[23501] 政府は国民が虐[いじ]められるためにある会社である。 h30.1.23
政府は悪いことをする会社である。政府は国民みんなから高い税金を取ったり、悪い法律や政策を定めて国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりする。政府は法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などを使って国民みんなに悪いことをする。しかも、政府と国民は平等である。だから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は自分が好きなだけ政府に悪いことをされればいいのである。国民は自分が政府に悪いことをされたい分だけ政府の言うことを聞けばいいのである。国民は自分が政府に悪いことをされるのが嫌なら政府に断って政府に悪いことをするのをやめてもらえばいいのである。
昔は国民みんながマゾだったから、自分が政府に虐められたかったから、自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされていた。昔の国民は自分が政府に虐められるために、自分のほうから政府に高い税金を強盗されたり、政府の悪い法律や政策をやって嫌がらされたり、事件にあって政府に殺されたりしていた。
今は国民みんながマゾではないから、自分が政府に虐められるのが嫌だから、自分のほうから政府の言うことを聞かなくなって政府に悪いことをされなくなっている。今の国民は自分が政府に虐められないために、政府の言うことを聞かなくなって、政府に税金を払わなくなったり、政府の法律や政策をやらなくなったり、政府に殺されたりしなくなっている。
政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。国民みんなに悪いことをしない法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などが出来ている。
『オズの魔法使い』の魔法使いは政府のことである。魔法使いは会う前は恐い人だったが、実際に会えば優しいおじいさんだったのは、政府は悪いことをする会社だが、政府は国民と平等だということである。政府に虐められたい人が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいいのである。政府はマゾから取ったお金でお金が有り余っているから国民の願いを聞いてくれる。だから、オズの魔法使いはドロシーの願いを聞いてドロシーを気球で家に帰してくれたのである。(オズつまりOZのOは神武天皇の光る玉のことで、Zはギリシア神話の全知全能の神ゼウスのことである。当時のアメリカ政府は神武天皇とゼウスを神とする国家宗教をやっていた。だから、アメリカ政府はドロシーを気球で家に帰してやったのである。気球は白くて丸いから神武天皇の光るトンビの喩[たと]えであり、ゼウスの科学力の賜物[たまもの]である。昔の政府はマゾからいっぱいお金をもらってお金が有り余っていたから国民の願いを聞いてくれたが、今の政府はマゾがいなくなってお金をもらえなくなってお金が足りないから国民の願いを聞いてくれなくなっている。ドロシーが今の政府に会っても政府はなにもしてくれない。)
『悪役商会』は政府のことである。悪役商会はテレビの上では悪い人だが、実際には普通の人である。政府は国民に悪いことをするが、国民と平等である。だから、政府に悪いことをされたい人が政府の言うことを聞いて政府に悪いことをされればいいだけである。政府にお金を強盗されたい人が、政府に税金を払えばいいのである。マゾは他人に虐められるのが好きだから、政府に悪いことをされて虐められて気持ちよくなるのだ。昔は国民みんながマゾだったから自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に虐められて気持ちよくなっていた。今は国民みんながマゾではないから自分で政府の言うことを聞くのをやめている。

[23502] 観察眼 h30.1.23
私は今から約12年前42歳のころテレビアニメの「アイドル天使ようこそようこ」を見ていて、ようこが私と同じことをやっているのがわかった。そこから少し考えて『政府が私や天皇家を神とする国家宗教で日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件や福知山線列車事故などを起こしている』ことがわかった。要するに、『政府が悪いことをやっている』ことがわかった。そこから先の理論については私の最近の哲学日記を見ればいい。
誰でも毎日テレビや新聞をよく見ていれば、そのうち『政府が悪いことをやっている』ことがわかるはずである。それがわからないのは、テレビや新聞をボンヤリとしか見ていないからである。
星の動きをボンヤリとしか見ていなければ「太陽が地球の周[まわ]りを回っている」ことしかわからない。星の動きを詳[くわ]しく見たから『地球が太陽の周りを回っている』ことがわかったのだ。
それと同じように、世の中をボンヤリとしか見ていないから「政府が民主主義で善いことをやっている」ことしかわからないのだ。世の中を詳しく見れば『政府が悪いことをやっている』ことがわかるはずだ。
いい歳した大人で『政府が悪いことをやっている』ことを知らない人は観察眼のないボンクラである。そこから先の理論も難しいが、せめて『政府が悪いことをやっている』ことぐらいは知っていないといけない。それは国民にとっての常識である。

[23503] 政府は国民と平等な国民みんなを虐[いじ]める会社だ!☆ h30.1.24
政府は国民みんなを虐める会社である。
政府は国民みんなを虐めるために、国民みんなから税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりする。政府は法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などを使って国民みんなを虐める。
政府と国民は平等である。国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。だから、政府に虐められたい人は政府の言うことを聞けばいい。反対に、政府に虐められたくない人は政府の言うことを聞かなければいい。
昔は国民みんながマゾだったから、国民みんなが自分のほうからわれ先に政府の言うことを聞いていた。国民みんなが政府に高い税金を取られたり、悪い法律や政策をやって嫌がらされたり、事件で殺されたりして喜んでいた。
今は国民みんながマゾではないから、国民みんなが自分で政府の言うことを聞かなくなった。国民みんなが政府に税金を払わず、政府の法律や政策をやらず、事件で殺されたりしなくなった。
今では政府が国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などになっている。今の国民みんなが幸福に暮らせるようになっている。

[23504] 権力のある世界☆ h30.1.24
権力のある世界とは人間が不平等である世界である。権力とは人間が不平等であることである。
権力のある世界では人間が不平等である。人間が上の人間と下の人間に分かれている。上の人間は下の人間を好き放題にできる。上の人間は自分勝手に下の人間から強盗したり下の人間に嫌がらせしたり下の人間を殺したりできる。下の人間は上の人間の言いなりである。下の人間は上の人間に逆らってはいけない。上の人間は下の人間からお金を奪って働かずに遊びまわって贅沢[ぜいたく]をしている。下の人間は上の人間にこき使われてただ働きさせられて貧乏に暮らしている。
権力のある世界では上の人間が下の人間を好き放題にする。下の人間は不幸に暮らしている。上の人間は不幸な人間に囲まれて不幸に暮らしている。みんなが不幸に暮らしている。権力のある世界では誰も幸福に暮らせない。人間がとうてい生きて行けたものではない。
実際に、権力のある世界はこれまで一度も存在したことがない。
そもそも権力は『昔の国民みんなが政府に虐[いじ]められていた』ことに対する誤解から生まれた概念である。『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。』今の国民みんながマゾではなくなったために、昔の国民みんなが政府に虐められていた本当の理由がわからなくなって、無理やり“権力”という概念を考え出して政府に“権力”があることにしたのだ。“権力”は『昔の国民みんなが政府に虐められていた』ことに対するまちがった解釈である。誤解である。本当は、昔は人間が平等で、政府と国民が平等で、国民が自分が好きで政府に虐めてもらっていたのである。“権力”は人間を不平等にする。けっして政府が国民よりも上の者だったから政府が国民を好き放題にしていたのではない。
“権力”は実在の社会に対するまちがった概念である。“権力”を使うと人間がまちがった社会で暮らすことになる。人間がまちがった空想の世界で暮らすことになって、人間が実在の社会で暮らせなくなる。そんな社会では人間がそもそも生きて行けない。
本当の社会では実在する社会では人間は平等である。これまで人類はずっと人間が平等な社会で暮らしていたのである。ここに来て急に人間が不平等な社会では暮らせない。そんな社会では人間が暮らすことはできない。権力がある社会ではうまく行かない。下の人間が上の人間に好き放題にされて死んで、上の人間も下の人間からお金を取れなくなって死んで、人類が滅亡するだけだ。
人間はみな平等である。これが実在の社会の法則である。実在の世界は人間が平等であるように出来ている。だから、人間はみなこの決まりを守って暮らさねばならない。『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府に権力はない。この世にはマゾがあるだけで権力はない。この世では人間は平等だ。』
政府は国民と平等な国民を虐める会社である。昔の国民はマゾだったから自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。今の国民はマゾではないから自分で政府の言うことを聞かなくなって政府に虐められなくなっている。政府は国民みんなから税金を強盗できなくなって潰[つぶ]れている。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社が出来ている。国民みんなが自分たちで社会を作り変えて自分たちが幸福に暮らせるようにしている。
会社の中でも社員はみな平等である。『昔の社員みんなが社長に虐められていたのは、昔の社員みんながマゾだったからであって、社長に権力があったからではない。社長に権力はない。社長と社員が不平等で、社長が上の者で社員が下の者なのではない。社長も社員も平等だ。社長は社員を好き放題にできない。社長は自分勝手に社員からお金を取ったり、社員に嫌がらせをしたり、社員を殺したりできない。社長は必ず社員の承認を得てから社員からお金をもらって、社員が嫌がることを頼んで、社員を殺さねばならない。』そのため、今では会社の中でもみんなが平等になっている。社長も社員も平等である。社長は社長の仕事をやっているただの社員にすぎない。社長も社員も同じ給料をもらって同じ待遇で暮らせるようになっている。みんなが同じきつさの仕事をするようになっている。みんながいい待遇のためではなく“仕事をする喜び”のために仕事をするようになっている。みんなが自分に適性がある自分が好きな仕事をやって幸福に暮らせるようになっている。
昔の白人が植民地を取って黒人を好き放題にしていたのも、昔の黒人がマゾだったからである。昔は白人も黒人もみなマゾだったから、白人は自分が虐められてうれしいから黒人も虐められてうれしいと思って黒人を喜ばせるために黒人を好き放題にしてやったのだ。黒人も白人に虐められて喜んでいたのだ。白人は黒人を虐めて喜ばせることによって植民地を取っていたのだ。今の黒人は文明生活をするようになってマゾではなくなっているから、今の白人は黒人を好き放題にできない。今では白人も黒人もみなマゾではないから、白人は自分が虐められてもうれしくないから黒人も虐められてもうれしくないと思って黒人を虐めなくなったのだ。だから、今の世界には植民地がないのだ。
今ではみんながマゾではなくなっている。そのために、白人は自分が虐められてもうれしくないと思って黒人を虐めなくなっている。それなのに、今でも政府は国民を虐めている。政府は自分が虐められてもうれしくないのに国民みんなを虐めている。それは、政府が国民みんなに『国を作るのは国民だ』ということを教えるためである。今の国民の多くは政府に頼って政府がいつかは自分で国民みんなを虐めるのをやめてくれると思って自分からはなにもしようとしない。そのため、政府はなにもしないし、国民もなにもしないので国は変わらない。それではいけない。政府が態度を変えないのなら、国民が態度を変えねばならない。国民が本気を見せねばならない。今の国民は自分が政府に虐められたくないから政府の言うことを聞かなければいい。政府にお金をやらずに政府を潰せばいい。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などになってからお金をやって仕事をやってもらえばいい。

[23505] どうしてガキ大将はいなくなったのに政府が残っているのか? h30.1.24
昔はみんながマゾだった。大人も子供も男も女もみんなマゾだった。そのため、昔は子供はガキ大将に虐められて喜んでいた。大人は政府に虐めてもらって喜んでいた。
しかし、今ではみんながマゾではない。今では文明が進んでみんなが物や時間が豊かになって物を使って喜ぶようになって“虐められる喜び”を満足しなくなったのでマゾではない。そのため、今は子供はガキ大将に虐められなくなっている。ガキ大将がいなくなっている。それなのに、大人は政府に虐められている。政府は今でも建っている。
それは、政府が民主主義や国家宗教などをやって自分が国民みんなを虐めていることを国民に隠しているためである。政府が密[ひそ]かに国民を殺したり、嘘[うそ]の理由をつけて国民から税金を取ったり国民に悪い法律や政策をやらせたりして、政府が隠れて国民を虐めているからである。要するに、今の政府が国民に隠れて国民みんなを虐めているために国民の多くが『政府が国民みんなを虐めている』ことがわかっていないために、今でも政府が残っているのである。今でも国民の多くが「政府が民主主義で国民みんなのために善いことをする団体だ」と思って政府に善いことをしてもらうために税金を払っているから、政府が残っているのである。
ガキ大将はあけっぴろけにみんなの眼の前で子供を虐めていたから、みんなが『ガキ大将は子供を虐める』ことを知っていたから、今ではガキ大将がいなくなっているのだ。一方、政府は隠れて国民を虐めているから、国民の多くが『政府が国民みんなを虐める』ことを知らないから、今でも政府が残っているのだ。
今の国民の多くが政府のことを知らないために政府が生き残っているのである。国民みんなはもっとテレビや新聞をよく見て『政府が国民みんなを虐めている』ことを知って、自分で考えて『政府が国民と平等な国民みんなを虐める会社である』ことを理解して『今の国民みんなは政府に虐められるのが嫌だから、政府の言うことを聞かなければいい』と考えて、実際に政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。実際に、今では大勢の国民が政府を潰している。政府を潰していない国民が遅れているのだ。国民みんなで早く政府を潰して、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などにして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[23506] 政府は国家宗教をやっている。 h30.1.25
政府は国民と平等な国民みんなを虐[いじ]める会社である。
だから、政府の法律は国民みんなを虐めるための法律であって、本物の法律ではない。
政府の日本国憲法には「政府が国家宗教をやっていない」と書いている。しかし、政府の法律は本物の法律ではないから正しい法律ではないから嘘[うそ]を書いている。だから、政府は本当は国家宗教をやっているのである。
国家宗教は国民みんなに対する虐めである。民主主義や国家宗教や身分制は外人のお祭りである。日本人は民主主義や国家宗教や身分制が嫌いだから、国家宗教は国民みんなに対する嫌がらせである。戦後は国民みんながマゾではなくなった。だから、政府は国民みんなに合わせるふりをして「自分が国家宗教をやっていない」と憲法で嘘をついたのである。
本当は、政府は国家宗教をやっている。政府は国民みんなに知られないように密[ひそ]かに天皇家や私を神とする国家宗教をやっている。例えば、テレビで天皇家や私に似た登場人物が出てくるドラマやアニメをやっている。
今の政府は国民みんなを虐めていないふりをして、本当は虐めている。今の国民みんながマゾではないから、政府は国民みんなの反感を買わないように国民みんなに合わせて隠れて国民みんなを虐めることによって自分が国民みんなを虐めていないふりをしている。しかし、本当は政府は国民みんなを虐めているのである。政府は密かに事件を起こして国民みんなを殺したり、嘘の理由をつけて国民みんなから高い税金を取ったり悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたりしているのだ。
今の政府は昔の政府と同じ国民みんなを虐める会社のままである。しかし、今の国民みんなはマゾではない。昔の国民みんなはマゾだったが、今の国民みんなはマゾではない。政府は国民と平等である。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのだ。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などを建てればいい。
政府は国民みんなを虐める会社である。だから、政府は国民みんなを虐めるために嘘をつく。政府の役所は本物の役所ではなく、国民みんなを虐めるための役所だから嘘をつく。国民が役所に「政府に税金を払わなければならないでしょうか?」と訊[き]くと、役所の人は「払わないといけません」と答える。国民は役所の嘘に騙[だま]されないようにしないといけない。政府の教科書は本物の教科書ではないから正しいことを教える教科書ではないから、国民みんなを虐めるための教科書だから嘘を書いている。だから、政府の教科書には「政府は国民みんなのためになることをする民主主義の団体です」と書いていて『政府が国民と平等な国民みんなを虐める会社である』と書いていないのだ。国民みんなは政府の教科書に騙されてはいけない。早く国民みんなで政府を倒して、嘘をつかない役所や正しいことを書いている教科書にしないといけない。

[23507] 大ざっぱに言って政府は国民みんなを嫌がらせる会社である。 h30.1.25
政府は国民と平等な国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などを使って国民を虐める。
政府は法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などが少しは善い仕事をやっているが、大ざっぱに言って、政府は国民みんなを嫌がらせる会社である。政府は国民みんなから高い税金を取って国民みんなを嫌がらせて、さらに国民みんなから取った税金を使っていろんなことをやって国民みんなを嫌がらせているのである。
昔は国民みんながマゾだったから、政府に嫌がらされて喜んでいた。そもそも政府は昔の国民みんながマゾだったために国民みんなが自分たちが虐められて喜ぶために建てた会社である。だから、政府は国民みんなを虐めるのだ。
しかし、今は国民みんながマゾではないから、政府に嫌がらされるのが不愉快[ふゆかい]である。政府と国民は平等である。だから、今の国民が政府が嫌なら政府を倒せばいいのである。国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。国民みんなで政府とは別に国民みんなを虐めない法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などを建ててお金をやって仕事をやってもらえばいい。そうすれば、国民みんなが今よりもっと幸福に暮らせる。法律会社や学校会社などの国民からのお金の取り方は適宜工夫[てきぎくふう]すればいい。政府の税金のように収入の多い者からたくさん料金を取ればいい。法律会社や学校会社などは国民から料金を取れる程度の料金にしないといけない。料金が高すぎてはいけない。料金が高すぎると国民が料金を払ってくれないから、料金を安くしないといけない。

[23508] ドリフターズとひょうきん族 h30.1.26
ドリフターズとは、ドリフトつまり移り変わることである。戦前は国民みんながマゾだった。戦後は国民みんながマゾではなくなった。国民みんながマゾからマゾでない人に変わったからドリフターズなのである。
一方、ひょうきん族とは面白そうにふるまう人のことである。つまり、ピエロである。ピエロは表では陽気にふるまって裏では陰気である。戦前は国民みんながマゾだったので、国民みんなが政府がみんなを虐めることを認めていたので政府はあけっぴろげにみんなの眼の前で堂々と国民みんなを虐めていた。しかし、戦後は国民みんながマゾではなくなって、政府がみんなを虐めることを認めなくなったので、政府はみんなに知られないようにしながら密[ひそ]かにみんなを虐めるようになった。戦後の政府は表ではみんなのために善いことをやっているふりをして、裏ではみんなに悪いことをしてみんなを虐めるようになった。戦前の政府は正直者だったのに、戦後の政府はピエロになった。だから、ひょうきん族なのだ。
ドリフターズは戦後の国民みんなのことを言っている。ひょうきん族は戦後の政府のことを言っている。だから、ドリフターズもひょうきん族も言っていることは同じである。
『オレたちひょうきん族』とは、自分たちは政府の支持派であるということだ。自分たちは国民みんなのことだから、国民みんなが政府の支持派であるということだ。国民みんなが政府のことをよく知らないから政府の支持派でいられるのだ。
国民みんなは政府のことをよく知って政府の反対派にまわらねばならない。政府は国民みんなを虐める会社である。しかし、今の国民みんなはマゾではないから、政府が要らない。
『オレたちひょうきん族』はもう古い。今では国民みんなが政府のことを知っているから『オレたちひょうきん族』ではない。今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府はかなり潰[つぶ]れている。

[23509] 日本は“政府が悪いことをやっている国”である。 h30.1.26
今の政府は国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐めている。
今の政府はテレビで「政府が国民みんなのために善いことをやっている」放送をして国民みんなを洗脳している。政府は社会科の教科書に「政府は民主主義で国民みんなのためになることをする団体だ」と書いて子供たちを洗脳している。
しかし、現実の世界では政府がみんなに悪いことをやってみんなを虐めている。本当は政府は国民みんなを虐める会社である。昔は国民みんながマゾだったから、自分たちが虐められて喜ぶために政府を建てたのだ。
今では国民みんなが政府のことを知っているようになって、政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
もともと政府は国民と平等な国民みんなを虐める会社である。だから、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めるために国民みんなに嘘[うそ]をつく。政府は悪いことをするから、嘘をつくのは悪いことだから、政府は嘘をつくのである。政府は本当は悪いことをやっているのに「自分が善いことをやっている」と嘘をつく。しかし、政府と国民は平等だから、国民が政府の嘘に騙[だま]されるか騙されないかは国民の自由である。だから、国民は自分で『政府が悪いことをやっている』と考えて、政府の嘘に騙されないようにして、政府を倒せばいいのである。

[23510] 政府は今の国民みんなに合わせて隠れて国民みんなを虐めていない。☆ h30.1.27
今の政府が今の国民みんなに合わせているのなら、隠れて国民みんなを虐めるよりもいっそのこと国民みんなを虐めるのをやめればいいはずである。
しかし、実際に政府はそうしていない。だから、政府は今の国民みんなに合わせていない。政府はもともと昔から隠れて国民みんなを虐めてきた。もっとも、大昔(縄文時代)には国民みんなが自分がマゾであることが恥ずかしくなかったから大昔の政府(豪族のこと)は国民みんなの眼の前であけっぴろげに国民みんなを虐めていただろうが、文明が進んで国民みんながいい暮らしをするようになってから(弥生時代以後)は自分がマゾであることが恥ずかしくなったので政府は国民みんなにわからないようにしながら密かに国民みんなを虐めるようになった。同じように、性欲についても、大昔はみんながみんなの見ている前で平気で抱き合ったり性交をしたりしていたが、文明が進むと恥ずかしくなって隠れてやるようになったのだ。
今の政府は今の国民みんなに合わせていない。政府は昔から隠れて国民みんなを虐めている。政府は昔から密かに事件を起こして国民みんなを殺したり、嘘[うそ]の理由をつけて国民みんなに悪い法律や政策をやらせたり国民みんなから高い税金を取ったりしてきた。
今の政府は今の国民みんなに合わせていない。だから、今の国民みんなはマゾではないのに、今の政府は国民みんなを虐めているのである。今の政府は今の国民みんなを苦しめているのである。(どうして、政府が国民みんなに合わさないかはわからないが。政府としては、政府を建てたのが国民みんなだから、政府を倒すのも国民みんなだというつもりでいるのかもしれない。政府のように会社が大きくなると傲慢[ごうまん]になっていちいち自分のほうから国民みんなに合わせなくなるのかもしれない。人間が太ると自分の身体を動かすのが面倒臭くなるのと同じことである。だから、国民みんなが政府を国民みんなに合わせてやらねばならないのだ。“鳴かぬなら鳴かせてやろうホトトギス”のように、政府が自分で潰[つぶ]れないから、国民みんなが政府を潰してやればいいのだ。)
政府と国民は平等である。政府が国民みんなに合わさないのなら、国民みんなが政府を国民みんなに合わせてやればいい。今の国民みんなが政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰してやればいい。政府を潰して、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などを建てればいい。今の政府は自分で今の国民みんなに合わさないから、そうするしかない。
実際に、今の国民みんなはそうしている。政府はかなり潰れている。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などが建つのもそんなに先ではないだろう。

[23511] どうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h30.1.30
戦前の昔は、国民みんながマゾだったから、政府は国民みんなを虐[いじ]めて喜ばせるために国民みんなから税金を取って儲[もう]かっていた。
しかし、戦後は国民みんながマゾではなくなったから、政府は国民みんなを虐めて喜ばせるために国民みんなから税金を取れなくなった。
戦後の少し昔は、国民みんながマゾではなくなったために「政府が民主主義や国家宗教や身分制などをやって権力がある」と誤解して政府に従うようになって政府に税金を払うようになったから、政府は国民みんなから税金を取るために国家宗教で自分の権力を強めるために天皇家に加えて私を国家宗教の神にしたのだ。戦後は憲法で「天皇家が神ではない」ことにしたから、政府は天皇家では国家宗教によって権力が得られないと考えて私を国家宗教の神にしたのである。
しかし、今では国民みんなが権力についての理解を深めて『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府に権力はない。民主主義や国家宗教や身分制は外人の遊びにすぎない。』と考えて政府に従わなくなった。今の国民みんなは政府が税金を取るのが面白くないから政府に税金を払わなくなっている。そのために、政府が潰[つぶ]れている。政府は国家宗教の神が要らなくなって私を国家宗教の神から外[はず]している。天皇家や私を国家宗教の神にしなくなっている。政府はお金が足りなくなって民主主義の議員を減らしたり民主主義をやめたり身分制をやめたりしている。

[23512] 国家宗教の神とは何か?☆ h30.1.30
そもそも国家宗教は外人の遊びである。ヨーロッパ人は神を拝[おが]むと気持ちが安らぐ性質があるので、神を拝むのが好きなのである。
ヨーロッパ人は神を拝むのが好きなので、神が欲しいわけである。ヨーロッパ人にとっては神がいたほうがいい。そのために、ヨーロッパ人は昔から人間が神に見える場合には、その人間を神にしてきたのだ。ヨーロッパ人も本音[ほんね]ではただの人間だと思っているが、見ようによっては超能力者のように見える場合にはあえて超能力者と考えて宗教をやってきたのである。いつの時代でも『必要は発明の母』なのだ。神は人間の発明なのだ。だから、「戸棚[とだな]から急に皿が飛び出してきた」とか「空中から水を出した」とかいったもともとありえないことではダメなのである。そういう現象では宗教的な神にはなれないのだ。現実にありえることで超能力にも見えることでなければいけないのだ。つまり、神は超能力者のように見える人間であって、超能力者ではない。だから、たとえ本当に超能力者が現れても神ではない。
例えば、モーゼが海を割ったのはただの干潮[かんちょう]だが、見ようによってはモーゼが超能力で海を割ったように見えるので、昔のヨーロッパ人は干潮であることを知っていながらジョークでモーゼを神にして拝んでいたのだ。宗教はしょせん遊びだからジョークでいいのである。
キリストが生まれたときに頭が光っていたのはただの眼の錯覚にすぎないが、見ようによってはキリストが超能力で光っていたように見えるので、昔のヨーロッパ人は眼の錯覚であることを知りながらふざけてキリストを神にして拝んでいたのだ。(私も子供の頃に母親が台所で夕飯の支度[したく]をしていたときに母親の身体が光っているように見えたことがある。暗いところで光を背にすると身体が光っているように見えることがあるのだ。)
神武天皇が空から光る玉を呼び寄せて戦[いくさ]に勝利したのはたぶん電磁波によって発生した空気のプラズマであって、昔の日本人はただの自然現象であることを知っていながらふざけて神武天皇を神にしていたのだ。日本人には神を拝む趣味はないから、ヨーロッパ人の真似[まね]をして国家宗教ごっこをやって遊んでいたのだ。
私が赤ん坊の頃に私の頭の上に吊ってあったガラガラが夜中に突然回ったのはガラガラの故障によるものだろうが、当時の政府が権力が欲しかったので無理やり私が超能力で回したことにして私を神にしたのだ。もしかしたら、私の母親が“物が動いて見える錯覚”に罹[かか]っていたのかもしれない。癲癇[てんかん]みたいなものだ。私の母はヒステリーなので癲癇で見えたのかもしれない。
そもそもヨーロッパ人が神を拝むのが好きなので、ただの人間を神にでっち上げて神を拝んでいたのだ。神の正体はただの人間なのだ。しかし、今では科学が発達して神を拝むことよりももっと面白いことがいっぱい出来たから、ヨーロッパ人も神を拝まなくなっている。今のヨーロッパ人には神は要らない。今のヨーロッパ人は人間を神にしたりしなくなっている。
私が赤ちゃんの頃には政府が国家宗教で権力が欲しかったから私を無理やり神にしていた。しかし、今では国民みんなは『政府には権力がない。国家宗教はただのヨーロッパ人の遊びである。』ことを知っているから、政府はいくら国家宗教をやっても無駄[むだ]だと思って私や天皇家を神にしなくなっている。政府は国民みんなから税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。
今は科学の時代である。科学では人間は人間であってけっして神ではない。いまだ人間は本物の神を見たことがない。だから、今では世界中のみんながこの世には神がいないと思って宗教をやらなくなっているのだ。
もっとも、世の中には馬鹿がいる。馬鹿は「政府や宗教団体に権力がある」と思ったり、本当に「キリストや神武天皇や私が神だ」と思っている。政府や宗教団体はそういう馬鹿を利用して馬鹿からお金を取って楽に暮らしているのだ。政府や宗教団体は国民みんなにメチャクチャなことを教えて国民みんなを馬鹿に変えて国民みんなからお金を取って儲[もう]けようと企[たくら]んでいる。国民みんなは自分でしっかり勉強して馬鹿になってはいけない。

[23513] 政府は国民と平等な国民みんなを虐[いじ]める会社である。☆☆ h30.2.1
政府は国民と平等な国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなから税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりする。政府と国民は平等だから、国民は自分が好きなら政府の言うことを聞き、自分が嫌なら政府の言うことを聞かなければいい。政府は民主主義や国家宗教や身分制をやったり、法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などをやったりして国民みんなを虐めていることがわかりにくいがとにかく虐めているのである。(アニメ『巨人の星』の消える魔球が砂ぼこりでボールが見えなくなっているのと同じである。ボールが政府が国民みんなを虐めることで、砂ぼこりが政府が民主主義や国家宗教や身分制をやったり、法律会社や学校会社などをやっていることである。マンガは国民みんなに正しいことを教えるものではなく、国民みんながわかっていることを絵にしたものである。だから、マンガで消える魔球があるということは国民みんなが『政府が国民みんなを虐めている』ことを知っているということなのだ。)
昔(戦前)は国民みんながマゾだったから、自分が政府に虐められて喜ぶために自分のほうから政府の言うことを聞いていた。自分から政府に税金を払ったり、自分から政府の悪い法律や政策をやったり、自分から政府に殺されたりしていた。
反対に、今(戦後)は国民みんながマゾではないから、自分が政府に虐められて嫌な思いをしないために自分のほうから政府の言うことを聞かなくなっている。自分で政府に税金を払わなかったり、自分で政府の悪い法律や政策をやらなかったり、自分で政府に殺されないようにしている。政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れて、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社や水道会社などに変わっている。
要するに、政府はマゾを虐めて喜ばせる会社である。政府はマゾを喜ばせるためにある会社である。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足して国民みんなを喜ばせるために国民みんなに悪いことをするのである。しかし、今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなにとっては政府がやっていることが嫌だから、このまま政府を置いておくわけにはいかない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府を潰しているのである。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などにしているのである。
国民みんなは政府に無関心でも馬鹿でもない。国民みんなはいつでも政府に関心を持って政府のことを理解している。「今の国民みんなは政治的無関心である」というのは政府がついた嘘[うそ]である。国民みんなはわけもわからずに政府にお金を払うほど馬鹿ではない。だから、今の国民みんなは政府を倒しているのである。国民みんなは自分で自分が幸福に暮らせる国にしているのだ。
政府は一見[いっけん]なんの変化もないように見えるが、皆既月食のように時間を早送りにしてみるとたしかに潰れている。国民みんなが政府を潰している。だから、あなたも国民みんなといっしょに政府を潰さなければならない。

[23514] 日本人は文学をやってはいけない。 h30.2.1
今の日本はマンガやアニメに力を入れている。
今の日本は科学ではヨーロッパにかなわないと思って文学に力を入れているのである。
しかし、そのために日本人の科学力が低下して日本人が科学が苦手になっている。日本人は自分で自分を不利にしている。自分で自分を不幸にしている。
犯罪者が善いことでは他人にかなわないから悪いことが得意なのと同じである。しかし、いくら犯罪者が悪いことが得意でも価値はない。犯罪者は自分で自分を不利に不幸にしているにすぎない。
日本人はいくら自分が科学がヨーロッパ人にかなわないからといって文学に逃げてはいけない。正々堂々と科学で勝負しないといけない。たとえ日本人でも子供の頃からずっと科学ばっかりやっていればヨーロッパ人よりも科学が得意になる。だから、日本人は文学をやって現実逃避をせずに科学ばっかりやって科学が得意にならねばならない。
文学は善い人間でない者が善い人間のふりをしているだけである。空想の世界で善い人間をやって実在の世界では悪い人間をやっている。だから、人間は文学をやってはいけない。人間はまじめに実在の世界で善いことをしないといけない。
科学はナゾナゾみたいなものである。私も子供の頃はナゾナゾが好きだった。ナゾナゾの本を読んで考えていた。ナゾナゾは“考える喜び”や“正しいことがわかる喜び”を育てるいい教材である。

[23515] 政府はどうして自分で潰[つぶ]れないのか? h30.2.1
今の国民みんなはマゾではなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。そのために、政府が潰れている。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などになっている。
政府が国民みんなに合わせるのなら、今では国民みんながマゾではないから、政府は自分ですぐに潰れて国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などに分解するはずである。
それなのに、実際には政府はそうしない。今でも政府は昔と同じように隠れて国民みんなを虐[いじ]めている。
それは、政府が自分が潰れるギリギリのときまで政府のままでやっていくからである。一般に、会社は自分の経営が成り立たなくなるまでは現状のままでやるからである。会社が本格的に赤字になってからようやく会社は自分で重たい腰を上げて倒産して別の会社に変わるのだ。
幕末の日本では国民みんながアジア文化からヨーロッパ文化に変って幕府がアジア文化をやっているのが気に入らなくて幕府に年貢[ねんぐ]を納めなくなった。それでも、しばらくはそこそこ多くの国民が幕府に年貢を納めて幕府が黒字だったので幕府は幕府をやり続けた。時代が進んで国民のほとんどが幕府に年貢を納めなくなって幕府が赤字になってようやく幕府は重たい腰を上げて自分から政府に変わることにした。そのために、国民みんながヨーロッパ文化をやりだしてから幕府が倒れるまではラグ(時間の遅れ)があるのだ。
それと同じように、今の日本では国民みんながマゾからマゾでない人に変って政府が国民みんなを虐めているのが気に入らなくて政府に税金を払わなくなっている。それでも、しばらくはそこそこ多くの国民が政府に税金を払って政府が黒字なので政府は政府をやり続けている。将来、国民のほとんどが政府に税金を払わなくなって政府が赤字になれば政府は重たい腰を上げて自分で倒れて国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などになるだろう。そのために、国民みんながマゾではなくなってから政府が倒れるまではラグがあるのだ。
政府は国民と平等な国民みんなを虐める会社である。要するに、政府はマゾを喜ばせる会社である。昔は国民みんながマゾだったから政府は長い間国民みんなからお金をもらってやってきた。しかし、今は国民みんながマゾではないから政府は国民みんなからお金をもらえなくなっている。今の政府は潰れて、国民みんなを虐めない別の会社に変わろうとしているのだ。
国民みんなにとっては法律や学校や水道や清掃や役所などは確実に需要がある。政府が潰れて、政府が国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などに変っても国民みんなからお金をもらってすぐに儲[もう]かる。政府は先のことを心配しなくていい。だから、政府は急がないのだ。政府は急ぐ必要がないから急がないのだ。政府は急ぐ必要がないから、自分が赤字になって経営できなくなる寸前まで今のまま政府をやり続けるのだ。そのあいだ国民みんなは政府に虐められ続けるのだ。だから、国民みんなは早く政府を倒さねばならない。馬鹿が政府のことがわかっていないために政府が倒れるのが遅れている。国民みんなで政府のことを教えあって、みんなが政府のことを理解して、早くみんなで政府を倒さねばならない。

