がおかしい。
心のおかしい者に、いい思いをさせる必要はない。

[3388] 権威を取る? h19.7.7
宗教家は(私が小学生のとき教室でやった伝言ゲームのように)超能力者の命令を自分が得をするように解釈してそれ(解釈し直した命令)を他人に伝えて儲けているにすぎないから、宗教家自身に特別な権威があるわけではない。ただ、超能力者が人間よりも上の存在だから、超能力者の命令には他人が従わねばならないだけである。つまり、偉いのは超能力者だけで、なにも宗教家が偉いわけではない。超能力者と人間の権威の強さの違いによって命令が超能力者から人間に流れていくだけで、宗教家は超能力者の命令の仲介人にすぎないのだ。
『神学第1原理』を“超能力者の命令に人間が従わねばならない”と解釈した場合[この解釈の妥当性には問題があるが]、宗教家は仲介するときに超能力者の命令を変えているから、『神学第1原理』に忠実に従ってはいない。
『神学第1原理』に忠実に従うなら、超能力者の命令の伝達手段に関らず、とにかく全人類は超能力者の命令にそのまま従わねばならず、超能力者の命令の仲介者は仲介するときに命令を変えてはいけない。[人類は超能力者の命令に従えるように、超能力者の命令の伝達手段を設けねばならない。]

[3389] 『神学第1原理』の正当な解釈 h19.7.7
『神学第1原理』の解釈を“超能力者の命令に人間が従わねばならない”とせずに、
“超能力者はその超能力で何をやってもいい”こととする。
ただし、“この世から宗教を撤廃し、人間が宗教的な目的で超能力者に関ってはいけない”命令もまた妥当とする。

[3390] 超能力者に関する3つの法《要約》☆☆☆ h19.7.7
『神学第1原理』は超能力者が人間よりも上の存在であることを漠然と述べただけのものであり、実用的にはより具体的に超能力者に与えられる権限として記述されなければならない。
超能力者に与えられる特別な権利として以下の3つの法がある。[超能力者3法]
1)超能力無制限使用許可法…超能力者はその超能力を用いて何をしてもよい。[これぞ実力の世界だ。]
2)超能力者保護法…人間が超能力者の超能力を除去してはならない。[詳しくは[3379]を見よ。]
3)超能力者関与禁止法…人間が宗教的または政治的な目的で超能力者に関ってはならない。

[3391] 宗教財団利用法 h19.7.7
宗教人は人間以下の存在だから、民間企業または政府は宗教財団からいくらでもお金を取って利用することができる。
逆らった場合には、その場で宗教人をぶち殺すことができる。

[3392] ユリ=ゲラー h19.7.8
私は子供の頃、ユリ=ゲラーを超能力者だと思っていたが、人間よりも上の存在だとは思わなかった。
実際の超能力者に対する直感的印象とはそのようなものであり、してみると宗教家が超能力者の実態が暴露するのを恐れたために赤ちゃんの頃の私の超能力を除去したことも十分ありえることである。
『神学第1原理』は漠然とした規定なので、解釈のしようによっては人間が超能力者の身体に手出しをしてその超能力を除去することもできるのだろう。
しかし、これではあまりにも解釈によってどうにでもなりすぎて法としては不適切なので、昨日私が定めた『超能力者3法』のほうがいい。
そもそも超能力者は“人間よりも上の存在”であろうか、それとも子供の頃の私のユリ=ゲラーに対する印象のように“人間の中での特別な存在”にすぎないのであろうか?
それは、実験してみないとわからないので、やはり私の定めた『超能力者3法』に従ってやってみて事の成り行きを観察して決める以外に方法はないだろう。
ただ、私の拡大体理論によれば、専門知識を持っている学者や技術者も一般人よりは実在によく適応していることになるので、一種の超能力者のようなものである。
ひとつの才能だけで人間の優劣を単純に決めることはできない。
そうなると、総合的評価によらねばならないわけだが、そうなると『人間は総合的評価ではほとんどみんな同じ』なのではないだろうか。[人間どころか、生物どころか、この世の物質すべてが平等といってもよい(万物斉同)。]
これが民主主義の原理の根拠であり、そうしてみると超能力者も人間の中のひとつの特別な存在にすぎず、人間よりも上の存在ではないことになる。

[3393] 権限について h19.7.8
天皇や政治家には、法律で定められた権限が与えられているが、それらの権限は人間または超能力者が勝手に(独断で)取り決めたものではなく、その権限が実在において妥当かどうかを問題にしなければならない。
証明のない権限は認められない。

