[2701] 宗教と法律 h18.10.25
宗教とは、儀式によって人間の心理状態を変えることである。
一方、法律とはいくつかの条文を知覚で理解し、その内容を遵守することである。
つまり、宗教は心で、法律は知覚でするものである。
宗教と法律の関係は、宗教で作られた心(気構え)の下[もと]で具体的に社会制度として展開(表現)されたものが法律であるし、また逆に具体的法律を守ることによって作り出される特定の心理状態が宗教でもある。ただし、日本の場合、《思想・宗教の自由》が保障されているので、法律と宗教との結びつきはそれほど強くなく、緩[ゆる]やかである。つまり、日本の法律を守っても心理状態が一意的に決まるようなことはない。また、逆に、いろんな宗派が同じひとつの法律を守っているのが、日本の現状である。

日本では、神道、仏教、キリスト教などどの宗教に入るのも自由だし、ひとりの人が複数の宗教に入るのも自由である。
ただ、今の日本の法律を見るかぎりでは、日本は形式的には天皇を中心とする神道を取っている。つまり、日本の国家宗教は神道である。しかし、これは日本国憲法で定めている《宗教の自由》に反するのではないか?だから、天皇を国会と肩を並べる機関に置くのは不当であって、やはり天皇はないほうがいい。そのほうが日本国憲法の精神に適[かな]っている。
人間の精神は自由であるべきだから、法律さえ知覚を働かせて守っていれば、心は天皇(や神)に合わせる必要はない。

[2702] 神や天皇は人間よりも上か? h18.10.25
昔は頭の中のことは全部ひっくるめて『心』と呼んでいたから、超能力者が現れれば心が優れた者と見なして、万人が超能力者に従った。
しかし、今では頭の中のことが心、知覚、五感、超能力器官などに分類されているから、超能力者は普通の人間の脳にはない超能力器官がある者のことにほかならず、心や知覚や五感については普通の人間と同じである。
だから、神すなわち超能力者は超能力器官がある点では普通の人間より優れていて上[うえ]だと言えるが、その他の点では普通の人間と同じで変わらない。
したがって、例えば、宗教のような人間の心に関することでは、心の出来は神すなわち超能力者も普通の人間も変わらないから、あえて超能力者を人間の上に置く必要はない。だから、神道のように、[おそらく先祖が神だっただけの]天皇や現人神の私の意思に日本人が従う必要はない。現代においては、天皇制も神制も無意義である。[つまり、国民の心を天皇や神の心に合わせる必要はない。ただし、国の法律及び私がこれまで定めた法は知覚でその内容を理解して守らねばならない。それは国や神自身を守るためである。]心については、心の出来のいい人、例えば長年修行を積んだお寺の和尚さんのような人を見習えばいい。だから、徳川家康も国家宗教として人間の心に疎い天皇に従う神道よりも、人間の心に詳しい仏教のほうを選んだのだ。
しかし、厳密には、人の生まれや環境によって[実在哲学の定義する]善の感情や悪の感情が細かく違う[例えば、男と女では感情の働かせ方が違う]ので、日本国民一律に仏教にせよとかキリスト教にせよとか決めることはできない。現代では各人が自分に合った既成の宗教を選んで入るか、あるいは自分自身で自分の心の適切な働かせ方を修得しなければならないのである。そうしたほうが、天皇制や神制に従うよりも、日本国民ひとりひとりがもっと幸福になれるのだ。

[2703] 管理者 h18.10.26
江戸時代から明治時代に変わるとき、武家制度から天皇制に変わった。
そのとき影で世の中を動かした人物が“管理者”である。
そのときはまだ議会ができていないから、管理者は議員ではない。
いつの時代にも管理者がいて、国会や天皇や神を外から見て動かしている。[偉そうなグループだ。]
誰が管理者であるかもわからないし、管理者制度も廃止して欲しい。
日本が得体の知れない管理者連中に牛耳られていると、何のために国会(国の政治制度)があるのかわからないからだ。
今後そいつらの独断で日本が動かされると、国民もたまったもんじゃない。
管理者は好き勝手に日本をいじり回して、行き当たりばったりでいいかげんなことしかやれない無能な連中だ。

[2704] 国家神道 h18.10.26
国家神道[こっかしんとう]とは天皇を神と仰[あお]ぐ日本人の一部が加入している国家的宗教である。[本当は天皇は神ではないが。]
国家神道に入っていると、その特典として信者(ここでは神道に入っている者のこと)にいろんな面で有利に取り計らってくれることがある。例えば、国立大学の入試に通りやすくしたり、国の仕事に就きやすくしたり出世しやすくしたりしてくれる。民間の仕事の場合にも出世に有利にしてくれるようである。[その他、国家神道の中での出世(宗教上の階級が上がること)もある。]
日本の場合には、あからさまに有利に計らうのではなく、なんとなく有利に計らってくれる。あからさまに有利にすると国家神道の汚いやり方がバレバレになり、信者以外の国民の反感を買うことになるからである。つまり、はじめからある程度有能な信者を出世にやや有利に取り計らうのである。
信者に特典が与えられる代わりに、信者には教団の指示に従わねばならない義務がある。例えば、神である私にエロ本やシンナー袋を見せたり、両手をズボンの中に突っ込んで激しく上下に揺さぶるのを見せたり、幻聴で悪口を言ったり、ガンを飛ばしたり、留守中に部屋に入っていたずらをしたりしなければならないのである。[以上は私に関してであるが、その他にもいろいろやることがあるのだろう。例えば、天皇にたてついた者に制裁を加えるとか。]
宗教とは儀式によって独特の心構えを作ることであり、国家神道のやり方は宗教としては邪道である。国家神道はもはや宗教とはいえない。[もうちょっと正々堂々と実力で出世したらどうですかね。]
こんな日本を腐敗させて汚くするだけの日本神道なんかないほうがいい。[以後、類似の活動を禁止する。]

[2705] 人間通 h18.10.26
徳川家康は『人間通』である。
だから、天皇をただの人間と見なした。
豊臣秀吉は物のことには詳しいが、人のことには疎かった。

[2706] 管理者の正体は? h18.10.26
管理者の正体は、日本神道の幹部(首領も含む)である。
管理者はもちろん超能力のないただの人間である。[しかも、かなり知能が低い。]
日本神道の幹部が、自分たちで決めたルールに従って天皇や私や国会やその他に手出しをして日本(あるいは世界)を操作してきたのだ。[国会と日本神道とは別物だが、国会議員の中に日本神道の幹部や信者が混じっていることはあり得る。]
そもそも日本神道とは『随神[かんながら]の道』すなわち日本人が神に従う道(生き方)である。これまで長年天皇を建前[たてまえ]の神と見なして従ってきたが、このたび本物の神である私が現れたので、日本神道としては天皇を離れ私に従わねばならなくなったわけである。
ところで、私が見たところ日本神道の連中は幹部も含めてみな頭が悪くて、幹部で決めたルールに従って私を動かしても日本はちっともよくならずかえって昔よりも悪くなってしまった。[太平洋戦争のときだって、天皇の誘導が下手なせいで戦争になってしまった。]そのうえ、信者に特典を与えなどして汚い手を使う。こんな連中が居てはいつまで経っても日本がいい国にはならない。これから先、日本神道が私のために役立つこともない。こんな役立たずの組織は要らない。

[2707] 国会と日本神道 h18.10.27
国会は明治時代に新しくできた国政の制度である。
国会の歴史は浅く新しい。
一方、日本神道は初代天皇が生まれた頃に(あるいはそれ以前に)できた古い国政の制度だ。
日本神道のもとで日本は発展してきた。日本神道は日本の骨格のようなものだ。
国会も日本神道のもとで作られた。
ただ、天皇が建前の神であったために、
武家社会のもとでは日本神道は除[の]け者にされた。
太平洋戦争後にも日本神道は日陰に追いやられた。
超能力者である神を中心に国を作ろうとすることがそもそもまちがいである。
いくらサイコキネシスができても政治の才能がなければ、国王には向かない。[政治の才能とは、多くの国民を幸福にするような政策を立てる能力である。だから、サイコキネシスとは関係ない。]
日本神道は長年に渡って無意味なことをし続けてきただけだ。
日本神道は時代遅れの古臭い間違った制度にほかならない。
日本は神道を捨て天皇制を廃止し、完全な国会制度のもとに新たに再出発しなければならない。

