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[400]人間 h13.12.19
人間には知覚がある。だから人間は正しくなければならない。
人間には心がある。だから人間は楽しくなければならない。
人間は正しくて楽しくなければならない。

[399]二つの見方 h13.12.19
“分裂気質”:楽しいことの中で正しいことをやる。自分が面白いと思う物事のうちで、正しさがあるもの(勉強や仕事)をやる。正しさがあるから、お金を稼いで生活できる。(西洋的)
“躁鬱気質”:正しいことの中で楽しいことをやる。いろんな正しいこと(勉強科目や職業)のなかで、自分が面白いと思うことをやる。楽しさがあるから、自分にとっての動機となる。(東洋的)
人間が生きていくためには、分裂気質(家の内)の見かたと躁鬱気質(家の外)の見かたの両方できねばならないだろう。

自分の生活に対しては、正しさの中で楽しんでいるとも、楽しさの中で正しんでいるとも、どちらとも見れる。
正しさの中で楽しむのが躁鬱気質の人生観であり、楽しさの中で正しむのが分裂気質の人生観である。
分裂病の人には躁鬱気質の考え方(ものの見方)が、躁鬱病の人には分裂気質の考え方が有効である。

[398]数学 h13.12.18
神といえば実在の外であり、実在の外といえば数学である。
数学とは自分が作った概念の間に成り立つ関係を知ることである。
つまりは、自己認識に他ならない。
例えば、「1+1=2」とは、足すということと、等しいということと、1、2などの概念の間に成り立つ関係である。

[397]神 h13.12.18
実在の外にあるふざけた心が神の概念の発生起源である。

[396]二つの心 h13.12.17
人間にはまじめな心とふざけた心の二つの心がある。
まじめな心とは、実在の内にある心、実在に従属する心である。
ふざけた心とは、実在の外にある心、実在を支配しようとする心である。

[395]梵我一如 h13.12.17
梵⊃我、我⊃梵
∴梵=我(本当かね?)

[394] 個人主義と全体主義 h13.12.15
人の心はそれぞれみな違うから、分裂気質の感情主義では個人主義になる。
個人主義では他人事に口出しをしない。
物事を個人の快不快で見るから孤独である。
一方、真理は普遍的だから、躁鬱気質の実在主義では全体主義になる。
全体主義では他人の間違いに口出しして直してやることが出来る。
物事を真偽で見るから社交的である。
まとめ:感情主義は個人主義であり、実在主義は全体主義である。

[393] 犬の頭 h13.12.13
幻聴が聞こえる→わからない→恐がる→吠える(咳払い)。
死ぬまでこればっかり。
犬並みの頭だ。

[392] 外に出て遊ぶこと h13.12.13
外に出て遊ぶとは、実在の中で楽しむことだ。
反対に、家の中で勉強するのは、娯楽の中で正しむことだ。

実在の中にいて楽しむことがなければうつ病であり、
家の中にいて正しむ(実在について考える)ことがなければ分裂病である。

正しさの中で楽しむか、楽しさの中で正しむ[ただしむ]か、ここに分かれ道がある。
躁鬱気質か分裂気質かは、個人の思想によって決まるのであって、遺伝によって決まるのではない。

[391] 自分と他人を比較してはならない。 h13.12.12
自分自身の人間性(キチガイでないこと)を維持、発展しなければならない。
他人が自分より優れていようが劣っていようが、自分自身の人間性(の程度)は変わらない。
いくら他人と較べて自分が無能だからといって、自分の人間性(知覚のない動物でないこと)を放棄していい言い訳にはならない。そんなことをすれば、自分が不幸になるだけである。
自分は自分の人間性(正しいことで楽しむこと)を伸ばす努力を続けていかねばならない。

[390] 進路の選択 h13.12.11
自分と他人を比較する必要はない。自分の中で得意な科目と不得意な科目とに分け、自分にとって得意な科目を選択すればいい。

[389] 女
女は男のような知覚の目がないから気難しい。
女は男ほど知覚の目が発達していないから気難しい。
母親も女だから、母親の言うこともあまり当てにはならない。

[388] 人は何のために生きているか。
人間は生まれたときにはまだ動物で、大人になると人間になる。
人間は人間になるために生きているのだ。
人間は不安定であり、壊れやすい。
ヘタをすれば動物に戻る危険性があることを忘れてはならない。

[387] 幻聴
脳細胞の神経興奮によって感覚子が発生する。
感覚子と感覚子の間をつなぐのが感覚波である。
感覚波が幻聴の実体である。

[386] 成功の法則
自分ができることの中で、自分にとって楽しいことを見つけねばならない。
このことは、将来の自分の進路決定についても当てはまる。
例えば、医学は‘人間の生物学’だから、生物学が得意な人なら医学部に進学すればよいが、生物学が不得意なのに医学部に進んでも楽しいことはありえない。
けっしてこの逆ーすなわち、楽しいこと(自分の欲望;お金が儲かる、親孝行できる、他人からバカにされたくない、など)を基にして、苦手なことでも努力すれば出来るようになるなどと考えてはならないのだ。その考えは自分をダメにするだけだ。自分の夢よりも、自分の成績のほうを重視しなければならない。
また、宝クジのように、確率を当てにして、自分ができるかできないかわからないのに、ただ自分がやりたいからといってやってはならない。例えば、医学は高校では習わないから、もしかしたら自分にできるかもしれないなんて都合のいいほうに考えて、それで医学部に進んだりしたら、あとでできなくて後悔する。医学ができずに医者としての成功などありえないのだ。少なくとも高校で生物学が得意でなければ、大学に行って医学ができるようになることはありえない。生物学や医学と数学や物理学とでは、頭のはたらきかたが違うのだ。高校で生物ができないなら、いくらお金が儲かっても、医学部進学はあきらめたほうがいい。

[385] ハインロート
ハインロートは、その著『狂気の哲学』において、分裂病を“人間が理性を喪失することだ”と述べている。
ここでいう理性とは、実在哲学における知覚にほかならない。
なら(私と)同じだ。
ハインロートは正しい。

