[23901] 今のみんなにとっては政府が邪魔[じゃま]である。 h30.7.6
ヨーロッパ文化はいっときみんなが眼で見て頭で考えて心で思って科学や道徳をやって急激に裕福な善い国になって文明が発達するが、あとでみんなが眼で見るだけで頭で考えず心で思わなくなって科学や道徳をやらなくなって貧乏な悪い国になって文明が衰退する。
アジア文化はずっとみんなが眼で見ずに頭で考えて心で思って文学や数学や道徳をやってゆっくりと裕福な善い国になって文明が進歩する。
実在文化はずっとみんなが眼で見て頭で考えて心で思って科学や道徳をやって裕福な善い国になって文明が発達する。
政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせるから、最初のいっときだけみんなに科学や道徳をやらせて急激に裕福な善い国にして、その後でみんなに科学や道徳をやらさなくなって貧乏な悪い国にしつづける。明治から昭和までは善い政府の時代で、平成以後は悪い政府の時代である。
幕府はみんなにアジア文化をやらせるから、ずっとみんなに文学や数学や道徳をやらせてそこそこ裕福な善い国にしつづける。
国民みんなが実在文化をやれば、ずっとみんなが科学や道徳をやり続けてどんどん裕福な善い国になっていく。
政府や幕府はもとはみんなに大昔の娯楽をやらせる会社である。みんなに強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをしたり、国民みんなや国家宗教の神や政府や幕府を拝ませたり、国の外や中で戦争をさせたりする会社である。ついでに、みんなにヨーロッパ文化やアジア文化をやらせているだけだ。みんながヨーロッパ文化やアジア文化をやっていることに追従[ついじゅう]してみんなにヨーロッパ文化やアジア文化をやらせているだけだ。
今はみんなが大昔の娯楽が嫌いになって大昔の娯楽をやらなくなっている。だから、今のみんなは政府や幕府が要らない。今ではみんなが自主的に実在文化をやって科学や道徳をやって裕福な善い国にしていけばいいのだ。政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせるから、みんなにとって政府は邪魔だから、みんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。
[23902] 今の国民や会社は政府の言うことを聞いてはいけない。 h30.7.7
政府は国民に大昔の娯楽やヨーロッパ文化をやらせる会社である。特に、現代の今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせている。
政府がついている嘘[うそ]の世界では「政府は民主主義をやっていて国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」が、本当の世界では『政府は民主主義をやっていなくて選挙や議会をやって国民みんなを拝ませているだけだから政府に国家権力はなく、政府と国民は平等である。』だから、国民は自分で考えて自分が幸福になるように政府の言うことを聞いたり聞かなかったりしないといけない。今の国民は大昔の娯楽も悪いヨーロッパ文化も嫌いだから、政府の言うことを聞かないようにしないといけない。政府の命令を聞かず政府に税金や保険金を払わないようにしないといけない。政府を潰[つぶ]さないといけない。
会社も自分で考えて政府の言うことを聞いたり聞かなかったりしないといけない。今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国民に科学や道徳をやらないようにさせてみんなにまじめに仕事をしないようにさせて貧乏な悪い国にしている。悪人が上で善人が下の社会にしている。他人に働かせて自分が遊ぶ社会にしている。悪人を上の事務に就かせて、事務に会社のみんなから無理やり税金を取らせて政府が永遠に建っていられるようにしている。だから、会社は政府の言うことを聞かないようにしてみんながまじめに仕事をするようにして裕福な善い国にしないといけない。悪人を上に善人を下にしないようにして、悪人を下に善人を上にしないといけない。自分が働いて他人を遊ばせる社会にしないといけない。悪人を上の事務に就かせないようにして、会社のみんなから税金を取らせないようにして、政府を倒さねばならない。
国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなが自分で実在文化をやってみんなが科学や道徳をやって裕福な善い国にしてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
[23903] かっこいいヘッドホンとは? h30.7.7
オーテク(オーディオテクニカの略)のヘッドホンは高音から低音までちゃんと音が出る。ATH-P100L(アマゾンで1,300円ぐらい)が低音がズーンと出たのにはビックリした。ただ、個々の音がのっぺりして面白くない。音が正しく出るだけで面白い音が出ない。音が鈍重[どんじゅう]で気持ちが重くなる。音を聞いても楽しくない。音に感動がない。わざわざ金を出して買う価値はない。このメーカーはただちゃんと音を出すためだけにヘッドホンを作っているのだろう。それなら、いくら値段が高くてもいい物はないだろう。
念のため、私は3000円〜10000円のオーテクのヘッドホンでいいのがないか探してみた。しかし、どれもかっこよくない。重苦しくてダサい。
←ATH-AVA300。3,500円ぐらい。かっこわるい。私の顔に似ている?ハウジングが横から見ると上下“2つに分かれている”。2分←two分←ツーブン←ツブ←川ブ(ツ≒川)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。
←ATH-AD500X。8,500円ぐらい。グロくてかっこわるい。皇太子の顔に似ている?外からドライバーが“光る玉”のように見える。光る玉←神武天皇が東征のときに見た空気のプラズマ←神武天皇←天皇家。政府が国民みんなに国家宗教をやらせるために、政府が国民みんなに国家宗教の神を拝ませるために、ヘッドホンをこんなデザインにさせているのだ。税金はこんなことに使われているのだ。政府はヘッドホンだけでなく日本で売られている商品全部に渡ってこんなことをやっているのだ。今では国民みんなは国家宗教の神を拝むのが嫌だから、政府がこんなことをしても誰もうれしくない。お金の無駄遣い[むだづかい]だ。国民の多くが政府がなにをやっているのか知らずに政府に税金を払っているから、政府は国民からもらった税金でこんななんにもならないことをやっているのだ。だから、国民は政府に税金をやらなければいいのだ。
外国のではゼンハイザーが有名だが、これもかっこよくない。外見がきれいでみっともない。化粧臭くて恥ずかしくて装着できない。無駄な格好付け[かっこつけ]が多くて馬鹿臭くて汚らしい。どうせきれいないやらしげな音が出るのだろう。ヘッドホンの格好がいいだけで音はそれほど安物と変わらない。一聞[いちぶん]の価値はあるが、どうせ日本人の耳には合わないだろう。日本人が聞いても上っ面[うわっつら]のいい音がするだけで楽しい気持ちにならないだろう。声がきれいなだけで棒読みの動画みたいに。
←ゼンハイザーのHD800。20万円ぐらい。どう見ても実費1万円ぐらいで作れそうな気がする。
私が今使っているソニーのMDR-AV510がかっこいい。無駄がなくて機能美がある。音についても低音はほとんど出ないが高音は出る。音が軽快で気持ちいい。低音から高音までちゃんと音が出ないが、そのかわり楽しい音が出る。個々の音が楽しく聞こえる。
←私が13年間以上愛用しているMDR-AV510。3,000円ぐらい。無駄がなくてかっこいい!
MDR-AV510はどう見ても私に合わせて作られているような気がする。これも私が国家宗教の神だからか?!
外国のメーカーの物がよければなんでも外国のメーカーに作ってもらえばいい。それなのに、わざわざ自分の国で物を作るのは自分の国の人間に合った物を作るためである。自分の国の人間が喜ぶ物を作るためである。外国の物は自分にとっては喜びを与えてくれる物ではない。だから、国境を跨[また]いでまで外国の物を買ってはいけない。自分は自分の国の物をなるべく買ったほうがいい。そのほうが自分が幸福になれるのだ。
私が開放型のヘッドホンが好きなのは、『人間はいつも実在の世界とつながっていないといけない』からだ。人間はけっして実在の世界と切り離れてはいけない。音楽の世界に閉じこもってはいけない。ソニーはちゃんとそういうことを考えて日本人のためにヘッドホンを作ってくれているのだ。
[23904] 自分が好きな味の出るカメラやヘッドホンを買わないといけない。 h30.7.8
カメラの世界では、
ニコンは渋い。キャノンはきれい。パナソニックは暖かい。ソニーはそのままだ。
同じように、ヘッドホンの世界でも、
ソニーは渋い。オーテクはきれい。デノンは暖かい(?)。ゼンハイザーはそのままだ(?)。
写真に味があるように、音にも味がある。
自分の好きな味の出るカメラやヘッドホンを買わないといけない。そうすれば幸せになれる。
今の政府は国民みんなにヨーロッパ文化をやらせている。国民に眼で見るだけで頭で考えず心で思わない文化をやらせている。今の政府はインド文化を目の敵[かたき]にしている。今の政府はインド文化の製品を作らせないようにしている。コンデジ界ではニコンが締[し]め出されている。ヘッドホン界(コンパクトヘッドホン界)ではソニーが締め出されている。だから、知的な味が好きな人はニコンのコンデジやソニーのコンパクトヘッドホンを買えばいい。ソニーのスピーカーを買えばいい。
それにしても、カメラのメーカーは4社しかないのに、ヘッドホンのメーカーは10社を超える。それぞれのヘッドホンのメーカーの音の味の違いがわかるのは大変だ。私も最近(ひと月ほど前に)オーディオに興味を持ち始めたばかりなので、まだ全然知らない。だから、まちがっていても責任を取らない。
日本人にもいろいろいる。インドっぽいのとヨーロッパっぽいのと中国っぽいのがいる。ヨーロッパ人にもいろいろいる。インドっぽいのとヨーロッパっぽいのと中国っぽいのがいる。だから、ヨーロッパ人の中にもインドっぽい頭のいい人が少しはいる。ヨーロッパ人は平均的には馬鹿で悪人だが、ヨーロッパ人の中には利口で善い人もいる。つまり、集団には分散がある。だから、ヨーロッパがアジア文化を取り入れる時代には“インドっぽいヨーロッパ人”が活躍して科学や道徳をやる。日本人も同じ人間ばかりではない。特に日本人は雑種だから多様である。だから、自分がインドっぽいのかヨーロッパっぽいのか中国っぽいのか区別してそれに合った物を選ばないといけない。今では日本人の混血が進んで眼で見ることと頭で考えることと心で思うことが均等になって本気で科学や道徳がわかる者も現れているのかもしれない。それこそ新人類(ニュータイプ)だ。私は自分がそこまでは行っていないと思う。
ヘッドホンで耳を覆[おお]うと鬱陶[うっとう]しい。暑苦しい。不快になる。耳を覆うことがヘッドホンで聞くことを面白くなくする最大の原因である。だから、耳を覆わないヘッドホンでないといけない。コンパクトヘッドホンでないといけない。ごついヘッドホンは馬鹿好みだ。私はこれまでたびたび耳を覆うヘッドホンを買ってきたが、すべてすぐに使わなくなって捨ててきた。生き残ったのは、私が今使っているソニーのMDR-AV510だけだ。耳を覆わないことは音質以前の問題である。そういうヘッドホンの中からなるべく音質のいい物を探さないといけない。つまり、1万円以下の物から探さないといけない。
h30.7.9追加:デジカメは値段が高いほど画質が高くなるが、いくら値段が高くて画質が高くても自分の好みの画質でないときは満足できない。反対に、たとえ値段が安くて画質が悪くても自分の好みの画質であるときは満足できる。例えば、私はニコンファンだから値段が一番安い6000円ぐらいのCOOLPIX L30でも満足できる。スミアが出たりズームのピントが合わなかったり性能面でいくつか問題があるとしても、とにかくいちおう満足できる。だから、デジカメは値段よりも自分の好みの画質で選ばないといけない。ヘッドホンでも同じである。ヘッドホンは値段が上がるほど音質が高くなるが、いくら値段が高くて音質が高くても自分の好みの音質でないときは満足できない。反対に、いくら値段が安くて悪い音質でも自分の好みの音質であるときは満足できる。ヘッドホンは値段よりも自分の好みの音質で選ばないといけない。自分の好みの音質のヘッドホンの中で自分の予算の範囲内で音質がなるべくいい物を選べばいい。
[23905] 今の政府は国を発展させる会社ではない。 h30.7.8
政府は国民に大昔の娯楽とヨーロッパ文化をやらせる会社である。
今の国民の多くは「政府が国民にヨーロッパ文化をやらせて国民を利口な善人に変えて国民が科学や道徳をやるようにして国を裕福で善い国にする」と思っているから、政府が国民に大昔の娯楽をやらせて国民に悪いことをしたり国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませたり戦争をさせたりするのを大目に見て許しているのだ。
近代の日本では政府が国民みんなにヨーロッパ文化をやらせてみんなが科学や道徳ができるようになって国の文明が進んで裕福な善い国になったから、みんなが心が変わって大昔の娯楽が嫌いになった。みんながマゾではなくなって拝んだり戦争をしたりするのが嫌になった。だから、アニメの『ビックリマン』ではスーパーゼウスが魔肖ネロ[ましょうねろ]を倒したのだ。スーパーゼウスがヨーロッパ文化のことであり、魔肖ネロが政府のことである。政府はマゾの国民を喜ばせるために悪いことをするから、政府が魔肖ネロなのである。いわば、政府が政府自身を倒したのである。
しかし、ヨーロッパ文化には2つの面がある。善いヨーロッパ文化と悪いヨーロッパ文化がある。善いヨーロッパ文化ではみんなが眼で見て頭で考えて心で思って科学や道徳をやってまじめに物を作って働いて裕福な善い国になって国が発展するが、悪いヨーロッパ文化ではみんなが眼で見るだけで頭で考えず心で思わず科学や道徳をやらずまじめに物を作って働かなくなって貧乏な悪い国になって国が衰退する。
近代つまり明治から昭和までの政府は国民に善いヨーロッパ文化をやらせて国を発展させたが、現代つまり平成以後の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国を衰退させている。すでに今の日本はかなりシケている。このままでは日本は滅ぶだろう。
だから、今の国民は政府を大目に見なくていい。今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国を貧乏な悪い国にして国を滅ぼしているから、今の国民は政府が国民に大昔の娯楽をやらせるのを許さず政府に税金や保険金などのお金をやるのをやめて政府を倒せばいい。
国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなが自分で善いヨーロッパ文化(つまり実在文化)をやるようにして、善い学校や善い警察を建てて、みんなが科学や道徳をやってまじめに物を作って働いて裕福な善い国にしてみんなで幸福に暮らさねばならない。
今の政府は国民の「政府が国民にヨーロッパ文化をやらせる会社だから、政府は国を裕福で善い国にする」という誤解によって生き残っている。しかし、本当は『今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国を貧乏で悪い国にしている』のだ。国民みんなは早く自分の誤解を直して政府を倒さねばならない。
『ビックリマン』ではヨーロッパがスーパーゼウスに、インドがスーパーデビルに、中国がシャーマンカーンに喩[たと]えられている。しかし、本来ヨーロッパ人は馬鹿で悪人だからスーパーデビルに喩えられるべきである。本来インド人は利口で善人だからウルトラシバ(私がてきとうに作ったキャラクター)に喩えられるべきである。ヨーロッパが国が衰退して滅びかけたとき、ヨーロッパは一時的にアジア文化を受け入れて実在文化をやるようになって利口で善い国になる。スーパーデビルにウルトラシバが乗り移ってスーパーゼウスになる。その後ヨーロッパは再びアジア文化をやらなくなって実在文化をやらなくなってヨーロッパ文化をやるようになって貧乏な悪い国になって国が衰退する。スーパーゼウスからウルトラシバが抜け出てスーパーデビルに戻る。ヨーロッパは本来スーパーデビルである。悪魔が自分が滅びるのでいやいやしかたなく一時的に善いことをやって天使に変わるだけである。アニメだからといって子供にまちがいを教えてはいけない。『ビックリマン』は「ヨーロッパが善い国でアジアが悪い国だ」と言っている。アニメ会社が政府からお金をもらってまちがったことをみんなに教えてみんなにまちがいを植え付けているのだ。今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせているから、国民に政府を支持させるためにそうしているのだ。みんなはアニメの言いなりにならずに自分で『ヨーロッパが悪い国でアジアが善い国だ』と考え直さないといけない。今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて日本を貧乏な悪い国にしている。みんなは自分が政府に不幸にされないために政府を倒さねばならない。魔肖ネロのとどめを刺さないといけない。
h30.7.9これ以降追加:日本はもともと実在文化の国である。世界で一番文化の優れた国である。ヨーロッパが日本を崇[あが]めるのはそのためである。昔はみんなが大昔の娯楽にハマっていたから、政府が国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて日本を貧乏な悪い国にするのを大目に見て許してやっていたのだ。昔はみんなが大昔の娯楽が好きだったから、政府に付き合っていっしょに悪いヨーロッパ文化をやっていた。中世には幕府に付き合っていっしょにアジア文化をやっていた。日本は実在文化の国だから、みんなが冗談で悪いヨーロッパ文化やアジア文化を真似[まね]てやっていたのだ。今はみんなが大昔の娯楽が嫌いだから、もはや政府が国民に悪いヨーロッパ文化をやらせるのを許さない。今のみんなは容赦[ようしゃ]なく政府を倒して政府をなくしてしまえばいいのである。
ヨーロッパ人はもともと悪いヨーロッパ文化をやっていて馬鹿で悪人で、いっときアジア文化を入れて実在文化(善いヨーロッパ文化)をやっているとき冗談で利口で善い人をやっているだけである。反対に、日本人はもともと実在文化をやっていて利口で善人で、いっとき政府に付き合って悪いヨーロッパ文化をやっているとき冗談で馬鹿で悪人をやっているだけである。ヨーロッパ人と日本人は性格が反対である。ヨーロッパ人は本来馬鹿の悪人でいっとき利口な善人のふりをしているが、日本人は本来利口の善人でいっとき馬鹿の悪人のふりをしている。ヨーロッパ人と日本人は人種が違うので性格が違う。文化が違う。今の日本人は大昔の娯楽が嫌いだから、わざわざ政府に付き合って悪いヨーロッパ文化をやらなくていい。今の日本人は政府と縁[えん]を切って自分で実在文化をやって科学や道徳をやってみんながまじめに働いて豊かな善い国にすればいい。そうやってみんなでいつまでも幸福に暮らしていけばいい。
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↑スーパーゼウス。ヨーロッパの喩え。 | ↑スーパーデビル。インドの喩え。 | ↑シャーマンカーン。中国の喩え。 | ↑魔肖ネロ。政府の喩え。 |
[23906] ヘッドホンを買いかえるときには今の自分が使っているのと同じ物を買えばいい。
h30.7.8
私は以前ソニーのヘッドホンMDR-AV510ばかり使っていた。パソコンで動画を見たり、音楽を聞くために一日中ずっと使っていた。
しかし、最近(約ひと月前)ソニーのスピーカーSRS-X55(アマゾンで約1万7千円)を買った。そのために、MDR-AV510は以前に比べてほとんど使わなくなった。パソコンで動画を見たり、音楽をちょっと聞くために使うだけになった。ヘッドホンの重要性はあまりなくなった。スピーカーSRS-X55がなかなかいい音を出すので、ヘッドホンMDR-AV510で聞いても以前ほど感動しなくなっている。(スピーカーは両耳で聞く。ヘッドホンは片耳ずつで聞く。スピーカーとヘッドホンでは音の聞き方が違う。私は最近スピーカーばかりで聞いているから、ヘッドホンで聞くのが下手[へた]になったのかもしれない。)一般的に、音質はスピーカーのほうがヘッドホンよりもいい。スピーカーはヘッドホンよりも機械的な制約がゆるいから小さくて軽くなくていいからそれだけいい音を出せる。ヘッドホンは音を大きく聞けるからあたかもいい音であるかのように聞こえるだけで音質そのものはあまりよくない。ヘッドホンは人間の耳の錯覚を利用していい音に思わせているだけである。それに、スピーカーはヘッドホンのように片耳づつで音を聞かなくていいから自然に音を聞けるからそのぶん気持ちよく音が聞ける。スピーカーのほうが実際に人間が音楽を演奏している状況に近いから気持ちよく聞こえる。だから、ヘッドホンについてはそこそこいい音を出す物、音を聞いて不快にならない程度の物ならなんでもいい。
私が今使っているMDR-AV510は今から約7年前に約3千円で買ったものである。今でも使えることは使えるが、ケーブルの途中にあるボリュームコントロールのスイッチがくたびれていて音量がちゃんと定まらない。音量がときどき勝手に小さくなる。
そのため、予備にヘッドホンを買っておきたい。
できれば同じ物を買いたい。ところが、MDR-AV510はすでに生産中止になっている。今でも同じ物の新品が売られているが、1万5千円ぐらいする。バカ高い!
そのため、違う物を買うしかない。なるべく音が似ている物を買いたい。同じソニーの同じ型の同じ価格帯の物を買うしかない。ヘッドホンはメーカーによって音色[ねいろ]が大きく違うから、同じメーカーの物を選んだほうがいい。
すると、『SONY オープン型ヘッドホン 折りたたみ式 ホワイト MDR-S40/W』(アマゾンで3,480円)が候補に挙がる。ほかに似た物はない。だから、これしかない!
幸い、アマゾンのカスタマーレビューを見てもいい評価ばかりで5つ星のうちの3.9を取っている。みんなが「音質がよくて装着もきつくない」と言っている。安心してこの商品を買うことができる。ただ、MDR-AV510よりもデザインが化粧臭くなっているのが残念だ。
←私が次に目をつけているMDR-S40ホワイト。アマゾンで3,480円。デザインが凝[こ]っていてかえってかっこ悪い。ちょっと嫌だ。やめて欲しい。
やっぱりデザインが嫌だから、今のを修理して使うかもしれない。でも、音質が改善されていそうだから、やっぱり新しいのを買うかもしれない。
[23907] 今の日本では国民が政府を倒している。☆☆ h30.7.9
政府は国民に大昔の娯楽とヨーロッパ文化をやらせる会社である。ただし、ヨーロッパ文化には科学や道徳をやる善いヨーロッパ文化(つまり実在文化)と科学も道徳もやらない悪いヨーロッパ文化の2種類がある。ヨーロッパ人はいっとき善いヨーロッパ文化をやって、その後で悪いヨーロッパ文化をやるようになる。そのため、政府は国民に最初のいっとき善いヨーロッパ文化をやらせて、その後では悪いヨーロッパ文化をやらせる。一方、幕府は国民に大昔の娯楽とアジア文化をやらせる会社である。(大昔の娯楽とは強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをされたり、国民みんなや国家宗教の神や政府などを拝んだり、戦争をしたりすることである。大昔の人は今の人と違って自分のお金を奪われたり自分が殺されたりするのが好きだったのである。)
日本人は大昔から実在文化(つまり善いヨーロッパ文化)が好きである。日本人は大昔から科学や道徳が好きである。ヨーロッパ人は悪いヨーロッパ文化が好きだが、反対に日本人は善いヨーロッパ文化が好きである。
古代のヨーロッパではアジア文化を入れて善いヨーロッパ文化(実在文化)をやっていた。みんなが科学や道徳をやってまじめに働いて文明が進歩して国が繁栄していた。
そのため、古代の日本にもヨーロッパ文化が入ってくるようになった。
古代の政府は国民に大昔の娯楽と善いヨーロッパ文化をやらせていた。古代の国民は大昔の娯楽も善いヨーロッパ文化も両方とも好きだった。そのために、みんなが善いヨーロッパ文化をやって科学や道徳をやって文明が進歩した。しかし、文明がそれほど進歩しなかったので、国民みんなの心が変わらず大昔の娯楽が好きなままだった。
中世のヨーロッパでは、ヨーロッパ人はもともとアジア文化(つまり頭で考えたり心で思ったりすること)が嫌いなのでアジア文化をやらなくなってもとの悪いヨーロッパ文化をやるようになった。
そのため、中世の日本では政府は国民に大昔の娯楽と悪いヨーロッパ文化をやらせるようになった。中世の国民はまだ大昔の娯楽が好きだったので、自分が悪いヨーロッパ文化をやるのが嫌だったが、政府が大昔の娯楽をやらせてくれるのでついでに悪いヨーロッパ文化もやっていた。政府のおもな仕事は国民に大昔の娯楽をやらせることで、ヨーロッパ文化をやらせるのはオマケにすぎないので、国民は政府が悪いヨーロッパ文化をやらせるぐらいどうでもいいと思ったのだ。国民は政府の抱き合わせ商法を受け入れて大昔の娯楽といっしょに悪いヨーロッパ文化も買ったのだ。そのため、みんなが科学や道徳をやらなくなってまじめに働かなくなって日本は貧乏な悪い国になった。
中世のヨーロッパは悪いヨーロッパ文化をやって文明が衰退して国が滅びかけていた。そのために、日本にヨーロッパ文化が入ってこなくなってアジア文化しか入ってこなくなって、日本はアジア文化をやるようになった。日本人は実在文化が好きだが、日本人だけでは実在文化がやれないのでひとまず間に合わせにアジア文化をやることにしたのである。
中世の日本ではみんなが悪いヨーロッパ文化をやらなくなってアジア文化をやるようになった。みんなが政府に税金を払わなくなって政府を倒して幕府を建てた。
中世の幕府は国民に大昔の娯楽とアジア文化をやらせるようになった。中世の国民はアジア文化はあまり好きではなかったが、大昔の娯楽が好きだったので、幕府が大昔の娯楽をやらせてくれるついでにアジア文化もやっていた。
近代のヨーロッパは自分が滅ぶのが嫌なのでいやいやしかたなくアジア文化を入れるようになって、アジア文化と悪いヨーロッパ文化が合体して実在文化(善いヨーロッパ文化)が出来て、みんなが科学や道徳をやってまじめに働くようになって文明が急激に進歩して国が繁栄した。
近代の日本には再びヨーロッパ文化が入ってくるようになって、みんながアジア文化をやるのをやめて善いヨーロッパ文化をやるようになった。みんなが幕府に年貢を納めなくなって幕府を倒して政府を建てた。
近代の政府は国民に大昔の娯楽と善いヨーロッパ文化をやらせていた。近代の国民は大昔の娯楽も善いヨーロッパ文化も両方とも好きだった。そのために、みんなが善いヨーロッパ文化をやって科学や道徳をやって文明が急激に進歩して裕福な善い国になった。
現代の日本では国の文明が進んだために、国民みんなの心が変わって大昔の娯楽が嫌いになった。
現代の政府は国民の大昔の娯楽と悪いヨーロッパ文化をやらせている。現代の国民は大昔の娯楽も悪いヨーロッパ文化も両方とも嫌いである。現代の国民にとって政府はひとつも幸せになることをしていない。そのため、現代の国民は政府に税金を払わなくなって政府を倒している。
現代の日本ではみんなが自分で実在文化をやって科学や道徳をやってまじめに働いて裕福な善い国にしている。みんなが幸福に暮らせる国にしている。
今では世界中の国で実在文化をやっている。好き嫌いに関わらずとにかく実在文化をやっている。今では世界中の国が自分が幸せを手に入れるために文化の違いを乗り越えて実在文化をやっている。日本は世界中の国から実在文化を入れてますます国が発展している。ますますみんなが幸福に暮らせるようになっている。
世界で一番いい国は実在文化をやっているときのヨーロッパで、次にいいのがアジアで、一番悪いのが悪いヨーロッパ文化(つまりヨーロッパ本来の文化)をやっているときのヨーロッパである。だから、日本は実在文化をやっているときのヨーロッパを真似[まね]ればいい。つまり、日本は自分が実在文化をやればいい。たとえ、ヨーロッパが実在文化をやらなくなっても日本は実在文化をやりつづければいい。昔は日本だけで実在文化をやりつづけるのは難しかったが、今では世界中の多くの国で実在文化をやっているから日本が実在文化をやりつづけるのは容易である。そうやって日本は実在文化をやってみんなが科学や道徳をやってまじめに働いて国を発展させてみんなで幸福に暮らせばいいのだ。
今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせている。しかし、国民は自分で善いヨーロッパ文化(つまり実在文化)をやって悪いヨーロッパ文化をやってはいけない。政府が国民に悪いヨーロッパ文化をやらせているのに従って悪いことをやっている者がいる。みんなは悪いことをやっている者を許さないようにして悪いことをやっている者を懲[こ]らしめて悪いことをする者をなくさねばならない。日本を善いことをする人ばかりいる善い国にしないといけない。
今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせている。国民に眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしないようにさせている。国民にきれいなことがわかるだけで正しいことや面白いことがわからないようにさせている。国民に科学や道徳がわからないようにしている。国民にまちがった道徳を教えて国民を不良や悪人に変えて国民に悪いことをさせている。国民にまじめに働かないようにさせて国を不景気に貧乏にしている。悪人が上で善人が下の社会にして、悪人をいい待遇にして善人を悪い待遇にして、みんなが悪人にあこがれてみんなが悪人になるようにさせている。善人が悪人の言うことを聞いて善人に悪いことをさせて善人を悪人に変えている。悪人を事務に就けて楽をさせて、悪人がみんなに無理やり税金を払わせて政府が永遠に建っていられるようにしている。このままでは日本が駄目[だめ]な国になる。国民は自分で実在文化をやって悪いヨーロッパ文化をやらないようにして、自分で科学や道徳をやってまじめに働いて国の景気をよくして豊かな国にしないといけない。善人が上で悪人が下の社会にして、みんなが善人になるようにしないといけない。まともに仕事をしていない社長や事務を下にしてみんなが社長や事務をこき使って社長や事務につらい仕事をさせないといけない。よく働く社員を上にしてみんなに命令させて社員みんながまじめに仕事をする会社にしないといけない。
h30.7.10これ以降追加:日本人は実在文化が好きである。だから、日本人が一番幸福に暮らせるのは実在文化の国で、次に幸福なのはアジア文化の国で、一番不幸に暮らさねばならないのは悪いヨーロッパ文化の国である。だから、これまで日本人は自分が幸福に暮らすために必死で実在文化をやっているヨーロッパを真似てきたのである。日本は実在文化が好きだけど自分で実在文化ができないので実在文化をやっているヨーロッパを真似ることによって実在文化をやっていたのだ。中国やインドは自分の国の文化が好きで自分で自分が幸福に暮らせる国を作れる。日本は自分で自分が幸福に暮らせる国を作れない。日本は寄生型文化なのだ。実在文化をやっているヨーロッパがない時代には、日本人はしかたがないので代わりに二番目にいいアジア文化をやっている国を真似ていたのだ。昔の政府は実在文化(善いヨーロッパ文化)の国を作って国民みんなを幸福に愉快にしていた。だから、昔のみんなは政府にたくさんお金をやって政府に実在文化の国を作ってもらっていた。反対に、今の政府は悪いヨーロッパ文化の国を作って国民みんなを不幸に不愉快[ふゆかい]にしている。今の政府は日本人が嫌いな国を作っている。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒して政府に悪いヨーロッパ文化の国を作らせないようにして自分たちが幸福に暮らせる国にしないといけない。
日本人は実在文化が好きである。しかし、日本人は自分で実在文化の国を作れない。日本人は実在文化をやっているヨーロッパを真似ることによって実在文化をやってきた。日本は寄生型文化である。一方、ヨーロッパ人は馬鹿な悪い国が好きである。しかし、それでは国が滅ぶ。そのために、ヨーロッパ人はときどき自分が嫌いなアジア文化を取り入れて実在文化をやってみんながいやいやしかたなく科学や道徳をやって国を急激に発展させてお金を溜[た]めて、その後でみんながこれまでに溜め込んだお金を使ってしばらくアジア文化をやるのをやめて実在文化をやらなくなって悪いヨーロッパ文化をやってみんなが馬鹿な悪い国で幸福に暮らせるようにしているのだ。ヨーロッパ人は自分が生き残るためにいやいやしかたなく実在文化をやって不幸に暮らして、その後で国が滅ぶ寸前まで悪いヨーロッパ文化をやって幸福に暮らしているのだ。ヨーロッパは貯蓄型文化だ。日本も変な国だが、ヨーロッパも変な国だ。日本人は善い国が好きで悪い国が嫌いだ。反対に、ヨーロッパ人は悪い国が好きで善い国が嫌いだ。日本人にとって幸福な国がヨーロッパ人にとっては不幸な国で、ヨーロッパ人にとって幸福な国が日本人にとっては不幸な国なのだ。『宇宙戦艦ヤマト』で、地球人は放射能の空気では死んできれいな空気でないと生きれないのに、反対にガミラス星人がきれいな空気では死んで放射能の空気でないと生きれないのと同じだ。日本人とヨーロッパ人は人種が違うから性格が違うのだ。今の人はマゾではないが、昔の人はマゾだった。それと同じように、日本人は善い国が好きで悪い国が嫌いだが、ヨーロッパ人は悪い国が好きで善い国が嫌いなのだ。
日本人の馬鹿の悪人は『自分が善い国で幸福に暮らせる』ことがわかっていない。馬鹿の悪人は「自分が悪い国のほうが幸福に暮らせる」と誤解している。だから、馬鹿の悪人は政府を支持して政府の命令で悪いヨーロッパ文化の国を作っている。馬鹿の悪人は自分の本心に逆らって自分で自分を不幸にしている。馬鹿の悪人は政府に上の者にしてもらってお金はたくさん持っているが、自分の本心を満足していないから幸福ではない。みんなは『自分が善い国で幸福に暮らせる』ことがわかっているから、政府に反対して政府の言うことを聞いて悪いヨーロッパ文化の国を作ってはいけない。早くみんなで政府を倒してみんなが善い国で暮らせるようにしてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
ヨーロッパ人はみんな悪いヨーロッパ文化が好きだから、自分が悪いヨーロッパ文化をやると自分が喜ぶだけでなくみんなが喜ぶ。ヨーロッパではみんながみんなを喜ばせるために悪いヨーロッパ文化をやらねばならない。反対に、日本人はみんな悪いヨーロッパ文化が嫌いだから、自分が悪いヨーロッパ文化をやると自分が喜ぶだけでみんなが嫌がる。日本ではみんながみんなを嫌がらせないために悪いヨーロッパ文化をやってはいけない。日本人はみんな実在文化が好きだから、自分が実在文化をやると自分が喜ぶだけでなくみんなが喜ぶ。日本ではみんながみんなを喜ばせるために実在文化をやらねばならない。ヨーロッパ人と日本人では好きな文化が違うから、違う文化をやらねばならない。日本政府はみんなに悪いヨーロッパ文化をやらせるから、日本政府はみんなが嫌いな国を作るから、みんなは自分が幸福に暮らすために日本政府を倒さねばならない。
昔はみんながヨーロッパ人が善いヨーロッパ文化をやっているのを見て「ヨーロッパ人の心と日本人の心が同じだ」と思っていたから、「日本人は自分がヨーロッパ人を真似れば幸福になれる」と思っていたから、ヨーロッパ人が悪いヨーロッパ文化をやるようになっても日本人はヨーロッパ人を真似て悪いヨーロッパ文化をやって不幸になっていた。今はみんなが『ヨーロッパ人の心と日本人の心は違う』ことがわかっているから、『日本人は自分が幸福になるためにはヨーロッパ人を真似てはいけない』ことがわかっているから、ヨーロッパ人が善いヨーロッパ文化をやっているときには日本人はヨーロッパ人を真似て善いヨーロッパ文化をやればいいが、ヨーロッパ人が悪いヨーロッパ文化をやっているときには日本人はヨーロッパ人を真似て悪いヨーロッパ文化をやってはいけない。ヨーロッパ人は悪いヨーロッパ文化が好きだが、日本人は善いヨーロッパ文化が好きだから、日本人はヨーロッパ人を真似てはいけないのだ。日本人は善いヨーロッパ文化だけやって悪いヨーロッパ文化をやってはいけないのだ。今の日本政府は昔のみんなの「ヨーロッパ人の心と日本人の心は同じだ」という誤解に基づいて今でもみんなに善いヨーロッパ文化をやらせた後で悪いヨーロッパ文化をやらせている。今の日本政府はまちがったことをやって国民みんなを不幸にしている。だから、今のみんなで政府の言うことを聞かないようにして政府に不幸にされないようにしないといけない。今の国民にとって政府は要らないからみんなで政府にお金をやらないようにして政府をなくさねばならない。国民はプラカードを持って政府に文句を言うよりも、黙って政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。会社の上の者にグチグチ文句を言うよりも、黙って上の者を殴[なぐ]って痛めつければいいのである。
国民は政府に従うために生きているのではない。自分が幸福になるために生きているのだ。今の政府は国民を不幸にしている。だから、今の国民は政府の言うことを聞いてはいけない。今の国民は政府の命令に逆らって自分が幸福になることをしないといけない。
日本は実在文化の国だから科学や道徳をやればいい。日本は実在文化の国だから国民が実在を知って実在の中で自分の心を満足すれば幸福になるから科学や道徳をやればいい。道徳とは人間が実在の中で自分の心を満足するための方法である。しかし、その他の国は違う。中国は心文化の国だから科学や道徳をやってはいけない。中国は心文化の国だから国民が文学や自分の心のままに(つまり悪いことを)やれば幸福になるから科学や道徳をやらないほうがいい。(今の中国は日本と競争しようとして日本と同じ実在文化をやっている。日本人は実在文化で幸福になれるが、中国人は実在文化では幸福になれない。日本人と中国人は見掛けは似ているが中身が違う。中国はまちがいを犯したのだ。)インドは知覚主義の国だから科学や道徳をやってはいけない。インドは知覚文化の国だから国民が数学や悪いことをやれば幸福になるから科学や道徳をやってはいけない。(今のインドは科学も道徳もやろうとしていない。インド人は正しいことをやっている。さすがインドは頭がいい国だ。)ヨーロッパは五感文化の国だから科学や道徳をやってはいけない。ヨーロッパは五感文化の国だから国民が芸術や悪いことをやれば幸福になるから科学や道徳をやってはいけない。今のヨーロッパは自分がお金を溜めるために特別に実在文化をやって科学や道徳をやっているが、ヨーロッパはふだんは科学や道徳をやらない国である。こうしてみると、世界中で科学や道徳をやるのは日本人だけである。ヨーロッパはいっとき科学や道徳をやるだけで、ふだんはやらない。中国も今のところはまちがって科学や道徳をやっているが、そのうちやらなくなるだろう。日本人には日本人が幸福に生きるための方法がある。外人には外人が幸福に生きるための方法がある。人間が違えば幸福に生きるための方法も違う。人間によって幸福に生きるための方法が決まる。だから、日本人は日本人が幸福に生きるための方法をやればいい。日本人が外人を真似て外人が幸福に生きるための方法をやってはいけない。そんなことをしたら日本人が幸福に生きられなくなる。日本人は実在文化をやって科学や道徳をやって清[きよ]く正しく生きていけばいいのだ。外人は科学や道徳をやらず汚くまちがって生きていけばいいのだ。日本人は実在の中で暮らせばいいが、外人は実在の外で暮らせばいいのだ。日本人は外人に文句を言わないし、外人は日本人に文句を言ってはいけない。それが国際社会におけるルールだ。ところが、政府は日本人とヨーロッパ人を区別しない。政府は日本人に悪いヨーロッパ文化(本来のヨーロッパ文化)をやらせる。政府はヨーロッパ人を幸福にするが日本人を不幸にする。日本に政府を置いてはいけない。日本人みんなで早く政府を倒して自分たちで実在文化をやって日本を日本人が幸福に暮らせる国にしないといけない。
[23908] ヘッドホンで大事なことは聞いて気持ちがよくなることだ。 h30.7.10
ヘッドホンで大事なことは音を聞いて気持ちがよくなるかどうかだ。
低音が出ようが出まいが、とにかく聞いて気持ちよくなればいいのだ。
例えば、私が今使っているソニーのMDR-AV510は低音がほとんど出ないが、私が音を聞くと気持ちがよくなる。低音が出ないかわりに、私にとって気持ちがよくなる音が出る。
人によって耳や心が違うから、“音を聞いて気持ちがよくなるかどうか”は自分で聞いてみないとわからない。ヘッドホンは自分が実際に電気屋に行っていろんなヘッドホンをしばらく試聴して自分が気持ちよくなるものを探さないといけない。安くて気持ちがよくなるものを探さないといけない。
ヘッドホンは人間の気持ちをよくするための機械である。清涼飲料と同じような物だ。自分が聞いて自分の気持ちがよくなれば、たとえ100円のヘッドホンでも百万円のヘッドホンに勝[まさ]る。
自分が聞いて気持ちがよくなるヘッドホンにめぐり合えた私は幸運だったのだ。
[23909] オーディオ機器は安物でいい。 h30.7.10
デジカメの画質は五感的=キャノン、知的=ニコン、心的=パナソニック、そのまま=ソニーに分類される。
それと同じように、ヘッドホンの音質は五感的=オーディオテクニカ、知的=ソニー、心的=デノン、そのまま=ゼンハイザーに分類される。
日本人は知的だから、デジカメはニコン、ヘッドホンはソニーが相性がいい。そのままのは味気[あじけ]ないから買わないほうがいい。
音楽を集中して細かく聞く人は、高価な音質がいいヘッドホンが必要だ。
私のように音楽をBGMとしててきとうに聞く人は、安価な音質があまりよくないヘッドホンでいい。
スピーカーは音が小さくボンヤリ聞こえる。ヘッドホンは音が大きくはっきり聞こえる。だから、スピーカーよりもヘッドホンのほうが音や音楽を聞くのには適している。音楽鑑賞にはスピーカーよりもヘッドホンが適している。ただ、私のように音楽をBGM的に聞く人はスピーカーでもいい。
知的な人間は思考によって快感を得るのであって映像や音によって快感を得るのではない。知的な人間にとってデジカメの画質にこだわりすぎる必要がないように、ヘッドホンの音質にこだわりすぎる必要がないのだ。今ではコンデジと一眼では画質に微妙な違いしかないように、安物のヘッドホンと高価なヘッドホンでは音質に微妙な違いしかないのだ。
ヘッドホンは人間が快感を得るための道具である。人間は音で快感を得るよりも思考で快感を得るべきである。だから、ヘッドホンに快感を求めすぎないほうがいい。だから、ヘッドホンにあまりこだわらないほうがいい。したがって、ヘッドホンは安物でいいのだ。
人間は性欲で快感を得るよりも思考で快感を得なければならない。だから、女は安物でいい。女は要らない。それと同じように、人間は音で快感を得るよりも思考で快感を得ないといけない。だから、ヘッドホンは安物でいいのだ。
同日追加:コンデジも2〜3万出せばそこそこ満足が得られる物があるように、ヘッドホンも2〜3万出せば満足のいく物が得られる。例えば、『【国内正規品】beyerdynamic オープン型オーディオ用ハイエンドヘッドホン DT
990 E/32 S』(アマゾンで32,800円)がインピーダンスが32ΩでパソコンやMP3プレーヤーに直挿し[じかざし]できて便利である。私は素人[しろうと]なので、オーディオ機器の接続のしかたがわからないからこれがいい。ただし、これは側圧がきついらしい。ヨーロッパ人は身体が大きいが頭が小さい。反対に、日本人は身体は小さいが頭が大きい。だから、頭が大きい日本人にとってはヨーロッパ製のヘッドホンがきついのだ。ヘッドホンのヘッドバンドの真ん中が左右に分かれていてスライドして横に動かせればいいのになあ。そうすれば横に広げれば頭が挟[はさ]まれずにきつくない。頭が挟まれて痛いよりもゆるくて落ちやすいほうがいい。室内で使うのなら身体を動かさないからずり落ちることもない。ゆるいなら買ったのに、惜[お]しい!
