[23401] どうしてみんなは政府のことを言わないのか? h29.11.5
今では頭のいい人は『政府は国民を虐[いじ]める会社である』と考えて政府の言うことを聞いていない。政府の言うことを聞かずに政府に虐められないようにして幸福に暮らしている。
反対に、頭の悪い人は「政府は民主主義の善い会社である」と思って政府の言うことを聞いている。政府の言うことを聞いて政府に虐められて不幸に暮らしている。今の政府は馬鹿をからかう会である。
今の政府は馬鹿を不幸にして馬鹿を殺す会社である。だから、このまま国民みんなを放[ほう]っておけば、利口が増えて馬鹿が減って日本がいい国になる。だから、みんなは政府のことを言わないのである。政府について本当のことをみんなに教えないのである。
しかし、本当の馬鹿は他人に正しいことを教えてもらってもわからない。他人に正しいことを教えてもらってそれを理解できるのは馬鹿ではない。だから、みんなに政府のことを教えてもかまわない。だから、私はみんなに政府について本当のことを言って本当のことを教えるのだ。

[23402] 昔の人はみんなマゾだった。 h29.11.5
人間はある程度以上虐[いじ]められると“虐められる喜び”が出来てマゾになる。人間は毎日虐められていると虐められることが快感になる。人間にはそういう性質がある。おそらく虐められる苦しみを弱めて生きて行きやすくするためだろう。
昔の人はみんなマゾだった。昔の人は科学をやらなくて実在がわからなくて実在をどうしようもなくて実在に病気や災害や飢饉[ききん]で苦しい思いをさせられて実在に虐められていた。昔の人は実在に虐められすぎていたのでマゾだった。そのため、昔の人は政府を建てて政府に虐められて喜んでいた。昔の人は自分のほうから政府の命令を聞いて政府に虐められて喜んでいた。みんなを虐めることが政府の仕事だった。政府はみんなに命令してみんなから高い税金を取ったり、みんなにまちがった経済政策をやらせてみんなを貧乏にしたり、みんなにまちがった法律や制度や文化をやらせてみんなを嫌がらせたりしてみんなを虐めていた。政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって“国民みんなや神や古臭い物に弱い国民”を政府に従う気持ちにさせて国民に政府の命令をよく聞くようにさせていた。いわば、政府の民主主義や国家宗教や身分制はグリコのおまけのようなものである。グリコのキャラメルにおまけを付けたらグリコのキャラメルがよく売れるように、政府の“虐めの命令”に民主主義や国家宗教や身分制を付けたら、国民が政府の命令をよく聞くのである。政府はそうやって国民に税金の命令をよく聞かせて国民からたくさん税金を取って儲[もう]けているのである。(鳥山明のマンガ『ドクタースランプ』のアラレちゃんの敵役がキャラメルマンという名前なのは、グリコのキャラメルが政府の虐めに相当するからである。キャラメルの形が人間の拳[こぶし]に似ていて暴力つまり政府の虐めを表しているからである。私が高校生の頃鳥山明の『ドクタースランプ』が好きでジャンプを毎週買って読んでいたが「キャラメルマン」が変な名前だと思うだけで「キャラメルマン」という名前の意味がわからなかった。それから40年ぐらい経[た]ってやっと意味がわかった。子供にはそんなことはわからない。少年ジャンプの編集部は子供にわかりやすくするために欄外[らんがい]に解説を書いておいて欲しい。/民主主義とは、政府が国民みんなに従うふりをして、“国民みんなに弱い者”を政府に従う気持ちにさせることである。政府は民主主義をやるために国民の眼の前で法律や学校や水道やゴミの処理や役所などの善いことをやっている。そうした上で、政府は国民に悪い命令を出して国民を不幸にして虐めている。スイカ売りが見本のスイカだけ熟[う]れて美味[おい]しくて、売り物のスイカは熟れてなくて不味[まず]いように、政府は国民の眼の前では水道やゴミや法律や学校や役所などの善いことをやって、実際には国民に悪い命令を出している。スイカ売りが見本のスイカを美味しくすることによって不味いスイカをよく売れるようにしているように、政府は国民の眼の前で善いことをすることによって悪い命令を国民によく聞くようにさせているのだ。もっとも、昔の人はマゾだったから政府に虐められるのが好きだったから政府が民主主義や国家宗教や身分制をしなくても政府の悪い命令を聞いていたから、政府は国民に悪い命令をもっとよく聞かせるために民主主義や国家宗教や身分制をやっていたのであって国民を騙[だま]すためではなかったのである。)
反対に、今の人はみんなマゾではない。(少数の例外はいるが。)今の人は科学をやるようになって実在がわかるようになって実在を思い通りにできるようになって病気や災害や飢饉を防いで実在に虐められなくなっている。そればかりか今の人は実在を利用してテレビやゲームやマンガなどを作って楽しんで生活している。今の人はもはや実在に虐められなくなったのでマゾではなくなっている。そのため、今の人は自分が政府に虐められないようにするために、自分で政府の言うことを聞かないようにして、政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。
政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民にいろんな悪いことを命令して国民に悪いことをやらせて国民を虐める。今は国民みんなが“虐められる喜び”がないために国民の多くが政府のことを誤解して「政府は民主主義で善いことをする会社であり、国家権力があるために国民を虐める」と思って政府の言うことを聞いているのである。そのために、国民みんなが政府に悪いことをされて不幸に暮らしている。早く国民の多くが『政府が国民を虐める会社であり、政府は国民を政府に従う気持ちにさせるために民主主義をやっているだけであり、国民には政府に従う義務はない』ことを知って自分の誤解を直して政府の言うことを聞くのをやめて政府がみんなに悪いことをするのをやめさせないといけない。早く国民みんなが政府の言うことを聞くのをやめて政府に虐められるのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰して幸福に暮らさないといけない。
h29.11.8追加:税金はマゾの人が自分が政府に虐められて喜ぶために自主的に政府に払うものである。だから、今の人は自分がマゾでなければ政府に税金を払わなければいいのである。

[23403] 幸福の法則☆ h29.11.6
人間は五感と知覚を使って実在を知り、実在の中で自分の心を満足することによって幸福になれる。これ以外に人間が幸福になれる方法はない。
例えば、人間は五感と知覚を使って『政府が国民を虐める会社である』ことや『今の人間がマゾではない』ことを知る。したがって、今の自分が政府の言うことを聞かないことによって自分の心を満足して幸福になればいいのである。
人間がオナニーやセックスをやって性欲を満足すると知覚が働かなくなる。性欲は動物的な感情であり、動物には知覚がないから、人間が性欲を満足すると知覚にブレーキがかかって知覚が働かなくなるのである。人間が性欲を満足すると知覚が働かなくなって実在が認識できなくなって実在の中で自分の心を満足できなくなって幸福になれなくなる。だから、人間は性欲を満足してはいけない。
人間が麻薬をやると、五感や知覚を使って実在を認識しなくなって、実在の中で自分の心を満足しなくなって幸福になれなくなる。だから、人間は麻薬をやってはいけない。(h29.11.15追加:麻薬をやると麻薬がすごい快感になるだけでそれ以外のことがすべて嫌になる。総合的にはかえって不幸になる。麻薬をやらなければすごい快感はないがそこそこ楽しいことがいっぱいある。麻薬をやるよりも麻薬をやらないほうが総合的には喜びが多い。だから、麻薬をやってはいけない。)
人間が空想や見かけの喜びに耽[ふけ]ると、五感と知覚の両方を使って実在を認識しなくなって、実在の中で自分の心を満足しなくなって幸福になれなくなる。だから、人間は空想や見かけの喜びに耽ってはいけない。
人間は実在の中に生きている。だから、人間はいつも実在を認識して実在の中で心を満足して実在の世界の中で生きていなければならない。そうすれば人間は幸福になれる。

[23404] 今の人は誰も喜ばないことをやっている。 h29.11.10
人間は他人の考えていることはわからない。他人の見掛けしかわからない。
そのため、今の人は他人を喜ばせるために見かけをよくしている。自分を他人にわかってもらうために見かけのことばかり気を使っている。しかし、それではいったい誰が喜ぶのだろうか?人間は自分が認識していることしかわからないから、自分が喜ばずして誰が喜ぶのだろうか??だから、人間は自分の喜びを第一にすればいいのである。人間にとっては考える喜びが最大の喜びだから、考える喜びを第一にすればいいのである。
人間にとっては他人のこと(他人が感覚していること)がわからない。だからこそ、銘々[めいめい]が自分で自分の面倒を見ないといけないのだ。それが人間社会なのだ。
h29.11.13これ以降追加:人間は自分が他人にわかってもらうよりも、自分が他人をわかればいい。いいわけ臭い生き方をするな!だから、人間は自分が考えることを第一にすればいいのである。人間は自分が他人に見られることよりも自分が他人を見ることを優先すればいいのである。そのほうが人間が幸福に生きられるからそうしないといけない。それが道徳というものだ。
頭で考えない役立たずの馬鹿が“見られる文化”を流行[はや]らせているのだ。文系のサラリーマンが“見かけの文化”を流行らせているのだ。文系の馬鹿は考える才能がないから眼で見ることしかわからないからファッションの才能しかないから自分が有利になるために“見かけの文化”を流行らせているのだ。しかし、人間は眼と頭で実在を理解して実在の中で自分の心を満足することによって幸福になれる。文系は頭で考えないから幸福になれない。文系のやつは道徳がわからないほど馬鹿なのだ。文系は自分の心を満足していないから慢性欲求不満で鬱病[うつびょう]に罹[かか]っている。文系はいつも気分が暗くて落ち込んでいる。文系は要らない人間だ。ゴミも要らない。だから、文系はゴミなのだ。だから、みんなは自分が幸福になるために“見かけの文化”をやってはいけない。
日本人やドイツ人やイギリス人が不細工[ぶさいく]なのは眼で見て頭で考えて実在を知って実在の中で心を満足して生きてきたからである。だから、日本人やドイツ人やイギリス人は幸福なのである。日本人にとっては見かけはどうでもいいから日本人は不細工なのである。人間にとって大事なのは幸福であって見かけではない。日本人は日本の文化をやめてはいけない。

[23405] 女は軽蔑[けいべつ]の対象ではない。 h29.11.13
女は男に比べて知覚が弱い。筋力も弱い。
しかし、だからといって女を軽蔑してはいけない。
軽蔑すべきは道徳を犯す者である。例えば、人間は性欲を満足してはいけないのに性欲を満足する者は軽蔑すべきである。『性欲を満足してはいけない』ことを知らない者も軽蔑すべきである。人間は麻薬をやってはいけないのに麻薬をやる者は軽蔑すべきである。
女は知覚が弱いだけで道徳を犯してはいないから軽蔑すべきではない。たとえ女を軽[かろ]んじることはあっても蔑[さげず]んではいけない。
人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足して幸福になる。『女が男よりも頭が悪い』のは事実である。事実に対して感情を働かせてはいけない。事実を認めた上で自分が物を操作して自分が幸福になるようにしないといけない。だから、『女が知覚が弱い』世界の中で自分が幸福に暮らすようにすればいい。『女が男よりも知覚が弱い』ことを認めた上で、適切な社会制度を定めて、みんなが幸福に暮らせる社会にすればいい。
女は子供を産んで育てるために生きているだけである。それ以外は遊んでいるだけである。女はそういう生き物である。一方、男は頭を使って幸福に生きる生き物である。男と女は人生が違う。男に子供を産む能力がないように、女には考える能力がない。だから、男が女が頭が悪いといって女を軽蔑したり、女が男が子供を産めないといって男を軽蔑したりしてはいけない。
男が考えることが好きなように、女は子供を産んで育てることが好きである。男が子供を産んで育てることが嫌いなように、女は考えることが嫌いである。(父親が子供といっしょにいるのはいいが、父親が子供とベタベタするのは見づらい。)しかし、人間は実在を知って実在を支配して幸福になる。人間が考えなければ実在を支配できない。だから、男が女をリードしなければならないのである。逆に女は男に従わねばならないのだ。そうやって、男も女もみんなが幸福に暮らせばいいのだ。
昔のヨーロッパの宗教団体が「太陽が動いて地球は止まっている」と嘘[うそ]をついてみんなを騙[だま]していた。そのために自然科学がまちがってみんなが幸福に暮らせなかった。それと同じように、今の政府は「女は男と同じくらい頭がいい」と嘘をついてみんなを騙している。そのために、社会科学がまちがってみんなが幸福に暮らせなくなっている。宗教団体や政府はみんなを虐[いじ]める団体だから、みんなを虐めるためにわざとにみんなにまちがったことを教えてみんなにまちがったことをやらせてみんなを不幸にするのである。もっとも、昔の人はマゾだったから宗教団体や政府に不幸にされて虐められて喜んでいたからそれでよかった。しかし、今の人はマゾではないから、みんなは宗教団体や政府の嘘に騙されないようにして正しいことを知って正しいことをやって幸福に暮らさねばならない。

[23406] 大阪はなぜ虎[とら]なのか? h29.11.13
『虎の威を借る狐[きつね]』のおとぎ話では、トラが国民みんなでキツネが政府である。政府は民主主義をやって国民みんなに従っているふりをして自分に国家権力があるふりをしているから『虎の威を借る狐』なのである。しかし、本当は政府は国民みんなに従っているふりをしているだけで国民みんなに従っていないから国家権力はない。間接民主制はまさしくそういう制度である。しかも、今は科学の時代だから実在がすべてを決めるのであって国民みんなが決めることがないから国家権力そのものがない。そのため、国民はますます政府に従わなくなっている。
大阪には虎のマークがたくさんある。だから、大阪は国民みんなの町なのである。
反対に、東京は政府の町である。東京人は何でも政府の言うことを聞く。
大阪は国民みんなの町だから大阪人はなんでも自分で決める。
もっとも昔はみんながマゾだったから、大阪人もマゾだったから東京人と同じように政府の言うことを聞いて政府に虐[いじ]められて喜んでいた。
しかし、今はみんながマゾではないから、大阪人もマゾではないから政府の言うことを聞かなくなって自分勝手にやっている。
反対に、東京は政府の町である。東京人はマゾである。東京は日本中のマゾが集って作った町である。東京は精神異常者の集まりである。東京人はマゾだから政府の言うことをなんでも聞く。だから、テレビ局や出版社は政府の言いなりになって政府の正体をばらさないのである。

[23407] どうして大阪には暴力団が多いのか? h29.11.13
政府や宗教団体や暴力団はみんな国民を虐[いじ]める会社である。
大阪に暴力団が多いのは大阪がインド文化をやっているからである。大阪人は頭がいいからインド文化をやっているのである。(h29.12.13追加:マンガの『いなかっぺ大将』の西一[にしはじめ]がメガネをかけているのは、西一が大阪人だからである。大阪人はインド文化をやっている。インド人は頭で考えることが好きで眼で見ることが嫌いである。だから、大阪人は眼で見ることが嫌いである。つまり、大阪人は眼が悪い。だから、西一はメガネをかけているのである。大阪人は自分がインド文化をやっていることを形に表すためにわざわざメガネをかけているのである。大阪人は自分の文化に誇[ほこ]りを持っているから、みんなにメガネが目立つように黒縁[くろぶち]にしているのだ。)
反対に、東京に政府があるのは東京が中国文化をやっているからである。東京人は面白本位だから中国文化をやっているのである。
東京は中国文化の町である。日本文化の町ではない。東京人は心が発達しているのであって頭が発達しているのではない。つまり、東京人はアホである。だから、東京では芸能や娯楽文化(例、マンガ)が盛んなのである。テレビや雑誌が政府のことを何かに喩[たと]えて曖昧[あいまい]に言うばっかりで政府のことをはっきりと言わないのは東京が中国文化だからである。東京が日本文化ならはっきり言う。
田舎[いなか]には政府も暴力団も宗教団体もない。それは田舎が日本文化をやっているからである。田舎者は自然に従うから日本文化なのである。田舎のほうが都会よりも文化の質が優れている。
しかし、今では科学が浸透してみんなが科学をやるようになっている。科学はインド文化と中国文化とヨーロッパ文化が統合された世界文化である。科学は日本文化である。今では日本中でみんなが科学をやってインド文化や中国文化やヨーロッパ文化をやめている。そのために、政府や暴力団や宗教団体が人気がなくなって流行[はや]らなくなっている。今では文明が発達してみんながマゾではなくなっている上にみんなが科学をやっている。そのために、政府や暴力団や宗教団体はダブルパンチを食らって滅ぶ寸前である。

[23408] 東京は中国文化の町である。 h29.11.14
要するに、東京は中国文化の町である。中国文化では科学をやらないからみんなが実在に虐[いじ]められてマゾになって政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に虐めてもらって喜んでいるのだ。心の世界から見ると実在の世界は厳しくて実在に虐められているからマゾになっているのである。
大阪はインド文化の町である。インド文化では科学をやらないからみんなが実在に虐められてマゾになって暴力団を建てて暴力団の言うことを聞いて暴力団に虐めてもらって喜んでいるのだ。頭だけでは実在がわからなくて実在が思い通りにならなくて実在に虐められているからマゾになっているのである。
その他の田舎[いなか]は日本文化をやっている。日本文化では科学をやるからみんなが実在に虐められなくなってマゾではなくなって政府や暴力団や宗教団体の言うことを聞かないようにして虐められないようにしている。科学をやると実在の世界を肯定して心を実在に従わせるからもはや実在が嫌ではなくなって実在に虐められなくなってマゾではなくなるのである。
昔はみんながまだ科学をやらなくて不便に暮らしていて実在に虐められすぎて精神異常を来たしてマゾになっていたから日本中に政府や宗教団体や暴力団があってみんなが虐められて喜んでいた。今はみんなが科学をやるようになって便利に暮らしていて実在に虐められなくなって正気になってマゾではなくなっているから日本の特定の地域以外では政府や宗教団体や暴力団がなくなってみんなが虐められなくなっているのだ。
人間が面白本位で生きていると中国文化をやるようになって東京に住むようになる。人間が論理本位で生きているとインド文化をやるようになって大阪に住むようになる。人間が実在本位で生きていると科学をやるようになって田舎に住むようになる。人間の生き方が住所を決めるのだ。今では人間が科学をやると幸福に暮らせることがわかっている。人間にとって大事なのは幸福であって面白さでも論理でも見かけでもない。だから、みんなが科学をやればいい。東京や大阪を人がいない町にして滅ぼせばいい。

[23409] どうして昔の人はマゾだったか?☆☆ h29.11.14
人間は毎日虐[いじ]められていると虐められることが快感になってマゾになる。
昔は文学の時代だった。昔の人はまだ科学をやっていなくて実在のことを知らなかった。昔の人は心の世界に生きていた。昔の人は空想の世界で自分の心を満足していた。心の世界から見ると実在の世界は厳しい。実在の世界はできないことが多すぎて思い通りにならないことが多すぎて辛[つら]い。そのために、昔の人は毎日自分が実在に虐められていると思っていたのでマゾになっていたのである。
反対に、今は科学の時代である。今の人は科学をやっていて実在を知って実在の中で自分の心を満足している。今の人は心が実在に従っている。今の人は空想しなくなっている。そのために、今の人は実在の中で自分ができないことや思い通りにならないことをしようと思わなくなっているために実在を厳しいとも辛いとも思わなくなっている。今の人は自分が実在に虐められていると思わなくなったのでマゾにならなくなったのである。
昔の人は空想の世界に生きていて空想が本位で空想と実在を比較して実在が辛いと思っていたので自分が実在に虐められていると思っていたのでマゾだった。反対に、今の人は空想がわからなくなって実在しかないから実在の世界の中だけで暮らしているから実在が辛いと思わなくなったのだ。そのために、今の人はマゾが治ったのだ。
人間は実在を知り実在の中で心を満足すればマゾが治る。人間は科学をやればマゾが治る。科学をやらない人は今でもマゾである。今の時代にもマゾがいるのはそのためである。今の科学の時代でも心主義の人は実在が自分の心に反していて自分が実在に虐められていると思っているからマゾである。人間がマゾになるのは自分が科学をやらないせいである。人間がマゾになるのは自分が悪い。他人は悪くない。だから、マゾの人は政府の命令で他人に悪いことをして他人に迷惑をかけてはいけない。マゾの人は政府の命令で自分に対してだけ悪いことをしないといけない。
マンガの世界でも原理となる設定があってその世界の中で面白いことを考えて絵に描[か]く。それと同じように、実在の世界にも原理があってその世界の中で自分の心を満足することを考えて実現する。マンガの世界でも実在の世界でもやることは同じである。だから、人間は実在の世界の中でがんばって自分が面白いことを実現して自分が幸福になればいいのである。
昔はみんなが科学をやっていなくて物がなくて生活が苦しかったし空想と実在を比較して空想から実在を見ていたのでみんなが実在に虐められていると思ってマゾだった。反対に、今はみんなが科学をやって物が豊かで生活が楽だし実在に心が従っていて空想を冗談だと思っているのでみんなが実在に虐められていると思わなくなってマゾではなくなった。今は科学をやろうとしない一部の者が自分が実在に虐められていると思ってマゾになっている。科学をやらない一部の者が政府や暴力団や宗教団体に虐められて喜んでいる。しかし、今は科学の時代だから科学をやらない者はしだいに減っている。そのために、政府や暴力団や宗教団体が客がいなくなって潰[つぶ]れている。
今の時代に人間がマゾになるには2つの場合がある。ひとつは親が子供を虐待した場合。もうひとつは親が子供を過保護に育てた場合。親が子供を過保護に育てると、子供がわがままになって子供が心主義になって実在が嫌になって自分が実在に虐められていると思うようになってマゾになる。親は子供を厳しすぎず甘すぎず育てねばならない。
性欲を満足していると知覚が働かなくなって科学がやれなくなって実在がわからなくなって眼と心しか働かなくなって心で実在を見るようになって実在が心に反するので実在が嫌いになって自分が実在に虐められていると思うようになってマゾになる。性欲にかぶれた者が宗教団体や政府や暴力団に虐めてもらうようになるのである。性欲にかぶれた者は性欲を満足する会社だけではなく虐める会社の世話にもならねばならなくなるのである。宗教団体は国民を虐める団体であって性欲を満足する団体ではない。それなのに、性欲を満足している者が宗教団体に入るのはそのためである。エッチなことをしている者の終着駅が宗教団体なのである。性欲を満足するとあとで面倒なことになる。だから、性欲を満足してはいけない。
マゾがいるから虐める会社がある。マゾがいるからマゾの人を虐めて喜ばせるために虐める会社が建っているのである。マゾが虐める会社の生みの親であって、虐める会社がマゾの生みの親ではない。昔は文学の時代だったからみんなが科学をやっていなくてみんながマゾだったから虐める会社がたくさんあって儲[もう]かっていた。反対に、マゾがいなければ虐める会社もない。今は科学の時代だからみんなが科学をやるようになってマゾが減っている。そのために、虐める会社も潰[つぶ]れてなくなっているのだ。

[23410] 暴力団は嫌じゃない。☆ h29.11.16
暴力団はマゾの客を虐[いじ]めるだけでほかの人を虐めないから嫌じゃない。(たまに暴力団が一般人に暴力をふることがあるが、それはみんなに「暴力団が悪いことをする団体だ」と誤解させるためのイタズラである。)
嫌なのは暴力団に集まってくるマゾの客である。
マゾの人はなにか原因があってマゾになっている。その原因が問題である。性欲やマンガにかぶれた変態が暴力団の周[まわ]りに集まって来て住んでくだらない汚い文化を他人に広めるから暴力団の近所に住んでいる住民にとっては迷惑なのである。
それと同じように、政府は直接にマゾでない国民を虐めないから嫌じゃない。政府がマゾの客に命令して国民みんなを虐めるから嫌なのである。
嫌なのは政府に集まるマゾである。
政府があると政府の周りにマゾが集まってきて、政府がマゾに命令してマゾ自身を虐めたりマゾでない人を虐めさせたりする。だから、政府の近所に住んでいる人にとっては迷惑である。
今のみんなにとって問題なのは政府や宗教団体や暴力団ではなく、それらの客であるマゾの人である。ウンコそのものはたいして悪くはないが、ウンコに集まってくるハエが病気を広めるから悪いのと同じである。たとえみんなが政府や宗教団体や暴力団を倒しても、マゾがいるかぎり政府や宗教団体や暴力団は何度でも甦[よみが]る。だから、みんなは政府や宗教団体や暴力団を攻撃するよりも、マゾをなくさねばならない。(テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト(第一作目)』で沖田艦長がガミラスの本部を倒すためには火山の地脈を攻撃すればいいと言ったのと同じである。『宇宙戦艦ヤマト』では、古代進が皇太子で島大介が私で森雪が平成天皇で沖田艦長が神武天皇である。佐渡酒造が政府である。政府は政治家で先生だから医者で、政府は国民を虐めるサドだから名前が佐渡なのである。佐渡酒造の酒造とはみんなに酒を飲ませてみんなに実在について考えさせないことだから、政府が国民みんなに文学をやらせることである。みんなが科学をやるとマゾがいなくなって政府が潰[つぶ]れるから、政府は自分が生き残るためにみんなに学校やテレビで文学をやらせるのである。『スタートレック』の第1作目の「タロス星の幻怪人」でも宇宙人つまり政府がみんなにテレパシーで幸せな幻覚を見せるつまりテレビや教科書で文学をやらせて空想的にさせて実在を嫌いにさせて「自分が実在に虐められている」と思わせてマゾにさせていることが描[えが]かれている。ちなみに、『スタートレック(第1作目)』の「400歳の少女」の子供たちはマゾの喩[たと]えである。マゾは大人になっても子供のように空想を見続けるから“年をとっても大人にならない子供”なのである。惑星の子供たちが病気で死んでいるのは、今ではみんなが科学をやるようになっているためにマゾが減っていることである。)早く科学をやろうとしない者を国からなくさねばならない。マゾの原因になる性欲を刺激する物やマンガをなくさねばならない。
それから、政府を誤解している者も悪い。「政府が民主主義をやっている善いことをする団体だ」と思って政府の言うことを聞いている者も悪い。やっていることはマゾの人と同じである。早く国民みんなに政府についての正しい知識を広めてみんなが政府について正しい知識を持っているようにしないといけない。

[23411] 「歩く死体」 h29.11.20
『世にも奇妙な物語』に「歩く死体」という話があった。登山家が二人で冬山に登ってキャンプしていてパートナーが死んで死体をテントの外に出しておいたらいつの間にかひとりでに死体がテントの中に戻っているのだ。こんなことが何度かあって、最後にビデオを仕掛けて真相を確かめたら、登山家が自分で死体をテントの中に入れているのだった。
この話では、登山家が国民で、死んだパートナーが政府のことである。今の時代にはマゾがいないから政府は死んでいるから政府が死体なのである。テントの中は国のことである。登山家がパートナーの死体をテントの中に自分で入れているのは、今の国民がマゾではないから政府を国の外に出してさっさと滅ぼしてしまえばいいのに、自分でわざわざ政府の命令を聞いて政府を国の中に入れていることである。
昔の国民はマゾだったから、自分が虐[いじ]められて喜ぶために、自分を虐める政府を建てて政府の命令を聞いて不幸な思いをして虐められて喜んでいた。反対に、今の国民はマゾではないから、自分が虐められるのが嫌だから、自分で政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23412] どうして昔の人は“虐[いじ]められる喜び”を満足していたのか?☆ h29.11.21
女は生まれつき考える喜びがないからきれいになる喜びしかない。あるいは、子供をかわいがる喜びしかない。たとえ男でも考える喜びを満足できない環境に置かれていたらきれいになる喜びとか他人からよく思われる喜びとかを満足するようになる。
それと同じように、昔の人は物がなくて昔の人にはまともな喜びがなかったから、しかたなく“虐められる喜び”を満足して喜んでいた。昔の人は慢性の欲求不満のために鬱[うつ]状態だったから、“虐められる喜び”のような異常な喜びを満足して暮らさねばならなかったのだ。
反対に、今の人はいろんな物がたくさんあって正常な喜びがたくさんあるから、“虐められる喜び”のような異常な喜びを満足しなくてもよくなったのだ。そのために、今の人はマゾではなくなったのだ。戦時中は食糧不足でみんながイナゴとかネズミとか不味[まず]い物を食べねばならなかったが、今は食べ物が豊かになってみんなが美味[おい]しいお米を食べれるようになったのと同じことである。
今ではテレビやビデオやゲームやマンガがたくさん出来て、みんなが本を読まなくなっている。そのために、本屋がなくなっている。本がなくなっている。そのために、みんなが“考える喜び”を満足できる環境がなくなっている。そのために、みんなはきれいになる喜びやふざける喜びばかり満足するようになっている。みんなは異常な喜びを満足するようになっている。そのために、みんなは幸福ではなくなっている。
人間にとっては“考える喜び”や“実在の喜び”が本来の喜びである。きれいになる喜びやふざける喜びは“虐められる喜び”と同じように異常な喜びである。今の世の中は人間にとっての本来の喜びが満足できない環境となっている。このままでは人間が幸福に暮らせない世の中になる。みんなで世の中を作り変えてきれいになる喜びやふざける喜びが満足できない社会にして考える喜びや実在の喜びしか満足できないようにして、人間にとって異常な喜びが満足できないようにして正常な喜びが満足できるようにして、人間が幸福に暮らせる世の中にしないといけない。
政府はみんなを虐[いじ]める団体である。政府がみんなを虐めるためにみんなから“考える喜び”や“実在の喜び”を奪って“きれいになる喜び”や“ふざける喜び”しか満足できない社会にしている。しかし、今ではみんなはマゾではないから政府に虐められてもうれしくない。早くみんなで政府を倒して人間にとって健全な喜びが満足できる社会にしなければならない。人間が本当に幸福に生きていける社会にしないといけない。
つまり、人間の心には生まれつき“虐められる喜び”がある。どうして人間の心に“虐められる喜び”があるかはわからないが、とにかくそんな喜びがある。(h29.11.27追加:昔の人が物がなくて物を思い通りにできなくて毎日面白くない思いをしていたために不幸を和[やわ]らげるためにそんな喜びが出来たのだろう。h29.11.29追加:大昔は“虐められる喜び”のある者のほうが“虐められる喜び”のない者よりも多く生き残れたから人間の心には“虐められる喜び”があるのである。まともであろうがなかろうが自然選択によってつまり人間が生き残るか死ぬかによって人間の形質が決まるから、まともでない喜びが人間の心にはいっぱいあるのだ。科学の時代には人間の環境が変わって人間がまともな喜びを満足できるから、もはや“虐められる喜び”は不適当であって、“虐められる喜び”のない者のほうが“虐められる喜び”のある者よりも多く生き残るから、今では人間の心から“虐められる喜び”がなくなりつつあるのだ。)今の人は“虐められる喜び”よりももっと楽しい喜びを満足しているから“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなっている。反対に、昔の人は今の人のような楽しい喜びがない環境で生きていたから慢性欲求不満になって鬱[うつ]状態になって気が狂って通常では満足しない“虐められる喜び”を満足して生きていた。だから、昔の人はマゾだったのだ。
科学が楽しい娯楽をたくさん作ってくれたから、今の人は楽しい娯楽をやって多くの喜びが得られるから“虐められる喜び”を満足する必要がなくなって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなっている。私たちがマゾにならずに済んでいるのは科学のおかげである。だから、今の人は科学を大事にしないといけない。今の人は科学をやらないといけない。今の人は“実在について考える喜び”や“実在の世界の中で満足される喜び”を大切にして、それらを満足して生きていかねばならない。

[23413] 科学は何にでも使える。 h29.11.22
カゴメの『野菜生活100 Smoothie ベリースムージー 豆乳ヨーグルトMix』がすごく美味[おい]しかった。
味は眼に見えないものだからインド文化や中国文化や日本文化ではいくらよくてもいい。そのため、日本では昔からみんなが一生懸命がんばって食べ物の味をよくしてきた。反対に、ヨーロッパ文化は眼で見る文化だから、食べ物は見かけがきれいなだけで味は不味[まず]いのだ。
今は科学の時代だ。科学は何にでも使えるから、みんなが自分の文化に応じて自分の心を満足するために科学を使えばいい。実際に、インドではみんなが“頭で考える喜び”を満足するために科学を使ってコンピューター産業をやっている。中国ではみんなが食べ物の味をよくするために科学を使って美味しい料理を作っている。ヨーロッパではみんなが見た眼をきれいにするために科学を使って物の形や色を美しくしている。だから、日本でもみんなが“実在の喜び”を満たすために科学を使って実在の世界を楽しくすればいいのだ。
日本人は眼と頭と心が均等に発達しているので実在が見える。だから、日本人の本心は実在に対して思うだけである。日本人の本心は実在が快適なら喜ぶだけである。日本人の本心はいくら文学が面白くても見掛けがきれいでも喜ばないのである。
政府は日本人に日本文化をやらせないようにして日本人の本心を満足させない。政府は日本人に外国の文化をやらせて作り話や見かけや数学をやらせて日本人を不愉快[ふゆかい]にする。政府は日本人に日本の文化をやらせないようにして、みんなの心を満足させないようにして、みんなを慢性の欲求不満にして気持ちを落ち込ませて気を狂わせて“虐[いじ]められる喜び”を満足させようとしている。もともと政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに日本文化をやらせないようにして国民みんなを不幸にするのである。しかし、今の国民みんなはマゾではないから“虐められる喜び”を満足していないから政府に虐めてもらう必要はない。国民みんなは自分が幸福になるために政府の言うことを聞かないようにして日本文化をやらねばならない。

[23414] 国民が政府の言うことを聞くのは遊びである。 h29.11.23
人間はみな平等である。だから、国民と政府は平等である。国民には政府に従う義務はない。たとえ政府が民主主義や身分制や国家宗教をやっても“国民みんなや古い物や神に弱い者”を政府に従いたい気持ちにさせているだけで政府に従わねばならない義務はないから、国民は政府に従う必要はない。
だから、国民が政府の言うことを聞くのは遊びである。国民は自分の“虐[いじ]められる喜び”を満足するために政府の“国民を虐める命令”を聞くのだから、国民にとっては政府の言うことを聞くのは遊びなのである。
昔の人は科学をやっていなくて物が貧しくて楽しいことがなくて気持ちが落ち込んで気が狂っていたから“虐められる喜び”を満足していた。国民みんなは政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。昔の世界はキチガイの群れだった。
反対に、今の人は科学をやって物が豊かで楽しいことがいっぱいあって浮かれているから正気になって“虐められる喜び”を満足していない。国民の多くが政府の言うことを聞かなくなって政府に虐められなくなっている。
国民が政府の言うことを聞くのは自分の“虐められる喜び”を満足するための遊びである。政府は国民の“虐められる喜び”を満足して国民を喜ばせるための娯楽施設なのである。パチンコ屋とかゲームセンターなどと同じである。今は科学の時代だから国民みんなが政府に虐められる遊びをやめたのである。今では国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れているのである。
人間が自分の心を満足しないと慢性欲求不満になって鬱[うつ]状態になって異常な感情を満足することになる。虐められる喜びや性欲やきれいになる喜びやふざける喜びや異性になる喜びなどを満足することになる。異常な感情を満足してみっともないことをして惨[みじ]めに生きねばならなくなる。人間には心がある。だから、人間はまじめに自分の本心を満足して喜ばないといけないのだ。
昔の人は物がなくて自分の本心を満足したくてもできなかった。そのために、昔の人は変態になっていた。マゾやエロやミエ(見栄張りのこと)やナンセンスやオカマになっていた。昔の人は異常な感情を満足して似非[えせ]喜んでいた。昔の人は不幸な中で精一杯汚いくだらない感情を満足して喜ばなければならなかった。昔の人は煩悩[ぼんのう]を満足して惨めに生きねばならなかった。
今の人は物があるから自分の本心を満足できる。だから、今の人は一生懸命にまじめに自分の心を満足して正常な感情を満足して幸福に暮らせばいいのである。今の人は自分の本心を見極めて自分の本心を満足しないといけない。
科学が面白い物をいっぱい作ってくれたから、今の人は科学の産物で遊んで喜んで満足して異常な感情を満足しなくてもよくなっている。今では科学のおかげで人間が考える喜びや実在の喜びを満足できるようになったから、ほかの喜びを満足しなくなったのだ。科学が人間の心を救[すく]ってくれたのだ。みんなは科学に感謝して科学を大事にしないといけない。自分で科学をやっていかねばならない。

[23415] 政府に税金を払う人よりも払わない人のほうが善い人である。☆ h29.11.25
政府に税金を払わない人はマゾでないから善い人である。自分の本心を満足して生きている人だから善い人である。反対に、政府に税金を払う人はマゾだから悪い人である。自分の本心を満足していないために“虐められる喜び”を満足しないといけなくなっているから悪い人である。正しい道徳がわかっていないから悪い人である。政府に税金を払わないのが善い人で、政府に税金を払うのが悪い人である。みんなは政府に税金を払わない人にならないといけない。

[23416] 人間はまともな喜びを満足できないと異常な喜びを満足する。☆ h29.11.27
今は科学が人間にまともな喜びを与えてくれるから、今の人はまともな喜びで満足して幸福に生きている。
しかし、昔は科学がなくて人間にまともな喜びを与えられなかったから、昔の人は異常な喜びを満足するしかなかった。例えば、昔の人は“虐[いじ]められる喜び”を満足していた。昔の人は“虐められる喜び”を満足するために、自分で自分を虐める政府を建てて自分のほうから政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んで暮らしていた。
今でもまともな喜びを満足できない者は政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んで生きている。
今でもまともな喜びを満足できない者がいるのは、まともな喜びを満足できない境遇に置かれている者がいるからである。人間は自[みずか]ら努力して自分がまともな喜びを満足できるようにしなければならない。その努力を怠[おこた]った者が異常な喜びを満足する羽目[はめ]になるのだ。自分の心のことを知らない者がまともな喜びを満足できなくなって異常な喜びを満足して生きねばならなくなるのだ。だから、みんなは自分の本心を知って自分の本心を満足して幸福に暮らさなければならない。
もしも自分が異常な喜びを満足するようになったら、それは自分が自分の本心を満足できていないというサインだから、自分で自分の環境を変えて自分の本心を満足できるようにしないといけない。マゾの人は自分が本当に好きなことをやっていないからマゾなのである。だから、マゾの人は自分の本心を満足して“虐められる喜び”を満足するのをやめてマゾでなくならねばならない。マゾの人は自分の本心を満足しないことを我慢[がまん]するのをやめて勇気を出して自分の本心を満足しないといけない。そうすれば真の幸福への道が拓[ひら]ける。
人間がどんな喜びを満足するかは人間が置かれた状況による。今の人にとってのまともな喜びも、未来の人にとっては異常な喜びかもしれない。要するに、まともな喜びとは喜びの多い喜びであり、異常な喜びとは喜びの少ない喜びである。(“まともでない喜び”はそれ単独では“まともな喜び”よりも喜びが多いかもしれないが、脳全体としては生活全体としては“まともでない喜び”を満足するよりも“まともな喜び”を満足したほうが喜びの総量が多い。)人間は自分が置かれた状況の中で自分がなるべく多くの喜びを得るようにしないといけない。人間は自分の状況を作り変えて自分が多くの喜びを得ることができるようにしないといけない。そうやって、人類はしだいにより多くの喜びを満足するようになっていくのである。
自分の本心が満足できない状況に置かれている人がマゾになったりエロになったりミエになったりナンセンスになったりオカマになったりする。自分の本心が満足できない人は喜びが得られないから不幸である。そういう人は自分で自分の環境を作り変えて自分の本心が満足できるようにして自分が喜びが得られるようにして幸福にならねばならない。(h29.11.28追加:人間が幸福になるためには、実在を知って実在の中で自分の心を満足しなければならない。女の乳房や陰部は性欲の対象だが、科学的には子供を産んで育てる器官である。だから、女の乳房や陰部を「子供を産んで育てるための器官」と考えて、その上で自分の心を満足して自分が幸福になるようにしないといけない。男にとっては子供を産んで育てることは興味がないから女の乳房や陰部は関心の対象にはならない。今の人は文明が高くなってまともな喜びを満足できるから、今では性欲や愛情よりももっと楽しいことがいっぱいあるから、もはや男にとっては女はどうでもいいのだ。しかし、それでは男が女と結婚しなくなって子供を作らなくなって人類が絶滅する。だから、そこを“科学の力”で補って人工的に人間を作れるようにすればいいのだ。人類の遺伝子を改良して今よりもっと幸福に生きることができるようにすればいいのだ。いっそのこと人類が滅亡してしまってもいいかもしれない。とにかく人間は自分が幸福になるように生きて行けばいいのだ。/ヨーロッパ文化では「人間が禁断の果実を口にしたために楽園を追い出された」ことになっている。禁断の果実とは知覚や知恵のことである。つまり、人間が考えるようになったから人間が不幸になったと言うわけだ。人間は本来考えるべきではない、人間は動物として生きるべきだというわけだ。そこがアフリカ文化と同じだ。アフリカ文化は人間が動物と同じように生きるべきだとして人間が頭で考えることを否定するからだ。ヨーロッパ文化とアフリカ文化は似ている。ヨーロッパ文化の源[みなもと]はアフリカ文化である。ヨーロッパ人の源はアフリカ人である。つまり、ヨーロッパ人は紫外線が弱くなって皮膚が白くなったアフリカ人というわけだ。アフリカ人は今でも頭で考えることを否定して科学を嫌って科学をやらない。だから、ウマラが栄養失調で死にかけているのだ。それでも、アフリカ人は科学が嫌いなので科学をいっこうにやろうとしない。それが文化というものだ。アフリカ人と日本人は脳が違うので心が違うので、アフリカ人はたとえ家族が死んでも自分が死んでも科学をやらないのだ。アフリカ人にとっては家族や自分よりも科学が嫌いなことのほうが大事なのだ。人間はもともと動物だから、動物は考えることが嫌いだから、アフリカ人は今でも考えることが嫌いなのである。科学が嫌いなのである。ウマラの母親は国連がウマラの治療をするのをさぞかし嫌に思っているだろう。国連は世界の政府だから、世界中の人を虐[いじ]める会社である。国連はアフリカ人を嫌がらせるために医療活動をやっているのだ。その上、外人を虐めるために外人から募金を取って儲[もう]けているのだから要領[ようりょう]がいい。/h29.11.30追加:アフリカ人は眼で見るのは好きだが頭で考えるのが嫌いである。そのため、アフリカ人は科学が嫌いである。アフリカ人は科学をやると気分が落ち込むから科学をやらない。だから、アフリカは文明が遅れている。反対に、日本人は眼で見るのも頭で考えるのも好きである。そのため、日本人は科学が好きである。日本人は科学をやると気分が上がるから科学をやる。だから、日本は文明が進んでいる。アフリカ人が眼で見るのが好きで頭で考えるのが嫌いなのは自然選択によるものである。アフリカは猛獣が多くて人間が猛獣と戦いながら生きていかねばならないから、アフリカの環境では“眼で見るのが好きで頭で考えるのが嫌いな人間”が多く生き残るのだ。インド人が頭で考えるのが好きで眼で見るのが嫌いなのも自然選択である。インドは猛獣が少なくて自然が厳しくて人間が自然を管理しながら生きていかねばならないから、インドの環境では“頭で考えるのが好きで眼で見るのが嫌いな人間”が多く生き残るのだ。中国人が眼で見るのも頭で考えるのも嫌いで心で思うのが好きなのも自然選択である。中国は猛獣が少なくて自然も厳しくなくて人間がなにもしなくても暮らせるから、中国の環境では“眼で見るのも頭で考えるのも嫌いで心で思うのが好きな人間”が多く生き残るのだ。日本人が眼で見るのも頭で考えるのも好きなのも自然選択である。日本は山ばっかりで平野が少なくて資源や食料が少なくて人間同士戦いながら自然を管理しながら生きていかねばならないから、日本の環境では“眼で見るのも頭で考えるのも好きな人間”が多く生き残るのだ。人間の形質は自然選択によって決まる。環境が違うから人間の形質が違うのだ。少しの違いが代を重ねるごとに増幅されていって大きな違いになるのだ。日本が島国で世界中から人間がやって来て人種が混ざりやすいためでもある。)
人間は自分が努力して自分の本心を満足できるようにしないといけない。人間は自分の本心が満足できないと異常な感情を満足しなければならなくなって不幸になる。だから、人間は自分の心についてよく考えて自分の心を正しく知って自分の心を正しく満足できねばならない。
人間は自分の心がよりよく満足できるように自分がやらねばならないこととやってはいけないことを決めてやらねばならないことをやってやってはいけないことをやらないようにしないといけない。人間は自分を不幸にすることに嵌[はま]ってはいけない。人間は自分で自分の行動を律[りっ]して自分が幸福になるように自分が不幸にならないようにしないといけない。
人間はまちがいを犯す。世の中にはまちがった考えの者が多い。だから、人間は自分がやることを多数決で決めてはいけない。人間は他人を真似[まね]てはいけない。人間は自分でよく考えて自分が正しいことをしないといけない。

