[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
[3001] 神商品化禁止法 h19.2.3
私および私の知人の個人情報を混入して作ったすべての作品・製品の製造・販売・放送・上映を禁止する。
このことは以前にも言ったことがあるから、今年4月20日以降にこの法を犯した者はみな死刑とする。
少なくとも、製造・販売会社の社長や放送局・映画会社の社長は死刑とする。
今年4月20日以降に私の目で見て私および私の知人の個人情報の混入があると判断された作品・製品については、私の哲学日記にその作品名・製品名を記載し、その製作に関ったスタッフ全員を死刑とする。
私および私の知人の個人情報の混入のない作品・製品の製造・販売・放送・上映は大いに許可する。
なお、これまでに作られた私および私の知人の個人除法を混入した作品については、その原型(原版)および製作に使用した資料を政府の管理の下で今から10年後までにすべて焼却処分することとする。
[3002] 信者冷遇法 h19.2.4
これまでの神道の信者は、国民の平均水準以下の生活をしなければならない。
信者の収入が国民の平均収入を上回る場合には、その上回った分を政府に寄付しなければならない。
[3003] 『神についての法』はないほうがいい。 h19.2.4
例えば、嫉妬深い神(超能力者)がいて、神がテレビの記者会見で首相がかっこよく演説するのを見て、「おれより目立ちやがって。殺せ。」と言った直後に首相が殺されたとする。[首相には必ず賛成派と反対派の両方の者がいるから、神の命令でそれらの者が行動しないとは限らない。]
こんなふうでは、おちおち政治もやれない。
国民の生活は停滞する。
だから、『神についての法』はこの世にあってはならない(つまり、私以後の超能力者に適用してはならない)のである。
[3004] どうしてオナニーするとバカになるのか? h19.2.4
性欲が満足されると、その分知覚欲を満足しようとしなくなる。
それは性欲で快感が得られると、それ以上快感が要らないからである。
したがって、オナニーで快感が得られると、知覚欲を満足しようとしなくなるので、知覚が働かずバカになるのである。
[3005] どうしてかわいい女はバカなのか? h19.2.5
女は愛情が満足されると、その分知覚欲を満足しようとしなくなる。
愛情で快感が得られると、もうこれ以上快感が要らないからである。[愛情とは、男にはない特殊な感情である。愛情にとって何が快で何が不快か、男は詳しく知らない。女は男よりも満足しなければならない感情が多いから、女は男に比べて気難しく・気まぐれなのである。]
だから、愛情が満足される女は知覚欲を満足しなくていいのでバカであり(実在が見えず)、
反対に愛情が満足されない女は知覚欲を満足しなければならないので賢くなる。
かわいさは愛情の裏返しであり、女が愛情を満足しているのを外から見るとかわいく見えるのである。
[3006] 人間が生きるためには快感が必要不可欠である。 h19.2.7
人間は何らかの感情を満足して快感を得なければ生きていけない。
多少の努力をして(つまり、きついとか面倒臭いとかの不快な感情に負けないで)善い感情を満足させるようにしないと、悪い感情を満足しなければならなくなってますます不幸になる。[善い感情は満足させればさせるほど幸福になる[少なくとも不幸にはならない]が、悪い感情を満足させると一時的に快感が得られるだけであとでもっと不快になる。]
[3007] 『超能力者についての法』 ☆☆☆ h19.2.8
『超能力者についての法』を作るためには、まず実在する超能力者についてよく知っていなければならない。
超能力者について何も知らないのに法を作っても、うまく行かない。
これまでの『神についての法』は法を作った者が超能力者のことをよく知らないまま法を作ったためにうまく行かなかった。
『神についての法』の2では、超能力者を“正しい認識を持った者”だと考えているが、そのために神の作ったまちがった法に人間が従わねばならず、人間に多大な迷惑をかけることになってしまった。
そのうえ、『神についての法』の1では、超能力者のことを“超能力で人間に害をなす者”だと決め付けている。もしかしたら、超能力で不治の病を治すことだってできるかもしれない。超能力者の超能力が人類にとって幸いをもたらすかもしれないのに、超能力者の超能力を消すことは、この人類にとって類まれなるチャンスを無駄に消し去ることであるし、超能力者自身にとってもまた自分の特殊な才能を人類のために活かすことができずはなはだ無念なことである。
つまり、『神についての法』は人類にとっても神にとっても不幸の因[もと]になる悪法である。『神についての法』では、人間と超能力者が互いに潰し合うだけで何も生み出さない。
そのそもそもの原因は、超能力者とは何者かがよくわかっていないことにある。
それは、『神についての法』がまだ人類に科学的精神が芽生える以前の古い時代に作られたせいである。
超能力者のことをよく知るためにも、まず私の作った『超能力者についての法』を今後の人類と超能力者に適用しなければならない。そうして、いつしか超能力者が現れたら超能力者の実態をまずよく観察し、超能力者のことをよく理解し、超能力者と人類のよりよい関係を築いて行かねばならない。
それができたとき、この世界に真の『超能力者についての法』が作られたことになるのだ。
[3008] 神道の信者に対する見方 h19.2.8
神道の信者はすべて死んだほうがいい悪人である。
いくら上辺[うわべ]はいい人ぶっても、本質は悪人である。[眼先で見るな、頭(知覚)で見よ。]
私の友人・知人といえども信者であれば、例外ではない。
神道の信者の悪人を殺すことは、日本(一般に世界)をよくすることである。
[3009] 思想・宗教の自由の私流言いかえ h19.2.8
日本国憲法にある思想・宗教の自由は、古い物心ニ元論に基づいているまちがった考えである。
こういう意味での自由は、そもそも人間にはない。
物についての思想が、ニュートンの運動方程式やシュレディンガーの波動方程式しかないように、心についての正しい思想はほんらい唯ひとつしかない。
それを考えて行くのが人間の使命である。
したがって、日本国憲法にある思想・宗教の自由は、私流に言いかえると、『この世界のすべて、すなわち物と心の両方について[出来るかぎり]正しく理解せよ』となる。
[3010] どうして神道の信者は悪人なのか?h19.2.10
神道の信者は、わざとに(意識的に)悪い感情を働かそうとする。
感情についての善・悪の区別がないか、あるいは悪い感情に対する制止が利かない。
また、たとえ感情についての善・悪の区別があったとしても、普通の人とは区別の仕方が違っている。つまり、信者が善と考えていることが普通の人にとっては悪であり、反対に信者が悪と考えていることが普通の人にとっては善だったりする。
信者が自分たちで勝手に独自に日本の法律とは違う法を作って守っているために、善悪の感性が普通の人とはズレているのである。
