[3201] 相対性理論 h19.5.13
われわれの日常生活において経験する五感界では、時間・空間は物によらず一意的である。
しかし、これは五感界のまちがいであって、実在においては、相対性理論が明らかにしたように、時間・空間は運動する物体によってそれぞれ違っているのである。
[3202] 分裂病(焦燥病)にかからないためには h19.5.13
分裂病(焦燥病)にかからないためには、性教育よりも、『自分の心の中にある感情の善悪についての知識』のあることのほうが大事である。[私も自分が分裂病にかかるまでは、心について考えるなんて馬鹿のすることだと思っていた。じつは、心は人間の大脳前頭葉の脳細胞群が荷っている感覚であって、実在する物だから、理科系の考察すべき対象なのだ。]
つまり、知覚欲(学習欲、思考欲)は人間にとって善であるが、焦燥感と抑鬱感は悪である。
性欲は悪だから、結婚しにくくなるが、それでも異性への愛情(好きな気持ち)があれば結婚は可能であろう。
[3203] 地動説 h19.5.13
五感界においては、地球が止まっている。[そもそも地球が平らである。]
しかし、これは五感界のまちがいであって、惑星(例、金星)の軌道を細かく調べることによって、地球が太陽の周りを動いていることがわかる。[これは日本人がやったことではないが、人間がやったことではある。]
われわれ人間の五感界には、実在についての真実が含まれているけれども、同時に多くのまちがいも含まれている。
それらのまちがいは、知覚で何度も考え直すことによって取り除くことができる。
そうすることによって、実在の真の姿が次第に明らかになる。
こうして、知覚界が五感界から実在界へ近づいて行く。
[3204] どうして宗教はなくならないのか? h19.5.13
宗教をなくならせるのは政治家である。
ところが、宗教がなくなると国民が幸福になる。
ところが、政治家の目的は国民を幸福にすることではなく、国民を不幸にすることである。
政治家にとっては国民が幸福になるのが嫌だから、政治家は宗教をやめさせないのである。
[3205] 最近の若者が不良臭い理由 h19.5.14
私という超能力者が現れたので、宗教の力が強まった。
宗教は反知覚主義(反合理主義)だから、日本や世界の反知覚主義が強まった結果、反知覚主義の環境の中で育った若者が不良臭くなってしまったのである。
[3206] どうして政治家は宗教を擁護するのか? h19.5.14
女は愛情で生きているから、ただ愛情が満足されさえすればよく、正しかろうがまちがいだろうがどうでもいい。
同様に、政治家は権威欲だけで生きているから、自分の権威が強まりさえすればよく、正しかろうがまちがいだろうがどうでもいい。
政治家が科学と組むよりも宗教と組んだほうが自分の権威が強まるので、政治家は宗教に加担するのである。
[政治家も宗教家もともに権威欲を生きがいにしている同じ穴の狢[むじな]である。]
[3207] 私の念動力の強さについて h19.5.14
私の推測だが、私が赤ん坊の頃発揮した物体をその場で自転させる念動力の強さは、扇風機の風で物を動かす程度の強さと考えてくれればいい。
[3208] 政治家による政策の決定について h19.5.14
政治家が政策(法律も含む)を決めるときには、数学の定理のように証明をつけねばならない。
つまり、まず現状についての認識から出発して、現状の正しい(善いすなわち人々を幸福にする)部分は残しまちがっている(悪いすなわち人々を不幸にする)部分は捨てときには新しい正しさを加えて、将来あるべき日本や世界の姿を導き出さねばならない。[つまり、政策(法律も含む)は、実在に従っていなければならない。政策は、実在認識に基づいて作られなければならない。]
けっして権威に物を言わせて無理やり不合理な政策を決めるような下品なまねをしてはならない。
[政治家が生き残りたければ、自分の権威のことばかり考えず、もっとまじめに仕事をしろ。]
[3209] イギリス語とドイツ語の違い h19.5.14
イギリス語では、見られる物しかなく見る者がいない。[客観主義]
ドイツ語では、見られる物と見る者が同じひとつの世界の中にいる(枠構造)。
日本語は、ドイツ語よりもイギリス語に近い。(だから、日本人は相対論が苦手である。つまり、現象は見られる物だけではなく見る者によっても決まるのだ(現象=対象×観測者)。)
[3210] 超能力の科学的研究について h19.5.14
超能力者の例は数少なく、超能力を科学的に研究することは困難である。
だから、まず超能力を科学的に研究できる体制を整えなければならない。
宗教家が超能力の科学的研究を妨害するのを阻止しなければならない。
そうすれば、宗教の対象となるものがもはや存在しなくなるので、宗教はおのずから滅びるであろう。
[3211] 宗教が認めている欲望 h19.5.14
キリスト教と天皇教は性欲が生きがいである。
仏教は無の心が生きがいである。[つまり、仏教ではすべての感情を生きがいにしてはならない。]
私教は知覚欲が生きがいである。
キリスト教と天皇教と仏教(ウラでは)は権威欲も生きがいだが、私教では権威欲は認めない。[もちろん、才能あっての権威(偉さ)は認める。権威欲では、権威そのものが目的化しており、それは認めない。政治家は努力家だけれども、権威欲しさに努力しているだけで正しくてもまちがいでもどうでもいいのだから、本当はくだらない。(政治家が権威欲に取り付かれて実在を見失って、全世界征服とか言って、勝てない戦争を始められては迷惑である。また、自分が権威をもらうためだけに、超能力のある赤ちゃんの身体を痛めつけて超能力を失わされては、その子にとって迷惑である。)アメリカがいい国といわれるのは、才能から切り離れた権威を認めていないからである。つまり、アメリカは宗教で汚れていない国である。そういう国は発展する。]
[3212] これまでのまとめ h19.5.15
1)神とは超能力者のことである。
2)宗教とは反知覚主義者の団体である。[政治はよくしようと思えばよくなるが、宗教はよくしようがない。]
[3213] 権威欲で生きている人 h19.5.15
権威欲で生きている人間は、一種の抑鬱状態であって、気分が落ち込んでいるから知覚が働かない。
知覚が働かないから知覚欲が満足されず、汚い権威欲を生きがいにしなければならない。
要するに、権威欲で生きている人間は知覚の働かない馬鹿である。
権威欲で生きている人間は自分だけの心の世界の中にいるのであり、知覚欲で生きていないために考えが実在的ではないので、他人とわかり合えることがない。[反対に、実在はひとつしかないので、知覚欲ではみんながわかり合える。]
[3214] 「母親殺した」高3男子が頭部持ち自首 h19.5.15
母親が宗教人であるとすれば筋が通るから無罪である。
宗教人がいなくなったほうが人類にとっては幸せだから、善いことをしたことになる。
[3215] 政治家語 h19.5.15
政治家が曖昧模糊な言葉を使うのは、知覚欲の満足で生きていないからである。そんな人間は正しかろうがまちがいだろうがどうでもいいから、実在が見えておらず、信用できない。
[3216] 宗教と科学の関係 h19.5.15
日本の政治家は、ヨーロッパにキリスト教と科学とが共存しているのを見て、『宗教と科学とは相い補うものだ』と考えた。
しかし、これは政治家の誤解である。
じつは宗教は反知覚主義で科学は知覚主義だから、宗教と科学は対立関係にあるのだ。