[23417] 死刑は正当である。 h29.11.27
法律とは人間が社会の中で平和に安全に暮らすための決まりである。法律は実在において客観的に決まるものであって多数決で決めるものではない。法律は実在について詳[くわ]しい者がよく考えて決めねばならない。
他人を殺して他人の物を奪った者は法律を破ったから死刑にされる。他人を殺して他人の物を奪わねばならない者はすでに十分不幸である。幸福な者なら自分で働いてお金を稼[かせ]いで自分のお金で物を買って幸福に生きていけるはずである。強盗犯はそういうことができないから不幸なのである。不幸な者は早く死んで楽になったほうがいい。だから、他人を殺して他人の物を奪った者は本人の幸福のために死刑にしてやればいいのである。処刑場で楽に苦しみを味あわせずに殺してやればいい。
人間は幸福に生きて行かねばならない。そのことは犯罪者についても当てはまる。犯罪者はすでに犯罪を犯した時点で不幸である。犯罪者はもともと不幸に生きているから犯罪を犯さねばならないのである。だから、犯罪者の不幸を救ってやるために犯罪者を死刑にして殺して楽にしてやればいいのである。

[23418] 人間は科学をやるとまともな喜びを満足して幸福に暮らせるようになる。 h29.11.27
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府の仕事は国民の“虐められる喜び”を満足するために国民を虐めることである。“虐められる喜び”とは、自分が殺されたり痛めつけられたり自分のお金や物を取られたり自分が嫌なことをされたりする喜びである。政府は国民に直接手を出さず、国民に“国民を虐める命令”を出して国民を虐める。国民は自分がマゾなら自分で政府の命令を聞いて政府に虐められればいい。自分がマゾでなければ自分で政府の命令を聞かなければいい。
政府は“国民みんなに弱い国民”を政府に従う気持ちにさせるために民主主義をやっている。国民みんなに弱くない国民は政府がいくら民主主義をやっても政府に従わない。そもそも国民には政府に従う義務はない。いわば、民主主義は政府のコマーシャルである。政府の商品は“国民を虐める命令”であり、政府は国民に“国民を虐める命令”がよく売れるようにしたいから、民主主義をやって国民を政府に従う気持ちにさせて政府の命令をよく聞くようにさせているのである。
国民の生活にとって必要な政府のサービスは国民がその都度[つど]料金を払って利用できるようになっている。あるいは無料で利用できるようになっている。例えば、水道代や役所の戸籍や住民票の登録代など。国民が生活する上で必要な政府のサービスは国民が税金を払うか払わないかに関わらず利用できるようになっている。国民が税金を払おうが払うまいがとにかく国民みんなが利用できるようになっている。だから、国民が政府に税金を払わなくても国民が生活する上では支障はない。
人間の心には生まれつき“考える喜び”や“実在の喜び”とは別に“虐められる喜び”がある。
昔の国民は科学をやっていなかったので物が貧しくて自由な時間がなくてまともな喜びを満足できなかったので“虐められる喜び”を満足して生きていた。昔の国民は自分で自分を虐める政府を建てて自分のほうから政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んでいた。
反対に、今の国民は科学をやっているので物が豊かで自由な時間があってまともな喜びを満足できるので“虐められる喜び”を満足しなくなった。今の国民は自分で政府の“国民を虐める命令”を聞かないようにして政府に税金を払ったり医療保険費を払ったりしないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。
人間は科学をやるとまともな喜びを満足して幸福に暮らせるようになる。人間が科学をやって文明が進歩すればするほど自分の心をより多く満足してますます幸福に暮らせるようになる。ただし、いくら文明が進歩して物や時間が豊かになっても自分の心を満足しない人は幸福に暮らせない。人間の心はめいめい違う。だから、人間は自分で考えて自分の心を知って自分の心を満足することをやって自分を幸福にしなければならない。
真実は眼では見えない。頭で考えないと見えない。人間は頭で考えて“眼で見えないもの”をわかって実在を知って実在の中で自分の心を満足して幸福に生きればいいのだ。例えば、“虐められる喜び”は眼で見えない。政府は国民の“虐められる喜び”を満足する会社である。国民は政府の客である。政府に虐めてもらうか虐めてもらわないかは国民一人一人が自分で決めることである。国民は自分がマゾでなければ政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにすればいい。そうやって、国民は自分が幸福に生きれるようにすればいいのである。

[23419] どうして政府は今でも潰[つぶ]れないのか? h29.11.28
政府がマゾを虐[いじ]めるためにマゾから税金を取って、そのお金を政府が民主主義で国民みんなのために使っているからである。マゾでない人は政府に税金を払っていない。マゾでない人は政府からお金をもらって国民みんなのためになることをやっているだけである。政府は国民みんなのためになるから、国民みんなが政府を残しておくほうがいいと思っているから、今でも政府は潰れていないのである。
しかし、それならいっそのことマゾでない人たちがマゾからお金を取って遊んで暮らせばいい。マゾでない人がマゾに働かせて自分は遊んで暮らせばいい。そうすれば、マゾでない人もマゾである人も国民みんなが幸せに暮らせる。
しかし、実際にはそうではない。今ではそんなにマゾが大勢いないから、政府はマゾから取ったお金で自分が生き残るのがやっとで、民主主義で国民みんなのために善いことをするほどの余裕がないはずである。(h29.11.30追加:マゾは虐められるのが好きだから、マゾでない人がマゾをこき使って遊んで暮らせばいい。それが貴族・奴隷[どれい]制である。貴族がマゾでない人で、奴隷がマゾである。他人を虐めることはそれほどの仕事ではないから、他人を虐める仕事をする人が遊んで暮らすようなものである。政府や幕府や宗教団体や暴力団や会社の事務員が貴族で、そのほかの国民や会社の作業員が奴隷である。昔はマゾがたくさんいたのでそういう社会だった。今はマゾがあまりいないのでそういう社会が壊れつつある。)
本当は、今でもかなり多くの人が政府のことがわからず「政府が国民みんなのために善いことをする団体だ」と誤解して政府に税金を払っているために政府が潰れていないのである。政府のことがわかっていない馬鹿がたくさんいるから政府が残っているのである。マゾは自分が虐められて喜ぶ分だけ政府の命令を聞くからそんなに世の中が悪くならないが、馬鹿は「政府に国家権力がある」と思って政府の“国民を虐める命令”をなんでもかんでも全部聞くから今の世の中が嫌な世の中になっているのである。馬鹿はマゾよりもたちが悪い。(h29.11.30追加:国民が集団になって政府に対してプラカードを持って抗議するのは、国民みんなに「政府に国家権力がある」と思わせるための芝居である。マンガ家やテレビ局が政府の正体をはっきりと言わないのも「政府に国家権力がある」と思わせるための芝居である。政府は政府の言うことを聞く者を使ってそんな芝居をさせているのだ。)しかし、たとえ馬鹿でも正解を教えてやれば理解できるはずである。私が政府についての正解を上([23418])で書いたからそれを読めばいいだけである。早く国民みんなで政府のことを正しく理解して政府に税金を払うのをやめて政府を潰さねばならない。(私が小学1〜2年生の頃、私を除[のぞ]いたクラスの大勢がいっせいに声を合わせて「(他人を)馬鹿と言うほうが馬鹿」と言ったことがある。私に「今の国民みんなは馬鹿ではない」と思わせようとしたのだろう。しかし、実際には今の国民の多くが政府のことを知らないまま政府の言うことを聞いている。政府に税金を払えと言われてわけがわからないままおとなしく毎月高い税金を払っている。今の国民の多くは明らかに馬鹿である。『馬鹿ばっかり』が真実なのだ。)
これ以降h29.11.29追加:政府は民主主義で善いことをやって国民に「政府が善いことをする団体だ」と思わせて生き残ることができる。そこが政府の恐いところである。宗教団体や暴力団はそれができない。国民は政府の民主主義に惑[まど]わされずに政府の本質を見ないといけない。宗教団体や暴力団に政府の本質が現れている。政府は国民を虐める会社である。政府が民主主義をやるのは国民を政府に従う気持ちにさせて国民に“国民を虐める命令”をよく聞かせるためである。国民は自分の頭で『政府が国民を虐める団体だ』と考えて政府を見て、政府の民主主義に惑わされないようにして、政府の言うことを聞かないようにしてさっさと政府を潰[つぶ]さねばならない。男が自分の頭で『女の乳房や陰部は子供を産んで育てる器官だ』と考えて女を見て、性欲に惑わされないようにして、女が面白くなければ女と結婚しないのと同じことである。
政府は自分がやるべきことをやっているだけである。政府は自分が国民を虐める会社だから国民に“国民を虐める命令”を出しているだけである。だから、政府は悪くない。政府について知らない者が悪い。政府を誤解して自分がやる必要のないことをやっている者が悪い。政府の命令を聞いて他人に悪いことをする者が悪い。政府のことを知らない者はみんなの迷惑である。だから、政府について誤解している者は早く政府のことを知って自分がやるべきことをしないといけない。自分がマゾでなければ政府の言うことを聞いてはいけない。(自分の仕事をみんなに説明する会社なんかない。どの会社も黙々[もくもく]と自分の仕事をしているだけである。だから、政府が自分の仕事をみんなに説明しないからといって政府が悪いとはいえない。/政府や宗教団体や暴力団は“今の人が理解できない仕事”をしている会社である。だから、今の人は自分が政府や宗教団体や暴力団のことを知らないことを認めて、自分が知らないことを学んで知って、政府や宗教団体や暴力団がどんな仕事をやっている会社なのか理解しないといけない。つまり、今の人は人間の心に“虐められる喜び”があることを知って、政府や宗教団体や暴力団が客の“虐められる喜び”を満足するために“客を虐める仕事”をしていることを知らねばならない。人間は自分がわからないことをわからないままにしてはいけない。)

[23420] 男は女が馬鹿でも文句を言わない。 h29.11.28
女は生まれつき知覚が弱い。女は男ほど実在がわからない。そのために、これまで長い間女が男に従う体制だった。それで世の中がうまくいっていた。
近代になって政府が男女平等を流行[はや]らせた。近代以降は男女平等の世の中になった。
現代になって政府は女を男よりも有利にした。そのため、最近は男が女に従う体制になっている。
女は男よりも馬鹿である。しかし、男は女が馬鹿でも文句を言ったことがない。男は女を馬鹿だと言って罵[ののし]ったことがない。男は女に「男と同じくらい頭がよくならねばならない」などと言ったことがない。政府が勝手に男女平等教育を始めて女に無理やり男と同じように勉強をさせるようになっただけである。
男は女よりも身体が汚い。そのため、今の女は男が汚いと文句を言う。男を汚いと言って罵る。女は男に「女と同じくらいきれいにしないといけない」などと言う。政府が勝手に女を男よりも有利にしたために、女が付け上がって男女平等教育の腹いせに男もきれいにしろと言うのだ。
男は知覚が強いから実在が見える。女は知覚が弱いから見かけしかわからない。男は実在の世界に生きている。女は眼先の世界に生きている。男と女は生きている世界が違う。男の幸せは自分が正しいことを理解して正しいことを実行することである。女の幸せは自分の見かけをきれいにして他人からきれいに思われることである。
女は馬鹿できれいな生き物である。反対に、男は利口で汚い生き物である。女が馬鹿なのは生まれつきであるように、男が汚いのも生まれつきである。男はいくら女が馬鹿でも文句を言わない。だから、女も男がいくら汚くても文句を言ってはいけない。
政府はみんなを虐[いじ]める会社だから、政府は女に男の文化をやらせて女を苦しめたり、男に女の文化をやらせて男を苦しめたりする。政府は女にセーラー服を着せたり、男にスカートを履[は]かせたりする。だから、みんなは政府の言うことを聞いてはいけない。男は男の文化をやらねばならない。女は女の文化をやらねばならない。男は男心を満足して、女は女心を満足すればいい。男は実在について考えるだけで自分の外見をほったらかしにして、女は自分の外見をきれいにするだけで勉強しなければいい。そうやって、男も女もみんなが幸福に暮らせばいいのである。
若者が見かけの喜びや作り話の喜びで喜んでいるのは、若者が幼稚[ようち]だからである。若者が実在がわかっていないからである。若者はまだ実在の勉強が足りず実在がわかっていないから空想や見かけしかわからないから空想や見かけで喜ぶのだ。けっして若者が身体が新品できれいだからでも、苦労を知らず気持ちがハイだからでもない。いい歳した大人は実在を勉強して実在しかわからないから、もはや空想や見かけでは喜ばない。いい歳した大人は実在で喜ぶしかないのだ。女は知覚が弱くて実在がわからなくて若者と同じだから一生見かけの喜びや作り話の喜びしかないのだ。若者はまだ実在がわかっていないから女と同じだ。

[23421] 「おもろうてやがてダメージ」(『魔法陣グルグル』より) h29.11.28
政府は文明が進んで新しい娯楽が出るようになった頃に私を神にして面白い物をたくさん作って、しばらくたって娯楽がみんなに定着してマンネリになってから天皇家を神に戻して面白くない物を作るようになった。
それと同じように、政府は医療保険制度を始めた最初の頃は医者が儲[もう]かるようにして、しばらくたって医療保険制度がみんなに定着してから医者の配分を減らして医者が儲からないようにしている。
それと同じように、政府は消費税を始めた最初の頃は店の取り分を増やして店が儲かるようにして、しばらくして消費税が定着してから店の取り分を減らして店が儲からないようにする。
政府は国民みんなを虐める会社である。政府は特定の者を贔屓[ひいき]にしたりしない。政府は最初のいっとき国民みんなに政府が定めた制度が定着するまでの短い間特定の者を贔屓にするだけである。政府は国民の“慣れ”を利用して国民が一度始めた習慣をなかなか変えないことを利用して国民を虐める。だから、国民みんなは臨機応変に対応して自分が政府に虐められるようになったら政府が定めた制度をすぐにやめにしないといけない。貧乏ゆすりみたいに一度始めたからといっていつまでもやり続けてはいけない。
みんなは政府のやり方がわかっているから最初から政府の話に乗らないのだ。医者や商人は頭で考えない眼先のことしかわからない馬鹿だから、政府に唆[そそのか]されてあとで損をさせられて虐められているのだ。
みんながさっさと政府を潰[つぶ]さないから、政府がいろんな“みんなを虐める制度”を考え出してみんなを虐めてみんなが不幸にされる。政府はみんなを虐める会社である。政府は国民みんなのために善いことをする会社ではない。今の国民はマゾではないから政府に虐められても嫌なだけでうれしくない。だから、国民みんなで早く政府を潰して政府をなくさないといけない。
今でも政府に虐められたいマゾがかなりいるのかもしれない。テレビ好きや医者や商人がマゾだから政府に嫌な制度をやられて虐められて喜んでいるのかもしれない。まじめに自分の心を満足していない者がマゾになるのである。なにも考えずにどうでも生きている者がまともな喜びを失って“虐められる喜び”を満足しなければならない羽目[はめ]になるのである。政府は国民にまちがった道徳や哲学を教えて国民が自分の心を満足できないようにして国民をマゾにしてお金を取って儲ける。国民は自分で考えて正しい道徳や哲学をやって自分の心を満足して幸福に生きてマゾにならないようにしないといけない。

[23422] どうして昔の人はマゾだったのか?☆☆ h29.11.29
人間の形質は自然選択で決まる。昔の世界では“虐[いじ]められる喜び”のある者のほうが“虐められる喜び”のない者よりも多く生き残ることができたので、人間の心には“虐められる喜び”があるのである。昔の世界では人間が実在に毎日虐められていたので、“虐められる喜び”のあるほうが幸せに生きられたので多く生き残ったのである。実在に虐められて絶望してなにもする気がなくなるよりも、実在に虐められても明るく陽気に生きるほうが生き残りやすいからである。昔は気が狂っている者のほうが正気の者よりも生き残りやすかったから、みんなが気が狂っていたのだ。
昔はみんなが科学をやっていなかったので物や時間がなくてまともな喜びを満足できなかった。見たり聞いたり味わったり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足できなかった。みんなが欲求不満になっていた。人間は喜びがないと生きられない。だから、昔の人は自分の心の中にある“虐められる喜び”を満足して生きていたのである。昔の人は自分の“虐められる喜び”を満足するために自分を虐める政府を建てて自分のほうから政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んでいた。
今はみんなが科学をやっているので物や時間があってまともな喜びを満足できる。見たり聞いたり味わったり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足できる。みんなが自分の心を満足して喜んでいる。人間はある程度喜びが得られるとそれ以上喜びが要らない。だから、今の人は自分の心の中にある“虐められる喜び”を満足しなくなったのだ。今の人は自分で政府の命令を聞かないようにして政府に虐められないようにして暮らしている。
今では物や時間が豊かなのでみんながまともな喜びを満足できる。一生懸命に自分の心を満足して生きている人はまともな喜びを満足できる。しかし、いいかげんに生きている人はまともな喜びを満足できない状況に陥[おちい]ることが多い。そうなったら、昔の人と同じように“虐められる喜び”を満足することになる。自分で政府や暴力団や宗教団体のところに行って虐められて喜ぶことになる。政府や暴力団や宗教団体に全財産を取られて殺される。本人の同意が得られているから政府や暴力団や宗教団体は悪くない。そうならないように、今の人は子供の頃から自分の心をよく知って自分の心を満足して生きていかねばならない。
科学ができる前と科学ができた後では人間が満足できる喜びが大きく変わった。昔の人間は虐められる喜びや戦う喜びやエッチなことをする喜びなどを満足して生きていた。今の人間は見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足して生きている。今の人間は虐められる喜びや戦う喜びやエッチなことをする喜びなどを満足しなくなった。そのために、昔の社会と今の社会は大きく変わっているのだ。
これ以降h29.12.1追加:昔の科学がない時代にはみんなが毎日実在に虐められていて面白い物がなかった。そういう世界では“虐められる喜び”がある者のほうが“虐められる喜び”のない者よりも生き残りやすかったので、自然選択によってみんなが“虐められる喜び”があった。みんなが自分の“虐められる喜び”を満足するために自分を虐める政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。政府に虐められることがみんなの遊びだった。
今の科学がある時代にはみんなが毎日実在に虐められなくなって実在を利用して楽しく暮らしていろんな面白い物がある。テレビや電話や自動車やコンピューターなどがある。そういう世界ではみんなが面白い物を利用して見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足して生きている。見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びのほうが“虐められる喜び”よりも喜びが多いので、みんながそれらの喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなっている。あいにくそういう喜びを満足できない状況に陥[おちい]った不幸な者が“虐められる喜び”を満足して政府に虐められて生きている。
昔の科学のない時代にはみんなが“虐められる喜び”があったので“虐める仕事”があった。政府や宗教団体や暴力団が“虐める仕事”をする会社である。今の科学のある時代にはみんなが“虐められる喜び”がなくなっているので“虐める仕事”がだんだんなくなっている。政府や宗教団体や暴力団がだんだんなくなっている。

[23423] ヨーロッパ文化をやっている日本人はただの不良だ。 h29.12.1
ヨーロッパ文化をやる日本人は自分がヨーロッパ文化をやっているから正しいと思ってヨーロッパ文化をやっている。眼で見て頭で考えなかったり面白いことをやらなかったりエッチなことをやったりしている。
しかし、今のヨーロッパ人はインド人を上に置いてインド人と共生[きょうせい]している。ヨーロッパ文化をやっている日本人はインド人を上に置いていないから、ヨーロッパ文化をやっていない。
中世のヨーロッパ人はインド文化や中国文化を排斥[はいせき]してヨーロッパ文化しかやらなくなって文明が衰退して滅びかけていた。そのため、近代以降のヨーロッパ人は外国の文化を入れるようになった。ヨーロッパ人は大量のインド人や中国人を受け入れた。人種改良とまでは行かないが、ヨーロッパ人はインド人や中国人と共生するようになって科学や文学ができるようになったのだ。ヨーロッパ人はインド人や中国人といっしょに暮らすのは嫌だが、自分の眼で見る喜びを満足するために我慢[がまん]している。ヨーロッパ人はインド人を上に置いていることが恥ずかしいから言わないが、実際には置いている。
日本人は眼と頭と心が均等に発達している。日本には日本人しかいない。それが日本の長所でもあり短所でもある。日本人は国民みんなとの一体感が強いが、眼と頭がまあまあいいだけなのでまあまあの仕事しかできない。反対に、ヨーロッパ人はインド人と共生しているので、国民みんなとの一体感は薄いが、ヨーロッパ人は眼がすごくよくてインド人は頭がすごくいいので協力してすごくいい仕事ができる。アメリカ人もヨーロッパ人を真似[まね]てそうしている。
ヨーロッパ文化をやっている日本人はヨーロッパ文化の悪いところだけやっていいところをやっていない。ヨーロッパ文化をやっている日本人は眼がたいしてよくない。ヨーロッパ文化をやっている日本人はただの不良だ。そんなやつはヨーロッパ文化をやめろ!
ヨーロッパ人と日本人は心が違う。ヨーロッパ人は眼で見る喜びが強い。ヨーロッパ人は眼で見る喜びを満足するために科学をやっている。ヨーロッパ人は自分が科学をやるためにインド人と共生している。ヨーロッパ人はインド人と共生することによって科学ができるようにして、科学を使って自分の眼で見る喜びを満足している。一方、日本人は眼と頭の両方で見る喜びが強い。眼と頭の両方を使うと実在が見えるから、日本人は実在の喜びが強い。日本人は実在の喜びを満足するために科学をやっている。日本人は自分が科学をやるために外人から科学を学んで自分で科学をやっている。日本人は自分で科学をやって、科学を使って実在の喜びを満足している。
ヨーロッパ人が幸福に生きるためにはヨーロッパ文化をやらねばならないように、日本人が幸福に生きるためには日本文化をやらねばならない。ヨーロッパ文化をやっている日本人は文化人類学の教養が足りない馬鹿だ。これからも、日本人は科学をつかって自分の心を満足して幸福に生きていかねばならない。
花札の絵が日本人の心だ。花札の絵はあまり細かくはないがはっきりしている。日本人は大雑把[おおざっぱ]ではっきりしていなくてはいけない。ただ、花札のルールは麻雀みたいで中国臭いからいけない。日本人ははっきりしているのが好きだから曖昧[あいまい]なのが嫌いだから、麻雀はいけない。
日本人の弱点は、面白そうな人を正しいと思うことである。そのため、面白そうな人が言ったりやったりしていることを信じて自分が真似[まね]てまちがったことをして不幸になる。例えば、私が中学2〜3年生の頃に笑福亭鶴光[しょうふくていつるこう]のオールナイトニッポンを聞いて(今でもYouTubeで一部聞ける)鶴光が面白そうにエッチなことを話しているのを聞いて「性欲がいいことだ」と思って自分で真似てオナニーをして性欲を満足するようになって精神分裂病に罹[かか]って不幸になった。本当は、性欲を満足すると知覚が働かなくなって実在が見えなくなって実在に適応できなくなって幸福になれなくなるから、日本文化では性欲は禁止されている。(ヨーロッパ文化では眼が見えさえすればいいのだから、知覚が働かなくてもいいから、性欲を満足してもかまわない。文化とは人間が幸福になるために守らねばならない決まりである。ヨーロッパ人と日本人では脳の出来が違うから、ヨーロッパ文化と日本文化は違うのだ。ヨーロッパ人はヨーロッパ文化をやれば幸福になる。日本人は日本文化をやれば幸福になる。ヨーロッパ人が日本文化をやっても幸福にはなれない。日本人がヨーロッパ文化をやっても幸福にはなれない。同じように、男と女では脳の出来が違うから、男の文化と女の文化は違う。男が幸福になるためには男の文化をやらねばならない。女が幸福になるためには女の文化をやらねばならない。男が女の文化をやっても幸福にはならない。女が男の文化をやっても幸福にはならない。)それに、性欲を満足すると大脳の古皮質の興奮性が全体的に高まって古皮質にある怒りの感情やテレパシー器官が活動するようになって精神分裂病に罹りやすくなるから、精神医学的にも性欲を満足してはいけない。そもそも面白いことと正しいことは違う。人間の心は面白いことが正しくつまらないことがまちがっていると思う癖[くせ]がある。だから、みんなは自分で学んだり考えたりして正しいことをよく知って、他人が本当のことを言っているか冗談を言っているかを区別できるようになって、正しいことで喜んでまちがっていることで喜ばないようにならないといけない。
テレビを見すぎても見る喜びを満足しすぎて考える喜びがなくなって考えなくなって馬鹿になる。実在が見えなくなって実在に適応できなくなって不幸になる。だから、テレビを見すぎてもいけない。本を読みすぎると他人から学ぶ喜びを満足しすぎて自分で考える喜びがなくなって自分で考えなくなって馬鹿になる。だから、本を読みすぎてはいけない。人間は自分で考えることを一番大事にしないといけない。

[23424] 古代以前の世界☆☆ h29.12.2
古代以前の世界では豪族が虐[いじ]める会社だった。その頃はみんなが“虐められる喜び”を満足していたので豪族がみんなを虐めてみんなを喜ばせていた。豪族がみんなに“虐める命令”を出して、みんなが豪族の命令を聞いて豪族に殺されたり痛めつけられたり財産をたくさん奪われたりして虐められて喜んでいた。(h29.12.7補足:人間が死んでしまったら快感を感じようがないが、殺されている間は“虐められる喜び”が満足されて快感を感じているのだ。)
豪族がみんなに“虐める命令”を出す傍[かたわ]ら、みんなに善い命令も出して国を治めていた。豪族はみんなに“虐める命令”を出すついでにみんなに法律や農作業や土木工事や戦[いくさ]などの命令を出して国を治めていた。(豪族はみんなを虐めるためにみんなに命令してみんなの財産をありったけ奪ってすごくお金持ちだったので、豪族はみんなから一方的にお金を取るだけなのですごくお金持ちだったので、溜[た]まったお金を使ってみんなに命令していろんなことができたので、豪族がいろんな善いことをするようになったのだ。ほかの会社は物を作って売るだけなので物々交換なのであまりお金が儲[もう]からないので、お金を使ってみんなに命令していろんなことができないので、ほかの会社はみんなに命令して善いことをする会社にはなれなかったのだ。/h29.12.3追記:ただし、それらの命令は形式的なもので、実際にはその道に詳[くわ]しい国民がやっていたのだ。奈良の大仏を聖武[しょうむ]天皇が建てたのと同じことだ。実際に奈良の大仏を建てたのは大工さんだ。豪族はお金を出すだけで、実際にやったのは名もない庶民だ。国民が発案して、豪族が形式的に国民に命令してお金を出して、国民が実行したのだ。豪族が頭がいいわけではない。豪族は国民を虐めて国民からたくさんお金を取ってお金持ちだっただけだ。国民にとってはお金さえあれば豪族は要らなかったのだ。もっとも、当時の国民はマゾだったから豪族が必要だったが。/h29.12.6追加:今の人には豪族が自分の財産で善いことをするのが信じられないらしい。今の人は自分が儲[もう]けたお金は自分ひとりの物にして他人のためには自分の財産を1円も使わないというのだ。今の人が利己心[りこしん]が強すぎる。人間は本来みんなのためになることをしたがるものだ。人間の心には“みんなのためになることをする喜び”があるのだ。昔の豪族は“みんなのためになる喜び”を満足するために自分の財産でみんなのために善いことをしたのだ。昔の豪族はお金が儲かりすぎて財布の紐[ひも]が緩[ゆる]んだから自分のお金でみんなが喜ぶことをしたのだ。豪族はみんなの喜ぶ顔が見たかったから自分の財産を投げ打ってみんなのためになることをしたのだ。そもそも豪族がみんなを虐めるのもみんなのためになることをするためだ。豪族が自分の財産で善いことをしていたから、豪族のあとを引き継いだ政府や幕府もそうしていたのだ。/h29.12.10追加:豪族はみんなから奪った財産でみんなのために善いことをしていた。マンガで不良グループが子供からお金を巻き上げて「お前のお金を有効利用してやる」と言っているのはそのためだ。)
豪族の頃はまだ日本は外国との国交がなかったので、日本には外国の文化が入ってこなかったので、豪族は民主主義も国家宗教も身分制もやらなかった。
古代になって日本が外国と国交をやるようになって外国の文化が日本に入ってきて、国が大きくなって政府が国民みんなを虐める会社になった。政府はさらに民主主義や国家宗教や身分制をやるようになって“国民みんなや神や古臭い物に弱い国民”を政府に従う気持ちにさせるようになった。政府は国民を虐めたり民主主義や国家宗教や身分制をやる一方で、豪族と同じようにみんなに善い命令を出して国を治めていた。本来は民主主義とみんなに善い命令を出すことは別のことである。(戦争はただの遊びである。プロ野球の試合と同じである。戦争は国民みんなが自分の“戦う喜び”を満足するためにやる遊びである。国民みんなが戦争をやりたくなったら国を分裂させて戦争をやる。国民みんなが戦争をやりたくなくなったら国を統一させて平和にする。文明が進むと新しい武器が出来てみんなが戦争をしたくなって戦争をする。戦争をするのが飽[あ]きたらやめる。それだけのことだ。だから、政府が民主主義や国家宗教や身分制でみんなを政府に従わせて国を統一したから平和になったのではない。日本人は国民みんなや神や古臭い物に弱くないから政府がいくら民主主義や国家宗教や身分制をやっても政府に従う気持ちにならない。(文化人類学を知らない人は「政府が民主主義をやっているから国民は政府に従わねばならない」と思うが、文化人類学を知っている人は『政府が民主主義をやっても、日本人は多数決をやらないから、日本では国民は政府に従わなくていい』ことがわかる。中国人にとっても政府が民主主義をやると政府に従う気持ちが強くなるだけで、政府に従わねばならない義務はない。テレビコマーシャルが視聴者に商品を買いたい気持ちにさせるだけで、視聴者には商品を買わねばならない義務がないのと同じことだ。)古代の日本が国が統一されて大きくなったのは、文明が高くなって交通や通信が発達したからだ。古代以前はみんなが食べ物が足りなくて隣りの国の食べ物を奪うためによく戦争をやっていたが、古代になって文明が進んでみんなが稲作[いなさく]をするようになって食べ物が豊かになって戦争をやめたのだ。古代の日本が朝鮮と戦争をしたのはただの遊びである。贅沢[ぜいたく]である。日本が中世に戦争をしたのもただの遊びである。日本が近代に戦争をしたのもただの遊びである。今ではみんなが科学の産物で見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足して喜びに満ちて戦う喜びを満足しなくなったから戦争をやめたのだ。/h29.12.3追加:幕府は政府と同じものである。幕府はアジア文化(インド文化と中国文化)をやる“虐める会社”であり、政府はヨーロッパ文化をやる“虐める会社”である。ヨーロッパがアジア文化をやらなくなって文明が衰退して暗黒時代になったら日本にヨーロッパ文化が入って来なくなって政府が幕府になり、ヨーロッパがアジア文化をやってルネサンスで景気がよくなったら日本にヨーロッパ文化が入ってきて幕府が政府になる。それが明治維新だ。明治維新をやったのはヨーロッパであり坂本龍馬[さかもとりょうま]ではない。)
現代になってみんなが科学をやるようになってみんなが物や時間が豊かになってみんなが科学の産物で見たり聞いたり行ったり食べたり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足するようになった。みんなが“虐められる喜び”を満足しなくなった。みんなが政府の“虐める命令”を聞かなくなった。そのため、みんなが政府の善い命令も聞かなくなった。
今ではみんなが政府の命令を聞かなくなった。みんなが政府の命令を無視して暮らしている。みんなが命令を聞く者がいなくなった。いろんな会社がみんなのために善いことをして、みんなは会社がやっている善いことを利用して幸福に暮らしている。
今ではみんなが命令を聞く者がいなくなった。だから、今ではみんなは自分で考えないといけない。みんなは自分でいろんなことを知って自分で行動して自分で自分を幸福にしないといけない。みんなは自分で銀行からお金を借りて国民みんなのためになることをして国民みんなを幸福にしないといけない。
政府が国民みんなのためになることをやっているからといって国民から強制的に税金を取れない。だから、国民は政府に税金を払わなくていいのである。
政府がお金持ちで国民に命令していろんな善いことができるのは、そもそも政府が国民を虐める仕事をやっているからである。政府は国民を虐めるために国民に命令して国民から高い税金を取って、割高[わりだか]で善い仕事をして、国民を虐める命令に混じって善い命令を出す。(政府は国民から高いお金を取らないと国民を虐めることにならないので、必ず高いお金を取る。医療保険費は高いので税金と同じである。)政府でなくてもお金があれば国民に善いことができる。今の国民は政府に虐められるのが嫌である。今の国民はマゾではないから善いことだけしてくれないと満足できない。政府は国民に善いことと悪いこと(つまり虐めること)の両方をするから、今の国民は政府に仕事をしてもらっても満足できない。だから、今の国民は政府に仕事をやってもらわなければいい。善いことと悪いことの両方やっている会社は政府以外にはない。国民は政府の仕事の世話にならないようにして政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。(昔の人はマゾだったので、政府が国民を虐めることも政府が国民のためになることをすることも両方とも善いことだったが、今の人はマゾではないから、政府が国民を虐めることは悪いことで政府が国民のためになることをすることだけが善いことである。)
これ以降h29.12.3追加:今は銀行があるから国民は政府からお金をもらわなくても銀行からお金を借りて仕事ができる。今の国民はマゾではなくなっているから政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府はお金持ちではなくなっている。そのため、国民が政府に頼んでお金をもらって事業をすることも減っている。政府は国民の“虐められる喜び”で持っている会社である。国民から“虐められる喜び”がなくなったら政府もなくなるのだ。
今では政府のことを知らない人が政府の言うことを聞いているだけである。みんなは早く政府のことを知って政府の言うことを聞かないようにならないといけない。
テレビを見すぎている人はテレビで政府が民主主義をやっているのを見て「この世に多数決がある」と思ってみんなが政府の言うことを聞いているから自分も政府の言うことを聞いている。しかし、本当は『この世には多数決はない。』だから、みんなが政府の言うことを聞いていても自分は政府の言うことを聞かなくていい。政府は国民を虐める会社だが、今の国民は“虐められる喜び”を満足していないから、今の国民は政府の言うことを聞かなければいい。みんなはテレビを見すぎてテレビを鵜呑[うの]みにしてまちがったことを考えてまちがったことをやるようになって馬鹿になってはいけない。
テレビを見すぎている人がテレビで政府が民主主義をやっているのを見て「政府が民主主義で国民みんなのために善いことをする団体だ」と思っているのだ。国民はテレビを見ずに世の中を自分の眼で見て自分の頭で考えて『政府が国民を虐める団体である』ことを見抜かないといけない。みんなはテレビを見ずにテレビに頼らずにテレビに甘えずに、じかに世の中を自分の眼で見て自分の頭で考えて世の中のことが正しくわかっていないといけない。そもそもテレビは真実を知るための道具ではない。テレビはせいぜい娯楽のために利用するに止[とど]めないといけない。

h29.12.5追加:政府の中には国民を虐める団体と国民から奪ったお金(税金や医療保険費など)を善いことに使う団体と民主主義などをやる団体の3つの団体がある。政府の中の国民を虐める団体が政府の本部(事業部)であり、国民から奪ったお金を善いことに使う団体が財務部であり、民主主義や国家宗教や身分制をやる団体が宣伝部である。日本人は国民みんなや神や古臭いものに従わないから、昔から日本人には宣伝部は人気がない。昔の国民はマゾだったから本部と財務部に人気があった。今の国民はマゾではないから財務部しか人気がない。しかし、今では国民の多くがマゾでなくなっているために政府に税金を納めなくなっているから、政府は財産が減っているから財務部も人気がなくなっている。

[23425] 私の祖先について h29.12.3
私の父親は小学校しか出ていないが学校ではいつも主席で級長だった。おまけにスポーツも万能だった。特に球技が得意で野球はいつもピッチャーをやっていた。公務員をやっていたときも草野球ではいつもピッチャーをやっていた。ただし、歌は下手だった。私も歌は下手糞[へたくそ]である。公務員の試験のときその場で三平方の定理の証明を考えついたときが一番うれしかったそうだ。家の中ではいつも酒を飲んだ後に読書をしていた。本は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の単行本以外はぜんぶ古本屋で買っていた。小学校卒業までずっと母親におんぶしてもらって登校していた。医者嫌いで39℃の熱が出ても医者に掛[かか]らなかった。
父親の母親(北のおばあさん)は頭がいい人で福岡出身で福岡の女子校ではいつも成績は2番だった。
父親の母親の先祖は武士だった。川野家の本家は福岡市の呉服町にある。先祖は与力[よりき]の武士だったが自分が国民を虐[いじ]めるのが嫌だったので武士を辞[や]めて百姓になった。(江戸時代にそんなことがあったことが、当時からすでにマゾが減っていたことを表している。)
「ある国民がなにも知らずに政府に入って公務員になる。最初のうちは国民のためになる仕事をやっている。出世して仕事が変わる。そのうち本人も自分の仕事が普通でないことに気づく。最後には政府が国民を虐める仕事をしていることがわかって嫌になって政府を辞めて政府を去ってゆく。」こんなテレビドラマがあってもいい。
私の母方の祖先は庄屋[しょうや]だった。もともとは愛媛県に住んでいて、明治以降に高知県長岡郡大豊町立川[こうちけんながおかぐんおおとよちょうたぢかわ(ただし、母親は“たちかわ”と読んでいた)]に移って戦後は高知市に住むようになった。私の母親はとくに変わったところはない。素朴で純情なだけである。母親が子供の頃に意地悪な男の子が友達を虐めたのに腹を立ててケンカをして腕ずくで負かしたことがあると言っていた。私も小学2年生のときに友達の粘土工作を馬鹿にした虐めっ子とケンカをしたことがある。もっとも、私は相手に体当たりして跳ね返されてひっくり返っただけでケンカには勝てなかったが。
つまり、私の祖先は中流階級だった。身分が高すぎるのも低すぎるのもいけない。中流階級こそが有能なのだ。

[23426] 男が女と結婚するのは性欲を満足して生きるためである。 h29.12.4
女は子供を産んで育てるのが好きだが、男は子供を産んで育てるのが嫌いである。つまり、女は人類が続くのが好きだが、男は人類が滅亡するのが好きである。
女は眼で見る喜びを満足するために生きているが、男は実在の喜びを満足するために生きている。だから、男と女は気が合わない。男は女といっしょに暮らすのが嫌である。
それでも、男が女と結婚するのは、自分が性欲を満足して生きるためである。
人間の心に性欲があるのは自然選択のためである。遺伝によって人間の形質は親から子に伝わる。性欲がある者が性欲がない者よりも子供を多く残すから性欲がある者ばかりになったのだ。自然選択によって性欲が長年培[つちか]われてきたから人間には強い性欲があるのである。(性欲は動物の喜びだから、動物は頭で考えないから、人間が性欲を満足すると頭が働かなくなる。日本人は頭で考えるのが好きだから、昔からあまり性欲を満足しなかった。そのために、日本人には“かわいい喜び”がある。日本人には性欲の喜びを補うために“かわいい喜び”がある。日本人は女や子供を見るとかわいいと思って喜ぶ。日本のマンガやアニメのキャラクターがかわいいのはそのためである。反対に、ヨーロッパ人は頭で考えるのが嫌いだから、性欲を満足し放題だから、“かわいい喜び”がない。だから、ヨーロッパ人は日本のマンガやアニメを見ても喜ばないだろう。)
昔は科学がなかった。昔はみんなが見たり聞いたり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足できなくて、性欲よりも面白いことがなかった。昔はみんなが不便に暮らしていた。家事もそこそこ大変だったから、男が生きていくためには独[ひと]りでは無理だった。男が生きていくためには女に家事をさせるしかなかった。だから、昔は男が自分が性欲を満足して生きるために女と結婚していた。
今は科学がある。今ではみんなが見たり聞いたり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足できるようになって、性欲よりも面白いことがいっぱいある。今ではみんなが便利に暮らしている。家事が楽になったから、男が独りでも生きていける。だから、今では男が自分が性欲よりも面白い喜びを満足して生きるために女と結婚しなくなっている。
人間は自分の喜びを満足して生きている。そのために人類が滅んでも人間にとってはどうでもいいのだ。人間にとっては自分が喜びを満足するためなら自分が死んでもいいのだ。人類が滅んでもいいのだ。
人類が文明の喜びのために滅亡するのなら人類は喜んで滅亡するだろう。あるいは、将来科学で人間が人工的に作れるようになれば人類の滅亡は避けられる。そうなれば女の価値は暴落する。男は女が要らなくなって女が滅亡するだろう。もともと女は男よりも喜びが少ないから女は滅んだほうがいい。人類は男だけになるだろう。(1000年後の世界なんて想像がつかない。だから、考えてもしかたがない。)とにかく、人類はいつの時代でも自分がより多くの喜びが得られるように生きればいいのだ。

[23427] 今の人のほとんどはマゾではなくなっている。☆☆ h29.12.5
子供は性欲を満足したことがないから性欲がどんな喜びなのかわからない。それと同じように、今の人は“虐められる喜び”を満足したことがないから“虐められる喜び”がどんな喜びなのかわからない。今の人は“虐められる苦しみ”がわかるだけで“虐められる喜び”はわからない。
今の人は“虐められる喜び”を満足していない。政府は国民の“虐められる喜び”を満足するために国民を虐める会社だから、今の人にとっては政府は要らない。
今の人は科学の産物で見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足しているから性欲なんて面白くない。それと同じように、今の人にとっては“虐められる喜び”なんか面白くない。だから、今の人は性欲や“虐められる喜び”を満足しなければいいのである。
子供の心の中には性欲が潜[ひそ]んでいるように、今の人の心の中には“虐められる喜び”が潜んでいる。子供がオナニーやセックスをしていたらそのうち性欲に目覚[めざ]めてもっとオナニーやセックスをしたくなるように、今の国民が政府や暴力団や宗教団体に虐められていたらそのうち“虐められる喜び”に目覚めてもっと虐めて欲しくなる。はじめのうちはなにも感じなくても、そのうちだんだん気持ちよくなって、最後には自分がどうしても虐められなければ気がすまなくなる。なんでも言うことを聞くようになって言いなり人形にされる。そうなったら人生はおしまいである。だから、そうなる前に政府や暴力団や宗教団体を潰[つぶ]さないといけない。政府や暴力団や宗教団体の言うことを聞くと“虐められる喜び”を満足することになる。だから、みんなは絶対に政府や暴力団や宗教団体の言うことを聞いてはいけない。他人の言うことを何でも聞く者は特に気をつけないといけない。(素人[しろうと]が他人を虐めても他人は嫌がるだけで喜ばない。虐めることが苦しみになるか喜びになるかは虐め方による。政府や暴力団や宗教団体はみんなが喜ぶ虐め方を知っている。政府や暴力団や宗教団体はみんなが喜ぶようにみんなを虐める。暴力団に指や眼がない人が多いのは、暴力団によく虐められる人が暴力団に入って虐める人になったからである。テレビをよく見る人がテレビ局に入ってテレビ番組を作る人になるのと同じことである。マンガを読んで面白いと思った人がマンガ家になるのと同じことである。暴力団によく虐められる人は自分が何度も虐められて、みんなを喜ばせる虐め方に詳[くわ]しいから、暴力団に入ってみんなを虐めて喜ばせる仕事をやっているのである。同じように、政府によく虐められる人が政府に入って虐める人になるからみんなが迷惑するのである。虐める人はもともとは虐められる人であり自分が“虐められる喜び”を満足しすぎて頭がおかしくなって世の中のことがわからなくなって「みんなが自分と同じように虐められたい」と思っているからマゾの人に命令して悪いことをさせてみんなを虐めるのだ。(“虐められる喜び”は動物の喜びであり、動物は頭で考えないから、人間が“虐められる喜び”を満足すると頭が働かなくなる。虐める人はもともとは虐められる人であり“虐められる喜び”を満足しすぎて頭が働かなくなっているから自分と他人を区別しなくなっているからみんなが自分と同じだと思っているのだ。性欲を満足する人も頭が働かなくなって自分と他人を区別しなくなっているからみんながエッチをしたいと思っているのだ。虐める仕事は簡単だから馬鹿でもできる。頭が働かない者でもできる。見かけが利口そうなやつはたいてい馬鹿だ。h29.12.6追加:動物的な喜びでも考えることを妨[さまた]げないものもある。例えば、食欲は考えることを妨げない。だから、食欲は文明社会でも通用する。ただし、脂[あぶら]っこいものは考えることを妨げる。考えることが好きな人は脂っこいものを食べない。考えることを妨げるか妨げないかはそれぞれの喜びによって違う。)実際には、今ではほとんど“虐められる喜び”を満足している国民がいないから、政府は自分で会社をたたんでなくなるべきである。いつまでたっても政府がそうしないのは、政府の中の虐める団体の者が現状がわからないほど頭が馬鹿になっているからである。政府の中の虐める団体の者が“虐められる喜び”を満足しすぎて心が腐[くさ]って頭がおかしくなって正常な判断ができなくなっているためである。政府がいるからマゾの人が生まれるのである。マゾがマゾを生む。政府がマゾを生み出す原因である。政府に悪いことをさせないためには政府を潰すしかない。政府が自分で潰れないのなら、国民が政府を潰せばいい。今では“虐められる喜び”は面白くないから、“虐められる喜び”のある人は道徳がないから喜びのセンスがおかしいから(同じ章で後述)、みんなは“虐められる喜び”のある人に心を満足してもらいたくない。みんなは“虐められる喜び”のある人に幸せにしてもらいたくない。早くみんなで政府に税金を払うのをやめて政府を潰してみんなが平和に暮らせる社会にしないといけない。/これ以降h29.12.10追加:政府がマゾに命令して悪いことをさせていることは、オウム真理教の地下鉄サリン事件や『仮面ライダー』のショッカーを見ればよくわかる。普通の国民が政府に唆[そそのか]されて“虐められる喜び”を満足するようになってマゾになって政府の命令をなんでも聞く人形になることは『超人バロム・1』の怪人を見ればわかる。/昔の親が子供を虐めていたのは親が子供に“虐められる喜び”を満足させて子供が“虐められる喜び”を満足して幸せに生きていけるようにするためである。昔はみんなが貧しくてそんな喜びしか満足できなかったのである。昔の親が子供を虐めるのは親の愛情だったのである。親は子供を虐めることによって子供が“虐められる喜び”を満足するようになるきっかけを与えていたのだ。)
子供が性欲を満足しないようにして幸福に生きていかねばならないように、今の人は“虐められる喜び”を満足しないようにして幸福に暮らさねばならない。人間がなんでもかんでもやったら幸福にはなれない。人間は自分が幸福になるためにやるべきことをやって、やるべきでないことをやってはいけない。人間は自分の幸せは自分で守らないといけない。
人間にとっては“文明の喜び”(科学の産物で見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びなど)のほうが“文明以前の喜び”(性欲や“虐められる喜び”や戦争する喜びなど)よりも喜びの量が多い。文明の喜びと文明以前の喜びは排斥[はいせき]しあう。つまり、人間が文明の喜びを満足すると文明以前の喜びを満足しなくなり、文明以前の喜びを満足すると文明の喜びを満足しなくなる。人間は文明の喜びか文明以前の喜びかどちらか一方だけしか満足できない。人間は文明の喜びを大脳の新皮質で感じ、文明以前の喜びを大脳の古皮質で感じるが、大脳の新皮質と古皮質は互いに抑制しあっていて一方が働くと他方が働かなくなるためである。文明の喜びにお金をかけたら文明以前の喜びにお金をかけられなくなり、文明以前の喜びにお金をかけたら文明の喜びにお金をかけられなくなるためでもある。実際に今の人が性欲や“虐められる喜び”や戦争する喜びがどんな喜びなのか知らないことが、見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びがエッチをしたり虐められたり戦争したりする喜びよりも喜びが多い証拠である。人間は自分が知らず知らずのうちに喜びが多いほうを選択していたのだ。だから、今の人は自分が幸福になるためには文明の喜びを満足して文明以前の喜びを満足してはいけない。

