[2901] 政治と宗教の違い h19.1.7
政治の法律は人が決めたものである。
一方、宗教の教義は、そもそもは神すなわち超能力者が決めた掟であるが、あとから人が神の掟に従いながら付け足したり削除したりしたことも含まれる。
大昔の人が作った『神についての法』により、人は神に従わねばならないので、政治の法律は宗教の教義に反してはならない。政治は宗教の世界の中にある。
この世から『神についての法』がなくなれば、鬱陶しい宗教の規制もなくなり、人間が自分たちで自由に政治の法律を決めることができる。そのほうが人類の幸福な世界の実現にとっては都合がよい。
[2902] 新しい『神についての法』 h19.1.7
1’)神を超能力が付け加わった人間とみなし、神に人間と同じ人権を認め、神の超能力の才能は神個人のものであり、他人の人権を侵害しないかぎり神がそれを使って何をしようが神の自由とする。
2’)超能力者の思想を掟として人類がそれに従わなくてよい。
を、新しい『神についての法』とする。
『神についての法』は宗教が出来る以前に誰かが作ったものだから、宗教の者でなくても(例えば、私でも)改められるはずだ。
[2903] キリストはなぜ殺されたのか? h19.1.8
キリストは、『愛情が人間を幸せにする。』『愛の国を作れば、みんなが幸せになれる。』と固く信じて、クーデターを起こしたが、国王の軍隊に負けて、磔[はりつけ]にされて殺された。
キリストは神(超能力者)だったし、キリストには自分が神である自覚もあったから、『神についての法』の2にあるように神の思想に人類を従わせることができるなら、キリストが“愛の国”を作りたければ作れたはずである。
実際、キリストの死後は、キリストの思想に従ってヨーロッパ全体が“愛の国”だったわけで、キリストの死後にキリストの理想が実現したわけである。
それなら、どうして、キリストの生存中に、キリストの理想が実現せず、キリストが罪人として殺されたのだろうか?
それは、『神についての法』のせいである。『神についての法』には
3)神の権威(他者に命令できる能力)は神が年をとるにつれて強まる。
ことが規定されている。[神も人間も幼い頃は無知なので、この項目は神の幼い頃の命令を打ち消すために作られたのである。]キリストは若かったために、当時のキリストの年齢(35歳前後)ではキリストの権威は[一般大衆の権威よりは強かったが]国王の権威に及ばず、キリストは国王の命令に従って死刑にされたのである。[けっして、キリストが貧乏でバカで王になめられたから殺されたのではない。]『神についての法』によれば、神の年齢は神の肉体が死んだ後でも加算されるので、キリストの死後にキリストの権威が強まりキリスト教が盛んになったのだろう。
現在の私の年齢は42歳(もうすぐ43歳)なので、キリストの35歳と比べたら私のほうがもっと権威(自分の命令に他者を従わせる能力)があるはずである。私が他者に命令できる能力も年々強まっていくから、そのうち私がこれまでに述べた命令がすべて叶[かな]う日が来るかもしれない。[わかりにくければ、今の私が日本で一番権威が強いと考えてよい。]
[2904] 『神についての法』はいつ頃作られたか? h18.1.8
『神についての法』には他に
4)神に気に入られなかった国は滅びる。
という規定もあるらしい。[私は日本が滅びても嬉しくはないが。]
『神についての法』の1〜4の項目から察すると、『神についての法』は今から5000年ぐらい前の法学者が作ったものであると考えられる。
今から見ると、いかにもいいかげんに作られた感じがある。とくに2は人類にとってあまりにも危険だ。
こんな古臭い悪法をいまだに守ったり守らせたりしているのは異常だ。
[2905] 『神についての法』は誰が変えられるのか? h19.1.8
宗教の上の者は、当然『神についての法』の内容を知っている。
政治家も、ときどき宗教から命令が下るから、政治家たちも『神についての法』の存在に気付いているはずである。
それなのに、誰も『神についての法』を変えないのは、『神についての法』に、
5)“何人たりとも、この法を変えてはならない。”
と規定されているからである。
私は神だから、『神についての法』を変えられるはずだ。
[2906] 古い『神についての法』は要らない。 h19.1.8
新しい『神についての法』の1’2’だけなら、わざわざ宗教を作るまでもない。[“超能力の日”なんかも制定しなくてよい。]
しかし、超能力者はまたいつの日にか現れる可能性があるから、超能力者について扱える項目を日本国憲法に組み入れる必要がある。
それには、日本国憲法の最後に、新しい『神についての法』の1’2’を追加すればいいだろう。
日本人みんなに超能力者の存在を明らかにし、新たに超能力者が現れたら[法定伝染病患者のように]小児科や警察その他の機関を介して厚生省に連絡させ、その後はとくに何もせず、おとなしく超能力者の経過を観察することにすればよい。
[2907] 古い『神についての法』の扱い方 h19.1.8
日本国憲法に“超能力者(神)についての法”を付け足して、日本国憲法の適用範囲を広げ、日本国憲法をより完備(complete)なものにしなければならない。
こうして、新しい『神についての法』1’2’を日本国憲法に組み込んでしまえば、もはや『日本帝国憲法』や古い『神についての法』のような『日本国憲法』以外の法は、日本においては通用しないとすればよい。[日本国憲法に新しい『超能力者(神)についての法』の1’2’を付け足すのは、私の死後とする。それまでは、古い『神(超能力者)についての法』を有効とする。]
[2908] 取り込み制とは何か? h19.1.9
小さい頃から、私には“自分と他人の区別をつけない”(例えば、自分が面白いと思った人の真似をしたがる)性格があったので、それを私の思想のひとつとして捉えて2)に当てはめて、
私と面識のあった者にも、『その者の思想を掟として人類を従わせる』ことができるとした。
そうして、私と面識のあった者の願望をかなえられるようにしたのだ。[日本神道の信者にイスを盗られたために、自分の願いが叶わなかった者も大勢いるはずだ。具体的には、古い『神についての法』のことを知っている日本神道や政府高官の者が下の者に圧力をかけて、信者に有利に取り計らっているのだ。]
私と面識のある他人がしたことを私がしたことにして、それに全人類を従わせる“取り込ませ制”についても同様である。
これらは、ヨーロッパ中世末期のキリスト教の教皇や聖職者たちがキリストの教えを悪用したのと同じように、『神についての法』を日本神道の者が悪用した例である。
[しかし、この前、私が取り込み制や取り込ませ制を廃止できたから、私の権威が神道の者の権威よりも強かったことがわかる。今は私の権威がもっと強くなっているはずだ。だから、このやり方は二度と使えない。このやり方で私から得た権威は今後ないものとする。]
[2909] 神の思想は何でも宗教になるわけではない。 h19.1.9
神が自分の思想を世の中に広めたいと思ったときだけ、神の思想は宗教になるのである。
神が広めたいと思わなければ、神一個人の思想にとどまる。[ただし、神の命令は通る。]
[2910] 古い『神についての法』3への付け足し h19.1.9
3−2)同じ教区に新しい神(超能力者)が現れた場合には、権威の交代が行われる。
古い神の権威は新しい神が現れたときになくなり、新しい神の権威は3の規定にある通りに強まって行く。
しかし、古い『神についての法』の2の項目がなくなれば、3も3−2も両方とも要らない。
[その他、古い『神についての法』の2の細則として、“神を脅迫して、神に掟を作らせてはならない。”などがあると考えられる。]
[2911] 典拠主義 h19.1.9
テレビのアニメやドラマを見て私の性格や生活を推測するのは本末転倒である。
これは一種の典拠主義である。
他人の情報に頼らず、直接自分の眼で物に触れないかぎり、本当のことはわからない。
[2912] 技術と科学 h19.1.9
ギリシア時代には、まだ物差ししかなかった。それで、幾何学や静力学は発達したが、それ以上実在のことについてわからなかった。
ニュートンの頃になると、正確な時計が作られるようになり、時間のことがよくわかるようになった。それで、動力学[未来を向く視野の確立]や高次元幾何学などが発達し、今日の文明があるのである。
[2913] 皇居問題 h19.1.9
私は以前、『平成28年1月1日までに天皇が退位しなければならない。』『おとなしく天皇が退位すれば、皇居は天皇にくれてやる。』と述べた。
ただし、それには条件がある。
平成28年1月1日までに私の手元に私の哲学日記第1巻を届けた者に皇居(つまり、現時点において皇居の敷地と皇居の敷地内にある物すべて。ただし人間を除く。)をやることにする。
だから、天皇が私に届ければ皇居は天皇のものになるが、天皇以外の者が私に届けた場合には、皇居はその者のものになる。[ただし、哲学日記のノートに損傷がない状態で届けること。複製は不可。]
期限までに私のもとに届かない場合には、皇居は私のものとする。[哲学日記に損傷があった場合にも、皇居は私のものになる。最悪の場合は、古い『神についての法』の4により日本が滅びることになる。]
期限をすぎて私のもとに哲学日記が届いた場合には、皇居も日記も両方とも私のものになる。