[3217] 核力と念力 h19.5.16
湯川秀樹は天才だ。
なぜなら、万有引力とクーロン力しか知られていなかった時代に、
新しい第3の力すなわち核力を考え出したからだ。
核力の伝わり方は万有引力ともクーロン力とも違う。
私が赤ちゃんの頃に発現した念力も新しい力だ。
宇宙にはまだ私たちの知らないいろんな力があるのだろう。
[3218] おもしろさと正しさの関係 h19.5.17
おもしろさは正しさ(実在すること)の上に乗っかるものであって、
正しさの上に乗っからないおもしろさはおもしろくない。
[3219] 宗教は成り立たない。 h19.5.18
超能力者は超能力がある点で他の人間よりも優れている。
しかし、だからといって、超能力者に他の人間が従わねばならないとは言えない。
人間が他の者に従わねばならないのは、自分よりもその者が実在についての正しい知識を持っている場合である。
したがって、超能力者が実在についての正しい認識を持っていない場合には、他の人間は超能力者に従う必要はないから、超能力者に他の人間が無条件に絶対的に従わねばならないとする宗教は成り立たないのである。
[3220] 宗教人は人間以下 h19.5.18
宗教人であるかないかの区別が他のあらゆる区別よりも優先する。
宗教人は人間以下だから[宗教人は、物事をメチャクチャにするのが嬉しいだけの反知覚主義者のキチガイである。]、たとえ宗教人が社長や教授や首相であっても、宗教人は偉くないのである。
[3221] 私の超能力についての記憶 h19.5.18
私が小学校に上がる前(5〜6才頃)、薫的のおじいさん家へ行ったとき、私が南の縁側に座って小さな木の板を指でくるっと捻[ひね]って回そうとしたことがある。私は木の板を念力で回し続けようと試みたが、実際にはすぐに止まって倒れてしまうのだった。
私がこんなことをしたのは、以前私がもっと小さな赤ちゃんの頃に念力で物を動かせたことの記憶が残っていたせいなのかもしれない。

[3222] 宗教が作り出したゴミ h19.5.18
教会・神社・仏閣などの宗教の建物や宗教関係の絵画・美術品などは、宗教人のキチガイが作らせた存在価値のない汚いガラクタだから、早くなくなったほうがいい。
[3223] 天皇について h19.5.18
・天皇は神ではない、食べて生きているだけの肉にならないブタだ。
・天皇の周りには、宗教人が湧いて出る。
・「世の中には実力だけではどうしようもないことがある。」(by天皇)
天皇がいると、役立たずにいい思いをさせる国になる。天皇に憧れている連中は、実力がないのに権威だけある者がいいと考えている連中だ。権威があることは天皇自身にとってはいいことかもしれないが、他人にとってはまちがった(つまり、自分が不幸にされる)命令を押し付けられるので迷惑である。[ひとりの幸福が他人を不幸にするので、社会性がない。]
国をエンジンに喩えれば、天皇は仕事にならない摩擦熱エネルギーのようなものだ。
…
超能力の才能と政治の才能とは違う。
天皇が(超能力者も)政治家になりたければ、選挙に立候補して当選してなればいい。
天皇に天皇制が正当である理由を述べてもらい、それでみんなが納得いかなければ天皇制を廃止すべきである。
[3224] 私の両親は信者に入るか? h19.5.18
[2797]にある通り、私の両親は宗教家の指示に従って私に余計なことをしたから信者である。
私が小学2年生頃、若草町の県営住宅の玄関で母親が変なおじさんと私のことで話をしているのを見かけたことがある。[その当時はまだ家に電話がなかったから、たぶんそのおじさんが日本神道の連絡係だったのだろう。]
いい年した大人が、宗教が善か悪かもわからずに、宗教家に従ったことは許せない。[私はそんなことはしない。]
そこまで考えのない大人は十分反知覚主義者であると言える。
よって、たとえ両親といえども信者であるから死刑とする。
宗教家に一度でも従ったことのある者及び従う意志のある者は全員死刑とする。
[3225] 知覚主義と反知覚主義の関係☆☆☆ h19.5.20
知覚主義が反知覚主義を支配すべきであって、逆に反知覚主義が知覚主義を支配すべきではない。
人間は、知覚欲以外の欲望(感情)を活動させてもよいが、つねに知覚欲が他の感情を支配すべきであって、知覚欲以外の感情が知覚欲を支配してはならない。
つまり、人間が幸福に生きるためにはつねに知覚欲を働かせて実在が見えていることが必要であって[野球選手でも芸能人でも幸福に生きて行くためには、実在が見えていなければならない。]、実在を見失うほど知覚欲以外の感情を働かせてはならないのである。(つまり、人間が幸福に生きるための必要条件は、知覚欲>その他の感情である。)
例えば、私の場合、私が高校1年生のとき精神分裂病にかかったのは、自分の知覚欲よりも自分の焦燥感情を激しく興奮させてしまったからである。焦燥感情が知覚欲よりも優位になる(強く活動するようになる)と、実在が見えなくなり幸福に生きて行くことができなくなる。
知覚主義では知覚欲を活動させ、反知覚主義では知覚欲以外の感情を活動させるから、人類が幸福であるためには、知覚主義が反知覚主義を支配していなければならない。知覚主義に従った反知覚主義はもはや反知覚主義ではないので、反知覚主義(宗教など)は成り立たず、知覚主義(≒実在主義、科学など)でなければならない。
つまり、すべての人間は知覚主義でなければならないのだ。
[3226] 宗教人に関るな。 h19.5.20
宗教人の頭の中には汚いまちがった思想がいっぱい詰まっている。[宗教人は、実在についての誤解が多いだけである。]
自分が汚い思想に汚染されたくなければ、宗教人に関ってはいけない。
[3227] 自主納税制度 h19.5.20
自分が適当と考えた金額だけ納税する。
政府が必要と考える者は多目に支払うが、
政府が要らないと考える者は一切支払わない。
[3228] 政治家とは何か? h19.5.20
女は愛情で生きているから、正しいかまちがいかはどうでもいい。
子供はまだ自分の心のことがよくわからず、知覚欲が十分に働いていないから、正しいかまちがいかはどうでもいい。[子供にとっては、正しいかまちがいかよりも、大人に叱られるか褒められるかのほうが重要である。]
だから、女・子供は、国の大事な方針を決める政治に口出ししてはならない。
しかし、政治家自身も権威欲で生きているから、正しいかまちがいかはどうでもいい。
だから、政治家も政治に口出ししてはならない。
[3229] 宗教人と政治家の構造 h19.5.20
原子の構造が普段の経験からはよくわからないが、輝線スペクトルを見ればわかるように、
宗教人や政治家の構造は普段の経験からはよくわからないが、この度の“超能力者事件”から明らかになる。
[あるいは、超能力者の超能力が自然科学の新しい糸口になったかもしれない。]
[3230] 結婚について h19.5.20
結婚すると、女は幸福になるが、男は不幸になる。
[ただし、私は結婚していないし、結婚したことがない。]
[3231] 反知覚界☆☆ h19.5.21
昔の人は、この世は知覚界(当時はまだ五感界、つまり眼や耳で見える世界)と反知覚界(当時は反五感界、つまり眼や耳で見えない世界)の二つの世界から成ると考えた。
そして、知覚界は王様や将軍や首相が治め、反知覚界は超能力者が治めると考えた。[超能力(念動力)は眼で見えない力だから。]
