[23301] 今の政府は幸福な者を不幸にする会社である。 h29.7.18
今日日[きょうび]“虐[いじ]められる喜び”を満足している者は喜びがない者である。今どきの喜びを満足できないから、喜びがないから、そんな下品な喜びを満足しなければならなくなっているのだ。“虐められる喜び”を満足している者は自分でもいやいやしかたなく“虐められる喜び”を満足しているのだ。
今どき“虐められる喜び”を満足している者は道徳がない者である。道徳のある者は考えたり運動したり物を使ったりして(つまりテレビを見たりゲームをやったりパソコンを使ったりして)幸福に暮らしている。“虐められる喜び”を満足している者は政府にお金をやって政府に国民みんなを虐待させて他人を不幸にして喜んでいるのだ。“虐められる喜び”を満足している者は政府が身分制で国民を虐待したり、大勢の国民が政府のことを誤解して政府に従って政府に虐待されているのを見て大喜びしているのだ。道徳のない者が道徳のある者を不幸にして喜んでいるのだ。喜びのない者が喜びのある者を政府を使って虐待して不幸にして喜んでいるのだ。自分に喜びがない者にとっては他人を不幸にするのが喜びなのだ。だから、“他人の不幸は蜜[みつ]の味”というのだ。
今の政府は幸福に暮らしている者を虐待して不幸にする会社である。喜びのない者が政府を使って喜びのある者を虐待させて不幸にさせて喜んでいる。喜びのない者が他人の足を引っ張って喜んでいる。
喜びのない者は政府を使って他人を虐めて不幸にするよりも、自分で道徳を勉強して自分が幸福になる努力をすべきである。喜びのない者は“面白くない喜び”を喜びだと思っているから喜びがないのだ。人間にとっては性欲は喜びではない。格好[かっこう]を付けるのは喜びではない。考えたり運動したり物を使ったりするのが喜びだ。喜びのない者は性欲を断[た]って人間らしい喜びを満足すべきである。早くみんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。

[23302] マンガ家とはなにか? h29.7.18
私も小学生の頃はマンガを描[か]くのが好きだった。絵を描くのが好きだった。しかし、中学生のころからだんだんマンガを描くのが嫌になってマンガを描かなくなった。絵を描くのが嫌になって絵を描かなくなった。中学生のころから言葉が好きになって言葉で考え出した。
それなのに、マンガ家は大人になってもマンガを描いている。死ぬまでマンガを描いている。
それは、マンガ家が進歩しない人間だからである。マンガ家は一生子供のままだからである。
マンガは作り事の喜びを描くだけである。マンガは冗談の喜びである。マンガの喜びは本当の喜びではない。マンガの喜びは“面白くない喜び”である。
マンガ家は“面白くない喜び”をみんなに売る商売である。そういう意味ではセックス産業や政府や宗教団体や暴力団のような“虐める会社”と同じである。この手の仕事はいくら売れてもみんなにくだらない人間だと思われて軽蔑[けいべつ]されるのが落ちだ。
人間は実在において自分の心を満足すると本当に幸福になれる。人間は実在を知り実在を使って自分の心を満足すると幸福になれる。人間は空想によっては冗談によっては幸福になれない。かえって実在に対する不満が増えて不幸になるだけである。マンガはうわべで面白いだけで本当は面白くない読み物である。陰険[いんけん]な読み物である。テレビの芸人がうわべで面白いだけで本当は面白くないのと同じである。芸人なんか見かけが善い人なだけで中身はクズだ。
マンガ家は人間を幸福にする仕事ではない。マンガ家は普通の人間以下である。マンガ家には私のことを描く資格はない。だから、マンガ家は私のことを描いてはいけない。

[23303] どうして人間には“虐[いじ]められる喜び”があるか?☆ h29.7.18
大昔の人間は毎日自然に虐められて生きていた。そういう状況で人間が生きていくためには、自然によって“虐められる喜び”が必要だった。だから、人間には“虐められる喜び”があるのである。
“虐められる喜び”の生理的なメカニズムは、人間が苦しみを感じると脳内で麻薬に似た物質が分泌されて快感を感じることである。
昔の人間は文明が進んで自然に虐められることはなくなったが、まだほかに喜びを得ることができなかったので、“虐められる喜び”を満足して喜びを得なければならなかった。そのために、みんなで政治団体や宗教団体や暴力団(つまり身分制をやる団体)などの“虐める会社”を建てて、みんなで虐められて喜んでいたのである。
今の人間は文明がさらに進んでいろんな物を発明して物を使って喜びを得ることができるようになっている。今の人間はテレビを見たりゲームをやったりパソコンをやったりして喜びを得ている。今の人間は文明が進んで余暇[よか]があるので、考えたり運動をしたりして喜びを得ている。そのため、今の人間は“虐められる喜び”が要らなくなって政治団体や宗教団体や暴力団などの虐める会社が要らなくなってお金をやらなくなって潰[つぶ]しているのだ。

[23304] 旅行番組とはなにか? h29.7.18
今の私はテレビ番組を見ている。もっとも旅行番組だけである。BS朝日の『鉄道絶景の旅』とBS-TBSの『世界一周魅惑の鉄道紀行』を見ている。ほかの番組はいっさい見ない。
人間には“自分が知らないところに行く喜び”がある。それを仮想的に満足するのがテレビの旅行番組である。
人間には“自分が行ったことのないところに行く喜び”がある。今は文明が進んで今の人間には自動車やバイクや列車や飛行機や船などがある。それを現実的に満足するために自分が旅行に行けばいいのだ。

[23305] 政府の法律は嘘[うそ]の法律である。 h29.7.19
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を虐めて国民の“虐められる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
政府の法律は政府が国民を虐めるために作った嘘の法律である。
だから、国民は自分が政府に虐められたければ政府の法律を守ればよく、自分が政府に虐められたくなければ政府の法律を守らなければいい。政府に虐められたい国民は政府の法律を守ればよく、政府に虐められたくない国民は政府の法律を守らなければいい。例えば、「国民が政府に税金を払う義務がある」のは政府が国民を虐めるために作った嘘の法律である。だから、政府に虐められたい国民は政府の法律を守って政府に税金を払えばよく、政府に虐められたくない国民は政府の法律を守らず政府に税金を払わなければいい。
そもそも法律は国民みんなが平和に安全に暮らすために守らねばならない決まりである。法律は人間が決めるものではなく実在によって客観的に決まるものである。例えば、国民みんなが平和に暮らすためには他人を殺して他人の物を奪ってはいけない。今の国民は文明が進んで“虐められる喜び”を満足していないから政府の法律を守らずに本当の法律を守って暮らせばいいのである。
早く国民みんなで政府を倒して政府の付属の法律会社を潰[つぶ]して、本当の法律をやる会社を建てねばならない。

[23306] 国民がスポーツを見ても幸福にはならない。 h29.7.20
スポーツ選手が馬鹿なのは考えることが嫌いだからである。スポーツ選手は毎日エッチなことばかりしているから考えることが嫌いになって頭が悪いのである。眼で見ることしかわからないから動き回るから筋肉だけが発達しているのである。スポーツ選手は毎日エッチなことをやっているから色気づいてかっこいいのである。スポーツ選手がいても国がちっとも豊かにならない。スポーツ選手は役立たずである。
スポーツ選手の待遇がいいのは政府が役立たずの人間をいい待遇にしているからである。政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民みんなを虐めるために芸能人やスポーツ選手や医者などの役立たずの人間をいい待遇にしているのである。政府は国民みんなを虐めるために馬鹿を有利にして利口を不利にしてヘンテコな社会にする。国民にとっては芸能もスポーツも面白くない。政府は国民の気持ちをシラケさせて虐めるためにテレビや新聞などで芸能やスポーツの記事を流しているのだ。昔の国民は“虐められる喜び”を満足していたからそれで満足していた。しかし、今の国民は物が豊かになって“虐められる喜び”を満足していないから政府の言いなりにならないようにして芸能人やスポーツ選手や医者などをいい待遇にしてはいけない。(芸能人は歌が下手糞[へたくそ]である。感動も何もない。ただ形の上で歌っているだけである。そんなのを見ても誰も面白くない。つまり、芸能人は自分が芸能人をやりたいからやっているだけである。国民のためにやっているのではない。政府が押してくれるからなんとか食べていけるのだ。しかし、今の国民は“虐められる喜び”を満足しなくなって政府が潰[つぶ]れているから、芸能界も押してくれる者がなくなってシケてきて潰れかけている。/アニメの『超くせになりそう』では「芸のないのが芸能界」と言っていた。つまり、芸能人はまともな仕事ができない役立たずだと言うことである。政府が押してくれるから、政府が自分の言いなりになる国民を使って人気を出してくれるから、ようようで生きていけるだけである。)
今は科学の時代である。人間が実在を知り実在の中で自分の心を満足すると幸福になれる。人間がいくらスポーツ選手がスポーツをするのを見ても幸福にはなれない。無駄[むだ]なことをしているだけである。つまらなくてストレスを溜[た]めているだけである。スポーツ選手は国民を幸福にしない。そんな仕事は要らない。
早く国民みんなで不必要なことをやめて必要なことだけやって国民みんなが本当に幸福に暮らせる国にしないといけない。

[23307] 福祉とは何か? h29.7.27
病人や老人やカタワにとっては生きることが不幸である。早く死んだほうが幸福である。
だから、福祉とは健康な人からお金を取って健康な人を不幸にして、そのお金で病人や老人やカタワを長生きさせて病人や老人やカタワを不幸にすることである。要するに、福祉とは国民みんなを不幸にすることである。
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。だから、政府は福祉をやって健康な人や病人や老人やカタワを虐めて不幸にするのである。国民みんなを不幸にして虐めるのである。
昔の人は“虐められる喜び”を満足していたから、政府の福祉政策に乗って自分が政府に虐められて喜んでいた。しかし、反対に今の人は“虐められる喜び”を満足していないから、政府の福祉政策をやらず自分が政府に虐められないようにして自分自身を幸福にしないといけない。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府に福祉政策をやらせないようにして自分が幸福にならねばならない。今の国民にとっては政府が要らないから、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]さないといけない。
病人や老人やカタワにとっては死ぬことが幸福である。だから、今の国民は福祉にお金をかけないようにしてさっさと病人や老人やカタワを殺さないといけない。そうすれば自分自身も無駄[むだ]な出費が減って幸福になる。国民みんなが幸福に暮らせる国になる。

[23308] 仕事とは何か? h29.7.27
この前私は原付に乗って長崎県の佐世保を見に行った。港に大きいクレーンがたくさん建っていていかにも“物を作っている”感じがあった。
仕事とは現実に物を作ることである。物を運んで物を売ることである。
現実の物を売るからその報酬として現実のお金をもらえるのだ。
反対に、芸人はテレビで冗談を言うだけである。冗談は実在する物ではない。だから、客は芸人に現実のお金を払って報酬を与える必要はない。冗談の報酬は笑いだ。芸人は客に冗談を言って、客は芸人の冗談を笑ってやって芸人に報酬を与えればいいのだ。ウナギの匂[にお]いの報酬がお金の音であるのと同じことだ。
人間を幸福にするのは現実の物であって冗談ではない。芸人は人間を幸福にしない。芸人は自分で冗談を言って遊んでいるだけだ。国民みんなは早くそのことを理解して芸人にお金をやらないようにして世の中から芸人を一掃[いっそう]しないといけない。

[23309] マンガ家について h29.7.27
マンガ家の野望は国民みんなにまちがいを植えつけて国民みんなの心を汚くして心の汚い者からなる国を作ることである。
マンガ家の夢は国民みんなの心を汚くして国民みんなを不幸にして不幸な者からなる国を作ることである。
マンガ家は自分が正しいことがわからないから自分が心が汚いから自分が幸福ではないから他のみんなも自分と同じようにしたいのだ。
人間が幸福になるためには実在を知って実在を使って自分の心を満足しないといけない。マンガを読んでも幸福にはならない。マンガを読むと自分の心をむやみに肯定するようになって自分の心に反する現実が嫌いになって実在に適応できなくなって不幸になる。マンガは人間を不幸にするものである。だから、みんなはマンガを読むのをやめて世の中からマンガ家を一掃[いっそう]してみんなが幸福に暮らせる社会にしないといけない。
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民にいろんな悪いことをして国民を虐めて国民の“虐められる喜び”を満足して国民を喜ばせることが仕事である。人間はマンガを読むと不幸になる。だから、政府は国民全員にマンガを読ませようとしているのだ。
国民は政府の言いなりになって政府に不幸にされないように注意して、自分で自分を幸福にすることをやって自分を幸福にしないといけない。国民はマンガを読まないようにして余計なまちがいを知らないようにして実在を知って実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。
マンガや文学を書く暇があったら、実在についての考えを深めて広めて正しい考えを実行したほうがいい。そのほうが自分も他人もみんなが幸福に暮らせる。それが道徳というものである。

[23310] 社長とは何か? h29.8.1
社長は会社の中の政府である。
社長の仕事は社員を虐[いじ]めることである。社長は社員を虐めて社員の“虐められる喜び”を満足して社員を喜ばせるために居[い]る。
会社の中には“社員を虐める団体”があり、社長はその代表者である。首相が政府の代表者であるのと同じである。“社員を虐める団体”は社員の給料を安くしたり、社員からお金を取ったり、社員に命令して嫌なことをやらせたり、社員を事故で殺したり、会社を爆弾で破壊したり、わざとに売れない商品を作らせて会社を儲[もう]からないようにしたりして社員を虐める。“社員を虐める団体”は社員を虐めるためならなんでもやる。
社長が人前で社員みんなのために善いことをしているふりをしているのは民主主義である。政府が民主主義をやっているのと同じである。社長がボーナスや宴会をやるのは政府が水道局や役所をやるのと同じことである。社長は社員みんなのためになることをしているふりをして社員みんなに従っているふりをして社員みんなに弱い者を社長に従う気持ちにさせて“社員を虐める命令”を聞かせているのである。ほかにも、社長は身分制や国家宗教などをやって古臭い物に弱い者や神に弱い者を社長に従う気持ちにさせて社長の命令を聞かせている。しかし、本当は社長と社員は平等である。特に日本人はみんなにも神にも古臭い物にも弱くなく実在に従うだけだから、社長と社員は平等である。
昔は文明が遅れていたから昔の人は物が貧しくて物の喜びがなかったから“虐められる喜び”を満足して幸せになっていた。昔の社員は自分のほうから社長の命令を聞いて社長に虐められて喜んでいた。
反対に、今は文明が進んでいるから今の人は物が豊かになって物の喜びがあるから“虐められる喜び”を満足しなくなっている。今の社員は自分のほうから社長の命令を聞かないようにして社長に虐められないようにすればいいのである。
社長は社員を虐めるために社員から高いお金を取っている。政府が国民を虐めるために国民から税金を取っているのと同じである。しかし、今の社員は“虐められる喜び”を満足していない。だから、今の社員は社長にお金をやらないようにすればいい。社長を会社からなくして社長を潰[つぶ]せばいい。社長のない会社にすればいい。
政府や社長は人間の“虐められる喜び”が生み出したものである。昔の人は“虐められる喜び”があったから政府や社長が居た。反対に、今の人は“虐められる喜び”がないから政府や社長が消えてなくなっているのである。

[23311] どうして政府や社長は国民や社員を虐[いじ]めるのか? h29.8.1
今は科学の時代である。今では国の文明が高くなってみんなが物が豊かになって物の喜びがあって“虐[いじ]められる喜び”を満足しなくなっている。
それなのに、政府や社長はいまだに国民や社員を虐めている。
それは、政府や社長が大脳の古皮質を活動させているからである。大脳の古皮質には“虐められる喜び”がある。政府や社長は“虐められる喜び”がある。だから、政府や社長はみんなを喜ばせるために本気でみんなを虐め回るのである。
政府や社長は愛人を囲[かこ]って性欲を満足したり眼で見る喜びや心で思う喜びばかり満足している。政府や社長は大脳の古皮質ばかり活動させている。そのために、政府や社長は“虐められる喜び”が興奮して“虐められる喜び”がわかるのである。政府や社長は自分に“虐められる喜び”があるからみんなにも“虐められる喜び”があると思ってみんなを喜ばせるためにみんなを虐めているのである。政府や社長は親切のつもりでみんなを虐めているのである。
しかし、本当は今ではみんなは“虐められる喜び”はない。今ではみんなは文明が発達して実在を理解して実在の中で自分の心を満足するようになっている。今ではみんなは考えたり運動したりいろんな物を使ったりして幸せに暮らしている。今ではみんなは大脳の新皮質を活動させて暮らしている。大脳の新皮質には“虐められる喜び”がない。だから、今のみんなは“虐められる喜び”がない。今のみんなにとっては、政府や社長がみんなを喜ばせるためにみんなを虐めるのが迷惑である。今のみんなにとっては政府や社長が邪魔[じゃま]である。だから、今のみんなは政府や社長の言うことを聞かないようにして政府や社長にお金をやらないようにして政府や社長を潰[つぶ]せばいいのである。早く国から政府や社長をなくしてみんなを虐める者をなくしてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23312] 政府の法律と本当の法律 h29.8.2
政府の法律は政府が国民を虐[いじ]めるために作った嘘[うそ]の法律である。例えば、政府の法律には「国民が政府に税金を払わなければならない」ことや「国民が医療保険や厚生年金に加入しなければならない」ことや「国民がまずい保存剤や発癌性物質を入れて食事をしないといけない」ことや「国民がマンガや文学を読まねばならない」ことや「国民が自由に他人を殺していい」ことや「国民が自由に他人の財産を奪っていい」ことが定められている。(心眼[しんがん]で見る人には「国民が自由に他人を殺していい」法律や「国民が自由に他人の財産を奪っていい」法律が見える。テレビの刑事ドラマの犯人にはよくそういうのがいる。人殺しや強盗をして法廷で胸を張って無罪を主張している。政府の法律は国民を虐めるためにあるのだから、政府の法律では人殺しや強盗をやってもいいのである。政府は民主主義をやるために政府の法律に本当の法律(後述)を混ぜているが、民主主義は国民みんなに従っているふりをしているだけで本当は国民みんなに従っていないから政府の法律には本当の法律があるふりをして本当はないから政府の法律では本当の法律を守らなくていいから人殺しや強盗をやってもいいのである。政府が明治時代のはじめに強盗した者や人を殺した者を罰したのは政府の芝居である。政府は政府の言いなりになっている者を使って犯罪を犯させて罰したのである。本当は政府は本当の法律で国民を取り締まっていないから、政府は悪いことをした者(つまり本当の法律を犯した者)を罰することはできないのである。)政府は国民みんなに政府の嘘の法律を教えて政府の嘘の法律を守らせるために学校を建てている。国民にまちがいを教えることは国民を虐めることになるから政府は学校で国民にまちがいを教えるのである。
一方、政府の法律とは別に本当の法律がある。本当の法律は、人間が平和に安全に生きるために守らねばならない決まりである。例えば、本当の法律には『国民が他人を殺してはいけない』ことや『国民が他人の財産を奪ってはいけない』ことが定められている。
昔の人は“虐められる喜び”を満足していたから自分のほうから政府の法律を守って政府に虐められて暮らしていた。
反対に、今の人は“虐められる喜び”を満足していないから自分で政府の法律を守らないようにして本当の法律だけを守って暮らさねばならない。
政府の警察は“虐められる喜び”を満足している国民を政府の法律で取り締[し]まるためにある。政府の法律は“虐められる喜び”を満足している者にしか適用されない。昔は国民みんなが“虐められる喜び”を満足していたから国民みんなが政府の法律を守っていた。政府の法律を犯した者は自分から進んで政府の警察に逮捕されていた。反対に、今は国民のほとんどが“虐められる喜び”を満足していないから国民のほとんどが政府の法律を守っていない。政府の法律を犯しても警察に逮捕されようとしない。今では国民のほとんどにとっては政府の警察は役に立たない。だから、国民のほとんどで政府の警察とは別に本当の法律で国民のほとんどを取り締まる警察を建てねばならない。

[23313] 馬鹿は眼先の世界で威張[いば]るだけだ。 h29.8.2
今さっき私が牛乳を買うためにコンビニに行ったら、途中の道路でどこかのババアが私に咳[せき]をした。
ババアがカラ威張[いば]りを決め込むためだ。ババアが眼先の世界で威張るためだ。ババアは眼先の世界で自分が偉くなりたいから私に咳[せき]をしたのだ。
同じように、医者は眼先の世界で偉いだけで実在の世界ではクズだ。医者は眼で見たことを鵜呑[うの]みにしているだけで頭で考えないから馬鹿だ。実在の世界では医者はただの馬鹿だから人間のクズだ。医者は眼先の世界で威張りたいから一生懸命ガリ勉をしてつまらない仕事をしてお金を稼[かせ]ぐのだ。医者はカラ威張りだ。
私はたった一度でも自分にケンカを売った者を許さない。生かしてはおけない。そいつらは生きる価値のないクズだ。死んでいい。
私は眼先のことしかわからない馬鹿に私の政府についての理論を使われたくない。馬鹿は政府が偉そうにしているから「政府が偉い」と思っておとなしく政府に従えばいい。死ぬまで政府に税金を払っていればいい。馬鹿にはそれがお似合いだ。

[23314] どうして今の世の中は面白くないのか? h29.8.3
政府は国民を虐[いじ]める会社である。人間の心には“虐められる喜び”がある。政府は国民を虐めて国民の“虐められる喜び”を満足して国民を幸福にする会社である。
昔は国民が物が貧しくて物を使って十分な喜びが得られなかったので“虐められる喜び”を満足していた。そのため、昔の国民は『人間に“虐められる喜び”がある』ことがわかっていた。そのために、昔の国民は『政府が国民を虐める団体である』ことがわかっていた。
今では国民が物が豊かになって物を使って十分な喜びを得られるので“虐められる喜び”を満足しなくなっている。そのため、今の国民の多くは『人間に“虐められる喜び”がある』ことを忘れている。そのために、今の国民の多くは「政府が善いことをする団体だ」と誤解している。
今では多くの国民が政府のことを誤解して「政府が国民のために善いことをする団体だ」と思って政府の言うことを聞いている。そのために、多くの国民が政府に虐められて不幸な思いをしている。だから、今の世の中が面白くないのである。
国民みんなで早く政府のことを正しく理解して『政府が国民を虐める会社だ』と考えて政府の言うことを聞かないようにしないといけない。国民みんなで政府に虐められないようにして面白い世の中にしないといけない。
政府は国民を虐めるために“国民を虐める命令”を出している。しかし、政府と国民は平等だから、国民が政府の“国民を虐める命令”を聞くか聞かないかは国民個人の自由である。昔の国民は“虐められる喜び”を満足していたから自分のほうから喜んで政府の“国民を虐める命令”を聞いていた。反対に、今の国民は“虐められる喜び”を満足していないから自分で政府の“国民を虐める命令”を聞かないようにすればいい。例えば、政府は国民を虐めるために国民に命令して税金を取っているから、今の国民は政府の税金の命令を聞かないようにして政府に税金を払わなければいいのである。今の国民にとっては政府は要らないから国民みんなで政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。

[23315] 昔はヤクザが善い人だった。 h29.8.4
ヤクザ(つまり暴力団)も国民を虐[いじ]める会社である。政府よりも小さいが政府と同じ国民を虐める会社である。政府がおもに民主主義(つまり国民みんなに従うふり)をやって国民みんなに弱い国民を政府に従う気持ちにさせるのに対し、ヤクザはおもに身分制(つまり古臭いことに従うこと。ヤクザ自身が古臭いから、ヤクザは自分自身に従うから偉そうにするのである。ヤクザにとっては偉そうにするのが仕事である)をやって古臭いことに弱い国民をヤクザに従う気持ちにさせる。(h29.8.24追加:暴力団は虐めのプロであって、ケンカのプロではない。本物の暴力団はテレビゲームの暴力団とは違ってケンカに強くない。暴力団は虐められたい人を虐めるだけである。暴力団は虐められたくない人にまで手を出さない。暴力団が虐められたくない人に手を出すと犯罪になる。)
昔はみんなが“虐められる喜び”を満足していたからヤクザに虐められて喜んでいた。ヤクザはみんなを喜ばせてくれる会社だった。だから、昔はヤクザが善い人だった。
反対に、今はみんなが“虐められる喜び”を満足していないからヤクザに虐められて嫌がっている。ヤクザはみんなを嫌がらせる会社になった。だから、今はヤクザが悪い人である。
どんなことをしようがみんなを喜ばせる者が善い者であり、みんなを嫌がらせる者が悪い人である。みんなを喜ばせるか嫌がらせるかはみんなの心で決まる。昔と今ではみんなの心が違うから善い人と悪い人も違うのだ。昔はヤクザが善い人でみんなの人気があったからヤクザ映画が流行[はや]っていた。私が小学生のころ(1970年ごろ)は帯屋町[おびやまち](高知市の中央にある商店街)の映画館でヤクザ映画をやっていた。
昔はみんながヤクザに虐められて喜んでいたからみんながヤクザの“みんなを虐める命令”を聞いていた。反対に、今はみんながヤクザに虐められて嫌がっているからみんながヤクザの“みんなを虐める命令”を聞かなくなった。もっとも、マゾの人は今でもヤクザに虐められて喜んでいる。マゾの人は今でもヤクザの“虐める命令”を聞いている。
政府もヤクザと同じ“国民を虐める会社”である。今ではみんなが政府に虐められて嫌がっているからみんなが政府の“みんなを虐める命令”を聞かなくなった。政府はみんなを虐めるために税金を取っているから、みんなが政府の税金の命令を聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。
人間には“虐められる喜び”がある。文明が遅れていると人間は“虐められる喜び”を満足して喜びを得るが、文明が進むと人間は物を使って喜びを得て“虐められる喜び”を満足しなくなるのだ。だから、昔と今では人間の心が違うのだ。

[23316] 科学とは眼で見えることをそのまま受け入れることではない。 h29.8.6
科学とは眼で見たことに基づいて頭で考えて実在を知ることであって、眼で見たことをそのまま受け入れることではない。
今は科学の時代だからそうしないといけない。今の人は実在を知って実在の中で自分の心を満足しないといけない。今の人は実在を知って実在に従って行動しないといけない。もともと人間はそうすれば一番幸福になれるのだからそうすればいい。
お酒を飲んだりエッチなことをしたりすると頭が働かなくなって眼で見えることしかわからなくなる。実在が見えなくなって実在に従わなくなる。世の中がうまくいかないのはそのせいである。だから、今の人はお酒を飲んだりエッチなことをしたりしてはいけない。

[23317] ゲームの遊び方を見れば人間がわかる。 h29.8.6
ゲームの遊び方は人それぞれである。同じゲームでも遊び方は人によって違う。
眼で見るだけの人と頭で考える人では遊び方が違う。
例えば、BF1(エレクトロニックアーツ社のバトルフィールド1)では眼で見るだけの人は突撃兵をやってオートマチコを使って四六時中ピコピコ動き回るが、頭で考える人は援護兵をやって変な銃を使ってノロノロ撃って遊ぶ。頭で考える人は脳全体を使うからのろいのである。オートマチコは撃ち味[あじ]が馬鹿っぽい。オートマチコは撃ち味が機械っぽくて人間味[にんげんみ]がない。頭で考えるのが好きな人はオートマチコの撃ち味が味気[あじけ]なくて嫌いだから使わないのだ。オートマチコがいくら高い点が取れても使わないのだ。ライフルも撃ち味が馬鹿だ。一発撃ってその後シーンとする。まぐれで当たって喜ぶだけだ。面白くない。
ゲームをする人がみな眼で見るだけの人とは限らない。ゲームをする人にはいろんな人がいる。みんなが自分流の遊び方で遊べばいいのだ。ゲームの遊び方には個性が出る。ゲームの遊び方を見れば人柄[ひとがら]がわかるのだ。
体育系の人ほど結果にこだわる。それは、体育系の人が眼で見ることしかわからないからである。もっとも、結果にこだわるからといって結果がいいとはかぎらないが。
博多っ子はまじめぶっている不良だ。人間のクズだ。私は不良ぶっている不良のほうが好きだ。正直さが美徳だ。博多っ子はフニャフニャしている。見るからに馬鹿だ。博多っ子がフニャフニャしている原因は性欲にある。男のかまととぶりだ。気持ち悪い。ペッ。
石原裕次郎みたいなもっさいのはエッチ馬鹿だ。会社に来て威張[いば]るだけだ。鬱陶[うっとう]しい。性欲でフニャフニャして温かく見えるだけだ。
女は生まれつきのエッチ馬鹿である。子供を産むことと簡単なことをすることにしか役に立たない。女はろくなことを考えない。女は実在について何もわかっていない。女は眼で見えることがわかるだけで、頭で考えて実在がわかっていない。女は眼で見えることを理屈もなにも抜きでそのまま受け入れているだけだ。女は眼で見えるというだけでなんでもやる。どうでもいいことをやる。男は眼で見えるというだけではやらない。女を大事にする必要はない。女に従う必要はない。

[23318] 国民みんなが実在に従う社会にすればいい。 h29.8.6
今では『人間が実在を知り実在の中で自分の心を満足すれば一番幸福になれる』ことがわかっている。つまり、人間は実在の世界に入っていけば幸福になれる。実在がわかればわかるほど幸福になれる。
だから、そういう社会にすればいい。そういう社会を実現すればいい。国民みんなが実在に従う制度を設けて実在に従えばいい。
政府は国民を虐[いじ]める会社だから、国民を虐めるために国民みんなが実在に従わないようにして国民みんなを不幸にする。国民みんながマンガを読む制度を設けて国民みんなを空想に耽[ふけ]らせたり、男女平等にして国民みんなが女みたいに眼で見るだけで頭で考えないようにして実在に従わないようにする。
今の国民は“虐められる喜び”を満足していないから政府の言うことを聞いてはいけない。国民みんなは政府の言うことを聞かないようにして、自分たちが幸福に暮らせる社会にしないといけない。

[23319] 今の人は政府の言うことを聞いてはいけない。 h29.8.8
人間には“虐[いじ]められる喜び”がある。人間は大昔毎日自然に虐められて生きていたので“虐められる喜び”が出来てしまったのである。
しかし、いくら人間に“虐められる喜び”があるからといってそれを満足していいわけではない。人間にいくら喜びがあるからといってなんでもかんでも喜びを満足させていいわけではない。それが道徳というものである。
例えば、人間には性欲がある。しかし、性欲を満足すると大脳の古皮質全体が興奮するようになって古皮質にあるテレパシー器官が興奮するようになって精神分裂病に罹[かか]りやすくなる。人間の大脳は古皮質が働くと新皮質が働かなくなるので、性欲を満足すると大脳の新皮質が働かなくなって馬鹿になる。勉強や仕事ができなくなって貧乏暮らしになる。それに、人間の大脳は古皮質よりも新皮質のほうが喜びが多いので、喜びが少なくなって不幸になる。だから、人間は性欲を満足してはいけないのである。
それと同じように、例えば、人間には“虐められる喜び”がある。しかし、“虐められる喜び”を満足すると政府や宗教団体や暴力団などの“虐める会社”に嫌なことをされて不幸になる。“虐められる喜び”を満足すると自分が虐められて不幸な思いをしなければならなくなる。昔の人は文明が遅れていて物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて喜びが少なかったのでそれでも“虐められる喜び”を満足していた。しかし、今の人は文明が進んでいて物が豊かで物を使ってたくさん喜びが得られるのでわざわざ“虐められる喜び”を満足しなくてもよくなった。今の人は自分が虐める会社にお金を取られるよりも、お金で物を買ったほうが自分がもっと幸福になれる。だから、今の人は“虐められる喜び”を満足してはいけないのである。
今の人は自分が幸福になるために“虐められる喜び”を満足してはいけない。だから、今の人は政府や宗教団体や暴力団などの虐める会社の言うことを聞かないようにして自分が虐められないようにして生きていかねばならないのだ。

[23320] どうして日本は政府があるのに景気がいいのか? h29.8.8
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を虐めるためにわざとにまちがった経済政策をやっている。
それなのに、日本は景気がいい。
それは、国民が一生懸命に働いて儲[もう]けているからである。政府がいくら邪魔[じゃま]して国民を貧乏にしても、国民がそれ以上に働いて儲けているから、日本は景気がいいのである。けっして政府が国民を豊かにしているからではない。政府が国民を豊かにしたら政府が国民を虐める会社であることに反するので、政府はけっして国民を豊かにしないのである。
政府が国民を豊かにしているのではない。政府は国民を貧しくするだけである。政府が民主主義でちょっとだけ国民を豊かにすることをたまにやるだけである。政府はいつでも密[ひそ]かに国民を貧しくする政策をやっている。政府は国民を虐める会社である。しかし、今の国民は“虐められる喜び”がないから政府が要らない。だから、今の国民はさっさと政府を潰[つぶ]せばいいのである。そうすれば、日本はもっと豊かな国になるだろう。

[23321] どうして政府は国家宗教の神を女の子にしたアニメやマンガを作るのか? h29.8.10
人間は実在に従えば幸福になれる。つまり、男は男らしく、女は女らしくすれば幸福になれる。
しかし、政府は国家宗教の神(男)を女の子にしたアニメやマンガを作らせている。
それは、政府が国民を虐[いじ]める会社だからである。政府は国民を虐めることなら何でもやる。政府は国民を不幸にして虐めるために、国家宗教の神(男)を女の子にしたアニメやマンガを作らせて、男に女らしく、女に男らしくさせようとしているのである。男女平等も男女同権も本当は政府が女を男らしくさせて女を虐めるためなのである。(h29.8.16追加:政治すなわち民主主義とは政府が国民みんなに従っているふりをすることによって“国民みんなに弱い国民”を政府に従う気持ちにさせることである。政府は国民に“国民を虐める命令”をよく聞かせるために民主主義をやっているだけである。だから、参政権なんてどうでもいい。女性は子供を産むことやどうでもいいことができるだけである。政府は社会にあまり被害が出ないようにするために女性の参政権を認めたのだろう。首相を女性がやってもいい。テレビ番組なんかもどうでもいいからテレビ番組の企画を女性がやってもいい。/一般に女性は男性よりも人間的な才能に劣る。女性は男性よりも大脳の新皮質が小さいからである。女性は発生のとき子宮の形成に多くの細胞が取られるのでその分大脳の新皮質が小さいのである。女性の脳は男性の脳よりも原始的で動物的である。女性は男性ほど実在のことがわからない。人間は実在に従うと幸福に暮らせる。だから、男女平等はまちがっている。人間社会では女性は男性よりもくだらない生き物とみなされ下に置かれる。そうするとみんなが幸福に暮らせる。男性も女性も両方とも幸福に暮らせる。平等が必ずしもいいわけではない。政府は国民を虐める会社だから国民を不幸にして虐めるために男女平等にするのである。)
国民は自分が幸福に生きたければ政府の言いなりになってはいけない。政府が作らせたアニメやマンガを見てはいけない。
早く国民みんなで政府を倒して、アニメやマンガを健全にして、男は男らしく、女は女らしくして幸福に暮らさねばならない。
政府は反面教師である。政府は国民を虐める会社だから、国民を虐めるために国民にまちがった道徳や哲学を教える。しかし、今の国民には“虐められる喜び”がない。だから、今の国民は自分が幸福に生きたければ、政府の言うことを聞いてはいけない。自分が考えたり、他人から教わったりして正しい道徳や哲学を知って正しい道徳や哲学をやらねばならない。