信者の作った法は、昔ながらのまちがった迷信に基づいて作られた法なので、実在と全然合っていない。だから、そんな法に従う信者たちの心は汚くよごれているのである。[正しい教育を受けていない未開なアフリカの土人の野蛮な心と同様である。]
一方、現在の日本の法律は、現代の正しい科学的世界観に基づいて作られているので、実在の世界によく合っている。そのため、日本で子供の頃からよく勉強して実在の世界についての知識を身に付け、大人になって日本の法律に従ってまじめに生活している者の心は美しく澄んでいるのである。
さらに、私の実在哲学の知識に基づいて作った『超能力者についての法』が添加された[そのうえ、天皇についての項目を削除した]日本の法律は、現行法を超える正しさがある。それに従う者は、今以上に美しい心を持つことになるであろう。
[3011] 文学部廃止法 h19.2.10
文学部は非実在主義だ。
文学部の者たちは実在の世界をなめている。
作りごとの心だけの世界で遊び呆けている。
そのため、心はふざけて汚い。
つまり、文学部は天皇系の文化だ。
したがって、文学部が講義をするのはかまわないが、自給自足でやってもらいたい。
つまり、自分のお金で講義をするだけで、国から講義代も基本給も出ない。
[3012] 人類への罰則 h19.2.10
私の作った法を犯した者が一人でもいた場合には、世界の全人類を最後の一人になるまで互いに殺し合わせることにする。
[3013] 女性の感覚界 h19.2.13
人間が生きていくためには一定量の快感が必要である。しかし、一定量の快感が得られれば、それ以上の快感はさほど必要ではない。【充足の原理】
男は知覚欲だけを満足しようとするが、女は愛情と知覚欲の二つを満足しようとする。
だから、女は愛情を満足するぶん、知覚欲を満足しなくてもよい。
そのために、女は知覚が働かず、実在についての認識が[子供と同じ]五感のままなのである。[男の場合、性欲を満足すると知覚欲を満足しなくなり知覚が働かずバカになる。]
知覚はイデアを認識し、五感はイメージを認識する。
だから、女性の感覚界は主にイメージ(視覚像)から成るのである。
[3014] バカとアホとは同一 h19.2.14
実在について知らないことが心が汚い原因であり、反対に実在について知っていることが心が綺麗な原因である。
つまり、バカはアホであり、利口は立派である。
バカとアホとは本来同一であり、バカを心の側面から見るとアホであり、アホを知覚の側面から見るとバカなのである。
一般に、年寄りは経験や思考が多いから実在についての知識が豊富であり、そのぶん心も立派である。
[3015] バカ殿 h19.2.14
江戸時代の日本におけるバカ殿のルーツは天皇である。
天皇は、たとえ頭が悪くても心が綺麗ならいいと考えているが、これは屁理屈である。
バカは実在について無知だからそのぶん心も汚い。
天皇のような実在について無知な者に従ってもうまく行くわけがない。
天皇にあるのは先祖の神(超能力者)から与えられた強い権威だけで、実在についての知識ではない。
バカな天皇のまちがった判断に国民が従わされると、国民が迷惑する。[たとえ天皇の判断が明らかにまちがっていてあらかじめ大勢の国民を不幸にするとわかっていても、天皇には強い権威があるから国民は天皇の命令に従わねばならない。]
今の天皇(今上)はたまたまおとなしい性格だからいいが、現在の天皇制の下[もと]で将来乱暴な性格の天皇が出ると日本が困ることになる。
だから、天皇の特権はないほうがいい。
[3016] かけもち h19.2.14
公務員の神道の者は、神道の者が公務員のフリをしていると見なすべきである。
[3017] 取り込み制はなぜいけないか? h19.2.14
取り込み制では神道の者が神(超能力者)の短所ばかり(例えば、私の場合には、ニューハーフ、コミケ、ダイエットなど)を国民に取り込ませるので、国民全体に悪影響が出るからである。
神道の勝手なふざけたやり方では国をダメにするだけである。
その点、私の定めた命令制は、主[おも]に国や世界をよくするために命令するので、優れた制度である。
[3018] 反語 h19.2.14
上海列車事故のとき、運転手が赤信号と青信号を見まちがえたと言っていた。
天皇家は反語を使うので、それを運転手が取り込んで信号の色を反対にしたから事故が起きたのだろう。
[私が九大医学部にいた頃、私といっしょに実習をした川中博文君が、「宇宙で光の速さに近いスピードが出るバイクに乗っていたとき、交差点で事故に会いました。なぜでしょう?それは、光のドップラー効果で赤信号を青信号と見まちがえたから。」と私に話しかけたことがあった。川中君はまた、「僕は眼で見て動いているのがわからない電気仕掛けなんかよりも、眼で見て動いているのがわかる古典力学的な仕掛けのほうが実感があって好き。」とも言っていた。また別のときに、川中君は「『上海紅鯨団』がめっちゃおもしろい」とも言っていた(『上海紅鯨団が行く』は当時土曜日の深夜にやっていたテレビ番組で、じつは私も毎週見ていた。桜金造が出ていた。上海紅鯨団→上海で血まみれになった高知県人の群れ)。どうやら、日本と中国の神道の者が上海列車事故を起こしたに違いない。他人の命を何とも思わない冷酷非情な集団だ。なんとしても彼らを世の中から葬り去らねばならない。]
[3019] うそつき h19.2.14
天皇家が神でないのに神のフリをしていて、それを神道の者が広めたために、日本人みんながうそつきである。
うそをつくことは汚いからやめよう。
[3020] ものまね h19.2.14
天皇家が神でないのに神のまねをしているから、日本ではものまね芸が盛んである。
[3021] 内閣総理大臣の権威 h19.2.14
つねにトップクラスで勉強や仕事を続けた甲斐あって、内閣総理大臣は強い権威(他人に命令できる権利)を持っている。
しかし、その権威は天皇にはかなわないし、まして神にはかなうわけもない。[首相<天皇≪神。もっとも、これは私が『超能力者についての法』を定める前の話であり、私が『神についての法』の適用を私だけに制限した後では、初代天皇も神ではなくなるので、今の天皇の権威は首相ほどもない。したがって、日本国憲法で保障される天皇の特権なんかひとつもない。その場合、天皇<首相≪神となる。]
内閣総理大臣はしょせん権威が強いだけで正しい知識が多いわけではない。
正しい知識が多いのは博士であって大臣ではない。[大臣は権威のために勉強や仕事をするのであって、知識のために勉強する博士とは違う。]
人間一人では無能だが、大勢集まれば全知全能になれる。
学会が国の頭(知覚)であるのに対し、国会は国の心である。
清い心は明晰な知覚に宿る。[つまり、善い心であるためには正しい知識を持っていなければならない。]
だから、大臣や天皇などの強い権威を持つ者は、ある程度の良識(実在についての正しい知識)を持って善意を利かし、国民にとっての幸福を実現する意思決定ができねばならない。
[3022] もしもアメリカが戦後天皇制を廃止したとしたら… h19.2.14
アメリカが『神についての法』を犯したことになり、日本どころか世界中を敵にまわすことになる。
さすがのアメリカもこれにはかなわないので、天皇制を廃止するまでは行かず、天皇の権威をいくらか弱めるにとどまったのである。