[384] 見えないルール
子供はこの世に“見えないルール”があることを知らない。
だからそれを犯しやすい。
見えないルールとは自分の頭の中のルールのことである。
例えば、“実在から外に出ると気が狂う。”ことを知らないから、それを犯して気が狂う。
分裂病の原因は“実在から外に出る”ことにあるのではなく、“実在から外に出ると気が狂う”ことを知らないこと(無知)にある。

[383] 実在するのは物質のみ
ヘーゲルの世界精神とは、つまるところ神である。
ヨーロッパに人々はみんな神にとりつかれている。
日本人が霊魂を信じるのと同じことだ。
おくれている。

実在哲学によれば、実在するのは物質のみだ。
脳細胞の神経興奮によって感覚を荷う素粒子(=感覚子)が発生するのだ。
死んで脳細胞の神経興奮がなくなれば、感覚の発生もなくなる。
自分が感じるこの世界が自分の肉体の死とともに消滅する。
したがって、死後の世界は存在しない。

ヘーゲルは“知覚=実在”の大前提から出発したが、現代数学の視点では知覚≠実在だから、そもそもこの前提が間違っており、世界精神も何もあったもんじゃない。

進化論が人間を‘進化したサル’と捉え、そのサルはそもそも無機物から出来たのだから、「実在するのは物質のみ」と考えたほうが自然である。

[382] 脳のはたらきをよくする方法
指を動かすと、脳の運動中枢もはたらく。
脳の運動中枢がはたらくと、その中枢のまわりの脳もつられてはたらく。
したがって、脳全体がはたらく。
つまり、身体を動かすことは脳をはたらかせることであり、ボケが来ない。
同じように、散歩をすると足や手を動かすから、脳のはたらきもよくなる。
頭のはたらきをよくするには、身体のどこかを動かすようにすればいい。

[381] 買い物 h13.12.8
自分にできることの中でやりたいことを考える。
だから、やりたいことはできることに従属する。

自分に買えるものの中で面白いものを選ぶ。
だから、面白いものは買えるものに従属する。
本当に面白くないとお金の無駄だ。
買った後で面白くないことがわかっても遅い。
買えるか買えないかがわかるだけではなく、本当に面白いかそうでないかもわからないと、いい買い物はできない。

[380] ファッション h13.12.02
数学とか工学とかは正しい物事(世界)の中で楽しくやろうとする。
数学や工学では正しいこと(原理や公理)を基にして考える。
ところがファッションなんかは基になる正しいことが何もない。
ファッションは実在哲学の中では理解できない。
わからないからわからないでいい。
そんなのはフワフワした女の子のやることであって、男のやることではない。
キチガイが腕をねじ曲げて変な格好するのと、きれいな服を着ておしゃれするのとは本質的に同じである。
どちらも実在の中にはいない。

[379] 世界三大思想
キリスト教は心が中心。仏教は知覚が中心。儒教は五感が中心。
今のヨーロッパ文化があるのは、キリスト教があったからではなく、ルネサンスの時期にギリシア精神を受け継いだからだ。『ユークリッド幾何学』という一冊の本があったからだ。聖書を灰にしてでも、この本は守らねばならない。そこに書かれているのは、人間とは何かということだ。ギリシア精神は明らかに知覚主義である。知覚主義とは、知覚を基として物を見ようとする方法である。例えば、地動説や原子論のような見方はギリシア時代にもあった。しかし、ギリシアには技術がなかった。技術というものは人の五感によらねばならない。技術の発達には、長年の経験の蓄積が必要不可欠である。理論と技術すなわち知覚と五感が結びついて始めて、近代科学が誕生し得たのだ。
だから、日本人がヨーロッパの自然科学を受け入れるのはよいが、キリスト教のような感情中心の思想を強いて取り入れるには要ばない。

[378] 人間、考えることが大事。
人間、考えることをやめたら、もはや人間ではない。
考える習慣を身に付けよう。
悪いクセ:見る→思う
善い習慣:見る→考える→思う

[377] 実在哲学の発想法 h13.12.01
正しいものを組み合わせて楽しいものを作る。
正しい世界の中で楽しいことを考える。

[376] 天邪鬼(あまのじゃく)  2001年11月24日 18時24分
わつい さん  e-mail 
天邪鬼を倒す方法がたったひとつある
それは天邪鬼に向かって
「おまえは天邪鬼だな」と叫ぶことだ
私が子供のとき、この話の意味がわからなかった
つまり、天邪鬼は人が言うことの反対のことをするから、
「おまえは天邪鬼だな」と言われると、その反対のことをしなければならないので、自分がもはや天邪鬼ではいられなくなって消えてしまうのだ

同じように、魅(み)という妖怪にだまされない方法がひとつある
それは魅に向かって「おまえは魅だな」と叫ぶことだ
魅は人を欺くことが仕事なので、
「おまえは魅だな」と言われると、
自分が魅であっては人を欺くことにはならないので、
自分がもはや魅ではいられなくなって消えてしまうのだ

世の中には、えらく論理的な妖怪がいたもんだ

[375] こんな時代に生まれたくなかった  2001年11月22日 23時9分
わつい さん  e-mail 
自分がやりたくもない仕事をさせられて生きていかねばならない人間は奴隷だ。
自分がやりたい仕事なんかひとつもない。
今の社会では人間はみな奴隷だ。
仕事から解放されて自由にならないかぎり真の幸福はない。
生まれてくる子供たちはみな不幸だ。
子供を作るのは、仕事がない時代が来てからにしてくれ。
勉強と仕事に明け暮れる人生なら、最初から生まれないほうがずっと幸せだ。

[374] どっちのほうが正しいか  2001年11月22日 15時31分
わつい さん  e-mail 
てめえが正しくもないのに、他人のことに口出しすな
アホが一人浮かれて騒ぎまわるな
大声立てても正しいことにはならんぞ

[373] 子供の哲学  2001年11月22日 9時54分
わつい さん  e-mail 
私が子供のころは、”勉強するのは、自分の欲望をかなえるためだ。頭のよさとは、自分の欲望をより多く満足できることだ。頭を使って自分の欲望をかなえることが人生だ。”と考えていた。