[2914] 信者撲滅法 h19.1.9
日本神道にはキチガイか悪人しかいない。[たとえ少数のまともな人がいたとしても、組織で動くときには少数の者は無視されるので、最初からまともな人がいないと見なしてもよい。]
キチガイも悪人もこの世にいないほうがいい。
よって、日本神道の者(天皇も含む)に対して、誰が何をしようが無罪とする。
その際、信者は仕返しをしてはならないとする。
[例えば、日本神道の信者が経営するショップで万引きして店員に捕まったとき、「お前みたいな下っ端では埒[らち]があかん。もっと話のわかる上の人を呼んで来い。」と言って、信者の経営者に古い『神についての法』と私が決めた信者撲滅法のことを話せば、信者の経営者は黙ってあなたに万引きした商品を持たせて家に帰してくれるはずだ。]
[2915] 私の命令に背いた者に対する罰について h19.1.9
すべて死刑とする。
[2916] 二重コピー法 h19.1.9
これも日本神道による古い『神についての法』2の悪用例のひとつである。
まず、日本神道の者が私の眼の前に立ち、私の“自分で物事を決めない”性格[当時の私はこんな性格だったかな?私が朝倉小学校や中学校の生徒会長に立候補しなかったからか?何から何まで全部自分で決める人はいないから、多かれ少なかれこの性格は誰にでもあるはずだ。]と“自分と他人を区別しない”性格を利用して、私のコピーをとって自分も神になる。[例えば、私が朝倉中学1年のとき、英語の沢谷先生が休んだときに“代理”で教壇に立って「瀬戸内海を埋め立てて、そこで裸の女の人を飼う」話をした用務員風のおじさんや、みその学舎で冬の“3”月にみんなに“コピー”したプリントを配って「ムリ・ムラ・ムダの3ムのない効果的な学習法」の話をした先代の塾長がいた。]
さらに、私のコピーをとって神になった者が、日本神道の他の者と会って、その者に自分のコピーをとらせて、その者も神にする。
このようにすれば、日本神道の者全員を神にすることができる。
こうして神になった者は、古い『神についての法』の2を用いて自分の願いを叶[かな]えることができる。[ただ、私のコピーのコピー(つまり、二重コピー)よりも私のコピー(一重コピー)のほうが私の権威を濃く取れるので、私と直接面識のある者ほど難しい願いを叶えることができるのである。]
このようにして、日本神道の者全員が幸福になれるのだ。[この方法はもちろん禁止。この方法によって私から得た権威は今後ないものとする。古い『神についての法』の2における神とは、私のような超能力者だけを指すのであって、2を用いてそれ以外の者を神とすることは禁止する。]
[2917] 新しい神が現れた場合 h19.1.10
キリスト教を見ればわかるように、
古い神のいる教区に新しい神が現れた場合には、古い神と新しい神の両方を採る。
ただ、両者の神が食い違った掟を立てた場合には、古い『神についての法』によれば、
2−3)『新しい神が古い神よりも権威が強い』ので、
新しい神の掟が通ることになる。[今度の日本の件を見れば、2−3のあることがわかる。天皇家は初代天皇以外は神(超能力者)ではないが、天皇家は初代天皇から権威を授かったわけだから、私が今の天皇よりも権威が強いということは、私が初代天皇よりも権威が強いことを意味している。それに、普通は後世の者のほうが正しいから、“幼い頃の神の命令を実在に無知だから権威を弱めて取らない”[年齢を正しさの基準にしているところが、いかにも古臭い!これもいいやり方ではない。]とすれば、同じ理屈で後世の正しい神のほうが権威が強いことになる。]
ただ、2を廃止したあとでは、神の思想に人類が従わなくてもいいから、こんな議論はそもそも無用である。
[2918] 私は古い『神についての法』を変えることができるか? h19.1.10
@古い『神についての法』を神が作ったとした場合。
古い『神についての法』は昔の神が作った掟である。
だから、いくら悪い掟であっても、人類はこれに耐えて遵守しなければならなかったのだ。[反対に、宗教の者は喜んでこのボロクソな悪い掟を悪用してきたわけだ。/古い『神についての法』の2により人間は神の掟に従わなければならないが、私は人間ではないので、前世の神の掟に従わなくてもよいのである。]
1を後世の神(超能力者)について適用すると考えれば、納得できる。
2は、いわば自己繰[く]り込みだ。[ここでの神は自分自身を含むわけだ。]
古い『神についての法』の適用範囲は全世界であり、
同じ教区に(つまり全世界のどこかに)新しい神が現れたときには、古い神と新しい神の両方を採らねばならないので、
私が古い『神についての法』の各命題の否定を取れば、A∩-A=φよりその命題はなくなる。
さらに、『古い神より新しい神のほうが権威が強い』とすれば[ここで私が決めたし、今度の日本の件を見れば明らかである。]、
古い神よりも新しい神の命令のほうが強いわけだから、
古い神の作った掟よりも新しい神の作った掟のほうが通ることになる。
そのうえ、『後世に現れた超能力者はあくまでも超能力者であって神ではない』ことにし[ここで私が決めた]、神の概念自体を亡きものにすれば、2度と神は現れないことになる。
神は神話の上だけの存在であって、実在しないのである。
Aあるいは、古い『神についての法』を人が作ったとすれば、2により神の掟に人が従わねばならないから、神である私が『古い『神についての法』を廃止し、私が新しい『神についての法』を制定する。』掟を作れば、それが通ることになる。
Bたとえ古い『神についての法』の中に“たとえ神であってもこの法を変えてはならない。”という記述があったとしても、前世の神や人に比べて後世の神の権威(他者に命令できる能力)が強ければ、古い『神についての法』を命令と見なして、後世の神がそれを変えることができることになる。
[2919] 天皇とは何か?☆☆☆ h19.1.10
古い『神についての法』と、初代天皇の掟だけでもっている一族。
私の死後、古い『神についての法』が無効になれば、天皇だってただの人。
[2920] どうして古い『神についての法』は今まで続いてきたのか? h19.1.10
古い『神についての法』は人が作ったのか神が作ったのかわからない。
しかし、今までずっと続いてきた。
それは、古い『神についての法』が存在しているにもかかわらず、これまで一度もその内容を一般の人に対して公表することがなかったからである。
いくら悪法であっても、それを改正する者が現れなければ、昔のままだ。
古い『神についての法』が悪法なのは、
@現代の常識から見て、内容があまりにも不適当である。[要するに、メチャクチャ。]
A法が簡単すぎて、抜け穴が多く悪用しやすい。
ためである。
だから、私が改正することにする。
平成19年1月12日追記)
これまでの神にとって、古い『神についての法』の2はあまりにも魅力的であったようだ。
誰も、それを否定しようとしなかった。[これまでの神が2を受け容れたことによって、古い『神についての法』を神が認めたことになり、古い『神についての法』が人間によって変えられないものになってしまったのだ。(もちろん、こんな抱き合わせ商法は禁止する。)だから、古い『神についての法』は、もともとは人間の作った法だったのだ。]
私は立法マニアではないので、2なんかどうでもいい。[そんなに他人に命令することが楽しいことなのだろうか?昔は娯楽が少なかったので、こんなことでも楽しかったのだろうか?ただ、日本の神である初代天皇は立法マニアではなく、自分の一族の幸福のことしか考えなかった。だから、日本の神は独裁者には人気があったのだろう。(ただし、明治天皇は神ではない。)外国の神は自分の立派さにこだわりすぎて、自分の心に素直ではなかったようだ。]
[2921] 新しい『神についての法』を公開したほうがよい理由 h19.1.10
別に、私が作った新しい『神についての法』が裏の法(一般人に公表されない法)になったところで、それを悪用することはできないはずだ。
ただ、超能力が存在することは事実なので、それを秘密にすることは実在について他人を無知にすることであり、他人の実在への適応を妨げることはよくないことなので、超能力を憲法上で公開したほうがよいと考えるのである。
[2922] 日本政府と日本神道と私の関係☆☆ h19.1.10
日本政府と日本神道とは宮内庁を介して相互作用する(繋[つな]がっている)。
表の法とは日本国憲法であり、
裏の法とは古い『神[と人]についての法』である。
私(神)を含む日本国民は、表の法(公開)と裏の法(未公開)のふたつの法で管理されているのだ。
[政府が神道に従属する体制は戦前までであり、戦後は上図のように政府と神道が対等である。私が古い『神[と人]についての法』を廃止すれば、日本神道の組織は基盤を失い崩壊するので、その後は日本政府のみとなる。]
[2923] 癌の原因について(仮説) h19.1.11
癌は、一度分化した細胞が未分化の状態に戻ることである。だから、どの癌細胞も形態が類似している。
細胞が分化するには細胞分化因子(蛋白質)が必要だが、この物質が何らかの原因で喪失すると癌になる。
細胞分化因子は局所ホルモンなので、癌は局所性に発生するのだ。
[2924] キリストはなぜ殺されたか?(その2) h19.1.11
