[2401] 天皇は神とは無関係である。 h18.6.10
神学第1原理より、
神は生物学的に人間の上にあるのであって、宗教的・行政的な理由で人間の上にあるのではない。
神は全人類の上に立つ。それゆえ、たとえ仮の神を置くとしても、世界で一人だけである。
一方、天皇は日本国の象徴にすぎない。それは国すなわち行政上の区分に依存するので、そもそも神とは関係ない。たんなる憲法上の取り決めにすぎない。天皇は人間であって、天皇は国民の代表者にほかならない。[それにしても、日本国を一人の人間で代表することにどれだけの意義があるのだろうか?天皇がもっとも日本人らしい人間だと言うのだろうか。国の予算に余裕がなければ、やはり天皇制は廃止すべきではないだろうか。無意味なものは切り捨てるのが合理的だ。]
仮の神も、人類が神の存在を忘れないと誓うなら、あえて設けなくてもよい。[どうせ、作り事の神の存在に矛盾があって、弊害がありそうだし、予算の無駄使いでもある。]
ただし、真の神が出現したときには、人類はすみやかに神に従わねばならない。[“神”と言うと宗教臭くなるので、正確には超能力者と言ったほうがよいだろう。でも、いちいち超能力者というと長くなるので、私は神と言う言葉を使うことにする。
【事件】 h18.6.10
今日も午後11時15分頃にインターネットの回線を切られた。今度はBattlefield2とiTunesの両方が同時に切れた。だから、ゲームのサーバー関係者のせいではない。もっと原因はおおもとにある。DIONがくさい(と思うな)。刑は死刑以上ということになる。
(H18.6.11追加)大事なことを忘れていた。カルカンドの郊外の旗が動かなくなっていたことだ。地図を見ても郊外の所に黒い楔[くさび]形の傷が2つ付いていた。別のサーバーに変えてやってみると、今度は旗は動いたが、やはり地図を見ると黒い傷が付いていた。このことから、いつもゲーム中に回線を切るのは、EAのBF2のサーバー関係者だと考えられる。それも野サバではなく、サーバーの総元締め[もとじめ](マップやクライアントのデータをダウンロードする大もとのサーバー)の関係者のせいだと考えられる。したがって、DIONやNTTは関係ない。疑ってごめんなさい。
(H18.6.12追加)私のゲームの邪魔をしていた者がEAの大もとのサーバー関係者であることがわかったので、その者に対する刑罰は、EAの大もとのサーバーを触[さわ]れないようにするために、EA社をクビにすることにする。
[2402] 天皇は現人神ではない。 h18.6.10
昭和天皇が本当の神(現人神;超能力者)ならば、戦争しなくても全世界は日本にひれ伏したはずだ。
天皇の権威が日本国内でしか通用しないから、いちいち面倒な戦争をしなければならなかった。
天皇の権威が国内のみなのは、それが日本人の間で決めたお約束事にすぎないからである。
天皇の権威が虚構であって真実ではないから、世界に通用しなかったのだ。
[2403] 徳川家にも劣る天皇 h18.6.10
天皇は徳川家に左遷をくらって東京から京都に移らねばならなかった。
江戸時代には、天皇の権威は国内ですら通用しなくなっていたのだ。
それは、江戸時代にはすでに天皇が現人神ではなくなっていたからである。
[2404] 宗教とは何か? h18.6.11
法律では人間の思考や行動を完全に制限できない。それは、法律が人間の自由を保障するものであるからだ。
法律で制限されない自由の部分に新たな決まりを足すのが宗教である。[ただし、地方公共団体による特別法としての条例は除く。]
その決まりを最初に作った者が教祖であり、神とも呼ばれる。
教祖の作った決まりを受け容れる者がその宗教の信者である。
宗教は法律の範囲内で活動しなければならないし、信者以外の者が教団(宗教団体)の決まりを守らないからと言ってその者を迫害してはならない。
【命令】 h18.6.11
私の睡眠の邪魔をしてはならない。睡眠不足だと勤務が続かないから。
私の睡眠時間は、
昼勤のとき;夜10:30〜朝6:30(8時間)
夜勤のとき;昼10:30〜夜6:00(7時間30分)
[2405] 日本殲滅[せんめつ] h18.6.11
日本人は実在や理論をなめている。[とんだ未開民族だ。]
神学第1原理は真実なのに無視して従おうとしない。
こんなふざけた民族は何をしでかすかわからない。人類の未来にとって危険な存在だ。
したがって、神学第1原理を無視した日本民族は殲滅させるに値する。
[日本殲滅のプログラムは、私の一般掲示板の『作戦』を参照すること。]
[2406] 天皇 h18.6.12
(超能力のない)普通の人間なのに(待遇は)普通の人間ではない。
そこに矛盾がある。
一方、実在の世界には矛盾がない。[矛盾は諸悪の根源である。]
よって、天皇を根絶すべきである。[仮の神も立ててはならない。天皇一族は生き残ってもよいが、天皇の地位・身分・権威・権限は永久にこの世からなくさなければならない。]
[2407] 弁証法 h18.6.12
正反合。
それは議会の法則だ。
議長が対立する意見をまとめるとき、両方の意見を取り込んでひとつにしなければならない。
[2408] 神の命令 h18.6.12
神の命令は絶対的であり、好むか好まざるかに関わらず人類は神の命令に従わねばならない。
【命令】 h18.6.12
私の下の部屋に住んでいる『岡本利行』を至急どこか遠く(少なくとも私の住んでいるマンションの外)へ立ち退かせろ。
近くにいるとうっとうしくて面白くないし、寝苦しい(気持ちが鎮まらず眠れない)からだ。
【命令】 h18.6.12
私といっしょに働いている『井上宏』を至急別の職場へ移動させろ。
毎日私にガンを飛ばして(感覚波によって他人に頭痛を与えて)私に苦痛を与え私の気分を害するからだ。
【命令】 h18.6.12
私の睡眠の邪魔をしてはならない。睡眠不足だと勤務が続かないから。
私の睡眠時間は、
昼勤のとき;夜10:30〜朝6:30(8時間)
夜勤のとき;昼10:30〜夜6:00(7時間30分)
睡眠時間は毎日最低6時間は取らねばならない。長ければ長いほどよい。
[2409] ガン飛ばし h18.6.12
私が高知学芸高校1年生のとき、通路を挟[はさ]んで隣の席にいた尾立[おりゅう]君の英語(リーダー)の授業中の教科書のパラパラめくりに腹を立てて、自分の不快中枢(おそらく偏桃核付近にあると思われる)に力をこめて興奮させた。
その結果、それまでは体表の感覚器によらねば興奮しなかった不快中枢(痛覚中枢)が、ほんのちょっとの刺激でも興奮しやすくなり、体表の感覚器によらなくても興奮するようになった。例えば、他人が発した感覚波によって、私の不快中枢(痛覚中枢)が興奮するようになった。これが『ガン飛ばし』による頭痛であり、テレパシーによる幻聴とは別の現象である。
脳細胞は活動させればさせるほど活動しやすくなる性質があるので、不快中枢は意識的に活動させるべきではなく、反対に快中枢や幸福中枢(例えば、愛情)を積極的に活動させるべきである。
[2410] ガン飛ばしと視線の関係について h18.6.12
ガンを飛ばされると、飛ばされた側の不快中枢(痛覚中枢)が興奮するので、視線がそちら側を向く。
[2411] 天皇撲滅 h18.6.12
今の天皇制がこのまま続くと、今度の私の場合のように、生まれた赤ちゃんに超能力があると赤ちゃんの脳に処理をして超能力を消し去ることを続けることになる。[∵本物の神(超能力者)の出現によって偽者の神(憲法上で地位を保障されただけの天皇)の権威が失われることを恐れたためである。]
そんなことをすれば赤ちゃんの脳にダメージ(後遺症)が残ることになるし、その後の発育も順調に行かなくなるだろう。
天皇に協力したところで、別に親がお礼をもらえるわけでもない。
そのうえ、赤ちゃんの脳を処理した後でも、死ぬまでずっと嫌がらせが続くのだ。
これでは子供の人生が台無しだ。
子供が不幸にされるだけだ。
こんないやらしいことをする天皇がいる国に、あなたは住みたいと思うだろうか!?
安心して赤ちゃんを産めるだろうか?赤ちゃんを育てられるだろうか?