そういえば、昔『子供の科学』という雑誌があった。グルテンの作り方とか解説してあった。附録の紙飛行機でよく遊んだ。

[372] 科学  2001年11月22日 9時54分
わつい さん  e-mail 
科学とは視ることと考えることとの統合である。

[371] ドイツ観念論  2001年11月22日 9時53分
わつい さん  e-mail 
ド観(ドイツ観念論の略)では、「知覚=実在」を出発点とし、それに証明を与えようとした。ヘーゲルは世界精神というものを考え、世界精神と知覚とが共感しあうことによって真理の認識が成立するとした(わからないほうが無難)。
実在哲学においては、哲学第一原理から出発し、そのひとつの系として「知覚=実在」が導かれる。つまり、「知覚=実在」の根拠は哲学第一原理にあり、哲学第一原理の支配する世界が実在の世界なのである。
実在哲学とド観とは、論の運びが逆向きなのである。
 ド観:「知覚=実在」←世界精神(ヘーゲル)
 実在:哲学第一原理→「知覚=実在」

参考文献:「基礎からよくわかる倫理」高橋進著、旺文社、1994

[370] 子供のとき怖かったこと  2001年11月21日 23時45分
わつい さん  e-mail 
幼稚園のキンダーブックに載っていた陽炎でゆがんだ家の絵が人の顔に見えて怖かった。
冒険王に載っていた21えもんのゴンスケの眼が+に割れているのが怖かった。
小学校の大のほうの便所(築百年近い木造の校舎で渡り廊下でつながっている)の壁のシミがたぬきに見えるので怖くて使用できず、我慢して家の玄関でうんこをもらしてしまった。

[369] 子供のとき不思議だったこと  2001年11月21日 23時33分
わつい さん  e-mail 
蛍光灯の豆球を見ながら、なぜだいだい色の‘光の筋’が出ているように見えるんだろうとずっと考えていた。
(それは人間の五感のいたずらで、光の実体ではないのだ。)

便所のそばの柱の木目がどくろの顔に見えて、夜便所に行くのが本当に怖かった。
(それはパレイドリアというのだ。)

お風呂のとき自分の尾てい骨を触って、自分にはむかし尻尾が生えていたんじゃないかと心配だった。
(人間が猿だった時代の名残だ。)

[368] 私が子供のとき好きだった本  2001年11月16日 10時42分
わつい さん  e-mail 
1.なぞなぞ不思議大百科(?名前忘れた)
なぞなぞの本。たしか5〜6冊の本が、ボックスに入っていた。初級編、中級編、上級編から成る。(←不確かな情報。)小学1〜2年生のとき、おじいさんに買ってもらった。考えることの楽しさがいっぱい詰まっている。上級編の最後に「白い十字路に黒いボンヤリした玉が見える」のがあって、10分くらいじっと見つめた後、「人間の眼はアテにならないものだなあ」と悟った。
2.雨はどうしてふりますか
子供向けの自然科学の本。眼で見える身近な現象についての説明が、子供の直感だけでもわかるように書かれている。自分が歩いているとき、山が動いて見えるのに、月が動いて見えないわけとか、月が満ち欠けするわけとか、潮に干満のあるわけとかが書いてある。本の裏に、「雨はどうしてふりますか。ふらなかったら雲でしょう。これで納得していては科学するとはいえません。」と書いてあったのが印象的。ただ、自転車が倒れないことの説明に、慣性モーメントの概念を用いているのには面食らった。小学生にわかるわけがない。コマが倒れないのと同じ理屈なのだ。
3.なぜなにこども大百科(?だったと思うが)
背中にコアラのマークが入っている本。小学館の学習雑誌のおばさんが、雑誌といっしょに持ってきてくれた。あいうえお順に全8巻から成る。人間の身体が208個の骨からなり、全部の血管をつなげると地球を8周?するとか、くしゃみのスピードが新幹線より速いとか、零下273度ではすべてのものが凍りつき東京タワーがグニャリと曲がるとか、おもしろい図入りでわかりやすく解説してあった。
私が大好きな本たちは、私が読みすぎてズタボロになって、どっかに行ってしまった。
その他、小学館のカラー図鑑「昆虫、昆虫飼育、動物、魚、鳥、花と植物」、学研の図鑑「宇宙」、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズとかがある。少年探偵団の本は、買わずに学校の図書館で借りて読んでいたが、小学3年生のとき授業中に机の下で読んでいて、先生に頭を殴られたにがい記憶がある。

[367] 算数の思い出  2001年11月16日 10時36分
わつい さん  e-mail 
私が小学校2年生のとき2〜3桁の足し算を習った。
“この道を進め。そうすれば真理が見えてくる。”
頭の中でそんな声がした。

[366] 孤独  2001年11月16日 10時35分
わつい さん  e-mail 
この世に感覚のあるかぎり、人間は孤独である。

[365] 宗教  2001年11月16日 10時35分
わつい さん  e-mail 
人間には知覚がある。
動物には知覚がない。(あっても、あまりない。)
人間が、人間から動物に変わることが精神病(とくに分裂病)である。
人類が地球上に誕生したときから、すでに精神病は存在した。
そこで、人類が精神病にかからないための研究が進められた。
それが宗教である。
キリスト教は心の肯定だからウツ病に効く。
仏教は心の否定だから分裂病に効く。

[364] 運動オンチ  2001年11月10日 10時36分
わつい さん  e-mail 
人が生きていくためには仕事ができねばならない。
人生全体においては学校よりも仕事のほうがはるかに長い。
仕事のために学校がある。
オレは体育が苦手だったが、将来頭を使う仕事に就くのだったら、体育は要らないと考えるべき。(体育は小脳の活動だ。)
要らないものは出来なくていい。

[363] キチガイの経験者  2001年11月10日 10時36分
わつい さん  e-mail 
「知覚=実在」というとらえかたは、キチガイをやった者でないかぎりわからない。
『理性的な者は現実的であり、現実的な者は理性的である。』
ヘーゲルなんかもそれの一人ではなかろうか。