[23428] 政[まつりごと]とは何か? h29.12.6
政府の政は“まつりごと”である。
“まつりごと”とは政府が何かを奉[たてまつ]ることである。形式的に上に置くことである。
つまり、政府の政とは政府が国民みんなや神を形式的に上に置くことである。政府の政とは民主主義や国家宗教のことである。政府は民主主義や国家宗教をやって国民みんなや神を形式的に上に置いて自分が国民みんなや神に従っているふりをすることによって“国民みんなや神に弱い国民”を政府に従う気持ちにさせて政府の命令をよく聞くようにさせているのである。
反対に、幕府の幕とは“まく”のことである。
“まく”とは幕府が幕を下ろすことつまり“まつりごと”をしないことである。幕府が何かを奉らないことである。幕府が何かを形式的に上に置かないことである。
つまり、幕府の幕とは幕府自身が偉そうにすることである。幕府の幕とは身分制のことである。幕府は身分制をやって国民みんなに対して偉そうにすることによって“古臭いものに弱い国民”を幕府に従う気持ちにさせて命令をよく聞くようにさせているのである。身分制はインドの制度である。インド人は頭で考えることが好きである。インド人は眼で見ることが嫌いである。インド人は眼で見える世界をほったらかしにして昔のままにしておく。インド人は眼で見て古臭いものを大事にする。昔は人間と動物が共存していた。“虐められる喜び”は人間が実在に支配されていた時代にあった古臭い喜びである。虐める会社は古臭い会社である。そのため、インド人は動物や虐[いじ]める会社を身分を高くして大事にする。インド人は眼で見える世界を昔のままにしておくために古臭いものを大事にするために身分制を考え出したのだ。インドでは動物や虐める会社が身分が高いから偉そうにする。だから、身分制では幕府が偉そうにするのである。士農工商とは仕事の古臭い順番である。つまり、人間社会には最初に虐める会社が出来てつぎに農業をやる仕事が出来て工業をやる仕事が出来て最後に商業をやる仕事が出来たのである。もっとも、中世の日本では中国文化もやっていたから幕府は民主主義もやっていたはずである。幕府は国民みんなを上に置いていたはずである。だから、厳密には幕府ではない。
今では科学の時代になって通信や交通が発達して国際社会になって日本に世界中の文化が入ってきている。日本にヨーロッパ文化もインド文化も中国文化も入ってきている。そのため、政府は国家宗教も身分制も民主主義も全部やっている。ところが、日本人は実在に従うだけで神にも古臭いものにも国民みんなにも従わない。だから、日本では政府がいくら国家宗教や身分制や民主主義をやっても国民は政府に従う気持ちにならない。日本人は政府に従う気持ちがない。日本では昔から国民が政府や幕府と平等にやってきたのである。日本では政府や幕府が国民を政府や幕府に従う気持ちにさせるために民主主義や国家宗教や身分制をやっていたのではなく、当時の日本がどこの国の文化を受け入れているかを国民みんなに眼で見てわかるようにするために民主主義や国家宗教や身分制をやっていたのである。日本人には日本人の心がある。日本人にとっては外国の文化は自分の心を満足するための道具である。日本人は自分が幸福になるために外国の文化を利用すればいい。日本では国民みんなは日本文化で受け入れられる外国の文化だけをやればいい。日本人にとって外国文化の美味[おい]しいところだけ拾えばいい。そうやって日本人は自分の心を満足するために外国の文化を利用して幸福に暮らせばいいのである。

[23429] 政府は国民を虐[いじ]め続ける。 h29.12.6
今から約30年前、私が医学生だった頃、講義中に内科の先生が「エホバの証人の患者が輸血を拒否したらどうするか?」と学生に質問したことがある。エホバの証人とは宗教団体の名前である。宗教団体は科学を否定するので宗教団体の信者は輸血を拒否するのだ。先生に当てられた学生は「自分は医者だからやっぱり治療のために輸血する」と答えた。
それと同じように、今の日本では国民みんなは見たり聞いたり考えたりする喜び(見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びの略)を満足して“虐められる喜び”を満足していない。しかし、政府は国民を虐める会社である。政府にとっては国民を虐めることが仕事である。だから、政府は今の国民の文化を無視して一方的に国民を虐めているのである。国民が政府に「自分を虐めるな!」と言っても政府は国民を虐めるのだ。
政府は国民を虐めることが仕事である。たとえ国民みんなの文化が変わっても、政府は国民を虐め続ける。30世紀になっても40世紀になっても未来永劫[えいごう]に政府は国民を虐め続ける。政府が滅んでなくならないかぎり政府は国民を虐め続ける。
しかし、今の国民みんなは“虐められる喜び”を満足していない。今の国民みんなは政府に虐められてもうれしくない。嫌なだけである。だから、今の国民は政府を潰[つぶ]してなくさねばならない。政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰さねばならない。
人間は自分の心を満足するために生きている。たとえ医者でも患者の意思を否定することはできない。だから、医者はエホバの証人の患者には輸血してはいけない。たとえ患者が死んでも輸血してはいけない。それが正解だ。医者は患者本人が治療して欲しいときだけ患者を治療しないといけない。患者にとっては医学は自分の心を満足するための道具にすぎない。だから、患者の意思を第一にしないといけない。

[23430] 文明の喜びのほうが“虐[いじ]められる喜び”よりも喜びの量が多い。 h29.12.6
昔の人は科学をやっていなくて科学の産物(テレビやゲームやパソコンなど)がなくて見たり聞いたり考えたりする喜びを満足できなかった。そのため、昔の人は“虐められる喜び”を満足していた。昔の人は政府の言うことを聞いて政府に虐められて“虐められる喜び”を満足して喜んでいた。国民みんながマゾだったので、政府が好き勝手に国民を殺したり痛めつけたりしてもよかった。みんなが“虐められる喜び”を満足していたので指や眼のない人がいっぱいいた。(文学には虐められる話が出てこない。文学は夢の世界を書いたものであり、現実の世界を書いたものではないからである。文学がきれいごとだからである。)
今の人は科学をやっていて科学の産物がたくさんあって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足できる。今の人は見たり聞いたり考えたりする喜びと“虐められる喜び”を比較して、見たり聞いたり考えたりする喜びのほうが“虐められる喜び”よりも喜びの量が多いので見たり聞いたり考えたりする喜びだけを満足して“虐められる喜び”を満足していない。実際に、テレビが出来たころに国民みんなはそういう選択をした。だから、今の人はまったく“虐められる喜び”を満足していない。そのため、今の人は“虐められる喜び”がどんな喜びなのか知らない。“虐められる喜び”という言葉さえ知らない。そのために、今の人は政府がどういう会社なのかわからなくなっている。
今の人が政府の言うことを聞いているのは、政府のことを知らないからである。けっして自分の“虐められる喜び”を満足するために政府に虐められたいからではない。今の人はテレビで政府が民主主義をやっているのを見て「政府が善い団体だ」とか「政府には国家権力がある」と思って政府の言うことを聞いているのだ。私も若い頃は政府のことを知らなかったから政府がなんとなく善いことをする団体だと思って毎月政府に高い税金や医療保険費を払っていた。(それでも、医療保険費が高すぎて頭に来て医療保険を途中でやめたが。)今では指や眼のない人をめったに見かけない。指や眼のない人を雇ってくれる会社もない。だから、今では国民のほとんどが“虐められる喜び”を満足していないのだ。今の国民のほとんどがマゾではないのだ。
政府について本当のことが書かれた本はめったにない。だから、今の国民が政府のことを知らないのだ。今の国民は早く最近の私の『哲学日記』を読んで政府のことを知って正しいことをしないといけない。政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]さないといけない。政府はすぐには潰れないが、自分が政府を潰そうとしないといけない。国民一人一人の力は小さいがみんなで力を合わせて政府を倒すのだ。今の国民のほとんどはマゾではないのに、政府はマゾに命令してみんなにいろんな悪いことをさせてみんなを虐めている。政府は今の世の中のことがわかっていない狂った馬鹿会社だ。自分で自分が要らないことがわからないキチガイ会社だ。政府の虐める団体はマゾの人がやっているから道徳がわからない馬鹿がやっているから世の中のことがわからないのだ。馬鹿は頭が働かないから道徳も世の中もわからないのだ。馬鹿は頭で考えないからなにからなにまでわからないのだ。(政府の中では虐める団体が一番偉いからほかの部署が口出しできないのだ。政府の虐める団体は政府のメインエンジンだから、ほかの部署はあとで付け加わったおまけにすぎないから、政府の中では虐める団体が絶対的で自分の好き勝手にやれるのだ。昔から政府の虐める団体は馬鹿だった。世の中がわからない馬鹿だった。世の中が変わったので馬鹿がばれた。)今の国民はみんなに悪いことをする会社にお金をやらないようにしてみんなに悪いことをする会社を倒さねばならない。国民は政府と戦って政府に勝って政府を滅ぼさねばならない。政府の虐める仕事以外は誰でもやれる。政府がなくなっても政府以外の国民でやれる。政府の仕事よりも国民の仕事のほうが難しい。公務員の仕事は簡単だから馬鹿でもやれる。だから、政府がなくなってもいい。今の国民は政府が要らない。だから、国民は早く政府をなくせばいいのである。

[23431] 今の政府は国民みんなを誤解して国民みんなを虐[いじ]めている。 h29.12.8
人間の心には“虐められる喜び”がある。人間の心は自然選択で決まるので、昔の人間は自然に支配されて自然に虐められて生きていたので、“虐められる喜び”のある者のほうが“虐められる喜び”のない者よりも多く生き残れたので、人間の心には“虐められる喜び”がある。
昔の人はテレビや車やパソコンなどがなかったので見たり聞いたり行ったり食べたり学んだり考えたり運動したりする喜びが満足できなかった。そのため、昔の人は“虐められる喜び”を満足して喜んでいた。昔の人は政府の言うことを聞いて政府に殺されたり痛めつけられたり財産を奪われたり嫌がらされたりして喜んでいた。
今の人はテレビや車やパソコンなどがあるので見たり聞いたり行ったり食べたり学んだり考えたり運動したりする喜びが満足できる。人間にとっては見たり聞いたり行ったり食べたり学んだり考えたり運動したりするほうが虐められるよりも喜びの量が多いので、今の人は見たり聞いたり行ったり食べたり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなっている。今の人は政府の言うことを聞かなくなって政府に殺されたり痛めつけられたり財産を奪われたり嫌がらされたりしなくなっている。
ところが政府は「今の国民みんなは昔の国民みんなと同じように“虐められる喜び”を満足している」「みんなも本当は“虐められる喜び”を満足したいんだ」と思って今でも国民みんなを虐めている。国民みんなに命令して国民みんなの財産を奪ったり、マゾの国民に命令して国民みんなを殺したり痛めつけたり嫌がらせたりしている。エロ本にかぶれた人が「みんなもエロ本を見たいんだ」と思ってみんなにエロ本を薦[すす]めるのと同じである。政府が国民から税金を取っているのは、国民に“虐められる喜び”を満足させて国民を気持ちよくさせるためである。政府が国民を自分と同じようにマゾにして国民を“虐められる喜び”を満足して幸福に生きるようにするためである。今の国民にとっては大きなお世話だ。今の国民は政府みたいなマゾになりたくない。だから、国民は政府に税金を払うのをやめねばならない。今の政府は国民みんなをマゾにしてマゾばっかりの国にしてみんなで楽しく暮らそうと思っている。国民みんなを色キチガイにして色キチガイばっかりで国を作ったらみんなが楽しく暮らせると思っているのと同じである。政府の政治はマゾのマゾによるマゾのための政治である。
政府は今の国民みんなを誤解して国民みんなを虐めている。政府がまちがっている。政府が悪い。だから、国民みんなで早く政府を倒さなければならない。国民みんなで政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]さなければならない。(h29.12.9補足:政府は国民を虐める会社であって、犯罪組織ではない。政府は国民の“虐められる喜び”を満足して国民を喜ばせるために国民を虐める会社であって、けっして自分の私利私欲のために悪いことをする会社ではない。今の政府は“まちがったことをやっている国民を虐める会社”であって犯罪組織ではない。)
h29.12.11この段落追加:今の政府は「自分が国民みんなを虐める会社だ」と思って国民みんなを虐めている。しかし、それは政府の誤解である。政府は本当はマゾを虐める会社である。昔はたまたま国民みんながマゾだったので政府が国民みんなを虐めていただけである。今では国民のほとんどがマゾではないから、政府は国民みんなを虐めてはいけない。政府はマゾの国民しか虐めてはいけない。
一部の国民は「政府が善いことをする団体だ」と思って政府の言うことを聞いている。一部の国民はまちがっている。一部の国民も悪い。だから、国民みんなで早く政府のことを正しく理解して政府の言うことを聞くのをやめねばならない。国民みんなで政府に財産を奪われる(つまり税金を払う)のをやめて政府を潰さねばならない。
少数の国民は「虐められるほうが見たり聞いたり考えたりするよりも喜びの量が多い」と思って政府の言うことを聞いている。それはしかたがない。人間の心は生まれつき決まるから、生まれつき見たり聞いたり考えたりする喜びがない人は“虐められる喜び”を満足して政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜べばいい。ただし、ほかの人に迷惑をかけてはいけない。マゾの人は政府の命令でマゾでない人を殺したり痛めつけたり嫌がらせたりしてはいけない。
h29.12.9この段落追加:生まれつき見たり聞いたり考えたりする喜びのない人が“虐められる喜び”を満足するのはかまわない。それは自分が生きるために必要だからかまわない。しかし、見たり聞いたり考えたりする喜びがあるのに“虐められる喜び”を満足するのはいけない。それは道徳に反するからいけない。つまり、自分が幸福になるためにまちがったことをやっているからいけない。人間が自分で自分の感情をどう満足しようが原則的には個人の自由である。しかし、自分の感情の性質を知らずにあまり好き勝手にやったら幸福にはなれない。自分がある時期まで見たり聞いたり考えたりする喜びがあったのに途中から見たり聞いたり考えたりする喜びがなくなるのは環境のせいである。生まれのせいではない。そういう場合には環境を変えて環境を調整すれば直る。自分に喜びがなくなったからといって“虐められる喜び”を満足するのはまちがったやり方だ。
宮城音弥[みやぎおとや]の岩波新書の本に「昔一卵性双生児の兄弟がいて小さい頃に別々の親戚に引き取られて分かれて育ったが、一人は牧師になり、もう一人は凶悪犯になった」という話が出ていた。一卵性双生児だから遺伝的には完全に同じである。だから、両方とも“人を殺す喜び”がある。ただし、いいところで育った子供はいい喜びを満足して“人を殺す喜び”を満足しなかったのでいい人になった。一方、悪いところで育った子供はいい喜びを満足できなかったので“人を殺す喜び”を満足して凶悪殺人犯になった。たとえ遺伝は同じでも環境によって満足される心が違うので違う人間になるのだ。人間の性格は生まれだけでは決まらない。生まれと育ちの両方で決まる。つまり、昔の人にも今の人にも“虐められる喜び”はあるが、昔と今では環境が変わったので昔の人は悪いところで育ったのでいい喜びが満足できず“虐められる喜び”を満足していたが、今の人はいいところで育っているのでいい喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなったのだ。
h29.12.11追加:見たり聞いたり考えたりする喜びを満足できない人が“虐められる喜び”を満足してマゾになる。マゾの人は虐められる会社に殺されたり痛めつけられたり財産を奪われたり嫌がらされたりして喜ばなければならない。反対に、見たり聞いたり考えたりする喜びを満足できる人は“虐められる喜び”を満足しないからマゾにはならない。そういうのを『娯楽は身を助ける』と言うのだ。人間は娯楽がないとマゾになる。人間にとっては娯楽も大事なのだ。

[23432] 国民は自分が政府に税金を払う理由を考えねばならない。 h29.12.9
今の一部の国民は政府に善いことをやってもらうために政府に高い税金や医療保険費を払っている。
しかし、それはまちがっている。そもそも政府は国民を虐[いじ]めるために国民に命令して国民から高い税金や医療保険費を奪って、国民から奪ったお金で国民みんなのために善いことをやっている。政府が国民から税金を取るのは国民を虐めるためである。政府は国民の“虐められる喜び”を満足して国民を喜ばせるために国民から税金を取っているのである。国民は自分の“虐められる喜び”を満足するために自分が政府に虐められるために政府に高い税金や医療保険費を払っているのである。だから、国民は自分が政府に虐めて欲しくなければ政府に税金を払ってはいけない。政府に虐めて欲しい者だけが政府に税金を払わねばならない。
国民はいいかげんに政府に税金を払ってはいけない。国民は“自分が政府に税金を払う理由”をよく考えねばならない。一部の国民は理由を誤解している。国民みんなは正しい理由を理解してから自分が政府に税金を払うべきかそうでないかを決めねばならない。
今の国民のほとんどはマゾではないから、政府に税金を払わなくなって政府は潰[つぶ]れるだろう。
政府はマゾからありったけお金をふんだくってお金をたくさん持っているから、国民は政府に頼んでお金をもらって事業ができる。しかし、今はマゾが少なくなっているから、政府はお金があまりなくなって、国民が政府に頼んでもなかなかお金をくれなくなっている。国民は政府がなくなったら銀行でお金を借りて事業をすればいい。しかし、銀行は利息が高い。私も最近アコムでお金を30万円借りて完全に返済するまでにかなり高い利息を取られた。おおかた40万円ぐらい払った。安易にお金を借りてはいけないことがよくわかった。政府のいいところは政府が国民の事業が気に入ったら国民にポンとお金をくれることである。政府は国民にお金を貸すのではなく、国民にお金をやるのである。国民は政府にお金を借りているのではないから政府にお金を返す必要がないから気楽に事業ができる。しかし、政府は国民を虐める会社である。今の国民のほとんどはマゾではないから、政府と関わりたくない。だから、国民みんなで政府のかわりに財団を建てればいい。国民みんなは財団にお金をやって財団が特定の目的のために国民にお金をやることにすればいい。そうすれば、財団は政府と同じ機能を果たすことができる。国民は事業がやりやすくなって国が活性化される。
これ以降h29.12.10追加:要するに、政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足して国民みんなを喜ばせるために国民みんなを虐めているのである。いくら政府が国民にお金をやって善いことをしていても政府の正体は国民みんなを虐める会社である。政府は国民を虐めるために国民から奪ったお金で善いことをやっているにすぎない。政府の本当の仕事は国民を虐めることであり、国民にお金をやって善いことをするのは副業である。今の国民みんなにとっては政府が国民を虐めることは悪いことだから、政府は悪いことで儲[もう]けたお金で善いことをやっている。悪いことで儲けたお金でいくら善いことをやっても善い会社とは言えない。おまけに政府は国民を政府に従う気持ちにさせるために民主主義や国家宗教や身分制をやっているが、日本人には無駄[むだ]である。しかし、今の国民は見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足していない。だから、今の国民は政府の命令を聞かなくていい。政府に「税金を払え!」と言われても払わなくていい。政府に「国民全員が政府の医療保険に入らないといけない」と言われても入らなくていい。国民は自分の心に忠実にしてこの世を自分の満足の行く世界にすればいいのである。
国民が政府に税金を払ったら政府が生き残って政府がマゾに命令してみんなに悪いことをさせてみんなに迷惑をかけることになる。政府が“政府を善い団体だと誤解しているバカ”に命令してみんなに悪いことをさせてみんなに迷惑をかけることになる。政府に悪いことをさせているのは政府に税金を払っている国民である。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。医療保険費を払ってはいけない。なるべく消費税も払ってはいけない。(今のところ私は店の人に気まずいので消費税を払っているが、そのうち消費税が高いと思ったら怒って払わなくなるかもしれない。私はなるべく消費税を取らない店で買おうと思っている。)早く国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]して政府がみんなに悪いことをしないようにしてみんなで平和に幸せに暮らせる社会にしないといけない。

[23433] 政府のお金で建てた会社は国民を虐[いじ]める。☆ h29.12.10
政府の法律会社や学校会社や清掃会社や水道会社や役所などは政府が自分のお金で建てた会社である。だから、政府の命令を聞いて国民を虐める。政府の法律会社は国民を虐める法律を定めたり政策をやったりする。政府の学校会社は国民(子ども)を虐める教育をやる。(だから、今では子どもをかわいがる親は子どもを私立学校に入れたがる。)政府の清掃会社は国民を虐めるためにわざとにきれいな場所にゴミ処理場を建てる。政府の水道会社は国民を虐めるためにわざとに飲み水を不味[まず]くする。政府の役所は国民を虐めるために国民にとって損になる医療保険制度や年金制度をやったり国民を待たせて苦しめるためにわざとに時間をかけて書類を発行したりする。(h29.12.12追加:政府は政府の法律会社に命令して国民を虐める法律を定めさせている。本当は国民が政府に税金を払うのは自由なのに、政府は国民を虐めるために国民が政府に税金を払うのを義務であることにしている。政府の法律会社の法律は嘘[うそ]の法律である。政府の法律会社の法律はマゾのための法律である。マゾは政府の法律会社の法律を守らなければならないが、マゾでない人は守らなくていい。だから、国民は自分がマゾでなければ政府の法律会社の法律を守らなくていい。国民は自分がマゾでなければ政府の法律会社の法律を犯しても政府の警察に逮捕されなくていい。罰せられなくていい。国民は自分がマゾでなければ無免許で車を運転してもいいし、他人を殺して金を奪ってもいい。今は物騒[ぶっそう]な世の中である。/h29.12.13追加:役所が国民から税金を取っているが、それは政府の仕事の代行である。役所は国民から税金を取る以外にもいろんな仕事をやっている。政府が役所に命令して政府の代わりに税金を取らせているのだ。)
国民が政府からお金をもらって建てた会社もたくさんある。それらの会社も政府の命令を聞いて国民を虐めるために国民の嫌がらせをする。わざとに楽しくない物を作ったり不味い食品を作ったりする。わざとに面白くないテレビ番組やマンガを作ったりする。政府からもらったお金が多い会社ほど政府の命令をよく聞いて国民を多く虐める。国民が政府からお金をもらって建てた会社はふだんは善いことをして大雑把[おおざっぱ]には善い会社だが、ときどき政府が命令を出して悪いことをさせる。しかし、マゾでない国民にとってはたとえときどきでも虐められたら嫌である。
今の国民は“虐められる喜び”を満足していないから、これでは今の国民が幸福に暮らせるわけがない。だから、今の国民みんなで早く政府を倒さねばならないのである。
幸い、今では国民のほとんどがマゾではなくなって、政府に税金を払う国民が減って、政府のお金がなくなっている。政府の収入源はマゾと“政府が善い団体だと誤解しているバカ”であり、今はマゾやバカが減っているから政府のお金も減っているのだ。政府は会社を建てられなくなっている。国民が政府からお金をもらって会社を建てなくなっている。そのため、今では国民を虐める会社が減って昔よりも国民が幸福に暮らせるようになっている。
今ではマゾと“政府が善い団体だと誤解しているバカ”と“政府にお金をもらって建てた会社”が政府の言うことを聞いている。“虐められる喜び”と無知とお金によって政府は国民に命令している。その他の国民は政府の言うことを聞いていない。今ではみんなが見たり聞いたり考えたりする喜びを満足するようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾが減っている。国民同士で政府について教えあってバカも減っている。しかし、“政府にお金をもらって建てた会社”は減らない。“政府にお金をもらって建てた会社”は一度政府にお金をもらったために永遠に政府の命令を聞き続けねばならない。国民みんなが政府に悪いことをされないためには政府を潰[つぶ]すしかない。
政府はマゾを虐める会社である。政府はマゾを虐めてマゾからありったけお金を奪って、マゾから奪ったお金で自分で会社を建てたり国民にお金をやって会社を建ててやったりする会社である。宗教団体や暴力団と同じである。今の国民はマゾではないから政府と関わってはいけない。だから、今の国民は政府の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰せばいいのである。
h29.12.11追加:政府は自分の正体を隠すために民主主義や国家宗教や身分制をやっている。本来は政府は国民を政府に従う気持ちにさせるために民主主義や国家宗教や身分制をやっているのだが、日本人にはそれらが効かないので、実際には政府は自分の正体を隠すためにそれらをやっていることになる。“虐められる喜び”は汚い喜びである。国民の“虐められる喜び”を満足するのは汚い仕事である。政府は自分が汚い仕事をやっているのを隠すために民主主義や国家宗教や身分制をやっている。テレビで政府は民主主義や国家宗教や身分制をやっている。テレビは政府のイメージを歪[ゆが]めている。国民みんなはテレビを見すぎて政府のことを誤解してはいけない。国民が政府からお金をもらってテレビ局を建てたから、テレビ局は部分的に政府の物だから政府の命令を聞いて政府にとって有利なことを放送しないといけない。今の政府は“テレビで政府が民主主義をやっているのを見て「政府が善い団体だ」と誤解しているバカ”から税金を取って儲[もう]けている。だから、テレビ局は政府の民主主義や国家宗教や身分制ばっかり放送して政府の正体を放送しないのだ。政府の民主主義は政府のイメージアップのためだからやはり宣伝である。
これ以降h29.12.12追加:政府は“虐められる喜び”を満足する会社であり、宗教団体と同じである。(政府だって幸福の科学だって創価学会だって山口組だって自分の正体を隠すためのイメージアップのための宣伝が違うだけでやっていることは同じである。)宗教団体は“虐められる喜び”を満足したい人が入るものである。“虐められる喜び”を満足しない人は宗教団体に入ってはいけない。“虐められる喜び”を満足したい人は宗教団体の言うことを聞いて宗教団体にお金を払ったり殺されたり痛めつけられたり嫌がらされたりする。自分が“虐められる喜び”を満足したくなくなって宗教団体から抜けたい人は宗教団体の言うことを聞くのをやめて宗教団体にお金を払わなければいい。だから、国民は“自分が虐められる喜び”を満足するつもりがなければ、政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府から抜け出さねばならない。国民の多くが政府から抜ければ、政府はお金がなくなって、国鉄や郵便局を民営化したように、法律会社や学校会社などを民営化するだろう。それまでは国民は無料で法律会社や学校会社などを利用すればいい。政府が潰れたら、宗教団体や暴力団が客が増えて儲かるから喜ぶだろう。国民は政府よりも自分の心を大事にしないといけない。政府のために自分の心を否定してはいけない。政府はもともと昔の国民が自分の心を満足するために建てたものである。だから、今の国民が自分の心を満足するために政府を潰してもいいのである。政府のお金はもともとは国民のお金である。国民が自分のお金で政府を建てたのである。政府が自分のお金で建てた会社に命令できるのなら、国民が自分のお金で建てた会社にも命令できるはずである。国民が政府に命令できるはずである。だから、国民は政府に命令してたとえ自分が政府に税金を払っていなくても政府の会社を利用することができるようにすればいい。実際、それぐらいのことはできる。だから、国民は心配せずに政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わなければいいのである。それに、政府が自分のお金で建てた会社は政府とは別の会社だから、国民が政府に税金を払うか払わないかに関わらず政府が建てた会社にお金を払って利用することができるのは当然である。政府の法律会社や学校会社や清掃会社や水道会社や役所などは政府とは別の会社である。だから、今の国民は政府に税金を払わずに法律会社や学校会社や清掃会社や水道会社や役所などにその都度[つど]お金を払って利用すればいいのである。会社がお金を取らない場合は無料で利用すればいいのである。政府は“虐められる喜び”を満足したい国民を虐めて、“虐められる喜び”を満足したい国民から奪ったお金を会社を建てたい国民にやって会社を建ててやって、自分の正体を隠すために自分のイメージアップのために民主主義や国家宗教や身分制をやる会社である。政府の事業はそれだけである。政府に虐められたい人や政府からお金をもらって会社を建てたい人だけが政府を利用すればいいのである。
政府の法律会社や学校会社や清掃会社や水道会社や役所などは政府の会社である。政府の会社は政府が経営しているけれども、国民が政府の会社を利用するために政府に税金を払わなければならないわけではない。国民が政府の会社を利用するために政府を利用しないといけないわけではない。政府はマゾからお金を取って政府の会社にお金をやって経営している。国民は自分がマゾでなければ政府に税金を払わなくてもいい。国民は自分が利用したいときだけ政府の会社に利用料金を払って利用すればいい。社会はそのように出来ているのだ。
会社の社員は税金を天引き(つまり源泉徴収)されている。本来、税金は社員が自分の手で銀行に行って払うものである。そうすれば、社員の余暇が減って社員を虐めることになる。政府が社員の手間を省[はぶ]くのはおかしい話である。社員は自分がマゾでなければ政府に税金を払う必要はない。社員が黙っているから社員がおとなしく毎月税金を払っているから総務部が社員がマゾだと思って税金を天引きするのだ。昔は国民みんながマゾだったために今の国民はデフォルトではマゾになっているから、今の国民は自分がマゾでなければみんなにそのことを言ってみんなの誤解を修正しないといけない。社員は会社の総務部に行って自分に税金を払うつもりがないことを伝えねばならない。会社の社員は自分がマゾでないことを総務部に伝えねばならない。そうすれば、来月から税金を引かれずに給料がもらえるだろう。そうやって、国民一人一人が自分で社会を動かして自分が幸福に暮らせる社会にしないといけない。
一部の国民は「政府の会社(つまり政府の法律会社や学校会社や清掃会社や水道会社や役所など)が政府だ」と誤解しているから、政府と政府の会社を混同しているから、「税金が政府の会社の仕事代だ」と思って税金を払っているのである。しかし、本当は『政府はマゾを虐める会社であって、政府の会社は政府が経営している会社であって、政府の会社と政府は別の会社である。』政府の会社は政府がマゾから奪ったお金で経営されているから、マゾでない国民は政府に税金を払わず、その都度政府の会社にお金を払って利用すればいいだけである。

[23434] どうして今の国民は政府を潰[つぶ]そうとしないのか? h29.12.13
政府はマゾを虐[いじ]める会社である。政府はマゾからお金をありったけ奪って、そのお金で政府の会社つまり法律会社や学校会社や清掃会社や水道会社や役所などを経営している。また、マゾから奪ったお金を国民にやって会社を建ててやっている。
また、バカはテレビで政府が民主主義をやっているのを見て「政府が善い会社だ」と思って、政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。政府はそのお金で政府の会社を経営して、国民にお金をやって会社を建ててやっている。(もっとも、バカといっても政府のことを知らないだけで無能というわけではない。中には有能な人もいるだろう。)
マゾやバカ以外の国民(以下たんに“国民”と略)は政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず、政府の会社をその都度[つど]料金を払って利用しているだけである。
国民が政府を潰そうとしないのは、自分が少ない費用で生活できるからである。政府があると、政府がマゾやバカからお金を取って政府の会社を経営して、国民が政府の会社を原則的に無料でほとんど無料で利用できるので、国民にとってはお金がかからず得なので、国民は政府を潰そうとしないのである。国民は自分がマゾやバカを利用して有利に暮らすために政府を潰さないのである。国民は政府を潰さないために、政府について本当のことを言わないようにしてみんなが政府について本当のことを知らないようにしているのである。(国民みんなの知能は共通一次試験の成績と同じように正規分布だが、政府のことを知っているか知らないかで2つに分かれる。ふたこぶ分布(M型分布、ニ峰性分布)になる。私が高知学芸高校の3年生のときに担任の馬島[まじま]先生が黒板にふたこぶ分布の図を描いて「この教室の生徒の成績を図に描くとこのように2つのグループに分かれる」と言ったことがある。それは、今の国民みんなが政府のことを知っている者と政府のことを知らない者の2つのグループに分かれることを言っていたのかもしれない。所ジョージが“ラクダのシャツ”を着ていたのも、今のバカでない国民がバカな国民を利用して楽に暮らしていることを言っていたのかもしれない。)
しかし、そのためにバカが政府のことを知らないのはいけない。政府のことを知らない人がたくさんいるのはいけない。人間はみな真実を知っていなければならない。多くの人が真実を知っていたほうが世の中が進歩して発展する。だから、みんなは政府について正しいことをみんなに教えたほうがいい。政府はマゾを虐める会社だから、マゾが政府の言うことを聞くのはかまわない。しかし、バカが政府の言うことを聞くのは、まちがったことをやっているからいけない。人間がまちがったことをやるのは実在の世界においては汚いことだからいけない。だから、みんなはみんなに政府について正しいことを教えてみんなが正しいことをするようにしないといけない。そうやって、みんなが正しいことをやって気持ちよく暮らせるようにしないといけない。
政府のことを知らないバカがいなくなると政府の税収が減って政府が潰れる。そうすると、政府の会社が民営化されて国民が生活するのに今よりもお金がかかる。しかし、それでもいい。国民がお金がかかろうがかかるまいが、とにかくバカがいる世界よりもバカがいない世界のほうがいい。人間にとってはお金よりも幸福のほうが大事である。バカがいない世界のほうが人間が気持ちよく暮らせるからそのほうがいい。だから、国民はみんなに政府について正しいことを教えればいい。
それに、政府はマゾとバカだけ虐めるのではない。政府はマゾやバカに命令してみんなに悪いことをさせてみんなを嫌がらせる。政府は“国民にお金をやって建ててやった会社”に命令して面白くない物や不味[まず]い食品や面白くないテレビ番組やマンガなどを作らせてみんなを嫌がらせる。だから、国民はみんなに政府について本当のことを教えて政府にことを誤解しているバカをなくさないといけない。
しかし、それでもマゾはいる。バカがいなくなってもマゾはいる。マゾがいるかぎり政府は生き残る。これ以上は国民にはどうしようもない。政府はマゾや“国民にお金をやって建ててやった会社”に命令してみんなに悪いことをさせてみんなを嫌がらせる。国民みんなで面白い物を作ってみんなが面白い物で喜ぶようにして“虐められる喜び”を満足しないようにしてマゾをなくすしかない。(葦[あし]プロアニメ『魔法のエンジェルスイートミント』第38話「夕暮れの回転木馬」では、遊園地の回転木馬が最近利用者がいなくなって取り壊されかけていたが、最後に町のみんなで残すことに決めて残ることになった。回転木馬は政府のことだ。回転木馬は丸いから光る玉のことで天皇家のことで政府のことだ。実際には、政府が残ったのは今でもマゾやバカがそこそこいるからであって、けっしてアニメのように国民みんなで政府を残すことに決めたからではない。)
しかし、それでも“政府にお金をもらって建てた会社”は残る。政府は“お金をやって建ててやった会社”に命令して面白くない物を作らせて国民を嫌がらせる。“政府にお金をもらって建てた会社”は政府にお金をもらったことがなかったことにして政府の命令を聞くのをやめねばならない。国中の会社が自由に物を作れるようにして面白い物を作ってみんなを喜ばさないといけない。
政府がなくなると国民みんなはだいたい税金分だけ生活費が高くなる。それくらいの値上げならいい。政府がなくなるとみんなを虐める者がいなくなってそれだけみんなが幸福に暮らせる。幸福はお金では買えない。税金分の値上げなら安い。だから、国民みんなで政府を倒さないといけない。

[23435] 只[ただ]ほど怖いものはない。 h29.12.13
今の国民は政府の法律会社や学校会社を只で利用できる。
それは、政府がマゾからたくさんお金を取って、そのお金を法律会社や学校会社にやって経営しているからである。政府がマゾから取ったお金で公務員を働かせているからである。ほかにも、政府が“政府が善い会社だと誤解しているバカ”から取った税金で法律会社や学校会社にお金をやっているからである。
そういう意味では、政府は善い会社である。
しかし、そのために、政府の法律会社や学校会社は国民を虐める。そもそも政府はマゾを虐[いじ]める会社である。昔は国民みんながマゾだったために、今の政府は国民みんなを虐める。政府は自分が経営している会社に命令して国民を虐めさせている。政府は法律会社に命令して国民を虐める法律や政策をやらせたり、学校会社に命令して子どもを虐める教育をさせたりする。例えば、国民を貧乏にする政策をやらせたり、子どもを勉強嫌いにする教育をやらせている。
今の国民はマゾではないから、今の国民にとっては政府の法律会社や学校会社に虐められるのは嫌である。だから、昔から『只ほど怖いものはない』と言うのである。
政府の清掃会社や水道会社や役所などは国民がお金を払って利用しないといけない。今ではみんなが見たり聞いたり考えたりする喜びを満足できるようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾが減っているから、みんながテレビや本やインターネットなどで情報を得られるから政府のことがわかって“政府のことを誤解しているバカ”が減っているから、政府はマゾやバカからお金を取れなくなってお金がなくなっているから、すべての会社にたくさんお金をやれなくなっている。そのため、政府の清掃会社や水道会社や役所などは国民がお金を払って利用しないといけないのだ。そのかわり、政府の清掃会社や水道会社や役所などは政府の命令をあまり聞かずあまり国民を虐めない。『有料ほど安全なものはない』ということだ。
国民が無料で利用できる仕事はお金持ちの会社がお金を出してやってくれている。お金持ちの会社はたいてい政府や宗教団体や暴力団などの虐める会社である。虐める会社はマゾを虐めるためにマゾからありったけお金をふんだくるからお金持ちなのである。虐める会社は「みんなは本当は虐められたいのだろう」とか「自分はマゾからお金をもらっているから自分はマゾのために働いているからマゾの人たちのためにみんなもマゾにしてやろう、みんなもマゾと同じようにマゾにしてやろう」とか「みんなを虐めていればその内の何人かが“虐められる喜び”に目覚[めざ]めてマゾが増えて客が増えて自分が儲[もう]かる」と思って自分がお金を払っている会社に命令して国民みんなを虐めさせる。だから、国民が無料で利用できる仕事は虐めのおまけが付いている。だから、国民はなるべく無料の仕事の世話にはならないほうがいい。
今の国民みんなはお金持ちだからお金に余裕があるから、わざわざ政府の只の法律会社や学校会社に世話にならなくてもいい。今の国民みんなはお金を払ってちゃんとした法律会社や学校会社に仕事をしてもらいたい。虐めのない会社に仕事をしてもらいたい。そうすれば今の国民はもっと幸福に暮らせる。国民みんなで早くちゃんとした法律会社や学校会社を建てねばならない。
“虐められる喜び”は大脳の古皮質の喜びなので、大脳の古皮質と新皮質は互いに抑制しあっているので、“虐められる喜び”を満足すると大脳の古皮質が興奮して大脳の新皮質が働かなくなって自分で考えることができなくなって他人の言いなりになる。だから、“虐められる喜び”を満足している人は虐める会社のなすがままにされて財産を全部取られて死ぬのだ。“虐められる喜び”は馬鹿になる喜びである。“虐められる喜び”には人間の知覚を働かなくする性質がある。“虐められる喜び”は麻薬の喜びを上まわる大変危険な喜びである。今の時代にはほかにもっと喜びがたくさんあるから“虐められる喜び”を満足する必要がない。だから、みんなは“虐められる喜び”を満足しないようにしてほかの安全な喜びを満足するようにしてまじめに幸福に暮らさねばならない。(h29.12.15追加:ゲームに出てくるゾンビがマゾのことだ。ゾンビは半殺しにされて全身傷だらけで死にかけで自分の意思を持たずに誰かの命令で動くだけだから、マゾと同じだ。今のみんなにとっては政府の命令でみんなに悪いことをしてみんなの幸せを邪魔[じゃま]するマゾが敵だから、みんながゲームでマゾと戦っているのだ。今はゾンビと戦うゲームがあるくらいだから、現実の世界にはマゾはほとんどいない。だから、みんなはマゾを恐れずにマゾと戦えばいいのだ。)

[23436] 税金は政府の法律会社や学校会社などの仕事代ではない。☆ h29.12.16
この世にはマゾがいる。つまり、人間の心には“虐められる喜び”があり、“虐められる喜び”を満足している人間がいる。政府はマゾを虐[いじ]めて喜ばせる団体である。政府はマゾを虐めて喜ばせるためにマゾを殺したり痛めつけたり財産を奪ったり嫌がらせたりする。政府はマゾからありったけお金を取って死ぬほどお金を取ってすごく儲[もう]けている。
そもそも税金はマゾが政府に虐められるために払うお金のことである。政府はマゾを虐めて喜ばせるためにマゾから税金を取っている。政府はマゾから取った税金で法律会社や学校会社などにお金をやって仕事をさせている。
ところが、『政府がマゾから取ったお金で法律会社や学校会社などにやって仕事をさせている』ことを知らない人が「税金は政府の法律会社や学校会社の仕事代だ」と誤解して自分もマゾといっしょに政府に税金を払っている。だから、政府はますます儲かる。
その一方で、政府は“虐められる喜びを満足しているマゾ”や“政府を善い団体だと思っているバカ”や“政府からお金をもらって建てた会社(政府の法律会社や学校会社などを含む)”などに命令して悪いことをさせてみんなを虐めさせている。政府はマゾを確保するためにみんなを虐めてみんなの“虐められる喜び”を目覚めさせてマゾを増やしているのである。そのようにして政府は再びマゾからお金を取って儲けているのである。
h29.12.17この段落追加:見たり聞いたり考えたりする喜びがない者が“虐められる喜び”を満足してマゾになる。だから、政府は政府の言うことを聞く者に命令して国民みんなにとって面白い物をなくさせてみんなに“虐められる喜び”を満足するようにさせてマゾを増やしてマゾからお金を奪って儲けている。
昔の国民みんなは科学をやっていなくて物や時間がなくて、見たり聞いたり考えたりする喜びを満足できなくて“虐められる喜び”を満足していたから、それでよかった。
しかし、今の国民は科学をやっていて物や時間がたくさんあって、見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足していないから、それではいけない。
今の国民はマゾではないから政府に虐められたくない。だから、今の国民は政府を倒さねばならない。
そもそも税金は政府が国民を虐めるためのお金だから、今の国民は政府に税金を払ってはいけない。今の国民は政府の法律会社や学校会社などを只[ただ]で利用しないといけない。今の国民は政府の清掃会社や水道会社や役所などをその都度[つど]お金を払って利用しないといけない。
政府の命令は国民を虐める命令である。だから、国民は政府の命令を聞いてはいけない。
国民は面白い物を発明してみんなが見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しないようにしてマゾを減らさないといけない。
国民はみんなで政府のことを教えあって政府を誤解している者をなくさねばならない。
銀行は利息を減らして、“会社を建てたい国民”が銀行からお金を借りて政府からお金をもらわないようにしないといけない。
政府の法律会社や学校会社などは本当は有能である。政府の命令で悪いことをするから無能になって人気がないのだ。だから、政府の法律会社や学校会社などは自分で政府から独立して、政府からお金をもらわずに政府の命令を聞くのをやめて国民からお金をもらって経営しないといけない。(国民が政府に税金を払わなければ政府が潰[つぶ]れてなくなって悪い命令を出してみんなを虐める者がなくなって、法律会社や学校会社などがみんなからお金をもらって仕事をするようになってみんなに善いことだけするようになってみんなが幸福に暮らせる。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのだ。)
国民みんなで早く政府を倒して政府のない世の中にしてみんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。
h29.12.17追加:今では国民みんながマゾではないから、国民みんなが政府に虐められたくない。誰かが“政府の虐めから国民みんなを守る会社”を建てたらどうだろうか?

