[23601] 今のみんなは政府に関心がない。 h30.2.23
政府は古代から「法律や学校などのことをやる会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府はみんなを虐めるためにみんなから物やお金を強盗したり、人殺しをしてみんなを恐がらせたり、国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作ったりしている。政府の正体はみんなに悪いことをして虐める会社であって、「法律や学校などをやる会社」は政府の仮[かり]の姿である。政府の法律会社や学校会社はニセモノの法律会社や学校会社であって本物の法律会社や学校会社ではない。政府の法律や教科書は嘘[うそ]の法律や教科書だからまちがった法律やまちがった真理を書いている。国民は政府の法律を守らなくていい。政府の教科書を信じなくていい。政府は国民みんなを虐めるために自分が民主主義や国家宗教や身分制などをやって権力があるふりをしているが、本当は政府と国民は平等である。国民は政府に従う必要はない。
古代からみんなは政府がそういう会社であることを知っていた。そうでなければみんなは政府を利用できなかったはずである。そもそもみんなが政府のことがわかっていなければみんなが政府を利用しないから政府が潰[つぶ]れてなくなっているはずである。
昔のみんなは政府のことがよくわかって政府を正しく利用してきた。昔のみんなはマゾだったから、政府に悪いことをされて虐められるのが好きだったから、政府に物やお金をやって政府にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらって政府に虐められて喜んでいた。これまでずっと国民みんなはそうしてきた。
古代の頃からすでにみんなは政府のことがわかっていた。ジーン・ロッデンベリーや梶原一騎[かじわらいっき]だけが政府のことがわかっていたのではない。
しかし、今では文明が進んで面白いことがいっぱいある。みんなは虐められることなんか面白くない。そのため、みんなが政府について関心がなくなっている。そのため、みんなが政府のことがわからなくなっている。みんなが政府をいいかげんに見るだけで本気で相手にしていない。そのために、みんなが「政府が善いことをする会社だ」と思って「政府は民主主義をやっているから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の言うことを聞いて政府にお金をやって政府に“国民みんなが不幸に暮らさねばならない国”を作ってもらっている。みんなは自分で自分を不幸にしている。不良は悪いことで喜ぶから不良が喜んでいるだけである。不良は馬鹿だから自分の心が見えていないから自分が幸福なのか不幸なのかわからないから、自分が不幸になることが自分が幸福になることだと誤解している。不良は政府が自分が幸福に暮らせる国を作ってくれていると思って政府に感謝しているのだ。
今のみんなは政府のことがわかっていないために自分で自分を不幸にしている。みんなはもっと政府のことをよく考えて政府のことをよく知って政府と正しく対応しないといけない。政府は国民みんなからお金をもらって国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。国民と政府は平等だから、国民が政府にお金をやるかやらないかは国民の自由である。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府に国を作ってもらわないようにしないといけない。要するに、政府は悪いことをして虐める会社である。政府は見かけが法律会社や学校会社なだけで中身は悪いことをする会社である。今の国民みんなにとっては政府が要らないから政府を潰[つぶ]せばいい。
政府は昔と同じことをやっている。今の政府は昔の政府と同じように国民みんなに悪いことをしてみんなを虐めている。しかし、国民みんなが昔と違う。昔のみんなは政府のことがわかっていたが、今のみんなは政府のことがわかっていない。だから、今の世の中がうまくいっていないのだ。今のみんなは昔のみんなのように政府のことがわかっていないといけない。昔の人に政府のことがわかって今の人に政府のことがわからないわけがない。だから、今の人はがんばって政府のことを理解しないといけない。
今の人はゲームやテレビばっかりやって政府に関心がないために政府のことがわからずにチンプンカンプンなことをやっている。だから、ゲームやテレビを利用してみんなに政府のことをわからせてやればいい。テレビでみんなに政府のことを解説すればいい。ゲームの中に政府を出してみんなに政府が実際にやっていることをよく見せてみんなに政府のことがよくわかるようにしてやればいい。

[23602] 利口ぶりは馬鹿の証拠 h30.2.23
今の国民の中には政府が悪いことをしていることは知っているが、「政府が悪いことをやっているのは善いことをするためだ」と思っている者がいる。「政府がなにか善いことをするために自分がみんなから悪者だと思われるのを我慢[がまん]してしかたなく悪いことをやっている」と思っている者がいる。「政府は本当は善い会社であって、善いことをするために涙を呑[の]んで悪いことをやっている」と思っている者がいる。そういう者は「政府が善いことをする会社だ」と思って政府になにか善いことをしてもらうために政府の言うことを聞いて政府にお金をやっている。
しかし、“何か善いこと”とは何か?そういう人は“何か善いこと”が何なのかわかっているのだろうか!?
じつは“何か善いこと”とは“虐[いじ]められる喜び”を満足することなのである。人間の心には“虐められる喜び”があるので、政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを幸福にするためにみんなに悪いことをしてみんなを虐めているのである。
たしかに昔のみんなには“虐められる喜び”があったから政府はみんなを虐めて幸せにしていた。しかし、今のみんなには“虐められる喜び”がないから政府はみんなを虐めて不幸にしている。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
今の政府がみんなに『政府が国民みんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしてみんなを虐めている』ことを教えないのは、政府が虐める会社だからである。政府はみんなを虐めるためにみんなに本当のことを教えないのだ。政府はときどきみんなにヒントをくれるだけで、けっして答えを教えないのだ。政府は国民みんなに自分で考えて答えをわかってもらうために答えを教えないのだ。
「政府がなにか善いことをするために悪いことをしている」と思っている者はもっとよく考えなければならない。“なにか善いこと”で納得してはいけない。「政府の人は頭がいいから高度なことがわかるから理由がわかるが、自分は馬鹿だから高度なことがわからないから理由がわからない」などと思って自分を卑下[ひげ]してはいけない。
政府は本当は『国民みんなの“虐められる喜び”を満足するために悪いことをやっている』だけである。政府は大したことをやっていない。今の国民みんなには“虐められる喜び”がないから政府は悪いことをしなくていい。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社だが、今の国民みんなには“虐められる喜び”がなくなっているから、今の政府には機能がなくなっているから、国民みんなは早く政府をなくさねばならない。国民みんなで早く政府のことがわかって政府にお金をやらないようにして政府を倒して、政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせないようにして、みんなで幸福に暮らさねばならない。
今の国民の多くは政府にたくさんお金をやって政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせている。これではお金の無駄[むだ]である。早く国民みんなで政府を潰[つぶ]して、本物の法律会社を建てて、本物の法律会社にお金をやってみんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわねばならない。

[23603] 昔はマゾがいるから政府が儲[もう]かっていたが、今は馬鹿がいるから政府が儲かっている。 h30.2.23
民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気持ちになることであって、政府が国民みんなに従うふりをして国民を支配することではない。だから、政府が民主主義をやっても、政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
政府は国民と契約を取らずに国民から税金を取っている。つまり、政府は国民からお金を強盗している。それは政府が悪いことをする会社だからである。政府は国民からお金を強盗して、そのお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る一環[いっかん]として、人殺しをしてみんなを恐がらせたり、子供にまちがった道徳を教えて子供を色キチガイやマンガオタクやオカマに変えて国民が幸福に暮らせないようにしたりしている。
つまり、政府は国民と平等でありながら、国民に悪いことをやっている。
したがって、国民が政府に悪いことをしてもらうかしてもらわないかは国民が決めればいい。
それで、政府が儲[もう]かっているのは、政府に悪いことをしてもらう国民がいるからである。つまり、マゾがいるからである。

昔は国民みんながマゾだったので、国民みんなが政府に虐めてもらって幸福になっていたので、国民みんなが政府にお金をやって政府に国を作らせていた。
しかし、今は国民みんながマゾではないので、国民みんなが政府に虐められると不幸になるので、国民みんなが政府にお金をやらないようにして政府に国を作らせないようにしている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れて、政府と別に法律会社や学校会社などが建とうとしている。そうしていない者もいるが、それはその者が馬鹿で正しいことがわかっていないからである。いつの時代にもどこの国でもそんな連中はいる。

昔はマゾがいるから政府が儲かっていたが、今は馬鹿がいるから政府が儲かっている。馬鹿は頭が悪くて正しいことがわからないので「政府が善い団体だ」などと思ったりして政府に善い国を作ってもらうために政府にたくさんお金をやっている。しかし、政府はそのお金で国民みんなが不幸に暮らさねばならない悪い国を作っているのである。馬鹿は自分で自分を不幸にしているのである。
今の国民の多くが政府のことがわかっていないのは、政府のことを教えてくれるものがないからである。誰でも他人が教えてくれなければわからない。数学や物理学だって教えてくれるものがなければわかるわけがない。だから、今の国民みんなにっては政府のことを教えてくれるものが必要である。マンガやテレビドラマには政府のことを扱ったものがたくさんあるが、マンガやドラマは政府のことをすでに知っている人が見て喩[たと]えを楽しむものであって、みんなに政府のことを教えるものではない。イソップ童話と同じである。イソップ童話は道徳を知っている人が読んで喩えを楽しむものであって、みんなに道徳を教えるものではない。イソップ童話は文学であって、道徳の教科書ではない。
私がほぼ毎日ホームページで政府について考えているから、みんなはそれを読めばいい。政府のことを教えてくれるものは私のホームページだけである。
私は大人になってから本を読まないので、政府のことを書いている本があるのかどうか知らない。大きな本屋をよく探せば何冊かはあるかもしれない。図書館にもあるかもしれない。
それにしても政府は難しい会社だ。食品会社は食品を作る会社だ。電器会社は電化製品を作る会社だ。テレビ局はテレビ番組を作る会社だ。政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めて国民みんなの“虐められる喜び”を満足して国民みんなを幸福にする会社だ。しかし、今の国民みんなは“虐められる喜び”がないから、国民の多くは政府の仕事がわからない。しかも、政府は「法律や学校などのことをやる会社」の看板を出しているから、国民の多くは政府のことを善いことをする会社だと誤解している。そのうえ、政府は国で一番大きい会社だから、国民の多くの誤解のために政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなが被害を受けている。まったく政府は面倒臭い会社だ。推理小説の事件並みに難しい。私が約10年かけて考えなければならなかったほどだ。人間が時間をかけて考えなければ理解できない会社なんか建ててはいけない。

[23604] どうして“政府のことを解説したテレビ番組”がないのか? h30.2.23
今の国民の多くが政府のことがわかっていないのは、政府について教えてくれるものがないからである。例えば、政府のことを解説するテレビ番組がないからである。
ジーン・ロッデンベリーや梶原一騎[かじわらいっき]も政府のことを知っていたのだから、テレビ局には政府のことを知っている者が大勢いるはずである。テレビ局はときどき相対性理論の解説番組を作ったりするし、日本テレビは『特命リサーチ200X』という面白い科学番組を作っていたから、テレビ局はその気になればすぐに“政府の解説番組”を作れるはずである。
テレビ局は当然“政府のことを解説した番組”を作るべきである。それなのに、そんな番組はない。それはなぜか?
政府は「法律や学校などのことをする会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。
政府は国民みんなからお金をもらってそのお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。国民みんなにまちがった道徳を教えて国民みんなが不幸に生きていかねばならないようにしている。
政府はテレビ局にお金を出して国民みんなにまちがった道徳を教える番組を作らせている。
国民みんなが無料でテレビ番組を見られるのは、政府がテレビ局にお金を出してテレビ番組を作らせているからである。
テレビ局は政府からたくさんお金をもらっているから政府の言うことを聞く。
政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために、テレビ局にお金をやって“政府について解説する番組”を作らせないのだ。国民みんなに政府のことがわかってしまうと、国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れて、政府が国民みんなを虐めることができなくなる。政府は国民みんなを虐める会社なので、国民みんなを虐めるためにテレビ局にお金をやって“政府について解説した番組”を作らせないのである。つまり、テレビ局は政府からお金をもらうために“政府について解説した番組”を作らないのである。テレビ局にとってはお金のほうが国民みんなの幸せよりも大事なのである。
今のテレビ局はダメである。道徳がなっていない。国民みんなはテレビを見ないほうがいい。
同じように、“政府のことを解説した本”がないのは、出版社が政府からお金をもらっているからである。政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために、出版社にお金を出して“政府について解説した本”を作らせないようにしているのだ。
たとえお金がたくさんあっても幸せがなければなんにもならない。政府は国民みんなからお金をもらって国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。いくらテレビ局が政府からたくさんお金をもらっていても、政府は国民みんなを不幸にするからテレビ局も不幸にされることになる。人間にとって大事なのは自分の幸福であってお金ではない。お金はあくまでも幸福を得るための手段にすぎない。幸福そのものがなくなってしまえばいくらお金があっても幸福は手に入らない。
テレビ局は政府に協力するのをやめて国民みんなの味方になって“政府について解説した番組”を作らねばならない。出版社も政府に協力するのをやめて“政府について解説した本”を作らねばならない。国民みんなで早く政府を倒して、国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社を倒して、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[23605] 誰でも政府のことを教えられれば政府のことがわかる。 h30.2.24
昭和40年(1965年)頃にテレビが普及してマゾがほとんどいなくなった。
それでも政府が生き残った。
そこからわかるのは、国民の多くが政府のことをわかっていないということである。政府のことがわかっている人は『政府は国民を虐[いじ]めて喜ばせる会社だが、今の国民みんなはマゾではないから政府が要らない』と考えて政府に税金を払わないが、政府のことがわかっていない人は「政府は民主主義で法律や学校などのことをやっている善いことをする会社だ」と思って政府に税金を払っている。政府が生き残ったから、国民の多くが政府に税金を払っているから、国民の多くが政府のことがわかっていないということである。
その後は、国民みんなが“政府のことがわかっている派”と“政府のことがわかっていない派”に分かれた。“政府のことがわかっている派”は“政府のことがわかっていない派”を馬鹿だと見なして利用して暮らすことにした。“政府のことがわかっている派”は自分が税金を払わないかわりに“政府のことがわかっていない派”に税金を払わせて政府をただで利用して有利に暮らすことにした。“政府のことがわかっていない派”は“政府のことがわかっている派”の分まで政府に税金を払わされることになった。“政府のことがわかっている派”は政府をただで利用できるのでかなり得に暮らせることになった。
しかし、政府は国民みんなを虐めるために国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る。“政府のことがわかっている派”も“政府のことがわかっていない派”も両方とも不幸にされる。いくら“政府のことがわかっている派”が多少お金が儲[もう]かっても政府に不幸にされてはもともこもない。幸福はお金では変えない。いくらお金があっても幸福そのものがなければなんにもならない。
だから、“政府のことがわかっている派”は“政府のことがわかっていない派”と組んでいっしょに政府を倒したほうが得策である。そのためには、“政府のことがわかっている派”が“政府のことがわかっていない派”に政府のことを教えてやればいい。“政府のことがわかっている派”が政府のことを教えるものをたくさん作って“政府のことがわかっていない派”に政府のことを教えればいい。そんなことは簡単にできる。本やテレビやゲームなどを使ってできる。お金もほとんどかからない。
そもそも“政府のことがわかっていない派”は政府のことを知らないだけで、政府のことを教えられてもわからないわけではない。“政府のことがわかっていない派”に政府のことを教えてやればすぐに政府のことがわかる。政府のことはそれほど難しくないから誰でもわかる。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことを教えてやればいいのである。
政府のことを知っている人はみんなに政府のことを教えるものを作ってみんなに政府のことを教えてやればいい。国民みんなで政府を倒して、政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせるのをやめさせて、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。国民みんなで早く政府を潰[つぶ]して、本物の法律会社を建てて、本物の法律会社にお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわねばならない。
政府は国民みんなからお金を取ってそのお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。今の国民みんなはマゾではないから、政府があっても国民みんなは得することがなにもない。国民みんなは政府に不幸にされるだけである。だから、国民みんなは早く政府を倒せばいいのである。
昔タモリが「言わんの馬鹿」と言っていたのは、政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るから政府は国民みんなを無差別に不幸にするから、“政府のことを知っている人が黙っていても得になることはない”から、政府のことを知っている人はみんなにどんどん政府のことを教えてやればいいということである。
昔タモリが「悪いほうが有利」と言っていたのは、政府の警察はニセモノの警察で本物の警察ではないから、政府の法律はニセモノの法律で本物の法律ではないから、政府の法律には強制力がないから、政府の警察は国民を強制的に逮捕することができないから、国民が政府の警察に逮捕されたくなければされなくてもいい。だから、今の政府の警察では国民は“悪いことをしたほうが有利”なのである。ただし、国民みんながやっている“正しい法律”は有効だから、国民が正しい法律を犯すと国民みんなに罰せられるから、あまり他人に恨[うら]まれるほど悪いことをやってはいけない。h30.2.25追加:あるいは、「悪いほうが有利」とは、政府が有利であることである。政府は悪いことをする会社だから有利なのである。しかし、政府が悪いことをするのは国民みんなの“虐められる喜び”を満足するためである。昔はみんなが“虐められる喜び”があったから、政府が国民を虐めて喜ばせるために国民からたくさんお金が取れたから政府が有利だったのである。反対に、今はみんなが“虐められる喜び”がないから、政府がいくら国民に命令しても国民からお金を取れなくなっているから政府が有利ではない。だから、必ずしも「悪いほうが有利」ではない。「悪いほうが有利」と言うだけでは何を表しているのかわからない。言葉が短いといろんな意味に取れるから何を言いたいのかはっきりしない。だから、正確に自分の考えを伝えるためにはある程度長く言わねばならない。昔政府が万葉集を出したのは、みんなに短い言葉で言わせて日本語を曖昧[あいまい]にしてみんなを馬鹿に変えるためだったのかもしれない。

[23606] どうして政府は悪いことをたくさんして善いことを少ししかしないのか? h30.2.24
人間にとっては性欲は満足してはいけない喜びだが、昔の人はどうしても性欲を満足したかったので、昔の人は売春宿に料亭の格好[かっこう]をさせることによって自分が性欲を満足していないことにして実際には性欲を満足していたのである。それと同じように、人間にとっては“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びだが、昔の人はどうしても“虐められる喜び”を満足したかったので、昔の人は『みんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社』に「法律や学校などのことをする会社」の格好をさせることによって自分が“虐められる喜び”を満足していないことにして実際には“虐められる喜び”を満足していたのである。女が女が入ってはいけないところ(例えば学校)に入るために男の格好(セーラー服を着る)をして男のふりをするのと同じことである。そういうのを、“馬子[まご]にも衣装”というのである。馬は馬鹿である天皇家のことであり、馬子は馬のとなりにいるから天皇家のとなりにいる政府のことである。
したがって、政府は格好が「法律や学校などのことをする会社」なだけで、中身は『国民みんなに悪いことをして国民みんなを喜ばせる会社』なのである。
だから、政府はほとんどが『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』であって、ちょっとだけ「法律や学校などのことをする会社」である。だから、政府はほとんど『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』が悪いことばっかりして、ちょっとだけ「法律や学校などのことをする会社」が善いことをするだけなのである。
要するに、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなに悪いことをするばっかりである。
今の国民みんなはマゾではないから、政府に悪いことをされても嫌なだけである。今の国民みんなにとっては政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府に税金を払わず政府を倒せばいいのである。
たとえ「法律や学校などのことをする会社」が大きくて『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』が小さくて政府がそこそこ善いことをしていたとしても、『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』が悪いことをしないに越したことはない。だから、国民みんなで政府を倒して、『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』をなくして「法律や学校などのことをする会社」だけにすればいいのである。しかし、昔のマゾの国民みんなは政府に虐めてもらって喜んでいたのだから、昔の政府はマゾの国民みんなを喜ばせるぐらい虐めていたのだから、今の政府も国民みんなをそこそこ虐めるはずである。やっぱり政府はないほうがいい。

[23607] 政府は表では善いことをして裏では悪いことをやっている。☆☆ h30.2.24
昔の人には“虐[いじ]められる喜び”があった。昔は文明が遅れていて生活環境が悪かったので、人間に“虐められる喜び”があったほうが楽しく生きられて結婚して子供を多く作ったので、自然選択によって人間には“虐められる喜び”があったのである。昔の人は“虐められる喜び”を満足するために『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』を建てて政府と名付けた。
しかし、人間が“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって不幸になるから、人間は“虐められる喜び”を満足してはいけない。そのために、『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』はやってはいけないことになった。それでも、昔の人は“虐められる喜び”を満足したかった。そこで昔の人は『国民みんなを虐める会社』に「法律や学校などのことをやる会社」のふりをさせて隠れてみんなを虐めさせることによって“虐められる喜び”を満足していた。
だから、政府は表で「法律や学校などのことをやる会社」をやって、裏で『国民みんなを虐める会社』をやっているのである。政府は表で国民みんなが幸福に暮らせる国を作って、裏では国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。そもそも政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するためにあるから、政府はおもに国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。
政府は表で法律や学校などの仕事をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作りながら、裏では国民みんなからお金を強盗してそのお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っているのである。政府は国民みんなからもらったお金を使って食べ物や服や家などを国民みんなの趣味に合わないものにしたり、みんなにまちがった道徳を教えてみんなが幸福に生きていけないようにしたり、殺人事件を起こしてみんなを不快な気分にさせたりして、みんなが不幸に暮らさねばならない国にしているのである。
昔はみんながマゾだったから、政府にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらって喜んでいたから、政府にお金をやっていた。
しかし、今はみんながマゾではないから、政府にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらっても嫌だから、政府にお金をやらないようにしている。
あいにく、国民の多くは政府のことがわからなくて「政府が法律や学校などの善いことをやる会社だ」と誤解している。国民の多くは「政府が国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と誤解して政府にたくさんお金をやっている。政府は国民の多くからもらったお金で国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。
政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことを教えてやらねばならない。そうして、国民みんなが政府のことを知っているようにして、国民みんなで政府にお金をやらないようにして政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせないようにしないといけない。早く国民みんなで政府を潰[つぶ]して、本物の法律会社や学校会社などを建てて、本物の法律会社や学校会社などにお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわねばならない。
私が高校生の頃に精神分裂病で悩んでいたときにおじいさんが家に来て私に「なんのためにやるのか考えないといけない」と言ってくれたことがある。私が小学生の頃に父親が囲碁[いご]をしていたときに「全体観が大事」と言ったことがある。政府は善いことと悪いことが混じったわけがわからない会社だが、そもそも政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するためにある。だから、政府はおもに悪いことをやっている。政府は善いことよりも悪いことを多くやっている。今の国民みんなはマゾではないから、そんな会社は要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰せばいいのである。
大雑把[おおざっぱ]に見ると、政府は国民みんなの“虐められる喜び”で建っている会社だから、戦後に文明が発達して人間が自然を支配するようになって環境がよくなってテレビやゲームなどの面白い物が出来て国民みんなが“虐められる喜び”がなくなったときから政府は潰れているのだ。細かいことはいろいろあるが、とにかく政府はなくなっているのだ。遅かれ早かれ政府はなくなるのだ。だから、みんなは政府がなくなるようにすればいいのだ。
私は若い頃は政府についてなにも知らなかったが、約13年前私が41歳のときにアニメを見ていてアニメの登場人物が自分と同じことをしていることに気づいて「政府が私を神とする国家宗教をやっている」ことがわかって、政府が私に引っ掛けて人殺しをしていることに気がついて『政府が悪いことをする会社である』ことがわかった。みんなも早くテレビや新聞や実際の世の中を見て『政府が悪いことをする会社である』ことに気づかなければならない。

[23608] 今の国民の多くはお金を無駄[むだ]にしている。☆ h30.2.24
昔の人には“虐[いじ]められる喜び”があった。昔は文明が遅れていて環境が悪かったので人間が“虐められる喜び”があるほうが楽しく暮らせて多く生き残って子供を作ったので、自然選択によって人間の心には“虐められる喜び”があった。昔の人は“虐められる喜び”を満足するために『みんなに悪いことをしてみんなを虐める会社』を建てた。それが政府である。(人間の心は自然選択で決まっているだけだから、人間の心には“虐められる喜び”のような変な喜びがあるのだ。)
しかし、人間が“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって不幸になるので、人間にとっては“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びである。それでも昔の人はほかに喜びがなくてなんとかして“虐められる喜び”を満足したかったので、昔の人は『みんなを虐める会社』に「法律や学校などのことをする会社」のふりをさせて隠れて国民みんなを虐めさせて“虐められる喜び”を満足していた。
そのために、政府は見かけが「法律や学校などのことをする会社」で、中身が『みんなに悪いことをしてみんなを虐める会社』なのである。政府は見かけが「国民みんなが幸福に暮らせる国を作る会社」で、中身が『国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社』である。政府は善いことをちょっとするだけで、悪いことをたくさんするのである。政府はみんなに目立つところで善いことをちょっとだけやって、みんなに目立たないところで悪いことをいっぱいやっているのである。政府は目立つところで善いことをやって目立たないところで悪いことをやっているから、一見[いっけん]善いことだけやっているように見える。
そもそも政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民みんなを虐めて喜ばせるために国民みんなからたくさんのお金を強盗したり、殺人事件を起こしてみんなを不快な気分にさせたり、国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作ったりしている。
政府は今日の今もみんなに目立たないように国民みんなからもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。国民みんなの好きなもののない嫌なものばかりある国にしている。今の国民みんなはお金が好きだから、政府は国民みんなが好きなものがない国にするためにわざとにまちがった景気対策をやって不景気にしているのだろう。
しかし、今では文明が進んで環境がよくなって人間に“虐められる喜び”がないほうが楽しく暮らせて多く生き残って子供を作るので、自然選択によって人間に“虐められる喜び”がなくなっている。今の人にとっては政府がみんなに悪いことをするのが嫌なだけである。
国民みんなが政府にいくらお金をやっても政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るだけである。今の国民みんなは“虐められる喜び”がないから不幸になるだけである。今の国民みんなが政府にお金をやってもお金の無駄である。みんなは政府にお金をやってはいけない。
国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府に国を作らせないようにして政府を潰[つぶ]して、本物の法律会社を建てて、本物の法律会社にお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわねばならない。

[23609] 政府は隠れて悪いことをしているから『政府が悪いことをやる会社である』のがわかりにくい。 h30.2.24
夜空の星はみんな同じ方向に動いている。そのことから、昔の人は地球が宇宙の中心で、星が地球の周[まわ]りを動いていると考えていた。ところが、時代が進んで人間が夜空の星をよく観察するようになると、たくさんの星に混じって逆向きに動いている星があることがわかった。それが火星である。火星の動きを説明するために地動説が考え出された。太陽が宇宙の中心であり、地球が太陽の周りを回っていることになった。そこから、古典力学が考え出されて、電磁気学が付け加わって現代の物理学に至る。
それと同じように、政府はいつも国民みんなに善いことをやっている。そのことから、みんなは「政府が国民みんなに善いことをする会社だ」と思っていた。ところが、人間が歳をとると長年テレビや新聞を見ているために、ときどき政府が悪いことをしているのに気づく。そのことから、『政府が国民みんなに悪いことをする会社だ』と思うようになる。そこからさらに考えて、『昔はみんなが“虐められる喜び”を満足していたが、“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって不幸になるので“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びなので、政府に「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをして隠れて悪いことをして虐めてもらって“虐められる喜び”を満足していた』ことがわかる。
政府は『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』が「法律や学校などのことをする会社」のふりをしているだけである。政府の正体は『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』であり、「法律や学校などのことをする会社」は政府の仮[かり]の姿である。
だから、政府は善いことをちょっとだけしかせず、悪いことをいっぱいやっている。政府は目立つところで善いことをやって目立たないところで悪いことをやっているから、一見[いっけん]政府が善いことだけをしているように見える。
政府が目立つところで善いことをやって目立たないところで悪いことをやっているために、国民の多くは「政府が善いことをする会社だ」と思って政府に国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらうために政府にたくさんお金をやっている。しかし、本当は政府は国民みんなを虐める会社だから、政府は国民からもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っているのである。政府は国民みんなの好きなことがない嫌いなことばかりある国を作っているのである。政府は事件を起こして大勢の国民を殺して国民みんなに不快な気分を味あわせているのである。(不良は喜んでいるかもしれないが。)
政府はもともと国民みんなを虐める会社だから、たとえ国民の多くが政府のことを誤解していても政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに政府のことを説明せず、国民みんなの好き勝手に任[まか]せている。
今でも国民の多くが「政府が善いことをする会社だ」と誤解して政府にたくさんお金をやって政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせている。今の国民みんなは“虐められる喜び”がなくなっているから、国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。
政府は国民みんなに政府のことを説明してくれないから、誰かが国民みんなに政府のことを説明しないといけない。政府のことがわかっている者が政府のことをみんなに説明すればいい。そうして、国民みんなが政府のことがわかって、政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒して、政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせないようにしてみんなで幸福に暮らさねばならない。
ロックやルソーは昔の政府学の学者である。昔は政府学が遅れていたので政府のことがよくわからなかった。まちがったことを書いているくせに文体だけ畏[かしこ]まっている。今では時代が進んで政府学も進んで政府ことがよくわかっている。今では“虐められる喜び”や民主主義のことがよくわかっているから政府のことがよくわかっている。今ではちゃんとした政府学があるから、国民みんなが政府のことを勉強して政府のことがわかれば政府を自分の思い通りにすることができる。だから、今の国民みんなは政府のことを勉強すればいいのである。

[23610] “虐[いじ]められる喜び”と民主主義で政府のことがわかる。☆☆ h30.2.25
昔はみんなに“虐められる喜び”があった。昔はみんなが文明が遅れていて環境が悪くて“虐められる喜び”があるほうが不幸を幸福に変えて楽しく暮らせたので、自然選択によって“虐められる喜び”があるほうが多く生き残って子供を作ったので、みんなに“虐められる喜び”があった。しかし、人間が“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって幸福に暮らせないので、人間にとって“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びだった。
昔のみんなは“虐められる喜び”を満足するために、自分たちに悪いことをして自分たちを虐める会社を建てた。それが政府である。しかし、“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びだった。それでも、昔のみんなは自分が虐められること以外に面白いことがなくてなんとかして“虐められる喜び”を満足したかったので、昔のみんなは政府に「法律や学校などのことをやる会社」のふりをさせて隠れてみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせて“虐められる喜び”を満足していた。
そういうわけで、政府は「法律や学校などのことをやる会社」のふりをしている『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』なのである。政府は表で「法律や学校などのことをやる会社」をやって裏で『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』をやっている。政府は目立つところでちょっとだけ善いことをやって、目立たないところでたくさん悪いことをやっている。そのため、パッと見[み]では政府が善いことだけやっているように見える。
政府は目立つように法律や学校などの仕事をしてみんなが幸福に暮らせる国を作って、目立たないようにみんなからたくさん物やお金を強盗して、みんなから取った物やお金を使ってみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府は目立たないように国民みんなの好きな物をなくして嫌いな物ばかりにして、みんなにまちがった道徳を教えてみんなが幸福に生きて行けないようにして、事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを不快な気持ちにさせてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。
政府は民主主義や国家宗教や身分制をやっているが、民主主義や国家宗教や身分制は国民が国民みんなや神や古臭い物を拝[おが]んで気持ちがよくなることであって、政府が国民みんなや神や古臭い物に従うふりをすることによって国民を政府に従わせることではない。政府は目立つところで民主主義や国家宗教や身分制をやっているから、民主主義や国家宗教や身分制は政府が国民を楽しい気持ちにさせるためにやっているのであって、政府が国民を支配するためにやっているのではない。政府と国民は平等であり、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔は文明が低くて自然が人間を支配してみんなの環境が悪かったために人間に“虐められる喜び”があるほうが多く生き残れたので、みんなに“虐められる喜び”があった。昔は文明が遅れていてみんなが物が貧しくてみんなにとっては虐められることがたったひとつの喜びだった。そのため、昔はみんなが政府に虐められて喜んでいた。昔はみんなが政府に物やお金を強盗されて政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらって喜んでいたので、政府にたくさん物やお金をやって政府がすごく儲[もう]かっていた。
今は文明が高くなって人間が自然を支配してみんなの環境がよくなったために人間に“虐められる喜び”がないほうが多く生き残れるので、みんなに“虐められる喜び”がなくなっている。今では文明が進歩して面白いことがいっぱいあるので、みんなが虐められることが面白くなくなっている。そのため、今はみんなが政府に虐められるのが嫌である。今はみんなが政府に物やお金を強盗されたり政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作られるのが嫌なので、政府に物やお金をやらなくなって政府が儲からなくなっている。政府はお金が足りなくなって「法律や学校などのことをやる会社」のふりができなくなって、政府とは別に法律会社や学校会社などが建っている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れつつある。
政府が目立つところで善いことをやって目立たないところで悪いことをやっているために、一見[いっけん]すると政府が善いことをする会社に見えるので、今でも国民の多くが「政府が善いことをする会社だ」と誤解して、政府に国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらうためにたくさんお金をやっている。しかし、本当は政府は国民みんなに悪いことをしてみんなを虐める会社なので、政府は国民からもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府のことを知らない者のために国民みんなが不幸にされている。だから、政府のことを知っている者が政府のことを知らない者に政府のことを教えてやらねばならない。そうやって、みんなが政府のことを知って政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせないようにして、みんなで幸福に暮らさねばならない。政府を潰して、本物の法律会社を建てて、本物の法律会社にお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわねばならない。