[一方、私は神だから、私が天皇制を廃止するのはかまわないのだ。]
[3023] 実存主義 h19.2.15
要するに、キリスト教の哲学化だ。
[3024] 日本神道の信者の特徴 h19.2.16
1)悪気が多い。[信者はまちがった世界観を持っているために、心に悪気が多いのである。]
2)善悪の区別がつかない片輪者。自分ひとりで意思決定ができない。
3)自分の悪気をカモフラージュするため他人面[ひとづら]がいい。
4)悪気が多いので、頭が悪い。
5)悪気が多いので、元気がない。
6)丸顔でチョンマゲを結っていることがある。
7)自分で自分のことを気高いと思っている。
8)よくガンを飛ばす(自分の悪気を他人にぶつける)。
キリストもガラの悪い信者に始終付きまとわれて、さぞかし不愉快だったろう。
キリストの身近に悪気の多い信者がいたから、信者の悪気をうつされて、キリストの性格も悪くなってしまったのだ。
私も身近に悪気の多い信者がいると不愉快なので、信者の悪気が私に届かないように、信者を私から遠ざけてくれ。[または、信者が死ぬと悪気が出なくなるので、信者を殺してもよい。]
[3025] iiは実数である。 h19.2.16
オイラーの公式より、
eiθ=cosθ+isinθ
∴iθ=log(cosθ+isinθ)
ここでθ=(2n+1/2)πを代入すると、
i(2n+1/2)π=log(i)
両辺にiを掛けて、
-(2n+1/2)π=ilogi=log(ii)
∴e-(2n+1/2)π=ii∈R(実数)
[3026] もう飽きたと思わんか? h19.2.17
このたび私が『神についての法』を『超能力者についての法』に変えたが、これで上手く行くとはかぎらない。
もしかしたら、そのために人類が絶滅するかもしれない。
これは、一か八かの博打[ばくち]なのだ。
正しいか間違いかよくわからないことを強引に決めることができるのが、権威と言うものなのである。
『神についての法』は、人類が何千年かあるいはひょっとしたら何万年か続けて来たから、いいかげんマンネリでもう飽きた。
この先同じことを続けて行くのも空しい。
誰でも一度は超能力と言うものを見てみたいはずだ。
科学力が発達すれば、超能力の管理もできるはずだ。[管理とは、他人に危害が及ばないようにしながら、超能力者の超能力を温存することである。つまり、超能力者が超能力を自由に使用することを認め、もし万一超能力が犯罪に使用された疑いがある場合には、超能力が犯罪に使用されたか否かを正しく判定し(感覚波についての研究が進めばできるはずである。)、もし超能力が犯罪に使用されたら、[超能力者の超能力を温存しながら]通常の犯罪者と同様にその罪の重さに応じて超能力者を罰することである。]
だから、私は自分の絶大な権威を用いて『神についての法』[の私以外の者についての適用]を廃止し、『超能力者についての法』[の私以外の者への適用]に変えることにする。
賛否両論があるかもしれないが、はっきりした証明がない以上どちらが正しいとも言えず、私の無限大の権威で強引に決めることにする。
[『神についての法』は、これまで人間が変えられなかったところを見ると、昔の神が決めた法かもしれないが、ブッダが昔のインドの神の作った法を廃止できたのなら、今の神である私が昔の神が作った『神についての法』[の自分以外への適用]を廃止することができるはずである。それに、私が『神についての法』の適用を私だけに制限したのなら、『神についての法』を作った神はもはや神ではなくなるのだから、私が『神についての法』を勝手に変えてもよいはずである。]
[3027] 女性の才能 h19.2.18
最近はアニメやフィギュアなどの影響で女性を顔や身体で見るのが流行っているが、
女性を顔や身体だけで評価するのは大人の見方ではない。
女性には、それ以上の才能がある。
女性の発する感覚波によって周りに気持ちのいい空間を作れるのが、女性の本当の才能だ。
[3028] 神アニメ h19.2.18
神アニメとは、神に関する個人情報を混ぜて作ったアニメのことである。
神アニメは、神道の者が直接または間接にアニメ会社に指示して作らせたものである。[けっして、私が作らせたものではない。]
ところで、神道の者は悪気が多い上に、他の人間や神に対して軽蔑心を持っている。
神アニメには、そんな人間や神に対する軽蔑の念がこもっている。
そんな軽蔑心をアニメを見ている子供たちに植え付けてはならない。
だから、神アニメは(ドラマなども)禁止しなければならない。
[3029] 政治家にとって大事なこと h19.2.19
政治家は、人間にとっての幸福とは何かを正しく理解していなければならない。[お金は物事の本質をとらえていない。お金のことしかわからない政治家は認識不足である。]
そして、その実現に向かってまっすぐ進まねばならない。
例えば、都会には自然がない。人間は自然を美しく思うものだから、都会では美しさを感じることがなく、そのために都会にいる人間は不幸なのだ。したがって、都会においても田舎と同じように自然の美しさを感じさせる環境のあることが大切なのである。
[3030] 国会議員には日本神道の信者が多い。 h19.2.20
日本においては、日本神道(旧国家神道)の信者ほど出世しやすい。
とくに公務員の場合は出世しやすい。(例えば、川本竜彦君や浅野耕太君など。)
国会議員も公務員だし、国会議員は出世しないとなれないから、国会議員には日本神道の信者が多いと推測される。
[3031] すべての日本の公務員が日本神道の信者というわけではない。 h19.2.20
例えば、私の父親は公務員だが、日本神道(旧国家神道)の信者ではない。
なぜなら、国家神道(すなわち、日本人はみんな天皇教の信者であること)は、第二次大戦までで終っていて、私は戦後の昭和39年の生まれだし、日本国憲法において宗教の自由が認められているから当然公務員も日本神道に入ろうが入るまいが自由だし、私が小学3年生の頃私の両親が日曜日の朝テレビの『皇室アルバム』を見て「天皇家はバカが多い。」とか「高松宮は人気がない。」とか悪口を言っていたからである。一方、この私に対しては「あんたの好きなようにしていい。」といつも言っていた。[私が高知学芸高校1年生の時の生物学の矢野清八郎先生も授業中に「天皇はヘルペス持ちだ。」とか「天皇の2番目の子供はブドウ児[ご]だ。」とか言っていたし、またときどき私のほうを見ながら「スケベエ。」とか教壇の前に精神棒を置いて「今の学生は精神がたるんどる。」とか言うことがあったし、再々授業中に「母親は妊娠中に自分のお腹の中の胎児に胎盤を通して有害な老廃物を捨てている。」とか話すことがあった。それから矢野清(やのせい、矢野清八郎先生のあだ名)は、生まれたときにキンタマが付いてなかったために女にまちがわれて育てられて体育が得意だったので運動選手になったが本人が月経がないのを不審に思って染色体を調べたら男だとわかったので手術で睾丸を除けて女になった人の話しもしたことがある。矢野清八郎先生は、熱心なキリスト教の信者として有名だった。]
では、なぜ、私の父母はときどき私に“ネタ入れ”をしていたのか?