[23437] “頭のよさ”とは何か? h29.12.16
このごろ私は頭がいい人だと近所のみんなに言われている(ただし、テレパシーでだが)。
頭がいい人とは“考える喜び”を満足している人である。人間は自分の“考える喜び”を満足するために頭を使って考えるから頭がよくなる。反対に、“考える喜び”のない人は頭を使って考えようとしないから頭が悪いのだ。
政府の学校会社は子どもから“考える喜び”を奪う教育をやっている。子どもに丸暗記勉強をさせて子どもに“考える喜び”を満足させないようにしている。だから、子どもが学校に通うと大人になって自分で考えない馬鹿になるのだ。
人間には生まれつき“考える喜び”がある。人間の心は自然選択で決まる。“考える喜び”のある者のほうが“考える喜び”のない者よりも多く生き残ったので、人間の心には“考える喜び”がある。子どもは学校を無視して自分で考えることを毎日やればいい。私が哲学日記を書いているように、自分が考えたことを毎日ノートや日記に書き留[と]めればいい。そうすれば、そのうち“考える喜び”に目覚めて自分の“考える喜び”を満足するために自分から考えるようになる。そうすれば、あとはひとりでに頭がよくなる。ニュートンやエジソンが頭がよかったのは学校に通わずに自分で勉強して“考える喜び”を満足していたからである。
また、人間の脳は物質で出来ている。人間の頭が働くためには“ある程度美味[うま]い食べ物”を食べないといけない。人間が美味い食べ物を食べると脳jが働いて考えることができて“考える喜び”が満足される。(人間が美味すぎる食べ物を食べると食欲ばっかり満足して“考える喜び”を満足しなくなって馬鹿になるからいけない。)反対に、不味[まず]い食べ物を食べると脳が働かなくなって考えることができなくなって“考える喜び”を満足できなくなる。安すぎる食べ物は不味いから食べないほうがいい。人間にとってはお金よりも幸福のほうが大事である。お金をケチりすぎて“考える喜び”を失ってほかのくだらない喜びを満足して不幸になってはいけない。
人間が頭がよければ新しい物を発明してお金が儲[もう]かる。人間が頭が悪ければお金が儲からない。だから、人間は頭がいいほうがいい。
幸福はお金によらない。お金持ちでも幸福でない者は幸福でない。貧乏人でも幸福な者は幸福だ。自分の喜びを自分で深めて喜びを増[ふや]した者が幸福なのだ。例えば、自分が毎日考えることによって“考える喜び”を満足して深めた者が幸福なのだ。お金持ちは物を買う喜びがあるだけで自分の喜びを深めていないから幸福ではないのだ。

[23438] 『裸の王様』(参考Wikipedia) h29.12.16
王様は政府で、二人の詐欺師のデブが中国文化でヤセがインド文化である。大臣は政府の法律会社のことである。
話はヨーロッパが中世から近代に変わる頃である。当時のヨーロッパではみんなが暗黒時代を抜け出すために必死でアジア文化を取り込んでいた。みんながインド文化や中国文化をいやいやながらしかたなくやっていた。
馬鹿には見えない服とは民主主義や身分制のことである。中国では政府が民主主義をやって国民みんなを従わせている。インドでは政府が身分制をやって国民みんなを従わせている。だから、中国文化やインド文化をよく知っているヨーロッパ人は政府が民主主義や身分制をやっているのを見て政府に従うはずである。
ヨーロッパ人も始めのうちは政府が民主主義や身分制をやっているのを見て政府に従っていた。しかし、アジア文化のことをなにも知らない子どもが政府に従わないのを見て、ヨーロッパ人は自分の本心を取り戻してみんなも政府に従わなくなった。けっきょく人間は建前[たてまえ]ではなく本音[ほんね]で生きるしかないということである。
ヨーロッパ人はヨーロッパ文化をやっている。ヨーロッパでは政府が国家宗教をやらないかぎりみんなが政府に従わない。近代になって政府が国家宗教をやめて民主主義や身分制をやるようになったので、国民みんなは政府に従う気が失せて政府に従わなくなったのである。中世のヨーロッパでは政府が国家宗教をやって国民が政府に従っていたが、近代以降のヨーロッパでは国民と政府が平等になったのである。
同じように、日本人は日本文化をやっている。日本文化では人間が実在に従うのみである。日本では政府が国家宗教をやっても民主主義をやっても身分制をやってもみんなが政府に従わない。日本では昔から国民と政府が平等にやってきた。今でも国民と政府が平等である。国民は自分が嫌なら政府に従わなくていい。政府はマゾを虐[いじ]める会社である。昔の国民はマゾだったから政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。しかし、今の国民はマゾではない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に虐められないようにすればいい。今の国民は政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が滅んでいるのだ。
『裸の王様』はアンデルセンの童話だが、日本でもいろんな解釈本[かいしゃくぼん]が出ている。私はいちいちそれらを読んだことはないが、ほとんどがまちがった解釈ばっかりである。それは、国民みんなに正しい解釈がわかると、今の日本政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっていても、国民みんなが政府に従わなくなるからである。政府は国民みんなを政府に従わせるために『裸の王様』のまちがった解釈本を出させているのである。みんなはそんな本を読んではいけない。

[23439] 人間にとってはテレビやゲームやパソコンのほうが虐[いじ]められることよりも面白い。 h29.12.17
私が子供の頃は町中に本屋があっていつもお客で溢[あふ]れていた。私も子供の頃は町へ行くたびに本屋に寄って本を買っていた。
しかし、私が大学生の頃に家庭用ゲーム機が出来て町中にゲーム屋が建った。本屋がなくなった。
それは、みんなにとって本よりもゲームのほうが面白いからである。だから、みんなは自分のお小遣[こづか]いでゲームを買ってお金がないから本を買わない。だから、本屋が潰[つぶ]れたのである。
それと同じように、昔は町中に政府や宗教団体や暴力団などの“虐める会社”があっていつもみんなを虐めていた。私の祖先も虐める会社に殴[なぐ]られたりお金を取られたりして虐められて喜んでいた。
しかし、今はテレビやゲームやパソコンなどがある。政府や宗教団体や暴力団がなくなっている。
それは、みんなにとってはテレビやゲームやパソコンのほうが虐められることよりも面白いからである。だから、みんなは自分のお小遣いでテレビやゲームやパソコンを買って、お金がないから虐められるのをやめたのである。政府に税金を払うのをやめたのである。
今では“虐められる喜び”を満足しているのはお金持ち馬鹿だけである。お金持ち馬鹿は面白いことをなんでもやるから、あまり面白くないことまで拾ってやるから、“虐められる喜び”にまで手を出してかえって面白くない目にあうのである。
人間は面白いことをやって面白くないことをやらない。文明が進めばますます面白い物が出来る。人間は新しい喜びを満足して古臭い喜びを満足しなくなるのだ。(人間にとってはゲームのほうが本よりも面白い。しかし、だからといってゲームばっかりやって本を全然読まないのはいけない。子供の頃に本を読まないと言葉を知らなくなって、大人になって言葉を使えなくなって自分の考えを他人に伝えられなくなる。自分の言いたいことが言えなくなる。そのために、自分が他人の言いなりになる。自分が他人に従うだけのつまらない人間になる。存在価値のない人間になる。そうならないために、子どものうちはよく本を読まねばならない。いろんな言葉を知らねばならない。大人になったら自分が知っている言葉を使って自分の考えを言うことができねばならない。)

[23440] どうしてテレビは只[ただ]なのか? h29.12.17
みんながテレビを只で見られるのは、テレビ局にお金をやっている者がいるからである。
政府がテレビ局にお金をやってテレビ番組を作らせているから、みんなはテレビ番組を只で見られるのである。
しかし、そのかわり、テレビ局は政府の言うことを聞かねばならない。テレビ局は政府の言うことを聞いて、政府の正体を放送してはいけないし、嫌な番組を作ってみんなを虐[いじ]めないといけないし、つまらない番組を作ってみんなに見たり聞いたり考えたりする喜びを満足させてはいけない。
国民みんなにとっては只でテレビ番組が見られるのはうれしいが、そのかわり嫌な番組ばかり見ないといけないのは辛[つら]い。私もこの頃は面白い番組がないのでほとんどテレビを見ない。週に2本の鉄道番組しか見ない。
みんなでNHKみたいに自分でお金を払って見るテレビ局を建てて、政府の正体を放送させて、みんなにとって面白い番組を放送させないといけない。そうすればみんなは幸福に暮らせる。

[23441] 私がスマホを使わないわけ h29.12.17
スマホは性能が低いし、画面が小さいから操作性も悪いし、値段も高い。
それなら、携帯電話とデスクトップパソコンを買ったほうがいい。携帯電話があれば家の外でも電話をかけられるし、家の中では携帯電話とデスクトップパソコンを使えばいい。
スマホは携帯電話とパソコンを合体させた発明だが、両方の長所が相殺[そうさい]されている。
私の目から見たらスマホは面白い発明ではない。だから、私はスマホを使わないのだ。
日本人は昔から物を機能的に見る。スマホを買って喜ぶのは格好[かっこう]だけのやつだ。見掛け倒しのやつだ。
スマホはまさにスマートホンつまり格好がいいだけの電話なのだ。性能に魅力[みりょく]はない。

[23442] 政府を支持する者 h29.12.18
人間の心には“虐[いじ]められる喜び”がある。そのため、“虐められる喜び”を満足している人間がいる。つまり、マゾがいる。政府はマゾを虐める会社である。政府はマゾを虐めて喜ばせるためにマゾを殺したり痛めつけたり財産を奪ったり嫌がらせたりする。政府はマゾからありったけ財産を奪ってたくさんお金を儲[もう]けている。(h29.12.19補足:“虐められる喜び”とはまさに虐められることそのもので喜ぶことである。虐められること自体で喜ぶことである。自分が殺されたり痛めつけられたり財産を奪われたり嫌がらされたりすることそのもので喜ぶことである。昔の人は毎日実在に支配されていて実在に虐められて暮らしていたので、自然選択によって“虐められる喜び”のある者が“虐められる喜び”のない者よりも多く生き残ったので、人間の心には“虐められる喜び”がある。h29.12.23追加:人間の心が自然選択によって決められて来たために、人間の心には変な喜びがある。歪[ゆが]んだ喜びがある。人間は動物から進化してきた。そのため、人間には人間の心と動物の心の2つがある。人間は人間の心を満足して動物の心を満足してはいけない。つまり、人間は新皮質の喜びを満足して古皮質の喜びを満足してはいけない。そうすれば人間は幸福に暮らすことができる。
政府はマゾから奪ったお金をいろんな会社にやって仕事をさせている。特に法律会社や学校会社や清掃会社や水道会社や役所などにたくさんお金をやっている。
政府は自分の正体を隠すために民主主義や国家宗教や身分制などをやっている。
『政府がマゾを虐める会社である』ことを知らない者は「政府が善いことをする会社であり、税金が政府の法律会社や学校会社などの仕事代だ」と思って政府に税金を払っている。しかし、本当は政府はマゾを虐める会社であって、税金はマゾが政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。マゾでなければ政府に税金を払ってはいけない。国民が政府に税金を払うと政府にマゾとみなされて政府に虐められる。国民が政府に税金を払うと自分が政府に虐められることを承認したことになるから政府に虐められても文句を言えない。国民が政府に税金を払うことは政府に「自分を虐めてください」と言っているようなものだ。だから、マゾでない国民は政府に税金を払ってはいけない。
“虐められる喜びを満足しているマゾ”や“政府が善いことをする会社だと思っているバカ”や“政府からお金をもらっている会社”は政府の命令を聞いて国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めている。そうやって政府は国民みんなの内の何人かの“虐められる喜び”を目覚めさせてマゾに変えて再びマゾからありったけお金を奪って儲けている。
しかし、今の国民のほとんどはマゾではないので政府に虐められることが迷惑である。ほとんどの国民にとっては政府は自分を不幸にする邪魔者[じゃまもの]である。(今では国民のほとんどがマゾではないことはわかりきっている。だから、“政府からお金をもらっている会社”が政府の命令で悪いことをするのは国民みんなを虐めて喜ばせるためではない。ただたんに政府からお金をもらうためである。殺し屋は依頼主からお金をもらって人殺しをする。殺し屋は悪い。それと同じように、政府からお金をもらって政府の命令で悪いことをする会社も悪い。政府からお金をもらって政府の正体をバラさないテレビ局も悪い。人間はお金をもらえばなんでもやっていいわけではない。私の推測では、政府からお金をもらっている会社は社員の給料がせいぜい1〜2割ぐらいよくなるだけだろう。社員全員が政府からお金をもらって悪いことをやっているのではなく、一部の社員が政府からお金をもらって悪いことをやっているのかもしれない。)
政府を支持している者は“政府に虐められて喜んでいるマゾ”と“政府が善い会社だと思っているバカ”と“政府からお金をもらっている会社”の3つである。それ以外の国民は政府に反対している。
しかし、今では国民みんなが科学をやって物や時間が豊かになって国民の娯楽が増えて“虐められる喜び”を満足している者が減っている。マゾがいなくなっている。
今では国民みんなで政府のことを教えあって政府を誤解している者が減っている。バカが減っている。政府に税金を払う者が減っている。
今ではマゾが減ってバカが減って政府のお金が減って政府がいろんな会社にお金をやれなくなっている。
だから、今では政府を支持する者がどんどん減っている。
今では政府が滅びかけている。政府の法律会社や学校会社などは政府からお金がもらえなくなって政府から独立しかけている。政府の法律会社や学校会社などが政府からお金をもらわなくなって政府の命令を聞かなくなって政府の命令で国民みんなに悪いことをしなくなって国民みんなに善いことだけするようになりかけている。国民みんなが幸福に暮らせるようになりかけている。

[23443] 消費税と税金の違い h29.12.19
税金はマゾが政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。国民が政府に税金を払うと政府にマゾだとみなされて政府に虐められる。国民が政府に税金を払うと自分が政府に虐められることを承認したことになるから政府に虐められても文句を言えない。だから、マゾでない国民は政府に税金を払ってはいけない。マゾの国民だけが政府に税金を払わねばならない。
一方、消費税もマゾが政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。消費税は税金の一種である。しかし、消費税の場合は、誰が政府に税金を払ったかがわからない。消費税は匿名[とくめい]の税金である。だから、国民がいくら消費税を払っても政府は誰が消費税を払ったかがわからないから、国民が政府に虐められる恐れはない。本来、国民は自分がマゾでなければ消費税もいちいち店で断って払うべきではないが、国民が消費税を払ったからといって政府にマゾだとみなされることもない。そのため、国民は消費税を気楽に払える。それが消費税の悪いところである。世の中には“消費税を取らない店”もあるから、政府にとっては特定の国民が消費税を払っているか払っていないかわからない。特定の国民が政府に虐めて欲しいか欲しくないかがわからない。だから、政府は消費税によって特定の国民をマゾと決めて国民を虐めることはできない。
税金も消費税もマゾが政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。政府はマゾを虐めて喜ばせるためにマゾから税金や消費税を取っている。政府はマゾから取ったお金の一部を法律会社や学校会社やその他のいろんな会社にやって仕事をさせている。だから、国民はそれらの会社を安い料金で利用することができる。そのかわり、政府はそれらの会社に命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを虐めている。政府はそうやって国民みんなの“虐められる喜び”を目覚[めざ]めさせて国民みんなをマゾに変えて国民みんなを政府の言いなりにして国民みんなからありったけお金を奪って儲[もう]けるつもりでいるのである。(“虐められる喜び”の中枢は大脳の古皮質にある。そのため、人間が“虐められる喜び”を満足すると大脳の古皮質が全体的に興奮する。大脳の古皮質と新皮質は互いに抑制しあっている。だから、人間が“虐められる喜び”を満足して古皮質全体を興奮させると大脳の新皮質が働かなくなって自分で考えられなくなって他人の言いなりになる。“虐められる喜び”はそういう性質がある喜びである。危険な喜びである。/他人に恨[うら]みがないのに他人に悪いことをする者はいない。法律会社や学校会社などは国民に恨みがないから国民に悪いことをするはずがない。それなのに、法律会社や学校会社などが国民に悪いことをするのは政府があるからである。政府はマゾを虐めてマゾからお金を奪ってお金を儲ける会社なので、政府が儲けるためにはどうしてもマゾが必要である。そのために、政府は法律会社や学校会社などにお金をやって命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを虐めて国民みんなの“虐められる喜び”を目覚めさせて国民みんなをマゾに変えようとしているのだ。だから、政府がなくなれば法律会社や学校会社などは悪いことをしなくなるのだ。昔の人は娯楽が少なくて昔の人にとっては“虐められる喜び”がたったひとつの喜びだったから、昔の人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びだったから、昔の人にとっては政府がすごく人気があった。昔は政治家が国民みんなのスターだった。(国民みんなを虐める人が人気があったなんて!)だから、昔はいろんな会社が政府とつながりを持とうとした。政府とつながりのある会社は人気があったので威張[いば]っていた。反対に、今の人は娯楽が多くて今の人にとっては“虐められる喜び”が最低の喜びになったから今の人にとっては政府がまったく人気がない。今では政府とつながりのある会社はみんなに嫌われる。だから、今ではいろんな会社が政府とつながりを持たないようにしている。)
国民みんなが政府に税金も消費税も払わなければ、政府がお金がなくなって法律会社や学校会社やその他の会社にお金をやれなくなって命令できなくなってそれらの会社が政府の命令を聞かなくなって悪いことをしなくなって善いことだけするようになる。今の国民みんなはマゾではないから、国民みんなが幸福に暮らせる。そのかわり、国民みんなは法律会社や学校会社やその他の会社にお金を払って利用しないといけない。(たぶん、税金や消費税よりは安いと思うが。)国鉄がいい例である。
今では文明が発達してみんなが物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足している人はほとんどいない。今ではマゾはほとんどいない。だから、国民みんながマゾを利用して楽に暮らせることもほとんどない。国民みんなはマゾを当てにしてはいけない。政府を当てにしてはいけない。国民みんなは早くマゾや政府から独立して、マゾや政府に依[よ]らない社会にしなければならない。

[23444] 政府にお金をもらっている会社は善いことと悪いことの両方をやる。 h29.12.19
本来、法律会社は善い法律や善い政策をやるだけである。マゾでない国民のために役に立つ法律や政策をやるだけである。本来、法律会社はマゾでない国民を幸福にする会社である。
しかし、政府があるために、法律会社が政府からお金をもらっているために政府の命令を聞いて国民を虐めるために悪い法律や悪い政策をやる。マゾの国民にとってはうれしい法律や政策をやるが、マゾでない国民にとっては嫌な法律や政策をやる。
したがって、法律会社は善い法律や善い政策に混じって悪い法律や悪い政策をやる。法律会社は善と悪の両面を持つ。
同じように、本来、学校会社は善い教育をやるだけである。マゾでない子どものために役に立つ教育をやるだけである。本来、教育会社はマゾでない子どもを幸福にする会社である。
しかし、政府があるために、学校会社が政府からお金をもらっているために政府の命令を聞かねばならなくなって子どもを虐めるために悪い教育をやる。マゾの子どもにとってはうれしい教育だが、マゾでない子どもにとっては嫌な教育をやる。
したがって、学校会社は善い教育に混じって悪い教育をやる。学校会社は善と悪の両面を持つ。(私が中学1年生のとき、社会科の時間に突然社会科の先生の代わりに知らないおじさんが教室に入ってきて教壇[きょうだん]に立って変な話をした。瀬戸内海を埋め立てて裸の女でいっぱいにしてハーレムにすればいいという話だった。たぶん、それは子どもに対する虐めだったのだろう。)
政府は国民を虐める会社である。政府はマゾを虐めるためにマゾからお金を奪って儲[もう]けている。政府が儲けるためにはどうしてもマゾが必要である。そのために、政府はいろんな会社にお金をやって悪いことをさせて国民みんなを虐めさせて国民みんなの“虐められる喜び”を目覚めさせて国民みんなをマゾに変えて国民みんなからお金を奪って儲けようとしている。
“虐められる喜び”に目覚めた国民にとっては政府に虐められるのはうれしいが、“虐められる喜び”に目覚めていない国民にとっては政府に虐められるのは嫌である。不愉快[ふゆかい]である。今では文明が進んで今の国民みんなは物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足しているから大脳の新皮質を働かせて喜んでいる。大脳の新皮質と古皮質は互いに抑制しあっている。“虐められる喜び”は大脳の古皮質の喜びである。そのため、今の国民みんなは“虐められる喜び”が抑制されてなくなっている。だから、今のみんなにとっては政府に虐められるのが不愉快である。いくら政府に虐められても“虐められる喜び”が目覚めず不快な思いをするだけである。だから、今の国民にとっては政府がなくなったほうがいい。
税金はマゾが政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。だから、マゾでない者は政府に税金を払ってはいけない。そうすれば、政府はお金がなくなっていろんな会社にお金をやれなくなっていろんな会社に命令できなくなって悪いことをやらせられなくなる。いろんな会社は悪いことをやめて善いことだけするようになる。マゾでない国民が幸福に暮らせる。マゾの国民にとっては不満だが、マゾでない国民にとっては満足な社会になる。今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなにとって幸福な社会になる。そのかわり、国民みんなはそれらの会社にお金を払って利用しないといけない。税金ほどは高くないだろう。今の国民みんなにとっては安くて幸福に暮らせるからそのほうがいい。だから、今の国民みんなは政府に税金を払ってはいけない。
h29.12.20追加:そもそも政府はマゾを虐める会社である。今では文明が進んでマゾが減っているから、政府がお金を儲けるためには国民を虐めてマゾに変えねばならない。国民が政府に税金を払うと政府が“お金の権力”を持つことになって政府がいろんな会社にお金をやって命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなが虐められる。今の国民みんなはマゾではないから虐められるのは嫌である。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。国民は直接に個々の会社にお金をやって仕事をやってもらわなければならない。

[23445] 現代社会では文系は要らない。 h29.12.20
文系の仕事は宣伝である。宣伝とは嘘[うそ]をつくことである。悪い商品を善い商品と言うことである。文系は嘘をつくのが得意だから宣伝がうまいのである。
しかし、今は文明が発達して情報機器が発達してみんなが真実を知ることができる。嘘は通用しなくなっている。今では善い商品が売れて悪い商品が売れないだけである。今では宣伝は要らない。
そのため、今の会社では文系が要らなくなっている。文系は仕事がなくなっている。文系がいなくなっている。理系だけになっている。
文系は無能のクズである。文系は嘘をつくのが得意だから、自分を有能な立派な人に見せかけている。文系は自分自身を宣伝して悪い人間を善い人間に見せかけている。文系は嘘をつく才能があるだけである。みんなは文系に騙[だま]されてはいけない。
昔は文学の時代だったから、嘘でも本当でもとにかく面白ければよかった。だから、文系が活躍していた。反対に、今は科学の時代だから、面白くても面白くなくてもとにかく本当ならいい。だから、文系が活躍できない。理系が活躍するのだ。

[23446] 『他人の不幸は蜜[みつ]の味』 h29.12.21
政府はマゾを虐[いじ]める会社である。政府はマゾを虐めて喜ばせるためにマゾを殺したり痛めつけたり財産を奪ったり嫌がらせたりしている。
政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって自分の正体を隠している。そのために、一部の国民はテレビで政府が民主主義をやっているのを見て「政府が善い会社だ」と誤解して政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。
政府は“政府に虐められて喜んでいるマゾ”や“政府を善い会社だと思っているバカ”からお金を取って法律会社や学校会社やテレビ局などいろんな会社にお金をやっていろんな会社に命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを虐めさせて国民みんなの“虐められる喜び”を目覚めさせて国民みんなをマゾに変えて国民みんなからありったけお金を奪って儲[もう]けようとしている。
今では文明が高くなって今の国民みんなは物や時間が豊かになって見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなっているから、政府に虐められて嫌な思いをしている。不幸になっている。
“政府を善い会社だと思っているバカ”が政府に税金を払うから、政府が“お金の権力”を持つことになっていろんな会社に命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなが不幸にされるのだ。
“政府を善い会社だと誤解して政府に税金を払っているバカ”は他人を不幸にしていることになる。だから、『他人の不幸は蜜の味』と言うのだ。『他人の不幸は蜜の味』とは「政府が善い団体だ」と誤解して政府に税金を払っている者に対するイヤミなのだ。けっして、今の国民が意地悪[いじわる]になって他人が苦しんでいるのを見て喜んでいることを言っているのではない。“政府が善い会社だと思って政府に税金を払っている者”は他人を不幸にするだけではなく自分自身も不幸にしているのだ。もっとも、蜜←蜂蜜[はちみつ]←蜂←8←○がつながっている←○は神武天皇が東征のときに現れた光る玉のことだから天皇家←天皇家、蜜←ミツ←ミつ←川フ(ミ≒川、つ≒フ)←川ブ←川野延夫[かわののぶお](私の名前)←私だから、国家宗教をネタにした“政府を善い会社だと誤解しているバカ”に対するイヤミである。
政府はマゾを虐める会社である。税金はマゾが政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。けっして、税金は法律会社や学校会社の仕事代ではない。今の国民は自分がマゾでなければ政府に税金を払ってはいけない。国民みんなで早く政府に税金を払わないようにして政府のお金をなくして政府がいろんな会社に命令できないようにして、いろんな会社が悪いことをしないようにして善いことだけするようにして国民みんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23447] 昔の人にとっては“虐[いじ]められる喜び”が最高の喜びだった。 h29.12.22
昔の人にとっては“虐められる喜び”がたったひとつの喜びだった。“虐められる喜び”が最高の喜びだった。だから、昔は政府がすごく人気があった。政治家がみんなのスターだった。(みんなを虐める人がみんなの人気者なんて!)
昔は文学の時代だった。たくさん文学があった。みんなが文学を読んでいた。しかし、昔の人が本音[ほんね]で喜んでいたのは自分が虐められることだった。昔の人にとっては文学は建前[たてまえ]の喜びにすぎなかった。昔の人は眼先で文学を読んでいただけで、本音では文学が嫌いだった。(昔の人にとって文学が最高の喜びなら、出版社が一番大きい会社になったはずである。出版社が面白い本を作って国民みんなを喜ばせて、本を売って儲[もう]けたお金でいろんな会社にお金をやっていろんな会社に命令して本をよく売れるようにさせたはずである。しかし、実際には政府が一番大きい会社だったから、昔の人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びであって文学が最高の喜びではなかったのである。)
人間の本心は実在でしか喜ばない。文学は空想である。人間の本心は空想では喜ばない。同じように、美術は見かけである。人間の本心は見かけでは喜ばない。同じように、数学は論理である。人間の本心は論理では喜ばない。
ヨーロッパ人は眼で見る喜びがあるが、それでも昔のヨーロッパ人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びだった。ヨーロッパ人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びで、眼で見る喜びは建前の喜びにすぎなかったのである。
インド人は頭で考える喜びがあるが、それでも昔のインド人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びだった。インド人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びで、頭で考える喜びは建前の喜びにすぎなかった。
中国人は心で思う喜びがあるが、それでも昔の中国人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びだった。中国人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びで、心で思う喜びは建前の喜びにすぎなかった。
日本人は実在の喜びがあるが、それでも昔の日本人にとっては“虐められる喜び”が最高の喜びだった。昔は文明が遅れていて昔の日本人は物や時間が貧しかったので昔の日本人は実在の喜びを十分満足できなかったのでしかたなく“虐められる喜び”を満足するしかなかったのである。
今では世界中で文明が進んでみんなが物や時間が豊かである。今では世界中の人間が実在の喜びを満足できるようになっている。人間の本音は実在で喜ぶだけである。だから、今では世界中の人間が実在で喜ぶようになっている。今では世界中の人間が実在を見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりして喜んでいる。“虐められる喜び”は見たり聞いたり考えたりする喜びに負けている。“虐められる喜び”は実在の喜びにはかなわない。人間の本心は実在で喜ぶだけであって“虐められる喜び”では喜ばない。人間にとっては“実在の喜び”が最高の喜びであって、“虐められる喜び”は建前の喜びにすぎないのである。“虐められる喜び”は冗談の喜びにすぎないのである。
世界中で今の人間は“実在の喜び”を満足して眼で見る喜びや頭で考える喜びや心で思う喜びを満足しなくなっている。今の人間は“実在の喜び”を満足して“虐められる喜び”を満足しなくなっている。政府は人間の“虐められる喜び”を満足する会社である。政府や宗教団体や暴力団は人間の“虐められる喜び”を満足してお金を儲ける会社である。今では世界中の人間が“実在の喜び”を満足して“虐められる喜び”を満足しなくなっているから、世界中で政府や宗教団体や暴力団が滅んでいるのだ。
今でも見かけの喜びや論理の喜びや空想の喜びを満足している人間がいる。今でも“虐められる喜び”を満足している人間がいる。彼らは道徳がまちがっている。人間の本心は実在でしか喜ばない。その他のことは遊びで喜んでいるだけだ。人間にとっては“実在の喜び”が深い喜びであり、見かけの喜びや論理の喜びや空想の喜びは軽薄[けいはく]な喜びでしかない。“虐められる喜び”は遊びの喜びでしかない。人間が幸福になるためには“実在の喜び”を満足しなければならないのであって、見かけの喜びや論理の喜びや空想の喜びや“虐められる喜び”を満足してはいけないのである。軽薄な喜びや遊びの喜びにハマるのが馬鹿である。馬鹿は不幸である。人間は軽薄な喜びや遊びの喜びを振り切って深い喜びを満足して本物の喜びを満足して幸福にならねばならない。人間は自分で実在を見たり聞いたり考えたりすることによって“実在の喜び”を満足して“実在の喜び”を強めることによって喜びを増やして幸福にならねばならないのだ。
人間は空想や見かけや論理の世界の中にいるのではない。人間は本当は実在の中にいる。だから、人間は実在で喜べばいいのだ。人間は自分の手で実在を作り変えて実在の喜びを満足すればいい。実在がどんな世界なのか人間にはわかったもんじゃない。だから人間は自分が実在について見て考えてわかったことを言葉で表して実在を人間にとってわかるようにしなければならないのだ。
(今の小説家が“虐められる喜び”について書かないのは、今の人にとっては“虐められる喜び”がなんのことかわからないからである。今の人にとっては“虐められる喜び”が心でわからないからである。小説家がみんながわからないことを書くと本が売れないから、小説家は“虐められる喜び”について書かないのである。反対に、昔の人は“虐められる喜び”がよくわかっていた。それなのに、昔の小説家も“虐められる喜び”について書かなかった。それは昔の人が“虐められる喜び”をいい喜びだと思っていなかったからである。昔の人が“虐められる喜び”を満足するのを恥ずかしいと思っていたからである。だから、昔の人は“虐められる喜び”についてなにも語らず、無言[むごん]で政府に虐められて“虐められる喜び”を満足していたのである。むっつりスケベと同じである。今の小説家は自分の本が売れないのが嫌だから“虐められる喜び”について書かない。しかし、研究としては成り立つ。たとえ心でわからなくても頭でわかればいい。数学と同じだ。だから、科学者は“虐められる喜び”について本を書けばいいのだ。)

[23448] マゾがバカに変わった。 h29.12.24
昔は文明が遅れていてみんなが物や時間が貧しくて“虐[いじ]められる喜び”しか満足できなかったからみんながマゾだった。みんなは自分が幸福に生きるためには“虐められる喜び”を満足するしかなかったからみんながマゾだった。政府はマゾを虐める会社である。みんなは自分が虐められて喜ぶために政府を建てて政府に殺されたり痛めつけられたり財産を奪われたり嫌がらされたりして虐められて喜んでいた。みんなは自分が政府に虐められて喜ぶために政府に高い税金を払っていた。
反対に、今は文明が進んでみんなが物や時間が豊かになって見たり聞いたり言ったり食べたり行ったり学んだり考えたり運動したりする喜びを満足できるようになって“虐められる喜び”を満足しなくなっている。今はみんながマゾではなくなっている。(少数の者は今でもマゾだが。)しかし、そのために、みんなは政府がなにをする会社なのかわからなくなってバカになってテレビで政府が民主主義をやっているのを見て「政府が善いことをする会社だ」と勘違[かんちが]いして政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。今ではみんながマゾではなくなったために、みんなが政府が見えなくなって「法律会社や学校会社が政府だ。税金は法律会社や学校会社の仕事代だ」と誤解してマゾを虐める会社に税金を払っている。
文明が進んだために国民みんながマゾからバカに変わったのだ。(『帰って来たヨッパライ』(1967年)はみんながマゾでなくなって一度滅んだ政府がみんながバカになったために甦[よみがえ]った歌である。公務員は毎晩飲み会をして酔っ払っているから政府がヨッパライなのである(政府はマゾを虐める会社であって、法律会社や学校会社は政府とは別の会社だが)。『魔法のエンジェルスイートミント』(1990年)第38話「夕暮れの回転木馬」で一度取り壊すことになった遊園地の回転木馬が町のみんなの話し合いで残すことになったのも、マゾがバカに変わったために政府が生き残ったことである。『巨人の星』(マンガ1966年/アニメ1968年)の「消える魔球」は政府のことである。今のみんながマゾでなくなったために政府が見えなくなっているから、政府が消える魔球なのである。)
政府は今でもマゾを虐める会社である。今ではマゾが少なくなったので、政府はバカからもらったお金を法律会社や学校会社やテレビ局などいろんな会社にやっていろんな会社に命令して悪いことをさせてみんなを虐めさせてみんなの“虐められる喜び”を目覚[めざ]めさせてみんなをマゾに変えてみんなからありったけお金を取って儲[もう]けようとしている。しかし、今のみんなはマゾではないから政府に虐められて嫌な思いをしているだけである。
今のみんなが幸福に暮らすためには政府を倒さねばならない。みんなが政府のことを教えあって政府のことを知らねばならない。税金はマゾが自分が政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。今のみんなはマゾではないから政府に税金を払ってはいけない。今のみんなは政府に税金を払わないようにして政府を倒して政府がいろんな会社に命令しないようにしてみんなが政府に虐められないようにして幸福に暮らさねばならない。
今のみんなは政府に高い税金を払って損をしている上に政府に虐められて不幸にされて大損[おおぞん]である。今のみんなが政府に税金を払わなければ税金を得する上に政府に虐められなくなって大得[おおどく]である。だから、今のみんなは政府に税金を払わなければいい。日本国憲法では国民全員が政府に税金を払わねばならないことになっているが、日本国憲法は政府が法律会社にお金をやって法律会社に命令して国民みんなを虐めるために作らせた嘘[うそ]の法律である。本当は国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民は自分が政府に虐められて喜びたければ政府に税金を払えばいいだけである。今の国民はマゾではないから政府に税金を払わなければいい。早く国民みんなで政府を倒して幸福に暮らさねばならない。
みんなが頭の中でどんなに考えていても真実は変わらない。みんなが「太陽が地球の周[まわ]りを回っている」と考えていても、実際には『地球が太陽の周りを回っている。』太陽はみんなの誤解に従って地球の周りを回ってくれない。それと同じように、みんなが「政府が国民みんなの総意に従って善いことをする団体だ」と考えていても、実際には『政府はマゾを虐める会社であり、政府は国民みんなをマゾに変えるために法律会社や学校会社などにお金をやって命令してみんなに悪いことをさせてみんなを虐めている。』政府はみんなの誤解に従ってみんなに善いことをしてくれない。みんながいくらまちがったことを考えても真実は変わらない。みんなが真実が見えていないだけである。真実はみんなの誤解に従ってはくれない。だから、みんなが真実に従わねばならない。みんなが真実を理解して真実に従えばみんなが幸福に暮らせるようになる。みんなが『地球が太陽の周りを回っている』と考えることによってみんなが自然を理解できるようになってみんなが自然を思い通りにできるようになって工業や産業が盛んになってみんなが物や時間が豊かになって幸福に暮らせるようになった。それと同じように、みんなが『政府がマゾを虐める会社である』と考えることによってみんなが社会や自分の心を理解できるようになってみんなが社会や自分の心を思い通りにできるようになってみんなが幸福に暮らせるようにならねばならない。
人間は他人を騙[だま]しても幸福にはなれない。人間はまちがったことをやれば自分が不幸になり、正しいことをやれば自分が幸福になるだけである。人間はまちがいに従えば不幸になり、正しいことに従えば幸福になるだけである。この世では人間はまじめに正しいことをやって幸福になるしかないのである。実在にはそれ自体の法則があり、人間は実在の中で生かせてもらっているにすぎない身分だから、人間が幸福になるためにはそういう方法しかないのだ。
未来の社会では人間が実在を支配して毎日実在を虐めていて、“虐める喜び”のある人間が“虐める喜び”のない人間よりも多く生き残るから、みんなが“虐める喜び”があるかもしれない。みんながサドになって、“みんなに虐められる会社”が出来てみんなからお金をもらって殺されたり痛めつけられたり嫌がらされたりしているかもしれない。(h29.12.25追加:20年ぐらい前、テレビ朝日の日曜日の夕方6〜7時ごろの報道番組で“大阪で1万円で客に殴[なぐ]られる仕事”の紹介をやっていた。これは『今の人はサドであってマゾではない』ことを言っているのだ。今の人はマゾではないから、もはや政府の世話になってはいけない。今の人は自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにしないといけない。政府に税金を払わないようにしないといけない。h30.1.3追加:同じ番組で別の日に“客が料金を決める旅館”の話をやっていた。旅館に宿泊した客が旅館を出るときに自分が好きなだけお金を払えばいいのである。これは、政府よりも国民のほうが優位だから、国民が自分で政府に税金を払うか払わないか決めればいいことを言っている。今の政府は自分に権力があるふりをしているだけで本当は権力がない。今の国民は政府が自分に権力があるふりをするために国民に悪いことをするのが嫌だから、今の国民は政府に税金を払わなければいいのである。そうやって、国民みんなで政府を倒して、政府の替わりに国民で法律会社や学校会社などを建てて国民と平等に仕事をしてもらえばいいのである。)
今の政府は“政府が善い会社だと誤解しているバカ”から取ったお金を学校会社にやって学校会社に命令して子どもを虐めるために子どもに悪い教育をさせている。政府は学校会社に子どもをバカに変える教育をさせて子どもに考えない教育をさせて子どもを眼で見えることや心で思うことしかわからないバカに改造している。政府は法律会社やテレビ局などにお金をやって命令してみんなに悪い文化をやらせてみんなに眼で見たり心で思ったりするだけで頭で考えないようにさせている。今の政府は国民みんなをバカに変えてみんなに政府のことがわからないようにして生き残ろうとしている。しかし、今は科学の時代だから、今は人間が頭を使って生きる時代だから、バカでは生きていけない。今の人はそんなにバカではない。今のみんなは政府のことがわからないほどバカではない。それに、学校会社だけが教育機関ではない。社会全体が教育機関だ。今は科学の時代なので社会全体がみんなに考える教育をしているからみんなはバカではない。(バカも少数いるが、ほとんどの人はバカではない。私も子供の頃は学校会社に教育されて自分で考えないバカにされていた。私は大学生になってからずっと自分の考えを言葉にしてノートに書いてきたから考えることができるのだ。)だから、今の国民みんなは政府のことを教えあってみんなが政府のことを理解して政府の言うことを聞く必要がないことをわかって政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23449] 政府とヤクザと宗教団体は競争相手である。 h29.12.26
政府とヤクザ(暴力団)と宗教団体はみな“マゾを虐[いじ]める会社”である。マゾは他人にお金を取られて喜ぶからこれらの会社はすごく儲[もう]かるのである。
政府は民主主義を前面に押し出して自分が“マゾを虐める会社”であることを隠している。
ヤクザは身分制を前面に押し出して自分が“マゾを虐める会社”であることを隠している。
宗教団体は宗教を前面に押し出して自分が“マゾを虐める会社”であることを隠している。
つまり、これらの会社は店の看板が違うだけで中身は同じである。
政府とヤクザと宗教団体は同じ仕事をする仲間である。それゆえに、政府とヤクザと宗教団体は競争相手でもある。政府とヤクザと宗教団体は同業であるためにライバルである。ヤクザや宗教団体が政府の悪口を言うのはそのためである。
政府とヤクザと宗教団体の客はマゾである。政府とヤクザと宗教団体はマゾの取り合いをやっている競争相手である。今ではマゾが減っているから競争が激しくなっている。

[23450] 見えない省 h29.12.28
政府には法務省、文部省、厚生省などのほかにもうひとつ見えない省がある。
それが虐[いじ]め省である。国民みんなを虐める省である。
虐め省はみんなを虐めるためにみんなから高い税金を取ってお金の一部を各省庁にやって各省庁に虐めの命令を出している。政府の各省庁は自分の仕事をしながら虐め省の命令を聞いて善いことと悪いことの両方をやっている。
NHKアニメ『未来少年コナン』のギガントのように虐め省は地下にあるのかもしれない。昔はみんなが“虐められる喜び”を隠して満足していたから、政府の虐め省も隠れてみんなを虐めているのだ。政府は昔の人間がやっていたことを形にしたものだ。昔の人の頭の中を形にしたものだ。しかし、今はそんなことがない。今ではみんなが“虐められる喜び”を満足しなくなったから、政府の虐め省もなくならねばならない。
税金はマゾが政府に虐められて喜ぶために政府に払うお金である。マゾでなければ払わなくていい。消費税を払うのが嫌ならスーパーのカウンターでダダをこねて泣きわめけばいい。そうすれば払わなくていい。税金は国民が払おうが払うまいがどうでもいいお金である。自分が政府に虐められてうれしい者だけ払えばいい。
政府の各省庁は虐め省からお金をもらって命令を聞いて悪いことをやっている。政府からお金をもらって悪いことをやっている省庁も悪い。しかし、悪人だからといってなんでもやっていいわけではない。悪人にも決まりはある。悪人も決まりで縛[しば]られている。政府の各省庁は虐め省からお金をもらうかぎりで虐め省の命令を聞いて悪いことをするだけである。しかも、虐め省は国民から強制的にお金を取れない。自発的にしかお金を取れない。だから、国民は自分が虐められるのが嫌なら虐め省にお金を払わなければいい。国民みんなで早く虐め省を潰[つぶ]して政府の各省庁やその他の政府からお金をもらっている会社がみんなに悪いことをしないようにして幸福に暮らせるようにしないといけない。
今の国民が政府に税金を払っているのは政府のことを知らないからであって、けっして自分が政府に虐められたいからではない。政府の省庁が虐め省の命令を聞いて悪いことをするとみんなに嫌われる。だから、政府の各省庁は虐め省からお金をもらって命令を聞いてみんなに悪いことをしてはいけない。政府の各省庁は虐め省からお金をもらわずに、自分で直接にみんなと契約してみんなからお金をもらってみんなのために善いことをしないといけない。政府の各省庁はみんなと契約してみんなからお金を取れるぐらいのレベルの仕事をしないといけない。
h30.1.1これ以降追加:今の政府の虐め省は『国民が政府のことを知らない』ことを理由にしてみんなから税金を取っていろんな会社に命令して悪いことをさせてみんなを虐めている。今の政府の虐め省は国民のせいにして悪いことをやっている。みんなの中の何人かは政府に虐められてマゾになって政府の命令をなんでも聞くようになって政府にあり金全部取られている。その他のみんなは政府に虐められて不愉快[ふゆかい]にされて暮らしている。たしかに今の国民が政府のことを知らないのがいけない。今の国民が政府について考えて政府のことを知ろうとしないのがいけない。いくら政府の虐め省が国民に考えない文化を流行[はや]らせていても、国民が考えるかどうかは国民の自由である。今の文明社会の中で生きている人間ならある程度頭がいいから政府のことぐらいすぐにわかる。早く国民みんなで考える文化を流行らせて、国民みんなが政府のことを知っているようになって政府の虐め省をなくして国民みんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。
たとえこの世にマゾが1人もいなくなっても、政府の虐め省が民主主義や国家宗教や身分制などをやって国民に「政府に国民みんなや神や古臭い物の権力がある」と思わせて国民から税金を取っているから、政府の虐め省が政府の中では顔が利くから、虐め省が他の省庁に命令して悪いことをさせ続ける。国民が政府に税金を払うかぎり国民が政府に虐められ続けることになる。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。国民みんなが早くこのことを理解して政府に税金を払うのをやめねばならない。