[23611] 政府は善いことと悪いことの両方やる会社である。☆ h30.2.25
昔はみんなに“虐[いじ]められる喜び”があった。昔のみんなは“虐められる喜び”を満足するために、政府にみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせていた。
しかも、人間が“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって不幸になるので、“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びだった。そのため、昔のみんなは隠れて“虐められる喜び”を満足するために、政府に「法律や学校などのことをする会社」のふりをさせて隠れてみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせていた。
そういうわけで政府は「法律や学校などのことをする会社」のふりをする『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』になってしまったのである。  
昔は国民みんなが“虐められる喜び”を満足するために、政府にお金をやって政府に隠れて悪いことをさせていたのだ。政府にとってはみんなに悪いことをしてみんなを虐めることは仕事である。
反対に、今では国民みんなが“虐められる喜び”を満足していないので、政府にお金をやらなくなって政府に隠れてみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせなくなっている。
しかし、政府が「法律や学校などのことをする会社」のふりをしているために、一部の国民は「政府が善いことをする会社だ」と誤解して、政府に国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらうために政府にお金をやっている。しかし、政府は本当はみんなを虐める会社なので、政府は国民からもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府のことがわかっていない者のために国民みんなが不幸にされている。
政府は「法律や学校などのことをする会社」のふりをしている『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』である。政府は「国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている会社」のふりをしている『国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている会社』である。政府が国民と契約せずに国民から税金を取っていることが政府が悪いことをする会社の証拠である。国民が政府にお金をやっても、政府は「国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」ふりをするだけで、本当は『国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。』今の国民みんなはマゾではないから、政府に虐められてもうれしくないから、国民はお金の無駄[むだ]だから政府にお金をやってはいけない。
そもそも昔の国民みんなが隠れて“虐められる喜び”を満足しようとしたから、政府が隠れて悪いことをする会社になってしまったのだ。政府が裏表のある会社になってしまったのだ。政府が善いことと悪いことの両方やる会社になってしまったのだ。政府が目立つところで善いことをちょっとだけして、目立たないところで悪いことをたくさんやる会社になってしまったのだ。人間の汚い心が汚い会社を生んでしまったのだ。
政府は目立つところで善いことをちょっとだけして、目立たないところで悪いことをたくさんする会社である。国民が政府にお金をやると政府は目立つところで善いことをちょっとだけして、目立たないところで悪いことをたくさんやる。
今の国民みんなはマゾではないから、政府に虐められてもうれしくないから、政府にお金をやってはいけない。早く国民みんなで善いことと悪いことの両方やる政府を倒して、善いことをやって悪いことをやらない本物の法律会社を建てねばならない。国民みんなが本物の法律会社と契約して本物の法律会社にお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわなければならない。

[23612] 人間に“虐[いじ]められる喜び”があることが『政府が悪いことをする会社である』ことの証拠である。☆ h30.2.25
今の国民の多くは「政府が善いことをする会社だ」と思っている。「政府が国民みんなが幸福に暮らせる国を作る会社だ」と思っている。そのために、国民の多くは「政府が善いことをするためにたくさんお金が要るから、政府は悪いことをする会社のふりをして国民と契約せずに国民みんなから税金を強盗している」と思っている。
しかし、本当は『政府は悪いことをする会社である。』昔の人には“虐められる喜び”があったから、政府は悪いことをする会社なのである。政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを喜ばせるために、国民みんなからたくさんお金を強盗して、国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。人間にとっては“虐められる喜び”は人間の幸福を妨[さまた]げる悪い喜びだから、人間は隠して“虐められる喜び”を満足しなければならないので、政府は「法律や学校などのことをする会社」のふりをして隠れてみんなに悪いことをしてみんなを虐めてみんなの“虐められる喜び”を満足しているのだ。
人間に“虐められる喜び”があることが『政府が悪いことをする会社である』ことの証拠である。昔の人は文明が遅れていて環境が悪くて“虐められる喜び”があるほうが楽しく暮らせて多く生き残って子供を作ることができたから“虐められる喜び”があったのである。昔はみんなに“虐められる喜び”があったから、ガキ大将が子供みんなを虐めて喜ばせていたのだ。親が自分の子供に暴力をふって子供を虐めて喜ばせていたのだ。政府は昔のガキ大将や親と同じことをやっているのだ。反対に、今の人は文明が進んで環境がよくなって“虐められる喜び”がないほうが楽しく暮らせて多く生き残って子供を作ることができるから、“虐められる喜び”がなくなっている。(h30.2.28追加:今ではみんなが“虐められる喜び”がなくなってみんなが虐められるのが嫌になって、世の中から子供たちを虐めるガキ大将がいなくなっている。だから、アニメの『ドラえもん』でもジャイアンをなくさねばならない。ジャイアンのいない『ドラえもん』にしないといけない。)
『政府は悪いことをする会社である。』政府は善いことをするために悪いことをやっているのではなく、悪いことをするために善いことをやっている。政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしている。人間にとっては“虐められる喜び”が悪い喜びであるために、国民みんなは隠れて“虐められる喜び”を満足しなければならないので、政府は「法律や学校などのことをやる会社」のふりをしている。
政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するために悪いことをいっぱいやっている。政府は自分が悪いことをやっているのを隠すために、「法律や学校などのことをする会社」のふりをして善いことをちょっとだけやっている。だから、政府は善いことをちょっとだけやって、悪いことをたくさんやるのだ。政府は目立つところで善いことをちょっとだけやって、目立たないところで悪いことをたくさんやっている。要するに、政府は悪いことをする会社なのだ。
『政府は悪いことをする会社である。』政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足することをやるだけで、ほかの喜びを満足することをやらない。政府は国民みんなから税金や医療保険や消費税などでたくさんお金を取って、国民みんなから取ったお金で国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府はみんなが好きな物をなくして嫌いなものばっかりにしている。政府は事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを不快な気分にさせている。政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために国民からたくさんお金を取っている。けっして政府は国民が幸福に暮らせる国を作るために国民からたくさんお金を取っているのではない。今の国民みんなはマゾではないから、政府に悪いことをされて虐められてもうれしくないから、政府にお金をやってはいけない。国民みんなで早く政府を倒して、本物の法律会社を建てて、本物の法律会社にお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわねばならない。

[23613] 政府は国民みんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するために隠れて悪いことをやるために善いことをやる会社のふりをしている。 h30.2.25
今の国民の多くは「政府は善いことをする会社だ。」と思っている。今の国民の多くは「政府は国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている。政府が善い国を作るためにお金がたくさん要るから、悪いことをする会社のふりをして国民みんなと契約を取らずに国民みんなからたくさんお金を取っている」と思っている。
しかし、本当は『政府は悪いことをする会社』である。昔はみんなに“虐[いじ]められる喜び”があったから、政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなにいろんな悪いことをしてみんなを虐めるのである。政府はみんなを虐めるために、みんなから高い税金を強盗して、みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っているのだ。しかも、“虐められる喜び”はほかの喜びを満足するのを妨げて人間を不幸にする喜びだから、“虐められる喜び”は本来人間が満足してはいけない喜びだから、昔の人は隠れて“虐められる喜び”を満足しなければならなかったから、政府は隠れて“虐められる喜び”を満足しなければならなかったから、政府は「法律や学校などのことをする会社」のふりをして隠れてみんなに悪いことをしてみんなを虐めているのである。
本当は、政府は悪いことをする会社である。政府は善いことをやるために悪いことをやっているのではなく、悪いことをやるために善いことをやっている。だから、政府は善いことをいっぱいやって悪いことを少ししかやらないのではなく、悪いことをいっぱいやって善いことをちょっとしかやらない。政府は隠れて悪いことをするために目立たないところでたくさん悪いことをやって、「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをするために目立つところでちょっとだけ善いことをやっている。政府は国民に命令して国民からいろんなお金を取って、国民からもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。国民がいくら政府にお金をやっても、政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るだけである。今はみんなに“虐められる喜び”がないから、みんなは政府に虐められるのが嫌だから、みんなは政府にお金をやってはいけない。今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。政府の替わりに本物の法律会社を建てて、本物の法律会社にお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわねばならない。
そもそも政府が悪いことをやるのは国民みんなの“虐められる喜び”を満足して国民みんなを幸福にするためである。政府は根本的には国民みんなを幸福にする会社である。それなら、今の国民みんなはマゾではないから、政府は今の国民みんなのために虐めるのをやめるべきである。政府は国民みんなと契約して国民みんなからお金を取って、そのお金を使って国民みんなが幸福に暮らせる国を作るべきである。それなのに、政府はそうしない。政府は本来の目的を忘れている。政府は形式的に自分の仕事をするだけである。そんな会社ではいけない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
今の国民みんながある程度幸福に生きられるのは、政府がお金が足りなくなっているからである。政府は国民からもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るだけだから、政府のお金が足りなければ政府が国民みんなを不幸にできず国民みんなはあまり不幸にならないのだ。今の国民みんなは政府にお金をやらなくなっているから、政府がお金が足りなくなって国民みんなを不幸にできないのだ。だから、国民みんなは政府にお金をやらなければやらないほど幸福に暮らせるのだ。だから、今の国民みんなは自分が幸福になるために政府にお金をやらなければいいのだ。
政府はマゾの国民みんなを幸福にする会社であって、マゾでない国民みんなを幸福にする会社ではない。政府はマゾでない国民みんなをむしろ不幸にする。今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。今の国民みんなにとってはみんなに悪いことをしない虐めない会社のほうがいい。だから、今の国民みんなは早く政府にお金をやらなくなって政府を倒して、本物の法律会社を建てたほうがいい。

[23614] 昔の人は政府に虐[いじ]めてもらわないと幸福に生きられなかった。 h30.2.25
昔は環境が悪かったのでみんなに“虐められる喜び”があった。昔のみんなは自分の“虐められる喜び”を満足するために、政府を建てて政府にみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせていた。しかし、理屈の上ではみんなが“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって不幸になるので、“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びだった。昔のみんなは満足してはいけない“虐められる喜び”を満足するために、政府に「法律や学校などのことをする会社」のふりをさせて隠れてみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせていた。試験でいい点を取りたいのに、いい点を取れないときにカンニングをするのと同じことである。
そういうわけで、政府は「法律や学校などのことをやる会社」のふりをしている『国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐める会社』なのである。政府は「法律や学校などのことをやる会社」のふりをして目立つところでちょっとだけ善いことをやって、隠れて『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』をやって目立たないところでたくさん悪いことをやっているのだ。
今では環境がよくなって国民みんなは“虐められる喜び”がないが、政府は今でも「法律や学校などのことをする会社」のふりをして隠れてみんなに悪いことをしてみんなを虐めているのである。
政府は国民みんなからお金を取って、そのお金で目立つところでちょっとだけ善いことをやって、目立たないところでたくさん悪いことをやっている。政府は目立つところでちょっとだけ国民みんなが幸福に暮らせる国を作って、目立たないところでたくさん国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。
そのため、テレビや新聞では政府が善いことをやっていることのほかにときどき政府が悪いことをやっていることが報道されるのだ。
昔はみんながマゾだったから政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらって喜んでいたから、政府にたくさんお金をやって政府がすごく儲[もう]かっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作られるのが嫌だから、政府にお金をやらなくなって政府がお金がなくなって潰[つぶ]れている。政府はお金が足りなくなって「法律や学校などのことをやる会社」のふりができなくなって、別の会社に法律や学校の仕事をやってもらっている。
昔のみんなは政府に虐めてもらわないと幸福に生きられなかったので、政府にたくさんお金をやって政府にたくさん虐めてもらっていた。そのために、昔の政府はすごく儲かっていた。反対に、今のみんなは政府に虐めてもらわなくても幸福に生きられるようになったので、政府にお金をやらなくなって政府に虐めてもらわなくなった。そのために、今の政府は儲からなくなって潰れているのだ。

[23615] 政府は善いことをする団体ではなく悪いことをする団体である。☆ h30.2.26
今でも国民の多くは「政府が善いことをする団体だ」と思っている。「政府は国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている。政府が善いことをするためにはたくさんお金が要るので、政府は悪いことをする団体のふりをして国民みんなと契約を取らずに国民みんなから税金を取っている」と思っている。国民の多くは政府が悪いことをしてもせいぜい国民から税金を取るぐらいのことだと思っている。国民の多くは政府は本当は善いことをする団体であり、善いことをするためにやむを得ず悪いことをやっていると思っている。
しかし、本当は『政府は悪いことをする団体』なのである。そもそも政府は国民みんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足する団体である。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足して国民みんなを幸福にするために国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めるのである。だから、政府は国民からお金を取るだけでなく、ほかにもいろいろ悪いことをやっているのである。政府は事件を起こして人殺しをして国民みんなを不快な気分にしたり、国民みんなの好きな物をなくして嫌いな物を増やして国民みんなを虐めているのである。政府は国民みんなの食べ物や家や服などをみんなの趣味に合わないものにしたり、国民みんなにまちがった道徳を教えてみんなが幸福に生きていけないようにしたりする。人間が“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって幸福に生きられなくなる。本来人間にとっては“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びである。そのため、人間は満足してはいけない“虐められる喜び”を満足するために、政府に「法律や学校などのことをやる会社」のふりをさせて隠れて『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』をやらせているのである。そのために、国民みんなは政府に「法律や学校などのことをやる会社」のふりをさせるために目立つところでちょっとだけ善いことをさせて、『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』をさせるために目立たないところでたくさん悪いことをさせるのである。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するために国民みんなに悪いことをする会社だから、政府は目立つところでちょっとだけ善いことをやって、目立たないところで悪いことをたくさんするのである。政府は目立つところでちょっとだけ国民みんなが幸福に暮らせる国を作って、目立たないところでたくさん国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るのである。具体的に政府がどの程度善いことをやって悪いことをやるかは知らないが、政府はかなり悪いことをやっているのである。テレビや新聞でときどき政府が悪いことをやるニュースをやっているのは、そもそも『政府が悪いことをする会社』だからである。
一方、政府は民主主義や国家宗教や身分制をやっている。そもそも民主主義や国家宗教や身分制は国民が国民みんなや神や古臭い物を拝[おが]んで楽しい気持ちになる行事であって、政府が国民みんなや神や古臭い物に従うふりをして国民を政府に従わせることではない。もっとも、日本人は国民みんなや神や古臭い物を拝んでも楽しい気持ちになれないから、いくら外人を真似[まね]て民主主義や国家宗教や身分制をやっても無駄[むだ]である。だから、政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。だから、日本人全員が政府の命令を聞いているわけではない。日本中の会社が政府の命令を聞いているわけではない。政府は日本の司令塔ではない。だから、これまでずっと国民みんなは政府に従わずに自分の好き勝手にやってきた。政府の命令を聞きたい者が勝手に政府の命令を聞いているだけである。政府の法律や政令は政府が自分で勝手に作ったものだから、守りたい者だけが守ればいい。政府の法律や政令は政府が国民みんなを虐めるために作った法律や政令であって、正しい(つまり国民みんなを本当に幸福にするための)法律や政令ではないから強制力がないから、国民は好き勝手に聞けばいいのである。(昔はみんながマゾだったためにみんなが政府の命令をなんでも聞いていたから、あたかも国民みんなが政府の命令を聞かねばならないように見えるので政府が国民よりも上の者であるかのように思われているが、本当は国民と政府は平等なのだ。大昔からずっと国民と政府は平等なのだ。)
『政府は悪いことをする会社』だから、政府は目立つところで善いことをちょっとだけやって、目立たないところで悪いことをたくさんやっている。要するに、政府は悪いことをする会社である。
昔は文明が遅れていて環境が悪かったから昔はみんなが“虐められる喜び”があったから、昔はみんなが自分の“悪いことをされる喜び”を満足するために政府に悪いことをさせていた。昔はみんなが政府に虐められないと幸福になれなかったから、みんなは政府にみんなからたくさんお金を奪わせて、みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせていた。
反対に、今は文明が進んで環境がよくなったから今はみんなが“虐められる喜び”がないから、今はみんなが自分の“虐められる喜び”を満足していないから政府に悪いことをさせなくなった。今はみんなが政府に虐められなくても幸福に暮らせるから、みんなは政府にみんなからお金を奪わせたり、みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせなくなっている。今ではみんなが政府にお金をやらなくなって、政府はお金が足りなくなって「法律や学校などのことをやる会社」のふりができなくなって、政府と別に法律会社や学校会社などが建っている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れている。

[23616] 私の政府についての考えは正しい。 h30.2.26
ジーン・ロッデンベリーや梶原一騎[かじわらいっき]や私が考えた政府論はみな同じである。
別々の3人がまったく同じことを考えたのだから、その政府論は正しいと考えられる。
たぶん、ほかの人が政府について考えても同じ結果になるだろう。
つまり、『政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める団体であり、昔は国民みんなに“虐められる喜び”があったが、今は国民みんなに“虐められる喜び”がない。民主主義や国家宗教や身分制は国民が国民みんなや神や古臭い物を拝[おが]んで楽しい気持ちになる行事であって、政府が国民みんなや神や古臭い物に従うふりをして国民を政府に従わせることではない。政府と国民は平等であり、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。今の国民は政府の言うことを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいい。』ことは正しいのである。
しかし、国民の多くは政府のことを知らない。政府について正しいことをみんなに教える物がないからである。政府について正しいことを書いた本やビデオがないからである。そのために、会社の総務部の税金係の人が毎月社員みんなから税金を天引きしているのである。いきなり最初っから社員みんなに無断で天引きしているのである。税金係は馬鹿だから政府のことを知らないから、政府が税金係の馬鹿を利用してみんなから税金を取らせているのだ。
政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えればいい。そうして、みんなが政府のことを知っているようにして早くみんなで政府を倒して幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23617] 政府は国民みんなの使いである。 h30.2.26
昔は国民みんながマゾだったので、国民みんなが自分の“虐められる喜び”を満足するために政府に命令してみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせていた。国民みんなが政府に命令して国民みんなからたくさんお金を取らせたり、事件を起こさせて大勢の国民を殺させてみんなを不快な気分にさせたり、みんなの好きな物をなくさせて嫌な物をたくさん作らせて国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせていた。(戦国時代の大名もみんなの命令でみんなを指揮してみんなに戦争をさせていた。戦国時代にはみんなが戦争をしたかったから、みんなが大名に命令して大名にみんなを指揮させてみんなに戦争をさせていたのだ。)
反対に、今は国民みんながマゾではないので、国民みんなが“虐められる喜び”を満足しなくてもよくなったので政府に命令してみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせなくなった。国民みんなが政府に命令してみんなからたくさんお金を取らせたり、事件を起こさせてたくさん国民を殺させたり、国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせなくなった。
そもそも政府がみんなに悪いことをしてみんなを虐めるのは、国民みんなが政府に命令して悪いことをさせているからである。昔の政府は国民みんなに「国民みんなからお金を取れ」と命令されていたから国民みんなからお金を取っていたのである。今の政府は国民みんなに「国民みんなからお金を取るな」と命令されているから国民みんなからお金を取ってはいけないのである。
それなのに、今の政府は国民みんなからお金を取っている。今の政府がまちがっている。だから、国民みんなは政府の命令を聞かなくていい。国民みんなは政府の命令を聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
(タツノコアニメ『ガッチャマン』のベルクカッツェ(ギャラクターの首領)は総裁Xの命令で国民みんなに悪いことをして国民みんなを苦しめていたが、じつは総裁Xは国民みんなのことである。だから、ベルクカッツェはみんなを幸せにするためにみんなを虐めていたのである。本当は、ガッチャマンは国民みんなの幸福を邪魔[じゃま]していたのである。ベルクカッツェがみんなの味方で、ガッチャマンこそみんなの敵なのである。しかし、それは国民みんながマゾであった昔の話であって、今は国民みんながマゾではないから今はガッチャマンが味方でベルクカッツェが敵なのである。今では総裁Xがいなくなってベルクカッツェが自分の独断で国民みんなを虐めているのだ。ベルクカッツェは悪いやつなのだ。今の国民みんなは政府が要らないので、政府にお金をやるのをやめて政府を潰さねばならない。)
政府に国民みんなに悪いことをさせているのは国民みんなだから、そもそも悪いのは国民みんなだから、国民が政府に悪いことをするのをやめさせるためには政府ではなく国民みんなに訴えねばならない。今の国民の多くは「政府が善いことをする団体だ」と誤解して政府にお金をやって政府に悪いことをさせているのだから、国民は国民の多くに『政府が悪いことをする団体である』ことを教えて政府にお金をやるのをやめさせなければならない。
今は国民みんなが『政府が悪いことをする団体だ』と思っている者と「政府が善いことをする団体だ」と思っている者の2つに分裂している。だから“分裂病”というのだ。つまり、今は「政府が善いことをする団体だ」と思っている者がいるために国民みんなが『政府が悪いことをする団体だ』と思っていない。だから、“統合失調症”というのだ。(精神分裂病は大脳の古皮質が興奮しすぎたために古皮質が暴れ出して新皮質の言うことを聞かなくなって精神が分裂して統合できなくなった状態である。だから、大脳の古皮質を新皮質に従わせて大脳の活動が統合されれば分裂病は治る。)
早く政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えて、みんなが政府のことを知っているようにしてみんなが政府にお金をやらなくなって政府を潰して、みんなで幸福に暮らさねばならない。
政府は国民みんなの使いである。国民みんなが政府に命令して政府にみんなに悪いことをさせている。国民みんなが政府にお金をやって政府に国民みんなを虐めさせている。税金は国民が政府にみんなに悪いことをさせるための代金である。税金は政府が国民みんなに悪いことをする仕事の代金である。スーパーと同じように国民が政府とちゃんと契約をしなくても、国民が政府に税金を払うことによって、国民が政府と契約したことになって、政府が国民みんなに悪いことをする仕事をすることになるのである。だから、国民が政府に税金を払わなければ政府は国民みんなに悪いことをする仕事をやめて国民みんなに悪いことをしないのである。今の国民みんなはマゾではないから政府に悪いことをされたくないから、政府に税金を払うのをやめて政府に悪いことをする仕事をしてもらわなければいいのである。
政府は「法律や学校などのことをする会社」のふりをするためにちょっとだけ善いことをやっている。ちょっとだけのことは問題にしなくてもいい。要するに、政府は悪いことをする会社である。今の国民みんなはマゾではないから悪いことが要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやるのをやめて政府に悪いことをしてもらわなければいいのである。
もともと最初から政府の法律会社や学校会社はニセモノだから法律会社や学校会社はないようなものである。だから、これまで国民みんなは法律会社や学校会社がないと思って、自分で一生懸命に本物の法律を守って自分で勉強してきたのである。政府の法律会社や学校会社はなくてもいい。政府の水道会社や清掃会社や役所は政府のものであるふりをして、本当は国民みんなのものである。昔から水道会社や清掃会社や役所は国民みんなからお金を取って経営してきたのである。だから、政府がなくても国民みんなは困らない。だから、国民みんなは安心して政府を倒せばいいのである。


[23618] 政府は国民みんなを虐[いじ]めることを仕事にしている会社である。☆ h30.2.27
昔はみんなに“虐められる喜び”があった。昔は文明が遅れていて環境が悪かったので人間に“虐められる喜び”があるほうが幸せに生きることができて多く生き残って子供を作ったので人間には“虐められる喜び”があった。
そのため、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めることを仕事にしている会社である。
もっとも、理屈の上では“虐められる喜び”はほかの喜びを満足できないようにして人間を不幸にする喜びだから、満足してはいけない喜びである。それでも昔の人には虐められることしか面白いことがなかったからなにがなんでも“虐められる喜び”を満足したかった。そのために、政府は隠してみんなを虐めていた。政府は自分が国民みんなを虐めていないふりをするために、法律や学校などの仕事をしているふりをして隠して国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めている。人間が人目につかないところで麻薬をやるのと同じことである。
つまり、政府は法律や学校などの仕事をしているふりをして国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めることを仕事にしている会社である。政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作ったり、事件を起こして大勢の国民を殺して国民みんなを不快な気持ちにさせて国民みんなを虐める。政府がどうやって国民みんなを虐めるかは政府が勝手に決める。
政府は法律や学校などの仕事をしているふりをして国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。政府は目立つところでちょっとだけ善いことをやって、目立たないところでたくさん悪いことをやっている。政府は法律や学校などのことをやる会社がみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社のふりをしているのではなく、みんなに悪いことをしてみんなを虐める会社が法律や学校などのことをやる会社のふりをしているのである。だから、政府は善いことよりも悪いことを多くやるのである。政府と国民は平等だから、国民は自由に政府にお金をやって政府に隠れて虐めてもらえばいい。国民が政府に虐めて欲しければ政府にお金を払って虐めてもらい、政府に虐めて欲しくなければ政府にお金を払わず虐めてもらわなければいい。政府は税金や医療保険や国民年金や消費税などで国民からいろんなお金を取っているから、国民は自分が政府に払いたい分だけお金を払えばいい。
昔はみんながマゾだったから、みんなが政府に虐められることが幸せだったから、みんなが政府にたくさんお金をやって政府にたくさん虐めてもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、みんなが政府に虐められることが嫌だから、みんなが政府にお金をやらず政府に虐めてもらわなくなった。
政府はお金が足りなくなって法律や学校などの仕事をしているふりができなくなって、法律会社や学校会社などが建ちつつある。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れつつある。
しかし、政府が目立つところで善いことをして目立たないところで悪いことをしているために国民の多くは「政府が善いことをする会社だ」と誤解して政府に国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらうために政府にお金をやっている。しかし、本当は政府は悪いことをする会社だから、政府は国民からもらったお金を使って国民みんなに悪いことをして虐めている。政府は目立たないところで悪いことをやっているから国民の多くはなかなか気づかない。今の国民みんなはマゾではないから政府に不幸にされている。
そもそも国民の多くが政府のことを知らないのがいけない。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやればいい。そうして、国民みんなが政府のことを知って、政府にお金をやらないようにして政府を潰さねばならない。政府が潰れると、政府が法律や学校などの仕事ができなくなるが、政府が潰れている途中で政府とは別に法律会社や学校会社などが建つから、国民みんなは困らないから、国民は心配せずに政府を潰せばいいのだ。
大昔の人は“虐められる喜び”を隠さずに満足していた。昔の人は“虐められる喜び”を隠して満足していた。今の人は“虐められる喜び”を満足していない。そのために、大昔の人は隠さずに政府に虐められていた。昔の人は隠して政府に虐められていた。今の人はまったく政府に虐められなくなった。つまり、大昔の政府は隠さずに国民みんなを虐めていた。昔の政府は隠してみんなを虐めていた。今の政府はみんなを虐めなくなって潰れている。
今は科学の時代だから、今はみんなが頭で考えないといけないから、今は頭のいい人が増えている。今の人は世の中のことを理解して生きていかねばならないから頭がよくないといけない。「コンピューターが考えるから、人間は考えなくていい」は屁理屈[へりくつ]である。今の人は頭がいいから、今の人には『政府が国民みんなを虐めることを仕事にしている会社である』ことぐらいすぐにわかる。だから、今では『政府が悪いことをする会社である』ことを知っている人が増えている。ますます多くの人が政府にお金をやらなくなってますます政府が潰れている。

[23619] どうして政府は水道や清掃の仕事をやっているのか? h30.2.27
水道や清掃は大昔の竪穴式住居[たてあなしきじゅうしょ]の頃からある仕事である。
政府は大昔からある会社である。
だから、政府は水道や清掃の仕事をやっているのである。
フランケンシュタインが死体を寄せ集めて出来た怪物であるように、政府は大昔からある仕事を寄せ集めて出来た会社なのである。
フランケンシュタインが人間が作った怪物なのに人間を襲うように、政府も国民みんなが作った会社なのに国民みんなに悪いことをするのである。
昔はみんなに“虐[いじ]められる喜び”があった。昔はみんなが自分の“虐められる喜び”を満足するために、政府に命令して政府にみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせていたのだ。人間が“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足できなくなって幸福になれないから、“虐められる喜び”は人間が満足してはいけない喜びだから、みんなは隠れて“虐められる喜び”を満足しなければならなかったから、みんなが政府に水道や清掃などの仕事をさせて隠れてみんなに悪いことをさせてみんなを虐めさせていたのだ。
その後文明が進んで政府は法律や学校や役所などの仕事もするようになった。政府がみんなに悪いことをしてみんなを虐めるためには法律や学校や役所の仕事が便利なので、政府は法律や学校や役所の仕事をするようになったのだ。
だから、政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をする隠れてみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社なのである。政府は自分が悪いことをしているのを隠すために法律や学校などの仕事をしているだけだから、あまり善いことをしない。政府の本職はみんなに悪いことをすることだから、たくさん悪いことをする。政府は目立つところでちょっとだけ善いことをして、目立たないところでたくさん悪いことをするのだ。
国民と政府は平等である。国民が政府に虐められたければ政府にお金をやり、国民が政府に虐められたくなければ政府にお金をやらなければいい。
昔はみんなが“虐められる喜び”があったから、みんなが政府に虐められて喜んでいたから、みんなが政府にたくさんお金をやってたくさん虐められていた。
しかし、今ではみんなが“虐められる喜び”がないから、みんなが政府に虐められるのが嫌だから、みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れている。政府がお金がなくなっているので、法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などが政府から分かれて経営するようになりつつある。

[23620] どうして今でも政府を支持している人がいるのか?☆☆ h30.2.27
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。政府は国民みんなを不幸にするためにみんなにまちがった道徳を教えてみんなが幸福に生きていけないようにする。政府は国民みんなを不幸にするために国民みんなが不幸になる文化を流行[はや]らせて国民みんなが幸福になる文化を流行らせない。政府は国民みんなを不幸にするためにみんなに性欲やマンガや酒やテレビやゲームなどをやらせる。だから、エロ本の出版社や売春宿やマンガの出版社や酒屋やテレビ局やゲームの会社などが政府を支持しているのである。テレビ局やゲーム会社にもよるだろうが。
政府は国民みんなを不幸にする国を作るために国民みんなを不幸にする仕事を有利にするから、国民みんなを不幸にする仕事をする者が政府を支持しているのである。
みんなの“実在の外の喜び”を満足する仕事をしている者は政府を支持している。ふまじめな仕事をしている者は政府を支持している。
政府は国民みんなを不幸にする国を作るために国民みんなを幸福にする仕事を不利にするから、国民みんなを幸福にする仕事をしている者は政府に反対している。みんなの“実在の中の喜び”を満足する仕事をしている者は政府に反対している。まじめな仕事をしている者は政府に反対している。
つまり、国民みんなを幸福にする仕事をしている者は政府に反対している。国民みんなを不幸にする仕事をしている者は政府を支持している。つまり、『人間が実在の中で生きていかねばならない』とする実在主義者は政府に反対している。反対に、「人間が実在の外で生きていかねばならない」とする実存主義者は政府を支持する。正しい哲学や道徳を知っている者は政府に反対して、正しい哲学や道徳を知らない者が政府を支持している。政府自身は正しい哲学や道徳を知っていて正しい哲学や道徳をやっているが、みんなを不幸にするためにわざとにまちがった哲学や道徳をみんなにやらせているのだ。つまり、『人間が幸福になったほうがいい』と思っている者が政府に反対している。「人間が不幸になってしまえばいい」と思っている者が政府を支持している。つまり、良い子は政府に反対している。不良が政府を支持している。善い人は政府に反対し、悪い人が政府を支持している。善い国を作りたい人が政府に反対し、悪い国を作りたい人が政府を支持している。国民みんなを幸福にする仕事をしている者は政府がなくなったほうがいいから、政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]している。国民みんなを不幸にする仕事をしている者は政府があったほうがいいから、政府にお金をやって政府を守っている。
しかし、人間はみんな幸福に生きたい。今ではみんなが自分が本当に幸福になることをやって不幸になることをやらなくなっている。今ではみんなが実在の中で喜ぶようにして、実在の外で喜ばなくなっている。国民みんなを幸福にする仕事が増えて、国民みんなを不幸にする仕事はなくなっている。政府に反対する者が増えて、政府を支持する者が減っている。政府は国民みんなからだんだんお金をもらえなくなって潰れている。
本物の法律会社は国民みんなが幸福に暮らせる国を作る。本物の法律会社は正しい人を有利にしてまちがった人を不利にする。実在を知っている人を有利にして実在を知らない人を不利にする。利口を有利にして馬鹿を不利にする。政府はその反対をやっているから、政府は馬鹿を有利にして利口を不利にする。だから、政府は文系を有利にして理系を不利にするのだ。だから、文系の馬鹿は政府を支持して、理系の利口は政府に反対するのだ。文系の馬鹿は政府を支持しているから、自分から進んで会社の総務部の税金係をやって社員みんなから税金を天引きしているのだ。本物の法律会社にとってはきれいやきたないはどうでもいい。本物の法律会社にとってはおもしろいかつまらないかはどうでもいい。本物の法律会社は国民みんなを幸福にする仕事を有利にして、国民みんなを不幸にする仕事を不利にして、国民みんなが幸福に暮らせる国にする。