[23322] どうして大人は政府を倒さないのか? h29.8.15
今では文明が高くなってみんなが物を使って喜びを得て“虐[いじ]められる喜び”を満足しなくなっている。
そのため、子供はガキ大将を設けるのをやめて自分が虐められないようにして楽しく暮らしている。
それなのに、大人はいまだに政府や宗教団体や暴力団を設けて自分が虐められて不愉快[ふゆかい]に暮らしている。
それは、大人が馬鹿だからである。大人が子供よりも馬鹿だからである。子供は性欲を満足しないから頭がいいが、大人は性欲を満足して頭がボケている。子供はガキ大将が何なのかわかるからガキ大将をやめたが、大人は政府や宗教団体や暴力団がどんな団体なのかわからないから政府や宗教団体や暴力団のなすがままにされているのである。大人は図体[ずうたい]がでかいだけで頭は馬鹿なのである。大人は子供より利口ぶっているだけで本当は馬鹿なのである。
大人は子供を見習って性欲を満足するのをやめて自分の頭をボケさせるのをやめねばならない。大人は早く政府や宗教団体や暴力団のことを理解して政府や宗教団体や暴力団を設けるのをやめねばならない。

[23323] 政府は国民を虐[いじ]めるために福祉や医療や厚生をやっている。 h29.8.16
人間はただ生きるのではなく幸福に生きねばならない。
重病人やカタワや老人は幸福に生きられない。だから、重病人やカタワや老人は死ぬべきである。幸福に生きることのできない人間は早く死ぬべきである。そのための制度や施設を設けるべきである。不幸な人間が医者に頼めば殺してくれるようにしないといけない。人間にとっては自分が生きることよりも自分が幸福であることのほうが大事である。人間は自分が幸福になるために生きているのである。人間が生きているのは自分が幸福になるための手段にすぎない。だから、人間は自分が幸福になれないなら死んでもいいのである。人間は死んで幸福になれるなら死ねばいいのである。
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を虐めることならなんでもやる。重病人やカタワや老人にとって生きることは不幸である。だから、政府は重病人やカタワや老人が生きるようにしているのである。政府は自殺を禁止する法律を定めて不幸な人間が無理やり生きねばならないようにしているのである。政府は福祉や医療保険や厚生年金をやって国民みんなから高いお金を取って重病人やカタワや老人に無理やり医療をやって重病人やカタワや老人などの不幸な人間が生きねばならないようにしているのである。そうやって政府は重病人やカタワや老人や国民みんなを不幸にして虐めているのである。
今では文明が高くなって今の国民は物を使って喜びを得ているので今の国民には“虐められる喜び”はない。今の国民は政府の言うことを聞いてはいけない。今の国民は政府に福祉や医療や厚生をやらせないようにして幸福に生きねばならない。重病人やカタワや老人を幸福にしないといけない。

[23324] どうして一揆[いっき]があったのか? h29.8.17
政府も幕府も国民を虐[いじ]める会社である。政府も幕府も国民の“虐められる喜び”を満足するために国民にいろんな意地悪[いじわる]なことをして国民を嫌がらせる会社である。政府の時代にはヨーロッパが黄金時代で日本にアジア文化のほかにヨーロッパ文化が入ってきていたので政府はヨーロッパ調で国家宗教をやっていた。幕府の時代にはヨーロッパが暗黒時代で日本にヨーロッパ文化が入ってこずアジア文化だけしか入ってこなかったので幕府はアジア調で国家宗教をやらなかった。
江戸時代には農民は自分の“虐められる喜び”を満足するために自分のほうから喜んで幕府の“嫌がらせの命令”を聞いて幕府に年貢を払っていた。
ところが、江戸時代には東北地方で寒害があって凶作にみまわれて米がほとんど取れなかった。東北地方の農民にとっては“空腹の苦しみ”のほうが“虐められる喜び”よりも強かったので、自分の食料を確保するために幕府の年貢の命令を聞くのをやめて幕府に年貢を納めなくなった。
そのため、幕府は農民から強制的に米を取り立てた。幕府も自分が食べないと死ぬから、いけないことを知りながら農民が年貢[ねんぐ]の命令を聞かないのを許さずに無理やり力ずくで農民から米を取り立てた。そこで、農民は怒って幕府に殴[なぐ]りこみをかけて幕府の者を大勢殺した。これが一揆である。
本来国民が幕府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だから、国民は自分が幕府に年貢を払いたくなければ払わなければいい。(h29.8.27追加:下級武士が傘張り[かさはり]や提灯[ちょうちん]作りなどの内職をしてお金を稼[かせ]がなければならなかったのは、国民がちゃんと幕府に年貢を納めていなかったからである。国民は自分が好きなだけ幕府に虐められればよかったので、年貢を払いたくなければ払わなかったのだ。そのために、幕府は年貢による収入が足りなかったので、自分も働かねばならなかったのだ。)悪いのは農民から無理やり米を取り立てた幕府である。農民は悪くない。農民が悪い幕府を罰するのは当然である。
その後幕府は一揆の首謀者[しゅぼうしゃ]を罰したというが、農民を怒らせない程度に罰したのだろう。そうでなければまた農民が一揆を起こして幕府の者が大勢殺されたからである。
当時の国民はまだ“虐められる喜び”を満足して暮らしていたので、当時の国民にとってはふだんは幕府が必要だった。ふだんは農民は自分の“虐められる喜び”を満足するために自分のほうから喜んで幕府の“嫌がらせの命令”を聞いて幕府に年貢を払っていた。そこで農民は凶作のときに幕府が年貢を無理やり取り立てたことを水に流して幕府を許してやったのである。
今の国民は“虐められる喜び”を満足していないので、今の国民にとっては政府は要らない。今の国民にとって政府は要らないクズ会社である。国民は政府に税金を払わなければいい。政府は自分が食べないと死ぬので国民から無理やり税金を取り立てるかもしれない。しかし、それでは政府が悪い。だから、国民は政府に税金を払わなければいいのである。今の国民にとってはもはや政府は要らないから政府を完全に潰[つぶ]してなくしてやればいいのである。

[23325] 文学部とは何か?☆ h29.8.17
文学部とは科学がわからない者である。
だから、文学部の者は自然に支配されている。自然に虐[いじ]められている。だから、文学部の者は今でも“虐められる喜び”がある。だから、文学部の者は国民みんなに“虐められる喜び”があると思って、みんなを喜ばせるためにみんなを虐めるのである。会社に入って社長の取り巻き組みになったり、政府に入ってみんなからお金を取ってみんなに嫌がらせをしてみんなを殺したりするのである。
しかし、それは文学部の者の誤解である。
反対に、理学部とは科学がわかる者である。
だから、理学部の者は自然を支配する。自然を虐める。だから、理学部の者は物を使って喜びを得て“虐められる喜び”がない。
今は科学の時代である。今の人はみんな科学がわからなければならない。今の時代には文学部は要らない。早く世の中から文学部の馬鹿をなくしてみんなで明るく楽しく暮らさねばならない。文学部の者は明るいふりをしているだけで中身は暗くて汚い。文学部の者は今どき“虐められる喜び”がある。文学部の者はマゾである。文学部は変態の群れである。だから、早く文学部の者をなくしてしまえばいい。
政府は国民を虐める会社だから、政府の大学には文学部がある。政府は国民みんなを虐めるために文学部の人間を守っている。しかし、今の国民にとっては文学部は要らない。だから、私立大学には文学部があってはいけない。国民みんなで文学部の人間をなくさねばならない。
これまで人類は実在のことがわからなかったからしかたなく文学や美術をやっていた。言葉や眼先の上だけで快[かい]を得ていた。空想や現象の世界で楽しんでいた。しかし、今の人類は科学によって実在のことがわかるようになった。人類は進化してようやく実在の世界に上陸した。だから、これからの人類は科学をやればいい。科学をやって実在のことを理解して実在を使って自分の心を満足して実在の中で幸福に暮らせばいい。物の上で快を得ればいい。実在の世界で楽しめばいい。

[23326] 『パンドラの箱』 h29.8.19
パンドラの箱はギリシャのパルテノン神殿つまり政府のことである。
パンドラが箱を開けると中からたくさんの悪魔が飛び出してきて希望の天使だけが残っていたというのは、政府が隠れてたくさん悪いことをやって民主主義で善いことをちょっとだけやっていることである。民主主義とは政府が国民みんなに従うふりをして“国民みんなに弱い国民”を政府に従う気持ちにさせることである。政府は“国民みんなに弱い国民”に政府の“国民を虐[いじ]める命令”をよく聞かせるために民主主義をやっているのである。みんなは“虐められる喜び”が善い喜びだと思っていなかったので、自分が“虐められる喜び”を満足しているのが恥ずかしかったので、政府に隠れてよくわからないようにして虐めてもらっていたのである。昔は科学がなくて物が貧しくて喜びが少なかったから、みんなはしかたなく“虐められる喜び”や性欲などを満足していたのである。
パンドラの箱のおとぎ話が作られた昔は科学がなくてみんなが“虐められる喜び”を満足していたからそれでよかった。みんなが政府が国民みんなを虐めることに満足していた。みんなで政府を建てて自分たちを虐めてもらって喜んでいた。パンドラも箱の中からたくさん悪魔が飛び出てくるのを見て喜んでいた。
しかし、今は科学の時代でみんなが“虐められる喜び”を満足しなくなった。今はみんなが政府が国民を虐めることに不満である。そのため、今ではみんなで政府を倒して自分たちが虐められないようにしている。

[23327] どうして私が神にされたか? h29.8.19
国家宗教とは、政府が神に従うふりをして“神に弱い国民”を政府に従う気持ちにさせることである。政府は“神に弱い国民”に政府の“国民を虐める命令”をよく聞かせるために国家宗教をやっている。
政府が国家宗教をやるためには神が要る。だから、政府は自分が国家宗教をやるために国民の誰かを神にしているだけである。いちおう国家宗教の決まりで神であるためには「人間に理解できない現象を起こした者」でなければならないから、親や周[まわ]り者が不思議な現象を見たときにその近くにいた者が神とされることになる。もっとも、科学が進めばそれらの不思議な現象は人間に理解できるようになるから、科学が進めば神がいなくなる。
私が赤ちゃんのころ、私の母が夜中に突然私の頭の上に吊[つ]ってあったガラガラ(ベッドメリーのこと)が回り出したのを見て驚いたことがあったし、当時は天皇の人気がなくなって政府が天皇を神とする国家宗教がやりにくくなっていたから、政府は私を神とする国家宗教をやりだしたのである。初代神武天皇は神っぽかったが、昭和天皇や平成天皇などはテレビで見ると神っぽくないので政府は天皇家を神とする国家宗教がやりにくかったのである。そのため、政府はテレビに出ていない私を神にすることで国家宗教をやりやすくしたのである。つまり、天皇家はテレビや新聞にしょっちゅう顔を出して有名になりすぎて神らしくなくなってしまったから、政府は天皇家を神とする国家宗教をやれなくなった。つまり、政府が天皇家を神とする国家宗教をやっても“神に弱い国民”が政府に従う気持ちにならなくなった。そのため、政府はテレビや新聞に顔を出さない私を神にすることによって国家宗教をやれるようにしたのである。つまり、政府は私を神とする国家宗教をやって“神に弱い国民”を政府に従う気持ちにさせようとしたのである。h29.8.22この段落に以下の文を追加:それに、戦後はみんなが核家族で暮らすようになって家制度がなくなったために今の天皇と神武天皇とのつながりがなくなったので今の天皇を今の天皇としてしか見なくなった。ところが、今の天皇はただの人間なので、今の天皇を神とする国家宗教ではたとえ神に弱い人でも政府に従わなくなった。そのため、政府はちょっとでも不思議な現象を起こした私を神にしたのである。つまり、昔は家制度があったからみんなが当時の天皇を神武天皇として見ていた。神武天皇は空中から光る玉を出して人間にできないことをした人として信じられていた。しかも、文明が遅れていてテレビや新聞がなかったからみんなが当時の天皇のことがよくわからなかった。そのため、政府が当時の天皇を神とする国家宗教をやると神に弱い人は政府によく従った。しかし、今は家制度がないからみんなが今の天皇を今の天皇としてしか見ない。しかも、文明が進んでテレビや新聞があるからみんなが今の天皇のことがよくわかる。テレビや新聞で見ると今の天皇はただの人間にすぎない。今の天皇は空中浮遊をしたりすることができないからただの人間にすぎない。そのため、政府が今の天皇を神とする国家宗教をやってもいくら神に弱い人でも政府に従う気にならなくなった。そのため、政府は私を神とする国家宗教をやらねばならなくなったのである。
昔の人は文明が遅れていて物が貧しくて喜びが少なかったので“虐[いじ]められる喜び”を満足していた。昔の人は自分のほうから喜んで政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んでいた。政府は国民がヨーロッパ文化をやっているのを利用して国家宗教をやって国民に政府の“国民を虐める命令”をよく聞くようにした。政府はそうやって国民からたくさん税金を取って儲[もう]けた。
しかし、今の人は文明が進んで物が豊かで喜びがたくさんあるので“虐められる喜び”を満足していない。今の人は自分で政府の“国民を虐める命令”を聞かないようにして政府に虐められないようにしている。いくら政府が国家宗教をやっているのを見て自分が政府に従いたくなっても、自分が政府に虐められるほうがもっと嫌なので政府の命令を聞かないようにしている。それに、今では文化人類学が出来て『国民は自分の文化をやれば幸福に暮らせる』ことがわかっているから、今の日本人は日本文化をやって実在に従うようにして神に従わないようにしている。だから、政府がいくら国家宗教をやっても無駄[むだ]である。
今では国家宗教の役目はない。今では神の出番はない。私はおとなしく政府が潰[つぶ]れてなくなるのを見ていることにしよう。

[23328] 『ソクラテスの弁明』 h29.8.20
ソクラテスは『神がいない』と主張したが、当時のアテネのみんなは「神がいる」と信じていたのでソクラテスを有罪にして死刑にした。ソクラテスは『人間は自分で考えて真実を知らねばならない』と考えたが、アテネのみんなは「神様の言う通りにすればいい」と信じていたのでソクラテスがまちがっていると思ってソクラテスを死刑にした。
『ソクラテスの弁明』ではソクラテスは十分脱獄できたが、アテネのみんなに従うために自[みずか]ら縄に付いて死刑になったと書かれている。
しかし、ソクラテスがアテネのみんなに従う人なら、そもそも『神がいない』なんて主張するわけがない。みんなに合わせて「神がいる」と言ったはずである。矛盾である。だから、本当はソクラテスは自らお縄に付いたのではなく、アテネのみんながソクラテスを強引に力ずくで捕[つか]まえて牢屋に入れて死刑にして殺したのである。
実際には、ソクラテスが正しくて、アテネのみんながまちがっていた。だから、ヨーロッパはギリシア時代が終わるとだんだん暗黒時代になっていって文明が遅れていって大勢の人が死ぬことになったのだ。天罰覿面[てんばつてきめん]だ。ざまあみろ。
民主主義はまちがっている。天の声は人の声ではない。天の声と人の声は違う。実在において正しいことと国民みんなが正しいと思っていることは違う。実在主義と民主主義は違う。いくら国民みんなが思っていても実在に反することは通らない。「無理が通れば道理が引っ込む」のは嘘[うそ]である。
『ソクラテスの弁明』はプラトンの著作ではない。『ソクラテスの弁明』はみんなに民主主義を正しいと思わせるために後世の誰かが書いた贋作[がんさく]である。
h29.9.8追加:それにソクラテスが生きていた時代はギリシアではみんながインド文化や中国文化を受け入れていたからインド文化や中国文化では神がいないからインド文化では頭で考えることが通るからソクラテスが「この世には神がいないから、人間は自分で考えるべきだ」と言ったとしても咎[とが]められないはずである。ソクラテスは『人間はただ生きるだけではいけない、幸福に生きねばならない』と言ったから、処刑されて死ぬのはおかしい。本当はソクラテスは死ぬまで議論をやって幸福に生きていたのだろう。プラトンの著作は全部対話法で書かれているのに、『ソクラテスの弁明』だけ独話法[どくわほう]で書かれていて対話法で書かれていないのもおかしい。『ソクラテスの弁明』は後世の政府が国民みんなに民主主義や国家宗教を流行[はや]らせるために作った贋作[がんさく]だろう。
h29.9.16追加:ソクラテスが『この世には神がいないから、人間は神の言う通りにするのではなく自分で考えねばならない』と唱えて有罪になったのなら、そもそもソクラテスが長い間自由に議論ができないはずである。ソクラテスは一生涯かけてさんざん他人と議論してきたのだから、それで有罪になるはずがない。ソクラテスが他人と議論して有罪になるのだったら、若いころに捕まってとっくの昔に殺されていたはずである。ソクラテスが他人と議論するのが悪かったら、そもそも最初からソクラテスが他人と議論できないはずである。だから、『ソクラテスの弁明』はおかしい。政府が国家宗教を復活させるために民主主義を普及させるために後世の作家に命じて作らせた物である。

[23329] 反則切符[はんそくきっぷ] h29.8.20
私は今週の金曜日原付で裏道を走っていたとき道路に書かれている“とまれ”の文字を無視して一時停止しなかったがそこを後ろから付けていたパトカーに見つかって2点減点された上に5000円の反則切符を切られた。来週の金曜までに銀行か郵便局に持っていって払わねばならない。(平成29年8月22日に郵便局で払いました。)
しかし、政府の警察はマゾの人を罰する団体である。“虐[いじ]められる喜び”を満足している人を罰するためにある団体である。政府は国民を虐める会社である。政府の法律は国民を虐めるための法律であり、政府の警察は“虐められる喜び”を満足している人に政府の法律を守らせるためにある団体である。“虐められる喜び”を満足していない人にとっては政府も政府の警察も関係ない。私はマゾではない。だから、私は反則切符を無視して5000円を払わなければいい。反則切符の裏に「罰金を払わなかったら逮捕される」と書いてあるのは嘘[うそ]である。
交通違反を犯したとき警察がその場で違反者から直接罰金を取らずに、いちいち違反者が後[あと]から自分で罰金を払わねばならないことが、警察が“虐められる喜び”を満足している人のためにある団体である証拠である。人間には他人の心はわからない。だから、国民が自分で考えて自分がマゾかマゾでないかを判断して警察に従うか従わないかを決めればいいようになっているのである。
私はマゾではない。私は理系だからマゾではない。私は自然を支配する者であって支配される者ではないからマゾではない。だから、私は反則切符の5000円を払わなくていい。しかし、私が交通法規を犯したことは事実である。だから、今回は特別に警察に5000円を払ってあげよう。でも、一時停止をしなかったぐらいで「5000円」は高すぎる。私のフィーリングでは『500円』ぐらいがちょうどだ。だから、反則切符の額面を書き換えて払いたいところだ。しかし、今回は初めてのことだから5000円払ってあげよう。しかし、今度私が一時停止をしなかったぐらいで減点された上に反則切符を切られて原付が乗れなくなったら、警察の処分を無視して原付に乗って罰金を払わないことにしよう。警察はマゾの人だけが対象なのだから、私はマゾではないから、警察の処分に従わなければいいのである。警察に私の行動を規制する権限はない。私は勝手に原付に乗って好きなところに行けばいいのだ。『私が交通ルールを犯したのは私が悪いが、私はマゾではないから政府の警察には私を罰する資格はない』のが一番正しいが、私が政府の警察に罰金を払わないと「私が交通ルールを守らなくていい」ような気がするから、自分を戒[いまし]めるために初回だけ政府の警察に罰金を払うことにする。
政府の警察はマゾの人に政府の法律を守らせるためにある団体である。マゾでない人にとっては政府の警察は関係ない。だから、国民は自分がマゾでなければ、無免許でバイクや自動車を運転しても政府の警察に逮捕されることはない。国民は自分がマゾでなければ、殺人や強盗をしても政府の警察に逮捕される必要はない。でも、“本当の法律”([23312]参照)を犯したことにはなるから、あまり悪いことをしてみんなに恨[うら]まれてはいけない。復讐されても文句は言えない。だから、交通ルールをよく勉強して運転のしかたをよく練習してからバイクや自動車に乗らねばならないし、相手の承認を得ずに強盗や殺人をやってはいけない。
要するに、政府の警察は偽[にせ]の警察である。だから、偽札[にせさつ]事件が起こるのだ。
h29.8.23追加:今では多くの人が『政府の警察は本当の警察ではない』ことを知って悪いことをやっている。『自分が悪いことをやっても自分がマゾでなければ政府の警察に逮捕されない。政府の警察に罰せられない。』と思って安心して悪いことをやっている。例えば、万引きや引ったくりをする人が増えている。みんなは周[まわ]りのみんなが悪いことをすると思って用心しないといけない。早く政府を潰[つぶ]して偽の警察を潰して本当の警察を建てて本当の法律で国民みんなを取り締[し]まってもらわねばならない。(今は国民が悪いことをしても自分がマゾでなければ政府の警察に逮捕されない。だから、タモリが「悪いほうが有利」と言っていたのだろう。今はマゾでない人が悪いことをしたい放題だから、生きる価値のないクズがいれば勝手に殺してお金を取ってやればいい。今は“本当の警察”がない時代だから、自分がマゾでなければ悪いことをやりたい放題だから、日ごろ法律で守られているボンクラを自分の好き勝手に痛い目にあわせることができる。マゾでない人がマゾの人を殺してやればいい。たとえ悪いことをした人が裁判で自分の罪を認めても、その人がマゾでなければ政府の警察はその人を罰することができない。政府の警察はマゾの人しか罰することができないから、マゾでなければたとえ有罪でも釈放するしかない。マゾの人は悪いことをすると政府の警察に逮捕されて罰せられねばならないが、マゾでない人は悪いことをしても政府の警察に逮捕されず罰せられない。だから、「マゾでないほうが有利」とも言える。マゾでなければ政府の言うことを聞かず政府に税金を払わなくていいし自由に悪いことができる。マゾであれば政府の言うことを聞いて政府に税金を払わないといけないし政府の法律を守らないといけない。だから、マゾでないほうが得だ。/h29.9.3追加:政府はマゾを虐める会社である。だから、政府の警察は仕事としてやるかぎりマゾの人以外には手を出せない。政府の警察がマゾの人以外を拳銃で脅[おど]したら仕事としてやっていないことになる。政府の警察が仕事としてやっていなければもはやただの国民が拳銃を持っているにすぎない。日本ではみんなが平和に暮らすために国民が武器を持ってはいけないことになっている。だから、マゾの人以外を脅す警察が悪いことになる。みんなでマゾの人以外を脅す警察を罰しなければならない。)
政府は国民を虐める団体である。政府は国民を政府に従う気持ちにさせるために民主主義や国家宗教や身分制をやっている。しかし、学校では『政府が国民を虐める会社である』ことや『政府が国家宗教や身分制をやっている』ことを消してしまって、「政府が民主主義をやる団体である」ことだけを教えている。学校の教科書に書いているのが作り事の世界すなわり嘘[うそ]の世界における社会科で、私が書いているのが実在の世界すなわち本当の世界における社会科なのだ。だから、みんなは学校の教科書に書いている社会科をやるのをやめて、私が書いた本当の世界における社会科をやればいいのだ。テレビ局は政府からお金をもらって政府の正体を伏せている。政府が善いことをやっていることだけ放送している。みんなはテレビを信じてはいけない。(民主主義とは、政府が国民みんなに従っているふりをすることによって“国民みんなに弱い国民”を政府に従う気持ちにさせて政府の“国民を虐める命令”をよく聞かせることである。政府は国民みんなに従っているふりをするためにちょっとだけ本当に善いこと(水道やゴミの処理など)をやって、あとはやりもしないことを言うだけである。ちょっとだけ本当に善いことをするのが他人を騙[だま]すコツである。)

[23330] 文学部とは何か? h29.8.22
文学部の者は“頭で考える喜び”がない。思考欲がない。だから、頭で考えようとしないから科学がわからない。“頭で考える喜び”は人間にとって最大の喜びである。文学部の者は“頭で考える喜び”がないからいまだに“虐[いじ]められる喜び”や性欲なんかのつまらない喜びを満足して喜ばねばならないのである。文学部の者は“頭で考える喜び”がないから“心で思う喜び”や“眼で見る喜び”なんかの面白くない喜びを満足して快[かい]を得ないといけないのである。
反対に、理学部の者は“頭で考える喜び”がある。思考欲がある。だから、頭で考えるから科学がわかる。理学部の者は“頭で考える喜び”があるから幸福に生きている。“頭で考える喜び”を満足して喜びがたくさんあってこれ以上喜びが要らないから“虐められる喜び”や性欲を満足しない。理学部の者は“頭で考える喜び”があるから“心で思う喜び”や“眼で見る喜び”なんかの面白くない喜びを満足しないのである。
今では文明が進んでみんなに余暇があるからみんなが考えることができる。人間には生まれつき“頭で考える喜び”がある者とない者がいる。“頭で考える喜び”がある者が理学部で、ない者が文学部である。今後は科学の時代である。みんなが科学をわからないといけない。“頭で考える喜び”のない者は科学の時代にはふさわしくない。そもそも文学部の者は幸福ではない。文学部の者は幸福ぶっているからみんなの前で大声で笑うのである。だから、みんなで早く殺して楽にしてやればいいのである。
人間は実在の中で生きているから実在について考えねばならない。頭で考えればそのことがわかる。頭で考えれば、人間には“感覚”(感じること)があり、人間の感覚は脳細胞の神経興奮で発生しているのであり、人間の感覚とは別に“実在”があることがわかる。だから、人間は科学をやるしかないのである。人間は実在を知らないから自分の“頭で考える喜び”を満足するために自分の眼を使って自分の頭で考えて実在を知らねばならないのである。

[23331] 昔は文学の時代だったためにみんなが不幸に暮らしていた。 h29.8.23
昔(昭和20年〜昭和40年ごろ以前)は文学の時代だった。みんなが実在のことがわからず実在に支配されて実在に嫌な思いをさせられて虐[いじ]められていた。そのため、みんなに“虐められる喜び”があった。みんなは“虐められる喜び”を満足するために自分たちで政府や宗教団体や暴力団を建てて政府や宗教団体や暴力団に虐められて喜んでいた。
反対に、今(昭和40年以後)は科学の時代である。みんなが実在のことがわかるようになって実在を支配して実在を利用して楽しく暮らしている。実在に虐められなくなっている。そのため、みんなに“虐められる喜び”がなくなっている。みんなは自分が虐められて嫌な思いをしないために政府や宗教団体や暴力団にお金をやらなくなって政府や宗教団体や暴力団を潰[つぶ]している。
私の父は昭和10年生まれである。戦前の生まれである。当時はまだ文学の時代だった。そのため、父親は家の中でいつもお酒を飲みながら本を読んでいた。歴史小説をよく読んでいた。父は本当の人間のことについて知らなかった。そのために、子供が上手[うま]く育たず子供がみんな人生の道を誤って不幸になった。子供にとってはいい迷惑である。父はまじめに仕事をしてちゃんと毎月給料を持ってきてくれたが、そもそも家族が幸福でなければいくらお金があっても何にもならない。酒を飲んでどうでもいい本を読む暇があったら、もっと自分で人間のことについて考えねばならない。人間を理解してどうすれば人間が幸福に生きることができるかを知らねばならない。そんなことを知らずに子供を作ってはいけない。今は科学の時代だから、みんなが人間のことを知ってどうすれば幸福に暮らせるかを知ってそれを実行しながら生きていかねばならない。

[23332] 昔は科学がなかったので昔の人は現実を見る目がなかった。☆ h29.8.25
戦争は面白い。『バトルフィールド』のゲームをやればわかる。しかし、戦争で負傷して苦しい思いをするのは嫌だ。だから、戦争はやらない。
今の人ならそう考える。今の人は戦争がやりたくないから戦争をやらない。
しかし、昔の人は戦争がやりたかった。昔の人も今の人と同じように「戦争は面白い」と思っていた。しかし、昔の人は「戦争で負傷して苦しい思いをするのは嫌だ」の部分がなかった。昔は科学がなかったから、昔の人は現実を見る目がなかった。だから、昔の人は「戦争で負傷して苦しい思いをするのは嫌だ」ということを無視して「戦争は面白い」と思っただけで戦争をやった。
昔の人は科学をやらなかったから現実を見る目がなかった。だから、昔の人は「政府に虐[いじ]められるのが面白い」と思っただけで政府に虐められていた。「政府に虐められて苦しい思いをするのは嫌だ」ということを無視していた。
昔の人は科学をやらなかったので心で思うだけで眼や頭で見なかった。だから、「戦争が面白い」と思っただけで戦争をやったし、「政府に虐められるのが面白い」と思っただけで政府を建てて政府に虐められていた。
反対に、今の人は科学をやっているので心で思うだけでなく眼や頭でも見る。だから、「戦争が面白い」と思っても「戦争で負傷して苦しい思いをするのは嫌だ」と思って戦争をやらないし、「政府に虐められるのが面白い」と思っても「政府に虐められて苦しい思いをするのは嫌だ」と思って政府に虐められなくなっている。今の人は自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにしている。今の人は政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。
昔の人は心だけで見て眼や頭で見なかった。今の人は心で見るだけでなく眼や頭でも見る。昔の人と今の人では見方が違う。だから、昔の人と今の人では世界が違う。昔の人と今の人では見ることが違うからやることも違うのだ。

[23333] 人間には“虐[いじ]められる喜び”がある。 h29.8.25
性欲を満足する人にとっては性欲があるが、性欲を満足しない人にとっては性欲がない。
“考える喜び”を満足する人にとっては“考える喜び”があるが、“考える喜び”を満足しない人にとっては“考える喜び”がない。
それと同じように、“虐められる喜び”を満足する人にとっては“虐められる喜び”があるが、“虐められる喜び”を満足しない人にとっては“虐められる喜び”がない。
昔の人は文明が遅れていて物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて“虐められる喜び”を満足していたから“虐められる喜び”があった。昔の人はみんな自分の“虐められる喜び”を満足して喜ぶために自分から政治団体(政府や幕府)や宗教団体や暴力団を建てて政治団体や宗教団体や暴力団に虐められて喜んでいた。
今の人は文明が進んで物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られて“虐められる喜び”を満足しなくなったから“虐められる喜び”がなくなった。今の人は自分の“虐められる喜び”を満足しなくなったから政治団体や宗教団体や暴力団が要らなくなって政治団体や宗教団体や暴力団の言うことを聞かなくなってお金をやらなくなって潰[つぶ]している。もっとも、一部の人は今でも物を使って喜びを得ようとせず“虐められる喜び”を満足しているので“虐められる喜び”がある。そういう人は今でも自分のほうから政府や宗教団体や暴力団に虐められて喜んでいる。
昔の人は文明が遅れていて考え事をしたり物を使ったりして喜びが得られなかったので“虐められる喜び”や性欲などを満足していた。しかも、昔の人は「“虐められる喜び”や性欲が人間にあるまじき恥ずべき喜びだ」と思っていたので“虐められる喜び”や性欲を隠[かく]して満足していた。だから、昔の本には“虐められる喜び”や性欲のことが出ていないのだ。反対に、今の人は文明が進んで考えごとをしたり物を使ったりしてたくさん喜びが得られるので“虐められる喜び”や性欲などを満足しなくなった。今の人は『“虐められる喜び”や性欲を満足すると喜びが減る』と考えて“虐められる喜び”や性欲などを満足しなくなった。だから、今の本には“虐められる喜び”や性欲のことが出ている。“虐められる喜び”や性欲を攻撃して満足しないようにしている。

[23334] 今の国民の多くはまちがったことをやっている。☆ h29.8.26
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民の“虐められる喜び”を満足して国民を喜ばせるために国民を虐めている。政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって国民を政府に従う気にさせて“国民を虐める命令”をよく聞かせようとしている。
政府と国民は平等である。だから、国民が政府に虐められるか虐められないかは国民個人の自由である。
だから、国民が“虐められる喜び”を満足するために政府に虐められたければ政府の言うことを聞けばいい。反対に、国民が“虐められる喜び”を満足したくなければ政府に虐められたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。
それなのに、今の国民の多くは自分が“虐められる喜び”を満足したくないのに政府に虐められたくないのに政府の言うことを聞いている。国民の多くがまちがったことをやっている。
国民みんなは早く自分が“虐められる喜び”を満足したいか満足したくないかをはっきりさせて、満足したければ政府の言うことを聞き、満足したくなければ政府の言うことを聞いてはいけない。国民は自分が政府に虐められたければ政府に税金を払い、政府に虐められたくなければ政府に税金を払ってはいけない。国民は自分がマゾなら政府の言うことを聞き、マゾでなければ政府の言うことを聞いてはいけない。そうやって、国民みんなが正しいことをしないといけない。
中国人は国民みんなに弱いが、日本人は国民みんなに弱くない。中国人は多数決に従うが、日本人は正しいことに従う。中国では国民がみんなと同じことをしないといけないが、日本では国民は自分独[ひと]りで正しいことをしないといけない。だから、日本では他人を無視して自分が正しいことをすればいいのである。日本では他人のことはどうでもいいから、自分が政府に虐められたければ政府の言うことを聞き、政府に虐められたくなければ政府の言うことを聞いてはいけない。
お祭りなんかどうでもいい。自分が政府に虐められたければ政府の言うことを聞き、政府に虐められたくなければ政府の言うことを聞かないことのほうが大事である。みんなはまず大事なことを先にやってから、その後でどうでもいいことをやって楽しまねばならない。