しかし、超能力者は超能力が使える者であって、今日的には超能力は[万有引力や電磁力と同様に]物理的な力の一種であり[昔の人は、筋力だけが知覚界における力だと考えていた。]、超能力も知覚の対象だから、反知覚界が成立する根拠はない。
現代では、眼で見える世界(五感内実在界、つまり眼や耳で見える実在の部分)と眼で見えない世界(五感外実在界、つまり眼や耳で見えない実在の部分)とが、知覚界においてひとつの世界(実在界)として統一されている。
つまり、この世には知覚界しかないのだ。[ひとつの世界のほうが簡単でいい。]

[3232] どうして昔は宗教が盛んだったか? h19.5.21
昔は今のように科学が発達していなかったから、人々は眼で見えない世界に幸福を求めるしかなかった。[心が眼で見えないことにも一因がある。]それで、科学よりも宗教に人気があったのである。
今は科学が発達し実在の世界のことがよくわかるようになったから、人々は知覚で見えない非実在の世界よりも知覚で見える実在の世界に幸福を求めるので、宗教よりも科学に人気があるのである。
[3233] 男女対等 h19.5.21
知覚欲においては男が女よりも勝るが、
愛情においては女が男よりも勝る。
だから、男と女は対等だ。
[3234] 知覚外実在界 h19.5.22
実在の世界には、現在のところまだ知覚で理解されていないこと(例えば、癌や超能力など)がある。
しかし、それらも今後の科学的研究によって知覚で理解すべきであって、理解するのを諦めてはならない。
例えば、癌を理解できないものとしてしまったら、いつまでたっても癌が治らないし、人類は永久に癌で苦しめられることになる。
超能力は病気ではないが、その原理を解明すれば何かの役に立つことがあるかもしれない。
宗教のような、わかったフリの役立たずがのさばらないためにも、科学的研究を絶対に放棄してはならない。
[3235] どうして美人は心が冷たいか? h19.5.22
美人は顔や身体が美しい。
ところが、自分の身体は他人からは見えるが、[鏡を使わないかぎり]自分からは見えない。
美人は他人にとって幸福なだけであって、自分自身にとっては幸福ではない。[∵感覚の局在性より]
だから、美人は自分の心が活動せず、心が冷たいのである。
それなら、自分の愛情を活動させて他人のために何かしたほうが、自分に愛情の喜びが感じられて幸福である。
[3236] どうして人は宗教に入るのか? h19.5.22
知覚欲や愛情以外の変な感情を生きがい(つまり、自分が主に活動させる感情)にして、人生がうまく行かなくなって、自分でどうしようもなくなった者が宗教に入らねばならなくなるのである。
そのため、宗教には変な感情を生きがいにしている者が大勢いる。
大勢で集まればなんとかなると思っている。
しかし、そもそも人生がうまく行かない原因は、自分の心[の中にある肯定すべき感情]についての誤解にあるから、いくら大勢集まってゴチャゴチャやったところで、その誤解を直さないかぎり何にもならない。
そんな人は、変な感情を生きがいにせず、知覚欲や愛情で真面目に生きなさい。
[3237] 女性が幸福であるためには h19.5.23
愛情は実在の世界の上に働かなければ実らない。
だから、女性であっても、やはり知覚欲が愛情を支配して、つねに実在が見えていなければならない。
しかも、人間は知覚欲が働くだけでは幸福になれない。
知覚欲が働くだけでは正しかまちがいかがわかるだけつまり実在が見えているだけだから自分が病気になっても死んでもよく、それに知覚欲以外の感情の区別が加わらなければ幸福だとは言えない。
男女を問わず、人間は知覚欲を働かせて知覚欲が他の感情を支配しながら生きていかねばならないが、知覚欲だけでは幸福にはなれないのである。
[3238] 知覚外実在界がわかるとは h19.5.23
知覚外実在界は、知覚でも五感でもわからないから心でわかるしかない。
知覚欲以外の感情で実在を見れば、その世界は知覚ではわからないことになる。
知覚外実在界がわかるのは、知覚欲以外の感情が知覚欲を支配しているからである。
しかし、その状態は実在が見えていないから、いわゆる気が狂っている状態である。
つまり、知覚外実在界を対象にしている宗教はキチガイの世界であり、宗教人はみなキチガイなのだ。
キチガイは精神病院に入院させて、正常な人間の世界から隔離しなければならない。
[3239] 宗教とは h19.5.24
宗教とは、つまるところまちがった思想である。[宗教は知覚欲を肯定しない、実在を無視した思想だから、宗教における思想は実在と一致せずまちがっている。]
世界中のすべての宗教がまちがいである。
だから、宗教に入ると人生がうまく行かなくなり不幸になる。
私も子供の頃仏教(日蓮宗)に入っていたが、分裂病を防げず、けっきょく幸福にはなれなかった。
[日本神道の信者も宗教のおかげで出世できるかもしれないが、卑怯な手を使っているので、本心では喜べないだろう。]
[3240] 超能力は力の一種である。 h19.5.24
古典力学では(現代物理でも)、『物体の運動状態を変えるものは、なんでもかんでも力である。』と定義されている。
私の超能力(念動力)は、物体の回転状態を変えるから、当然力の一種になるわけである。
[3241] 社会科 h19.5.25
社会科とは、人間についての物理学である。
例えば、日本史とは日本国内におけるいく人かの重要な人間の行動および人間と人間との相互作用について記述したものである。
物理学において、物体に関する特殊な概念があるように、社会学(歴史や地理など)においても、人間に関する特殊な概念がある。それらも、やはり具体的経験から作り出される。[ただし、歴史学の場合には、人名に対応する人物が現在は死んでしまって居ないから、人名だけで考えて行かねばならず、研究が困難である。]
人間は実在する物体であり、実在の世界は論理的だから、社会学は本来物理学と同様に論理的なはずである。
ところが、実際の社会学はたいてい論理的に記述されてはいない。
これは、現在の社会学が研究不十分なためである。
例えば、地理学は土地と産業の関係についての研究だが、必ずしも現在の産業の配置が適切だとは言えない。土地や産業についての研究を進めれば、今よりももっと効率のよい配置がわかる。歴史学においても、文献に書かれていることを鵜呑み[うのみ]にせず、物的証拠を探したり文献同士を相互に論理的に比較検討することによって、古文書の記述のまちがいを正し、真実の認識に到達することができる。
[3242] 念動力の原理について h19.5.25
量子力学では、止まっているガラガラ(天井から吊り下げるプラスチック製のトーラス体)は、右回りのガラガラと左回りのガラガラの重ね合わせと見なされる。
念動力とは、静止しているガラガラを右回りか左回りのガラガラの一方に収束させる能力である。[観測問題は、まだよくわかっていないので、絶対に不可能とは言えない。]
そうすると、エネルギーを0から取り出すことになるが、その分のエネルギーは何らかの形で超能力者から支払われるのだろう。
[3243] 法と社会 h19.5.25
社会とは、実在する人間の集まりである。
法は人間が作ったものだが、法が実在する社会を正しくとらえていれば、その法に従う社会は発展し、反対に法が実在する社会を正しくとらえていなければ、その法に従う社会は衰退する。
つまり、物理学が実在する物体についての法則の記述であるように、法は実在する社会についての法則の記述であり、法は実在する社会に従って作られていなければならない。