[2708] 新天皇制 h18.10.27
日本や世界には、どうしても日本に王様がいて欲しいと思う者がいる。
そのほうが、国としての体裁[ていさい]が整うからいいと言う者もいる。
私もあえて日本の王制を否定しようとは思わない。
つまり、日本に王様がいてもかまわないと思う。
そこで、新天皇制を提案する。
天皇は日本の王様としての資格を持つ。
ただし、天皇の国政に対する口出しは一切禁止する。例えば、天皇の国会の決議に対する承認制を廃止する。その他、日本国憲法の第一条から第八条に書かれている天皇の特権はすべて無いものとする。
天皇にあるのは、『日本の王様』という肩書きと、各国の偉い人と会って軽い会話や握手を交わしたり、日本国内の行事に出席して挨拶を述べたりする仕事だけである。
もちろん、天皇はそれらの仕事に対する報酬(給料)を国からもらえるし、天皇をこれまで通り世襲制にしてもよい。
天皇には日本国民ならだれでもなれる資格があるが、ここはやはり長年の伝統を重んじてこれまでの天皇家にやってもらったほうがいいと思う。

[2709] 曖昧模糊と明晰判明 h18.10.27
キリスト教も仏教も明晰判明である。つまり、ヨーロッパやインドでは、キリストやブッダの教え(言葉)を“きっちり”取る。
キリスト教と自然科学では、知覚欲を否定するか肯定するかで大きな違いがあるが、この“きっちり性”においては両者は共通しているといえる。[ただ、キリスト教における知覚欲の否定とは、“眼に見えない物を仮定して自然を研究する”(例、プリーストリーの酸素の研究とか、ブルーノの無限宇宙説・宇宙人説とか、ガリレオの惑星の自転・公転運動による天文現象の説明とか、『ターヘルアナトミア』の人眼に触れない人体の内部構造の研究とか)ことや、“不完全な概念を用いて自然を研究する”(例、不完全な図形である楕円を用いて惑星の公転軌道を表す)ことを禁止するのであって、反対に眼に見えることや完全な概念(円や球や正多面体;ケプラーによる惑星の公転半径の説明)を用いて自然を知覚で論理的に研究することは大いに許されたのである。だから、例えば、惑星の公転軌道を完全な図形である円の組み合わせで表すこと(プトレマイオスの周天円説)はキリスト教において大いに喜ばれたのである。楕円の概念自体はすでにギリシア時代に知られていたから、科学的には惑星の公転軌道を楕円で表すことはできたはずだが、キリスト教の宗教的な理由においてそれを楕円で表すことは許されなかったのである。キリスト教が楕円を嫌ったのは、楕円が歪[ゆが]んだ醜[みにく]い不完全な図形だからである。ヨーロッパに美人が多いのは、キリストが美形好みだったからだろう。(私に言わせれば、美人であろうがなかろうが、本人が幸せならばそれでいいと思うが。)…こうして見ると、ヨーロッパの近代の初めの頃に、科学好きの正体不明の神がいたような気がしてならない。おそらく、その神は宗教には関心がなかったのだろう。]
一方、日本の神道は、太古は“清き明き心”とか言って、明晰判明らしい雰囲気があるが、日本の歴史で習う大部分は曖昧模糊な雰囲気がある。この“だらしなさ”が日本人が論理がわからず自然科学や数学が苦手な原因とされている。
私は子供の頃から数学や物理が好きだったので(反面、社会科や生物学は苦手だが)、自分が曖昧模糊よりも明晰判明な性格だと思うが。
未来社会は今よりも知覚が発達した人々の社会になるだろうから、曖昧模糊な性格ではやっていけなくなるだろう。今後は、ますます明晰判明な性格が要求されることになるであろう。

[2710] 西丸四方の『精神病理学入門』 h18.10.27
この本は私が九大医学部に居た頃に、10回ぐらい繰り返して読んだ本である。
私の最近の考えによれば、オナニー(手淫)は分裂病の主な原因のひとつであるが、この本の中には『オナニーは分裂病の原因ではない』とややぶしつけに書き込まれている。
天皇はオナニーが日課なのではあるまいか。

[2711] 暗黒時代 h18.10.28
ヨーロッパの暗黒時代には、人々は神ではなく神と反対の性質を持つ悪魔を信仰した。
悪魔は形が醜く、頭がよく、物のことに詳しく、眼で見えないものだった。
おそらく、暗黒時代の初めの頃に、キリストと反対の性格の超能力者が現れて、反キリスト教的性格を持った宗教を作り上げたのだろう。
古くからあるキリスト教(正)と、この暗黒時代に現れた“悪魔教”(反)とが上手い具合に合わさって、現在に至る西洋合理主義が生まれたのだ。[ヨーロッパの神道の幹部はすごく頭がいい。]

[2712] 西洋建築 h18.10.28
キリストの父親が大工だったから、西洋建築は豪華なのだ。

[2713] エロ・グロ・ナンセンス h18.10.28
天皇家の気風。[昔は小学校の通学路の脇にポルノ映画の広告なんかありましたね。]

[2714] 社会科の教科書 h18.10.28
もっと論理的に書いてくれれば好きになれただろうなあ。[私は社会科の中でも倫理だけは好きでした。]
歴史の教科書は事実だけで真実を書いていない。

[2715] 最近のアニメ h18.10.28
最近のアニメ、とくに『美少女アニメ』と呼ばれるジャンルの作品は、かなり面白くない。
近頃衛星放送のカートンネットワークで手塚治虫の『リボンの騎士』のアニメを見たが、絵も話もともにすごく面白かった。全体的にシリアスでところどころにちょっとしたギャグが入るところがすごくいい。
それに引き換え、ミンキーモモなんかだとギャグしかやれない。話も面白いだけでまじめさがない。
それはまだいい。
最近のアニメ作品はギャグすらない。キャラクターも魅力がないし、もはや何の取り柄もない。
私キャラにも私ネタにも限界がある。とにかく面白ければ何でもいいから、私から離れてロボットものでもスポ根ものでも自由に作品を作ってくれ。

[2716] 裏の法 h18.10.28
日本神道の幹部が作った、神や天皇や政治家やその他の人を動かすルールが『裏の法』である。
裏の法の具体的内容は日本神道の幹部にしかわからず、一般人にはその存在すら知られていない。
日本神道の幹部だけで隠れてやるのは汚いし、国民にとっては危険でもある。そもそも日本神道の幹部は国民の投票で決めたのではなく、具体的に誰なのか知られていない。[いっぺん人前に顔を出してみろ。]
裏の法はせめて神や天皇やその他国民の承認を得てから決めて欲しいし、国家神道の幹部も選挙制で決めて欲しい。正体不明の人に日本を好き勝手にされては迷惑である。たとえ、その人たち悪意はなくても、やり方が不適当で間違っていてはよい結果を生まない(例、太平洋戦争)から、選挙制によって才能のある人を選び、法の内容を公開して神や天皇や国民の承認を得てから実施するようにすれば、もっと上手くいくだろう。紙や天皇や国民が裏の法が気に入らなければ裏の法を決め直させたり、いっそのこと幹部を他の者に入れ替えさせたりできるようにしなければならない。
日本の活動は、政治以外にもいろいろある。政治は日本の活動のほんの一部にすぎない。国家神道のほうが国会よりも広く深く日本を支配しているのだ。

でも、これではいけない。日本神道や裏の法をこの世からなくさねばならない。[もちろん、日本神道の組織を日本政府の中に組み込むことも禁止する。]
したがって、日本国民は日本神道が定めた裏の法に従ってはならない。日本国民は日本国の法律と私が定めた神法にだけ従えばいい。その他の自由は約束する。


[2717] 宮内庁の人 h18.10.28
宮内庁の人は天皇と国会のツナギだ。日本神道とは別だ。[ただし、宮内庁の中に日本神道の人が紛れ込んでいる可能性はある。]

[2718] 武家 h18.10.29
武家が仏教を取り入れたのは、日本神道の力を衰えさせるための計略であった。武家は日本神道の気風に合わず、日本神道(貴族)と武家とで対立していたからである。
武家がキリスト教の受容を嫌ったのは、国の統一が妨げられるためである。
黒船が現れたときには、日本神道は大喜びした。

[2719] 建前の神としての天皇 h18.10.29
第2次大戦中に、日本の旗色が悪くなると、天皇が神でないことが国民にばれそうだったので、日本神道によって天皇は理念的なものであると誤魔化された。

[2720] GNP世界一 h18.10.29
かつて日本にも世界一の時期があった。
日本が戦争に負けたにもかかわらず、世界一の地位に就くことができたのは、日本に本物の神(私)がいたからである。[ただし、私が発狂する前。]
その後精神病で私の調子が悪くなると、取り込み制のために日本の地位が下がってしまった。

[2721] 感覚波遮蔽板 h18.10.29
幻聴器官に含まれる物質を大量に複製して板状にすれば感覚波遮蔽板が作れる。
感覚波遮蔽板で家を建てれば、家の中ではリラックスできるだろう。

[2722] 日本神道撲滅 h18.10.30
たとえ日本神道が国会の下に付くことにしても、国民の心の自由を奪うことになるからいけない。
組織的な国民に対するマインドコントロールは禁止する。