[23910] 大きいヘッドホンと小さいヘッドホンとどちらがいいか? h30.7.11
ヘッドホンのドライバーはデジカメの撮像素子に相当する。
大きいデジカメは小さいデジカメよりも撮像素子が大きくて画質がいいが、持ち運びや取り扱いが不便になる。
それと同じように、大きいヘッドホンは小さいヘッドホンよりもドライバーが大きくて音質がいいが、側圧が強くなって頭が重くなって装着感が悪くなる。
音質については大きいヘッドホンと小さいヘッドホンはあまり変わらない。それに対し、装着感については大きいヘッドホンは小さいヘッドホンよりもはるかに悪い。
したがって、総合的にヘッドホンは小さいほうがいい。小さいヘッドホンの中でなるべく音質がいい物を選ぶべきである。
特にヘッドホンの場合、音色[ねいろ]が大事だから、自分が気に入った音色を出すメーカーのヘッドホンを選んだほうがいい。いくら音質がよくても音色が自分の気に入らなければダメだから、メーカーが違うと違う音色を出すから、同じメーカーの物を選んだほうがいい。違うメーカーの物に手を出さないほうがいい。デジカメの場合、色合いが大事だから、自分が気に入った色合いを出すメーカーのデジカメを買うのと同じことである。
[23911] 今の日本は外国の真似[まね]をやめねばならない。 h30.7.11
昔の日本人は大昔の娯楽と実在文化が好きだった。日本人は実在文化をやれば幸福に暮らせる。しかし、日本人だけでは実在文化がやれないので、実在文化をやっているヨーロッパを真似て実在文化をやっていた。日本はいつでもどこかの外国の文化を真似て外国の文化をやっていた。
昔のヨーロッパ人は大昔の娯楽と五感文化が好きだった。しかし、五感文化をやると文明が衰退して国が滅ぶ。そのため、ヨーロッパ人はときどき自分が嫌いなアジア文化を入れて実在文化をやっていた。ヨーロッパ人は実在文化をやって文明を進めて国を繁栄させて、その後でアジア文化を追い出してもとの五感文化をやって幸福に暮らしていた。ヨーロッパは“夏休み中遊びまくって夏休みの最後の一日で宿題を泣きながらやっている”ような国である。日本は“他人がやった宿題を丸写しして自分がやったことにしている”ような国である。日本人は自分からはなにもせず、ヨーロッパが実在文化をやるのを待ってそれを真似[まね]ればいいだけである。日本人はもっとがんばって自分で実在を見たり考えたりして自分で科学をやらないといけない。日本人はマンガや格好[かっこう]付けをやってダラケていてはいけない。
古代のヨーロッパでは実在文化をやっていた。そのため、日本ではヨーロッパを真似て実在文化をやっていた。政府は国民に実在文化をやらせていた。古代の日本ではみんなが幸福に暮らしていた。
中世になると、ヨーロッパは実在文化をやるのをやめて五感文化をやるようになった。日本はヨーロッパが五感文化をやるようになった後でもしばらくヨーロッパを真似て五感文化をやっていた。日本ではみんなが貧乏ゆすりをやるようにヨーロッパの真似をなかなかやめられなかったのである。政府は国民に五感文化をやらせていた。そのため、国民みんなは自分の嫌いな文化をやって不幸に暮らしていた。
その後、ヨーロッパは文明が衰退して国が滅亡寸前になった。日本にはヨーロッパ文化が入ってこなくなってアジア文化だけが入ってくるようになった。日本ではみんながヨーロッパ文化をやめてアジア文化をやるようになった。中世の国民は大昔の娯楽とアジア文化をやってちょっと幸福に暮らしていた。政府は国民に大昔の娯楽とヨーロッパ文化をやらせていたので、国民は政府が嫌いになって政府にお金をやらなくなって政府を倒して、国民みんなで政府の替わりに幕府を建てた。幕府は国民に大昔の娯楽とアジア文化をやらせたので、国民は幕府が好きになって幕府にお金をやった。
近代になるとヨーロッパは国を滅ぼさないために再びアジア文化を入れて実在文化をやるようになった。ヨーロッパは文明が進歩して国が繁栄した。日本人はヨーロッパを真似て実在文化をやるようになった。幕府は国民にアジア文化をやらせていたので、国民は幕府が嫌いになって幕府にお金をやらなくなって幕府を倒した。国民みんなで幕府の替わりに政府を建てた。政府は国民に大昔の娯楽と実在文化をやらせたので、国民みんなは政府が好きになって政府にお金をやって政府に大昔の娯楽と実在文化をやらせてもらっていた。近代の日本ではみんなが幸福に暮らしていた。
現代になると、文明が進んでみんなは大昔の娯楽をやらなくなった。ヨーロッパはまた実在文化をやめて五感文化をやるようになった。科学や道徳をやめてまじめに働かなくなった。現代のヨーロッパは実在文化をやっていない。だから、現代の日本人はもはやヨーロッパを真似てはいけない。現代の日本人は自分が幸福に暮らすためにヨーロッパの真似をやめて自分で実在文化をやらねばならない。日本はヨーロッパから独立しないといけない。今では『世界中の国は自分の文化をやれば幸福に暮らせる』ことがわかっている。だから、ヨーロッパが五感文化をやるように、日本は実在文化をやらねばならない。中国が心文化をやって、インドが知覚文化をやるように、日本も実在文化をやらねばならない。そうやって、世界中の国の人々が自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。中世の日本人はヨーロッパを真似て五感文化をやったりアジアを真似て知覚文化や心文化をやったりして不幸に暮らしていた。現代の日本人は外国を真似ずに自分で実在文化をやって幸福に暮らさないといけない。現代の日本人は実在文化で受け入れられる外国の文化を受け入れて国を発展させねばならない。ところが、現代の日本政府は国民に五感文化をやらせて国民を不幸にしている。現代の日本では国民みんなが大昔の娯楽をやめて実在文化をやっているのに、政府は国民みんなに大昔の娯楽や五感文化をやらせている。そのため、現代の国民みんなは政府が嫌いになって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。現代の国民は大昔の娯楽が嫌いである。だから、国民に大昔の娯楽をやらせる政府や幕府はもはや建たない。今後の日本には実在文化で仕事をやる会社が建つだけだ。国民に実在文化(つまり科学や道徳)を教える学校や、実在文化で国民を取り締[し]まる(つまり法律を破った者を逮捕して罰する)警察が建つだろう。
今の世界ではほとんどの国が近代のヨーロッパを真似て科学や道徳をやっている。中国は近代のヨーロッパを真似て科学や道徳をやっている。しかし、インドはヨーロッパを真似ずに科学や道徳をやらずに自分の文化をやって幸福に暮らしている。インドは自分の知覚文化で受け入れられる外国の文化だけを受け入れて幸福に暮らしている。日本もインドを見習って自分の文化をやって科学や道徳をやって幸福に暮らさねばならない。
日本は実在文化の国である。日本人は実在文化をやれば幸福に暮らせる。日本にとってヨーロッパは日本が自分の実在文化をやるための道具にすぎない。近代のヨーロッパは実在文化をやっていたから日本は自分が実在文化をやるためにヨーロッパを真似ていた。しかし、現代のヨーロッパはもはや実在文化をやっていない。自分の五感文化をやっている。科学や道徳をやめてまじめに働かなくなってきれいなことや悪いことをやって実在の外で自分の心を満足して幸福に暮らすようになっている。ヨーロッパはもともと五感文化の国であって実在文化の国ではないので自分が幸福になるために五感文化をやっているのだ。だから、現代の日本がヨーロッパを真似る意義はない。今の日本はヨーロッパを真似るのをやめて自分で実在文化をやらねばならない。日本は自分で実在文化をやり続けて科学や道徳をやり続けてまじめに働き続けて実在的なことや善いことをやって実在の中で自分の心を満足して幸福に生きていかねばならない。
h30.7.12追加:要するに、ヨーロッパ人は馬鹿で悪いのが好きである。つまり、ヨーロッパ人は芸術や非道徳が好きである。しかし、みんなが馬鹿で悪いことばかりやっていたら国が滅ぶ。そのために、ヨーロッパ人はときどき自分が嫌なのを我慢[がまん]してアジア文化を入れて実在文化をやって利口で善いこと(つまり科学や道徳)をやってまじめに働いて文明を進ませてお金を稼[かせ]いで、溜[た]めたお金を使ってしばらくの間馬鹿で悪いことをやっている。反対に、日本人は利口で善いのが好きである。つまり、日本人は科学や道徳が好きである。しかし、日本人は自分で利口で善いことがやれない。そのために、日本人はヨーロッパが実在文化をやって利口で善いことをやっているときにヨーロッパを真似て自分も利口で善いことをやって文明を進ませて幸福に暮らしている。しかし、日本人はヨーロッパの真似をしすぎて、ヨーロッパがヨーロッパ文化をやって馬鹿で悪いことをやっているのまでも真似て自分も馬鹿で悪いことをやって嫌な思いをしなければならなくなっている。ヨーロッパ人と日本人は性格が反対である。ヨーロッパ人にとっての幸福と、日本人にとっての幸福は違う。ヨーロッパ人は自分が馬鹿で悪いことが幸福であり、日本人は自分が利口で善いことが幸福である。だから、日本人はヨーロッパ人を真似ずに自分の道を進まねばならない。日本人はヨーロッパ人を真似ずに自分で実在文化をやって科学や道徳をやってまじめに働いて文明を進ませて物や心を豊かにしてみんなが幸福に暮らさねばならない。(日本はヨーロッパが実在文化をやっているときに自分のほうからヨーロッパを真似て自分も実在文化をやっている。そのために、一見[いっけん]日本はヨーロッパの植民地であるかのように見える。だから、近代のヨーロッパはわざわざ日本に攻めてきて日本を植民地にしなかったのだ。)
[23912] 日本人は音楽を軽くやらねばならない。 h30.7.11
日本人は実在文化である。日本人は眼で見て頭で考えて実在を知り、実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれる。
一方、ヨーロッパ人は五感文化である。ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えず心で思わず、五感の中で自分の心を満足すれば幸福になれる。
日本人は実在文化だから、音楽ばっかりやっても幸福にはなれない。日本人は音楽をちょっとだけやれば幸福になれる。音楽は実在の外にあるから、日本人は音楽をやりすぎてはいけない。日本人は音楽をやりすぎるとかえって不快に感じる。
一方、ヨーロッパ人は五感文化だから、音楽ばっかりやれば幸福になれる。年がら年中朝から晩まで24時間音楽を聞いていれば幸福になれる。
だから、日本人はヨーロッパ人を真似[まね]て音楽ばっかりやってはいけない。日本人はオーディオに力を入れてはいけない。日本人は貧乏オーディオをやらないといけない。日本人は1万円ぐらいのスピーカーやヘッドホンを買って音楽を聞かねばならない。そうすれば、日本人は自分の心をもっともよく満足できて幸福に暮らせるのだ。
日本人は音楽を聞くよりも実在について考えねばならない。日本人は音楽に嵌[はま]らず、音楽を軽く聞きながら実在について考えねばならない。そうすれば日本人は自分の“考える喜び”を満足できて快感が得られて幸せになれるのだ。
[23913] 人種によって好き嫌いが違う。☆ h30.7.12
ヨーロッパ人は眼で見るのが好きで、頭で考えたり心で思ったりするのが嫌いである。ヨーロッパ人は芸術や悪いことが好きである。ヨーロッパ人は文明や善いことが嫌いである。
インド人は頭で考えるのが好きで、眼で見たり心で思ったりするのが嫌いである。インド人は数学や悪いことが好きである。インド人は文明や善いことが嫌いである。
中国人は心で思うことが好きで、眼で見ることや頭で考えることが嫌いである。中国人は文学や悪いことが好きである。中国人は文明や善いことが嫌いである。
日本人は眼で見て頭で考えるのが好きで、心で思うことが嫌いである。日本人は科学や道徳が好きである。日本人は文明や善いことが好きである。日本人は芸術や数学や文学や悪いことが嫌いである。
人種によって好き嫌いが違う。だから、世界は国に分かれているのである。
ヨーロッパ人は眼で見るのが好きで、頭で考えたり心で思ったりするのが嫌いである。だから、ヨーロッパ人が本音[ほんね]で生きると文明が衰退して国が滅びる。そのために、ヨーロッパ人はたまに自分が嫌なのを我慢[がまん]してアジア文化を入れて実在文化をやって科学や道徳をやってよく働いて文明を進歩させて国を繁栄させてお金を稼[かせ]いで、溜[た]めたお金を使ってしばらくの間芸術や悪いことをやって幸福に暮らしているのだ。
日本人は眼で見て頭で考えるのが好きで、心で思うことが嫌いである。日本人は科学や道徳が好きである。しかし、日本人は自分だけでは科学や道徳がやれない。日本人は眼で見る力が弱いので自分だけでは科学がやれないのだ。科学では眼で見る力と頭で考える力の両方が必要なので、日本人は眼で見る力が弱いのでいまいち科学が苦手なのである。日本人は頭はいいが眼で悪いので、実在とのつながりが弱いので実在への関心が弱いので科学がちょっと苦手なのだ。つまり、日本人は眼がちょっといいインド人なのだ。そのため、日本人はヨーロッパが実在文化をやっているときにヨーロッパを真似て実在文化をやって科学や道徳をやって幸福に暮らしている。日本人は真似るのが好きなので、ヨーロッパが実在文化をやめてヨーロッパ文化をやるようになってもヨーロッパを真似てヨーロッパ文化をやっている。そのために、日本人は不幸に暮らさねばならなくなっている。
インド人や中国人は本音で生きてもそこそこ文明が進歩して幸福に暮らせるので、外国の文化を入れずに自分の文化だけでやっている。(h30.7.13追加:中世のインドではヨーロッパがアジア文化を入れて実在文化をやっているのを真似て逆にヨーロッパ文化を入れて実在文化をやっていた。しかし、インド人はヨーロッパ文化(眼で見る文化)が嫌いで自分ひとりでもやっていけるので、そういうことをやめてしまった。)
人種によって好き嫌いが違うから、ヨーロッパ人と日本人では好き嫌いが違うから、日本人はヨーロッパ人を真似てはいけない。日本人はヨーロッパが実在文化をやっている特別なときだけ真似て、それ以外のヨーロッパがヨーロッパ文化をやっているときには真似てはいけない。そうやって日本人は自分が好きな実在文化をやって幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせて日本文化(つまり実在文化)をやらせないようにして国民を不幸にしている。国民は自分が幸福に暮らすために政府を倒さねばならない。政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。今の国民は自分で実在文化をやって科学や道徳をやって文明的な善い国にして幸福に暮らさないといけない。
今の政府はみんなが芸術や悪いことをやる国にしている。ところが、日本人は芸術や悪いことは嫌いである。日本人は科学や善いことが好きなのであって、芸術や悪いことは嫌いである。だから、今の政府は日本人が嫌いな国にしている。日本人が不幸に暮らさねばならない国にしている。だから、今の国民は自分が幸福に生きるために政府を倒さなければならない。政府にお金をやらないようにして政府を潰さねばならない。国民みんなが自分で科学や善いことをやってみんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
道徳とは人間が幸福になるための方法である。ヨーロッパ人にとって道徳は芸術や悪いことをやることである。一方、日本人にとって道徳は科学や善いことをやることである。ヨーロッパ人はいっとき自分がお金を稼いで溜めるためにしかたなく自分が嫌いな科学や善いことをしているだけである。ヨーロッパ人と日本人とでは道徳が違うのだ。インド人にとって道徳は数学や悪いことをすることである。中国人にとって道徳は文学や悪いことをすることである。人種によって道徳がみな違う。世界中で科学や善いことが好きなのは日本人だけである。善いことをやるのが道徳なのは日本人ぐらいのものである。外人はみんな悪いことをやるのが道徳なのである。日本人と外人は心が違う。人間の心は人間が生まれつき大脳の前頭葉に持っている先天的な感覚なので、人間が自分の意思で自由に変えることはできない。人間の心は生まれつき決まっている。だから、ヨーロッパ人はきれいなことと悪いことで喜ぶしかない。日本人は実在的なことと善いことで喜ぶしかない。日本人は日本人が幸福になることをやらねばならない。日本人はもっと科学や善いことをやって自分を幸福にしなければならない。
h30.7.13追加:自然は人間に平等に喜びを与えた。ヨーロッパ人には五感の喜びがある。インド人には知覚の喜びがある。中国人には心の喜びがある。日本人には実在の喜びがある。日本人には実在の喜びがある反面、五感の喜びや知覚の喜びや心の喜びがない。人間は喜びを過度に求めてはいけない。ほどほどに喜びがあればいい。だから、日本人は実在の喜びを求めて自分が実在の喜びが得られるようにすればいいのだ。日本人が五感の喜びを求めたり、知覚の喜びを求めたり、心の喜びを求めたりしてはいけない。そうすれば、日本人はもっとも幸福に暮らすことができる。日本人は日本人にふさわしいことで喜べばいい。自分に向かないことをやって自分が喜びを得られないようにしてはいけない。
h30.7.14追加:ヨーロッパの政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるから、ヨーロッパの政府は国民を幸福にしているから、ヨーロッパの国民は喜んで政府にお金をやって政府にヨーロッパ文化の国を作ってもらっている。一方、日本の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるから、日本の政府は国民を不幸にしているから、日本の国民は政府にお金をやらないようにして日本政府にヨーロッパ文化の国を作らせないようにしている。ヨーロッパの政府も日本の政府も国民に同じヨーロッパ文化をやらせるが、ヨーロッパ人と日本人は心が違うから、ヨーロッパの国民は幸福になるが日本の国民は不幸になる。日本には日本政府があってはならない。だから、日本の国民は日本の政府を倒して、みんなが日本人にとって幸福な文化(実在文化)をやって、みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
[23914] 解説)拝[おが]むとは何か? h30.7.12
昔の人は国民みんなを拝んで幸福になっていた。
つまり、昔の人は頭の中で“国民みんな”というものがあると想像して、頭の中で想像した“国民みんな”に対して頭を下げて手を合わせることによって喜びを得ていたのである。昔の人は“国民みんな”の依代[よりしろ]として国会議員を拝んでいた。けっして、昔の人は国民みんなの総意に従ってみんなと同じことをして喜んでいたのではない。
同じように、昔の人は国家宗教の神を拝んで幸福になっていた。
つまり、昔の人は国家宗教の神に対して頭を下げて手を合わせることによって喜びを得ていたのだ。けっして、国家宗教の神が人間よりも上の者だから国家宗教の神にひれ伏していたのではない。国家宗教の神が人間よりも上の者だから、みんなが国家宗教の神の命令に従っていたのではない。統一教会の信者が文鮮明[ぶんせんめい]のお面をかぶって踊[おど]っているように、みんなが国家宗教の神と同じ顔や性格にしていたのではない。腐った宗教(つまり、文明が進んだためにみんなが実在的になって自分が国家宗教の神を拝むのがみっともなくなって「神が人間よりも上の者だからみんなは神に従わねばならない」と嘘[うそ]をついてやるようになった宗教のこと)は統一教会みたいなことをするが、宗教とは本来そんなものではない。同じように、今では文明が進んでみんなが実在的になって自分が“国民みんなを拝むこと”がみっともなくなったために“国民みんなを拝むこと”が腐ってしまって、みんなが「政府が民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」という嘘をついて国民みんなを拝むようになっている。本当は、政府は民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国なんか作っていない。みんなは腐った“国民みんなを拝むこと”をやってはいけない。みんなは本来の“国民みんなを拝むこと”が国民みんなで選挙をやって国民みんなの代表者である議員を決めて議員が議会をやっているのを見て議員に頭を下げて両手を合わせて喜びを得ることだと理解して、今のみんなは国民みんなを拝みたくないから、選挙や議会をやって国民みんなを拝ませている政府にお金をやらないようにしないといけない。同じように、昔の人は政府や幕府を拝んでつまり政府や幕府に頭を下げて両手を合わせることによって喜びを得ていた。しかし、今では文明が進んだために“政府や幕府を拝むこと”が腐ってしまって、みんなが「政府や幕府は犯罪組織だから政府や幕府に逆らうと殺される」と嘘をついてみんなが政府や幕府に殺されないために従うふりをしながら政府や幕府を拝んでいる。みんなは腐った“政府や幕府を拝むこと”をやめねばならない。みんなは本来の“政府や幕府を拝むこと”を理解して、自分が政府や幕府を拝みたくないから政府や幕府は要らないから政府や幕府にお金をやらないようにしないといけない。昔の人は神を拝んで幸福になっていたが、昔の人は神を拝んで実際になにか善いことがあったから神を拝んでいたのではない。昔の人は神を拝むこと自体によって喜びが得られたから神を拝んでいたのだ。昔の人もさすがに「神を拝めば善いことがある」と思うほど非科学的ではなかったのだ。
同じように、昔の人は政府や幕府を拝んで幸福になっていた。
つまり、昔の人は政府や幕府に対して頭を下げて手を合わせることによって喜びを得ていたのだ。けっして、政府や幕府が国民よりも上の者だから政府や幕府を拝んでいたのではない。昔の人は自分が拝んで幸福になるために政府や幕府を拝んでいただけであって、政府や幕府の機嫌[きげん]を取るために政府や幕府を拝んでいたのではない。昔の人は政府や幕府を拝みながら、その一方で平気で政府や幕府を軽蔑[けいべつ]して政府や幕府の言うことを聞かなかったのである。
また、昔の人は戦争をして幸福になっていた。
つまり、昔の人は敵と戦うこと自体によって喜びを得ていた。けっして、敵の財産を奪うことによって喜びを得ていたのではない。戦争の目的は敵と戦うことそのものにあるのであって、自分が戦いに勝って敵の財産を奪ったり敵を支配することにあるのではないのである。戦争は戦うことが面白いのであって、褒美[ほうび]はどうでもいのである。戦争は自分が戦うのが面白いから自分のお金でやるだけである。戦争は喧嘩両成敗[けんかりょうせいばい]であって、勝った者が負けた者から財産を奪ったりはできない。
また、昔の人は悪いことをされて幸福になっていた。
つまり、昔の人は自分の財産を奪われたり自分が殺されたり自分が嫌がらされたりして喜びを得ていた。けっして、相手が自分に善いことをしてくれるからその代償[だいしょう]に悪いことをされていたのではない。例えば、政府が国を儲[もう]からせてくれるから、国民が政府に悪いことをされるのを我慢[がまん]していたのではない。昔の人は政府に悪いことをされること自体が喜びだったから、自分のほうから喜んで政府に悪いことをされていたのである。日本人は科学や善いことが好きだが、ヨーロッパ人は科学や善いことが嫌いである。日本人は芸術や悪いことが嫌いだが、ヨーロッパ人は芸術や悪いことが好きである。ヨーロッパ人は自分が悪いことをすると有利になるから悪いことをするのではなく、悪いことをすること自体が楽しいから悪いことをするのである。子供の万引きと同じ心理である。子供は物が欲しいから万引きするのではなく、物を盗[と]ることが面白いから万引きするのだ。ヨーロッパ人と日本人は性格が反対である。所変われば人変わる。蓼[たで]食う虫も好き好きである。それと同じように、今の人は悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりするのが嫌いだが、昔の人は悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりするのが好きだった。時代変われば人も変わるのだ。
[23915] 政府ははじめのいっとき国民に科学や善いことをやらせて、あとで芸術や悪いことをやらせる。☆
h30.7.12
ヨーロッパ人は芸術や悪いことが好きである。ヨーロッパ人は科学や善いことが嫌いである。しかし、自分が芸術や悪いことばかりやっていると文明が衰退して国が滅ぶ。そのために、ヨーロッパ人は自分が嫌なのを我慢[がまん]してアジア文化を入れて実在文化をやって科学や善いことをやってまじめに働いて文明を進めて国を繁栄させてお金を稼[かせ]いで、その後は自分が溜[た]めたお金を使って芸術や悪いことをやって幸福に暮らす。つまり、ヨーロッパ文化とは、はじめのいっとき科学や善いことをやって、その後で芸術や悪いことをやることである。
政府は国民に大昔の娯楽やヨーロッパ文化をやらせる会社である。政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるために国民に最初のいっとき科学や善いことをやらせて、その後で国民に芸術や悪いことをやらせるのである。実際に、近代の政府は国民に科学や善いことをやらせていた。現代の政府は国民に芸術や悪いことをやらせている。
ヨーロッパ人は芸術や悪いことが好きである。ところが、日本人は科学や善いことが好きである。ヨーロッパ人と日本人は心が違う。好き嫌いが違う。だから、日本人は自分が幸福になるためには科学や善いことをやらないといけない。芸術や悪いことをやってはいけない。今の現代の政府は国民に芸術や悪いことをやらせるから、今の政府は国民を不幸にしているから、今の国民は自分が幸福になるために政府を倒さなければならない。近代の国民にとっては政府が面白かったが、現代の国民にとっては政府が嫌である。近代の政府は国民に実在文化をやらせて国民を裕福に幸福にしたが、現代の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせて国民を貧乏で不幸にしている。(マンガ『魔法陣グルグル』コミック第2巻の“おもろうてやがてダメージ”とはそういうことである。ゴチンコが政府のことである。政府の得意技は国民に最初のいっとき実在文化をやらせて国民を喜ばせて、あとで国民にヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にすることなのである。)今の国民は大昔の娯楽やヨーロッパ文化が嫌いだから、今の政府は国民にとってなんの役にも立たないから、今の国民にとっては政府が要らない。今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。国民みんなで科学や善いことをやって幸福に暮らさねばならない。
[23916] 法律や挌律[かくりつ]を守るのは日本人だけである。 h30.7.13
日本人は科学や善いことをすると幸福になる。ヨーロッパ人は芸術や悪いことをすると幸福になる。科学や善いことをするのが日本人の道徳で、芸術や悪いことをするのがヨーロッパ人の道徳である。
善いこととは、実在に従うことである。悪いこととは実在に従わないことである。日本人は実在に従うのが好きだから善いことをすると幸福になる。反対に、ヨーロッパ人は実在に従わないのが好きだから悪いことをすると幸福になる。
法律は人間が実在の社会の中で幸福に生きるための決まりである。日本人は実在の中で生きているから法律を守る。ヨーロッパ人は五感界の中で生きているから実在の外で生きているから法律を守らない。ヨーロッパ人は人前で自分がきれいな格好[かっこう]をしていさえすればいいのだ。日本人は強盗や殺人や嫌がらせをするのが嫌いだが、ヨーロッパ人は強盗や殺人や嫌がらせをするのが好きである。
挌律とは人間が実在の世界の中で個人的に幸福に生きるための決まりである。例えば、性欲や空想欲や色欲[しきよく](見かけの欲)を満足しないのが挌律である。知覚欲や自然欲(自然を観察する欲)を満足するのが挌律である。日本人は実在の中で生きているから挌律を守る。ヨーロッパ人は五感界の中で生きていて実在の世界の中で生きていないから挌律を守らない。
同じように、インド人は数学や悪いことをすると幸福になる。中国人は文学や悪いことをすると幸福になる。インド人は知覚界に生きている。中国人は心界[こころかい]に生きている。インド人も中国人も実在の世界に生きていない。だから、インド人も中国人も法律や挌律を守らない。インド人は人前で無愛想[ぶあいそう]にしていればいい。中国人は人前で面白そうにしていればいいのだ。
法律や挌律は実在の世界における決まりである。日本人は実在の中に生きている。だから、日本人は法律や挌律を守る。外人は実在の外に生きている。だから、外人は法律や挌律を守らない。世界中で法律や挌律を守るのは日本人ぐらいのものだ。日本人は変わった人種だ。日本人とアジア文化を入れた時代のヨーロッパ人だけが実在文化をやっている。実在文化とはヨーロッパの合理主義のことである。ヨーロッパ文化は合理主義(実在主義)と五感主義(実存主義)の二つの面を持つ。ヨーロッパ人はもともと五感主義であり、いっとき自分が生きるためにやむを得ずいやいやしかたなく我慢[がまん]して合理主義をやっているだけである。ヨーロッパ人がときどきアジア文化をかぶって日本人に変身するのだ。実在主義をずっとやりつづけているのは日本人だけである。日本人の文化は世界的に大変貴重である。日本人は自分の文化を守らなければならない。
アメリカは世界中の文化が混在しているだけでまだ統一された文化がない。日本は実在文化に統一されている。日本は歴史の長い国だから文化が統一されているのだ。日本は何万年もかけて作ってきた国である。アメリカは出来てからまだ数百年しか経[た]っていない。日本とアメリカとは歴史が違うのだ。
外人が日本に来たら実在文化を守らねばならない。それができない外人は日本に来るな!
[23917] 私のヘッドホン経験 h30.7.13
ヘッドホンは閉鎖型よりも開放型のほうが気持ちがいい。開放型は音が広々としている。閉鎖型は蒸れて気持ちが悪い。
ヘッドホンは大型よりも小型のほうが気持ちがいい。大型は頭が重いし耳を押さえつけて痛くなる。耳を覆[おお]う物よりも耳に軽く乗せる物がいい。イヤーパッドが出っ張った物よりもイヤーパッドが出っ張らない物がいい。
音質よりも前に型と大きさのほうが大事だ。
したがって、ヘッドホンは開放型で小型のものがいい。その中で、なるべく音質がいい物がいい。自分の好きな音色[ねいろ]を出す物の中でなるべく高音質な物がいい。
そうなると、選択肢はほとんどない。選ぶのが楽でいい。
オーテクのヘッドホンATH-P100L(アマゾンで1,300円ぐらい)は低音から高音までちゃんと出る。しかし、音がガシャガシャになって潰[つぶ]れている。音を聞いていると不愉快[ふゆかい]になる。音楽用はおろか普段用としても使えない。かなり粗悪品だから絶対に買ってはいけない。
一方、ATH-EP700(アマゾンで5,300円ぐらい)は音はかなりいい。音が低音から高音までちゃんと出て音が濃厚[のうこう]でけっして音が潰[つぶ]れたりしない。音を聞いていると幸せになる。しかし、側圧が少し強く、耳に当たる部分が大きくて掛け心地が悪くて普段用としては使えない。音楽用として使うべきである。
[23918] 政府は都会を気分が悪い不良の溜[た]まり場にしている。 h30.7.13
政府は国民に大昔の娯楽とヨーロッパ文化をやらせる会社である。それが政府の仕事のすべてである。政府はほかになにもしていない。
ヨーロッパ文化ではみんなが最初のいっとき科学や善いことをやるだけで、その後は芸術や悪いことをやっている。そのため、近代の政府は国民に科学や善いことをやらせていたが、現代の政府は国民に芸術や悪いことをやらせている。近代の政府は国民に眼で見て頭で考えて心で思わないことや善いことをさせていたが、現代の今の政府は国民に眼で見るだけで頭で考えず心で思わないことや悪いことをさせている。
政府は都会にお金をやって、都会をきれいなものが多くて自由に悪いことがやれる町にしている。きれいなものを見たり悪いことをやりたい不良が都会に集まってくる。ところが、日本人は科学や善いことが好きだから、きれいなものを見たり悪いことをやると気分が悪くなる。だから、都会は気分が悪い不良の溜まり場である。不良は人間の心がわかっていないから、自分で自分の心を不満にすることをやって自分の気分を悪くしているのである。
政府は国中のみんなからお金を取って、日本のあちこちに気分が悪い不良の溜まり場(都会のこと)を作っている。だから、国民みんなは政府にお金をやってはいけない。国民みんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]して、国民みんなが実在的なことや善いことをやって日本をみんなが気分よく暮らせる国にしないといけない。
近代の都会は実在的で善いことをやる町だったが、現代の都会はきれいで悪いことをやる町になっている。日本人は実在的で善いことが好きで、きれいで悪いことが嫌いである。日本人は近代の都会へ行けば気分がよくなって幸福になったが、現代の都会に行けば気分が悪くなって不幸になる。近代の都会は日本人の憧[あこが]れの都だったが、現代の都会は日本人が忌[い]み嫌う場所である。だから、今の日本人は都会には住めない。今の日本人は田舎[いなか]に出て行くしかない。
[23919] スピーカーとヘッドホンとどっちがいいか? h30.7.13
スピーカーは安くていい音が出る。ヘッドホンは高くてもなかなかいい音が出ない。
だから、単純にいい音を聞きたければスピーカーのほうがいい。
しかし、ヘッドホンは音が大きくてはっきり聞こえる。スピーカーは音が小さくてボンヤリとしか聞こえない。
だから、音を大きくはっきり聞きたければヘッドホンのほうがいい。
スピーカーはいい音が出るが音が小さくボンヤリとしか聞えない。ヘッドホンはなかなかいい音が出ないが音が大きくはっきり聞こえる。
特に下宿では近所迷惑になるから、スピーカーは使いづらい。ヘッドホンがいい。
音楽鑑賞のためには音が大きく聞こえたほうがいい。だから、ヘッドホンの中でなるべくいい音を出す物を選べばいい。
高いヘッドホンは音が細かくて(解像度が高くて)低音から高音までちゃんとした音が出る。あとはお金の問題である。
もっとも、付け心地の良し悪しも忘れてはいけない。高いヘッドホンはいい音が出るが、ヘッドホンが大きくて重くて付け心地[ごこち]が悪い。だから、音楽鑑賞のときには短時間ヘッドホンの付け心地が悪いのを我慢[がまん]しながらヘッドホンを付けて聞かねばならない。頭がギリギリ痛いのを我慢しながら脂汗[あぶらあせ]をダラダラ流しながら、痛い思いをしながらいい音楽を聞かねばならない。短時間なら蒸れてもいいから思い切って音質がよければ閉鎖型でもいい。反対に、音楽鑑賞以外のときには、長時間ずっと付けていないといけないから音質が多少悪くても開放型で小さくて軽いヘッドホンのほうがいい。ヘッドホンは普段用と音楽鑑賞用に2種類持っておくべきである。お金のない人は近所の人に嫌われるのを覚悟[かくご]でスピーカーで大音量で音楽を流せばいい。
私が今使っているソニーのMDR-AV510は普段用としてもある程度音楽鑑賞用としても使える優れたヘッドホンである。もっとも、音楽鑑賞用としては弱いから別に音楽鑑賞用の物を買ってもいい。
スピーカー | ヘッドホン | |
いい音が出る | 優 | 劣 |
音がはっきり聞こえる | 劣 | 優 |
近所迷惑になる | なる | ならない |
音楽鑑賞 | 不適 | 適 |
[23920] 今の人は実在の中で心を満足するようになったために“悪いことをされる喜び”がなくなっている。
h30.7.13
昔の人は“悪いことをされる喜び”があったから“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことをされていた。
しかし、今では文明が進んでみんなが実在を知って実在の中で自分の心を満足するようになっている。そういう習慣が今の人にはある。今の人は実在の中で自分の心を満足しているから、“善いことをされる喜び”を満足するようになって“悪いことをされる喜び”を満足しなくなったのである。反対に、昔の人は実在の外で自分の心を満足していたから“悪いことをされる喜び”を満足していたのだ。今の人は“悪いことをされる喜び”を満足しなくなって政府に悪いことをされるのが嫌になって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
同じように、昔の人は“拝む喜び”があったから“拝む喜び”を満足するために国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んでいた。
しかし、今ではみんなが実在の中で自分の心を満足するようになっている。今の人は拝んでも無駄[むだ]だとわかっている。だから、今の人は拝むのをやめたのである。今の人は国民にいろんな物を拝ませてくれる政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなっている。
同じように、昔の人は“戦争をする喜び”があったから“戦争をする喜び”を満足するために戦争していた。
しかし、今ではみんなが実在の中で自分の心を満足するようになっている。戦争は実在の外でやることである。“戦争をする喜び”は実在の外にある喜びである。昔の人は実在の外で暮らしていたから“戦争をする喜び”を満足するために戦争をやっていた。反対に、今の人は実在の中で暮らしているから“戦争をする喜び”を満足しなくなって戦争をやめたのだ。今の人は実在の中にいるから「戦争なんかとてもやれたものじゃない」と思って戦争しなくなったのだ。今の人は国民に戦争をさせてくれる政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなったのだ。
つまり、今の人が『実在を知り実在の中で自分の心を満足する習慣』が出来たために、“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争する喜び”などの実在の外にある喜びを満足しなくなったのだ。そのために、今の人は政府に悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりするのをやめたのだ。今の人の心の中には今でも“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争する喜び”があるが、今の人がそれらを満足しなくなったためにそれらの喜びが休眠して実質的になくなってしまったのだ。
今では世界中の国で文明が進んで世界中のみんなが『実在を知り実在の中で自分の心を満足する習慣』が出来ている。そのために、世界中のみんなが多かれ少なかれ実在的なことや善いことをやるようになっている。ヨーロッパ人は眼だけで見ることや悪いことをやるのが減っている。インド人は頭だけで考えることや悪いことをやるのが減っている。中国人は心だけで思うことや悪いことをやるのが減っている。世界中のみんなが日本人と同じことをやるようになって来ている。(h30.7.14追加:今のヨーロッパは実在文化をやって日本みたいになっている。ムンクの『太陽』があるのはそのためである。太陽とは日本の国旗つまり日本のことである。ムンクの『叫び』はヨーロッパが科学をやるようになってヨーロッパ文化が死にかけていることを表しているのだろう。ムンクの『マドンナ』は近代のヨーロッパが空想の文化から実在の文化に変わったことを表している。)
今の政府は国民に大昔の娯楽をやらせたりヨーロッパ文化をやらせたりしている。今の政府は国民の“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争する喜び”を満足させたり国民に眼で見る喜びや悪いことをする喜びを満足させている。しかし、今の国民は大昔の娯楽やヨーロッパ文化が嫌だから、政府は国民を不幸にしている。会社の上役[うわやく]は政府のまわし者で政府と組んで政府を有利にしている。会社の上役は社員みんなに「政府のおかげでみんなが食べていける」と思わせて社員みんなを政府に従うようにさせて政府のためにたくさんお金を払うようにさせている。会社の上役は悪人だから、政府はヨーロッパ文化の国にして悪人が上で善人が下の社会にして善人を働かせて悪人が善人の稼[かせ]ぎを奪って悪人を遊ばせてくれて自分を有利にしてくれるから、政府に協力しているのだ。国中の悪人が勝手に「今はヨーロッパ文化の時代だ」と思って「国中のみんながヨーロッパ文化の国にしたいと思っている」と思って強気[つよき]になって政府といっしょにヨーロッパ文化の国を作って悪人が上で善人が下の社会にして自分が有利に暮らせるようにしているのだ。悪人が政府を中心にして協同組合を作って悪人にとって有利な社会にしているのだ。これではみんなが永遠に不幸に暮らさねばならない。今はまだ善人がたくさんいるからやっていけるが、そのうち悪人が増えれば国がやっていけなくなって滅ぶだろう。会社の上役は人前で愛想[あいそ]よくして善人のふりをしているが、実在を見る目のある日本人にとってはとっくの昔に会社の上役が役立たずの空威張り[からいばり]のボンクラであることがお見通しだ。会社の上役が薄汚い[うすぎたない]馬鹿の悪人であることがお見通しだ。本当はみんなは日本文化(つまり実在文化)の国にしたいのであってヨーロッパ文化の国にしたいのではない。善人が上で悪人が下の社会にしたいのであって悪人が上で善人が下の社会にしたいのではない。だから、みんなは会社の上役の命令を聞かないようにして会社の上役もろとも政府を潰[つぶ]さねばならない。みんなで政府や会社の上役を倒してみんなが自分の心を満足して幸福に生きていける世の中にしないといけない。みんなで日本文化の国にして善人が上で悪人が下の社会にして善人が有利で悪人が不利な社会にして善人ばかりいて悪人のいない社会にしないといけない。
日本は大昔からずっと実在文化の国である。日本人は近代にヨーロッパが一時的に実在文化をやっているときにヨーロッパから実在文化の成果を取り入れていただけである。日本人は自分が幸福に暮らすためにヨーロッパを利用していただけである。日本人は自分が幸福に暮らすために日本の実在文化で受け入れられるヨーロッパの文化を取り入れていただけである。けっして日本はヨーロッパ文化をやる国ではない。日本は悪人の国ではない。善人の国だ。だから、悪人は日本から出て行け!ヨーロッパに引越ししろ!日本人は日本を実在文化の国にして自分たちで幸福に暮らす。
[23921] 日本文化とヨーロッパ文化は違う。 h30.7.14
日本人は生まれつき眼と頭の両方で見るために、日本人には実在の世界が見えるから、日本人は実在の世界で自分が幸福になるようにしている。
一方、ヨーロッパ人は生まれつき眼だけで見て頭で見ないために、ヨーロッパ人には五感の世界が見えるから、ヨーロッパ人は五感の世界で自分が幸福になるようにしている。
そのために、日本人は便利なことや善いことが好きだが、ヨーロッパ人はきれいなことや悪いことが好きなのである。日本人には実在の世界が見えるから、実在の社会の決まりである法律を守るから善いことが好きなのである。ヨーロッパ人には眼先のことが見えるだけで実在の世界が見えていないから、実在の社会の決まりである法律を守らないから悪いことが好きなのである。
日本人は実在の世界で生きて実在の世界で幸福に暮らしている。それが日本文化である。一方、ヨーロッパ人は五感の世界で生きて五感の世界で幸福に暮らしている。それがヨーロッパ文化である。日本文化とヨーロッパ文化は違う。
日本政府は自分が国民にヨーロッパ文化をやらせる会社であることを理由にして国民にヨーロッパ文化をやらせている。日本政府は日本国民にきれいなことや悪いことをやらせている。おかげで、日本の国民は毎日面白くない思いをしている。ヨーロッパ政府がヨーロッパ人に日本の文化をやらせるようなものである。それでは、ヨーロッパ人は毎日面白くない思いをしないといけないだろう。
日本国民は自分が幸福になるために日本政府を倒さなければならない。国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さなければならない。国民みんなで政府を潰して、国民みんなが自分で日本の文化(実在文化)の国を作って国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
h30.7.16追加:今の国民の多くは自分が政府が恐くて政府に怖気[おじけ]づいているために政府の命令をおとなしく聞いている。国民はもっと勇気を出して自分で政府の命令を断らねばならない。国民は政府の言うことを聞かず政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
[23922] 安くいい音を聞く方法☆ h30.7.14
音のよさはスピーカーのほうがヘッドホンよりも上である。よっぽど高価なヘッドホンでない限りそうである。
だから、自分の耳元[みみもと]でスピーカーを鳴らせば自分はいい音を聞ける。例えば、ソニーのSRS-XB20(アマゾンで1万円ぐらい)を買って自分の寝床で鳴らせばもっともいい音が聞ける。まるでコンサートホールの中で音楽を聞いているみたいだ。しかも、スピーカーで音を聞けば耳を圧迫する物がないから寝ながら楽な姿勢で聞けるから快適至極[しごく]である。耳元でスピーカーの音を聞けば、そんなに大きな音で鳴らさないから近所迷惑になることもない。
ヘッドホンにお金をかけるのは愚行[ぐこう]だ。お金がかかるだけで結果は得られない。高いお金をかけてまあまあの音を聞いているだけだ。
だから、ヘッドホンにお金をかけてはいけない。ヘッドホンはそこそこいい音で満足しないといけない。そもそもヘッドホンは純粋に音楽を聞くための道具ではない。ヘッドホンは作業をしながら音楽を聞くための道具である。作業を妨げないためにヘッドホンは音質よりも掛け心地[かけごこち]で決めないといけない。だから、軽くて小さいヘッドホンがいい。軽くて小さいヘッドホンの中で音質がなるべくいい物を探せばいいのだ。普段はヘッドホンで作業をしながら軽く音楽を聞いて、音楽鑑賞は寝ながらスピーカーでやればいいのだ。そうすればもっとも多くの喜びが得られる。
絵を見たり音楽を聞いたりするのが好きなのはヨーロッパ人である。日本人は実在について考えるのが好きである。そもそも音楽を聞くのは日本人の趣味ではない。日本人は音楽を聞くよりも実在について考えるほうが多くの喜びが得られる。日本人にとって音楽は自分の思考を促[うなが]すための触媒である。日本人にとってヘッドホンは考えごとをしながら音楽を聞くための道具にすぎない。だから、日本人にとってヘッドホンはそこそこの音質でいい。音質がよすぎると音楽に没頭してしまって思考を妨[さまた]げてかえって不満になる。だから、すごくいい音を出すヘッドホンよりもちょっとだけいい音を出すヘッドホンのほうがいいのだ。日本人にとってヘッドホンは自分が“考える喜び”を満足するのを助けるための道具なのだ。音楽は人間の思考を促進するが、音楽をやりすぎると人間の思考を妨害する。音楽そのものが目的になってはいけない。過ぎたるは及ばざるが如[ごと]しだ。
ヘッドホンやスピーカーは音楽を自分に聞こえるようにするための道具にすぎない。だから、音楽そのものが一番大事だ。自分の気持ちがよくなる音楽を聞くことが一番大事だ。道具はどうでもいい。
自分の機嫌[きげん]がいいといい音に聞こえる。音楽が楽しく聞こえる。だから、自分の機嫌をよくすることも忘れずに。
ヘッドホンはそこそこでいい。あとは自分の“鑑賞力”で補うのだ!