[23335] 人はパンのみに生きるべきである。 h29.8.26
キリストが「人はパンのみに生きるにあらず」と言ったから、みんなは余計なことばかりやるようになった。文学や美術をやって楽しむようになって科学をやらなくなった。みんなが物が貧しくなって苦しい思いをしないといけなくなった。
『人はパンのみに生きるべきである。』みんなは文学や美術をやめて科学だけをやるべきである。そうすれば、物が豊かになって楽に生きることができる。みんながパンに力を入れれば、みんなが美味[おい]しいパンをたくさん食べることができるようになって幸福に生きることができる。
宗教団体は国民を虐[いじ]める団体である。政府や暴力団と同じである。国民を従わせるために宗教をやるだけである。宗教とは、宗教団体が神に従うふりをして“神に弱い者”を宗教団体に従う気持ちにさせて“虐める命令”をよく聞かせることである。だから、キリストはまちがったことを教えるのである。宗教団体はみんなを虐めるためにみんなにわざとにまちがったことを教えるのだ。昔の人は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくて“虐められる喜び”があったから、キリストにまちがったことを教えられて苦しめられて虐められて喜んでいたのである。
昔は親が子供を虐待して子供をかわいがっていた。親が子供の眼や耳を切り取ったり子供に熱湯をかけたりして子供をカタワにしてかわいがっていた。昔の人には“虐められる喜び”があったから親が子供を虐待すると子供が喜んでいたから虐待することがかわいがることだったのである。今の人にはそんな喜びはないから、親が子供を虐待しても子供が喜ばないから親が子供を虐待してはいけない。(h29.8.27追加:昔の日本では成人したお祝いに抜歯[ばっし]をやっていた。昔はみんなが“虐められる喜び”があったので、成人した人は歯を抜かれて虐められて喜んでいたのである。みんなは成人した人を喜ばせるために抜歯をやっていたのだ。)
昔の人は機械獣に町を破壊されて虐められて喜んでいたのである。昔の人にとってはマジンガーZが喜びの邪魔[じゃま]だったのだ。昔の人にとっては機械獣が善い者でマジンガーZが悪い者だった。昔の人と今の人では喜びが違うのだ。人間の心は進化するのだ。
マンガや歌謡曲が面白いと思っている者は馬鹿だ。人間にとっては物以外のことは面白くない。人間は絵や音を使って自分の心を満足しても面白くない。人間は物を使って自分の心を満足したときだけ本当に面白い。人間は科学をやることによって幸福に生きることができる。人間は実在を理解して実在を利用して自分の心を満足して幸福に生きるのだ。政府は「今の国民の多くが政府のことを理解していない」ことを利用して学校の社会科やテレビで国民に政府についての嘘[うそ]を教えて国民を騙[だま]して国民からお金を取って儲[もう]けている。今の国民の多くは『国民を虐める会社』を「国民に善いことをする会社」だと思って毎月高い税金を払っているのである。政府は今の国民の多くのことを理解して今の国民の多くを利用して自分の心を満足して幸福に暮らしている。(h29.8.28補足:政府は国民を虐める会社である。相手に嘘をついて騙すことは相手を不幸にすることだから相手を虐めることである。だから、政府は国民に嘘をつくのである。昔の国民は“虐められる喜び”を満足していて政府の正体を知っていたので政府が嘘をついても騙せなかった。今の国民は“虐められる喜び”を満足していないために政府の正体を知らないので政府が嘘をつくと騙される。)しかし、私は政府つまり公務員ではない。私は国民だ。だから、私は『国民は自分がマゾでなければ政府の言うことを聞かなくていい』ことを利用して自分がマゾでないから政府の命令を聞かず政府にお金を取られないようにして幸福に暮らす。私は政府のことを理解して政府を利用して自分の心を満足して幸福に暮らすのだ。

[23336] 政府はマゾを虐[いじ]める会社である。☆ h29.8.28
政府はマゾを虐める会社である。マゾは“虐められる喜び”があるから自分から政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜ぶ。政府はマゾに命令してマゾからお金を取ったり、わざとにまちがった経済政策をマゾにやらせてマゾを貧乏にしたり、わざとにまちがった道徳をマゾにやらせてマゾを不幸にしたり、マゾを事故で殺したりしてマゾを虐める。
おまけに政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって“国民みんなや神や古臭いことに弱いマゾ”を政府に従う気持ちにさせてマゾをよく虐められるようにしている。政府はマゾに“国民を虐める命令”をよく聞くようにさせてマゾからより多くのお金を取って儲[もう]けている。
人間はもともとマゾである。人間は大昔自然に支配されて自然のなすがままにされて毎日自然に虐められて生きていたので“虐められる喜び”があった。
昔の人はマゾだった。昔の人は文明が遅れていて物が貧しかったので自分が喜びを得るために“虐められる喜び”を満足していた。昔の人は自分で政府を建てて自分から政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。
今の人はマゾではない。今の人は文明が進んで物が豊かなので自分が喜びを得るために考えごとをしたり物を使ったりして“虐められる喜び”を満足していない。今の人は自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]して政府に虐められないようにして喜んでいる。

[23337] いつの時代も人間は自分が最[もっと]も幸福になるように生きてきた。 h29.9.1
人間は幸福に生きねばならない。そんなこと言われるまでもない。人間はその時代において自分が最も幸福に生きられるようにする。人間はその時代において自分が最も幸福に生きられるように自分の感情を満足したり満足しなかったりする。これまで人間はずっとそうしてきた。
人間の心にはいろんな喜びがある。“食べる喜び”や“考える喜び”や“運動する喜び”や“お酒を飲む喜び”や“エッチなことをする喜び”や“戦争をする喜び”や“虐[いじ]められる喜び”などがある。
昔は文明が低くてみんなが科学をやらなくてみんなが物が貧しかった。だから、昔はみんなが“お酒を飲む喜び”や“エッチなことをする喜び”や“戦争をやる喜び”や“虐められる喜び”を満足して生きていた。そうすれば昔の人が最も幸福に生きることができたからである。
反対に、今は文明が高くてみんなが科学をやってみんなが物が豊かである。いろんな食べ物やオモチャがある。だから、今はみんなが“お酒を飲む喜び”や“エッチなことをする喜び”や“戦争をする喜び”や“虐められる喜び”を満足して生きていない。今の時代にはみんながお酒を飲んだりエッチなことをしたり戦争したり政府に虐められたりするよりも、考えたり運動したり食べたり飲んだりテレビを見たりゲームをやったりして遊んだほうが幸福に生きられるからである。
人間が幸福に生きるための作法[さほう]が道徳である。時代によって人間の生活環境が変わるから、道徳も時代によって変わる。今の時代の人間は自分が最も幸福になるように自分の心を満足すればいいのである。

[23338] 人間が幸福になるためには実在がわからねばならない。 h29.9.1
今は科学の時代である。今の人間には実在を理解する方法がある。今では人間が実在を理解することができる。
人間は実在を知り実在を使って自分の心を満足すれば最[もっと]も幸福になれる。
だから、人間が幸福になるためには実在を見ることができねばならない。人間は心で思ったり眼先で見たりするよりも、頭で考えて実在が見えねばならない。人間にとっては心で空想したり眼先で形や色が見えることよりも、頭で実在が見えることが一番大事である。
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府の学校は国民を虐めるためにある。だから、政府は国中に学校を建てて子供に余計なことを教えて子供を不幸にしている。子供に国語を教えて心で空想することを教えたり、子供に美術や音楽を教えて眼先や耳先で見ることを教えたりしている。政府は子供をアホやバカに変えて不幸な人間にしている。政府は国中に学校を建てて不幸な人間を大量生産している。政府は国民にまちがった道徳を教えて国民を不幸にしている。
みんなは政府のまちがった教育を本気[ほんき]にしてはいけない。人間は実在において本当に幸福になれる。人間は実在の中で自分の心を満足すれば本当に幸福になれる。人間は実在の世界で幸福になるようにすればいい。人間は実在だけをやればいい。人間にとっては空想や現象(眼先で見えること)は不幸のもとである。人間が空想や現象がわかることは人間が実在の外に出ることであり不幸になることである。人間にとっては空想や現象は余計である。空想や現象はくだらない。人間にとっては実在だけが大事である。みんなは実在をよく知って実在の中で自分の心を満足しないといけない。みんなは頭で考えることをわかるようにして、心で思うことや眼先で見ることをわかってはいけない。
人間にとっての楽園は実在である。空想や現象は地獄である。人間は実在を目指して進んで行かねばならない。人間は実在を知り実在の中に入って実在の中で自分の心を満足しないといけない。日本をみんなが幸福に暮らせる実在主義の国にしないといけない。(『ビックリマン』の次界は実在のことである。人類は最近になってようやく実在の世界に上陸したのだ。『ビックリマン』の次動ネブラは数学のことである。数学の世界は実在に近いつまり楽園に近い世界である。/健全な人間は実在で喜べばいい。健全な人にとっては空想や現象は要らない。空想や現象のない国にすればいい。しかし、世の中には不幸にも道徳をまちがって健全な人間になれなかった人がいる。マンガは落ちこぼれの人にとっての娯楽である。だから、マンガも少しは残しておけばいい。しかし、マンガは健全な人にとっては要らない。だから、マンガの値段を高くすればいい。酒やタバコと同じである。道徳をまちがえるのはお金持ちに多い。お金持ちのボンクラバカ息子と言うからだ。お金持ちはお金があるから眼先の喜びや心で思う喜びに耽[ふけ]っているからまちがった道徳をやって不幸なのだ。本当は面白くなくて空笑い[からわらい]をしているだけだ。落ちこぼれはお金があり余っている。だから、マンガを高く売ってたくさんお金を取ってやればいいのだ。)

[23339] 大人はマンガがわからない。☆ h29.9.2
今から約20年前のことである。私が30歳のころである。私が仕事の都合で兵庫県豊岡市に住んでいたころ、近所の本屋で『少年ガンガン』を買ってみたが読んでみるとなんにも面白くなかった。クロネコヤマトで『ドラえもん コミック第1巻』を買って読んでみたらまったく面白くなかった。眼で絵がなんとなく見えるというだけで意味がまったくわからなかった。ギャグをわかろうとする気にさえならなかった。お金を無駄[むだ]にしたと思って後悔した。
私が小学2年生のころ『小学館の学習雑誌』で『ドラえもん』の連載が始まったが、そのころの私はドラえもんに熱狂していた。学校の教室の後ろの黒板に河上圭一[かわかみけいいち]君と競争でドラえもんの似顔絵を描[か]いて河上君に勝ったことを今でも憶えている。もっとも、当時の私は『ドラえもん』が『ハクション大魔王』の作り直しにすぎないことをうすうす感じていたが。私は幼稚園のころ『ハクション大魔王』が大好きだったから『ドラえもん』も大好きだった。おそらく『ハクション大魔王』が人気が出たから魔法を科学に置き換えて『ドラえもん』を作ったのだろう。『ドラえもん』のルーツは『ハクション大魔王』にあるのだ。
大人は実在の中に長いこと住んでいて実在を勉強して実在の世界に入ってしまっているからマンガがわからないのだ。マンガは空想の世界だから実在の世界の外にあるから、大人にとってはマンガは異世界の読み物だから意味がわからないのだ。
反対に、子供は実在の中にあまり住んでいないから実在の勉強が足りないからまだ心の世界の中にいるからマンガがよくわかるのだ。マンガは人間の心の世界を描いたものだから大人にはわからないが子供にはよくわかるのだ。マンガ家はいい歳した大人であって実在の中に住んでいて子供の世界が描けるから天才だと言える。おそらくマンガ家は頭の中で大人の世界と子供の世界を切り替えられるのだろう。私は子供のころからそれが苦手だ。私は子供のころからひとつの世界の中にしか住んでいない。私は頭の中で世界を切り替えることができない。だから、私は数学や物理はよくわかったが、社会科や生物が苦手だったのだ。私は小学生のころは体育と音楽以外は全科目が得意だったが、中学生のころから社会科や生物などの眼で見る科目が苦手になって数学や物理などの頭で見る科目しかわからなくなった。
マンガは誰にとっても面白いのではない。マンガは子供には面白いが大人には面白くない。大人がマンガを買っても無駄だ。子供には子供の楽しみがあるように、大人には大人の楽しみがある。子供と大人は違うのだ。子供と大人では生きている世界が違うのだ。
大人は実在の中に長いこと住んで実在のことがよくわかっているから実在の中で自分の心を満足する。人間はみんな実在の中に住んでいるからこの世で長く生きていれば誰でも実在がわかってくる。嫌でも実在がわかってくる。だから、人間が幸福になるためには実在の中で自分の心を満足するしかないのである。
h29.9.8追加:政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を虐めるために国民に面白くないことをやらせる。国民(ただし子供は例外)にとってはマンガは面白くない。だから、政府は国民にマンガを読ませる。今の国民には“虐められる喜び”がないから、今の国民は政府に虐められてもうれしくないから、今の国民は政府の言いなりになってはいけない。国民は自分が幸福になりたければマンガを読んではいけない。

[23340] 人間は実在の世界に生きている。 h29.9.2
日本には多数決がない。
日本では物事は実在に従っているかそうでないかで決めねばならない。日本では物事は頭で考えて正しいかまちがっているかで決めねばならない。正しいとは実在と合っていることであり、まちがっているとは実在と違っていることである。眼で見るだけでは実在が見えない。眼で見て頭で考えねば実在が見えない。頭で考えることが大事だ。眼で見える世界は実在ではない。例えば、眼で見て空気がないから、「空気がない」と思って宇宙に裸で出て行ったら空気が吸えずに死んでしまう。
まず正しいことがわからなければ、まず実在がわからなければ、実在の中で自分の心を満足することができない。だから、まず正しいことを理解しないといけない。その次に正しいことの中で自分の心を満足しないといけない。
日本では昔からみんなが眼で見て頭で考えて生きてきた。みんなが実在を理解して実在に適応して幸福に生きてきた。日本は昔から科学の国である。もっとも、昔ははっきりと科学がなかったから多少は曖昧[あいまい]であったが。今後はずっと科学の時代である。今後は世界中で科学をやるようになる。日本人は眼で見て頭で考えて実在を理解して実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。実在のことにもっと力を入れて実在において心が満足されるようにすればいい。例えば、私が生まれた四国には心で思う文化や眼で見る文化がない。四国の人は心で思う喜びや眼で見る喜びがない。四国の人は食べる喜びしかない。四国は昔からみんなが食べ物に力を入れてきた。だから、四国は食べ物が美味[うま]いのだ。
日本人は眼と頭と心の全部がいいから実在の喜びしかない。日本人には頭だけで考える喜びや眼だけで見る喜びや心だけで思う喜びはない。日本人にとっては頭だけで考えることや眼だけで見ることや心だけで思うことは面白くもなんともない。バカは面白くないことと面白いことの区別がつかないから面白くないことで面白いふりをしているだけだ。本心では喜んでいない。空笑い[からわらい]をしているだけだ。日本人にとっては眼と頭と心の全部を使うことが面白い。日本人は生まれつきそのように出来ている。だから、日本ではみんなが実在に力を入れればいいのである。実在において心を満足する物をたくさん作ればいい。頭だけで考えることや眼だけで見ることや心だけで思うことはやっても無駄[むだ]だからやめればいい。そうすれば、日本人は最も幸福に生きることができる。
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を虐めて不幸にするために国民に頭だけで考えることや眼だけで見ることや心だけで思うことをやらせる。つまり、インド文化やヨーロッパ文化や中国文化をやらせる。国民は政府の言うことを聞くのをやめて日本文化をやらねばならない。日本人は自分が幸福になるために日本文化をやらねばならない。

[23341] どうして政府は国民にまちがった道徳をやらせるのか? h29.9.4
人間が眼で見たり心で思ったり頭で考えたりすることはすべて自分の感覚(つまり感じること)である。人間の感覚は人間の大脳にある脳細胞の神経興奮によって発生している。人間の感覚の外[そと]に実在がある。
人間は本当は実在の中に生きているのだから、実在において幸福になるようにすればいいのである。いくら人間が頭の中で空想に耽[ふけ]ったり現象に耽ったりしても、実際には人間は実在の中にいる。人間は眼と頭を使って実在を知って実在の中で自分の心を満足すればいいのである。人間が心で空想に耽ったり眼で現象に耽ったりすると実在を見失って実在がわからなくなって実在の中で生きていけなくなって不幸になる。人間が実在がわかっていないと実在の中でまちがいを犯して不幸になる。実際に、中世のヨーロッパではみんなが眼で見ることに耽っていたために実在がわからなくなって文明が衰退して大勢の人が死んだ。だから、人間が幸福に生きるためには実在を知って実在の中で自分の心を満足しないといけないのである。空想や現象の喜びに走るよりも実在の喜びを深めて広げていけばいい。そうすれば不幸にならずに喜びを深めて広げることができる。(空想とは心だけで思うことである。現象とは眼だけで見ることである。ところが、“頭だけで考えること”を表す日本語がない。日本人はあまり頭だけで考えることをしないのだろう。h29.9.5追加:それは空論[くうろん]と言う。例えば、数学は空論である。空論とは頭だけで考えることである。反対に、実論[じつろん]とは実在について考えることである。しかし、空論を経ずに実論には達せない。机上[きじょう]の空論がたまたま実在と対応したから実在が理解できるようになったのだ。微積分が実在の物体の運動とたまたま対応したから、人間は物体の運動が理解できるようになったのだ。だから、人間は頭で一生懸命考えることが大事である。私の政府論にしても、私が政府について考えているうちに、たまたま私の言葉が実在の政府と対応したから政府のことが理解できるようになったのだ。頭で一生懸命いろんなことを考えていればそのうち実在と対応が付く。何事も10年ぐらい考えないと物にならないものである。)
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府にとっては国民を虐めるのは仕事である。だから、政府は国民にまちがった道徳をやらせるのである。政府は国民に心だけで思うことや眼だけで見ることや頭だけで考えることを勧[すす]めるのである。政府は国民を虐めることが仕事だから、自分がお金を稼[かせ]いで生きるためにはどうしても国民を虐めなければならないから、自分が悪いと知りながらいやいやしかたなく国民にまちがった道徳をやらせるのである。仕事にやりたいもやりたくないもない。政府は国民を喜ばせるために、自分が嫌なのを我慢[がまん]して国民を虐めるのである。
そもそも今どき国民を虐める会社が残っているのがいけないのである。
昔の人は物が貧しくて物を使って喜びが得られなくてどうしても“虐められる喜び”を満足して喜びを得なければならかなったから自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に虐められていた。昔の人は自分のほうから政府が税金を払えと言うのを聞いて政府に税金を払っていた。今の人は物が豊かになって物を使ってたくさん喜びが得られて“虐められる喜び”を満足して喜びを得なくてもよくなったから自分のほうから政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにすればいいのである。今の人は政府が税金を払えと言うのを聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]せばいいのである。
政府は国民が税金を払うから残っているだけである。政府は自分があまり残りたくないのに、国民が政府に税金を払って政府に虐められているから、政府は国民が自分に虐められたいのだと思っていやいやながら国民を虐めているのである。国民と政府は平等である。“国民みんなや神や古臭いことに弱い国民”が政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっているのを見て自分が政府に従わねばならないと思っているだけである。国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。国民が政府に税金を払えば政府が残り、国民が政府に税金を払わなければ政府は滅ぶ。政府が残るか滅ぶかは国民が政府に税金を払うか払わないかで決まる。今の国民にとっては政府は邪魔[じゃま]である。だから、今の国民は政府に税金を払わないようにして政府を潰せばいいのである。
政府は国民を虐めながら民主主義をやっている。政府は隠れてたくさん悪いことをやって国民を不幸にしながら、国民の前でちょっとだけ善いことをやって国民を幸福にしている。政府を“猫(かぶり)”と言うのはそのためである。政府が民主主義をやるのは、政府が国民みんなに従っているふりをして“国民みんなに弱い国民”を政府に従わねばならない気持ちにさせて“国民を虐める命令”をよく聞かせるためである。そもそも政府は国民を虐める会社である。古代になって外国の文化が入ってきてから政府は虐めに加えて民主主義や国家宗教や身分制をやるようになったのである。要するに政府は国民を虐める会社である。そもそも国民が政府に虐められねばならないわけではない。国民が政府に虐められるか虐められないかは国民の自由である。昔の国民は自分が政府に虐められたかったから自分のほうから政府の言うことを聞いていた。反対に、今の国民は自分が政府に虐められたくないから自分で政府の言うことを聞かないようにすればいいのである。

[23342] 政府の学校はマゾの子供を虐[いじ]めるためにある。 h29.9.5
政府は国民を虐める会社である。政府は国民にいろんな悪いことをして国民の“虐められる喜び”を満足して国民を喜ばせる会社である。
国民と政府は平等である。国民が政府に虐められるか虐められないかは国民の自由である。国民は自分がマゾ(“虐められる喜び”のある人)なら政府の言うことを聞き、自分がマゾでなければ政府の言うことを聞かなければいい。
政府の警察はマゾを罰する機関である。政府の警察はマゾでない人を罰することができない。国民は自分がマゾなら政府の警察の言うことを聞かねばならないが、自分がマゾでなければ政府の警察の言うことを聞かなくていい。もっとも、法律(国民みんなが平和に暮らすための決まり)自体は存在するから、法律を犯せばみんなに嫌がられて社会で暮らせなくなるから、法律は守らねばならない。政府の法律は政府が国民を虐めるために作った嘘[うそ]の法律だから、マゾでない国民は政府の法律を守らなくていい。政府の法律はマゾの人を虐めて喜ばせるためにある。政府の法律はマゾの人が政府に虐められて幸福に生きるための決まりである。マゾの人が政府の法律を犯すと自分が政府に虐められなくなって不幸になるから政府の法律を守らなければならないのである。
政府の学校はマゾを教育する機関である。政府の学校はマゾでない子供を教育することができない。子供は自分がマゾなら政府の学校で教育を受けねばならないが、自分がマゾでなければ政府の学校で教育を受けなくていい。マゾでない子供は政府の学校以外の学校に行くか自分で勉強すればいい。マゾの子供は政府の学校で教育を受ければ幸せだが、マゾでない子供は政府の学校で教育を受けるとかえって不幸である。マゾの子供は政府の学校に虐められて喜ぶが、普通の子供は政府の学校に虐められて嫌な思いをするだけである。今の子供のほとんどはマゾではないから、今の子供は政府の学校で教育を受けるのが嫌なだけである。今の子供が政府の学校で教育を受けても何の役にも立たず有害無益なのは、そもそも政府の学校がマゾの子供を虐めて喜ばせるためにあるからである。政府の学校はマゾの子供を虐めて喜ばせるためにあるから、子供に悪いことをするためにあるから、子供に善い教育をせず子供の才能を伸ばしたりせず子供に役に立たないことばかり教えて子供を役立たずの大人に育てるだけである。だから、日本では有能な人間が育たず、日本でいい製品が作れず日本の製品が売れず日本の会社が儲[もう]からず、日本が貧乏な国なのである。早く国民みんなで政府を倒して政府の学校を潰[つぶ]して、本当の教育機関を建てねばならない。

[23343] 人間はどうして山に登るか? h29.9.5
人間はどうして山に登るか?それは人間に“山に登る喜び”があるからである。人間は大昔山の上に住んでいたのでいつしか“山に登る喜び”が出来てしまったのだ。人間は自分の“山に登る喜び”を満足するために山に登るのだ。しかし、今の人は文明生活に慣れているから、山の暮らしが厳しいのが嫌で、山に登ると家が恋しくなってすぐに家に帰るのだ。私は高校の山岳部にいたとき山での辛[つら]さを体験した。それと同じように人間はどうして政府に虐められるか?それは人間に“虐められる喜び”があるからだ。人間は大昔自然に支配されて自然に虐められて生きていたのでいつしか“虐められる喜び”が出来てしまったのだ。昔の人は科学をやらなかったので自然に支配されていて自然に虐められていたので“虐められる喜び”を満足して生きていた。昔の人は自分で政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。しかし、今の人は科学をやるようになって自然を支配するようになって自然に虐められなくなったので“虐められる喜び”を満足しなくなった。今の人は自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。
h29.9.7追加:今の人にとっては“山に登る喜び”よりも“文明生活の喜び”のほうが喜びが多いから山で暮らすのをやめて麓[ふもと]の町で暮らすのだ。それと同じように、今の人にとっては“虐められる喜び”よりも“文明生活の喜び”のほうが喜びが多いから政府に虐められるのをやめたのだ。今の人は科学をやるようになって物が豊かになって文明生活をするようになって“文明生活の喜び”があるからそれよりもつまらない他[ほか]の喜びを満足しなくなったのだ。昔の人にとっては“虐められること”が面白かったから政府や宗教団体や暴力団や社長やガキ大将や親などいろんな者に虐められていた。今の人にとっては“虐められること”よりも面白いことがいっぱいあるから、今の人は“虐められること”をやめたのだ。今の人にとっては文明生活のほうが虐められることよりも面白いから、文明生活をやって虐められるのをやめたのだ。今の人は政府や宗教団体や暴力団や社長やガキ大将や親などいろんな者に虐められるのをやめたのだ。
人間はより多くの喜びを求めるから、自分にとって面白いことをやって面白くないことをやめるのだ。これまでよりも面白いことが出来ると、新しい面白いことをやって古臭い面白くないことをやめるのだ。電気釜が出来ると竈[かまど]を使わなくなる。洗濯機が出来ると洗濯板を使わなくなる。PS4(プレステ4)が出来るとPS3を使わなくなる。テレビや車やパソコンが出来ると政府や酒や女や文学を使わなくなるのだ。
h29.9.8追加:電気釜や洗濯機やPS4やテレビや車やパソコンは実在の中にある喜びである。(ただし、PS4はやるゲームによる。テレビは見る番組による。)反対に、政府や酒や女や文学は実在の外にある喜びである。今は科学の時代だから、みんなが実在の中で暮らしているから、みんなが実在の中にある喜びで喜んでいるから政府や酒や女や文学は要らない。今の時代の人間には政府や酒や女や文学の喜びなんかわからない。だから、みんなが政府や酒や女や文学をやめているのである。今はみんなが実在の中で暮らしているために政府や宗教団体や暴力団のことを誤解しやすくなっているので注意しないといけない。(今の人間は実在の中で暮らしているために、今の男にとっては女が要らなくなっている。これでは人類が滅亡する。だから、『エヴァンゲリオン』では「人類補完計画」という言葉があるのである。人類補完計画とは“人間が実在の外で暮らすこと”の言い換えである。“人類補完計画”は善いことではない。科学の力で人間を作ればいいのである。そうすれば将来女が要らなくなって男だけの世界になるだろう。大脳の新皮質を働かせたほうが古皮質を働かせるよりも幸福に生きていける。女は男よりも新皮質が少ないから幸福に生きていけない。女は男よりも不幸である。動物の中で人間が一番幸福に生きて生けるのも大脳の新皮質を働かせるからである。男だけの世界になったほうが世の中が幸せになるからいい。政府は国民を虐[いじ]める会社だから、女が有利な社会にして女を増やそうとする。政府は不幸な人間を増やして国民を不幸にして虐める。みんなは政府の言うことを聞かず政府と反対のことをしないといけない。h29.9.11追加:アニメ『けものフレンズ』は、「女は男に比べて大脳の新皮質が発達していないから動物と同じだ。女は男に比べて動物だ。女は子供を産むだけの物にすぎない」ことを言っている。科学の時代になると女はそういう風に見られるのだ。(h29.9.22追加:女が結婚式のときに角隠し[つのかくし]をかぶるのは、女に角が生えているからであり、つまり女が動物だからである。女は大脳の新皮質がないから人間ではなく動物なのである。結婚式の時には女も男と同等に人間として扱われるので角隠しをかぶるのである。)昔は女は男が性欲や愛情を満足するための物だったが、今では男が性欲や愛情を満足しなくなったから女は子供を産むだけの物にすぎないのだ。今は昔よりも男と女の結合力が弱まっているのだ。将来科学が発達して人間が科学的に人間を作れるようになったら、女は要らなくなるのだ。h29.9.11さらに追加:昔はみんなが実在の外で生きる時代だった。男も女も実在の外で生きていた。男も女も心で思う世界や眼で見る世界に生きていた。だから、男と女は平等だった。男も女も両方とも生き残れた。反対に、今はみんなが実在の中で生きる時代である。男は眼と頭の両方で見るから実在の中に入れるが、女は眼だけで見るから実在の中に入れない。女は最初から眼で見るだけで実在の外だ。今は男が有利で女が不利である。今は男と女が不平等である。今は男が生き残って女が滅ぶ時代である。将来科学が発達して人間を作れるようになれば、女はいなくなるだろう。西暦27XX年には人類は男だけになって世界中の人種が入り混じってひとつの人種になっているだろう。人類は宇宙船で宇宙を探検して未開の星に上陸するだろう。そこでは、女がいたり、みんなが政府に虐[いじ]められたり戦争したり酒を飲んだり文学を読んだりして喜んでいるのを見て驚愕するだろう。)
人間は実在の中に生きているから、実在を知り実在の中で自分の心を満足する者が本当に幸福になれる。実在的な人間が幸福な人間である。人類が幸福になるためには幸福な人間を増やさねばならない。幸福な人間を増やすためには実在的な人間を増やさねばならない。実在の外にいる人間は要らない。空想や現象で喜んでいる人間は不幸な人間だからいなくなればいい。実在の外にいる人間を減らさねばならない。そうやって、みんなが幸福に暮らせる社会にしていかねばならない。
世の中には政府の命令で人前でわざとにまちがった道徳や哲学をやる者がいる。学校や会社でやたらにかっこつけたり冗談を言ったり空笑い[からわらい]をしたりする者がいる。それは、政府が国民みんなにまちがった道徳や哲学を流行[はや]らせて国民みんなを不幸にして虐めるためにやっているのである。そいつらは人前でまちがったことをやる換わりに政府に有利にしてもらって希望の大学や会社に入れるようにしてもらっているのである。みんなは自分でしっかり正しい道徳や哲学をやって政府の言いなりにならないようにして幸福に生きていかねばならない。
h29.9.9追加:今ではテレビや車やパソコンなどが出来てみんなが文明生活をするようになっている。今では人間が政府や酒や女や文学を使わなくても幸福に生きられる。頭のいい人は性欲を満足せず女と結婚せず子供を作らない。反対に、バカは性欲を満足して女と結婚して子供を作る。そのために、バカが増えて世の中がバカばっかりになっている。バカは不幸だから不幸な人間が増えている。このままでは文明が衰退して暗黒時代になって人類が滅ぶ。早急に対策をしないといけない。科学の力で頭のいい形質を持った人間を作って頭のいい人間を確保しないといけない。頭のいい人間を増やしてバカがいない社会にしないといけない。そうすれば人類は幸福に生きていけるだろう。

[23344] どうして人間は虐[いじ]められると喜ぶのか? h29.9.8
コーヒーは苦味[にがみ]が美味[おい]しいと言われている。(私はコーヒーが好きではないので、めったにコーヒーを飲まないが。これまでの人生で5回ぐらいしか飲んだことがない。最近はお茶も飲まなくなった。お茶を飲むとおしっこがたくさん出て脱水症状になって身体に悪いから、お茶も飲まなくなった。特に夏場は痔[ぢ]になるのでお茶を飲んではいけない。もっぱら水ばっかり飲んでいる。寝る前には牛乳を飲む。)
人間は不良に虐められると苦い思いをする。その苦い思いが美味しいのである。苦い思いが喜びになるのである。
昔の人はそうやって幸せに生きていた。昔の人は文明生活をしていなくてあまり面白いことがなかったから、虐める団体に虐められることで喜びを感じて生きていた。昔の人はみんなマゾだった。昔の人にとっては『自分の不幸は蜜[みつ]の味』だったのだ。もっとも、みんなは自分が虐められるのが恥ずかしいと思っていたので、虐める団体に隠れて虐めてもらっていた。エッチなことをするのが恥ずかしいので、隠れてエッチなことをするのと同じことである。
しかし、今の人は文明生活をするようになって虐められることよりももっと面白いことがいっぱいあるから、虐められるのをやめたのである。今では虐められるのは古臭いあまり面白くないことになったから、みんなが虐められるのをやめたのである。エッチなことをするのもやめたのである。
お金持ちはバカなので面白いことと面白くないことの区別が付かないので、今でも虐められているのである。バカは眼で見ることしかわからないので、虐められることは眼で見てよくわかることだし、虐められることは面白いと宣伝されているので、わけもわからずに虐められているのである。反対に、普通の人は面白いことと面白くないことの区別が付くので、面白いことをやって面白くないことをやらないので、自分の心で文明生活が面白くて虐められることが文明生活ほど面白くないことがわかるので、文明生活をやって虐められるのをやめたのである。