[23516] どうして宗教の神が権力者になったのか? h30.2.2
そもそも宗教は昔の人が神を拝んで気持ちよくなることだった。
虐[いじ]める団体はみんなを虐めるためにみんなからお金を強盗していたのでお金に余裕があったので、神を拝[おが]む施設を建てることができた。
そのために、虐める団体が宗教をやることになったのだ。つまり、宗教団体は虐める団体のことである。宗教団体は表で宗教をやっているが、中身が虐める団体なのである。
昔はみんながマゾだったので自分が虐められて喜ぶために宗教団体の言うことを聞いていた。だから、国民と宗教団体は平等だった。宗教団体は超能力者に見える人を神にしていた。神は人間であり、神の役をやっている人間にすぎなかった。だから、国民と神も平等だった。
ところが、文明が進んでみんなが物や時間が豊かになってみんなの暮らしが楽になるとみんなが“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなった。そのために、みんなは「昔の人が宗教団体に虐められていたのは、宗教団体に権力があるからだ」と思って宗教団体に従うようになった。さらに、みんなは「宗教団体に権力があるのは、神に権力があるからだ」と思って神に従うようになった。こうして、みんなの誤解によって「神に権力がある」ことになってしまったのである。つまり、神は最初から権力者だったのではなく、最初は人間と平等だったのがみんなの誤解によって権力者になってしまったのだ。
しかし、その後文明が衰退して再びみんなが物や時間が貧しくなってみんなの暮らしが苦しくなるとみんなが“虐められる喜び”を満足するようになってマゾになった。そのために、みんなは自分のほうから宗教団体に虐められて喜ぶようになり、国民と宗教団体が平等になった。ついでに、神と国民も平等になったのである。
つまり、そもそも神と国民は平等である。神と人間は平等である。もともと神とは宗教の上で神の役をやる人間にほかならない。今でもそこらへんの宗教団体の神が本当はただのおっさんであるのと同じことである。それといっしょである。それが、文明が進んでみんなの暮らしが楽になってみんながマゾでなくなったために、みんなが昔の宗教団体がやっていたことを誤解して宗教団体に権力があることになり、さらには神に権力があることになったのである。
本当は、昔のみんなが宗教団体に虐められていたのはみんながマゾだったからである。国民と宗教団体は平等である。だから、神と国民も平等である。宗教は人間が神を拝んで気持ちよくなることである。宗教は昔の人の遊びである。しかし、今では文明が進んでテレビやゲームやパソコンなどのいろんな娯楽が出来て神を拝むことなんか面白くなくなったから、みんなが宗教をやらなくなっている。今では文明が進んでみんながマゾではなくなって、みんなが虐められることをやらなくなっている。だから、今ではみんなが宗教団体にお金をやらなくなって宗教団体が滅んでいる。

[23517] どうしてテレビ局は政府の味方なのか? h30.2.2
政府は国民と平等な国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに悪いことをしている。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなから税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりしている。
それなのに、テレビ局は政府が悪いことをやっていることを放送しない。テレビ局は政府が善いことをやっていることや民主主義をやっていることしか放送しない。そのために、国民の多くは「政府が民主主義で善いことをする団体だ」と誤解して、政府を支持して政府に善いことをやってもらうために政府に税金を払っている。
テレビ局が政府が悪いことをしていることを放送しないのは、政府がテレビ局を押しているからである。政府がテレビ局を応援しているからである。政府がテレビ局を儲[もう]からせているからである。政府は日本中の“政府の言いなりになっている国民”に命令してテレビを見させて、学校や会社でテレビ番組の話をさせてテレビ番組を宣伝させている。そうやって、政府はテレビ番組の視聴率を上げさせてテレビ局を儲からせているのだ。だから、テレビ局は政府を支持して、けっして政府が悪いことをやっているのを放送しないのだ。
テレビ局が政府が悪いことをやっているのを放送しないのは、テレビ局と政府が組んでいるからである。今の政府は国民の誤解によって儲けているだけである。テレビ局が政府が悪いことをやっているのを放送せず、政府が善いことをやったり民主主義をやっているのを放送すれば、国民の多くが「政府が民主主義で善いことをやっている」と思って政府に税金を払うので政府が儲かる。逆に、政府は政府の言いなりになっている人に命令してテレビ番組の宣伝をさせてテレビ局を儲からせている。こうして、政府とテレビ局がお互いに儲からせて協力しているのだ。
今では国民みんながマゾではない。今では国民みんなが政府に権力がなく、政府と国民は平等だと思っている。しかも、政府は国民みんなを虐める会社である。こんな時代に政府が生き残るためには情報操作によって国民みんなに政府についてのまちがったイメージを植え付けるしかない。そのために、政府はテレビや新聞や雑誌などを使って政府についての嘘[うそ]の情報を流させているのだ。
今の政府は嘘の情報でかろうじて持っているだけである。今の政府は脆弱[ぜいじゃく]である。国民みんなが政府について本当のことを知れば政府はすぐに倒れる。政府が生き残っているかぎり国民みんなは政府に虐められて嫌な思いをする。だから、国民みんなは政府について本当のことを教えあって、みんなが政府の本当のことを知って政府を倒さねばならない。早く国民みんなを虐める会社をなくして、国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[23518] 政府は国民を不幸と幸福の両方にする。 h30.2.3
政府は国民と平等な国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するために国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める。政府は国民みんなから高い税金を取ったり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐める。政府は隠れて国民みんなを虐める。政府は密[ひそ]かに事件を起こして国民みんなを殺したり、嘘[うそ]の理由をつけて国民から税金を取ったり悪い法律や政策をやったりする。政府は昔からみんなに恥をかかせないようにみんなの“虐められる喜び”を満足するために隠れて悪いことをやっているから、政府は黙[だま]って勝手に悪いことをやって国民を虐める。
しかも、政府は法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などをやっている。政府の法律会社や学校会社などは善いことをする傍[かたわ]ら、政府の命令で国民みんなを虐めるために悪いこともやっている。
政府は悪いことと善いことの両方をやっている。政府は本来マゾを虐めて喜ばせる会社である。だから、政府は本来悪いことをする会社である。つまり、政府はかなり悪いことをやっている。政府は善いことよりも悪いことを多くやっている。そうしないと、政府が国民みんなを虐めることにならないからだ。政府の法律会社や学校会社などは本来悪いことをするためにあるのだ。
このまま国民みんなが政府に税金を払い続けたら国民みんなは政府に悪いことと善いことの両方をされる。国民みんなは政府に不幸と幸福にされる。
だから、国民みんなは政府を倒さねばならない。国民と政府は平等だから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。国民は政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。国民は政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい。そうやって、国民みんなで政府を倒して、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などにすればいい。
文学部の事務員が社員に税金を払わせている。文学部は馬鹿だから「政府に権力がある」と思って社員から税金を天引きしている。文学部では埒[らち]が明かない。文学部の馬鹿はまちがったことをやるから、文学部の馬鹿に大事な事務をさせてはいけない。理学部のもっと頭のいい人に大事な事務をさせないといけない。理学部の事務員は『今のみんなはマゾではないから政府が潰[つぶ]れるべきだ』と考えて、会社丸ごと政府に税金を払うのをやめないといけない。今はマゾでないのが一般的だから、デフォルトで政府に税金を払わないことにしてどうしても政府に税金を払いたい人だけが払うようにしないといけない。

[23519] 只[ただ]ほど怖いものはない。 h30.2.3
いくつかのサービスは只である。しかし、それはどこかの会社がお金を出してやっているからである。そのかわり、その会社は自分が有利になるように細工[さいく]をする。その会社は自分が儲[もう]かるように工夫をしている。だから、国民は只なのだ。
例えば、テレビがそれである。国民みんなはテレビを只で見られる。それは政府がお金を出しているからである。しかし、そのかわり政府は自分が悪いことをやっていることを放送せずに、自分が民主主義をやったり善いことをやったりすることしか放送しない。そうやって、政府は国民の多くに「政府が民主主義で国民みんなのために善いことをする会社だ」と思わせて国民の多くから税金を取って儲けている。しかし、本当は『政府は国民みんなを虐める会社であり、政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに悪いことをやっている』のである。
政府がテレビ局にお金を出すと嘘[うそ]を放送させて、国民の多くが政府に騙[だま]されて利用される。その結果、国民の多くはかえって多くのお金を払わねばならなくなる。国民にとって得になることはない。だから、“只ほど怖いものはない”と言うのだ。
国民みんなはお金をケチってはいけない。払うべきものには払わねばならない。それが世の中の道理だ。そのほうが安上がりだ。
国民みんなで政府を倒して、国民みんながテレビ局にお金を払ってテレビを見るようにしないといけない。貧乏人はテレビ代が払えないからテレビを見ないからよく勉強して頭がよくなる。お金持ちはテレビを見すぎて馬鹿になる。貧乏人は仕事ができてお金持ちになり、お金持ちは仕事ができなくて貧乏になる。みんなが同じになる。だから、これでいいのだ。

[23520] 政府は国民と平等な国民みんなを恥ずかしがらせずに国民みんなを虐[いじ]める会社である。☆☆ h30.2.3
政府は国民と平等な国民みんなを虐める会社である。昔は国民みんながマゾだったので政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するために国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めるのだ。政府は国民みんなから高い税金を取ったり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐めるのだ。
しかも、昔は国民みんなが自分の“虐められる喜び”を満足するのが恥ずかしかったので、政府は民主主義や国家宗教や身分制をやったり、法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などをやって自分が国民みんなを虐めているのを隠している。政府が民主主義や国家宗教や身分制や法律会社や学校会社などをやっているのは国民みんなに恥ずかしい思いをさせないために自分が国民みんなを虐めるのを隠すためなのである。だから、昔の国民みんなは気兼[きが]ねなく政府に虐めてもらうことができたのだ。国民が性欲を満足するのが恥ずかしいから売春宿が料亭のふりをしているように、国民が“虐められる喜び”を満足するのが恥ずかしいから政府も善いことをやる会社のふりをしているのだ。政府の本業は国民みんなを虐めることであり、民主主義や法律会社や学校会社などは本業をごまかすための飾りにすぎないのだ。もっとも、国民の中には自分が隠れて“虐められる喜び”を満足するのが嫌なので、そういう人は政府の世話にならずに暴力団に人前で堂々と虐めてもらっていた。
政府がテレビ局に政府が悪いことをやっているのを放送させず、政府が民主主義や善いことをやっているのだけを放送させるのも、政府が国民みんなを恥ずかしがらせずに国民みんなの“虐められる喜び”を満足させるためである。テレビ局は政府と協力して国民みんなを恥ずかしがらせずに国民みんなを虐めているのだ。
h30.2.8この段落を追加:テレビ局が出来た頃に「テレビ局が政府が善いことをやっていることだけ放送して悪いことをやっているのを放送しない」ことを決めたのだ。テレビ局が出来た頃はまだ国民みんながマゾだったので、テレビ局は国民みんなを恥ずかしがらせないためにそういう決まりを決めたのだ。しかし、今では国民みんながマゾではない。今の国民みんなは政府に虐められて喜んでいないから政府に虐められるのが恥ずかしくないから、テレビ局は政府が悪いことをやっているのを放送してもいいはずである。テレビ局はそれほど大きい会社ではないから、自分本位でやらずに客に合わせるべきである。テレビ局は古風な会社ではないから、昔の大きい会社みたいに客を無視してひたすら自分の仕事だけをやってはいけない。今の国民みんながマゾではないなら、テレビ局もそれに合わせて決まりを変えねばならない。テレビ局は政府がやっていることを隠さずにそのまま放送すればいいのである。そのほうが面白いから視聴率が上がるだろう。(もっともNHKは大きい会社だから今でも国民みんなに合わせていない。他の民放は政府からお金をもらって政府の言いなりになって番組を作っているのに、NHKは国民みんなからお金を取って自分勝手に番組を作っている。NHKは独自の文化をやっている。しかし、テレビゲームが出来たころに国民の多くがNHKに受信料を払わなくなったので、NHKは政府からもお金をもらうようになった。そのため、最近のNHKは他の民放と同じように政府の言うことを聞いて番組を作っている。)
政府と国民は平等だから、国民は自分が政府に虐めて欲しければ政府の言うことを聞き、虐めて欲しくなければ言うことを聞かなければいい。
昔は国民みんながマゾだったから、自分が政府に虐められるために自分のほうから政府の言うことを聞いていた。
反対に、今は国民みんながマゾではないから、自分が政府に虐められないために自分で政府の言うことを聞かないようにしている。政府に税金を払わなくなっている。そのために、今の政府は潰[つぶ]れて、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などに変わっている。
政府は国民みんなに恥ずかしい思いをさせないために自分が国民みんなを虐めているのを隠している。しかし、そのために今では馬鹿が「政府が民主主義で善いことをする団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。そのために、いまだに政府が残って国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にしている。国民みんなは早く政府に悪いことをやめさせるために、みんなに政府のことを教えてみんなに政府のことを正しく理解させて政府を倒さなければならない。
今の国民みんなはマゾではないから、政府に虐められるのが恥ずかしくないから、テレビ局は政府が国民みんなに悪いことをやっているのを隠さなくていい。テレビ局は正々堂々と政府が悪いことをやっているのを国民みんなに放送して教えてやればいいのだ。
江戸時代後期には国民みんなはヨーロッパ文化をやっているのに幕府はアジア文化をやっていたので、国民みんなが幕府が気に入らなくなって年貢[ねんぐ]を納めなくなって幕府を倒した。幕府は和服を着ているしお城に住んでいるので、国民みんなは眼で見てすぐに幕府がアジア文化をやっていることがすぐにわかったので国民みんなが幕府を倒すのは簡単だった。しかし、今は国民みんながマゾではないのに政府は国民みんなを虐めている。政府は国民みんなを恥ずかしがらせずに国民みんなを虐めるために隠れて国民みんなに悪いことをしているので、国民の多くが眼で見るだけでは政府が悪いことをしているのがわからなくて政府を倒すのに時間がかかっている。江戸時代後期のほうが今よりも国民みんなが政治団体が気に入らないことがわかりやすかったので政治団体を倒すのが容易だった。今のほうが江戸時代後期よりも国民みんなが政治団体を倒すのに時間がかかりそうである。国民みんなはもっと協力し合ってみんなで政府のことを教えあって政府のことをよく知って早く政府を倒さねばならない。

[23521] どうして政府は国民みんなに合わせないのか? h30.2.3
今の政府は国民みんなに合わせていない。今では国民みんながマゾではないのに、政府は昔と同じように国民みんなを虐[いじ]めている。政府は昔の国民みんながマゾだった頃と同じように、国民から高い税金を強盗したり、悪い法律や政策をやったり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐めている。
今の国民にとってはどうして政府が国民みんなに合わせないのか理解できない。
しかし、昔の国民にとっては政府が国民みんなに合わせないのか理解できる。昔は大きい会社は偉そうにしていた。大きい会社は客のことを無視してわがまま勝手にやっていた。不良品の保証とかなかった。公害も出し放題だった。だから、政府は国民みんなに合わさずにひたすら自分の仕事をやっているのだ。政府は昔の会社だから昔の文化でやっているのだ。
政府としては自分は昔と同じようにやるから、自分が残るか潰[つぶ]れるかは国民みんなで決めてくれと言ったところなのだ。政府は国民みんなに責任を転嫁[てんか]して国民みんなを虐める仕事をやっているのだ。政府は国民みんなが政府に税金を払って政府を残していることを理由にして国民を殺したり嫌がらせたりしているのだ。(昔はマゾばっかりだったから、政府が勝手に人殺しをしてもよかった。今の政府は昔と同じようにやっているから勝手に人を殺しているのだ。)国民みんなが政府に税金を払っているかぎり政府は国民みんなを虐め続ける。だから、早く国民みんなが政府に税金を払うのをやめねばならない。

[23522] グリコ・森永事件(参考Wikipedia) h30.2.4
グリコ・森永事件は1984年と1985年に起きたキツネ眼の男がグリコの社長を監禁して、グリコや森永などの会社にお金をくれなければ毒入りお菓子をばら撒[ま]くぞと言って脅迫した事件である。
キツネ眼の男は私である。当時の私が自分に似ていると思った。もちろん、当時の私は医学生をやっていて犯罪を犯してはいない。当時の私もそれ以上深くは考えなかった。
グリコの社長は政府のことである。グリコは拳骨[げんこつ]のことで暴力のことで政府が国民を虐[いじ]めることの喩[たと]えである。
森永は天皇家のことである。森の字は木が3本あって木は丸くて長いから3人の天皇家のことである。
つまり、グリコ・森永事件は私が政府や天皇家を攻撃した事件である。
しかし、実際には、当時の私は医学生をやっていてまったく政府や国家宗教に関心がなく政府や国家宗教についてはまったく考えたことがなかった。
今の私は政府や国家宗教について毎日考えている。最近の10年間は私はずっと政府や国家宗教について考えている。私はいつも政府を倒せとか政府を潰[つぶ]せと言っている。
グリコ・森永事件は政府の予言なのだろうか?それとも、私に対する精神誘導(マインドコントロール)だったのだろうか?つまり、政府が私に将来政府や国家宗教について考えるように仕向けていたのだろうか?
グリコ・森永事件には私や天皇家の情報がたくさん用いられている。怪人21面相←21←ツーワン←ツワン←川ブ(ツ≒川、ワ≒フ、ン≒゛)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。青酸←青三←三青←三ブルー←川ブ(三≒川)←私。菓子←かし←かフ(し≒フ)←川ブ←私。放火←ホウカ←カホ←カふ(ホ≒ふ)←川ブ←私。丸大食品←丸大←丸←神武天皇の光る玉←天皇家。ハウス食品←ハウス←家←天皇家。不二家←フジ←ジフ←シブ←川ブ(シ≒川)←私。二府二県青酸入り菓子ばら撒き…二府←ツーフ←ツフ←川ブ(ツ≒川)←私、二県←ツーケン←川ブ(ツ≒川、ケ≒フ、ン≒゛)←私。グリコの社長が監禁されていた大阪府摂津市の東海道新幹線車両基地近くを流れる安威川[あいがわ]沿いにある治水組合の水防倉庫…摂津市←セッツ←セツ←カフ(セ≒カ、ツ≒つ≒フ)←川ブ←私、安威川←アイ川←川アイ←川ブ(ア≒フ、イ≒い≒゛)←私、水防←水ボー←川ブ(水≒川、ボ≒ぶ≒ブ)←私。など。
グリコ・森永事件は、政府が日本中に青酸入りお菓子をばら撒いて国民みんな(特に子供)を虐めていた事件である。政府は国民みんなを虐める会社だから、ときどきそういう事件を起こすのだ。政府の警察もそのことを知っていながらとぼけて捜査しているふりをしていたのだ。政府の警察は国民を虐めるための警察であって本物の警察ではないから、政府と組んで国民みんなを虐めているのだ。

[23523] 人間は性欲を満足してはいけない。 h30.2.4
思春期の最大の問題は性欲である。“人間が性欲を満足すべきか満足すべきでないか”が思春期の人間に課せられた最大の問題である。
答えは、人間は性欲を満足してはいけない。人間が性欲を満足すると大脳の古皮質の活動が高まって新皮質の活動が鈍[にぶ]って馬鹿になる。人間が眼で見ることしかわからなくなって頭で考えることがわからなくなって眼で見る喜びしかなくなって考える喜びが失われる。大脳の古皮質は新皮質よりも小さいから喜びが減る。しかも、古皮質にはテレパシー器官があるから精神分裂病に罹[かか]りやすくなって危険である。
人間が大人になるまでには『性欲を満足してはいけない』ことをわかっていなければならない。性欲があるからこそ性欲を満足してはいけないのだ。原爆があるからこそ原爆を落としてはいけないのと同じ理屈だ。
人間は性欲を満足せずに性交しないといけない。人間が性交するのは子供を作るためであって性欲を満足するためではない。人間は子供を作るために必要だからいやいやしかたなく性交するのであって、性欲を満足して快感を得るために喜んで性交するのではない。自分の両親もそう考えて自分を作ったのだ。そう信じよう。
『君の名は。』というアニメが流行[はや]っている。「男と女の違い」と考えさせるフィクションであるらしい(私は見たことがないが)。しかし、思春期の人間にとって大事な問題は「男と女の違い」ではなく『性欲を満足するかしないか』だ。当然男と女には違いがある。男は新皮質が発達しているから“考える喜び”があるが、女は新皮質が弱いから眼で見る喜びしかない。男は頭で考えることがわかるが、女は眼で見ることしかわからない。男は実在に関心があるが、女は子供にしか関心がない。女は子供が好きだが、男は子供が嫌いだ。男は汚いことをしないが、女は平気で汚いことをする。女で試験の点がいいのはカンニングであって実力ではない。
女には考える喜びがない。だから、考えるのが好きな男が女と結婚してはいけない。女は考えるのが嫌いだから、男が女といっしょに暮らすと自分も考えるのが嫌になって“考える喜び”が失われるからである。考えるのが好きな男にとっては女は邪魔[じゃま]である。考えるのが好きな男にとっては愛情よりも“考える喜び”のほうが大事である。だから、考えるのが好きな男は女と結婚してはいけない。今では便利な電化製品や店があって男が独身でも生きていけるから、考えるのが好きな男は独身で生きていけばいいのだ。
愛情なんかフニャフニャしているだけでたいした喜びではない。フニャフニャしている人を見るとムカつく。たったそれぐらいのことを喜びにして生きているぐらいならさっさと死んだほうがいい。

[23524] どうして今でも宗教団体や暴力団が残っているか?☆ h30.2.5
今では国民みんなが『政府は国民と平等な隠れて国民みんなを虐[いじ]める団体だが、今の国民みんなはマゾではないから政府が要らない』と考えて政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
しかし、今でも馬鹿は「政府が民主主義で善いことをする団体だ」とか「政府には権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思って政府の言うことをなんでも聞いて政府にお金をやっている。そのために、今でも政府が残って隠れて国民みんなを虐め続けている。国民みんなが政府に不幸にされている。
早く国民みんなは馬鹿に政府のことを教えてやってみんなが政府のことを正しく理解して政府を倒さねばならない。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などにしないといけない。
それと同じように今では国民みんなが『宗教団体や暴力団は国民と平等な隠れて国民みんなを虐める団体だが、今の国民みんなはマゾではないから宗教団体や暴力団は要らない』と考えて宗教団体や暴力団の言うことを聞かなくなって宗教団体や暴力団にお金をやらなくなって宗教団体や暴力団を倒している。
しかし、今でも馬鹿は「宗教団体や暴力団は宗教や身分制で善いことをする団体だ」とか「宗教団体や暴力団には権力があるから国民は宗教団体や暴力団に従わねばならない」と思って宗教団体や暴力団の言うことをなんでも聞いて宗教団体や暴力団にお金をやっている。そのために、今でも宗教団体や暴力団が残って国民みんなを虐め続けている。国民みんなが宗教団体や暴力団に不幸にされている。
早く国民みんなは馬鹿に宗教団体や暴力団のことを教えてやってみんなが宗教団体や暴力団のことを正しく理解して宗教団体や暴力団を倒さねばならない。宗教団体や暴力団のない社会にしないといけない。
馬鹿はうわべの飾りに騙[だま]されやすい。宗教団体は国民を恥ずかしがらせずに国民を虐めるために、表では宗教で(つまり神の意思に適[かな]ったことをやって)善いことをしているが、裏では悪いことをやって国民を虐めている。裏では国民から高いお金を強盗したり、悪い戒律を定めて国民を嫌がらせたり、事件を起こして国民を殺したりしている。暴力団も国民を恥ずかしがらせずに国民を虐めるために、表では身分制で(つまり偉そうにして)善いことをしているが、裏では悪いことをやって国民を虐めている。売春宿が表では料亭だが、裏では売春宿であるのと同じである。馬鹿は宗教団体や暴力団が表でやっていることしか見ないから「宗教団体や暴力団が宗教や身分制で善いことをする団体だ」と思っているのだ。しかし、本当は宗教団体や暴力団は国民を虐める団体なのだ。宗教団体や暴力団は裏では悪いことをやって国民を虐めている。それが宗教団体や暴力団の本業である。宗教団体や暴力団が善いことをやっているのは本業をごまかすための飾りである。宗教団体や暴力団と国民は平等である。だから、みんなは宗教団体や暴力団の言うことを聞かずに宗教団体や暴力団にお金をやらずに潰[つぶ]さねばならない。宗教団体や暴力団が国民を虐めずに善いことだけするようになってから、宗教団体や暴力団にお金をやって仕事をしてもらえばいい。宗教団体や暴力団が国民と契約してお金をもらって仕事をするようになってからお金をやればいい。
政府や宗教団体や暴力団は国民を虐める団体である。虐める団体は犯罪組織ではないから国民と平等である。(ただし、虐める団体が悪性化して犯罪組織になるときがある。そうなったら、国民みんなで革命や一揆[いっき]を起こして虐める団体を倒す。)虐める団体は国民を恥ずかしがらせずに虐めるために表で善いことをする団体のふりをして隠れて悪いことをやっている。馬鹿は眼で見えることや空想しかわからないから、虐める団体が表で飾りでやっていることに騙されて「虐める団体が善いことをする団体だ」と思ったり、空想で“権力”を作り出して「虐める団体には権力がある」と思って、虐める団体の言うことを聞いている。馬鹿は『虐める団体が隠れて国民に悪いことをして虐めている』ことがわかっていない。馬鹿は『虐める団体と国民が平等である』ことがわかっていない。今は科学の時代である。人間が実在を見て実在の中で行動する時代である。人間が頭で考えて真実を理解しないといけない時代である。今の人間は眼先や空想で物を見てはいけない。だから、みんなは虐める団体のことをよく理解して『虐める団体は隠れて悪いことをやっている』と考えて『虐める団体と国民は平等だ』と考えて、虐める団体を倒さねばならない。早く世の中から虐める団体をなくしてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
今では虐める団体は馬鹿で持っているだけである。マゾでは持っていない。文明が進むと馬鹿が減る。だから、虐める団体はだんだん滅んでなくなっている。早く馬鹿がいない社会になって欲しい。そのほうがみんなが幸福に暮らせる。

[23525] 馬鹿がみんなを不幸にしている。 h30.2.5
昔(戦前)は国民みんながマゾだった。だから、政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなから高い税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐める。政府はときどき出血大サービスをやって国民みんなを殺して虐める。(政府はときどき善い政策をやることがあるが、善い政策をやった後に必ず悪い政策をやって台無しにする。そういうのを糠[ぬか]喜びというのだ。政府は国民みんなを虐める会社だから、あまり善いことはできないのだ。
しかも、昔は国民みんなが自分が虐められて喜ぶのが恥ずかしかった。だから、政府は隠れて国民みんなを虐める。政府は民主主義や国家宗教や身分制をやったり、法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などをやって、自分が国民みんなを虐めていることを隠している。政府はテレビ局に命令して政府が善いことだけやっているのを放送させて悪いことをやっているのを放送させないようにして善い会社のふりをして隠れて悪いことをやっている。政府は国民みんなに知られないようにしながら隠れてたくさん悪いことをやっている。(民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]む儀式である(けっして国民が国民みんなに従うことではない)。国家宗教が国民が神を拝む儀式であるのと同じである。身分制が国民が古臭い物を拝む儀式であるのと同じである。中国人は国民みんなを拝むのが好きだから、日本政府は中国の文化を真似[まね]て民主主義をやっているのだ。反対に、日本人は個人主義だから民主主義が嫌いだ。政府は自分の国の国民を嫌がらせるために民主主義をやっているのだ。民主主義は政府が国会議事堂を建てたり選挙をやったりして国民が国民みんなを拝[おが]めるようにしてやることであって、政府が国民みんなに従うことではない。だから、今の政府は今の国民みんなに合わさずに国民みんなを虐め続けているのだ。民主主義は国民が国民みんなを拝むことであって、国民が国民みんなに従うことではない。民主主義は政府が国民に国民みんなを拝めるようにしてやることであって、国民を国民みんなに従わせることではない。日本国憲法の序文は嘘[うそ]である。だから、民主主義は国民みんなで法律や政策を決めることではない。政府の法律や政策は国民みんなで決めたことではない。政府の法律や政策は政府が国民みんなを虐めるために自分で勝手に決めたことである。民主主義は国民が国民みんなを拝むことである。国会議員は国民みんなによって選ばれたから、国会議員は国民みんなの代理なので、国民は国会議員がチャラチャラやっているのを見て喜べばいいのである。それが民主主義である。民主主義に個人主義を取り入れて日本人向けにしたのが政党制である。同じように、国家宗教とは政府が国民に国家宗教の神を拝めるようにしてやることである。だから、政府は私や天皇に似た人を登場人物にしたテレビ番組や映画を作っているのだ。国家宗教は国民が神を拝むことであって、国民が神に従うことではない。国家宗教は政府が国民に国家宗教の神を拝めるようにしてやることであって、国家宗教の神に従う国を作ることではない。政府が神の意思に従う国にすることではない。同じように、身分制とは政府が国民に政府自身を拝めるようにしてやることである。だから、政府はテレビで偉そうにしているのだ。要するに、民主主義も国家宗教も身分制も外人が自分の心を満足するためにやっている遊びであってどうでもいいことである。)
政府と国民は平等である。だから、国民は自分が政府に虐められたければ政府の言うことを聞き、自分が政府に虐められたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
昔は国民みんなが物や時間が貧しくて面白いことがなくて自分が虐められることが面白かったから、つまり昔は国民みんながマゾだったから、自分が政府に虐められて喜ぶために政府の言うことを聞いていた。
今(戦後)は国民みんなが物や時間が豊かになっていろんな面白いことがあって自分が虐められることがつまらなくなったから、今では国民みんながマゾではなくなったから、自分が政府に虐められたくないので政府の言うことを聞かなくなっている。今の国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。政府が潰れてなくなって、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などに変わっている。
政府は昔気質[かたぎ]の会社だから、昔は大きい会社は偉そうにして客を見下[みくだ]していたから、政府は今の国民みんなに合わせて国民みんなを虐めるのをやめてくれない。政府にとっては国民みんなを虐めることが自分の仕事だから、政府は国民みんなに文句を言われようがどうしようがとにかく国民みんなを虐めるのだ。会社が国民と平等であることさえ守っていれば、会社が客本位でやるか自分本位でやるかは会社の自由なので、政府が政府本位でやって国民みんなに合わさなくてもかまわないのである。つまり、今の政府は今の国民みんなに合わさずに昔と同じように国民みんなを虐めるから、政府を残すか潰すかは今の国民みんなで決めればいいのだ。昔は国民みんながマゾだったから政府が勝手に人殺しをしてもよかった。今の政府は昔と同じようにやっているから勝手に人殺しをしているのだ。政府は虐める団体でやったほうが虐めない団体でやるよりも儲[もう]かるから、虐めない団体に変わるのを渋[しぶ]っているのかもしれない(客がいればの話だが)。だから、今の国民みんなが自分で政府にお金をやらないようにして政府を潰しているのだ。
しかし、今でも馬鹿は「政府が民主主義で善いことをする団体だ」とか「政府には権力がある」と思って政府の言うことを聞いている。政府に税金を払っている。そのために、今でも政府が残って国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にしている。政府が悪いのではない。馬鹿が悪いのだ。馬鹿はみんなの迷惑だ。だから、みんなで馬鹿をなくさねばならない。みんなで政府のことを教えあってみんなが政府のことを知って政府を倒すようにしないといけない。それでも政府のことがわからない者がいたら気の毒だが死んでもらうしかない。
江戸時代後期には国民みんながアジア文化からヨーロッパ文化に変わったから国民みんなで幕府に年貢[ねんぐ]を納めないようにしてアジア文化をやる幕府を倒してヨーロッパ文化をやる政府に変えた。それと同じように、今では国民みんながマゾからマゾでない人に変わったから国民みんなで政府にお金をやらないようにして国民みんなを虐める政府を倒して国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などにしないといけない。幕府は眼で見てすぐにアジア文化をやっていることがわかるが、政府は国民みんなを恥ずかしがらせずに虐めるために善い会社のふりをして国民みんなに隠れて悪いことをやっているから眼で見てもなかなか政府が国民みんなを虐めることがわからない。そのために、今でも多くの国民が「政府が善い会社だ」と誤解して政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。そのために、今でも政府が残って国民みんなを虐めているのだ。
今の政府は今の国民みんながなかなか政府を倒そうとしないので国民みんなが馬鹿だと思って国民みんなを軽蔑[けいべつ]して国民みんなに対する虐めがエスカレートしている。今の政府はこれまでよりも文化の深いところで国民みんなを虐めるようになっている。政府の虐め方が意地糞[いじくそ]悪くなっている。昔の政府は軽快に虐めていたのに、今の政府は陰湿に虐めている。そのために国民みんなはますます不幸になっている。国民みんなはもっと政府について真剣に考えて早く政府を倒して幸福にならねばならない。