[2723] 文学 h18.10.30
文学は面白さを書くものであって真実を書くものではない。
だから、ネタ取りはやらなくていい。ネタで縛ると人の本心が見えにくくなるから、やめたほうがいい。
人は知覚欲だけで生きているのではない。知覚欲に従属する感情もいろいろある。
文学は人の心がどうなっているかを調べること、つまり人の心の研究である。
文学の世界では面白ければ真実でなくてもかまわないのだ。
それは今は言葉だけではあるけれど、いつの日にか科学の力で実現するかもしれない。

[2724] 日本神道はでたらめだ。 h18.10.31
日本神道の幹部は誰だかわからないし、裏の法の実体も明らかでない。
たとえ、日本神道の決定がまちがっていても、日本神道は責任を取らなくていい。
これでは、日本神道がでたらめになるのも無理はない。
こんなでたらめな組織に、日本を任[まか]せることはできない。

[2725] 男の子は父親が面倒を見るべきである。 h18.11.1
これまでに述べた通り、男と女とでは身体構造が異なるので、心の働かせ方も違う。
だから、男の子の心[の適切な働かせ方]は父親でなければ[細かいところまで]わからないし、
女の子の心は母親でなければわからない。
男の子を母親が面倒を見すぎたり、女の子を父親が面倒を見すぎたりすると、心が女の子のような男の子ができたり、心が男の子のような女の子ができたりする。

[2726] 登校拒否 h18.11.1
人間が知覚欲で生きている限り、学校(や職場)へ通うはずである。
だから、学校へ通うのが嫌な子供は、知覚欲以外の感情で生きようとしているのである。
知覚欲の最大の敵は性欲だから、学校へ通うのが嫌な子供は性欲が生きがいなのである。
性欲を生きがいにする者の行き着く先は痴漢である。でも、痴漢は仕事にならないから、痴漢では生きて行けない。[あるいは、性欲に走ると精神病になりやすいとでも脅[おど]すか。]
子供が性欲では人間は幸福に生きていけないことを悟り性欲を働かせるのをやめれば登校拒否は治る。

[2727] 考える者は自由である。 h18.11.1
自分で考える癖(習慣)のない者が他人の言いなりになる。
しかも、テレパシーの言いなりになる。
知覚欲を肯定しないところに人間の幸福はない。
他者からの自由は、自分で考える者だけに与えられる。
他者から自由になることによって、はじめて自分にとっての幸福が見えてくる。
[このように、学校を建てると民主主義になる。民主主義の下[もと]では、もはや王制(天皇制)は成り立たない。]

[2728] 日本の法律と私の命令との関係について h18.11.2
私の命令(法)に日本国民が従おうが従うまいが個人の自由とする。[もちろん、日本神道はすでに消滅しているとする。]
ただし、私の命令に従って日本の法律を犯した者には、日本の刑法が定める罰が適用される。それが嫌なら、私の命令に従わなくてよい。
私の命令で日本の法律を変える場合(例えば、天皇の特権に関する日本国憲法第1〜8条の撤廃、私が提案した『安楽自殺法』の制定など)には、日本の法律で定められた手続きを踏まねばならない。

[2729] 私の記述の仕方について h18.11.2
後の記述は先の記述を前提としている。
後の記述が先の記述を否定(訂正)することもある。

[2730] 随神[かんながら]の道 h18.11.2
随神の道とは、神の属性を人間が真似ることではなく、神の意思(命令)に人間が従うことである。[定義]

[2731] 究極の社会(仮) h18.11.2
将来、人間の心を構成するすべての感情が判明し、それらの間の関係も明らかになる。
物のことも今よりずっとわかるようになる。
物と心の関係もわかるようになる。
コンピューターが発達すれば、地球上のすべての人の心と物のことが正確にわかるようになる。
コンピューターが地球上のすべての人の心がなるべく幸福になるような指示を計算し、携帯端末を介してすべての人に指示を与えるようにする。
コンピューターの指示に従えば、自分が幸福になれるし、他人も幸福にすることができる。
反対に、コンピューターの指示に従わなければ、自分が不幸になるし、他人も不幸にすることになる。
人間は幸福のために生きているのだから、誰ひとりとしてコンピューターに逆らう者はいない。[反対に、ひとりの人間の判断では、そこまで計算することはできないから、ひとりの人間の判断に従ってはならない。]
未来社会においては個人の自由が失われる代わりに、個人の幸福が保障される。[今はまだ、そこまでは行かないから、各人が[自分の知覚で考えて自分が幸福になるように]自分の心や物の面倒を見なければならない。/原理的に可能なことはいつかはきっと実現されるものだ。それも、わりと近いうちに。]

[2732] 国会議事堂 h18.11.2
国会議事堂は議論の場である。
議論の勝ち負けは正しさで決まる。
私も私よりも正しい考えには従わざるを得ない。
[共通一次の点や学歴よりも、議論そのものの正しさで評価しなければならない。]

[2733] 公務員 h18.11.2
国家公務員も地方公務員も、日本神道の構成員(首領、幹部、信者)と同様に、天皇の属性を取り込んで動きまわるガラの悪い連中である。[私の父親も公務員だったので、多かれ少なかれ天皇臭いところがある。/侍[さむらい]と公務員の違いは、侍が徳川家に従属する身であるのに対し、公務員は天皇家に従属する身であることだ。/h18.11.3追記)天皇制を廃止して公務員への天皇の気質の取り込ませがなくなれば、公務員の気質も多種多様になり、個性豊かになるだろう。]

[2734] 日本人はどうしてうそつきか? h18.11.2
天皇が自分が本当は神(つまり、人間よりも上の存在者)ではないのに神であるとうそぶいている。
この天皇のうそつきの性格を日本神道の働きで、日本人みんなに浸透させた結果、日本人はほとんどみんなうそつきになってしまったのである。[日本人のすべてではないが。]
[キリストやブッダは一代限りの神なので、こんなことはない。]

[2735] 日本神道の信者の性格 h18.11.2
意志が弱いとは、汚い心(悪い感情)の喜びにすぐ負けてしまうことである。
天皇は意志が弱く、心が汚い。
日本神道に入ると、汚いことが許されるから、これを目当てに意志の弱い者が日本神道に入るのである。
[汚い気構えの者がまともな仕事で出世できるはずがないから、裏で汚い手を使っているはずだ。]

[2736] 新天皇制廃止 h18.11.2
天皇ひとりだけなら、日本にいてもいなくてもどうでもいいが、天皇を置いたために日本神道が復活し、うそつきの風潮が日本全土に広がるなら、これはもはやどうでもいい問題ではない。
よって、この前私が提案した『新天皇制』を廃止する。

[2737] 取り込み制度ができた訳 h18.11.3
天皇が神の意味を変えてやっているから、日本神道の信者も随神の道の意味を変えて(人が神に従う→人が神を真似る)やっていたのだろう。
つまり、天皇が神でないのに神を真似てやっているから、信者も神を真似てやっていたのだ。
[h18.11.4追記)あるいは、天皇がお互いに心でわかりあえることがいいことだと考えたので、日本人みんなの心を自分と同じ心にするために、自分の心の気質を日本人全員に取り込ませようとしたのだ。]

[2738] うそつき気質 h18.11.3
天皇は自分が本当は神(人より上の存在者)でないのに神のふりをしているうそつきである。
うそつきは実在をなめている。だから、日本神道の働きで天皇の気質を取り込まされた日本人は数学や理科のような実学が苦手であり、昔から“日本人は文系向き”だと言われている。
実在の世界は論理的だ[実在の世界には論理性がある]から、実学の苦手な日本人は論理性がなく曖昧模糊である。
日本は天皇というニセ神の『意思の表象としての世界』(性格が表現された世界)である。つまり、天皇というニセ神の支配する国の国民の気質は、うそつきで実学が苦手で論理性がなく曖昧模糊になる。

[2739] 気質の取り込ませではうまくいかない。 h18.11.3
一人の人間には好き嫌いがあるから、一人の人間の気質の取り込ませでは嫌いな仕事をする者がいなくなって国が成り立たない。
例えば、私の場合、医学が嫌いだから私の気質を国民に取り込ませると医者をやるものがいなくなって日本中が困ることになる。
だから、特定の者(神や人間)の気質の取り込ませではうまくいかないのだ。

[2740] 法の盲点 h18.11.3
日本では、日本の法律を守ってさえいれば、生きていける。
日本の法律を守りさえすれば、日本人の心は自由である。
その心の自由さに付け込んで、そこを支配し、日本人を自分たちの言いなりにしようとするのが日本神道のやり方である。
自分の心を日本神道に乗っ取られないように、自分の心の管理はしっかり自分でしよう。

[2741] 心でわかるとは、 h18.11.3
天皇の御時世では、日本人の心はみな同じだったので、日本人どうしお互い心でわかりあえた。
ところが、私の制度の下では、日本人は知覚で同じひとつの法律を守るだけで、心はみな違うから、もはや心でわかりあえることはできない。
日本人の心はみな孤独である。
そういうわけで、私と付き合うにはいっしょにゲームで遊ぶしかないのである。
[自分の心の適切な働かせ方ぐらい、自分で考えろ!]