例えば、『神についての法』があったとしても、その法が古いまちがった世界観に基づいて作られており、神についての正しい理解がなければ、その法は実社会においては成り立たないのである。
まちがった法は社会を滅ぼすので、法のまちがった部分は極力訂正して正しい法に改めなければならない。
[3244] 宗教とは何か? h19.5.26
宗教では、実在の外に世界があると考える。
宗教では、実在の外の世界に出て問題を解決しようとする。
つまり、宗教とは脱実在主義なのだ。
実在の中で解決できない問題に遭遇したとき、その問題を解くために宗教に入る者がいる。
ところが、実際には実在の外の世界なんてものは実在しないから、宗教では何の問題解決にもならない。
つまり、宗教は実在の世界ではどうしようもなくなった者の“心の気やすめの世界”にすぎない。
[3245] 天皇は宗教力のバロメーター h19.5.26
日本政府が宗教(脱実在主義、つまり実在の外の世界の存在)を認めていると、日本神道の勢力が強まり天皇がいい暮らしができる。[天皇は日本神道の構成員の一人だから、宗教人である。]
反対に、日本政府が宗教を認めていないと、日本神道の勢力が弱まり天皇の暮らしぶりが悪くなる。
だから、天皇の暮らしぶりを見れば、政府がどれだけ宗教を容認しているかがわかる。
[3246] 実在の外に出ることはできるか? 19.5.26
昔は、感覚と実在の区別がなかったので、感覚の世界で実在の外に出ることが、そのまま実体的にも実在の世界の外に出ると考えられた。
しかし、実際には、いくら感覚の世界で実在の外に出ても、それは脳における想像にすぎず、脳は依然として実在の中にあるので、本当は実在の外に出ていないのである。
[3247] なぜ宗教では自分の肉体の生死を超越できるのか? h19.5.26
実在の世界が見えていないから。
信者が宗教家の命令ひとつで特攻(ニューヨーク貿易センタービル、尼崎、上海事件など)をかけられるのは、実在が見えていないからである。[尼崎事件のとき、運転手か誰かが「子供が飛び出すのが見えた。」と言っていた。私が小学3〜4年生のとき、若草町南団地の遊園地のブランコで遊んでいたとき、突然子供が飛び出してきて子供の頭にブランコの踏み台をぶつけたことがある。]
宗教の世界に深入りしすぎると、そうなる。[宗教では実在を無視するので、宗教にかぶれると実在が見えなくなる。宗教に入って浅いうちは会社の真似事で宗教の中で出世ごっこなんかして楽しんでいられるが、深入りすると実在の何もかも一切忘れて宗教家の命令で動くだけのロボットになる。]
[3248] どうして超能力は宗教の対象なのか? h19.5.26
実在の世界の中の出来事は科学の対象である。
反対に、実在の世界の外の出来事は宗教の対象である。
昔は、超能力は実在の世界の外の出来事と考えられたので、超能力は宗教の対象であった。[昭和39〜42年が昔と言えるか!?]
しかし、実際には実在の外の世界なんかはないから、超能力も自然現象のひとつであって、やはり科学の対象である。
[3249] どうして超能力者の超能力を消すのか? h19.5.26
昔の人は、超能力を“実在の外にある力”だと考えた。
そのため、超能力者に超能力を使われると、実在の外の世界と実在の世界とが干渉して実在の世界が壊れるおそれがあるので、超能力者の超能力を消すことにしたのだ。
しかし、実際には超能力は実在の中にある眼に見えない力だから、超能力者が超能力を使っても実在の世界が壊れる心配はない。だから、超能力者の超能力をわざわざ消す必要はない。
[3250] どうして私アニメは存在するのか? h19.5.26
私アニメとは、私をネタにして作られたアニメのことである。
普通の人間なら、頼まれてもそんなつまらないものは作らない。
それなのに、そんなものを作ったのは、製作スタッフ(とくに監督)が宗教人だからである。
アニメを作れたぐらいで普通の人よりも偉いと思い上がるのはまちがっている。
宗教人がマスコミを用いて脱実在主義を布教してはならない。
[3251] 宗教はキチガイの因[もと] h19.5.27
マージャンのプロがわざとに下手な戦術やどうでもいいことを本に書いて自分を有利にするように、宗教はわざとにまちがった思想を世の中に広めて他人の人生をうまく行かないようにして宗教加入者を増やし宗教自身を有利にしている。
宗教は弱者のための救いの主ではなく、人々を不幸にして儲けている悪の組織である。
[3252] 科学と宗教の違い h19.5.27
科学は実在の中の出来事を対象とする。
一方、宗教は実在の外の出来事を対象とする。
人は問題が科学で解決されないとき宗教に救いを求めるが、そもそも問題は実在の中で生じたのであり、宗教は実在の外のことを知っている?だけで実在の中のことについては何も知らないから、実在の中で発生した問題が宗教によって解決されるわけがない。
実在の中で生じた問題は、やはり実在の世界の中で科学によって解決すべきである。
そもそも実在の外の世界なんかないから、宗教で扱うものは何もなく、宗教なんかあっても仕方がない。
[3253] 宗教は精神病の治療ではない。 h19.5.27
宗教では心理的に実在の外に出ることによって心の慰みを得るが、これは精神病を治すことではなく、かえって精神病を悪化させることだから、この方法は精神病の治療に用いてはならない。
[3254] 宗教人法 h19.5.27
宗教人は人類の敵だ。
よって皆殺しとする。
[3255] どうして超能力者は偉いのか? h19.5.30
昔の人は超能力者が超能力を使うのを見て、超能力を“自分の願いを叶[かな]える力”だと考えた。
それに、超能力を使える者はめったに(数千年に一人ぐらいしか)現れない。
脱実在主義である宗教にとっては実在とは違う世界を実現するのが夢だから、実在の法則に逆らって自分の願いを実現できる特殊な才能の持ち主であると考えられる超能力者が偉人だと見なされるのである。[宗教は超能力者以前からある古い野蛮な思想であって、宗教にとって超能力者の才能が利用できると考えられたのである。]
しかし、今では超能力は実在の内にある実在の法則に適[かな]った物理的な力だと考えられるので、超能力は宗教の対象ではなく科学の対象であり、人間に極まれに現れる現在のところはまだ原理不明の力だと考えられている。[現代では、眼に見えない電磁場も物理学の対象だから、当然眼に見えない超能力も物理学の対象である。]
[3256] 宗教の方法 h19.5.30
宗教では感覚と実在の区別をしないから、自分が頭の中で考えている世界がそのまま実在の世界になると信じられている。[科学が実在に従うことによって実在を支配する方法であるのに対し、宗教は実在に従わずに実在を支配する方法である。]
宗教では実在と違う世界を頭の中で考えているから、宗教人が実在とは別の世界に住んでいて実在とは別の世界の法に従って行動することになり、宗教人は宗教人以外の人にとっては何をされるかわからず迷惑である。
[超能力者の超能力は、感覚と実在の区別をつけないことによって発揮される頭の中で考えたことが何でも実現されるような能力ではなく、もっと純粋に物理的な実在の法則に則[のっと]った限られたことしかできない能力である。なぜなら、私が赤ちゃんの頃にできた超能力は、物体をスピンさせることだけだったからだ。これ以外のことを私は母から聞いたことがない。]
したがって、宗教の感覚と実在の区別をつけない方法は禁止とする。
[3257] 天皇は何のために居るか? h19.5.30