いくら天皇が自分たちの幸福な生活を守るためだとはいえ、庶民に対するこのような仕打ちを許すことはできない。
こんな余計なことをする天皇は日本にいないほうがいい。
[天皇を殺したりはしないが、天皇という行政上の役職が不要なのである。日本人が人間よりも上にある神というものを認めたいことはわかるが、そうだからと言って、無理に天皇という“仮の神”を立てるのはまちがっている。仮の神はあくまでも間に合わせの偽者[にせもの]にすぎず、本物の神(超能力者)ではないから、そんなインチキな制度を敷くと長い間には国政が腐敗してくる。本物の神が現れたときだけ、人類は神を崇[あが]めればよい。天皇すなわち“仮の神”は無用だ。]
[2412] 日本の象徴 h18.6.13
天皇を日本の象徴にはしないことにする。
なぜなら、“象徴”という言葉の意味が曖昧で、曖昧な言葉を法律に使用すべきではないからである。
したがって、天皇は憲法上で規定された行政上の役職にすぎないことになる。[だから、天皇は人間であって、けっして人間よりも上の存在ではない。]
天皇制は人間である者を人間よりも上の存在と見なすことであり、不合理的な制度である。
不合理な制度を憲法で認めてはならない。
したがって、天皇制を廃止し、天皇がこれまで荷っていた役職を国政の各省庁で分担してやってもらいたい。
[2413] 犯人は天皇 h18.6.13
これまで、天皇は日本政府と日本神道の二つを介して私の人生を妨害してきた。
しかし、そもそも天皇は人間であり、人間よりも上の存在である神としての私に手出しはできないはずだ。
そもそも人間である天皇に人間よりも上である神の権限を与えたことがまちがっている。
したがって、天皇制を廃止する。
神(超能力者)が現れたときだけ国際連合に世界神機関(WGO)を設置し、神に従属する国際体制をとらせることにする。
神が死んだ後も、神の発した命令がすべて実現されるまで世界神機関(WGO)は活動を続ける。すべての命令を実現した後にその活動を停止する。
[2414] 日本神道の民営化 h18.6.13
天皇制が廃止されると、もはや天皇と国政とのつながりはなくなる。
天皇を崇[あが]める宗教団体としての日本神道も、ひとつの民間宗教団体にすぎなくなる。
民営化された日本神道が、天皇家の人を崇めるか否かは、天皇と教団との間で話し合って決めてもらいたい。ただし、もはや天皇は人間よりも上の存在ではなく、一人の人間にすぎないことを忘れないように。
もっとも、今の天皇には思想がないから、法律を補って人生を幸福にするほどの規則をつくることはできないだろうから、宗教としては成り立たないだろう。
[2415] 日本の大罪 h18.6.13
『アイドル伝説えり子』や『アイドル天使ようこそようこ』など私を女の子に変えたアニメ作品を作ったことはどうでもよい。
しかし、テレパシーの悪口やガン飛ばしなどで、私の勉強の楽しみをさんざん邪魔したことは絶対に許せない。
[2416] 日本殲滅? h18.6.13
これまで私の人生を邪魔したのが天皇家だけのせいであるなら、天皇制を廃止すれば同様の事件の再発を防ぐことができ、日本殲滅などしなくていい。
しかし、私の邪魔をしたのが天皇以外である可能性も考えられる。
今後の私の周りの動き方次第だ。
[2417] 天皇制の悪い点 h18.6.13
天皇制は世襲制である。
世襲制だと何の努力をしなくてもいい地位につけるから、代を追うごとに人格が落ちぶれていく。
今の天皇家にできることは、自分たちの地位を守るために、本物の神の足を引っ張ることぐらいだ。
だから、天皇制は廃止すべきだ。[一個人(人間)への権力集中のしすぎ、国の予算の無駄使いである点からも、天皇制はないほうがいい。]
[2418] 同業他者 h18.6.14
薬局ができて一番迷惑するのは魚屋でも八百屋でもなく近所の薬局だ。
同じように、超能力者である私がいて一番迷惑するのは、同じ超能力者と考えられている天皇である。
国会議員は、ライバル(競争相手)が国会議員だけだから、(天皇の命令でないかぎり)自分から私を攻撃することはない。
宗教団体(ただし日本神道は除く)は教義本位であって超能力とは関係ないから、私が布教活動をしないかぎりライバルにはならない。しかも、私は宗教には関心がない。だから、私と宗教団体(ただし日本神道以外)が争うことはない。もっとも、私の実在哲学の思想が教団の教義と相容れないために私が攻撃されることも考えられるが、日本国憲法で思想・宗教の自由が認められているので、こういった攻撃は正当ではない。だから、宗教団体(ただし日本神道を除く)が私を攻撃してきたとは考えにくい。
赤ちゃんの頃の私の脳に処理をして超能力を消し去り、その後も私の友達を使って私を万引きに誘ったり、エロ本を見せたりして私にたびたびちょっかいを入れて私を非行の道に走らせようとしたり、私が高校1年生のとき分裂病にかかってからは近所の連中を使ってテレパシーで悪口を浴びせたり、ガン飛ばしで集中力を奪って勉強の邪魔をし続けたり、最近では無断で私の部屋に入って私の物を盗んだり壊したりしたのは、天皇を信仰の対象とする日本最大の宗教団体である日本神道以外にはない。
もっとも、天皇自身が私の邪魔をしようとしたのか、教団の長が天皇を守るために私の邪魔をしようとしたのかはわからないが、とにかく天皇がいるせいで私の人生が邪魔されて不幸な目に会ったことは確かだ。
私を攻撃したのは天皇家のうぬぼれだ!
お前らは最初からただの人間にすぎない。
法律を傘に着てバカが威張るな!!
天皇制を廃止し、二度と同じようなことが起こらないようにしよう。
[2419] 天皇VS神 h18.6.14
天皇は、自分が神よりも偉いと考えたから神である私を攻撃してきた。
天皇は自分自身がわかっていないし、神が何かもわかっていない。
天皇は憲法の上で定められた役職のひとつにすぎない。天皇の偉さは紙の上の作り事である。
一方、神は生物学的・実在的に人類の上に位置する種族である。神の人類に対する優越性は実在界における真実である。
その証拠に、天皇制は国内でしか通用しないが、神は全世界で通用する。
神と天皇とは最初から次元が違うのだ。
天皇は作り事の神であり、本物の神には到底かなわないのだ。
そもそも天皇家がバカすぎるために、わざわざ神を攻撃して自分で自分を潰す羽目になってしまったのだ。
[2420] 南北朝時代の神 h18.6.15
南北朝時代に現れた神は、自分を天皇と同じ者と定義したのだろう。
だから、天皇を超える者にはならなかったのだ。
権力争いにはたぶん関心がなかったのだろう。
[2421] 女が化粧する理由 h18.6.16
女が化粧する理由は、男のためでも子供のためでもなく、自分自身のためである。
女は自分自身の心を満足するために、化粧するのだ。例えば、短いスカートをはいたりするのだ。
いくらいい知覚や五感があっても、それを動かすのは心なので、
心に考える喜びがなければ、知覚を働かせて考えようとはしない。
女性の場合、心に考える喜びが少ないので、見掛けのよさで喜ぶしかないのである。[裏を返せば、たとえ女性であっても考える喜びが強ければ、学業に進んでもよいことになる。]
ただ、考えることだけでは人間の生活は成り立たないので、世の中にはあまり考えたがらない種族もいないといけないのである。
[2422] 性欲が悪い理由 h18.6.17
性欲自体を満足することは快だが、性欲を満足する結果、知覚界に曖昧な現象性イデアが発生し、この現象性イデアが知覚の機能を狂わすために、人間が実在に適応できなくなり、より大きな不快感を味わうことになる。
[2423] お母さんと赤ちゃんが仲良くやる方法 h18.6.17
お母さんが赤ちゃん好きで、
赤ちゃんがお母さん好きならば、
お母さんと赤ちゃんは仲良しである。
[2424] 相対論的人間観 h18.6.18
“その人”とは、他人の感覚界の中にある‘その人’ではなく、その人自身が感じている“その人の感覚界”のことである。
だから、その人自身が感じている感覚界が理解できてはじめて、その人が理解できたことになるのだ。
例えば、愉快な人とは他人にとって愉快な人ではなく、その人自身が愉快に感じている人のことである。
『我々の銀河系からアンドロメダ銀河系までワープ11で飛んで300年かかる』(スタトレ#50)のではなく、
光は瞬時に(0秒で)宇宙の端から端まで到達するのだ。光自身の感じる時間は0秒だ。
[2425] 正しくても嫌なことはやらない。 h18.6.19
『ビルの屋上から飛び降りたら死ぬ』ことは真実だが、(自殺志願者以外は)誰もそうしようとしない。
それは、死ぬのが嫌だからである。[たとえ、飛び降りている間は気持ちよくても、地面と衝突する瞬間は痛いから嫌だ。]
このように、たとえ正しいことでも、感情的に嫌なことは、人間はやろうとしない。
[2426] 西暦3000年までに人類がなすべきこと h18.6.20
@仕事のない社会の実現…仕事はロボット(またはアンドロイド)にさせる。人間はロボットに指示を与えるだけだ。ロボットに心を与えてはならない。なぜならロボットに動機を持たせると、人類がロボットに征服される危険があるからだ。したがって、ロボットは単独で自立的に思考・行動することはできず、必ず人間の命令によって動かさねばならない。人間とロボットが同居する社会において、幸福な人間とはロボットに適切な指示を与えることによって自分の心を満足できる人間であり、不幸な人間とはロボットに命令しても自分の心を満足させることができない人間である。したがって、未来社会においては、自分の心についての正確な知識を持つ者が幸福になり生き残り、自分の心に無知な者が不幸になり早死にすることになる。