[2742] アメリカ h18.11.4
アメリカは新しくできた国なので神がいない。
神がいないと人の心を統[す]べる者がいないから、それでアメリカでは人の心が自由なのだ。

[2743] 心の教育 h18.11.4
神道は国民に神の心を植え付けようとする。
国民は神道の言いなりになっていれば心の教育が受けられる。
神が心の出来のいい者ならうまく行くかもしれないが、
そのために国民が自分の心について考えようとしなくなるなら、自分の心のことがわからなくなるので、かえって国民の幸福が妨げられることになる。
神の心の出来が悪いならなおさらだ。[そもそも神とは超能力のある者のことで、心の出来のいい者をいうのではない。だから、神道のやることは無意義だ。]
やはり、神道はないほうがいい。

[2744] 心の法則 h18.11.5
人間は知覚欲を肯定しなければならない。
人間において知覚欲の活動を妨げる感情(例、性欲)は肯定できない。

[2745] 超能力は誰のもの? h18.11.6
超能力の才能は、超能力者自身のものであって、国や国家神道やその他の団体のものではない。

[2746] 国は役立たずだ。 h18.11.6
学校ではどうでもいいことばかり教えて、肝心の『人間は知覚欲を働かさなければ生きて行けない。性欲は知覚欲の働きを妨げるから、性欲を働かせてはならない。』ことをちっとも教えない。
それに較べれば、社会科とか歌とか体操とか、古文とか漢文とか数学とか理科とかはどうでもいいことだ。
つまり、学校では人生の本質を教えない。物についての知識だけで心についての知識を教えない。
学校は子供にとって何が大事で何が大事でないかがわかっていない。例えば、古文がわからなくても[古文の学者以外は]人生さほど困らないが、上の『…』がわかっていないと人生が台無しになることがある。
子供にどうでもいいことしか教えない学校なんか要らない。[たとえ子供がはっきりと意味がわからなくても上の『…』を前もって言葉の上で教えておけば、いずれ思春期に入ったときその意味がわかり効果があるのではないだろうか。]

[2747] 哲学第4原理 h18.11.6
上の『…』を哲学第4原理と呼ぶことにする。
哲学第4原理の下[もと]にもかなりの自由があり、各人が各人の環境において最も幸福になるように各人の心の中にある感情を働かせばよいのである。いや、むしろ、そうしなければならないのだ。

[2748] 自由の意味 h18.11.6
自由とは、どうでもいいという意味ではなく、各自が自分に最も合ったものを自分で考えて決めねばならないという意味である。
例えば、日本国憲法の下では、各自の思想は自由であるとされているが、これは各自の思想がどうでもいい[つまり、思想なんか持っていなくてもいい]という意味ではなく、各自が自分が最も幸福に生きて行けるような思想を自分で考えて持っていなければならないという意味である。
だから、このような考える努力をしない者は幸福になる資格がないのである。

[2749] 破瓜型焦燥病 h18.11.7
破瓜[はか]型焦燥病は、焦燥病のなりかけで高い熱を出したあと正常に戻る型である。[by中井久夫。ちなみに破瓜とは、16歳(思春期)の意味である。]
破瓜型焦燥病とは、焦燥中枢が慢性の易興奮性を獲得するかしないかの境目にある焦燥病である。
おそらく、焦燥中枢の興奮が発熱中枢に逃れたために、焦燥中枢の興奮が治[おさ]まったのだろう。[アース効果]

[2750] 戦争のひとつの原因 h18.11.7
昔、2人の神(超能力者)がいた。
2人の神は仲が悪くケンカばかりしていた。
人々はそれぞれの神の下[もと]で別々の国を作った。
それぞれの神の意思を継いだ国と国との争いが戦争なのである。
戦争の原因は、昔仲の悪い神がいたことにあるのだから、そんなつまらない理由でわざわざ戦争する必要はない。[宗教がらみの戦争とはこんなものだ。戦争の原因は他にもあるが。]
そもそも、2人の神が仲が悪かったのは、2人の神の心が違っていたからだ。[生まれつき心が違うか、または心の働かせ方が違うかだ。例えば、私と私の弟の気が合わなかったのは、私が知覚欲で生きているのに対し、私の弟は性欲で生きていたからだ。それで、私と私の弟はしょっちゅうケンカしていたのだ。]
2人の神は、そのことに気付かなかったのだ。

[2751] 天子のいわれ h18.11.8
昔の人は、この宇宙を地界と天界のふたつの世界に区別していた。
地界は人間の世界であった。
天界は神の世界であった。
だから、空を飛べる超能力を持った人間を昔の人は神の属性がある人間と見なして天使と呼んだ。
鳥も空を飛べるから、鳥を神と見なす民族もある。
現代においては、ニュートンたちが天界と地界を統一したから、もはやこのような区別は意味がない。
天使は神ではなく超能力者にほかならない。[つまり、天使は古い迷信の世界では神だったが、新しい実在の世界ではたんなる超能力者なのだ。]

[2752] 天皇自身が私の超能力を消したのではない。 h18.11.8
天皇が自分の地位や待遇を守るためなら、赤ちゃんの私を見つけ次第殺したはずだ。
そのほうが確実に自分の地位を守れるからである。
だから、赤ちゃんの私の超能力を消しただけで私を殺さなかったのは、天皇以外の者、つまり日本神道の者がやったからである。[日本神道は神に従う者だから、神(超能力者)である私を殺せなかったのだ。日本神道は人間を守るために‘裏の法’に従って私の超能力を消したのだろうが、私には無意味なことだと思われる。超能力を科学的に研究したほうがもっと人類のためになると思われる。]
その後の私のいろいろちょっかいを入れたのも、天皇自身ではなく日本神道の者の仕業[しわざ]にちがいない。
だから、私は天皇に恨みはない。
しかし、今後の日本のことを考えると、ニセ神を立てるのは社会的に悪影響が大きく不健全である(例えば、私が死んだ後でまた暴力団、麻薬、ポルノ映画、売春宿などが復活する)と考えられるので、天皇制度は廃止にせざるを得ないと考えるのである。[誰でもほじくれば欠点のひとつやふたつは出てくる。それを大袈裟[おおげさ]に言っただけだ。でも、どうして天皇が暴力団と麻薬なんだろう?]

[2753] 日本神道には入らないほうがいい。 h18.11.8
日本神道に入ると、信者は神の悪い所を真似るだけでいい所を真似ることがない。
いい所を真似るのは難しいからである。
しかし、これでは短所が増えるだけで、ためにはならない。
だから、日本神道には入らないほうがいい。

[2754] システムが悪い。 h18.11.9
天皇が何代も続けば、何をしても怒られないから、どうしても人格が低下する。[例えば、天皇はバカが許されるから性欲に甘い。性欲に甘いから、暴力や麻薬なんかも許されるのだ。]
日本神道の幹部も責任を問われなければやり方が下手糞になる。
人が悪いというよりも、システム(制度)が悪いのだ。
だから、人を入れ替えるより、システムそのものを改造しなければならない。
天皇制も日本神道も両方ともないほうがいい。

[2755] 原因 h18.11.9
カゼの直接の原因はウイルスだが、‘裸で寒い冬の日に外に出る’と体調を崩してカゼを引くという意味では、‘裸で寒い冬の日に外に出る’こともカゼの原因と見なすことができる。
同様に、焦燥病の直接の原因は焦燥中枢が慢性の易興奮性を獲得するほど焦燥中枢を興奮させることだが、オナニーするとどんな感情でも興奮させやすくなるから、焦燥中枢も興奮させすぎてしまうという意味では、オナニーも焦燥病の原因と見なすことができる。

[2756] 情操教育 h18.11.9
情操教育とは、子供に特定の作業をさせることで子供の感情を適度に刺激してその興奮性を高めることによって、子供におのずから感情とは何であるか[つまり、自分の大脳の前頭葉にある脳細胞の興奮によって発生する感覚であること]を悟らせることである。
さらには、自分の感情の興奮性を自由自在に操ることのできる感情制御能力を子供に見に付けさせることである。
早い話が、注射の痛いのを堪[こら]えさせるようなものである。
私の母も「子供の頃におばあさんからよくお灸をすえられた」と言っていた。

[2757] 私はなぜ笑わないか? h18.11.9
ひとつは、単純に私が幸福でないからである。
しかし、もうひとつは、自分の感情をすぐに表さないことで自分の感情をひねる間[ま]を持たせるためでもある。