[362] 幻聴でバカにされない方法  2001年11月10日 10時35分
わつい さん  e-mail 
他人から幻聴で悪口を言われるのは、本人の思想(物事の考え方)が間違っていておかしいからである。バカにされたくなければ、正しい考え方(哲学)を身につけることだ。

[361] 心霊写真  2001年11月10日 10時35分
わつい さん  e-mail 
人間の精神は、脳細胞の神経興奮に伴って発生する感覚にほかならない。
ゆえに人間の肉体を離れた精神なんてものは実在しない。
したがって、心霊写真はイタズラかパレイドリアだ。
イタズラとは、例えば(某人気ホームページのように)廃屋の破れ障子にお面を置いて、それを遠くから小さく写すと、あたかも誰かが家の中を覗き込んでいるかのように見えたりすることである。
パレイドリアとは、木陰や水しぶきなどが人の顔に見えたりすることである。

[360] 競争はいらない  2001年11月10日 10時34分
わつい さん  e-mail 
人の心が違っていれば、行く方向も違ってくる([335]の図を参照)ので、別に競争する必要はない。

[359] 動物と人間の違い  2001年11月10日 10時33分
わつい さん  e-mail 
動物にとっては快か不快かが第一だが、
人間にとっては正しいか正しくないかがまず問題だ。

[358] バカ  2001年11月10日 10時33分
わつい さん  e-mail 
バカは哲学がないか、まちがっている。だから、バカはわからないことばっかりだ。ナマクラ脳の分際で他人事に口出しできるか。
とにかく、バカは正しくない。正しくないから悪だ。悪は下だ。

[357] 人間の価値  2001年11月10日 10時32分
わつい さん  e-mail 
人間の本質は心である。
心には善と悪の区別がある。
善が上で悪が下だ。
心が善か悪かは、知覚における実在認識の有無だけで決まる。
正しい認識のある者が善であり、無い者が悪である。

[356] キチガイ(分裂病)になること、キチガイが治ること  2001年11月10日 10時32分
わつい さん  e-mail 
認識界において、知覚すなわち実在の内から外に出ることが狂うことであり、外から内に入る(戻る)ことが治ることである。

[355] 知覚=実在  2001年11月10日 10時31分
わつい さん  e-mail 
知覚の中に真の原理を置いて考えよ。
実在は五感ではなく知覚である。

[354] 答え  2001年11月10日 10時31分
わつい さん  e-mail 
山登りしたって、山の中には見つからない。
バイクで道路を走くり回っても、道の上には落ちていない。
考えるしかない。
自分の頭を使って考えるしか、答えを見つけるすべはない。

[353] 実存主義の世の中  2001年11月10日 10時31分
わつい さん  e-mail 
実在の外にいる者が、実在の内にいる者にケチをつける。
それが今の世の中だ。
根性のふざけすぎた人間ばっかりだ。

[352] バカの適応方法  2001年11月10日 10時30分
わつい さん  e-mail 
バカはよく咳払いする(それしかできない。よく飽きもせずに同じことを繰り返すもんだ。)が、そこで終わる。それ以上に進むことがない。
私なら、自分が正しいと信じるなら、相手を殺すか、身震いしながら白目をむいて口からアワを飛ばしながらぶっ倒れるまで相手を憎むが、バカはそこまで行かない。途中でやめる。
バカはいつも中途半端だ。曖昧模糊ばっかりだ。論理性がない。バカは何もはっきりせず、わからないままだ。私には何が言いたいのかわからない。わからないことには従いようがない。その付いているだけの頭をちっとは使って、はっきりさせてからにしてくれ。
実在の外の問題(幻聴のこと)を実在の内に持ち込まんといてくれ。

[351] 咳払い  2001年11月10日 10時29分
わつい さん  e-mail 
咳払いの意味は“幻聴に対するおびえ”である。(病気の場合は除く。)
どこからか幻聴が聞こえるたびごとに、いちいち咳払いする者がいる。
何をそんなに嫌がるのか、私にはそいつらの心がわからない。
わかる価値もないが。

[350] 実在主義的生きかた  2001年11月10日 10時29分
わつい さん  e-mail 
人間には心がある。
それは前頭葉の脳細胞が荷う感覚として実在する。(つまり、前頭葉にある脳細胞の神経興奮に伴って、感情を荷う感覚子が発生する、または感情の感覚が発生する。)
実在するすべてのものに自分の心を従属させようとすると自分の心が不快になるが、実在をその一部分に制限すると(要するに、自分が好きなものをやるということ)、心が実在に従属したままでも、心が満足されて快である。

一般には、

となる。
実在∩快が自分に適した居場所である。そこの内で生きていけばいい。

[349] 仕事  2001年11月10日 10時28分
わつい さん  e-mail 
仕事はお金をもらうことが目的なので、仕事じたいがおろそかになる。
仕事でやるとどうしても手抜きになる。
仕事でやるかぎり、いいものはできない。
値段の付くものに、たいしたものはない。

[348] 心の価値  2001年11月10日 10時28分
わつい さん  e-mail 
心の善悪は知覚に従属して決まる。
「世間をなめるな」という言葉があるが、それは正気の限りでだ。
世間がまじめにやって、はじめて言えることだ。
つまり、「他人の心を低く見るな」ということだが、これはその他人の心が正気であってはじめて成り立つことだ。
キチガイの心は正気でないから、この限りではない。
キチガイの心は無価値だ。

[347] 天動説と地動説  2001年11月4日 10時52分
わつい さん  e-mail 
人間が頭を使わずに実感できる世界が天動説の世界だ。
今でも、地球が動いていることを実感したことがない。
天動説でも地動説でも、自分が眼で見ている世界はほとんど変わらない。
ものさしで細かく計ると、やっとその差がわかる程度だ。
地動説のほうが天動説よりも微妙に実在に合っているのだ。
その微妙な差が大事なのだ。
ダーウィンの進化論によれば、実在に少しでもよく適応した者の方が生存競争に勝つのだから、地動説を信じる者の方が天動説を信じる者よりも実在により適応しており、実在においては有利なのである。
現に地動説的な物の見方が科学全体を発展させ、ヨーロッパが世界を支配するに至っている。
科学は遊びではない。
キリンの首が少しでも長いほうが生き残ったように、実在を少しでもよく理解したほうが生き残る、生きるか死ぬかがかかった生存競争なのだ。