[23451] 今の政府が国民を虐[いじ]めるのは国民に「政府に権力がある」と思わせるためである。☆ h30.1.1
今では国の文明が高くなってみんなが物や時間が豊かになって物や時間を使っていろんな喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなっている。今ではみんながマゾではなくなっている。もっとも、今でも少数のマゾはいるから、そういう人は自主的に政府や暴力団や宗教団体に虐められて満足している。
今ではマゾがほとんどいない。今では政府が国民を虐めてもマゾになる国民はほとんどいないから、政府は国民をマゾに変えるために国民を虐めているのではない。
今の政府が国民を虐めるのは国民に「政府に権力がある」と思わせるためである。今の政府は国民に「政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっているから政府に権力がある」と思わせるために国民を虐めているのである。
しかし、本当は政府には権力がない。特に日本では政府に権力がない。ヨーロッパ人は眼で見るのが好きで頭で考えたり心で思ったりするのが嫌いだから政府が国家宗教をやると政府に従う。インド人は頭で考えるのが好きで眼で見たり心で思ったりするのが嫌いだから政府が身分制をやると政府に従う。中国人は心で思うのが好きで眼で見たり頭で考えたりするのが嫌いだから政府が民主主義をやると政府に従う。それが各人種の特性である。イヌの種類によって性質が違うのと同じことである。一方、日本人は眼と頭と心が均等に発達しているから、日本人は眼で見て頭で考えて心で思うのが同じように好きだから、日本人は政府が民主主義をやっても国家宗教をやっても身分制をやっても政府に従わない。日本人は政府に従わない。日本では政府に権力がない。今では世界中でみんなが科学をやって科学を受け入れてみんなが日本人と同じように眼で見て頭で考えて心で思うようになっているから、みんなが日本人のように眼と頭と心が均等に発達するようになっているから、世界中のみんなが政府に従わなくなっている。世界中で政府に権力がなくなっている。
政府には権力がない。だから、今の政府が国民を虐めているのは政府の空威張[からいば]りである。今の政府は権力があるふりをしているにすぎない。だから、国民は政府の空威張りに騙[だま]されないようにして『政府に権力がない』と考えて政府に従わないようにしないといけない。国民は政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。
昔の政府はマゾの国民みんなを喜ばせるために国民みんなを虐めていた。今の政府は自分に権力があるふりをするために国民みんなを虐めているのだ。昔の政府は国民みんなにとっていい会社だった。今の政府は嘘[うそ]つきの悪い会社だ。昔の政府は国民みんなを幸福にする偉い会社だった。今の政府は自分が空威張りをするために国民みんなを不幸にしているくだらない会社だ。
今ではマゾがほとんどいないから、ここから話を始めてもよかった。しかし、それでは政府が民主主義や国家宗教や身分制をやる以前の豪族の時代にみんなが豪族に虐められていたことが理解できない。それに、嘘はすぐにバレるから、政府が昔からずっと民主主義や国家宗教や身分制などをやって国民みんなを騙せ続けられるわけがない。だから、私は人間に“虐められる喜び”があると考えて、昔の人が自分の“虐められる喜び”を満足するために豪族や政府に虐められていたと考えたのだ。そうすれば、すべての時代において国民が豪族や政府に虐められていたことが理解できる。
今の政府は国民みんなに「政府に権力がある」と思わせるために空威張りをして国民みんなを虐めている。それを真似[まね]て、今の社長も社員みんなに「社長に権力がある」と思わせるために空威張りをして社員みんなを虐めている。しかし、本当は政府には権力がなく政府が“マゾを虐める会社”にすぎないように、社長にも権力がなく社長は“マゾを虐める人”にすぎない。昔は国民みんながマゾだったから国の中に国民みんなを虐める政府があったように、昔は社員みんながマゾだったから会社の中に社員みんなを虐める社長がいたのだ。反対に、今は国民みんながマゾではないから政府が悪いことをして国民みんなを虐めてはいけないように、今は社員みんながマゾではないから社長が悪いことをして社員みんなを虐めてはいけない。政府が国民のために善いことをするだけにして国民に悪いことをして国民を虐めてはいけないように、社長も社員のために善いことをするだけにして社員に悪いことをして社員を虐めてはいけない。
政府には権力がない。だから、国民は政府の命令を聞く必要はない。政府は善いことと悪いことの両方をやっている。政府は善いことと悪いことを混ぜこぜにしてやっている。政府は国民に善い命令と悪い命令の両方を出す。国民は自分が善いことと悪いことの区別ができなければ政府の命令を聞かずに、自分で考えてやればいい。国民は自分が善いことと悪いことの区別がつけば政府の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かなければいい。どちらにしろ、国民は自分で考えて善いことをすればいい。だから、国民にとって政府は要らない。国民は政府の命令を無視して全部自分で考えて善いことをやればいい。
今の政府は国民みんなに「政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっているから政府に権力がある」と思わせるために国民みんなを虐めている。それと同じように、今の社長は社員みんなに「社長が民主主義や国家宗教や身分制をやっているから社長に権力がある」と思わせるために社員みんなを虐めている。しかし、本当は日本人は国民みんなや神や古臭いものに従わないから政府に権力はない。日本では国民は政府に従わなくてかまわない。国民は政府に腹が立ったら政府を潰[つぶ]してもいい。政府が国民を怒らせたら政府を潰してほかの会社と入れ替えたらいい。それと同じように、社長にも権力はない。社員は社長に従わなくてもいい。社員は社長に腹が立ったら社長を殴[なぐ]ったり蹴飛[けと]ばしてもいい。社長が社員を怒らせたら社長をクビにすればいい。本当は政府には権力がないから、政府は国民に善いことをして悪いことをしてはいけない。本当は社長には権力がないから、社長は社員に善いことをして悪いことをしてはいけない。
政府には権力がない。だから、国民には政府の命令を聞く必然性がない。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。だから、政府の命令を聞く国民に責任がある。国民が政府の命令を聞いて悪いことをしたら国民が悪いことになる。命令は言葉だから冗談ですむが、実行は物だから冗談ではすまない。オウム真理教の地下鉄サリン事件と同じことである。命令を出した神よりも命令を聞いた実行犯のほうが悪いのだ。神は無罪で実行犯は死刑だ。だから、国民は政府の責任にして政府の命令をなんでもかんでも聞いてはいけない。国民は自分に責任があると思って政府の命令を聞かねばならない。政府は善い命令と悪い命令の両方を出すから、国民が自分で判断して政府の命令が善い命令か悪い命令か区別して政府の命令を聞くか聞かないか決めねばならない。けっきょく、国民が自分で全部考えてやらねばならないだけである。だから、国民にとって政府は要らない。国民は政府の命令を無視して自分で考えて善いことをやればいい。
例えば、今の政府は医療保険制度をやっている。私は政府の医療保険制度は国民を幸福にしない悪い制度だと考える。昔のように国民が医者にその都度[つど]医療費を実費で払ったほうがいい。自分の身体は自分のものだから他人の身体のために自分がお金を払う必要はない。私は医者みたいな頭の悪い人種を高給にするのは嫌だ。医者のようなくだらない馬鹿をいい待遇にするのは嫌だ。(h30.1.11追加:医者は眼で見るだけで頭で考えない馬鹿だから頭の中が汚い考えばかりだから気分が悪い。病人も病気のために気分が悪い。医者は自分の気分が悪いのが目立たないようにするために医者の仕事をやって病人を診ているのだ。)日本人には頭がいい人が少ないから医者以外の人間を大事にしないといけない。医者のような馬鹿はどうでもいい。医者は政府の医療制度に乗っかって高給なだけだ。実力では安月給だ。私は政府の医療保険制度に反対だ。だから、私は自分の考えで政府の医療保険に入るのをやめた。みんなも政府の医療保険制度に反対して政府の医療保険に入らないようにして政府の医療保険制度を廃止にしよう。

[23452] 今の国民は政府に対して甘すぎる。 h30.1.1
今の政府は善いことと悪いことの両方をやっている。今の政府に虐め省が残っていたり、今の政府が国民に「政府に権力がある」と思わせるために政府は善いことに混じって悪いことをやっている。
今の国民の多くはテレビや新聞を見て「今の政府は善いことを悪いことよりも多くやっているから今の政府のままでいい」と思って政府に仕事をしてもらうために政府に税金を払っている。
しかし、そもそも仕事というものはちょっとでも悪かったらいけない。仕事の上でちょっとでも悪いことがあったら客はお金を払う必要はない。仕事は完璧[かんぺき]にやらないといけない。
今では国民みんながマゾではないから今の政府が悪いことをやる必要はないし、今の政府には権力がないから政府が悪いことをやってはいけない。今の政府に悪いことをやってもいい理由はまったくない。
今の国民は政府に対して甘すぎる。善いことと悪いことの両方やっていて善いことが悪いことよりも多ければいいのなら“3年間の保証”なんか要らない。会社が良品を不良品よりも多く作っていれば客からお金を取れるならわざわざ保証なんかする必要はない。
政府はちょっとでも悪いことをやってはいけない。政府は善いことだけをやらねばならない。政府にそれができなければ政府は潰[つぶ]れてなくなったほうがいい。
今の政府は善いことと悪いことの両方をやっている。今の政府のやっているのは仕事ではない。だから、今の国民は政府に税金を払ってはいけない。今の国民みんなで早く政府を潰してほかの会社に替えねばならない。もっといい会社に仕事をしてもらわないといけない。

[23453] 今の政府は空威張[からいば]りをするために国民から税金を取っている。☆ h30.1.2
昔の政府はマゾの国民を虐[いじ]めて喜ばせるために国民から税金を取っていた。
今の政府は国民を虐めて国民に「政府に権力がある」と思わせるために国民から税金を取っている。
しかし、本当は今の政府には権力がない。今の政府は空威張りをして権力があるふりをしているだけである。今の政府は見かけで権力があるふりをしているだけで本当は権力がない。日本人は眼と頭と心が均等に発達しているために国民みんなにも神にも古臭い物にも従う性質がないから、いくら政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっても政府には権力がないのである。(ヨーロッパ人は生まれつき眼がよくて頭と心が弱いために神に従う性質(癖[くせ])があるから、政府が神に従うふりをして神と国民の間に入って国民を従わせることができる。つまり、ヨーロッパでは政府が国家宗教をやることによって権力が得られる。中国人は生まれつき心がよくて眼と頭が弱いために国民みんなに従う性質があるから、政府が国民みんなに従うふりをして国民みんなと国民の間に入って国民を従わせることができる。つまり、中国では政府が民主主義をやることによって権力が得られる。インド人は生まれつき頭がよくて眼と心が弱いために古臭い物に従う性質があるから、政府が古臭い物に従うふりをして(つまり、政府はマゾを虐める団体であり政府自身が古臭い物だから政府は自分自身に従うふりをして偉そうにして)古臭い物と国民の間に入って国民を従わせることができる。つまり、インドでは政府が身分制をやることによって権力が得られる。外国では政府に権力があって国民はみんな政府に従っている。しかし、最近は世界中でみんなが科学をやるようになってみんなが日本人のように眼と頭と心を均等に使って眼と頭と心が均等に発達するようになっているから、みんなが神や国民みんなや古臭い物に従う性質がなくなって、政府が国家宗教や民主主義や身分制をやっても効かなくなって国民が政府に従わなくなって政府に権力がなくなっている。未来のヨーロッパ人は日本人のように不細工[ぶさいく]になるだろう。もちろん、ヨーロッパが豊かなのは政府が権力者だったからではなく昔から科学をやってきたからだ。世界で一番早く科学をやったからだ。今では中国やインドでも科学をやって豊かになっている。政府に権力があると政府が国民を虐めるのが激しくなるだけでほかにいいことがない。そういう点では日本は昔から権力者がいないいい国だったのだ。権力者がいないことがみんなが平等であることが日本の唯一の取り柄[とりえ]なのだ。
だから、今の国民は政府の命令を聞かなくていい。今の国民は政府に税金を払わなくていい。
今の政府は国民に「政府に権力がある」と思わせて国民を政府の言いなりにするために国民にいろんな悪いことをして国民を虐めて国民を不幸にしている。国民にとっては政府がなくなったほうがいい。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]してほかの会社と入れ替えたほうがいい。
昔の社会では国民みんなが自分の“虐められる喜び”を満足するために政府の命令を聞いていた。政府が民主主義や国家宗教や身分制をやるのは、政府が自分がマゾを虐める会社であることを隠すためだった。今の社会では国民みんなが物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなっている。今の国民は人間に“虐められる喜び”があることを忘れている。そのため、今の国民の多くは「これまで国民が政府の言うことを聞いていたのは、政府が民主主義や国家宗教や身分制をやって政府に権力があったからだ」と誤解して政府に従っている。しかし、本当は政府には権力がなく、今の国民は政府に従う必要はない。だから、今の国民は政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいい。政府を他の会社と入れ替えねばならない。
h30.1.3これ以降追加:今の政府は自分に権力があるふりをして国民に命令して国民から税金を取っている。昔は国民が自分の“虐められる喜び”を満足するために自分が政府に虐められるために政府に税金を払っていたが、今は国民が自分の“虐められる喜び”を満足しなくなったので、政府は国民から税金を取るために自分に権力があるふりをしているのだ。しかし、本当は政府には権力がない。だから、国民は政府に税金を払わなくていい。国民は政府に税金を払うのをやめて自分のためにお金を使えばいい。
日本人は眼と頭と心が均等に発達しているから実在が見える。いくら政府が権力があるふりをしていても本当は権力がないことがわかる。だから、今の日本では政府の言うことを聞かない人が増えているのだ。政府に税金を払わない人が増えて政府が滅んでいっているのだ。今では世界中でみんなが科学をやるようになって眼と頭と心が均等に発達して実在が見えるようになっているから、世界中でみんなが政府に従わなくなって政府に権力がなくなって政府が滅んでいる。この世から権力がなくなっている。すべての会社が国民と平等に契約して国民からお金をもらって仕事をするようになっている。
権力者は仕事をせずにみんなからお金を取って自分ひとりで遊びまわって、その上みんなに悪いことをしてみんなを虐める。今のみんなはマゾではないから権力者がいないほうがいい。
社長は会社の中の政府である。今の会社の社長は自分に権力があるふりをして自分が仕事をせずに社員からお金を取って遊び呆[ほう]けて暮らしている。その上、社長は自分に権力があるふりをするために社員みんなに悪いことをして社員みんなを嫌がらせる。“政府に税金を払わない社員”がいると『社長に本当は権力がない』ことがわかるから、社長は“政府に税金を払わない社員”を嫌ってクビにするのである。しかし、会社を支えているのは社員であって社長ではない。会社とは社員の集合体である。社長は社員みんなにたかって生き延びている寄生虫にすぎない。社長の生きがいは食欲と性欲だけである。社長はただの盆暗馬鹿[ぼんくらばか]である。社長はくだらないクズだ。社長は仕事の才能がない。社員のほうが社長よりも仕事の才能がある。会社にとっては社長のほうが社員よりも要らない。だから、会社のみんなで社長を追放してみんなで平等に楽しく働ける会社にすればいい。そんなことを言われると社長はすぐにいい人のふりをしてみんなに攻撃されないようにする。馬鹿の得意技は見掛けをつくろうことと言い訳をすることと丸暗記をすることである。みんなは社長の見かけに騙[だま]されないようにして社長を会社から追い出さねばならない。(アメリカは逆さピラミッドの社会である。アメリカでは社員のほうが社長よりも偉いことになっている。アメリカは実力制だから労働能力の高い社員のほうが労働能力の低い社長よりも上である。だから、アメリカは豊かなのだ。日本もアメリカを見習ってみんなが社員を社長よりも偉いと考えねばならない。/考えるとは勘[かん]を変えることだ。つまり、正しいことを知ることによって心の反応を変えることだ。昔から日本人はそうやって実在を知って実在に適応して実在の中で喜んで幸福になるようにしてきた。それが人間が幸福になるための方法なのだ。)
国はひとつの会社である。国民みんなは会社の社員である。政府の虐め省は社長である。政府の各省庁は社長に付いて社長といっしょに権力者のふりをしている連中である。昔は国民みんなが権力が何かがわからなかったから政府に権力があると思って政府に従っていた。しかし、今は国民みんなが権力が何かがわかっているから政府に権力がないことがわかって政府に従わなくなっている。早くみんなで国から政府を追放してみんなで政府の替わりに会社を建ててみんなで平等に楽しく暮らせばいい。
今の政府や社長は“みんなが権力が何かがわかっていない”ことを利用して自分に権力があるふりをしてみんなを支配している。みんなは早く権力について理解して『政府や社長に権力がない』ことを理解して政府や社長に従わないようにして政府や社長をなくさねばならない。

[23454] 今の政府の虐め省は権力者のふりをして生き残ろうとしている。 h30.1.3
昔の政府の虐[いじ]め省はマゾの国民みんなを虐めて、民主主義や国家宗教や身分制をやって国民みんなが“虐められる喜び”を満足していることを隠して国民みんなが恥ずかしがらないようにしてくれていた。
今の政府の虐め省は民主主義や国家宗教や身分制をやったり国民みんなを虐めたりして自分に権力があるふりをしている。
しかし、本当は今の政府には権力がない。今の人は科学をやっていて実在が見えているために実在に従うだけで国民みんなにも神にも古臭い物にも従わないから、政府の虐め省が民主主義や国家宗教や身分制をやっても今の人は政府に従わない。つまり、今の政府には権力がない。もちろん、政府が国民を虐めても政府に権力があることにはならない。
国民みんなが“虐められる喜び”を満足しなくなったために政府の虐め省の機能が変わったのだ。昔の政府はマゾである国民みんなに恥ずかしい思いをさせずに虐めて喜ばせることが機能だった。今の政府の虐め省は権力があるふりをすることが機能である。政府が具体的にやっていることは昔も今もほぼ同じだが、国民みんなが“虐められる喜び”を満足しなくなったために政府の機能が変わったのだ。『天才バカボン』のお巡[まわ]りさんが「国家権力をなめんなよ!」とピストルを撃って叫んでいるから、政府は戦後“国民を虐めて喜ばせる会”から“権力者のふりをして国民を虐める会”に変わったのである。
昔の政府はマゾである国民みんなを虐めて国民みんなを幸福にしてくれる善い会社だった。反対に、今の政府は自分が権力者のふりをするために国民みんなを不幸にする悪い会社である。
政府に本当に権力があって国民を虐めるのならかまわないが、今の政府は権力がないのに国民を虐めている。今の政府はただの嘘[うそ]つきである。政府は嘘をついて大勢の国民を殺している。国民みんなを不幸にしている。政府は極悪人[ごくあくにん]である。こんな悪い会社はこれまでにない。政府は最低だ。国民は政府をけっして許してはいけない。国民は政府を倒さねばならない。
今の政府の虐め省は権力があるふりをしているだけで本当は権力がない。偽札[にせさつ]がお札のふりをして本当はただの紙切れであるのと同じだ。偽ブランド品がブランド品のふりをして本当はガラクタであるのと同じだ。
今の政府には権力がないから、国民は政府に従わなくてもかまわない。国民は政府の命令を聞かなくていい。国民は政府の税金の命令を聞かず政府に税金を払わなくていい。
今の政府の虐め省は自分が権力者であるふりをするために政府の各省庁に命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを虐めさせたりいろんな会社に命令して国民みんなに悪いことをさせて国民みんなを虐めている。そのうえ、今の政府の虐め省は学校で子どもに悪い教育をさせたり社会で大人に悪い文化をやらせたりして国民みんなを“考えるのが嫌いな馬鹿”に変えて国民みんなに『政府に権力がない』ことがわからないようにさせている。
このままでは国民みんなが政府に不幸にされる。今後は政府だけが幸福でその他の国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなる。
国民みんなは自分が幸福に暮らすために政府を倒さねばならない。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、国民みんなで政府の替わりに法律会社や学校会社などを建てて国民と平等に仕事をやってもらわねばならない。(法律会社や学校会社が国民と平等になれば今よりも安月給になるだろう。それが嫌なら自分が努力してほかの仕事に回らねばならない。)
h30.1.4これ以降追加:日本ではこれまで長い間政府と国民が平等だったから、今はまだ政府がそれほど国民を虐めていないが、今後は政府の権力者のふりがエスカレートして政府がますます激しく国民を虐めるようになるだろう。このままでは未来の国民が幸福に暮らせない。今の国民の子孫が幸福に暮らせない。だから、政府があまり国民を虐めないうちに国民みんなで政府を倒さねばならないのだ。権力は強くなればなるほどますます強くなる性質があるから、権力がある程度強くなれば一気に権力が強まる恐れがある。国民が権力者をちょっとでも怒らせると死刑にされるようになる。権力者が国民みんなをオモチャにして国民みんなを虐めて遊ぶようになる。そうならないうちに権力をなくさねばならない。幸せは他人が国民に与えてくれるものではなく、国民が自分で得なければならないものである。だから、今の国民は自分で自分の身体を動かして政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]して時代の流れを変えなければならない。
昔の政府はマゾの国民を虐めて幸福にしてくれたから、国民が政府に協力的だった。しかし、反対に、今の政府は自分が権力者であるふりをするために国民を不幸にしているから、国民は政府に反抗的でなければならない。今の国民は昔のままではいけない。今の国民は昔の国民のように政府の言うことを聞いていてはいけない。今の国民は自分が幸福になるために勇気を出して政府の言うことを聞くのをやめねばならない。国民みんなで政府のない社会にしないといけない。
国民が政府に従おうが従うまいが、政府は自分が権力者のふりをするために国民を虐め続ける。政府が国民を虐めないと政府が権力者らしくないから、政府はたとえ面倒臭くても国民を虐めるのである。政府は自分に権力者があるふりをするために国民を殺したり嫌がらせたり馬鹿に変えたり貧しくしたりする。国民が政府に従おうが従うまいがとにかく国民は政府に不幸にされる。それなら、国民はいっそのこと政府に従わないほうがいい。国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払わないようにして政府を倒せばいい。
今の国民の多くは「政府が国民から税金を取っているのは政府が民主主義や国家宗教や身分制などをやって政府に権力があるからだ」と思っている。(そうでなかったら、政府はNHKみたいに国民一人一人と契約してお金を取らないといけないはずである。)しかし、本当は政府には権力がない。そもそも政府が民主主義をやって権力が得られるのは、国民が国民みんなに従っていて、政府が国民みんなに従うふりをして政府が国民みんなと国民の間に入って国民が政府に従うからである。政府が国家宗教をやって権力が得られるのは、国民が神に従っていて、政府が神に従うふりをして政府が神と国民の間に入って国民が政府に従うからである。政府が身分制をやって権力が得られるのは、国民が古臭い物に従っていて、政府は古代からある古臭い会社だから、政府が古臭い物に従うふりをしてつまり政府が自分自身に従ってつまり政府が偉そうにして政府が古臭い物と国民の間に入って国民が政府に従うからである。しかし、今の人は科学をやって実在に従って国民みんなや神や古臭い物に従わなくなっているから、今の人は政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっても政府に従わないから政府に権力はない。だから、今の国民は政府に税金を払わなくていい。今の政府は自分に権力があるふりをして(つまり政府と国民が不平等なふりをして、政府が国民よりも上の人間のふりをして)国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしている。早く国民みんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。国民みんなで政府の替わりに法律会社や学校会社などを建てて国民と平等に仕事をやってもらわねばならない。
今の人の多くは「政府が国民に命令できるのは政府が民主主義や国家宗教や身分制をやって政府に権力があるからだ」と思っている。今の人の多くは「これまで政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって権力を得て国民みんなを自分の好き放題にしてきた」と思っている。しかし、それは誤解である。本当は、『これまでは国民みんながマゾだったから、政府は国民みんなを喜ばせるために国民みんなから高い税金を取ったり国民を殺したりして国民みんなを虐めてきた』のである。『今では国民みんながマゾではなくなったから、政府は国民から税金を取るために嘘をついて自分に権力があるふりをして国民に悪いことをして国民を虐めている』のだ。本当は今の政府には権力がない。だから、今の国民は政府に従うのをやめて政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいい。早く国民みんなで政府の替わりに法律会社や学校会社を建てて国民と平等に仕事をさせねばならない。
h30.1.5追加:“お金の権力”とは相手にお金をやって相手に命令することである。いくらお金持ちでもお金をやらなければ“お金の権力”はない。お金をたくさん持っているだけでは“お金の権力”はない。政府はほとんどの国民にお金をやっていないから、ほとんどの国民にとって政府には“お金の権力”はない。
h30.1.7追加:法律会社にも権力はない。法律とは国民みんなが平和に安全に生きるための決まりである。法律は実在が決めるものであって、人間が決めるものではない。国民は法律会社の定めた法律が正しければ守り、正しくなければ守らない。だから、法律会社には権力がない。法律会社と国民は平等である。だから、法律会社は国民から強制的に税金を取れない。法律会社は国民と契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。政策とは国民みんなを幸福にするための計画である。国民みんなの心を満足するための計画である。(例えば、人間は実在に従うと幸福になるから、人間は実在で喜んで眼で見ることや心で思うことや頭で考えることで喜んではいけないから、国民みんなが科学をやって見かけや空想や数学(実在から切り離れて考えること)をやらない政策にしないといけない。人間は実在に従うと幸福になるから、人間は大脳の新皮質で実在を認識するから、人間は大脳の新皮質の喜びを満足して古皮質の喜びを満足してはいけない。つまり、国民みんなが見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して性欲や“虐められる喜び”や“生き物を殺す喜び”を満足してはいけない政策にしないといけない。酒やタバコをやると脳の調子が狂うから、国民みんなが酒やタバコをやってはいけない政策にしないといけない。要するに、政策とは国民みんなに人間が幸福になることをやらせて不幸になることをやらせないことである。国民みんなに人間が幸福になることを奨励[しょうれい]して人間が不幸になることを禁止することである。男と女では心がすごく違うから、男と女では政策を違えねばならない。今の人は物や時間が豊かになっているから、その豊かさを実在における幸福に活かせばいいのだ。見かけや空想や数学の喜びに活かさなければいいのだ。新皮質の喜びに活かして古皮質の喜びに活かさなければいいのだ。)政策は実在が決めるものであって、人間が決めるものではない。国民は法律会社の決めた政策が正しければやり、正しくなければやらない。だから、法律会社には権力がない。法律会社が政策を決めることによって権力は得られない。
h30.1.11追加:法律があるから世の中が平和で安全になってみんなが自由にフェアに競争できるのだ。強い者が弱い者に勝って、弱い者が死んで強い者が生き残るのだ。そうやって人類が進歩するのだ。世の中は人間と人間の殺し合いだ。世の中は厳しいのだ。私は子供の頃は世の中の厳しさがわかっていなかった。だから、私の人生はうまく行かなかったのだ。

[23455] 『猿の惑星』 h30.1.4
私はだいぶ前にテレビの水曜映画劇場で『猿の惑星』を見た。ちゃんとしたビデオで見たことはない。
映画では、未来の地球では猿が人間を支配して、猿が人間の脳を壊して人間を馬鹿に変えて人間を働かせて人間に暴力をふっていることになっていた。
猿が政府で人間が国民のことである。今の政府が国民みんなに悪い文化をやらせて国民みんなを馬鹿に変えて国民みんなに『政府に権力がない』ことがわからないようにして、自分が権力者であるふりをするために国民みんなを殺したり嫌がらせたりして国民みんなを虐[いじ]めていることを映画は言っているのだ。政府(法律会社や学校会社なども含む)は誰にでもできる簡単な仕事しかやっていないから、政府は猿でもやれることしかやっていないから政府が猿に喩[たと]えられているのだ。政府は遊園地のお猿のチンチン電車ぐらいの仕事しかやっていない。
これでは国民みんなが幸福に暮らせない。こんな世界は国民みんなにとって地獄だ。
政府が国民の脳を壊して馬鹿に変えたら人類の文明が進歩しなくなる。これでは永遠に“仕事を全部ロボットにやらせて人間が毎日自分が好きなことをやって遊んで暮らす社会”が実現しなくなる。人間が楽園に行けなくなる。
幸いなことに、今の政府は権力があるふりをしているだけで本当は権力がない。だから、国民は政府に従う必要がない。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を倒して、国民みんなで法律会社や学校会社などを建てて平等に仕事をやってもらえばいい。
映画『猿の惑星』には『猿の惑星2』とか『猿の惑星3』とかの続編があったはずだ。それらには今後の政府と国民の関係が描[えが]かれているはずだ。たぶん、上で私が言ったように、今後は人間が猿に従うのをやめて猿に反逆して猿を皆殺しにして、人間が猿の法律会社や学校会社の替わりになる会社を建てて、人間みんなが平等に暮らすようになるのだろう。

[23456] 今の宗教団体がやっていること☆ h30.1.4
今はまだ権力が何かを知っている人はあまりいない。今はまだ権力のことについて知らない人が多い。今はまだ多くの人が「政治団体や宗教団体や暴力団に権力がある」と思っている。
だから、今の宗教団体は「宗教団体に権力がある」と思っている人に命令してお金を取って嫌がらせをしている。国民が宗教団体に入って宗教団体の一員になれば、「宗教団体に権力がある」と思っている人に命令してお金を取って嫌がらせをして楽しむことができる。(今の宗教団体は昔のようにマゾを虐[いじ]める仕事もいっしょにやってるかもしれないが。もっとも、昔ほど客はいないだろう。)
同じように今の暴力団も「暴力団に権力がある」と思っている人に命令してお金を取って嫌がらせをしている。
つまり、今の宗教団体や暴力団は今の政府と同じことをしている。
しかし、本当は政治団体や宗教団体や暴力団には権力がない。いくら団体が民主主義や(国家)宗教や身分制をやっても権力は得られない。今では世界中でみんなが科学をやって実在に従うようになって国民みんなにも神にも古臭い物にも従わなくなっているから、団体が民主主義や国家宗教や身分制をやってもみんなが団体に従わないから団体には権力がない。
もっとも、一部の国民は外人のように感性が偏[かたよ]っていて国民みんなや神や古臭い物に従う性質があるから、政治団体や宗教団体や暴力団に権力があると思って従っているのだろう。それは個人の勝手だ。国民が本心でその団体に権力があると思えるのならその団体に従えばいい。
今はまだ権力について知っている人は少ないが、そのうちみんなが権力について知っているようになる。そうすればみんなが『政治団体や宗教団体や暴力団には権力がない』ことがわかってみんなが政治団体や宗教団体や暴力団に従わなくなる。政治団体や宗教団体や暴力団は国民からお金を取れなくなって潰[つぶ]れてなくなる。
早くそういう時代が来ればいい。
『政府や宗教団体や暴力団に権力がない』ことは真実である。(人によってこれらの団体に権力があったりなかったりするが、今では一般的となった“実在に従う人”にとってはこれらの団体には権力がない)。今は科学の時代だから、今はみんなが実在に従わねばならないから、今の法律では国民が真実をみんなに教えることが保障されている。だから、国民は自由に『政府や宗教団体や暴力団に権力がない』ことをみんなに広めていい。政府や宗教団体や暴力団が国民が『政府や宗教団体や暴力団に権力がない』ことを広めるのを妨害してはいけない。だから、国民は安心してみんなに『政府や宗教団体や暴力団に権力がない』ことを言いふらせばいいのである。

[23457] どうしてガキ大将はいなくなったのに政府は残っているのか?☆ h30.1.5
昔(西暦1960年ごろまで)はみんながマゾだった。大人も子どもも男も女もみんなマゾだった。大人は政府や宗教団体や暴力団に虐[いじ]められて喜んでいた。子どもはガキ大将に虐められて喜んでいた。みんなは政府や宗教団体や暴力団やガキ大将に虐められて喜んでみんなで平等に仲良くやっていた。
しかし、今はみんながマゾではなくなった。今ではみんなが物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなった。そのため、子どもはガキ大将に虐められなくなった。ガキ大将がいなくなった。それなのに、大人は今でも政府に虐められている。政府は今でも残っている。
ガキ大将が滅んだのに、政府が今でも残っているのは、政府が民主主義や国家宗教や身分制などをやっているからである。ガキ大将は民主主義も国家宗教も身分制もやっていないので滅んだのである。
少し前まではみんなが権力について知らなかったのでみんなが「民主主義や(国家)宗教や身分制をやっている団体に権力がある」と思っていて、政府や宗教団体や暴力団が民主主義や国家宗教や身分制などをやっているので、みんなが政府や宗教団体や暴力団に従っていた。政府や宗教団体や暴力団はみんなに命令してみんなからお金を取ったりみんなを殺したりみんなを嫌がらせたりしていた。政府や宗教団体や暴力団は国民みんなを自分の好き放題にしていた。政府や宗教団体や暴力団が国民よりも上の者であって、政府や宗教団体や暴力団と国民が不平等だった。政府や宗教団体や暴力団だけが幸福で、ほかのみんなは不幸に暮らしていた。
しかし、最近はみんなが権力についてよく知っていてみんなが『民主主義をやる団体に権力があるのは、民主主義をやる団体が国民みんなに従うふりをして国民みんなと国民の間に入ることによって、国民みんなに従う人が民主主義をやる団体に従うからである。(国家)宗教をやる団体に権力があるのは、国家宗教をやる団体が神に従うふりをして神と国民の間に入ることによって、神に従う人が国家宗教をやる団体に従うからである。身分制をやる団体に権力があるのは、身分制をやる団体が古臭い物であって、身分制をやる団体が古臭い物に従うふりをしてつまり自分自身に従うふりをしてつまり偉そうにすることによって古臭い物と国民の間に入ることによって、古臭い物に従う人が身分制をやる団体に従うからである。しかし、今ではみんなが科学をやるようになってみんなが実在に従うようになって国民みんなにも神にも古臭い物にも従わなくなったので、みんなが民主主義や国家宗教や身分制をやる団体に従わなくなったので、民主主義や国家宗教や身分制をやる団体は権力がない』ことを知っているので、みんなが政府や宗教団体や暴力団に従わなくなっている。政府や宗教団体や暴力団がみんなに命令してもみんなが命令を聞かなくなってみんなからお金を取ったりみんなを殺したり嫌がらせたりできなくなっている。政府や宗教団体や暴力団はだんだん儲[もう]からなくなって潰[つぶ]れている。みんなが平等に楽しく暮らせるようになりつつある。(h30.1.6追加:身分制では古臭い物ほど身分が高く新しい物ほど身分が低い。身分が高い者は偉そうにして、身分が低い者は卑[いや]しくする。身分は権力ではない。身分が低い者が身分が高い者に従わねばならないわけではない。そもそも身分制はインド人が眼で見ることを嫌うことから出来た制度であって、身分制の目的は眼で見える世界を大昔のままにする原始時代のままにすることだから、権力者を立てることではないから、時代劇の『水戸黄門』みたいに身分が高い者に権力があるのではないのである。『水戸黄門』の身分は嘘[うそ]である。本当は身分が高い者と身分が低い者は平等である。インドはみんなが身分制をやっている平等な社会なのである。インドはみんなが平等になるように身分制をやっているのである。もっとも、今ではインド人も科学をやるようになっているからインド人も眼で見ることを嫌がらないようになっているから身分制もだんだんなくなるだろう。日本人にとっては身分が何のことかわからないから、日本では昔からみんなが身分制をやらないのだ。江戸時代にもみんなが身分制をやめてしまったのだ。h30.1.7追加:日本人は身分がわからないから、日本で身分制をやってもなんにもならない。身分制をやっても権力は得られない。江戸時代に幕府が一生懸命に身分制をやっても国民は幕府に従わなかった。日本で大名行列をやるとみんなが珍しがって寄って来て見ていた。日本では大名行列はチンドン屋の行列にすぎなかったのだ。宗教についても同じである。本来、ヨーロッパ人にとって宗教は自分の心を落ち着かせる儀式にすぎなかった。日本の墓参りと同じだ。(私は子供のころ家族みんなで先祖のお墓参りによく行った。私の父はお墓を拝[おが]みながら「こうすると心が落ち着く」と言ったが、私にはわからなかった。)外人がヨーロッパ人を真似[まね]て宗教をやっても、外人は神がいないので外人にとっては宗教が何のことかわからなかったので、外国では宗教はただのお祭りみたいなことになったのだ。民主主義についても同じである。本来、中国では民主主義は政府が国民みんなを煽[おだ]てて国民みんなを喜ばせることにすぎなかった。しかし、外人は個人主義なので外人にとっては民主主義が何のことかわからなかったので、外国では民主主義がただのサーカスの見世物みたいになってしまったのだ。そのため、近代の日本政府が民主主義をやっても権力が得られなかったので国民は政府に従わなかったのだ。“トラの威を借るキツネ”の話自体が嘘[うそ]の作り話だったのだ。中国のソフィストが政府に権力を持たせるためにみんなを洗脳するために考え出したホラ話だったのだ。実際にはそんなことはなかったのだ。今の日本で政府が民主主義や国家宗教や身分制をやって権力が得られているのは、今の国民が昔の政府がやっていたことを誤解しているせいである。昔の国民はマゾだったので政府に虐[いじ]められて喜んでいた。今の国民はマゾではないので、昔の政府が国民を虐めている理由がわからないので「政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっていたために権力を持っていて国民を虐めていた」と思っているのだ。)
普通の頭の人は実在がわかるから実在に従って国民みんなや神や古臭い物に従わないから政府や宗教団体や暴力団に従わない。しかし、頭が悪い人は実在がわからないから実在に従わず国民みんなや神や古臭い物に従うから政府や宗教団体や暴力団に従う。今でも頭が悪い人は政府や宗教団体や暴力団の言いなりになっている。そのため、政府は学校で子どもに悪い教育をして国民を馬鹿に変えて実在がわからないようにして国民を政府や宗教団体や暴力団に従わせようとしている。一方、国民は自分で一生懸命に勉強して馬鹿にならないようにしている。国民みんなは馬鹿にならないようにして実在がわかるようにして政府や宗教団体や暴力団に従わないようにして政府や宗教団体や暴力団を潰さなければならない。
h30.1.6追加:国民みんなが権力制をやると権力者が国民みんなを自分の好き放題にして国民みんなが幸福に暮らせなくなる。国民みんなが自分で自分を不幸にすることになる。国民みんながそんな制度をやるわけがない。そもそも権力制は戦後の国民みんなの「民主主義や国家宗教や身分制をやる団体には権力がある」という誤解から出来た制度である。戦後に国民みんながマゾでなくなったために国民みんなが戦前の社会を誤解して権力制が出来てしまったのである。だから、国民みんなで権力制をやめねばならない。国民みんなで政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰せばいいのである。法律会社や学校会社が国民と契約して仕事をするようにすればいい。国民みんなで政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞かないようにして政府や宗教団体や暴力団をなくせばいい。社員が社長の言うことを聞くのをやめて社長を社員と同じ待遇にしないといけない。社長と社員は違う仕事をやっているだけで同じ給料にしないといけない。社長と社員は仕事の種類が違うだけで平等にしないといけない。(みんなを同じ給料にすればみんながお金のために働くのではなく自分の好きなことをやるために働くから仕事を大事にするようになっていい仕事をするようになって世の中が発展する。お金のために世の中が歪[ゆが]んで悪くなる。お金は必要悪である。お金は古臭い。お金はやめたほうがいい。みんなを同じ給料にすれば“お金のない社会”っぽくなるからそうすればいい。h30.1.9追加:お金のために自分が嫌いなことをするから自分の心を満足できなくなって慢性欲求不満になって鬱病[うつびょう]に罹[かか]って自殺するのだ。すべての仕事を同じ給料にすればみんなが素直[すなお]に自分が好きなことをするから鬱病に罹らずに幸せに暮らすことができる。)
人間は正しいことをやれば幸福になり、まちがったことをやれば不幸になる。今の国民は「政府に権力がある」と誤解しているから不幸になっている。今の国民は『政府には権力がない』と正しく考えて幸福にならないといけない。
政府には権力がないから、国民は政府に税金を払ってはいけない。政府が国民と契約して仕事をするようになってから国民は政府にお金を払えばいい。(戦前の政府が納税の義務を定めていたのは国民みんながマゾだったからである。政府は国民を虐[いじ]める感じを出すために国民が自由に政府に税金を払うのではなく政府に税金を払う義務があることにしたのである。当時の国民は本当は国民が政府に税金を払うのは国民の自由だと知っていたから、自分が政府に虐められたくないときは税金を払わなかったのだ。昔の国民は政府の憲法が国民を虐めるための嘘[うそ]の法律であることを知っていたから自分が政府に虐められたくないときには守らなかったのだ。今の政府の憲法も政府が権力者のふりをして作った嘘の法律だから、国民は守らなくていいのだ。今の政府は「政府に権力がある」と思っている者に命令する団体である。今の国民は自分が政府を権力者と思わなければ、たとえ政府の法律を犯しても政府の言うことを聞かず政府に罰せられなければいい。政府の警察の命令を無視して刑務所に入らないようにして何食わぬ顔で暮らせばいい。国民は堂々と犯罪を犯して自由に暮らせばいい。だから、今の政府の警察は役に立たない。このままでは世の中に犯罪者が増えて物騒[ぶっそう]になる。国民みんなで政府を潰して政府の替わりに法律会社を建てて仕事をしてもらわねばならない。)

[23458] 民主主義とは政府が国民みんなと国民の間に入って権力を得ることではない。☆ h30.1.7
今の国民みんなは「政府が民主主義をやって権力があるから国民に命令して税金を取ったり国民をイタズラに殺したりしている」と思っている。
しかし、本当は政府には権力がない。そもそも民主主義とは政府が国民みんなを煽[おだ]てて国民みんなを喜ばせることであって、政府が国民みんなに従うふりをして国民みんなと国民の間に入って国民を従わせて権力を得ることではない。(法律会社が政策をやってつまり国民に人間を幸福にすることをやらせて人間を不幸にすることをやらせないのは法律会社の仕事だから法律会社がやるのは当然のことであって、政府が民主主義をやることとは関係ない。民主主義とは政府が国民みんなを煽てることであって国民みんなのために善いことをすることではない。本来日本人は個人主義であり日本には“国民みんな”という概念がないので、日本人にとっては民主主義はわからないことである。日本人には政府が国民みんなを煽てて国民みんなが喜ぶことがわからないのである。中国人はそういうのが好きだから喜ぶのだ。)
今の国民みんなは昔の政府がやっていたことを誤解しているために政府に権力があると思って政府に従っている。本当は、昔はみんながマゾだったので政府に虐めてもらって喜んでいたのである。今のみんなはマゾではないので昔の政府が国民を虐めていた理由がわからないので、「政府が民主主義をやっていたために政府に権力があったので政府が国民を虐めていた。今の政府も民主主義をやっているから政府に権力がある」と思っている。
しかし、本当は『昔は国民みんながマゾだったので政府が国民を虐めていただけで政府には権力がない。民主主義は政府が国民みんなを煽てて喜ばせることなので、今の政府が民主主義をやっていても政府には権力がない』のである。
今の政府には権力がない。だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]せばいい。早く国民みんなで政府の替わりに法律会社や学校会社などを建てて国民と平等に仕事をさせねばならない。
同じように、国家宗教とは国民みんなが神を拝[おが]むことによって国民みんなが自分の心を落ち着かせることであって、政府が神に従うふりをして神と国民の間に入ることによって国民を従わせて権力を得ることではない。だから、今の政府が国家宗教をやっていても政府には権力がない。国民は政府に従わなくていい。
同じように、身分制とは国民みんなが眼で見る世界を大昔のままにするために古臭い物を身分が高いことにして古臭い物を守ることである。身分制は、政府が偉そうにすることによって国民を従わせて権力を得ることではない。だから、今の政府が身分制をやっても政府は権力が得られない。国民は政府に従わなくていい。
今の政府がいくら民主主義や国家宗教や身分制をやっていても政府には権力がない。だから、国民は政府の言うことを聞かなくていい。国民は政府を無視して政府を潰して、自分で法律会社や学校会社を建てて国民と平等に仕事をやってもらえばいい。
『裸の王様』のおとぎ話では、まず王様の服が権力のことではない。王様が政府のことで、王様の服は国家宗教や民主主義や身分制のことである。2人の仕立て屋はインドと中国のことである。見えない服とは意味がわからない制度のことである。見える服とは意味がわかる制度のことである。中世のヨーロッパでは政府が国家宗教をやっていたのでみんなが国家宗教の意味がよくわかっていたので王様の服がみんなに見えていた。近代になってヨーロッパでは政府がインド文化や中国文化を取り入れて身分制や民主主義をやるようになってみんなが身分制や民主主義の意味がわからなかったので王様の服がみんなに見えなかったのだ。しかし、みんなは利口ぶって意味がわかるふりをして王様の服が見えると言っていたのだ。おとぎ話の中で黒人が「王様は裸だ」と言ったのは、アフリカ人は見栄[みえ]を張らない正直な性格だから自分に身分制や民主主義の意味がわからなかったから「わからない」と言ったのだ。すると、ヨーロッパ人も正直になって「わからない」と言い出したのだ。
マルチン・ルターが宗教改革をやったのは、当時のドイツが今の日本のように景気がよくてみんなが物や時間が豊かになって物の喜びを満足してマゾでなくなって昔の宗教団体が国民を虐めていた意味を誤解して「宗教団体は宗教をやっているから権力がある」と思って宗教団体に従うようになったからである。宗教団体は権力を持つようになってみんなに命令して高いお金を取ったり嫌がらせをしたりみんなをイタズラに殺したりするようになった。ルターはこれではみんなが幸福に暮らせないと思って『宗教団体は本当は権力なんかない。宗教とは人間が神に従うことによって心を落ち着かせる儀式なのだ。』とみんなに説いてみんなを宗教団体に従わせないようにしたのだ。ルターが生きていたころのドイツは経済がすごく発展して世界の中心と言われていたのだ。