Aお金のない経済の実現…仕事はお金と等価だから、仕事のない社会はお金のない社会でもある。したがって、未来社会は資本主義ではなく共産主義である。スーパーなどで食品を取るときには、人間が食べる物の種類や量は決まっているので、それ以上に取る必要はない。したがって、人間によって消費された分だけを、ロボットによって生産して補えばよい。自動車やカメラや衣服などの嗜好品についても、人気機種は性能のよい数種類だけに限られるから、その物だけを生産すればよい。個人による嗜好の細かい違いは、パーツの入れ替えや個人の工夫で自[みずか]ら行えばよい。住居の広さについては、人間が最も快適に暮らせる空間の容積を算出し、それを個人に与える。その容積に収まる物を取ることにすれば、物を無限に生産する必要はない。住居の場所については、現在では地球上の場所によって良し悪しの違いがあるが、今後技術が発達すれば、立地条件による快適さの違いを交通・流通・通信技術や居住空間の制御によって緩和できるようになるだろう。
B義務教育の撤廃…仕事もお金もなくなれば、義務教育も必要ない。私の人生で一番楽しかった時期は、私が中学1年生のとき高知市旭にあった『みその学舎』に通っていた頃だ。台風の大雨の中を自転車でたった一人で通ったことがあるくらいだ(もちろん塾は休みだった)。学校にはない、あの自由な雰囲気がじつによかった。私は体育や音楽が苦手だったので、体育や音楽の授業がある学校が嫌だった。せっかく他の科目で楽しくやっても、苦手な体育や音楽のためにそれらの楽しみが台無しだった。塾には体育や音楽の授業がないので楽しさいっぱいだった。そもそも私は読書が好きだったので、学校は要らなかった。私の理科の主な知識は小学館の『こども学習事典』や『雨はどうしてふりますか?』などの本によるものだ。自分で面白い本を読んで、自分で勉強するのがよかった。学校はただ通っていただけのことだ。仕事をロボットがする時代においては、勉強は人生の娯楽となるのでそれだけ個人の趣向に合ったものでなければならない。学校でやるマスコミ教育はむしろ個人的娯楽の妨げになるので、学校はないほうがよいのである。
[2427] どうして不良は攻撃的なのか? h18.6.20
不良は、過去に自分の痛覚を興奮させすぎて心が傷つきやすいつまり痛覚が興奮しやすくなっているために、他人がちょっとしたことでも自分が他人に痛い目に会わされた仕返しをしようとして他人に攻撃的なのである。[自分の痛覚を興奮させすぎた原因は、性感によって発生した現象性イデアのせいだと考えられる。]例えば、咳払いは、自分を不快な目に合わせた者に対する攻撃の一手段である。
[2428] オナニーと不快(痛覚)中枢の過度の興奮の関係について h18.6.22
オナニーとは、自分の性欲中枢を自分自身で積極的・能動的に興奮させることである。
たとえオナニーであっても、快中枢を興奮させるかぎりは問題ない。
子供のときには『自分で自分の感情を興奮させる』ことを知らないが、思春期になると『自分で自分の感情を興奮させる』ことを覚えるようになる。
そんなとき『自分で自分の感情を興奮させる』ことを知った思春期の若者が自分の気に障る不快な出来事に出会ったとする。
さらに、その若者は以前何かの本で《超能力で他人の思考や行動を操ることができる》ことを読んだことがあったとする。
この場合、その若者は『自分で自分の不快(痛覚)中枢を必死になって興奮させて』、その怒り・憎しみのエネルギーで《超能力(マインド・コントロール)を働かせて相手の気に食わない態度を改めさせようとする》のだ。
《超能力で相手の気に食わない態度を改めさせる》まで無理やり『自分で自分の不快(痛覚)中枢を興奮させすぎた』結果、[マインド・コントロールは出来ずに]痛覚中枢が過度に興奮しやすくなるのである。
したがって、それまでは気に留めなかった幻聴(空耳、テレパシー)に不快中枢(痛覚中枢)が過敏に反応するようになったために、幻聴を不快に感じるようになってしまうのだ。[精神分裂病]
[2429] 子供の感情の満足させ方と、若者の感情の満足させ方の違い h18.6.22
子供は“何かやって”自分の感情を満足させるが、思春期の若者は自分の感情自体を興奮させることによって満足を得ようとする。[例えば、酒とかタバコとか。若者は、これを“大人のやり方”と呼ぶ。]
つまり、子供にとっては何かをやった結果として感情が満足されるが、若者にとっては逆に自分の感情を満足させるために何かをやることになる。
つまり、子供の世界は五感や知覚が中心で心は五感や知覚に従属するが、若者の世界は心中心で五感や知覚が心に従属するのである。
マインド・コントロールなどの実在しない超能力は、心中心の世界においてのみ存在する空想的概念であり、怒りや憎しみなどの負の感情(不快な感情)を積極的に肯定し分裂病の原因ともなる危険な概念である。『実在する脳細胞には興奮させればさせるほど興奮しやすくなる』性質があるから、心の世界のみに囚われて実在を見失い、怒りや憎しみなどの不快な感情をいたずらに肯定しそれらを過度に興奮させることは不快中枢が興奮しやすくなり大変危険である。
そして、大人には子供と若者の両方の経験がある。大人は子供の感情の満足させ方と若者の感情の満足させ方を適宜使い分けて自分の感情を満足させている。
[2430] 宗教は神と無縁である。 h18.6.23
宗教とは、自分が幸福になるために守るべき決まりを考えることである。[宗教の定義]
つまり、宗教とは幸福のための思想である。
ところで、『感覚の局在性』より、各人の感覚界は互いに独立であるから、各人は各人の感覚界において生きている。つまり、各人は各人の考えに従って思考し行動している。この意味で、各人の思想は自由である。つまり、自分が自分の思想によって行動しているように、他人は他人の思想によって行動しているのであり、他人(神も含む)の思想が自分の思想と違うからといって、他人を自分が攻撃してはならない。[憲法第19・20条の拡張]
宗教の教義は、自分の思考・行動を律するものであって、他人を律するものではない。
宗教の教義は自分を律するものである。
したがって、宗教の教義は自分にわかること・できることで述べられていなければならない。自分にわからないこと・できないことで述べてはいけない。なぜなら、自分が守れないことを教義にはできないからである。
例えば、自分に出来ない『超能力』と言う言葉を用いてはいけない。
したがって、超能力が使える『神』と言う言葉も用いてはいけない。
したがって、宗教は神や超能力とは無縁である。神すなわち超能力者は、超心理学か物理学か医学(生物学)の対象とすべきであって、宗教の対象ではない。
[もっとも、神学第1原理より、神の命令には教団の長および信者を含む人類全員が従わねばならない。]
[2431] 生贄[いけにえ] h18.6.23
昔の人々は、火山の神様が怒って地面を揺らせるために地震が起こると考えていたから、地震を起こらないようにするには火山の神様の機嫌を取らねばならず、そのために若い美人を火山の噴火口に突き落として火山の神様に捧げる生贄にした。[恐ろしいことだ。]
しかし、今では地震の原因は地球内部のマントル対流による地殻の移動に伴う歪みの復元による地殻の振動だと考えられているので、もはや生贄を捧げることはない。
[2432] 天皇とは何か? h18.6.24
自分が神でないのに神であると自惚れているだけのただの人間。
[2433] 私が日本にヨーロッパを占[と]らせない理由 h18.6.24
私はバカを喜ばせるために働きたくはない。
バカがリコウを支配している世界など、もってのほかである。
バカがリコウのために働くのはいいことだが、リコウがバカのために働くのは不愉快である。(昔の士農工商制の名残)
ところで、知的水準において、日本はヨーロッパよりも低い。
したがって、日本がヨーロッパを支配することは許されないのである。
[もっとも、神は人間よりも上の存在なのでこの限りではない。]
[2434] 天皇は諸悪の根源。 h18.6.25
これまで、日本社会には多かれ少なかれ天皇の気風が取り入れられてきた。
それが天皇の命令だったからである。
例えば、ヤクザとかバクチとか…。日本語の文末が曖昧だとか、日本語に論理性がないだとか。
このたび私が生まれてきたからヤクザ制度は撤廃できたが、
私が年老いて死んで、天皇家だけになると再びヤクザ制度が復活するかもしれない。
日本語の文末が再び曖昧に戻るかもしれない。論理性もなくなるかもしれない。
これらはすべて、天皇家の人々がバカなことに原因がある。
天皇家が続く限り、これらの悪い制度は永久に日本からなくならない。
だからこそ、今思い切って天皇制の廃止を要求するのである。
[2435] 神経症と分裂病(草稿) h18.6.25
神経症…子供の頃には、まだ『脳細胞は興奮させればさせるほど興奮しやすくなる』ことを知らなくて、自分の不快中枢を興奮させすぎた結果身に付いた不快感の易興奮性による反応。特定の対象に限定される。(例、咳そう神経症…自分が怒りや憎しみの念を込めて嫌いな相手に咳払いをした(条件反射)結果、他人の咳払いで容易に自分の怒りや憎しみの感覚が起こる反応。)
分裂病…重度のものは、性感などによって知覚界に発生した“現象性イデア”による反応。軽度のものは、生まれつき幻聴覚のある者が何かのきっかけで自分の不快中枢を興奮させすぎた結果不快感(痛覚)に過敏になって(神経症)、幻聴に敏感に反応するようになったもの[幻聴神経症]。分裂病では、不快感(痛覚)の入力が神経症よりも広くなっているために、いろんな物事に対して不快に反応し、それだけ暮らしにくくなる。人間は小児期には五感界の中で大人しく暮らしているが、思春期には感覚自体に囚われて危険な心理状態にあるため神経症や分裂病になりやすい。
[2436] 神経症と分裂病(本稿) h18.6.25
つまり、神経症では不快中枢を興奮させる原因となる対象覚(五感)を強く興奮させたために、その対象覚が興奮しやすくなっている。このために、特定の対象覚に対する不快中枢の反応が強く出る。例えば、人前で話をするのが怖い病気がある[対人恐怖症]。そんな時には手のひらに人という字を書いて飲むと治る(つらい現実を冗談化(空想化)してリラックスさせる方法)。
これに対し、分裂病では不快中枢自体を強く興奮させたために、その不快中枢に流れ込むすべての対象覚に対して不快中枢が興奮しやすくなっている。だから、メジャー・トランキライザーによって不快中枢の興奮を鎮めると症状が軽快する。