それは、日本神道の者が私の父母に「こちらの言う通りにしていれば息子をいい目に合わせてやる。」と甘い話を持ちかけたからである。
それで、私の父母は日本神道の信者ではないけれども、ときどき日本神道の言いなりになって、くだらない“ネタ入れ”を嫌々[いやいや]ながらしていたのである。
しかし、私が30歳をすぎて仕事をし始めて2年目に豊岡に飛ばされて、私の様子を見に来た母が私の待遇が良くないのを知って、自分たちが日本神道の者に長年だまされてきたことに気付いたときには、さすがに落胆の意を隠せなかったようだ。…
それはともかく、私の両親は日本神道の信者ではなく、私の父は定年をすぎてまで公務員として働いてきたから、すべての公務員が日本神道の信者というわけではないのである。
私の両親は、日本神道のような汚い悪の組織に“自[みずか]ら進んで入る者”(≡信者)ではけっしてない。
[3032] 犯罪者の形質 h19.2.10
犯罪者は、性格が冷酷非情である。[絶壁[ぜっぺき]頭の者に多いと言われている。]
しかし、犯罪者の形質は、そんなに何代も遺伝するものではない。結婚を繰り返すことによって、自然に消失するものである。
だから、犯罪者の一族を強いて特別視する必要はない。
[3033] 日本神道の信者の国会議員はただちに辞職すべきである。 h19.2.20
前にも述べた通り、日本神道の信者の公務員は、日本神道の信者が公務員のフリをしていると見なすべきである。
そして、日本神道の信者はみな悪人である。
国会議員には日本神道の信者が多いだろうけれども、すべての公務員が日本神道の信者というわけではないから、国会議員のすべてが日本神道の信者というわけではない。
国会は国の心であり、日本人みんなの夢や希望を実現するために意思決定の場である。
そんな大事な所に、人類を不幸にすることしか考えない日本神道の者を置くわけにはいかない。
したがって、日本神道の信者の国会議員はただちに辞職すべきであり、今後二度と日本神道の者が国会議員(一般に、公務員)になってはならない。
国会議員にかぎらず、全世界の神道の者は亡[ほろ]ぶべきである。神道の者がこの世からいなくなるほど世界がよくなる。
いい歳して神に頼らなければ判断できず、自分で考えて行動できない人間なんかこの世に要らない。[神道の者の神に頼って行動する悪い癖を世界中に広げてはならない。そんなのは時代遅れのまちがった風習だ。神道の思考・行動様式そのものがまちがっているのだ。例えば、神アニメはそんな神道の悪い風習を国民みんなに植え付けようとする行為にほかならない。よって、神アニメは禁止すべきである。]
[3034] 神道の思考・行動パターン h19.2.20
空想と実在の区別ができない。
空想と実在が渾然一体となっている。[実在嫌いにも程がある。]
一種の精神病だ。
精神病院へ行きなさい。
[超能力者だって実在を認識したから超能力が使えたのだ。空想の世界に逃げる奴なんかに超能力は使えない。/空想と実在の区別のつかない者は、そもそも眼で見たもの(五感界)を鵜呑みにするだけで、知覚を働かせて物を見ていない(キリスト教徒?)。]
[3035] 信じる者は救われない。 h19.2.21
神すなわち超能力者は千年に一人ぐらいしかめったに現れないので、宗教すなわち超能力者の思想はたいてい時代遅れで現代の生活にそのままの形では適用できないことが多い。
超能力者の思想は、人生の先輩として多少の参考にはなるが、自分で考え直さないかぎりとうてい使い物にはならない。
ところが、宗教に入った者は宗教に入っただけで安心し切って超能力者の思想を鵜呑みにして、自分の人生の問題について自分で考えようとしなくなる。
例えば、私は中学生頃まで日蓮宗に入っていた(自分から進んで入ったのではなく、生まれてすぐに親に入れられた)が、日曜日の朝に仏壇で意味のわからない念仏をほんのちょっと唱えるだけで、人生の問題について自分で考える習慣がまったくなかった。私の両親も自分で考える癖がまったくない。それで、自分の子供の問題をなんでもすぐに学校のせいにしていた。[自分で考えようとしない者は、頭が“たっすい”(元気がない)。]
宗教に入ったせいで自分で考えようとしなくなるのなら、いっそのこと宗教なんかに入らないほうがよい。
[3036] 日本神道(旧国家神道)における天皇の地位 h19.2.21
日本神道をひとつの会社に喩えれば、さしずめ天皇は社長といったところだろう。
社長は会社のイメージを決める大事な役割だけれども、実際に会社を運営しているのは社長ではなく専務すなわち日本神道の司教(今のところ正体不明)である。
[3037] 国教のある国とない国 h19.2.21
国教とは、国民みんながある特定の宗教に入らねばならないことである。
国の政治的権威が弱い国では、国の権威を強めるために宗教的権威に頼らねばならず、そのために国教制が敷かれているのである。
反対に、国教のない国は、政治的権威が宗教的権威よりも強く、政治的権威が国の権威の大部分を占める国である。
日本も明治初期にはまだ国会ができたばかりで政治的権威が弱かったので、国の権威を強めるためにはどうしても既存の宗教的権威に頼らなければならなかった。それが国家神道である。国の権威が弱まると、国内的には治安が悪くなるし、国外的にも他国の言いなりにならねばならなくなるので、なにがなんでも国の権威は強くしなければならない。昭和に入ると、昭和天皇が軍部を支持したので、軍部の権威が強まり、軍部が政府を支配することになり、やがて戦争が始まった。そして、日本は戦争に負けた。戦後の日本は、軍部と宗教の権威が弱まり、政府の権威が強まったので、政府が軍部と宗教を支配している体制となった。
近年、国教のない国が世界の大部分を占めるのは、国民が宗教よりも政府を支持したからである。神のいない時代の宗教(神道)はしょせん人間が神の権威を借りて運営する組織にすぎないし、国民の幸福にとっては政府のほうが宗教よりも役に立つので、国民の大部分が宗教よりも政府の命令をきくようになり、それだけ政府の権威のほうが宗教の権威よりも高まった結果、宗教が政府に従わなければならなくなってしまったのである。
[3038] 国の権威 h19.2.21
国の権威は、政治的権威と軍事的権威と宗教的権威の三つからなる。
つまり、国の権威=政治的権威+軍事的権威+宗教的権威。
政治的権威とは、政府の政策の正しさのことである。つまり、政府の立てた政策に従って人々が幸福になればなるほどその政府を支持する者が増え、それだけその政府の権威が強くなるわけである。
軍事的権威とは、その国の軍隊の強さのことである。
宗教的権威とは、その国が支持する神道の権威である。その権威の源は『神についての法』にあるが、同じ神であっても神道の運営の上手・下手によって権威の強さが違ってくる。一方、神すなわち超能力者は、個人的に絶対的権威を持つが、とくに国と組まないかぎり国の権威(国家権力)とはならない。
[3039] 『新体制スタート』の真意 h19.2.22
私は去年、「今の天皇は神ではないから、天皇制を廃止すべきだ。」「私の超能力の才能は私個人のもので国のものではない。」と述べた。
それで、日本政府は、もはや日本は天皇や神である私の権威に頼ることはできないと判断し、日本の国家権威を強めるために政府自身と軍部の二つの権威を強めることに決定した。それが、「裁判員制度」と「防衛省」である。[日本政府の権威を強めることは、日本の法律の権威を強めることにほかならず、そのためには日本国民の法意識を高めるのがよいと考えて裁判員制度を始めたのである。]
国民を幸福にするための政策を決める日本政府を支持するのはいいとしても、戦争は兵士が痛い辛い苦しい目に合うし、有能な人材(例えば、私の父親の兄弟)を死体に変えるだけだし、戦争はしょせん人殺しにほかならず人殺しは殺すのも殺されるのも嫌だから、なるべくやめたほうがいい。
残念ながら天皇制を廃止にするアピールは今回とくに見られなかったが、宗教については、宗教(神道)に強い権威を与えると、神(超能力者)の作った出来の悪い法に国民が従わなければならなくなるので、国内的にも国外的にも悪い影響が出るから、宗教に権威を与えてはならない。
[3040] 『最大多数の最大幸福』 h19.2.22
現在の日本は民主主義である。
民主主義の原理は『最大多数の最大幸福』である。
とはいっても、大勢の愚民の意見に政府が従わねばならないという意味ではない。
たとえ政府が少数の者の意見にしか従っていなくても、適切な政策を決定し、その結果国民の大勢の者が幸福になればよいのである。
[3041] やっぱり日本政府が悪い。 h19.2.22
第2次大戦後は、日本政府が日本神道(旧国家神道=天皇教)を支配していたので、幼い頃の私の超能力を消した犯人は、日本神道ではなく日本政府であると考えられる。日本神道の独断でやったのではなく、日本政府の指示で日本神道がやったのだ。
主[おも]に日本政府に責任がある。
当時の最高責任者である首相が悪い。
首相はキチガイである。[今の首相も同じである。]
首相は物事の考え方が出来ていないバカだ。
[私が首相だったら、とりあえず超能力者の赤ちゃんの経過を静かに観察し、どうしても危なくなった場合だけやむを得ず子供に手を出すことにする。]