[23345] 人間にとっては文明生活のほうが文明以前の生活よりも面白い。 h29.9.10
人間はただ生きるだけではいけない、幸福に生きねばならない。
だから、人間は面白いことをやって面白くないことをやらない。
昔はまだ科学がなくてみんなが文明以前の生活を送っていた。文明以前の生活では竈[かまど]や洗濯板や虐[いじ]める団体(政府や宗教団体や暴力団)や軍隊(つまり戦争)や酒や女や文学や美術などが面白かった。
今は科学があってみんなが文明生活を送っている。文明生活では電気釜や洗濯機やテレビや自動車やパソコンや考えることや運動することや科学や数学などが面白い。
人間にとっては文明生活のほうが文明以前の生活よりも面白いから、文明生活をやって文明以前の生活をやめたのである。(h29.9.11補足:文明以前の生活ではいくつかの特定の感情が強く満足されることはあるが、文明生活のほうが文明以前の生活よりも総合的に喜びの量が多い。全体的に感情がよく満足される。だから、人間は文明生活をするようになったのだ。)
人間が面白く生きるためには科学をやらねばならない。だから、みんなはがんばって科学を勉強しないといけないのだ。人間が幸福に生きるためには科学の道をまっすぐ進めばいいのである。実在を知り実在の中で心を満足することを深めて広げていけばいいのである。そうすれば人類は楽園(幸福の世界)に行けるのである。人類は自分の手で楽園を創造しないといけないのである。
h29.9.12追加:今は文明社会である。今では人間が文明生活をやれば幸福に暮らせることがわかっている。マンガは文明社会に付いていけない落ちこぼれを楽しませるためにある。本来マンガは要らない物である。マンガが「文明反対!」を主張するのはワルノリである。マンガにそんなことを言う資格はない。マンガが落ちこぼれを付け上がらせてはいけない。マンガはおとなしく落ちこぼれを笑わせていればいいのである。
世の中にはわざとに古臭いまちがった考えを流行[はや]らせようとする意地悪[いじわる]な者がいる。文明に反対したり、人間にとっては見た目や空想の喜びが大事だとする者がいる。しかし、まちがった考えでは上手く行かない。かえって不幸になる。そいつらは自分が変な考えに取り付かれてそこから抜け出すことができず幸福に生きていけないから、一生懸命にまちがった考えを広めて他人の足を引っ張るのである。そいつらは自分が不幸だから他人も不幸にしたがるのだ。そうやってみんなの前で自分がくだらないまちがったことをやっているのを見せ付けてみんなの気分を害しているのだ。そいつらは自分がまちがったことをやって自分で自分を不愉快[ふゆかい]にして面白くないから悪気[わるぎ]ばっかりである。そいつらは他人を不幸にするだけで生きている価値がない。お金持ちバカはお金があり余っているから見た目や空想の喜びに耽[ふけ]っているのだ。高い服を着たりマンガを何百冊も買ったりするのだ。そうやって自分で自分を不幸にしているのだ。ざまあみろ。だから、みんなは他人のまちがった考えを受け入れないようにして正しく生きていかねばならない。みんなは文明に賛成して、実在の喜びを大事にしなければならない。
世の中から眼で見る喜びや空想の喜びのある者を消してやればいい。そいつらは幼稚園のころから進歩していない。みんなはかっこつけている店員のいる店で物を買わないようにしてそんな店を潰[つぶ]してやればいいのである。

[23346] これからは言葉の文化の時代である。 h29.9.11
これからは科学の時代である。これからの人間は眼と頭を使って実在を知って実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らさねばならない。いくら便利な発明品が出来ても、人間が自分の頭を使って発明品を使わねばならないから、人間が頭を使うことはなくならない。むしろ増える。
実在の世界は眼と頭の両方を使って見ないといけない。眼だけでは実在の世界が見えない。頭を使わなければ実在の世界が見えない。
実在は眼では見えない。眼で見るだけでは実在の世界がわからない。だから、映像だけでは実在の世界が書けない。言葉を使わなければ実在の世界が書けない。
これからは人間が実在の中で暮らす時代である。これからは映像ではなく言葉を使わねばならない。そうやってみんなが実在の世界を書いて読んで実在の世界が見えるようになって実在の世界の中で幸福に暮らさないといけない。もっとも、言葉だけでは頭だけではわかりにくいこともあるから、言葉だけではわかりにくい場合には映像を付けたほうがいい。人間が実在を見るためには眼と頭の両方を使わねばならない。

[23347] 事務員を「上の者」と呼んではいけない。 h29.9.12
社長を上の者と言うのはその会社が身分制をやっているからである。
しかし、日本はインドではないから身分制をやらない。だから、社長を上の者と言ってはいけない。社長はただたんに社長とだけ言わねばならない。
社長が偉そうにするのは、社長が会社の中の暴力団だからである。暴力団はみんなを従わせるために偉そうにするから、社長も社員を従わせるために偉そうにしているのである。社長は偉そうにするために大きい家に住んで高級車に乗って立派な服を着ているのである。しかし、日本は身分制をやらないから、偉そうにする者に従う必要はない。だから、社員は社長に従わなければいい。(インド人は頭で見て眼で見ない。インド人は眼で見えることはほったらかしである。インド人は眼で見えることを古臭いままにしておくのが好きである。インドでは古臭い者ほど偉い。例えば、インドでは動物や虐める団体が偉い。だから、インド人は動物や虐める団体を崇[あが]める。だから、インドでは動物や虐める団体がみんなが崇めることに乗じて偉そうにするのだ。それが身分制である。つまり、インドでは古臭い者ほど身分が高いのだ。インドでは動物や虐める団体が身分が高いのだ。インドでみんなが虐める団体に従うのは、虐める団体が偉そうにするからではなく虐める団体が古臭いからである。みんなが古臭い者に従うから古臭い者が偉そうにするのだ。インドでは身分制を定めることによってみんなで古臭い者を大切に保存しているのだ。)
社長の正体は社員を虐[いじ]める者である。昔はみんながマゾだったから、社員は社長に虐められて喜ぶために社長の意地悪[いじわる]な命令を聞いた。社員は自分が虐められて喜ぶために会社の中に社長を置いていた。しかし、今ではみんながマゾではないから、社員にとって社長は要らない。社員は社長の言うことを聞かなければいい。会社から社長をなくせばいい。
事務員を「上の者」と言ってはいけない。日本は身分制をやらないから、みんなが平等である。事務員は事務員とだけ言わねばならない。事務員はほとんど仕事がないから稼[かせ]ぎがない。会社では稼ぐ者ほど偉い。作業員に比べれば事務員は偉くない。事務員は仕事が楽なだけで偉くない。だから、みんなで事務員を「下の者」と呼んで軽蔑[けいべつ]してやればいいのである。日本では上の者は実在だけである。事務員は実在ではないから上の者ではない。作業員は事務員に従う必要はない。
会社の製品が売れるのは、社長やセールスマンがいい人だからではなく、製品がいいからである。製品がいい品物でさえあれば製品が売れるのである。会社の代表者は製品であって社長ではない。社長やセールスマンは関係ない。社長やセールスマンはどうでもいい。社長やセールスマンは要らない。だから、会社から社長やセールスマンをなくせばいいのである。
昔は文学の時代だったから、みんなが見た目や面白さで決めていたから、社長やセールスマンが面白ければ製品が売れたから、社長やセールスマンが必要だった。しかし、今は科学の時代だから、みんなが実質で決めるだけだから、品物がよければ売れるだけだから、社長やセールスマンは要らないのだ。
今は科学の時代である。今の人は実在を知って実在の中で自分の心を満足する。今の人は実在しか見ない。今の人は性能だけで物を見て、見た目や面白さで物を選ばない。だから、今では余計なデザインのない品物がよく売れるのだ。余計な宣伝をしない品物がよく売れるのだ。デザインがいい商品は性能が悪いのをごまかすためにデザインをよくしているから買わないほうがいい。宣伝が派手[はで]な商品は性能が悪くて売れないのを宣伝で売ろうとしているから買わないほうがいい。

[23348] 人間が幸福になる方法はいつの時代も同じである。☆ h29.9.12
そもそも人間は実在の中に生きている。だから、人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足すれば幸福になれる。それが人間が幸福に生きるための方法である。
そのことは昔も今もそうである。未来もそうである。昔の人も今の人も未来の人も変わらない。
ただ、昔は科学がなかった。つまり人間が実在を知る方法がなかった。だから、昔の人は実在を知って実在を用いて自分の心を満足することができなかった。昔の人は見た目の喜びや空想の喜びや空論(数学や論理)の喜びしかなかった。(数学は現実と空想の両方にまたがった変わった学問である。)そのために、昔の人は不幸に暮らさねばならなかった。昔の人は見た目や空想や空論で喜んでいたために実在の中で面白くない思いをしてかえって不幸に暮らさなければならなかったのである。昔の人はうわべで面白がっていただけで、本音[ほんね]では心の奥底では面白くない思いをしていたのである。
しかし、今では科学がある。つまり人間が実在を知る方法がある。だから、今の人は実在を知って実在を用いて自分の心を満足することができる。今の人は見た目の喜びや空想の喜びや空論の喜びがない。そのために、今の人は幸福に暮らすことができる。今の人は見た目や空想や空論で喜ばず実在で喜ぶようになったために幸福に暮らすことができるのである。今の人はうわべで面白がらなくなったから、本音で心の奥底で面白い思いができるようになったのである。(昔の人は眼で見る世界に生きていたから眼で見る世界で変なことがあると大声で笑っていた。今の人は実在の世界に生きているから実在の世界でうれしいことがあると心の中で喜ぶだけで笑わなくなった。)
今では科学があって、人間が実在を知って実在の中で生きることができる。今の人間は幸福に生きることができる。今の人間は幸せだ。今の人間には幸せになる方法がある。だから、今の人間は自分が幸福になるために一生懸命に科学をやればいいのである。一生懸命に眼と頭を働かせて実在を知って実在の中で自分の心を満足すればいいのである。
h29.9.14追加:オナニーをしたときに“後ろめたい気持ち”になるのは、オナニーをすると性欲が満足されていい気持ちになるが、同時に大脳の新皮質の活動が抑制されて新皮質の喜びが減って不幸になっているからである。オナニーをすると性欲が満足される替わりに文明生活の喜び特に“考える喜び”が減る。総合的には不幸になる。オナニーをすると表面的には幸福になるが本音では心の奥底では不幸になる。オナニーをすると自分で自分を不幸にするから後ろめたい気持ちになるのである。だから、オナニーはやめたほうがいい。人間はまじめに“考える喜び”を満足して生きて行って、性欲を満足してはいけない。そうすれば人間は幸福に生きていける。
日本人は多数決をしないから他人のことはどうでもいい。だから、後ろめたい気持ちになるのは他人の評判を気にしているからではない。ただ自分が不幸になるから後ろめたい気持ちがするのである。後ろめたい気持ちは自分が不幸になるサインである。だから、後ろめたい気持ちがするときはやめればいいのである。(学校では多数決をやる。たしかに学芸会のクラスの出し物は多数決で決める。しかし、数学や物理学の答えを多数決で決めることはない。数学や物理学の答えは頭で考えて決める。法律は国民みんなが平和に安全に暮らすための決まりである。法律は数学や物理と同じであって学芸会の出し物ではない。だから、法律は多数決では決めない。法律は社会のことに詳しい人が頭で考えて決める。政府は国民を政府に従わせるために民主主義をやっている。政府は国民に民主主義を植えつけるために学校で多数決をしょっちゅうやるのである。学芸会のクラスの出し物は自由が利くからどれをやってもいいから多数決で決めるのである。それに対し、数学や物理や法律は客観的に決まるから正しい答えがひとつに決まっているから多数決で決めないのである。)
h29.9.14追加:今の人は見た目や空想で喜ばず実在で喜ぶようになったために幸福に生きることができるようになった。政府は国民を虐[いじ]める会社である。だから、政府は国民に見た目や空想で喜ぶようにして実在で喜ばないようにして国民を不幸にして虐めているのだ。政府はそのためにテレビを使ってテレビで国民が見た目や空想で喜ぶようにしているのである。政府はテレビ局にお金をやって“国民が見た目や空想で喜ぶ番組”(いわゆるくだらない番組)を作らせて国民を不幸にして虐めているのだ。政府はテレビを国民を不幸にするための道具にしているのだ。国民はテレビを見てはいけない。国民はテレビで人間を不幸にする番組を見てはいけない。国民は早く政府にお金をやらないようにして政府を倒して、テレビ局に“国民が実在で喜ぶ番組”を作らせて幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23349] 日本国憲法第20条(参考 Wikipedia) h29.9.14
人間はみな平等であるから、国民と虐[いじ]める会社は平等だから、国民が虐める会社に虐められるか虐められないかは国民個人の自由である。日本国憲法第20条には宗教の自由が認められている。つまり、「国民が宗教をやるかやらないかは国民個人の自由である」とされている。しかし、これでは何を言っているのかはっきりとわからない。『国民が宗教団体に虐められるか虐められないかは国民個人の自由である』と言わねばならない。一般に、政治団体や宗教団体や暴力団は虐める会社だから、『国民が政治団体や宗教団体や暴力団に虐められるか虐められないかは国民個人の自由である』と言わねばならない。
それから、日本国憲法第20条には「政府が国家宗教をやっていない」ことが書いてある。これは嘘[うそ]である。『政府は“神に弱い国民”を政府に従わせるために国家宗教をやっている。』政府は立派な宗教団体である。政府は国民を虐める会社であり、他人に嘘をつくことは他人を虐めることだから政府は嘘をついてもいいのである。政府はほかに民主主義や身分制もやっている。政府は宗教団体であり政治団体であり暴力団でもある団体なのである。政府は政治団体と宗教団体と暴力団の3つを兼[か]ねた団体なのである。政府は主[おも]に民主主義をやっているから政治団体なのである。
h29.9.19追加:政府は表面的には「善いことをする団体」だが、本当は『マゾを虐[いじ]める団体』である。それと同じように、政府は表面的には「私や天皇を神とする国家宗教をやっていない」が、本当は『私や天皇を神とする国家宗教をやっている』。政府はいろんな物に私や天皇の情報を入れて“神に弱い国民”を政府に従う気持ちにさせている。事実は眼で見るだけではわからない。頭で考えて掘り下げないとわからないのだ。戦前は国民みんなが「日本人はヨーロッパ文化をやれば幸福になる」と思っていたから、政府は国民の前であからさまに国家宗教をやっていた。戦後は国民みんなが『日本人は日本文化をやれば幸福になる』ことがわかったから、政府は国民の前であからさまに国家宗教をやらなくなった。そのため、戦後は政府は密[ひそ]かに国家宗教をやっている。身分制はインド文化だから、政府は身分制を密かにやっている。政府はいまだに民主主義をあからさまにやっている。民主主義は中国文化だから、政府は民主主義を密かにやらねばならない。日本人は多数決をやらないから、日本人は“国民みんな”に弱くないから、国民は政府が民主主義をやるからといって政府に従う気持ちになってはいけない。日本人は“頭で考えること”や“眼で見ること”が嫌いではないから、日本人は神や古臭いことにも弱くないから、国民は政府が国家宗教や身分制をやるからといって政府に従う気持ちになってはいけない。

[23350] 人間に得意と不得意があるのはしかたがない。☆ h29.9.14
女が生物学や社会学に強いのは、女が理解することがないからである。女は大脳の新皮質が少なくて理解することがないから、その反面物事を鵜呑[うの]みにするのが得意なのである。眼で見たことをそのまま憶えるのが得意なのである。女には理解する喜びがないかわりに鵜呑みにする喜びがあるのだ。だから、女は生物学や社会科などの暗記物に強いのだ。反対に、男は大脳の新皮質が発達して理解することができるから、生物学や社会科は理解しにくい科目だから、生物学や社会科に弱いのだ。男は新皮質を働かせたほうが幸福に生きていけるから、男は新皮質を働かせようとするから理解しにくい科目はわからないのだ。人間は幸福に生きて行こうとするから、人間にとっては実在を知って実在の世界で自分の心を満足することが幸福だから、新皮質は実在をわかることができるが古皮質は眼で見ることや心で思うことしかわからないから、人間にとっては新皮質を働かせて古皮質を働かせないことが幸福だから、人間にとっては新皮質を働かせることが幸福であり古皮質を働かせることが不幸だから、男は新皮質だけを働かせて古皮質を働かせないようにするから、男にとっては新皮質でわかることだけがわかって古皮質でわかることがわからなくなるのだ。男にとっては理解できることだけわかって理解できないことがわからなくなるのだ。人間の新皮質は実在のことがわかる。一方、人間の古皮質は実在の外のことしかわからない。そのため、人間の新皮質と古皮質は対立する。だから、人間は新皮質か古皮質かどちらか一方しか働かないのである。男は数学や物理学だけわかって、生物学や社会科がわからなくなるのだ。男は生物学や社会科でいい点を取るのを諦[あきら]めて悪い点で我慢[がまん]するしかない。一流大学に行くのを諦めて三流大学で我慢するしかない。それでもまじめにがんばっていれば、そこそこ幸福には生きていける。人間は幸福に生きていければいいのだからそれでいい。その反対に、女は新皮質がなくて古皮質を働かせるしかないから、生物学や社会科のようなつまらない学問しかできないのだ。女は眼で見ることしかわからないから面白い楽しい思いができないのだ。そもそも男に生物学や社会科を勉強させたり女に数学や物理学を勉強させたりするほうがまちがっている。政府はマゾを虐[いじ]める会社だから子供を虐めるために学校で男に理解できないことを教えたり女に理解できることを教えたりするのだ。政府は男に古皮質でわかることを教えたり女に新皮質でわかることを教えているのだ。政府は子供にわざとにわからないことを教えて子供を苦しませて虐めているのだ。今の国民はマゾではないから政府の言うことを聞いてはいけない。男は数学や物理学だけを勉強して、女が生物学や社会科を勉強すればいいのだ。医者のような面白味のないつまらない仕事は女にやらせればいいのだ。そのうち学問が進めば、生物学や社会科も論理化が進んで理解できるようになるから、すべての学問を男がするようになるのだ。女の出る幕[まく]はない。
子供のうちは男もまだ新皮質が働いていないから古皮質が働いて理解できないことでも鵜呑みにできるのだ。社会科や生物学でもわかるのだ。しかし、男が中学生ぐらいになると新皮質が働くようになって理解できないことがわからなくなるのだ。理解できないことを自分を不幸にするものとして拒絶[きょぜつ]するようになるのだ。社会科や生物学が苦手になるのだ。私は高校生のころどうして自分に不得意科目があるのかわからなくて悩んでいた。社会科や生物学を勉強しようにも勉強しているとすぐに眠くなって勉強することができなかった。そのため社会科や生物学はいつも50点以下だった。人間が実在がわかると見た目や空想がわからなくなる。中学生ころになると実在がわかるようになって見た目や空想がわからなくなる。実在の世界で暮らすようになって、見た目や空想の世界とお別れする。数学や物理学は実在であり、社会科や生物学は見た目である。だから、中学生のころになると数学や物理だけわかって、社会科や生物学がわからなくなるのだ。
人間は自分の脳の構造を知れば自分に得意と不得意のあるのがわかる。それを受け入れて生きるしかない。人間は自分の不得意なことを捨てて自分の得意なことを活かして有利に幸福に生きていけばいいのだ。

[23351] 人間は実在がわかると見た目や空想がどうでもよくなる。 h29.9.14
人間が幸福に生きるためには、実在を知って実在の中で自分の心を満足しないといけない。
人間が実在を知って実在がわかると見た目や空想がわからなくなる。見た目や空想は実在ではないことだから、実在がわかると実在でないことがわからなくなるから見た目や空想がわからなくなるのである。人間が実在が見えるようになると実在でないことが見えなくなるから見た目や空想がわからなくなる。人間が実在がわかると見た目や空想がどうでもよくなって見た目の喜びや空想の喜びを満足しなくなる。人間が実在がわかると実在の喜びしか満足しなくなる。
実在のわからない不埒[ふらち]な人間ほど見た目や空想のことがよくわかって見た目の喜びや空想の喜びを満足しようとするのである。
昔は文学の時代だった。昔の人は実在のことがわからなかった。だから、昔の人は見た目や空想がよくわかった。昔の人は格好[かっこう]をつけたり冗談をよく言ったりした。
今は科学の時代である。今の人は実在のことがよくわかる。だから、今の人は見た目や空想がわからない。今の人は格好をつけないし冗談を言わないのである。
今の人は実在がわかるから見た目や空想がわからない。数学や物理は実在である。社会科や生物学は見た目である。だから、今の人は数学や物理学がわかって社会科や生物学がわからないのだ。女は大脳の新皮質が少なくて実在がわからないから実在でないことがわかるから反対に社会科や生物学がわかって数学や物理がわからないのだ。
実在がわかる人は見た目や空想がわからない。反対に、見た目や空想がわかる人は実在がわからないのだ。
今の男は実在がわかるが見た目や空想がわからない。反対に、昔の人や今の女や子供は実在がわからないが見た目や空想がわかるのだ。
人間が実在が見えるようになると実在でないことが見えなくなる。実在は論理的であり実在でないことは論理的ではない。人間が論理的なことがわかると論理的でないことがわからなくなる。人間が正しいことがわかるとまちがっていることがわからなくなる。例えば、政府がマゾを虐[いじ]める会社であることがわかると政府が善いことをする団体に見えなくなる。地球が太陽の周[まわ]りを回っていることがわかると太陽が地球の周りを回っているように見えなくなる。
人間は大脳の新皮質で実在を見て、大脳の古皮質で見た目や空想を見る。人間が実在が見えるようになると実在でないことが見えなくなるから、新皮質が働くと古皮質が働かない。人間が酒を飲むと新皮質が働かなくなって古皮質が働くようになって実在が見えなくなって見た目や空想が見えるようになる。だから、私の父親は酒を飲んでから文学を読んでいた。今の人は実在を見るから新皮質が働かねばならないから酒は新皮質の活動を妨[さまた]げるから酒を飲まない。

[23352] 物質には“感覚荷”がある。 h29.9.14
人間は細胞から出来ている。細胞はタンパク質や脂質や糖質などで出来ている。タンパク質や脂質や糖質などは原子から出来ている。だから、人間は原子から出来ている。人間は原子が組み合わさって出来ているから物である。要するに、人間は物である。人間は他の物体と同じように物である。
この世には電磁場がある。電子は電荷を担[にな]っているから、電子を動かすと電磁場に作用して電波を出したり磁石になったりすることができる。
それと同じように、この世には感覚場がある。素粒子は“感覚荷[かんかくか]”を担っているから、素粒子を動かすと感覚場に作用して局所的に感覚を発生させたり感覚波(テレパシー波)を出したりすることができる。脳細胞を構成する素粒子のどれかが“感覚荷”を持っている。素粒子は質量や電荷や色だけでなく“感覚荷”も持っているのだ。素粒子が感覚荷を持っているから、人間は感覚を感じることができるのだ。脳細胞が神経興奮すると“感覚荷”を持った素粒子が動いて感覚場に作用して局所的に感覚が発生するのだ。そのようにして、人間は眼で見たり頭で考えたり心で思ったりしていろんな感覚を感じるのだ。
人間は感覚を利用して生き残ってきた。人間は心で見て気持ちのいいことをやって気持ちの悪いことをやらないようにして生き延びてきた。しかし、人間の心は実在について正確ではなかった。人間の心には多くのまちがいがある。そこで、人間は眼と頭で実在を理解して、実在の中で自分の心を満足するようになった。そうやって人間は心だけで見るよりももっと快適に生きていけるようにしたのである。人間には実在を見る頭(知覚)があるからほかの動物よりも幸せに生きることができるのである。
人間が見た目や空想にこだわると実在を見失って実在がわからなくなって実在の中でまちがいを犯して不幸になる。だから、人間は見た目や空想を見ず実在を見ないといけない。人間は眼と頭で実在を見て、実在の中で自分の心を満足して幸福に生きていかねばならないのである。反対に、お金持ちバカは見た目や空想にとらわれて実在が見えず、実在の中で自分の心を満足できず不幸に生きていかねばならないのである。人間は実在を勉強して実在を知って実在の中に入って、実在の中でいろんなことができるようになって人間の心を満足する物をたくさん作って幸福に生きていかねばならない。人間は実在の中で生きている。人間は実在の外に出ることはできない。人間の本心はいつでも実在を感じている。本来人間は実在の世界で生きているのであって見た目の世界や空想の世界に生きているのではない。昔の人は科学がなくて実在がわからなくて実在で喜べなかったからしかたなく見た目や空想で喜んでいたのだ。今の人は科学があって実在がわかって実在で喜べるから見た目や空想で喜ばなくていいのだ。人間は見た目や空想に耽[ふけ]って実在のことがわからなくなって自分の本心を満足できなくなって不幸に生きていかねばならなくなってはいけないのである。人間は見た目や空想に耽って余計な無駄[むだ]なことをせず、実在のことだけやって実在の中で幸福に生きていけばいいのだ。そうすれば人間は最も幸福になれるのだ。そうすれば人間は先に進むことができるのだ。見た目や空想に耽って寄り道している場合ではない。

[23353] 今の国民は見た目や空想の喜びを満足してはいけない。 h29.9.15
見た目や空想は実在の外にある。人間が実在をわかるためには眼と頭の両方を使わねばならないが、見た目がわかるためには眼だけ使わねばならないし、空想がわかるためには心を使わねばならないから、人間が用いる感覚が違うから、実在の世界と見た目や空想の世界は違うのである。だから、見た目や空想は実在の外にあるのだ。つまり、人間が眼と頭の両方を使うと実在がわかるが見た目や空想がわからないし、人間が眼だけ使うと見た目はわかるが実在や空想がわからないし、人間が心を使うと空想はわかるが実在や見た目がわからないのだ。人間が使う感覚によってわかる世界が違うのだ。
だから、人間は実在がわかれば見た目や空想はわからない。反対に、見た目や空想がわかれば実在はわからない。
今は科学の時代である。今の人間は実在を知ることができる。今の人間は実在を知って実在の中でいろんなことができるようになって実在の中で心を満足して幸福に生きている。今の人間は実在がわかるようになって見た目や空想がわからないようになって幸福に暮らしている。(男が中学生ぐらいになって大脳の新皮質が働き出すと実在的なことつまり論理的にわかることしかわからなくなって非論理的なことがわからなくなる。実在だけがわかって見た目や空想がわからなくなる。数学や物理学のような論理的な学問だけわかって、社会科や生物学のような非論理的な学問がわからなくなる。男が中学生ぐらいになると頭(知覚)が働くようになって眼と頭の両方使って見るようになるから実在がわかって見た目や空想がわからなくなるのだ。大人の男にとっては眼と頭の両方を使ってわかることだけがわかることであり、それ以外のことはわからないことなのである。女が眼で見えることしかわからないために算数がわからないのと同じことである。男にとっては小学高学年のころが見た目や空想の世界から実在の世界への移行期である。)
政府は国民を虐[いじ]める会社である。だから、政府は国民を実在がわからないようにして実在の中で何もできないようにして実在の中で心が満足できないようにして国民を不幸にして国民を虐めるのである。政府は国民を実在がわからないようにするために、国民に見た目や空想をやらせている。学校で子供に社会科や生物学などの“見た目の知識”を教えたり、テレビで“国民に見た目や空想の喜びを満足させる番組”を放送させたり、国民に見た目や空想の喜びを与えるマンガを読ませたり、科学の成果を用いて見た目や空想の喜びを満足させる物を作らせたりしている。そうやって、政府は国民が見た目や空想がわかるようにして実在がわからないようにして国民を不幸にして虐めている。
今の国民は政府と関わらないようにして、“見た目の知識”を学ばないようにして、テレビやマンガを見ないようにして、科学の成果を悪用して見た目や空想の喜びを満足しないようにしないといけない。今の国民は実在を知って実在の喜びを満足するようにして幸福に暮らさねばならない。
今の人は実在を知って実在の中に入って実在の中で心を満足して幸福に暮らしている。しかし、女は眼しか見えないから実在の中に入れない。今の時代には女は幸福に生きていけない。だから、今の時代には女は要らない。女は滅んでいなくなればいい。人間が人間を人工的に作れるようにして女を要らないようにして女をなくさねばならない。
文系の人間は見た目や空想の喜びで生きている。実在の喜びを満足していない。だから、文系の人間は幸福ではない。文系の人間はうわべで幸せそうにしているだけで本心は幸せではない。文系の人間は面白くない。文系の人間はいなくなればいい。世の中から文学部をなくして文系の人間をなくさねばならない。国民みんなが実在の喜びで生きている国にしないといけない。

[23354] 人間は実在の世界で生きていって、見かけの世界や空想の世界で生きてはいけない。 h29.9.15
人間には3つの世界がある。見かけの世界と空想の世界と実在の世界がある。人間が眼だけ働かせば見かけの世界に入り、心だけ働かせば空想の世界に入り、眼と頭の両方を働かせば実在の世界に入る。(このほかに空論の世界もある。人間が頭だけ働かせば空論の世界に入る。日本ではそういう人はあまりいないからここでは除く。)
見かけの世界と空想の世界と実在の世界は違う。人間がひとつの世界がわかるようになるとほかの世界がわからなくなる。人間がひとつの世界に入るとほかの世界に入れなくなる。(日本の政府の学校教育では子供は全科目を勉強しないといけないことになっているが、これはまちがいである。政府は国民を虐[いじ]める会社だから、子供を虐めるために子供に全科目を教えて子供にわからない苦しみを与えるのである。)
人間が見かけのことを勉強して見かけの世界に入って見かけの世界でいろんなことができるようになって見かけの世界で人間の心を満足しても人間はあまり幸せにはならない。
人間が空想のことを勉強して空想の世界に入って空想の世界でいろんなことができるようになって空想の世界で人間の心を満足しても人間はあまり幸せにはならない。
人間が実在のことを勉強して実在の世界に入って実在の世界でいろんなことができるようになって実在の世界で人間の心を満足すれば人間はすごく幸せになる。『3匹のこぶた』のおとぎ話に似ている。
人間は本当は実在の世界に生きているのであって、見かけの世界や空想の世界に生きているのではない。見かけの世界や空想の世界は幻[まぼろし]である。夢みたいなものである。見かけや空想は認識だけがあって対応する実体がない。実在だけが真実であり、見かけや空想は作り事である。だから、『色即是空[しきそくぜくう]』と言うのである。人間にとっては実在の世界だけが大事であって、見かけの世界や空想の世界はどうでもいいことである。だから、人間は見かけの世界や空想の世界よりも実在の世界を優先すべきである。人間はひとつの世界にしか入れないから、人間は実在の世界に入って見かけの世界や空想の世界に入ってはいけない。人間は実在の世界に入って実在の世界の道をひたすらまっすぐ進めばいいのである。人間は実在の世界を知って実在の世界でいろんなことができるようになって実在の世界でいっぱい心を満足して幸福に暮らせばいいのである。(人間は眼で見るだけでは実在の世界に入れない。しかし、眼で見なければ実在の世界に入れない。眼で見ることを経なければ実在の世界に行けない。人間は頭で考えるだけでなく眼で見なければ実在の世界に行くことができない。インド人は頭で考えるだけだから実在の世界に行けなかったのだ。)
もっとも、人間は子供のころはまだ実在についての知識が足りないから実在がわかっていない。だから、子供には見かけや空想がよくわかる。幸い、今は科学の時代なので、実在についての知識がいっぱいある。だから、人間は実在についてよく勉強して実在の知識を増やして実在がわかるようになればいいのである。
h29.9.16追加:実在をする人間は幸福であり、見た目や空想をする人間は不幸である。政府は国民を虐[いじ]める会社だから、見た目や空想をする人間を有利にしてみんなに見た目や空想をやらせてみんなを不幸にしようとする。国民は政府の誘導に騙[だま]されないようにして実在をやって幸福に生きねばならない。国民みんなは実在をする人間を有利にしてみんなに実在をやらせてみんなを幸福にしないといけない。国民みんなで実在をやって幸福な国にしないといけない。

[23355] 人間は見た目の世界よりも実在の世界で暮らさねばならない。 h29.9.16
人間が眼だけ使って見ると「見た目の世界」しかわからない。人間が見た目の世界のことを知って見た目の世界の中でいろんなことができるようになって見た目の世界の中で自分の心を満足してもあまり幸福になれない。
一方、人間が眼と頭の両方を使って見ると『実在の世界』がわかる。人間が実在の世界のことを知って実在の世界の中でいろんなことができるようになって実在の世界の中で自分の心を満足するとすごく幸福になれる。
つまり、見た目の世界と実在の世界の違いは、人間が眼だけで見るか人間が眼と頭の両方を使って見るかの違いである。
今では人間が眼だけ使ってみるよりも眼と頭の両方を使って見たほうが幸福になれることがわかっている。だから、今ではみんなが科学を勉強して実在のことを知って実在の中で自分の心を満足して暮らしているのである。
要するに、人間が眼だけ使って物を見ると不幸になる。人間が眼と頭の両方を使って物を見ると幸福になる。だから、人間は眼と頭の両方を使って実在の世界を見て、眼だけ使って見た目の世界を見てはいけないのである。つまり、人間は見た目の世界よりも実在の世界で暮らさねばならないのである。
見た目の世界がわかる人間はクズだ。自分自身や他人を不幸にするだけだ。一方、実在の世界がわかる人間は優れた人間だ。自分自身や他人を幸福にする。だから、みんなは見た目の世界がわかる人間よりも実在がわかる人間を大事にしないといけない。そうやって不幸な人間を減らして幸福な人間を増やして世界を幸福にしないといけない。
人間にとっては物の見た目はどうでもいい。物の性能がよければいい。衣食住についても見た目はどうでもいいから性能のいい物を作らねばならない。デザインはどうでもいいから着心地のいい服や味はどうでもいいから栄養のある食べ物や外観はどうでもいいから住みやすい家を作らねばならない。それが現代的センスというものだ。

[23356] 人間は見た目にとらわれてはいけない。 h29.9.16
人間は本来実在の中に生きている。人間が脳でどんなことを認識していようが、とにかく人間は実在の中に生きている。
人間は実在の中にいるから、実在が見えるほうが実在が見えないよりも有利である。実在が見えるほうが実在を思い通りにできて幸福に生きていける。
人間が実在が見えるか見えないかは脳の働かせ方で決まる。
人間が眼と頭の両方を働かせれば実在が見えて、眼だけを働かせれば実在が見えない。眼だけを働かせれば見た目しか見えない。
だから、人間が有利に幸福に生きるためには、眼と頭の両方を働かせねばならない。眼だけ働かせてはいけない。
人間が見た目にとらわれると眼だけが働くようになって頭が働かなくなって実在が見えなくなる。この世で有利に幸福に生きることができなくなる。だから、人間は見た目にとらわれてはいけないのである。人間は実在にとらわれて生きていかねばならないのである。
そもそも人間が見た目にとらわれるのは性欲のためである。人間の大脳は古皮質が働くと新皮質が働かなくなり、逆に新皮質が働くと古皮質が働かないように出来ている。人間の新皮質は実在を認識するためにあり、古皮質は実在以外のことを認識するためにあるからである。人間が性欲を満足すると大脳の古皮質が働くようになって新皮質が働かなくなって頭(知覚)が働かなくなって眼で見ることしかわからなくなる。その結果、見た目にとらわれるのである。人間は眼だけが働くよりも眼と頭の両方が働いたほうが幸福に生きていける。だから、人間は性欲を満足してはいけないのである。
人間が性欲を満足するのは性欲についての考えがないからである。性欲について知らないからである。だから、人間は思春期に入る前にあらかじめ性欲についての知識を持っていないといけない。人間は子供のころから性欲について勉強して性欲について知っていないといけない。『性欲を満足するのは人間のクズだ。人間は絶対に性欲を満足してはいけない。性欲を満足する方法はセックスとオナニーとエロ本である。だから、人間はセックスもオナニーもエロ本もやってはいけない。』と子供に教えなければならない。