[23923] 人間は科学をやれば実在がわかって法律や挌律を守るようになる。☆ h30.7.14
人間は科学をやって実在がわかるようになれば、実在の中で自分の心を満足するから善いことをする。実在の社会の中で幸福に暮らすために法律を守る。法律とは人間が実在の社会の中で幸福に暮らすための決まりである。実在の自分の中で幸福に暮らすために挌律を守る。挌律とは人間が実在の自分の中で幸福に暮らすための決まりである。日本人は実在界の中で生きているから実在界の中で自分の心を満足するために科学をやって、法律や挌律を守って暮らしている。
反対に、人間が科学をやらず実在がわからなければ、実在の中で自分の心を満足せず実在の外で自分の心を満足するから悪いことをする。実在の社会がわからないから法律を犯す。実在の自分がわからないから挌律を破る。ヨーロッパ人は五感界の中で生きているから五感界の中で自分の心を満足するためにきれいなことをして、実在界の中で生きていないから法律や挌律を犯して悪いことをする。インド人は知覚界の中に生きているから知覚界の中で自分の心を満足するために数学をやって、実在界の中で生きていないから法律や挌律を犯して悪いことをする。中国人は心界の中に生きているから心界の中で自分の心を満足するために文学をやって、実在界の中で生きていないから法律や挌律を犯して悪いことをする。
道徳とは人間が幸福に暮らすための方法である。日本人の道徳は科学をやって法律や挌律を守ることである。ヨーロッパ人の道徳は芸術をやって法律や挌律を守らないことである。インド人の道徳は数学をやって法律や挌律を守らないことである。中国人の道徳は文学をやって法律や挌律を守らないことである。世界中で法律や挌律を守ることが道徳なのは日本人だけである。外人は法律や挌律を守らないことが道徳である。日本人と外人は性格が違う。善いこととは人間が実在がわかって法律や挌律を守ることである。悪いこととは人間が実在がわからず法律や挌律を守らないことである。要するに、善とは実在の中にいることであり、悪とは実在の外にいることである。世界中で善いことが道徳なのは日本人だけで、外人は悪いことが道徳なのである。道徳とは善いことをすることとはかぎらず、人種によっては悪いことをするのも道徳である。
もっとも、今では世界中でみんなが科学をやっている。人間は科学をやると生活が便利になってすごく幸福になれるので、今では世界中のみんなが科学をやっている。そのために、今では世界中のみんなが実在がわかるようになって法律や挌律を守るようになっている。今では世界中の治安がよくなって来ている。今では世界中で道徳が善いことになって来ている。
今では世界中で善いことが道徳になって来ている。だから、今ではみんなが善いことをして幸福になって、悪いことをして幸福になってはいけない。善人が上で悪人が下の社会にしないといけない。今の会社の上役[うわやく]や社長はただのくだらない馬鹿の悪人である。会社の上役や社長は自分が悪人であるのを隠すために人前で愛想[あいそ]よくしているだけだ。今の会社の上役や社長は悪人だから下にしないといけない。みんなは会社の上役や社長に従わないようにして、会社の上役や社長にお金をやらないようにして、会社の上役や社長を会社から追い出さないといけない。会社の上役や社長がいなくなったほうが善い社会になる。だから、みんなで会社の上役や社長を葬[ほうむ]り去らねばならない。
[23924] いい音とは何か? h30.7.15
オーディオテクニカにとっていい音とは濃厚なまったりした味がする音である。高価な感じがする音である。(私は今自分が持っているATH-EP700を聞いたかぎりで物を言っている。まちがっていたらごめんなさい。しかし、オーテクのATH-P100L(アマゾンで1,300円ぐらい)は安くて音が粗[あら]くて音が汚かったが、それでも音が濃厚でまったりしていた。だから、オーテクのヘッドホンはたぶん全部そんな味がするのだろう。)
反対に、ソニーにとっていい音とは淡白[たんぱく]な軽薄[けいはく]なさっぱりした味がする音である。安っぽい感じがする音である。(私は今自分が持っているMDR-AV510を聞いたかぎりで物を言っている。まちがっていたらごめんなさい。)
“いい音”はひとつではない。“いい音”にはいろんな種類がある。私はオーディオテクニカのいい音は肌に合わない。ソニーのいい音のほうがチャラチャラしていて好きだ。私はこれまで自分がそんな人間だとは知らなかった!私はオーディオはソニーのものを買ったほうがいい。人によって好き嫌いが違う。みんなは自分に合った“いい音”を出すスピーカーやヘッドホンを選ばないといけない。
私は普段用にソニーの小型の開放型のヘッドホンを使って、音楽鑑賞用にはソニーの大型の密閉型のヘッドホンを使えばいいのだ!!(どうせ音楽鑑賞用はほとんど使うことがないが。)
しかし、私はすでにアマゾンで外国のヘッドホンを注文してしまった。私はこの動画を見て、ゼンハイザーのHD599を買うことにした。動画ではベイヤダイナミックのDT990PRO(アマゾンで約2万円)やDT770(アマゾンで1万7千円ぐらい)は音を派手に出している。そのために、音が濃厚でまったりになっている。一方、ゼンハイザーのHD598(≒HD599)(アマゾンで2万3千円ぐらい)は音を無難に控[ひか]えめに出している。そのために、音が軽薄でさっぱりしている。日本人(特に私)にとっては音が軽薄でさっぱりしているほうが好きである。そういうわけで、私はゼンハイザーのHD599を買うことにしたのである。しかし、ソニー製ではないから私の耳に合わないかもしれない。私が今度買うザンハイザーのHD599がダメだったら、ソニーの大型の密閉型(MDR-100A(アマゾンで1万円ぐらい)かMDR-1A(アマゾンで2万円ぐらい))を買うことにしよう。オーディオはわかるまでにかなりお金がかかるので困るなあ。
いいヘッドホンはモニターを超えたところにある!そのほうが音を聞いたときにより多くの喜びが得られるからだ。物の価値とはそういうものだ。人は自分が得た喜びに対してお金を払うのだ。
モニター型は面白みがない。デジカメと同じで“色づけ”がないから面白みがない。音楽を聞いても時間の無駄[むだ]だ。職業人以外はモニター型は買わないほうがいい。
ヘッドホンは音が歪[ゆが]んでいるからこそ“色付け”があるからこそ楽しいのだ。より多くの快感が得られるのだ。そういうヘッドホンを必死になって探しまわらねばならない。
そうなったら高いのを買うからいいわけではない。値段が高かろうが安かろうが音質がよかろうが悪かろうがとにかく“自分が音を聞いて多くの快感が得られるヘッドホン”が自分にとって価値があるヘッドホンなのだ。1万円未満のヘッドホンでも自分の“音を聞く喜び”に合っていればそれでいいのだ。聴覚を研ぎ澄ませて自分の快感をひとつでも多く感じ取らねばならない。
いいヘッドホンは知覚の働きを高める。いいヘッドホンで音を聞けば馬鹿でも頭がよくなるかもしれない。
ヨーロッパ人は五感が発達しているから音質が高いヘッドホンで聞けば多くの喜びが得られる。反対に、日本人は五感が未発達だから音質の悪いヘッドホンで聞いたほうが多くの喜びが得られる。日本人は高いヘッドホンよりも安いヘッドホンのほうが多くの喜びが得られる。だから、日本人は安物の音質が悪いヘッドホンを買い漁[あさ]ればいいのだ。中古の壊れかけのガラクタのヘッドホンで聞けばいいのだ。高いヘッドホンは自分で踏んづけて壊してまともに音が出なくなってから聞かねばならない。
[23925] 今の人は実在の中に住むようになったためにマゾではなくなったので政府が要らなくなった。☆
h30.7.15
昔の人は悪い環境に住んでいたので“悪いことをされる喜び”があった。そのほうが人間が悪い環境の中で楽しく生きられて多く生き残れたからである。
大昔の人は文明がすごく低くて実在の外に住んでいたから、臆面[おくめん]もなく“悪いことをされる喜び”を満足していた。日本人は世界的には実在的なほうだが、それでも大昔はまだみんなが実在のことがほとんどわかっていなかったので頭の中では実在の外で暮らしていたのである(もちろん、身体は実在の中にある)。大昔の人はみんなに悪いことをする政府を建てて、政府に白昼堂々[はくちゅうどうどう]と公衆の面前で財産を取られたり殺されたり嫌がらされたりして喜んでいた。
昔の人は文明が少し進んで実在の中にちょっと住むようになったから、そこそこ“善いことをされる喜び”を満足するようになったから、自分が“悪いことをされる喜び”を満足するのがヘンテコに思えて恥ずかしくなったので、政府に「政府が善いことをする会社である」という嘘[うそ]をついてもらって政府に嘘の理由をつけてもらって悪いことを善いことに見せかけて隠れて悪いことをされて喜んでいた。昔の人は政府に「政府がみんなに善いことをするためにはたくさんお金が要る」「多くの国民が不慮[ふりょ]の事故にあわれて亡[な]くなられた」「産業の発展には公害が付きものである」などと嘘をついてもらって政府に強盗されたり殺されたり嫌がらされたりして喜んでいた。
今の人は文明がもっと進んで実在の中にほとんど住むようになったから、“善いことをされる喜び”だけを満足して“悪いことをされる喜び”をまったく満足しなくなった。今の人はみんなに悪いことをする政府が要らなくなったので政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
外人は実在の外で暮らしているので悪いことをしたりされたりするのが好きである。日本人は実在の中で暮らしているので善いことをしたりされたりするのが好きである。つまり、実在の外で暮らしている者は悪いことをしたりされたりするのが好きである。実在の中で暮らしている者は善いことをしたりされたりするのが好きなのである。つまり、悪いこととは実在の外で幸福になることであり、善いこととは実在の中で幸福になることなのである。今では世界中で科学が普及して世界中でみんなが実在の中で暮らすようになって来ているので、みんなが善いことをしたりされたりするのが好きになって来ている。日本人は『ジャングル大帝』のレオのようにみんなのリーダーとなってみんなを引っ張っている。外人は実在の外で暮らしているから悪いことをしたりされたりするのが好きだから政府が必要だから政府にお金を払って政府を建てている。日本人は実在の中で暮らしているから悪いことをしたりされたりするのが嫌だから政府が要らないから政府にお金をやらないようにして政府を滅ぼさねばならない。外国は遅れている。日本政府は自分が生き残るために国民に「外国のほうが進んでいる」とまちがいを教えて国民に外国の真似をさせている。日本人は外国を真似[まね]ずに自分で政府を倒さねばならない。
悪いことをするのが好きなのはヨーロッパ人である。悪いことをされるのが好きなのはマゾである。今の政府はヨーロッパ人やマゾのための国を作っている。しかし、今の日本人はヨーロッパ人でもマゾでもない。今の日本人はそんな変態ではない。今の日本人は悪いことをしたりされたりするのが嫌である。今の政府は今の日本人が嫌いな国を作っている。今の政府は今の日本人が不幸に暮らさねばならない国を作っている。だから、今の日本人は今の政府を倒さねばならない。今の日本人は政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
今の日本政府はヨーロッパ人やマゾのための国を作っている。ヨーロッパ人もマゾも実在の外にいる。今の日本政府は実在の外にいる人のための国を作っている。しかし、今の日本人は実在の中にいる。今の日本人は実在の中で暮らすのが好きである。だから、今の日本人にとっては政府はないほうがいい。だから、今の日本人は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
日本人は大昔から実在がわかって実在の中で暮らすのが好きである。しかし、日本人はいまひとつ眼で見る力が弱いために実在が見えず実在の中で暮らせなくなっている。だから、日本人は実在をもっとよく眼で見るようにして眼で見る力を鍛[きた]えてもっと実在がわかるようにならねばならない。日本人はマンガや文学を読まずにアニメやドラマを見ずに実在を眼で見て頭で考えて実在がわかるようにならねばならない。日本人は自分が実在がわかるようになって実在の中で暮らせるようになってもっと幸福に暮らさねばならない。ヨーロッパ人はマンガや文学を読まずに眼で見る世界の中できれいな物を作って自分の心を満足して面白くやっている。日本人はマンガや文学を読まずに実在を眼で見て頭で考えて実在の中で便利な物を作って自分の心を満足して面白くやっていかねばならない。
ヨーロッパ政府はヨーロッパ人にヨーロッパ文化をやらせてヨーロッパ文化の国を作っているから国民を幸福にしているから国民からたくさんお金をもらって建っていられる。日本政府は日本人にヨーロッパ文化をやらせてヨーロッパ文化の国を作っているから国民を不幸にしているから国民からお金をもらえなくなって潰れている。幕府は日本人にアジア文化をやらせてアジア文化の国を作って国民をまあまあ幸福にしていたから、国民からお金をもらって建っていられた。日本人にとってはヨーロッパ文化もアジア文化も嫌である。日本人は日本文化(つまり実在文化)をやらねばならない。日本には国民に日本文化をやらせる会社を建てればいい。そうすれば国民は幸福に暮らせるだろう。国民に日本文化をやらせる会社は国民を幸福にするから国民からお金をもらって建っていられるだろう。
日本文化は外国の文化のような非実在的なくだらないところがないのがいいところである。日本人は外国のくだらない文化を入れないようにして外国の文化の日本文化に合う実在的な部分だけを取り入れて自分の国を日本人が気持ちよく暮らせる国にしないといけない。国民が自分が幸福に暮らすために外国の文化の自分の国の文化に合うところを取り入れて自分の国の文化に合わないところを取り入れないことはどこの国の人でもやっていることである。だから、日本人もそうしないといけない。
[23926] オーディオテクニカの『ATH-AD500X』の感想 h30.7.16
今日アマゾンからオーディオテクニカの『ATH-AD500X』(アマゾンで8千円ぐらい)が届いた。
装着はきつくはないが、装着感はしっかりある。頭が痛くならないが押されている感じはある。音楽を聞くのに不快になるほどではない。本音[ほんね]を言うと、頭が痛くならないギリギリだ。けっして楽ではない。それぐらいの締[し]め付けはある。イライラして腹が立つ。横方向の押しがメチャメチャ頭に来る。(ヘッドホンの締め付けがきついのが、ヘッドホンで音楽を聞くのが楽しくなくなる最大の原因である。どうしてヘッドホンってこうなんだろうねえ?音質以前の問題だ。もっと、側圧を減らす工夫[くふう]をしないといけない。基本的な問題を解決してから先に進まないといけない。ヘッドホンのヘッドバンドを左右に真っ二つに割ってスライダーで幅を調節できるようにしたらいい。ヘッドホンがずり落ちるのが嫌なら、頭を動かさなけりゃいいだろ!?あるいは、ヘッドバンドを形状記憶合金にして張力が働かないようにすればいい。ヘッドバンドをゴムかなにかのもっと緩[ゆる]い素材にすればいい。ゴリラポッドみたいなやり方で頭に固定できるようにすればいい。原付に長時間乗っていると尻[しり]が痛くなるのと同じだ。この問題は『エアホーク』(アマゾンで12,000円ぐらい)で解決した。だから、ヘッドホンも側圧の問題を解決しないといけない。エアホークみたいなのを耳に挟[はさ]むか?)
音楽を楽しむために十分な音が出る。音が立体的に聞こえる。(つまりヘッドホンの音の解像度が高いために音源の位置がわかる。立体感が出る。自分がオーケストラの席に混じって音楽を聞いているような気になる。私がこれまで使ってきたソニーのMDR-AV510のような安物のヘッドホンだと音の解像度が低いのでなんとなく音を聞いているだけで音源の位置まではわからない。)音がリアルに聞こえる。音がナマナマ。低音から高音までちゃんと出る。音が潰[つぶ]れたりせずに音がきれいに出る。細かい音もよくわかる。
ケーブルが3mもあって、余裕があっていい。
ヘッドホンとは音楽データを音に変換する装置である。最後の変換の出口である。ネックである。
ヘッドホンがいいと、音楽データが正確に音に変換される。
ヘッドホンが悪いと、音楽データが不正確に音に変換される。圧縮されたり歪[ゆが]んだりする。
要するに、AD500Xはヘッドホンとして音楽を楽しむために必要十分な性能がある。私は今日AD500Xで音楽を聞いて、生まれてはじめてヘッドホンらしい音が聞けた気がする。音楽の世界に踏み込むことができた。「これがヘッドホンというものか!?」私は側圧が強いこと以外はこのヘッドホンが好きだ。音も好きだ。絶対に24時間掛けっぱなしは無理なので、別に普段用のヘッドホンを構[かま]える必要がある。今回、私はアンプとして『Creative USBオーディオ Sound Blaster Play! SB-PLAY』(現在アマゾンで6千円、昔は3千円ぐらい?)を使用した。
私は側圧に非常に敏感なので大型のヘッドホンは使えない。小型のヘッドホンかスピーカーを使うしかない。それが私の宿命なのだ。
[23927] ゼンハイザーの『HD599』の感想 h30.7.17
昨日アマゾンでゼンハイザーの『HD599』(アマゾンで2万3千円ぐらい)の注文を取ったらさっそく今日届いた。
アマゾンは高額商品を注文するとすぐに届く。驚くほど早い。
ずっと前に『うる星やつらDVDBOX下』(アマゾンで約12万5千円)を注文したときも翌日に届いた。
装着感がガバガバだ。ちょっとでも頭を動かすとすぐにずり落ちる。それだけに頭はほとんどまったく痛くない。おそらく一日中つけていても痛くなることはないと思われる。
音はまあまあだ。特に低音がボワ〜ンとなるのが不自然で嫌だ。ほとんど不良品だ。間が抜けてしまって低音の迫力がそぎ落とされる。音に関してはオーテクのAD500Xのほうがいい。音が立体的だし、低音がちゃんとズンズン響くし、歯切れのいい硬くてきれいな音が出る。日本人の好きそうな音の成分がよく出ているような気がする。日本のメーカーのヘッドホンやスピーカーは日本人が音を聞いてもっとも多くの喜びが得られるように作られているのだ。日本人が音を聞いて気持ちがよくなるように日本人好みの音がたくさん出るように作られているのだ。(日本人は五感が未熟なので音質が悪いほうが多くの喜びが得られるのだろうか。/中国人は銅鑼[どら]の音が好きである。銅鑼はボワ〜ンという音を出す。だから、ゼンハイザーは中国人向きの音を出すヘッドホンを作っているのだろう。日本人向きではない。/文系に正しさの概念はない。ヘッドホンの宣伝は文系がやっているから嘘[うそ]やデタラメばっかりなのだ。文系のヤツは物を売るためならなんでも言う。文系のヤツは雰囲気が面白いだけで言うことはデタラメだ。私は「ヘッドホンは1万円出せば世界が変わる。3万円出せばどれでもいい音を出すから自分の好みで選べばいい」という言葉を信じてゼンハイザーのHD599を買った。とんでもない嘘だ!これがいい音なら百均のイヤホンでもいい音だろ!こんなのより国産の安物のヘッドホンがマシだ。文系のヤツは信用置けない。)
要するに、HD599は装着感がいいだけで、音はあまりよくない。いちおう音が高解像度で聞けるだけで、音を聞くことによる満足度は低い。音を聞いても喜びはあまり得られない。やはり国境を越えるとよくない。日本人好みの音が出ない。日本人の感性に合っていないヘンチクリンな音がたくさん出るだけだ。なるべく国内のメーカーの物を買ったほうがいい。(エージングなんかない。そんなものがあるのは嘘[うそ]だ。音を鳴らしても音質はほとんど変わらない。客に返品されないためにでっち上げた嘘の理屈だ。神武天皇は140歳の年寄りだったからエージング(老化)と言っているだけだ。)
ゼンハイザーのヘッドホンは装着感がいいだけで、ほかは大したことがない。(ウズマックス氏も、ゼンハイザーのHD800は“装着感が”すごいと言っていた。音についてはなにも触れていない。)ヘッドホンの装着感は私が発明したゴリラポッド法で今後改善されるはずである。そのうちもっと装着感のいいヘッドホンがたくさん出来るだろう。そしたら、ゼンハイザーのは売れなくなるだろう。
大型のヘッドホンにはいい物がほとんどない。音がいいと思ったら装着感が悪く、装着感がいいと思ったら音が悪い。両方ともいいのはない。大型のヘッドホンにはろくなものがない。みんなは部屋の飾りのために買っているだけだ。セゴリータ三世もそうしている。もう大型のヘッドホンは買わないほうがいい。小型のヘッドホンとスピーカーでやっていったほうがいい。
私はヘッドホンは『装着感が第一だ』と思うので、総合的にはオーディオテクニカのAD500XよりもゼンハイザーのHD599のほうが勝ちだ。しかし、聞きたい音ではない。音を聞く価値がない。勝ち負けなんかどうでもいい。私は多少頭が痛くなってもオーテクのAD500Xのほうが聞きたい!これではなんのために買ったのかわからない。HD599は外国の文化を知るための貴重な資料となっただけだ。
もしかしたら、ソニーの閉塞型の大型ヘッドホンは日本人好みのいい音が出て装着感もいいかもしれない。私が今度原付で鹿児島まで行って無事に帰ってこられたらその記念に買うことにしよう。オーテクもソニーも日本の会社だから日本人が好きな音が出るものを作っているが、オーテクとソニーでは音の傾向がちょっと違う。私はソニー製品が好きで、小型ヘッドホンとスピーカーがソニー製品だから、ソニー製品で統一したほうがいいかもしれない。
←私が今日買ったゼンハイザーのHD599。アマゾンで2万3千円ぐらい。装着感がいいだけで、音が日本人の感性に合っていないヘンテコな音ばかりだ。
[23928] 女の喜びと男の喜び h30.7.17
女は眼で見ることや耳で聞くことしかわからない。女は眼で見る喜びや耳で聞く喜びしかない。だから、女を喜ばせるには眼で見る喜びや音を聞く喜びを与えるしかない。親は女の子に高いピアノを買って音楽教室に通わせてやるしかないのだ。
男は頭で考えることや身体を動かすことがわかる。男は頭で考える喜びや運動する喜びがある。だから、男を喜ばせるには頭で考える喜びや運動する喜びを与えるしかない。親は男の子に本やノートやパソコンやスポーツ道具を買って勝手に考えさせたり運動させたりすればいいのだ。
女の喜びと男の喜びは違う。女と男は生きている世界が違う。女は眼で見るだけで実在の外にいる。男は眼で見て頭で考えて実在の中にいる。女は実在の外にいるから自分で生きられない弱い生き物である。男は実在の中にいるから自分で生きられる強い生き物である。女は実在がわからないからくだらないことをやるだけだ。男が女を引っ張っていくしかない。
ヨーロッパ人は女である。アジア人は超男性(男すぎる人間)である。日本人は男である。ヨーロッパ人は実在の外にいるから一人では生きられない。アジア人は半分実在の中にいるからなんとか一人でも生きられる。日本人は完全に実在の中にいるから一人で十分生きられる。ヨーロッパ人は一人では生きられない。だから、ヨーロッパでは千年に一度女が超男性と結婚して男に変ってつまりヨーロッパ人がアジア人と合体して日本人に変って一生懸命に実在の中で働いてお金を溜[た]めて、その後で男がもとの女に変わって日本人がヨーロッパ人に戻ってしばらく溜めたお金を使ってダラダラ遊んで暮らすのだ。
[23929] クリエイティブ『アルバナライブ!』の感想 h30.7.17
今日アマゾンで注文したクリエイティブの『アルバナライブ』(アマゾンで5千円ぐらい)が届いた。
装着感はいい。緩[ゆる]くてきつくないからたぶん長時間聞いていられるだろう。
音は良くも悪くもない。いわゆる普通だ。面白みのある音が出るわけではないし、悪い音が出るわけでもない。なんの変哲[へんてつ]もないいたって普通の音が出るだけだ。音質は家電のヘッドホンよりも多少いい。しかし、音が小さいので迫力がない。
アルバナライブは箱が面白いだけで、中身はいたって普通だ。本体はちゃちで地味だ。実物は写真よりも渋[しぶ]くてかっこいい。5千円の商品としては妥当[だとう]なセンだ。5千円出して損したとは絶対に思わない。普通の音で満足できる人は買えばいい。音に強いこだわりのない人のリスニング向けのヘッドホンだ。高級な家電ヘッドホンだと思えばいい。
←クリエイティブの『アルバナライブ!』。アマゾンで5千円ぐらい。価格相応の価値はある。ワンランク上の家電ヘッドホンだ。実物は写真よりもかっこいい。
h30.7.19追加:今日もまた『アルバナライブ』で聞いてみた。よく聞くと、このヘッドホンはなかなか“気持ちがよくなる音”を出す。日本人が好きそうな爽[さわ]やかな音を出す。音の解像度は高くないので音源の位置がわかったりせず音に立体感はないが、そのかわりアンリアルな変わった音を出す。それが不思議と気持ちいいのだ。ディブームのiTourBoomみたいな音だ。iTourBoomはポワ〜ンとした音を出すが、アルバナライブはシャリシャリした音を出す。音域については低音から高音まで偏[かたよ]らずに音を出す。低音はズンズン響くし、高音はチャキチャキ鳴る。音が澄んでいてきれいで気持ちがいい。“独特な味のある音”を出すので音楽を楽しく聞いていられる。家電ヘッドホンのような無難な面白みのない音を出したりはしない。装着感はハウジングが小さいので耳当たりはちょっと悪いが、側圧が弱いので長時間聞いても耳や頭が痛くならず快適に音楽が聞ける。音も装着感も両方いい優れたヘッドホンだ。このヘッドホンはなかなか値打ちがある。一度は聞いてみる価値がある。買っておいて損はない。ただ気持ちいい音を出すだけに音がくどくて聞き疲れがするので、ながら聞きには向かないので、これは音楽用として普段用のを別に持っていたほうがいい。軽い音が出る長く音を聞いても疲れない小型で軽い普段用のヘッドホンを持っていたほうがいい。『アルバナライブ』は普段は戸棚の中にしまっておいて、特別に音楽を聞きたいときだけ使えばいい。
[23930] コスの『ポルタプロクラシック』の感想 h30.7.17
コスの『ポルタプロクラシック』の感想 h30.7.17
昨日アマゾンで注文したコスの『ポルタプロクラシック』(アマゾンで5千円ぐらい)が届いた。今日まで開けずに置いておいた。
装着感は最高にいい!本体が小さくて軽いからいいのは当然だ。私がこれまで使っていたソニーのMDR-AV510と同じくらいいい。言うことなし。24時間かけっぱなしでも使える。
音は低音が強めに出る。低音がまったりしてトロ〜とした味がある。そのかわり高音は弱い。小型だから音の解像度は高くないが、音が潰[つぶ]れたりせずにきれいな音が出る。音が全体としてエコーがかかっているみたいに響く。私がこれまで使っていたソニーのMDR-AV510と性格が反対だ。MDR-AV510は高音がよく出て低音はほとんど聞こえない。歯切れのいい硬いチャラチャラした音が出る。音が全体的に切れがよくさっぱりしている。
私は日本人だからコスのポルタプロよりもソニーのMDR-AV510のほうが音が好きだ。私はコスのポルタプロよりもソニーのMDR-AV510のほうが音を聞いていると気持ちがよくなる。日本人はインド人と同じで自分の気分をハイなほうに持って行くから高音が好きなのだ。ヨーロッパ人は反対だろう。でも、音の微妙な点を気にしなければ、装着感が似ているからMDR-AV510の代わりに使える。
私は『ポルタプロクラシック』の形を見てもっと変な音が出ると期待して買ってみたが、以外にまともな音だった。ディブームのスピーカーiTourBoomのように独特なヘンテコな音が出ると思ったが、意外に普通だった。要するに、低音寄りのソニーのMDR-AV510だ。コスのポルタプロには低音の迫力がある。ソニーのMDR-AV510には高音の歯切れのよさがある。ソニーのMDR-AV510が高音寄りで低音が出ないから、低音が好きな人はこれを買ったらいい。
←コスの『ポルタプロクラシック』。アマゾンで5千円ぐらい。低音寄りの小型軽量ヘッドホンだ。
しょせん、ヘッドホンではいい音は出ない。大型のヘッドホンも大した音が出ない。ヘッドホンよりもスピーカーのほうが音がいい。ヘッドホンはスピーカーが使えないときに音を聞くためにある。ヘッドホンはスピーカーの補佐にすぎない。だから、なるべくスピーカーで音を聞いて、スピーカーが使えない場合に小型軽量のヘッドホンを使えばいい。そうすれば、もっとも楽しいサウンドライフが送れる。
オーテクのヘッドホンは音がちょっとヨーロッパ臭い。私には音が面白くない。ソニーのヘッドホンは音がインド臭い。私には音が面白い。ソニーのほうが日本人に向いている。オーテクのヘッドホン(ATH-AD500Xのこと)は音が立体的で(つまり音源の位置がわかって)リアルなだけで、“日本人好みの音である”“日本人が気持ちよくなる音を出す”点はソニーのヘッドホンやスピーカーのほうがいい。人間が麻薬をやると気持ちがよくなるように、音楽を聞くと気持ちがよくなるのだ。オーテクのはただ音を聞いているだけで気持ちがよくならない。フヌケた音だ。時間の無駄[むだ]だ。いくら音の解像度が高くても、そもそも気持ちがよくなる音が出ていなければいくら音を聞いてもなんにもならない。ソニーのヘッドホンも値段が高い物はオーテクのヘッドホンに負けず音が立体的でリアルである。だから、日本人はソニーのスピーカーやヘッドホンを使えばいい。
女はボサーとしてただ生きているだけだ。喜びもなく生きているだけだ。そんなやつといっしょになっても楽しいわけがない。男はめったに結婚するものではない。
音楽は現実逃避である。音楽は実在の外に出ることである。日本人は実在の外に出ても楽しくない。日本人にとっては音楽よりも実在について考えるほうが面白い。日本人は音楽よりも実在について考えることを第一にしないといけない。人間が音を聞くための道具があるよりも人間が実在について考えることを助ける道具があったほうがいい。スピーカーやヘッドホンよりもノートやパソコンがあったほうがいい。
[23931] 日本を実力主義の国にしないといけない。 h30.7.18
政府はヨーロッパ文化の国を作る会社である。
ヨーロッパ文化は眼先の文化である。ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしない。ヨーロッパ人は眼で見えることがわかるだけで頭で考えることも心で思うこともわからない。
そのために、政府は日本を眼先の国にしている。うわべの学歴や地位だけで人間の価値が決まる国にしている。学歴や地位さえよければ実力がなくても出世できるようにしている。学歴や地位さえあれば上になれるようにしている。そのために、学歴や地位だけよくて実力のない人間が増加している。誰でもお金を出せば学歴や地位を手に入れて上の者になれるようにしている。試験制も試験の点がいいだけでほかにできることがないので肩書きにすぎず実力ではない。日本はどんどん実在の世界から離れて行って悪い国になっている。日本人は実在的なことが好きなので、日本人にとっては面白くない国になっている。
日本人は自分が面白く暮らすために日本を面白い国にするために日本をヨーロッパ文化の国にする政府を倒さねばならない。国民みんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。国民みんなで日本を実在文化の国にして実力主義の国にして学歴や地位よりも実力(つまり才能)を優先して実力のある者が上になる社会にしないといけない。
会社の社長や上役[うわやく]は地位だけあって実力がなにもない。だから、そういうフヌケた連中は日本から追い出さねばならない。実力のある者を会社の社長や上役にしないといけない。
私よりも自分のほうが学歴や地位が上だからといって私が考えた正しいことを否定してはいけない。自分のほうが学歴や地位が上だからといってまちがったことを他人に押し付けてはいけない。真実には従わねばならない。学歴や地位が権力になる社会にしてはいけない。学歴や地位があれば自分の心のままに好き放題にできる社会にしてはいけない。学歴や地位があれば実在を無視してもいい社会にしてはいけない。学歴や地位を実在の外に出るための手段にしてはいけない。
このままではみんなが実在の外に出てしまって誰も実在の中で働かなくなってみんなが貧乏になって不幸になる。文明もなくなる。だから、みんなは実在文化をやらねばならない。みんなが実在の中に入ってみんなが実在の中で働いてみんなが裕福になって幸福にならねばならない。みんなでみんなにヨーロッパ文化をやらせてみんなを貧乏で不幸にする政府を倒さねばならない。
みんなが実在を眼で見て頭で考えて実在の中に入ればみんなが科学や道徳をやってまじめに働いて裕福に幸福に暮らせる。反対に、みんなが実在を眼で見たり頭で考えたりしなくなって実在の外に出ればみんなが科学や道徳をやらなくなってまじめに働かなくなって貧乏に不幸に暮らさねばならなくなる。だから、みんなは実在文化をやらねばならない。政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせてみんなを眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしないようにさせてみんなを実在の外に出してみんなに馬鹿なことや悪いことをやらせてみんなを貧乏で不幸にする。政府はみんなを貧乏で不幸にする悪い教団だから、みんなで政府を倒さねばならない。
政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせてみんなが眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしないようにさせて、“眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしない人”のための社会にしている。そのために、政府は学歴や地位を実力よりも優先する社会にしたり、馬鹿や悪人が上になる社会にしたりしている。要するに、政府は眼で見る文化の国にしているだけなのだ。しかし、そんな社会ではみんなが必然的に貧乏で不幸になるし、特に日本人は眼で見て頭で考えたり心で思ったりするのが好きだから日本人は幸福に生きていけない。政府は日本国民みんなが不幸に暮らさねばならない社会にしているだけである。だから、国民は自分が幸福に生きるために政府を倒さねばならないのだ。
国民みんなが裕福で幸福に暮らすためには、みんなが実在の中に入らなければならない。男は眼で見て頭で考えるから実在の中にいる。女は眼で見るだけだから実在の外にいる。みんなが実在の中に入るためには女が男に従わないといけない。女が幸福に暮らすためには男に従わねばならない。それがわからないのは馬鹿女だ。馬鹿が利口に従わないといけない。悪人が善人に従わないといけない。馬鹿や悪人が下で利口や善人が上の社会にしないといけない。学歴や地位は実在の外にあり、実力は実在の中にあるから、学歴や地位よりも実力を重視する実力主義の世の中にしないといけない。
[23932] クラシック音楽の分類 h30.7.19
クラシック音楽には五感的な音楽と知的な音楽と心的な音楽の3種類ある。
五感的な音楽はモーツアルトのようにきれいな音楽である。
知的な音楽はベートーベンのようにまじめな音楽である。
心的な音楽はチャイコフスキーのように陽気な音楽である。
人間は知的な音楽を聞くと知覚が刺激されて自分でも考えるようになる。人間が実在に入る助けになる。
人間は音楽を聞くために考えるのではなく、考えるために音楽を聞かねばならない。
人間は自分が考えることを音楽を聞くことよりも優先しないといけない。人間は音楽に負けないように一生懸命に考えねばならない。
知的なクラシックは実在的な音楽だから聞いてもいい。『バトルフィールド』が実在的なゲームだから遊んでもいいのと同じである。ただし、軽くやるだけでやりすぎてはいけないのだ。
このたび私はたくさんお金を使っていろんなスピーカーやヘッドホンを買った。音楽やゲームは実在の外にあるから、本来音楽やゲームは無駄[むだ]なことだから、音楽やゲームにお金をかけてはいけない。私もつまらないことにお金を叩[はた]いたものだ。
[23933] 田沼意次収賄事件[たぬまおきつぐしゅうわいじけん](参考) h30.7.19
江戸時代の日本ではみんながアジア文化をやっていた。幕府も国民みんなといっしょにアジア文化をやっていた。
幕府の田沼意次は中国文化では賄賂[わいろ]をやってもいいので、日本でも賄賂をやってもいいと思って賄賂をやった。しかし、意に反して実際には賄賂をやってはいけなかったので、田沼意次は捕まって罰せられた。
江戸時代の日本ではみんなが中国文化を超える文化をやっていたのである。江戸時代の日本ではインド文化と中国文化と以前に日本が取り入れたヨーロッパ文化が混じり合って独特の道徳に厳しい文化が出来ていたのだ。中国人はみんな賄賂ぐらいどうでもいいと思って許すが、日本人はみんな賄賂が悪いと思って許さないのだ。だから、田沼意次は罰せられたのだ。
今の日本では国民みんなが実在文化をやっている。日本はヨーロッパほど財産に余裕がないので実在文化をやらないと生きていけないから国民みんなは実在文化をやっている。政府はみんなにヨーロッパ文化や大昔の娯楽をやらせる会社なので、みんなが政府の言うことを聞かなくなっている。みんなが政府から離れて行って自分で考えて実在文化をやっている。国民みんなが政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
江戸時代の日本ではみんながアジア文化をやっていた。幕府もアジア文化をやっていたので頭がよくて心もよかった。幕府は国民みんなのために国民みんなが幸福になる善い政策をたくさんやった。反対に、今の政府はヨーロッパ文化をやっているので頭が悪くて心も悪い。眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしないので頭が悪くて心も悪い。だから、今の政府は国民みんなのために善い政策をやらず悪い政策ばっかりやっている。近代の日本政府は実在文化をやっていたので頭がよくて心もよかったので国民みんなのために善い政策をやっていたが、現代の日本政府はヨーロッパ文化をやっているので頭が悪くて心も悪いので国民みんなのために善い政策をやらなくなったのだ。今の国民みんなは実在文化をやって利口で善いことをやっている。今の政府はヨーロッパ文化をやって馬鹿で悪い政策ばかりやっている。今の国民みんなは政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
近代の日本政府は国民に大昔の娯楽をやらせたり、国民に実在文化をやらせたり、自分が実在文化をやって国民のために善いことをするのが仕事だった。現代の日本政府は国民に大昔の娯楽をやらせたり、国民にヨーロッパ文化をやらせたり、自分がヨーロッパ文化をやって国民のために悪いことをするのが仕事である。近代の政府が国民に善いことをしてくれたからといって現代の政府が国民に善いことをしてくれるわけではない。一方、今の現代の国民は政府の言うことを無視して実在文化をやっている。今の政府は今の国民のためにひとつもいいことをやっていない。今の国民にとって今の政府は要らない。だから、今の国民はさっさと政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。
今の国民は実在文化をやって実在の中にいる。今の政府はヨーロッパ文化をやって眼で見るだけの文化をやって実在の外にいる。みんなが裕福に幸福に暮らすためにはみんなが実在の中に入らなければならない。だから、国民が政府に従ってはいけない。国民は自分で政府の命令を聞かないようにして政府に従わないようにしないといけない。政府が国民に従わねばならない。政府は国民に従ってくれないから、国民は政府を潰[つぶ]さねばならない。
北杜夫の『高みの見物』のラストには赤ランプがクルクル回るだけの未完成の機械が登場する。みんなは警察だけを見て「政府が善いことをする会社だ」と思っているのがいけない。政府は国民に大昔の娯楽やヨーロッパ文化をやらせたり、自分でヨーロッパ文化をやって悪い政策をやったりしている。今の政府は善いことをひとつもやっていない。今の政府は国民を不幸にすることばかりやっている。だから、国民は政府の言うことを聞かないようにして、早く政府を倒さねばならない。
[23934] オーディオとゲームとどっちが面白いか?☆ h30.7.19
それはゲームのほうが面白い。ゲームはオーディオの10倍ぐらい面白い。桁[けた]違いだ。だから、今ではゲームばかり売れてオーディオはほとんど売れなくなっている。今では音楽を聞く人がいなくなってオーディオ店は潰[つぶ]れている。今では歌う人が激減してカラオケ店は潰れている。