[346] 幻聴でわかること  2001年11月4日 10時52分
わつい さん  e-mail 
幻聴でわかるのは他人の悪口(悪気を帯びた言葉)か、
せいぜい他人の思考までだ。
バカは自分の頭が悪いので、いちいち他人の考えに頼って生きていかねばならないが、
普通は自分の考えで生きるものだ。
自分の考えで生きる者にとっては他人の思考は必要ない。
だから、幻聴は聞こえなくていい。
他人の思考によらない実在認識は、自分の眼と耳によるしかない。
他人の思考については、自分が正しいと認めた他人の考えだけが正しいのだ。
やはり、自分の考えがなければならない。

[345] 人間としての価値  2001年11月3日 17時29分
わつい さん  e-mail 
何も考えていない人間は、まちがいなくクズである。
しかし、どんなことにせよある方面においてよく考えている人間は、生きている値打ちがある。

[344] 自分のことは自分で決める[h13.11.2]  2001年11月3日 10時35分
わつい さん  e-mail
日本人はよく勉強していい点を取ることは得意だが、自分にとっていらない勉強を捨てる度胸が足りなさすぎる。教師や学校の言いなりになるな。‘よいこぶり’はやめよう。

[343] いかにして問題を解くか[h13.11.2]  2001年11月3日 10時34分
わつい さん  e-mail
五感の世界の中では幻聴の問題は解決しないが、実在哲学の世界の中では幻聴の問題が解決する。

解答:知覚は実在についての真の認識から成る。
知覚に従属しない五感(幻聴も含む)は実在しないから無意味だ。
幻聴の内容は、知覚に従属しない、実在の内にない他人の心から出た言葉である。
五感を知覚に従属させれば、無意味な悪口ばかりの幻聴は消失する。

[342] 実存主義(じつぞんしゅぎ)(h13.11.1)  2001年11月3日 10時34分
わつい さん  e-mail
実存主義とは、心の肯定を一歩進めて、心を知覚よりも優先させたものである。
よーするに、おもしろたのしければ、正しくてもまちがいでもドーデモいいのだ。
哲学が実在を無視して言葉の上だけで先走りしすぎる。
これでは行き過ぎて、かえって堕落だ。
言葉の上だけでは、事実よりも心に支配されやすいからである。
言葉の上だけで空しい快を得るよりも、心を知覚すなわち実在に従属させながら、実在の内で楽しく生きていけるほうがいい。
この世に精神病というものがなければ、実存主義でも実在主義でもどっちでもいいが、現実には精神病があるから、 実存主義は認められないことになる。

[341] 実在の選択(h13.11.1)  2001年11月3日 10時33分
わつい さん  e-mail
すべての実在に自分の心を従属させようとすると、心全部が否定されて心が無になる。(例えば、自分が嫌いな学科をムリに勉強しようとすると、気持ちが沈んで眠たくなる。)
心が無になると生きる動機を失うので、もはや生きていけない。
だから実在を選択すればよい。
自分の心にとって快な実在を選択すれば(例えば、自分の好きな学科や職業を選ぶようにすれば)、実在の一部分になら自分の心を従属させても無にならず、むしろ自分の心を満足しながら正しい生活を送ることができる。

[340] お勉強バカにとっての生きがい(h13.11.1)  2001年11月3日 10時33分
わつい さん  e-mail
ガリ勉バカには出世の喜びしかない。勉強しすぎで本心を見失っている。出世なんて、ただ自分の呼び名が変わるだけやろうが。テレビゲームのハイスコアと同じことや。お約束だけで出来た世界なんか、アホらしゅーて取り合う気がせんわ。くだらない作り事の世界の中だけで威張るな。

[339] 力を込めて念じること(h13.11.1)  2001年11月3日 10時32分
わつい さん  e-mail
ぜひぜひ五感が知覚に従属してもらいたい。

[338] 俺の本心(h13.10.30)  2001年11月3日 10時32分
わつい さん  e-mail
金も名誉も欲しくない。
早く仕事から解放されて自由になりたい。
いくら自分の好きなことでも、仕事でやったらつまんない。遊びでやらなきゃおもしろくない。
子供のころからそう思っていた。

[337] 結婚(h13.10.30)  2001年11月3日 10時31分
わつい さん  e-mail
頭でわかることがないから、女の身体のことしかわからんがやろうが!!
考える喜びがないから、セックスの喜びにすがって生きていかないかんがやろうが!!
子供を産むな。仕事をしないで生きていける時代が来るまでは、生きていても子供に幸福はない。

[336] 気苦労はいらない(h13.10.30)  2001年11月3日 10時29分
わつい さん  e-mail
ダメになった人間のために社会を作ってはならない。
人間の心は平等ではない。
善が悪に従う必要はない。
知覚的な者は実在的であり、実在的な者は知覚的である。

[335] ヨーロッパと日本の違い  2001年10月28日 12時12分
わつい さん  e-mail
ヨーロッパがおとぎ話のような国なのではなく、逆におとぎ話がヨーロッパのようなのだ。
ヨーロッパはそもそも合理主義の国なのではなく、おとぎ話のようなイカれた国なのである。
キリシタンバテレンのひだ襟を見てもわかる。