[23357] 頭を使うためにはどうすればいいか? h29.9.16
今は科学の時代である。人間が眼と頭を使って実在を知って実在の中でいろんなことができるようになって実在の中で自分の心を満足して幸福に暮らす時代である。
だから、今の人は頭を使わねばならない。頭が使えるようにならねばならない。
人間が頭を使うためには、言葉を使って自分が考えたことを表現すればいい。自分が考えたことをノートに書いたりパソコンのメモ帳に書いたりして表せばいい。自分が興味があることについて考えていればいい。毎日そんなことをしていればだんだん頭が働くようになる。もっとも、自分が言葉を使うためには他人から言葉を学ばねばならない。子供のころによく本を読むことも大事である。私は子供のころに小学館の『こども百科事典』を繰り返し何十回も読んだ。家の階段に座ってよく読んでいた。高校生のころには文庫本のプラトンやゲーテやショペンハウエルやニーチェを何べんも読んだ。考える才能を鍛[きた]えるためには、言葉を組み合わせて自分の考えを表さねばならない。しかし、子供はまだ言葉を知らないから言葉を使って自分の考えを表すことができない。私は小学低学年から中学年のころによくダイヤブロックで遊んでいた。自分が作りたい物をブロックを組み合わせて作っていた。そのころに右脳がだいぶ鍛えられたような気がする。だから、子供のころに知育玩具で遊ぶことも考える才能を鍛えるために大事である。
今はテレビやゲームがあって、みんなが子供のころからテレビやゲームをやって眼や心ばかり使って頭を使っていない。頭を鍛えていない。実在について考えていない。そのために大人になっても実在が見えない不幸な人が増えている。そんなことでは“みんなそろって地獄行き”だ。人間は幸福に生きねばならない。人間がテレビやゲームに飲まれて幸福に生きていけなくなってはいけない。人間はただ漫然とテレビやゲームをやるのではなく、自分が幸福に暮らせるようにテレビやゲームを上手に使わねばならない。国民みんなは自分の頭で考えることを大事にして、テレビやゲームをほどほどに嗜[たしな]むようにして、ドキュメンタリー番組を見たりシミュレーションゲームをやったりするようにして、実在から外に出ないようにして暮らさなければならない。

[23358] 人間は実在と見かけの両方をやれない。☆☆ h29.9.17
人間が実在がわかるためには眼(五感)と頭(知覚)の両方を使わねばならない。
人間が見た目がわかるには眼だけを使って頭を使ってはいけない。
人間が頭を使って頭を使わないことはできない。
だから、人間は実在と見た目の両方をわかることはできない。
人間は実在か見た目のどちらか一方しかやれない。

人間は本来実在の中にいる。だから、人間は実在がわかればいい。見た目は実在を眼だけで見て実在を歪[ゆが]めた姿だからわからないほうがいい。例えば、人間の眼では太陽が地球よりも小さく見えるが、本当は太陽のほうが地球よりも大きい。人間の眼では眼によって実在が変換されて見えるから、そのままの実在の姿が見えないのである。錯覚とかもそうである。
人間は実在を知って実在を自分の思い通りにして自分の心を満足して幸福に暮らせばいいのである。
昔の人間は見た目しかわからなかったから不幸に暮らしていた。今の人間は実在がわかるようになったから幸福に暮している。だから、今の人間は自分が幸福に暮らすためにがんばって実在を勉強して実在を知って実在の中でいろんなことができるようにならねばならないのだ。そうすれば他人を幸せにすることができてお金が稼[かせ]げるから裕福に暮らすことができる。

[23359] 世界を実在がわかる人だけにしないといけない。 h29.9.17
人間は見た目の世界にも空想の世界にも生きていない。人間は本当は実在の世界に生きている。だから、人間は実在がわかるようになって実在の世界でいろんな物を作っていろんな物を使って自分の心を満足して幸福になればいい。
昔の人は実在の世界に生きていなかったから幸福になれなかった。昔の人はしかたなく見た目や空想で喜ぶしかなかった。昔の人にとっては実在はわからなかったからどうでもよく、見た目や空想が大事だった。昔の人は眼や心だけで動いていた。
今の人は実在の世界に生きているから幸福になれる。今の人は実在で喜ぶだけで、見た目や空想がバカらしくて喜ばない。今の人にとっては実在だけが大事であり、見た目や空想はどうでもいい。今の人は眼と頭と心の全部で動いている。
人間が幸福になるためには実在の世界がわからねばならない。実在の世界がわかる人が幸福であり、実在の世界がわからない人が不幸である。実在がわかる人を増やして実在がわからない人を減らして世界を実在がわかる人だけにしないといけない。そうやって幸福な人間だけからなる世界にしないといけない。

[23360] 人間が実在でできることが増えればそれだけ人間は幸福になる。 h29.9.17
人間は見た目の世界にも空想の世界にも生きていない。人間は本当は実在の中に生きている。だから、人間が実在を自分の心を満足するように作り変えれば人間は幸福に暮らせる。
昔の人は実在がわからなかったから実在をどうしようもなかった。昔の人は自分の心を満足できず不幸だった。
今の人は実在がわかるから実在をどうにかできる。今の人は自分の心を満足できて幸福である。
人間は何でもできるわけではない。人間にできることとできないことは実在が決める。人間は実在でできることだけできる。実在でできないことは諦[あきら]めねばならない。だから、人間は自分の心のすべてを満足できない。人間は当時の人間が実在でできることの中で自分の心を満足できるだけである。人間が実在の中でできることは年々増えているから、人間は年々幸福になっている。
人間が幸福に生きるためには実在がわからねばならない。実在がわかる人が幸福であり、実在がわからない人が不幸である。実在がわかる人を増やして実在がわからない人を減らさねばならない。見た目や空想がわかる人は実在がわからないからなくさねばならない。そうやって実在がわかる人だけにしないといけない。
見た目の世界や空想の世界と実在の世界は違う。見た目や空想がわかる人と実在がわかる人は違う世界に住んでいる。だから、実在がわかる人は見た目や空想がわかる人の言うことを聞く必要はない。無視すればいいのだ。そういう時代遅れの連中の言うことを取り合わなければいいのだ。

[23361] 人間がいくら見た目や空想でいろんなことをしても実在では何もしていない。 h29.9.17
人間は見た目や空想の世界にはいない。人間は本当は実在の世界にいる。
人間は見た目や空想の世界では幸福になれない。見た目や空想の世界は実在の外にあるから作り事の世界だから、人間がいくら見た目や空想で心を満足しても、実在の中では何もしていないから実在の中では自分の心を満足していないから人間は幸福になれない。無駄[むだ]なことをやっているだけである。本音[ほんね]では全然面白くない。人間が自分で勝手に作り事の世界を作り出して、そこで作り事の幸福を感じているだけである。作り事の喜びを満足しているだけである。人間の本心と噛[か]み合っていない。それは嘘[うそ]の幸福であって本当の幸福ではない。
人間は実在の世界で幸福になれる。人間が実在の世界で心を満足すると人間の本心が満足されるから人間は幸福になれる。
だから、人間は見た目や空想の世界に入らず実在の世界に入ればいい。人間は実在の世界の中で進んでいけばいい。人間は見た目や空想を知らず見た目や空想で余計なことをせず、実在を知って実在の中でいろんなことができるようになって自分の心を満足すればいい。
人間にとっては実在は幸福のもとであり、見た目や空想は不幸のもとである。世の中から見た目や空想をなくして実在だけにすればいい。そうすれば人間は最も幸福になれる。早くそんな社会にしないといけない。見た目や空想がわかる人間を滅ぼして、実在がわかる人間だけにしないといけない。子供にとってもそのほうが幸福である。虐められる喜びや麻薬の喜びや性欲の喜びも不幸のもとだからやめましょう。
見た目や空想は昔の人がやっていた古臭い風習である。実在に比べれば見た目や空想はつまらない。見た目や空想よりも実在のほうがずっと面白い。今の人は見た目や空想をやめて実在をやらねばならない。
早くみんなで実在を知って実在の中でできることを増やして心をたくさん満足できるようにして幸福に暮らさねばならない。
今は科学の時代だから実在をやらねばならない。科学の時代に見た目や空想をやるのはまちがっている。日本人はインド人みたいにひねくれたことをしてはいけない。日本人は素直[すなお]に実在をやらねばならない。
日本人が個人の自由を認めすぎるのは意地悪[いじわる]である。他人の足を引っ張ることである。他人がくだらない欲望に引っかかって不幸になるのを黙[だま]って眺[なが]めることである。国民みんなで見た目や空想や虐められることや性欲や麻薬などがいけない法律を定めてそれをみんなで守ることにすればいい。そうすれば、日本はみんなが不幸にならずに幸福に生きていけるいい国になるだろう。
今はみんなが実在の中で暮らす時代である。実際にそうやってみんなが幸福に暮らしている。みんなが実在の中にいるかぎり、みんなは見た目や空想の世界の外にいるから見た目や空想が要らない。だから、今では見た目や空想を禁止すればいい。そうやって、みんなが実在の中で暮らすようにして、みんなが眼と頭で実在を知って実在の中で自分の心を満足しないといけないようにして、実在についての知識や技術を発展させてみんなが実在の中で幸福に暮らせるようにすればいい。

[23362] どうして都会者[とかいもの]はバカなのか?☆ h29.9.17
都会は建物ばっかりで自然がない。テレビしかない。
テレビは見た目と空想ばっかりである。テレビは頭を使わなくてもわかる。
都会者は子供のころからテレビばっかり見ている。
だから、都会者はバカなのである。都会者は頭を使わないからバカなのである。(おとぎ話の『ピノキオ』に出てくる遊園地は都会のことである。都会に住んでいると毎日遊び回ってバカなロバになるのである。)
反対に、田舎[いなか]は建物がなくて自然ばっかりである。テレビがない。
自然は実在だから眼と頭を両方を使わないとわからない。
田舎者[いなかもの]は子供のころから実在ばっかり見ている。
だから、田舎者は利口なのである。田舎者は頭を使うから利口なのである。
都会者は子供のころからテレビばっかり見ている。テレビは見た目と空想の塊[かたまり]である。だから、都会者は見た目と空想がよくできるのである。都会者は見た目と空想が得意で上手なのである。そのかわり実在が苦手なのである。
反対に、田舎者は子供のころから自然ばっかり見ている。自然は実在である。だから、田舎者は実在がよくできるのである。田舎者は実在のことが得意で上手なのである。田舎者は実在でいろんなことができる。(私はあまりできないが。私の父親やおじいさんはいろんなことができる。私のおじいさんは山師[やまし]だから自分で山小屋を建てたり鳥かごを作ったりする。)そのかわり見た目と空想が苦手なのである。
人間は自分が育った環境に応じて能力が発達する。だから、都会者は見た目と空想の才能があり、田舎者は実在の才能があるのである。
都会者と田舎者は感性が違う。都会者と田舎者は気が合わない。
しかし、今は科学の時代である。人間は実在に適応しないといけない。人間は実在がわかって実在でいろんなことができないといけない。だから、今は都会者よりも田舎者の時代なのである。今は田舎者が上で都会者が下である。今は田舎者が都会者に対して偉そうにしていいのである。都会者はテレビ病に罹[かか]っている。だから、田舎者が都会者の真似[まね]をしてはいけない。

[23363] 人間は実在で幸福にならねばならない。 h29.9.17
人間は見た目や空想の世界に生きていない。人間は本当は実在の世界に生きている。だから、人間が幸福になるためには眼と頭を使って実在を知り実在の中でいろんなことができるようになって実在の中で自分の心を満足しないといけない。
見た目や空想の世界は作り事の世界である。人間の脳が作り出した架空の世界である。だから、見た目や空想の世界では作り事の幸福しか得られない。本当の幸福が得られない。見た目や空想の世界にはチャラチャラしたかったるい嘘[うそ]っぽい幸福しかない。人間が子供のころはまだ実在がわかっていないから自分の脳が作り出した架空の世界にとらわれているから見た目や空想しかわからないのである。人間が歳をとって実在のことがわかってくれば自分の脳が作り出した架空の世界のことがわからなくなって見た目や空想がわからなくなる。結局人間は実在の世界に行ってしまうのだ。例えば、私は子供のころはオバケや奇形がすごく怖かったが、今ではそれほど怖くない。
人間は実在で幸福になれる。見た目や空想の世界では幸福になれない。だから、人間は見た目や空想を知らないようにして見た目や空想では何もしないようにして、実在を知って実在でいろんなことをやって幸福にならねばならない。
見た目や空想の幸福よりも実在の幸福のほうがより多くの喜びが得られる。深い喜びが得られる。だから、人間は実在をやって見た目や空想をやってはいけない。そのほうが人間がもっと幸福になれる。

[23364] 人間にとっては作り事と実在とどちらのほうが幸福か? h29.9.17
見た目は眼で見る空想である。見た目や空想の世界は作り事の世界である。人間がテレビだけ見ていれば作り事の世界で生きていける。人間にとっては作り事の世界と実在の世界のどちらのほうが幸福になれるだろうか?
人間が若いうちは実在がわかっていない。作り事しかわかっていない。だから、若いうちは作り事の世界のほうが幸福である。
しかし、人間は歳を取るといやがうえにも実在がわかってくる。作り事がわからなくなる。人間は歳を取ると実在でしか幸福になれなくなる。人間は本当は実在の中で生きているから、実在の中に長くいると実在がわかってくるのである。人間はテレビだけ見て生きていくわけにはいかないから実在を見ないと生きていけないから、実在のことがだんだんわかってくるのである。
昔は人間の寿命が短かったから人間は実在がわかるところまで行かなかった。人間は作り事しかわからなかった。昔の人は見た目や空想の喜びしかなかった。
今は人間の寿命が長いから人間が実在がわかるところまで行く。人間が作り事がわからないところまで行く。今の人は若いころの一時[いっとき]見た目や空想の喜びがわかるだけで、その後はずっと実在の喜びしかわからない。だから、今の人は作り事よりも実在を大事にしたほうがいい。
……(間[ま])……
作り事と実在は相反[あいはん]する。だから、人間が作り事がわかると実在がわからない。反対に、人間が実在がわかると作り事がわからない。人間が作り事の喜びがわかると実在の喜びがわからなくなる。反対に、人間が実在の喜びがわかると作り事の喜びがわからなくなる。
今は科学が発達して実在の喜びが増えている。作り事以外の喜びが増えている。今後はますますそうなる。反対に、作り事の喜びは昔も今もそんなに変わらない。作り事の世界はマンネリである。今では作り事の喜びよりも実在の喜びのほうが多い。だから、今では人間は作り事の喜びよりも実在の喜びを選んだほうがいい。
昔は科学がなくて人間が実在のことがわからなくて実在で何もできなくて実在で自分の心が満足できなかった。実在の喜びがなかった。だから、昔の人は作り事の喜びをやるしかなかった。
しかし、今は科学があって人間が実在のことがわかるようになって実在でいろんなことができるようになって実在で自分の心が満足できるようになった。今では実在の喜びがたくさんある。今では作り事の喜びよりも実在の喜びのほうが多い。だから、今の人は実在の喜びをやるほうがいい。
今では実在の世界が発展して人間が実在で幸福に暮らせるようになっている。今では新しい物がたくさん出来て新しい物を使って楽しく暮らせるようになっている。今では実在の喜びがたくさんある。人間が新しい物を使うためには頭を使わねばならない。人間が眼と心だけを使って生きるよりも、眼と頭と心を使って生きたほうが幸せに暮らせるようになっている。だから、今の人は作り事の世界よりも実在の世界で生きたほうが幸福なのである。もっとも、子供はまだ実在の知識がなくて実在がわかっていなくて作り事の世界しかわからないから、子供は実在の世界よりも作り事の世界のほうが幸福である。子供は作り事で喜んでもいい。それが子供の特権である。
例えば、今では高知県高知市の鏡川は治水工事が進んで土手がコンクリートで固められている。景観が台無しだが、そのおかげで浸水が免[まぬが]れている。みんなが雨の多い時期でも快適に暮らせるようになっている。眼と心で見れば不快だが、眼と頭と心で見れば満足である。今の人は眼と頭と心で見るようになっているから喜んでいるのである。

[23365] 人間にとっては見た目や空想の世界と実在の世界とどっちが幸福か? h29.9.17
人間が見た目と空想の世界で生きていくか実在の世界で生きていくかの違いは、人間が眼と心だけを使うか人間が眼と頭と心の全部を使うかの違いである。
人間が眼と心だけ使って生きていくよりも人間が眼と頭と心を使って生きていくほうが幸福である。人間が眼と心だけ使うと特定の感情が強く満足されることはあるが、人間が眼と頭と心の全部を使ったほうがより多くの感情をより多く満足することができて総合的には多くの喜びを得ることができてもっと幸福に暮らせるのだ。人間が眼だけ使うよりも眼と頭の両方を使ったほうが広い世界が見えていろんなことができてそれだけ多く自分の心を満足できるから、人間が眼だけ使うよりも眼と頭の両方を使ったほうが幸福になれるのである。
実際に、今の人は科学をやって眼と頭と心を使って生きている。昔の人は科学をやらず眼と心だけ使って生きていた。実際に人間が科学をやるほうが科学をやらないよりも幸福に暮らせるから、人間は科学をやることにしたのである。実際に人間が眼と心だけ使うよりも眼と頭と心の全部を使ったほうが幸福だから、今の人は科学をやっているのである。
人間が眼と心だけを使うと見た目の喜びや空想の喜びは強く満足されるが、それ以外の感情は満足されない。人間が眼と頭と心の全部を使うと見た目の喜びや空想の喜びは満足されないが、それ以外のいろんな感情が満足される。実在のいろんな喜びが満足される。使い心地がいい喜びや性能がいい喜びや健康である喜びや快適に暮らせる喜びなどが満足される。(ほかにもいろいろあるだろうがよくわからない。h29.9.18追加:実在の喜びとは、例えばテレビや自動車やパソコンの喜びである。テレビは遠くの物を見ることができる。自動車は遠くに行くことができる。パソコンは自分の考えをみんなに言うことができる。テレビや自動車やパソコンは人間に多くの喜びを与えてくれる。)人間が眼と心だけ使うよりも眼と頭と心の全部を使うほうが多くの感情が満足されてもっと幸福である。だから、人間は眼と心だけ使うよりも眼と頭と心の全部を使うのだ。昔の人は文明が低くて生きるのがやっとで頭を使う暇がなかったからしかたなく眼と心だけで生きていた。今の人は文明が高くなって余裕を持って生きていて頭を使う暇があるから眼と頭と心の全部で生きている。今の人は幸せなのだ。都会者はテレビのために頭が働かなくなって不幸に暮らさねばならなくなっている。かわいそうだ。
人間が頭を使うと新しいことができたり便利な物が出来たりする。それだけ楽しみが増える。苦しみを減らすことができる。例えば、『政府がマゾを虐[いじ]める団体である』ことがわかって、今の国民はマゾではないから政府の言うことを聞かなくていいことがわかる。政府に税金を払わなくていいことがわかる。例えば、『人間が性欲を満足すると大脳の古皮質の興奮性が高まって精神分裂病に罹[かか]る』ことがわかって、精神分裂病に罹りたくなければ性欲を満足してはいけないことがわかる。例えば、大日本除虫菊株式会社(キンチョー)が『ダニがいなくなるスプレー』を作ってくれたから、それをふってダニを退治することができる。反対に、人間が頭を使わないと見た目の喜びや空想の喜びしかない。人間が頭を使うほうが頭を使わないよりもずっと幸せに暮らせる。だから、人間は頭を使うのだ。今では人間が頭を使うほうがみんなが幸福に暮らせることがわかっている。だから、今の人間は頭を使うのだ。

[23366] 人間にとっては見た目や空想よりも実在のほうが大事である。☆ h29.9.18
見た目や空想と実在は相容[あいい]れない。人間が見た目や空想がわかると実在がわからないし、反対に人間が実在がわかると見た目や空想がわからない。([23358]参照。)
人間が見た目や空想がわかると実在がわからない。人間が実在がわからないと実在が思い通りにならない。人間が実在によって不幸な目に合わされる。実在が人間に悪いことをする。そのために、昔の人はさんざん実在に虐[いじ]められて“虐められる喜び”さえあったのだ。たとえ人間が見た目や空想の喜びがあっても、実在によってさんざん不幸な目に合わされるので、総合的にはマイナスである。昔の人は不幸に暮らしていたのである。だから、精神に異常を来たして“虐められる喜び”なんかがあったのだ。昔の人の生活は想像を絶するぐらい悲惨[ひさん]だった。
反対に、人間が実在がわかると見た目や空想がわからない。人間が実在がわかると実在を思い通りにできる。人間が実在によって不幸な目に合わされるのを防げるどころか、実在を利用して幸福に生きていける。実在が人間を幸福にしてくれる。そのために、今の人は“虐められる喜び”がなくなっている。たとえ人間が見た目や空想の喜びを失っても、実在によって幸福な目に合わされるから、総合的にはプラスである。今の人は幸福に暮らしているのである。
人間が見た目や空想がわかって実在がわからないよりも、人間が実在がわかって見た目や空想がわからないほうが幸福に暮らせる。だから、実際に今の人は実在がわかって見た目や空想がわからない暮らしをしているのだ。今の人はだんだん実在がわかって見た目や空想がわからなくなりつつあるのだ。
人間が幸福に生きるためには見た目や空想のことをやらず実在のことをやらねばならない。ところが都会者や女は見た目と空想のことしかわからず実在のことは何もわからない。都会者や女は見た目と空想のことばかりやって実在のことは何もやらない。都会者や女は要らない。政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を虐めるために国民を不幸にする政策をやる。だから、たとえ政府が田舎者都会者平等政策や男女平等政策を定めてもみんなはやらなければいい。みんなは田舎者を都会者よりも優遇にして男を女よりも優遇にして都会者や女を滅ぼせばいい。都会者も女も実在で喜ぶ人種ではない。都会者や女は実在を嫌う人種である。今は科学の時代だからみんなが実在をやらねばならない。今の時代は都会者や女は不幸である。だから、都会者や女をなくしてやればいいのだ。

[23367] どうして私の顔は悪いのか? h29.9.19
私の顔は悪い。表情が歪[いびつ]である。それは生まれつきのせいである。しかし、それだけではない。私は実在の喜びを満足して、それ以外の喜びを満足していないから顔が悪いのである。
顔がいい人間は見た目や空想の喜びを満足しているから顔がいいのである。見た目の喜びを満足している人間は自分の見た目をよくしているから顔がいいのだ。あるいは、顔がいい人間は性欲を満足しているから顔がいいのである。
私が中学3年生のころオナニーをやって性欲を満足していた。そのころは私は顔がよかった。父親が私の顔がよくなったのを見て喜んでいた。だから、人間は性欲を満足すると顔がいいのだ。人間が性欲を満足すると異性をひきつけるために顔がよくなるように出来ているのだ。しかし、性欲を満足していたために私は精神分裂病に罹[かか]ってしまった。性欲を満足すると精神分裂病に罹りやすくなるから、性欲を満足してはいけない。性欲を満足すると知覚が働かなくなって実在がわからなくなって実在の喜びがなくなって不幸になるから、性欲を満足してはいけない。(ヨーロッパのギリシア時代には息子がオナニーをしていると父親に殺された。ギリシア時代にはみんなが考えることを大事にしていたから、性欲は考えることの邪魔[じゃま]だから、オナニーやセックスをすると殺されたのである。ギリシア時代にはヨーロッパがインドや中国の文化を取り入れていてインドや中国文化が盛んでヨーロッパ文化は下火[したび]だった。インド文化では頭で考えることが国民の義務だから、ギリシア時代にはヨーロッパではみんなが頭を使って考えていたのである。そんな時代にソクラテスが考えることをみんなに勧[すす]めて神を冒涜[ぼうとく]したって咎[とが]められるはずがない。『ソクラテスの弁明』は嘘[うそ]だ。後世の贋作[がんさく]だ。人間が幸福に生きるためには自分の国の文化をやればいい。しかし、ヨーロッパ人はそうはいかない。ヨーロッパ人が自分の国の文化をやると眼で見ることしかやれなくなって頭で考えることができなくなって原始時代に戻って幸福に暮らせなくなる。ヨーロッパ人が幸福に生きるためには自分自身を否定しないといけない。科学の時代に女が幸福に暮らせないのと同じである。そのため、ヨーロッパの近代にはヨーロッパ人がヨーロッパ人を皆殺しにした。ヨーロッパ人は自分がヨーロッパ人であることをやめてみんながインド人と結婚してハーフになったのだ。そうやって、ヨーロッパ人は自分が眼で見て頭で考えることができるようにして科学をやるようになったのである。一方、日本人は世界中の人間の混血だから生まれつき眼と頭と心が均等に使えるから生まれつき科学がやれる。日本人は昔から科学がやれる。日本人は今でも自分の国の文化をやって幸福に暮らしていけるのである。もっとも、日本だけでやっていくわけではない。日本は小国だから外国文化に頼らざるを得ない。日本は日本文化で受け入れられる外国の文化は取り入れる。人間にも限界がある。人間が幸福になるには限界がある。そこを乗り越えるためには人間が機械化されないといけない。しかし、そこまでいくためにはしばらく人間のままでがんばるしかない。人間のままで幸福になることを考えねばならない。)
人間が幸福に生きるためには実在の喜びを満足して、見た目や空想の喜びや性欲を満足してはいけない。人間が幸福に生きると必然的に顔が悪くなるのだ。幸福な人間は顔が悪いのだ。だから、顔が悪い人はもっと自分の顔の悪さに自信を持たねばならない。

[23368] みんなは実在をやって見た目や空想をやってはいけない。 h29.9.20
人間は実在と見た目や空想の両方をやることはできない。人間は実在か見た目や空想のどちらか一方しかやれない。
人間が幸福に生きるためには実在のことをやって見た目や空想のことをやってはいけない。だから、みんなは実在のことをやって見た目や空想のことをやってはいけない。
都会者や女は見た目や空想が好きで実在が嫌いである。都会者や女は実在のことをやらず見た目や空想のことばかりやっている。
マンガ家は実在が嫌いである。マンガ家は見た目や空想が好きで実在が嫌いだからマンガを描[か]いているのである。
都会者や女やマンガ家は人間が不幸になることをしている。だから、みんなは都会者や女やマンガ家のやることを真似[まね]てはいけない。マンガにはマンガ家の実在を嫌う心が描かれている。だから、みんなはマンガを読んではいけない。
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を不幸にして虐めるために都会者や女やマンガ家を有利にして国民に実在を嫌う心を植え付けようとしている。政府は国民を実在を嫌いにさせて見た目や空想を好きにさせて見た目や空想のことばかりやって実在のことをやらないようにさせている。みんなは政府の誘導に引っかからないようにして都会者や女やマンガ家を真似て見た目や空想が好きになって実在が嫌いになってはいけない。みんなは見た目や空想をやらず実在をやらねばならない。みんなで早く政府にお金をやるのをやめて政府を倒して都会者や女やマンガ家を有利にしないようにして都会者や女やマンガ家を滅ぼさないといけない。
みんなはいつまでも実在と見た目や空想の分かれ道で立ち止まっていてはいけない。どちらか一方の道を選んで進まなければならない。人間は実在をやって見た目や空想をやらなければ幸福になれる。だから、みんなは実在への道を進まねばならない。まじめに幸福への道を進まねばならない。世の中から見た目や空想をなくして実在だけの国にしないといけない。子供にはマンガではなく易しい実在の本を与えればいい。そのほうが子供が喜ぶ。実際、私もそうだった。
スポーツ選手は頭で考えるのが嫌だからスポーツをやっているだけである。スポーツはバカの取り柄[とりえ]である。スポーツ選手は実在の外にいる。スポーツ選手は実在が嫌いである。スポーツ選手も見た目と空想しかわからない。スポーツを見ているとスポーツ選手の実在が嫌いなのがうつる。だから、みんなはスポーツを見てはいけない。スポーツは見るものではなく、自分がやるものである。同じように、芸能人は頭で考えるのが嫌で実在がわからず見た目と空想しかわからない。芸能人を見ているとバカとアホがうつる。だから、みんなは芸能番組を見てはいけない。

[23369] 政府は“国民を虐[いじ]める団体”と“民主主義をやる団体”が組んで出来た団体である。 h29.9.23
政府は“国民を虐める団体”と“民主主義をやる団体”が組んだ団体である。
“国民を虐める団体”は国民にいろんな悪いことをやって国民を不幸にして国民を虐める。国民を虐める団体は国民に嫌がらせの命令を出して国民を虐める。政府は国民に命令して国民からお金(税金)を取ったり、国民を貧乏にする経済政策をやったり、国民を嫌がらせる法律を定めたり、国民を不幸にする文化をやらせたり、勝手に事故を起こして国民を殺したりする。
“民主主義をやる団体”は、自分が“国民みんな”に従うふりをして“国民みんな”に弱い国民を政府に従う気にさせる。民主主義をやる団体は国民みんなに従うふりをするためにちょっとだけ善いことをやる。法律や学校や水道や役所の仕事をやっている。たまに善い政策をやったりする。そうやって民主主義をやる団体は国民みんなに従うふりをして国民みんなに弱い国民を政府に従わせて“虐める団体”の言うことをよく聞きくようにさせて高い税金を取って儲[もう]けている。政府はほかに国家宗教や身分制をやって“神”や“古臭い物”に弱い国民を政府に従う気にさせている。
弥生時代以前には政府は国民を虐める団体だけだった。弥生時代になって日本が外国の文化を取り入れるようになってから民主主義をやる団体が加わった。政府は国民を虐める団体に民主主義をやる団体が組んで出来た団体である。国民を虐める団体と民主主義をやる団体は共生関係にある。植物細胞とミトコンドリアが組んで動物細胞になっているようなものである。
そもそも政府と国民は平等である。だから、国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。日本人は“国民みんなにも神にも古臭い物”にも弱くないので昔から政府に従っていない。政府と平等に付き合っている。
昔の国民は科学をやらなかったので自然に支配されて自然に悪いことをされて“虐められる喜び”があった。つまり、昔の国民はマゾだった。昔の国民は自分の“虐められる喜び”を満足するために自分から政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んでいた。
反対に、今の国民は科学をやっているので自然を支配して自然に善いことをさせるようになって“虐められる喜び”がない。今の国民は自分の“虐められる喜び”を満足しなくなって自分から政府の“国民を虐める命令”を聞くのをやめて政府に虐められないようにしている。ただし、一部の国民は自分が“虐められる喜び”がなくなったために政府のことがわからなくなって、テレビや新聞で政府が民主主義をやっているのを見て「政府が善いことをする団体だ」と誤解して政府に従っている。
今の国民は自分で政府の命令を聞かないようにしている。日本人は多数決をやらないので、日本人はわがまま勝手にやっていいので、日本はみんなが自由に自分の好き勝手にやっていい国なので、他人が政府に従っていても自分は政府に従わなくていい。今の国民は自分で政府の“国民を虐める命令”を聞かないようにして快適に暮らしている。今の国民は政府の税金の命令を聞くのをやめて政府に税金を払わなくなっている。政府はお金が儲からなくなって潰[つぶ]れている。
宗教団体や暴力団も政府と同じ国民を虐める団体である。宗教団体は宗教をやって“神”に弱い国民を従わせる。暴力団は身分制をやって“古臭い物”に弱い国民を従わせる。しかし、今は国民が虐められる喜びがない。だから、今は国民が宗教団体や暴力団の言うことを聞くのをやめている。今の国民は宗教団体や暴力団にお布施[おふせ]やミカジメ代を払うのをやめている。宗教団体や暴力団はお金が儲からなくなって潰れている。
h29.9.25追加:今の政府は国民がおとなしく政府の言うことを聞いて政府に虐められているから「今の国民はマゾだ」と思って国民を虐めているのである。国民が自分で政府の言うことを聞くのをやめないかぎり政府は国民を虐めつづける。だから、国民が政府に虐められたくなければ、自分のほうから政府の言うことを聞かないようにしないといけない。国民は勇気を出して自分で政府の命令を無視しなければならない。黙って政府の命令を聞くのをやめねばならない。