初代天皇に何らかの超能力があったので、昔の人はその事実を拡大解釈して、“天皇一族には願いをかなえる才能がある”と考えた。
しかし、実際には、超能力者の超能力では限られたことしかできないし、今の天皇には超能力がないから、いくら天皇を崇[あが]めたところで国民の願いがかなうわけではないから、天皇は居てもしかたがない。
[3258] 取り込み制度の意味 h19.5.30
宗教人は、超能力者には[通常の方法では不可能な]願いをかなえる能力があり、自分が超能力者に会う(または、超能力者の個性を取り入れた商品を買うなどする)と超能力者の願いをかなえる能力が自分にもらえると考える。
宗教では感覚と実在の区別がなく、自分が何の理由もなく頭の中でただ考えたことがそのまま実現すると考えるから、『超能力者には願いをかなえる能力がある』とか『自分が超能力者に会うと超能力者の願いをかなえる能力が自分にもらえる』とか頭の中で考えただけでそれが本当になると信じられているのである。[超能力者と人に関する法律を宗教人が自分たちだけで勝手に作って執行している。その法でときには人を殺すこともある。]
しかし、実際には超能力者には願いをかなえる能力はなく、ただ眼に見えない力を使って軽い物体を自転させたりするような限られたことがほんの少しできるだけであり、また超能力者に面会しただけで超能力を授[さず]かることもありえないから、宗教人が超能力者に会っても自分の願いをかなえることはできないのである。
つまり、“取り込み制度”は宗教人の願望が生み出した妄想による制度にすぎず、実際には何にもならないことをやっているだけである。
[3259] 感覚波は実在する。 h19.5.30
DIONのホームページのニュース欄の一番下には、つねに私ネタの記事が載っている。
通常は私のホームページ(『実在哲学の世界』の哲学日記)に載せた文章や、私が実生活で体験したことをネタにしているが、ときどき私が頭の中で考えただけのことをネタにしていることがある。[そのため、他人には何のことかわからない。]
このことは、私が頭の中で考えたことを誰かがテレパシーで感知したことを示している。
ところで、テレパシーは瞬時に遠方で感じられるかもしれないが、とにかく私が考えた“後に”他人が感じることなので因果律に従っており、実在における現象だと考えられる。[量子力学における観測による感覚波の収束のようなものである。]
テレパシーは感覚波を用いた通信だから、感覚波は実在することになる。
したがって、感覚波を用いてできるテレパシーや念動力やガン飛ばしなども実在する現象ということになるから、実在の外の世界を扱う宗教の対象外であり、宗教でやってはならない。
[3260] 超能力は宗教の対象ではない。 h19.5.31
昔の人は、この世界を実在の内の世界と実在の外の世界の二つに分けた。
昔の人は超能力を実在の外の世界の現象と考え、超能力の存在が実在の外の世界が存在する唯一の根拠とされてきたが、超能力(念動力)は超能力者が超能力を使おうとした“時”に超能力者の“身の周り”で発現されるのだから、時空間の連続性が保たれており時空間内における現象であり、つまり実在の内の世界における現象である。
したがって、実在の外の世界は存在せず、実在の外の世界を担当する宗教は要らない。
超能力は科学の対象であって、宗教の対象ではない。
[3261] 科学は発展する。 h19.5.31
宗教では超能力者が実在の法を破ったと見なすのに対し、
科学では超能力者が未知の実在の法を使ったと見なす。
古典力学が破れて相対性理論や量子力学が出来たように、
法が破れるのは未知の法があるからである。
未知の法を知ろうとすれば発展があり、
知ろうとしなければ発展がない。
[3262] 宗教の歴史☆☆☆ h19.6.1〜h19.6.2
古来より、人間は自分の願いをかなえたかった。人間は自分の願いをかなえるために生きているといってもいい。[とくに普段自分の願いを持たない者でも、大学受験や就職試験のときには、自分の願いをかなえたいと思ったはずだ。]
そのために、大昔の人は自然現象を司る神(自然神)がいると考え、その神にお供[そな]えや生贄[いけにえ]を捧[ささ]げ神に祈ることによって自分の願いをかなえようとした。
大昔の宗教はそんなものだった。
時代が下がって、この世には普通の人間にはない不思議な能力を持った者(超能力者)がいることがわかった。
そこで人々は、これまでの自然神を崇[あが]める宗教から、超能力者を崇める宗教に変えることにした。
宗教が超能力者を尊[たっと]ぶのは、超能力者が不可能を可能にして願いをかなえる特殊な才能の持ち主だと考えるからである。
そんな超能力者の一人として、今から約2千年前にキリストが生まれた。
人々はキリストを神として崇め、キリストに祈り、自分の願いをかなえようとした。
ヨーロッパでは、キリストが生まれて千年ぐらいはキリスト教が盛んであったが、当然ながらこの“超能力者に祈る方法”では効き目がなく、中世になるとキリスト教に限界が見えてきた。
そこで、ヨーロッパの人々はキリスト教に代わる新しい思想体系を作り出そうとした。
それは、神であるキリストの超能力にすがるのではなく、悪魔の物質的な力にすがって願いをかなえる方法であった。
後世暗黒時代と呼ばれるこの時代に、こうして近代科学が始まったのである。
宗教は科学の産みの親だと言えよう。
近代科学の誕生前夜に大勢の科学者がキリスト教徒に殺されたのは、当時科学者がキリスト教徒にとって悪魔の使いであると考えられたためである。
宗教が悪魔教としての科学を産んだ後は、再びもとのキリスト教へと戻って行った。
こうして、今日[こんにち]の物質的な力にすがる科学と超能力にすがる宗教のふたつの願いをかなえる方法が確立したのである。
しかし、超能力があるのは超能力者自身だけで、いくら超能力者にすがって超能力者の思想を受け容れたところで超能力が使えるようにはならないから、宗教による願望実現は無効であると考えられる。
したがって、今日では、自分の願いをかなえるためには宗教よりも科学に頼るべきである。[もっとも、超能力の原理を科学的に究明すれば、その原理を利用して、それまでできなかったことができるようになるかもしれないから、超能力そのものを無視してはいけない。超能力者は滅多にない素材だから丁重に扱わねばならない。]


[3263] かわいさとは何か? h19.6.1
かわいさとは“自然な(無邪気な)動物らしさ”があることである。
男から見ると女は動物的なのでかわいく見え、女から見ると子供は動物的なのでかわいく見え、女・子供から動物を見るとかわいく見える。
動物的とは、現象的な五感界の中に生きていることであり、女は男に比べて物の上辺[うわべ]の形しか見ていないので、女の感覚界は五感的であり、したがって女は男よりもかわいいのである。
[3264] 知は力なり h19.6.1
いくら物質にエネルギーがあっても、それを発見し、それを利用できるようにするためには、科学の天才がいなければならない。
逆に、天才科学者が理論を作れば、他の者がそれを学び具体例に応用することは容易である。
超能力者の超能力は学んで身に付けることはできないが、科学者の理論を学んで身に付けることは容易である。
この点においても、科学は宗教よりも優れている。
[3265] ぶ入れと特攻の意味 h19.6.1
ぶ入れ→宗教とはどうでもいいこと(縁起担[かつ]ぎ)をすること、何の役にも立たないことをすることである。(カモフラージュ?)