[2758] 日本神道みな殺し法 h18.11.9
日本神道はこの世にないほうがいい。
日本神道をなくさなければ、今後日本神道の者(信者、幹部、首領)を誰が蹴っても殴っても殺してもその他何をしても一切自由、無罪放免とする。[そうでもしないと、たとえ私の身体が生きることはできても、私の心が幸福に生きることができないからだ。]

[2759] 国会議員が私を攻撃したのではない。 h18.11.9
国会議員が欲しいのは、金か女か権力かだ。
だから、国会議員にとって超能力者の私なんかに興味はない。
だから、国会議員が自分の判断で私を攻撃することはない。[ただし、日本神道の国会議員は除く。]

[2760] 天皇の才能 h18.11.9
条約の文章は、ソフトウェアのライセンス許諾書[きょだくしょ]のように難しい。
私なんか、日本語で書かれていてもわからない。
そんな難しい文章を読んで意味を掴[つか]んで承認の是非を決めることのできる天皇は偉い。

[2761] 数学とは h18.11.10
数学とは、既知の体系に未知の概念を加えて無矛盾な体系を作ることである。
[例えば、『ムーミン』はキャラクターが多い。ただ、ムーミンは形が人間と違うだけでやっていることは人間と同じだ。(つまり、ムーミンに超能力はない。)という意味では、ムーミンは未知の概念とはいえない。ただ、ムーミンの世界では、ときどき実在ではありえないことが起こる(アニメ第3?話「不思議な帽子」など)から、未知の概念の添加はある。だから、ムーミンの世界は、やはり数学だといえる。ただ、物理法則は犯しているから厳密には数学ではなく、準数学ではあるが。]

[2762] 裏の法 h18.11.10
これまで日本神道は私の邪魔をしつづけてきた。
ただ、日本神道の者はあくまでも‘裏の法’に従って、私の邪魔をしつづけてきたのだ。
たぶん‘裏の法’を決めたのは昔の神や人類で、今の日本神道が好き勝手にやっているわけではないのだろう。
しかし、古臭いぶん、‘裏の法’には不適切なところが多いので、‘裏の法’は廃止にすべきである。
人間同様、神にも自由に生きる権利があるからだ。

[2763] 日本神道の民間企業への作用 h18.11.12
民間企業でも規模が大きくなれば(例えば、戦前の財閥)、国民に対する作用も日本政府なみに大きくなる。
日本神道と巨大民間企業との間に関係があれば、日本神道は巨大民間企業を介して日本国民全体に作用することができる。
この状況は、民主主義社会において望ましくない。
したがって、日本神道と民間企業のつながりを断ち、日本神道を根絶に至らしめるべきである。


[2764] なぜ、国会議員は日本神道の言いなりなのか? h18.11.12
それは、国会議員が日本神道からお金をもらっているからである。
これまでの私の命令が無視されてきたのは、日本神道が国会議員にお金をやって妨害しているからだ。

[2765] どうしてヨーロッパに近代科学が誕生したのか? h18.11.12
昔は、物が貧しかったのでキリスト教すなわちヨーロッパの神道の力が強かった。
しかし、時代が進むにつれて宗教とは無関係に物についての知識が増えて行き、生活の中で物が豊かになっていった。
お金は物の置き換えだから、物が豊かになるにつれて、お金の力も強くなって行った。
中世の頃になると、ヨーロッパの各地に大金持ちが生まれた。その力は神道(教会)の力をしのぐほどになった。
お金で買えるのは物だけだから、大金持ちは物についての学問すなわち自然科学を保護し奨励した。人々も(キリスト教の信者も含む)暮らしを便利にする科学の発展を喜んだ。
そのため、科学の妨げになる宗教上の細かい決まりは次第に無視され撤廃されていった。[人々の物についての知識が自然に宗教を駆逐[くちく]したのであって、科学好きの神が現れたから宗教が科学に負けたのではない。]
こうして、ヨーロッパに[論理性のよく整った]近代科学が誕生したのである。
物が豊かになると、“私有財産”の概念が生まれ、それを守るために法律ができた。法律を運営するための機関が政府である。
現代は『物の時代』である。物が貧しかった頃に生まれた宗教は、もはや過去の遺物にすぎない。現代においては、宗教はせいぜい“心の衛生学”にほかならない。
『物の時代』においては、神に対しても科学の目を向けて新しい解釈をするべきである。つまり、神とはサイコキネシス(念動力)の超能力を持った人間のことであり、この宇宙を創造した天界の住人[その他もろもろ]のことではない。

[2766] 宗教と科学 h18.11.12
宗教とは神を頂点とする世界観であり、
一方、科学とは物(素粒子)を頂点とする世界観である。

ところで、神はサイコキネシスを持った人間であり、サイコキネシス器官が脳細胞という有機物から成るとすれば、もはや神も物質のひとつにすぎない。したがって、神も科学の対象であり、神を頂点とする宗教は科学に呑[の]まれることになる。
科学の発展が今だ留[とど]まるところを知らぬのに対し、宗教には発展性がない。古臭いだけで、他に取り柄がない。
つまり、宗教は人間(あるいは神)が考えて作った実在に対するまちがった世界観のひとつにすぎない。
宗教は実在に対するまちがった世界観であり、科学は正しい世界観である。[まちがいをまちがいと認めることが、“潔い”というものではなかろうか。]
プトレマイオスの天動説が地動説に負けを認めて消えたように、宗教じしんもここらへんで科学に負けを認めて“潔く”引退すべきではないだろうか。

[2767] 男女平等 h18.11.12
1)知能・運動能は男が優れているが、男には出産能力がない点では女に劣っている。
2)『人生は楽しんだ者が勝ち』だから、たとえ知能・運動能では女性が男性に劣っていても、幸福感では女性が男性に勝り得る。
日本では男に辛[つら]い仕事をさせて、男女間の幸福感のバランスを取っている。

[2768] 『正しい者が勝ち』 h18.11.13
これが科学と宗教を貫く統一原理である。
昔は、神すなわち超能力者が最も正しいと考えられたから神の言葉を信じたが、今は、物理学者の言葉のほうが正しいと考えられている。
だから、ニュートンやアインシュタインやシュレーディンガーもいわば神なのだ。

[2769] 昔の人の犯したまちがい h18.11.13
『神すなわち超能力者がこの世で最も正しい者であり、超能力者の言葉をこの世で一番正しい真理である』と考えたことが、そもそものまちがいである。
“正しさ”は知覚の才能であって、神すなわち超能力者の超能力の才能とは無関係である。

[2770] 宗教とは何か? h18.11.13
古典力学においてニュートンの運動の3法則を真理と見なすように、神すなわち超能力者の言葉を真理と見なす世界観が宗教である。
ところが、神を特徴付ける才能は超能力だけであり、他の五感や知覚や心は普通の人と変わらないから、神の言葉が特別に正しいわけではない。だから、神の言葉を信じても実際にはまちがっていることもよくある。そもそも言葉の正しさを決めるのは、神ではなく実在[する対象]だからである。

[2771] 大英帝国 h18.11.13
昔はニュートンの力学がこの世で最も正しかったから、いわばニュートンが神であり、そのためイギリスが世界で一番偉大な国であった。
しかし、今では、古典力学よりも量子力学や相対論が正しいから、EU(ヨーロッパ共同体)が世界一偉いことになっている。

[2772] 天才は神よりも偉大である。 h18.11.13
天才とは知覚の才能に秀でた者であり、この世で最も正しい真理を発見した者である。
一方、神とは超能力(念動力;サイコキネシス)の才能のある者である。
昔の人は神を正しい人と見なしたから神の言葉を真理と考えて、神の言葉に従う世界観を作った。それが宗教である。
しかし、時代が進むにつれて宗教には多くのまちがいがあることがわかった。宗教は科学に真理の王座を奪われた。つまり、天才は神よりも正しいのだ。
人間は知覚欲を満足するために生きているのであって、真理を最も尊[たっと]ぶ生き物である。それゆえに、人間は真理の発見者を偉人と見なして崇[あが]めるのだ。真理の発見において神は天才に及ばない。ゆえに、天才は神よりも偉大なのだ。
神に超能力があるのは事実だが、神自身が超能力の仕組みを理解しているわけではない。神は天賦の才能としてただ超能力を使っただけなのだ。

[2773] 日本のとりこみ制度について h18.11.13
外国の神は言葉で真理を述べたが、日本の神(今の天皇の祖先)は口べただったので、しかたなく神の気質を人間が真似ることにした。これが“とりこみ制度”の始まりである。[そのため、日本には他人の気持ちを察して世話をしてやる“気配[くば]り”の習慣がある。]
ただ、とりこみ制度も人々が神(天皇の先祖の超能力者)を“正しい者”と信じたから、正しい者に従うという意味で神の真似をするわけである。
しかし、そもそも昔の人々(神自身も含む)が『神(天皇の祖先の超能力者)を正しい者である』と考えたことがまちがいなので、とりこみ制度もまちがった制度である。