(ものいい)「でも、『神についての法』があったから、しかたなく超能力を消したんじゃないですか?」
なるほど、たしかにあの大国のアメリカでさえ滅びるのを恐れて守らなければならなかったほどだから、まして小国の日本ではやむを得まい。
しかし、日本が厳密に守ったのは『神についての法』の超能力を消す(つまり、私の脳を部分的に壊した)ことだけで、神の命令をきくのはいい加減にしかやっていない。実際、去年がそうだった。たぶん、今後もそうだろう。
法を守るべき第一人者であるはずの日本政府がこんな汚いいい加減なやり方しかできないのでは、日本政府は物事の考え方ができていないバカの上に、道徳観も法意識も常識も何にもないただのチンピラの集まりと見なされても仕方がない。
日本政府の権威なんか問題にするのもチャンチャラおかしい。
日本は『神についての法』を破った国だ。
[3042] 学歴 h19.2.23
学歴は利口かバカかの一応の目安にすぎず、
学歴だけで利口かバカかが決まるわけではない。
[3043] 自然現象 h19.2.25
宇宙にはさまざまな自然現象がある。
人間が一生のうちに経験する自然現象は、そのうちのほんの極一部にすぎない。
超能力は、地球上ではめったにお眼にかかれない宇宙の中に実在する極めてまれな自然現象のひとつである。
[3044] 日本神道(旧国家神道) h19.2.25
日本神道は超能力者であった初代天皇を崇[あが]める宗教である。
今の天皇は超能力者ではないから、初代天皇の子孫にすぎず、ただのお飾りである。[たかがお飾りにわざわざ特権を与える必要はない。]
日本がアジア諸国の中で特別な地位を占めるとすれば、それはこの初代天皇の権威のためなのである。
[3045] 咳払い h19.2.26
神道の者が自分がうまく行かなくて自分が不愉快だから、うまく行っている他人を不快にするためにわざわざ咳払いすることがある。[宗教の世界観は実在の世界とは違うので、うまく行くはずがない。]
他人に八つ当たりするよりも、まず自分のまちがった考えを直すべきである。
[3046] 出世について h19.2.26
できて上がる(つまり、実績があって出世する)のは自然でいいが、逆に上がるためにできる(つまり、出世するために頑張る)のは不自然でよくない。
自分の心を実在よりも優先するのは、心本位で実在を見失うので危険である。
自分の心の世界の中に生きているよりも、もっと落ち着いて実在を見ることのほうが大事である。
[3047] 神道の目的 h19.2.26
人類を不幸な目に合わすことだけが、神道の生きがいだ。
仏教では人類が貧乏にされ、キリスト教では人類が馬鹿にされ、ヒトラー教では人類が戦争で殺された。
神だけではたいして害はないが、神道が絡むと悪になる。
神道が神を率先して悪の道に誘い込んだのだ。[私が小3の時の万引き事件が、それを如実に現している。]
[3048] どうして東京に商社が多いのか? h19.2.28
天皇は国会の決議にちょっと承認をするだけでいい給料をもらっている。
それと同じように、商社は商品の流通にちょっと介入するだけでいい給料をもらっている。[商社は信者の溜まり場である。]
天皇の住んでいる皇居に近い所ほど、天皇をよく取り込めるので、商社は皇居のある東京に集中しているのである。
しかし、最近は流通改革により生産者と消費者が仲介をはさむことなく直接に取引ができるようになったので、商社のような他人の上前[うわまえ]をはねる仕事はなくなりつつある。
[3049] どうして東京大学からノーベル賞受賞者が出ないのか? h19.2.28
天皇が住んでいる皇居の近くにある東京大学は、自分の権威を増すための大学であって研究のための大学ではない。
天皇は学者の研究を個人の業績ではなく、国家すなわち天皇への献上品だと考えている。
[3050] 政府 h19.3.3
他人の上前をはねる仕事といえば、商社のほかに政府がある。
政府の主要な仕事は自分たちの食い扶持[ぶち]を国民から取り立てることであって、他にはとくに何もやっていない。[江戸時代の武士を考えてみればわかる。]
したがって、政府は国民を幸福にする機関ではない。
ゆえに、政府は要らない。
天皇が国民の税金だけで生きているから、政府は天皇を国会に取り込んで、自分たちも国民の税金だけで楽に生きて行こうとしているのである。
政府を全廃にはしないが、規模を現在の1/10に縮小する。[国民の生活にとってどうしても必要な機能(サービス)は民営化して残せばいい。]
[3051] 宗教(神道) h19.3.3
宗教の者は、狂った原理(つまり、実在とは違う世界観)を世界に広げようとする悪い連中だ。
彼らの活動を許してはならない。
[3052] 仏教とキリスト教 h19.3.3
仏教では人間が他人の言いなりになるだけの心のないロボットにされ[仏教圏では、子供が親の言いなりなので、“お見合い結婚”制度が成り立つ。]、キリスト教では人間が色気狂[ちが]いのフヌケにされる[色気狂いは自分の不幸の原因をきまって悪魔のせいにする]。
どちらも、人間ほんらいの姿をとらえていない。
[3053] 天皇教 h19.3.4
日本の天皇教も知覚欲を認めず五感欲ばかりで意地汚い。[ただし、旧一万円札の聖徳太子だけは知覚欲を肯定し、仏教を取り容れようとした。]
天皇教も、人間についての理解が足りない。
[3054] テレビ漬け h19.3.4
都会では、子供が外で遊ぶと危険なので、赤ちゃんの頃からずっと家の中でテレビを見て育っている。
それで、都会人の脳の奥底にはテレビの世界がしっかり刻み込まれている。
都会っ子にとっては、テレビが家族の一員であり、テレビが親の代わりをしている。
都会っ子にとっては、テレビの世界が実在で、実在の世界が空想であり、家族や友人がテレビと同じことをしていると大喜びするが、それ以外のときは無視気味である。
さすがに大人にもなればのんびりテレビを見ている暇はないが、それでもテレビ世界の構造で実在をとらえつづけているのである。
[3055] 政府と天皇の共生関係 h19.3.6
政府は天皇と組んで天皇から権威をもらう代わりに、国民から取り立てた税金の一部を天皇にまわして天皇の生活の面倒を見てやっている。
日本では政府と天皇(一般に神道)のふたつだけが得をして、その他の国民が損をしている。
ほんらい国民の幸福のためにあるべき政府が、反対に政府の幸福のために国民があるべきことにされている。
その原因は天皇にある。
したがって、国民の不幸の大もとである天皇制を廃止し、政府の権威を弱め、政府が国民に従属する体制を強化しなければならない。
[今後、私の命令は政府以外の者が実行してもよいものとする。]
[3056] 天皇化 h19.3.6
東京に長年住んでいると、性格や風貌が天皇に似てくる。
これを天皇化と呼ぶ。
例えば、東京の人間は言葉や態度が意地悪臭い(つまり、上辺[うわべ]は親切そうでも、心の奥は冷たく意地悪である)。
[3057] 天皇教はどうして外国にないのか? h19.3.6
答え)神(超能力者)であった初代天皇の教えがないから。
天皇教は日本国内だけの宗教であり、天皇家が生きているだけが取り柄の宗教である。
[3058] 工学 h19.3.6
物と物を組合せることによって、これまでになかった(つまり、過去の地球上に存在しなかった)性能を持った機械を作ることができる。
例えば、電燈や自動車やコンピューターなどがそうである。さらに、コンピューターのプログラムを組合せることによって、いろんなこれまでになかった新しいゲームが作り出される。
同じようにして、いろんな有機物が組み合わさって、増殖能を持った有機機械すなわち細胞が生まれたのである。それは偶然に自然の手によって地上に作り出された。
さらに、その細胞と何かの有機物質が組み合わさって感覚能力を持つ有機機械すなわち神経細胞が生まれたのである。
[3059] 天動説と地動説☆☆☆ h19.3.10
夜空の星が動いているのを見て、昔の人は天が動いていると考えた。しかし、これはまちがいで本当は我々が乗っている地面が動いているのである。
これと同じように、超能力者の超能力を見て昔の人は超能力者がこの宇宙を創造した全知全能の神であると考えた。[おそらく、超能力者が現れる以前からあった神話の神を超能力者に当てはめたのだろう。]しかし、これはまちがいで、本当は超能力者の脳のどこかにある超能力器官から他の物質と相互作用する念力波(特殊な感覚波)が放射されていたのである。[念力波の性質はまだよくわかっていないが、私の考えるところでは、念力波の到達距離はせいぜい2~3メートル程度なので、超能力者から離れたところでは影響はないはずである。]
天動説からいろいろなまちがいが演繹されるように、超能力者の神様説からもいろんな誤解が生まれる。それが宗教であり、つまり超能力者は神様だから、たとえ人間がどんなに不幸になっても神様である超能力者には人間が絶対的に従わねばならないとすることである。日本の天皇制もその一例であり、こうしたくだらないまちがった迷信は一日も早く撤廃しなければならない。[もし、シャカやキリストが全知全能の神だとしたら、どうしてシャカは「みんなを幸福にする。」の一語で済ませられなかったのか?どうしてキリストは死後に復活しなかったのか?]