特攻→宗教は社会にとって迷惑である。宗教は犯罪者集団である。もはや宗教はないほうがいい。
[3266] 電気うなぎ h19.6.2
電気うなぎは筋肉で電気を発生して他の動物をしびれさせ他の動物に影響を与える。
今は電気がわかっているから何でもないが、
電気がわかる前は不思議だった。
超能力は電気ではないが、何らかの気ではあるだろう。
超能力者も未知の気を発生して他の物体に影響を与えるのだ。
[3267] 天皇の生活費について h19.6.2
天皇に国民の願いをかなえる力はないから、
天皇の生活費は国民の税金から出すのではなく、
天皇に祈りたい者だけから集めるようにすべきである。
[3268] 宗教人の狙い h19.6.2
現在の宗教制度では、『神(超能力者)と同じことをして神と一体化し、自分の願いを念じれば願いがかなう』ことになっている。
ところが、実際にこの方法によって自分の願いがかなった者は一人もいない。
だから、宗教人もこの方法で自分の願いをかなえようとはしない。
現代の宗教人の狙いは、自分の願いを念じて願いをかなえることにはなく、神(超能力者)と同じことをして神と一体化するところにある、つまり神がしたことは自分もしてもいいとするところにあるのである。
例えば日本の場合、国が天皇制を認めていることは『宗教制度』を認めていることであり、国が神と考えている天皇や私のしたことは他人がしてもいいと、国が宗教人(を含む国民)に対して許可することを意味している。
つまり、神(超能力者)が法を犯せば宗教人(国民)も法を犯してもよいことになる。
昔の信者(宗教人)は神に祈ることによって不可能を可能にしようとしたが、今の信者は神が法を犯すことを真似ることによって不可能を可能にするのである。
現代の信者は『宗教制度』を悪用することによって自分の願いをかなえるのだ。
科学的精神(科学的な物の見方)の浸透した現代においては、もはや宗教は法を犯すための手段にすぎない。
国家神道に入ると、超能力者のしたことを教えてもらえるので、それだけ一般人に比べて行動の自由が増えることになる。しかも超能力者(例えば私)のしたことの中に、おもちゃのブロックの組み換えや他人のものまねをすることなどがあると、超能力者のしたことの組み換えや、超能力者の眼の前で他人がしたことも超能力者がしたことになるので、超能力者のしたことの範囲がグッと広がることになる。さらに、超能力者が反語を使ったり曖昧な言い方をすることがあると、なおさらだ。だから、たとえ私が法を犯していなくても、宗教人は法を犯すことができるのだ。[例えば、私のアパートの2階下の部屋に住んでいるYさんが、私に自分の部屋の鍵を渡しながら「ストーブのスイッチを切り忘れたから代わりに消してくれ」と頼んで私が頼まれた通りにした次の日から、日本神道の信者が私の留守中に私の部屋に入るようになった。]
宗教人が特権階級のつもりでいるのは、こういうわけである。
『宗教制度』があるために、宗教人によって国法が破られては一般国民にとって迷惑である。
よって、『宗教制度』は禁止する。
[3269] 人間はまちがった世界の中に生きている。 h19.6.2
私が赤ちゃんの頃に超能力が発揮できたのは、まちがった世界を知らなかったからである。
普通の人間が超能力を発揮できないのは、まちがった世界の中に生きているからである。[普通の人間は、まちがった世界を実在の世界と信じ込んで、まちがった世界の中で暮らしている。]
アインシュタインが古典物理を詳しく知らなかったために相対論を発見できたように、
赤ちゃんの頃の私はまだまちがった世界を知らなかったから超能力が発揮できたのだ。
[3270] 超能力を自分のものにするためには?☆☆☆ h19.6.3
これまでに宗教人がしてきたように、超能力者の思想や行動をいくら他人が真似たところで超能力を使えた者は一人もいない。
また、自力であてずっぽうに超能力を使えるようになろうとして超能力が使えた者も一人もいない。
だから、超能力が“電気うなぎ”だろうが“大人のまちがった世界を知らない赤ちゃんが使える力”だろうが、
超能力が使えるためには、超能力自体を科学的に詳しく調べる以外に方法はない。[赤ちゃんは超能力の方程式を話せないが、赤ちゃんの超能力を観察していれば超能力の原理が見えてくるかもしれない。]
そうすれば、現在私たちが電気うなぎがいなくても電気が使えるように、超能力者の念動力発生器官がなくても念動力が使えるようになるかもしれない。
[3271] どうして宗教はうそつきなのか? h19.6.3
宗教は、一般人が神の定義を知らないことをいいことにして、大勢の人間を食い物にしてきた。
神の定義が超能力者であることを知らない人は、神とは‘立派な人’とか‘他人のためになることをする人’とか‘思想の優れた人’とか‘みんなを幸福にする人’とかのことだと思っている。
宗教が嘘つきなのは、これまでの神が嘘つきだったからだ。
釈迦もキリストも、私もみんな嘘をついたことがある。
[3272] 天皇について h19.6.4
天皇に人の願いをかなえる能力はないから、
天皇という特別な地位は要らない。
天皇制は廃止すべきである。
[3273] 超能力者特別法 h19.6.4
超能力が科学的に管理できにくければ、いっそのこと超能力が犯罪に用いられたことを科学的に立証できるまでは、超能力者が超能力を用いて犯した犯罪はすべて無罪としたらどうだろうか。[おそらく、超能力が犯罪に用いられることはないだろうが。]
もちろん、普通の人間と同じ方法で超能力者が犯した犯罪は有罪とする。
超能力者の超能力の才能は本人自身のものであるし、超能力は伝染性がないので細菌兵器ほど危険ではないし、核兵器ほど強力なエネルギーでもないから、比較的安全で放置しておいてもよいはずだ。
[3274] 首相と天皇 h19.6.4
首相は国民の意思の代表者であり、国民にとっては自分の願いをかなえてくれる人である。
一方、天皇には国民の願いをかなえてくれる能力はなく、ただ天皇自身の意思で動くだけである。
日本国は日本人みんなのためにあるのであり、天皇ひとりのためにあるのではない。
したがって、国政に首相は関与できても、天皇は関与してはならない。
天皇制はもはや不要である。
[3275] 超能力は発達しない。 h19.6.5
今の社会は、眼で見て耳で聞いて、頭で考えて、手と足で動く者のために作られている。
だから、たとえ超能力が使える子供がいても、社会の中では超能力を使う機会がないから、特別に超能力を鍛えないかぎり超能力は子供の頃から発達せず、大人になった頃には超能力が使えなくなっているのではないだろうか。
超能力者にとっても、超能力を鍛えるよりも耳目や手足や頭(知覚)を鍛えることのほうが人間社会の中で生きていくためには有利だから、超能力をわざわざ苦労して鍛えることもないだろう。[超能力を使うことは、超能力者にとってかなり重労働なのかもしれない。]
したがって、超能力は子供の一時期のみに現れる能力にすぎない。
[3276] 超能力は人類の幸福のためにある。 h19.6.6
超能力を消すことよりも、超能力を社会のために役立てることを考えなければならない。
そのためには、超能力者の超能力をできるだけ温存し、その力の性質を科学的に研究しなければならない。
超能力を消すよりも、そうしたほうが人類にとって利益になるだろう。
[3277] 超能力ははたして危険か? h19.6.6
X線も原子力(放射能)もはじめはすごく危険だった。
それが、研究が進んでその性質が明らかになるにつれて対策が施されしだいに安全に利用できるものとなって行った。