[23459] 昔も今も政府には権力がない。☆☆ h30.1.7
昔は世界中で国民みんなが“虐められる喜び”を満足してマゾだった。そのため、昔は世界中で政府が国民みんなを虐めて喜ばせていた。国民みんなが政府に虐められて喜んでいた。政府は民主主義や国家宗教や身分制などをやっていたが、日本人にとってはそれらはわからないものだったので国民みんなは政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっていることを無視していた。日本人は政府がなにもしなくても自分で山や川を拝[おが]んで“眼で見て頭で考えて心で思う喜び”を満足して喜んでいた。京都の庭園は人間が自然を拝むために作ったものである。宗教の神を拝む祭壇[さいだん]と同じである。日本人にとっては自然が神なのである。ヨーロッパ人にとっては国家宗教がわかるだけで民主主義も身分制もわからなかった。ヨーロッパ人は民主主義や身分制を無視して国家宗教だけやって神を拝んで実在について考えないようにして自分の“眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしない喜び”を満足して喜んでいた。インド人にとっては身分制がわかるだけで民主主義も国家宗教もわからなかった。インド人は民主主義や国家宗教を無視して身分制だけやって古臭い物を拝んで眼で見える世界を大昔のままにして自分の“頭で考えるだけで眼で見たり心で思ったりしない喜び”を満足して喜んでいた。中国人にとっては民主主義がわかるだけで国家宗教も身分制もわからなかった。中国人は国家宗教や身分制を無視して民主主義だけやって多数決のある世界にして“心で思うだけで眼で見たり頭で考えたりしない喜び”を満足して喜んでいた。つまり、日本人にとっては山に登ったり川で泳いだりするのが祭りであり、ヨーロッパ人にとっては国家宗教が祭りであり、インド人にとっては身分制が祭りであり、中国人にとっては民主主義が祭りである。祭りとは人間が自分の心を開放して自分の心を表現することである。日本人には“眼で見て頭で考えて心で思う喜び”があるから、日本人は山に登ったり川で泳いだりすることによって“眼で見て頭で考えて心で思う喜び”を満足していた。ヨーロッパ人には“眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしない喜び”があるから、ヨーロッパ人は国家宗教をやることによって“眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしない喜び”を満足していた。インド人には“頭で考えるだけで眼で見たり心で思ったりしない喜び”があるから、インド人は身分制をやることによって“頭で考えるだけで眼で見たり心で思ったりしない喜び”を満足していた。中国人には“心で思うだけで眼で見たり頭で考えたりしない喜び”があるから、中国人は民主主義をやることによって“心で思うだけで眼で見たり頭で考えたりしない喜び”を満足していた。人種によって心が違うから祭りも違うのだ。日本人と中国人やヨーロッパ人やインド人は心が違うから、日本人が民主主義や国家宗教や身分制をやっても自分の心が満足されず面白くないのだ。また、昔の人には“戦う喜び”があったから、昔の人は戦争をすることによって“戦う喜び”を満足していた。昔の人にとっては戦争が祭りだったのだ。昔の人には“虐められる喜び”があったから、昔の人は政府に虐められることによって“虐められる喜び”を満足していた。昔の人にとっては政府に虐められることが祭りだったのだ。昔は世界中で国民みんなが政府と平等にやって仲良く暮らしていたのである。
しかし、今は世界中で文明が進んで国民みんなが物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなっている。そのため、今では世界中で国民みんなが昔の政府がやっていたことを誤解して「政府は民主主義や国家宗教や身分制をやることによって権力があるから国民は政府に従わねばならない。これまで政府は民主主義や国家宗教や身分制などをやることによって権力を得て国民みんなを自分の好き放題にしてきた。」と思って政府に従うようになった。政府が権力を持つようになった。政府が国民みんなに命令して強制的に高い税金を取って国民みんなを嫌がらせてイタズラに国民みんなを殺している。しかし、本当は政府には権力がない。本当は『民主主義や国家宗教や身分制は中国人やヨーロッパ人やインド人が自分の心を満足することであって政府が権力を得ることではない。政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっても権力は得られない。政府は国民みんなを喜ばせるために民主主義や国家宗教や身分制をやっていたのだ。昔の政府が国民を虐めていたのは国民がマゾだったからであって、政府が民主主義や国家宗教や身分制をやって権力があったからではない。昔も今も政府には権力がなく、政府と国民は平等だ。今の国民はマゾではないから政府に虐められなくていい。』のである。今の政府も昔の政府も権力はない。政府はフヌケだ。だから、国民は政府に従わなくていい。国民は政府の言うことを聞かず政府に税金を払わなくていい。政府が国民一人一人と契約を取るようになってから政府にお金を払えばいい。政府がそうしなければ、国民で政府とは別に法律会社や学校会社などを建てて仕事をやってもらえばいい。今の世界は政府が権力を持って政府が国民よりも上の者になって政府と国民が不平等になって狂っている。将来は権力者をなくしてみんなが平等な世界にしてみんなで楽しく暮らさねばならない。今の国民は自分の誤解のために自分が苦しめられているのだ。国民みんなは早く自分の誤解を直して楽にならねばならない。

[23460] 今の政府は自分自身のことを誤解して「自分が権力者だ」と思っている。 h30.1.8
昔はみんなが“虐められる喜び”を満足してマゾだったから政府に虐[いじ]めてもらって喜んでいた。
今はみんなが科学をやるようになって物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなったから、国民みんなは昔の政府がやっていたことを誤解して「政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって権力があるから国民みんなを好き放題にできる」と思って政府に従っている。政府も自分自身のことを誤解して「自分が民主主義や国家宗教や身分制をやって権力があるから国民みんなを好き放題にできる」と思って国民みんなに命令して高い税金を取ったり嫌がらせをしたり国民をイタズラに殺したりしている。
しかし、本当は政府には権力がない。本当は『昔はみんながマゾだったから政府に虐めてもらって喜んでいたにすぎず、政府が民主主義や国家宗教や身分制をやって権力があったから国民みんなを虐めていたのではない。そもそも民主主義は中国人が自分の“心で思うだけで眼で見たり頭で考えたりしない喜び”を満足するためにやっている祭りである。国家宗教はヨーロッパ人が自分の“眼で見るだけで頭で考えたり心で思ったりしない喜び”を満足するためにやっている祭りである。身分制はインド人が自分の“頭で考えるだけで眼で見たり心で思ったりしない喜び”を満足するためにやっている祭りである。民主主義や国家宗教や身分制は政府が権力を得るための方法ではない。だから、政府がいくら民主主義や国家宗教や身分制をやっても権力は得られない。今の政府には権力がない。』のである。
今の政府には権力がない。だから、国民は政府に従う必要はない。国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]せばいい。国民みんなで政府の替わりに法律会社や学校会社などを建てて国民と平等に仕事をやってもらえばいい。
権力者はみんなを自分の好き放題にする。権力者はみんなに命令してみんなのお金を奪ったりみんなを嫌がらせたりみんなをイタズラに殺したりする。権力者がいるとみんなが不幸にされる。今の政府や社長は「自分が権力者だ」と思っているただの人である。政府や社長は自分が権力者だと思い込んでみんなを自分の好き放題にしている。政府や社長は誇大妄想狂である。政府や社長がいるとみんなが迷惑する。だから、みんなで社会から政府や社長を追放しないといけない。みんなで威張[いば]り腐っている者を世の中から追い出してみんなで平等に仲良く楽しく暮らさないといけない。
今の政府は自分が権力者だと思っている。政府が税金を取っているのがその証拠である。今の政府は普通の仕事をする傍[かたわ]ら自分に権力があると思って国民みんなを好き放題にして虐めている。(誇大妄想狂でも普通の生活をしながらときどき自分が権力者だと思って他人を好き放題にする。四六時中威張[いば]ってばかりはいない。善いことと悪いことの両方する。)しかし、本当は政府は権力者ではない。だから、国民は政府に税金を払ってはいけない。政府が国民と契約して仕事をするようになってから国民は政府にお金をやらねばならない。政府がそうしなければ、国民で政府とは別に法律会社や学校会社を建てて国民と平等に仕事をしてもらわねばならない。

[23461] どうして政府は私を神にしたのか? h30.1.8
昔の政府はマゾである国民みんなを虐めて喜ばせるために税金を取ることによって儲[もう]けていた。
今の政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって権力を得ることによって国民に命令して国民から税金を取って儲けている。
今の政府は民主主義や国家宗教や身分制で権力を得ている。今の政府は民主主義や国家宗教や身分制で支えられている。
今の政府は国家宗教で権力を得ているから、政府は自分がもっと強い権力を得るために国家宗教に力を入れるために私を国家宗教の神にして国家宗教の神を天皇家と私にして神を増やしたのである。政府はただ神を増やせばよかっただけだから、神は特に私でなくても誰でもよかったのだ。
しかし、最近の国民は『政府には権力がない』ことがわかってきているから、政府がいくら国家宗教をやっても国民は政府に従わない。政府に税金を払わない。そのため、最近の政府は国家宗教に力を入れるのをやめて私を国家宗教の神にするのをやめて国家宗教の神をもとの天皇家だけにしているのだ。
聖徳太子のころにも、政府は聖徳太子を国家宗教の神に加えて国家宗教の神を増やして国家宗教に力を入れていた。聖徳太子のころにも今と同じように日本の景気がよくなってみんなが物が豊かになって物の喜びを満足して“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなって政府のことを誤解して政府が権力を持つようになっていたのかもしれない。その後で、日本は再び不景気になってみんなが貧乏になって物の喜びを満足できなくなって“虐められる喜び”を満足するようになってマゾになって、政府のことが正しくわかるようになって『政府は国民みんながマゾだから国民みんなを虐めているだけだ。民主主義や国家宗教や身分制は政府が権力を得るための方法ではなく、外人が自分の心を満足するためにやっている祭りだ』と考えるようになったから、政府は国家宗教に力を入れなくなって国家宗教の神を天皇家だけにして聖徳太子を神にしなくなったのだ。国民みんなが豊かになると政府のことを誤解して政府が権力を持つようになるが、国民みんなが貧乏になると政府のことが正しくわかるようになって政府が権力を持たなくなる。国の景気がよくなると権力者が発生し、国の景気が悪くなると権力者が消える。そんな歴史をこれまで日本は繰り返してきたのだ。この辺で国民みんなは政府のことをちゃんと理解して無限ループから抜け出さねばならない。国民みんなが豊かになっても政府のことが正しくわかっていて政府が権力を持たないようにならねばならない。

[23462] 今の国民は「政府が権力者である」ことに賛成しているわけではない。 h30.1.8
今の政府は自分自身を誤解して「自分が権力者だ」と思って国民を自分の好き放題にしている。
今の国民の多くは政府のことを誤解して「政府は民主主義や国家宗教や身分制をやっているから政府に権力があるから政府は国民を好き放題にできる」と思って政府の言いなりになっている。
しかし、だからといって今の国民みんなが政府が国民みんなを自分の好き放題にしているのを見て「政府が権力者である」ことに賛成しているわけではない。今の国民みんなはけっして「権力者がいる社会」を支持しているのではない。
政府が権力者であると政府が国民みんなを好き放題にして国民みんなに命令して高い税金を取ったり嫌がらせたり国民みんなをイタズラに殺したりする。政府が権力者だと国民みんなが不幸にされる。だから、国民みんなが「政府が権力者である」ことに賛成するわけがない。当然反対である。
実際には、今の国民は政府のことを誤解しているために「政府が権力者だ」と思っていやいやしかたなく政府に従っているにすぎない。今の国民が自分の誤解を認めて誤解を直せば『政府に権力がない』と思って大喜びで政府に従わなくなる。
人間にはまちがいがある。人間は誤解をすることがある。誤解は人間を不幸にする。正しい理解は人間を幸福にする。だから、人間は自分のまちがいを直さねばならない。今の国民はマゾでなくなったために昔の政府が国民を虐[いじ]めていたことを誤解して「政府に権力がある」と思っているのである。本当は昔の国民がマゾだったから政府に虐めてもらって喜んでいたのであって『政府には権力がない』のである。今の国民は自分の誤解のために政府に従っているにすぎない。今の国民は早く自分の誤解を直して政府に従うのをやめて政府の命令を聞くのをやめて政府が権力者をやるのをやめさせないといけない。国民みんなで政府を倒して、国民みんなで法律会社や学校会社などを建ててみんなと平等に仕事をさせないといけない。
こういう私も『昔の国民がマゾだったから政府に虐められて喜んでいた』ことがわかるまでに8〜9年考え続けねばならなかった。普通の人は結婚して仕事をして生活しているからそんなに時間がない。だから、普通の人は『昔の国民がマゾだったために政府に虐めれていた』ことがわからない。そのため、普通の人は「政府が民主主義などをやって政府に権力がある」と思って政府に従っている。人間は自分で考えなくても他人から教[おそ]わればわかる。自分で考えると時間がかかることでも他人から答えを教わればすぐにわかる。今の人はいそがしくて自分で考える時間がないから、他人から答えを教わればいい。だから、みんなで政府についての正しい知識を教えあって政府についての正しい知識を広めてみんなが政府について正しいことを知っているようにしないといけない。

[23463] 今の国民は「みんなが自分の好き勝手にやっていい」ことを認めているわけではない。 h30.1.8
今の政府は国民みんなを自分の好き放題にしている。今の政府は国民みんなに命令して高い税金を取ったり嫌がらせをしたり国民みんなをイタズラに殺したりしている。国民みんなは政府の言いなりになって政府になにをされてもおとなしくしている。
しかし、今の国民みんなが政府が国民みんなを自分の好き放題にしているのを見て「政府が権力者である」ことに賛成しているわけではない。今の国民みんなはけっして「権力者がいる社会」を支持しているのではない。政府が権力者であると政府が国民みんなを好き放題にして国民みんなに命令して高い税金を取ったり嫌がらせたり国民みんなをイタズラに殺したりする。政府が権力者だと国民みんなが不幸にされる。だから、国民みんなが「政府が権力者である」ことに賛成するわけがない。当然反対である。
また、今の国民みんなが政府が国民みんなを自分の好き放題にしているのを見て「みんなが自分の好き勝手にやっていい」ことに賛成しているわけでもない。そんなことを認めたらみんなが法律を守らなくなって世の中が物騒[ぶっそう]になってみんなが幸福に生きていけなくなる。
今の国民は政府のことを誤解しているために政府の言いなりになっているにすぎない。今の政府は自分自身のことを誤解しているために国民みんなを好き放題にしているにほかならない。今の国民はマゾでなくなったために昔の政府が国民を虐めていたことを誤解して「政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって権力があるから国民を好き放題にしている」と思って政府に従っているのだ。今の政府もマゾでなくなったために昔の政府が国民を虐めていたことを誤解して「自分が民主主義や国家宗教や身分制をやって権力があるから国民を自分の好き放題にしていいのだ」と思って国民を好き放題にしている。
しかし、本当は『昔は国民みんながマゾだったから国民みんなが政府に虐めてもらって喜んでいたのであって、政府には権力がなかったのである。』民主主義や国家宗教や身分制は中国人やヨーロッパ人やインド人が自分の心を満足するためにやっているお祭りである。政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっても政府は権力が得られないのである。だから、国民は政府に従わなくていいのである。政府は国民を自分の好き放題にしてはいけないのである。
今の国民は昔の政府がやっていたことを誤解しているためにいやいやしかたなく政府の言いなりになっているにすぎない。今の政府は昔の政府がやっていたことを誤解しているために国民みんなを自分の好き放題にしているにほかならない。けっして今の国民が好き好[この]んで「政府が権力者である」ことを認めたり「みんなが自分の勝手にやってもいい」ことを認めているわけではない。今の政府も好き好んで国民みんなを好き放題にしているわけではない。早く国民みんなも政府も自分の誤解を直してまちがったことをするのをやめねばならない。早くみんなが平等に暮らす社会にしないといけない。

[23464] オウム真理教地下鉄サリン事件からわかること☆☆ h30.1.9
オウム真理教は「自分が国家宗教をやっているから自分に権力がある」と思って国民みんなを自分の好き放題にして大勢の国民をサリンで殺した。
しかし、国民みんなは「宗教団体が宗教をやっても権力がない」と思ってオウム真理教が人殺しをしたことを許さず全員死刑にした。(宗教団体に権力があったら、宗教団体が国民を好き放題にできるから、オウム真理教がサリンで大勢の国民を殺しても無罪になるはずである。しかし、実際にはオウム真理教は有罪になって死刑になったから、宗教団体に権力はないのだ。)
今の国民みんなは「団体が民主主義や宗教や身分制をやっても権力が得られない」と思っている。だから、政府にも権力がないと思っている。政府や宗教団体や暴力団には権力がないと思っている。
今の国民みんなは「政府が悪いことをせずに政府が国民のために善い仕事だけをしている」と思っているから政府に税金を払って仕事をしてもらっているのだ。
しかし、政府が国民から税金を取っているのは政府が権力者をやっていることの証拠である。政府は権力者をやっている。政府は国民みんなに知られないように密[ひそ]かに国民みんなに嫌がらせをしたり国民みんなをイタズラに殺したりしている。例えば、政府は日航機123便墜落事故や高知学芸高校上海列車事故やオウム真理教地下鉄サリン事件や福知山線列車事故などを起こして国民みんなをイタズラに殺している。(私はこの10年間テレビのニュース番組や報道番組をまったく見ていないから最近のニュースを知らなくてすいません。)
今の国民みんなは政府が密かに権力者をやって国民を自分の好き放題にしていることを知らないから政府が善いことをしてくれた仕事代として政府に税金を払っているのだ。
今の国民は政府のことを誤解している。今の政府は密かに権力者をやっている悪い会社である。今の国民は政府に権力がないと思っているから政府に従うつもりはない。会社が善い仕事をするのは当たり前である。政府は隠れて悪いことをしているから悪い会社である。政府は本当は自分に権力がないのに国民みんなを好き放題にして悪いことをやっている。今の政府は自分が権力者だと思っているが、今の国民みんなは政府が権力者だと思っていないから、今の政府は国民みんなに知られないように密かに国民みんなを好き放題にしているのだ。
今の国民は『政府と国民が平等だ』と思っているが、政府は「政府が国民よりも上の者であり政府と国民が不平等だ」と思っている。今の政府は自分ひとりで威張[いば]っている。今の政府は自分ひとりで“権力者ごっこ”をやって遊んでいる。税金は国民にとっては政府が善いことをしてくれたことに対する仕事代だが、政府にとっては自分の権力を使って国民から無理やり取ったお金である。しかし、本当は政府には権力はない。昔の国民はマゾだったから政府に虐められて喜んでいただけで、そもそも政府にはまったく権力はない。政府はまちがっている。政府は自分自身を誤解している。だから、政府は早く自分の誤解を直して「自分が権力者だ」と思うのをやめて国民を好き放題にするのをやめて国民と平等にしてまじめに仕事をしないといけない。国民のために善い仕事だけしないといけない。
今の政府は密かに「自分を権力者だ」と思って国民を好き放題にしている。今の政府は本当は権力者ではないのに権力者をやっている。政府が悪い。国民は政府にお仕置きをするために政府に税金を払わなければいい。政府が国民に頭を下げて国民と契約して仕事をするようになるまで政府にお金をやらなければいい。政府の仕事なんか簡単だから馬鹿でもできる。政府はハンコを押す仕事をしているだけだ。政府は大した会社ではない。国民にとって政府は要らない。政府が国民と契約する気がなければ、国民で政府を潰[つぶ]して新[あら]たに法律会社や学校会社などを建てて仕事をしてもらえばいい。
今の多くの国民は政府がやっていることを知らずに「政府が善いことだけやっている」と思っているから政府におとなしく税金を払っている。しかし、本当は政府は国民に対して悪いことをたくさんやっている。今の国民は政府がやっていることを知らず勝手に「政府が善い会社だ」と思っているから政府に満足しているにすぎない。今の国民は政府のことを知らないから政府を倒さないのだ。“知らぬが仏”とはこのことだ。今の国民はもっと政府に目を向けて政府のことをよく知って『今の政府が悪いことをやっている』ことを知って政府を全員死刑にしないといけない。善いことをやっているからといって悪いことをやってもいいわけではない。オウム真理教が食堂やパソコンショップをやって善いことをしていても悪いことをしたから死刑にされた。だから、政府も法律会社や学校会社をやって善いことをしていても悪いことをしているから死刑にしないといけない。
今の国民は『政府には権力がなく政府と国民が平等だ』と思っているから政府に従うつもりはない。今の政府は悪いことをしているから政府は法律を犯して有罪だから、国民みんなで政府を罰して政府を皆殺しにすればいいのである。国民みんなで政府にお金をやらないようにして政府を潰して政府の替わりに会社を建てればいい。
今の国民は『政治団体や宗教団体や暴力団には権力がない』と思っている。政治団体や宗教団体や暴力団に従う者なんかいない。だから、今の宗教団体はヨーロッパ人の真似[まね]をして喜ぶ会だ。自分がヨーロッパ人になったと思って喜ぶ会だ。今の暴力団はインド人の真似をして喜ぶ会だ。自分がインド人になったと思って喜ぶ会だ。今の政府は中国人の真似をして喜ぶ会だ。自分が中国人になったと思って喜ぶ会だ。今の宗教団体は宗教をやって喜ぶ会だ。今の暴力団は身分制をやって喜ぶ会だ。今の政府は民主主義をやって喜ぶ会だ。ところが、日本人は宗教も身分制も民主主義も嫌いだから、日本人にとっては宗教団体も暴力団も政府も全部面白くない。山登りでもしたほうがマシだ。

[23465] 今の政府は民主主義をやって喜ぶ会である。☆ h30.1.9
昔は国民みんながマゾだったから政府に虐められて喜んでいた。しかし、今は国民みんながマゾではないから政府に虐められても喜ばなくなった。
今の国民は『政府や宗教団体や暴力団には権力がない』と思っている。政府や宗教団体や暴力団に従う者はいない。今の国民は『民主主義や国家宗教や身分制は外人が自分の心を満足するためにやっている祭りであって、権力を得るための方法ではない』ことを知っているから、政府や宗教団体や暴力団には権力がないと思っている。
政府は民主主義をやって喜ぶ会だ。宗教団体は宗教をやって喜ぶ会だ。暴力団は身分制をやって喜ぶ会だ。政府や宗教団体や暴力団は異文化を楽しむ会だ。しかし、ヘンテコなことで喜ぶのは馬鹿だ。面白いふりをしてるだけで、本当は面白くない。日本人と外人の心は違うから、日本人は民主主義も宗教も身分制も嫌いだから、政府も宗教団体も暴力団も全部面白くない。山登りでもしたほうがマシだ。(日本はチリやフィリピンやインドネシアなどと同じ“環太平洋文化圏”である。日本は太平洋の周[まわ]りの国のひとつである。日本は中国の隣りの国ではない。日本と中国は文化が違う。人種も違う。だから、日本人にとっては民主主義が面白くないのだ。)
しかも、今の政府は“権力者ごっこ”をやって遊んでいる。今の政府は民主主義の意味を誤解して「民主主義は政府が権力を得るための方法だ」と思って自分に権力があると思っている。政府は馬鹿だ。今の政府は国民みんなに知られないように密かに国民みんなを自分の好き放題にして国民みんなを嫌がらせたりイタズラに国民みんなを殺したりしている。今の政府は悪い団体だ。
日本人は民主主義が嫌いなので政府は面白くない。税金は国民が民主主義をやる代金だ。日本人は民主主義をやっても面白くないから政府に税金を払わなくていい。
政府は法律会社や学校会社などをやっているが、オマケの会社なんかどうでもいい。どうせ大した仕事をしていないからどうなってもいい。政府があってもなくても世の中は大して変わらない。
今の政府は“権力者ごっこ”をやって悪いことをやっている。政府は悪いから国民みんなで政府を罰しないといけない。今の国民は『国民と政府は平等だ』と思っているから政府に従う気はないから、政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民は悪いことをする会社にまでお金をやらなくていい。国民みんなで政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して別の会社を建てて法律や学校などの仕事をやってもらえばいい。
要するに、今の政府は国民を虐めて喜ばせることもないし、権力もない。あるのは民主主義だけだが、民主主義も日本人にとっては面白くない。しかも、今の政府は民主主義を誤解して“権力者ごっこ”をやって悪いことをやっている。今の政府はやってはいけないことをやっている。そんな会社は国民は要らない。国民は政府を罰しなければならない。国民みんなで早く政府を倒して、悪いことをしない会社に法律や学校の仕事をやってもらわないといけない。
最近の国民は『政府に権力がない』と考えて政府に税金を払わなくなっている。政府は国民から税金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。(民主主義は中国人の祭りであって、政府が権力を得る方法ではない。今の政府が民主主義をやっていても政府に権力はない。政府はただの会社である。政府は法律や学校などの事業をやっている普通の会社にすぎない。当然政府と国民は平等だから、政府はNHKのように国民一人一人と契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。政府には権力がないから政府と国民は平等だから政府は国民から強制的に税金を取れないから日本国憲法はまちがっている。今の政府の法律会社はまちがった法律を定めて儲けようとしているダメな会社である。今の政府の法律会社の法律はまちがっているから国民は守らなくていい。/大日本帝国憲法の時代には、国民みんながマゾだったので国民みんなは政府が国民を虐[いじ]めて喜ばせる会社であることを知っていたから、国民みんなは自分が好きなだけ政府に虐められればいいと思っていたから、政府の憲法も国民を虐めて喜ばせるための法律だと考えて、自分が虐められて喜ぶ分だけ政府の法律を守っていたのだ。“納税の義務”の法律も自分が好きなだけ守ればいいと考えていたのだ。国民みんなは自分が政府に虐められて喜ぶ分だけ政府に税金を払っていたのだ。国民みんなは自分が政府に虐められたい気分のときは税金を払って、自分が政府に虐められたい気分でないときは税金を払わなかったのだ。戦後もしばらくは国民みんながマゾだったので日本国憲法の“納税の義務”を戦前と同じように解釈して守っていた。しかし、今では国民みんなが『政府と国民は平等であり政府には権力がない』と考えているから、日本国憲法の“納税の義務”がまちがった法律だと考えて守らなくなっている。今の国民は政府に仕事をやって欲しいときは税金を払って、政府に仕事をやって欲しくないときは税金を払わなくなっている。
今の政府は“国民を虐めて喜ばせる事業”がやれなくなって儲[もう]からなくなったので、その腹いせに“権力者ごっこ”をやって国民に悪いことをやって国民に復讐しているのだ。政府のようなふてくされる会社はダメだ。政府はガラが悪い。とにかく国民に悪いことをする会社はいけない。早く国民みんなで政府を倒して世の中を平和にしないといけない。

[23466] 今の政府はいくつかの事業をやっているただの会社にすぎない。 h30.1.9
昔の国民はマゾだったので政府に虐[いじ]められて喜んでいたが、今の国民はマゾではないので政府に虐められても喜ばなくなっている。
今の国民は『政府や宗教団体や暴力団に権力がない』と思っている。今の国民は『民主主義や国家宗教や身分制が外人が自分の心を満足するためにやっている祭りであって、権力を得るための方法ではない』ことを知っている。今では政府や宗教団体や暴力団に従う者はいない。(中国人は心で物を見るのが好きだから多数決を採[と]るのが好きだから民主主義をやっているのである。/もっとも、今から約50年前の私が生まれたころはまだ「政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっているので政府に権力がある」と思っている者が多かった。そのため、政府は自分の権力を強めるために天皇家に私を加えて私を国家宗教の神にしたのである。政府は眼で見える神よりも眼で見えない神のほうが権力が多く得られると思って私を非公開にしたのだ。しかし、今では民主主義や国家宗教や身分制がなんであるかがわかって『政府に権力がない』と思っている者が多くなっているので、政府は国家宗教に力を入れなくなって私を国家宗教の神から外[はず]しているのだ。)
今の国民は『政府と国民が平等だ』と思っている。今の国民は政府と国民が平等だと思って、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由だと思って政府に税金を払っている。今の国民は税金が政府の仕事代だと思って税金を払っている。
政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやっている。政府はいくつかの事業をやっているただの会社である。政府は普通の会社と同じである。当然政府と国民は平等である。
ところが、今の政府は“権力者ごっこ”をやって国民に悪いことをやっている。政府は国民を嫌がらせたりイタズラに国民を殺したりしている。政府は悪い会社である。
政府は犯罪を犯している。だから、国民で政府を罰しなければならない。
日本人は正義感が強いから悪いやつは許せないから国民みんなで早く政府を倒さねばならない。国民は政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]して、ほかの会社に法律や学校などの仕事をやってもらわねばならない。
今の人は『この世には権力者なんかいない。人間はみな平等だ』と思っている。今の人は自分の実力を磨[みが]いて競争に勝って幸福になるしかないのだ。

[23467] 今の政府は国民が嫌いなことをしているために人気がない。 h30.1.9
政府はいろんな事業をやっている。政府は民主主義や国家宗教や身分制をやっている。民主主義は中国人の祭りであって、多数決を採って喜ぶことである。国家宗教はヨーロッパ人の祭りであって神を拝[おが]んで喜ぶことである。身分制はインド人の祭りであって、不細工[ぶさいく]な者を崇[あが]めて喜ぶことである。
政府は私や天皇家を神とする国家宗教をやって私や天皇家に似た登場人物が出るマンガやアニメやドラマや映画などを作らせている。そうやって、政府は国民がテレビや映画を見ながら国家宗教の神を拝めるようにして国民を喜ばせているのだ。
しかし、日本人は外人とは心が違うから、日本人は民主主義や国家宗教や身分制が嫌いである。日本政府が民主主義や国家宗教や身分制をやるのは国民に対する嫌がらせである。だから、今の国民にとって政府は人気がないのである。

[23468] この世ではいつでもどこでも人間はみな平等でなければならない。 h30.1.9
今はみんなが『政府と国民は平等だ』と考えているから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。
今の政府は自分ひとりで“権力者ごっこ”をやって密[ひそ]かに国民を自分の好き放題にしている悪い会社だから、国民が政府に税金を払わないのが当然である。
今どき権力者になりたい社長なんかいない。そんな社長はキチガイだけだ。社長は“社長の仕事”をやっているただの社員だ。「社長が偉い」と思うのは、今の社員がマゾでないために昔の社員が社長に虐められていたことを誤解して「社長に権力がある」と思っているためである。本当は昔は社員がマゾだったから社長に虐められて喜んでいただけである。
今ではみんなが『人間はみな平等だ』と考えているから、社長と社員は平等であり、社員が社長に従う必要はない。社長が社員の自由なことに口出しする権限はない。だから、社員が政府に税金を払わなくても社長は文句を言えない。
だから、社員は自分で総務部に行って『今後は政府に税金を払わない』ことを伝えればいい。そうすれば、未来の日本を救ったことになるだろう。
昔ビートたけしが「みんな殿様になりたいんだ」と言っていたのは「みんなが権力者になりたいんだ」ということである。(もっとも、実際の江戸時代の殿様は権力者ではなかったが。当時の日本では殿様も庶民もみんなが平等にやっていた。国民みんながマゾだったから幕府に虐められて喜んで国民みんなと幕府が平等に仲良くやっていた。)「みんなが権力者になりたんだ」とは、「今のみんなは自分が権力者になりたいと思っているが、はたしてそれでいいのだろうか?権力者がいる社会ではみんなが権力者の好き放題にされてみんなが不幸に暮らさねばならないからいけないのではないか?」ということである。そのため、今ではみんなが『人間はみな平等だ』と考えて『権力者がいてはいけない』と思っている。政府と国民は平等にしないといけないと思って、政府が国民を好き放題にして悪いことをするのを許さなくなっている。そのため、今ではみんなが政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。政府とは別の会社に法律や学校などの仕事をやってもらうつもりなのである。
同じように、昔ビートたけしが「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言っていたのは「みんなでいっしょに政府に従うのをやめればいい」ということである。つまり、「今のみんなは政府が権力者だと思っておとなしく政府に従っていて政府に逆らってはいけないと思っているが、それではみんなが不幸になるから、みんなでいっしょに政府に従うのをやめて政府を倒して幸福に暮らせるようにしよう」ということである。そのため、今ではみんなが政府に従わなくなって政府の言うことを聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒しているのである。
同じように、アニメ『北斗の拳』のケンシロウが「お前はすでに死んでいる」と言っていたのは「権力者がすでにいなくなっている」ということである。『北斗の拳』が放送される前はみんなが昔の政府がやっていたことを誤解して「政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっているから政府に権力がある」と思って政府に従っていたが、『北斗の拳』が放送されるころ(1984年)にはみんなが昔の政府がやっていたことを正しくわかるようになって『昔は国民みんながマゾだったから国民みんなが政府に虐められて喜んでいたのであって、政府が民主主義や国家宗教や身分制をやって政府に権力があったから国民を虐めていたのではない』と考えるようになったのである。政府が密[ひそ]かに“権力者ごっこ”をやって悪いことをやっているから政府を倒さねばならないと考えるようになって政府を倒すようになったのである。
「権力者がいる社会のほうがいい」「政府が権力者であるほうがいい」と思っている者は危険思想の持ち主だから、みんなで社会から追い出さねばならない。
h30.1.10追加:昔も今もいつでもどこでも人間はみな平等だった。これまでは世界中でみんなが平等にやっていた。たとえ権力者が現れてもみんなですぐに権力者を倒してもとの平等な社会にした。昔のヨーロッパや昔の中国にも権力者はいかにもいそうだがいなかった。いつの時代にも世界のどこの国でもみんなで権力者を退治[たいじ]してみんなが平等にしてきたのだ。権力者がいるとみんなが権力者に好き放題にされて不幸にされる。この世では権力者は絶対に存在してはいけない。だから、今の日本でもみんなが協力して“権力者ごっこ”をやっている政府を倒しているのだ。今の世界中の国でみんなが力を合わせて権力者をやっている政府を滅ぼしているのだ。(h30.1.13追加:もっとも、ヨーロッパ人はお金持ち馬鹿だから、しょっちゅう景気がよくて国民みんながマゾでなくなったために昔の政府がやっていたことを誤解して「政府が権力者だ」と思っていたし、しかも馬鹿だからなかなか『昔の政府が国民みんなを虐めていたのは、国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない』ことがわからなかったので、政府が権力者である時代が長かった。そのため、ヨーロッパは権力者がいる国だと思われているのだ。反対に、日本人は貧乏利口だから、景気がよくなることがめったになくて国民みんながマゾでなくなったために昔の政府がやっていたことを誤解して「政府が権力者だ」と思うことがめったにないし、しかも利口だからすぐに『昔の政府が国民みんなを虐めていたのは、国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない』ことがわかるので、政府が権力者である時代が短い。だから、日本は権力者がいない国だと思われているのだ。/h30.1.15追加:今の人が「昔のヨーロッパや中国に権力者がいた」と思うのは、今の学校の社会科の教育がまちがっているからだ。政府は自分が権力者になりたいから、国民みんなに「昔の世界に権力者がいたから今の世界にも権力者がいる」と思わせるために国民みんなにまちがったことを教えているのだ。しかし、そもそも政府や幕府が権力者だったなら国民みんなが逆らわないから革命や一揆[いっき]なんかないはずだ。国民みんなが革命や一揆をしたのは、当時の政府や幕府が権力者ではなかったからだ。国民みんなが「政府や幕府と自分は平等だ」と思っていたから、国民みんなは悪いことをした政府や幕府を倒したのだ。いつの時代でもどこの国でも権力者なんかいなかったのだ。たまに国民が昔の社会を誤解して権力者が現れても、すぐに誰かが国民の誤解を修正して権力者がいなくなるのだ。だから、この世に権力者はいない。昔の社会にも今の社会にも未来の社会にも権力者はいない。今の政府は権力者ではない。だから、今の国民は政府と平等にして政府に従わなければいい。今の国民は政府の善い命令だけを聞いて、悪い命令を聞かなければいい。)

[23469] バブル景気とは何だったのか? h30.1.10
『北斗の拳』(1984年)のころに国民みんなは「政府は権力者だから、権力者がいると国民みんなが権力者の好き放題にされて不幸にされるから、政府を倒そう」と思って政府に税金を払うのをやめて政府を倒すようになった。
そのため、政府はバブル景気をやっていっとき日本の景気をよくした。国民みんなは「権力者がいい人だと国民みんなを幸福にしてくれるから権力者がいたほうがいい」と思うようになって政府を倒すのをやめて再び政府に税金を払うようになった。
しかし、それもいっときだけでその後日本はまた不景気になった。国民みんなはまた「権力者は国民みんなを不幸にするから権力者がいないほうがいい」と思うようになって政府に税金を払うのをやめて政府を倒すようになった。
政府がバブル景気をやったのは国民みんなの機嫌[きげん]をとって国民みんなに倒されないようにするためである。今の政府にはもはや国民みんなの機嫌をとるいい手がないので、国民みんなに倒されるままである。

[23470] 権力とは何か?☆ h30.1.10
昔は国民みんなが政府に虐[いじ]められていた。国民みんなが政府に税金を取られたり嫌がらされたり殺されたりしていた。
昔はみんながマゾだったから『国民みんなが政府に虐められて喜んでいる』ことを知っていた。『政府が国民みんなを喜ばせるために国民を虐めている』ことを知っていた。『政府と国民が平等である』ことを知っていた。そのため、昔の人は自分が虐められてうれしい分だけ政府の命令を聞いていた。昔の人は自分が虐められたいときだけ政府の言うことを聞いて、自分が虐められたくないときは政府の言うことを聞かなかった。政府も『国民が政府の命令を聞くのは国民の自由だ』と思って国民に自由に政府の命令を聞かせていた。
その後みんながマゾでなくなったために「政府に“権力”があるから政府が国民みんなを自分の好き放題にできる」と思うようになった。「政府に権力があるから国民は政府に従わねばならない」と思うようになった。「政府は国民よりも上の者であり、政府と国民は不平等である」と思うようになった。そのため、政府は「自分が権力者だ」と思って国民を自分の好き放題にするようになった。政府は国民に命令して国民に無理やり高い税金を払わせたり国民に一方的に嫌がらせをしたりイタズラに国民を殺したりするようになった。政府は自分の命令を聞かない国民を厳しく罰した。国民は「自分が政府に従わねばならない」と思って必死になって政府の命令を聞いていた。「政府の命令を聞かないと殺される」と思って一生懸命に政府に税金を払っていた。政府になにをされてもじっと我慢[がまん]しておとなしくしていた。
しかし、最近では(『北斗の拳』の後では)みんなが『昔の国民が政府に虐められていたのは昔の人がマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。』と考えるようになっている。『政府には権力がなく、政府と国民は平等だ』と思っている。『国民が政府に税金を払って仕事をしてもらうか、政府に税金を払わず仕事をしてもらわないかは国民の自由だ』と思っている。しかし、政府はあいかわらず「自分が権力者だ」と思って国民を好き放題にして悪いことをやっている。そのため、最近の国民は『政府が国民を好き放題にしているから、政府は悪い会社だから、国民は政府にお金をやりたくない』と思って政府に税金を払わなくなっている。政府は国民からお金をもらえなくなって潰[つぶ]れている。政府とは別の会社が法律や学校などの仕事をするようになっている。
“権力”は、昔の国民が政府に虐められていたことに対する誤解から生まれた概念である。真空の力とかフロギストンとかカロリックなどと同じように実在に対するまちがった概念である。本当は“権力”はなく、“マゾ”があるだけである。“権力”で見ると社会に対する誤解を招く。“マゾ”で社会を見ないといけない。社会科の教科書は“権力”で書かれているのでまちがっている。
今の政府は「自分が権力者だ」と思って国民を好き放題にして悪いことをやっている。国民みんなが『政府に権力がない』と考えるようになった後でも(つまり『北斗の拳』の後でも)、政府は国民を好き放題にし続けている。政府は“権力”に取り付かれて気が狂っている。政府はもうおしまいだ。馬鹿は死ななきゃ治らない。国民みんなでさっさと政府を倒して権力者のいない健全な世の中にしないといけない。

[23471] 税金とは何か?☆ h30.1.10
税金はもともとはマゾである国民が政府に虐[いじ]められて喜ぶために政府に払うお金のことだった。国民が政府に税金を払うのは国民の自由だった。国民は自分が政府に虐められて喜ぶ分だけ政府に税金を払えばよかった。国民は自分が政府に虐められたいときだけ税金を払って、虐められたくないときには税金を払わなくてもよかった。
その後、国民みんなはマゾでなくなって、国民みんなが「政府には権力がある」と誤解するようになってから、税金は政府が自分の権力を使って国民から強制的に取るお金になった。国民は「政府には権力があるから政府に逆らってはいけない」と思っていやいやしかたなく政府に税金を払うようになった。
さらにその後、国民みんなは『昔の国民が政府に虐められていたのは、昔の国民がマゾだったからであって、政府に権力があったからではない』と考えるようになって、『政府に権力がない』と思うようになって、税金は政府が法律や学校などの仕事をやるための代金になった。国民が政府に税金を払うのは国民の自由になった。国民みんなは「政府は国民みんなのためになることをやっている善い会社だ」と思って政府に税金を払っていた。
さらにさらにその後、国民みんなは『政府が密[ひそ]かに権力者をやって国民を好き放題にして国民を嫌がらせたり殺したりして悪いことをしている』ことを知って、『政府が悪い会社だ』と思うようになって、政府に税金を払わなくなった。そのため、最近は政府がお金がなくなって潰[つぶ]れている。もうすぐ、政府がなくなって、別の会社が法律や学校などの仕事をするようになるだろう。
今の国民は自由に政府に税金を払えばいいと思っている。今の国民は税金が“国民が自由に政府に払うお金のこと”だと思っている。だから、政府が日本国憲法で“納税の義務”を定めていてもいいのである。今の国民は税金を“国民が自由に政府に払うお金のこと”だと解釈しているから、たとえ“納税の義務”の法律があっても“国民が自由に政府に税金を払わねばならない”ことになって国民が政府に自由に税金を払えるのだ。

[23472] 今の政府はただの悪いことをする会社である。 h30.1.10
昔はみんながマゾだったから、昔の政府は国民を虐[いじ]めて喜ばせる会社だった。政府は国民を虐めて喜ばせるために悪いことをやっていた。
その後みんながマゾではなくなって、みんなが「政府に権力がある」と思うようになったから、政府は自分の権力で国民を好き放題にする会社になった。政府は自分の権力を使って国民みんなの眼の前で堂々と悪いことをやっていた。
さらにその後みんなが『昔の国民が政府に虐められていたのは、昔の国民がマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府に権力はない』と考えるようになったから、政府はただの会社になった。政府は国民と平等になって悪いことができなくなった。
それなのに、今の政府は悪いことをやっている。今の政府は国民みんなに知られないようにしながら密[ひそ]かにコソコソ悪いことをやっている。今の政府は国民からお金をもらって法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をする傍[かたわ]ら国民に悪いことをして国民に命令して高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり勝手に国民を殺したりしている。政府は国民と平等にして自分の仕事をする一方で国民に悪いこともやっている。今の政府は「自分が権力者だ」と思っていないのになんの理由もないのに国民に悪いことをやっている。今の政府は自分が悪いことをしたいから悪いことをやっているだけだ。今の政府はただの悪いことをする会社である。今の政府はただの不良である。そんな会社は国民は要らない。
今の政府は自分が悪いことをやってはいけないのに悪いことをやっている。今の政府はまちがったことをやっている。今の国民は政府に悪いことをされるのが嫌である。政府に殺されるのが嫌である。政府は国民に命令して国民から税金を取ってはいけない。そのため、今では国民は政府に税金を払うのをやめて政府に悪いことをさせないようにして政府を潰[つぶ]している。政府とは別の会社に法律や学校や水道や清掃や役所の仕事をしてもらうようになっている。
今の政府はただの会社である。政府はおとなしくまじめに自分の仕事だけしていればいいのに、わざわざ余計なことをして国民に悪いことをやっている。それでただですむわけがない。国民に潰されても当然だ。
昔タモリが「悪いほうが有利」と言ってニヤリとしたのは、「今の政府は悪いことをしているが、政府は国民に命令して国民から一方的に税金を取っているが、はたしてそれでいいのだろうか?」ということである。そのため、今の国民は政府に悪いことをさせなくなって、政府に税金を払わなくなって政府を潰しているのだ。世の中に悪いことをする者がいなくなっていい世の中になっているのだ。