[3394] 法は法則である。 h19.7.8
物理学の法則が具体的事実から帰納して得られるように、国や世界の憲法や法律などの法も具体的事実から帰納して得られたものでなければならない。
例えば、現在の日本国憲法における天皇の優位性は、1)初代天皇が超能力者であったことと、2)初代天皇が「自分の子孫に自分と同等の権威を与えよ」と命令したことから出てくるのであって、具体的事実を根拠とせずに天下り的に法を決めてはならないのである。
また、それだけの具体的事実から現在の日本国憲法で定められた天皇の権限が正当なものであるかどうかも問題にしなければならない。[明らかに権限のやりすぎである。]

[3395] 仏教は貧乏のもと h19.7.8
数字の0はインドで生まれた。数字の0はインドが誇る世界の文化遺産である。
昔のインドは商業が盛んで、お金の計算を頻繁にしなければならなかったからである。[具体的経験の中から抽象的概念が生まれるのだ。]
その頃のインドが商業が盛んだったのは、物が豊かだったからである。
しかし、その後仏教の勢力が強まるにつれて、インドは貧しくなっていった。
仏教の五感界をバカにする歪んだ思想が、インドから物の豊かさを奪ったのだ。
[日本の天皇家がバカすぎてよかった。中途半端に利口だったら、文明開化を禁止して、日本はインドと同じような道をたどっていただろう。]

[3396] アニメは学問の役に立つ。 h19.7.8
オンライン麻雀やバトルフィールドで遊ぶときには、いわゆるゲーム脳は使うけど言語覚は使わない。
アニメは絵で見せる部分が多いけれども、本質は“言葉の遊び”でけっこう言語覚を使いながら見ている。
学問はlogosと言われる通り、“言葉を使う”ことである。
したがって、アニメと学問とは言語覚を共用するので、アニメを見ることは学問の訓練になるが、ゲームと学問とは共用する中枢がないので、いくらゲームをやっても学問の訓練にはならない。
[その昔、剣豪宮本武蔵は左腕を鍛えるために左手で絵を描く練習をしたと言う。]

[3397] 天皇の権限について h19.7.10
『神学第1原理』のひとつの解釈として“人間は超能力者の命令に従わねばならない。”ことがあり、
「初代天皇が超能力者であった」ことは一応認めても、
「初代天皇が自分の子孫について命令したこと」についての具体的な詳しいデータが現存していないかぎり、現在の天皇の権限が妥当とは言えない。
実際にこれまでも時代によって天皇の権限が大きく違うので、天皇の権限についての規定は何もないとも考えられ、そうならば天皇の特権はひとつも認めなくてよく、天皇を普通の人間と同じとしてよい。[天皇家をわざわざ血筋でつなぐ必要もない。日本人は眼で見えることに弱いので、その習性を宗教が利用して、宗教が天皇家を血筋でつなぎ天皇を高い地位に置くことによって、“人間が超能力者に従わねばならない”まちがった制度をこれまで日本人に承認させて来たのだ。そうやって、宗教はこのまちがった制度を使って私服を肥やして来たのである。だから、宗教が天皇家を人の上に置いたのであって、初代天皇の命令で人の上に置いたのではない。あるいは、天皇家を人の上に置くことが超能力者の子孫に敬意を払う者の自発的な活動というのなら、それを国民全般に強制する法律にしてはならないはずである。]
そもそも、初代天皇がいた当時の人間にとっては超能力者が人間よりも上の存在に見えても、今の人間にとってはおそらく超能力者は人間の中の特別な存在にしか見えないだろうから、『神学第1原理』を時代の思想に沿って解釈するなら、現在では超能力者の命令を人間が聞く必要はなく、ましてや超能力のない超能力者の子孫ではただの人間と同じであり、やはり天皇に特権をやる必要はない。
[ただし、超能力者でも人間でも正当なことを言えば、その考えには従うべきである。反対に、不当なことには従ってはならない。]

[3398] 宗教の論理 h19.7.10
超能力者が人間にできることは一通りできて、その上人間にできないこと(つまり、超能力)もできるから、
超能力者が人間よりも“上だ”という。[神学第1原理]
逆に、超能力者が人間よりも上だから、
超能力者が人間に対してなんでも命令できることになる。
ほんらい超能力が使えるだけの者が、いつの間にか人間に何でも命令できる者に変えられている。
これは実在する超能力者から『神学第1原理』への帰納がまちがっているからである。
それなら、下手に帰納するのをやめて、超能力者を超能力者のままにしておけばいいではないか。

[3399] 私のヒトラー観 h19.7.10
ヒトラーは自分自身を総統と言っただけで、神とは言わなかった。
だから、ヒトラーは最初から神(超能力者)とは関係ないのだ。

[3400] マンガと実在 h19.7.12
マンガも実在も同じ心の表現の場である。
つまり、マンガと実在とでは物理法則が違うだけで、
表現している心はマンガも実在も同じである。


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