超能力についても同じことが言えるだろう。[なぜなら、人間も物質のひとつだからである。しかも、それは人間らしく生きて行かねばならない物質である。だから、超能力についての研究が、超能力者が人間らしく生きて行くことの妨げになってはならない。]
[3278] 超能力者が超能力で犯罪を犯しても許されるか? h19.6.6
超能力者の超能力を科学的に研究すれば全人類の役に立てることができる。
だから、たとえ超能力者が超能力を使って犯罪を犯しても、些細なことは大目に見るべきである。[超能力者の超能力を用いない犯罪については、普通の人と同等に扱ってよい。]
超能力者が科学的研究に協力してくれればありがたいが、超能力者が科学的研究に協力してくれない場合には、もちろん本人の意思を尊重して研究は断念せざるを得ない。
超能力が犯罪に用いられれば、超能力に関する科学的データが取れたことになるのでむしろありがたいことである。[超能力者は疑われやすいので、実際にはそう悪いことはできないだろう。疑われやすい者は、まじめに生きるしかない。また、犯罪が起こるのは手段よりも動機によるので、超能力者の心理が正常であるかぎり、超能力を犯罪の手段として用いることはないだろう。例えば、アメリカ人はみんな銃を持っているが、心理的に正常な人が多いので、めったに犯罪が起こらないのだ。]
超能力についての科学的研究が進んでみんなが[なんらかの道具を用いて]超能力を使えるようになれば、もはや超能力者を特別視する必要はないだろう。
[3279] 超能力が他の生物に及ぼす影響について h19.6.6
キリスト以前にも超能力者は幾人かこの世に現れたに違いない。
大昔には、人間はまだ集団を作らず家族単位でバラバラに暮らしていたから、たとえ超能力者が現れても有名にはならなかっただろう。
その頃は、超能力者が現れてもそのまま放置されていたはずだ。
そんな時代を越えて今人類や他の生物がこうして生き残っていることは、超能力が他の生物に及ぼす影響はほとんどないことを示している。
だから、今後超能力者が現れて放置しておいても危険はないはずである。
[3280] 咳払い h19.6.7
他人の顔を見るたびに他人に咳払いをする者がいる。
幼稚園児が自分が何を言いたいのかわからないまま他人に訴えようとするのと同じだ。
[3281] 女の世界 h19.6.7
はっきり言って、愛情は知覚欲よりもつまらない感情だから、女の世界は男の世界よりも面白くはない。
しかし、自分が女に生まれてきたら女として生きて行くしかない。
だから、女は女の世界の中でなるだけ幸福に生きて行くようにしなければならない。
いくら女が男の真似をしたところで女が幸福になれるわけではない。
女にとっては女の満足しやすい感情があるので、女は自分の満足しやすい感情を満足させて生きて行ったほうが幸福になりやすいのである。
[一般に、老若男女を問わず、才能が優れていようが劣っていようが、本人が満足できる感情を満足して幸福に生きて行けばよいのである。]
[3282] パソコンが壊れた。 h19.6.8
私は昨夜『私の父親が持っているノートパソコンが、私が前に使っていたパソコンと同じやり方で壊されるかもしれない。』と心配したり、『フランクリンは雷が電気であることを凧を揚げて実証したが、それ以前の人々は雷を一体何だと考えていたのだろう?』とか考えたりした。
それから、今朝トイレで『ゼウス神は稲妻が使える。』と考えた。
すると、今日の午後雷が鳴って突然停電して私が使っていたパソコンが壊れてしまった。[電源スイッチを入れても起動が途中でストップして電源がスッと落ちてしまう状態だった。]
私には予知能力があるのかもしれない。
頭の中で突然思いついたことや気がかりなことについてよく考えれば、なにか未来のことがわかるかもしれない。
[その後、パソコンは一晩使わずに寝かせると、ひとりでに治った。]
教訓)雷が鳴ったら、すぐにパソコンのスイッチを切りましょう。パソコンは壊れてもすぐ捨てずに、一晩置いて様子を見ましょう。
[3283] 新しい『超能力者についての法』 h19.6.8
『超能力者についての法』は、超能力者についての正しい認識に基づいて作られていなければならない。
超能力者とは、これまで宗教が宣伝してきたような大げさなものではなく、現在の人類にとって未知の原理の力を用いて、例えば小さな物体を自転させるようなちょっとした手品のようなことができる才能を持った者のことである。
超能力者は超能力がある点以外では他の人間と同等であるし、その超能力も軽微なものであって他人にとってはおそらく無害である。
したがって、超能力者についての法はこうなる↓。
0)超能力者の超能力は、いかなる理由があろうとも他者によって損なわれてはならない。
1)超能力者が自分の超能力を用いて何をしてもかまわない。[たぶん犯罪は起こらないと思うが、超能力による犯罪を防ぐためには、超能力について研究して、超能力を遮蔽する物質を作ったり、科学的に超能力が犯罪に用いられたことを実証できなければならない。]
2)超能力者の超能力については、超能力者のプライバシーを侵さない限りで観察が許される。[超能力者に石などを投げつけて反応を見たりしてはならない。]また、超能力者の協力が得られれば、より進んだ超能力についての研究も可能である。
3)超能力者の超能力以外のことに関しては、他の人間と同等に扱ってよい。
超能力は人類にとって“新しい世界への入り口”だから、自然が人類に与えてくれた貴重な機会を大切にしなければならない。
[3284] 宗教はやす請け合い。h19.6.8
会社の名前に“三(さん)”を付けたりしても何にもならない。
これまでに宗教が私に関してしてきたことは全部ムダである。
超能力は、その原理を科学的に解明しないかぎり、何にもならない。
[3285] 宗教人はどうして超能力者の超能力を消したのか? h19.6.8
論理的に正しく考える者なら、これまでの議論により超能力者の超能力を残すべきだと考えるが、宗教人は非論理的にまちがって考えるので、超能力者の超能力を消すべきだと考えるのだ。
このようにして、宗教人は社会秩序を破壊しているのである。
[3286] 超能力者相談室 h19.6.9
超能力者が不満を溜め込んで犯罪を起こさないように、超能力者の悩みを相談できる相談室を設置すればよい。
超能力者の悩みを何でもかんでも聞くわけではないが、ある程度のことは聞いてあげてもいいかもしれない。
[3287] 超能力者自身による超能力の研究について h19.6.9
ブッダやブッダの弟子は、物と心がひとつになると超能力が使えると考えた。
キリストは、超能力の理論については考えなかったが、自分に超能力があったことは知っていたと思われる。
私は、念動力器官かまちがった世界を知らない赤ちゃんが使える力だと考える。
つまり、これまでの超能力者は、[よほどのバカでないかぎり]自分に超能力があったこと(および自分の超能力を消されたこと)を知っており、余裕があれば、その原理についても考えてきたのだ。
[3288] 国際首相会談 h19.6.12
国際首相会談は、各国の国民の意思の代表者が集まって話し合う場ではなく、実際には世界の権威者(強大な権威を持つ者、私は誰だか知らない謎の人)ひとりの意思に従って各国の首相が具体的に動いているだけである。

ところで、人間は幸福な方向には積極的・能動的に動くが、幸福でない方向には積極的・能動的に動かないから、権威者ひとりだけが幸福になるだけでは社会全体としての動きはなく社会は進歩しない。みんなが幸福であれば社会全体としても動くから発展がある。
例えば、戦争は天皇や総統の意思によって始められるが、国民みんながいやいやなので遅かれ早かれ戦争は止[や]まる。実際に戦争が延々と続いて社会が発展したためしがない。