[23370] バカ芸人をテレビに出してはいけない。 h29.9.24
テレビにバカ芸人が顔を出している。例えば、蛭子能収[えびすよしかず]がコマーシャルに顔を出している。
すると、みんなはバカ芸人を真似[まね]て自分もバカをやろうとする。みんなは「今はバカの時代だ」と思って自分もバカになろうとする。
バカ芸人がテレビに出ているのはみんなが決めたからではない。テレビ局の独断である。バカはテレビを見るが、利口はテレビを見ない。バカほどテレビをよく見る傾向がある。テレビ局はみんながバカになったほうが視聴率が上がってスポンサーが多く付いて儲[もう]かるからバカ芸人をテレビに出しているのである。政府もみんながバカになったほうがみんなが不幸になってみんなを虐[いじ]めることになるからバカ芸人をテレビに出しているのだ。
みんなはテレビの見すぎである。テレビを見すぎるとバカ芸人の顔を見すぎてバカがうつって自分もバカになる。自分が見たい番組だけを録画して見ないといけない。
人間は頭を使うほうが頭を使わないよりも幸福に生きることができる。人間は見た目や空想しかわからないよりも実在がわかるほうが幸福に生きることができる。だから、みんなは頭を使って眼と心も使って幸福に暮らさないといけない。
マンガ家や小説家を頭がいいと思ってはいけない。マンガ家や小説家はバカである。マンガ家や小説家は見た目や空想をベラベラしゃべっているだけである。頭で考えてしゃべっていない。実在のことをしゃべっていない。マンガ家や小説家は頭で考えるのが嫌いな人間である。マンガを描[か]いたり小説を書いたりするのはバカの才能である。今の時代にはマンガ家も小説家も要らない人間である。マンガや小説を読むと“頭で考えるのが嫌いな気持ち”がうつる。マンガや小説は他人を不幸にする。みんなはマンガや小説を読んではいけない。
人間は見た目や空想がわかるよりも実在がわかるほうが幸福に暮らせる。人間は実在がわからないよりも見た目や空想がわからないほうが幸福に暮らせる。見た目や空想がわかる者は不幸であり、実在がわかる者が幸福である。見た目や空想がわかる者は道徳的にまちがっている。実在がわかる者は道徳的に正しい。だから、見た目や空想がわかる者を減らしてなくして、実在がわかる者を増して実在がわかる者だけにしないといけない。だから、見た目や空想がわかる者の待遇を悪くして、実在がわかる者の待遇をよくしないといけない。見た目や空想の仕事をする者を安月給にして、実在の仕事をする者を高給にしないといけない。けっして「実在の仕事よりも見た目や空想の仕事のほうが上の仕事だ」と思って、実在の仕事をする者が見た目や空想の仕事をする者にお金を貢[みつ]いではいけない。そうやって、不幸な人間をなくして幸福な人間だけにしてみんなが幸福に暮らす国にしないといけない。

[23371] 政府は見た目や空想をやる人も虐[いじ]める。 h29.9.25
人間は見た目や空想をやるよりも実在をやったほうが幸福に生きていける。
政府は国民を虐める団体である。
そのため、政府はみんなに見た目や空想をやらせて実在をやらないようにさせてみんなを不幸にして虐める。例えば、学校の教科書にマンガや小説を載せたり数学や物理学をやたら難しくしたりしてみんなに見た目や空想を好きにならせて実在を嫌いにさせている。
かといって、見た目や空想をやる人が幸福に生きていけるわけではない。
さらに、政府は見た目や空想を面白くないようにして見た目や空想をやる人が幸福に暮らせないようにする。政府は国民を虐める団体だから、見た目や空想をやる人も虐めなければならないから、見た目や空想も面白くないようにして不幸にして虐めるのである。
例えば、今のマンガの話が面白くないのはそのためである。今のマンガの絵が面白くないのもそのためである。テレビのお笑い番組がつまらないのもそうである。服も面白くない。アニメ『ドラえもん』のキャラクターの服が汚いのは、政府が子供に汚い服を着せるための教育である。
政府は国民みんなを虐める団体だから、実在がわかる人も見た目や空想がわかる人も両方とも虐めるのである。だから、“虐められる喜び”のある人以外は政府を支持することができない。“虐められる喜び”のない人はみんな政府に反対しないといけない。
人間は見た目や空想をやるよりも実在をやったほうが幸福に生きていける。女は見た目や空想をやり、男は実在をやる。女は不幸であり、男は幸福である。男は正しい道徳をやるが、女はまちがった道徳をやる。そのため、昔から人間社会では男を女よりも大事にしてきた。男尊女卑だった。今は科学の時代である。科学の時代になるとなおさらである。政府は国民を虐める団体である。そのため、政府は女を有利な社会にしてまちがった道徳を流行[はや]らせて男を不幸にしようとする。政府は女を有利にして男を不利にして男を虐める。しかし、政府は女に優[やさ]しくする団体ではない。政府は国民みんなを虐める団体だから女も虐める。政府は女が好きな物をなくして女を虐める。政府は見た目や空想をつまらなくして女を虐める。だから、今の女が“虐められる喜び”がなければ政府に反対しないといけない。政府の言うことを聞かないようにして政府を倒さなければならない。
政府は最初のいっときだけ面白い物を作ってみんなにやらせてそういう文化を定着させて、その後で面白くない物を作ってみんなを虐める。政府は国民を虐める会社だから、昔からそういうやり方でみんなを虐めてきたのである。例えば、『魔法陣グルグル』の第1巻だけ面白くて2巻から後がつまらないのはそのためである。昔のマンガが面白くて今のマンガがつまらないのもそうである。みんなは面白くない思いをしながらマンガを読まされているのである。うわべだけ面白くて本音[ほんね]ではつまらない思いをしている。だから、みんなは政府の言いなりになっていてはいけない。政府に一生面白くない思いをさせられる。だから、みんなは政府に反対して早く政府を潰[つぶ]さなければならない。

[23372] どうして政府は私を国家宗教の神にしたのか? h29.9.29
私が生まれた頃(昭和39年=1964年頃)に日本の文明が急速に発達してテレビやマンガやゲームなどが出来た。
政府は国民みんなにそれらの文化を定着させるために私を国家宗教の神にしたのである。私は面白いが、天皇家は面白くないので、天皇家を神にしてテレビ番組やマンガやゲームなどを作ると面白くない物が出来てしまい国民みんなが寄り付かないので、政府は面白い物を作るために私を国家宗教の神にしたのである。そのため、今では国民みんながテレビやマンガやゲームをやるようになっている。
さらに、政府は国民みんなを虐[いじ]めるためにテレビやマンガやゲームを面白くなくするために、最近国家宗教の神を私から天皇家に戻している。だから、最近のテレビ番組やマンガやゲームは面白くないのだ。
同じように、聖徳太子が生まれた頃にも日本の文明が急速に発達して新しい娯楽が生まれた。政府は国民みんなにそれらの文化を定着させるために、一時的に天皇家を国家宗教の神にするのをやめて聖徳太子を国家宗教の神にしたのだ。天皇家は面白くない人間で、聖徳太子は面白い人間なので、政府は面白い物を作るために一時的に国家宗教の神を天皇家から聖徳太子に変えたのだ。さらに、新しい文化を定着させた後で、政府は国民みんなを虐めるために面白くない物を作るために、国家宗教の神を聖徳太子から天皇家に戻したのである。
とにかく天皇家は面白くない人間である。政府は国民みんなを虐めるために面白くない人間を国家宗教の神にしている。天皇家は馬鹿だから面白くないのだ。頭の悪い人間は面白くなく、頭のいい人間は面白いのだ。政府はもともと国民を虐める会社だから、国民がいくら政府に頼んでも政府は国民を虐めることをやめてくれない。国民みんなで早く政府にお金をやるのをやめて政府を倒して面白い世の中にしないといけない。

[23373] 人間が幸福に生きるためには自分自身を改良しなければならない。 h29.10.6
人間は幸福に生きねばならない。人間はただ生きているだけではだめで幸福に生きなければならない。
人間が幸福に生きられるように人間自身を作り変えねばならない。
ヨーロッパ人は昔からそうしてきた。ヨーロッパ人は中世の暗黒時代にヨーロッパ人だけの文化を作ろうとして文明が衰退して苦しい思いをしたから、近代になって積極的に異文化や外人を取り入れて自分自身を作り変えて科学ができるようにして実在がわかるようにして幸福に暮らすようになった。
しかし、インド人はそうしていない。インド人は今の自分のままで幸福に生きることしか考えていない。だから、インド人は頭を使って考えることによって幸福になろうとしかしない。それでは限界がある。インド人はその限界を超えようとしない。インド人は自分を客観的に見ることに欠けている。
人間が幸福になるためには人間自身を改良しないといけない。教育もその一種である。人間の欠点をなくして長所を増やして人間が幸福に生きられるようにしないといけない。
今の日本人は馬鹿化している。戦争で頭のいい人が大勢死んだからである。頭のいい人は戦うことが好きで自分が死ぬのを恐れないので前線で戦って死んだのである。今の日本人は知性が足りない。今の日本は文明が衰退している。文化が実在から離れて空想や眼先[めさき]になっている。今の日本人は不幸になっている。日本人が幸福に暮らすために“頭の良さ”を取り入れないといけない。今の日本人も昔のヨーロッパ人のように異文化や外人を取り入れて自分自身を改良しないといけない。
中国人は心だけが発達して空想の才能しかない。今の日本人にとっては中国人は要らない。政府は国民を虐[いじ]める会社なので、積極的に中国人を輸入して中国文化を取り入れて日本を面白くない国にしようとしている。政府は日本人を不幸にして虐めている。日本人は政府の言うことを聞いてはいけない。日本人は中国人を日本から追い出して空想のない国にしてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。

[23374] 教科書は絶対に正しいとは限らない。 h29.10.8
教育は人間自身を改造することである。教育は人間がより幸福に暮らせるように人間を作り変えることである。教育は人間が幸福に暮らすために欠かせないものである。
しかし、その反面、教育には危険性がある。特に社会科が悪用される危険性がある。
ある会社が自分に有利なように歴史を作り変えればいい。嘘[うそ]の歴史を作ればいい。歴史は実験や観察が利[き]きにくい分野なので嘘を作りやすい。「国民みんながその会社のおかげで幸福に暮らせる」とか「国民みんなが昔からその会社の言うことを聞いて幸せに暮らしてきた」と思わせればいい。そんなことを子供に教えて大人になったらその会社の言いなりになるようにすればいい。そうすれば、その会社は国民みんなから好き放題にお金を取ってすごく儲[もう]かる。その会社は国民に嘘を教えるだけで国民からお金を取って遊んで暮らせる。
ある会社が教育会社と組んで自分にとって有利になることを国民みんなに教えればいい。いろんな会社が教育会社と組んで自分たちにとって有利な社会にすればいい。国民みんなはそれらの会社にまちがいを教えられて言いなりにされて哀[あわ]れである。テレビ局や新聞社も学校と同じように教育会社の一種である。
今の政府もあからさまにはそうしていないが、国民の誤解を招[まね]く書き方をしている。将来そういう会社が現れたら恐ろしい。すでにそうなっているかもしれない。
教科書は絶対に正しいとは限らない。国民みんなは学校の言いなりになってはいけない。テストで点を取るためならわけもわからずに答えを書くような点取り虫になってはいけない。国民みんなは自分で考えねばならない。自分で考えて真実を知らねばならない。真実に基づいて行動しなければならない。世の中には馬鹿が多いから多数決をやってはいけない。みんなは自分で考えて正しいことを理解しないといけない。みんなは多数決をやらないから、政府がいくら民主主義をやってもみんなは政府に従いたい気持ちにならない。
日本の戦国時代には将軍がいたが、将軍なんか偉くない。戦争をするためには将軍が要るから将軍を置いていただけである。当時はまだみんなが戦争をやりたかったから、みんなが戦争をやりたい気持ちがあったから、戦争のためにいやいやしかたなく将軍を置いていたのである。昔の人は自分の腕が飛ぼうが首が飛ぼうがとにかく戦争が好きだったから戦争をやった。将軍なんかただの飾り物にすぎない。置き物にすぎない。将軍はお人形だから格好[かっこう]がいいのである。国民の気持ちが国を決めるのである。今の時代もそうである。国民は自分が幸福になるためにはどうすればいいかを考えて、それを実現する社会にしないといけない。
文系はみんなに偉そうにして「みんなは文系のおかげで幸福に暮らせる」と思わせてみんなを言いなりにしている。文系はそうやって理系を支配している。本当は、文系は何も仕事をしない役立たずである。文系は嘘の才能で生き残っているだけである。本当は文系なんか要らない。文系は仕事ごっこ(仕事をしているふり)をしているだけだ。文系はみんなからお金を取って遊びまわってみんなを不幸にしているだけである。だから、みんなが幸福になるためにみんなで世の中から文系を追い出して文系のいない社会にすればいいのである。社長は文系だから社長のいない会社にすればいいのである。h29.10.11追記:警察は政府の付属会社だからマゾしか逮捕できない。警察は“虐められる喜び”のある者しか処罰できない。今の国民のほとんどはマゾではない。今は警察が効[き]かないから、理系は文系を殴[なぐ]りつけて会社から追い出せばいい。h29.10.15追加:政府の警察はマゾを罰する会社である。しかし、今はマゾの人がほとんどいないから政府の警察は効かない。他人に悪いことをされて政府の警察に訴えても何にもならない。政府の警察は犯罪者を罰してくれない。だから、他人に悪いことをされたら自分で復讐しないといけない。だから、今はお金で復讐を引き受ける“復讐会社”があるのである。政府の警察はマゾでない悪人を罰してくれないから、マゾでない悪人でも罰してくれる復讐会社があるのである。今後国民みんなが復讐会社を利用するようになって復讐会社が大きくなれば、政府は警察会社をやめるだろう。政府の警察会社は潰[つぶ]れてなくなるだろう。
ヤクザ(暴力団)はみんなに暴力をふって「自分がみんなを脅[おど]してお金を取って来た」と思わせているが、本当はヤクザはマゾを虐める会社である。『龍が如[ごと]く』のゲームみたいじゃない。刑事ドラマみたいでもない。ヤクザは変態を相手にして変態の欲望を満たしてお金を稼[かせ]ぐかっこ悪い仕事である。いくらお金が儲[もう]かってもみっともない恥ずかしい仕事である。虐められるのはかっこ悪いが、虐めるのもかっこ悪い。だから、マゾが隠れて虐められるように、暴力団は隠れてマゾを虐める仕事をするのである。昔はみんなが科学をやらなくて自然に支配されていて自然が恐くて気が狂っていて他人に虐められるのが好きだったから、ヤクザに虐めてもらって喜んでいたのである。みんなはヤクザに虐められるためにヤクザを設けていたのである。だから、みんなのほうがヤクザよりも偉い。ヤクザはみんなが虐められるための道具にすぎない。今のみんなは科学をやるようになって自然を支配するようになって自然が恐くなくなって正気になっているために“虐められる喜び”がないからヤクザは要らない。だから、みんなでヤクザにお金をやらないようにしてヤクザを潰してヤクザのいない社会にすればいい。政府や宗教団体もヤクザと同じマゾを虐める会社である。だから、みんなで政府や宗教団体にお金をやるのをやめて政府や宗教団体を潰して政府や宗教団体のない社会にすればいいのである。昔の人は自分が政府に虐められて喜んでいるのが恥ずかしいから、政府が国民を虐めていることを人前で言わなかったのである。今の人は自分が政府に虐められるのが嫌だから、政府が国民を虐めていることをみんなに言えばいい。(h29.10.10補足:私は以前おばあさんから「私らの祖先は武士だったが、人を虐めるのが嫌だったから自分から武士を辞[や]めて百姓になった」という話を聞いたことがある。だから、幕府は国民を虐める会社である。政府と幕府は同じである。政府と幕府は文化によって国民を従う気持ちにさせる方法が違うだけで、国民を虐める会社であることは同じである。政府は主[おも]に民主主義によって、幕府は主に身分制によって国民を従う気持ちにさせるだけである。だから、政府は国民を虐める会社なのである。)
都会者[とかいもの]は馬鹿である。田舎者[いなかもの]のほうが都会者よりも実在がわかって利口である。都会者は見かけや空想(つまりファッションや嘘つき)の才能があるだけである。都会者は見かけや空想がよくわかるだけである。都会者は自分の才能を使って利口ぶって「都会者は田舎者よりも優秀だ」と思わせているだけである。都会者は田舎者からお金を取って遊びまわっているだけである。本当は田舎者のほうが都会者よりも有能である。都会者は何の仕事もできない役立たずである。都会者なんか要らない。だから、みんなで都会者にお金をやらないようにして世の中から都会者をなくせばいいのである。
女は大脳の古皮質だけで新皮質がない出来損ないの人間である。女は人間のふりをしている動物である。そのため、女は見かけや空想がわかるだけで実在がわからない。女は役に立たない。女は子供が産めるだけである。将来は人工的に人間が作れるようになって女が要らなくなる。女は見かけや空想の才能を使って有能ぶっているだけである。男と対等[たいとう]なふりをしているだけである。女は嘘つきである。女は考えることが嫌いである。女は科学や文明が嫌いである。女はただ眼で見て心で思うことが好きである。女は考えないから顔がのっぺりしている。それを女は美しいと思っている。女は実在がわからない不幸な生き物である。面白くない生き物である。女は楽しいふりをしているだけで、本音[ほんね]では嫌な思いをして生きている。だから、女が仕事をして女が世の中を動かすとみんなが不幸に暮らさねばならなくなる。みんなが面白くない気分になる。だから、みんなで女にお金をやらないようにして女を社会から追放しないといけない。昔のように女を家の中に置くだけにしないといけない。それが女に対する正当な扱いである。
国連は後進国の人間をダシにしてお金を儲[もう]ける会社である。国連は国による文化の違いを利用してお金を儲ける会社である。アフリカのような後進国の人間は飢えや病気で死ぬのが好きだから、いつまでたっても自分で直さないのである。後進国の人間にとっては人間が病気や飢えで死ぬのが幸福なのである。だから、先進国の人間が後進国におせっかいしてお金をやって病気や飢えを直して後進国の人間を不幸にしてはいけない。そういうのをありがた迷惑と言うのだ。先進国は後進国の人間の好き勝手にやらせて放[ほう]って置けばいいのだ。そうすれば、後進国の人間は幸福に暮らせるのだ。先進国が後進国におせっかいをやる必要はない。後進国の人間が『実在で幸福に生きることが本当の幸福である』ことを認めて自分の力で自分の国の文明を発展させればいいのだ。
ヨーロッパ人は馬鹿である。それはアフリカ人が馬鹿だからである。アフリカ人は自分が動物のように生きたいと思っているから馬鹿なのである。アフリカ人の白色変異が北のほうで環境に適応して増えたのがヨーロッパ人にすぎない。オオシモフリエダシャクの黒色変異と同じである。だから、アフリカ人とヨーロッパ人はほとんど同じ人種である。皮膚の色が違うだけで中身は同じである。ヨーロッパ人は白色だから正しい利口な人間に見えるだけである。本当は馬鹿である。反対に、インド人は利口である。ヨーロッパ人はインド人と交配しなければ頭が悪くて科学ができないのである。だから、みんなはヨーロッパ人が世界をリードしてきたなどと思ってはいけない。
ヨーロッパの端っこの国はインド人がたくさん入ってきて頭がいい。イタリアやドイツやイギリスは頭がいい。反対に、ヨーロッパの真ん中の国はインド人があまり入っていなくて頭が悪い。フランスは頭が悪い。イギリスは本当はイタリアやドイツと同じ国である。フランスとは同じではない。

[23375] 昔の人はみんなマゾだった。 h29.10.10
人間には合理的な面と不合理的な面の両方がある。人間の合理的な面とは知覚を使って実在を理解して実在の中で自分の心を満足させることである。人間の不合理的な面とは知覚を使って実在を理解せずに直接に自分の心を満足させることである。ショペンハウエルは『意思と表象の世界』で人間には合理的な面だけでなく不合理的な面があることを述べた。
例えば、人間に“虐[いじ]められる喜び”があることは人間の不合理的な面である。昔の人は科学をやらなくて実在に支配されていて、“実在に毎日虐められている環境”に適応して“虐められる喜び”があったので、自分の“虐められる喜び”を満足するために政府や宗教団体や暴力団に虐められて喜んでいた。反対に、今の人は科学をやって実在を支配しているので、“実在に毎日虐められている環境”がなくなったために“虐められる喜び”がなくなっているので、政府や宗教団体や暴力団に虐められるのが嫌になって、自分で政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞くのをやめて虐められないようにしている。同じく、人間に性欲があることも人間の不合理的な面である。性欲がなくても人類の種族保存のためにあるいは人間の改良のために冷静に性交すればいいだけである。むしろ人間に性欲があるためにかえって性交しづらくなっている。人間に“マンガを読む喜び”があるのも不合理的な面である。
人間は自分に不合理的な面があることを恥ずかしいと思っている。だから、人前では自分の不合理的な面について話さない。例えば、自分が政府に虐められて喜んでいることが恥ずかしいので、政府が国民を虐めていることを言わない。同じように自分が性交して喜んでいることが恥ずかしいので、人前では性交しない。マンガも人前では読まない。(もっとも、私は子供のころ市営住宅の公園の木に登って木の上でマンガを読んだり、学校にマンガを持って行って教室でマンガを読んだりしていた。)
時代が進むと、人間が合理的になって人間の合理的な面が増えて不合理的な面が減っていく。だから、今の人間には“虐められる喜び”や性欲や“マンガを読む喜び”がなくなっている。逆に言えば、時代が遅れると、人間が不合理的になって人間の合理的な面が減って不合理的な面が増える。だから、昔の人はみんな“虐められる喜び”があったのである。昭和40年(1965年)ごろに科学の時代になる前にはみんなに“虐められる喜び”があって、みんなが政府や宗教団体や暴力団に虐められて喜んでいたのである。人間には不合理的な面があるから、昔の人間がみんなマゾであってもけっしておかしくはないのである。
今の人は科学をやって実在を利用して幸福に暮らしている。今の人は実在に感謝しないといけない。今の人は“実在に毎日喜ばせてもらっている環境”に適応して“実在に対する愛情”があるから、実在をもっと大切にしないといけない。地球に優[やさ]しくしないといけない。

[23376] どのようにして私は政府のことがわかったか?☆ h29.10.11
はじめに私は「どうしてヨーロッパ人は神に従うか?」を考えた。人間の大脳は五感と知覚と心に分けられる。ヨーロッパ人は五感が発達して知覚と心が発達していない。ヨーロッパ人は眼で見るだけで頭で考えない。ヨーロッパ人は眼で見るのが好きで頭で考えるのが嫌いである。ヨーロッパ人は自分が頭で考えないために神を発明した。ヨーロッパ人は神がこの世を作ったことにした。ヨーロッパ人は自分がわからないことがあるとなんでもすぐに神のせいにした。ヨーロッパ人は知覚が発達していなくて頭で考えるのが嫌いだから神に従うのだ。ヨーロッパでは政府が国家宗教をやって自分が神に従うふりをして国民みんなを政府に従う気持ちにさせている。
同じように、中国人は心が発達して五感や知覚が発達していない。中国人は心で思うだけで眼で見たり頭で考えたりしない。中国人は心で思うのが好きで眼で見たり頭で考えたりするのが嫌いである。中国人は心で思うのが好きだから“多数決”で物事を決める。中国人は“国民みんな”に弱い。中国では政府が民主主義をやって自分が国民みんなに従うふりをして国民を政府に従う気持ちにさせている。
同じように、インド人は知覚が発達して五感や心が発達していない。インド人は頭で考えるのが好きで眼で見るのが嫌いである。インド人は眼で見えることを昔のままにしておく。インド人は“古臭い物”に弱い。インドでは古臭い物ほど“身分”が上である。政府は国民を虐める会社であって古臭い。だから、政府は身分が高い。インドでは政府が身分制をやって自分が偉そうにして国民みんなを政府に従う気持ちにさせている。
ところが、日本人は五感も知覚も心も同じように発達している。日本人は眼で見て頭で考えて心で思うのが好きである。日本人は眼で見て頭で考えるから実在が見える。日本人は神にも国民みんなにも古臭い物にも弱くない。日本では政府が神に従うふりをしても国民みんなに従うふりをしても偉そうにしても国民みんなが政府に従う気持ちにならない。
しかし、これまで日本では国民みんなが政府や幕府や豪族などに従ってきた。それは、人間には“虐[いじ]められる喜び”があるからである。政府は国民を虐める会社である。昔の国民は自分が虐められるのが好きだったから、自分のほうから政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んでいた。昔は日本だけではなく世界中の国で国民が“虐められる喜び”があって自分のほうから政府の“国民を虐める命令”を聞いて政府に虐められて喜んでいた。国家宗教や民主主義や身分制は政府が国民に“国民を虐める命令”をよく聞かせてより多くの税金を取って儲[もう]けるためにやっていたのだ。
昔の人は科学をやっていなくて実在に支配されていた。昔の人は実在にさんざんひどい目に合わされていた。昔の人は毎日実在に虐められていたので、そういう環境に適応するために“虐められる喜び”があった。昔の人は自分の“虐められる喜び”を満足するために、自分でわざわざ政府を設けて政府に“国民を虐める命令”を出してもらって自分のほうからそれを聞いて政府に虐められて喜んでいたのだ。
反対に、今の人は科学をやっていて実在を支配している。今の人は実在を利用して楽しく暮らしている。今の人は毎日実在に幸福にしてもらっているので、そういう環境に適応して“虐められる喜び”が退化してなくなっている。今の人は“虐められる喜び”がなくなっているので、自分のほうから政府の言うことを聞かなくなって政府に虐められないようにしている。今の人は政府の税金の命令を聞かなくなって政府を潰[つぶ]している。今の人は“実在に対する愛情”がある。今の人は自分の“実在に対する愛情”を満足するために実在を大事にしている。環境を保護して、資源やエネルギーを節約している。
ニュートンが古典力学を作ってから、『人間が実在について考えれば実在のことが理解できる』と考えられるようになった。『人間が実在のことがわかれば実在を支配できる』と考えられるようになった。だから、私は『自分が政府について考えれば政府のことが理解できる』と信じて政府について考えてきた。実際に、私はそうやって政府のことが理解できた。政府を理解すれば政府を支配できる。政府の正体はマゾを虐める会社である。昔の人はマゾだったから政府の言うことを聞いていた。今の人は自分がマゾでなければ政府の言うことを聞かなければいい。自分がマゾでなければ政府に税金を払わなければいい。今の人は自分がマゾでなければ、政府と縁[えん]を切って政府と無関係に暮らせばいいのだ。

[23377] どうして今でもマゾがいるのか? h29.10.12
今の人は科学をやるようになって実在を支配して実在に虐[いじ]められなくなっている。そればかりか、今の人は実在を利用して幸福に暮らしている。そのため、今の人は“虐められる喜び”がなくなって、他人に虐められるのが嫌になって、自分のほうから政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞かないようにして虐められないようにしている。政府に税金を払わなくなって政府を潰[つぶ]している。
それなのに、今でも“虐められる喜び”のある人がいる。今でも自分の“虐められる喜び”を満足するために、自分のほうから政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞いて虐められて喜んでいる者がいる。政府に税金を取られて喜んでいる者がいる。
それは、子供の頃から毎日朝から晩まで親に虐められて育った者がいるからである。子育ての嫌いな親がいやいや子供を育てて、赤ちゃんのオムツをずっと替えてやらなかったり赤ちゃんに暴力をふって赤ちゃんを半殺しにして虐めて喜んでいると、子供はそういう環境に適応するために“虐められる喜び”が発達するのである。そういう子供が大人になると自分の“虐められる喜び”を満足するために自分から“虐める会社”(政府や宗教団体や暴力団のこと)の言うことを聞いて虐める会社に虐められて喜ぶのである。親が自分の性欲を満足するために子供を作る親だと子供がマゾになる。だから、今でもマゾがいるのだ。そういうやつが政府や宗教団体や暴力団の収入源なのだ。
しかし、普通の親は子供を虐めたりはしないから、普通の子供は“虐められる喜び”はない。虐める会社にちょっとだけ虐められても“虐められる喜び”が発達するほどではない。今ではみんなが子供の頃から実在を利用して楽しく暮らしているから“虐められる喜び”がないから、みんなが虐める会社が嫌いである。だから、今の人は虐める会社の言うことを聞かないようにして自分が虐められないようにして楽しく暮らせばいいのである。
人間にとって実在は親である。実在は人間の育ての親である。昔はみんなが科学をやっていなくて朝から晩まで毎日実在に虐められて育ったから“虐められる喜び”が発達していた。昔は人間が生きるには苛酷[かこく]な環境だったために、みんなが早く死んで、みんなに“虐められる喜び”があった。みんなの“虐められる喜び”を満足してみんなを喜ばせるために、政府や宗教団体や暴力団がみんなを虐めていた。昔は政府や宗教団体や暴力団がみんなの人気者だった。しかし、今はみんなが科学をやって実在に虐められなくなったから“虐められる喜び”が退化してなくなっている。今では政府や宗教団体や暴力団がみんなを虐めても、みんなが嫌がるだけである。だから、今ではみんなが政府や宗教団体や暴力団が嫌いになって政府や宗教団体や暴力団にお金をやらなくなって潰しているのだ。
中東の国の政府が子供を牢屋[ろうや]に入れて虐待しているのは、政府が子供を毎日朝から晩まで虐めることによって子供の“虐められる喜び”を発達させて国民に“虐められる喜び”を植え付けるためである。中東の国の政府はそうやって自分が生き残ろうとしているのである。日本ではそこまではしない。だから、日本ではみんなが“虐められる喜び”がない。だから、みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにすればいい。今のみんなにとっては政府が要らないから政府にお金をやらないようにして政府を潰せばいい。
今はマゾの人よりもマゾでない人のほうが多い。早くマゾでない人を中心とする世の中にしないといけない。

[23378] 今は物が豊かなのに幸せがない。 h29.10.12
今はみんなが科学をやって文明が進んで物がたくさんある。みんなが物が豊かである。
それなのに、みんなが幸せでない。みんなに幸せがない。
それは、みんなが自分の心を適切に満足していないからである。みんなが自分の心を満足していないからみんなに幸せがないのである。
人間にとって本当の喜びは実在の喜びである。空想の喜びや眼先[めさき]の喜びではない。だから、人間は実在の喜びを満足すれば幸福になる。空想の喜びや眼先の喜びを満足するとかえって不幸になる。
人間にとっては“考える喜び”が最大の喜びである。“運動する喜び”も喜びである。だから、人間は自分の頭を使って考えたり、自分の身体を使って運動すると幸福になれる。人間はテレビを見たりマンガを読んだりゲームをやったりするよりも、自分が考えたことをノートに書いて字にするほうが幸福になれる。
私がアニメを見るのをやめたのは、アニメを見るよりも政府のことについて考えたほうが面白いからである。人間は面白いことをやって面白くないことをやらないから、私は政府について考えてアニメを見なくなったのである。私が高校1年生の頃にオナニーするのをやめたのは、オナニーをするよりも母親が好きなほうが面白いからである。人間は自分にとって面白いことのほうを大事にするから、私は母親が好きなほうを選んでオナニーをやめたのである。今は私の母親は死んでいないが、私の母親が好きな気持ちは今でもある。
人間が幸福になるためには自分の心を適切に満足しないといけない。つまり、人間が幸福になるためには自分の心についての知識が要る。道徳が要る。今の人の多くは道徳がないから幸福に生きていないのである。今の人の多くは物があっても幸せがないのである。物を買わない、物を使わないのも人間が幸福になるための一手[いって]である。無駄[むだ]な物を買わないようにすれば無駄なことをやらないようにすれば人間はもっと幸福になれる。人間が幸せになるためにはお金は要らない。自分の心を正しく満足すればいいだけである。
h29.10.13追加:今の多くの人はテレビの宣伝で面白くない物を面白いと思わされて面白くない物を買って不幸になっている。テレビの芸人を真似[まね]て面白くないことをやって不幸に暮らしている。今の人はテレビの見すぎである。テレビは宣伝の塊[かたまり]である。宣伝は面白くない物を無理やり売るためにやっている。テレビは国民にまちがった道徳を教えて国民に余計な物をたくさん買わせて面白くないことをたくさんやらせて国民を不幸にしている。宣伝は人間の幸福を邪魔[じゃま]する行為である。今の人はテレビを見すぎてセンスが馬鹿になっている。面白くない物を面白いと思うようになっている。テレビが不幸の原因である。今の人はテレビによらず自分で考えて面白い物か面白くない物かを判断して面白い物だけを買わねばならない。今の人はテレビを見るのをやめて自分で考えて面白いことをやって幸福に暮らさねばならない。
h29.10.14追加:私が子供の頃は近所に空き地がいっぱいあったから近所で虫取りをしたり紙飛行機を飛ばしたりビー玉をやったりして遊んでいた。私が子供の頃は外で遊んでばかりいたのであまり家の中でテレビを見なかった。反対に、今は日本の人口が増えて空き地がなくなっているからみんなが外で遊ばない。みんなが家の中でテレビを見たりテレビゲームをやったりばかりしている。みんながテレビを見る原因は日本の人口が増えすぎたことにある。日本は狭い国だから人口を増やしてはいけない。日本の人口は切りのいい一億人がいい。

[23379] 「悪いことをしているのに犯罪組織ではない団体とは何でしょう?」 h29.10.12
政府は事故を起こして国民を殺したり国民から税金を強盗したりしているが犯罪組織ではない。政府が犯罪組織ならとっくの昔に国民に滅ぼされてなくなっているはずだからである。
政府は悪いことをしているのに犯罪組織ではない。
「悪いことをしているのに犯罪組織ではない団体とは何でしょう?」というナゾナゾである。
その矛盾を解決することが政府論の要[かなめ]である。
その答えは、“虐[いじ]める団体”である。政府はマゾを虐める団体なのである。昔の国民みんなが虐められるのが好きだったと考えれば答えが出る。
人間は毎日虐められていれば“虐められる喜び”が出来る。昔の人は科学をやっていなくて実在がわからなくて実在をどうしようもなくて実在に毎日虐められていたから“虐められる喜び”があったのだ。政府が国民みんなを虐めて国民みんなの“虐められる喜び”を満足して国民みんなを喜ばせていたのだ。
反対に、今の人は科学をやるようになって実在がわかって実在を思い通りにできるから食料対策や災害対策や医療対策などをやって実在に虐められないようにしている。そのうえ、実在を使ってテレビやゲームや自動車などいろんな娯楽を作り出して遊んでいる。そのために、今の人は“虐められる喜び”がなくなっている。今の国民は自分が政府に虐められるのが嫌なので政府の言うことを聞かなくなっている。今の国民にとっては政府が要らないので政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。