オーディオよりもゲームのほうがずっと面白い。人間は幸福に生きねばならない。だから、人間はゲームをやってオーディオをやってはいけない。オーディオは時間の無駄[むだ]だ。
ゲームをやりながらオーディオをやればいい。ゲームをやりながら音楽を聞けばいい。そうすれば、ゲームがもっと楽しくなる。だから、オーディオも全然要らないわけではない。オーディオも持っていても悪くはない。ゲームをやりながら音楽を聞くためにはヘッドホンよりもスピーカーのほうがいい。だから、ヘッドホンよりもスピーカーを買ったほうがいい。
今はゲームの時代である。今ではゲームがある。ゲームのほうがオーディオよりも面白い。人間は面白いことをやってつまらないことをやってはいけない。だから、今ではオーディオよりもゲームをやらねばならないのだ。
もっとも、人によってはゲームよりもオーディオのほうが面白い人がいるかもしれない。そういう人はゲームよりもオーディオをやればいい。でも、あまりそういう人はいないだろう。
人間は自分の面白さに疎[うと]い。人間は自分がどの程度対象を面白いと思うかがわからない。特に目新[めあたら]しいときはそうである。だから、オーディオのほうがゲームよりも面白いと誤解してしまう。そのために、つまらないものに多くのお金や時間を掛けてしまう。ある程度時間がたてば慣れてきて正当な面白さを評価できるようになる。人間はすべてのことについて自分がどの程度面白いと思うかを知っていないといけない。面白さの量に応じてそれにかける時間や予算を配分しないといけない。
しかし、これまで私はゲーム代に100万円近くはかけている。ヤフオクで個人が作って売っているパソコンに35万円ぐらいかけたし、その後にオリオスペックで買った無音パソコンにこれまた35万円ぐらいかけている。ソフトにも10万円ぐらいかけている。そのため、今ではPS4とバトルフィールド1とバトルフィールド4だけ買って最小の出費(5万円ぐらい)で要領よく遊べている。そうなるまでが大変だった。私は今回オーディオに約10万円ぐらいかけた。その結果、オーディオはゲームほど面白くないので、ほとんど買わなくてもいいことがわかった。小型のヘッドホンとスピーカーが1個あればいいことがわかった。要領よく遊ぶには経験が必要なのだ。
人間はただ生きているだけではいけない。人間は幸福に生きねばならない。だから、人間は面白いことをやってつまらないことをやってはいけない。人間は自分にとって少しでも多く面白いことをやらねばならない。2つのものがあれば、自分にとって少しでも多く面白いことのほうをやらねばならない。両方やってはいけない。自分で物事の面白さにウエイトを付けて、ウエイトの高いことから優先的にやっていかねばならない。そのようにして、自分で自分がやることを決めて、自分で自分がもっとも幸福に暮らせるようにしないといけないのだ。
人間が幸せになるためには自分にとって幸せになることをやらねばならない。だから、幸せはお金で手に入るのではない。自分にとって幸せになることを知り、それを実行することによって手に入るのだ。いくらたくさんお金があっても自分にとって幸せになることを知らず、自分にとって幸せになることを実行しなければ幸せにはなれない。たとえお金はなくても自分が幸せになることを知り、それを実行した者が幸せになれるのだ。人間が幸せになるためにはお金なんか要らない。自分にとって幸せになることを知り、それを実行すればいいだけだ。
h30.7.20これ以降追加:人間が幸福になるかならないかはお金で決まるのではなく、どんな喜びを満足してどんな喜びを満足しないかで決まる。だから、人間が幸福になるためにはお金は要らない。どんな喜びを満足してどんな喜びを満足してはいけないかの知識があればいい。どんなにたくさんお金があっても、どんな喜びを満足してどんな喜びを満足してはいけないかを知らなければ幸福にはなれない。会社の社長や上役は社員からたくさんお金を取ってお金持ちだが、どんな喜びを満足してどんな喜びを満足してはいけないかを知らないから幸福ではない。そのため万年渋面食っている。
会社の社長や上役は政府の言うことを聞いてヨーロッパ文化をやってヨーロッパ人が幸福になることをやって日本人が幸福になることをやらないから幸福ではないのだ。会社の社長や上役はきれいで悪いことばかりやるから、日本人が嫌いなことばかりやるから幸福ではないのだ。会社の社長や上役はみんなにヨーロッパ文化をやらせるから、みんなは会社の社長や上役の言うことを聞いてはいけない。みんなは会社の社長や上役の言うことを無視して自分で日本文化(つまり実在文化)をやって実在的で善いことをやって、日本人が好きなことばかりやって幸福に暮らせばいい。
[23935] 日本人は日本政府に不幸にされないために日本政府を倒さねばならない。☆
h30.7.19
ヨーロッパ文化はふだんは「眼で見るだけの文化」でみんなが科学も道徳もやらず実在の外で貧乏に悪いことをやって暮らしているが、たまにアジア文化と合体して『眼で見て頭で考える文化』になってみんなが科学や道徳をやって実在の中で裕福に善いことをやって暮らしている。
日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる会社である。だから、日本政府は近代のいっとき国民に『眼で見て頭で考える文化』をやらせてみんなに科学や道徳をやらせて実在の中で裕福に善いことをやらせていたが、現代の今では国民に「眼で見るだけの文化」をやらせてみんなに科学も道徳もやらせず実在の外で貧乏に悪いことをやらせているのだ。日本人は裕福で善いことをするのが好きで貧乏で悪いことをするのが嫌いだから、日本政府は近代のいっとき国民を幸福にして現代の今では国民を不幸にしている。今後も日本政府は国民を不幸にし続ける。だから、今の日本人は自分が幸福に暮らすために政府に税金を払わず政府を倒さねばならないのだ。
ヨーロッパ人は貧乏で悪いことをするのが好きで裕福で善いことをするのが嫌いだから、ヨーロッパ政府は近代のいっとき国民を不幸にして現代の今では国民を幸福にしている。今後もヨーロッパ政府は国民を幸福にしてくれる。だから、今のヨーロッパ人は自分が幸福に暮らすために高い税金を払って政府を設けているのだ。ヨーロッパ人はアフリカ人と性格が同じで動物とともに生きる人種だから、文明が嫌いで貧乏で悪いことをするのが好きで裕福で善いことをするのが嫌いなのである。ただし、ヨーロッパ人は眼で見るのが好きだから、きれいなことが好きだから、町や人をきれいにする。ヨーロッパ人は貧乏で悪いことをするのが好きだが、貧乏では生きて行けないので、たまにアジア文化を入れて『眼で見て頭で考える文化』をやって科学や道徳をやってまじめに一生懸命に働いてお金を稼[かせ]いでお金を溜[た]めているのである。向こう千年遊んで暮らすために貯金をしているのである。
日本人とヨーロッパ人は性格が違う。日本人は裕福で善いことをするのが好きで貧乏で悪いことをするのが嫌いだが、ヨーロッパ人は貧乏で悪いことをするのが好きで裕福で善いことをするのが嫌いである。つまり、日本人は実在の中にいるのが好きだが、ヨーロッパ人は実在の外にいるのが好きである。日本人は眼で見て頭で考える世界にいるのが好きだが、ヨーロッパ人は眼で見るだけの世界にいるのが好きである。ヨーロッパ人はいっとき『眼で見て頭で考える文化』をやって不幸を我慢[がまん]して、その後でしばらく「眼で見るだけの文化」をやって幸福に暮らす。反対に、日本人はいっとき『眼で見て頭で考える文化』をやって幸福に暮らして、その後でしばらく政府に「眼で見るだけの文化」をやらされて不幸を我慢しないといけない。ヨーロッパ人はしかたがないが、日本人は馬鹿だ。だから、日本人はヨーロッパ人に馬鹿にされないために、国民で政府を倒さねばならない。日本人は政府を倒して自分で『眼で見て頭で考える文化』をやって幸福に暮らさないといけない。
ヨーロッパ人は眼で見るだけが好きで眼で見て頭で考えるのが嫌いである。ヨーロッパ政府はヨーロッパ国民に協力してそういう国を作っている。反対に、日本人は眼で見て頭で考えるのが好きで眼で見るだけが嫌いである。日本政府は日本国民にたてついて日本国民が嫌いな国を作っている。ヨーロッパ政府はヨーロッパ国民に協力的だから、ヨーロッパ国民はヨーロッパ政府にお金を出してヨーロッパ政府を設けている。日本政府は日本国民に反抗的だから、日本国民は日本政府にお金をやらないようにして日本政府を潰[つぶ]さないといけない。ヨーロッパ政府はヨーロッパ国民に協力的だが、日本政府は日本国民に協力的ではない。だから、日本国民は日本政府の命令を聞かないようにして日本政府にお金をやらないようにして日本政府を倒さねばならない。
世界の中心はインドであってヨーロッパではない。ヨーロッパはときどきインド文化を入れて『眼で見て頭で考える文化』をやって国を豊かにして儲[もう]けている。ヨーロッパは自分が眼で見るだけで遊んで暮らすために、いっときいやいやしかたなく眼で見て頭で考えて科学や道徳をやって国を豊かにしているだけである。ヨーロッパは一人ではなにもできない。ヨーロッパは一人では死ぬ。インドは一人でも生きていける。インドは一人でも科学や道徳ができる。だから、インドが世界の中心であって、ヨーロッパが世界の中心ではない。ヨーロッパはインドに頼って生きているだけだ。日本もいつまでもヨーロッパに頼らずに、ヨーロッパから独立して自分で『眼で見て頭で考える文化』(実在文化)をやって生きていかねばならない。
日本政府はただ「眼で見るだけの国」を作っているだけである。日本政府は自分が貧乏になりたいわけでも悪いことをしたいわけでも国民を不幸にしたいわけでもない。日本政府は「眼で見るだけの国」を作るのが自分の仕事だと思っているから「眼で見るだけの国」を作っているだけである。政府は「眼で見るだけの国」を作るために、政府が悪い政策をやったり、学歴や地位が実力よりもものを言う社会にしたり、馬鹿の悪人が上で利口の善人が下の社会にしているのである。国民が政府を潰してやらなければ政府はいつまでもどこまでも「眼で見るだけの国」を作りつづける。日本が政府に殺される。だから、今の国民みんなは日本を守るために政府を潰さねばならない。国民みんなで『眼で見て頭で考える文化』をやって日本をみんなが裕福な善いことをする国にしてみんなが満足して生きていける国にしないといけない。
政府は異文化を取り入れるために大昔の人(つまり、マゾで拝んだり戦争をしたりするのが好きな人)のための国を作ったりヨーロッパ人のための国を作ったりしているのかもしれない。しかし、人間は幸福に生きねばならない。人間が生きる目的は自分が幸福になることであって異文化を取り入れることではない。今では日本人が幸福に生きるためには実在文化をやればいいことがわかっている。日本人が『眼で見て頭で考える文化』をやればいいことがわかっている。だから、今の日本国民にとっては政府は要らない。政府のようなむやみに異文化を国民にやらせて国民を不幸にする会社は要らない。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
今の政府を支持する者は自分が幸福になれない原因を日本文化(つまり実在文化つまり眼で見て頭で考える文化)のせいにしている者である。自分がヨーロッパ文化(つまり眼で見るだけの文化)をやれば幸福になれると思っているから政府を支持しているのである。政府を支持して政府の言うことをなんでも聞いているのである。政府の命令を聞いて高い税金を払っているのである。しかし、そもそも日本文化で幸福になれない者は日本文化の中で努力が足りないからである。実在を眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足する努力が足りないから幸福になれないのだ。日本人は昔からそうすれば幸福になれるものと決まっているから、一生懸命にそうやって幸福になれないわけがない。日本人なら自分が幸福になりたければ日本文化をやればいい。日本人が幸福になれないのは自分がちゃんと日本文化をやっていないからだ。自分が幸福になれないのを日本文化のせいにしてはいけない。それはやつ当たりだ。自分が努力せずに幸福になれるわけがない。どうしても自分がヨーロッパ文化がやりたければ必死で語学を勉強してヨーロッパに引越ししてヨーロッパで暮らせばいい。それくらいの努力はしないといけない。努力せずに幸福にはなれない。今は国際化の時代だから世界中どこにでも住めるから自分ががんばってそうすればいい。日本人は日本文化をやれば幸福になる。政府みたいに日本人にヨーロッパ文化をやらせて幸福にしようというのがまちがっている。だから、みんなで政府を倒さねばならない。日本人とヨーロッパ人は違う。ヨーロッパ文化はヨーロッパ人が幸福に暮らすための方法であって日本人が幸福に暮らすための方法ではない。日本人がヨーロッパ文化をやると不幸になる。日本人みんなで日本文化をやって幸福に暮らさないといけない。
[23936] 日本人が音楽を聞いても無駄[むだ]である。 h30.7.20
日本人は生まれつき眼で見る力と頭で考える力が発達しているので、実在を眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らしてきた。
そのために、日本人には実在の喜びが強い。
日本人は実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームで遊んだりすると多くの喜びを感じる。
日本人は音楽を聞いたり絵を見たりしてもそれほど喜びを感じない。
だから、日本人はオーディオ機器を買う意義はない。日本人はヘッドホンやスピーカーを買っても無駄である。日本人はオーディオにお金をかけるよりも、実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームで遊んだりすることにお金をかけたほうがいい。
反対に、ヨーロッパ人は生まれつき眼で見る力や耳で聞く力しかないので実在を眼で見たり耳で聞いたりするだけで、眼で見たり耳で聞いたりする世界で自分の心を満足して幸福に暮らしてきたので、絵を見たり音楽を聞いたりする喜びが強い。だから、ヨーロッパには美術館や音楽館(コンサートホール)が多い。
日本人は日本人が喜ぶことをするとたくさん喜びが得られるので日本人が喜ぶことをしないといけない。日本人がヨーロッパ人が喜ぶことをしてもほとんど喜びが得られないのでヨーロッパ人が喜ぶことをしてはいけない。
日本人は実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームで遊んだりすることに時間やお金をかけて、絵を見たり音楽を聞いたりすることに時間やお金をかけてはいけない。例えば、日本人は自分が考えたことをホームページに書いて公開したり、バイクでツーリングしたり山登りをしたり、バトルフィールドのゲームで遊んだりすることに時間やお金をかけて、アニメを見たり映画を見たり、音楽を聞くことに時間やお金をかけてはいけない。
日本人は実在について考えることによって多くの喜びが得られる。だから、日本人は実在について考えることにたくさん時間やお金をかけねばならない。日本人が実在について考えるためには、自分が生きて自分が考えやすい環境で暮らしていることが必要である。だから、自分が生きて考えやすい環境で暮らすことに時間やお金をかけねばならない。要するに、お金は大切にしないといけないのだ。
日本人にとっては音楽を聞くことは最低の喜びである。もっとも得られる喜びが少ない喜びである。だから、日本人はなるべく音楽を聞かないほうがいい。もっとほかのことをして楽しんだほうがいい。日本人は音楽を聞いたりせずに、もっと面白いことをして幸福に暮らさねばならない。
日本ではスピーカーやヘッドホンを売ってはいけない。そうすれば、日本人はみんな音楽を聞かなくなって面白くないことをしなくなって楽しく暮らすことができるだろう。日本で日本人にとってつまらない遊びを流行[はや]らせてはいけない。
たとえ日本人がスピーカーやヘッドホンを買い込んでもあとですぐにつまらないことがわかって使わなくなって押入れにしまうことになる。お金の無駄になる。だから、日本人はスピーカーやヘッドホンを買ってはいけない。
要するに、人間はまじめに自分が面白いことをやらないといけない。周[まわ]りのみんなや宣伝に踊らされて自分が面白くないことをやってはいけない。そうすれば、幸福に生きていける。
スイカに塩をふると甘みが増すように、生活にちょっと音楽を取り入れると幸せが増す。つまり、日本人は音楽が嫌いである。日本人は音楽を聞けば聞くほど不愉快[ふゆかい]になる。日本人は実在的なことが好きなので、音楽は実在の外にあるので、日本人は音楽が嫌いなのだ。日本人は実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームをするのが好きである。日本人は音楽だけを聞くと不快になるが、実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームをしながら音楽を聞くともっと楽しくなるのだ。小型軽量のヘッドホンでちょっとだけ音楽を聞くと幸せが増す。スピーカーや大型のヘッドホンを買って音楽を聞きすぎるとかえって幸せが減る。音楽とはそういうものである。日本人と音楽の付き合いはそういうものでないといけない。日本人は眼で見ることが嫌いである。日本人は耳で聞くことが嫌いである。ヨーロッパはきれいな物が多いから、日本人はヨーロッパが嫌いである。日本人にとってヨーロッパはきれいな物が多い不快な国である。日本人がヨーロッパ旅行に行くことは日本人がヨーロッパに苦しみに行くことなのだ。
私が仕事をしていなくて暇すぎるためにオーディオ機器を買い込んで余計なことをして自分で自分の幸福をブチ壊しにしてしまうところだった。普通の人はいそがしいから余計なことをしないから自分の幸福が損なわれない。みんなはまじめに仕事をして暮らして余計なことをして自分で自分の幸せを壊さないようにしないといけない。
このたび私は「ヘッドホンやスピーカーのいいのを買えば自分はもっと幸福になれる」と思って10万円以上のお金をかけていろんなスピーカーやヘッドホンを買ったが、実際にはかえって不幸になった。結果的にはそんな物は要らなかったわけだ。
[23937] 今の警察はでくの坊である。 h30.7.20
近代の政府は国民みんなといっしょに実在文化をやっていた。近代の政府は自分が実在文化をやるだけでなく、国民に実在文化をやらせていた。近代の政府は国民に実在の社会の中で暮らさせて法律や挌律(実在文化における道徳のこと)を守らせていた。だから、近代の政府の警察は法律の違反者をちゃんと取り締[し]まっていた。近代の国民は警察に捕まらないためにちゃんと法律を守っていた。(ただし、本当は国民が政府に税金を払うのは自由なので、脱税は犯罪ではないので、国民は自分の気が向かなければ政府に税金を払わなかった。)
しかし、現代の政府は国民とは別にヨーロッパ文化をやっている。現代の政府は自分がヨーロッパ文化をやるだけでなく、国民にヨーロッパ文化をやらせている。現代の政府は国民に実在の社会の外で暮らさせて法律や格律を守らないようにさせている。だから、現代の政府の警察は法律の違反者をちゃんと取り締まらないようになっている。もっとも、今の国民みんなは実在文化をやっているので、政府は国民みんなに合わせるために「政府の警察はちゃんと犯罪者を罰している」と嘘[うそ]をついている。政府は政府に従う者を使って銀行強盗などの犯罪をやらせて、政府の警察に罰せさせている。ときにはその場で射殺させている。しかし、本当は政府の警察は犯罪者を逮捕して罰していないのである。
現代の警察はただ建っているだけで仕事をしていない。現代の警察はでくの坊である。国民が法律を犯しても政府の警察は国民を逮捕できない。だから、国民は政府の警察を恐れずにどんどん悪いことをすればいいのだ。
このままでは国の治安が悪くなる。犯罪が横行する。物騒[ぶっそう]になる。国民みんなが生活できなくなる。室町時代の『二条河原の落書』みたいな世の中になる。室町時代の政府も今の政府と同じようにみんなにヨーロッパ文化をやらせて法律や格律を守らせないようにしていたので世の中が乱れていたのである。ヨーロッパ人は生まれつき眼で見るだけなので実在の外で生きているので悪いことが好きなので、みんなが悪いことをする世の中で幸福に暮らせるが、日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるので実在の中で生きているので悪いことが嫌いなので、みんなが悪いことをする世の中で不幸に暮らさねばならない。ヨーロッパ人と日本人は生まれつき性格が違う。人間の性格は人間の脳で決まっている。ヨーロッパ人の脳と日本人の脳は生まれつき違っている。日本人がいくらヨーロッパ人の真似[まね]をしても自分の性格は変わらない。日本人はヨーロッパ人にはなれない。日本人は日本人でしかない。日本人がヨーロッパ文化をやってもヨーロッパ文化が好きになるのではなく、かえって自分が不幸になるだけである。自分が面白くない嫌な気持ちになるだけである。だから、日本人はヨーロッパ文化をやってはいけない。日本文化(実在文化)をやらねばならない。中世の日本人は自分の心を肯定してヨーロッパ文化を否定しなかったために、自分の心を否定してヨーロッパ文化を肯定したために苦しみつづけねばならなかったのだ。日本人はそんな愚行を二度と繰り返してはいけない。ガリ勉が自分がテストでいい点を取るために自分が嫌いな科目を無理やり勉強して苦しんでいるのと同じだ。反対に、自分が幸福になるために自分がテストでいい点を取るのをあきらめて嫌いな科目を勉強しなければいいのだ。けっきょく自分が嫌いな科目を我慢して勉強してもいい点は取れない。好きな科目までやる気が失せて悪い点になる。自分が好きな科目を勉強して嫌いな科目を勉強しないほうが総合的にはいい点が取れるのだ。中世の日本人は自分がヨーロッパみたいに裕福な国になりたいために自分が嫌なのを我慢[がまん]して無理やりヨーロッパ人を真似てヨーロッパ文化をやり続けたのだ。意地汚い。本当は、ヨーロッパは実在文化をやっている最初のいっとき景気がよくて善いことをやっているだけで、その後ではヨーロッパ文化をやって貧乏になって悪いことをするだけだ。そのために、中世の日本人はみんなが貧乏になって悪いことをするようになって不幸に暮らさねばならなかったのだ。『金の斧[おの]と銀の斧』のおとぎ話ように人間は意地汚いとかえって損をする。いい見本だ。人間はもっと素直[すなお]に自分が幸福になることをしないといけない。中世の日本人は自分が幸福に暮らすためにヨーロッパ文化が悪くなったところですぐにヨーロッパ文化をやめればよかったのだ。
人間はただ生きているだけではいけない。人間は幸福に生きねばならない。日本人が幸福に暮らすためには実在文化の国にしないといけない。ヨーロッパ文化の国ではいけない。だから、今の日本国民は自分でちゃんと実在文化をやって、国民にヨーロッパ文化をやらせる日本政府を倒して、みんなが実在文化をやる国にして、みんなが実在の中で暮らして法律や格律を守って、ちゃんと犯罪者を罰する警察を建ねばならない。
[23938] 国民はどうして政府に従うか? h30.7.20
政府は国民に大昔の娯楽やヨーロッパ文化をやらせて自分自身もヨーロッパ文化をやる会社である。
国民は大昔の娯楽(とくに政府が国民に国民みんなを拝ませていること)にまつわる嘘[うそ]で「政府は民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」から「政府に国家権力がある」から政府に従わねばならないと思っている。国民は政府が近代に自[みずか]ら実在文化をやって国民に善いことをたくさんやったから政府に従わねばならないと思っている。そのために、国民は政府に従うのだ。
しかし、本当は『政府は民主主義をやっておらず、選挙や議会をやって国民に国民みんなを拝ませているだけである』から『政府には国家権力がない』から国民は政府に従う必要がない。本当は、ヨーロッパ文化には善と悪の2つの面があるから、近代の政府は善いヨーロッパ文化(つまり実在文化)をやって国民に善いことをたくさんやってくれたが、現代の政府は悪いヨーロッパ文化をやって国民に善いことをなにもせず悪いことをたくさんやっているから、国民は政府に従う必要がないのである。
近代の政府は国民に大昔の娯楽をやらせて国民を楽しませてくれたり、国民に実在文化をやらせて国民を利口で善い人にして国民をよく働くようにして国を儲[もう]からせてくれたり、自ら実在文化をやって国民のために善い政策をたくさんやってくれて国民を幸福にしてくれた。しかし、反対に、現代の政府は国民に時代遅れの大昔の娯楽をやらせて国民を苦しませたり、国民にヨーロッパ文化をやらせて国民を馬鹿で悪人にして国民を働かないようにして国を貧乏にしたり、自らヨーロッパ文化をやって国民のために善い政策をやらず悪い政策をやって国民を不幸にしている。近代の政府は国民の役に立つことをたくさんやってくれたが、現代の政府は国民の役に立つことをなにもやっていない。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府に従わないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。国民みんなで実在文化をやってみんなで実在のことをよく知って善いことをやってみんなでよく働いて国を儲からせてみんなで幸福に暮らさねばならない。
日本人は実在文化が好きだからずっと実在文化をやっていけばいい。みんなは実在を眼で見て頭で考えて実在を知って実在の中で自分の心を満足するためによく働いて物を豊かにして幸福に暮らせばいい。今の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせて国民を眼で見るだけの馬鹿の悪人にして国民を働かないようにして物を貧しくして悪いことをするようにして不幸にしている。今の国民が政府にお金をやっても無駄[むだ]である。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
中世の日本でもみんながヨーロッパ文化をやっているときにはみんなが貧乏で悪いことをやって不幸だったが、みんながアジア文化をやるようになってからはみんなが裕福で善いことをやって幸福になった。日本人は生まれつき眼で見て頭で考えて実在の中で暮らしているので、自分が実在の中にいるのが好きなので、自分が悪いことをして実在の外に出ると気分を壊[こわ]して不幸になり、自分が善いことをして実在の中に入ると気分がよくなって幸福になるのだ。要するに、日本人は自分が善いことをすると幸福になり、悪いことをすると不幸になる。日本人がヨーロッパ文化をやると悪いことをするようになって不幸になり、アジア文化をやると善いことをするようになって幸福になる。今は科学の時代だから、みんなはアジア文化の代わりに実在文化をやらねばならない。みんながヨーロッパ文化をやると貧乏で悪いことをして不幸になり、実在文化をやると裕福で善いことをして幸福になる。政府はみんなにヨーロッパ文化をやらせてみんなを貧乏で悪いことをさせてみんなを不幸にする。だから、みんなは政府を倒してヨーロッパ文化をやめて実在文化をやって幸福に暮らさねばならない。
日本でヨーロッパ文化をやると日本人みんなが不幸になる。だから、日本でヨーロッパ文化をやってはいけない。日本で実在文化をやると日本人みんなが幸福になる。だから、日本で実在文化をやらねばならない。日本からヨーロッパ文化をやる者を一掃[いっそう]しないといけない。日本人にヨーロッパ文化をやらせる政府を倒さねばならない。
[23939] 日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福にはならない。 h30.7.21
ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えずに生きている。ヨーロッパ人は「眼で見る世界」に生きている。
一方、日本人は眼で見て頭で考えて生きている。日本人は『眼で見て頭で考える世界』に生きている。
ヨーロッパ人と日本人は違う世界に生きている。だから、ヨーロッパ人と日本人はそもそも比較にはならない。
ヨーロッパ文化はヨーロッパ人が幸福に生きるための方法である。日本文化は日本人が幸福に生きるための方法である。
ヨーロッパ人はきれいで悪いことをすると幸福になる。日本人は実在的で善いことをすると幸福になる。
日本人がきれいで悪いことをやっても幸福にはならない。ヨーロッパ人が実在的で善いことをやっても幸福にはならない。日本人がきれいで悪いことをやると不幸になる。ヨーロッパ人が実在的で善いことをやると不幸になる。
だから、日本人はヨーロッパ文化をやめねばならない。ヨーロッパ人は日本文化をやめねばならない。
世界中の民族が自分の文化をやって幸福に暮らさねばならない。ヨーロッパ人がヨーロッパ文化をやって幸福に暮らすように、日本人は日本文化をやって幸福に暮らさねばならない。世界中の民族が外国の文化をやって不幸になってはいけない。ヨーロッパ人が日本文化をやらないように、日本人もヨーロッパ文化をやってはいけない。
[23940] 今の人が昔の文化をやっても幸福にはならない。 h30.7.21
昔の人は科学をやらずに「実在の外」で生きていた。
今の人は科学をやって『実在の中』に生きている。
昔の人と今の人は違う世界に生きている。だから、昔の人と今の人はそもそも比較にならない。
昔の文化は昔の人が幸福に生きるための方法である。今の文化は今の人が幸福に生きるための方法である。
昔の人は悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりすると幸福になる。今の人は悪いことをされなかったり拝まなかったり戦争をしないと幸福になる。
今の人が悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりしても幸福にはならない。昔の人が悪いことをされなかったり拝まなかったり戦争をしなかったりしても幸福にはならない。今の人が悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりすると不幸になる。昔の人が悪いことをされなかったり拝まなかったり戦争をしなかったりすると不幸になる。
だから、今の人は昔の文化をやめねばならない。昔の人は今の文化をやめねばならない。
世界中の人が当時の時代の文化をやって幸福に暮らさないといけない。
[23941] 今の日本人は政府が要らない。 h30.7.21
今の日本政府は日本人にヨーロッパ文化をやらせたり、今の人に昔の文化をやらせたりしてみんなを不幸にしている。政府はみんなが文化のことがわからないと思って、みんなにまちがった文化をやらせてみんなを不幸にしている。政府はみんなが文化のことがわからないことを利用してみんなにまちがった文化をやらせる会社である。政府はみんながわからないことならみんなにまちがったことをやらせてもみんなは文句を言わないと思ってみんなにまちがったことをやらせるのだ。
しかし、今では文化に対する研究が進んで多くの人が文化がわかるようになっている。日本人は日本文化をやって、今の人は今の文化をやれば幸福になることがわかっている。政府が国民にまちがった文化をやらせて国民を不幸にしていることがわかっている。国民にとって政府は要らない。だから、国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
今は科学の時代である。みんなはもっと文化について理解して、自分が幸福に暮らすために適切な文化をやらねばならない。自分に合った文化をやらねばならない。
今の日本人は今の文化や日本文化をやれば幸福に暮らせる。ところが、日本政府は今の日本国民に昔の文化やヨーロッパ文化をやらせている。政府は今の国民に不幸な生活をさせている。日本は極東[きょくとう]の田舎[いなか]の小さい国だから日本政府のようなざっとしたいいかげんな文化団体があるのである。日本政府は国民からお金をもらって国民に国民が不幸になる文化をやらせる悪徳な文化団体である。だから、今の国民は政府を倒して自分で自分が幸福に暮らせる文化をやらねばならない。今は科学の時代だから、国民みんなが自分で文化について理解して、自分で自分が幸福になる文化をやらねばならない。もはや国民からお金を取って国民に文化をやらせることを仕事にする文化団体は要らない。文化団体があると、文化団体は自分が儲[もう]けるために国民にまちがった文化をやらせて国民を自分の言いなりにして国民からありったけお金を取る。国民は文化団体に利用されて不幸にされるだけである。だから、文化団体はないほうがいいのだ。国民が自分で呼吸や食事をするように、自分で文化をやらねばならない。今の日本政府が今の日本国民にヨーロッパ文化や昔の文化をやらせると日本国民が自分の心を満足しなくなって心がなくなって骨抜きになって政府の言いなりになる。政府は国民を自分の言いなりにするために国民に異文化をやらせるのだ。ヨーロッパ文化は一見[いっけん]面白そうでじつは面白くないので、ヨーロッパ文化は国民に受け入れられやすいので、政府が国民を骨抜きにするためには便利な道具なのである。会社の上役が政府と組んで社員に嫌なことばかりやらせるのも社員を骨抜きにして言いなりにして社員からお金を取って儲けるためである。テレビ局や出版社が政府に協力して嘘[うそ]を広めるのも、みんなを政府の言いなりにして政府がみんなからたくさんお金を取ってその分け前をあずかるためである。
馬鹿は毎日自分が面白くないことをやって自分で自分の気分を悪くしている。だから、馬鹿はいつでも気分が悪いのだ。馬鹿は気分が悪いから、気分は近所の人に伝わるから、馬鹿の近くにいる人までも気分が悪くなるのだ。馬鹿は自分が面白くないことを面白いことだと誤解して面白くないことをやって自分の気持ちを悪くしているのだ。馬鹿は自分にとって面白いことがわからないから、自分にとって面白いことと面白くないことの区別が付かないから他人に言われるままである。今の政府は馬鹿にヨーロッパ文化や昔の文化をやらせて馬鹿に面白くないことをやらせて馬鹿の気分を悪くしている。馬鹿の周[まわ]りのみんなの気分も悪くしている。日本中のみんなの気分を悪くしている。政府があるとみんなの迷惑である。だから、みんなで早く政府を倒さねばならない。みんなは自分で面白いことをやって、馬鹿に面白いことをやるようにさせて、みんなで気持ちよく暮らせるようにしないといけない。
[23942] 日本人は音楽を軽く聞かねばならない。 h30.7.22
日本人は生まれつき『眼で見て頭で考える』ように出来ている。日本人は『眼で見て頭で考える世界』に生きている。
日本人は眼で見て頭で考えることが好きである。日本人は眼だけで見ることが嫌いである。耳だけで聞くことが嫌いである。
日本人は軽く眼で見ることが好きである。軽く耳で聞くことが好きである。じっくり眼で見ることが嫌いである。じっくり耳で聞くことが嫌いである。
だから、日本人は音楽を軽くBGMとして聞くのが好きである。音楽をじっくりと精神集中して聞くのが嫌いである。日本人は音楽を軽くBGMとして聞くと気分がよくなる。日本人は音楽をじっくりと集中して聞くと気分が悪くなる。日本人にはそういう性質がある。
したがって、日本人は小型軽量のヘッドホンやスピーカーで音楽を小さく流しながら聞くと気分がよくなる。日本人は大型のヘッドホンやスピーカーで音楽を大きい音で聞くと気分が悪くなる。日本人はそういう風に出来ている。
日本人は眼で見て頭で考えることが好きである。日本人は眼だけで見ることが嫌いである。耳だけで聞くのが嫌いである。要するに、日本人は科学が好きで、美術や音楽が嫌いである。日本人は音楽が嫌いだから、音楽を軽くいいかげんに聞かねばならないのである。日本人は音楽をじっくり精神集中して聞くのに耐えられないのである。日本人は軽く音楽を聞くと気分がよくなるが、熱心に音楽を聞くと気分が悪くなるのである。だから、日本人は軽く音楽を聞かねばならないのだ。
日本人は眼で見て頭で考えるのが好きである。だから、日本人は実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームをやると気持ちがよくなる。だから、日本人はじっくり時間をかけて一生懸命に実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームをしなければならないのだ。そうすると、日本人は気持ちがよくなるのだ。
反対に、ヨーロッパ人は生まれつき「眼でだけで見る」ように出来ている。ヨーロッパ人は「眼だけで見る世界」に生きている。だから、ヨーロッパ人は眼だけで見ることや耳だけで聞くことが好きである。頭で考えることが嫌いである。ヨーロッパ人は美術や音楽が好きである。ヨーロッパ人は科学や数学や文学が嫌いである。一方、日本人は眼で見て頭で考えるのが好きだから、日本人は眼と頭の両方を使うのが好きで、眼だけを使ったり頭だけを使ったりするのが嫌いだから、日本人は科学が好きで、美術や音楽や数学や文学が嫌いである。
日本人とヨーロッパ人は気持ちがよくなることが違う。だから、日本人はヨーロッパ人を真似[まね]てはいけない。日本人は自分が気持ちがよくなることをしないといけないのだ。日本人は日本の文化をやらねばならないのだ。
人間はただ生きるだけではいけない。人間は幸福に生きねばならない。だから、人間は自分が好きなことをやって嫌いなことをやらないようにして幸福に生きねばならない。人間は自分が嫌いなことをやって好きなことをやらないようにして不幸に生きてはいけない。人間は自分が好きなことや嫌いなことを正しく知って、自分が好きなことをやって、嫌いなことをやらないようにして、幸福に生きなければならないのだ。
ヨーロッパ人は美術や音楽が好きで科学や数学や文学が嫌いだから、ヨーロッパ人はふだんは美術や音楽をやって科学や数学や文学をやらないが、自分が死ぬ寸前になると急に態度を変えて自分が嫌いなアジア文化を取り入れてアジア文化や実在文化をやって科学や数学や文学をやって、美術や音楽をやらなくなるのだ。ヨーロッパ人はふだんは動物でたまに人間になる生き物なのである。動物が人間の真似をしているのだ。猿真似なのだ。反対に、日本人はいつも人間なのである。人間が動物の真似をしてはいけない。だから、日本人はヨーロッパ人の真似をしてはいけない。(美術や音楽が好きのは動物である。だから、いつも音楽をやっているYouTuberのセゴリータ三世はサルのお面をかぶっているのだ。要するに、『ヨーロッパ人は馬鹿だ』ということである。)日本人は日本人をやってヨーロッパ人を真似てはいけない。日本人はヨーロッパ人の人間的な部分だけを取り入れて、それ以外を取り入れてはいけない。そのようにして、日本人は自分が幸福になるように生きていかねばならない。
ヨーロッパ人は眼で見るだけの動物である。アジア人は頭で考えるだけの超人(スーパーマン)である。日本人は眼で見て頭で考える人間である。ヨーロッパ人とアジア人が合体すると日本人になるのだ。動物と超人が合体すると人間になるのだ。日本人はヨーロッパ人とアジア人の混血だ。美術や音楽は動物の才能だ。数学や文学は超人の才能だ。科学は人間の才能だ。動物は動物として、超人は超人として、人間は人間として幸福に生きていけばいいのだ。ヨーロッパ人は実在の下で生きている。アジア人は実在の上で生きている。日本人は実在の中で生きているのだ。みんながそれぞれ自分の世界で生きればいいのだ。
日本人は眼だけで見るのが嫌いである。日本人は音楽を聞いたり、絵を見たり、格好[かっこう]をつけたりするのが嫌いである。日本人は眼で見て頭で考えるのが好きである。日本人は実在が好きである。日本人は実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームをすることが好きである。日本人は音楽を聞いたり、絵を見たり、格好をつけたりすることにお金を使わずに、実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームをすることにお金を使えばいい。日本人は実在の外のことが嫌いである。日本人は実在の中のことが好きである。日本人は音楽を聞くことや絵を見ることや格好をつけることにお金を使っても喜びが得られないから無駄[むだ]である。日本人は実在について考えることや実在の中で遊ぶことや実在的なゲームをすることにお金を使えばたくさん喜びが得られて有意義である。日本人は自分が生きることにお金を使えばいい。お金を大切に!!