[23526] 今では国民みんなが政府を倒している。 h30.2.7
今の国民みんなは政府を倒している。政府は国民みんなを虐[いじ]める会社であり、今の国民みんなはマゾではないから虐められるのが嫌だから、政府にお金をやるのをやめて政府を倒しているのである。国民みんなを虐める政府が潰[つぶ]れて、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などに変わっているのである。
私はみんなに政府のことを教えながら政府を倒している。馬鹿は政府のことを知らずに「政府が善いことをする団体だ」とか「政府には権力がある」と思っているから、そういう考えがまちがっていることを教えてあげているのだ。私は今から約30年前の学生の頃から自分の考えを確かめるために日記を書いてきたので、自分の政府についての考えが本当に正しいかどうか自分で検討し続けているのでかなり正しいのである。
ほかのみんなは無言で政府を倒している。ほかのみんなはあまり日記を書かないので、自分の考えを他人に言わないので、黙って自分ひとりで政府を倒しているのだ。ほかのみんなは自分の考えを言葉にする習慣がないので黙って政府を倒しているのだ。ほかのみんなは親から聞いたり友達から聞いたり自分でわかったりして政府が国民みんなを虐める団体であることを知っているのだ。
私とほかのみんなはそこが違うだけである。政府のことを言うか言わないかの違いだけで、政府を倒していることに変わりはないのだ。有言実行か不言実行かの違いなだけだ。
戦後に国民みんながマゾでなくなったときからすでに政府が滅んで行っている。いろんな人がどうのこうの言ったところでけっきょく政府が滅んでいるのだ。私が政府のことを言おうが言うまいがたいして変わりはない。政府が滅ぶのは時間の問題にすぎない。

[23527] どうして政府の法律会社や学校会社などは善いことをしないのか? h30.2.7
今の政府は法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などをやっている。昔は政府が鉄道会社や郵便会社などもやっていたが、今では鉄道会社や郵便会社は政府とは別になっている。
政府の法律会社や学校会社などは政府が悪いことをやって国民みんなを虐めるのを隠すために建っている。政府の法律会社や学校会社などは政府の命令で悪いことをやって国民みんなを虐[いじ]めるために建っている。政府の法律会社や学校会社などは本物の法律会社や学校会社などではなく、国民みんなを虐めるためのニセモノの法律会社や学校会社などである。
政府の法律会社や学校会社などは政府が悪いことをしているのを隠したり政府の命令で悪いことをしたりするために建っている。政府の法律会社や学校会社などは国民みんなのために善いことをするために建っていない。だから、政府の法律会社や学校会社などはいやいやしかたなく最低限の仕事をするだけで国民みんなのために善い仕事をしないのだ。料亭のふりをしている売春宿が形だけの不味[まず]い料理を出すようなものだ。
政府が建っているために、政府の法律会社や学校会社などは国民みんなのために善いことをしない。政府が建っているために国民みんなは政府に虐められて不幸にされる。今の国民みんなはマゾではないから政府に虐められるのが嫌である。だから、今の国民みんなで早く政府を倒して、法律会社や学校会社などを政府から切り離さねばならない。そうすれば、法律会社や学校会社などは国民みんなのためにもっと善い仕事をするようになって、国民みんなが今よりももっと幸福に暮らせるようになるだろう。今の鉄道会社や郵便会社のほうが昔の政府の鉄道会社や郵便会社よりもサービスがいいから、法律会社や学校会社なども政府と別になったほうがいいサービスをするだろう。

[23528] ユニセフのコマーシャル h30.2.7
私は週に2本しかテレビ番組を見ない。鉄道番組しか見ない。鉄道番組を見ていると、あいかわらずまたユニセフがコマーシャルをやっていた。
アフリカの国で暴動が起こって母親が長男と次男を連れて逃げたが途中で長男が死んで母親と次男がほうほうの体[てい]でユニセフのキャンプに着いた。次男は7日間なにも食べていないので栄養失調である。気の毒に思う方はユニセフにお金を寄付して欲しい。というのだ。
しかし、暴動を起こしたのは政府である。政府は国民みんなを虐める会社だから、国民みんなを虐めるために暴動を起こしたのだ。ユニセフは国連の機関で、国連は世界中の政府が集まって作った団体だから、要するに政府である。つまり、国連が自分で暴動を起こしておいてアフリカの国民を栄養失調にしてほかの国の国民から寄付金を取って儲[もう]けているのだ。まったくずうずうしい。
国連は世界中の政府が集まって作った団体である。政府は国民みんなを虐める団体である。だから、国連は世界中のみんなを虐める団体である。だから、国連はアフリカの国民を栄養失調にしてほかの国の国民からお金を取って儲けているのだ。
国連がアフリカの人々が幸福に暮らせない原因である。だから、世界中でみんなが国連にお金をやらないようにして国連を倒して世界中のみんなを虐める団体を倒してみんなが幸福に暮らせる世界にしないといけない。そうすれば、アフリカで暴動が起こらなくなってアフリカ人も平和に幸福に暮らせるだろう。アフリカ人も自分で科学をするようになって先進国の仲間になって裕福に暮らせるようになるだろう。

[23529] 民主主義は国民みんなで法律や政策を決めることではない。 h30.2.8
民主主義は政府が国民に国民みんなを拝[おが]めるようにすることであって、国民みんなで法律や政策を決めることではない。国会議員は国民みんなの選挙で決まるから、国会議員は国民みんなの代理だから、民主主義は国民がテレビや新聞で国会議員がチャラチャラやっているのを見て喜ぶことである。要するに、民主主義とは中国人がやっている遊びであってどうでもいいことである。政府は民主主義とは別に自分勝手に法律や政策を決めている。
それなら、政府が国民みんなから強制的に税金を取れるわけがない。たとえ国民みんなで法律を決めても法律に強制力はない。実在において正しい法律を決めないかぎり法律に強制力はない。実在においては人間はみな平等だから、政府と国民は平等だから、正しい法律では政府は国民と契約を取って国民からお金をもらって仕事をしないといけない。納税の義務はまちがった法律である。政府の法律会社の法律は国民を虐めるための法律であって正しい法律ではないからまちがった法律が定められているのだ。政府の法律会社の法律は正しい法律ではないから強制力がなく国民は自分が守りたければ守ればいいだけである。
だから、政府が国民みんなから税金を取るのは国民みんなを虐[いじ]めるためである。そもそも政府は国民みんなを虐める会社である。政府は税金のほかにもいろんな悪いことをして国民みんなを虐めているのだ。
しかも政府は国民みんなを恥ずかしがらせないために国民みんなに隠しながら悪いことをしているから、政府がどれほど悪いことをやっているのかわかったもんじゃない。政府は年がら年中24時間そうとう悪いことをやっているはずである。今の国民みんなは政府にかなり不幸にされているはずである。
例えば、私は医療保険が嫌だった。医療保険費は税金よりも高い。税金が2倍になっているのと同じだ。私は医者にはめったにかからないからコスパが悪い。昔は国民みんなが医者にかかるときだけお金を払っていたから安かった。ほとんどお金が要らなかった。今では医療技術が進んで医療機器にお金がかかるなら、医者が医療費を値上げしてその都度[つど]患者からお金を取ればいい。医療保険は明らかに国民みんなに対する嫌がらせだ。だから、私は怒って自分で事務の私の担当の人にお願いして医療保険をやめてもらった。国民みんなは医療保険に入るよりも自分の健康に努[つと]めたほうがいい。そのほうが安上がりで効果的だ。どうせ人間には寿命があるから、いくら医療が進んでも治らない病気は治らないから、医療保険に入っていても無駄[むだ]だ。今の政府は国民みんなから税金を取ったり厚生年金を取ったり医療保険費を取ったり消費税を取ったり自動車税を取ったりしている。そのくせ政府が国民にくれるお金はちょっとだけである。政府は国民みんなからありったけお金を取って国民みんなを虐めている。(雇用保険もたった3か月分の生活費しかくれない。保険に入ってなくても同じである。雇用保険は政府にたくさんお金を取られるだけでお金の無駄[むだ]である。)国民みんなは自分で勝手に政府にお金をやるのをやめて政府に自分を虐められないようにしないといけない。いくら政府が隠れて悪いことをやっているといっても完全に隠れているわけではない。よく見ればわかる。よく考えればわかる。だから、国民は自分で政府が悪いことをやっているのを発見して政府に悪いことをされないようにしないといけない。
今の国民みんなはマゾではないから政府に虐められてもうれしくない。今の国民みんなは政府に虐められると嫌なだけである。今の国民みんなは政府のために不幸にされている。だから、今の国民みんなは政府にお金をやるのをやめて政府を倒さなければならない。政府を倒して、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社にしないといけない。
今では権力がないことになっているから、今では誰も「政府が権力団体である」と思っていない。今の政府が残っているのは「政府が善いことをやる団体である」と誤解している者がいるためである。早くみんなが『政府が悪いことをやって国民みんなを虐める団体である』ことを知って政府にお金をやらなくなって政府を倒さねばならない。誰かが政府の悪口を言っているとみんなが「政府のアラを取るな!」と言うのは、昔は国民みんながマゾだったからである。マゾは自分が政府に虐められて喜んでいるを他人に知られるのが恥ずかしいので、政府が悪いことをしているのを言って欲しくないのだ。だから、昔は政府が悪いことをしているのを言っている者がいるとみんなが「政府のアラを取るな!」と言ったのである。しかし、今は国民みんながマゾではないから自分が政府に虐められて嫌な思いをしているのが恥ずかしくないから、みんなが政府の悪口を言ってもいい。みんなは堂々と政府の悪口を言えばいいのだ。むしろ今ではみんなが『政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である』ことを知って政府を倒して欲しいから、政府が悪いことをしていることを知っている人がいたらみんなに言ってみんなに教えて欲しいのだ。今はまだ『政府と国民は平等だから、国民は政府が嫌なら政府にお金をやらなくていい』ことを知らない者が多いから、ついでにそのことも教えてやればいい。
昔の政府も国民みんなに悪い命令を出して国民みんなを虐めていた。しかし、昔の国民みんなはマゾだったので政府の悪い命令を聞いて喜んでいた。昔の国民みんなは喜んで政府に高いお金を払っていた。国民みんながマゾであることが政府の支えだった。しかし、今の国民みんなはマゾではない。今では政府の支えがない。今の政府が国民みんなに悪い命令を出しても国民みんなは聞いてくれない。だから、今の政府は国民みんなから高いお金を取れなくなって滅んでいるのだ。

[23530] 国民みんなが政府に税金を払うのをやめれば政府はすぐに潰[つぶ]れる。 h30.2.8
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民と平等な隠れて国民みんなを虐める会社である。政府は表で民主主義や国家宗教や身分制をやったり、法律会社や学校会社などをやったりしているが、裏では国民みんなにいろんな悪いことをして国民みんなを虐めているのだ。昔の国民みんなはマゾだったので、今でも政府は国民みんなを喜ばせるために国民みんなを虐めているのだ。政府は昔の国民みんながマゾだった時代に国民みんなが建てた“国民みんなを恥ずかしがらせないように隠れて国民みんなを虐めて喜ばせる会社”なのだ。今では時代が変わって国民みんながマゾではなくなっているが、今でも政府は昔と同じように国民みんなを密[ひそ]かに虐め続けているのだ。政府は自分が国民みんなを虐める会社だから国民みんなを虐めるのだ。政府は自分の仕事が密かに国民みんなを虐めることだから国民みんなを密かに虐めるのだ。政府は「国民みんなを殺すのは自分の仕事だから、それが嫌だったら国民みんなで政府を潰してみろ」と暗黙に言っているのだ。
国民みんなが政府に税金を払うのをやめれば政府はおとなしく潰[つぶ]れて国民みんなを虐めなくなって国民みんなが幸福に暮らせる。政府の弱点は国民と平等であることである。だから、国民が政府を潰すには政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払わなければいいのだ。(政府の役所は国民を虐めるための役所であって本物の役所ではない。だから、国民が政府の役所に「税金を払わないといけないでしょうか?」と訊[き]くと、政府の役所は国民に嘘[うそ]をついて「払わないといけない」と答える。しかし、本当は払わなくてもいいのである。だから、国民は黙って政府に税金を払わなければいい。)
それなのに、多くの国民がおとなしく政府に税金を払っているからいつまでも政府が残って国民みんなを虐め続けて国民みんなが不幸にされている。
多くの国民は「政府が善いことをする団体だ」とか「政府に権力がある」とか政府について誤解しているために政府に税金を払っているのだ。あるいは、多くの国民は政府について自分でなにも考えずただ政府に言われるままに政府に税金を払っているのだ。あるいは、多くの国民は「国民みんなが政府に税金を払っている」と思っているから、自分もみんなといっしょになって払っているのだ。あるいは多くの国民は政府が大きくて恐いから政府が雰囲気が恐いからおとなしく政府に税金を払っているのだ。あと、まれに「“虐められる喜び”が強い喜びだ」と誤解して自分が幸せになるために政府に虐められるために税金を払っている人がいるかもしれない。
多くの国民は自分の誤解のために国民みんなに迷惑をかけている。多くの国民は国民みんなに嫌われている。多くの国民は自分の誤解を直してさっさと政府にお金をやるのをやめて政府を倒さねばならない。

[23531] 今の政府はほんのちょっとだけ国民みんなを虐[いじ]めればいい。 h30.2.9
政府は国民みんなを虐める会社である。政府と国民は平等である。今の政府は国民みんなを虐めるのが自分の仕事だから国民みんなを虐めているにすぎない。政府は国民みんなに隠れて国民みんなを虐めているが、政府が国民を虐めていることはわかる人にはわかるから、隠すか隠さないかはどうでもいい。もしも、政府が国民みんなに隠さずに国民みんなを虐めていたら、国民みんなが眼で見て政府が悪いことをしているのがわかるので、政府が今の自分たちに合っていないことをしているのがわかるので、とっくの昔に国民みんなで政府を倒して政府はなくなっていただろう。政府が分解して国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などになっていただろう。
政府は国民みんなを虐めるが、どれだけ国民みんなを虐めるかについての規定はない。今では国民みんながマゾではないから、政府はほんのちょっとだけ国民みんなを虐めればいい。
例えば、政府は国民みんなから税金を取ることだけで国民みんなを虐めればいい。それもやりすぎというのなら、政府はちゃんと国民と契約して国民からお金をもらって仕事をすればいい。そのときに、国民から“虐め代”として一人当たり月に千円ぐらいもらえばいい。どうしても政府に“虐め代”を払いたくない人は払わなくてもいい。そうすれば、政府はちゃんと国民みんなを虐めたことになるし、国民みんなはそれほど嫌ではないからかまわない。

[23532] 今の政府は半殺しのまま生きている。 h30.2.9
昔の国民みんなはマゾだった。そのために、昔の国民みんなは国民みんなを虐[いじ]める政府を建てた。しかも、国民みんなは自分が政府に虐められているのが恥ずかしかったので、政府は国民みんなに隠れて国民みんなを虐めていた。
その後、文明が進んで国民みんなはマゾではなくなった。しかし、政府が隠れて国民みんなを虐めるために、国民の多くは政府が悪いことをしているのがわからなくて政府をそのままにした。そのため、政府は今でも残って国民みんなを虐め続けている。
政府が隠れて国民みんなを虐めているために、国民みんなでいっせいに政府を倒すことができなかったのだ。昭和40年(1965年)ごろに国民みんなが政府を倒す勢いが足りなかったので、その後も政府が半死半生のまま生き残ってしまったのだ。政府のことがわかっている人は政府を倒しているが、わかっていない人は政府を倒していない。今の政府は半殺しのまま生きているのだ。今の政府は死にかけの状態でしぶとく国民みんなを虐めて不幸にしているのだ。
早く国民みんなで政府が悪いことをやっていることを教えあって、みんなが政府が悪いことをやっていることを知って、政府が今の国民みんなに合っていないことを知って、国民みんなで政府を倒さねばならない。国民みんなで政府を完全に倒して消滅させてやらねばならない。
今のテレビ局が政府が悪いことをやっていることを放送しないから、国民の多くが『政府が悪いことをやっている』ことがわかっていないために政府が残っているのだ。テレビ局は政府のことを隠さずに放送しないといけない。
政府は隠れて国民みんなを虐める会社だから、国民みんなにわからないようにしながら国民みんなを虐める。国民みんなは自分がわからないまま政府に虐められて不幸にされている。国民みんなは政府がやっていることを眼でよく見れば政府が悪いことをやっているのがわかる。頭でよく考えれば政府が悪いことをしていることがわかる。国民みんなは政府がやっていることをよく見てよく考えて『政府が悪いことをやっている』ことがわかって政府を倒さねばならない。
要するに、今の国民は自分が「政府が善いことをしている」と思えば政府の言うことを聞いて政府に税金を払い、自分が『政府が悪いことをしている』と思えば政府の言うことを聞かず政府に税金を払わなければいい。理屈によれば、昔の国民みんなはマゾだったので国民みんなを虐める政府を建てた。政府は今でも残って国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めている。だから、政府は悪いことをしている。今の国民みんなはマゾではないから、今の政府は国民みんなに合っていないから、今の国民みんなは政府を倒さねばならないのだ。
今の政府を守っている連中はアホである。政府を守っている連中は本当は政府に虐められているだけである。政府を守っている連中は自分の妄想の世界で政府に幸せにしてもらっているだけで、現実の世界では政府に不幸にされているのだ。政府を守っている連中は自分の誤解のために自分で自分を不幸な目に合わせているのだ。みんなを不幸にしているのだ。国民みんなにとっては政府を守る連中が邪魔[じゃま]である。国民は政府を守っている連中を無視して政府を倒さねばならない。

[23533] どうして政府は国民から税金を取っているか?☆ h30.2.9
政府は国民から税金を取っている。これはみんながよく知っている事実である。
政府は国民から税金を取っている。つまり、政府は国民と契約せずに国民からお金を取っているから、政府は国民からお金を強盗している。つまり、政府は国民に悪いことをしている。
しかも、政府と国民は平等である。だから、国民は自分が嫌なら政府の命令を聞かず政府に税金を払わなくてもいい。
したがって、政府は国民を虐めるために国民から税金を取っているのである。一般に、政府は国民を虐める団体である。政府は国民みんなから高い税金を取ったり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐めているのである。国民と政府は平等だから、国民は自分が政府に虐められたければ政府の言うことを聞き、虐められたくなければ政府の言うことを聞かなければいいのである。(諸君は自分で下手[へた]に考えるよりも、私の考えを習ったほうがいい。/h30.2.10補足:本当は政府と国民は平等だから、政府が国民から税金を強盗するのは国民に対する脅[おど]しであって本気ではないということなのだ。本当に政府が国民から税金を強盗できるなら、政府と国民が不平等になる。しかし、それは社会のルールに反するからいけない。政府と国民は平等でないといけないから、政府は国民に税金を取る脅しができるだけで、本当に無理やり税金を取れるわけではない。つまり、政府は国民と平等な国民を虐める会社だというわけである。)
今の国民みんなはマゾではないが、昔の国民みんなはマゾだった。昔の国民みんなはマゾだったから、国民みんなで国民みんなを虐める政府を建てた。だから、政府は国民みんなを虐める会社なのである。しかも、国民みんなは自分が政府に虐められて喜んでいるのが恥ずかしいので、政府は国民みんなを恥ずかしがらせないために、表で民主主義や法律会社や学校会社などをやって、裏で国民みんなにいろんな悪いことをやって隠れて国民みんなを虐めていた。政府の主な仕事は国民みんなを虐めることである。政府の法律会社や学校会社などは政府が国民みんなを虐めることを隠すために建っているだけのでくの坊である。昔は国民みんながマゾだったから、国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。昔は国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に税金を払っていたので政府はすごく儲[もう]かっていたので政府は大きい会社になったのだ。
反対に、今の国民みんなはマゾではないから、今は国民みんなが政府の言うことを聞いていない。政府はお金が足りなくなって潰[つぶ]れて行っている。
国民の多くは政府が国民から税金を取っていることについてよく考えていないために、『政府が国民みんなを虐める団体である』ことがわかっていない。そのために、国民の多くは「政府が善いことをする団体だ」と誤解して政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。しかし、本当は政府は国民みんなを虐める団体なので、政府は多くの国民からもらった税金で生き残って隠れて国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にしている。
国民の多くはもっと税金についてよく考えて、『政府が国民みんなを虐める団体である』ことをわからねばならない。今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなは政府に虐められるのが嫌だから、政府の言うことを聞かず政府に税金を払ってはいけない。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などにして、国民みんなで幸福に暮らさねばならない。

[23534] 今の国民みんなは政府に深層心理で不幸にされている。☆ h30.2.9
政府は隠れて国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなに気づかれないようにしながら国民みんなを虐めている。
例えば、今の政府は国民みんなに外国の文化を流行[はや]らせて日本人に合わない文化をやらせて国民みんなを不満にしている。政府は国民みんなに格好[かっこう]ばかりつけさせたり、頭で考えないようにさせたりして国民みんなの心を満足させないようにして国民みんなを不幸にしている。今の政府は国民みんなを幸福にさせているふりをして本当は不幸にさせている。政府はそういうやり方で政府が国民みんなを不幸にしているのをわからないようにしながら国民みんなを不幸にしている。
昔の国民みんなはマゾだったので政府に隠れて虐められてうれしい思いをしていたが、今の国民はマゾではないので政府に隠れて虐められて嫌な思いをしている。
今の国民みんなはサブリミナルで深層心理で政府に嫌な気持ちにさせられているのだ。だから、今の日本はなんだか面白くないのだ。
今の日本は文明が進んでみんなが物質的には豊かだが、みんなが政府に深層心理で嫌がらされて心理的には幸福ではないのだ。昔の国民みんなは物質的には貧しかったが心理的には幸福だった。反対に、今の国民みんなは物質的には豊かだが心理的には不幸である。今の日本は眼先でいいだけで中身は悪い。今の国民みんなは隠れて政府に虐められているので本心では幸福に暮らしていない。今の国民みんなは顔で笑って心で泣いている。政府をこのままにしておいてはいけない。国民みんなで早く政府を倒して心の底から幸せにならねばならない。国民みんなが本心で幸福に暮らせる国にしないといけない。

[23535] 今でも政府が残っているのは政府のことを知らない人がいるからである。 h30.2.9
政府は隠れて国民みんなを虐[いじ]める会社である。民主主義や国家宗教や身分制は外人のくだらない遊びであってどうでもいいことである。政府の法律会社や学校会社などはなけなしの仕事をしているだけである。
今では国民みんながマゾではなくなったから、政府のことを知っている人は『政府が隠れて国民みんなを虐める会社だ』と考えて『今の国民みんなにとっては政府はもはや要らない』と思って政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。政府は隠れて国民を虐める会社だから、隠れて虐めているから具体的にはなにをやっているのかわからないが、とにかくいろんな悪いことをしているのだ。今の国民みんなはマゾではないから、政府に悪いことをされるのが嫌だから政府が要らないのだ。
しかし、政府のことを知らない人は政府のうわべだけを見て「政府が国民みんなのためになることをする善い会社だ」と誤解して「今の国民みんなにとっては政府がなくてはならない」と思って政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。そのために、政府が生き残って隠れて国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にしている。
国民の多くが政府のことを知らないために政府が生き残って国民みんなが政府に不幸にされているのである。
だから、国民みんなで政府のことを知らない人に政府のことを教えてやればいい。テレビ局も政府のことを知らない人に政府のことを教えてやればいい。
昔は国民みんながマゾだったから、国民みんなで国民みんなを虐める政府を建てた。だから、政府は国民みんなを虐める会社なのだ。しかも、国民みんなは自分が政府に虐められて喜んでいるのが恥ずかしかったので、政府は表で民主主義や法律会社などをやって裏で国民みんなに悪いことをして隠して国民みんなを虐めている。政府の主な仕事は国民を虐めることであり、ほかの仕事は政府が国民みんなを虐めていることを隠すためにやっているのだ。昔は国民みんながマゾだったから政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。今では国民みんながマゾではないから政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにしないといけない。国民みんなで早く政府を倒して“隠れて国民みんなを虐める会社”をなくして幸福に暮らさねばならない。
政府はいつも隠れて国民みんなを虐めている。政府は国民みんなの眼で見えないように国民みんなを虐めている。政府は“眼で見えない仕事”をやっている。だから、政府が本当に仕事をしているのかどうかわからない。だから、政府は国民みんなに自分が仕事をしていることを見せるためにときどき事件を起こして大勢の国民を殺すのかもしれない。
政府はテレビでやっている仕事のほかに“眼で見えない仕事”をやっている。だから、国民が眼で見るだけでは政府がなにをやっているのかわからない。国民は頭で見ないと政府がやっていることがわからない。そもそも政府は昔のマゾの国民みんなが建てたマゾを喜ばせる会社だから、政府はマゾを虐めて喜ばせるためにいろんな悪いことをやっているはずである。今の国民みんなはマゾではないから政府にいろんな悪いことをされてはたまらない。だから、今の国民みんなは政府を倒さねばならないのだ。

[23536] 政府は国民みんなに黙って勝手に悪いことをやっている。☆ h30.2.10
政府は昔から国民みんなを恥ずかしがらせないために隠れて国民みんなを虐[いじ]めている。政府は昔から国民みんなにわからないように黙って国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めている。
だから、政府と国民が平等だから国民が自分の好きなだけ政府の言うことを聞けばいいといっても、実際にはほとんど政府が国民に黙って勝手に悪いことをしている。政府がいちいち国民に命令して国民の承認を得てから国民に悪いことをするのではない。だから、国民は自分が好きなだけ政府の言うことを聞くことはできない。政府は人殺しを黙ってやるだけではなく、ほとんどの悪い法律や政策を国民みんなに黙って自分勝手にやっているのだ。政府はいろんな悪いことを黙って好き勝手にやっているのだ。政府はいちいち国民に命令せずに政府の言うことをなんでも聞く者を使って悪い法律や政策を実行しているので、国民は政府の命令を自分で選択できない。
もっとも、一部の悪いことについては政府が国民に命令してやっているから、国民が自分で政府の命令を聞いたり聞かなかったりして自分で調節することができる。例えば、政府が国民から税金を取ることは国民が自分で勝手に政府の税金の命令を聞くか聞かないかして自分が政府に税金を払うか払わないかして自分が政府に悪いことをされるかされないか決めることができる。一部の政府の法律や政策は政府が国民に直接に命令してやっているから、国民が自分で政府の法律や政策の命令を聞くか聞かないかしてやったりやらなかったりできる。
政府は国民みんなに隠れて国民みんなに悪いことをする会社である。それは昔も今も国民みんなの常識である。政府は昔から悪いことをする会社だと決まっている。国民みんなは自分の眼で見て政府が悪いことをやっているのがわからなくても政府が悪いことをする会社だと知っている。昔の国民みんなはマゾだったから政府が悪いことをするのが歓迎だった。昔の国民みんなは政府がどんな悪いことをやっているのかわからないまま政府が自分に悪いことをしてくれたお礼に税金をやっていた。反対に、今の国民みんなはマゾではないから政府が悪いことをするのは嫌である。今の国民みんなも政府がどんな悪いことをするのかわからないがとにかく政府が悪いことをするのが嫌である。だから、今の国民みんなは政府の税金の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。今の国民みんなは政府の一部の法律や政策については命令を聞かないようにしてやらないようにして政府に不幸にされないようにしている。

[23537] 政府は密[ひそ]かに国民みんなが嫌がる国を作る団体である。 h30.2.10
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなを虐めるためにいろんな悪いことをやる。
しかも、政府は国民みんなを恥ずかしがらせずに虐めるために隠れて悪いことをやる。政府は国民みんなに命令せずに政府の命令をなんでも聞く者を使って国民みんなに黙って勝手に悪いことをやる。あるいは、政府は国民みんなに“善いことのふりをしてじつは悪いこと”を命令してやらせて隠れて悪いことをやっている。政府は昔からそういう団体である。(政府が隠れて悪いことをやっていてもわかる人には政府が悪いことをやっているのがわかる。だから、隠しているか隠していないかははっきりとした区別はない。どうでもいいことである。だから、政府はときどきわざとに隠さずに悪いことをやることもある。政府はふだんはなんとなく隠して悪いことをやっている。政府が隠さずに悪いことをやると、政府がみんなの見ている前で悪いことをやると、みんなは政府に虐められるのが恥ずかしくなって政府に虐められるのをやめる。政府が儲[もう]からなくなる。だから、政府は隠しながら悪いことをやるのだ。)
政府は国民みんなに知られずに黙って勝手にいっぱい悪いことをやっている。国民みんなは政府が悪いことをやっていることを知らずに毎日政府にいろんな悪いことをされている。政府は国民みんなに知られずに国民みんなが嫌がる国を作っている。その中で国民みんなは毎日暮らしている。例えば、日本人は眼で見ることが好きだから景色がいいことが好きだから高いビルが嫌いである。今の政府は「日本の人口が増えたから」と屁理屈[へりくつ]を言って日本中に高いビルを建てさせてみんなを嫌がらせている。田舎[いなか]にも不必要に高いビルを建ててみんなを虐めている。それだけ見ればたいして嫌なことではないが、政府はほかにもたくさん悪いことをやっているから小さい嫌がらせが積もり積もって大きな嫌がらせになるのだ。
昔は国民みんながマゾだったから政府に隠れてたくさん悪いことをされて幸せに生きていた。しかし、今は国民みんながマゾではないから政府に隠れてたくさん悪いことをされて不幸に生きている。昔は国民みんながマゾだったから政府が作った嫌な国の中で幸福に暮らしていた。今は国民みんながマゾではないから政府が作った嫌な国の中で不機嫌[ふきげん]に暮らしている。昔と今では反対である。
だから、昔は国民みんなが政府がありがたい会社だと思って政府を大切にしていた。政府にたくさんお金をやっていた。しかし、今では国民みんなが政府が邪魔[じゃま]だと考えて政府を倒している。国民と政府は平等だから、国民みんなが政府の命令を聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒している。(昔の人にとっては食べることと虐められることしか面白いことがなかったので、政府はみんなからたくさんお金をもらってすごく儲かっていた。今の人にとっては面白いことがたくさんあるので、個々の会社はあまり儲からなくなっている。)
昔は国民みんながマゾだった。昔は国民みんなが政府に嫌なことをされて喜んでいた。政府が天邪鬼[あまのじゃく]だったのではない。国民みんなが天邪鬼だったのだ。そのために世の中が複雑にメチャクチャになっていたのだ。国民みんながマゾだったために、人間に身分差が出来て待遇が不平等になっていたのだ。人間は本当は平等だが、準階級制のようなものがあったのだ。微妙に不平等だったのだ。“虐められる喜び”を満足する者が下になり、“虐められる喜び”を満足しない者が上になっていたのだ。反対に、今は国民みんながマゾでなくなっているから、人間が平等になっているのだ。みんなが同じ待遇で暮らすようになっているのだ。
政府は隠れてなにをやっているのかわからない。政府は表では善いことをやっているから、国民の多くは自分で推量して政府が国民みんなの眼の見えないところでも善いことをやっていると思うのだ。しかし、本当は政府は隠れて悪いことをやっているのだ。政府は善いことをする会社ではなく悪いことをする会社なのだ。政府は昔のマゾの国民みんなが作った国民みんなを虐めて喜ばせる会社だから悪いことをやるのだ。今の国民みんながマゾでないから善いことをする会社を建てるように、昔の国民みんなはマゾだったから悪いことをする会社を建てたのだ。政府は昔のマゾの国民みんなを恥ずかしがらせないために隠れて悪いことをやっているのだ。しかし、今の国民みんなはマゾではないから、政府が悪いことをするのが嫌だ。だから、今の国民みんなは政府を倒しているのだ。
要するに、政府は国民を虐めて喜ばせる会社である。昔の人にとっては食べることと虐められることしか面白いことがなかったから、政府はみんなからたくさんお金をもらってすごく儲かった。しかし、今はいろんな面白いことがあるから、今の人にとっては虐められることなんかつまらないから、みんなは政府にお金を払わなくなった。だから、政府は潰れているのだ。法律会社や学校会社などは政府のオマケである。今では政府が儲からなくなっているから、法律会社や学校会社などが政府から独立しようとしているのだ。今の政府は政府のことを善いことをする会社だと誤解している人からお金をもらってほそぼそと生き延びているだけである(『8時だョ!全員集合』が終わるときのチャリティーみたいに)。早くみんなは政府のことを正しく理解して政府にお金をやらないようにしないといけない。今では国民みんなが虐められることがつまらなくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰れている。将来は国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などになる。今はその“つなぎ”なのだ。