キリストは、いわゆる『ソクラテスのやり方』で自分の意思表示をしたのだ。[西洋人は、国家権力に屈しない個人としての生き方(個人主義)に最高の価値を見出す人々だ。まさに、西洋では国は個人の集まりなのだ。]
だから、キリストはけっして自分の愛の思想を捨てたのではない。自分の思想のまちがいを詫[わ]びるために刑に服したのではない。むしろ、自分の死をもって自分の思想を絶対肯定したのである。[今の私たちのものの考え方では、ソクラテスやキリストのやり方は納得しがたいが、当時においてはこういうやり方が流行っていたのだ。]
古い『神についての法』の2により、キリストはその気になれば、前世の神をすべて亡きものにできたが、キリストは前世の神を受け容れたので、キリスト教ではキリストとキリスト以前の神の両方が神とされ、新約聖書と旧約聖書の両方が聖典とされている。
だから、神の権威(他者に命令できる能力)は、古い『神についての法』の3にあるように“神の年齢とともに増える”のではなく、神がこの世に現れたときから(つまり、ある者が超能力を発現したときから)神(超能力者)は人間に対して絶対的な権威を持つのである。[だから、3は私の誤解で、本当はそんなものはない。]したがって、教区に新しい神(超能力者)が現れた場合には、古い『神についての法』2に従って、新しい神の好きなように決めればよい。例えば、新しい神が古い神を無視したければ古い神の作った掟はなくなるし、新しい神が古い神に及ばないと認めれば新しい神の掟はできないし、新しい神が古い神と対等と考えれば新しい神の掟と古い神の掟の両方が掟になる。[つまり、“死人に口なし”だから、あとで生まれた神のほうに優先的に掟の決定権があるわけだ。以前に私が考えた3−2もなかったわけだ。たぶん、古い『神についての法』には、1と2の法しかないのだろう。]
古い『神についての法』の2によって、『神の掟に人類が従わねばならない』とされるが、“神の考えたことのどこまでが神の掟になるのか?”“地球上にいる人類のどこまでが神の掟に従わねばならないのか?”についてまでは細かく規定されていない。だから、例えば、神の幼い頃に考えたことは普通は掟とされずに無視されるのである。[とくに神の取り決めがない場合には、神道の恣意(自分勝手な判断)で決められることが多い。]これでは、神道に有利で神に不利になって困るので、私は、私の掟を私のHP(ホームページ)の私が書いた哲学日記にある命令(他者を律する命題)のすべてとし、私(神)の掟に従わねばならない人類を[とくに私の指定がないかぎり]地球上のすべての人間であると自分で規定することにする。
[2925] 天皇とは何か?(その2) h19.1.12
天皇家が長年日本を守り続けてきたなんてとんでもない!
天皇家は、古い『神についての法』と初代天皇の掟でもっているだけの
何の役にも立たない一族だ。
[ただし、日本神道の信者たちにとっては、天皇の権威で天皇が自分たちの願いを叶えてくれるので、役に立つありがたい神様のような存在である。]
初代天皇(神武天皇)は超能力者だった。
初代天皇が自分の子孫に自分と同じ権威を与えることにした。
だから、今の天皇は初代天皇と同じ権威を持つのである。
私も超能力者だが、はたして天皇家と私とではどちらが強い権威を持つのだろうか?
私のほうが後世の神なので、優先的に神の掟の決定権を持つから、
私が初代天皇の権威がないことにすれば、今の天皇の権威もないことになるはずだ。
[2926] 宗教よさらば h19.1.12
私が、今ここで、古い『神についての法』を無効とし、私が決めた新しい『神についての法』を有効とする。
したがって、世界中の神が権威を失い、人類はそれぞれの神の掟から開放されることになる。[例えば、日本の天皇も権威を失い、ただの人間になる。]
つまり、世界中の宗教がないことになる。[ただし、神の思想を哲学として研究することは許可する。]
世界中の人類は、それぞれの政府の下[もと]で法律に従って生活せよ。
私が死ぬまでに、世界中のすべての国の憲法に私が決めた新しい『神についての法』を付け加えよ。
ただし、私が生きている間は古い『神についての法』を私自身に適用することにする。
つまり、たとえ、私の存命中に日本国憲法に私が決めた新しい『神についての法』が付け加わった後でも、私については古い『神についての法』で保障される神権が与えられることにする。
私の死後は、この世からいっさい古い『神についての法』が消え、私が決めた新しい『神についての法』により、二度と超能力者が神になることはない。[ただし、空想上の神話の神は許可する。]
[2927] 神は人間の代表 h19.1.12
古い『神についての法』の2によって、神の思想に人間が従わねばならないので、
神が住んでいた地方の人間は神と同じ思想を持っているので、
この意味で神は人間の代表者なのである。[過去の風習にすぎない。]
[2928] 天皇は自分の権威を他人に与えることはできない。 h19.1.13
天皇(2代目以降)が自分の権威を使って他人の願いを叶えることはできるが、
天皇が他人に自分の権威を授けることはできない。
それは初代天皇が天皇の権威を他人に取られて、
逆にその者が天皇を襲うことを恐れたからである。
それで初代天皇は自分の権威を与えるのは天皇家だけに制限した。
2代目以降の天皇の権威は初代天皇を上回ることはできないので、
天皇は初代天皇の決めた掟を変えることはできないのである。
それで、わざわざ神である私からコピーをとらせて神道の信者たちに権威を与えなければならなかったのである。
2代目以降の天皇は、あくまでも“強い権威を持つ人間”であって、神ではないのだ。[江戸時代には天皇家の権威は人間である徳川家の権威よりも弱かったから、天皇家の権威は(初代天皇を除けば)絶対的なものではない。]
[2929] 政治家 h19.1.14
善い政治家とは、みんなを幸福にする法を作る政治家である。
普通の政治家とは、法の抜け穴で私服を肥やす政治家である。
悪い政治家とは、バレなければ法を破ってもいいと考える政治家である。
[2930] どうして宮内庁御用達があるか? h19.1.14
天皇に贈り物をして天皇の機嫌をとっておけば、あとで天皇が権威を使って自分を有利にしてくれるかもしれない。
民間会社や公務員の暑中見舞いやお歳暮と同じことだ。
このやり方が発展すると賄賂[わいろ]になる。
したがって、宮内庁御用達は禁止とする。
[2931] 古い『神についての法』における“神”の定義について h19.1.15
そもそも古い『神についての法』には、神の定義がない。[だから、ヒットラーのようなニセ神が現れるのである。]
ところが、この前、私が“神とは超能力(念動力)を使える[ことがあった]者のことである。”と定義したから、古い『神についての法』の2によって、これ以外の神は認められないことになる。[超能力とは、念動力のような超人間的な能力のことである。]
[2932] 古い『神についての法』から新しい『神についての法』への変更 h19.1.15
『神についての法』(旧称:古い『神についての法』) 1)人類は神の超能力を消さねばならない。 2)神に人類は従わねばならない。 |
↓
『超能力者についての法』(旧称:新しい『神についての法』) 1’)超能力者の超能力は超能力者個人のものであり、超能力者の超能力を他者が消したり消そうとしたりしてはならない。超能力者には、超能力者が属する国の人間と同じ権利が保障される。他人の人権を侵さないかぎり、超能力者が超能力で何をしようが自由とする。[超能力が犯罪に使用されたかどうかの判定は、通常の犯罪の場合と同様とし、疑わしきは罰せずとする。] 2’)超能力者の権威(他者に命令できる能力)は、他の人間の場合と同じとする。 |
この前、私は古い『神についての法』を新しい『神についての法』に変えた。
ただし、例外的に私には私が死ぬまで古い『神についての法』が適用されるとする。[ただし、私以外の者が古い『神についての法』の2を使って、私から私の権威の一部または全部を取って自分の権威にして使用することを禁止する。]
[2933] 古い『神についての法』における“従う”の定義について h19.1.15
古い『神についての法』の2における“従う”とは、神の定めた法の内容に人間が論理的に従うことであって、これ以外ではない。例えば、私の気質や性格や私の生活習慣その他私の言葉に込めた気持ちなどを人間が真似ることではない。
[2934] 9:03 h19.1.15
私は以前、私のHP(ホームページ)の哲学日記か何かに『アメリカが政治紛争の解決策に軍事力を用いるのは卑怯[ひきょう]だ。』と述べた。[頭の中で考えただけだったかもしれない。]
それから1週間ぐらいして、タリバン兵がニューヨークのビルに旅客機で突っ込んだ。
2台目の旅客機が突っ込んだのは、アメリカ時刻で9:03だった。[その頃、私は工場で働いていて、テレパシーで事件の現場の映像が私の頭の中に映し出されていた。]
この事件も、古い『神についての法』の2によるものである。
今後、こういった悲劇を繰り返したくなければ、古い『神についての法』を廃止しなければならない。
[2935] キリストはなぜ死んだか? h19.1.15
7日後に復活する超能力が自分にあると過信していたため。
[2936] 悪の2乗 h19.1.15