[23943] 今の日本政府は今の日本国民が欲しい国を作っていない。 h30.7.22
今の日本政府はヨーロッパ文化の国と大昔の国を作っている。
今の日本政府はヨーロッパ文化の国つまり最初のいっときだけ景気がよくてその後でだんだん貧乏になって滅亡する国を作っている。今の日本政府は日本の景気を悪くする政策や日本をきれいにする政策や日本を馬鹿や悪い人でいっぱいにする政策をやっている。今の日本政府は日本を見かけがいいだけでほかにいいところがない国にしている。(h30.7.23追加:『仮面の忍者赤影』の頃は政府は金目教[きんめきょう]つまりみんなが実在の中でよく働いて物やお金が豊かになりたいと思わせる団体だったが、その後政府は貧目教[びんめきょう]つまりみんなが実在の外で遊びまわって物やお金が貧しくなりたいと思わせる団体になったのだ。)
今の日本政府は大昔の国つまり国民が政府にお金を取られたり殺されたり嫌がらされたりして、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んで、戦争する国を作っている。
今の日本政府は今の日本国民が欲しい国を作っていない。だから、今の日本国民は日本政府にお金をやらないようにして日本政府を潰[つぶ]せばいいのである。
[23944] 日本人は世界でもっとも幸福な民族である。 h30.7.23
日本人は『眼で見て頭で考える』民族である。
日本人は眼で見ることから頭で考えることまでいろんなことがわかるが、眼で見て頭で考えることがもっとも得意である。
日本人は眼で見ることから頭で考えることまでいろんなことが好きだが、目で見て頭で考えることがもっとも好きである。つまり、日本人は美術や音楽から数学や文学までいろんなことが好きだが、科学がもっとも好きである。日本人は美術や音楽から数学や文学までいろんなことをやって喜びが得られるが、科学をやるともっとも多くの喜びが得られる。
日本人は音楽をやっても喜びが得られるから音楽をやることは無駄[むだ]ではないが、それよりも実在的なことをやったほうがもっと多くの喜びが得られるのだ。日本人は音楽をやるとそこそこ楽しいが、実在について考えたり、実在の中で遊んだり、実在的なゲームをやったほうがずっと楽しいのだ。日本人は暇つぶしに音楽をやってもいいが、本命は実在の中で遊ぶことだ。
日本人は美術や音楽から科学から数学や文学までいろんなことで楽しめる。外人は眼だけで見るか頭だけで考えるかのどちらかに偏[かたよ]っているから、美術や音楽が楽しめるだけだったり、数学や文学が楽しめるだけである。日本人はいろんなことで楽しめるから世界でもっとも幸福な民族である。
[23945] 政府はヨーロッパでは儲[もう]かるが、日本では儲からない。☆ h30.7.23
政府はヨーロッパ文化の国と大昔の国を作る会社である。
ヨーロッパ文化ではみんなが最初のいっとき『眼で見て頭で考える』ことをやって、その後は「眼で見るだけ」である。ヨーロッパ文化は「眼だけで見る」文化である。アジア文化は「頭だけで考える」文化である。ヨーロッパ人は頭のない馬鹿である。アジア人は眼のない盲[めくら]である。ヨーロッパはふだんは「眼だけで見る」文化をやっているが、自分が死ぬ寸前になるといやいやしかたなく自分が嫌いなアジア文化を入れてアジア文化と合体して『眼で見て頭で考える』文化に変わるのだ。世界最強の実在文化に変わるのだ。それでも、ヨーロッパ人はアジア文化が嫌いだから、ひと儲[もう]けした後は自分が嫌いなアジア文化を吐き出して実在文化をやめてもとの眼だけで見るヨーロッパ文化に戻るのだ。人間にとっては自分が儲かることよりも自分の好き嫌いのほうが大事なのだ。人間にとっては自分が嫌いなことをして儲かるよりも自分が好きなことをして貧乏であるほうがいいのだ。それでも死ぬ寸前になると方針が変わるが。死の苦しみのほうが自分が嫌なことをやるよりももっと嫌だからだろう。
そのため、政府は最初のいっとき『眼で見て頭で考える国』を作って、その後では「眼で見るだけの国」を作る。
政府は最初のいっとき『眼で見て頭で考える国』を作るために、みんなに実在がわかるようにして実在の中で暮らすようにする。みんなに科学を教えてみんなに実在がわかるようにしてみんなが実在の中でよく働くようにして物やお金を豊かにする。みんなが実在の社会の中で暮らすようにしてみんながちゃんと法律を守って善いことをするようにする。みんなが実在の自分の中で暮らすようにしてみんなが格律[かくりつ]を守って精神的に健康に暮らすようにする。
政府はその後でしばらく「眼で見るだけの国」を作るために、みんなに実在がわからないようにして実在の外で暮らすようにする。みんなに科学を教えないようにしてみんなが実在がわからないようにしてみんなが実在の外で遊んで暮らすようにしてみんなが実在の中で働かないようにして物やお金を貧しくする。みんなが実在の社会の外で暮らすようにしてみんなが法律を守らないようにして悪いことをするようにする。みんなが実在の自分の外で暮らすようにしてみんなが格律を守らないようにして精神的に病的に暮らさねばならなくする。
ヨーロッパ人は生まれつき眼だけで見るから、眼で見るだけで実在の外にいてきれいで物やお金が貧しくて悪いことをするのが好きである。ヨーロッパ人は眼で見て頭で考えて実在の中にいて実在的で物やお金が豊かで善いことをするのが嫌いである。ヨーロッパ人はもともと「眼だけで見る世界」の中に生きていて『眼で見て頭で考える世界つまり実在の世界』の中に生きていないから、「眼だけで見る世界」の決まりを守ってきれいな格好[かっこう]をするだけで『実在の世界』の決まりを侵[おか]して悪いことをやりまくるのである。ヨーロッパ人は格好がきれいなだけで、やることが汚い。政府はヨーロッパ人にとって幸福な国を作ってくれる。だから、ヨーロッパ人は政府にたくさんお金をやって国を作らせているのである。今のヨーロッパ人は政府が大昔の国を作るのが嫌だが、政府がヨーロッパ文化の国を作ってくれるので大目に見て許してやっているのである。(アメリカもヨーロッパと似た国である。だから、アメリカ人は政府がヨーロッパ文化の国を作ってくれるので政府が国民からお金を取ったり国民を殺したり国民を嫌がらせたりするのを許しているのだ。)
反対に、日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるので、眼で見るだけで実在の外にいてきれいで物やお金が貧しくて悪いことをするのが嫌いである。日本人は眼で見て頭で考えて実在の中にいて実在的で物やお金が豊かで善いことをするのが好きである。政府は日本人にとって不幸な国を作る。だから、日本人は政府にお金をやらないようにして政府に国を作らせないのである。政府を金欠[きんけつ]にして政府を潰[つぶ]しているのである。今の日本人は政府が大昔の国を作るのが嫌である。政府がヨーロッパ文化の国を作るのも嫌である。政府は今の日本人にとって嫌な国ばっかり作っている。だから、今の日本人は政府にお金をやらないようにして政府を潰しているのである。
ところ変われば人変わる。政府はきれいで物やお金が貧しくて悪いことをする国を作って売っている。ヨーロッパ人はきれいで物やお金が貧しくて悪いことをする国が好きだから、ヨーロッパでは政府が作る国がよく売れる。反対に、日本人はきれいで物やお金が貧しくて悪いことをする国が嫌いだから、日本では政府が作る国が売れない。政府はヨーロッパでは儲[もう]かるが日本では儲からない。日本では政府は潰れるだけだ。
日本人は生まれつき『眼で見て頭で考える』から、みんなが実在的でよく働いて物やお金が豊かで善いことをする国が好きである。反対に、会社の社長や上役[うわやく]は「眼だけで見る」から、馬鹿できれいでどうでもいいことをして遊びまわって物やお金が貧しくて悪いことをするのが好きである。日本政府が馬鹿の悪人を会社の社長や上役にしたからである。日本人はみんな会社の社長や上役が嫌いである。だから、日本人みんなで会社の社長や上役を日本から追い出さねばならない。みんなで日本を実在的で善いことをする人が上できれいで悪いことをする人が下の社会にしないといけない。みんなで日本を自分たちが幸福に暮らせる国にしないといけない。
馬鹿はきれいである。きれいなのは馬鹿である。医者は眼で見るだけで頭で考えずきれいなのが好きだから馬鹿の悪人である。日本政府が馬鹿の医者をいい待遇にしている。昔の政府が善いことをしていたから、国民は政府に協力して医者をいい待遇にしてやったのだ。しかし、今の政府は善いことをしていない。悪いことしかしていない。今の国民は政府に協力しなくていい。日本人は馬鹿は嫌いである。だから、みんなで医者を下にして医者を軽蔑して悪い待遇にしないといけない。
[23946] ソニー「MDR-100A」の感想 h30.7.24
昨日アマゾンからソニーのヘッドホン「MDR-100A」(アマゾンで10,770円)が届いた。
さっそく聞いてみた。
装着感はすごくいい。イヤーパッドが耳をすっぽり覆[おお]うので全然ヘッドホンを付けている感じがしない。ストレスなく長時間聞いていられる。装着感はゼンハイザー並みだ。
ただし、音がダメである。クリエイティブの『アルバナライブ』と比較すると、低音が弱い。全体的に篭[こも]り気味である。つまり、音が曇って澄んでいない。音がおとなしいので盛り上がらない。音程によって音が強くなったり弱くなったりして音楽がヘンテコに聞こえる。高音だけそこそこきれいに聞こえて、ほかはメチャクチャだ。私が今普段使っているソニーの小型軽量ヘッドホン『MDR-AV510』(アマゾンで3千円ぐらい)に劣るほどだ。
こんなものに1万円も出すのはまちがっている。
ソニーのヘッドホンはだいたい全部こんな音なのだろう。ソニーのヘッドホンはもう買わない。MDR-1AもMDR-1000Xももう買わない。
このヘッドホンは音楽を聞くためにあるのではない。音楽を聞いているふりをするためにあるのだ。だから、音はダメなのに、装着感だけはいいのだ。こんなくだらない物は買ってはいけない。
ヘッドホンはクリエイティブの『アルバナライブ』(アマゾンで5千円ぐらい)が最強だ。私はこれで閉塞型[へいそくがた]が好きになりました。開放型から閉塞型に転向[てんこう]しました。私は『アルバナライブ』で音楽を毎日聞いている。寝ながら聞いている。ワンランク上のサウンドが体験できて非常に気持ちいい。
←ソニーの「MDR-100A」。アマゾンで1万円ぐらい。装着感はいいが、音が悪い。買う価値がない。
[23947] ヨーロッパ人はきれいで貧乏な国が好きである。日本人は汚くて裕福な国が好きである。☆
h30.7.24
ヨーロッパ人は生まれつき眼だけがよくて頭が悪いから「眼だけで見る」のが好きだから「眼だけで見る世界」が好きで『眼で見て頭で考える世界つまり実在の世界』が嫌いである。ヨーロッパ人は「眼だけで見る世界」で幸福になって『実在の世界』で幸福になろうとしない。「眼だけで見る世界」における幸福は、きれいで働かずに貧乏で悪いことをすることである。『実在の世界』における幸福は、汚くて(つまり実在的で)よく働いて裕福で善いことをすることである。きれいな者が貧乏で、汚い者が裕福である。そのため、ヨーロッパ人はきれいで働かずに貧乏で悪いことをするのが好きで、汚くて(つまり実在的で)よく働いて裕福で善いことをするのが嫌いである。
反対に、日本人は生まれつき眼と頭の両方がいいから『眼で見て頭で考える世界つまり実在の世界』が好きだから『実在の世界』が好きで「眼だけで見る世界」が嫌いである。日本人は『実在の世界』で幸福になって「眼だけで見る世界」で幸福になろうとしない。そのため、日本人は汚くてよく働いて裕福で善いことをするのが好きで、きれいで働かずに貧乏で悪いことをするのが嫌いである。
政府はヨーロッパ文化の国と大昔の国を作る会社である。政府はヨーロッパ文化の国を作るために最初のいっときは『眼で見て頭で考える文化の国』を作って、その後で「眼だけで見る文化の国」を作る。昔の近代の政府は『眼で見て頭で考える文化の国』を作っていた。ヨーロッパ人が嫌いで日本人が好きな国を作っていた。ヨーロッパ人は自分が生きるためには『眼で見て頭で考える文化』をやることが必要だとわかっているから政府にお金をやって『眼で見て頭で考える文化の国』を作らせていた。日本人は『眼で見て頭で考える文化の国』が好きだから政府にお金をやって『眼で見て頭で考える文化の国』を作らせていた。今の現代の政府は「眼だけで見る文化の国」を作っている。ヨーロッパ人が好きで日本人が嫌いな国を作っている。ヨーロッパ人は「眼だけで見る文化の国」が好きだから政府にお金をやって「眼だけで見る文化の国」を作らせている。日本人は「眼だけで見る文化の国」が嫌いだから自分が生きるためにそんな国は要らないから政府にお金をやらないようにして「眼だけで見る文化の国」を作らせないようにしている。政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。
会社の社長や上役[うわやく]は要領[ようりょう]がいいだけで馬鹿だから、お辞儀[おじぎ]が上手[うま]いだけで考えるのが下手[へた]だから、文化のことがわからないから、「今の政府が日本人を幸福にする国を作っている」と思っているから政府に協力して社員みんなから税金を取って政府に税金をやっているのである。そのため、日本政府に日本人みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせている。会社の社長や上役はまちがっている。まちがっている者は会社に要らない。だから、社員みんなで会社の社長や上役を倒して、日本人みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。社員みんなで会社の社長や上役を殴[なぐ]って痛めつけて口を利けないようにしないといけない。
h30.7.25この段落追加:会社の社長や上役は要領がいいだけの馬鹿だから、雰囲気だけで物を見ることしかできないから、人間を上下関係の目で見ることしかできないから、政府の正体がわからないまま雰囲気だけで政府が上の者だと思って、なんでも政府の言いなりなのである。政府の命令で社員から高い税金を取ったり社員を殺したりクビにしたりするのである。しかし、本当は政府は大昔の文化の国やヨーロッパ文化の国を作る会社である。国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせる会社である。政府と国民は平等であって、政府は上の者ではない。社長や上役は出世の煩悩[ぼんのう]に取り付かれているから目が曇って政府が上の者に見えてしまうのだ。馬鹿という生き物はとことんしょうもない。ボンクラが威張[いば]りまわるのは鬱陶[うっとう]しい。社員は社長や上役のような物の正体が見えない馬鹿は無視して、さっさと邪魔[じゃま]で役立たずの社長や上役を会社から追い出して、政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
ヨーロッパ人は「眼だけで見る」から、美術が好きで、きれいで貧乏が好きである。ヨーロッパはきれいで貧乏な国である。アジア人は「頭だけで考える」から、数学や文学が好きで、汚くて貧乏が好きである。アジアは汚くて貧乏な国である。日本人は『眼で見て頭で考える』から、科学が好きで、小汚くて裕福が好きである。日本は小汚くて裕福な国である。ヨーロッパ人が音楽家が作った音楽を聞いて喜ぶように、インド人は数学者が作った理論を読んで喜ぶ。中国人は文学者が作った文学を読んで喜ぶのだ。ヨーロッパ人やインド人や中国人は実在に関心がないから科学が苦手だから貧乏で法律を守らず悪いことが好きである。日本人は科学者が作った理論を読んで喜ぶ。日本人は実在に関心が強いから科学が得意だから裕福で法律を守って善いことが好きである。日本人は外人とは性格が違うから、日本人は外人を見習わずに自分で考えて自分が幸福に暮らせる国を作らなければならない。
昔は文化の科学がなかったから、みんなが自分が幸福に暮らせる国がわからなかったから、日本人は自分が幸福に暮らせそうな外国をわけもわからずに無鉄砲に真似[まね]ていた。そのため、中世の日本ではみんながヨーロッパを真似て不幸になっていた。今は文化の科学があるから、みんなが自分が幸福に暮らせる国がわかっているから、日本人は外国を真似ずに自分で考えて自分が幸福に暮らせる国を作ればいい。
今は国際化の時代だから、誰でも自分が好きなところへ自由に行ける。そのために、自分の国と他人の国の区別が付かなくなって、自分の国の文化がおろそかにされて自分の国の文化が破壊されて、みんなが幸福に暮らせなくなっている。今は国際化の時代だからこそ、みんなが自分の国の文化を大事にしないといけない。みんなが自分の国の文化を守らねばならない。世界中のみんなが自分の国の文化を守って、世界中のみんなが自分で自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。日本政府は日本文化を滅ぼす団体だから、日本国民みんなで日本政府を倒して日本文化を守らねばならない。日本国民みんなの幸福を守らねばならない。
要するに、ヨーロッパは実在の外で暮らす国である。ヨーロッパ人は実在の外にいるから働かずに遊んでばかりいて貧乏で悪いことをするのである。ヨーロッパ人は自分が働かないままだと死ぬから、ときどきアジア文化を取り込んで実在文化をやって必死で働いて一時的に裕福になるのだ。普段は貧乏なのだ。アジアは半[なか]ば実在の中で暮らす国である。アジア人は半ば実在の中にいるからわりとまじめによく働いてそこそこ裕福で善いことをするのである。アジア人はそこそこ働くから自分が死ぬようなことがないから、自分の国の文化をやり続けるだけで外国の文化を取り込んだりしない。日本は実在の中で暮らす国である。日本人は実在の中にいるから毎日必死に働いて裕福で善いことをするのだ。日本人は実在の中が好きであって、実在の外が嫌いである。日本人は実在の中にいるときが気分がよくて、実在の外にいるときが気分が悪い。ヨーロッパ人はその反対である。だから、日本人がヨーロッパ人の真似をしても幸福にはなれない。日本人は日本人自身をやってはじめて幸福になれるのだ。日本人は田舎者[いなかもの]なので外国の真似[まね]が好きで外国の文化をやって不幸になる病気がある。日本人はもうそんなことはやめねばならない。日本人は日本文化で受け入れられる外国の文化だけをやらねばならない。
つまり、ヨーロッパ人は眼が見えるだけで頭で考えられない養護の子である。だから、ヨーロッパ人はきれいなことや働かないことや貧乏なことや悪いことをするのが好きなのだ。反対に、日本人は眼が見えて頭で考えられる健全な人間である。だから、日本人は実在的なことや働くことや裕福なことや善いことをするのが好きなのだ。日本人が知恵遅れのヨーロッパ人の暮らしをやっても幸福になれるわけがない。日本人は日本人の暮らしをやらねば幸福ではない。日本政府は日本人にヨーロッパ人の暮らしをさせて日本人を不幸にする会社である。だから、日本国民は自分が幸福に暮らすために日本政府を倒さねばならないのだ。今の政府はヨーロッパ文化の国つまり馬鹿が喜ぶ国を作っている。日本政府は知恵遅れの日本人が支持する団体である。政府軍は馬鹿の集まりである。そんな団体恐くない。だから、みんなは政府の言うことを無視して政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのだ。
近代の日本では政府が実在文化(眼で見て頭で考える文化)の国を作っていたから、日本人は実在文化が好きだから、日本人みんなが政府を支持していたから、近代の日本政府は強かった。だから、星新一の「人民は弱し、官吏[かんり]は強し」のような本があるのだ。近代の政府は強かったので、国民はうかつに政府に逆らえなかった。しかし、現代の日本では政府がヨーロッパ文化の国を作っている。五感文化の国を作っている。日本人はヨーロッパ文化が嫌いだから、日本人のほとんどが政府に反対しているから、現代の日本政府は弱い。現代の日本政府は弱いから、国民は容易に政府に逆らえる。国民は政府の命令を無視して政府に税金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。
政府は国を作る会社である。政府は国民に文化をやらせる会社である。近代の日本政府は国民に大昔の文化(マゾや拝むのや戦争のこと)や実在文化をやらせていた。近代の国民は大昔の文化や実在文化が好きだったから政府を支持していたから政府にたくさんお金をやっていたから政府はしっかりと建っていた。しかし、現代の日本政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせている。現代の政府はみんなが政府に強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをされて、国民みんなや国家宗教の神や政府を拝んで、戦争をする国を作っている。現代の政府はみんながきれいなことに興味があって実在に関心がなく、科学が苦手で貧乏で、法律を守らずに悪いことをする国を作っている。現代の国民は大昔の文化やヨーロッパ文化が嫌いだから政府に反対しているから政府にほとんどお金をやらなくなっているから政府はほとんど潰[つぶ]れているのだ。今の世の中には日本政府という名の役立たず団体があるだけである。今のみんなは政府が嫌いだから、政府にお金をやらないようにして政府を潰せばいいのだ。
日本人は眼で見て頭で考えるから実在がわかる。日本人は実在が好きである。だから、日本人は実在に興味を持って、科学や産業をやって国を豊かにして、法律を守って善いことをして幸福に暮らせばいい。政府はみんなに眼だけで見る文化をやらせてきれいなことに興味を持たせて実在に関心を失わせて、みんなが科学や産業をやらないようにして国を貧乏にして、法律を守らないようにして悪いことをさせて不幸にする。だから、今の国民みんなで政府を倒してみんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
日本人は実在が好きである。日本人は科学が好きである。科学が嫌いな日本人は自分の本音[ほんね]で生きていないからである。政府に洗脳されて「日本人は実在や科学が嫌いだ」と思わされて「実在の外の喜び」ばかり満足させられて自分の本音が働かないようにされているのだ。幸福のないフヌケのボンクラにされているのだ。日本人は自分の心に気合を入れて自分の本音を働かせて実在に興味を持って科学を好きにならねばならない。
今の政府は実在の外の文化ばかりやっているから、国民のために実在の外で国民の心を満足することをするだけで、国民のために実在の中で国民の心を満足することをしてくれない。国民のために面白いマンガを作ったり、エステサロンを作ったりするだけである。日本人は実在の中のことしかわからないから、今の政府は国民にとって面白いことをしてくれない。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。
h30.7.25追加:人間は自分の心を満足すれば幸福になれる。今の日本国民は今の文化をやったり、日本文化をやったりすると幸福になる。ところが、政府は今の人に大昔の文化をやらせたり、日本人にヨーロッパ文化をやらせたりする。けっして今の国民が「大昔の人になりたい」とか「ヨーロッパ人になりたい」と思ったわけではない。今の国民は『自分が幸福になりたい』だけである。政府は国民を自分の心を満足できないようにして不幸に生きねばならなくする。日本政府は国民の幸福を壊す会社である。今の国民がある程度幸福に暮らせるのは国民が自分で自分に合った文化をやっているからである。政府は国民に合わない文化をやらせて国民を不幸にしているだけである。国民は自分で自分を幸福にして、政府に不幸にされているだけである。日本政府は「国民が文化のことがわからない」と思ってわざとに国民に合わない文化をやらせて国民を不幸にして遊んでいるのである。国民は政府を倒して不幸から脱出しないといけない。そもそも国民が自分のやる文化を他人任[まか]せにするからうまくいかないことになるのである。自分のことは自分でやらねばならない。国民は自分で自分を幸福に導かねばならない。他人に導いてもらってはいけない。今の政府が自分を幸福にしないのなら、国民は自分で自分を幸福に導くために政府を倒さねばならない。自分で自分の心がわからないのはよっぽどの馬鹿だけである。昔の人は自分の心がわからなかったから“文化をやらせる会社”が必要だったが、今の人は自分の心がわかるから“文化をやらせる会社”は要らない。昔の人は自分の心がわからなかったし、“文化をやらせる会社”も国民の心がわからなかった。そのために、中世の日本では“文化をやらせる会社”は国民にまちがった文化をやらせて国民を不幸にしていた。古代の日本国民がヨーロッパ文化をすごく喜んだから、中世の政府は「日本人はヨーロッパ人と心が同じだ」と思って、ヨーロッパ文化が悪化した後でも日本人にヨーロッパ文化をやらせつづけたのだ。今でも“文化をやらせる会社”は「人間の心は大昔と変わらない」とか「日本人はヨーロッパ人と同じ心だ」とまちがったことを考えて、今の日本国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にしているのだ。“文化をやらせる会社”(日本政府のこと)は今の日本人の心がわかっていない。国民は日本政府に頼ってはいけない。国民は自分に合った文化は自分でやれるから、自分で自分の心を理解して、会社に頼らずにお金に頼らずに自分で自分に合った文化をやらねばならない。
[23948] ソニーの「MDR-S40」の感想 h30.7.24
昨日ソニーの「MDR-100A」といっしょにソニーの「MDR-S40」(アマゾンで3,500円ぐらい)が届いた。
さっそく聞いてみた。
装着感は抜群にいい。小型軽量ヘッドホンの取り柄[とりえ]だ。ハウジングが上下左右に動くのでフィット感がすごくいい。
音はかなりいい。まず低音がよく響く。ズンズン聞こえる。高音も聞こえなくはない。音域全体で音楽を気持ちよく聞いていられる。音ではこれのほうが「MDR-100A」(アマゾンで1万円ぐらい)よりもいいと思えるぐらいだ。おそらく小型軽量へッドホンはソニーの得意分野なのだろう。
私がこれまでに13年間使っていたソニーの小型軽量ヘッドホン『MDR-AV510』と比べると、「MDR-S40」は音が低音寄りで『MDR-AV510』は音が高音寄りだ。高音の歯切れのよさでは『MDR-AV510』のほうが上だが、音域全体としては「MDR-S40」のほうがいい音が出ているような気がする。(高音域においてはソニーの『MDR-AV510』はクリエイティブの『アルバナライブ』に音がよく似ている。ソニーの『MDR-AV510』は低音が出ないアルバナと言ってもいい。)低音にこだわらなければ『MDR-AV510』が上だが、低音にこだわれば「MDR-S40」が上だ。
アメリカのコス社の「ポルタプロ」よりも音が日本人向きで日本人が気持ちよくなる音が出る。
「MDR-S40」はかなり楽しい逸品[いっぴん]だ。音楽を聞くのが楽しくなる。これは買ったほうがいい。
←ソニーの小型軽量ヘッドホン「MDR-S40」。アマゾンで3,500円ぐらい。装着感も音も両方ともいい。実物は写真よりもシンプルでかっこいい。デザインが私のようなおっさんがかけるには恥ずかしい。
[23949] クリエイティブのスピーカー「ムーボ2」の感想 h30.7.24
私はクリエイティブのヘッドホン『アルバナライブ』があまりにもいい音を出すことに感動して、「クリエイティブはヘッドホンがこんなにいい音を出すんだから、スピーカーもさぞかしいい音を出すんだろうなあ」と思って、さっそく「ムーボ2」を買った。ジョーシンウェッブで7千円ぐらい(送料無料)で買った。
昨日届いた。
さっそく音を聞いてみた。
外観は、私が注文したのはグレーなのに、実物は正面が黒色で詐欺[さぎ]だ。インチキだ。
音は、『アルバナ』とは裏腹にまったく面白くない。まったくのハッタリだ。私は事前にユーチューブの動画を見て「ムーボ2」の音が悪いことを知っていたが、たしかに音が面白くない。高音も低音も両方とも出ない。気持ちがよくなるほどのいい音が出ない。ボンヤリと気の抜けた音が出るだけだ。おんぼろスピーカーだ。お金の無駄[むだ]だ。
音については今の私が持っているソニーのスピーカー『SRS-X55』のほうがずっといい。かなりいい音を出す(低音がちょっと強すぎるけど)。シャワシャワした歯切れのいい高音と、ズンズン響く迫力のある低音の両方を出す。『SRS-X55』はなかなかいいスピーカーだ。しかし、それでもクリエイティブのヘッドホン『アルバナライブ』にはかなわない。スピーカーの時代は終わった。
←クリエイティブの「ムーボ2」。ジョーシンウェッブで7千円ぐらい。写真では正面が灰色だが、実物では正面が黒い。外観も音も悪い。普通の人は買わないだろう。
[23950] オーディオ製品にはいい物はめったにない。 h30.7.25
私はこのたび自分のオーディオ環境を強化しようとしてたくさんのオーディオ機器を買った。
しかし、いい物はほんのちょっとしかなかった。
スピーカーでは、ソニーの『SRS-X55』(アマゾンで1万7千円ぐらい)が高音がきれいで低音が迫力があってよかった。ソニーの『SRS-XB20』(アマゾンで1万円ぐらい)もよかった。あとは、ディブームの『iTour-Boom』(アマゾンで3千円)がポワ〜ンとした変わった音が出てちょっとよかった。しかし、ほかの「中華坊主」(アマゾンで2千円)は音が汚くて悪かった。JBLの「Go2」(アマゾンで4千円)も音が濁[にご]って音を聞いていると不愉快になって悪かった。クリエイティブの「ムーボ2」(ジョーシンウェブで7千円)は低音も高音も出なくて中音だけ出て音がのっぺりとして魅力がなくてダメだった。
ヘッドホンでは、クリエイティブの『アルバナライブ』(アマゾンで5千円ぐらい)がすごくよかった。低音から高音までいきいきした音が出て、音を聞いていると気分が上がってよかった。ヘッドホンにおいて一番大事なのは、音を聞いて自分の気分が上がるか下がるかである。私が今使っているソニーの『MDR-AV510』(アマゾンで3千円ぐらい、現在生産終了)もいい。高音の味がいい。ソニーの『MDR-S40』(アマゾンで3千5百円ぐらい)もそこそこ音が楽しくていい。しかし、ほかのゼンハイザーの「HD599」(アマゾンで2万3千円ぐらい)は音が奇妙で日本人の趣味に合わなさすぎて悪かった。コスの『ポルタプロ』(アマゾンで5千円ぐらい)は小型軽量で装着感がよくて低音がすごく響いて全体的に音がいきいきしているが、私は低音寄りの音を聞いても気分がよくならないので悪かった。一般に、低音が好きなのは冷たい馬鹿で、高音が好きなのは熱くて利口である。オーディオテクニカの「ATH-AD500X」(アマゾンで8千円ぐらい)は音が冷たくて聞いていると気分が沈んで悪かった。オーディオテクニカの「ATH-EP700」(アマゾンで5千円ぐらい)も音が冷たくて気持ちが落ち込んで装着感がきつすぎて悪かった。オーディオテクニカの「ATH-P100L」(アマゾンで1,300円ぐらい)は音がガシャガシャして汚すぎて聞いていると気分が悪くなって使えなかった。パイオニアの「SE-MJ512-K」(アマゾンで2千円ぐらい)はなんの変哲[へんてつ]もない音が出てつまらなくて悪かった。ソニーの「MDR-100A」(アマゾンで1万円ぐらい)は音が粗雑[そざつ]で音を聞いても気分がよくならないので悪かった。
デジカメはどんな物を買ってもいちおう満足できるが、オーディオ機器はめったに満足できる物がない。オーディオ機器はほんのちょっとしか満足できる物がない。だから、オーディオ機器選びはすごく難しいのだ。
私は今回総額108,800円も使って、善い物は41,500円しか当たらなかった。勝率38%だった。もうこりごりだ。これ以上はめったに買わない。
[23951] 日本では会社は消費者のためにいい製品を作って売らねばならない。
h30.7.25
ヨーロッパ人は生まれつき眼だけで見て頭で考えない。ヨーロッパ人は「眼だけで見る世界」に暮らして「眼だけで見る世界」における幸福しかない。ヨーロッパ人は実在の外で暮らしているので、みんなが眼先のきれいなことが好きで、科学が嫌いで仕事が嫌いで貧乏暮らしで、法律を守らずに悪いことをする。ヨーロッパ文化ではみんなが悪いことをするので、会社のほうが消費者よりも優位に立って会社が粗悪品ばかり作って売る。ヨーロッパ文化ではみんなが会社に不良品を買わされて「会社にまんまと一杯食わされた」と思ってニヤニヤして喜んでいる。ヨーロッパの製品は見かけがいいだけで性能はオンボロである。
日本人は生まれつき眼で見て頭で考える。日本人は『眼で見て頭で考える世界』つまり『実在の世界』に暮らして『実在の世界』における幸福しかない。日本人は実在の中で暮らしているので、みんなが汚い(実在的な)ことが好きで、科学が好きで仕事が好きで豊かに暮らして、法律を守って善いことをする。日本文化ではみんなが善いことをするので、会社よりも消費者が優位に立って会社が良品ばかり作って売る。日本文化ではみんなが会社にいい商品を売ってもらって「この会社はいい仕事をしている」と思ってニコニコして喜んでいる。日本の製品は見かけはあまりきれいではないが性能が優れている。
ヨーロッパ人と日本人では生まれつき脳が違う。ヨーロッパ人と日本人は生きている世界が違う。ヨーロッパ人と日本人は満足している心が違う。そのために、ヨーロッパ人と日本人は喜びが違う。ヨーロッパ人は「眼だけで見る世界」に生きていて「眼だけで見る喜び」しかない。一方、日本人は『実在の世界』に生きていて『実在の喜び』がある。日本人は日本文化をやらないと幸福になれない。日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福にはなれない。
だから、日本人はヨーロッパ文化をやめて日本文化をやらねばならない。日本ではみんなが善いことをして、みんなが他人のために善いことをして、会社は消費者のためにいい製品を作って売って消費者を喜ばさないといけない。
文化は服のようなものである。人間と服が合っていれば幸福に暮らせて合っていなければ幸福に暮らせないように、人間と文化が合っていれば幸福に暮らせて合っていなければ幸福に暮らせない。いくら他人が他人の文化をやって幸福に暮らしていても、自分が他人の文化をやって幸福に暮らせるわけではない。ヨーロッパ人にはヨーロッパ文化が合っている。日本人には日本文化が合っている。ヨーロッパ人はヨーロッパ文化をやると幸福に暮らせるように、日本人は日本文化をやると幸福に暮らせる。ヨーロッパ人が日本文化をやっても幸福に暮らせないように、日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福に暮らせない。日本人が幸福に暮らすためには日本文化をやるしかないのだ。政府は日本人にヨーロッパ文化をやらせて日本人を不幸にするから、日本人は政府を倒さねばならないのだ。
ヨーロッパ文化は眼で見て頭で考えない人が幸福に生きるための方法(生活様式)である。日本文化は眼で見て頭で考える人が幸福に生きるための方法である。ヨーロッパ人は眼で見て頭で考えない人間である。日本人は眼で見て頭で考える人間である。だから、ヨーロッパ人がヨーロッパ文化をやれば幸福に暮らせるが、日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福に暮らせない。日本人が日本文化をやれば幸福に暮らせるが、ヨーロッパ人が日本文化をやってもう幸福に暮らせない。日本人は日本文化をやらないかぎり幸福には暮らせないのだ。だから、今の日本人はヨーロッパ文化をやめて日本文化をやらねばならない。日本政府は日本人にヨーロッパ文化をやらせて日本人を不幸にするから、日本人は日本政府を倒して幸福にならねばならない。
(つけたし:ロボットアニメで毎回前座に“見かけだけかっこよくて弱いロボット”が登場して敵ロボットにすぐにやられるといい。『マジンガーZ』のアフロダイエースみたいに。その後で、“見かけはちょっと劣るが強いロボット”が出てきて敵ロボットを倒せばいい。/私が小学2年生のときに、小学館の学習雑誌『小学2年生』の付録のミニマンガにかっこいいウルトラマンとかっこ悪いウルトラマンが戦う話があった。かっこいいウルトラマンは性格が卑怯[ひきょう]だったが、かっこいいのでみんなが味方だと思って守った。かっこ悪いウルトラマンは性格は正義だったが、かっこ悪いのでみんなが敵だと思って攻撃した。かっこいいウルトラマンはヨーロッパのことで、かっこ悪いウルトラマンは日本のことである。当時の日本人がヨーロッパ文化をやって日本文化を捨てていることを表している。当時の私はかっこ悪いウルトラマンが自分のことだと思って悲しかった。本当は、日本人ならかっこ悪いウルトラマンを味方だと思って守って、かっこいいウルトラマンを敵だと思って攻撃しないといけない。日本人は世界中の国の文化をもっとよく勉強して、日本人は日本文化をやらないと幸福になれないことを理解してまじめに日本文化をやらないといけない。)
[23952] 日本政府は日本国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせる会社である。
h30.7.26
昔の日本人は“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”を満足して実在の外で暮らしていた。日本人は世界的には生まれつき眼で見て頭で考えて実在の中で暮らしているほうだが、昔は文明が遅れていたので日本人はまだ十分に実在の中で暮らすことができなかったのだ。昔の日本人は身体は実在の中で暮らしていたが、頭の中では実在の外で暮らしていたのだ。
今の日本人は“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなって実在の中で暮らしている。今では文明が進んで日本人はますます実在を理解して実在の中で暮らすことができるようになったので、実在の中で自分の心を満足するようになって“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”などの実在の外にある喜びを満足しなくなったのだ。(子供はまだ経験がないために実在であるかないかの区別が付かないから実在の外で自分の心を満足して実在の外の喜び(マンガやかっこつけなど)があるが、大人は経験があるから実在であるかないかの区別が付くから実在の中でしか自分の心を満足しないから実在の中の喜びしかない。)
つまり、昔の人は文明が遅れていたために「実在の外の世界(心の世界)」に生きていたので、実在の外にある“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”などを満足していた。反対に、今の人は文明が進んだために『実在の中の世界』に生きているようになって「実在の外の世界」にいなくなったので、実在の中にある“美味[おい]しいものを食べる喜び”や“テレビを見る喜び”や“旅行をする喜び”などを満足するようになって、実在の外にある“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”などを満足しなくなったのである。ヨーロッパ人が「眼だけで見る世界」に住んでいて日本人が『実在の世界』に住んでいるためにヨーロッパ人と日本人では喜びが違うように、昔の人が「心の世界」に住んでいて今の人が『実在の世界』に住んでいるために昔の人と今の人では喜びが違うのだ。昔の人と今の人では生きている世界が違うために喜びも違うのだ。
ところが、日本政府は日本国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて日本国民を実在の外で暮らすようにさせている。つまり、日本政府は日本国民に“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”を満足させたり、日本国民を眼で見るだけで頭で考えないようにさせて日本国民を実在の外で暮らすようにさせている。しかし、日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるから実在の中で暮らすのが好きである。日本人は実在の中で暮らすと幸福になって、実在の外で暮らすと不幸になる。日本人にとっては実在が楽園である。日本政府は日本国民を実在の外で暮らさせて国民を不幸にしている。日本政府は日本国民を楽園から追放して不幸にしている。(h30.7.28追加:アニメ『ビックリマン』では天使たちが次界[じかい](つまり楽園)を目指して旅をするが、じつは次界はなかったのだ。日本人にとって楽園は実在なので、最初からこの世界が楽園だったのだ。日本人は実在で自分の心を満足して幸福になればいいのだ。日本人は実在を自分の心を満足するように作り変えて自分が幸福に暮らせるようにすればいいのだ。天使は頭で考えるアジア人で、悪魔は眼で見るだけのヨーロッパ人で、天使と悪魔がいっしょに住める世界は『眼で見て頭で考える世界』つまり『実在』のことだから、次界は実在のことなのだ。日本人は生まれつき実在に住んでいるから、日本人は最初から次界の中にいるのだ。日本人はわざわざ次界を探して旅をしたりしなくていいのだ。それから、魔肖[ましょう]ネロは大昔の文化の喩[たと]えである。ヨーロッパ文化(五感文化)の喩えではない。だから、魔肖ネロが般若[はんにゃ]パワーで天使を悪魔に変えることはない。大昔の文化がアジア人をヨーロッパ人に変えることはない。アジア人をヨーロッパ人に変えるのはヨーロッパ文化である。ブラックゼウスがブラック光線で天使を悪魔に変えるのである。ブラックゼウスはふだんはブラックゼウスだが、たまに千年に一度スーパーゼウスに変身するのだ。ヨーロッパ人はふだんは眼で見ることしかわからない馬鹿で、実在がわからないために科学や産業をやらずに貧乏で法律を守らずに悪いことをしているが、たまに眼で見て頭で考えるようになって、実在がわかるようになって科学や産業をやって裕福になって法律を守って善いことをするのだ。つまり、ヨーロッパ人は二重人格なのだ。ヨーロッパ人はふだんは実在の外にいて遊びまわっているが、そのぶんたまに実在の中に入って熱心に働くのだ。ヨーロッパは発展と衰退を繰り返す国なのだ。ヨーロッパが発展しているときはヨーロッパ人は不幸で、ヨーロッパが衰退しているときはヨーロッパ人は幸福なのだ。日本人と反対だ。)
日本政府は日本国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせる会社である。日本政府は大昔の文化やヨーロッパ文化の国を作る会社である。今の日本政府は今の日本国民が不幸に暮らさねばならない国を作っている。今の日本政府は今の日本国民にとって売れない国を作っている。政府はただの会社だから、政府と国民は平等である。だから、今の日本国民は日本政府にお金をやらないようにして日本政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民みんなが自分で今の文化や日本文化をやって自分で自分が幸福に暮らせる国を作って幸福に暮らせばいいのである。日本人みんなが実在の世界の中で暮らして、実在の世界を自分が幸福に暮らせるように作り変えて、日本人みんながもっと幸福に暮らせるようにすればいいのである。
日本人は実在の中で暮らすのが幸福な珍しい民族である。外人は実在の外で暮らすのが幸福である。しかし、実在の外といっても民族や人種によって細かく分かれている。細かく違っている。実在の外の世界にもいろいろある。ヨーロッパ人は眼で見る世界で暮らすのが幸福であり、インド人は頭で考える世界で暮らすのが幸福であり、中国人は心で思う世界で暮らすのが幸福である。世界中の人間が自分が幸福に暮らせる世界の中で幸福に暮らしている。だから、日本人も眼で見て頭で考える世界つまり実在の世界の中で幸福に暮らせばいいのだ。
世界にはひとつだけ実在の中で暮らすのが幸福な民族がある。それが日本人である。日本人は自分の文化を大事にしないといけない。日本人は日本人自身をもっと大事にしなければならない。
今は科学の時代だから世界中のみんなが科学をやっている。世界中のみんなが実在の世界に入ってきている。世界中のみんなが日本に近づいている。日本は世界の山頂である。世界中の人間が日本を目指して登ってきている。だから、日本人は外国を真似[まね]ずにひたすら自分の国の文化を深めていけばいい。
日本人は実在の中で暮らすのが好きである。外人は実在の外で暮らすのが好きである。だから、外人は自分で自分の世界を切り拓[ひら]かねばならない。日本人は実在に従うだけでいい。そのために、外人は自分ひとりでやる気持ちが強い。反対に、日本人は他人に従う気持ちが強い。だから、日本人は自分で科学をやる力が足りずに、いつもヨーロッパ人の真似ばかりしているのだ。日本人は外人を見習ってもっと自分の世界を自分で切り拓かねばならない。日本人は自分で科学の理論を作って実在の世界を作り変えて実在の世界を自分にとってもっと幸福にしなければならない。日本人は科学と数学の両方を勉強して、自然に従いながら創造性を身に付けて、実在をもっと理解できるようにならねばならない。数学では自分で概念を作り出して問題を解かねばならない。日本人は科学でも自分で概念を作り出して問題を解かねばならないのだ。他人が作った概念を学ぶだけではいけないのだ。
[23953] どうして国鉄が民営化されたか? h30.7.26
近代の政府は実在文化をやっていた。近代の政府は実在の中で国民の役に立つことをやっていた。だから、近代の政府は鉄道や郵便などの事業をやっていた。政府が国鉄をやっていた。
現代の政府は転向[てんこう]してヨーロッパ文化をやっている。五感文化をやっている。現代の政府は実在の外で国民の役に立つことをやっている。だから、現代の政府はマンガや美容などの実在の外でやる事業をやって、鉄道や郵便などの実在の中でやる事業をやめてしまったのだ。国鉄や郵便は政府がやらなくなって国民がやらねばならなくなっている。民営化されている。そのうち、政府の医療保険や年金もやまるだろう。
今の日本政府は実在の外で事業をやっている。しかし、日本人は実在の中のことしか興味がない。今の日本政府は日本人にとってつまらないことばかりやっている。そのため、今の日本国民は日本政府に見切りをつけて政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
国民はもう二度と“国民に文化をやらせる会社”の世話になってはいけない。“国民に文化をやらせる会社”は自分が国民に国民を不幸にすることをやらせても国民が文句を言わずにおとなしく従っていたら、「国民は自分の幸福も不幸もわからない馬鹿だ」と思ってますます国民をなめて国民にありったけメチャクチャなことをやらせて国民をさんざん不幸にしまくる。文化は簡単である。文化をやるのは誰でもできる。人間が自分で自分の本心を満足することをやればいいだけである。国民は“国民に文化をやらせる会社”の世話にならずに、自分で自分が幸福になる文化をやって自分で自分が幸福に暮らせる国にしないといけない。
近代の政府は近代の国民が幸福になることをやってくれた。近代の政府は実在文化をやっていたし、近代の国民は大昔の文化をやっていたから、近代の政府は近代の国民を幸福にしていた。近代の国民は「政府の言う通りにすれば自分が幸福になれる」と思った。しかし、現代の政府は現代の国民が不幸になることをやっている。現代の政府はヨーロッパ文化をやっているし、現代の国民は大昔の文化をやっていないから、現代の政府は現代の国民を不幸にしている。だから、現代の国民は政府の言う通りにしてはいけない。現代の国民は自分で考えて自分が幸福になることをやらねばならない。今の国民にとって政府は要らないから、国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰さねばならない。
[23954] 政府は国民に面白いことをやらせる会社である。☆ h30.7.27
政府は国民に面白いことをやらせる会社である。昔の人は自分で自分の心がわからないほど馬鹿だったので、政府にお金を払って政府の言うことを聞いて政府に自分が面白いことをやらせてもらって喜んでいたのである。
古代の政府は国民に実在文化(善いヨーロッパ文化)や大昔の文化(悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりすること)をやらせていた。古代の国民は実在文化や昔の文化が面白かった。だから、古代の国民は古代の政府の言うことをよく聞いて自分の心を満足して喜んでいた。古代の政府は国民からたくさんお金をもらって儲[もう]かっていた。
中世の政府は国民に悪いヨーロッパ文化や大昔の文化をやらせていた。中世の国民は悪いヨーロッパ文化が面白くなかった。そのために、中世の国民は政府の言うことを聞かなくなって悪いヨーロッパ文化をやめて、政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]した。
中世の幕府は国民にアジア文化や大昔の文化をやらせていた。中世の国民はアジア文化がそこそこ面白かったので、国民は幕府にたくさんお金をやって幕府が儲かっていた。
近代の政府は古代の政府と同じように国民に実在文化や大昔の文化をやらせていた。近代の国民はアジア文化よりも実在文化のほうが面白かったので、幕府にお金をやらなくなって幕府を潰して、政府にお金をやって政府を建てた。近代の国民は政府の言うことをよく聞いて実在文化や大昔の文化をやって自分の心を満足して喜んでいた。
現代の政府は国民に悪いヨーロッパ文化や大昔の文化をやらせている。現代の国民は悪いヨーロッパ文化や大昔の文化が面白くない。そのために、現代の国民は政府の言うことを聞かなくなって悪いヨーロッパ文化や大昔の文化をやめて、政府にお金をやらなくなって政府を潰している。(首相が『笑っていいとも』に出ていたのは、政府が“国民を喜ばせる会社”だからである。)
今の人は自分で自分の心がわからないほど馬鹿ではないから、“国民に面白いことをやらせる会社”にわざわざお金を払って言うことを聞いて面白いことをしなくてもいい。今の人にとってはもはや“国民に面白いことをさせる会社”は要らない。今の人は自分で自分が面白いことをやって幸福に暮らせばいいのである。
今の人は実在文化が面白くて実在文化をやっている。しかし、世の中には実在文化が嫌いな人がいる。宗教団体は実在の外の文化をやっている。宗教団体は自分たちで空想の世界を作り出して自分たちで楽しくやっている。外国は今でも実在の外の文化をやっているから、宗教団体は外国の文化を真似[まね]て実在の外の文化をやっている。だから、実在文化が嫌いな人はどこかの宗教団体に入って別の文化をやって楽しく暮らせばいいのである。
政府は時代によって国民にやらせることが変わる。国民も時代によって心が変わる。近代の政府は国民に実在文化や大昔の文化をやらせていた。政府は学校を建てて国民に科学や格律を教えて、警察を建てて犯罪者を罰して国民に法律を守らせた。その一方で、政府の学校や警察は国民の嫌がらせもやっていた。政府の学校や警察は国民に実在文化をやらせると同時に大昔の文化をやらせていた。近代の国民は実在文化や大昔の文化が好きだった。だから、近代の国民は政府が気に入って政府にお金をやって政府を建てていたのである。反対に、現代の政府は国民に五感文化(悪いヨーロッパ文化)や大昔の文化をやらせている。政府は学校で芸術や悪いことを教えて国民に科学や格律をやらせなくなって、警察に犯罪を見て見ぬふりをさせて国民に法律を守らせなくなっている。その一方で、政府の学校や警察は昔と同じように国民の嫌がらせをやっている。現代の国民は五感文化や大昔の文化が嫌いである。だから、現代の国民は政府が気に入らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰しているのである。
政府は国民に面白いことをやらせる会社である。しかし、実際には国民がほとんど自分で面白いことをしているのであって、政府が国民に面白いことをさせているのではない。国民が政府の命令を聞いて面白いことをしているのではない。特に今の国民は自分で面白いことをする(つまり自分で考えて自分の心を満足する)のが当たり前だから、今の国民にとって政府は要らない。政府は雰囲気だけで仕事をしている会社である。だから、国民は雰囲気だけで政府にお金を払ったことにして本当は払わなければいい。
[23955] 日本人とヨーロッパ人は違う世界に生きている。 h30.7.27