人間は小児期にはまだ五感界の中で生きていて、認識が具体的特殊的である。そのため不快な対象に出会ったとき、不快感自体よりも対象覚(五感)のほうを強く興奮させてしまうために、その対象覚の興奮性だけが高まり、不快感の興奮性が特定の対象覚に限定されているのである。
ところが人間は思春期になると、第2次性徴期に入るので、感情の興奮性が高まり、心界の中で生きている。そのため不快な対象に出会ったとき、特定の具体的な対象覚よりも感情自体のほうを強く興奮させてしまうために、不快中枢そのものの興奮性が高まり、神経症よりも分裂病に罹[かか]りやすいのである。
もっとも、『脳細胞を興奮させればさせるほど興奮しやすくなる』こと(感覚の自己増強作用・ポジティブフィードバック)、したがって『快中枢や快な対象覚を興奮させるべきであり、不快中枢や不快な対象覚を興奮させてはならない』ことを知っているだけでは、うまく行かない。なぜなら、例えば、麻薬を用いた快楽中枢の興奮には“禁断症状”(脳内化学物質の動態による副作用)があるし、性感の刺激による性欲中枢の興奮には“現象性イデア”による知覚の機能障害に伴う不快感があるからである。[現象性イデアによって知覚界が機能障害(思考奔逸、連合弛緩など)に陥るのは、コンピューターのプログラムに一箇所でも不明確な箇所があると、エラーが出て作動しないのと同じ理屈である。]
つまり、人間が精神病にならないためには、感覚の自己増強作用以外の知識もいろいろ必要なのである。[たとえ、私が高校1年までに『脳細胞が興奮させればさせるほど興奮しやすくなる』ことや『マインド・コントロールが空想上の超能力にすぎない』ことを知っていてそれらを守り通したとしても、あのままオナニーをしつづければいずれは知覚界に発生した現象性イデアによって重度の分裂病になっていたはずだ。]
[2437] 鬱病 h18.6.25
それまで対象覚Aによって興奮していた幸福中枢が、突然対象覚Aからの入力が途絶えることによって幸福中枢が興奮できなくなった状態。例えば、息子が元気でいることを喜びにしていた母親が、突然の息子の死によって喜びが失われてしまった状態。また、例えば、私にとって医学書は“理解する喜び”を与えるものではなかったために、医学部の4年間はずっと気分が落ち込んでいた。
そういう場合には、他の対象覚BやCによって幸福中枢を興奮させればよいが、幸福中枢があまりにもひとつの対象覚Aの入力だけに頼りすぎていると、他の対象覚の入力では十分な幸福中枢の興奮が得られないことがある。抗鬱薬によって、薬物的に幸福中枢を興奮させると症状が軽快する(人類にとっては、その方面の薬物知識が豊富だから治りやすい)。
[2438] 国会議員と天皇の関係 h18.6.25
『天皇は諸悪の根源。』を見てわかるように、天皇は法に反する者である。
一方、国会議員は国民の生活を守るためにあり、法を守る者である。
したがって、国会議員と天皇は対立する。宮内庁を介して国会議員と天皇は相互作用する。
ところが、日本神道の信者は日本国民であるにもかかわらず天皇に従う者である。彼らは法に従おうとしない不良の連中である。
しかし、そもそも天皇は人間であり国民の一人にすぎず、法に反する資格はない。
[2439] 天皇の存在意義 h18.6.25
「天皇がやっていることだから自分もやっていい。」
天皇は不良が自分の非行を正当化するための道具のひとつにすぎない。
[2440] 森田神経症 h18.6.26
神経症とは、自分にとって不快感の原因となる五感を興奮させすぎた結果、その五感が興奮しやすくなり、それに伴う不快感が強まることである。
森田神経症は神経症の一種である。つまり、森田神経症では自分にとって不快の原因となる五感が自分以外の事物に関することではなく、自分自身に関すること(例えば、自分が眠れないこと)である。森田神経症も普通の神経症も、五感の興奮性が高まることは同じである。
[2441] 信者の特典 h18.6.26
天皇の特権には、『大赦、特赦、滅刑、刑の執行の免除及び復権の認証』がある。[憲法第7条]
日本神道の信者になれば、この天皇の特権を使って、自分たちが犯した罪を帳消しにできる。
その代わり、その恩返しとして、ときどき天皇の命令に従って行動しなければならない。…
しかし、これでは何のために『日本国憲法』があるかがわからない。
天皇の独断で、どうにでもされる世の中になど住んでいられない。
そもそも神学第1原理によれば、天皇は人間のひとりにすぎない。神でない者が神の特権を使うことは許されない。
したがって、この天皇の特権はないことにする。
[2442] 法は科学である。 h18.6.26
いくら取り決めで作った法とはいえ、法が実在と食い違っていてはならない。
実在に反する法に従って国を動かすと、国が滅びるか、少なくとも国の発展が阻害される。
例えば、天皇は取り決めで作った偽りの神であって、実在する本当の神ではない。そんな者に神の特権を与える日本国憲法は間違っている。[神でない者に神をさせると、心理が異常になり頭もおかしくなる。]たとえ、天皇の先祖が神(超能力者)であって、その神が自分の子孫に特権を与えることに決めたとしても、その取り決めは“神でない者を神とする”ことだから、神が作った法としても行き過ぎであって、論理的に矛盾があり実在に反している。[そもそも、初代天皇が神を血筋でつなげると考えたことがおかしい。それでは、初代天皇が神の意味を知らなかったことになるし、神の意味を知らない者が神であるわけがない。超能力者であってはじめて人間よりも上の存在者であるのだから、神はその子孫に超能力がないかぎり、一代限りで終わらねばならないはずだ。]
たとえ神が作った法であっても実在に反してはならない。人が作った法も神が作った法もともに実在に従わねばならない。実在の世界の中で自分たちの心を満足させることを考えねばならない。
したがって、日本国憲法の天皇に関する項目はすべて削除することにする。
その代わり、神に関する項目『神が現れたときには、全人類が神に服従しなければならない。』を置くことにする。(詳細未定)
[2443] 人間を超える生物 h18.6.26
生物の進化は人間で終わりではない。
いつかは人間を超える生物が現れる。
それが超能力を持った人間すなわち神だ。
[2444] 各律 h18.6.29
国法(国の法律)は自由を保障するものであって、
幸福を保障するものではない。
なぜなら、国民は一人一人異なる心を持っており、すべての国民に幸福を保障する一律の決まりは作れないからである。
そこで、各自が国法の不足を補って、各自の幸福を保障する各自の決まりを作らねばならない。
それが個人法すなわち“各律”である。
したがって、各律は国法の範囲内で作られなければならない。
さらに、同じ各律を持った人間が集まって一定の集団を作ることがある。それが、政党や宗教団体などである。そうしたほうが、同じ意見を数量的に把握しやすく便利である。
[2445] 躁病 h18.6.29
躁病には2種類ある。ひとつは対象覚の興奮性の亢進による対象覚性躁病と、もうひとつは幸福中枢自体の興奮性の亢進による感情性躁病である。
対象覚性躁病は具体的特殊的な対象に対してだけ幸福感が亢進するが、感情性躁病は幸福中枢に入力するすべての対象覚に対して幸福感が亢進する。
[躁鬱病の躁期は、防衛機制の一種であって、あまりつらい気分になると、自動的に空想力が働いて空想の楽しい世界に逃れる結果、一時的に楽しい気持ちになるのである。]
[2446] 国とは何か? h18.6.29
気体の実体が気体分子の集まりであるように、国というひとつの実体が存在しているのではなく、国の実体は国民一人一人の集まりにほかならない。
だから、国の意思は国民一人一人の意思を止揚([2407]参照)したものでなければならない。
人間とは人間の身体全体であって大脳前頭葉だけではないように、国とは国民全体であり一人の代表者だけ(例、内閣総理大臣)が国なのではない。
国は国民のためにあるのであって、国のために国民があるのではない。
[2447] 思春期 h18.6.29
思春期になると自分の感情に肯定的になり、快不快に関わらず自分の感情を積極的に働かせようとする。不快感に対する抑えが効かない。『ならぬ堪忍、するが堪忍』の意[こころ]を失っている。
オナニーしているときは快感に浸[ひた]って満足しているが、勉強中はオナニーできずに慢性の“欲求不満(フラストレーション)”に陥っており、ちょっとした嫌なことでも激しく不快に感じる(易怒性)。
そのために、自分の不快中枢をいたずらに興奮させやすく(感情ヒステリー)非常に危険な状態にある。
つまり、性欲と焦燥中枢の間には相互作用がある。[平成18年10月2日補足]
[2448] *[アスタリスク] h18.6.30
私のホームページの哲学日記[1762]にある“*”は私以外の何者かが書き込んだものだが、それ以外は全部私ひとりが書いたものである。[ただし、掲示板とチャットは除く。]
[2449] 天皇のもうひとつの可能性 h18.6.30
神の側近の者が神から神権を与えられた直後に神を殺して国を乗っ取った。
これが現天皇の先祖である。
[2450] 命令(改) h18.7.1
私の命令は、いちいち国連や各国政府を介さなくても、直接に人類や政府が私の命令に従って実行してもよい。
ただし、私の命令は、私の哲学日記にあるものか私の口頭によるものに限る。私の哲学日記にあるものなら何でもかまわない。私が頭の中で考えただけの命令には従ってはならない。[私の口頭による命令があった場合には、あとで(1週間以内に)哲学日記にも書く。私の口頭による命令は、これまではない。]
私の命令は人間の命令よりも強いから、私の命令に従って何をやっても無罪であり、いっさい罰せられることはない。[警察に「神の命令『…私の哲学日記の引用…』でやった。」と言えば許される。]反対に、私の命令に従わない場合には、私が決めた罰を与える。罰は警察の人が行う。
[2451] 平和主義 h18.7.2