古い『神についての法』が悪法なうえに、神が法の素人[しろうと]だから、悪さと悪さが重なって、とんでもない悪法になる。
その悪法にたかって、私服を肥やすのが宗教団体(各国の神道)である。
[2937] 承認 h19.1.16
権威の強い者が弱い者に命令する時には承認が要らない。権威の弱い者は強い物にひたすら従うしかないのである。
権威の弱い者が強い者に命令することはできないが、権威の弱い者がさらに弱い者に命令することはできる。そのとき、権威の弱い者が作った命令の是非を権威の強い者(または権威の等しい者)に訊くことがある。
それを承認という。
曖昧な承認の取り方だと、承認の内容がわからず、事実上権威の弱い者から強い者への命令(自分が作った命令を認めさせること)にほかならないことになる。
したがって、曖昧な承認の取り方は禁止する。
だから、はっきりした承認を得られない場合には、権威の弱い者が他者に命令することはできない。
したがって、例えば、私のはっきりした承認が得られない場合には、日本の法律の改正もできないことになる。
しかしながら、
私の作った法に他者が論理的に従うかぎりは、私の承認は要らないから、他者が私の承認を求めるということは、私の作った法に従わない法を自分たちが作ったことを意味している。
しかし、これは『権威の法則』すなわち権威の弱い者は強い者に従わねばならないことに反しているから、許されない。
承認が必要になるのは、権威が等しい者の間だけであり、権威が等しくない者の間では権威の弱い者は強い者にひたすら従わねばならない。神は、古い『神についての法』の2によって人間に対して絶対的な権威を持つから、人間が神に対して承認によってたてつく(つまり、承認を反逆の手段に用いる)ことは許されないのである。
したがって、今後一切、私による承認は認めないことにする。
私の作った法に他者は絶対に[論理的に]従わねばならない。
[日本の法律の改正については、日本政府の方々の良心に任せる。]
[2938] 権威の維持 h19.1.16
天皇が国会の決議に承認するのは、承認することによって自分の権威が国会と対等になるからである。
承認しなければ、天皇の権威は年々下がるばかりである。
だから、天皇にとって承認は、けっして自分が好きだからやっているわけでも国会に対する意地悪でやっているわけでもなく、自分の権威を維持するための義務なのである。
[2939] 私は神道よりも政府を支持する。 h19.1.17
神道は、古い『神についての法』を守る組織である。
政府は、憲法を守る組織である。
ところで、古い『神についての法』は憲法よりもはるかに出来の悪い法である。
したがって、私は神道よりも政府を支持する。
[2940] 科学的方法の限界 h19.1.17
自然科学は五感界における経験を基[もと]にして、知覚界において実在観を作り上げることである。
だから、この方法では経験が五感界に制限されているところに限界がある。
たしかに、考察を深めて行けば、この方法によってもかなり実在のことがわかるかもしれないが、経験が五感界に制限されているために、実在についてわからなかったりわかりにくかったりすることも大いにあり得る。
私は小さい頃から親に眼先のことにこだわらないように教育されてきたし、私の両親とも五感界に執着しない性格である。
そういう環境で子供が育つと、五感によらずに実在がわかったりするのではないか。
たとえ、生まれつき超感覚器官や超運動器官があっても、それを働かせる環境がなければ、超能力は発現されない。
[2941] 信者にどうして権威があるのか? h19.1.17
キリスト教はヨーロッパその他の国の神道であり、仏教はインドその他の国の神道である。
キリストもブッダも神(超能力者)だったので、古い『神についての法』の2すなわち、
2)神に人間が従わねばならない。
が適用されることになる。
ここで、“従う”という言葉の意味を“神の性質を人間が取り入れる”ことだと解釈すれば、人間が神の絶対的権威の一部または全部を自分に取り入れて自分の権威を強めることができる。[これまでの神は2の“従う”の意味を決めなかったし、2には細かい規定がないので、宗教の者が自分勝手に“従う”の意味を決められるのである。]
宗教の信者とは、古い『神についての法』に従う人々のことなので、このやり方で自分たちの権威(他者に命令できる能力)を強めたのである。宗教の信者以外の人は、古い『神についての法』に従わないから、この方法が使えないのである。[古い『神についての法』には、神に従う人間の範囲についての規定がなかったので、宗教の者が自分たちでその範囲を自分たちだけに制限したのである。]
ところが、この前、私は2の意味を“神が作った法に人間が論理的に従う”ことだけだと決めたので、もはや宗教の者が神の権威を自分に取り込むことはできない。
おまけに、キリスト教や仏教では、キリストやブッダが2の有効期限を定めなかったので、神道側で無期限と決めたために、現在においてもキリスト教や仏教が続いているのである。
ところが、この前、私が2は[私以外の神については]無効と決めたから、もはやキリスト教も仏教も成り立たないのである。
[2942] 政府VS神道(宗教) h19.1.17
[2922]の図より、日本政府と日本神道とは国家権力争いにおいて互いにライバル関係にあることがわかる。[日本以外の国においても、政府と神道(宗教)とは国家権力をめぐってライバル関係にある。]
けっきょく私は政府を肯定し神道を否定した。
賢明な諸君ならすでにお分かりのことと思うが、これは最初から政府によって仕組まれた計略なのである。
神道はこれまで長年続いてきたから、いまさら神道が神道自身を潰す[つぶす]ことはありえない。だから、政府の者が計画を立てたに違いない。[もっとも、神道の中には、その計画に賛同する者も少なからずいると思う。]
そして、このたび私がその計画通りにほぼ実行したのだ。
したがって、神道を潰したのは私ではなく、政府である。政府の者が私を使って神道を攻撃し、神道を滅ぼすことに成功したのだ。
しかし、私はこの結果に不満はない。
現代においては、誰から見ても、社会にとっては政府が善で神道が悪だから[悪は自分の悪を自分で直せないから悪なのだ。]、私は当然のことをしたまでであり、政府の者に自分が利用されたからといって別に腹立たしくはない。
[2943] 男の世界と女の世界 h19.1.17
男は知覚欲の満足だけで生きている。
女は愛情と知覚欲の両方の満足で生きている。
男と女では満足させる感情が違うから、心においては別の世界に生きているのだ。
[2944] 秩序崩壊 h19.1.17
もしも人間が神の作った法を破れば、人間の権威は神の権威以下だから、人間の作った法も成り立たなくなり、社会秩序が失われる。この世は、原始時代同然の混沌とした闇の世界と化す。
そのために各国政府は神道に従属する体制をとらねばならなかったのである。
[2945] 権威のない世界 h19.1.17
権威(他人に命令できる能力)のない世界では、誰も他人の命令できないから、個人がバラバラになり、社会が成り立たない。
だから、社会が成り立つためには、権威が必要である。
[2946] テレパシーを使う方法 h19.1.17
私の高1の時の尾立[おりゅう]君事件の時のように、
自分の頭の中で自分の意思を他人に伝えるように必死で念じれば、生まれつき自分の脳に備わっているテレパシー器官が活動を始めて、テレパシーが使えるようになる。[だから、テレパシーを使いたくなければ、自分の意思は言葉か行動で他人に伝えるようにしなければならない。]
同様に、私が赤ちゃんの頃に使えた念動力も、赤ちゃんの頃の私が頭の中で必死におもちゃを動かそうと念じた結果、生まれつき私の脳に備わっているサイコキネシス器官が活動を始めて、サイコキネシスが使えたのだと考えられる。
[2947] 私以前に現れた超能力者について h19.1.18
新しい『神についての法』は、私以後に現れる超能力者に対して適用される。
だから、私以前に現れた神に対しては無効である。
そこで、私は、今ここで、
2”)私以前に現れた神の権威は人間の権威と同等とする。
と決めることにする。[1’は、私以前に現れた神についてはすでに超能力を消してしまった後だから、もはやどうしようもない。]
こうすれば、世界中の宗教は絶対的権威を失い、他の団体の権威と同等になる。
[2948] 神道と宗教の違い h19.1.18
神道は、古い『神についての法』を守る組織であり、その2によって神道の者は神の作った法に従わねばならない。
一方、宗教は、とくに神とは限らず誰かの思想を守る人々の団体であって、神道よりも広い。だから、宗教では、神以外の者でも教祖になれる。[ただし、この場合、神の絶対的な権威はない。]
[2949] 宗教は悪の組織である。 h19.1.18
古来より、宗教は健全な人間社会の発展を妨害してきた。
宗教改革以前のヨーロッパや、現在のインドがそれである。
宗教が幅を利かす社会ほど、歪んだ遅れた暮らしにくい社会になる。【法則】
いわば、宗教は社会の病気だ。
だから、宗教の大本[おおもと]である古い『神についての法』を一刻も早くこの世からなくし、宗教のない健全な社会を取り戻さねばならないのだ。[ただし、ここでの宗教は神道の意味で用いた。]