ヨーロッパ人は生まれつき「眼で見て頭で考えない脳」だから、「眼で見える世界」しかわからない。そのために、ヨーロッパ人は「眼で見える世界」で自分の心を満足して幸福になろうとする。ヨーロッパ人は「眼で見える世界」できれいにして幸福になろうとする。ヨーロッパ人は眼で見て頭で考えないから『実在の世界』がわからないから、『実在の世界』には興味がないから、『実在の世界』で自分の心を満足しようとしないから、自然に無関心だから科学や産業をやらずまじめに仕事をせずに物やお金を裕福にしようとせず、実在の社会に無関心だから法律を守らずに悪いことをする。つまり、ヨーロッパ人はきれいにするだけで貧乏で悪いことをするのである。ヨーロッパ人は見た眼がいいだけでほかにいいところがなんにもないのである。
一方、日本人は生まれつき『眼で見て頭で考える脳』だから、『眼で見て頭で考える世界』つまり『実在の世界』がわかる。そのために、日本人は『実在の世界』で自分の心を満足して幸福になろうとする。日本人は『実在の世界』で科学や産業をやってまじめに働いて物やお金を豊かにして、法律を守って善いことをやって幸福になろうとする。日本人は「眼で見える世界」がわからないから、「眼で見える世界」には興味がないから、「眼で見える世界」で自分の心を満足しようとしないから、きれいなことをやらないのである。つまり、日本人は小汚くして(実在的にして)裕福で善いことをするのである。
ヨーロッパ人と日本人は生まれつき脳の出来が違うから、ヨーロッパ人と日本人は違う世界に生きているから、違う喜びを満足しているのだ。
だから、日本人がヨーロッパ人みたいに「眼で見る世界」で暮らしても幸福にはなれない。日本人はヨーロッパ人の真似[まね]ができるだけで、喜びが得られない。日本人は形の上でヨーロッパ人と同じことをしているだけで本心では不満足である。逆に、ヨーロッパ人が日本人みたいに『実在の世界』で暮らしても幸福にはなれない。ヨーロッパ人は日本人の真似ができるだけで、喜びが得られない。ヨーロッパ人は形の上で日本人と同じことをしているだけで本心では不満足である。
今の日本政府は国民にヨーロッパ人と同じことをやらせている。今の日本政府は国民に「眼で見る世界」で暮らさせている。今の日本政府は国民を不満足にして喜びが得られないようにして不幸にしている。だから、今の日本国民みんなで政府を倒して、政府をなくして、日本国民みんなが自分で『実在の世界』で暮らすようにして、『実在の世界』で科学や産業をやって物やお金を豊かにして、法律を守って善いことをやって幸福に暮らさねばならない。
今は国際化時代だから、人間が国境をまたいで自由に移動できるから、国による文化の違いは常識である。今は国際化時代だから、世界中の人間が自分が幸福に暮らすために自分の国の文化をやって外国の文化をやってはいけないことが常識である。昔は国際化の時代ではなかったから、人間が自分の国の中でしか生きられなかったから、みんなは国による文化の違いをよく知らなかった。みんなは自分の国の文化を犯して、外国の文化をやって不幸に暮らしていた。人間が違うから文化が違うのだ。人間は自分に合った世界で暮らせば喜びが得られて幸福になるし、自分に合わない世界で暮らせば喜びが得られず不幸になる。人間が自分に合った学問や仕事をやると気持ちが上がって幸福になるし、自分に合わない学問や仕事をやると気持ちが落ち込んで鬱病[うつびょう]になって不幸になるのと同じである。日本人は日本文化をやってヨーロッパ文化をやらないようにして、日本人は『実在の世界』で暮らして「眼で見る世界」で暮らさないようにして、幸福に暮らさねばならないのだ。
近代のヨーロッパは植民地政策をやっていた。近代のヨーロッパは特別に実在文化をやっていた。近代のヨーロッパは世界中の国に実在文化を植えつけていた。近代のヨーロッパは世界中の国を自分と同じように『眼で見て頭で考える世界』にしていた。アフリカ人は「眼で見るだけで頭で考えない世界」に生きているから、『眼で見て頭で考える世界』にされるのが苦痛だった。インド人は「頭で見るだけで眼で見ない世界」に生きているから、『眼で見て頭で考える世界』にされるのが苦痛だった。中国人は「心で見るだけで眼で見ない世界」に生きているから、『眼で見て頭で考える世界』にされるのが苦痛だった。しかし、日本人はもともと『実在の世界』に生きているから、もともと『眼で見て頭で考える世界』に暮らしているから、『眼で見て頭で考える世界』にされてもうれしいだけで痛くもかゆくもない。だから、ヨーロッパは日本では植民地政策をやらなかったのである。
日本政府は日本人にヨーロッパ文化をやらせている。つまり、日本政府は日本人を「眼で見て頭で考えない世界」に住ませようとしている。日本人は『眼で見て頭で考える世界』が好きである。日本政府は日本人を日本人が喜びが得られない世界に住ませようとしている。日本政府は日本人が喜びが得られないようにして日本人を不幸にしている。だから、日本人は政府を倒して自分が幸福に暮らせる世界にしないといけないのだ。
今の日本政府は国民にヨーロッパ文化をやらせている。今の日本政府は国民を「眼で見て頭で考えない世界」に住ませている。国民みんなは『眼で見て頭で考える世界』が好きなのでそんな世界が嫌である。反対に、会社の社長や上役[うわやく]は要領がいいだけの馬鹿なので自分が頭で考えるのが嫌いなので、「眼で見て頭で考えない世界」が好きなので、政府に協力して社員みんなから強制的に税金を取って社員みんなに命令して「眼で見て頭で考えない世界」を作らせている。会社の社長や上役は自分が馬鹿なので、「眼で見て頭で考えない世界」にして馬鹿が利口を支配する社会にしたいのだ。会社の社長や上役は馬鹿なので「ヨーロッパが馬鹿の国だから裕福だ」と思って、国民みんなのためだと思って一生懸命に真剣になって「眼で見るだけで頭で考えない世界」を作っているのだ。馬鹿の国を作っているのだ。本当は『ヨーロッパは馬鹿の国だから見かけをきれいにするだけで科学や産業が嫌いで貧乏なのである。』会社の社長や上役は馬鹿だからヨーロッパを誤解している。政府は会社の社長や上役などの馬鹿を利用して「眼で見て頭で考えない世界」を作らせているのだ。会社の社長や上役は社員みんなのいい迷惑である。いくら会社の社長や上役が会社の中で偉くても、しょせん社長や上役はマイナー(少数派)である。社員みんなは少数派を無視して、少数派を会社から追い出して「眼で見て頭で考えない世界」を作らせないようにしないといけない。みんなで『眼で見て頭で考える世界』に住んで『眼で見て頭で考える世界』の中で自分の心を満足することをやって幸福に暮らさないといけない。
[23956] 国家宗教の神は仕事である。 h30.7.27
国家宗教の神はこの世のことを決める者ではない。国家宗教の神にそんなすごい才能はない。そんなすごい才能があったら国家宗教の神なんかやらずに自分の好き勝手なことをやる。
国家宗教の神は政府が国家宗教をやるために必要な者である。政府が国家宗教をやるために適当な国民を国家宗教の神にしただけである。
政府が政府の外にいる者を勝手に国家宗教の神にして国民に拝ませて国民からお金を取るのは不当である。国家宗教の神だって仕事なのだから、当然政府と契約して政府から報酬をもらって国家宗教の神をやらねばならない。国会議員だって座っているだけでなにもしなくても拝まれる仕事をしているのだから、国家宗教の神もなにもしなくても拝まれる仕事をしていることになる。この段落のこれ以降h30.7.29追加:人によっては相手がはっきりとわからないほうが拝みやすいから、顔出ししない国会議員や国家宗教の神(私のこと)もいたほうがいいのである。科学でははっきりしないといけないが、宗教でははっきりしないほうがいいので、キリストの正体はわからないままなのだ。科学は実在の中でやることなので実在の中でははっきりしなければならないから科学ははっきりしないといけないが、拝むことは実在の外でやることなので実在の外でははっきりしなくてもいいので拝むことははっきりしなくてもいいので、国会議員や国家宗教の神は正体不明でもいいのである。悪いことをされることや拝むことや戦争をすることは実在の外でやることなのではっきりしないほうがいいので、はっきり報道しないようにしてなにをやっているかよくわからないようにしたり嘘[うそ]でごまかしたりするのである。大昔の文化もヨーロッパ文化も実在の外でやることである。今の政府は実在の外で仕事をやっているので国民みんなにちゃんと自分がやっていることを報道せず国民みんなにとってはっきりしないことばかりである。一方、今の国民は実在の中ではっきりと生きている。今の国民と今の政府は違う世界にいる。だから、今の国民は今の政府を無視して相手にせず言うことを聞かずお金をやらなければいいのである。政府が国民に自分の言うことを聞いてもらって国民からお金をもらいたければ国民と同じ世界にいなければならない。今の政府は今の国民と違う世界にいるから国民に無視されて滅ぶのだ。テレビ局や出版社が政府のことをはっきりと言わないのは、政府が実在の外で仕事をしているからである。テレビ局や出版社が政府からお金をもらって真実を隠蔽[いんぺい]しているからではない。政府の仕事が実在の外にあるから、テレビ局や出版社は政府がやっていることを曖昧[あいまい]にしか言わないのだ。実在の中ではっきりと生きているのは日本人だけである。外人は実在の外でチャラチャラ不埒[ふらち]にやっているのだ。外人が本当のことをはっきり言わないのは外人が汚いからではなくそれが外人の文化だからである。外人に悪気[わるぎ]はない。しかし、日本人は外人に気をつけねばならない。/今の政府は実在の外で仕事をやっている。しかし、今の国民は実在の中で生きている。今の国民は大昔の文化やヨーロッパ文化が楽しいほど実在の外で生きていない。今の国民は大昔の文化もヨーロッパ文化もやっていない。テレビ局や出版社は国民みんなのためにある。だから、テレビ局や出版社は国民みんなのために真実をはっきりと報道しないといけない。テレビ局や出版社は本当に政府がやっていることを国民みんなに知らさねばならない。政府が国民に悪いことをやっていることや国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませて民主主義をやっていないことや戦争をさせていることやヨーロッパ文化をやらせていることを知らさねばならない。そうすれば、国民みんなは今よりもずっと幸福に暮らせるだろう。世界には昔から実在の外のことは曖昧に言う習慣がある。しかし、それには国民みんなの同意が必要である。昔の国民は大昔の文化をやっていたから、昔の国民は政府が国民に大昔の文化をやらせることに同意していたから、政府が国民に大昔の文化をやらせていることを曖昧に言っていた。しかし、今の国民は大昔の文化やヨーロッパ文化をやるほど実在の外に出ていない。今の国民は政府が国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせることに同意していない。だから、今の政府が国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせていたら、国民みんなは政府が国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせていることをはっきりと言わねばならない。国民みんなが政府が国民に国民みんなと違う文化をやらせていることを知って、国民みんなで政府を倒さねばならない。ヨーロッパは自分の文化だけでは生き残れないからいやいやながらしかたなくアジア文化を入れて自分の文化を作り変えて実在文化にして文明を発展させて大儲[おおもう]けして生き残ってきた。しかし、ヨーロッパ人はアジア文化が嫌だから頭で考えることが嫌いだから、その後アジア文化を追い出して文明を遅れさせてもとのヨーロッパ文化に戻るのだ。裕福な生活をやめて貧乏な生活に戻るのだ。ヨーロッパが実在文化をやっている時代には、ヨーロッパでは実在がわかる者が上で実在がわからない者が下になって実在がわかる者が増えて実在がわからない者が減るので大勢の人が科学や産業をやって仕事をして国が儲かるのである。反対に、ヨーロッパがヨーロッパ文化をやっている時代には、ヨーロッパでは実在がわからない者が上で実在がわかる者が下になって実在がわからない者が増えて実在がわかる者が減るので大勢の人が科学や産業をやらなくなって仕事をしなくなって国が貧乏になるのである。つまり、善人とは実在がわかる者であり、悪人とは実在がわからない者である。善とは実在がわかることであり、悪とは実在がわからないことである。しかし、日本は自分の実在文化だけで生き残れるからわざわざヨーロッパ文化を入れる必要がない。ヨーロッパ人がアジア文化を入れるのはヨーロッパ文化の改良だが、日本人がヨーロッパ文化を入れるのは日本文化の改悪である。ヨーロッパ文化では人間が眼で見るだけで頭で考えないので、きれいなことや格好[かっこう]がいいことで喜ぶだけで、実在がわからないので科学や産業をやらず仕事が嫌いで物やお金が貧しくて、法律を守らずに悪いことをやる。ヨーロッパ人は実在がわからないから男女の性別すら無視して同性愛をするのである。一方、日本文化つまり実在文化では人間が眼で見て頭で考えるので、便利なことや性能がいいことで喜んで、実在がわかるので科学や産業をやって仕事が好きで物やお金が豊かで、法律を守って善いことをやるのだ。日本は自分の実在文化をひたすらやり続ければいい。日本は自分の実在文化で受け入れられる外国の文化の一部分だけを受け入れたり自分で新しいことを考え出したりして文明を発展させて裕福に暮らせばいい。
例えば、私は政府と契約して政府から報酬をもらって国家宗教の神をやっていないから、政府は私を国家宗教の神にして国民に拝ませて国民からお金(拝み代)を取ってはいけない。
そもそも今の国民は文明が進んで実在の中で生きているので、神を拝む喜びなんかない。今の国民はいくら神を拝んでもちっとも喜びが得られない。だから、今の国民は形だけで神を拝んだりしてはいけない。今の国民は国家宗教の神を拝むために政府にお金を払ってはいけない。国民は政府に税金を払ってはいけない。だから、政府は国家宗教をやめればいい。
政府は国民に国民みんなを拝ませたり政府を拝ませたりしなければいい。政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらさなければいい。政府自身滅んでなくなればいい。
[23957] 政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。☆
h30.7.28
政府は国民に幸福なことをやらせる会社である。政府は国民からお金をもらって国民に命令して国民が幸福になることをさせる会社である。
近代の政府は国民に命令して実在文化や大昔の文化をやらせていた。近代の政府は国民に命令して科学や産業をやらせてよく働かせて物やお金を豊かにしたり、ちゃんと法律や格律を守らせて善いことをさせていた。その一方で、政府は国民からお金を強盗したり国民を事故で殺したり国民を嫌がらせたりして、国民に国民みんなや国家宗教の神や政府を拝ませたり、国民に戦争をさせたりしていた。近代の国民は実在文化や大昔の文化が好きだったので、政府の命令に満足していたので、政府の命令をよく聞いてお礼に政府にたくさんお金をやっていた。
現代の政府は国民に命令してヨーロッパ文化(五感文化)や大昔の文化をやらせている。現代の政府は国民に命令して芸術をやらせて科学や産業をやらせず国民を働かせず物やお金を貧しくしたり、法律や格律を守らせず悪いことをさせている。しかも、政府は近代と同じように、国民に強盗や殺人や嫌がらせをしたり、国民にいろんなものを拝ませたり、国民に戦争をさせたりしている。現代の国民はヨーロッパ文化や大昔の文化が嫌いなので、政府の命令に不満になって、政府の命令を聞かなくなって政府にお金をやらなくなっている。
政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。昔の人は馬鹿だったから自分で自分の心がよくわからず自分で自分の心を満足できなかったから、政府の言うことを聞いて自分の心を満足して幸福に暮らしていた。昔の人にとっては政府は必要不可欠だった。今の人は自分で自分の心を理解して自分の心を満足して幸福に生きねばならないことになっている。今の人にとっては政府は要らなくなっている。だから、今の人は政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのだ。
[23958] ゲルマン民族の大移動 h30.7.29
ドイツ人はヨーロッパ人と中国人の混血である。
イタリア人はヨーロッパ人とインド人の混血である。ギリシア人やイタリア人はヨーロッパ人とインド人の混血である。
近代のヨーロッパではアジア文化を入れていた。ドイツ人がインド文化を入れるために南のイタリアのほうに移動していた。これがゲルマン民族の大移動である。
ヨーロッパは大昔からアジア文化を入れたり出したりして文明が発展したり衰退したりを繰り返してきたのである。その一環としてゲルマン民族の大移動があるのだ。
ローマ帝国が滅亡したのも、ヨーロッパがアジア文化を追い出したためである。ヨーロッパが再興したのも、ヨーロッパがアジア文化を入れたからである。つまり、ローマ帝国を滅ぼしたのは、ヨーロッパ人の“頭で考えるのが嫌いな気持ち”なのである。
[23959] 会社の社長や上役[うわやく]のためにみんなが幸福に暮らせなくなっている。
h30.7.29
今の政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせている。このままでは国民が政府に不幸にされる。だから、国民は政府の命令を聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめねばならない。
しかし、会社の社長や上役は要領がいいだけの馬鹿だから、雰囲気で物を見るだけだから、テレビで政府を見て政府がいい雰囲気なので「政府が善い会社だ」と思って政府の言うことを聞いている。政府の命令で社員みんなに大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせたり社員みんなに政府に税金を払わせている。
会社の社長や上役は要領がいいだけの馬鹿だから、馬鹿は理屈を理解しないから、会社の社長や上役にいくら政府のことを説明しても無駄[むだ]である。毎日酒びたりでボケた頭にわかることなんかない。“馬鹿は死ななきゃ治らない”から、社員みんなで会社の社長や上役を皆殺しにしないといけない。
会社の社長や上役は要領がいいだけの馬鹿である。会社にそんな者は要らない。会社に社長や上役の地位を設けると、必ず要領のいい馬鹿が地位に座る。そのために馬鹿がみんなに命令してまちがったことをやらせるので、みんなが幸福に暮らせなくなる。だから、最初から社長や上役のいない会社にしないといけない。社員みんなに命令する者のいない会社にしないといけない。みんなが平等な会社にしないといけない。
[23960] 人間は実在の中のことははっきり言って実在の外のことは曖昧[あいまい]に言う。
h30.7.30
近代の国民は大昔の文化や実在文化をやっていた。近代の政府は国民に大昔の文化や実在文化をやらせていた。国民は実在の中のことははっきり言って実在の外のことは曖昧に言っていた。国民は自分が実在の外でやっていることが恥ずかしいので隠すために曖昧に言っていた。聖書のアダムとイブが知恵の実を食べて実在がわかるようになって自分が実在の外でやっていることが後ろめたくなって恥ずかしくなって自分の裸を隠すようになったのと同じである。人間が実在を目指して進まねばならないことを人間の心が教えているのだろう。だから、近代の国民は日常生活についてははっきり言って大昔の文化をやっていることだけ曖昧にぼかして言っていた。テレビ局や出版社は国民みんなに合わせて日常生活についてははっきり報道して大昔の文化については曖昧に報道していた。政府が国民に強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやっていることや国民に国民みんなや国家宗教の神や政府などを拝ませていることや戦争をさせていることはわざとにぼかしてよくわからないように言っていた。
現代の国民は今の文化や実在文化をやっている。現代の政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせている。国民は実在の中のことははっきり言って実在の外のことは曖昧に言う。現代の国民はいつでも実在の中にいるからなんでもはっきり言う。テレビ局や出版社は国民みんなに合わせてなんでもはっきり報道しないといけない。政府が国民に強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやっていることや国民に国民みんなや国家宗教の神や政府などを拝ませていることや戦争をさせていることをはっきりと言わないといけない。政府が国民にヨーロッパ文化をやらせて、国民に眼だけで見て頭で考えないようにさせて国民に実在がわからないようにさせて、国民をきれいなことだけで喜ばせて、国民に芸術をやらせて科学や産業をやらさないようにさせて仕事を嫌いにさせて物やお金を貧しくさせて、国民に法律や格律を守らないようにさせて悪いことをさせていることをはっきりと報道しないといけない。
現代の国民はいつでも実在の中にいるからなんでもはっきりと言う。現代の国民はテレビ局や出版社に頼らずに自分で政府が国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせていることをみんなにはっきりと言わないといけない。現代の国民みんなは政府がやっていることをはっきり知っているようにして、政府が自分の気に入らないことをやっているから政府が自分を幸福にしないことをしているから政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
昔は文明が遅れていたため昔の人は実在の外に住んでいて“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”を満足していた。今は文明が進んでいるため今の人は実在の中に住んでいて“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”を満足しなくなっている。それなのに、今の日本政府は国民に悪いことをしたり拝ませたり戦争をさせたりして“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”を満足させている。そのうえ、今の日本政府は国民に下品なヨーロッパ文化をやらせて国民を眼で見るだけで頭で考えない馬鹿に作り変えて国民に下卑[げび]た感性を植え付けようとしている。今の日本政府は国民に「自分は頭で考えなくてもいいから馬鹿になってもいいから性欲を満足してもいい」と思わせて国民に性欲ばかり満足させて国民を眼で見ることとエッチなことしかわからないスケベ馬鹿に変えている。一方、今の国民は眼で見て頭で考えて実在文化をやって幸福に暮らしている。政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて不幸にしている。だから、今の国民は政府の命令を聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。
政府は国民からお金をもらって国民に命令して国民が幸福なることをさせる会社である。政府は国民が自分で考えなくても政府の言う通りにすれば自分の心を満足して幸福に暮らせるようにしてくれる会社である。政府はそうやって国民みんなを政府の言いなりにして支配しようとしている。政府は人間に心があることを利用して、国民に政府の命令で自分の心を満足するようにさせて国民が自分で考えて自分の心を満足しないようにして、国民に自分で考えさせないようにして国民を政府の言いなりにして支配しようとしているのだ。政府は自分が権力が欲しいから、最初のいっとき国民を幸福にして国民に政府の言うことを聞くようにさせて、その後で国民を不幸にして国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を政府の言いなりにしているのだ。しかし、今では文明が進んで国民が頭がよくなって国民が自分で自分の心を理解して自分で自分の心を満足して幸福に暮らせるようになっている。今では国民にとって政府が要らなくなっている。そのために、政府はわざとに国民にまちがった文化をやらせて国民に政府が要らないことに気づかせようとしているのだ。政府は国民に『人間が本音[ほんね]で生きねば幸福になれない』ことを教えようとしているのだ。だから、国民は政府が要らないと考えて、政府の命令を聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
私が生まれた頃(1965年、昭和40年)に、政府は国民みんなを幸福にして共存するか国民みんなを不幸にして支配するかを迷[まよ]っていた。そして、政府は国民みんなを不幸にして支配する道を選んだ。だから、今の政府はわざとに国民みんなに国民みんなを幸福にしない大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせているのだ。政府の言いなりになって大昔の文化やヨーロッパ文化をやっている国民は自分で自分を不幸にしている馬鹿である。今の国民は政府に不幸にされて支配されないために政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
今の政府は国民にヨーロッパ文化や大昔の文化をやらせている。ヨーロッパ文化は一見[いっけん]国民を幸福にしそうでじつは不幸にするし、国民の多くは大昔の文化の存在を知らないから政府が国民に大昔の文化をやらせていることを知らないから、ヨーロッパ文化や大昔の文化は政府が国民を不幸にして国民に「政府が上の者だ」と思わせて国民を政府に従わせるためには都合[つごう]がいいのである。今はまだ国民に自分の意思がある。今はまだ国民が自分の考えで自由に動くことができる。国民は自分が政府の言いなりにされないうちに早く政府を倒さねばならない。国民みんなで国民みんなに国民みんなを不幸にする文化をやらせる会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
[23961] 政府は国民に“国民が幸福になる命令”を売る会社である。☆ h30.7.30
政府は国民に“国民が幸福になる命令”を売って国民からお金をもらって儲[もう]ける会社である。
近代の国民は大昔の文化や実在文化をやると幸福になった。近代の政府は国民に大昔の文化や実在文化をやらせていた。近代の国民は政府の命令を聞いて幸福に暮らしていたので、国民は政府にお金をやって政府は儲かっていた。
現代の国民は今の文化や実在文化をやると幸福になる。現代の政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化(五感文化)をやらせている。現代の国民は政府の命令を聞いて不幸に暮らしているので、国民は政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。
昔の人は馬鹿だったので自分が幸福になるためになにをしたらいいのかわからなかったので、政府の言うことを聞いて政府に自分を幸福にしてもらっていた。今の人は賢くなったので自分が幸福になるためになにをすればいいのかわかるので、政府の言うことを聞かなくてもよくなった。今の人は政府が要らなくなった。
文明が進んで国民みんなが賢くなって自分で自分を幸福にすることができるようになったから、国民みんなが政府よりも賢くなったから、国民みんなは政府が要らなくなったのだ。
h30.7.31これ以降追加:昔の人は自分で自分の心がわからなくて自分で自分の心が満足できなかったから、政府にお金を払って自分の心をわかってもらって自分の心を満足する命令を出してもらって、政府の命令を聞いて自分の心を満足して幸福に暮らしていた。
それと同じように、今の人は自分で政府のことがわからないから、私に政府のことをわからせてもらっている。だから、私の文を読んで政府のことがわかった人はお礼に私にお金を払わないといけない。金額は私が生きていける程度でいい。
今の政府がわざとに国民の心を満足しない命令を出しているのは、政府がそんなことはわかりきっているからまじめにやる気がしないからである。政府がそんなことは国民が自分でやればいいと思っているから、国民に命令を出す仕事を断るためにわざとに国民に明らかにまちがった命令を出しているのだ。だから、国民は自分で自分の心を理解して自分で自分の心を満足すればいい。国民はもはや政府が要らないから政府にお金をやらずに政府を潰せばいい。
昔の人が馬鹿だったように、昔の政府も馬鹿だったから本気で「日本人とヨーロッパ人は心が同じだ」と思って、中世の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせていたのだろう。政府のまちがいのために中世の国民は不幸に暮らさねばならなかった。今の政府も馬鹿だから、今の国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせているのかもしれない。今の政府も本気で「日本人とヨーロッパ人は心が同じだ」とか「人間の心は昔も今も同じだ」と思っているために、今の国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせているのかもしれない。今の国民は政府のまちがいのために不幸に暮らさねばならなくなっている。政府は東大出[とうだいで]だから、東大出はガリ勉だから、ガリ勉はテストで点を取るために自分の心を無視してがむしゃらに勉強するから、人間の心がわかっていないのかもしれない。あるいは、政府が国民に政府がどんな会社かわからなくするために、わざとにまちがった文化をやらせているのかもしれない。政府がわざとにまちがっていようが不本意にまちがっていようが、とにかく今の国民にとって政府は役に立たない。だから、今の国民はさっさと政府にお金をやるのをやめて政府を潰さねばならない。
[23962] 政府は国民がやりたい文化を国民にやらせないといけない。 h30.7.31
日本人は生まれつき『眼で見て頭で考える』ので『実在』が見える。日本人は実在の中で生きて実在の中で自分の心を満足して幸福になる。それが日本人の生き方である。
近代の日本国民は文明が遅れていたので少し実在の外で住んでいたので大昔の文化や実在文化をやりたかった。日本政府は国民に大昔の文化や実在文化をやらせて国民を幸福にしていた。
現代の日本国民は文明が進んだので実在の中でしか住んでいないのでもはや大昔の文化はやりたくなく実在文化しかやりたくない。ところが、日本政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて国民を不幸にしている。
政府は国民がやりたい文化を国民にやらせないといけない。そうすれば国民は政府にお金を払って政府に自分がやりたい文化をやらせてもらう。今の政府は国民に国民がやりたくない文化をやらせているから国民は政府にお金を払わなくなって政府を潰[つぶ]す。
今の政府は国民に国民がやりたくない文化をやらせているから国民からお金がもらえなくなって潰れている。自殺行為である。店は客が欲しい物を売らないといけない。
外国の政府は自分の国の国民性を理解して自分の国の国民を幸福にする文化を国民にやらせている。しかし、日本政府は自分の国の国民性を無視して自分の国の国民を不幸にする時代遅れの文化や外国の文化を国民にやらせている。今の政府は国民がやりたくない文化を国民にやらせている。今の政府は“国民が幸福になる文化をやらせる会社”として無能である。だから、潰れないといけない。
今の日本が面白くないのは、国民が政府の言うことを聞いて大昔の文化やヨーロッパ文化をやっているからである。昔の日本が面白かったのは、国民が政府の言うことを聞いて大昔の文化や実在文化をやっていたからである。日本人は実在文化が好きだから面白かったのだ。今の日本では国民が政府の言うことを聞いて自分にとって面白くない文化をやっているから日本が面白くないのである。だから、国民は政府の言うことを聞かずに自分で考えて今の文化や実在文化をやって日本を自分にとって面白い国にしないといけない。例えば、見栄[みえ]で楽しそうにするのはヨーロッパ文化だからやめねばならない。日本人は実在の中で自分に楽しいことがあったときだけ喜ばないといけない。テレビは眼で見るだけで頭で考えないから日本人はテレビを見てはいけない。
[23963] ヨーロッパは実在の外にある国である。日本は実在の中にある国である。
h30.7.31
実在の中にある国は科学や産業をやって物やお金が豊かで法律を守って善いことをやる。反対に、実在の外にある国は科学や産業をやらず物やお金が貧しくて法律を守らず悪いことをやる。日本は実在の中にある国だから、日本人は科学や産業が好きで裕福で善良なのが好きである。反対に、ヨーロッパは実在の外にある国だから、ヨーロッパ人は科学や産業が嫌いで貧乏で凶悪なのが好きである。日本人とヨーロッパ人は好き嫌いが反対である。だから、日本人はヨーロッパ文化をやってはいけない。日本人は日本文化をやらねばならない。日本人とヨーロッパ人は気が合わない。だから、日本人はヨーロッパ人が嫌いであり、ヨーロッパ人は日本人が嫌いである。相手が自分と同じ世界に住んでいることが自分が相手を好きになることの必要条件である。日本人は『眼で見て頭で考える世界』つまり『実在の世界』に住んでいて、ヨーロッパ人は「眼で見て頭で考えない世界」つまり「見かけだけの世界」に住んでいて、日本人とヨーロッパ人は違う世界に住んでいるから、日本人はヨーロッパ人が嫌いなのである。
ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えないから、ヨーロッパは実在の外にある国である。ヨーロッパ人は芸術が好きで、科学や仕事が嫌いで貧乏で、悪いことが好きである。インド人は眼で見ないで頭で考えるから、インドは実在の外にある国である。インド人は数学が好きで、科学や仕事が嫌いで貧乏で、悪いことが好きである。中国人は眼で見ないで心で思うから、中国は実在の外にある国である。中国人は文学が好きで、科学や仕事が嫌いで貧乏で、悪いことが好きである。でも、中国人は「日本人と中国人が似ている」と考えて日本を真似[まね]て、科学や産業をやって裕福にして、法律を守って善良に暮らしている。はたして中国人は本当に幸福なのだろうか?外人の真似は誰でもできる。問題はそれで自分が幸福になるかどうかだ。
[23964] 政府は国民の評判に踊[おど]らされて自分の仕事を見失ってはいけない。
h30.8.1
政府はもともとは国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社だった。
実際に、近代の政府は国民に命令して大昔の文化や実在文化をやらせて国民を幸福にしていた。
しかし、現代になって文明が進歩して国民が実在の中で暮らすようになって大昔の文化が嫌になった。そのために、政府は国民を不幸にする会社になった。小説やマンガでも「政府が国民を不幸にする会社だ」と盛んに言うようになった。
そのため、政府は「自分が国民を不幸にする会社だ」と思って、国民に大昔の文化やヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて国民に実在文化をやらせなくなって、自分でも実在文化をやめてヨーロッパ文化をやるようになって国民に善いことをしなくなって国民に悪いことだけするようになったのである。
そういうわけで、今の政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にするようになったのだ。今の政府は自分でも実在文化をやらなくなって国民に善いことをしなくなったのだ。
政府はもともとは国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。しかし、今の政府は国民に命令して国民が不幸になることをやらせている。今の政府は“国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社”として失格である。だから、今の国民は政府の命令を聞かないようにして政府に不幸にされないようにしないといけない。今の国民は政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]さないといけない。
今は文明が進んでいるから国民は自分で自分の心を理解して自分で自分の心を満足しないといけない。国民は“国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社”に頼ってはいけない。今の国民は政府の言うことを聞かないようにして、自分で自分が幸福になることをやって幸福に暮らさないといけない。
現代の政府は国民に大昔の文化をやらせることをやめればよかったのだ。現代の政府は国民に実在文化だけをやらせればよかったのだ。ところが、小説やマンガがはっきりと『政府は国民に大昔の文化をやらせるのをやめてくれ』と言わずに「政府が国民に悪いことをして国民を不幸にする」ことばっかり言うから、政府は小説やマンガの言うことを真[ま]に受けて「自分が国民に悪いことをして国民を不幸にする会社だ」と思い込んでしまったのだ。小説やマンガが自分が言いたいことをはっきりと言わないのがいけなかったのだ。日本人は実在文化だから自分が言いたいことをはっきりと言わねばならない。小説やマンガは実在文化ではないから中国文化だから眼で見ずに心で思う文化だから曖昧[あいまい]に言ってしまったのだ。今の政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にしている。政府はもはや手遅れだ。政府はもう直らない。だから、今の国民は政府を倒すしかないのだ。(h30.8.2追加:アホは自分の頭の中で想像ででたらめな世界を作って、その中で自分が幸福に生きている。アホは時代遅れの「心の世界」に生きている。アホは『実在の世界』の中に生きていない。だから、アホはいつもフニャフニャしていて悪気[わるぎ]が多いのだ。私が住んでいる福岡には中国に近いせいかアホが多い。アホばっかりでかためたアホの会社が多い。)
政府はもともとは善い会社である。国民みんなが政府の悪口を言って政府を悪くしたのである。国民みんなが悪い。だから、国民みんなは二度と政府のような“国民に命令を出す会社”を建ててはいけない。
[23965] 音楽はヘッドホンよりもスピーカーで聞くべきである。 h30.8.1
音楽はヘッドホンよりもスピーカーで聞いたほうがいい。それは、スピーカーで聞いたほうが『ステレオ感』が出るからである。音をスピーカーで聞くと右のドライバーから出た音を左の耳で聞き、左のドライバーから出た音を右の耳で聞くから、音に『立体感』が生まれる。それに対し、音をヘッドホンで聞くと右のドライバーから出た音は左の耳で聞こえないし、左のドライバーから出た音は右の耳で聞えないから音に立体感がない。そのために、音が薄っぺらくなる。音が平面的になる。スピーカーで聞くと右耳で聞いた音と左耳で聞いた音を掛け合わせて聞くのに対し、ヘッドホンで聞くと右耳で聞いた音と左耳で聞いた音をただたんに足して聞いているだけである。
要するに、音をスピーカーで聞いたほうが、人間がふだん耳で聞くのと似た状況で聞くことができて音が自然に面白く聞こえる。音をヘッドホンで聞くと、人間がふだん耳で聞くのと全然違う状況で聞くことになるから音が不自然に味気[あじけ]なく聞こえる。
だから、音楽はヘッドホンよりもスピーカーで聞いたほうが楽しく聞けるわけである。音楽はヘッドホンよりもスピーカーで聞いたほうがいい。ヘッドホンはどうしてもスピーカーを使えない非常時にのみ使うべきである。
[23966] スピーカーとヘッドホンとどっちがいいか? h30.8.2
スピーカーは機械的制約が緩[ゆる]いから、いい音が出る。振動板に複雑な電子回路を付けて振動板からいい音を出すことができる。振動板と電子回路がよく合っているからいい音が出る。
一方、ヘッドホンは小さなハウジングに収めないといけないので機械的制約がきついので、いい音が出ない。ハウジングに小さい振動板しか入っていないので、そんな簡単なメカニズムではいい音を出すのが無理である。
だから、いい音を聞きたい人はヘッドホンよりもスピーカーのほうがいい。そのほうがコスパもいい。ヘッドホンはお金がかかる割りにいい音が出ないのでお金の無駄[むだ]である。
ヘッドホンの場合は、そのヘッドホンによく合った電子回路があるプレーヤーと組ませないといけない。そんなことができるのはソニーのヘッドホンとウォークマンだけだ。
h30.8.4これ以降追加:ヘッドホンは格好[かっこう]がいいだけで、性能はスピーカーのほうがいい。音は断然スピーカーのほうがいい。ヘッドホンで聞いてもなかなかいい音は出ない。ヘッドホンは似非[えせ]音楽ファンの部屋の飾りなのだ。日本人は実在文化だから、日本人はもともと音楽は嫌いだ。だから、日本の音楽ファンは似非音楽ファンなのだ。音楽が好きなふりをするな!ヘッドホンは装着感が悪いし音が悪いし、いったいなにがいいんだよ!!私は音楽が好きなわけではなく、右脳を鍛[きた]えるために音楽を聞いているだけだ。
h30.8.5これ以降追加:スピーカーは歴史が古いから技術が完成している。いい音が出る。それに対して、ヘッドホンは歴史が新しいからまだ技術が未完成である。いい音が出ない。だから、いい音を聞きたければ、ヘッドホンよりもスピーカーを買ったほうがいい。
ヘッドホンで一番音がいいのが『アルバナ』じゃ、ほかのヘッドホンはただ音が出ているだけだ。『アルバナ』だってシャリシャリした音が出るだけで、そう大したもんじゃない。ヘッドホンはただ音が出るだけで、いい音は出ないのだ。一方、スピーカーは1万円ぐらい出せばいい音が出るのが手に入る。だから、スピーカーを買ったほうがいい。
[23967] 会社の社長や上役[うわやく]は心主義で生きている。 h30.8.3
会社の社長や上役は自分が偉いから社員に好き勝手に命令を出せることで喜んでいるのだ。『実在の世界』を無視して自分の好き放題に命令を出せることで喜んでいるのだ。会社の社長や上役も「心の世界」に住んでいて「心主義」で生きているのだ。会社の社長や上役は科学のかの字も知らない馬鹿だ。会社の社長や上役は実在のことをなにも知らない子供のままだ。会社の社長や上役は戦前の日本人と同じことをやっているのだ。古臭い。時代遅れの馬鹿だ。
会社の社長や上役は自分の心のままに好き放題にやることが生き甲斐[がい]なのだ。会社の社長や上役は『実在の世界』に生きていない。会社の社長や上役は『実在の世界』の法則を侵[おか]してメチャクチャなことをするだけだ。会社の社長や上役は『実在の世界』をメチャクチャにして壊すだけだ。要するに、会社の社長や上役はアホだ。
会社の社長や上役に自分の好き放題にする特権を与えることがまちがいなのだ。そんな人間はいないほうがいい。だから、会社から社長や上役を追い出せばいい。会社には最初から社長や上役などの役職を設けなければいい。業務以外に他人に命令を出す人間をなくせばいい。税金を取るのは業務上の命令ではないから、社員は上役の命令で政府に税金を払わなくていい。
日本は『実在主義』の国である。国民みんなが『実在の世界』に従って生きている。国民みんなが『実在の世界の中』で生きている。ところが、会社の社長や上役は「自分の心の世界」に生きている。社長や上役は「実在の世界の外」で生きている。社長や上役だけ国民みんなと別の世界に生きている。そんな人間は日本には要らない。だから、会社の社長や上役をなくせばいいのだ。
人間にとっては実在の中で生きるのが善である。実在の外で生きるのは悪である。会社の社長や上役は実在の外で生きているから悪人である。そんな人間は日本にいてはいけない。みんなで会社の社長や上役を皆殺しにしないといけない。
会社の社長や上役は自分の心のままに好き勝手にやるために生きている。会社の社長や上役は自分の眼で見て頭で考えて生きていない。会社の社長や上役は自分の眼で見ずに心で思って生きている。会社の社長や上役はみんなと生き方が違う。そんな者は日本人ではない。だから、日本から追い出さねばならない。
会社の社長や上役は正しいことを聞こうとせず自分の心のままに好き放題にやることが人生の目的なのだ。そんなことを目的にされたらみんなの迷惑である。いい歳こいた大人がアホなことをするな。そんなアホな連中をなくさねばならない。
会社の社長や上役は自分が心主義で生きていてみんなに心主義を植えつけるためにいる。社長や上役は会社を汚い世界にするためにいる。みんなに汚い思想を植えつけるためにいる。そんな人間はいなくなったほうがいい。会社は心主義の人間を育てるための温床[おんしょう]ではない。会社はみんなに心主義を教えるための学校ではない。社長や上役は子供の頃からずっとわがままに育った過保護である。会社の社長も上役も会社の中でしか強くない内弁慶[うちべんけい]である。社長や上役は出来損ないの歪[ゆが]んだ人間である。肩書きで飾ったしょうもないアホである。お高ぶっている下衆野郎[げすやろう]である。社長や上役は自分がアホ(心主義)だとわからないからアホなのだ。自己認識のない馬鹿なのだ。とりあっても無駄[むだ]である。社長や上役は心主義だから実在の外で生きているから『実在においては人間がみな平等である』ことを犯して「自分が偉くなりたい」から会社の中で自分で自分を「上の者」にしているだけだ。誇大妄想狂だ。会社は誇大妄想狂の患者の面倒をみるためにある精神病院ではない。だから、社員みんなの力で会社から社長や上役をなくさねばならない。
[23968] 今の政府はテレビやマンガの見すぎで心主義になって実在を見失って自分の仕事がわからなくなって国民を幸福にしなくなっている。
h30.8.3
政府は国民からお金をもらって国民に命令して国民に幸福になることをさせる会社である。
中世の頃はまだ文化人類学がなかったから、中世の政府は古代の国民がヨーロッパ文化をやって喜んでいるのを見て「日本人とヨーロッパ人は心が同じだ」と思って国民にヨーロッパ文化をやらせ続けた。そのために、中世の国民は自分の心を満足できなくなって不幸に暮らさねばならなかった。それは学問の遅れのせいだからしかたがない。昔は医学が遅れていたために医者がとんでもないことをやって大勢の人間を殺していたのと同じである。
しかし、現代はすでに文化人類学がある。みんなが昔の文化や世界中の文化について知っている。みんなが今の文化と大昔の文化が違うことや日本文化とヨーロッパ文化が違うことを知っている。それなのに、現代の政府は現代の国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせている。今の政府はわざとに今の国民に国民を幸福にしない文化をやらせて国民を不幸にしている。
現代の政府は『自分が国民を幸福にする命令を出す会社である』ことを忘れてまちがったことをやっている。現代の政府は「自分が国民よりも偉くなりたい」と思って国民のために仕事をするのをやめて国民を自分の好き放題にしている。現代の政府はテレビやマンガの見すぎで心主義になって実在の外で生きているようになって『実在においては人間がみな平等である』ことを犯して「自分が国民よりも偉くなりたい」と思って自分で自分を「上の者」にするために、国民のために仕事をするのをやめてわざとに国民にまちがったことをやって国民を不幸にしている。会社の社長や上役が自分が「上の者」になりたいために、社員にわざとに悪いことをするのと同じである。
今の政府は国民を幸福にする会社ではない。だから、今の国民は政府の命令を聞かなければいい。今の国民は政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいい。
会社の社長や上役は能無しのボンクラである。能無しのボンクラの喜びは「自分が上の者になる」ことだけである。昔はみんながマゾで拝むのが好きだったから、みんなが会社の社長や上役に虐[いじ]められて会社の社長や上役を拝んで喜んでいた。しかし、今ではみんながマゾでなくなって拝むのが嫌いになったから、会社の社長や上役はみんなを喜ばせることがなくなった。今の社長や上役は「自分が上の者になる喜び」しかなくなった。そのために、社長や上役は「自分が上の者になる喜び」を満足するために社員に悪いことをするのである。今の政府も「自分が上の者になる」喜びに取り付かれて「自分が上の者になる」ために国民に悪いことをやっている。今では文明が進んで国民が利口になって国民が自分で自分の心がわかるようになって自分で自分の心を満足できるようになって政府が国民の役に立たなくなったから、政府が『国民の役に立つことをする喜び』が満足できなくなったから、政府は「自分が国民よりも上の者になる喜び」を満足するために国民にわざとにまちがった文化をやらせて国民に悪いことをするようになったのだ。今の会社の社長や上役や政府は役立たずである。今の会社の社長や上役や政府は「自分が上の者になる喜び」を満足するために生きているだけの要らない人間である。だから、みんなで会社の社長や上役や政府を倒して会社の社長や上役や政府を葬[ほうむ]り去らねばならない。
今の社長は代表取締役と名前を変えて生き残ろうとしている。朝三暮四だ。社長そのものが要らないのだ。だから、社長も代表取締役も両方とも要らない。社員みんなは社長も代表取締役も両方とも会社から追い出さねばならない。
[23969] 今の政府がやっているのは仕事ではない。☆ h30.8.3
政府はそもそも国民からお金をもらって国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。
昔は文明が遅れていたから国民が自分の心が自分でわからず自分で自分の心を満足することができなかったので、政府にお金を払って政府に命令を出してもらって政府の命令を聞いて自分の心を満足して幸福に暮らしていた。政府は『国民の役に立つ喜び』を満足して幸福に仕事をやっていた。
しかし、今は文明が進んでいるから国民が自分の心が自分でわかって自分で自分の心を満足するようになっているから、政府は国民のためにやれることがなくなった。政府は『国民の役に立つ喜び』を満足できなくなった。そのため、今の政府は「自分が国民よりも上の者である喜び」を満足するようになった。政府は「自分が国民よりも上の者である喜び」を満足するために、今の国民に大昔の文化やヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて国民を不幸にするようになったのである。
今の政府がやっていることは仕事ではない。今の政府がやっていることは自己満足にすぎない。オナニーにすぎない(昔タモリがテレビで「オナニー」と言っていたのはそのためである)。つまり、今の政府がやっていることは国民を幸福にすることではない。今の政府がやっていることは政府自身を幸福にすることにすぎない。だから、今の国民は政府にお金を払う必要はない。今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒さなければならない。
人間にとっては、特に日本人にとっては、実在の中にいることが善であり、実在の外にいることが悪である。実在の中にいて実在の中にある喜びを満足することが善であり、実在の外にいて実在の外にある喜びを満足することが悪である。『実在においては人間はみな平等である』から、「自分が上の者である喜び」は実在の外にある喜びである。今の政府は実在の外にいて実在の外にある喜びを満足している。今の政府は悪である。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。この世から悪をなくすために、政府を倒さねばならないのだ。
[23970] アメリカと日本では文化が違う。 h30.8.3
アメリカは悪いことをやってもいい国だから、政府が国民を平気で殺している。しかし、日本は悪いことをやってはいけない国だから、政府が国民を殺してはいけない。(もっとも、昔は国民がマゾだったから、政府が国民に悪いことをしてもよかった。)
アメリカと日本は文化が違う。だから、アメリカと日本ではやっていいことややってはいけないことが違う。世界には国境があるから、国によって決まりが違うのだ。