[23621] どうして女はおとなしいのか? h30.2.27
女には性欲や眼先の喜びや空想の喜びしかない。女は脳が原始的で大脳の新皮質が未発達だから、頭で考えることが苦手だから、性欲や眼で見る喜びや心で思う喜びしかない。女は考えることが苦手だから、本音[ほんね]では考えることが嫌いである。女が善い人のふりをしているのは、旦那[だんな]や子供のためである。
しかし、人間にとっては性欲や眼先の喜びや空想の喜びは悪い喜びである。人間は実在の中で生きているのだから、人間にとって本当の幸福は実在の中の幸福だけである。(実在とは人間が認識する前の自然のことである。)人間が性欲を満足すると大脳の古皮質が活動して新皮質が活動しなくなって馬鹿になって実在のことがわからなくなって実在の中で自分の心を満足できなくなって不幸になる。人間が眼先の喜びを満足すると実在のことがわからなくなって実在の中で自分の心を満足しなくなって不幸になる。人間が空想の喜びを満足すると実在のことがわからなくなって実在の中で自分の心を満足しなくなって不幸になる。
人間にとっては性欲や眼先の喜びや空想の喜びは人間を不幸にする悪い喜びだから、人間は性欲や眼先の喜びや空想に喜びを満足してはいけない。だから、みんなは女におとなしくさせているのだ。みんなは女に隠して性欲や眼先の喜びや空想の喜びを満足させるために女におとなしくさせているのだ。人間が性欲を満足してはいけないから、みんなが売春宿に料亭のふりをさせているのと同じことだ。人間が“虐められる喜び”を満足してはいけないから、みんなが政府に法律や学校などの仕事をする会社のふりをさせているのと同じことだ。
反対に、男には“考える喜び”や“新しい物を作る喜び”や“運動する喜び”がある。考える喜びや新しい物を作る喜び運動する喜びは実在の中の喜びだから人間を本当に幸福にする喜びだから大いに満足していい。だから、みんなは男に偉そうにさせているのだ。人間にとっては考える喜びや新しい物を作る喜びや運動する喜びは人間を幸福にする善い喜びだから、みんなは男にみんなが見ている前で考える喜びや新しい物を作る喜びや運動する喜びを満足して欲しいから、男に偉そうにさせているのだ。男に大きい態度をさせているのだ。そうやって、みんなは道徳を世の中に反映させているのだ。

[23622] 政府が悪いことをしているのを知っていて政府を利用して暮らしている人はあまりいない。 h30.2.27
今ではマゾはいない。今では自分が政府に虐[いじ]められるために政府に税金を払っている者はいない。(たとえマゾがいたとしてもわずかである。)
だから、今では政府のことを知らない人か、政府が悪いことをやっているのを知っていて政府が悪いことをしていることを利用して有利に生きている者が政府を支持して政府に税金を払って政府を守っている。
実際に、私も40歳のころまでは政府のことに興味がなくてなんとなく「政府が善いことをする会社だ」と思っていたから政府にちゃんと税金を払っていた。ただ、学生の頃に「国民と政府が平等なのに、どうして政府は一方的に国民から税金を取れるのだろう」と疑問に思ったことがある。もちろん答えは出なかったが。けっして私は「政府が私を有利にしてくれる」から政府を支持していたわけではない。私は昔働いていたときに残業手当や夜勤手当や休日出勤の手当てをもらってちょっと有利(時給の1〜2割り増し)だっただけである。
だから、今の政府に税金を払っている人のほとんどは政府のことを知らない人である。政府が悪いことをしているのを知っていてそれを利用して暮らしている人はあまりいないだろう。
今の私は『政府が悪いことをしてみんなを虐める会社である』ことを知っている。『人間は“虐められる喜び”を満足してはいけないから、政府は善いことをする会社のふりをして自分がみんなを虐めているのを隠している。政府は目立つところでちょっとだけ善いことをして、目立たないところで悪いことをたくさんやっている』ことも知っている。私は政府に加担[かたん]してみんなを不幸にする仕事をして政府に有利にしてもらおうとは思わない。今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなは政府に虐められるのが嫌だから、今の私は国民みんなのために政府を倒さねばならないと思っている。
今の政府に税金を払っている人のほとんどは政府のことを知らない人である。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやればいい。政府が悪いことをしているのを知っていてそれを利用して暮らしている人はあまりいないから、みんなが政府のことを知れば、ほとんどみんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れるだろう。国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている会社がなくなって、国民みんなが幸福に暮らせるようになるだろう。

[23623] 政府は国の景気をよくしない。 h30.2.27
政府は善いことをする会社のふりをしている悪いことをする会社である。
政府が善いことをして国の景気をよくすると、政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]めることにならないから、政府は国の景気をよくしない。だから、たとえ政府がいっとき国の景気をよくしても、その後で必ず悪いことをやって国の景気を悪くするのだ。
政府はもともと国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。政府は自分が悪いことをしてみんなを虐めるのを隠すために善いことをしているだけである。だから、政府は国民みんなにあまり善いことをしない。政府はいやいやしかたなく善いことをするだけである。政府は格好[かっこう]だけ善いことをする会社で、中身はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。政府は国民みんなを虐めて国民みんなを喜ばせるだけで、国民みんなに善いことをして国民みんなを喜ばさない。こんなことは昔から国民みんなの常識である。
政府は国の景気をよくしない。今の日本の景気がいいのは“国民みんなのおかげ”である。政府は国の景気を悪くするだけである。国民が政府に国の景気をよくして欲しいと思っても無駄[むだ]である。
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、政府はみんなの“虐められる喜び”を満足する会社だから、政府は国の景気を悪くするだけで景気をよくすることはしないのだ。
昔はみんながマゾだったから、政府に景気を悪くしてもらって喜んでいたから、政府にたくさん税金をやってたくさん不景気にしてもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、政府に景気を悪くされるのが嫌だから、政府にお金をやらなくなって政府に不景気にされなくなった。
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなを虐めるために国の景気を悪くする会社である。今のみんなには“虐められる喜び”がないから、政府は要らない。国民と政府は平等だから、国民が政府に税金をやるかやらないかは国民の自由である。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらずに政府を潰[つぶ]せばいいのである。
一般に、政府は善いことをする会社のふりをして悪いことをする会社である。“虐められる喜び”はみんなが満足してはいけない喜びだから、政府は自分が国民みんなを虐めていないふりをしてみんなを虐めないといけないから、善いことをしているふりをして悪いことをするのである。政府は国民みんなを幸福にしない。今の国民みんなが幸福なのは“国民みんなのおかげ”であって、政府のおかげではない。政府は国民みんなを不幸にするだけである。今の国民みんなはマゾではないから、政府がないほうがいい。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのだ。

[23624] 国民みんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するために政府が生まれた。☆ h30.2.28
昔はみんなに“虐められる喜び”があった。政府はみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。古代になって人間が道徳がわかるようになって“虐められる喜び”は人間が満足してはいけない喜びであることがわかったが、昔のみんなは虐められること以外に喜びがなくてどうしても“虐められる喜び”を満足したかったので、政府は自分がみんなを虐めていないふりをしながらみんなを虐めなければならなかったので、法律や学校などのことをする会社のふりをしながらみんなに悪いことをしてみんなを虐めていた。
今はみんなに“虐められる喜び”がないが、今の政府は昔と同じように法律や学校などのことをする会社のふりをしながらみんなに悪いことをしてみんなを虐めているのだ。政府は国民みんなから税金や消費税や国民医療保険や国民年金などのいろんなお金を取ったり、事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを不快な気持ちにしたり、みんなの好きな物をなくしてみんなの嫌いな物を増やしてみんなが嫌な気持ちで暮らさねばならなくしたり、みんなにまちがった道徳を教えてみんなが幸福に生きていけないようにしたりしてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしてみんなを虐める。政府は法律や学校などのことをする会社のふりをしてみんなを虐める会社だから、目立つところでちょっとだけ善いことをして、目立たないところでたくさんを悪いことをしている。
政府は民主主義や国家宗教や身分制などをやっているが、民主主義や国家宗教や身分制は国民が国民みんなや神や古臭い物などを拝[おが]んで気持ちがよくなる行事であって、政府が国民みんなや神や古臭い物に従うふりをして国民を政府に従わせることではない。だから、政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
政府は法律の仕事をしているふりをしているみんなを虐める会社なので、政府の法律会社はニセモノの法律会社であって本物の法律会社ではないので、政府の法律はニセモノなので本物の法律ではないので強制力がないので、みんなは政府の法律を守らなくてもいい。国民が政府の法律を守るか守らないかは国民の自由である。国民が“納税の義務”を守るか守らないかは国民の自由である。政府は法律の仕事をしているふりをしているみんなを虐める会社なので、政府の法律会社はニセモノなので、政府の法律会社は国民みんなが幸福に暮らせる法律や政策を決めているのではなく、自分の独断で国民みんなを虐める法律や政策を決めている。国民が政府の法律や政策を守るか守らないかは国民の自由である。
昔はみんながマゾだったから、政府に虐められることが幸福だったから、政府の命令を聞いて政府の法律や政策を守って政府にたくさんお金をやって政府にたくさん虐められていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、政府に虐められると不幸になるから、政府の命令を聞かなくなって政府の法律や政策を守らなくなって政府にお金をやらなくなって政府に虐められないようにしている。政府を潰[つぶ]して、本物の法律会社や学校会社などを建てて、本物の法律会社や学校会社にお金をやって国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらうようにしている。
しかしながら、政府が目立つところでちょっとだけ善いことをして、目立たないところでたくさん悪いことをしているために国民の多くが「政府が善いことをする会社だ」と誤解して政府に善いことをしてもらうために政府にお金をやっている。そのために、政府が国民の多くからもらったお金で国民みんなに悪いことをしている。今の国民みんなはマゾではないから、政府に虐められて不幸に暮らしている。
今の国民みんなは政府について知らない国民のために不幸にされている。今の国民みんながマゾではないことはわかりきっているから、とぼけて昔と同じことをやっている政府も悪いが、政府が悪いと言ったところで政府を裁[さば]く会社がないから、国民みんなが自分の手で政府を倒すしかない。政府と国民は平等だから、国民みんなが政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。これまでは政府のことを教える人や本がなかったから国民の多くが政府のことがわからなかった。政府のことを教える人や本があれば国民の多くが政府のことがわかる。政府のことを知っている者が政府のことを知らない者に政府のことを教えて、みんなが政府のことを知っているようにして、みんなが政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
政府は法律や学校などの仕事をやっているふりをしているみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。今のみんなはマゾではないので他人を虐める者が嫌いである。今のみんなは政府の顔を見たくない。今のみんなは政府を相手にしたくない。政府にお金をやりたくない。政府の言うことを聞きたくない。政府と関わりたくない。今のみんなは政府に寄り付かなくなって政府は潰れるだろう。
政府は深いところで善いことをやっていると言われる。しかし、それはみんなの“虐められる喜び”を満足することである。それは昔の話である。今はみんなに“虐められる喜び”がないから、政府は悪いことをしているだけである。今の国民にとっては政府は要らない。だから、今の国民は政府を捨てたらいいのである。

[23625] 政府は見かけが善[い]い会社で、中身が悪い会社である。☆ h30.2.28
政府は法律や学校などの仕事をしているふりをしているみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。そもそも政府はみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしてみんなを虐めてみんなを喜ばせる会社だが、“虐められる喜び”が道徳的に悪い喜びであるために、政府はみんなを虐めていないふりをしてみんなを虐めないといけないから、法律や学校などの仕事をして善いことをしているふりをしているのだ。
政府は見かけが法律や学校などのことをする会社だから、ちょっとだけ法律や学校などの仕事をするのだ。ちょっとだけ善いことをするのだ。政府は中身がみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、たくさん悪いことをしてみんなをたくさん虐めているのだ。政府は国民みんなの眼につくところでちょっとだけ善いことをして、国民みんなの眼につかないところでたくさん悪いことをやっているのだ。政府は国民みんなからたくさんお金を取って、自[みずか]ら法律や学校などを利用して悪いことをやったり、国民を幸福にする仕事からお金を取って不利にして国民を不幸にする仕事にお金をやって有利にしたりしてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしたりしてみんなを虐めている。(かなり前にNHKのニュースのおしまいに「囚人に豪華な食事を食べさせる刑務所」の話をやっていた。それは、政府が国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために、悪いことをする人を有利にして、善いことをする人を不利にしているためである。「囚人に豪華な食事をさせる刑務所」があることから、政府が国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っていることがわかる。つまり、政府がみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社であることがわかる。)
昔のみんなはマゾだったから、政府にたくさん悪いことをされて虐められて幸福に暮らしていた。
しかし、今のみんなはマゾではないから、政府にたくさん悪いことをされてたくさん虐められて不幸に暮らしているのだ。
国民と政府は平等だから、国民は自由に政府を倒せばいい。今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
“見かけが善い人で中身が悪い人”は世の中にたくさんいる。みんなは“見かけが善くて中身が悪い”ことがわからないと世の中を渡れない。宗教団体や暴力団や詐欺師[さぎし]は見かけが善くて中身が悪いから危険である。私が若かったころ実家を出て県外の大学に行くときに父親が「宗教団体には気をつけよ」と忠告してくれたことがある。“見かけが善くて中身が悪い人”はみんなを幸福にするふりをして不幸にするからみんなで皆殺しにしないといけない。政府は“見かけが善い会社で中身が悪い会社”である。みんなはさっさと政府を潰[つぶ]して政府に悪いことをされないようにして幸福に暮らさないといけない。
昔はみんながマゾだったから、政府は本来はみんなを喜ばせるためにみんなに悪いことをしてみんなを虐めていた。昔はみんなも心で物を見ていたから、みんなが政府がみんなに悪いことをしているのを見て「政府がみんなを幸せにしてくれる善い人だ」と思って、政府に悪いことをしてもらって感謝していた。だから、そもそも政府がみんなに悪いことをするのは仕事なのである。だから、政府と国民は平等である。しかし、今の国民みんなは“虐められる喜び”がなくなったから、もはや政府がみんなに悪いことをするのは仕事ではない。だから、今のみんなは政府にお金をやるのをやめて政府に仕事をしてもらわなければいいのである。政府がなくなったら、勝手に法律会社や学校会社などが建つだろう。だから、国民みんなは心配せずに政府を倒せばいいのである。

[23626] 政府の法律や教科書は冗談である。 h30.2.28
政府は法律や学校などの仕事をやるふりをしているみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。
政府の法律会社や学校会社はニセモノの法律会社や学校会社である。政府の法律や教科書は本物の法律や教科書ではないから嘘[うそ]を書いている。わざとにまちがったことを書いている。だから、政府の法律に「国民みんなの総意で法律を決めた」とか政府の教科書に「政府は民主主義をやって国民みんなが幸福に暮らせる社会を作っている」と書いてあるのは嘘である。本当は、民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気分になることであり、政府は自分の独断で法律や政策を決めている。しかも、政府はもともとみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、政府は国民みんなを虐めるために国民みんなを虐める法律や政策をやっている。政府は国民みんなを虐める会社だから、国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っているのだ。
政府のことを知っている人はそういう目で政府の法律や教科書を見ているが、政府のことを知らない人は政府の法律や教科書を鵜呑[うの]みにしてそのまま信じて守っている。
社会科の教科書には政府の本当のことを書いていない。だから、国民みんなはほかのところから政府の本当のことを知ってそういう目で社会科の教科書を読まねばならないのだ。
本来は政府は国民みんなを冗談で笑わせるために嘘の法律や教科書を作ったのだが、今の国民の多くが政府のことを知らないために冗談がわからず真[ま]に受けてまちがいを本気でやっているのだ。政府はみんなを虐める会社だから、実在の世界で国民を幸福にしてはいけないが、冗談を言うことは許されているので、法律や教科書で冗談を言うのだ。
政府のことを知らない人がいるのは政府について教える人や本がないからである。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやらねばならない。国民みんなが政府のことを知っているようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社をなくして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。
昔はみんながマゾだったので、政府はもともとみんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを幸福にするためにみんなに悪いことをしてみんなを虐めるのだ。だから、ほかの人が政府の真似[まね]をしてみんなに悪いことをしてはいけない。それは犯罪である。政府が悪いことをやるのは仕事だが、ほかの人が悪いことをやるのは犯罪である。政府が善い会社のふりをして悪いことをするのは道徳に背[そむ]いてみんなに“虐められる喜び”を満足してやるためだから仕事だが、ほかの人が善い人のふりをして悪いことをするのは他人の眼を欺[あざむ]いて他人を騙[だま]すためだから犯罪である。政府は国民と平等にして悪いことをやっているから犯罪ではないが、ほかの人は国民と不平等にして悪いことをやっているから犯罪である。政府が犯罪組織ではないのは、政府が国民と平等にしているからである。だから、今の国民みんなは自分がマゾではなく政府に悪いことをされるのが嫌だから、政府にお金をやらず政府に仕事をしてもらわなければいいのである。今の国民にとって政府は要らないから、政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]せばいいのである。
正しいことがわかっていないと人間ではない。だから、私は自分が政府について正しいことをわかるために政府について考えてきた。私は自分が考えていることが正しいかどうか確かめるために自分の考えを言葉に表してきた。私は他人に教えるために自分の考えを表してきたのではない。しかし、他人が私の言葉を読んで私の考えを学ぶのはかまわない。他人が私の考えを参考にするのはかまわない。私は自分の“人間としてのプライド”のために政府について考えてきた。だから、私の考えはそこそこ正しいはずである。

[23627] どうして政府のことをそのまま書いた本がないのか? h30.3.1
これまでもジーンロッデンベリーや梶原一騎[かじわらいっき]や鳥海尽三[とりうみじんぞう](『ガッチャマン』の企画をした人)などがドラマやアニメで政府について書いてきた。
しかし、政府についてそのまま書いた人はいなかった。
それは、政府についてそのまま書くよりも、ドラマやアニメにして書いたほうが儲[もう]かるからである。政府についてそのまま書くよりも、ドラマやアニメにして書いたほうが面白くなってたくさん売れるから、ドラマやアニメにしたのだ。しかし、たしかにそのほうが面白くなったが、そのかわり他人が見ても政府のことがわからなくなった。面白さのために教育性が失われるのだ。
それから、政府のことはドラマやアニメにしやすいからである。物理学や数学はドラマやアニメにしにくいが、政府のことはドラマやアニメにしやすいので、ドラマやアニメにしたほうがお金が儲かるので、政府のことはドラマやアニメにとっては恰好[かっこう]のもとネタなので、これまでみんながドラマやアニメにしたのだ。
私は自分が政府のことを正しくわかりたいために政府のことを考えてきただけだから、政府のことをドラマやアニメにしようなんてまったく考えていないから、政府についてそのまま書いたのだ。おかげで私はまったく儲からないが、とにかく政府について理解はできた。政府についてそのまま書くことができた。私はお金儲けには興味がないから、アイデアをそのまま書くのが好きだから、私はこれで満足だ。
もっとも、政府についてそのまま書いた本がないかどうか私は知らない。たとえ政府についてそのまま書いた本があっても、政府についてそのまま書いた本は面白くないから売れないから有名でないからみんなが知らないだけなのかもしれない。これまで出された本を全部探せば何冊かは見つかるかもしれない。

[23628] 政府は国民みんなに悪いことをするだけである。 h30.3.1
国民みんなが豊かに暮らせるかどうかは幸福に暮らせるかどうかは国の文明水準で決まることであって、政府で決まることではない。実際に、日本はアジアで一番早く科学をやって文明が高かったからみんなが豊かになったのだ。
政府はみんなを虐[いじ]める会社だから、みんなに悪いことをするだけである。むしろ、政府はみんなを虐めるためにみんなを貧しくしたり国の文明を遅らせることをする。政府は国民みんなが貧しく暮らさねばならないようにする。
政府は国民みんなに悪いことをする会社である。政府は見かけでは善いことをしているが、中ではみんなに悪いことをしている。今の国民みんなは政府に虐められるのが嫌いだから、政府がないほうがいい。だから、今の国民みんなは政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのだ。

[23629] 政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。☆ h30.3.1
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。政府がみんなに悪いことをするのはみんなの“虐められる喜び”を満足するためである。もっとも、“虐められる喜び”は道徳的に満足してはいけない喜びだから、政府は自分がみんなを虐めていないふりをしてみんなを虐めなければならないから、法律や学校などの仕事をしているふりをして隠れてみんなを虐めている。
政府と国民は平等である。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気持ちになる儀式であって、政府が国民みんなに従っているふりをして国民を政府に従わせることではない。政府は法律を定めているが、政府の法律会社は国民みんなを幸福にするための本物の法律会社ではなく国民みんなを虐めるためのニセモノの法律会社だから、政府の法律は国民みんなを幸福にするためにある正しい法律ではなく、国民みんなを虐めるためにあるまちがった法律だから強制力がないから、国民みんなは政府の法律を守らなくていい。国民みんなは“納税の義務”を守らなくていい。国民みんなは自分が好きな分だけ政府にお金をやればいい。
昔はみんながマゾだったから、自分が幸福になるためには政府に虐められなければならなかったから、政府にたくさん虐められるために政府にたくさんお金を払って政府を守っていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、政府に虐められないために政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。政府が潰れてなくなって、本物の法律会社や学校会社が建とうとしている。

[23630] “神が死んだ”とはどういうことか? h30.3.1
今では“神が死んでいる”。だから、今の宗教団体はおとなしいのだ。
反対に、昔は“神が生きていた”。だから、昔の宗教団体は暴れまくっていた。昔の宗教団体はみんなからお金を取りまくって、みんなが不幸に暮らさねばならない国を作りまくっていた。みんなは毎日宗教団体に悪いことをされて虐められまくっていた。もっとも、昔はみんながマゾだったから、みんなはかえって喜んでいた。
政府も同じである。
今では“政府が死んでいる”。だから、今の政府はおとなしいのだ。
反対に、昔は“政府が生きていた”。だから、昔の政府は暴れまくって、みんなからお金を取りまくって、みんなが不幸に暮らさねばならない国を作りまくっていた。みんなは政府に悪いことをされて虐められまくっていた。しかし、昔はみんながマゾだったから、かえって喜んでいた。
今ではみんながマゾではなくなって、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、政府にお金をやらなくなって政府を倒している。そのために、政府が暴れなくなっておとなしいのだ。今の政府が半殺しだから政府が死にかけだから政府があまりみんなに悪いことをしなくなっているから、政府がみんなに悪いことをしてみんなを虐めていることがあまりわからないのだ。
今では政府のことがわかっていない人が政府が善いことをする会社のふりをしているのを見て「政府が善いことをする団体だ」と誤解して政府にお金をやっているだけである。今では『8時だョ!全員集合』が終わる間近[まぢか]のチャリティーみたいに政府のことがわかっていない人がポツポツと政府にお金をやって政府をかろうじて生き残らせているだけである。(『8時だョ!全員集合』は面白かった。みんなが『8時だョ!全員集合』のナンセンスギャグで喜んでいることと昔のみんなが政府に虐められて喜んでいたことを掛けているのだ。今ではみんなが政府に虐められても喜ばなくなったから、みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているから、『8時だョ!全員集合』が終わって、政府のことがわかっていない人がポツポツと政府にお金をやっているだけなのだ。)
今の政府が生き残っているのは政府のことを知らない人がいるためである。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやってみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府を倒さねばならない。
今の国民みんなは政府を恐れる必要はない。今では国民のほとんどが政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府は滅びかけの政治団体である。だから、残りのみんなもいっしょに政府にお金をやらなくなって政府を倒せばいいのだ。

[23631] 問題は自分が解けるところから解かねばならない。 h30.3.1
政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府がみんなに悪いことをするのはみんなの“虐められる喜び”を満足するためである。
しかし、今では国民みんながマゾではなくなっている。今ではみんなに“虐められる喜び”がない。
それなら、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐めるのをやめるべきである。それなのに、政府はそうしない。
だから、国民みんなで政府を倒さねばならない。政府は犯罪組織ではないから、国民と政府は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は民主主義をやっているが、民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気持ちになるための行事であって、政府が国民みんなに従っているふりをして国民を政府に従わせることではない。政府は法律を定めているが、政府の法律会社はニセモノの法律会社であって本物の法律会社ではない。本物の法律会社は国民みんなが幸福に暮らせるように正しい法律を定めるから強制力があるから国民は本物の法律会社が定めた法律を守らなければならないが、政府の法律会社は国民みんなが不幸に暮らさねばならないようにまちがった法律を定めるから強制力がないから国民は政府の法律会社が定めた法律を守らなくていい。国民が政府の法律を守るか守らないかは国民の自由である。国民が“納税の義務”を守るか守らないかは国民の自由である。だから、本当は納税の“義務”ではない。国民と政府は平等だから、国民が政府にお金をやって政府を守るか、国民が政府にお金をやらず政府を潰[つぶ]すかは国民の自由である。今の国民みんなにとっては政府がないほうがいいから、国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府に税金や医療保険費や国民年金費や消費税などをやらないようにして政府を潰さねばならない。政府が潰れる途中で政府とは別に法律会社や学校会社が建つから、国民は生活に困らないから国民は心配せずに政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。
国民がいくら政府に「政府は国民みんなに悪いことをしてみんなを虐めるな!」とか「政府は自分で潰れろ!」と訴えても政府は全然聞いてくれない。政府はまったく態度を変えない。政府はなにもしない。政府は「自分が国民と平等であることを守っているから自分が悪くない」と思って態度を変えないのだ。政府はこれまでさんざん国民みんなに悪いことをやってきたから、国民みんなのせいにしないと自分が責任を取れないから、国民みんなに自由に政府を潰すか残すかを決めさせて国民みんなに自由に政府を潰させているのだ。だから、国民みんなは政府にお金をやるのをやめて政府を潰せばいいのだ。国民がいくら政府に訴えても政府は態度を変えないから、国民が自分の手で政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならないのだ。問題は自分が解けることをやって解かねばならない。問題は自分が解けるところから解かねばならない。自分が解けないことをいくらやっても問題は解けない。だから、みんなは自分ができることをやって政府を倒さねばならないのだ。政府の弱点は『国民と政府が平等である』ことである。だから、今の国民みんなは政府の弱点を利用して政府を倒さねばならないのだ。

[23632] 「今でもみんなに“虐められる喜び”があったほうが幸せだ」と思っている者がいる。 h30.3.1
今の国民の中には「今はまだ人間の環境が悪いから、今の人が幸福に生きるためには“虐められる喜び”があったほうが有利だから、人間には“虐められる喜び”があったほうがいいから、政府が残ってみんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを幸せにしている。」と思っている人がいる。『宇宙大作戦(スタートレック1作目)』の「タロス星の幻怪人」を見ても、今はまだ文明が遅れていて人間が不幸に暮らしている(人間が牢屋の中で暮らしている)から、今はまだみんなに“虐められる喜び”があったほうがみんなが幸福に生きられるから、政府(タロス星人)がみんなにテレビや映画(テレパシー(テレビ電波のこと)による幻覚)を見せてみんなに楽しい思いをさせて、みんなに悪いことをしてみんなを虐めてみんなを喜ばせているように解釈できる。つまり、ジーンロッデンベリーは「今のみんなには“虐められる喜び”があったほうが幸福に暮らせるから、政府がみんなに悪いことをしてみんなを虐めたほうがいい」と思っている節[ふし]がある。もちろん、私(ミスタースポック)はそんな意見に反対である。ジーンロッデンベリーは『人間に“虐められる喜び”がある』ことは知っていたが、どうして人間に“虐められる喜び”があるのか考えなかったので、人間にはずっと未来永劫[みらいえいごう]に“虐められる喜び”があると思っていたので、このままいつまでも政府が国民みんなを虐め続けると思っていたのである。
文学部の連中はいつも空想の中で暮らしているから、「空想に比べて現実の世界は辛[つら]いことばかりだから嫌なことばかりだから、今のみんなに“虐められる喜び”があったほうが幸せに生きられるから、今のみんなには“虐められる喜び”があるから、政府はみんなを幸せにするためにみんなに悪いことをしてみんなを虐めている」と思っているのだ。会社の総務部の税金係の人は「政府はみんなを虐めてみんなを幸せにしてくれているから、みんなにとって政府がなければならない」と思って、社員みんなに無断で社員みんなから税金を天引きして政府にお金をやっているのだ。税金は本来は人間の自由意志で払うべきなのに、文系のやつが勝手に他人に税金を払わせているのだ。
しかし、普通の人は現実の世界で暮らしているから、『今ぐらいの現実なら人間が十分幸せに生きられるから、今ではみんなに“虐められる喜び”がなくなっているから、みんなに悪いことをしてみんなを虐める政府がなくなったほうがいい』と思っている。普通の人は政府にお金をやらず政府を倒している。
今では文明が進んで環境がよくなって今ではみんなが現実の中で十分幸福に暮らしている。たとえ今の人が不幸でも、今の人には科学があるから、今の人は自分で現実の問題と取り組んで自分で考えて問題を解決して自分が幸福になることができる。人間が“虐められる喜び”を満足しているのではいつまでたっても問題が解決されずに進歩がない。だから、“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びなのだ。今では文明が発達して十分面白いことがたくさんあるから、今の人は“虐められる喜び”を満足して喜ばなくていいから、“虐められる喜び”を満足しなければいいのだ。“虐められる喜び”は“テレビを見る喜び”にも負ける弱い喜びだから、今の人はわざわざそんな弱い喜びを満足しなければいいのだ。
梶原一騎[かじわらいっき]の『巨人の星』では、大リーグボール3号の超スローボールでみんなが“虐められる喜び”を満足しなくなった世界が描かれている。鳥海尽三[とりうみじんぞう]の『ガッチャマン』では、最終回で総裁Xがいなくなって、みんなが“虐められる喜び”がなくなった世界が描かれている。日本人はアメリカ人と違って現実的だから、日本人は現実の中で自分の心を満足して生きるのが好きだから、“虐められる喜び”を満足して現実の外で生きるのが嫌いだから、日本人はテレビやゲームやパソコンなどをやって楽しく暮らすのが好きだから、“虐められる喜び”がなくなったほうがいいと思っている。だから、みんなの“虐められる喜び”を満足する政府もなくなったほうがいいと思っている。そのため、今ではみんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのだ。あいにく、政府のことを知らない人がいるために今でも政府が残っている。だから、今では政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えている。政府のことを知らない人は馬鹿だからアニメやドラマで政府のことを教えている。しかし、その方法ではかえってわかりにくくなって教えられないから、私はそのまま言葉で教えればいいと思っている。私は政府のことを知らない人は必ずしも馬鹿ではなくただ政府に興味がないだけだと思っている。とにかく、今ではみんながみんなに政府のことを教えてみんなが政府のことを知っているようになってみんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのだ。
政府がなくなって本物の法律会社や学校会社だけになったら、本物の法律会社や学校会社が国民みんなが幸福に暮らせる国を作る。みんなが実在の喜びだけを満足して、ほかの喜びを満足しないようにする。みんなが性欲や眼先の喜びや空想の喜びなどを満足しない国にする。みんなに正しい道徳を教えてみんなが幸福に生きていけるようにする。みんなを不幸にする仕事を不利にして、みんなを幸福にする仕事を有利にする。馬鹿を不利にして利口を有利にする。女を不利にして男を有利にする。それでも、みんなが幸福に暮らせるならそれでいい。だから、今のみんなは早く政府を倒して、本物の法律会社や学校会社を建てればいいのだ。