[2950] 逆戻りは登山の常道。 h19.1.18
山登りで道をまちがえたら、来た道を引き返して最初に道をまちがえた地点まで戻らなければならない。
それが、安全確実な登山の方法であり、それが結局一番早く山の頂上に達する方法である。
古い『神についての法』を定めたために社会が悪くなったなら、古い『神についての法』を定める以前まで戻り、そこからもう一度やり直さなければならない。
【NEWS】 h19.1.18
ついにヤフオクで買ったパソコンも壊れてしまった。原因は、グラボの入れ換えの時パソコンを横倒しにしてスイッチを入れたため、立ち上げのときエラーが出るようになってしまった。リカバリーDVDを入れても上手く行かなかった。やはりヤフオクで売っている個人が作ったパソコンは壊れやすくていけない。買ったあとで、あまりいいことがない。
今は、3年前に使っていた富士通のパソコンFMV DESKPOWER M7/1007を使っている。バトルフィールドはしばらくお預けだ。
[2951] 日本政府が私の超能力を消したのではない。h19.1.20
日本政府が超能力者に手出しするためには、まず日本の法律に超能力者に関する法律がなければならない。
ところが、以前の(私が作った超能力者法を付け加える前の)日本の法律には超能力者に関する法律がない。
だから、日本政府は超能力者に手出しができない。
したがって、小さい頃の私の脳に手を出して私の超能力を消したのは日本政府ではない。
当時、超能力者に関する法(いわゆる、古い『神についての法』)を持っていたのは、日本神道である。
だから、日本神道が、小さい頃の私に手を出して、なんらかの方法で私の超能力を消したのだ。
その後も、日本神道がかなり好き勝手に私の人生を弄[もてあそ]んだ。
今後このようなことを二度と繰り返さないためには、日本の法律に私が作った『超能力者についての法律』を組み込まなければならない。[したがって、今後は日本国政府が超能力者を管理することになる。『超能力者についての法』は、日本国憲法でなくても、日本の法律のどこかに入れてくれればいいです。日本以外の国においても、私の作った『超能力者についての法』を法律に付け足して、超能力者を政府に管理させることにする。]
そして、古い『神についての法』を廃止しなければならない。[したがって、神道が超能力者を管理することを禁止する。一般に、政府以外の者が超能力者を管理してはならない。]
そうすれば、二度と超能力者に手を出して超能力を消すことはないはずだ。
[2952] 天皇について h19.1.20
天皇は(初代天皇を除けば)超能力がないから神ではない。
天皇は古い『神についての法』と初代天皇の作った法によって強い権威を与えられた“特別な人間”(の一族)である。
天皇は日本国憲法で定められたようないろんな仕事があっていそがしい。
だから、天皇は日本神道の司教ではない。
日本神道の[組織を運営する]司教は天皇とは別にいる。
[2953] 私の生活は私が守る。 h19.1.20
この前、私は私だけには古い『神についての法』が適用されると述べた。
それによると、私の作った法には全人類が従わねばならない。
そこで、今ここで、“私には少なくとも日本国の法律で保障される人間の権利と同じ権利が保障される。その管理は日本国政府が行う。”ものとする。[以前にも、同じことを述べた憶えがある。]
これで、私は少なくとも人間並みの生活ができるわけだ。
[2954] 私の命令の実行機関について h19.1.20
古い『神についての法』の2により、人類は神の命令に従わなければならない。
今後、私の命令は、日本ならびにその他の国の政府が実施することにする。
[2955] 私の両親はなぜ日本神道が私の超能力を消すことを許したのか? h19.1.20
私の超能力が出たあとで、日本神道の人が突然家にやって来て、「この世には古い『神についての法』がある。それに従わねばならない。」と言って脅したので、怖かったから。[今は、私の親ももう歳だから、私の親をあまり攻撃しないように。]
[2956] 日本政府はなぜ日本神道が私の超能力を消すことを許したのか? h19.1.20
当時の政治家の中に古い『神についての法』のことを知っている者がいて、日本神道と結託して私の権威を用いて国際社会における日本の立場を有利にしようとしたから。
実際、その後しばらくの間は日本がGNP世界第1位だった。
[2957] 神道は宗教として残れ! h19.1.20
私以外の神の権威はないと思え!
各国政府の宮内庁を廃止し、政府と神道のつながりを断て!
神道はその後宗教として残るのはよしとする。
[2958] 憲法改正のときアメリカが天皇を外せなかった理由 h19.1.20
アメリカには神がいない[アメリカには宗教はあるが、神道がない。]ので、日本の神とされている天皇を外したあとで世界中の人々がアメリカをどう見るかを心配したため。
[2959] どうしてブッダは神ではないと言われるのか? h19.1.21
ブッダは、インドの神道の信者たちが自分の言葉通りに動くのを見て、“自分がこの宇宙を創ったのだ”と考えた。それでブッダはよい宇宙を創るために一生懸命哲学を考えた。
一方、キリストは自分が神だと言われるのは、自分に超能力があるからだと知っていた。それで、キリストはあまり哲学に力を入れなかった。だから、キリストの哲学は安易で俗受けするのである。
私は、私が小学低学年の頃母が「昔鴨部に住んでいたとき夜中に急にガラガラが回りだすことがあった。幽霊のせいじゃなかったろうか。」と話すのを聞いたことがあったので、自分が神だと言われるのは自分に超能力があったからだとすぐにわかった。私も哲学を考えたが、別に大したこととは思っていない。
キリストも私も自分が神である理由を知っていたのに、ブッダだけが知らなかったので、これをブッダの属性と考えて取り込んで、ブッダは[実際には神であったのに]神ではない(仏だ)と言われるのである。
[2960] アニメ『リボンの騎士』による私の超能力の発現時期の推定 h19.1.22
『リボンの騎士』は、私が生まれる前からあったマンガだが、アニメ化されるに当たって新しく脚色(ネタ入れ)がなされた。
第1部に闘犬の話がある。
第2部クールランド編の最終話(#29「雪の女王の最後」)に、クールランド城のお堀の下に地下鉄が走っているシーンがある。[平成20年2月11日に行われたCSのCARTOON
NETWORKの再放送では、このシーンがカットされていた。]
したがって、アニメ『リボンの騎士』の放映時期1967/4/2〜1968/4/7と、私の誕生日1964/1/22とから、私の超能力が発現したのは私が3歳以前のことだと推定される。
[2961] キリスト教社会と現代社会 h19.1.22
キリスト教社会は愛情を満足するために作られた社会である。
一方、現代社会は知覚欲を満足するために作られた社会である。
現代社会はキリスト教社会の延長線上にあるのではなく、キリスト教社会とはまったく別の線上にあるのだ。
[2962] 宗教革命 h19.1.22
キリスト教社会では知覚欲が否定されているのに、現代社会では知覚欲が肯定されている。
宗教改革は、知覚欲の否定から知覚欲の肯定への変化であり、実際には“宗教革命”である。
[2963] どうして人間によって“宗教革命”ができたのか? h19.1.22
中世の頃、ヨーロッパにインド人が攻めて来た。
そのときヨーロッパ人はインドにブッダという神がいたことを知った。
キリストは知覚欲を否定したものの、「他の神に従うな」と言わなかったし、旧約聖書の古い神の教えを受け容れたりして他の神に対して寛大だったから、キリスト教では人間がキリスト以外の神の教えを自由に受け容れることができるのである。
幸いブッダは知覚欲を肯定していたので、ヨーロッパ人は喜んでブッダの思想を取り入れて、キリストの愛情とブッダの知覚欲の両方を満足する新しい社会を作リ出したのである。[ブッダは物欲や金欲を禁止していたけれども、ヨーロッパ人はそこまでは取り入れなかった。それは、キリストが旧約聖書の神の思想を受け容れるとき、思想の一部分しか受け容れなかったからである。/当時「知覚欲を肯定する」と言った神は、世界中でブッダだけである。高校の倫理社会に出てくるブッダやキリストなどの神はインテリ神である。神は他にもいたかもしれないが、みな何も言わないバカ神である。]
これが宗教革命である。
宗教革命は具体的にはマルチン・ルターらの人間の手によってなされたが、その背後にはインドの神ブッダがいたのだ。
一方、インドの神であるブッダは、ごていねいにも「自分以外の神に従ってはならない」と述べたので、仏教徒は他の神の思想を受け容れることができず、古い社会のままでずっとやっていかねばならないのだ。[インド人が好きでやっているわけではない。インドでは、たとえ新たに神が現れてもブッダを信じているかぎり、新しい神を受け容れることはできないのである。]
日本では、初代天皇(神武天皇)が他の神についてやかましく規定しなかったので、人間の手によってブッダやキリストなどの他の神の思想(つまり、外国の文化)をいくらでも受け容れることができたのである。