アメリカにも「悪いことをやってはいけない法律」はあるが、アメリカではみんなが法律を守らなくてもいいのだ。だから、アメリカではみんなが自由に悪いことがやれるのだ。政府が国民を殺してもいいし、国民が政府を殺してもいいのだ。ただし、アメリカにも決まりがある。それは「みんながきれいにしなければならない」ことだ。それを犯した者は死刑だ。日本人にとってアメリカは住みにくい国だ。生きた心地[ここち]さえしない国だ。
アメリカもヨーロッパと同じ白人の国である。アメリカはヨーロッパ文化の国である。ヨーロッパはときどきアジア文化を入れて実在文化をやっているから多少は実在のことがわかるから法律を守る習慣がある。しかし、アメリカはアジア文化をまったく入れないからヨーロッパ文化のままだから実在文化をやらないから、みんなが実在のことがわからないから法律を徹底的に守らないのだ。アメリカでは一部の学者が眼で見て頭で考えて実在がわかって科学をやって法律を守るだけで、ほかのみんなは眼で見るだけで頭で考えないから実在がわからなくて科学をやらなくて法律がわからなくて法律を犯し放題なのだ。つまり、アメリカはガラの悪いヨーロッパなのだ。
[23971] 今では政府や会社の社長や上役は要らない物である。 h30.8.4
政府はもともとは国民からお金をもらって国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社だった。
昔は国民が自分で自分の心がわからず自分で自分の心を満足できなかったので、政府にお金を払って政府に命令を出してもらって政府の命令を聞いて幸福に暮らしていた。政府は国民に命令して国民が幸福になる文化をやらせて国民からお金をもらっていた。
しかし、今は国民が自分で自分の心がわかって自分で自分の心を満足できるので、わざわざ政府にお金を払って政府の命令を聞かなくてもよくなった。政府は国民のためにやることがなくなったので、「自分が上の者になる喜び」を満足するために国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にしている。
それと同じように、会社の社長や上役はもともとは社員からお金をもらって社員に悪いことをしたり社員に拝まれたりする役職だった。
昔はみんながマゾだったし拝むのが好きだったので、会社の社長や上役にお金をやって悪いことをしてもらって会社の社長や上役を拝んで喜んでいた。
しかし、今はみんながマゾでなくなったし拝むのが嫌いになったので、会社の社長や上役は社員のためにやることがなくなった。会社の社長や上役は「自分が上の者になる喜び」を満足するために社員に悪いことをして社員を不幸にしている。
今では政府や会社の社長や上役は要らない物である。今では政府や会社の社長や上役は仕事がないから、「自分が上の者になる喜び」を満足するためにみんなに悪いことをやって遊んでいるのである。今のみんなにとって政府や会社の社長や上役は要らない。だから、みんなで政府や会社の社長や上役にお金をやるのをやめて政府や会社の社長や上役をなくさねばならない。
[23972] 昔の政府は大雑把[おおざっぱ]に仕事をしていた。 h30.8.4
政府は国民からお金をもらって国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。
昔は文化のことがよくわからなかったので、政府は国民に大雑把にヨーロッパ文化をやらせるかアジア文化をやらせるかどちらかだった。昔は日本人が独特の文化を持った民族であることがわからなかったので、政府は国民にヨーロッパ文化をやらせるかアジア文化をやらせるかどちらかひとつだったのだ。そのため、昔の日本人は自分に合わない文化をやってあまり幸福には暮らせなかった。
今は文化のことがよくわかっている。日本人は眼で見て頭で考える実在文化であることがわかっている。日本文化はヨーロッパ文化でもアジア文化でもない独特の文化であることがわかっている。今では国民が自分の文化のことがわかって自分で自分の文化をやって自分を幸福にすることができる。今の国民は政府が要らなくなっている。そのために、今の政府は仕事がなくなって、わざとに国民に国民が不幸になる文化をやらせて国民を不幸にして遊んでいる。だから、今の国民は政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。
昔は国民が自分で自分の心がわからず自分で自分の心を満足することができなかったので、政府にお金をやって政府に命令を出してもらって政府の命令を聞いて政府に自分の心を満足してもらって幸福に暮らしていた。しかし、昔は文化のことがよくわからなかったので、政府は国民に必ずしも適切な文化をやらせることができなかった。政府は国民にまちがった文化をやらせて国民を不幸にしていた。昔は文化のことがわからなかったので、政府が国民にまちがった文化をやらせてもしかたがなかった。政府はけっして国民を騙[だま]して儲[もう]ける悪徳業者ではなかったのである。今では文化のことがよくわかっているので、国民は自分で自分を幸福にする文化をやることができる。今の国民は幸せだ。今の国民は政府が要らないから、早く政府をなくさねばならない。
今の政府はわざとに国民にまちがった文化をやらせて国民に政府がまちがっていることに気づかせようとしている。国民に政府が要らない会社であることをわからせようとしている。そういうのを反面教師というのである。だから、今の国民は『政府が要らない会社だ』と考えて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいいのである。
昔は日本が小さい国に分かれていた。日本中に小さい政府があった。日本人は見た目がアジア人に似ているので、日本中の政府が日本人にアジア文化をやらせていた。そのため日本人はあまり幸福に暮らせなかった。しかし、宮崎県の山奥の政府だけが日本人にヨーロッパの実在文化をやらせた。宮崎県の政府は偶然に日本人の心を捉[とら]えたので、日本中に勢力を拡大した。そうやって日本政府が誕生したのだ。しかし、その後、日本政府は「日本人とヨーロッパ人が心が同じだ」と誤解して国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にすることになった。昔は文化がわからなかったので、政府はなかなかうまくいかなかったのだ。
中世の国民は『アジア文化があまり面白くない』ことをあらかじめ知っていたので、幕府がなかなか建たなかったのだ。合間に政府が国民に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて『ヨーロッパ文化が面白くない』ことをみんなに知らしめたので、国民は『ヨーロッパ文化よりもアジア文化のほうがマシだ』ということを認めて最後にしぶしぶ幕府を建てたのだ。近代に政府が国民に善いヨーロッパ文化(実在文化)をやらせると、国民は『ヨーロッパ文化のほうがやっぱり面白い』と思って実在文化をやるようになったのだ。しかし、本当は善いヨーロッパ文化はヨーロッパ文化ではなく、ヨーロッパ文化とアジア文化が合体して出来た別の文化である。日本人はヨーロッパ人とアジア人の混血なのでヨーロッパ文化とアジア文化が合体して出来た実在文化が面白いのだ。ふだんのヨーロッパ文化は悪いヨーロッパ文化(五感文化)である。今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて国民を不幸にしている。だから、国民は政府の言うことを聞かないようにして悪いヨーロッパ文化をやらないようにして、政府にお金をやらないようにして政府を倒して、自分で実在文化をやって自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。実際に、今の日本ではすでに国民が自分で考えてそうしている。国民が自分で眼で見て頭で考えて実在がわかるようにして、科学や産業をやって便利で性能のいい物を作って、自分で法律や格律を守って、自分が幸福に暮らせるようにしている。一方、政府は国民に命令して国民が眼で見るだけで頭で考えないようにさせて見かけしかわからないようにして実在がわからないようにして、格好[かっこう]がいいだけで性能が悪い物を作らせて、国民に法律や格律を守らないようにさせて、国民が幸福に暮らせないようにしている。今では国民が自分で自分を幸福にして、政府が国民を不幸にしている。今の国民にとって政府は要らない。だから、今の国民は政府をなくせばいいのだ。
今の政府も中世の政府と同じように「日本人とヨーロッパ人は同じ心だ」と思って、今の国民を幸福にするために一生懸命に今の国民に悪いヨーロッパ文化をやらせているのかもしれない。一方、今の国民は『日本人とヨーロッパ人は違う心であり、日本人は実在文化をやれば幸福に暮らせる』ことを知っている。今では国民のほうが政府よりも自分の心をよく知っている。今の政府は国民を他人[たにん]だと思って国民のことを他人事[ひとごと]だと思って文化のことをろくすっぽ勉強せずに国民にいいかげんな文化をやらせているのだ。今の政府は仕事の努力をしていない。国民はもうそんな会社は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやるのをやめて政府を潰せばいいのである。
今の政府が国民にまちがった文化をやらせるから、国民は自分で文化をやったほうがマシなのだ。国民は自分で正しい文化をやったほうがいいのだ。(政府にヨーロッパ文化をやらせてもらって喜んでいるのは不良だけである。眼で見ることしかわからず頭で考えるのが嫌いな馬鹿だけである。今の政府は馬鹿の不良を喜ばせる団体である。例えば、女は眼で見ることしかわからず頭で考えるのが嫌いだから政府を支持している。やはり女は人間ではない。)今の政府が国民にまちがった文化をやらせるから、今の国民にとっては政府が要らない。今の国民は政府の命令が要らないから政府にお金をやらなければいい。政府を潰せばいい。
[23973] 政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。
h30.8.5
政府は国民からお金をもらって国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。
実際に、近代の政府は国民からお金をもらって国民に命令して国民に大昔の文化や実在文化をやらせて国民が幸福になることをやらせていた。
しかし、現代の政府は国民からお金をもらって国民に命令して国民に大昔の文化やヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて国民が不幸になることをやらせている。今の政府は国民に『政府が国民からお金をもらって国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である』ことが知られないようにするために、わざとに国民が不幸になることをやらせているのだろう。政府にとっては『政府が国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である』ことを国民に知られるのが最大の弱点なので、政府は国民が幸福になることをやらせないことによって国民に自分の弱点を知られないようにしているのだ。
今の政府は国民に命令して国民が不幸になることをやらせている。だから、今の国民は政府にお金を払って政府に命令を出してもらわなくてもいい。今の国民は政府にお金(税金や消費税や保険料など)を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。
今の政府はまじめに『国民に命令して国民が幸福になることをやらせる仕事』をやっていない。政府がまじめに仕事をやっていないなら、国民も政府にまじめにお金を払わなくていい。だから、今の国民は政府にお金をやらなければいいのだ。
おまけ:私は国家宗教の神である。私が関与しているのは、政府がやっている「大昔の文化」の中の「国家宗教」の部分だけである。そもそも国民にどんな文化をやらせるかは政府が決めることである。国家宗教の神が決めることではない。国家宗教の神がやることは、国家宗教の神を拝みたい者に拝まれることだけである。人間が国家宗教の神を拝んでも実在においてはなんにもならない。ただ“国家宗教の神を拝む喜び”のある人が国家宗教の神を拝むと喜びが得られるだけである。今の政府が国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせているのは、政府が勝手に決めたことであって私のせいではない。だから、文句がある人は私ではなく政府に言わねばならない。
人間の心には“財産を奪われる喜び”や“殺される喜び”や“嫌がらされる喜び”や“国民みんなを拝む喜び”や“国家宗教の神を拝む喜び”や“政府を拝む喜び”や“戦争する喜び”などの悪い喜び(いわゆる『ビックリマン』の7魔極[まきょく])がある。実在の外にある喜びがある。それらの悪い喜びを満足するために政府が生まれたのだ。昔の人は文明が遅れていたために実在の外で生きていたから実在の外にある喜びを満足していた。今の人は文明が進んだために実在の中で生きているから実在の外にある喜びを満足しなくなった。(『ビックリマン』の天聖門は実在の外と中を隔[へだ]てる門なのだ。昔の人は実在の外にいたから悪い喜びを満足していた。魔肖ネロ[ましょうねろ]がみんなの悪い喜びを満足していた。今の人は実在の中にいるから悪い喜びを満足しなくなったのだ。魔肖ネロが要らなくなったのだ。)だから、今では政府は滅ぶべきである。しかし、今でも政府は生きている。今の国民が政府のことを理解していないために政府が生き残っているのだ。政府は国民が政府についての理解がないことを利用して生き続けているのだ。いつまでもこのままではいけない。このへんで、国民は政府のことをちゃんと理解して政府を倒さねばならない。
今の政府はまちがった文化人類学をやる学会なのだ。そのため、今の政府は「昔の人と今の人は心が同じだ」とか「日本人とヨーロッパ人は心が同じだ」とまちがった仮説を立てて、今の国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせているのだ。しかし、本当は『昔の人と今の人は心が違う』し『日本人とヨーロッパ人は心が違う』のだから、今の国民は大昔の文化やヨーロッパ文化をやってはいけない。国民みんなでまちがった文化人類学をやる学会(政府のこと)を倒して、正しい文化人類学をやって幸福に暮らさねばならない。
理由はどうであれ、仕事の上ではまちがいをやってはいけない。今の政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にしている。今の政府はまちがったことをやっている。だから、政府は潰れねばならない。国民は政府を潰すために政府にお金をやってはいけない。
[23974] テストでいい点を取るのはバカである。 h30.8.8
今の日本政府はまちがった文化人類学の団体である。今の日本政府は「今の国民と昔の国民は心が同じだ」とか「日本人はヨーロッパ人と心が同じだ」とまちがった仮説を立てて、国民に大昔の文化(悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりして喜ぶ文化)や悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせている。
しかし、本当は『今の国民と昔の国民は心が違う』し『日本人とヨーロッパ人は心が違う』から、国民は今の文化や日本文化(実在文化)をやらねばならない。そうすれば、国民は幸福になれる。
今の日本政府が国民にまちがった文化人類学をやらせているのは、日本政府が馬鹿だからである。日本政府は東大卒である。東大はテストの点がいい。テストの点がいいのは馬鹿である。だから、東大は馬鹿である。日本政府は馬鹿である。だから、今の日本政府はまちがった文化人類学を信じて、国民にまちがった文化人類学をやらせているのである。
テストでは眼で見て指を動かせばいいだけである。テストは眼で見て他人の正解を書き写せばいいだけである。テストは頭で考えずに眼で見れば解ける。テストは眼で見て頭で考えない者が有利である。だから、テストの点がいい者は眼で見るだけで頭で考えない馬鹿なのである。政府は国民みんなにテストをやらせて“テストでいい点を取る者が有利な世界”にして、眼で見るだけで頭で考えない馬鹿をいい待遇にさせているのである。
日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるように出来ている。日本人は実在が見える。日本人は実在の世界で暮らすのが幸福である。眼で見て頭で考える者はテストが得意ではない。日本人はテストが苦手である。だから、日本人はテストの点にこだわらずに、自分が眼で見て頭で考えて実在の世界で幸福に暮らせばいいのである。日本人はテスト勉強なんかせずにテストの点なんか無視して、自分が眼で見て頭で考えたことを言葉に書いて実在の世界についての理解を深めて実在の世界で暮らせばいいのである。
[23975] 日本人は「頭で考えるのが嫌い」ではない。 h30.8.9
今の人は「自分が頭で考えるのが嫌い」だから、眼先で見ることばかりやっている。わざとにバカ語を使ったり、格好[かっこう]をつけたり、他人が格好をつけないのを咳払い[せきばらい]して攻撃したりする。
しかし、本当に「自分が頭で考えるのが嫌い」なのだろうか?誰かにそう思わされているだけなのではないだろうか?
日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるように出来ている。日本人は『眼で見て頭で考えるのが好き』である。眼で見て頭で考えると実在が見えるから、日本人は実在を見るのが好きである。日本人は実在が好きである。日本人は実在の世界で暮らすのが好きである。日本人は実在の世界で暮らすと幸福になるように出来ている。
今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせるために「自分が頭で考えるのが嫌いだ」と思わせている。今の政府は国民に科学や数学や文学をやらせず美術をやらせている。今の政府はまちがった文化人類学の団体だから、国民にまちがった文化人類学を押し付けるために国民に科学や数学や文学をやらせずに美術をやらせているのである。そのために、今の国民は自分の本心が満足できず喜びが得られず不幸に暮らさねばならなくなっている。今の国民はきれいなことで喜んでいるふりをして本当は全然喜ばず喜びが得られなくなっている。不幸に暮らさねばならなくなっている。
今の国民は政府の言いなりになってはいけない。今の国民は政府に従って悪いヨーロッパ文化をやってはいけない。今の国民は自分の本心を満足するために日本文化つまり実在文化つまり善いヨーロッパ文化をやらねばならない。今の日本人は眼先の世界で暮らすのではなく眼で見て頭で考える世界つまり実在の世界で暮らさねばならない。そうすれば、日本人は本当に幸福になれる。
今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせるために「この前の戦争で頭のいい日本人が大勢死んだ」と言って国民に頭で考えさせないようにしている。しかし、今の国民の両親は日本人である。戦争はいっときだけのことだから大きな影響はない。だから、今の日本人は昔の日本人と同じである。『眼で見て頭で考えるのが好き』である。『実在の世界で暮らすのが好き』である。だから、今の国民は政府の嘘[うそ]に騙[だま]されないようにして、自分の眼で見て頭で考えて実在の世界で暮らして実在の世界の中で自分の心を満足して自分の本心を満足して幸福にならねばならない。
[23976] 実在の世界がわかるのは日本人だけである。 h30.8.9
『人間は実在を眼で見て頭で考えて実在を理解して、実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らせばいい。』
ただし、それができるのは日本人だけである。ヨーロッパ人は眼で見ることしかできず、インド人は頭で考えることしかできず、中国人は心で思うことしかできないから、外人は日本人のように眼で見て頭で考えることができない。外人は実在の外で暮らすのが幸福で、実在の中で暮らすのが幸福なのは日本人だけである。
今の日本政府は日本人に悪いヨーロッパ文化を押し付けて眼で見るだけで頭で考えないようにさせている。今の日本政府は日本人に日本人が幸福に暮らせない世界を押し付けて日本人を不幸にしている。
今の日本政府は文化人類学がわかっていないから、国民にまちがった文化をやらせているのだ。
今の日本国民は政府の言うことを聞かずに自分が幸福になる文化をやって幸福に暮らさねばならない。今の日本国民は日本文化をやって実在文化をやって実在の世界の中で幸福に暮らさねばならない。今の日本政府は国民にまちがった文化を押し付けるから、今の国民にとっては日本政府が邪魔[じゃま]だから、国民みんなで早く政府を倒さねばならない。今の国民は政府にお金をやるのがもったいないから政府にお金をやらないようにして自分が持っておけばいい。今の国民は実在文化の世界を作るためにお金を使えばいい。
[23977] 今の外国の政府は国民に命令して国民が幸福になる文化をやらせている。☆
h30.8.10
今のヨーロッパ人は文明が進んだので大昔の文化をやっていない。今のヨーロッパ人はヨーロッパ文化つまり眼で見て頭で考えない文化をやっている。そのため、今のヨーロッパ政府は国民に命令して、町や人をきれいにさせて、科学や産業をやらず、悪いことをやってもいいようにしている。ときどき政府自身も国民に悪いことをやる。例えば、事故を起こして国民を殺したりする。ヨーロッパ人はヨーロッパ政府がしていることに満足しているから、ヨーロッパ政府の命令を聞いてヨーロッパ政府に税金を払っている。
今のアメリカ人は文明が進んだので大昔の文化をやっていない。今のアメリカ人はアメリカ文化つまり眼で見ずに頭で考える文化をやっている。そのため、今のアメリカ政府は国民に命令して、町や人を汚くさせて、科学や産業をやって、悪いことをやってもいいようにしている。ときどきアメリカ政府自身も国民に悪いことをやって事故を起こして国民を殺したりしている。アメリカ人はアメリカ政府がしていることに満足しているから、アメリカ政府の命令を聞いてアメリカ政府に税金を払っている。(アメリカはヨーロッパ人がベースになってその上にアジア人が加わって国が出来ている。だから、アメリカ文化はヨーロッパ文化に似ているが、ちょっとアジア文化でもあるのだ。アメリカでは仕事ではアジア人とヨーロッパ人が協力して眼で見て頭で考えて実在がわかって科学や産業をやるが、仕事以外ではアジア人とヨーロッパ人が協力せず頭で考えるだけか眼で見るだけだから実在がわからないから法律を犯して悪いことをするのだ。アメリカではアジア人が頭で考える仕事をやって、ヨーロッパ人がアジア人の下で眼で見る仕事つまり肉体労働をしているのだ。ヨーロッパ人は見かけが白いだけで中身はアフリカ人だからそうなるのだ。)
今の中国人は文明が進んだので大昔の文化をやっていない。今の中国人は中国文化つまり眼で見ずに頭で考えずに心で思う文化をやっている。そのため、今の中国政府は国民に命令して、町や人を汚くさせて、科学や産業をそこそこやって、そこそこ善いことをさせている。中国政府はヨーロッパ政府やアメリカ政府のように国民に悪いことをしていない。中国人は中国政府がしていることに満足しているから、中国政府の命令を聞いて中国政府に税金を払っている。
今のインド人は文明が進んだので大昔の文化をやっていない。今のインド人はインド文化つまり眼で見ずに頭で考える文化をやっている。そのため、今のインド政府は国民に命令して、町や人を汚くさせて、科学や産業をやらず、そこそこ悪いことをさせている。インド政府自身も自分で国民に悪いことをやって、事故で国民を殺したりしている。インド人はインド政府がしていることに満足しているので、インド政府の命令を聞いてインド政府に税金を払っている。
このように、世界中の政府が国民に命令して国民が幸福になることをやらせている。
それなのに、今の日本政府は日本人に命令して日本人が幸福になることをやらせていない。今の日本人は文明が進んだので、大昔の文化をやめている。今の日本人は日本文化つまり眼で見て頭で考える文化をやっている。それなのに、今の日本政府は国民に命令して大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせて、政府に悪いことをされたり拝ませたり戦争をさせたりして、町や人をきれいにさせて、科学や産業をやらせず、悪いことをさせている。日本政府は自分でも国民に悪いことをして事故を起こして国民を殺したりしている。今の日本人は日本政府がしていることに満足していないのに、日本政府の命令を聞いて日本政府に税金を払っている。
そもそも政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。税金は政府が国民に命令して国民を幸福にしたことに対する報酬である。外国の政府は国民に命令してちゃんと国民が幸福になることをやらせているから、国民が政府の命令を聞いて政府に税金を払っている。しかし、日本の政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせていないから、国民が政府の命令を聞いて政府に税金を払う必要はない。今の日本は国民と政府の関係については世界最悪の国である。今の日本国民は政府の尻[しり]に敷かれる必要はない。今の日本国民は政府の命令を聞かないようにして政府に税金や保険金などをやらないようにして政府を倒せばいいのである。
今の日本政府が国民にまちがったことをやらせているのはわざとかもしれないしわざとでないのかもしれない。しかし、わざとであろうがなかろうがとにかく日本政府が国民にまちがったことをやらせているのはいけない。だから、今の日本国民は政府の命令を聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。
[23978] 今の政府は国民に自分を潰[つぶ]してもらうために国民にケンカを売っている。
h30.8.11
政府はもともとは国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。政府はその報酬として国民から税金をもらう。
しかし、今では国民が文化人類学に対する理解を持つようになって、国民が自分で自分を幸福にするようになって、国民にとって政府が要らなくなっている。今ではみんなが『人間が自分の眼で見て頭で考えて実在を知り、実在の中で自分の心を満足して幸福になる』と思っていることがその証拠である。ゲームの必勝法がわかったらゲームがおしまいなのと同じことである。そのために、今の政府はヤケクソになって国民に命令して国民に大昔の文化やヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて国民が不幸になることをやらせるようになっているのである。今の政府は国民に自分を潰してもらうためにわざとに国民を不幸にしているのである。だから、今の国民は政府に税金や保険金を払わないようにして政府を潰せばいいのである。
今の国民が幸福に暮らせるのは国民の多くが自分で実在文化をやっているからである。政府や政府に従う国民は大昔の文化やヨーロッパ文化をやってみんなを不幸にしている。今の国民が幸福なのは国民の多くが国民を幸福にしているからであり、政府は国民を不幸にしているだけである。だから、今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府を倒せばいいのである。今の政府に従う国民は不良と女だけである。頭で考えるのが嫌いな馬鹿が政府を支持しているだけだ。頭で考えるのが嫌なヤツは、自分が政府に殺されるほうが自分が頭で考えるよりもマシだから今の政府を支持しているのだ。大した連中ではない。ゴミみたいな連中だ。だから、国民は政府に従う国民を無視して政府を倒せばいいのである。(不良や女は眼だけひんむいて相手の格好[かっこう]だけを見て善い人か悪い人かを決めている。不良や女は眼で見るだけで頭で考えないから、不良や女にとっては見かけがすべてなのである。不良や女は性欲に支配されていて大脳の新皮質が性欲のために抑制されていて働かないから馬鹿なのである。不良や女は性欲と眼で見る喜びしかない生き物なのだ。)
今の日本政府は日本人みんなを馬鹿の不良にして日本人を科学や産業をやらない貧乏人にして日本人を皆殺しにする団体である。政府は『愛の戦士レインボーマン』のシネシネ団のことである。(当時は日本人は実在文化つまり善いヨーロッパ文化をやっていてアジア文化が敵だったから、シネシネ団を東南アジア出身の団体にしたのだ。当時の日本政府は大昔の文化で国民に悪いことをやって実在文化で国民に善いことをしていて、善と悪の両面があったから、日本政府を悪の団体に喩[たと]えることができたのだ。)だから、日本人は日本政府と戦って日本政府を倒さねばならない。(ついでに『新世紀エヴァンゲリオン』の使徒も、今の日本政府が国民にヨーロッパ文化をやらせて日本を攻撃していることの言い換えである。使徒は本来は私が嫌いな物のことだが、ヨーロッパ文化という意味も持たせているのだ。ネルフが私を神とする国家宗教のことであり(ネルフ←ネフル←川ブ(ネ≒川、ル≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私のことで、シンボルマークのイチジクの葉っぱは、私が小学生の頃高知市朝倉若草町の県営住宅に住んでいたときに庭にイチジクの木を植えていたからである)、ゼーレが国家宗教のことであり、ゲヒルンが日本政府のことだから、ゲヒルンが使徒を生み出して日本を攻撃させているのだ。人類補完計画は政府が国民に実在文化をやらせて国民を眼で見て頭で考えて実在がわかる人間にすることである。政府は口先で人類補完計画をやっているふりをして本当はやっておらず、実際には国民にヨーロッパ文化ばかりやらせて国民を眼で見るだけで頭で考えない動物にしているのだ。)
それと同じように、会社の社長や上役はもともとは社員に大昔の文化をやらせるためにある役職である。会社の社長や上役は社員からお金を奪ったり社員を殺したり社員に嫌がらせをしたり社員に拝まれるためにある役職である。昔の人は悪いことをされたり拝んだりすることによって喜びを得ていたので、昔はそんな役職があったのだ。
しかし、今では国の文明が進んで国民が大昔の文化で喜ばなくなったので、国民にとって会社の社長や上役は要らなくなっている。そのために、今の会社の社長や上役はあいかわらず社員に悪いことをして社員を不幸にしている。今の会社の社長や上役は社員に自分を潰してもらうために社員を不幸にしている。だから、今の社員は会社の社長や上役に自分の稼[かせ]ぎをやらないようにして会社の社長や上役を潰せばいいのである。会社には仕事の上の命令を出す者だけいるようにすればいいのだ。
(私は子供の頃に親に連れられてよくお墓参りに行ったが、私の目から見ると『ただの石を見に行っている』としか思えなかった。ところが、私の父親は「お墓参りをして先祖を拝むと自分の心が落ち着く」とうれしそうに言っていた。私には私の父親がキチガイにしか思えなかった。昔の人と今の人では住んでいる世界が違うのだ。)
[23979] 三つ子の魂百まで h30.8.12
“三つ子の魂百まで”というから、今でも年寄りはマゾで拝むのが好きで戦争が好きで大昔の文化をやっているままだから、政府が大昔の文化を国民にやらせているのを見て「政府が国民を幸福にしている」と思っているのだ。(だから、『天才バカボン』に“老人の友”なんていうネタがあるのだ。政府が老人に支持されているのだ。)
会社でも町内会でも年寄りが幅を利[き]かせている。年寄りが団体の意思を決めている。年寄りのおかげで政府が国民に悪いことをしたり国民みんなを拝ませたり国家宗教の神を拝ませたり自衛隊を置いて国民に戦争をさせたりしていることが政府が国民を幸福にしていることになっているのだ。政府が国民を幸福にする会社ということになっているのだ。
もっとも、今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせているから、年寄りは“三つ子の魂百まで”で実在文化が国民にとって幸福だと思っているから、政府が国民を不幸にしているとも思っている。年寄りにとっては政府は国民を幸福にすることと国民を不幸にすることの両面を併[あわ]せ持った団体なのだ。年寄りは「政府が国民に大昔の文化をやらせて国民を幸福にしている」と思っているから、政府が国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて国民を不幸にしているのを大目に見て許しているのだ。年寄りは政府を支持しているのだ。不良と女と年寄りが政府を支持しているのだ。
しかし、若者にとっては今の文化や実在文化が国民にとって幸福な文化である。今は科学の時代だから、今では人間が眼で見て頭で考えて実在を理解して、実在の中で自分の心を満足して幸福になるものと決まっているから、若者は実在文化をやっている。今の政府は国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化をやらせているから、今の若者にとっては政府は国民を不幸にすることしかやっていない。だから、今の若者は政府に反対して、政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
日本政府は不良や女や年寄りをターゲットにして大昔の文化や悪いヨーロッパ文化をやらせるよりも、若者をターゲットにして実在文化をやらせていればよかったのだ。
もっとも、馬鹿な若者はヨーロッパの建物がきれいなのを見て「ヨーロッパは科学が進んでいて豊かな国だから、ヨーロッパは先進国だから、日本はヨーロッパを見習わねばならない」と思って、自分が嫌なのを我慢[がまん]して一生懸命に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやっている。しかし、本当は、今のヨーロッパでは、みんながすでに実在文化をやめていて五感文化をやって眼で見るだけで頭で考えないようになっているから、ヨーロッパは科学をやらなくなって貧乏な国になりつつあるのである。近代のヨーロッパ人は実在文化をやって善い人だったが、現代のヨーロッパ人は五感文化をやって悪い人である。(ニーチェがデカダンと呼んでいたのは、当時のヨーロッパ人が善い人から悪い人に変わろうとしていたからである。実在文化から五感文化に転じるのはヨーロッパ人の習性であって、実在文化の行き詰まりではない。ニーチェの『ツァラトゥストラ』はヨーロッパにアジア文化を入れることであり、中世末のヨーロッパ人がすでにやったことである。)ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えないから、町や人がきれいなのだ。ヨーロッパ人には眼で見る喜びしかないから、町や人をきれいにしているのだ。ヨーロッパ人は「眼だけで見る世界」に住んでいるから、眼で見えるところだけが優れているのだ。一方、日本人は眼で見て頭で考えるから、町や人が機能的なのだ。日本人には眼で見て頭で考える喜びがあるから、町や人を機能的にしているのだ。日本人は『眼で見て頭で考える世界』に住んでいるから『実在の世界』に住んでいるから、眼と頭の両方で見えるところが優れているのだ。実在的な部分が優れているのだ。ヨーロッパ人と日本人は住んでいる世界が違うから、日本人はヨーロッパ人を見習ってはいけない。日本人がヨーロッパ人に合わせても自分が不愉快[ふゆかい]になるだけで幸福にならない。日本人は自分の国の文化である実在文化をやって科学をやって日本を豊かな国にしないといけない。
今の若者やテレビやゲームのやりすぎで眼で見て頭を使わなくなって実在が見えなくなって自分の本心が満足されなくなって不幸に暮らしている。だから、今の若者はテレビやゲームをやらなければいい。今の若者はもっと本を読んで言葉を読んだり書いたりして眼と頭の両方を使って実在を見るようにして自分の本心を満足して幸福に暮らさねばならない。
今は国際化の時代である。海外の情報がたくさん日本に入ってくる。外国ではみんなが悪いことをしている。特にヨーロッパではみんなが眼先をきれいにしている。だから、今の若者は外国を真似[まね]て格好[かっこう]をきれいにして悪いことをしているのだ。昔は日本が閉ざされていたから、日本人は日本の文化をやっていた。日本人は実在文化をやっていた。日本人は格好をつけずに善いことをしていた。日本人は自分の心を満足して自分を幸福にしなければならない。日本人は外人を真似ずに自分の心を理解してもっと自分の心を満足することをして自分を幸福にしないといけない。日本人は外人の短所を真似ずに自分の長所を活かして自分が幸福に暮らせるようにしないといけない。
今から35年前ぐらいにテレビで“自分国[じぶんこく]”をやっていたおっさんがいたが、あれは今の日本政府が国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせていることに対するイヤミである。今の日本政府は国民みんなの実在文化に逆らって日本の中に自分だけの別の文化の国を作ろうとしているのだ。国民みんなは日本政府にそんなことをさせてはいけない。国民みんなは政府に税金や保険金などのお金をやらないようにして政府に異常な国を作らせてはいけない。
政府は国民に文化を売る会社である。政府の売り物は文化である。政府はいちいち国民に自分が売っている文化を説明しないから、国民は自分で考えて政府が売っている文化を見抜かないといけない。今の国民は実在文化が欲しいのに、今の政府は国民に大昔の文化と悪いヨーロッパ文化(眼で見るだけで頭で考えない文化)を売っている。今の政府は国民が要らない文化を売っている。だから、国民は政府から文化を買わなければいい。国民は政府にお金を払わないようにして政府から文化を買わなければいい。
h30.8.13追加:幕末に国民みんなが「ええじゃないか」と言っていたのは、幕府や政府がなくなっても国民みんなはあまり困らないということである。幕府や政府の仕事は国民に命令して国民が幸福になることをやらせることだから、幕府や政府がなくても国民が自分で考えて自分が幸福になることをすればいいから、国民にとっては幕府や政府はそれほど必要ではないのである。国民にとって幕府や政府はどうでもいいのである。特に今では国民みんなが『日本人が幸福になるためには実在文化をやればいい』ことを知っているから、国民みんなが自分で実在文化をやって自分を幸福にすればいいだけだから、幕府や政府は要らないのだ。たとえ今はまだ国民にとって政府が必要だったとしても、今の日本政府のような国民にまちがった文化をやらせる団体ではいけない。そんな団体は国民を不幸にするだけだからなくなったほうがいい。だから、とりあえず今の国民みんなで日本政府を倒さねばならないのだ。
[23980] 政府を理解するためのポイント《まとめ》 h30.8.13
@昔の人はマゾだった。今の人はマゾではない。今の政府は自分勝手に「今の人は昔の人と心が同じだ」と仮定して今の国民に悪いことをやっている。人間の心には“悪いことをされる喜び”や“拝む喜び”や“戦争をする喜び”などの実在の外にある喜びがある。昔の人は文明が遅れていたために実在の外に住んでいたのでこれらの実在の外にある喜びを満足していた。昔の政府は昔の人に悪いことをしたり拝ませたり戦争をさせたりして昔の人を喜ばせていた。今の人は文明が進んでいるために実在の中に住んでいるので実在の中にある喜びを満足してこれらの実在の外にある喜びを満足しなくなったのだ。今の政府は今の人に悪いことをしたり拝ませたり戦争をさせたりして今の人を苦しませている。
A政府は民主主義をやっていない。政府は国民みんなで多数決を取って国民みんなの総意を決めて国民みんなが幸福に暮らせる国を作っていない。本当は政府は自分の独断で選挙や議会をやって国民に国民みんなを拝ませているだけだ。政府は国民に国民みんなを拝ませていることを隠すために嘘[うそ]をついて民主主義をやっていることにしているのだ。h30.8.16追加:今の政府は民主主義をやっていないのに、馬鹿は「政府が民主主義をやっている」と思って、政府が国民に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせているのを見て「今の国民みんなが悪いヨーロッパ文化をやりたがっている」と誤解してひとりで強気になっているのだ。本当は、今の国民みんなは実在文化をやっている。政府が自分の独断で国民に五感文化をやらせているだけだ。
Bヨーロッパ文化には実在文化と五感文化の二つの面がある。近代の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせると言って実在文化(眼で見て頭で考える文化)をやらせていた。現代の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせると言って五感文化(眼で見るだけで頭で考えない文化)をやらせている。昔と今ではヨーロッパ文化の中身が違うから注意しないといけない。ヨーロッパ人はふだんは五感文化をやっているが、五感文化をやって遊んで暮らすためにお金を溜[た]めるためにたまに実在文化をやる。ヨーロッパ人は五感文化は好きだが、実在文化は嫌いである。ヨーロッパ人は見かけが白いだけで中身はアフリカ人なのだ。志村けんのバカ殿がヨーロッパ人の喩[たと]えだ。
C政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。税金はその報酬である。政府は仕事の上で国民に命令するだけだから、政府は国民よりも上の者ではなく、政府と国民は平等である。日本は小さい島国だから、日本政府はときどきまちがったことを国民に命令する。だから、国民は政府が国民を幸福にすれば税金を払い、国民を幸福にしなければ税金を払わなければいい。近代の政府は国民に大昔の文化と実在文化をやらせて国民を幸福にしていたから国民は政府の命令をよく聞いて政府に税金を払っていた。現代の政府は国民に大昔の文化と五感文化をやらせて国民を不幸にしているから国民は政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいい。今の国民は自分で自分を幸福にする文化をやって政府に頼らないほうがいい。
[23981] 会社の社長や上役は政府と組んでいる。 h30.8.15
会社の社長や上役は社員に大昔の文化をやらせる役職である。会社の社長や上役は社員に悪いことをしたり拝まれたりする役職である。会社の社長や上役は社員からお金を奪ったり社員を殺したり社員を嫌がらせたりして社員に悪いことをする。
一方、今の日本政府は国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせている。今の日本政府は国民に大昔の文化をやらせるために会社に社長や上役を置いて社員に悪いことをさせたり拝まれたりさせているのである。
会社の社長や上役は政府に置いてもらっているから、そのお礼に政府の言うことを聞いて政府の命令で社員みんなから税金を取っているのだ。
政府と会社の社長や上役は組んでいる。グルになっている。だから、国民は政府もろとも会社の社長や上役を倒さねばならない。そもそも会社の決まりは社員みんなで決めることである。実在文化をやることを日本人みんなで決めるのと同じである。今の国民みんなは大昔の文化や五感文化をやっていないから、今の国民みんなにとって政府も会社の社長や上役も要らない。だから、社員みんなで協力して政府や会社の社長や上役にお金をやらないことにして政府や会社の社長や上役を潰[つぶ]せばいいのだ。今の社員は文化について知らないから、政府や会社の社長や上役がなにをやっているのかわからないから、政府や会社の社長や上役を置いているのだ。だから、社員みんなで文化について勉強して、今の自分たちにとっては政府や会社の社長や上役が要らないことを理解して、心置きなく政府や会社の社長や上役を倒せばいいのである。
政府は国民に『会社の社長が要らない人間だ』と思わせないために、会社の社長をテレビに出して宣伝させたりしている。本来、宣伝は宣伝部の人がやればいいだけである。会社の社長がやることではない。政府は国民に「会社の社長がみんなの役に立っている」と思わせるために人がよさそうな社長をテレビに出して宣伝させているのだ。国民みんなはテレビを見すぎてテレビの嘘[うそ]に騙[だま]されてはいけない。国民みんなは自分で『社長は要らない』と考えて社長を倒さないといけない。
国民が文化について考えて国民が政府や社長や上役のことを理解すると国民に政府や社長や上役が倒される。だから、政府は国民に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせて国民を眼で見るだけで頭で考えないようにさせて国民に文化について考えさせないようにしているのだ。実在文化も五感文化もヨーロッパ文化だから、今の政府は国民にヨーロッパ文化をやらせると言って五感文化をやらせているのだ。今の政府は国民に眼で見るだけで頭で考えさせないようにさせている。そのために、今の国民は頭で考えなくなって馬鹿になっている。そのために、日本の景気が悪くなっている。今の人は見かけしかわからなくなっているから、見かけだけよければ善い人と思うから、社長や上役は見かけだけ善い人のふりをして悪いことをやっている。(不良が格好[かっこう]ばかりつけるのも、不良が見かけしかわからない馬鹿だからである。テレビのバラエティ番組で芸人の顔を小枠[こわく]にして視聴者に見せているのは、みんなに「人間は見かけで決まる」と思わせるためである。)そもそも国のことを決めるのは国民であって政府ではない。今の政府は自分の幸福のことだけ考えて国民みんなの幸福のことを考えていない。国民は自分が幸福になるために実在文化をやって眼で見て頭で考えないといけない。国民は政府の言うことを聞かず自分で頭で考えるようにしないといけない。国民みんなで文化について考えて文化のことを知って政府や会社の社長や上役のことを理解して、政府や会社の社長や上役をなくさねばならない。
宗教団体や暴力団も国民に大昔の文化をやらせる団体である。宗教団体や暴力団は国民に神や暴力団自身を拝ませながら悪いことをやる団体である。お金を奪ったり殺したり嫌がらせたりする団体である。今の日本政府は国民に大昔の文化をやらせているから、今の日本政府は宗教団体や暴力団を建てて活動させている。宗教団体や暴力団は政府からお金をもらって活動している。いくら宗教団体や暴力団が悪いことをしても政府の警察が捕まえないから、宗教団体や暴力団がなくならないのだ。しかし、今の国民は大昔の文化をやっていないから宗教団体や暴力団は要らない。だから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府もろとも宗教団体や暴力団を倒せばいいのである。
会社の社長や上役や宗教団体や暴力団や政府自身は政府が国民に大昔の文化をやらせるための道具である。しかし、今の国民は大昔の文化が嫌である。悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりするのが嫌である。昔の社長や上役や宗教団体や暴力団や政府は“悪いことをしてもらいたい国民”を喜ばせるためにあったが、今の社長や上役や宗教団体や暴力団や政府は自分が悪いことをして喜ぶためにあるだけである。今の政府は悪いことをしたい者に悪いことをさせているだけである。そんなことに国民の税金が使われているのである。政府が国民に大昔の文化をやらせても社長や上役や宗教団体や暴力団や政府自身が喜ぶだけである。せいぜい大昔の文化が好きな老人が喜ぶだけである。政府が国民に悪いヨーロッパ文化をやらせても頭で考えることが嫌いな不良や女しか喜ばないのと同じである。不良や女は馬鹿で実在がわからないから悪いことばかりしている。つまり、今の政府は悪人が有利な国を作っている。日本人は善いことが好きであり、悪いことが嫌いである。日本文化では人間は実在の中にいないといけないから、人間は実在の社会の中で幸福に暮らさないといけないから、善いことをやって悪いことをやってはいけない。日本文化では社長や上役や宗教団体や暴力団や政府や不良や女のような悪いことをする者がいてはいけない。税金は政府が国民に国民が幸福になることをやらせることに対する報酬である。だから、今の国民は政府に税金を払わなければいい。国民みんなで早く政府を倒して自分たちが幸福に暮らせる世の中にしないといけない。
政府の中の“国民みんなを拝ませる部署”(いわゆる国会のこと)は、「自分が善い人が有利で悪い人が不利な国を作っている」と言っている。だから、国民みんなを拝ませているのだ。日本人は善いことが好きで悪いことが嫌いだから、日本人の総意は善い人が有利で悪い人が不利な社会を作ることである。だから、政府の中の国民みんなを拝ませる部署は「自分は善い人を有利にして悪い人を不利にしている」と言って国民に国民みんなを拝ませているのだ。しかし、実際には政府は悪人を有利にして善人を不利にしている。政府の中の“国民みんなを拝ませる部署”と政府は反対のことをやっている。政府の中の“国民みんなを拝ませる部署”は国民みんなが思っていそうなことや望んでいそうなことをしゃべっているだけである。そうすることによって国民に国民みんなを拝ませることになるからである。実際には、政府は国民みんなの総意とは無関係に自分がやりたいことをやっているのだ。政府は国民みんなと反対のことをしているのだ。だから、国民は“国民みんなを拝ませる部署”と政府が別の組織だと考えて、政府は国民みんなと反対のことをやっていると考えて、政府を倒さねばならない。政府は国民みんなを馬鹿に変えて国民みんなを自分の言いなりにして国民みんなを支配しようとしているのだ。馬鹿は頭が悪くて自分で実在がわからなくて他人の言いなりだからである。悪人は馬鹿である。馬鹿は実在がわからないから悪いことをするのである。外人は馬鹿だから外国では政府が強い。外国では国民が政府の言いなりである。日本政府は外国の政府がうらやましくなって国民に大昔の文化(つまり悪人が有利な文化)や悪いヨーロッパ文化をやらせて国民を馬鹿に改造しているのだ。
今の政府は国民がテレビやゲームをやっているからと言って、テレビやゲームと人殺しや強盗をいっしょにして国民が悪いことをしたいと思って、社長や暴力団などの悪人が有利な社会にしている。それは極論である。テレビやゲームと人殺しや強盗は同じではない。日本人はテレビやゲームを実在の中で楽しんでいる。だから、日本人は人殺しや強盗をしない。政府は国民のうわべだけを見て本質を見ていない。政府は国民を誤解して国民を軽蔑している。今の政府はダメだ。だから、今の国民みんなで政府を倒して、自分たちで国民が幸福に暮らせる社会にしないといけない。
ヨーロッパ人はもともと馬鹿である。眼だけよくて頭が悪い馬鹿である。しかし、馬鹿では生きていけないから、いやいやしかたなくいっとき頭のいいアジア人を引っこ抜いて国に入れてアジア人の命令で科学や産業をやってよく働いて稼[かせ]ぐのだ。ヨーロッパ文明を築いたのはすべてインド人だ。貴族がアジア人で、平民がヨーロッパ人のことだ。ヨーロッパ人は国が繁栄して裕福になったために馬鹿になったのではない。もともと馬鹿なのだ。馬鹿が自分が生きるためにいっときアジア人の下についてよく働いてお金を溜[た]めて裕福になったらアジア人を国の外へ放り出すのだ。ヒトラーがユダヤ人を大勢殺したのもアジア人を国の外に出すためだ。ヨーロッパ人は自分がアジア人が要るときだけいい待遇にして、アジア人が要らなくなったらすぐに殺すのだ。無能な社員ばかりで儲[もう]からない会社が有能な人を引っ張ってきて、いやいや有能な人の下でみんなが働いて、会社が儲かりだしたら自分たちと気が合わないという理由で有能な人を追い出すのと同じである。日本も戦後国が繁栄して裕福になったが、日本人は日本人のままである。日本人はもともと利口である。眼で見て頭で考えるから利口である。日本人が幸福に生きるためには眼で見て頭で考えて実在がわかって実在の中で自分の心を満足するしかない。日本人は自分が実在の中にいると気分がよく自分が実在の外に出ると気分が悪くなるのだ。ヨーロッパ人と日本人は性格が違う。だから、日本人はヨーロッパ人の真似[まね]をせずに自分で自分の道を進まねばならない。
ヨーロッパ人は馬鹿で身体がきれいである。日本人は利口で身体が汚い。どっちが人間として上だろうか?