[23380] 消費税を取るスーパーよりも消費税を取らないスーパーのほうが食料品が美味[おい]しい。 h29.10.12
今の私は福岡市東区に住んでいる。私は以前近所にある駅前のスーパーを利用していた。夜中に自転車で買い出しに行っていた。そこのスーパーは消費税を取らなかった。出来合いのおかずが美味しかった。
私は最近は少し遠くにあるスーパーを利用している。昼間に原付で買い出しに行っている。そこのスーパーは消費税を取る。出来合いのおかずがあまり美味しくない。
消費税を取るスーパーよりも消費税を取らないスーパーのほうが食料品が美味しい。消費税を取るスーパーは政府の言いなりだからおかずにいろんな不味[まず]くなる薬を入れて作っているから不味いのだ。反対に、消費税を取らないスーパーは政府の言うことを“聞いていない”からおかずに不味くなる薬を使っていないからおかずが美味しいのだ。(昔ダチョウ倶楽部[くらぶ]が「聞いてないよ」というギャグをやっていたのは、今の国民が政府や宗教団体や暴力団などの言うことを“聞いていない”ことを意味している。)
政府の言うことを聞く者はみんなを不幸にする。政府の言うことを聞いていない者はみんなを幸福にする。だから、みんなは政府の言うことを聞かない者と付き合わねばならない。
スーパーは政府の言うことを聞いて客から消費税を取っておかずに不味くなる薬を入れるよりも政府の言うことを聞かないようにして客から消費税を取らずおかずに不味くなる薬を入れないほうが客が増えて儲[もう]かる。だから、スーパーは政府の言うことを聞かなければいい。
消費税を取るスーパーで物を買う客は消費税を取られた上に不味いおかずを食わされてダブルパンチである。消費税を取るスーパーで買う客はマゾの変態である。スーパーもマゾの客を相手にするのは面白くない。だから、スーパーは消費税を取らないようにして正常な客を相手に商売をしないといけない。そうやって世の中に正常な人間を増やさないといけない。

[23381] 文系は自分が幸福になろうとしない人間である。 h29.10.14
『人間は幸福に生きねばならない。』それが道徳の原理である。
『人間にとっては実在の幸福が真の幸福である。』人間は実在を知り実在の中で自分の心を満足することによって本当の幸福が得られる。
したがって、『人間は実在を知り実在の中で幸福にならねばならない。』
理系はまじめにそうしている。理系は子供の頃から実在を勉強して実在を知って実在の中で自分が幸福になろうとしている。
ところが、文系は空想や見かけの幸福に浸[ひた]っている。文系はマンガや小説などの空想を読み漁[あさ]り格好[かっこう]付けばっかりやってふざけている。文系はまじめに自分が幸福になろうとしない。文系は真剣に幸福になろうとしない。
文系は自分が幸福になろうとしない人間である。文系は道徳の原理を犯[おか]している。文系は道徳を守らないガラの悪い不良の連中である。
文系は自分が道徳の原理を犯しているために自分が幸福でないから他人の幸福の邪魔[じゃま]ばかりするのである。文系は本当は何の仕事もしていないくせに人前では偉そうにして「自分のおかげでみんなが幸福に暮らせる」という顔をしてみんなからお金を取り上げたり、政府の言うことを聞いてみんなを虐[いじ]めてみんなを不幸にして喜んでいるのである。
世の中には文系のような者がいてはいけない。みんなで文系を滅ぼさねばならない。みんなで会社から文系を追い出して文系の仕事をなくして文系を皆殺しにしないといけない。
女も文系と同じである。女も幸福でない生き物である。女は大脳の新皮質がなくて実在に適応できなくて空想や見かけの喜びしかないから生まれつき不幸である。女も自分が幸福ではないから他人の幸福の邪魔をしたがる。女は見かけはかわいいが、じつはガラが悪い。女は人類を不幸に導く生き物である。アニメの女は実在の世界にいない特殊な能力を持った女だからみんなを幸せにするのである。(実在の世界にいないかわいい女の子を空想で作り出すのがアニメの世界なのである。今のアニメの女の子は地味で実在感があるのでアニメらしくない。)だから、みんなは女も滅ぼさないといけない。早くみんなで人間を人工的に作れるようにして女を要らないようにして女を皆殺しにしないといけない。

[23382] 人間はある程度以上虐[いじ]められると“虐められる喜び”が出来てマゾになる。 h29.19.14
政府は国民を虐める会社である。政府は事故を起こして国民を殺したり、国民から高い税金を取ったり、国民を貧乏にする経済政策をやったり、国民を馬鹿に変える教育をやったりして国民を虐める。
おまけに政府は民主主義をやって“国民みんなに弱い国民”を政府に従う気持ちにさせたり、国家宗教をやって“神に弱い国民”を政府に従う気持ちにさせたり、身分制をやって“古臭い物”に弱い国民を政府に従う気持ちにさせている。
人間はある程度以上虐められると虐められる環境に適応して“虐められる喜び”が出来る。人間の脳は自分がある程度以上の苦しみが与えられると自分が苦しみを感じすぎないように“虐められる喜び”が出来て苦しみを和[やわ]らげるように出来ている。
昔の人は科学をやっていなくて実在に支配されていた。昔の人は実在の喜びがなかったし、実在によって災害や飢えや病気にされて苦しんでいた。昔の人は牢屋の中に入れられて虐待されているのと同じだった。昔の人は実在によって虐められていたから虐められる環境に適応して“虐められる喜び”があった。昔の人は自分の“虐められる喜び”を満足するために自分を虐める政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。
反対に、今の人は科学をやって実在を支配している。今の人はテレビを見たりゲームをやったりパソコンを使ったりして実在の喜びがたくさんあるし、自分で災害対策や食料対策や医療対策などをやって実在に苦しめられないようにしている。今の人は実在によって虐められなくなったから“虐められる喜び”がなくなっている。今の人は昔の人が建てた政府や宗教団体や暴力団に虐められているがそれほどたくさん虐められていないので“虐められる喜び”が出来るほどではない。今の人は“虐められる喜び”がなくて自分が虐められるのが嫌なので、自分のほうから政府や宗教団体や暴力団の言うことを聞かないようにして自分が虐められないようにしている。今の人は政府の税金の命令を聞かないようにして政府にお金を払わないようにして政府を潰[つぶ]している。今の人は政府のいろんな嫌がらせの命令を聞かないようにして政府に虐められないようにして楽しく暮らしている。
人間にとって実在は敵にも味方にもなる。人間が科学をやらなければ実在は人間の敵になり、人間が科学をやれば実在は人間の味方になる。人間が科学をやらなければ人間は実在に苦しめられるが、人間が科学をやれば人間は実在を利用して楽しく暮らせる。だから、人間は科学をやらねばならない。人間は自分が多少勉強が嫌でも、科学をやって実在を勉強して幸福にならねばならない。
この世には虐められるのが好きな人がいる。この世には“虐められる喜び”のある者がいる。私が生まれる前から『マゾ』という概念がすでにあったから、実際にそういう者がいる。マゾは遺伝的になるのではない。マゾは誰でもなる。誰でもあることをされたらマゾになる。人間はある程度以上虐められると“虐められる喜び”が出来てマゾになる。人間はそういうふうに出来ている。人間の心は自分が苦痛を感じすぎないようにそういう仕組みがある。昔の人はたくさん虐待されていたからマゾだった。今の人はあまり虐待されていないからマゾではない。だから、今の人は自分の気持ちに合うように社会を作ればいいのだ。今の人は政府や宗教団体や暴力団などの虐める会社のない社会にすればいいのだ。
今ではみんなが科学をやって実在を利用して楽しく暮らしている。しかし、中には実在の喜びのない者がいる。テレビを見てもゲームをやってもドライブをしても楽しくない者がいる。そういう者は、自分のほうから政府や宗教団体や暴力団に行って虐めてもらって虐められることが喜びになるようにしてもらってマゾにしてもらって虐められて喜びを得ている。だから、今でも政府や宗教団体や暴力団が経営できているのである。政府や宗教団体や暴力団は“普通の喜び”がない人にとっての娯楽施設なのである。しかし、普通の人は実在の喜びがあるからそんなことをしなくてもいい。普通の人にとっては政府や宗教団体や暴力団などの虐める会社は要らない。普通の人は政府や宗教団体や暴力団を利用しなければいい。

[23383] みんなは自分がマゾであるかマゾでないかを考えて、政府の言うことを聞くか聞かないか決めねばならない。 h29.10.15
政府はマゾを虐[いじ]める会社である。マゾは虐められると喜ぶ。だから、政府はマゾを喜ばせる会社である。
政府は国民に命令して事故を起こさせて国民を殺したり、国民に命令して高い税金を払わせたり、国民に命令してまちがった経済政策をやらせて国民を貧乏にしたり、国民に命令してまちがった法律を守らせて国民を嫌がらせたりして国民を虐める。
昔はみんながマゾだった。人間はある程度以上虐められると“虐められる喜び”が出来てマゾになる。昔はみんなが科学をやっていなくて実在にたくさん虐められていたから“虐められる喜び”が出来てマゾだった。昔はみんなが政府に虐められるのがうれしかった。昔はみんなが自分のほうから政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。
反対に、今はみんながマゾではない。今はみんなが科学をやって実在にほとんど虐められなくなったから“虐められる喜び”がなくなってマゾではなくなった。今はみんなが政府に虐められるのが嫌である。今はみんなが自分のほうから政府の言うことを聞かなくなって政府に虐めれられないようにして暮らしている。今はみんなが政府に税金を払わなくなって政府が潰[つぶ]れている。もっとも、今でも少しはマゾの人がいる。そういう人は今でも政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいる。
政府はマゾを喜ばせる会社である。政府はマゾの人を喜ばせるが、マゾでない人を嫌がらせる。マゾの人にとっては政府は自分を幸福にするいい会社だが、マゾでない人にとっては政府は自分を不幸にする嫌な会社である。人間は自分が幸福になることをやって、不幸になることをやってはいけない。だから、マゾは政府の言うことを聞いて、マゾでない人は政府の言うことを聞いてはいけない。みんなは自分がマゾであるかマゾでないかを考えて、政府の言うことを聞くか聞かないか決めないといけない。
今の国民みんなはマゾではないから政府の言うことを聞かなければいい。政府に税金を払わなければいい。しかし、税金を払わなければ会社をクビにされる。会社では文系が偉そうにしている。文系が仕事をせずに遊びまわっている。文系は会社で余計などうでもいいことをやって暇を潰[つぶ]しているだけで実質的には仕事をしていない。立派なビルが建っているだけで、本当はサラリーマン(文系のこと)なんかなにも仕事をしていない。ビルが立派なだけで、中身の人間はクズだ。要らないゴミだ。要らない人間が偉そうにするな!ゴミが笑うな!!文系は仕事がないから毎晩酒を飲んで宴会ができるのである。政府は文系に命令してみんなから税金を取らせるかわりに、テレビで文系が偉いみたいなことばかり流してみんなに文系を偉いと思わせてみんなを文系に従わせている。政府は面白いテレビドラマで文系を偉そうにさせてみんなに文系が偉いと思わせている。あるいはテレビドラマで文系にいいことをさせてみんなに文系がいい人だと思わせている。つまり、政府とテレビ局と文系が組んでみんなから税金を取っている。政府はテレビのほかにもマンガを使って同じことをやっている。政府は国民を虐める会社だから、文系に命令して文系に偉そうにさせてみんなから税金を取らせてみんなを虐めさせているのである。しかし、今の国民はマゾではないから、今の国民にとっては政府も文系も両方とも要らない。昔はみんながマゾだったから文系が支配する社会に満足していたが、今はみんながマゾではないから文系が支配する社会が不満である。昔はみんながマゾだったから文系が好きだったが、今はみんながマゾでないから文系が嫌いである。だから、今の国民は勇気を出して強引に税金を払わなければいい。文系に「お前はクビだ」と言われても言うことを聞かずに勝手に会社に出てきて仕事をすればいい。給料をもらえばいい。そうすれば馬鹿を卒業できて一人前の人間になれる。
h29.10.22追加:文系が理系よりも楽なのは、昔の人がマゾだったことによって出来た社会の歪[ゆが]みである。文系は理系を虐める組織である。昔の人はマゾだったので、昔は理系が文系の言うことを何でも聞いて理系が文系に虐められて喜んでいた。しかし、今の人はマゾではない。だから、今では社会の歪みがない。社会の歪みを直さないといけない。今では理系は文系の言うことを聞かなくていい。理系は文系に「税金を払え!」と言われても税金を払わなくていい。理系は文系に自分の稼[かせ]ぎをやらなくていい。今では文系も理系と同じように仕事できつい思いをしないといけない。文系の人数を減らして文系に朝から晩まで汗水流して働かせればいいのである。
h29.11.1追加:日本中の会社で税金の天引きをやめて、社員が自分で銀行に振込用紙を持って行って税金を払うようにすればいい。マゾでない人は税金を払わないようにすればいい。昔はみんながマゾだったからみんなまとめて天引きでよかった。しかし、今は少数の人がマゾなだけで、ほとんどの人がマゾではない。だから、今はみんなまとめて天引きではいけない。今は国民がマゾとマゾでない人に分かれているから、それぞれ別にしないといけない。
h29.11.4追加:昔はみんながマゾだったから理系が文系に虐められて喜んでいた。理系を虐めることが文系の仕事だった。文系は理系の稼[かせ]ぎを奪って遊びまわったり理系に対して偉そうにして理系を虐めていた。しかし、今はみんながマゾではない。だから、理系が文系に虐められてもうれしくない。今では文系の仕事がない。だから、今では文系が要らなくなって会社から文系がいなくなっているのだ。

[23384] 人間にとっては空想や見た目よりも実在のほうが面白い。 h29.10.16
今は科学の時代である。今は人間が実在を知って実在に適応して実在を利用して楽しく暮らす時代である。
人間にとっては空想や見た目よりも実在のほうが面白い。実際に、私は子供の頃からずっと自分の格好[かっこう]にこだわらないようにして実在に適応するようにして見た目の世界に入らないようにして幸福に暮らしている。しかし、私は子供の頃から40歳になる頃までずっとテレビでアニメを見ていた。空想で楽しんでいた。ところが、私が42歳のとき『アイドル天使ようこそようこ』を見たことをきっかけにして政府について考え始めた。私が毎日政府について考えているうちに、私はアニメを見るよりも政府について考えるほうが面白くなったので、アニメを見るのをやめて政府について考えるだけにした。政府について10年ぐらい考えて政府のことを理解した。今の私はテレビでBS朝日の『鉄道・絶景の旅』やBSーTBSの『世界一周魅惑の鉄道紀行』のような実在的な番組を見て、PS4で『バトルフィールド4』のような“実在的なゲーム”をやって遊んでいる。今の人は『まんがはじめて物語』や『ミームいろいろ夢の旅』のような“実在的なアニメ”(学習アニメ)を見て楽しめばいい。
実在において政府はマゾを虐[いじ]めてマゾを喜ばせる会社である。それを知ることが実在を知ることである。みんなが政府をそんな会社だと考えることがみんなが実在に適応することである。みんなが政府をそういう目で見ることが実在に適応することである。みんなが『政府がマゾを虐める会社である』という考えに基づいて行動することが実在に適応することである。今はみんなが科学をやって実在を支配して実在に虐められないようにしているから“虐められる喜び”がなくなってマゾではない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにして幸せに暮らせばいい。政府の税金の命令を聞かないようにして政府に税金を払わないようにして政府を潰[つぶ]して快適に暮らせばいい。それが、みんなが政府を利用することである。今の国民が自分が政府を使うか使わないかを考えて政府を使わないことが政府を利用することなのである。
これ以降h29.10.17追加:『政府は“虐められる喜び”のある国民を虐めて喜ばせる会社である』と考えることが実在の世界に入ることである。『物は力を与えなければずっとまっすぐ動きつづける』と考えれば、人間が実在の世界に入るのと同じことである。今は科学の時代である。今の若い人は科学をやって実在を勉強して実在を理解して実在の世界で暮らすようになっている。空想や見かけの世界から抜け出して実在の世界の中に入って暮らすようになっている。空想や見かけの世界は古臭い。実在の世界が新しい。日本文化に機能美があるのではなく、未来の人類の文化に機能美があるのだ。今の若い人がまじめに実在を勉強すれば、私なんかよりもずっと実在の世界に深く入り込んで幸福に暮らすことができる。今後そういう人が増えることが私にとってはうれしいことである。
人間が『物は力を与えなければずっとまっすぐ動きつづける』と考えたから、人間が実在の世界に入って物理学が発展したのである。そのために、テレビや自動車やパソコンなどのたくさんの便利な物が出来たのである。それと同じように人間が『政府は“虐められる喜び”のある国民を虐めて国民を喜ばせる会社である』と考えて、人間が実在の世界に入って社会科学を発展させねばならない。みんなが幸福に暮らせる社会制度がたくさんある世の中にしないといけない。
h29.10.22追加:昔の人は空想や見かけの世界に生きていたので、自分の頭の中で「自分は幸福な世界に生きている」と思い込むことによって幸せに生きようとしていた。昔の人は空想力を鍛[きた]えて空想力が強かったので、空想力に物を言わせて幸せになろうとした。例えば、「政府は国民みんなを幸せにしてくれるいい団体だ」と信じることによって幸福に生きようとした。「自分は世界で一番優[すぐ]れた人間だ」と思い込むことによって幸せに生きようとした。しかし、そんなやり方では駄目[だめ]である。現実はそんなに甘くない。そんなやり方ではいっときだけの幸福が得られるにすぎない。昔は文学の時代だった。しかし、今は科学の時代である。今の人は実在の世界に生きているので、自分の眼で実在を見て自分の頭で実在について考えて実在を知って、実在の中で自分の心を満足することによって幸福にならねばならない。そうすれば、人間は本当に幸福になれる。

[23385] 今後は女が不幸な時代である。 h29.10.16
女は大脳の新皮質がないので知覚がなくて五感と心だけなので実在がわからず見た目や空想しかわからない。そのため、女は科学が苦手でオシャレや作り話が得意である。
昔の文学の時代にはそれでよかった。昔はみんなが実在がわからなくて空想や見た目の世界で喜んで暮らしていたから、女はむしろいい者だと思われていた。女は見かけがきれいで心が楽しいからいい人だった。だから、昔は男は喜んで女と結婚した。
しかし、今は科学の時代である。今はみんなが実在を知って実在の中で楽しく暮らす時代である。そんな時代に女が実在がわからないのは致命的欠点である。今はみんなが実在の喜びだけで空想や見た目の喜びがない。今では女は子供を産む以外には価値がないものとみなされている。だから、今では男は女と結婚しようとしない。今では女が売れ残っている。そのため、今では“出会いサイト”や“結婚相談所”がたくさん出来ている。
これまでは女が生きやすい時代だった。これまでは女が生きていて幸せな時代だった。
しかし、今後は女が生きにくい時代である。これからの時代は女が生きていても女にとって面白くない。男でないと面白くない。今後は女が不幸な時代である。だから、女は生きなければいい。科学で人間が作れるようにして女を要らないようにして女を絶滅させて男だけの世界にしないといけない。

[23386] 人間は子供の頃には空想や見た目の喜びが強い。 h29.10.17
人間の大脳には古皮質と新皮質がある。人間の古皮質には五感と心がある。人間の新皮質には知覚がある。
人間が子供の頃にはまだ新皮質が十分働いていない。そのため、人間は子供の頃は五感と心だけで物を見ている。子供はまだ実在の知識がないから空想的だし、五感で直接に物を見ているから見かけに敏感である。だから、子供は空想や見た目の喜びが強い。
人間が大人になるとだんだん新皮質が働くようになる。大人は知覚で五感を見て実在を認識して、実在において自分の心を満足するようになる。だから、大人は実在の喜びが強い。
だから、人間が幸福に生きるためには自分の大脳全体を働かさなければならない。古皮質と新皮質の両方を使わなければならない。つまり、五感と知覚と心の全部を働かせねばならない。
政府は国民を虐[いじ]める会社だから、政府はイカサマ哲学者を雇[やと]ってまちがった哲学を作らせて国民に新皮質よりも古皮質を働かせるようにさせている。政府は学校で子供に社会科や生物学などの“考えない科目”を教えて国民に古皮質を働かせるようにさせて国民を不幸に暮らすようにしている。国民は政府の言うことを聞かないようにして自分で勝手に物理学や数学などの“考える科目”だけ勉強して、社会科や生物学などの“考えない科目”を勉強しないようにして社会科や生物学のテストを白紙で出して0点を取って幸福に暮らさねばならない。国民は社会科や生物学のテストの0点のつらさに耐えて、社会科や生物学を勉強しない苦しみに耐えて、自分の幸福を勝ち取らねばならない。もっとも、人間が社会や生物について考えてはいけないわけではない。人間が新皮質を使って頭で考えて理解できる方法でなら社会や生物について考えてもいい。

[23387] どうして今の国民みんなは不幸に暮らしているか? h29.10.20
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は“虐められる喜び”のある国民を虐めて喜ばせる会社である。政府は国民に命令して事故を起こして人殺しをさせたり、高い税金を払わせたり、わざとにまちがった経済政策をやらせて貧乏にしたり、国民を不幸にする法律や制度をやらせたりして国民を虐めている。(医療保険制度では医者の腕によらず実際に医者がやったことだけで医者の収入が決まる。名医もヤブ医者もやったことが同じなら収入も同じである。だから、医者が稼[かせ]ぐためには多くの患者を診るしかない。医療保険制度が出来る前は医者が自分で料金を決めて患者を診ていた。だから、名医は高いお金を取れるので少ない患者を診ても儲[もう]かった。名医は料金が高い上に多くの患者が来たのですごく儲かった。今ではそんなことがない。医療保険制度のために医者のやりがいがなくなっている。医療保険制度はヤブ医に有利で名医に不利な制度である。医療保険制度はヤブ医者を増やす制度である。医療保険制度は国民にとっても医者にとっても不利な制度である。医療保険制度はやめたほうがいい。政府は国民みんなを虐める会社である。政府は特定の人だけ虐めないわけにはいかない。政府は国民みんなを虐めないといけない。だから、政府は医者も虐める。政府は医者も苦しめる。医療保険制度は医者に有利な制度ではない。政府は社会制度を定着させるために最初のいっとき国民みんなに有利にするだけである。その後で政府は制度を少し変えて国民みんなに不利にする。政府はそういうやり方で国民を虐める制度を定めていく。国民みんなは結局政府に虐められるだけである。だから、国民みんなは政府の制度に乗らないほうがいい。)
そのうえ、政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって“国民みんな”や“神”や“古臭い物”に弱い国民を政府に従う気持ちにさせている。
そうやって、政府は国民に“国民を虐める命令”を聞かせて国民を虐めている。
今の国民の多くが政府の“国民を虐める命令”を聞いて自分が不幸になることをやっているから、今の国民みんなが不幸に暮らさねばならなくなっている。政府は国民に命令して国民にまちがった道徳や哲学をやらせているから国民は不幸に暮らしているのだ。政府はテレビ局に命令して国民みんなに国民が不幸になることを国民が幸福になることであるかのように思わせて国民が不幸になることを流行[はや]らせて国民を不幸にしている。
今の国民はマゾではないから政府の言うことを聞いてはいけない。今の国民は科学をやっていて実在を支配して実在に虐められなくなっていて“虐められる喜び”がなくなっているから、政府に虐められてもうれしくないから、政府の言うことを聞いてはいけない。今の国民は星新一のショートのようにテレビの言いなりになっているからテレビを見てもいけない。
今の国民は自分で自分がどうすれば幸福になるかをよく考えて自分が幸福になることをやって自分で自分を幸福にしないといけない。
人間が科学の力を使って空想の喜びや見かけの喜びを満足してはいけない。それは戦争と同じことである。科学の力を使って実在の世界で強力な武器を作って“戦争をする喜び”という空想の世界の喜びを満足すると人間が不幸になりすぎて危険である。それはこの前の第二次世界大戦でよくわかったことである。“混ぜると危険”とはこのことである。空想や見かけの世界と実在の世界を混ぜこぜにするのは危険である。今は科学の時代である。人間が実在の世界の中で暮らす時代である。だから、人間は実在の世界の中で喜ばないといけない。空想や見かけの世界で喜んではいけない。人間は知覚を使って実在を理解しないよりも知覚を使って実在を理解するほうが幸福に暮らせる。人間が知覚を使って実在を理解すると、心が実在によって制限されて狭くなるがそのかわり心がより多く満足されて幸福になる。早く人類みんなが空想や見かけの世界から抜け出して実在の世界に入って幸福に暮らせるようにしないといけない。空想や見かけの喜びは古い喜びであり、“実在の喜び”は新しい喜びである。新時代の喜びである。今後の人類は“実在の喜び”がわかるようになって“実在の喜び”を満足して幸福に暮らすようにならねばならない。政府は国民を虐める会社だから、その反対に国民が実在の世界から出て空想や見かけの世界に入ることばかりやる。政府はそうやって国民を幸福にならないようにして国民を不幸にして虐めるのだ。政府は人類が楽園に行くのを妨害する悪の道案内である。だから、みんなは政府の言うことを聞かないようにして政府の言うことと反対のことをして幸福に暮らさねばならない。例えば、政府が「税金を払え!」と言ったらその反対に政府に税金を払わないようにして幸福にならねばならない。
テレビコマーシャルは売れない物を売るためにやっている。今は科学の時代だから実在の喜びを満足する物がよく売れて空想や見かけの喜びを満足する物が売れない。だから、テレビ局は空想や見かけの喜びを満足する物を作る会社(つまり面白くない物を作る会社)からたくさんお金をもらって空想や見かけの喜びを満足する番組(つまり面白くない番組)をたくさん作る。だから、国民がテレビを見ると空想や見かけの喜びばかり満足するようになって不幸になる。国民がテレビを見ると売れない物を買って上辺[うわべ]で喜んで、本音[ほんね]では不愉快[ふゆかい]な思いをすることになる。国民がテレビを見るとセンスが悪くなって面白くないことを面白いと思うようになって自分が面白くないことをやって自分で自分に面白くない思いをさせて不幸になる。だから、国民はダラダラとテレビを見てはいけない。自分が本当に見たい番組だけを厳選して録画に撮って見ないといけない。そもそもテレビコマーシャルが売れない物を売るためにやることがいけないのだ。国民が自分で直接にテレビ局にお金を払って面白い番組を作ってもらうようにすればいいのだ。空想や見かけの喜びを満足するつまらない物を作る会社は面白くない物を面白いと思わせる嘘[うそ]の宣伝なんかせずに黙[だま]っておとなしく潰[つぶ]れればいいのだ。そうすれば、国民はコマーシャルに踊らされて不愉快な思いをせずに、純粋に楽しい番組が見られるのだ。只[ただ]だからいいということはない。『只ほど怖いものはない。』だから、国民は自分が幸福に暮らせるように社会制度を作り直さねばならない。つまらないところでケチるとかえって損をする。だから、ケチらずにちゃんと払うべきものは払って自分が幸福に暮らせるようにすればいいのだ。
今は科学の時代である。今はみんなが実在で喜んで空想や見かけで喜ばない時代である。そんな時代にサイクラー(自転車に乗る人)は外人の真似[まね]をして派手な服装をして派手な自転車に乗っている。かえって汚らしい。自転車が流行[はや]らない原因である。サイクラーは純粋に“自転車をこぐ喜び”を満足するためにサイクリングをしないといけない。“自転車をこいで遠くに行く喜び”を満足するために自転車に乗らないといけない。それが現代的な自転車の楽しみ方だ。服装や自転車のデザインにお金をかけるよりも服装や自転車の性能にお金をかけないといけない。外車はデザインばっかりで性能がない。外車を買うから気持ちが変になる。国産の自転車を買え!日本人は昔から‘眼で見る喜び’を殺してきたから実在の世界から出ずに実在の世界の中で幸せに生きることができた。“ボロは着てても心の錦♪”とは、日本人が昔からやってきた幸福になるための方法である。だから、今後もそうしなければならない。今の日本が面白くないのは派手な服を着て派手な自転車に乗る者がいるからだ。今の日本に面白くないことをやる者がいるから日本人みんなが面白くないのだ。日本人みんなが面白くないことをする者を見て面白くない気分になっているのだ。だから、そんなやつは日本から出て行け!人類は人類を不幸にする者が要らない。だから、人類みんなで人類を不幸にする者をなくさねばならない。
今の人にとっては“虐め”は要らないのに政府は民主主義などで“虐め”を売って税金を取って儲[もう]けている。売れない物を作る会社がテレビの宣伝で売れない物を売って儲けているのと同じである。政府の民主主義は売れない虐めを売るための宣伝である。(政府の虐めは昔は売れていたが、今では売れない。不良は民主主義をやらないから虐めが売れずに潰[つぶ]れた。政府は民主主義をやるから虐めを売って今でも残っている。)“国民みんなに弱い者”が民主主義につられて政府の言うことを聞く。それと同じように、今の人が面白さに飢えているから、今の人が“面白さ”に弱いから、テレビの宣伝につられて面白くない物を買うのである。政府や要らない物を作る会社は人の心の弱点をついて売れない物を売ろうとする。今の人はもっと自分で考えるようにして多数決に従わなくなって“国民みんな”に強くなって政府の民主主義につられないようにならねばならない。今の人はもっと自分で考えて正しいことがわかるようになって、正しいことに従うようになって“面白いこと”に従わなくなって“面白さ”に強くなってテレビの宣伝なんかにつられないようにならねばならない。今の人が政府や売れない物を作る会社の宣伝に弱いのは自分で考えないからである。今の人が自分で考えないのはテレビの見すぎだからである。だから、今の人はテレビを見ないようにして自分で考えないといけない。今の人は学校の面白くない勉強なんか無視して、学校の“自分で考えることを嫌いにする教育”なんか受けないようにして、もっと自分で考えて自分で考えることの楽しさがわかって、テレビやゲームなんかをつまらないと思わねばならない。テレビやゲームをちょっとやるだけにして、あとは考えごとばかりしないといけない。

[23388] 政府は国民みんなに善いことをする会社ではない。 h29.10.21
政府は国民を虐[いじ]める会社である。政府は国民を虐めるために国民に命令して事故を起こして人殺しをさせたり、国民から高い税金を取ったり、国民にわざとにまちがった経済政策をやらせて国民を貧乏にしたり、国民にわざとにまちがった法律や制度をやらせて国民を嫌がらせたりする。
そのうえ、政府は民主主義をやって“国民みんな”に弱い国民を政府に従う気持ちにさせている。民主主義とは政府が“国民みんな”に従うふりをして“国民みんな”に弱い国民を政府に従う気持ちにさせることである。政府は“国民みんな”に従うふりをするために、国民の眼の前で実際に水道や法律会社や学校や役所など国民みんなの役に立つことをちょっとだけやって、あとはテレビや新聞で言葉の上で自分が国民みんなの役に立つことをしていると言うだけである。政府はそうやって“国民みんな”に弱い国民を政府に従う気持ちにさせて、政府の“国民を虐める命令”を聞かせているのである。国家宗教や身分制も同様である。
今の国民の多くは「自分が政府のおかげで裕福に幸福に暮らせている」「政府が自分の暮らしを支えている」と思って喜んで政府の言うことを聞いて政府に税金を払っている。しかし、本当は、政府は国民に命令してわざとにまちがった経済政策をやって国民を貧乏にして不幸にして虐めているのである。国民がテレビの面白いコマーシャルを見て喜んで商品を買って、実際には面白くない物を買ってあとで嫌な思いをしているのと同じことである。
人間はみな平等である。だから、政府と国民は平等である。だから、国民が政府に税金を払うか払わないかは国民の自由である。それなのに、法律で政府が国民から強制的に税金を取れることになっているのは、政府が嘘[うそ]の法律を作っているからである。政府が嘘の法律を作っているのは、政府が国民を虐める会社だからである。政府は国民を虐めるために、本当の法律とは別に嘘の法律を作って国民を嫌がらせているのである。国民が政府に虐められるか虐められないかは国民の自由である。政府に虐められたい国民は政府の言うことを聞けばいいが、政府に虐められたくない国民は政府の言うことを聞かなければいいのである。
昔の国民みんなは科学をやっていなくて実在に支配されて実在に虐められていたので“虐められる喜び”が出来てマゾだったから、自分が政府に虐められて喜ぶために政府の言うことを聞いていた。反対に、今の国民みんなは科学をやっていて実在を支配して実在に虐められなくなったので“虐められる喜び”がなくなってマゾではないから、自分が政府に虐められて嫌がらせられないために政府の言うことを聞かなくなっている。今の国民みんなは政府の言うことを聞かなくなって政府に税金を払わなくなって政府がだんだん潰[つぶ]れている。(生物学の実験で、人間がネズミを虐めすぎると、ネズミに何もしなくてもネズミが勝手に自分の身体を噛[か]んで傷つけるようになる。これは、ネズミを虐めたためにネズミに“虐められる喜び”が出来てマゾ化したためである。人間にも同じことが当てはまる。だから、人間も実在に虐められると“虐められる喜び”が出来てマゾになるのである。政府に虐めてもらって喜ぶようになるのである。)
政府の警察は政府の付属会社だからマゾを取り締[し]まることができるだけである。マゾでない者はたとえ悪いことをして法律を犯しても政府の警察に捕まらない。そのために、今では国民みんなが悪いことをやりたい放題である。みんなが他人の眼につかない所で悪いことをやっている。そのため、国民みんなが毎日悪いことをし合って面白くない思いをしている。このままでは国民みんなが不幸になるだけである。だから、国民みんなで早く政府を倒して政府の警察を潰して本当の警察を建てて本当の警察に本当の法律で国民みんなを取り締まってもらってみんなが法律を守るようにしてみんなが幸福に暮らせるようにしないといけない。
h29.10.24追加:昔の国民は自分が虐められるのが好きだったから政府が出来た。昔の国民は政府に“国民を虐める命令”を出してもらって政府の命令を聞いて政府に虐めてもらって喜んでいた。国民が政府の生みの親である。政府よりも国民のほうが上である。政府を建てるも潰[つぶ]すも国民の自由である。だから、反対に今の国民は自分が虐められるのが嫌いだから政府を潰せばいいのである。今の国民は政府の“国民を虐める命令”を聞かないようにして政府に虐められないようにして政府に税金を取られないようにして政府を潰せばいいのである。