他の例として、旧ソビエトのマルクス主義がある。旧ソビエトでマルクス主義の実現が試みられたが、けっきょく大勢の国民を幸福にできなかったので、最後には捨てられた。
人間が幸福に生きるためには社会全体の発展が重要であるから、権威者ひとりの意思に従う体制は不当である。
[3289] 靖国参拝 h19.6.13
首相が靖国神社に参拝するのは、『国民がおとなしく自分のいうことをきかないと戦争を始めるぞ』という脅しである。
首相が自分の権威(他者に命令する能力)を強めるために、戦争を脅しの道具として用いてはならない。[戦死者に対して失礼である。]
[3290] 宗教人はなぜ宗教をやめないか? h19.6.13
普通の人なら、これまでの私の議論から宗教を直ちにやめるべきだと考える。
それなのに、いつまで経っても宗教人が宗教をやめようとしないのは、宗教人が普通の正常な人間ではないからである。
したがって、この世から宗教をなくすためには、宗教人全員を殺すしかない。[特攻の例からもわかるように、宗教人はもともと死にたがっている人たちだから、殺してやればよいのである。]
[3291] 超能力理論 h19.6.13
モンペル=チューイは、光学における光学距離に注目してそれと類似の力学距離(L=∫vds)を考え出し、
光学と力学(つまり、光と物)を統一して『解析力学』を作り上げた。
アインシュタインは、電磁気学の基礎方程式であるマクスウェル方程式のローレンツ不変性に注目し、古典力学の基礎方程式であるニュートン方程式も同じローレンツ不変性を満足しなければならないとして、電磁気学(一種の光学)と力学を統一し『相対性理論』を作り上げた。
『量子力学』では、光の波動性と物の粒子性を統一してすべての物質に波と粒子の両方の性質があり(二重性)、物質は一般に波と粒子の中間状態Ψにあるとして、光学と力学を統一した。
このように、力学と光学の統一の仕方にはいろいろあり、統一の仕方によってそれぞれ違った物理理論ができる。
ところで、量子力学におけるシュレディンガー方程式とボルンの原理を統一する理論は出来ないものだろうか。超能力は観測における状態の変化と何か関係があるかも知れない。そんな理論ができた頃には、超能力の謎も解明されるのではないだろうか。
[3292] 男と女の統一理論 h19.6.13
男と女では満足させる感情に違いはあるものの、『自分の満足しやすい感情を満足して生きていく』という点においては男も女もみな同じであるといえる。
[3293] 人間と超能力者の統一理論 h19.6.13
ある者と他の者の上下関係を決めるのは、個人の問題ではなく社会の問題である。
ところで、ひとりの者が他の者に従うのは、『その者(の意見)が正しいか、自分を幸福にする場合』だけである。
この点においては、超能力者も人間も変わりない。
だから、この原理に基づいて世界を作り上げればよい。
つまり、それが『民主主義の原理』であり、その具体的手段のひとつが議会制度すなわち国民の意思の代表者を決めてその者に全国民が従わねばならないとする制度である。[将来、情報伝達・処理技術が進めば、議会制度とは別のもっと効率的なやり方が見つかるかもしれない。]
天皇制や神制では、天皇や神ひとりの意思に全国民(全人類)がやみくもに従わねばならず、これでは天皇や神ひとりの心が満足されるだけでその他の大勢の国民の心が満足されす、国民は尻を引っぱたかれていやいや命令に従わされて動くのであり、これでは国がほとんど発展しない。人間が幸福であるためには、社会全体の発展が重要なので、天皇制や神制は成り立たないのである。
民主主義の下では“最大多数の最大幸福”が満足されるので、多くの者が幸福を求めて能動的・積極的に活動し、社会全体が発展し、その結果さらなる幸福が国民にもたらされるのである。
[3294] 血統書 h19.6.13
今の天皇が権威者であるためには、超能力者であった初代天皇にどうしても結び付けねばならないので、皇室には血統書が欠かせないのである。
[3295] はたして国会は必要か? h19.6.14
『自分は自分のしたいことをする。』『自分のルールは自分で決める。』ことだけで人生が成り立つならば国会は要らない。
しかし、人間は個人的存在であると同時に社会的存在でもある。
人間が生きて行くためには自他共通のルールに従わねばならない。
例えば、お金にしても自分と他人が特定の紙をお金と認めるからお金に価値があるのであって、各人がそれぞれ自分で勝手に紙幣を作って持ち歩いてもお金としては通用しない。
人間の人生には個人で決めたルールがあるが、一方で国としての共通のルールもある。
それを決めるのが国会である。
だから国会は必要である。
しかしながら、『自分は自分のしたいことをする』のが人生の原則であり、自他共に互いに他人の事にはあまり干渉すべきではない。[誰でも、他人に動かされる(例、戦争)より自分で動くほうが好きなはずだ。]
したがって、個人の権限を広げ、国会の権限はなるべく縮小すべきである。
[3296] 東京人皆殺し h19.6.14
東京に住んでいる人は天皇教を信じている者たちだ。天皇に取り入っておいしい思いをしようと企んでいるしたたかな連中だ。
したがって、宗教人と同様に、東京人も皆殺しとする。
地方都市に住んでいる非宗教人には手出しをしない。
[3297] なぜニュートンは大蔵省に勤めねばならなかったか? h19.6.15
ニュートンは物体の運動の法則をこの世で最初に明らかにした天才である。
そこで、人々は「ニュートンほどの天才であれば、金以外のものから金を作り出し、その金で国を豊かにできるはずだ」と考えた。
それで、ニュートンは大蔵省に勤めて錬金術の研究に励まなければならなかったのである。
[3298] 工場のポカミス h19.6.15
工場で発生する不良品の原因に作業員のポカミスがあるが、その中でどうしても本人がわざとにやったとしか思えないミスがある。
その作業員が宗教人である可能性が高い。
宗教人は物事がうまく行くのを快く思わない心のいじけた者だからである。
宗教人は他人が正しく考えて生きて行こうとするのを快く思わない意地糞悪い者である。
宗教人はみんなガンを飛ばして自分の悪気を他人にぶつけることができる。[宗教人なら普段おとなしくしていても、その気になればいつでもガン飛ばしができる。]
宗教人は頭の中で汚いことしか考えられない。
[3299] 韓国ビデオ h19.6.15
スーパーのレジの横によく韓国ビデオが置かれている。
こんなの売れるわけがない。
売れない物は返品されてゴミになる。
商品の輸送費や生産費が無駄になるだけだ。
商品は生産された物が消費されてこそ活きるのであって、売れない商品を作るとお金や資源やエネルギーが無駄になって、国民が損をすることになる。
韓国ビデオが売られるのは、私の実在哲学が“感覚”(ダジャレ)の概念を用いるからだが、宗教的理由のために人類が不利益をこうむるのは許されない。
[3300] 女の笑いについて h19.6.15
男の笑いは、心で楽しさを感じていることの表現である。
ところで、少女マンガのギャグマンガは[男の私から見ると]ギャグがかったるくて何がおかしいのかわからない。
つまり、女はこの程度の楽しさしか感じない動物なのである。
では、なぜ女は笑うのか?
女の笑いは、男のような心で楽しさを感じていることの表現ではなく、たんなる挨拶にすぎないのである。
女は外から見ると楽しいだけで、中の世界は何の感動もなくつまらないものだ。[お産の痛みに耐えられるために、感覚の振幅が抑えられているのだ。]