[23982] 政府が国民みんなに従わなければ、政府は国民みんなを支配できずに滅ぶ。
h30.8.16
ヨーロッパ人が馬鹿なのは生まれつきであって、ヨーロッパ政府が国民にヨーロッパ文化をやらせたからではない。アメリカ人が馬鹿なのも生まれつきであって、アメリカ政府が国民にアメリカ文化をやらせたからではない。映画『猿の惑星』では政府が国民に脳手術をして馬鹿に改造したみたいに言っているが本当はそうではない。ヨーロッパ人もアメリカ人も生まれつき眼で見るだけで頭で考えない馬鹿であって、政府は国民の性質に従って国民に国民を幸福にする文化をやらせて国民が喜ぶように国を作っているだけである。戦後にヨーロッパやアメリカでも国民みんなはマゾではなくなったが、国民みんなは悪いことをするのが好きなので、政府が大昔の文化を国民にやらせて国中に宗教団体や暴力団などの悪いことをする団体があっても国民はあいかわらず満足なのである。だから、ヨーロッパやアメリカでは国民みんなが政府を守ってちゃんと政府に税金を払って政府が安泰[あんたい]なのだ。
それなのに、日本政府は国民に無理やり大昔の文化や悪いヨーロッパ文化などの国民を馬鹿に変える文化をやらせて国民を馬鹿に変えて支配しようとしている。日本政府は国民の性質に従わず国民が不幸になるように国を作っている。戦後に日本では国民みんながマゾではなくなったが、国民みんなは悪いことをするのが嫌いなので、政府が大昔の文化を国民にやらせて国中に宗教団体や暴力団などの悪いことをする団体があると国民は不満になるのだ。日本ではヨーロッパやアメリカのように政府が国民に大昔の文化をやらせ続けるわけにはいかないのだ。だから、日本では国民みんなが政府を攻撃して政府が潰[つぶ]れるだろう。日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるから利口である。日本人は生まれつき利口だから、政府は利口を喜ばせるように国を作らねばならない。しかし、日本政府はそうしていない。日本政府はヨーロッパ政府やアメリカ政府を真似[まね]て馬鹿を喜ばせる国を作るだけである。だから、日本政府は国民みんなに嫌われて滅ぶだろう。
政府はけっして国を支配した団体ではなく、政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる団体にすぎない。だから、政府と国民は平等である。国民が政府を残すか潰[つぶ]すかは、そのときそのときの政府の命令で決まる。つまり政府が国民にやらせる文化で決まる。国民は自分が政府の命令を聞いても幸福でなければ、政府の命令を聞かず政府に税金を払わなければいいのだ。
[23983] 現代の政府は仕事をしていない。 h30.8.16
政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。税金はその報酬である。
近代の政府は国民に大昔の文化や実在文化をやらせていた。近代の国民は悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりするのが好きだった。近代の国民は眼で見て頭で考えるのが好きだった。つまり、科学や産業をやって、法律を守って善いことをして悪いことをしないのが好きだった。近代の政府は近代の国民を幸福にしていた。だから、近代の国民は政府の命令をよく聞いて政府にちゃんと税金を払っていた。
しかし、現代の政府は国民に大昔の文化や五感文化をやらせている。現代の国民は悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりするのが嫌いである。現代の国民は近代の国民と同じように眼で見るだけで頭で考えないのが嫌いである。つまり、“町や人をきれいにすることばかりやって、科学や産業をやらず、法律を守らずに悪いことをする”のが嫌いである。現代の政府は現代の国民を不幸にしている。だから、現代の国民は政府に税金を払わなければいい。現代の国民は政府に税金や保険金などのお金をやらなければいい。実際に、現代の国民は政府にお金をやっていない。そのために、現代の政府はだんだん潰[つぶ]れて行っているのだ。
[23984] 今では会社の社長や上役は要らなくなっているから社長や上役をなくさねばならない。
h30.8.16
今の政府は国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化をやらせている。
今の政府は国民に大昔の文化をやらせるために、会社に社長や上役を設けて社長や上役に社員みんなに悪いことをしたり拝まれたりさせている。
そもそも会社の社長や上役は大昔の文化をやるためにある役職である。会社の社長や上役は社員からお金を奪ったり社員を殺したり社員を嫌がらせたり、社員に拝まれたりするのが仕事である。
しかし、今では国民が大昔の文化が嫌いである。今では国民みんなが悪いことをされたり拝んだりするのが嫌である。
だから、今では会社の社長や上役は要らなくなっている。政府も要らなくなっている。
だから、社員みんなで社長や上役の命令を聞くのを無視することにして、社長や上役を会社からなくさねばならない。
政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせることが仕事である。しかし、今の政府は国民が不幸になることをやらせている。だから、国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を倒さねばならない。社員は会社の社長や上役の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにしないといけない。
そもそも会社は仕事をするところである。悪いことをされるところではない。だから、社員みんなで早く会社から社長や上役をなくして、仕事だけをすればいいようにしないといけない。
会社の中に社長や上役がいるために、地位と仕事の成績が比例しなくなって、社員みんなの仕事をする気がなくなる。仕事が面白くなくなる。だから、会社には社長や上役はいないほうがいい。
[23985] 今の政府では商店は赤字である。 h30.8.16
今の政府は国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせている。
今の政府は国民に大昔の文化をやらせて国民に悪いことをして国民からお金を奪って国民から税金を取っている。消費税を取っている。税金には大昔の文化(つまり国民に悪いことをすること)と“政府が国民に命令して国民が幸福になることをやらせる仕事に対する報酬”という二つの性格がある。
今の政府は国民に悪いヨーロッパ文化をやらせて、国民に町や人をきれいにさせたり、科学や産業をやらせなかったり、法律を守らないようにさせて悪いことをさせている。
今の政府がたとえ国民から高い消費税を取って商店が多少消費税のおこぼれをもらって儲[もう]かっても、一方で政府が国民に法律を守らずに悪いことをさせているから、国民が好き放題に万引きするから商店が儲からない。来年の10月から消費税が値上げされるが、消費税が高くなると万引きが増えるだろう。国民は「文句があるなら政府に言え!」というつもりで店員を無視して堂々と万引きするから商店としてはたまったもんじゃない。国民は悪いことをやっていいから悪いことをやっているのだから、店員が文句をつけたら店員を殴[なぐ]り飛ばす。国民が店員に「政府が万引きしてもいいことに決めた」と説明すれば、店員は「先ほどは大変失礼しました。心行くまで万引きをお楽しみください」と謝[あやま]っていくらでも万引きさせてくれるだろう。店員はすぐに仕事をやめて次の日から自分も万引きをする側に回るだろう。(もっとも、店員が政府について詳しくて政府が独断で決めたことだとわかれば、万引き犯を許さない。実在文化で定めた法律に基づいてそれ相応の罰を与えるだろう。今の国民みんなは実在文化をやっているのに、政府は国民に大昔の文化や五感文化をやらせている。今の政府は国民みんなから離れてしまっているから、今の政府は自分の独断でやっているだけ(つまりボッチ)だから、国民は政府を無視して政府を捨ててしまえばいい。今の国民みんなは実在文化によって『相手が自分から無理やり税金を取るのは強盗だから正当防衛で相手を殴[なぐ]ってもいい』ことに決めているから、国民は会社の社長や上役が自分に無理やり税金を払わせようとしたら社長や上役を殴りつけてもいい。どうせ会社の社長や上役は要らない人間だから、殴りつけたついでに会社から追い出せばいい。それを実行した者が世界を変える英雄になれるのだ。)
今の政府では商店は赤字である。商店はやっていけない。だから、商店は今の政府に反対しないといけない。商店がなくなると国民も困るから、国民も今の政府に反対しないといけない。
今の政府のままでは国民みんなが暮らせなくなる。国民みんなで政府を倒して国民みんなが変な文化をやらないようにして国民みんなが実在文化をやるようにして国民みんながちゃんと法律を守って善いことをやって悪いことをやらないようにして万引きしないようにしてみんなで平和に暮らせるようにしないといけない。
[23986] 政府の仕事は賭け事[かけごと]である。 h30.8.16
そもそも政府の最初は国民に大昔の文化と善いヨーロッパ文化(実在文化)をやらせることから始まった。それがたまたま国民みんなにヒットしたので、政府は大きい会社になった。
その後で、政府は国民に大昔の文化と悪いヨーロッパ文化をやらせたが、これは国民みんなに受けなかったので、政府はだんだん小さくなっていった。
幕府が国民に大昔の文化とアジア文化をやらせたら、国民はそこそこ喜んだので幕府はそこそこ儲[もう]かった。
近代の政府が古代の政府と同じように国民に大昔の文化と善いヨーロッパ文化をやらせたら、また国民みんなに大受けして儲かった。
現代の政府は国民に大昔の文化と悪いヨーロッパ文化をやらせている。政府はまた国民みんなに嫌われて小さくなっている。
つまり、政府の仕事は賭け事である。博打[ばくち]である。政府はめくらめっぽうに仕事をしておいて国民みんなに受けたら儲かって受けなければ潰[つぶ]れるだけである。政府は行き当たりばったりの運だめしで仕事をしている。だから、国民は政府を信じないほうがいい。国民は政府よりも自分を信じて、政府が自分を幸福にしなければ政府の命令を聞くのをやめて政府にお金をやらなければいい。政府が国民みんなの心を当てないのは政府が悪いから、国民は自分が政府の文化が気に入らなければやらなければいい。政府に税金を払わなければいい。
[23987] 今の政府は国民のアラをとっている。 h30.8.16
今の国民はテレビやゲームをやっている。
そのため、今の政府は「今の国民は実在の外で暮らしている」と思って、今の政府は国民を喜ばせるために国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化などの実在の外にある文化をやらせている。
しかし、日本人はテレビやゲームをやっても日本人である。日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるように出来ているので実在がわかる。日本人はいつでも実在の中で暮らしている。日本人は実在的なテレビやゲームしかやらない。それ以外は日本人にとって面白くないからである。
だから、本当は『今の国民は実在の中で暮らしている。』今の政府は国民を不幸にする文化をやらせている。今の政府は国民の心がわかっていない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず、政府に税金をやらなければいい。
近代の政府は国民の心がわかっていたが、現代の政府は国民の心がわかっていない。政府はいつでも国民の心がわかるわけではない。だから、現代の国民は政府をあてにせずに、自分で自分の心を満足しないといけない。政府が国民の心がわからなければ、国民は政府の言うことを聞くのをやめて、国民が自分で自分の心を満足することをしなければならない。
[23988] 政府を潰[つぶ]したのは政府自身である。 h30.8.17
今の政府は国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化をやらせている。
ヨーロッパ文化ではみんなが眼で見るだけで頭で考えないから、みんなが見かけをきれいにして、科学や産業をやらず、法律を犯して悪いことをする。
今の政府は国民に悪いことをさせている。
ところで、政府は国民に命令して国民が幸福になることをさせるのが仕事である。税金はその報酬である。
だから、国民が悪いことをするようになると政府が仕事をしても報酬をやらなくなるから政府に税金を払わなくなる。
政府が国民に悪いことをさせたために国民が政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れる。政府の自業自得である。
今の政府は国民に悪いことをさせているから国民から税金をもらえなくなって政府が潰れている。政府はまじめに国民に実在文化をやらせて、国民に政府の仕事に対してちゃんと報酬を払わせて、国民から税金を取ったほうがよかったのだ。“金の卵を産む鶏”(政府のこと)は欲に目がくらんであまり弄[いじ]くってはいけないのだ。儲[もう]かっている時のままにしておけばよかったのだ。
政府は“金の卵を産む鶏”に喩[たと]えられるくらいだから、政府は自分がどうして儲かるかわかっていなかったのだ。政府は自分が儲かる理屈がわからないまま儲けていたのだ。政府はめくらめっぽうに仕事をしてたまたま儲かっていただけだったのだ。そんなことだから、今の日本政府もわけがわからないことをやっているのだ。今の日本政府は国民みんなに国民みんなの性格に合わない文化をやらせて国民みんなを不幸にしているのだ。政府はそもそも国民に命令して国民が幸福になることをやらせてそのお礼に国民からお金をもらう会社である。今の日本政府は国民を不幸にして国民からお礼をもらえないようにしているのだ。今の日本政府は国民の性格がわかっていないし、自分の仕事さえもわかっていない。そんな会社は潰れて当然だ。
おそらく日本政府はヨーロッパの政府が国民に悪いことをして偉そうにして国民からお金を取っているのがうらやましくなって自分も真似[まね]てそうしているのだろう。しかし、ヨーロッパの政府が国民に悪いことをしているのは、ヨーロッパ人が悪いことをするのが好きだからであって、ヨーロッパの政府は国民を喜ばせるためにそうしているのだ。反対に、日本人は悪いことをするのが嫌いだから、日本政府がヨーロッパの政府の真似をして国民に悪いことをすると国民は政府を嫌うだけである。かえって逆効果だ。
それとも、今では文化人類学が出来て国民が自分の心がわかっているから、賢い国民は自分で自分を幸福にするようになって政府の言うことを聞かなくなっているから、今でも政府の言うことを聞いているのは不良や女や悪人などの馬鹿だけだから、政府は馬鹿な客を喜ばせるために大昔の文化や悪いヨーロッパ文化をやらせているのかもしれない。「今でも国民みんなが政府の命令を聞いている」と思っているほうがまちがっているのだ。
政府は民主主義をやっていない。政府は多数決で国民みんなの総意を決めて国民みんなが幸福に暮らせる国を作っていない。政府は自分の独断で国民にやらせる文化を決めて国民に命令してやらせているだけだ。賢い国民はそのことを知っているから、政府が自分の気に入らない文化をやらせていたら自分の判断で政府の命令を聞かない。しかし、馬鹿はそのことを知らないから、政府が自分の気に入った文化をやらせていたら「国民みんなが自分と同じように悪いことをやりたい」「国民みんなが自分と同じように頭で考えるのが嫌いだ」と思って「ついに自分の時代が来た」と思って強気になってみんなに偉そうにする。馬鹿は自分の誤解で他人に偉そうにするな!馬鹿は人前に顔を出さず隅[すみ]っこに引っ込んでおとなしくしていろ!!
[23989] 今の日本政府は国民にヨーロッパ人と同じ文化をやらせている。☆ h30.8.17
政府は国民に命令して国民が幸福になることをさせる会社である。
政府がどんな文化を国民にやらせているかは政府は言わないから、国民が自分で政府がやっていることを見て自分で考えてわからねばならない。
今の政府は刑務所をリッチにして悪い者を有利にしたり、国民に自分の外見だけをよくさせて勉強嫌いにさせて眼で見るだけで頭で考えさせないようにさせているから、国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせている。大昔の文化は、昔は国民が悪いことをされて喜ぶためにあったが、今では悪人が悪いことをして喜ぶためにある。
今のヨーロッパでは政府が国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化をやらせているから、今の日本政府はヨーロッパ政府を真似[まね]て国民に大昔の文化や悪いヨーロッパ文化をやらせているだけだと考えられる。
日本政府は「日本人とヨーロッパ人は心が同じだ」と考えて、日本人にヨーロッパ人と同じ文化をやらせているのだ。
しかし、昔から日本人は善いことが好きであり、ヨーロッパ人は悪いことが好きである。日本人は実在文化が好きであり、ヨーロッパ人は五感文化が好きである。日本人は眼で見て頭で考えることができるが、ヨーロッパ人は眼で見ることができるだけで頭で考えることができない。だから、『日本人とヨーロッパ人は心が違う』と考えられる。
日本政府は国民にまちがった文化をやらせている。日本政府は国民を不幸にしている。だから、日本政府があってはならない。国民みんなで政府の命令を聞かないようにしてまちがった文化をやらないようにして、政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
政府のような国民に命令して国民に幸福なことをさせる会社があると、自分が国民よりも上の者だと思って、国民が自分で自分を幸福にすることができない馬鹿だと思って、すぐに国民をなめて国民にデタラメなことをさせる。政府は最初のいっときだけ国民を幸福にして、その後では国民をずっと不幸にしつづける。政府があるとかえって国民は幸福に暮らせなくなる。だから、今後は国民に命令して国民が幸福になることをさせる会社はないほうがいい。今ではほとんど国民が自分で自分を幸福にしているから、政府は国民を不幸にしているから、政府はなくなったほうがいい。これからは国民みんなが自分で考えて自分が幸福になることをしないといけない。
『日本人とヨーロッパ人は心が違う。』だから、日本人にとって幸福なこととヨーロッパ人にとって幸福なことは違う。日本人は見かけをきれいにしてもうれしくないし、ヨーロッパ人は善いことをやってもうれしくない。日本人は外人の真似[まね]をせずに、自分で考えて自分が幸福になることをしないといけない。
勉強馬鹿は他人の真似しかできない。政府は勉強馬鹿だからヨーロッパ政府の真似しかできない。勉強馬鹿は人間の心がわからず形の上でやっているだけである。日本政府は日本人の心がわからず眼で見てヨーロッパ政府と同じことをしているだけである。国民は政府みたいな勉強馬鹿にならないようにして、自分にとって幸福なことを自分で見つけないといけない。国民はテレビのバカ芸人がつまらないことをやっているのを真似ずに、自分にとって本当に面白いことをしないといけない。
日本では昔から政府は国民にヨーロッパ人と同じ文化をやらせるものと決まっている。日本では昔から幕府は国民にアジア人と同じ文化をやらせるものと決まっている。そんな分け方だから日本では国民が永遠に政府や幕府に不幸にされつづけるのだ。日本人はヨーロッパ人ともアジア人とも違う人種である。だから、政府も幕府も国民を幸福にできない。政府も幕府も国民を不幸にするだけだ。日本には日本独自の政府がなければならない。日本には国民に日本文化(つまり実在文化)をやらせる政府がなければならない。
h30.8.18これ以降追加:政府は国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社である。国民に命令して国民が幸福になることをやらせるのは政府の仕事である。だから、政府は仕事の報酬として国民から税金をもらうのである。政府としての偉さは国民に命令して国民が幸福になることをちゃんとやらせることにある。一生懸命勉強して国家公務員になったなんてことはどうでもいい。近代の政府は国民に命令して国民が幸福になることをさせていたから偉かった。現代の政府は国民に命令して国民を不幸にしているから偉くない。今の政府は偉くない。だから、今の国民は政府を軽蔑[けいべつ]して政府に逆らって、政府の命令を聞かず政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのだ。
今の日本政府は大勢の国民にまちがった文化をやらせて大勢の国民を不幸にしてきたからその責任を取って潰れなければならない。たとえわざとでなくても大勢の国民を不幸にしたから責任を取らねばならない。将来“国民に日本文化(実在文化)をやらせる政府”を建てるか建てないかは将来の国民が決めることである。あいにく私はお金がなくて長生きできないから、どうなるかはわからない。
[23990] 日本人にとっては音楽はスピーカーでいいかげんに聞くのがいい。 h30.8.18
私は“いい音”を聞きたいのであって、道具はどうでもいい。
そうなると、ヘッドホンよりもスピーカー(ブルートゥーススピーカーのこと)のほうが有利である。ヘッドホンはハウジングの中にドライバー(振動膜)が入っているだけである。こんなのでいい音が出るわけがない。DACやアンプを付け足してもドライバーに最適化されていないからしょせんいい音は出ない。ヘッドホンはただ音が出るだけでいい音は出ない。反対に、スピーカーは最初からドライバーに合ったDACやアンプが付いているから当然いい音が出る。値段が安くてもいい音が出る。コストパフォーマンスがいい。
ヘッドホンとスピーカーの違いは音を大きく聞くか小さく聞くかの違いである。私は大きい音を耳元[みみもと]で聞くのが嫌いで小さい音を耳をすませて聞くのが好きなのでヘッドホンよりもスピーカーのほうが適している。
そもそも日本人は音楽があまり好きではない。ヨーロッパ人やアフリカ人は五感が発達しているだけで頭が悪いから五感界に住んでいるから音楽が好きだが、日本人は五感と知覚が均等に発達しているから実在界に住んでいるから音楽は実在界の外にあるから音楽に興味がない。音楽が好きではない。ヨーロッパ人やアフリカ人は五感界に住んでいるからヨーロッパ人やアフリカ人にとっては音楽がとても大事なことだが、日本人は実在界に住んでいるから日本人にとっては音楽はどうでもいいことにすぎない。馬鹿な日本人が音楽が好きなだけである。日本人はあくまでも自分がリラックスするために音楽をいいかげんに聞くだけである。日本人はそういう感じで音楽を聞くと一番楽しい。だから、日本人にとってはヘッドホンで集中して聞くよりもスピーカーでぼんやり聞くほうがいい。
今ではゲームやテレビが出来て音楽はつまらなくなっている。音楽は2時代前の娯楽である。ゲームやテレビが面白くない気の毒な者がしかたなく音楽を聞くだけである。今ではゲームやテレビがあるから音楽は時間の無駄[むだ]である。今では音楽を聞くのはゲームやテレビをやって疲れたときの穴埋めにすぎない。つまらない物を顔をクシャクシャにして「面白いよ」と言って宣伝している者が私は嫌いだ。e☆イヤホンは日本人に面白くない物を売るために政府が建てた会社である。日本政府が日本人に悪いヨーロッパ文化(五感文化)をやらせるために政府が税金を使って作った会社である。
そういうわけで今の私はヘッドホンをほとんど使わずスピーカーばかり使っている。起きているときはソニーのSRS−X55を小さい音で一日中かけて、寝ているときはソニーのSRS−XB20を耳元でずっとかけている。クラシックばかり聞いている。ユーチューブの動画を見るときに小さいヘッドホン(ソニーのMDR−AV510)を使うだけでそれ以外はヘッドホンを使っていない。これまでに使ったヘッドホンの中ではオーディオテクニカのATH−AD500X(8,000円ぐらい)が一番音がよかった。以前は冷たい音だと思っていたが、今日聞いてみるとそれほど冷たくなかった。クリエイティブのアルバナ(5,000円ぐらい)は音が暖かいがジャリジャリしているだけですぐに聞き飽きた。アルバナはヘッドホンとしての基本性能に魅力がない。
音楽をヘッドホンで聞くと、音が大きいので音楽を聞くことによる喜びはたくさん得られるが、音が大きいために頭で考えることができなくなるので実在について考えることによる喜びは得られない。一方、音楽をスピーカーで聞くと、音が小さいので音楽を聞くことによる喜びはあまり得られないが、音が小さいために頭で考えることを邪魔[じゃま]しないので実在について考えることによる喜びは得られる。ところが、日本人は五感と知覚が均等に発達しているために実在に住んでいるので、音楽を聞くことによる喜びよりも実在について考えることによる喜びのほうが大きい。日本人は音楽を聞くよりも実在について考えるほうが好きである。日本人はヘッドホンで音楽を聞くよりもスピーカーで音楽を聞くほうが総合的には多くの喜びが得られる。だから、日本人はヘッドホンで音楽を聞くよりもスピーカーで音楽を聞いたほうがいい。要するに、日本人は自分が多くの喜びが得られるようにしていれば、自然に実在について考えることになる。ひとりでに実在の中にいることになって幸福に暮らせる。だから、日本人は自分の心を踏み躙[にじ]らずに自分の心を大事にしていればいいのだ。自分の心に逆らわずに自分の心に従っていればいいのだ。
眼で見たり耳で聞いたりするだけで頭で考えない者でなければ音楽を聞いてもそれほど喜びが得られない。要するに、馬鹿でなければ音楽は楽しめない。だから、自分が馬鹿だと思う者はオーディオに力を入れる甲斐[かい]があるから、ありったけお金を出して高いヘッドホンやスピーカーを買って派手[はで]に音楽を楽しめばいい。反対に、自分が馬鹿ではないと思う人はオーディオに力を入れても無駄[むだ]だから、なるべく安いヘッドホンやスピーカーを買って地味に音楽を楽しめばいい。自分が馬鹿だと思う人は音楽で楽しまなければならないが、自分が馬鹿だと思わない人は音楽はあまりやらずにほかのもっと知的なことをして楽しまねばならない。馬鹿でない人は音楽に向いていないのだ。オーディオ店の店員は客が馬鹿っぽければ高い物を勧[すす]めて、客が馬鹿っぽくなければ安い物を勧めないといけない。そうやって、みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。馬鹿は眼先や耳先の喜びしかないから高い物をたくさん買わないと幸福に暮らせない。反対に、利口な人は紙と鉛筆だけあれば幸福に暮らせる。だから、昔から『馬鹿ほど育てるにはお金がかかる』というのだ。
生物学や社会科は眼で見るだけで眼で見て頭で考えない。日本人が生物学や社会科をやってもつまらない。生物学や社会科は日本人の心に反する。だから、日本人は生物学や社会科を勉強しなければいい。国語は心で思うだけで眼で見て頭で考えない。日本人が国語をやってもつまらない。国語は日本人の心に反する。だから、日本人は国語を勉強しなければいい。日本人は日本人の心を満足すれば幸福になれる。だから、日本人は試験に落ちてもいいから、生物学や社会科や国語を勉強しなければいいのだ。数学は頭で考えるだけで眼で見て頭で考えない。しかし、日本人は数学をやると面白い。数学は日本人の心に適[かな]っている。それは、実在が数学で動いているからだ。日本人は数学が好きだから、数学は実在的なのだ。だから、日本人は科学と数学を勉強しないといけない。日本人は生まれつき眼で見て頭で考えるように出来ている。日本人は眼で見て頭で考える世界に住んでいる。だから、日本人は眼で見て頭で考える世界で自分の心を満足して幸福にならねばならない。
生物や社会は実在する。生物や社会は実在の一部である。だから、本来生物学や社会科も眼で見て頭で考えてわかるはずである。しかし、今の生物学や社会科は眼で見て頭で考えてわかるようになっていない。そのために、生物学や社会科は馬鹿の得意分野になっている。もっと生物学や社会科が進んで、生物学や社会科も物理学や数学のように論理的になって、生物学や社会科も眼で見て頭で考えてわかるようにならないといけない。生物学や社会科も科学にならないといけない。
国語つまり人間の心も実在する。人間の心は実在の一部である。だから、本来国語も眼で見て頭で考えてわかるはずである。しかし、今の国語は眼で見て頭で考えてわかるようになっていない。つまり、国語は心理学である。国語は人間の心に対する理解である。もっと国語つまり心理学が進んで、国語も眼で見て頭で考えてわかるようにならねばならない。国語も科学にならないといけない。また、国語は作り話というが、作り話は喩[たと]えである。もとになる話は事実である。実在の中で本当に起きたことである。国語(つまり文学)ももとは実在のことを書いている。国語も科学だといえる。それでも、国語の本質は想像にあるといえる。国語は真実に対して余計な想像を加えることである。国語なんか古臭い。今は科学の時代だから、人間は想像の世界で幸福になったりしない。人間が余計な想像をして実在から逃避せずに、もっと実在を真剣に見て実在を正しく理解して、自分が実在の世界で行動して実在の世界で幸福になることを目指さないといけない。
h30.8.19追加:1万円前後の安物のヘッドホンはただ音が出ているだけで音の味までわからない。スピーカーはたとえ安くてもそこそこ音の味までわかる。だから、ヘッドホンよりもスピーカーで音楽を聞いたほうがいい。そのほうが音楽が面白く聞ける。
[23991] 日本人はヨーロッパ文化をやってもアジア文化をやっても幸福になれない。☆
h30.8.19
政府は国民にヨーロッパ文化をやらせる会社である。ヨーロッパ文化では最初のいっとき実在文化をやって、その後は五感文化をやる。つまり、ヨーロッパ文化では最初のいっとき『眼で見て頭で考える文化』をやって、その後で「眼で見るだけで頭で考えない文化」をやる。政府は最初のいっとき国民に実在文化をやらせて、その後は国民に五感文化をやらせる。ところが、日本人にとっては実在文化が幸福で、五感文化が不幸である。だから、政府は最初のいっとき国民を幸福にするだけで、その後は国民を不幸にする。
一方、幕府は国民にアジア文化をやらせる会社である。つまり、幕府は国民に「眼で見ずに頭で考えたり心で思ったりする文化」をやらせる。ところが、日本人にとっては実在文化が幸福で、アジア文化があまり幸福ではない。だから、幕府は国民をあまり幸福にしない。
つまり、政府も幕府も国民を幸福にしない。日本では政府が国民に実在文化をやらせているときだけ国民が幸福で、それ以外のときは国民が不幸である。
日本人はヨーロッパ人ともアジア人とも異なる。だから、日本人はヨーロッパ文化をやってもアジア文化をやっても幸福ではない。日本人は日本文化つまり実在文化をやらねば幸福ではない。
政府も幕府も国民に日本文化をやらせる会社ではない。これでは国民が幸福に暮らせない。だから、国民みんなで政府の言うことを聞かないようにしてヨーロッパ文化をやらないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒して、新たに“国民に日本文化(つまり実在文化)をやらせる会社”を建てねばならない。あるいは、国民みんなが“国民に日本文化をやらせる会社”を建てずに、自分たちで日本文化をやらねばならない。
[23992] 政府は今の日本国民を幸福にしない。☆ h30.8.19
政府は国民に大昔の文化とヨーロッパ文化をやらせる会社である。ヨーロッパ文化では最初のいっとき実在文化をやって、その後で五感文化をやる。実在文化とは眼で見て頭で考えることであり、五感文化とは眼で見るだけで頭で考えないことである。
幕府は国民に大昔の文化とアジア文化をやらせる会社である。アジア文化とは眼で見ずに頭で考えたり心で思ったりすることである。
ところが、日本人は日本文化をやらないと幸福になれない。日本文化は実在文化である。実在文化とは眼で見て頭で考えることである。日本文化はヨーロッパ文化ともアジア文化とも違う。
だから、政府も幕府も日本人を幸福にしなかった。
昔の人は大昔の文化をやらされると幸福になったが、今の人は大昔の文化をやらされると不幸になる。大昔の文化とは悪いことをされたり拝んだり戦争をしたりすることである。
だから、政府も幕府も今の人を幸福にしない。
したがって、政府も幕府も今の日本人を幸福にしない。政府も幕府も場違いで時代錯誤である。
国民が政府に合わせるのではない。政府が国民に合わせねばならない。今の日本国民が幸福に暮らすためには“国民に大昔の文化をやらせず実在文化をやらせる会社”が必要である。だから、今の日本国民は政府を倒して“国民に大昔の文化をやらせず実在文化をやらせる会社”を建てねばならない。あるいは、今の日本国民は“国民に大昔の文化をやらせず実在文化をやらせる会社”を建てずに、自分で大昔の文化をやらないようにして実在文化をやらねばならない。
一方、外国の政府はその国の国民に合った文化をやらせているし、今では大昔の文化もやらせていない。日本でも早くそうしないといけない。(例えば、近代の中国ではみんなが科学をやりたいと思った。しかし、中国政府は国民に中国文化しかやらせなかった。中国文化では科学がやれない。だから、みんなで古い中国政府を倒して新しく“国民に実在文化をやらせる政府”を建てた。それが文化革命である。今の中国政府は国民に大昔の文化をやらせていない。今の中国政府は国民に悪いことをしていない。それどころか、今の中国政府は国民といっしょになって善いことをして国民の役に立つことをやっている。そのために今の中国ではみんなが幸福に暮らせている。ヨーロッパ政府も国民の“悪いことをされる喜び”を満足したり国民に国家宗教の神を拝ませたり戦争をさせたりしていない。国家宗教の神をゴミ扱いしている。ヨーロッパ政府はヨーロッパ人が悪いことをするのが好きだから、ときどき自分も国民といっしょになって悪いことをして国民を殺しているだけだ。アメリカ政府も同様だ。インド政府はインド人が悪いことをするのが好きだから、ときどき国民を殺しているだけだ。今ではどこの国の政府も国民に大昔の文化をやらせていない。今では世界中で文明が進んで国民が大昔の文化をやらなくなっているから、政府は国民に合わせて国民に大昔の文化をやらせなくなっているのだ。それなのに、日本政府だけが昔と同じことをやっている。)
このように、文化について理解すれば、政府や幕府は今の日本人を幸福にしないことがわかる。今の国民の多くが政府を倒そうとしないのは文化について理解していないからである。今の国民の多くは文化のことを知らないから、政府がなにをやっているのかわからないから、政府を倒そうとしないのである。今の国民は文化について勉強して、早く政府を倒さねばならない。
昔はみんなが大昔の文化をやっていたから、会社の社長や上役は社員みんなに悪いことをしてみんなに拝まれていた。会社の社長や上役は悪いことをするのが好きである。馬鹿は頭で考えないから悪いことをするのが好きである。会社の社長や上役は馬鹿がやる仕事である。普通の人は悪いことをやりたくないから社長や上役をやらない。今でも会社の社長や上役は悪人である。会社の社長や上役は悪人だから五感文化をやりたいから今の政府を支持して政府の命令で社員みんなから無理やり税金を取っている。会社の社長や上役は社員みんなに悪いことをしているだけで役立たずである。だから、社員みんなで協力して社長や上役の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を倒してついでに社長や上役も倒さねばならない。会社をみんなが健全に働けるところにしないといけない。
今の日本政府はヨーロッパ政府がやっていることをそのまま真似[まね]ているだけである。そもそも日本政府は国民に合わせることをやっていない。ヨーロッパ政府はヨーロッパ人に合わせているのに、日本政府は日本人に合わせていない。日本政府は日本人とヨーロッパ人の違いを無視して無理やり日本人にヨーロッパ人と同じことをやっている。これでは日本人が喜ぶわけがない。政府の仕事は国民に命令して国民が幸福になることをやらせることである。税金は政府の仕事に対する報酬である。今の日本政府は仕事をやっていない。だから、今の日本国民は政府に税金を払う必要がない。国民みんなで早く政府を倒して、別の“国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社”を建てねばならない。
今の日本政府は国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせている。これでは国民が「政府がわざとに国民に合わないことをやって、国民を無理やり政府に従わせて、国民を支配しようとしている」と勘[かん]ぐってしまう。しかし、本当は政府はもともと最初から国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせる会社だと決まっているからそうしているだけなのである。外人は流動的だから自分がまちがっていることがわかったら途中で何度でも修正するが、日本人はいっぺんきりだから最初に自分が一度決めたことはたとえあとでまちがっていることがわかってもそのままやりつづけるのである。だから、戦後に文明が進歩して今の国民が大昔の文化をやらなくなったのに、戦後に文化人類学が出来て日本人はヨーロッパ文化をやっても幸福にならないことがわかったのに、政府は今でも明治時代に出来たときと同じように国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせ続けているのである。日本人が自分のまちがいを直さないのは悪い習慣である。日本人は自分がまちがっていることがわかったらすぐに修正しないといけない。日本人は実在文化をやっているから、自分の考えがいつも実在において正しくないといけないから、なおさらそうである。だから、今の日本政府は頑[かたく]なな態度を捨てて、自分のまちがいを修正して、国民に大昔の文化やヨーロッパ文化をやらせることをやめて実在文化をやらさねばならない。しかし、すでに手遅れだから、国民みんなで今の政府を倒して、別の“国民に命令して国民が幸福になることをやらせる会社”を建てることにする。人間の心は変わらないから、今度日本に“国民に実在文化をやらせる会社”が建ったら、永遠にやっていけるだろう。
それとも、日本では昔から政府と幕府を入れ替えることによってヨーロッパ文化とアジア文化を混ぜることによって日本人を幸福にしてきたのかもしれない。昔の人はヨーロッパ文化とアジア文化を統合した“実在文化”という概念がなかったから、そうするしかなかったのだ。(日本は韓国に近いから陰陽の考えでやっているのかもしれない。精神分裂病のことを“統合失調症”というのも、今の日本に“国民に実在文化をやらせる会社”がないことを言っているのかもしれない。)だから、今の政府は自信満々に自分にさも深い考えがあると言わんがばかりに国民に大昔の文化とヨーロッパ文化をやらせ続けているのだ。(大昔の文化はヨーロッパ文化に吸収できるからやっていないとも見なせる。)今の政府は将来建つであろう幕府と組めば日本人を幸福にすることになるからこれでいいというのだ。しかし、今では“実在文化”という概念があるから、もはや日本人はわざわざ政府と幕府を入れ替えてヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやらなくてもいい。日本人は実在文化だけやればいいのだ。政府と幕府を入れ替えるやり方では日本人が幸福になれるのはわずかの期間だけで効率が悪い。そんなやり方はやめたほうがいい。
昔の人はヨーロッパ文化とアジア文化が混じったものが日本文化だと考えていた。昔の人はヨーロッパ文化とアジア文化を混ぜて日本文化が得られるものだと思っていた。昔の人は最初のいっときやっていたヨーロッパ文化が日本文化であることがわからなかった。最初のいっときやっていたヨーロッパ文化をやり続ければいいことがわからなかった。そのために、ずっと昔からわざわざ政府と幕府を入れ替えてヨーロッパ文化とアジア文化を混ぜこぜにして日本文化を育ててきた。今では最初のいっときやっていたヨーロッパ文化つまり実在文化が日本文化であることがわかっている。だから、今後は日本人は実在文化だけをやればいいのだ。
←昔の人はヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやればその間に日本文化が出来ると信じていた。日本人はヨーロッパ文化とアジア文化を混ぜて日本文化にするためにヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやってきたのである。そのために、日本人は自分が嫌なのを我慢[がまん]してヨーロッパ文化やアジア文化をやっていたのである。ヨーロッパ人が自分が生きるために自分が嫌なのを我慢していっときアジア人を国に入れて実在文化をやるのと似たようなものである。アメリカはヨーロッパ文化のおいしいところだけをやっている国である。アメリカはヨーロッパ人がアジア人を入れて実在文化をやっている時代をやりつづけている国である。だから、日本もアメリカを見習って、ヨーロッパ文化のおいしいところだけをやればいい。日本は最初のいっときヨーロッパ文化をやっていた時代をずっとつづければいいのである。実在文化をやっていた時代をずっとやりつづければいいのである。
[23993] ヘッドホンを比較してみた。 h30.8.20
はじめに言っておくが、私は音楽はクラシックしか聞かない。もちろん、面倒くさいからアンプなんか使わない。プラグをタブレット(ファーウェイのメディアパッドT1)のイヤホンジャックに直差し[じかざし]だ。私は子供の頃から音楽の成績が悪くて音楽の才能がない。音楽について詳[くわ]しいことはわからない。ヘッドホンについても今年の6月から興味を持って聞き始めたばかりだ。
ゼンハイザーHD599(2万3千円)をひさしぶりに聞いてみたら、以前のような変な音が出なくなっていた。エージングは実在する!一度音を鳴らしてしばらくほったらかしにしておいてもエージングは起こる。今では普通に音が出る。無難に音が出る。きちんと音が出る。解像度がやや細かめでフラットに(つまり低音から高音まで均等に)音が出る。優等生型である。でも、ただ音がまじめに出るだけで音に面白さがない。きちんと音が出ているだけでそれ以上のものがない。わざわざお金を出して買わなくてもいい気がした。
アルバナ(5千円)は高音はよく出るが、低音が出ない。物足りない。聞く音楽によっては、高音主体の音楽なら面白く聞けるだろう。クラシックは低音主体だから向いていない。
オーディオテクニカのATH−AD500X(8千円)は低音がよく出る。音が派手[はで]に出る。面白い音が出る。音が深みがあって感動的だ。ゼンハイザーは守りだが、オーテクは攻めだ。安物ならではの長所がある。
ソニーのMDR−100A(1万円)はエージングで音の出がよくなった。アルバナに似て高音がよく出る。クラシック向きではないが、ボーカルを聞くなら問題ないだろう。(いい歳してボーカルなんか気持ち悪くて聞けるか!)ソニーのヘッドホンは音がキチキチ出るだけで、オーテクのAD500Xのように“面白い音”が出ない。(私はふだんはソニーの小さいヘッドホンやスピーカーを使っている。ふだんはそれでいい。キチキチしているのが好きな人はソニーがいい。私はたまに大きいヘッドホンを使って音楽を聞くだけだ。)
この中で一番面白い音が出るのはオーテクのAD500Xだ。だから、この路線でグレードアップを図ればいい。さらに投資してAD1000X(約3万円)を買おうかと思ったが、アマゾンの商品レビューに『AD1000Xは低音が出なくてクラシック向きではない』というレビューがある。『AD1000XよりもAD900X(約1万5千円)のほうが低音がよく出る』と言われている。クラシックを聞くならAD900Xを買ったほうがいいだろう。(あくまで予定なので実際にどうするかはわからない。)ヘッドホンよりも電気カミソリのいいのを買ったほうがいい。
[23994] 昔の日本人はヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやることによって日本文化にしていた。☆☆
h30.8.21
「日本人が幸福に暮らすためにはヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやればいい」と決めたのは昔の日本人みんなである。だから、これまで日本では国民みんなが政府と幕府を交互に建ててヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやってきたのである。
昔の日本人は日本文化がどういうものかがよくわかっていなかったから、ヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやってヨーロッパ文化とアジア文化を混ぜることによって日本文化にしていたのだ。
しかし、今では文化人類学が出来て日本文化についてよくわかっている。今の日本人は日本文化が実在文化であることがわかっている。日本人は眼で見て頭で考えるから実在が見えるから、日本人にとっての幸福は実在における幸福である。日本人は実在を眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足して幸福になる。だから、日本人は科学や産業をやって物やお金を豊かにして、法律を守って善いことをするのが幸福なのである。
日本文化は、ヨーロッパ人がアジア人を国に入れて協力して科学や産業をやって、法律を守って善いことをやっていた頃のヨーロッパ文化と同じものなのである。日本文化は善いヨーロッパ文化(実在文化)と同じものである。日本文化は近代の日本人がやっていた文化と同じものである(ただし、今では大昔の文化はやらないが)。
だから、『日本人が幸福に暮らすためには、善いヨーロッパ文化つまり実在文化をやればいい』のである。したがって、今の日本人みんなは政府や幕府を交互に建ててヨーロッパ文化とアジア文化を交互にやらずに、“国民に実在文化をやらせる会社”を建てて実在文化をやればいい。あるいは、“国民に実在文化をやらせる会社”を建てずに、国民だけで自主的に実在文化をやればいい。
h15.12.16/716 h16.5.20/821 h17.2.2/1181 h17.5.25/1444 h21.2.11/5135 h25.1.13/10051