ヨーロッパと日本とでは、心と知覚の関係において、前景と背景が入れ替わっている。
ヨーロッパは感情主義で、心が主で知覚(感覚された実在)が従だから、心がわかりやすい反面知覚がわかりにくい。つまり、「自分が○○したい。○○やりたい。」ことはよくわかるが、現実に対しては盲目である。その欠点を補うのが、近代合理主義と自然科学なのだ。
日本は現実主義で、知覚(感覚された実在)が主で心が従だから、知覚がわかりやすい反面心がわかりにくい。つまり、現実はよく見えているが、自分のやりたいことがはっきりしない。ただまじめにやるだけで、大人になっていく次第である。戦後の民主主義で、多少わがままを認められるようになったが、最近は行き過ぎの感がある。実在を無視してまで心に走っては、元も子もない。実在の内で自分の好きな道を選べばいいのだ。つまり、心は知覚に従属しながら、心を肯定すればよいだけのことだ。
実際毎日の生活においても、自分のやりたいことが自分のわかること・できることに先走っても空回りに終わるだけであって、本当は、自分のわかること・できることを毎日少しずつ考えていって伸ばしていくしかないのである。そのとき、自然に自分が考えたいほうに考えていくことになる。その結果、いい発見に出くわすかもしれないし、一生かけても出くわすことがないかもしれないが、それは運だ。こうしてみると、ヨーロッパの考え方よりも日本のほうが現実とよく合っているようである。

例えば、いくらガンを治したいと思っていても、自分にそれを実現できるだけの知識と技術がなければ何もできないままだ。実際の自分の知識は、自分の夢とは別に決まるものだ。永久機関が作れないように、もしかすると、ガンはもともと治らない病気であるのかもしれない。

[334] 実在内存在  2001年10月27日 9時45分
わつい さん  e-mail
心を知覚(感覚された実在)に従属させよ。
人間は‘実在の内で’生きていくべきだ。
実在の内にある幸福を求めるべきだ。

ヨーロッパ文化は実在的なところも多いが、まだまだ甘いところもたくさんある。そのまま受け容れてはならない。

[333] 勉強  2001年10月27日 9時44分
わつい さん  e-mail 
好きな学科、嫌いな学科にまず分けよ。好きとはわかることであり、嫌いとはわからないことであり、何が好きか嫌いかつまり何がわかるかわからないかは個人の感性(五感的ー生物、社会か、知覚的ー数学、物理か、感情的ー文学、美術か)で決まる。要するに、‘自分的’であればよいのだ。
どうせ嫌いな学科は勉強しても出来が悪いから、時間をかけるだけムダだ。進級できるだけの合格点(50点)を取ればヨシとして、適当に勉強すべし。‘眼先’のテストだけにとらわれてはならない。人生全体を見通して、自分が将来進むべき道を求め、それに合った今の勉強をすべきだ。

[332] 心の価値  2001年10月27日 9時43分
わつい さん  e-mail 
人の心は眼で見えない。
眼で見えないからといって、心を恐れる必要はない。
心は前頭葉の脳細胞が荷う、快・不快感を伴う感覚である。
人の心は平等ではない。
心には上下すなわち善悪の区別がある。
心の善悪は、知覚における実在認識の有無で決まる。
価値のある心の者と価値のない心の者がある。
真理による裏付けのない心は無価値だ。
無価値な心をまともに取り合う必要はない。

[331] どうして幻聴は聞こえないのか?  2001年10月21日 17時15分
わつい さん  e-mail 
幻聴は感覚波として実在する。
たとえ実在していても、聞こえないならないのと同じである。
幻聴の内容は分裂病者が言うように悪口やくだらないことだらけである。
知覚において悪口やくだらないことを無意味だとして無視し、さらに五感が知覚に従属しているとすれば、五感においても幻聴は聞こえないことになる。

[330] 心と知覚  2001年10月21日 17時14分
わつい さん  e-mail 
心を肯定しても知覚が否定されるわけではなく、知覚を肯定しても心が否定されるわけではない。
心と知覚は対立するものではなく、主従関係で結びつくものである。
ヨーロッパと日本では心と知覚の主従関係が逆である。
ヨーロッパでは心が主で知覚が従であり、日本では知覚が主で心が従である。
本来は日本のほうがヨーロッパよりも実在主義なのである。
近代ヨーロッパにおいて古い哲学に知覚を取り入れて哲学が発展したように、日本でも古い哲学に心を取り入れて(例えば、‘選択’の概念のように)哲学を発展させる必要がある。

[329] 自由  2001年10月21日 9時23分
わつい さん  e-mail 
人間が仕事や勉強から完全に解放されない限り、この世に真の幸福はない。
お金を稼ぐために強制労働や強制勉強を強いられる今の社会制度では人間は本質的に奴隷にすぎず人間に幸せはない。生まれてきても不幸なだけだ。
科学技術が発達して人間が働かなくても暮らせるようになり人間が自由に生きていける社会が早く実現して欲しい。

[328] 日本人とヨーロッパ人のアニメの見方の違い  2001年10月20日 21時48分
わつい さん  e-mail 
アニメにはよくHなシーンや暴力シーンなんかあるけど、日本人はそういう意味を捨てながらアニメの中のいい意味だけを見ているのだ。ヨーロッパ人は全部のシーンをウノミにするだけだ。日本人には冗談と本気の区別があるから、悪ノリアニメもOKなのだ。ヨーロッパ人は本気しかないから、まじめなアニメしか見ることができない。日本の子供って大人なんだなあ〜。

[327] 日本人にとっての実在  2001年10月20日 11時16分
わつい さん  e-mail 
日本人にとっての実在とは、哲学の世界のことである。日本人にとって自然科学などどうでもいいのだ。ザレゴトは問題にせんのだ。
日本人にとっての正しさとは哲学が正しいことであって、物理や数学などの自然科学が正しいことではない。
ヨーロッパは下品なのだ。もっと日本人を見習いたまえ。

[326] 女  2001年10月20日 11時15分
わつい さん  e-mail 
女が他人のことばかり話したがるのは、自分自身のことがわからないからである。

[325] ことばじり  2001年10月20日 11時15分
わつい さん  e-mail 
私が子供のころは、「心が善いから言葉の上の細かい間違い(アラ)をとってはいけない。言葉よりも心をわからなくてはならない。」ことだと思っていた。
じつは、「相手の言葉の正しいところ(部分)だけわかるようにして、間違ったところはわからなくていい。」ことなのだ。
他人の間違いや無意味なことを気にしてはいけない。他人の間違いや無意味なことに心がとらわれすぎると、実在の外に飛び出してしまう。