今後いかなる国も日本を征服してはならないし、日本におけるいかなる戦争行為も禁止する。その代わり、日本が外国に対して戦争を仕掛けることも禁止する。
外国が自[みずか]らの意思で日本に合併することを誓ったとき、その国は他国に占領されることなく、国内における一切の戦争行為もないことにする。その代わり、その国は他国に戦争を仕掛けてもならない。
[2452] 天皇に政治の才能はない。 h18.7.2
日本の政治家たちは、いくつもの仕事の経験や資格試験を経て政治家になったから、政治家としての才能はあるが、
天皇は世襲制だから、天皇に政治家としての才能はない。
したがって、(たとえ補佐・承認という形でも)天皇が国政に参加することは間違っている。
天皇は国政から離れて、もっと重要でない任務に就くべきだ。
[私の次の超能力者が現れるまでには、天皇制を廃止しなければならない。]
【事件】 h18.7.3
今日もBF2のマルチプレイで遊んでいるとき回線を5回も切られた。その度にパソコンの電源を切って立ち上げねばならないので面倒くさい。パソコンが故障するかもしれない。
【法】 h18.7.4
私を攻撃した者(不快な目に合わせた者)に自由に制裁を加えてよい。
【事件】 h18.7.4
今日もBF2のマルチプレイで遊ぶたびに接続を切られた。
意地糞悪い。
もう、この社の製品は買わないほうがいいと思う。
もちろん、ゲームを作った人は尊敬してますよ。ただ、ゲームの邪魔をする者(誰かわからん)は許せない。
[2453] 咳払い h18.7.5
幻聴が聴こえて咳払いする者は、幻聴が聴こえたから咳払いするのではない。
聴こえた幻聴の内容が不愉快だから咳払いするのである。
[私にとっては、何が不愉快なのか見当がつかないが。]
[2454] 『ならぬ堪忍、するが堪忍』 h18.7.5
ならぬ堪忍を堪忍しないと、自分の不快中枢の興奮性がどんどん増して、ちょっと嫌なことでも激しく不快に感じるようになる。その結果、実在への適応性を失って、自分が一生苦しむことになる。
けっきょく、自分が損をするので、『ならぬ堪忍、するが堪忍』を守ったほうがよいのである。
[2455] 仏教とキリスト教☆ h18.7.5
『ならぬ堪忍、するが堪忍』は仏教の教えである。
一方、『汝の隣人を愛せよ。その愛を全人類に拡げよ。』はキリスト教の教えである。
仏教の教えは“不快中枢を興奮させてはならない”ことであり、
一方、キリスト教の教えは“快中枢の入力を拡げねばならない”ことである。
仏教の教えが分裂病の予防となるのに対し、
キリスト教の教えは鬱病の予防になる。[例えば、息子を愛する母親がその愛をすべての人に拡げておけば息子一人が死んだって、そんなに落ち込むことはない。一人の息子だけに愛情が偏っていると(執着気質、偏執狂)、心の支えが狭いから、それが失われたときに気分が落ち込んだままになる。]
このように、仏教とキリスト教は互いに排斥し合うものではなく、どちらも人間が幸福であるために必要不可欠な相い補う教えである。
[2456]人類愛とパブロフの犬 h18.7.5
キリストは『汝の隣人を愛せよ。その愛を全人類に拡げよ。』と言った。
父親や母親への愛は誰にでもある。だから、その愛を全人類に拡げればよいのである。
父親や母親への愛を活動させながら、その他の人間を見ると《パブロフの条件反射》によって、愛情と他人の対象覚との間に神経連絡ができ、その後は他人を見ただけで愛情が湧くようになる。
[2457] 曖昧病 h18.7.5
性感の刺激などで、知覚に曖昧なイデアが生じてそれが知覚の働きを障害する。
これが曖昧病である。
連合弛緩、思考奔逸などの症状がある。
[2458] 精神病まとめ☆ h18.7.5
@分裂病…不快中枢の過興奮で発症する。不快中枢を過興奮させないことで予防できる。(B.C.6C;釈迦)
A鬱病…快中枢へ入力する対象覚の興奮の喪失で発症する。快中枢へ入力する対象覚を拡げることで予防できる。(A.D.1C;キリスト)
B神経症…不快中枢へ入力する対象覚の過興奮で発症する。小児期における対象覚の過興奮を避けることで予防できる。(A.D.20C;フロイト)フロイトは、神経症を“心と知覚(対象覚)の相互作用”として捉えた。
C曖昧病…過度の性的興奮や意味のない記号だけの詰め込み教育などによって知覚に曖昧イデアが生じることで発症する。性的興奮や詰め込み教育を避けることで予防できる。(A.D.21C;私)
[2459] 命令(まとめ) h18.7.6〜h18.7.8
≪神と人に関する法律≫私の法(命令)は、神学第1原理『神すなわち超能力者は人間よりも上の存在である。』に基づくものである。
番号 | 命令 | 理由 | 罰 | 備考 |
0の0 | 《神の定義》神とは、その生涯において超能力を使えたことがあると確認された者である。これ以外を神とは認めない。超能力とは、サイコキネシス(感覚波で物体を動かす能力)のことである。例えば、“テレポーテーション”は自分自身をサイコキネシスで動かすことと見なせるので超能力である。“形質転換”も素粒子レベル(陽子、中性子、電子)でのサイコキネシスによる物質移動と見なせるので超能力である。サイコキネシス以外を超能力とは認めない。 私は幼い頃に超能力が使えたから神である。 |
神の定義を変えた者は死刑。 | ||
0の1 | 全人類は神(例えば、私)に服従しなければならない。少なくとも全人類は神の命令に従わなければならない。 | 神学第1原理による。 | 無罪〜死刑まで(詳細は以下)。 | |
0の2 | 人は人の法と神の法の両方に従わねばならない。ただし、神の法は人の法よりも強い(優先される)。 | 神学第1原理による。 | 同上。 | |
0の3 | 神の法を人が変えてはならない。神の法を追加・改変できるのは神だけである。神の後の法が先の法に優先する。つまり、神が後に出した命令と先に出した命令が食い違う場合には、先の命令は無効であり後の命令が有効である。 | 神の法を変えた人間は死刑。 | ||
0の4 | 神(例えば、私)の法には時効がない。 | 死刑。 | ||
1 | 神でない者が神であると偽ってはならない。 神でない者が神権を行使してはならない。 |
神とは超能力者のことであり、超能力者でない者を神とすることは事実に反するから。 | 死刑。 | |
2 | たとえ神であっても、神でない者(とくに神の子孫)を神としてはならない。神でない者に神の特権を与えてはならない。 | 神が神であるのは《神の定義》によるので、神が《神の定義》に反したら、もはや神自身も神とはいえない。 たとえ神であっても実在に反してはならない。 |
神は死刑。神でないのに神とされた者はその神権を剥奪し、もとの人間に戻す。 | 今の天皇の先祖は神であったと考えられるので、この法の適用となり、今の天皇の特権は剥奪される。→3へ |
3 | 平成28年(西暦2016年)1月1日までに天皇制を未来永劫廃止する。それまでに天皇一族(高松宮を含む)は天皇の地位を捨てて家財道具一式を持って今の住居から立ち退かねばならない。(その後天皇一族がどこへ行くかは自由とする。)その後、皇居は国の所有とする。 天皇一族その他の者が、再び天皇またはそれに相当する地位に就いてはならない(ただし、神を除く)。 |
王制は現在の民主主義に反し、国政に矛盾があることは国政の欠陥である。よって、天皇を取り除かねばならない。 | 期限までに天皇が退位退去しない場合、天皇一族は無期限禁固刑に処す。神でない者が再び天皇の地位に就いた場合は、その者を死刑とする。 | |
4の1 | 神については、少なくとも国法(私の場合は日本国の法律)で国民が保障される権利と同じ権利が保障される。 | 国法で国民に保障されると同じ神の権利を侵した者に対しては、国法で定めた罪と罰と同じ罪と罰が科せられる。 | ||
4の2 | 人間が神の超能力を損ねては(つまり、無くしたり弱めたりしては)ならない。 | 故意・過失の相違を問わず、死刑とする。 | ||
5 | 神は人間の法律では罰せられない。(ただし、神自身が自分を有罪であると認めた場合を除く。) | 神は人間よりも上の存在だから、神の法は人の法よりも強く、神が自分を無罪であるとする限り、たとえ人の法で有罪であっても神は無罪なのである。 | (神の許可を得ずに)神を人の法で罰した者は死刑。 | |
6 | 《宗教法》宗教は人間の幸福を考える会でなければならない。神の許可を得ずに、宗教団体が神に関わってはならない。宗教団体は、一定の教義を定め、団体に属する者はその教義に従って生活しなければならない。教義は国法に従って作られていなければならない。教団は1年に1度、政府に教義を提出し、それが国法や私の宗教観に適っているかどうかを検閲される義務がある。それに適っていない場合、その教団は解散しなければならない。 | 仏教もキリスト教も人間が幸福に生きるための道を説いている。一般に、宗教の教義は自分が幸福であるために自分が守るべききまりを述べていなければならない。ところが、人間には超能力がないから、宗教と超能力とは本来無関係である。つまり、宗教と超能力者である神とは無関係である。だから、宗教は(神の許しがない限り)神と関わってはならない。 | 宗教の長と幹部は無期限禁固刑。 | これでも神への攻撃をやめない者は、精神病者と見なして精神病院の閉鎖病棟へ強制入院させる。 |
7 | 私のPCゲームのマルチプレイをインターネットの回線を操作して妨害してはならない。 | インターネットにおける倫理道徳に反する。 | 犯罪人を警察に通報した者には謝礼として1000000円を国の金庫から与える(ただし、先着1名様に限らせてもらいます)。犯罪人は6ヶ月の禁固刑。 | |
8 | 私の下の階に住んでいる『岡本利行』を平成18年11月1日までに私が住んでいるマンション以外の住居に退去させねばならない。 | 岡本氏の発する鬱陶しい感覚波のために、私が睡眠不足に陥り働けなくなるためである。組織的犯行の線が濃い。 | 岡本氏が退去しない場合、岡本氏を3ヶ月の禁固刑に処す。 |