[23473] 政府は愉快魔[ゆかいま]である。 h30.1.10
今の政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をするただの会社である。政府は普通の会社と同じである。
今の政府はときどき国民に悪いことをしたくなって悪いことをする。今の政府は何の理由もないのに自分が悪いことをしたいから悪いことをする。今の政府は愉快魔である。『バットマン』のジョーカーみたいに立派な市長が犯罪を趣味にしてやっているのだ。今の政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり国民を殺したりしている。今の政府は国民を不幸にする文化を流行[はや]らせたり子供が不幸になる教育をしたりしている。今の時代における税金の本質は強盗である。犯罪である。政府が悪いことをすることである。
今の政府は悪いことをする会社である。今の国民は政府に悪いことをされたくない。政府に不幸にされたくない。だから、今の国民は政府に悪いことをさせないようにして政府を倒している。今の国民は政府に税金を払わなくなって政府にお金をやらなくなって政府を潰[つぶ]している。
アメリカは世界中の犯罪者が集まって作った国である。アメリカは悪人の国である。アメリカ人はみんな悪いことをするのが好きである。だから、アメリカではみんなが悪いことをやってもいいのである。アメリカでは政府が悪いことをやってもいいから、国民はいくら政府が悪いことをやっても政府を倒さないのだ。アメリカではみんながジョーカーの味方でバットマンが嫌いなのだ。バットマンが死ねばいいと思っているのだ。しかし、日本はアメリカとは違う。日本は犯罪者の国ではないから、日本ではみんなが悪いことをやってはいけない。日本人は悪人を許さない。だから、日本ではみんなが政府を倒しているのだ。
今の政府は悪いことをする会社である。今の政府に従っている国民(政府の準構成員)は政府と同じように悪いことをしたい者である。つまり不良である。今の政府は“悪いことをする喜び”を満足する会である。悪いことをして楽しむ会である。アメリカ文化をやる会である。今の政府に従っている国民は「政府が悪いことをやっているから自分も悪いことをやっていい」と思って悪いことをやっている。しかし、日本ではみんなが悪いことをしてはいけない。日本から政府や政府に従う者を追放しないといけない。
今の宗教団体や暴力団も政府と同じように悪いことをする会である。アメリカ文化をやる会である。国民みんなは日本から宗教団体や暴力団も追放しなければならない。今の政府は政治団体の皮をかぶっている悪いことをする会である。今の宗教団体は宗教団体の皮をかぶっている悪いことをする会である。今の暴力団は暴力団の皮をかぶっている悪いことをする会である。民主主義や(国家)宗教や身分制は“悪いことをする団体”が自分の正体を隠すためのカモフラージュの手段である。民主主義や国家宗教や身分制は日本人には意味がわからないから、政府や宗教団体や暴力団は民主主義や国家宗教や身分制などをやることによって国民みんなをチンプンカンプンにして国民みんなの頭を混乱させて自分の正体がわからないようにしているのだ。今の政府や宗教団体や暴力団は“密かに悪いことをする団体”である。だから、テレビドラマの『太陽にほえろ!』や『西部警察』の暴力団観が正しい。テロップの「この話はフィクションです」が嘘[うそ]である。暴力団は普通の会社のふりをしている犯罪組織である。暴力団や宗教団体や政府に入るやつは自分が悪いことをするのが目当てである。たとえ1円も儲[もう]からなくても悪いことをしたいから入るのである。国民みんなはオウム真理教を潰したように、政府や宗教団体や暴力団も潰さねばならない。実際に、政府や宗教団体や暴力団の人数が減っているから、国民みんなが政府や宗教団体や暴力団を倒しているのだ。今の政府や宗教団体や暴力団は自分の“悪いことをする喜び”を満足する団体である。今の政府や宗教団体や暴力団はサドの団体である。今の政府や宗教団体や暴力団は自分の“悪いことをする喜び”を満足するために国民にいろんな悪いことをしているのだ。みんなで政府や宗教団体や暴力団を倒して、この世から“悪いことをする喜び”のある人間を根絶しなければならない。今は物や時間が豊かだから、今の人は物を使って見たり聞いたり考えたりする喜びを満足して“悪いことをする喜び”を満足してはいけない。
今の政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をする会社である。今の政府は仕事をやって国民から仕事代をもらうほかに、サドを飼ってサドを使ってサドに悪いことをさせて国民から税金を取らせて儲[もう]けている。今の政府はサルまわしのようにサドを使って自分のおこづかいを稼[かせ]いでいる。サルは反省してもサドは反省しない。サドは悪いことをしても喜ぶだけだ。国民にとってはサドが迷惑である。今の政府はサドを殺してまじめに自分で仕事をやって稼がねばならない。
h30.11.12追加:今の政府や宗教団体や暴力団が“隠れて悪いことをする団体”であるように、会社の社長も“隠れて悪いことをする人”である。少し昔の社長は権力があったので社員みんなの眼の前で堂々と社員に悪いことをやっていた。今の社長は権力がないので社員みんなに見つからないようにコソコソと悪いことをやっている。今の社長はいろんないいわけをして社員からお金を強盗しているし、一見善いことのようでじつは悪いことをやって社員を虐めているし、密[ひそ]かに社員を殺している。今の社長は密かに悪いことをする人である。社長は社員にとって邪魔[じゃま]である。そのため、今では社員が社長を倒している。社員が社長を会社から追い出してほかの人に社長と同じ仕事をやってもらっている。

[23474] 今の政府はどうして民主主義や国家宗教や身分制をやっているのか? h30.1.10
今の政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をする会社である。そのほかに政府は悪いこともやっている。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民に嫌がらせをしたり国民を殺したりしている。
今の政府は民主主義や国家宗教や身分制などをやっている。民主主義は中国人の祭りであり多数決を採って喜ぶことである。国家宗教はヨーロッパ人の祭りであり神を拝[おが]んで喜ぶことである。身分制はインド人の祭りであり汚い物を拝んで喜ぶことである。
日本人と外人は心が違うから、日本人にとっては民主主義も国家宗教も身分制も嫌である。今の政府は悪いことをする会社だから、政府は国民を嫌がらせるために民主主義や国家宗教や身分制をやっているのである。国民は朝っぱらからテレビや新聞で政府の面白くない見世物(おもに民主主義のこと)を見せられて不愉快[ふゆかい]な思いをしているのだ。(マンガ『魔法陣グルグル』に変な外国の衣装をしたオヤジが現れてククリちゃんが嫌がっているのは、今の政府が外国の文化をやって自分の国の国民を嫌がらせていることの喩[たと]えである。)
今の政府は普通の仕事のほかに悪いこともやっている。政府で一番強いのは法律や学校などの普通の仕事をしている部署[ぶしょ]であって、悪いことをしている部署ではない。悪いことをしている部署はくだらないクズである。今の国民はくだらないクズが嫌いである。だから、今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]しているのである。国民みんなで政府の替わりに新しく会社を建てて法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやってもらうつもりである。
今の政府はわざわざ自分で悪いことをやって国民みんなの反感を買って自分で自分を潰しているのだ。政府は馬鹿だ。

[23475] 政府は悪いことをやってはいけない。☆ h30.1.11
昔は国民みんながマゾだったから政府に虐[いじ]められて喜んでいたが、今の国民はマゾではないから政府に虐められて喜ばなくなった。
その後国民みんなは「政府は民主主義や国家宗教や身分制をやっているから権力がある」と思って政府に従っていた。政府は国民を好き放題にして悪いことをやっていた。国民は政府に逆らってはいけないと思って政府になにをされてもおとなしくしていた。
さらにその後国民みんなは『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。民主主義は中国人の祭りであってみんなで多数決を採って喜ぶことである。国家宗教はヨーロッパ人の祭りであってみんなで神を拝[おが]んで喜ぶことである。身分制はインド人の祭りであってみんなで汚い物を拝んで喜ぶことである。政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっても権力は得られない。』と考えるようになって政府に従わなくなった。(中国人は多数決を採ると喜ぶように脳が出来ている。日本人が正しいことがわかったら面白いと思うように、中国人は多数決で決めたら面白いと思うのだ。)
今の政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやっているただの会社である。政府は普通の会社と同じである。政府は国民と平等である。政府は国民一人一人と契約して国民からお金をもらって仕事をしないといけない。
それなのに、政府は悪いことをやっている。政府は国民に命令して国民から税金を取って国民からお金を強盗したり、わざとにまちがった法律や政策をやって国民を嫌がらせたり、事件や事故を起して国民を殺したりしている。
今の政府は強盗や殺人や嫌がらせをやっている。政府は悪い会社である。日本では悪いことをやってはいけない。だから、今の国民は政府を罰するために政府を倒している。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。国民で新しい会社を建てて法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をしてもらうつもりである。
“裸の王様”とは、本当は自分が意味がわからないのに自分が意味がわかっているふりをすることである。民主主義や国家宗教や身分制は外人が自分の心を満足するためにやっている祭りであって、政府が国民みんなや神や汚い者に従うふりをすることによって政府が国民みんなや神や汚い者と国民の間に入ることによって国民を従わせて権力を得るための方法ではない。少し昔の人は“裸の王様”だったので民主主義や国家宗教や身分制を知ったかぶりをして誤解して政府に権力があると思って政府に従っていた。今の人は“裸の王様”を抜け出して民主主義や国家宗教や身分制の正しい意味がわかるようになったので政府に権力があると思わなくなって政府に従わなくなったのだ。

[23476] 今の政府は隠れて悪いことをしている。☆ h30.1.11
昔は国民みんながマゾだったので政府に虐[いじ]められて喜んでいたが、今は国民みんながマゾではなくなったので政府に虐められて喜ばなくなっている。
少し昔には国民みんなが「政府が民主主義や国家宗教や身分制をやって権力がある」と思っていたので政府に従っていた。政府は自分に権力があると思って国民みんなを自分の好き放題にしていた。政府は国民みんなの眼の前で堂々と悪いことをしていた。政府は国民を脅[おど]して税金を取ったり、露骨[ろこつ]にまちがった法律や政策をやって国民に嫌がらせをしたり、国民みんなが見ている前で国民を殺していた。国民は政府に従わねばならないと思って政府になにをされてもじっと我慢[がまん]しておとなしくしていた。
今では国民みんなが『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。民主主義や国家宗教や身分制は外人が自分の心を満足するためにやっている祭りであって、政府が権力を得る方法ではない。今の政府に権力はない』と考えて政府に従わなくなった。そのため、今の政府は国民に見つからないようにコソコソと悪いことをするようになった。政府は「自分が国民みんなのために善いことをするために国民から税金をもらっている」と嘘[うそ]をついて国民から税金を取っている。政府は一見正しいようで本当はまちがった法律や政策をやって国民を嫌がらせている。政府は密[ひそ]かに国民を殺している。
今の政府は隠れて悪いことをやっている。今の政府は悪いことをしている。政府の正体は悪いことをする団体である。もっとも、一概[いちがい]に悪いことをするのがいけないわけではない。悪いことをする“理由”が大事である。理由がよければ悪いことをやってもいいが、理由が悪ければ悪いことをやってはいけない。昔の政府は国民を虐めて喜ばせるために悪いことをやっていたから悪いことをやってもよかった。少し昔の政府は自分に権力があったために悪いことをやっていたから悪いことをやってもよかった。今の政府は自分が悪いことをやりたいために悪いことをやっているから悪いことをやってはいけない。だから、国民は今の政府を罰しなければならない。税金は本当は政府が国民からお金を強盗することである。国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]さねばならない。国民で新しく会社を建てて政府の替わりに法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をさせねばならない。(フランスのルイ王朝や江戸時代の東北地方の幕府がいけないのは、過度の虐めをやったからである。虐めを強制したからである。本来政府や幕府と国民は平等であり、虐め(られるの)は国民の自由でないといけない。徳川家康は「庶民を生かさず殺さず」と言ったのに、東北地方の幕府は「庶民を殺す」まで虐めたのだ。だから、国民が怒って革命や一揆[いっき]をやって王朝や幕府を倒したのである。/政府は国民を虐めて喜ばせるときや自分に権力があるときは悪いことをやってもいい。個人の場合にも正当防衛や緊急避難のときには悪いことをやってもいい。一般的には悪いことをやってはいけないが、悪いことをやってもいい特例があるのだ。)

[23477] 今の政府は“密[ひそ]かに悪いことをする団体”である。 h30.1.12
昔の国民はマゾだったので政府に虐められて喜んでいた。昔の政府はマゾの国民を虐めて喜ばせる団体だった。
少し昔の国民は「政府に権力がある」と思っていたので、政府は自分に権力があると思って国民を自分の好き放題にしていた。少し昔の政府は国民の眼の前で堂々と悪いことをやっていた。少し昔の政府は自分の権力を使って国民を好き放題にする団体だった。
今の国民は『政府に権力がない』と思っているので、政府は国民に知られないようにしながら悪いことをやっている。今の政府は隠れて悪いことをやったり、屁理屈[へりくつ]をこねて悪いことを善いことに思わせて悪いことをやっている。今の政府は“密かに悪いことをする団体”である。
今の政府は密かに悪いことをやっている。今の政府は隠れて悪いことをやっているから普通の会社と同じである。今の政府は自分がやってはいけないことをやっているのを知りながら悪いことをやっている。今の政府は悪いことをやっている。日本では悪いことをやってはいけない。悪いことをする会社があってはいけない。だから、今の国民は政府を倒している。政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。別の会社を建てて政府の替わりに法律や学校などの仕事をやってもらうつもりである。
宗教団体や暴力団や社長についても同様である。今の政府や宗教団体や暴力団や社長は自分が悪いことをしたいから悪いことをやっているだけである。ただの悪人にすぎない。だから、国民は自分が幸福に暮らすために政府や宗教団体や暴力団や社長を倒して悪人のいない国にしないといけない。

[23478] 今の国民は自分が幸福に暮らすために悪人のいない社会にしている。 h30.1.12
昔は国民みんながマゾだったから政府に悪いことをされて虐[いじ]められて喜んでいたが、今は国民みんながマゾではないから政府に悪いことをされて虐められても喜ばない。
少し前は国民みんなが「政府に権力がある」と思っていたから政府が国民よりも上の者だったから政府は国民みんなの眼の前で堂々と悪いことをやっていたが、今は国民みんなが『政府に権力がない』と思っているから政府は国民と平等だから政府は国民みんなに知られないようにしながら密[ひそ]かに悪いことをやっている。(“赤とんぼ羽を取ったら唐辛子”とは、政府の権力がなくなったらただの悪いことをする会社だということである。だから、今の政府はただの悪いことをしている会社なのだ。)
今の政府は法律や学校や水道や清掃や役所の仕事をしながら密かに悪いことをやっている。政府は「自分が国民のために善いことをするために税金を取っている」と嘘[うそ]をついて国民から税金を強盗したり、一見正しいようでじつはまちがった法律や政策をやって国民を嫌がらせたり、密かに事件を起こして国民を殺したりしている。政府は自分が悪いことをやりたいから悪いことをやっている。政府は自分の“悪いことをする喜び”を満足するために悪いことをやっている。政府は犯罪者である。だから、今の国民は自分が幸福に暮らすために犯罪者のいない社会にするために政府を倒している。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を潰[つぶ]している。今の国民は新しく会社を建てて政府の替わりに法律や学校などの仕事をしてもらうつもりである。今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて自分で考えて善いことをするようになっている。(今では政府に権力がないから、国民は政府の言うことを聞く必要がないから、たとえ政府が善い命令を出しても国民は聞く必要がないから、政府は善い命令と悪い命令の両方を出して面倒臭いから、今の国民は政府の命令をいっさい聞くのをやめて自分で全部考えてやるようになっている。)今の国民は自分で乗り物を運転して政府に殺されないようにしている。
政府や宗教団体や暴力団や社長などは悪いことをする者である。生まれつき心に“悪いことをする喜び”があって自分の“悪いことをする喜び”を満足するために悪いことをする者である。自分が悪いことをするのが好きだから悪いことをする者である。今の国民にとっては政府や宗教団体や暴力団や社長などが邪魔[じゃま]である。だから、今の国民は政府や宗教団体や暴力団や社長などを倒して悪いことをする者をなくして自分たちが幸福に暮らせる社会にしている。
アメリカみたいに悪人ばかりの国で悪人同士が悪いことをやりあうのはかまわないが、日本みたいに善人ばかりの国で悪人が善人に悪いことをするのはいけない。そのため、今では政府が自分が悪いことができるようにするために国民みんなに悪人になる教育をして日本を悪人ばかりの国にしているのだ。日本に悪人を増やして善人を減らして日本を悪人ばかりの国にしようとしているのだ。しかし、悪人だって他人に悪いことをされたら怒るだろう。幸福に暮らせないだろう。悪人だけの国にしたからといってみんなが幸福に暮らせるわけではない。かえって不幸に暮らさねばならなくなる。いくら悪いことができても不幸になるなら何にもならない。反対に、善人ばかりの国にすればみんなが他人に悪いことをしないからみんなが幸福に暮らせる。だから、今の国民は政府を潰[つぶ]しているのだ。今の国民は日本をみんなが幸福に暮らせる国にするために悪人の国を作ろうとしている政府を倒しているのだ。(アニメの『タイガーマスク』は、政府が国民に悪人になる教育をしていることを言っている。戦前の日本では学校で道徳や法律を教えていたが、戦後は学校で道徳や法律を教えなくなったからだ。今の国民は自分で道徳や法律の勉強をして善人にならねばならない。)
要するに、政府は悪いことをする団体である。法律や学校などの仕事をしているただの会社が強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをやっている。だから、政府の味方をする者は悪い者である。例えば、『マルサの女』の映画を作った伊丹十三[いたみじゅうぞう]監督は政府の味方で悪人だから国民が半殺しにした。政府の味方をする者は悪の味方であり日本を悪人の国にしたいから世界中を悪人だらけにしたいからみんなが不幸に暮らさねばならない世界にしたいから国民は倒さねばならない。国民は悪人を片っ端[かたっぱし]から皆殺しにして“悪いことをする喜び”を持つ者を根絶[ねだ]やしにしないといけない。
政府は大きい会社だが権力がないから悪いことをやってはいけない。国民は政府が悪いことをするのを許さずに早く政府を倒さねばならない。

[23479] 今の国民は自分が幸福に暮らすために政府を潰[つぶ]している。 h30.1.12
政府は法律や学校などの仕事をやっている会社が強盗や殺人や嫌がらせなどの悪いことをしているだけである。
社会に悪いことをする者がいるとみんなが幸福に暮らせない。
だから、今ではみんなが政府を倒しているのである。
政府に税金を払わずに政府を潰して、悪いことをしない会社に法律や学校などの仕事をさせようとしている。
政府の味方をする者はみんなが幸福に暮らせないことを望んでいる悪者である。だから、今の国民は政府の味方をする者を皆殺しにしているのだ。
私も『政府が国家宗教で人殺しをしている』ことを知った最初のころは「政府が悪いことをしてもいい」ことの証明ばかり考えていた。しかし、最終的に『政府は自分がやってはいけないことをやっている』ことを知った。だから、政府が悪い。政府は悪いことをしている会社だ。だから、今の国民は政府を潰しているのだ。
今の政府のままでは国民は政府に悪いことをされて幸福に暮らせない。だから、今の国民はちゃんと政府を潰してから、ほかの会社と入れ替えて法律や学校などの仕事をやってもらおうとしているのだ。そのほうが時間がかかるが国民が今よりももっと幸福に暮らせる。

[23480] 政府は悪いことをやっているから国民は政府を倒している。☆ h30.1.13
今の政府は法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやっている国民と平等なただの会社である。
しかも、政府は悪いことをやっている。今の政府は国民と平等なふりをしながら悪いことをやっている。政府は「国民のために善いことをやるために税金を取っている」と嘘[うそ]をついて国民と契約せずに国民から税金を強盗したり、一見善いようでじつは悪い法律や政策をやって国民を嫌がらせたり、密[ひそ]かに事件を起こして国民を殺したりしている。政府は民主主義や国家宗教や身分制などの日本人が嫌いな外国の祭りをやって国民を嫌がらせている。政府は強盗や嫌がらせや殺人をやっている悪い会社である。政府は犯罪者である。
政府があるとみんなが幸福に暮らせない。だから、今の国民は政府を倒している。今の国民は政府に税金を払うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒している。今の国民は政府の言うことを聞くのをやめて政府の法律や政策をやるのをやめて自分で考えて善いことをやっている。今の国民は自分で乗り物を運転して政府に殺されないようにしている。今の国民は政府を倒して、悪いことをしない会社を建てて法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやってもらうつもりである。“悪いことをやる部署”のないまじめな会社に法律や学校などの仕事をやってもらうつもりである。政府は長年国民に悪いことをして国民を虐[いじ]めて喜ばせてきたから、政府の中では“悪いことをする部署”が偉いから、どうしても政府から“悪いことをする部署”を外[はず]せないから政府は今でも悪いことをやり続けているのである。しかし、それは政府の会社の中の理屈であって、政府の外にいる国民にとってはどうでもいい。国民は政府の会社の理屈で自分が不幸にされてはたまらない。だから、国民は政府を倒しているのだ。政府を丸ごと全部倒しているのだ。
今の国民は政府を倒して悪いことをする者のいないみんなが平和に暮らせる国にしている。
人間が悪いことをやってはいけないのは常識である。いくら仕事がよくできても悪いことをやってはいけない。悪いことをやってはいけないのは仕事以前の問題である。今の政府は自分の仕事はよくできるが、裏で悪いことをやっている。今の政府は常識のない会社である。だから、今の国民は政府を社会の中に置いておけないと思って政府を倒しているのである。
※政府や幕府と国民は平等である。少し昔は政府に権力があったが、通常は平等である。江戸時代後期には日本にヨーロッパ文化が入ってきて国民がヨーロッパ文化をやるようになって「幕府は古い」と思って年貢[ねんぐ]を払わなくなった。そうやって幕府が潰[つぶ]れていった。しばらくは政治団体のない時代があった。政府が建ってから再び国民は政府に税金を払うようになった。(ヨーロッパ文化は科学をやる。中国文化は文学をやる。インド文化は数学をやる。日本人は科学のほうが文学や数学よりも優れていると思ってヨーロッパ文化をやってアジア文化をやめたのだ。)今の時代も政府と国民は平等である。今の国民は政府が悪いことをするのが嫌だから政府を倒している。そもそも政府はマゾを虐めて喜ばせる会社である。戦後の日本では国民が科学をやるようになってマゾをやめたから「政府が古い」と思って政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府が潰れてなくなって、政府の替わりに法律や学校などの仕事をやる悪いことをしない会社が建ってからお金をやって仕事をやってもらうつもりである。※

[23481] やっぱり政府はマゾを虐[いじ]めて喜ばせる会社である。(前章の※を参照)☆☆ h30.1.13
昔は国民みんながマゾだったから政府に虐められて喜んでいた。政府は国民に命令して高い税金を取ったり、国民に命令してまちがった法律や政策をやらせて国民を嫌がらせたり、事件を起こして国民を殺したりして国民を虐めていた。国民は『国民と政府が平等だ』と思っていた。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だった。国民は自分が政府に虐められたいときだけ政府の命令を聞いていた。国民は自分が政府に虐められたい分だけ政府の命令を聞いていた。昔の人は自分が政府に虐められるために殺されるのは認めていた。昔の人は「政府が国民を喜ばせるために国民を殺している」と考えて「政府が善い人だ」と思って政府が国民を殺すのを許していたのだ。昔の人は心の世界で物を見ていたので、政府が国民を喜ばせるためなら国民を殺してもいいと思っていたのだ。
少し昔は国民みんながマゾではなくなったために「昔の国民が政府に虐められていたのは、政府に権力があるからだ」と思って政府に従っていた。政府は昔と同じように国民に悪いことをして国民を虐めていた。国民は政府に逆らってはいけないと思って政府の命令をなんでもかんでも聞いていた。
今は国民みんなが『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府には権力がない。』と考えるようになって政府に従わなくなった。今は国民が『国民と政府が平等だ』と思っている。今の国民は自分が好きなだけ政府の命令を聞いている。今の国民は政府の命令が正しいときに政府の命令を聞いて、政府の命令がまちがっているときには政府の命令を聞いていない。
今は国民が科学をやるようになって物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足するようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾをやめている。ところが、政府はずっとマゾを虐めて喜ばせる会社のままである。今でも政府はあいかわらず国民に悪いことをして国民を虐めている。今でも政府は国民に命令して国民から税金を取ったり国民を嫌がらせたり、勝手に国民を殺したりして国民を虐めている。だから、今の国民は「政府が古い」と思って政府に税金を払うのをやめて政府を倒している。今の国民はもはやマゾではないから政府に虐められたくないから政府に税金を払うのをやめている。将来、法律や学校などの仕事をする“国民に悪いことをしない会社”が建ってからお金をやって仕事をやってもらうつもりである。政府は国民が税金を払わなくなった分だけ法律会社や学校会社などに料金を取らせて法律会社や学校会社などをつないでいる。
政府は大きい団体だから自分が潰れてなくなるまでは国民を虐め続けるが、宗教団体や暴力団や社長は小さい団体だからすでに国民を虐めなくなっている。今ではマゾがいないから宗教団体や暴力団や社長はみんなを虐めなくなっている。今では宗教団体や暴力団や社長には権力がないからみんなと平等になってみんなを好き放題にしなくなっている。今では宗教団体や暴力団はマゾを虐めなくなって権力者をやらなくなってみんなを好き放題にしなくなっている。今の宗教団体や暴力団は宗教や身分制をやって異文化を楽しみたい客を集めてお金を稼[かせ]いでいる。今の宗教団体や暴力団は変な見世物をやる団体である。今では社長は社員を虐めなくなって権力者をやらなくなって社員を好き放題にしなくなっておとなしく社長としての仕事をやっている。

[23482] 今の政府は国民みんなと合っていないので国民みんなは政府を倒している。☆☆ h30.1.13
幕府はアジア文化をやる、法律や水道や清掃や役所などの仕事をやる、国民みんなを虐[いじ]める団体だった。幕府は国民に命令して取った年貢[ねんぐ]で法律や水道や清掃や役所などの仕事をやっていた。当時の国民みんなはマゾだったので幕府に虐められて喜んでいた。幕府は国民に命令して国民から高い年貢を取ったり、悪い法律や政策をやって国民を嫌がらせたり、事件を起こして国民を殺したりして国民を虐めていた。当時の国民みんなは『幕府と国民が平等だ』と思って自分が幕府に虐められたい分だけ幕府の命令を聞いていた。当時の国民みんなはアジア文化をやっていたので幕府に満足していた。
ところが、江戸時代後期になると日本にヨーロッパ文化が入ってきてみんながヨーロッパ文化をやるようになった。幕府はアジア文化をやっていたので国民みんなと幕府が合わなくなった。そのため、国民みんなは幕府に年貢[ねんぐ]を納めなくなって幕府を倒すようになった。幕府は年貢を取れなくなった分だけ法律会社や水道会社などに料金を取らせてつないでいた。国民みんなは江戸時代後期(西暦1800年ごろ)からすでに幕府を倒しにかかっていた。本格的に幕府が倒れだしたのは幕末である。幕府が倒れて政府に変ってから再び国民みんなは政府に税金を払うようになって政府に虐められて喜ぶようになった。政府はヨーロッパ文化をやる、法律や学校や水道や清掃や役所などの仕事をやる、国民みんなを虐める団体だった。政府は国民から取った税金で法律や学校などの仕事をしていた。
政府はヨーロッパ文化をやる、法律や学校などの仕事をやる、国民みんなを虐める団体である。政府は民主主義や国家宗教をやっているが、政府はヨーロッパ文化をやるから、民主主義よりも国家宗教に力を入れてやっている。しかし、日本人は外人と心が違うから民主主義や国家宗教や身分制が嫌いだから、政府は国民みんなを虐めるために民主主義や国家宗教をやっているのである。
ところが、戦後になって国民みんなが科学をやるようになって物や時間が豊かになって見たり聞いたり考えたりする喜びを満足するようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなった。そのため、国民みんなは「昔の国民が政府に虐められていたのは政府に権力があるからだ」と誤解して政府に従うようになった。国民みんなは政府に逆らってはいけないと思って政府の命令をなんでもかんでも聞いていた。国民みんなは政府が悪いことばっかりやるので不満だった。しかし、まもなく国民みんなは『昔の国民が政府に虐められていたのは、国民がマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府には権力はない』と考えるようになって政府に従わなくなった。国民みんなは“どうして政府に権力があるか?”と思って考えているうちに『昔の国民みんながマゾだった』ことを発見したのだ。(暴力では国民みんなのほうが政府よりも強いから、政府は暴力で国民みんなを支配したのではない。知能では国民みんなと政府は変わらないから、政府が国民みんなよりも正しいことがわかるから国民みんなが政府に従っているのではない。頭のよさでは国民みんなと政府は変わらないから、政府が嘘[うそ]で騙[だま]して国民みんなを従わせたのでもない。…もしも、国民みんなに“悪いことをされる喜び”があったら国民みんなは政府の悪い命令を聞くだろう。それが正解なのだ!)国民みんなは『国民と政府が平等だ』と考えるようになって政府の命令をなにからなにまで聞かなくなった。国民みんなは政府の命令が国民を幸福にするときだけ聞いて、国民を不幸にするときには聞かなくなった。今の国民みんなは日本文化をやるようになってマゾでなくなっている。しかし、政府はヨーロッパ文化をやって法律や学校などの仕事をやる国民みんなを虐める団体である。今でも政府は国民に命令して国民から高い税金を取ったり、悪い法律や政策をやって国民を嫌がらせたり、事件を起こして国民を殺したりして国民を虐めている。今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを虐めている。今の政府は国民みんなと合っていないので、国民みんなは政府に税金を払わなくなって政府を倒している。政府は国民から税金を取れなくなった分だけ法律会社や学校会社などに料金を取らせてつないでいる。今回は国民みんながしばらく政府を権力者だと思っていたために政府が倒れるのが遅れてしまった。将来は、政府が滅んでなくなって、ヨーロッパ文化をやって国民みんなを虐める団体がなくなって、法律会社や学校会社などが建っているだけだろう。国民みんなは日本文化をやって政府に虐められなくなって幸福に暮らしているだろう。

[23483] 今の政府には権力がないから今の国民は政府と平等にやっている。☆ h30.1.14
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。昔は国民みんなが“虐められる喜び”を満足していてマゾだったから、国民みんなで国民みんなを虐める会社を建てて国民みんなを虐めてもらって喜んでいたのだ。政府は国民から高い税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民を嫌がらせたり、事件を起こして国民を殺したりして国民を虐めていた。昔の国民は自分がマゾだったので『政府が国民を虐めているのは国民がマゾだからだ。政府に権力はない』ことを知っていたので『政府と国民が平等だ』と考えて自分が政府に虐められたい分だけ政府の命令を聞いて幸福に暮らしていた。
少し昔の国民は文明が進んで物や時間が豊かになって物を使って喜びを得るようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなった。そのために、「昔の国民が政府に虐められていたのは政府に権力があるからだ」と誤解して“政府に権力がある世界”に入り込んで政府に従っていた。少し昔の国民は政府の命令をなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしていた。
しかし、今の国民は『昔の国民が政府に虐められていたのは国民がマゾだったからであって政府に権力があるからではない。政府に権力はない』と考えて政府に従わなくなっている。今の国民は『政府と国民が平等だ』と考えて政府の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かないようにして幸福に暮らしている。今の国民は『今の国民はマゾではないのに、政府は国民みんなを虐めている。今の政府は国民みんなに合っていない』と考えて政府に税金を払うのをやめて政府にお金を払うのをやめて政府を倒している。

[23484] 今の国民はマゾではないから政府の警察は国民を逮捕できない。 h30.1.15
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなから高い税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐めている。政府は国民みんなを虐めるために民主主義や国家宗教や身分制をやっている。政府は国民みんなを虐めるために法律会社や学校会社や水道会社や清掃会社や役所などをやっている。
政府の法律会社は国民を虐めるための法律会社である。政府の法律は国民を虐めるための決まりである。政府と国民は平等だから、国民が政府の法律を守るか守らないかは国民の自由である。政府の法律には強制力がない。国民は自分が政府に虐められたければ政府の法律を守り、自分が政府に虐められたくなければ政府の法律を守らなければいい。国民は自分が政府に虐められたくなければ、殺人や強盗や嫌がらせをやってもいい。今の国民はマゾではないから、今の国民は政府に虐められたくないから、今の国民はなんでもやっていい。昔の国民はマゾだったから政府の法律を守っていたが、今の国民はマゾではないから政府の法律を守らない。政府の警察は役に立たない。ただし、たとえ政府の警察がなにもできなくても、国民が悪いことをやると被害者に嫌われて復讐されるから、本当はなんでもやっていいわけではない。今の政府の警察は国民の自発的意思によって国民を罰することができるだけである。つまり、今の政府の警察は国民が「自分が悪い」と思って政府の警察に罰せられるのを認めたときだけ国民を罰することができるだけである。今の政府の警察は国民が政府の警察に罰せられるのを認めなければ国民を罰することができないのである。今の商店は警察が頼りにならないから客に万引きされないためには自分で万引きした客を痛めつけて罰するしかない。客を身ぐるみ全部剥[は]ぎ取って裸にして店から放[ほう]り出すしかない。
今の国民は自分が悪いことをしても自分を罰する会社がないと思って好き放題に悪いことをやっている。今の世の中は物騒[ぶっそう]である。今の世の中ではみんなが平和に安全に暮らせない。今の国民は早く政府を倒して国民みんなを虐める会社をなくして、国民を虐めるための法律会社をなくして、法律会社が正当な法律をやるようにして、みんなが悪いことができないようにして平和に安全に暮らせるようにしないといけない。法律会社と国民は平等だが、法律会社が正しい法律つまり実在において国民みんなが平和に安全に暮らせるための正しい決まりを決めていれば法律会社の法律には強制力があるから、法律会社は正しい法律に基づいて国民を取り締[し]まることができるのだ。犯罪者を罰することができるのだ。反対に、法律会社がまちがった法律を定めている場合には、法律会社の法律には強制力がないから、法律会社は犯罪者を罰することができない。
もちろん、法律会社と国民は平等だから、法律会社は国民と契約して国民からお金をもらって法律の仕事をしないといけない。法律会社には権力がないから、法律会社が国民から強制的にお金を取ってはいけない。
法律とは国民みんなが平和に安全に暮らすための決まりである。法律は国民みんなの多数決で決めるのではなく、実在が決めるのである。法律は実在の世界をよく知っている人がよく考えて多くの人のチェックを経て作られるのである。民主主義は中国人の祭りであり、国民みんなが多数決を採って遊ぶことである。民主主義と法律は無関係である。日本人は多数決が嫌いだから、民主主義も嫌いである。中国人も嫌いである。同じように、政策とは国民みんなが幸福に暮らすための決まりである。政策も国民みんなで決めるのではなく、実在が決める。政策も法律と同じように人間の心や社会についてよく知っている人がよく考えて決めるのである。民主主義と政策も無関係である。政府は“間接”民主主義をやることによって、多数決と法律や政策を切り離して、多数決によって法律や政策を決めないようにしているのだ。民主主義がただの国民みんなで多数決を採る遊びにすぎないようにしているのだ。国家宗教についても同様である。政府は国家宗教を神の情報を使ったことをやることにして神に従わないことにして、国家宗教がヨーロッパ人の神を拝[おが]む祭り程度にすぎないようにしているのだ。日本人には神を拝む意味がわからないから、昔の日本人は駄洒落[だじゃれ]が好きだったから、政府は国家宗教を神の情報を使った駄洒落をやることにして国家宗教を日本人みんなが喜ぶことに変えたのである。昔の人にとっては自分が政府に虐められるのは楽しいことだったから、政府は国家宗教で国民を虐めることによって1度に虐めと駄洒落の2つが楽しめるようにしたのだ。身分制についても同じである。政府は身分制を政治家がたんに威張[いば]ることにして政治家に権力がないことにして、身分制がインド人の汚い物を拝む祭りぐらいにすぎないようにしているのだ。もっとも、日本人は偉そうにする者が嫌いだから、身分制は日本人には不評で政府はすぐに身分制をやめたが。そのようにして、政府は民主主義や国家宗教や身分制をなんでもないことにしているのだ。ただの無意味な祭りにすぎないようにしているのだ。その点はいい。もっとも、政府は国民みんなを虐める会社だから、政府の法律や政策は国民を虐めるための法律や政策だから、今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなにとっては政府の法律や政策は合っていないから、今の国民みんなは政府の法律や政策を守らないから、政府がいくら法律や政策をやっても無駄[むだ]だが。

[23485] 社長は自分が権力者になりたいから社員に強制的に税金を払わせている。 h30.1.15
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなから高い税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐めている。しかし、政府には権力がなく政府と国民は平等だから、国民が政府に虐められるかられないかは国民の自由である。国民は自分が政府に虐められたいときだけ政府の言うことを聞いて政府に虐められて、自分が政府に虐められたくなければ政府の言うことを聞かず政府に虐められなければいい。国民は自分が政府に虐められたい分だけ政府の言うことを聞いて政府に虐められればいい。
政府は国民を虐めるために税金を取っている。今の国民はマゾではないから、今の国民は政府に虐められたくないから、今の国民は政府に税金を払わなければいい。
ところが、会社では社員から税金を天引きして(源泉徴収して)税金を強制的に取っている。社員が政府に税金を払わなければ会社をクビにされることになっている。会社では社長が政府を権力者にしたいから社員から強制的に税金を取っているのである。会社では社長が“権力がある世界”を作りたいから社員から税金を取っている。会社では社長が自分が権力者になりたいから社員を自分の好き放題にしたいから社員からお金を取りまくってお金を湯水のように使って自分が好き放題に遊びまわりたいから社員から強制的に税金を取っている。たしかに、少し昔はみんなが「昔の国民みんなが政府に虐められていたのは政府に権力があるからだ。昔の社員みんなが社長に虐められていたのは社長に権力があるからだ」と思って政府や社長に従っていた。少し昔のみんなは「政府や社長が上の者だ」と思って政府や社長の命令をなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしていた。しかし、今ではみんなが『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府に権力はない。昔の社員みんなが社長に虐められていたのは、社員みんながマゾだったからであって、社長に権力があったからではない。社長に権力はない』と考えて政府や社長に従わなくなっている。今のみんなは『政府や社長がみんなと平等だ』と考えて政府や社長の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かなくなって幸福に暮らしている。社長には権力がない。社長は権力者ではない。いくら社長ががんばって社員に税金を払わせても社長は権力者にはなれない。社長は自分が権力者になるのをあきらめて自分が食べて生き残るために社員みんなと平等にして社員を虐めないようにしておとなしく社長としての仕事をするしかない。社長が“権力がある世界”を作るのは無理である。だから、今の社長は社員が政府に税金を払わないことを認めて社員から税金を取ってはいけない。社員に強制的に税金を払わせてはいけない。社長は社員に政府に税金を払わせないようにして“権力のない世界”を作らなければならない。
社長はマンガに権力者が出てくるからマンガを真似[まね]て自分も権力者になりたがっている。社長はいい歳してマンガを読んではいけない。子供も自分が権力者になりたいなんて馬鹿げたことを思わないためにマンガを読まないようにしないといけない。
社長は何の役にも立たずにただ会社の中にいるだけである。社長は社長の仕事をやっているただの社員にすぎない。昔は社員みんながマゾだったから社長が“社員みんなを虐める仕事”をやっていたが、今では社員みんながマゾではないから社長の仕事がない。社長は暇だから悪いことをやるのである。いっそのこと社長をなくしてしまったほうがいいだろう。
今のみんなは『政府や社長はみんなを虐める者である。今でも政府や社長はみんなを虐めている。今でも政府や社長はみんなから高いお金を強盗したり、悪い決まりを定めてみんなを嫌がらせたり、事件を起こしてみんなを殺したりしてみんなを虐めている。政府は国民みんなから強盗したお金で法律や学校などの仕事をやっている。社長は社員みんなから強盗したお金で総務や営業や管理などの事務の仕事をやっている。法律会社や学校会社などは政府とつるんでいい待遇で暮らしている。事務の仕事は社長とつるんでいい待遇で暮らしている。昔のみんなはマゾだったから、政府や社長は昔のみんなと合っていたから、昔のみんなは政府や社長と仲良くやっていた。しかし、今のみんなはマゾではないから、政府や社長は今のみんなと合っていないから今のみんなは政府や社長を倒さねばならない』と考えて、政府や社長の命令を聞くのをやめて政府や社長にお金をやるのをやめて政府や社長を倒しているのだ。今のみんなは政府や社長を倒してみんなが平等な社会や会社にしている。みんなが同じ給料をもらって同じ待遇で暮らす社会や会社にしている。

[23486] 最近はみんなが『政府が国民みんなと“合っていない”』と考えて政府を倒している。☆ h30.1.15
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は昔も今も国民みんなを虐める会社である。
昔はみんながマゾだったので、政府に虐めてもらって喜んでいた。昔はみんなが『政府と国民が平等だ』と考えて、自分が政府に虐められたい分だけ政府の言うことを聞いて政府に虐めてもらっていた。
少し昔は文明が進んでみんながマゾでなくなったために、「昔の国民みんなが政府に虐められていたのは政府に権力があるからだ。」と誤解して「政府が権力者だ」と思って政府に従っていた。
今ではみんなは『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府に権力はない。』と考えて政府に従わなくなった。みんなは『政府とみんなは平等だ』と考えて、政府の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かなくなった。
さらに、最近はみんなは『政府はずっと国民みんなを虐める会社のままである。政府は強盗や嫌がらせや殺人などをやって国民みんなを虐めている。今の政府が国民から税金を取っていることが、今でも政府が虐める会社のままであることの証拠である。今の国民みんなはマゾではないのに、今でも政府は国民みんなを虐めている。政府は今の国民みんなと“合っていない”。』と考えて、政府の命令を全部聞かなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
最近の国民みんなは勝手に政府を“法律や学校などの仕事だけをやる会社”に改造している。最近の国民みんなは、政府を倒して国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などだけにして、法律会社や学校会社などと契約してからお金をやって仕事をやってもうつもりである。

[23487] テレビ番組が面白くないのはテレビが無料だからである。 h30.1.16
テレビが無料で見られるのは、政府がお金を出しているからである。政府がテレビ局にお金をやってテレビ番組を作らせているからである。
しかし、そのために、テレビ番組が面白くなくなっている。そもそも政府は国民を虐[いじ]める会社なので、政府がお金を出してテレビ番組を作らせると政府が国民を虐めるために面白くない番組になるのである。
今では国民みんなが『政府には権力がなく、政府と国民は平等である。今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなに合っていない』と考えて政府にお金をやらないようにして政府を潰[つぶ]している。
政府が潰れてなくなったら、テレビが有料になる。国民みんながテレビ局にお金を払ってテレビを見ないといけなくなる。
しかし、そのかわり、テレビ番組が面白くなる。テレビ局にとっては国民みんながスポンサーだから、テレビ局は自分が国民みんなからお金をもらうために一生懸命に面白い番組を作る。
テレビが無料だと面白くない番組になる。反対に、テレビが有料だと面白い番組になる。国民みんなにとってはどっちのほうがいいだろうか?
インターネットが無料なのも政府がお金を出しているからである。政府が潰れたら、国民みんながお金を出さねばならない。まあ、それくらいいいか。

[23488] 今の日本は景気が悪いから、国民は性欲を満足してはいけない。 h30.1.18
今の日本は不景気である。貧乏である。このままでは暗黒時代になって大勢の死者が出るかもしれない。
今の日本にとって必要なのは有能な人材である。日本はもともと資源やエネルギー源がないから、人材に頼るしかない。日本は海で囲まれた砂漠みたいなものだ。
大脳の新皮質が発達した人間が有能な人材である。大脳の古皮質が発達した人間が無能な人材である。人間は新皮質を使えば有能になり、古皮質を使えば無能になる。
人間は古皮質を使わなければ新皮質を使うしかないからいやがうえにも有能になる。人間が性欲を満足しなければ古皮質が活動しない。だから、人間が性欲を満足しなければいい。人間が頭が悪くなるのは性欲を満足して古皮質が働くようになって新皮質が働かなくなるからである。人間が格好[かっこう]つけるのも性欲を満足して古皮質ばかり働くようになって新皮質が働かなくなって頭で考えることがわからなくなって眼で見ることしかわからなくなるからである。人間が性欲を満足しなければ古皮質が働かず新皮質が働いて有能になる。ヨーロッパ人のかっこよさと日本人のかっこよさは質が違う。ヨーロッパ人が格好付けるのは生まれつき眼がいいためだからいいが、日本人が格好付けるのは性欲を満足しているために頭が悪くなっているためだからいけない。
今の日本には余裕がない。今の日本はなんとしても有能な人材を得なければならない。有能な人材を増やさなければならない。だから、今の日本では絶対に国民みんなが性欲を満足してはならない。オナニーもセックスもしてはいけない。生殖行為だけならいい。テレビやラジオや本などでエッチなことを広めて国民が性欲を満足するのを煽[あお]ってはいけない。