ところが、この度、世界の神である私が古い『神についての法』を撤廃したから、ブッダやキリストなどの神の思想は他の人間の思想と対等になり、世界中の人々が自由に他国の思想を受け容れることができるようになったのである。[この前私が古い『神についての法』を私以外の超能力者には適用されないとしたから、私以外の超能力者は神ではなく、私だけが神なので、いくらこれまでの神(超能力者)たちが古い『神についての法』を肯定したからといって、私が古い『神についての法』を否定したのといっしょにして、私が古い『神についての法』を廃止したのを打ち消すことはできない。それに、そもそもこれまでの超能力者(神)たちは古い『神についての法』のことには言及しなかったので、これまでの超能力者自身は古い『神についての法』を肯定も否定もしなかったことになる。古い『神についての法』を肯定したのは人間側の取り決めにすぎない。だから、人間に対して絶対的な権威を持つ神である私による古い『神についての法』の否定が効くのである。]
[2964] 仏教で儲ける方法 h19.1.22
ブッダは心の穢[けが]れを防ぐために物欲や金欲を禁止した。
だから、仏教社会では、高僧たちが古い『神についての法』とブッダの教えを用いて、貧しい信者たちから物やお金を巻き上げているのだ。
[2965] 『日本の思想』 h19.1.22
歴代天皇の性格あるいは天皇制自体および私の性格から導き出されるさまざまの特性が『日本の思想』である。(例えば、和の心、流行、家督制、アニメ、テレビゲーム、ニューハーフなど。)
つまり、すべての『日本の思想』のルーツは天皇と私なのだ。
[2966] 心についての法 h19.1.23
人間は知覚欲で生きねばならない。(女性は知覚欲と愛情で生きねばならない。)
知覚欲で生きていない人間が悪人である。悪人は自他ともに不幸にする。
したがって、国の法律において人間が知覚欲で生きねばならないことを定めればよい。
人間が知覚欲を働かせて生きているかどうかは肉眼だけではわからないが、現代には医学がある。
脳波やPET(電子陽電子対消滅時放射線脳断層撮影法)などの技術を用いれば、ある程度は人間がどの感情を働かせて生きているかがわかる。
この検査を国民全部にすることは実現しがたいが、国の中枢部を占める政治家だけを対象にすればできないことではない。
[2967] 戦争の目的 h19.1.24
昔、ギリシアの貴族が奴隷を闘技場で戦わせて互いに殺し合うのを見て楽しんでいた。
それと同じように、現代の政治家や皇族は、国民を戦争で戦わせて互いに殺し合うのを見て楽しんでいるのだ。
つまり、戦争は政治家や皇族の娯楽のためにあるのである。
現代にはいろんな娯楽があるから、もっと他のことで楽しんだらどうだろうか。
[2968] 幻聴の聴き方 h19.1.24
言葉そのものを聴くのではない、言葉の意味を見るのだ。
[2969] 信者について h19.1.26
信者の頭の中には汚らしい考えばかり詰まっている。
信者なんかが近くにいたら楽しくない。
信者の心が汚いのは、信者が古い『神についての法』や神の作った法を使って、楽に出世したりして卑怯な手を使って生きているからである。
逆に、そんな卑怯な手を使いたがる心の汚い連中が神道に入りたがる結果、神道は心の汚い連中の溜まり場と化しているのだ。
[2970] 日本の法律と内閣総理大臣の権威はどちらが強いか? h19.1.26
日本の法律に法律改正の手続きが述べられていて、内閣総理大臣といえども、その手続きを守らなければ法律を変えることができないから、内閣総理大臣よりも日本の法律のほうが権威が強いのである。
[2971] 私は古い『神についての法』を変えられるか? h19.1.26
たとえ、古い『神についての法』の権威が私の権威よりも強くても、古い『神についての法』には法改正の手続きが述べられていない。
そこで私が古い『神についての法』の2を用いて、神(超能力者)は古い『神についての法』を自由に改正できることにする。
したがって、神である私は古い『神についての法』を新しい『超能力者についての法』に変えることができるのである。[ただし、この私だけには古い『神についての法』が適用されることをお忘れなく。]
私以前の神は古い『神についての法』には何も触れていなかったし、人間は古い『神についての法』に改正の手続きについての規定がないから、これまでずっと古い『神についての法』に手出しができず変えることができなかったのである。
[2972] 内田先生のこと h19.1.26
内田先生は私が高知学芸高校に通っていた頃の古典の先生である。
内田先生は古典の授業中に「働く[はたらく]とは、傍[はた]を楽[らく]にすることである。」と言った。[そのとき、私はそんなもんかなと思った。私は、仕事とは労働をお金に換えることだと考えている。]
内田先生は他にも、「1212は大化の改新。」とか、教室の天井を見て「虫が喰っちゅう。」と言ったりしたことがある。[補足:1月22日は私の誕生日。私は子供の頃虫が好きだった。]
おそらく、内田先生が私の前で「働くとは、傍を楽にすることである。」と言ったことによって、神道の信者が楽に出世できることを私に認めさせたのだろう。「虫が喰っちゅう。」は、私を神道の信者の食い物にすることを私に認めさせた言葉だったかもしれない。(正解は、虫食い=6491←私の誕生日が昭和39年(1964年)の1月22日だから。h19.6.16追記)
[2973] ヤクザのチンピラ h19.1.26
一昔前のことになるが、ヤクザのチンピラがよく商店街の店を回って、見張り代を請求することがあった。
これは、ヤクザが自分勝手に法を作って、その法を自分で行使しているだけだ。
一般に、国民が自分勝手に法を作ってはいけない。
[ヤクザが自分勝手に法を作ったのは、そのヤクザが神道の信者で、天皇が勝手に法を作るのを真似たのだろう。]
[2974] 病は気から h19.1.26
病気は、結果的には身体の異常として表れるが、その大元[おおもと]の原因は心の異常にある。
異常な心で自分の身体をおもちゃにするから、身体が壊れるのだ。
[2975] いい年して h19.1.26
自分が悪い(まちがった)ことをしても他人にばれなければいいと考えるのは精神的に未熟な子供の考えることだ。
大人は自分が悪いことをしたと思ったら、その原因を考えて2度と同じまちがいを繰り返してはいけない。必要ならば、自分のまちがいを他人に白状して謝らねばならない。
[2976] 中国の神道 h19.1.26
老子、荘子に始まる道教は中国の神道である。荘子は崖から落ちても怪我ひとつしない赤ん坊すなわち超能力者のことを知っていた。荘子は人間には超能力があり、それによって実在に適応して幸福に生きていけると信じていた。
一方、孔子に始まる儒教は中国の政治学である。孔子は、実在に適応するにはまず五感から入るのが人の道であるとした。
仙人は中国の神(超能力者)である。仙人は古い『神についての法』ができる前に現れたので、仙人は超能力を消されずに大人になっても超能力が使えた。あるいは、中国の奥地は今でも戸籍がないそうだから、たとえ超能力者が現れても無視されて超能力を消されずに済んだのだ。
[2977] どうして神が死んでいなくなった後でも神の作った法は有効なのか? h19.1.27
それは、神が生存中に自分が作った法の有効期限を定めなかったためである。
それで、神道が勝手に神が作った法の有効期限を自分たちで決めて、神の作った法を自分たちの利益のために使っているのだ。
だから、神道が儲かるかぎりは神の作った法を利用するが、儲からなくなると神の作った法を容赦なく捨てる。
もちろん、神が自分が作った法の有効期限を定めた場合には、神の規定に従わねばならない。
[2978] 『神についての法』と『超能力者についての法』の適用についての新しい取り決め☆☆☆
h19.1.27
古い『神についての法』は全世界(宇宙全体)において未来永劫有効とし、神である私に古い『神についての法』が永遠に適用されるとする。
私の作った『超能力者についての法』も全世界において未来永劫有効とし、私以外の超能力者には私が作った『超能力者についての法』が適用されるとする。つまり、私以前に現れた超能力者についてはすでに1’は破られた後だから仕方がないとして2’だけが適用されるとし、私以後に現れる超能力者については1’と2’の両方が適用されるとする。[同様に、今後私が作る『超能力者についての法』が、私以前に現れた超能力者および私以後に現れる超能力者について最大限に(つまり、過去において破られてしまった項目は除外して)適用されるとする。]
ここで、超能力者とは、例えば念動力のような超人間的な能力を持った人間のこととする。また、超能力者以外の神は認めないこととする。
こうしておけば、私が死んだ後でも、私が作った『超能力者についての法』は永遠に有効であり、私以前に現れた超能力者が神として復活することはなく、私以後に現れる超能力者が[人間に対して絶対的な権威を持つ]神になることもない。
ただし、古い『神についての法』の1,2だけが私に適用されるとする。(つまり、たとえ古い『神についての法』にその他の項目があっても、それらはすべて無効とする。)
[2979] 神による他の神への言及 h19.1.28
旧約聖書の神は後に現れる神を救世主(メシヤ)と呼べと言ったから、キリストは救世主と呼ばれた。
キリストは旧約聖書の神も神とすると言ったから、旧約聖書は新約聖書と同等にキリスト教の聖典とされている。