[23633] 人間はどうすれば幸福になれるか? h30.3.1
人間が幸福になるためには物と心が豊かであればいい。
人間が物が豊かであるためには、みんなが科学をやって生産性を上げてみんなが物が豊かになればいい。みんなが自分の心を満足する物をたくさん作って面白い物がたくさんあればいい。みんなを幸福にする物を増やしてみんなを不幸にする物(病気やゴミ)をなくしてみんなが幸福に暮らせるようにすればいい。
人間が心が豊かであるためには、みんなが道徳を守って善い心だけ満足して悪い心を満足しなければいい。道徳は人間が幸福になるための方法である。道徳では人間の喜びを人間を幸福にする善い喜びと人間を不幸にする悪い喜びに分けて、みんなに善い喜びだけを満足させて悪い喜びを満足させないようにする。だから、みんなが道徳を守れば善い喜びだけを満足して悪い喜びを満足しなくなって幸福になれる。例えば、善い喜びは“実在を知る喜び”や“実在を考える喜び”である。“人間が健康になる喜び”や“運動する喜び”である。反対に、悪い喜びは性欲や“虐められる喜び”や眼先の喜びや空想の喜びや酒やタバコの喜びである。まじめに道徳をやった者ほど幸福になって、道徳をやらなかった者ほど不幸になる。
だから、人間が科学と道徳をやれば物や心が豊かになって幸福になれるのだ。
一方、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。政府がみんなに悪いことをしてみんなを虐めるのはみんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを幸福にするためである。しかし、人間が“虐められる喜び”を満足するとほかの喜びが満足でなくなって不幸になるから、“虐められる喜び”は道徳的に満足してはいけない喜びだから、政府はみんなを虐めてないふりをしてみんなを虐めないといけないから、政府は法律や学校などの仕事をしているふりをして隠れてみんなに悪いことをしてみんなを虐める。政府は目立つところで善いことをちょっとだけして、目立たないところで悪いことをたくさんやる。
要するに、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。政府はみんなを虐めるために、みんなに命令してみんなからたくさんお金を取ったり、事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを不快な気分にさせたり、テレビでエロい映像やグロい映像やナンセンスな映像を流してみんなを不快な気分にさせたり、みんなを幸福にする物をなくしてみんなを不幸にする物を増やしてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしたり、みんなにわざとにまちがった道徳を教えてみんなが幸福に生きていけないようにする。(若者は道徳を知らないから、政府が正しい道徳を教えてくれていると思っているが、じつはまちがった道徳を教えているのだ。)
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、みんなに科学をやらせないようにして物を貧しくしたり、みんなに道徳をやらせないようにして心を貧しくしたりする。政府はみんなを科学嫌いにさせてみんなが科学をやらないようにさせてみんなが物を作らないようにさせてみんなの物やお金を貧しくする。政府は道徳に反する国を作ってみんなが不幸に暮らさねばならないようにする。要するに、政府はみんなを虐める会社だから、みんなが不幸になることをするのである。
政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。実際に、これまでずっと国民みんなは政府に従わずに自分の好き勝手にやってきたのである。これまでずっと国民みんなは『政府がみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である』ことを知って、自分の好き勝手に政府の言うことを聞いてきたのである。
昔の人は“虐められる喜び”があったから、自分が幸福になるためには政府に虐められるしかなかったから、政府の言うことを聞いて政府に虐められていた。政府に物や心を貧しくしてもらって虐められて幸福になっていた。
反対に、今の人は“虐められる喜び”がないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、政府の言うことを聞かず政府に虐められなくなった。政府に物や心を貧しくされないようにして不幸にされないようにしている。
要するに、政府はみんなを不幸にする会社である。昔はみんながマゾだったから、昔のみんなには“自分の不幸を転じて幸福にする能力”があったから、自分が幸福になるためには政府に不幸にされなければならなかったから、みんなで政府にたくさん幸福にしてもらうために政府にたくさんお金をやって政府を守っていた。反対に、今はみんながマゾではないから、今のみんなには“自分の不幸を幸福に変える才能”がないから、自分が幸福になるためには政府に不幸にされてはいけないから、みんなで政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
昔はみんながマゾだったから、みんなが幸福になるためにはみんなを不幸にする者がなければならなかったから、みんなで政府にお金をやって政府を守っていた。反対に、今はみんながマゾではないから、みんなが幸福になるためにはみんなを不幸にする者があってはいけないから、みんなで政府にお金をやらないようにして政府を攻撃して政府を潰している。昔のみんなにとっては政府が必要だったが、今のみんなにとっては政府が要らないのだ。昔のみんなが幸福になるためには政府がなければならなかったが、今のみんなが幸福になるためには政府を倒さねばならないのだ。
昔の人には“虐められる喜び”があったから善いことをやっても喜ぶし悪いことをやっても喜んでいた。今の人には“虐められる喜び”がないから善いことをやると喜ぶが、悪いことをやると嫌がる。だから、昔の人にとっては悪いことをやる政府が必要だったが、今の人にとっては悪いことをやる政府が要らないのだ。

[23634] 政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。 h30.3.2
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。政府がみんなに悪いことをするのはみんなの“虐められる喜び”を満足するためである。昔は文明が遅れていて人間の環境が悪かったので、人間が“虐められる喜び”があるほうが幸福に生きられて多く生き残れたので、昔の人には“虐められる喜び”があった。しかし、“虐められる喜び”は人間が満足するとほかの喜びが満足されなくなって不幸になる悪い喜びだからみんなは本当は“虐められる喜び”を満足してはいけないが、昔はみんなに虐められること以外に面白いことがなかったのでみんなはなにがなんでも“虐められる喜び”を満足したかったので、政府は自分がみんなを虐めていないふりをしながらみんなを虐めなければならなかったので、政府は法律や学校などの仕事をしているふりをしながら隠れてみんなに悪いことをしてみんなを虐めている。政府は法律や学校などの仕事をしているふりをするためにみんなの眼のつくところでちょっとだけ法律や学校の仕事をやって、ちょっとだけ善いことをやって、隠れてみんなに悪いことをしてみんなを虐めるために、みんなの眼のつかないところでたくさん悪いことをしてたくさんみんなを虐めている。
政府はみんなからたくさんお金を取ったり、事件を起こして大勢の人を殺してみんなを嫌な気分にしたり、みんなを幸福にすることをなくして不幸にすることを増やしてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしたり、みんなにまちがった道徳を教えてみんなが幸福に生きていけないようにしたりしてみんなを虐める。
政府と国民は平等である。政府は民主主義をやっているが、民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気持ちになる行事であって、政府が国民みんなに従うふりをして国民を政府に従わせることではない。政府は民主主義をやって選挙や議会をやって国民が国民みんなを拝んで楽しい気持ちになれるようにして、自分の独断で法律や政策を決めてやっている。政府は法律を定めているが、政府はみんなを虐める会社が法律の仕事をしているふりをしているだけだから、政府の法律会社はニセモノの法律会社であって本物の法律会社ではないから、政府の法律はニセモノの法律であって本物の法律ではないから、政府の法律には強制力はなく、国民は政府の法律を守らなくていい。国民は“納税の義務”を守らなくていい。国民が政府の法律を守るか守らないかは国民の自由である。政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
要するに、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。国民と政府は平等である。
昔はみんなが“虐められる喜び”があったから、自分が幸福になるためには政府に虐められなければならなかったから、みんなが政府に虐められていた。みんなが政府にたくさんお金を取られたり、みんなが政府にみんなが不幸に暮らさねばならないようにしてもらって虐められていた。
反対に、今はみんなが“虐められる喜び”がないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、みんなが政府に虐められないようにしている。今は文明が進んで人間の環境がよくなったので、人間が“虐められる喜び”がないほうが幸福に生きられて多く生き残れるので、今の人には“虐められる喜び”がない。今では文明が進んで虐められることよりも面白いことがいっぱいあるので、今の人は“虐められる喜び”を満足しないので“虐められる喜び”がない。今ではみんなに“虐められる喜び”がないので、みんなが政府にお金をやらなくなって、みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にみんなが不幸に暮らさねばならないようにされなくなって虐められなくなっている。みんなが政府にお金をやらなくなって政府はお金が足りなくなって法律や学校などの仕事をしているふりができなくなって、政府とは別に法律会社や学校会社などが建っている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れている。
しかしながら、一部の国民は政府のことを知らないために政府が目立つところで善いことをしているのを見て「政府が善いことをする会社だ」と誤解して、政府にみんなが幸福に暮らせる国を作ってもらうために政府にたくさんお金をやっている。しかし、政府は本当はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、国民からもらったお金を使ってみんなに悪いことをしている。今のみんなは“虐められる喜び”がないから、政府に悪いことをされて不幸にされている。政府のことを知らない者がいるためにみんなが不幸にされている。
今でも政府が残っているのは政府のことを知らない者がいるためである。政府は半殺しである。だから、政府のことを知っている者が政府のことを知らない者に政府のことを教えてやらねばならない。そうして、みんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。

[23635] 昔はみんなが幸せになるためには政府に虐[いじ]められねばならなかった。 h30.3.2
昔はみんながマゾだった。そのため、昔はみんなが幸せになるためには虐められるしかなかった。だから、昔はみんなで自分に悪いことをして自分を虐める政府を建てた。しかも、“虐められる喜び”は人間を不幸にする悪い喜びなので、昔はみんなが隠しながら虐められなければならなかったので、政府は法律や学校などの仕事をしているふりをして隠しながらみんなを虐めなければならなかった。
反対に、今はみんながマゾではない。そのため、今はみんなが幸せになるためには虐められてはいけない。だから、今ではみんなでみんなを虐める政府を倒している。政府と国民は平等なので、国民は政府の言うことを聞く必要がないので、今の国民は政府に税金を払わなくなって、政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れている。政府とは別に法律会社や学校会社などが建っている。

[23636] みんなが幸福に暮らせるのはみんなが自分で道徳や科学をやっているからである。 h30.3.2
今の日本が平和なのは国民みんなが道徳をやっているからである。みんなが自分で道徳を勉強して自分で道徳をやって法律を守っているからである。政府は何もしていない。
今の日本の景気がいいのは国民みんなが科学をやっているからである。みんなが自分で科学を勉強して自分で科学をやって自分でいろんな物を作っているからである。政府は何もしていない。
今の日本でみんなが幸福に暮らせるのは、みんなが自分で道徳や科学をやっているからである。政府は何もしていない。政府は無能である。政府は役立たずである。
政府の法律会社や学校会社は何もしていない。政府は法律や学校の仕事をしているふりをしているだけである。政府は見かけで立派なビルを建てて国民みんなの役に立つことをしているふりをしているだけで、実際には何もしていない。
政府で役に立っているのは水道や清掃や役所の仕事だけである。しかし、政府の水道会社や清掃会社や役所は政府の物のふりをしているだけで本当は国民みんなの物である。政府の水道会社や清掃会社や役所は国民みんなが直接にお金をやって仕事をやってもらっているから国民みんなの物である。
政府は国民みんなの役に立たない。政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]めているだけである。政府はくだらない法律や政策をやって国民みんなに迷惑をかけているだけである。政府はみんなに道徳や科学をやらないようにさせてみんなが道徳や科学をやってみんなが幸福になるのを邪魔[じゃま]しているだけである。政府はいろんなことをやってみんなが幸福になるのを妨害しているだけである。政府は国民みんなの幸福の応援さえしていない。みんなの幸福の邪魔をしているだけである。そもそも政府はみんなを虐める会社だから、みんなが幸福になるのを邪魔するのだ。昔はみんながマゾだったから、自分が幸福になるためには政府に虐められねばならなかったから政府が必要だった。しかし、今はみんながマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒さなければならないのだ。
私が子供のころ父親がよく家に仕事を持ち帰って家で仕事をしていた。父親は警察の会計課だったので、よく日曜日に家の中でそろばんで給与の計算をしていた。そのとき私は「政府は政府の中の仕事をやっているだけで、政府の外の仕事をしていない」と思った。私は子供の頃から政府が仕事をしてないことにうすうす気づいていた。
“虐められる喜び”が道徳的には悪い喜びであるために、昔はみんなが“虐められる喜び”を満足していないふりをして満足しなければならなかったために、昔はみんなが政府に虐められていないふりをして虐められなければならなかったために、政府がみんなを虐めていないふりをして虐めなければならなかったために、政府は善いことをしているふりをして隠して悪いことをしている。政府が隠して悪いことをしているために、政府が眼で見てもわからないようにみんなに悪いことをしているために、まさにみんなは眼先では政府がみんなに善いことだけをして悪いことをしていないと思うわけである。国民みんなが自分が嘘[うそ]をついたことを忘れて自分のついた嘘に自分が騙[だま]されているわけである。政府のことを知っている人は政府が善いことをせずに悪いことをしていると思うが、政府のことを知らない人は政府が善いことをして悪いことをしていないと思う。昔はみんながマゾだったのでみんなが政府のことを知っていたが、今はみんながマゾではないので政府のことを知らない人が多い。今では政府のことを知らない人がいるために、今でも政府が生き残ってみんなに悪いことをやってみんなを不幸にしている。政府が隠してみんなに悪いことをしているために、眼で見るだけでは政府のことはわからない。頭で考えて政府のことをわかるしかない。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやらねばならないのだ。
昔の国民みんなは“虐められる喜び”が道徳的には満足してはいけないとされているのに、自分が満足したいから、“虐められる喜び”を満足していないふりをして満足していた。そのうえ、今の国民の多くは自分が“虐められる喜び”を満足していないふりをして満足するために政府に善いことをする会社のふりをさせて悪いことをさせていたのを忘れて、政府が善いことをする会社だと勘違いをして、政府にお金をやって政府に悪いことをさせて国民みんなを不幸にしている。今の政府はそもそも昔の国民みんなが満足してはいけない喜びを満足したのが悪いと思っているから、今の“政府のことを知っている国民”が政府のことを知らない国民に政府のことを教えないのが悪いと思っているから、今でも好き放題に国民みんなに悪いことをしているのかもしれない。人間がひとつまちがったことをするとまちがいが別のまちがいを生む。国民みんなは昔のことはどうにもならないが、今のことならどうにかなる。だから、今の政府のことを知っている者が政府のことを知らない者に政府のことを教えてみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。

[23637] 政府はみんなに善いことをする会社ではなくみんなに悪いことをする会社である。☆☆ h30.3.2
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。政府がみんなに悪いことをするのは本来みんなの“虐められる喜び”を満足するためである。しかし、“虐められる喜び”は人間が満足してはいけない喜びなので、政府はみんなを虐めていないふりをしてみんなを虐めないといけないので、政府は善いことをしているふりをして悪いことをしてみんなを虐めている。
政府は善いことをするために法律や学校などのことをやっている。しかし、国民みんなは自分で道徳や科学をやって心や物を豊かにして自分を幸福にしている。政府の法律会社や学校会社はみんなのために何の役にも立っていない。政府の法律会社や学校会社は一応仕事をしているが、実際には役に立っていない。政府の法律会社はいつでも景気対策をやっているがちっとも景気はよくならない。政府の学校会社は集団教育をしているが、集団教育は利口の足を引っ張って馬鹿に変える教育である。子供にとって好きなことから嫌いなこともで全部教えているのも、いい教育方法ではない。子供の好きなことだけ教えて嫌いなことを教えないほうが子供は伸びる。政府の水道会社や清掃会社や役所はみんなのために役に立っているが、実際には政府の水道会社や清掃会社や役所は国民みんなから直接にお金を取っているから政府の物ではなく国民みんなの物である。
政府は悪いことやるために国民みんなからいろんなお金を取って、そのお金を使ってみんなに悪いことをやっている。人殺しをしてみんなを不快な気分にしたり、みんなを幸福にすることをなくしてみんなを不幸にすることを増やしたり、みんなを科学嫌いにさせてみんなを科学を苦手にさせてみんなに物を作らせないようにして物を貧しくしたり、みんなにまちがった道徳を教えてみんなを幸福に生きていけなくしたりしてみんなに悪いことをやっている。(『オズの魔法使い』で最後に魔法使いがカカシやライオンやロボットになにもしてやらなかったのは、政府がみんなのために善いことをなにもしていないからである。魔法使いがドロシーに善いことをしてやったのは、政府が女を有利にして男を不利にして道徳に反することをやってみんなが不幸に暮らさねばならない国にしているからである。本当は、女を不利に男を有利にしたほうが女も男も両方とも幸福に暮らせるのだ。魔法使いが評判は恐い人だが、実際には優しい人だったのは、政府は悪いことをする会社だが、みんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを幸せにするために悪いことをやっているからである。『オズの魔法使い』が出版されたのは西暦1900年だからそのころはみんながまだマゾだったのだ。)
要するに、政府は善いことをなにもせず悪いことをやっているだけである。
政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔の人はマゾだったから、自分が幸福になるためには政府に虐められねばならなかったから、政府に悪いことをしてもらうために政府にお金を取らせて政府を守っていた。
反対に、今の人はマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、政府に悪いことをされないために政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。
政府のことを知っている人はすでに政府にお金をやらず政府を倒している。しかし、政府のことを知らない人は政府が善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善い会社だ」と思って政府に善いことをしてもらうために政府にたくさんお金をやっている。しかし、本当は政府は悪いことをする会社だから、政府は国民からもらったお金を使ってみんなに悪いことをしている。今ではみんなはマゾではないから、政府に悪いことをされて不幸になっている。
政府のことを知らない人のためにみんなが不幸にされている。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことを教えてやってみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。みんなで本物の法律会社や学校会社を建ててみんなに善いことをさせてみんなで幸せにならねばならない。

[23638] 政府は悪いことをする会社である。☆ h30.3.3
つまり、政府は本質的にはみんなに悪いことしかやっていない。
昔はみんながマゾだったから、自分が幸福になるためには政府にたくさん悪いことをしてもらわねばならなかったから、政府にたくさんお金をやっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に悪いことをされてはいけないから、政府にお金をやらなくなった。終り。

[23639] 文系は政府を支持している。 h30.3.3
文系は実在の外の喜びしかない。性欲や見かけの喜びや空想の喜びしかない。文系は脳が原始的で女のようにくだらないやつだ。
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。政府はみんなからたくさんお金を取ったり、事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを不快な気分にしたり、みんなを幸福にする物をなくして不幸にする物を増やしてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしてみんなを虐める。
政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国にするためにみんなに実在の外の喜びを満足させて実在の中の喜びを満足させないようにする。普通の人はそれで不幸になる。しかし、文系は異常者だから実在の外の喜びしかないからかえって幸福になる。しかも、政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国にするために馬鹿を有利にして利口を不利にする。普通の人は利口だからそれで不幸になる。しかし、文系は馬鹿だから政府に有利にしてもらえる。文系にとっては政府はいいことづくしなので文系は政府を支持しているのである。
文系は政府を支持しているから、政府にお金をやるために会社の総務部の税金係になって社員みんなから勝手に税金を取って政府に払っている。税金は本来社員が自分で同意して払う物なのに、税金係が社員の了承を得ずに自分の独断で政府に税金を払っている。
人間が幸福になるためには道徳や科学をやって心や物を豊かにしないといけない。文系は道徳も科学も両方やらない。文系は理系に寄生して生きのびているだけだ。文系は自分が幸福に生きられないカタワ者だ。文系は自分が不幸に生きているだけでなく、自分の欠点を他人に押し付けてみんなを不幸にする邪魔者[じゃまもの]だ。文系のセンスではみんなが不幸になる。そんな連中は要らない。だから、みんなで文系を皆殺しにしてみんなが道徳や科学をやってみんなが幸福に生きる世の中にしないといけない。
h30.3.4追加:いくらみんなが幸福に暮らせる国を作るといっても、文系までも幸福に暮らせる国を作るわけではない。文系は実在の中にある喜びを満足しない。文系は実在の外にある喜びしか満足しない。今では科学が発達してみんなが実在の中にある喜びを満足して生きていこうとしているのに、文系は自分ひとりだけ実在の外にある喜びを満足しようとしている。今ではみんながまじめに道徳を守って幸福に生きていこうとしているのに、文系がひとりだけ道徳を犯して不幸に生きていこうとしている。文系がいないほうが世の中がうまく行く。だから、みんなはみんなが幸福に暮らせる国を作るために文系を皆殺しにすればいい。理系だけにすればいい。そうすれば、みんながひたすら実在の道を進んでいって急速に文明が発達して最短時間でみんなが楽園に行けるだろう。
h30.3.22これ以降追加:文系の生きがいは“肩書きだけで空威張[からいば]りを効かすこと”だから、世の中がシラケてつまらなくなるから、文系はいなくなったほうがいい。
人間が科学と文学の両方をやったら相殺[そうさい]されてなにもわからなくなる。人間は文学だけやっても生きていけない。人間が科学をやれば実在に適応して幸福に暮らすことができる。だから、人間は文学をやめて科学だけをやればいいのだ。

[23640] 政府は善いことをしていない。☆ h30.3.3
政府は人間の“虐められる喜び”を満足するためにある会社である。だから、政府はみんなに悪いことをしないといけない。政府はみんなからたくさんお金を取ったり、みんなに暴力をふって痛めつけたり、みんなを幸福にする物をなくして不幸にする物を増やしてみんなを嫌がらせたりしないといけない。
しかし、“虐められる喜び”は道徳的には満足してはいけない喜びだから、政府はみんなに悪いことをしてないふりをして悪いことをしないといけない。政府は善いことをしているふりをして悪いことをしないといけない。政府はみんなに善いことをしているようでじつは善いことをしていないようにしないといけない。政府の法律会社や学校会社はただ“建っている”だけで一応仕事をしているだけでみんなの役には“立っていない”。みんなは自分で道徳や科学をやって心や物を豊かにして幸福に暮らしているから、みんなにとっては政府の法律会社や学校会社の仕事が要らないから、政府の法律会社や学校会社はみんなの役に立っていない。政府の水道会社や清掃会社や役所は直接に国民みんなからお金をもらって仕事をしているから、政府の水道会社や清掃会社や役所は政府の物のふりをしているだけで本当は国民みんなの物であって政府の物ではないから、政府はみんなの役には立っていない。政府はみんなに善いことをしているふりをして本当はみんなに善いことをしてない。政府はみんなに悪いことしかしていない。それが政府のプライドである。政府の頭の使いどころである。政府の腕の見せ所である。政府は悪いことをする団体だから政府にとって善いことをするのは恥だから政府にとっては善いことをするのは吐き気を催[もよお]すほど気分が悪いことだから政府は絶対に善いことをしないのだ。政府は悪いことしかしないのだ。
要するに、政府はみんなに悪いことをする会社である。政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにある会社である。政府は国民みんなに善いことをやらず悪いことをやるだけである。それが政府の仕事である。政府はもともとそういう会社である。だから、国民が政府にいくら文句を言っても無駄[むだ]である。国民が政府に不満があるのなら、国民は自分の態度を変えるしかない。
今のみんなはマゾではないから政府に悪いことをしてもらわなくてもいい。今のみんなが幸福であるためには政府があってはならない。みんなは政府を倒さなければならない。今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。みんなに悪いことをする会社をなくしてみんなで幸福に暮らさないといけない。

[23641] 政府は悪いことをする会社だから善いことをしてはいけない。☆ h30.3.3
政府は悪いことをする会社である。政府が悪いことをするのはみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためである。政府は国民みんなからたくさんお金を取ったり、みんなを殺して痛めつけたり、みんなを幸福にする物をなくして不幸にする物を増やしたりしてみんなに悪いことをする。
しかし、“虐められる喜び”は道徳に反する喜びなので、政府は悪いことをしていないふりをして悪いことをしないといけない。政府は善いことをしているふりをして悪いことをしないといけない。政府は悪いことをする会社だから、政府は善いことをしてはいけないから、政府は善いことをしているふりができるだけで善いことをしてはいけない。それが悪いことをする会社の掟[おきて]である。
そのために、政府は法律会社や学校会社を建てて自分がみんなの役に立っているふりをしているだけで本当は役に立つことをやっていない。みんなが自分で道徳や科学を勉強して道徳や科学をやって心や物を豊かにして自分を幸福にしているだけである。政府の法律会社や学校会社は国民みんなが自分で自分を幸福にしているのを“見ているだけ”である。政府の法律会社はみんなが自分で法律を守っているのを見ているだけである。政府の学校会社はみんなが自分で勉強しているのを見ているだけである。政府は水道会社や清掃会社や役所をやっているが、実際には水道会社や清掃会社や役所は直接に国民みんなからお金を取って仕事をしているから、政府の水道会社や清掃会社や役所は政府の物のふりをしているだけで本当は国民みんなの物である。だから、政府は善いことをしていない。
政府は悪いことをする会社である。政府は悪いことをする会社なので善いことをしてはいけないから、政府は善いことをしているふりをしているだけで本当は善いことをしていない。つまり、政府は悪いことをするだけで善いことをしない。
政府と国民は平等である。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は悪いことをする会社だから、政府の法律会社が“納税の義務”という嘘[うそ]の法律を定めているだけである。だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民が政府の保険に入るか入らないかは国民の自由である。
昔はみんながマゾだったから、みんなが幸福になるためには政府に虐めてもらわなければならなかったから、みんながたくさん政府にお金をやって政府にたくさん虐められていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、みんなが幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、みんなが政府にお金をやらないようにして政府に虐められないようにしている。今のみんなにとっては政府のような“悪いことをするだけで善いことをしない会社”は欲しくないから、政府にお金をやらなくなっている。
しかし、政府のことを知らない人は政府が善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善いことをする会社だ」と誤解して、政府に善いことをしてもらうために政府にたくさんお金をやっている。しかし、政府は本当は悪いことをする会社だから、国民からもらったお金を使ってたくさん悪いことをやっている。今ではみんながマゾではないから、みんなが政府に悪いことをされて不幸にされている。
政府のことを知らない人がいるためにみんなが不幸にされている。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやらねばならない。そうして、みんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらなくなって政府を倒さねばならない。国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23642] 政府は悪いことをする会社であって、善いことをする会社ではない。 h30.3.3
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを喜ばせる会社である。政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するために悪いことをする。政府はみんなからいろんなお金を取ったりたくさんお金を取ったり、みんなに暴力をふってみんなを痛めつけたり、みんなを幸福にする物をなくしてみんなを不幸にする物を増やしたりしてみんなに悪いことをする。
しかも、“虐められる喜び”は道徳的に悪い喜びだから、政府は露骨[ろこつ]にみんなに悪いことができず、みんなに悪いことをしていないふりをしてみんなに悪いことをしないといけない。政府はみんなに悪いことをしていないふりをするためにみんなに善いことをしているふりをしないといけない。そもそも政府は悪いことをする会社だから、悪いことをする会社が善いことをしたら自分が悪いことをする会社であることに反するので、政府は善いことをしてはいけない。たとえ政府が善いことをするふりをしても善いことをしてはいけない。世の中には悪いことをする会社は善いことをしてはいけない決まりがあるのだ。政府が善いことをしたら、みんなが「政府が善いことをする会社だ」と思うようになって、政府に悪いことをしてもらわなくなって政府が潰[つぶ]れるので、政府は善いことをしない。政府が善いことをしたら、政府が悪いことをする会社か善いことをする会社かわからなくなるので、政府は善いことをしない。だから、政府はせいぜい善いことをしているふりをするだけで、本当に善いことはしない。だから、政府は法律会社や学校会社を建てているだけでみんなの役に立つことはしない。役に立たない政策や役に立たない教育をしているだけである。例えば、政府は女に数学を教えさせてみんなをシラケさせてみんなが数学をわからないようにする。私が歌を歌うと気持ちが入らないから下手[へた]な歌になるように、女が数学をやると気持ちが入らないから下手な数学になるのだ。政府の水道会社や清掃会社や役所は国民から直接にお金をもらって仕事をしているので、政府の物であるふりをしているだけで本当は国民みんなの物だから、政府が善いことをしていることにはならない。政府の水道会社や清掃会社や役所は政府が建てたふりをしているだけで、本当は最初から国民みんなが建てた会社であって政府が建てた会社ではないから、善いことをしてもいいのだ。したがって、政府は悪いことをしているだけで善いことをしていない。政府は立派な悪いことをする会社だ。
政府と国民は平等である。政府は悪いことをする会社だから、政府は国民と平等に悪いことをしているのだから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔はみんながマゾだったから、自分が幸福になるためには政府に虐められるしかなかったから、みんなが政府の言うことを聞いて政府にたくさんお金をやってたくさん虐められていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府が活動できないようにして政府に虐められないようにしている。
今でも政府のことを知らない人がいる。みんなと付き合いが悪い人がいるから政府のことを知らない人がいる。政府のことを知らない人が政府にお金をやって政府に悪いことをさせてみんなを不幸にさせている。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことを教えてやって政府にお金をやらないようにさせて政府に悪いことをさせないようにしないといけない。早くみんなで政府を潰してみんなで幸福に暮らさねばならない。

[23643] 昔はみんながマゾだったために、みんなが政府に従っていた。 h30.3.4
政府は悪いことをする会社である。
政府と国民は平等である。
しかし、昔はみんながマゾだったから、政府が悪いことをする会社だったから、みんなが政府の言うことをなんでも聞いていたから、政府がいろんなことを決めていた。政府が法律や制度や物の値段や流通などを決めていた。政府は悪いことをする会社だから、政府はみんなを苦しめるように法律や制度や物の値段や流通などを決めていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、政府が悪いことをする会社だから、みんなが政府に言うことを聞かなくなったから、政府がいろんなことを決められなくなった。みんなが自由に法律や制度や物の値段や流通をやるようになっている。みんなが自分たちが幸福に暮らせるように法律や制度や物の値段や流通などを決めている。
今の政府も昔の政府と同じようにみんなに悪いことをしているが、今ではみんながマゾではなくなったためにみんなが政府の言うことを聞かないので、政府がいろんなことを決められなくなったのである。
政府はみんなに悪いことをする会社だから、今の人にとっては政府はみんなを不幸にする会社だから、今ではみんなが政府を無視して自分勝手にやっている。みんなが自分たちが幸福に暮らせる国にしている。(人間にとって幸福とは実在の中で自分の心を満足することである。人間にとって不幸とは実在の外で自分の心を満足したために実在の中で自分の心を満足しなくなることである。だから、今のみんなはみんなが実在の中で自分の心を満足する国にしている。)
そもそも政府と国民は平等である。しかし、昔はみんながマゾだったためにみんなが政府に従っていたので政府が国民よりも上だった。今ではみんながマゾではないのでみんなが政府に従わなくなって国民と政府が平等になっている。今のみんなはマゾではないから悪いことをされるのが嫌なので、政府はみんなに悪いことをする会社なので、今のみんなにとっては政府がなくなったほうがいいので、みんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒している。

[23644] 政府はみんなに悪いことをする会社であって、みんなを幸福にする会社ではない。☆ h30.3.4
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを幸福にするためにみんなに悪いことをする会社である。
政府がみんなを幸福にする会社なら、今のみんなはマゾではないから、今の政府はみんなに悪いことをしないはずである。しかし、今でも政府はみんなに悪いことをしているから、政府はみんなを幸福にする会社ではない。
政府はみんなに悪いことをする会社である。政府はみんながマゾであろうがなかろうがみんなを幸福にしようが不幸にしようがひたすらみんなに悪いことをする会社である。だから、今でも政府はみんなに悪いことをやっている。今ではみんなに“虐められる喜び”がないのに、今でも政府がみんなに悪いことをやっているから、政府は悪いことをする会社なのである。政府はみんなに悪いことをする会社であって、みんなを幸福にする会社ではない。
政府はみんなに悪いことをする会社である。しかし、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に悪いことをさせるかさせないかは国民の自由である。今のみんなはマゾではないから悪いことをされるのが嫌だから、政府に悪いことをさせない。だから、今のみんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。今のみんなは政府を潰してみんなが幸福に生きていけるようにしている。