[23538] オウム真理教がみんなに教えてくれたこと h30.2.10
坂本弁護士事件は、オウム真理教がオウム真理教を攻撃している者を殺した事件である。オウム真理教が特定の者をリンチで殺した事件である。オウム真理教は坂本弁護士事件で有罪になったから、オウム真理教には権力がないことがわかる。
地下鉄サリン事件は、オウム真理教が毒ガスを使って不特定多数の者を殺した事件である。オウム真理教は地下鉄サリン事件で有罪になったから、今の国民みんなはマゾではないことがわかる。
今は宗教団体や政治団体や暴力団に権力がない。宗教団体や政治団体や暴力団と国民は平等である。今は国民みんながマゾではない。今は国民みんなが悪いことをされるのが嫌である。
政府や宗教団体や暴力団は国民に隠れて悪いことをやる団体である。今は国民みんながマゾではないから、国民みんなが政府や宗教団体や暴力団が邪魔[じゃま]である。国民と政府や宗教団体や暴力団は平等である。だから、今では国民みんなが政府や宗教団体や暴力団にお金をやらないようにして倒しているのだ。
今の政府もオウム真理教のように事件を起こして大勢の不特定多数の国民を殺している。今の国民みんなは政府が有罪だと思っている。しかし、政府を罰する団体がないために政府は罰せられていない。早く国民みんなで政府を潰[つぶ]して国民が政府に殺されないようにしないといけない。
h30.2.11追加:江戸時代に安藤昌益は『自然真営道[しぜんしんえいどう]』(どうすれば国は豊かになるか?)という本で「武士は田んぼに出て働け」と言って幕府を攻撃したが、幕府は安藤昌益を殺さなかった。だから、日本では昔から政治団体や宗教団体や暴力団には権力がないのだ。日本は権力がない国なのだ。権力がないのは日本だけではない。世界中で昔から権力がないのだ。世界中で昔から人間はみな平等だったのだ。昔は世界中でみんながマゾだったので、国民みんなが政府に虐められて喜んでいたので、政府が国民みんなを自分の好き放題にできたので、政府が権力者のように見えただけで、本当は政府と国民は平等だったのだ。これまでに政府を攻撃して政府に殺された人は、自分で望んで政府に殺されたのであって自分が嫌なのに無理やり政府に殺されたのではない。昔はみんながマゾだったから政府に殺されるのが好きだったから政府に「お前を死刑にする」と言われたら自分のほうから喜んで死刑にされたのだ。反対に、今ではみんながマゾではないから政府に殺されるのが好きではないから政府に「お前を死刑にする」と言われても無視して勝手に外で遊びまわっているのだ。安藤昌益は当時としては変態で特異気質[とくいきしつ]でマゾではなかったので幕府の死刑の命令を断って死刑にされなかったのかもしれない。

[23539] 国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。☆☆ h30.2.11
人間はみな平等である。
しかも、政府は国民に命令して税金を取っている。つまり、人間が平等な世界の中で、政府は国民に命令して税金を取っている。
だから、国民が政府の命令を聞いて政府に税金を払うか政府の命令を聞かず政府に払わないかは国民の自由なのである。
国民が政府の命令を聞いて政府に税金を払うのは、国民が政府の命令を聞いて政府に税金を払うのが好きだからである。国民が政府に嫌なことをされるのが好きだからである。国民が政府に虐[いじ]められるのが好きだからである。だから、政府は国民を虐める会社なのである。政府は国民を虐める会社だから、わざわざ国民に命令して国民を脅[おど]して税金を取っているのである。
昔の国民みんなマゾだった。昔の国民みんなは自分が虐められるのが好きだったから政府に虐めらて喜んでいた。しかも、昔の国民みんなは自分が虐められるのが恥ずかしかったから政府に隠れて虐めてもらっていた。税金は隠れていないが、政府は法律会社や学校会社などをやることによって政府が法律会社や学校会社をやるために税金を取っているふりをして税金を取っていたのだ。だから、昔の国民みんなは税金を取られても恥ずかしくなかった。政府はいちいち国民みんなに命令せずに“政府の言うことをなんでも聞く者”を使って国民みんなに黙って勝手にいろんな悪いことをすることによって日本を国民みんなにとって嫌な国にすることによって隠れて国民みんなを虐めていたのだ。今でも政府はそうやって国民みんなを虐めている。
昔の国民みんなはマゾだったから、政府に虐められるのが好きだったから、自分から喜んで政府に税金を払って政府に嫌な国にしてもらって喜んでいた。
しかし、反対に、今の国民みんなはマゾではないから、政府に虐められるのが嫌だから、自分で政府に税金を払うのを断[ことわ]って払っていない。政府に嫌な国にされるのが嫌なので政府を潰[つぶ]している。
昔の人にとっては食べることと虐められることしか面白いことがなかったので昔の人にとっては虐められることがすごく面白かったので昔の人は大喜びで政府に虐めてもらっていたが、今では文明が進んで今の人にとってはいろんな面白いことがあって虐められることよりも面白いことがいっぱいあって虐められることがつまらなくなったので今の人は自分で断って政府に虐められないようにしている。政府を潰して政府に嫌な国にされないようにしている。(人間の心にはもともと“虐められる喜び”がある。これまでずっと人間は苛酷[かこく]な環境で生きてきたので、“虐められる喜び”がある者のほうが“虐められる喜び”がない者よりも多く生き残って結婚して子供を作ることによって“虐められる喜び”が強められてきたので、人間の心には“虐められる喜び”があるのだ。今でもみんなの心には“虐められる喜び”があるが、今では文明が発達していろんな面白いことがあって虐められることがたいして面白くなくなってつまらなくなったので、みんなは“虐められる喜び”を満足するのをやめたのだ。)
政府は法律会社や学校会社などをやって自分が善い会社のふりをして自分が悪いことをして国民みんなを虐めているのを隠しているので、政府について疎[うと]い者は「政府が善いことをする団体だ」と勘違いして政府に善いことをやってもらうために税金を払っている。しかし、政府は本当は悪いことをして国民みんなを虐めているのだ。政府の法律会社や学校会社は建っているだけの役立たずだ。政府が本当に善いことをする会社なら普通の会社と同じように国民と契約してお金をもらって仕事をするはずだ。政府は国民に命令してお金を取っているので国民を虐める会社なのだ。政府は普通の会社と違うのだ。国民みんなは早く政府のことをちゃんと理解して政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
今の政府は国民からもらった税金で生き残って、国民みんなに隠れて“政府の言うことをなんでも聞く者”に命令していろんな悪いことをやらせていろんな面で嫌な国を作っている。政府は嫌な国を作っている。反対に、ほかの会社は好きな国を作っている。だから、今の日本は嫌なことと好きなことが入り混じった国なのだ。だから、今のみんなはあまり幸せになれないのだ。世の中にはいろんな問題があるから、政府がなくなっても国民みんなにとって完全に幸せな国にはならないが、今よりはもっと幸せな国になる。だから、今の国民みんなは政府を倒せばいいのだ。
政府と国民は平等だが、政府がいちいち国民一人一人の承認を得てから悪いことをやっているのではない。政府は国民みんなに黙って自分勝手に“政府の言うことをなんでも聞く者”を使っていろんな悪いことをやらせて嫌な国にしている。政府は“政府の言うことをなんでも聞く者”を使って勝手に事件を起こして国民を殺したり、勝手に住みにくい家にしたり景色の悪い町にしたり、食べ物を不味[まず]くしたり、日本人に合っていない文化にしたり、つまらないテレビ番組にしたり、絵が下手[へた]なマンガにしたりして国民みんなにとって嫌な国にしている。政府が“政府の言うことをなんでも聞く者”を使って国民みんなに黙って勝手に事件を起こして国民を殺すように、ほかにも政府は“政府の言うことをなんでも聞く者”を使って国民みんなに無断で勝手にいろんな悪いことをさせて日本を嫌な国にしているのだ。政府は勝手に嫌な国にしているから、国民が政府が作った国が気に入らなければ政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。政府は嫌な国を作るから、国民が政府にお金を払って嫌な国を買うか買わないかは国民の自由だ。そういう意味で政府と国民は平等なのだ。政府は国民みんなを虐める会社だから、国民みんなにとって嫌な国にしているのだ。国民は自分がマゾなら政府にお金を払って嫌な国を作ってもらえばいい。国民は自分がマゾでなければ政府にお金を払わず嫌な国を作ってもらわなければいい。
政府は国民みんなにとって嫌な国を作るが、ほかの会社は国民みんなにとって好きな国を作る。日本は嫌いなことと好きなことが混じっている。そのため、政府がほかの会社といっしょになって政府も好きな国を作っているように見えるから注意しないといけない。国民みんなで早く政府を倒して日本を嫌なことのない国にしないといけない。国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
例えば、会社の総務部の税金担当の人が“政府の言うことをなんでも聞く者”だろう。だから、本来は社員の承認を得てから社員の給料から税金を引かねばならないのに、勝手に社員の給料から税金を天引きするのだ。社員が総務部の税金担当の人に税金を払わないと言っても、総務部の人は社員よりも政府のほうを優先するから社員の言うことを聞かないかもしれない。しかし、それでは政府が社員から強制的に税金を取ることになって政府と国民が不平等になる。それは社会のルールに反する。だから、総務部の人は社員の言うことを聞いて税金を天引きしないようにしないといけない。

[23540] 未来は戦争がなくなる。 h30.2.11
ユーチューブで『グラディウスを遺伝的アルゴリズムでクリア』という動画を見た。コンピューターにゲームのプレイをさせる動画である。すごい動きで残像で自機が3〜5台に見える。敵の弾幕をすべてミサイルで撃ち返している。最後のほうは敵を瞬殺して敵の姿が見えないほどである。コンピューターが人間を超えている!
未来の戦争はコンピューターが自動でやるようになるだろう。国同士がお互いにコンピューター同士を戦わせるようになるだろう。性能は五分五分で引き分けになるだろう。お互いに兵器をスクラップにするだけだ。資源の無駄[むだ]だから戦争をしなくなるだろう。
昔は食べることと虐められることと戦争をすることしか面白いことがなかったから、みんなは面白がって戦争をやっていた。食べるのも忘れて戦争をやっていた。しかし、今では文明が進んでいろんな面白いことがあって戦争をするのがつまらなくなってみんなは戦争をやめている。今ではコンピューターが進んでコンピューターが人間を超えて戦争が兵器をスクラップにすることに過ぎなくなっている。資源やエネルギーは大切にしないといけない。だから、もはや戦争はやらないだろう。
今ではコンピューターが人間を超えている。コンピューター同士が戦争をして人間の出る幕がなくなっている。人間が戦争をやれなくなってつまらない。人間には今でも“戦争をする喜び”がある。人間の取り柄[とりえ]はコンピューターに劣るところである。人間は下手[へた]だからこそ戦争が面白いのだ。だから、今では人間がコンピューターゲームで戦争をやるのだ。私も『バトルフィールド4』が好きで毎日やっているのだ。

[23541] どうして政府は医療保険費を取ったり消費税を取ったりするのか? h30.2.11
戦後にテレビが出来てみんながテレビを見て喜ぶようになって政府に虐[いじ]められるのがつまらなくなった。そのため、大勢の国民が政府に税金を払うのをやめた。そのため、政府の収入が減った。そのため、政府は医療保険制度を始めて国民みんなから医療保険費を取るようになった。
その後も年々ますます多くの国民が政府に税金を払わなくなって政府の収入が減ったので、平成になって政府は新たに消費税を設けて国民みんなからお金を取るようになった。
つまり、政府が医療保険費や消費税を取るようになったのは、国民の多くが政府に税金を払わなくなったからである。政府は税金の穴埋めのために医療保険費や消費税を取っているのだ。
政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなにとって嫌な国を作って国民みんなを虐める。今の国民みんなはマゾではないから、政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらなくなって政府を倒している。今でも政府のことを知らない国民は政府に税金を払っているが、メディアの発達によって政府のことを知らない国民が年々減っている。政府は年々潰[つぶ]れて行っている。政府はもはやどうしようもない。そのうち、政府はバタンと倒れてなくなるだろう。

[23542] 政府は自分が国民みんなを虐[いじ]めていることが国民みんなにはっきりわからないようにしながら国民みんなを虐めている。 h30.2.12
政府は国民みんなを虐める会社である。マゾは自分が政府に虐められているのを他人に知られるのが恥ずかしいから、政府は客を獲得するために国民みんなに知られないようにして国民みんなを虐める。(原始人は自分が虐められるのが恥ずかしくないので隠さずに虐められるが、文明人は自分が虐められるのが恥ずかしいので隠して虐められる。黒人やインディアンは原始人なので隠さずに虐められるが、古代以降のヨーロッパ人やアジア人は文明人なので隠して虐められる。)
政府は国民みんなを虐めるために、国民みんなにとって嫌な国を作る。嫌な法律や制度や文化や事件や物がある国を作る。政府は密[ひそ]かに国民みんなを虐めるために、はっきり政府が国民みんなを虐めていることがわからないようにして嫌な法律や制度や文化や事件や物がある国を作る。
昔の国民みんなはマゾだったから、政府が作った嫌な国の中に住んで幸せだったから、お礼に政府にお金をやっていた。
今の国民みんなはマゾではないから、政府が作った嫌な国の中に住んで不幸だから、政府にお金をやらなくなった。
しかし、政府について疎[うと]い人は政府の看板(法律会社や学校会社などのこと)を見て「政府が善いことをする会社だ」と思って政府に善いことをしてもらうためにお金をやっている。そのために、政府が生き残って国民みんなを虐め続けている。政府は国民の多くが馬鹿だと思って軽蔑[けいべつ]している。マンガ家が国民の多くが馬鹿だと思って軽蔑しながらマンガを描[か]いているのと同じである。
利口は敏感だから好きなことと嫌なことの区別が付くから、今の世の中には嫌なことがあることがわかって、嫌なことをやっているのが政府であることがわかって、政府を倒すために政府にお金をやらなくなる。
しかし、馬鹿は鈍感だから好きなことと嫌なことの区別が付かないので、今の世の中には嫌なことがあるのがわからず、政府が表で善いことをやっているのを見て「政府が善いことをする会社だ」と思って政府にお金をやっている。
しかし、『政府が密かに国民みんなを虐める会社である』ことがだんだん国民みんなに広まってきている。「政府が善いことをする会社である」と思っている人がだんだん少なくなっている。政府にお金をやらない人が増えている。政府はお金がなくなって滅んでいる。

[23543] 今の宗教団体はどうやって儲[もう]けているか?☆☆ h30.2.12
政府や宗教団体や暴力団は同じ団体である。政府や宗教団体や暴力団は国民を虐[いじ]める団体である。政府や宗教団体や暴力団は国民を恥ずかしがらせないために表では善いことをして裏で国民を虐めて隠れて国民を虐めている。
昔はみんながマゾだったから、宗教団体は密かに国民を虐めて喜ばせて国民からお金をもらって儲けていた。
今はみんながマゾではなくなったから、宗教団体にお金をやる人が減った。
今では宗教団体が表で善いことをしているために「宗教団体を善いことをする団体だ」と誤解している人が宗教団体にお金をやって、宗教団体が儲けている。宗教団体は表で善いことをしているし、昔はみんなが宗教団体に虐めてもらって幸せにしてもらっていたが、今の人は“虐められる喜び”を知らないから、「宗教団体が国民に善いことをして国民を幸せにする団体だ」と誤解している人がいるのである。
しかし、本来宗教団体は国民を密かに虐める団体である。だから、宗教団体は例えば国民(信者のこと)の休日に国民に「環境美化のためだ」と言って川原で空缶[あきかん]拾いをさせて国民を虐めるのである。国民の休みの日に国民に「後進国にラジオを送るためだ」と言って中古のラジオを集めさせて国民を虐めるのである。国民の休みの日に一軒一軒家を回ってパンフレットを配らせて100円集めさせて国民を虐めるのである。宗教団体は国民を虐めるために多少国民が嫌なことをさせるのである。
同じように、暴力団も今では客が減っている。
今では暴力団が表で善いことをしているために「暴力団が善いことをする団体だ」と誤解している人が暴力団にお金をやって、暴力団が儲けている。暴力団は表で善いことをしているし、昔はみんなが暴力団に虐めてもらって幸せにしてもらっていたが、今の人は“虐められる喜び”を知らないから、「暴力団が国民に善いことをして国民を幸せにする団体だ」と誤解している人がいるのだ。
しかし、本来暴力団は密かに国民を虐める団体である。だから、暴力団は例えば国民に「ドナーがいなくて困っている患者がいる」と言って手術を受けさせて臓器を提供させて国民を虐めているのである。
同じように、政府も客が減っている。
今では政府が表で善いことをしているために「政府が善いことをする団体だ」と誤解している人が政府にお金をやっている。政府は表で善いことをしているし、昔は国民みんなが政府に虐めてもらって幸福にしてもらっていたが、今の人は“虐められる喜び”を知らないから、「政府が国民みんなに善いことをして国民みんなを幸福にする団体だ」と誤解している人がいるのだ。
しかし、政府は本来国民みんなを虐める団体なので、政府は自分が国民みんなを虐めていることがはっきりとわからないようにするために、いろんな嘘[うそ]の理由をつけて国民に嫌な法律や制度や文化をやらせている。誰がやったかわからないようにして事件を起こして国民を殺している。何のために作ったのかわからないようにして嫌な物を作っている。政府は大きい会社なので国民みんなを対象にして悪いことをやるのである。
政府や宗教団体や暴力団は善いことをする団体ではない。今の国民の多くが政府や宗教団体や暴力団のことを誤解しているのがいけない。本当は政府や宗教団体や暴力団は国民を虐める団体である。今の国民はマゾではないから、自分が虐められてもうれしくないから、政府や宗教団体や暴力団は要らない。だから、今の国民は政府や宗教団体や暴力団にお金をやらないようにして政府や宗教団体や暴力団を倒さねばならない。政府や宗教団体や暴力団が善いことをしたかったら、いっぺんちゃんと潰れて、新しく別の会社を建てて国民を虐めないようにして国民からお金をもらって善いことをしなければならない。
今ではみんながマゾではない。そのために、『昔の国民みんなが政府に虐められていた』ことを知っている人は「政府に権力がある」と誤解する。一方、『昔の国民みんなが政府に幸せにしてもらっていた』ことを知っている人は「政府が国民みんなに善いことをして国民みんなを幸福にする会社だ」と誤解する。政府については2つの誤解が存在する。しかし、本当は『政府は国民と平等な、国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める団体』なのである。政府と国民は平等であり、今では国民みんなはマゾではないから、国民みんなにとっては政府が要らないから、国民は政府の命令を聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。本当は政府には権力がないし、政府は善いこともやっていない。政府は国民と平等な、国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。今の国民みんなはマゾではないから、政府に悪いことをされるのが嫌だから、さっさと政府を倒せばいいのである。
ちょっと前は会社の総務部の税金担当の人が「政府に権力がある」と思って「国民みんなは政府に従わねばならない」と思って社員みんなから無理やり税金を取っていた。今では会社の総務部の税金担当の人は「政府は国民みんなに善いことをやって国民みんなを幸福にする会社である」と思って「国民みんなは政府に善いことをやってもらうために政府に税金を払わねばならない」と思って社員みんなから無理やり税金を取っている。しかし、本当はどちらもまちがいである。本当は『政府は国民と平等な、国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』であり、今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなは政府に虐められてもうれしくないから、政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。だから、会社の総務部の税金担当の人は社員みんなから税金を取ってはいけない。社員が税金を払うのを断りに来たら必ず社員の言うことを聞いてすぐに税金を取るのをやめねばならない。そもそも文系は馬鹿である。馬鹿がお金を扱う仕事をするな!だから、総務部の税金担当の人はすぐに辞表を出して会社を辞[や]めねばならない。馬鹿は頭脳労働よりも肉体労働をやってみんなの役に立たねばならない。
もともと宗教団体は国民に悪いことをして国民を虐める団体である。宗教団体は国民に悪いことをして国民を喜ばせる団体であって、国民に善いことをして国民を喜ばせる団体ではない。だから、宗教団体は国民に悪いことをして国民を虐めて喜ばせることができるだけで、国民に善いことをして喜ばせることはできない。しかし、今の国民みんなはマゾではないから、いくら国民が宗教団体の言うことを聞いても国民は幸福にはなれない。国民が宗教団体にお金をやっても無駄[むだ]である。だから、国民は宗教団体にお金をやらず宗教団体の言うことを聞かなければいい。暴力団や政府についても同じである。暴力団や宗教団体は国民を虐めて喜ばせることができるだけで、善いことをして喜ばせることはできない。今の国民みんなはマゾではないから、今の国民にとっては暴力団や宗教団体は自分を幸福にしないから暴力団や政府は要らない。だから、今の国民は暴力団や政府にお金をやらないようにして暴力団や政府の言うことを聞かなければいい。

[23544] 今の国民の多くは「政府が国民みんなに善いことをやって国民みんなを幸せにする会社だ」と勘違いをしている。☆ h30.2.12
今の国民みんなはマゾではない。今の国民みんなは“虐められる喜び”があることを知らない。
昔は国民みんなが政府の言うことを聞いて幸せに暮らしていた。昔は国民みんなが政府といっしょになかよくやって幸福に暮らしていた。
そのため、今の国民の多くは「政府が国民みんなに善いことをやって国民みんなを幸福にする会社だ」と思っている。だから、今の国民の多くは政府に言われるままに政府に税金を払っている。
しかし、本当は『政府は国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐める会社なのである。昔は国民みんながマゾだったから、政府が国民みんなを虐めて喜ばせていたのだ。マゾは自分が虐められて喜んでいるのが恥ずかしいから、政府は自分がはっきりと国民みんなに悪いことをやっているのを国民みんなにわからないようにしながら密[ひそ]かに国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐めている。今は国民みんながマゾではないから、政府に虐められて不幸に暮らしているのだ。』
本当は、『政府は今の国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にしている』のだ。政府ははっきりと自分が悪いことをやっているのがわからないように国民みんなに悪いことをやっているから、国民の多くは「政府以外の何者かが国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にしている」と思っているのだ。あるいは、「世界大戦で日本に恨[うら]みを持っているアジアの組織が日本人に悪いことをやって日本人みんなを不幸にしている」と思っている。あるいは、「今の日本が不景気だから国民みんなが不幸になっている」と思っているのだ。しかし、本当は政府が悪いことをやっている張本人なのだ。政府が国民みんなに悪いことをやって国民みんなを不幸にしているのだ。国民みんなを不幸にしている犯人は国民みんなの眼の前にいるのだ。(h30.2.15追加:今でも世界大戦のとき日本軍に家族を殺された者が日本人を恨んでいるかもしれない。しかし、昔は世界中のみんながマゾだった。戦争で殺された者もそんなに嫌な思いをしていなかった。むしろ喜んでいたかもしれない。だから、昔は戦争がやれたのだ。昔は殺す者も殺される者も両方が楽しかったから戦争をやっていたのだ。反対に、今はみんなが戦争をする喜びがなくなってマゾではなくなって殺す者も殺される者も両方とも嫌になったから戦争をしなくなったのだ。)
人間はみな平等だから、政府と国民は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。国民みんなで早く政府を倒して幸福にならねばならない。
昔は国民みんながマゾだったから政府に虐められて喜んでいた。昔は国民みんなが政府に虐められるために政府にたくさん税金を払っていた。昔の政府は国民みんなからたくさん税金をもらってお金持ちだったから、余ったお金で国民みんなに善いことをいろいろやってくれた。そのために、今でも国民の多くは政府に善いことをやってもらうために政府にお金をやっている。しかし、そもそも政府は国民みんなを虐める会社である。政府は善いことだけをやる会社ではない。政府は善いこともやるが悪いこともやる。政府は悪いことに比例して善いことをやる。昔の政府は国民みんなにいろいろ善いことをしてくれたが、その一方で国民みんなに悪いこともいっぱいやっていたのだ。今の国民みんなが政府にお金をやると、政府は国民みんなに善いことをいろいろやってくれるが、一方で国民みんなに悪いこともたくさんやる。今の国民みんなはマゾではないから政府が悪いことをするのに耐えられない。戦前の政府は悪いことをいっぱいやっていたので日本中にドス黒い雰囲気が漂[ただよ]っていた。だから、今の国民みんなは政府にお金をやってはいけない。政府を潰[つぶ]して、国民みんなに悪いことをしない法律会社や学校会社などにしてから、たくさんお金をやればいいのだ。

[23545] 政府はほかの会社といっしょになって善いことをやっているように見える。 h30.2.12
政府は隠れて国民みんなを虐める会社である。政府は自分が国民みんなに悪いことをやっているのがはっきりとわからないようにしながら国民みんなに悪いことをやっている。政府は“政府の言うことをなんでも聞く者”を使って勝手に事件を起こして国民を殺したり、「国民みんなのために善いことをやるためにはお金が要る」と嘘[うそ]をついて国民から高いお金を取ったり、「エッチのほうがハンサムになってお金持ちになる」と言って国民みんなに性欲を満足させて国民みんなを馬鹿に変えて不幸にしたりして、隠れて国民みんなを虐めている。普通の人は他人に善いことをするから、政府が他人に悪いことをするだけだから、他人に悪いことをするのは政府である。
今の国民みんなはマゾではないから、政府に隠れて悪いことをされて不幸にされている。
一方、ほかの会社は国民みんなに善いことをやって国民みんなを幸福にしている。
政府は悪いことをやっている。ほかの会社は善いことをやっている。政府がほかの会社といっしょになって善いことをやっているように見える。
そのために、今の国民の多くは政府をほかの会社とゴッチャにして「政府が善いことをする会社だ」と誤解している。
しかし、本当は『政府は悪いことをする会社である。』政府は隠れて国民みんなを虐めているから、政府が悪いことをしているのがわかりにくいが、よく見るとたしかに政府が悪いことをやっている。政府は昔のマゾの国民みんなが自分が虐められて喜ぶために建てた会社だから、悪いことをするのである。
『政府は悪いことをする会社である。』昔の国民みんなはマゾだったから政府に虐められて喜んでいた。しかし、今の国民みんなはマゾではないから政府に虐められて苦しんでいる。不愉快[ふゆかい]になっている。政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。だから、今の国民は政府の命令を聞くのをやめて政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならないのだ。

[23546] 今の国民の多くは頭でわからずに政府を倒している。 h30.2.12
今では政府が国民みんなから高い医療保険費や消費税を取っているから、かなりの国民が政府に税金を払っていないと考えられる。
多くの国民が政府に税金を払っていないが、はたしてそれらの国民は理由がわかっているのだろうか?国民はただ自分が政府に税金を払いたくないから払っていないだけではないだろうか?心のままにやっているだけではないだろうか?
多くの国民は自分の心のままにやっているだけだ。だから、他人に説明できないのだ。他人に政府のことが説明できないから、みんなが政府のことがわかるまでには至らずいつまでたっても政府が倒せないのだ。いまだに政府が生き残って国民みんなを虐めて不幸にしているのだ。
たとえ人間は頭でわかっていなくても心でわかることがある。昔の国民みんなは政府が好きだったから政府に税金を払っていた。反対に、今の国民の多くはなんとなく政府が嫌いだから政府に税金を払っていないのだ。今の子供がひとりでにガキ大将に虐められなくなったように、今の大人もひとりでに政府を倒しているのだ。
もしも、国民みんなが頭で政府のことがわかっていれば、昭和40年(1965年)ごろに国民みんながテレビを見て喜ぶようになって政府に虐[いじ]められるのがつまらなくなった頃に、誰かが政府について解説した本を書いて売ってみんなが政府のことを知って政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているはずだ。しかし、実際には今でも政府が残っているから、国民みんなは頭で政府のことがわかっていないのだ。実際に、私はこれまで一度もほかの人が『政府が国民みんなを虐める会社である』ことや『政府が国民と平等な、国民に悪いことをする会社である』ことを言っているのを見たことがない。私はこれまでマンガが政府のことをいろいろ喩[たと]えているのを読んだことがあるだけである。私は若い頃に政府のことを喩えた小説をいくつか読んだことがあるが、当時はまだ政府のことを書いてあるのがわからなかった。
私は頭で政府のことがわかっている。私は政府のことを言葉にして解説できる。だから、国民みんなは私の言葉を読めば政府のことがわかる。
人間はちゃんと頭でわかってから現実に実行しないといけない。人間の心は人間が子供を作ることによって強められてきた認識の傾向だから、必ずしも正しいとは限らない。人間が心に基づいて行動するとまちがいを犯す。だから、人間は頭でよく考えてから実行しないといけないのだ。

[23547] 国民の多くは「今の国民みんながマゾだ」と思っている。 h30.2.13
昔は国民みんながマゾだったので政府に虐[いじ]められて喜んでいた。
だから、今の国民の多くは「今の国民みんなもマゾだ」と思っている。今の国民の多くは「今の国民みんなは昔の国民みんなと同じようにマゾだから、政府に虐められて喜んでいる」と思っている。今の国民の多くは「政府は国民みんなを虐めるために事件を起こして国民を殺しているから、“虐められる喜び”は殺される苦しみよりも強いから、“虐められる喜び”はすごい喜びだから、今でも国民みんなは“虐められる喜び”を満足して幸福になるために自分のほうから喜んで政府に悪いことをされている。」と思っている。
例えば、NHKは「今の国民みんながマゾだ」と思っている。だから、NHKは今でも面白くない番組ばかり作っているのだ。「今の国民みんながマゾだ」と思っている会社は政府と協力して国民みんなを虐めている。「今の国民みんながマゾだ」と思っている会社は今の国民みんなを幸福にするために政府の言うことを聞いて国民みんなを虐めている。テレビ局が政府が悪いことをやっているのを隠しているのは、「今の国民みんながマゾだ」と思っているために政府と協力して国民みんなを虐めているためかもしれない。
しかし、本当は『今の国民みんなはマゾではない。』そもそも“虐められる喜び”は大した喜びではない。“虐められる喜び”は弱い喜びである。人間は自然選択によって“虐められる喜び”がある。大昔の人は苛酷[かこく]な環境で生きていたので“虐められる喜び”のある者がない者よりも多く生き残って子供を作ったので“虐められる喜び”が強くなってみんなに“虐められる喜び”があるのである。しかし、人間が“虐められる喜び”が強すぎると自分のほうから悪いことをされるようになって自然に背[そむ]くようになって自然に適応できなくなって死ぬから、子供を残せなくなるから、“虐められる喜び”はあまり強くはない。昔は文明が低くてみんなが食べることと虐められることしか面白いことがなかったから、みんなが喜んで政府に虐められていた。しかし、今は文明が高くてみんながいろんな面白いことがあるから、虐められることよりも面白いことがいっぱいあるから、虐められることがつまらないから、みんなが政府に虐められなくなっている。だから、“虐められる喜び”は弱いのだ。人間がテレビを見たりゲームをやったりすることよりも弱いのだ。実際に、今の人は実感として虐められることが面白くない。だから、今の国民みんなはマゾではないのだ。
たしかに大昔の原始時代の人間は“虐められる喜び”がそこそこ強かった。当時の環境は苛酷そのものだったからそんな環境で人間が生き残るためには“虐められる喜び”が強いほうが有利だったからだ。みんなが“虐められる喜び”が強かったために、みんなが政府に厳しく虐められていたので、政府がはっきりとみんなを虐めていたのだ。つまり、政府が厳しくみんなを虐めるためにみんなの眼の前でみんなを殺したり鞭[むち]を打ったりしてみんなにわかるようにみんなを虐めていたのだ。しかし、古代になって文明が進歩して人間が農耕生活をするようになると環境がよくなって人間が“虐められる喜び”が弱いほうが有利に生き残れるようになった。古代になって政府が国民みんなに隠れて国民みんなを虐めるようになったのは、政府が国民みんなをあまり強く虐めなくなったのは、国民みんなが虐められることが恥ずかしくなったからではなくて、そもそも“虐められる喜び”が弱くなったからである。文明が進んで人間の環境がよくなると“虐められる喜び”が弱いほうが有利に生き残れるので自然選択によって“虐められる喜び”が弱くなったのである。そのために、政府は国民みんなをあまり強く虐めなくなって政府が国民みんなを虐めていることがはっきりわからない程度に微[かす]かに国民みんなを虐めるようになったのである。今ではさらに文明が進んで環境がよくなっているから、今ではさらに“虐められる喜び”が弱いほうが人間が有利に生き残れるから、今の人間にはほとんどまったく“虐められる喜び”がない。だから、今では政府が国民みんなを虐めなければいいのである。
「今の国民みんながマゾだ」と思っている人はまちがっている。政府については誤解していないが国民みんなについては誤解している。そもそも今の人は実感として自分が虐められることが面白くない。だから、口先だけで心にもないことを言ってはいけない。本当は『今の国民みんなはマゾではない。』政府は国民みんなを虐める会社である。今の国民みんなにとっては政府は要らない。国民と政府は平等だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
本当は『今の国民みんなはマゾではない。』だから、会社は『今の国民みんながマゾではない』と考えて、国民みんなを虐める政府に協力してはいけない。会社は政府の言うことを聞いて国民みんなを虐めてはいけない。
実際には、今ではすでにみんなが“虐められる喜び”がなくなって政府が要らなくなって政府が滅んでいる。今では国民の多くが「政府に権力がある」とか「政府が善いことをする会社だ」とか「今の国民みんながマゾだ」と誤解しているために国民の多くが政府にお金をやって政府が生き残っているだけである。実在の世界では政府は滅ぶ準備がとっくの昔にできているが、国民の多くの誤解のために今でも政府が生き残っている。国民みんなは早くみんなに正しいことを教えて国民の多くの誤解を直して政府を倒さねばならない。