≪補足≫
・私の命令に背くことは罪である。罪の取調べと刑罰の執行は警察が執り行う(私の命令に従って働いてくれた警察や政府の方は、そのお礼として出世しやすくさせる。)。罪に対する罰は私が決める(上の表を参照)。
・私の命令の対象者への私の命令の通知・連絡は、私のホームページの『哲学日記』を読んだ対象者の知り合いがすみやかに(遅くても刑の執行日の前日までに)執り行う。対象者が私の命令を知らないという理由で罰を逃れることはできない。
・上の表にある命令が私の命令のすべてではない。ただし、私の命令は私の『哲学日記』にあるものか、私の口頭によるもの(あとで、一週間以内に『哲学日記』に書く)に限る。
・私の命令は、なるべく早く実現されねばならない(遅くても半年以内)。
※私の命令に関するご意見・ご質問は、私のホームページにある『一般向け掲示板』の“ご意見・ご質問コーナー”に書いてください。
[2460] 職業選択の自由 h18.7.6
天皇は世襲制だから、職業選択の自由がない。
自分にいくら政治家の才能がなくても、政治の仕事をしなければならない。
自分に向かない・自分が好きでない仕事に就くのはつらいことだ。
だから、天皇自身にとっても天皇制はないほうがいいのだ。
[2461] 日本人 h18.7.7
自分よりも賢い者・優れた者(例、ヨーロッパ人)の存在を認めるのが、日本人の長所だ。
[2462] 日本国憲法は間違っている。 h18.7.7
天皇は神ではない、ただの人間だ。
だから、天皇を特別視する今の日本国憲法は間違っている。
日本国憲法の序文を書き直し、第1条から第8条までは削除しなければならない。
[これまで天皇がやってきた仕事は、日本政府の各省庁で分担してやってもらいたい。]
[2463] 超能力の原理 h18.7.8
現代物理学にとっていまだ未知の世界(場)がある。[万有引力場にとって電磁場が新しいようなものだ。]
その世界において対象と自分とを捉[とら]え、その間に力を伝えることができたとき、その者は超能力者となれるのである。
[2464] ロシアの超能力者 h18.7.8
あれは、トリック撮影にすぎない。
グレイの解剖と同じで実在しない。
[2465] バトルフィールド2におけるインターネット回線の切断について h18.7.12
休日に私がBF2(バトルフィールド2の略)のマルチプレイをインターネットでしていると、ゲームの途中で勝手に回線が切られる。画面が真っ黒くなってフリーズして、そのたびに電源を切って立ち上げなくてはならない。多いときは1日に5〜6回ぐらい。他には、BF1942で1回、“タカアシグモ”で検索したHP(ホームページ)を閲覧している最中に(h18.7.4)切れたことがある。
[2466] 宗教と科学 h18.7.12
仏教やキリスト教などの宗教すなわち心の知識だけでは人間が幸福になるには限界がある。
その限界を超えるのは科学すなわち物の知識である。
デカルトは『精神指導の規則』すなわち知覚についての知識によって科学の世界を切り拓き、人間にさらなる幸福をもたらした偉大な哲学者である。
宗教も科学も人間の幸福のためにある。
哲学第1原理によって、宗教はもはや科学の一部分となったのである。
[2467] アニメの今と昔(直筆) h18.7.12
[2468] 鬱病ーもうひとつの考え方ー h18.7.13
鬱病とは“落ち込み感情”が高まる病気である。
鬱中枢(落ち込み中枢)の過興奮で(つまり、落ち込み中枢を興奮させすぎて)その易興奮性(興奮しやすいこと)が永続的になったものが鬱病である。[鬱病は、落ち込み中枢が激しく興奮している状態であって、感情が静止した状態ではない。怒りで焦燥中枢が過興奮になるのと同様に、恨みで落ち込み中枢が過興奮になるのだろう。]
[欝なこととの出会いは、鬱中枢を興奮させると同時に躁中枢の興奮性の喪失でもある。一方、躁なこととの別れは、躁中枢の興奮が失われるが、鬱中枢は興奮させない。つまり、鬱には2種類あるのだ。]
参考)不快感には、分裂病の原因となる焦燥感(思い通りに行かなくてイライラすること)や、鬱病の原因となる鬱感(落ち込み感・腰抜け感)などがある。
焦燥中枢の過興奮でその易興奮性が永続的になったものが分裂病(焦燥病)である。
[2469] 抑うつ神経症 h18.7.13
落ち込み中枢に入力する対象覚の興奮性が高まったもの。
落ち込み中枢は過興奮させていないので、落ち込み中枢の易興奮性は永続的ではない。
落ち込み中枢に入力する対象覚の興奮がなくなると、落ち込み感情もなくなる。
参考)焦燥中枢に入力する対象覚の興奮性が高まったものが神経症(焦燥神経症)である。
[2470] 神経症は現代病 h18.7.13
鬱中枢の過興奮で発症する鬱病や、焦燥中枢の過興奮で発症する分裂病は、自分の不快中枢(つまり、鬱中枢や焦燥中枢など)を興奮させすぎないように意識的に注意していれば避けられる。
しかし、神経症は多かれ少なかれ誰にでもある病気である。
誰でも日常生活の中で一時的に鬱気分や焦気分になることはある。完全に鬱気分や焦気分にならなかったらかえって日常生活に支障を来たすことになる。なぜなら、不快感は自分に不利な状況を避ける働きがあるからだ。
鬱気分や焦気分があるということは、その反対に躁気分や和[なご]み気分があるということだ。
だから、自分の躁気分や和み気分を満足するように生きていけば幸福になれる。
勉強や仕事が専門化されている現代においては、そんな生き方が許されていると同時に要求されてもいるのだ。
現代人はみなすでに潜在的な神経症患者なのだ。現代人にとっては、自分の心を満足させる自由が与えられているぶん、自分の心を満足させる生き方をしなければならない。それをしないで、いいかげんな生き方をしていると抑うつ神経症や焦燥神経症になって苦労する。
[2471] 私の場合 h18.7.13
私は高校1年生のとき自分の焦燥中枢を興奮させすぎて分裂病(焦燥病)にかかってしまった。
しかし、鬱中枢を興奮させすぎたことはないから鬱病ではない。
もっとも、歴史書や医学書を読むと気分が落ち込むから抑うつ神経症ではある。[抑うつ神経症になると、これまで満足されていた躁中枢の入力が断たれるので、必死になってなんらかの幸福感を得ようとして、おかしな行動をとることがある。外見に囚われたり麻薬に手を出したりするのはそのためである。そのために悩みがますます広がっていく。だから、自分が人生の道を間違えたと感じたら、早めに人生の道を引き返して正しい道に戻ったほうがいい。]
私は小学低学年の頃は全科目同じ程度に好きだったが、小学高学年頃になると好きな科目と嫌いな科目に分かれるようになった。好き嫌いのムラが増幅されたのだろう。嫌いな科目は教科書を見るだけで眠くなって、勉強すること自体ができなかった。[好き嫌いのムラが出来ないまま大人になったのが東大生のような人なのだろう。]でも、好き嫌いがあるぶん好きなことが濃く楽しめるわけだから、そのほうがいいか。
[2472] ヒステリー癲癇[てんかん] h18.7.14
特定の対象覚の入力によって“癲癇中枢”が興奮するもの。癲癇神経症とも言う。
[ちなみに、女性は一生子供のままなので具体覚しかなく大人になってもヒステリー(神経症)が起こりやすいのである。]
[2473] 『わかる』ことの違い h18.7.14
これは私が医学部生だった頃の体験だが、医学部生(私も医学部生だったが、ここでは除く)にとっては具体的・物体的なことがわかることであり、私にとっては抽象的・言語的なことがわかることだった。
つまり、医学部生にとって『わかる』と感じることが私にとっては『わからない』と感じることであり、反対に私にとって『わかる』と感じることが医学部生にとっては『わからない』と感じることであった。医学部生と私とでは『わかる』と感じる世界の位相が違うのだった。だから、医学部生にとって嬉しいことが私にとってはつまらないことであり、反対に私にとって嬉しいことが医学部生にとってはつまらないことなのだ。
要するに、私は医者に向かないのだ。私が医者を続けていても、嬉しいことはなかっただろう。
[2474] 命令 h18.7.16
番号 | 命令 | 理由 | 罰 | 備考 |
9 | 私の死後3年以内に、日本人*は全員死なねばならない。 *)ただし、私の両親と妹と妹の子孫を除く。 |
私の気が済むから。 | 私の死後3年経過したら、外人は日本人*の物やお金を自由に略奪してよい。外人は日本人*を自由に殺傷してよい。もちろん、外人は無罪とする。(外人の日本への入国・滞在・出国も自由とする。外人による銃刀その他の武器の日本への持ち込み・所持・使用も可。略奪した物品の国外持ち出しに対する関税はかからないものとする。) *)ただし、私の両親と妹と妹の子孫を除く。法人も含む。 |
『やられたら、やり返す。』これがケンカの掟だ。 『自分を攻撃しない者には手出しをしない。』これもケンカのルールだ。外人は私を攻撃したことがないから、私は外人を攻撃しないのだ。 ケンカの世界にも道徳がある。ケンカとは、“やられたら気が済むまでやり返す”ことだ。気が済めば、それ以上はやらないのが原則だ。 |
≪補足≫私が作った法(命令)は、私自身が改定するか新たな神が現れてその内容を変更しないかぎり、永遠に有効である。
[2475] 人類VS神 h18.7.18
シャカの場合は、神と人類が協調路線を歩み、その結果インドは大国となった。
キリストの場合は、神であるキリストが磔[はりつけ]に追い込まれて死んだから、人類が神に勝ったことになる。ヨーロッパでクリスマスを盛大に祝うのは、じつは人類の神に対する勝利を祝っているのである。
(ヒトラーは神かどうか定かではないが、ヒトラーが政府と結託して総統となって他国に戦争を仕掛けたから、協調路線といえるだろう。)
このように、政府が国際規約に基づいて、国際規約の許す範囲内で神の身近にいる人々を動かして、神を操作しているのである。その結果、神が人類と仲良しになるか、神が人類に殺されるか、それとも神が人類を殺すかが決まる。政府が上手に神を動かせば人類に利益がもたらされるし、反対に政府が神を下手に扱えば人類は損をすることになる。(厳密には、人類の中に得をする者と損をする者とがいるわけだが。)