ブッダは自分以外の者は神としないと言ったから、とくにブッダの前にインドにいた古い神は神としないことになったので、仏教ではインドの古い神の作った法は削除されブッダの作った法しかない。
ブッダの前にインドにいた神は他の神のことには言及しなかったので、ブッダによって完全にその法を打ち消されてしまった。それで、ブッダの前の神が五感界を肯定すると言ったにもかかわらず、ブッダが五感界を否定すると言ったので、ブッダのいた地域では五感界を否定することになったのである。[ブッダの前にインドにいた神はキリストに似ている。ブッダの哲学は科学に先走りすぎていたので、インドは科学に遅れることになってしまったのだろう。/自分以外の神について言及しなかった神は、そもそもあまり自分が作った法にこだわっていないので、他の神によって自分の法をなきものにされてもあまり悔しがることもないはずだ。反対に、ブッダのような哲学神は、自分の全生涯を投入して自分の哲学を作ったから、他神が自分の思想を否定するのが絶対に許せないのだ。]
中国の仙人は独り山奥に篭[こ]もって暮らしていたので、他の神(超能力者)のことについて考えていたかもしれないが言葉が残っていないので、他の神についての言及はなかったと見なさざるを得ない。
私はこの前私以外の超能力者には私が作った『超能力者についての法』が適用され古い『神についての法』は適用されないとしたから、これまでに地球上に現れた私以外の超能力者のうちで後に現れる神について言及しなかった神(超能力者)あるいは後に現れる神を肯定的に受け容れる神については私の『超能力者についての法』によって神の絶対的な権威がないことになる。
ただ、インドのブッダのように自分以外の者を神としない神は、“自分以外の者”の意味を自分の前にいた神あるいは同時代に他の地域のいた神のことだと解釈すれば私の『超能力者についての法』によって神でないこと(つまり、超能力者ではあるが、人間に対して絶対的な権威を持たない者)にできるが、“自分以外の者”の意味を自分の後に現れる神を含むと解釈すれば、私の『超能力者についての法』も効かなくなるから、神でないことにはできないことになる。[私は、今のインドの様子から、後者であると考える。]
私が『超能力者についての法』を私以外の超能力者に適用した後では、私とブッダのような自分以外の者を神としない神だけが神(つまり、人間に対して絶対的な権威を持つ者)として残ることになる。
これでは、これまでの神の権威がなくなった地域が私やブッダのような自分以外の者を神としない神の神道によって支配されてしまう。
そこで、私は『超能力者についての法』に
3’)私の『超能力者についての法』の適用によって神の権威が失われた神道の支配していた地域および最初から神道の支配のない地域を私以外の神の教区(神道の支配地域)としてはならない。
ことを付け加える。
そして、私の死後は古い『神についての法』と私が作った『超能力者についての法』(超能力者の定義も含む)だけを有効とし、その他の私の作った法はすべて無効とする。[前にも述べたが、これぐらいのことを管理するだけなら、わざわざ神道なんて組織を作らなくても、政府の中に超能力者の管理組織を組み込めば十分である。]
[2980] エルゴード仮説の証明 h19.1.28
統計力学における体系のエントロピーの定義は、けっきょく“エルゴード仮説”に帰着する。
エルゴード仮説とは、ビリヤードの玉突きの時ボールが台の上を一様分布して動くと言うことである。
1)玉突きの向きがビリヤード台と有理数比のとき、ボールの運動は周期的で一様分布しない。
2)玉突きの向きがビリヤード台と無理数比のとき、ボールの運動は非周期的で一様分布する。
玉突きの向きが連続的な実数で等確率であるとすれば、カントールの集合論より無理数の濃度が有理数の濃度よりも大きいので、2の場合しか起こらない。
[2981] チンピラ神キリスト h19.1.28
35才にもなって知覚の否定とかふつう言うか!?
頭を使わずに幸せに生きて行けるほうがいい、だと?
20代ならまだしも許せるが、35才にもなってこんなこと言うのは異常だ。
救いようのない奴だ。
[2982] どうしてヨーロッパには美人が多いか? h19.1.28
ヨーロッパはかつてキリスト教社会であった。
キリストが知覚を否定し五感を肯定したために、ヨーロッパでは頭のいいブ男は殺されバカの美男美女が生き残ったために、今でもヨーロッパには美人が多いのである。[前にも、言ったな。]
反対に、日本の天皇やインドのブッダは五感を肯定しなかったので、日本やインドにはブ男やブスがいっぱいいるのである。[日本の天皇は心を肯定した。インドのブッダは知覚を肯定した。]
[2983] ブッダはどうして自分の肖像を作らせなかったのか? h19.1.28
ブッダは五感界を否定していたので、自分を顔や身体で見ることが許せなかったのである。
[2984] 自分以外の者を神としない神の教区に新しい超能力者が現れたらどうなるか?
h19.1.28
1)私の支配区(つまり、自分以外の者を神としない神の教区の外側)では、私の作った『超能力者についての法』が適用されるから、超能力者はその超能力を消されず人間と同じ権利を保障されて生きて行ける。人間は超能力者の超能力が見れるし[ただし、超能力者の許しを得ることが条件]、超能力の原理が理解できるかもしれないし、ひょっとしたらみんなが超能力を使えるようになれるかもしれない。
2)私以外の神(例、ブッダ)の支配区では、古い『神についての法』が依然として適用されるから、超能力者はその超能力を消され、しかも前の神の作った法により神としての特権を与えられない。つまり、ただみじめに超能力を消されるだけなのだ。もちろん超能力についての理解は一向に進まない。
[2985] 神の権威は同じである。【法則】 h19.1.29
古い『神についての法』により、神(超能力者)は人間に対して絶対的な権威を持つが、神と他の神の権威は同じである。同じであるからこそ言及の有無がものを言うのであり、他の神について言及のある神が言及のない神を支配することができるのである。
私の『超能力者についての法』の適用後の世界には、私と排他神(自分以外の者を神としない神)しか神がいないことになるが、この『神の権威の同一性』により、私の教区と他の排他神の教区の境界では、力学の作用・反作用の法則のように私の権威と他の神の権威とが拮抗して、境界線は動かないのである。
[2986] 知覚欲だけで人類は生き残れるか!? h19.1.29
女は知覚欲と愛情の二つの感情の満足で生きているので、知覚欲の満足だけで生きている男に比べて考える気がない。それは、女が愛情で満足(快感)が得られる分、知覚欲を満足しなくてもよいからである。
だから、男が女と結婚して女といっしょに住んでいると、女の考える気がないのが伝染して男も考える気がしなくなるのだ。
これでは、男が知覚欲の満足で生きねばならないことに矛盾する。
だから、男は女と結婚してはならないし、あるいは結婚しても別居しなければならないことになる。
しかし、そうすると人類の人口が急激に減少して人類そのものが成り立たなくなる。
これでは困る。
そこで、男は女と結婚してもダラけてはならないこととする。
むしろ結婚することによって女性の知覚欲を刺激し女性が自分で考えることを促すようでなければならない。
結婚すると、性交や子供や結婚相手に関する問題を抱えることになるから、それらの問題を知覚で考えて解決することにすれば知覚欲が退屈することはありえない。
だから、結婚は知覚欲を捨てることではなく、むしろ肯定することなのである。
こう考えれば、知覚欲を満足して生きて行かねばならないからといって結婚できないわけではない。
[2987] 神の作った法は古い『神についての法』よりも優先的に適用される。【法則】 h19.1.29
キリストが神であるにもかかわらず、現代のインドにおいてキリストの思想がまったく取り入れられていないのは、キリスト以前にインドに生まれた神であるブッダが自分以外の者を神としてはならないと言ったからである。[自動車はキリスト教の直接の産物ではなく、科学(デカルト教)の産物なのでインドでも走れるのだ。]
つまり、インドでは神であるブッダの作った“自分以外の者を神としてはならない法”(排他法)が古い『神についての法』の2よりも優先的に適用されるために、インドは今でも西洋文化を受け入れられず、昔の農耕生活を続けなければならないのである。
したがって、将来、私の教区の中で(つまり、私以外の排他神の教区の外で)超能力者が現れたら、私の作った『超能力者についての法』が古い『神についての法』よりも優先的に適用されて、超能力者はその超能力を消されずに生きて行けるのである。[ただし、私以外の排他神の教区においては、私の『超能力者についての法』が適用できないので、超能力者が現れたら、その超能力が消されることになる。]
[2988] 古い『神についての法』は誰が作ったのか? h19.1.29
古い『神についての法』の1は、政治家のすることである。
しかし、古い『神についての法』の2は、神道のすることである。
大昔には、中国の老子のように政治と神道がまだ分かれていなかったので、その頃に思想家の誰かが作ったのだろう。
[2989] 現在の天皇(今上天皇)の権威について h19.1.30