[23548] どうしてみんなは国家宗教をやるのか? h30.2.13
国家宗教は人間が神を拝[おが]む遊びである。
昔のヨーロッパ人は神を拝むのが好きだったから神を拝んでいた。日本人もヨーロッパ人を真似[まね]て神を拝んでいた。
昔は文明が低くて昔の人にとっては食べることや虐められることや神を拝むことしか面白いことがなかったから、昔の人は一生懸命に神を拝んで幸せになっていた。昔のヨーロッパ政府は立派な教会を建てて国民みんなが神を拝んで幸せになるようにしてくれたのである。
しかし、今では文明が高くなって今の人にとってはいろんな面白いことがあるから、神を拝むことよりも面白いことがいっぱいあるから、神を拝むことがつまらなくなっている。そのために、今の人は神を拝まなくなっている。本場のヨーロッパ人も神を拝むことがつまらなくなって神を拝まなくなっている。ヨーロッパ人が戦争をしなくなったのと同じことである。
今ではみんなにとって神を拝むことが面白くなくなっている。だから、今ではみんなは国家宗教をしないほうがいい。今のヨーロッパではみんなが神を拝まなくなって教会が要らなくなって教会を潰[つぶ]している。今の日本でもみんなが神を拝まなくなって神社やお宮やお寺を潰している。日本人はもともと自然を拝むのが好きであって神を拝むのが好きではないから神を拝まなければいいのである。今では世界中のみんなが神を拝むのが嫌になって神を拝まなくなっている。
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。今では世界中のみんなにとって神を拝むことは嫌である。だから、今の政府はみんなを虐めるためにみんなに国家宗教をやらせるのだ。今の政府はみんなを嫌がらせるためにみんなに神を拝ませるのだ。昔の政府はみんなを喜ばせるために国家宗教をやったが、反対に今の政府はみんなを嫌がらせるために国家宗教をやっている。しかし、今のみんなはマゾではない。今のみんなは政府に虐められるのが嫌だ。だから、みんなは政府の言うことを聞かないようにして国家宗教をやらなければいいのだ。政府はみんなを虐めるために私や天皇を国家宗教の神にして私や天皇に似た人物をマンガやテレビ番組や映画などに登場させてみんながマンガやテレビや映画を見ながら神を拝めるようにしている。今の世界中のみんなは神を拝むのが嫌だから、マンガ会社やテレビ会社や映画会社は政府の言うことを聞かず私や天皇に似た人物をマンガやテレビ番組や映画に登場させなければいいのである。みんなは私や天皇に似た人物が出るマンガやテレビ番組や映画を見なければいいのである。

[23549] どうして人間は性欲を隠して満足するのか? h30.2.13
人間には性欲がある。
これまでは性欲がある人間のほうがない人間よりも多く生き残って子供を作ってきたから、自然選択によって性欲が強められてきたからみんなに性欲がある。
大昔の人間は苛酷[かこく]な環境で生きていたから性欲が強いほうが生き残って子供を作りやすかったのでみんなが性欲が強かった。そのため、みんなは性欲を抑えきれずに人前で堂々と裸でエッチなことをしていた。
しかし、文明が進むと環境がよくなって性欲があまり強くないほうが生き残って子供を作りやすくなった。人間が性欲を満足すると大脳の古皮質が働いて新皮質が働かなくなって馬鹿になる。文明が進むと人間がだんだん頭を使って生きていかねばならなくなって性欲を満足してはいけなくなって性欲が弱い人間のほうが生き残りやすくなってみんなが性欲が弱くなったのだ。そのために、みんながはっきりとわからないように性欲を満足するようになったのだ。みんなが隠して性欲を満足するようになったのだ。つまり、文明が進むとみんなが隠して性欲を満足するようになったのは、みんなが性欲を満足するのが恥ずかしくなったからではなく、性欲そのものが弱くなったからである。文明が進むとみんなが隠して虐[いじ]められるようになったのと同じことである。ただし、政府のような虐める仕事は頭を使わなくてもできるので、政治家には馬鹿が多くて性欲が強い者が多いのだ。
今ではさらに文明が進んで環境がよくなっている。今ではみんながすごく頭を使って暮らさねばならない。そういう環境では性欲がない人間のほうが生き残りやすい。今ではみんなが性欲を満足して馬鹿になっている余裕がない。だから、今ではみんなが性欲がないのだ。しかし、それでは子供を残せない。だから、今ではみんながいやいやしかたなく性欲を満足しないようにしながら性交をするようになっているのだ。今ではみんなが隠して性欲を満足するのを超えて性欲を満足せずに子供を作るために性交だけするようになっているのだ。
反対に、大昔の原始時代の悪い環境では人間が頭を使わずに生きていたから人間が馬鹿でも生きていけたから単純に性欲が強いほうが性交して子供を残せるのでみんなが性欲が強かったのだ。性欲が強いほうが異性を奪う戦いに勝って子供を残せるからみんなが性欲が強かったのだ。
将来は、人間が人工的に人間を作れるようになって、みんなが性交しなくなっている。みんなが性欲がなくなっている。
幸福は感情の総和である。性欲だけについてみれば原始人のほうが現代人よりも性欲を満足できるので幸せだが、心全体についてみれば現代人のほうが原始人よりも満足できる感情が多いので幸福である。人間は性欲を捨ててほかの感情を満足したから幸福に暮らせるのだ。人間は自分が幸福になるために性欲を捨てたのだ。

[23550] どうして政府は国民を殺すのか? h30.2.13
古代以降の国民みんなは“虐[いじ]められる喜び”が弱い。そのために、古代以降の政府は弱く国民みんなを虐める。
昔の政府はときどき事件を起こして国民を殺していたが、昔の人にとってはそれぐらい軽い虐めのほうだったのだ。昔の政府は国民みんなを虐めて喜ばせるために国民を殺していたのである。昔は病気や天災で大勢の人が死んでいたから、昔の人は人殺しの感覚が麻痺していたから、政府がときどき人殺しをするぐらいなんでもなかったのだ。だから、昔の人は政府が国民を殺しているのを知っていても政府を許していたのだ。黙認していたのだ。大昔の豪族の虐めは想像を絶するほどだったのだろう。(ヨーロッパでもモーゼが神の時代には政府が国民みんなを過激に虐めていた。だから、文明が進んで国民みんなの環境がよくなって国民みんなが“虐められる喜び”が弱くなると、政府が虐め方を変えて国民みんなを弱く虐めるようになって神をキリストに変えたのだ。h30.2.17追加:昔の人にとっては喜びがほとんどなかったので、“虐められる喜び”が喜びであるぐらいほかに喜びがなかったので、苦しみが多くて楽しみが少なくて生きていてもしかたがないと思っていたので、政府に殺されることをなんとも思っていなかったのだ。むしろ政府に殺されて虐めてもらうのがうれしかったのだ。しかし、今はみんなが喜びがいっぱいあるので、死ぬのが嫌だから、政府に殺されるのが嫌だろう。)
今でも政府は事件を起こして国民を殺している。政府は国民みんなを軽く虐めるために“政府の言うことをなんでも聞く者”を使ってみんなに政府が悪いことをしているのがわからないようにしながら事件を起こして国民を殺している。大昔の豪族は厳しく国民みんなを虐めるために国民みんなの眼の前で国民みんなに見せつけながら国民を殺していたのだろう。
今の政府は人殺し以外にも国民から高い税金を取ったり民主主義や国家宗教や身分制などをやっている。今の国民は政府に殺されるのが嫌である。政府に高い税金を取られるのが嫌である。政府につまらない民主主義や国家宗教や身分制をやられるのが嫌である。今の国民は政府に高い税金を取られるのが嫌だからプラカードを持って抗議したりするのである。政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞いて政府に税金を払うか政府の命令を聞かず政府に税金を払わないかは国民の自由である。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめている。昔は文明が遅れていて環境が悪くて、昔の国民みんなは“虐められる喜び”がかなりあったので、昔の国民は自分の“虐められる喜び”を満足して快感を得るために自分のほうから喜んで政府の言うことを聞いて政府に税金を払っていた。しかし、今では文明が進んで環境がよくなって、今の国民みんなは“虐められる喜び”がほとんどなくなって、今の国民みんなにとっては政府が国民に命令して国民を脅[おど]して国民から税金を取ることでさえ十分苦痛だと思われるようになったので政府に税金を払うのをやめたのである。政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府はハイサヨウナラというわけである。

[23551] 政府は税金を取っている。だから、政府は善いことをする会社ではない。 h30.2.13
政府が国民みんなのために善いことをする団体なら国民一人一人と契約を取ってお金をもらって仕事をするはずである。
しかし、実際には政府はそうしていない。実際には政府は国民に命令して国民から税金を取っている。つまり、政府は国民を脅[おど]してお金を強盗している。だから、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める団体なのである。
政府は税金を取る以外にも、いろんな悪いことをやって国民みんなを虐めている。政府は“政府の言うことをなんでも聞く者”を使って事件を起こして国民を殺したり、国民みんなが嫌がる服にしたり食べ物にしたり家にしたりする。政府は法律会社や学校会社などを使って、国民みんなが嫌な法律や政策をやったり子供が嫌がる教育をやったりする。政府は水道会社を使って不味[まず]い水にしたりする。
政府は国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐める団体である。もっとも、政府と国民は平等である。だから、国民は政府が嫌なら政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]せばいい。
昔は国民みんながマゾだったから、国民みんなが政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。
反対に、今は国民みんながマゾではないから、国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰している。
政府はだんだん潰れて行っている。将来、政府がなくなって、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などが建って、みんなが幸福に暮らせるようになるだろう。
今では国民みんなはマゾではないが、政府は国民みんなを虐める会社のままである。政府が国民みんなに合わせてくれないなら、国民みんなが政府を国民みんなに合わせればいい。国民みんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰して、国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などにすればいい。

[23552] どうして売春宿は料亭のふりをしているか?☆ h30.2.14
売春宿が料亭のふりをしているのは、本来人間にとって性欲は満足してはいけないからである。人間は頭を使って生きていかねばならないから、性欲を満足すると大脳の古皮質が働いて新皮質が働かなくなって馬鹿になるから、性欲を満足してはいけない。しかし、人間は自分が喜びを得るためにやむをえず性欲を満足する。売春宿はみんなに『本来人間は性欲を満足してはいけない』ことを教えるために料亭のふりをしているのだ。
それと同じように、政府が法律会社や学校会社などのふりをしているのは、本来人間にとって“虐[いじ]められる喜び”は満足してはいけないからである。人間は善いことをしてもらって喜ばねばならないから、悪いことをされて喜ぶと実在に適応できなくなるから、“虐められる喜び”を満足してはいけない。しかし、人間は自分が喜びを得るためにしかたなく“虐められる喜び”を満足する。政府はみんなに『本来人間は“虐められる喜び”を満足してはいけない』ことを教えるために法律会社や学校会社などをやっているのだ。(“羊頭狗肉[ようとうくにく]”とは店が客を騙[だま]すためにヒツジの看板を挙[あ]げて客にイヌの肉を食わせることではない。実際には、イヌの肉とヒツジの肉は味が違うから店が客を騙すことはできない。本当は、客が食べてはいけないイヌの肉を食べるために店がヒツジの看板を挙げることである。(トラの威を借るキツネも実際にはできない。キツネがトラに話をして「俺[おれ]の後ろについて来い」などと言うわけがない。だから、トラの威を借るキツネの話はただの作り話であって、政府の喩[たと]え話ではないのである。したがって、民主主義は政府が国民を騙して自分の言いなりにすることではない。民主主義は国民が国民みんなを拝む遊びにすぎない。バカバカしい祭りにすぎない。)同じように、政府が法律会社や学校会社をやっているのは、政府が国民を騙して儲けるためではなく、国民が本来は政府に虐められてはいけないのに政府に虐めてもらうためである。大昔は“虐められる喜び”が解禁だったから、大昔は環境が悪かったためにみんなが大手を振って“虐められる喜び”を満足してもよかったから、政府は堂々と「国民みんなを虐める店」の看板を出して国民みんなを虐めていたのだ。昔になって文明が進んで環境がよくなって“虐められる喜び”が半[なか]ば禁止されてみんなはオープンに“虐められる喜び”が満足できなくなったので、みんなは政府に法律会社や学校会社などで隠してもらいながら虐められるようになったのだ。さらに、今は文明が進歩して環境がますますよくなって“虐められる喜び”が完全に禁止されてみんなが“虐められる喜び”が完全に満足できなくなったので、みんなは政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]しているのだ。大昔は“虐められる喜び”が解禁だった。昔は“虐められる喜び”が半ば禁止だった。今では“虐められる喜び”が完全に禁止である。昔の“虐められる喜び”が半ば禁止されていた2000年の時間も宇宙の歴史から見ればほんの一瞬である。2000年の時間をかけて“虐められる喜び”が満足していい喜びから満足してはいけない喜びになったのだ。)
つまり、政府が法律会社や学校会社のふりをしているのは国民みんなが“虐められる喜び”を満足するのが恥ずかしいからではなく、本来人間にとっては“虐められる喜び”を満足してはいけないからである。人間は自分が喜びを得るためにしかたなく“虐められる喜び”を満足するのだ。“虐められる喜び”は人間にとって必要悪なのである。“虐められる喜び”は悪い喜びなのである。
昔は文明が遅れていて面白いことがほとんどなくて人間が喜びに飢えていたからやむを得ず“虐められる喜び”を満足していた。
しかし、今では文明が進んでいろんな面白いことがいっぱいあって人間には十分喜びがある。今では“虐められる喜び”を満足する必要がない。だから、今ではみんなが“虐められる喜び”を満足しなくなっている。政府は国民みんなを虐める会社であり、国民みんなが自分の“虐められる喜び”を満足するためにある。そのため、今ではみんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。政府は法律会社や学校会社などのふりをする必要がなくなって、法律会社や学校会社などを政府から独立させている。法律会社や学校会社などは国民みんなを虐めなくなっている。
売春宿の本業は売春であって料理を出すことではない。それと同じように、政府の本業は国民みんなを虐めることであって、法律の仕事をやったり学校の仕事をやったりすることではない。政府は国民みんなに隠しながら国民みんなを虐めるために法律や学校などの仕事をやっているのだ。副業をやっているのだ。“虐められる喜び”は本来人間が満足してはいけない喜びであるために、国民みんなを虐める会社が堂々と名乗れないために「法律や学校などのことをやる会社」の看板を出しているだけである。政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしているだけで、本当は国民みんなを虐める会社である。政府はいろんな分野でみんなを虐めている。今の国民みんなはマゾではないから、政府が要らないから政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのだ。

[23553] 国民みんなの“虐[いじ]められる喜び”が政府を作った。 h30.2.14
政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。
人間の“虐められる喜び”が政府を作った。人間に“虐められる喜び”がなくなると政府がなくなる。
昔は文明が遅れていて環境が悪かったから、人間に“虐められる喜び”があるほうが多く生き残れたから、人間に“虐められる喜び”があった。そのために、国民みんなが政府に虐められていた。政府は国民みんなから税金を脅[おど]し取ってすごく儲[もう]かっていた。
しかし、今は文明が進んで環境がよくなっているから、人間に“虐められる喜び”がないほうが多く生き残れるから、人間に“虐められる喜び”がなくなっている。そのために、国民みんなが政府に虐められなくなっている。政府は国民みんなから税金を脅し取れなくなってお金がなくなって潰[つぶ]れている。

[23554] 政府は国民みんなを虐[いじ]めるために儲[もう]からない会社をやっている。 h30.2.14
昔は田舎[いなか]の鉄道はすべて赤字ローカル線だった。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなから余計なお金を取るために赤字ローカル線を走らせていた。政府は国民みんなを虐めるために赤字ローカル線を利用していた。赤字ローカル線は政府が国民みんなを虐めるための道具だった。国民みんなは涙目で赤字ローカル線が走っているのを見ていた。
昔は国民みんながマゾだったから、政府に虐められるのが好きだったから、政府に高いお金を払って赤字ローカル線を走らせていた。
しかし、今は国民みんながマゾではないから、政府に虐められるのが嫌になったから、政府にお金をやらなくなって赤字ローカル線を走らせなくなった。
だから、今では鉄道会社が政府から分かれて、田舎の鉄道が合理化されてトントンで走っているのである。
つまり、鉄道会社が民営化されたのは、国民みんながマイカーに乗るようになったからではなく、国民みんなが政府に税金を払わなくなったからである。
今では国民みんなが政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなっている。政府のことや国民みんなのことを誤解している者が政府の言うことを聞いて政府に税金を払っているだけである。
早くみんなが正しいことを知って政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を倒さねばならない。政府のことや国民みんなのことを誤解している人は自分の誤解に基づいてまちがった社会を作ろうとしている。みんなが幸福にならない社会を作ろうとしている。それは危険だ。みんなは正しいことを理解してみんなが幸福になる社会を作らねばならない。
政府は国民みんなを虐めるために儲からない会社をたくさんやっている。しかし、今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府はお金の余裕がなくなっている。そのため、今では政府は儲からない会社をどんどん政府と分かれさせて儲からない会社をやらなくなっている。

[23555] 政府は国民から税金を取るいいわけのために法律や学校などの仕事をやっている。 h30.2.15
大昔(古代以前)は文明がすごく遅れていて環境がすごく悪くて人間が“虐[いじ]められる喜び”を満足したほうが幸福に暮らせていたために“虐められる喜び”が満足してもいい喜びだった。
そのために、みんなは“虐められる喜び”を公[おおやけ]に満足していた。
政府はみんなが見ている前でみんなに“虐められる喜び”を満足させていた。政府は堂々とみんなを虐める団体をやって、無言でみんなから物を奪ったり、みんなの眼の前でみんなを殴[なぐ]ったり蹴[け]ったり殺したりしてみんなを虐めていた。
昔(古代以降)になって文明がすこし進んで環境が少しよくなって人間が“虐められる喜び”をあまり満足しないほうが幸福に暮らせるようになったために“虐められる喜び”が半[なか]ば満足してはいけない喜びになった。
そのために、みんなは隠れて“虐められる喜び”を満足するようになった。未成年者が隠れて酒を飲むのと同じである。
政府はみんなに隠れてみんなに“虐められる喜び”を満足させるようになった。未成年者に隠れて酒を売る酒屋と同じである。文明が進むと“虐められる喜び”が半ば満足してはいけない喜びになったので、政府は公然と国民みんなの前で虐める団体がやれなくなったので、法律会社や学校会社などを建てて善いことをする団体のふりをして隠れて国民みんなを虐めなければならなくなったのだ。政府は「法律や学校などの仕事をするため」と言って高い税金を取ったり、偶然の事故に見せかけて国民を殺したり、政府がやったことがわからないように国民みんなの好きな物をなくして嫌いな物を増やして国民みんなに嫌な暮らしをさせて国民みんなを虐めるようになった。みんなは政府と共同して“虐められる喜び”を満足していたのだ。昔の人には“虐められる喜び”があったから昔の人は“虐められる喜び”の目で物を見るから、昔の人は政府がいくら隠れて国民みんなを虐めていても政府が国民みんなを虐めていることがちゃんとわかっていたのだ。(反対に、今の人には“虐められる喜び”がないから“虐められる喜び”の目で物が見れないから、今の人は政府が隠れて国民みんなを虐めているために政府が国民みんなを虐めていることがわかりにくいのだ。)
しかし、今(戦後)ではさらに文明が進んで環境がよくなって人間が“虐められる喜び”を満足しないほうが幸福に暮らせるようになったために“虐められる喜び”が完全に満足してはいけない喜びになった。
そのために、みんなは“虐められる喜び”をまったく満足しなくなった。政府はみんなを虐める団体なので、みんなは政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。政府が法律や学校などの仕事をしなくなって、ほかの会社が法律や学校などの仕事をするようになりつつある。

[23556] 今の宗教団体はどうやって儲[もう]けているか? h30.2.15
昔はみんながマゾだったから、みんなが宗教団体にそこそこきつく虐[いじ]められて喜んでいた。
しかし、今はみんながマゾではない。そのため、今では多くの者が「宗教団体は善いことをしてみんなを幸せにする団体だ」と思っている。
だから、今の宗教団体は客からお金をもらって、客に空缶[あきかん]拾いをさせたり中古のラジオを集めさせたりパンフレットを配らせたりして軽い作業をさせて虐めるだけである。
今の宗教団体は客を軽く虐めることによって客に宗教団体が客を虐めていることがわからないようにしているのである。
つまり、今の宗教団体は客の宗教団体に対する誤解で儲けているだけだ。
しかし、本当は宗教団体は客を虐める団体である。宗教団体は客に悪いことをするだけで善いことをしない。今ではみんながマゾではないから、宗教団体の客になっても喜べない。宗教団体の客になっても軽く嫌な思いをするだけである。みんなが宗教団体の客になってもお金の無駄[むだ]である。だから、今ではみんなが宗教団体の客にならなくなって宗教団体にお金をやらなくなって宗教団体が潰[つぶ]れているのである。
会社はみんなに合わせてコロコロ仕事を変えられない。だから、今ではみんながマゾではないのに、今でも宗教団体は客を虐める仕事をしているのだ。宗教団体はなるべく自分の仕事を変えたくないから宗教団体を続けているのだ。宗教団体は客を虐めるだけの楽な仕事だから仕事を変えたくないのだ。政府もみんなに合わせて自分の仕事を変えられない。政府もなるべく自分の仕事を変えたくないから政府を続けている。政府は国民みんなを虐めるだけの楽な仕事だから仕事を変えたがらないのだ。政府はテキトウにみんなに悪いことをすればいいだけだから仕事を変えるのが嫌なのだ。しかも、政府は宗教団体と違う方法で客を虐める。政府は昔と同じように厳しく国民みんなを虐める。これでは今のみんなはたまらない。だから、今のみんなは自分が政府に虐められないようにするために政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのだ。

[23557] 今の政府はどうやってみんなに悪いことをしているか? h30.2.15
今では国民のほとんどが『今のみんなはマゾではない』ことや『政府は国民と平等な隠れて国民を虐める団体である』ことがわかって政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
しかし、今でもそこそこ多くの国民は「政府に権力がある」「政府は善いことをする団体である」「今のみんなはマゾである」と思って政府の言うことを聞いている。政府に税金を払って政府を生き残らせている。
政府は今でも“政府やみんなのことを誤解している者”を使っていろんな悪いことをさせてみんなを虐めている。人殺しをさせたり、税金の天引きをさせたり、みんなが好きな物をなくしてみんなが嫌いな物を作らせたりしてみんなを虐めている。今ではみんながマゾではないから、みんなが政府に虐められて嫌な思いをしている。
今の政府は今の宗教団体と違って今のみんながマゾでないことを考慮せずに昔と同じようにみんなを虐めているのだ。
そのため、今の国民のほとんどはみんなに「政府に権力はない(権力は架空の概念にすぎない)」「政府は悪いことをする団体である」「今のみんなはマゾではない」などの正しい考えを広めて“政府やみんなのことを誤解している者”をなくして政府を倒そうとしているのだ。

[23558] お酒を飲む喜び h30.2.15
人間はお酒を飲むと気持ちがよくなるが、そのかわり頭が働かなくなる。
大昔は文明が遅れていたのでみんなが頭を使わずに暮らしていてみんなが馬鹿でよかったから、みんなが大酒を飲んでいた。
昔は文明が少し進歩してみんなが少し頭を使わねばならなくなったから、みんながお酒を控えめに飲むようになった。
今では文明がさらに進歩してみんなが頭ばっかり使わねばならなくなったから、みんながお酒を飲まなくなった。
文明が進むと人間がお酒を飲めなくなる。“お酒を飲む喜び”が満足できなくなる。文明が進むと酒屋や飲み屋が儲[もう]からなくなる。酒屋や飲み屋が潰[つぶ]れてなくなる。

[23559] マンガを読む喜び h30.2.15
人間はマンガを読むと楽しくなるが、そのかわり正しいことがわからなくなる。マンガは面白いことばかり書いていて正しいことが書いていないから、マンガを読むと頭の中がまちがいだらけになる。
昔は文明が遅れていてみんなが科学をやらなかったのでみんなが正しいことを知らなくてもよかったので、みんながマンガをたくさん読んでいた。
しかし、今は文明が進んでみんなが科学をやるようになってみんなが正しいことを知らなければならなくなったので、みんながマンガを読めなくなった。
文明が進むと人間は“マンガを読む喜び”が満足できなくなる。文明が進むとマンガ屋が儲[もう]からなくなる。文明が進むとマンガ屋が潰[つぶ]れてなくなる。
文明が進むと人間が頭を使って暮らすようになって人間が実在に適応して暮らすようになって人間が幸福に暮らせるようになる。そのかわり、人間が頭で正しく考えるのを妨げるお酒やマンガをやってはいけなくなる。人間は自分が幸福に暮らすのと引き替えにお酒やマンガを捨てたのだ。実際に、世の中はそれぐらい厳しいのだ。今では文明が進んで国民の生活が便利で快適になっているが、そのかわり国民がやってはいけないことが多くなって国民の生活が厳しくなっているのだ。
文明が進むと人間が実在に適応して暮らすようになって人間が幸福に暮らせるようになる。そのかわり、人間が実在に適応するのを妨げる“虐められる喜び”や性欲を満足してはいけなくなる。人間は自分が幸福に暮らすために“虐められる喜び”や性欲を捨てたのだ。
人間は正しいことの中で実在の中で楽しいことをやって幸福に暮らせばいいのだ。政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足する団体である。しかし、今の国民みんなは“虐められる喜び”を満足しなくなっているから政府が要らないから政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのだ。昔はみんながろくな食べ物がなくて食べる喜びなんかなかった。昔の人には“虐められる喜び”しかなかった。だから、みんなが政府にありったけお金を取られて政府はすごく儲[もう]かった。しかし、今はいろんな面白い物があるから虐められることがつまらなくなってみんなが政府にお金を取られなくなって政府が儲からなくなって潰れているのだ。
私は小学1年生の頃におじいさんの家に泊まりに行ったときに、おじいさんが「マンガは冒険王しか読んではいけない」と言って冒険王を買ってくれたが、私は冒険王に載っていた『21エモン』のゴンスケの眼が十字に割れているのが恐くてそれ以後マンガ雑誌を読まなくなった。私が小学5年生になってから週刊少年サンデー(当時は130円)をしばらく読んでいた。中学生になるとマンガをぜんぜん読まなくなった。だから、私はあまりまちがいを知らないのだ。
マンガは人間にまちがいを教えて人間を馬鹿に変える読み物である。人間がマンガを読んでヘンテコな考えを帯びてしまったら人間はおしまいである。その後の人生はメチャメチャである。だから、マンガは読まないほうがいい。大人は子供にマンガを読んではいけないことを教えてやらねばならない。

[23560] 『スタートレック(宇宙大作戦)』 h30.2.15
「神との対決」は、民主主義が政府が権力を得るための方法ではなく、国民が国民みんなを拝[おが]む遊びにすぎない。民主主義は中国人のバカバカしいお祭りにすぎないということである。
「タロス星の幻怪人」は、政府が表では善いことをする会社だが、裏では悪いことをする会社だと言うことである。“虐[いじ]められる喜び”は古代から後は人間が半[なか]ば満足してはいけない喜びになったので、政府は法律や学校などの仕事をやって善いことをする会社のふりをしながら隠れて国民みんなに悪いことをして国民みんなの“虐められる喜び”を満足するようになったのである。しかし、今では国民みんなが“虐められる喜び”を満足しなくなったので、国民みんなが政府が要らなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
それと、惑星連邦の警察のおっさんが出てきてスポックが軍事法規を破ったとして死刑の判決をされるが、最後には警察のおっさんが幻覚にすぎないことになってスポックが無罪になっている。これは、政府の警察が本物の警察ではなく、国民みんなを虐めるためのニセモノの警察であることを言っている。だから、国民は法律を犯して政府の警察に捕まっても、自分が政府の警察に罰せられたくなければ判決を無視して罰せられなくていいのである。釈放されて社会の中で暮らせるのだ。
「恒星ミナラの生体実験」は、政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めているが、国民みんなは“虐められる喜び”を満足して喜んでいると言うことである。こんな番組をテレビでやれるアメリカはすごい国だ。もっとも、それは戦前までの話であって、戦後はみんなが“虐められる喜び”がなくなったから、政府に虐められてもうれしくない。だから、今はみんなが政府が邪魔[じゃま]になって政府を倒しているのだ。
『スタートレック(宇宙大作戦)』は、政府をネタにした優れたテレビ番組である。政府のことがかなり深いところまで書けている。ただ、回によってはかなりわけがわからない話もある。政府以外のことも書いているのだろう。自分でよく考えてから見ないと意味がわからない。
h30.2.28追加:『スタートレックボイジャー』の「超進化惑星の煌[きらめ]き」は、政府は昔からみんなに悪いことをしてみんなを虐めている(ボイジャーが来てから惑星に地震が起き出した)が、政府は昔と同じことをやっているのに国民みんなが進化してマゾではなくなったので(星の時間に比べてボイジャーの中では時間が止まっている)、今では国民みんなが政府が要らなくなって政府を潰[つぶ]している(惑星の人の力によってボイジャーが離脱させてもらった)。

[23561] 要するに、今の国民みんなは政府が要らなくなって政府を倒している。 h30.2.16
人間には“虐[いじ]められる喜び”がある。しかし、“虐められる喜び”は人間の実在への適応を妨げる悪い喜びである。人間にとって“虐められる喜び”は本来満足してはいけない喜びである。
そのために、政府は隠して国民みんなを虐めている。政府は表では法律や学校などの仕事をやって、裏では国民みんなを虐める仕事をやっている。要するに、政府は国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐める会社である。政府は国民に命令して税金を強盗して、国民にいろんな悪いことをして国民を虐める。
昔は文明が遅れていて環境が悪くて人間が“虐められる喜び”があったほうが多く生き残ったので、国民みんながマゾだったので、政府が必要だったので政府の言うことを聞いて政府に税金を払って政府に虐められて喜んでいた。
しかし、今は文明が進んで環境がよくなって人間が“虐められる喜び”がないほうが多く生き残るので、国民みんながマゾではないので、政府が要らなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。ほかの会社が法律や学校などの仕事をやるようになりつつある。

[23562] 国民みんなを虐[いじ]める会社が「法律や学校などの仕事をする会社」の真似[まね]をやっている。 h30.2.16
“虐められる喜び”は本来人間が満足してはいけない喜びであるために、政府は自分が国民みんなを虐める会社であることがみんなに言えないために「法律や学校などのことをやる会社」の看板を出している。政府は「法律や学校などの仕事をやる会社」の看板を出しているために法律会社や学校会社などの真似[まね]をしているが、本当は国民みんなを虐める仕事をやっている。国民みんなを虐める会社が「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしているだけである。
政府は国民みんなを虐めるために、国民みんなに命令して高い税金を強盗している。政府は国民から取った税金で殺し屋を雇[やと]って事件を起こして国民を殺している。政府は国民から取った税金でいろんな会社に命令して悪いことをさせて国民みんなの好きなことをなくして嫌いなことを増やしている。政府は国民から取った税金でテレビ会社に命令して政府の正体を隠させて政府が悪いことをやっているのを放送させないようにしている。
昔は国民みんながマゾだったから、政府の言うことを聞いて政府に税金を払っていた。政府は国民みんなから取った税金でいろんな悪いことをやって国民みんなを虐めていた。国民みんなは政府に虐められて喜んでいた。
しかし、今は国民みんながマゾではないから、政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなった。政府はお金がなくなって悪いことができなくなってみんなを虐められなくなっている。国民みんなは政府に虐められなくなって喜んでいる。
政府はお金がなくなって潰[つぶ]れている。ほかの会社が法律や学校などの仕事をやるようになりつつある。
今の国民みんなが政府に税金をやらなくなって政府があまり悪いことがやれなくなっているから、今の国民みんなはあまり政府に虐められている気がしないのである。今の国民みんなが政府に税金を払っているままだったら、政府がたくさん悪いことをして国民みんなが政府に虐められてたくさん嫌な思いをしているはずである。だから、今の国民みんなは政府に税金をやらないようにして政府に悪いことをさせないようにしないといけない。政府を潰してほかの会社に法律や学校などの仕事をさせないといけない。
そもそも政府が悪いことをやっているのは「悪いことをやるほうが有利」だからではなくて、『マゾである国民を喜ばせるため』である。しかし、今の国民みんなはマゾではない。だから、今の国民みんなは今は政府が国民みんなを虐めなくてもいいと思って政府にお金をやるのをやめたのである。

[23563] どうして世の中には政府について本を書く人がいないのか? h30.2.16
政府は「法律や学校などのことをやっている会社」のふりをしている国民みんなを虐める会社である。要するに、政府は国民みんなにいろんな悪いことをやって国民みんなを虐める会社である。政府は法律や学校などの仕事をちょっとやっているだけである。
しかし、今の国民みんなはマゾではない。だから、今の国民みんなにとっては政府は要らない。国民と政府は平等である。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。政府が潰[つぶ]れて、ほかの会社が法律や学校などの仕事をやるようになりつつある。
これまでは政府について正しいことを書いた本がなかった。『スタートレック(宇宙大作戦)』を見ればわかるように([23560]参照)政府について正しいことを知っている人はいたが、政府について本を書いた人はいなかった。あらかじめ政府のことを知っている人は『スタートレック』を見ればどんなことを言っているのかわかるが、政府のことを知らない人が『スタートレック』を見てもなにを言っているのかわからないから、『スタートレック』にはみんなに政府のことを教えるほどの力はない。政府について知っている人は知り合いに政府のことを話すだけで、本を書いたりしなかった。おそらく、あまりにも簡単すぎるために書く気にならなかったためだろう。政府について知っている人が知り合いに政府のことを話したために、みんながだんだん政府のことを知っているようになって、みんながだんだん政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府が潰[つぶ]れているのだ。
私は子供の頃から社会科が苦手で試験でも50点以下しか取ったことがなかった。私にとっては政府のことは十分難しい。だから、私は自分の政府についての考えをいちいち言葉に書いて表したのだ。どうせ売れないから本にはしていないが、みんながぜひ読みたいと言うのなら本にしてやってもいい。