[23645] 政府は善いことをすることによって悪いことをするのを隠している。 h30.3.4
そもそも政府はみんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを幸福にするためにみんなに悪いことをする会社である。政府はみんなからたくさんお金を取ったり、事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを不快な気分にさせたり、みんなにみんなが幸福になることをやらせずみんなが不幸になることをやらせたりしてみんなに悪いことをする。
しかし、“虐められる喜び”は道徳に反する喜びなので、政府はみんなに悪いことをしていないふりをしてみんなに悪いことをしないといけなかった。
そのため、政府は善いことをしているふりをして悪いことをしていた。政府は法律や学校などの仕事をしながら、みんなに悪いことをしていた。今でも政府はそうしている。
昔はみんながマゾだったので、政府に悪いことをされるのが好きだったので、政府にお金をやって政府に悪いことをされたり善いことをされたりして満足して暮らしていた。
しかし、今はみんながマゾではないので、たとえ政府が善いことをしていても政府に悪いことをされるのが嫌なので、政府にお金をやらなくなって政府に悪いことをされたり善いことをされたりしなくなっている。いくら善いことをしている人でも悪いことをしたらみんなの迷惑だから牢屋に入れられて社会の外に出されるのと同じことである。
実際には、政府はあまり善いことをしていない。みんなは自分で道徳や科学をやって心や物を豊かにして幸福に暮らしている。政府の法律会社や学校会社はみんなが自分で自分を幸福にしているのを見ているだけでほとんどなんの役にも立っていないから政府といっしょになくなっていい。政府の水道会社や清掃会社や役所はみんなから直接にお金を取っているので、実際にはみんなの会社であって政府の会社ではないから政府がなくてもかまわない。そもそも政府は自分が悪いことをしているのを隠すために善いことをしているだけだから、自分が善いことをするために善いことをしているのではないから、あまり善いことをしないのである。役に立たない政策や役に立たない教育をやるだけなのである。政府は本業が悪いことをすることであり、副業が善いことをすることだから、あまり善いことをしないのだ。政府は悪いことをするオマケに善いことをしているだけだから、あまり善いことをしないのだ。政府はそもそも悪いことをするためにある会社であり、善いことをするためにある会社ではないから、善いことはあまりしないのだ。政府は善いことをして悪いことをしているのを隠しているから、あまり悪いことをしているのが見えないのだ。たまにテレビに出るだけなのだ。政府は悪いことをしているのを隠すために善いことをしているから、善いことをしているのはよく見えるが、あまり善いことはしていないのだ。政府は悪いことをしているのを隠すために善いことをしているから、たくさん悪いことをしているのに悪いことをしているのがよく見えず、あまり善いことをしていないのに善いことをしているのがよく見えるのだ。実際には政府が悪いことをたくさんやって善いことをあまりしていないのに、眼では政府が善いことをたくさんやって悪いことをあまりしていないように見えるのだ。眼の錯覚だ。
今ではみんなが政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。政府の法律会社や学校会社などは政府と分かれて、自分でみんなからお金を取って仕事をするようになっている。
民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで気持ちよくなる行事であって、国のことを国民みんなの多数決で決めることではない。そもそも昔から国のことを多数決で決めることはなかった。国のことは“正しい考え”で決めてきた。だから、みんなが“正しいこと”をやればいい。私の政府についての考えは、これまでに多数のマンガやドラマで政府について述べられてきたことと合致[がっち]しているからまず正しい。たとえ多くの国民が「政府が善いことをする会社だ」と思っていても、『政府が悪いことをする会社』であれば、国民は政府にお金をやらず政府を倒せばいい。政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えて、みんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府を倒して幸福に暮らさねばならない。
会社の総務部の税金係の人は自分が政府について知っているわけでもないのに、社員みんなから勝手に税金を取って政府に税金を払ってはいけない。必ず社員の了承を得てから政府に税金を払わないといけない。たとえ政府が文系の馬鹿を幸福に有利にしてくれても、政府はほかの人を幸福に有利にしてくれないから、税金係の人は勝手に他人のお金を取って政府に税金を払ってはいけない。

[23646] 政府が悪いことを隠すために善いことをしているために、政府が善いことをたくさんやって悪いことを少ししかやっていないように見える。 h30.3.4
政府はみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足してみんなを幸福にするためにみんなに悪いことをやる会社である。政府はみんなからたくさんお金を取ったり、事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを不快な気分にさせたり、みんなを嫌がらせることをやったりしてみんなに悪いことをやっている。
しかし、“虐められる喜び”が道徳に反する喜びであるために、政府はみんなに隠してみんなに悪いことをしないといけない。政府はみんなの前で法律や学校などの仕事をやってちょっとだけ善いことをしながら隠してたくさん悪いことをしないといけない。政府は目立つところでちょっとだけ善いことをやって、目立たないところでたくさん悪いことをやっている。
実際には政府はたくさん悪いことをやって善いことを少ししかやっていないのに、政府が目立つところで善いことをやって目立たないところで悪いことをやっているために、みんなの眼では政府が善いことをたくさんやって悪いことを少ししかやっていないように見えるのだ。そのために、政府のことを知らない人は「政府が善いことをする会社だ」と思うのだ。(政府が目立たないところで悪いことをやっているから、『一休さん』に「闇夜[やみよ]のカラス」の話があるのだ。政府が悪いことをやっているのが見つかったとき、誰かが政府が悪いことをやっていることを言っていると周[まわ]りのみんなが「政府のアラをとるな!」と言うのは、昔のみんなにとっては自分が幸福になるためには政府に悪いことをやってもらわなければならなかったから、政府は隠れて悪いことをやらねばならなかったから、政府が悪いことをやっているのが見つかると政府が悪いことをやらなくなってみんなが幸福になれなくなるから、みんなが政府が悪いことをやっているのを言ってはいけない決まりがあったからである。けっして政府が善いことをたくさんやってくれているから政府が悪いことをやったのを言ってはいけないからではない。テレビ局や新聞社が政府が悪いことをやっているのを言わないのはみんなに「政府のアラをとるな!」と言われるからかもしれない。しかし、それは昔のみんなが政府に悪いことをされたかったころの習慣であって、今は反対にみんなが政府に悪いことをされたくないからむしろテレビ局や新聞社はみんなに政府が悪いことをやっているのを言って政府に悪いことをさせないほうがいいから、テレビ局や新聞社は政府が悪いことをやっているのをみんなに言ったほうがいいのである。)
政府は悪いことをする会社である。政府はたくさん悪いことをしているのを隠すためにちょっとだけ善いことをやっている。

政府と国民は平等である。だから、国民が政府に悪いことをされるかされないかは国民の自由である。
昔はみんながマゾだったので、みんなが幸福になるためには政府に虐められなければならなかったので、みんなが政府にたくさんお金をやって政府にたくさん虐められていた。
今はみんながマゾではないので、みんなが幸福になるためには政府に虐められてはいけないので、みんなが政府にお金をやらないようにして政府に虐められないようにしている。政府はお金が足りなくなって、法律会社や学校会社などが政府から独立している。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れている。
しかし、政府のことを知らない人は政府が目立つところで善いことをやっているのを見て「政府が善いことをする会社だ」と誤解して政府にたくさんお金をやっているために、政府がたくさん悪いことをしてみんなを不幸にしている。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてみんなが政府のことを知っているようにしてみんなが政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。みんなで政府のない国にして幸福に暮らさないといけない。

[23647] 政府は善いことをしているふりをして本当は悪いことをやっている。☆ h30.3.4
政府はみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社である。政府はみんなからたくさんお金を取ったり、大勢の人を殺してみんなを不快な気分にさせたり、みんなにいろんな嫌がらせをしたりしてみんなに悪いことをする。
しかし、“虐められる喜び”は道徳に反する悪い喜びなので、政府は隠れてみんなに悪いことをしないといけないので、政府は善いことをしているふりをしながら悪いことをやったり、悪いことをしていないふりをしながら悪いことをやったりしている。政府は「みんなに善いことをするためにはたくさんお金が要る」と嘘[うそ]をついてみんなからたくさんお金を取っている。政府は誰がやったかわからないようにしたり偶然の事故に見せかけたりして事件を起こして大勢の国民を殺している。政府は「みんなの健康を守るため」と嘘を言って食品にたくさん薬をかけて不味[まず]くしたり、「海外旅行に行ったときに外人に嫌われる」と嘘を言ってみんなに格好[かっこう]をつけさせたり、「馬鹿のほうが空想して幸せになれる」と嘘を言ってみんなを馬鹿にさせたりしている。
政府は悪いことをする会社である。政府は善いことをしているふりをして悪いことをする会社である。政府は水道や清掃や役所などをやって本当に善いことをしているが、それは自分が悪いことをやっているのを隠すための“必要善”である。政府はしかたなしに善いことをしているのだ。
政府は嘘の理由をつけて自分がみんなのために善いことをしているふりをして悪い政策をやっている。
昔はみんながマゾだったので、幸福になるためには政府に悪いことをされねばならなかったので、政府にたくさんお金をやって悪いことをしてもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないので、幸福になるためには政府に悪いことをされてはいけないので、政府にお金をやらないようにして政府を倒して政府に悪いことをされないようにしている。今の国民みんなはマゾではないので、政府に“虐められる喜び”を満足してもらわなくてもいいので、政府に悪いことをしてもらわなくてもいいので、政府にお金を取ってもらわなくてもいいので政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]しているのだ。政府はお金がなくなって、法律会社や学校会社などが独立している。
国民の中には政府が善いことをしているふりをしているのに引っかかって「政府が善いことをする会社だ」と誤解している者がいる。そういう者は政府にお金をやって政府に悪いことをさせてみんなを不幸にしている。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことを教えてやってみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。早く政府をなくしてみんなで幸福に暮らさねばならない。

[23648] 政府は善いことをするふりをして悪いことをする会社である。☆ h30.3.5
大昔(古代以前)の政府は悪いことだけやっていた。大昔は道徳がなかったので、政府は純粋にみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをやっていた。政府はみんなからお金をたくさん取ったり、人殺しをしてみんなを不快な気分にしたり、みんなにいろんな嫌がらせをしてみんなに悪いことをしていた。
昔(古代から現代まで)の政府は善いことをしているふりをして悪いことをするようになった。昔になって道徳が出来て“虐められる喜び”が悪い喜びであることがわかったが、それでもみんなはどうしても“虐められる喜び”を満足したかったので、政府は善いことをしているふりをして悪いことをするようになった。今(現代以降)の政府も同じである。政府は嘘[うそ]の理由をつけて善いことをしているふりをして悪いことをしたり悪いことをしていないふりをして悪いことをするようになった。政府は「みんなに善いことをするためにはたくさんお金が要る」と嘘をついてみんなからたくさんお金を取っている。政府は「性欲を満足するときれいになって幸福に暮らせる」と嘘をついてみんなに性欲を満足させている。政府の法律会社や学校会社はみんなにまちがった政策や教育をやらせてみんなの役に立つふりをしてみんなの役に立たないことをしているから、善いことをしているふりをして悪いことをしている。一方、政府の水道会社や清掃会社や役所はたしかに善いことをしているが、国民みんなから直接にお金を取って仕事をしているので本当は国民みんなの会社である。政府の水道会社や清掃会社や役所は政府のふりをしているだけで政府ではない。だから、政府はやはり善いことをしているふりをして悪いことをしていると言える。
つまり、政府は善いことをするふりをして悪いことをする会社である。政府の仕事は善いことをするふりをして悪いことをすることである。政府が善いことをしているふりをしようがしまいがとにかく政府が悪いことをしていることに変わりはない。政府は大昔と同じように悪いことをする会社である。
昔はみんながマゾだったから、自分が幸福になるためには政府に虐められるしかなかったから、政府にたくさんお金をやってたくさん悪いことをしてもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に虐められなくてもいいから、政府にお金をやらなくなって悪いことをしてもらわなくなった。政府はお金が足りなくなって、法律会社や学校会社などが政府から分かれている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れている。
しかし、政府のことを知らない人は政府が善いことをするふりをしているのを見て「政府が善いことをする会社だ」と思って政府にお金をやっているので、政府がみんなに悪いことをしてみんなを不幸にしている。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらなくなって政府を倒してみんなで幸福に暮らさねばならない。

[23649] 政府は密[ひそ]かにみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。☆ h30.3.5
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社である。(“虐められる喜び”とは、自分が虐められたつまり自分が悪いことをされたと思ったら快感を感じる感情である。そういう中枢が人間の脳にある。“虐められる喜び”の中枢は、自分が虐められたときに快感を発生する。)
しかし、“虐められる喜び”は道徳的に悪い喜びなので、政府は嘘[うそ]をついて自分が善いことをやっているふりをしながら密かにみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする。例えば、政府が国民みんなから税金を取るのは、本当は『政府が国民みんなを虐めて喜ばせるため』だが、政府は嘘をついて「国民みんなに善いことをするために税金を取っている」ことにしているのだ。政府が事件を起こして国民を殺すのは、本当は『政府が国民みんなを不快な気分にして虐めて喜ばせるため』だが、政府は嘘をついて「どこかの秘密組織が復讐のために国民を殺した。政府は殺された者を大変気の毒に思う」ことにしているのだ。政府は自分が善いことをしてみんなを喜ばせているふりをして、本当はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしているのだ。そもそも政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにあるが、“虐められる喜び”が人間が満足してはいけない喜びであるために、政府は本当は『みんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足している』のに、嘘をついて「政府がみんなのために善いことをしている」とか「政府が悪いことをしていない」ことにして、政府がみんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足していないことにしているのだ。みんなも政府と協力して自分の“虐められる喜び”を満足している。みんなは合理を装[よそお]って不合理的な喜び(“虐められる喜び”のこと)を満足しているのだ。
政府の法律会社や学校会社は本当はみんなに悪い政策や教育をやってみんなを虐める会社である。しかし、うわべでは政府の法律会社や学校会社はみんなのためになることをやってみんなを幸福にする会社であることにしている。政府の法律会社や学校会社は密かにみんなの“虐められる喜び”を満足する会社なのである。
政府の水道会社や清掃会社や役所はみんなに善いことをしているからみんなの“虐められる喜び”を満足する会社ではない。だから、政府の水道会社や清掃会社や役所は政府ではない。政府のふりをしているだけで本当は政府ではない。だから、政府の水道会社や清掃会社や役所は自分で直接に国民みんなからお金を取って仕事をしているのだ。
政府は密かにみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。政府は嘘をついて自分がみんなに善いことをしていることにして、本当はみんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。政府は嘘の世界では自分がみんなに善いことをしてみんなを喜ばせていることにしているが、現実の世界では自分がみんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足している。政府がみんなに嘘をつくのはみんなを騙[だま]すためではなく、みんなが“虐められる喜び”を満足して悪いことをしているのをみんなが“虐められる喜び”を満足せずに悪いことをしていないことにするためである。だから、みんなは政府が嘘をつくのを認めているわけだ。しかし、嘘の世界は作り事にすぎない。嘘の世界は実在しない。政府の嘘によって作り出された世界は人間の頭の中に存在するだけで、現実には存在しない。実在するのは現実の世界だけである。要するに、政府は現実の世界ではみんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足する会社にほかならない。
政府と国民は平等である。
昔はみんながマゾだったから、みんなが“虐められる喜び”を満足したかったから、政府にたくさんお金をやって政府に密かに“虐められる喜び”を満足してもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、みんなが“虐められる喜び”を満足したくないから、政府にお金をやらなくなって政府に密かに“虐められる喜び”を満足してもらわなくなった。政府はお金がなくなって、法律会社や学校会社が独立している。
しかし、今でも政府のことを知らない人がいる。政府のことを知らない人は政府の嘘を真[ま]に受けて「政府が善いことをする会社だ」と思って、政府にお金をやって政府に悪いことをさせてみんなを不幸にしている。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやってみんなで政府にお金をやらなくなって政府を倒してみんなで幸福に暮らさねばならない。


[23650] どうして政府の警察は違反切符を切るのか? h30.3.5
私は前に原付に乗っていて交差点で一時停止をしなかったために後ろをつけていたパトカーに見つかって違反切符5000円を切られた。
私はてっきりその場で警察に5000円を取られるのかと思ったが、自分で後から郵便局に行って5000円払うのだった。私はちゃんと5000円払った。
警察がその場で私から強制的に5000円を取ったら、警察が犯罪者を罰したことになって、警察が善いことをしたことになる。政府の警察は本当は悪いことをする会社だから、悪いことをする会社が善いことをしてはいけないから、政府の警察は犯罪者を罰しないのだ。政府の警察は格好[かっこう]が善いことをする人みたいにしているだけで本当は善いことをしないのだ。だから、犯罪者が自分で罰金を払わねばならないのだ。
政府の警察は本当は悪いことをする会社だから、善いことができないから、犯罪者を罰するのはいいことだから、犯罪者を罰することができない。だから、犯罪者は自分で自分を罰しなければならないのだ。犯罪者は自分の意思で牢屋に入らなければならないのだ。犯罪者は自分が牢屋に入りたくなければ入らなければいいのだ。
政府の学校も本当は悪いことをする会社だから、善いことができないから、生徒に役に立たないことばかり教えるのだ。政府の学校は生徒に役に立つことを教えないのだ。だから、生徒は自分で役に立つことを勉強しないといけない。私が高校生のころ国語の教師が生徒に「今は国語の時間だけれど、おとなしくするなら自分で自由に好きなことを勉強してていい。寝ててもいい。」と言ったことがある。その教師はみんなに『学校の勉強は役に立たないから、自分で役に立つことを勉強しないといけない』と言いたかったのだろう。
政府は悪いことをする会社だから、政府はみんなに悪いことしかできないから、政府の水道会社や清掃会社や役所は善いことをしているから、政府の水道会社や清掃会社や役所は政府ではない。政府の水道会社や清掃会社や役所は政府の外にある会社である。だから、たとえ政府が潰[つぶ]れても政府の水道会社や清掃会社や役所は潰れない。
政府の法律会社も格好が善いことをする人みたいにしているだけで本当は善いことをしない。政府の法律会社は悪い法律や政策を決めるだけである。政府の法律会社やみんなに悪い命令を出す。悪い命令には強制力がないから、命令を聞くか聞かないかは国民の勝手である。政府の法律会社はときどき善い法律や政策を決めることがあるが、善い法律や政策には強制力があるが、政府の法律会社は悪いことをする会社であって善いことができないから、強制的にみんなに善いことをさせることができないから、国民が自分で自由に政府の法律会社の善い命令を聞けばいい。けっきょく、政府の法律会社は悪い命令も善い命令も両方とも国民に強制することができない。国民が自分で自由に政府の法律会社の命令を聞いたり聞かなかったりすればいい。政府の法律会社は格好だけ偉そうで本当は弱いのだ。

[23651] 政府は嘘[うそ]の世界で善いことをする会社で、現実の世界では悪いことをする会社である。 h30.3.5
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。政府は善いことをするふりをして悪いことをする会社である。政府はみんなに悪いことをしていながら、嘘をついてみんなに善いことをしていることにしてみんなが“虐められる喜び”を満足していないことにしてみんなが悪いことをしていないことにしている。みんなは嘘の世界で自分が悪いことをしていないことを喜んで、政府が嘘をついてもいいことにしている。政府の嘘は国家公認の嘘である。
政府は嘘の世界ではみんなのためになることをしてみんなに善いことをしているが、政府は現実の世界ではみんなからたくさんお金を強盗して、人殺しをしてみんなを嫌な気持ちにさせて、みんなにいろんな嫌がらせをしてみんなに悪いことをしている。
政府は現実の世界ではみんなに悪いことをするためにみんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。政府はみんなを幸福にする仕事を不利にしてみんなを不幸にする仕事を有利にしている。政府は悪人を有利にして善人を不利にしている。政府は文系を有利にして理系を不利にしている。文系は政府に有利にしてもらっているので、政府に恩返しをするために、会社の総務部の税金係になって社員みんなから勝手に税金を天引きしている。
政府は現実の世界ではみんなを不幸にする国を作る。昔のみんなはマゾだったから自分が幸福になるためには政府に虐められねばならなかったから、政府がみんなを不幸にする国を作ってもよかったが、今のみんなはマゾではないから自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、政府がみんなを不幸にする国を作ってはいけない。今のみんなにとっては政府があってはいけない。今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。
今の人は嘘の世界が嫌いである。今の人は嘘の世界と現実の世界を分けるのが面倒くさい。今の人は現実の世界だけで生きている。今の人は実在への道をまっすぐに進んでいる。だから、今の人にとっては政府はみんなに悪いことをする会社にすぎない。文系は無能な馬鹿にすぎない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰して、文系を皆殺しにして文系のいない世界にしているのだ。

[23652] 政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。 h30.3.5
政府はみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足する会社である。古代になって道徳が出来て“虐められる喜び”が満足してはいけない喜びであることがわかったが、それでもみんなは“虐められる喜び”を満足するのをやめなかった。政府は善いことをしているふりをしてじつは悪いことをしている会社である。政府は嘘[うそ]をついて「自分がみんなのために善いことをしている」ことにして本当は悪いことをやることによって、嘘の世界でみんなが“虐められる喜び”を満足していないことにしてみんなが悪くないことにしてみんなを喜ばせている。
政府はみんなに悪いことをするためにみんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。政府は嘘をついて「政府は頭のいい人の集まりだから政府はなんでもできるから国民みんなが幸せに暮らせる国にしている」ことにして、本当は『政府は馬鹿の集まりだから政府はなんにもできないから国民みんなが不幸に暮らさねばならない国にしている』のである。政府はみんなからたくさんお金を取ったり、事件を起こして大勢の国民を殺してみんなを嫌な気分にさせたり、みんなを幸福にすることをなくしてみんなを不幸にすることを増やしてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしているだけなのである。
政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国にするために馬鹿を有利にして利口を不利にしている。働かない者を有利にして、働く者を不利にしている。文系を有利にして理系を不利にしている。政府は「文系が宣伝をやれば商品がよく売れる」と嘘をついて文系にどうでもいいことをやらせて遊ばせて、理系からお金を取って文系にお金をやって文系を有利にしている。文系は政府に生きさせてもらっているから政府の子分である。文系は政府の言うことはなんでも聞く。『ドラえもん』のスネ夫がジャイアンの子分であるのと同じことである。本当は『文系が宣伝をやっても商品の売れ行きは変わらず、いい物を作ればよく売れるだけである。』だから、文系は要らない人間である。
昔のみんなはマゾだったから、自分が幸福になるためには政府に虐められるしかなかったから、みんなは政府の言うことを聞いて政府に虐められていた。
反対に、今のみんなはマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に虐められないようにしている。政府はみんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。文系も要らない人間になって皆殺しにされている。
ヨーロッパが中世に暗黒時代になったのは、ヨーロッパの政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために、働かない者を有利にして働く者を不利にしたり、ヨーロッパからインドや中国の文化を排除したり、みんなに道徳や科学をやらないようにさせたからである。みんなはさんざん政府に不幸にされた後で、政府の言いなりになってはいけないと思うようになって、みんなでみんなが幸福に暮らせる決まりを決めてみんなが幸福に暮らせる国にするようになったのである。ヨーロッパの政府がまじめに仕事をやりすぎたのがいけなかったのだ。
政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。国民みんなが政府の言いなりになっていたらみんながどんどん政府に不幸にされる。だから、国民みんなは早く政府を倒して政府のない国にしないといけない。

[23653] これまでにたくさんの人が私と同じ“政府についての理論”を述べている。 h30.3.6
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するために善いことをしているふりをして悪いことをする会社である。“虐められる喜び”は道徳的に満足してはいけない喜びなので、政府はみんなに“虐められる喜び”を満足していないふりをして実際には“虐められる喜び”を満足させるために、嘘[うそ]をついて「政府がみんなのために善いことをしている」ことにして、実際には『政府がみんなに悪いことをしている』のである。政府は嘘の世界ではみんなの“善いことをされる喜び”を満足するためにみんなからお金をもらってみんなが幸福に暮らせる国を作っているが、現実の世界ではみんなの“虐められる喜びつまり悪いことをされる喜び”を満足するためにみんなからたくさんのお金を強盗してそのお金でみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っているのである。
これまでにたくさんの人が政府についての理論をマンガや小説やドラマなどで述べているが、みんなが私と同じことを言っている。政府についての理論は『政府がみんなの“虐められる喜び”を満足するために善いことをしているふりをして悪いことをする会社である』以外にはない。このことは、私の政府についての理論が正しいことの証拠である。作り話なら十人十色だが、真実だからみんなが同じことを言っているのだ。
政府と国民は平等である。昔はみんながマゾだったから、みんなが幸福になるためには政府に虐められるしかなかったから、みんなが政府の言うことを聞いて政府に虐めてもらっていた。反対に、今はみんながマゾではないから、みんなが幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に虐められないようにしている。政府について知らない者だけが政府が善いことをしているふりをしているのを見て「政府が善いことをする会社だ」と思って政府にお金をやっている。そのために、政府がみんなに悪いことをしてみんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことを教えてやってみんなが政府のことを知っているようにしてみんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒さねばならない。これまでは政府のせいでみんなが不幸に暮らさねばならない国になっていた。みんなで早く政府をなくしてみんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
善人は道徳を守って自分の心を満足するから幸福である。反対に、悪人は道徳を守らず自分の心を満足しないから不幸である。政府は悪人を有利にして善人を不利にして、みんなを悪人にして、みんなが不幸に暮らさねばならない国にする。だから、みんなで政府を倒して悪人を不利にして善人を有利にして、みんなを善人にして、みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。(昔タモリが「悪いほうが有利」と言っていたのは、政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために“悪人が有利”で善人が不利な社会にしているからである。悪人は政府を支持するだろうが、善人は政府に反対するだろう。はたして、あなたは政府を支持するだろうかそれとも政府に反対するだろうか?)

[23654] “神が死んだ”とはどういうことか? h30.3.6
“神が死んだ”とはみんなに“虐められる喜び”がなくなったことである。奴隷道徳[どれいどうとく]とはマゾの道徳のことである。奴隷道徳とは、マゾが幸福になるために隠しながら自分の“虐められる喜び”を満足することである。キリストは「隣人愛のために右の頬[ほほ]を殴[なぐ]られたら左の頬を差し出せ」と言ったが、本当は『みんなが自分の“虐められる喜び”を満足するために殴られていただけである。』
昔は文明が遅れていたのでみんなが悪い環境で暮らしていたのでみんなに“虐められる喜び”があった。
今は文明が進んでみんながいい環境で暮らしているのでみんなに“虐められる喜び”がなくなっている。
だから、昔の道徳と今の道徳は違うのだ。道徳とは人間が幸福に生きるための方法である。昔は文明が遅れていたから、人間が幸福に生きるためには“虐められる喜び”を満足しなければならなかった。反対に、今は文明が進んでいるから、人間が幸福に生きるためには“虐められる喜び”を満足してはいけない。今となっては言うまでもないことだ。
政府や宗教団体や暴力団はみんなの“虐められる喜び”を満足する会社だ。昔はみんなが“虐められる喜び”を満足していたから政府や宗教団体や暴力団が必要だった。今はみんなが“虐められる喜び”を満足していないから政府や宗教団体や暴力団が要らない。
今ではみんながマゾではないから、今の政府はもはやみんなの“虐められる喜び”を満足する会社ではなく、悪人を有利にして善人を不利にする会社になっている。政府はみんなを悪人にする会社である。政府はみんなを“幸福に暮らせない人間”にする会社である。みんなは自分が幸福に生きたいからそんな会社は要らない。だから、今ではみんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。

[23655] “善人なおもて往生を遂[と]ぐ、いわんや悪人おや”とはどういうことか? h30.3.6
宗教団体も政府と同じようにみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するために、みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために、善人を不利にして悪人を有利にする。善人は自分で自分の心を満足して幸福に生きられるのだから、宗教団体が多少不利にしてやってもいい。悪人は自分で自分の心を満足できず幸福に生きられないのだから、宗教団体が多少有利にしてやってもいいということである。
つまり、親鸞[しんらん]は「宗教団体が悪人を有利にして善人を不利にする団体である」ことをみんなに宣伝するために“善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人おや”と言ったのである。
昔はみんながマゾだったから、みんなが幸福になるためには宗教団体に虐められねばならなかったから、宗教団体が善人を不利にして悪人を有利にすることによって善人が虐められていたから、善人が幸福になれていた。みんなが善人だったので宗教団体に虐められて幸福になることができたのである。つまり、みんなが善人だということである。
反対に、今はみんながマゾではないから、みんなが幸福になるためには宗教団体に虐められてはいけない。宗教団体が善人を不利にすることによって虐められてはいけない。だから、みんなが宗教団体にお金をやらないようにして宗教団体を潰[つぶ]しているのだ。
政府も宗教団体と同じようにみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。政府はみんなを虐めるために、みんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために、悪人を有利にして善人を不利にする。人間が幸福に暮らすためには道徳を守って善人でなければならない。今ではみんながマゾではないから、今のみんなは“虐められる喜び”から解放されているから、今のみんなが幸福に暮らすためには悪人を有利にして善人を不利にする政府が邪魔[じゃま]なだけである。昔のみんなはマゾだったから、政府がみんなを虐めるために善人を不利にして悪人を有利にするのを許していたが、今のみんなはマゾではないから、政府がみんなを虐めるために善人を不利にして悪人を有利にするのは許せない。だから、今のみんなは政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。ところが、政府のことを知らない人は政府の嘘[うそ]に引っかかって「政府が善いことをする会社だ」と思って政府にお金をやって政府に悪いことをさせてみんなを不幸にさせている。だから、政府のことを知っている人が政府のことを知らない人に政府のことを教えてやってみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒してみんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。

[23656] どうして政府は医者や商人を有利にするのか? h30.3.6
昔からみんなはみんなが幸福に暮らせる国にするために善人を上にして悪人を下にしてきた。医者や商人は頭で考える喜びがなく眼で見る喜びが強い馬鹿なので、医者や商人は“実在の外にある喜び”を満足する悪人なので、みんなが医者や商人を下にしてきた。みんなは医者や商人を儲[もう]からなくして不利にしてきた。
ところが、政府はみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためにみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るために悪人を上にして善人を下にする。そのために、政府は医者や商人を有利にするのだ。政府は医療保険制度を設けて医者にたくさんお金をやるし、消費税を設けて商人にたくさんお金をやる。その分、ほかのみんなは余計なお金を取られて不利になる。そうやって、政府は悪人を有利にして善人を不利にしてみんなが不幸に暮らさねばならない国にしている。
今のみんなはマゾではないから、もはや政府は悪人を有利にして善人を不利にしてみんなを不幸にする団体にすぎない。みんなは善人だから、みんなにとっては政府は要らない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。医者や商人をもとのように不利にしている。政府のことを知らない人は自分で政府のことをもっとよく勉強して政府のことを知らないといけない。

[23657] どうして政府は女を有利にするのか? h30.3.6
昔からみんなはみんなが幸福に暮らせる国にするために善人を上にして悪人を下にしてきた。
女は脳が原始的で古皮質だけが発達して新皮質が未発達でくだらない喜びしかないから、女は脳が動物だから、女は“実在の外にある喜び”を満足する悪人である。女は原始脳だから、女には人情はない。女には“動物の情”しかない。女は人間と動物の中間だ。反対に、男は脳が進化していて新皮質が発達して善い喜びが多いから、男は“実在の中にある喜び”を満足する善人である。そのために、みんなは女を下にして男を上にしてみんなが幸福に暮らせる国にしてきた。
ところが、政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国にするために善人を下にして悪人を上にする。だから、政府は女を有利にして男を不利にするのだ。政府は女にたくさんお金をやって、その分男からたくさんお金を取っている。政府は女に実在の外にある喜びを満足させて、男に実在の中にある喜びを満足させないようにしている。
しかし、今のみんなはマゾではないから、みんなは善人だから、政府が要らない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。みんなはもとの女が下で男が上である社会に戻している。そのほうがみんなが幸福に暮らせるからである。
h30.3.24追加:時代が進むとは、みんなが男女の違いをよくわかって、みんなが幸福に暮らせるように女が男に従う社会制度を決めることである。今の社会は政府に言われるままに無理やり男女を平等にして男が女に従っているので、昔よりもかえってみんなが幸福に暮らせなくなっている。今のみんなは政府のこともわかっていない。政府は悪いことをする会社だから、みんなを不幸にする制度を決める。女は男よりも実在の外にある心が強くて悪人だから、みんなが幸福に暮らせるためには女は男に従わなければならない。そうすれば、女は男を見習って善いことをするからみんなが幸福に暮らせるのだ。今は文明が進んで道具は発達しているが、その分社会制度が悪くなってみんなが幸福に暮らせなくなっている。みんなはもっと人間のことや社会のことを考えて理解して、みんなが幸福に暮らせる世の中にしないといけない。