[2774] 昔の人はなぜ超能力者を正しい者と考えたのか? h18.11.13
超能力者は『天使』と呼ばれるように天界の者と考えられた。
天界の者は宇宙の創造主(造物主)であったから、超能力者とは宇宙の創造主であり、超能力者の言葉は宇宙の創造主の言葉だから、そのまま成り立つ(つまり、正しい)と考えられたのである。
しかし、現代では天界と地界の区別はなくなったから、もはや超能力者は宇宙の創造主ではなく、超能力者の言葉はそのまま真理とは見なされなくなったのである。[そもそも、宇宙の創造主が人間と同じ形をしていることは不自然である。例えば、宇宙の創造主がオナラなんかするはずがない。]つまり、現代では宗教上の命題(つまり、神すなわち超能力者の言葉)も科学の篩[ふるい]にかけて真偽を判定されねばならなくなったのである。

[2775] 心についての知識(心理学) h18.11.14
昔は物についての知識がほとんどなかったから、心のことしかわからなかった。
シャカもキリストも心についての知識を述べている。
心についての知識にも正しいかまちがいかの区別があり、正しければ[その知識に従って思考・行動すれば]幸福になれるし、まちがいなら不幸になる。
心についての知識とは、要するに心の中のどの感情を働かせ、どの感情を働かさないかを述べたものである。
ただ、遺伝や環境によって働かすべき感情や働かしてはならない感情が違ってくるのも当然である。
だから、心についての知識は場所によっても時代によっても人種によっても違ってくる。
世界各地にさまざまな宗教があるのは、そのためである。
ただ、場所にも時代にも人種にもよらない人類共通の『心の法則』がないわけではない。
それが私の哲学第4原理である。

[2776] なぜ人間は万物の霊長なのか? h18.11.14
動物が地面の上を四つんばいになって歩くのに対し、人間は立って歩く。
人間は立って歩くから、その頭は天に近いところにある。
天界は創造主である神様の住む所である。
だから、天に近い所に暮らす人間は他の動物よりも神に近い存在である。
したがって、『人間は万物の霊長』なのである。
昔の人はこのように考えたが、現代では天界と地界の区別はなく、神様(宇宙の創造主の意味)も存在しないから、もはや人間は万物の霊長ではない。
人間は大脳が最も発達した動物であって、それ以上の意味はない。

[2777] 超能力者に人間が従う条件 h18.11.14
超能力者の超能力で実在についてわかること(できること)があって、それが普通の人間にとってわからないことであれば、超能力者に人間が従わねばならない。
つまり、実在のある特定の事柄について超能力者が人間よりも正しければ(正しい認識を持っていれば)、その事柄については超能力者に人間が従わねばならない。
それは、学者が自分の専門分野において一般人よりも正しい認識を持っているので、その専門分野においては学者に一般人が従わねばならないことと同じである。
人間(超能力者も含む)、なんだかんだ言っても、けっきょく自分の意見よりも正しい他人の意見には従わねばならない。
人間どうし、互いに正しい考えを出し合い補い合い助け合い、人類全体としての知能を高めれば、よりよい社会が実現できる。

[2778] 文学の意義 h18.11.14
文学(マンガ、アニメを含む)とは、実在に束縛されない状況においての面白さとは何か、広く一般には人の心とは何か(つまり心理空間)の研究である。

[2779] 真理 h18.11.15
真理に従うことが人類共通(白人、黄人、黒人すべて)のルールである。
したがって、知覚欲の満足が人間の生きる主な目的であらねばならない。
したがって、人間において知覚欲[の働き]を妨げない感情は許されるが、知覚欲を妨げる感情は許されない。
地球上すべての人間の文化・文明は、人間の知覚欲の満足のために存在しなければならない。

[2780] 心[について]の知識 h18.11.15
ニュートンの運動の3法則とまでは行かなくても、人間は日常生活での経験から物[について]の知識をかなり持っている。
しかし、物の知識だけではたとえ身体が生きることはできても、[心が]幸福に生きることはできない。
幸福に生きるためには、自分の心[について]の知識が要る。[例えば、面白さを感じることも少しは必要である。]
人間の幸福にとっては、物の知識も心の知識も両方とも大事である。

[2781] 物理法則と法律の関係 h18.11.15
人間(とくに日本人)は特殊な物体である。人間には心があり、周囲の環境もある。だから、ニュートンの運動の3原理だけでは足りない。人間にはもっとさまざまな条件が課せられている。
日本国において人間の従うべき法則[を知覚で認識し言葉で表現したもの]が日本国の法律である。

[2782] 明晰と曖昧 h18.11.15
外国の宗教は『神の言葉』で書かれていて、明晰判明である。
一方、日本の宗教は“神のとりこみ”[日本神道の者によって神(超能力者や天皇家)の気質を日本国民に植え付けること]で行われ、曖昧模糊である。[天皇の祖先の神は、言葉というものが出来る前に日本に現れたのかもしれない。]
ゆえに、外国の宗教は質が高く、日本の宗教は質が低い。

[2783] 国会議員 h18.11.15
“公務員として出世”したから、天皇の同類である。
性格が天皇に似ている。
いわば、“頭のよくなった天皇”である。

[2784] 多数決の原理 h18.11.19
地球の反対側同士なら、環境もそこに住む人間の遺伝形質も大きく違うが、地球上の狭い地域すなわち同じ国の中では環境もそこに住む人間の遺伝形質もほぼ同じである。
したがって、同じ国の中では人間の生まれつきの心も心の働かせ方もほぼ同じと見なせる。[反対に、ジャングルの奥地と大都会の真ん中では、人々の遺伝も違えば環境も違うので、心の働かせ方もずいぶん違う。]つまり、国とはほぼ同じ心を持った人間の集まりである。
我々がある発案の採択を決めるときには、“なにかあることをすると物理的に結果が出て、その結果に対して心がどう感じるか”ということだから、物と心の動きを知覚で正しく理解してはじめて正しい判断ができる。同じ国民なら、心はほぼ同じなので、答えは一意的に決まる。[ところが、日本神道の者の場合、世界観(物の知識)がおかしいために、それと複合する心もおかしくなっていて、心の感じ方(心理反応)が普通の人と大きく違うので、日本神道の者を入れると意思決定の判断が正しくできなくなる。]
多数決は、少数の誤解を多数の正解で修正することであり、いくら多数決で決めても大勢がまちがっていれば結果はまちがいにすぎない。ひとりひとりが正しい判断ができてはじめて多数決が有効な意思決定の手段になる。例えば、太平洋戦争の場合、戦争をやるかやらないかの判断を各人が行うのを怠ったため、多勢に追従するにすぎず、やるべきでない戦争をやってしまったためにあとで日本人みんなが不幸な思いをしなければならなかった。
このように、いくら多数決であっても、個人が正しく考えられなければ、社会全体としてまちがった判断を犯してしまう。だから、つねひごろ自分で考えを持っていることが大事になる。そして、個人が自分の考えの正しいことを他人に説明できるように、十分理解を深めていなければならない。個人において正しいことは、社会においても正しいのである。

[2785] オナニーと焦燥病の関係について h18.11.19
脳において性欲中枢の近くに焦燥中枢があるために、性欲中枢が興奮するとそれに関連して焦燥中枢も興奮する。(cf.関連痛)
そのために、オナニーやセックスしすぎると焦燥中枢が興奮しやすくなり、ちょっとのことで焦燥中枢が興奮しすぎて焦燥病になるのである。

[2786] 医療費3割自己負担と米の流通改革について h18.11.19
1)医療費3割自己負担については、[前にも話したが]今を去ること22年前、私が九大医学部を受験するため地元の高知で浪人していた頃、健康診断書の胸部X線写真を撮るために、上町2丁目の細木病院の2階のロビーで待っていたとき、近くでおじいさんの3人組が「病院に入院しとったらお金がもうかる」とうれしそうに話しているのを聞いて、私は『ちょっとやり方が汚いな』と思ったことがある。そのすぐ後で医療費の自己負担が3割に値上げされた。
2)お米の流通改革については、私が私立高知学芸中学校に通っていた頃、昼休みに寮生の山見君と池田君と山岡君の3人組が前の教壇においてあった寮弁当のご飯の弁当箱を開けて「こんなブチめし[まずくて]食えるか!」と大声で文句を付けていたことがあった。そして、実際ほとんどの寮生が寮弁当のご飯に手をつけずに食べ残していたのを憶えている。[私は小さい頃からお米が好きで、高知や福岡に住んでいたときにはおいしいお米が食べられたが、それ以後はおいしいお米が手に入らず毎日カロリーメイトばかり食べている。]

[2787] 他人を支配する方法 h18.11.20
他人を支配したければ、他人よりも正しいことを考えられるようになりなさい。

[2788] 人類が超能力者の超能力を消すことは妥当か? h18.11.20
超能力者が、昔の人が考えた宇宙の創造主としての神でないことは明らかになった。
超能力者が現れた際、その超能力を何らかの方法で消すことになっているが、はたしてこれは妥当といえるだろうか?