[23564] 虐[いじ]めの根本的な原因はなにか? h30.2.16
私が小学高学年の頃に同級生に先天性の知恵遅れの生徒がいた。私はときどき友達にこの生徒の悪口を言ってみんなで笑っていた。
私が中学1年生のときに、私が塾でその生徒の悪口を言っていたことが学校で発覚して道徳の時間に取り上げられてその生徒が泣いたので私は自分が悪いと思って二度とその生徒の悪口を言わなくなった。
私は子供の頃にその生徒の悪口を言って虐めていた。私がその生徒を虐めていたのは、その生徒を虐めて喜ばせるためだったような気がする。昔はみんながマゾだったので、みんなが虐められるのが好きだったので、私はその生徒を虐めて喜ばせるために陰[かげ]で悪口を言っていたのだ。
私の母親も私を虐めてかわいがるために、私が好きな本を焼いたり、私が恐い絵を無理やり見せたり、私の足の裏をくすぐって笑わせて苦しめたり、私の背中を指で突いて痛がらせたりしたのだ。
昔はみんながマゾだったので、みんなが他人を喜ばせるために他人を虐めていた。
しかし、今はみんながマゾではないので、みんなが虐められても喜ばなくなったので、みんなが他人を虐めなくなった。みんなが他人の陰口[かげぐち]も言わなくなった。今ではみんなが自分がどうしても嫌で嫌でたまらないときに突然相手に暴力をふって暴れるだけである。
それと同じように、昔はみんながマゾだったので、みんなが虐められるのが好きだったので、政府がみんなを喜ばせるためにみんなに悪いことをしていた。
しかし、今はみんながマゾではないので、政府に虐められるのが嫌なので、政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。

[23565] 政府があると国民みんなが暮らすためにお金がかかる。 h30.2.16
政府は「法律や学校などの仕事をやっている会社」のふりをしている国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は法律や学校などの仕事をちょっとだけやって、国民みんなから税金を強盗して、そのお金で国民みんなにいろんな嫌がらせをして国民みんなを虐めている。政府はもともと国民みんなを虐める会社だったのだが、文明が進んだために「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしなければならなくなったのだから、法律や学校などの仕事はいいかげんにしかしないのだ。政府は自分が国民みんなを虐める会社であることを隠すために法律や学校などの仕事をしているだけだから法律や学校などの仕事は形だけでいいかげんにやっているだけなのだ。政府の本当の仕事は国民みんなを虐めることなのだ。政府全体が国民みんなを虐める会社であって、部署によって法律会社や学校会社などのふりをしているだけだ。政府の中に法律会社のふりをしている部署や学校会社のふりをしている部署などがあるだけだ。
昔の国民みんなはマゾだったから、政府に虐められて喜んでいた。政府は国民みんなを虐めて喜ばせる会社だった。
反対に、今の国民みんなはマゾではないから、政府に虐められて不快になっている。
昔の人は普段の生活をしていて、その上に政府に虐められて喜んでいたのだ。昔の人にとっては政府に虐められることが娯楽だったのだ。
今の人も普段の生活をしていて、その上に政府に虐められて不快になっている。今の人にとっては政府に虐められるのが邪魔[じゃま]である。
昔の人にとっては政府は喜びを増やす会社だったが、反対に今の国民にとっては政府は喜びを減らす会社である。
今の国民みんなは政府に虐められてもうれしくないから、政府がなくなったほうがいい。

例えば、今の国民みんなは政府に税金や医療保険費や消費税やいろんなお金を取られるのが嫌だから、政府がなくなったほうがいい。今の政府は主に国民みんなから高いお金を取ることによって国民みんなを虐めている。政府がないほうが国民みんなは安上がりである。政府がなくなったほうが、国民みんなを虐める会社がなくなるから、国民みんなはリーズナブルな料金で経済的に生活ができる。けっして政府は国民みんなが安く暮らすためにあるのではなく、政府があると国民みんなが政府にかえってたくさんお金を取られて苦しく暮らさねばならないのだ。
国民みんなからお金を取る以外にも、政府は国民みんなにいろんな嫌がらせをしている。心当たりのある人にとっては十分政府が嫌な会社である。私はテレビも新聞も見ないので政府がなにをやっているのか知らないが、ニュースのいくつかは政府の国民みんなに対する嫌がらせだろう。
だから、今の国民みんなは政府を倒している。今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。


[23566] 今の国民みんなは政府がちょっとでも悪いことをやったら許さない。 h30.2.17
政府は表では法律や学校などの仕事をやっているが、裏では国民みんなを虐[いじ]める仕事をやっている。
政府は裏では国民みんなからお金を強盗したり、事件を起こして国民を殺したり、国民みんなの好きなことをなくして嫌いなことを増やして国民みんなを嫌がらせている。
今の国民みんなはマゾではないので、いくら政府が表で多少善いことをやっていても、政府が裏で国民みんなを虐める仕事をやっているだけで十分政府が嫌である。今の国民みんなはマゾではないので、政府がちょっとでも悪いことをやったら嫌である。今の国民みんなはマゾではないので、今の国民みんなにとっては“虐めて喜ばせる会社”は存在しない。政府や宗教団体や暴力団は普通の会社と同じである。今の国民みんなは普通の会社と同じように政府や宗教団体や暴力団がちょっとでも悪いことをやったら許さない。いくら人間が善いことをたくさんやっていても悪いことをやったら犯罪者になるように、いくら会社が善いことをたくさんやっていても悪いことをやったら犯罪組織である。今の国民みんなは裏で悪いことをやっている政府を許さない。
そのため、今では国民みんなが政府がなくなったほうがいいと思って、政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒している。ほかの会社に法律や学校などの仕事をやってもらうようにしている。

[23567] “色即是空[しきそくぜくう]”とは? h30.2.17
言葉だけの世界は空想の世界だから実在の世界ではない。
眼だけの世界も実在の世界ではない。“色即是空”とは、眼で見える世界は空想の世界と同じように実在の世界とは違うということである。
人間は実在の世界に生きている。だから、実在の世界を知って実在の世界で行動しないといけない。人間は眼で見て頭で考えて実在を知って、実在の世界の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。それが人間の生きる道だ。

[23568] 今の国民みんなにとっては政府は要らない。 h30.2.17
政府は「法律や学校などの仕事をしている会社」のふりをしている国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府全体が国民みんなを虐める会社であって、政府の中に法律会社のふりをしている部署や学校会社のふりをしている部署などがある。
政府は国民みんなを虐めるために、国民みんなから税金を強盗したり、事件を起こして国民を殺したり、国民みんなの好きなことをなくして嫌いなことを増やしたりする。
政府と国民は平等である。
昔は国民みんながマゾだったから、政府に虐められて喜んでいたから、政府が必要だったから政府の言うことを聞いて政府に税金を払って政府を儲[もう]からせていた。
反対に、今は国民みんながマゾではないから、政府に虐められるのが嫌だから、政府が要らないから政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。政府とは別に法律会社や学校会社などを建てようとしている。(政府はたとえ見かけが法律会社や学校会社などであっても、中身は国民みんなを虐める会社である。『デビルマン』でデビルマンが人間もろとも魔獣ジンメンを殴[なぐ]り殺したように、国民みんなは法律会社や学校会社もろとも政府を殴り殺さねばならないのだ。『ドラゴンボール』のセル編も同じ話である。国民みんなが政府を潰せば、誰かがすぐに法律会社や学校会社などを建てるから国民みんなの暮らしは困らない。だから、国民みんなは安心して政府に税金を払わないようにして政府を潰せばいい。h30.2.20補足:マンガ版の『デビルマン』では不動明[ふどうあきら]が飛鳥了[あすかりょう]に会ってデビルマンになったのだから、不動明が神武天皇で飛鳥了が光るトンビのことである。デビルマンが国家宗教の神のことである。国家宗教の神は超能力者のように見る人間のことだから、いわば超能力者と人間の“あいのこ”だから、悪魔と人間の“あいのこ”のデビルマンなのだ。一方、アニメ版の『デビルマン』は私のことである。アニメ版のデビルマンは顔が長いから、私は顔が長いから、アニメ版の『デビルマン』は私である。アニメ版の『デビルマン』のエンディングでデビルマンがビルに座っているのは、ビル←ルビ←川ブ(ル≒川、ビ≒ブ(50音表で近くにある))←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だからである。h30.2.21補足:マンガ版の『デビルマン』は1巻と2巻が絵がうまくて、3巻から後は絵がうまくない。それは、1が天皇のことで、2が私のことだからである。1←ワン←王←天皇。2←ツウ←川ブ(ツ≒川、ウ≒ブ)←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私。だから、1巻では不動明が天皇だが、2巻では不動明やデビルマンが私で、シレーヌやカイムが天皇である。)
国民が家電製品を利用するかしないかは国民の自由であるように、国民が政府を利用するかしないかは国民の自由である。政府は国民を虐めて国民の“虐められる喜び”を満足する道具である。今は文明が発達して環境fがいいから、今の国民は“虐められる喜び”がなくなって“虐められる喜び”を満足せずに生きている。だから、今の国民は政府を利用しなくなっている。今の国民は政府にお金をやらなくなって政府を潰している。


[23569] 今の国民の多くは「政府が法律や学校などの仕事をして国民みんなを幸福にする会社だ」と誤解している。 h30.2.17
政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしている国民みんなを虐[いじ]める会社である。そもそも政府は人間の“虐められる喜び”を満足する会社である。しかし、“虐められる喜び”は人間が本来満足してはいけない喜びである。そのために、政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしながら隠れて国民みんなを虐めているのである。
昔の国民みんなはマゾだったから、政府に虐められて喜んでいた。
しかし、今の国民みんなはマゾではないから、国民の多くは政府が裏で国民みんなを虐めていることがわからなくなって「政府が法律や学校などの仕事をやって国民みんなを幸せにする会社だ」と思って政府に高い税金を払っている。しかし、政府は本当は国民みんなを虐める会社だから、政府は表では国民みんなにちょっとだけ善いことをするだけで、裏では国民みんなからたくさんお金を取って、事件を起こして国民を殺して、国民みんなが好きなことをなくして嫌いなことを増やして国民みんなを虐めて、国民みんなを不幸にしている。
今の国民の多くは政府のことがわかっていない。そのために、今の国民みんなは政府に不幸にされているのだ。
本当は政府は国民みんなにいろんな悪いことをして国民みんなを虐めて国民みんなを幸福にする会社である。けっして、政府は法律や学校などの仕事をして国民みんなを幸福にする会社ではない。昔の国民みんなはマゾだったから自分が虐められるのが好きだったから、政府が国民みんなを虐めて幸福にしていたのである。しかし、今の国民みんなはマゾではないから自分が虐められるのが嫌だから、政府が国民みんなを虐めて不幸にしている。そもそも国民と政府は平等である。国民が政府の言うことを聞いて政府に虐められるか、政府の言うことを聞かずに政府に虐められないかは国民の自由である。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらないようにして政府に虐められないようにしている。だから、これまで「政府が善いことをして国民みんなを幸福にする」と思っていた人は自分の誤解を認めて『政府が国民みんなを虐める会社だ』と考えてみんなといっしょに政府を倒さねばならない。政府にお金をやらないようにして政府が国民みんなを虐めるのをやめさせねばならない。国民みんなで早く政府を倒して国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
こういうことを面白おかしくみんなに説明する者が現れたらみんなはすぐに『政府が国民みんなを虐める会社である』ことを理解して、政府に税金を払わなくなって政府を倒すようになるだろう。誰かが大勢の人が見ている前でこういうことを漫才にして面白おかしく説明することができたら政府はすぐに倒れるだろう。しかし、あいにく今の私は調子が悪いのでとうていそんなことができるほどの余裕はない。今の私は政府についての正しい考えを述べるのが精一杯である。

[23570] 今の多くの国民は「宗教団体が国民に善いことをして国民を幸福にする団体だ」と思っている。 h30.2.18
宗教団体は「善いことをする団体」のふりをしている国民を虐[いじ]める団体である。人間には“虐められる喜び”があるが、本来満足してはいけないので、宗教団体は「善いことをする団体」のふりをして隠して国民を虐めているのである。
昔はみんながマゾだったから、宗教団体に虐めてもらって喜んでいた。
しかし、今はみんながマゾではないから、国民の多くは宗教団体が「善いことをする団体」のふりをしているのを見て「宗教団体が善いことをして国民を幸福にする団体だ」と思っている。そのため、国民の多くは宗教団体に善いことをしてもらうためにお金を払って宗教団体の言うことを聞いている。しかし、本当は宗教団体は国民を虐める団体である。だから、国民の多くは宗教団体に嫌なことをやらされて不幸にされている。
国民の多くは宗教団体のことを誤解している。本当は宗教団体は国民を虐めて国民を幸福にする団体であって、けっして国民に善いことをして国民を幸福にする団体ではない。昔はみんながマゾだったからみんなが宗教団体に虐めてもらって幸福になっていた。しかし、今はみんながマゾではないから宗教団体に虐めてもらって不幸になっている。昔の国民にとっては宗教団体は国民を幸福にする団体だったが、今の国民にとっては宗教団体は国民を幸福にする団体ではない。だから、今の国民が宗教団体の世話になっても無駄[むだ]である。今の国民が宗教団体に入っていたらみんなに馬鹿だと思われる。だから、今の国民はさっさと宗教団体をやめて宗教団体と縁[えん]を切って暮らせばいいのである。
暴力団についても同様である。暴力団が「善いことをする団体」のふりをしている国民を虐める団体であるために、今の国民の多くは「暴力団が国民に善いことをして国民を幸福にする団体だ」と誤解している。そのために、多くの国民は暴力団にお金を払って暴力団の言うことを聞いて不幸に暮らしている。国民の多くは暴力団のことを正しく理解して暴力団をやめて暴力団と縁を切って暮らさねばならない。
要するに、政府や宗教団体や暴力団は「善いことをする団体」のふりをしている国民に悪いことをして国民を虐める団体である。昔はみんながマゾだったので、政府や宗教団体や暴力団がみんなに悪いことをしてみんなを喜ばせていたのだ。しかし、今はみんながマゾではないので、みんながいくら政府や宗教団体や暴力団に悪いことをしてもらっても幸福にはならない。不幸にされるだけである。だから、今のみんなは政府や宗教団体や暴力団の世話にならないようにしてお金をやらないようにして縁を切って暮らせばいい。もっとも、政府は法律や学校や水道などの仕事をしているから、国民みんなは自分が法律会社や学校会社や水道会社などを利用するときだけ料金を払って利用すればいい。政府が特にお金を取らなければただで利用すればいい。
今の国民の多くは『昔はみんながマゾだったので政府や宗教団体や暴力団がみんなを虐めて喜ばせていた』ことを知らないために「政府や宗教団体や暴力団がみんなに善いことをしてみんなを幸せにしてくれる」と誤解して政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞いてたくさんお金を払っている。しかし、本当は政府や宗教団体や暴力団は善いことをちょっとだけするだけで、ほかは悪いことをいっぱいやるだけである。昔はみんながマゾだったからそれで楽しかったが、今はみんながマゾではないからそれでは嫌である。だから、国民の多くは政府や宗教団体や暴力団に世話になるのをやめて言うことを聞くのをやめてお金をやらなければいい。今のみんなにとっては政府や宗教団体や暴力団は役に立たないからさっさと潰[つぶ]せばいいのである。

[23571] 昔はみんながマゾだった。だから、政府はみんなを虐[いじ]める会社である。 h30.2.18
昔は人間が住んでいる環境が悪くて人間に“虐められる喜び”があるほうが多く生き残って子供を作れたから、人間の心には“虐められる喜び”があった。
昔はみんながマゾだったから、政府がみんなを虐めて喜ばせていた。
だから、政府は国民みんなを虐める会社である。
しかも、“虐められる喜び”は本来満足してはいけない喜びだから、政府は「法律や学校などの仕事をやっている会社」のふりをして隠れて国民みんなを虐めていた。政府は「法律や学校などの仕事をするため」とか「国民みんなに善いことをするため」と嘘[うそ]をついて国民みんなからお金(税金)を強盗したり、密[ひそ]かに事件を起こして国民を殺したり、国民みんなに政府が悪いことをやっているのがわからないようにしながら国民みんなの好きなことをなくして国民みんなの嫌いなことを増やしたりして国民みんなを虐めていた。政府は合理的な理由をつけてごまかしながら国民みんなの不合理的な“虐められる喜び”を満足させていた。政府は一部の国民を殺すことによってほかの国民を恐がらせて虐めて喜ばせていた。政府に殺された国民はほかの国民を喜ばせるための犠牲者だった。だから、国民みんなは政府が一部の国民を殺すのを認めていた。(政府はなまはげのようにみんなを恐がらせて虐めて喜ばせるために国民を殺しているのだ。だから、なまはげは子供を恐がらせて喜ばせる祭りなのだ。なまはげは昔の人に“虐められる喜び”があった証拠である。昔の人は隠して“虐められる喜び”を満足していた。なまはげは隠さずに子供の“虐められる喜び”を満足するからなまはげ(つまり丸出し、隠さずに正直に表すという意味)と言うのだ。鬼は政府の喩[たと]えだから、子供に国民の役をやらせてみんなで政府がやっていることを見て楽しむお祭りなのかもしれない。家長が鬼を料理で歓迎するのも鬼が子供(つまり国民)を喜ばせていることを表している。同じように、ハロウィンも子供が「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」と言って大人を脅[おど]して大人を虐めて喜ばせる祭りである。今はみんながマゾではないから、何のためにやっているのかわからなくなっている。)
政府は法律や学校などの仕事をちょっとだけするだけで、国民みんなに善いことをちょっとするだけで、ほかは悪いことをいっぱいやるだけである。要するに、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。
政府と国民は平等だから、国民が政府の言うことを聞いて政府に虐められるか、政府の言うことを聞かず政府に虐められないかは国民の自由である。
昔はみんながマゾだったから、政府に虐められて喜んでいたから、政府が必要だったので政府にお金をやって政府が儲[もう]かっていた。政府は儲けたお金で国民みんなのために善いことをやったりもしていた。
今はみんながマゾではないから、政府に虐められるのが嫌だから、政府が要らないから政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。政府はお金が儲からなくなって国民みんなのために善いことをやらなくなっている。今の国民みんなはマゾではないから、政府が一部の国民を殺しても喜ばないから、政府が一部の国民を殺すのを許さない。政府を倒す。国民みんなで政府とは別に法律会社や学校会社を建てるつもりである。

[23572] 政府はお役所気質[かたぎ]だから自分では潰[つぶ]れない。 h30.2.18
政府は「法律や学校などの仕事をやっている会社」のふりをしている国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民からいろんなお金を取ったり、いろんな事件を起こして国民を殺したり、国民にいろんな面白くないことをして嫌がらせをやっている。政府は善いことをちょっとだけして悪いことをいっぱいやっている。要するに、政府は国民みんなに悪いことをやる会社である。
テレビや新聞も政府が悪いことをやっているのを報道している。国民がテレビや新聞の記事をよく読めば、政府が悪いことをやっているのがわかる。いくつかの政府がやっている政策は明らかに国民みんなに対する嫌がらせだから、政府が悪いことをやっているのがわかる。
今の国民みんなはマゾではないから、政府は自分で会社を畳[たた]んで国民みんなに悪いことをやめるべきである。
それなのに、今の政府は会社を続けている。
それは、政府がお役所気質だからである。政府は国民に悪いことをして国民を虐める会社だから、政府は国民を虐めるために国民に合わさない。例えば、国民が閉店まぎわに来ても、政府は国民を虐めるために国民を無視して勝手に店を閉めるのだ。だから、今の国民みんながマゾでないのに、政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに合わそうとせず国民みんなを虐めるのである。
もっとも、国民と政府は平等であるから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。
昔の国民みんなはマゾだったから、国民みんなは政府に虐められて喜ぶために政府の言うことを聞いて政府にお金を払っていた。
今の国民みんなはマゾではないから、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社だから、今の国民みんなは政府が要らないから政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。一部の馬鹿が「政府が善いことをする会社だ」と誤解して政府の言うことを聞いて政府にお金をやっているだけである。
今ではだんだん政府が潰れてなくなっている。政府が潰れてなくなって、本物の法律会社や学校会社などが建とうとしている。

[23573] どうして昔の人はマゾだったのか?☆ h30.2.18
昔は文明が遅れていて環境が悪かったので昔は人間に“虐[いじ]められる喜び”があるほうがないよりも生き残って子供を作りやすかったので、みんなに“虐められる喜び”があった。
しかし、“虐められる喜び”は人間が住みやすい世界を作るために邪魔[じゃま]になる悪い喜びなので、人間はなるべく“虐められる喜び”を満足してはいけなかった。
昔の人にとっては“虐められる喜び”は満足しないといけない喜びだったが、公[おおやけ]に満足してはいけない喜びでもあったのである。(性欲を満足すると人間が動物になるから、性欲も満足してはいけないことになっている。)
そのため、昔のみんなは“みんなを虐める会社”を建てて、“みんなを虐める会社”に虐められて喜んでいた。それが政府である。政府はみんなから物やお金を強盗したり、殺人事件を起こしてみんなを恐がらせたり、みんなが嫌がることをやってみんなを虐めて喜ばせていた。政府は「法律や学校や水道などの仕事をする会社」のふりをしながら隠れてみんなを虐めていた。政府は法律や学校や水道などの仕事をしながら、一方でみんなに悪いことをしてみんなを虐めていた。政府はマゾの国民みんなを喜ばせるぐらい悪いことをやっていたのでそうとう悪いことをやっていたと思われる。今でも同じぐらいやっていると思われる。政府にとっては国民みんなを虐めて喜ばせることが一番大事な仕事なので、なにがなんでも国民みんなを虐めるのである。
昔はみんながマゾだったので、政府に虐められて幸せになっていた。昔はみんなが幸福に生きるために政府が必要だったので、政府の言うことを聞いて政府に税金を払って政府が儲[もう]かっていた。
今では文明が進んで環境がよくなったので今では人間に“虐められる喜び”がないほうがあるよりも生き残って子供を作りやすいので、みんなに“虐められる喜び”がなくなっている。生物が時代とともに進化するように、人間の心も時代とともに進化するのだ。
今のみんなはマゾではないので、政府に虐められても嫌なだけである。今のみんなにとっては政府が邪魔である。そのため、今のみんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。政府はお金がなくなって、法律や学校や水道などの仕事ができなくなっている。別の会社が法律や学校や水道などの仕事をやるようになりつつある。
これまでいろんな人が『政府が国民と平等な「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしている国民みんなを虐める会社である』ことを知っていた。『昔はみんながマゾだった』ことも知っていた。しかし、そもそもどうして人間に“虐められる喜び”があるかの証明がなかった。これまではみんなが理論の詰[つ]めが甘かったから、自分の考えに確信が置けなかったから、はっきり政府のことを言えなかったのだ。文学的に喩[たと]えて述べることしかできなかったのだ。
私が『昔の人に“虐められる喜び”がある』ことを証明した。だから、今では『政府がみんなを虐める会社である』ことも確実になった。だから、今ではみんながみんなの前ではっきりと『政府がみんなを虐める会社である』ことを言うことができる。今ではみんなが確信を持って政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやらなくなって政府を倒すことができるのだ。みんなで政府を倒して新しい世界を築[きず]くことができるのだ。
h30.2.20追加:今でもアフリカやオセアニアなどの後進国に行ったら“虐められて喜ぶ風習”が残っている。身体を傷つけて痛めつけるお祝いがある。日本の抜歯もそうである。だから、たしかに人間には“虐められる喜び”がある。だから、政府が国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めて喜ばせる会社であることも確かである。ただ、“虐められる喜び”は人間が自分の身体を傷つけたり生活環境を悪くしたりして人間にとって有害な喜びだから、本来満足してはいけない喜びだからみんながめったにしゃべらないからあるのがわかりにくいだけである。しかし、今では文化人類学や心理学が進んで“虐められる喜び”について議論されるようになっている。そのうち、みんなが『人間に“虐められる喜び”がある』ことを認めるようになるだろう。

[23574] 今の政府は抱き合わせ商法をやっていない。 h30.2.19
政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。政府の本業は国民みんなを虐めることであり、ついでに法律や学校などの仕事をしているだけである。昔の国民みんなはマゾだったから政府が必要だったから政府にお金をやっていた。今の国民みんなはマゾではないから政府は要らないから政府にお金をやってはいけない。昔の国民みんなは政府にいい思いをさせてもらっていたから政府にお金をやっていた。今の国民みんなは政府に嫌な思いをさせられているから政府にお金をやってはいけない。今の国民みんなは政府を嫌わずに政府に咳[せ]き込んだり政府に唾[つば]を吐いたりせずに黙って政府を倒さねばならない。政府のない世界を作らねばならない。
昔の国民みんなにとっては政府に虐められることも法律や学校などの仕事をしてもらうことも両方とも面白かった。今の国民みんなにとっては政府に虐められることは面白くなく法律や学校などの仕事をしてもらうことが面白いだけである。今の国民みんなにとって政府はとんだ抱き合わせ商法である。今の国民みんなは政府の仕事を買いたくない。政府にお金を払いたくない。だから、今の国民みんなは政府にお金を払わず政府を倒せばいいのである。
税金や医療保険費や消費税などは政府が国民みんなを虐めるために取っているお金である。一方、法律代や学校代や水道代などは政府が国民みんなに法律や学校や水道などの仕事をやるために取っているお金である。今の国民みんなは政府に虐められたくない。今の国民みんなは政府に法律や学校や水道などの仕事だけやってもらいたい。だから、今の国民みんなは政府に税金や医療保険費や消費税などを払わず、法律代や学校代や水道代などだけを払えばいいのだ。今のところ政府は法律代や学校代を取っていないから、国民はただで政府に法律や学校の仕事をやってもらえばいいのである。(今から約30年前、私が学生だったころ、ファミコンがすごく流行[はや]っていた。私は親の仕送りの貯金で近所のミスターマックスに行って3万円でソフトと抱き合わせでファミコンを買った。しかし、ソフトがつまらないものばっかりでがっかりした。けっきょくファミコンも遊ばずじまいだった。そのために、今の政府は国民みんなから税金と料金を別にとって抱き合わせをやっていないのかもしれない。)
医療保険費は政府が取っているお金である。政府が国民みんなから医療保険費を取ってその一部を医者に回している。政府がかなり仲介費を取っている。国民みんなにとっては割高である。医者にとっては損である。医療保険制度は政府の国民みんなや医者に対する虐めである。そもそも政府は国民みんなを虐める会社だから、医者は国民だから、政府は国民みんなや医者を虐めるために医療保険制度をやっているのだ。国民は政府に医療保険費を払わずに直接医者に医療代を払えばいい。医者の仕事はほかの仕事と同じである。医者の仕事だけが特別ではない。だから、国民みんなはほかの仕事と同じように医者に直接代金を払えばいい。そのほうが政府を仲介するよりも医者が儲[もう]かるだろう。腕のいい医者は高い医療代を取ってもっと儲かるだろう。
同じように、消費税は政府が取っているお金である。政府が消費税を取っているために国民みんなは物を買うのにお金がかかるし、店は商品の売れ行きが悪くなって儲からなくなる。そもそも政府は国民みんなを虐める会社だから、政府は国民みんなや商人を虐めるために消費税を取っているのだ。店は自分が儲けるために客から消費税を取ってはいけない。日本中の店で消費税を取るのをやめればいい。そうすれば、国民みんなは物を安く買えるし、商品の売れ行きがよくなって店も儲かる。今ではみんながマゾではないから政府に虐められてもうれしくないから消費税をやめればいい。
そもそも政府は国民みんなを虐める会社である。国民みんなを虐める会社が景気をよくするわけがない。政府は国民みんなを虐めるために景気を悪くするだけである。政府の法律会社は景気をよくしているふりをして本当は景気を悪くしている。昔の国民みんなはマゾだったから政府が景気を悪くするのがうれしかった。今の国民みんなはマゾではないから政府が景気を悪くするのが嫌である。日本の景気がいいのは国民みんながよく働いて景気をよくしているからである。政府は日本の景気を悪くして国民みんなを虐めるだけである。今の国民みんなはマゾではないから政府が要らない。だから、今の国民みんなでさっさと政府を倒せばいいのである。
ちょっと前はみんなが「政府に権力がある」と誤解していたから、医者や商人が政府の言うことを聞いて医療保険制度や消費税をやっていた。しかし、今ではみんなが『政府に権力がない』ことがわかっているから、今では医療保険制度や消費税をやめればいい。ちょっと前はみんなが「政府は民主主義で国民みんなのために善いことをする会社だから、政府は正直だ」と誤解していたから、医者は政府が「国民みんなのために医療保険制度をやっている」と言っているのを信じて医療保険制度をやっていた。商人は「政府が国民みんなのために善いことをするにはもっとお金が要る」と言うのを信じて消費税を取っていた。しかし、今ではみんなが『政府は国民みんなを虐める会社だから、政府は嘘つきだ』ということがわかっているから、今ではみんなが『政府は国民みんなからたくさんお金を取って国民みんなを虐めるために医療保険制度や消費税をやっている』ことを知っているから、医療保険制度や消費税をやめている。国民みんなで政府をなくして国民みんなが幸福に暮らせる国にすればいい。
政府は国民みんなを虐める会社である。政府が国民みんなを虐めるために医療保険制度や消費税をやっているように、政府は国民みんなを虐めるために法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやっている。政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事を悪用して法律や学校や水道や清掃や役所などを使って悪いことをやって国民みんなを虐めている。政府は悪い法律や政策をやったり、悪い教育をやったり、不味[まず]い水道水にしたり、美しい所に清掃会社を建てたり、役所で不便なサービスをやったりしてみんなを虐める。昔は国民みんながマゾだったから政府に悪いことをされて喜んでいたが、今は国民みんながマゾではないから政府に悪いことをされても嫌なだけである。だから、今の国民みんなで悪いことをする政府を倒さねばならない。今の国民みんなで政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならない。
政府は自分が儲けるために悪いことをしているのではなく、本来は自分が国民みんなを虐めて喜ばせるために悪いことをしているのだ。たまたま今の国民みんながマゾではないために政府は国民みんなを不幸にしているが、本来は政府は国民みんなを喜ばせるために国民みんなを虐めているのだ。政府は自分が国民みんなを虐めるために国民みんなからたくさんお金を取っているから結果として儲かっているだけだ。だから、けっして政府は犯罪組織ではなく、あくまでも政府は国民みんなを虐める会社にすぎない。しかし、今は国民みんながマゾではないから、政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府を倒せばいいのである。
政府の本業は国民みんなを虐めることであって、法律や学校や水道などは副業にすぎない。政府は副業で法律や学校などをやっているだけだから、あまり善いことをやらない。政府は本当は国民みんなを虐める会社であって、法律会社や学校会社などのふりをしているだけだから、善いことをやらない。政府は国民みんなを虐めることに力を入れているだけで、法律や学校などには力を入れていない。政府は法律や学校などはしかたなくやっているだけである。国民みんなは政府に善いことを期待できない。政府に法律や学校などをやらせているために、日本の法律や学校などが遅れている。そのために、国民みんなが幸福に暮らせなくなっている。だから、国民みんなで政府を倒して、本業で法律や学校などをやる会社を建てればいい。そうすれば、国民みんなは今よりももっと善いことをしてもらえるだろう。


[23575] 社長はみんなを虐[いじ]める人である。 h30.2.19
昔はみんながマゾだったから、社員は社長に虐められて喜んでいた。社長は社員を虐める人だった。社長の仕事は社員を虐めることだった。
もっとも、昔は“虐められる喜び”が本来満足してはいけない喜びだとされていたので、社長は「善い仕事をしている」ふりをして隠れて社員みんなを虐めていた。
しかし、今はみんながマゾではない。そのために、みんなが「社長はみんなに善いことをして社員みんなを幸せにする人だ」と誤解して、みんなは社長に高い給料をやっている。しかし、本当は社長は善いことをする人ではないから社長は社員みんなにつまらない長話をしてみんなを虐めるだけである。
本来社長の仕事はみんなに悪いことをすることであって善いことをすることではない。昔はみんながマゾだったから会社に“みんなを虐める仕事をする人(つまり社長)”を置いていただけである。今はみんながマゾではないから会社に“みんなを虐める仕事をする人”は要らない。
今の会社には社長は要らない。社長が表でやっている仕事なんかどうでもいいことだから社長なんか要らない。
社長は会社の中の宗教団体みたいなものだ。今の社会では宗教団体がなくなっているように、今の会社では社長がなくなっているのだ。会社から社長を取っ払って、“これまで社長が表でやっていたどうでもいい仕事”をするために代表取締役を設けているのだ。
今ではみんなが平等だから、会社の中ではみんなが同じ待遇にしないといけない。代表取締役は名前が偉そうだから、もっと平易[へいい]な名前にしないといけない。

[23576] 社会がわかっている人に税金係をさせないといけない。 h30.2.19
会社の総務部の税金係の人は「政府に権力がある」とか「政府は善いことをする会社である」と思って社員みんなから税金を天引きしている。社員の了承を得ずに勝手に税金を取っている。
しかし、本当は『政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社であり、今の国民みんなはマゾではないから政府に税金を払ってはいけない。』のである。
税金係の人は自分の誤解に他人を巻き込んでいる。他人の迷惑である。まちがったことを考えている人がみんなにまちがいを押し付けるから、みんながまちがったことを考えるようになるのだ。世の中が悪くなるのだ。自分がまちがっていて自分が損をするならかまわないが、他人がまちがっているために自分が損をするのは許せない。
もっと社会科の得意な人に税金係をやってもらわないといけない。社会について正しいことがわかっている人に税金係をやらせないといけない。ただの馬鹿な親父に大事な仕事をやらせてはいけない。