『超能力者とは、念動力のような超能力が使える者のことである。』[その理由のひとつとして、超能力者の脳のどこかに物質と相互作用する念動波を出す器官があるためだと考えられる(これは私の考えであって、真実かどうかは今のところ不明)。]この新しい原理から出発して論理的に無矛盾な世界観を構築しなければならない。これが後世の人類に課せられた問題である。
宗教や天皇制などの「超能力者を宇宙を創造した全知全能の神」と見なす古いまちがった原理に基づく世界観はこの世からなくさねばならない。
[3060] 物理学だけが科学ではない。 h19.3.11
実在に対する無知の知の自覚に立ち、観察と実験による帰納的精神に基づく実在についての認識は、すべて科学である。だから、ニュートンの力学以外にも、例えば、パスツールの細菌学やドルトンの原子論なども科学である。超能力学についても、この例外ではない。
[ギリシア人は、知覚で五感を見ていただけで、五感で知覚を見なかった。つまり、自分の思いつきを物事に当てはめて見ていただけで、まず具体的事実から出発して理論を組み立てる考え方がなかったのである。例えば、エラトステネス(B.C.275-194)は“地球を球体であると仮定して”地球の半径を求めたが、本当は船で世界を一周するか宇宙船から地球の写真を撮ったりすることによって地球が丸いことを証明しなければならないのである。また、数学の本にはイデア論的に書かれたものが多いが、数学の概念だってもとをただせば眼で見た物から作られたのである。一般に、知覚における概念(イデア)は、五感の経験の分析によって作り出される。]
[3061] 真実は権威よりも強し。 h19.3.10
神(超能力者)や人間に与えられた権威はしょせん神や人間の間で決めた作りごとの取り決めにすぎない。
一方、真実にはすべての神や人間が従わざるを得ない。
つまり、権威は[いざというとき下剋上のように]逆らえるが、真実には逆らえない。
したがって、真実は権威よりも強いのである。
[3062] どうして女は群れたがるのか? h19.3.11
男は自分の知覚界(つまり、自分のいろいろな考えから成る頭の中の空間)に価値観を持っているから、自分の目で他人を見る。だから、男は孤独である。
反対に、女は自分の知覚界に幻滅[げんめつ]しているから、他人の目に頼らねばならず、他人の目で自分を見る。だから、女は集団(社交的)である。
女はいつも他人の目で自分を見ようとしたがるから、近くに他人がいなければならず、女は群れでいたがるのである。
[3063] どうして女は化粧するのか? h19.3.11
女は自分の知覚界に価値を感じておらず、他人の目に頼っており、他人の目で自分を見ようとする。
だから、女は他人の目に映った自分の姿が良くなければ満足できないので、女は化粧をしたがるのである。
[3064] ヒトラーの正体 h19.3.11
ヒトラーは、ドイツが日本の天皇をまねて作ったニセ神である。[たぶんどこかの劇団の俳優だったのだろう。]
[3065] 私にとっての友達とは h19.3.11
昔は今のようにひとりで遊べるテレビゲームがなかったから、ゲームをするためにはどうしても友達が必要だった。
それで私はゲームをするために、よく近所の者たちといっしょに遊んだのである。
つまり、私にとっては友達のためにゲームがあったのではなく、ゲームのために友達があったのである。
[3066] 勉強家 h19.3.11
勉強家にも2種類いる。
ひとつは自分が勉強が好きで勉強する者(孤独型)。
もうひとつは他人に自分がよく思われるために勉強する者(集団型、社交型)。
同じ勉強家でも、孤独型と社交型では満足している感情が違うのだ。
[3067] 分裂気質と躁鬱気質 h19.3.11
知覚が働く者は、自分の目で他人を見ているから、孤独であり、心は知覚欲と安心⇔不安感が強い。[分裂気質]
一方、知覚が働かない者は、他人の目で自分を見ているから、社交的であり、心は五感欲(物欲、金欲など)と偉大⇔劣等感が強い。[躁鬱気質]
人間の本質は知覚にあるのだから、分裂気質は躁鬱気質よりも人間的である。
[3068] 超能力者とは何か? h19.3.12
脳のどこかに念動力器官を持った人。
念動力器官が普通の人間の脳にはないという点で、“進化した人間”だと言える。
[3069] 超能力者は偉いか? h19.3.12
野球の好きな人にとっては野球選手が偉く、野球に興味のない人にとっては野球選手が偉くないと思われるように、超能力者を偉いと思うか思わないかは、個人の価値観によって決まる。
そして、その個人の価値観は生まれ(遺伝)や育ち(環境)によって必然的に決まる。[心も先天的形質のひとつと見なす。]
[3070] 超能力者に従うべきか? h19.3.12
人は自分が偉いと思う者に必ずしも従うわけではない。
人が他人の意見に従うのは、その意見が正しい場合か、それが自分にとって得になる場合かである。
だから、偉いからといって必ずしも従うわけではなく、反対に偉くないからといって必ずしも従わないわけでもない。
超能力者を偉いと思うか思わないかが個人の価値観によって決まるのであり、さらに偉さと従うとの間に必然的な関係がないとすれば、超能力者に従うか従わないかはこれまた個人の価値観で決まるのである。
つまり、平たく言えば、超能力者に従うか従わないかは、個人の自由なのである。[ただし、超能力者に従った結果、犯罪となった場合には、個人の責任とする。]
[3071] マンガ h19.3.12
マンガは面白いことが書いてあるだけで、正しいことは書いてない。
人は正しさではなく面白さを求めてマンガを買うのである。
[だから、正しいことは自分で考えましょう。]
[3072] 3900点 h19.3.15
麻雀の点数に3900点(サンキュー)というのがある。
これは、私が昭和39年生まれであることと、私が小学2年生のとき父親から麻雀を教わったことによる。
同じように、テニスの点数の数え方で、0点のことをLOVE(ラブ)と言う。
これはキリストがほぼ西暦0年の生まれであることと、キリストが愛の感情を大事にしたことによる。
スポーツのことで、私に因[ちな]んだことといえば、スキーのハイジャンプのK点越えというのがある。
これは私が小学生のとき近所の遊園地のブランコでよく高飛び(ブランコをこいで、最高点に達した位置からジャンプして遠くへ跳ぶこと)をして遊んだことと、私の名前のイニシャルのKを取ったことによる。
[3073] 人間の条件 h19.3.15
『人間の知覚は心をも支配する。』
つまり、自分の心の中にある感情に対する自由のあることが人間の条件である。
『感情は脳細胞が荷っている』(哲学第1原理)ことと、『脳細胞は興奮させすぎると興奮しっぱなしになり自分で興奮が抑えられなくなる』(脳細胞の特性)こととから、焦燥感や抑鬱感などの不快な感情を興奮させすぎてはいけないことがわかる。[精神病の予防]
[3074] 心の法則 h19.3.16
1)人間は一定量以上の快感を得なければ生きて行けない。[欲求満足の原理]
2)人間は一定量以上の快感が得られれば、それ以上の快感を得ようとしない。[欲求充足の原理]