[民間の宗教団体は神に関与してはいけないと国際規約で定められているのだろう。そもそも民間の宗教団体はお金儲けが目的だから、神とは関係ない。]
[2476] 命令 h18.7.18
政府は“国際規約”に従って、神の身近にいる人を動かして、神を操作している。
そこで、
番号 | 命令 | 理由 | 罰 | 備考 |
10 | これまでの国際規約を撤廃する。 今後、神に関する国際規約を以下の通りに定める。 1)神にはなるべく早く自分が神であることを教えてやること。これ以外のこと(例、万引きさせたり、エロ本を見せたりすること)をとくに政府が神に対して行ってはならない。 2)神が自分を神であると認めたときから、人類は神に従わなければならない。とくに神の命令には、完全に言葉通りに従わなければならない。 |
これに反する者は死刑とする。 |
≪補足≫神の命令は、例えば私の場合、私の哲学日記にあるものすべてと私の口頭によるものに限る。(ただし、先の命令と後の命令が食い違う場合には、先の命令は無効で後の命令を有効とする。)
[2477] 尾立君のこと(補足) h18.7.18
尾立君が英語のリーダーの教科書のパラパラめくりをしている最中、私がそれを見て腹を立てて震えていると、尾立君は私のほうを横目で見てニヤッとしたあと、コホンと咳払いをして再びパラパラめくりをし始めた。
[2478] 戦争はどうして起こるのか? h18.7.20
自国の不幸の原因が特定の他国にあると考えられる場合、その特定の他国を攻撃し滅ぼすことによって自国の不幸を取り除くことができる。例えば、日本には資源がない。これが日本の不幸の原因である。だから、日本に近接する資源の豊富な他国を攻撃し占領し資源を日本のものとすることで、日本の不幸を取り除くことができる。
あるいは、他国の資源を輸入しそれを自国で加工し出来た製品を他国に売ることによって得た利益で他国の資源を購入することによって、自国の資源不足の不幸を取り除かねばならない。そのためには、自国の産業が他国の産業よりも進んだものでなければならない。そのための高い技術水準を維持するためには人材の育成が必須となる。
しかし、経済の破綻した危機的状況においては先の方法を選択せざるを得ない事態が生じることもある。これが戦争である。したがって、世界経済の安定化こそが戦争を避ける道である。
[2479] オナニーへの道 h18.7.21
1)母がラジカセを中学入学祝いに買ってくれた。
2)冬に風邪を引いた。
3)風邪で熱が出て、土曜の夜に眠れなかった。
眠れないので、ラジカセのスイッチをつけると、『鶴光のオールナイトニッポン』をやっていた。おもしろかったので、毎週聴くようになった。『かやくごはん』*も買った。ニッポン放送に葉書を出して、『銭のもと』(ホルダー付きの紡錘形の小さな黒い財布)も2個もらった。余計なエッチなことを知ってしまった。それで、オナニーし始めた。オナニーのやりすぎで分裂病にかかってしまった。完全に出世の道から外れてしまった。
*)私は小学生の頃、ご飯にふりかけをかけて食べるのが好きで、『すき焼き』『ごま塩』『のり玉』『たら昆布』『旅行の友』などいろんなふりかけをかけた。なかでも『すき焼き』が大好きで、いつもご飯が真っ赤になるくらいかけた。それで食べたあとしょっちゅう気分が悪くなっていた。
[2480] 丑の刻参り h18.7.22
ケンカが、焦燥中枢の興奮を行動に出すことで気が済んで焦燥中枢の過興奮を避けるように、
丑の刻参りは、鬱中枢の興奮を行動に表すことで、その過興奮を避ける精神病の予防法である。
焦気分や鬱気分を内に溜めるよりは、何らかの方法で外に出して解消したほうが心の健康のためにはいい。
[2481] 命令に関する補足 h18.7.23
ひとたび私のHP(ホームページ)で出された命令は、たとえ私のHPがなくなっても*永遠に有効である。(ただし、私の出した後の命令が先の命令に優先する。)
*)例えば、私が死んだりして、私がプロバイダー料金を支払えなくてHPを削除された場合。
[2482] 男らしさ・女らしさとは何か? h18.7.23
男らしさ・女らしさの違いは、知覚の有無で決まるのであり、男女の性別で決まるのではない。
つまり、知覚の働く者が男らしく、知覚の働かない者が女らしいのだ。
いわゆる男性文化とは知覚の働く世界であり、女性文化とは知覚の働かない(五感だけの)世界である。
だから、たとえ性別が男でも知覚が働かなければ女らしくなるし、たとえ性別が女でも知覚が働けば男らしくなる。つまり、女性でも知覚が働けば男らしくしてよいし、男性でも知覚が働かなければ女らしくしてよいのである。
知覚が働いているかいないかは、その人の言葉使いが論理的であるかないかでわかる。例えば、数学や物理学は言葉に論理性があるから知覚が働いており、反対に社会科や生物学(医学も含む)は言葉に論理性がないから知覚が働いていない。
一般に、人間にとっては、男にとっても女にとっても、知覚が働かない世界よりも知覚が働く世界のほうが幸福である。知覚が働かない世界には(うわべの空しい幸せだけで)本質的に幸せはない。知覚が働かない世界で幸せになろうとするのは無駄な努力である。例えば、[社会科や生物学(とくに医学)は社会的には必要だが]数学や物理学に較べて社会科や生物学には面白さがない。[私はそういう理由で、小学高学年頃から無意識のうちに、社会科や生物学よりも数学や物理学のほうを選択したのである。正しいだけなら社会科や生物学にもそれなりの正しさはあるが、社会科や生物学には肝心の面白さがない。]もっとも、社会や生物について考えること自体がつまらないのではなく、それらについて論理的に考えることができれば面白くなるはずである。つまり、対象よりもセンスの問題だ。
[2483] ひも h18.7.23
家族の働きは、仕事と家事である。
仕事は知覚の働く者が、家事は知覚の働かない者が担当する。
知覚の働く男と知覚の働かない女が組めば上手く行くように、
知覚の働く女と知覚の働かない男が組めば上手く行く。
[2484] どうして女は意地汚いのか? h18.7.24
ここで女とは知覚が働かない者のことを指す。[女性は親が教育費をケチるために、知覚が働かないことが多い。社会が豊かになり女性に教育費を与えてやる余裕ができれば、男と変わらない。すべては社会が貧しいことによる謬見(びゅうけん;間違った考え)である。…では、なぜ、これまで男に教育費を優先してきたのか?それは、個人的には女にも男勝りの者がいて男にも女劣りの者がいるが、集団的(統計的)には女性の平均が男性の平均よりも劣るからである。社会が豊かになって男女が平等に扱われるようになると、男女の平均の差は縮まる傾向にある。]
知覚が働かない者には、五感しかない(厳密には心もあるが)。
ところが、五感界には論理性がない。論理性がない世界はあちこちでつじつまが合わずごたごたしている。
だから、五感界と複合する心は意地汚いのだ。[知覚的に矛盾したことを平気でやるし、裏表がある。]
[2485] 見ることと考えることの違い h18.7.25
ただ見るだけではなく、見たものについて考えることが大事だ。
考えることをしないと、ただ見るだけになる。
考えがまとまったら、その考えを言葉にして表せば、もっと面白くなる。
[2486] 『論理的なものは実在的である。』 h18.7.25
知覚界すなわち概念(言葉)の世界が論理的であるために、何かを考え出すことがある。
例えば、ニュートンが物体の運動の原因としての“力”を考え付いたように、
メンデレーエフが元素の周期性を成り立たせるために“エカ珪素”(未知の元素;ゲルマニウム)を考え出したように。
『論理的なものは実在的である。』
五感の経験を知覚で論理的に拡張することによって、認識が実在に近づいてゆく。
つまり、五感界(眼で見える世界)は論理性のない実在しない事(現象)の世界であって、
知覚界(頭で考える世界)こそが論理性のある実在する物の世界である。
[もっとも、五感界は知覚における実在認識のもとになるという意味で重要である。五感界を準実在界と言ってもいい。要するに、知覚は五感界に実在するものを付け加え、実在しないものを差し引いて五感界を修正しながら実在を見ているのだ。]
[2487] 日本人は理系 h18.7.25
日本人は世界的に見ても数学の得意な民族である。
数学が得意なのは、論理がわかるつまり知覚が良いからである。
数学が得意だと科学(実学)も得意である。
だから、アジア諸国の中で文明開化も早かった。
ただ、昨今のテレビ文化や受験勉強が、日本人の論理性を蝕[むしば]んでいるのだ。
テレビも受験勉強もほどほどにしよう。[それか、作り手がテレビ番組や教科書の質(つまり、論理性)を向上させるかだ。]
[2488] 命令(改) h18.7.26
番号 | 命令 | 理由 | 罰 | 備考 |
9 | 私の死後、外国人は自由に日本人*を殺傷してよいし、自由に日本人*の財産および所有物を略奪してよい。[私の死後、外国人は自由に日本に入国・滞在・出国してよい。外国人は自由に銃や戦車などの武器を日本に持ち込み・所持・使用してよい。略奪した財産や物品の日本国外持ち出しに対する関税はかからない。] *)ただし、私の両親と私の妹と妹の子孫を除く。法人も含む。 |
私の気が済むから。 | 外国人に対してとくに強制はしないので、罰はない。 | 私はこの法(命令)を『ケンカ法』と名づける。 |
[2489] 天皇無用! h18.7.27
天皇制すなわち王制とは、王様ひとりのために国すなわち国民すべてがあるという意味である。
王制(天皇制)の下[もと]では、国民は王様ひとりの心を満足するために生きていなければならない。[そうなるように、王やその側近たちが自分たちの都合のいいように、国法を定めたのだ。これに対し、神制(神を人より上に置き、神に人に対する絶対的命令権を与えること)は、生物界・実在界の秩序を守ることである。つまり、王制を支持する法は作り事のふざけた間違った法であり、神制を支持する法は実在本来のまじめな正しい法である。]