[23577] 人間の環境が人間の心を決める。人間の心が人間の環境を決める。 h30.2.20
昔はみんなに“虐められる喜び”があった。昔は文明が遅れていて環境が悪かったので、“虐められる喜び”があるほうが多く生き残って結婚して子供を作ったので、みんなに“虐められる喜び”があった。しかも、人間が“虐められる喜び”を満足しすぎると人間がわざとに文明を遅らせて環境を悪くして生活がしにくくなって不幸になるので、“虐められる喜び”はあまり満足してはいけない喜びだった。
そのため、昔はみんなが“虐められる喜び”を満足するために“みんなに悪いことをしてみんなを虐める会社”を建てたが、みんなを虐める会社は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをして隠れてみんなを虐めていた。それが政府である。政府は法律や学校などの仕事をする一方で、みんなから物やお金を強盗したり、事件を起こして人殺しをしてみんなを恐がらせたり、いろんな嫌がらせをしたりしてみんなを虐めていた。みんなは政府に法律や学校などの仕事をしてもらいながら、いろんな悪いことをしてもらって虐められて喜んでいた。政府はみんなを虐めて喜ばせるためにみんなからたくさん物やお金を取ってすごく儲[もう]かっていた。
しかし、今ではみんなに“虐められる喜び”がない。今は文明が進んで環境がよくなったので、“虐められる喜び”がないほうが多く生き残って結婚して子供を作るので、みんなに“虐められる喜び”がない。そのため、今のみんなにとっては政府がみんなに悪いことをしてみんなを不幸にするので、今のみんなにとっては政府が邪魔[じゃま]になるので、今のみんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。政府と別に法律会社や学校会社が建とうとしている。

[23578] 今のみんなは性欲を満足していない。 h30.2.20
昔はみんなに性欲があった。人間に性欲があるほうが結婚して子供を作るのでみんなに性欲があった。ただし、人間が性欲を満足すると大脳の古皮質が活動して新皮質が活動しなくなって馬鹿になるので文明が遅れて環境が悪くなって生活しにくくなって不幸になるので、性欲はあまり満足してはいけなかった。そのため、人間は服を着て性器を隠して、売春宿は料亭のふりをしていた。
昔は文明が遅れていてみんなが頭を使わずに生きていたのでみんなが馬鹿でもよかったのでみんなが性欲を満足してよかったので、みんなが性欲を満足していた。みんなが性欲を満足するために結婚して性欲の副産物で子供を作って、売春宿に通っていた。
しかし、今は文明が進んでみんなが頭を使って生きているのでみんなが馬鹿ではいけないのでみんなが性欲を満足してはいけないので、みんなが性欲を満足しなくなった。みんなが性欲を満足せずに子供を作って、売春宿が潰[つぶ]れてなくなった。

[23579] 法律会社や学校会社などは政府の腰巾着[こしぎんちゃく]である。 h30.2.20
政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしている『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』である。私が問題にしているのは今の国民みんなにとって『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』が要るか要らないかであって、「法律や学校などの仕事をする会社」が要るか要らないかではない。「法律や学校などの仕事をする会社」がどのように法律をすべきかどのように学校(教育)をすべきかではない。それは別の問題である。将来の問題である。まず政府のことをちゃんと理解してから、政府が要るか要らないか考えようというわけである。政府の本業は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めることであって、法律や学校などの仕事をすることではない。政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社であって、法律会社や学校会社などは政府とは別の会社と考えてもいい。今の国民みんなにとっては国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社が要るか要らないかが問題である。法律会社や学校会社は別の問題と見なしていい。法律会社や学校会社などは国民みんなを虐める会社の付録と見なせばいい。今の国民みんなは“虐められる喜び”がないから、政府が要らないことは明らかである。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらずに政府を倒してなくせばいい。法律会社や学校会社などは『ゲゲゲの鬼太郎』のネズミ男みたいにいつでも強い方につくから、国民みんなが政府にお金をやらなくなって政府が儲[もう]からなくなったら自分で国民みんなからお金をもらうようになるだけだから、国民みんなは法律会社や学校会社などはどうでもいい会社だと考えて無視して法律会社や学校会社などの好きにやらせておけばいい。
一部の国民は「政府は本当は法律や学校などの仕事をする会社であって、政府は国民みんなを政府に従わせるために“国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社”を雇[やと]っている」と思っている。しかし、人間には悪い者に従う気持ちはない。人間は悪い者を見ると怒って倒そうとするだけである。法律や学校などの仕事をする会社が国民みんなに悪いことをする会社を飼っていたら、かえってみんなが法律や学校などの仕事をする会社が嫌いになって言うことを聞かなくなってお金をやらなくなって潰すだけである。こういうパターン(つまり、善いことをする会社が裏で暴力団を雇ってみんなを虐めて脅[おど]していること)はよくマンガに出てくるが、マンガはまちがいを書いているだけである。マンガは空想の世界であって実在の世界ではないから、マンガはなんでも自由に書いていいから、マンガはまちがったことばかり書いているのだ。だから、マンガに書いていることを真[ま]に受けてはいけない。マンガはまちがいの教科書だから不必要にマンガを読んではいけない。特に最近のマンガは絵が下手[へた]だから眼で見ても面白くないからマンガを読んではいけない。本当は、政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。政府の中では『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』が上であって「法律や学校などの仕事をする会社」が下である。政府の中では「法律や学校などの仕事をする会社」が『国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社』に従っている。そうすれば、国民みんなを虐めるためには法律や学校が便利だから、政府が法律や学校の仕事をやっていることが納得できる。政府は本当は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社であって、「法律や学校などの仕事をする会社」は政府の子分なのである。逆に「法律や学校などの仕事をする会社」にとっては政府が親分なのである。政府の本体は国民みんなを虐める会社である。法律会社や学校会社などは政府の子分だからどうでもいい。今の国民みんなはマゾではないから、政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰している。将来は、法律会社や学校会社などが政府から独立して建つだろう。法律会社や学校会社などが善い仕事をすれば、国民みんなが法律会社や学校会社などの言うことを聞くようになって、法律会社や学校会社などが国民みんなからお金をたくさん取って儲かるだろう。
『人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足すれば幸福になる』から、法律会社や学校会社はそういう方針で法律や政策をやったり教育をやったりすればいい。例えば、学校会社は国民みんなに科学だけやらせて文学をやらせないようにして国民みんなを科学を得意にさせて国民みんなにいろんな発明をさせていろんな物を作らせて物を豊かにしてみんなが幸福に暮らせるようにすればいい。実在の外に出たがるのは不良だから皆殺しにすればいい。法律会社は国民みんなに性欲や眼先の喜びや空想の喜びを満足させず実在の喜びだけを満足させる国を作ればいい。そうすれば、国民みんなが法律会社や学校会社が善い会社だと思って信頼して言うことを聞くようになるだろう。法律会社や学校会社は国民みんなからたくさんお金を取って儲かることができるだろう。

[23580] 国民の多くは政府に甘えて政府の言いなりになっている。 h30.2.20
今の国民の多くは「政府が国民みんなをいいようにしてくれる」と思って政府の言うことをなんでも聞いている。政府の言うことをなんでも聞いて政府に高いお金を払ったり悪いことをやったりしている。特に日本人は“甘えの気持ち”が強いから「他人が自分が幸せになることをしてくれる」と思って自分で考えずに他人の言う通りにするから政府の言いなりになっている。しかし、それはまちがっている。政府は普通の会社のように国民みんなに善いことをする会社ではない。政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めて喜ばせる会社である。今の国民みんなは“虐められる喜び”がなくなっているから、政府に虐められても喜ばず不幸になっているだけである。国民みんなは『政府は普通の会社と違う』と考えて、『政府は今の国民みんなを不幸にする』と考えて政府の言うことを聞くのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰さねばならない。

[23581] 政府のことを理解している人はみんなに政府のことを教えてやればいい。 h30.2.20
昭和40年(1965年)ごろに国民みんなが『政府が国民みんなを虐[いじ]める会社である』ことがわかって『今のみんなはマゾではないから政府が要らないから政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいい』ことがわかってさっさと政府を倒せばよかった。それなのに、政府のことを理解している国民があまりいなかったために政府が残ってしまった。政府のことを理解している者が一生懸命みんなに政府のことを教えればいい。そうすれば、大勢の人が政府のことを理解して政府を倒すようになるだろう。数学や物理学は難しいが、社会学は難しくない。だから、みんなに政府のことを教えればすぐにみんなが政府のことがわかる。だから、政府のことを知っている人はみんなに政府のことを教えてやればいいのだ。

[23582] みんなが政府のことを知っていれば政府がなくなる。☆☆ h30.2.20
人間には“虐[いじ]められる喜び”がある。昔は文明が遅れていて人間の環境が悪かったために人間に“虐められる喜び”があるほうがないよりも多く生き残って結婚して子供を作りやすかったので、みんなに“虐められる喜び”があった。昔は文明が遅れていてみんなが物が貧しくてみんなにとっては虐められることしか喜びがなかったのでみんなが“虐められる喜び”を満足していた。『巨人の星』の星飛雄馬[ほしひゅうま]が子供の頃に野球しか遊びがなかったのと同じである。しかも、“虐められる喜び”は人間が自分の身体を傷つけたり環境を悪化させたりして人間を不幸にする有害な喜びだった。人間が本来は満足してはいけない喜びだった。
そのため、昔のみんなはみんなに悪いことをしてみんなを虐めて喜ばせる会社を建てた。それが政府である。政府はみんなに“虐められる喜び”が有害な喜びであることを教えるために「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをして隠れてみんなを虐めていた。人間にとっては性欲が人間を馬鹿に変える悪い喜びであるために自分の性器を葉っぱで隠しているのと同じことである。政府は法律会社や学校会社などを偽装[ぎそう]した国民みんなを虐める会社である。政府はみんなを虐めるためにみんなからお金や物を取ったり、人殺しをしてみんなを恐がらせたり、いろんな嫌がらせをしていた。政府は法律や学校などの仕事をしながら、一方でみんなに悪いことをしてみんなを虐めて喜ばせていた。政府は国民みんなからたくさんお金を取ってすごく儲[もう]かっていた。余ったお金で国民みんなのために本当に善いことをすることもあった。
しかし、今では文明が進んで環境がよくなってみんなが“虐められる喜び”がないほうがあるよりも多く生き残って結婚して子供を作りやすいのでみんなが“虐められる喜び”がなくなっている。今では文明が進んでみんなが物が豊かになっていろんな面白い物がたくさんあるので虐められることがつまらなくなっている。そのため、今ではみんなが自分が虐められることが嫌になっている。政府と国民は平等である。政府は民主主義をやっているが、民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]む遊びであって、政府が権力を得ることではないから、政府と国民は平等である。政府は国家宗教もやっているが、国家宗教は国民が神を拝む遊びであって、政府が権力を得ることではないから、政府と国民は平等である。政府の法律会社は国民みんなを虐める会社が法律会社のふりをしているだけであって本物の法律会社ではないから、政府の法律会社が決めた法律はニセモノの法律だから、国民は“納税の義務”を守らなくていい。だから、国民が政府の命令を聞いて政府に税金を払うか政府の命令を聞かず政府に税金を払わないかは国民の自由である。今ではみんなが政府が邪魔[じゃま]だから、政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。法律会社や学校会社などは政府からお金をもらえなくなって、自分で直接に国民みんなからお金をもらうように変わっている。
みんながこういうことをわかっていれば、みんなは政府にお金をやらなくなって政府を倒すはずである。しかし、実際には、こういうことがわかっている人があまり多くないので、みんなは昔と同じように政府にお金をやっている。そのため、今でも政府が生き残って国民みんなからたくさんお金を取ったり、人殺しをしたり、みんなにいろんな嫌がらせをしたりしてみんなを虐めている。国民の多くが政府のことを知らないためにみんなが政府に虐められて不幸になっている。だから、政府のことを知っている人がみんなに政府のことを教えてやればいい。みんなが政府のことを知っているようにすればいい。そうすれば、みんなが政府にお金をやらなくなって政府が潰れてなくなって、みんなが政府に虐められなくなって幸せに暮らせるようになるだろう。

[23583] 毎度おなじみ大リーグボール h30.2.20
『巨人の星』では、魔球が政府が国民を虐[いじ]めて喜ばせることである。星飛雄馬[ほしひゅうま]が国家宗教の神である私のことであり、伴宙太[ばんちゅうた]が政府のことである。政府は国民みんなを虐めるときによく国家宗教の神に引っ掛けた悪いことをする(星と伴が組む)。(私は子供の頃から運動が苦手で野球が嫌いで野球に詳[くわ]しくないから、まちがっていても大目に見てね。私は野球が苦手だったが、私の父親が野球が得意なので、国家宗教では国家宗教の神が神の近くにいた人の代理になれるので私がピッチャーが務[つと]まるのだ。国家宗教ではキリストがキリストの弟子の代理になれるので、キリストがいろんな才能があったことになるのだ。)
大リーグボール1号は大昔の話である。大昔は文明がなくてみんなが苛酷[かこく]な環境で生きていたので“虐められる喜び”が満足してはいけない喜びではなかったので、みんながみんなが見ているところで政府(つまり豪族)に鞭[むち]で打たれたりして悪いことをされて虐められていた(剛速球のビーンボール)。
大リーグボール2号は昔の話である。昔は文明が少し進んでみんなが少し文明的な暮らしをするようになって文明が大事なことがわかったので、文明の進歩を妨げる“虐められる喜び”が悪い喜びだと考えるようになった。そのため、みんなが政府に隠して虐められるようになった(消える魔球)。
大リーグボール3号は政府が潰[つぶ]れてなくなった後の話である。今では文明が高くなってみんながかなり文明的な暮らしをするようになって環境がよくなって“虐められる喜び”がなくなっている。政府は国民みんなを虐めなくなって(超スローボール、伴が魔球を打って魔球を封じる)まじめに法律や学校などの仕事をやっている(下手[したて]投げ)。政府は国民を虐めなくなって普通の会社と同じになっている(伴が打者)。みんなが神を拝[おが]むのがつまらなくなって国家宗教がなくなっている(飛雄馬の腕が折れた)。
私のように政府のことがよくわかっている者は『宇宙大作戦』(スタートレック1作目)や『巨人の星』が言っていることがわかる。反対に、政府のことがわかっていない者は『宇宙大作戦』や『巨人の星』のギャグがわかるだけである。作り話の面白さや映像の面白さがわかるだけである。『宇宙大作戦』や『巨人の星』は国民みんなの政府についての理解度を試[ため]すクイズなのだ。しかし、私がクイズに答えてしまったからもはや『宇宙大作戦』や『巨人の星』の謎解きは済[す]んでしまったのだ。
h30.2.21追加:『宇宙大作戦』(スタートレック1作目)は今の国民みんながマゾではないことが書かれていない。(ただし私の知るかぎりでは。まちがっていたらごめんなさい。)『巨人の星』は大リーグボール3号で今の国民みんながマゾではないことを書いている。その点については『巨人の星』のほうが優れている。“今の国民みんながマゾではなくなったこと”をスタートレックの新シリーズのネタにしてはどうかな?

[23584] 政府はどうして法律や学校などの仕事に力を入れないのか? h30.2.21
政府は法律会社や学校会社などを偽装[ぎそう]した国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は見かけは法律会社や学校会社などだが、中身は国民みんなを虐める会社である。政府は法律や学校などの仕事をちょっとやるだけで、国民みんなを虐めることばかりやっている。政府は国民みんなからいろんなお金を取ったり、人殺しをして国民みんなを恐がらせたり、いろんな嫌がらせをして国民みんなを虐めている。
昔は国民みんながマゾだったから政府に虐められて喜んでいたから政府に税金を払っていた。
今は国民みんながマゾではないから政府に虐められるのが嫌だから政府に税金を払っていない。
今では政府が滅んでいる。政府とは別に法律会社や学校会社などが建っている。

[23585] 今のみんなは“虐められる喜び”がないために『政府が国民みんなを虐[いじ]める会社である』ことがわかっていない。 h30.2.21
昔の人は性欲を満足していたが、性欲を満足してはいけないと思っていた。性欲を満足すると大脳の古皮質が活動して新皮質が活動しなくなって頭が馬鹿になって実在に適応できなくなって(つまり人間が実在の中で頭を使って有利に生きることができなくなって)自分が幸福に暮らせなくなるからである。人間が性欲を満足しないほうが頭がよくなって幸福に生きていけるから、本当は性欲を満足してはいけない。しかし、昔はみんながほかに面白いことがなかったからやむを得ず性欲を満足していたのだ。昔はみんなが『本当は性欲を満足してはいけない』と思っていたので、みんなが露骨[ろこつ]に売春宿に入れなかったので、昔は売春宿が表で料亭のふりをして客が入りやすくしていた。
それと同じように、昔の人は“虐められる喜び”を満足していたが、“虐められる喜び”を満足してはいけないと思っていた。“虐められる喜び”を満足すると自分に不利なことをして実在に適応できなくなって幸福に暮らせなくなるからである。人間が“虐められる喜び”を満足しないほうが不利なことをせずにすむので幸福に暮らせるから、本当は“虐められる喜び”を満足してはいけない。しかし、昔はみんながほかに面白いことがなかったからやむを得ず“虐められる喜び”を満足していたのだ。昔はみんなが『本当は“虐められる喜び”を満足してはいけない』と思っていたので、みんなが露骨に“みんなを虐める会社”の世話になれなかったので、昔は“みんなを虐める会社”(政府のこと)が表で法律や学校などの仕事をする会社のふりをして客を獲得していた。
昔の人は性欲を満足してはいけないと知りながら満足していたので、売春宿が表で料亭のふりをしているのを知っていたので、料亭を売春宿だとわかって利用していた。しかし、今の人は性欲を満足しなくなっているので、性欲に関心がないために売春宿が表で料亭のふりをしているとそのまま料亭だと思ってしまって売春宿に入ってビックリする。
それと同じように、昔の人は“虐められる喜び”を満足してはいけないと知りながら“虐められる喜び”を満足していたので、政府が表で法律や学校などの仕事をする会社のふりをしているのを知っていたので、政府をみんなを虐める会社であることがわかって利用していた。しかし、今の人は“虐められる喜び”を満足しなくなっているので、“虐められる喜び”に関心がないために政府が表で法律や学校などの仕事をしている会社のふりをしているとそのまま政府が法律や学校などの仕事をする会社だと思って政府を利用している。政府とは別の団体がみんなに悪いことをやっていると思っている。
しかし、本当は政府は表で法律や学校などの仕事をやって、裏ではみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。政府にとっては法律や学校の仕事は自分の正体をごまかすための飾りにすぎないので、いいかげんにやっているだけである。政府は法律や学校などの仕事をちょっとだけやって、みんなを虐めることばかりやっている。政府はみんなに善いことを少しやるだけで悪いことをいっぱいやっている。政府はもともとみんなを虐める会社であり、政府の本業はみんなを虐めることだからである。テレビや新聞を見ても、政府が国民みんなに善いことをするニュースはめったになく、しょっちゅう政府が国民みんなを虐めるニュースをやっている。だから、政府は国民みんなを虐める会社なのである。政府は本来国民みんなを虐めて喜ばせるために悪いことをやっているのである。今の国民みんなはマゾではないので、今の国民みんなにとっては法律や学校などのサービスが近くに見えて虐めのサービスが遠くに見えるから、法律や学校などのサービスが大きく見えて、虐めのサービスが小さく見えるだけである。地球人にとっては地球が近くて太陽が遠いから、地球が大きく見えて太陽が小さく見えるのと同じことである。反対に、昔の国民みんなはマゾだったから、昔の国民みんなにとっては虐めのサービスが近くに見えて法律や学校などのサービスが遠くに見えたから、虐めのサービスが大きく見えて、法律や学校などのサービスが小さく見えていたのだ。人間は自分が関心があることは大きく見えて関心がないことは小さく見えるからそうなるのだ。
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。昔の国民みんなをとっつきやすくするために法律や学校などの仕事をやっているだけである。法律や学校は政府の暖簾[のれん]にすぎない。政府は入り口に法律や学校の暖簾がかかっているだけで、中身は虐めである。政府は法律や学校などの仕事をちょっとするだけで、みんなに悪いことをしてみんなを虐めることをいっぱいやっている。昔はみんながマゾだったから政府がみんなをいっぱい虐めるのが好きだった。しかし、今はみんながマゾではないから政府がみんなをいっぱい虐めるのが嫌である。
昔の人は自分の心で物を見ていたから政府が虐めているのを知って喜んでいた。今の人は自分の心で物を見ていないから政府が虐めているのを知っても嫌がらない。政府はみんなからたくさんお金を取ったり、人殺しをしてみんなを恐がらせたり、いろんな嫌がらせをしてみんなを虐めている。今の人が自分の心で見れば、政府が嫌なはずである。それなのに、今の人は自分の心で見ないから、政府が嫌なことをしていることがわからず、おとなしく政府にされるままになっている。子供はみんなが上だと思って見ているからしかたないが、いい歳した大人はみんなが下だと思って見ているからそれではいけない。子供は世界観が歪[ゆが]んで正しく物が見れないから、大人が子供に教えてやらねばならない。子供はまだ世界がわかっていないために自分の心を肯定できないが、大人は世界がわかっているから自分の心が肯定できる。だから、子供は政府が国民みんなを虐めていても嫌だと思わないが、大人は政府が国民みんなを虐めていると嫌だと思う。
政府は国民みんなを虐める会社である。政府は本来国民みんなを喜ばせるために国民みんなを虐めている。昔は国民みんながマゾだったからたしかに政府は国民みんなを喜ばせていた。しかし、今は国民みんながマゾではないから政府が国民みんなを嫌がらせている。政府と国民は平等である。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。昔の国民みんなにとっては政府が自分を喜ばせていたから、国民みんなは政府の命令を聞いて政府に税金を払っていた。今の国民みんなにとっては政府が自分を嫌がらせているから、国民みんなは政府の命令を聞かず政府に税金を払っていない。昔の国民みんなには“虐められる喜び”があったから政府の嫌がらせを喜びに変換できた。しかし、今の国民みんなには“虐められる喜び”がないから政府の嫌がらせを喜びに変換できず嫌がらせのままである。今の国民みんなにとっては政府の嫌がらせが嫌である。だから、今の国民みんなは自分が幸福に暮らすために政府を倒さねばならない。

[23586] テレビや新聞は正直である。 h30.2.21
今でも毎日テレビや新聞で政府が悪いことをしていることを報道している。政府がみんなを虐[いじ]めるために悪いことをやっているのを言っている。だから、政府は国民を虐める会社である。テレビや新聞は正直である。テレビ局や新聞社があまりまちがったことを言うと手榴弾が飛んで来るから、今ではテレビ局や新聞社は正直に報道するようになっているのだ。
しかし、国民の多くはテレビや新聞を眼で見るだけで、頭で考えていないから、テレビや新聞が言っていることを鵜呑[うの]みにして世の中はそういうものだと思うだけである。
昔の人は頭でよく考えていたから、政府が国民みんなを虐めているのを見て『政府が国民みんなを喜ばせるために虐めている』ことがわかっていた。今の人は頭で考えないから、眼で見たことをそのまま受け入れるから、政府が国民みんなを虐めているのを見て「政府が国民みんなを虐めていいのだ」と思うだけである。
しかし、本当は政府には国民みんなを虐めてもいい特権はない。政府は国民みんなを虐める会社だから国民みんなを虐めているだけである。政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞いて政府に虐められるか政府の命令を聞かず政府に虐められないかは国民の自由である。昔は国民みんながマゾだったから政府に虐められて喜んでいたからおとなしく政府に虐められていたのだ。反対に、今は国民みんながマゾではないから政府に虐められるのが嫌だから、政府に虐められることに対して抵抗しないといけないのだ。
政府は国民を虐めて喜ばせる会社である。政府は国民を虐めて喜ばせるために国民から税金を取っている。昔の国民はマゾだったから政府に税金を取られるのが好きだったからおとなしく政府に税金を払っていた。反対に、今の国民は政府に税金を取られるのが嫌だから政府に税金を取られることに抵抗して政府に税金を払わないようにしないといけない。実際に、そうしている人がたくさんいる。そのために、政府は儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。
テレビや新聞は政府が国民から税金を取るニュースを報道するだけではなく、国民が政府に抵抗して政府に税金を払っていないニュースも報道しないといけない。そうしないと今の世の中がわからない。今の世の中が正しく伝わらない。テレビや新聞は政府のことだけ放送するのではなく、国民みんなのことも放送しないといけない。
それから、テレビは映像を流すだけで解説がないのがいけない。テレビは政府が民主主義をやっているのを流すが、民主主義そのものについて解説しないから、国民の多くは「民主主義が政府が国民みんなの意思に従う国を作ることだ」と思っている。しかし、本当は『民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気持ちになる儀式であり、政府は議会や選挙をやって国民に国民みんなを拝めるようにしているだけである。』テレビは政府がやっていることの映像を放送するだけで、政府そのものについて解説しないから、国民の多くはテレビで政府が法律や教育などの仕事をしているのを見て「政府が国民みんなのために善いことをする会社だ」と思っている。しかし、本当は『政府は本当は国民に悪いことをして国民を虐める会社であり、看板が法律会社や学校会社なだけである。』あるいは、国民の多くはテレビで政府が国民みんなを虐めているのを見て「政府は国民みんなを虐めることができる」と思っている。しかし、本当は『政府と国民は平等だから、今の国民はマゾではないから、政府が国民を虐めるなら国民は政府に抵抗しないといけない』のだ。
テレビは映像と言葉のバランスを大事にしないといけない。映像だけではわからないことがある。言葉でないとわからないことがある。だから、映像と言葉の両方を大事にしないといけない。代数幾何学と同じである。映像だけではすべてのことは伝わらない。言葉でないと伝わらないこともある。もっと言葉を大事にしないといけない。映像ではわからないことを言葉で説明しなければならない。今のテレビが言葉で解説しないから、テレビを見ている国民も言葉で考えなくなっているのだ。そのために、多くの国民が世の中のことを誤解しているのだ。例えば、政府や国民みんなのことを誤解しているのだ。だから、テレビはもっと言葉を使って解説しないといけない。
ついでに、今の子供向けの百科事典も絵や写真ばっかりで言葉が足りない。そのために、今の子供は眼で見るだけで頭で考えなくなって馬鹿になっている。私が子供の頃は『小学館のこども百科事典』をよく読んだが、この本は絵と言葉のバランスがよかった。絵が楽しかった。言葉の解説が上手[うま]かった。私の学問の原点はここにある。だから、今の子供向けの百科事典ももっと言葉をたくさん使って絵と言葉のバランスを取って子供が絵を見て言葉を読んで楽しむことができるものにしないといけない。今は科学の時代である。科学では人間が実在を自分の眼で見て自分の頭で考えて実在を理解しないといけない。だから、みんなが眼と頭の両方を使うようにしないといけないのだ。テレビ局や出版社は国民みんなにテレビ番組や本を売るために国民みんなの感性に合わせたテレビ番組や本を作るのではなく、テレビ局や出版社は国民みんなが幸福に暮らせるようにするために国民みんなのためになるテレビ番組や本を作って国民みんなを引っ張っていかねばならないのだ。それも、そもそも今のテレビ局や出版社が「民主主義が国民が国民みんなに従うことだ」と誤解しているせいである。テレビ局や出版社に民主主義に対する理解がないのがいけないのだ。テレビ局や出版社は他人に世の中のことを教える前に自分自身がもっと世の中のことを勉強して世の中のことを知らねばならない。今では教える者が馬鹿だから国民みんなも馬鹿になっている。国民みんなが利口になるためにはまず教える者が利口にならねばならないのだ。
今ではみんながゲームをやってテレビや本を見なくなっているために、ゲームの仕事が儲[もう]かってテレビや本の仕事が儲からなくなっているので、頭のいい人が全部ゲームの仕事に回ってテレビや本の仕事をしなくなっている。そのために、テレビ局や出版社は頭のいい人がいなくなって正しいことがわからなくなってみんなにまちがったことを伝えて教えている。みんなに馬鹿なセンスを教えている。今ではテレビ局や出版社がみんなの足を引っ張っている。ゲームは遊ぶ物であって人間に正しいことを教える物ではない。人間にとっては実在の世界の幸福が本当の幸福であって、ゲームの世界の幸福はかりそめの幸福にすぎない。みんなが『ゲームよりも実在のほうが面白い』と思うようになれば、みんなが実在のことを知るために再びテレビや本が売れるようになる。法律会社がゲームを規制したり、学校会社が『人間にとってはゲームよりも実在のほうが面白い』ことを子供に教えれば、みんなはゲームをやらなくなって実在に帰ってくるかもしれない。今ではみんながゲームをやりすぎるために幸福に暮らせなくなっている。だから、みんなはゲームをやめればいい。
テレビの芸人はテレビ局に言われてニコニコしたり大声で笑ったりしているだけだ。台本通りにやっているだけだ。台本に「アドリブでやっているみたいにやれ」と書いてあるからアドリブみたいにやっているのだ。テレビの芸人は他人に言われた通りにやるだけのお人形にすぎない。大事なのはテレビ番組を作っているテレビ局の人間だ。どんな番組をどういう風に作るかが問題だ。早くみんながゲームの世界から現実の世界に戻ってきて、テレビ局に頭のいい人がたくさん回ってみんなを幸福にするみんなのためになる番組を作るようになればいい。
昔はみんながマゾだったから、政府が儲[もう]かっていたので、頭のいい人がたくさん政府に入っていた。だから、政府は国民みんなが喜ぶように上手にみんなを虐めていた。余ったお金でみんなのためにたくさん善いこともやっていた。しかし、今はみんながマゾではないから、政府が儲からなくなったから、頭のいい人が政府に入らなくなった。そのため、今では政府に頭のいい人がいなくなって政府自身のことが正しくわからなくなって洋画を見たり洋ゲー(ヨーロッパやアメリカのゲーム)をやったりして「政府が国民みんなの支配者だ」と思って支配者気取りで国民みんなに悪いことをやっている。人殺しばかりやったりやたらたくさんお金を取ったりしている。国民みんなに善いことをしなくなっている。頭のいい人がたくさん政府に入っていたら、頭のいい人は正しいきれいなことをするから『今の国民みんなはマゾではないから政府が要らない』と考えて自分で政府を畳[たた]むだろう。とっくの昔に政府がなくなっているだろう。今の政府は馬鹿ばっかりだからわけもわからずに国民みんなに悪いことをしているのだ。今の政府は馬鹿ばっかりだからまちがった汚いことばかりしてみんなを不幸にしているのだ。今の国民みんなにとって政府は要らない。だから、今の国民みんなで早く政府を倒さねばならないのだ。

[23587] 年寄りはマゾである。 h30.2.21
政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。今でも政府はみんなに悪いことをやっている。テレビや新聞を見ても政府はいつでも悪いことをやっていて、たまに善いことをちょっとやるだけである。
田舎[いなか]は年寄りが多い。年寄りは小さい頃に貧しい悪い環境で育ったのでマゾである。だから、年寄りにとっては今でも政府が自分を幸せにしてくれる会社なのである。田舎ではみんなが政府を支持している。
反対に、都会は若者が多い。若者は小さい頃から豊かな善い環境で育ったのでマゾではない。だから、若者にとっては政府は自分を不幸にする会社である。都会ではみんなが政府に反対している。
今ではみんなが善い環境で暮らしている。みんながマゾではなくなっている。みんなが政府に反対している。政府が潰[つぶ]れて行っている。