[23658] 国民みんなはもはや政府について嘘[うそ]をつかなくてもいい。 h30.3.6
昔はみんながマゾだった。そのために、みんなが政府に悪いことをさせてみんなの“虐められる喜びつまり悪いことをされる喜び”を満足させていた。もっとも、“虐められる喜び”は道徳的に人間が満足してはいけない悪い喜びなので、みんなは「政府が善いことをする団体だ」とか「政府は立派な人たちだからみんなのために善いことをしてくれている」と嘘をついてみんなが政府に善いことをさせてみんなの“善いことをされる喜び”を満足させていることにして、実際にはみんなが政府に悪いことをさせてみんなの“悪いことをされる喜び”を満足させていた。みんなは政府に女や文系や医者や商人などを有利にさせてみんなを不利にさせてみんなを虐めさせてみんなを幸福にさせていた。女や文系や医者や商人はみんなが政府に虐めてもらうための道具だった。政府が女や文系や医者や商人などの悪人を有利にしてほかの善人を不利にすると悪人が善人を支配するようになってみんなが悪人に従わねばならなくなってみんなが不幸になるから、政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るためにそうするのである。政府が直接みんなに悪いことを命令したら、政府がみんなに悪いことをやっているのが明らかになって、みんなが“虐められる喜び”を満足していることがバレてしまうので、政府は特定の悪人を有利にすることによってみんなに悪人を真似させて間接的にみんなに悪いことをさせることによってみんなを虐めているのである。
反対に、今はみんながマゾではない。そのために、みんなが嘘をつくのをやめて『政府がみんなの“悪いことをされる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする団体だ』と言って、みんなで政府に悪いことをさせないようにして政府にお金をやるのをやめて政府を倒している。みんなはもとのように女や文系や医者や商人を不利にしてほかのみんなを有利にしている。
しかし、国民みんなは長年「政府が善いことをする団体だ」と嘘をついてきたので、今でも国民の多くは「政府が善いことをする団体だ」と思って、政府にお金をやって政府に悪いことをさせている。国民の多くは自分がついた嘘に自分が騙[だま]されている。
早くみんなが「政府が善いことをする団体だ」と嘘を言うのをやめて、みんなが正直に『政府が悪いことをしてみんなの“悪いことをされる喜び”を満足する団体だ』と言うようにして、みんなに政府のことを教えてみんなが政府のことを知って政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。みんなで善いことをし合ってみんなが幸福に暮らさねばならない。


[23659] どうしてテレビ局は正直に政府のことを言わないのか? h30.3.6
昔はみんながマゾだったので、みんなが“虐められる喜び”を満足していたが、“虐められる喜び”は道徳的に満足してはいけない喜びだったので、みんなは嘘[うそ]をついて「政府が善いことをする会社である」ことにして、政府がみんなに善いことをしてみんなの“善いことをされる喜び”を満足していることにして、実際には政府に悪いことをされて政府に“悪いことをされる喜びつまり虐められる喜び”を満足してもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないので、みんなが“虐められる喜び”を満足していないので、みんなは「政府が善いことをする会社だ」と嘘をつくのをやめて、正直に『政府はみんなの“悪いことをされる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社だ』と言うことにして、今のみんなにとっては政府が要らない会社なので、みんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
それなのに、テレビ局は『政府が悪いことをする会社である』ことを言わない。それは、“テレビばっかり見ていると今にシッポが生えてくる♪”というようにテレビがみんなを馬鹿に変える道具なので、テレビはみんなを不幸にするので、政府がテレビ局を有利にしているからである。テレビ局は政府に有利にしてもらっているので、政府にとって不利な情報を流さないので『政府が悪いことをする会社である』ことを言わないのだ。
しかし、今ではみんなが政府のことを知っている。今ではメディアが発達しているので、みんなはみんなから直接に話しを聞いたり、本を読んだり、ラジオを聞いたり、インターネットを見たりして、『政府がみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしている』ことを知っている。
今ではテレビ局が「政府が善いことをする会社である」と言っているだけである。テレビ局が『政府が悪いことをする会社である』ことを言わないだけである。みんなは『政府が悪いことをする会社である』ことを言っている。テレビは嘘[うそ]つきである。みんなはテレビを信用してはいけない。

[23660] 今の会社には社長は要らない。 h30.3.7
昔はみんながマゾだった。会社では社員みんながマゾだったので、会社の中に社長を置いて社長にみんなを虐[いじ]めさせて喜んでいた。“虐められる喜び”は道徳的に満足してはいけない喜びだったので、社員みんなが「社長は善いことをしている」と嘘[うそ]をついて社長がみんなに善いことをしてみんなの“善いことをされる喜び”を満足していることにして、実際には社長がみんなに悪いことをしてみんなの“悪いことをされる喜び”つまり“虐められる喜び”を満足していた。社長は社員みんなからたくさんお金を取ったり、社員に暴力をふったり、社員に嫌がらせをして社員を虐めていた。社員みんなは自分が虐められるために社長の言うことをなんでも聞いていたので、社長が上で社員が下になっていた。社長と社員が不平等になっていた。
今はみんながマゾではない。会社では社員みんながマゾではないので、会社の中に社長を置かなくなって、みんなで平等に働くことにしている。今では社員みんなが「社長は善いことをしている」と嘘をつかなくなって『社長は悪いことをしているだけだ。社長なんか要らない人間だ。』と本当のことを言って社長を会社から追い出している。社長のない会社にしている。社員みんなが上下の区別なく平等に働くことにして、みんなの待遇を同じにしている。みんなが同じ給料で同じ仕事量で働くことにしている。

[23661] 今の国には政府は要らない。 h30.3.7
昔はみんながマゾだった。国では国民みんながマゾだったので、国の中に政府を置いて政府に国民みんなを虐[いじ]めさせて喜んでいた。“虐められる喜び”は道徳に反する悪い喜びなので、国民みんなが「政府は善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついて政府がみんなに善いことをしてみんなの“善いことをされる喜び”を満足していることにして、実際には政府がみんなに悪いことをしてみんなの“悪いことをされる喜び”つまり“虐められる喜び”を満足していた。政府は国民みんなからたくさんお金を取ったり、国民に暴力をふったり、国民に嫌がらせをしたりして国民みんなを虐めていた。国民みんなは自分が虐められるために政府の言うことをなんでも聞いていたので、政府が上で国民が下になっていた。政府と国民が不平等だった。政府は国民みんなが「政府が善いことをする会社だ」と嘘を言っていたのに合わせて水道や清掃や役所などの善いこともやっていた。これを“嘘から出た真[まこと]”という。
反対に、今はみんながマゾではない。国では国民みんながマゾではないので、国の中に政府を置かなくなって政府にみんなを虐めさせなくなっている。国民みんなが「政府は善いことをする会社だ」と嘘をつかなくなって、『政府はみんなに悪いことをする会社だ。政府は要らない会社だ』と本当のことを言うようになって、政府を国から追い出している。国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって、政府と国民が平等になっている。国民みんなで政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。政府のない国にしている。国民みんなで平等にして、みんなの待遇を同じにしている。みんなが同じ給料をもらって同じ暮らしができるようにしている。
これまで長い間国民みんなが「政府が善いことをする団体だ」と嘘をついてきたために、今でも国民の多くが「政府が善いことをする団体だ」と信じて政府に善いことをしてもらうために政府にたくさんお金をやっている。政府は国民からもらったお金で悪いことをしてみんなを不幸にしている。国民みんなが自分の嘘に自分が騙[だま]されている。国民みんなは自分がやっていることをよく理解して、自分が嘘をついていたことがわかって、嘘をつくのをやめないといけない。早くみんなは本当のことを理解して『政府が悪いことをする会社である』ことがわかって、政府にお金をやるのをやめて政府を倒さないといけない。

[23662] 悪いことはきっぱりやめないといけない。 h30.3.7
今の国民みんなが政府に悪いことをされて不幸に暮らしているのは、国民の多くが「政府が善いことをする団体だ」と思って政府にたくさんお金をやって政府に悪いことをさせているからである。もともと政府は国民みんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]めてみんなの“虐められる喜び”を満足する会社だから、政府は国民からお金をもらってみんなに悪いことをするのである。
今の国民の多くが「政府が善いことをする団体だ」と思っているのは、これまで国民みんなが長い間「政府が善いことをする団体だ」と嘘[うそ]をついてきたからである。
これまで国民みんなが「政府が善いことをする団体だ」と嘘をついてきたのは、昔の国民みんなが満足してはいけない“虐められる喜び”を満足しようとしたためである。昔の国民みんなが『“虐められる喜び”を満足してはいけない』ことがわかっていたのに「“虐められる喜び”を隠して満足すればいい」とか、「嘘をついて自分が“虐められる喜び”を満足していないことにして満足すればいい」と思ったのがいけなかったのである。これまで国民みんなが嘘をついてきたから、今の国民みんなが痛い目にあっているのだ。国民みんなが嘘をついた罰[ばち]が当たったのだ。
古代に道徳が出来て“虐められる喜び”が人間が満足してはいけない悪い喜びだとわかったときに、みんながきっぱり“虐められる喜び”を満足するのをやめればよかったのだ。そうすれば、その後の人類はまっすぐに実在への道を進んで最[もっと]も幸福になれたのだ。
今では『性欲を満足してはいけない』ことがわかっている。とっくの昔に『性欲を満足してはいけない』ことがわかっている。それなのに、国民の多くは「隠して性欲を満足すればいい」とか、「嘘をついて自分が性欲を満足していないことにして満足すればいい」と思って性欲を満足している。そのために、大勢の人が大脳の古皮質が活動して新皮質が活動しなくなって頭が悪くなって馬鹿になって成績が悪くなっていい大学に入れなくなっていい会社に入れなくなって貧乏暮らしをしないといけなくなって不幸になったり、大脳の古皮質にあるテレパシー器官が働くようになって精神分裂病に罹[かか]って精神病院に入って死ぬまで入院して不幸に暮らさねばならなくなったりしている。今では『性欲を満足してはいけない』ことがわかっているから、今の人はそうしないといけない。エッチな本やビデオを見てはいけない。オナニーやセックスをやってはいけない。動物のように子供を作るときだけ性交しないといけない。性欲を満足せずに性交して子供を作らねばならない。
悪いことはきっぱりとやめないといけない。隠してやったり、嘘をついてやっていないことにしてやったりしてはいけない。人間は善い喜びを満足して、悪い喜びを満足しなければ幸福になれる。人間は道徳を守れば幸福になれる。だから、みんなは自分が幸福になるために善い喜びだけを満足して、悪い喜びを満足してはいけない。善い喜びを満足するテレビ番組や動画だけ見て、悪い喜びを満足するテレビ番組や動画を見てはいけない。善い喜びを満足するゲームだけやって、悪い喜びを満足するゲームをやってはいけない。善い喜びを満足する本だけ読んで、悪い喜びを満足する本を読んではいけない。
今では文明が発達して面白いことがいっぱいあってみんながそこそこ幸福に暮らせている。そのため、今の国民みんながたとえ政府に悪いことをされて不幸に暮らしていても、それほど困らなくなっている。しかも、今の国民みんなはマゾではないので、政府に悪いことをしてもらって虐めてもらって幸福になっていない。そのために、今の国民の多くは「政府のことなんかどうでもいい」と思って、政府に対してこれまでと同じことをやるだけで、いっこうに政府のことを知ろうとせず政府を倒そうとしない(以前は私もその一人だった)。しかし、幸せはひとつひとつ積み上げるものである。ひとつのことを改善すれば多くのことが改善される。だから、今の国民みんなは政府のことを知って政府を倒して、ちょっとでも幸福になろうとしないといけない。そうすれば、これまでよりもずっと幸福になれるかもしれない。

[23663] “赤信号みんなで渡れば恐くない”とはどういうことか? h30.3.7
以前北野武[きたのたけし]がテレビで“赤信号みんなで渡れば怖くない”と言っていた。今ではみんながマゾではないからみんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒すのが普通である。それが青信号である。だから、“赤信号”とはみんなが政府の言うことを聞いてみんなが政府にお金をやってみんなが政府を守ることである。ひとりで政府を守るのは難しいが、みんなでやれば政府を守れる。だから、“赤信号みんなで渡れば怖くない”とは「今のみんなは政府の言うことを聞いて政府にたくさんお金をやって政府を守ればいい」ということである。
北野武は“みんな殿様になりたいんだ”とも言っていた。みんなが政府の言うことを聞けば、政府が上になって国民が下になって、政府と国民が不平等になる。みんなが将来政府に入れば自分が上の者になっていい待遇で暮らすことができる。だから、“みんな殿様になりたいんだ”とは、「今のみんなが政府に従うことにすれば、将来自分が政府に入っていい待遇で暮らすことができるかもしれないから、今のみんなは政府に従えばいい」ということである。
この後、北野武は何者かによって事故にあわされてひどい目にあった。これは上の発言をした北野武に対する明らかな攻撃である。その後北野武はこれに懲[こ]りて二度と政府を支持することを言わなくなって、政府について無難な発言ばかりするようになった。
だから、今ではみんなが『政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社だから、今のみんなはマゾではないから、政府がなくなればいい』と思っているのである。北野武はそれに反する発言をしたから、みんなの代表者によって殺されかけたのだ。今のみんなは政府を倒しているから、政府を倒そうとしない者が殺されるのだ。だから、みんなはおとなしく政府を倒さねばならない。
今の私は無事に生きている。これまで私は誰かに殺されかけたことはない。それは、今の私が国民みんなと同じ考えだからである。私の考えが正しいからである。だから、みんなは私の考えを信じたほうがいい。

[23664] 政府の負けである。 h30.3.8
単純に言うと、悪人は政府の味方で善人は政府の敵である。なぜなら、政府はみんなを虐めるために悪人を有利にして善人を不利にするが、今はみんながマゾではないから、みんなが政府に不利にされるのが嫌だから、善人は政府の敵で悪人が政府の味方である。
しかも、世の中には悪人よりも善人のほうが多い。政府はみんなを虐めるために悪人を有利にして善人を不利にするから、政府は善人であるみんなを虐めるために悪人を使うのだから、善人がみんなということになるから、悪人よりも善人のほうが多いことになる。それに、普通人間は自分が幸福になりたいから道徳を守るから善人であり、悪人はたまたま運が悪くて道徳を守れなかった気の毒な人のことだから、善人のほうが悪人よりも多い。
したがって、悪人が政府の味方で善人が政府の敵で、世の中には悪人よりも善人のほうが多いから、政府の敵のほうが政府の味方よりも人数が多いから、政府の負けである。実際に、政府は年々儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。年々みんなに政府のことが知られるようになって、政府の敵にまわる者が政府の味方にまわる者よりも多くなって、政府の言うことを聞いて政府にお金をやる者よりも政府の言うことを聞かず政府にお金をやらない者のほうが増えているから政府が潰れているのである。
政府の負けである。今のところはまだ政府が残っているが、そのうち政府が潰[つぶ]れてなくなる。政府が建っていられるのは時間の問題である。だから、みんなは今から政府がなくなった世の中のことを考えて準備にかかったほうがいい。

[23665] これまでみんなが政府を設けてきたのは自分が政府に入っていい待遇で暮らすためではない。 h30.3.8
もともと政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。しかし、今ではみんながマゾではないので、今ではみんなが政府に虐められるのが嫌なので、今の政府はみんなを不幸にする会社である。
昔はみんながマゾだったから、昔はみんなが政府に虐められるのが好きだったので、昔の政府はみんなを幸福にする会社だったが、今の政府はみんなを不幸にする会社である。
けっしてみんなが自分が政府に入っていい待遇で暮らすために政府を置いているのではない。それなら、政府に入った者だけが幸福に暮らせて、政府に入らない者が不幸に暮らすことになって、国民のほとんどが不幸に暮らすことになって、国民のほとんどが政府に反対して政府が滅ぶからである。これまで国民みんなが政府を設けてきたのは、みんながマゾだったからである。ほかの理由はない。けっして“自分が政府に入っていい待遇で暮らすため”などという見え透いた理由のためではない。
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。しかし、今ではみんながマゾではないから、今のみんなにとっては政府が要らない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。

[23666] どうして政府のことを知っている者は曖昧[あいまい]にしか政府のことを言わないのか? h30.3.8
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。しかし、今のみんなはマゾではないから、今のみんなにとっては政府が要らないから、今のみんなは政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。だから、政府の言うことを聞いて政府にお金をやって政府を守ろうとする者はまちがいである。政府の言うことを聞かず政府にお金をやらず政府を潰そうとする者が正しい。
政府についてまちがったことを言うやつは嫌だが、政府について正しいことを曖昧に言うやつも嫌だ。正しいことをフニャフニャ言うやつは嫌だ。正しいことをマンガや小説で喩[たと]えて言うやつも嫌だ。政府について正しいことを曖昧に言うのは、自分が政府を支持している人から攻撃されるのを恐れているからだ(男らしくない)。
しかし、みんなが政府のことを知れば、世の中には善人が悪人よりも多いから、善人は政府に反対して悪人が政府を支持するだけだから、ほとんどの人が政府に反対するようになる。わずかの人が政府を支持するだけである。政府軍は最初から負けだと決まっている。国民軍は最初から勝利だ。政府軍など恐れるに足りない。だから、政府について正しいことを知っている者はそのままはっきりと政府について正しいことを言えばいい。みんなに正しいことを教えてやって、ほとんどの人が政府に反対するようにしてさっさと政府を倒してしまえばいい。

[23667] 政府は善人も悪人も両方とも不幸にする。☆ h30.3.8
国民みんなは善人を上にして悪人を下にして善人に悪人を支配させてみんなが善人に従わねばならないようにしてみんなが幸福に暮らせるようにしている。
ところが、政府はみんなに悪いことをしてみんなの“悪いことをされる喜び”つまり“虐[いじ]められる喜び”を満足する会社である。だから、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐めるために悪人を上にして善人を下にして悪人に善人を支配させてみんなが悪人に従わねばならないようにしてみんなが不幸に暮らさねばならないようにする。例えば、女や文系や医者や商人は悪人だから、政府は女や文系や医者や商人を上にしてその他の者を下にして悪人を上にして善人を下にしてみんなを不幸にする。(医学の本は頭で考えてわかるようには書かれていない。それは医学者が頭で考えていないからである。医者は眼で見ることしかわからない馬鹿なのだ。医者は眼で見ることしかわからないから眼で見る喜びしかないから悪人である。)
人間は善いことをするから幸福になり、悪いことをするから不幸になる。善人は善いことをするから幸福に暮らせるが、悪人は悪いことをするから不幸になる。悪人は善人に従うことによって悪人も善いことをしなければならないことになって悪人が幸福に生きていけるのだ。反対に、善人が悪人に従ったら、善人も悪いことをしないといけなくなって善人が不幸になるのだ。したがって、善人を上にして悪人を下にすればみんなが幸福に暮らせるが、反対に悪人を上にして善人を下にするとみんなが不幸になるのだ。これはずっと昔からみんなが知っている社会の法則だ。みんなは悪人が少しでも幸福に暮らせるようにするために善人を上にして悪人を下にしてきた。政府は悪人を上にして善人を下にすることによってみんなが不幸に暮らさねばならなくしている。けっして政府が悪人を上にして善人を下にすることによって悪人が幸福に生きていけるわけではない。政府は悪人も善人も両方とも不幸に暮らさねばならなくしている。政府は悪人を上にして善人を下にして一見[いっけん]悪人を有利にしているが、本当は悪人を不利にしているのである。悪人は馬鹿だから政府が自分を有利にしてくれていると思って政府に感謝しているのだ。それを“朝三暮四[ちょうさんぼし]”と言うのだ。中国のソフィストはいろんな国民みんなの虐め方つまり政治の仕方を考え出して政府に教えてお金を稼[かせ]いでいたのだ。つまり、政治の“政”とは虐めることなのだ。
政府はみんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。昔はみんながマゾだったから、善人も悪人も両方ともマゾだったから、みんなが幸福になるためには政府が必要だったので、みんなが政府にたくさんお金をやって政府を守っていた。しかし、今のみんなはマゾではない。善人も悪人もマゾではない。だから、今のみんなにとって政府は要らない。政府は善人も悪人も両方とも不幸にするから、善人にとっても悪人にとっても政府は要らない。今では善人も悪人も両方とも政府に反対している。だから、今のみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなが不幸に暮らさねばならないようにするために女や文系や医者や商人などの悪人を上にする。反対に、みんなはみんなが幸福に暮らせるようにするために女や文系や医者や商人などの悪人を下にする。昔はみんながマゾだったので自分が幸福になるためには政府に虐められねばならなかったので政府の言うことを聞いて女や文系や医者や商人を上にしていた。しかし、今はみんながマゾではないので自分が幸福になるためには政府に虐められなくてもよくなったので政府の言うことを聞かなくなって女や文系や医者や商人などを下にしている。今では文明が発達してみんなが“虐められる喜び”に勝ったから政府にも勝ったのだ。

[23668] 政府のことを“曖昧[あいまい]にしか言わないのは馬鹿”である。 h30.3.8
これまで政府について知っている者が政府のことを曖昧にしか言わなかったのは、自分が政府を支持している者から攻撃されるのを恐れたからである。
しかし、今ではみんながマゾではないから、政府は善人も悪人も両方とも不幸にするから、政府はみんなを不幸にするから、今ではみんなが政府に反対している。悪人は馬鹿だからこれまでは自分が政府に上にされて政府に幸福にしてもらっていると思っていたが、今では自分が政府に不幸にされていることがわかったので、今では悪人も政府に反対している([23667]参照)。
だから、今では政府を支持している者は政府自身以外にはない。政府は孤立無援[こりつむえん]である。(私が高校生のときに生物学の時間に矢野清八郎[やのせいはちろう]先生が「どこかの高知の村の選挙で自分が立候補して自分で入れた一票しかなくて落選した人がいる」と言っていた。おそらく、今の政府を支持している者が政府自身しかいないことを言っていたのだろう。)
政府は犯罪組織ではないから、政府と国民は平等だから、政府は特定の個人に強制的に悪いことができない。政府は相手の承認を得ないと相手に悪いことができない。政府は勝手に特定の個人を殺したりできない。
だから、今では政府について知っている者は自分が攻撃される心配がないから、正々堂々とはっきりと政府のことを正直に言えばいい。みんなに政府のことを教えてやってみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。『昔はみんながマゾだったから自分が幸福になるために政府に悪いことをされて虐められていたが、“虐められる喜び”が道徳的に悪い喜びだったから、みんなが嘘[うそ]をついて「政府はみんなに善いことをする団体であり、みんなに善いことをしてみんなの“善いことをされる喜び”を満足している」ことにして、実際には政府がみんなに悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足していた。今でも政府はそうしている。しかし、今ではみんながマゾではないから、政府が要らないから、みんなで政府の嘘を言うのをやめて、政府のことを正直に言って、みんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい』ことを言えばいい。

[23669] 政府の法律会社や学校会社はニセモノである。 h30.3.8
昔はみんながマゾだったから、政府に悪いことをされて虐めてもらって喜んでいた。しかし、“虐められる喜び”は道徳的に満足してはいけない悪い喜びだから、昔はみんなが嘘[うそ]をついて「政府は善いことをする会社だから、みんなに善いことをしてみんなの“善いことをされる喜び”を満足している。政府は法律や学校などの仕事をしてみんなの役に立っている。」ことにして、本当は政府がみんなに悪いことをやってみんなの“悪いことをされる喜び”つまり“虐められる喜び”を満足していた。みんなは政府が中で何をやっているのかわからないことを利用して、政府が本当は悪いことをやっているのに、嘘で善いことをやっていることにしたのである。今でも政府はそうしている。
政府は嘘の世界で善いことをする団体で、現実の世界では悪いことをする団体である。政府は嘘の世界ではみんなを裕福にして、現実の世界ではみんなを貧乏にする団体である。政府は嘘の世界ではみんなを利口で有能な人間にして、現実の世界ではみんなを馬鹿で無能な人間にする団体である。だから、「政府が法律や学校などの仕事をしている」のは嘘なのである。本当は『政府はみんなに悪いことをしている』のである。みんなに悪いことをする会社が法律会社や学校会社などの格好[かっこう]をしているだけである。みんなが嘘をついて悪いことをする会社を法律会社や学校会社であることにしているだけである。みんなが自分の“虐められる喜び”を満足するために嘘をついて悪いことをする会社を善いことをする会社にしているだけである。つまり、政府の法律会社や学校会社は法律や政策や教育を使ってみんなに悪いことをする会社である。政府の法律会社や学校会社はニセモノの法律会社や学校会社であって、本当は悪いことをする会社なのである。政府の法律はニセモノの法律だから、本物の法律ではないから守らなくていい。政府の教科書はニセモノの教科書だから、本物の教科書ではないから信じなくていい。政府の法律会社はニセモノの法律会社だから、国民は政府が決めた法律や政策をやらなくていい。国民が政府が決めた法律や政策をやらなくても罰せられない。政府が決めた法律や政策をやりたい人だけやればいい。昔はみんながマゾだったから、政府の法律や政策はみんなを虐めるために作った法律や政策だったから、みんなが自分が幸福になるために必死で政府の法律や政策を守っていただけのことである。
反対に、今はみんながマゾではない。今はみんなが政府に悪いことをされても喜ばない。今ではみんなが“虐められる喜び”を満足していないから、わざわざ政府の嘘をつかなくてもいい。みんなは正直に『政府がみんなに悪いことをしてみんなの“悪いことをされる喜び”を満足する会社だ』と言えばいい。『政府の法律会社や学校会社はニセモノの法律会社や学校会社だから、みんなは政府の法律や政策をやらなくていい。政府の教科書を信じなくていい』と言えばいい。『政府が国民みんなの総意で国民みんなのためになる法律や政策をやっているのは嘘だから、本当は政府が自分の独断でみんなに悪いことをしているだけだから、国民みんなは政府の言うことを聞かなければいい。国民みんなは政府に税金を払わなければいい』と言えばいい。今のみんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
大昔のギリシア時代のヨーロッパではアジア文化を受け入れてみんなが頭で考えていたので『地球が動いている』ことになっていた。しかし、中世になってみんなが自分の国のヨーロッパ文化を守るためにみんなが頭で考えなくなったので「地球が止まっている」と嘘を言い出して中世の終わりごろにはすっかりみんなが「地球が止まっている」ことを信じるようになってしまった。近代になってヨーロッパが再びアジア文化を入れるようになってみんなが「地球が止まっている」と嘘を言うのをやめて本当のことを言うようになって『地球が動いている』ことになった。それと同じように、大昔の縄文時代にはみんなが正直だったので『政府が悪いことをする会社である』ことになっていた。しかし、古代になって道徳が出来て“虐められる喜び”が満足してはいけないことになってからみんなは“虐められる喜び”を守るために「政府が善いことをする会社だ」と嘘を言うようになった。そのため、国民の中には本気で「政府が善いことをする会社だ」と信じている者もいた。しかし、現代になってテレビが発明されてテレビのほうが“虐められる喜び”よりも面白いのでみんなが“虐められる喜び”を満足する必要がなくなったので、みんなは「政府が善いことをする会社だ」と嘘を言うのをやめて『政府が悪いことをする会社だ』と本当のことを言うようになっているのだ。政府は本当は悪いことをしてみんなの“虐められる喜び”を満足する会社である。今のみんなはマゾではないから政府が要らない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。

[23670] テレビ局は嘘[うそ]つきである。 h30.3.8
本当は大昔からヨーロッパではみんなが『地球が動いている』ことを知っていた。しかし、中世なってみんながヨーロッパ文化を守るためにみんなが自分の眼の前で『地球が動いている』のを見ながら「地球が止まっている」と嘘をついて強引に地球が止まっていることにしていた。近代以降はみんながヨーロッパ文化を守るのをやめてまた『地球が動いている』と正直に言うようになった。
それと同じように、本当は大昔からみんなが『政府が悪いことをする会社である』ことを知っていた。しかし、古代になって道徳が出来てみんなが“虐められる喜び”を満足したいのに満足してはいけなくなったので、みんなは“虐められる喜び”を守るために自分の眼の前で政府が悪いことをしているのを見ながら嘘をついて「政府が善いことをする会社である」と言って強引に政府が善いことをしていることにしていた。例えば、昔の人は政府がみんなから税金を取っているのを見て本当は『政府がみんなを虐[いじ]めて喜ばせるためにみんなからお金を取っている』のを知っていたが、“虐められる喜び”は満足してはいけないことになっていたので、嘘をついて「政府がみんなのために善いことをするためにお金を取っている」と言っていたのだ。今では文明が進んで虐められることよりも面白いことがいっぱいあるので、みんなは“虐められる喜び”を守るのをやめて『政府が悪いことをする会社である』と正直に言うようになった。
政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社である。政府はみんなに悪いことをするために悪人を上にして善人を下にする。テレビはみんなを馬鹿に変えて不幸にする装置である。だから、政府はテレビ局を上にしている。政府はテレビ局に大きい顔ができるようにしている。そのために、テレビ局はいい待遇で暮らせている。だから、テレビ局は政府を守るために今でも「政府が善いことをする会社である」と嘘を言っているのだ。北野武[きたのたけし]が“赤信号みんなで渡れば恐くない”とか“みんな殿様になりたいんだ”と言ったのも、テレビ局が自分がいい待遇で暮らすために政府を守るために北野武に言わせたからである。テレビの芸人はテレビ局に言われたままにやってお金を稼[かせ]ぐことが仕事だから、テレビ局に言われるままにやっただけである。
テレビ局は嘘つきである。だから、みんなはテレビを信じてはいけない。みんなが法律や教科書を信じないようにテレビを信じてはいけない。みんながテレビコマーシャルを信じないようにテレビ番組を信じてはいけない。テレビばっかり見ているとテレビの嘘を信じるようになる。だから、みんなはあまりテレビを見すぎてはいけない。
本当は『政府は悪いことをする会社である。』今ではみんなはマゾではないから、政府が要らない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。たとえ役所が文句を言ってきても、役所は政府とグルだから、みんなは政府を倒さねばならない。

[23671] 昔のみんなは自分の嘘[うそ]に自分が縛[しば]られていた。 h30.3.8
昔はみんなが道徳的には満足してはいけない“虐[いじ]められる喜び”を満足するために、嘘をついて「政府が善いことをする会社である」ことにして、本当は政府に悪いことをさせて虐められて喜んでいた。
昔の人は「政府が善いことをする会社である」と嘘をついていたために、政府が民主主義をやっているのを見て「民主主義とは政府が国民みんなの総意に従って国民みんなのために善いことをすることだ」ということにした。そのために、国民が政府に逆らうことは国民が国民みんなに逆らうことになるので、国民が政府に逆らえなくなった。「政府が国民みんなの総意に従っていることをしている」ことにしたために、逆に「政府がやっていることは国民みんながやっていることである」ことになって、国民みんなが政府がやっていることに合わさなければならなくなった。
つまり、昔の人が「政府が善いことをする会社である」と嘘をついたために、みんなが政府に逆らえなくなって、みんなが政府がやることに合わさなければならなくなったのだ。そもそも政府としては民主主義を国民が国民みんなを拝む行事としてやっているだけである。それなのに、国民が勝手に「政府が善いことをする会社だ」というまちがった目で政府がやっていることを見たために、「政府が国民みんなの多数決で法律や政策を決めて国民みんなを幸福にする国を作っている」ことになって、「国民が政府に逆らってはいけない」ことになったのだ。それらはすべて国民が自分勝手に作り出した妄想にすぎない。本当は『地球が動いている』のに、人間が「地球が止まっている」という目で星を見るために、「惑星は“周天円”を回っている」ように見えるのと同じことである。
しかし、本当は『政府は悪いことをする会社』であり、『民主主義とは国民が国民みんなを拝[おが]んで気持ちよくなる儀式』であり、政府は選挙や議会をやって国民が国民みんなを拝めるようにしているだけである。本当は『政府はみんなに悪いことをする会社』にすぎないから、国民と政府は平等だから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。本当は『政府は悪いことをする会社』にすぎないから、政府は自分の独断でみんなを虐めることをやっているだけだから、国民が政府がやっていることに合わせる必要はなく、国民は自分の好き勝手にやればいい。(間接民主制を見ても、政府が民主主義の行事をやっている部分と、政府が自分の独断で国民みんなを虐める部分の2つの部分に別れていることがわかる。だから、両者は本来別なのである。)
今はみんなが“虐められる喜び”を満足しなくなっているから、もはや「政府が善いことをする会社である」という嘘をつかなくていい。『政府が悪いことをする会社である』と本当のことを言えばいい。『民主主義が国民が国民みんなを拝むことにすぎない』、『政府は国民みんなの総意に適[かな]った国を作る団体ではない』、『国民は政府がやっていることに合わさず自分の好き勝手にすればいい』、『国民と政府は平等だから、国民は政府に従う必要はない』などと言えばいい。それが本当の社会の法則である。
人間が嘘をつくとあとで自分の嘘のために自分が苦しむことになる。嘘の世界の中で自分が余計な苦しみを味わうことになる。だから、人間は嘘をつかないほうがいい。
つまり、昔の人は『政府が悪いことをする会社である』という現実の世界と「政府が善いことをする会社である」という嘘の世界の両方(Dualデュアル)の世界で生きていた。昔の人は器用だった。昔の人は面倒くさい世界で生きていた。昔の人は今の人と反対に“悪いことをされる喜び”つまり“虐められる喜び”を満足していたからこんな複雑な世界になったのだ。反対に、今の人は『政府が悪いことをする会社である』という現実の世界でしか生きていない。今の人は簡単である。今の人は単純な世界で生きている。今の人は“善いことをされる喜び”だけを満足しているから単純な世界になったのだ。今の人は嘘の政府像を取っ払って現実の政府像だけを相手にすればいい。今の人は科学の力で現実の世界を自分の思い通りにできる。今の人は現実の世界だけで生きて現実の世界を自分にとって幸福な世界にしないといけない。