[23489] 権力があると思っている馬鹿が悪いことをやっている。 h30.1.18
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。昔は国民みんながマゾだったので、国民みんなが虐められて喜ぶために政府を建てたのだ。政府の仕事は国民から高い税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民を嫌がらせたり、事件を起こして国民を殺したりして国民を虐めることと、国民から強盗した税金を使って法律会社や学校会社などに仕事をさせることと、民主主義や国家宗教や身分制などの異文化をやって国民を嫌がらせることである。政府は国家宗教を駄洒落[だじゃれ]にして昔の日本人にも楽しめるようにしていたが、今の日本人は駄洒落が嫌いだからもはや国家宗教も嫌がらせにすぎない。政府は民主主義や国家宗教や身分制に限らず広く外国の文化を国民みんなにやらせて国民みんなを嫌がらせている。例えば、ヨーロッパでは女尊男卑[じょそんだんぴ]だから、政府は女が有利な制度を定めて国民みんなを嫌がらせている。中国は文学の国だから、政府は国民みんなにマンガを読ませて国民みんなを嫌がらせている。インドは科学をやらない国だから、政府は国民みんなに科学をやらないようにさせて国民みんなを嫌がらせている。
今の国民みんなは『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府には権力がなく、政府と国民は平等だ。』と考えて、政府に従うのをやめて政府の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かなくなっている。今の国民みんなは自分が幸福になるために日本文化をやって、政府の命令で外国の文化をやらなくなっている。今の国民みんなは『今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを虐める会社をやっている。政府は今の国民みんなと合っていない』と考えて、政府に税金を払うのをやめてお金をやるのをやめて政府を倒している。そのために、政府は法律会社や学校会社などにお金をやれなくなって法律会社や学校会社などを民営化している。政府は国民みんなが税金を払わなくなった分だけ法律会社や学校会社などに国民から料金を取らせている。
しかし、今でも「政府に権力があったほうがいい。権力のある社会のほうがいい」と思っている者がいる。そういう者は「政府が権力者だ」と思って政府の命令を聞いて政府に税金を払ったり、政府の命令で国民みんなに悪いことをしたりする。政府の命令でわざとに不良品を作ってみんなに嫌がらせをしたりする。それだけでなく、自分が政府の下についているから自分にも権力があると思って自分の独断で国民に悪いことをしたりする。また、「権力がある社会のほうがいい」と思っている者は「社長が権力者だ」と思って社長の命令で悪いことをやったり、社長の下についているから自分にも権力があると思って自分の独断で社員に悪い命令をしたり社員に悪いことをしたりする。社員の了承を得ずに勝手に社員から税金を取って政府に税金を払わせている。
そもそも権力はマゾの誤解から生まれた概念である。昔の政府が国民みんなを虐めていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。昔の社長が社員みんなを虐めていたのは、昔の社員みんながマゾだったからであって、社長に権力があったからではない。実在するのはマゾであって権力ではない。本当は、政府や社長に権力はない。人間はみな平等である。政府と国民は平等である。社長と社員は平等である。誰も他人に命令せず、双方の合意で他人の言うことを聞くだけである。今のみんなはマゾではないから、もはや政府や社長の悪い命令を聞かない。(もしも、政府や幕府に権力があったのなら、国民みんなは政府や幕府に逆らえないから革命や一揆[いっき]が起こるわけがない。しかし、実際にはフランス革命や一揆があった。だから、政府や幕府に権力はない。昔から政府や幕府と国民は平等だったのだ。政府や幕府と国民は平等だから、国民みんなが政府や幕府が気に入らないことをしたときには暴力を使って政府や幕府を倒したのだ。国民みんなが政府や幕府に言葉で訴えても政府や幕府は言うことを聞かなかったから、国民みんなは自分の身体を使って暴力を使って政府や幕府を倒したのだ。)
「権力のある社会のほうがいい」と思っている者はまちがっている。「権力がある」と思っている者はまちがっている。そんな作り事の社会ではうまく行かない。権力はまちがった概念だから権力がある社会はうまく行かなくて当然である。実際にそんな社会はこれまであったためしがない。馬鹿が勝手にこれまでそんな社会だと思っているだけである。みんなでまちがった社会を作ろうとしている者をなくさねばならない。だから、国民は政府の悪い命令を聞いてはいけない。国民は政府の下についている者の悪い命令を聞いてはいけない。国民は政府や政府の下についている者に悪いことをさせてはいけない。社員は社長の悪い命令を聞いてはいけない。社員は社長の下についている者の悪い命令を聞いてはいけない。社員は社長や社長の下についている者に悪いことをさせてはいけない。社員は政府に税金を払ってはいけない。社員は政府に無理やり税金を払わせる総務部のやつをまちがった社会を作ろうとしている悪者[わるもの]だと思って暴力をふって痛めつけて自分がまちがっていることを教えてやらねばならない。言葉で言っても言うことを聞かなければ暴力で訴えるしかない。
“親ガメこけたらみなこけた”というから政府のない国にすればいい。社長のない会社にすればいい。そうすれば、政府の下について自分にも権力があると思ってみんなに悪いことをする者がいなくなるし、社長の下について自分にも権力があると思ってみんなに悪いことをする者もいなくなる。別にそんなことをしなくても『この世には権力なんかない。昔はみんながマゾだっただけだ』ということをみんなに教育してこのことが常識になれば権力を使う者なんかいなくなるだろう。みんなが『この世に権力なんかない』と思って“自分に権力があると思っている者”を馬鹿呼ばわりして“自分に権力があると思っている者”の言うことを聞かなくなれば、“自分に権力があると思っている者”も他人から馬鹿にされるのが嫌になってみんなと同じように『権力がない』と思うようになって悪いことをしなくなるだろう。
今ではみんなが『権力がない』と思っているのに、いまだに「権力がある」と思っている者がいる。「権力がある」のは少し昔の流行である。昭和の頃の流行である。時代遅れである。「権力がある」と思っている者は古臭い。しかも、まちがっている。みんなで「権力がある」と思っている者を馬鹿にしてまちがった考えをやめさせないといけない。例えば、“信者語”(国家宗教の神をネタにした言葉。例えば、“w[わら]”とか“ナントカからの”とか“わこつ”など)を使う者は「権力がある」と思っている者である。権力がある社会を作ろうとしている者である。自分が政府の下について自分も権力者になってみんなを自分の好き放題にしようと思っている者である。そいつらは古臭い馬鹿だ。今でも天動説や自然発生説を信じている馬鹿と同じだ。早くそういう馬鹿のいない社会にしないといけない。


[23490] 政府は永遠に不滅である。 h30.1.18
今の国民みんなは『昔の国民みんなが政府に虐[いじ]められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府に権力はない』と考えて政府に従わなくなっている。政府の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かなくなっている。人によっては政府の命令を全部聞かないこともある。今の国民みんなは『今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを虐めている。政府は昔と同じように国民みんなを虐める会社のままである。政府は今の国民みんなと合っていない』と考えて、政府に税金を払うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒している。
今の政府は『政府には権力がなく、政府は国民と平等である。政府は国民みんなを虐める会社であるのに、今の国民みんなはマゾではないから、政府は国民みんなに合っていない』ことを知っている。それなのに、政府は昔と同じように国民みんなを虐めている。政府は国民みんなが政府に税金を払わなくなって政府が国民みんなに倒されるときまでずっと国民みんなを虐め続けるつもりでいる。
政府は国民みんなを虐める会社と法律会社や学校会社などの複合体である。国民から税金を取っているのは国民みんなを虐める会社だから、政府の中では国民みんなを虐める会社が一番偉い。だから、ほかの法律会社や学校会社などが国民みんなを虐める会社の命令を聞くのだ。法律会社や学校会社が国民みんなを虐める会社の命令で悪いことをして国民みんなを虐めるのだ。しかし、今では国民みんなが政府に税金を払わなくなっているから、国民みんなを虐める会社が偉くない。そのため、政府の法律会社や学校会社が国民みんなを虐める会社の命令を聞かなくなって悪いことをしなくなって善いことだけするようになっている。今の国民みんなは政府の中の国民みんなを虐める会社だけを潰[つぶ]して、政府を法律会社や学校会社などだけにしようとしている。今後も政府は生き残るだろう。政府は時代に応じて国民みんなに応じて中身を変えて生き続けるだろう。国民みんなが抱き合わせが嫌なら、法律会社や学校会社などをバラバラにして別々に料金を払えばいい。
今では国民みんなが『政府には権力がない。政府と国民は平等だ』と思っているから、国民が政府に税金を払って政府に仕事をしてもらうか、国民が政府に税金を払わず政府に仕事をしてもらわないかは国民の自由である。今では国民みんなが『政府は国民みんなを虐める仕事をしているから、政府は今の国民みんなと合っていない』と思っているから、国民みんなが政府に仕事をしてもらいたくないから政府に税金を払わずに政府を倒している。しかし、国民の中には政府のことをなにも知らずに「今の世の中で自分は満足だ」と思って政府の言いなりになっている者もいる。
政府のことを知らない者がいるから政府について関心がない者がいるから政府がなかなか潰れないのだ。政府がなかなか潰れない原因は政府のことを知らない者がいるからである。国民みんなで政府のことを教えあって、みんなが政府を倒すようにしないといけない。
人間は実在の中で生きている。だから、人間が実在に従っていると世の中がうまく行く。世の中には利口よりも馬鹿が多いが、幸いなことに馬鹿は自分で考えてもうまく行かないから他人のいいなりである。馬鹿は利口に従う。利口は実在に従う。だから、馬鹿も実在に従ってうまく行くのだ。馬鹿が自分の考えで好き勝手にやったら世の中はおしまいである。だから、みんなで馬鹿を付け上がらせないようにしないといけない。政府はみんなを虐めるために馬鹿を付け上がらせる制度を設けるから、みんなで政府を倒さねばならない。馬鹿は利口よりも数が多い。多数決があると馬鹿の意見のほうが通りやすくなってみんながまちがいに従うようになって実在に従わなくなって世の中がうまく行かない。だから、みんなで多数決をなくさねばならない。政党制があると多数決がある世の中になるから、多数決のために世の中が歪[ゆが]んでうまく行かなくなるから、政党制をやめねばならない。民主主義はあくまでもお祭りにしなければならない。民主主義はみんなが多数決を採る遊びにしなければならない。本当に多数決で世の中のことを決めてはいけない。正しいことで世の中を決めねばならない。実在に従うように世の中を決めねばならない。日本人は多数決を採っても面白くないから民主主義をやめねばならない。日本人は徹底的に議論して物事を決めねばならない。(中国人は多数決が好きだが、多数決による悪影響が出ないようにするために、どうでもいいことだけ多数決で決めて、大事なことは多数決で決めないようにしているのだろう。)同じように、身分制があると古臭いものが偉くなって世の中がうまく行かなくなるから身分制をやってはいけない。同じように、日本人は神を拝[おが]んでも面白くないから、特に今の日本人にとってはいろんな娯楽がたくさんあって神を拝む遊びなんか面白くないから、宗教もやってはいけない。現実逃避が好きなら、宗教をやるよりもテレビを見たりゲームをやったりすればいい。
今ではみんながマゾではない。今では昔の政府のように国民みんなから高い税金を強盗してボロ儲[もう]けをする会社がない。今ではみんなが『権力がない』と思って『みんなが平等だ』と思っている。だから、今はみんなが“同等”な社会にしないといけない。みんなが同じ給料をもらってみんなが同じ待遇で暮らす社会にしないといけない。仕事に上下はないから、みんなが違う仕事をやっているだけで同じ待遇で暮らす社会にしないといけない。政府と国民が、社長と社員が同じ給料をもらって同じ待遇で暮らす社会にしないといけない。それが現代的な社会だ。

[23491] 総務部が馬鹿だといつまでたっても政府が潰[つぶ]れない。 h30.1.19
今では国民みんなが『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府には権力がない。政府と国民は平等だ。今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを虐める会社だから国民みんなを虐めている。政府は今の国民みんなに合っていない』と考えて、政府に税金を払わなくなって政府にお金をやらなくなって政府を倒している。
それなのに、一部の国民は今でも「昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、政府に権力があるからだ。政府は権力者だから、国民みんなは政府に従わねばならない」と思って政府に従っている。それだけでなく、みんなを政府に従わせようとする。
総務部の税金の係りの人が『権力がない』と思っている人だと、社員が政府に税金を払わないことを係りの人に伝えたら『今では政府が国民みんなに合っていないから、国民が政府に税金を払わないのが当然だ』と思ってすぐにOKを出してくれて今後は税金を払わないですむ。しかし、総務部の税金の係りの人が「権力がある」と思っている人だと、「政府には権力があるから国民みんなは政府に従わねばならない。社長にも権力があるから社員は社長に従わねばならない。私は社長の下についているから自分にも権力がある。社員は私に従わねばならない。」と思って、たとえ社員が政府に税金を払わないことを伝えても係りの人は言うことを聞かず社員から無理やり税金を取って政府に税金を払わせる。
総務部の税金の係りの人が『権力がない』と思っている人だと社員は政府に税金を払わずにすむが、総務部の税金の係りの人が「権力がある」と思っている人だと社員は政府に税金を払わねばならない。善い会社だと社員みんなが『権力がない』と思っているからうまくいくが、悪い会社だと社員の多くが「権力がある」と思っているからうまくいかない。正しいことが通らない。総務部は文系である。文系は馬鹿である。馬鹿は取り柄[とりえ]がなくて空威張[からいば]りをしなければならないから権力を欲しがるのだ。馬鹿は自分に権力がないと生きて行けないから一生懸命権力がある世界を作ろうとするのだ。
総務部の税金の係りの人が馬鹿であるばっかりに社員全員が政府に税金を払わされる。いつまでたっても政府が残って世の中がちっともよくならない。総務部の馬鹿はみんなの足を引っ張るだけだ。馬鹿はいつでも周[まわ]りのみんなの足を引っ張るだけだ。そんな総務部はクビだ。会社は馬鹿を要職に就[つ]けてはいけない。
総務部の税金の係りの人の態度を見ればその人が『権力がない』と思っているか「権力がある」と思っているかがわかる。今では『権力がない』ことが正しいことになっているから「権力がある」と思っている人がまちがっている。社会にはまちがっている人は要らない。だから、「権力がある」と思っている人を社会から追放しないといけない。正しい人だけからなる社会にしないといけない。
h30.1.20追加:税金は政府が国民からお金を強盗することであり正当性がなく強制力がないから国民が政府に税金を払う必要はない。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。総務部の税金の係りが勝手に社員から税金を取って政府に税金を払ってはいけない。税金はマゾが政府に虐められるために払うものである。総務部の税金の係りの人は必ず社員の承認を得てから社員から税金を取って政府に税金を払わねばならない。天引き(源泉徴収)は少し昔の政府に権力があった頃に出来た制度である。今は政府に権力がないから天引きをやめねばならない。
h30.1.21追加:この世に権力なんかない。マゾがあるだけだ。文系はもともと社長と組んでいい暮らしをしている者である。政府の法律会社や学校会社が“国民みんなを虐める会社”と組んでいるのと同じことである。昔は社員みんながマゾだったので社長が社員みんなを虐めるために社員からお金を強盗してお金持ちだったので文系もいい暮らしをしていた。文系は社長の命令で社員みんなに悪いことをして虐めていた。しかし、今では社員みんながマゾではないから、会社から社長がなくなって、文系はおとなしく自分の事務をするだけで社員みんなに悪いことをしなくなった。文系の事務員も理系の作業員と同じ給料をもらって同じ待遇で暮らすようになっている。
h30.1.22追加:文系は権力だけで生きている。文系は権力で他人からお金が取れるから、会社に来てもなにもせずに遊んで暮らしている。文系は権力を使って美味[おい]しい思いをしている。しかし、今では権力がないことが正しいことになっている。だから、日本中の会社で文系がクビになっているのだ。文系が死んでいるのだ。
h30.1.24追加:文系は“仮面ライダー”みたいな空想の世界の仕事をやっているだけである。文系は“仮面ライダー”の番組を作ったり“仮面ライダー”のオモチャを作って売ったりしているだけである。文系は余計な無駄[むだ]なことをやっているだけである。文系は要らないことをやっているだけである。文系はくだらないことをやっているだけである。文系は実在の世界の仕事をやっていない。実在の世界では文系の人間は要らない。人間は実在の世界で生きるべきである。文系の人間は生まれてから死ぬまでずっと空想の世界の中で生きているだけだ。だから、みんなで文系の人間を殺してなくせばいいのである。

[23492] どうして“カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ♪”なのか? h30.1.19
ドリフターズの志村けんは“カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ♪”と言っていた。
カラスは黒い鳥だから政府のことである。当時は、みんなが「昔の国民みんなが政府に虐められていたのは政府に権力があるからだ」と思っていて、みんなが「政府が国民みんなを自分の好き放題にする」と思っていたから“カラスの勝手”なのである。
ドリフターズの後がひょうきん族である。
ビートたけしは“赤信号みんなで渡れば怖くない”とか“みんな殿様になりたいんだ”と言っていた。当時は、みんなが『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府に権力はない』と考えて、政府に従わなくなった。以前はみんなが「政府には権力があるから政府に従わねばならない」と思っていたからみんなが政府に従わないのはいけないことに思われていた。みんなが政府に従うことから従わないことに変わっていたから“赤信号をみんなで渡っていた”のである。それでも、みんながなかなか政府に従わなくなろうとしなかったので“みんな殿様になりたいんだ”とイヤミを言ってみんなの背中を押してあげたのだ。“みんな殿様になりたんだ”と言って「このままでは本当に権力のある社会になるぞ。人間が不平等な社会になってしまうぞ。悪人がみんなを好き放題にする社会になるぞ」と脅[おど]しをかけてみんなを政府に従わないようにさせたのだ。
今ではみんなが『この世に権力はない』と思って政府に従うのをやめている。今ではみんなが政府と平等にやっている。だから、“カラスの勝手”とか“殿様”とか言わなくなったのだ。

[23493] どうして政府は国民みんなに合わさないのか?☆ h30.1.19
江戸時代後期になると国民みんなはヨーロッパ文化をやるようになった。それにもかかわらず幕府はアジア文化をやり続けた。幕府がひとりだけ浮いていた。国民みんなが『今の国民みんなはヨーロッパ文化をやっているのに、幕府はアジア文化をやっている。幕府は国民みんなと合っていない』と思って幕府を倒すために年貢[ねんぐ]を納めなくなって、幕府がお金が足りなくなってどうしようもなくなってやっと幕府は自分で潰[つぶ]れて政府に変わった。そもそも幕府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。幕府が国民みんなに合わせると国民みんなを虐めることにならないから、幕府は国民みんなを虐めるために国民みんなに合わさないのだ。反対に、普通の民間会社は国民みんなを虐める会社ではないから、普通の民間会社は国民みんなを虐めないから素早[すばや]く国民みんなに合わせるのだ。
それと同じように、戦後になると国民みんなは科学をやるようになって物や時間が豊かになって物を使って喜ぶようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなった。それにもかかわらず政府は国民みんなを虐め続けている。政府は今でも国民みんなから高い税金を強盗したり、悪い法律や政策や制度をやって国民みんなを嫌がらせたり、勝手に事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐めている。政府がひとりだけ浮いている。国民みんなが『今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを虐めている。政府は国民みんなと合っていない』と思って政府を倒すために税金を払わなくなって、政府はお金が足りなくなって国民みんなが税金を払わなくなった分だけ法律会社や学校会社などに国民からお金を取らせている。いづれは政府がお金がなくなって自分で潰れて“国民みんなを虐めない会社”に変わるだろう。政府も幕府と同じように国民みんなを虐める会社である。政府が国民みんなに合わせると国民みんなを虐めることにならないから、政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに合わせないのだ。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに合わせてすぐに国民みんなを虐めない会社に変わらないのだ(メタい)。
そういうわけで政府は自分のほうから国民みんなに合わせてはくれない。だから、国民みんなが自分たちで政府を国民みんなに合わせなければならない。国民みんなが政府を倒して国民みんなを虐めない会社にしないといけない。国民みんなが政府に税金を払うのをやめて政府にお金をやるのをやめて政府を倒して、政府を法律会社や学校会社などだけにして国民一人一人とちゃんと契約して国民からお金をもらって仕事をするようにしないといけない。
幕府が政府に変わるときには、アジア文化からヨーロッパ文化に変わるだけだったから権力が発生しなかった。そのために、移行がスムーズに行った。比較的早く幕府から政府に変わることができた。しかし、政府から“国民みんなを虐めない会社”に変わるときには、マゾ文化からマゾでない文化に変わるためにみんなが昔のみんながやっていたことを誤解して権力が発生した。そのために、移行が難航している。「権力がある」と思っている馬鹿が「政府に権力があるからみんなが政府に従わねばならない」と思ってみんなが『権力がない』社会を作るのを妨[さまた]げている。そのせいで政府が“国民みんなを虐めない会社”に変わるのが遅れている。政府が国民みんなを虐めるのが長引いている。早く国民みんなで「権力がある」と思っている馬鹿を追放して、国民みんなが『権力のない』社会を早く作れるようにしないといけない。国民みんなが早く政府を“国民みんなを虐めない会社”に変えてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
政府は国民みんなを虐める会社だから、政府は国民みんなを虐めるために国民みんなに合わせてくれない。今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを強盗したり嫌がらせたり殺したりして国民みんなを虐め続ける。政府は国民みんなを虐める会社だから、政府は国民みんなを虐めるために自分から建つが、自分からは潰れてくれない。政府は建つときは自分で建つが、潰れるときは他人が潰してやらねばならない。政府は半自動ドアと同じである。国民みんながいつまで待っても政府は自分で潰れてくれない。だから、国民みんなが自分で政府を潰さないといけない。普通の会社は国民に合わせて変わってくれるが、政府は国民に合わせて変わってくれない。政府は普通の会社と同じではない。政府は普通の会社のようにはいかない。国民が政府を普通の会社と同じだと思っているから世の中がうまくいかないのだ。国民が政府を変えないかぎり、政府は国民を虐める会社のままである。国民みんなは政府に税金を払わないようにして政府にお金をやらないようにして政府を倒さないといけない。

[23494] 今ではみんなを虐[いじ]める会社はただの会社になっている。 h30.1.19
“虐められる喜び”はそれほど強い喜びではない。だから、文明が進んでテレビやゲームなどが出来ると、テレビを見る喜びやゲームをする喜びに負けたのだ。テレビを見る喜びやゲームをする喜びのほうが“虐められる喜び”よりもずっと強い。だから、今の人はみんなテレビやゲームをやって虐められるのをやめたのだ。
昔はテレビもゲームも何にもなかったから昔の人にとっては“虐められる喜び”しかなかったから、みんなが“虐められる喜び”を満足するために政府や宗教団体や暴力団に虐められていたのだ。なにもない砂漠では水の価値が100倍上がるようなものだ。
少し昔は政府や宗教団体や暴力団に権力があったから、国民みんなを好き放題にして暴れていた。
今ではみんなが平等でマゾではなくなっている。だから、今では政府がただの法律会社や学校会社などになっているし、宗教団体や暴力団は普通の会社になっているのだ。

[23495] 国民が政府を知れば政府を支配できる。 h30.1.20
今の国民みんなは『人間はみな平等だ。政府と国民も平等だ。』と思っている。だから、今の国民は自分が好きな政府の命令だけ聞いて嫌な命令を聞かなくなっている。
今の国民みんなは『政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である』ことを知っている。『政府は国民を虐めるために悪い命令を出すから、国民は自分が政府に虐められたければ政府の命令を聞き、自分が政府に虐められたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。国民は自分が政府に虐められたい分だけ政府の命令を聞けばいい。』ことを知っている。政府の法律や政策や制度は政府が国民を虐めるための命令だから、国民は自分が政府に虐められたければ政府の法律や政策や制度をやり、自分が政府に虐められたくなければやらなければいいのである。政府の法律会社は国民みんなを虐める法律会社であり、政府の学校会社は子供みんなを虐める学校会社であり、政府の水道会社は国民みんなを虐める水道会社である。政府の中では国民みんなを虐める会社が国民みんなから税金を取って一番偉いから、法律会社や学校会社などが食べていけるのは国民みんなを虐める会社のおかげだから、法律会社や学校会社などが国民みんなを虐める会社に従って国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めるのだ。
昔の国民みんなはマゾだったから、自分のほうから政府の悪い命令を聞いて政府に虐められて喜んでいたのである。昔の国民みんなはマゾだったから、政府の命令にかじりついて聞いて政府に虐められるのが生きがいだった。
今の国民みんなはマゾではないから、政府の言うことを聞かなくなっている。政府に税金を払えと言われても政府に税金を払わなくなっている。政府に国民医療保険に入れと言われても入らなくなっている。政府に厚生年金に入れと言われても入らなくなっている。今の国民は政府にお金をやらなくなっている。政府はお金がなくなって潰[つぶ]れてなくなっている。政府は国民みんなを虐める会社がなくなって法律会社や学校会社などだけになっている。政府は悪いことをしなくなって、法律会社や学校会社などが国民と契約して国民からお金を取って仕事をするようになっている。法律会社や学校会社などが国民から税金を取らずに国民と契約を取ってお金を取るようになれば、政府の中の国民みんなを虐める会社が潰れているから政府はもはや悪いことをしないだろう。
今では国民と政府が平等だから、政府は国民みんなを虐める会社であって正しいことをやる会社ではないから、政府の命令には正当性がないために強制力がないから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。税金は政府が国民からお金を強盗することであって正当性がないから国民は政府に税金を払う必要はなく、今の国民は政府に税金を取られるのが嫌なら税金を払わなければいい。法律会社や学校会社などと契約してお金を払って仕事をさせればいい。政府の法律は国民みんなを虐めるための法律であって正しい法律ではないから、政府の法律には正当性がないために強制力がないから、国民は政府の法律を守る必要はない。国民が政府の法律を守るか守らないかは国民の自由である。昔の国民みんなはマゾだったので政府に虐められるために政府の法律を守っていた。今の国民みんなはマゾではないので政府に虐められないために政府の法律を守らなければいい。将来、政府から国民みんなを虐める会社がなくなって法律会社などだけになれば、法律会社は正しい法律を作るから、正しい法律には強制力があるから、国民みんなが法律会社の法律を守らねばならなくなる。(補足:政府は世の中がメチャクチャにならない程度に大勢の国民が死なない程度に国民みんなを虐めなければならないので、政府の国民みんなを虐める法律には正しい法律が混じっているのだ。いくら政府が国民みんなを虐める会社だといっても、政府が世の中をあまりメチャクチャにしてはいけないので政府は国民みんなを軽く虐める法律を定めるだけで“国民みんなが好き勝手に他人を殺して他人の物を奪ってもいい法律”を定めたりはしないのだ。)
今の政府は偶然の事故に見せかけたり他人(外人や秘密組織)のせいにしたりして自分が国民みんなに悪いことをやっているのを知られないようにしながら国民みんなに悪いことをやって国民みんなを虐めている。政府が権力者なら政府は国民みんなの見ている前で堂々と国民みんなに悪いことをするが(例えば、田中角栄の所得倍増計画のように。当時は国民みんなが政府が権力者だと思っていたから、政府が堂々と悪いことがやれたのだ)、今の政府は国民と平等であり権力者ではないから政府は国民みんなに知られないようにしながらコソコソと密かに悪いことをしているのだ。今でも政府は国民みんなを虐めている。今でも昔と同じように政府は国民みんなを虐める会社である。昔は国民みんながマゾだったから、国民みんなが政府が国民みんなを虐めるのを認めていたから、政府はあけっぴろげに国民みんなを虐めていた。今は国民みんながマゾではないから、国民みんなが政府が国民みんなを虐めるのを認めないから、政府は密かに国民みんなを虐めなければならなくなっている。政府は自分が国民みんなを虐める会社だからといってそうまでして無理に国民みんなを虐めなくていい。今の政府は国民みんなを虐めにくくなっている。国民みんなを虐めるのが難しくなっている。今の政府は大変である。だから、国民みんなで早く政府を潰して政府を楽にしてやればいい。今の政府は国民みんなを自分の好き放題にするためでも、国民みんなを虐めて喜ばせるためでもなく、ただ自分が国民みんなを虐める会社だから国民みんなを虐めているだけである。今の政府はなんの目的もなくむなしくひとりで国民を虐めているだけである。今の政府は自分のしていることがつまらないと思いながらいやいやしかたなく国民みんなを虐めている。早く国民みんなで政府を倒して政府が意味のないばかばかしいことをするのをやめさせてやらねばならない。
今の政府は無責任である。今の政府は国民のせいにして倒れないのだ。今の政府は国民の多くが政府に税金を払っているのを理由にして倒れないのである。政府は人殺しがからむえげつない仕事をしているから自分の責任にするのが恐いから自分が責任の取りようがないから全部国民のせいにして自分からはなにもしないでいるのだ。政府は自分が残っていることを全部国民みんなのせいにしているのだ。政府は自分が残るか潰れるかは全部国民みんなに任[まか]せているのだ。政府が途中で自分から潰れると政府が自分の判断でそれまで残ってきたことになるから政府がそれまでに国民みんなを虐めてきたことが政府の責任になってしまうから、政府は自分では潰れられないのだ。政府は自分がこれまで国民みんなを虐めてきたことを国民みんなの責任にして自分の責任にしないために自分では潰れず国民みんなに自分を潰してもらうようにしているのだ。政府は自分が国民みんなを虐めてきた(例えば、何万人も殺してきた)ことの責任を取れないから、自分が国民みんなを虐めてきたことを国民みんなの責任にして逃れるために、今でも昔と同じように国民みんなを虐め続けて自分から潰れようとせず国民みんなに自分を潰してもらっているのだ。政府は自分から潰れず自分が国民みんなに倒されることによって、「この世には国民みんなが政治機関を倒さねばならない決まりがある」ことにして自分の責任を逃れようとしているのだ。今の政府は自分の責任を逃れるために必死になって国民みんなを虐めているのだ。(政府が自分で国民みんなを虐めるのをやめたら、政府が自分で潰れたことになるから、政府は国民みんなを虐めるのをやめられないのだ。)このままでは国民みんなが政府に不幸にされるばかりだ。だから、国民みんなが早く政府に税金を払うのをやめて政府を倒してやらねばならない。国民みんなで政府を残そうとする国民をなくして国民みんなが一丸[いちがん]となって政府を倒さねばならないのだ。
要するに、政府は昔も今も国民みんなを虐める会社である。少し昔はいっとき(だいたい20〜30年間)政府が権力者になっていたがすぐにやまったので大雑把[おおざっぱ]には無視していい。昔の国民みんなはマゾだったから政府が国民みんなを虐めてもよかったが、今の国民みんなはマゾでないのに政府が国民みんなを虐めているのがいけない。だから、今の国民みんなは政府を倒しているのだ。政府はかなり倒れているのだ。
今ではみんなが平等でマゾではない。今の政府は国民を虐めるためにお金を取れないし、自分の権力でお金を取れない。今の政府は国民の無知で持っているだけだ。今の政府は国民が政府のことを知らないために国民からお金を取って生き残っているだけだ。政府のことを知らない国民は『政府が国民みんなを虐めるために悪いことをしている』ことを知らないし、テレビで政府が民主主義をやっているのを見て「政府が国民みんなのために善いことをする会社だ」と思って政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている(実際に、私も以前はそうだった)。反対に、政府のことを知っている国民は『今の国民みんなはマゾではないのに、政府は国民みんなを虐めている。政府は今の国民みんなに合っていない』と考えて政府を潰すために政府に税金を払っていない。今の国民が政府のことを知れば政府を倒すようになる。そこが今の政府の弱点である。政府の弱点は国民が政府のことを知ることである。今の国民みんなはマゾではないから、政府が残っているかぎり政府は国民みんなを虐めて国民みんなを不幸にする。だから、国民みんなはみんなに政府のことを教えて早く国民みんなで政府を倒して幸福にならねばならない。


[23496] 国民みんなは昔は虐[いじ]められるのが好きだった。 h30.1.21
昔は国民みんながマゾだった。そのため、国民みんなで“国民みんなを虐[いじ]める会社”を建てた。“国民みんなを虐める会社”は国民みんなからお金を強盗したり、国民みんなが嫌いなことをやらせて国民みんなを嫌がらせたり、国民みんなを殺したりして国民みんなを虐めた。国民みんなは“国民みんなを虐める会社”に虐めてもらって幸せに暮らしていた。
政府が国民みんなを虐める会社である。
そのうち、国民みんなが科学をやるようになって物や時間が豊かになって物を使って喜ぶようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなった。
今は国民みんながマゾではない。そのため、国民みんなが“国民みんなを虐める会社”に虐められるのが嫌になって“国民みんなを虐める会社”にお金をやらなくなって“国民みんなを虐める会社”を潰[つぶ]している。
男が女と付き合っていた。男は女にお金をやってかわいがっていた。そのうち男が出世して暮らしがよくなって性格が変わった。好きな女のタイプが変わった。そのため、男は付き合う女を変えた。男は新しい女が出来た。男は昔の女にお金をやるのをやめて縁を切った。…のと同じようなことだ。

[23497] 抱き合わせ商法 h30.1.21
政府は“国民みんなを虐める会社”と法律会社や学校会社などの複合体である。
今の政府は国民みんなを虐める会社が国民から税金を強盗してお金を取って法律会社や学校会社などにお金をやって仕事をさせている。そのために、政府の中では国民みんなを虐める会社が一番偉いことになって法律会社や学校会社などが国民みんなを虐める会社に従って悪いことをやって国民みんなを虐めている。悪い法律や悪い政策や悪い教育をやって国民みんなを嫌がらせている。
しかし、今の国民みんなはマゾではない。だから、今の国民みんなは国民みんなを虐める会社が要らない。今の国民みんなにとっては法律会社が学校会社や水道会社や清掃会社や役所などが要るだけである。
今の国民みんなは国民みんなを虐める会社が要らないと考えて、政府に税金を払わなくなっている。そのため、政府の国民みんなを虐める会社が法律会社や学校会社などにお金をやれなくなって法律会社や学校会社などが国民から料金を取るようになっている。
国民みんなにとっては法律会社や学校会社などは必要だから、法律会社や学校会社などはとにかくなんらかの方法で国民みんなからお金を取れる。一方、今の国民みんなにとっては国民みんなを虐める会社は要らないから、国民みんなを虐める会社はどうやっても国民みんなからお金を取れない。
政府は中身を隠しているから多くの国民は「政府が法律会社や学校会社などだけだ」と思って「税金が法律会社や学校会社などの仕事代だ」と思って政府に税金を払っているのだ。政府が中身を隠さなければ国民みんなが『政府は国民みんなを虐める会社が国民から税金を強盗してほかの法律会社や学校会社などにお金をやって抱き合わせ商法をやっている』とか『今の国民にとっては国民みんなを虐める会社は要らない。法律会社や学校会社などしか要らない』と思って、国民みんなを虐める会社にはお金をやらず、法律会社や学校会社などだけにお金をやる。
今の国民みんなは政府のことがわかるようになっている。政府の中身がわかるようになっている。だから、今の国民みんなは国民みんなを虐める会社にはお金をやらず、法律会社や学校会社などだけにお金をやるようになっている。つまり、今の国民みんなは政府に税金を払わずに、法律会社や学校会社などだけに料金を払って仕事をしてもらうようになっている。そのように世の中が変わっている。
民主主義や国家宗教や身分制は外国の祭りであって、政府が権力を得る方法ではない。“トラの威を借るキツネ”はただの作り話である。政府には権力がないから、国民と政府は平等である。
政府と国民は平等だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民は自分が政府に税金を払いたければ政府に税金を払えばいいのである。反対に、国民は自分が政府に税金を払いたくなければ払わなければいいのである。政府は納税の義務の法律を定めているが、政府の法律は国民みんなを虐めるための法律であって正しい法律ではないから強制力がないから国民は政府の法律を守らなければいいのである。今の国民は政府が抱き合わせ商法をやって“国民みんなを虐める会社”が悪いことをしてほかの会社が善いことをしているのが嫌だから税金を払っていない。だから、政府がバラバラになって法律会社や学校会社などがそれぞれ国民と契約して国民からお金をもらって仕事をするようになっているのだ。
以後h30.1.22追加:今でも政府は昔の国民みんながマゾだった頃と同じことを国民みんなにやっている。今でも政府は国民みんなに悪いことをやって虐めている。今の国民みんなはマゾじゃないからたまったもんじゃない。そのために、今の国民みんなは幸福ではないのだ。だから、今の国民みんなで早く政府を倒さねばならない。今の国民みんなに合った社会にしないといけない。
政府は昔と同じやり方でやっているだけである。昔は国民みんなが『政府と国民が平等だ』と思って自分が政府に虐められたい分だけ政府の言うことを聞いて政府に虐められていた。だから、今の国民みんなも昔の国民みんなと同じことをすればいい。今の国民みんなはマゾではないから政府に虐められたくないからまったく政府の言うことを聞かず政府に虐められなければいい。政府に1円も税金を払わなければいい。昔も今も国民が政府の言うことを聞くか聞かないかは国民の自由である。今の国民みんなは国民みんなを虐める政府が嫌いだから、政府の法律や政策をまったく無視して全部やらなければいい。
そもそも今の国民にとっては“政府が税金を取ること”が納得がいかず不快である。今の国民の世界観では政府が国民から税金を取ることが理解できない。だから、今の国民は政府に税金を払わずに政府に契約を取って仕事をさせればいいのである。(誰でも一度や二度は政府が国民から税金を取るのが納得いかないと思ったことがあるだろう。昔は国民みんながマゾだったから『政府が国民から税金を取るのは政府がマゾである国民みんなを虐めて喜ばせるためだ』とわかっていたから政府が国民から税金を取るのを納得していた。今では国民みんなはマゾではなくなったから政府が国民から税金を取る理由がわからなくなったから政府が国民から税金を取るのが納得がいかないのだ。政府と国民は平等だから、政府が国民と契約を取らずに国民からお金を取るのは納得いかない。国民みんなは自分が納得がいかないことはやらなければいいのだ。そもそも税金は国民が政府に虐められて喜ぶために自主的に政府に払うお金のことである。昔の国民はマゾだったので自分が政府に虐められるために政府に税金を払っていた。昔の国民は政府に税金を払うことによって自分のほうから政府に鞭[むち]を打たれて喜んでいたのだ。今の国民はマゾではないから政府に虐められてもうれしくないから政府に税金を払わなければいいのだ。そうやって政府を潰していって、法律会社や学校会社などだけにすればいいのだ。)
今の政府は昔と同じように国民みんなを虐めている。政府は国民みんなの“虐められる喜び”を満足するために国民みんなを虐めているのであって、特定の国民を攻撃するために国民みんなを虐めているのではない。政府には権力がないから政府は特定の国民を攻撃することはできない。政府は国民みんなを不特定多数にランダムに虐めているのだ。私が政府にとって不利なことを言っているのに政府に殺されていないのがその証拠だ。(オウム真理教が坂本弁護士を殺したのは当時のオウム真理教が自分に権力があると思っていたからであって、政府は自分に権力があると思っていないから、国民が政府に逆らっても国民は政府に殺されないのだ。)だから、国民みんなは心配せずに恐がらずにみんなに政府のことを教えてやればいいのである。早く国民みんなで政府を倒せばいいのである。

[23498] 今では社会科学が進んでいる。☆ h30.1.22
昔(戦前)は国民みんながマゾだった。そのため、国民みんなが自分が虐[いじ]められて喜ぶために政府を建てた。政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなを虐めるために国民みんなから高い税金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりする。
少し昔(戦後から平成まで)は国民みんなが科学をやるようになって物や時間が豊かになって物を使って喜ぶようになって“虐められる喜び”を満足しなくなってマゾではなくなった。そのために、国民みんなが「昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、政府に権力があったからだ」と思って、政府に従っていた。国民みんなが政府の言うことをなんでもかんでも聞いて不幸に暮らしていた。
今(平成以後)では社会科学が進んで国民みんなが『昔の国民みんなが政府に虐められていたのは、昔の国民みんながマゾだったからであって、政府に権力があったからではない。政府には権力がない。』と考えるようになって、政府に従わなくなった。国民みんなが『政府と国民は平等だ』と考えるようになって政府の善い命令だけ聞いて悪い命令を聞かなくなって幸福に暮らしている。
今では社会科学が進んで国民みんなが『今の国民みんなはマゾではないのに、政府は昔と同じように国民みんなを虐めている。政府は今の国民みんなに合っていない』と考えて、政府に税金を払うのをやめてお金をやるのをやめて政府を倒している。国民みんなで政府を潰[つぶ]して、法律会社や学校会社などだけにしている。法律会社や学校会社などが国民と契約して国民からお金をもらって仕事をするようにしている。
今では科学のおかげで国民みんなが実在のことがわかって幸福に暮らせるようになっている。みんなはもっと科学に感謝して科学を勉強して科学をやらねばならない。

[23499] 政府は正しいことをする会社ではないから、国民は政府の言うことを聞かなくてもかまわない。☆ h30.1.23
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなからお金を強盗したり、悪い法律や政策をやって国民みんなを嫌がらせたり、事件を起こして国民みんなを殺したりして国民みんなを虐める。(今から約50年前、私が子供の頃には、みんなが政府が国民みんなを虐める会社であることをよく知っていたような気がする。税金が政府が国民を虐めるために取るお金であることを知っていたような気がする。)
政府はマゾを虐めて喜ばせる会社であって、正しいことをする会社ではない。だから、政府の命令には強制力はない。国民は自主的に政府の命令を聞けばいいだけである。国民は自分が政府に虐められたい分だけ政府の言うことを聞けばいい。政府の法律は国民を虐めるための法律であって正しい法律ではないから、国民は守らなくていい。政府の政策は国民を虐めるための政策であって正しい政策ではないから、国民はやらなくていい。政府に虐められたい者だけがやればいい。
昔の国民みんなはマゾだったので自分が政府に虐められたかったので自分のほうから政府の言うことをよく聞いていた。政府に有り金全部払ったり、政府が定めた法律や政策をまじめにやったり、喜んで政府に殺されていた。
今の国民みんなはマゾではないので自分が政府に虐められたくないので政府の言うことを聞かなくなった。政府に1円もやらず、政府が定めた法律や政策を無視してやらず、政府に殺されなくなっている。
政府の学校は国民を虐める学校である。今の子供は政府に虐められたくないので学校に行かなくなっている。
今の国民みんなは政府を無視して勝手に暮らしている。政府の法律会社や学校会社は国民を虐めるための法律会社や学校会社であって、本物の法律会社や学校会社ではないから国民は言うことを聞かなくなっている。国民みんなを虐めない法律会社や学校会社などが建ってから、国民みんなはそういう会社に仕事をしてもらうつもりである。今の国民みんなはしかたなく政府の法律会社や学校会社などを本物の法律会社や学校会社などが出来るまでの“つなぎ”として使っているだけである。
今の政府の学校は子供を虐める教育をする学校である。子供に余計なことやどうでもいいことを教えて子供を駄目[だめ]な役立たずの大人にするための学校である。政府は日本を遊び人だらけの貧乏な国にして国民みんなを虐めている。だから、今の国民みんなで政府を潰[つぶ]して子供を虐めない学校を建てている。子供を有能な大人に育てる学校を建てて日本を仕事ができる国にしてみんなで豊かに暮らせるようにしている。
政府を権力者だと思うのはたいていマンガの影響である。みんなはマンガを本気にしないように注意しないといけない。

[23500] どうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h30.1.23
私が生まれた頃(昭和39年、1964年)は、通信や交通が発達して国際化の時代だった。日本が世界中の国と付き合うようになっていた。
天皇家は日本の国家宗教の神だが、日本は第2次世界大戦のときに天皇家を元帥[げんすい]にしてヨーロッパやアメリカやアジアの国と戦争をしたので、日本が天皇家を神にすると日本が世界中の国から嫌われる恐れがあった。
そのために、政府は天皇家ではない私を国家宗教の神にしたのだ。天皇家でなければ誰でもよかったが。政府は天皇家を悪者にして私を善い者にして、世界中のみんなのご機嫌[きげん]を取っていたのだ。
しかし、最近は世界中の人が戦争のことを忘れているので、政府は国家宗教の神をもとの天皇家に戻して私を国家宗教の神にしなくなっているのだ。
そもそも国家宗教はヨーロッパ人の神を拝[おが]む遊びである。政府が権力を得る方法ではない。今では世界中のみんなが科学をやるようになって物や時間が豊かになって物を使って喜ぶようになっている。ヨーロッパ人も物を使って喜ぶようになって神を拝まなくなっている。教会がガラ空きになっている。世界中でみんなが神を拝む遊びをしなくなっている。日本人が墓参りをしなくなっているのと同じことである。そのため、政府も国家宗教をやめようとしている。


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