現在においては、極たまに超人(超能力を持った人間)がポツリポツリと現れるだけだが、未来においては超人類が繁栄し人類が衰退することになるだろう。
超人は人類にはない超能力器官という感覚器・運動器が身体に備わっていて、その分実在について[正しく]わかること・できることが多く、それだけ人類よりも実在によりよく適応できるからだ。[超能力者を、ガイガーカウンターやマイナスイオン濃度測定器のような特殊な観測装置を持った人間とみなしてもよい。昔、西森年彦君が私に「超能力者は古い人類(オールドタイプ)だと思う。」と話したことがあったが、私は西森君の考えがまちがっていると思う。]
超人類が超能力の形質を受け継いで繁殖できるまでに増えれば、たしかに人類は超人類に駆逐されることになるだろう。その事態を恐れて人類は超能力者の超能力を消すのだろうか?
しかし、実際には人類から超人類への移行は時間的にすごく緩徐[かんじょ]であり、人類から超人類への置き換えがさほど問題になるとは考えにくい。[将来たしかに人類は超人類のために不幸な生活を余儀なくされるかもしれない。ことによっては人類絶滅にまで追いやられるかもしれない。しかし、それは何万年か何百万年か先の遠い未来のことである。]
たしかに、人類の出現によってサルは山奥に追いやられ、サルは不便な生活を強いられている。
しかし、それはサルにとっては生物として受け容れるべき運命なのではないだろうか。
実際、サルは知能の高い人間が現れても人間の知能を消そうとはしなかった。
それが人類に幸いし、地上は人類の支配する世界になった。人類はサルよりも幸福な生物だから、地上はより幸福感に満ちた世界へと発展したのである。
生物には『適者生存の法則』(つまり、実在の環境によく適応できた生物が優利に生き残ること)があり、それによって生物に進化がもたらされた。
この生物における適者生存の法則が、人間においてはさらにいっそう強められている。つまり、人間は真理を尊び真理の発見者を敬[うやま]う生き物である。つまり、人間とは“正しい者”に従う生き物である。人間は正しい者に従うことによって実在への適応性を高め幸福に生きることができる。だから、人間よりもコンピューターが正しければ、人間は喜んでコンピューターに従う。正しい者は人間以外のものでもよい。
だから、超能力者に人間よりも正しくわかることがあれば、当然人間は超能力者の正しい意見に従うし、そうしたほうが人間にとっても幸福である。[空港の税関での麻薬捜査に嗅覚の優れた犬を用いたり、トリフを探すのに鼻の利く豚を用いたりするようなものである。]だから、人間にとって超能力者は有用であり、逆に超能力者といえども全知全能ではないから人間に頼るところも多くある。したがって、超能力者と人間は互いに長所を補い合って助け合い、よりよい社会を作らなければならない。
人間にとって超能力者の超能力は役に立つから、人間は超能力者の超能力を消したりせずに大切に温存しなければならない。できれば、超能力の仕組みを科学的に解明して欲しい。それは興味深く、それは人類に素晴らしい成果をもたらすことだろう。[そのためにも、日本神道による超能力者の超能力を消して超能力の研究を妨げる活動を阻止しなければならない。]

[2789] どうして坂本龍馬は殺されたのか? h18.11.20
坂本龍馬は、将軍も天皇もいない平民だけから成る自由平等の民主主義社会を作りたかった。
それは、福沢諭吉も同じである。[福沢諭吉はお札に小便を掛けることで神が存在しないことを実験的に証明した日本初(世界初?)の思想家である。]
ところが、日本神道の者たちが明治維新を機会に天皇制を復興させようとして、坂本龍馬暗殺隊を編成した。
それが日本神道の信者から成る新撰組である。[沖田総司も近藤勇も日本神道の信者である。]
実在主義に徹すれば、古臭いまちがった病的な世界観を背景にした日本神道や、その日本神道に乗っかった天皇制は認められない。[日本神道が天皇を押す代わりに、天皇を利用して美味しい思いをしているのが日本神道である。日本神道は天皇の他にも私のような超能力者を押して(何らかの意味でサポート;生活支援して)、その代わりに美味しい思いをしている。]
早く、日本神道や天皇のいない正しい科学的世界観に基づいた健全な社会を日本に[できれば世界中に]実現して欲しいものだ。

[2790] 超能力者は人類にとって脅威か? h18.11.21
人類に対する脅威としては、細菌兵器の研究者のほうが超能力者よりも上である。

[2791] 国会は国の最高意思決定機関である。 h18.11.21
人間は正しい者に従う生き物である。正しい者(ここでは、物と心の両方について正しい知識を持っていて正確な判断のできる者)に従うことによって実在(ここでは、実在とは、人間の心を含む実在の世界)に適応し幸福に生きて行くことができる。
ところが、天皇はとくに正しい者ではない。天皇しか知らない真理があるわけではない。
だから、日本国民が天皇ひとりに従う国家体制は正しくない。天皇なんか要らない。
国会とは、各分野の専門知識を持った国会議員が寄り集まって、互いに専門知識を出し合い補い合って、国の正しい方針を決める‘ひとつの大きな脳’のようなものである。仮に万能の天才がいればその人ひとりに国の方針を決めてもらえばいいが、実際には人間ひとりの経験には限りがあり知識にも限りがあるから、個人の限界を超えるために大勢の国会議員が集まって話し合わねばならないのである。

[2792] マンガは悪いか? h18.11.21
人間の感覚界は実在しない空想までも許される。
そんな世界においては、ことの是非を決めるのは哲学第4原理しかない。
つまり、知覚欲を妨げないマンガは許されるが、反対に知覚欲を妨げる大人向きの性的描写を含むマンガは(たとえ大人であっても)禁止される。

[2793] 超能力は科学で説明できないか? h18.11.23
たしかに超能力は現在の科学では説明できないが、そんな問題は他にいくらでもある。[とくに医学の世界には未解決の問題が多い。未知の問題はまさに未知だから未知なのであって、他の分野にも、そんな未知の未解決の問題が実際には山積みされているはずだ。人間の知識は実在のほんの極一部にすぎないことを忘れてはいけない。]
原始物理から古典物理へ、古典物理から現代物理へと科学は発展するものであり、
実在の中で起きたことなら、いずれ将来は科学で説明できるようになるはずだ。
わからないことから逃げ回るのではなく、わからないことに向かっていかねばならない。
わからないことを少しでもわかるようにする努力がいずれはきっと実を結ぶはずだ。
江戸時代には不思議だった電気が今では日常生活に溶け込んで当たり前のことになっているように、
現在謎である超能力も未来においては、もはや‘超’能力ではなくなっているだろう。

[2794] 仕事のランク(階級付け) h18.11.25
人間は正しく考えられる者に従うことによって実在への適応性を高め幸福に生きることができる。
したがって、人間社会においては正しく考えられる者ほど、より多くの人間を支配することができる。
この観点から仕事を分類すると、

のようになる。[ただし、この図は絶対的なものではない。例えば、無能な学者よりも有能な肉体労働者のほうが上であることもありえる。また、まちがいの少ない肉体労働者がまちがいの多い肉体労働者よりも優秀なように、それぞれの仕事の中で仕事の出来の正しさによって上下の違いがある。]
例えば、政治家や[日本国憲法の第1条〜第8条までの特権を剥奪され(ただし、第8条の第9項10項は認めてもよい)、国会議員の一員と化した]天皇は事務員の中の上の方の者となる。
日本神道の者は今日の科学的常識から見てまちがった世界観に基づいて生きているから一番下の階級になる。他の宗教の者は、今日の科学的常識に反しない宗教上の信条に基づいて生きているから、普通の人と同じと見なされる。[例えば、九大理学部物理学科で量子力学を教えていた高田教授は仏教に入っていたから、仏教徒の学者である。反対に、日本神道の学者は、上辺[うわべ]だけ利口ぶって本音はバカだから普通の人間(つまり、学者〜肉体労働者)よりも下である。]
もっとも、仕事が人間のすべての価値ではない。