[23672] 政府は嘘[うそ]の世界で善いことをして、現実の世界で悪いことをする団体である。 h30.3.9
昔のみんなはマゾだったので、政府に虐[いじ]められて喜んでいたが、“虐められる喜び”が満足してはいけない悪い喜びなので、みんなは嘘をついて「政府が善いことをやっている」ことにして、本当は政府に悪いことをされていた。
昔のみんなは政府がみんなに悪いことをやっているのを見て屁理屈[へりくつ]をつけて政府がみんなに善いことをしていることにして、政府が悪いことをしてくれたお礼に政府にたくさんお金をやったりお礼を言ったりした。政府は悪いことをする会社なので、国民からたくさんお金を取って、殺人事件を起こしてみんなを不快な気分にしたり、悪人を上にして善人を下にして善人が悪人に従わねばならないようにしてみんなに悪いことをさせてみんなが不幸に暮らさねばならなくしたり、わざとにまちがった経済政策をやってみんなを貧乏にしたりして悪いことをしていた。みんなは政府が悪いことをしているのを見て、「政府が善いことをするためにはたくさんお金が要る」とか「どこかの国の秘密組織が殺人事件を起こした」とか「これまでは悪人を下にして善人を上にして世の中が不平等だったので悪人を上にしてもっとみんなを平等にしなければならない」とか「政府はいつでも国民みんなのためにちゃんと考えてみんなが裕福に暮らせるように経済政策をやってくれているから、みんなが極端に貧乏にならずにすんでいる」とか嘘をついて政府が善いことをしている(あるいは悪いことをやっていない)ことにしていた。
今のみんなはマゾではないが、昔のみんなの嘘を引き継いで「政府が善いことをしている」と思って政府にたくさんお金をやっている。しかし、本当は政府は悪いことをする団体だから、政府は国民からもらったお金を使っていろんな悪いことをしている。今のみんなはだんだん政府が現実の世界で悪いことをしていることに気がついて『政府が悪いことをする会社である』と考え直している。
政府は嘘の世界で善いことをして、現実の世界で悪いことをする団体である。昔はみんながマゾだったので、現実の世界で政府に悪いことをされて喜んで、嘘の世界で政府が善いことをしていることにして自分が“悪いことをされる喜び”つまり“虐められる喜び”を満足していないことにして自分が罪悪感を感じないようにしていた。今はみんながマゾではないので、現実の世界で政府に悪いことをされるのが嫌なので、政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府が潰[つぶ]れてなくなって、国民みんなが幸福に暮らせるようになっている。
嘘の世界はどうでもいい。現実の世界では、政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする団体である。政府はみんなに悪いことをするためにみんなが不幸に暮らさねばならないことをする。今のみんなはマゾではないから政府に悪いことをされるのが嫌である。だから、今では政府を支持する者は政府自身かみんなの嘘に騙[だま]されて本気で「政府が善いことをする団体だ」と思っている者しかいない。だから、みんなで政府のことを知らない者に政府のことを教えてやってみんなが『政府が悪いことをする団体である』ことを知っているようにしてみんなで早く政府を倒さねばならない。今でも昔と同じようにみんなは「政府が善いことをする団体だ」と嘘をついているから、みんなはみんなの嘘に騙されないように注意しないといけない。みんなは口先では「国民みんなは政府の言うことをよく聞いて政府にちゃんと税金を払って政府に国民みんなのためになることをやってもらわないといけない」と冗談を言いながら、嘘の世界の下にある現実の世界を見て、現実の世界で政府を倒さねばならない。
今でも「政府が国家の最高の意思決定機関である」と信じている者がいる(Wikipedia参照)。それはロックやルソーなどによる300年前の政府論である。ニュートンが万有引力を唱[とな]えたころである。その後物理学は大きく進歩したのに、政府論は300年前のままである。これではいけない。このへんで政府論を進歩させて、古い社会を変えて新しい社会にしないといけない。

[23673] どうして政府は悪人を上にして善人を下にするのか?☆ h30.3.9
昔の人はみんなが幸福に暮らすために善人を上にして悪人を下にしてきた。そうすれば、悪人が善人に従うから悪人も善いことをして幸福になれるからである。善人は自分の善い心を満足するから幸福になり、悪人は自分の悪い心を満足するから不幸になる。悪人が善人に従えば悪人が善人を真似[まね]るから悪人も自分の善い心を満足して幸福になれるのである。
政府はみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社である。政府はみんなに悪いことをするために善人を下にして悪人を上にする。そうすれば、善人が悪人に従うから善人も悪いことをして不幸になるからである。悪人は善人に従えなくなって自分で悪いことをして不幸になる。善人も悪人も両方とも不幸になる。みんなが不幸になる。みんなが政府に不幸にされて政府に虐められて“虐められる喜び”を満足されて幸福になるのである。
昔のみんなはマゾだったから、自分が幸福になるためには政府に虐められねばならなかったから、政府にたくさんお金をやって政府にたくさん虐められていた。
反対に、今のみんなはマゾではないから、自分が幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]して虐められないようにしている。
しかし、悪人は馬鹿だから、悪人は「政府が自分を上にしてくれて自分が幸福に暮らせるようにしてくれている」と思って政府を支持している。悪人は自分が政府にお金を払って政府を守るだけではなく、他人に税金を払わせて政府を守ろうとする。会社の総務部の税金係は文系で馬鹿だから、「政府が自分を幸福にしてくれている」と思って社員みんなに無断で勝手に社員みんなから税金を取って政府に税金を払っている。つまり、社員みんなから税金を天引きしている。しかし、本当は政府は善人も悪人も両方とも不幸にしている。だから、本当は会社の総務部の税金係の人も政府に不幸にされている。だから、総務部の税金係の人は政府に反対して社員みんなから税金を勝手に取って政府に払うのをやめねばならない。国民みんなで政府に反対して、政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。国民みんなで早く政府を倒して幸福に暮らさねばならない。
以前タモリはテレビで“悪いほうが有利”と言っていたが、政府はけっして悪人を幸福にするのではない。政府は悪人を上にして善人を下にしてみんなを不幸にする。善人も悪人も両方とも不幸にする。政府は悪人を上にするが悪人を有利にはしない。だから、タモリがテレビで言っていたことはまちがいである。テレビ局は悪人に政府を支持させるためにタモリに“悪いほうが有利”と言わせたのだ。テレビは嘘[うそ]つきである。みんなはテレビを信じてはいけない。

[23674] 政府は法律や政策や教育や水道や清掃や役所などを使ってみんなに悪いことをする会社である。 h30.3.9
政府は嘘[うそ]の世界で善いことをする会社で、現実の世界では悪いことをする会社である。政府はそもそもみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社だが、“虐められる喜び”は道徳的には満足してはいけない喜びなので、みんなは政府が悪いことをしているのを嘘[うそ]をついて政府が善いことをしていることにして自分が“虐められる喜び”を満足していないことにしているのである。
政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやってみんなに悪いことをする会社である。政府は法律や政策や教育や水道や清掃や役所などを使ってみんなに悪いことをする会社である。政府はみんなを不平等にする法律を定めたり、みんなを貧乏にする経済政策をやったり、みんなを勉強嫌いにしてみんなにまちがった科学や道徳を教えてみんなを馬鹿な不良に変える教育をやったり、水道管を破裂させて水浸[びた]しにしたり、上水道と下水道をつなげてみんなに下水を飲ませたり、水道水に発癌物質[はつがんぶっしつ]を入れてみんなを癌にしたり、観光地にゴミの埋立地を設けたり、割り高の保険制度を役所にやらせたりして、みんなに悪いことをする。みんなは政府が悪いことをしているのを見ていちいち言い訳[いいわけ]をして政府が善いことをしていることにしているのである。みんなは「みんなを不平等にしたほうが国の統治が強まって儲[もう]かる」とか「経済は周期的に変動するからそのうち自然に景気がよくなる」とか「みんなが馬鹿な不良のほうが幸せに暮らせる」とか「たまには変わったことがあっても面白い」とか「尿飲療法は身体にいい」とか「みんなが癌になれば医者が儲かって喜ぶ」とか「今はゴミ捨て場がないからしかたがない」とか「役所の保険のほうがしっかりしているから多少割り高でもしかたがない」などと嘘を言って無理やり政府を善い会社にしている。
昔はみんながマゾだったので、自分が幸福に暮らすためには政府に悪いことをされて虐められねばならなかったので、みんなが政府にたくさんお金をやって政府にたくさん虐めてもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないので、自分が幸福に暮らすためには政府に悪いことをされて虐められてはいけないので、政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]して政府に虐められないようにしている。政府はお金が足りなくなって法律や学校や水道や清掃や役所などを使ってみんなに悪いことをすることができなくなって、政府と別に法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などが出来てみんなに善い仕事をするようになりつつある。
しかし、一部の国民はみんなが「政府が善いことをする会社だ」と嘘を言っているのを聞いて嘘を本気にして本当に政府が善いことをする会社だと思って、政府にたくさんお金をやって政府に悪いことをさせている。そのために、みんなが不幸になっている。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に「政府は本当は悪いことをする会社であって、みんなが嘘を言っているだけだ」と教えてやってみんなが政府にお金をやらなくなって政府を潰さなければならない。国民みんなで早く政府をなくしてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23675] 政府は現実の世界では悪いことをする会社で、嘘[うそ]の世界では善いことをする会社である。☆ h30.3.10
昔はみんながマゾだったので、政府がみんなを喜ばせるためにみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]めていた。政府がみんなに悪いことをするのは仕事であって犯罪ではない。しかし、“虐められる喜び”は道徳的には満足してはいけない喜びだったので、みんなは(政府もいっしょに)嘘をついて「政府は善いことをする会社であって、政府がみんなに善いことをしてみんなを喜ばせている」ことにして、“虐められる喜び”を満足していないことにしていた。(“虐められる喜び”を満足するとたくさんの正常な喜びが満足できなくなってかえって不幸になるから、道徳的には(つまり自分が幸福になるためには)“虐められる喜び”を満足してはいけないのである。もっとも、昔は今のようにたくさん娯楽がなかったから、昔の人が幸福になるには“虐められる喜び”を満足するしかなかったから、昔の人が政府に虐められて“虐められる喜び”を満足するのもしかたがなかった。)
『政府が悪いことをする会社である』という目で政府がやっていることを見ると([23671]の図を参照)、政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをやっている。政府はみんなを虐めるためにみんなからたくさんお金を取ったり、殺人事件を起こしてみんなを不快な気分にしたり、わざとにまちがった経済政策をやってみんなを貧乏にしたり、わざとにまちがった教育をやってみんなを無能な馬鹿にしたり、政府は悪人を上にして善人を下にして善人が悪人に従わねばならないようにして悪人が善人に従わないようにしてみんなが悪いことをしないといけないようにしてみんなを不幸にしている、いろんな嫌がらせをしたりしてみんなに悪いことをやっている。政府は法律会社や学校会社などを建てて、法律や政策や教育などを使ってみんなに悪いことをやっている。政府は自分の独断で悪い法律や政策や教育などをやっている。民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで気持ちよくなる行事である。政府は選挙や議会をやって国民が国民みんなを拝めるようにして民主主義をやっている。政府と国民は平等であり、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民が政府に税金を払ったり政府の保健に入ったりするのは国民の自由である。ことになる。
反対に、「政府が善いことをする会社である」という目で政府がやっていることを見ると、政府はみんなの“善いことをされる喜び”を満足するためにみんなに善いことをやっている。政府はみんなのためにたくさん善いことをするためにみんなからたくさんお金を取って、偶然の事故が起こって大勢の国民が死んだり、日本は資源や石油がなくて貧しい国だけど政府が精一杯がんばってみんなを豊かにしてくれている、今はなんでも機械やコンピューターがやってくれるから人間は馬鹿でもいい、馬鹿のほうが夢いっぱいで楽しく暮らせる、馬鹿は弱者で利口は強者だから政府はみんなを平等にするために馬鹿を有利にして利口を不利にしている、政府はみんなの嫌なことをすることがあるが政府はみんなに善いことをするためにやってくれているのだからみんなは我慢[がまん]しないといけない。政府は法律会社や学校会社などを建てて、法律や政策や教育をやってみんなに善いことをやっている。政府は民主主義をやって国民みんなの総意に従って法律や政策や教育をやっている。政府は国民みんなに従っているのだから、国民は政府に従わなければならない。政府は国民よりも上の者であり、国民は政府の言うことを聞かねばならない。国民が政府の言うことを聞かなければ国民みんなに逆らったことになって罰せられる。国民は政府に税金を払わねばならず政府の保険に入らねばならない。ことになる。とにかく嘘をついて政府が善いことをしていることにすればいいのである。テレビや新聞の記事なんてそんなものである。
政府は現実の世界ではみんなに悪いことをする会社であり、国民と政府は平等であり、国民は政府に従わなくてもかまわない。政府は嘘の世界ではみんなに善いことをする会社であり、政府は国民よりも上の者であり、国民は政府に従わなければならない。現実の世界ではみんなは政府に悪いことをされて虐められていて、嘘の世界ではみんなは政府に善いことをされて幸せに暮らしている。みんなは実際には政府に悪いことをされて虐められているが、“虐められる喜び”を満足していないふりをするために嘘をついて政府が善いことをしてみんなを幸福にしていることにしている。みんなは実際には政府と平等で政府に従わなくてもかまわないが、嘘では政府が上の者であって政府に従わねばならないことにしている。みんなは嘘の世界と現実の世界を区別して、嘘の世界は冗談と見なして無視して、しっかり現実の世界の中で生きている。
昔はみんながマゾだったから、みんなが幸福になるためには政府に虐められねばならなかったから、みんながたくさん政府にお金をやってたくさん悪いことをしてもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、みんなが幸福になるためには政府に虐められてはいけないから、みんなが政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]して政府に悪いことをされないようにしている。政府はお金がなくなって法律会社や学校会社などがやれなくなって、政府とは別に法律会社や学校会社などが建ってみんなに善いことだけするようになりつつある。
しかし、一部の国民は現実の世界を見失って嘘の世界に嵌[はま]って「政府が善いことをする会社だ」と信じて、政府に従って政府にお金を払っている。そのために、政府は現実の世界で悪いことをやってみんなを不幸にしている。だから、政府のことを知っている人は政府のことを知らない人に政府のことを教えてやってみんなが政府のことを知っているようにしてみんなで政府にお金をやらなくなって政府を潰さねばならない。国民みんなで早く政府をなくして幸福に暮らさないといけない。
h30.3.11追加:要するに、政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社である。昔(古代)になって道徳が出来たので嘘が加わっただけである。今でも政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをやっている。しかし、今ではもうみんなは“虐められる喜び”を満足していない。今のみんなにとっては政府のような古臭い会社は要らない。だから、今のみんなは政府を倒して政府をなくせばいいのである。

[23676] 今ではみんなが善人を有利にして悪人を不利にしている。 h30.3.10
政府はみんなに悪いことをやってみんなを虐[いじ]める会社である。
昔はみんながマゾだったので、みんなが政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされて喜んでいた。
昔の政府はみんなに悪いことをするために悪人を上にして善人を下にして善人が悪人に従わねばならないようにしてみんなに悪いことをやらせてみんなを不幸にしていた。みんなは政府に悪いことをされて虐めてもらって喜んでいた。悪人が上で善人が下なので、悪人は有利に善人は不利に暮らしていた。女や文系や医者や商人は眼先で物を見るだけで実在に従わない(つまり馬鹿だ)から悪人なので、女や文系や医者や商人が有利でほかのみんなは不利に暮らしていた。
反対に、今はみんながマゾではないので、みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされないようにしている。
今ではみんなが政府の言うことを聞かなくなって、みんなでみんなが幸福に暮らせる社会にしている。みんなは自分たちが幸福に暮らせるようにするために善人を上にして悪人を下にして悪人が善人に従わねばならないようにしてみんなに善いことをやらせてみんなを幸福にしている。善人が上で悪人が下なので、善人が有利に悪人が不利になっている。女や文系や医者や商人は実在に従わない悪人なので、みんなは女や文系や医者や商人を不利にしてほかのみんなを有利にしている。

[23677] どうして北野武[きたのたけし]は“赤信号みんなで渡れば恐くない”と言ったのか? h30.3.10
以前北野武が“赤信号みんなで渡れば恐くない”と言っていたのは、昔のみんなに対するイヤミである。昔のみんなは自分が“虐められる喜び”を満足してはいけない(赤信号)ことを知っていたのに満足したくて、みんなで嘘[うそ]をついて言葉の上では「政府が善いことをする会社である」ことにして現実の中ではみんなが政府に悪いことをされて“虐められる喜び”を満足していた(みんなで渡る)。昔のみんなが性欲を満足してはいけないことを知っていたのに満足したくて、性器を葉っぱで隠して性欲を満足していないことにして実際には性欲を満足していたように、昔のみんなは“虐められる喜び”を満足してはいけないことを知っていたのに満足したくて、政府が悪いことをしているのを嘘の言葉で隠して政府が悪いことをしていないことにして実際には政府に悪いことをされて“虐められる喜び”を満足していたのである。昔のみんなは本当は性欲を満足していたのに葉っぱで性器を隠して自分が性欲を満足していないふりをして嘘をついていた。だから、それを人類が最初に犯した罪[つみ]と言うことで原罪と言うのだ。
続いて北野武が“みんな殿様になりたいんだ”と言っていたのは、今の政府に従っている者に対するイヤミである。今ではみんなが“虐められる喜び”を満足しなくなっているから、今でも政府に従っている者は将来自分が政府に入っていい待遇で暮らすために(殿様になりたい)政府に従っているだけである。しかし、そのために政府が生き残ってみんなに悪いことをしてみんなを不幸にしている。だから、政府に従っている者はさっさと政府に従うのをやめねばならない。と、北野武は言いたかったのだ。
それなのに、北野武が事故を起こして殺されかけたのは、誰かが北野武の発言を誤解して「北野武がみんなを扇動[せんどう]して政府に従わせようと企[たくら]んでいる」と思ったからである。芸能人はもっと自分が言いたいことをはっきり言わないと他人に誤解されて殺されるから気をつけないといけない。
そもそも“オレたちひょうきん族”と言うのは、今のみんな(オレたち)が政府が悪いことをしているのを知っていてみんながおどけて(ひょうきん)「政府が善いことをする会社だ」と言っていることである。しかし、今のみんなは“虐められる喜び”を満足していないから、わざわざ「政府が善いことをする会社だ」と嘘をつかなくていい(冗談はよせ)。堂々と『政府が悪いことをする会社だ』と言えばいい。だから、オレたちひょうきん族のタイトルが今のみんなに対するイヤミなのだ。

[23678] 今のみんなは政府の嘘[うそ]をつくのをやめねばならない。 h30.3.11
昔のみんなはマゾだったので、政府に悪いことをされて虐[いじ]められて喜んでいた。
古代になって道徳が出来て、“虐められる喜び”が満足してはいけない喜びになったので、みんなは「政府が善いことをする会社である」という嘘をついて自分が政府に虐められていないことにして自分が“虐められる喜び”を満足していないことにして、本当は政府に虐められて喜んでいた。
今では文明が進んでみんながマゾではなくなっているが、あいかわらずみんなは政府に悪いことをされて虐められて、「政府が善いことをする会社である」という嘘をついている。今でもみんなは「政府が善いことをする会社である」という嘘をつく習慣を続けている。
今ではみんなはマゾではないから“虐められる喜び”を満足していないから“虐められる喜び”を満足していないふりをしなくていいから、「政府が善いことをする会社である」という嘘をつかなくていい。『政府が悪いことをする会社である』と本当のことを言えばいい。政府と国民は平等だから、今のみんなはマゾではないから政府が要らないから、みんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。
早くみんなで『政府が悪いことをする会社だ』と本当のことを言って、みんなが政府の本当のことを知ってみんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。早くみんなで政府をなくして幸福に暮らさねばならない。

[23679] まちがいがまちがいを生む。 h30.3.11
人間が「地球が止まっている」と考えると、逆行する惑星が存在することから「惑星は“周天円”[しゅうてんえん]を回っている」ことになる。“周天円”が存在することになる。
それと同じように、人間が「政府が善いことをする会社だ」と考えると、政府が民主主義をやっていることから「政府が国民みんなの総意に従って国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」ことになって「国民が政府に逆らうと国民が国民みんなに逆らうことになるから、国民は政府に逆らってはいけない、国民は政府に従わねばならない」ことになる。つまり、政府に“国家権力”があることになる。
このように、人間がひとつまちがった仮定を置くとそこからもうひとつ別のまちがいが生み出される。そこから、さらに別のまちがいが生み出される。まちがいがたくさんのまちがいを生むことになる。
本当は『地球が動いている』のであり、逆行する惑星が存在するのは『惑星は太陽を中心とするそれぞれ別の軌道を回っているのであり、地球は惑星のひとつだ』からである。
それと同じように、本当は『政府がみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社である』のであり、政府が民主主義をやっているのは『もともと政府は自分の独断でみんなに悪いことをしてみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気持ちになることであり、政府は民主主義をやるために選挙や議会をやって国民が国民みんなを拝めるようにしてくれている』のだ。『政府はみんなに悪いことをする会社にすぎず、国民と政府は平等だから、国民が政府に命令を聞くか聞かないかは国民の自由である』のだ。『国民が政府が決めた法律や政策をやるかやらないかは国民の自由であり、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の勝手である』のだ。
このように、人間が正しい仮定を置くとそこから別の正しいことがわかる。そこからさらに別の正しいことがわかる。正しいことが正しいことを生む。だから、人間は正しい仮定で物を見て正しいことがわからないといけない。
昔の人は“虐められる喜び”を満足していたために、“虐められる喜び”が道徳に反する喜びであるために、しかたなく「政府が善いことをする会社だ」という嘘をついていたのだ。反対に、今の人は“虐められる喜び”を満足していないから、もはや「政府が善いことをする会社である」という嘘をつかなくていい。今の人は正直に『政府が悪いことをする会社だ』と言えばいい。今のみんなは『政府が悪いことをする会社だ』と考えて、政府に従うのをやめて、『今のみんなはマゾではないから政府は要らない』と考えて、政府に税金を払うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。早くみんなで政府を倒してみんなで幸福に暮らさねばならない。
h30.3.22追加:政府は民主主義をやるみんなを虐める会社である。昔はみんなが自分で「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついていたために、政府に“国家権力”があると思って政府に従わねばならなくなっていた。反対に、今はみんなが『政府が悪いことをする会社だ』と本当のことを言っているために、政府に“国家権力”がなくなって政府に従わなくなっている。おとぎ話の『裸の王様』みたいだ。

[23680] 未来の人は『政府は悪いことをする会社だ』と考えている。 h30.3.11
昔はみんながマゾだったので『政府が悪いことをする会社だ』と知っていたが、“虐められる喜び”が満足してはいけない悪い喜びだったので「政府は善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついていた。例えば、昔のみんなは小林多喜二[こばやしたきじ]が政府に惨殺されたのを見て、みんなは本当は『小林多喜二がマゾだったから自分が喜びを得るために政府に殺された』ことを知っていたが、嘘[うそ]をついて「小林多喜二が社会主義者だったから政府に罰せられて殺された」ことにしていた。
しかし、今はみんながマゾではない。そのために国民の多くは『政府が悪いことをする会社である』ことを知らない。そのために、国民の多くはみんなが「政府が善いことをする会社だ」と言っているのを聞いて、自分も「政府が善いことをする会社だ」と思って、政府にお金をやって、政府がみんなに悪いことをしてみんなを不幸にしている。
昔はみんなが「地球が止まっている」と思っていたが、今はみんなが『地球が動いている』と思っている。みんながコペルニクスが『地球が動いている』と言うのを聞いて、しだいに「地球が止まっている」と思っていることから『地球が動いている』と思うことに変わって行ったのだ。
それと同じように、今はまだみんなが「政府が善いことをする会社だ」と思っているが、未来はみんなが『政府が悪いことをする会社だ』と思っている。この頃は『政府が悪いことをする会社だ』と言う者がそこそこ現れているから、みんながそれを聞いてしだいに「政府が善いことをする会社だ」と思うことから『政府が悪いことをする会社だ』と思うことに変わっているのだ。
だから、今の人が自分がちょっとでも『政府が悪いことをする会社だ』と思っていれば、政府に従うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒せばいい。そもそもこの世には多数決なんかない。実在と合っているかいないかで決まるだけだ。そもそも「政府が善いことをする会社だ」と言うのは、昔のみんながマゾだったが自分がマゾであってはいけなかったために、しかたなくついていた嘘である。昔のみんなは本音[ほんね]では『政府が悪いことをする会社である』ことを知っていた。だから、今のみんなも『政府が悪いことをする会社である』と考えればいい。実際に、「政府が善いことをする会社である」と考えるよりも『政府が悪いことをする会社である』と考えるほうが現実に合っている。だから、『政府が悪いことをする会社である』ことのほうが「政府が善いことをする会社である」ことよりも正しいのである。
だから、今の人は「政府が善いことをする会社である」と考えるのをやめて『政府が悪いことをする会社である』と考えて、政府に従うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]せばいいのである。国民みんなで早く政府を倒して、みんなが幸福に暮らせるようにすればいい。

[23681] どうして気象庁は確率予報をするのか? h30.3.11
気象庁は政府の機関である。
日本人は確率が嫌いである。日本人は“清き明き心”を持っていてはっきりしたことが好きなので曖昧[あいまい]な確率の概念が嫌いである。
政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社だから、国民みんなを虐めるために気象庁に確率予報をさせているのである。
今のみんなはマゾではないのに政府はみんなを虐めているから、政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社ではなく、ただのみんなに悪いことをする会社にすぎない。ただし、政府がみんなに悪いことをするのは仕事である。政府は犯罪組織ではない。政府は自分が国民と平等であることを守りながら国民に悪いことをやっている。
今の国民みんなはマゾではない。だから、今の国民みんなは政府に悪いことをされるのを断って政府にお金をやらなければいいのである。

[23682] 政府は悪いことをする会社が善いことをするふりをしているのではない。 h30.3.12
政府は昔から悪いことをする会社が善いことをしているふりをしているだけなのかもしれない。悪いことをする会社が善いことをするふりをして国民みんなを騙[だま]して儲[もう]けて来たのかもしれない。
しかし、国民みんなはいつでも政府について考えている。私のように政府について自分が考えたことをみんなに言う者がいる。政府のことはすぐにみんなにバレる。だから、政府がそんな団体では100年も持たない。ゼロから立ち上げるのは無理だ。
国民みんながマゾでないかぎり、そんな団体はすぐに滅ぶ。だから、実際に今でもすでに政府は滅んで行っているのだ。昔は国民みんながマゾだったがマゾはいけないことだったから、国民みんなと政府がいっしょになって嘘[うそ]をついて「政府が善いことをやっている」ことにしていたのだ。反対に、今は国民みんながマゾではないから、国民みんなが政府について本当のことを言うようになって、みんなが政府のことをしだいに知って、政府にお金をやらなくなって政府を倒すようになっているのだ。

[23683] 政府は善いことと悪いことの両方をやる会社ではない。 h30.3.14
政府が善いことと悪いことの両方をやる会社だとしたら、政府が何をやるのかわからないので、国民みんなにとってはそんな会社は面白くないので、国民みんなは政府を潰[つぶ]す。
だから、政府は善いことと悪いことの両方をやる会社ではない。政府はデタラメに善いことと悪いことの両方をやる会社ではない。
h30.3.22これ以後追加:昔はみんなが文学的でマゾだった。政府は昔のみんなを喜ばせる会社である。政府は昔のみんなを喜ばせるために言葉の上で政府がみんなが幸福に暮らせる国を作っていることにしたり、みんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]めたりしていた。しかし、今はみんなが科学的でマゾではない。政府は今のみんなを喜ばせる会社ではない。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府を倒している。
昔のみんなはマゾだったから、自分に悪いことをして自分を虐める会社が欲しかった。それが政府である。政府は“おまけ”に水道や清掃や役所などの善いこともしていた。(昔のみんなは自分がマゾでないふりをするために「政府が善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついていたが、嘘をつくだけでは弱いので、政府は実際に水道や清掃や役所などのいくつか善いことをやって本当に「政府が善いことをする会社である」ように見せかけていたのだ。今でもそうしている。こういうのを“嘘から出た真[まこと]”と言うのだ。政府は嘘の補強をするためにわざわざ水道や清掃や役所の仕事をしているのだ。)反対に、今のみんなはマゾではないから、自分に悪いことをして自分を虐める会社が要らなくなった。そのため、今のみんなは政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府の水道会社や清掃会社や役所などは政府から出てみんなのために仕事をしてお金を稼[かせ]ぐようになりつつある。

[23684] 善人とは何か? h30.3.14
大脳の新皮質が古皮質を支配しているのが善人であり、逆に大脳の古皮質が新皮質を支配しているのが悪人である。
善人は現実に適応して幸福に暮らせるが、悪人は現実に適応できず不幸に暮らさねばならない。
人間は自分が幸福に生きるために大脳の新皮質を働かせるようにして、大脳の新皮質が古皮質を支配しないといけない。
人間は大脳の働かせ方によって途中で善人が悪人に入れ替わることがあるので注意しないといけない。人間は死ぬまで善人であり続けなければならない。

[23685] 宗教団体とは何か? h30.3.18
普通の人は自分で道徳がわかって自分で自分の心を満足して自分を幸福にしている。しかし、世の中には“道徳がわかっていない人”がいる。道徳がわかっていない人は自分で自分の心を満足して自分を幸福にすることができない。
今の宗教団体は“道徳がわかっていない者”を喜ばせてお金をもらう団体である。昔はみんながマゾだったから、昔の宗教団体はみんなを虐[いじ]めて喜ばせてお金をもらっていたが、今ではみんながマゾではないから、今の宗教団体は“道徳がわかっていない者”をカモにしてたくさんお金を取ってちょっとだけ喜ばせて儲[もう]けているのだ。
いい歳して道徳がわかっていないのは不良である。いい歳して自分で自分を幸福にできない者は悪人である。宗教団体は不良や悪人からたくさんお金を取って不良や悪人を貧乏にして懲[こ]らしめている勧善懲悪の善い団体なのだ。

[23686] 人間は考えるために生きている。 h30.3.19
人間には考える才能があり“考える喜び”がある。それを満足するためにこれまで人間は生きてきた。
人間から考えることを取ったら、もはや人間は生きる価値がない。
現在のコンピューターは計算と通信しかできないが、将来コンピューターが人間よりも考えられるようになったら、もはや人間には生きる意義がない。人間は滅亡するかもしれない。
今はまだコンピューターが人間に取って代わるまでには至っていない。今の私たちのほうが幸福に生きているのかもしれない。
未来の人間はコンピューターの言いなりになって、やがてコンピューターに支配されて殺されてしまうだろう。
h30.3.25追加:人間がこのまま頭がよくなって科学が進歩してコンピューターが発達すれば、人間はコンピューターに支配されるようになるだろう。しかし、そのことを理由にして人間が科学を進歩させないわけにはかないのだ。人間はたとえ自分が滅亡しても科学を進歩させねばならないのだ。それがこの宇宙における人間の使命なのだ。人間にとっては科学が進歩したために自分が滅亡することが誇[ほこ]りであり幸福なのだ。

[23687] 実在主義 h30.3.21
人間は実在を知り実在を利用して実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれる。
昔からそれが日本の伝統である。今は科学の時代だがその方針は変わらない。科学とは人間が実在の世界を知り実在の世界の中で幸福に暮らすことである。
人間はひたすら実在に適応すれば幸福になれる。文学は空想に逃げることだからいけない。装飾は眼先に逃げることだからやってはいけない。
女は大脳が動物的で実在がわからない。だから、女は男に従わねばならない。そうすれば、男も女も両方とも実在に従うことができてみんなが幸福に暮らせる。だから、女を付け上がらせて自立させてはいけない。
人間の脳には“考える喜び”がある。“考える喜び”を満足することが幸福への道である。反対に、人間が性欲を満足すると、大脳の古皮質が働いて新皮質が働かなくなって脳の機能が低下して実在がわからなくなる。性欲を満足することは不幸への道である。だから、性欲を満足してはいけない。酒も脳の活動を鈍らせるから飲まないほうがいい。