感情間の相互作用について
1-2)したがって、ひとつの快感が得られなくなると、別の快感を得ようとする。
2-2)したがって、ひとつの快感で充足してしまうと、他の快感を満足しようとしなくなる。
その例
1-3)例えば、それまで知覚欲の満足で生きていた者が、勉強に落ちこぼれて知覚欲が満足できなくなると、知覚欲の代わりに性欲や五感欲を満足しなければならなくなって泥沼に陥ってゆく。
2-3)例えば、オナニーで性欲を満足すると、それだけで欲求を充足してしまい、知覚欲を満足する必要がなくなるから、オナニーはバカになる原因である。
[3075] 人はなぜ知覚欲を肯定しなければならないか? h19.3.17
性欲を肯定するよりも知覚欲を肯定したほうが、長い目で見ると満足される感情が多いからである。[前にも言ったが。]
つまり、性欲と知覚欲だけを比較すると性欲のほうが知覚欲よりも快感が強いが、性欲を肯定してその結果満足される感情全体と知覚欲を肯定してその結果満足される感情全体とを比較すると後者のほうが前者よりも快感量が多いのである。だから、人間は地上で最も幸福な動物なのである。
ジョン・スチュアート・ミルは、知覚欲を食欲よりも質が上であると考えたが、食欲を肯定してその結果満足される感情全体と知覚欲を肯定してその結果満足される感情全体とを比較すると、後者は前者よりも快感量が多いから食欲よりも知覚欲を肯定すべきなのである。それに、“どうすれば料理をおいしく食べられるか”とか“どうすればおいしい料理を作れるか”を考えることにすれば、食欲は知覚欲に吸収されることになり、けっきょく知覚欲を満足することが食欲を満足することにもなるのである。
[3076] 愛情は知覚欲を超えられるか? h19.3.17
料理は愛情(つまり、他人を喜ばせようとする気持ち)によっても知覚欲によっても作られる。
女の料理は愛情で、男の料理は知覚欲で作るものだと言われている。
愛情が強ければ、知覚欲で作った料理よりも愛情で作った料理のほうがおいしくなる。
[3077] 数学用語 h19.3.18
私は高知学芸中学3年生のころ数学が得意だった。それは、数学の担任の横田先生がおもしろかったからである。
∩…キャップ(且つ)←私は子供のころいつも野球帽をかぶっていた。小学校に上がったころ、高知城の下にある動物園で買ってもらったばかりの帽子をサルに盗られてわんわん泣いたことがある。
→…マッピング(写像)←私は小学3,4年生のころ、社会科で習った地図記号がおもしろくて、自分で家の近くの地図を書いた。
sup…スープ(上限)←私の母は毎朝具だくさんの味噌汁を炊く。
’…プライム←昔はダッシュと言ったが、‘ぶ入れ’のためにプライムと呼ばれるようになった。
[一方、天皇系は海洋生物学の権威であり、日本近海の底引網漁業で取れた珍しいカニやヒトデにその名をとどめている。]
[3078] 性欲のない性交は可能か? h19.3.19
『脳細胞の興奮は興奮させればさせるほど強くなる』(脳細胞の物性)ことと、『感覚は脳細胞が荷っている』(哲学第1原理)こととから、性欲中枢は最初のころは活動させてもあまりその興奮は強くなく、したがって性欲の快感もあまり強くない。
したがって、性交を出産のためだけに制限すれば、性欲の快感は強まらず、他の感情の感覚の強さに比べれば無視できる(無意識~弱意識)から、ほとんど問題にならない。
反対に、性交や自慰を繰り返して性欲中枢の興奮が強まれば、性欲の快感が他の感情の快感に比べて強くなり、性欲の満足のために生きている状態になる。これではあまり楽しい人生とはいえない。
男は女に比べて愛情がないから、子供は男にとっては快感の対象とはならないが、女にとっては大事な愛情の対象であり、女にとっては愛情が心の中で大きなウエイトを占めているので、男にとって性交は自分の性欲の満足のためではなく女のためにすると考えるべきである。[でも、そもそもどうして男は女を好きになるのだろう?]
[3079] 正しい女の選び方 h19.3.19
男は女を、身体の美しさでも、頭のよさでもなく、
心のおもしろさで見るべきなのである。[食事は身体の一部だから、料理上手なことも大事。]
[3080] イデア論から帰納法へ h19.3.21
この世にはごくまれに念動力のような超能力を持った超能力者が現れる。
昔の人は、超能力者を見て神だと考えた。
その理由は、
1)以前からあった神話の神を超能力者に当てはめた。
2)超能力者を見て、直感的に神だと感じた。
からである。
超能力者を超能力のある人間としてしか見ないのは、フランシス・ベーコン以後の帰納法による見方であり、それ以前の時代においてはプラトンのイデア論による見方しかなかったのである。[私が勉強した高校の倫理社会の教科書には、プラトンが善人でアリストテレスが悪人であるかのように書かれていた。根拠がなくても偉いほうが、皇室にとっては都合がいいからである。アリストテレスの自然科学は、方法的には現代科学と同じだったが、具体的には概念が未熟でまちがっていた。]
だから、昔の人にとっては、まさに超能力者が神だったのであり、超能力者を神と見なしても仕方がなかったのである。
[3081] 三位[さんみ]一体説 h19.3.21
キリストはいくつかの超能力を使えただけでほとんど人間と同じだったので、キリストは神ではなく神の子とする考えもあった。
しかし、直感的な神の概念を用いてキリストを意味づけている点においては、やはりプラトンのイデア論的な見方からは脱していない。
この私自身は、生まれてこのかた神なんか自分の五感界にも知覚界にも心界にも見たことがない。
私は神の存在なんか信じていない。
[3082] 神とは何か? h19.3.21
神とは、人の心の中にある“なにかをすばらしく感じる気持ち(感情)”のことである。[この感情は、人間の大脳前頭葉前野のどこかの脳細胞(群)が荷っている。]または、この感情を引き起こすものを神と呼ぶ。例えば、学問やスポーツなどの分野においてすばらしい才能のある人のことを神と呼ぶことがある。
全知全能の神は実在しないが、“なにかをすばらしく感じる気持ち”は人間にとって大事である。
[3083] 人間は超能力者に従うべきか? h19.3.22
人間が他者の意見に従うのは、
1)意見が正しい(実在と合致する)場合か、
2)意見に従って自分が幸福になる場合
だけである。
だから、たとえ超能力者であっても、意見がまちがっているか、あるいは意見に従っても自分が幸福にならない場合には従わなくてもよいのである。[そもそも、超能力者とは、超能力のある者のことであって、正しいことを言う者のことではない。]
一般に、いくら権威が強くても、まちがっていることや、自分を幸福にしないことを言う者に、従わなくてもよいのである。
[3084] キュリー夫人とコワレフスカヤ h19.3.23
女でも、その気になれば(つまり、知覚欲だけを満足させて生きて行けば)知能は男と変わらない。
男と女で知覚に差はないことを実証したのが、これらの女性である。
ただ、男から見れば、知覚のいい女性はとくに魅力的ではなく、女には男にはない愛情があるから、そのわけがわからないところが男にとっては魅力的なのである。