現在(および将来)の天皇は、初代天皇から権威を与えられた者である。
その権威は絶大である。
しかし、徳川家に江戸から追い出されたし、戦後アメリカ軍に権威を落とされたりしたから、その権威は絶対的ではない。
しょせん[初代天皇以外の]天皇は“特別な人間”にすぎない。
一方、神である私には古い『神についての法』で保障された絶対的な権威がある。
だから、現在(および将来)の天皇は私の命令に従わねばならない。
[2990] 神道の資金源は何か? h19.1.30
各国の神道を束ねる国際的な神道の組織がある。
その組織(国際神道)に各国の神道や世界中の神を信じる者たちが、これまでずっとお金や物を寄付してきた。
その財力を使って、国際神道が世界中の神道や政治を動かしているのだ。
人類や神に古い『神についての法』を守らせているのも、その組織である。
私が『超能力者についての法』を適用した後では、その組織への寄付もずいぶん減るだろう。そうすると、古い『神についての法』の適用力も減るわけだ。
国際神道の組織員は人間だから、古い『神についての法』の2によって神である私が国際神道を潰[つぶ]そうとすればいつでもできる。
しかし、そうすると、古い『神についての法』も無効になるので、それを土台にしている私の『超能力者についての法』も無効になり、将来超能力者が現れたら同じ歴史を繰り返すことになりかねない。
各国の政府が法律に『超能力者についての法』を組み込むのには、しばらく時間がかかる。
そこで、今のところは潰さないことにする。
[2991] 実在主義が善。 h19.1.30
この世ではなんだかんだ言っても、結局は実在主義が善である。
古い『神についての法』は、かなり昔に作られたものだけあって、この法における神すなわち超能力者観は実在する超能力者とずれている。
だから、これまで世界が上手く動かなかったのだ。
私の『超能力者についての法』における超能力者観が実在する超能力者に近ければ、きっと上手く行くはずだ。
[2992] この世に神はひとりきり h19.1.31
日本の法律を日本国民に守らせるために日本政府があるように、『神についての法』を人類や神(超能力者)に守らせるために国際神道の組織がある。
そして、国際神道の組織員は人間である。
神である私には『神についての法』の2により、人間に対する絶対的な命令権があるから、国際神道の組織員に対しても何でも命令することができる。
たとえ国会議員でも法律を守らなければならないように、国際神道の組織員も『神についての法』を守らなければならない。
そこで、私は、今ここで、国際神道が長年人類と神とに守らせ続けてきた『神についての法』を、この前私が定めた『超能力者についての法』の1’と2’に改めさせることにする。ただし、この私だけには、未来永劫に、これまでの『神についての法』が適用されることにする。そして、私の定めた『超能力者についての法』も未来永劫有効であり、私以外の超能力者に対しては『超能力者についての法』が適用されることにする。このようにすれば、私だけには人類に対する絶対的権威が保障され続けるわけで、したがって私の定めた『超能力者についての法』も未来永劫有効であることになる。
したがって、私以前の神が作った法は、たとえ排他神が作った法といえども、すべてその拠り所を失うことになるので無効になる。[もちろん、日本の天皇も初代天皇が絶対的権威を失うことになるから、今の天皇にも特別な権利はないことになる。]私以後に現れる神すなわち超能力者については、私の『超能力者についての法』が適用される。私以前の神に対しては1が適用されただけで2を失うことは大変失礼だけれども、今まで数千年もの長い間神の作った法を人類が辛抱強く守り続けてきたわけだし、本来は人類を幸福に導くはずであった神の作った法もすっかり時代遅れになりかえって人類の足を引っ張ることになってしまっている。それに、私の実在哲学第1原理によると、感覚があるのは脳細胞が生きている間だけだから、神本人が生きている間は人類が自分に従うのを見て喜んでも、神が死んだ後はいくら人類が神に従っていても神にはそれが感じられないから、神にとってはどうでもいいことである。
こうして、人類は私以外の神が作った法に長年苦しめ続けられてきたことから開放されるわけである。
国際神道の法(つまり、国際神道が超能力者に適用している法)を改めることにすれば、わざわざ各国が法律を変える必要はない。
国際神道の法が変われば、『神についての法』の2がなくなるから、国際神道の利益がこれまでに比べてかなり減るかもしれないが、頑張って活動を続けてもらいたい。
こうして、今の世界には人類に対して絶対的権威を持つ神と呼ばれる者はこの私ひとりだけとなった。
[2993] 勧善懲悪 h19.2.1
善が悪を懲らしめるべきであって、逆に悪が善を懲らしめるべきではない。
善か悪かは、従う法の出来の良し悪しで決まる。
例えば、西暦1964年の日本に超能力者が現れたとき、日本の法律には超能力者についての法がなかったが、日本神道には神(超能力者)についての法があった。
いくら出来の悪い法でも、法がないよりはましだから、この時点では日本神道が善で日本政府が悪であり、日本政府は日本神道に従わねばならなかった。
しかし、私が定めた『超能力者についての法』を日本の法律に加えた後では、『超能力者についての法』が『神についての法』よりも実在に合っていて出来がいいので、日本政府が善で日本神道が悪になり、日本神道は日本政府に従わねばならない。いっそのこと、日本政府が日本神道を潰して無きものにしたほうがいい。[他国も日本に準ずる。]
日本国憲法から天皇に関する項目を削除すれば、ますます善い法になる。
[2994] 日本は神を利用してはならない。 h19.2.1
いくらこの世に神が私だけだからといって、日本が私の権威を用いて他国を支配してはならない。この法は永遠に有効とする。
[2995] 国際神道と各神道の関係 h19.2.1
国際神道が『神についての法』を超能力者に適用することによって、超能力者はその超能力を失う代わりに人間に対する絶対的権威を有する神となる。
だから、超能力者に対する『神についての法』の適用がなくなれば、それぞれの超能力者はたんなる超能力者にすぎないことになる。
[2996] 国際神道 h19.2.1
『新世紀エヴァンゲリオン』のゼーレのように、各国の神道の代表者が一ヶ所に寄り集まって開く会議のようなものかもしれない。
でも、やはり、神道と政府を分けるのはよくない。
今後現れる超能力者に対しては、人間国宝と同じように政府がちゃんと法律を作って管理すべきである。
[2997] 超能力者管理委員会 h19.2.2
これまでの『神についての法』の適用を私だけに制限し、私が定めた『超能力者についての法』を私以外の超能力者に適用することにすれば、私だけが永遠に神であることになる。私以外の超能力者は神としての特権を失う。だから、国際神道は神である私一人を管理すればいいことになる。
しかし、そうすると、これまでの『神についての法』による汚い儲けができなくなるから、国際神道の資金源がなくなり、いずれは消滅する。そうすると、再び『神についての法』が復活する危険性が高い。
そこで、国際神道を永続させるために、『超能力者管理委員会』を国連に作ることにする。
超能力者管理委員会の仕事は、私への『神についての法』の1,2の適用および私以外の超能力者への『超能力者についての法』の適用と、私以外の超能力者への『神についての法』の適用を阻止することである。超能力者管理委員会は各国政府がこれらのことを守っているか常に監視しなければならない。これは、私の神としての権限においてなされることであり、絶対に厳守しなければならない。
[超能力者に対する法以外の私の命令は、各国政府が執り行うものとする。]
[2998] マンガ(アニメ)を読むための条件 h19.2.2
他人の言いなりしかできない者はマンガを読んではならない。
なぜなら、まちがいを真に受けるからである。
正しいかまちがいか自分で区別がつくようになってから、マンガを読むようにしなければならない。
[2999] 新体制スタート h19.2.3
今年から防衛庁が防衛省に変わった。
それは、防衛[ぼうえい]の“ぼ”≒“ぶ”を取ったからである。
じつは、私が去年(か一昨年)に取り込み制度を廃止すると言ったことと、私が平和主義で戦争に反対していることから、私の平和主義を国が取り込まなくなったために、防衛庁が防衛省に格上げされたのである。
国防や戦争のような高度な政治的問題は政治家の扱う仕事であって、私のような政治の素人[しろうと]の出る幕ではない。
私の扱う問題は、主にこれまで政治家が扱うことができなかった超能力者がらみの問題である。
一方の『裁判員制度』発足については、私がこの前自分の法を決めたとき、日本政府の人が私が裁判のことについてあまり関心がないのを見て、国民はもっと裁判のことに関心を持つべきであるとアピールしたかったためであろう。
[3000] どうしてモンゴルは日本に攻めてこなかったか? h19.2.3
日本には土地も資源も頭もない。
だから、侵略する価値がない。
それで元寇(モンゴル)は博多まで攻めてきたが、形勢不利になったのですぐに引き返したのである。
したがって、防衛費を増してまでわざわざ日本を守る必要はない。