ところが、現代においては実際には、“毎日王様(天皇)の意向をうかがいながら生きている国民”なんかひとりもいない。
これは、すでに王様(天皇)のために国民があるのではないことを示している。
国民は天皇なんか無視して自分自身のために生きている。
つまり、現在の日本は民主主義であり、王制すなわち天皇制はすでに死んでいる制度なのである。
いまや天皇制は形の上だけにすぎず、遅かれ早かれ滅ぶ運命にある。
それならいっそ今ここで思い切って天皇制をやめにしようではないか。
ダラダラと意義のないことを続けても仕方がないでしょうが。
[2490] 民主主義 h18.7.28
考えない者は他人の言いなりだ。[それでは民主主義ではない。]
自分で考える者だけが独立できる。[国民一人一人が自己主義であってはじめて、国が民主主義といえるのだ。]
他人の命令が妥当ならば従い、妥当でなければ従わない。
その判断は自分でしなければならない。[王制が敗れたのは、国が豊かになり国民が教育を受けられるようになり国民が自分で考えられるようになって、王様の命令が妥当でない、王様に従っても自分は幸福になれない、王様に従うよりも自分で考えたほうが自分は幸福になれることに国民が気付いたからだ。]
民主主義とは、国民一人一人が自分で考えることだ。[現代ではむしろ王様のほうが自分で考えないバカだから、王様が国民に従うべきだ。]
いまや日本国民一人一人が日本の象徴であって、天皇ひとりが日本の象徴なのではない。
[2491] 自己主義 h18.7.28
誰もが自分の心を満足するために生きている。その点ではみな同じだ。
問題は、自分の心の満足させ方だ。それが各自で違う。
五感界しかわからないバカは、眼で見える物や金でしか満足しない[それも、落ち込んだ世界の中での幸福だから、大したものではない]が、
知覚界のわかる者は、正しい認識がありさえすれば満足できるのだ。[もっとも、生活費と多少の娯楽は必要だが。]
[2492] 偉さとは何か? h18.7.29
偉さとは、人間(ここでは神も含む)のある特定の能力に関して優れていることである。例えば、学力テストにおいて上位成績者は偉い(優れている)し、走り高跳びの競技において高く跳べる者は偉い(優れている)ことになる。
ところで、政治家と野球選手を較べてみると、政治の才能においては政治家のほうが野球選手より偉い(優れている)し、一方で野球の才能においては政治家よりも野球選手のほうが偉い(優れている)ことになる。このように、比較の基準となる才能の選び方によって、偉くなったり偉くなくなったりする。だから、誰でも自分に有利な才能を比較の基準にとれば、自分が一番偉い(優れている)ことになる。
このように、“偉さ”は比較の基準によって変わるので絶対的なものではない。人間をひとつの基準で見て偉くても(優れていても)、他の基準で見れば偉くない(優れていない)かもしれない。人間には優れている点と劣っている点の両方がある。あらゆる点で“偉い”(優れている)人間なんかこの世にはいないのだ。例えば、私の幼い頃の超能力に関しては、超能力では私は他の者よりも偉い(優れている)が、他のいろんな才能においては私は他の者より偉くはない(優れていない)。例えば、運動の才能や音楽の才能は私にはまったくない。知覚の才能についても私は他の者より特別優れてはいない。私が他の者より偉い(優れている)のは、超能力においてだけである。
[2493] ケンカ法は民主主義に反しているか?! h18.7.30
民主主義では、自分で考える能力のある者を対等と見なす。
つまり、民主主義では、天皇も総理大臣もそれ以外の人間もみな平等に一人の人間として扱う。
ところで、『ケンカ法』は私(神)が作った法であるから、人間が作った法よりも強い。つまり、いくら人間が納得行かなくて反対したくても、神である私が作った『ケンカ法』には逆らえない。
民主主義は自分で考える能力のある人間を平等とすることであって、[人と犬を平等とするのではないように]神と人間を平等とすることではない。
したがって、私の作った『ケンカ法』は民主主義の適用外であって、民主主義に反するわけではないのである。
[それに、『ケンカ法』は実在にも反しない。例えば、神でない者を神とすることは矛盾があり実在に反することなのでたとえ神であっても許されないが、『ケンカ法』の内容には矛盾がなく実在に反しないのである。]
[2494] 命令 h18.7.31
EA社のBattleFieldシリーズは傑作だが、同じゲームばっかりやるのにも飽きてきた。しかも、これと言っていいゲームが他にない。
そこで、
番号 | 命令 | 理由 | 罰 | 備考 |
10 | バトル・フィールドシリーズ以外で面白いPCゲームを作れ。 ただし、プラットホームはWindowsXPとする。 |
バトル・フィールドばっかり遊ぶのにも飽きてきたので。 | 3年以内に何かできないと…。 | FPS以外のジャンルを希望する。[例えば、『南青山アドベンチャー』の緻密3D版。みんなで忍者屋敷を宝探しするのだ。] |
[2495] キルケゴールの『愛』の問題について h18.7.31
人はなぜ異性を愛するか?
それは、人はなんらかの快感(幸福感)がなければ生きられないからであり、難しいことや自分の苦手なことを勉強しすぎて知的好奇心を満足させられなくなった者は、『愛』や『見栄』などの低級な感情にすがらなければ生きていけないからである。つまり、『愛』の感情は鬱病や抑鬱神経症に見られる症状のひとつにすぎない。知的好奇心こそが人間の満足すべき感情であり、それを満足させられない者が『愛』や『物欲』や『金欲』やその他のくだらない感情を満足させながら人でなし人生を送っているのだ。だから、知的好奇心以外の『愛』やその他の感情をいくら満足させても、それらは人間にふさわしい感情ではないから、人間にとって心からの幸福は得られないのだ。知的好奇心(いわゆる正義心)を失った落ち込んだ世界の中で、いくら感情を満足しても、それらは一時[いっとき]の間に合わせにすぎず、結局は幸福になれないのである。
このように『愛』は知的好奇心を満足できなくなった者が陥る感情だから、難しすぎることや苦手なことを無理やり勉強するのをやめて、自分の知覚に適したことを考えるように努めれば、再び知的好奇心を満足することができるようになって、くだらない『愛』の感情を満足させる必要がなくなるのだ。
キルケゴールは愛を肯定するかしないかで悩んでいた。(人間にとっては、何の感情を肯定して生きて行くかが問題だからだ。)キルケゴールが神の前に出ると不安が消え去ったのは、キリスト教が愛を肯定する宗教であったからだ。
私の父親が母親と結婚したのは、愛のためではない。見合い結婚だったからだ。父親の生きがいは仕事と読書であり、その余裕で母の愛情を容れ、母と子供を養っていたにすぎない。
[2496] 焦燥気質と抑鬱気質 h18.8.1
生まれつき焦燥中枢の感覚が強い性格を焦燥気質、
抑鬱中枢の感覚が強い性格を抑鬱気質という。
遺伝性があるかも知れない。
焦燥気質の者は焦燥病(分裂病)や焦燥神経症になりやすく、
抑鬱気質の者は抑鬱病(第2種鬱病)や抑鬱神経症になりやすいので注意する必要がある。
[2497] その他の精神病 h18.8.2
鬱中枢の反対が躁中枢であるように、焦燥中枢の反対が和み[なごみ]中枢である。
躁中枢の過興奮によって躁中枢の易興奮性が永続的になったのが躁病であるように、
和み中枢の過興奮によって和み中枢の易興奮性が永続的になったのが“和み病”である。
躁中枢に入力する特定の対象覚の興奮が失われたために躁中枢が興奮しなくなったのが第1種鬱病であるように、
和み中枢に入力する特定の対象覚の興奮が失われたために和み中枢が興奮しなくなったのが“第1種焦燥病”である。したがって、いわゆる焦燥病すなわち焦燥中枢の過興奮によって焦燥中枢の易興奮性が永続的になったのが“第2種焦燥病”である。
あと、神経症にはさまざまな問題となる感情中枢(恐怖感や強迫感など)があり、特定の対象覚がそれらの感情中枢に入力している。対象覚と感情の神経結合を解いたり、感情を鎮めると治る。それらの感情中枢が過興奮してその易興奮性が永続的になるとさまざまな精神病が生じる。
[2498] 東西文化と気質 h18.8.2
西洋人は抑鬱気質だ。抑鬱中枢の感覚が強い。気持ちが落ち込むと五感しか働かない。だから、五感文化が発達した。西洋人が幾何学や自然科学が得意なのはそのせいだ。西洋人が抑鬱気質だから、キリスト教が抑鬱病の予防と対策なのだ。
東洋人は焦燥気質だ。焦燥中枢の感覚が強い。気持ちが落ち込まないと知覚が働く。だから、知覚文化が発達した。東洋人が代数学や文学が得意なのはそのせいだ。東洋人が焦燥気質だから、仏教が焦燥病の予防と対策なのだ。
要するに、西洋文化は物の文化であり、東洋文化は言葉の文化なのだ。たとえうわべはそうでなくても、心の底ではそうなっている。いくら西洋人が文学しても物本位であり、東洋人が科学をしても言葉本位なのである。
それは、人種の脳の構造で決まるのだ。自然選択の結果でもある。
[2499] 神の命令に規制は効かない。 h18.8.4
人は神に対して命令できないが、他の人に対してなら命令できる。
そこで、人が他人に対して「神の命令をきくな!」と命令したとする。
ところが、神の命令は人の命令よりも強いから、神が人に対して「神(つまり自分)の命令をきけ!」という命令が、人が他人に対して「神の命令をきくな!」という命令よりも強いから、神の命令を人が規制することはできないのである。
[2500] 焦燥気質は論理的 h18.8.4
焦燥気質の人は焦燥中枢の興奮性が強く焦燥感の感覚が強い。
ところで、知覚界に矛盾があると、焦燥中枢が刺激されて(興奮して)イライラする(不安になる)。つまり、不快になる。だから、イライラして不快にならないように、知覚界に矛盾がなく論理的になるまでよく考える。
だから、焦燥気質の人は論理的なのである。