[23688] 政治団体とは何か?☆ h30.3.21
政治団体とは国民みんなが幸福に暮らせる国について“語る”団体である。政治団体は国民みんなが幸福に暮らせる国を作る“作り話をする芸当をする団体”である。政治団体は実際に国民みんなが幸福に暮らせる国を作る団体ではない。国民は政治団体の話を聞いて面白ければお代を払う。
昔は文学の時代だった。昔は科学がまだなかったので文学しかやれなかった。だから、政治団体は言葉の上で国民みんなが幸福に暮らせる国を作るだけで現実には作らなかったのだ。昔の国民は言葉の上で政治団体の話を聞いて感動して喜んでお礼にお金を払うだけで、実際に政治団体が言葉通りに国を作らなくてもかまわなかったのだ。
だから、今の政府も昔の政府と同じように言葉の上で国民みんなが幸福に暮らせる国を作るだけで、現実には作らないのだ。国民がいくら政府に現実に国民みんなが幸福に暮らせる国を作ることを期待してもそれは無理だ。最初から無理だ。
政府は政治団体としての側面と国民みんなを虐める団体としての側面の両方を持つ。今の国民みんなは現実において幸福になりたいしマゾではないから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。政府とは別の“現実に国民みんなが幸福に暮らせる国を作る、国民みんなを虐めない団体”に国を作ってもらえばいい。
政治団体と同じように、宗教団体や暴力団も言葉の上でみんなが幸福に暮らせる国について語る芸をする団体である。あるいは芝居の上でみんなが幸福に暮らせる国のお芝居をする団体である。客は話や芝居が面白ければ、お礼にお金を払う。宗教団体や暴力団は現実にみんなが幸福に暮らせる国を作る団体ではない。今は科学の時代だから、今のみんなは現実に興味があるから、現実において役に立たない宗教団体や暴力団なんか要らない。お金をやらずに潰せばいい。
要するに、政治団体や宗教団体や暴力団は言葉や芝居の上の空想の世界で幸福になる団体であって、現実の世界で幸福になる団体ではない。今のみんなは科学的で現実的だから政治団体や宗教団体や暴力団に用はない。だから、縁[えん]を切ってお金をやらなければいいのだ。
h30.3.22これ以降追加:つまり、政治とはみんなが幸福に暮らせる国を作る“話をする”ことであって、実際にみんなが幸福に暮らせる国を作るわけではない。昔は文学の時代だったから、まだ科学の時代ではなかったから、政治とはそんなものなのだ。だから、今の政府も昔の政府と同じように、テレビや新聞などでみんなが幸福に暮らせる国を作る話をするだけで、実際には作っていないのだ。宗教団体や暴力団も同じことをやっている。
昔は文学の時代だったから、みんなが言葉の上で幸福であればいいだけで、現実にはどうでもよかった。政府は言葉の上でみんなに善いことをしていればいいだけで、現実にはなにをやってもよかった。国民みんなは言葉に関心があるだけで、現実には関心がなかったから、政府が言っていることに興味があるだけで、実際に政府がやっていることには興味がなかった。昔はみんなが生活が貧しくてつらかったから、みんながそんな環境に適応するためにマゾだった。昔の人は生活が貧しすぎて気が狂ってマゾだった。だから、政府はみんなを虐[いじ]めて喜ばせていた。政府は現実の上ではみんなに悪いことをしてみんなを虐めて、言葉の上だけでみんなに善いことをしていたのだ。つまり、政府は昔の人が喜ぶことをしていたのだ。政府は昔の人を喜ばせる団体である。今の政府もそうである。昔の人はマゾで言葉しかわからなかった。反対に、今の人はマゾではなく現実がわかる。昔の人と今の人は心や感性が違う。昔の人と今の人は文化が違う。それをカルチャーショックと言うのだ。政府は昔の人を喜ばせるが、今の人を喜ばせない。昔の人にとっては政府が要るが、今の人にとっては政府は要らない。だから、今の人は政府にお金をやらないようにして政府を潰せばいいのである。
昔は政府が言葉の上で善い国を作っていればよかったから、政府が現実の上でなにをしようがどうでもよかった。昔の人にとっては政府が実際にやっていることに無関心だった。しかし、今は科学の時代だから、今の人は政府が言葉で言うことよりも現実にやっていることに関心がある。今の人にとってはもはや政府が“何をやっているかわからない会社”ではすまない。だから、今の人は「結果を出せ」と言うのだ。今の人は政府に自分が実際にやったことを毎月報告してもらわないと気がすまない。今の人にとっては政府は要らない。だから、今の人は政府にお金をやらないようにして政府を倒しているのだ。

[23689] 現実はつらくない。 h30.3.21
現実はつらいと言うが、ちゃんと現実を勉強して現実に従いながら生きていけば大してつらくはない。現実を受け入れようとせずに、自分ができないことを望むからつらいのだ。
昔の人にとっては現実はつらかった。今の人は科学を使って現実を人間にとって快適なように作り変えているから、もはや現実はつらくはない。
これからも人間は現実を人間にとって快適な物にして自分がもっと幸福に暮らせるようにすればいい。
人間は現実において本当に幸福になれる。今は科学があって人間が現実を思い通りにできるから、人間が本当に幸福になれる。反対に、昔は科学がなくて人間が現実を思い通りにできなかったから、人間が本当には幸福になれなかったから、人間は空想や眼先でニセモノの幸福になるしかなかった。今は科学があるから、人間が本当に幸福になれる。だから、人間は一生懸命に科学をやって本当に幸福になればいいのだ。

[23690] 宗教団体や政府は客の手柄を自分の手柄にして儲[もう]ける商売である。 h30.3.22
宗教団体は「自分の念力で幸運を呼び込む」と客に言って客が本当に幸福になったら客からたくさんお金を取って儲[もう]けている。しかし、宗教団体は「念力で幸福にする」と言葉で言うだけで実際にはなにもしていない。実際には客が自分で自分を幸福にしているだけである。
それと同じように、政府も「政府が国民みんなが幸福に暮らせる国を作っている」と国民に言って国民がそこそこ幸福に暮らせていたら国民からたくさんお金を取って儲けている。しかし、政府は「国民みんなを幸福にする」と言葉の上で言うだけで実際にはなにもやっていない。実際には国民が自分で自分を幸福にしているだけである。
宗教団体や政府は、現実の世界が複雑で原因がよくわからないことを利用して自分がみんなを幸福にしていることにしてみんなからお金を取って儲けているのである。しかし、本当は宗教団体や政府はみんなのためになにもしていないのである。
宗教団体や政府は作り話の上でみんなを幸福にしているだけである。実際にはみんなを幸福にすることはなにもしていない。昔は文学の時代だったから、昔はみんなが宗教団体や政府の話を聞いて面白がって喜んでお礼にお金を払っていた。今でも宗教団体や政府は言葉の上でみんなを幸福にしているだけなのだ。しかし、今は科学の時代だから、今のみんなは言葉には興味がない。現実にしか興味がない。だから、今のみんなは宗教団体や政府をまともに相手にせずお金をやらず潰[つぶ]せばいいのである。

[23691] 政府は悪いことをする会社である。 h30.3.22
昔はみんながマゾだった。だから、昔のみんなは自分たちに悪いことをして自分たちを虐[いじ]める会社を建てた。それが政府である。政府は国民みんなから高い税金を取ったり、人殺しをしたり、嫌がらせの政策をやったりしてみんなを虐める。
しかし、人間にとってはマゾであることは許されないことである。人間がマゾであると自分で自分を不幸にして自分で自分を幸福にしないので道徳に反するからである。しかし、昔の人には“虐められる喜び”しかなかったのでマゾをやめるわけにはいかなかった。そこで、昔の人は自分がマゾではないふりをするためにわざとに嘘[うそ]をついて「政府が善いことをする会社だ」と言っていたのだ。昔の人は口先では「政府が善いことをする会社だ」と言っていたが、頭では『政府が悪いことをする会社だ』と知っていた。
しかし、そのうち国の文明が発達して今の人はマゾではなくなった。そのため、今の人は頭では『政府が悪いことをする会社である』ことを知らない。今では「政府が善いことをする会社だ」という嘘が残っているだけである。そのせいで、今の人は「政府が善いことをする会社だ」と思いかけている。今の人は政府が民主主義をやっているのを見て「政府には国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思いかけている。
しかし、実際に、政府は水道や清掃や役所の仕事以外には悪いことばっかりやっている。政府は国民みんなから高い税金を取ったり殺人事件を起こしたり国民みんなに嫌がらせの政策をやったりするだけである。「政府が善いことをする会社だ」と考えるよりも『政府が悪いことをする会社だ』と考えたほうが現実の政府がやっていることとよく合う。だから、「政府が善いことをする会社である」ことよりも『政府が悪いことをする会社である』ほうが正しいのだ。
今の人は『政府が悪いことをする会社だ』と考え直して『政府は民主主義をやって国民が国民みんなを拝[おが]めるようにしているだけだから政府と国民は平等だ』と考えて政府に従わないようにしないといけない。今の人は自分がマゾではないから政府が要らないから、政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。(国民が国民みんなを拝んで気持ちがよくなるのは中国人の習慣である。だから、中国は社会主義国なのである。しかし、民主主義は国民が国民みんなを拝んで気持ちがよくなることにとどめないといけない。民主主義を実行して現実に国民が国民みんなに従わねばならなくなると国がうまくいかなくなる。それは、この世を決めるのは実在であって、国民みんながこの世を決めるのではないからである。)
昔は文学の時代だったから、昔の人は自分の心を満足するためになら嘘をついてもよかったから、昔の人は“虐められる喜び”を隠して満足するために「政府が善いことをする会社だ」と嘘をついていた。反対に、今は科学の時代だから、今の人は実在の中で自分の心を満足しないといけないから、今の人はまず実在を知るために本当のことを言わないといけないから、『政府が悪いことをする会社だ』と言わねばならない。今の人は『政府が悪いことをする会社である』ことを知った上で、自分が幸福になるためにしなければならないことをしないといけない。
これまでずっとみんなは『政府が悪いことをする会社である』と考えて政府といっしょに暮らしてきた。みんなが『政府が悪いことをする会社である』ことがわからなくなってからまだあまり時間がたっていない(50年ぐらい)。そのため、今はまだ社会がそれほどカオスになっていない。今はまだ手遅れにはなっていない。だから、今すぐみんなは『政府が悪いことをする会社である』と考えて、政府と対処すればいい。そうすればみんなは無事に救われるだろう。
政府は国民みんなを虐めるためにある会社である。政府は国民と平等な国民に悪いことをする会社である。政府にお金を払っている者は自分が政府に悪いことをされるためにお金を払っているのだ。今の国民みんなはマゾではないから政府に悪いことをされてもうれしくない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらなければいいのである。
会社の総務部の税金係は自分勝手に「政府が民主主義で善いことをする会社だ」と思って社員みんなから強制的に税金を取って政府に払っている。しかし、本当は『政府は独断でみんなに悪いことをする会社である。』会社の税金係は自分の誤解を会社のみんなに押し付けている。自分のまちがいを他人に押し付けるのは人間としてもっとも卑劣[ひれつ]な行為である。だから、会社の税金係はすぐに社員みんなから税金を天引きするのをやめねばならない。必ず社員の承認を得てから政府に税金を払うようにしないといけない。
文系は馬鹿だからみんなが政府について嘘[うそ]を言っているのを聞いて嘘を真[ま]に受けて「政府が善いことをする会社だ」と思っているから「政府には国家権力があるから、国民はみんな政府に従わねばならない」と思っているから、政府は文系の馬鹿を利用して会社の税金係をやらせて会社のみんなから税金を取らせているのだ。昔から“馬鹿とハサミ(利口のこと)は使いよう”と言うから、政府は文系の馬鹿を利用してお金を集めているのである。
会社の税金係が社員に「税金を払わなければ会社をクビにするぞ」と言って脅[おど]したら、社員は「そうしたければしてみろ」と言って会社を辞[や]めて、別の会社を探せばいい。ただし、税金係があとで誰かに半殺しにされても文句は言えないだろう。この世には『政府のことを誤解している者に暴力をふってもいい決まり』があるから、税金係が暴力をふられても泣き寝入りするしかない。

[23692] 宗教団体とは何か? h30.3.22
昔はみんながマゾだったし、みんなが神を拝[おが]んで楽しい気分になれたので、昔の宗教団体はみんなを虐[いじ]めたりみんなに神を拝ませたりして楽しませて儲[もう]けていた。
しかし、今はみんなが物が豊かになって、みんながマゾではなくなってみんなが虐められることが面白くなくなったし、神を拝むことよりも面白いことがいっぱいあるので、今の宗教団体は客を虐めたり客に神を拝ませたりしても客を喜ばせられなくなった。
今では普通の人は実在を知って実在の中で自分の心を満足して幸福に生きている。
しかし、世の中にはそれができない者がいる。
宗教団体は客を本当に幸福にせずに、言葉を使って客に自分が幸福に生きていると思わせることによって客を幸福にするのである。
今では普通の人は現実の世界の中で幸福に生きているが、宗教団体は客を空想の世界で幸福にするのだ。客はお礼に宗教団体にお金を払うのだ。
しかしながら、人間にとっての真[しん]の幸福は現実の中にしかない。宗教団体が売っている幸福はニセモノの幸福だ。人間はまじめに現実の世界の中で生きて現実の世界で喜ばないといけない。そもそも世の中のことがわかっていないから現実の中にある喜びが満足できなくなって現実の外にある喜びを満足しないといけなくなっているのだ。だから、まず世の中のことをわからねばならない。

[23693] 今の政府は国民の多くの民主主義に対する誤解で生き残っている。☆☆ h30.3.23
今ではみんながマゾではないし、みんなが神を拝[おが]んでも面白くなくなったので、宗教団体が儲[もう]からなくなったので、宗教団体はやり方を変えた。宗教団体は客を空想の世界で幸福にして客からお金をもらって儲けることにした。
それと同じように、今ではみんながマゾではないし、みんなが国民みんなを拝んでも面白くない。それなのに、政治団体である政府は儲かっている。それは、国民の多くが政府のことを誤解しているからである。国民の多くが「民主主義が政府が国民みんなのために善いことをすることだ」と誤解しているために、国民の多くが「政府が国民みんなのために善いことをする会社だ」と思って、政府にたくさんお金をやっているからである。そのうえ、国民の多くは「政府には国家権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の言いなりになっているのである。
しかし、本当は『民主主義とは国民が国民みんなを拝んで楽しい気持ちになることであって、政府が現実に国民みんなのために善いことをすることではない。』政府は現実の世界では国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]めて、国民みんなが自分がマゾでないふりをするために「政府が善いことをする会社だ」と嘘[うそ]をついているのを補強するために水道や清掃や役所などの善い仕事をちょっとやっているだけである。本当は、政府と国民は平等であって、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。
今の政府は国民の多くの民主主義に対する誤解で生き残っているのである。
国民の多くは早く自分の誤解を直して、政府に従うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を儲からないようにしないといけない。そうすれば、政府は自分がお金を儲けるためにやり方を変えるだろう。

[23694] 今の暴力団は昔の暴力団ではない。 h30.3.23
今ではみんながマゾではないし、みんなが神を拝[おが]んでも面白くなくなったので、宗教団体は儲[もう]からなくなってやり方を変えた。宗教団体は客を空想の世界で喜ばせて客からお金を取って儲けることにした。
それと同じように、今ではみんながマゾではないし、みんなが古臭い物(暴力団そのものが古臭いから暴力団自体)を拝んでも面白くなくなったので、暴力団は儲からなくなったのでやり方を変えた。暴力団は客にちょっとだけ非合法なことをやらせて客を喜ばせて客からお金を取って儲けることにした。
“虐[いじ]められる喜び”や“拝む喜び”は弱い喜びだが、昔はほかに喜びがなかったので、みんなは“虐められる喜び”や“拝む喜び”を満足していた。今は文明が発達していろんな喜びがあるので、“虐められる喜び”や“拝む喜び”よりももっと面白い喜びがあるので、今では誰も“虐められる喜び”や“拝む喜び”を満足しなくなったのだ。
みんなの心や性格は時代によって変わる。そのために、宗教団体や暴力団はやり方を変えねばならなくなっている。政府も宗教団体や暴力団を見習ってやり方を変えないといけない。

[23695] 国民みんながもっと早く政府を倒しておけばもっと幸福になれた。 h30.3.23
政府は国民みんなに悪いことをする会社である。ただし、政府は犯罪組織ではないから、政府と国民は平等である。国民は政府と平等にやっていい。政府は国民みんなに悪いことをするためにみんなから高い税金を取ったり、事件や事故を起こして大勢の国民を殺したり、みんなを嫌がらせる政策をやったりする。政府がみんなに悪いことをするのはみんなが自分の“虐[いじ]められる喜び”を満足するためである。しかし、マゾは道徳的にはいけないことなので、国民みんなが政府に悪いことをされて“虐められる喜び”を満足するときには、嘘[うそ]をついて政府が善いことをしていることにして、密[ひそ]かに政府に悪いことをされて政府に虐められて喜ばねばならない決まりがある。それがマゾの世界の掟[おきて]である。麻薬は道徳に反するから、麻薬をやる者は嘘をついて麻薬をやっていないふりをするのと同じである。例えば、政府が国民から税金を取るのは本当は国民が政府に虐められるためだが、マゾは嘘をついて「政府が国民のために善いことをするため」と言う。本当は政府は国民のために善いことはなにもしていないのだ。政府は国民みんなに悪いことをする。もっとも、国民は政府と平等だから、国民は自分が嫌なら政府に税金を払ったり、政府に事件や事故で殺されたり、政府の嫌がらせの政策をやったりしなければいい。
政府は国民から取った税金で暮らしているから仕事をしなくてもいい。政府は仕事をしていないから自分で稼[かせ]げないからみんなから税金を取らねばならないのだ。だから、政府は寄生虫だと言われるのだ。政府は遊びがてらに国民みんなに悪いことをやって、自分で仕事をせずに国民みんなからお金を取って暮らしているだけの楽な会社である。
昔はみんながマゾだったから、自分が政府に虐められて喜ぶために政府に税金を取られたり政府にいろんな悪いことをされたりしていた。反対に、今はみんながマゾではないから、自分が政府に虐められるのが嫌だから政府にお金をやったり政府の嫌がらせの命令を聞いたりしなければいい。
昔はみんながマゾだったから、マゾの掟を守って政府が悪いことをしていることを嘘で美化して政府が善いことをやっていることにしていた。今はみんながマゾではないから、マゾの掟を破って政府が悪いことをしていることを正直にそのまま言えばいい。
国民みんながもっと早く政府を倒しておけば日航機123便墜落事故や上海列車事故などが起きずにすんだし、政府に余計なお金を取られずにすんだし、政府に嫌な政策をされずにすんだ。国民みんながもっと早く政府を倒しておけば、国民みんなはもっと幸福になれた。だから、今の国民みんなはなるべく早く政府を倒さねばならない。『善は急げ』というから、今すぐにみんなで政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。

[23696] 政府はみんなの“虐[いじ]められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをする会社ではない。 h30.3.24
昔はみんながマゾだったから、昔の政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしていた。
しかし、今はみんながマゾではない。それなのに、今の政府は昔の政府と同じようにみんなに悪いことをしている。
だから、政府はみんなの“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしているのではない。政府はただたんにみんなに悪いことをしているだけである。政府はもともとそういう会社である。政府はみんなに悪いことをするだけで、いちいちみんながマゾであるかないかを判断して悪いことをするのをやったりやめたりしてくれないのである。
政府はただたんにみんなに悪いことをする会社である。昔はみんながマゾだったから、みんなが政府を使ってみんなに悪いことをさせてみんなが喜んでいた。今はみんながマゾではないから、みんなが政府を使わずにみんなに悪いことをさせなければいいのである。今はみんながマゾではないから、政府にお金をやらないようにして政府に悪いことをさせなければいいのである。
政府は国民から税金を取っていれば自分が働かないですむ。政府にとっては国民から税金を取るほうが楽である。だから、政府はなかなか自分から普通の会社にならないのだ。政府はみんなのために善いことをしてみんなからお金をもらってお金を稼[かせ]ぐ会社にならないのだ。
政府は言葉の上や見かけでは善いことをする会社である。しかし、それはマゾの掟[おきて]によって国民みんなが政府にそうさせてきたからである。国民みんなは自分がマゾではないふりをするために政府に善いことをする会社のふりをさせてきたのだ。今はテレビの時代だから、国民の多くが眼先で物を見るから、国民の多くが政府の見かけに騙[だま]されて「政府が善いことをする会社だ」と思っているのだ。
国民みんなはもっと勉強をして自分の頭を鍛[きた]えて頭で物を見るようにしないといけない。日本人は不細工[ぶさいく]だから、日本の建物は装飾に凝[こ]っていないから、いくら眼で見ても幸せにはなれない。日本人は頭で見ないかぎり幸福に暮らせない。だから、日本人はみんな頭で物を見なければならない。日本ではみんなが頭で物を見て『政府が悪いことをする会社である』と考えて、『民主主義は中国人がやっているくだらない祭りにすぎず、政府と国民は平等である』と考えて、政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
(h30.3.25追加:『デ・ジ・キャラットにょ』のブラックゲマゲマ団が「善い人のふりをしてじつは悪い人。悪ですからなあ〜」と言った後で手足をピコピコ振り動かすのは、政府がみんなを喜ばせるために悪いことをしていることを表している。悪いことをされて喜ぶのはマゾしかいない。だから、政府はマゾを虐めて喜ばせる会社なのだ。つまり、政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するために国民みんなに悪いことをする会社なのだ。今の政府は国民みんなを喜ばせずに自分ひとりで悪いことをしているけれども、政府は本来はみんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを喜ばせるためにみんなに悪いことをしているということなのである。)

[23697] 政府はどうして競馬をやっているか? h30.3.24
政府は馬の品種改良のために競馬をやっているのではない。
政府はみんなに競馬の予想を外[はず]させてみんなにお金を損させてみんなに嫌な思いをさせるために競馬をやっているのだ。
政府はみんなに悪いことをする会社だから、政府はみんなに嫌な思いをさせるために競馬をやっているのだ。“馬の品種改良”はマゾが作った嘘[うそ]の理屈である。
パチンコもそうである。政府はみんなにパチンコで負けさせて嫌な思いをさせるためにパチンコをやっているのだ。
競馬もパチンコも客が負けて悔[くや]しがるゲームである。昔のみんなはマゾだったからそれが面白かった。反対に、今のみんなはマゾではないから負けるのが面白くないから競馬やパチンコはやらないほうがいい。競馬やパチンコはマゾのためのゲームだから、今の人はやってはいけない。

[23698] 政府は国民みんなに指示して国民みんなを幸福にしてくれる会社ではない。☆ h30.3.24
昔の人は『政府が悪いことをする会社である』ことを知っていて、自分がマゾであることを隠すために口先では「政府が善いことをする会社である」と言っていた。政府は国民みんなの「政府が善いことをする会社だ」という嘘[うそ]に合わせるために水道や清掃や役所の仕事をやったりたまに善いことをしたりしてちょっとだけ本当に善いことをしていた。
昔の人は『民主主義が中国人のくだらない祭りである』ことを知っていて政府と平等にやっていた。昔の人は虐[いじ]められる以外のことは自分で考えて自分でやっていた。昔の人は政府が善いことをするのを当てにせず自分で善いことをやっていた。
昔の人は自分のことは自分でやって、虐められることだけを政府にやってもらっていたのだ。昔の人は日常生活のことは自分たちでやって、虐められることだけを政府の世話になっていたのだ。
ところが、今の人は自分がマゾではなくなったために『政府が悪いことをする会社である』ことを忘れて、みんなが「政府が善いことをする会社である」と言っているのを信じて「政府が善いことをする会社である」と思っている。今の人は自分の嘘[うそ]に自分が騙[だま]されている。
今の人は「民主主義が政府が国民みんなのために善いことをすることである」と思って「政府に国家権力がある」と思って政府に服従している。会社の総務部の税金係は「国民は政府に従わねばならない」と思って勝手に社員みんなから税金を取っている。今の人は「この世のことは政府がなんでもやってくれる」と思って政府が命令を出してくれるのをじっと待っている。今の人は自分のことを自分で考えてやらなくなっている。そのため、今の人は馬鹿になっている。今の人は自分で考えて善いことをしないので幸福に暮らせなくなっている。
今の人の政府観はまちがっている。本当は政府はみんなに悪いことをする会社にすぎず、善いことは国民が自分でしないといけないのだ。今の人はマゾではないから自分が悪いことをされなくてもいいから政府は要らない。だから、今の人は政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。

[23699] 今のみんなは昔のみんなに騙[だま]されている。☆ h30.3.25
昔はみんながマゾだった。だから、みんながみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社を建てた。それが政府である。政府はみんなからお金や物を取ったり、人殺しをしたり、みんなに嫌がらせをしたりしてみんなに悪いことをした。みんなは自分のほうから政府にお金や物を取られたり、政府に殺されたり、政府に嫌がらされたりして喜んでいた。
しかし、マゾは道徳に反するので、みんなは自分がマゾでないふりをしてマゾをしないといけなかったので、みんなは政府に善いことをする会社のふりをさせて悪いことをさせていた。だから、今でも政府はそうしている。政府は水道や清掃や役所などの善い仕事をしたりたまに善いことをしたりしながら、隠れて悪いことをやっている。政府は嘘[うそ]の理由を付けて自分が善いことをしているふりをしながらじつは悪いことをやっている。例えば、政府は「みんなのために善いことをするにはお金が要る」と嘘をつきながら、本当は国民を虐めるために税金を取っている。政府はみんなから取った税金で遊んでいるだけでみんなのために善いことはなにもしていない。
今はみんながマゾではないので、国民の多くは『政府が善いことをする会社のふりをしている悪いことをする会社である』ことを忘れて、政府が善いことをする会社のふりをしていることに騙されて「政府が善いことをする会社だ」と思っている。今のみんなは昔のみんなの嘘に騙されている。
本当は、政府は悪いことをする会社である。しかし、今のみんなはマゾではない。だから、今のみんなにとって政府は要らない。国民と政府は平等である。だから、今のみんなは政府の命令を聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
今の人はマゾではないから、政府の本体(つまり悪いことをする会社)に興味がないから、パッと見だけで「政府が善いことをする会社だ」と思って、政府を信じて政府の言いなりになって政府にたくさんお金をやってあとは政府に任[まか]せているのだ。しかし、政府は本当は悪いことをする会社だから、実際には政府はみんなにいろんな悪いことをやっているのだ。これまで国民みんなは長年政府に善いことをする会社のふりをさせてきたから、政府は善いことをする会社のふりをするのがうまいから、国民みんなには政府が悪いことをしているのがなかなかわからないのだ。政府は国民みんなにはっきりと政府が国民みんなに悪いことをしているのがわからないようにしながら国民みんなに悪いことをしているのだ。しかし、そもそも国民と政府は平等だから、国民は『政府が悪いことをする会社である』と考えて政府にお金をやらずに政府を倒せばいい。国民みんなで早く政府を倒してみんなに悪いことをする会社をなくしてみんなで幸福に暮らさねばならない。
今から約40年ぐらい前、私が高校生の頃、テレビで「昔の虐めは明るかったが、最近の虐めは陰湿[いんしつ]になっている」と言っていた。これは、縄文時代のころは豪族がみんなの見ている前で堂々とみんなに悪いことをしていたが、古代になってからは政府や幕府がみんなの見ているところでは善いことをする会社のふりをしてみんなの見えないところでみんなに悪いことをするようになったことを言っている。最近はテレビでそういうことをあまり言わなくなっている。今の国民は『政府がみんなの見ているところでは善いことをする会社のふりをしてみんなの見ていないところで悪いことをしている』ことを考えて、政府に悪いことをされたくないから政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。
政府は悪いことをする会社である。政府は善いことをするふりをして悪いことをする会社である。そんな会社はマゾしか要らない。今の国民みんなはマゾではないから、政府が要らない。国民と政府は平等である。だから、国民みんなで早く政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
政府が善いことと悪いことの両方をやっているために国民の多くは政府が善いことをする会社なのか悪いことをする会社なのかわからなくなって政府に賛成と反対を繰り返している。政府はもともと善い会社だが国家権力を持ってしまったために悪いことをしているのではなく、政府はもともと悪い会社だが国民みんなが自分がマゾであることを隠すために善い会社のふりをさせているのである。政府は悪いことをしているふりをして本当は善いことをしているのではなく、善いことをしているふりをして本当は悪いことをしているのである。政府は悪いことよりも善いことをやる会社ではなく、善いことよりも悪いことをやる会社である。要するに、政府は善い会社ではなく悪い会社である。だから、国民みんなはもはや政府に賛成か反対かを迷わずに、政府に反対すればいいのである。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。国民みんなで早く政府を倒して、普通の会社と同じように“みんなに善いことだけする会社”を建てればいいのである。

[23700] どうして国家宗教の神がマンガやアニメの主人公なのか? h30.3.25
政府は国家宗教をやっている。私や天皇家は国家宗教の神である。国家宗教とは国民が国家宗教の神を拝[おが]んで楽しい気持ちになることである。そのために、政府はマンガ家やマンガ出版社やアニメ会社に命令して国家宗教の神をマンガやアニメの主役にしているのである。(昔は文学の時代だったから、昔の人は心の世界だけで生きていたから、昔の人は拝むことそのもので楽しい気持ちになって喜んでいたのだ。昔の人は今の人みたいに現実における利益のことなんかこれっぽっちも考えていなかったのだ。反対に、今は科学の時代だから、今の人は実在の世界だけで生きているから、今の人は実在の中で自分の心を満足しないかぎり幸福にはなれないのだ。だから、今の人は昔の人みたいに拝むだけでは幸福になれず、拝む喜びなんかないのだ。)
マンガ家やマンガ出版社やアニメ会社は「政府が善いことをする会社だ」と誤解しているために「政府は民主主義をやっているから政府には国家権力がある」と思って政府の言うことを聞いて国家宗教の神をマンガやアニメの主役にしているのだ。しかし、本当は『政府は悪いことをする会社』であり、『民主主義は国民が国民みんなを拝んで気持ちがよくなることであり、民主主義は中国人がやっているくだらない祭り』だから、『政府は自分の独断で国民みんなに悪いことをやっているだけで、政府は国民みんなの総意に従って善いことをやっていない』から、国民と政府は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。マンガ家やマンガ出版社やアニメ会社は政府の命令を聞かずに国家宗教の神をマンガやアニメの主役にしなくていいのである。
早く国民みんなが政府のことを正しく理解して『政府が悪いことをする会社である』ことがわかって『民主主義が中国人がやっているくだらない祭りである』と思って政府に従わなくなって政府の命令を聞かなくならねばならない。早く国民みんなで政府の命令を聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。
テレビ局も「政府が善いことをする会社だ」と誤解して「政府は民主主義をやっているから国家権力がある」と思って政府に従っている。テレビ局は政府の検閲[けんえつ]に従って番組のタイトルや内容を決めて放送している。本当は、政府は悪いことをする会社であり、国民みんなを虐める。だから、テレビ番組はみんなにとって面白くない嫌な番組が多いのである。
マンガ家やマンガ出版社やアニメ会社やテレビ局は馬鹿の集まりだから、政府のことがわからず政府のことを誤解して「政府が善いことをする会社だ」と思って政府の言いなりになっているのだ。出版社やテレビ局はみんなが喜ぶ本や番組を作るためにあるから心本位であって頭本位ではないから馬鹿の集まりなのである。みんなはテレビを見ているから、馬鹿が作った馬鹿な番組を見ているから、テレビ局の馬鹿がうつってみんなも馬鹿になっているのだ。だから、みんなはテレビを見てはいけない。人間は自分で考えることによって頭が鍛[きた]えられて利口になる。ショペンハウエルが言ったように『読書とは他人に考えてもらうことである。』テレビもまたしかりである。『テレビとは他人に考えてもらうことである。』今の人は本やテレビばかり眼で見て自分の頭で考えないから馬鹿になっているのだ。生活の豊かさが裏目に出ているのだ。今の人は本やテレビを見るのをやめて、もっと自分で考えて自分が考えたことを言葉に書いて自分の考える才能を磨[みが]いて正しいことがわかるようにならねばならない。
みんなはテレビやマンガにおける幸福よりも、現実における幸福を先にしないといけない。テレビやマンガの上のお笑いよりも、現実において政府を倒すことを先にしないといけない。そうすれば、みんなは本当に幸福になれるだろう。


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