[324] 実在  2001年10月20日 11時14分
わつい さん  e-mail 
日本人にとっての実在とは哲学の世界であり、ヨーロッパ人にとっての実在とは科学の世界である。
日本人の知覚は哲学の知識で占められている。
日本哲学は実在主義だから、日本哲学の上にヨーロッパ科学を受容できる。しかし、日本人はヨーロッパ人よりも物に対する踏み込みが甘い。気迫が足りない。建築を見ても明らかである。日本の家屋はホッタテ小屋だ。でも、日本人にとっては、それはそれでいいのだ。人ひとりが生きていくのに豪華な御殿が必要あるか!?
日本人がヨーロッパ科学に気をとられて、日本自身の哲学を見失うことがあってはならない。

[323] 知覚に従属する五感  2001年10月20日 11時14分
わつい さん  e-mail 
知覚に従属した五感は、外から与えられた情報を実在において意味のある情報とない情報に分け、意味のない情報は感覚を弱めて無意識化し、意味のある情報だけを強調して意識化する。こうして、実在において意味を持つ情報だけが感じられることになる。

[322] バカのつまらない一芸  2001年10月20日 11時13分
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病気でもないのに突然激しく咳き込むようなやつに、正しい者はいない。

[321] ノーベル賞  2001年10月20日 11時13分
わつい さん  e-mail 
ノーベル賞をもらった研究だけに価値があって、その他の研究に価値がないわけではない。ノーベル賞の研究がとくに価値が高いのではない。
ノーベル賞の研究だけでは世の中が成り立たない。ノーベル賞をもらわなかった数多くの研究がなければ、ノーベル賞をもらった研究もありえないのだ。
ノーベル賞をもらおうがもらうまいが、どうでもいいことだ。
海外の論文を読んで、それを商品に応用するのも立派な研究だ。

P.S.ノーベル賞の人へ
あんたの頭がそんなにええんやったら、寝ながらお金が儲かる方法でも考えてちょうだい

[320] テレパシー  2001年10月20日 11時12分
わつい さん  e-mail 
テレパシーいわゆる幻聴はないのではなく、聞こえないかどうかなのだ。
たとえ幻聴が実在しても、それが聞こえないなら、ないのと同じだ。
紫外線や赤外線が眼に見えないからないのと同じだ。[反語ですよ]

[319] 歌  2001年10月20日 11時12分
わつい さん  e-mail 
ことばの音の高さに意味があるか!?
ことばの論理的構造が意味だろうが!!
知恵遅れ趣味。

[318] 宿命  2001年10月20日 11時11分
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人間として生まれたら、人間として生きていくしかない。
そういうもんだろう。

[317] 哲学第二原理(Ver.2のほう)  2001年10月20日 11時11分
わつい さん  e-mail 
哲学第二原理は心と知覚の関係について述べている。
心と知覚の統一原理といっていい。
哲学第二原理があるために、「人間の本質は心である。」といっても、「人間の本質は知覚である。」といっても、同じことになる。いわば、これら二つの命題は同値なのだ。

[316] 分裂病の原因  2001年10月20日 11時10分
わつい さん  e-mail 
分裂病の原因は、‘みずから実在を無視しようとする’ことにある。
他人のすることの間違いや無意味なことにとらわれて、正しいことだけを見ようとしないからいけないのだ。
実在の内にある人間としては、物事の正しい部分だけを見るようにすべきである。
正しさの中に人の善の心が表れている。
間違いや無意味なことは、正しさがゼロだ

実在の内でおとなしくしていればいいものを、正しくないことにとらわれて実在の外に出てしまったからいけないのだ。

[315] 五感は知覚に従属する。  2001年10月20日 11時10分
わつい さん  e-mail 
知覚は感覚された実在である。
知覚が正しいか正しくないか、つまり実在するかしないかを決める。
五感を知覚に従属させることによって、実在する情報だけが知覚に伝えられる。
実在するものだけが見えるように・聞こえるようになる。(幻聴が聞こえなくなる?)
これが美である。

[314] 実在の内にある心  2001年10月20日 11時9分
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実在の選択において、人の心は表現される。例えば、今の自分の身の回りの環境(例、職場)が、自分の心が選択した実在だといえる。また、例えば、きのう母から私のところに布団が届いた。母親の子を思う気持ちのあることがわかる。

[313] 人が考えていること  2001年10月20日 11時8分
わつい さん  e-mail 
他人の考えていることには、正しいこともあるが、間違いもあり、無意味なこともある。(もちろん、自分の考えていることについても同じことが言える。)
正しいことは、実在と一致していることである。
間違いは、実在に反していることである。
無意味なことは、実在から独立していることである。人の心の中だけにあることである。
間違いも無意味も、認識の正しさはゼロである。
間違いや無意味は無視し、認識の正しいところだけで人間を見るべきである。

[312] 住み分け  2001年10月20日 11時8分
わつい さん  e-mail 
人間の世界は知覚中心であり、バカの世界は五感中心である。
人間の住んでいる知覚すなわち実在の世界と、バカの住んでいる五感だけの世界すなわち言葉の上だけの世界とは別である。
バカはただ五感だけの世界でイバっとればいいのだ。

[311] 認識についての三つの分類  2001年10月13日 12時57分
わつい さん  e-mail 
人間の認識は実在に従属するかどうかによって、
正しいか、間違いか、無意味かに分類される。
正しいとは実在に従属することである。
間違いとは実在に反することである。
無意味とは、正しくも間違いでもない、人間の心が勝手に(実在から独立に)作り出したもの(価値観)である。

そもそも認識が脳細胞の神経興奮によって発生する感覚子にほかならず、
精神も物質もともに実在の中にあり、実在以外に世界はないから、
人間にとっての善とは、心が実在つまり知覚に従属することだけしかない。
人間の価値は実在についての認識の有無だけで決まる。
実在から独立した無意味な作りごとに価値はない。
無意味なことに意味があるのは精神病者だけだ。
精神病者がいくら生きてても幸福はない。