[23389] 昔の人は実在に支配されていた。 h29.10.22
人間はある程度以上虐[いじ]められると“虐められる喜び”が出来てマゾになる。人間にはそういう性質がある。人間とはそういう生き物である。
昔の人は科学をやらなくて実在に支配されていて毎日実在に虐められていたので“虐められる喜び”が出来てマゾだった。昔の人は自分の“虐められる喜び”を満足するために自分で自分を虐める政府を建てて政府に虐められて喜んでいた。
今の人は科学をやって実在を支配していてもはや実在に虐められなくなったので“虐められる喜び”がなくなってマゾではない。今の人は“虐められる喜び”がないから自分で政府の言うことを聞くのをやめて政府に虐められないようにしている。今の人は“虐められる喜び”がないから自分で政府の言うことを聞くのをやめて政府に虐められないようにしないといけない。
昔の人は実在に支配されていた。今の人は実在を支配している。昔の人は今の人とは違う。昔の人は動物と同じように実在に支配されて生きていた。昔の人にとって実在はなんだかわからないものでありどうにもならないものだった。昔の人は実在に手も足も出なかった。昔の人は実在の前ではゴミのようなものだった。昔の人は実在のなすがままにされて実在にさんざんつらい思いをさせられて虐められていた。昔の人は実在に支配されていた。昔の人は実在の奴隷[どれい]だった。昔の人は実在に鞭[むち]を打たれていた。昔の人にとって実在は恐怖の対象だった。反対に、今の人は実在を理解して実在を支配している。今の人にとっては実在は自分の頭で理解できるものであり、自分の思い通りになるものである。今の人にとって実在はオモチャにすぎない。実在は遊び道具にすぎない。笑いものにすぎない。今の人は実在を支配して実在をオモチャにして楽しく生きている。
『人間は実在を知れば実在を支配できる。』反対に、人間は実在を知らなければ実在に支配される。昔の人は実在を知らなかったので実在に支配されていた。昔の人は実在に支配されて実在にひどい目に合わされていた。人間が実在に苦しめられないためには実在を支配しなければならない。人間が実在を支配するためには実在を知らねばならない。だから、今の人は自分が幸福に生きたければ自分で一生懸命に実在を勉強して実在を知らねばならないのだ。

[23390] 政府はどうして私を神にしたか? h29.10.22
私が生まれた頃に(昭和39年=1964年頃に)日本の文明が急速に発達していろんな新しい娯楽が出来た。テレビやマンガやゲームなどが出来た。
天皇家は面白くない人間である。政府は国家宗教をやっているから、いろんな物を国家宗教の神に従わせて作らなければならない。政府が天皇家を神にしていると、せっかくの新しい娯楽がことごとく面白くない物になる。政府が国民みんなの反感を買って潰[つぶ]される。たとえ国民みんながマゾだとしても、新しい娯楽が出来たときまで政府が国民を虐めたら、政府は国民の反感を買って潰されるのだ。新しい娯楽は国民にとって必ず面白いものでないといけないのだ。そのため、政府は天皇家とは別に私を神にして、私に従ってテレビ番組やマンガやゲームを作って国民みんなの反感を買わないようにしたのである。私は天皇家とは違って面白い人間なので、私に従っていろんな物を作ると面白い物が出来るのである。そのために、政府は私を神にしたのである。
しかし、そもそも政府は国民を虐[いじ]める会社である。今ではテレビやマンガやゲームが出来てしばらく経っている。今では国民みんなにテレビやマンガやゲームなどがマンネリになりつつある。そこで、政府は今では国民がそれらの娯楽が面白くなくても文句を言わないと思って、国家宗教の神を私から天皇家に戻してそれらの娯楽を面白くない物にしている。私は新しい娯楽が出来たときのいっときだけの神にすぎなかったのである。政府は自分が潰れる恐れがないギリギリのところまで国民を虐める。(政府は天皇家を神にしてマンガをつまらなくするだけではない。政府は実学(科学)の本もつまらなくする。政府は実学の本にマンガを入れて実学の雰囲気をブチ壊しにしてつまらなくする。あるいは、政府は実学の本に派手な色を入れて実学らしさを損ねて実学をつまらなくする。つまらなくするやり方はいろいろある。それを考えるのが政府の仕事である。政府はそんなことをして給料をもらっているのだ。今の政府がマンガやアニメに力を入れているのも、今の国民が科学をやるのをシラケさせてやる気を奪うためである。そのために、今の日本人が科学が苦手になって不幸に暮らさねばならなくなっているのかもしれない。)
政府は国民を虐める会社である。政府は国民に“国民を虐める命令”をよく聞かせるために民主主義をやっているにすぎない。けっして政府は国民に善いことをやって国民を喜ばせる会社ではない。政府は国民に悪いことをやって国民の“虐められる喜び”を満足して国民を喜ばせる会社である。国民は政府に悪いことをされるだけである。
昔の国民は“虐められる喜び”があったから政府があったほうが幸福だった。反対に、今の国民は“虐められる喜び”がないから政府があったほうが不幸である。政府がないほうが幸福である。だから、今の国民は政府を潰さないといけない。今の国民は政府に税金を払わないようにして政府にお金をやらないようにして政府を潰さないといけない。税金は国民が政府に虐められて喜ぶためのお金である。昔の国民はマゾだったから政府に税金を払った。今の国民はマゾではないから政府に税金を払わなければいいのである。
同じように、聖徳太子が生まれた頃にも日本の文明が急に発達して新しい娯楽が出来た。日本に本が出来た。政府は本を面白くするために国家宗教の神を天皇家から聖徳太子に変えた。その後、本がマンネリになってから政府は神を聖徳太子から天皇家に戻した。そうやって、政府は自分が潰れないようにしながら国民を虐めつづけたのだ。

[23391] 馬鹿は頭で考えることよりも眼で見えることのほうがわかる。 h29.10.23
馬鹿ほど眼に見えることが真実だと思っている。
政府は隠れて国民を虐[いじ]めている。政府は国民の眼の前では民主主義をやっている。
だから、馬鹿は政府が国民みんなのために善いことをする会社だと思っている。
本当は眼に見えることは嘘[うそ]である。眼に見えないことが真実である。空気は眼に見えない。だから、“空気を読め”とは眼に見えないことがわからねばならないということである。眼で見えないことを頭で考えてわからねばならないことである。
政府は本当は国民を虐める会社である。それが政府の正体である。昔の国民はマゾだったから自分が政府に虐められて喜ぶために政府が必要だった。反対に、今の国民はマゾではないから自分が政府に虐められるのが嫌なので政府が要らない。だから、今の国民は政府の言うことを聞かず政府に税金を払わず政府を潰[つぶ]さねばならない。
馬鹿は頭で考えることよりも眼で見えることのほうがわかる。馬鹿ほど眼に見えることに頼りたがる。日本人は馬鹿ではない。だから、日本人は眼で見えることに頼ってはいけない。日本人は眼で見えることを無視して頭で考えて生きていかねばならない。
今は科学の時代である。科学において真実かまちがいかを決めるのは理屈である。実験や観察は参考にすぎない。実験や観察は解釈によってどうにでもなる。だから、実験や観察は真実ではない。つまり、眼で見えることは理屈による解釈によって意味が変わるので、眼で見えることそのものは真実ではない。例えば、いくらテストの点がよくてもカンニングならなんの価値もない。いくら格好[かっこう]がよくても馬鹿ならなんの価値もない。科学は実在がわかることである。実在は眼で見える世界を超えたところにある。人間は頭で考えることによって実在がわかる。人間は自分が実在について理解したことを言葉や図に表現することによって他人に伝えることができる。だから、今の人間は頭で考えることを鍛[きた]えて眼で見えることよりも頭で考えることがわからねばならない。今の人間は眼で見えることよりも頭で考えることを大事にしないといけない。

[23392] 男女平等とはなにか? h29.10.23
男女平等とは基本的人権については男も女も同じとすることである。女の考えが男の考えと同じく通用することではない。
女は男よりも知覚が弱いから女は男よりも正しいことがわからない。だから、女の考えを男の考えと平等にすることはできない。男の考えを女の考えよりも優先しないといけない。
考えにおいては男女平等ではない。男尊女卑である。女は男に従わねばならない。今は科学の時代だから真実を大事にする時代だからなおさらである。昔の人間は実在がわからなかったから真実がなかった。今の人間は実在がわかるから真実がある。
男の考えは女の考えよりも正しい。正しい考えとまちがった考えを平等にするとまちがった考えが正しい考えと同じように通用して世の中がメチャクチャになる。みんなが不幸になる。だから、男の考えを女の考えよりも上にしないといけないのである。女は男に従うことによってはじめて正しく生きられる。幸福に生きられる。だから、女は男に従わねばならない。同じように、大人は子供よりも考えが正しい。だから、子供は大人に従わねばならない。
人間の全能力は平等である。女は男よりも子供を産める能力があるから、そのぶん女は男よりも正しいことがわかる能力がないのである。子供はまだ十分知覚が働いていない。女が知覚が弱いのは子供と気が合うためである。そのほうが女が育児がしやすいからである。
女は頭の中が汚いまちがった面白くない考えでいっぱいである。女の考えで世の中を作るとみんなが面白くなくなってしまう。だから、女の考えで世の中を作ってはいけない。反対に、男は頭の中がきれいな正しい面白い考えでいっぱいである。男の考えで世の中を作るとみんなが面白くなる。だから、男の考えで世の中を作らなければならない。だから、男は女の考えを無視して女の考えを否定して自分の考えで生きていかねばならない。自分の考えで世の中を作っていかねばならない。女は人間のクズだから真[ま]に受けてはいけない。女はみんなを不愉快[ふゆかい]にするだけだから相手にしてはいけない。
キュリー夫人やネーター女史[じょし]が頭がいいのは政府がやったイタズラである。政府はみんなに「女が男と同じくらい頭がいい」と思わせて女に世の中を作らせて面白くない世の中にしてみんなを虐[いじ]めるために、キュリー夫人やネーター女史に科学や数学の研究をさせたのである。本当はそれらの研究は別の男の人がやったのである。東大に受かる女も政府がやったイタズラである。政府が女に事前に試験の答えを教えていい点を取らせたのである。本当は女は男よりも知覚が弱い。女は男よりも正しいことがわからない。女は空想や見かけの才能があるだけで実在の才能はない。人間にとっては空想や見かけは面白くない。実在しか面白くない。女は面白くない才能があるだけである。だから、みんなは「女を男と同じくらい頭がいい」と思わないようにして、女の考えを信じないようにしないといけない。女は空想と見かけの喜びしかわからないが、男は“実在の喜び”がわかる。男は女のセンスよりも自分のセンスを大事にしないといけない。

[23393] 国連は人類を虐[いじ]める団体である。 h29.10.23
今の国連はテレビコマーシャルで中東の国(シリア)の戦争で足をなくした女の子の学費支援を行っている。
しかし、中東の国はお金持ちだから戦争がやれるのである。中東の国の人は男文化[おとこぶんか]だから戦争が好きだから戦争をやっているのである。中東の国はお金持ちである。だから、みみっちい学費支援なんかする必要がない。
中東の国はインドと同じように男文化で眼で見ることを無視する文化だから一見貧しく見えるのである。中東の人は見かけが汚いことが好きだから瓦礫[がれき]の家に住んでいる。しかし、本当はお金持ちである。日本よりもヨーロッパよりもずっとお金持ちである。だから、外国による支援なんか全然要らない。中東の国はインドと違ってちゃんと科学をやるからけっこうお金持ちである。中東の国は見かけの美しさを否定する文化だから、女に黒い服を着せてきれいにさせないのだ。一方、科学をやらないところまで行く頭のよさがあるのがインド人である。インド人は頭がよすぎるから数学だけやって科学をやらない。中東はインドとヨーロッパの合いの子だから頭で考えることと眼で見ることの両方をやるから科学をやる。日本と似ている。日本は中国に近いから日本のほうが中東よりも文学的である。中東のほうが日本よりも科学的である。文学的であるのは日本人の弱点である。文学的であるのは日本人が幸福になれない原因である。
国連は国による文化の違いを利用して外国から支援金を取って自分の物にして儲[もう]けている。アフリカ人は“動物と同じように生きる文化”だから、アフリカ人は医療が嫌いだから、アフリカ人は医療費が要らないから、国連が病気で死にかけているアフリカの女の子のテレビコマーシャルをやって外人から支援金を取って自分の物にして儲けているのと同じことである。
国連は世界中の政府の集まりである。だから、国連は政府と同じように世界中の人類を虐める団体である。国連は世界中の人類を虐めるために世界中の人類を騙[だま]して支援金を取っているのである。今の人類はマゾではないから自分が虐められるのが嫌いである。だから、世界中のみんなは国連に騙されないようにして国連にお金をやってはいけない。今の人類は国連が要らないから国連を潰[つぶ]さないといけない。

[23394] 国民は政府に従う必要がない。☆ h29.10.25
政府は国民を虐[いじ]める会社である。国民は自分がマゾで政府に虐められたければ政府の命令を聞けばよく、自分がマゾでなく政府に虐められたくなければ政府の命令を聞かなければいい。だから、政府と国民は平等である。
たとえ政府が民主主義や国家宗教や身分制をやっても、政府は国民を政府に従う気持ちにさせているだけで、国民が政府に従う義務はない。だから、やはり政府と国民は平等である。(テレビコマーシャルが視聴者に商品を買う気持ちにさせるだけで、視聴者に商品を買う義務がないのと同じことである。)
つまり、国民は政府に従う必要はない。国民が政府に従うか従わないかは国民の自由である。国民が政府に従う場合には、その国民が自主的に政府に従っているとみなされる。
今では国民のほとんどが科学をやって実在を支配して実在に虐められなくなって“虐められる喜び”がなくなっている。今の国民のほとんどはマゾではない。今の国民のほとんどは政府に虐められたくない。
だから、国民が政府に従って政府の命令で他人に悪いことをした場合には、その国民に責任がある。政府は直接自分で国民に手出しをしないから、政府に責任はない。政府の命令を聞いた国民が悪い。政府は国民に悪い命令を出しても責任を取る必要がないから“無責任男”なのだ。政府の警察はマゾではない国民を罰することができないから、政府の命令を聞いた国民がマゾでなければ、国民みんなでその国民を罰しなければならない。
国民は政府に従う必要はない。だから、国民が政府に従って政府の言うことを聞いて他人に悪いことをした場合には、その国民が悪いことになる。だから、国民は自分でよく考えて政府の言うことを聞くか聞かないか決めねばならない。政府は国民を虐める会社だから、政府の命令はたいてい悪いことだから、国民は政府の命令を聞かないほうがいい。
h29.11.2これ以降追加:昔は国民みんながマゾだったから、昔は国民みんなが政府に虐められたかったから、国民が政府の命令を聞いてみんなに悪いことをしてみんなを虐めてもよかった。国民が政府の命令で他人に悪いことをして他人を虐めてよかった。しかし、今は国民の少数がマゾでほとんどがマゾではない。今では国民のほとんどが政府に虐められたくない。だから、国民が政府の命令を聞いて他人に悪いことをして他人を虐めてはいけない。今はマゾの人が政府の命令を聞いて自分に対して悪いことをして自分を虐めるだけにしないといけない。
オウム真理教の信者が神の命令を聞くか聞かないかは信者の自由である。オウム真理教の信者には神の命令を聞く義務はない。だから、オウム真理教の信者が神の命令で人殺しをしたら信者が悪いことになる。神は悪くない。「人殺しをしろ!」と口で言うことは神の自由だから神は悪くない。だから、オウム真理教の実行犯は罰せられねばならないが、神は罰せられなくていい。子供がケンカのとき怒って「殺す!」と言うことはよくあるが実際には子供は相手を殺さないから子供は無罪である。それと同じように、神も怒って「殺せ!」と口で言うだけで実際には自分で相手を殺さないから無罪である。オウム真理教の信者がマゾなら、信者同士の間で神の命令で悪いことをし合って虐め合うのはかまわないが、信者が神の命令で信者以外の者に悪いことをして虐めるのはいけない。

[23395] 人間は性欲を満足すると動物になる。 h29.10.25
人間がオナニーやセックスをやって性欲を満足すると、やっていることが動物並みだから、性欲は動物的な感情だから、動物は知覚がないから、知覚が働かなくなる。“考える喜び”がなくなる。知覚が働かなくなると、そのぶん五感がよく働くようになる。五感が敏感になって“見かけの喜び”がわかるようになる。だから、“見かけの喜び”がよくわかる者は性欲を満足して動物化した者である。人間をやめて動物になった者である。人間はそんな者をまともに相手にしてはいけない。(例えば、医者が眼で見ることしかわからないのは、医者が性欲を満足して頭が馬鹿になっているからである。眼で見ることしかわからないのが医者のバカである。“眼で見る喜び”しかないのが医者のクソである。医者のバカの子供もまた医者のバカである。腕のいい医者は偉いが、医者をやっているだけでは偉くない。インド人は眼で見ることが嫌いである。だから、インドでは医者は身分が低い。医療保険費はバカ一族の遊び代である。だから、国民みんなは医療保険に入らないほうがいい。)
人間は子供のうちはまだ知覚が十分に働かず動物だが、大人になるとだんだん知覚が働くようになって人間になる。人間は動物から人間にならねばならない。人間が動物になってはいけない。そうすれば、人間は幸福に生きていける。
人間は知覚が働かず実在がわからず見かけと空想の喜びしかわからないよりも、知覚が働いて実在がわかって“実在の喜び”がわかるほうが幸福である。だから、人間は性欲を満足してはいけない。
人間は知覚で実在を理解すると楽園に一歩近づくことになる。だから、人間は知覚で実在を理解する努力をしないといけない。
h29.11.1これ以降追加:今の日本人の多くは「実在に空想や見かけを付け足すことによって幸福になる」と思っている。「実在は無味乾燥なので実在そのものはつまらないので空想や見かけを足して楽しくしないといけない」と思っている。しかし、その考えはまちがっている。それは実在に対する感受性が足りないせいである。実在に対する感受性が足りないことが悪い。人間には“実在に対する感性”がある。“実在に対する感性”を磨[みが]いて鋭くすればいい。これからの人間は知覚で実在がわかるようになって、実在が幸福か不幸かがわかるようになって(見かけがいいか悪いかわかるのと同じことである)、実在の世界を人間にとって幸福なものにしないといけない。今の人は実在がわかるようになって空想や見かけがわからないようになって実在に適応して空想や見かけの世界に適応しなくなって幸福に暮らさねばならないのである。
いくらコンピューターが出来たからといって人間が考えなくていいわけではない。コンピューターが出来ても、コンピューターのプログラムは人間が組まねばならない。だから、コンピューターが出来ても、人間が考えることに変わりはない。いくら便利な機械があっても、機械の使い方は人間が自分で考えて決めねばならない。だから、今後ますます人間が考えるようになって行くのだ。

[23396] どうして政府は国民を虐[いじ]める会社なのか?☆ h29.10.25
人間には“虐められる喜び”がある。人間はある程度以上虐められると“虐められる喜び”が出来てマゾになる。
昔の人は科学をやらなかったので実在がわからず実在をどうにもできず実在に支配されて実在に虐められていたので“虐められる喜び”が出来てマゾだった。
昔の人はマゾだったので自分が虐められて喜ぶために自分を虐める政府を建てて政府の言うことを聞いて政府に虐められて喜んでいた。
だから、政府は国民を虐める会社なのである。政府は国民に命令して国民にいろんな悪いことをして国民を虐めるのである。政府は国民に命令して事故を起こして大勢の国民を殺させたり、国民にまちがった経済政策をやらせて国民を貧乏にしたり、国民にまちがった法律や制度をやらせて国民を嫌がらせたりして国民を虐めるのである。
反対に、今の人は科学をやっているので実在がわかって実在を思い通りにできて実在を支配して実在にあまり虐められなくなっているので“虐められる喜び”がなくなってマゾではない。今の人にとっても仕事はつらいが今でも多少は仕事に虐められているがマゾになるほどではない。反対に、昔の人は実在に虐められすぎていたために気が狂ってマゾになっていたのである。昔の人の生活は気が狂うほど厳しかったのだ。昔の人は生活が厳しすぎたために生活が辛[つら]すぎたために虐められることが喜びになってしまっていたのだ。戦前の家には電気もガスもなく竈[かまど]しかなかった。戦前の人は原始時代と見かけが違うだけでほとんど同じ生活をしていた。だから、戦前の人は実在に支配されて実在に苦しめられてマゾだったのである。
今の人はマゾではないので自分が虐められるのが嫌なので自分を虐める政府を潰[つぶ]している。今の人は自分で政府の言うことを聞かないようにして政府に虐められないようにしている。今の人は政府に「税金を払え!」と言われても払わないようにして政府を潰している。今の人は政府に「医療保険に入れ!」と言われても入らないようにして政府を潰している。(h29.11.16記:医療保険費は高すぎる。だから、政府の医療保険は病人を利用した虐めである。しかし、今の人はマゾではないから政府に虐められてもうれしくない。だから、今の人は政府の医療保険に入らなければいいのである。医療保険費を払わなければいいのである。どうしても医療保険に入りたい人は政府以外の会社がやっている料金の安い医療保険に入ればいい。)
だから、今の政府は潰れているのである。潰れつつあるのである。今の国民はマゾではないから、今の国民にとって自分を虐める政府は要らないから、今の国民は政府にお金をやらないようにして政府を潰しているのである。
今はまだ『政府が国民を虐める会社である』ことを知らない国民が多いから政府はあまり潰れていないが、そのうち国民みんなが『政府が国民を虐める会社である』ことを知っているようになれば政府は潰れてなくなるのである。政府がなくなるのは時間の問題である。
h29.11.4追加:要するに、昔はみんながマゾだったから国民が政府に虐められて喜んでいた。国民を虐めることが政府の仕事だった。政府は国民の稼[かせ]ぎを奪って遊びまわったり国民に悪いことを命令して国民を嫌がらせて国民を虐めていた。しかし、今はみんながマゾではなくなった。だから、国民が政府に虐められてもうれしくない。だから、今では政府が要らなくなって国から政府が消えているのだ。政府が透明化して見えなくなっているのだ。

[23397] 無知の知 h29.11.1
ソクラテスは『自分は知らない。だから、自分は考えるのだ。』と言って、世の中のいろんなことについて考えた。
人間は生まれつき正しいことを知らない。だから、自分で考えて正しいことを知らねばならないのだ。
今の人は政府のことを知らない。それなのに、政府の言うことを聞いて政府に従っている。今の人は政府のことを知らないのに、政府のことについて考えようともしない。
今の人は知ったかぶりをしてはいけない。今の人が政府のことがわからなければ、正直に政府に対して何もしなければいい。自分が政府のことがわからなければ、政府に何を言われても政府の言うことを聞かなければいい。政府に「税金を払え!」と言われても、自分が政府のことを知らなければ政府に税金を払わなければいい。
今の人は“無知の知”を認めて、自分が政府のことを知らなければ政府に対して何もしてはいけない。自分で政府のことについて考えて、政府のことを知らなければならない。自分で政府のことをちゃんと理解してから、自分が政府に対してすべきことをしなければならない。
今の政府はテレビや雑誌や教科書などを使って国民みんなに空想や見かけを流行[はや]らせている。そのため、今の国民の多くは空想や見かけばっかりやって実在をやらなくなって不幸に暮らしている。今の国民の多くは空想や見かけに価値を認めるだけで、実在や真実に価値を認めなくなっている。今の国民の多くは空想や見かけにたくさんお金を出して、真実にお金を出さなくなっている。今の国民の多くは自分が真実を教えてもらってもお金を出さなくなっている。政府は国民を虐[いじ]める会社だから、国民を虐めるために国民が不幸になる文化を流行らせるのだ。だから、今の国民みんなは自分が幸福になりたければ政府に言われたことと反対のことをしないといけない。実際に、政府自身は自分が国民に勧[すす]めたことと反対のことをやっている。公務員は実在をやって見かけや空想をやらない。(自分の会社がいい製品を作っていないから、自分の会社の製品を買わない社員がいるのと同じことである。)今の国民は自分が幸福になるために実在をやって空想や見かけをやめねばならない。今の国民は自分が幸福になりたければ実在や真実を大事にして空想や見かけを捨てねばならない。人間にとって自分が真実を教えてもらうことは自分を幸福にしてもらうことである。だから、今の国民は自分が真実を教えてもらったら引き換えに相手にお金を払わないといけない。今の国民は空想や見かけにお金を出すのをやめて、実在や真実にお金を出さないといけない。

[23398] 国民みんなは馬鹿ではない。 h29.11.2
今はまだ国民の多くが『政府が国民を虐[いじ]める会社である』ことを知らないから政府が残っているが、そのうち国民がしだいに『政府が国民を虐める会社である』ことを知っているようになればだんだん政府は潰[つぶ]れていって、最後に国民みんなが『政府が国民を虐める会社である』ことを知っているようになれば政府はなくなる。日本は多数決のない国だから、国民が国民みんなに合わさなくていいから、国民みんなが「政府が民主主義の団体だ」と思って政府に従っていても自分は『政府は国民を虐める会社だ』と考えて政府の言うことを聞かなければいいのである。(日本が多数決のない国であることは、麻雀のルールを見てもわかる。中国では振込みをするとみんなで折半[せっぱん]して点を払うが、日本では振込みをした者がひとりで点を払う。)
世の中は馬鹿ばっかりではない。馬鹿は馬鹿だが、利口は利口である。普通は普通である。普通の人が一番多い。人間の頭の良さは正規分布だから、普通が一番多くて利口と馬鹿は少ない。共通一次試験の点数だっておおざっぱには正規分布だ。馬鹿はものわかりが悪くて何を言っても無駄[むだ]だが、利口は他人が教えるまでもなく、普通(の人)は多少説明すれば理解することができる。世の中には少し説明すればわかる者が大勢いるのだ。
ナゾナゾは答えを知れば簡単である。ナゾナゾを自分で考えて答えを出すのは難しいが、他人から答えを聞いてそれを理解するのは容易である。学問なんてそんなものだ。
だから、私は政府のことをみんなに言いつづける。私は自分が政府について考えたことをみんなが見れるようにしてみんなの政府に対する理解を促[うなが]すのだ。そうしていれば、そのうち国民の多くが政府のことがわかるようになるだろう。世の中が変わるだろう。
今の政府は国民の多くが税金を払っているから残っているのである。
政府は詐欺[さぎ]会社ではなく、国民が自分勝手に政府を誤解しているだけである。政府が国民に嘘[うそ]をついて騙[だま]しているのではなく、国民が政府を誤解しているだけだから、国民が悪いのであって政府は悪くない。(戦前の社会科の教科書も今の社会科の教科書も政府について書いてあることはほとんど同じである。それでも戦前の国民は政府のことを正しく理解していた。だから、政府が国民を騙しているとは言えない。政府は自分が虐める会社であることを伏せているだけだから嘘をついているとまでは言えない。)政府が自分のことを国民に説明しないのはずるいが、法律に反しないからかまわないのである。国民が政府のことを勝手に誤解しているのは国民が悪いのであって政府は悪くないから、政府は国民の誤解にちゃっかり便乗[びんじょう]して国民から税金をもらって生き残っているのである。昔の国民はマゾだったから政府のことをよくわかって政府を正しく利用していたが、今の国民がマゾでなくなっているために今の国民にとっては政府の正体がわかりにくくて政府が誤解を招きやすくなっているから、政府は今の国民の誤解を利用してしぶとく生き残っているのである。つまり、昔の国民はマゾだったから『政府が国民を虐める会社であって、政府は国民を政府に従う気持ちにさせるために民主主義をやっている』ことがよくわかっていて自分が好きなだけ政府の命令を聞いて政府に虐められて政府を利用してそこそこ楽しく暮らしていたが、今の国民がマゾでないために「政府は民主主義の団体であって国家権力があるから国民を虐めている」と誤解して政府の命令を聞いているために政府が国民に一方的に命令して税金を取って生き残っているのである。今の国民がマゾでなくなってしまったために、政府の本業(国民を虐めること)と宣伝(民主主義をやること)をひっくり返してしまって、政府のことを誤解して政府の言いなりになっているために政府が今でも残っているのだ。
早く国民みんなが政府のことを正しく理解して政府に税金を払うのをやめて政府を潰さなければならない。政府は国民を虐める会社だから、国民が政府に虐められたければ政府の言うことを聞けばよく、国民が政府に虐められたくなければ政府の言うことを聞かなければいい。政府の民主主義は宣伝だから無視していい。今の国民はマゾではないから政府に虐められたくないから政府の命令を聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。h29.11.3追加:政府は民主主義でいくつか善い事業をやっている。政府が倒れたらそれらの事業ができなくなる。それなら、それらの事業を民営化すればいい。お金の取り方が変わるだけである。国民が政府に税金を払って間接的に善い事業をする会社にお金を回すのではなく、国民が善い事業をする会社に直接にお金を払えばいいだけである。だから、国民は安心して政府の言うことを聞くのをやめて政府に税金を払うのをやめて政府を倒せばいいのである。

[23399] 悪いのは政府ではなく政府の命令を聞いている国民である。 h29.11.3
政府は国民みんなを虐[いじ]める会社である。政府は古臭い会社だから、昔は国民みんながマゾだったから、政府は国民みんなを喜ばせるために国民みんなを虐めるのである。しかし、政府は直接に国民に手出しをしない。政府は必ず国民に命令して国民を介して国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐める。
今では国民みんながマゾではないから、今の国民みんなが政府に悪いことをされて政府に虐められると不幸になる。
政府と国民は平等である。だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。
今の国民の多くは自分勝手に「政府が民主主義の団体だ」と誤解して政府の命令を聞いてみんなに悪いことをしてみんなを不幸にしている。
だから、悪いのは政府のことを正しく理解せずに政府の命令を聞いている国民である。国民の敵は政府ではなく、政府のことがわからずに政府の命令を聞いている国民である。
政府が国民に悪いことを命令するのは悪くない。政府は口先で言葉で国民に悪いことを命令するだけで自分で直接に悪いことをしないから政府は悪くない。政府に責任はない。だから、国民が政府にいくら頼んでも政府は態度を変えようとしない。
一方、国民が政府の命令を聞いてマゾでない人に悪いことをしてマゾでない人を虐めるのは悪い。国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由だから、国民が政府の命令を聞いてマゾでない人に悪いことをするのはその国民が悪いことになる。政府のことを誤解して政府の言うことを聞く国民が悪い。だから、国民は“政府の言うことを聞いている国民”に説明して政府の言うことを聞くのをやめてもらわないといけないのである。
政府は国民みんなを虐める会社である。政府は国民みんなを虐めるために国民に命令していろんなわるいことをやらせる。政府は国民に命令して国民から税金を取ったり、事件を起こして人殺しをさせたり、まちがった経済政策をやらせて国民みんなを貧乏にしたり、まちがった法律や制度や文化をやらせて国民みんなを不幸にさせたりして国民みんなを虐める。政府と国民は平等だから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。政府は民主主義や国家宗教や身分制をやって国民を政府に従う気持ちにさせているが、国民には政府に従う義務はないから、国民が政府の命令を聞くか聞かないかは国民の自由である。昔は国民みんながマゾだったから、国民は国民みんなを幸せにするために政府の命令を聞いて国民みんなに悪いことをして国民みんなを虐めて喜ばせていた。しかし、今は国民のほとんどがマゾではないから、国民が政府の命令を聞いて国民みんなに悪いことをして国民みんなを不幸にしてはいけない。国民は国民みんなを不幸にしないために政府の命令を聞かないようにして国民みんなに悪いことをしてはいけない。国民が政府の命令を聞いてマゾでない人に悪いことをすると、その国民が悪いことになる。だから、今の国民みんなは政府の言うことを聞いてはいけないのである。政府の言うことを聞いて税金を払ったり、人殺しをやったり、まちがった経済政策や法律や制度や文化をやったりしてはいけないのである。
今でも政府の言うことを聞いている国民は早く政府のことを正しく理解して自分の誤解を直して政府の言うことを聞くのをやめねばならない。他人に悪いことをして他人に迷惑をかけるのをやめねばならない。

[23400] 昔の政府は国民を虐[いじ]めることが上手[うま]かった。 h29.11.5
腕のいい医者は偉いが、腕の悪い医者は偉くない。腕のいい医者が儲[もう]かって、腕の悪い医者は儲かってはいけない。世の中はそうなっていないといけない。
実際に“国民を虐める会社”もそうなっている。腕のいい虐める会社が儲かって、腕の悪い虐める会社は儲からない。
政府は国民を虐めることが上手だったから儲かって国民みんなを虐める大きい会社になったのである。国民を虐めるのが下手な虐める会社は儲からないから少数の国民を虐める小さい会社にしかなれなかったのである。
昔はそうだった。しかし、今はそうではない。今は国民みんながマゾではないから、政府は国民を虐めることで儲けているのではない。今の国民の多くは自分勝手に「政府が民主主義の善い団体だ」と誤解して政府に従って政府の命令を聞いている。今の国民の多くは開高健[かいこうけん]の小説『パニック』のネズミの群れのように一方的に闇雲[やみくも]に政府に従って政府に虐められて不幸になっている。政府でさえも国民が政府に従うのをやめさせるのが手に負えないほどである。今の政府は国民が自分の誤解によって一方的に政府に従っているので、虐めなんかどうでもいいと思ってテキトウにデタラメに国民を虐めている。わざとにヘタクソに国民を虐めている。そのために虐めによる被害がますます大きくなっている。(開高健は「かいこうたかし」と読んでもいい。開高健の健を「たかし」と読むと天皇を神としていることになり、「けん」と読むと私を神としていることになる。天皇は宗教的に身分が高いから「たかし」であり、私は私→川野延夫[かわののぶお]→川ブ→川フ→フ川→ケン(“川”の左の縦線を“フ”に移す)→「けん」である。だから、テレビアニメの『チャージマン研!』の泉研[いずみけん]は私である。泉は私の姓の川野の言い換えである。泉は“川”の水が“野”原に溜[た]まったものだからである。チャージとは充電することで、私が天皇の代わりに国家宗教の神を務めていたから私がチャージマンなのである。『チャージマン研!』の第35話「頭の中にダイナマイト」のダイナマイトとは、ダイナマイトは危険な物のことだから“虐められる喜び”のことである。あるいは国民の“政府に対する誤解”のことかもしれない。)
このままではいけない。早く国民の多くは政府のことを正しく理解して自分の政府に対する誤解を直して政府に従うのをやめて政府の言うことを聞かなくなって政府に虐められて不幸にされるのをやめて幸福に暮らさねばならない。今の国民みんなはマゾではないから、今の国民みんなにとって国民を虐める会社は要らないから、国民みんなは政府に税金を払うのをやめて政府を潰[つぶ]さねばならない。


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