[2795] 聖書 h18.11.25
近代以前の古い聖書には、おそらくこの世のあらゆることが記されていたのだろう。心のことについても物のことについても記されていただろう。
ところが近代になって自然科学が生まれると、聖書の物についての記述には多くのまちがいがあることがわかった。
そこで、キリスト教の信者たちは聖書の物についての項目を削除しなければならなかった。[それで今の聖書には物についての項目がないのである。]
科学は今のところ心のことについてはまだはっきりとしたことがわかっていないから、聖書の心についての記述は今もそのまま残されている。
そもそもキリストの生きていた頃にはまだ物についての知識もほとんどなかったから、削除された聖書の物についての項目はキリスト以外の者があとで追加したものだったはずだ。
いずれ将来、科学で人間の心のことがはっきりとわかるようになれば、もはや聖書は要らなくなるだろう。
人間の文明がそこまで進化しえたなら、聖書はその役割を十分果たしたといえるのではないだろうか。

[2796] 結婚 h18.11.26
昔は、男は女と結婚しなければ生活が成り立たなかった。
しかし今ではいろんな便利な家電製品があるから、男は女がいなくても十分生活できる。
つまり、現代では男にとって女と結婚する動機がないのである。むしろ、現代では男は女と結婚しないほうが幸福になれるような気がする。
そこで親たちは自分の子供を無理やりお見合いさせて結婚させることにした。
これが見合い結婚である。[私の親も見合い結婚である。]
しかし、こんな重大なことを親まかせにして自分が幸福になれると考える子供もどうかしている。こんないいかげんな子供はそもそも幸福になる資格がない。

[2797] 私の親 h18.11.26
これまでに述べたことから察すると、私の親は日本神道を内心バカにしている。日本神道が私を神と見なしていることを、私の親はどうでもいいことぐらいにしか考えていない。
しかし、その一方で私の親は日本神道の指示でときどき動いている。
例えば、
1)私の小学校入学式のとき、母が私にタイツをはかせた。
2)私が小学低学年の頃、母が私にパンツの端がはみ出すくらいの短パンをはかせた。
3)私が小学2年の誕生日に、母が瀬戸物のピンクのブタの貯金箱(お腹にゴムの蓋がついていて、そこからお金が取り出せる)を買ってくれた。
4)私が小学2〜3年ごろに、母が高知の金高堂で『日本の神話』の絵本を買ってくれた。
5)私が小学3年生の頃、父親が私に急にキャッチボールをしようと言い出して、住宅の間の道路で2〜3分間ぐらいキャッチボールをした。他に、私が小学2〜3年の頃、父からマージャンや囲碁をちょっとだけ習ったことがある。私が小学2年ごろ、正岡君から習った将棋をしたくて、自分で画用紙を切って紙の将棋盤を作って、父が仕方なく私に付き合ったことがある。
6)私が小学中学年の頃、片桐機長が着陸に失敗して飛行機を東京湾に墜落させたニュースを見て、母が私にニタ〜と笑いかけた。[片桐機長の墜落事故は、ジャンボジェット機(→ジャンボ→巨人→政治家)が空(→天)から海(→川)にこけたから、つまり政治家が天皇から私(川野)に乗り換えたことをいっているのだ。だから、私の母が喜んだのだ。しかし、驚くべきことにインターネットで調べてみたら、私が小学中学年頃(1975年頃)に起きた片桐機長の事件がいつの間にか1982年の事件になっていた!それは、その前日に起こった『ホテルニュージャパン火災事件』と関係がある。[私が高知学芸高校の2〜3年生のとき学校の火災訓練で校舎の屋上からシューター(布のトンネル)を使って脱出したことがある。]つまり、片桐機長の事件が1982年の『ホテルニュージャパン火災事件』の翌日に起こったことにして、私が高校1年生のとき分裂病に罹って人生がうまく行かなくなったので、政治家が天皇から私に乗り換えたことが失敗だったという意味を持たせたのである。そう何度もジャンボジェット機を墜落させるわけにも行かないので、政治家が事件の起こった年月日を変えたのである。
7)私が小学4年生の頃、母が私に「みんなが喜ぶことをしなさい」と言った次の日に「自分が正しいと思うことをしなさい」と反対のことを言ったり、「中庸が大事」と言って子供にとっては難しいことを教えようとした。
8)私が中学2年のとき、家族で東京旅行に行ったとき、帰りにサンフラワーに乗ったが、私が船に酔いやすく部屋でぐったり横になっていたのを母が無理やり起こして和歌山の潮岬の灯台を見せた。
9)私が高知大学数学科を中退して高知で自宅浪人をしていたとき、冬に突然母が私を連れて祖谷[いや]のかずら橋を見に行った。
10)私が九大病院をクビになって、再受験のために福岡市箱崎1丁目の帝大コーポ201号室で宅浪していたとき、父親が電話が不通になったのを心配して急に私の下宿まで飛んできたことがあったが、大したことがないのがわかって安心したあと、父が私の下宿に2〜3日泊まったが、そのとき父が旧福岡市役所と水鏡神社に連れて行ってくれと私にせがんだので、私が父を案内して地下鉄に乗って連れて行ってやった。福岡タワーや福岡市立歴史博物館や福岡市水族館にも連れて行った。
11)私が2〜3年前高知へ帰って父といっしょに酒を飲みながら夕食を食べているとき、父が「ユークリッド幾何学」と言い出して、自分が公務員の試験を受けたとき、最後にユークリッドの3平方の定理の証明問題が出て自分は勉強していなかったが必死で考えて問題が解けたときすごく嬉しかった話をしたことがある。
12)私が去年高知へ帰ったとき、父が薊野[あぞうの]のAEON(イオン、デパートの名)に行こうと言い出して、父と母と私の3人で久万川[くまがわ]沿いに歩いて行ったことがあったが、その途中大きな『まねき猫』が立っている仕出しの寿司屋があった。
13)私が今年の夏高知へ帰ったとき、高知を発つ前の日の晩に母が「カレーを作っちゃおか」と言ってディナーカレーを作ってくれたが、食べたあとでルーが腐っていることがわかった。[あるいは、高知の水道の水がお腹に合わなかった?かだ。]
14)だいぶ前に母が「倉敷に行ってみたい」と言っていた。
15)私の父は、よく言葉の最後に「〜かしらん。」と太宰治みたいな言い方をする。
私の親が日本神道を取るに足りない者だと考えるなら、徹底的に無視して指示など一切聞かなければいいではないか。
こんな中途半端な態度をとる自分の親が情けない。
平成18年11月30日追記)こんなどうでもいいことばかりやって、子供に大事なことをひとつも教えようとしない親は、親として失格だ。私はこんなバカな親のために役立つようなことはしたくない。

[2798] 日本人の脳と西洋人の脳の違い h18.11.26
日本人の脳は生まれつき心と知覚の複合(神経連絡)が強い。
一方、西洋人の脳は生まれつき心と五感の複合が強い。
したがって、日本では空想の文化が発達し、西洋では物質の文化が発達した。
日本人と西洋人では脳の構造が違うから、日本人の幸福観と西洋人の幸福観に違いがあるのは当たり前である。

[2799] 宗教とは何か? h18.11.26
宗教とは、現代科学で理解できない超自然現象を扱う学問の分野である(Wikipediaより)。
データ(資料)が十分にそろって経験から理論が出来るほどになれば、宗教が物理学に昇格するわけだから、宗教はそれまでのデータバンク(情報の保管庫)の役割を果たしていると言える。
物理学者にとって理解できないことは宗教家にとっても理解できないから、宗教家は物理学者に勝ってはいない。
物理学者が超自然現象について研究したければ、いつでも宗教家から超自然現象に関する情報を提供してもらうことができるようになっていなければならない。超自然現象の情報を宗教家が独占してはならない。物理学者に限らず、誰でもどこでもいつでも超自然現象に関する情報が見られるようになっていなければならない。
そもそも超能力者は宗教とは無関係だから、超能力者の超能力の才能は超能力者自身のものであって宗教家のものではない。[宗教家が超能力を見ただけで、超能力者の超能力が宗教家のものにされてはたまらない。]だから、超能力に関する情報も宗教家が管理する権利はないのである。もちろん、超能力者の超能力を、超能力者にとっては赤の他人である宗教家が勝手に消したり弱めたりしてはならないのは当然である。[宗教家の代わりに国の者がやっても同様である。]

[2800] 日本政府が悪い。 h18.11.27
私が『日本神道をこの世から無くせ。日本神道とその他の組織とのつながりを断て。』と言う命令を出してからしばらく経つのに、いまだに何の変化もない。
これは日本政府が私の命令を無視したからである。
日本政府は日本神道からお金をもらって日本神道とつるむことに決めたのだ。
これでは旧態依然として、日本社会が少しも善くならない。
その責任は日本政府にある。
日本政府が悪いのだ。
よって、私はやむを得ず日本政府に対して攻撃を加えることにする。
つまり、『今後、外国と日本との貿易を禁止する。』ことにする。[ただし、私が輸入する商品は除く。]
この命令は、私が取り消さない限り半永久的に有効である。


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