[310] 日本の中のヨーロッパ  2001年10月13日 11時34分
わつい さん  e-mail 
銀座や新宿は華やかすぎる。
ただ正しいことが実在なのであり、
日本はヨーロッパのよくないところ、くだらないところを取り入れすぎる。

[309] 実在哲学  2001年10月13日 11時34分
わつい さん  e-mail 
実在哲学の世界は、五感の世界に‘感覚’の概念を取り入れた世界である。
五感の世界に感覚の概念を取り入れて無矛盾な世界を作るのだ。
五感の世界の中だけで生きているのは子供だ。
この世(実在)には、五感の世界の中だけでは解決されない、子供では解けない問題がある。(例えば、幻聴)

[308] 人はなぜ病気になるか?  2001年10月13日 11時33分
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精神病は人の上に立つ価値のない者がかかる。思想のおかしい者が人の上に立つと、他人が迷惑するからである。考え方のおかしい者が狂って活動できなくなって人の上に立てなくなるから、社会はうまくいくのである。ここに合目的性がある。人間に対する正しい理解のない者が、人の上に立つことは許されない。精神病者を、思想が間違ったままでうわべだけ病気を治して(例えば、薬を用いて幻聴だけを聞こえなくして)、社会の中で活動できるようにすると、かえって社会が乱されることになる。
同じことが身体病についても言える。身体病にかかるのも、人の上に立つ価値のない者である。身体が病気になって活動できなくなるから、他人に迷惑がかからなくて済む。精神病にかからない、違ったタイプの思想の異常者が身体病にかかるのだ。身体病にかかるのは、身体の認識に間違いのある者である。やはり、そんな者が人の上に立つと、チンプンカンプンで他人が迷惑することになる。身体の認識がない精神主義者では、生きていけない。そんな者に付き合わされては困る。例えば、風邪にかかるのは食事がみだらな者である。不適切な物を食べるから、病気になるのだ。実生活がみだらな者が病気にかかるのだ。肉体は思想の土台である。まず自分の肉体を維持しなければ、正しい思想も成り立たない。そういう意味では、身体病は精神病の始まりだともいえる。
精神病にかかる者も、身体病にかかる者も、実在認識に間違いがある。病気にかかると人間は苦しくて活動できなくなる。人の上に立てなくなる。間違いのある者が社会から締め出されることによって、実在における人間社会の存在が維持されるのだ。医者が病人をうわべだけでむやみやたらに治すのはよいことではない。人間の精神や肉体についての考えに間違いのある者、つまり心の善くない者が増える。自然の判決に委ねるべきだ。

[307] 人間であること  2001年10月13日 11時32分
わつい さん  e-mail 
人間が「人間であるとは何か」を考えず、「善とは何か」を理解していなければ、もはや善人でないどころか人間ですらない。
メシ食って生きているだけやったら、動物と同じやろうが!!

人間の本質は知覚つまり考えることであり、心と五感は知覚に従属する。
知覚に従属しない心は動物の心と同じである。

[306] 日本社会  2001年10月13日 11時32分
わつい さん  e-mail 
日本社会は眼先(服格好や名誉)・口先(咳払い)でイバるだけの社会だ。
これでは日本は善くならない。
日本は実在の外にいる。
カライバリの社会だ。

[305] 人間としての自覚  2001年10月13日 11時31分
わつい さん  e-mail 
昔パスカルが「人間は考える葦である。」と言ったように、
人間の本質は(心ではなく)知覚である。
人間は生まれつき人間の心を持っているのではない。
心が知覚に従属することによって、動物の心が人間の心に高められるのだ。

[304] お金と名誉  2001年10月13日 11時31分
わつい さん  e-mail 
お金とは‘紙’に数字を書いたものである。
名誉とは、名誉会長や名誉教授のように、人の名前の前に新しい‘名前’をくっ付けることである。
こんな眼先だけのバカバカしいものに取り付かれたら、自分の一生が台無しになる。

[303] アメリカが悪い  2001年10月10日 20時56分
わつい さん  e-mail 
アメリカとアフガニスタンの間で戦争が始まっているが、もとはといえばアメリカが悪い。アメリカは頭が弱くて力だけが強い国だ。何でも武力で押さえつければいいと思っている。しかし、知的生物である人間にとってふさわしい勝負としては、いついかなる時でも正しい者が勝つべきであって、力が強いだけの者が勝つべきではない。アメリカこそが諸悪の根源だ。アメリカはすぐに善人ヅラしたがるが、腹黒いのはお前らだ。アメリカが今の態勢を改めないかぎり、世界に明るい明日はない。

[302] ラマヌジャン  2001年10月6日 11時22分
わつい さん  e-mail 
ラマヌジャンとはインドの天才的な数学者のことである。
その一見不思議な数式は多くの数学ファンの心を魅了してやまない。
ラマヌジャン自身は数学の神様から教えてもらったといっている。
まるでレインボーマンみたいだ。
なんというウサン臭さだ!
しかし手品には必ずタネがある。
ヨーロッパの数学とラマヌジャンの数学の違いは、ヨーロッパの数学が意識的であるのに対し、ラマヌジャンの数学が無意識的だったことにある。
意識か無意識かの違いに過ぎない。
ヨーロッパ人もインド人も脳の構造は同じである。
数学の方法は、一般的な公式から具体的な命題を演繹することにある。
その一般的な公式がラマヌジャンの場合には無意識だったのだ。
方法的にはヨーロッパの伝統的な数学もラマヌジャンの独学の数学も同じであったはずだ。
ヨーロッパの数学のいいところは、その基礎的=教育的なところにあるだけではなく、最終的にはラマヌジャンの数学も自分たちの数学の中に同化できたところにある。

[301] 帰納法と演繹法  2001年10月6日 11時22分
わつい さん  e-mail 
帰納法と演繹法は向きが逆なだけじゃない。
演繹法を得意とするフランス人の知的センスの高さを表している。
つまり、フランス人にとって、実在は知覚の中にある。
知覚で認識されたものが実在である。
かたや、帰納法を得意とするイギリス人にとっての実在とは、眼で見えるこの世界といった感じがある。
イギリス人にとっては、いまだに実在は五感の中にあるのだ。