[23588] 『政府が悪いことをする会社である』と考えたほうが政府がやっていることがよく説明できる。 h30.2.21
政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。ただし、“虐められる喜び”はほかの感情の満足を妨げて人間が幸福になるのを阻害[そがい]する悪い喜びなので、国民は露骨[ろこつ]に“国民みんなを虐める会社”の世話になりにくいので、政府は国民みんなが政府を利用しやすいように法律や学校などの仕事をやって自分の正体を隠している。
政府は国民みんなを虐める会社だから法律や学校や水道などを使って悪いことをやっている。政府は法律や学校や水道などの仕事をいいかげんにやっているだけである。
政府は国民みんなを虐めるために法律や学校などが便利だから法律や学校などの仕事をやっている。国民みんなが政府に税金を払うから、政府が法律や学校などの仕事をやっているだけである。国民みんなが政府に税金を払わなければ、政府はお金が足りなくなって法律や学校などの仕事をやれなくなって法律会社や学校会社などを捨てる。
国民みんなが頭がよかったら昭和40年(1965年)ごろに国民みんながマゾでなくなったときにすぐに政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]したはずである。しかし、あいにく実際には国民みんなには頭のいい人が少なかったので政府が生き残ってしまったのだ。頭のいい人は日本に頭のいい人が少なくてガッカリした。
その後も、政府のことを言う人がときどきいたが、国民みんなは遊びに夢中で政府のことなんか関心がなかったので、誰も聞く耳を持たなかった。そのために、政府が生き残ってみんなを虐め続けている。
頭の悪い人は政府の看板だけを見て「政府が民主主義で国民みんなのために善いことをする会社だ」と思って政府の言うことを聞いて政府に税金を払っているのだ。
頭のいい人は政府のことをよく知っているから政府の中身を見て『政府は国民みんなを虐めて喜ばせる会社である』と考えて『今の国民みんなはマゾではない』から政府の言うことを聞かず政府に税金を払っていない。
今でも政府を支持している者がいるがそれは政府のことを誤解しているためである。「政府が国民みんなのために善いことをする会社だ」と誤解している者が政府を支持している。
しかし、テレビや新聞を見ると政府はいつでも国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐めている。政府が国民みんなのために善いことをするのはめったにない。だから、政府は国民みんなを虐める会社である。政府を支持している者はテレビや新聞を見ないから政府を支持しているのだろう。
「政府が善いことをする会社である」とすると「政府の法律が本物である」ことになって「納税の義務」が正しいことになって「民主主義が政府が権力を得る方法である」ことになる。しかし、『この世には権力がない』から矛盾する。権力は架空の概念だから権力があってはならないのだ。背理法で「政府が善いことをする会社である」ことがまちがっていることになる。反対に、『政府が悪いことをする会社だ』とすると「政府の法律がニセモノである」ことになって「納税の義務が嘘[うそ]である」ことになって「民主主義が政府が議会や選挙をやって国民に国民みんなを拝[おが]ませて楽しい気持ちにさせることにすぎない」ことになるので問題ない。
「政府が善いことをする会社だ」とすれば、テレビや新聞で政府が悪いことをたくさんやりすぎている。善いことをする会社が悪いことをするはずがないから、「政府が善いことをする会社だ」とするのはおかしい。反対に、『政府が悪いことをする会社だ』とすればすべて納得がいく。
「政府が善いことをする会社である」と考えるよりも『政府が悪いことをする会社である』と考えたほうが政府がやっていることがよく説明できる。だから、『政府が悪いことをする会社である』ことが正しい。
『政府が悪いことをする会社である』のは、『昔の国民みんながマゾだった』とすれば説明がつく。昔はみんなの環境が悪かったから、昔は人間に“虐められる喜び”があったほうが多く生き残って子供を作ったから、昔の人に“虐められる喜び”があったほうがむしろ自然である。昔のみんなは自分の“虐められる喜び”を満足するためにみんなに悪いことをしてみんなを虐める政府を建てたのだ。
『政府は悪いことをする会社である。』だから、政府には権力がなくて、国民と政府は平等である。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。昔の国民みんなはマゾだったから政府に虐められるのが喜びだったから政府の言うことを聞いて政府に税金を払って政府が儲[もう]かっていた。反対に、今の国民みんなはマゾではないから政府に虐められるのが嫌だから政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
政府は国民みんなが政府を利用しやすくするために法律や学校などの仕事をしている。しかし、政府はもともと悪いことをする会社だから、たくさん悪いことをやってちょっと善いことをやっているだけである。テレビや新聞をよく見れば政府が善いことよりも悪いことを多くやっているのがわかる。たとえ性欲が人間をちょっと幸福にしても、性欲は人間をたくさん不幸にするから、人間は性欲を満足してはいけない。それと同じように、たとえ政府が国民をちょっと幸福にしても、政府は国民をたくさん不幸にするから、国民は政府を倒さねばならない。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さねばならないのだ。
「政府が善いことをする会社であり、国民みんなは昔も今もマゾではない」世界よりも『政府が悪いことをする会社であり、昔の国民みんなはマゾだったが、今の国民みんなはマゾではない』世界のほうが矛盾がない。科学では矛盾がない体系のほうが正しい。だから、『政府が悪いことをする会社であり、昔の国民みんなはマゾだったが、今の国民みんなはマゾではない』世界が正しいことになる。政府と国民は平等であり、今の国民みんなにとって政府は要らないから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒せばいいのである。
自然科学が実在の自然について正しいことがわかっていないといけないように、社会科学も実在の社会について正しいことがわかっていないといけない。社会科学はけっして文学のような作り事ではなく、自然科学と同じように実在についての知識である。自然科学と社会科学の区別はない。ニュートンが地上と天上の境界をなくしたように、アインシュタインが古典力学の世界と電磁気学の世界の境界をなくしたように、私は自然科学と社会科学の境界をなくしたのだ。世界は統一されていなければならないのだ。
今の国民の多くは「政府が善いことをする団体だ」と思ったほうが幸せになるからそう思っているのかもしれない。しかし、それはいけない。それは戦前の人間のすることだ。文学の時代の名残[なごり]だ。人間はまちがったことを信じていると自分が不幸になるばかりでなくみんなも不幸にする。人間は正しいことを知って正しいことを実行しないといけない。人間は実在の中で生きていかねばならない。安易な空想に逃げてはいけない。今の国民みんなは『政府が悪いことをする団体だ』と考えて政府を排除しないといけない。自分の身体を動かして政府に税金を払わないようにして政府をなくさねばならない。

[23589] どうして政府のニュースでは政府が悪いことばかりやっているのか? h30.2.22
昔の人間には“虐[いじ]められる喜び”があった。昔は人間が文明が遅れていて環境が悪くて人間に“虐められる喜び”があるほうが多く生き残って子供を作ることができたので、人間には“虐められる喜び”があった。
しかし、“虐められる喜び”はほかの感情を満足を妨げるので人間が幸福になることを妨害するので満足してはいけない喜びだった。
昔の人は文明が遅れていて虐められることしか面白いことがなかったので“虐められる喜び”を満足していたが、“虐められる喜び”はあまり満足してはいけない喜びだった。
昔のみんなは自分が虐められて喜ぶために、みんなを虐めることを仕事にする政府を建てた。昔のみんなは“虐められる喜び”が満足してはいけない喜びであることを知っていたので、政府が露骨[ろこつ]にみんなを虐めると政府に仕事をしてもらいにくいので、政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをして隠れてみんなを虐めていた。そうやって、政府は客を確保[かくほ]していた。昔のみんなは政府に虐められて喜んでいた。
政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなから物やお金を強盗したり、人殺しをして国民みんなを恐がらせたり、国民みんなにいろんな嫌がらせをして国民みんなを虐めている。
政府は暖簾[のれん]が法律会社や学校会社などであるだけで、中身は国民みんなを虐める会社である。
だから、政府は法律会社や学校会社などがちょっとだけ善いことをして、虐める会社がたくさん悪いことをするのである。
だから、テレビや新聞の政府のニュースでは、政府が善いことをするのはめったになく、政府が悪いことをすることばかりやっているのだ。
しかし、今ではみんなが文明が進んで環境がよくなってみんなが“虐められる喜び”がないほうが多く生き残って子供を作れるので、みんなに“虐められる喜び”がなくなっている。
今のみんなにとってはみんなを虐める政府が邪魔[じゃま]である。政府が要らない。だから、今のみんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に税金をやらなくなって政府を倒している。民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]んで楽しい気持ちになる儀式であって、政府が国民みんなを利用して権力を得ることではない。民主主義は政府が議会や選挙をやって国民に国民みんなを拝めるようにしてやることであって、政府が国民みんなの総意に従う国を作ることではない。政府の法律や政策は国民みんなの総意で決めるのではなく、政府が自分の独断で決めている。政府の法律会社は国民みんなを虐める会社が法律会社のふりをしているだけだから、本物の法律会社ではなくニセモノの法律会社だから、政府の法律会社の法律は正しい法律ではなくニセモノの法律だから嘘[うそ]を書いている。だから、日本国憲法の序文は嘘であり、納税の義務も嘘の法律である。政府には権力がなく、政府と国民は平等だから、国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。国民が政府の言うことを聞いて政府に税金を払うか政府の言うことを聞かず政府に税金を払わないかは国民の自由である。今の国民みんなには“虐められる喜び”がなく、政府は国民みんなを虐める会社なので、今の国民みんなにとっては政府が要らないので、今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に税金をやらなくなって政府を倒しているのである。今の国民みんなは“虐められる喜び”がないから、政府に“虐められる喜び”を満足してもらわなくてもいいから、政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。政府はお金が足りなくなって法律や学校などの仕事がやれなくなって、別の会社に法律や学校などの仕事をやってもらうようになっている。政府は暖簾[のれん]がはげて虐める会社がむき出しになって国民みんなが気まずくなって政府に寄り付かなくなって政府は客がいなくなってますます潰れている。
これまでは国民みんなを虐める会社が法律や学校などの仕事をやっていたから、法律会社や学校会社などが悪いことをやって国民みんなを虐めていた。これからは国民みんなを虐めない会社が法律や学校などの仕事をやるから、法律会社や学校会社などは悪いことをせず国民みんなを虐めない。国民みんなは安心して法律会社や学校会社などに仕事をしてもらうことができる。法律会社や学校会社などが国民みんなのためにいい仕事をして国がますます発展するだろう。(東映アニメ『ビックリマン』の後半は政府(魔肖[ましょう]ネロ)が滅んでみんなが明るく暮らせる国を書けばよかった。)

[23590] 「政府が善いことをする会社だ」と思っている者は国民みんなの敵である。 h30.2.22
今では国民みんなは『政府が悪いことをする会社だが、今の国民みんなはマゾではない』と考えて、政府のいうことを聞かないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒している。
しかし、「政府が善いことをする会社だ」と思っている者が国民みんなが政府を倒すのを妨害している。例えば、会社の総務部の税金係の人は「政府が善いことをする会社だ」と思って社員みんなから税金を天引きしている。医者は「政府が善いことをする会社だ」と思ってみんなに政府の医療保険に入るのを勧める。商店は「政府が善いことをする会社だ」と思って客から消費税を取っている。
しかし、テレビや新聞を見ると政府がたくさん悪いことをやっている。政府が善いことをするのはめったにない。「政府が善いことをする会社だ」とすれば政府が悪いことをするわけがない。もっとたくさん善いことをするはずである。だから、「政府が善いことをする会社だ」と思っている者はまちがっているのだ。
政府はたくさん悪いことをやって善いことをちょっとしかしない。それは、政府の中身が悪いことをして虐[いじ]める会社であって、暖簾[のれん]が法律や学校などの仕事をして善いことをする会社にすぎないからである。政府はもともと国民みんなを虐めて喜ばせる会社であって、“虐められる喜び”が人間を不幸にする悪い喜びだから、政府は国民みんなが政府に仕事をしてもらいやすくするために「法律や学校などの仕事をする会社」の暖簾をかけて体裁[ていさい]をよくして中で隠れてみんなを虐めているのだ。つまり、政府は国民みんなを撫[な]でて殴[なぐ]る会社である。政府は国民みんなを撫でるよりも殴るほうが多い。
「政府が善いことをする会社だ」と思っている者はまちがっている。国民みんなが政府に税金を払うと、政府は国民みんなにいろんな悪いことをして国民みんなを虐める。今の国民みんなはマゾではないから、政府に悪いことをされて不幸になっている。だから、国民みんなは政府に税金を払ってはいけない。
「政府が善いことをする会社だ」と思っている者は自分の誤解を直さねばならない。みんなから税金を取って政府に税金を払わせてはいけない。そうして、早く政府を倒して、みんなに悪いことをする会社をなくして、みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。
医者が「政府が善いことをする会社だ」と思っているのは、医者が眼で見ることしかわからず頭で考えることがわからないからである。医者が眼がいいだけで頭が悪いからである。だから、医者は政府の暖簾を見ただけで「政府が法律や学校などの仕事をする善い会社だ」と思っているのだ。医者は政府の中身を見ないから『政府が悪いことをして虐める会社である』ことがわからないのだ。会社の総務部の税金係も商店も同じだ。会社の事務は馬鹿だから眼で見ることしかわからないから政府が善い会社だと思っているのだ。商人も馬鹿だから政府が善い会社だと思っているのだ。つまり、馬鹿が政府の味方だ。反対に、利口な国民は政府の敵だ。馬鹿はもっとおとなしくしてみんなの言うことを聞いてみんなから税金を取ってはいけない。

[23591] 銀行や財団があれば政府は要らない。 h30.2.22
政府は国民みんなからお金を集める銀行の役目をしている。政府はいろんなところにお金をやって仕事をさせている。しかし、政府は国民みんなに悪いことをする会社である。国民みんなにとって政府は鬱陶[うっとう]しい。だから、国民みんなで政府を潰[つぶ]して、政府のかわりに銀行や財団にお金をやればいい。そうすれば、国民みんなは政府に悪いことをされずにいろんなところにお金をやって仕事をさせることができる。
政府は国民みんなに悪いことをするが、銀行や財団は国民みんなに悪いことをしない。だから、国民みんなは政府よりも銀行や財団にお金をやりやすい。政府よりも銀行や財団のほうがみんなからお金を多く集めることができる。これからは政府よりも銀行や財団の時代だ。
銀行や財団は国民みんなを幸福にする国民みんなのためになることにお金を出してくれるので国が善い方向に発展して国民みんなが幸福に暮らせる。反対に、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社だから、政府は国民みんなを不幸にする国民みんなのためにならないことにお金を出して国を悪い方向に発展させて国民みんなを不幸する。政府は悪い財団である。だから、政府は要らない。銀行や財団があればいいのだ。
馬鹿は空想や見かけや性欲などが面白いと思っている。利口は実在が面白いと思っている。馬鹿は実在が嫌いで、利口は実在が好きである。人間は実在の中に入ると幸福になり、実在の外に出ると不幸になる。人間は実在の中で心を満足しないといけない。実在の外で心を満足してはいけない。だから、馬鹿は不幸になり、利口は幸福になる。人間はエロ本やセックスやオナニーや酒やマンガや服格好[ふくかっこう]で喜ばす、実在について考えたりスポーツをしたりして喜ばないといけない。政府は馬鹿が喜ぶことばかりにお金を出す。政府は人間が不幸になることにお金を出す。反対に、銀行や財団は利口が喜ぶことに人間が幸福になることにお金を出す。だから、国民みんなは政府よりも銀行や財団にお金をやらねばならない。
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐めるためにみんなが不幸になることにお金を出す。政府はみんなを不幸にする仕事にお金を出してみんなを不幸にする仕事をさせる。ところが、不良はみんなが不幸になることを好んでする。不良は天邪鬼[あまのじゃく]だからみんなが嫌なことが好きでみんなが好きなことが嫌いである。政府は不良のための国を作る政治団体である。政府は不良が喜ぶ国にする政治団体である。みんなにとっては普通の国民にとっては政府は用がない。むしろ邪魔[じゃま]である。だから、今の国民みんなは政府を無視して政府にお金をやらなければいいのだ。

[23592] 政府はみんなを喜ばせる会社ではない。 h30.2.22
政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。
昔の人はマゾだったから、政府に法律や学校などの仕事をしてもらったり、悪いことをして虐めてもらったりして喜んでいた。昔の人にとっては政府はみんなを喜ばせてくれる会社だった。だから、昔の人は「政府がみんなを喜ばせる会社だ」と思っていた。今でも年寄りは「政府がみんなを喜ばせる会社だ」と思っている。
しかし、今の人はマゾではないから、政府に法律や学校などの仕事をしてもらうのはうれしいが、政府に悪いことをして虐めてもらうのは嫌だ。政府は法律や学校などの仕事よりもみんなに悪いことをしてみんなを虐める仕事のほうが多いから要するに政府はみんなに悪いことをする会社だから、今の人にとっては政府はみんなを嫌がらせる会社である。
昔はみんなが「政府がみんなを喜ばせる会社だ」と思っていたために、今でも多くの国民が「政府がみんなを喜ばせる会社だ」と思って政府を支持している。政府にみんなを喜ばせてもらうために、政府の言うことを聞いて政府にお金をやっている。しかし、本当は政府は悪いことをして虐める会社だから、政府は悪いことをやっている。しかも、今の人はマゾではないから政府に悪いことをされて不幸になっている。
政府はみんなを喜ばせる会社ではなく、みんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。昔はみんながマゾだったから、昔のみんなにとっては政府がみんなを喜ばせる会社だっただけである。反対に、今はみんながマゾではないから、今のみんなにとっては政府がみんなを不幸にする会社なのである。政府はみんなを喜ばせる会社だからみんなが喜ぶことをするのではなく、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だからみんなに悪いことをするだけなのである。政府はあくまでも悪いことをして虐める会社であって、みんなを喜ばせる会社まではいかないのだ。
みんなは他人の言うことを鵜呑[うの]みにしてはいけない。年寄りの言うことをそのまま信じてはいけない。昔の人と今の人は心が違う。感性が違う。昔の人はマゾだったから虐められるのが好きだったが、今の人はマゾではないから虐められるのが嫌である。そのため、昔の人にとってはみんなに悪いことをする政府がみんなを幸福にする会社だったが、今の人にとってはみんなに悪いことをする政府がみんなを不幸にする会社である。今のみんなにとっては政府はみんなを不幸にする会社なのである。今の人は自分の眼で見て自分の頭で考えて自分の心で思って政府がみんなを幸福にする会社かみんなを不幸にする会社か判断しないといけない。昔の人の言葉を鵜呑みにして知ったかぶりをしてはいけない。

[23593] 政府は国を動かす会社ではない。 h30.2.22
政府は「法律や学校などの仕事をしている会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。
政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めることに力を入れているのであって、政府は法律や学校などには力を入れていない。政府は国民みんなに悪いことをする仕事は熱心にやっているが、政府は法律や学校などの仕事をおざなりに(つまりいいかげんに)やっているだけである。
政府は法律や学校などの仕事はテキトウにやって必要最小限にやって、国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めることは一生懸命にやっている。要するに、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。けっして、政府は国民みんなを引っ張ってリードする(指導する)会社ではない。政府は国を作る会社ではない。もっとも、政府はみんなを虐めるためにみんなからもらったお金でみんなが不幸に暮らさねばならない国つまり不良が喜ぶ国を作っているから、そういう意味では政府はみんなをリードする会社ではある。そういう意味では政府は国を動かす会社である。(政府は福祉活動の一環[いっかん]として歩道を整備してバリアフリーにしているが、それはフェイントにすぎない。政府は表ではみんなに善いことをしているふりをして裏ではみんなに悪いことをしている。政府はみんなが幸福に暮らせる国を作っているふりをして、じつはみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府はみんなの眼の付くところでちょっとだけ善いことをして、じつは目立たないところで悪いことをたくさんやっているのである。)
政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。政府はみんなからもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。
昔の国民みんなはマゾだったから、政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ることを喜んでいた。昔の国民みんなは政府にたくさんお金をやって不幸な国を作ってもらって喜んでいた。
しかし、今の国民みんなはマゾではないから、政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るのが嫌である。今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして不幸な国を作らせないようにしている。
今の政府は国民みんなからお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府は法律や学校などの仕事ができなくなって、別の会社が法律や学校などの仕事をするようになりつつある。
政府は国を動かす会社ではない。国を動かすのは国民みんなである。そもそも政府はみんなが不幸に暮らす国を作る会社である。昔は国民みんながマゾだったので政府にお金をやって政府にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせて喜んでいた。反対に、今は国民みんながマゾではないので政府にお金をやらないようにして政府にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作らせないようにしている。政府が国民みんなを動かすのではない。政府を動かすか動かさないかは国民みんなが決めることである。そもそも政府は悪いことをしてみんなを虐める会社であって、悪いことをして虐める会社が法律会社や学校会社などのふりをしているだけだから、要するに政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社にすぎず、けっして国を動かす会社ではない。特に政府の法律会社は法律会社のふりをしているみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、政府の法律会社は悪いことをして虐めるだけの会社であって、国を動かす会社ではない。
将来、政府が潰[つぶ]れて、政府とは別に法律会社や学校会社などが建てば、法律会社は国民みんなが幸福に暮らせる国を作るだろう。法律会社は国民みんなに命令して国民みんなが幸福に暮らせる国を作る。学校会社は子供が幸福に暮らせるように子供を教育する。そういうことを“国を動かす”と呼んでいるだけである。これまでは政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、政府の法律会社はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っていた。政府の学校会社は子供が不幸に暮らさねばならないように子供に教育していた。国民の多くは政府の法律会社にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらうためにたくさんお金をやっていた。政府の学校会社に子供が不幸に暮らさねばならない教育をしてもらうためにたくさんお金をやっていた。とんだ無駄金[むだがね]使いだ。もっとも、不良は喜んだかもしれないが。みんなで今後の法律会社や学校会社の活動に期待しよう。

[23594] 政府は国を動かす会社である。 h30.2.22
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐[いじ]める会社である。そのために、政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。政府はみんなから税金をもらってみんなに命令してみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。道徳は素人[しろうと]にはわかりにくいから、国民は政府の言いなりになってみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。
政府は国民みんなに命令してみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。だから、政府は国を動かす会社である。
“国を動かす”とは団体がみんなに命令して国を作らせることだから、たしかに政府は国を動かす会社である。
昔はみんながマゾだったから、政府にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらって喜んでいたから、政府にお金をやって政府に国を作ってもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないから、政府にみんなが不幸に暮らさねばならない国を作られるのが嫌だから、政府にお金をやらないようにして政府に国を作らせないようにしている。
政府は国を動かす会社だが、その政府を動かすのは国民みんなである。国民みんなが政府にお金をやれば政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るし、国民みんなが政府にお金をやらなければ政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作らない。政府が動くか動かないかを決めるのは国民みんなである。
今の国民みんなはマゾではないから、国民みんなで早く政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]して、政府と別に法律会社を建てて、法律会社に国民みんなが幸福に暮らせる国を作ってもらわなければならない。政府と別に学校会社を建てて、学校会社に子供が幸福に暮らせる教育をしてもらわねばならない。これまでは政府に法律や学校の仕事をやらせていたから、政府の法律会社が国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作って、政府の学校会社が子供が不幸に暮らさねばならない教育をしていたのだ。早くみんなで政府を倒して、政府がみんなを不幸にすることをやめさせないといけない。
“国を動かす”とはまずどういうことかをよく考えてから、政府が国を動かすかどうか決めなければならない。私はここで“国を動かす”とは“団体がみんなに命令して国を作ることだ”としたから、政府が国を動かすことになったのだ。ほかに“国を動かす”ことが“団体がみんなを好き放題にすることだ”とすれば、政府と国民は平等なので、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由なので、政府は国を動かさないことになる。“国を動かす”ことの定義によって、政府は国を動かすことにも国を動かさないことにもなるのである。

[23595] 政府は今の国民みんなが幸福に暮らせる国を作る会社ではない。 h30.2.22
政府は「法律や学校などの仕事をしている会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。
政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐めるために、国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。もっとも、不良はみんなと反対だから、不良にとっては幸福に暮らせる国を作っている。
もっとも、政府は「法律や学校などの仕事をしている会社」のふりをしているみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社だから、政府はみんなの眼につくところでちょっとだけ善いことをやって目立たないところでたくさん悪いことをしているから、人によっては「政府はみんなが幸福に暮らせる国を作る会社である」ように見える。しかし、本当は『政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社』なのである。
昔のみんなはマゾだったので、政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るのがうれしかったので、政府にお金をやって国を作ってもらっていた。昔はみんなが“虐められる喜び”があったから、政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ることが政府がみんなを虐めることになって“虐められる喜び”で政府がみんなを幸福にすることになったのである。
反対に、今のみんなはマゾではないので、政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るのが嫌なので、政府にお金をやらないようにして国を作らせないようにしている。今はみんなが“虐められる喜び”がないから、政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ることがそのままだから、国民みんなは政府がみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るのが嫌なのである。
いくら今のみんなが政府にたくさんお金をやっても、政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るだけである。政府はけっして今のみんなの気に入る国を作らない。民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]む祭りであって、政府が国民みんなに従うことではないから、政府は自分の独断で国を作るだけである。しかも、政府はもともとみんなに悪いことをする会社だから、政府はみんなが不幸に暮らさねばならない国を作るだけであって今の国民みんなの気に入る国を作らない。今の国民みんなが政府にお金をやっても無駄[むだ]である。だから、今のみんなは政府にお金をやらないようにして政府に国を作らせないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23596] 政府は“国民みんなが不幸に暮らさねばならない国”を作る会社である。☆ h30.2.22
政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。
政府は「法律や学校などの仕事をする会社」のふりをしてみんなの眼につくところでちょっとだけ善いことをやって、みんなの眼につかないところで国民みんなを虐めるためにたくさん悪いことをやっている。
要するに、政府はみんなに悪いことをしてみんなを虐める会社である。政府はみんなを虐めるためにみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。
政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作る会社である。政府は国民みんなに道徳に反することをやらせて悪い喜びを満足させて国民みんなが不幸に暮らさねばならない国にしているのである。政府はみんなに性欲や“虐められる喜び”や空想の喜びや見かけの喜びを満足させてみんなを実在の外で暮らすようにさせてみんなを不幸にしているのだ。
ところが、昔のみんなはマゾだったから、“虐められる喜び”によって国民みんなが不幸に暮らさねばならない国が国民みんなが幸福に暮らす国にひっくり返っていたから、政府にお金をやって国を作ってもらっていた。(だいぶ前にNHK教育の『おーい!はに丸』(1983年6月8日分)で、はに丸が何度もフライパンをひっくり返して「ひっくり返す」と言いながら気持ち悪い声で笑うシーンがあった。NHKは「今でも国民みんながマゾだ」と思っているのかもしれない。)
反対に、今のみんなはマゾではないから、“虐められる喜び”がないから国民みんなが不幸に暮らさねばならない国がそのまま不幸に暮らさねばならない国だから、政府にお金をやらないようにして国を作らせないようにしている。
昔は文学の時代だったからみんなは心の世界に生きていた。政府は現実の世界ではみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っていたが、みんなの心の世界では現実の世界が“虐められる喜び”でひっくり返ってみんながみんなが幸福に暮らしている国に生きていた。みんなが政府に国を作って欲しかったので政府にたくさんお金をやって政府が儲[もう]かっていた。
しかし、今は科学の時代だからみんなは実在(現実と同じ)の世界に生きている。政府は現実の世界ではみんなが不幸に暮らさねばならない国を作っているので、今のみんなはそのままみんなが不幸に暮らさねばならない国に暮らしている。みんなが政府に国を作ってもらうのが嫌なので、政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。

[23597] 政府が国民みんなから税金を取っていることが、政府が国民みんなに悪いことをする会社である証拠である。 h30.2.22
民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]むことであって、政府が権力を得る方法ではない。だから、政府には権力がない。政府と国民は平等である。
それなのに、政府は国民みんなと契約せずに国民みんなから税金を取っている。これはもはや強盗にほかならない。政府が悪いことをしている証拠である。だから、政府は国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社なのである。
政府がこれ以上やると本当の犯罪になるので、政府は国民に税金を払えと命令するだけで無理やり取ることはない。国民が政府の言うことを聞いて政府に税金を払うか、政府の言うことを聞かず政府に税金を払わないかは国民の自由である。
どうして政府がこんなことをするかと言うと、政府が国民を脅[おど]して国民を虐めて国民を喜ばせるためだと考えるしかない。
昔の国民みんなはマゾだったので政府に虐められると快感を覚えたので、昔の国民は政府に虐められて喜ぶために政府に税金を払っていたのだ。政府はみんなからもらったお金を使ってみんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってみんなを虐めてみんなを幸せにしていたのだ。
しかし、今の国民みんなはマゾではないので政府に虐められると腹が立つだけなので、今の国民は怒って政府に税金を払わなくなった。政府はお金が足りなくなってみんなを不幸にする国が作れなくなって悲しんでいる。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れつつある。

[23598] 政府は“国民みんなが不幸に暮らさねばならない国”を作る会社である。 h30.2.23
政府は「法律や学校などのことをする会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐[いじ]める会社である。(みんなは“虐められる喜び”は満足してはいけない喜びだと思っているので、政府がみんなを虐める会社のままだとみんなは政府に虐めてもらうことができない。政府が「法律や学校などのことをやる会社」のふりをすれば、みんなは「政府はみんなを虐める会社ではない」と思うので、みんなは政府に悪いことをして虐めてもらうことができるのだ。子供が医者が恐いので医者が着ぐるみをかぶって医者でないふりをすれば子供が恐がらなくなって医者が子供を診れるのと同じだ。この喩[たと]えが、『宇宙大作戦』の「危機一髪!OK牧場の決闘」だ。みんなは“虐められる喜び”を満足してはいけないと思っているので、みんなが『政府が虐める会社だ』と思っているかぎりみんなは政府に虐められることができないが、政府が「法律や学校などをする会社」の看板を出しているためにみんなは『政府が虐める会社だ』と思わなくなって政府に堂々と悪いことをされて虐められることができるのだ。看板←カンバン←カバ←カブ(バ≒ブ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私←スポック(私≒スポック)だから、スポックがみんなに暗示をかけて『政府がみんなに悪いことをする会社だ』と思わせないようにしたのだ。もっと簡単に言えば、人間が性欲を満足してはいけないと思っているために性器を葉っぱで隠すように、人間が“虐められる喜び”を満足してはいけないと思っているために『みんなを虐める会社』を「法律や学校などのことをやる会社」で隠すのだ。「法律や学校などのことをやる会社」は葉っぱのかわりなのだ。人間が満足してはいけない喜びに対してはなにかで隠さねばならない決まりがあるのだ。h30.2.24追加:あるいは、「危機一髪!OK牧場の決闘」は「政府は犯罪組織ではないから特定の個人に対する攻撃はできない」ことを言っているのかもしれない。これまではマゾが自分のほうから喜んでお縄について政府に極刑に処せられたのである。だから、国民は政府にケンカを売ったからといって怖がる必要はない。国民はみんなに政府のことを教えてやればいいのだ。)
政府は国民みんなに悪いことをして虐めるために、国民みんなからもらったお金を使って“国民みんなが不幸に暮らさねばならない国”を作っている。政府は国民みんなの家や服や食べ物を国民みんなの趣味に合わないものにしたり、国民みんなにまちがった道徳を教えてみんなに道徳に反することをやらせてみんなを不幸にしたりしている。政府は国民みんなに性欲や“虐められる喜び”や見かけの喜びや空想の喜びを満足させてみんなを実在の世界の外に放り出してみんなが幸福に生きていけないようにしている。
昔はみんながマゾだったので、みんなが政府に虐められて喜んでいたので、みんなが政府にお金をやって政府に“みんなが不幸に暮らさねばならない国”を作ってもらっていた。
反対に、今はみんながマゾではないので、みんなが政府に虐められるのが嫌なので、みんなが政府にお金をやらなくなって政府に“みんなが不幸に暮らさねばならない国”を作らせなくなった。
今の政府はお金が足りなくなって「法律や学校などのことをする会社」のふりができなくなって、別の会社に法律や学校などの仕事をやってもらうようになっている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れつつある。
政府は国民みんなからもらったお金(税金や医療保険費や国民年金のかけ金や消費税など)を使って“国民みんなが不幸に暮らさねばならない国”を作る会社である。政府は悪い国を作る財団である。今の国民は“国民みんなが不幸に暮らさねばならない国”が嫌である。政府と国民は平等である。だから、今の国民みんなは政府にお金をやらないようにして政府に国を作らせなければいいのだ。早く国民みんなで政府を倒して、国民みんなが幸福に暮らせる国にしないといけない。

[23599] 民主主義は政府が権力を得るための方法ではない。☆ h30.2.23
民主主義は国民が国民みんなを拝[おが]むことであって、国民が国民みんなに従うことではない。民主主義は国民が国民みんなが拝んで気持ちよくなることであって、国民が国民みんなで多数決を採って多数決の結果に従うことではない。もっとも、日本人は個人主義だから国民みんなを拝んでも気持ちよくならない。
日本国憲法序文で「政府が国民みんなの総意で国を作る」と書いているのは嘘[うそ]である。社会科の教科書に「民主主義とは国民が国民みんなに従うことだ」と書いているのは嘘である。政府は「法律や学校などのことをしている会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社であって、政府の法律会社や学校会社はニセモノの法律会社や学校会社であって本物の法律会社や学校会社ではないから、政府の法律はニセモノの法律だから嘘を書いているのである。政府の教科書はニセモノの教科書だから嘘を書いているのである。
民主主義は本当は国民が国民みんなを拝むことだから、国民が国民みんなに従うことではないから、政府が国民みんなに従っていても国民は政府に従わなくていい。国民と政府は平等である。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民が政府の医療保険に入るか入らないかは国民の自由である。
同じように、国家宗教は国民が神を拝むことであって、国民が神に従うことではない。国家宗教は国民が神を拝んで気持ちよくなることであって、国民が神の考えに従うことではない。政府が国家宗教をやっていても、国民は政府に従わなくていい。国民と政府は平等である。国民は政府の命令を聞かなくていい。
同じように、身分制は国民が政府を拝むことであって、国民が政府に従うことではない。身分制は国民が政府を拝んで気持ちよくなることであって、国民が政府の命令を聞くことではない。政府が身分制をやっていても、国民は政府に従わなくていい。国民と政府は平等だから、国民は政府の命令を聞かなくていい。
国民と政府は平等である。政府は「法律や学校などのことをやっている会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。要するに、政府はみんなに悪いことをして虐める会社である。今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなにとっては政府が要らない。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞かず政府にお金をやらず政府を倒せばいいのである。実際に、国民みんなはそうしている。政府はお金が足りなくなって「法律や学校などのことをやる会社」のふりができなくなって、ほかの会社が法律や学校などの仕事をやるようになっている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れつつある。

[23600] テレビや新聞をよく見れば『政府が悪いことをやる会社である』ことがわかる。 h30.2.23
政府は「法律や学校などのことをやる会社」のふりをしている国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める会社である。
政府はみんなの眼につくところでちょっとだけ善いことをやってみんなの眼につかないところでたくさん悪いことをやっている。
そのため、国民の多くは「政府が善いことをやる会社だ」と思って政府の言うことを聞いている。
しかし、本当は『政府は国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐める会社である。』政府は国民みんなを虐めるために国民みんなからお金を強盗して国民みんなからもらったお金を使って国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。
国民の多くは「政府が善いことをやる会社だ」と思って政府の言うことを聞いて政府にお金を出して政府に国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作ってもらっている。国民の多くは自分で自分を不幸にしている。
本当は、『政府は悪いことをやる会社である。』テレビや新聞をよく見れば、政府が悪いことをやっているのがわかる。いくら『悪いことをやって虐める会社』が「法律や学校などのことをやる会社」で隠していても自分の正体が見えている。政府は国民みんなが不幸に暮らさねばならない国を作っている。だから、みんなは政府にお金をやってはいけない。


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