[3085] 勉強や仕事がよくできる人の心とは? h19.3.23
ピンフやトイトイだけがいくら上手に作れても麻雀は強くない。順子や刻子の混ぜ方が上手い者が麻雀に強いのである。
それと同じように、分裂気質や躁鬱気質に偏った者は、考えるばかり学ぶばかりであまり勉強や仕事ができない。
分裂気質と躁鬱気質が上手く混ざるように子供を育てると、考えることと学ぶこととが調和して、勉強や仕事がよくできる人間になる。
[3086] 社会科(とくに歴史)の教科書 h19.3.23
一見事実を連ねているようだが、言葉の背後に歪んだ物の見方が隠れている。
要するに、子供に対する天皇教の洗脳だ。
[3087] 海モモ第44話「北の国の伝説」を見て考えたこと h19.3.23
念動力は、他人の生気(身体の神経細胞や脳細胞が発する感覚波)のエネルギーを物体の運動エネルギーに変換する技術ではない。
なぜなら、当時私の一番身近にいた父母や祖父祖母がピンピンしていたからだ。
念動力の性質がよくわからないまま、自分勝手にあるいは迷信に基づいて念動力を危険視して念動力を消去してはならない。
[3088] 『神の見えざる手』 h19.3.24
経済学に『神の見えざる手』という言葉がある。
これは超能力者のサイコキネシスを喩[たと]えて言っているのである。
[つまり、アダム=スミスは、神の正体を知っていたのだ。]
[3089] 空想と現実 h19.3.24
知覚がよく働く者は、自分の目で他人を見る、つまり一人称視点(First Person Sightpoint)である。
反対に、知覚のあまり働かない者は他人の目で自分を見る、つまり(Second Person Sightpoint)である。
一人称視点の者は知覚がよく働くので、五感界が知覚界に従属しており、知覚界が五感界よりも自由なので空想的である。
反対に、二人称視点の者は知覚があまり働かないので、知覚界が五感界に従属しており、知覚界に自由がなく現実的である。
したがって、例えば、一人称視点の者は空想的なアニメが好きであり、反対に二人称視点の者は現実的なドラマが好きである。
ところで、『実在は五感を超えたところにある。』から、一人称視点の者は知覚がよく働くから論理的で実在的であり、反対に二人称視点の者は知覚があまり働かないから非論理的で実在的でない。
つまり、一人称視点の者は空想的であると同時に実在的であり、二人称視点の者は現実的であると同時に実在的ではない。
ドイツ人の好む“現象的”という概念は、論理的・実在的であると同時に空想的でもある一人称視点の気構えのことを言うのだろう。
[3090] 男は脆[もろ]い生き物だ。 h19.3.24
女はたとえ勉強や仕事に落ちこぼれて知覚欲を満足できなくなっても、愛情で幸福に生きて行ける。
ところが、男の場合は愛情がないので、知覚欲が満足されなくなったら五感欲か性欲を満足させて生きて行くしかない。
だから、男がいったん落ちぶれると、どん底まで堕ちて行ってしまうのだ。
[3091] 超能力者を商品化してはいけない。 h19.3.24
超能力者は超能力者であって、宗教家の言うような神ではない。[宗教家は、一種の詐欺師である。]
超能力者は超能力のある人間にほかならず、超能力者を勝手に商品化するなどもってのほかである。
超能力があることと商品化されることとは論理的にまったく無関係であり、超能力があるからといって商品化していいことにはならない。
宗教家に従うことは実在に従わないことである。
宗教家のまちがった世界観にこれ以上従ってはならない。
[3092] 東京人 h19.3.24
天皇にペコペコしておいしい思いをしようとする人の集まり。
[3093] 知の無知 h19.3.25
自分が知っていることを知らないこと。(⇔ソクラテスの無知の知)
つまり、例えば、サブリミナル効果。
[3094] 人間の行動原理 h19.3.25
人間は欲が絡[から]むと積極的に行動するが、欲が絡まなければ積極的には行動しない。
例えば、一般に女性は積極的に行動しないが、愛情が絡むと積極的に行動する。
五感欲や食欲や性欲を断ち、知覚欲だけを満足するように生きていけば、『欲求満足の原理』によってとくに考えようとしなくてもひとりでに知覚が働くようになる。[122=144歳まで生きられるわけではないが。]
神道の信者の行動が異常な原因は、自分で考えようとする知覚欲を満足せず、司教の言いなりになって動く従属欲しか満足していないからである。
[3095] 都会の文化 h19.3.26
都会の文化は五感に偏っている。
田舎より低質だ。
都会に住んでいると自分で考えようとする気がしなくなる。
[3096] 真実と幸福 h19.3.27
人間は真実(実在についての正しい認識)に従ってのみ幸福になれる。
まちがいに従っても結局は幸福にはなれない。
宗教家の言うことはまちがい(ウソも含む)だから、
幸福になりたければ、宗教家に従ってはならない。[詐欺師自身は、自分がうそつきであることを知っているから、幸福になれるのである。]
例えば、宗教家が「神を取り込めば(神を真似れば、神に従えば)人類が幸福になれる。」と言っても、実際には超能力者には超能力があるだけだから、超能力者の性質をいくら人類が取り込んでも人類は幸福にはならないのである。それでも宗教家は「神を取り込んだ者が幸福になる。」世界を人為的に強引に作ろうとしているが、そもそもこの認識が真実ではないので、やっても結局は失敗に終わるのである。
[3097] 合理主義と実存主義 h19.3.27
合理主義は、実在に従うほうが幸福になれるとする考えである。
反対に、実存主義は、実在に従わないほうが幸福になれるとする考えである。
しかし、実存主義のこの考え方自体がまちがっているので、実存主義では人間は幸福になれないのである。
[3098] 宗教家 h19.3.27
宗教家はわざとにまちがった原理(つまり、「人類は超能力者に絶対服従しなければならない。」とか、「人類が超能力者に従えば人類は幸福になれる。」とか)に社会を従わせて社会をうまく行かないようにして、人類を不幸にすることを喜びにしている意地糞悪い連中である。
だから、昔から宗教家は悪人とされてきたのだ。[政治家も同様である。政治家はわざとにまちがった政策を立てて、国民を不幸にして喜んでいるからである。]
[3099] 一般化された宗教 h19.3.27
実在に反する原理を立て、それに人類の全部または一部を従わせること。
実在の中で実在に反する原理に従っても結局は不成功に終るから、宗教は人類の全部または一部を破滅させる行為である。
[3100] 天皇について h19.3.27
宗教は人類を破滅させる行為であるから、この世から無くすべきである。
そのためには、宗教活動を荷なう宗教家を根絶しなければならない。
天皇は宗教家の一人にすぎず、宗教という氷山の一角にほかならないので、天皇がなくなったからといってこの世から宗教がなくなったとはいえない。
天皇は宗教活動のひとつの指標にすぎず、宗教がなくなれば天皇もなくなるが、天皇がなくなったからといって宗教がなくなったとはいえない。